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歴史掲示板

1管理人:2012/01/12(木) 17:24:57
古代史掲示板を新設しました
古代史掲示板を新設しました。画像・動画等の投稿も可能です。古代史関連の投稿をお待ちしています。

9911これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/11/29(金) 20:55:22
Re: 縄文人は中韓人と同じ「北東アジア人」である日本人に同化されて滅亡Ω\ζ°)チーン
荊の紀氏さんへのお返事です。

だから、そんなのコピペせんでも、お前以外誰でも分かるの。ここはお前の勉強ノートじゃない。お前は必要とされてないんだよ。

管理人さんはお前と教友?だから強く言えない。私が汚れ役を演じている。そういうこと。
お前みたいな奴に寄りかかられると大変なんだよ。甘えんな!

9912これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/11/29(金) 21:13:20
(無題)
あー、キシは発達障害とかアスペルガーってやつだな。全然分かってない。相手してもコミュニケーションがチグハグになるだけ。こりゃ周りが大変だ・・・
でもな、我々はお前のカウンセラーじゃないんだよ…

9913これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/11/29(金) 21:27:03
(無題)
なるほどな。発達障害とかアスペルガー特有の文章がある。キシが自分で作文せず、コピペ一辺倒な理由も分かった。ハッキリ言わないと通じないから、言う。こちらには迷惑。

9914荊の紀氏:2019/11/29(金) 21:39:50
Re: 縄文人は中韓人と同じ「北東アジア人」である日本人に同化されて滅亡Ω\ζ°)チーン
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本さんへのお返事です。

>Oの先祖はD2・Cの先祖でもない。・・・で Oの先祖?
C1b1a
C1b1a1(C-M356) 南アジア、中央アジア、西アジアにわずかに見られる[6]。
C1b1a2 (C-B65) 中国(陝西省、湖南省、広東省等)
??    ↑
Oの先祖? ト の関係…いかに?

ハプログループD (Y染色体)(ハプログループD (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup D (Y-DNA))とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、YAPと呼ばれる変異の型を持つもののうちの「CTS3946」に定義されるものである。
親系統
DE
子系統
D1(D1a(D1a1、D1a2、D1a3)、D1b)、D2
定義づけられる変異
CT3946, CTS4030/Z1605
高頻度民族・地域
チベット(チベット民族)、日本列島(大和民族、琉球民族、アイヌ)、アンダマン諸島(オンゲ族、ジャラワ族)、インド北東部(アルナーチャル人)
現在、このハプログループDは、日本列島・南西諸島やアンダマン諸島、チベット高原で高頻度に観察されるほかは、アジア、アフリカの極めて限られた地域で散発的にしか見つかっていない。チベットではD1a1-Z27276、日本ではD1a2?M55、アンダマン諸島ではD1a3-Y34537[2]が高頻度である。これらのハプログループは、同じハプログループDに属していても、サブグループが異なるため、分岐してから5万3000年以上の年月が経ている[3]。
ハプログループDは、現在の日本や中国、朝鮮、東南アジアにおいて多数派的なハプログループO系統や、その他E系統以外のユーラシア系統(C,I,J,N,Rなど)とは分岐から7万年以上の隔たりがあり、非常に孤立的な系統となっている。D系統は東アジアにおける最古層のタイプと想定できるが[4]、一つの説として東アジア及び東南アジアにO系統が広く流入した為、島国日本や山岳チベットにのみD系統が残ったと考えられている。そのため形質人類学的には古モンゴロイド(アイノイド)の分布と相関しているようである。
なお、同じくハプログループDEから分かれたハプログループEは、アフリカ大陸で高頻度、中東や地中海地域で中〜低頻度に見られる。またDEの子型でD系統にもE系統にも属さないDE*がチベット人でごくわずかに発見されている[5][4]。
最近の研究 (Haber et al. 2019) から、ハプログループDの最も古くに分岐した系統(D2系統)がナイジェリア人の3サンプルから見つかった。この系統は、ハプログループEの持たないSNPを、D1-M174と7つ共有している。このことから、ハプログループDはアフリカで既に誕生していたと推定されている[1]。D2は、西アジア(サウジアラビア、シリア)でも見つかっている[6]。
従って、ハプログループDは、今より約7.3万年前にアフリカ[1]にてハプログループDEから発生、下位系統のハプログループD1のみが出アフリカを果たし、その後内陸ルートを通って東アジアへ向かったと考えられている[7]。
チベット以外の中国
2001年に発表された論文では寧夏回族自治区の回族男性54人のうち、3人(5.6%)がD-M174(xM15)に、2人(3.7%)がD-M15に、合計5人(9.3%)がD-M174に属している[13]。
2006年に発表された論文の補足データによれば、D-M15に属するY染色体が中国南部に居住する複数の民族の男性から見つかっている: 四川省涼山彝族自治州布拖県彝族 7/43 = 16.3% D-M15、苗族 5/58 = 8.6% D-M15、湖南省土家族 1/49 = 2.0% D-M15、広西省ヤオ族 1/60 = 1.7% D-M15、台湾漢族 1/84 = 1.2% D-M15。なお、新疆ウイグル自治区のウイグル族男性67人中3人(4.5%)からD-P47に属するY染色体が見つかったという[8]。
2006年に発表された別の研究では、DE-YAP(xE-SRY4064)に属するY染色体が羌族6/33 = 18.2%、回族4/35 = 11.4%、甘粛省蘭州市漢族2/30 = 6.7%、新疆ウイグル自治区イリの漢族1/32 = 3.1%、満州族 1/35 = 2.9%、広西省河池市巴馬ヤオ族自治県ヤオ族1/35 = 2.9%、新疆ウイグル自治区イリのウイグル族1/39 = 2.6%、シボ族1/41 = 2.4%から見つかっている[14]。
2010年に発表された論文では、中国大陸南部の広西、雲南、貴州の山岳部に住むヤオ族の一派であるブヌ族(布努族)10人から採取したY染色体ハプログループの構成は、O1b1a1a*(O-M95)4人、D(YAP)3人、C(C-M130)2人、O2*(O-M122)1人となっている[15]。同じ論文では江西省の漢族21人中1人、チワン族28人中1人、モン族49人中1人からもDE-YAPに属すY-DNAが見つかっている。
復旦大学の研究チームの手による2011年の論文では、華北出身者129人、華東出身者167人、華南出身者65人、合わせて361人の漢族男性のうち、7人(1.9%)のY-DNAがD-M174に属している[16]。
D1a1-Z27276[編集]
チベット民族 49%(51/105)[8]
彝族 16%(7/43)[8]
苗族 9%(5/58)[8]
D1a2-M55[編集]
日本人 35%(181/516)[4] - 39%(102/263)[21]
大和民族 32%(767/2390)[20]
琉球民族 56%(25/45)[8]
アイヌ民族 75%(3/4)[8]- 88%(14/16) [26]
D1a3-Y34637[編集]
アンダマン人[2] 73%(27/37)[17]
オンガン系:オンゲ族 100%(23/23)[17]、ジャラワ族 100%(4/4)[17]
大アンダマン人 0%(0/10)[17]
D1-M174*[編集]
D1-M174*(xM15)
アルタイ人 2%(1/43)[25] - 14%(1/7)[25]
D1-M174*(xM15,P47,M64.1)
アルタイ人 5%(5/98)[8]

ハプログループC (Y染色体)(ハプログループC (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup C (Y-DNA))とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、UEPs M130/RPS4Y711, P184, P255, およびP260によって定義されるグループである。
C1b1a
C1b1a1(C-M356) 南アジア、中央アジア、西アジアにわずかに見られる[6]。
C1b1a2 (C-B65) 中国(陝西省、湖南省、広東省等)、シンガポール(マレー人)、ボルネオ島(ムルット族、レボ族)、フィリピン(アエタ族)等でわずかに見られる[3]
崎谷満は現生人類は出アフリカ後、南ルート、北ルート、西ルートの3方向に拡散したとしており、Y染色体ハプログープCの下位系統(の祖型)はそれぞれ分かれて別ルートを進んだ[9]。
南ルート:C1b3(C-B477)
北ルート:C2(C-M217)、C1a1(C-M8)
西ルート:C1a2(C-V20/V184)



> 荊の紀氏さんへのお返事です。
>
> だから、そんなのコピペせんでも、お前以外誰でも分かるの。ここはお前の勉強ノートじゃない。お前は必要とされてないんだよ。
>
> 管理人さんはお前と教友?だから強く言えない。私が汚れ役を演じている。そういうこと。
> お前みたいな奴に寄りかかられると大変なんだよ。甘えんな!

9915これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/11/29(金) 22:14:40
Re: 縄文人は中韓人と同じ「北東アジア人」である日本人に同化されて滅亡Ω\ζ°)チーン
荊の紀氏さんへのお返事です。

日本のムスリムの中にもアスペルガーってカミングアウトしたのがいる。悪いけど、まったくコミュニケーションが成り立たない。

キシのはアスペルガーじゃなく別のカテゴリーかもしれないが。

いずれにせよ、相手になると疲れるので、やってられない。
理解できない人にいくら説明しても無駄。
以上。

9916これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/11/30(土) 00:33:02
Re: 渡来人のハプロタイプ3
管理人さんへのお返事です。

管理人さんは、キシさんと付き合い長いのに、なぜ彼の投稿がコピペ一辺倒なのかを見抜けなかったのかな?相当鈍いよ。



9917これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/11/30(土) 00:34:59
Re: 渡来人のハプロタイプ3
モノグサとかそういうことじゃなくて、彼はほんのシンプルな文以外は自分で書けないんだよ。

もし書こうとするとこういう文章になる:
「今日は雨が降っていましたが、今日の晩ごはんはハンバーグだったので、日本人は縄文人だと思います」とかね。

だから、コピペなわけ。コピペで自分の考えを代弁させている。でも、そのコピペも内容に一貫性が見られず、結局何を言いたいのかコチラには伝わらない。

文章理解も同じで、管理人さんや私がいくら誠意を見せて説得しようがこちらの「真意」は伝わらない。

さて、これからどうする??

私は、彼の投稿がない方が、過去ログをチェックする上でも良いと思うがね。今のままじゃ、とてもじゃないが見たい投稿にたどり着けない。将来、玉稿wが、誰の目にも留まることはないでしょう。


9918これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/11/30(土) 00:59:02
(無題)
あー、もう私も「コピペ侍」なっちゃおかなー?!

9919管理人:2019/11/30(土) 01:12:10
Re: 渡来人のハプロタイプ3
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本さんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
> > O-CTS5308(O2a2b1a1a6a )の下層にみえるO-CTS5672 formed 2100 ybp, TMRCA 1350 ybp は、年代的には飛鳥時代です。ここに東京人が2人みえます。
> >
> > このO-CTS5308系統には甘粛や雲南、バングラディッシュ、インド北東部とかがみえますが、これは北方遊牧民が南下した系統ではないでしょうか。
> >
>
> O-CTS5308というのは「チベット系のサブグループ」です。
>
> つまり、
> O-CTS4658=現代チベット・ビルマ系(TB)の2大グループが、
> ・CTS5308=現代チベット系
> ・O-Z25928=チベット人以外のTB
> となります。
>
> O-CTS4658は日本のO-M133のうちO-F438と同じ36%を占めます。
>

なるほどですね。日本にも相当数いそうですね。


> ところで、起源とTMRCA、どちらを重視すべきなのでしょう?
>

この点、いつも悩みます。TMRCAのほうが、正解に近いようには感じてますが・・・。

> とすれば、「起源時の多様性を内包したまま」日本に移動して来たということになりそうです。それとも、それぞれバラバラなルートで日本に来たか。張家口・三関遺跡や赤峰・夏家店遺跡のO-M117のサブグループが分からないのでここのところは不明です。
>
> 「起源時の多様性を内包したまま」であれば、クルグズのO-M133も1・5・6群いずれもいそうかな。もうじき分かりますが、1か6だと予想してます。
>
>
もう少しサンプル増やすためには、やはり自主的なサンプル提供が必要ですが、先のサイトなどでは、日本語訳がなされてないので、どうやってサンプル送るとか支払うとかよくわからなくてあきらめてしまうケースも多いのではないでしょうか。この点を是正するように働きかけたいですね!

> > 何らかの理由で、その中国南西部から、長江経由?で、飛鳥時代前後で渡来してきたように見えますが、その後、関東に移住したのかな。
> >
>
> 照葉樹林文化論の復活みたく、稲作を担ったのも彼ら雲南のチベット・ビルマ系??ロロ・ビルマであれば、O-Z25928=チベット人以外のTBでしょう。
>
> 安本という人が計算言語学の手法で「江南ビルマ語」が日本語の身体名称と著しく類似してると指摘してます。しかし、彼が言ってる「江南ビルマ語」ってのは、北東インドのボド・ナガ語なんで、ビルマ語とは言えないです。彼、言語学者じゃなく心理学者だったんだよね。
>
>

安本先生・・たまにイベントでお会いしますが、まだお元気なので、ルーツさんも帰省された際にはコンタクトとれると、新しい研究成果が出てくるかもと期待します(^^)

9920これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/11/30(土) 01:40:38
Re: 渡来人のハプロタイプ3
管理人さんへのお返事です。


> もう少しサンプル増やすためには、やはり自主的なサンプル提供が必要ですが、先のサイトなどでは、日本語訳がなされてないので、どうやってサンプル送るとか支払うとかよくわからなくてあきらめてしまうケースも多いのではないでしょうか。この点を是正するように働きかけたいですね!
>


なんのサイトのことン??
検査試そうとしてるのなら手伝いますよ〜
日本へはジェノグラフィックのGeno2.0送ってもらえるんで、これがいいですよ。一発で細かく出るし。Family Tree DNAは高い。


9921これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/11/30(土) 05:31:01
O1b2やO-JST002611が関東以北の森に敢えて進まなかったことをO-M117たちはやってのけた。 彼らがいなければ現代日本人は成り立たなかった。O2バンザイでも構わない。これが、弥生人の全ゲノム解析の後に明らかになった日本人形成の新しいシナリオだ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010451M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010451_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010451_3M.png

日本人に全ゲノム解析で中国で一番近いのは江蘇省・山東省の漢族ね。O1bは華東地域で6%に過ぎない。O1bは華南(16%)と華北(9%)に若干多い。O2(旧O3)の西からの進入を受けて掻き分けられた。

で、華東集団と日本人との類似性は、O2に由来する。O2集団が彼らを北方系に近付けた。

そして、日本のO2とくにO-M134(O-M117&O-F444)集団の分布を見ると、北九州で全国平均の2倍高くて、宮城でも倍(O-M117)となっている。O-M117の分布図を見ても関東以北の方が寧ろ濃い。

これらが何を意味するかすぐ分かるだろう。

古墳時代に日本に進入したのがO-M117を始めとするO2で、その勢いは東北にまで及んだ。事実、古墳時代に関東以北の人骨も急速に現代日本人に近くなったことが分かっている。

O1b2やO-JST002611が関東以北の森に敢えて進まなかったことをO-M117たちはやってのけた。
彼らがいなければ現代日本人は成り立たなかった。

つまり、江蘇も日本の関東以北もO-M117らによって同化された。だから、江蘇省の漢族が日本人に最も近い。

O2バンザイでも構わない。これが、弥生人の全ゲノム解析の後に明らかになった日本人形成の新しいシナリオだ。



9922これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/11/30(土) 05:34:12
O1b2やO-JST002611が関東以北の森に敢えて進まなかったことをO-M117たちはやってのけた。 彼らがいなければ現代日本人は成り立たなかった。O2バンザイでも構わない。これが、弥生人の全ゲノム解析の後に明らかになった日本人形成の新しいシナリオ
「渡来人研究」は本来そこから始められるべき。

9923荊の紀氏:2019/11/30(土) 09:18:48
YAP変異をもつ系統はハプログループEとハプログループDに限られる。…
>漢族男性のうち、7人(1.9%)のY-DNAがD-M174に属している…
> > 何らかの理由で、その中国南西部から、長江経由?で、飛鳥時代前後で渡来してきたように見えますが、その後、関東に移住したのかな。
飛鳥…
アスカ
同じく古代地名である「アスカ」(飛鳥、明日香。奈良県)の名は、「幕屋」を意味するヘブル語「ハスカ」に似ている。古代、アスカには、天皇の宮が置かれた。ある日本人学者は「アスカ」の語源は、「ア」が接頭語で「スカ」は住処の意味だと述べている。ヘブル語の「ハスカ」も、「ハ」は英語のtheに相当する接頭語であり、「スカ」は住処とか、幕屋、仮庵を意味する言葉なのである。
【日本とイスラエル】古代日本人はヘブル語を話したか /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fnihonjintoseisho.com%2Fblog001%2F2017%2F11%2F23%2Fjapanese-and-jews-77%2F

参考HP:日本人の信仰と聖書について考える会ブログ
【聖書預言と日本】南ユダのエルサレム帰還と離散 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fnihonjintoseisho.com%2Fblog001%2Fpage%2F429%2F


> 復旦大学の研究チームの手による2011年の論文では、華北出身者129人、華東出身者167人、華南出身者65人、合わせて361人の漢族男性のうち、7人(1.9%)のY-DNAがD-M174に属している[16]。
ハプログループD (Y染色体) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
高頻度民族・地域
チベット(チベット民族)、日本列島(大和民族、琉球民族、アイヌ)、アンダマン諸島(オンゲ族、ジャラワ族)、インド北東部(アルナーチャル人)

>Oの先祖はD2・Cの先祖でもない。・・・最も古代種なのはA型とかB型…でOの先祖は ?
日本人は漢民族とアイヌ人との混血と言える。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq14120574204
50%ぐらいがO型で、40%ぐらいがD型 残りはC型とかN型だ。
O型というのは結構新種の遺伝子で、D型やC型ってのは古代種の遺伝子といえる。
最も古代種なのはA型とかB型・・・つまり黒人だね。
中国ではチベット・ウィグル・モンゴル人に対する民族浄化をやってるのはご存知であろう。
チベット・ウィグル・モンゴルに共通するのは、彼らがD型やC型の古代種の遺伝子を含んでいる事だ。
古代から、新種による古代種への民族浄化は行われてたのかもしれない。
・・・・・この日本でもね。

漢民族の伝説によれば、五帝の一人少昊(金天氏)の子孫が金氏を称したとされる。 のちに、賜姓・改姓・漢化によって、漢民族を含むさまざまな民族が金氏を称することとなった。
この項目では、漢姓の金について説明しています。日本の姓については「金氏」をご覧ください。
金(きん)は、漢姓の一つ。中国・朝鮮などに見られる。とくに朝鮮民族の姓の中では最大の姓となっている。中国では、漢民族・回族・満州民族などが多く称している。
金氏の由来は多様である。主要な起源としては以下がある。
#漢民族由来の姓 - 漢民族の伝説によれば、五帝の一人少昊(金天氏)の子孫が金氏を称したとされる。
のちに、賜姓・改姓・漢化によって、漢民族を含むさまざまな民族が金氏を称することとなった。
#朝鮮の姓 - 朝鮮民族の金氏は、新羅の始祖金閼智や金官加羅国の始祖首露王に由来する。金 (朝鮮人の姓)も参照。
#回族の姓 - 祖先のムスリム名に因むもののほか、賜姓による改姓や他民族からの改宗に由来する。
#満州民族の姓 - 満州民族では、愛新覚羅氏などが漢風の姓として早い時期から金氏を用いていた。
改姓
五代十国の呉越で、劉氏が「金」に改姓した。
他民族の漢化
羌族 - 南北朝時代、羌族の中で金姓を称するものがあった。
ユダヤ人 - 12世紀初期の北宋徽宗の治世、中国に移住・定着して商業を営んだ。漢姓として金・李・俺・艾・趙・張など17の姓を称した。中国のユダヤ人については、開封のユダヤ人参照。
朝鮮民族(朝鮮族)、満州族 は別項参照。
開封のユダヤ人 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
開封のユダヤ教徒は、現在の中華人民共和国河南省開封市に数百年間存在したユダヤ人(ユダヤ教徒)のコミュニティー。
河南省…
> > このO-CTS5308系統には甘粛や雲南、バングラディッシュ、インド北東部とかがみえますが、これは北方遊牧民が南下した系統ではないでしょうか。

捕囚のイスラエル人は新天地を求め、中国へ渡来。
古代中国には、漢民族は存在せず、モザイク状の多民族国家だった。 明代に「重建清真寺記碑(1489年)」の石碑が出土。漢王朝(前202年〜)に、ユダヤ人がインド経由でやって来たと記述されている。
支那に渡来したユダbewithgods.com/hope/doc/1-32.html
漢=カンの語源は、カナンもしくはカインだと思われます。
…[漢字に秘められた聖書物語] /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fsawako35%2Fentry-12061321820.html

甘粛や雲南…
実に領土の6割を消失する!! チベット・ウイグル・・・「中国」が最も恐れる分離独立の連鎖(2008.5.8)www.teikoku-denmo.jp/history/honbun/tibet7.html


9924荊の紀氏:2019/11/30(土) 18:00:44
漢氏の子孫に坂上田村麻呂がいる。…
周王室の一門である姫姓の劉氏。成王が曾祖父の季歴の子孫を劉(現在の河南省偃師)に封じたが、後に男子がなく絶えた。後に定王が弟の姫季子を劉(中国語版)に封じて、季子は康公(中国語版)と諡された。ただし戦国時代になると没落し、子孫は劉氏を称した。漢趙の劉殷はその子孫といわれている。
なお、姫姓と祁姓はともに黄帝を祖としている。
前漢の劉氏の起こりは、沛の農民の生まれである劉邦が、秦の始皇帝死後の混乱に乗じて台頭し、勢力を拡大、宿敵の項羽を討って漢(前漢)を建てたことに始まる。劉邦については多くの伝承があり、家系については様々な議論があった。司馬貞は「晋の士会の子孫」としているが、これに対して銭大昕は「劉太公(劉邦の父)以前は姓を考えるような身分ではなかった。どうして祖先の姓がわかるだろうか」と述べている。正史とされる史書の中では『漢書』と『新唐書』が劉邦の出自に言及している。
漢王朝の滅亡後は、南朝宋(劉宋)の劉裕が劉邦の弟である楚元王劉交の子孫を称したほか、後述のようにいくつかの非漢族の王朝が漢姓として劉氏を称している。後の前趙となる漢を建てた劉淵を始めとして前漢・後漢時代に漢の皇族と通婚関係を持った匈奴の単于一族(攣鞮氏)の末裔が漢室の正統な後継者を自負して劉氏を名乗った。さらに下って五代の後漢を建てた突厥沙陀部の劉知遠は明帝の子孫を名乗り、遼(契丹)の耶律氏も漢姓として劉氏を称した。アラブ系という説もある十国南漢の劉龑も漢王室の支族である彭城劉氏(中国語版)の子孫を自称している。
また、4世紀から6世紀にかけて日本列島に多く渡来した中国系の渡来人の多くが、劉邦または漢室の子孫を称している。特に東漢氏と西漢氏が有名である。東漢氏の子孫に坂上田村麻呂がいる。

劉邦
前漢の高祖・劉邦(BC256-BC195)のY染色体は、ハプログループO2a1b(O-IMS-JST002611)である(注1)(注2)。これは劉邦の子で斉王に封ぜられた悼惠王・劉肥の子孫(陳洲劉氏)をはじめとする中国全土の劉邦の子孫から得られたデータに基づくものである(注3)(注4)。
坂上田村麻呂
平安時代の武官で、陸奥国の蝦夷を平定した征夷大将軍・坂上田村麻呂のY染色体は、ハプログループO2a1b(O-IMS-JST002611)であると推定される。坂上氏は、後漢の霊帝の子孫で、応神天皇の御代に渡来した阿知使主の子孫とされる(注1)。阿知使主の子孫で、東漢氏出身の左京大夫・坂上苅田麻呂が田村麻呂の父である(注2)(注3)。
丹波康頼
平安時代の医博士・丹波康頼のY染色体は、ハプログループO2a1b(O-IMS-JST002611)と推定される。丹波康頼は、坂上田村麻呂の子孫で、永観2年(984年)に『医心方』全30巻を撰し、朝廷に献上した。『医心方』は、現存する日本最古の医学書で、丹波康頼は、この功績により丹波宿禰の姓を賜り医家・丹波氏の祖となった。明治・大正期の薬学者である丹波敬三は、この直系子孫にあたる。丹波敬三の孫に俳優の丹波哲郎や、作曲家の丹波明などがいる(注1)。

「天の真名井」の伝承と忌部氏 ているのも、後述する様に丹波における和現氏の勢力の反映であろ和璋氏の血を濃厚に受けている。
丹波…
坂上田村麻呂が黒人だったという風説である
古代アジアにおける黒人の存在の主張 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
日本を含むアジアに黒人が定住していたという説は何度も唱えられてきた。 アメリカの人類学者Roland Burrage Dixonは日本人が古オーストラロイドと古ネグロイドの混血であると主張し、日本人にはネグリト(東南アジアからニューギニアにかけて居住する肌の黒い民族)的特徴がみられると述べた[4]。またセネガル出身の歴史家で人類学者のCheikh Anta Diopは黄色人種が黒人と白人の混血であると主張した[4]。 その後の研究で、ネグリトに属するアンダマン諸島人のほぼ100パーセントが持つ[13]Y染色体ハプログループDを日本人の35パーセントが持っていることが判明し、二つの民族集団が近縁である可能性が指摘された[14](これは大まかな分類であり、サブグループは異なる。ハプログループD (Y染色体)を参照のこと)。しかしながらネグリト自体は現在オーストラロイドに分類され、ネグロイドよりもモンゴロイドにより近いことが判明している[15][16]。
歴史改竄への警戒心
黒人のなかには、自分たちの歴史が外部の人間、とくに白人によって隠蔽・改竄されているのではないかという危機感を持つものもいた。例えば、グレート・ジンバブエ遺跡は発見された当初、アフリカ南部に位置していたにもかかわらず欧米の学者は黒人がそれを建造したということを認めず、フェニキア人、アラブ人、またはヨーロッパ人が建造したものであると長年主張し続けた[12](グレート・ジンバブエ遺跡#研究史も参照)。一般的ではない田村麻呂の黒人説がリアリティーを帯びた背景には、白人中心主義の歴史観によって田村麻呂の正体が意図的に隠されていたのではないかとの猜疑心が存在していた[12]。 例えば、ある者は現代の日本人が白人と同様の黒人差別思想や、日本が単一民族国家であるという考えから、英雄である田村麻呂が黒人であることを「恥じている」と考えていた[7]。また、他のある者は、坂上田村麻呂の像がふだん一般に公開されていないことについて、ヨーロッパの黒い聖母像に人目のつかないところに隠されたものがあったという歴史を連想して、清水寺が意図的にその黒人的特徴を隠蔽しているのではないかとの疑念を持っていた[7]。


9925荊の紀氏:2019/11/30(土) 18:44:28
和語とアイヌ語がユーラシア大陸及び北アフリカにかつてあったと考えられる祖語との関連性が考えられる
約三万年前頃までにはO1a-M119, O1b1-K18, O1b2-M176, O2a-M324, O2b-F742という五つの古い系統に分かれていたと推定されている。
ハプログループO (Y染色体)(ハプログループO (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup O (Y-DNA))とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、ハプログループNOの子型で「M175」以下の系統に位置すると定義されるものである。東アジア及び東南アジアで最も一般的に見られる系統であり、西ユーラシア系のハプログループRと並んで現代人類において最も帰属人口の多いY染色体であると考えられている。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
オーストリック大語族 O1(O-F75)

オーストリック大語族 日本語とアイヌ語の共通祖語との関連性
日本語とアイヌ語の共通祖語との関連性
1994年ボムハード(A. R. Bomfard)とカーンズ(J. C. Kerns)は比較言語学研究の著書「ノストラス起語族 - 距離の遠い言語関係についての研究」の中でノストラース語族を「ノストラース起語族」(Nostratic Macrofamily)と再定義したが、この研究は、2006年に日本語とアイヌ語が共通の祖語を持つことを研究した鳴海日出志による「日本語とアイヌ語の起源」によって、和語とアイヌ語がユーラシア大陸及び北アフリカにかつてあったと考えられる祖語との関連性が考えられるとする研究成果につながった。[3]


9926これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/11/30(土) 21:58:42
荊の紀氏さんへのお返事です。 糞サイト・糞ブログのコピペじゃなく、自分の言葉でまとまった文章を書いてみなさい。 できないのか?
荊の紀氏さんへのお返事です。

糞サイト・糞ブログのコピペじゃなく、自分の言葉でまとまった文章を書いてみなさい。
できないのか?

9927管理人:2019/12/10(火) 00:00:05
Re: 渡来人のハプロタイプ3
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本さんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
>
> > もう少しサンプル増やすためには、やはり自主的なサンプル提供が必要ですが、先のサイトなどでは、日本語訳がなされてないので、どうやってサンプル送るとか支払うとかよくわからなくてあきらめてしまうケースも多いのではないでしょうか。この点を是正するように働きかけたいですね!
> >
>
>
> なんのサイトのことン??
> 検査試そうとしてるのなら手伝いますよ〜
> 日本へはジェノグラフィックのGeno2.0送ってもらえるんで、これがいいですよ。一発で細かく出るし。Family Tree DNAは高い。
>

これですね!だれか日本語訳してこれないかな・・・。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fgenographic.nationalgeographic.com%2F

キットの送り方載ってます。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnote.com%2Flaryu%2Fn%2Fnd0512b1a5300

遺伝子コードが出てる(汗)
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fplaza.rakuten.co.jp%2Fcybele%2Fdiary%2F200804010000%2F




9928管理人:2019/12/10(火) 00:01:50
Re: 漢氏の子孫に坂上田村麻呂がいる。…
荊の紀氏さんへのお返事です。

>
> また、4世紀から6世紀にかけて日本列島に多く渡来した中国系の渡来人の多くが、劉邦または漢室の子孫を称している。特に東漢氏と西漢氏が有名である。東漢氏の子孫に坂上田村麻呂がいる。
>
> 劉邦
> 前漢の高祖・劉邦(BC256-BC195)のY染色体は、ハプログループO2a1b(O-IMS-JST002611)である(注1)(注2)。これは劉邦の子で斉王に封ぜられた悼惠王・劉肥の子孫(陳洲劉氏)をはじめとする中国全土の劉邦の子孫から得られたデータに基づくものである(注3)(注4)。
> 坂上田村麻呂
> 平安時代の武官で、陸奥国の蝦夷を平定した征夷大将軍・坂上田村麻呂のY染色体は、ハプログループO2a1b(O-IMS-JST002611)であると推定される。坂上氏は、後漢の霊帝の子孫で、応神天皇の御代に渡来した阿知使主の子孫とされる(注1)。阿知使主の子孫で、東漢氏出身の左京大夫・坂上苅田麻呂が田村麻呂の父である(注2)(注3)。
> 丹波康頼
> 平安時代の医博士・丹波康頼のY染色体は、ハプログループO2a1b(O-IMS-JST002611)と推定される。丹波康頼は、坂上田村麻呂の子孫で、永観2年(984年)に『医心方』全30巻を撰し、朝廷に献上した。『医心方』は、現存する日本最古の医学書で、丹波康頼は、この功績により丹波宿禰の姓を賜り医家・丹波氏の祖となった。明治・大正期の薬学者である丹波敬三は、この直系子孫にあたる。丹波敬三の孫に俳優の丹波哲郎や、作曲家の丹波明などがいる(注1)。
>


これは少し役に立ちました。感謝。

9929管理人:2019/12/10(火) 00:11:09
Re: O1b2やO-JST002611が関東以北の森に敢えて進まなかったことをO-M117たちはやってのけた。 彼らがいなければ現代日本人は成り立たなかった。O2バンザイでも構わない。これが、弥生人の全ゲノム解析の後に明らかになった日本人形成の新しいシ
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本さんへのお返事です。


> そして、日本のO2とくにO-M134(O-M117&;O-F444)集団の分布を見ると、北九州で全国平均の2倍高くて、宮城でも倍(O-M117)となっている。O-M117の分布図を見ても関東以北の方が寧ろ濃い。
>
> これらが何を意味するかすぐ分かるだろう。
>
> 古墳時代に日本に進入したのがO-M117を始めとするO2で、その勢いは東北にまで及んだ。事実、古墳時代に関東以北の人骨も急速に現代日本人に近くなったことが分かっている。
>
> O1b2やO-JST002611が関東以北の森に敢えて進まなかったことをO-M117たちはやってのけた。
> 彼らがいなければ現代日本人は成り立たなかった。
>
> つまり、江蘇も日本の関東以北もO-M117らによって同化された。だから、江蘇省の漢族が日本人に最も近い。
>

なるほど、O-M117の動きは興味深いですね。例の古墳時代後期の北燕遺民系なら、九州北部から、横穴墓をつくりながら、関東、福島方面、おそらくはさらに北部まで到達しているでしょう。

彼らは、ご紹介あった漢人将軍のヒョウ氏、もしくは高句麗系の高氏と一部が関わるはずですが、また王仁の王氏も視野に入れておくべきでしょう。王氏は楽浪郡時代からすでに北朝鮮に多いですね。

9930荊の紀氏:2019/12/10(火) 00:18:59
漢字を作った古代中国の殷王朝は縄文人の同族の王朝であった。…
オーストロネシア人を特徴づけるハプログループO1a (Y染色体)
南ルート(オーストラロイド):M29'Q,O,P /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

オーストラロイド(英: Australoid)、またはオーストラロ・メラネシアン(英: Australo-Melanesian)は、人種概念の一つで、コーカソイド、ネグロイド、モンゴロイドと並び四大人種と呼ばれる。オーストラリア大陸、ニューギニア、メラネシアを中心としたオセアニア州及びスンダ列島、フィリピン、タイ、スリランカ、ムンバイを中心としたインド西南部から南部などの東南アジアから南アジアにかけての地域に分布する。
ユーラシア大陸に進出した人類のうち、7 - 5万年前[1]にインド南部の海岸地帯からスリランカ・スンダ列島を経由しサフール大陸(ニューギニア・オーストラリア大陸を中心とした現在のオセアニア地域。サフル大陸とも)に進出した人類の子孫と考えられている[要出典]。
オーストラロイドは一見、地域ごとに人種が枝分かれする以前の、初期ホモ・サピエンスの特徴を残しているようにも見え、しばしば「原始人種」などと呼ばれることがあった[2]。しかし遺伝的には初期人類との隔たりが大きく、かつミトコンドリアDNAや核DNA解析に基づいた分子系統樹では、西ユーラシア人(コーカソイド)から[1]あるいは東ユーラシア人(モンゴロイド)から[3]分岐したことが示されており、過酷な環境への適応によって形成された特殊な文化的なイメージと形質からそのような誤解を持たれているに過ぎない。
オーストラロイドは、ネグロイドと同等程度に皮膚の色が極めて濃い。肌の色とは対照的であるが、髪の色が明色で金髪という個体がアボリジニやメラネシア人の女性や子どもによく見受けられる。なお髪の色は成長するにしたがってしだいに黒くなっていく。
かつては肌色などの外見的特徴からネグロイドに含まれていたことがあり、特にメラネシア人などは「大洋州ニグロ」とも呼ばれていたが、本来のネグロイド(サハラ砂漠以南のアフリカ先住民)とは頭髪の性質(ネグロイドは誕生時から巻きが強いが、メラネシア人は2〜5歳頃からまき始める)・血液型分布などが異なり、少なくとも1960年代後半には別系統という説が強くなり、現在はアボリジニなどとともに独自のグループに入れられている[4]。
最近の解析では、オーストラリア先住民とインド南部のベッドイドとの間には、頭蓋骨の形態に大きな差異があることがわかった[5]。
オーストラロイドは出アフリカ後にイラン付近からインドを通ってオーストラリアに至る「南ルート」をとった集団である。人種を特徴づけるY染色体ハプログループとしてC1b3、MS、K*などが挙げられる[6]。

フィリピン人
フィリピン人は、オーストロネシア人を特徴づけるハプログループO1a (Y染色体)が29%、東アジアや東南アジアで広くみられるハプログループO2 (Y染色体)が39%見られる[6]。これらは出アフリカ後に北ルート(イラン→アルタイ山脈→東アジア)[7]をとったモンゴロイド系遺伝子である。一方でフィリピン人には、出アフリカ後に南ルート(イラン→インド→東南アジア)をとったオーストラロイド系遺伝子もみられ、特にネグリトのアエタではY染色体ハプログループK2b1-P378が60%の高頻度でみられる[8]。(このタイプはニューギニア多いハプログループMやSと祖を同じくするものである。)

ネグリトは人種的にはほぼオーストラロイドであるが、遺伝子は一部モンゴロイド由来のものが混じっており、一様ではない。
ネグリト (Negrito) とは東南アジアに住む身長が小柄な少数民族を指し、これらの地域にマレー系民族が広がる前の先住民族であると考えられている。アンダマン諸島の大アンダマン人(Aka-Bea、Akar-Bale、A-Pucikwar、Aka-Kol、Oko-Juwoi、Aka-Kede、Aka-Jeru、Aka-Bo、Aka-Kora、Aka-Cari)、Jangil、ジャラワ族、オンゲ族、センチネル族の14の民族、マレー半島と東スマトラのセマン族、タイのマニ族(英語版)、フィリピンのアエタ族・アティ族・バタク族(英語版)・ママンワ族(英語版)などの民族、ニューギニア島の西部[1]の先住民の一部が含まれる。ネグリートともいう。
ネグリトの言語が含まれる諸語・語族
アンダマン諸語
大アンダマン語族
オンガン語族
センチネル語
オーストロネシア語族
フィリピン・ネグリト諸語
オーストロアジア語族
アスリ諸語
パプア諸語[2][3]
アンダマン人[編集]
アンダマン人は母語とする言語系統から大アンダマン人、オンガン人、センチネル族に大別できるが、このうち調査がされている大アンダマン人とオンガン人では、Y染色体ハプログループがで大きく異なっていることが知られている。遺伝子調査(Kumarasamy et al.(2003))の結果によると、大アンダマン人は出アフリカ後「南ルート」[4]をとったハプログループF*、K*、L、P*、および「北ルート」のオーストロアジア系O1b1が合わせて100%であるが、オンガン人(ジャラワ族、オンゲ族)はハプログループD1a3が100%を占める[5][6]。ハプログループD1a3は出アフリカ後「北ルート」でイラン→アルタイ山脈→チベット→ビルマ→アンダマン諸島という経路をたどってきたと考えられる[7][8]。
なお、アンダマン人のミトコンドリアDNAハプログループは大アンダマン人、オンガン人とも、出アフリカ後「南ルート」で到達したと考えられる[9]M31、M32のみが観察される。[5][10]
オンガン人(ジャラワ族、オンゲ族)はハプログループD1a3が100%を占める

なぜアンダマン諸島の原住民に日本人と同じY-DNA Dがあるのか! /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12271817769.html
アンダマン人のY染色体
大アンダマン人(絶滅)とオンガン人で大きく異なっている。
大アンダマン人は出アフリカ後「南ルート」をとったハプログループF*、K*、L、P*、およびオーストロアジア系O2aが合計100%である。
オンガン人(ジャラワ族、オンゲ族)はパラグループD*のみが100%を占める。パラグループD*は出アフリカ後「北ルート」でイラン→アルタイ山脈→チベット→ビルマ→アンダマン諸島という経路をたどってきたと考えられ、日本人に高頻度なD1b(旧定義D2)とも近い関係にあることから、オンガン人は日本人の位置付けを探る上でも非常に重要な民族である。
? オンガン語族(Ongan)
または南アンダマン語族、ジャラワ・オンゲ語族(Jarawa-Onge)と呼ばれる言語はオンゲ語とジャラワ語からなる小さな語族である。アンダマン諸島でネグリトのオンガン系アンダマン人によって話される。
パラグループD*は出アフリカ後「北ルート」でイラン→アルタイ山脈→チベット→ビルマ→アンダマン諸島という経路をたどってきたと考えられ、日本人に高頻度なD1b(旧定義D2)とも近い関係にあることから、オンガン人は日本人の位置付けを探る上でも非常に重要な民族である。

DEの子型でD系統にもE系統にも属さないパラグループDE*がシリア、チベット人、ナイジェリアなどの西アフリカでごくわずかに発見されている
ハプログループDE(Y染色体)(ハプログループDE (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup DE (Y-chromosome))とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体のハプログループ(型集団)の分類で、YAPと呼ばれる変異の型に定義されるものである。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwpedia.goo.ne.jp%2Fwiki%2F
現生人類の共通祖先発祥の地、東アフリカのトゥルカナ湖の東北附近に約6.5万年前[2]に住んでいた一人の男性にこの変異が起こりこれが、父系で遺伝するY染色体の特定のSNPを持つ集団(Y染色体ハプログループ)のうち「YAP(M1)」と呼ばれるSNPを持つハプログループDE系統を生み出し、その後6万年程前にこれが更に2つ集団(ハプログループ)DとEに分岐した。
なお、ハプログループDEは系統樹からも分かるように、全ユーラシア人の最近共通祖先であるハプログループCTから早期に分岐したため、他のユーラシア系統とは分岐から7万年以上もの年月を経ている。(一方で、ハプログループDEはアジアで発祥したという説[3]もある。)
さらにその子系統であるハプログループDは、アフリカにおいて既に発生していたと考えられる[4]。ハプログループDの子系統のうち、ハプログループD2はアフリカに留まり、ハプログループD1が出アフリカを果たした。 アフリカに留まり(又は出戻り)アフリカ大陸全土や一部は地中海地域やヨーロッパなどに父系を通じて広がった集団がハプログループEとハプログループD2であり、分岐後出アフリカを経て東方に向かい、チベット・アンダマン諸島・ヤオ族・フィリピンのマクタン島・グアム島・日本列島[5]などに父系を通じて広がったのがハプログループD1である。
またDEの子型でD系統にもE系統にも属さないパラグループDE*がシリア、チベット人、ナイジェリアなどの西アフリカでごくわずかに発見されている[6][7]。
D1a1 (F6251/Z27276)  チベット、モンゴル、中央アジア等
D1a2 (M64.1/Page44.1, M55)   日本(大和民族、アイヌ、琉球民族)
D1a3 (Y34637) アンダマン諸島(オンゲ族、ジャラワ族)
D1b (L1378)   フィリピン(マクタン島、ルソン島)[9]
D2 (A5580.2)  ナイジェリア、サウジアラビア、シリア
E アフリカで多い。コンゴイド人種。
E1b1a アフリカ中~南部。ニジェール・コンゴ語族と関連。
E1b1b アフリカ北東部・北部、中東、南ヨーロッパなど。アフロ・アジア語族と関連。

漢字を作った古代中国の殷王朝は縄文人の同族の王朝であった。そして、唐帝国が滅びるころ、すなわち平安時代中期ころまでに日本列島に渡来した(参考)
中国語の起源 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12549633048.html%3Ffrm_src%3Dthumb_module
初期の漢民族の末裔は客家人とされ、漢字の漢音に近い発音をしている。現在の標準中国語は北京語であるが、北方民族の影響の為に屈折語(SVO)に膠着語(SOV)が混在している。ここでは、前者の初期の漢民族の言葉を考察する。


9931荊の紀氏:2019/12/10(火) 00:55:32
最初にアフリカを出たのは日本人の先祖だった…冥 晃
旧約聖書の創世記1章3節【神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。】 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq12116282692

モーセは旧約聖書で、神に 内容をはっきり外に出して話し、神に真実をもうしのべる 人として描かれていたので、やはり白という漢字はしっくりくるようす。倭人は白という漢字に「もうす」を当て、モーセの意味を込めたかもしれないです。tacchan.hatenablog.com/entry/2017/01/19/200447
キリスト教(景教含む)は古代中国だけでなく、奈良時代以前の日本に伝わっていました。その証拠は、日本で用いられる漢字だとか大和言葉に残っています。
漢字は聖書の真理を表すwww2.biglobe.ne.jp/remnant/108kanji.htm
漢字になった聖書物語godpresencewithin.web.fc2.com/pages/zatsugaku/kanji.html
「甲骨こうこつ文字」という形で,漢字が実在のものとして「確認」されるのは,「殷いん」(紀元前16世紀頃〜前11世紀頃)の時代からのようである。
「殷いん」(紀元前16世紀頃〜前11世紀頃)…
紀元前16世紀または紀元前13世紀ころ
モーセあるいはモーゼ(ヘブライ語: ???????モーシェ、ギリシア語: Μωυσής、ラテン語: Moyses、Moses、アラビア語: ??????)は、旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる、紀元前16世紀または紀元前13世紀ころに活躍したと推測されている、古代イスラエルの民族指導者である。正教会ではモイセイと呼ばれ聖人とされる /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
…西に進んだものが殷人になった
東シナ海の海面水位が低く、未だ日本列島と中国大陸を自由に往来できた頃に、東に進んだものが縄文人、西に進んだものが殷人になったと考えられる。
漢字の起源 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12549633048.html%3Ffrm_src%3Dthumb_module
殷人の作った漢字の元となった甲骨文字の一部に、伊勢神宮に奉納されている神代文字の阿比留草文字が見出せる。
阿比留草文字…フィリピン文字には類似…
日本語学者の北里闌(きたざとたけし)は、阿比留草文字とフィリピン文字には類似した形と発音の文字があり、同系統ではないかと主張している。

富士塚にあった阿比留草文字yagasane.web.fc2.com/naafujidukamoji.html
「ひふみ歌」。
「阿比留草文字」は、正史では認められていない、神代文字の一つ。
「ひふみ歌」は、祝詞として読まれているものらしく、
三・五・七 で区切って読むものとされている。
奇数は陽数で、推奨されるのはわかる。
しかし、この石碑文字は6字の偶数、陰数分割。

奇数の文化と偶数の文化web1.kcn.jp/tkia/mjf/mjf-29.html
奇数の「一」や「三」には神秘的思考(志向)が交ざっており、偶数の「二」や「四」には合理的思考(志向)が交ざっていることだけは感じていただけるだろう。そもそも「わかる」とは、「分別」と言うように「分ける」(分割する)ことである。それが「二」や「四」など偶数の背景にある。
 話がやや逸れるが、「右か左か」という問題もおもしろい。これは「二」(対)がある場合、どちらを優先するかという問題である。例えば「男女」という対では「男」(英語で「man」はそのまま「人間」一般を表す)というのが現在では一般的な通念であろうが、これはヨーロッパ・キリスト教的な考え方である。やはり神が男性であったからだろう。わが『古事記』や『日本書紀』ではご存知の通り、「主神」に天照大神を仰ぎ、イザナギ・イザナミの男女神を対等に扱っている。

光がない 冥
「六ロク」 <テント> と 「冥メイ」 <くらい>
解字 小さな幕舎バクシャ(テントの家)の形。その原義で用いられることなく、その音を仮借カシャ(当て字)して数の六に用いる[字統]。
意味 むっつ(六つ)。数の名。「六(む)つ切り」「六日むいか」「六法ロッポウ」「六月ロクガツ」「六地蔵ロクジゾウ」「丈六ジョウロク」(身のたけが一丈六尺の仏像)
イメージ  「数字の六」 (六)、 「ニクの音」 (宍)
音の変化  ロク:六  ニク:宍
冥 メイ <くらい>
冥 メイ・ミョウ・くらい  冖部
解字 篆文は、「冖(おおう)+日(ひ)+六(おおう)」 の会意。六はテントの形の象形で、おおう意。これ以上古い形が分からないので、この字形に従って解字すると、冥は日が上からも下からもおおわれて暗い意となる。
意味 (1)くらい(冥い)。光がない。「冥界メイカイ」 (2)道理にくらい。おろか。「頑冥ガンメイ」(かたくなで道理にくらい) (3)あの世。「冥土メイド」「冥福メイフク」(あの世での幸福) (4)目に見えない神仏の働き。「冥利ミョウリ」(神仏が与えてくれる御利益ごりやく)「冥加ミョウガ」(知らず知らずのうちに受ける神や仏の加護。おかげ)
イメージ  「くらい」 (冥・瞑・溟・螟)
音の変化  メイ:冥・瞑・溟・螟


「光コウ」  <火のひかり>
解字 「火+儿(ひと)」の会意。古代文字は人が頭上に火をのせた姿を示す。火の光や太陽の光など、輝くものを表わす。甲骨文・金文は座った人だが、篆文から立ち姿の側面の形。現代字(儿)はその変形で、「人あし」と呼ばれる(足の形の象形ではない)。同じ作り方の字に、目を人の上にのせた見、口をのせた兄などがある。
意味 (1)ひかる(光る)。ひかり(光)。てらす。明かり。「光線コウセン」「月光ゲッコウ」 (2)輝かしい。ほまれ。「栄光エイコウ」 (3)時間。とき。「光陰コウイン」 (4)ありさま。けしき。「光景コウケイ」「風光明媚フウコウメイビ」
イメージ   「ひかり・ひかる」 (光・晃)
        光が四方に「ひろがる」 (恍・胱・洸・幌・滉)
音の変化  コウ:光・恍・胱・洸・晃・幌・滉
ひかり・ひかる
晃 コウ・あきらか  日部
解字 「日(太陽)+光(ひかる)」 の会意形声。太陽が光り輝くさま。
意味 (1)ひかる。かがやく。「晃晃コウコウ」(光りかがやくさま)「晃曜コウヨウ」(光かがやくこと) (2)あきらか(晃か)。


9932これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/10(火) 01:31:19
Re: 漢氏の子孫に坂上田村麻呂がいる。…
管理人さんへのお返事です。


> これは少し役に立ちました。感謝。


これって「有名人のハプロ」だよw
坂上氏は漢皇室の血を引かず、「漢族出」は本当であっても陳州劉氏O-JST002611。
2016年前後の推測ですね。

しかも、坂上氏の子孫からの直接データからではありません。
これは「有名人のハプロ」のハプロ推測全般に言えます。始皇帝O-M133もそうでしょう(同じ嬴姓の徐氏に基づく推測というだけ)。

坂上氏が漢皇室出であればO-F155ですが、O-M155の国別割合でO-M155は中国人が100%、坂上氏の経歴詐称の可能性が高いです。


9933これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/10(火) 01:35:10
Re: 漢字を作った古代中国の殷王朝は縄文人の同族の王朝であった。…<<<病状報告?w
荊の紀氏さんへのお返事です。

やはり、キシさんには掲示板はハードル高すぎじゃないかな。


君のらくがき帳や病状報告ではないんだよKY♪

9934これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/10(火) 06:54:34
Re: 渡来人のハプロタイプ3
管理人さんへのお返事です。

> これですね!だれか日本語訳してこれないかな・・・。
>

注文の仕方分からない人っているんですか??注文フォームに記入してポチでしょ。DNA採取や送り方も、いくら英語が読めない人でも辞書引けばわかるでしょう。口の中に綿棒いれて粘膜ゴシゴシ・・・どこか不明なことがあれば聞いてください。

英語の問題じゃないでしょうね。
日本人が試しても詰まらないと分かっちゃったからかな。どうせ7割の可能性でD2かO1b2ですから。D2は完全に日本完結。O1b2でも「遠い親戚」に韓国人もでないです。

誰とも繋がれません。ま、日本のすべてのハプロに当てはまることですが。島国で完結、ですね。O2(旧O3)はちょっとマシな方で、5000年BC〜500BC?くらいまでは大陸集団と繋がれそう。

ヤケになって島国根性丸出しで8万年とか10万年前の有り得ない関係を主張してくる者まで出る始末・・・縄文人は東アジア人の祖だァなんて誇大妄.想に陥る人もw

この分野で日本人と外国人の知識や認識のギャップってすごく大きいと思いますね。なんか、DNA人類学は、結局、日本人の島国根性を強化する結果になってるような気がします。



9935これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/10(火) 07:31:58
「チベット人に3ー4割見られるD1と日本のD2との関係」は、なんと!「ツタンカーメンと私の関係’よりも乖離しているwww
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010465M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010465_2M.png

荊の紀氏さんへのお返事です。

図:Geno2.0の私の結果

「チベット人に3ー4割見られるD1と日本のD2との関係」は、
なんと!「ツタンカーメンと私の関係’よりも乖離しているwwww


良くキシが持ち出すy-D1とD2の繋がりって、分岐してから5万年以上の開きがある。

わたしゃ、4万5000ー2万5000年前に、ツタンカーメンの「兄弟・親戚」。
今も兄弟としてツタンカーメンと私はその絆が生きているのかえ?w
D1とD2との開きよりはずーっとマシだぞwww

4万5000年ー6万5000年前は、チンギスやダーウィンも私の兄弟だw D1とD2の距離は、私とチンギス、ダーウィンくんだ。

自分がどんな妄.想に陥っているかが分からない?
まずは病気であることの「自覚」を持つことだね。私は君のサポートをしてるんだよ?
分からなければ病気だから、精神科へGO!





9936これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/10(火) 07:40:08
Re: 「チベット人に3ー4割見られるD1と日本のD2との関係」は、なんと!「ツタンカーメンと私の関係’よりも乖離しているwww
ま、参加者がほとんど欧米人なんで仕方ないが、この有名人とのマッチってやつ、東アジアの有名人入れてほしいよね。中国とか開発してくれないかな。劉邦とマッチとか。

9937荊の紀氏:2019/12/11(水) 04:57:38
D1と日本のD2との関係は、…
中国の少数民族であるミャオ・ヤオ語族と同様に、チベットビルマ語系の言語を話し、チベットに近い四川省・雲南省のいくつかの少数民族の中にD系統が低頻度で見られる。朝鮮半島では、ハプログループD系統が見られるが、これは近世にチベットからモンゴル経由で入ってきたD1a1や、弥生時代に日本列島から朝鮮半島へ北上したD1a2の系統であろうと推測されている。ハプログループCと異なり、ハプログループDは、南北アメリカ大陸(ネイティブ・アメリカン)の中では全く見つかっていない。
ハプログループD (Y染色体) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

現在、このハプログループDは、日本列島・南西諸島やアンダマン諸島、チベット高原で高頻度に観察されるほかは、アジア、アフリカの極めて限られた地域で散発的にしか見つかっていない。チベットではD1a1-Z27276、日本ではD1a2?M55、アンダマン諸島ではD1a3-Y34537[2]が高頻度である。これらのハプログループは、同じハプログループDに属していても、サブグループが異なるため、分岐してから5万3000年以上の年月が経ている[3]。
ハプログループDは、現在の日本や中国、朝鮮、東南アジアにおいて多数派的なハプログループO系統や、その他E系統以外のユーラシア系統(C,I,J,N,Rなど)とは分岐から7万年以上の隔たりがあり、非常に孤立的な系統となっている。D系統は東アジアにおける最古層のタイプと想定できるが[4]、一つの説として東アジア及び東南アジアにO系統が広く流入した為、島国日本や山岳チベットにのみD系統が残ったと考えられている。そのため形質人類学的には古モンゴロイド(アイノイド)の分布と相関しているようである。
なお、同じくハプログループDEから分かれたハプログループEは、アフリカ大陸で高頻度、中東や地中海地域で中〜低頻度に見られる。またDEの子型でD系統にもE系統にも属さないDE*がチベット人でごくわずかに発見されている[5][4]。
最近の研究 (Haber et al. 2019) から、ハプログループDの最も古くに分岐した系統(D2系統)がナイジェリア人の3サンプルから見つかった。この系統は、ハプログループEの持たないSNPを、D1-M174と7つ共有している。このことから、ハプログループDはアフリカで既に誕生していたと推定されている[1]。D2は、西アジア(サウジアラビア、シリア)でも見つかっている[6]。
従って、ハプログループDは、今より約7.3万年前にアフリカ[1]にてハプログループDEから発生、下位系統のハプログループD1のみが出アフリカを果たし、その後内陸ルートを通って東アジアへ向かったと考えられている[7]。

最近の研究 (Haber et al. 2019) から、ハプログループDの最も古くに分岐した系統(D2系統)がナイジェリア人の3サンプルから見つかった。この系統は、ハプログループEの持たないSNPを、D1-M174と7つ共有している。このことから、ハプログループDはアフリカで既に誕生していたと推定されている[1]。D2は、西アジア(サウジアラビア、シリア)でも見つかっている[6]。
従って、ハプログループDは、今より約7.3万年前にアフリカ[1]にてハプログループDEから発生、下位系統のハプログループD1のみが出アフリカを果たし、その後内陸ルートを通って東アジアへ向かったと考えられている[7]。

フィリピン・マクタン島[編集]
フィリピンのセブ州マクタン島ラプ=ラプ市において、D1a1,D1a2に属さない、ハプログループD1bの人物が複数見つかっている[18]。
日本[編集]
「ハプログループD1a2」も参照
日本列島で見られる「ハプログループD1a2」は、ハプログループDの中でも、M64.1/Page44.1, M55, M57, M179/Page31, M359.1/P41.1, P37.1, P190, 12f2.2など少なくとも8つの特徴的なSNP(一塩基多型)によって、4万年以上前に分岐している。
アイヌ[編集]
アイヌにおいては「D1a2」が16人に14人の割合に当たる87.5%の高頻度で見られた。アイヌに見られるD1a2の内訳はD1a2*(81.25%)、D1a2a1(6.25%)である[19]。

中央アジア[編集]
チュルク系南部アルタイ人(アルタイ・キジ)のサンプルに於いて、D-P47が120人中6人 (5.0%)に観察された例がある。[24] 別の研究では、コシ・アガチ村の南部アルタイ人7人中1人(14%)、クラダ村の南部アルタイ人46人中5人(10.9%)、あわせて南部アルタイ人96人中6人(6.3%)がハプログループD-M174(xM15)に属しているという結果が得られた。[25] また、中央アジアのチュルク系民族とモンゴル系民族の中にD-P47とD-M15の両方が少数だけ見られる。

推定発生時期
64,700-83,000年前[1]
推定発生地
アフリカ〜アジア[1]
親系統
DE
子系統
D1(D1a(D1a1、D1a2、D1a3)、D1b)、D2
定義づけられる変異
CT3946, CTS4030/Z1605
高頻度民族・地域
チベット(チベット民族)、日本列島(大和民族、琉球民族、アイヌ)、アンダマン諸島(オンゲ族、ジャラワ族)、インド北東部(アルナーチャル人)


9938荊の紀氏:2019/12/11(水) 05:09:29
アルタイ人…ヘブライ人がユダヤ経の創始者…
遺伝子は印欧語族系ハプログループR1a (Y染色体)が40〜50%の高頻度で、次いでアルタイ系のハプログループC2 (Y染色体)が15〜25%である。
ハプログループN (Y染色体)やハプログループD (Y染色体)[1]なども低頻度ながらみられる。山がちの地形により、比較的古いタイプも残存しており、歴史的経緯からモンゴロイド系、コーカソイド系の双方の多様なハプログループがみられる[2][3]。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
アルタイ系言語の可能性…
ユダヤ人はもとヘブライと称され、聖書の記述からの推測ではアラビア半島北部から出発しメソポタミア、シリアを経てカナーン(パレスティナ)に移住したとされています。遊牧を生業とし、幕屋(テント)を住居としていたことから、農業に従事し、都市文明を早期に樹立したシュメール人とは異なります。また、ユダヤ人のヘブライ語はセム語族系の言語ですが、シュメール人の言語はセム語系ではないといわれます。(アルタイ系言語の可能性)
したがって、現時点では、シュメール人はユダヤ人の祖先とは言えません。

紀元前3500年くらいにシュメール人はメソポタミヤと言われた地に文明築いた民族で系統不明と言われてます、シュメールは「芦の多い地方という意味」紀元前19世紀位までつずき、そのあとヒッタイト、カッシート、ミタンニ、さらにエジプト王朝とつずきます、前13世紀頃、シリア、イスラエル地方にセム系の三つの語族が「アラム、フェニキュア、ヘブライ人」台頭してきて、そのうちのヘブライ人がユダヤ経の創始者であるユダヤ人です


9939二郎:2019/12/11(水) 06:37:49
日本人のルーツ
はじめまして、最近日本人のルーツに興味を持って、今年の夏に種々調べて、自分なりに日本人のルーツを動画にして以下にアップしています。

間違いは正していきたいと思いますので、ご意見頂けませんでしょうか?

日本人のルーツを調べるようになった動機
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DYpiYz6N0uCw

日本人のルーツ:ホモサピエンスが日本列島へ来た経緯
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DnhjrKsU58pI

日本人のルーツ:縄文文明
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DbkFYf0i9H_k

日本人のルーツ:神話の時代
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DXE8_hCNDhXE


9940秦野北斗:2019/12/12(木) 01:28:17
Re: 日本人のルーツ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010470M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=YpiYz6N0uCw



9941二郎:2019/12/12(木) 01:33:21
Re: 日本人のルーツ
秦野北斗さんへのお返事です。

ありがとうございます!
お聞きするようにしてみます。

> 二郎さんへのお返事です。
>
> 荊の紀氏に尋ねたら・・・
>
> > はじめまして、最近日本人のルーツに興味を持って、今年の夏に種々調べて、自分なりに日本人のルーツを動画にして以下にアップしています。
> >
> > 間違いは正していきたいと思いますので、ご意見頂けませんでしょうか?
> >
> > 日本人のルーツを調べるようになった動機
> > /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DYpiYz6N0uCw
> >
> > 日本人のルーツ:ホモサピエンスが日本列島へ来た経緯
> > /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DnhjrKsU58pI
> >
> > 日本人のルーツ:縄文文明
> > /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DbkFYf0i9H_k
> >
> > 日本人のルーツ:神話の時代
> > /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DXE8_hCNDhXE
> >

9942管理人:2019/12/12(木) 03:30:40
Re: 日本人のルーツ
二郎さんへのお返事です。

> はじめまして、最近日本人のルーツに興味を持って、今年の夏に種々調べて、自分なりに日本人のルーツを動画にして以下にアップしています。
>
> 間違いは正していきたいと思いますので、ご意見頂けませんでしょうか?
>

二郎さん、はじめまして!お知らせありがとうございます。

まだ少ししか拝見してませんが、大変な力作ですね!

また後日、感想のほうお知らせいたします。今後ともよろしくお願いします。

9943これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/20(金) 03:34:13
日本人のルーツ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010476M.png

そして、坂上氏は経歴詐称w
「それは違う!」ことを証明するためには、「坂上氏の子孫」を標榜する管理人さんに系統DNA検査してもらわんと♪ コチラの立証責任は果たしました。次はソチラ。
O-F155なら劉氏フェスにご招待!

実際、漢族出・中国王朝出を自己申告する渡来人のほとんど怪しい。
ただ、秦氏は、長宗我部がO-M133-CTS4658らしいので、始皇帝の子孫(O-M133-CTS10738)ではないが、チベット・ビルマ系かな。



9944これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/20(金) 07:40:00
日本・北京型O-F438と現代チベット・ビルマ型O-CTS4658は統合されてO-M133の第5グループO-A9459となりました!おめでとうございます!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010477M.png

日本・北京型O-F438と現代チベット・ビルマ型O-CTS4658は統合されてO-M133の第5グループ【O-A9459】となりました!
おめでとうございます!

図:O-M133の第5グループO-A9459

ハプロツリーが改定されていたんですね。O-M117の分岐構造も変わっていました。

今までO-M117の子ハプロO-M133の中で、日本・北京に多いO-F438が第1グループ、現代チベット・ビルマ集団に多いO-CTS4658が第6グループとして別のサブグループでしたが、両者がO-A9459として統合されています。素晴らしいシェアです!

これで、O-A9459は日本のO-M133のうちの実に7割以上を占めることになります。
【O-A9459=日本語集団】です。

一方、周族系とされる第5グループ O-CTS10738は以前のまま別のサブグループです。8個あったO-M133のサブクレードは5つ、実質4つとなります。随分スッキリしました。

つまり、O-M133(O-M1706)ファミリーは、
1. O-M1706*(日本人にあり)
2. O-YP4864(フィリピンにいるし林姓はこれか?)
3. O-CTS7634(陳姓ハプロ)
4. O-M1726(この中に周族ハプロが入る)
5. 【O-A9459】(この中にO-F438と旧チベット・ビルマ系O-CTS4658が入り、後者はO-CTS1642となった。さらに、チベット系O-CTS5308とチベット以外のチベット・ビルマ系O-F14408に分かれる)

旧第1グループと旧第6グループの統合は何を意味するのでしょうか?

まず、5のO-A9459は日本のO-M133のうち7割以上を占めることになります。また、日本のO-O-CTS1642は、チベット型O-CTS5308です。これは、【O-F438とO-CTS5308の言語】が日本語であり、南方系のチベット・ビルマ語ではなく、構造が複雑系の「羌語派・ヒマラヤ語派」に近いだろうということになります。

チベット語は、ギャロン語の一方言を下層言語、ヒマラヤ語群を上層言語として成立したと言われます。日本に渡来したチベット系ハプロの言語はチベット語よりもギャロン語に類似するはずです。

チベット語がギャロン語の一方言を下層言語、ヒマラヤ語群を上層言語として成立したように、日本語もギャロン語の方言に「O-F438固有のチベット・ビルマ語」が被さって成立したというシナリオが描けます。日本語とギャロン語は遠いので、逆はちょっと無理です。

まー、前々からその線でいたのですが、日本=チベット・ビルマ語集団の結び付きがより強固になったわけです。

なお、O-A9459は4グループに分かれます。分布は西南と北東寄りですね。
(1) O-F6800(山西・日韓)
(2) O-F14249(遼寧・内モンゴル・日韓朝)
(3) O-F438(日本・北京・湖南)
(4) O-CTS1642(チベット・ヒマラヤ・日本)

これこそがO-M133における日本系とチベット系との「真正な連関」というものだよ。D1とD2の5万年以上前の連関?ブッw



9945これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/20(金) 07:42:03
Re: 日本・北京型O-F438と現代チベット・ビルマ型O-CTS4658は統合されてO-M133の第5グループO-A9459となりました!おめでとうございます!
添付した系図、見えるかな?老眼のひと多そうだけど?ま、「O-A9459」を覚えておくように。


9946これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/21(土) 01:20:14
Re: 日本・北京型O-F438と現代チベット・ビルマ型O-CTS4658は統合されてO-M133の第5グループO-A9459となりました!おめでとうございます!
つまりはこうなる。
(1) O-F438(日本語派)と(2) O-CTS1642(チベット・ビルマ語派)はO-A9459においてパラレル・ハプロ(兄弟ハプロ)。

O-M117〜O-M133〜O-A9459(日本=チベット・ビルマ語族)
(1) O-F438(日本語派)
・・O-F1754(日本)
・・O-M316〜O-F155(劉邦ファミリー)
(2) O-CTS1642(チベット・ビルマ語派)
・・O-CTS5308(チベット語群〔ボド語群〕)
・・O-F14408(チベット以外のチベット・ビルマ語)

となると、O-M316〜O-F155(劉邦ファミリー)の祖先も日本語派だったんじゃないか?ってことにもなる。彼らはシナ語化したので、言語的に正統なのはコ・チ・ラ。何とも愉快じゃないか?
一方、彼らが齎した漢語彙は日本人の言語生活を豊かにしてくれた。

9947荊の紀氏:2019/12/21(土) 07:15:35
別種の縄文人集団が存在…
ハプログループN (Y染色体)…??投稿者:吾亞風??投稿日:2019年12月 2日(月)17時13分14秒
>遼河なら、J1とG1aの方が重要です。カザフにも局地的に集積地があります。 でも、これとても、何もカザフにユダヤ人として来たのではないでしょうし、遼河に古人骨がないので、歴史が古いものかどうか分かりません。
投稿者: 縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/5972
・・・・・
ハプログループOは中国で約4万年前に発祥し、その後様々なルートを通じて日本列島に到着したと考えられています。…
>遼河なら、J1とG1aの方が重要です。カザフにも局地的に集積地があります。 でも、これとても、何もカザフにユダヤ人として来たのではないでしょうし、遼河に古人骨がないので、歴史が古いものかどうか分かりません。
投稿者: 縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/5972


9948荊の紀氏:2019/12/21(土) 07:22:05
約4万年前…
ハプログループOは中国で約4万年前に発祥し、その後様々なルートを通じて日本列島に到着したと考えられています。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fmarine816%2Fentry-12439730380.html
今日では、縄文時代の人骨のミトコンドリアDNA(母系)の調査結果では、ハプログループF、B、M7aなどの型があったことが知られており、これらに加え、ハプログループA (mtDNA)やハプログループG (mtDNA)などに代表されるシベリア北部の先住民に近い縄文人も確認されている。
 ただし、大和民族の定義が大和王権の施政下の住民に限定されるのであれば、大和王権成立以前の人々を「大和民族」というのは適当ではない。現代において縄文人と称される縄文時代の日本列島の住民は形質的には現代日本人以上に均質であるが、列島全域において日本祖語に連なる言語が話されていたかは詳らかでなく、統一的な民族意識は存在しなかったと思われる。(wikipedia 大和民族より抜粋)

ハプログループO (Y染色体)(ハプログループO (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup O (Y-DNA))とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、ハプログループNOの子型で「M175」以下の系統に位置すると定義されるものである。東アジア及び東南アジアで最も一般的に見られる系統であり、西ユーラシア系のハプログループRと並んで現代人類において最も帰属人口の多いY染色体であると考えられている。
 Y染色体のハプログループOは、おおよそ4万年前にハプログループNと血筋が分かれた。
 華北平原や長江流域などの豊かな地域を中心に、多岐に渡るサブグループを産み出し、これらの地域から東アジアや、東南アジアからポリネシアに至るまで広範囲に拡散したと考えられている。(wikipedia ハプログループO (Y染色体)より抜粋)
我々日本人に最も多いのがO1から分化したO1b、更に分かれたO1b2に属すようです。
 ハプログループOは中国で約4万年前に発祥し、その後様々なルートを通じて日本列島に到着したと考えられています。
我々日本人に最も多いのがO1から分化したO1b、更に分かれたO1b2に属すようです。
 ハプログループOは中国で約4万年前に発祥し、その後様々なルートを通じて日本列島に到着したと考えられています。

我々日本人に最も多いのがO1から分化したO1b、更に分かれたO1b2に属すようです。
 ハプログループOは中国で約4万年前に発祥し、その後様々なルートを通じて日本列島に到着したと考えられています。
 更に、DNA分析図からは、縄文人と弥生人との混血が進んだ結果、現代の日本人が現代の韓国人に近くなっていることがわかります。
この結果からも、我が国の先住者であった縄文人は、アジアの中で非常に特異な存在だったことがわかります。
 従って我々の御先祖様の殆どがこの二系統である、縄文人(ハプログループD1b)と弥生人(ハプログループO1b2)に属し、モンゴロイドの枠ながらも、他国とは違った独自のDNAを持っていることがわかります。
 これ等二系統が現代の大和民族の根幹を成しており、後期渡来人(中国・朝鮮系)とも混血が進んだ結果、現代の日本人が形成されたと考えられます。

C1a1系が日本固有であることからも、分岐した地点からC1a1系のみが混血されず、一気に日本列島に到達したのか、日本列島に入る間際で、C1a2系とに分かれ、逆にこの系統の種族が一気に西へ向かった可能性も考えられます。
 C1a1は、非常に謎めいた不可思議な系統といえそうです。
 まず、姉妹群となるC1a2を調べて見ますと、 ハプログループC-V20 (Y染色体)(ハプログループC-V20 (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup C-V20 (Y-DNA))、系統名称ハプログループC1a2とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、ハプログループC1の下位群C1aのうち「V20,V184」によって定義されるグループである。日本固有のハプログループC-M8 (Y染色体)とは姉妹群に当たる。ヨーロッパ等にごく低頻度に分布する。 (wikipedia ハプログループC1a2 (Y染色体)より抜粋)
 では、我が国固有となるC1a1を調べて見ますと、 ハプログループC-M8 (Y染色体)(ハプログループC-M8 (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup C-M8 (Y-DNA))、系統名称ハプログループC1a1とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、ハプログループC1の下位群C1aのうち「M8, M105, M131, P122」によって定義されるグループである。日本列島ではおおむね5%の頻度で発見されており、他には韓国の済州島で1人、中国遼寧省と韓国ソウル出身者にそれぞれ1人ずつ確認されている。最も近縁なハプログループであるC1a2との最も近い共通祖先はおおよそ四、五万年前にさかのぼると推定されているが、(現段階の研究で把握されている限りでは)現存するものの拡散は約12,000年前と推定される。現存する下位系統の最も近い共通祖先は日本列島で誕生したとも考えられるが、詳細は今後の研究が待たれる。

崎谷満はC1a1の祖型はイラン付近からアルタイ山脈付近を経由し朝鮮半島経由で日本に到達したとしている。その渡来年代は定かでないが、現存系統の拡散開始は約12,000年前であり、縄文時代の開始とほぼ一致している。すなわちハプログループC1a1は日本に縄文文化をもたらした集団かもしれない。(wikipedia ハプログループC1a1(Y染色体)より抜粋)
 縄文人の一種とされる日本固有のY遺伝子を持つC1a1の系統は、ヨーロッパ系と遺伝子が姉妹群であり、日本全国で平均約5%存在するものの、これ等の最も多い地域が何と徳島県であるということ。
 アイヌにこの遺伝子が含まれないことからも、別種の縄文人集団が存在していたことになります。
徳島
徳島県とかには古代ユダヤ人と血縁持ってる人が今でも沢山いて天皇家の親戚も沢山いる。
【2233270】米国の衰退とともに日本人が古代ユダヤ人である事が証明される日が近い /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.inter-edu.com%2Fforum%2Fread.php%3F1671%2C2233270%2Cpage%3D3

約4万年前の旧石器時代に、無人の日本列島に初めてやって来た人々。

日本列島に人類が現れるのが約3万8000年前の後期旧石器時代ですから、4万年前あたりの可能性は十分にある」と指摘。web-wac.co.jp/program/galileo_x/gx110814

ハプログループBは、約4万年前に中国南部で誕生したと推定され、中国南部から東南アジアにかけて、人口に占める割合が多いグループです。

南太平洋のハプログループBは、約6000年ほど前に東南アジアから海洋進出していったグループだと考えらえています。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ffirst-genetic-testing.com%2Fgene%2Fhaplo.html
朝鮮半島において、櫛目文土器は6000年前から現れるようになる。
旧石器時代は土器の生産が始められる紀元前8000年頃に終了する。放射性炭素測定によると朝鮮半島で古代人の出現は、紀元前4万年あたりから3万年あたりを示している[2]。古代人が紀元前50万年頃まで広がるとなると、ホモ・エレクトスが朝鮮半島に存在したことを意味している。
朝鮮半島において、櫛目文土器は6000年前から現れるようになる。最古の櫛目文土器は遼河文明から発見されており[4]、当時の朝鮮半島はウラル系民族(ハプログループN (Y染色体))が担う遼河文明圏[5]にあったことが示唆される。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

4万年前あたり…」
推定発生地 東アジア
ハプログループN (Y染色体)(ハプログループN (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup N (Y-DNA))とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、「M231」以下の系統に位置すると定義されるものである[5]。


9949荊の紀氏:2019/12/21(土) 08:29:16
YAP遺伝子のルーツは、縄文人…日本人・チベット人 ・ユダヤ人
日本人男性のY染色体は、4種類に大別され、うち2種類は縄文系、他の2種類は弥生系であることが判明し、両者ともに大陸からの移住組であるという。
パーキンソン病や脳梗塞、心臓病、筋ジストロフィなど重篤な病気や難病などの発症が確率的にYPA遺伝子などにより受け継がれてしまいます。
YAP遺伝子を知っていますか?
別名、親切遺伝子とも言います。日本人特有の親切さや勤勉さなどもこの遺伝子の特徴です。
女性が、妊娠をして子供を産む事により遺伝される形態を示しています。
YAP遺伝子は、日本人男女特有の遺伝子と言われ渡来系の血が消失している日本人女性の遺伝子です。
YAP遺伝子とは? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fjb-enterprise-a8.com%2Fyapgene-alien-roots
YAP遺伝子日本人男女が受け継ぐ遺伝子と言われます。
ご存知かと思いますが、男性を形成する染色体を「Y染色体」という。
このYAP遺伝子は日本人の他にチベット人 やユダヤ人などにしかなく宇宙人からも日本人にしかないY染色体は、父から息子へにだけ伝えられ る遺伝子です。


9950荊の紀氏:2019/12/21(土) 08:56:36
神の遺伝子…
この遺伝子は中国・朝鮮等アジアの人たちには見られないもので、ユーラシアでもほとんど見つかっていません。日本で特に多くみられるのが沖縄の琉球民族と北海道に住むアイヌ人であることが研究結果から判明しています。私たち日本人の特徴を形成していると言っても過言ではないもので、別名として「親切遺伝子」の名で呼ばれています。
勤勉な国民性が日本国民の特徴であると言われますが、この性質はこの遺伝子によるものであることが研究した結果から判明しています。他にも虫の音を綺麗だと思う感性や、自分を捨ててでも他の人のために動くことができるという性質もこの遺伝子によるものであることが分かっています。
神の遺伝子や超能力遺伝子とも /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fleisurego.jp%2Farchives%2F278768
私たち日本国民と深く関わっている遺伝子ですが、「神の遺伝子」「超能力遺伝子」という別名でも呼ばれています。これは、長寿遺伝子であることや抗がん剤採用があるなど様々な効果を与えていることによります。さらに興味深いのが、宇宙人もこの遺伝子を有していると言われているのです。
YAP遺伝子のルーツはユダヤ人という説
この遺伝子のルーツがユダヤ人という研究結果があります。日本人とユダヤ人が共通祖先で同じ遺伝子を持っているということの他に、日本神話と旧約聖書、お正月と過超祭の類似やヘブライ語と日本語の文字が似ているなど、様々な点で共通点があることが指摘されています。

YAP遺伝子を持つ人の特徴 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fleisurego.jp%2Farchives%2F278768%2F2
耳垢にはウェットとドライの2種類のタイプがあり、人によってそれぞれ違います。実はこの耳垢のタイプ違いには、遺伝子の有無が関係しています。遺伝子を保持していた縄文人の耳垢はウェットタイプだったと言われており、このタイプの人は縄文人と同じ遺伝子保持者の可能性があります。
ウェットタイプの耳垢の人は、髪の毛がくせ毛の人が多いという話を聞いたことがある方もいるのではないでしょうか?耳垢と毛質は関係していると言われるのですが、このくせ毛も遺伝子に由来したもので、遺伝子保持者の人はくせ毛の人が多いようです。

啓示を受けるために選ばれたという思想
多くの宗教では、神はある特定の預言者やメッセンジャーに啓示を下したと信じられている。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
これらの宗教のうちのいくつか、例えばキリスト教やイスラム教のいくつかの宗派では、彼らの説く道こそが救済への唯一の道であると教える。一方、他の宗教、例えばキリスト教やイスラム教の他の宗派やユダヤ教、 ヒンドゥー教、シク教、仏教、ウイッカ、また超越主義(英語版)などでは、その信仰の信者が神へと至る唯一の道を知っているわけではないと考えられている。彼らは他の宗教の信者たちも、それぞれに神へと至る道を持ち得ると考えているのである。
「選民としてのユダヤ人」
ユダヤ教においては、選民であるという考え方は、ユダヤ人が神と特別な契約を結ぶ唯一の人々であり、その契約を守っていくことによって“終末”においてユダヤ人が救われ、非ユダヤ人は淘汰される(要出典)という思想である。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
今、もしあなたがたが、本当に私の声に聞き従い、私の契約を守るなら、あなたがたは全ての国々の民の中にあって、私の宝となる。全世界は私のものだから。あなたは私にとって祭司の王国、聖なる国民となる(出エジプト記 19章5, 6節)。 "主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも多かったからではない。事実、あなたがたは、全ての国の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主はあなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖達に誓われた誓いを守られたから"(申命記 7章7, 8節)

偽書の歴史の正当性を語る人たちの根底にはルサンチマンから来る精神的な選民思想があり、この世での地位が逆転することを願っている。
九鬼文書( くかみもんじょ )
ここでの「鬼」の字は「かみ」と呼ぶのだが、これは綾部九鬼家のみ。
綾部の九鬼隆治の子宗隆は特に上の点がない字の「鬼」に拘ったのだが、原田さんによると中国では二つの字の意味は同じである。
因みに九鬼文書の製作を手伝っていた人はご存命。
幣立神宮については、先代宮司が古史古伝マニアであることは疑いようがない。
更に、ここのブレーンだった内村健一氏が結成した天下一家の会という国債ネズミ講の事件が有名。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkrakuchin.exblog.jp%2F239796513%2F


9951管理人:2019/12/22(日) 02:55:41
Re: 日本人のルーツ
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本さんへのお返事です。

> そして、坂上氏は経歴詐称w
> 「それは違う!」ことを証明するためには、「坂上氏の子孫」を標榜する管理人さんに系統DNA検査してもらわんと♪ コチラの立証責任は果たしました。次はソチラ。
> O-F155なら劉氏フェスにご招待!
>
> 実際、漢族出・中国王朝出を自己申告する渡来人のほとんど怪しい。
> ただ、秦氏は、長宗我部がO-M133-CTS4658らしいので、始皇帝の子孫(O-M133-CTS10738)ではないが、チベット・ビルマ系かな。

とりあえず、私の前に紀氏さんや秦野さんに実験台?としてぜひ検査してもらいたいですね〜!思わぬ系統に属していたりして・・・報告楽しみにお待ちしてます??

9952管理人:2019/12/22(日) 03:14:26
Re: 日本人のルーツ
管理人さんへのお返事です。

> 二郎さんへのお返事です。
>
> > はじめまして、最近日本人のルーツに興味を持って、今年の夏に種々調べて、自分なりに日本人のルーツを動画にして以下にアップしています。
> >
> > 間違いは正していきたいと思いますので、ご意見頂けませんでしょうか?
> >
>
>

ひととおり動画のほう拝見いたしました。

特に日本人のルーツさんと同様に、DNAの検査をなされているのですね!

ルーツさんとは異なるタイプのようですが、この辺のハプロタイプの移動ルートについては、彼からの説明を期待いたましょう!ルーツ先生、よろしくです(^^)

9953これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/22(日) 03:20:00
Re: 日本人のルーツ
管理人さんへのお返事です。


> とりあえず、私の前に紀氏さんや秦野さんに実験台?としてぜひ検査してもらいたいですね〜!思わぬ系統に属していたりして・・・報告楽しみにお待ちしてます??

あはは。秦野はもうやったんじゃない?最近大人しいしw
O1b2でも出たんでしょw

TEXTREAMのtazを思い出すよ。すごいヘイト野郎でD2狂信者だったんだけどさ、ある時「O1b2ってノンビリしてて何か良いよねぇ」とか言い残して消えてったwww


9954これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/22(日) 03:31:27
Re: 日本人のルーツ
管理人さんへのお返事です。

> ルーツさんとは異なるタイプのようですが、この辺のハプロタイプの移動ルートについては、彼からの説明を期待いたましょう!ルーツ先生、よろしくです(^^)
>


あははは。コメントに「縄文文明」とか電波書いてたから分かるがな!
移動ルートは水没したシナ海ランド。中国語で矮黒人。


ズバリ!旧表記D2電波マン!参上!でしょw?? まー結局D2だとそうなるしかないよな〜



ご愁傷さまΩ\ζ°)チーン



9955荊の紀氏:2019/12/30(月) 02:48:52
K…人類の父系を示すY染色体ハプログループ・M (mtDNA)…
ハプログループK (Y染色体)(ハプログループK (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup K (Y-DNA))とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、「rs2033003 (M526)」によって定義されるグループである。N、O、Q、Rなどの祖先に当たる。47,000年前[1]に南アジア-西アジアのいずれかでハプログループIJKから誕生した。
N、O、Q、Rなどの祖先…
N: 極北で見つかり、ヤクート、フィン・ウゴル系民族、サモエードで高頻度。古代のサンプルでは仰韶文化、紅山文化、古代ハンガリー人支配層、匈奴、古ヤクート、そして(O2と混合した形で)夏家店下層文化で観察される。
O: 東ユーラシア最大系統。O2はシナ・チベット系、龍山文化、大渓文化、(Nと混合した形で)夏家店下層文化から、O1aはオーストロネシア系、また良渚文化に低頻度、O1b1はオーストロアジア系。O1b2は日本、朝鮮半島、満州などの北東アジアで比較的高頻度。
NO…Oの祖先
ハプログループNO (Y染色体)(ハプログループNO (Yせんしょくたい)、系統名称ハプログループNOとは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループの分類のうち、ハプログループKのサブクレード(細分岐)の一つで、「M214, P188, P192, P193, P194, P195」の変異で定義される系統である。34.600±4.700 年前(別のソースによると33,000 [30,900 <-> 35,200]年前[4]あるいは41,500 [37,400 <-> 45,600]年前[5])にハプログループK2から誕生した[6]。
ハプログループN、ハプログループOの祖先にあたり、かつこれらを含む。
ハプログループNOのうちハプロググループOにもハプログループN1にも属さないNO-M214(xN1-LLY22g, O-M175)、すなわちNO*またはN*が日本の徳島で5.7%、福岡で3.8%観察されている[7]。また漢民族、プイ族、イ族、マレー人、モンゴル人、ダウール人、エベンキ、朝鮮民族などでもごく低頻度ながら観察される[8]。NO*またはN*のどちらに属すかは今後の研究が待たれる
O
ハプログループO (Y染色体)(ハプログループO (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup O (Y-DNA))とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、ハプログループNOの子型で「M175」以下の系統に位置すると定義されるものである。東アジア及び東南アジアで最も一般的に見られる系統であり、西ユーラシア系のハプログループRと並んで現代人類において最も帰属人口の多いY染色体であると考えられている。

ハプログループNへの分岐…
ハプログループM
主な子系統
ハプログループM (mtDNA)(ハプログループM (ミトコンドリアDNA)、英: Haplogroup M (mtDNA))とは、分子人類学で用いられる、人類のミトコンドリアDNAハプログループ(型集団)の分類のうち、「L3」より分岐したものである。「263, 489, 10400, 14783, 15043」の変異で定義づけられる。ハプログループNとともに、出アフリカを果たし、子孫がユーラシア、オセアニア、アメリカ大陸に広がっていった[1]。アフリカ外で見つかったものはすべてハプログループMに属しているため、ハプログループNへの分岐がアフリカ内で起きたかアフリカ外に起きたのかの議論がある。ハプログループMは西ユーラシアにはほとんど存在しないが、東アジア及び南アジアでは優勢であり、それに対し欧米ではハプログループRが主流グループになっている。
主な子系統[編集]
M1 最初に分岐したため、出アフリカをしなかった系統。アフロ・アジア語族と関連
M7
M7a:日本人に多い
M7b
M7c
M8
CZ
C
Z:一部はウラル語族と関連
M9
E
M12'G
G:一部はアイヌやオホーツク海沿岸の先住民族に多い
M29'Q:オーストラロイドの系統
Q
D:モンゴロイドに広くみられる


9956荊の紀氏:2019/12/30(月) 02:54:04
60,000 - 70,000 年前 に誕生…
ハプログループL3は東アフリカでもっともよく見られるタイプである[7]。エチオピアやアフリカの角、ソマリアのみならず、エジプト、チャド、ベルベル人などでも見られることから、おそらくアフロ・アジア語族の拡散と関連していると考えられる[8]。

ハプログループL3 (mtDNA)(ハプログループL3 (ミトコンドリアDNA)、英: Haplogroup L3 (mtDNA))とは、分子人類学で用いられる、人類のミトコンドリアDNAハプログループ(型集団)の分類のうち、ハプログループL1-6の子型のうち、「769, 1018, 16311[1]」の変異により定義されるものである。東アフリカ[2]において、80,000 - 104,000年前[3]または60,000 - 70,000 年前 [4] に誕生した。出アフリカを果たしたハプログループNとハプログループMの祖先に当たる。
ハプログループL3の起源となった地は確実にはわかっていない。
アフリカ起源説[編集]
L3はアフリカ大陸北東部に多く分布し多様性も大きいこと、L3からアフリカ大陸以外に分布するハプログループMとNが分岐することから、通常L3は東アフリカで出現しそこから拡散した集団の一部が出アフリカを果たしてMとNになったと考えられている。傍証として、ハプログループLの中で系統的にL3と近いL6とL4もどちらも東アフリカに多く分布し、そこで多様性が大きいことが挙げられる[5]。
アジア起源説[編集]
異説としてハプログループL3はアジアに起源を持つというものがある。その根拠として、L3から派生したハプログループMとNの最も古い系統は東南アジアからオセアニアにかけて存在しており、それらハプログループ間の合着年代が東から西へ向かって新しくなっていくことが挙げられている。これはL3が東アフリカ起源でMとNがそこから東向きに拡散したという想定とは合わない。L3、M、Nの分岐年代がいずれも7万年前頃であることから、この3つの集団は東南アジアで相次いで分岐したと考える事も可能である。2018年の研究では、同様にアジア起源が取り沙汰されているY染色体ハプログループDEの分岐年代がやはり7万年前頃であり、mtDNAハプログループL3とY染色体ハプログループEの分布に強い相関があること、それが現在の地理的・言語的な関係とは強く相関しないことから起源の古いイベントを反映していると考えられることを挙げ、L3系統は中央アジアに起源があり7万年前頃にアフリカ大陸へ戻ったという仮説を提示している[6]。


9957これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/30(月) 05:05:34
Re: 渡来人のハプロタイプ3
> 「起源時の多様性を内包したまま」であれば、クルグズのO-M133も1・5・6群いずれもいそうかな。もうじき分かりますが、1か6だと予想してます。
>

[O-A9459のサブグループ予想]
日本・北京の1と現代チベット・ビルマの6がひとつになってO-A9459になっちゃったな。で、これが4つのサブグループに分かれる。
O-A9459
(1) O-F6800(山西・日韓)
(2) O-F14249(遼寧・内モンゴル・日韓朝)
(3) O-F438(北京・日本)
(4) O-CTS1642(チベット・ヒマラヤ・日本)

遼河・モンゴル経由なら(1)(2)(3)で、祁連・天山ルートなら(4)O-CTS1642。現在の分布でクルグズにより近い(4) O-CTS1642(チベット・ヒマラヤ・日本)かな。

9958荊の紀氏:2019/12/31(火) 00:35:14
新疆の同族…クルグズ人…
キルギス人とは?日本人と遺伝子(DNA)が同じで美人が多い? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fethnic-world.net%2Farchives%2F613

土井ヶ浜遺跡出土の弥生人骨は大陸の春秋戦国時代の山東半島あたりの斉国人で、現在の四川省あたりの少数民族のチャン族(当時は羌族)と同族であり、日本人の男性遺伝子Y-DNA Dを持っていた。
日ユ同祖論もこの事実で説明出来る。ただし、ユダヤから日本へ一方的な文化の伝播だけでなく、逆方向の伝播も当然、考えられる。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12322380425.html
「はるか昔にコーカソイドが北京の東まで来ていたという。河北・遼寧・内蒙古あたりに紀元前6000年頃の興隆窪文化、前4500年頃の趙宝文化、前3000年頃の紅山文化と呼ばれる龍と玉の文化があった。そこで碧眼の象嵌をした女性(女神)像が出ている。コーカソイドとモンゴロイドとの混血人により「龍」の文化がうまれたのである(安田氏の本を以前紹介した)。

宋代に西方から移住して開封に定着したユダヤ人は、「猶太」と呼ばれ、中華人民共和国建国後の1952年の国慶節には2名の代表を北京に派遣したが、民族識別工作が進展する中で、「少数民族」としての認定をうけることができなかった。それでも「戸籍簿の民族欄」には「猶太」と記すことが許されていたが、1996年に至り、民族籍として「漢族」または「回族」のいずれかを選択するよう求められた[1]。詳細は開封のユダヤ人を参照。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
世界の他の地域の離散ユダヤ人(ディアスポラ)から隔絶されていたにもかかわらず、開封のユダヤ人コミュニティーは何世紀にもわたり独自の伝統、習慣を保持していた。しかし17世紀に入ると、ユダヤ人と漢民族、回族、満州族などとの雑婚率が増加し、このような独自の伝統は周辺に同化して失われていった。
ワイスによれば、バビロン捕囚の後紀元前6世紀に、異民族との婚姻を理由に預言者エズラにより追放され、インドの北西部(石碑では「天竺」と記述されている)に移住した支族レヴィ族[要曖昧さ回避]と司祭の一族が、開封のユダヤ人の起源であるという。彼らはそこに何世紀もの間定住していた。 これらのユダヤ人はインド北西部から寧夏(現在の甘粛省)へ移り定住しているところを、紀元前108年より前、西域を平定し漢帝国の版図を広げるためこの地に派遣された前漢の将軍李広により発見された。この時から唐代後期まで、ユダヤ人は徐々に中国国内に広がって行き、土着の漢民族との雑婚や、混血児も増えていった。しかし、唐の皇帝 武宗による「会昌の廃仏」(845年-846年)により、仏教を初めゾロアスター教、マニ教、景教、イスラム教、ユダヤ教などの外来の信仰が弾圧され、これらの寺院も破壊され、中国固有の信仰である儒教や道教の寺院に作り変えられた。
ユダヤ人が中国に再び帰ってきたのは、知識欲旺盛な北宋の太宗がアジア各地から優秀な人材、学者を登用するようになった頃である。上述の石碑には、当時の皇帝がユダヤ人達に語った言葉として、「歸」(「帰」の繁体字)という言葉が出てくるが、従来はこの語は誤って「来る」と訳されていたため、西洋の中国研究者はユダヤ人が中国にやって来たのは宋代になってからだと考えていた。しかし、前述のワイスはこの語を正しく「帰る」と訳しており[19] 、ユダヤ人が以前に中国に居住していたこと皇帝が知っており、彼らの帰還を歓迎していたことを示しているという。それから皇帝は、ユダヤ人が宋王朝の庇護の下に居住し、先祖伝来の信仰を保持することを許した[5]。
開封のユダヤ人自身が遺した文献はほとんどない。しかし、オハイオ州シンシナティのヘブライ・ユニオン・カレッジには重要な文書のコレクションが保管されている。このコレクションには、漢字で書かれたシッドゥール(ユダヤ人の祈祷書)やヘブライ語の聖書の写本などが含まれている。この聖書の写本はヘブライ語の母音記号(ニクダー)の表記に誤りがある点で興味深いものである。明らかに母音記号のしくみを理解していない者に書写されたと見え、子音を表すヘブライ文字はいくつか誤記がある以外は正確であるが、母音記号が記されている場所がでたらめで、音読してもまったく意味のないものになってしまうのである。ヘブライ語は本来子音のみで表記されることが多いため、学識のあるユダヤ人は母音記号を、(記号なしでも音読する事が出来るため)あまり重視していなかったのであろう。


9959荊の紀氏:2019/12/31(火) 01:24:48
世界一美人が多い国…
アルメニア人(アルメニアじん)は、アルメニアの主要民族。インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
アルメニア人が多いフランスではアルメニア人といえば商人よりも兵士、傭兵の民というイメージが強い。 そういった気質を反映してか、ビック・ダルチニアンやジョルジオ・ペトロシアンなど格闘技の世界で活躍するアルメニア人も多い。
現在、シリアやイスラエル[5]及びイラン[6]には、比較的大規模なアルメニア人社会が存在する。ヨーロッパではフランスに40万から50万人といわれるアルメニア人が住み、政界・銀行・芸能など多方面に進出して、フランス社会に大きな影響力を持っている。アメリカにも80万人近いアルメニア系の住民がいる。

国民多数が黒い服を着ている。何故黒い服着てるのかと質問すると「皆が黒い服を着ているから」と言う
血液型5割以上がA型。国民の半分がA型は世界一。
RH−が多い。
古代コーカサスには「アルバニア王国」っていう国があったので間違ってはいないが、今のバルカンのアルバニア人とは直接は関係ないらしい。
アルメニアの噂 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwiki.chakuriki.net%2Findex.php%2F
実はアルメニア人はユダヤ人をも凌ぐ商売上手な民族。ロッキード事件の時のロッキード副社長もアルメニア系アメリカ人。
本国のアルメニア人を見ると、とても商売上手とは思えないのだが…
国家を挙げてロビー活動に精を出しているところも、ユダヤ人と似てる。
藤田田の著書『ユダヤの商法』によれば、「ユダヤ人が三人いても、一人のアルメニア人に敵わない」という諺も存在する模様。

外見的には、東アジア人よりもヨーロッパ人に近いインド人ですが、ミトコンドリアDNAは、インド人の60%がアジア特有のハプログループMの系統に属します。
ミトコンドリアDNAのハプログループでたどる日本人のルーツ /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ffirst-genetic-testing.com%2Fgene%2Fhaplo.html

ダイアナ妃の祖先
王子の母親である故ダイアナ妃の19世紀の祖先に、従来アルメニア人と考えられてきた女性がいる
イギリスのウィリアム王子の祖先にインド人がいた事が分かった

日本人とフェニキア人 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fenkieden.exblog.jp%2F23742661%2F
日本人のmtDNA(ミトコンドリアDNA)の約67%はアジア系と言われる「M」系列、約33%は西欧系と言われるmtDNA「N」系列です。ミトコンドリアDNAは母親から引き継ぎます。
 人類の出アフリカにより、アジア系と言われるmtDNA「M」(母親由来)は、縄文系のY-DNA(父親由来)の「D」と「C」と共に、紅海、アラビア海からインド洋沿岸部を航海して日本列島にやってきた。
 mtDNA「M」系列の中で最も古い「M」が日本列島で見つかっているので、出アフリカ後のmtDNA「L3」が中東でネアンデルタール人と交配して分化した「M」と「N」の最も古い亜型がそのまま日本列島に移動してきたことになる。2015年1月13日投稿の「ネアンデルタール人との混血」をご参照ください。
  人類の出アフリカは10万年前から6万年前ぐらいですが、フェニキアがローマとの3回にわたるポエニ戦争に敗れ、紀元前146年に壊滅したので、戦争に敗れて列島に来た人がいるのなら紀元前2世紀頃になるでしょう。それともフェニキアが活躍していた紀元前4世紀頃に列島まで航海して来たのか・・・
 2016年2月7日投稿の「貝紫色(フェニキアの紫)」をご参照ください。
 紀元前4世紀から紀元前3世紀頃にフェニキア人とユダヤ人が航海により、日本列島まで来た可能性はあります。2015年4月27日投稿の「ユダヤ人のY遺伝子」をご参照ください。


9960これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/03(火) 20:22:59
Re: 新疆の同族…クルグズ人…>>>まあ、O-M133とO-F444で見れば、「日本人とカザフ・クルグズ人は同族」。あとは、O-M133やO-F444としてどれほど近い関係にあるか?が問題となる。(ただいま調査中♪)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010496M.png

荊の紀氏さんへのお返事です。

図:O-M133各集団の移動経路。青がO-A9459(北京・日本O-F438と現代チベット・ビルマO-CTS1642など)。

「見込みのない同族探し」は大変だな...w
安心しろ、D2の同族など、初めから内陸にはおらん。
DはおろかO1bもおらん。どういうわけかO1*, O1aは結構いるんだなー。

もちろん、クルグズ(キルギス)人にもy-Dなんて、いないwww

クルグズといえば、現代ではR1a。
鹿石キリグスール(キリグスールは「クルグズの墓」の意)の時はQ1a2、
テュルクとしてはN、
その後にO-M134(O-M133とO-F444)やらC2やらが参加。
(現代クルグズのR1aの高比率は、セミレチエで在来のイラン系やカルルクを同化した結果と始祖効果+ボトルネック効果)

O-M133もクルグズとカザフの東部にいて、注目している。
新疆のナイマンはO-M133の兄弟O-F444が5割、カザフスタンのナイマンでは7割にも上るので、「同族」だな。

まあ、O-M133とO-F444で見れば、「日本人とカザフ・クルグズ人は同族」。
あとは、O-M133やO-F444としてどれほど近い関係にあるか?が問題となる。
(ただいま調査中♪)

しかし、このO-M133(O-M1706)の新しい分類で予測がかなりラクになった。
日本で見られるのは、(1)(4)(5)。
(1) O-M1706*(日本人にあり)
(2) O-YP4864(林姓ハプロ)ー図のピンク
(3) O-CTS7634(陳姓ハプロ)ー黄色
(4) O-M1726(周族ハプロ)ー水色
(5) O-A9459ー青色

北方の分布からしてO-M133の第5グループO-A9459だ。南方に分布の中心があるラムちゃんやチェンさんは残念だが考えにくいw

さらに、O-A9459は4グループに分かれる。分布は(1)(2)(3)が北東寄りで(4)が西南寄り。
O-A9459
(1) O-F6800(山西・日韓)
(2) O-F14249(遼寧・内モンゴル・日韓朝)
(3) O-F438(北京・湖南〔長沙王・劉発由来〕・日本)
(4) O-CTS1642(チベット・ヒマラヤ・日本)

遼河・モンゴル経由で中央アジアに向かったのなら(1)〜(3)で、祁連・天山ルートなら(4)O-CTS1642だろう。


------------
(追記)
全ゲノム解析ではカザフ・クルグズとも北東アジア7〜8割なので我々日本人と同族だよン♪ myDNAだと、カザフにmt-Dがやや少なくmt-Gが多めという特徴はある。



9961これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/04(水) 00:23:45
日本と日本語のルーツが、O-A9459によって、チベット・ヒマラヤ方面の集団と邂逅した瞬間です!♪この頃その場所で、我々は「日本=チベット・ビルマ祖語」を行う単一の集団であった。嗚呼、ムネアツだなァ...
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010497M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010497_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010497_3M.png

丁寧に見ていくことが苦手な皆んな、ついて来れてる?w

1. 今までO-M133のサブグループは7つか8つあったでしょ。8つ目はとても小さいサブグループだった。

(1) それぞれの分布の傾向はこうだった:

O-M133(O-1706)のサブグループ
1=北京・日本
2=?
3=林姓
4=陳姓
5=周族
6=現代チベット・ビルマ
7=?
8=?
(2、7、8は分布の傾向が不明。日本にいるのは1、5、6)

(2) O-A9459として上の1と6が纏められたってワケ。2、7、8のいくつかも入っただろう。
で、O-M133のサブグループはこうなった:

O-M133のサブグループ
1=O-M1706*(日本人にあり)
2=O-YP4864(林姓)
3=O-CTS7634(陳姓)
4=O-M1726(周族)
5=O-A9459(北東アジア人の祖・古西戎人とチベット・ヒマラヤ集団)

(3) 5=O-A9459(北東アジア人とチベット・ヒマラヤ地域集団)の内訳はこう:

O-A9459のサブグループ
? O-F6800(山西・日韓)
? O-F14249(遼寧・内モンゴル・日韓朝)
? O-F438(北京・日本)
? O-CTS1642(チベット・ヒマラヤ・日本)
O-CTS1642うち、チベット高原に多いのがO-CTS5308、それ以外のチベット・ビルマ系はO-F14408が多い。

わかる?
北京・日本のO-F438とチベット・ヒマラヤのO-CTS1642がひとつになったことも重要♪
O-A9459には旧2、7、8も含まれるだろうから、
日本のO-M133のうちほとんどがO-A9459に属することになる♪

2. しかし、それだけでは済まされない。O-A9459の起源時期・TMRCAも重要となる。

紀元前4500年前。これが重要な意味を持ってる。なぜか?

語族形成期に重なるから。
印欧祖語が行われた時期は4000BC-3000BC、広く見て4500BC-2500BC。

チベット・ビルマ祖語については、紀元前4000年(Matisof)とか紀元前5000年(Sagart)と言われてる。
そこで、O-A9459がドンピシャってワケ。

O-M133のTMRCAは紀元前5000年頃だから、「日本=チベット・ビルマ祖語」としてはその頃かもしれない。まあ、「O-M133後半からO-A9459」と考えれば良い。甘粛・青海の大地湾文化〜馬家窯文化の頃だ。この頃その場所で、我々は「日本=チベット・ビルマ祖語」を行う単一の集団であった。嗚呼、ムネアツだなァ...

いずれにしても、O-M133の5つのサブグループのうち、少なくとも5=O-A9459内のサブグループは、
同語族であったことは確実となった♪
日本のO-A9459の片輪であるO-M16242はチベット人のサブグループ。

3.それに、O-A9459の分布。
O-A9459のサブグループのうち(1)〜(3)は東アジア北東に分布。(4)は西南の分布。

考古学的知見と古人骨DNAで示された「甘粛・青海から北東への集団の動き」が分かるでしょ?

考古学的証拠と古人骨DNA(磨溝遺跡、三関遺跡、夏家店遺跡)を辿って行けば、甘粛・青海の西戎の故地から長城沿いに、遼西・内モンゴル南東部まで、しっかりとした帯ができる。

その集団とは、古西戎人、日本人と日本語のルーツ♪

日本と日本語のルーツが、O-A9459によって、チベット・ヒマラヤ方面の集団と邂逅した瞬間です!♪

4. 日本のO-M133は、古人骨でも現代人でも、チベット・ヒマラヤと重なるのだから、当然と言えば当然。今回、O-M133のサブグループO-A9459において日本とチベット・ヒマラヤが更にしっかりと結び付いたワケ。

我々日本人は、O-A9459のうち、O-F438とO-O-CTS5308とから成る古西戎人の言語を北東アジアで唯一残す集団である。

【まとめです】
羌族諸集団(広義の古西戎人)とハプログループとの対応:
(1) 北羌O-A9459=狭義の古西戎人(O-JST002611のシナ語化した集団は不合格)
? 日本人O-A9459
? 西羌人O-A9459(O-CTS1642)=故地に残った古西戎人(現代羌族、チベット人など)

(2) 東羌O-M1726=華夏族(夏・〔 殷?〕・周、〔姜姓羌人?〕、〔秦人?〕)

(3) 南羌O-CTS1642(O-F14408)
(南羌という言い回しは見当たらないが、秦の圧力により東南アジアに南下した青衣羌や北東インドのチベット・ビルマがこれに当たるだろう)

(4) 最広義の古西戎人=ジャッキーO-CTS7634(陳姓)、ラムちゃんO-YP4864(林姓)。




今後は言語per seについてさらに検討を重ねて行く必要がある。




9962これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/04(水) 05:11:48
O-A9459古西戎人研究会
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010499M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010499_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010499_3M.png

これからは、この掲示板を「O-A9459古西戎人研究会」と革める!
まずは、前投稿の図に矢印を入れて分かりやすくして置きました。はあと

青の線が古西戎人、赤が東羌人、水色が古匈奴。
西からの集団のダイナミックな動きが良く分かることでしょう。

日本人は北方が好きな人、南方が好きな人、ずーっと向こうの西方が好きな人、すべて極端過ぎ。
正解は中国の西方、つまり甘粛・青海。



9963これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本:2019/12/04(水) 09:21:40
Re: 日本と日本語のルーツが、O-A9459によって、チベット・ヒマラヤ方面の集団と邂逅した瞬間です!♪この頃その場所で、我々は「日本=チベット・ビルマ祖語」を行う単一の集団であった。嗚呼、ムネアツだなァ...
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010504M.png

> O-M133のサブグループ
> 1=O-M1706*(日本人にあり)
> 2=O-YP4864(林姓)
> 3=O-CTS7634(陳姓)
> 4=O-M1726(周族)
> 5=O-A9459(北東アジア人の祖・古西戎人とチベット・ヒマラヤ集団)
>
> (3) 5=O-A9459(北東アジア人とチベット・ヒマラヤ地域集団)の内訳はこう:
>
> O-A9459のサブグループ
> ? O-F6800(山西・日韓)
> ? O-F14249(遼寧・内モンゴル・日韓朝)
> ? O-F438(北京・日本)
> ? O-CTS1642(チベット・ヒマラヤ・日本)
> O-CTS1642うち、チベット高原に多いのがO-CTS5308、それ以外のチベット・ビルマ系はO-F14408が多い。
>


図:O-A9459の移動経路
赤= O-CTS1642(チベット・ヒマラヤ・日本)
青=O-F6800(山西・日韓)、O-F14249(遼寧・内モンゴル・日韓朝)、O-F438(北京・日本)


日本へのO-M133(O-M1706)の移動経路では以下の「*」が重要となる。
O-A9459の4サブグループは同じように長城ルートに沿って来たことが推測できる:

O-M133
・O-M133-M1706* Japan (Tokyo)[1] 日本(起源当初の多様性を日本にまで持って来た)
・O-M1726-CTS9678* Tianjin[1] 天津(これはO-M133第4グループの流れ。日本のO-M133のうち18%を占める)

ここからが「狭義の古西戎人」O-M133の第5グループO-A9459
(日本のO-M133の8割強を占める。1と2の比率は同等)
1. O-A9459の第3グループ「北京・日本」
・O-A9459-F6800*Shanxi[1] 山西
・O-A9459-Y8389* Japan (Tokyo)[1] 日本
・O-A9459-F14249* Liaoning[1] 遼寧
・O-F14249-F14347* Beijing (Han)[1] 北京
・O-F438 Japan (Tokyo)[1], O-F438* Hunan (Han)[1] 日本、湖南(湖南へは劉邦の子孫・長沙王劉発の流れ)
・O-F438-Y17728* Beijing (Han)[1], Shandong[1] 北京、山東
・O-F438-Y17728-F1754* Beijing (Han)[1]北京
ーーー黄河湾曲部北東からの動きが分かる。山西・北京・天津・遼寧と極めて北方寄りであることが分かる。

2. O-A9459の第5グループの第1グループ「チベット高原集団」
・O-CTS1642* Bangladesh[1](余り知られていないが、バングラデシュ北部にも北東インドのチベット・ビルマ系少数民族がいる。西ベンガルの最北部はチベット仏教地域)
・O-CTS5308* Beijing (Han)[1](起源当初の多様性を北京にまで持って来た)
・O-CTS5308-F20067* Shannan (Tibetan)[1]
・O-Y34065* Northeast India (Riang)[1][28]
・O-MF1012* Nyingchi (Tibetan)[1]
・O-MF1012-CTS5672 Japanese[1]
ーーー北京にO-CTS5308*がいるので、1のO-F438と同じように長城ルートに沿って来たことが推測できる。




9964山田:2019/12/04(水) 11:35:32
Re: 日本人のルーツ
二郎さんへのお返事です。

わたしも貴殿の動画すべて拝見。
シンプルな関心でほどよい長さなのでよかったです。
自分のDNA検査を実施したところは特に興味あり。母方と父方のルートの相違がシンプル鮮明でよかったですね。
・・

> はじめまして、最近日本人のルーツに興味を持って、今年の夏に種々調べて、自分なりに日本人のルーツを動画にして以下にアップしています。
>
> 間違いは正していきたいと思いますので、ご意見頂けませんでしょうか?
>
> 日本人のルーツを調べるようになった動機
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DYpiYz6N0uCw
>
> 日本人のルーツ:ホモサピエンスが日本列島へ来た経緯
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DnhjrKsU58pI
>
> 日本人のルーツ:縄文文明
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DbkFYf0i9H_k
>
> 日本人のルーツ:神話の時代
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DXE8_hCNDhXE
>

9965管理人:2019/12/05(木) 01:51:36
秦語の起源
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010514M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/亀茲#言語・文字



9966荊の紀氏:2019/12/05(木) 01:55:59
Re: O-A9459古西戎人研究会
?? 管理人さんにお尋ねいたします。

上の図・・・45度・・・□

中の図・・・18度…五芒星

下の図・・・30度・・・六芒星

・・・偶然でしょうか?


> これからは、この掲示板を「O-A9459古西戎人研究会」と革める!
> まずは、前投稿の図に矢印を入れて分かりやすくして置きました。はあと
>
> 青の線が古西戎人、赤が東羌人、水色が古匈奴。
> 西からの集団のダイナミックな動きが良く分かることでしょう。
>
> 日本人は北方が好きな人、南方が好きな人、ずーっと向こうの西方が好きな人、すべて極端過ぎ。
> 正解は中国の西方、つまり甘粛・青海。

9967荊の紀氏:2019/12/05(木) 02:49:27
>「白(帛)」姓の西域出身の僧…せまる(迫る)誘導する…
「白(帛)」姓の西域出身の僧」…帛…数学用語の冪…天界の鶏 「白鳥座」と「スバル」 …??:2019年12月 5日(木)02時46分27秒 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%3F
>中国へ南北朝時代から唐代までの間に渡来した「白(帛)」姓の西域出身の僧の多くは、クチャの出身とされる。


9968秦野北斗:2019/12/05(木) 11:03:41
Re: 日本人のルーツ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010517M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=sZQp5gfQvLs



9969管理人:2019/12/05(木) 22:49:54
Re: O-A9459古西戎人研究会
荊の紀氏さんへのお返事です。

>????管理人さんにお尋ねいたします。
>
> 上の図・・・45度・・・□
>
> 中の図・・・18度…五芒星
>
> 下の図・・・30度・・・六芒星
>
> ・・・偶然でしょうか?
>
>
>
どの図ですか??

基本的に、古代において、五芒星、六芒星の方位ラインの存在は信じてないです。あるとすれば、四角か三角だけかと・・。

9970管理人:2019/12/06(金) 01:07:12
秦氏、月氏のハプロタイプ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010519M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010519_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010519_3M.png

昨晩お知らせした秦氏の祖先と考える秦韓の秦人と月氏のハプロタイプについてですが、わかりにくかったと思うので、下記のように要約して整理してみました。よろしくご参照ください。

慶州付近にだけみられる積石木槨墳は、楽浪郡の木槨と高句麗の墳丘が一体となった墓制とされ、慶州付近から出土される瓦質土器も楽浪灰陶の影響が指摘され、慶州に早期に製鉄技術が導入されたことが遺跡から確認されるなど楽浪郡の影響とされる遺跡・遺物は、真番郡の設置による漢人の入植と関連付けられる側面がある。

この積石木槨墳が、スキタイ民族のクルガン墓起源だと言われる。楽浪郡の時代に漢人の習俗と混合して、弥生末期からの前方後円墳の起源となる。

クルガン墓はサカ・月氏の墓制ともいわれ、前漢時代の前後で東遷する。

秦人の話した秦語は中国西域の言語とみられ、タリム盆地周辺域の月氏と関わるならばトカラ語Bでアファナシェヴォ文化を担った集団と関連づけられY−R1b-M269( R1b1a1a2 )と比定されている。

R1b-M269のうち、特に中国人が見えるのが、元は中東あたりに起源があるR-Z2103(R1b1a1a2a2) の子系統のY4364(formed 5400 ybp, TMRCA 4500 ybp)の系統(図1)で、その下層のR-BY3294(formed 4500 ybp, TMRCA 2800 ybp )に北京が,また R-Y84551Y(formed 4500 ybp, TMRCA 3000 ybp)に河南省やウズベキスタン、アルメニアがみえる。

これらは紀元前1000年~800年ごろ分岐しスキタイ人が現れる年代に重なる。

また R-PH155 (R1b1b) 系統のM335 (R1b1b1) 、PH200 (R1b1b2)にはトルコ、バーレーン、インドのカシミール、雲南、甘粛、タジキスタンなどにもみえ、スキタイ系のサカ・月氏がチベット方面からインド北部や雲南方面へと南下した流れへ対応。(図2)

その下層のR1b1b1b2に、ポルトガル方面のセファラディ系ユダヤ人が28.1%みえ、ユダ・シメオン族の系統。(図3参照)

逆に言えばその親系統のR-M335 (R1b1b1) に失われたイスラエルの10支族の子孫が属することになるはず。実際1.8%ほど、上記セファラディ系ユダヤ人にもR-M335 (R1b1b1) に属するものがみえる。

そのM335は現在のトルコ周辺のアナトリア語派と関連づけられており、ヒッタイト語などがある。



9971荊の紀氏:2019/12/06(金) 08:56:45
Re: O-A9459古西戎人研究会
管理人さんへのお返事です。

参考?
謎のギョベクリテペ (世界最古の神) Goheklitepe in Mystery The Oldest God in Historyhttps://www.youtube.com/watch?v=TweJf1ni6Yk
北緯37度13分23秒 東経38度55分21秒
先土器新石器A(英語版)から先土器新石器B(英語版)

[3426] 北緯37度線  ギョベクリ・テペの遺丘に残された構造物  丁字型の石柱 逆さまに生まれ出る胎児・・・? https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/3426
北緯37度線 - /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%258C%2597%25E7%25B7%25AF37%25E5%25BA%25A6%25E7%25B7%259A
北緯37度線(ほくい37どせん)は、地球の赤道面より北に地理緯度にして37度の角度を成す緯線。ヨーロッパ、地中海、アフリカ、アジア、太平洋、北アメリカ、大西洋を通過する。この緯度の下では、夏至点時の可照時間は14時間42分で、冬至点時は9時間37分である。[

北のハランを通る北緯37度12分の緯度線は、能登半島から福島県 を ...
大八島国の領域とイスラエルの関係 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.historyjp.com%2Farticle.asp%3Fkiji%3D214
60度分の360柱
 数札36枚をデカンに配するというのは、どちらかといえばグノーシス派アブラクサス魔術の伝統である。この伝統では、世界を司る主神アブラクサスの配下に全天360度分の360柱の魔霊を設定するのであるが、GDではここにカバラの「シェムハメフォラシュ」(72神名)を投入しているのだ。さらに名前からテレズマ像を算出するあたり、実に巧妙である。

鶴亀合体 5+6=13 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1753
亢」 =「亠」+「几」:=隠れる+指揮する女=>隠れた指揮者=>影の指揮者=>反抗 するもの=>さからう 同じ逆らう ... 杭」に渡る意味があることから、川を渡る最初の工夫 は、太い杭(くい)を飛び飛びに川底に差し立てて、その上を渡ったと推測できます。杭の 上に ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fshoukei.blog65.fc2.com%2Fblog-entry-54.html



> 荊の紀氏さんへのお返事です。
>
> >????管理人さんにお尋ねいたします。
> >
> > 上の図・・・45度・・・□
> >
> > 中の図・・・18度…五芒星
> >
> > 下の図・・・30度・・・六芒星
> >
> > ・・・偶然でしょうか?
> >
> >
> >
> どの図ですか??
>
> 基本的に、古代において、五芒星、六芒星の方位ラインの存在は信じてないです。あるとすれば、四角か三角だけかと・・。

9972秦野北斗:2019/12/06(金) 10:03:53
Re: 日本と日本語のルーツが、O-A9459によって、チベット・ヒマラヤ方面の集団と邂逅した瞬間です!♪この頃その場所で、我々は「日本=チベット・ビルマ祖語」を行う単一の集団であった。嗚呼、ムネアツだなァ...
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010521M.jpg

これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本さんへのお返事です。

俄(にわか)漫画学者 行き詰まる。

劉邦の子孫? 中国大陸にはいないけど・・・大丈夫ですか・・・


> > O-M133のサブグループ
> > 1=O-M1706*(日本人にあり)
> > 2=O-YP4864(林姓)
> > 3=O-CTS7634(陳姓)
> > 4=O-M1726(周族)
> > 5=O-A9459(北東アジア人の祖・古西戎人とチベット・ヒマラヤ集団)
> >
> > (3) 5=O-A9459(北東アジア人とチベット・ヒマラヤ地域集団)の内訳はこう:
> >
> > O-A9459のサブグループ
> > ? O-F6800(山西・日韓)
> > ? O-F14249(遼寧・内モンゴル・日韓朝)
> > ? O-F438(北京・日本)
> > ? O-CTS1642(チベット・ヒマラヤ・日本)
> > O-CTS1642うち、チベット高原に多いのがO-CTS5308、それ以外のチベット・ビルマ系はO-F14408が多い。
> >
>
>
> 図:O-A9459の移動経路
> 赤= O-CTS1642(チベット・ヒマラヤ・日本)
> 青=O-F6800(山西・日韓)、O-F14249(遼寧・内モンゴル・日韓朝)、O-F438(北京・日本)
>
>
> 日本へのO-M133(O-M1706)の移動経路では以下の「*」が重要となる。
> O-A9459の4サブグループは同じように長城ルートに沿って来たことが推測できる:
>
> O-M133
> ・O-M133-M1706* Japan (Tokyo)[1] 日本(起源当初の多様性を日本にまで持って来た)
> ・O-M1726-CTS9678* Tianjin[1] 天津(これはO-M133第4グループの流れ。日本のO-M133のうち18%を占める)
>
> ここからが「狭義の古西戎人」O-M133の第5グループO-A9459
> (日本のO-M133の8割強を占める。1と2の比率は同等)
> 1. O-A9459の第3グループ「北京・日本」
> ・O-A9459-F6800*Shanxi[1] 山西
> ・O-A9459-Y8389* Japan (Tokyo)[1] 日本
> ・O-A9459-F14249* Liaoning[1] 遼寧
> ・O-F14249-F14347* Beijing (Han)[1] 北京
> ・O-F438 Japan (Tokyo)[1], O-F438* Hunan (Han)[1] 日本、湖南(湖南へは劉邦の子孫・長沙王劉発の流れ)
> ・O-F438-Y17728* Beijing (Han)[1], Shandong[1] 北京、山東
> ・O-F438-Y17728-F1754* Beijing (Han)[1]北京
> ーーー黄河湾曲部北東からの動きが分かる。山西・北京・天津・遼寧と極めて北方寄りであることが分かる。
>
> 2. O-A9459の第5グループの第1グループ「チベット高原集団」
> ・O-CTS1642* Bangladesh[1](余り知られていないが、バングラデシュ北部にも北東インドのチベット・ビルマ系少数民族がいる。西ベンガルの最北部はチベット仏教地域)
> ・O-CTS5308* Beijing (Han)[1](起源当初の多様性を北京にまで持って来た)
> ・O-CTS5308-F20067* Shannan (Tibetan)[1]
> ・O-Y34065* Northeast India (Riang)[1][28]
> ・O-MF1012* Nyingchi (Tibetan)[1]
> ・O-MF1012-CTS5672 Japanese[1]
> ーーー北京にO-CTS5308*がいるので、1のO-F438と同じように長城ルートに沿って来たことが推測できる。
>



9973秦野北斗:2019/12/06(金) 11:07:17
古事記に亀甲船
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010522M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010522_2M.jpg

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_08.html



9974荊の紀氏:2019/12/06(金) 12:13:06
進化論に基づく「何万年前」「何十万年」といった大きな年数は、事実上、今日では根拠を失ってしまっている
進化論に基づく「何万年前」「何十万年」といった大きな年数は、事実上、今日では根拠を失ってしまっているのです。
5万年〜6万年前…D系統とE系統の分離
?投稿日:2019年12月 6日(金)12時09分37秒 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%3F


9975荊の紀氏:2019/12/06(金) 19:47:06
Re: 日本人のルーツ
秦野北斗さんへのお返事です。

徐福もユダヤ人か
 秦始皇帝がユダヤ人、もしくは失われたイスラエル10支族の血を引いていたとすると、気になるのは徐福(じょふく)である。前章で見たように、秦始皇帝と徐福は同族であった。徐福の祖先、徐氏(じょし)の始祖は秦始皇帝の祖先と同じく羸氏(えいし))であった。
 羸(えい)という姓は舜帝(しゅんてい)から伯翳(はくえい)が賜ったものとされるが、これは漢民族が中原(ちゅうげん)の覇権を握った後に体系化された中国神話によるものである。漢民族は自らの血統の正統性を主張するために自らの始祖を象徴的に黄帝(こうてい)という名で呼び、神話のなかで最高位の存在に仕立てあげた。その際、非漢民族は直系ではなく、あくまでも傍系という形で出自を黄帝に結びつけたのだ。したがって、秦始皇帝及び秦王家のルーツが黄帝であり、漢民族と同視であると考える必要はない。
 第6章で見たように、歴史的に羸氏(えいし))という姓は紀元前10世紀末、周(しゅう)の孝王(こうおう)から非子(ひし)が与えられたものであるとされる。非子が遊牧民の性格をもち、広い意味で羌族(きょうぞく)であったことは先に見た通りである。
 当時はまだ失われたイスラエル10支族は存在しなかった。彼らが東アジアに来て羌族と同化するのは、おそらく紀元前5世紀ごろであろう。羌族とイスラエル人の同化の過程にはまだ不明な点が多い。イスラエルの調査機関、アミシャープの報告では、羌族が失われたイスラエル10支族の文化を保持している。最新の遺伝子の調査でも、日本人を含めてイスラエル人と非常に近い染色体を持っていることがわかっている。
秦始皇帝とユダヤ5〜徐福もユダヤ人?〜www.rui.jp/ruinet.html?i=200&;c=400&;m=289816
徐福は方士であった。方士は原始的な道教の呪術師のこと。道教の思想が極めてユダヤ教に近いことはかねてから学者に指摘されてきた。表向き、道教は多神教ではあるものの最高位の神を天とし、その意思にかなった者が天子であり、中国全土を統治するにふさわしい徳を備えた皇帝であると位置づける。天と人の絶対的な主従関係は、まさにユダヤ教の絶対神ヤハウェとイスラエル人の関係そのものなのだ

秦の方士 徐福伝説と物部氏の正体(前編)on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/column/post_191.html
秦の始皇帝は、ペルシャ経由のユダヤ人の可能性がある・・・
史記では、徐福は斉国の琅邪(ろうや)の出身であると書かれています。
この琅邪が何処かと言えば、、、越の国との国境あたりに海沿いの街です。
、越人=海人族
飛鳥昭雄 失われた徐福のユダヤ人「物部氏」の謎 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fgp%2Fproduct%2F4054049176%2Fref%3Das_li_qf_sp_asin_tl%3Fie%3DUTF8%26camp%3D247%26creative%3D1211%26creativeASIN%3D4054049176%26linkCode%3Das2%26tag%3Dfweb777-22
神道を奉じる古代豪族「物部氏」の正体は、なんと、徐福が率いてきたユダヤ人だった!裏天皇の漢波羅秘密組織「八咫烏」がもたらす衝撃の事実!はたして紀元前3世紀の東アジアに何があったのか!?兵馬俑から発見されたペルシア人の人骨が意味するものとは!?最初に中国全土を統一した秦始皇帝の秘密と巧妙に仕掛けられたトリックの向こうに見えてきたのは、秦氏の仮面をかぶったもうひとつのユダヤ人だった。



> 二郎さんへのお返事です。
>
> 貴殿の日本人のルーツは現在の説を総集した模様に感じます。
> 現実は、世界でも辺鄙な島国、誰が日本列島にきずくでしょうか。
> 縄文文明、神話の時代、日ユ同祖論・・・何を根拠にするかですか。
>
> 悲観せず、難問に挑戦して下さい。古代史は、史記の徐福伝説から入るのが好いと思います。
>
> 参考ですがyoutubeを観てください。
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DsZQp5gfQvLs
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3D9cz3HLwy11s
>
>
> > はじめまして、最近日本人のルーツに興味を持って、今年の夏に種々調べて、自分なりに日本人のルーツを動画にして以下にアップしています。
>??>
> > 間違いは正していきたいと思いますので、ご意見頂けませんでしょうか?
> >
>??> 日本人のルーツを調べるようになった動機
> > /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DYpiYz6N0uCw
>??>
>??> 日本人のルーツ:ホモサピエンスが日本列島へ来た経緯
>??> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DnhjrKsU58pI
> >
>??> 日本人のルーツ:縄文文明
> > /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DbkFYf0i9H_k
>??>
>??> 日本人のルーツ:神話の時代
>??> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DXE8_hCNDhXE
> >
>
>
>
>

9976荊の紀氏:2019/12/06(金) 20:06:23
Re: 日本人のルーツ
秦野北斗さんへのお返事です。

越人=海人族
うみ(瀛)。大海。「瀛海エイカイ」(大海)「瀛洲エイシュウ」(中国の東海にあるという神山)
「?ラ」 <神獣>  と 「嬴エイ」 「贏エイ」 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Fff8cc656446867edfad684bc243ba8f1
「嬴政エイセイ」(秦の始皇帝の本名。姓が嬴で実名(諱いみな)が政。 (2)[盈エイ(みちる)に通じて]みちる。のびる。「嬴縮エイシュク」(のびちぢみ)「嬴土エイド」(肥沃の地)
羸 ルイ・つかれる  羊部
解字 「羊(ひつじ)+?(ラ⇒ルイ)」の形声。ルイは累ルイ(しばる。つなぐ。=縲ルイ。)に通じ、しばられた羊の意。しばられた羊は、やせる・つかれる・よわる。転じて、よわい意。人に移して用いる。
意味 (1)つかれる(羸れる)。よわる。よわい。「羸弱ルイジャク」(つかれ弱る。弱い)「羸師ルイシ」(つかれ弱った軍隊) (2)やせる。「羸痩ルイソウ」(つかれやせおとろえる)「羸瘠ルイセキ」(やせおとろえる)

国姓の本姓は嬴(えい)、氏は趙[1]。
秦(しん、拼音: Qín、紀元前778年 - 紀元前206年)は、中国の王朝。周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間(紀元前221年 - 紀元前206年)を秦朝、秦代と呼ぶ。国姓の本姓は嬴(えい)、氏は趙[1]。統一時の首都は咸陽。
氏は趙[1]。
^ 遠祖は、嬴姓であったが、秦朝の直接の祖である非子は趙氏を名乗っていた。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
趙氏…
ユダヤ人十七の漢姓が書かれており、金、石、高、文、李、張、趙の八家を含んでいる。
支那に渡来したユダbewithgods.com/hope/doc/1-32.html
4.漢民族の出自
 漢民族は、古代中国史の何処にも出てこない。黄河周辺、現在の河南省の一体に屯していた有形無形の未開人で、種族をなすほどの勢力ではなかったからです。彼らを最初に支配したのは、殷、次に周だった。清王朝(1644年〜)の時代に漢族という名前が表舞台に出てくる。当時の清では、王朝の柵の外に追い出した人々を、漠然と漢族と呼んだ。漢民族は、北京原人の末裔と云われ、異常に活発で、生殖が大きいのが特徴。人類の中では新しい種族です。
 また、KAIN→訛ってKAN→漢(もしくは、KANAN→訛ってKAN→漢)で、漢民族の正体は明らかで、漢字を自在に操るイスラエル人の知恵がその出自を呼び名として残したのです。
 中国の伝説に、女蟐(ジョカ)が居る。彼女は、泥をこねて人を作った。更に、洪水からも人を救います。彼女には伏義という兄または夫が居て、二人の下半身は絡み合う蛇の姿で描かれています。しかも、女?はコンパスを、伏義は直角定規を手にしている。フリーメーソンのシンボルである。伏義は月と蛙、伏義は太陽と烏がシンボルである。人類を創造したエンキとニンフルサグであり、他の神々をも己として、その偉大さを誇示したものでしょう。
 太陽,月,カラスは天皇家のシンボルでも在り、神々が日本に渡来されている事が分かります。



> 二郎さんへのお返事です。
>
> 貴殿の日本人のルーツは現在の説を総集した模様に感じます。
> 現実は、世界でも辺鄙な島国、誰が日本列島にきずくでしょうか。
> 縄文文明、神話の時代、日ユ同祖論・・・何を根拠にするかですか。
>
> 悲観せず、難問に挑戦して下さい。古代史は、史記の徐福伝説から入るのが好いと思います。
>
> 参考ですがyoutubeを観てください。
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DsZQp5gfQvLs
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3D9cz3HLwy11s
>
>
> > はじめまして、最近日本人のルーツに興味を持って、今年の夏に種々調べて、自分なりに日本人のルーツを動画にして以下にアップしています。
>??>
> > 間違いは正していきたいと思いますので、ご意見頂けませんでしょうか?
> >
>??> 日本人のルーツを調べるようになった動機
> > /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DYpiYz6N0uCw
>??>
>??> 日本人のルーツ:ホモサピエンスが日本列島へ来た経緯
>??> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DnhjrKsU58pI
> >
>??> 日本人のルーツ:縄文文明
> > /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DbkFYf0i9H_k
>??>
>??> 日本人のルーツ:神話の時代
>??> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DXE8_hCNDhXE
> >
>
>
>
>

9977秦野北斗:2019/12/06(金) 21:10:34
Re: 日本人のルーツ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010526M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=VzEbnlX6SW0



9978管理人:2019/12/07(土) 01:06:06
ユダヤ人のハプロタイプ4
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010527M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010527_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010527_3M.png

https://anthrogenica.com/showthread.php?17915-Major-Jewish-Y-lineage



9979荊の紀氏:2019/12/07(土) 03:54:26
参考 大陸の海人族、越人
古代海人族たちを結ぶ糸(4)誰が徐福たちを運んできたのか? 越人vs倭人
大陸の海人族、越人somosora.hateblo.jp/entry/2017/09/16/180000
越人の中にはその後日本と大陸を行き来しながら人を運んだり交易をするものがいて、彼らと接触を持った徐福は日本の情報を得ていった。そして彼らに日本への渡航を頼んだ。それが安曇族であった。


9980荊の紀氏:2019/12/07(土) 04:15:01
どこまで真実を伝えているのでしょうか?
近年、歴史研究の現場ではこれまで勝者が語ってきた歴史に多くの疑問が生まれています。彼らの記録から発見された改ざん、誇張、ねつ造のあと。
歴史は勝者によってつくられる 正史の裏を読む|知恵泉 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftvmatome.net%2Farchives%2F8154
史記…
文学的価値
文体は巻によって相当異同があることも指摘されており、白川静は題材元の巧拙によって文体が相当左右されたのではないかと考えており、司馬遷自身の文学的才能には疑問を呈している。
歴史学的価値 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
正史として歴史的な事件についての基本的な情報となるほか、細かな記述から当時の生活や習慣が分かる部分も多い。特に「書」に記された内容は、前漢時代における世界観や政治経済、社会制度などについての重要な資料である。また、匈奴を始めとする周辺異民族や西域についての記述も、現在知られている地理や遺跡の発掘などから判明した当時の状況との整合性が高く、これらの地方の当時を知るための貴重な手がかりとなっている。また、秦始皇本紀における「始皇帝は自分の墓に近衛兵三千人の人形を埋めた」という記述についても、西安市の郊外の兵馬俑坑の発見で記述の正確さが証明されている。
一方で、『史記索隠』が引く『竹書紀年』などとの比較から年代矛盾などの問題点が度々指摘されている(例えば呉の王家の僚と闔閭の世代間の家系譜など)。宮崎市定は、歴史を題材にした多くの講談と言った語り物を司馬遷が重要な史料として取り入れていると指摘し[2]、司馬遷について「全てを疑う理由が有る」としている[3]。小川環樹は、司馬遷は『戦国策』等の記述をだいぶ参照しているであろう、とその著書で指摘し[4]、加藤徹も司馬遷が記した戦国七雄の兵力には多大に宣伝が入っているのではないかとしている[5]。それら講談から取材した記述と司馬遷自身の記述を見分ける術は我々には無い。いずれにせよ、司馬遷の仕事によって後世に史記に採録されている興味深い話の数々が残ったという事実のみがある。

司馬遷が『史記』を執筆した時代は、武帝により儒教が国教化されつつあった時代である。
『史記』の記述は儒教一辺倒にならず他の思想も取り入れている(司馬遷自身は道家に最も好意的だとも言われている)。これは、事実の追求という史書編纂の目的において生まれたことであろう。反秦勢力の名目上の領袖であった義帝に本紀を立てず、当時の実質的な支配者であった項羽に本紀を立てていることや、呂后の傀儡であった恵帝を本紀から外して「呂后本紀」を立てていることも、こういった姿勢の現れと考えられる。
「天道是か非か」
『漢書』と並んで最高の評価を得ているものであり、単に歴史的価値だけではなく文学的価値も高く評価されている。
現存する『史記』の完本は南宋の慶元2年(1196年)のものが最古であり、これが司馬遷の原作にどの程度忠実かは大きな問題である。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

古事記…
偽書説 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
『古事記』には、近世(江戸時代)以降、偽書の疑いを持つ者があった。賀茂真淵(宣長宛書翰)や沼田順義、中沢見明、筏勲、松本雅明、大和岩雄、大島隼人、三浦佑之、宝賀寿男らは、『古事記』成立が公の史書に記載がないことや、序文の不自然さなどへ疑問を提示し、偽書説を唱えている[11]。
偽書説には主に二通りあり、序文のみが偽書とする説と、本文も偽書とする説に分かれる。以下に概要を記す。
序文偽書説では『古事記』の序文(上表文)において語られる『古事記』の成立事情を証する外部の有力な証拠がないことなどから序文の正当性に疑義を指摘する。また稗田阿礼の実在性が非常に低いことや、官位の記載や成立までの記載が杜撰なことから偽書の可能性を指摘している。
本文偽書説では、『古事記』には『日本書紀』より新しい神話の内容や、延喜式に見えない神社が含まれているとして、より時代の下る平安時代初期ころ、または鎌倉時代の成立とみなす。この説には後世に序文・本文の創作したとする説と、『日本書紀』同様の古い史料に途中途中加筆し続けたものとする説がある。
この内、本文偽書説の創作説は上代文学界・歴史学界には受け入れられていない。また、真書説を決定付ける確実な証拠も存在しない。上代特殊仮名遣の中でも、『万葉集』『日本書紀』では既に消失している2種類の「モ」の表記上の区別が、『古事記』には残存するからで、このことは少なくとも本文を創作とする偽書説を否定する重要な論拠である。また「偽書」とは著者や執筆時期などの来歴を偽った書物を指し、『古事記』の場合、その来歴の記載がある序文が偽りなら『古事記』全てを偽書とみなすのに問題はない。またこれは『古事記』の神話的・史料的の価値を全て否定するものではない[12]。なお序文には上代特殊仮名遣は一切使われていない。
序文偽書説の論拠の一つに、稗田阿礼の実在性が低く、太安萬侶のような姓の記載がないことが国史として不自然であること、編纂の勅令が下された年の記載がないこと、『古事記』以外の史書(『続日本紀』『弘仁私記』『日本紀竟宴和歌』など)では「太安麻呂」と書かれているのに、『古事記』序文のみ「太安萬侶」と異なる表記になっていることがあった。ところが、1979年(昭和54年)1月に奈良市此瀬(このせ)町より太安万侶の墓誌銘が出土し、そこに
左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳[注釈 5]
とあったことが判明し、漢字表記の異同という論拠に関しては否定されることとなった。
また、平城京跡から出土した、太安万侶の墓誌銘を含む木簡の解析により、『古事記』成立当時には、既に『古事記』で使用される書き言葉は一般的に使用されていたと判明した。それにより序文中の「然れども、上古の時、言意(ことばこころ)並びに朴(すなほ)にして、文を敷き句を構ふること、字におきてすなはち難し。」は序文の作成者が当時の日本語の使用状況を知らずに想像で書いたのではないかと指摘されている。


9981荊の紀氏:2019/12/07(土) 04:40:06
武帝…ユダヤ?
武帝…ユダヤ?姓名は劉徹…劉氏が「金」に改姓…??投稿日:2019年12月 7日(土)04時38分26秒 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%3F


9982荊の紀氏:2019/12/07(土) 05:16:27
H1(mtDNA)の対のタイプであるハプログループR1b …
阿無羅漢(アブラハム)…ハム語はベルベル人の言葉(ベルベル語)…?? 投稿日:2019年12月 7日(土)05時13分37秒 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%3F
阿無羅漢(アブラハム)
1−32.支那に渡来したユダbewithgods.com/hope/doc/1-32.html

漢(ハム)
?は「犠牲の人+火」で、日照りのとき犠牲の人を焚(や)いて雨乞いをする祭祀を表している(「字源(中国)」「字統」などを参照した)。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F99ef4faa9aeb4a5afcf80c3340ae123c
ハム語は、アラブ化される前にエジプトで話されていたエジプト語や、北アフリカの(アラブ人の進入以前から居た)ベルベル人の言葉(ベルベル語)などが入ります

ハム語はベルベル人の言葉(ベルベル語)…


9983荊の紀氏:2019/12/07(土) 05:36:54
U6はベルベル人を特徴づける型である
ハプログループU (mtDNA)
特にU6はベルベル人を特徴づける型である[7]。 形質人類学でいうコーカソイドに広くみられるタイプであり、ハプログループI (Y染色体)、ハプログループJ (Y染色体)と対になる母系タイプと考えられる。
分布
東ヨーロッパ、中央アジア、西アジア、南アジア、北アフリカ、アフリカの角に広く分布する。 ヨーロッパ人の11%[4][5][6] 、インドではカーストの15%、指定部族の8%にみられる[4]。 特にU6はベルベル人を特徴づける型である[7]。 形質人類学でいうコーカソイドに広くみられるタイプであり、ハプログループI (Y染色体)、ハプログループJ (Y染色体)と対になる母系タイプと考えられる。
古代DNA
紀元前1000年紀のエジプトのアブシール遺跡から発掘されたミイラがハプログループUに属すことがわかった[8]。
2015年の遺伝子調査では、13,000年前のスイスのクロマニョン人がハプログループU5b1h (mtDNA) に属すことがわかった[9]。
推定発生時期
46,500 ± 3,300 年前[1]
推定発生地
西アジア[2]
親系統
R
^ ベルベル人はハプログループE1b1b (Y染色体)が高頻度であるが、ハプログループU6 (mtDNA)やH1(mtDNA)を中〜高頻度で持ち、遺伝的にはネグロイド(E1b1b(Y-DNA))とコーカソイド(U6,H1(mtDNA))の混血と言える。U6,H1(mtDNA)の対のタイプであるR1b(Y-DNA)はレバントからエジプト、スーダンを通ってカメルーン付近にいたり、現在はチャド語派の民族に高頻度に見られるが、R1b(Y-DNA)-U6,H1(mt-DNA)集団がエジプト・スーダン付近に到達した際に、南方からやってきたアフロ・アジア系E1b1b(Y-DNA)(ネグロイド)と、元来R1b(Y-DNA)の対であったU6,H1(mtDNA)(コーカソイド)が混合し、E1b1b(Y-DNA)とU6,H1(mtDNA)をもつ現在のベルベル人が形成されたと考えられる。


9984秦野北斗:2019/12/07(土) 10:03:42
Re: 参考 大陸の海人族、越人
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010533M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010533_2M.jpg

荊の紀氏さんへのお返事です。

凄い、新説だ、

> 古代海人族たちを結ぶ糸(4)誰が徐福たちを運んできたのか? 越人vs倭人
> 大陸の海人族、越人somosora.hateblo.jp/entry/2017/09/16/180000
> 越人の中にはその後日本と大陸を行き来しながら人を運んだり交易をするものがいて、彼らと接触を持った徐福は日本の情報を得ていった。そして彼らに日本への渡航を頼んだ。それが安曇族であった。
>



9985荊の紀氏:2019/12/07(土) 10:15:42
日本とイスラエル、岐阜とユダヤ人の結びつき…
日本とイスラエル:なんでユダヤ人は飛騨高山に行くのか? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyukashikisekai.com%2F%3Fp%3D55575
いま、飛騨高山を訪れるイスラエル人(ユダヤ人)が急上昇しているらしい。
杉原千畝は岐阜の出身だった。
命の恩人である杉原の名はイスラエルでも有名。
それで近年では、たくさんのイスラエル人が岐阜県八百津町にある「杉原千畝記念館」を訪れている。

”国のない民”ユダヤ人とクルド人?日本にはないディアスポラ /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyukashikisekai.com%2F%3Fp%3D52731
クルド人は2〜3000万いるとみられていて、トルコ・シリア・イラン・イラクの国境のあたりに集中的に住んでいる。
日本にも、2000人ほどの在日クルド人がいる。
イスラエルは「クルド人支持」を明言していた。
クルド人とイスラエル人(ユダヤ人)には共通点がある。
それは、どちらも「国のない民」という経験があること。
ディアスポラによって、ユダヤ人は世界中に散らばって行った。
だから彼らは、外国で「いそうろう」のような肩身のせまい立場で暮らさざるを得ない。
ヨーロッパではキリスト教徒から、ひどい差別を受けることもよくあった。
その最大のものが「ホロコースト」。
「国なき民」のクルド人にも、同じような悲劇がおきた。

西ルート(コーカソイド):S,H,V,J,T,I,W,X など
遺伝学的解析は、クルド人が密接に関連していることが示されているアゼルバイジャン、 アルメニア、 グルジア語、およびユダヤ人の 北部近東地域のいくつかの共通の祖先から下降、人々 。
ミトコンドリアDNAハプログループHV1b2が、クルド人だけでなく、アシュケナージ系ユダヤ人の間発見します。rkblog3.html.xdomain.jp/201510/article_139.html
DNAハプログループHV1b2
最初のアルファベットが連続している場合は、それら全てのハプログループを内包する最小の単系統群を意味する。たとえばHVには、少なくともハプログループHとハプログループVが含まれることを意味している。ここにはこの2つ以外にも様々な系統が含まれており、それらはHV1やHV2などのように命名されている[2]。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
コーカソイド
北アフリカの先住民であるベルベル人はコーカソイド系に属すとされる[11][12]。ただし、ベルベル人など北アフリカの民族にはネグロイド系のY染色体ハプログループE1b1bが高頻度でみられなど、他のコーカソイドと異なる特徴もあり、ネグロイドとの混血が示唆される。
さらにエチオピアの主要民族であるソマリ族(エチオピア人種)も、古くからベルベル系とネグロイド系の混血で構成されている。
コーカソイドは出アフリカ後にイラン付近から中東・ヨーロッパに至る「西ルート」をとった集団である。コーカソイド人種を特徴づけるY染色体ハプログループとしてG、I、J、Rなどが挙げられる [8]。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
コーカソイドは出アフリカ後にイラン付近から中東・ヨーロッパに至る「西ルート」をとった集団である。コーカソイド人種を特徴づけるY染色体ハプログループとしてG、I、J、Rなどが挙げられる[8]。
ハプログループGはコーカサスで高頻度でみられる。1991年にイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷で発見された約5,300年前の凍結ミイラ・アイスマンのY染色体ハプログループは、G2a2a1b(G-L91)であることが判明した[9]。
ハプログループIはヨーロッパ大陸最古層の系統であると考えられ、クロマニョン人もハプログループI2aであることが判明している。
I1系統は北欧で高頻度、西欧やブリテン島で中頻度。I1系統の分布率と金髪や碧眼の分布率は相関しており、ゲルマン系民族と関連深い。
I2系統はバルカン半島で高頻度。
ハプログループJはアラビア半島で高頻度、南欧や地中海地域、中央アジアで中頻度。アラブ系民族に多く見られる。
ハプログループRはコーカソイドのほぼ全てで見られる。系統別に見ると、東アジア系のハプログループOと並んで現代人類において最も帰属人口の多い系統である。
R1a系統は東欧やペルシャ系民族で高頻度。北欧で中頻度。インドから中央アジア、ヨーロッパまでの西ユーラシア全域で一般的に見られるため、R1a系統が印欧語族の担い手であると考えられる。
R1b系統は西欧やブリテン島、イベリア半島で高頻度、北欧で中頻度。その他ヨーロッパ大陸全域で一般的な系統であるが、R1a系統とは異なりヨーロッパ以外のコーカソイドにはあまり見られない。バスク人やケルト系民族で特に多く見られる。R1b系統の分布と赤毛の分布は相関している[10]。

R1a?? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ハプログループR1aはインド北部から中央アジアや東ヨーロッパに高頻度に分布していることから、インド・ヨーロッパ語族のサテム語の担い手と考えられる[9]。
R1b
ハプログループR1bは西ヨーロッパと南ヨーロッパに顕著に分布している系統であり、バスク人やケルト系民族に80%以上の高頻度に見られる[10][11][12][13]。印欧語族ケントゥム語の担い手と考えられる[14]。大航海時代以降の人種の流動に伴って、南北のアメリカ大陸やオーストラリア大陸にも分布の範囲を拡大した。またバシキール人にも86%の高頻度である[15]。この流れとは別に、古代にもアフリカ内陸部へ移動したR1b系統の一集団があったと見られ、ハプログループR-V88に定義づけられる分岐系統がチャド語派の言語を話すカメルーンの先住民族の間において高濃度で発見されている[16][17][18]。


9986秦野北斗:2019/12/07(土) 15:37:22
Re: 日本とイスラエル、岐阜とユダヤ人の結びつき…
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010535M.jpg

https://yukashikisekai.com/?p=55575



9987荊の紀氏:2019/12/07(土) 16:14:05
C1a2(C-V20/V184)  ヨーロッパにわずかに見られる[2]。ヨーロッパ最古層、クロマニョン人の型。
ペトログラフ(岩刻文字)の所在地は海の民(海人族安曇氏、Y-DNAハプログループC1)に関わり、大体、海岸に近いところにあるようだ。
まだ、かつて海人族安曇氏が陸上がりしたところなら内陸にもあるようで、滋賀県の安曇川町とか長野県の安曇野市は海人族安曇氏ゆかりの地として有名である。
日本のペトログラフ /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12439121161.html
13 ハワイのペトログラフ(参考)、、、ポリネシア人は海人族安曇氏(日本の漁師さん、ハプログループC1)と同族
Y-DNAハプログループC1
C1(C-F3393)
C1a(C-CTS11043)
C1a1(C-M8) 日本固有[1]。縄文人。
C1a2(C-V20/V184)  ヨーロッパにわずかに見られる[2]。ヨーロッパ最古層、クロマニョン人の型。
C1b(C-F1370)
C1b* ロシア南部ヴォロネジ州コステンキ遺跡 (約37,000年前)の人骨[3]
C1b1
C1b1a
C1b1a1(C-M356) 南アジア、中央アジア、西アジアにわずかに見られる[4]。
C1b2 (Z16582) サウジアラビア及びイラクでわずかに見られる[5]
C1b3(C-B477)
C1b3a(C-M38) パプアニューギニア先住民、オセアニア地域に見られる。
C1b3b(C-M347) オーストラリア先住民に見られる[6]。
ISOGG系統樹 2019年1月25日版による


9988荊の紀氏:2019/12/07(土) 16:57:04
フェニキア人とベルベル人の混合国家がカルタゴ
ベルベル人の先祖はタドラルト・アカクス(1万2000年前)やタッシリ・ナジェールに代表されるカプサ文化(1万年前 - 4000年前)と呼ばれる石器文化を築いた人々と考えられており、チュニジア周辺から北アフリカ全域に広がったとみられている。
ベルベル人の歴史は侵略者との戦いと敗北の連続に彩られている。紀元前10世紀頃、フェニキアから北アフリカの沿岸に至って勢力範囲が広がったフェニキア人(ドイツ語版、オランダ語版、ロシア語版)[3]がカルタゴなどの交易都市を建設すると、ヌミディアのヌミディア人やマウレタニアのマウリ人(英語版)などのベルベル系先住民族は彼らとの隊商交易に従事し、傭兵としても用いられた。古代ギリシアではベルベル人のことをリビュア人と称していた。
形質的にはコーカソイドに属すとされるベルベル人であるが、Y染色体はネグロイド系ハプログループE1b1b系統が75[4]-93%[5]みられる。肌の色こそ薄いものの、実際はネグロイド由来の遺伝子を多数保有しているコーカソイドとネグロイドの混合人種であることが考えられる。
フェニキア人とベルベル人の混合国家がカルタゴ
フェニュキアの主神はアシェラ(大女神)やアスタルテ(豊穣女神)、アナト(戦闘女神),イエラ(月神)バアル(植物神)など
カルタゴはタニト(豊穣神)リビア出身、ハモン(祭壇の神)オグン(ナイジェリアの戦神)エシュモン(最高神バアルに相当)などとアフリカ起源の神(特に北ナイジェリア)も入っています。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq14130441069
北緯36度51分10秒 東経10度19分24秒
カルタゴが建設された地形は、水深が浅く、錨を下ろしやすい入江があり、突き出した岬がある。これはフェニキアが港の建設をする条件に沿っている。カルタゴは地中海の東西のほぼ中央にあり、前8世紀頃にはイベリア半島のガデスからフェニキア本土のテュロス等へと貴金属を運ぶ航路の中間にあった。この位置が、カルタゴが繁栄する一因となった[2]。
フェニキア人の地中海の航路は反時計回りであり、イベリア半島から東へ向かう船は北アフリカの海岸沿いに進み、テュロスなどフェニキア本土から西に向かう船はキプロス、ギリシア、シチリア、イビサなどの島々を経由した[3]。
経済
フェニキア本土の都市は、東地中海で不足しやすい金、銀、銅、鉄、鉛、錫などの金属を入手するために貿易や植民に乗り出した。そのためにフェニキア産の手工業製品を輸出し、イベリア半島や北アフリカの金属と物々交換を行なっていた。カルタゴもこれにならい、フェニキア本土よりも金属の産地に近いという地理上の利点を活かして繁栄する。ヘロドトスの『歴史』には、現在は沈黙交易と呼ばれる取引をアフリカのリビュアの人々と行なっていた記録がある[15]。交換にはフェニキア製の工芸品、染色した紫の織物などを扱った[16]。
戦争の捕虜は、農業や鉱業のための奴隷貿易の商品としても扱われた。歴史家のシケリアのディオドロスによれば、イベリア半島の鉱山では、ローマの征服前からカルタゴによって奴隷が使役されていた[17]。農業では、奴隷制にもとづいて集約的な農地経営や牧畜を行なった。その技術は『マゴの農書』に記録され、ローマの大土地経営であるラティフンディアにも影響を与えたとされる[18]。
貨幣は、前410年から前390年にかけて銀貨の発行が始まった。シチリア遠征の兵士への支払い等が理由とされている。ギリシアのドラクマ銀貨をモデルに作られており、シチリアで用いられていたギリシアの硬貨に近い。前4世紀には金貨等の発行が始まり、金貨はフェニキア本土の度量衡に基づいた[19]。
宗教
カルタゴでは、フェニキアから伝わったバアル崇拝やアスタルト崇拝と旧来の土着信仰に由来するタニト崇拝とが融合し、独自の宗教形態を作り出していた。これにエジプトの神々やギリシャのデメテル崇拝が加わり、ますます多様化していった。この宗教形態はカルタゴがローマ支配下に置かれた後も引き継がれ、ローマの神々と共に信仰の対象とされた。ウマイヤ朝によってイスラム教が伝えられると急速に廃れていった。
風習
プルタルコスは、フェニキア人が子供を犠牲にして捧げ物にしていたことを記録に残している。赤ん坊が死産した場合、最も若い子供が両親によって生贄に供されていた、ということである。テルトゥリアヌス、オロシウス、ディオドロス・シクロスなどもこの風習を記録に残しているが、ティトゥス・リウィウスやポリュビオスは触れていない。
トペテ(en、トフェトとも)と呼ばれる子供のための共同墓地は、紀元前400年から紀元前200年の間に建造されたと推定されている。この墓地からは20,000個の骨壷が出土し、骨壷には新生児の黒焦げになった骨が入っており、中には胎児や2歳ぐらいの幼児のものもあった。そして火葬された子供達の名は、墓碑にも骨壷にも刻まれることは無かった。
現代の考古学上の発掘から、プルタルコスの記述には、疑問が持たれている。カルタゴでは火葬は新生児や死産児に限らず、成人に対しても行われていた。また、羊や山羊の骨も発掘されており、この動物の犠牲の記録も発見されている。逆に子供の犠牲の記録が発見されていないことから、子供を犠牲にして捧げ物にする風習が無かったことが明らかになった。だが、現在でもプルタルコスの記述が正しかったとする説も少なくないため、結論はまだ出ていない。
フェニキア
フェニキア人はカディーシャ渓谷の北緯34度14分の緯度に神秘性を感じ、こだわったのである。実は、日本列島のほぼ東西両端にあたる沖ノ島と神津島の北緯34度14分を基にして作成した宿星図(天文図)をフェニキア人も使用して地中海を航海していたのである。
フェニキア人の都市ビブロスとガディーシャ渓谷と神の杉の森 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12285069224.html
フェニキア人は紀元前3000年頃からビブロスの地に都市を作って、ここを拠点に航海したと言うことは、当時(縄文時代)以前から東アジアで活躍していた日本の海人族と交流していたのである(参考)。
日本からユダヤへの影響の可能性の指摘、日ユ同祖論 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12284784948.html%3Ffrm_id%3Dv.jpameblo%26device_id%3D913f4cb7eead4d8b88464d60404e45ad
日ユ同祖論では、ユダヤ人の習慣、ユダヤ教の儀式、旧約聖書の記述、ヘブライ語などに関し、日本文化との共通性を指摘している。
そして、ここでは長野県の諏訪大社のお祭りの御柱祭や御頭祭などが陸に上がった海人族安曇氏(海の民)のお祭りであろうこと、ユダヤのソロモン神殿建設(レバノン杉の切り出し)や旧約聖書に出てくる儀式がユダヤ人からフェニキア人、海人族安曇氏を経由して日本に伝わった結果であろうと指摘している。これらは従来、ユダヤから日本への人・物・情報の伝来として説明されている。


9989山田:2019/12/07(土) 23:53:00
RE:カディーシャ渓谷
>・・フェニキア人はカディーシャ渓谷の北緯34度14分の緯度に神秘性を感じ、こだわったのである。実は、日本列島のほぼ東西両端にあたる沖ノ島と神津島の北緯34度14分を基にして作成した宿星図(天文図)をフェニキア人も使用して地中海を航海していたのである

これはすこし驚き^^

紀ノ川の河口になるな。

9990秦野北斗:2019/12/08(日) 00:37:37
Re: RE:カディーシャ渓谷
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010539M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/フェニキア



9991 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2019/12/08(日) 01:34:19
題 -まだある 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010540_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010540_3M.jpg

https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs/332

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



9992荊の紀氏:2019/12/08(日) 08:48:34
紀元前600年ごろ…喜望峰を経て、時計回りにアフリカ大陸を一周…
神武天皇の即位された紀元前660年 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkodaishi.net%2Flecture%2Fb-c-660
神武天皇この森を目指して進みし給ひしにより大幸(だいこう)の字が生じ、又、宮居経営の的をここに置かれたから的場の字ができたと伝える。 天王址 神武天皇最初に皇舟を寄させ給ふた所 高旌山
神武天皇東遷経路 安芸埃宮 mb1527.thick.jp/N3-15-1tousen5.html
その昔、神武天皇が大和平定の際、菟田の高城に陣営を張られたときに植えられたものと伝えられる杉の巨木です・・・・とある /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fyss2141%2Fe%2Fd699654196b2fee2a5cc34549095999a
杉…
レバノン杉を聖なる樹木と崇めていた人々と御神木を祀る人々は同じ氏族なのではないかと思います。 ヘブライ、アーリア系の民では?橿原神宮 神武天皇のお宮 橿と言うのは柏餅の柏とは違う木で針葉樹の事を指します。
レバノン杉 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fnanohanacr%2Fentry-12058381983.html
古代フェニキアの代表的な輸出品で、フェニキアはレバノン杉で財をなしました。

新たな遺伝子研究によれば、聖書に記されているカナン人の子孫が、今日も中東のレバノンで生きているという。
カナン人の子孫が今もレバノンに? 遺伝学者らが科学誌で発表 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.christiantoday.co.jp%2Farticles%2F24248%2F20170806%2Fbiblical-canaanite-descendants-lebanon.htm
この研究は7月27日に、米科学誌『アメリカン・ジャーナル・オブ・ヒューマン・ジェネティクス』(電子版、英語)で発表された。ヒトゲノム解読などを行う英サンガー研究所の遺伝子学者らが、カナン人の主要な古代都市国家であったシドン(現在のレバノン第3の都市サイダ)で見つかった約3700年前の5人の遺体からDNAを抽出し、ゲノム配列を解析。これを現代のレバノン人99人と比較したところ、カナン人の遺伝子組成の約90パーセントを受け継いでいることが分かったという。
研究者らは論文で、「私たちは、現代のレバノン人の先祖の多くがカナン人と関係した人々であることを明らかにしました。つまり、少なくとも青銅器時代以来、レバノン人には(カナン人との)実質的な遺伝的連続性があることを暗示しているのです」と述べている。
カナンはパレスチナ地方の古称。聖書では、神がアブラハムの子孫(イスラエルの民)に与えると約束した地とされ、「乳と蜜の流れる場所」「約束の地」などと記されている。神の命令を受け、イスラエルの民はカナン人ら原住民たちと戦い、その地に定住するようになるが、聖書は一部のカナン人がその地に住み続けたことを記している(士師記1章)。
レバノン…
貝紫とレバノンスギがフェニキア本土の特産品であり、この地域の都市国家の成立と繁栄を支えた。
交易
フェニキア人は優れた商人であり、その繁栄は海上交易に支えられていた。紀元前8世紀には、ティルスは地中海方面からメソポタミア、アラビア半島に至る交易ネットワークのハブとなっていた。貝紫とレバノンスギがフェニキア本土の特産品であり、この地域の都市国家の成立と繁栄を支えた。また、タルテッソス(イベリア半島)の銀をオリエントに持ちこむ航路はフェニキア人が独占していた。紀元前13世紀から紀元前12世紀にかけて海の民によって東地中海が荒廃するが、フェニキアの都市は難民を受け入れつつ拡大し、西方へ進出する[6]。
紀元前11世紀にはテュロスはイスラエル王のダビデと友好関係を結び、紀元前10世紀にテュロス王のヒラムはイスラエル王のソロモンと共同で紅海の貿易に進出する[7]。紀元前9世紀にはテュロスを中心にフェニキアの貿易網が栄え、その様子は旧約聖書のエゼキエル書に記されている[8]。ギリシア人のホメロスは、叙事詩『イリアス』や『オデュッセイア』でフェニキア人を船を操る商人や職人の集団として表現した[9]。
功績
ヘロドトスの『歴史』によれば、紀元前600年ごろ、エジプトのファラオネコ2世の命を受けたフェニキア人は、紅海から出港し、喜望峰を経て、時計回りにアフリカ大陸を一周し、3年目にエジプトに帰ってきたという[10]。バルトロメウ・ディアスが喜望峰を「発見」する2000年以上前のことである。フェニキア人は極めて優れた航海術を有していたのである。


9993荊の紀氏:2019/12/08(日) 09:10:33
カナンの地  ガラリア湖…
旧約聖書ですがまさに 古事記?? 日本書紀は形を変えた旧約聖書なんですよ…
 筑波大学名誉教授で遺伝子研究の世界的権威??村上和雄氏は以前より??日本人が持つ特有の遺伝子YAP遺伝子を発見され日本人はモンゴロイド系で遺伝子は日本固有YAP(−)を持ちこれは中国人 韓国人??東南アジア人にもない遺伝子であり YAP遺伝子は縄文人固有の遺伝子ではなく中東から来たといわれます
古代イスラエル人と日本人くらいしかいないともいわれY染色体のD系統を高度で持つことで有名であり Y染色体DNAのD系統は 日本人とチベット人や中近東の人の他には世界のどこにも ほとんど存在しないそうです
カナンの地  ガラリア湖 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fouzi555%2Fentry-12216074844.html

約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は、現代の「中央アジアの人々」の遺伝子と非常に近い。
魔族カナン人の正体bewithgods.com/hope/doc10/10-23.html

マナセ族とエフライム族以外のイスラエルの民には遺伝子Dは存在しない。 マナセ族とエフライム族は、ヨセフとアセナテのエジプト時代にY染色体遺伝子Dに挿入型突然変異をしたのか
秦氏の遺伝子〜ユダヤ人のY染色体遺伝子www.rui.jp/ruinet.html?i=200&;c=400&;m=334978
ユダヤ教徒の男子は生後8日目に割礼を受ける。日本の皇室の男子も生後8日目に割礼を受けると非公式に云われている。これは15代応神天皇の時代(在位390年〜403年)に弓月君(秦氏)が渡来したことと関連性があるのかもしれない。
秦氏の土木技術により5世紀の河内国に巨大な前方後円墳ができるようになった。秦氏の遺伝子がユダヤと結びつくのか調べる必要がある。
日本の伝統文化、神道、皇室の儀式などにイスラエルの影響が大きい。日本語とヘブライ語の単語の共通性もかなり多い(3,000語ほど)。日本とイスラエルの共通性については、欧米人、イスラエル人の多くの研究者が述べている。

ハプログループのDEの突然変異のYAP遺伝子 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkuhuu.info%2F2017%2F10%2F30%2Fyap%2F
祖先系統:アダム→Y168→YAP アダムというように男性だけに伝わる遺伝子です。
Y染色体上のAIu配列挿入型(YAIu Polymorphism) 略してYAPは、 AIu挿入として知られる突然変異を特徴としています。
AIu配列とは三00塩基対の長さを持つDNA断片で、細胞複製中 ごくまれにヒト遺伝子のさまざまな部分に挿入されます。
五万年ほど前に生きていた一人の男性は、Y染色体上にこのDNA断片を 所有し、子孫へと伝えていったといえます。
YAPはアフリカ北東部辺りで発生した集団に確認され、サハラ以南の アフリカに見られる古代三系統の中では最も一般的です。
やがてYAP系統は、二つの異なるグループに枝分かれします。
一つはハプログループのDで、アジアに見つかりM174という 突然変異マーカーに定義つけられています。もう一つはハプログループEで
主にアフリカや地中海地域に存在し、遺伝子マーカーM96を特徴としています。
イブ経由のDについて 女性だけに伝わるミトコンドリアイブです。mtDNA
【ハプログループD】
祖先系統:イブ→L1/L0→L2→L3→M→D
★YAP経由のDとの違いに注意!
およそ五万年前、中央アジアのステップ地帯で独立したもう一つのM集団は、 東アジアへと向かっていきました。ハプログループDの最初のメンバーになった人々は 東方へ移動し、子孫たちは最終的に両アメリカ大陸へ到着しました。
ハプログループC同様、Dもカスピ海とバイカル湖に挟まれた中央アジアの高原地帯に 住んでいました。
Dは典型的な東ユーラシア系統と見なされ、現在では東アジアの主要ハプログループとして mtDNA遺伝子プールの全体の約20パーセントを構成しています。
中央アジアの故郷から散開したDは北アジア人口の20パーセント以上に存在し、 東南アジアでは約17パーセントの頻度で見られます。
東ユーラシア全域における年代の古さと高い頻度から、この地域に初めて住みついた 人間が運んできた系統という見方が一般的です。
ハプログループDは、ユーラシア大陸を西に進むにつれて徐々に頻度を落としていきます。 中央アジア人の10〜20%はこのハプログループに属していますが 配列のまったく同じいくつかの系統を東アジア人と共有していることから、ごく最近の交流が示されます。
これらの系統は過去5000年以内、おそらくユーラシア大陸全域を結んだ 古代交易路シルクロードの時代に持ち込まれたのだろうと考えられます。
Dもまた北米大陸に渡り、南北アメリカ先住民に見られるmtDNA五系統のうちの一つとなりました。


9994荊の紀氏:2019/12/08(日) 09:26:17
E系統は、創世記10章の ハムの子孫…
親系統DE ハプログループE (Y染色体)
E1b1b1b CTS1243/Z827 セム・ベルベル語派
E1b1b1b2a M123/PF2023 セム語派
E1b1b1b2c V42 ユダヤ人、アラブ人
ハプログループE (Y染色体)(ハプログループE (Yせんしょくたい)とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループの分類のうち、ハプログループDE (Y染色体)のサブクレード(細分岐)の一つで、「L339, L614, M40/SRY4064/SRY8299, M96, P29, P150, P152, P154, P155, P156, P162, P168, P169, P170, P171, P172, P173, P174, P175, P176」の変異で定義づけられる系統である。約7.3万年前[1]に東アフリカ[4]で誕生した。出アフリカせずにアフリカ内にとどまったハプログループである。
E1b1a系統
アフロ・アジア語族に関連するタイプであり、特にベルベル人に80-93%[6]と高頻度である。下位系統E1b1b1a1b1-V13がアルバニアで高頻度であり[7]、有史以前のある時期にエジプト付近からの直接渡来が存在したようである。ヨーロッパで見られるタイプはほとんどがこのE-V13系統またはE-M123系統である。また話者の多くがR1bとなっているチャド語派の元来の担い手はカメルーン北部にのみ低頻度に見られるE-V259と考えられる。

ユダヤ人が属する Y染色体DNAハプログループ:yohane.natsu.gs/00%200%200%20dna2.htm
F(セム) >  G、H、I、  J  > J系統=アブラハムの子孫  > J2a が オリジナルのユダヤ系、 G2c(アナトリア) は捕囚の時混血? or ディアスポラ
(ハム)  > A、B、C、  D、E  >  E系統= クシュ、ミツライム、プテ、カナン  > E1b1b1a3 は 主にフェニキアとの混血
 K(ヤペテ) > L、M、N、O、   P > Q、R  >  R1a1 は ディアスポラの時に東欧系が混血 (アシュケナジムのみ)
3) E1b1b1a3(E-V22)系統:  E系統は、創世記10章の ハムの子孫(クシュ、ミツライム、プテ、カナン)の代表であり、D系統と共に、Y染色体DNAに YAP変異を持ち、アフリカ、地中海沿岸に、ごく普通に非常に幅広く分布している。(A系統、B系統を半ば駆逐するような形で) 日ユ同祖論に近い議論でたびたび言及される YAP共通の点は、E系統と D系統が ごく初期の段階で分かれ、その後は互いに交流の形跡が無いことから、YAPのしるしはそれほど重要な意味を持たないと考えられる。(初期の 階段状ピラミッドまでは共通と思われる。 バベルの塔 → エジプトの階段状ピラミッド → エジプトの大ピラミッド → 小規模のピラミッド状の墓; → チベット・中国のピラミッド、 → 日本の海底ピラミッド)
 ハム系 → カナン → ヘテ人(ヒッタイト) ・・・ エジプトに、”鉤鼻”のヒッタイト兵士の彫刻、ヘテ人とはアブラハムの頃に交流、
  エサウの妻(ヘテ人2人と ヒビ人1人) → 5人の子 → エドム人 ・・・ このエドム人がフェニキアの航海技術を持ち、ユダヤ人と共に 南洋ルートで沖縄・山陰に来たと考えられる(→ (1) エドム人とユダ族の移動 ) 琉球人から見たフェニキア人は 背の高い人々だったとされる(下に 沖縄のフェニキア遺跡)
  モアブは、アモンと共に、アブラハムの甥のロトと彼の娘たちとの近親相姦の子孫

 聖書関連のDNAまとめ ・・・・yohane.natsu.gs/index.html


9995荊の紀氏:2019/12/08(日) 23:44:15
紀元前3世紀…地球が球体であることが判明…
銅鐸の埋められた最後の段階が、弥生後期末(西暦170年〜190年代)だということをおさえることができる。
再考:「魏志倭人伝」卑弥呼の生きた時代 ? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fmarine816%2Fentry-12536809496.html
銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。
兵庫県 56点
 島根県 54点
 徳島県 42点
 滋賀県 41点
 和歌山県 41点
埋納時期は紀元前後と2世紀頃に集中している。(wikipedia 銅鐸より抜粋)

再考:「魏志倭人伝」卑弥呼の生きた時代 ? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fmarine816%2Fimage-12536809496-14620665742.html
荒神谷遺跡周辺には委奈佐比古命をお祀りする神社が少なくとも三社は見えます。
荒神谷遺跡?貴船神社?和奈佐神社…約108度・40度・32度…(40度+32度=72度)…五芒星(縄文測量)
108度・72度・・・5個の内角がそれぞれ等しく108度(五角形の内角の和は540度)。 ・中心角は72度(360度÷5)。 五角形は英語で「pentagon(ペンタゴン)」。 五角形の対角線を繋いだ星形を五芒星(ごぼうせい、ペンタグラム)という。

貴船神社?和奈佐神社?船林神社・・・直角二等辺三角形…六芒星(古墳時代測量)
等辺六芒星が正三角形を2回に分けて描かれる性質上、六芒星の一筆書きは一見不可能のように見える。だが、実際には一方の正三角形の描画途中に、交点で他方の正三角形の描画に移り、他方の正三角形の描画が終わった時点で先の正三角形の残りの部分を描画すれば、図形上の何れの位置からスタートしても一筆書きが可能である。スタートを交点とすれば、より簡単に一筆書きが出来る。

弥生時代から古墳時代,奈良・平安時代を経て・・・銅鐸→古墳→寺社と測量の制度が向上?
>[4949] 弥生時代から古墳時代,奈良・平安時代を経て・・・蛇のほか時刻や方角を表す。 https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/4949

西暦140年代から西暦190年代まで、倭国(日本)は、何年も相攻伐し乱れていた。 この乱れを征したのが、邪馬台国であった。 西暦190年頃を境に、銅鐸が消えて、纒向遺跡(奈良県桜井市一帯)が勃興し、西暦240年頃を境に四隅突出型墳丘墓(出雲)が突然弱くなった。
西暦200年〜300年頃に日本でもっとも影響力があった地域が邪馬台国。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnihonnnohajimari.seesaa.net%2Farticle%2F462644137.html
(一般の方にもわかりやすく言えば、西暦200年代になると銅鐸は突然造られなくなります)

紀元前3世紀…地球が球体であることが判明…
実は紀元前4世紀ごろのギリシャでは、すでに地球が球体であることが判明していました。
紀元前3世紀にはエラトステネスが地球の半径を7363kmと計算。実際は約6370kmなので、約16%の誤差です。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.thg.co.jp%2Fdouyo%2Fshikaku%2Fsokuryoshiho%2Fsurveying-technique-history%2F


9996荊の紀氏:2019/12/09(月) 00:48:07
一番最初に日本地図を書いたのが、あの仏教僧の「行基」だと言われています。…
伊能忠敬の測量方法は、「道線法」と呼ばれています。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fr-ijin.com%2Finou-tadataka%2F
まず測量する地形に沿って測点を決めます。
測点に杭を打ち梵天と呼ばれるポールのような目印を立て、鉄鎖や間縄を使用し測点と測点の間を測りました。
杖先磁石という今でいう方位磁石のようなもので角度を測り、方位と距離を測りながら前に進み測量していきました。

東京都港区芝公園 4-8 芝丸山古墳の北頂
伊能忠敬遺功表www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/archive/ac-otona/shiseki-tokyo.pdf
忠敬は各地へ旅立つ以前、ここ黒江町で象限儀によ る天体観測をし、北緯35度40分30秒を得た。これは、 後に陸地測量部が測定した値より、わずか23 秒大きか っただけである。更に、磁針儀により富士山や筑波山 を観測して原方位とした。従って、ここは住居跡とし てより、天文測量と道線法を主体とした、忠敬の全国 測量の出発原点として、さらに近代の日本地図(日本 東半分沿海地図1804 年上程)上で最初に零度の子午線 を通した地点としての意味を持っている。 また、当時浅草にあった天文台(暦局??現台東区浅 草橋 3丁目 19-26)との緯度差から子午線 1度の距離 を得たところでもある

芝丸山古墳
伊能忠敬の功績は誰もがしっている通りです。でもなぜココに建ってるのかがわかりません。測量の基点が芝公園近くで高輪の大木戸でした。それを記念して東京地学協会が建てのですが、何も丸山古墳の上に建てる必要もなかろうに。碑文を読んでも「なぜココなのか」が書かれていませんでした。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.tripadvisor.jp%2FShowUserReviews-g1066451-d10513358-r498738815-Tadataka_Ino_Sokuchi_Ikohyo-Minato_Tokyo_Tokyo_Prefecture_Kanto.html

江戸期の漢学者・地理学者、長久保赤水(1717〜1801)誕生地の石碑。
琵琶墓古墳 茨城県高萩市赤浜
茨城県の古墳、寺社、遺跡、街歩き massneko.hatenablog.com/entry/2019/07/10/000000
前回のつづき、日立駅から4つ北の南中郷駅へ。
琵琶墓古墳は、事前にグーグルマップに「古墳」と入力し目星をつけていた。
長久保赤水は、伊能忠敬(1745〜1818)の実測地図ができる42年前、20余年の歳月をかけてこの赤浜の地で日本で初めて緯線と方角線を記した日本地図を作り大阪で発行(改正日本輿地路程全図:1779年)したそうだ。
伊能地図は明治時代になるまで国家機密とされたのに対し、赤水地図は明治時代までの約100年間に8版を数えるベストセラーになったとのこと。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.takahagi.ibaraki.jp%2Fpage%2Fpage002920.html

赤水の制作した日本地図www.nagakubosekisui.com/nippon_map.html
「伊能図」は国家機密とされ、
江戸時代には一般人は見ることが叶わなかった。
ゆえに、江戸時代中期から明治時代まで広く世に使われたのは「赤水図」だった。
幕末の志士吉田松陰も「赤水図」を携えて仙台まで旅し、長州(山口県)への岐路、茨城県高萩市赤浜にある
長久保赤水の墓に参詣している。

安永3年(1774年)、『日本輿地路程全図』(にほんよちろていぜんず)を作成。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
長久保赤水は江戸時代中期頃の地図考証家・森幸安によって描かれた『日本分野図』を参考に、明和5年(1768年)に原図となる「改製扶桑分里図」を作り、安永3年(1774年)に日本地図『日本輿地路程全図』(にほんよちろていぜんず)を作成する。

今日本中には、役行者が来た修行の山というのが沢山ある。これはヤマトタケルに縁の地に負けない位の数に上るに違いない。山岳修行者ある所に役小角伝説ありと言っても過言ではない。www.st.rim.or.jp/~success/ennoozuno_ye.html
山伏(山岳修行者)役小角とは何者か? www.st.rim.or.jp/~success/ennoozuno_ye.html
現在、山伏を糾合する派は、「聖護院を本山とする天台宗本山派と醍醐三宝院を本山とする真言宗当山派に分れる」(岩波日本史辞典)ということになっている。山をネットワークとして存在した神々の祠と社は、次々と仏教に習合をさせられることによって、仏教の教えを根源とする思想に改変させられてしまったのである。
その結果が、最後に山伏もまた天台と真言に分かれることになったと見るべきではないだろうか。今日そのどちら派にしても役小角が山伏の元祖というのであれば、その理由は極めて明解である。すなわち仏教が拡がる以前に、山伏のスタイルで修行をする古神道が、日本の山々をネットワークする形で確立していたとみるべきではないかということになる。

寛政 11 (1799) 年に修験道の開祖と仰がれ,神変大菩薩の勅諡号を受けた。
南北朝時代を経て山伏の活動は一段とさかんになり,室町時代には修験道の組織化が進んだが,各地の山々に割拠し,仏教各宗の寺院に属していた山伏たちは,役行者を開祖としてつながりを持つようになった。《役行者顚末秘蔵記》《役君形生記(えんくんぎようしようき)》《役行者講私記》《役行者本記》をはじめ,役行者に関する数々の書が,修験道の教典として作られ,1799年(寛政11)には,朝廷から役行者に対して神変大菩薩という諡号(しごう)が贈られた。役行者の画像や彫刻は数多く作られたが,その姿は,僧衣に袈裟をまとい,長いひげをたくわえ,手には錫杖を持ち,高下駄をはいて岩に腰かけ,斧を持つ前鬼(ぜんき)と棒を持つ後鬼(ごき)を従えているのが一般である。… /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F


9997荊の紀氏:2019/12/09(月) 01:04:56
諜報機関としての修験道・陰陽道…江戸時代中期頃の地図考証家・森幸安…
森氏(もりし)は清和源氏の一流、河内源氏の流れをくむ武家である。八幡太郎源義家の七男源義隆が相模国愛甲郡毛利庄の領主となって、森冠者と名乗った。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

源氏は、清和天皇(第六十四代)に端を発する高貴な血筋を有する武門の一方の旗頭である。 ・元々修験山伏に端を発する武術をもって生まれた軍事組織が、平氏であり源氏である。
諜報機関としての修験道・陰陽道3(平安時代)www.rui.jp/ruinet.html?i=200&;c=400&;m=334641
葛城・賀茂氏の系譜の役(賀茂)小角(えんの(かも)おずぬ)が編成した陰陽組織は葛城朝の私兵的組織だった。その役目は、「山岳ゲリラの鎮圧と恭順」、帝(天皇)の「ある密命(大王の密命)の履行」などであり、非公式な活動であった。
元々修験山伏に端を発する武術をもって生まれた軍事組織が、平氏であり源氏である。そして、組織の中核をなすのは同族集団の結束である。有力な他人を仲間に入れても、娘など与え、婚姻関係を介して取り込む事が多い。それ故、その棟梁には子沢山が要求された。それが叶わぬ時は、一旦養女養子を儲ける方法がなされて、同族関係を成立させていた。


9998 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2019/12/09(月) 02:53:59
Re: 題 -まだある 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010547M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010547_2M.jpg

https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs/332

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



9999管理人:2019/12/09(月) 21:40:02
Re: 題 -まだある 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」
??史実探偵: 平 素人(ヒイラ??モト)さんへのお返事です。

> ↑岡山県総社市岩屋・未掘の銅鐸(23個)が埋めてある上斜面と岩屋寺金堂
> 卑弥呼は魏から得た100枚の銅鏡に換えて出雲と“同じ決め事”で 持ち寄った銅剣と銅鐸を封印した!
>
>  ・・・おひさしぶりです^^!・・・ (モノ云わぬ100名xの方々へも^^)
>
> 表題で、縄文・超古代史掲示板へ投稿しました^^!
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8023.teacup.com%2Fshimoeda%2Fbbs%2F332
>  卑弥呼が魏から100枚の銅鏡を得た。この時が銅鐸文化から銅鏡文化へ変わる変換点だ!!
> これに気付かれ、深く追求すれば素人(中坊)でも解ること^^。
>  さて、あなた様は、どうする??。・・実績のない素人の・・として無視する。
> →・・・が、出たらさわぐ(笑い)。それとも・・・(~-^?)、
>
> なお、
> 当方・・症状がでてますのでそのコメントに返信の確約はできません。 あしからず・・・~~、


平さん、ご無沙汰してます。え、、未発掘の銅鐸・・・あるんですか?

10000荊の紀氏:2019/12/09(月) 23:57:04
新羅 出雲 岡山県 淡路島…ユダヤ人渡来伝説
岡山県や、兵庫県西播の中国山地の鉄の山地から流れ出した砂鉄が瀬戸内海に流れ込み、播磨灘の潮流でもまれ、丸みを帯び、均一の良質の砂鉄となって、長い年月をかけ堆積する地が淡路島西岸の松帆地区だったのではないか。
最古級の銅鐸が淡路島西岸で発見されたことは何を意味するのか?(考察メモ)tajima2000nenkatsura.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-4c63.html
淡路島…銅鐸(どうたく)が7個見…
兵庫県南あわじ市の玉砂利製造会社の砂山から、祭祀(さいし)などに使われたとされる銅鐸(どうたく)が7個見つかり19日、県教委が発表した。紀元前3〜2世紀(弥生時代前期末〜中期初頭)に鋳造された古式の銅鐸で、多数確認例では加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)の39個、大岩山遺跡(滋賀県野洲市)の24個、桜ケ丘遺跡(神戸市)の14個に次ぐ4番目。専門家は「数十年に一度の大発見」としており、謎の多い初期銅鐸を解明する史料になりそうだ。
紀元前3〜2世紀(弥生時代前期末〜中期初頭)に鋳造された古式の銅鐸…
前2世紀…
新羅 朝鮮半島では、前2世紀に衛氏朝鮮(えいしちょうせん)が興ったが、紀元前108年に前漢の武帝に滅ぼされ、朝鮮四郡として漢帝国に組み込まれる事になった。
新羅の朝鮮半島統一rekishi-memo.net/sekaishi/shiragi.html

銅鐸文化は日本海側(新羅)を経由して日本に伝わったのです。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fikejun_2018%2Fe%2F8d65eabf466d4f9ade5d48ec53838fd3

銅鐸を持っていた人は、特殊な限られた人であったことになります。というものの、一目見ただけで人種がわからないような人であったことになります。例えば、ユダヤ人やアイヌ人ではなかったでしょう。
銅鐸の歴史〜銅鐸はイザナギ系の集団によって使われていた1www.rui.jp/ruinet.html?i=200&;c=400&;m=138044
銅剣と銅矛を使っていたひとは、殆ど九州の人です。この人達は、銅鐸を使っていませんでした。ということは、ここの人は、九州から来た人で、銅鐸を作って、白狄人を兵隊として使う目的で、銅鐸を6個持っていたが、加茂岩倉遺跡の人と同様に、なんらかの事情
があって、埋めなければならなくなったと思われます。
白狄人…
中山王国は北京の南で300年間狭い、一県位の所で独自の高度の文化を持った、狩猟と焼畑の少数民族白狄人の国だった。 中国の中から追出されても、イスラエルを追われたユダヤ人と同じで、白狄人には、行く所があったろうか。rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2009/07/4-8398.html
中国の中から追出されても、イスラエルを追われたユダヤ人と同じで、白狄人には、行く所があったろうか。

白狄人は、中国から隠岐へ逃げて来たと考えています。
神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(218)白狄人(5) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnihonnsi.blog.ss-blog.jp%2F2017-09-08
神大市比売、神産巣日之命、神屋楯比売命、神活須毘神、神倭伊波禮毘子命は、ユダヤ人をあらわしているのではと推理しています。
神活須毘神…
神活須毘神(かむいくすび)の娘)との間の子 大国御魂神(おほくにみたま) - 国土の神霊の意 韓神(から) - 朝鮮からの渡来氏族が信仰した神 曾富理神(そほり) -houki.yonago-kodaisi.com/F-BH-jinbutu1-Kamigami.html

私註: 神活須毘神:先代旧事本紀では「須沼比神」に造る(p98)。www.dai3gen.net/izumo2.htm
須沼比神(スヌマヒ)…
スジヒメとの神は記紀等の古史料には見えず、先代旧事本紀にいう“オオクニタマの祖父・須沼比神(スヌマヒ)”の誤記かともいう。
淡路の大和大国魂神社のほうは、これに素盞嗚尊、大己貴命、土御祖神の三神が加わる。大己貴命は出雲神だし、土御祖神は聞きなれない神名だが、豊受大神宮(伊勢の外宮)の別宮として知られている。(土宮の祭神:大土乃御祖神)
古事記に見る淡路島
古事記中巻二安寧天皇
 師木津日子の命の御子二王ます。一の子孫は、伊賀の須知の稲置、那婆理の稲置、三野の稲置が祖なり。 一の子の和知都美の命は、淡道の御井の宮にましき。かれこの王、女二ましき。兄の名は蠅伊呂泥。またの名は意富夜麻登久邇阿礼比売の命、弟の名は蠅伊呂杼なり。

『古事記』の大年神神統譜に、大年神と伊怒比売(神活須毘神の女)との間の御子神、「大国御魂神・韓神・曾富理神・白日神・聖神」の5神が載っている。
出雲・伊勢・三輪山・難波の太陽神は新羅の「迎日」か? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Ftaishi6764%2Fentry-12112910031.html
大神(三輪)氏、賀茂氏、秦氏は、新羅(伽耶)渡来人か
辰韓(新羅系渡来人集団)
共通するのは、辰韓(新羅系渡来人集団)新羅(伽耶)渡来人

スサノオは新羅を経由して、日本に渡来。出雲に出現したスサノオの勢力は秦氏一族であり、越の国もまた秦氏の王国であるbewithgods.com/hope/doc/1-32.html

淡路島ユダヤ人渡来伝説 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fawaji-suteki.com%2Fspot%2F


10001 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2019/12/10(火) 03:51:46
Re: 題 -まだある 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」
管理人さま・キシ先生へのお返事です。

☆ (2名の方の)コメントお受けしました^^。ありがとうございます。
 ・・・、おひさしぶりになります^^。・・・、


> 平さん、ご無沙汰してます。え、、未発掘の銅鐸・・・あるんですか?

ええ^^ 総社市岩屋の金堂寺の上斜面には、(23個±α)の銅鐸が、1700年のときを隔てて眠っています。『ワシを起こすと大変なことになるぞ! ココロしてかかれい!!』と、その荒神さまは仰っていますよ^^! それが出土してから騒ぐより出土前を楽しみたいものです。

いま迄(お二方をのぞいて)、身分を伏せている理由はいろいろありますが、一番大きな理由は、その喧噪にまきこまれたくないからです。<モノ云わぬ100X名の方々さま>もふくめて、それを「スルー」した人々の様変わりはみたくありません。それと、イタズラこころもありますよ^^!。

☆ わたしとしては、<この件>は、超・古代史掲示板のほうへ移したい のですが、その一部をこちらへも移しておきますね^^。←・・・スミマセン!!? 手順で失敗しましたので後ほど(汗~)・・・、
> > 当方・・症状がでてますのでそのコメントに返信の確約はできません。 あしからず・・・~~、

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-1.html



10002荊の紀氏:2019/12/10(火) 08:42:32
未発掘の銅鐸・・・未発掘の古墳…私の場合…
史実探偵: 平 素人(ヒイラ??モト)さんへのお返事です。
 私は20年ほど前に未発掘の古墳探しをしました。(参考になれば幸いです ↓ )
まず近隣の古墳の多い地区(主にかすみがうら市旧出島村)の古墳地図と寺社・学校などの公共施設(明治以降の廃寺社・墓などの跡地の多い)の載った地図
それらのポイントから東西南北にラインを引く(五芒星・六芒星のライをも試す)
周辺の古地名などにもアンテナを張る(インスピレ−ション・閃き・勘?)
 地図・地名・年代などが何か?の閃きに繋がると思いますお試しあれ。


10003荊の紀氏:2019/12/10(火) 08:47:07
Re: 未発掘の銅鐸・・・未発掘の古墳…私の場合…
荊の紀氏の訂正です。
未発掘→未発見・・・です。


> 史実探偵: 平 素人(ヒイラ??モト)さんへのお返事です。
>  私は20年ほど前に未発掘の古墳探しをしました。(参考になれば幸いです ↓ )
> まず近隣の古墳の多い地区(主にかすみがうら市旧出島村)の古墳地図と寺社・学校などの公共施設(明治以降の廃寺社・墓などの跡地の多い)の載った地図
> それらのポイントから東西南北にラインを引く(五芒星・六芒星のライをも試す)
> 周辺の古地名などにもアンテナを張る(インスピレ−ション・閃き・勘?)
>  地図・地名・年代などが何か?の閃きに繋がると思いますお試しあれ。
>

10004秦野北斗:2019/12/10(火) 13:48:30
Re: 未発掘の銅鐸・・・未発掘の古墳…私の場合…
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010553M.jpg

荊の紀氏さんへのお返事です。

ちょっと発掘にはインスピレ−ション・閃き・勘?はないでしょ??

>  私は20年ほど前に未発掘の古墳探しをしました。
 荊の紀氏さんの成果をアップ願います。 ワクワク・・・

ここ掘れワンワン

> 史実探偵: 平 素人(ヒイラ??モト)さんへのお返事です。
>  私は20年ほど前に未発掘の古墳探しをしました。(参考になれば幸いです ↓ )
> まず近隣の古墳の多い地区(主にかすみがうら市旧出島村)の古墳地図と寺社・学校などの公共施設(明治以降の廃寺社・墓などの跡地の多い)の載った地図
> それらのポイントから東西南北にラインを引く(五芒星・六芒星のライをも試す)
> 周辺の古地名などにもアンテナを張る(インスピレ−ション・閃き・勘?)
>  地図・地名・年代などが何か?の閃きに繋がると思いますお試しあれ。
>



10005 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2019/12/10(火) 20:13:59
Re: 題 -まだある 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-13.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-1.html



10006荊の紀氏:2019/12/11(水) 00:09:58
Re: 未発掘の銅鐸・・・未発掘の古墳…私の場合…
秦野北斗さんへのお返事です。

>  私は20年ほど前に未発掘の古墳探しをしました。
 荊の紀氏さんの成果をアップ願います。 ワクワク・・・
…期待には沿えないです内容でゴメンナサイ(m;_ _)m

史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト)さんへ
徐福は新しい国造りのために日本に来たと思います…

古墳 かすみがうら市…
写真14 富士見塚1号墳上から霞ヶ浦を眺める
古墳_霞ヶ浦の両岸(茨城県行方市、かすみがうら市)www.mizunotec.co.jp/zyousou/kofun/kofun.html
さて、対岸のかすみがうら市には、霞ヶ浦大橋を渡って行きます。この市も旧千代田町と旧霞ヶ浦町が合併して出来た市です。古墳が多いことでも知られています。
・・・ちなみに、古墳は全国で約20万基あり、そのうちかすみがうら市には500基あると説明板にありました。

成果
かすみがうら市には500基の古墳…
私の目指した「未発見の古墳」の近隣の農家で情報収集したところ…
私の訪れる2年前ほど前に 同じ質問をされた 何処かの高校の先生が来られてたそうで、確かに 古墳が在るとのことでした。
その場所は 杉の木が生い茂る小高い丘の上に在るとのことでした。
旧 出島(かすみがうら市)には「500基の古墳」、ライン上に古墳が「未発見の古墳」在っても不思議でない地域なのです。
地図でかすみがうら市の位置を確認してください。
北西に筑波山ー南東鹿島神宮
南西に富士山ー北東に角折の浜?
むかし、このあたりに棲んでいた角のある大蛇が、東の海に出たいと思い、浜に穴を掘って行こうとしました。
そのとき、角が折れてしまったので、この名前がついたというもの。
白鳥の里・角折の浜 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.ibaraki-isuzu.co.jp%2Fstory%2Fdetail%2Fid%3D178

北に常陸国府(石岡市)ー南に 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)
佐倉市の文化財−史跡(1)「城跡・遺跡・古墳」www.city.sakura.lg.jp/0000005038.html
古墳時代の前方後方墳・方墳と弥生時代の墓制の流れをひく方形周溝墓とが一連の関係をなしている全国的にも珍しい例であり、墓制の変遷を知る上で重要な意義を持っています。
江原台遺跡 <えばらだい-いせき> (江原台)
  江原台遺跡は、印旛沼を北に望む海抜28mの台地上に広がっています。
  昭和50年代に継続して行われた発掘調査では、竪穴式住居跡など多数の遺構と多量の遺物が検出され、縄文時代中〜晩期、弥生時代後期、古墳時代、奈良・平安時代の集落跡が発見されました。
  縄文時代では、中期の有孔鍔付注口土器<ゆうこうつばつきちゅうこうどき>、後期の山形土偶や異形台付<いけいだいつき>土器、晩期の亀形土製品が出土しています。 弥生時代後期の集落では、3期の炉を備えた大型住居跡が検出されました。奈良・平安時代では、多数の墨書<ぼくしょ>土器が出土しました。
岩名天神前遺跡 <いわな・てんじんまえ-いせき> (岩名)
  関東地方では最も古い弥生時代の墓の遺跡で、墓からは人骨とともに東日本では最古の特徴を持つ弥生土器や管玉などの遺物が出土しました。
  調査の結果、人骨は二度埋葬されており、弥生土器は骨を納める容器として使われていたことがわかりました。 この調査を契機に、東日本にみられるこのような墓を再葬墓と呼ぶようになります。
人骨は二度埋葬…
[3698] 洗骨 紀元前の騎馬遊牧民、スキタイなんかもやっ てる ... https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/3698
・・・・
石岡の歴史を紐解いていくと1300年以上前に、この霞ヶ浦周辺に豪族が住んでいたことがわかってきた。石岡の「舟塚山古墳」は東日本第二の大きさとして国の指定を受けた史跡として知られているが、同じ五世紀末〜六世紀初に築造されたここ「三昧塚古墳」を外して考えることは出来ない。舟塚山古墳は霞ヶ浦の海の支配者として、またこちらの三昧塚古墳は陸の支配者としてかなりの力を持った豪族がいたという証拠である。土砂を掘削して大部分が破壊されて、あわてて復元保存に着手したものであるが、舟塚山の副葬品、埋葬品などがかなり無くなってしまったのとは異なり、整備されていくことは自分たちの祖先の歴史を守っていくことで大切なことである。水戸市の「愛宕山古墳」と合わせ3つの古墳が5世紀のこの国の姿を探っていくことができる
房総に渡った後の古道東海道ルートについて
東海道終点の国 常陸 「狼」と「 狐」 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F3707
茨城県行方市沖洲緯度 経度, 36.14953144, 140.37824071 三昧塚古墳(さんまいずかこふん)

私は、
、霞ヶ浦対岸の富士見塚古墳
橋の向こうが、かすみがうら市。ここは行方(なめがた)市。massneko.hatenablog.com/entry/2013/05/07/094329
富士見塚古墳は…富士山ー三昧塚古墳(さんまいずかこふん) ライン

レイラインとは レイラインとはですね、 古代の遺跡や神社、仏閣、巨石群、 を地図上で線で結んでみるとなぜか直線状になる。 そのラインのことをレイラインと言うわけなんですよね。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fzinja-omairi.com%2Freirain%2F
(五芒星)
レイラインは直線だけではありません。
変わり種としては、伊勢神宮の内宮(三重県)・伊吹山(滋賀県)・伊奘諾神宮(兵庫県・淡路島)・熊野本宮大社(和歌山県)・皇大神宮(京都府)を結ぶと星型いわゆる「五芒星」のレイラインが知られています。五芒星とは陰陽道における木・火・土・金・水の五つの働きを表したもので、魔除けの象徴として使われていたものです。
有名なところでは、平安時代の陰陽師・安倍晴明が五芒星を紋として用いており、京都にある安倍晴明神社でも神紋はこの五芒星が使われています。
この巨大な五芒星の中心には、平城京が位置しています。朝廷の守護となるようにあえてこの場所を選んだ可能性があるのです。

中国で発見された驚愕の世界地図
「4000年前の中国がつくった世界地図」www.y-asakawa.com/Message2012-2/12-message98.htm

縄文時代の国造り と 弥生時代の国造り /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fikejun_2018%2Fd%2F20190725
弥生時代
・秦の時代の徐福
・漢の時代
・魏蜀呉の作語句時代
と大陸が統一と崩壊を繰り返す中
大陸の一族が国を捨てて、東へ移住先を探す旅にでます。
多くは、朝鮮半島を経由し、玄界灘を船で渡り倭国へ到着
当時の倭人に大陸の文化を伝える事で新しい国造りを始めたのです。
・・・・



> 荊の紀氏さんへのお返事です。
>
> ちょっと発掘にはインスピレ−ション・閃き・勘?はないでしょ??
>
> >  私は20年ほど前に未発掘の古墳探しをしました。
>  荊の紀氏さんの成果をアップ願います。 ワクワク・・・
>
> ここ掘れワンワン
>
> > 史実探偵: 平 素人(ヒイラ??モト)さんへのお返事です。
> >  私は20年ほど前に未発掘の古墳探しをしました。(参考になれば幸いです ↓ )
> > まず近隣の古墳の多い地区(主にかすみがうら市旧出島村)の古墳地図と寺社・学校などの公共施設(明治以降の廃寺社・墓などの跡地の多い)の載った地図
> > それらのポイントから東西南北にラインを引く(五芒星・六芒星のライをも試す)
> > 周辺の古地名などにもアンテナを張る(インスピレ−ション・閃き・勘?)
> >  地図・地名・年代などが何か?の閃きに繋がると思いますお試しあれ。
> >

10007 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2019/12/11(水) 01:00:24
題 -まだある 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010556M.jpg

https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs/332

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-1.html



10008荊の紀氏:2019/12/11(水) 08:09:57
Re: 題 -まだある 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」
??史実探偵: 平 素人(ヒイラ??モト)さんへのお返事です。

>その星は、朝夕のお日様の方から来たでしょ。?? 投稿日:2019年12月11日(水)08時05分17秒 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%3F
火球と流れ星と隕石の違いと画像!意外と実際見ると怖い!disastress.com/kakyu-nagareboshi-inseki-tigai/
…しし座流星群…
火球が出現 しし座流星群を動画で→ /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fcapturelife1.net%2F
…しし座流星群…
しし座には明るい銀河が多くある。・・・




>
> 祖先はその赤く輝いた巨塊を、その風切り音から“竜”と命名した。この巨大隕石は、隕石の冬による慈雨と、津波による魚介類や瑞穂という恵みを打ち上げ、そして、犠牲を強要する荒神となって “人々の心の中” に入り込んだ。
> 神の発生は大集団社会へと展開する核となる。その過程で雨水の必要性もだんだんと増してきて“雨乞い”が始まる。願う相手は、その慈雨をもたらした八大竜王だ。 この荒神様は、慈雨との交換に赤い血を欲しがる。
> 生け贄の歴史は、最初の小動物からエスカレートして、 ついには 「私達には、これ以上に大切なものは有りません。 この幼子を煙に変えますから、どうぞ、この海水を、この幼子の煙を雨雲に換えて下さい」 と迄になる。 “その天竜水神を呼び寄せ、荒神を乗り移す媒体となったのが銅鐸だ!”  それ等の “雨乞い生贄文化” が永々と続いていた3世紀の初頭に、言い伝えの箒星が現れた。 朝夕の空にあるその星は日々に大きさを増していった!
>  又来るあの大事変が!!   人々が恐れおののくなかで、ヒミコは云った。
>

>
> 火巫女は説いた。「真は、お日様が主神で荒神彗星は、そのお使者であるよ。
>   その証しに、その星は、朝夕のお日様の方から来たでしょ。悲しい習慣りは、止めにしましょう」


10009秦野北斗:2019/12/11(水) 17:04:37
Re: 未発掘の銅鐸・・・未発掘の古墳…私の場合…
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010558M.jpg

荊の紀氏さんへのお返事です。


20年ほど前・・・うそ、だったの・・ワン


> 秦野北斗さんへのお返事です。
>
> >  私は20年ほど前に未発掘の古墳探しをしました。
>  荊の紀氏さんの成果をアップ願います。 ワクワク・・・
> …期待には沿えないです内容でゴメンナサイ(m;_ _)m
>




10010管理人:2019/12/11(水) 23:58:14
Re: 題 -まだある 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」
??史実探偵: 平 素人(ヒイラ??モト)さんへのお返事です。

平さん、さっそく詳細お知らせありがとうございます。

なるほど、銅鐸数が合計で100になる点に注目されたんですね。

関連して、弥生時代の銅鐸を材料にして、後代の邪馬台国時代の銅鏡を製造したという指摘は聞いたことがあります。

銅原料を仕入れるのに、交換したのか、奪い取ったのか、掘り出したのか・・・、その辺の推理は興味深いところです。

あと、岩の字名と銅鐸との関係性は、どうなんでしょうね、磐座信仰と弥生文化との関連性で解けないでしょうか。もっとも磐座信仰は旧石器時代までさかのぼるように感じてるんですけどね。その件はまた後刻別途投稿いたします。




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