[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
非武装信仰板
2156
:
神の子様
:2021/08/18(水) 13:03:20
STEVE 様へ (14661)
日時:2019年07月05日 (金) 17時50分
名前:トキ
私は、個人的には、生長の家の運動は政治とは距離を置くべきだと思っている人間ですが、いまは、それを別にします。
教団は、過去、生長の家政治連合時代に政治活動をしていましたが、その後、政治活動を停止し、政治とは距離を置く事を宣言しました。二代目の総裁の谷口清超先生はその旨を宣言し、副総裁をされた谷口雅宣先生も、再三に渡り、同じ事を宣言されました。
ところが、ご自分が総裁になると、従来の姿勢を転換し、特定の政党への支持や不支持を言い出しました。
この態度の豹変は、おかしいと思います。
どの政党を支持するか、しないかは、結局、水掛け論になります。が、教団の従来、採用していた「政治とは距離を置く」と言う方針を一方的に変更した件については、説明を求めることができます。
生長の家政治連合以後の混乱を収束するために、政治とは距離を置くと一旦決めた以上は、それを遵守すべきだと思います。
さらに言うと、生長の家の公式ホームページには、”生長の家では、「神・自然・人間は、本来一体である」との教えに基づき” と言う文句が並んでいます。
人間神の子、実相独在などの文句は見られません。平たく言えば、いつの間にか教義すら改編されたのではないか、と言う疑問すら生じます。
なお、以前は与党を支持しない理由として「立憲主義」云々を出していましたが、自分たち自身が独裁的で強権的な組織運営をしていることを自覚してか、今回の与党を支持しない理由は、エネルギー政策や軍拡云々を言い出しています。
要は、理由はどうでも良くて、ともかく特定の政党を攻撃したいと言う事でしょう。
トキ様 (14662)
日時:2019年07月05日 (金) 18時05分
名前:閲覧びと
そうですか
STEVEさん、滅茶滅茶早打ちだ!とビックリしたよー。
2157
:
第二転載
:2021/08/18(水) 19:09:10
「小僧」の信仰 (11185)
日時:2019年08月23日 (金) 08時53分
名前:抹茶
私は生長の家から退会した者です。ただ、退会の経緯を話しておかないと、ある誤解が生じています。
宇治で研修生の後、教化部の相愛さんから団参に誘われました。一旦はうけたものの、その後に言われた言葉が「守ってやる」。いったいに、何故、その人に、私は守ってもらう道理はないので、参加を断りました。その夜、その方からメールが10本ぐらい届いて、最後のメールに奥さんへのメンツみたいなことが書いてありました。
教化部長にメール全てを渡し、その方を「小僧」の信仰と呼びました。宇治で、ある禅寺の小僧が住職の真似をして、悟りをえてもいないのに真似をした。講師の方のこのはなしに似ていると思い、小僧の信仰という言葉を使った次第です。
信仰のあり方に疑問を持って、会活動に参加していません。ただ、小僧という言葉は、その人をさして使ったのではなく、上の文脈に中で世俗信仰を揶揄して使用しました。
世間は狭いです。文脈の一部だけが切り取られて話が広がっているように思います。
2158
:
神の子様
:2021/08/29(日) 15:55:25
雑感 (42758)
日時:2021年08月08日 (日) 21時53分
名前:トキ
生高連、青年会とご縁を頂戴し、活動をさせていただきました。その経験は、貴重なものであり、人生の宝です。確かに、青年会を経験した人間としては、青年会が衰退するのを見るのは寂しいものです。
私が活動していた当時でも、組織に問題がなかったわけではありません。が、それでも大きな齟齬が生じなかったのは、谷口雅春先生にしても、谷口清超先生にしても、生長の家の信仰を基本にするというお考えがあったから、青年も悔いのない活動ができたと思います。そのような青年会で活動できたことは、感謝しております。
残念なことに、現在の総裁は、そのようなお考えがなく、組織を自分の主義主張を実現するための道具としかみていません。今の青年は、ネットでの情報に長けており、そういう姿勢に忠誠を尽くすという発想はないので、間違った方針に反発し、次々に活動をやめております。しかし、このような間違った方針に従って活動をすることを青年に強要することができないのは認めるべきです。
大人でも、おめでたい人がいて、現在の本部のおかしな方針に従っている人はいます。が、そのような狂信者が、本部の言われる通りにして、結果として悲惨な末路を辿っているという情報もしばしば耳にします。将来のある青年にそのような行為を強制するのが正しいのか、どうかも考えるべきです。
正しい教えを伝えることこそが、その人を本当の幸せに導くことだと私は信じております。
ここで、青年会を過去に経験した先達がすべきことは、正しい谷口雅春先生の教えとは何か、ということを可能な限り間違いなく青年に伝えることです。将来ある青年が道を間違えないためにも、嘆くのではなく、勇気を出して、導く姿勢が大事だと思います。
2159
:
神の子様
:2021/08/31(火) 12:47:29
9001: 神の子さん :2017/11/29(水) 10:53:44 ID:YjjtSIls
すべて其処に『何か』がある事が判るのは、自分の内にあるものと同じものが其処に出ているからであります。『善』でも同じことであります。ある人の善行を見て吾々が感激して『其処に善があるな』と解るのは、吾々の内にある道徳性即ち「善」が相手にあらわれている「善」と、互いに照らしあわされた結果『成程そこに善があるな』と判るのであります。
だから道徳性(善)の無い人、又は開発されていない人には、他の善行を見てもそれを感心することが出来ない。自分に無いものは相手に幾らあったからとてそれが判らない、聖者は他の悪を見ないと云いますが、それは聖者が悪を見ないのではない、聖者は自分の内に悪がないから、他人の悪が見えないのであります。
他を常に批評的に観て、『あの人はあんな行いをしたから、それは必ず斯う云う悪い動機からしたのであらう』と、常に想像を逞うしているやうな人は、その人自身の心に(悪)があるから、相手に悪があるとわかるのであります。さうすると、他人の心情の『悪』が目につく人は必ず自心の心情に『悪』がある証據であるから、決して他人の『悪』を批評したりする資格がないのであります。
だから「他人が悪いな」と気がついた時は『それが判るのは自分の心の内に悪があるからだな』と反省すべきであります。 『生長の家の神人論』より
人類救済が生長の家と主張される方々は、この真理を実践できて救われたのでしょうか?
2160
:
シャンソン
:2021/09/01(水) 11:42:34
イギリスのスピリチュアル・ヒーラーで、ハリー・エドワーズという人がいます。
一九三十年代から、それこそ何十万人という人に霊的治療を行いました。
霊的治療とは、「スピリチュアル・ヒーリング(手や思念を通してエネルギーを送る施術)」で、
施術者が、より高次のエネルギーの通路となって、そのエネルギーによりなされる施術のことをいいます。
代替医療で用いられているエネルギーの違いから、「マグネティック・ヒーリング(指圧、カイロプラクティス、鍼灸などで、
施術者のからだの力を使っておこなう施術)」、「サイキック・ヒーリング(気功、レイキ、呼吸法・操体法などを通じて身のまわりのエネルギー【氣】をいったん
施術者がからだに取り入れておこなう施術)」とは区別されています。
ハリー・エドワーズは、世界的に最も有名なヒーラーといっても過言ではありません。
彼が家族に書き残した遺書に、次のような言葉があるそうです。その著書『霊的治療の解明』
(梅原雅隆訳、国書刊行会刊)に収録されている「訳者解説」より、引用させていただきます。
最後に、ハリー・エドワーズが彼の妹の家族に書き残した遺書からの二、三のことばを引用します。
「人生の価値は、他人の幸せのために尽くすところにあります。そしてこの〝価値〟は、地上生活を終えたあとにも、幸福な記憶として生き続けるはずのものです。
このことが私にとっても、何ほどかは当てはまるものであってほしいと思います」
「もしそうであるならば、それを可能にしてくれたのは私のこの肉体です。それが私にたいへん役立ってくれたことを私は感謝しています。
しかし私が肉体を離れる以上、その働きは終わったのであり、もはや無価値です」
「葬式というものは肉体のためのものです。それをどんな形式で行なっても、楽しからざるものになってしまうものです。ですから私は、
今や無用のものとなった肉体を墓所に送るためのカラ騒ぎや儀式は一切なしにしたいのです。葬るだけでよいのです。
私はいつまでもあなた方と一緒にいるのですから、〝さよなら〟を言う必要はありません」
(ハリー・エドワーズ著、梅原雅隆訳『霊的治療の解明』「訳者解説」より)
『この世を生きる「あの世」の教え』 与えられた使命をどう使うか』 矢作直樹著
2161
:
シャンソン
:2021/09/01(水) 11:45:02
>彼の妹の家族 ✖ 彼の妹と彼の家族に書き残した
2162
:
神の子様
:2021/09/08(水) 12:45:27
[356] 光明思想社の本は読みやすい
明鏡 - 2013年08月27日 (火) 01時06分
はじめまして。
あまり、気付いている方が少ないかもしれませんが、
光明思想社から出ている本は、とても読みやすいです。
山科様から電話で、「 新編『生命の實相』を拝読したあと、また読みたくなる 」と
お話がありました。
( 山科様は、大先輩で、講師の先生です。)
今、『 人生読本 』を一度読み終えたら、また、繰り返し読みたくなり、
再読しております。
『 聖経 四部経 』も書体が読みやすいですね。
書体、文字の大きさ、文字の間隔、行間は、読むリズムとも関係してくるように思います。
文字が大きいと朗読もしやすいですね。
仕事を始める前に、数ページ朗読してから仕事をすると、気分が爽快になります。
光明思想社がますます発展、繁栄して光明化運動の礎となりますよう期待しております。
2163
:
神の子様
:2021/09/10(金) 01:48:50
(宗教とは何ですか?)我々は無限の社会で苦しいと言っている。自由にならないとか苦しいというところに何か限られたものを感じておって、限られたものを感じるということが正しい無限を感じることに決まっておるんですね。そうでなければ無限、有限というものが苦しいと感じることもなけりゃ不満足だと考える理屈はないんですね。有限というものの中におって、そういう感情を起こすのは、すなわち裏に無限があるからだと。その無限に対する関心が欠けておると、その関心を持つのが宗教だと。
〜鈴木大拙〜
2164
:
シャンソン
:2021/09/10(金) 10:15:43
「『神』という言葉は、その実相については誰ひとりとして
識っている者はいないにも拘わらず、あらゆる人々がこの言葉を使うので、
様々な混乱が生じてきたわけです。
本書ではこうした事情を配慮しつつ、同一の実相を表すために、
その場の状況と必要に合わせて『神』『真理』『生命』『霊』
『大いなる心』『実在』『愛』『叡智』『エネルギー』『摂理』
『法則』『宇宙』といった言葉を使い分けていますが、
これらの言葉が出てきたときには、自分の心で造った概念を
引き寄せるのではなく、心を透明にして、それぞれの言葉の
最初の響きを感じることができるようになって頂きたいと思います。」
葦原瑞穂『黎明』上巻 太陽出版
2165
:
神の子様
:2021/09/12(日) 23:54:07
宗教家の現代的使命 谷口雅春大聖師
https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/3ba6767230c746e690ef85725ad8dc2f
2166
:
神の子様
:2021/09/13(月) 00:17:56
谷口雅春師 鎮座降神の詞
https://www.youtube.com/watch?v=rMZF5XVmWOo
2167
:
神の子様
:2021/10/05(火) 21:50:21
伊邪那岐様,伊邪那美様、ありがとう
https://ameblo.jp/yoshimizushrine/entry-12701391424.html
2168
:
神の子様
:2021/10/06(水) 18:03:59
求めよ、さらば与えられん。
たずねよ、さらば見出されん。
門を叩け、さらば開かれん。
すべて求むるものは得たずねぬる者は見出し、
門をたたく者は開かるるなり
「マタイ伝二十六章六十四節」より
2169
:
転載
:2021/10/13(水) 18:52:18
天国と地獄について
https://www.yomiuri.co.jp/kodomo/fromeditor/notice/20210803-OYT8T50040/
2170
:
転載
:2021/10/28(木) 22:58:21
生長の家会員の個人サークル 谷口雅春先生倶楽部
10月25日 19:04 ·
この世は隠し事ばかりの世界?
生長の家教団といえども例外ではありません。谷口雅宣総裁のfacebookも総裁に意見するとブロックされます。コメントは総裁を肯定するものだけです。多様化を唱えながら実際は教団内の多様性を認めないのは残念なことです。
私は昨年の10月に聖使命会に復活しました。これは生長の家会員として発言するためでした。北海道の旭川教化部で手続きしましたので、旭川教化部の所属となっているはずです。
実名のfacebookは下記ですが、そこでは生長の家の話題は避けています。
https://www.facebook.com/honnenojidai
2171
:
転載
:2021/10/28(木) 23:03:10
大我の大きな世界が諸君の前にひらける 谷口雅春師より
https://gphate.hatenablog.com/entry/2020/10/27/093434
2172
:
転載
:2021/10/28(木) 23:33:57
(靖国に於ては、)人間は既に永遠の生命を得、金剛不壊の身を体得して自由自在を得ているのであります。靖国の神となると云う事は、戦死の最後の瞬間に一切の五根が破壊し、五官の最後の迷いを去って実相無極の自由自在身を得ることであります。靖国の神となると云うことを、「もう死んで存在しない人間を記念に祭る」と云うように考えると大変な間違だと思うのであります。「もう居ない」どころか、迷いの根源であった五根五官が破壊して、却って自由自在の「神の子」たる実相を顕現して、日本の実相たる「浦安国」に現にその崇高なる存在を続けていられるのであります。
(谷口雅春「大日本皇神学序説」『生長の家』第十四輯第十一号 昭和十八年十一月)
2173
:
転載
:2021/10/28(木) 23:56:44
灯として光りながら、周りを照らさずにいることができるでしょうか? (2827)
日時:2021年03月25日 (木) 01時17分
名前:長崎の晩霞(風鈴)
雑感 (22424)
日時:2020年01月17日 (金) 23時49分
名前:トキ
教団をやめるべきではなかったか、というのは難しい問題です。
私は、教団に残り、部内でやれることをしようと考え、鋭意、努力しております。皆さんにもそれを勧めております。
ただ、辞めた場合でも、やれることはあると思います。
雑感 (22433)
日時:2020年01月18日 (土) 08時20分
名前:トキ
こう言う動きは目立ってはダメなのです。
ですから、極力、目立たないように動いております。 以上。
日時:2020年01月20日 (月) 02時08分
名前:トキ
私は、このような場面では、
一隅を照らす、これすなわち国宝なり 【最澄】
と言う言葉が最適かと思います。道徳再武装運動の人たちが、
「暗闇を嘆く良い、自らが1本のローソクになれ」
と言っているのも似たようなものかもしれません。
教団という巨大な流れがある以上、これを個人で左右することはできませんが、自らが行いを正し、谷口雅春先生の弟子たる姿勢を保つことはできると信じます。
________________________________________________________________________
これ等のトキさんの意見は大層矛盾したものに見えますが如何でょうか?
スレッドタイトルは「一隅を照らす、これすなわち国宝なり 【最澄】」です。
つまり一本の蝋燭となり燃え尽きるまで衆生救済に尽くすとした生長の家立教の精神でありたいとの表明です。
一本の蝋燭の明かりに引き付けられて生長の家は成り立ったのでした。
「鋭意、努力しております。皆さんにもそれを勧めております」と言いながら
「こう言う動きは目立ってはダメなのです。ですから、極力、目立たないように動いております」とはどのような意味でしょうか?
「救済という本来の存在意義を全うせよ」とよくトキさんは言います。暗夜を照らす蝋燭は目立たずにはいられません。
暗い夜道で微かな人家の明かりを見出した旅人は、光に吸い寄せられることでしょう。
「 カンテラを升の下に置いてはいけない」キリストの福音
一、カンテラを灯して、升の下に置く者はいない。反対に、ランプ台の上に置き、家中の者を照らすようにする。(マタイ、第五章、十五)
二、カンテラを灯した後、それを壺で覆ったり、ベッドの下に置く者はいない。ランプ台の上に置き、入ってくる者が光を見ることができるようにする。発見されない秘密は存在せず、知られ、公にならない隠されたことはなにもない。(ルカ、第八章、十六、十七)
2174
:
光明・第一掲示板転載
:2021/11/03(水) 17:35:06
宗教は教なんです、団体じゃない (4615)
日時:2012年12月14日 (金) 09時33分
名前:童子
『人間を救う真理は一つであって、教団とか宗派とかいう団体が救うのではないのです。
宗教団体に入るとか出るとかいうことは問題じゃないのです。
そういう団体が、自分の団体からメンバーが減ると、それだけ教勢が衰えるというので、無理につなぎとめておきたというような計らいが起る。
宗教というものは団体じゃない、教えなんです。
真理の中に入れば、そのままで平和でいられる。
生長の家で萬教帰一というのは、そんな団体のことではないのであって、釈迦無尼仏とかイエスキリストとかマホメットとかいう立派な教祖のお説きになった教えは、全部一つの真理をその時代、その人種に適するようにお説きになったので、本来は一つであるという話であって、
個々別々の新興宗教みたいな枠の中にいるものが皆同じだという意味ではないのです。
『白鳩』誌47年3月号 『先生を中心に白鳩たちは語る』での御指導
2175
:
転載
:2021/11/03(水) 17:45:45
天皇の『人間宣言』に関しての御講演
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=998
2176
:
神の子様
:2021/11/05(金) 17:28:08
聖徳太子とムハンマド 仏教とイスラムの共通点
https://yukashikisekai.com/?p=2645
2177
:
転載
:2021/11/07(日) 23:58:23
● 吉田國太郎氏は谷口雅春先生が「弟子ながら先生と呼ぶ宗教的天才」と称された求道・篤信(とくしん)の直弟子で、最初の出会い、本部で開かれた「体験談=自身の悟り」を早速、翌日の東京・音羽の護国寺の『甘露の法雨』講義(第一回補い十年六月)で「からっぽの話」として紹介しておられる(頭注21巻30〜32頁)。如何に雅春先生が感動されたか、想像に余る。(右の30頁の一行目にある「昨日」及び護国寺講演の日につき、浦和の太田栄氏に調べてもらったが、当時の「生長の家」誌に記載なき由。吉田氏の本部奉職はその直後の筈だが不明。明治45年生で時に25歳)
難解、歯が立たないと言われながら不思議に版を重ね、新版・続巻まで出てロングセラーの『常楽への道』の書き出しは昭和14年3月(29歳)で、谷口雅春先生が講習会で何回も長々と紹介朗読された。また『維摩経解釈』の講義に吉田氏の話を引用された。求道・執筆のみでなく、講話・指導でも「吉田君は20万人を救った」と雅春先生に称された。(本誌84号)
2178
:
禁止用語
:2021/11/12(金) 02:31:53
神仏と会話ができるという櫻井識子さんの『神様のためにあなたができること』
を読むと、あるお稲荷さんを祀る神社で、生前は人間だった女性が
そこで大病だったのを救われたので、死後も、お稲荷さんや眷属に奉仕している
という話がでてきます。彼女は普通の人間だったから、神様にはなれないし
ずっと神社で下働きするような身分なのに、
その神社に昔のように参拝客がこなくなって
眷属たちにも仕事がなく、中には荒れる眷属もいるので
神社復興のために、櫻井さんに神社の宣伝をしてほしい、というのです。
櫻井さんは、お稲荷さんの意向を聞いてから、必ずブログに書きますから
と涙を流して約束したといいます。
相手の女性が、そこまでしないで、というほど、頭を下げて頼むからです。
それで櫻井さんがそのことをブログや本に書くと、多くの参拝客が来て
神社に活気がよみがえり、何年後かに櫻井さんがその神社を訪れると
入口のところで、何体もの眷属霊や、その女性が出迎えお礼をいったといいます。
それは人間の力が、神社にパワーを与える、人間はすばらしいという
人間賛歌について書かれています。
そういうのを読むと、いやいや仕方なく奉職している職員だとか
投稿禁止になれば、相手の批判をはじめる元本部職員だとか
なんて低次元なんだろうと、思わざるえません。
2179
:
神の子様
:2021/11/14(日) 23:29:10
「私はある逆説に気づきました。苦しくなるまで愛せば、苦しみは消え、さらなる愛だけが残るということに」マザー・テレサ
2180
:
神の子様
:2021/11/17(水) 01:43:43
松下幸之助さんの繁栄は「生長の家」である
https://www.youtube.com/watch?v=rQCr1qEDHms
2181
:
神の子様
:2021/11/20(土) 18:28:32
餃子の「雪松」が児童養護施設に無料配布
https://www.sankei.com/economy/news/211118/prl2111180059-n1.html
2182
:
禁止用語
:2021/11/22(月) 16:27:07
なるほど。トキさんがいう「組織指導の経験がありますか」
というのは、こういう意味だったのか。
https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8238094
2183
:
コピーショップ
:2021/12/03(金) 16:08:44
伝道の意味から転載
「道」とは、俗の世界のなかに存在する人間が正しく生きるために、またその存在の究極的意味をつかむために必要とされている生き方をいう。 だから、広義の伝道は、人々が俗 世間 で本来的な生き方ができるように神から派遣されて働くことであり、 狭義 のそれは、信仰の教えを宣 (の)べ伝えて、より多くの信者を獲得し、制度的拡張を図ることである。
2184
:
コピーショップ
:2021/12/06(月) 00:52:36
敗戦投手の背中は悲しいと、さだまさしが歌った件
>トキさん、業務連絡があります。
>トキさん、事務的にどんどん削除しましょう。
>うのさん、今、生理中?
>南九州では貴女のような人のことをマッチポンプといいますが
>あんたのうんこはだれも見たくない
>貴女のバカは完治しない
>雅春先生を汚すやつは出ていけ
>ぼくにメールしてくれたら、大物の実名を教えます。
この人は、男のくせにいつでも細かいことばかりいってきて
そのくせ、一回コールド負け。
つばめよつばめ
https://www.uta-net.com/movie/235563/
2185
:
神の子様
:2021/12/21(火) 12:52:04
2021年末に向けて 小林健からのメッセージ
https://www.youtube.com/watch?v=bLBFtEoegng
2186
:
神の子様
:2021/12/21(火) 13:00:01
石原裕次郎 我が人生に悔いなし
https://www.youtube.com/watch?v=YnhIDLdxzAE&t=213s
2187
:
うのはな(シャンソン)
:2022/01/13(木) 21:40:01
桜井識子さんのある本を読んで
ここの低レベル掲示板では、よく濡れ衣を着せられたとか
間違ったことを書かれるとか、冤罪だとか
わめきちらしている投稿が散見されます。
桜井識子さんは、お岩さんで有名な神社を参拝したとき、
お岩さんがドラマや映画で有名な「うらめしや〜」のお岩さんではなく
あれらは娯楽物として作られたお話で
実際のお岩さん夫婦と言うのは仲のいい夫婦で、夫がサムライとして
収入が低い地位の人だったので、二人とも勤勉によく共働きをし、
お岩さんはそのとき屋敷に祀られていた稲荷神をよく拝み、
それで、どんどん豊かになっていったので、後世までそのお屋敷にあった
お稲荷様が祀られた、というのが事実なのだそうです。
しかし、お岩さんが生まれ変わって、外国の人間だったときに
日本のお岩さんというのは、おそろしい化け物として、祟られる人だとして
有名になっているのを知ってすごいショックを受け、
死んで霊になってからも、そういう心の傷でがんじがらめになってしまい
他の眷属霊などがはげましただけではどうにもならない状態だったそうです。
それが、櫻井さんが真実をブログや本に書いてくれたおかげで
今の日本ではそれを読んだ人たちが、お岩さんの神社に来て、お岩さん、
誤解していてごめんなさい、と謝ってくれる人が多数参拝に来て
お岩さんは傷ついた心が癒されていったといいます。
そして、櫻井さんに、人間は素晴らしい、お岩さんは今度は人間に生まれ変わって
私が濡れ衣を着せられ傷ついた人たちの役に立ちたいといったといいます。
濡れ衣は人を深く傷つける。
そして、人間は素晴らしい、私も人間に生まれ変わる、と決意させた
人間というもの、神の子というもの、
そういったものに、わたしも感謝したいと思います。
2188
:
コピーショップ
:2022/01/14(金) 20:27:23
人間は肉体ではない。霊的実在である。この事実を深く心に自覚せしめるための行事が神想観である。神を頭脳で知っただけでは、神が”わがもの”とはならないのである。全心身をもって神の実在を体感体得しなければならない。それをなすのが神想観である。神想観を怠らず行ぜよ。
神想観を怠らず行じているうちに「人間神の子」の真理が、頭脳的な知識から、感情的な把握となり、さらに進んで、全生命的な把握になってくるのである。神が単なる理論上の存在や、名称上の存在でなくなって、自己の生命そのものとの自覚を得はじめたとき、私たちの生活は変貌しはじめるのである。(『詳説 神想観』17頁)
2189
:
トキ
:2022/10/09(日) 20:42:28
「生長の家」の説くは机上の空論ではなく生命の法則であるから道すなわち生活であるのである。この法則を自分自身の生活に生きるとき「生長の家の生き方」として展開し、他人の生活におよぼすとき隣人への愛行となる。ここに一つの道は展開して生活となりさらに展開して愛行となるのである。愛行のうちに生活があり、生活のうちに道があり、道と生活と愛行とは三位にして一体である。道が生活の上に悟られるときそれは救いの相をもって顕われ、メタフィジカル・ヒーリングとなって、健康境週性格の改善等をおのずから成就する。
生命の實相 第1巻 8ページ
統一協会などのカルトが世間では糾弾されています。これらの教団は、「人間は罪の子」と教えて、恐怖で支配する宗教で、谷口雅春先生は、「宗教強盗」と喝破されました。
しかし、生長の家でも、これを他山の石として、謙虚に反省するべきだと思います。宗教をすることが、何か異常なことであるような雰囲気が世間にはありますが、この原因は全て宗教者にあると思います。生長の家でも、戦前、谷口雅春先生がご指導をされていた時期には、この点は行き届き、ごく普通の生活の中に真理を実践するような姿勢が尊ばれました。
それが、組織が大きくなると、組織を維持することが至上命題になり、組織の都合を信徒に押し付けるようになりました。最近になると、石を拝んでありがたがる異常な信仰を本部が言い出し、それを一部の狂信的な信徒が実践するという異常な状態になっています。
ここに、私達は、生長の家の信仰の原点に戻り、信仰の本質は、一人一人の「神の子」の自覚であり、生活の向上であると言うことを認識することかと思います。
2190
:
トキ
:2022/10/12(水) 11:07:35
これを消費者側からいいますと、信仰心の深い人は「もったいない」ということをよくいわれますが、なんでも買わず使わずに不自由をがまんして窮屈な生活をしている方があり
ます。 「生長の家」ではそんな節約ぶりには大反対であります。どんなものでも元は神さまが作ってくださったのだからもったいない――そのところまでは同じでありますが、次は
います。わたくしどもでは、つかわないではもったいないからできるだけ生かして使えというのであります。与えられていないものまでを無理をして使うのはいけませんが、写
えられているものを生かさない節約は人類の敵であります。われわれが生命力を出して仕事をした。その仕事をだれも使ってくれなくてはその努力が生きて来ません。物を生かし
て使うということは、人がそれをつくるために注いでくれた生命を生かすということになります。
この世は持ちつ持たれつの世のなかでありますから、人の注いだ生命を生かすことが自分の生命を生長向上発展さすことになるのであります。
頭注板 生命の實相 第2巻 189ページ
先日、本部から届いた通達を見たら、
「この間、機関誌につけて送った”世界平和の祈り”新バージョンを印刷したケードを破棄してください。
新しいカードを送ります」
とありました。
なんでも、カードの下部に Seicho-no-ie という文字を印刷するのを忘れたので、全部破棄して印刷して送り直す、という話だそうです。以前、日時計日記のWeatherの誤植を指摘しても無視して、翌年、しれっと直したのと対応が違います。しかし、これはもったいない話だと思います。
が、逆に、あれをしてはいけない、これを買ってはいけない、というのも、窮屈だし、必要なものを買わず、不要なものを溜め込むのも、循環を止めることになります。
生長の家の要諦は、「感謝」であります。
私は、昔、ものを買うのも、ものを売るのも、「感謝」の気持ちが大事だと教わりました。この気持ちがあれば、何を買っても、買わなくても、自由だと思います。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板