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雑談&連絡スレッド
2416
:
無精髭
:2008/07/27(日) 21:10:24
>>2413
で唐突に小説家の話へ切り替わっていますけれど、ご容赦ください。「文才」と聞くと
私の場合、どうしても「文」学的「才」能というものを連想してしまいますので(苦笑)。
個人的な好みを申せば、短編作家で且つ文章に定評のある小説家の中では、志賀直哉よりも
森?外の方が好いと思います。引き締まった文体と大胆な省略は、読む者に落ち着いたリズム
を感じさせます。ただ、文章を書く上で?外に倣うとなると、現代では古すぎるかも。『日蝕』
や『一月物語』の頃の平野啓一郎氏の文体は、三島由紀夫の影響も然ることながら、?外を強く
意識して作られたものだった、とのこと。あの擬古文調で衒学的な文章ですが、あの時もちょっ
と読んで見ただけで、何か変な感じがしましたが、今また誰かが同じように、?外に影響された
のを隠さずに書いたとしたら、厭味たっぷりな感じがして、とても読めたものではないでしょう。
話が逸れてしまいました。とにかく、文章が上手いということを文学的才能に限定してしまうと、
古典的な小説家の中でも色んな文体を持った人がいるので、その内の誰を唯一の模範というか、
文章修行上の師とすべきなのかが、てんで分からなくなります。普通は、好みで選ぶものでしょう
が、じゃあ泉鏡花が好いや、なんて言い出しちゃったりしたら・・・(笑)。現代ではさしずめ、
川上未映子氏でしょうか? いずれにしろその文体は、文学創作の為に特化した・文学以外では
通用しない類のものでしょう。あれでは議論は無理。しかし、そういった悪文の類に入る文章と
いうのは、読み易さは感じさせなくとも、不思議と読ませるような魅力があって、読む内にぐい
ぐいと物語に引き込まれるような感覚に陥ることもしばしばです。悪文特有の読み難い癖をリズム
として掴めさえすれば、先を読むのも辛くありませんし。そんなこんなで、澁澤龍彦が「作家には
特徴的な文体さえあれば好いので、極端な話、作品の内容など二の次だ」とか何とか言っていた
のを思い出しました。形式・スタイル重視、つまり一文読んですぐ誰が書いたか分かるような、
個性が滲み出た文章。そこには表面的な読み易さではない(無論筋が立つことによる平明さでもない)、
感応的に読ませる力が働いていて、読者の心を深いところで捉えて放さないのだという気が致します。
そういった意味では、
>>2389
のコメントにもあります通り、紫煙狼様は及第なのではないですか。
一定の基準を満たした上で、更にその上を行こうという貪欲さ、元い、理想の高さには畏れ入ります。
>>2406
>>2412
こういった不断の努力は、ネットでの書き込みであろうが何だろうが、絶対に必要でございますよね。
議論に限らず、自分の意思を相手に伝える努力を怠ってはなりません(というより、これこそ
人間社会における個人的営為の根底にあるものと言って良いかも知れません。或いは、人にとって
一生の課題、否、人生の全て、と言いたくなりますが、さすがにこれは大げさですね)。その為に
試行錯誤が繰り返され、副次的に文章(言語)表現は豊かになり、更にその実りを惜し気もなく次の
試行錯誤へ注ぎ込むこと。そして、また収穫。この繰り返し。
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