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女子会 板

1973SAKURA:2012/10/24(水) 23:28:13 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1951>>1952>>1954>>1955>>1956>>1957>>投稿の続きです・…。

■第1章 『ロックの女王MIKAの話し』… 福井ミカさんの自伝(元加藤和彦さんの奥様)

――――― クリス・ト−マスとの出会い ――――――

 ファ−ストアルバムのレコ−ディングを終えた“73年の春、、私たちバンドのメンバ−は
1か月ほどロンドンに滞在した。いわば、「充電期間」として、連日コンサートや映画に行
ったり、ショッピングを楽しんでいた。
 そんなある日、私たちはロキシ−・ミユ−ジックのコンサ−トを音楽・映画評論家の今
野雄二さんのはからいで聴きにいった。休憩時間に席を立った私は、向こうから歩いてく
る、ジーンズ姿の男性に、「トイレはどこですか」とたずねた。彼こそ、名プロデュ−サ
−、クリス・ト−マスだった。ビ−トルズをはじめ、エルトン・ジョン、セックス・ピス
トルズなど、イギリスを代表する大物ア−ティストを手がけ、“95年にはディズニ−映画の
『ライオン・キング』の音楽プロデュ−スでグラミ−を受賞する。
 
トイレの場所をたずねた私は、彼がそんな人物だということに気づきもしなかったし、
男女の出会いとしても、お世辞にもロマンティックとは言いがたい。しかし、この出会い
が、やがて加藤さんとの別れの原因をつくり、予期せぬイギリスでの12年の始まりになろ
うとは……。
 席に戻ろうとする私に、今度はクリスのほうから話しかけてきた。「あなたは日本のサ
ディスティック・ミカ・バンドのメンバ−ですね」と、彼はミカ・バンドのサウンドに興
味をもっていて、ぜひレコ−ドを聴かせてくれというのだった。こちらに異存があるはず
もない。『モチロン、喜んで』と答え、2人はそれぞれの席に戻った。
 日本に帰って、さっそくレコ−ドをクリスに送ったところ、折り返しテレグラム(いま
ならFAXだろうが)で返事がきた。そこにはクリス自身がサディスティック・ミカ・バ
ンドのプロデュ−スをしたい、しかも日本でレコ−ドを作りたい、と書いてあったのだ。
あとからわかったことだけれど、これにはウラがあって、クリスはそのころ日本女性とつ
き合っていたから、ということらしいのだが。
 こうしてミカ・バンドの2枚目のアルバム『黒船』のレコ−ディングが始まったのだが、
私にとっては、もうひとつの恋の始まりでもあった。
 クリスがレコ−ディングのために来日したとき、私は例のロ−ルス・ロイスに乗って羽
田に迎えにいった。税関から出てきたクリスの姿、それはロンドンで合ったときとはまっ
たく印象が違っていた。あのときはジーンズにGジャンをはおっていたのに、いま税関を
出てくるクリスはグリ−ンのベルベットのジャケットにジ−ンズと白いブ−ツ。その姿は
一瞬にして私の脳裏に焼きついたのだった。この状態は、今野雄二さんに言わせると、
“フォトグラフイック・メモリ−”といって、印象深いことが1枚の写真となって克明に
記憶され、くりかえし頭のなかにフラッシュバックしてくるのだそうだ。私は、もともと
一目惚れの傾向にあったのだけれども、実は“フォトグラフイック・メモリ−”によって恋
に落ちるという、めずらしいパタ−ンの持主だったのだ。一度刻まれたクリスのそのときの
印象は、決して私のなかから消えることはなかった。
                           つづく

PS:トキ様 へ 
「ミカさん」を読みまして【人生ゲ−ム】でしょうか〜〜〜???
そこから各自の体験?経験?にて〜〜〜“人間味”が出てくるのですかと?今!
新たに「ミカさんの過去」を、読みながら思いました次第ですが?如何でしょうか〜〜〜?


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