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死刑制度についてひと言お願いします
3182
:
雄峰
:2012/10/18(木) 17:19:24
>>3181
文章が支離滅裂で意味がわからない。
病状がまた悪化したんですか?
ちゃんと薬は飲んでいますか?
3183
:
減二
:2012/10/18(木) 18:08:05
>>3182
二種類の意見を同時に書いてしまったのでわからなかったと思います。
私の意見、
>>3181
は、要約すれば、様々な事情があっても、
もし、普通に生活をしている人が突発的に犯罪者によって、
被害を受けた場合には犯罪者は処罰されるのが当然の事だという意見です。
3184
:
雄峰
:2012/10/19(金) 00:15:23
>>3183
あなたは、ジャイアンみたいな人ですね。
ここはジャイアンリサイタルの会場ではありません。
3185
:
減二
:2012/10/19(金) 17:55:58
>>3184
私は、朝日を読んでいます。
読売もいいけれど、ジャイアンツではないです。
新聞にはいえないこと、書けない事があるようで、
裕福層、低価格者層といった格差以前に、個々の様々な感情から、
選んでいる問題が発生していると思います。
紙面が明るく楽しい情報であれば良いと思いますが、
事件がなぜ載るのか(事件のほうが人々の関心が高く、
売り上げが上がるからでしょうかね、たぶんそういうことだと思いますよ)
人類が、不幸を要求する限り、ジァイアンは増えるでしょう。
ってか、ジァイアン犯罪者じゃないし。
3186
:
紫煙狼
:2012/10/20(土) 02:17:56
>>3185
「選んでいる問題」に関してはスレッドを分けた方が良いと思います。
減二さんの「選んでいる問題」は、世の中のありとあらゆる犯罪や事故は、
人々が抗うことのできない強大で邪悪な力が働いていて、その力が前もって
決めたストーリーに従って実行される…という話ですよね?
であれば、それは、犯罪に関する総論であって、各論ではないはずです。
今すでに用意されているスレッドは全て各論ですから、各論の中で総論を
語るのではなく、総論の中で各論を語るべきです。
3187
:
またたび
:2012/10/20(土) 08:25:18
減二さんはなんていうか、病院に行かれた方が良いかと…(もう通われてるのかも知れませんが)
失礼ですけど、まともに会話が通じないタイプの方に見えますね
>>3181
で長々と書かれた事の結論が
>>3183
なら、
遠回しな書き方でいろいろな方向に脱線してる割には
誰にでも解ってるようなここにわざわざ改めて書くような事でもない当たり前でごく単純な結論ですし、
御自身の社会に対するストレスが溜まりすぎて相当頭が混乱して参ってしまっているだけで、
死刑制度や犯罪者に対する罰則の是非や被疑者側の人権問題について大して意見を考えているわけではないように映るのですが
減二さんに必要なのは、社会の歪みに対してあれこれ考える前にまず御自身のカウンセリングかと
3188
:
減二
:2012/10/20(土) 21:44:08
>>3186
<<3187
ご指摘ありがとうございます。
「選んでいる問題」は死刑制度とは確かに直接的には関係がありません。
精神科の医師に「選んでいる問題」の文面を送ったのですが、
回答が得られず、
(精神科の医師は患者に対して聞くだけで、
意見を述べてはならないとのルールがあるようで)
行っても2、3分の診療で終わってしまいます。
その為、無限回廊に来ています。
もしかしたら、死刑とうに導くような犯罪が防げれば、
良いのではないかと思っています。
ですが、犯罪者の心理よりも、犯罪に導くように仕向ける勢力が、
犯罪者本人が言葉にするのを困難にしており、巧妙に犯罪者を発生させる為、
弁護ができない、法的拘束によって、
収監及び刑罰を与えられている情況ではないかと推察します。
後、私がこの問題にこだわるのは、地域その他学校等で、先生等から言われた為で、
個人的にはこの問題に固執したくないです。
もし、スレッドを立てたとして、害になる可能性もありますし、今のところ停滞気味です。
3189
:
紫煙狼
:2012/10/20(土) 23:09:04
>>3188
減二さんご自身の御都合だけで考えずに、他の利用者の事も考えてください。
物事を相談するには適した相手と適した場所があります。
精神科のお医者さんは、犯罪などの専門家ではありませんから「選んでいる問題」に
ついての知識も経験も乏しく、減二さんが満足するような回答は得られないでしょう。
例えば、仕事を忘れてお酒に浸りたい気分で飲み屋に来ている弁護士さんに
法律相談をしても、その弁護士さんにも、周りの他のお客さんたちにもご迷惑を
おかけしてしまいますよね?このように、聞く相手が正しいとしても、聞く場所を
間違えてしまうと、やはり満足したり納得できるような回答は得られないでしょう。
つまり、適した相手に、適した場所で相談しないと、満足いく結果には繋がりません。
ですから、まずは適した場所としてスレッドを立てるべきだし、スレッドを立てるのが害に
なる可能性があるからと言って、関係のないスレッドの中で相談してもよい理由には
なりません。
この掲示板で「選んでいる問題」を口にするなら、最低限スレッドを分ける。
スレッドを分けないのであれば、この掲示板では「選んでいる問題」を話題にしない。
その程度の線引きだけはしっかりしていただかないと、減二さんに悪意がなくても、
結果的に皆さんに迷惑をかけてしまう事になりますよ?
3190
:
またたび
:2012/10/20(土) 23:13:11
>>3188
>減二さんへ
精神科の先生からの回答が得られないのは、
多分、そのお医者さんにもあなたが何を言ってるのか、何を訴えたいのか
言ってる事と言いたい事がよく解らないのと、日頃からそういう理解不能な人の相手をし慣れていて
まともに取り合うだけ無駄だ、とすっかり割り切られているからだと思います。
その問題とやらに固執したくないのであれば、気になさらないでさっさと頭から忘れられた方があなたの精神衛生のためだと思います。
3191
:
減二
:2012/10/21(日) 00:36:41
過去の教師が、外部で起こっている事を私にのみに言ってくる問題で、
例えば、40人生徒がいるとして、
「他の人には言っていません」といって私だけを注視し、
選んでいる問題を訴えている問題についてはどうするか。
>>3190
精神科医が最上位ですか。
精神科医が間違っていたらどのように致しますか。
精神科医ではなくその学術を学んだ者が、
もし、学んだその人は良くても、学術自体が間違っていたとしたら、
意味を成さなく、利益に追随した医療になってしまうでしょう。
==boroさんの読者に宛てて==
怨みに加えて、利益の問題も関連していると思います。
生きていく根底として考えれば、この問題は複雑です。
普通に生活をしている人もいれば、犯罪者になったり被害者になったり、
主婦の会話で「事件怖いですね」と言う声を何度も聞いています。
単純明快で誰もが楽しい生活なんて、夢のまた夢かも知れません。
戦争で命を奪われている国もあり、
メディアでは「無意味な死」といわれる事があるようですが、
「こいつはこのように悪い事をしたから死刑だ。」
だから「この死は意味がある」という解釈では、
次世代に対して解決が付かないように思います。
誤読を恐れて追記ですが、犯罪がなくなって欲しいということです。
3192
:
紫煙狼
:2012/10/21(日) 01:34:44
>>3191
>過去の教師が、外部で起こっている事を私にのみに言ってくる問題で、
>例えば、40人生徒がいるとして、
>「他の人には言っていません」といって私だけを注視し、
>選んでいる問題を訴えている問題についてはどうするか。
その話題が、どのような形で死刑制度と絡むのでしょう?
>犯罪がなくなって欲しいということです。
死刑制度を残すにしても、無くすにしても、犯罪は無くなってほしいですよね?
ですから、その話題を、死刑制度問題のスレッドに持ち込む理由が分かりません。
まして、精神科医とか精神医療の在り方なんて、このスレッドに関係ないでしょう?
もう少し、読者の都合を考えてスレッドわけの線引きをしていただかなければ、
減二さんのおっしゃることが素晴らしい事、大切なことだったとしても、
誰ひとり、その話題に深くかかわる事ができません。
話題ごとにスレッドを立てるのは、多くの人々の要求によって生まれた
掲示板におけるマナーなのですから、マナーは守っていただきたいと思います。
マナーを守らないのも、法律を守らないのも、決まりを守らないという点では同じですよ。
3193
:
紫煙狼
:2012/10/21(日) 01:57:01
利用者・閲覧者の皆様へ
減二さんの投稿について、皆様それぞれ思うところがあると思います。
私も多くの方から、お叱りを含む多数のメールを頂いておりますが…。
私もあくまで皆様と同じ利用者の一人であって、管理権限や決定権を持っているわけではありません。
減二さんへも、利用者の一人という立場で、スレッド分けなどのお願いはしていますが、
強制できる権限やアクセス禁止などの実行力を持っているわけではありません。
それに、減二さんだって「より良い社会」「より良い世の中」を願って投稿しているのは
明らかなのですから、いわば、皆さんと同じ志を持つ仲間の一人です。
それを前提にしてなお目に余る部分に関しては、boroさんに直接ご意見ください。
私には、皆様の期待にお応えできるような力はありません。
>>3190
もし、減二さんが、またたびさんのおっしゃるように精神または思考に何らかの問題を
抱えていらっしゃるとすれば、またたびさんがそれを理路整然と追及なさっても、
減二さんには全く伝わらず、拒否されるだけの公算が大きいと思います。
減二さんの自己実現の場所が、この掲示板をおいて他にないというのですから、
アクセス禁止にできない以上、せめて利用者の皆さんと減二さんが共存できる方法を
模索する方向でご協力願います。
3194
:
またたび
:2012/10/21(日) 07:32:13
>>3193
>紫煙狼さん
失礼しました。
大人げなかったかも知れませんね。
あと、減二さんが精神科に通院されてる方だというのは単に私の勘だけや憶測ではなく
減二さんご本人のおっしゃる事を妄想ではないと仮定して鵜呑みにすれば事実かと。
>>3188
>精神科の医師に「選んでいる問題」の文面を送ったのですが、
>回答が得られず、
>(精神科の医師は患者に対して聞くだけで、
>意見を述べてはならないとのルールがあるようで)
>行っても2、3分の診療で終わってしまいます。
なので確かに生真面目に返すだけ無駄、この減二さんのかかりつけのお医者様の対応を見習うべきなのかもしれませんね。
ネットを見てて思うのですが、減二さんのような方って意外なほど世の中に多く溢れていて
しかも減二さんのように毎日掲示板にアクセスして書き込んだり
人によっては自分のサイトを運営していろいろ奇抜な情報を発信してらっしゃる方も多いんですよね。
ネットは現実社会と違って基本的には壁や鍵のついた出入り口などは無いことが多く
どんな方でも出入り自由ですから、減二さんのような方との共存とコミュニケーションの問題というのは
確かに難しく感じます。
3195
:
減二
:2012/10/21(日) 19:54:58
>>3192
>その話題が、どのような形で死刑制度と絡むのでしょう?
これは、私の意見ではありませんが、事件の起こる成り立ちには、怨み等があり、
その事を先生方が言っていました。司法制度はその延長線上にあり、
成り立ちが、理由であれば、司法で裁く事は結論であり、そして結果であり、
理由(選んでいる理由)を無視したのでは、解決ができないと思っています。
>精神科医とか精神医療の在り方なんて、このスレッドに関係ないでしょう?
上記に関しては、
>>3187
の記述に返答したもので、私も、精神医療と犯罪者の精神鑑定を行う以外は、
死刑制度は関係ないと思います。
追記。
これ以上質問をされると、私がまた来てしまいますので、
来られたくない方は、質問をお控えくださいますようお願い致します。
3196
:
倫理的廃止論者
:2012/10/22(月) 00:33:48
初めて書き込みさせて頂きます。
このスレットの人がこの問題についてどのように考えるのか
意見を拝聴さえてもらえればと思い書き込みさせて頂きます。
法、時代を超越した問題としてどのようにお考えになるでしょうか?
問い
過去から続く生命があり、
殺害を起こした者を死刑にすべきならば、
時代の勝者が生み残した子孫は存在しえないという事になってしまうのではないのか?
故にその子孫である我々も未来の為に死刑をしていけないのではないか?
3197
:
またたび
:2012/10/22(月) 09:23:42
>>3196
何を持って死刑囚を『時代の勝者』とするのか、あなたのおっしゃっている時代の勝者とやらの定義が不明瞭です。
自然界と遺伝子は弱肉強食であり、動物や人間は他者を殺して現在まで子孫を残し生き残ってきた者が優秀、
すなわち、現代において他者を殺した殺人者は遺伝的勝者であり、優秀な遺伝子である、という意味なんでしょうか?
残念ながら大部分の殺人犯・死刑囚は社会的敗者であり、弱者であると思います。
キツい言い方ですが、あなたが遺伝学上の見地から殺人者を優秀と認めて残そうというお考えなのであれば、それは大きな間違いだ、と言わざるを得ません。
遺伝子のみで人間を判断する冷たい考えで死刑囚や殺人者を鑑定した場合、残念ながら大半は先天的・遺伝的に問題のある人ばかりです。
今某市長の某週刊誌の記事で世の中が揺れている時にこんなことを言うのもなんですし、決して自分は某市長に遺伝的問題があるなどとは思いませんが
実際に反社会的事件を起こしてしまった人には近親者に明らかに遺伝的問題が有る者(犯歴のある人間や精神障害者、薄弱者、自殺者などが血縁者に多いケース)
また本人自身にも幼少期から虚言癖や覗き癖、盗癖や痴漢癖等が存在したりするケースがかなりあるのも事実です。
boroさんが今までお書きになった事件の詳細にも、小平義雄のようなケースが典型例としてあります。
優性論や差別を助長する意図はありませんが、そういったケースが現実に存在しているのもまた事実です。
こういった人達が子孫を残せるのは、近代においてこういった人達にも人権が認められるようになり
生活保護などの社会保障が存在し、生きやすくなっているからに他なりません。
昔はそういう人達は物乞いなどをしたり、盗みをしたり、同様の傾向を持った人同士の共同体社会に隔離され監督されたり、あるいは近隣の人の情けによって生かされていました。
要するに、今も昔も社会で問題なくやっている人達の税金や施しによって、社会生活に何らかの問題や支障のある人が守られているだけです。
死刑を廃止して死刑囚を生かし終生面倒を見る、というのはこの弱者への救済と社会保障の究極にしか過ぎません。
ある意味究極の生活保護ですよね、正常な社会復帰が見込めなくなった人を隔離して一生養うという選択ですから。
死刑囚を生かす事において、社会に対するリターンやメリットという物はほとんどありません。
死刑囚が自らの犯行において与えてしまった社会へのマイナス、ダメージと養ってもらい続けるためのコストに対して
生かす事でメリットやプラスになって帰って来る事などはほとんどないのです。
(強いて言うなら、冤罪による誤った死刑執行の可能性を0%に出来る、という事くらいです)
死刑廃止というのは、メリットがない事を承知した上で生かそう、為そうという志だという事を民意が納得しなければなし得ません。
要するに、根源は理屈や合理性ではなく、結局は復讐心とは真逆の同情心的感情論や
司法による合法的殺人、つまり社会が処刑を認める事に対する一般的な人間の持つ抵抗感くらいの理由でしかないのです。
死刑廃止はこの『情けの感情』が死刑を認める冷徹な合理に対して民意として世論の大勢を占めなければ実現しません。
が、今後はそのような事はあり得ないと思います。
裁判員制度導入(復活)で一般市民にも人間が人間を裁く事の難しさや抵抗感が芽生えたのと同時に、
一方で逆に感情論的に被害者の救済や被害者側の人権の重視、被告に対する怒りの感情をより身近に意識するようになった人間が増え
依然保守的で死刑廃止や減刑に慎重な人間が増え、結局バランスがとれてますから。
3198
:
雄峰
:2012/10/22(月) 13:23:22
>>3197
またたびさんは、もともと生活保護に反対なのですか?
囚人を市民が養う、という方法のほかに
食い扶持ぐらい囚人に稼がせる、という発想があってもよいと思うが?
3199
:
またたび
:2012/10/22(月) 18:41:00
>>3198
私自身は生活保護制度に対して反対でも賛成でもないです。
現行の制度にはいろいろな穴と問題が有り、見直されるべきだとは思いますが
制度そのものを廃止にすべきだ、とは思いません。
また、私一人や少数が反対した所で
それこそ死刑制度と同じで自然発生的に同様の社会保障は必ず生じる物だと思います。
かつては生活保護という社会保障制度などなくても、自発的に生活能力の低い人間に施しをする人間がいたのです。
勿論今もそうした人達はいます。だからこそ、社会の中で制度化しようという動きが自然に生じるわけです。
人間の歴史から、犯罪が決して無くならないのと同じです。
同様に死刑や刑罰も並行して存在し続けて来たというわけです。
人為的、思想的な決定で死刑をこの世から完全に消滅させ封印する事などは、まず不可能でしょう。
もちろん現実に死刑を廃止している国も存在していますが、
一度廃止したからといってそれが必ず永久の物である、とは限りません。
一度は死刑を廃止したものの、やはり時とともに民意が自然に変化したり、時代の流れで必要に迫られて死刑制度が後から復活する事なども充分あり得るわけです。
その都度是非を巡る議論になっていく物だと考えます。
(脱線ですけどこれは今の日本にとっての平和憲法と9条改正論にも言えると思います)
食い扶持を囚人に稼がせる、というのも
所内労働は現実に課せられていますが、所詮刑務所内で出来る労働など
産業としてどうしても限界も限度もあります。
受刑囚が自分たちの労働でだけの稼ぎで刑務所を維持して、安全に循環させていく事などおよそ不可能でしょう。
彼らが住んでいる施設は一般人が暮らすアパートやマンションなどより遥かにお金がかかる施設です。
彼らに自分たちの労働のみで刑務所を安全に維持出来るほどの稼ぎを出させるには
それこそ土木工事現場で人足としてタダ同然の低賃金で長時間労働に従事させる、とか
同じくタダ同然で遠洋漁業船の乗組員にする、とかフル稼働で働かせなければなりませんが
それを刑務所内の労働と同じく逃亡や反抗の恐れなく、一般社会に危害を加えられる危険性を100%排除して安全性を確保したうえで
受刑囚の労働力で刑務所を自活運営させられる利益を出させる事など、まず不可能です。
彼らに安全に労働させるために、国はさらに警備にお金を使ってしまい、結局利益など出ず、無意味だからです。(また、当然社会の理解も得られないでしょう)
3200
:
倫理的廃止論者
:2012/10/22(月) 19:02:48
>>3197
つまり、加害者が子供を残していた場合、その者は遺伝的に問題があるので社会的敗者であるという事で宜しいですか?
少なくともそういう偏見があると。
殺人を犯し、死刑になった者がいたとします。
当然前者と後者には家族もいて、子供もいたとします。
被害者家族が署名でもあつめ、無期であるものが死刑になったとでもしましょう。
第三者的立場で考えた場合、
先にやったか後にやったかの違いであり、双方にあまり違いが無いように思います。
被害者家族は民意を味方に回し、失った者は大きいと思いますが、民意にある程度守られながら暮らして行けるようにも思います。
ですが、加害者家族は、恐らく住む場所も追われ、職にも付けないかもしれません。
自分が殺した訳でもないのにですよ?
私がもし加害者の子供であったなら、それこそ復讐をしてしまうかもしれません。
この復讐はどこまで続くのでしょうか?
被害者家族の心情は分かります。
ですが、それは報復と大して変わらないように思います。
私はどんな場合においても、殺人は殺人であり、決して許される事があってはならないように思います。
3201
:
またたび
:2012/10/22(月) 20:10:01
>>3200
誤解しないで欲しいのは、
私は遺伝子と社会的敗者であるかどうかは必ずしもイコールだとは思ってないという事です。
私が社会的敗者であり、弱者である者が大部分である、と言ったのは遺伝子的兆候の有無にかかわらず
あくまで『実際に死刑になるような重大犯罪を犯した人の大部分』ということです。
その中に遺伝的に異常が認められたり、幼少期から生来の犯罪傾向(盗癖や虚言癖、怠け癖、性的異常性など)が認められる人間が多いのも事実、という事です。
先に差別や優性論を助長する物ではない、と言いましたし
あなたが先に遺伝子の話を意図がよくわからなかったのですが持ち出していたので、
あくまで『遺伝子のみで冷たく考えたら』殺人犯には遺伝的兆候から生来の異常が認められているケースも多い、ということを言ったのです。
勿論、そういった人間が親族や結婚相手にいようが、本人自身が何もしていなくて社会的に何も問題を起こしてないのなら
差別を受ける謂れはありませんし、差別するべきではない、と思います。
そして犯罪加害者の家族が受ける試練は加害者が死刑だろうと無期刑だろうとどちらにせよ同じ事です。
無期刑の殺人者であれば被害者の家族から何も思われず、死刑だと恨まれるのでしょうか?違います。
犯罪加害者の家族が受ける苦しみは加害者が死刑になっても、無期刑になっても同じ事です。
それは死刑の是非の問題とは全く別の問題です。
仮に死刑を廃止して終身刑にしたって同じ事でしょう。
死刑のない世の中でも被害者遺族が死刑の復活を求めて行動するだけかもしれません。
そしてそれを止める権利も批判する権利も誰にもないでしょう、個人として同調するかどうかは別としても。
そして、
>私はどんな場合においても、殺人は殺人であり、決して許される事があってはならないように思います。
あなた自身がこうおっしゃられている通り、
仮に加害者にどんな情状酌量や経緯があっても『殺人は殺人であり、決して許される事があってはならないように思う』
正義感の強い人が世の中には多いのです。犯罪をする人が絶えない一方で。
だからこそ、死刑廃止論と死刑肯定論には必ずお互いの正義の矛盾が生じてぶつかり合う物だし
どちらか一方のみを絶対に正しい事にして、片方を完全に消し去る事は不可能なのです。
あなたが御自分で殺人はどんな場面においても決して許されないと語った正義感は、
死刑に対しても確かに適用されるし、しかし一方で元を正せば最初に殺人を犯した加害者の殺人犯自身に対しても向けられるべき言葉なのですから。
その場合、あなたの『どんな場面においても殺人は決して許される事があってはならない』と語った正義と倫理は、
加害者のした殺人に対しても向けらねばならない、御自身の死刑廃止の主張とは矛盾した問題を抱えたものになるわけです。
『決して許される事があってはならない』事をした相手を、許されないとしながらどこまで許すのか、という矛盾が生じてしまうわけですから。
死刑を殺人の否定の見地から加害者がどんなに非道でも100%認められないのであれば、同時に加害者がした殺人もどんな事情があっても100%認められなくなるわけです。
だからこそ、許してはならない殺人犯を死刑にするのか、しないのか、死刑肯定も廃止も間違ってはいないからこそ両者が納得するその着地点が難しく、
また結局は両意見を徹底的に衝突させた先の折り合いで決着させるしかないのです。
3202
:
紫煙狼
:2012/10/22(月) 22:30:03
>>3196
倫理的廃止論者さんには文学的表現を排して、誤読の無い表現に力を入れて頂きたい。
>過去から続く生命があり、
「太古の昔、人類が生まれてから現代まで」と言う意味ですか?
>殺害を起こした者を死刑にすべきならば、
>時代の勝者が生み残した子孫は存在しえない
殺害を起こした者が時代の勝者なのですか?
>我々も未来の為に死刑をしていけない
殺人者が時代の勝者である、という前提に於いて「時代の勝者」の
子孫を残すために死刑をしてはいけない、ということですか?
仮に上の解釈が正しかったとすれば、むしろ死刑は肯定されるべきです。
人類に於いて「強者なら何をしても許された」のは、最初のほんの少しの期間です。
太古の昔、人類が個々単独で生き延びるにはあまりに外敵が多すぎました。
ですから、ほどなくして、弱者が力を合わせるという社会が形成されます。
生き延びるために集団となったのですから、集団を破綻させる者は排除されます。
必ずしも命を奪われるという形ではなかったにせよ、集団から追い出された者は
伴侶を娶る事が出来るでもなく、外敵と一人で戦って勝ち続けるわけもなく、
頭を下げて他の集団に加わるか、野垂れ死にとなるか、どちらかしかありません。
従って、最終的に残された「時代の勝者の子孫」とは「社会性のある者の子孫」であり、
「社会のルールを守る者の子孫」となりますから、この論理展開から
>未来の為に死刑をしていけない
という結論を導き出すのは斬新で目新しいけれど論理が飛躍しすぎていて非常に困難です。
むしろ「未来の為に死刑を増やして悪い芽を次世代に残さない」という結論の方が妥当です。
つまり、法、時代、文法、論理展開を超越して、無茶苦茶でごじゃりますがな。
3203
:
紫煙狼
:2012/10/22(月) 22:44:33
>>3200
>先にやったか後にやったかの違いであり、双方にあまり違いが無いように思います。
ズボンを下げて便座に腰をかけてからウンコするのと
ウンコしてから、ズボンを下げて便座に腰をかけるのでは、
先にやったか後にやったかの違いですが、社会的には大違いです。
上げ足を取っているのではなく、物事の順番・手続きは非常に重要です。
殺人を犯し受刑するのは、非合法な手段を使ったからです。
署名活動を繰り広げるのは非合法ではありません。
その結果、無期である者が死刑になっても、そこに違法性はありません。
>加害者家族は、恐らく住む場所も追われ、職にも付けないかもしれません。
身内から犯罪者が出たところで、犯罪に加担していない者は法的に裁かれる事は
ありません。加害者の身内が何らかの迫害を受けるとすれば、それはあくまで
社会の民意の低さ故であって、法的制度の問題ではありません。
>私がもし加害者の子供であったなら、それこそ復讐をしてしまうかもしれません。
それは恨むべき相手を勘違いなさっているのではないでしょうか?
>それは報復と大して変わらないように思います。
報復がなぜいけないのか?という説明を省いてしまっているので、敢えて伺います。
「報復のどこがいけない」のですか?
>どんな場合においても、殺人は殺人であり、決して許される事があってはならない
世の中には明らかに許されるべきではない殺人があるように、許さざるを得ない殺人が存在します。
問題は、死刑制度と言う形で犯罪者の命を奪う事が「許さざるを得ない殺人」に当たるかどうかです。
3204
:
紫煙狼
:2012/10/22(月) 23:31:37
>>3197
またたびさんって人は、文章も分かりやすいし非常に論理的で、読んでいて安心できますねぇ。
廃止派の私から見て非常に残念なのは「でも、それって不可能でしょ?」で終わらせているところでしょうか。
>死刑囚を生かす事において、社会に対するリターンやメリットという物はほとんどありません。
>死刑囚が自らの犯行において与えてしまった社会へのマイナス、ダメージと養ってもらい続けるためのコストに対して
>生かす事でメリットやプラスになって帰って来る事などはほとんどないのです。
では、逆に、メリットやプラスになって帰ってくるなら、喜んで死刑廃止に賛成していただけますか?
「囚人に必要な費用を稼がせる」ことも決して簡単ではありません。それは仰るとおりです。画期的アイデアや方法が
ない今現在では不可能ですが、それが可能になれば喜んで死刑廃止に賛成していただけますか?
私はそういうコストや細々とした問題というのも、その気になれば解決できる日が来てもおかしくないと思うのです。
そして、その手の諸問題をそぎ取って、最後に残るのは一体何なのでしょう。(私は感情の問題だと思います。)
では、受刑囚が社会に貢献して、社会もそのメリットを享受できる状態、冤罪などの問題もクリアされていて、
受刑囚を生かし続けても、殺しても、それほど大きな問題にはならないような状態が実現されたとき、
「被害者や被害者家族の感情を慰撫するために受刑囚を殺す」ということが許されるべきか否か。
こればかりは人類が感情と言うモノを失わない限り、最後まで残る問題であり、究極の問いだと思います。
今は、諸問題が多く山積みの状態ですから、即、死刑を廃止するというのは馬鹿げています。
しかし、死刑を存続させているから、諸問題を解決させようという動きが活発ではないのも事実です。
死刑と言う制度に問題を感じていない者、死刑制度に賛成している者が、なぜ死刑を廃止するために必要な
諸問題を解決する方向で動くでしょう?結果的に「そんなに言うなら、何か良いアイデアでも出してみろ」と
死刑廃止論者にまる投げ状態です。かと言って、死刑廃止論者は死刑廃止論者で「死刑は悪だ」と繰り返す
ばかりで、やはり廃止に向けて必要ないくつもの諸問題を解決させようという動きにはなっていません。
これでは、解決できるモノも解決できるわけがない。
そうではないのです。今は必要なのだから死刑があっても良い。今は死刑がなければ不安な人が多いのだから、
死刑を廃止するべきではない。今はね。
でも、だからと言って、現状のまま、いつまでも死刑を残しておくべきものなのか考えるべきです。
諸問題をそぎ落として、最後に残るだろう問題を考えて、未来にあるべき姿を考える。
そして、そのあるべき姿に近づくために、今何をするべきか、どうして行くべきか考えなければ、
何も変わらない。そう思うのです。
3205
:
紫煙狼
:2012/10/22(月) 23:32:07
今は夢想家の妄想と言われても仕方ないほど、諸問題が山積みです。それは私も認めます。
そして、私は別に画期的なアイデアを思いつくほど頭脳明晰なわけでもありません。
むしろ、死刑廃止を実現するために必要なアイデアの持ち主は、またたびさんかもしれない。
今、死刑賛成論者である皆さんの方が、そういうアイデアを生み出す力があるのかもしれない。
これはね、私は非常に残念です。
なぜなら、人と人が互いに信頼し合って、互いに助け合う世の中、犯罪に泣かされる者の少ない未来、
犯罪が起きにくい世の中、人が人を殺さなくて済む世の中、人が人に殺されなくて済む世の中、
犯罪に怯えなくて済む世の中は、死刑賛成論者も死刑廃止論者も同じく目指す未来だと思うからです。
おなじ未来を見据えているのに、同じ未来を望んでいるのに、協力できない。こんな悲劇はないでしょう?
平和で安全な世の中を望む者同士が、些細な方法論の違いで手を結べないなんて馬鹿げています。
だから「死刑の恐怖のみが人を人たらしめる」と信じて疑わない人を除いて、コストやら何やらを
理由に死刑に賛成している人は、ぜひ、頭の体操とでも思って「死刑を廃止する効果的な方法」を
考えてみてほしいのです。もしかすると「死刑に値するような犯罪を犯す者が現れない世の中」の方が
先に実現するかもしれませんが、別に困りはしません。平和な世の中になるのなら良いではありませんか。
地球の裏側に居る人と、ほぼ、ライブタイムで会話するなんて「妄想もいいとこ」とか、
鉄の塊が空を飛ぶなんて「馬鹿げている、あり得ない」とか、人類が月に行くとか、
大昔の人は笑い飛ばしていました。「不可能でしょ?」って。
でも、それを夢見て、成し遂げようとした人が居るから、今の人類の繁栄はあるのです。
意外と「不可能でしょ?」と笑い飛ばしていた人の研究が、実現に役立ったりしています。
夢は諦めたら終わりです。今の延長線上に未来を夢見るのではなく、夢の未来を妄想して、
そこを目指して今を変えていく。そういう方法だってあるはずです。
「無理だ」の前に「そのためには」です。
3206
:
紫煙狼
:2012/10/22(月) 23:57:09
関係各位
>>3203
に関してですが、非常に下品な表現で申し訳ございません。
なにしろ、良い例が思いつかなかったのと、少々我慢していたので、
気が付くと、あんな事になってしまいましたが、順番通りに危機は脱しました。
>先にやったか後にやったかの違いであり、双方にあまり違いが無いように思います。
警察官が逃亡しようとする犯罪者に「止まらないと撃つぞ!」と警告してから発砲するのと、
発砲して犯罪者の心臓を打ち抜いてから「止まらないと撃つぞ!」と警告するのでは、
先にやったか後にやったかの違いですが、新聞の見出しは大違いです。
くらいに置き換えてお読みください。m(_ _)m
3207
:
倫理的廃止論者
:2012/10/23(火) 00:10:59
では、この先核戦争にでもなったとして、人類は社会性を維持出来ると考えられるでしょうか?
Ex. ミニョネット号事件(1884年7月)
船長、航海士、給仕、見習いの4人が遭難
→食料が尽きる/見習い船員が衰弱
→船長と航海士は1人を食料にしようと考える *1
→くじ引き案に給仕は反対(見習いは蚊帳の外)*2,,3
→船長と航海士が見習いを殺害 *1
→3人は遺体を食べ24日目に救出された
→船長と航海士は起訴された
船長と航海士は道徳的に許されるか?
今いる人間が自分の身の安全の為に、やれ経費がかかり過ぎるから死刑にしてしまえ。
これってどうなの?
と思う訳です。
生きるためのその行為は船長、航海士に通ずるものがあるように思えてなりません。
なぜ、そのものを処刑しなければならないのか?
処刑する権利など人類にあるのだろうか?
3208
:
紫煙狼
:2012/10/23(火) 00:55:17
>>3207
>船長と航海士は道徳的に許されるか?
では、道徳などのために全員が飢え死にするのが正解ですか?
その場で見ていたわけではないのでわかりませんが、誰かが衰弱死するのを待っている間に、
全員が衰弱して、結局、最初の衰弱死者が出た時には、それを食べる体力が残されている
者は一人も居ないかもしれません。
>今いる人間が自分の身の安全の為に、
自分が生き残るために必要不可欠なら、相手が動物であれ植物であれ人間であれ、
命を奪わざるを得ないのは明白です。逆に伺いますが、倫理的廃止論者さんは、
今までに一度たりとも、生き物の命を奪った事はないのですか?
もちろん
>経費がかかり過ぎるから死刑にしてしまえ。
というのは私も賛同しかねます。
いわゆる思考実験の一つですが、
倫理的廃止論者さんの目の前に一つのボタンがあります。
このボタンを押せば、5人が死んで、10人が助かります。
押さなければ、10人が死んで、5人が助かります。
全員を助ける方法はありません。さて、道徳的に何が正解ですか?
今、目の前で、テロリストが機関銃を手に、渋谷センター街のど真ん中で、
何千人と居る周囲の者たちを射殺しようとしている。そしてなぜか、貴方の手には
一丁の拳銃が握られている。貴方がテロリストを撃てば、何千人の周囲の者が助かる。
貴方がテロリストを撃たなければ、貴方を含め、何名の死者が出るか想像もつかない。
貴方は、テロリストに怪我を負わせつつ殺さないなんて腕前は持っていない。
さて、道徳的に何が正解ですか?
現代医学では治すことはおろか、苦痛を取り除くことすらできないような怪我や病気に苦しみ、
「お願いだ!いっそ殺してくれ!ひと思いに楽にしてくれ!」と泣き叫びながら懇願する者を、
何時間、何十時間、何日、何週間、何カ月も苦しませ続けるのが貴方の倫理ですか?
だとしたら、そんな倫理はクソくらえ。そんな盲目的「殺すなかれ」主義は、
「何人殺しても全然おっけー^^」と同じくらい、非倫理的ですよ。
3209
:
倫理的廃止論者
:2012/10/23(火) 01:46:30
私なら、ボタンは恐らく押さないでしょうし、どんなに泣け叫んだとしても自然死を考えると思います。
なぜなら、それは殺人行為に匹敵するからです。
例え片方に100万の命がかかっていたとしてもです。
多数が助かる為に少数を犠牲にできるのであれば、最後にどこに収束していくのでしょう?
そんな事が可能ならば、5人を助ける為に1人から臓器を取り出して救わなければなりません。
そこでもし、最後に生き残ったのが、同性どうしであったのならば、人類は確実に滅亡してしまいます。
まぁ、生きている者に生きている権限を与えたとしても、同じでしょうが…
弱い者を守る為に殺人が否定されたのに、数の暴力によってそれは支配されるべきものではないと考えます。
3210
:
またたび
:2012/10/23(火) 09:14:40
>>3204
読み難い長文だったのに、お褒めいただいてありがとうございます。
私も紫煙狼さんのように死刑に反対なさる方の御意見もわかるし
全否定する気はありません。
先に述べた通り、死刑反対論というのは犯罪と死刑の存在とともに
永久に存在し続け議論されていく事だと思います。
ただ、私が個人的に死刑廃止に対して慎重に考えてしまうのは
ある理由があるからです。
よくスプリーキラーに『死刑になりたかった』と犯行の動機を述べる者がいますよね。
あれは一種の自殺であり、自分で自分を殺す勇気が無いから
他人を殺し、他人に殺してもらおうという最悪なものなわけですが
死刑が廃止される事によって、そういった身勝手な犯行へのハードルがより下がる事への懸念があるのです。
つまり、自殺する勇気のない者が他人に息の根を止めてもらうためにするのが
スプリーキラーの一種の典型であるなら、ではどんなに人を殺しても
絶対に自分は死刑になる事はなく、一生生命の安全と衣食住だけは保障されるとしたら、どうでしょうか?
私はもし日本で既に死刑が廃止されていたとしたら、池田小事件の宅間守のような数々のスプリーキラーたちの犯行の動機も
こう変化していたんじゃないか、と思うんです。
『誰でもいいから殺して、刑務所に入りたかった』
刑というものの本質は受刑者のためにあるのではなくて
塀の外側にいる人間、つまり第三者の社会の安全の確保のためにあると私は思うのです。
第三者である社会と、事件の当事者である被害者の遺族感情、このどちらが優先されるべきかは難しい所ですが
第三者(社会)の安全、被害者の事件と遺族の意思、加害者の人権、
この三つの内なら優先度が最も低くあるべきなのは加害者の人権だと私は思います。
加害者は先に被害者の人権を侵害してしまっているのですから、人権問題を最優先に尊重すればこそ、加害者の人権のみを重視して最優先する事は矛盾があるのです。
では、そもそも被害者が加害者から受けた人権侵害はどうなのか、という事になってしまいますから。
そこで重要になって来るのが第三者、つまり社会にとっての選択だと思うのです。
私が死刑囚を生かしておいても社会が死刑囚から受けたマイナスに対してリターンは少ない、といったのは
事件の当事者ではない第三者の社会、つまり私のような立場の人間から見て
どの選択が最も得で、且つもっとも自分たちの社会の安全に繋がるか、という選択が大事だと考えからです。
最近よく猛暑で山の食料が減ってお腹をすかせた痩せたクマが山を降りてきて
不幸にも猟友会によって射殺されてしまう、というニュースがありますよね。
あれは気の毒で出来ればクマを助けてあげたいし撃ち殺すのは残酷だ、とも思えますし
人間による環境破壊がそもそもの原因だとか取り組んで解決していかなければならない問題がいろいろありますが
それでもお腹を空かせた飢えたクマが市街地や保育施設の中にまで入り込んでうろついていたら
当面の最優先されるべき事は人間の安全の確保であり、人身がクマの生命より優先されてしまうのは現実的な判断なわけです。
人間が人間の生命を何を置いても最優先で守るのが人間社会の成り立ちで、そこを守らなくなったら社会の意味がありませんから。
殺人犯は同じ人間であり、罪のない飢えたクマと同じにするのは両方にとって問題があるかもしれませんが
社会に対する問題としては同じ物だと思います。
つまり野に放たれた場合、人に危害を及ぼす猛獣であり危険な野獣である、という点では。
そして生存権を奪うのは可哀相だし人権侵害だから殺すのは止めて檻の中で飼っておこう、
という考えがあるのもわかります。
しかしクマと違って知恵の働く人間の場合は、檻に入れてもらうためにわざとそれをする、
終身刑になるために人を殺す、という思考を持った人間が
100%現れないとも言い切れないのが一つの問題であると思います。
その場合、死刑を廃止にした事で、社会に危険をもたらす可能性が生じるのです。
社会の安全と加害者の人権、この二つを量りにかけた場合、優先事項は社会の安全の維持の方であると私は思います。
そして、死刑の是非について考えたり、社会の諸問題に対し取り組みが出来るのも、
クマが餓えずに暮らせる環境を再生される問題に取り組めるのも、まず先に社会の安全が確保されていなければ出来ない事です。
なので、当事者間の感情論を抜きにしても私は第三者の立場から死刑廃止に慎重になってしまうのです。
3211
:
雄峰
:2012/10/23(火) 10:12:48
>>3209
俺も質問していいだろうか?
>倫理的廃止論者さんの目の前に一つのボタンがあります。
>このボタンを押せば、0人が死んで、10人が助かります。
>押さなければ、10人が死んで、0人が助かります。
>さて、道徳的に何が正解ですか?
この状態なら、ボタンを押さない事が殺人行為に匹敵しないか?
つまり、紫煙狼の出した問題は、ボタンを押しても押さなくても、
殺人行為に匹敵する。ボタンを押さない、何もしないから殺人に
加担していないとは言わせない。倫理的廃止論者は、ボタンを
押さないという方法で10人を殺した。倫理的殺人者なんだ。
「ボタンを押していない」つまり「自分は何もしていない」だから
結果は「自然の成り行き」であって「自分のせいではない」という
のは倫理でも何でもなくて倫理的廃止論者さんの自己満足だ。
いや、自己欺瞞だね。
>倫理的廃止論者さんの目の前に一つのボタンがあります。
>このボタンを押せば、貴方の宿敵1人が死んで、貴方の親族10人が助かります。
>押さなければ、貴方の親族10人が死んで、貴方の宿敵1人が助かります。
>さて、道徳的に何が正解ですか?
俺なら宿敵10人が助かって親族1人が死ぬとしてもボタンを押す。
感情を超越して「被害を最小限度に抑える」のが最も重要だからね。
自分が手を汚しさえしなければ、被害が拡大することも厭わない。
君の倫理は、その程度だ。
3212
:
またたび
:2012/10/23(火) 10:36:23
>>3207
>では、この先核戦争にでもなったとして、人類は社会性を維持出来ると考えられるでしょうか?
漫画の北斗の拳や映画のマッドマックスみたいな世界は
今後人類が核戦争になってもやってこないでしょうけど(笑)
その通りで倫理的廃止論者さんのような方がそういった優しい意見をお持ちで
それを語っていられるのは、今の日本とその周辺の世界がいろいろ問題があって雲行きが怪しくなってきていても
なんだかんだで少なくともこれまでは平和で豊かで余裕のある世の中であったからだ、と思いますよ。
かつては国内外でもっと簡単に人間が人間を死刑にしていましたし、簡単に人を殺す人間が多かったのです。
戦争や飢饉で人が死ぬことも殺し合う事も珍しい光景ではありませんでした。
布団やベッドの上で天寿を全うして死ねる人間なんてそれこそ一握りという世の中がちょっと昔は当たり前の光景だったのです。
江戸時代の頃の日本なんかは、今じゃ考えられない事ですが窃盗を3回やっただけで死刑です。
当時の日本は頻繁に飢饉も起こり今よりもっと余裕のない世の中でしたから、いちいち犯罪者の面倒など寿命で死ぬまで見ていられない、というわけです。
だからもっと簡単に人間が人間を切り捨てていましたし、理由を付けては口減らしをしていました。
悪癖が直らない人間は、直る見込みに賭けてのんびりと更生を待つより早い段階でさっさと処分してしまえ、という事です。
その後日本社会において人権意識が高まってこうはならなくなっていったのは、
その後の日本社会が近代化にひとまずは成功して江戸時代より物理的には豊かな社会になっていったからです。
衣食足りて礼節を知るとは言いますが、勿論日本と世界が今よりもっと貧しくなっていけば
それこそ先進国とされていた社会でも死刑廃止論なんて言ってられなくなってしまう余裕のない一昔前の社会に逆戻りでしょう。
それと、その船長と航海士は当時の感覚でも罪に問われたのでしょう。
だって起訴されているのですから。
起訴されたという事は罪を問われたという事です。
その船長と航海士にどのような判決が降りたかは存じませんが、当時の人にもその船長と航海士の行動は賛否両論だったのだと思いますよ。
私も船長と航海士は食べなければ飢え死にしていた、という点は留意すべきだと思いますが
相手の同意を得ず説明をせず勝手に船員を共謀して殺害したというのは理由は何であれ立派な殺人であると思います。
しかし、それを自信満々で糾弾出来る人間は自分が同じ状況に立たされた時に
例え自分が飢え死にしても飢えに堪えて餓死を覚悟して受け入れられる、と自信を持って断言出来る清廉潔白な人くらいだと思います。
やむを得なかったとして彼らに同情し弁護する人達もいたでしょうが、同時に清廉潔白で正義感の強い人達に殺人は殺人であると指弾されたからやはり起訴になったのだと思いますよ。
>>3209
私は倫理的廃止論者さんのそういう躊躇いの感情や殺人への無条件の抵抗感は人間としては間違ってはいないとは思いますし
多数のために少数を殺すという思想を無条件で全肯定する事には私にも抵抗はありますが
しかしそれでも多数を犠牲にして生き残らせた少数に未来があるとは思えません。
それと、殺人が否定されたのは弱者を保護するためとか守るためとかいう事ではなく
純粋に社会の維持のためだ、と思います。
というより、先に強者・弱者といった対比があるというより
まず先に社会があり、その中で強者と弱者や多数派と少数派という対比や階層が自然発生的に生ずるものだと考えます。
例えば、ある一家の中に働ける人間と、事情があって働く事の出来ない人間とがいたとします。
働ける人間は自分が健康で働く事ができることで一家に収入をもたらし、働く事の出来ない家族を養っています。
働けない人間は、もし働く事の出来る家族の身に何かあった場合、結局自分も飢え死にしてしまうわけです。
だから、社会の中で弱い立場にいる人間を守るには強い立場にいる人間が頑張ってなんとかするしかないし、
強い立場の人間の身の安全や暮らしの保障が蔑ろにされると、結局はそれは弱い立場の人間にダメージとして巡って来る事にもなるわけです。
よって、殺人の否定と安全の保障に対象が弱いかどうかは関係がありません。
その対象が強者であろうと社会を支えている者の安全が脅かされれば全員が脅かされるのです。
多数を犠牲にして少数を生き残らせても、社会を支えていた多数が消えた事によって結局ダメージを被り、生命を脅かされるのはその後の少数なんです。
人口が一気に1億人消えるのと、2000万人消えるのとで
その後の社会のどちらがより大きな社会混乱を招き、破滅的な事態や治安の崩壊を招くか考えればわかると思います。
3213
:
倫理的廃止論者
:2012/10/23(火) 18:45:17
>>3211
(倫理的に言うとして)
では貴方は内臓を取り出し、5人の命を救わなければならないでしょう。
多数が助かるのに何かをするという事はそういう事ではないのでしょうか?
そしてそれは、少数という数になった瞬間に矛先が貴方に向かいます。
そんな所に人権など存在するのでしょうか?
>>3212
まず先に社会があり…(以下略)
確かに知識として教わった事はその通りです。そう仮定した方が社会(多数)にとって都合がいいですからね。
ですが、人が人と交わらなければ、そこには社会は存在しえないと思います。
先に社会ありきではなく、先に人ありきというのが私の現在までの答えです。
生命に値段などつけるべきではないと思いますし、社会と生命を天秤にかけても生命の方が重いと考えます。
その社会より重い生命を殺した事による罰はいかなるものかも想像がつきません。
ですが、罰を受ける側もまたその社会より重い生命を所持していると考えます。
(だからといって反社会的行動をして社会を壊そうとは思いませんが)
民主主義の現在では功利主義的発想になるのも已むをえません。
ですが、そこには欠点もあると言う事は熟知しておく必要があると思います。
3214
:
またたび
:2012/10/23(火) 20:16:48
>>3213
う〜ん、何か話が通じてないですね。
私がまず先に社会がありその中で人間の強弱が発生するだけ、といったのは
別に社会が人間の生命より優先されるだとかそういう意味ではなく、あなたの弱い者のために殺人は否定されたとの意見に対して
そうじゃあなく、殺人から守られなければならないのは社会の中の立場の強弱に関わらず
金持ちも貧乏人も権力者も労働者も大人も子供も年寄りも健康な人もそうでない人も等しく全員ですよ、ってことを伝えたかっただけなのですが。
そして、その社会そのものの安全を蔑ろにすれば
結果社会の中の全員が平等に危険に晒され、社会は不安定になり、治安が悪化し、
経済力や社会的立場の強弱に関係なく全員の生活と安全が脅かされ皆がダメージを受ける、ってことを言っただけです。
社会ってのは別の返信レスで書きましたが人間の生命や生活を保障するためにあるわけです。
個人の命が重いのは確かですが、社会はその個人の生命の集合体です。
社会と生命を天秤にかける、とお書きになられてますがその天秤にかけてる社会には生命や生きている人間が全く居ない無機物や機械の塊なわけではなく
社会もまた人間の生命の塊です。
人の命は何よりも重いとお考えなら、社会はその人の命の塊であり人の命を守るための物であるので
秤にかけられるような物でもないし、かけてもどっちが重いかなんて決められないはずです。
個人の命を社会が蔑ろにするというのは本末転倒ですが、
個人の命のために社会全体が危険に晒される選択をしたら、結局その個人も危険に晒されてしまう、ってことを言っただけです。
だからカルネアデスの舟板とかトロッコ問題ってのは禅問答と同じで絶対に片方が正しいという答えが無いように出来てる命題ですし、
読み違いでなければ紫煙狼さんが出した思考実験の一問目はそういう物だと思います。
多分勘違いされてると思うんですが私は大のために小を殺す事が100%絶対の正解だとは思ってはいません。
ただ、小のために大を殺す事も不正解だよって言ってるだけです。
3215
:
倫理的廃止論者
:2012/10/23(火) 20:49:31
>>3214
そうですね、生命もその社会も無限の可能性を秘めています。
優越など付けられるはずがありません。
でも、貴方は1億と2000万の命であれば、1億の命を助けるべきだと思っているようです。
私はそこが釈然としないのです。
生命が無限
その社会は無限の集合体である。
ここで考えてもらいたいのは、無限がいくつ集まろうが無限ではないのか?という事です。
(数学者ではないので、これが正しいかは知りませんが…)
つまり、2000万が10億に増える事も否定できないという事です。
逆に1億が1000万に減ってしまう事も否定できません。
これを考慮した場合、ある特定の段階で1億を選択する理由にはないのではないかという事です。
3216
:
またたび
:2012/10/23(火) 22:30:46
>>3215
なんかもう、死刑制度に関する話と全然ズレて行っちゃってますが
何回も言ってるように私はどっちの選択が絶対の正解かとかはそもそもないし
どちらの選択にもそれぞれの問題がある、
裏を返せば2000万人のために一億人を犠牲にする事も全く正しくないし意味はないよ、それはそれでやっぱり不正解だよ、
ってことを申し上げてるだけです。
2000万人がいつか一億に増えるから今の一億人を2000万人のために殺していい、というのがあなたのお考えであれば
それはそれで大量殺人肯定の思想になっちゃってますよ、ということ。
それじゃ殺人を否定してたはずのミイラ取りのあなたがいつのまにかミイラになっちゃってるでしょ。
次いでに、現実的に考えたらそのあとどっちがより大変になるかってことでもあるし、
一億人の人間が保たせてた分の穴が開いた社会に放り出された2000万人は
本来回っていたはずの秩序、治安が崩壊した社会に突如放り出されて結局地獄と弱肉強食を味わう事にもなります。
あなたが言う弱者とやらを救ったつもりのはずが、結局それは弱者の救済にはなってないんですよ。
社会がもっと人権意識の低かった、弱肉強食の余裕のない時代に一気に逆戻りするってだけで。
(そもそも何を基準に弱者強者にこだわってるのかよく解りませんが、要するに無条件で多人数=強、少人数=弱ってことなのか?何か多数決で嫌な思い出もされたのですかね?)
全く現実的な選択ではないってことです。
3217
:
倫理的廃止論者
:2012/10/23(火) 23:06:12
ボタンを押すという殺人行為をしたのは誰でしょう?
無論見殺しも正しいとは思いませんが、殺人ではありません。
押した事によって罪に問われる事があっても、押さなかった事に悔いは残っても罪には問われないと思います。
トロッコの問題で人がレバーを引くか、突き落とすかという問題で
(矛盾なく議論するには)貴方は突き落とすという選択を選ばなければならないはずです。
そこには(狭義の)正義の為の殺人が存在します。
私は殺人を犯してまで救うべき命が存在するとは思いませんし、人肉を食らおうとも思いません。
3218
:
紫煙狼
:2012/10/24(水) 00:23:05
私が倫理的廃止論者さんに考えをうかがった思考実験は、ボタンを押したところで、
ボタンを押さなかったところで、殺人行為である事に差はありません。
雄峰さんのように信念を持ってボタンを押すのも正解だし、倫理的廃止論者さんの
ようにボタンを押さないのも正解です。逆に、雄峰さんも間違いなら、倫理的廃止論
者さんも間違いです。ハッキリしているのは、どちらも正義足りえないという事です。
現実にそのような選択を迫られるような状況が実社会で発生したとして、
どちらの選択をしても罪に問われ、どちらの選択をしても無罪となるでしょう。
過去には炭鉱火災などの事故で、ほぼ同様の選択をせまられた実例があります。
その選択をしなければならない立場に自分が居たら…?正直、想像しただけで
ゾッとします。
ところで、倫理的廃止論者さんからは「渋谷センター街」の例に関しては
お答えを頂いていませんが、こちらもお答え願えないでしょうか?
と、いうのも、両方のお答えをうかがわなければ倫理的廃止論者さんの倫理が
わからないのです。ぜひお答えいただきたいと思います。
現状、ある程度全貌が見えてきたのは、倫理的廃止論者さんは、
「自分が直接手を下す」という後味の悪ささえ感じないで済むのなら、多くの人が
死んでゆくのを見殺しにするという殺人行為には積極的に加担できる。
「多数を活かすために少数を殺す事に人権が存在しうるか」と問いかけつつ、
実のところ、集団としての社会はもとより、個としての人も、さして重要視していない。
死刑廃止の主張も人権や慈悲の心に根差すものではなく、数の暴力の対極を行く
数のマジックが原点で、過去から続く生命として人類の種の保存だけが最重要らしい。
特に興味を掻き立てられるのは、倫理とは「社会のために個はどうあるべきか」という
論理学ですよね?そして、論理学とは物事に筋道をつけて誰の目からも矛盾がないように
説明つける学問です。従って、論理家の文章と言うのは決して誤読が起きないように
解釈の余地を与えない文章でなければならないし、論理展開に問題がある倫理は
既に倫理足りえず、極論、曖昧な文章しか書けない者には曖昧な倫理しか宿りえない
ハズなのですが、倫理的廃止論者さんはその辺り無頓着ですね。なぜでしょう?
(当然、意図的にそうなさっているのでしょうが、その意図は見えません。)
いずれにせよ、まだまだ謎多きお方ですね。非常に興味があります。
3219
:
紫煙狼
:2012/10/24(水) 00:30:29
>>3217
>無論見殺しも正しいとは思いませんが、殺人ではありません。
法的には見殺しを「保護責任者遺棄致死罪」として「殺人罪」とは分けていますから、
確かに「見殺し」ても倫理的廃止論者さんの言うとおり殺人ではありません。
しかし、その理屈なら、人を殺しても正当防衛なら殺人ではないし、
傷害致死も殺人ではない。刑罰としての死刑もまた殺人ではない。
貴方は、単に、自分に都合良くを殺人をより分けているだけで、
おそらく、その理屈は雄峰さんには通用しないでしょう。
(もちろん、私もその理屈は認めません。)
3220
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 05:35:57
私は恐らくテロリストを射殺しないでしょう。
テロを行うと信念を持っていても、それが確実に行われた訳ではないのです。
ですから、それを未然に防げたとしても、自分の行為によってそれを行う事はしません。
そんな事が正しいとするのなら、そう思うだけで誰でも殺せてしまいます。
テロリストが実行1秒前に気が変わって、それを行わない可能性も残されているのです。
射殺していいという理由が通るのであれば、小社会の多くの人は(私はそうは思いませんが)
トロッコの問題の少数派の子はレバーを引くだろうと思い射殺していい事になってしまいます。
個人的立場に戻って、死刑囚が自分を殺すだろうと、執行人?を前もって殺す事が許されてしまいます。
私の思想の中では、どんな場合であっても殺人は殺人であり殺人です。
厳密に言うのなら、可能ではありませんが殺害を受けた者のみがその権利を有するという考え方です。
故に可能でないのだから、どんな報復も(正当防衛による殺人も)許されるべきではないという考え方でもあります。
3221
:
またたび
:2012/10/24(水) 08:54:48
>>3220
私は倫理的廃止論者さんが個人的にそうお考えになるのを止めはしませんし全否定はしませんが
倫理的廃止論者さんと違ってテロリストの生命より自分たちの生命を優先して守って欲しい、と思う人達が多くいるわけです。
社会に住む全ての人達が無抵抗主義者で自分たちに対する理不尽な暴力や殺人を甘んじて受け入れ殺される事が出来るお人好しなわけではありません。
その多くは自分たちの日々の生活に理不尽な危害を加えられないよう、社会に守っていて欲しいと思うわけです。
だからそもそも社会っていう群れが完成するわけです。
社会ってのはアパートやマンションと同じです。
アパートやマンションにはセキュリティや管理人がありますよね。
部屋を借りている人、買った人はお金と引き換えにそこに住む事で得られる『安心と安全』を買っているんです。
社会や国家もこれと同じ事です。
国籍と戸籍を得、税を払う代わりに社会と国家に自分たちの生活の安全を保障してもらい、守ってもらう。
この契約の関係が成り立たなくなったらそもそも社会の形成の意味がありませんし、国家が崩壊してしまいます。
もし買ったアパートやマンションのセキュリティと危機管理が杜撰で、施錠も防犯も出来なかったらどうなるでしょうか?
空き巣や押し込み強盗、強姦魔が入りたい放題の犯罪天国の部屋に住みたいと思うでしょうか?
おまけにそういった人間に対する罰則や取り締まりが何も無い、犯罪に対する抑制力が何も働いていない世の中だったとしたら。
それでいて自主的な正当防衛の権利も一切の抵抗も認められていないなど、言語道断でしょう。
それでは逆に被害者側の生存の権利を侵害してしまっています。
そんな危険な国になったらどこぞの国々のように亡命者が続出して社会から人がいなくなっちゃうだけですよ。
被害者になり得る側の身の安全の保障を無視して犯罪者の生命と人権ばかり尊重していたら
そもそも正常な種の保存なんて出来やしません。
殺し得になってしまいますし、奪い得になってしまいます。
自分の主張を押し通すのに暴力を使って他者の生命を奪っても自分の身が保障されるのなら、
安易にテロや強盗強姦という手段を使う人ばかりの世の中になってしまうでしょう。
それじゃ殺人を否定していたはずが、反対に殺人を容認し欲求を叶えるための犯罪行為を奨励しているのと一緒です。
3222
:
雄峰
:2012/10/24(水) 09:14:30
ここまでじっくり読んで、つまり、倫理的廃止論者ってのは凶悪犯罪者の信者さんなの?
100万人の善良な市民の命を守るために1人の殺人鬼の命を奪うのはダメで、
一時的に100万人の人口が減っても、そんなのは後でリカバリできるハズ?
でも、それこそ1人の人口が減ってもリカバリはできるよなぁ。
じゃぁなんで一人の殺人鬼の命を奪ってはダメなのかっていうと、
100万人を救うために一人を殺すのは数の暴力だから???
それじゃぁ、そもそも殺人鬼が何人もの命を奪うこと自体はイイのワルイの?
殺人鬼が何人もの人を殺しても許されるなら、
何人もの市民が一人の殺人鬼を殺しても許されるしょ?
ああ、殺人鬼よりも大勢がよってたかってヤルのがダメなのね?
なら殺人鬼と同じ人数の執行官がヤレば解決ってことでおけ?
それとも、殺人鬼ってのは時代の勝者だから殺しちゃダメなのか。
んなら、我々市民は殺人鬼を殺して、ぜひとも時代の勝者になろうと思います。
>>3217
>私は殺人を犯してまで救うべき命が存在するとは思いません
つまり、どんな理由があっても殺人を犯すくらいなら死ぬべきだ、ってこと?
なら、どんな理由があっても殺人鬼は死ぬべきだよな。
3223
:
雄峰
:2012/10/24(水) 09:16:17
boroさん
倫理的廃止論者氏と減二氏のIPが異なることを確約願います。
3224
:
減二
:2012/10/24(水) 17:02:01
なんだか、来ないつもりだったのですけれど、
>>3223
私と倫理的廃止論者さんが、同一人物ではではないかと疑っていらっしゃるようなので、
申し上げますが、私が以前から雑談のスレッドに書いていた文面等を読み比べると、
明らかに文章表現が違いますし、もし私が意図的に文章を変えてみたとしても、
倫理的廃止論者さん文章にはなりません。例えば、
>>3196
に関しては、倫理的廃止論者さんの意見を、個人的に解釈し、
歴史の中の(戦国時代の)殺害と考えました。
私が書くのであれば、下記のような文面になります。
「歴史上数多くの(戦国時代等や第一次、第二次大戦による惨禍等)殺戮が行われていましたが、
国家のその時の状況に(その時そのようにせざるおえなかった状況に)
A級戦犯として扱われなければならなかったとしたら、
人ではなく時代が悪かったのだと思います。」
倫理的廃止論者さんとは、多少意見が異なると思います。
もう一つ。
>>3197
精神病と犯罪の関係は学術上発展途上にあります。
体型などで気質を判断する方法等がありましたが、それらはフロイトなどの古い時代の解釈で、
遺伝子の解析も発展途上である現在では、遺伝子が精神病を発祥させるという考えには、根拠がありません。
その為、私は、遺伝ではなく環境ではないかという意見を支持しています。
全て、精神医学から判断してしまうと、事件全体が見えなくなってしまいます。
例を挙げると、永山事件も環境がそのようにさせたのではないかと思います。
3225
:
またたび
:2012/10/24(水) 17:47:40
>>3224
遺伝子のみで全てが決まると受け取られるような書き方はやっぱり止めておくべきだったかも知れませんね。
最も私は倫理的廃止論者さんに合わせて、あくまで『遺伝子のみで冷たく考えたら』の場合で言っただけなんですけどね。
環境で決まるというのももちろん重要な要素ですが、結局蛙の子は蛙で貧困や盗癖や虚言癖やモラルの低さや怠惰や異常性欲なども家系で環境もろとも受継いでしまう事があるわけです。
そうした性格性質と貧困というのはどっちが先でどっちが先に影響があったかの判断は難しいです。
貧困の環境にあったからそういう性格になったとも考えられますが、そもそもそういう性格だったから貧困に落ちていったとも言えます。
もちろんそこから脱出して環境を変える立派な人もいますが。
ちょうどいま世間を騒がせてる橋下さんがいい例でしょう、親がどうであろうと社会的には立派な方ですから社会的地位としては。
少なくとも怠け者ではないですしね。
3226
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 18:50:20
>>3221
いつ誰が
>犯罪者の生命と人権ばかり尊重していたら
こんな事を言ったのですか?
私は被害者の命も加害者の命も同じだとしか言ったつもりはありませんが…
私は被害者自身をかばうことはできません。
なぜなら、死んでしまってますから…
かばう事が出来るのは、その家族と身内だけでしょう。
被害者の身内をかばうのならば、それと同時に加害者の身内もかばわなければなりません。
一例をあげたように、法的手続きを取っているかどうかの違いだけで
家族に対する、影響は大きく違ってきてしまいます。
それを同じにする為に罰が大きい方をかばっているにすぎません。
(先にやった方がダメだという論点からすれば、テロの一件との矛盾が発生するはずです)
かばう事を否定しませんし、家族が無くなった事による民事的な権利は発生するべきでしょう。
(民事的には加害者が一生を労働に費やし、その義務が発生するべきものであると思います)
ですが、刑事的当事者は、被害者と加害者だけの関係です。
この刑事的当事者だけの事を取り上げているので、加害者をかばっているように聞こえるのかもしれませんが…
100歩譲って社会が先だと仮定しましょう。(納得はしていませんが)
ではその社会とは何なんでしょうか?
その社会を敬愛するのであれば、全てを受け入れなければならないと思います。
都合良く、いいところだけ受け入れるなんてのは社会に対する軽蔑です。
その社会全ての物を受け入れた時、
貴方はその社会の一員を殺そうとするのですか?
自分、或いは自分を含む多数の為に…
そんな物は社会ではありません、自分を含む身内の事しか考えられない個人主義でしかありません。
アダムがリンゴを食べた所から罪が発生し、それは恐らく無限に無くならないでしょう。
であるのならば、その罪さえも愛さなければならないのです。(注:私は無宗教です)
そこには当然社会的義務が発生するのです。
故に死刑囚を保護し税金を納めるという義務を免れる訳にはいかないでしょう。
一部の為にその義務を怠るのであれば、貴方は非社会人であるべきです。
3227
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 19:48:20
http://www.j15.org/Picturebook-Punish/10.htm
死刑にすべきだって人はこの絵本でも読むといいでしょう。
誰かを死刑にすれば、いつかそれが巡りまわって貴方にふりそそぐでしょう。
こんな肝心な事は小学生にでも分かるはずです。
それなのに、社会に出るとそんな肝心な事さえも忘れてしまうのです。
私は『無駄だけど一番肝心な学問』、哲学をもっと教えるべきだと思います。
頭の固いそこの貴方の為には
社会的契約をしたのに、死刑に票を投じれば
その貴方も社会的契約を破棄した事になるのです。
3228
:
またたび
:2012/10/24(水) 20:44:51
>>3226
あの〜、だんだん言ってる事が滅茶苦茶になってきてるのとなかなか会話が通じてないんですが
なんで被害者を『かばう』必要があるんですか?
あなたは加害者を『かばう』ことを言ってるわけですか?
加害者を特別に『かばう』必要があると自覚してるって事は、
あなたも内心ではちゃんと加害者は落ち度のある存在だという事を理解してるってことですよね。
被害者に『かばう』必要のあることなんてないですよね。
それとも殺された方にも落ち度はあるとかおっしゃいたいんですか?
加害者には落ち度がある、被害者には落ち度がない。
加害者は決定的に間違いとやってはならない罪を犯し、被害者は被害を被っただけなわけです。
あなたは加害者と被害者を無理矢理平等に扱おうとしていますが、
そもそもこの両者の関係は全く平等ではないですよね。
刺した通り魔と刺された通行人の関係が平等だと思いますか?
落ち度のある加害者に対して何の落ち度もない被害者を加害者と平等に扱う事は、被害者にとっての不平等です。
そして私は社会の中の危険物全てを受け入れるなんて事は考えてませんし、普通の人はそんな事は考えないと思います。
あなたは社会の中の全てを敬愛するとかの思想で、
自分の部屋の床や道路に車がパンクしたり転んだ人間や散歩中の犬が怪我しそうなガラス片が落ちてても
片付けをせずにそのままにしておく人なんですか?普通の感覚の人は自分と周りの安全のために掃除すると思いますよ。
誰もが無視して放っておいたら、住み良い世の中どころか誰もが住み難い危険な荒れ果てた世の中になるだけですよね。
みんなが社会の中で安心して暮らすには、みんなが安心して暮らせる社会にしなければならないのは当然の事です。
3229
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 21:15:42
誰も無罪だなんて言ってませんよ?
ですが、それは死刑にすべきではないと言っているのです。
誰が社会が先だと言い出したのですか?
なぜ、かばう必要があるのか
それは生きているからです。
(死んだ者自身をかばう事が出来るならそれが一番いいと思いますが実現できないでしょう?)
社会の一員でしょ?
社会の一員の者を否定すれば、貴方自身も非社会人という事になるのです。
理解出来ます?
社会契約論だとか難しい事を持ち出したとしても、その内容は全く理解できていないのと違いますか?
社会契約論はその痛みも喜びも悲しみも共有することだと思います。
論理的に説明すれば感情を持ち出し、感情を持ち出せば今度は洗脳だとでも言いますか?
いったいどのように議論を進めたらいいのでしょうか?
論理的に話します?
感情的に話します?
どちらか一つを選んで議論しましょう。
私はどちらでもかまいませんよ?
ただし、どちらか一つで議論しましょう。
逃げ道が出来るだけですから…
>普通の感覚の人は自分と周りの安全のために掃除すると思いますよ。
ええこの思想は間違いではないでしょう。
なぜなら、全員を救うとう目的の為ですから。
ところが、誰かを死刑にするという事は全員を救うという事にはなりません。
故に、誰かを社会から追放するのであれば、貴方自身も社会から追放されなければなりません。
3230
:
またたび
:2012/10/24(水) 21:27:44
>>3227
倫理的廃止論者さんに伺いたいんですが
倫理的廃止論者さんは子供の頃から、お父さんと常に平等の力関係だったのですか?
倫理的廃止論者さんも、家庭の事情を知らないのでもしかしたら間違えているかも知れませんが
ごく普通の健全な家庭で育ったのだと仮定します。
倫理的廃止論者さんは何かよっぽどの恨みがおありなのか、心の傷がおありなのか知りませんが
なぜかやたらと強い者が悪で弱い者が善、強い者が絶対悪だとお考えなようです。
でもよく思い出して考えて頂きたいのは、人間の社会の基本は強い者が弱い者を守らなければ根本的に成り立たないってことです。
親が子供と同じか子供より弱くて成り立つ家庭なんかありますか?
それでは家庭が崩壊してしまってるケースやおよそ親が正常で健全とは言えない、不幸な異常家庭のケースです。
普通の家庭はお父さんが子供より強いから働いて子供を養い子供を守るわけです。
それが原則です。社会もこれと同じであり、家庭は社会の縮図、社会は家庭の拡張です。
社会に人間の強弱がある事など当たり前なのです。
大人は子供より強い、今はそうとはもう言い切れなくなっていますが、男性は女性より強い、
若者は老人より強い、健常者は障害者より強い、だから強い側が弱い側を保護する、これが家庭の基本でありひいては社会の基本、原理原則です。
この原則が蔑ろになったらそもそも誰も子供や女性や老人を守れないのです。
社会どころか家庭すら成り立ちません。
問題は強い人間が弱い人間を守る事を怠ったり、責任や義務を放棄したり、あるいは意図的に傷つける事で起こるのです。
育児放棄や虐待、DV、介護放棄、差別、そして暴行や強盗、強姦や殺人などの犯罪、原理は全て強者が弱者を守る義務の逆の事から起こるわけです。
問題は強い人間の力の善悪の使い方であり、強い人間の中の悪が弱いものいじめをするからと言って
強い人間の善が弱い人間を守ることまで否定してたら、それこそ弱い人は強い人間の悪の側に蹂躙されっ放しになるわけです。
だから強い人間の悪に対する、強い人間の善の牽制として刑法や警察が必要なんです。
悪である犯罪に対する刑法や警察の抑制力まで否定してたら、それは家庭内における父性の不在と同じであり
家庭内の弱者である女子供を守るものが誰もいない家庭と同じ社会をつくるって事です。
その絵本の最後に出て来る軍隊だって同じ事です。
国家はアパートやマンションの管理人であり外側から不法侵入して来る人間から住人を守る義務があるから
軍隊ってものが必要になるんです。
社会の内部に対する警察や刑法の存在は、社会の外部に対する軍隊と同じです。
警察や軍隊は、住居の出入り口や窓の鍵を施錠するのと一緒です。
残念ながら人間は罰に頼らない性善説に法った法では人間を守れません。
人の善意に依存した『まさかそんなに悪い事はしないだろう』というような法の作り方では、人間は罪を犯しちゃうんです。
世の中そんなに悪い人がいるはずがないとして窓や扉に全く施錠せずに寝ていたらどうなるでしょうか。
痴漢をする人間がいるから迷惑防止条例と女性専用車両が出来るし、煙草のポイ捨てをする人間がいるから喫煙者全員が迷惑を被るんです。
違法ダウンロードに罰則を設けないと、ネット上からマナーもへったくれもなく音楽や映像を盗んじゃう人がいるんです。
昔大リーグが黎明期の頃には信じられない事ですがマウンドに拳銃やナイフや剃刀を持ち込んで他選手を攻撃したり強迫する選手が普通にいました。
でもその当時はそれがチンピラのやるスラムの草野球じゃ普通だったんです、だって公式ルール違反としてルールブックに設定されてなかったから。
馬鹿馬鹿しい話ですがちゃんと罰則をルールとして作らないと人間はサッカーも野球もとたんに血みどろの暴力の場にしてしまうんです。
それと同じ事で、レッドカードやイエローカードのような社会からの強制退場という強制力がないと、人間は人間を犯罪から守れないのです。
3231
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 21:42:15
弱い者を守るのは当然だと思うからです。
強き者に従うのは臆病者のする事です。
私のクラスでは、昔いじめが発生していました。
誰も見て見ぬふりです。
そうです、自分がかわいいからです。
そして、自分に危害が加わる事を何よりも恐れ、強きものに従いいじめに加担してしまっていました。
肝心なのは強きものに従い制圧することではありません。
そんな世の中になれば、それこそ信長の時代に逆戻りです。
力など永続しないのです。
そして、強き者が弱き者となれば、全部を清算してその者をかばう。
それこそが人間であると思います。
全てをイーブンな視線で考え、イーブンに持っていく。
それこそが正義なのではないのでしょうか?
貴方のような思想の方は
従うべき軍隊が無くなれば、何も出来ないのです。
私には何も無くてもできます。
そこに大きな違いがあるのです。
だから、私は常に弱者の味方でありたいと考えています。
3232
:
boro
:2012/10/24(水) 21:52:32
>>3223
同一IPではないです。
減二さんの言う通りです。
では。。。
3233
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 21:55:19
管理人さん
少し心境をお聞かせ頂く事はできませんか?
3234
:
またたび
:2012/10/24(水) 22:04:15
>>3229
私の問いの答えに全然なっていないのですが
そもそも私は死刑廃止論を全否定しているわけではありません。
>>3201
>>3210
ただし、上記の
>>3210
の本文中の理由の通り私は死刑廃止論に対して慎重な姿勢をとってしまうだけです。
その理由は改めて書くと、つまり死刑を廃止にする事で犯罪抑止効果が今よりも下がり
これまでの『死刑になりたかったから人を殺した』などという犯行動機から
『刑務所に入りたかったから殺した』などという手軽な理由での無差別殺人などの犯罪被害を誘発し
結果罪のない一般市民がさらに危険に晒される事になるのでは、という懸念があるからです。
つまり私は加害者の生命や人権と社会の安全なら社会の安全の方が優先されるべきだ、と考えるわけです。
社会にとってよりメリットのある選択はどちらか、という判断基準です。
社会の安全はすなわち社会の中で生きてる不特定の人の生命の安全に関わる事ですから。
次の被害者を増やさないためにも重要な事です。
それに対してあなたは、私は
>>3201
でも
>>3221
でも再三ツッコミを入れているのですけど
どうにも加害者個人の生命ばっかりを優先してそこしか見えてないように見受けられます。
というよりも加害者の命(=まだ生きている人間)、被害者の命(=既に死んだ人間)の二つしか判断基準にしてないようで
それしか考えてないように見えるのですが。(被害者はもう死んでるから仕方ない、ってのも酷い話ですが)
犯罪者を裁くのは復讐論とか当事者間の感情論の問題だけではないのです。
特に私のような当事者でない第三者の場合、第三者として社会に対する影響や防犯効果といったものがことさら判断材料として重要になって来るわけです。
私が倫理的廃止論者さんが加害者に偏ってるように見えてしまう理由はそこです。
倫理的廃止論者さんが加害者の人権が社会に住んでいるの人達の生命の大切さや被害者の人権より大事だというのならそれは倫理的廃止論者さんの考えなので否定はしません。
ただし私はその考えに同調出来ないし、加害者の権利と社会の安全、及び加害者によって権利を侵害された被害者を平等と見なす事は出来ません。
私は別に倫理的廃止論者さんが加害者を無罪だと言ってるなどとは一言も申し上げていなかったはずですが、
>>3228
で言いたかったのは加害者と被害者を平等に扱う不自然さとアンフェアさです。
私は加害者と被害者が平等とは加害者側によほどの情状酌量が有り、被害者に決定的な落ち度があるようなケース以外はとても考えられませんし、
紫煙狼さんにも申し上げた通り、加害者と被害者と社会はまるっきり平等に扱われるべきではなく、1、2、3の優先順位はあると思っています。
それは紫煙狼さんが出題されたテロリストと人質の問題についても同じ事です。
3235
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 22:24:04
日本における、抑止効果はあるのかどうかも分からない訳ですよね?
海外での例を持ち出したとしても、必ずしも日本がそうなるとは限りません。
(生贄になった人に罪が無いと仮定したとして)
嵐が収まるかもしれないので、生贄を出してしまえって言う思想と変わりなくないですか?
あるかどうか分からない物の為に、犠牲を払う。
この代償は取り返しが付かないのではないのでしょうか?
EUと米国を比較してみても、犯罪発生率に大きく寄与するのは
警備力、生活水準、生活意識、国民性などの方が明らかにウェイトが高いと思います。
死刑になりたくて、犯罪を犯したって人もいたでしょう。
なぜ、その人がそうしたのか?
その問題点はどこから生まれてくるのか?
そういった事をしらみつぶしに調べていかなければ、因果関係など調べられるはずもないでしょう。
そして人間の心の中を完全に数値化する事など不可能でしょうし、
それが出来ないのであれば、人に人命を裁く権利など無いと思います。
>加害者と被害者を平等に扱う不自然さとアンフェア
問題は後か先かですか?
それならば、テロを射殺した者は罪に問われなければなりません。
論理的に話せば、後も先も関係が無くなるのです。
問題はそれが行われたどうかという事実だけです。
そこにはどっちが加害者でどっちが被害者なのかの判別も出来ないでしょう。
3236
:
またたび
:2012/10/24(水) 22:30:36
>>3231
なんかもう話の次元が驚くほど幼稚な所まで落ちてる気がしますが、
釣りでないとして真面目に答えますと
まず強い者に従っていじめに加わってしまう人というのはその人も弱いんです。
そのクラスは倫理的廃止論者さんを含めてみなさん弱かったのでしょう。
もちろん私はその場にいなかったので偉そうな事は言えませんが、
昨今の大津市のいじめ自殺問題などもそうですが、いじめを解決出来ない理由はその場に強い人間が一人もいない事、
教師もクラスメートも含めてみな保護者のクレームを恐れたりいじめを恐れたりして正しい事を通せないからです。
また、通すために必要な強制力や警察力も権限も何も持っていないからです。
大津の事件が何故あんなに世間に騒がれて動いたかというと、結局警察が異例と言える介入をしたからですよ。
つまり本当は最初から学校内にいじめを犯罪として取り締まれる強制力を持った警察のような機関が存在しているべきで、
いじめが法律違反として規定されていれば、ああいう事は軽度の段階で処罰して止められるのです。
でも現実に教師に出来るのは口頭注意のみです。教師は警察じゃないし、生徒は警官でも教師でも大人でもないのでそりゃ何も出来なくて当然です。
むしろいじめこそ社会から警察も罰則も取り締まりも何も無くしてしまったらどうなるか?という格好の秩序崩壊のモデルケースです。
倫理的廃止論者さんは、常に弱者の味方でありたいと考えているんですよね?
では、何故倫理的廃止論者さんは御自身の理想に反し現実にそのいじめを止められなかったのでしょうか。
理想と現実、言ってることとやってる事が違わないですか?
私は倫理的廃止論者さんを責める気はありません。
倫理的廃止論者さんもただ弱い人間の一人だったってだけです。
そりゃそうです、だって普通の生徒だもの。
だったらほんとはそういう弱い生徒さんたちをちゃんと守ってあげられる警察機構がほんとは学校には必要なのです。
学校だって社会の一部なのに、奇妙な事にあの中には警察の目がないんです。だから問題が起きる。起きてからじゃないと警察は学校内に介入できない。
何回も言いますが、弱者に弱者を守るのは無理です。
弱者を守りたかったら強者になるしかありません。
強者に成れないのなら、強者に守ってもらう弱者の側の立場にいるしかないんです。
だから市民には警察や軍隊が必要なんです。
犯罪者から自分たちの身を守ってくれる、犯罪者を牽制してくれる鍵付きの家や刑法が必要なんです。
そんな事はかつていじめられっ子を救えなかった倫理的廃止論者さんが実体験として私よりスムーズに理解出来る事だと思いますけど。
3237
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 22:44:02
>通すために必要な強制力や警察力も権限も何も持っていないからです。
強制力は何を生むのでしょうか?
貴方は反発をしないで、従順な人生だったのですか?
とてもそうは思えませんが…
再度言います、力の永続など存在しないのです。
力をはパワーだけではありません、メンタル的な事も含めての力です。
力を信じていれば、力でねじふせる事しか出来ないでしょう。
問題解決には何が必要なのでしょうか?
相手に理解してもらう事です。
それを分かってもらわないで、力でねじ伏せれば、いつか謀反が起こるでしょう。
貴方の思想の中では協力、強調ではなく、支配が大前提です。
今までの歴史を全く同じです。
そんな闇社会がお望みなんですか?
3238
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 22:46:28
訂正
強調⇒協調
3239
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 22:49:44
事案はできるだけ省いて、もう少し完結的に要点をまとめて頂ければ幸いです。
事案を出せば、こんな例もあるじゃないか?の言いあいが続くだけですから…
3240
:
またたび
:2012/10/24(水) 22:57:23
>>3235
因果関係を突き止めて10年後20年後の将来の殺人鬼の出現を予防出来ても
いま既に育ってしまっている殺人鬼については予防じゃどうにもなりませんよね?
将来の殺人鬼の出現の予防に関して取り組んでいかなければならないのは当たり前の事としてやっている事です。
でもそれと現実に姿勢をうろついている殺人犯に対する対処とは全くの別問題です。
いくら教育や国民の生活レベルを高水準で安定させるよう務めて予防しても、それをくぐって実際に湧いてきてしまう今ある現実の通り魔や犯罪者に対しては
別個に現実的に対処する以外にありません。
第一、生育児から世の中が甘く犯罪をしても大して罰せられない世の中で子供たちを育てる方が
よりいっそう犯罪に対する抵抗感やハードルを下げて将来の大人となる子供を育成してしまう事にもなります。
それじゃ全く対策になっていません。
そして、
>問題は後か先かですか?
問題は後か先かではありません。(てか、殺したのが後か先かって事ですか?意味が解らないですが)
そんな突拍子のない独特の考えをしてるのは多分この場ではあなたくらいです。
テロリストが先に銃を人質に突きつけて人の生命を脅かしていて、警察のスナイパーに射殺されたとして、
先に銃を人に突きつけて命を脅かし法を犯し撃たれる理由を作ったのはテロリストです。
テロリストは最初に自分で警官に撃ち殺される理由を作ってしまっています。
人に銃を突きつけて脅しておいて、俺を撃つななんて身勝手なことを言うテロリストがいたらお笑いぐさです。
人に撃たれるのがいやなら、そもそも銃なんかで人を脅すな、って事です。
女性を銃で脅して強姦しようとした奴がいたとして、その女性がとっさに銃を奪い取って撃ってしまったとします。
すると強姦魔に罪はなく、女性にのみ罪があるんでしょうか。
違います。銃で脅して女性を強姦しようとしておいて、俺を撃つな罪になるぞ、などという強姦魔がいたらそれはただの身勝手です。
女性には自分の身の安全を守る権利があります。強姦魔はそれを侵害しようとした男であり、完全に先に手を出そうとした強姦魔に非が有り、撃たれる理由を自分で作っています。
先に打ったり殺した方に罪があるのではありません。
そもそもテロリストの場合も、この強姦魔の場合も、先に犯罪をしようとしたのは自分です。
誰かが止めなければ誰かがこの2人の暴力の犠牲になっていました。
先に殺した方が罪になるからテロリストを射殺した人間は人に危害を加えようとしたテロリストより罪になる、などとはヘリクツにしても程度が低すぎます。
先にどちらの行動に問題があったか、という事から目を逸らさせるための詭弁です。
3241
:
boro
:2012/10/24(水) 23:00:28
>>3233
>管理人さん
少し心境をお聞かせ頂く事はできませんか?
「心境」というのは「死刑に対する考え」
ということでしょうか?
私の意見は管理人の意見として読まれ
他の投稿する方々にほんのわずかであっても
バイアスがかかるということが
分かるようになってから
自分の意見を書かないことにしています。
(気付いたら何かを書いていた、ということは
年に数回はありますが、、、)
死刑については「死刑の現状」というページに
個人的な考えを簡単にですが、書いていました。
で、ある日、他のサイトで「無限回廊」を紹介する
文章に「死刑に対し○○派のサイト」と書かれているのを見て
「死刑の現状」というページにあった死刑に対するその文章は削除しました。
削除してからもう5年くらいは経っていると思います。
(「○○」には「存置」あるいは「廃止」という文字が入る)
確かに「死刑に対し○○派のサイト」であることには
違いないのですが、その後、自分が「無限回廊」で書いた
全ての死刑が確定した事件について同じように
考えているわけではないということに気付き、削除した次第です。
(これ以上書くと分かってしまうので書きませんが、、、。)
ということです。。。
3242
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 23:03:54
>因果関係を突き止めて…
だからといって、人体実験をするわけにはいかないでしょう。
取り返しがつかないのですから…
貴方は、一人に効果が認められれば効果があると認定して全員にその薬を飲ませてしまうのですか?
テロリストが…
ひとつ聞いてもいいでしょうか?
罪とは何でしょう?
殺意を抱くことですか?
殺人を犯すことですか?
3243
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 23:10:56
管理人様へ
ご返答ありがとうございます。
言論の自由を最大減に汲みし、その心意気に大変感謝致します。
3244
:
またたび
:2012/10/24(水) 23:12:52
>>3227
だからメンタルとか教育だけでは残念ながら人間の世の中は良くならないんです。
現在は実は一昔前よりよほど犯罪の少ない住み良いの中になっていますが
その理由はなぜかというと日本人の民度が教育によって上がったとかそんな話じゃありません。
単純に犯罪をし難い世の中になってるからです、物理的に。
ちょっと前に街中の至る所に監視カメラがついている事から
監視社会がどうとかの批判的な論説がよくされていましたが
あれを見ればわかる通り現在はもう泥棒にも空巣にも入り難い街の構造や建物の構造に単純になっているんです。
マンションもアパートも一戸建ても昔より遥かにセキュリティが厳重に布かれています。
街の至る事ろに防犯カメラが回っているし、高層マンションなど背の高い建物が増え
侵入しやすい古い一戸建てが減って侵入し難い高層マンションや新築が増えた事で単純に犯罪をし難い世の中になっているんです。
昔はもっと家々の施錠もいい加減でしたし、防犯カメラなんて街中じゃ滅多に回ってませんでしたし
もっと犯罪のしやすい、犯罪者にとっては居心地のいい防犯に杜撰な世の中だったんです。
そして警察の捜査能力もなんだかんだで昔よりも当然進歩し続けていますし、これも犯罪をする側にとっては脅威でどんどん肩身が狭くなっていってるわけです。
現実問題として犯罪を抑制出来ているのは物理的な防犯効果による物が大部分なわけです。
もちろん啓蒙によって犯罪をする心をなくそうという教育も大事ですがそれだけでは無理ですし
精神論だけで物理的な防犯や犯罪抑止を怠る世の中でいいというのは愚の骨頂です。
どんなに性善説を唱えて人間を信頼して鍵も施錠も何も無い、警官が一人もいない罰則が何も無い世の中で生きてたら
人は人間を騙したい放題、盗みたい放題、犯したい放題になってしまうのが悲しいかな人間の性なんです。
だから現実的として世の中には警察があるし必要だし、法律もあるし、家にも金庫にも鍵があるし、刑務所もあるし、軍隊と国境もあるし、スポーツにもルールがあるんです。
そういう物で設定して縛っておかないと、悪い事をやっちゃう人達が必ずいるんです。ルールと罰があったってやっちゃう人がいるくらいなんですから。
3245
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 23:22:42
本当にそんな事で法による支配ができると考えているのならば、幸せ者ですね。
ウィルスがなぜ無くならないかわかりますか?
縛れば縛るほど、人は自由になりたいと思うのです。
そのとき、法自体が崩壊しそれを維持できなくなるでしょう。
たった50年程度しかたっていないのに、民意によって矛盾が生じている法などいくつも存在するでしょう。
その度に解釈を変えて、何とか維持しているのが法です。
人と法とは交えないのです。
なぜなら、それは自由を求める人と、それを縛ろうとする法の矛盾点から生じるものです。
それでも貴方は完璧な法がいつかできて、それで支配ができると考えるのならば
2000年?も前から存在する聖書がなぜ、人を幸福にできないのでしょう?
そこには必ず法をやぶる者が現れるからに他なりません。
完璧な法などできないのです。
人類が目指すべきは、法に縛られる社会ではなく、法が無くても共存できる社会であると思います。
3246
:
倫理的廃止論者
:2012/10/24(水) 23:30:24
なんか、宗教チックになってきたな〜
そろそろ寝たいんだけど…
3247
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 00:05:32
大分議論が進んだように思います。
現代の法を考えたときには、判例もあるのだしそれを急に変えれば問題もあるでしょう。
ですが、それは永続すべきものではないと信じています。
それがいつ変わるかは、人類に課せられた宿題のような物なのかもしれませんね…
それじゃ、また機会があれば…
3248
:
またたび
:2012/10/25(木) 00:28:38
>>3245
え〜っと、ツッコミどころが多すぎて正気なのか疑いますが(笑)
あなたのおっしゃる通り自由と称して人を殺したり、人の物を盗んだりする野獣と変わらない人間が残念ながらいるから
法という物が後から後から発生してしまうのです。
>>3230
でも書きましたが、泥棒に入る人がいるから家や金庫には鍵ってものがあるんです。
痴漢をする人間がいるから迷惑防止条例と女性専用車両が出来るし、
煙草のポイ捨てをする人間がいるから歩き煙草が禁止になったんです。
違法ダウンロードに刑事罰を設けないと、マナーもへったくれもなく音楽や映像を盗んじゃう人がいるから刑事罰化されたんです。
ちゃんとルールを作って違反者は強制的に退場させられる措置がないと
人間はサッカーも野球もなんでもアリの殴る蹴るの暴力ショーにしてしまうんです。
人を殺す人がいるから殺人罪という物があるし、人の物を盗む人がいるから窃盗罪、
人を騙す人がいるから詐欺罪、人を強姦する人がいるから強姦罪、人を暴行する人がいるから暴行罪、なんでもそうです。
矛盾も何も、自由と称して暴力で他人を従わせて自分お欲望だけ叶えたい身勝手な人間が弱者を脅かすから
新しい犯罪が生まれる度に社会の保障として法という物が後から後から対策のために出来、結果社会の全員のの自由が狭まっていくんです。
自由の本当の敵は他ならぬ犯罪者自身、マナーや罪悪感のない身勝手な自己中心者です。
あなたは自由と称して自分の身勝手な欲望を叶えるだけ叶えて罰せられないという北斗の拳のモヒカンみたいな無法者の天国を作りたいのかもしれませんが
残念ながら冷静な社会の人々はみんなそんな危険な社会に住みたいとは思わないわけです。
あなたが法に縛られるのがいやだ、自由でいたいというのなら世捨て人になって社会からドロップアウトしてどこか山奥で自給自足して誰にも迷惑をかけずに生きればいいだけの話です、
北の国からの黒板五郎みたいに。
それと私は
>>3199
の通り、一つの方が絶対で永久的な物であるなどとは最初から言ってません。
再三言ってますが私は別に民意が一度死刑廃止に傾いて死刑廃止になること自体は否定していません。
しかし、それもまた絶対ではないという事も同時に予想して申し上げています。
一回死刑廃止にしてみた物の、前述で散々私が申し上げているような問題のある事件が起これば
やっぱり死刑は廃止にするべきではなかった、という方向に再び民意は傾くかもしれません。
民意とか世論ってのは常に振り子です。
ちょっと前自民党に対し失望感がたっぷりだったから民意は民主党に傾いた、
でも民主党でダメだったからやっぱり元に戻そう、という風になる。
死刑肯定と死刑廃止もこれと同じってことを最初から申し上げてるだけです。
そして私は死刑廃止論を全否定派しませんが賛成には慎重って事なんです。
3249
:
紫煙狼
:2012/10/25(木) 03:53:19
先にやったか、後にやったか、って本当に大事な事なんです。
私がカバンをひったくりに遭ったとして、走って追いかけてカバンを取り返しても、
不必要に暴力をふるったりしなければ、私は罪に問われません。
でも、私がカバンをひったくりしたとして、走って追いかけられて、奪い返されたとして、
不必要な暴力を用いてなくても、私は罪に問われます。
結果的に、持ち主のもとにカバンは帰っていても、後先で結果が異なります。
でも、世の中には後先などの手続きを考えていられない状況があります。
それを「緊急」と呼びます。
「一般公道は制限速度を守らなければならない」という道路交通法の制約があっても、
救急車やパトカーは緊急自動車として必要が認められる場合に限り、この制約から
除外されます。
強酸が衣服にかかってしまった場合、最初にすべき事は脱衣する事です。
この状況で「人前で衣服を脱ぐなんて」と、人のいない場所を探していたら、
酸で大やけどを負ってしまいます。これも緊急です。
倫理的廃止論者さんはボタンを押す前に少数派によって射殺される可能性を挙げましたが、
これもまた緊急ですから、射殺されるのが私であったとしても、その違法性を問うのはオカシイし、
テロリストが思いとどまる可能性があったとしても、テロリストを射殺してしまった人を責めるのは
ナンセンスです。
倫理的廃止論者さんが無抵抗のまま殺されるのは一向に構いませんが、
緊急時に於いて、やむなく人を殺めてしまった人を殺人者として詰るおつもりなら、
「あなたは死ねばよかったのよ、死ぬべきだったのよ」と詰り謗るおつもりなら、
私はそれを殺人より重い罪だと思わざるを得ません。
3250
:
紫煙狼
:2012/10/25(木) 03:53:43
私が思考実験を2例挙げたのは、少数派・多数派、双方に悪意が介在しない例と
明らかに片方に悪意が介在する例を比較する必要があったからです。
残念ながら、テロリストの例は、数の暴力ではありません。
今まさに生命の危険にある弱者の数が多いからそれを助けるべきなのではなく、
最も重要な人権である生命権を犯されようとしている者を守るために必要な
殺人行為は許されるべきか否か、という問題です。
その結果、倫理的廃止論者さんは「テロリストの人権を守るために」
「善良な市民は人権を侵される事を甘受せよ」と結論付けました。
つまるところ、倫理的廃止論者さんご自身がテロリストの人権を侵すという
罪を犯さないために、第三者の人権が侵される事を許すという選択です。
意地悪い言い方をすれば、自分さえ罪を犯さずに済みためなら、
「他の人の人権はどうでもいい」という結論でもあります。
でも、倫理的廃止論者さんの言い分が正論となりうる可能性はあります。
それは、全ての人が倫理的廃止論者さんと同じように考える、という事です。
全世界の全ての人が「人を殺めるくらいなら死んだ方がましだ!」と思いさえすれば、
そもそも殺人事件が発生するわけがありません。
人を殺さずに死刑になる方法は、日本では外患誘致のみです。
しかし、そもそも「間接的にでも人を殺めるくらいなら死んだ方がましだ!」と
思うような人が外患誘致に加担するとも思えないし、そのような人が外患誘致に
加担するとすれば、不必要に人命が奪われるのを防ぐためでしょう。
そういう前提であれば、確かに刑罰から死刑は除外されるべきです。
3251
:
紫煙狼
:2012/10/25(木) 03:54:06
共産主義と言うのは非常に崇高な政治思想であり、ある種、理想でもあります。
全ての働ける者が全力でまじめに働き、その収益は働く事が出来ない弱者も平等に配当される。
貧富の格差はそこには存在せず、国民すべてが平等で幸せ。本当に理想的な国家形態です。
しかし、どんな頑丈なダムでも、ほんの小さな穴一つで決壊に至ります。
頑張って働いても、のらりくらりと働かなくても同じ収入が得られるため、人々は働かない方向に流され、
国家は困窮し配当は下がる。やがて国家は国家としての体裁を整える事も出来なくなり、崩壊する。
しかし、一度怠ける事を知ってしまった国民が勤勉に戻るには時間がかかる。。。
倫理的廃止論者さんの思想の問題点は、実現が共産主義国家を成功させるよりも難しい所にあります。
なぜなら、日本の国民全員が倫理的廃止論者さんと同じ考えになったとしても、その思想を理解できぬ
者が全世界のどこかに居る限り、日本はそれらの不埒者の良い猟場になる。
崇高な思想をもったチョロい獲物になる。
戦争になっても、我々日本人を殺す気マンマンで襲い来る敵兵を迎え撃つ事が出来ない。
敵兵は生け捕りにするのが限度ですよね?そうなると、日本だけが超絶した科学力を持っていて、
殺さず、傷つけず敵兵を生け捕りにする事が可能でない限り、生き延びるためには強者に従属
しなければならなくなる。それは倫理的廃止論者さんが嫌う「いじめ天国」です。
「殺す事を躊躇しない者」に「崇高な思想を持つ者」が抵抗すれば何をされるかわかりません。
それでも殺さずに崇高な思想を持つ者が自分の身を守るために出来ることと言えば、
「殺す事に躊躇しない者」を殺さず、出来れば傷つけず抑え込むほどの「より強大な力を持つ事」です。
しかし、その先に待ち構えているのは「強大な力が正義となる人類」です。なぜなら、強大な力を持つ
崇高な思想を持つ者を従えるために、殺す事を躊躇しない者は、より強大な力を得ようとするからです。
こうなると、なるほど「時代の勝者」とは言い得て妙ですね。
3252
:
紫煙狼
:2012/10/25(木) 03:54:26
ところで、倫理的廃止論者さんは「人と法とは交えない」と仰いました。
人と人が共存するために人類が編み出した知恵こそが「法」なのですが、
その法と人とが交えないというのは残念な話ですね。
「法で縛るから犯す者が出る」ある一面では真理でもあります。
なぜなら「法なくして罪なし」ですから、法にない罪を法で裁くことはできません。
殺人を罪として法に記載するから、殺人を犯した者は法で裁かれます。
殺人を罪として法に記載しなければ、殺人を犯しても法で裁かれる事はありません。
法で縛らなければ、法を犯したくても犯せないのです。
しかし、法さえなくせば万事解決するというものではありません。
法をなくしたとしても、やってよい事と悪い事の基準がそこには生まれます。
人々の欲望を制限する基準が必ずそこには自然発生します。
「子供が隣の家の塀にいたずら書きをした」ことを咎め躾ける事も、
法と言う形ではないだけで、人の欲望を制限するもの、縛るものに他なりません。
「汝殺すなかれ」という聖書のような倫理が法にとって代わるだけで、
人が人と共存するからには、縛りは自然発生します。
縛ったら、自由を求めて、その縛りを振りほどこうとする。
縛るからこそ、欲望は増大するのであれば、人と人が共存する限り、
欲望は増大し続けてしまうのです。
倫理的廃止論者さんはご結婚なさっていますか?
何か配偶者さんと約束事を決めたりはしていませんか?
ウチは妻と二人暮らしですが、たった二人でさえ約束事がたくさんあります。
浮気厳禁に始まって、オヤツは一日150円を限度とする、までね(笑)
倫理的廃止論者さんのお宅では、何一つ約束事がないとして、
特に約束事を決めていなくても気持ち良く共存できる理由は何ですか?
それは、倫理的廃止論者さんが認めようとしなくても、
そこには「善悪の基準」が存在し、気付かぬうちにそれに縛られているからです。
「人が不快に思う事をしてはいけない」という決まりに縛られているからです。
貴方自身が貴方の倫理に縛られているからです。
つまり、人と法とは交えないのではなく、人と法とは切っても切り離せないのです。
従って、真に人類が目指すべきは
「法に縛られる社会ではなく、法が有っても犯そうとは思わない社会」なのです。
3253
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 07:06:03
>>3249
私は全てをイーブンな視線でイーブンに持っていく事が正義だと言いました。
緊急なら許されるのでしょうか?
それなら、死刑囚が殺される寸前になら、執行人を殺していい事になりませんか?
そしてそれは正当防衛とされなかればなりません。
自分の立場だけを正当化するから、矛盾がj発生していくのです。
再度いいます。
全ての視線に立って、それをイーブンな物事で考えてください。
時間がないので、全部は読めませんが、共産主義の欠点は堕落です。
3254
:
またたび
:2012/10/25(木) 08:12:22
>>3253
実際に抵抗する死刑囚はいます。
しかし死刑囚が死刑になるような原因となった、死刑囚自身が殺してしまった人間もそうやって
死刑囚の鬼畜の所業に恐怖し、泣き叫び、抵抗し、死刑囚に対し慈悲と命乞いをしたかもしれません。
それを無情にも奪って自分で自分が捕らえられ、処罰されるような社会にとって危険な存在となったのは死刑囚自身の責任と因果応報です。
だから執行人は死刑囚が泣き叫ぼうが抵抗しようが失禁しようが呪いの言葉を吐こうが、自分の仕事を全うするだけです。
社会の決定として法で裁かれ死刑判決が降り確定したなら、死刑囚自身がどう抵抗しようが納得がいっていなかろうが関係はありません。
死刑囚自身が相手が抵抗しようが納得がいってなかろうが強制的に被害者の命を奪う、社会から排除されて当然の危険な猛獣だったのですから。
全ては加害者自身が自分で招いた種です。
あなたは全ての視線に立ってイーブンな物事で考えているつもりなのかもしれませんが、全くイーブンではありませんし加害者の視点以外の視点が決定的に欠落していますし
全く公平ではありません。
あなたが加害者の正統防衛の権利を認めるなら、被害者が自分を殺したり犯そうとする危険な猛獣である加害者を正当防衛で殺す権利もまたありますし、
社会が正当防衛で社会に危害を及ぼす危険な加害者を殺して安全を確保する権利もありますし、執行人が正当防衛で自分を殺そうと抵抗する被告を処刑台に送る事で殺す権利もまたあります。
最初に加害者が自分の身勝手を暴力で押し通そうとして人身に危害を加えたからそうなったんです。
なんでイーブンと言いつつこんな簡単な視点がいつも欠落しているんですかね。
恣意的に犯罪者に肩入れして犯罪者にだけ有利で優しい甘い社会を作りたいというのが本音でなければちょっとおかしいと言わざるを得ないです。
3255
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 18:34:45
>>3254
>>3226
>(死んだ者自身をかばう事が出来るならそれが一番いいと思いますが実現できないでしょう?)
またそれと同時に被害者が加害者を殺すことを望んでいるかどうかも誰も確認する術がないのです。
法がどうであるべきかの議論をこれ以上ここで話していてもスレッドの内容からかけ離れてしまうので
少し死刑の話に戻そうと思います。
>>3242
>だからといって、人体実験をするわけにはいかないでしょう。
これに対する反論をお願いします。
>>3251
やっと自然法まで行ったか…
そう人と人が交わる段階でその法は自然発生する。
そして、その義務を守るからこそ自由が約束される。
では、その人と人が交わる前の段階ではどうだろう?
なんらかの義務が発生しているのだろうか?
自分以外の人がいないのに、人を殺していけないなどといった義務が発生する訳がない。
自分の命を権利として所有している状態だ。
この状態では義務を守らずとしても権利を所有している。
同時に食の欲望といったことも、法ができる前から存在する。
即ち、基本的人権は何人にも侵害を受けてはならない権利なのだ。
憲法の3本柱である、基本的人権の尊重。
これを崩せば、憲法自体に歪みが発生するのだ。
平和主義さえも、民意によってそれを崩そうとする風潮すらある。
民意によって決して変えてはならないことを変えようとしている。
その問いが
>だからといって、人体実験をするわけにはいかないでしょう。
民意によって決して変えてはならない法。それが倫理だ。
その法を守らなければ、これまでさまざまな思考実験のように様々な矛盾が発生し。
自分の命さえ守れなくなってしまうだろう。(例:5人に臓器を…)
3256
:
またたび
:2012/10/25(木) 19:25:18
>>3255
だから、『死んだ物をかばう』って何の事なんですか?言ってる事が意味不明です。
前もその事についてツッコミ入れましたよね
>>3228
>>3234
それに対して結局『死んだ物をかばう』等という意味不明のお言葉の真意を答えて頂けてないんですが。
あと私の
>>3240
に対するあなたの回答がなんで
>>3242
の人体実験の話に唐突になるんですか?
私は人体実験が必要になる話なんて
>>3240
の文の中で何も言ってませんよ?(笑)
さすがに珍妙かつ唐突すぎて意味不明で何も申し上げる事がなかったんですが、
良かったらあたな以外の人にもちゃんと解るように
何でいきなり人体実験とかの突拍子もない話に飛躍するのか、その意味と真意も聞かせて頂けないでしょうか。
3257
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 19:25:24
被害者擁護の立場に立っても、私はそれを説明できる。
ある日交通事故を起こし、人を殺してしまった。
当然被害者側は、人殺しは人殺しだとして基本的人権を無視して死刑を求めるだろう。
民意によって、それが変わってしまったのならば、
いつ貴方が事故を起こし、人を殺し、また同時に自分の命さえも奪うことになるかわからないのだよ。
意図があったか、事故なのか?
そんなことは被害者にはどうでもいいことだ。
被害者は事故ならば本当に許せるのか?
(命の無いものがこの報復を行えば、とんでも無い事になるだろう。)
生あるものは、許さなければ、いつ自分が事故を起こすかも分からない、その呪縛から逃れることはできないだろう。
許さなければ、自分の身さえ保障できなくなるのだよ。
そう、貴方の身内が100%意図した殺人を犯さない保障などどこにもないのだ。
基本的人権を無視し、身内が死刑にすべきだというのならば、それが自らの身に降り注ぐかもしれないのだ。
死刑賛成派は、自らをその立場に置けないことが一番の問題だろう。
もし、自分の父親が意図ある殺人を犯してしまったら。
それでも、貴方は本当に死刑を求めますか?
3258
:
またたび
:2012/10/25(木) 19:35:21
>>3257
交通事故による致死事故は殺人罪じゃなくて自動車運転過失致死傷罪ですよね?
そもそも殺人罪とは別個の罪ですし、記憶する限り自動車運転過失致死傷罪で運転手が死刑になったケースなんて聞いたことありません。
二行目でいきなり根本的に間違ってます。
3259
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 19:35:45
またたびは猫に食われるが最善。
まさしく、狐ならぬ『猫』にでもつままれた気分なのだろうな。
3260
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 19:37:19
あんたは、それを被害者側があ〜そうですかと仕方ないですねと
認めている事例を何件しっているんだね?
3261
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 19:38:12
この問いにも答えてくれよ。
もし、自分の父親が意図ある殺人を犯してしまったら。
それでも、貴方は本当に死刑を求めますか?
3262
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 19:40:00
親殺しとして生きていくか?
3263
:
またたび
:2012/10/25(木) 19:43:22
>>3260
被害者が納得がいかなくても、殺意がなかった場合の故意でない事故死は殺人ではなく、過失致死です。
それが法です。
>>3261
自分の父親だろうがなんだろうが罪を犯した人間は法に法って公正に裁かれるべきです。
それをいやだ、というのは単なる個人的感情論であり、子供っぽいワガママです。
感情としては持っていてもそれを口に出したり主張する事は
大津市のいじめ事件の加害者少年の親が被害者の親をなじったりして『ウチの子に限ってそんな事ない!間違ってるのはそっちだ!』とか
のたまうのと同じ行為です。
3264
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 19:46:20
そうか、あんたは親殺しか
で、あんた以外の誰が父親をかばうんだ?
弁護人さえいなくなってしまうのか?
弁護人さえ、赤の他人だぞ?
3265
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 19:50:09
いい加減矛盾に気がつかないのか?
片方では被害者遺族を考えるべきだ!
もう片方ではそれすらできていない。
いったい、誰が誰を裁く権利があるのだ?
3266
:
またたび
:2012/10/25(木) 19:50:22
>>3264
>で、あんた以外の誰が父親をかばうんだ?
弁護士です。子供が庇おうが庇わまいが弁護するのは弁護士の仕事です。
赤の他人だろうと弁護士はそれが仕事です。
そして法律の素人の子供が感情論で庇ったってどうにもなる物でもありません。
被害者側と加害者側両者の言い分を聞いて罪を判断するのは家族の感情じゃなく裁判官と陪審です。
3267
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 19:51:33
ほう、では弁護士しか弁護できないということだな。
では、被害者遺族は口を出せないということでいいんだな?
それとも例外を作るのか?
3268
:
またたび
:2012/10/25(木) 19:57:46
>>3265
何を矛盾してるのか説明してください。
あなたはもしかして何らかの事件を起こした家族がいて加害者家族として社会から酷い扱いを受けて
それで頭がおかしくなってる不幸な人なのかもしれませんが、
被害者家族も不幸な目に遭った事には違いありません。
加害者の家族に何の落ち度もないなら加害者がやった事とはいえ責められるべき謂れはないと思いますし
そういうケースは不幸だと思いますが、それとは関係なく被害者家族が依然として不幸であり気の毒なのは間違いなく
同情され社会から守られるべきである、という事は別の問題であり変わりがありません。
ましてや被害者遺族に『高い賠償金貰ったんだからもういいだろ!悲劇ぶりやがって!』みたいな中傷の電凸やら脅迫ファックス送るような輩は言語道断です。
加害者の家族の問題は加害者の家族の問題としてどう守って行くべきか考えなければならないのは確かですが、
被害者の家族を守るために考えていかなければならないし、優先して守るべきである事はどっちにしたって同じ事です。
3269
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 19:58:09
いいか?
自分で言ったことが今まさに、自分に降りかかっているのだよ。
イーブンに考えられず、被害者のことしか考えてない証拠だ。
確かに一般常識では、被害者はかばうべき存在だろう。
だが、それに肩入れしては、矛盾さえ生じる。
さて、貴方が加害者遺族になったら、貴方はどうするんだね?
続きを教えてくれ。
親を殺人罪で起訴し、誰が裁判費用を負担するんだ?
国か?
国の雇った裁判員などクソくらいだぞ?
なにせ、死刑囚のために税金を払うやつなど皆無のようだしな。
3270
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 19:59:46
訂正 裁判員→弁護士か
3271
:
またたび
:2012/10/25(木) 20:03:05
>>3267
被害者の家族も出来る事はビラを配ったり署名を募ったりして控訴に取り付ける事が出来ることくらいで
控訴しても判決を下すのは裁判官と陪審であり、被害者遺族の感情や一存で判決なんて下せないのは同じ事です。
被害者遺族は訴える事は出来ても法廷に口を挟むなんて事は出来ませんよ、何を勘違いしてるんだかもはや意味不明ですが。
3272
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 20:03:04
親殺しのやつに
被害者遺族のことなど考える資格など無いわ
3273
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 20:04:15
死刑にすべきだって奴が
どうやって、弁護するビラを配るんだよw
3274
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 20:15:02
これでも、まだ矛盾が生じていないとか言うのか?
3275
:
またたび
:2012/10/25(木) 20:15:35
>>3269
何回も言ってますが私は加害者と被害者を平等になんて扱っていません。
優先順位があると何回も同じ事を言っています。
>>3234
社会=被害者>加害者という優先順位です。
そしてあなたのその自称イーブンという考え方に賛同しかねると何度も言っています。
何回も言っていますが加害者に対し被害者は被害を被ってるわけです。
加害者はノーダメージで、被害者はマイナス、
加害者はプラマイゼロの状態で、被害者は損をしてるんです。
加害者のせいでマイナスを被っている被害者を
加害者と平等に扱う事は前にも言いましたが不平等です。
刑罰とは被害者が加害者に加えられた損失分を、加害者に対しても公平に与える事で
不平等と不公平を是正するための物でもあります。
なんで被害者は加害者にマイナスを与えられてるのに加害者と平等に扱われなけりゃならないんですかね。
それじゃ被害者が気の毒であり、やられ損です。
そのやられ損を放っておいて加害者に対して甘い世の中になってしまうと犯罪天国になって社会全体の命が危険に晒されるから
抑止力として刑法ってものが必要なんです。
それと、
>>3272
私の家族はまだ両親共にピンピンしてます。
現実と妄想の区別をつけてください。
3276
:
またたび
:2012/10/25(木) 20:17:26
>>3273
それは逆に被告を弁護したい側が自主的にやればいい事です。
実際有志による地道な署名活動の再審請求で救われた冤罪事件のケースも多々ありますよね?
3277
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 20:18:40
あんたの現実の話などしてないわ
もしそうなったらどうするって話をしているんだよ!!!
で、どうやってビラを配るのか教えてくれたまえ
3278
:
またたび
:2012/10/25(木) 20:21:42
>>3277
両親に非がなく、冤罪であったりするなら私は署名活動はしますよ、
しかし完全に両親に非があり言い訳できない犯罪なら私はちゃんと裁きを受けてくれ、って言います。
さっきも言いましたよね?それが当然です。
感情では家族に甘くしたくても、間違った事をした人間に甘い裁きを臨むのは
被害者の方に対して不公平であり、失礼で間違った考え方です。
3279
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 20:23:22
勝手に変えるなよ。
意図した殺人を行ったらって書いたんだぞ。
3280
:
またたび
:2012/10/25(木) 20:29:29
>>3279
だから意図した殺人を行ったなら私は両親にちゃんと公正な裁きを臨みますよ。
言い逃れできない罪を働いた人間の刑を減軽してくれ何て言うのはおかしいですよね。
両親に完全に非があるなら私は両親にそのまま黙って裁きを受け入れて欲しい、と思います。
これは揺るぎないです。なぜなら私の両親も、もし私が意図した殺人を行ってそれが言い逃れできない完全な非であるなら
それでも子供可愛さに刑を減軽してくれ、とか見苦しい真似は絶対にしないと確信してるからです。
両親なら被害者の遺族にひたすら謝り、全てを受け止めて私に厳しくすると思いますから。
3281
:
倫理的廃止論者
:2012/10/25(木) 20:36:03
つまり、あんたは保護責任者違反になって見殺しにするわけだな。l
そして、レバーと同じくやらなかった事による罪を受けると。
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