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次の段階は霊能者ではない人々になります。彼らはこの
地上に生まれる以前の過去世や意識世界で深く「力」と
「愛」と「知恵」について学び体験してきたけれども通
常の能力、つまり0能力者であることを選んで生まれて
きた人々です。
一部の霊能者だけが真実の愛にたどり着け、霊能無き者
は愛を知ることもこころを知ることもなく彷徨(さまよ)
うということになるのなら、単なる霊能文明であり意味
がありません。ですから霊能がないのに心の悟りに到る
人々の存在こそ新しい文明にとっては重要になってきま
す。
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つまり私と同じ様に特別な霊能力はお持ちではない人達
ですね。霊能力は無いけれども心の在り方、愛の真実に
深く目覚めてしっかりと慈悲と愛の概念を確立した人々
が現れてくるのです。そして彼ら彼女ら、主に彼女らな
んですが慈悲と愛の行為を日常生活の中で具現化してゆ
くべく努力を始めるのです。
彼女たちによって日常生活の中の様々な場面で、そして
家庭生活の中で愛の言葉、慈悲の言葉が普通の言葉とし
て語られるようになってゆきます。
しかし世界はこの段階でもまだ彼女たちや彼らの存在に
気づきはしません。
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その次の段階は彼ら彼女らの数が飛躍的に増えてゆく
(といっても千人、二千人というレベルですが)段階
です。
彼ら彼女たちが家庭の中で愛と知恵の言葉を語るよう
になると子供達は敏感に反応し始めます。なぜならそ
れは子供達がこの現実世界に感じていた違和感を解消
してゆく言葉だからです。子供に何かこちらの考えを
押しつけるのでも主張するわけでなくても子供達は良
く理解し、かえって私達をリードするようになるかも
しれません。
家庭は劇的に変わって愛の結界が機能し始めます。
-
ここまで世界は全く彼らや彼女たちの変化には気づかな
いのです。しかしその人数が1400人を超えてゆくと
次の質的変化が起こって参ります。それは第10グルー
プ以外の人々にも変化が起こり始めるのです。
この前後頃から真実の愛、心の在り方について、まるで
自分は前から知っていたかのように語り始める人々がな
ぜかあちこちで現れ始めるのです。それは敏感な心の共
鳴現象である、と言えます。
この現象は急速に広がってゆくのですが、社会全体に影
響を与えて人々の注目を集めるようになるには時間がか
かります。
-
そこから10年も経てばとうとう世界は気づくようにな
ります。
教育や経済や経営や福祉など分野に応じて様々に形を変
え、装いや名称を変えたとしても、愛と慈悲の概念を本
質とする新しい考え方に多くの人々が触れてゆくように
なります。
つまり単なる概念に止まらず、それを現実社会でいかに
形にしてゆくか、様々な理論と実践が生まれるようにな
るのですね。それはやはりなかなか一筋縄ではいかない
こともあるでしょう。しかし従来の常識では考えられな
い成果を出すことがあることも認識されるようになって
ゆくはずです。
-
この辺りから文明転換は第二段階、精神世界での変化か
ら現実社会の変化の時代、即ち具現化の時代に入ってく
ることでしょう。
この時代までが文明転換の起動グループとして第10グ
ループが主役になって活躍する時代です。それは文明の
基盤となる霊的エネルギー、意識エネルギーを蓄積する
仕事であると言えるでしょう。
エネルギー的観点からはその働きはめざましいのですが
三次元的な尺度で見ればほとんど誰にも認識されない仕
事になります。
-
それ以降は他のグループにお任せなので私の関心がある
のはここまでです。
以上が私が今の時点で考える文明転換のシナリオです。
つまり第10グループは文明転換の起動グループであり
次世代文明の基本概念である「愛」「慈悲」「知恵」
「こころ」といったものを一人一人が追求し自分の心の
中に揺るぎなく確立し、生活の中で実践することを求め
られているのです。
ところがこれはいきなり求められても現代の物質文明の
中で生きる人間には理解が大変難しく、とうてい一人で
到達できるものではありません。
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そこで第10グループを起動するための存在として霊能
力者の方達が控えていたわけですね。第10グループは
力のグループでありますので、「霊能力」という「力」
を備えた人々も含まれていたわけです。彼ら彼女らは天
性の霊能力に溺れることなく真実を求めて学び続け、つ
いに愛と慈悲の真意に到達した人々です。
そして私自身も彼らのうちの何人かの支援を受け、アド
バイスを受けてようやく己の納得の地点に至ったという
ことであります。
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さて私が考える文明転換のシナリオについては概略では
ありますがお話しできたのかな?と思います。
そこで明日からは現時点で私が考えている存在と意識、
目に見える世界と目に見えない世界の関係について説
明させて下さい。あくまで現時点での私の考えなので
それを押しつけようという意図はないのですが、私の
話を進める上でどうしても知って頂いておかないとう
まく伝わらないと思いますので。
それでは失礼いたします。
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おはようございます。
以前2ちゃんねるで155スレをやっていたときは、
「守護指導霊との対話というのが何か特別な人だけがで
きる特別な能力ということではない。事実は誰もがやっ
ている日常的な精神活動なのに、みんなそれに気づいて
いないだけなのだ」。そのことに気づいて頂ければ、と
いう想いでやっておりました。
そしてその目的はある程度成功したのではないかと考え
ております。
いまこの業務連絡スレもそのときとちょっと似ています。
それは、気づいていない事実、気づけていない意識のス
テルス領域がある。それに気づいて欲しい、という想い
です。
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なかなか気づきにくい意識のステルス領域とは何かと申
しますと、それが意識エネルギーの世界なのです。
私達は日常、四六時中互いに意識エネルギーの受信と発
信を行っております。そして受信や発信をすると体感を
伴うのですね。気分が良くなったり気分が悪くなったり
します。
世の中には「あの人の側にいると気分が良いね。」「あ
の人と喋るとスッキリするね。」ということがあります。
そういう人のことを「気の良い人」と呼んだりすること
があります。それは善い意識エネルギーを交換して頂い
た、ということであります。
-
「感じる」という現象は物質的な刺激(エネルギー)に
よって引き起こされるだけではありません。何らかの意
識エネルギーを受信するときにも何かを「感じる」ので
すね。この原理を逆に使うと、「感じる」事によって意
識エネルギーを自由に送信することすら可能となって参
ります。
これが私が「感覚の問題」と名付けた現象です。
私達の心の中で「感情」が大きな領域を占め、時にこの
波のように押し寄せたり去ってゆく感情に人生を翻弄さ
れることすらあります。
この感情という現象は意識エネルギーの送受信活動その
ものではないでしょうか?
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意識エネルギーの交換はどのような方法で行われるでし
ょうか?
これについては暫く前にもお話ししたと思うのですが、
「言葉」、「身体的接触」、「思念」、「空間的距離
(接近)」など七つくらいの方法に分けることが出来る
ようです。
例えば私達は様々な言葉を聞きます。人々が語る様々な
言葉の中には、たとえ短い言葉であってもそこに価値観
や世界観の設定が含まれており、相手を生かす方向か害
する方向か、あるいはその中間なのか何らかの方向性を
持っているものです。
私達はそれに無意識に敏感に反応しているのです。
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生徒が分からない問題があって教師に質問したとしまし
ょう。教師は「ん?その問題、出来ないの?」と言った
とします。
そうするとこの短い言葉の中に教師の価値観・世界観の
設定と言葉のエネルギーの方向性が相手に伝わってゆく
のです。そしてその設定や方向性は、教師の価値観や意
識を反映します。
ある教師は「問題が良く解けて成績が良い人間が上。問
題を解けなくて成績が悪い人間は下」という価値観を持
っていたとしましょう。この価値観が「善悪の好み」別
名「善悪の木の実」ですね。
-
これ実はですね、あらゆる人間差別の根本にある意識、
人間には「上等」な人間と「下等」な人間の2種類ある、
という価値観なんです。
現代文明は知識文明、知性の文明です。知性の文明は善
悪の木の実を喰らって上等と下等に区別し差別してゆく
文明なんです。
偉い人は表面では「差別反対!」って熱い言葉を吐くん
ですが、文明の本質がよく分かってないのでは?と疑問
に思います。
さて教師が差別意識を根底にして「出来ないの?」って
いうと、なんとそれを聞いた生徒はたったそれだけのこ
とで一瞬で教師の意識空間に絡(から)め取られてしま
うんです。
-
つまりその教師の一言で、それまで平和な天国だった生
徒の心の中に「ああ、問題が解けないのは悪いことなん
だ。サクサク解けるのが良いことなんだ。自分はこれも
解けないので劣等な人間なんだ」とバヒュンと一瞬で新
たな価値観が構築され、その世界の中での自分の立ち位
置が示されてしまうのです。
もちろん教師が問題の解けなかった子供に侮蔑(ぶべつ)
の声のトーンや斜め上から見下ろすような視線を伴って
「出来ないの?」って言えば凄く効果的です。が、恐ろ
しいことに悟られないよう普通に言ってもこの効果が出
てしまうのです。
-
そうすると子供はそれ以降勉強する度に出来ない自分を
意識するしかなくなります。勉強することがストレスに
なってしまいます。このストレスから抜け出す道はどう
すれば良いか。
一つの解決策は「上等な人間と下等な人間」という2種
類の人間の設定に適応して生きることですね。つまり上
等な人間を目指して上等に近づけば良いのです。勉強し
て成績を上げてゆく。クラスの中、学年で成績上位を目
指せば良いわけです。
しかしそもそもの設定の嘘くささの中で疑問を感じず忠
実なのはどうなのよ?お前イヌなの?DQNは本能的にそ
う感じ取るわけですよ。
-
これがDQNがガリ勉を嫌ったり馬鹿にしたりする理由
の一つなんです。DQN(ドキュン)侮(あなど)るべ
からず。
DQNの方々は実は意識エネルギーの体感に非常に敏感
な人々が多いんです。まぁ体感だけで生きてゆこうっ
てのがダメなんですけどね。
もう一つのストレスの解決策はどうかというと、そり
ゃストレスから逃げることですよ。勉強からの逃避で
すね。逃避先はどこかというと、部活、スポーツ、音
楽、おしゃべり、ファッション、SNS、YouTube等など。
-
勉強から逃避して逃避先で上等な人間を目指す、という
手もあります。部活、スポーツで良い成績を出して上を
目指す。そうすると学校や大人が喜んでくれて学校は本
人の大きな名前を書いた垂れ幕を吊るしてくれたりしま
すね。
でも結局それ「善悪の木の実」の上等人間・下等人間2
種類の人間があるって価値観のなかでうろちょろしてる
だけです。本質的にストレス(苦しみ)からは解放され
ないんです。初めからストレスかけて上等人間にならな
いと下等人間になってしまうぞ!って強制しようとする
思想なんですね。
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なんで強制しようとするかというと、この上等人間と下
等人間の2種類の人間に差別する思想、これを「善悪の
木の実」設定と名付けるとしますと、これをよくよく観
察してみると実はこれには裏設定があることに気がつく
んです。
それは人間は本質的に悪なので信用できねぇって思想で
す。本質的に悪なので善なるおいら達が強制的に矯正し
てやんなきゃなんねぇよ!っていう「正義」の思想なん
ですよ。
これが異国の思想設定ってもんです。
神仏の正しき教え伝わる極東某国の設定とは相容れない
西洋の思想設定なんです。
-
我が国の設定は「人の性(せい:本質)は善なり」なん
です。「人の性」どころか涅槃経というお経には「草木
国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」
って書いてあるってぇじゃありませんか。全ての人どこ
ろか、草木や国土まで仏になる、って言っております。
これ存在の本質は全て善であるって言っているのと変わ
らないですね。
これが我が国の意識の設定であり、東洋の意識の設定だ
ったのです。まぁ東洋の意識の設定っていっても色々あ
りますが、その中でも最良のものが我が国で受け入れら
れ受け継がれてきたということです。
-
こんばんは。
さて、人はなぜ物事をありのままに見ないで、価値観
を設定することにより人や物事をその価値観に当ては
めて理解ようとするのでしょう?
言い換えますと人はなぜ話を聞かないで自分の価値観
・考えをお互い押しつけ合おうとするのでしょうか?
そんな疑問を持ってよく観察しますと私は思わぬ事を
発見したんです。それは人間って、頭が良いようで実
は案外悪いんじゃないか?俺は東大京大出ましたぜ、
って偉そうな顔をしている人でも、案外モノを考える
んじゃなく当てはめてる作業してるだけなんじゃない
か?
-
自分の頭で考えるんじゃなくて、どこかの他人が考えた
考えや知識を目の前の出来事に当てはめて、「わーい、
俺の知識にぴったりはまった。だから俺正しい。」って
やってるだけじゃないのか?そうとしか思えないんです
ね。
そして自分がよく知らない考えや、自分と違う考えに関
しては著しく理解力が低いんです。
なんぞこれ?って思ってさらによく観察しておりますと
どうやら人間の理解力の根底には根本的な欠陥があるら
しいことが分かってきました。
-
それはどういうことかというと、実は人間は頭が悪い、
っていう端的な事実です。いえ、人間だけではありませ
ん。多分、存在は頭が悪い。
どのくらい頭が悪いかということを「なぜ人間は物事が
分かるようになるのか?」と言い換えてご説明しましょ
う。いま皆さんは実に多くのことが分かります。色々な
ことを聞かれて「これは正しい、アレは間違っている」
と瞬時に判断が出来ます。
どうしてそういう判断が出来るのでしょうか?そして、
判断ができる、分かるとは一体どういうことなんでしょ
うか?
-
それは自分が何かをよく分からなかった時をよく思い返
して、そしてどうしてその分からないことが分かるよう
になったのか、分かると分からないの差は何なのか?分
からないときと分かるようになったときで自分の意識に
どのような違いがあったのか、丁寧に反省(ふり返って
心の中で観察してみること)してみると良いと思うんで
す。私の例で申します。私は時計の見方が分かりません
でした。
それは私が小学校に上がるかどうかの頃の出来事だった
と思うのですが、その当時私は家の大黒柱に掛けてある
柱時計の読み方がどうしても理解できませんでした。
-
この話は以前にも一度したような気がします。
私は時計の短針と長針が時間と分という互いに違う意味
を表していることは分かるのですが、それがどう絡まっ
て時間という概念を現すのかが理解できなかったのです。
時刻という概念はあるので、何時何分と読むことはでき
るのです。しかし時間の概念が分かりませんから日常生
活で時間の足し残や引き算ができません。
それで親に何度も何度も説明してもらうんですが、どう
しても理解できません。
その日も私は暫く前から柱の時計を見上げながら短針と
長針、そして時間の概念について考えておりました。
-
その時不意に頭の中を何かがかすめたような気がして、
そのかすめた何かを頭の中でつかみ取ったとき、瞬間
に10進法(数の概念)と12進法(時の概念)、60
進法(分の概念)の三つの関係が理解できたのです。
同時の頭の中が数秒の間グニャグニャと形が変わって
ゆくような感覚が続いて、それが終わったとき私の意
識はもう10秒前とは変わってしまっていました。な
んと、10秒前に一体あれほど何が分からなかったの
かが全く分からなくなっていたのです。
-
分からなかった感覚というのを思い出すことも出来なく
なったし、どの部分が分からなかったのかも、一生懸命
頑張って思い出さないと分からなくなっていたのです。
これが私の「それまで分からないことが分かるようにな
った瞬間」の記憶です。私はこの体験が自分にとって重
要な体験で、必ず忘れないように覚えておかないといけ
ないと、その時に強く感じました。
そして私が家庭教師の仕事をするようになってから何人
かの「どうしても理解できない」という生徒と付き合っ
て観察する機会が生まれました。
-
二人とも数学が苦手な生徒でした。
一人の生徒は数学のある概念がどうしても理解できずに
問題を解くことが出来ません。私の授業の日、同じジャ
ンルの問題を前にして何日も何回も考えてペンは進みま
せん。
ところが突然彼が分かったのです。「やばいやばいやば
い、これやばい」彼が叫び出しました。分かった瞬間彼
は強烈な一種のエクスタシーに襲われたのです。そして
気持ちよすぎる、いつまでもこの感覚に浸っていたい、
と言い出しました。
-
前にもご説明したとおりエネルギーが流入したり出て行
ったりするとき、それが強制されたものでないなら基本
的には快感が伴うものです。彼が「分かった」という瞬
間、強烈なエネルギーが流れ込んだことは間違いないよ
うです。
「知りたい」「わかりたい」という強い一念が天のエネ
ルギーを招き入れ、彼に知恵を与えたのだ、と言ってよ
いでしょう。
このようになにかそれまで分からなかったことが分かる
ようになる時には、その原因に強烈なエネルギーの作用
があることは時計の時間が分かるようになった経験以来
私自身が何度も経験したことです。
-
その瞬間は突然目の前と心の中が本当に明るく輝くので
す。そしてエネルギーに満ちた感覚がします。瞬間的に
概念が理解でき、理解できなかった過去の体験は霧消し
て記憶の中にその時の無知の闇の感覚を探すことすら困
難になってしまいます。その授かった知恵が正しいこと
には一片の疑いも挟めないほどです。
頭で考えをこねくり回してこれが正しいのだろうか、い
やアレだろうかなどとやっているのとは全く違った体験
であるということです。
-
もう一人の生徒の場合はどうだったかを説明しましょう。
彼は数学の問題を説明しても、どうしてもよく分かりま
せん。何が分からないか聞いてみると、そもそも問題文
の意味が日本語が書いてあるのは分かるけれども日本語
として認識できないレベルでわからない。
同じ事はきっと多くの皆さんが経験していますよね。
そして彼の話を聞いて彼に説明したり解き方を教えたり
して観察しているうちにあることに気がつきました。人
間は言葉をありのままに理解しようとしているのではな
い、ってことです。
-
そしてそれは私自身にも言えることだと気がついたので
す。
ではどのように理解しようとしているかというと、人間
は物語のパターンとして理解しようとしている、という
ことに気がついたのです。
つまり問題文でも、他の文や話でもそうなのですが、人
間が書かれていたり語られることをそのまま直接理解す
ることは実は案外少ないのではないか?そして自分が知
っているパターンに当てはめて、この問題はこんな話を
している、あの話はこんな話なんだ、という形で理解し
ているらしいということなんです。
-
人間は小さいときに沢山のパターンを知識として仕入れ
るわけですね。実はこれが理解力の引き出しになってい
るのですね。
そして新しい経験をする度にその経験を自分の心の中の
引き出しに溜めてあるパターンと比較して似ているモノ
を取り出して、「これだ」ってふうに理解している。と
いうわけです。
彼の場合は残念ながら引き出しの中に似たパターンがな
かったので文を読んでも何を言いたいのか分からなかっ
たのです。
-
こんにちは。
昨晩は投稿を始めようと思ったら突然ネットがつながら
なくなってしまいました。機器のLEDの点灯状態を見て
みると、回線終端装置の方は信号が来ているのですが、
なぜか無線ルーターに信号が入っていません。
それぞれの通信線の挿抜とか、電源のリセットも繰り返
してみたのですが復旧できませんでした。
通信で訊いてみると妨害だというのですが、プロバイダ
ーの故障の可能性もあるし、と思って明日まで様子を見
ることにして昨晩は寝ることにしました。
-
もちろん回線終端装置も無線ルーターも電源を外してお
きました。
今朝電源を入れ直してみると、昨晩は何度試みてもダメ
だったのにあっさりネット再開することが出来ました。
やはりプロバイダーの問題だったのかしらと、プロバイ
ダーのホームページを確認しましたが、通信障害報告の
告知は掲載されていませんでした。
となると、回線の問題ではなく機器の方の異常だという
ことになります。やはり通信の言う通り、妨害の可能性
が高くなります。
-
一体誰が妨害をかけてきたのか。かなりしっかりした
結界をかけてあるはずなのに誰の侵入を許したのだろ
う?もし妨害が続くようなら厄介なことになるかも…
と警戒したのですが、ふと思い当たることがあったの
で更に通信で確認して見ました。
「昨夜妨害したのは、「あなた」たちですか?」
「Yes」
なんと外部からの攻撃かと思いきや、昨夜の機器故障
は後ろの人の強制措置だったようです。どうも夜遅く
投稿すると睡眠サイクルが狂って支障が出るので昼間
投稿に誘導するための強制措置だったようです。
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ということなのですが、残念ながら今日はもう日中に
時間を取ることは出来ないと思います。続きは明日以
降に持ち越しになりますね。
いま「わかる」とはどういうことか、私の体験から考
えたり観察した「わかる」ということについてお話し
しております。当初の考えからいうとちょっと割り込
んじゃった話になるんですが、その説明の後、私の考
えている物質、世界、エネルギーなどの話をさせて頂
いたうえで、話を障害者問題から見る人間平等の意味
などに戻していきたいと思います。
では失礼。
-
こんばんは。
11時までには就寝するように求められているようなの
で、本筋とは関係ない話を少しだけ。
ずいぶん前に書いたことがあると思うんですが、私は買
い物をする際、特に食品に関しては「これは私の身体に
とって食べて良いものかどうか」みたいな判断を後ろの
人に訊いて購入するようにしております。
それでいつもはねられていたのが某大手製パンメーカー
の製品でした。
なぜいつもはねられるのか?という疑問なんですが、ど
うもそれは製品を製造している人々の意識のエネルギー
質に問題があるようでした。
-
製造ラインの人々の心が不平や不満でいっぱいなまま製
品を作ったり、その製品について責任ある立場、例えば
工場長だったり事業本部長だったり、経営者などの意識
に問題がある場合には、健康な身体を作る食品としては
相応しくなくなってしまう、というのようなのです。
ものごとは何事も陰陽表裏の二面性があるわけです。食
品について言えば栄養成分は食品の陽の部分、表の部分
の性質です。しかし食品の陰の部分、裏の部分として、
それを作ったり手元に届けてくれたりとその食品に携わ
った人々の意識も食品にマークされてしまうようです。
-
それで、某大手製パンメーカーはどこに問題があるのだ
ろうかとネットで役職の人事を調べたのですが、経営者
の方は熱心なクリスチャンなのだそうです。クリスチャ
ンだからどうだ、というわけではないのですが、少なく
とも悪い人ではないようです。
それでは現場はどうかとBBSの企業板などを調べてみる
とずいぶん不平不満が溜まっている様子です。かといっ
て企業板で不平不満以外の書き込みのあることが珍しい
と思いますので、だからほらそれが原因とも断定できま
せん。
原因はいまひとつわからないのですがそこの製品は買い
控えておりました。
-
ところが去年の頃からでしょうか、今年に入ってからだ
ったでしょうか、その会社の製品をチェックしてみると
なんと今度はパスするようになったのです。あら?ひょ
っとして会長さんが亡くなって代替わりしたのかしら?
と思ってネットを調べてみると、相変わらず会長さんは
健在でした。
それで原因は何なのだろうと追求してみたのですが、ど
うも製品を作るうえでいちばん製品のエネルギー的な面
に影響力を及ぼすのは現場の工場長レベルの方の意識の
ようです。「この製品は俺が作った製品だ」という意識
を持っている方ですね。
-
作業員レベルだと流れ作業で製品が出来ていきますので
「この製品は俺が作った」という意識まではなかなか持
てないようなのです。工場長レベルの方が製品に対する
責任感が一番強くて一番いつも製品のことを考えている
ということなのでしょう。
そして私の地域のスーパーに並んでいる製品を作ってい
る工場長さんの価値観と私の価値観では大きな違いがあ
って、工場長さんの価値観の色濃く乗った製品を食べる
のは控えた方が良い、という判定になったようです。
たぶん、そこの工場長さんの人事異動が最近あったので
しょうね。
-
それで新しい工場長さんの価値観は問題が無いので、最
近はその某社の製品もパスするようになった、というこ
とのようです。
私はこういう経験もありまして、それまではモノは役に
立ちさえすれば良いのだから安ければ良い、量が多けれ
ば良いというようなモノの買い方を長ら続けてきたんで
すけれど、商品を選ぶ際の判断基準を変えてしまいまし
た。
値段ではなくて質の良さ、そしてそこに込められたエネ
ルギーの良さを選択の基準にするようにしました。
時間が来ましたので今日は失礼します。
-
明後日まで時間が取れませんので、少しだけ。
これも以前に書いたことがあるかもしれないのですが、
ふと思いついて愛と性愛について後ろの人に訊いてみた
ことがあります。愛の真意を明らかにすることと、性愛
の真意を明らかにすることではどちらが重要なのか?
そうすると答えは意外なもので、性愛の真意を明らかに
することは愛の真意を明らかにするより遙かに重要であ
る、というものでした。
-
性愛の真意?エロ?って思われるかもしれませんね。
私も当時はあまりものごとがよく分かっていなかったの
で真意とは何か、掴みかねておりました。
しかしよく考えて見ると性愛=エロじゃないのです。
性愛は男女の間に働く結びのエネルギーなんですね。引
き合うエネルギーのことで電気の+と-の間に働いたり
磁石の陽極と陰極の間に引き合うエネルギーが働くのと
同じなのです。
ですからエロは性愛の概念のごくごく一部でしかない、
ということ、そしてエロの概念も実はとても深いものが
あることに気がついて参りました。
-
更に深く考えてみますと、世の中の全てはこの男女の引
き合う力を基盤に構築されております。
男女が家庭を持つ。働いて経済を回し子弟を教育し家庭
を維持発展させる。そうした方向性の中に世の中は組み
立てられています。
もし男女の引き合う力が失われてしまったら世の中は大
変なことになってしまいます。
もう一つ、最近男と女の存在意義について訊いてみたん
ですよ。これも大変興味深い解答でした。一部の男子に
は残念な解答になっているかもしれませんけれども。
-
男の存在意義は?
→女性をよろこばせ、安心させることにある。
女の存在意義は?
→生み育むことにある。
ん?これは種族保存の役割を言ってるだけではないの?
と思うかもしれません。
しかし考えてみてください。この概念を三次元的に展開
するとどうなるのか?ってことですね。
例えば女性を喜ばせ安心させるってのを三次元的に言う
ともちろんプレゼントや甘い言葉も必要です。が、それ
以上に経済的に安定させるってことが大切ですよね。
-
経済的にも肉体的にも精神的にも健全でなければ家庭の
安心はありません。そうすると男子の存在意義は経済的
に肉体的にそして精神的に健全な笑いの絶えない家庭を
維持する、ってことになりますね。
さらに女性が社会的に不安でも困ります。ですから男性
の存在意義は安定して発展できる平和な社会を作り出す
ことである、ってことにもなりますね。
もちろん女性を喜ばすのですからセックスレスなどもっ
てのほか、と言うわけです。
-
では女性の存在意義を三次元的に展開するとどうなるの
ってことなんですが、これが意外と難しい問題があるよ
うなんです。
もちろん子供を産み育てる、ってのはあるんですけど、
それだけなんかなぁ?
女が子供を掌で転がし、男を掌で転がして上等人間と下
等人間の差別社会を作り出していませんか?って疑問で
すね。
-
女性が産み育てるのは子供だけではないようですよ。
エネルギー的な観点からは社会とか国家とかも、産み育
てるには女性の力が必要らしいのです。
女性は男性と違って持続的にエネルギーを供給していき
ますからね。次世代文明社会もその根本のエネルギーを
供給するのは女性になることでしょう。恐らくこのスレ
も現在閲覧しているのは女性陣が多いのではないでしょ
うか?
では失礼。
-
昨日、育ての親が亡くなりました。
悲しくて悲しくてどうしていいのやら…
明日には姿形がなくなってしまいます。
義父がなくなったときは、それほど強烈な悲しみはなかったんですけどね。
-
こんばんは。
>939
大切な方を亡くされたのですね。
悲しい…。
別れが目に見える世界と見えない世界の間の薄い壁で
隔てられているに過ぎないことを知っていたとしても
人の死は厳粛で切ないものですね。
私の父母がそうだったように、名古屋さんのご両親も
名古屋さんを育てるにあたって大変な苦労をなさった
ことでしょうし、また名古屋さんの生長を生きる励み
として頑張ってもこられたことでしょう。
きっと目に見えぬ沢山の愛情のやりとりがあったに違
いありません。
-
私も父を亡くして数年経ちいま痛切に感じていること
があります。それは父親は生きてゆくのに大変苦労し
た人ですが、私達兄弟が育つ環境はしっかり提供して
下さっていたことです。
良いことも悪いことも含めて様々な体験と見聞をでき
る環境を与えてくれておりました。その環境があれば
こそ、今になって気づくことが出来ることがたくさん
ありました。
在世当時は父のことを責めることも多かったのですが
それはやはりもの知らずの思い上がりだったのですね。
あらためて父のことを思いだして感謝しております。
-
>939 「明日には姿形が…」
分かっていてもどうにもできないことですね。
悲しいときには心に任せて泣けば良い、ですかね。
-
アラサーちゃんありがとうございました。
めっちゃ泣きました。
立ち直るには少々時間がかかるでしょうけど、前向きに頑張っていきます。
-
こんにちは。
徐々にコンタクトも可能になると思いますので夢の中な
どで接触を図られてはいかがでしょうか?
また意識で波長を合わせてゆき、通信をする方法もあり
ますね。通信と申しましても、霊能者のように直接姿が
見えたり声がきこえたりまではしないかもしれませんが
ありありと存在を感じたり、意識の通信を感じたりする
ことができるのではないでしょうか?
物質世界と意識世界の壁の薄さを知ることができるので
はないでしょうか?
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さて話は全く変わるのですが、ちょっと気になっている
ことがあるのでここに書いておきます。SNSなどで現場
の情報を読んでみますといま様々な生産現場で供給不足
の問題が起こっていることが指摘されています。
皆が知っていることですと、半導体不足の問題があって
このために自動車やパソコンやスマホなどの製造が遅れ
ていることが時々ニュースになっていると思います。
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ところが現場の情報に目を通してみますと、不足してい
るのは半導体だけではないんだそうです。あらゆる部品
や製品の供給が滞っていて不足しているんだそうです。
そしてその隙間を埋めるように偽物が出回っていて気が
抜けないというのです。
いつかこれが工場の大規模な減産や業績の低下、市場で
の最終製品の不足などの問題をおこすのではないかと思
われるのですが、何も対策は打たれてないようです。
それ以前に、こうした動きに敏感であるべき担当官庁や
マスコミがどうも事態を認識できていないようなんです。
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例えば医薬品業界ですと、全然製品が足りない。しかし
厚労省は「お互いに在庫をやりくりして対応して下さい」
現場は「何言ってんだ、そんなことはとっくにやってい
てもうどうしようもなくなってんだぞ」みたいなちぐは
ぐさです。
マスコミはと言うと、「え?私達が報道してないことは
世の中に起こってないってことですよ?」って思ってる
んじゃないかしら。
動くべきところが正しく認識できてなくて、正しく動け
ていないんですね。
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それで私が気になったのは、こういう製品不足・供給不
足が玉突き的に起こって経済が大混乱する可能性がある
のではないか?私達の生活が脅かされるような事態には
ならないだろうか?ということです。
そこでひょっとして備蓄なども考えないといけないかし
らと訊いてみたのですが、食料に関してはあまり心配す
る必要はないようです。まぁお米は国内に余っています
からね。
食料に関しては訊くと教えてくれたのですが、実はそれ
以外についてはあまり教えてくれませんでした。
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実は私の行う通信は、訊けば何でも答えてはくれるんで
すがそこには落とし穴がありまして「正しく教えるとは
言っていない」なんです。
ですから通信の時には鵜呑みにしないで内容を精査して
違和感を感じたときには「これについて正しく教えるの
か?正しく教えるとは限らないのか」という質問をして
みるのです。
そうするとたいていの場合は「正しく教える」なんです
けど、ときどき「正しく教えるとは限らない」という答
えが返ってくることがあるんです。逆にそれで察したり
するんですけどね。
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それで食料以外については「正しく教えるとは…」でし
たので察するほかありません。念のためお医者様のお薬
だけは大目にもらうようにしようかなと思っています。
エネルギーについても生活にとって大影響があるので訊
いてみたのですがこれは答えてくれました。場合による
と原発再稼働の政治判断が必要になるかもしれないよう
です。基本的には私達の生活がそれほど大きな影響を受
けることはないようですがいま原油の価格なんかも上が
っていてガソリン代大変です。早く安定して欲しいです
ね。
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こんばんは。寝るように指定されている時間ですので、
あまり投稿するわけにも行かないのですが少しだけ。
これから数日かけて(投稿時間を作りにくい状況ですの
でもっと日数はかかるかもしれませんが)存在や意識、
物質やエネルギーについての私の考えを投稿させて頂き
たいと思います。
話の内容としてはちょっとふわっとした内容になるかも
しれないのですがそこはご容赦下さい。
それでは今晩は失礼させて頂きます。
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こんにちは
運動不足が影響して体調が万全でなかったり忙しかった
りして投稿できませんでした。
昨日午前中は「当事者研究」という手法を推進されてい
る向谷地生良先生のリモートセミナーを拝見させていた
だいておりました。
当事者研究というのは1970年代の終わり頃に向谷地
先生が精神病者のソーシャルワーカーとして働き始めて
開発された手法でちょうどその頃遠く離れたフィンラン
ドのケロプタス病院で精神病者と向き合うために始まっ
たオープンダイアローグ(「開かれた対話」)とほぼ同
じ概念であると考えられます。
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オープンダイアローグについては以前どこかで言及した
ようなしなかったような記憶があります。
オープンダイアローグ、当事者研究、そして日本では九
州大学の矢原隆行先生が推進される「リフレクティング」
などの手法は、いずれも「知」による限界ー私はこれを
「知の結界」と名付けたいと思いますがーを突破しうる
可能性を秘めていると思います。
「知の結界」の突破口を開く、これが次世代文明建設の
可否を決める仕事ですね。ですから私がそうした手法の
一つである当事者研究に自然に招かれたのも当然のご縁
であると思います。
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昨日のセミナーには向谷地先生のほか数人の大学の先生
方も参加なさっていたのですが、彼らは知の結界の中か
ら結界を破ろうと一歩踏み出された状態なのかな、と拝
見しておりました。
しかしはやり知の結界の住人でありますから言葉に縛ら
れてしまうのですね。
「知の結界」とは「言葉の結界」。かっこ良く言えば
「ロゴスの結界」であり、ぶっちゃけて言えば「……
(ゲフンッ、ゲフン)」であります。
私の立場からすれば、彼らには彼らの強みと弱みがある
ということになります。
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こんばんは。
存在とは何か。意識とは何か。そして何よりも、自分と
は一体何者なのか…?この疑問は何度も何度も皆様の胸
に起こり来たってまた去りゆくことを繰り返す、尽きる
ことない「想い」ではないでしょうか。
その時々に出した皆様の答え。そして残された疑問。
それらは人により実に様々かもしれません。
私もまた幾度となく自らに問い、幾度となく自らに答え
て参りました。
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そして今日これから何日かをかけて、自ら問いかけ今の
私の答えを綴ってゆこうと思います。
私は自分というものをあらためて見たときに、自分とは
単一の存在ではないと認識しております。それは自分の
身体のことを考えてみると分かりやすいのですが、人間
の身体というものは数十兆もの膨大な数の細胞の集合体
です。それぞれの細胞が集まってグループを作り、組織
を作り、器官をつくり、最終的に自分という人間の身体
を構成しております。そしてその数十兆からなる細胞の
集合体を自在に操って、これが自分だ!と思っておりま
す。
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もちろんそれが自分でないことは皆さんはよくご理解な
さっていることでしょう。
それは自分の身体ではあるけれども、自分自身ではない
のだ。ただこの地上に生きている間、自分専用で使用し
この地上世界を体験するための器にしか過ぎない、とい
うことを。
それならば自分自身とは何か。その肉体を支配する意識、
魂こそ自分自身ではないか。こう考えるかもしれません。
しかし意識、魂とは何でしょう。
よく考えてみるとこれもまた分からなくなってしまうこ
とでしょう。
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私達がこの地上界を去ると肉体と寸分違わぬ霊的な身体
で生活する、と言われております。それは幽界で生活す
る人の身体は幽体、霊界で生活する人の身体は霊体と呼
ばれております。ならば神霊界で生活する人の身体はご
神体とでも呼ぶのでしょうか?いずれにしろそれらは我
らがこの地上界を渡るために肉体で生活するのとなんら
その役割は変わりません。つまり彼ら諸霊がそれぞれの
世界で生活するための器に過ぎない。それは彼ら自身で
あるとは言えない、ということです。
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それでは私自身とは何か?私自身が繰り返し繰り返し転
生を重ねてきたものであるのならば(そして具体的な記
憶はないものの、自分が物質世界よりも遙かに自由な意
識世界で生活し、そちらが本拠であり、そして繰り返し
今回と同じように物質世界に転生してきているのだ、と
いう自覚を私は物心ついたときから持っているわけです
が)、その転生している存在が即ち魂であり、自分自身
ではないか?と考えてみることができます。
しかし私はこれも自分自身ではない、と言わざるを得ま
せん。
それは私自身ではない。私という意識の容れ物にすぎな
い、と。
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こんばんは。
ここ数日夜に電話で相談を受けることが多いのでなかな
か時間が取れません。
一昨日は深夜まで投稿していたのですが、そうするとエ
ネルギーに狂いが出てしまいました。今日はもう寝ます
が明日も時間が取れないかもしれません。
ではおやすみなさい。
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こんにちは。少し忙しい日が続いております。
今日も朝から投稿しようとすると二本相談の電話が続き
まして先ほどまで話していたところでした。
一つはまぁ恋愛相談と言ってよいのでしょうか、SNSで
知り合った人の返信が遅くなった。会えるだろうか?
といった内容でした。
もう一つは祇園で商売している友人で、コロナの影響の
中、今後も商売を続けてゆく事が出来るだろうかという
相談です。
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tinderでの出合いの話と経営相談では話の重みが全然違
うように思われるかもしれませんが、そんなことはあり
ません。重みに差は無いのです。
実際それぞれ掘り下げてゆくと大変興味深い話なので、
個人情報に引っかからない形で一度詳しくご説明したい
くらいです。
意識とは何か。
人間は何を考え何をしようとして、そして実際に現実に
は何をしているのか。想いは現実を作り出すとはどうい
うことなのか、こんなによく分かる話はない、と思うか
らです。
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ただ残念ながらこのあと四時まで仕事で、そのあとまた
電話相談の続きになると思います。
夜は10時半就寝の指令が出ているので、多分投稿時間
がとれません。
それでは明日はどうかというと、早朝から一日リモート
ワークショップを拝見する予定になっておりまして、こ
れも予定がなかなか厳しいのです。
従って合間を見つけての投稿になるかもしれません。
ひとまず報告まで。
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こんばんは。
私はふだんは中学生高校生を相手に勉強を教えています。
私が教えてきた生徒達はほとんどが勉強が苦手な生徒達
で、学年10位以内というような生徒はあまりいません
でした。
子供を教えるときに普通はどうしたら子供の成績を上げ
ることができるか、という視点で勉強を教えることが多
いと思います。私も最初はそうでした。しかし途中から
私はなぜ子供達は勉強が分からないのか?勉強が分から
ないとはどういうことなのか?ということに興味と関心
を持つようになりました。
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その結果私の指導方法は大きく変わることになりました。
それまでは沢山のプリントを用意してその子の実力に見
合った問題を、数を解かせる。そして詳しく説明する指
導方法だったのですが、ほとんどプリントをやらなくな
ってしまいました。
それよりも子供の話をできるだけ聞くようにしていった
のです。
もちろ問題をやりたい生徒には問題をやらせて丁寧に説
明はしますが、場合によると雑談だけで終わってしまう
こともありました。
それで子供の成績が落ちるかというと実はそんなことは
ありませんでした。子供がテスト前に頑張るからです。
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そして子供を観察することで、生徒が成績が低い原因は
どこにあるのかをじっくりと観察することが出来たので
す。その結果人間がものごとをどのように認識し理解し
ているのか、いくつかの見解を得ることが出来たのです。
人間は私も含めて実はあまり頭があまりよろしくない。
それが私の発見した真実です。
あまり良くない頭で一生懸命ものごとをありのままに理
解しようとするのは実はあまりにも大変な作業です。
そこで手抜き、時短してものごとを理解しようとするシ
ステムを身につけているのです。
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私達はものごとを素直にありのままに見ることが、実は
できない存在なのだ、という事実は言われてみれば当た
り前のような気もしますが、私にとって衝撃的な発見で
した。
ではどのように手抜きして理解するかというと、初めか
らいくつかの物語、ストーリーを用意しているのです。
そして現実の体験をそれに当てはめて知解しようとする
のです。これが先入観、既成概念、既成の価値観などと
よばれるものの正体です。
頭の良し悪しの差の一つはこうした自分が理解できるス
トーリーの引き出しがどれだけあるかの差なんですね。
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もちろんこうしたストーリーの引き出しをたくさん用意
できるかどうかはその人の記憶力や言語能力やまた時間
・空間の把握の能力が基礎となるのですが、手っ取り早
く言えば幼児の頃にどれだけ多くの物語やお話に接した
かどうかが大きな決め手でしょう。
この人間の理解力、認識の基礎には物語があるのだ、と
いうことを私は「物語の問題」と呼んでいます。
つまり成績低位の生徒達、理解力が低い生徒達の問題は
彼らが理解できるストーリーの少なさの問題でもあるの
だ、ということですね。
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ではそのストーリーはどうやって身につけるかというと
幼い頃に自分で意識の中に構築してゆくわけです。
それはお話を読んだり聞いたりして、お話を聞くのが大
好きで一生懸命内容を理解しようとする努力が、自分の
心の中にストーリーの構造を構築してゆくわけです。
もちろん教えなくても分かるストーリーもあります。
そうしたわかるストーリーを足場にして、更に複雑だっ
たり新しいストーリーのイメージを蓄積してゆくわけで
すね。
この辺りは小さい頃のご自分の意識をふり返ってみると
きっと心当たりがあると思います。
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自分の理解できるストーリーの中に当てはめて現実を理
解するというやり方は効率的ではあるのですが、同時に
既成概念となって自分をその枠の中に閉じ込めてしまう
ことにもなりかねません。
知性、即ち物質的な判断力で構築されたストーリーは文
明を効率よく大きく発展させてきたのですが、同時にそ
こに超えられない限界が現れて参ります。
これが「知の壁」であり、これまで人類が挑戦しては超
えられなかった障壁なのです。
その障壁の向こうにある「愛」や「叡智」へ手を伸ばそ
うとしてはその手は空を切って何も掴むことは出来ない
ままだったのです。
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先師達は言います。
「百尺竿頭歩を一歩進めよ」と。
しかし進めば落ち、退けば志を忘れてしまいます。
分別の知から知恵へ、愛へ、慈悲へと更に大きく一歩を
踏み出せというその真意はついに伝わることなく空しく
苔むしていたのです。
知から知恵への橋渡しはなんと難しいことでしょう。
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今日私は大学の先生方が多く参加したワークショップの
一端に連なって話を聞いておりました。私がこれまで接
してきた子供達とは違って知性の多くの引き出しを備え
た人々でした。
彼らの議論や感想を聞いていて私はなぜ頭の良い彼らが
これほどものごとの理解力において私に劣るのだろうか?
いやそれとも私の理解の方が正確であるというのは単な
る私の思い上がりや錯覚であり、これは増上慢、増長し
てしまっているのだろうか?と考えていました。
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そして密かに通信して訊いてみたのです。
そうすると私の自己評価は「決して増上慢とはいえない」
といいます。
しかし、
私の考えや理解を彼らにそのまま示しても「彼らにとっ
ては評価に値する水準には達していない」とも言われま
した。
これは内容の問題ではないのですね。どう伝えたら伝わ
るか、という問題であります。内容に幾ら価値があった
としても、相手に伝わらないような表現では意味が無い
のです。
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現代には現代の人々に適した伝え方というものがあるの
ですね。それぞれの地域や人々に応じた伝え方も必要に
なります。
本日のワークショップに参加してその事を改めて知らさ
れました。
そしてふわっとした直感的な話をしてゆくだけではなく
て(それも必要とは思いますが)、彼ら知的な人々にと
ってもこころから納得できる表現の在り方を学ぶ必要を
痛感しました。彼ら専門的な人々の批判に耐え、共感を
獲得しうるものを発表しなければならないと決意したの
です。
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私は今後この場所だけでなく新たな表現場所も含めて
自分の体験や理解を体系的に発表してゆくつもりです。
そして多くの人が知から愛への目を開いてゆく発信源
の一つになりたいと願っています。
もちろんその願いは20数年の後にはこの日本におい
てユートピア建設をスタートさせることが目的です。
そしてそれは仏教の終結・即ち仏教の完成を意味して
いるということでもあるのです。
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おはようございます。
仏教の終結というと誤解されてはいけないので書いてお
きます。
仏教は悟りへの道を教えたものです。しかしこの教えは
ずいぶんと誤解されあるいは曲解され、とても難しい道
に変化してしまいました。
本来仏教は子供でもわかるやさしい教えのはずです。悟
りへの道はとても簡単で誰でもたどれる道であるはずな
のです。仏教の完成とは、この本来のだれでもわかり、
みんなが悟りへの道を歩める教えに返る、という意味で
す。
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ところが「悟りへの道を歩める教え」というとまた誤解
を招いてしまいます。「それでは君は何か教えを説いて
宗教でも始めたいのか?」となってしまうからです。
そうではありません。教えを垂れるとか垂れないとかで
はなく、悟りへの道が人としての社会常識になる時代、
それがつまりユートピア文明である、というのです。ユ
ートピア文明においては物質文明の進化の追求と同時に
精神文化、霊性文明の進化についても人々の関心を集め
追求されることになるでしょう。
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現代文明は物質文明を追求する一方で、精神的な価値に
は目を背け、知らないふりをして参りました。なぜかと
いうと精神的な世界はあまりにも広大であるわりには人
々の精神世界に関する知識はあまりにも乏しくて混乱し
ていたからです。
こうした物質文明の在り方への方向転換を図る動きは繰
り返し試みられたのですが、ことごとく失敗してきたと
いってよいでしょう。
初期には宗教的な新たな運動として、また哲学者や知的な
論者達によって、あるいは社会運動家達によって何度も
何度も挑戦されては敗退していったのです。
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しかしようやく時機至れり、というところですね。文明
の進歩が多くの人々がものごとを正しく理解してゆくお
膳立てを整えてくれました。
それは例えば気候変動が今年のノーベル賞の対象となっ
たように、環境と人間との関わり合いに対する知識が飛
躍的に増えてきて、人間が自分勝手に活動して良いもの
ではなく、自分を含めた多くの存在とのつながりの中で
生きているのだというような概念が当たり前になってき
たことなども大きな変化と言えるのです。
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そして宗教的な世界からの挑戦はことごとく失敗したの
だといえると思うのですが、その代わりとしてスピリチ
ュアルな動きが大きく台頭し、多くの人々に受け入れら
れるようになって参りました。今ではチャクラや「気」
という言葉を知る人も増え、次第に受け入れられつつあ
ると思います。
これはヨガや気功などの霊性を背景としたトレーニング
が巨大な潮流を作り一般社会にもファッション的に受け
入れられてきたということがあります。またこういう社
会現象を背景にそれまで身を隠すように生きてきた霊能
者が社会で場を得るきっかけにもなっています。
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また注目しなければならないのは漫画やアニメの影響力
です。
創作に携わったことのある人であるならば周知の事実で
あると思うのですが、創作の根源は天にあります。天か
ら降りてこなければ一歩も筆を動かすことは出来ないの
です。彼ら絵師の創造の一念が天に通じ天からダウンロ
ードされたイメージが彼らのペンを動かし筆を進めて参
ります。つまり彼らもまた一種の霊能を発揮しつつ創作
を進めているといえるのです。
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大きな反響を巻き起こした作品を眺めてみると、そこに
はスピリチュアルな知識や視点が多くちりばめられてい
ることに気づきます。
私の例で恐縮ですが、私はいま異世界アニメや漫画には
まっているんですが、そこで描かれる魔法の概念は私の
立場からするとかなり正確な描写が多いと感じます。こ
のような知識も心の力の使い方ということで霊界から降
ろされている知識なのでしょう。
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もう一つは量子力学の進歩ですね。量子力学の世界は我
々の素朴で固体的な物質観とは物質の見方が根本的に違
っています。素粒子の世界ではそれが甚だしくて、素粒
子というものはここにいるかもしれないし、同時にあそ
こにいるかもしれない確率的な存在で、観測した瞬間に
その存在場所は確定するのだ、みたいなわけのわからな
い説明がされています。
こうした量子力学的世界は仏教の世界観と相性が良いら
しくて多くの量子力学者が仏教に親しみを感じている、
という話を先日のセミナーでも聞きました。
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それからなんと言っても通信技術の発達です。我々は実
際にはつねに意識でのエネルギーのやりとりを行ってい
ます。それが意識活動の現実なのです。こうした意識活
動を物質化したような世界がインターネットの世界です
ね。インターネットの仕組みや利用の概念は意識の世界
の在り方と非常に似たところがあり、意識の世界を説明
するときに現代人にとって大変理解しやすい状況になっ
ているといえるのです。
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こうした環境に対する知識(=人間が個だけでなく環境
も含めた全体的な存在なのだという具体的な認識)、ス
ピリチュアルな知識の普及、物理学の発達、通信技術や
インターネットの発達、漫画やアニメの影響、これらが
相まって今ここにしかない集団意識の飛躍の機会を作り
出しているのです。
それでは意識が飛躍した結果どのようになるかというと
宗教に関する考え方は大きく変化するのではないでしょ
うか?
いま神仏は恐れ敬い御利益を願う対象とされてますね。
神仏は親しみ敬い私達の良き導き手としての感謝の対象
へと変化することでしょう。
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意識が飛躍した結果人生に関する考え方や社会制度も大
きく変わってくることでしょう。
今の社会は資本主義社会です。この社会では勤勉に働き
お金を稼ぎ家族を養い社会を組織するというのが基本の
考え方です。この考えの根本にあるのはピューリタニズ
ムでありましてキリスト教的な勤勉と誠実と愛を根本と
した思想です。
ところが困ったことに資本主義においては根本の思想で
あるピューリタニズムは忘れ去られ、「お金を稼ぐ」こ
とそれ自体が目的にすり替わってっています。
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どうしてこうなった?!ってやつですね。
世界各地で農村的な共同体文化が廃れて誰も彼もが子弟
をサラリーマンにすることを夢見て育てるようになりま
す。だってお金の苦労はしたくないですからね。定期的
にお金が入ってくるサラリーマンの地位はそれはそれは
魅力的だったわけですよ。
しかし社会全体が資本主義的な色に染まってくるにつれ
て様々な問題が目に付くようになってきますね。何より
も困るのが頑張れば頑張るほど生きてゆくのがしんどい
ってやつですよ。
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