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歴史掲示板
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どこまで真実を伝えているのでしょうか?
近年、歴史研究の現場ではこれまで勝者が語ってきた歴史に多くの疑問が生まれています。彼らの記録から発見された改ざん、誇張、ねつ造のあと。
歴史は勝者によってつくられる 正史の裏を読む|知恵泉 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftvmatome.net%2Farchives%2F8154
史記…
文学的価値
文体は巻によって相当異同があることも指摘されており、白川静は題材元の巧拙によって文体が相当左右されたのではないかと考えており、司馬遷自身の文学的才能には疑問を呈している。
歴史学的価値 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
正史として歴史的な事件についての基本的な情報となるほか、細かな記述から当時の生活や習慣が分かる部分も多い。特に「書」に記された内容は、前漢時代における世界観や政治経済、社会制度などについての重要な資料である。また、匈奴を始めとする周辺異民族や西域についての記述も、現在知られている地理や遺跡の発掘などから判明した当時の状況との整合性が高く、これらの地方の当時を知るための貴重な手がかりとなっている。また、秦始皇本紀における「始皇帝は自分の墓に近衛兵三千人の人形を埋めた」という記述についても、西安市の郊外の兵馬俑坑の発見で記述の正確さが証明されている。
一方で、『史記索隠』が引く『竹書紀年』などとの比較から年代矛盾などの問題点が度々指摘されている(例えば呉の王家の僚と闔閭の世代間の家系譜など)。宮崎市定は、歴史を題材にした多くの講談と言った語り物を司馬遷が重要な史料として取り入れていると指摘し[2]、司馬遷について「全てを疑う理由が有る」としている[3]。小川環樹は、司馬遷は『戦国策』等の記述をだいぶ参照しているであろう、とその著書で指摘し[4]、加藤徹も司馬遷が記した戦国七雄の兵力には多大に宣伝が入っているのではないかとしている[5]。それら講談から取材した記述と司馬遷自身の記述を見分ける術は我々には無い。いずれにせよ、司馬遷の仕事によって後世に史記に採録されている興味深い話の数々が残ったという事実のみがある。
司馬遷が『史記』を執筆した時代は、武帝により儒教が国教化されつつあった時代である。
『史記』の記述は儒教一辺倒にならず他の思想も取り入れている(司馬遷自身は道家に最も好意的だとも言われている)。これは、事実の追求という史書編纂の目的において生まれたことであろう。反秦勢力の名目上の領袖であった義帝に本紀を立てず、当時の実質的な支配者であった項羽に本紀を立てていることや、呂后の傀儡であった恵帝を本紀から外して「呂后本紀」を立てていることも、こういった姿勢の現れと考えられる。
「天道是か非か」
『漢書』と並んで最高の評価を得ているものであり、単に歴史的価値だけではなく文学的価値も高く評価されている。
現存する『史記』の完本は南宋の慶元2年(1196年)のものが最古であり、これが司馬遷の原作にどの程度忠実かは大きな問題である。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
古事記…
偽書説 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
『古事記』には、近世(江戸時代)以降、偽書の疑いを持つ者があった。賀茂真淵(宣長宛書翰)や沼田順義、中沢見明、筏勲、松本雅明、大和岩雄、大島隼人、三浦佑之、宝賀寿男らは、『古事記』成立が公の史書に記載がないことや、序文の不自然さなどへ疑問を提示し、偽書説を唱えている[11]。
偽書説には主に二通りあり、序文のみが偽書とする説と、本文も偽書とする説に分かれる。以下に概要を記す。
序文偽書説では『古事記』の序文(上表文)において語られる『古事記』の成立事情を証する外部の有力な証拠がないことなどから序文の正当性に疑義を指摘する。また稗田阿礼の実在性が非常に低いことや、官位の記載や成立までの記載が杜撰なことから偽書の可能性を指摘している。
本文偽書説では、『古事記』には『日本書紀』より新しい神話の内容や、延喜式に見えない神社が含まれているとして、より時代の下る平安時代初期ころ、または鎌倉時代の成立とみなす。この説には後世に序文・本文の創作したとする説と、『日本書紀』同様の古い史料に途中途中加筆し続けたものとする説がある。
この内、本文偽書説の創作説は上代文学界・歴史学界には受け入れられていない。また、真書説を決定付ける確実な証拠も存在しない。上代特殊仮名遣の中でも、『万葉集』『日本書紀』では既に消失している2種類の「モ」の表記上の区別が、『古事記』には残存するからで、このことは少なくとも本文を創作とする偽書説を否定する重要な論拠である。また「偽書」とは著者や執筆時期などの来歴を偽った書物を指し、『古事記』の場合、その来歴の記載がある序文が偽りなら『古事記』全てを偽書とみなすのに問題はない。またこれは『古事記』の神話的・史料的の価値を全て否定するものではない[12]。なお序文には上代特殊仮名遣は一切使われていない。
序文偽書説の論拠の一つに、稗田阿礼の実在性が低く、太安萬侶のような姓の記載がないことが国史として不自然であること、編纂の勅令が下された年の記載がないこと、『古事記』以外の史書(『続日本紀』『弘仁私記』『日本紀竟宴和歌』など)では「太安麻呂」と書かれているのに、『古事記』序文のみ「太安萬侶」と異なる表記になっていることがあった。ところが、1979年(昭和54年)1月に奈良市此瀬(このせ)町より太安万侶の墓誌銘が出土し、そこに
左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳[注釈 5]
とあったことが判明し、漢字表記の異同という論拠に関しては否定されることとなった。
また、平城京跡から出土した、太安万侶の墓誌銘を含む木簡の解析により、『古事記』成立当時には、既に『古事記』で使用される書き言葉は一般的に使用されていたと判明した。それにより序文中の「然れども、上古の時、言意(ことばこころ)並びに朴(すなほ)にして、文を敷き句を構ふること、字におきてすなはち難し。」は序文の作成者が当時の日本語の使用状況を知らずに想像で書いたのではないかと指摘されている。
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