[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
石油・LNGなど=エネルギー総合スレ=
1
:
■とはずがたり
:2003/01/17(金) 13:45
新日本石油
http://www.eneos.co.jp/
帝国石油
http://www.teikokuoil.co.jp/
コスモ石油
http://www.cosmo-oil.co.jp/
出光興産
http://www.idemitsu.co.jp/
昭和シェル石油
http://www.showa-shell.co.jp/
新日鉱ホールディングス
http://www.shinnikko-hd.co.jp/
ジャパンエナジー
http://www.j-energy.co.jp/
東燃ゼネラル石油(株)
http://www.tonengeneral.co.jp/
エクソンモービル(有)
エクソンモ ービル・マーケティング(有)
キグナス石油
http://kygnus.jp/index.html
三井石油
http://www.mitsui-sekiyu.mogc.co.jp/top.htm
三愛石油
http://www.san-ai-oil.co.jp/
九州石油
http://www.kyushuoil.co.jp/open/text/open.html
BPアモコ
BPジャパン
http://www.bpjapan.com/
日本のリテールはJOMOに売却して撤退
カルテックス
http://www.caltex.com/caltex.com/default.asp
AOCホールディングス
アラビア石油
http://www.aoc.co.jp/
富士石油
ジャパン石油開発
http://www.jodco.co.jp/
石油公団
http://www.jnoc.go.jp/menu.html
石油連盟
http://www.paj.gr.jp/
1306
:
とはずがたり
:2011/11/18(金) 21:18:16
【企業特集】大阪ガス
多角化・海外展開を成功させた
七転八起の「いてまえ」精神
http://diamond.jp/articles/-/7655
関西の公益事業者ながら、化学、電力、燃料電池など新規事業を育て、海外にも積極的に飛び出し、伸び悩む国内ガス事業を代替している。その背景には、転んでもただでは起きないことをよしとする社内風土がある。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 小島健志)
携帯電話のカメラレンズに用いられる樹脂の素材である“白い炭素”こと「フルオレン」。世界シェア8割強を握るのは、化学メーカーではない。東京ガスに続く国内第2位の都市ガス事業者、大阪ガスだ。
現在は天然ガスが主流だが、明治から昭和初期にかけては、ガスは石炭から乾留していた。その過程で排出されるコールタールには、1万以上の化合物が含まれている。大阪ガスは、なかでも耐熱性と光学特性がよいフルオレンに目をつけ、カメラレンズ用のポリエステル技術を旧カネボウから特許ごと買収、電子素材への転用を果たしたのだ。
2001年、韓国サムスン電子の携帯電話のレンズに採用されたのを機に、韓国から認知度が高まり、日本の携帯電話にも使われるようになった。高画素を生かす高い屈折率が売りだ。液晶テレビのバックライトの光を拡散するシートなどにも使われ、いまや年間1000トンを生産、売上高100億円突破も目前だ。
フルオレンだけではない。同じくコールタールを転用した炭素繊維は、軽い断熱材として、新幹線や太陽電池用シリコン製造炉に使われる。
炭素事業だけでもない。大阪ガスは、さまざまな分野の多角化に挑み、成果を上げている。2009年3月期の連結売上高1兆3267億円のうち、本業であるガス事業は約1兆円。残り3000億円強を多角化事業で稼ぐ。その内訳は、大きく分けて、(1)フルオレンなど炭素事業330億円、(2)発電事業490億円、(3)ソフトウエア開発など情報事業570億円である。
利益の4割は
グループ事業が稼ぐ
大阪ガスが多角化に走った背景には、本業であるガス事業の成長鈍化がある。
同社の試算によると、ガス販売量の見通しは20年度に約93億立方メートルと、その成長は年率で平均1%にも満たない。平地に恵まれた関東とは異なり、四方を海や山に囲まれているため、これ以上ガスパイプライン網を広げにくいこと、天然ガスへの燃料転換の需要をすでに刈り尽くしてしまったことが、その主な要因だ。それではグループで1万9000人までふくらんだ人員を養っていけない。
海外から船とパイプを通じ届けられる天然ガス
多角化への目覚めは早かった。オイルショックが契機だった。1972年からは、液化天然ガス(LNG)の導入に際し、ガスを液体から気体にする際に出る冷熱を利用して、冷凍食品の製造・販売に打って出た。78年、新分野開発室が発足、事業開拓が本格化する。80年代には小売り業や老人ホーム運営にも乗り出した。85年には自ら手を挙げれば新規ビジネスを立ち上げることができるチャレンジ制度を整えた。88年にはその人材を集める公募制度が取られ、延べ約230人がガスからスピンアウトしていった。グループ事業の売上高は、75年度の386億円から08年度に5563億円まで拡大した。
利益貢献度も大きい。リーマンショックを機に工業用需要が大きく落ち込んだ09年3月期も、営業利益は669億円と、東京ガスの652億円(売上高1兆6601億円)を上回った。そのうちおよそ4割はグループ事業の利益である。
1307
:
とはずがたり
:2011/11/18(金) 21:18:28
09年3月に発表した中長期の経営方針では、20年頃までに「海外:国内:環境・非エネルギー」の利益比を「1:5:2」から「1:2:1」へと変えることを明らかにした。
多角化に腐心する企業は、数多ある。なぜ、大阪ガスは新芽を発掘し、枯らさずに、大木に育てることができたのか。
そこには、独特のDNAがある。冒頭のフルオレン開発秘話には、それが最も色濃くにじみ出ている。
フルオレンの生みの親である須田康裕(現・大阪ガスケミカル常務)と山田光昭(同取締役)は、88年、閉鎖の方針が決まった酉島石炭ガス製造所の技術者だった。ガスに代わる別の化学の分野で、なんとか製造所を存続させたい──。その一心で、大学で化学を専攻していた仲間を招集し、研究を始めたのだった。
山田が開発に成功したフルオレンは、既存のものに比べ、はるかに高品質で低コストだった。DVDの基板樹脂への実用化などを念頭に旧カネボウとの共同開発にまでこぎ着けたものの、94年、製造所の閉鎖が決定する。2人は別々の部署へ異動することになった。
95年3月末日、製造所で迎える最終日、荷づくりをしていた山田に須田が言った。「1セット隠せ」。山田は、ミカン箱いっぱいの実験器具、分析機器をリヤカーに乗せ、誰にも見つからないよう、資材倉庫に駆け込んだ。フルオレン10トン分も隠しておいた。
しかし半年後、あえなくそれが本社に見つかり、呼び出しを受けることになった。新しい仕事になじめず、悶々としていた2人は、これが最後と心に決め、徹夜で資料をまとめ、炭素繊維などを担当していた幹部に存続を直談判した。その幹部の口から出たのは意外にも、「よっしゃ、予算出したろ」とのオーケーサインだった。旧カネボウとの共同開発も再開された。山田はミカン箱を開け、涙した。
だが、事業化の道はさらに険しかった。2人は営業にも奔走した。愛媛県の大手化学メーカーに1年以上通い詰め、ようやく数百トンの受注を獲得した。最初は「ガス屋が何をしに来た」と10分で追い出されたが、転んでもただでは起きない、2人の粘り勝ちだった。
燃料電池でトヨタ
京セラと提携
逆境からの起死回生、枯れた技術をまったく新しい分野に転用する──。この成功の方程式は、戦略分野である燃料電池でも、いかんなく発揮されている。
石炭から石油のガスへ、原料が転換されるとともに、石油に含まれる有毒な硫黄化合物などを脱硫する必要が生じたのだが、その水素処理に使う触媒は、燃料電池の脱硫にも有効であることがわかった。石油会社も持つ技術だが、大阪ガスは非常に低い濃度まで硫黄分を取り除くことができた。
この技術に目をつけたのが、燃料電池の核となるセラミックを主力とする京セラだった。04年に提携、ここにトヨタ自動車とアイシン精機も加わり、家庭用の固体酸化物形燃料電池(SOFC)の開発に弾みをつけたのだ。
現行の家庭用燃料電池「エネファーム」よりも、部品数は約半分でコストを抑えられ、発電効率も高い。集合住宅にも置ける。「早ければ11年度にも販売したい」と社長の尾崎裕は言う。間違いなく、商用化に最も近いフロントランナーである。
10年度には、太陽光発電の販売にも力を入れ、現在の約300台を5〜6倍に増やす腹づもりだ。燃料電池と太陽光の「ダブル発電」で家庭に攻勢をかける。リビング開発部長の藤田正樹は「市場の変化に一歩でも遅れたら負け」と組織を引き締めている。
1308
:
とはずがたり
:2011/11/18(金) 21:18:53
>>1306-1308
振り返れば、燃料電池にも、痛い失敗の歴史があった。90年代前半、前世代のリン酸型の開発ではトラブルが相次いでいた。2000時間ほどで故障、しかもその原因が皆目わからなかった。1台が200キロワット級と大型のため、開発期間もおよそ1年と時間がかかった。ガスエンジンに性能で追い越された。そこで、99年からは家庭用市場を狙った。大きさは1キロワット級と小型なため、1週間で組み立て可能だ。実証データを積み重ね、他をしのぐ200万時間の耐久データを得た。
燃料電池システム部長の嘉数(かすう)隆敬は「培った技術は枯れたからといって捨てるのではなく、最先端の技術に結び付ける。転んでもただでは起きない、それが大阪ガス流」と胸を張る。
次男坊だから
自由にやれる
中長期経営方針で、国内ガス事業を代替する中核事業に据えられたのが、海外事業である。以前はLNGの調達は商社などに任せていたが、LNG船を自社で保有、90年には他社に先駆け、ガス田の権益を取るまでに至った。今、5ヵ国で9つの上流事業を展開する。調達から販売まで自社で完結することで、上流から下流まで利益構造を知り、コストを減らすことにつながった。
担当常務の梯(かけはし)一雄は「オーストラリアが戦略市場だ」と言う。海外投資は20年度に合計で3500億円に上る予定だ。
都市ガス製造の拠点となる泉北製造所
国内事業は電力事業に活路を見出す。09年11月には1000億円を投じた泉北天然ガス発電所が全面稼働したばかりだ。原子力発電所1基分に当たる110万キロワットを発電し、電力会社2社に販売している。電力会社以外では、国内最大級の電力事業となる。また、電力会社が購入するほど価格の安い電力を生み出せている。今期の営業利益も目標の25億円を上回る見通しだ。
公益事業者であり、規制業種事業者でありながら、「いてまえ」とばかり、トップダウンで果敢にリスクを取りにいく。
「監督官庁のお膝元で、長男坊の東京ガスは失敗ができない。次男坊の大阪ガスは、自由にやれる」と東京ガス関係者は言う。
革新的な戦略・戦術は、明治38(1905)年の創業時から培われてきた。当時は珍しいセールスレディが、戸別訪問販売を行っていた。現場に入り込むのが得意だ。コスト意識の高い大阪の客に鍛えられ続けてきたのだろう。UBS証券シニアアナリストの伊藤敏憲は「業界で唯一、80年代後半にマーケティングという言葉を使っていた」と言う。
もっとも、「GDP1%の伸びで、他社はガス販売量を3〜5%伸ばす余地があるが、大阪ガスはよくて1%」(バークレイズ・キャピタル証券アナリストの圓尾雅則)と見る向きもある。
14年には岡山県にパイプラインを延ばす計画だが、「需要は3億立方メートル前後」(執行役員企画部長の松坂英孝)と限られる。茨城県日立市までパイプラインをつなげ、約10億立方メートルの潤沢な市場を狙う東京ガスに及ばない。
年金資産の運用が想定を下回り、570億円の費用処理も抱えている。今後10年間は収益の圧迫要因となる。
東のパイプラインも14年には延びて、三重県までつながる。95年からのガス事業法の改正による規制緩和によって、パイプラインが開放され、年間使用量10万立方メートル以上の大口需要先への販売が認められるようになった。中部地方への進出は東邦ガスと競合するため、「労あって益なし」(尾崎)と消極的だ。だが、技術力に定評があるため、需要家も黙っていないだろう。日本のガス事業者のなかで最初に仕掛けるとすれば、いてまえ精神の大阪ガスに違いない。(敬称略)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板