したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

「フィボナッチ数列の殿堂」への夢

37藤原肇:2009/02/07(土) 08:27:45
幸田露伴が論じた魔法についての文章の中に、魔方陣について論じたものを見つけて書き写したことがあり、その部分のコピーから引用すると次のような具合になる。
<引用>「・・・洛書というものは最も簡単なマジックスクェアーである。それが聖典たる易に関している。九宮方位の談、八門遁甲の説、三命の占、九星の卜、皆それに続いている。それだけの談(はなし)さえもなかなか尽きるものではない。
一より九に至る数を九格正方内に一つずつ置いて、縦線、横線、対角線、どう数えても十五になる。一より十六を正方格内に置いて縦線、横線、対角線、各隅、随処四方角、皆三十四になる。二十五格内に同様に一より二十五までを置いて、六十五になる。三十六格内に三十六までの数を置いて、百十一になる。それ以上いくらでも出来ることである。が、その法を知らないで列べたのでは、一日かかっても少し多い根数になれば出来ない。古代の人が驚異したのに無理はないが、今日はバッチェット方法、ポイグナード方法、その他の方法を知れば、随分大きな魔方陣でも列べ得ること容易である。しかし魔方陣のことを談じるだけでも、支那印度の古より、その歴史その影響、今日の数学的解釈及び方法までを談じれば、一巻の書を成しても足らぬであろう。極ごく小さな部分の中の小部分でもその通りだ。そういう訳だから、魔法の談などといっても際限のないことである。・・・」
これを読んで分かるのは露伴が魔方陣に精通し、フラクタル的な発想を持っていたことが分かるし、十次元の魔方陣にも通じていただけでなく、無限次元の魔方陣についても理解がおよんでいた。だから、彼の該博な知識と薀蓄からすれば、百人一首の魔方陣に接近できたのは明らかだったのに、芭蕉の俳句の世界に遊んだので和歌とは繋がらなかったのは、彼が神仙の世界に傾倒したからだという気がする。

38千々松 健:2009/02/08(日) 08:45:11
露伴は住処を「蝸牛庵」と自ら呼んでいたそうですが、蝸牛とは良く付けたものですね。
かぎゅう、カタツムリ、デンデン虫、マイマイ・・・親しみがもたれる名称も漢字だと別な印象も生まれます。
虫と渦巻きと牛の構成からは、のろのろと歩く牛や蛇や海の貝を思い起こさせる。

Webで知ったことですが、貝類のうち陸に棲むものは巻貝の形を取るものだけであるというのも面白い。
右巻きが多く左巻きは少ないようで、そのことは種類にる遺伝子で決まっているが、稀に「逆旋個体」も発見されるという。雌雄同体で時には自家受精をして種族の保存もするという優れものですね。

39千々松 健:2009/02/08(日) 17:47:29
【露伴・蝸牛・ヤコブの階段の連想ゲーム】
ヤコブがベテルの地で野宿をしていた時に見た夢に「天からの階段」というのがあります。
ヤコブの階段は地上から伸びたのではなく、天から降りてきたのです。その階段(道・路)を天使が下ったり上がったりしているのを見たのでした。それは直線的ではなくて螺旋階段であったはずです。また方向性では「天地」と「地天」のそれは「順序」と「逆序」の違いになりましょう。

そこでまた「露伴」のペンネームに戻ります。確かに通説は村山さんのご指摘の通りだと思います。しかし、博学の彼のことですから、それだけではすまないのではないかと推理しました。
「露」:天から降りてくる雨と路を組み合わされた漢字が「露」であるのも偶然ではないでしょう。
「伴」:人間は一人では生きていけないので誰か善き伴侶が必要なのです。もしも伴侶が人でない場合は神様ということになるかもしれません。「いつもそばに居る何者か」が伴の意味になります。
そして、ヤコブも露伴も同じく野宿をした時にイメージされたということも不思議ではないでしょうか。

40千々松 健:2009/02/09(月) 08:24:49
現在はサイバー大学の教授をされている野崎昭弘氏の「πの話」岩波科学の本1974年から、また松本英樹さんから多くのヒントをいただきましたことを感謝します。
これも藤原肇博士のナイスガイドのおかげです。
多くの善意の人から恩恵を受けながら、最後は勇気を持って、孤独な静寂の中で自らの思索を展開することが大切であるということを、今回は身をもって体験した思いです。

「フィボナッチ数列や律動とラチオについて」の>155との関係で
「フィボナッチ数列の殿堂」はこの意味で「大ピラミッド」そのものであるといえます。
「黄金比」という言葉をあえて使用せずに、πをフィボナッチ数列とリュカ数列の比率という関係の中で表現できるのですから、関係の関係で二重の関係?が面白いと思います。
 
 『π/6≒{Fn+1)/L(n)}^2』

41藤原肇:2009/02/09(月) 09:39:32
露伴が若い頃に電信技官としての訓練を受け、モールス信号のトン・ツウという陰陽の卦に親しみ、リズムへの関心を持ち合わせていたことは、彼の和漢混交体の文体の旋律によく現れている。また、彼の人生のリズムが転換期の節目を持っていて、成功の絶頂期に惜しげもなく小説家としての人生を放棄しており、史伝や随想に続いて俳句の評釈をしているが、螺旋的に回帰して書いたのが連環論であり、遺作の『連環記』の主人公の慶滋保胤(かものやすたね)は文章生だった。
しかも、保胤は陰陽と天文の総帥の賀茂家の出であるだけでなく、安倍晴明の同僚だったことからしても、晴明紋としての五芒星が登場してくるので、露伴がフィボナッチ数列に結びつくことになる。また、露伴の連環は西周の『百一連環』にも結んでいるから、連環を行列式と見れば明治の人のカンの良さには、藤原定家から続く幾何学のトポスが生きていることが分かるが、子規や漱石が露伴と同じ慶応三年の生まれであり、へそ曲がり七人衆の話を誰かの本で読んだ記憶がある。
江戸時代に生まれて明治に活躍した日本人は、『四書五経』で大陸文明をマスターしたのに対して、明治生まれの日本人は「和魂洋才」と粉飾した。
だが、舶来技術の取り込みに熱中したとはいえ、芯棒になる古典を学ぶという点において、西洋の古典は翻訳中で東洋の古典は軽視していたから、結局は表面だけ輝くメッキで終わってしまったという。
この説は成るほどと思わせるだけの説得力を持っていて、現在ではマンガしか読めない男でも首相になれ、末世に似た状況を呈するに至ったのである。螺旋運動は良いほうに動けば素晴らしいが、逆周りになって動くととんでもないことになるのは、スワスチカの原理を始め色々とあって、回転運動が締まるか緩むかの問題になり、生命活動はこの締りと緩みの作用の現れ方だが、結局は『賢者のネジ』の問題に行き着くのだろう。

42千々松 健:2009/02/09(月) 13:25:53
「球」とそれに外接する「円柱」とその中にできる「円錐」との間には、ある関係が成り立つことは中学数学レベルですが、改めて見直してみました。
   体積比は  円柱:球:円錐=3:2:1
   表面積比は 円柱:球:円錐=3:2:Φ

 円に関する表面積の比率に「ラージファイ=Φ=黄金比≒1.618」が見られるのでした。
 元々「πとΦの関係」は深い仲なのですね。

ところで、この円錐については円錐螺旋がイメージされて、さらに「ヤコブの階段」の天から降りて来る螺旋階段に繋がり、やがてそれはクリスマスツリーの円錐型と上からグルグル垂らしたリボン飾りに到達しますが、一方では、露伴の蝸牛(カタツムリ)の殻の模様もイメージされます。
西周がフィロソフィーを「哲学」と訳したり、エンサイクロペディアを「百学連環」と訳したり、「五箇条の御誓文」の草稿を書いたらしいことや、「南方マンダラ」の南方熊楠も露伴と同じく慶応三年の生まれであることを「千夜千冊」の松岡氏のサイト等で今回知りました。

43石黒敏夫:2009/02/09(月) 17:17:36
DNAとか螺旋階段は円柱の周りにできた渦巻きですが、蝸牛とか巻貝はネジと同じ円錐を取り巻く渦巻きであり、これはネジ型で閉まったり緩んだりします。
そこで千々松さんの体積比の3:2:1において、中間の級に相当するものについて考えたら、地球を始め惑星の多くは球体をしているし、インドのヨガの本の人間の生態模型では、人体が球型として描いてあったのを思い出します。
インドで起こった仏教ではこの世のことを色というが、クは万という字を略したものだと言われ、この世が万の巴から成り立っていることは、多くの渦巻きという公案の解だと聞いています。
『間脳幻想』の中にあるミロのヴィナスのように、人体の比率には至る所にファイがあるわけで、要するに体積比と表面積比として人体には、ファイのデザインの衣装が纏い付いています。

44藤原肇:2009/02/10(火) 07:08:48
千々松さんが6で指摘した『宇宙巡礼』の対談相手の張錦春さんは、高等数学の名人でMacocaM(動態幾何学の精緻)を構想し、私のメタサイエンス思考に強烈なインパクトをもたらしたが、彼こそは『道徳経』の第47章が示している、「不出戸、以知天下、不窺見、以見天道。其出弥遠、其知弥少。是以聖人、不行而知、不見而名、不爲而成。」の人であった。
何しろ台湾から一歩も出たことがないのに、日本はおろか世界の古典名著を読破しており、特にライプニッツに関しての理解においては、驚くべき深さに達していただけでなく、張良の末裔として仙術をも身につけていたのである。
張さんについては『経世済民の新時代』の第六章に書いたが、彼は『宇宙巡礼』を日本語版から中文に翻訳したし、中文版の裏表紙の折り返しにある写真が示しているのは、彼が鉄棒で逆上がり回転をしている図である。
千々松さんが9)に引用した「円運動には究極のエネルギーの均衡が表現され、拡散運動が循環運動に転化するメカニズムが機能しているが、私の動態幾何学はそれを更に複雑化して多重的に関連させているので、そこに美しい生命力が見事に現れて来る」という言葉は凄い。
ある日のことだが張さんがこんな内容の発言をした後で、「私はそれを鉄棒で実践しています」と言ったのに対して、私か「どうやってそんなことが実践できるのか」と疑問を呈したら、「証明します」と見せてくれたのが鉄棒での回転である。
目の前でくるくると逆上がり回転を30度以上もやり、まるで人間の風車のように回る光景を目撃した私は、人間業を超えた行為のデモンストレーションに大ショックを受け、こんな偉才が読者としていることに対して感激したのである。

45千々松 健:2009/02/11(水) 08:10:48

20数年前に『千々松さん、あなたは「玉に毛あり」という言葉を知っていますか?』と電子計算機に詳しい渡辺茂先生に都立科学技術大学の学長室で質問されたことがありました。
もちろん私は知りませんでした。先生は単なる科学者ではなく、老荘思想に関心を示され、技術文化的な視点から万葉集の歌も分析したり、胎蔵界曼荼羅をコンピューターに類比されたり、その学問の幅の広さには感服しました。

卵が先かニワトリが先かの問題もありますが、順序と逆序という点からすれば、将来から現在を見る。あるいは現在から過去を見る。逆序の視点を忘れてはいけなかったのです。
その点で言えば、藤原博士の地質学は現在から過去を見なければならない「逆序の理」を働かせるフィールドであったわけですね。そして、それを磨けば、将来から現在を見ることも可能になるのでしょう。
今年こそ「フューチャーマネジメント」が大切になってくるのではないでしょうか。

46藤原肇:2009/02/11(水) 23:28:43
「玉にけあり」という言葉の連想で思い出すのは、張さんと円の接線について論じたときに、胎蔵界と金剛界の曼荼羅の構造が話題になり、スワスチカが「円に毛の生えた生命活動だ」として、それがエネルギー0の周辺に1が付きまとい、エネルギーを示すガウス座標のことだと納得したことを思い出す。
張さんの読書能力は実に驚くべきで超人的といえ、彼が読んだ本に詳細に付け加えた書き込みは、ページ数から引用記事を含めて絶大なものだった。彼からは膨大な数の手紙を受け取ったが、その多くは私の理解の限界を超えていてが、手元に残っているMacocaMに触れた手紙の文面には、次のように書いてあって誰かその意味を解説してくれるだろうか。
「・・・MacocaM数論では下記を補充すると完美せん。羅針盤を使う時に地南に置いた瞬間に、針は直ぐに真南を指さず左右に動揺数回後に定着する。その現象は地球がかつて反対廻りをしていたことを説明し、外に宇宙の「三体問題」を遭わずに起こる無限多体(原子爆弾破裂のあの複雑極まる微小多体の短時間の相互衝撃、ballの中心は空虚を立派に説明す。
車が角を曲がるときのU-turnであるが、まず前進速度の漸次減少・・それから0,それから返りのー、数論叙述では+1,・・0,・・−1.(今日でさえ数論は依然として未完成で、列に虚数や虚数群を巧妙系統していない。)ラグランジュの直線解では太陽系のorbital spin-off or back等のmeta-culvilenearを説明せんとすると、必ずや月は永久停止(即ち静態化されるのみ、宇宙論としては余りにもお粗末――永遠の満月)・・・)。
これに続いて英文の引用で三体問題について書いてあり、その後に「結局ニュートンは一体問題の範囲でさえ、culvilinearを考慮する智慧のゆとりがなかったので、straight lineの考慮にとどまった」とコメントし、「昔日、ある偉大な数学者が、数学理論の新構築は、あたかも偉大な名将が全軍、全艦隊を指揮して攻城、新国土の攻略に従事するのと全く同じで、Bold imagination, brain, braveを必要とする。その後には更に一連の後継行動と援軍を要す」と書いている。
一回の手紙の一割も紹介できなくて残念だし、時間がなかったので整理することが出来なかったので、残りの手紙はアメリカに置き去りにすることになるが、矢張り、張さんは張良の子孫ということだろう。

47横浜の教師:2009/02/12(木) 14:14:39
張さんが作った図面や書き込みのある本を見たときのショックは、余りにも凄くてガツンとくる強烈なものでしたが、鉄棒の回りで回転するなんて人間ワザとは思えません。
それこそ仙人の営みだと思うのですが、1人で1000人の仕事をこなしたということでしょうか。
1から1000まで自由自在に変わることができるのだし、数学者は数の秘術に長けていますから、最良の指揮官より数学者が優れているという考えに異議なし。
ユークリッドやデカルトが人類に与えた功績に較べたら、どんな名将軍の手柄も太陽の前のロウソクの灯に等しいと思います。

48藤原肇:2009/02/12(木) 16:55:29
ラグランジュと満月の関係についての話は荒俣宏の『帝都物語』の中にあり、それを読んだ時は平将門のことに関心を奪われ、江戸っ子の私にとっては神田明神の祭伸の将門が関心事だったせいで、三体問題に三角形が関係する程度のことしか理解せず、なぜラグランジュの方程式を登場させて、永遠の満月を論じているのか見当がつかなかった。
ただ、平将門を討ち取ったのが藤原秀郷であり、彼は平泉文化を築いた東北の藤原の宗主だし、若い頃に近江の瀬田の唐橋で大蛇に頼まれて、三上山の大百足を退治したことで有名だ。この百足は円錐形の山を七巻き半していたので、鉢巻よりも短いというオチになっているようだが、鉢巻は球(あるいは卵)の周囲を囲む渦巻きとすれば、円錐の渦巻きは球の渦巻きより劣位で、その間に円筒の渦巻きが位置していることは、射影幾何学からしても予想できるし、張さんの鉄棒を使った回転は円柱の周りの螺旋運動だ。
それにしても、天文幾何学を知っていたメソポタミアの古人にとって、永久に停止し続ける満月というアイディアは、どんな意味を持っていたのかが興味深い。
しかも、百足は鉄の別名で武士の宝の武器と争いを象徴し、竜宮は「金銀珊瑚綾錦」て平和な理想郷だから、ことによると「戦争と平和」のメタファーだったのかも知れない。
スワスチカ自体が回転方向によって逆になり、戦争を司る魔神のシンボルになるか平和の神になるかは、締まると緩むとのネジの回転と結びついているし、それはアドレナリンとドーパミンの関係と同じで、情動と理性の問題やミランダとクレデンダとして、文明と野生のいう具合の西洋的な二項対立と、インドで生まれたゼロがその間に入ることで、中庸で天地を総合する東洋の「ジャンケン」思想になり、それが目出度いトーレスの満月になりそうだ。

49藤原肇:2009/02/13(金) 07:33:30
その頃に『間脳幻想』の読者として珪水さんの接触があり、彼は修験をした北海道に住む晴明流の風水師だから、上京して締まると緩むについての秘儀を教えてくれたが、江戸っ子の私が知っておく必要があるといって、大手町にある平将門の首塚に案内してくれた。そして、現在の神殿は西向きだから人は西側から参拝しているが、これは間違いで南側にたって北の神殿に拝するのが、本来のやり方だと教えてくれたのである。
そして、寝るときも南北の方向に体を横たえることが、休養のための夜の過ごし方だからベッドを南北にして、そうやって寝ることが健康の秘訣だと示唆した。そういえば人間の血液には鉄が存在していて、これと磁性の関係は未だはっきり解明されていないが、鳥や魚の動きが磁性に支配されているのであり、大地の持つエネルギーである土地の気の正体は、磁場におけるホワイトホールとしてのツボだから、ことによると古代人は石を使ってストンサークルを構築し、そのエネルギーを満喫して讃えたが故に、神殿は地質学的に興味深い場所に立っていると考えていい。
また、神社が鎮守の森として大樹に囲まれるのは、天の気を受ける避雷針の意味があるのは確実であり、しかも注連縄には螺旋運動としての象徴性が秘められていて、出雲大社に行って圧倒的な注連縄を目撃したことで、渦巻きと螺旋への興味が果てしなく高まった。その頃に古神道の源流を求めて日本の神社を訪ね歩き、『パワースペース』に宇佐神宮の訪問記を書いたり、世界各地のペトログラフィの遺跡を訪れたが、ピラミッドを始めとして石を使った建造物には、興味深いことに黄金分割とパイが織り込まれているから、フィボナッチ数列の世界を満喫する上での天国であるといえた。

50千々松 健:2009/02/13(金) 18:39:23
21世紀の科学はモジュラー形式を含んだ「数論」の出番であると思われます。

確かに20世紀末は「自己組織化の基礎原理」を求めようとしたニューサイエンスのブームでしたが、付け焼刃の神秘主義の限界とオカルト化の様相を呈して沈静してしまいました。
理由を一言で云えば、なんら数学的ツールを見つけることができなかったからでしょう。そのような中で「フィボナッチ数列」にこそ、その解が在ると見抜いて居られたのが藤原博士だったわけです。
また「宇宙文明におけるホムンクルス」としての大ピラミッドの研究者達も、古代エジプト人が「Φ=神聖比例/神意の均斉/黄金分割/黄金比」に宇宙の秩序があると確信していたことに対して、共時性と通時性とを見つけることになるのです。
古代エジプトに学んだピタゴラス教団もフリーメイスン達も、錬金術師に象徴される探究者らも共通項は皆 Divine Proportion を如何に操られるかを捜し求めたグループであったといえるのではないでしょうか。

51千々松 健:2009/02/13(金) 19:55:37
ピタゴラスの定理の原型となった「円に内接する正五角形」ついて観察すると、10等分して得られる直角三角形(5:4:3)を30度の頂点を軸にして5の斜辺で一回折り曲げてコピーし、次には4の垂線で折り曲げてというように直角三角形を回転させて行き、9回折り曲げると大きな正五角形が出来上がるわけです。
元型が一つあれば、あとのコピーは9回で済むわけです。この「9」という数に着目します。

「10のどんなベキも9で割ると1が余る」
10^n ≡ 1( mod 9 )
【=ではなく、≡ ガウスの合同記号です】
例えば n =3のとき 1000=9×111+1 なので 10^3 ≡1(mod 9)
10^n だけでなく、すべての数を「法9(mod9)」で考えれば、
すべての数を0(mod9)から8(mod9)の9種類で表わせることになります。
これがモジュラー形式の偉力ですが、古神道における「ひふみ算」の本質(秘術?)なのです。

以上、直角三角形を9回折り曲げると完成するペンタゴンと法9ですべての数を9種類で表せることに関しては、9という数が共通しており、何か因縁が感じられるのです。

52千々松 健:2009/02/13(金) 21:53:06
宇宙の「三体問題」は良く解からないので、とりあえずはパスして、別の三体問題へ転進します。
まずは精神の三体問題として「感性、ロジック、経験」を茂木健一郎は提唱しています。
それは、要するに「人間力の智仁勇」であると思われます。智はロジック、仁は感性、勇気ある行動は経験に繋がります。
「こころ、ことば、こうい」といった方が簡単かもしれません。
畢竟、心は○に、言葉は△に、行為は□のイメージとなります。基本の図形は三つです。
そして、飛躍を恐れずに勇気を持って前進して、先に若干触れた「球と円柱と円錐の体積と表面積の関係」を新たな「三立体問題」として取り上げたいと思います。
直径1の球体とそれに外接する円柱体および、その中でできる直径1、高さ1の円錐を考えて数値の比較をすると、前にも見ましたように 円柱:球:円錐 の体積比は 3:2:1 で 表面積比は 3:2:Φ となるのは周知のことです。
しかし、自然の世界は円錐体も円柱体も存在しないのですから、全て球体の集合で描き切らねばならないのです。メタボールというのがCGの世界には言われていますが、まさにそれなのです。
本当はどこまで行っても本当の直線は現われないのですが、ほぼ直線と人間には観られるので良しとしましょうの世界なのです。そして、打ち上げ花火の大菊華を見るならば、くす球の中の一つ一つの火薬玉が中心から円錐型に拡散して、綺麗な立体花火を描いていることに気がつくのです。したがって円錐体の集合で球体となっていることも理解されるのです。
それにしても、球体と円錐体の表面積の比率にのみに「Φ」が現われてくるのは不思議です。
でも、円錐体を横から投影すれば三角形ができ、底辺を2とすれば、高さは2、稜線はピタゴラスの定理から√5となるのですから、当然にΦが関係してくるのでした。

さて、立体的な三乗の世界にはなく、平面的な二乗の世界にのみ「Φ」が現われるのはどうしてでしょうか? それは次回に譲ります。

53藤原肇:2009/02/14(土) 00:37:20
螺旋が円柱、球、三角錐の形で運動するのを体現しているのが、回転うんどぅしているコマや張さんの鉄棒逆転りであり、この次期に日本はオカルトや神秘主義が蔓延していたので、理性やサイエンスを抜きにした神秘へののめりこみは危険だと思い、それを歴史的に批判する必要があると感じたのだった。
そこで、『パワースペース』に体験の一部を「オカルトブームの罠」として連載したが、その頃にオウム真理教事件で雑誌が休刊になって、執筆は中断したまま現在に至っても本にまとまらない状態が続いている。
それに代わって興味の対象として登場したのが、明治の近代化への橋渡しをしたフルベッキ先生の役割についてであり、脱藩クラブによく顔を出していた読者の一人が訪米したときに、フルベッキを囲む幕末の志士たちの写真を貰いうけ、それが契機でフルベッキ先生の足跡を求めた旅が始まった。
芝白金の明治学院大学を訪ねて資料探しに明け暮れ、図書館にある資料を二日懸かりでコピーしたり、長崎に出かけて現地調査をしたりしたものだった。だが幸運にも、ある時期から亀山さんが上野彦馬の撮った写真の謎に取り組み始め、かなり良い線を行く論陣を展開し始めたので、それは彼に任せて鹿島磤さんとの付き合いの関係で、明治時代全体の展望ということに回帰し、同時に再びフィボナッチの世界に戻ったのである。
いずれにしても、幕末から明治十四年の政変までの時期の歴史は、歴史よりも小説の世界が支配的なイメージを持ち、ある意味では未開拓の領域に属しているので、これから若い人が活躍できるフロンチアに属している。
そんな十数年前のことが次々と蘇ってきて、頭の周りを思い出のコンステレーションが広がっていくし、珪化木を並べたストーンヘンジの中にいることで、これまで断片的に孤立していた知識が結びつき、連環の帯を作っていくというのは実に興味深いことであり、百学連環の世界が走馬灯のように展開していったのだが、それを大きな紙の上で展開したのが張さんだったのである

54千々松 健:2009/02/14(土) 23:06:26
張さんの鉄棒人間大車輪にヒントを与えられて、二次元平面と三次元立体に迫ります。
先に見た 円柱、球、円錐は立体ですが、側面からの投影図はそれぞれ正方形、円、三角形になります。
そこにできた平面図を今度は中央を軸にして回転させると、また元の立体がイメージできます。
元の二次平面が「陰」で、回転によりできる三次元立体を「陽」と見なすことができると思います。
従って、張さんはこの陰と陽の関係について身体をもって証明して見せたということになると思われます。

それらの立体(円柱:球:円錐)の体積比は3:2:1 表面積比は3:2:Φ ですが、元の平面図形(正方形:円:三角形)の面積比は 4:π:2です。
面積と面積との関係の中だけでπやΦが出現します。
それは、X^n + Y^n = Z^n を満たす自然数は3以上に解がないというフェルマーの最終定理を思い出させます。
無論のことn が2の場合がピタゴラスの定理に他なりません。ケプラーの定理も面積が問題ですし、アインシュタインのE =mc^2 にしても光速度という距離の二乗ということになるので、やはり面積が問題となっているのですから。
また、静態的か動態的かが問われているのだと思います。「自己組織化の基礎原理」は動態的でなければなりません。変化を起こす「何か」がなくては静止のままです。「拡散と集中」のフタツの方向性は円錐螺旋(ネジ)を左に回すか右に回すかに他なりません。
そこで、ファウストの魔女の九九よろしく 9^2=81≡=0(mod9)を新たな数学ツールとして活用すれば、面白い展開が可能であると予想しています。

55藤原肇:2009/02/15(日) 07:12:12
千々松さんの指摘は見事だと思う。
私は張さんがカレンダーの裏を使った思想のフローチャートに驚き、読者に見せるためにそれを借りて東京にもって行き、脱藩道場や脱藩クラブの集まりで披露したことがあるので、その内容に目を見張ったのを記憶している人も多いはずだ。十年ほど前にタマイラボ出版の玉井さんも一緒に台湾を訪れ、恵林農場で数日過ごしたときに張さんも共に行動して、一緒に山の斜面に檜の植林を手伝ったことがあるが、その苗が今では幹の太さが直径十センチくらいになり、人を育てるのに続く木を育てる喜びが実現していた。
植林した後でわれわれは張さんの家を訪問したのだが、そこで数十枚のフローチャート図を見て感激した玉井さんは、その出版化を考えたいといって日本に持ち帰ったが、その後その企画が具体化したとは聞いておらず、実に惜しい宝が眠ったままになっている。若い頃の玉井さんはブラジルで新聞記者として活躍し、物凄いエネルギーの持ち主で問題意識を誇り、出版人として素晴らしい感覚と判断力を持っていたので、きっと出版する価値があると考えたいに違いない。ただ、彼も寄る年波と不況による閉塞感で気力が衰えて、やる気を失っているとしたら残念であるが、フローチャート図の在りかが明らかである以上は、誰かがいつかそれを活用したらいいと期待する。

56千々松 健:2009/02/16(月) 08:39:45
張さんの描かれたフローチャート図を機会があれば拝見したいものです。
ところで、先日のTV番組で、竹下景子が「ココロはどこに在るのでしょうか?」と富良野塾の訪問者に質問をしていました。
。。。カラダ全体にあるというのが一応の答えでした。それにヒントをもらいました。
宇宙巡礼の「クラインの壺としての人体」の図を思い出しました。そして、生命体の基本構造は一本の消化器官にあり、アメーバから始まって人間に至るまで、広い意味での腸管が全てに共通しているわけで、その腸管がメビウスの輪のようになって生命体を複雑に形成していったのが生命の拡散であったと考えても良いと思ったのです。
竹下さんの表現にあるように「カラダの一部分にもココロ(感覚と反応)がある」といえるかもしれないのです。
五臓六腑も手足も脳さえも、大切な腸管(栄養を摂取してエネルギーに変換する機能)を助けるための補助機能を果たしているだけなのです。納得するとか腑に落ちて知るとか身体が知るとかは実のところ「ハラ=腹」が知るという意味であったのです。

その「ハラ」ということばで大切なことを思い出しました。
『ハラとは、螺動旋転(螺転)(螺旋状に転回する)神力である。タカアハラ・タアマハラ・カアマハラの三大根本神力のそれぞれに付いているものである。もし宇宙に直線しか無いとすれば、その表現は単調なものになってしまうに違いない。ところが螺動旋転の神力が存在することによって、宇宙は無限の無限の妙趣ある表現で一杯となっているわけである。変身自在・無限循環の至妙を顕現している根底には常にハラ神力の神秘が宿っているのである。』(古神道関係からの引用です)

57藤原肇:2009/02/16(月) 13:15:44
張さんは七年ほど前から行方不明の状態が続いており、色々と手配して探したのだが探し当てることが出来ず、音信不通の状態がこれまでずっと続いてきた。
読者に見せるために借りたChart of Essence of Fujiwara Axiomを台湾に持参し、返却しようとしたら「頭の中にあるのであげます」と言って渡してくれた。同じように玉井さんにも持ち合わせたチャートを全部渡したが、あれは彼にしたら形見分けだったのだろうか。
張良も晩年は山の中に姿を消して行方不明になり、羽化登仙で黄色い石と着物が道端にあっただけで、遺体や姿は消えていたと司馬遷は『史記』の中に書いている。私の手元には黄色の石や衣類ではなくて、隠士・天才倍育理論者、張錦春、仙人の雲遊四海と書いた、緑色の名刺とチャートが残っているだけである。
本来ならば張さんも恵森農場に住んでいただろうに、今では彼の姿は地上では見かけないとしたら、何とさびしいことだろうという感慨に包まれた。それにしても誰かが後継者として彼が残したMacocaMの思想を発展することで、不思議な回文の世界を継承と発展をして欲しいと思う。張さんとは実に不思議なめぐり合いであった。

58佐藤喜美子:2009/02/16(月) 18:35:55
昨年の夏 偶然にパームスプリングスで藤原先生とお会いしました。最初の印象が強烈で只者ではないと直観しましてそれから先生の御著書を熟読しております。この度台湾の仙境の地に移り行かれることは寂しくもありますが常に節目を大切にされてきていますので これからどんな人生の完成期を見せてくださるのか楽しみでもあります。青年期の石油ベンチャービジネスと壮年期のジャーナリストの時代は常に御自分に厳しい修行を課したチャレンジの連続であったようにお見受けします。「慧智研究センター」の理念に環境問題と宇宙原理を掲げその研究課題の一つにフィボナッチ数列を加えたのは今までとは違った人生を楽しもうという余裕を感じるのは私だけでしょうか。フィボナッチ数列はアメリカのほとんどの高校生用のアルジェブラの教科書に載っているほど有名ですが詳しく書かれていません。これを掘り下げて藤原先生が確信されているように宇宙を支配している最も偉大な大法則であることを世界に掲示できるとしたら何と素晴らしい事でしょう。ここは私たち読者も一緒に研究してみようではありませんか。先日お会いした時に「仙人的な生活をされるのですか。」とお聞きするとしばらく微笑んでいられましたので慌てて「張さんのよう逆上がり回転の修行をするかどうかお聞きしたのではありません。」と言いますと「仙人と隠者は違います。後者は心や腹の中にエネルギーを十分漲らせていますが周囲の環境があまりにも汚れているので自然の中に身を隠すのです。」とおっしゃいました。納得しました。ストーンサークルに座って読書と瞑想を心置きなく楽しんでいるお姿が目に浮かびます。そして教えを受けたり本を読んだりして先生に続く人材が育っていく事を期待しております。ささやかながら私もその一人になれればと思います。


59千々松 健:2009/02/16(月) 21:30:49
磁石の針が左右に揺れながら北を指すこととや、時計の振り子が左右に振れることをイメージしていたら、八の字、いや捻りが入ったメビウスの輪のような8の字が浮かび上がったのです。
常に静止していたら役に立たないが、常に動いているから役に立つのでした。
その意味で「ラセンモデル」はメビウスの輪であり、クラインの壺であると確信しています。
物事すべての拡散や集中あるいは開いたり閉じたりは円や楕円や螺旋運動が在ってこそ生じるのだと考えて良いと思います。
カメラの絞りやシャッター機能に類比させると理解しやすいかもしれません。

60千々松 健:2009/02/16(月) 21:45:30
仙人の黄石公が張良に授けたという戦略(仙略?)により、張良自身が功を成した晩年に仙人になったというのは感慨深いものがあります。
黄色い石は鉱物界を、着物は蚕か綿花にルーツがあるので生物界をイメージして、鉱物界と生物界(生命界)あるいは物質と精神とを融合せんとして、忽然と消えた(気を得た=エネルギーに化した?)のだと思われます。
行方不明の張さんはまさに張良の遺伝子を受け継いで居られたのでしょう。

突然話が変わって済みません。
もしかすると北投温泉や玉川温泉は太古に隕石が落ちた場所ではないでしょうか?
北投石は隕石の一成分かも知れないと考えたり、衝突で何らかの磁力が発生したりした結果で、生命の発生に関しても何か良いことが起きたのではないでしょうか? 
チョット!チョット!と云われそうですが、そんな場所が「仙境」なのかもしれないと考えるのは面白いと思われませんか。

61千々松 健:2009/02/19(木) 13:17:27
サンスクリット語のパンニャーをその音声から漢訳した般若(はんにゃ)は智慧のことですから、慧智は若般にすれば「逆序に理」に叶うかも知れません。
すると不思議なことに、「若般」をにゃはんと読めば にゃはん<にほん<日本 に通じ、一方 じゃくはんと読めば じゃくはん<じゃくぱん<ジャパン と通じます。
二つの方向からジャパンと日本という呼び方のルーツに共通する点が見えてきます。
老若男女、若輩の読み方から「若」はにゃく、じゃく、にゃ、が在りますが「若い」は転化したのでしょうか。草かんむりに右の組み合わせの漢字から推理すると、古代人が若い芽や枝葉や右回りに成長すると観察したのでしょう。ですから逆に、草かんむりに左の字をイメージすれば老人から「若人」に戻れることになりそうですね。
これぞ、若返りの秘法でしょうか? ただし、残念ながら草かんむりに左の漢字は見つかりませんでした。

ところで、作家の埴谷氏の名前は本名の般若から採ったものであることを先日知りました。
はんにゃ<はにや<はにわ(埴輪)!? 彼が晩年まで9章にわたり書き続けた「死霊」に「三輪」という名前の重要な人物が出てきます。大三輪>大宮は宮殿>神殿にも通じます。もしかすると埴輪はストーンサークルの代用かもしれません。ケルト文化にも三つの輪が繋がるような文様が見られますが、興味深いものです。

62千々松 健:2009/02/19(木) 15:04:12
以下は一つの名前遊びとしてお許し下さい。
ご苗字の「藤原」からは <ふじわら<フジハラ<不二ハラ<富士波螺<富士輪羅 のように意味を変容させて想像して行きました。
富士山は八字を描いたような綺麗な円錐形のカタチをした世界に誇る信仰の山です。二つと無い不二でもあります。波は波動で律動です。輪は円の連環で、螺は螺旋で、羅は森羅万象の羅になろうかと思われます。
(また<56のハラ=神力とも云えるかも知れません)
お名前の「肇」からは <はじめ<宇宙のはじまり<天地創造 が思い出されます。
暗闇の戸を開き、絵や文字を筆で書きはじめるという意味になります。嬉しいことに漢和辞典に「肇造(ちょうぞう)」=創造と出てきました。
すると、藤原肇博士の名前の存在感がイメージと共に浮かび上がって来るのです。

名前遊びは研修のインスピレーションゲームなどでもよく使います。
「肇国」し直すためにも、やはり基本は人材を得ること、育てることが肝心要なのだと思われます。

63藤原肇:2009/02/20(金) 02:07:40
研修のインスピレーションゲームに使う名前遊びということで、千々松さんが私の名前に関して想像力を発揮して、色んな興味深い展開をしてもらえて楽しく読みました。千々松さんは名前を文字の面から捉えて、その意味論を展開しているわけですが、同じように音の面から捉えても面白い結果が生まれ、それを言霊という形の神秘主義に結び付けないで、言語の持つ系統発生的な遺伝子みたいな形で考えたら、面白いと考えたことがありました。
なぜならば、文字の発生は官僚制度と結びついていて、記録をつけるために発達したと言われており、それ以前は言葉による伝達と記憶が主役で、ナレーションが文学や歴史の表現として活用されたというのが定説です。だから、『古事記』の太安万侶は暗記した語り部に属し、『平家物語』や『太平記』は琵琶法師が物語り、『イリアース』や『オデュッセア』のホメーロスも盲目の吟遊の語り師で、出雲大社の千家も口伝で物語るそうです。
ところで、長い海外生活を通じて感じたことは、名前の持つ音にはリゾーム的なものがあり、私の肇という名前をローマ字て書いてみると、HAJIMEにな真ん中にJIMがあるので、米国では私の俗名はジムということになるし、アラブ世界ではメッカ巡礼をし終えた人としてハッジと言い、スペイン語にはハイメという名前があるし、中東ではハイムとして呼ばれてきた経験があり、はじめは一として始まりの意味があるわけです。
だから、ファイを導関数で現すと総てが1で構成され、そのことはメタサイエンスの論文の二ページ目に書いておきました。
Holocosmics: Beyond the new horizon of a unified theory in the Meta-Sciences

64千々松 健:2009/02/20(金) 12:29:57
はじめの一歩。。。個人的には中東式の「ハイム」が一番好きです。
言語は音声言葉による語り部・口伝の時代が長く存在していて、文字の歴史はごく最近のことであったということを再認識しないといけませんね。

フィボナッチ数列と関連する「Φ」が導関数として総てが「1」で構成されているというのは何と美しいことでしょう!
1を使ってルートか分数のみで無限に拡散して、しかも Φに戻り集中するのですから。

また、HolocosmicsのFig.4:「NULL CONE」の図象は下記の「ゼロ点螺動モデル」と同様なことを意味しているのではないかと観想いたしました。
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/pythagoras/P&F3.html

65藤原肇:2009/02/21(土) 04:49:24
一月八日に謝さんが台北から農場に戻ってきたが、「藤原さんかここに住んで楽しんでくれることで、私にとっては今後がとても楽しいし嬉しい」いって、正式な形で私に次のような確認の手紙を作ってくれた。
LETTER OF PROPOSAL
January 8th 2009.
Dear Dr. Hajime Fujiwara︰
The executive board of the ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ Foundation is proud to nominate you as the Director General for the newly founded Research Institute of Cosmic Wisdom (RICW) [慧智研究中心] in Beipu‚ Taiwan‚ starting on April 15, 2009.
Your esteemed present knowledge and past research in the relationship between life and cosmic wisdom are high hopes that inspire our future study and activity. Moreover your concept for solving the current global warming problem is the most advanced in the world at the present time and your contribution could be very great. It is possible to say that it will be beyond our imagination.
Please accept our sincere offer. We will be very proud to invite you to our new institution to do further research in the relationship between nature and human lives with harmony and wisdom.
We deeply appreciate your consideration of our ideal. We hope your contribution and leadership will be great assets for not only our organization but also for human civilization.    Sincerely,
こんな光栄なことはないので感激した私は文書をしたため、米国を引き揚げ四月からここに移り住むことを約束し、実り多い台湾訪問の旅行のクライマックスを迎えたが、ここに一月の体験として1,1,2,3,5,8,という実に不思議な序列に従った、フィボナッチ数列に支えられた地上巡礼が一段落したのである。
(注記::「英語版Japan's Zombie Politicsの出版について」の81),82)で慎重であれとのアドバイスがあったので、それを有難く受け入れることにして、正式な名称の代わりに◎◎◎Foundationという形の記述にした。)

66千々松 健:2009/02/21(土) 15:46:08
Letter文中の<with harmony and wisdom>に注目しました。
聖徳太子の「憲法十七条」のはじめに曰く『和を以って尊し』の「和」が「Harmony」に当たるのではないかと思いました。音声的には 和<倭<ワ<輪<環とイメージが広がります。
そして、偶然ですが太子が師事した高句麗の仏僧の名前は慧慈(えじ)で、もう一人の太子の空海が入唐して会った慧果(けいか)も「慧」が頭の方に付きます。
「Wisdom」は叡智(えいち)ですから慧智(えち)に音声上は近いですし、智慧の逆序の理から発想された「慧智研究中心」は大変好い名称と思われます。

ところで、東京羽田と台北の松山空港の間に直行便が来年秋から運航されるとのニュースを聞きました。また、北京と台北の故宮博物館同士の交流が盛んに進められていますように、多少明るい兆しも見えて来たようです。
春遠からず。4月の引越しがスムーズに為りますように。

67千々松 健:2009/02/22(日) 22:23:55
不老不死のシンボルでもある「ウロボロス」は蛇が自分の尻尾を咬んでいるカタチですが、蛇は巳とも呼びますから、巳輪<ミワ<三輪に通じて、老子のはじめた道教の三徳や三星の「福禄寿」に通じることになります。
直角三角形に関する定理で有名なピタゴラスがギリシャでモナドを提唱し、その後ライプニッツが神と人間の関係においてもモナドを見いだそうとして、カルバンの予定調和説に近似したのは、西洋にのみ近代科学が始まった理由の重要なポイントであろうかと思われます。三位一体は巳輪や三輪のジャン・ケン・ポンの世界でもあったのです。

それにしても「モナドの中にはあらゆる宇宙の全体が組み込まれている」という考え方はスゴイです。
ライプニッツは行列式や二進法を見いだして現在のコンピュータ世界の基礎をつくったわけでもあるし、ドイツ哲学の父といわれているわけですが、数論のモジュラー形式について、特に「mod9」についてはどこにも触れていなかったのでしょうか?

68千々松 健:2009/02/24(火) 08:42:39
>66 小室氏との対話の中から見つけました。
藤原:しかも、孔子が「和して同せず」とわざわざ注釈しているのに、聖徳太子以来の「和をもって貴しとなす」という伝統が無規範的に拡大してしまい、いつの間にか、和することも同ずることも区別がなくなった。そして、和同開珎に象徴されるような円環の中に閉じ込められた全体主義の国になってしまったのです。

また、実藤遠氏の「宇宙生命の科学」から下記も引用します。P286
『われわれ人間は虚の世界のエネルギーである“霊魂”と、実の世界の物質である“肉体”とがハーモニーしてこの宇宙に現象して「永遠の中今」にいるのです。』

「おくりびと」のアカデミー賞 受賞を祝して!

69珪水:2009/03/01(日) 11:36:53
博士からメールが届き「間脳幻想」をボロボロになるまで読み解き現在三冊目に入り「手許から離さない」と仰っております、私も相当読み込みましたが、この方には到底及びません。素晴らしい方が居られるのだなーと、感じ入りました。また千々松さんのIQには一度触れてカタカムナのよもやま話など聞かせていただきたいと希望します。

70千々松 健:2009/03/02(月) 12:40:58
珪水さま、内地にお越しの節は、是非とも鎌倉へも足を伸ばしてください。
藤原博士とご一緒に神泉の宇野さん宅をご訪問されたとのこと、こちらこそカタカムナのシンズイに一度触れてみたいと願っています。
ここ鎌倉の地にも七福神が在り、坂ノ下にある御霊神社には「福禄寿」が祀られています。散策しながらの対話を楽しみにしております。

「7つの習慣」や「第8の習慣」でスティーブ・R・コヴィーは人間の本質を4つの側面から見ようとしています。その4つとは知的インテリジェンス(IQ)、情緒インテリジェンス(EQ)、肉体的・身体的インテリジェンス(PQ)、精神的インテリジェンス(SQ)で、これら天賦の4つのインテリジェンス(この場合は潜在能力)から「自分の内面の声(ボイス)を発見する能力(ちから)」が生じると述べています。
その「Q」はQuotientのことですが、辞書を調べると興味深いことに「割り算の答え:商」ですから「比率」ともいえるのです。天賦すなわち神から与えられたということからすれば、この比率は「黄金比」に他ならないのです。
人間にもフィボナッチ数列が刻印(ビルトイン)されていたと考えると面白いですね。

さて、西欧はPQとSQとを分けていますが、東洋では肉体と精神は無理に分けようとしない傾向が有りますので、我々も知的・情緒的・身体的の3つのインテリジェンスにして良いと思います。古代ギリシャではロゴス・パトス・エトスの3つとしていましたから、それに準じているとも云えます。
札幌農大でクラーク博士の影響を受けた内村鑑三は、武士道とキリスト教をハーモニーさせて、日本的なキリスト教の信仰を深めて生きたいと願っていたと思われます。武士道の「智仁勇」はまさに「知的・情緒的・身体的の3つのインテリジェンス」に該当するものです。また、キリスト教の父と子と聖霊の三位一体も、よくよく考えると、知・ロゴスは聖霊に、情緒・パトスは父に、身体・エトスは子にカサネることができるのです。

71千々松 健:2009/03/06(金) 15:17:18
【ゼータ関数との関係を覗いてみると・・・】
円周率と黄金比との関連を思考する過程で「すべての楕円曲線はモジュラー形式のゼータが付随する」という記述に出会いました。(「感動する数学」 桜井進著)
初めて耳にする「ゼータ」には興味が湧きますが、何分数学には弱いので、辛いところです。

「平方根の逆数を足し合わせた値はいくらになるのか」といったバーゼル問題をオイラーが解いて、リーマンがゼータ(ζ)関数として発展させています。
そのゼータ関数は無限を有限にする?面白い性質を持っていますし、ゼータ関数の逆数はメビウス関数で表せるそうですから、宇宙巡礼者の一人にとっては、まさに感動モノでした。

『オイラー級数 Σ1/n^s = 1/1^s + 1/2^s + 1/3^s + ・・・において
s>1のときは収束し、0<s≦1のときは発散する。
Sが2以上の偶数の場合結果はすべてπ^sの倍数になり、有理数×円周率のS乗となるのです。
ζ(2)=π^6 /6、ζ(4)=π^4/90、ζ(6)=π^6/945、ζ(8)=π^8/9450、ζ(10)=π^10/93555、』

注目すべき点は分母の数字です。6は6のままですが、その他の90、945、9450、93555、は全て9で割り切れます。すなわちモジュラー形式のmod9では0に置き換わります!これは何かを意味していますね。
Sが奇数の場合は難しくなることは別にしても、
次のように、Sが負数になると思いがけない結果が出てくるので、これにはビックリ仰天でした。
ζ(−1)=1+2+3+4・・・=−1/12
ζ(−2)=1^2+2^2+3^3+4^2・・・= 0
これらもゼータ関数の不思議な性質なのでしょう。

今年、21世紀マンダラとして公開した「神聖方陣とラセンモデル」との関連を考察します。
すると、フィボナッチ数列をモジュラー形式のmod9で表現したときに現われる12の陰と12の陽の循環に「12」という数字が見られます点、
およびフィボナッチ数列の第12項目目に当たる144=12^2の列も行も全てが0で埋め尽くされている点の二点で関連性があると思われます。

72千々松 健:2009/03/12(木) 23:38:53
「ハーモニー」に寄せて
会計学の父とも言われるルカ・パチョーリは、1509年に『神聖比例論』(印刷版)を上梓するに際して、盟友のレオナルド・ダ・ヴィンチに多くの幾何学的挿絵を描いてもらっています。そのレオナルド・ダ・ヴィンチは神聖比例について、詩文よりも絵の方が視覚的に示すことができる点で優れていると論じ、次のように主張したといいます。

『絵は物言わぬ詩文であり、詩文は盲目の絵である……最も高貴な感覚である絵からは、調和に満ちた神聖比例が生まれる……詩文の音楽的ハーモニーよりも絵の中の天使の顔の神聖比例的美のほうがもっと優れている。なぜなら、その造形が神聖比例的な一つの調和を生み出し、音楽が耳へともたらす調和と同じ効果を目にも与えるからだ。』

当代一流の芸術家によるイラストとヴェネチアで複式簿記をまとめたルカ・パチョーリの文章との統合により完成した「神聖比例論」の誕生から、今年は丁度500年目の記念すべき年に当たるのです。
同じくイタリア人のガリレオ・ガリレイが天体望遠鏡を自作してから400年目ということで今年は「世界天文年」で有名ですが、こちらの方も取り上げても良いのではと思い筆を執りました。
1,1,2,3,5,8,13... 明日は13日の金曜日です。フォボナッチ数列の第7項目が13とはラッキーかアンラッキーなのでしょうか?

73千々松 健:2009/03/16(月) 22:36:12
「FLKM系列」の相互関係式から
x^2+x−1=0 の方程式の解が Φとφ すなわちラージファイ(1+√5)/2 とスモールファイ(1−√5)/2 になる訳ですが、

フィボナッチ数列を3倍してできる数列をK系列にちなんでケン数列として呼ぶことにして、その性質を解くと下記の数式が出てきました。
 Φ^2 + 3Φ − √5 = 0 (Φ≒1.168)
 φ^2 + 3φ − √5 = 0 (φ≒0.618)
黄金比を産むフィボナッチ数列をmod9でモジュラー化して得られた「FLKM系列」同士の関係を見つける中で必然的に出てくるものですが、この式も2−3−5のフィボナッチ数で表現されているのは大変興味深く思われます。
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/pythagoras/Fai-fai.pdf

74千々松 健:2009/03/17(火) 21:17:29
>73を下記のように修正をさせていただきます。+や−が混乱してしまい済みませんでした。
「FLKM系列」の相互関係式から
x^2−x−1=0 の方程式の解が Φとφ すなわち (1+√5)/2 と(√5−1)/2 になる訳ですが

フィボナッチ数列を3倍してできる数列をK系列にちなんでケン数列として呼ぶことにして、その性質を解くと下記の数式が出てきました。
Φ^2−3Φ+√5=0 (Φ≒1.618)
φ^2−3φ+√5=0 (φ≒0.618)
黄金比を産むフィボナッチ数列をmod9でモジュラー化して得られた「FLKM系列」同士の関係を見つける中で必然的に出てくるものですが、これを眺めますと、2−3−5のフィボナッチ数で表現されているのは大変興味深いことです。
そもそも x^2−x−1=0 においても、2−1−1−0のF数列が見られるのでした。

75藤原肇:2009/03/23(月) 08:58:25
長らく住み慣れたアメリカを去るに当たり、アメリカ大陸で見落としていた穴場として、風光明媚な火山と軍隊のない中立国である、コスタリカを放浪してみることを試みた後で砂漠に戻ってきた。地球の温暖化で乾季の三月だのに雨が降ったが、それでもArenalとIrazuの二つの火山を訪れて、円錐形の山体や美しい火口湖などを満喫したし、国立博物館ではコスタリカ南部にだけ残っている、Stone Spheresと呼ばれる不思議な球体に接して、これがHolocosmicsの論文で論じたトーラスだと確信した。
そうなると後一つ残るのが円柱との出会いだが、それを捜し歩いたのに最後まで手がかりがなく、張さんの鉄棒に相当するものとは出会えないのかと心配した。ところが思いかけないことにサンロゼ滞在の最後の日に、新設の児童美術館の開館式に行こうとRoberto Lizano画伯に誘われて出席した。
そこは町の南の丘の上の元監獄を改装したもので、驚いたことにこれは英国のベンサムが論じたPanopticonであり、私は確かミッシェル・フーコの『犯罪の歴史』でそれを知り、監視や犯罪との結びつきについて感じさせられた。そして、アメリカに戻る飛行機の中で新聞を開いたら,AIGの役員の詐欺的なボーナス事件でアメリカは大揺れだし、自宅に帰りついてインターネットを開いてみたら、日本では公案畑から官房副長官に抜擢された漆間巌の指揮で、東京地検が国策逮捕を繰り返して騒然としており、行き詰った麻生が国家権力を使い牙をむき出しにして、カネに汚い小沢の追い落としをしていたと知らされた。
安定していた昔のStone Spheresの遺物がPanopticonを経て、千々松さんがかつて論じていた回転運動の中で、独楽が首を振って円錐運動を始めて倒れるプロセスによると、最後に火山の爆発として炸裂に移行するとしたら、この動態幾何学の行方は何とも薄気味悪いものを感じさせ、これがデルホイの神託として『己を知れ』によって、無知の知に二つあるという教えかも知れないと思った。

76千々松 健:2009/03/23(月) 21:37:42
「○△□−●」の流れを順序とすれば、「●■▲−○」の流れはまさに逆序になりますね。
ただし、私の『三拍子でワルツを踊ろう』の研修パターンでは、逆の流れを想定していなかったので、いずれ試してみようと思います。また○は自然、安定、調和、△は論理、化合、爆発、□は人工、道具、行為をあらわすと考えれば、○球(トーラス)、△円錐、□円柱が Stone Spheres, Arenal/Irazu火山, Panopticonと繋がります。
それにしても、Arenal/Irazu とはなんとも古代日本的な名前ですね。ビックリしました。

ところで、Stone spheres は日本の勾玉に相当するものではないでしょうか。そして、それを貫き通した長い玉の緒にして輪を作ると、それはウロボロスに見えてくるのではないでしょうか。
八尺鏡に自分自身を映して、己(自身)を知れば、二つの知、有知の知と無知の知が逆転することもありましょう。普通の鏡は左右は逆転して見えるものですから。しかし、刀=武器(軍隊)を持たないコスタリカの行き方は羨ましいですね。
なんだか「玉・刀・鏡」が出てきて三種の神器みたいになってしまいましたので、話を元に戻します。なにしろ図形の基本は○△□ですから、今後も忘れないで行きたいと思っています。

77千々松 健:2009/04/04(土) 13:21:05
「地球は青かった」これは宇宙飛行士のガガーリンが残した有名なことばですが、地球は「水」が生んだ生命の宿る奇跡の星であることを示唆していました。
H2Oの三体すなわち気体としては水蒸気、液体としては水、固体としては氷という三つの相が地球上には通常に現われている不思議さを思います。しかもその相の違いが温度にのみ依存するということを地球温暖化問題に関連して考えさせられるのです。

ところで、水が温度により形態を変えるのを、フィボナッチ数列から導き出されたFLKM系列の「数の流れ」との関係で観察するのも面白いかもしれません。
例えば気体はK系列で、液体はL系列で、固体はF系列だと仮定しますと、FLKM系列の中でも異色なK系列はそれら全てに共通するベースであると考えると良いでしょう。

「ミトロカエシ」とは要するに『気体、液体、固体という三つの相が異相界面作用をすると、宇宙的規模の現象が起ることの分りやすい解説である』―――藤原肇著「アメリカから日本の本を読む」の「謎のカタカムナ文明」(阿基米得)をWebテキスト上で見て、以上のことを思いついた次第です。
何と、我田引水?ですが、その点は水に流してください。

78千々松 健:2009/04/05(日) 12:47:54
「宇宙波動と超意識」の中で、砂生氏は『人間は何のためにこの世に生まれてきたのかという質問をよく受けます。これに対する答えは「人格を磨くためである」ということです。(中略)
人格を磨くとか人徳を身につけるとか、魂を磨く、意識を高めるという言葉は、すべて同じことを意味します。(中略)
意識を高めるための心構えを、最も簡単な言葉で表せば感謝、反省、実行です。』と述べておられます。

確かに「感謝、反省、実行」の三つがポイントであると思います。これらの人間力は「智仁勇」を身に着けることで鍛えて行かねばなりません。
感謝は他人に対して行なうものですから仁に関係し、反省は本質を捉える知ということで智に関係し、実行は一歩前に出る勇気が伴いますので勇に関係すると言えます。
それを図形の基本に重ねて、○△□で思考するとインスピレーションが鍛えられるはずです。そして「三拍子でワルツは踊ろう」の軽快なリズムでもって生きたいものです。

79千々松 健:2009/04/10(金) 10:57:04
「国家の品格」を書かれた藤原正彦先生は33年間勤められたお茶の水女子大学をこの春めでたく定年退官されました。
数学者として、文学者として、また海外生活経験者として豊かな見識を持たれた方ですので、大学組織を離れての今後の出筆活動が楽しみです。
退官記念講演では、やはり「数学の美しさ」を述べておられます。単純が複雑を統制する美しさや、調和(ハーモニー)に美を感じることのできる数学者になるためには美的感受性が必須であり、数学はむしろ文学に近いと述べられていました。
確かに数学は森羅万象を記述する言語であり、自然科学に役立つものであっても自然科学そのものではないのです。

この「森羅万象を記述する言葉」がいわゆる「天書」であり、その中身は「数の流れ」であり、「フィボナッチ数列と黄金比」であると考えて良いと思います。

80藤原肇:2009/04/20(月) 12:01:25

慌しい引越しを終えて太平洋を一飛びし、台湾の慧智研究センターに着任しました。
それにしても、山奥にある農場は山紫水明で風光明媚とはいえ、余りに遠隔地に位置する仙境のせいで、インターネットの便が至って悪く情断が支配し、世界情勢が全く分からない状態が続いています。電話回線を使った旧式システムのために、三台持ってきた日本語のコンピュータは使えず、書いた文章をフラッシュメモリーに移して、それを中国語のコンピュータに貼り付けて送信するので、文章一つ書くのに何倍も時間がかかります。
文明を謳歌した環境の中でスポイルされ、すっかり人造人間になり果てた自己に遭遇し、大自然の中で不自然な自分を再発見して、最初の数日間はショックに見舞われました。レヴィ=シュトラウスのブラジルでの体験が、裏返しの状態でメビウスの輪を作って、『悲しき熱帯』を追体験させたのなら天の采配です。自然に恵まれた環境を野蛮だと嘆く前に、野生とは何を意味するかについて吟味して、これからの生き方を考える必要を感じました。
周辺を眺め渡すと草木は生命力に満ちており、沸き立つ霧や流れる雲を背景にして、乱舞する蝶や露を宿す大きな蜘蛛の巣にも、渦や螺旋を読み取るように目が慣れるに従い、フィボナッチの世界に包まれていると感じます。しかも、再び体の中に活力が漲り始めたことが分かるので、徐々にしても良い構想が湧き上がりそうです。

81千々松 健:2009/04/23(木) 11:09:29
藤原博士が無事に「仙境」へ軟着陸されたことをお喜び申し上げます。

スレッド番号81から81=9×9をイメージして
「FLKM系列」は多次元にも出現する!
フィボナッチ数列をmod9で観ると11-88のF(フィボナッチ)系列となり、F系列を二次元に展開して掛け算をし(すなわち面積を出し)同じくmod9で観ると11-88のF系列の他に22-77のL(リュカ)系列、33-66のK(ケン)系列、44-55のM(ミチコ)系列の四種類の数の流れが出現することを明らかにして来ました。
そこで今回は更に、立方体の3次元に拡大して(体積で計算して)も同様な数の流れが現れることを確認しました。
このことは、何を意味するのでしょうか?
どんなに次元を増やしていっても、モジュール形式の「mod9の世界」で観れば、フィボナッチの世界は循環に置き換えられることになるだろうということです。
そして、縦にも横にも隣同士の数を足したものが次の数値に成るというごく単純な計算と24毎の繰り返しのラセン形状が観察されるのです。
多分ピタゴラスの『万物は数である』やヘラクレイトスの『万物は流転する』はこのことを示唆していたに違い有りません。

82mugcup:2009/04/26(日) 03:00:46
初めまして、藤原氏の「日米文化会館騒動に見る日系モミニュティの混迷」
を毎日新聞社から送られてきましたので拝見しました。今私が公開している当地の
日系社会に重なる部分が多く、藤原氏のするどい読みに拍手を送りたい気分です。
LAの日系社会とはほんとうに、、、もしよろしければご覧になってください。

http://mugcupsusa.cocolog-nifty.com/

また当地在住のS氏は藤原氏とは懇意にあるとかで藤原氏のご活動に関してのお話は伺いました。
今その方からいただいたい「小泉純一郎と日本の病理」を拝見中です。

83千々松 健:2009/04/27(月) 21:39:20
フィボナッチ数列(F系列)の整数倍がFLKM系列に他ならなかった!
 元来のフィボナッチ数列は
1,1,2,3,5,8,13、21,34,55,89,144、233,377,610、987,1597,2584・・・ですが、
これを9で割った残りの数に変換すると(すなわちmod9でモジュラー形式にすると)
1,1,2,3,5,8,4,3,7,1,8,0,8,8,7,6,4,1,5,6,2,8,1,0、その後は1,1,2,3の繰り返しとなり、
24項目毎の循環性が観察され、前半の12項目と後半の12項目を重ねると1+8=9=0のように全てが0になります。
そして、この24項目を多次元に掛け合わせて出現する四種類の数の流れを「FLKM系列」と呼んでいます。
(この点に関して初めての方は「神聖方陣とラセンモデル」で検索願います)

 本日は、藤原博士をはじめ「宇宙巡礼」をご覧の皆様へ新たな考察で明らかになりましたことを一番にご報告させていただきます。
「1,1,2,3,5,8,4,3,7,1,8,0,8,8,7,6,4,1,5,6,2,8,1,0」をフィボナッチ(F)系列と呼ぶと、
L系列は2×F、K系列は3×F、M系列は4×Fといえることを確認できました。もちろんmod9の世界で見るという前提ですが。
例えば1,1,2,3,5,8を2倍すると2,2,4,6,10,16、になりますが、mod9では2,2,4,6,1,7、となります。これを隣同士の数を足して次の数になるようにすると「2,2,4,6,1,7,8,6,5,2,7,0,7,7,5,3,8,2,1,3,4,7,2,0」が生じますが、この中にはリュカ数
の1,3,4,7が綺麗に入っています。22-77に特徴が見られます。(L系列=2×F系列)
従ってFLKM系列はF系列を整数倍したものに相当すると言えることになります。
では、5倍はどうでしょうか、それは4倍したものと前半と後半を入れ替えたものになります。同様に6倍は3倍に、7倍は2倍に、8倍は1倍に相当するのです。足して9になるところが何とも不思議です。

84千々松 健:2009/05/02(土) 19:34:47
 先週から新型インフルエンザの人間への感染が確認されて、世界的に騒ぎが広まっています。
A型インフルエンザウイルスの構造についてはHAが16種、NAが9種あり、それらの組合せで144種類の型(亜型)が理論に存在するといわれています。
今回の「H1N1」は1918-19年に流行したスペイン風邪と同型といいますから、90年目の再来でしょうが、無事におさまってくれることを祈ります。

 さて、ウイルスの構造とフィボナッチ数列を結び付ける何かがないかを見てみました。
そもそも144の数はF数列の第12項目に現れる数値です。
16×9=144、16=4^2、9=3^2、144=12^2 
9はmod9の9との関連で、また16=4^2はFLKM系列の4種類の数の流れとの関連で考えることが出来るのではないでしょうか。144はmod9では0になる最初のフィボナッチ数列でもあります。
古い資料ではHAは15種類までしかないのですが、web検索の結果2005年に16種類目が見つかり最新ではHAは16種となっています。これで全てが出揃ったと言えるでしょう。
 フィボナッチ数列の殿堂が役に立つ分野は図り知れないのですが、このような分子生命科学辺りが一番早い成果を上げる分野になるのではないかと思っています。

85千々松 健:2009/05/04(月) 22:56:45
「自然の真の意味は、数が示す調和の中にしか見い出せない」としたピタゴラス学派の確信は間違いではなかった。
「宇宙の核心に秘められている数学的秘密をあばく鍵」・・・それはフィボナッチ数列とモード9である。
「宇宙のデザイン原理」はフィボナッチ・リュカ・ケン・ミチコ系列の4種類の数の流れにある。
「全てを包み込む自然法則」はシンプルで、平明であり、美しい。

 東洋の生んだ曼荼羅Mandalaは宇宙の本質を表わしたものと言われているが、この『神聖方陣とラセンモデル』は日本の生んだ「21世紀のマンダラ」と言えよう。

86千々松 健:2009/05/05(火) 09:06:15
プラトンの夢、アインシュタインの夢、そして私たちの夢を「超弦理論」は、やがて叶えてくれるでしょう。

超弦理論によれば、自然界の4つの力(電磁気力・強い力・弱い力・重力)は弦の振動状態の4つの違いとして表され、理論が無矛盾であるためには時空は10次元(時間は1次元、空間は9次元)が想定され、我々の住む時空は4次元(空間の3次元と時間の1次元)だけに開かれていて、残りの空間6次元はコンパクト化されて閉じているそうです。
超弦理論と「21世紀のマンダラ」との関連を見みると数において大変興味深いものが有ります。
先ず「弦の振動状態の4つの違い」はFLKM系列の4つの違いに関連して、空間が9次元であることはmod9の9に着目せざるを得ません。更に、コンパクト化される6次元に関してはFLKM系列のうちK系列が想定されます。なぜならK系列は「33606630」と8個の数で他のFLM系列の24個に比べてコンパクトになっているからです。そして、FLMの3系列が空間の3次元に相当すると見てよいでしょう。

 今後の万有理論の詳細な解明は最先端の優れた科学者にゆだねるとして、大局を観る目は、私たちのアタマの中でしっかりと育ておく必要があります。

87藤原肇:2009/05/09(土) 11:36:54
数年ぶりの松江での墓参を試みた機会を利用して、「山根ブロッグ問題」で記憶する人も多い山根治氏に会い、多くの面で未来に期待を託しました。彼は「宇宙巡礼」の議論を読んで露伴の「連環記」に感銘しており、色々と露伴の作品や博識について話し合ったし、私の台湾での計画と共通するものを企画中で、島根県に人材のハブを作ろうとしていました。
彼は広島と島根の境界地区に数千町歩の山林を持ち、そこにソフトな人材の拠点を作る計画を進めており、彼の案内でその地を訪れてきました。
きっとそこと台湾が結びつきを持つことによって、若い人材が育つ場が広がると思います。それに脱藩道場のメンバーが参加することによって、人材のネットワークが広がることにより、現在の日本を包む閉塞感を突き崩せるし、アジアおけるソフトとウエットウエアーを育てる上で、これからの人材の活躍の場になるでしょう。

88千々松 健:2009/05/16(土) 23:46:23
本日、電車の中で加島祥造氏の「HARA−腹意識の目覚め−」を一気に読む。
「頭・胸・腹」の昆虫の機能の3要素を思い浮かべながら、楽しく読めた。人生の後半をタオイストとして伊那谷へ独居した詩人の優しさが読み取れる。
明治時代に「武士道」新渡戸稲造と「茶の本」岡倉天心が日本文化を欧米に紹介したが、前者は父権性男文化の肝意識を後者は母系社会の腹意識を代表していたとしており、荒魂と和魂と二重構造を持った日本文化論にもなっている。
それは金剛界・胎蔵界でもあり、陰・陽でもあり、彼の老子「道徳経」の現代語意訳詩の全文を読みたいと思う。

89ヒロイエ:2009/05/17(日) 19:56:45
藤原さんの墓参はなによりです。
その際に、山根さんと接触があり、台湾と島根のコラボができると聞き
特に、松江生まれにの小生の息子にもぜひ参加させたいと
考えており、微力ながら協力させていただければと思うしだいです

90千々松 健:2009/05/18(月) 15:53:47
老子「道徳経」第四十二章 道生一、一生二、二生三、三生萬物。萬物負陰而抱陽。の箇所を加島祥造は次のように詠っておられる。
「タオの始源(はじめ)には あの混沌(カオス)があった。それを一としょう。
その一から陰と陽が生じた。それを二としよう。
そして このふたつの間から三、すなわち この世のすべてのものが生まれたのだ。
すべてのものは、だから、陰を背に負い 陽を胸に抱いているのであり、
そしてこの二つが 中心で融けあうところに 大きな調和とバランスがあるのだ。」
「タオ−老子」ちくま文庫P147
何とすばらしい翻訳であり、分かり易い解釈であろうか?
現代日本の若者たちにも、これなら大歓迎であろう。

さて「フィボナッチ数列の殿堂」との関係で言えば、
1,2,3は、1、1+1=2、1+2=3として現れる基本的な流れであり、かつ
「フトマニ」すなわちAとBを良い関係にして(この場合は足して)Cと置くことである。
フィボナッチ数列をモジュール形式(mod9)に置き換えることによって得られる
12+12=24の循環する「数の流れ」*が「この世のすべてのもの」に内在する理
(ことわり)であると言えましょう。
「数の流れ」*『1,1,2,3,5,8,4,3,7,1,8,0,8,8,7,6,4,1,5,6,2,8,1,0』 
前半の12項目1,1,2,3,5,8,4,3,7,1,8,0を陰として後半の8,8,7,6,4,1,5,6,2,8,1,0を陽とすれば
陰陽の関係が具体的な数の並びとして示されることになるのです。
そして、これが「神聖方陣とラセンモデル」に繋がるのです。

91千々松 健:2009/05/19(火) 20:19:46
<自己組織化のリズムについて>
生命科学の関連で「生命―その始まりの様式」多田富雄・中村雄二郎編 誠信書房1994年を読む。
その第15章「生命の始まりとリズム」中村雄二郎から多くのヒントが得られる。
1)プラトンの「振動する箕」(ふるい)にたとえられたコーラー(場)での形と数による宇宙の秩序づけという考え方が、現代物理学における「振動する量子場」の考え方に照応すること。
2)藤原咲平の<集積の原理>は台風の観察から、渦巻きにおける物理エネルギーの集積可能性を見つけて、生物と無生物の境界を撤廃する可能性があること。
3)空海は「声字実相義」の中で、地・水・火・風・空の五大にみな響きあり、更に精神活動の識を含めて森羅万象のうちにリズムの遍在を見ていたこと・・・

リズム(律動)に関していえば、フィボナッチ数列が正にそのリズムを産み出す母型(マトリックス)で、その母型とは老子の言う「玄牝」に相当するものであり、「21世紀マンダラ」はフィボナッチ数列から生まれた「数の流れ」が<形と数による宇宙の秩序づけ>をしていることの証しになるでしょう。
スーフィーが踊る『旋舞』は最終的には三拍子のリズムになるそうですので、西も東も天地人は三つの響きとなるようです。

92千々松 健:2009/05/20(水) 22:03:17
このところ縦続きに登場しますことをお許し下さい。
また、自説を唱えることばかりで、ブッククラスターの皆様にはいささか食傷気味であろうかと思われるのですが、大切な事柄であるので、ご容赦願います。
どうか同時進行の考察に加われることを是非とも楽しんでいただければと願っています。

さて、フィボナッチ数列のひふみ化(mod9)により出現する4パターンの数の流れであるFLKM系列を円形の中で見える化できないかと工夫した結果を下記に本日アップしましたのでご覧下さい。
ある数を秘数の9で割り余りの数に置き換えるという計算方式を日本では「ひふみ算」と言いますが、現代の数論では「モジュラー形式」または「法」と言います。この「法」から八本の車軸のある「法輪」をイメージすることで、この度はFLKM系列の見える化ができました。
二年前に古神道のハラからニュートリノのゼロ点螺動をイメージしたことが有りましたが、90度の軸を45度の軸にして4象限の陰と反対に現れる4象限の陽が0点によりバランスしていることが分かります。
――>FLKM系列と陰陽のバランス「法輪」2009.5.20
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/pythagoras/FLKM8.html
参考:ハラとゼロ点螺動モデル 2007.3.12
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/pythagoras/P&F3.html

93けいすい:2009/05/21(木) 13:38:54
博士のどの本かは思い出せませんが水(H2O)三角錐の角度を書いておりました、それでその模型をつくり水が流れるように流してみたことが博士と出会った当時実験をしました。風水でなぜ45度の図が使われるのか?自分なりに納得したことがあります。健さんの研究の参考になればと思います。納得した45度に関してはお会いしたときにでも説明したいと思います。いろんなことに応用ができるのでわ?と思います。

94千々松 健:2009/05/22(金) 21:41:55
>93 いつも有難うございます
確かに何処かで読みました。三角錐の水の模型たちが坂を流れ落ちる様子・・・但し45度の角度には気がつきませんでした。
<最近読んで印象的だった本>の方が良いのかも知れませんが、勢いでここにします。
西田幾多郎の弟子にあたる三木清は「構想力の論理」1939年の中で「ロゴスとパトスの統一をめざした自分の<構想力の論理>とは、実は<形の論理>であった。」と述べている。
誤解を恐れずに言うと、ロゴスは△で論理、パトスは○で情緒、エトスが□で形・パターンや行為である。
エトスは智仁勇の勇に当たり、勇気、行為、意志であるし、一歩前に出る勇気でもあろう。西田の言う「行為的直観」や「純粋経験」に当たるはずである。<形の論理>とは『・・・アウノスベシレ カタチサキ』のカタチに該当する。ゲーテがファウストで「はじめにことばありき」を「はじめに行為ありき」と訳したりしていたことが思い出される。(左脳がロゴス、右脳がパトスとすれば、エトスは小脳か間脳であろうか)
また中村雄二郎は「かたちのオディッセイ」1991年の中で「かたちはリズムだ」「哲学はリズムである」さらに、音(振動)が形を産み、生物と無生物の違いに関係なく、リズム性、振動、および順列性が共通にあると興味深いことを哲学者の視点から語っている。それはデカルトの友人のホイエンスがリズムの共振とか共鳴を発見していたことにルーツがあるようだ。
そして、ハンス・イェンニがキマティークの実験で「ヤントラ」を再発見したことを知り驚いた。歴史は廻ってきたのであろうか?
「21世紀マンダラ」はそれに新たなカタチを加えることが出来たのであろうか?
「無限の存在と意味とを生み出す場所でありシステムである」(中村雄二郎)というマンダラに成りえようか?

95千々松 健:2009/06/06(土) 12:06:39
<フィボナッチ数列から生じる「神聖方陣」に12種類のピタゴラスの定理を見る>
 有名なピタゴラスの定理「3^2+4^2=5^2」をmod9で見るとどうなるでしょう?
3^2+4^2=5^2、は9+16=25となり成立するが、これをmod9(その数を9で割った余りに置き換える計算法)で見ると0+7=7で、やはり成立します。
それでは、神聖方陣の対角線に現れる11407170411011407170411の回文から何を読み取れるでしょうか?
対角線の数値はフィボナッチ数列を二乗したもの該当して、それぞれは1から9までの二乗数がmod9で表示されたものに他ならないのです。
すなわち、1は1^2、8^2、4は2^2、7^2、7は5^2、4^2、0は3^2、6^2、9^2(0^2)です。
もちろんmod9 (9を法としたモジュラー形式)にての観察結果です。
(例えば5^2は25、25÷9=2余り7、又は2+5=7なので、7になる)
 3^2+1^2=8^2 3を0又は9=0に置き換えても成立する。(11-88) フィボナッチ系列
 3^2+2^2=7^2 3を0又は9=0に置き換えても成立する。(22-77)リュカ系列 
 3^2+6^2=9^2 3を0又は9=0に置き換えても成立する。(33-66)ケン系列
 3^2+4^2=5^2 3を0又は9=0に置き換えても成立する。(44-55)ミチコ系列
すなわち、神聖方陣の世界では合計12種類のピタゴラスの定理が成立しています。
そのうちの1つが通常形式のピタゴラスの定理と重なっているに過ぎないのです。
そして、FLKM系列との関係を見るならば、上から順番に該当しているのです。
 http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/21Mandala.html

96千々松 健:2009/06/06(土) 18:19:25
>95のつづき
<3^2+6^2=9^2 の新展開、mod9の世界ではX^n+Y^n=Z^nが成立することもある>
 フェルマーの最終定理が300年の眠りを裂いて20世紀末にワイルズによって証明されたことは記憶に新しいのですが、
21世紀に出現した「神聖方陣」の中、すなわちmod9化されたフィボナッチ数列の世界では、何とその定理は成立しないことが見てとれました。これは事実です。

【3^2+6^2=9^2】が成立することは95ので述べたとおりですが、乗数を3にして見ましょう。
【3^3+6^3=9^3】27+216=243で729にはならないではないか。。。。
しかしmod9の世界では、27÷9=3余り0、216÷9=24余り0、729÷9=81余り0 なので
【3^3+6^3=9^3】は【0+0=0】となり成立してしまうのです。乗数Nが4以上の場合も同様です。
なお、3、6、9の組合せであれば、項目の並び順番は問われない。全て0のオンパレードになるからです。

 X^n+Y^n=Z^n nが3以上はあり得ないというフェルマーの最終定理は対称性の強く出現するモジュラー形式の世界では成立しないことが明らかになった訳です。
 以前より「3,3,6,0,6,6,3,0」というK系列は他のFLM系列の24項目に比べて8項目と短いので、何か特殊な意味があるのではないかと睨んでいたのですが、その一つがフェルマーの最終定理に関係していたというのは我ながら驚いています。

97千々松 健:2009/06/08(月) 10:32:55
【3^3+6^3=9^3】はmod9の世界での話しですので、今後の約束として、【 】で囲まれた数式類はmod9で計算した場合を意味することにします。そうすれば混乱を避けることが出来るでしょう。
X^n+Y^n=Z^n はnが3以上の場合は成立しない。(フェルマーの最終定理)
しかし、モジュラー形式(保型形式)では【X^n+Y^n=Z^n】の成立する場合があると言えるのです。
そこで、FLKM系列を特徴づける数について観察しますと、興味ある事実が見えて来ました。
【1^3+8^3=9^3】【2^3+7^3=9^3】【4^3+5^3=9^3】は1+8=9の形になるので9=0
さらに乗数を増やすとどうでしょう?
【1^4−8^4=9^4】【2^4−7^4=9^3】【4^4−5^4=9^4】は1−1=0の形になります。

手計算をしていただくだけで判明しますが、nが奇数のときは加算で、偶数のときは減算の形に変わります。
ただし【3^n+6^n=9^n】はnが奇数でも偶数でもそのまま成立します。0±0=0に成るからです。
1+8=9、2+7=9、3+6=9、4+5=9 がFLKM系列に関係していることは明らかでしょう。
ピタゴラスは二次元世界を、フェルマーは三次元(それ以上)世界を考えていたわけですが、更にn次元で自由に思考することに慣れていくためには、このように「古くて新しいmod9の算術世界」が必須になることと思われます。
そして、そこから生まれる色々な事実が素粒子論にも新たな光を与えて行くのではないかと予想しています。

98千々松 健:2009/06/08(月) 21:59:47
科学雑誌のニュートン別冊 「素粒子とは何か」−クォークから超ひも理論まで− がこの今月出版されたのでカラフルなビジュアルを見ながら読んだ。
2008年度のノーベル物理学賞に輝いた南部陽一郎、小林誠、益川敏英の3氏とニュートリノ天文学の小柴昌俊氏の研究成果などが、われわれ素人にも分かり易く展開されていた。

 昨年来、わたしは「21世紀マンダラ」の中で、2)超弦理論で弦(ひも)が「四つの基本振動パターン」を持つ理由になるかもしれない。とか、3)素粒子論の「対称性の破れ」の理由になるかも知れない。と神聖方陣とラセンモデルの利用価値について述べてきて来たわけですが、この別冊を読んで、それは確信に近いものとなりました。
例えばクォークの6種類については、第一世代の「アップとダウンのペア」は1−8のF系列に、第二世代の「チャームとストレンジのペア」は2−7のL系列に、第三世代の「トップとボトムのペア」4−5のM系列に見立てれば良いのです。同様にレプトンの6種類については「電子ニュートリノと電子のペア」は8−1の逆F系列に、「ミューニュートリノとミューのペア」は7−2の逆L系列に、「タウニュートリノとタウのペア」は5−4の逆M系列に見立てたらよいと思います。
また、クォークに光の三原則を重ねて見るのは面白いと思う。三色が重なったところは白色になるわけですが、そこには3−6のK系列を持ってくるとピッタリするのです。
 そもそも素粒子を点ではなく線または紐(ひも)として把握することは良いとして、ひもが閉じているか開いていつかの問いかけは旨くないように思う。
その点に関してはFLKM系列のように24項目で循環する数の流れとして見れば良く、それらは螺旋状に連続しているので、閉じているようで閉じていないのである。
このように一旦「数の流れ」で見るならば、バイオリンの弦の振動によって様々な音色が出るように、また様々な色彩が波長の違いで目に入るように、更には宇宙や自然が様々なカタチを見せることも理解されることであろう。
いずれにしろ大規模実験が進む素粒子物理学の今後の展開が面白そうである。

99千々松 健:2009/06/11(木) 13:49:45
『カントは「自然は、それが同時に藝術と見える場合、美である。」といつた。自然が美であるのは自然が技術的であるためであり、自然美の根柢には自然の技術がなければならぬ。しかる
にカントが「自然の技術」Technik der Natur といふものは自然の形式的論理的合目的性である。かかる自然の論理的合目的性と美的合目的性との間には內面的關係が存しなければならない。』
と三木清は「構想力の論理」の中で述べていた。
まさに、自然の造形美には「宇宙の偉大なる建築師」が関わっているとしか思えないし、その論理と美しさとを結びつけるものこそ「フィボナッチ数列」であると考えてよいと思う。

100千々松 健:2009/06/23(火) 10:44:31
>100に因んで
二進法はライプニッツが考案したものと言われ、それはONとOFFによるコンピュータ計算に役に立つことになった。
ところで、9と言う数は二進法では1001となり、三進法で9は100、九進法では9は10となります。
次に「mod9」は要するに九進法ですねとの誤解があるようですので、その違いに触れて置きます。
九進法では9は10となりますが、mod9では9÷9=1余り0ですから、9は余りの数の0に置き換わります。20は九進法では22ですが、mod9では10以上の位は無視されて、一の位の数を拾って2となります。
ひふみ算(法・保型形式・モジュラー形式の内の9のケース)が、何故9であるかは不明です。それは神に貞(き)くしか有りません。確かに十進法は便利でしょうが、二進法と同じく人間の考え出した計算方法に過ぎないのです。
金剛界曼荼羅は九会(くえ)マンダラとも言いますが、構造は9つの数のフラクタルになっていて、大の九、中の九、小の九、、、同様な数の流れの繰り返しです。

101千々松 健:2009/07/28(火) 20:38:47
幾何学を重視したピタゴラス教団が五芒星や五角形の中にラティオ(黄金比)や直角三角形のピタゴラスの定理を見ていたのは、実はピラミッドを産んだ古代エジプトにルーツが在るわけですが、その古代エジプト人は「黄金比の中に宇宙の秩序が隠されている」という確信を持っていたようです。
代数学的にはフィボナッチ数列は「フトマニ」*の考え方がルーツであると私は思うのですが、そこから生まれるラティオ(神聖比例=黄金比)により、幾何学と代数学の美しい融合が見られたわけです。そして、21世紀の現在、古代から秘数と言われてきた9という数字をモジュール形式で使用することにより、フィボナッチ数列を処理することで、新たな地平が拓かれたのです。それこそが古代エジプト人の夢であったのかも知れません。
*古神道の「フトマニ」に数学的な独自解釈を加えることをお許しください。
任意の二つの数を選び、左右に並べます。そして、それら二つの数を足した数値を更にその右に置きます。次に、その数と一つ左の数を足して、更に右に置きます。この操作を何回も繰り返します。するとどうでしょう。大きな数の項目同士で隣同士を比較すると、1:1.618というラティオが出現します。これが黄金比であり神聖比例であるのです。
1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、89、144・・・の所謂フィボナッチ数列はその代表例に過ぎないことが理解されます。
変革していくことのできる何か(智慧)を内蔵しているという意味において「21世紀マンダラ」が役に立つことを願うものです。

102ぬばたま:2009/07/29(水) 18:50:28
藤原先生、千々松様、松本様、皆様、はじめまして。衝撃を受けてROM専を通せなくなりました。
任意の2つの数からスタートする数列が、黄金数に収束することは衝撃でした。数というものが一般フィボナッチ数列とも呼ぶべき規則性を持つのはなぜでしょう。それをフトマニに結び付けられるのも気が遠くなるほど神秘的です。数学音痴の私にも理解できるような説明を頂けないでしょうか。同じやり方で掛け算を用いるとφ^2に収束、割り算だと値がそのままスモールファイに収束します。これはなぜでしょう。

103松本英樹:2009/07/29(水) 23:23:21
101>「幾何学と代数学の美しい融合」というのは素敵な表現ですね。

任意の二つの数を選び、左右に並べます。そして、それら二つの数を足した数値を
更に右に置きます。、、、、と
任意の直角三角形の転がし運動は同じ結果を生じさせます。
「・・・・フィボナッチ数列はその代表例に過ぎない。」まったく同感です。

「フィボナッチ数列の殿堂」とは正にギザの大ピラミッドを指している気がしてきました。
(超)古代エジプト人はギザの聖地の敷地内と殿堂の中の2箇所に「宇宙の秘密」を隠した
のかもしれませんね(殿堂への夢)

ピラミッド内部(殿堂)の秘密に到達するには、もう暫く時間がかかりそうですが、
(常識的には発掘認可はされないだろう、と思う)
しかし、ギザの聖地の敷地内の秘密の箇所は、もうすでに把握されている。
できれば「そこ」に、日本人の手によって、せめて石碑の一つでも残して置きたいものだ(笑)

102>ぬばたま様、はじめまして。急がず「宇宙巡礼」の旅をご一緒に楽しみましょう。

104千々松 健:2009/07/30(木) 22:41:57
 7月22日の皆既日食をTVで観ました。真昼に暗黒の夜を迎えた瞬間はまさに感動でしたね。
ぬばたま様もきっとご覧になったことでしょう。暗黒と夜に関する枕詞からすると、和歌にお詳しい方と思われます。
同時代に生きて、同じ現象や情報を体験できることは素晴らしいですね。
驚きや感動を共有できてこそ、お互いに次のステップに進むことができるように思われます。
 フィボナッチ数列と黄金比の関係は多くの方が述べているはずですが、私は数学に弱いので、エクセル表レベルで計算しています。
黄金比は古くは神の比とか神聖比例とか呼んでいたようですから、生物も無生物もそのラティオに拠って創造されたと考えて良さそうです。
既知のものを未知のもので説明したり、未知のものを既知のもので説明したり、順序と逆序の行ったり来たりをして思考することが役に立つようです。
「FLKM系列の四つの数の流れ」についてはオリジナルです。一定の条件下において誰でもが再現できるので、じっくりと追体験をして見てください。

105ぬばたま:2009/07/31(金) 15:01:51
松本様

温かいお言葉有難うございました。先を急がずに巡礼の旅を楽しみます。『ピラミッドパズルを楽しむ本』は私のバッグにあり、ところ構わず楽しませて頂いてます。動態黄金比のところでいつも思考が停止状態に陥っていましたが、今ようやくわかりました。二つの数を足して右に置くというフィボナッチ数列の操作(これを広義で関数と呼んでもいいのでしょう)と、直角三角形を回転させる操作は全く同じなのですね。ピタゴラスの定理の連続した形態でした。フィボナッチ数列では初めの二つの数は直角を形作る任意の2辺と同じく、任意もしくは所与の『変数』であったわけです。

千々松様
ほんとうに先日の日蝕は荘厳の極みでした。順序から逆序の世界への転換点であったかのような。いえ和歌には詳しくありませんが、『ぬばたま』から日蝕を想起されたのには正直のところ驚きました。私もそうでしたので。藤原先生の下、宇宙巡礼の旅でお会いできましたこと心から有り難く思っています。

数列に関しましてははやる気持ちを抑えきれず失礼いたしました。巡礼が一歩一歩からなるということを、つい忘れてしまい、個々の数値に現れる普遍性の探求を軽んじていました。HPを参照させて頂き、転び、躓きながらも追体験いたします。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

106千々松 健:2009/08/03(月) 15:04:37
「フトマニ」の数学的解釈からフィボナッチ数列に結びつける点については証明はできませんが、我ながら仮説としては面白いと思っています。
ことのついでに「ミトラ」と「ミロク」の音声的つながりから、新仮説を網み出してみました。

もちろん、ミトラ信仰が弥勒信仰に繋がっていることは定説ですが、ミトラを「水土羅」とすれば、水と土とによって地上の森羅万象が創造されたことが意味されます。
フトマニの「ト」が足すの意味であることを考えれば、ミトラは「三足羅」にもなります。
すなわち、ミトラは3+3+3・・・のように3を足していくことで全てが生じることを意味しているようです。すると弥勒(ミロク)が369になるのは自然の流れでしょう。
3、3+3=6、6+3=9の369で音声的にミロクに通じます。
また、ミトラを「三足螺」とすれば、三拍子の螺旋形イメージされて、スパイラル・アップやダウンのカタチが見えてきます。
陰と陽が組み合わされて、ある時点で反転(止揚)しながら成長していく姿が、まるで正・反・合の弁証法のように浮かび上がって来るのです。

すると、スーフィー僧が三拍子の踊りを重視したり、キリスト教が三位一体論にこだわることも理解されるのです。

また、鎌倉仏教が「身口意」の三派になることも同様で、身体重視の座禅派、口で唱える念仏派、信じるのみの意識派に分かれて、それぞれの方式でゴールを目指した訳です。
ピラミッドや富士山の登り方も「直登方式、ジグザク方式、ラセン方式」と色々選べるように、どれが最適かは時代背景や環境に左右されるのです。
頂点に達するという目的やねらいを定めるのが戦略であって、登り方は戦術でしかないのです。まして、戦闘のレベルで混乱してはならない訳です。

107ぬばたま:2009/08/06(木) 10:16:25
藤原先生、たぶん先生の御縁で坂口三郎著『戦争廃絶の理論』という卓越した書物を座右に置かせて頂いています。有難うございました。もし私の勘違いでしたらお許しください。

ところで皆様すでにお読みかもしれませんが、『「炎のピラミッド」の発見』という本が出版されています。

http://www.amazon.co.jp/古代「火の国」の象徴・「炎のピラミッド」の発見-田尻-盛永/dp/4915796671/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1249472798&sr=8-1

発見された『炎のピラミッド』はランドマークによる地上絵型ピラミッドです。その範囲は古代肥後の国南部を除く地域、中心は阿蘇山。ギザのピラミッドような物理的建造物、もしくはピラミッドに類似した地形は存在しません。したがって「○○山ピラミッド説」などとは異質であり、無関係です。また数値が言語ですから当然黄金数とその性質が理解できなければ全く意味を辿れず、私がそうであったように何を言っているのかさえわかりません。

阿蘇五岳と古代より阿蘇神社に連なる熊本県内十余りの神社群を繋ぐとピラミッドが大地に正確に描かれます。五岳という数からすでにピラミッド数学を暗示しているかのようです。Φ、φ、その乗数の拡大と縮小、√Φ、フィボナッチ数列、などが秘められており、距離、面積などの一つ一つの数値の解読によって古代日本の、陰陽思想体系が現れてきます。私がその数値の意味を確認し得たのは、こちらのスレッドでフィボナッチ数列や黄金数の性質を教えて頂いたからです。

著者は熊本県南阿蘇村の八坂神社(5世紀の古文書も残っている古社)の神主さんです。PCなどなかった時代からのご研究のようですから、大変なご苦労であったかと思います。ギザの英知は古代世界に広く伝わっていたのでしょうか。

藤原先生、千々松様、松本様、皆様、もし本書『「炎のピラミッド」の発見』をいつの日かお読みになりましたらどうぞご感想をお聞かせください。

108松本英樹:2009/08/06(木) 12:23:31
古代日本の☆ペンタクロスの考察は、下記のHPが参考になろうかと思います。
http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/

古代人の自然界に対する鋭い感覚は、現代人の我々には忘れてしまったようです。
ギザの英知というよりも、人類の叡智のDNAが眠ってしまっているだけかもしれませんね。

109千々松 健:2009/08/07(金) 21:53:37
>107
興味あるご本をご紹介いただき むばたま様に感謝いたします。いずれ機会があれば覗いて見ます。
さて、「美の幾何学」という本の中で、数理パズルの専門家の中村義作氏が名刺を3枚取り出して、簡単で同様な切り込みを入れて直交させ、正三角形が20できる正20面体の骨格を作られたという話と図が出ていました。
良く観察すると何と正5角形も浮かび上がっているのです。
木工の技術にそのような木組み例が日本古来にも存在したのではないかと夢想しています。
手指が5本あることで正5角形は特別な意味を持っていたのではないでしょうか。人類が2本足で立ってから、また手が自由に使えるようになってから、音声言葉が出来てから、道具を使って物を作り始めてから、数を扱うようになってから、人類が世界に広がって住み着くようになってから、自然とそれは発見されて行くことになるのではないでしょうか。
果たしてピラミッドがルーツかどうかは興味がありますが、黄金比という神の比率を持つに至った最初の民族と地域がどこかという点に関しては、個人的にはあまり興味はなく、かえって人類共通の気付きであったと思うのです。
そもそも、知的優先権や特許権を主張するような意義はどこにもないのです。下手をして優越感の虜になってしまうようなことを恐れるものです。
ギザのピラミッドの偉大さは、「コトバ」より「カタチ」として残されていることにあると思います。

110千々松 健:2009/08/12(水) 21:54:56
フィボナッチ数列とオイラーの公式を加味して、逆序の理で計算すると綺麗な数列が観られます。
但し、オイラーの公式は「e^iπ+1=0」
フィボナッチ数列は「1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144、、、」
、、、−8,5,−3,2,−1,1,0,1、1、2、3、5、8、、、
これに −1=e^iπを代入すれば

『、、、8e^iπ,5,3e^iπ,2,1e^iπ,1,0,1,1,2,3,5,8、、、』

中央のゼロを中心に両側に対称的にフィボナッチ数列の係数が開き、しかもマイナス表現を含まない形になっていることが分かります。
こうして観るとインドで始まったといわれるフィボナッチ数列の元は「0」から始まっていたはずなのに、ゼロの概念がまだ認知されていなかった13世紀のイタリアの様子が読み取れます。
また、これは数学における「回文」を探る楽しみの一つでもあります。

そういえば、2006.12.3に「神の数学」守護者氏が「回文と魔方陣の相関関係」のスレッドにて示された「1、5、6、2、8、1、0、1、1、2、3、5、8、13、21、」の数列を思い出します。
これは物議を醸した様子でしたが(その時点では私はこのサイトは知り得ていませんでした)
今から思えば、ゼロの左側の世界は「mod9」(ひふみ算)で計算した数値なのです。素晴らしいヒントであった訳です。

111千々松 健:2009/08/12(水) 23:30:34
台風8号が台湾を直撃して大きな被害が出ているニュースを聞きながら、フィボナッチ数列の殿堂の「慧智研究所」の在る農場近辺に被害が無かったかどうかを心配するに至らないでいたことを恥じる思いで反省しております。
大自然の脅威を無事に過ごしておられんことを祈るばかりです。

112松本英樹:2009/08/13(木) 06:12:09
3年前、「神の数学」守護者様が解説されていた「虚の数列」はインパクトが
あり過ぎて、当時数列初心者であった私には腰が引けそうになりました(笑)
鏡面対称を見つけられないという「神の数学」守護者氏の落胆ぶりが悲しかったですが。

しかし、今回、千々松様が考えられた(オイラーの公式を代入する)という“途方も無い手法”で
得られた数列は、見事にその鏡面対称が浮かび上がっております。

今度は「次元を突き抜けたようなインパクト」を私に与えてくれました。
いや〜、数学の回文のワクワク感が本当に楽しいですね。有難うございました。

113松本英樹:2009/08/13(木) 09:36:08
>112補足
「途方も無い手法」は「めちゃくちゃ(超)ビックリした手法」の意で、
「とてつもなく壮大で、考えもつかなかった凄い手法」という気持ちを表現しました。

114東大ノート:2009/08/13(木) 23:32:18
お盆の最中に、大変驚かせてしまったようですね。
オイラーの公式は元々が三角関数から導き出されたものですから
e^±ix=cosX±isinX > 中間省略 > e^iπ+1=0
松本さんの直角三角形の転がし理論と通じるのではないでしょうか。

モジュラー形式は一般の数学者でもその使い道が良く分かっていないようです。
それは文系の人々が行列(数学)を学ぶ機会が少ないことと同様に残念なことです。
「mod」の世界では対称性や鏡面性などが多く現れて、特に「mod9」は全ての数値を0から8までの1の位で表せるのでとても便利です。

115松本英樹:2009/08/14(金) 05:46:22
東大ノート様、はじめまして。つかぬ事をうかがいますが、東大ノート様は
千々松様とは別人の方でしょうか?あるいはハンドルネームとしてのお姿でしょうか?
ネット上の掲示板では同一名で投稿するのがルールと聞いています。変更される場合
あらかじめ、その旨お伝えください。どちらかの投稿で既に表明されていたらごめんなさい。
また、もしも東大ノート様が全くの別人でしたら、失礼の段、お許しくださいませ。

116千々松 健:2009/08/14(金) 08:51:01
>115
慌て者で済みません。今気がつきました。
意味論の>17の方でタイトルにしようと考えていた「東大ノート」を、名前の方に記入してしまい、そのままになっておりました。
ご迷惑をおかけしましたこと、お詫び申し上げます。
本当のところ同一人物です。特に意図はないので以降注意いたします。

117松本英樹:2009/08/14(金) 11:13:19
千々松様、形式的な確認ということで失礼致しました。
内容を見れば判るだろうに、という突っ込みはご勘弁を(笑)

直角三角形の転がし理論は二次元世界での考察であり、オイラーの公式代入は
多次元への考察にも繋がるような気が致します。

118千々松 健:2009/08/16(日) 11:25:30
ミトラとミロクの繋がりは前に(>106)述べてとおりですが、ミロクが「369」の数字に置き換えられると言われています。
さらに数学上の「mod9」(日本古来のひふみ算)では面白いことが起きました。

1次元:  3+6=9
2次元: 【3^2+6^2=9^2】 (9+36≠81    mod9では0+0=0)
3次元: 【3^3+6^3=9^3】 (81+216≠729  mod9では0+0=0)
4次元: 【3^4+6^4=9^4】 (243+1296≠6561 mod9では0+0=0)
5次元以降は省略、全て0+0=0となることが予想される。

3・6・9(0)の組み合わせは「21世紀マンダラ」に出現するFLKM系列の中で一つだけ特異な性格を持つ「K系列」の3−6−0に該当するようです。
また、流行が心配される新型インフルエンザの種類が3^2×4^2=12^2=144 理論上想定されていることをヒントにすれば、
1次元: 【3×6=9】       (mod9では 36=0、9=0)
2次元: 【3^2×6^2=9^2】 (mod9では 324=0、81=0)
3次元: 【3^3×6^3=9^3】 (mod9では 5832=0、729=0)
4次元以降は省略 全て0=0となることが予想される。

要するに「mod9」の世界では3・6・9の組み合わせが、足し算も掛け算も次元を超えて「0」に成ることを意味しているのです。
そこには、ピタゴラスもびっくり、フェルマーも仰天するような世界が観えて来るに違いないと思います。

119千々松 健:2009/08/22(土) 22:06:42
京都大学、山中伸弥教授が「iPS細胞」(人工多能性幹細胞)を4つの遺伝子の投入により生成したというニュースを聞いてから興味を持って考えて来ました。
なぜ4つなのでしょうか? 海外では3つでも出来るといっているようですが、その違いは何なのだろうと・・・。
そして、専門家ではない素人の大胆さというか、お節介と言われるかもしれませんが、ある結論(仮説)に至りました。
「FLKM系列」の4つの数に流れをすべて使用するのが前者で、特別なK系列をはずして他の3系列でどうにか済ませてしまえるいうのが後者といえる様です。(身近な例で言えば、血液型にはA・B・AB・O型の4種類ありますが、そのうちO型はすべてに対して対応できるので外してしまおうというのが後者と考えて良いでしょう)
しかし、順序+逆序=秩序の考えからすると、3つよりも4つを選択すべきでしょう。必要条件だけではなく十分条件をも満たして、初めて正解となるという意味において4つの遺伝子を使い切る方式の方が自然の理にかなっており、もしも3種類(最近は2種類)で済ませて効率や経済性を優先するならば、いずれ後悔することになるかも知れないと警告しておかねばならないでしょう。
「21世紀マンダラ」(神聖方陣とラセンモデル)で明らかにされた事柄が、現時点で先ず役に立つとしたら、生命科学の世界からも知れないと予想したことはこの事なのです。

 *いきなり「FLKM系列」といわれてもという方は以下をご参照ください。
  http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/pythagoras/Divine_Matrix_and_Spiral_model.pdf

120千々松 健:2009/08/26(水) 23:04:54
松本英樹さんの「ピラミッド・センス」の最新版を拝見しました。
ピラミッドの内部には「双子の胎児」を持つ「宇宙卵」が秘められているという見方は何とすばらしい!
男と女が鏡面対象に位置していて、私の目にはそれはまるで細胞分裂のように映りました。
また、ラージ・ファイ(Φ)≒1.618、とスモール・ファイ(φ)≒0.618の関係から
ΦN乗群とφN乗群の関係を数値で計算されて点対称を示し「太極の図」に結実されているのにも驚きました。
昨年末にΦとφのそれぞれのN乗数を考察したことを思い出しました。
よく知られたΦとφの関係の主なものは以下のとおりです。
①Φ×φ=1 ②Φ−φ=1 ③Φ+φ=√5 ④Φ÷φ=2.618、、、
そして、①に見るごとくΦとφは逆数の関係にあるのが最大の特徴と思われ、それが結果として陰と陽の関係にカサネられるのですね。
さて、ΦN乗数群もφN乗数群も共にリュカ数列になっていることが判ります。
更に面白いことは ②式の次元を挙げるとリュカ数列が出現することです。
ただし、乗数Nが奇数のときは減算で偶数のときは加算するようにします。
Φ−φ=1
Φ^2+φ^2=3
Φ^3−φ^3=4
Φ^4+φ^4=7
Φ^5−φ^5=11
Φ^6+φ^6=18
・・・・
「1,3,4,7,11,18,29,47、、、」が出現しますが、これこそリュカ数列と呼ばれているものです。
それをmod9で処理して「1,3,4,7,2,0,2,2,4、、、」としたものがでリュカ系列と呼んでいるもので「FLKM系列」
の二番目のLに当たります。

121松本英樹:2009/08/27(木) 17:43:26
ピラミッドの奥の院から何やら読経の声が・・摩訶般若ピラミッド心経か(冗句)
「広大無辺の宇宙」と「ピラミッド」と「心の中」が宇宙意識で繋がりますように。
宇宙巡礼の旅は果てしなく・・

リュカ数列と正三角形△
直角三角形の転がし理論で表現すると√1:√3:√4:√7:√11:√18
(偶数時+)(奇数時−)が顕われるのは神の手による切り替えスイッチみたいで
摩訶不思議な世界へと誘われる思いです。

122松本英樹:2009/08/28(金) 08:16:17
>121意味不明な一文になったようです。

道端に転がっている石を拾い上げられ、誉められたようで、恥ずかしさの
照れ隠しが出てしまいました。オカルト色は極力避けてきたつもりでしたが。

123松本英樹:2009/08/28(金) 14:12:21
<胎蔵界曼荼羅図>を眺めますと、中央に大日如来が位置し、その上方に
△(一切如来智印)が描かれています。
仏壇の中には様々な仏像や法具が鎮座しておりますが、何故に△ピラミッド
(一切如来智印)が置かれていないのか?いつから置かれなくなったのか?
なにか大切なものが忘れ去られたような気がしてなりません。

124千々松 健:2009/08/29(土) 13:07:06
>123 △のカタチが太陽を意味する大日如来のすぐ上に描かれているのは興味深いですね。
両界曼荼羅を判り易く「金剛界マンダラ」と「胎蔵界マンダラ」と呼ぶとして、前者は男性原理を後者は女性原理を意味しているのは良く知られています。
胎蔵界マンダラは中央(大日如来)を頂点とするピラミッド構造と見立てることは充分に有り得ると思うのですが如何でしょう?
また、空海が東寺に配置した立体曼荼羅のイメージもピラミッドとの共通性が見られるのではないでしょうか?

一方の金剛界マンダラ(九会曼荼羅)はフラクタル構造を持ち、あるリズム(0,1〜8律動)が繰り返されているという特徴が見られ、それはmod9を想起させるのです。
男性原理の金剛界マンダラが「鍵」とすれば、女性原理の胎蔵界マンダラは「鍵穴」と喩えられ、その両方があって初めて「鍵の機能」を果たせるという訳です。
宇宙の秘密を解き明かすカギもどうもそのあたりに在るのでしょうね。
ところで「21世紀マンダラ」は上記の両界曼荼羅に倣い、「神聖方陣」が金剛界マンダラで「ラセンモデル」が胎蔵界マンダラに相当すると考えています。
また、以前は金剛界と胎蔵界を単独に陽と陰に見ていたのですが、この21世紀マンダラを考え出してからは、それぞれの中に陰と陽が含まれていると考える方が理にかなっていると思うようになりました。

125松本英樹:2009/08/29(土) 18:00:18
>124以前は金剛界と胎蔵界を単独に陽と陰に見ていたのですが、この21世紀
マンダラを考え出してからは、それぞれの中に陰と陽が含まれていると考える法が
理にかなっていると思うようになりました。←この考えに私も賛成です。

ピラミッド構造がどちらのマンダラかと問われれば、両方のマンダラが含まれている
と答えるでしょう。ピラミッドはフラクタル構造そのものですから。

古代ヤマトの匠達は建築にあたり、両界マンダラの融合を目的とした設計図を描くことに
なるでしょう。それが法隆寺五重塔に残されたと考えます。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pyramid/houryuuji.htm

黄金分割フレームから透かして見ると、□(金剛界マンダラ)◇(胎蔵界マンダラ)一体化
したのが(五重塔基壇の)柱に残されれたのではないでしょうか。

宇宙の秘密を解く鍵は他にも在りそうです。
それは千々松様が先のリュカ数列で明らかにされた(+−)のリズムです。神の律動か?
第一印象では波形を想像します。何かの周波数(電気的パルスか音の周波数か)
が生命科学を解き明かす要素とも考えられます。
例:落雷多発すると菌糸類の生育が早まる。なぜ?

どちらにしても「21世紀マンダラ」は、宇宙の謎を解く可能性を秘めたものに
間違いない、と思っています。

126千々松 健:2009/08/29(土) 18:50:52
『「陰陽の理」すなわち「我々人間をはじめ自然の姿とは陰/陽によるメビウス的結合により顕在しているのである。それを数が教えてくれているのである。」
「自然の道を数で示す」「自然道の羅針盤」』以上は「神の数学」守護者こと佐藤敏夫氏の言葉から断片的に引用させてもらいました。
「道」と言えば、タオ=道と古神道とは共時性に富んでいて、それは同じく「道」がついているので偶然ではないのかもしれない。
Φ×φ=1あるいはΦ×1/φ=1 において、Φ:φ=陽:陰と見れば、陽×陰=1と言えよう。
従って、Φとφを掛け合わせて描いた松本氏の太極の図は「陰陽の理」と「黄金比の理」をカサネたものと言えるのではないかと考えたのです。
>125
法隆寺の五重塔の匠の技も「自然の道」である黄金分割を使用していたことを改めて認識させられました。

127松本英樹:2009/08/29(土) 19:32:51
<法隆寺五重塔>
結果的には√2だけが残り、(1:√2の白銀比)が古代日本の建築比率の基に
なった(通説)とされるのです。

128松本英樹:2009/08/29(土) 19:49:59
>127補足
(階段を含む長さ):(基壇部の長さ)=√2:1

129千々松 健:2009/09/02(水) 20:31:46
>120の補足
リュカ数列を黄金比で表す一般式は
『Ln=Φ^n+(-Φ)^-n 』です。
これはラージファイのΦのみを使用したものですが
Φ=φ^-1 または φ=Φ^-1 の関係からスモールファイのφを追加すると
Φ^-n=φ^n となるので(無論、Φとφとは逆数の関係です)
『Ln=Φ^n+(-φ)^n 』にもなります。 
これは言うまでもなくnが奇数のときは減算で、nが偶数のときは加算する式になることを意味しています。
そして、nが大きくなるほど(-φ)^n の値はとても小さくなるので Ln≒Φ^n と言えるのです。

130千々松 健:2009/09/02(水) 21:48:37
>128の補足
Lnはリュカ数列のn項目を示します。
ではフィボナッチ数列を黄金比で表わす一般式はどうなるでしょうか
上記と逆にかんがえると
Ln≒√5Fnが成り立つので
Fn≒Ln/√5
従って Fn={Φ^n +(-φ)^n}/√5となりそうですが、
実はそうは問屋が卸さないのです。
実際に確かめると中間の符号をマイナスにしないと成立しないことが判明します。
そこで、フィボナッチ数列を黄金比で表わす一般式は
『Fn={Φ^n −(-φ)^n}/√5』
となります。
そして、nが大きくなるほど(-φ)^nの値は小さくなるので Fn≒Φ^n/√5≒Ln/√5と言えるのです。
Fn:1,1,2,3,5,8,13,21,34、、
Ln:1,3,4,7,11,18,29,47,76、、
例えば nが9のとき 76/34=2.2353≒√5≒2.2362
もともと黄金比が√5を内包するように、フィボナッチ数列とリュカ数列との関係にもこのような√5が隠されているのでした。

131千々松 健:2009/09/03(木) 10:42:22
>129,130に書いたものは >28と一部重複しましたが、その詳細と見ていただければ幸いです。
>Ln = Φ^n + (-Φ)^-n  リュカ数列は黄金比の累乗で出現する
>Fn = {Φ^n - (-Φ)^-n}/√5 フィボナッチ数列も黄金比の累乗と√5で表される
ついでに
π/6≒Φ^2/5 =(Φ/√5)^2 へ
√5≒Ln/Fn を代入すると
π/6≒(Fn*Φ/Ln)^2 
Fn*Φは定義によりF(n+1)であるから
π/6≒(Fn+1/Ln)^2  となる。
その値の約0.5236は、エジプト文明の神聖数である1キュービットの単位に一致するというわけです。
そして
>(Fn)^2 + (Fn+1)^2 =(√F2n+1)^2 フィボナッチ数列とピタゴラスの定理の関係
からも明らかなように
本来の「フリーメースン」(石大工職人のプロフェッショナル団体)は幾何学と数列をマスターしたエンジニアであったと思うのです。

132千々松 健:2009/09/06(日) 12:48:46
円周率のπについての公式でオイラーが導き出している?次の二つの式は興味がもたれます。

① π^2 /6=1/1^2 + 1/2^2 + 1/3^2 + 1/4^2 + ・・・(≒1.645)
② π/4=1/1 - 1/3 + 1/5 - 1/7 + 1/9 ・・・(≒0.7854)

①はゼータ関数の変数s=2の場合ですが、sが2以上の偶数の場合、結果はπ^sと有理数とで表現されます。
しかも、その有理数部分は モジュラー形式のmod9 では全て0となるのはすごく面白いと思います。
(s=4:π^4/90, s=6:π^6/945, s=10:π^10/93555,で 93555mod9=0 )
②は分子にくる数値が奇数のみで、奇数項目が加算、偶数項目が減算になるリズムも不思議です。

そして π/ 6 ≒Φ^2 /5≒(Fn+1/Ln)^2≒0.5236 から
① π^2 /6 ≒ 6(Fn+1/Ln)^4
② π/4 ≒ 2/3 (Fn+1/Ln)^2
となり、πに関してもフィボナッチ数とリュカ数で表せることになります。
高等数学には意味音痴の私ですが、
『すべての楕円曲線にはモジュラー形式のゼータが付随する』という数学上の定理は「フィボナッチ数列の殿堂」を強力にサポートするに違いないと思います。

133千々松 健:2009/09/06(日) 16:25:45
昨夜の満月はすばらしく、日本の暑い夏を乗り越えて、やっと過ごし易い日々を迎えるような安堵感を持って眺めることが出来ました。
数式が多く出てきて、解りにくいと思われるでしょうが、私自身も数式には沌と弱いので、お付き合いください。

さて、オイラーには「4平方和定理」というのもあるそうです。
『すべての整数は4個の整数の平方和で表される』

何とシンプルでしょう。だだし、3個でも5個でもない4個が出てくるのは不思議です。
これは我田引水になるかもしれませんが、もしかすると、フィボナッチ数列のmod9操作で出現する「FLKM系列」の4つの流れに該当するするかも知れないと夢想しています。

134千々松 健:2009/09/09(水) 11:55:27
>132の訂正と追加
② π/4=1/1 - 1/3 + 1/5 - 1/7 + 1/9 ・・・(≒0.7854)
のオイラーの導き出した公式はフィボナッチ数列Fnとリュカ数列Lnで表せる。
しかし、π/4 ≒ 2/3 (Fn+1/Ln)^2 は誤りで(左辺の分子と分母が逆でした) 

『 π/4 ≒ 3/2 (Fn+1/Ln)^2 』が正しいです。
 
 Fn:1,1,2,3,5,8,13,21,34、、
 Ln:1,3,4,7,11,18,29,47,76、
 例えば n=8 の場合 Fn+1=34,Ln=47 34/47≒0.7234 その二乗は0.5233
 3/2 (Fn+1/Ln)^2=3/2(34/47)^2≒0.785≒π/4 と確かめられるはずです。

この「π/4」については
松本さんの下記サイトが参考になります。
「なぜピラミッド比率にこだわるのか?」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pyramid/whypro.htm
 今日の日付から、999>銀河鉄道999>宮沢賢治のケンジコードにも興味が持たれますね。

135千々松 健:2009/09/24(木) 11:13:33
< △+○=□のおはなし >
図形の基本は丸形・三角形・四角形にあると云われています。
その3つの図形を使用して幾何学と代数学の美しい融合を今年の2月頃に試みましたが、それを少し発展させました。
直径1・高さ1の円柱とそれに内接する球と(直径1・高さ1の)円錐について、それぞれの比較要素で比較すると
 体積比は  円柱:球:円錐=3:2:1
 表面積比は 円柱:球:円錐=3:2:Φ
 側面積比は 円柱:球:円錐=4:π:2
と数学の定義上いえるのでした。ただし、Φ=黄金比≒1.618、π=円周率≒3.14
二乗した面積に関してはΦやπという無理数が出てきてしまうのに、立体の体積はその比率が綺麗な整数で表されることに
注目します。
数式 1+2=3 それは上記の条件下では「円錐と球を足すと円柱の体積となる」ことを意味しています。
水や油やお酒などの容積を測る場合に、ロート状の円錐と半球のボール状の器を使って行うとすると、円錐1杯分と半球2杯分を足すと円柱分に相当する容積と同じになるのです。
そして、そこに「フトマニの思考」(一般フィボナッチ数列の思考法)を加えれば、1+2=3、2+3=5、3+5=8、5+8=13、、、とフィボナッチ数列が生じてきます。
この1+2=3、円錐+球=円柱を図形に置き換えれば、△+○=□になるというお話でした。

このように、ある体積比がフィボナッチ数列に繋がるという点に関しては、生物の生育や成長過程に比率を見つけていたゲーテのことを思い起こさせずにはおきません。
そして、体積(細胞内容量)を中心にして表面積や側面積にπやΦが付随して表れるということがいえるようです。

136千々松 健:2009/10/13(火) 14:18:59
>135 △+○=□のおはなしは如何でしたでしょうか?
さらに独断と偏見にて進めます。今度は五角形と六角形が加わります。文字図形表示ができないので、多少なりとも不便ですが、おつきあいの程を、、、
『π≒6/5Φ^2』を基本図形でイメージしました。
円周率≒6/5黄金比^2 ですから、円周率を●として、黄金比を▲+■とすれば、
< ●≒6角形/5角形(▲+■)^2 >のようになります。
これは、円(周率)はフィボナッチ数列から生まれる黄金比の二乗に、鉱物界を代表する六角形の6を掛けて、生物界を代表する五角形の5で割るという方程式に無理やり読み解くのです。

 さて、この≒という微妙な差は何でしょうか?
<大胆に言うことが許されるのならば> 
 それは円とラセンの違いと思われます。円は元の位置に繋がるが、ラセンは一周すると一つ階段を昇る訳で一周するごとに一つずつ次元を加えていくことになるのです。
また、円はラセンの動きの投影図にしか過ぎないとも言えます。
従って、この≒が=に転換するには、厳密にはどうも数学上の特異点解消問題が存在しそうです。
 しかし、宇宙自然レベルにおいては、これ位の差異は無視されて進行し、そのわずかな差異が、時間と空間を経て、もしかしたら多種類の鉱物や生物を生み出してきたのかも知れませんね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板