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第47回衆議院議員総選挙(任期満了2016年)スレ
1810
:
とはずがたり
:2014/12/02(火) 14:01:46
>>1809
云ってる傍から宮崎民社ネタ見つけたw
凄かったんだねぇ。。
>旧民社党の指定席がかつてあった。支えたのは「一声3万票」を誇った旭化成労組
>中選挙区時代、同社はストライキ封じを兼ね、選挙運動で組合に協力した。パートナーは1960年誕生の旧民社党(結党時は民主社会党)を支持する同盟系の旭化成労組。同労組中心に同盟系労組員は最盛期で1万8千人。
今はひどいな。。
>単独当選の小選挙区導入を機に、会社は労使一体型選挙をやめた。
>現在の同盟系労組員は最盛期の4分の1以下で約4千人。市議当選者も旧民社党15人に比べて半数以下。
“民社王国延岡”今や昔 2区民主、候補見送りへ 旭化成労組員減 労使一体消え
http://www.nishinippon.co.jp/feature/representatives_election_2014_miyazaki/article/130409
2014年12月01日(最終更新 2014年12月01日 03時00分)
中選挙区時代の旧宮崎1区(現在の宮崎1区の大部分と2区)に民主党のルーツの一つ、旧民社党の指定席がかつてあった。支えたのは「一声3万票」を誇った旭化成労組(当時は全旭化成労働組合連合会=全旭連)。その拠点の宮崎県延岡市を抱える宮崎2区で、民主党は今回、候補者擁立を初めて見送ろうとしている。労組員の減少、同社による労使一体型の選挙運動の消滅という「栄枯盛衰」がその背景にある。
中選挙区時代、同社はストライキ封じを兼ね、選挙運動で組合に協力した。パートナーは1960年誕生の旧民社党(結党時は民主社会党)を支持する同盟系の旭化成労組。同労組中心に同盟系労組員は最盛期で1万8千人。民社党は67年に初めて議席を獲得。特に76年に初当選した同労組出身の米沢隆氏(後に民社党委員長)は、93年選挙まで7回連続で議席を守った。
分岐点は96年の小選挙区比例代表並立制の導入。米沢氏は宮崎市中心の宮崎1区に“転身”。それでも、延岡市がある2区には民社党の流れをくむ新進党、民主党の候補者が出続けた。しかし落選が続く。唯一の当選は2009年の比例復活。その候補者も12年には落選し、今回は立候補を見送る方針だ。
単独当選の小選挙区導入を機に、会社は労使一体型選挙をやめた。合理化などで労組員が激減したことも背景にあった。現在の同盟系労組員は最盛期の4分の1以下で約4千人。市議当選者も旧民社党15人に比べて半数以下。かつての集票力は失っている。
第一線を退いた74歳の米沢氏は「小選挙区で負け続け、厭戦(えんせん)気分が組合員に出てしまった。(自分の時代に)選挙活動をやり過ぎて疲れてしまったかな」。かつて政党再編に寄与したベテランが寂しく語る。
“民社王国”の時代を知る地元紙の元編集長、渡部洋三さん(67)も言う。「組合員も激減する中では候補者の擁立断念は仕方ない。時代の流れでしょう」。
=2014/12/01付 西日本新聞朝刊=
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