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ある体験の・・・回想録4
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『この掲示板利用にあたって/管理人』
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2470/1040148566
警告:以下には虐待に関する文章及び性的な描写が多く含まれる。
人によってはフラッシュバック誘発の恐れがある事を留意の上
自己責任で参加するように。時には自ら離れる勇気も必要だ。
そして、参加者は上記のスレッドの注意書きに
目を通す義務を有するものとする。(読まない者の参加を認めない)
ここは管理人である「私」こと「ロイ(EGLIC9Vs)」が
個人的理由によりある悪夢を体験談的に回想するための場である。
私の悪夢は異常なまでに生々しく残り続け時を構わず再現される。
真偽の程は想像にお任せする。どちらにしろ詮索には意味がない。
しかし、この掲示板に書かれた内容の全てに置いて
実在の人物、団体、組織を特定しうる情報は何もなく
真偽の程を特定するだけの証拠には一切なりえない。
また、実在の犯罪、事件に関する情報として提供しうるものを
管理人は有していない。仮に、管理人がなんらかの情報を
握っているように見えようとも、それは読み手側の問題であり
管理人には訴えるにたるだけの物的証拠は何もなく
他者を巻き込む意図も訴訟に関わる意思も全くない旨を明記しておく。
これはあくまでも管理人の見た『悪夢』の回想録であり
解決・未解決に関わらず実在の事件との関わりは一切ない。
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なぜか
信じて疑わなかった。
直接会う事がなくとも、話す機会がなくとも
会おうとすれば会え、話そうと思えば話せる位置に
存在し続けてくれるものだと思い込んでしまっていた。
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自分の甘さが口惜しくてならない。
なぜもっと会えるチャンスを大事にしてこなかったのだろう。
もっと素直に、何も考えずに
構えずに会えばよかったではないか。
形づくろうとせず、そのまんま曝け出せばよかったではないか。
あなたの存在に
どれだけ救われていたか
ただ存在してくれている、それだけでどれほど
心強く支えになっていたか
愚かにも自分で気づくことがなかった。
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記念魔鬼呼
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1/11〜1/18までのメール受信について
1/19 1:45AM時点で全て読んだ。
一部返信すべきものを含むが当方の事情により
先延ばしになりそうなためこの場にて
読んだ、ということのみ報告しておく。
また、スレッドの他所での紹介に関する報告関連をしてくれた方
配慮と労力に感謝する。
返信なくこの場にての反応で申し訳ない。
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久しぶりにこの掲示板上の全スレッドに目を通した事になるが
君達の今の流れは私には理解しがたい。
私は確かに9日以来、哀しみや不安に類似した感傷を持て余しているが
何故君達が「荒れる」のだろうか?
君達の使う用語である「荒れる」そのものが
未だ私の理解の範疇の外にあることが多いが
それを差し引いても不思議に思う。いささかの怖れを持ちながら。
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ロイの哀しみにより荒れたというよりは
詩人と呼ばれる人間の書き込みによって荒れたと見ているけれど。自分は。
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まったくもってロイとは関係ないところで荒れたと思うけど、
荒れたという程の混乱でもないとも感じる。
あんま過敏になったらあかーんよ。
掲示板の内容なんざアバウトにアバウト考えななー。
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嫌な知らせが続く。
失いたくない恩人のことと、私の憎しみと未練の狭間にいた との。
まるで試す如くに、邪魔をするのか。
まだ私の前に立ちふさがるか。
まだ障壁となりうるか。
己の精神力を問う。
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あの時泣かせてくれた。
それゆえ恩人となりえた。
暗闇ではないのだと。
この先に、いや今もってこのまわりに
灯りはあるのだと気づかせてくれた人。
生きる上でこの上なく大切な主軸となるべきことに
気づかせてくれた人。あなたのことを考えていたい。
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今度ばかりは何憚ることなく
今度こそは臆することなく
遠慮とか気遣いとか立場とか
そういったことの名を借りた臆病風を吹き飛ばして
正面から自分の感情に従うつもりでいた。
それを、邪魔するか よ。
同様に悪い知らせでありながら
持つ意味の大きさの違いよ。
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失いたくない者の存在よりも
己の人生の上から、発端から消し去りたいほどの者の存在の方が
影響力が大きい。
この10年、さりげない支えになり続けてくれた方の存在が
未だどう捉えてよいかわからぬほどの障壁の始まりに負ける。
なんたる弱さよ。なんたる脆弱さよ。
未だ、障壁となることを許すか。
彼女が私を助けてくれたことはあるまいに。
あの人は私に命をくれたのに。
産み落とすという意味でなく
新たな人生という意味の命を。
産み落としただけの存在に負けるか?
己の精神力を問う。己の脆弱さを忌む。憎む。
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口を塞ぐのは簡単なことだ。
他人の口も自分の口も。
閉ざすことは楽なことでもある。
閉ざさせることは安易だ。
説明しがたい想いに形を与え
表現しがたい思いを紡ぐことの方に意義を見出す。
形づくれずとも伝えられずとも
紡ぎ出そうとする意志の力と勇気に価値を見出す。私は。
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当初、2chで書きなぐり始めた時は
周囲のことをまったく考えるつもりがなかった。
むしろ反感も追従も含め、ありとあらゆる反応を無視することを
自分自身に科していた。
私のために、私の中にあるものを、私自身の手で
「外に出す」ことをのみ目的とした。
今もって基本精神は変わっていない。
故に、君らがどんな論争をしようと
私を借りた擁護と反発を繰り広げようとも、止める気にはなりがたかった。
また、私の回想などと別のところで別の形の論議雑談が進もうとも
気にかける必要のない、瑣末なことに思えていた。
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しかし昨今、予期しなかった副産物とも言うべき効能を見つけるに至り
時折君達の論争(?)に加わりたくなることがある。
興味深く読ませてもらうことが増えた。
先(近い未来)の経過を読んで動き、未だ発されてはいない応対者の
心の中を読むように、先へ先へと求められるものを見つけ
自分の意志とは関わらず、見つけてしまったものに
添う形でとるしかないコミュニケーションしかできずに来た者として、
読んでしまった故の結果ではなく、自分の意志感情を先立たせたく
四苦八苦するに至った者として
君達の「会話」は非常に面白い。
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しかし時に、ひどくずれたまま進むように感じるのは
「読む」ことの違いだろうか? それとも私が習得できずに来たはずの
「本来普通の」会話を見せられることになるために感じる
違和感なのだろうか?
「ずれ」の所在は
互いに中心に置かれているべき会話の主軸が、
実は違うものを置いたまま、それなのに同じものとして進むことに因っているのか
はたまた 何を差し、何に対してどう という部分を曖昧にしたまま
進むことに因っているのだろうか。それらはとても高度な事のように思えるのだが。
それぞれが、それぞれを明確に述べずに続けるは、
いわゆる遠慮や気遣い、思いやりとかいったものに因るのだろうか?
・・・・・それともただの、思い込みや責任の回避に端を発しているのか
面白い、と言いきってしまえば語弊を招きそうではあるが
非常に興味深い。そしてそれこそ勉強になるね。私には。
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争うことを怖れるのか、誤解されることを恐れるのか。
自分で理解している自分の形と
違う風に理解されることは、確かに怖い。
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理解されないことを怖れるのか、批判されることを恐れるのか。
伝わらないことを怖れるのか、伝えられないことを怖れるのか。
何を怖れているのか見えない時、存在することが怖い。
怖れるものがあることすら見えない時、全てが怖い。
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世の中は怖いもので満ちている。
今も、昔も、おそらくは未来もそれは変わらない。
私にとって、生きるということ そのものが
常に怖いことであり畏れることである。
しかし過去の恐れと、今の怖れは違う。
恐怖を感じる対象も、理由もまったく違う。
今、私は私のみの理由にて怖れを感じることができる。
それはいつか私のみの成長にて、代えることができるだろう。
(変える、の誤字ではない。)
怖れることは悪いことかね?
怖れに負けて閉ざす(閉ざさせる)ことの方がはるかに。
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争う自由がある。
議論する自由がある。
争いをふっかける自由があれば
受けて戦う自由と、避けてすすむ自由が存在する。
戦わないままに、それでも返す自由があれば
思うところがありながら黙す自由もある。
それらそれぞれを、受ける受けないも当然ながら自由だ。
逃げることも卑怯にふるまうことさえ、自由採択でありえる。
素晴らしいことではないか。
誰の目も気にしなくてよい。
「荒れ」など気にする必要がない。
平穏のみの整った世界など信用できはしない。
私には 誰のレスも、問題があるように見えない。
君達のレスを恐れるものではない。
恐れるのは、君達が(勝手に)私を気遣って口を閉ざすこと。
君達が、私を気遣う必要があると決めつけ統制をとろうとすること。
誰の目も気にしなくてよい。私の目をいわんや。
ここまでの全てにおいて私自身は「荒れ」と感じたことがない。
初めに喚起した通り、自己責任であってくれればよい。
気にするべきは己のうちにある良心のみ。
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1つ、尋ねて見たくなった。
基本姿勢はともかくも、2chからこの場に移り
副産物ともいうべき効能を見つけた私にとって
(この場に限ってのことだが)
気分として何がありがたく、何が迷惑か、
私「が」君達に対して思うところを当てられる人はいるのかな。
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推測、邪推、あてずっぽう
何でも構わない。ハズレることに問題はない。
と、言って見た場合
どれだけの人間がとりあえず答えてみるのだろうか。
期待しつつ待ってみることにしようかな。
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予想を上回るレス数に気をよくしてついでに尋ねてみたくなった。
君達にとって
「荒れ」とは?
「あらし」とは?
「叩き」とは?
「粘着」とは?
「議論」とは?
「慣れあい」とは?
「傷つく」「傷つけられる」とは?
いつも私なりの解釈で輔弼して読んできたつもりだが
どうも複数解答ありそうに思える。
もちろん統一見解など必要ないので重なろうがばらけようが
主観で好き勝手に答えてくれて構わないのだが
どう答えてくれるのだろうか。
個々の定義するところが違えば
先に自分の思惑とするところを述べているのでもない限り
それは主軸がずれていっても不思議はなかろうと思うが
これでは答えには程遠いかね。>>雑談7-652
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個人的に気分転換したい意図も手伝って
レスをしようと思うところがいくつかあるのだが
どういうわけか現在集中力に欠けている。
短時間で「読む」ということがほぼ不可能になっているため
レスをするとしても時間がかかるだろう。
考えようとしなくても脳裏で文章化されてしまう事が多い私としては
まとまった時間がないと読めないという状態は非常に珍しい。
してみると、この状態から判断するに
私は今はまだ平常心とは言えないのだろう。
そのため、私がレスをしたとしても
「そういう状態」の私があまり考えずに「なんとなく思った」事を
書いている可能性が高いことも視野に入れつつ読んでもらえると嬉しい。
(時が移れば意見・感想が180度変化することもありうるだろう)
もっとも「考えない」状態は「直感勝負」でもあり
より正直であるとも言えるかもしれない。私の場合は。
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ところで2つ。
誤解があるようなのでこれだけは先に訂正しておきたい。
>>雑談7-642
>>296で私が書いた「いささかの怖れ」は君のせいではない。
私は2chという名前の掲示板で書いていた時も、今も
「荒れた」と思ったことが一度もない。
君達が言う「荒れた」状態で、私が怖がることはない。
もし、この言葉がむずかしく意味のわからないところがあったら聞いて欲しい。
ただし、「では何が いささかの怖れ だったのか」ということを説明するのは難しい。
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>>通称闇スレ の停止について
これは内容が迷走したから行ったのではない。
雑談6-769で書いた通り内容に難あってのことでもない。
しかし、あの時は敢えて書かなかったがそれだけの理由でもない。
あの時君達と1のコミュニケーションは完全に破綻していた。
私には追い詰められる者の危うさが感じられ
君達には「待つゆとり」がないように見えた。
私は「議論」は嫌いではない。
「論争」も嫌いではない。むしろ理解を求めたい時
(自分が理解されたい時、自分が相手を理解したい時)
-単に疑問を解消したい時を含む-
積極的に利用するコミュニケーション法の1つでもある。
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しかし人には「時と状態」というものがある。
議論や論争に耐えうる精神状態や力が失われている場合も
ままあるものだ。それは誰にでもありうるものであるし
そうであったからといって常にそうであるとは限らず
また能力的に劣っているわけでは決してない。
事始からそうであれば、論争をふっかける者は少ないだろう。
しかし刻々と状態変化していく流れの中で、途中で
論者の状態が変化する、ということはありえる。
それには
・論議の中で気力を使い果たしたから
・本題とは違うところで、「何か」が古傷を開いたから
・「何か」が「痛かった」ために「どこか」が「休息を必要とした」
・個人的な理由でそれどころではなくなった
など、様々な理由が考えられるではないか?
そういった場合、論者は無理をしてでも論議を続けなければならないのだろうか?
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苦しんでいる大人には
他人はきっと何もしてあげられない
と最近思う
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それは無視してはならないものだと私は考える。
片方に自分の言い分を表現する力が失われれば
それはもう議論とは呼べないからだよ。
あの時、私には1にそれ以上の論争を要求するのは酷に見えた。
しかし君達には「休息を認める」様子も
「復活を待つ」様子もみられなかった。
それ故私は、1からの削除依頼に応じることにしたのだよ。
そしてその場では1が「逃げた卑怯者」と批難されかねない危惧を
私が感じたために、依頼があったことについては伏せさせてもらった。
その時、理由を明かす時期は私の独断と偏見で判断することに決めた。
実のところNo1に注意書きが欠けていたなどという理由は
どちらかといえば瑣末な事に過ぎないと思っている。
これはある意味、私の管理権限濫用と受取られても
仕方のないことなのかもしれないが
しかし私はこの場を杓子定規に運営する気はないとも言っておこう。
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さて、「論争」について触れたついでに。
スポーツ選手が試合中に不測の怪我をすれば
試合の中断はあり得ることだね。
議論の場合だってそれはありだと私は思うのだよ。
勝敗を必ず決めねばならぬ「試合」というものに関しては
そこで怪我をした方が負け、ということもあろう。
初期から不戦敗ということもあれば中途リタイアということもある。
しかしそこで「勝負としての答え」が出た、と判断するのだろうか。
「運も実力のうち」「健康管理も勝負のうち」とはいうものの
やはり私は双方全力出せる状態での勝負を望みたい。
勝敗よりはそこにいきつく試合の流れに興味の重きを
置きたいからかもしれない。
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ましてや議論は勝負ではない。
ある種の問答でもない限り、議論に勝敗はない。
あるとすれば相手との勝敗ではなく
自分との勝負のような気がする。
相手を言い負かしたか、黙らせたかよりも
自分の言いたいことを伝えられたか、気持に形を与えられたか
苛立ちに耳を塞がなかったか、もどかしさに逃げはしなかったか、
こちらの方がはるかに重要だ。
私はこれは主に自分との闘いなのだと思っている。
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人は言葉でも怪我をする。
過去の傷は思わぬ時に膿みを噴き出す。
何を刃とするのかは人によって違う。
目に見えない傷はどこでまたうずきだすか判らない。
己を癒していける速度は人によって違う。
そして誰しもが、きっと何かしらの傷の過去を持っている。
それだから
相手が休息したくなったなら追求の手を緩めるくらいの余裕が欲しい。
想いの全てに形を与えられるわけでもない。
理解できない時には、自分の想像できない理由が存在するに違いない。
逃げ場のない議論は議論ではない。
逃げ場もおかず相手の休息も認めないのであれば
それは糾弾と呼んだ方がよい気がする。
追い詰めれば出てこなくなる言葉は多い。
人は相手の勢いと、伝わらなさを怖れるからだ。
黙らせたいのか、聞きたいのか、
伝えたいのか、同意させたいのか
それによってとるべき態度や選ぶべき言葉は
自ずと決まってくるものだと思いたい。
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私は議論は攻撃であってはいけないと思う。
が、歯に衣着せまくりの焦点をぼかした論議ならば、
また、形づくることを怖れ曖昧にしかできない論議ならば
する意味があまりないとも思う。
正直なところ、失礼ながら私には
君達はあまり議論をしていないように見える。
荒れてもいないが議論を始めてもいない。
始めかけては、論争となるを怖れるが故に互いに引いているか
はたまた、片や引くのに片や押したく、
「聞いて」相手を「受けて」の「返し」ではなく
「決めつけて」相手を「はねのけて」の「押しつけ」をしているか
理解できない、想像できない、納得しがたい、人の言動に苛立ち
伝えられないもどかしさと、伝えようとする面倒さに逃げたくなり
不完全燃焼のまま 熾火だけ残してくすぶっているように見える。
私は「議論」は嫌いではない。余所へ移動する必要もない。
内容のいかんによらず、私に遠慮はまったくもって要らない。
ただ「中断」を認める余裕があればよい。
いっそ、これ以上の堂堂巡りはないというくらい
出しきってみてはくれないものかね。。 主に私の好奇心のために。笑
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今のところ、>>323は私には
力を失っている方がいるようには見えないからの発言だが
それなのにもし、
不完全燃焼で終らねばならない理由が
私への配慮からなのだとしたら非常に悲しいことだ。
(もちろん中断したくなったり、議論そのものをしたくないのであれば
相手の同意によらずいつでも黙ればよいのは言うまでもない)
ああ、そうそう。それから堂々巡りについて。
ループ、と一口に言うがまったく同じことしか出てこなくなるには
相当の応酬と時間が必要だと思う。
何故ならば、互いに自分の方向は定まっているものの
伝えられる道を探すには四苦八苦するからだ。
似通っているだけではループとはいえない、そこで見限るのはもったいない。
異なる意見を交わし攻撃ばかりに転ずることなく
議論をすすめられたら、興味深く楽しいと思うのだがねえ。
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追記
>>316で「理解」と簡単に書いてしまっているが
それは簡単にできるものではない。誤解を防ぐため
「知りたい時」「説明したい時」とでも置き換えてもらおうか。
それにしてもやはり。
自分の不調さを感じる。
言葉が形にならない。時折頭が空白になる。
知っているはずの単語がでてこずひっかかる。
ずーっと以前、失語症になった時に少しばかり似ている。
あの人を失うことは、自分で感じている以上のショックらしい。
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眠い。が、眠るわけにはいかない日。
意図的に気分をそらすには限度があるらしい。
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貪欲でいたい。旺盛でいたい。憚ることなく。
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ただでさえ好きでない季節に。
悪い知らせばかりが続く。
そういう年なのかと、普段は気にしない縁起などを気にしたくなる。
自分の健康は祈ったことなどないのに。
神を信じているわけでもないのに。
それでも沸いてくる祈りたくなる何か。
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どれも普段気にかけていなかった人達の知らせだ。
本当は大きな助けになっていたはずなのに
気づくことさえなかった罰か。
気づきたくなく目をそらし続けた報いか。
私はきっと直視するのが怖かったのだ。
己の傷を見せてしまった相手を。
さらけ出してしまった痕を。
私を無防備にさせる相手を。
彼女の変らない好意を、信じるのが怖かった。
そして、私を生んだ人。
まるでついでのように私の哀しみに混じろうとする女。
憎しみが淋しさに変わっていく。
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それでも 苦しんでは 欲しくないのだ
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抱えてきたあまたの想いを忘れられるわけでもないのに。
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あなたのことは祈りたくない。
それでも死を願うわけではない。
呪ったことはあるが。死を、苦しみを願ったことはあるが。
どこか遠くで。
私の知らないところで
私に気配さえ悟らせずに幸せになって欲しかった。
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憎み、殺すことができないのなら。
完全に外へ
私の視界から意識からはるか遠くへ
いってしまって欲しかった。
完璧な忘却を。
あたかも存在しなかったごとくに。双方向に。
あなたへの憎しみを消すのは難しい。
しかしあなたの命を平然と見ることもできない。
憎んだことだけを覚えていることの方が
どうやら難しいらしい。
割りきれない弱さよ。
今考えていたいのは
決してあなたのことではないのに。
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弁護士のことはどう思ってますか?
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久しぶりに来て全部読んだけど、ロイって変わった、と思った。
変わった、といってもけして不連続な変化ではなく。
正直に言ってしまうと、最初は『人間』を見てる気がしなかった。
でも今はどこか『人間』を感じる。
『人間』ってなんだよってツッコまれると言いにくいけど、自分の
今抱く印象に一番ふさわしい言葉を選ぶとこうなってしまう。
また、さらに直感的に言ってしまうと、少しほっとした。
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一身上の都合により当分の間、管理不能になるため
一時的にここを休止する。再開時期は確たるものではないが
予想として3月初旬。その時にまた
縁なりとあったならまた。
あと1〜2時間で休止する予定。
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これまでの全てに目を通す時間はなさそうだ。
1つ思い出したことがある。
呼吸困難。幾度もの。繰り返す呼吸困難。
Tの死後どれくらいがたってからだろう。
一人。たった一人「自由な」部屋で座り込んでいた。
よっぽど考えないと立ち上がり方が分からなかった。
考え方さえ思い出せず何をしていいのかわからない以前の問題で
私は何もせず何もできず床にただ座り込んでいた。
そして呼吸困難。
繰り返す苦しみ。
不思議なことにそれが救いになって自分の肉体の存在に気づく。
だが呼吸困難。苦しく目の前が真っ赤になっていく。
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私はそれから随分と長い間
呼吸の仕方を意識して思い出さなければならなかった。
気がつけば呼吸をすることを忘れているのだ。
発作がおき、苦しくなってから初めて
苦しさの中で呼吸の仕方を思い出す。
壁に貼った呼吸する人の写真と解説を
きしむような目で見ながら整えようと努力した。
口から大きく息を吸ったら肩が動くのだ。
うまく吸えたら腹や胸は膨らむのだ。空気が入って。
吸ったあとどうするのだったか?
これをどうやって吐き出せばよかったか?
吐き出したら今度どうするのだったか?
繰り返しぎこちなく練習しては
発作を抑えようとする。収まってもまたすぐ繰り返す発作。
過呼吸。呼吸困難。手足のしびれ。
呼吸。意識していないと忘れるものだった。
意識して覚えていようとしなければ呼吸困難になるほど
どうでもいいことだった。
あの頃 それくらいひどく抜けきっていたのだ。
何かが。私の中から。
-
生きて、生きていてくれ!
また会いたい。
-
>>338
いや、呼吸をしなければならなかったことを、思い出すのだな。
意識し続けていなければ呼吸することすら忘れていた。
故に休まる間はなかった。
-
>>339
大げさだね 苦笑
今の私はもはや、自ら死を選ぼうとすることはないだろう。
発作的に、という危険からもはや遠のいた。
遠のき続けていると思いたいが。
健康第一だ。
考える自由と動く自由と。それぞれを確保するために
あらゆる意味で療養が必要な時もある。
暫し、休むことにした。
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ためらいと畏れと。
気がつけば萎縮している神経と筋肉と。
動くことの怖さよ。
時間を感じることの恐ろしさよ。
この容赦なく流れ続ける時間の中で
ただの一歩も踏み出せなくなる怖さよ。
取り残されあぶれどこを向いてよいのかすらわからなくなる恐怖よ。
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克服したつもりで。
繰り返し繰り返しやってくるそれと
凄残な闘いを挑んだ末に克服したつもりで。
それが己にとってのみ凄残なのだと思い知らされながら
それでも向かい、闘い、ようように超えたつもりで。
また同じ恐怖の中に立ちすくむ自分を発見するのだ。
全精神力と気力となけなしの勇気をかき集め振り絞り使い果たしながら
ようやく立ち上がったつもりでまた
気がつけば同じ位置に立っている。
永遠のループにはまったような悔しさに苛まされる。
使い果たした気力などを
少しずつ少しずつ貯めながら、また作り上げながら
少し動けばまた、次にそれを使い果たす壁にぶつかるのだ。
まるで使い果たすためにそれらを貯めてきたかのように。
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これは同じ位置か。
これは同じ時間か。あの時と少しも変わらず同じなのか。
同じレベルか。同じ困惑か。同じ壁なのか。
私はこれだけの時間を費やしてまだ、同じところにいるのか?
これだけの、あれだけの闘いを続けたつもりで
その実ただの一つさえも勝利してはいないのか。
闘いですらない?
誰しもが普通に通る道。
誰しもがこんなところでつまづくわけではない。
平坦な道に躓く私はなんと無能で無力なことよ。
私にとって苦しみの連続でさえあったあの闘いが
ただの、生活でしかない。
どこが闘いなのかと。
我ながら情けなくやりきれなく。
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しかしそうではない。
そうではないと繰り返す。自分のために自分一人で。
あの支配された日々は闘いでない。
私に闘う術はなかった。意識の上でさえも。
その日、ただ一日をやり過ごすことのみが命題で。
昨日はなく明日はなく過去もなく未来もなく。
ただその時だけが存在し。
いいなりに過ごすしかなかった日々に闘いはない。
己との闘いはみじんも存在しえなかった。
あるとすれば恐怖の。
恐怖との、痛みとの、追いかけっこのような記憶との。
忘れようとする私と忘れられないでいる私との押し付け合い。
あれは、闘いではない。逃避だった。
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闘いは、形の上で「自由」を得て初めて始まった。
支配のない世界。
「自由」という恐ろしさ。
心もとなく足がかりのない、何者も支えてはくれない世界。
立ち上がれと命令されれば、私は立つことができただろう。
食べろ、と命令されれば。私は飲み下すことができただろう。
眠れと言われれば、私は睡眠に入っただろう。
しかしそこに命令はない。
私は立たなくてもよい。食べなくてもよい。眠らなくてもよい。
だから、ただの少しも私は動くことができずにいたのだ。
次の命令が来ないから、現状のまま身動きもできずに待ち続けるしかなかったのだ。
あの頃、命令が恋しかった。
あの頃自由という恐ろしさになすすべがなかった。
いつ息を吸ってよいかわからない。
いつ息を吐いてよいかわからない。
いつまで呼吸していてよいかすら、わからなかったのだ。
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一端萎縮してしまうと次に動くのが怖い。
動いてみるまでの恐怖が痛いほどに刺さってくる。
動いてもよいのだと、動いても大丈夫まなのだと
自分で自分に言い聞かせながら、
動かせるために自分で「命令」する。「動け」と。
「命令」という形をとってしか動くことができなくなった自意識。
萎縮から、次動きだすまでがいつも闘いなのだ。
気が遠くなるほど単純で情けない、救いのない闘いなのだ。
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萎縮している場合ではない。
自分だけの時間をとどめ続けられるわけではない。
情け容赦なく流れていく。
一人萎縮し続けたとて、時間が待ってくれるわけではない。
萎縮し続けた分、逃げ続けた分、
また後で、死にものぐるいで追いかけなければならなくなるのだ。
そうしてまた、追いかけきれない何かに追いつめられる。
取り戻せないあれこれに、自分が許せなくなる。
こんなことの繰り返しをいつまで続けていけばよいのだろう?
休むことが罪悪だった。
動けなくなることが罪悪だった。
その私の中で凝り固まってしまっていた常識を
根底から覆してくれた人がいた。
彼女が私に「休む」ことを教えたのだ。
そうして何もしないでよい時間と何もしないでいる贅沢さを気づかせた。
それはなんという幸運だったことだろう。
なんと貴重な時間の数々だったことだろう。
それなのにじき
彼女がいなくなる。
会いにいきたい。
多分私は会いに行きたい。
会いに行きたいはずだ。
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萎縮している。
またしても動けなくなっていそうだ。
自分で自分の気持ちがわからなくなる。
まるで人ごとのように
「会いに行きたいはずだ」と想像している。推測している。
動け。動かなければならない。時間がなくなる。
この動かなければならない時に
もはや時間が無限にあるわけではないと
ひしひしと迫ってくる思いに打たれ焦れている時に
体の方が先に参る情けなさよ。
自由がきかない。歯がゆさを超えて憎たらしい。
なんともろくなった体か。
こんなところでうづくまっている場合ではないではないか。
-
もし、仮に。
彼女に会いに行けなかったとしたら。
彼女と会うこと叶わなければ。
憎めるだろうか。
今度こそ心から
全身全霊をかけてTを奴を憎めるだろうか。
この呪縛が奴らのせいだと確信する。
動きたい。
-
会いに行きなさいよ、君。
会いたくても会いたくなくても
会えても会ってもらえなくても
良くても悪くても構わないことだから。
君は今、会いに行きなさい。
生き死にというのはそういうもんだから。
間に合う時に知ったのだから。
-
そう思う時は動くべき時なんだ。私はそう考えている。決めている。
「あの時ああしていたら」という後悔、想像、思うことは
永遠に襲ってくる
「あの時ああしていたらどうなっていただろう」
それを、間に合う今なら確かめられる
確かめる術すら無くなってから想像をいくつもして、
取り返しのつかない時間に、しても仕方の無い選択肢を考えて選んで想像して、
ずっとずっと考えている。時間は戻らないのに、まるで今があの時みたいに。鮮明に緻密に。
それよりきっとずっと良い。動いた事で後悔しても衝撃を受けても苦しんでも
はっきり分からないままその事を抱えて行くより
たぶんずっとマシなんじゃないのかな。ずっとすっきりする。一つの答えを手に入れられる。
動かなかったら答えは一つも永遠に手に入らない。疑問は、想像は永遠に残るのに。
動かなくて手に入れてしまう後悔より動いて手に入れてしまった後悔の方がきっと良い。
私なら 次にそんなことが有ったら 捨て身で動こうと決意している
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会いに行ってくれ。二本の足があるなら可能だよ。
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行けるものなら行っているのだよ。迷いはしたが。
しかし物理的に今は行けない。動けない。
なまじ私が無理をして行ったとて
弱った彼女に余計なものを感染させるわけにはいかない。
今の私は丈夫ではない。
彼女にとって危険なキャリアーになりうる。
呪わしく焦れったいが理性が勝る。
私の感情のために彼女を余計な危険にさらすわけにはいかない。
ましてや彼女には家族がいる。
友人も。
彼女の世界には彼女との1分を惜しむ人たちがいることだろう。
そして私は
ついに友人未満のままだ。
師と弟子でもなければ医者と患者でさえない。
危険を冒してまで私のために時間を割けとはいいがたい。
いうわけには、いかない。
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私らしくもない。
無理な時は大人しくしているしかない。
時がくれば動けるだろう。
愚痴を言っても仕方あるまいに。
時が長くもちますように。
神を信じるわけでもないが祈ることがある自分が不思議だ。
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時間は無情に過ぎていくものです。
そして、人生には何の意味も無い。
意味付けるのは自分自身です。
あるきなさい。
少なくとも、今なら間に合う『何か』が残されているはずだから。
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ロイ、好きだ。私は貴方の虜になってしまった。
まるで、卵から産まれた雛のような純粋で無垢なイメージだ。
なのに理知的で思いやりのある言葉をこれ程美しく使えるなんて。
その事がとても羨ましい、・・こういう事は貴方にとって迷惑だろうか。
会えるのなら逢った方がいい。
遠くから眺めるだけでもいい、、これは希望だ。私の。
如何して、私はトラウマを持つ人に惹かれるのか、漸く判った。
誰より生きようとしているからだ。私は逃げてばかりだから、彼等に申し訳ない
のと、自分を恥ずかしいと思ってしまう。
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ロイが「会いたい」なら会いに行けばいい。
誰に遠慮する必要があるんだろうか?
体調不良の理由を除けば、他は言い訳にしか聞こえないのだが。
(不快に思われるかもしれない。直接的で失礼。)
誰もあなたを止めない。命令もしない。
あなたがしたい事をするんだ。
それがあなたにとっての「勝ち」ではないのか?
そうしたら恨めるんじゃないのか?Tを。
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>358
ロイさんが会いたがっている女性は、もしかして病気で身体の
抵抗力が低下しているのではありませんか?
健康な人が感染しても大したことはないウィルスでも、そういう
人が感染すると命の危険性があると聞いたことがあります。
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しまった。
閉じておくのを忘れていたではないか。
しかし何事もない。
世の中そんなものだ。
-
今己を抑えるのが難しい。
皮肉なものだ。
あの時覚えたことは、まず自分を抑え殺すことではなかったか。
感情を持て余す。
見えない感情を持て余した時代は終わりに近づいたようだ。
見えてあまりある感情を実に持て余す。
そして相も変わらず理性と感情が常に相反する。
あの頃複雑に、しかしくっきりと別れていった。
残された爪あとは大きすぎる。
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あの頃、私の精神は確かに縛られていたが
肉体においては五体満足といえた。
それすら自分のために動かしたことは少なかったように思うが。
今私の精神を縛るもの私以外にはない。
少なくとも他者に理不尽に縛らせはしない。
しかしこの時になって肉体が縛られている。
脆弱な体よ。
なんと脆弱になったことか。
あの頃、決して病弱ではなかったはずなのに。
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いつまでとらわれるだろうか。
彼らの残した痕跡に。
こちらからとらわれるのではない。
否応なしに残された痕跡に抗う術もなくからめとられる。
自由に動かしてよい手足が欲しかったものだ。
自由に考えてよい頭と自由に発してよい言葉と。
しかしその自由を得たはずの今
体がいうことをきかない。
もはや誰にも物理的に束縛されてはいまいに。
口惜しい。
勢いあまって我と我が身を切り裂きたくなるのはこういう時だ。
しかしそれもまた
愚かにすぎるふるまいだ。
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忍耐力だけは、嫌というほどに培われてきたはずなのだがね。
やはり偽者であったか。
どこかで叫ばねばなるまい。
でなければいずれ犯罪者と化した自分と会うことになるだろう。
普通にあるべきものを
普通に欲しているだけのはずなのだが。
あの頃、それすらしたことのなかった「自由」のはずだが。
自由の中にあって不自由であれば理不尽な怒りはどこへむけられようか。
満喫できるはずもない。
「自由」か。 自由とはなんぞや。
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私は今、ネガティブに愚痴を書き並べる自由を行使している。
かつて、そして今、おそらくは未来へも続いてしまう
わが身の不運を嘆き倒す自由を行使しようとしている。
脳裏から消えてもくれない正論と理性などくそくらえなのだよ。
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自由とはなんぞや
愚かであろうと汚かろうと呪縛があろうと
それ全部をひっくるめた自分であるのもまぁいいか。
それで在るしかないしな。自分の信ずる善きものを大事にできるように
毎日自分に恥じないように生きていくか。
と思える時が自由
失った物を取り返そうと思わなくなる時が自由
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ロイ (EGLIC9Vs)タンて幾つくらいの人なの?
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厄年っぽいが、その話しはあっちでな。
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人より劣る己を恥じる時、スタート地点が違うといいきかせてみる。
人の和を畏れる己に怒る時、初めに防御ありきといいきかせてみる。
人の群れの流れにとびこめぬ時、わが道を一人でゆける己を褒めてみる。
振り返ればそこに、頑張り続けた私がいる。
片時も休むことなく走り続けた己が姿を垣間見る。
ここから先は
牛歩、蝸牛の歩みでよい。
手に入れた己だけの時間軸を大切にする。
早すぎる世界に、惑わされてはいけない。
私は一人であり、一人ではない。同時に、一人ではなく一人である。
そして、誰にも文句はいわせない権利がある。
事、私が私でいることに関して。
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彼女は私から多くの力を認めてくれた。
初めに認め、そして私に気づかせてくれた人である。
信じぬ私に見解の相違を示し
私の中に在る凝り固まった定義のことごとくを覆し
否定を肯定に変えた恐ろしい存在であった。
-
そう、恐ろしかったのだよ私は。
彼女と彼女の見る「私」が。
彼女が見、認識する私はことごとく私のそれとは異なった。
当時とてつもなく苦しかったのであるから
それが180度覆り、世界が変わるということは楽なことであったと
事がそう簡単であれば混乱はしなかった。
しかし私は混乱した。
歪んでいようが偏っていようが世界は世界である。
これまでに、それまでの生涯で作り上げられた
自分の生きた世界であり価値観である。
それが根底から覆る。
足元を失う。拠って立つ瀬がない。
それはとてつもなく恐ろしいことだったのだよ。
例えその先で苦が楽に転換するのだとしても。
-
当時の苦しさは、苦しさを苦しさと認識できぬほどのものだった。
苦しいとは思ったことがなかった。
辛いとも思ったことがなかった。
自分が既に悲鳴をあげ続けているのだとは、露ほども思わなかったのだ。
故に、休ませてやろうとは考えなかった。
休む必要があるなどとは思いつきもせず
疲労を疲労と思うことすらせず
ただただひたすらに自分の無能を恥じ劣等感を抱いていた。
-
いつぞやの話題で
手を抜くことのほうが難しく大変なのだというようなことを
不思議な発見のように受け止めた者がいたのはここだったろうか。
手を抜くことのの方が楽。
それは一見当たり前にみえて当たり前ではない。
場合によっては一から学び覚えなければならないスキルであると
今は確信している。
手を抜くことが恐ろしい行為であり続けた場合に
手を抜かなければならないことは
とてつもなく不安で恐ろしいことでありうる。
それは、肉体の楽さをはるかに上回る
精神的な疲労と圧迫の上にしか成り立たない。
肉体を酷使することはもっとも容易なことの一つだ。
-
故にあの頃
まず休んでもよいのだということから
自分に教えなければならなかった。
しつこくしつこくしつこく、繰り返し何度も
休んでもよいのだと、それが当たり前なのだと言い聞かせなければならなかった。
そうして訪れる不安や恐怖と闘いながら休むよりは
あの時まだ、動き続ける事の方がはるかに楽なことだったのだ。
そしてその前段階として
休まなければならないのだと、信じる必要があった。
もう限界なのだと、休む必要があるのだということを
信じる必要があった。
それこそ、まったくもって受け入れられない事実だった。
動けなくなった時は終わりだという恐れから
壊していく必要があったからだ。
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彼女はそういった恐怖を伴う転換を
決して無理強いせず、しかし軽やかに
いつのまに変わったのか自分で自覚すらできぬほど自然に
いつのまにかやってのけたのだ。
彼女がやってのけたのではない。
私にやってのけさせた。
そうして、「できてるじゃない」と。
「やればできるじゃない」ではない。
「できるはず」でもない。
「今できてるのがそれでしょう」と。
もう既に出来ているというのに何を畏れる必要があったのか?
あの時世界は恐怖に満ちていた。
その世界を、彼女は変えた。
私に、私の力でごくごく自然にかえさせたのだ。
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随分と長きに渡って、それすら信じることができなかったのだけども。
自分でできているという事実さえ、現実として受け入れることはできなかったのだ。
この10年で、会った回数を数えるならば少ないと思う。
約10年の歳月を思う時、
まだたったのこれだけしか会ってはいないのだと、思う。
短くも長くもあるこの10年の間で
たったこれだけしか会っていなかったことを不思議に思う。
この数十倍は会う機会があったはずなのだ。
しかし伴い続けた恐怖ゆえに、私は自分でその機会を潰してきた。
後悔の念は絶えることがない。
しかし同時に不思議にも思う。
会って話しをした、たったあれだけの時間で
こんなにも力をくれたのだ。彼女は。
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心から感謝している。
-
思いに形を与え言葉を紡ぐことに意義を見出すけれど
言葉は無力だ。
彼女にこの気持ちの一片たりと伝えられた気がしない。
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感謝いている。
そんなものではないのだ。
あなたに会えただけで
自分が幸運だったと思える。
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私に命を。命に意味をくれた。
生きることは罪ではない。
私の人生はこれからだ。
まだ、始まったばかりだ。
-
確か1986年 あの年に起きた混乱を私は忘れないだろう。
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今までの生涯を振り返って
もっとも大きな不安に晒された時期と理由というのが
支配者がいなくなったことだった、というのは皮肉なことだ。
自由というのはなんと不安定で足元のあやういものか。
身についた奴隷根性から抜けるのに非常な苦労をした。
そしてまだ抜けきれてはいない。
何も考えずに言いなりになり、そこに疑いを持たないということは
自分の権利を守りながら自由裁量で生きることよりはるかに楽だ。
だから、自由に生きるということは
常に何かとの闘いになる。私の場合は。
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言っておくが君達のいうSM的意味合いでの奴隷ではない。
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王様の耳はロバの耳。
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王様の耳はロバの耳
王様の耳はロバの耳
王様の耳はロバの耳
王様の耳はロバの耳
王様の耳はロバの耳
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我ながらばかばかしい。
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天網恢恢疎にして漏らさず。
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嘘をつけ。
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飲もう。
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理性が飲むべきではないと止めていたのだが
>>389が4:44だったので飲んでもよいというような気持ちになった。
我ながら不思議な理屈だ。
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一度飲み始めるとたがが外れるものだ。
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