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素朴な疑問
1
:
管理者
:2002/02/20(水) 13:44
1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47
スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。
>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・
3670
:
パンナコッタ
:2008/04/22(火) 23:24:48
横レス、失礼します。
マターリさんの、>非常に複雑で、強力かつ高度なマインドコントロール との
指摘の一端として。
別スレで顕正居士さんが常楽我浄御書を引用されていましたが、この"常楽我浄"という言葉
通常は四顕波羅蜜の意で使われ「常楽我浄 一家和楽の信心」等とスローガン化されています。
しかしながら蓮祖真筆中では、ほとんどが邪師・外道の甘言とした四悪趣の意で使われています。
(唯一、断簡の常楽我浄御書は、前後文の肯否定の意が十全には読みとれず)
少なくとも日蓮門下を名乗るのなら、あまり肯定的には使用すべきでない語彙でしょうね。
もっとも、ある意味、教団の指導そのものは邪師・外道の甘言の類になっているようですけど。
3671
:
顕正居士
:2008/04/23(水) 08:29:53
涅槃四徳を否定的に使用した箇所は真蹟遺文にありませんよ。写本遺文ににもないと
おもいますが。断簡 三〇〇はその後に他と同様の文意があったはずです。
前後をちゃんと読まないと間違うかも知れない箇所が幾つかありますが。たとえば。
「今馬鳴・龍樹等はかしこしといふとも迦葉・阿難等にはすぐべからず是一。迦葉は仏に
あひ(値)まいらせて解をえたる人なり。此人々は仏にあひたてまつらず是二。外道は
常楽我浄と立てしを、仏世に出させ給ひて苦・空・無常・無我と説かせ給ひき。此もの
どもは常楽我浄といへり是三」
「今馬鳴・龍樹〜」から読んでいけば小乗の人たちが三か条の誹謗をしたとわかります。
常楽我浄御書の文の主語はむろん下にある馬鳴です。「(馬鳴菩薩)出でさせ給ひて」。
真蹟遺文
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/shinseki.htm
3672
:
顕正居士
:2008/04/23(水) 08:49:11
涅槃四徳についてわかりやすい説明があったので参考に。
無我
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%88%91
「したがって大乗仏教では、釈尊は成道してまず世間の邪見である「我」を否定し「無我」を
説いて、それが理解されるようになると段階的に説法し「如来我」を説いたと位置付けている。
これを「常楽我浄」(涅槃の四徳・四波羅密)というようになった(なお、これらのことから
仏教は「否定の否定」の教えであるともいわれる)」
この説明のように遺文の数箇所は「否定の否定」をしています。大乗仏教のモットオは
苦空無常無我ではなく常楽我浄なのです。
「世間にまた常楽我浄あり。出世にまた常楽我浄あり。世間の法には字ありて義なし。
出世間には字あり義あり」(涅槃経)
3673
:
パンナコッタ
:2008/04/23(水) 13:54:38
顕正居士さん、ご指摘ありがとうございます。
>3670の文書は、自分で読み返してもちょっと変ですね。これは大変失礼しました。
四顕波羅蜜→四徳波羅蜜 四悪趣→四顛倒 ですね。
また、四徳の否定の意ではなく四顛倒の意味合いで使用されているという事で
法門可や十章抄での引用の事です。
常楽我浄御書の十全の意は全文がない以上、果たしてこの後どんな文書展開があったのかが
解らず、肯否定的な意味合いの用い方としては保留しておくといった意です。馬鳴の指摘については、ありがとうございます。
報恩抄の該当部分は、現存していない部分なので未考慮です。
3674
:
天蓋真鏡
:2008/04/23(水) 17:41:40
マターリさん、お言葉ですが「敵」を異常に拡大解釈するのは如何なものでしょう。 21世紀にもなって催眠術でもそうなのですが、罠に掛かり易い所と掛かり辛い所とあるのでは無いのでしょうか。 「マインドコントロール」が貴方が言われているぐらい行われているとは考えません。 聖教新聞の「池田先生崇拝」と学会の「押し蔵饅頭的統治」が所々暴走して「支配統治の理想」が崩れてきたのでは無いかなと自分は思います。 教学の事は「発想の転換」で時代ごとの解釈がどの様に成り立つのか分析理解できないと説得力が違うでしょう。
3675
:
ろばくん
:2008/04/27(日) 18:32:42
またまた、単純な質問ですみません。ここでよいかもわかりません。ジョージ左京さんという方はどのような方だったのでしょうか。また、私事ですが、確か日蓮上人のどの文だったか、「あつわらの愚痴のものども…」という文を目にしたとき、私は日蓮上人はあつわらの人々をそのように考えていたのかなと思い、そのころから少しずつ距離を置くようになりました。愚痴の者とは、あまり良い意味ではないと思うのです。
3676
:
偶ロム偶ログ
:2008/04/29(火) 02:10:00
>>3675
>ろばくんさん
ジョージ左京氏は戦後の創価学会草創期、中野支部で数多くの人たちを折伏しました。
第1次宗創問題のときに学会を離れて檀徒会に移り、国会請願にも名を連ねました。
その後、檀徒会=正信会の実状について諫言するも受け入れられず、檀徒会からも離れました。
檀徒会から離れてから、宗門史や宗門の教学について研究・批判を行ない、数百ページに及ぶ手書きの原稿を書かれたのです。
氏はその原稿をコピーしていろいろな人に配布しましたが、最初にそれを援用したのが玉井礼一郎氏でした。
次にその原稿の内容をほぼ全面的に利用したのが美濃周人氏です。
私などはほとんど盗作か剽窃ではないかと思ってしまいます。
ジョージ左京氏は、その後、日蓮批判、仏教批判へと進んでいくことになりました。
残念ですが、氏は十数年ほど前にお亡くなりになっています。
3677
:
偶ロム偶ログ
:2008/04/29(火) 03:46:56
参考までに、ジョージ左京氏の著作は以下のとおりです。
本名でのもの
[以下、手=手書きコピー、朱=直筆朱入、@=年月日不詳、頁表記は原本による]
*『御本尊集目録に関する研究(手)』(昭56・7・27)全20頁
*『大石寺 日道上人について(手)』(昭57・11・1)全72頁
*『二箇相承について(手)』(昭58・3・11)全64頁
*『日興跡条々事について(手)』(昭58・5・10)全68頁
「日蓮の病気」について(手・朱・@)47〜50頁
「身延から池上へ」について(手・朱・@)51〜52頁
「波木井殿御報(池上到着御報)」について(手・朱・@)53〜55頁
「六老撰定」について(手・朱・@)56〜57頁
「日蓮の入滅および葬儀」について(手・朱・@)58〜64頁
「日蓮の危篤と臨終」について(手・朱・@)65〜66頁
「池上相承書の怪」について(手・朱・@)67〜68頁
「墓所輪番制度」について(手・朱・@)69〜71頁
「五老僧の身延離山」について(手・朱・@)72〜78頁
「五老僧の身延離山の文証」について(手・朱・@)79〜83頁
「日蓮の一周忌の大法要」について(手・朱・@)84〜85頁
「日興の久遠寺別当就任」について(手・朱・@)86〜96頁
「六老撰定の文証群」について(手・朱・@)97〜 102頁
「日蓮の隨身仏(立像仏)」について(手・朱・@) 103〜 105頁
「日蓮の隨身仏と注法華経」について(手・朱・@) 106〜 110頁
「日興の身延離山」について その一(手・朱・@) 111〜 114頁
「日興の身延離山」について その二(手・朱・@) 115〜 119頁
「日円から日興への絶縁状」について(手・朱・@) 120〜 124頁
「原殿書(原殿御返事)は偽書である」について(手・朱・@) 125〜 139頁
「六老僧のスポンサー」について(手・朱・@) 140〜 146頁
「日興の身延離山」について その三(手・朱・@) 147〜 151頁
「日蓮の御影像」について(手・朱・@) 178〜 185頁
「大石寺の御影(正御影)」について(手・朱・@) 186〜 193頁
「重須の寺の『御影堂』」について(手・朱・@) 194〜 197頁
「本六」について(手・朱・@) 198〜 200頁
「本六、新六」について(手・朱・@) 201〜 205頁
「大石の寺」について(手・朱・@) 206〜 212頁
「日興没後の新六」について(手・朱・@) 213〜 215頁
「道郷問題(蓮蔵坊争奪戦)」について(手・朱・@) 216〜 224頁
「日興跡条々の事」について その一(手・朱・@) 273〜 281頁
「日興跡条々の事」について その二(手・朱・@) 282〜 294頁
「日興跡条々の事」について その三(手・朱・@) 294〜 313頁
「日興跡条々の事」に関するE.T.C. その一(手・朱・@) 314〜 318頁
「日目の天奏」について その一(手・朱・@) 319〜 325頁
「日目の天奏」について その二(手・朱・@) 326〜 343頁
「日目の天奏」について その三(手・朱・@) 341〜 347頁
「日目の天奏」について その四(手・朱・@) 348〜 351頁
「日目の天奏」について その五(手・朱・@) 352〜 356頁
「日目の天奏」について その六(手・朱・@) 357〜 363頁
「御座替御本尊」について その一(手・朱・@) 365〜 370頁
「御座替御本尊」について その二(手・朱・@) 371〜 378頁
「御座替御本尊」について その三(手・朱・@) 379〜 394頁
「紫宸殿本尊」について その一(手・朱・@) 395〜 402頁
「紫宸殿本尊」について その二(手・朱・@) 403〜 405頁
「紫宸殿本尊」について その三(手・朱・@) 406〜 421頁
「大石寺十七代の日精」について その一(手・朱・@) 422〜 435頁
「大石寺十七代の日精」について その二(手・朱・@) 436〜 442頁
「二箇相承」について その一(手・朱・@) 443〜 457頁
「二箇相承」について その二(手・朱・@) 458〜 470頁
3678
:
偶ロム偶ログ
:2008/04/29(火) 03:47:42
つづきです。
ジョージ・左京名義のもの
*『富士 大石寺の正体(ワープロ版)』(昭 ・ ・ )全 118頁
蓮蔵坊争奪戦 まえがき ───────────────── 1頁
日目と日郷 ─────────────────────── 5頁
蓮蔵坊争奪戦 その一 日郷と日道の争い ───────── 10頁
蓮蔵坊争奪戦 その二 日郷と日行の争い ───────── 24頁
蓮蔵坊争奪戦 その三 日伝と日行の争い ───────── 29頁
蓮蔵坊争奪戦 その四 日伝と日時の争い ───────── 35頁
記 その一 ─────────────────────── 41頁
記 その二 ─────────────────────── 45頁
あとがき ──────────────────────── 47頁
日蓮正宗大石寺の重宝は、すべて贋物である ──────── 49頁
「富士年表」の怪 ──────────────────── 53頁
大石寺の「板本尊」は贋物である ───────────── 57頁
大石寺の「最初仏」は贋物である ───────────── 78頁
大石寺の「日蓮の御肉牙」は贋物である ────────── 92頁
大石寺の「日蓮の遺骨」は贋物である ─────────── 105頁
「日蓮の遺骨」に関する大石寺の作文集 ────────── 115頁
素記生名義のもの
*『ダイジェスト 日蓮 PARTⅠ(ワープロ版)』小桜塾(昭61・1・15)全66頁
*『ダイジェスト 日蓮(手書きコピー版)』素記生(昭61・2・ )全 102頁
3679
:
スッタニパータ
:2008/04/29(火) 11:24:15
また出したようですね。
http://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%93%AE-%E6%9D%BE%E5%B2%A1-%E5%B9%B9%E5%A4%AB/dp/4860952510/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1209435648&sr=1-2
3680
:
ろばくん
:2008/04/29(火) 18:23:58
偶ロム偶ログ様、本当にありがとうございました。美濃さん、玉井さん、そのままの文ではないかと私も思います。
3681
:
彰往考来
:2008/05/04(日) 12:07:45
ろばくんさん
>3675 あつわらの愚癡の者ども
「聖人御難事」(真蹟:中山法華経寺蔵)にあります。御書での箇所は、堀日亨編『日蓮大聖人御書全集』(昭和46年67刷(初版:昭和27年)、創価学会:以下「御書全集」と略します)では1190頁、立正大學日蓮教學研究所編『昭和定本 日蓮聖人遺文 第二巻』(昭和63年改訂増補版(初版:昭和28年)、總本山身延久遠寺:以下「定本遺文」と略します)では1674頁です。
以下はあくまで私個人の見解です。色々ご意見がおありと思いますがそれはそれとして、ひとつの考え方として読んでください。
まず御書では「愚癡」とあり「愚痴」ではありませんが、これは同じ意味のようです。一般的に「愚痴」とは、『広辞苑(第5版)』にあるように、「言っても仕方のないことを言って嘆くこと。また、その言葉」という意味で、「くどくどと愚痴を言う」とか「愚痴を言ってもはじまらない」といった用途に使われ、あまりよい使い方はしません。そのため「愚癡の者ども」とあると威圧的に感じ、何を偉そうに!というのが表面的な解釈でしょう。
しかしながら本来「愚痴・愚癡」は仏教語なのです。石田瑞麿著『仏教語大事典』(1997年、小学館、217頁)には、「【愚痴・愚癡】《梵mohaまたはmudhaの訳。痴とも訳する》愚かで思い悩み、ものの理非のわからないこと。また、そのさま。三毒煩悩のひとつ。 (以下略)」とあります。つまり「愚痴・愚癡」とは思い悩んだ状態を指すことが解かります。よって「愚癡の者ども」とは、信仰歴が浅く思い悩んだ人たちというような意味と解釈されます。熱原法難の際に、信仰歴の浅い農民信徒から日蓮聖人の説く内容に疑問の声があったろうことは容易に想像できます。したがって、「聖人御難事」では、「彼のあつわら(熱原)の愚癡の者ども・いゐはげまして・をどす事なかれ」(「御書全集」1190頁、「定本遺文」1674頁)とあって、励ましてあげなさい、決して脅かしてはなりませんと指導のポイントを書かれているわけです。続けて、「よからんは不思議、わるからんは一定とをもへ」など非常に厳しい内容が続きます。この「聖人御難事」は農民信徒を指導する立場の弟子、つまり日興師や日辨師、に対して与えられた御書と判断できますから、直接農民信徒に対して与えられた御書ではないという点も考慮する必要があります。
「聖人御難事」に「あつわらの愚癡の者ども」とあるのは、「開目抄」(「御書全集」234頁、「定本遺文」604頁:真蹟身延曽存)に「我弟子ニ朝夕教ヘしかども疑ヒををこして皆捨てけん」とあるように日蓮聖人としては常日頃から説いてきたのに何故解からないのかというご心境だったかもしれません。日蓮聖人は非常に厳しい人であったろうと考えられます。真蹟のない録内御書ですが「佐渡御書」(「御書全集」961頁、「定本遺文」618頁:録内御書)に、「日蓮御房は師匠にてはおはせども余にこは(剛)し」とあるのが参考となるでしょう。ろばくんさんが剛(こわ)い日蓮御房と距離を置かれるのは貴方自身のご判断で他人がとやかく言うことではありませんが、もし解釈が違うなら再考されてはいかがでしょうか?
ひと言でいうなら「愚癡」とは「疑い」であるという解釈も成り立ちそうです。なるほど、「癡」は「疒だれ」に「疑」とあります。「疑いを起こす病気」なのです。
最後に、管見に入った限り御書では「愚癡の者」という表現は「聖人御難事」以外では「撰時抄」にあります。また御書ではありませんが「富士一跡門徒存知事」にもあります。これらの箇所の前後を読む限り「ものの理非のわからない人たち」の意味で使用されていると考えます。「愚癡の者」という表現のある箇所は以下のとおりです。
「撰時抄」(「御書全集」265頁、「定本遺文」1018頁:真蹟玉沢妙法華寺他4箇所蔵)
「富士一跡門徒存知事」(「御書全集」1604頁)
By 彰往考来
3682
:
豆腐
:2008/05/04(日) 18:39:37
こんにちは、分からないことがあるので教えて下さい。
一谷入道御書に、
「日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば御用いあるべからず」とあります。
これはどういう意味なのでしょうか。
ここでいう判とは印章ではなく花押のことだというのは分かるのですが、弟子が大聖人の花押を持つとはどういう意味なのでしょうか。
つまり、お手紙を弟子が持参しても、それに花押が認められてなかったら、それは私の書いたものではないので用いてはいけない。
という意味なのでしょうか?それとも弟子が大聖人の代わりにサインしていたという事?
よく分かりません。よろしくお願いします。
3683
:
ろばくん
:2008/05/04(日) 20:39:07
彰往考来さん、いろいろと詳しく教えていただき、ありがとうございました。
3684
:
犀角独歩
:2008/05/04(日) 22:14:11
豆腐さん、はじめまして。いちおう、当掲示板で過去に論じられたテーマで、その発言者であるので、記させていただきます。
> 日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用あるべからず
正統な日蓮の継承者であれば、この意味を正しく解説できるでしょうね。
聞いて応えられない人を師匠と仰がなければよいことになります。
たしか、れんさんとの議論であったと思いますが、わたしはこの該当文は、漫荼羅に授与者を定めて認める「花押」であるという管見を示しました。漫荼羅は弟子である允可であり、そのために判を認めてあるということです。しかし、こう言ってしまうと、ほとんどお坊さんが、該当しなくなりますから、また、わたしは恨みを買うことになりましょうか(笑)
ちょっと、脱線させていただきます。わたしが記した彫刻本尊批判は日蓮門下を一生体と考えたとき、そのなかで、増殖し続ける癌細胞のような彫刻本尊信仰には有効な抗癌剤となります。しかし、この濫用は、日蓮宗本体を壊滅させる毒を孕んでいます。そんな意味で、わたしは日蓮宗に受け入れられることはないと自己分析しています。しかし、それでも事実究明の手綱を緩めるつもりはありません。
3685
:
犀角独歩
:2008/05/06(火) 20:52:50
3684への自己レス
抗癌剤は、しかし、正確に使用すれば、的確に効果を上げ、癌に働きます。そして、生体を助けます。
その意味で、この使用をためらうことに、わたしは不思議を感じます。
それは、むしろ、「日蓮宗が」というより、興風談所、とりわけ、山上さんに申し上げたいことです。
3686
:
豆腐
:2008/05/07(水) 10:19:31
犀角独歩さん こんにちは
ググッてみたのですが、この御金言に関しては解説がどこもバラバラで統一されてないんですよね。
私の頭が悪いせいか、どれも禅問答のような答えでよく分かりません。苦笑
ストレートに、大聖人の花押や在御判という文字が入ってない御本尊を持っている僧侶は
ニセものだから近づいてはいけないということでしょうか?
3687
:
犀角独歩
:2008/05/07(水) 21:32:13
豆腐さん
もし、相伝、相承というものが現にあり、かつ、いまに継続しているのであれば、この日蓮弟子を決定する決め事を記した文章を、その相続者は説明できるだろうというのが、先にわたしが書いたことです。
引用された遺文と、その該当とは、日蓮の時代の話でしょう。
「在御判」というのは、これは書写のお定まりですから、これは問題外でしょう。
日蓮が一谷入道に、こう書き送らなければならなかった背景を考えれば、既に、この時代に、自分は日蓮の弟子と自称する者がいたということでしょう。
本物の僧、偽物の僧というのは、なにを基準にするのかということで、ずいぶんと変わるでしょうね。しかし、本物の僧であると、では、どうなんだという問題も次にはあるでしょうね。
3688
:
天蓋真鏡
:2008/05/08(木) 01:40:56
法華経は諸経の王と言うよりは寄せ集めの軍隊でしょうか
3689
:
マターリ
:2008/06/28(土) 09:18:18
図書館で、日蓮に関する本を読んでいたら、「日蓮は、革命的な宗教家
だったが、呪詛をした点が惜しまれる。」と書いてある本がありました。
御書を見たところ、呪詛にあたる文が見つからなかったのですが、実際
は、どうだったのでしょうか?
ご教示のほど、お願い致します。
3690
:
顕正居士
:2008/06/28(土) 13:46:02
日蓮誹謗書として有名な『日蓮深密伝』の「祈祷奥義章」に祈祷によって起こした病は
祈祷者によってしか治せない。これぞ布教の奥義という話があります。
そんなところから出たのではないでしょうか。
『日蓮深密伝』は近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/
にあります。
事実無根の誹謗書ですが荒唐無稽で面白い本ではあります。
3691
:
パンナコッタ
:2008/06/28(土) 14:09:11
マターリさん、
本の内容が解らないないので適切ではないかもしれませんが、
「阿弥陀仏をば或は火に入れ、或は河にながす。夜もひる(昼)も高き山に登りて、
日月に向かひて大音声を放ちて上を呪咀し奉る。其の音声一国に聞こふと申す」
という種種御振舞(曾存・真偽論アリ)のイメージから来ている物ではないでしょうか。
また、蓮祖自身も、
『仏の御使ひとして南無妙法蓮華経を流布せんとするを、或は罵詈し、或は悪口し、或は流罪し、或は打擲し、
弟子眷属等を種々の難にあわする人々、いかでか安穏にては候べき。これをば愚痴の者は呪咀すとをもいぬべし』
【撰時抄・真筆現存】と、皮肉めいた(屈折した?)自己認識をしていたのかもしれませんね。
(呪詛→呪咀)は以前、彰往考来さんがご指摘なさっていたのでそちらを参照してください。
ちなみに最近までやっていた学会の打ち出し
"6.15ストップ・ザ・アリーナ" なんかは現代の呪咀その物でしょうね。
3692
:
マターリ
:2008/06/28(土) 16:11:56
>顕正居士さん、パンナコッタさん、ご教示いただき、ありがとうござ
います。
>顕正居士さん、『日蓮深密伝』は明治時代の作なんですね。クリック
してみましたが、私のPCのOSが古いためか、表示できませんでした。
>パンナコッタさん、やはり、蓮祖は呪詛をしていたようですね。私が
読んだ本の題名は忘れましたが、蓮祖の一生についての解説本でした。
最後に3人ほどの解説者が短い感想文を書いているのですが、そのうちの
一人が、呪詛について書いていました。もう5年ほど前に読んだのですが、
その事が、頭の隅にこびりついていました。
ご指摘の "6.15ストップ・ザ・アリーナ" についてです。学会系の掲
示板に、それについて、法華講の人のカキコがあり、驚きました。埼玉で、
学会が「日蓮正宗の会合が失敗に終わるように」と唱題会を行っているが、
人の失敗を祈るのは、宗教とは言えないのではないか、というカキコで
した。
私は、埼玉から遠く離れているので、事情がよくつかめません。しかし、
宗教は、自分や人の幸せを祈るものであり、失敗を祈るのは、おかしいと
思っています。
その事に関して、他にも色んな掲示板をのぞいてみましたが、バリ学会員
が確信をもって、そうした唱題会を肯定しているのに、強い違和感を感じ
ました。相手が邪教なら、呪詛をするのは良いことだ、という考えのよう
です。
前に読んだ本と考え合わせ、蓮祖が呪詛をし、また、呪詛を肯定している
という証拠を、学会がつかんでいるのでは、と想像しました。
パンナコッタさんのお話を伺い、蓮祖は呪詛をしたようですが、現代は、
いまわしい呪術の時代ではないので、呪詛をすっぱり捨て去るべきだと思
っています。
3693
:
パンナコッタ
:2008/06/28(土) 22:07:48
マターリさん、どうも。
蓮祖が呪咀をしていたと云うより、
"日蓮の言説・行動が呪咀をしているように周りから見られていた。
蓮祖自身も、その様に周りから見られている自覚があった"
というニュアンスの方が、良いかと思います。
(第三者的には、他宗批判その物が呪咀そのものに映ったかもしれません)
学会の呪咀に関しては昭和三十二年十一月の質問会の席で、戸田さんがきっぱりと
「呪詛、相手を呪うような祈り、これは絶対にやってはイカン!!」と
断言していました。
時代が違う、等と屁理屈を述べて学会員は正当化しようとするでしょうが、
師匠の師匠が禁止した事項を、組織の活動として打ち出す行為には、
会員に名目を与え邁進させる事のみを重視する、今の教団の体質なんでしょう。
更にバリの末端会員は疑わずにこれを遂行するため、知らずに歪んだ人格をも
形成されてしまうという、悪しき典型例のように思えますね。
正宗を擁護する気はむろん一切ありませんけど、この先学会は呪った分だけ
還著於本人に、なるでしょうね。
3694
:
マターリ
:2008/06/29(日) 07:52:22
>パンナコッタさん、早とちりをしてしまい、すみません。
日蓮が、あまりにも過激だったため、周りからは呪詛しているように
見られ、本人にも、そう見られている自覚があった、ということですね。
結論として、日蓮は、呪詛はしていなかった、とわかりました。
日蓮正宗は、法華講の人のカキコを見る限り、呪詛をしていないよう
です。しかし、その点で、創価学会の方が負けていると思います。
(日蓮正宗を擁護するわけではありませんが・・・。)
3695
:
天蓋真鏡
:2008/07/06(日) 17:55:52
一子相伝で無いなら、 学業の核心は漫荼羅内証若しくは唱題なのか
3696
:
マターリ
:2008/08/23(土) 20:49:53
ご教示のほど、宜しくお願いします。
御書の八幡宮造営事(弘安4年5月)に、日本の人口は、四十五億八万九千
六百五十九人と書いてあります。この事が3ページほどの短い御書に4回も
出てきます。
現在の人口の45倍という、とてつもない人口数です。人口調査などなかっ
た時代ですので、間違えるのも無理はありません。しかし、2倍とか1/2
までなら誤差として仕方ないですが、45倍というのは多すぎます。
59人と、1桁まで書いてあるということは、何らかの文献を参考にしたよ
うな気もします。
どうして、このような数字の間違いをしてしまったのか、文献を参考にし
たとしたら何なのか、ご教示いただければと思います。
3697
:
問答迷人
:2008/08/23(土) 21:08:50
マターリさん
当時、使われた「億」の単位は、現代に使われている「十千万」の意味と違って「十万」の事だ、と記憶しています。出典は不明ですが・・・・
3698
:
問答迷人
:2008/08/23(土) 21:13:35
大辞泉によれば
おく【億】1 数の単位。1万の1万倍。10の8乗。古くは万の10倍とも。
と書いてありました。この「古くは万の10倍」と言う事だと思います。
3699
:
マターリ
:2008/08/23(土) 21:57:40
>問答迷人さん、ご教示いただき、ありがとうございます。
鎌倉時代は、そもそも数字の単位が違っていたのですね。億が10万とす
ると、御書の四十五億八万九千六百五十九人は、約450万人ということ
のようです。
↓の資料によると、鎌倉時代の人口は約700〜800万人ということですの
で、誤差の範囲に入るとわかりました。
鎌倉時代からの日本の人口の推移↓
http://www.fujisue.net/archives/2005/06/post_603.html
3700
:
犀角独歩
:2008/08/24(日) 12:07:57
マターリさんと問答名人さんのやりとりを興味深く拝読しました。
少し気付いたことがあり、画像で説明したかったので、拙ブログに投稿しました。
ご批正いただければ有り難く存じます。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51397116.html
3703
:
犀角独歩
:2008/09/14(日) 10:35:09
彰往考来さん
れんさん
独学徒さんのHPの、彰往考来さんの『北山本門寺蔵「生御影」について』を拝読させていただきました。
http://xbbs.knacks.biz/dangisyo
いくつか疑問があるのですが、独学徒さんのHPではいずこにそれを載せてよいかわからなかったので、兄弟掲示板ともいえるこちらに投稿させていただきました。
彰往考来さんの結論は、いまの北山日蓮像は文政火災のあとの再造であるということでよろしいのでしょうか。
わたしは、彰往考来さんの結論とは別に、この日蓮像は、そもそも以下の記述で、再造品であると考えてきました。
正中二年十一月十二日の夜日蓮聖人御影堂に於て日興に給はる所の
御筆本尊以下廿鋪、御影像一鋪、併に日興影像一鋪聖人御遷化記録
以下重宝二箱盗み取られ畢ぬ、日興帰寂の後も若し弟子分中に相続
人と号して出さしむるの輩は門徒の怨敵大謗法不孝の者為るべき者
なり、謗法罪に於ては釈迦多宝十方三世の諸仏日蓮聖人の御罸を蒙
るべし、盗人の科に於ては御沙汰と為て上裁を仰ぐべし、若し出で
来らん時は日代阿闍梨之れを相続して本門寺の重宝為るべし仍て門
徒存知の為に置き状件の如し。
正中二年十一月十三日 日興御判。
しかし、たしか、れんさんが、この盗難事件はなかったとこちらに投稿をされた記憶があるのですが、この点は、如何なのでしょうか。
仮に、この盗難がなかったとした場合、日蓮御筆大漫荼羅にも躊躇なく書き込みをする日興のこと、もし、その生前にこの像があったのであれば、必ずや、日興の書き付けがあってしかるべきであると思えます。
いまのところ、そうした話は聞いたことがありません。よって、この像の真偽は押して図るべきであると思います。
無信仰なわたしからすれば、この日蓮像を裸に剥いて、書き付けを探すか、腹籠は何が入っているのかを、調査するのが、まず第一にするべきで、そこで、日興生前にあった像であると確定したのち、文献考証をしたほうが無駄がないと考えます。
彰往考来さんがお読みなったら、正中盗難事件に触れなかった理由を、れんさんがお読みになったら、盗難事件の実否につき、それぞれご教示をいただければ、有り難く存じます。
3704
:
れん
:2008/09/14(日) 19:28:53
犀角独歩さん
重須の日興在世の本尊盗難事件については、三位日順の“日順阿闍梨血脈”に記述があるので、‘あった’と考えますが、独歩さんの挙げられた置状を含めた日代宛て八通遺状は、石山の条々事と五十歩百歩の価値と思われますので、盗難に遭ったものが、この状の記述通りと断定出来ないかとは思います。
ただし、御影が日興在世の盗難で紛失したとすれば、仰るように日目・日仙・日善三師連名の日興上人御遺跡事に見える「日蓮聖人御影」(が木像ならば)は既にして再造されたものの可能性がありますね。
3705
:
犀角独歩
:2008/09/14(日) 19:38:10
れんさん
いつもながらご教示有り難うございます。
もう一点だけお願いできますでしょうか。
> 「日蓮聖人御影」(が木像ならば)
「木像ならば」という点ですが、先に挙げた文献では「御影像一鋪」となっています。この点は既に、どなたかがご指摘くださっていますが、“鋪”は「助数詞。地図など、畳みものの本を数えるのに用いる。」ということですから、絵像ということになります。となると、絵像は盗られたが、木造は残った、それとも、木造と思われていたものは実は絵像だった、どちらとお考えですか。
3706
:
れん
:2008/09/14(日) 20:08:19
犀角独歩さん
ご指摘の様に、置状の“鋪”は他の門下文献でも曼荼羅や絵像の数の勘定に使用されているので、置状の日蓮聖人御影一鋪の記述は木像ではなく絵像であったと愚考します。
御遺跡事に見える御影が木像か絵像かは分かりませんが、木像と仮定しますと、日興在世の盗難で、木像も盗難にあったならば、御遺跡事に見える御影は、日興在世の再造でしょうし、絵像のみの盗難ならば、木像は盗難されておらず、したがって御遺跡事に見える御影は、日興が願主として造立した初代御影木像の可能性があると思います。
3707
:
犀角独歩
:2008/09/14(日) 21:51:19
れんさん
重ねて有り難うございます。
> 御遺跡事に見える御影は、日興が願主として造立した初代御影木像の可能性がある
つまり、彰往考来さんの記述と併せると『御遺跡事』記述の段階では、日興願主のものであったが、その後、火事で燃え、再造されたのがいまのものであるという類推が成り立つわけですね。
いずれにしても、造立由緒が、像に書かれていないはずはなく、赤外線でも何でも駆使し、書き込みを精査し、腹籠の遺物を調べればわかることのよう思えます。また、そんなことがいままで唯の一度も行われなかったとは考えがたく、そうなると、この像は、やはり、日興から時を隔てた後世の作と結論せざるを得ませんね。
これが日興在世の作であるという証拠を北山は示す義務を負っていると考えます。
3708
:
彰往考来
:2008/09/15(月) 12:58:43
>3703-3707
すでにれんさんが詳細にわたってご説明されていますので重複しますが、
>彰往考来さんの結論は、いまの北山日蓮像は文政火災のあとの再造であるということでよろしいのでしょうか
そうです。そのとおりです。但し、初代生御影が日興師在世のものであるかどうかは不明です。私は初代も後世のものである可能性が高いと考えますが確証がありません。
>正中盗難事件に触れなかった理由
私は日代宛て八通遺状は偽文書と考えますので、その内容については懐疑的です。そうである以上は正中盗難事件を前提としたロジックは組み立てません。
なお、すでにご指摘のとおり、「御影像一鋪」とありますので絵像と判断され、木像ではありませんから、今回の議論と直接は関係ないと考えます。
なお、この「北山本門寺蔵「生御影」について」は別件で忙しく筆が止まっているのですが連載中です。
ご意見等は
富士教学研究会:談議所の「北山本門寺蔵「生御影」について」
http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/4/44/
に投稿ください。
彰往考来
3709
:
犀角独歩
:2008/09/15(月) 13:51:10
彰往考来さん
> 私は初代も後世のものである可能性が高い…正中盗難事件に触れなかった理由…日代宛て八通遺状は偽文書と考えます…懐疑的…正中盗難事件を前提としたロジックは組み立てません。
盗難事件を扱わない理由が偽文書であるというのはわかりますが、そうなると、後世のもの=偽物である可能性がある木像を確証もなく、検証する理由は何でしょうか。論理として一貫性を感じませんが、如何でしょうか。
3710
:
彰往考来
:2008/09/16(火) 07:41:28
犀角独歩さん
>盗難事件を扱わない理由
ご質問の意味がいまいちよくわかりません。
盗難事件を扱わない限り北山の生御影を議論する資格はないというご主張でしょうか?
今、現前と木像が存在する。そしてそれは、鎌倉時代のものと称している。でもみる限り江戸期のものである。では検証してみようというロジックであり、盗難事件は関係ないと思います。
>後世のもの=偽物である可能性がある木像を確証もなく
これについて「北山本門寺蔵「生御影」について」の後半で、北山の生御影が江戸期のものである検証を予定していますので、現時点で論評は差し控えます。いつになるやら分かりませんが、引き続きご愛読願います。
彰往考来
3711
:
犀角独歩
:2008/09/18(木) 02:58:07
彰往考来さん
> 盗難事件を扱わない限り北山の生御影を議論する資格はないというご主張でしょうか?
資格? いえ、ぜんぜん違いますが。3703に記したとおり、日興門下の文書の中に正中盗難の件がありますので、こうした文書の証憑性は如何なものかと問うたのが始まりです。
まあ、今回は、質問をすると必ず飛んでくる悪口雑言がなかっただけ、安堵しています。落ち着いて、質問はできたものの、しかしながら、「意味がわからず」、また「差し控える」と仰る以上、質疑応答にはなりませんので、切り上げることといたします。
3712
:
彰往考来
:2008/09/18(木) 07:46:56
犀角独歩さん
>3711
当方もこれにて今回の質疑は終了します。
彰往考来
3713
:
犀角独歩
:2008/09/27(土) 19:32:42
ちょっと、読み直して、変だと思うので書きます。
質疑とは「疑い質す」ということで、わたしがしたこと。
それに対して「応答」がなかったので、やめたということですから、「今回の応答は終了」というのが、正しい日本語でしょうね。
まあ、どうでもいいですが。
3714
:
犀角独歩
:2009/01/13(火) 06:39:40
問答名人さんほか諸賢
◇熱原三烈士について
日宗全興門集を覧ていたのですが、『白蓮弟子分與申御筆御本尊目録事』には、以下のようにあります。
富士下方熱原郷住人神四郎兄
富士下方同郷ノ住人弥五郎弟
富士下方(郷住人)弥次郎
ところが、いま、熱原三烈士というのは、神四郎、弥五郎、弥六郎ですね。3人目の名前が違うわけです。富要で覧みると、この3人の名で書かれているのは日亨氏の『富士史料類聚』のみのようです。これは日亨氏の誤記がそのまま、用いられた可能性はないのでしょうか。
あと、昨日、mixi で、ちょっと書いて、こちらの参加の皆さんからもレスを頂戴したのですが、石山の熱原三烈士墓碑にやや疑問を持っています。
当スレ3173にきゃからばあさんがご投稿くださっていることですが、この墓碑に刻まれている名前は
中央 熱原住人 神四郎
右側 田中住人 四郎
左側 広野住人 弥太郎
とのことでした。ここでいう田中、広野というのは、地名ですね。熱原とは違います。名前も四郎、弥太郎ですから、違います。すると、この中で熱原法難に関連するのは、「熱原住人 神四郎」ということになります。
この墓碑の建立は弘化3年(1846)ということでした。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/3173
『富士年表』で覧ると、この年、猫沢(富士郡芝川町だと思います)で法難が起こったと記されています。
地名の 田中 広野 猫沢
名前の 四郎 弥太郎
この墓碑が熱原三烈士以外の可能性はないのでしょうか。
墓碑の後ろにある日柱の碑文は、もとより、熱原三烈士以外を記したものを取り違えたのではないかという疑問です。
もちろん、断定ではなく、あくまで可能性として考えてみたいと言うことです。
皆さんのご賢察並びに、ご意見をお聞かせ願えれば有り難く存じます。
3715
:
問答迷人
:2009/01/13(火) 16:32:55
犀角独歩さん
この件、ずっと昔にも、当掲示板で考えた事がありました。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/boukoku.htm
この時の一応の結論は、大石寺は、三烈士の名前を知らず、日精の家中抄の記述に基づいて、誤って、碑を建てたのではないか、という事で終わっています。
根拠は、日興上人の弟子分帳に「在家人弟子分。富士下方熱原郷の住人神四郎、兄。富士下方同郷の住人弥五郎、弟。富士下方熱原郷の住人弥六郎。」とあるというのが、その時の議論でした。
家中抄の該当箇所を引用してみます。
『亦大聖人よりは籠舎の人々に御書を下さる聖人御難抄と号するなり今重須に在り、其使も日興なり、籠舎の人々は熱原の郷の住人神四郎、田中の四郎、広野の弥太郎なり、残りは所を追ひ払ひ或は所帯を没収し財宝を奪ひ取り給ふ、同三年に法華宗の檀那三人をば頚を切つてぞ捨たりける、されば彼の三人の追善に大曼荼羅を書写し給ふ』(富士宗学要集第五巻152頁)
3716
:
問答迷人
:2009/01/13(火) 16:36:04
御免なさい、レス数を書くのを忘れました。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/boukoku.htm
192〜201レス付近です。
3717
:
問答迷人
:2009/01/13(火) 17:19:14
もう少し補足しますと、日興上人の弟子分帳は、富士宗学要集では在家弟子分の記載は省略されていますので、神四郎等の三人の箇所は載せられていませんが、独歩さんが仰るように、第九巻の資料類聚の257ページ、熱原法難の箇所に記載されています。これが、3715レスでご紹介した箇所です。
又、この件は、両山問答で北山から指摘されて、大石寺は詰まってしまいました。
「明治十一年十二月 権少教正玉野日志
御直筆に云く、一富士下方熱原郷の住人神四郎(兄富)士下方同郷の住人弥五郎(弟富)士下方熱原郷の住人弥次郎此の三人は越後房下野房の弟子廿人の内なり、弘安元年挙信し始むる処舎兄弥藤次入道の訴に依り鎌倉へ召し上げられ終に頚を切られ畢ぬ平左衛門入道の沙汰なり、子息飯沼判官ひきめを以って散々に射て念仏を申すべきの旨再三之を責むと●も廿人更に以て申さざるの間張本三人を召し禁めて断罪せしむる所なり、枝葉十七人は禁獄せしむと●も終に放ち畢んぬと、又弘安二年十月十二日賜はる御抄を開山直写の本に云く、大進房弥藤次等の狼藉に至っては本源行智の勧に依て殺害刃傷する所なりと、知るべし事実人名人数並に皆御直筆に違す所伝何等を以て証とするや、請ふ明示せよ。」
3719
:
問答迷人
:2009/01/13(火) 17:47:42
もう一つ追加です。第九巻の資料類聚の257ページでは、三人目は「弥六郎」となっていますが、玉野日志は、弥次郎と書いています。日宗全興門集も、玉野日志も弥次郎なら、日亨氏の誤記の可能性が高いですね。まぁ、弟子分帳に直接当らないと判らない事でしょうが。
3720
:
犀角独歩
:2009/01/13(火) 21:25:12
問答名人さん
明晰なご教示、有り難うございました。
既に議論があったことでしたか。わたしはまるで記憶しておりませんでした。また、何故過去の議論に加わってもいなかったのですね。
三学無縁さんにお借りした日宗全興門集は手許にありますが、日志の書く如く「彌次郎」となっています。実際の正筆はどうなのでしょうか。
深く御礼申し上げます。
3721
:
マターリ
:2009/01/13(火) 21:49:31
法難について、日蓮聖人がどのような感慨をもっておられたか、調べて
いたことがあります。弟子の死というものを、どのように捉えていたか
を調べることで、建て前ではない、聖人の本音に迫りたかったからです。
日蓮聖人は、とても弁が立つ方ですが、御書を読んでも弟子の死につい
て、不思議なことに、あまり語っていないと思います。
小松原の法難では、鏡忍坊と工藤吉隆が戦死しました。熱原法難では、
三烈士が斬首されています。しかし、彼等について、日蓮聖人の言葉は
わずかだと思います。
悲しいときは、大地に身を投げ出して哭泣する聖人が、大切な弟子の死
に際して何故、言葉が少ないか、お教えください。
3722
:
犀角独歩
:2009/01/14(水) 00:22:00
マターリさん
3721 の視点、面白いですね。興味深く拝読しました。
3723
:
問答迷人
:2009/01/14(水) 08:46:59
犀角独歩さん
>三学無縁さんにお借りした日宗全興門集は手許にありますが、日志の書く如く「彌次郎」となっています。実際の正筆はどうなのでしょうか。
れんさんがこの件について、当スレッドの3172レスで、次のように述べられていますので、ご承知の事でしょうが、ご参加の皆様にご覧戴きたく、以下に転機させていただきます。
3172 名前:れん 投稿日: 2007/02/02(金) 15:41:41
犀角独歩さん
熱原の信徒三人の処刑日は、今となっては特定できないと思います。堀日亨師は神四郎追善の日興書写曼荼羅の書写年月日により、四月八日に比定してますが、四月八日に関しては、日興は仏生日に漫荼羅を書写する例が蓮師命日に続いて多いことを考えると、必ずしも、神四郎追善の漫荼羅書写日のみをもって、三人の処刑日と断定するには根拠が薄く感じます。日興写本の現存する弘安三年四五月頃の日蓮遺文に(いま、出先なので原文に当たれませんが)「先もそらごとなり…」云々と、熱原についてのべた下りがあり、おそらく、本消息の書かれた弘安三年春には熱原法難は終息していたと思われますから、三人が処刑されたのは、法難が勃発した弘安二年九月から日蓮遺文から法難の終息がうかがわれる翌年春の間と、大雑把ですが推定するしかないと愚考します。
さて熱原信徒の張本三人が特に斬首という厳しい処断を受けた理由は、日蓮の宗教活動は、幕府から見れば、元冠にて非常事態体制下にあった幕府の挙国一致の宗教政策に従わずに反対・反抗する“悪党”勢力であり、特に駿河は得宗領でしたから、厳しい姿勢と処断をもって、得宗権力が反幕府の“悪党”としての日蓮門下信徒の弾圧を行ったというのが実際ではないでしょうか。幕府(内実は得宗権力)は熱原の農民信徒に対する厳しい処罰を通じて、日蓮やその門下僧俗等の反得宗権力・反幕府的な宗教活動を牽制しようとしたというのが、当たらずとも遠からずの“理由”でありましょう。
熱原の三人の中の弥六郎と弥次郎の表記の相違は、現存する日興正本「本尊分与帳」は痛みが激しく判読不可ですが、江戸期の北山歴代である日優の写本では、「弥六郎」ではなく「弥次郎」となっており、かつての日興正本では「弥次郎」であった可能性があり、弥六郎は石山の所伝で次を六と誤読した結果の誤伝の可能性の方が高いと思います。
正本には当れないとすると、北山の写本に拠るしかないのでしょうね。
3724
:
犀角独歩
:2009/01/14(水) 17:54:07
問答名人さん
重ねてご教示有り難うございます。
また、れんさんには、先にご教示を頂いておりながら、失念をするというご無礼、平にご容赦ください。お詫び申し上げます。
ともかくも今回の疑問は、既に議論済みとのこと、落着した気分となれました。
御礼申し上げます。
3725
:
彰往考来
:2009/01/14(水) 20:42:02
横レス失礼。
過去の議論を蒸し返すようですが、
>おそらく、本消息の書かれた弘安三年春には熱原法難は終息していたと思われます
というのは違うでしょうね。
彰往考来
3726
:
れん
:2009/01/14(水) 21:14:53
彰往考来さん
先日は、御著述をお送り頂き、誠に有難うございました。先ずは、このことを深くお礼申し上げます。
熱原の法難の余波は、弘安三年七月の南条氏宛の宗祖御遺文に見える新富士の神主のことからも、続いたことは勿論、分かるのですが、問答さんが引用された私の文章の意とするところは、熱原法難にかかる“一連の訴訟の終わりの時期”というニュアンスで書きました。
もし、差し支えなければ、熱原法難の終息の時期に関する、彰往考来さんの御高見を御披瀝頂ければ幸甚です。
3727
:
犀角独歩
:2009/01/14(水) 21:22:31
相変わらず、高飛車な書き方ですね(笑)
3728
:
れん
:2009/01/14(水) 21:24:18
犀角独歩さん
いえいえ、私の方こそ、独歩さんの鋭い視点から、学ぶこと頻りです。こちらの方が独歩さんより、多くの学恩を頂いているのですから、寧ろ私への気遣いはご無用に願います。
3729
:
犀角独歩
:2009/01/14(水) 21:27:01
れんさん、別段、あなたに対して、気遣いをしているわけではありません。
こちらでは、証拠を挙げて論じるというのが常道です。
単に違うと書くだけであれば、荒らしのような印象を受けるという意味です。
「違う」と書くより、かくかくしかじかという理由で違うと書くのが、こちらのよい習慣であったのに残念だという意味でもあります。
3730
:
れん
:2009/01/14(水) 21:42:12
犀角独歩さん
仰る通りですね。
私の先の浅慮の投稿で、逆にご不快の念をお与え致しましたこと、深くお詫び申し上げます。
れん拝
3731
:
犀角独歩
:2009/01/14(水) 21:44:23
れんさん
いえ、違いますよ。わたしは彰往考来さんの投稿について、記しました。
3732
:
彰往考来
:2009/01/15(木) 08:03:14
管理人さんへ、
スレッド3727の
「相変わらず、高飛車な書き方ですね(笑)」
というのは、
【禁止事項】
2「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。
に該当しませんか?
注意喚起も、削除もありませんので該当しないというお考えでしょうが、それであればいたしかたありません。私は「該当する、少なくとも“非礼・無礼”な侮辱発現だ」と思っていますので見解が異なりますから、私がこの掲示板に参加することは混乱を招くだけと考えます。お世話になりました。さようなら。
れんさんへ、
貴殿からのご質問については別途回答します。上記考えから当掲示板に投稿するつもりはありません。
彰往考来
3733
:
管理者
:2009/01/15(木) 08:24:54
彰往考来 さま
>見解が異なりますから、私がこの掲示板に参加することは混乱を招くだけと考えます。
管理者の判断は、灰色です。もう少し成り行きを拝見させて戴きたいと考えていました。従来も、誰が見ても、真っ黒な場合は別として、少し経過を見させていただいてから、注意喚起をさせていただいております。
ご理解賜れますれば幸いに存じます。
3734
:
彰往考来
:2009/01/15(木) 23:13:04
管理人さま
本件は私に対する侮辱発言と考えています。
だれがどう思うと、私がそう感じたのですから侮辱発言以外のなにものでもありません。
よって、私は警告もしくは削除を求めているわけでそれ以上のなにものでもありません。
管理者として灰色というのは私は納得できないのですが、それはあくまで私自身の考えです。
管理人さん、あなたがどう思うかなのですよ。灰色ではないでしょう。白黒をつけなさい。逃げてはいけませんよ。
彰往考来が正しいのか、犀角独歩さんが正しいのか二者択一なのです。
私はあなたの決定に従います。犀角独歩さんが正しいならそれも可。
もっともそれなら私はこの掲示板から去るのみです。こんなことで議論している時間は私に残されていないのです。
私は昨年、肺線がんの申告を受けました。国立がんセンター東病院に入院しました。
残念ながらリンパ節にも転移しており手術できない状態でした。
抗がん剤と放射線治療を受け、なんとか職場復帰もしました。
でも私のステージでは5年生存率は20%です。どういうことかおわかりでしょう。
残された命をどう使うか、これは私の問題です。しかし、侮蔑発言を許すことはできないのです。
管理人さん、
もう少し、考えていただけませんか? この掲示板おかしくありませんか?
このような侮蔑発言に対して灰色だという姿勢を! まともではありませんよ。
その姿勢でどれだけのまともな人たちがこの掲示板を去っていったことがおわかりですか?
彰往考来
彰往考来
3735
:
愚
:2009/01/16(金) 03:44:49
この掲示板は独歩さんには大甘である。
彼は自分が侮蔑されたと感じると即刻抗議と削除要請をするが、
自分が発する他を睥睨する傲慢さにはまったく無頓着であり、気がついてもいない。
削除要請は正当である。 (過去に数度投稿のご縁があった者の意見です)
大病見舞い申し上げます。為すことはひとつ。
3736
:
犀角独歩
:2009/01/16(金) 06:31:54
彰往考来さん
まずはお見舞い申し上げます。
心安らかに療養なさってください。
さて、今件に関する決済は管理者さんの一存ですから、わたしはどのような判断であろうとそれを受け入れるつもりです。これが大前提です。
あなたとのやりとりには、必ず加勢が出てきて、わたしを侮辱するということがずっと繰り返されてきました。それもいちおう甘受しましょう。
あなたは、わたしの発言が、禁止事項2に当たる、そうお感じなったと言うことでした。しかし、わたしが「高飛車だ」と言ったのは、むしろ、あなたの態度が問答名人さん、れんさんに対して、禁止事項といわないまでも失礼ではないかと思ったからです。
今回の質疑応答は、3714に質疑を発し、それに対して問答さんは、懇切丁寧に3715から3719、さらに3723と再三に亘り、長いコピぺを労をも惜しまずになさってくださり、そしてれんさんの過去のご投稿もご提示くださったわけです。
こうした学恩に対して、敬意を表すると共に大いに御礼を申し上げたそうした経緯があります。それをただ一言「違うでしょうね」と打ち消す様は、実に傲慢に映じた。よってわたしは「高飛車だ」と記したのです。
こちらの掲示板は、挙証をもって論じることを佳きルールとしてきました。それをただ一言を持って否定するような在り方にはわたしは納得できない。また、あなたは個人的にれんさんには応えるが、こちらでは投稿しないと言いました。こうした様は、単に知識の在る様を示すだけ示して、こちらへの挙証議論はしないということでしょう。そうした態度自体、こちらの掲示板の佳き有様を貶す態度であると映じます。
いずれにしても、今件はわたしの質問に端を発し、それに懇切丁寧に応じてくれた問答さんへの慈悲を前提に、それに対するあなたの発言、そして、それに対するわたしの発言という構造で判断されるべきことであると考えます。単にわたしの発言だけを切り出して、抗議するというあなたの在り方自体は、自分の発言がどのように映ったかという前提が欠落しているのではないかと、指摘することに留めます。あとは管理者さんのご判断に委ねることといたします。
3738
:
管理者
:2009/01/16(金) 08:01:21
彰往考来さん
>彰往考来が正しいのか、犀角独歩さんが正しいのか二者択一なのです。
「高飛車」というのは、「相手に対して高圧的な態度をとること」と言う意味ですが、それが、直ちに侮蔑発言になるかというと、これは灰色であると管理者は判断いたしました。当掲示板に言うところの侮蔑発言というのは、「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」と規定されていますが、直ちにそのどれかに該当するとは、管理者は判断できません。彰往考来さんの書き込みは、何の説明もなしに、「それは間違っているよ」と言われた訳ですから、客観的に見て、「高圧的」と見られても止むを得ない面が有ると思います。「高飛車な書き方ですね」との書込みに対して、「侮蔑発言」と直ちに判断する事は出来かねます。
愚さん
ご意見、今後の糧として拝聴させていただきます。
管理者の判断は、やはり「灰色」と言う外有りません。ご理解賜りたく存じます。
3739
:
彰往考来
:2009/01/16(金) 08:14:54
管理人さん、
ご趣旨は理解します。
ただ、灰色ということは半分は認めているということではありませんか。
>客観的に見て、「高圧的」と見られても止むを得ない面が有る
これはそのとおりですね。
>、「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」と規定されていますが、直ちにそのどれかに該当するとは、管理者は判断できません
少なくともスレッド3727の
「相変わらず、高飛車な書き方ですね(笑)」
というので、最後に“(笑)”が書いてある以上、非礼であり無礼であると考えます。
私にとっては灰色ではなく黒なのです。
本件で、議論応報はしたくありませんので灰色が最終決着ということであればそれに従います。
私はこの掲示板には今後投稿しないと申し上げましたが、れんさんのお考えに対して違うと言った以上、少なくともれんさんに対してはお答えする必要があると考えます。従って別途回答すると申し上げたわけです。
さて、この続きはどうしましょうか?
喧嘩両成敗ではありませんが、3725と3727の双方を掲示板に対する非礼と認め、3731と3732を含め削除される、もしくは双方に管理人さんから警告を発するのであれば、本掲示板に、れんさんのお考えに対して私論を投稿します。
彰往考来
3740
:
管理者
:2009/01/16(金) 08:47:59
彰往考来さん
了解しました。別途、3725レスと3727レスに関して、管理者からのお願いスレッドにて、掲示板書き込みについてのお願いを申し上げます。
3741
:
そううそ
:2009/01/25(日) 21:35:14
こんばんは。
そううそです。
「四箇格言の功罪について」のタイトルで議論を進めて頂けないでしょうか?
現代人が納得できる日蓮教学 - 富士門流信徒の掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/
某所で学会員と思われる人と議論した時に当然のように他宗批判を行い、
その根拠として他力本願を取り上げていました。本来の他力本願の意味も
よく分かっていないようでした。他力本願自体はこちらのBBSの主旨から
外れますのでせめて、日蓮の四箇格言がどんなものか書かれていると良いと考えます。
折伏思想と絡んでいると思いますが、根拠となる経文や仏教的な思想なのか?
現代に通用するかどうか?
創価学会などの正宗信徒が四箇格言を持ち出し他宗を批判、あるいは
非難し、誹謗中傷する。地獄に堕ちるなどの脅迫を行うのは問題だと思います。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/485
>この問題は日蓮系では既成宗派も例外でない。
>なぜなら「四箇格言問題」が解決していないからです。
御願いばかりで申し訳ありませんが、富士門BBSの皆さんが色々と議論すると
見えてくる物があると考えます。
ではでは
3742
:
あやめ
:2009/02/23(月) 09:18:30
大石寺の宗規について教えて下さい。
正宗には本尊没収とかの罰則規定はあるのでしょうか。
つまり国法を犯した者。殺人とか巨額の詐欺事件とかを犯した者は
本尊没収に処するみたいな。あくまでも世法での話しです。
よろしくお願いします。
3743
:
問答迷人
:2009/02/26(木) 13:28:05
あやめさん
>つまり国法を犯した者。殺人とか巨額の詐欺事件とかを犯した者は本尊没収に処するみたいな。あくまでも世法での話しです。
創価学会では、刑事犯をよく除名にしますね。日蓮正宗では、そんな話は聞いた事は有りませんね。勿論、宗制宗規にもそういう項目は無かったと思います。
3744
:
問答迷人
:2009/02/26(木) 13:30:47
追伸です。
但し、創価学会でも、本尊を没収したという話は聞いた事は有りません。返してくれ、という要請ぐらいはするかもしれませんが。
3745
:
宮本
:2009/02/26(木) 18:38:43
横レスで失礼します
あやめさん
問答迷人さんへ
補足的に説明しますと
創価学会では、除名と決まった時点で、原則として
統監(会員の管理手続のシステム)
の関係があって、本尊の返納を本人に求めます。(御本尊返納手続)
理由のひとつは、当該会員が、監獄に収監されると思われる場合、長期の
間、本尊が、ほったらかしになる可能性があるからです。
3746
:
あやめ
:2009/02/27(金) 16:35:22
問答迷人さん、宮本さん、レスありがとうございます。
そうですか、宗規にはないのですね。
>本尊が、ほったらかしになる可能性があるからです。
なるほど、たしかにその通りですね。
3747
:
独善
:2009/02/28(土) 23:29:03
まったく、その通り。完全にアウェーな掲示板です、普通の人は、ウンザリしています。
3748
:
北斗☆
:2009/04/28(火) 03:18:54
皆様、初めまして。
超初心者ですが、よろしくお願いします。
早速質問なんですが「日興」が「白蓮阿闍梨 日興」と名乗り出したのはいつ頃なんでしょう?
それから「本尊七箇相承」は、いつの時代の「遺文」なんでしょう?
是非教えて下さい。
よろしくお願いします。
3749
:
顕正居士
:2009/04/28(火) 20:54:12
>>3748
白蓮阿闍梨 祖滅後です。
本尊七箇相承 室町時代。口伝は「遺文」ではありません。
3750
:
北斗☆
:2009/04/29(水) 00:56:05
>3749:顕正居士さん
「白蓮阿闍梨」と名乗り出したのは日蓮死後ですか!
初めて知りました。
>口伝は「遺文」ではありません。
それは、失礼しました。
お答えありがとうございました。
3751
:
北斗
:2009/05/22(金) 21:22:56
皆様はじめまして。
初心者ですが、宜しくお願いします。
まさに「素朴な疑問」なんですが、あの大石寺は過去に「邪宗身延派」の本山に「参拝」しに行っていたとの資料をウェブ上で見つけました。
この情報って、信用出来ますか?
ネタ元は「地湧」なんですよ…
信用していいのか、悪いのか…
3752
:
顕正居士
:2009/05/26(火) 15:00:40
「日蓮正宗」という宗派が出来たのは明治の末年です。
ルター派、カルヴァン派に見られる「分派(sect)」ですが、日本ではめずらしい。
しかしその後にこの宗派が著しくカルト化したのは創価学会との抗争の結果です。
大石寺の坊さんもいまのところは立正大学で学んだ方たちがまだ主流ですが…。
3753
:
宮本
:2009/06/02(火) 01:32:06
北斗さんへ
大石寺が、身延派と交流していたのは、本当のようですね。
ただし、教団の大きさといゆう点でみると、当初、身延派は、
メジャーの大リーガーですけど
大石寺は、マイナーリーグの球団のような違いじゃないのかな。
で、邪宗身延派といゆう表現でなくて、日連宗の身延派といゆう
表現にしてね。
3754
:
通りすがり
:2009/06/02(火) 13:08:39
身延派という表現はありませんね。
日連宗ではなくて、日蓮宗。
日蓮宗は日蓮宗であって、身延派という呼び方は、カルト化した大石寺系の
教団が言い出したものではないでしょうか。
3755
:
れん
:2009/06/02(火) 16:22:52
現在の日蓮宗は、一致派と旧本門宗・旧顕本法華宗の合同宗派ですね。
たしかに身延山を祖山とする点で身延派といえるかもしれませんが、日蓮正宗の様な単一門流の宗派ではないので、石山や創価の認識と、日蓮宗の実際は違うものと言えるでしょう。
3756
:
彰往考来
:2009/06/03(水) 07:52:02
創価学会では邪宗日蓮宗(最近は他宗という表現が多い)とか身延派という表現が多々みられますが、管見に入った限りでは石山・創価系を除く日蓮宗関連の書籍・文献で身延派という表現は見当たりません。
つまり現実には身延派という宗派は存在しないのです。3754でのご指摘どおりでしょう。
3757
:
宮本
:2009/06/03(水) 07:58:51
おっと、私の間違いですね。ごめんなさい。
3758
:
犀角独歩
:2009/06/03(水) 08:09:33
わたしは過去、数回、新潟県に講演・講師に行きました。敢えて、名前は伏せますが、会場となったとある寺院では入口の看板に「日蓮宗身延派○○寺」と書いてありました。
日蓮宗では、創価学会や顕正会への反論で「身延派なんかない」といったりしますが、実際は、上述したような例はあります。
ここの寺院住職がどんな意図で「身延派」と寺門に刻んだのかは確認しませんでしたが、取り敢えず、一例として、紹介しておきます。
3759
:
プーさん
:2009/06/04(木) 23:24:01
で、貴方はそういう宗派の誤った独善主義を掲揚したいのですか?
3760
:
宮本
:2009/06/05(金) 21:58:42
れんさん、彰往考来さん、犀角独歩さん今晩は。
>彰往考来さんへ
僭越とは、思いますが、お体の調子は、どうですか。
今、他のサイトにある彰往考来さんの論文、
拝見していたところです。ちょいと私の頭では、なかなか理解できていない
ので、もう少し時間をかけ、何度が拝見させてもらいます。
>犀角独歩さんへ
久しぶりです。へー新潟県に講演とは、いいですね。
私の友人の作家さんも、方々に講演に行っていますが、
言った先での、おもしろい話やら、なんだかんだと
話しています。もちろん、私の方は、碩学でもなく、
一書を世に出したわけでもありませんが。
3761
:
彰往考来
:2009/06/06(土) 11:04:05
>3760 宮本さん
ご心配をおかけしました。今、調子はよく、薬ももう飲まなくなり経過観察の最中です。
医師からはアルコールも解禁となっています。ただちょっと疲れやすいので無理をせずにというところです。
彰往考来
3762
:
犀角独歩
:2009/06/06(土) 21:19:49
宮本さん
新潟への講演、たぶん、2度と行くことはないと思います。
もし、行くことがあれば、衆生無辺誓願度を文字通り、日蓮宗は実行している証拠ということでしょう(笑)
3763
:
通りすがり
:2009/06/06(土) 22:09:04
あれ?犀角さん日蓮宗と何かあったのですか???
3764
:
北斗
:2009/06/08(月) 12:58:32
3753:宮本さん
やはり大石寺は身延門流と交流があったのですね。
過去に交流がありながら、大石寺は「邪宗身延派」とか言うんだから、私からすると「呆れて」しまいます。
>で、邪宗身延派といゆう表現でなくて、日連宗の身延派といゆう 表現にしてね。
この「邪宗身延派」と言う表現は、上記のような意図から使ったものです。
他意はありません。
3756:彰往考来さん、3755:れんさん、3754:通りすがりさん
身延派と言わないのは、しっかりとは私は「認識」していませんでした。(但し、門流は知っていました)てっきり「通称」として日蓮宗内で使われているもんだと思ってました。
ご指摘ありがとうございます。
3765
:
顕正居士
:2009/06/08(月) 17:36:39
日興門流は八本山の中の五山が富士にあるので場所をとって富士門流ということはあります。
「富士派」は大石寺が日蓮宗興門流から脱退し単立した際に日蓮宗富士派と称した(だから
富士派=大石寺派で富士派=富士門流とはいえない)。対して日蓮宗身延派という呼称は
歴史上にありませんが、日向門流を場所をとって身延門流ということはできます。その場合には
あくまで日向系だけを指します。
日蓮に始まる宗派の歴史上の名称である「日蓮宗」と法人名を区別する場合には「単称日蓮宗」
といいます。江戸時代にすでに身延山は大勢力でしたが、近代に単称日蓮宗が日蓮教学の
主流を制したのは金沢の充洽園学派出身の優陀那日輝とその門弟たち(日薩・日鑑・日修)の
活躍によります。宗学を近代化したこの学風を「大崎教学」と称します。立正大学の主流の教学
です。ただし浄土真宗両派と比較すると教学の近代化といっても相当な見劣りがあります。
3766
:
ケン
:2009/06/09(火) 18:22:08
顕正居士さん
>3765
>宗学を近代化したこの学風を「大崎教学」と称します。
>・・・ただし浄土真宗両派と比較すると教学の近代化と
>いっても相当な見劣りがあります。
とのことですが、「教学の近代化」とは、具体的には
どのようなことを意味するのでしょうか。
仏教(宗教〕一般について、あるいは、日蓮教学に
おける「大崎教学」での近代化の内容や、浄土真宗両派に
おける近代化の内容について、基礎的なことをご教示いた
だければ幸いです。
ボクは、30年ほど前の日蓮正宗創価学会時代に
創価学会教学(教学?)をほんの少々かじった
ことがある程度の初心者で、それ以降は、
特に勉強はしていませんので専門的なことは
理解できません。恐縮ですが、とりあず、
基本的なことのみで結構ですので、宜しく
お願いいたします。
3767
:
顕正居士
:2009/06/10(水) 18:16:34
教学の近代化とは形式的には正典の編纂、客観的な宗学の研究を行なう機関の設立、
内外の研究者の論文を掲載する学報の発行でしょう。それぞれ昭和定本、宗学全書、立正大学、
大崎学報として実現しています。
これらの形式の実現には前提として科学的思考が必要です。16世紀には西洋の天文と地理の
知識が伝来しましたが、江戸時代の仏僧は須弥山説を墨守し続けました。知識を求める人達は
儒学、洋学、国学を学び仏学は顧みないようになりました。
しかし儒洋国三学の科学的思考の影響下についに富永仲基と服部天遊が現れて科学的仏教学
の端緒が開かれました。富永の『出定後語』に依って迷信的仏教を批判した著に平田篤胤の
『出定笑語』があります。優陀那日輝は仏書を読む前に平田氏のこの書を読めと奨めています。
日輝は仏縛、祖縛、自縛の三縛を離れよと説きました。正しい知識に至るためには釈尊や日蓮の
説、また自己の信念にも捉われない必要があります。彼の宗学上の大功績は立正安国論を
全面的に否定したことです。徳川泰平の世に安国論は無用であるが、鎌倉時代にも無用だったと。
安国論は関西の宗教戦争の論理を関東に輸入しようとした書です。北条氏の信仰自由の政策に
よって関東は比較的に平和であったが、関西は信長と秀吉の比叡山、本願寺、雑賀寺等の討伐
まで宗教勢力が戦国大名並の武力を備えていました。
日輝は19世紀前半の鎖国下の仏僧として実に科学的思考ができていたと思います。(続きます)。
3768
:
ケン
:2009/06/10(水) 20:37:23
顕正居士さん
具体的で分かりやすい解説を頂き、ありがとうございます。
優陀那日輝の名前は記憶がありますが、立正安国論を否定した方だったとは、吃驚しました。
続編を楽しみにしております。
3769
:
犀角独歩
:2009/06/11(木) 18:03:06
TT さん
はじめまして。本尊を買うということでしたら、例えば日蓮宗新聞の売店では、日蓮宗教師の紹介があれば、宗定漫荼羅のレプリカは買えるんだそうです。
日蓮の筆っぽい掛け軸型ならば、仏壇屋で買えます。
お示しの安82、要は大石寺が言うところの紫宸殿(師資伝)本尊は、レプリカはないとは思います。
いつであったか、顕正居士さんが、該当のサイトから画像をダウンロードして、本尊とする風潮が海外にあるというお話をしてくださいました。
善い紙を選んで、表具をしてもらう方法もあろうかと存じます。
実際、わたしが懸けている本尊は大縫さんが、質のいい印刷をされた者を表具師に依頼して仕立てたものをくださったものです。安92本能寺所蔵、弘安3年5月8日本尊の実寸より小振りのものです。
日蓮宗では、坊さんに依頼して、開眼、裏書きをしてもらって、正式な本尊とするのだそうです。わたしは、その必要を感じないので、そのまま懸けました。
そうした法儀を望むのであれば、どなたか願いを聞いてくれる坊さんをお探しになればよろしいかと存じます。
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