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第1章(pp. 19-30)

5OR:2012/06/14(木) 03:44:11
アイエエエエ!?R=サン!?R=サンナンデ!?

みんなのトラウマことRK大将軍様のことは置いておくとしても、一者への上昇が信仰を含意する
のはほぼ確実だと思います。というよりも真理の認識と信仰は不可分みたいです。
つまり、真理を完全に認識したいなら、真理(一者や神)と合一しなければいけないですし、
それは人間の究極目的であると新プラトン主義者やキリスト教神秘主義者は言いますしね。

でも、「下がってきてくれる」ものに関しては注意が必要だと思います。
新プラトン主義では、上へ昇るための手段は、「発出(流出)の過程を遡ること」です。
一者と人間とは因果関係の糸のようなものでつながれていますので、これを辿っていく、
ということです。(非常にざっくりで申し訳ありません)
だから、基本的に新プラトン主義ではエスカレーターから下りて迎えに来てくれる人は
基本的にいないと言っていいでしょう。
しかし、キリスト教になると、聖霊だの恩寵だのがエスカレーターで下りて迎えに来てくれます。
というより、聖霊だの恩寵だのというものがないとエスカレーターに乗れないらしいです。
実はこの「糸」と「聖霊だの恩寵だの」は同一のものだ、という話もありますが、
とりあえず見た目的には、ここが新プラトン主義とキリスト教の大きな違いだと思います。
(もしかしたらこの本であとで出てくる話かもしれませんし、間違ってる可能性も高いですが、
一応ご参考までに書いておきます。)

>否定媒介
hsnmさんも、プロティノスの思想には否定媒介が無いから田辺は批判してた、って言ってました。
逆に、京都学派の禅の人はプロティノスにすごくシンパシーを感じるらしいですね。


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