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国際関係・安全保障論
1
:
■とはずがたり
:2003/01/22(水) 12:15
経済畑出身の私の鬼門,外交・安全保障を考える。
適宜,憲法談義・世界経済等もこちらで。
646
:
とはずがたり
:2004/11/15(月) 01:41
パレスチナ:
アラファト氏危篤 発言力強めるスーハ夫人−−“延命”決定権を掌握
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/women/archive/news/2004/11/08/20041108dde007030051000c.html
◇“延命”決定権掌握、容体の広報も左右
パリ近郊のペルシー軍病院でアラファト・パレスチナ自治政府議長(75)の危篤が続く中、病室に付き添うスーハ夫人(41)の動向が注目を集めている。パリでの派手な生活ぶりが地元でひんしゅくを買っている夫人だが、看病を通じて事実上、議長延命の決定権を握り、発言力を強めている。
夫人は集中治療室(ICU)で生命維持装置につながれた議長の隣に座り、議長に直接面会できるのは医師団のみ。軍病院広報官は夫人の意向を受け「質問は受け付けない」「容体は安定している」などと短い声明を繰り返している。
イスラエル紙によると、夫人は広報官に対して病状に関するいかなる追加説明も加えないようクギを刺し、容体情報を左右。6日夜には医師団との面会中、「誰が議長と面会し、容体を報告するか」を巡りダハラン元自治政府治安担当国務相、ラシード経済顧問、ルデイネ議長顧問が夫人と口論する一幕もあったという。「議長のこん睡は続いている。決定権は今やスーハ(夫人)の手中にある」。イスラエル英字紙エルサレム・ポストがヨルダン川西岸の自治政府高官の話として伝えたところによると、医師団は夫人が生命維持装置を外す許可を出すのを待っている段階だという。
夫人は銀行家の父、ジャーナリストの母のキリスト教徒家庭に生まれたパレスチナ人で、西岸で幼少時代をすごした。議長は夫人がソルボンヌ大留学中に知り合い、パレスチナ解放機構(PLO)の広報担当部門に取り立てた。父子ほど年齢の離れた2人は夫人がイスラム教に改宗した後、90年に結婚したが、2年間は世間に伏せられていた。
長女のザフワさん(9)出産にあたり夫人はガザ地区を避け、パリの病院を選んだ。高級ブランドの服飾を好むぜいたく派。仏検察当局は昨秋、資金洗浄の疑いで夫人の口座に対する予備捜査に着手したが、夫人は「シャロン・イスラエル首相の差し金」と反論。自爆テロを容認するなど、過激な発言でも知られた。
夫人は、パリで別居生活を送っていたが、10月29日の議長入院以来、密着しての看病が続く。パレスチナ指導部にアラファト後継に関するメッセージを託すなど、政治的言動も表面化し始めた。
毎日新聞 2004年11月8日 東京夕刊
647
:
とはずがたり
:2004/11/15(月) 01:41
アラファト氏死去 スーハ夫人遺産独占?
http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2004/11/12/01.html
パレスチナ自治政府議長のヤセル・アラファト氏=パレスチナ解放機構(PLO)議長=が11日午前3時半(日本時間同11時半)、パリ郊外のペルシー軍病院で死去した。75歳だった。死因は明らかにされていない。パレスチナ最高指導者の死はパレスチナ情勢や中東和平の今後に影響を与えるとともに、議長が残したとされるばく大な遺産をめぐってスーハ夫人(41)と自治政府指導部の対立はさらに激化しそうだ。
白血病説、脳死説などをことごとく否定したスーハ夫人。夫であるアラファト議長の死が発表されたものの、肝心の死因は主治医から説明されることはなかった。
「夫人の意思で発表されないのだろう。病室で遺産を自治政府に渡さないために、何か策を練ったのではないか」とあるパレスチナ政府高官。3年間も夫と会っていなかった夫人が入院以来、議長の情報を一手に管理し、自治政府指導部を近づけなかったのは、遺産問題について協議せざるを得ない状況を避けたかったため、という憶測が広がっている。
アラファト議長の資産額はさまざまな説があり、国際通貨基金(IMF)が把握している額は約42億ドル(約4494億円)。イスラエル情報当局は議長の個人口座の1つには約13億ドル(約1391億円)の残高があり、それと同額程度の口座が複数あるとみている。パレスチナの場合、議長の資産は自治政府の資産という側面もあり、議長自身が管理。銀行の口座番号や残高などは、議長しか知らないという。
共同電などによると、スーハ夫人は1990年に結婚後、一時議長とともにガザに居住。しかし、ブランド品を身にまとい、高級外車を乗り回す姿は、庶民の反感を買った。イスラエルとの衝突が激化した01年からは、パリで一人娘(9)と生活。パレスチナ人の間では「民族が困難な時期に逃げ出した」と、非難する声が多い。
議長の遺産をめぐって「夫人は議長の個人口座に入っているのなら、仮に自治政府の運用資金だとしても所有を主張する」との懸念をパレスチナ人の多くが抱いている。
自治政府側は「議長の資産は、自治政府のものも含まれている。議長はパレスチナ人の代表であり、資産は民衆のものでもある」と主張。スーハ夫人が独占を画策すれば「公金横領で訴えることも十分考えられる」と指摘する米国の専門家も。
≪死因は毒殺?≫パレスチナのイスラム原理主義組織ハマスの指導者ハーレド・マシャル氏は11日、議長はイスラエル側に毒殺されたと述べた。中東の衛星テレビ、アルジャジーラで語った。同氏は「フランスやアラブ、パレスチナの医師は証拠を見つけられないかもしれない。しかし、この2週間の状況や医学的な報告は毒殺を示唆している」と指摘した。議長の死因は発表されておらず、生前から毒を盛られたとのうわさが出ていた。
≪葬儀はカイロ、埋葬はラマラの議長府に≫アラファト議長の遺体は11日夕(日本時間12日未明)、パリを出発。葬儀はカイロで12日に営まれ、遺体は同日中にもヨルダン川西岸ラマラの議長府に埋葬される。議長の死を受け、PLOの後継議長には、パレスチナ和平推進派のアッバス事務局長=自治政府前首相=が選出された。また、自治政府の暫定議長には、ファトゥーハ評議会議長が就任。パレスチナ基本法により、60日以内に自治政府議長の直接選挙が実施される。
イスラエルのシャロン首相は、アラファト氏の死で中東和平が「歴史的転換点を迎えた」と表明したが、混乱や衝突を警戒し、西岸やガザを軍事封鎖した。
議長の死によってイスラエルとの和平交渉が進展するとの見方もあるが、強力な指導力を持つ人材がおらず、先行きは不透明。内部分裂すればイスラエルを利することになり、新指導部が妥協的な姿勢をみせれば、民衆や強硬派組織が反発を強める可能性があり、しばらく混乱が続きそうだ。
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