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歴史掲示板

1管理人:2012/01/12(木) 17:24:57
古代史掲示板を新設しました
古代史掲示板を新設しました。画像・動画等の投稿も可能です。古代史関連の投稿をお待ちしています。

10175鳩摩羅童子:2020/01/17(金) 08:07:38
禾(のぎ)偏(へん)の「のぎ」は、タミル語 かも。  【国語・中国語・インド語・英語、のお勉強】
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/220px-Danwon-Byeo.tajak.jpg

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10176国家元首:2020/01/17(金) 11:55:49
JCウイルス(JCV)
先に紹介したJCウイルス(ヒトポリオーマウイルス2)についての情報は、正確さに欠けるようです。

ウィキペディア「JCウイルス」より

「・・・JCウイルスを用いたヒト集団の系譜を探る試みも行われている。JCウイルスは感染するために、純粋なヒト集団の系統を反映するわけではないが、ある程度の参考になる。西南日本には中国北部で高頻度のCYタイプが、東北日本には国外では朝鮮とアメリカ先住民にみられるMYタイプが、それぞれ高頻度である。

また、秋田県や青森県西部ではヨーロッパ人の系統に近いEu-a2(JK)がみられるとされ 、秋田美人や伝説上の鬼との関連性が指摘されることがある。 しかしながら、同様のEU型のハプロタイプは朝鮮半島にも見られることから必ずしもヨーロッパ人のみの系統を示すというわけではないということに留意すべきである。」

/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2FJC



一番科学的に正確な最新分析は、以下のサイトでしょうか。このサイトの分析からすると、日本の白人型JCVは、一部のヨーロッパ型に近い。


「JCウイルス(JCV)から見たヨーロッパ系の人々の分岐と移動/最古のヨーロッパ系JCVを極東アジアの先住民から発見!」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftogetter.com%2Fli%2F1452702

10177秦野北斗:2020/01/17(金) 15:32:27
秒は蘖(ひこばえ)のようです
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010726_2M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/稲孫

http://



10178鳩摩羅童子:2020/01/17(金) 21:38:57
Re [10726] 秒は蘖(ひこばえ)のようです
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_SanTami.html

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10179管理人:2020/01/18(土) 01:26:00
印欧語族の拡散と縄文人
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010728M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010728_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010728_3M.png

https://www.yfull.com/tree/R1a/



10180国家元首:2020/01/18(土) 14:43:38
ゲルマン民族東方大移動かノルマン東方コンクウェストか
先に紹介した余郷嘉明さんのHP(togetter)からすると、

先ず、イギリスに行った集団と近い集団が日本に来て、その後ドイツ・オランダに行った集団と近い集団が来たという感じですかね。

「以前も述べたように,JCVは移動の際、人類集団と行動を共にしてきたと考えられるから(Suzuki et al., 2002)、図2はA型JCVをもったヒト集団の分化と移動を示していることになる。もしそうなら、図2は太古におけるヨーロッパ系の人々の、東方への大移動が三回あったことを示している。

第一波はEU-cをもった集団の移動である。彼らは東北シベリアに辿り着いて、そこに永住した。彼らの一部は北海道に渡り、アイヌの中核になった。第二波と第三波はほぼ同時に進行し、それらのうちの一つはEU-a1/JKをもって東進し、極東に至った後に南下して日本列島と朝鮮半島に渡来した。

もう一つはEU-a1/Arcをもってアジア大陸の東端まで進み、その後、北上してベーリング海峡の周辺や北極圏に住み着いた。以上は私が描いたヨーロッパ系の人々の東方への大移動のシナリオだが、信じてもらえるか。」


何度も言いますが、民族集団とかその移動をYハプロと紐づけて考えることに、合理性も現実性もないと思います。

普通に考えて、そう思いませんか?仮にAという民族の民族意識が強くても、異民族との混血女性が生む男性にはAの要素が強い人たちがいるので、Y染色体はどんどん混ざっていきますよ。

白人縄文人のYハプロは「Dが多い」で良いのです。RとかIとかを考える必要はありません。Yハプロは人種や民族と関係がないのですから。

(中国人は男系の宗族のシステムがあるから、Yハプロとの紐づけは可能かもしれません。)

最初に来た縄文白人集団は、日本に来る前から「Dが多い」になっていた可能性もあると思います。むしろ、日本にY-Dを持ち込んだのは、白人かもしれません。

10181秦野北斗:2020/01/18(土) 17:56:34
東方への大移動が三回あった?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010731M.jpg

国家元首さん、ヒト集団の移動ですが、疑問があります。例ですがもしです、ヨーロッパ系集団が東北シベリアに移動、アジア系集団が東北シベリアに移動、東北シベリア移動がアイヌに移動すると、ヒト集団はヨーロッパ系集団、アジア系集団、東北シベリア、アイヌの単純な確率で、4集団Yハプロになる。
東方への大移動が三回あった、は疑問で一回の可能性がある。混血の移動もあるよ・・・

>「以前も述べたように,JCVは移動の際、人類集団と行動を共にしてきたと考えられるから(Suzuki et al., 2002)、図2はA型JCVをもったヒト集団の分化と移動を示していることになる。もしそうなら、図2は太古におけるヨーロッパ系の人々の、東方への大移動が三回あったことを示している。



10182国家元首:2020/01/18(土) 23:04:15
re:東方への大移動が三回あった?
>東方への大移動が三回あった、は疑問で一回の可能性がある。混血の移動もあるよ・・・

日本に入って来た状況のことを説明しているのではなく、東アジアに移動して来た状況を長期間のスパンで説明しているのだと思います。

余郷さん曰く、「ヒトポリオーマウイルスの一つであるJCウイルス(JCV)は、ヒトの腎に寄生し、殖えた仔ウイルスは尿中に排泄される。JCV DNAは健常人の尿から容易に得ることができるので、分子疫学的な研究の格好の材料となる。

加えて、?JCVは日常的に接する大人(通常は両親)から子へ伝播する、事実上の垂直感染により伝播すること、?JCVの進化速度が適度に早いこと(JCVの塩基置換速度はヒトの染色体の約100倍であり、全長約5100塩基対のJCV DNAに進化の足跡を残すのに十分早い)、

?異なる株間での組み換えが起きないこと、?ヒト集団の移動に伴って寄生しているJCVも移動することなどが、JCVのヒト集団の指標としての有用性を高めている。」

CYが弥生人(倭人)から、MYが縄文人から、EUが縄文支配勢力から、という感じですかね。

私のヒクソス・ユダヤ理論からすると、夫余の地域からの移動の痕跡がほしいところです。その観点からは、甲府と鹿児島にB1-aがあるのは、興味深いです。甲府は新羅とか高句麗の影響が強そうです。

B1-aだとすると、侵入時にはかなり少数派だったのでしょうか?EUはマンモスでも追って、大陸と地続きだった時代にやって来たのでしょうか。

4世紀以降に日本に来るとなると、海を渡る必要があります。女性が渡るのは困難だったでしょうね。支配層は、子育てを妻に任せきりになる場合も多いので、JCVが感染しにくいとも考えられます。

まあ、こういう話は、参考資料程度でしょう。


「JCウイルスから見た現代日本を築いた人々/ヨーロッパ系の渡来人も貢献!」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftogetter.com%2Fli%2F1450392


10183秦野北斗:2020/01/19(日) 00:03:01
長期間のスパン?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010733M.jpg

>日本に入って来た状況のことを説明しているのではなく、東アジアに移動して来た状況を長期間のスパンで説明しているのだと思います。

長期間のスパン?とは時間軸で、何年?  高句麗、新羅は400〜700年ぐらいの歴史になるが?

どう見ても最低2万年は・・・小生は思う。



10184国家元首:2020/01/19(日) 01:49:15
蘇るか騎馬民族侵入説。
甲府のB1-a、割合けっこうあります。12%。日本全体では、わずか0.8%。なぜ甲府は、B1-aの割合が特別に高いのでしょうか?

沖縄を除いて829人から尿を採取した結果の資料のようです。


陛下、研究のためでございます。

○子様、研究のためでございます。

この紙コップに・・・。


感染だから、母親に他の民族が入ったら、JCVの種類は入れ替わりそうです。皇室でさえ維持が難しいと思います。


田舎の閉鎖的な集団でないと、JCVの種類も維持されないでしょうね。JCVもあまりアテにはなりません。

どこから人が入って来たかの、参考資料程度ですね。

10185管理人:2020/01/20(月) 00:55:34
エジプト天文学
元首さん、秦野さん、またわかちあいありがとうございます。
ちょっとバタバタしており手がつかないのですが、同系集団の複数回の移動も視野にいれておきたいところですね。

関連していまみていたエジプト天文学についての下記の動画で、古代人が砂漠に北の方角を示すための石を置いていった様子を取り上げているのですが、星の位置から北を割り出していたようで、しかも数千年単位で変化していくその星の位置にあわせて、その目印とする石の位置も変化させていったことが指摘されています。
これなども複数回にわたって同系の集団が移動する際に、目印を変化させていったことを示すものでしょう。参考になります。

/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DK8qTwIgw5H4

10186国家元首:2020/01/20(月) 03:53:24
Y染色体の特定の配列の紡ぎだす真実。
Y染色体ハプロはダメ。根拠の無い前提の上に思い込みを積み重ねて、妄想を固める役にしか立たない。

例えば、白人のYハプロなるものはないのに、あるように思いこむ。または、縄文人のハプロタイプなるものをでっちあげる。

人種とも民族とも、いかなる社会集団ともハプロは無関係なのは、理論的にも実際上もはっきりしているのに。

あるハプロが突然変異で発生した時点で、それは一人の人間に発生したものであって、集団で発生したわけではない。

奇妙な話を勝手にでっち上げて良いのだったら、こういうのはどうだろうか。

日本列島にいる日本化した白人のハプロがY-Dなのだとしたら、もともと白人は全員Y-Dのハプロだった。白人は、全員縄文人だった。すなわち、白人は日本人から派生した。

だから、環状列石が日本列島にあるのである。オリンポスの神々の神話は、高天原の神話に似ているのである。

一神教を人類に与えたアクエンアテンが日本人のおっさんにしか見えないのも同じ理由による。

世界の全アーリア人は、その魂と肉体の故郷である大日本帝国に帰依しなければいけない。

ハイル・ウセルマートラー!スメロギイヤサカー!ラムセスの永遠なる治世に栄光あれ!

10187秦野北斗:2020/01/21(火) 13:41:40
古墳の円方判明
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010737_2M.jpg

古事記に円方の表現がある、円は縵(ゆるやか)、方は矛(ほこ)他の文章で確認がが必要かも・・・
尚、古墳は御陵だそうです。

参考文献、古事記

又天皇、以三宅連等之?・名多遲摩毛理、遣常世國、令求登岐士玖能迦玖能木實。自登下八字以音。故、多遲摩毛理、遂到其國、採其木實、以縵八縵・矛八矛、將來之間、天皇既崩。爾多遲摩毛理、分縵四縵・矛四矛、獻于大后、以縵四縵・矛四矛、獻置天皇之御陵戸而、擎其木實、叫哭以白「常世國之登岐士玖能迦玖能木實、持參上侍。」遂叫哭死也。其登岐士玖能迦玖能木實者、是今橘者也。





10188国家元首:2020/01/21(火) 14:00:43
Yハプロが歴史学にもたらす害毒
Yハプロに基づく推論の最大の問題点は、不確かな前提に基づいていることと、非合理的な思考と結びつきやすいことである。

ある地域や社会集団における過去のハプロの拡散状況については、どうしても情報量が限られている。議論の基礎にするのは無理がある。

さらに、イメージで物事を判断したり、単語を基礎にものを考えるという人間の習慣から、Yハプロを個々の社会集団と結びつけてしまうことが起きる。ハプロはDNA上の配列にすぎないので、JCウイルスと同様に、特に肉体的・精神的な性質、民族の特徴と結びついているものではない。だから、人種や民族と無関係なのである。

しかし、人種や民族とYハプロを結びつけてしまいがちである。この傾向がさらに進むと、個々の社会集団の精神的・肉体的性質とYハプロを結びつけるようになる。つまり、Yハプロが遺伝子に昇格する。これは科学にも実態にも合っていない。

閉鎖的な社会でない限り、ある地域の社会集団のYハプロの構成が変わらないということはありえない。人間の顔にハプロタイプが書いてあるので、お互いのハプロが確認でき、さらに性交・結婚するときにハプロ番号を考慮する、という条件は歴史上今まで存在しなかった。社会集団どうしが融合するときには、少数派のハプロとかウイルスは減少・消滅する傾向にあるだろう。

最近、保守派のアイヌや縄文人に対する発言に混乱が生じている原因の一つには、Yハプロの非合理な取扱いがある。「独立した民族である縄文人は存在しなかった。」、「独立した民族であるアイヌは存在しなかった。」、「縄文人がヤマトに征服されたことはなかった。」、「倭人は縄文人だった。」、「アイヌ人は先住民ではなく、中世にシベリアから日本にやって来た。」等々。

Y染色体と民族を結びつけようとするから、考古学や歴史的文献、ある集団で見られる人の容貌と無関係に、思い込みだけで歴史をねつ造し、しかもそれを科学に基づく説だとするのである。Y-Dハプロについて言えば、日本にあるタイプは大きく2種類に分かれるのだが、それを無視して話を作っていくので、余計に非合理性が強くなる。

歴史を考察するときは、社会と人間、文化を観察し、遺物や遺跡を推理の手掛かりとし、文献を調査検討することを基本とするべきである。Y-Dハプロを奇妙に取扱い、逆にそこから歴史を解釈することは科学的行為でもなければ歴史の正しい考察でもない。

私の感覚では、まだJCウイルスのほうが、実際の観察や文献、考古学と一致していると思う。ハプロ話では白人も、渡来人も消される傾向にある。

10189鳩摩羅童子:2020/01/21(火) 14:13:13
沖縄弁 vs. インド弁
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_20_O.html

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10190管理人:2020/01/22(水) 00:41:45
印欧祖語の起源
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010740M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010740_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010740_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/インド・ヨーロッパ祖語



10191管理人:2020/01/23(木) 23:44:12
四大文明とY-R,Q系統の拡散
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010741M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010741_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010741_3M.png

https://www.eupedia.com/europe/Haplogroup_Q_Y-DNA.shtml



10192秦野北斗:2020/01/24(金) 20:32:03
烏(からす):えぼし
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010742M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=SNNVc6H3OkU



10193管理人:2020/01/25(土) 00:16:55
亀ヶ岡文化と殷墟
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010743M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010743_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010743_3M.jpg

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/heritagebig/324248/0/1



10194鳩摩羅童子:2020/01/25(土) 02:49:31
re [10742] 烏(からす):えぼし
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_SanTami.html

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10195鳩摩羅童子:2020/01/25(土) 03:42:58
烏帽子岳(えぼしだけ) とは、 --- 国境の 山、 みたい。
https://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=18114

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10196秦野北斗:2020/01/25(土) 07:19:13

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010746M.jpg

https://www.kanjipedia.jp/kanji/0001680900



10197管理人:2020/01/26(日) 23:10:22
夏王朝と夏文字の起源
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010747M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010747_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010747_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/夏_(三代)



10198秦野北斗:2020/01/27(月) 14:39:46
甲骨文字は古代の秦の文字?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010748M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/甲骨文字



10199鳩摩羅童子:2020/01/27(月) 16:24:20
re[10748] : 「ひもろぎ」 は、 インド弁の roast 似
燔(ひもろぎ)の補足です。
>ひもろぎ:祭りに供える焼いた肉。骨に詩を書き、肉、骨を焼き祭りを催したのだろう。
→ インド弁に有る。

【サンスクリット語】paribhrajj(= only pr. p. %{-bhRjjyat} (with pass. meaning ,??%{-bhujyat}) and Caus. %{-bharjayati} (Bhpr.) , to fry 〔食材を〕フライにする、油で揚げる、いためる, roast??ロースト, parch 〔トウモロコシなどを〕日で乾燥させる、あぶる.)??ひもろぎ (r-m, jj-g)

c. 【英】roast = ロースト、〔肉の塊・野菜などを〕あぶり焼きにする、ローストする[◆じか火で焼くこと。またはオーブンで強く熱すること。同じオーブン調理でも、パン・菓子類のように時間をかけて繊細に焼く場合はbakeで表す。]

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10200秦野北斗:2020/01/27(月) 21:55:46
神籬(ひもろぎ)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010750M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/依り代



10201管理人:2020/01/28(火) 01:48:27
卜占
秦野さん、またお返事ありがとうございます。

甲骨文字の起源、気になるところですね。

日本でも下記のように、卜占に類するものが古代からあります。


牡鹿(おじか)の肩甲骨を[2]波波迦(ははか)(カニワザクラ、カバザクラ、カンバなど上溝桜(うわみずざくら)の古名[3])の樹皮を炭火にしたもので焼き、その町形(まちがた、骨の表面の割れ目の模様[4])によって占う[1][4][3](『古事記』天岩屋戸段[5])。鹿の骨を用いることから鹿占(しかうら)とも称される[1]。「ふと」は美称[4]。
古代日本において行われた[1]。『古事記』では、伊弉諾(いざなき)尊、伊弉冉(いざなみ)尊が国土生成のおりに、いかにして良き子を得ることができるか問うたところ、天つ神(あまつかみ)が太占によってうらなって教えてくれた、とみえる[5]。『魏志倭人伝』に「骨を灼きて以って吉凶を占う」とあるのはこの太占のこととされる[3]。
のちに、中国から亀卜(きぼく)の方法が伝わるとこれを神祇官の卜部氏が管掌して廃れた[6][3]が、現在でも東京都の武蔵御嶽神社[7]・群馬県の貫前神社[8]でのみ行われている。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25A4%25AA%25E5%258D%25A0


魏志倭人伝に出てくるというのは興味深いところで、弥生時代に日本に持ち込まれたとすると、その起源は中国にあった可能性がありそうですが、縄文時代には卜占の痕跡は見えないようですね。動物儀礼の可能性は指摘はされてますが。

こちらなど参照。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.ichihara.chiba.jp%2Fmaibun%2Fisekifile46.htm


仮に殷の王族が日本へ渡来したならば、卜占もやっていてもおかしくないのですが、いまのところその痕跡はないとのことですね。


10202管理人:2020/01/28(火) 02:06:51
亀ヶ岡遺跡方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010752M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010752_2M.png

http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_02-03/shishi_02-03-05-00-05.htm



10203鳩摩羅童子:2020/01/28(火) 07:09:52
re[10750] 神籬(ひもろぎ) のインド辞書結果
https://ja.wikipedia.org/wiki/御嶽_(沖縄)

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10204秦野北斗:2020/01/28(火) 10:21:18
ウタキ:御嶽。沖縄県で崇拝の対象とされる聖地。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010754M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/御嶽山



10205秦野北斗:2020/01/28(火) 10:59:08
ひもろぎもの=干者=干物(ひもの)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010755M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010755_2M.jpg

https://w.atwiki.jp/houji/pages/45.html



10206管理人:2020/01/29(水) 04:08:45
三星堆・二頭里・殷墟・龍山・大モン口・亀ヶ岡・三崎山・大湯・常呂・富士山方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010756M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010756_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010756_3M.png

また、皆さん、わかちあいありがとうございます。インド方言と古代日本語との間で相関性が多くみえるようですね!

昨晩の続きで、殷と関係が予想される亀ヶ岡文化について、今度はダイレクトに古代中国の遺跡と、日本の縄文晩期の遺跡とのラインについて調べてみた結果、図1〜3のラインが明らかになりました。

まず図1は三星堆と洛陽東部の二里頭遺跡を起点としたもので、図2はその拡大図です。

具体的には、まず三星堆遺跡⇔二里頭遺跡⇔大モン口遺跡⇔煙台⇔亀ヶ岡遺跡のラインが見えます。

また、三星堆遺跡⇔漢城⇔三崎山遺跡のライン、そして三星堆遺跡⇔金海⇔富士山のラインがあります。

さらに、二里頭遺跡⇔龍山遺跡⇔朝里天狗岳へのラインがあり、そして昨晩も指摘した富士山⇔三崎山遺跡⇔亀ヶ岡遺跡⇔朝里天狗岳へのラインがありますね。

なお、昨晩のライン分析では手宮洞窟を比定したのですが、図法の関係でしょうか、以前北海道の旧石器・縄文方位ラインの中心拠点として位置づけた朝里天狗岳のほうがもっと適切な位置にあるようです。

これらのラインの造営年代ですが、まず三星堆遺跡が上限を新石器時代晩期(紀元前2800年)とし、下限を殷末周初期(紀元前800年)とされており、また洛陽の二里頭遺跡が紀元前2100年頃-紀元前1800年頃または紀元前1500年頃、龍山文化は,紀元前3000年頃-紀元前2000年頃、大汶口文化は、中国山東省を中心に紀元前4100年頃から紀元前2600年頃にかけてとなります。

なお、亀ヶ岡文化、大洞貝塚は縄文時代後期〜晩期、大湯遺跡は縄文時代後期とされており、三崎山遺跡からは殷代の刀子が見つかっていることも昨晩お話したとおりです。

次に図3ですが、こちらは三星堆遺跡とともに、新たに殷墟を起点とした方位ラインになります。

具体的にはまず、三星堆⇔殷墟⇔常呂遺跡のライン、また殷墟⇔平壌⇔亀ヶ岡遺跡のライン、そして、殷墟⇔龍山遺跡⇔煙台⇔三崎山遺跡⇔大洞貝塚に至るラインがあります。

そして、昨晩も指摘した亀ヶ岡遺跡⇔大湯遺跡⇔大洞貝塚のライン、また亀ヶ岡遺跡⇔三崎山遺跡⇔富士山のラインがあり、さらに常呂遺跡⇔大湯遺跡⇔三崎山遺跡のラインも確認できます。

なお殷墟については、殷王朝後期(BC14世紀ごろ - BC11世紀ごろ)とされており、先に二里頭遺跡をメインとした図1のラインより、図3のほうが新しいことになるでしょう。

ただどちらも共通した拠点が見え、先日からお話してきた紀元前2700年以降の中国での都市構築に伴い徐々に朝鮮半島、日本列島へと拡大していったものではないかと思います。

それで、昨晩は殷滅亡時の遺民が、亀ヶ岡文化や三崎山遺跡の刀子をもたらしたことを予想したのですが、ただ、こうみていくと、そうではなく日本列島においても、かなり計画的に測量された位置に移住して都市構築をしていったことが明らかになります。

夏・殷(商)王朝の間で継続して測量と交易・移住が行われ続けていった結果として、縄文後期から晩期の遺跡にその影響がこれらの遺跡の位置等に見て取れるのではないでしょうか。

この方位ラインの構築年代を明らかにできれば、縄文時代の年代推定もさらに鮮明になってくる可能性がありそうですね。



10207fourfours:2020/01/29(水) 23:35:46
日本語の起源
初めて投稿いたします。fourfoursと申します。
日本語の起源に興味がある理系の大学院生です。
いろいろ知らないことがあり、この掲示板にて、勉強させていただいております。

この掲示板では、日本語とシナ・チベット語族が近縁であると仰っている方々がいらっしゃるようですね。
ただ、金平譲司氏の見解によれば、日本語はウラル語族とも関係があるそうで、そちらがベースかもしれないようです。言語は「意味の変化パターン」を捉えると系統関係が見えてくるようですね。
このサイト、はじめは「本当なの?」といった疑問が生じていましたが、納得する部分も増えてきました。

具体的には、以下のようです↓

http://www.jojikanehira.com/archives/number1.html



10208fourfours:2020/01/29(水) 23:55:43
言語の成立について
早速、連投失礼いたします。

言語の成立について追記いたします。

かつて、言語は、現代よりはるかに多く存在していたと考えられます。それのごく一部が現在まで生き残っているのでしょう。
そのため、生き残った言語は、消えていった言語の話者と語彙を大量に取り込んで生き残っていることを忘れてはいけないと考えています。

テュルク諸語・モンゴル諸語・ツングース諸語・ウラル語族などが共通の語彙を持っていると議論されるのも、かつて北ユーラシアに広がっていた言語の語彙(インディアン諸語・ケット語などのエニセイ語族、その他諸々)を大量に取り込んでいるからなのでしょうね。

デイヴィッド・ライクの「交雑する人類」にも記載されている通り、かつて北ユーラシアに住んでいた「ゴースト集団」が存在するので、その人らの言語の語彙も、現代の言語に取り込んでいるのかもしれません。

他言語から取り入れられてきた語彙を明らかにすることが大切そうですね。

10209管理人:2020/01/30(木) 00:40:18
RE 日本語の起源
fourfoursさん、はじめまして!わかちあいありがとうございます。

私自身は、言語についてはずぶの素人なのですが、最近までこちらに(^_-)を出しておられた方が、よく日本語とシナ・チベット語族との比較をなされていましたね。

またご紹介ありましたホームページで指摘されているウラル語族とY-N系統の流れ、そこにかかわる遼河文明と日本語への影響は大変興味深く感じます。

Y-N系統の割合は日本語では2〜7%と少ないようですが、その言語的な影響が大きかったとすると、かつては現在以上に勢力があったことも考えうることですし、逆に現在ではゴースト集団に近くなってしまっているのかもしれませんね。

また言語面での詳しいことは、みなさんからのご意見をお待ちしたいと思いますが、今後ともよろしくお願いします。

10210管理人:2020/01/30(木) 01:19:32
中国文明・縄文方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010760M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010760_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010760_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/新楽遺跡



10211秦野北斗:2020/01/30(木) 11:04:56
fourfoursさん、[10757] 日本語の起源
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010761M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=sZQp5gfQvLs



10212fourfours:2020/01/30(木) 18:51:21
[10759],[10761]へのご返信
管理人様、秦野北斗様

ご連絡ありがとうございます。
秦、渡来の記録に関しては今後の勉強にさせていただきます。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。

10213管理人:2020/01/31(金) 00:18:23
日本語と古代中国・朝鮮語
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010763M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010763_2M.png

http://www.jojikanehira.com/archives/number14



10214fourfours:2020/01/31(金) 09:42:11
[10763]の返信
早速、「日本語の意外な歴史」を読み進めてくださり、誠にありがとうございます。このブログの記事で、実りある内容を知っていただければと思います。

朝鮮半島でなにかあったのか(4)
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jojikanehira.com%2Farchives%2Faugust2018-5

でも挙げられていますが、この記事でも「消滅した言語についての考察」をしていることで、日本語の複雑な語彙の構成を明らかにしようとしており、ユニークです。

同記事で「?」にされている部分も、以降の記事で明らかにされてきていますよ。

下記リンクの「97〜122」の記事で、消滅した言語についての説得力の高い説明をされていますので、気が向いたら是非お読みになってください。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jojikanehira.com%2Farchives%2Flist


私はHLAハプロに関しては詳しく把握していないため、HLAハプロの各民族が見せる傾向など、どのような事実が分かるのか、勉強させてください。

10215管理人:2020/02/10(月) 01:12:50
HLAハプロタイプとゴースト集団
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010765M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010765_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010765_3M.png

https://en.wikipedia.org/wiki/HLA-B46



10216管理人:2020/02/20(木) 01:11:28
渤海・契丹と日本
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010766M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010766_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010766_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/渤海_(国)



10217管理人:2020/02/04(火) 01:08:10
契丹古伝と和訓
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010767M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010767_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010767_3M.png

http://sazanami.sitemix.jp/koden001.html



10218秦野北斗:2020/02/04(火) 10:59:03
[10767] 契丹古伝と和訓
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010768M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010768_2M.jpg

契丹古伝を意訳してみます、欠落字があるな・・・ 意訳は別ものだな、

辰?繾翅報 斡南易羅祺 駿蔘冉謨律辨扈陪
意訳:辰(東南東)・・報せる、巡る南に代わる、並べ安らか勝れる、朝鮮、危うい図る則、わきまえる、広い従う、
蘊杜乍喃吟 綿杜乍喃密 伊寧枚?汶枚氣冉
意訳:穏やか杜(もり)、忽ち、喋る歌う、列なる杜(もり)、忽ち、喋る親しい、伊(い)平?る、汚れ、平氣危うい、

原文

辰?繾翅報 斡南易羅祺 駿蔘冉謨律辨扈陪
蘊杜乍喃吟 綿杜乍喃密 伊寧枚?汶枚氣冉
滿婆載娜摩矩泥克 羊袁暘弭沚緬

辰?繾翅報 斡南遏浪祺
億扈瑪尹冉濟 紆凱湄烏架樂遊
絶斿麗奄斿例 斡浸播圭婁可洛
資斿麗絆斿例 耶那奈資婁可洛
固牟畢滿呂魏克 遏浪謨納岐

辰?繾翅報 案斜踧岐 賁申釐倪叔斿厲
珂洛秦弁支廉 勃剌差笏那蒙緬




10219管理人:2020/02/05(水) 02:18:38
契丹古伝と濊貊
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010769M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010769_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010769_3M.png

http://sazanami.sitemix.jp/koden001.html



10220秦野北斗:2020/02/05(水) 10:38:29
[10769] 契丹古伝と濊貊
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010770M.jpg

翻訳が出鱈目ですな、何を言ってるのか、訳と一致しない・・・

[10769] >また、その2つ前の38条では、匈奴の冒頓単于の時代に、殷と関わる淮伯?族、つまりワイ族が安泰となった後、情勢変化で再び行き場を失って、そこで「至是辰招以率發符婁之谿臼斯旦烏厭旦之壤。高令乃之臻。」、つまり彼らを朝鮮に招いて土地を提供したというように見て取れますね。

どうも、朝鮮に開港を求めている模様・・・

至是辰招以率發符婁之谿臼斯旦烏厭旦之壤。高令乃之臻
意訳:
到る此れ辰(東南東)、招く以って率いる。開く割符を繋ぐ、谷臼、此処に明らか、烏(えぼし)は嫌う、
此れ湊。高まる則、即ち此れ多い、



10221 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2020/02/05(水) 16:00:28
此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010771M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010771_2M.jpg

https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-1.html



10222秦野北斗:2020/02/06(木) 14:13:58
神功皇后の陵(みささぎ)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010772_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010772_3M.jpg

世徳私纂に遂建寺、神功皇后の陵(みささぎ)の大きさが記録される。

宮内庁、神社本庁は知らないのですな

神功皇后の陵(みささぎ)は、宮内庁により奈良県奈良市山陵町にある狹城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ、位置)と云われるが、世徳私纂(岸和田)に寛永17年(1640)に岸和田藩により補修
される。神功皇后の古墳、また、宗教施設、遂建寺と遂建寺領地は堺にある。

神功皇后の陵(みささぎ)は、方形墳になる(世徳私纂に大きさが記録されている)墳の長さは1km
になる。

宮内庁上の形式は前方後円。遺跡名は「五社神古墳」で、墳丘長275メートルの前方後円墳である。
「五社神古墳」など小さい、

世徳私纂(セトク シサン)三宅 源

世徳私纂は岸和田の資料であるが、岸和田では内容を読取れない、解読できる人材がない。
内容は織田信秀から岸和田(当時、堺は岸和田に属する)の歴史になる、正親町天皇の神野、栄の離宮を千の利休に譲り、開国(ポルトガル)、戦国時代に入り、織田信長の死で江戸時代、図の湾は現在、堺と読むが、本来は栄である。この栄を霊元天皇が埋め鎖国にはいる。栄の神、神功皇后は戦乱中は転封、遷封される、亀山、福知山、大垣、龍野、高槻、岸和田(現在の堺)最終は岸城に落ち着く。神功皇后の陵(城)は岸和田(現在の堺)にある。以上が大まかだが・・・三宅 源 は、元は宮家と読める。




10223管理人:2020/02/07(金) 04:05:13
契丹古伝の分析
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010774M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010774_2M.png

http://sazanami.sitemix.jp/koden001.html



10224秦野北斗:2020/02/07(金) 09:48:32
[10774] 契丹古伝の分析
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010775M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010775_2M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/契丹



10225秦野北斗:2020/02/07(金) 11:37:51
本能寺の変  愛宕百韻
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010776M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010776_2M.jpg

[10772] 神功皇后の陵(みささぎ)の 世徳私纂 で行動が読取れる、

愛宕百韻によると、本能寺の変は数年前から計画され、天正10年(1582年)5月24日明智光秀が山城国愛宕山で計画を遺すため「明智光秀張行百韻」「天正十年愛宕百韻」とした。百韻は正親町天皇の命令からはじまる。「ときは今 あめが下知る 五月かな」

明智光秀が徳川家康に堺見物を勧める、実の処は、堺は栄のことで神功皇后、遂建寺見物である。図
栄には千の利休、神野の茶屋(離宮)で茶をいっぷくした模様、尚、徳川家康の伊賀越えは利休の案

織田信長は配下(公家に接待され、本能寺にはいない)の者はいない、本能寺で側近と・・・
新月の明け方近くに明智光秀が討ち入る・・・

明智光秀は豊臣秀吉を馬鹿にしていたのが命取りになる・・・

愛宕百韻によると、本能寺の変は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の暗殺計画では・・・。
織田信長は直接殺害する。一人の処を、恨みたらたら殺害
徳川家康は罠に掛ける。逃げ惑わせ、追い詰め殺害
豊臣秀吉は銃殺を計画する。火縄銃で蜂の巣にして、殺害
全て失敗、ただし、織田信長は自殺する。

暗殺計画者は正親町天皇、実行者(殺し屋)は明智光秀
go サインは「ときは今 あめが下知る 五月かな」

本能寺の変、計画失敗 豊臣秀吉が関白につく、関白の意味:「関(あず)かり白(もう)す」
正親町天皇は権威剥奪、豊臣秀吉、徳川家康が監視する。謹慎ですな。
明智光秀は計画失敗で死亡

先輩方の創造には恐れ入ります。愛宕百韻は全訳しています。秦野北斗



10226秦野北斗:2020/02/07(金) 18:01:22
栄を霊元天皇が埋め鎖国
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010777M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010777_2M.jpg

https://kotobank.jp/word/新田開発-82285



10227国家元首:2020/02/07(金) 20:44:52
本能寺の変は世界史的な大事件
昔から、以下の3人が主犯であるという説があって、私もその説が最も合理的だと考える。さらに足利義昭が光秀に援護射撃をし、正親町天皇は黙認していた、というのが真相だろう。

近衛前久

勧修寺晴豊

吉田兼見

そういう説の一つの例として、以下のものがある。

「立花京子氏の朝廷黒幕説」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Feikorekken.client.jp%2Fcollaborate%2Fhon-nohji%2Ftheory%2F3.htm


国体を守るのは、皇族や公家の本質的な使命である。それは彼らの存在の前提に関わることで、相手がどんなに恐ろしい独裁者であっても、やる時はやる。

民族としての日本人の立場からも、明智光秀は国体を守った英雄であると言える。

信長ならば、倭寇と同じルートで中国南部沿岸から大型船で明に侵入したはず。(宣教師もそのような話を聞いていたらしい。)

そこからジワジワと勢力を拡大したら、明の征服が成功したかもしれない。そうしたら、今頃日本人は中国人との混血になって、違う生き物・文明になっていたとも考えられる。

また、東南アジア・アメリカ大陸を巡って、欧州諸国との長期間の抗争に巻き込まれたり、カトリックの介入を招いたりして、基本的に良いことはなかっただろう。

光秀の日本史における巨大な功績は、もっと評価されるべき。

10228国家元首:2020/02/07(金) 20:53:13
カトリック
信長は功績も大きいが、危険性も大きい。彼はカトリックの布教活動に寛大だったが、あのままカトリック勢力が拡大していたら、日本の歴史におけるその弊害は、かなり酷いものになっただろう。

信長は、日本統一の道筋を準備し、本願寺を抑え込んだあの時点で死ぬのが正しかったとしか、いいようがない。

10229秦野北斗:2020/02/07(金) 22:35:21
[10779] カトリック
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010780M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010780_2M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=VWZ__gzSRuk



10230管理人:2020/02/08(土) 00:19:27
本能寺の変
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010781M.png

https://www.amazon.co.jp/「本能寺の変」本当の謎-円堂-晃/dp/4890631852



10231 史実探偵: 平 素人:2020/02/08(土) 04:26:36
触らぬ神(暴論)に祟りなし^^?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010782M.jpg

https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-31.html



10232秦野北斗:2020/02/08(土) 07:12:23
カトリック
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010783M.jpg

千の利休はカトリックなんです。

管理人さんもお茶、いっぷくどうですか・・?





10233秦野北斗:2020/02/08(土) 14:04:32
立花京子氏
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010784M.jpg

http://eikorekken.client.jp/collaborate/hon-nohji/theory/3.htm



10234秦野北斗:2020/02/08(土) 16:16:24
魏誌倭人伝 投馬国
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010785M.jpg

http://www7b.biglobe.ne.jp/~smkodai/28touma.html



10235国家元首:2020/02/08(土) 17:37:43
巨大な心中でもあったのでは。
古代史と関係がない話だが、光秀と信長の関係は心理的な依存関係が強かったと思う。京都の伝統的勢力との調整役だった光秀と伝統を破壊する信長は、対称的なまでに性格が違うので、かえって信長にとって貴重な人材だった。

信長のような赤ん坊がそのまま大きくなったタイプの人は、母親・父親のような存在に依存することになるが、光秀がそのような存在になったのだろう。信長と光秀がたびたび口論していたことは、宣教師の記録などにも書かれている。

信長に逆らったら、殺されてもおかしくない。むしろ、殺されるくらいことが起きるのが普通なのに、光秀は口論をしている。信長にとって光秀は特別な存在だった。

本願寺勢力が光秀の立て籠もる天王寺砦を大軍で包囲した時に、信長は少ない兵力で突撃して光秀たちを救い出したことがあった。この時、信長は足を銃で撃たれて負傷している。信長自ら体を張って突撃したと思われる。

末期の信長は、狂的な行為が過激化し、国体を破壊しようとしていた。本能寺の変は、朝廷・伝統勢力と信長の板挟みにあった光秀が、保護者が責任を取るようにして信長を処分した、という面もあったと思う。

つまり、大きな親子心中みたいな要素もあって、そのことが、信長が明智の来襲と聞いて「是非もなし」と言った背景だったのだと思う。

10236秦野北斗:2020/02/08(土) 20:51:42
モンタヌス日本誌
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010787M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010787_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010787_3M.jpg

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879653



10237管理人:2020/02/09(日) 00:54:02
本能寺の変2
こんばんは。みなさん、ご興味あるようなので、ちょっと脱線して、このまま本能寺の変について推理していきましょう・・。

壬申の乱などもそうですが、一般的に古代史家は理詰めで推理したいものですね。あまり偶然とか、深層心理といったものは根拠にしないものです。

ただ、元首さんのおっしゃるように、深層心理面での動きというのはもっとこれから歴史学でも取り込んでいってもよいように感じるんですね。先に紹介した円堂氏もユングの話を持ち出してますし、参考になります。

昨晩お話した忌部氏、源氏といった家系的なものにかかわる心理も影響を与えているように感じますし・・・。

深層心理というのは、当人が意識しないままに、勝手に必然的な行動を起こすことを前提とするものでしょう。

逆にいえば、特定人物の明らかに不合理な行動や言動を列挙していくなかで、その深層心理を読み解くことができるかもしれません。

円堂氏が最後にふれている安土城の天守閣の構造なども、読んでいくと、信長の心理を映し出しているようにみえますし、別の視点で切り込むと、これは石窟寺院にもみえる八角形と四角形天井の組み合わせ、つまり生死と復活を意味する図形なわけです。

だから、あの天守閣は、円堂氏が述べるように、軍事的なものではなく、信長の天皇より上にたつ神に近い存在としての心理を象徴する塔のようなものだったでしょう。

強いていえば、天上へと復活する儀式の場に近いものだったのかもしれません。天皇より上のものになれるとの観念を誰が植ええつけたか?ここがまずひとつの重要なポイントでしょう。

円堂氏の推理としては、本能寺の変の当日、信長が明智兵を意図的に呼び返して、そのまま天皇のところに向かい、軍事的に脅しかけて、信長を将軍職につかせるよう計画していたとのことで、しかし光秀はそれを行うと逆賊扱いとなるので、その意には従えず、それを聞いてすぐに、各地の大名に謀反を起こす旨を手紙で送っていたとのことのようですね。

もともと光秀が、織田家とは縁が薄く、かつての主人の足利将軍家を再興したいと考えていたことも確かでしょうし、偶然にもよい機会が巡ってきたので、すぐに実行に移したとのことなのでしょう。

その偶然という要素を、なんとか理詰めで解釈したいと歴史家は考えるわけですが、偶然は偶然、それこそ必然として受け止めることもありかなと感じます。

大災害が現実化する際にいわれることは、それ以前に無数の小さな災害・予兆があり、その氷山の一角が、あるときにタイミングが一致して、それが大きく膨れ上がって現実化する、どんな場合でも後から見直すと予兆が多くあるものです。

原発災害にしても、大地震にしてもそうですね。

本能寺の変にしても、おそらくは、それ以前に謀反に近い行動がいくらか信長の周りにあったのかもしれません。ただタイミング悪く、つかまったり、表面化しなかったのかもしれませんが、光秀のときは、すべてがうまくいくタイミングだったのでしょう。それで見事に成功した。

しかし、その後の計画は、逆にタイミングがくるっていて、彼の描いたストーリー通りにはいかず、ああいう結果になったわけです。

大局的な流れとしては、光秀がやらなくても、いずれ信長は殺されていたのかもしれません。
信長自身も近い将来、自身が殺されることを予想していたかもしれませんね・・・。

その偶発的ともいえる、絶好のタイミングを造り出すものは何か?が次の課題といえそうですが、これも確率論で考えるのには、あまり賛同できないように感じます。

やはり、そのタイミングを造り出すかのように、人間集団がその目的とでもいうべきものに向かって、無意識的、人によっては意識的に動いていく、その結果として、そのタイミングがやってくるわけです。

本能寺の変についていえば、やはり秀吉が遠くに行ったというのが大きな要素だったのでしょう。戻ってくるのには、かなり時間のかかるところにいたわけです。しかも交戦中ですぐには動けない。

信長のボディガードが欠けたような状態がまず造り出されることが必須条件にあったはずです。

ただ、暗殺という視点からいけば、何も茶に毒を飲ませることで済むわけで、それをしようと思えばできるのも多くいたでしょう。

それをあえてする人が出てこなかったのは、まだ信長を使う必要があると周囲が認めていたからかもしれませんね。

天下を統一するには、信長と秀吉が必要だと誰もが認めていた・・・・。

しかし、状況が変化して、信長が必要ないと判断する時期に差し掛かっていったので、明智がそれを実行したのではないでしょうか。

どうして必要なくなったのかですが、ひとつには、秀吉が信長に取って代わるだけの力量をもちはじめていたから、またさらにいえば家康も同様に力をつけていたからかもしれません。

かれらの上に乗っかっている重しのような信長を取り払う必要があったんでしょう。信長がいるかぎり、かれらは自由に動けないわけです。

カリスマ性のあるリーダーがいなくなった後には、やはり混乱があるものですが、それなりの後継者が現れて、その権威を引き継いでいく、その後継者たちが育つところまでは、そのリーダーの役割なわけですね。

その交代時期が、信長の場合は、他の大名よりも比較して早く来てしまったというか、彼の言う人生五十年で、彼の意図通りに起こった交替だったわけです。

ただ、息子に引き継がせようと考えていたところが計算外で、実際は臣下がそれを引き継いだ。織田の血縁者を残す方向で、謀反が動いていたら、また展開がかわっていたかもしれませんが、外様の光秀が謀反を起こしたことと、秀吉がそれを討伐する手柄を手にしたことにより、生き残った織田の血縁者は権力を引き継げなくなったわけです。

そういう意味でも、光秀が織田信忠を殺し、織田家家臣団にダメージを与え、秀吉がさらに光秀を殺して手柄を挙げて、織田家や家臣団を黙らせる、このストーリーが、ある時期から見え隠れしはじめていたのでしょう。

そのストーリーどおりに、合目的的な力にしたがって、各人が演技とでもいうべき動きを無意識・意識的におこなっていった結果として、ああなった。

結局、朝廷も足利も権威を回復することなく、秀吉、家康へと権力が引き継がれていったのですが、それは前者がいくらあれこれ画策しても、大局的な流れからいって覆せるものではなかったんでしょうね。

ただ、光秀を動かすには、もうひとつふたつ条件が整う必要があり、やはり秀吉の高松城攻めがキーだったのではないでしょうか。

秀吉的には勝算があり、それは時間の問題でもあったのですが、なぜか援軍を求めるように使いを出す。

そこに、光秀が動くことまで彼が読んでいたかどうかが気になるところですが、残っていた武士が、信忠や光秀だけだったとすれば、やはりどちらかが来ることは理解していたのかもしれません。

そのまま毛利と足利を潰すならば、やはり光秀を送ると読んだかもしれませんね。

ただ光秀的には足利義昭の討伐には向かいたくなかった、しかし信長は近江の領地をとりあげてでも、光秀に向かうように急き立てたので、仕方なく秀吉の援軍として向かわざるを得ない状況に追い込まれた。

そこで、足利と織田のどちらを主人に選ぶかの選択をしなおした結果として、信長を殺すことにした。

そこでユダにサタンが入ったごとくして、見事なまでの策略で信長を葬ったのでしょう。

信長は光秀がひきかえしてくることを理解していたかどうか?ここが面白いところですが、円堂氏は信長が意図的に光秀の大軍を呼び寄せたことを立証している点で興味深い。

信長はなぜ光秀を呼ぶことを考えだしたのか?ここが、おそらくは無意識のなす実に興味深い行動形態なのかもしれません。自分で死を引き寄せる。自ら進んで武装を解き、丸裸にされるような状況へと追い込んでいくわけです。

実に奇異なことが続けざまに起こっていったはずですが、大局的にみれば、それも偶然のようで必然だったのかもしれませんね。

あと、家康の動き、彼はすぐそばにいたのに、起きる直前に逃げるかのようにして、自国へと戻ってしまった。

動物的なまでに危険察知能力が高かったのか、するりと災難をかわすことに長けてますね。生き残る人というのは、そういうものなのかもしれません。

大物とされる戦国大名で、戦死したのは、その戦数に比して実に少ないですね。信玄、謙信、秀吉、家康、毛利、伊達・・・。ほとんどは戦死してないのは、単に家臣団が守ったからというわけではなく、そういう歴史的必要性とでもいうべきものが終わるまでの間、死ぬに死ねないようになっていたのかもしれません。あえて死ぬ場合は、真田とか石田のような死に方でしょう。ぎりぎりまで生き延びて、死を自分で決める。

大物の中で、ただ信長だけが、早い死を選んでいる、そこが彼の面白いところなのかもしれませんね・・・。

10238国家元首:2020/02/09(日) 13:19:44
日本で独裁は可能だったか。
明智は源氏で、織田は源氏ではない。(自称平家)これは、意識的・無意識的に影響していたと思う。当時の武士・公家たちにとっては、そういうことは常識だったと思う。源氏問題が徳川に強く関わっていることは、表面的な歴史でも明らかである。

秦の始皇帝と信長は明らかに類似型、同型の独裁者なのだが、その人生の結末には大きな違いがある。この違いを考えることは、日本で中国やロシアで行われたような独裁が困難である理由を考えることにもなる。

やはり、日本の独裁者は、根強い伝統文化(国体)の壁とぶつかり、それを破壊しようとすると、潰されてしまうということがある。朝廷から国師号を与えられた快川紹喜を焼殺したことは、伝統勢力に対する信長の挑戦状だったはずで、公家たちもあの時点で信長との対決を覚悟したことだろう。

信長の残虐性は赤ん坊性の一面であって、赤ん坊状態では、ある種の精神分裂が起きやすい状態だったろう。本能寺の変に至るまでの経過に、自滅的・自殺的要素が感じられる。始皇帝のような殺伐とした心理状態の中でも、光秀との関係においては、人間関係らしきものや愛情らしきものが見られる。

光秀が長期間かけて構築した長宗我部人脈を突如廃棄して、長宗我部征伐路線に切り替えた理由は、信長王国の中で作られていた光秀人脈に対する攻撃だったとも疑われる。信長は、自分が考える将来の織田政権にとって邪魔になりそうなものは破壊したかったろう。

しかし、赤ん坊ゆえに心理的に光秀から自立できず、伝統勢力と結託した光秀の心中攻撃には勝てなかった。客観的に自殺にも見える要素があるが、精神分裂がもたらした自殺という要素もあったような感じがする。

伝統と人間性の力が強い日本的な風土では、独裁者はそれに反発する必要もあって戯画的なまでの独裁者になっていったが、結局は伝統と人間性に負けて失敗してしまう。

ほとんど自殺に近い形で、唯一人間関係らしきものがある部下に、ほとんど心中に近い形で殺害される。本能寺の変には独特の哀しさが漂うが、昔からこの辺の事情が日本人に感じられているからだと思う。



10239秦野北斗:2020/02/10(月) 00:54:59
モンタヌス日本誌が理解できないようですな、
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010790M.jpg

国家元首さん 洗脳が・・・

>秦の始皇帝と信長は明らかに類似型、同型の独裁者なのだが、????

モンタヌス日本誌が理解できないようですな、



10240管理人:2020/02/10(月) 01:58:13
戦国城跡方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010791M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010791_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010791_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/明智光秀#南光坊天海説



10241管理人:2020/02/11(火) 01:15:41
新田・太田・徳川氏と関東城跡ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010792M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/世良田氏



10242国家元首:2020/02/11(火) 04:36:05
名探偵明智小五郎
明智光秀は源氏の武士という印象の強い人だと思います。本当に土岐源氏の流れの人でもおかしくないと思います。

家康は源氏を名乗りますが、寺の前で行き倒れ(のふりをし)て寺に入り込んで、寺を乗っ取ってゲリラ集団を結成した男の2・3代目だというような説をテレビで見た記憶があります。

そのテレビ番組では、インチキくさい小さな金属製のオブジェが出てきましたが、それが家康と源氏の間を繋ぐ証拠だとされているとか。

関東武士の血が少しでも流れているなら、少しは源氏の末裔である可能性が高いし、源氏的な存在形態を受け継いでいるのであれば、源氏と名乗ってもあまり問題がないでしょう。


ウィキペディア「源氏長者」より

「・・・武家源氏で源氏長者となったのは、清和源氏の足利義満が最初であり、足利将軍家と徳川家康に始まる徳川将軍家(清和源氏の新田氏の流れを汲むと自称)は武家のまま源氏長者になっている。・・・」

/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

10243秦野北斗:2020/02/11(火) 10:07:52
[10793] 名探偵明智小五郎
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010794M.jpg

https://news.livedoor.com/article/detail/6977367/



10244fourfours:2020/02/11(火) 23:48:35
テュルク系言語の位置づけについて
戦国武将から日本の文化を知ろうとする視点がなかったため、今後は戦国武将など、日本史を勉強しようと思います。

今回も金平譲司氏のブログの引用です。

戦国武将の議題からかなりそれますが、テュルク系言語は、消えてしまった大語族(もしかしたらシナ・チベット語族も?)と関係があるそうですね。

朝鮮語・アイヌ語の起源もいずれ公開されるそうです。

同じ人の記事の貼り付けばかりで申し訳ございません。正説のように感じられ、共有したい気持ちが強くなりました。

http://www.jojikanehira.com/archives/17088428.html



10245管理人:2020/02/12(水) 01:31:34
土師氏と関西城跡ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010796M.png

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/toki_k.html



10246管理人:2020/02/12(水) 02:14:19
日本語の変遷
fourfoursさん、さっそくまたお知らせありがとうございます!金平さんのブログ、拝読させていただきました。

テュルク系言語の件は興味深く感じます。ウラル、ツングース、モンゴル語とも大きく相違するのですね。そして比較的新しい時代に拡散した可能性があるとのことも、スキタイ系集団の東遷とか関わってこないかとも感じます・・・。

そして、日本語とも共通性が多いことも、以前、こちらでも指摘されていた方が数人おられたかと感じます。

あと、以前から感じているのですが、記紀や万葉集にみられるような日本語の語彙と、平安時代のそれ、また関東武士の影響が出てくる時代のそれとで、少しづつ変化しているように感じるんです。

それで縄文人由来の日本語の場合は、アイヌ語や九州・琉球方言とも関係してくるでしょうから、そこからその古さの度合いがはかれるとおもいますし、金平さんのブログでもアイヌ語関連も発表されるとのことでとても興味深いのですが、一方で、まったく、記紀万葉はもとより、アイヌ語などにもみられない語彙群ですね、これをどう考えるかも課題になってくるでしょう。

具体的には先日もお話した紀元後1100年ごろから日本人に現れ始めるHLAB44にみられるような北朝鮮、渤海、契丹といった集団との関わりが見えないかと感じます。

なお契丹語については、下記のようにモンゴル諸語との見方があるようです。

契丹語
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25A5%2591%25E4%25B8%25B9%25E8%25AA%259E


それで、最近思うのは、日本語というのは文法的にはおおむね一つの言語のように感じるのですが、語彙的にみると、2つ、3つの言語を使い分けているような気がするんです。

先の金平さんのブログでも紹介されていた水関連の語彙や動詞についても、そうですし・・・。

たとえば「食」だと、たぶ、はむ、くふ・・など2〜3の言語を使い分けているように見えます。それに加えて漢語のショクも加わりますから、日本語が難しいわけです(汗)

だから、あらかじめ、3つなら3つの言語が先に前提とあるとの設定で、それに今ある日本語の語彙を、カテゴライズして振り分けしていくと、その3つにならずに2つしかない語彙とかがあれば、すでに消えた語彙なり言語なりが浮かび上がってきたするのではないでしょうか。

この辺の統計技法とでもいうべきシステム化ができてくると、古代史面でも応用がききますし、そこから文献史料の成立年代なども逆算できるかもしれない点で重要です。

スパコンの時代ですから、これからの新進気鋭の研究さんさんたちに、ぜひ期待したいところですね!


10247fourfours:2020/02/12(水) 08:58:04
[10797]への返信
http://www.jojikanehira.com/archives/october2018-2

http://www.jojikanehira.com/archives/14818949.html



10248fourfours:2020/02/12(水) 09:05:57
記紀万葉に出現することばについて
記紀万葉で出てくる言葉も、消滅した言語群の一部で、他の言語群と結びつくのかもしれませんね。

10249fourfours:2020/02/12(水) 09:13:11
契丹語について
契丹語は謎に包まれていますが、この言葉はモンゴル系言語をベースとし、様々な言語が混じっているのでしょうね。
解読できれば、モンゴル系言語・ツングース系言語などの、北ユーラシアに広がっていた言語群の接点が見えてきそうですね。


10250管理人:2020/02/13(木) 00:03:15
言語と認識方法
fourfourさん、お返事ありがとうございます!

ご紹介ありました「足」や「水」にみられるような多彩な語彙変化についても、視野にいれながら進めていく必要がありそうですね。

またご紹介あった金平さんのブログを読んでいて感じたのは、人間や人種の認識論にまで踏み込む必要がありそうだとのことでしょう。

ちょうど先ほどは知人に関する別件で、特定の単語を被験者に発音させたり、連想させるときに、言語脳の特定部位に血流が流れて反応するものの、個人差があるようで、それが精神病疾患の判定などにも応用されているとのことを知ったところでした。

ご興味ある方は下記サイトなどご参照ください。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fstyle.nikkei.com%2Farticle%2FDGXDZO54372730V20C13A4EL1P01%2F
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.research.johas.go.jp%2Fbooklet%2Fpdf%2F10-2.pdf
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkogusoku.com%2Farchives%2F10407
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.kanazawa-med.ac.jp%2Fgraduate%2Foutline%2Fgakui%2Fdoc%2Ffullk450.pdf
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.carenet.com%2Fnews%2Fgeneral%2Fcarenet%2F38831


そして驚いたのは一卵性双生児では、その部位の反応が高い比率で同じなのにたいして、二卵性では低いと相違するようなケースがあることです。

ある意味、遺伝的な脳構造に由来するのでしょうけど、その遺伝をつきつめると、人種にまでいくつくかもしれず、そうすると、特定の人種は、特定の言語に対して、特定の認識方法をするというところまで明らかになってきそうです。

関連して、最近アイヌ語の本を最近読んでいて、その語彙認識の仕方が、日本人のそれとは少し異なるように感じたことを思い出します。

下記のアイヌ語の語彙一覧をみると、その件を理解できると思います。

アイヌ語語彙一覧
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2582%25A2%25E3%2582%25A4%25E3%2583%258C%25E8%25AA%259E%25E3%2581%25AE%25E8%25AA%259E%25E5%25BD%2599%25E4%25B8%2580%25E8%25A6%25A7

たとえば、カイ(kai)が、強い(怖い≒強い の意味を含む)※アイヌ人が自らをさす時の名称との説もある。

とありますね。つまり日本語のコワイなのですが、強い(つよい)の意味とも重なっていて、かつての原日本語の忘れられた意味付け方法だったのかもしれません。

オンカミonkami拝む、拝礼するなども、日本語のオガムとなりそうですが、元はオン+カムイ(カミ)の二つの単語の合成語だった可能性もありそうです。

オンは尊敬語の御でしょうか・・・。

また カムイノミ(kamuynomi) 神に祈る  も、神(カミ)と祈る(イノル)の合成語のようにみえますね。この場合は、アイヌ語のほうが合成語として伝わっていったようにもみえます。

先ほどのオンカミ(onkami)の拝礼の意味と、この語は日本人的には同じような気がするのですが、アイヌ人における神に祈りることと、目上の人に礼をすることとの意味付けの相違が、これらの異なる語彙を生み出していったようにもみえますし、そこにはアイヌ独特の観念なり習俗が影響していたのかもしれません。

ただ、概して、上記のようにアイヌ語と日本語との間には、やはり相関性があるように見えますし、まったく関係が見出せないとしていたらしい?かつての言語学が、どうしてそう理解したのがかいまいち理解できないんですよね。

文法的な面では大きくことなるので、そのことを言っているのか、語彙的なことも含めてそうしたのかも気になります。

語彙と文法の相違とともに、その認識方法がどうであるかについても、判定基準を造っていくべきかもしれませんし、それがないと、スパコンでカテゴライズする上で支障が出てくるでしょう(笑)

あと、こちらは上代日本語の語彙一覧(一部のようですが)です、よろしくご参照ください。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E4%25B8%258A%25E4%25BB%25A3%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E8%25AA%259E



10251管理人:2020/02/13(木) 02:08:17
鴨方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010802M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010802_2M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/土岐頼貞



10252管理人:2020/02/14(金) 00:24:41
鴨方位ラインと修験道
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010803M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010803_2M.png

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=30386&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1



10253国家元首:2020/02/15(土) 00:53:28
カモ
上賀茂神社HP
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.kamigamojinja.jp%2F

「・・・賀茂別雷神社は、通称「上賀茂神社」「上社」の名で親しまれる神社です。御祭神は賀茂別雷大神。」


下鴨神社HP
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.shimogamo-jinja.or.jp%2F

「・・・鴨川の下流にまつられているお社というところから「下鴨(しもがも)さん」とか「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」と親しくよばれています。・・・

ご祭神
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと) 西殿
玉依媛命(たまよりひめのみこと) ??東殿

・・・」


ウィキペディア「賀茂建角身命」

「・・・『新撰姓氏録』によれば、賀茂建角身命は神魂命(かみむすびのみこと)の孫である。神武東征の際、高木神・天照大神の命を受けて日向の曾の峰に天降り、大和の葛木山に至り、八咫烏に化身して神武天皇を先導し、金鵄として勝利に貢献した。・・・

賀茂建角身命には建玉依比古命(たけたまよりひこのみこと)と建玉依比売命(建玉依姫命、たけたまよりひめのみこと)の2柱の御子神がいる。建玉依比古命は後に賀茂県主となる。建玉依比売命は、丹塗矢に化身した火雷神(ほのいかづちのかみ)を床の近くに置いていたところ、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと、上賀茂神社の祭神)を懐妊し出産したとされる。 ・・・」




10254管理人:2020/02/15(土) 00:56:32
中国文明、縄文、朝鮮考古
ちょっと調べものをしていて興味をひいた動画をお知らせします。参考まで。

《中??秘》 中原?古 大河村?址博物? 凝聚仰韶文化灵魂
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3De_ttWBrv13A

彩陶,仰韶文化,河姆渡文化
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3Df8yTVHPsPhc

ところ遺跡の館 縄文時代の解説
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DPD8EEztmq5s

常呂遺跡の館 旧石器時代の解説
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DeHMhdj3u62I

【国宝は語る】(9)甲骨文字
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DrXP2xkYGNu0

世界??在中国 E31 河南殷墟
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DP90CXQIlqwY

(3)Jomon Letters = Quipe Theory 縄文文字=キープ(結縄文字)byはやし浩司Hiroshi Hayashi, Japan
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3D4iNB4KcA0Sc

神秘の古代王国伽耶
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DAevyvZtR7ow

知られざる文明、滇(てん)王国
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DrtNaycM308U

全国邪馬台国連絡協議会 第5回 全国大会 (2日目)
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DrNx4WuwiFNs%26list%3DPL1whCoQaFL1Z0I1KUV2AUVNfGTnciBYwP

10255管理人:2020/02/15(土) 02:56:54
賀茂氏、光秀=天海説
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010806M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010806_2M.png

https://www.youtube.com/watch?v=0uQ0PSdShXg



10256管理人:2020/02/16(日) 02:12:44
秀吉と賀茂氏
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010807M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/豊臣秀吉#cite_ref-18



10257fourfours:2020/02/16(日) 23:32:43
データ提供ありがとうございます
上代日本語の語彙一覧を提供してくださり、誠にありがとうございました。
「占」が、中央方言では「ura」、東国方言では「mura」となっています。

このデータではサンプルが少ないですが、中方方言と東国方言で「頭子音mの有無」の違いがみられる単語がある程度存在するのではないかと予想しています。原因として、「まれに起こる音韻変化がおこった」または「聞き取る人がそれぞれ異なった解釈をした」のでしょう。
もしこの「まれに起こる違い」が世界に普遍的な音韻変化であると立証されれば、ツングース系言語満州語"muke"(水)、モンゴル系言語"us"(水)は、もとは同じ単語の可能性があるかもしれません。
ツングース系言語でke/geとなっている言葉でモンゴル系言語でse/ze/?e/?e/?e/?e/tse/dzeになっている単語は複数存在する(満州語eigen(夫)⇔モンゴル語ezen(ぬし)など)で、"us"と"muke"も対応するかもしれません。


モンゴル民族はインド=ヨーロッパ民族やテュルク民族の影響を受けて遊牧化したと考えられていますが、そこで言葉の認識方法が大きく変わった可能性もありますね。
モンゴル系言語を深く研究することは、そのような認識方法をどう変わったか把握するのに役立つ可能性がありますね。

10258管理人:2020/02/17(月) 00:48:19
秀吉ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010809M.png

fourfoursさん、こちらもお役に立てたようでうれしいです。
また、後日、アイヌ語と日本語祖語、印欧祖語についての本も借りてきたので、いくらかサンプルお知らせできると思います。しばしお待ちください。

また昨晩の秀吉の出自について考えているのですが、昨晩紹介した秀吉の出自伝承に関連する地名を結んだものが図1となります。

昨晩の一宮市の加茂、中村区の鴨付、水野氏のいた常滑城、安土城を結ぶラインに加えて、伊勢国の木下氏の伊勢国鈴鹿郡木下邑、遠江国の木下氏に関連する天野景泰文書、手負人数に「木下藤三、木下虎景」とあるその天野氏の居城の秋葉城、そして、その天野氏の出身地である伊豆の国市を結んだのが図1です。

こうみると、秋葉城⇔岡崎城の東西ラインがあります。岡崎城は加茂郡ですから、やはり秋葉城も賀茂氏との兼ね合いが予想しうるでしょう。

秀吉が木下氏を名乗っていたことと、中村区にいたことの背景には、おそらくは親族の秋葉城にいた木下氏とのつながりで、意図的に秀吉の祖先が中村区に移住していったことに関係するのではないでしょうか。

そこにはもちろん賀茂氏の特殊技能者集団との関わりがあったろうと感じます。

その特殊技能なしで、秀吉や家康、光秀の高度で戦略的な動きはありえなかったのではないでしょうか。

その辺を見込んで彼らを取り込んでいった信長という男も驚くべき人物だったような気がしますが、あるいはまたその信長のカリスマ性を見込んで近づいていった集団がいたのかもしれませんね。



10259管理人:2020/02/18(火) 23:37:03
日本祖語と印欧祖語
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010810M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010810_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010810_3M.jpg

先日お話した日本語祖語やアイヌ語と印欧祖語との関係について、以前も紹介した鳴海 日出志 『日本祖語とインド・ヨーロッパ祖語―共通語根を探る 』から、先日話題にありました占(ura),(mura)に関する項目についての記載を引用したものが図1となります。

ここで注目すべきは、村(mura) 群れ(mure)万葉集の群立(uradatu) ⇔ 印欧祖語のflock??(群れ) のへ変換でしょうか。

mur<pur/pul>pleuk と整理されてますね。

図2、3はそれに続くm行の単語についてですが、こうみると鳴海氏は、日本語祖語:m⇔P:印欧祖語の語音変換を予想しているようにも見えます。

なぜそうなるのかはわかりませんが、語音変換には法則性があるとのことなのでしょう。

ぜひ、この本も参考にしてみてください。



10260鳩摩羅童子:2020/02/20(木) 11:09:39
Re 日本祖語と印欧祖語
https://shimakotoba-navi.jp/use/speak/

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10261秦野北斗:2020/02/20(木) 14:18:05
[10811] Re 日本祖語と印欧祖語
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010812M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=QYi8jGJ7e08

http://



10262鳩摩羅童子:2020/02/20(木) 20:12:45
「こめかみ」の語源 from インド弁
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/2005-tusker-musth-crop_convert_20160305114608.jpg

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10263管理人:2020/02/21(金) 00:06:09
シュメール文字と甲骨文字
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https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010814_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010814_3M.jpg

https://www.amazon.co.jp/世界最古の文字-シュメール語入門-飯島-紀/dp/4812101271/ref=sr_1_22?qid=1582210597&s=books&sr=1-22



10264管理人:2020/02/21(金) 03:26:32
古代アメリカ文明方位ライン
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https://ja.wikipedia.org/wiki/テオティワカン



10265鳩摩羅童子:2020/02/21(金) 16:51:11
Re[10814] シュメール文字と甲骨文字
>なるほど、「p-m」で検索すると、興味深い対応が複数でてきますね。

>日本語祖語の動詞のm(ム)が、インド語ではp(プ)に対応するとのことでしょうか。

→ 伝言ゲームの途中で、p が m に化けたのです。 空耳アワーの連鎖で、
子音は化けるのです。


一番有名なのは、「グリムの法則」という、グリム童話の作者のグリム兄弟が見つけた音通則です。

濁音化、破裂音化、強意化、等で、別の音に「空耳アワー」します。
伝達途中で、音感がオカシイ民族がいたら、なおさらです。


例えば、 m が n に化けるの(鼻音化)と、 k が g に化ける(濁音化)のは、
p が m に化けるのと、大差無いです。

m を濁音化 「 ム゛」の発音がどうなるか、脳内想像してみて下さい。v に近いかも。

「赤(あか)」は、強調すると「真っ赤(まっか)」に化け、子音の m が付与されます。
honest ホネストは、 h??がサイレント化し、 オネスト に化けます。
Henry ヘンリー、は、仏(フランス)読みは、 「アンリ」 です。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10266管理人:2020/02/21(金) 21:26:33
700年周期の惑星発見
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https://sorae.info/030201/2016_07_12_2015.html



10267管理人:2020/02/22(土) 01:31:11
弥生人と南インド
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https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010818_3M.jpg

https://www.amazon.co.jp/弥生文明と南インド-大野-晋/dp/4000023233



10268鳩摩羅童子:2020/02/22(土) 13:13:27
「こめかみ」の語源 のつづき
https://ja.wikipedia.org/wiki/こめかみ

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10269管理人:2020/02/23(日) 01:26:59
海のシルクロード
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010820M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010820_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010820_3M.jpg

http://www5a.biglobe.ne.jp/~mt2000/Kyushu2a.htm



10270鳩摩羅童子:2020/02/23(日) 05:18:18
タミル・ナードゥ州 の件 in [10818]
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/240px-Karthigai_Deepam.jpg

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10271アストライアの会:2020/02/23(日) 15:00:56
(無題)
タイムカプセルから現れた美しい人たち
 日本考古学史上の一大発見として世間の耳目を集めた高松塚古墳の玄室壁画、とりわけ
西壁の鮮やかな色彩の女子群像は、額田(ぬかだ)の王(おおきみ)もかくやと思われる鮮やかさで、後に「飛鳥
美人」の呼称で親しまれることとなる。
しかし保存の不行き届きにより、やがて絵に黒カビが生じ、一部では剥落が始まっていた。
この知らせを受けた関係者たちの顔色がみるみる土色(つちいろ)に変り、部屋の空気が重苦しく沈ん
でゆくのを、当時居合わせた講師は目撃しているという。墓を暴いた祟りで次々と人が亡く
なって行ったという風説とともに、この文化遺産に暗い影を投げ掛け、修復の見通しは未だ
公表されていない。

それはそれとして、この古墳はいわゆる古墳時代の末期に作られた円墳で、時代的には紀元700年前後の飛鳥時代の終わり、奈良に都が出来る前の藤原京を中心に白鳳文化が栄えていた。大宝律令が完成し、歌人の柿本人麻呂などが活躍した頃でもある。墓は何のために
作られ、どんな願望が秘められてていたのか、再考して行きたい。

「世界古代文明の謎を探る」(41)高松塚古墳とその時代
主 催 アストライアの会  協 力 日本セカンドライフ協会
ゲスト 谷口陽子筑波大学准教授
日 時 令和2年3月27日(金)午後2時から5時
会 場 豊島区イケビズ第2会議室(池袋駅西口約9分)
費 用 お茶代込み参加費二千円
連絡先 TEL049(258)3218 松原まで



10272国家元首:2020/02/23(日) 19:10:06
日本と古代インド
顔つきとか雰囲気だけで言うと、千葉県・茨城県の一部に、インド人ぽい人たちがいます。政治家とか、活躍している人が多い感じがします。

インド人の源流の一つに、千葉・茨城県人がいると考えるべきなのか、千葉・茨城県人の中に古代インドの一部が流れ込んだのか。

石原慎太郎は、自分の父はインド人みたいで、母は中国人みたいだったと言っています。そういえば、子供たちには、濃い顔をした人たちがいますね。

ちなみに、慎太郎の母親は、中国人だったという説があります。裕次郎と母親が違うというのですね。

10273管理人:2020/02/24(月) 00:52:10
九州支石墓方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010824M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010824_2M.png

http://www5a.biglobe.ne.jp/~mt2000/Kyushu2a.htm



10274秦野北斗:2020/02/24(月) 10:53:19
【出雲弁】からさでさん
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010825M.jpg

https://chashi-uniwa.com/blog/2017/12/21/【基礎知識】天津神と国津神の違い。/






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