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おしゃべりルーム
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ヴィルパン
フランス語のコーナーみたいになりますが、フランスの呼称って、住んでいたらもちろん分かってきますが、アングロサクソンとは全然違います。イギリスの映画とか観てたら、学校で生徒を姓で呼んでるみたいですが、フランスではほぼ名のほうです。スターはアメリカでは名で呼ぶことが多いようですが、こちらでは少しでも公共の人はドヌーヴとかドロンとか姓で呼ぶことが多いです。だからこそ今のアイドルは、アメリカ風にファーストネームを呼ぶ傾向があります。後、インタヴューなどで、姓名をフルネームで呼べば、ムッシューという敬称は必要ないのです。たとえば、「メルシー、ドミニック・ド・ヴィルパン」と言えます。「ムッシュー・ル・プルミエ・ミニストル」とも言います。雑誌や新聞では敬称抜きのヴィルパンあるいはフル・ネームです。一番多いのは「ヴィルパン」だけ。ドはつけても間違いじゃないですが、有名になればなるほど消えます。ヴィルパンも外務大臣の頃はド・ヴィルパンと書かれていたことがありました。ムッシューの後ではどちらかと言えばド・ヴィルパンかな。ではどうしてド・ゴールはド・ゴールかといいますと、ドがなくなるには、1「有名」、2「ドに続く名がある程度長い」、3「ドに続く名が知られた地名でないか地名以外のルーツを持つ」の条件があり、ド・ゴールは1しか満たしていないからです。日本でも、たとえばシモーヌ・ド・ボーヴォワールとか有名でしたが、ド・ボーヴォワールと呼ばれずに、フランス風にボーヴォワールでしたね。でもフルネームならドが復活します。画家のアンリ・ド・ツールーズ=ロートレックとなると、ツールーズは有名な土地ですが、フルネームでないと誰もド・ツールーズ=ロートレックと言ってくれません。日本同様、ロートレックで通用します。ただし、彼は厳密に言うと、ツールーズ伯爵家とロートレック伯爵家の姻戚で生れた分家で彼の代で途絶えました。本家筋のロートレック伯爵家はまだ存在しますが、姓からドをとっちゃってます。ええと、上に挙げた条件というのは、私の見た経験則であり、別にどこかで成文化されてるわけではないです。おもしろいですね。
共同体の話ですが、たとえばどこかの優勢な共同体に属しているから安泰というわけでなく、その中で老いたり病んだり落ちこぼれたりしたときに誰が救ってくれるかと言うことですね。アリストテレスは「愛があれば正義はもう必要ない」なんて言っていました。確かに、みなが自然に弱い人をかばってくれるなら、主義も法律もいらないかもしれません。今のユニヴァーサリズムは、起源的にはユマニスムということです。こういうと必ず、「西洋の人間中心主義が地球の環境を壊したから八百万神の多神教の方が地球に優しくベターだ」とか言う人が出てくるんですが、よく見てください。ユニヴァーサーリズムのヒューマニズムの名において、国籍や文化がどうこうを超えて、何の関係もないのに、ソマリアに水を運ぶ人とか、ルワンダに援助に行く人とか世界中の天災現場に駆けつけるグループが存在し、キューバの捕虜収容所で虐待されている人が世界に向けて連帯を求めたりしているんですよ。ユニヴァーサリズムが西洋キリスト教起源であろうとなかろうと、全体主義の国に生れたり貧困国に生れたりするのは、偶然の采配に過ぎず、失業、事故、老いや死など、誰にとっても明日はわが身、強い時に弱い者を思いやり、弱くなったら共同体の枠を超えて助けてもらえるという理想はすごく大事にしたいと私は思います。愛があればすべて解決するかもしれませんが、愛することはアリストテレスの時代からいかにも難しく、永遠の挑戦なのですよね。それと、人間の置かれる状況は一筋縄でいかず、正義のために愛を犠牲にしたり、愛のために正義を犠牲にしたりという局面を繰り返して、相対主義のニヒリズムや絶対主義の誘惑と戦いながら少しずつ連帯していくという希望を捨てたくないです。
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小寄道さま
生徒の発表会と自分のコンサートを控えてばたばたしていましてお返事遅れました。
ブリコラージュのこと、もちろん引用なさって結構です。
日常会話では、これってブリコラージュだよね、というのは「素人仕事」だという揶揄の意味もあります。
その意味では、レヴィ・ストロースの使い方も今の時代では上から目線を感じさせるかもしれません。肯定的な文脈では、今風になら「レジリエンス」っぽいかなあ、という感じです。
(この掲示板のサービスがもうすぐ終了するそうで、その後どうしたらいいかまだ決めていません。今までのやり取りを保存できるのかどうかもよく分かりません。このサーバーのブログの引っ越し先というのは分かるのですが、掲示板の引っ越しや転送が可能なのかよく分からないのです。できなくなったらブログでお知らせして、別の方法を考えます。)
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ピアノ発表会
「発表会」の記事を読んで、私も大変「幸せな気持ち」になりました。
そして、思わず「お疲れさまでした」とお伝えしたくなり、
コメントしております。
フランスの子ども達は、どんな曲を発表会で弾くのでしょうか?
また、ピアノを習得する過程で、どんな曲を弾くのでしょうか?
日本の子ども達が必ず出会うような、「ブルグミューラー」「バーナム」や、チェルニーの練習曲もやるのでしょうか?
日本なら「音楽の友社」などから出ている「ソナチネアルバム」とかも使用するのでしょうか?
質問ばかりで、申し訳ありません。
子ども達の楽しそうな光景が、伝わってきて、
私も、子ども達の演奏を聞きたいぐらいでした。
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テレサさま
ありがとうございます。
終わった後で、トリオの仲間が生徒全員のmusicalitéが素晴らしかったと言われたのが最高の賛辞でした。
私の使っているのはこちらのコンセルヴァトワールに準じたもので、子供は
Méthode de piano pour débutants de Charles Hervé et Jacqueline Pouillard
とそのサブ曲集。このPouillardさんは直接知っていて、できる子だけとる最低の先生だと思いましたが、このメソードはよくできています。
少し大きい子や集中力のある子や大人の初心者には
Méthode de Piano ? Partition aux édition Henry Lemoine Robert-Charles Martin
Méthode de Piano Opus 80
で、これは優れものです。最初からピアノの真ん中のドレミを使わないので右手と左手がバランスよく使えます。最初から左手はヘ音記号で楽です。
ツェルニーのop599などはバランスが悪いので今は使いません。
ツェルニーで使っているのはop821でこちらでは『les heures du matin』( ed. M combre)です。テクニックに特化ですが、曲としてもよくできています。私も使います。
ソナチネなどに当たるのは「Le Piano classique」1〜4です。
子供用の「Mon premier Mozart」(Ed.Henry Lemoine)なども使います。
曲集として大人にも人気なのは
Denes Agay の『The Joy of Piano』『The joy of Recital Time』の2冊です。
もちろん、バッハの平均律とかインベンションも使います。
私は日本で自分が使ってきた全音ピアノピースだとか、ベートーベンやショパンのソナタやワルツ集、声楽の本などもすべてこちらに持ってきています。
こちらで教えるようになってから日本で買ったのは最近のたくさんのシニア向けメソード、「楽しいピアノ曲集世界の名曲1〜6」(音友)、「譜めくりの要らないやさしいピアノ連弾」(ヤマハ)のシリーズ、などです。(子供の連弾曲集は日本のものが優れているので他にいろいろ使っています)
日本で私の子供の頃に発表会でよく弾かれた「乙女の祈り」「銀波」「花の歌」などはフランスでは全く知られていないので、バカロレアでピアノのオプションを選ぶ生徒に弾かせています。審査員も知らない曲なので。逆にこちらのスタンダードの「Le lac de Côme」などは日本で知られていないような。エリック・サティもよく弾かれます。
後は、映画やアニメの曲で生徒のリクエストが多いものはレベルに合わせて編曲したりしながら弾かせています。近頃はゲーム音楽とかのリクエストもあり、私はまったく知らないのでネットで検索して編曲したり。思えばもう30年も教えてきて、感無量です。
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(無題)
早速のご返信、ありがとうございます。
「Le lac de Côme」をネットで検索して聴きましたが、
やはり聴いたことがない、知らない曲でした。
ゆったりとした綺麗な曲ですね。
エリック・サティは、
アラ還の私の中で、最近、全音のピースや楽譜が出たという感じです。
やっぱり「バッハの平均律」とか「インベンション」は、
フランスの子ども達もやるんですね〜。
そして、チェルニーも・・・
今年の3/14のブログに、
“「美」の追求には忍耐と厳しさが要求され、それは「真実」の究明にもつながる。
歴史には戦争や災害や疫病が詰まっているけれど、いろいろな楽譜が残り、歌や楽器演奏が伝承され継承され続けたことの奇跡を思う。私も、私の生徒たちも、モーツァルトやショパンやベートーベンやバッハを聴いたり弾いたりできるし、先行する無数の音楽にインスパイアされた新しい音楽が次々と生まれる。”
このように書かれていて、大変感動しました。
幼稚園の孫娘の「ピアノ発表会」に行った時、
様々な年齢の子ども達が、
ショパンやベートーヴェンの曲を弾いているのを聴いていると、
自分がこの世からいなくなった後も、
それらの曲は、こうやって伝承されていくんだな〜と、
先生の文章とリンクして、感動しました。
「発表会の目的はただ一つ、聴いている人たちを幸せにすること」
???
先生のこの言葉を、発表会が近くなったら、
そのまま孫娘に伝えます。
「人前での演奏は最初と最後が大事。途中の失敗は誰も覚えていない。最後のフレーズと、最後の音のおさめ方(音符をもとの世界にそっと戻してやること)が一番大切。」
???
そして、この言葉は、
私も、ずっとピアノを続けているので、
自分自身に、言い聞かせます。
ピアノのお稽古は、子どもにとっては、
つらいこともあったりしますが、
先生の生徒さんたちが、ピアノに触れることで、
素晴らしい人生が、待っている事を確信し、
心より応援を送ります!
貴重な情報をありがとうございました。
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宗教二世について
ご連絡ありがとうございます。
『「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち〜』の連載打ち切りの件は、コロナやウクライナのなかでも、なんとなく記憶に残っていました。
日本のタブーである、天皇制の裏、新興宗教、部落問題、人種差別などいろいろあります。
とはいえ、マイナーなメディアでは、気骨ある編集者なり出版社が、その表現力を維持したきたわけです。
この「宗教二世」の漫画は、大手の集英社ではありますがいわゆるウェブマガジンであり、まあメジャーとはいえない。よく言えばマイジャーですかね(笑)。
作品自体にも該当する団体名を明示しなかったらしいですし、5話まで継続していたという。全話削除されていて、今まったく読めませんが、幸福の本体から抗議がきたら、即連載休止だったという。
私は常々、昨今のメディアのていたらく、腰抜けぶりに激しく怒りを覚えていますが、そこまでの忖度ぶり、世間体への配慮は、なにか世代的な共通認識じゃないかと思っています。
宗教二世という存在がまさにそれで、作者も含めて、親や権威、上位権力者への気づかいが半端ない気がします。
日本人特有なんでしょうか、周囲の視線を過剰に気にして、自分の意見、感じ方さえも封印している。
その意味でいえば、作者の「きくちまりこ」さんは女性ですし、それを自分の作品として昇華させたのですから、とても立派な方だと思います。
どうなんでしょうか、先の狙撃犯山岸某もそうですが宗教二世の世代をひっくるめてなんか共通の傾向があるような気がします。
早計かもしれませんが、なにかへの依存体質が感じられてしょうがない。
自分を守ることの本質を教えられていない、そんな気がしてしょうがないのです。
取り急ぎ、ご報告いたします。また、「宗教二世問題」は自分のブログで展開したいテーマでもありましたので、ここでの文面を使います、たぶん。
乱筆、乱文、失礼しました。
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小寄道さま
宗教二世の問題、あるいは子供がカルトやテロリズムにはまってしまった親の問題、あらためて「カルトか宗教か」を読んでほしい人はたくさんいます。
80年代後半からこの問題について中沢新一くんといろいろ話し合ってきました。それでもいろいろ食い違ったこともあり、難しい問題です。私はフランスから見ているので距離を置ける分、役に立つかもしれません。(彼にもまた相談するつもりです。)
この掲示板も閉鎖のようですので、新しい掲示板ができたらまたご連絡します。
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