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管理者日記

1メビウス@管理者:2010/11/16(火) 00:26:38
管理者のブログorツイッター代わりのスレです。

277メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/11(木) 21:05:02
橋元氏の残念なのは自我論がないこと。
時間の実在を否定するなら人格の同一性についての考察が不可欠だ。
逆に時間の実在を肯定する立場でも人格の同一性は問題になるので、
橋元氏も植村氏も同様の瑕疵がある。

278メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/15(月) 21:29:19
マリーの部屋のページを大幅に修正。
フランク・ジャクソンは物理主義的な表象主義に転向したので、表象主義の
ページを作ろうと思う。

あと大森荘蔵の「重ね描き」も独自の心身関係論として、独立したページに
しようと思う。

279メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/19(金) 21:22:12
ようやく表象主義のページが完成。

しかし表象主義の細部は疑問だらけ。機能主義の問題点を少しも克服してないように思える。

といっても資料が少なかったので正確に理解してるか疑問がある。
手持ちの本では信原氏の入門書で僅かに言及されてた程度。
後はネット上で拾える論文を寄せ集めて、それを要約したというレベル。

心の哲学で表象主義が注目され始めたのはジャクソンの転向から考えると
2000年前後ぐらいからだから、まだ研究成果も少ないということかも。

280メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/21(日) 21:30:50
「言語的批判」のページは消すかどうか難しいところ。
大森氏の「重ね描き」を独立したページにするなら、必要なくなるような。
重ね描きは明らかにウィトゲンシュタインの洞察、つまり言語的批判を出発点にしてる。

281メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/21(日) 21:40:39
ウィトゲンシュタインの<独我論と実在論の一致>で心身問題は終わったという見方はできるけど。
しかし事情が変わったのは20世紀後半の脳科学の劇的な進捗で、このため心の哲学は自然主義、
科学的実在論を前提にせざるを得なくなった。
ウィトゲンシュタインや大森氏の洗礼を受けているはずの野矢茂樹があえて実在論を
選択したのもそいう背景があったからだろうし。大森氏が晩年脳科学に拘った理由でもある。

それでも大森氏は基礎付け主義を放棄せず「重ね描き」で現象主義を貫徹したのだから、
凡百の哲学者とは器が違うな。

282メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/24(水) 20:30:16
心の哲学全般のページを加筆修正。

あと大森荘蔵のページを修正すれば、このまとめサイトも一応完成だな。
細かい部分の修正は定期的にやる必要があるだろうけど。

サイト完成したらのんびり好きな本読んでみたい。
2chの軍事板にも戻ってみるか、と思って久しぶりに見たら良コテは
ほとんどいなくなっているんだな。残念。

283メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/27(土) 23:28:46
大森荘蔵のページを加筆修正。
「無主体論と独今論」というテーマで大森氏がなぜ最終的に独今論に到達したかを
私の独今論解釈で書き加えた。かなり恣意的な解釈かもしれないと思うけど。

以前書いたヒュームの問題は大森氏の無主体論の問題と同じだと思うので、
ヒュームのページも修正する必要がありそうな。

284メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/04/27(土) 23:31:15
あと「重ね描き」を主要な説のカテゴリーに加えた。
独立したページを作るつもりだったけど、重ね描きは大森哲学全体から不可分なので、
大森氏のページ内にリンクした。

私としては、重ね描きで心身問題は「解消」していると思っている。
「解決」ではないのがポイントである。

285メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/02(木) 00:19:16
「無主体論と独今論」はまだ書き直しが必要っぽい。
大森氏はアウグスティヌスらの独今論に接近する過程で、なぜヒュームの
抱えた人格の同一性問題に言及しなかったかと疑問に思う。

あと「形而上学的無主体論」のページは自分でも満足してないのでとりあえず消した。
書き直しは何年後になるやら。

286メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/02(木) 00:23:07
「対戦型哲学史」の人のウィトゲンシュタイン解釈は優れたものだと思うが。
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card15987.html

しかしウィトゲンシュタインがもしラッセル並に長生きしてたなら、
やはり大森氏のように知覚因果説を検証せざるを得なかったかもしれない。

287メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/03(金) 21:10:04
各ページを微修正。

ベルクソンは「無」を認めなかったから「純粋持続」の終焉の解釈で苦慮したような。
霊魂研究とかw
いっそ独今論の立場を選択すればよかったと思うけど。
純粋持続を評価していた大森氏は最終的に独今論を選択したし。
ベルクソンはマクタガートと同時代の人なんだけど、どれだけマクタガート
を知ってたのだろう。

288メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/04(土) 21:35:20
ベルクソンは主体である「私」を放棄できなかったのだと思う。
その点、永井均と共通してるような。
永井氏も神や魂を信じてるみたいだし。

「実在」や「私」に拘る限り救いようの無い不合理を抱え込んでしまう。
だから私は無主体論と独今論を選択した。
大森氏もおそらく私と類似の理由で、思考プロセスは違えど同じ結論に至ったのだと思う。

289メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/05(日) 23:23:00
ヒュームのページを修正。大森氏のページで書いた自分の見解と整合性を持たせた。

無主体論は、よく指摘されるように理解不能な考え方だが、それでいいような気がする。
「汝自身を知れ(know thyself)」という格言は紀元前からあったそうだけど、
結局、カントがいうように人間は思考の様式が制限されているので、
「私自身」の本当のあり方は理解できないのだろうと思う。

290メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/07(火) 23:12:23
中国語の部屋のページを加筆修正。

この思考実験で心の哲学における機能主義は終わってると思う。
認知科学には機能主義の役割はあるんだろうけど。

291メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/10(金) 23:31:17
大森荘蔵のページを微修正。いくつか間違いがあった。

まだ加筆が必要な気が。
知覚因果説を否定するのはよいとして、野矢茂樹も指摘してるように、
「因果関係」の問題が解消したわけではないような。

この点には私なりの見解があるのだけど。

292メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/12(日) 21:21:55
クオリアのページに自分の見解を加筆。

言語的批判のページはとりあえず消した。
この問題をやろうとしたら後期ウィトゲンシュタインやクワインを本格的に勉強する
必要があるだろうし、そんな時間もない。

まあ、クリプキによって分析哲学における形而上学は復活したというのが一般的な
理解だから、言語的批判はとりあえずスルーしてもいいかも。

294メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/21(火) 21:18:12
マイケル・ダメットのマクタガート解釈は多くの論者が言及してるので『真理という謎』を購入。
マクタガートに関する論文は短い内容だったが、久しぶりに知的興奮を味わえた。

ダメットはマクタガートの時間論から、

A:時間の内に存在するものは、状況依存的表現なしに(世界の)描写はできない
B:実在には、観察者に依存しない完全な描写が原理的にありうる

という二つを読み取り、両者が矛盾するとした。
時間についての、ミンコフスキー空間のような客観的描写には動的な変化が描かれないから。
これは「描かれた運動は、運動そのものではない」というベルクソンの洞察と同じ。

295メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/21(火) 21:20:57
両者が矛盾するためマクタガートは時間の非実在を選択したというのがダメットの解釈。
しかしダメットは実在を認めて、認識の可能性、つまり科学的実在論を拒否する。
これがダメットの「反実在論」。

296メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/23(木) 20:50:42
ダメットの解釈は橋元淳一郎の解釈と部分的な共通性がある。
橋元氏はC系列論者でダメットとは異なるが、それでも「変化している現在」、
つまりA系列は認めざるを得ず、それを「人間の意志」で創られるとしている。
その辺の説明は実に不合理で、まあ橋元氏は哲学者ではないので仕方ないかなと。

297メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/05/27(月) 23:04:02
三浦俊彦『ラッセルのパラドックス』は、ラッセルの思想の変遷がよくわかる良書だった。
前述のダメットや橋元淳一郎の本といい、最近購入した本は「当たり」が多いw

ただ、ラッセルが後期ウィトゲンシュタインに反発して、あくまで実在の探究に拘ったのは無神論者
だったからだと思うが、その点への言及はなかった。
ウィトゲンシュタインの信仰とラッセルの無神論は、両者の哲学の重要な「根」だと思うんだが。

298メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/01(土) 20:35:06
三浦氏の本を参考にラッセルのページを書き直したいと思うんだが、
晩年のラッセルの思想は複雑難解すぎる。体系的にまとめようとしたら
タイプ理論から説明する必要がありそうな。
つまりラッセルは「中立一元論」とはいっても、それは巨大な哲学体系から
必然的に導かれた立場だということで。

299メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/02(日) 19:24:03
三浦氏はチャーマーズと共通点が多いな。
クリプキに心酔してる点。ラッセルから大きな影響を受けて点。
チャーマーズは数理エリートだったし、三浦氏は論理学者。

論理を重視する人としての共通性があるということかな。

300メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/08(土) 13:33:12
ラッセルのページを加筆修正。
ラッセルの哲学はホワイトヘッドから大きな影響を受けてるというので、
中村昇『ホワイトヘッドの哲学』を購入。
とりあえずホワイトヘッド哲学のアウトラインだけ理解。
ベルクソンとそっくりだなと思ったら、やはりそういう指摘はあるんだな。

301メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/08(土) 20:46:54
三浦俊彦は「クリプキの論説のわかりやすさは群を抜いている」と絶賛するわけだけど。
http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/kripke-s.htm

『名指しと必然性』は私も読んだが、同一性の成立についての論説は説得力に欠けていると思うが。

302メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/09(日) 15:35:14
ラッセルの無主体論は優れた考察だと思ったが、
しかし肉体を主体として想定する限り知覚因果説の難点を抱え込むはず。
これはシュリック、ストローソンにも共通する。

知覚因果説のページを作るべきかもしれない。

303メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/09(日) 15:48:27
ラッセルが終わったのでウィトゲンシュタインのページも書き直したい。
ただしウィトの哲学全体を把握するのは無理なので、独我論に絞ってみる。

『論考』の独我論解釈は入不二基義の解釈でいいと思うんだけど、
『探究』はどうかな。入不二氏は『探究』にまで言及してないし。

しばらく前からウィトの著作を読み直してるんだけど、以前に比べると
だいぶ理解できるようになった気がする。
やはり永井均が書いてたみたいに、ウィトの哲学全体は(特殊な)独我論を
前提に成り立っているような心証がある。

304メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/10(月) 23:08:46
無主体論のページを加筆修正。
シュリックはラッセルの影響が強いように思うけど、入不二氏は書いてなかったな。

あと存在論的差異のページはとりあえず消した。
自分のハイデガー解釈には疑問がある。
もう一回勉強しなおそうと思うが、何年先になるやらだな。

305メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/13(木) 20:47:36
随伴現象説のページを修正。
近年では「随伴現象説」という言葉はネガティブなイメージしかもっていない。
20世紀初頭には随伴現象説は広く受け入れられていたみたいだけど。
ウィトゲンシュタインの『探究』でも随伴現象説が言及されてるんだよね。

現在、随伴現象説を主張してる学者は皆無だと思うが、茂木健一郎はそれっぽい
ことを書いているような。でも中立一元論とも受け取れるので真意は不明。

306メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/14(金) 20:39:01
現象主義のページを微修正。
「ブントが要素主義を批判した」という間違いがあった。
「ブントに代表される要素主義」と修正。

あと、知覚因果の説明が現象主義では難しいことを書き加えた。

307メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/16(日) 12:40:37
知覚因果説のページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/141.html

どちらかというと現象主義寄りの解説だけど。

野矢茂樹は私や大森荘蔵とは別の観点から知覚因果を否定してるみたいな。

308メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/18(火) 21:07:28
野矢茂樹の『哲学・航海日誌』の他我論は実に興味深い。

以前、私も大森荘蔵の他我論に違和感を抱いて、自我と他我には実は明確な
境界などないのではないかと考えたことがあるんだけど、野矢氏もそれに近い
ことを書いている。
ただ私の場合は実在論を否定するわけだけど、野矢氏の場合はそこまで行っていない。

309メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/18(火) 21:14:32
しかし、野矢氏は「逆転スペクトル」に対して、永井均と同じような批判をしてる。
永井氏のページでも書いたことなんだけど、想像可能性論法の意味がわかってないと
しか思えない。
ウィトゲンシュタインの私的言語批判を牽強付会してるけど、私的言語は関係ないし。

ウィトゲンシュタインのページを修正し終わったら、「ウィトゲンシュタインの誤用」
というテーマで野矢氏の批判をしてみようと思う。

310メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/21(金) 20:39:38
もう少し野矢茂樹を読んでみようと『同一性・変化・時間』を購入。
私の問題意識と重なってるタイトルだし。

ところが内容はがっかり。問題意識が浅すぎる。
永井均の言い方だと「哲学的感度が低い」。

偶然だろうけど、同じく大森荘蔵の弟子である植村恒一郎の『時間の本性』も
同じ2002年に出版されてる。でもこちらはかなり哲学的感度が高い。

大森氏の弟子同士、時間について議論してなかったのかな。
シンポジウムで会うことはあったみたいだけど。

311メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/23(日) 22:40:55
「他我とは自我である」なんてアクロバットな思想を持ってるのは渡辺恒夫と私ぐらい
なものだろうと思ってたけど、>>308で書いた野矢茂樹もそれに近いことを言ってるし、
森岡正博も類似の主張をしてる。
http://www.lifestudies.org/jp/taga01.htm
森岡氏によると、「私の心と他人の心はまったく同じである」という発想を最初に提唱したのは
1984年の平山朝治らしい。

平山氏の本を入手して渡辺氏のページを加筆しようと思う。

312メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/23(日) 22:48:03
空間の実在性を否定するのは時間の実在性を否定するより遥かにたやすい。
さらに「自我」を否定する無主体論の立場をとるのなら、「他我とは自我である」
という発想は必然的に生まれる。一時期の西田幾多郎もその可能性に言及した。

しかし大森氏は他我問題を「アニミズム」で片付けたんだよね。
それが不満。
この不満だけは野矢氏と共有できるw

313メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/25(火) 21:09:47
ウィトゲンシュタインのページを大幅に修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/75.html
独我論と心の哲学に関連した部分のみに絞ってまとめた。
「派生問題」として書いていた自分の見解は疑問が生じたので、とりあえず消した。

以前に比べればだいぶ理解できるようになったけど、やはり『探究』は意味不明の
部分が多い。
大森氏は第Ⅱ部の解読を諦めたそうだけど。

314メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/27(木) 21:05:49
入不二基義『時間と絶対と相対と』の書評。

入不二氏は「変化こそ時間にとって本質である」というマクタガートのA系列を
「動く今」として解釈する。(p.27)つまり「PがQに変化する」場合、
t1という時点でPという状態であること、t2という時点でQという状態に
あることは共に真であり、ここに変化はない。
「t1という時点でPという状態である」そのこと自体が、未来である状態から
現在へと到来し、過去へと消え去る。これが「(A系列の)変化」である、という。
世界の中の「状態変化」が全て凍りついて止まったとしても、その静止した
世界自体が、過去のものとなっていく「時間変化」こそが、〈今〉の運動なの
である、とA系列を定義する。

――この解釈は矛盾がある。世界が凍り付いて変化が生じないなら、「t1という時点でPという状態である」
という出来事も生じないのだから、〈今〉の運動も生じなくなる。

317メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/27(木) 22:14:28
入不二氏は「動く今」、つまりA系列は誤解であるという。(pp.34-36)
〈今〉は並立のありえない単独の様相であり、〈今〉という自己同一体が、
複数の時点間を移動しているのでなく、まったく新たな〈今〉がそのつど
生まれていると言った方がよい、という。
「時間の要」としての〈今〉は、同時性という意味での〈今〉でもなく、
「動く今」でもない、まさに現実化している〈今〉(〈今〉の現実性)こそが、
第三の〈今〉である、という。

――この入不二氏の主張には同意するが、これはマクタガートのA系列(「現在」が
なくなって「過去」になるという変化)に含意されているものである。
マクタガートも(A系列においては)過去と未来の実在性を認めているわけではない。
入不二氏の分析にはマクタガートの認識論と存在論の混同が散見される。

318メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/27(木) 22:19:55
「変化」とは矛盾を孕むものである。変化と同一性は両立しない。

入不二氏も前述のように「t1という時点でPという状態であること、t2という時点で
Qという状態にあることは共に真であり、ここに変化はない」と変化の矛盾を認めている。
ならば、なぜ人は「同一であるものが変化する」と認識するのか、という問題がある。

マクタガートは、出来事が変化しながらも「同一」のままにしておける特性として、
「出来事Aが、未来であり、現在になり、過去になる、という時間様相の変化を被る」
ということによって、変化と同一性の認識が成立すると考える。
(ただし、その時間の三様相が矛盾するため時間の非実在を主張する)

入不二氏は、同一不変の出来事が、未来の方から現在へと到来するという考え方の錯誤を
指摘する。未来は「ない」のだからという理由である(p.40)。
C.D.ブロードの考察も援用される。

しかし、この批判はマクタガートの論旨を捉え損なっている。マクタガートは
「時間概念(出来事が変化しながらも同一であると理解される)」の成り立ち
を認識論的に分析しているのである。つまり時間の矛盾を主張するための前段階の
レトリックであり、未来が存在論的に「ない」ことは問題にならない。
これが入不二氏はマクタガートの認識論と存在論の混同ということである。

319<削除>:<削除>
<削除>

320メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/28(金) 20:15:24
入不二氏は、時間特有の変化は、変化の中から取り出される固定的なものに対しての、
さらに高階の変化として、どこまでも高階化するのでなければならない、という(pp.106-107)。
これは>>314で書いたような、
>「t1という時点でPという状態である」そのこと自体が、未来である状態から現在へと到来し、過去へと消え去る。
ということをYとして表現するならば、そのY自体も、未来である状態から現在へと到来し、過去へと消え去る……(無限)
というわけであり、無限後退を時間の本質として肯定しようとする。

――この入不二氏の考えには同意する。ただしこれはマクタガートのA系列と対立するものでなく、
A系列から必然的に導出される理論である。
「現在」なるものが未来から徐々に到来して現実化し、過去へ無限に退行していく……。
このA系列は高階性を包含している。

321メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/28(金) 20:27:26
A系列論者とB系列論者の論争に対し、入不二氏は第三の解釈として、過去・現在・未来が両立不可能なのは、
それらが異なる概念だからというのでなく、「ある」現在と「ない」未来・過去との動的排他性だと主張する。(p.112)
また、赤と青の排他的な関係でなく、むしろ現在の赤と過去の赤を並べて比べることの不可能性に相当する、という(p.126)

――この入不二氏の解釈もA系列に既に含意されていたものである。
>>317で述べたようにA系列論者は過去と未来の実在を認めているわけではない。
即ちA系列論者が時制の「概念」によってのみ排他性を主張しているという入不二氏の理解が間違いである。
マクタガートも「ある」現在が「ない」過去になるということを、時間特有の変化と捉えていた。
その存在論的な問題を現在・過去・未来という概念で表現したのが、A系列という認識論的表現なのである。

322メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/28(金) 20:36:57
入不二氏は上の問題と関連して、時間特有の変化とは、
「端的な現在の現実性(これ)こそが過ぎ去るのでなければならない」という(p.117)。
これは>>317の「新たな〈今〉がそのつど生まれている」ということの表裏である。
この主張は『時間は実在するか』でも見られた。「現実性」の概念は入不二氏の形而上学の中核であり、永井均の〈私〉に近似する。

――この入不二氏の考えに対しては、存在論の最深部に到達しておきながら、存在論の核心問題を捉えそこなったという心証を抱く。
全一的な「現在(現実性)」が過ぎ去り、新たな「現在」が到来するということは、入不二氏も認めた排他的な「ある」が
「ない」になり、「ない」が「ある」になることである。これは「無からは何も生じない」という存在論の根本的信念に
ついて論じなければいけないはずである。
事実、植村恒一郎は『時間の本性』でこの問題について論じている。論じないのは、重大な瑕疵であると批判せざるを得ない。

323メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/01(月) 20:59:59
言語的批判のページを復活させて加筆修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/29.html

野矢茂樹と永井均によるクオリア批判を「ウィトゲンシュタインの誤用」として批判した。

324メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/01(月) 21:09:19
今後の予定。

>>320で書いた入不二氏の時間の高階性という問題が、意識の高階性に繋がるか研究してみる。
ややこしいことにクオリアを意識の「高階の性質」という人がいる。

あと、平山朝治の著作を入手したので、森岡氏の論文と併せて研究し、
渡辺恒夫のページを修正しよう。

あと、大森氏のまだ読んでない著作を購入して「重ね描き」に潜在する難問の研究。

325メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/02(火) 20:42:11
言語的批判のページの私の見解部分を微修正。
語の「指示対象」と書くとフレーゲみたいで、その後に引用しているウィトゲンシュタイン
と矛盾するようなので。

326メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/02(火) 20:45:16
野矢氏に関してこんなのを見つけた。
東大生だと思うけど、2011年にこんなシケプリを作成してる。逆転スペクトルその他について。
http://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/lindoc-s3/documents/1013/files/2b096fba28128c869919671a2848fdf93f57191b.pdf?1328155842
>日常の振る舞いで齟齬が起きていないものに亀裂を生じさせるような懐疑を公共言語で
>表現できるわけない。公共言語でそのような懐疑を理解できたと思っていても、
>本当は理解できていないのである。

もちろん野矢氏の本を参考にしてるわけだが、こんな間違ったこと覚えていいのかとw
知覚一元論に対する(野矢氏の)理解も浅い。

327メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/02(火) 21:01:07
野矢氏は単にウィトゲンシュタインを引用したくて逆転スペクトルに私的言語を牽強付会してるとしか思えない。
ウィト妄信者にありがちなこと。

私のウィトに対する評価は野矢氏ほど高くない。
独我論と言語哲学について優れた考察を行ったことは認めるものの、
文法至上主義は「現象主義の劣化バージョン」というべきものだ。

われわれは言語でしか哲学を語れないのだから言語の射程を超えたものについては語れない――
これは当然だが、「現象を超えたものについては語れない」という現象主義の思考型と同じ。
異なるのは、「言語」そのものが「現象」の一部に過ぎないということ。
だから現象主義の劣化バージョンである。

ジョン・サールは言語哲学が専門だったが、「言語の哲学は心の哲学の一部門にほかならない」
という理由で、研究の中心を心の哲学に移した。

サールの姿勢はもっともである。

328メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/04(木) 20:35:56
逆転クオリアの思考実験をアレンジしてみた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/41.html#id_219ee2f3

野矢氏や永井氏は「本当の色」なんてないという立場だが、私はありうるという立場。

329メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/07(日) 21:38:46
森田邦久『科学哲学講義』と内井惣七「量子重力と哲学」を参考に実在論のページを加筆。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/91.html

330メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/13(土) 19:56:20
ジェグォン・キムの「付随的因果」とは上手く考えたものだと感心してしまう。
ちょっと調べて独立したページにしようかと思う。

331メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/23(火) 20:28:50
ここしばらく時間論に夢中になっていたのだけど、ちょっと心の哲学に戻ってみる。
大田雅子『心のありか』を参考に各ページを修正していく。

332メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/07/24(水) 21:46:29
永井均のページから言語的批判のページと重複している部分を削除。

あと心的因果のページを加筆。
太田さんの本を読むと性質二元論でも心的因果は擁護できないようだ。
結局、「重ね描き」で解消するしかないと思うんだが。

333名無しさん:2013/09/02(月) 20:02:57
動物の心のページを微修正。
自分の考えも多少変わってきた。

339メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/09/27(金) 20:00:06
時間論のページ作成で行き詰った。
B論者といっても立場がさまざまなのはわかるけど、どの程度存在論的な主張をしているのかが微妙だ。

340メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/10/07(月) 19:51:29
実在論のページは修正が必要。
大森荘蔵のページも加筆が必要。
色んなページが中途半端な状態だ。

時間論のまとめが終わったら取り掛かろう。
来月になりそうだ。

341メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/10/10(木) 22:37:06
とりあえず「時間と空間の哲学」のページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/142.html

まだまだ加筆修正が必要だ。

342メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/10/13(日) 22:29:43
「独今論」という語は永井さんのバイアスが強すぎるので、この語を使うのはやめにする。
関連ページを書き直さなきゃいかん。

343メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/10/23(水) 19:54:35
大森荘蔵のページを大幅に加筆修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/106.html

344メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/10/29(火) 20:01:19
実在論のページは大幅な書き直しが必要なようだ。
今日の実在論論争は非常に複雑になっているので、実在論VS非実在論の二分法
では粗雑に過ぎる。

347メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/03(日) 13:10:17
心の哲学は科学的実在論を前提にしてると書いていたんだけど、これは間違いだと思った。
心の哲学は自然主義が大前提なので「自然な存在論的態度」であり、これは実用的実在論が
前提である――

そう思って書き直したんだけど、やはりこれも間違いの可能性がある。

348メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/03(日) 13:19:36
自然主義では実在論論争にはコミットしない。
しかし心の哲学では、たとえば唯物論では「物質だけが実在である」と、
明らかに形而上学的実在論の主張をしている。二元論も同様。
心の哲学は実在論論争にコミットせざるを得ない。

しかし今日の科学哲学における実在論論争は科学的実在論の認識論・知識テーゼ
を巡るものが中心となっているので、存在論的問題が俎上に載ることは少ない。

349メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/03(日) 13:30:30
結局、心の哲学は実在論論争にコミットすべきだ、という規範的な前提で、
心の哲学における実在論論争と科学哲学における実在論論争を付会させて
書き直すしかない。

科学哲学を本格的にやろうとしたら数年がかりになってしまうので、
実在論論争に限定して研究する。

「実在論」のページに心の哲学の「実在」問題を加筆するのがいいかも。

350メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/04(月) 13:22:04
心の哲学は時間の哲学と不可分だからサイト名を
「心の哲学・時間の哲学まとめ」に変更しようかと思ってたのだけど、
科学哲学とも不可分となると更にややこしくなる。

351メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/05(火) 20:01:40
構造実在論は理論対象を不可知として理論の実在だけを認める立場だから、
現象主義に限りなく近くて非実在論の一種だと思っていたのだけど、調べてみると
科学的実在論から派生した立場だった。
科学的実在論の欠点を消去していくと現象主義に接近せざるを得ないということかも。

それにしても実在論論争の複雑さは時間論論争のそれを上回っている。
とても網羅的なページを作ることはできないな。
重要なトピックのみ拾って解説する方法にするかも。

352メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/07(木) 21:05:18
「アウェアネス」のページを削除した。関連ページも微修正。
この語はかなりチャーマーズのバイアスが強い。
使わない方がいいかもしれない。

353名無しさん:2013/11/10(日) 15:02:41
結局「アウェアネス」のページを復活させた。
サールの定義を基本にした。

用語の定義が混乱するのは哲学の宿命だな。

しかしチャーマーズが「現象的意識がないのにアウェアネスがあるケースがある」
というのは理解しがたい。無意識とどう区別してるのやら。

354名無しさん:2013/11/12(火) 21:02:32
道具主義についての小林道夫と戸田山和久の説明が食い違っている。
自然主義についてもクワインの見解は別個に扱うしかない。

実在論のページ修正は今週中には無理だな。あまりにも複雑だ。
来週中には何とかしたい。大幅に説明を省略するかも。

355メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/18(月) 20:19:54
行動主義のページを修正。間違いがあった。
基本的な部分で間違ってると凹むな。

適当にでっちあげて放置してるページが少なくないので、まだ間違いがあるかもしれない。

356メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/11/21(木) 21:07:16
「実在論」のページを「実在論論争」に変更して大幅に書き直した。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/144.html

マイナーな立場については省略した。
哲学初級・中級の人が実在論論争を概観するには丁度いい分量かもしれない。

357メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/01/07(火) 22:35:51
「時間と空間の哲学」のページを微修正。

青山拓央がアキレスと亀についてホーキングの言葉を引用してるのだけど、
どこまでホーキングの言葉かわかりにくいので該当部分を丸ごと引用した。

358メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/01/29(水) 16:49:18
「アウェアネス」のページを茂木さんの解説を元にして書き直した。
今まで書いてたのが間違ってたのかもしれない。
茂木さんの情報は脳科学・認知科学の標準的な知見だから間違いないだろう。

科学では哲学にありがちな用語の混乱が排除されてるのでありがたいな。

359メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/04/03(木) 19:23:28
サイト内を見回すと古いページには細かい間違いがいっぱいある。
少しずつ修正していこう。

360メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/04/04(金) 20:13:53
大森荘蔵のページを修正。

大きな変更点は、「立ち現れ」→「重ね描き」の順で説明していたのを、
「重ね描き」→「立ち現れ」の順にした。

立ち現れから説明した方がわかりやすいと思っていたのだけど、
重ね描きは立ち現れに包括された理論なので、やはり修正した方がいいと思った。

361メビウス@管理者 ◆4lggoO1oV6:2014/05/09(金) 20:46:32
「現象的意識の非論理性」のページを修正。
説明方法を変えてみた。それでも理解されにくいとは思うが。

で、その続編といえる「夢と現実と真実と」をUP。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/145.html
これは入不二氏の現実性についての議論を理解してない人には理解不能だと思う。

362メビウス@管理者 ◆4lggoO1oV6:2014/05/21(水) 22:23:14
atwikiはデフォルトで文字が小さい件、今まであまり気にしてなかったのだけど、
wikipediaと並べて比較してみると明らかに小さすぎで読みにくいので、cssカスタマイズ
でfont-sizeが76%になっていたのを85%にした。多少読みやすくなったと思う。

363メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/05/26(月) 20:34:52
トロープ説のページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/147.html

正直、つまらない説だと思う。

364名無しさん:2014/05/30(金) 22:32:34
無限論で疑問に思ったことがあるんですけど、0.99999・・・・=1であるという実無限の考え方がありますよね。
でも1+1は2であるけど、1と同じ数である0.99999・・・に0.99999・・・を足してしまうと絶対に最後に8が出てしまって2にならなくなりませんか?
やっぱり実無限で根本的に無理のある考え方ではないでしょうか?メビウスさんはどうお考えですか?
勝手に書き込みすみません

365メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/05/31(土) 14:02:22
0.999...の「最後」というのはないので、8が登場する余地はありません。
数学には「極限」の概念はありますが、「最後」とは似て非なるものです。

なお実無限の立場を取る学者は、野矢茂樹によると数学では多数派だそうで、
数学では 0.999... = 1 で問題ないのだと思います。

哲学では 0.999... に対応する「実在」がないということが問題とされます。

366名無しさん:2014/05/31(土) 15:39:04
>>365
わかりました。わざわざありがとうございます。

367名無しさん:2014/05/31(土) 23:48:36
>>365
調べてみれば、ガウスは実無限に強く反対していたようですね
あとやはりアキレスと亀を実無限で解決できたと考えてるのはやはり見当違いな気がしますね。
なぜ実無限という「終わり」が存在しないという亀に追いつこうとする動作を「終える」ことができるというのでしょうか。

368メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/06/02(月) 19:52:24
いや、0.999...に「最後」はないけど、極限値に「収束」すると考えるので、
アキレスが亀に追いつくことに問題はないと考えます。

なお野矢茂樹はアリストテレス同様に可能無限の立場からゼノンの論証を否定しています。
同じ可能無限の立場でもカントはゼノンの論証を(限定的に)肯定しています。

369名無しさん:2014/06/04(水) 15:47:27
「夢と現実と真実と」読み終わり終わりました。
存在論などの形而上学的な問いはどうしても抽象的で説得力に欠けるような印象をもっていたんですが、
あなたのサイトは地に足のついた説得力のある文章で非常に面白かったです。
確かに今まで主観的な感覚の変化なんて特に不思議とも考えようとしませんでしたが、最近ではこればっかり考えるようになりましたw
しかし、変化の不思議さについて考えていくとクオリアだけじゃなくて、脳の状態の変化や原子が別の原子に変化するなどの物理的な状態の変化について
も考えさせられますね。過去でもなく未来でもない「本当の今」とはなんなのか・・・

374メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/07/05(土) 22:58:43
SPAMが多いので逆引きできないホストからの投稿を禁止。

376メビウス ◆4lggoO1oV6:2014/08/18(月) 21:35:07
ようやく「無限論」が完成。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/148.html

私の哲学は、

1、人格の同一性
2、無限論
3、現象的意識の非論理性
4、夢と現実と真実と

という順序になる。無限論はもっと早く書くべきだった。
内容が難しいので随分手こずった。


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