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第1章(pp. 19-30)

1YS:2012/06/09(土) 13:30:47
難解な箇所でした・・・
ここはONさん担当のほうが、よかったですね。

細かい箇所で気になったのは、p.23の左から3行目の「下がっていく」という言葉です。
文脈上の内容にかかわらないので、瑣末な問題かもしれないのですが、ほかの箇所だとたいていは「くる」という
ことばを使っているのにたいして、ここは「いく」になっているのですよね。
たとえば目線は下から上をみあげる場合だと、まさにこちら側にくるのだから、下がってくるという言葉になりますよね。
逆に上から下への目線であれば、下がっていくということになると思うのですが。

後に新プラトン主義の特色として、一体性ということが挙げられておりますが、それと関連しているのかしら?
つまり、p. 26でのエスレカレーターの例のところで、「エスカレーターを下りていく」という表現がありますが、これに対応しているのかしら?
でも、その直後の文章では、「中世の人たちは、見上げて過ごしていた」とあり、うむむ、混乱しまくってます。
じつは、その直後の「だから、高度空間を利用した云々」の文章もよくわからなかったです。

「だから」って、原因結果文なら結果を、理由帰結文なら帰結をしめす文章の合図みたいな接続詞ですよね。
中世の人は(中略)見上げてすごしていた(理由)
(われわれ)は、下に向かうエスカレーターに乗る気分を思い出す必要がある(帰結)
・・・なんで?\(^o^)/

同様のことは、p. 25の左から5行目の「だから」にも当てはまり、ここの「だから」もよみとれませんでした。
現代においてもおりてくる人は、おなじ人間である(理由)
中世の人々も、わたしたちと変わらない(帰結)
・・・なんで?\(^o^)/
意味分からん。
p. 22の2行目の「精神の目」みたいなものが関係してるの?

たぶんこの無理解は、プロティノスにたいする無知に起因してるっぽいので、それも含めてご教示いただけると、すげ〜助かるっす。

プラトン・アリストテレスの箇所は、さすがに哲学史の概説等で慣れ親しんできた賜物のおかげか、それなりに理解できたのですが
プロティノスを含めた新プラトン主義の流出論は、難解っすなぁ〜・・・

でも、田辺がよくプロティノスについて言及していた理由は、なんとなくつかめました。
たしかに田辺の弁証法(往相・還相)の運動となんか似てますね。
田辺はおもに歴史や社会の説明を試みたのにたいして、新プラトン主義だと端的に世界全体を対象にしていた点でのちがいはあるのでしょうが、
理屈のプロセスは似ている感じがしました。

2OR:2012/06/11(月) 16:02:31
>下っていく
「下る」という行為の主体が誰なのかによるのでは、と思いましたがどうでしょう。
p.26の2〜3行目の「ことば(概念)」のように、人間でないものの場合は
下って「くる」で、上ったり下りたりするのが人間であることが暗に示されているとき、
p.23の左から3行目のように下って「いく」となるのでは。
新プラトン主義では、人間が一者へと「上る」ことが重要なので、「下る」のも
人間目線にしたのかな、と思いましたが、深読みかもしれません。

>エスカレーター云々
すみません、僕もこのくだりはよく分からなかったです。
僕もプロティノスを完全に理解してるわけではないのですが、プロティノスを
それなりに知っててもこの比喩はいまいちピンとこないですね。
YSさんもお気づきになったように、説明も不足してますし。
なぜわざわざエスカレーターにしたんでしょう…?
階段とか坂とかはしごではいけない理由がよく分かりませんね。

むしろ、エスカレーターよりもエレベーターのほうが適切のような…
新プラトン主義の世界観は階層構造をなしていますので。
(もちろんビルのようにそんなにきっちり壁で隔てられてるわけではないですが)

>田辺の弁証法(往相・還相)
僕は似てるというよりも対立するんじゃないかな、と思ってます。
田辺は全然知らないんですが、往相・還相って、悟った人は悟ったまんまじゃなくて、
悟りの世界から戻ってきて、まだ悟ってない人を導くべきだ、みたいなこと
ですよね?(間違っていたらすみません)
でも新プラトン主義の場合、上から下への運動(発出・流出)というのは、
そうしなくちゃならないというより、自然にそうなっちゃうものなんですよね。
「かーっ 一者すごすぎて流出止まんないわ かーっ」的な。
だから還相みたいに、積極的に上から下へ降りることはないので、そのあたりが
異なるんじゃないかなと思います。

そういえばさっきちょうどhsnmさんと禅とプロティノスの話になったのでちょっと
聞いてみたんですが、田辺ってプロティノスに対して批判的だったらしいですね。

3YS:2012/06/12(火) 05:32:32
下がっていくと、エスカレーターの件は、今日の夜か、明日の朝にちゃんとかんがえをまとめてから、意見させていただきまする。

>聞いてみたんですが、田辺ってプロティノスに対して批判的だったらしいですね
ぶっちゃけ、西田先生とプロティノスにかんしては、批判しかみたことないですねw
西田先生は実践がないという点と、プロティノスは流出論で、わたしの曖昧な印象に等しい記憶によると
田辺からみると、プロティノスの流出論は直観にもとづいており不徹底だったか、有の立場だったかで批判されるという文脈がおおかった
気がします。この批判だけ読むと、なんでわざわざプロティノスを批判するのかよくわからなかったのですが―西田とプロティノスへの
批判は、油断するとやられてるぐらいちょくちょくされるのですが、そこまでこだわる理由がよくわからなかったです、これまで。

今回の読書会で、似てるがために微妙な違いを、しかもそれが決定的な違いになるから、あそこまで難度も批判してたのかなぁ〜と
わかった気がした次第です。
プロティノスの流出論の直観で田辺が気にいらなかったのは、否定媒介だったかな?それが考慮されておらんから、けしからん!みたいな感じ
だったと思うのですが、このあたりはhmsm君のほうが詳しそうねw

4YS:2012/06/12(火) 20:40:52
>下って「くる」で、上ったり下りたりするのが人間であることが暗に示されているとき、
>p.23の左から3行目のように下って「いく」となるのでは。
ここの箇所読んでると、どうしてもわれらがRK大将軍の顔がちらついて、どうしてもあの偉大なお方の御説法に
それこそ引き上げられてしまうのですが。
そこでの一者への「上昇」というものは、信仰みたいなことも含意するの?
それとも真理の認識限定の問題なのかしら?

でも、ORさんの解釈がどうも当たってるみたいな気がします。
田辺的にいえば、一者まで上昇できた聖人君主(RK大将軍)が、文字通り、僕のような凡夫を引き上げてくれるために
下がってきてくれる(凡夫視点)/下がっていく(聖人視点)ということになるのかしら?
いや、ここまで田辺にこだわる理由というか、メリットは特にないのですが、なんか楽しそうだから、つい・・・w

5OR:2012/06/14(木) 03:44:11
アイエエエエ!?R=サン!?R=サンナンデ!?

みんなのトラウマことRK大将軍様のことは置いておくとしても、一者への上昇が信仰を含意する
のはほぼ確実だと思います。というよりも真理の認識と信仰は不可分みたいです。
つまり、真理を完全に認識したいなら、真理(一者や神)と合一しなければいけないですし、
それは人間の究極目的であると新プラトン主義者やキリスト教神秘主義者は言いますしね。

でも、「下がってきてくれる」ものに関しては注意が必要だと思います。
新プラトン主義では、上へ昇るための手段は、「発出(流出)の過程を遡ること」です。
一者と人間とは因果関係の糸のようなものでつながれていますので、これを辿っていく、
ということです。(非常にざっくりで申し訳ありません)
だから、基本的に新プラトン主義ではエスカレーターから下りて迎えに来てくれる人は
基本的にいないと言っていいでしょう。
しかし、キリスト教になると、聖霊だの恩寵だのがエスカレーターで下りて迎えに来てくれます。
というより、聖霊だの恩寵だのというものがないとエスカレーターに乗れないらしいです。
実はこの「糸」と「聖霊だの恩寵だの」は同一のものだ、という話もありますが、
とりあえず見た目的には、ここが新プラトン主義とキリスト教の大きな違いだと思います。
(もしかしたらこの本であとで出てくる話かもしれませんし、間違ってる可能性も高いですが、
一応ご参考までに書いておきます。)

>否定媒介
hsnmさんも、プロティノスの思想には否定媒介が無いから田辺は批判してた、って言ってました。
逆に、京都学派の禅の人はプロティノスにすごくシンパシーを感じるらしいですね。

6YS:2012/06/14(木) 08:05:19
なんと、一者への道は一方通行みたいなイメージでいいのかしら。
一者から降りてくるのは、あくまで概念やら言葉といった抽象なのね。

教育の現場とか、新プラトン主義的観点から理由づけるとしたら、どういう風になるのかしら?
概念や言葉が理念というか真の主体であって、現実的に存在する教師はそれの代行者みたいなイメージでいいの?

agentとangelって、語源的にはぜんぜん異なっておりますが、イメージとしてはよく重ね合わせてしまい
ここでも妄想が広がりまくりんぐって、また混乱が生じる危険がありますので今回は自重しておきまするw

でもやっぱり、agentとangelについてなんか知っていましたら、教えてくだせー・・・w

7OR:2012/06/16(土) 03:43:26
>一者への道は一方通行
新プラトン主義だと下に下りる意味ってほとんどないですしね。
(堕落して下に落っこちるということはあるかもしれませんが)
というか、最下層まで落っこちた結果が人間なので。

>教育
うーん…どうなんでしょ……
やっぱり新プラトン主義的には、「教育?そんなことより神秘体験だ!」なんでしょうけど、
プロティノス自身もローマで先生やって食ってましたからね…
それよりも、プロティノスって実は、肝心の神秘体験に到る方法について書いてないんですよ。
だから、神秘体験へ導くこと=教育だとしたら、そこもよく分からないということに…
あ、でも、プロティノスが教育について語ってたような気もしますので、この件については
宿題にさせてください。

>agentとangel
agentは、ラテン語の動詞ago(行う)の現在分詞からきてるのは
確定的に明らかでしょうけど、angelがクセモノですね。
ギリシア語のangelosにとりあえず遡れるわけですが(線文字Bの時代からあるらしい)、
オリエント起源のなんかの言葉だとかセム語だとかサンスクリット語に似た単語が
あるからそれに関係するかもだとか…
でもどの辞書見ても「語源は結局よう分からん」って…

8YS:2012/06/18(月) 23:54:27
>肝心の神秘体験に到る方法
それは、すごい興味があるわ。
IT先生に感化されたのか、最近、神との対話ということの意味というか、生きていくためにはこの対話をひつようとする
「人間」もいるということに気づきました、やっと。この場合の神は、内在化された神であって、そう、ドイツ語の2人称の
敬称と親称でいうなら、親称で呼びかけられる神ですね。

ひとりじゃ生きていけないよー::
でも、まわりにだれもいなかったら、自分の脳内の妄想で、対話の相手をつくるしかないやん・・・;;
おお!神よ!今いるわたしが、次の瞬間にもわたしであり続ける連続への信念が習慣に基づいていることに気づいた
(あるいはそういう妄想にとらわれた)人間が、それでも安心して暮らしていくためには、あなたのお力による支えが
ひつようなのです!って感じですわ・・・
ORさん自身の力で、むしろプロティノスだったらこうかんがえるだろう!という推量文を文献にそくした帰結文に結合させたら、
かなり素敵かも・・・

angelの語源もかなり興味深いです。この著書を読解し続けるモチベーションがさらに高まった気もします―たいてい、こういった
期待が裏切られるのは、経験的に知ってはいますがw

9OR:2012/06/19(火) 03:48:21
>プロティノスだったらこうかんがえるだろう!という推量文を文献にそくした帰結文に結合させたら
できたらいいですけど、僕の能力じゃちょっと…w
でも、プロティノス研究者の中にはそれをやった人が何人かいて、代表的なのは
「プロティノスは哲学的な思索と道徳的な行いの実践によって合一に至れると
考えていたんだよ!」って主張なんですが、これは明らかにちょっとアレですよね。
(うちの師匠曰く、「じゃあ哲思の院生の大半が合一してなきゃおかしいですよね」)

キリスト教だと、呼びかける対象としての人格的な「神」がいますけど、
新プラトン主義者の場合、一者は人格がない、というか考えることすらできませんし、
そういう、内在化された神への呼びかけみたいなことはどうやってたのかな、と
ふと思いました。


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