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「フィボナッチ数列の殿堂」への夢

48藤原肇:2009/02/12(木) 16:55:29
ラグランジュと満月の関係についての話は荒俣宏の『帝都物語』の中にあり、それを読んだ時は平将門のことに関心を奪われ、江戸っ子の私にとっては神田明神の祭伸の将門が関心事だったせいで、三体問題に三角形が関係する程度のことしか理解せず、なぜラグランジュの方程式を登場させて、永遠の満月を論じているのか見当がつかなかった。
ただ、平将門を討ち取ったのが藤原秀郷であり、彼は平泉文化を築いた東北の藤原の宗主だし、若い頃に近江の瀬田の唐橋で大蛇に頼まれて、三上山の大百足を退治したことで有名だ。この百足は円錐形の山を七巻き半していたので、鉢巻よりも短いというオチになっているようだが、鉢巻は球(あるいは卵)の周囲を囲む渦巻きとすれば、円錐の渦巻きは球の渦巻きより劣位で、その間に円筒の渦巻きが位置していることは、射影幾何学からしても予想できるし、張さんの鉄棒を使った回転は円柱の周りの螺旋運動だ。
それにしても、天文幾何学を知っていたメソポタミアの古人にとって、永久に停止し続ける満月というアイディアは、どんな意味を持っていたのかが興味深い。
しかも、百足は鉄の別名で武士の宝の武器と争いを象徴し、竜宮は「金銀珊瑚綾錦」て平和な理想郷だから、ことによると「戦争と平和」のメタファーだったのかも知れない。
スワスチカ自体が回転方向によって逆になり、戦争を司る魔神のシンボルになるか平和の神になるかは、締まると緩むとのネジの回転と結びついているし、それはアドレナリンとドーパミンの関係と同じで、情動と理性の問題やミランダとクレデンダとして、文明と野生のいう具合の西洋的な二項対立と、インドで生まれたゼロがその間に入ることで、中庸で天地を総合する東洋の「ジャンケン」思想になり、それが目出度いトーレスの満月になりそうだ。


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