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ネット・ウヨサヨ論
1
:
鎌やん
:2002/06/14(金) 11:49
「オタクちゃんねる」から引越し
=======
1 名前: 鎌やん 投稿日: 2002/06/12(水) 11:43
ネットにおけるウヨサヨの事柄は、このスレにまとめてみます。
ちなみに、
右翼左翼という区分は日本政治の解析に全く何の貢献もしない。
ネットにおいてウヨサヨ言うている人は、
「最も政治から無縁な人々、無自覚な政治的弱者」である。
というのが、私の基本的な考えです。
2
:
転載
:2002/06/14(金) 11:50
2 名前: 「ウヨサヨ荒らし」論@鎌やん 投稿日: 2002/06/12(水) 12:30
「ウヨサヨ荒らし」論
A;ネットにおける「右翼左翼」という言葉は、第1義的に「俺はお前が嫌いだ」という
感情表現である。
間違っても、政治言説、思想表明などと解釈してはいけない。
B;「嫌いだ」という感情表現でしかないにも関わらず、発言者(ウヨサヨ荒らし)は、
政治言説・思想表明をしているつもりになっている。
発言者(ウヨサヨ荒らし)は、拒絶されることを求めている。
「自分の思想は高尚すぎて、愚かな敵には理解できないのだ、だから敵は俺の言葉を
拒絶するのだ」
と、ウヨサヨ荒らしは自己肯定したがる。
これは逆説的に、以下のように分析できる。
1;ウヨサヨ荒らしは、知的劣等感に苦しめられている。
「知識」の多いほうが勝ちであり、「知識」の少ないほうは、負けである、という価値観の
枠の中で、自分は勝者の側であると確認し続けなくてはならない。
実際の勝者は、確認作業をし続ける動機など存在しない。
実際には敗者であるから、その事実を否認するために、勝ち続ける必要がある。
弱者に限ってより弱い者を虐めるのと同じである。
2;ウヨサヨ荒らしは、コミュニケーション不全に苦しめられている。
幸せな環境にある者は、好んで闘争したがらない。不全感に苦しめられている者は、
他者にも同じ苦しみを与えなくては不公平だ、と、信じる。
それゆえ彼らは、ネット空間を殺伐とした場所に変えるために、最大限の努力を払う。
3
:
転載
:2002/06/14(金) 11:50
3 名前: 「ウヨサヨ荒らし」への対処論@鎌やん 投稿日: 2002/06/12(水) 12:36
「ウヨサヨ荒らし」への対処法
「ウヨサヨ荒らし」は、現代の騎馬民族である。
騎馬民族に征服されないよう、自衛手段としては以下のようなことが考えられる。
A;騎馬民族が知っている政治用語は「右翼」「左翼」だけである。
彼らは、「右翼」「左翼」という言葉さえ使えば、ケンカに参加できる
(参加欲求を満たすことができる)と信じている。
そのケンカ参加の期待を裏切るのが重要である。
具体的には、
a;「右翼」「左翼」以外の立場を打ち出し、その立場を教科書的事実を
積み重ね、否定できないものだと(場にいるほかの人々に)納得させる。
b;「右翼」「左翼」は非常に大雑把な概念である。
大雑把で曖昧な概念は、「概念拡大の誤謬」を招く。それは宜しくない。
「右翼」「左翼」という言葉を、可能な限り、今この場ではどういう意味での
「右翼」「左翼」なのか、限定する。
B;煽りに反応しない。挑発にのらない。
とくに「右翼は」「左翼は」という騎馬民族の煽りは、現実には存在しない
「右翼」「左翼」を述べている、つまり何も言っていないのと同じだ。
何も言っていない人間に反応するのは愚行だ。
C;バカをバカであると指摘しあげつらうことを極力避ける。
騎馬民族は他者から反応してもらうこと「だけ」を目的とし、当人の
主観では「バカのふり」をしているつもりだ。罵倒を返答するのは、
相手の望むところなのだ。その望みを叶えてあげない。
D;有意義な書き込み、感心できる書き込みを見たら、賛同と同意を
惜しまない。スレッドの流れは、それにより方向付けられる。
(続く)
4
:
転載
:2002/06/14(金) 11:50
4 名前: 「ウヨサヨ荒らし」への対処論@鎌やん 投稿日: 2002/06/12(水) 12:37
E;一ジャンルか二ジャンル、自分がマニアだと言えるジャンル(知的テーマ)を作る。
a; 自分が勝てるとふんだ話題のスレッドでは、自分が牛になったつもりで
粘り強く教科書的事実から書く。一人で複数の議論に参加しようとしない。
自分が勝てるスレッドに力を注ぐ。
教科書的事実に反論返す思慮の浅いヒトは必ず現れるが、
引いたレベル(メタレベル)で見れば、教科書的事実に反論する人間は、
もの知らずかトンデモであるのは明らかになる。
教科書的事実なら賛同者の登場も期待できる。
個人の意見、というのは、教科書的事実の上に立つもので、
妄想の上に立つものではない。
自分がマニアなジャンルについては、それを明らかにするべく粘る。
内容の優劣は、引いた視点からは、面白さの点で格段に差が出る。
(根拠なき思いつきより、事実を積み上げた仮説のほうが、読む者に
とって面白いものになる)面白さの点で差が出なかったら、
自身の思考の吟味がまだ甘いのだ、と考える。
「面白い」内容には返信がつき、面白くないものには、返信はつかない。
b; このとき気をつけなくてはならないのは「煽り」だ。
「煽り」はヒトの感情を逆撫でることを目的としているので、
内容がつまらないにも関わらず返信を誘う。
騎馬民族は他者が感情的になることを期待している。それによって
1;自分は他者をコントロールできるほど賢明なのだ、と騎馬民族は
感じようとする。その期待に応えてはならない。
2;逆説的にその騎馬民族の行為は、騎馬民族が、人の交流とは荒廃したものだ、
と信じていることを物語っている。
(続く)
5
:
転載
:2002/06/14(金) 11:50
5 名前: 「ウヨサヨ荒らし」への対処論@鎌やん 投稿日: 2002/06/12(水) 12:37
F;発言時、自身の知識の正確さに自信のないときには、その旨を
明らかにすることを恐れない。
(ハッタリをかます必要があるときはその限りではない。
バカ正直であることは賢明ではない。同時に、他者から見て虚勢であることが
明らかなとき虚勢を張ることは賢明ではない)。
情報が足りないことそのものを認めることは、恥ではない。
ない知識をあるかのように見せかけようとすることが恥なのだ。
G;騎馬民族も教科書的事実習得に飢えている。教科書的事実、教養から
疎外されているという感覚が、騎馬民族の自尊心を希薄なものにし、
行動を狂暴化させている。
H;思慮の足りない人間の反応パターンは限られている。
パターンを読み取るモードに適宜なって反応を観察することも必要。
(自分が興奮してしまったときは書き込まず、様子を伺う。
興奮している人間の書き込みほど騎馬民族を喜ばせるものはない。騎馬民族を喜ばせない)
I;原則的には人間は道理に服する。
この際の「道理」は地に足ついたものでなくてはならない。
そのために自身を鍛えることは必要。足っぱらいが得意なヒトは多い。
スタンディングファイトより、タックルから関節技技へのコンビネーションが、
格闘技では有効だ。腰が浮きふらついていると、勝てない。
(続く)
6
:
転載
:2002/06/14(金) 11:51
6 名前: 「ウヨサヨ荒らし」への対処論@鎌やん 投稿日: 2002/06/12(水) 12:38
J;議論は、勝ち負けではない。情報の量を競うものでもない。
究極のところでは、人格と人格のぶつかりあいだ。と、私は思う。
それ(議論)を見た第三者にとってより知的刺激が多く、より得るところの多かった
発言者が、最も議論ならびに日本の知性と理性の向上に貢献する、と信じて、
牛のように粘り強く書く。
頭の回転の早い人間は案外腐るほどいる。
それを賢さだと錯覚している人間も腐るほどいる。
だが適宜牛のごとく粘り強くなることを習得できている人間は意外に貴重だ。
ヒトラーとの交戦にチャーチルが勝利したのは、ドイツに降伏することを
チャーチルが牛のごとく頑迷に拒んだからだ。
チャーチルが頭の回転だけ早い人物だったら、第二次大戦は、
ドイツの勝利になっていた。このことから、教訓を導かなくてはならない。
7
:
転載
:2002/06/14(金) 11:51
7 名前: 「ネット右翼」=「虐待の世代間伝播」説@鎌やん 投稿日: 2002/06/12(水) 12:47
「ネット右翼」=「虐待の世代間伝播」説
児童虐待関係の本を読んでいると、いわゆる「右翼」思想と、「虐待の世代間伝播」
はとっても近しい関係にあることが見えてきます。
自身が不当で非人間的扱いを受けた者は、同じことを他者にも行います。
他者も不幸にしないと、耐えられないからです。
凶悪犯罪者、ことにレイプ犯罪、連続殺人などしてしまった者は、幼少期、
児童虐待の被害者だったことが多い。
幼少時、人間として不当な扱いを受けた、人間的扱いを受けなかった、
信頼できる相手を持たなかった、人間として得るべき愛情を得ることができなかった、
こういう境遇に置かれた者は、次の世代に対し、ないし自分より弱い他者に対し、
自分が被った虐待と同じ行為を繰り返しがちである。
彼らは主観的には、自身を虐待した加害者を憎んでいる(こともある)。あるいは、
虐待者のとった不当な行為は、あれは愛情だったのだ、と記憶の捏造をする。
成長後の彼らのとる行動は、虐待者の行為の再演だ。
自分を虐待した者を憎んでいる者は、自分の行為が、自分を虐待したものと同じ
行為だという事実を認めることができない。
「オレの行為は愛情からやったのだ、オレをいたぶったあんな奴と一緒にするな」
自分を虐待した者は愛情からやったのだ、という記憶の捏造をした者は、不当な
扱いこそ愛情である、ということを証明するため、他者を虐待し、それは愛情だ、と言い張る。
(続く)
8
:
転載
:2002/06/14(金) 11:51
8 名前: 「ネット右翼」=「虐待の世代間伝播」説@鎌やん 投稿日: 2002/06/12(水) 12:48
幼少時不当な扱いを受けた者は、人間としての健康な自尊心を持たない。
薄っぺらでひ弱な自尊心しかない。それを「虚栄心」で埋めようとする。
本当の自分自身に自信を持つことができない(自尊心が貧弱)ので、自尊心を
強者(たとえば軍司令官)に投影しそれと一体化することによって、虚栄心を
充たそうとする。
あるいは、自尊心を何かの共同体なり組織なり集団なりに投影し、それは強大で
美しいものなのだ、と思いこもうとし、それと一体化することによって、虚栄心を
充たそうとする。
自尊心乏しい者は、自分自身の価値を感じることができないので、死にたがりだ。
彼らはそれを勇気だと思っている。死にたがりだから、他者を殺すこともさほど躊躇がない。
日本軍は、「気合を入れる」と称し、徹底して初年兵を非人間的に扱い、人間的感情を
削ぐことにエネルギーを注いだ。「日本軍は強かった」と右翼は自画自賛するが、
「日本軍は死ぬこと以外何も教えられていなかった」というのが交戦国から見た
日本軍評価だ。もちろん戦争は勝ち残ることが目的であり、死ぬことが目的ではない。
(人的資源を軽視したことが、日本軍の力を急速に弱体化させた)
自尊心を持たず、虚栄心に支えられ、他者を生きている人間として見る人間的感情を
持てなくなった者は、他者から見た場合、残酷な愚者にしか見えないのは当然だ。
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