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創価学会の功罪を考える

1455吉祥仙人:2005/02/09(水) 23:20:21
 大勇者さんへ

 浅学で申し訳ありません。「五百の実」とは後の五百歳に関する何かでしょうか
御教授ください。

1456大勇者:2005/02/09(水) 23:53:30
論拠は
報恩抄p310 撰時抄p270
国清百禄など他にも多々あるようです。日寛師にもあるとの事だが資料を探しているところなのですが。

千年にひとり聖人が出て、五百年にひとり賢人が出るとの説です。
大数によれば、五百年にひとり聖人がでるとなります。

これならば、教祖とか本仏など使わなくても賢人、聖人でこと足りることになります。

1457大勇者:2005/02/10(木) 00:30:53
撰時抄愚記(日寛上人文段集p268)

一には五百年に聖人出ずるの説は孟子十四二十二に云く「孟子云く、舜由り湯に至るまで五百有余歳」と云云。趙氏に云く「五百歳にして聖人出ずるは天道の常なり」と。然るにまた遅速あり、正しく五百歳なること能わざるが故に「有余」というなり。

二には千年に聖人出でて五百年に賢人出ずるの説は、王子が拾遺記に云く「丹丘は千年に一たび焼け、黄河は千年一たび清む。皆至聖の君、以て大瑞と為す」文。晋書の註に云く「千年に一度、聖人の出ずるを見、五百年に一賢を見る」と云云。孔子聖人は仏滅後三百九十九年に当り、周の霊二十一年庚戌十一月四日、魯国に生る。周の敬王四十一年壬戌四月八日に卒す、年七十三歳なり云云。これ仏滅後四百七十二年に当る、故に大数は五百年なり。清浄法行経に云く「光清菩薩、彼に仲尼と称す」等云云。

天台大師は孔子の滅後一千十五年に当って、梁の武帝の大同四年の誕生なり。隋の開皇十七年丁巳の入滅、春秋六十歳なり。伝教大師は天台滅後一百六十九に当って生まれたまう。御年五十六歳にして弘仁十三年の入滅なり。具に前に弁ずるが如し。

蓮祖大聖人は伝教滅後四百一年に当たって生まれたまう。即ち天台滅後五百七十年に当るなり。若し伝教に望み、若し天台に望めば倶に五百年の前後なり故に大数は五百年に聖人出ずるの説、以て憑拠たるべきなり。

1458犀角独歩:2005/02/10(木) 01:29:49

> 1457

寛師の説や、その引用文が正しいなどということはないでしょう。
しかし、そうやって、500年、1000年で割り切っていくのであれば、蓮師から寛師は500年離れ、
池田さんは1000年離れないとつじつまが合わないことになりませんか(笑)

1459名無し@富士門流:2005/02/13(日) 21:58:32

北林氏が、既出の書籍についてもネット上に全文展開しました。

http://www.heianbooks.jp/zenbun/jyouzetu/index.html

http://www.heianbooks.jp/zenbun/gyouan/index.html

何かあるんでしょうかね?

1460彰往考来:2005/02/14(月) 12:27:49
>1459

紹介ありがとうございます。平安出版のHPではなく
報恩社のHPに出ていますね。

何を狙っているのでしょうかね。報恩社のHPなら
意見欄を投稿できるようにすれば、いいのですけ
どね。

1461犀角独歩:2005/02/14(月) 19:15:37

先日、講演していただいた島田先生が、学会についての報道の仕方に、以下のようなコメントを blog に載せています。もっともだと思った次第です。

*** 以下転載 ***

楽天と創価学会が?

おかげさまで、『創価学会』9刷が決まりました。

それと直接は関係ないのですが、今週の『週刊文春』に楽天と創価学会の間の関連性を指摘した記事が掲載されました。まあ、きっとこの程度だろうと思いつつ買って読んだのですが、楽天が抗議するのも当然といえる内容でした。

記事の中で事実として指摘されていることは(あくまで記事の中でということではっきりした証拠があるとはかぎりませんが)、楽天ゴールデンイーグルスのコーチのなかに3人学会員がいる。エースとなる予定の岩隈投手も学会員である。楽天の三木谷社長の祖父(故人)が学会員で幹部であり、その長男、三木谷社長にとっては叔父が現在も学会員である。基本的にはそれだけで、あとは憶測で両者の関連性を指摘しているにすぎません。

その憶測というのは、たとえば、学会が楽天をビジネスパートナーにしたいと考えているとか、球団の観客として学会員をあてにしているといったものです。こうした憶測が、どうかと思うのは、企業にとってどうして宗教教団がビジネスパートナーになったりするのでしょうか。イメージがまったくわきませんし、東北地方に学会員が多いわけではなく、むしろ地域的に少ないはずです。学会員を観客として当てにするなら、首都圏や関西に球団をもっていかなくては、何の意味もないはずです。

なんか、もうこういうつまらない関連性の指摘はやめたほうがいいのではないでしょうか。創価学会の報道にかんして、そういう時代はとっくに過ぎ去っているように思います。

http://blog.livedoor.jp/shhiro/

1462彰往考来:2005/02/16(水) 07:40:31
>1460

自己レスです。

間違えました。平安出版と報恩社の両方のHPに出ています。

しかしまあ、平安出版はこの本の出版元で出版元が無料で全文
を公開するとはちょっと異常ですね。
性懲りも無く“日蓮と最蓮房”も公開しています。そろそろ恥
をさらすのを止めていただきたいですね。

1463愚鈍凡夫:2005/02/16(水) 09:41:55

世の沢山の人々に読んでもらって、その批判を仰ぐなんてことはないでしょうね。 (^^ゞ
それとも、創価学会員向けの啓蒙の一つなんでしょうかね。創価学会員以外の共感は呼べそうにない本ですから。
ひょっとしたら、みんなが金を出してまで読みたいと思っていないようだから、だったらタダで読ませちゃえって太っ腹(?)な考えだったりして。

1464犀角独歩:2005/02/16(水) 11:49:51

まあ、しかし、少し仏教に関する教養と常識を持ち合わせた人であれば、呆れ果てる内容といえるでしょうね。これが創価学会の一般会員向けのスケールなのでしょうか。せっかく、大学を作ったり、優秀な学者を出版などで採用しても、これでは、致し方ありませんね。

過日の研究会で、島田先生も日蓮遺文の勉強を始めていることを披露し、小松邦彰師の遺文講義に参加していることを告げておられました。ここで使用されているのは、確実な真跡のみを収録した米田淳雄師・不軽庵版『平成新修日蓮聖人遺文集』であることを、学者の良心として語っていたのが印象的でした。このような良識からすると、いまどき、最蓮房その他に係る御書を、なんら資料考証もせずに、あたかも真筆のように扱うこと、論じることは、既に受け入れられない時代に入っていると知るべきです。

わたしも小松先生の講義は何度か、聴講しましたが、この場で、「最蓮房関係の御書は、すべて真筆です」などと言ったら、講師はもとより、参加者全員から、その良識、むしろ教養と常識を疑われることになります。なんで、こういう良識が理解できないのか、結局、閉鎖的信念大系集団にいるということは、そのような点でまったく神経が鈍感になったうえ、さらにファンダメンタリズムにも陥るという二重の禍を背負うことになることが理解されないからでしょうね。

当掲示板では、そのような点を、(クリアできない学会を含む石山系信念大系の)富士門にありながら、それをクリアした人の集まりである故に、稔りある議論、発展的な議論が可能になっているのだと思います。

まあ、北林本、取るに足りず、そう結論づけて相手にしないのがいちばんであるとわたしには思えます。こんなものを本気で読み、参考にすれば、物笑いになるのは当の創価学会(員)でしょうから。

1465パンナコッタ:2005/02/16(水) 12:31:40
まあ、新刊を出し続け会員に買わせるのが、学会の歯車なんですから売れ上げが悪そうな
最連坊のネタではダメとの判断があったのかも知れないですな。カネさんの方が売れますよ
ネタでは。

1466犀角独歩:2005/02/17(木) 01:26:28

ネタでは、ですね。
しかし、けっこう、書き込みの言葉遣い、横柄ですね(笑)
ここでは、みな丁寧なので、目立ちますよ。

1467彰往考来:2005/02/17(木) 07:41:18
パンナコッタさん

はじめまして。彰往考来です。

>1465 
誤:最連坊
正:最蓮房

ですのでよろしく。

1468名無し@富士門流:2005/02/17(木) 11:04:52

>1465
パンナコッタさん、はじめまして。

非常に意味深なことを書かれますね。

>カネさんの方が売れますよ

これは「本門戒壇之大御本尊」の鮮明な写真と、大石寺蔵「日禅授与之御本尊」の鮮明な写真とを使った、K氏の著書がいよいよ出版されるということでしょうか?

もしそうなら私は創価学会を見直します。

1469パンナコッタ:2005/02/17(木) 12:06:36
>1466 ああ、ごめんなさい。 大変申し訳ありませんでした。

>1467 指摘、ありがとうございます。

>1468 地区に書籍やビデオ、民音のチケットが割り振られている事実は、
教団収入の安定化を意味していると思ったからです。

1470名無し@富士門流:2005/02/17(木) 12:41:33

>1469
そうでしたか、私の考えすぎですか。

カネさん=金さん(「山居院と三鳥派弾圧事件」の金さん)、ではないかと勘違いしました。

「本門戒壇之大御本尊」の鮮明な写真と、大石寺蔵「日禅授与之御本尊」の鮮明な写真だけでも公開してくれませんかね〜

やっぱ無理ですかね。

1471犀角独歩:2005/02/17(木) 14:14:00

> カネさん

とは、『香峯子抄』(主婦の友社)のことではないのですか。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=4072459607

1472愚鈍凡夫:2005/02/17(木) 19:10:23

あのおばさん、ウチの近所あたりでは、
カネゴンで通ってますよ(流行らせたのは小生ですが)。 (^O^)

1473犀角独歩:2005/02/18(金) 00:03:28

『香峯抄』、わたし、実はまだ、この本を読んでいないのですが、いちばん、興味があるのは、亡くなった次男坊をどんなふうに記述しているかです。

もう一点、女性の名前で〜抄というと日本人であれば、誰でも『智恵子抄』を想起しますが、この場合、記したのは、高村光太郎でした。

ご本人の著作で、ご自分の名前に『〜抄」。自分で書いたものに抄を付けたわけですね。
わたしも物書きの端くれですが、このセンスはちょっと、理解できません。つまり、主婦の友社の編集感覚に違和感を懐きました。

1474彰往考来:2005/02/19(土) 09:38:48
>1473

そうかなあ。主婦の友社の編集感覚かなあ。
だって、この人の旦那様の著書はそんなのばかりですよ。『女性抄』とかね。

1475犀角独歩:2005/02/19(土) 10:25:23

ああ『女性抄』。となると、『〜抄』はご当人夫妻のセンスですか?

1476愚鈍凡夫:2005/02/19(土) 10:58:46

では、
次の本は「創顕問答抄?上下巻」(by 「偽書」なんちゃって)って処ですかね。 (^◇^;)

1477犀角独歩:2005/02/19(土) 13:32:20

1470 名無し@富士門流さん:

> カネさん=金さん(「山居院と三鳥派弾圧事件」の金さん

この点、少し詳しくご教示いただけませんでしょうか。

1478名無し@富士門流:2005/02/19(土) 15:06:29

>1477
犀角独歩さん、今日は。

「カネさん」に関しては、完全なる私の早とちりであったようです。

私が期待を膨らましたのは、「山居院と三鳥派弾圧事件」についての論考を明治記念館で発表された方が学会におられ、その方は古文書も通読でき且つ「本門戒壇之大御本尊」と「日禅授与之御本尊」(大石寺所蔵)の鮮明なる写真を所持され、「本門戒壇之大御本尊」の真偽に関する論考も既に完成されており、後は出版を待つばかり(組織からのGOを待つばかり)とのことだったのです。
その方の名字が「金〇」さんなので、学会の方が「カネさん」と愛称で呼んでいるのかと勘違いしました。
数年前には大石寺宗門との法論で有名な、新階央氏とペアで大石寺塔中坊の伝日禅師開基といわれる「南之坊」にて、大石寺僧侶相手に法論に挑んだこともあると言う噂です。

但しこれらはあくまでも大石寺信徒及び学会員からの聞書きです。

学会員さん、あるいは元学会員さんからのフォローを戴ければと思います。

1479犀角独歩:2005/02/20(日) 00:17:56


名無し@富士門流さん、有り難うございます。

しかし、情報通ですね。このような御仁がいらっしゃることは、こちらの常連さんからも訊いておりました。その方が、このような発表をなさっているとは存じ上げませんでした。

常連さん曰く「この公開を本部がOKするのには10年、20年かかる。けれど、今回の発表が、それを早めたかもしれない…」

今回の発表とは昨年暮れのわたしの発表のことです。
さて、どうなることか。
楽しみなところです。

1480名無し@富士門流:2005/02/20(日) 00:49:14

>1479
犀角独歩さん、

>常連さん曰く「この公開を本部がOKするのには10年、20年かかる。けれど、今回の発表が、それを早めたかもしれない…」
>今回の発表とは昨年暮れのわたしの発表のことです。

実は私もずっとそのように思っていました。
犀角独歩さんによる出版物が、これまでの「偽作論」とは大きく違い、視覚で判断できる点は重ねて述べてきました。
これを出された以上、無視をし通すか、真実を明らかにするかどちらかであろうと思います。
情報化社会ですから、本山・本部が黙っていても多くの信徒・会員の目にふれ、論議が起こるのは極めて自然なことだと思います。

正信会や学会は言葉は悪いですが、本格的に本山と決別・決着をつける最大のチャンスを迎えたとすら思うわけです。
是非このチャンスに、出すものは出していただきたいと願うものです。

1481犀角独歩:2005/02/20(日) 01:16:51

名無し@富士門流さん:

仰るような環境になるためには、いくつかのハードルがあるわけです。
なぜか、学会を含む石山系信徒は漫荼羅の写真を撮ることを罪悪視するわけです。
なおさらのこと、それを図形として扱い鑑別するなど、謗法の極みのような感覚があるでしょう。

しかし、自分の家で拝んでいる本尊は、どれもその禁止されているはずの写真製版で作製された印刷です。まず、この事実に気付けないわけです。また、初期の『富士宗学要集』、また、『聖教新聞』にしても、漫荼羅の写真ぐらい載っていました。

それがいつの間にか、御法度に仕上げられてしまったわけです。
まず、このハードルを越えない限り、前に進めません。
わたしのような「無所属」は勝手ですが、学会員で、それも本部の眼を気にしなければならないとなると、これはもはや絶望的です。しかし、既にやってしまった人間がいれば、さらに、そのような認知が広まれば、時代は動きますね。その意味で、わたしは学会を含む石山の時代を捻った実感があるわけです。

無視するのは、勝手ですが、既に日蓮宗内では、講演をまとめた『大石寺漫荼羅本尊の真偽について/所謂「本門戒壇の大御本尊」の図形から見た鑑別』は、有志に配布されましたし、4月までには、わたしの原稿が載る本が1万部近く、教師に届きます。日蓮宗教師方がお読みくださるかどうかわかりませんが、ともかく、1万部が世に出ることは事実です。

「賽は投げられた」という言葉があります。もはや、彫刻本尊に関する図形鑑別という既成事実は日蓮宗史の不可逆的事実として刻印されました。

結局のところ、認めた順に誠実、事実に対して正直という認知を受けることになっていくでしょう。認めず、無視し、大層なことを言っても駄目です。彫刻が生身の本仏だ・歯に付いた肉が生きているなんていうオカルトを暗黙裡に認めている信仰圏にいる人間は、その良識を疑われる時代に入ったと言うことです。

さっさとカミングアウトして、良識・常識の通行手形を手に入れること、これが今後の、石山系に石を置く人間が学界、社会一般でしなければならないことになっていくでしょう。

明瞭な彫刻本尊と、石山蔵禅師授与漫荼羅をお持ちならば、是非とも、発表していただきたいものです。また、そのことは、今後の学会教学の到達点に取って、捨て去る器物の故、当然の歴史の推移として、未来の人は認知することです。

もう2度と、「弘安2年10月12日に楠板に直筆し、法師が彫った」などという与太話で人をだませる時代に逆行することはないわけですから。

1482愚鈍凡夫:2005/02/20(日) 15:24:42

名無し@富士門流さん、なんですね。

> 正信会や学会は言葉は悪いですが、本格的に本山と決別・決着をつける最大のチャンスを迎えたとすら思うわけです。
> 是非このチャンスに、出すものは出していただきたいと願うものです。

当事者にすれば、真綿で自分の首を絞めるような気分でしょうね。嘗ての自分と自家撞着するわけですから。嘲笑と怒号がこだまする風景を思い描きながら、底知れぬ畏怖の念に苦悩するのかもしれません。
でも、その深いトンネルを抜けないと、未来は閉ざされるんですよね。

1483名無し@富士門流:2005/02/20(日) 18:11:34

犀角独歩さん、愚鈍凡夫さん、今晩は。

大石寺側としては、既に学会員の中に所謂「本門戒壇之大御本尊」が、偽物であると主張動きがあるとしています。

http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_g/emyo_g.htm
(大石寺機関紙「慧妙」最新号)

既に助走は始まっているとみてもいいのではないでしょうか?

1484名無し@富士門流:2005/02/20(日) 18:14:37

訂正です。

誤:偽物であると主張動きが
正:偽物であるとの主張が

該当の記事は、リンク先の「慧妙」平成17年2月16日号3面です。

1485犀角独歩:2005/02/20(日) 19:39:54

名無し@富士門流さん、興味深い、記事のご紹介有り難うございます。
しかし、創価学会員が、ですか(笑)

1486吉祥仙人:2005/02/20(日) 19:57:36
 お久しぶりです

 どこかのホームページに、名無し@富士門流さんの紹介されたような記述があったとすれば
その出所はこの掲示板と推察いたします。
 なぜなら、最も先鋭的な「創価新報」最新号にすらその様な気配は微塵もないからです。

1487犀角独歩:2005/02/20(日) 20:04:29

まさか、問答さんや、わたしのことを学会員といっているのではないでしょうね(大笑)


そういえば、どこかのHPで、わたしが日蓮宗、現宗研に急接近、当掲示板は身延派の謀略舞台に占拠されているなんて書かれていました(爆笑)

一人の主張する人間がいると、「どこどこの」と所属を特定しないではいられない、はじめの一歩で躓いています。

わたしはどこの所属でもありません。わたしは独歩です。他を寄せ付けず、孤立するという意味ではありません。わたしは、心ある人であれば、誰とでも話しますし、歩みもします。しかし、共にしばし歩んだからと言って、どこどこの集団の、とはなりません。わたしはわたしです。

1488犀角独歩:2005/02/20(日) 20:05:37

どうも、打ち間違いが多くていけません。
謀略舞台は、もちろん、謀略部隊です。

1489問答迷人:2005/02/20(日) 20:17:52

名無し@富士門流さん
犀角独歩さん
吉祥仙人さん

慧妙の記事、読んでみました。気になる箇所が一箇所ありました。転載します。

「しかしながら、一方、日興上人のもとで四年間を身延で共に過ごした民部日向は、日興上人の身延離山後の正安○年十二月、自ら板本尊を造立している。いかに大聖人の法義に疎い五老でも、いちおう大聖人の直弟である以上、自ら全くのの新義を作り出すことはありえないから、これは、身延山久遠寺の本堂に安置されていた本門戒壇大御本尊を拝した日向が、大御本尊を真似て板本尊造立に及んだ、考えるほかはない。」(慧妙平成十七年二月十六日第三面)

この「日向師による正安年中の板本尊造立、というのは、事実なんでしょうか。既に議論の終っている事かもしれませんが、敢えて皆さんにお伺いいたします。僕は初耳でしたから。

1490問答迷人:2005/02/20(日) 20:29:08

犀角独歩さん

>どこかのHPで、わたしが日蓮宗、現宗研に急接近、当掲示板は身延派の謀略部隊に占拠されている

これは、大笑いですね。しかも、御参加の皆さんに対して、大変無礼な言い草です。

この掲示板は公開の掲示板で、しかも、ルールがはっきりしています。乗っ取るなんて事、どうやったら出来るのか、教えて欲しいものです。

1491犀角独歩:2005/02/20(日) 20:48:01

問答名人さん:

以下のサイトです。
わたしに悪意があるように見えないものの、また、掲示板そのものに悪意を懐くようでもないのですが、

「顕正会批判を隠れ蓑に、日蓮正宗のイメージダウンを企む身延派プロパガンダの本拠」とは、いったい、なんのことやら。

なんで、直接、尋ねたりしないで、こう決め付けるのか、理解に苦しみます。
ここの管理者さんには、こちらに来て親しく議論をすることを希望します。

リンク集:真実の「日蓮大聖人の仏法」を求めて
http://kane765.at.infoseek.co.jp/link.html

1492犀角独歩:2005/02/20(日) 21:04:54

> 1491

おっと、今度は書き違いどころか転載ミスです。
わたしの勘違いもありました。訂正し、お詫びもいたします。

*** 以下転載 ***

3.富士門流信徒の掲示板

「富士門ネット」の掲示板であるが、最近は身延派のスパイに占拠された観がある

4.日蓮宗現代宗教研究所

顕正会批判を隠れ蓑に、日蓮正宗のイメージダウンを企む身延派プロパガンダの本拠

6.佛教再考

犀角独歩さん(元・日蓮正宗信徒、現在は上記の「日蓮宗現代宗教研究所」や立正大学関係者らと緊密な関係)

*** 転載終わり ***

ひとこと弁明すれば、別にわたしは日蓮宗のみならず、その他、自分が是と思う人・集団とは緊密な関係です(笑)

1493愚鈍凡夫:2005/02/20(日) 21:17:42

犀角独歩さん、どうもです。
> 当掲示板は身延派の謀略舞台に占拠されているなんて書かれていました(爆笑)。

「謀略舞台」、あまりの面白さに小生メモってしまいました。
メモメモメモ_φ(._.φ(゜-゜;φ(._.φ(゜-゜;φ(._.φ(゜-゜;)カキカキカキ

名無し@富士門流さん、今晩は。久しぶりに「聖人御難事(1279(弘安2)10月)」を読んでみました。

「清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。」(「聖人御難事」学会版P1189)

この文が蓮祖自身、出世の本懐を遂げたことを宣言した文証であるなら、そのあとに、27年間の辛酸の日々を振り返り、ご自身が"法華経の行者"であるとの確信を述べられていますが、出世の本懐の中身には一言も触れていないのは何故でしょう。まさか、1275(文永12)年3月の「阿仏房御書(偽書)」に一機一縁の漫荼羅が蓮祖の出世の本懐であると記されているから「聖人御難事」には敢えて記さなかったとでもいいたそうですが。

「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。」(「阿仏房御書」学会版P1304)

やっぱ、最期の最期まで言い張るのが、石山の処世術なんですね。

1494吉祥仙人:2005/02/20(日) 21:24:12
 補足
 >中外日報
 >商売の邪魔になる日蓮正宗は目の敵・・・

 (商売の邪魔になる。)日蓮正宗は目の敵・・・と告白すべきでは

1495愚鈍凡夫:2005/02/20(日) 21:37:34

訂正、
「阿仏房御書(偽書)」の執筆年は、学会版が1272(文永9)年3月、新定が1276(建治2)年3月、昭定が1272(文永9)年3月でした。 m(_ _)m

1496通りすがり:2005/02/20(日) 21:40:25
慧妙の憶測は、どこぞの掲示板での淳のつく人や呆のつく人や「れ」のつく人VS坊のつく人や語尾ののびたハンネの人あたりとのやり取りが元ではないですかね?

1497れん:2005/02/20(日) 21:50:54
問答名人さん
>1489
民部阿日向師の造立と言われる板マンダラについては、堀日亨師が「富士日興上人詳伝」に以下の如く述べられています。
『板本尊は延山に多数ある。なかにも、日向の添書に「正安二年庚子十二月日。右日蓮幽霊成仏得道乃至法界衆生平等利益の為に之を造立す」とある丈二尺七寸、幅一尺八寸の大聖人の御筆を写した板本尊が、宝蔵に厳護せられてあるが、ほとんど秘仏で、一般には公開せられていないのはなんのためかを知らぬ』
以上ご参考までに。

1498犀角独歩:2005/02/20(日) 22:02:54

れんさん、横から失礼します。讃文?の「幽霊」ですが、これは『法蓮抄』の「今法蓮上人の送り給える諷誦の状に云く 相当慈父幽霊第十三年忌辰 奉転読一乗妙法蓮華経五部」と同じ用法と見ていいのでしょうか。

幽霊とは、いまのお化けのような用法ではなく、「幽」とは、かすか、かくれ、奥深く静かということで、迷わない霊を意味する言葉でしょうか?

たしか、この「幽霊」談義は、以前もしましたが、しかし、この向師の文、「日蓮幽霊成仏得道」と来れば、蓮師を成仏させるための漫荼羅という意味になるのでしょうか?
この板本尊は、しかし、向師に係るものでしょうか。

1499犀角独歩:2005/02/20(日) 22:03:54

1496 通りすがりさん、なるほど、当を得た観察かと存じます。

1500れん:2005/02/20(日) 22:27:19
犀角独歩さん、この向師造立?の板本尊は実物も写真も見たことがありませんから、はたして向師に係る板マンダラかどうか私には判断出来ません。ただ、堀師のあの記述により、そのような板マンダラが身延山に存在するということを認知しているばかりです。この板本尊については、所蔵している身延山の僧侶に聞かれた方が詳しいことが分かることと存じます。
脇書?の幽霊の語は犀角独歩さんのご指摘のように、私も法蓮抄の用語例に準じているように思えます。「日蓮幽霊成仏得道…」なかなか難解ですが、先師である蓮師の仏果増進を願って造立した板本尊という意味になりましょうか…。

1501問答迷人:2005/02/20(日) 22:29:19

れんさん 早速のご回答、有難う御座います。

富士日興上人詳伝(合本)にあたり、321-322頁に当該記述を確認しました。

兎も角も、そのような脇書のある板曼荼羅が延山に現存することは事実なんだと思います。ただ、日向師は富士一跡門徒存知事に「御筆の本尊を以って形木に彫み不信の輩に授与して軽賎する由し諸方に其の聞えあり、所謂日向日頂日春なり。」と書かれ、板に刻んだ事が批判されています。勿論、この存知事では、版木に刻んで印刷したことが咎められていますが、板本尊も当時の北山からすれば、御筆曼荼羅を刻む訳ですから、批判の対象にされていたと思われます。慧妙の反論は、この存知事の無論を無視していますから、反論としては弱いように思います。

1502名無し@富士門流:2005/02/20(日) 22:31:22

管理人さん、今晩は。
幽霊曼荼羅に関しては、既にれんさんがご指摘いただいた通りだと思います。
堀日亨師の「冨士日興上人詳伝」P321〜322に、れんさんご指摘の記述があります。

この件に関し以前他の掲示板で、身延での修行経験をお持ちの川蝉さんにお聞きしたことが御座います。
残念ながら拝観の経験は無いようです。所謂「本門戒壇之大御本尊」と同様「秘仏」のようです。
ま〜「秘仏」といい、宗内僧侶にも殆ど知られていないようなものですから、恐らくは??ではないでしょうか。

通りすがりさん、犀角独歩さん、私も同感です。以下の掲示板で宗創の代表で法論が行われていますが、学会側は「慧妙」記事の如く主張されています。

http://8327.teacup.com/woman/bbs

愚鈍凡夫さん、仰る通りだと思います。

1503問答迷人:2005/02/20(日) 22:31:48

訂正です

× この存知事の無論を無視

○ この存知事の議論を無視

1504名無し@富士門流:2005/02/20(日) 22:36:26

「管理人さん」改め「問答名人さん」(失礼しました)、入れ違いの投稿になってしまいました。

重ね重ね申し訳御座いませんでした。

1505問答迷人:2005/02/20(日) 22:44:52

名無し@富士門流さん

とんでも御座いません。管理者としての発言は「管理者」として書いています。掲示板参加者として書き込む場合は、「問答迷人」のハンドルネームで書き込ませて戴いております。同じ作業をして下さったのですね、有難う御座います。

1506犀角独歩:2005/02/20(日) 23:07:44

1500 れんさん、有り難うございました。

なんだか、しかし、不思議な文章であると思いました。


1502 名無し@富士門流さん:

すみません。ご紹介のページ、拝見しましたが、双方が、両集団の「代表」ですか?
個人的に組織を背負って、それぞれで主張しているということですよね。

少なくとも、現学会、また、石山の主張とも、それぞれ異なっていると思いますが、これはわたしの読み込みが浅いための誤読でしょうか。

1507通りすがり:2005/02/20(日) 23:08:22
しかし呆氏…見苦しい。まるで「れ」…。

1508管理者:2005/02/20(日) 23:16:32

名無し@富士門流さん

ご紹介いただいた掲示板、なんだか酷く荒れていますね。こんな状態でまともな議論が出来るのでしょうかねぇ。何か、富士門各派の真実の姿を見てしまつた様な気分になりました・・・。

それにしても、当掲示板御参加の皆様は、紳士淑女ばかりですよね。当掲示板の管理者としては、何か、逆にほっとするものが有りました。

1509名無し@富士門流:2005/02/20(日) 23:22:54

犀角独歩さん、通りすがりさん、某掲示板は「場外乱闘有り」のようです。

ところで「身延派のスパイ」って誰のことを指していっているのでしょうね?

1510愚鈍凡夫:2005/02/20(日) 23:25:33

「むむっ、下手にボケをかますとやばいかも・・・・・」 (..;)
プンプン( ̄^ ̄メ)\(_ _ ;)ハンセイ…

1511名無し@富士門流:2005/02/20(日) 23:29:58

>1508
管理人さん、

私はむしろここの掲示板が特別なのだと思います。
宗教という最も感情的になりやすい議論をここまで理路整然と対話できるのは、どこまでいっても管理人さんのお人柄と優れた管理能力のおかげだと何時も感謝しています。
ありがとう御座います。

1512通りすがり:2005/02/20(日) 23:32:26
身延の人というと…葵のつく方がいましたねぇ。

1513犀角独歩:2005/02/20(日) 23:37:06

1509 名無し@富士門流さん

> 「身延派のスパイ」って誰

うーん、そんな人いますかねぇ?
延山系の人が読んでも卒倒しそうなこと多いんですけどね、こちらの各スレッドは(笑)

1514名無し@富士門流:2005/02/20(日) 23:37:09

>1512
通りすがりさん、

確かその方も「坊」のつく方じゃなかったでしたっけ?

1515名無し@富士門流:2005/02/20(日) 23:38:27

>1513
犀角独歩さん、

やはり想像でものをいってるに過ぎないようですね。

1516通りすがり:2005/02/20(日) 23:45:28
はい、名無し@富士門流さん。確か@もついてましたねー。

1517管理者:2005/02/20(日) 23:54:45

名無し@富士門流さん

>管理人さんのお人柄と優れた管理能力のおかげだと何時も感謝しています。

これは違うのですよ。最初、掲示板を立ち上げよ、と勧めてくれた人がいます。そして、彼は、『掲示板は荒れやすいから、書き込みのルールをしっかり作らなくてはならないよ』って、教えてくれたのです。それが、功を奏しているんです。

その彼とは、『創価学会独立独歩』のチョンガーさんなんです。最初に井戸を掘った人の事を忘れるな、という中国の諺を創価学会にいた時に良く聞かされましたが、この点は大切にしたいと思います。チョンガーさんに敬意を表して、彼のHPアドレスを何回目かですが、掲載させて頂きます。

http://shunpo.ld.infoseek.co.jp/index.htm 『創価学会独立独歩』

1518犀角独歩:2005/02/21(月) 00:10:29

管理者さん、恥ずかしながら、チョンガーさんのお名前は存じ上げていましたが、そのサイトが「独立独歩」であったと、いま気付きました。

なんと、わたしはその「独歩」を名乗って、ここに登場してしまったわけですね。
なんともはや、今頃になって気付きました。

管理者さん、チョンガーさんには改めて敬意を表するものです。

1519通りすがり:2005/02/21(月) 01:01:17
例の掲示板、坊氏を書き込み禁止にして勝手に終わってしまいましたね。あの管理人さんの判定…いくら身内とはいえ、アレで勝ったと思っているらしいが本気なのでしょうか?

1520彰往考来:2005/02/21(月) 07:18:36
>1489問答名人さん、

日向師の板本尊については昭和52年の『蓮華10月別冊号』(蓮華編集部)に細井日達師が「本門戒壇の疑難に対する弁駁」と題して、昭和51年10月発行の『月刊ペン』に宮崎英修師が書いた「大石寺の板まんだらその価値と成立」への反論を記載していますが、その中(3頁)に以下の内容があります。

****************************************
身延山久遠寺には本堂の御本尊がないわけであります。では、日向はどうしたかと申しますと、彼は大聖人の御本尊を写して、板本尊を造っております。それは『身延山文書』に
「一、板本尊 本尊は祖師の御筆を写すが、下添え書きは、第三祖向師(日向)の筆なり。下添え書きに云く、正安二年庚子十二月 日、右、日蓮幽霊成仏得道乃至法界衆生平等利盛の為に敬ってこれを造立す」(日蓮宗宗学全書二十二巻)
と書いてあります。我々正宗の者から見れば、真に不思議なことは、大聖人が成仏していないと思っているのであります。日向造立の板本尊は、即ち日蓮幽霊成仏のためだと書いてあります。
幽霊とは、中有に迷っている霊魂のことであります。中有とは成仏しない、地獄にもいかない、中間のことで、この中にある霊魂を幽霊というのであります。これが大聖人の正しき弟子の教えでありましょうか。真に笑止の至りであります。正安二年は、日興上人身延離山から十一年の後であります。更に、その後十三年も日向は身延に在住しております。そして、この板御本尊は身延の本堂の本尊としておったことは、この板本尊造立の正安二年より五十一年も後の観応二年、辛卯の年に
「身延山久遠寺同御影堂、大聖人御塔頭、塔板本尊  金箔 造営修造結縁」(日蓮宗宗学全書一巻)
と中山三代日祐の『一期修善根記録』に書き残してあります。
これをもって身延の御影堂の大聖人のお厨子の中に、日向造立の板本尊が安置してあったことはあきらかであります。
宮崎氏は、板本尊は我が日有上人がはじめて彫刻したと、臆面もなく述べているが、日有上人より百五十年以上も前に、自分の派祖日向が板本尊を造立していることを知らないとはまことに迂闊千万であります。
一尊四士の釈尊像を中心とする日向が、板本尊を造立したということは、その前に戒壇の大御本尊が存在していたという正しい証明であります。この日向造立の板本尊は、今は富士に気がねしてか本堂にまつらず倉庫の中に隠匿しているのであります。
(中略)
(創価学会第三十九回総会に於ける講演の抜萃)
****************************************
引用者注:文中、板本尊, 板御本尊との用語不一致がありますが原文のママです。

1521問答迷人:2005/02/21(月) 07:48:17

彰往考来さん

有難う御座います。達師がすでに述べていた事なんですね、この反論を良く読んでいなかったのは迂闊でした。

それにしても、「宮崎氏は、板本尊は我が日有上人がはじめて彫刻したと、臆面もなく述べているが、日有上人より百五十年以上も前に、自分の派祖日向が板本尊を造立していることを知らないとはまことに迂闊千万であります。」と達師が述べた事に対する、宮崎師、或いは日蓮宗としての再反論はあったのでしょうか。もし、御存知なら、ご披露戴けると幸いです。宜しくお願い致します。

1522彰往考来:2005/02/21(月) 07:54:19

犀角独歩さん、

1520で紹介した事例では宮崎氏が『月刊ペン』に載せたのが昭和51年10月。
それに対する石山の反論が『蓮華』に登場するのが昭和52年10月でちょうど
1年後になっています。ご参考まで。

1523彰往考来:2005/02/21(月) 07:56:43
>1521 問答迷人さん

再反論があったかどうか残念ながら存じ上げておりません。

彰往考来

1524愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 08:16:55

横レス失礼します。
でも日達師の言葉は、取りようによっては、日向師が板漫荼羅を造立したから、日有師が板漫荼羅を造立したってかまわないじゃないかと言っているようにも採れますね。

「一、御筆の本尊を以て形木に彫み不信の輩に授与して軽賎する由諸方に其の聞え有り所謂日向日頂日春等なり。日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。」(富士一跡門徒存知の事)

日向師は日興師の弟子ではないから、この文とは関係ないと言えますが、日有師は興門派の流れを汲むわけですから、この文を無視できない存在ですよね。所詮、日達師も都合の悪い文証は平気で無視するタイプでしょうか?
逆に、日有師の板漫荼羅のアイデアは、日向師のパクリであったとの解釈も成り立つのではないですか。

1525犀角独歩:2005/02/21(月) 08:54:59

彰往考来さん、有り難うございます。
石山の反論、心待ちしております。

しかし、‘伝’向師板本尊を直ちに本物と断定したり、「幽霊」語の用法に『法蓮抄』を考慮に入れていなかったり、いつも思いますが、達師というのは、どうしてこうも穴だらけなのでしょうか。

1526吉祥仙人:2005/02/21(月) 08:55:50
 話をややこしくするようですが

 例の板本尊模刻事件の学会側の主張は

 「日達上人は、『ご本尊はその人の宝であるからどのように荘厳してもよい』と
おっしゃていた。」

 とのことです。

1527愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 10:05:02

吉祥仙人さん、「本尊模刻事件」の創価学会、日蓮正宗双方の主張を紹介します(当然、双方の主張に食い違いがあります)。

御本尊謹刻問題 自由座談会 赤沢氏
http://ranhou.hp.infoseek.co.jp/mokoku.htm

模刻の手記
http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/shuki.htm

1528一字三礼:2005/02/21(月) 10:41:08
横レス失礼します。
愚鈍凡夫さんが挙げてくださっている「富士一跡門徒存知の事」の一文ですが。
これは、本尊を形木に刻む事を禁じているというより、本尊を不信の輩に授与することの方を禁じている、というように読めませんか。

1529愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 11:15:01

一字三礼さん、レス有り難うございます。
「一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。」
とありますから、「形木に彫み」「不信の輩に授与」の二つを禁じたものと思いますがいかがなものでしょうか。

1530名無し@富士門流:2005/02/21(月) 17:41:15

何時の間にか話題が「本尊模刻」に移っていますね。

保田の客殿安置の日興上人書写の模刻本尊は、赤沢朝陽でやってもらったようですね。

1531一字三礼:2005/02/21(月) 22:01:11
愚鈍凡夫さん、仰るとおり二つを禁じたのでしょうね。

しかし、何故本尊を形木に刻むのを禁じるのでしょう。日本では経典さえ「百万塔陀羅尼経」(770年)以来、木版印刷されているし、蓮祖使用の法華経も「春日版」。
仏像に開眼供養する法華経は印刷でもOKで、曼荼羅本尊ではダメという理由がわかりません。

1532愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 23:17:29

一字三礼さん、どうもです。
漫荼羅=本尊と言いいますか、この頃には既に漫荼羅正意が主流になっていて、滅多なことでは授与しないのが通例になっており、書写数もそんなに多くなかったから「書写し奉り之を授与する者なり。」と堂々と言えたんじゃないでしょうか。
そういう意味では、当時の信者にとって漫荼羅を授与してもらえるというのは、今以上に価値のあることで、模範的信心の証(富士門にとって)となっていたのかも知れないと思ったりしています。

1533彰往考来:2005/02/22(火) 07:48:18
>1526吉祥仙人さん

なぜあなたはいつも“パンドラの箱”を開けるのでしょうか。
もちろん徹底した議論を避けるつもりはありませんが、現時点で達師の過去
のご発言を部分的に引用するのは不適切と考えます。
達師の弁を借りるなら、「今後、模刻事件での一切の議論を禁ずる(要旨)」
とのご発言をどう考えますか?

1534愚鈍凡夫:2005/02/22(火) 10:39:09

これは、「本尊模刻事件」の個人的な感想ですが、

小生は、秋谷会長の
「明快ですね。学会本部常住の御本尊をはじめ、他の御本尊についても、日達上人は昭和四十九年の段階で明確にご存じだったわけだ。まったく光久も無責任な発言をするものだな。」

との発言を受けて、赤沢氏が
「本当にそう思います。こと御本尊のこととなると日達上人は厳格で、必ずそばにだれもいない時に話をされていました。それが役僧であろうと側近であろうと、だれかいる時にはそうした話は一切口にされませんでした。」

と、答えていることに注目しました。赤沢氏の言う、御本尊に厳格な日達師が

「御本尊は受持した人のものですから、信心の上で大切にするのであれば、板御本尊にするのは自由です。他の人がとやかく言うものではありません。紙幅(しふく)を板御本尊にするということは、以前からもあったことです。特段、問題にすることではありません」

「と言われていた」という秋谷会長の発言は矛盾していますよね。
それと気になるのは、日達師と赤沢氏のやりとりには証人がいないと言うことです。
もう一つ、赤沢氏が「池田大作授与の御守本尊昭和二十六年五月三日」の漫荼羅彫刻について触れていないのが気になります。長年日蓮正宗の漫荼羅彫刻を請け負っていた仏師なわけですから、当然、御守本尊の意義は承知していたはずです。それなのに、板に彫刻したのはどういう了見でしょうか。そういう意味で、小生は、この赤沢証言に信憑性を感じません。

1535吉祥仙人:2005/02/22(火) 11:23:31
 彰往考来さんへ

 よけいなことですみませんでした。

1536彰往考来:2005/02/22(火) 12:29:25

>1535吉祥仙人さん

どんな機密文書でも一旦コピーされるとひとり歩きします。
それと同じで一旦箱が開いて中身が出てしまうと、閉じる
だけではすみません。
私も1534の愚鈍凡夫さんとご意見と同じです。たしか赤沢
氏の話は全く創価学会側の証言と反する内容もあったと記
憶しています。今日の夜でも古い資料をひっくり返してみ
ましょう。

1537真実 探求者:2005/02/22(火) 17:41:34
1533 彰往 考来 さん、、失礼します。 小生は、当該方の問題提起によりまして、「ウロ覚えの過去の記憶」が 愚鈍 凡夫さんの明快なるお答えにより、とても参考になりました、。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 お答えのご面倒の時は、過去の〇〇スレッドをご参照下さい、だけでも勉強になります、、。 ドーカ、投稿・発言するという「機会均等の平等性だけは、今後も御維持」して戴ければ幸い、と存じます、が、、、。 御免下さい、、。 早々。

1538真実 探求者:2005/02/22(火) 17:59:54
ドーモです、、。 追加させてください、、。 悪意に満ちたような「ネット荒らしや、口汚く暴言だけの逆切れ文言以外は、、」何卒御穏便にお取り計らい下さいませ、、。 早々。

1539彰往考来:2005/02/23(水) 07:28:26

>1537,1538 真実 探求者さん

ご指摘の点は
①自由な発言を封じてはいけない
②冷静に対応しなさい

ということかと存じます。
ご指摘を肝に命じます。今後ともご指導のほど
お願い申し上げます。

彰往考来

1540彰往考来:2005/02/23(水) 07:36:10
本尊摸刻事件については『創価学会の偽造本尊義を破す』(平成9年、大日蓮編集室)の87頁に水島師が日蓮正宗の主張を書いています。色々な資料を冷静に読み比べると、私は水島師の弁が一番説得力があると考えます。水島師の要旨は、
(1)日達上人が昭和49年の秋に了解されていたとすると、わずか三、四カ月後の昭和50年1月に失念されていたはずがない。
(2)日達上人が七体の摸刻を昭和49年の段階で承知されていたというのは赤沢氏ひとりの証言で他の証言と矛盾する。
(3)摸刻された七体の紙幅御本尊の中にお守り御本尊がある。
というものです。
特に(3)については、「本宗においては古来、個々に授与される鎮護御本尊は、本人が死亡した場合はお寺に納めることが原則であります。これを、かりそめにも板本尊として彫刻し、他人に拝ませることなど絶対に許されることではありません。宗門において許されざる行為を、山法山規を厳守された日達上人が、これを承認したり黙認されることなど、ありえません。」(95頁)とあります。

なお、同書104頁に昭和49年9月2日の「藤本メモ」についての記載があります。雪山坊における学会と宗門との連絡会議の記録であり、7番目に「7.本部3階の御本尊の件−板本尊にしたい」というのに対し「7の件−OK」とあります。本部3階の御本尊とは学会本部の日昇上人の紙幅御本尊(昭和26年5月19日に御書写)です。
宗門側の見解は、新たに日達上人に板本尊の御下附を願い出ると思っていた(日昇上人の御本尊を板本尊に摸刻するのを許可したものではない)というものです。これに対して学会側の主張は、『地湧からの通信第26巻』(1993年、はまの出版)の176頁にあるように摸刻OKと解釈しています。どちらの主張が正しかったのかわかりませんが、少なくとも解釈の違いがあったのでしょう。そうすると、学会が主張しているような“日達上人が失念した、それを学会がかばった”というのではないと思います。ただ宗門側の主張もちょっと無理があると思います。この御本尊は創価学会として意義深い御本尊で創価学会重宝としたためられています。それを手放して替わりを、と創価学会側が考えたとは思えないからです。参考までにこの御本尊は柳沢宏道師の『石山本尊の研究』(平成9年、はちす文庫)の第32番目に入集しています。

赤沢氏の証言としては二次資料ですが、『継命』昭和55年9月15日号に「五十三年の一月に、赤沢朝陽さんが経営難などの問題の背景もあって、猊下にお目通りしています。そのとき学会の諦法の実態に耐えきれず、多数摸刻したことを告白なさったんじゃないかと思います。猊下は「なに!」と驚かれて、大宣寺さんに「お前行ってこい」と調査を命じられて、事実が判明したんです。」という原島氏の証言を載せています。同様の内容が『大日蓮』の平成5年11月号に菅野慈雲師(大宣寺住職)の話として載っていますので、原島氏の談話の出処は菅野慈雲師でしょう。 

http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/shuki.htm

赤沢氏本人は平成9年10月18日付けの聖教新聞の自由座談会で、この話はつくり話として否定されています。これもどちらが正しいのか分かりかねますが菅野慈雲師の話が信憑性があるような気がします。

創価学会による本尊摸刻事件。これは私が池田氏をセンセイと呼べなくなった原因です。当時死ぬほど苦しんだことでした。そして、「一切の論議を禁ずる」という日達師のお言葉とともに自分自身の心の中に封印したのでした。今この封印が解かれてしまったわけですが、改めてあの問題が自分自身にとって解決していなかったことに気がつきました。さあこれからどうしようかと思案中であります。

1541彰往考来:2005/02/23(水) 07:51:26
>1530 名無し@富士門流さん

ご存知とは思いますが、自由座談会で赤沢氏の以下の発言があります。

>赤沢 そんなことはありません。現に学会本部の御本尊以外にも、保田の

妙本寺では十体、日向(ひゅうが)の定善寺では七体ほど、それぞれお寺の

御本尊の写真を撮り、謹刻しています。何より日顕自身、広島・正教寺の客殿の

御本尊が大きすぎて御厨子(ずし)に入らず、住職に「赤沢に言って、写真を撮

ってもらって小さくしろ」と指示を出していたことがあります。

http://ranhou.hp.infoseek.co.jp/mokoku.htm

1542犀角独歩:2005/02/23(水) 08:28:15

1531 一字三礼さん、横レス失礼。

> 法華経は印刷でもOKで、曼荼羅本尊ダメという理由がわかりません

わたしは、こう考えます。
法華経は万人に開かれたテキストだけれど、漫荼羅は個人宛の允可証のようなものだから。
法華経のなかで五種法師の修行で書写が奨励されていますから、複製は、むしろ是で、その修行を末法不相応と停止(ちょうじ)するはおかしいと、わたしには思えます。ということで一字三礼さんのお考えに賛成。

一方、漫荼羅複写にはわたしは反対の立場です。何故ならば、これは各個人宛、特定用途をしてしたものだからです。個人宛の処方箋、自分が取得した権利書、免許証などは、コピーして他人が使っても、何の意味もないのと同様です。

万人向けの仮本尊を大量生産するなどという発送は、考案者である日蓮その人になく、それを継いだ日興にもなかった。その精神がまた継承され重須文書になったという脈絡を見るべきと、わたしは考えますが、如何でしょうか。

1543犀角独歩:2005/02/23(水) 08:47:58

模刻に関する石山・学会双方の言い分は、どちらに軍配を揚げるかと考えた瞬間に事実は見えなくなるでしょう。それぞれ、勝手な言い分があり、嘘があり、事実もある。それぞれの主張から事実部分を如何に抽出できるか、です。

また、歴史的に、近視眼的な視点で謗法、法外云々を語るのはナンセンスでしょう。
漫荼羅を本山に許可を取らず板に刻むのは、蓮興二祖の感覚からすれば、そもそも彫刻、複製はNG。影師頃から近代に至るまで、漫荼羅を末寺、石山から離れた地方の住職が、そもそも書写をしていたのだから、板に刻むことで大騒ぎするのは、おかしな話。明治大正昭和戦前で、模刻は別段、本山の許可など取らずに行われていた模様で、それが学会勃興以降NGになった歴史を看過するのはどうか。あと、学会成就本尊の入仏式は『聖教新聞』一面トップで報じられていたのに、それをあとあとまで石山坊さんが知らなかった、そんな馬鹿なとわたしは、思います。

もう一点、石山・学会双方、模刻本尊は7体だ、8体と言っていますが、これは嘘でしょう。
わたしが20代の頃、学会本部に副会長指導を受けに行ったとき、銀舞会館で(あったと記憶する)待っているとき、仏間で唱題しようと、漫荼羅本尊を見ると、正本堂建立時に学会幹部に頒布された、所謂特別御形木本尊を彫った板本尊でした。たぶん、この手のものは、ほかにもあったのではないでしょうか。学会には一貫して紙幅しか下付しなかったのに、法華講やら、他の団体には板本尊が許可されていた、面白くないという空気が当時の石山周辺にはあったように思います。その反動で、学会施設その他で板本尊へ取り替える風潮が、池田さんの鶴の一声で始まったのではないのか(これは当時の雰囲気からの推察ですが)

さらに、もう一点、石山が本尊模刻で怒ったのは、実は語られないもっと大きな理由があったと、本山勤務の執事職から訊いたことがあります。それは、なにか。要は、板に彫るとき、その傍らに「池田大作」という本人のサイン(あの独特の字)を一書に刻み込んだ。これが本山の逆鱗に触れたということでした。

結局のところ、学会本部入仏を新聞で見ても黙認したけれど、その他よくよく聞き調べたら、池田さんのサインが模刻本尊に彫り込まれていることを知り、激怒し、「そんなみっともないもの、宝蔵にでもしまっておけ」というところまでなったというのが、真相ではないのか、とわたしは考えています。

1544一字三礼:2005/02/23(水) 11:25:42
犀角独歩さん、レスありがとうございます。
仰ることに賛同いたします。

私の意見は非常に表面的なものでして。
興師ではなく蓮師の法華経の扱いは、佐渡に書写して送る約定を反故にしている経緯から「濫りに分布せず」であったのではないか、と考えます。
しかし蓮師在世当時にも、すでに印刷された法華経があったわけです。となれば、人から書写したものを入手できなければ、印刷版を手に入れる事も可能であったかもしれません。印刷技術の発展自体が、蓮師の「濫りの分布せず」のスタイルを実質的に空しいものにしたのではないか、と考えます。
蓮師の大曼荼羅の扱いも法華経に準じたもので、相手の信行の度合いを測って授与したものと理解しております。そうなるとやはり、コピー技術が発達した現代では空しいように思います。
勿論、ご指摘のように大曼荼羅には相貌の違い、信心の認可的な意味合いから条件は法華経とは全同ではありません。
しかし、現実的には大曼荼羅のコピーは、止めようの無いことでもあり、書写に限定すれば坊さんの飯の種にしかなりません。ちなみに私は、ボロボロになった経でも捨てるまでに強い精神的な抵抗があります。

1545愚鈍凡夫:2005/02/23(水) 12:32:11

見方を変えれば、「経」は何れが本尊であるかの指南書、本尊は信仰の対象。と言う違いがあるのではないでしょうか。だから、「経」は一字一句間違いなく伝わることが重要で、修行としての書写とは、また違った意味を持っているのではないでしょうか。
形木の延長線上にある発想とはいえ、本尊に関しては、現代のように印刷技術が驚異的な発展を遂げるとは誰も想像してないかったでしょうね。
また、鎌倉・室町時代の人が試し刷りの漫荼羅サンプルを見たら、皆さん、家に帰って「一身上の都合により・・・・・」なんて書状を認めたりするんでしょうね。 (^^;)
それに、寺院に多大な貢献をした御仁に賞与として書写漫荼羅を授与するといった理由付けも出来ますしね(こっちの解釈が本筋だったりして)。

ただ、今では「富士一跡門徒存知の事」のこの文は、富士門一同にとって、踏んではならない地雷のような存在になってしまいましたね。

「一、御筆の本尊を以て形木に彫み不信の輩に授与して軽賎する由諸方に其の聞え有り所謂日向日頂日春等なり 。日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩 に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。本尊人数等又追放人等、頚切られ、死を致す人等。」(「富士一跡門徒存知の事」学会版P1606)

1546愚鈍凡夫:2005/02/23(水) 12:37:33

考え事をしながら、キーボードを打ってたら、変な文章になってしまいました。
m(_ _;)m ゴメン!!

1547犀角独歩:2005/02/23(水) 12:41:30

一字三礼さん、仰る御意、一々に賛同できます。

書写行からすれば、開版法華経を使うのも不謹慎なんてことになるのでしょうか。
しかし、書写行は、いわば複製流布の薦めですから、今日的には、たしかに印刷は可ということになりますでしょうね。

>
現実的には大曼荼羅のコピーは、止めようの無い

まったく仰るとおりであろうかと存じます。
わたしは蓮師の祖意から観れば、という限定で反対と言いますが、それを謗法などという気は毛頭ありません。また、漫荼羅を本尊としたければするも是と思います。
ただ、祖意の如きに振る舞おうとする人を却って謗法などという認識不足者には異を唱えるばかりです。

> ボロボロになった経でも捨てるまでに強い精神的な抵抗

お気持ちはわかります。

これは一字三礼さんのことではなく、石山圏の話ですが、他と比べて、勤行に勧請がないのは変。これには賛同します。同じようなことですが、尊体本尊その他に入魂・脱魂という法義がないために区切りがつかないという欠陥があると考えています。脱魂という所作がないために、仏のままで、火にくべる、仏教的にはげにも恐ろしいことをやってのけてしまうのでしょうね。それは「謗法払」に留まらず、自宗の本尊の回収処分でも同様のことになっています。

1548犀角独歩:2005/02/23(水) 12:48:17

愚鈍凡夫さん:

> 本尊を以て形木に彫み

というのは、結局のところ、「形木に刻んで刷った紙幅」、「模刻した板本尊」の、どちらなんでしょうかね。

変な文章は、愚鈍凡夫さんのではなく、そもそもこの文面です。

1549名無し@富士門流:2005/02/23(水) 13:02:50

皆さん今日は。

大石寺のように、当代貫首書写の漫荼羅を御形木(コピー)にして配布するのは、門下内では異例ですよね。

普通は御形木・模刻は宗祖漫荼羅を行うのが普通で、稀に歴代が尊敬する先代などの書写漫荼羅を模刻(保田では伝師が郷師書写漫荼羅を模刻した)するケースがあるくらいだと思います。

自分の書いた漫荼羅を御形木あるいは模刻して配布するのは、「楽して金儲けしたい」だけじゃないんでしょうか?
それとも「当代貫首」=宗祖と同等ということでしょうか?石山では日寛師の代から、自分で書いた漫荼羅を御形木にして配布しているようですね。

1550愚鈍凡夫:2005/02/23(水) 13:08:04

犀角独歩さん、どうもです。
言われてみれば、漫荼羅を板に刻む事を禁じているのか、それとも、その形木を使って印刷する事を禁じているのか分かりかねる文章ですね。
しかし、どちらにも採れて、言い逃れができるように意図的に書かれた文章なのでしょうかね。

「知的犯罪の指南書として使われたらどうしよう」(by 独り言)

1551一字三礼:2005/02/23(水) 13:42:14
犀角独歩さん

> 尊体本尊その他に入魂・脱魂という法義がないために区切りがつかないという欠陥があると考えています。
まったく仰るとおりで、如何に便宜的・形式的なインチキくさい儀式であっても、所詮、崇拝物自体は紙や木の信仰的付加価値部分ですから、入魂・脱魂は必要不可欠なのでしょうね。

やはり、蓮師の大曼荼羅授与という行為は、蓮師の法儀からしても特別なものだったのではないでしょうか。
現代のように一家に一本尊などではなく、蓮師の考える弟子達にとっての本尊とは、寺院本堂に奉られる一尊四士を想定されていたのではないでしょうか。
信者達は本堂に参詣し、一尊四士に拝復し、その後に僧侶の説法を聞いて帰る、自宅での勤行儀は東方に向かっての唱題・読経、そんな形式想像します。

蓮師の時代には、まだ仏壇という概念がありませんし、有力信者が持仏堂を所有していても仏壇というよりは、寺院のように使われています。
やはり、「一家に一本尊」の考え方が間違いなのではないでしょうか。

1552彰往考来:2005/02/23(水) 22:48:52

形木本尊について、最古の資料は中山三世日祐師の「本尊聖教録」(康永3(1344)年)にある「形木本尊 二鋪 三枚」(『日蓮宗宗学全書第一巻上聖部』昭和43年第二版、山喜房佛書林、407頁)でしょう。この形木本尊は「本尊聖教録」の記載内容から明らかに紙に刷ったものです。中山初祖日常師の「常修院本尊聖教録」(永仁7(1299)年)に形木本尊は記載されていませんが、日常師の収集以後にもたらされたか、この形木本尊が法華寺分ではなく本妙寺分であることからもともと日常師の手元になかったかのどちらかでしょう。なお、「常修院本尊聖教録」の宗学全書本は錯簡があり、寺尾英智師の『日蓮聖人真蹟の形態と伝来』(平成9年、雄山閣出版、349頁)に修正記載されています。
「本尊聖教録」の記載では授与者などは不明です。正徳2(1712)年頃の「堀之内妙法寺目録」(『御本尊鑑 遠沾院日亨上人』昭和45年、身延山久遠寺、196頁)は中山法華経寺が日頂授与之漫荼羅の形木を一幅所蔵していたことを伝えていますが、天正19(1591)年の「日俒御手前ニ有之御霊宝」(『日蓮教学研究所紀要 第14号』昭和62年、立正大学日蓮教学研究所、<資料紹介6頁>)や天正20(1592)年の「中山霊宝之注文」(『日蓮教学研究所紀要 第14号』、<資料紹介9頁>)に記載がなく、慶長3(1598)年の「正中山御霊宝目録」(『日蓮教学研究所紀要 第14号』、<資料紹介20頁>)に「従上方持下日頂授与三枚次之大曼荼羅 一幅 当山江令寄進之」とあることから「堀之内妙法寺目録」記載の日頂授与之漫荼羅の形木は天正20年から慶長3年の間に奉納されたものと考えます。中山から流出し、このとき還流した可能性もあるかと思います。

また身延山久遠寺においても形木本尊を旧蔵していた記録があります。慶長8(1604)年の「身延山久遠寺御霊宝目録(乾師目録)」(『昭和定本日蓮聖人遺文 第三巻』昭和63年改訂増補版、総本山久遠寺、2747頁)に「建治ノ御形木 弘安ノ御形木 合二幅」とあり明らかに紙幅です。『御本尊鑑 遠沾院日亨上人』は主として身延旧蔵御本尊の遠沾院日亨上人による模写で第21番(42頁)に日頂上人授与御本尊が入集しています。編者の影山師は、乾師目録にある形木とし「無年号であるが授与者の名とその位置讃文その他の形式から見て、清水市海長寺所蔵の日頂上人授与の分(立正安国会御本尊集第五三)と殆んど一致する。故に恐らくこれは海長寺所蔵の曼荼羅を原型とした形木であろう」としています。

いずれにせよ、「富士一跡門徒在知事」に「所謂日向日頂日春等」とあるうちの「日頂授与之漫荼羅の形木」が記録にあったことは興味深いことです。

日春師の形木は、『日淳上人全集下巻』(昭和57年改訂分冊、日蓮正宗仏書刊行会)の1544頁(「富士一跡門徒在知事書聞」)に「第四条中日春といふ人は岡宮光長寺の開山で日法師の先輩に当る人であつて模刻の御本尊が郡内に現存する。」とありますが詳細は不明です。淳師の文章では板本尊のようですが、そうではなく紙幅であったかもしれません。

by 彰往考来

1553犀角独歩:2005/02/24(木) 00:40:43

1549 名無し@富士門流さん、まったく、お考え賛同します。

1550 愚鈍凡夫さん、本当に変な文章ですよね。

1551 一字三礼さん、わたしは、仏像奉安と漫荼羅奉懸とは、まるで違う化儀堕と思っています。
また、一尊四士は、取りあえず、興師の考案で、また、漫荼羅を本尊とするのも、その確定は興師。しかし、その奉安と奉懸は、別義であると考えています。

1554名無し@富士門流:2005/02/24(木) 01:54:51

>1553
彰往考来さん、

日淳師が仰るものは、伝日法作の日春供養板曼荼羅のことを勘違いされての事ではないでしょうか?

http://fujigoko.tv/furusato/bunka/act08.html

かつて犀角独歩さんから指摘されましたが、日法師は「門下歴代大曼荼羅本尊集成」掲載の写真によれば、首題の下に「日法(花押)」あるいは「沙門日法(花押)」と書かれていますが、この板曼荼羅は首題の下が「日蓮大聖人」と書かれて(彫られて)おり、本当に日法師の彫刻かは疑問ですけどね。

なんとなく『日淳上人全集下巻』の記述をみますと、この板曼荼羅のことを勘違いされてのご発言かと感じられます。

なお、他門においても当代貫首の漫荼羅を御形木にする例はあるのでしょうか?
普通は御形木といえば、宗祖図顕の漫荼羅ではないかと思うのですがいかがでしょう?
この点ご教授戴けますと幸です。


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