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108質疑応答
3347
:
もぎりの名無しさん
:2010/11/16(火) 02:52:20 ID:U6QuZ6SY0
108さんみっけ!!
3348
:
108★
:2010/11/16(火) 02:53:09 ID:???0
>>1943
そのとおりです。
方法論に手を焼くくらいなら、そこを都合良くすっ飛ばしちゃえば良いんです。
つまりは直結です。
>>1947
これもお見事。
実際に起きているのはそういうことです。
エゴの解釈でいうと「魔法のごとく」全てが瞬時に出現している。
というか既にある。
これが実際の有様です。
エゴはこれを自ら納得して解釈出来る形に、出来る限り引き延ばして認識しているに過ぎない。
合理的な解釈が成り立たなければ認識出来ない。つまりは知覚できないわけです。
これに知覚できる可能性を与えるのが「合理的でない不可思議な現象」、
つまり「なぜだか分からないけどそうなった」という解釈なわけです。
>>1948
あなたはご自分で答えを書いていますよ。
願望と反対の現象化が起きるのは、あなたが「こうなったら嫌だ」と感じているからです。
そうやって思考と感情でもって「起きたら嫌なこと」にフォーカスしているからです。
つまり、単純にそれを止めればいいわけです。
ですが「起きたら嫌だ」と感じていることを「そう思わないようにする」というのは困難です。
これでは逆に、より望まないことにフォーカスしてしまいかねません。
だから「望まないこと」ではなく「望むこと」により興味と関心を移していく方が良いでしょう。
思考と感情のエネルギーをそこに集中して向けるようにするのです。
逆に捻くれた方法としては、望んでいることを「こうなったら嫌だ」と感じてみる。
仮設男的ですが、あまりにも意図したことと逆な現象化が起きているなら、試してみる価値はありますよ。
逆方向から感情的に注目することで、連鎖的になっているそのシステムを解除できる可能性があります。
いずれの場合でも深刻になりすぎないで、気楽な気持ちで試すことが大事です。
3349
:
108★
:2010/11/16(火) 02:56:16 ID:???0
>>3347
みっけられた!!
>>1949-1950
(1910さん)
もうちょっと補足しておきます。
「手放す」というのはテクニックではないのです。
これを一つのテクニックとして捉えると、あなたが言うように上手く行ったり行かなかったりする。
重要なことは、別の領域、神、その他表現はなんでも良いのですが、
その可能な領域に願望が渡っているかどうかだけです。
別の観点から言うと「叶った」「叶わなかった」という点に拘りすぎると、
願望は叶ったり叶わなかったりするものだという属性をより強固にしてしまいます。
(あくまでもあなたの中で)
あなたがこういったテクニックを一般化して普遍化したいという気持ちはよく分かります。
ところがそこに拘りすぎてしまうと、願望は実現するものだという観点からはどんどん離れていってしまいます。
つまりは本末転倒なわけです。
だから必要なことは手綱を緩めることなのです。
どうせ自分サイドに実現能力はないのだと諦めれば、どのようなメカニズムで実現しようが、実現すればそれで構わないという立場に立つことが出来ます。
実現方法についてあれこれ心を砕かなくてはいけないという労苦からも解放されることになる。
そうなれば、願望についてもっと気楽でポジティブな立場から関わることが出来るようになるのです。
別の角度からの
>>1963
さんのアドバイスも大変素晴らしいですよね。
参考にしてみてください。
>>1966
さんのレスも非常に素晴らしいです。
これは
>>1950
さんの問題提起とは関係なく、単独で読んでも極めて参考になる部分がたくさんあります。
皆さんもぜひもう一度、いや何度でも繰り返し読んでみてください。
>>1951
> ただ、難しいのは、その内面を調整せずに先にそのものになるという事です
難しくありません。難しいことにしてしまわないで。
「なる」というのは、そのしち面倒くさくて難しいプロセスをすっ飛ばすということなのです。
バイパスするのです。どうせ無駄なプロセスなんですから。
それを「無駄じゃない」と思っているのはエゴだけです。
3350
:
108★
:2010/11/16(火) 03:03:07 ID:???0
>>1910
さんのレスについて、重要な部分だと思うので、
しつこいようですがさらに補足回答しておきますw
1910さんの問題提起は、非常に意義のあることだったと思います。
同じように感じている方もいるだろうし、私自身も幾度となく同じことを経験してきました。
以前、仮設男の時に指摘した部分にもつながるんですが、LOAを「法則」と捉えることで、がんじがらめになってしまう場合がある。
「なんで他の人には法則が好都合に作用し、私は不都合として作用しているんだ?
こんな法則認められるか!」
といった具合です。
法則と言うからには絶対的なものであるはずなのに、人によって作用の仕方が異なる。
これを矛盾や不条理だと感じてしまうわけです。
ところがこういう人は、自分自身の観点とスタンスについて都合良く無視してしまっています。
法則は絶対的で揺るがない。にも関わらず現象化が異なるのは、その人が望む現象化とは逆の方向に向けて法則を作用させているからです。
仮設男ではこの部分を係数という形で説明しました。それぞれの内面は異なるから、法則は同じで望む現象化は同じでも、内面が異なれば係数も異なるはずだ、というのがその主旨でした。
この時の理論を108的に説明すると、次のようになります。
「あなたの内面を変更する必要はない
あなたはあなたのままで良いのだ
願望も変更する必要はない
その願望はその設定のままで良いのだ
必要なのはあなたのスタンスを変更することだけだ
それは単に「立ち位置」を変更するようなことだ
あなたの立つ位置が変われば、影の出来る場所も単純に変わるように、
あなたは立っている場所を願望実現に適した場所へとちょっと移すだけで良いのだ
太陽は誰に対しても同じところからあなた方を照らしている
あなたがいくら強く願ったとしても、太陽の照らす方向があなただけに都合良く、
即座に変更されるようなことはない
わざわざ敢えてそんな困難な選択をしなくても、
あなたがほんのちょっとだけ立つ位置をずらすだけで事足りるのだ」
(つづく)
3351
:
108★
:2010/11/16(火) 03:03:54 ID:???0
(つづき)
仮設男のアイデアは、端的に言うと
「ちょびっとだけずらせば上手くいくんじゃない?やってみそ?」
という提案です。
自分にとって最適になるように、試しに立ち位置や身体の向きをちょっとずらしてみ?ということなのです。
ところが「なんだよこの法則!」とお怒りの方は、常に
「どうしたら上手くいくんだ、ちっとも上手くいかないじゃないか」
という立場から法則やメソッドを捉えてしまっています。
これでは「上手くいかない立ち位置」にロックされたままなのです。
この場合、各種メソッドの実行は困難と抵抗を伴います。
望みと逆の結果を得たり、ちっとも成果が出なかったりします。
立ち位置をロックしたまま、内面や法則を変更しようとしているようなことだからです。
内面は変更されることなど望んでいません。だから抵抗を伴います。
法則は変更など出来ません。だから悪戦苦闘するのです。
必要なことは、立ち位置をほんのちょっとずらすだけのことなのです。
それが「上手くいく」という観点から物事を捉えることであり、
ワクワクに従うことであり、楽観的な視点で充足に目を向けるということなのです。
これは内面の変更ではありません。
単に視点、立ち位置をずらすことに過ぎないのです。
このことになんの努力も力も要りません。
視点を変えることにエネルギーは一切用いられないからです。
あなたがそのときエネルギーを使ってヘトヘトになるようなら、やり方を間違っています。
それは立ち位置は変えないで、内面や法則の方を変更しようとしているからなのです。
メソッド自体に何らかの力があるのではありません。
それは視点や立ち位置をずらすための単なるキッカケに過ぎないのです。
視点をずらすことが目的であって、メソッドが目的ではないのです。
上手くいかない人は立ち位置をロックしたままメソッドを実行し、願望の実現を期待します。
この場合、メソッドに何らかの独立したパワーが必要になってくる。
ところが既に述べたように、メソッド自体にはなんのパワーもないのです。
だから「どうして上手くいかないんだ!」という事態を経験する羽目になる。
当然なわけです。
あなたが上手くいきたいのなら、視点や立ち位置のロックを解除することです。
つまり、
「全てのことは、私が思っているのと実際の有様では全然違うかもだぞ」
という興味と関心を持ってみるということです。
全てのことに対して、従来の偏執狂的な視点を解除することです。
これによって、メソッドはトリガーとして機能することが可能になる。
それどころか、ロックが解除されればメソッド自体が不要にさえなります。
あなたがそういった興味と関心を持てば、立ち位置は即座に適切に修正されようとするからです。
「直結」「なる」もこのメカニズムなのです。
繰り返しますが、これらのことに力は一切用いられません。
むしろ無益に使っている一切の力を抜くことになる。
これが抵抗を止めるということであり、森羅万象と調和するということなのです。
もう一度いいます。力は一切用いられません。
力が用いられていると感じたら、それはやり方を間違っているのです。
それを指針としてください。
3352
:
108★
:2010/11/16(火) 03:06:17 ID:???0
>>1952
> 好きな人とのイメージングをずっと頑張ってるのに、こっちはさっぱり叶いません。
> よく眠ってしまって、あまり真面目にはやってはいませんが…
…どないやねん!という感じですがw
> なんでなんでしょう??
頑張らないでイメージングしてみて。
あなたが頑張ってしまうのは、
「あの人がどうしても良いんだ!あの人以外はダメだ!」
と、その人に酷く執着してしまっているからです。
「あの人以外はダメだ!」
と強く思うと、
「あの人以外はやっぱりダメだ!」
という現実を引き寄せてしまいます。
それによって、
「やっぱりあの人がどうしても良いんだ!」
という感情を強く経験することになる。
このパラドックスがお分かりでしょうか。
特定の人と上手くいきたいのなら「あの人以外はダメだ」とは考えないことです。
「あの人と上手くいけば最高だけど、そうならなくても別にいいや」
というところまで持って行ければベストです。
前にも書きましたが、このメンタリティは願望実現という観点では完璧だからです。
3353
:
108★
:2010/11/16(火) 03:06:50 ID:???0
それでは、また…
ノシ
3354
:
108★
:2010/12/01(水) 01:12:46 ID:???0
こんばんは!元気ですかー!
もう師走ですが、風邪などひかないように暖かくしていきましょー!
>>1960
たくさんの暖かいレスで解決済みのようですが、似たようなお悩みの方も多いと思うので、私からも一言。
あなたがもし、そのサイトを見ることがなかったとしたら、あなたはどういった状態だったでしょうか。
あなたは依然として心のどこかで相手のことを引きずっていたとしても、大きなショックを受けることも、涙があふれて止まらなくなることも、それに取り憑かれて苦しむこともなかったはず。
あなたはご自分で書いています。
> この写真を見てから悲しさが頭によぎり、他の事が考えられなくなりました。
この写真がトリガーとなってあなたの記憶を刺激し、そこから発生した思考と感情とによってあなたは苦しむことになった。
ところが、その写真には何の意味もありません。
客観的に見れば何の意味もないのです。
どこかの犬が電信柱にオシッコをすることや、あなたの知らないどこかで誰かの車がパンクしたこと等と何ら変わりはありません。
あなたはそれを知ったとしても、なんの影響も受けることはない。
ところがある特定の事柄に関してあなたは激しく反応した。
なぜなんですか?
今回のことは、あなたの条件付けが起こしていることです。
「こうでなければならない」
「ある特定のことに関しては、私にとってこうでなくてはならない」
あなたはこういった思い込みを持っています。
こういった条件付けを保持している限り、あなたは常に外部の現象と思われるものに左右され、一喜一憂することになる。
あなたはあらゆる条件付けを駆使して、現象に対して舵を取ろうとします。
そうやってコントロールすることで主権を主張したいわけです。
ところがこの取り組み方では、あなたの条件付けと現象とは常に相反する危険性を持っている。
条件付け自体が、思考という狭い領域によって極めて限定されたピンポイントなものであるため、それは現象と一致しない場合が多いはず。
現象のほとんどは条件付けと一致せず、あなたはその差異を不足として認識することになる。
結果、あなたにとってこの世界は不足で満ちあふれたものになる。
これではいくら充足を見ようと思っても無理です。
充足を見ようとすればするほど、不足がより強調されて認識されることになる。
(つづく)
3355
:
108★
:2010/12/01(水) 01:13:41 ID:???0
(つづき)
「こうありたい」
これ自体になんの問題もない。
ところが、
「こうでなくてはならない」
こう考えた途端、それは条件付けになり、あなたに不足を経験させる準備が万端整ったことを意味している。
一つ簡単なメソッドをご紹介しておきます。
あなたが条件付けと異なる現象と遭遇したとき、
「ああ、そうか」
こう唱え、そう認識してください。
これはチケットで紹介したメソッドと言葉は一緒ですが、使い方が異なります。
チケットでは特定の問題に対する回答を得たいときに「思い出す形でリアクションを先に取る」というメソッドでしたが、このメソッドは目の前の現象になんの条件付けも用いず、自分にとってニュートラルなものとして認識する方法です。
チケットで言えば「認める」と近い方法です。
この時、実際にはあなたの感情は激しく反応しているかもしれません。
その反応に対しても「ああ、そうか」と唱え、そう認識するのです。
現象に対して感情的に激しく反応しているパーソナルなあなたがいる一方、「ああ、そうか」とニュートラルまま状況を受け取っているあなたもいます。
そして本当のあなたとは後者の方です。
あなたが一切の条件付けを用いなければ、あなたは全ての現象から不足という属性を取り除くことが出来る。
その上で言いますが、現象は全てあなたからの投影です。
投影元は例外なくあなたなのです。
そして現象はただ投影されているだけの実体を持たないものです。
本当の実体はあなたの中にあるのです。
あなたが現象へのリアクションに躍起になっている間、投影元は巧妙に隠蔽されています。
ただ投影されただけの映像に対していくら熱心に拘ったところで、投影元が変更されることはない。次の上映時間が来れば、そのフィルムは再びスクリーンに向かって上映されることになる。
あなたに必要なことは、いますぐ映写室に行ってフィルムを掛け替えることです。
そのためには、掛け替え用のフィルムをまず選ばなくてはならない。
既に投影し終わった映像に対していつまでも拘っている場合ではない。
そうしている限り、あなたは観客の立場をとり続けることになる。
それは既に過去です。「ああ、そうか」といってやり過ごしてください。
そしてそれと関係なく、今選びたいものに「今」焦点を合わせることです。
本当に現象の舵を取りたいのなら、現象に取り組まないことです。
そこは舵を取れる場所ではないので、いつまで経ってもらちがあきません。
舵を取るべきは現象ではなく、あなた自身の姿勢・立ち位置なのです。
3356
:
108★
:2010/12/01(水) 01:14:59 ID:???0
>>1972
他
だぜさんとのやり取りからなんかヒントを得ましたかね。
もう一年半経ってますが、素敵な彼女は出来たでしょうか?
まず最初にここを指摘しておきます。
> 彼女が出来るまでここをうろつきます。世のシングルの為、少子化打開の為にも。
そんな風に余計なものを背負い込まない方が良い。
あなたはあなたの幸せだけを追求すればいい。
世の中のシングルや少子化問題とあなたの幸せは何ら関係していないので、それらを関連させようとするとおかしなことになるよ。
抽象度を上げた使命感でモチベーションは高まるかもしれないけど、それによってあなたは自分自身の幸せからどんどん遠ざかっていくことになる。
「以前はあんなにモテたのに、おかしい!」
と考えていると、
「以前はあんなにモテたのに、おかしい!」
という現実を引き寄せることになる。
あなたの場合、この思考を感情で強力に裏付けることになっているので、その現実が延々と再生産され続けることになっている。
再上映と言っても良い。
再上映を止めるには、そのスタンスをすっかり諦めて別の姿勢をとってやりゃいい。
つまりモテようがモテまいが、彼女が出来ようが出来まいが「どこ吹く風」という態度をとってやることです。
彼女がいてモテモテなあなたは、どんなスタンスでどんなふうに過ごしているだろうか。
そのあなたは少なくとも、
「以前はあんなにモテたのに、おかしい!」
と考えることも、その考えを感情で裏付けることもしていないはず。
モテていたときは、モテていることに対して「どこ吹く風」で、そのこと自体に対して強力に執着するようなことはなかったはず。
その状況から一歩離れて、微妙に距離を置いて観察しているあなたがいたでしょう。
これが鍵です。
こんなふうに現象化と関係なく、モテていた頃のあなたに戻ってみたらいい。
あなたはそれを実際に経験したことがあるので、そうでない人よりそれは容易なはず。
いいですか。現象のせいじゃないんです。あなたが今選んでいる姿勢が、過去も含めた「あなた自身」を「今」創造していることになっている。
> 俺は今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今!!!
> 大好きな彼女が欲しいのです!!!!!!!
こうやって、あなたは彼女がいないあなたを強力に創造し続けている。
これは引き寄せの法則の観点からしても、なんの矛盾もない極めて健全な状態ですよ。
「今」というのは創造が行われているところです。
だから「今という瞬間」に焦点を合わせるということは、あなた自身を創造という運動の最先端に乗せることになる。
そこで「こう在りたい」とあなたが取ったスタンスが、そのまま現実に反映されていくことになるんです。
「彼女がいない」ということに対する苦悩の感情が来ていて、それに翻弄されているのなら、たった今それと充分付き合ってあげたらいい。
明日とか明後日とかに先延ばししないで。
そうしたら、今度はいっそう明確になったあなたの望みに対して、たった今からとことん集中し続けることにしたらいい。
そのあなたでいることにです。
捻くれ者さんの
>>2037
も大変示唆に富んだレスですね。参考にしてください。
3357
:
108★
:2010/12/01(水) 01:19:04 ID:???0
>>1971
>>1975
なぜ人が「何故叶ったのか」を気にするかというと、
それを再利用できる形でパターン化したいからです。
これはこないだの回答で説明したことです。
再利用できる形でないと、エゴにとっては都合が悪いからです。
それを自分の手柄に出来ないから。
ところが叶うシステムはエゴの内部にはない。
だったらパターン化を潔く諦めれば良いんです。
こっちをパターン化しちゃえば良いんですよ。
>>1992
> 幸せを維持拡大するモチベーションは、ぐだぐだ理屈をこねるのと反対方向なんだよ。
全くもってこのとおりですね。
>>1993
画家さんのレスで解決済みかもしれませんが、私は別の角度からアドバイスしておきます。
あなたはずっと願望を叶え続けていますよ。
> 私はまさに渇望が病みつきになっています。
このとおりです。
つまり、あなたは「常に渇望した状態でいたい」という願望を叶えどおしなんですよ。
「渇望することに何の意味もない」
これをアファメーションとして唱え続けることをお勧めします。
同じような境遇だと感じている方も試してみてください。
「渇望することに何の利点もない」
でもいいですよ。
変化があったらご報告お願いします。
3358
:
108★
:2010/12/01(水) 01:22:53 ID:???0
>>2001
だぜさん、捻くれ者さんのレスで解決済みのようですね。
特にだぜさんのレスは珍しく完璧な指南だったと思います。
トリプルアクセルもどんぴしゃりな時があるんですなw
ですので、この件は私からの回答はなしです。
あ、だぜさんご結婚おめでとう!
末永くお幸せにだぜ!
>>2002-2003
> だったら”手放さずとも叶う”ことをもっと探求するほうがみなさんのためにもなると思うんですけどねぇ
そう思いますよ。
私は必ずしも現実的対処を止めなさい!とは言ってないし、
人によってはそっちを勧めたりもしてます。
LOAなりチケットなりが新たな条件付けになってしまっては意味がないわけです。
「この願望を実現するためには、何もしてはいけない!」
「手放さなくてはいけない!」
なんて風にね。
エゴは条件付けが好きだから、どんな方法論もすぐ条件にしてしまいたがる。
それで自由を得たと思ったあなたは、即座に制限に引き戻される。
それでは以前も言った「バイトの内容が変わるようなこと」に過ぎないからです。
「私は無条件で幸せを受け取る」
こう宣言してください。
「私は無条件で神の祝福を受け取る」
こうでも良いですよ。文言はなんでも良いです。
まだ自分が何らかの条件付けをしているなと感じたら、
「私は無条件で神の祝福を受け取る」
こんな風に断言してみてください。
あなたが願望の実現に何らかの条件をつけたとする。
するとそれは制限となって充足をせき止めることになる。
「このピンポイントの小さな穴から充足を流し込んでくれ!」
こう言っているようなものだからです。
これは大変ですよ。充足の流れ込みようがない。
何故って、神があなたに与えようとしている充足は、その穴よりはるかに巨大だからです。文字通り無限大です。
そんな無限大のものが、あなたが限定した小さな穴から入って来れようがないじゃないですか。
話が横道に逸れました。
要するに誰でも、何をしたって良いんです。
どういうアプローチを取ったって構わない。
でも受け取ることに関しては、無条件で受け取る姿勢を取ってみてください。
「無条件」が条件付けにならないようにして。
3359
:
もぎりの名無しさん
:2010/12/01(水) 01:24:12 ID:fvbK/yo.0
あ、108さんまたみっけw
3360
:
108★
:2010/12/01(水) 01:36:49 ID:???0
>>2011
> だから全てを見てしまう勢いで、すべてに許可を与えるというか、
素晴らしい!そういうことです。
>>2031
こちらこそ、感謝しています。
>>2036
以前にこういったケースへのアンサーみたいな回答をした覚えがあります。
別の方への回答でしたが。
>>3315-3316
ですね。
端的にお答えします。
> 充足感と幸せな感覚でいながらも一見願望とは真逆の行動をされている方っていないのでしょうか。
あなたにとって大事なのは、今の充足感と幸せな感覚の方です。
願望の方ではありません。
だから、
「今私が幸せを感じているこの行動は、願望と照らし合わせて不謹慎で罪深いものなのではないか」
などと考えないでください。
あなたは願望は願望として神に委ねて手放すことが出来ているし、一方で今現在のあなた自身の幸せや充足感を大事にしている。だからなんの問題もありませんよ。
>>2045
あなたがやっていることは、本来の願いとは逆の現実創造です。
上のいくつかの回答を参考にしてください。
特に
>>3356
はどんぴしゃりかもしれませんね。
その上で提案なんですが、あなたは願望実現のために色々と取り組んでいるようだけど、そういったことを一度、一切止めてみたらどうでしょう?
あなたが強烈に切望しているそれらの願望は一旦保留にして、あなたが「今」やりたいことを、たった今からやり始めてみてはどうでしょうか。
「いや、それは最優先のこれらの願望が叶ってからでいい!」
あなたはそう考えるかもだけど、もう二年も取り組んで一向にらちがあかないのなら、あなたが「今」したいこと、できること、着手できることに手をつけてみたらどうでしょう?
あなたがそうやって楽しんで没頭できることにあなた自身を乗せることができたら、保留にしてあった願望も徐々に叶っていくような気がしますよ。
上の
>>3358
で書いた「充足をピンポイントな制限で遮断する」例を読んでみてください。
今楽しめること、情熱を傾けられることにあなたの重点を移していってみて。
それが早結果的には近道だと思います。
3361
:
108★
:2010/12/01(水) 01:39:01 ID:???0
>>3359
まためっかった!
ではまた…。
ノシ
3362
:
108★
:2010/12/09(木) 02:48:15 ID:???0
こんばんは〜。
もうすぐクリスマスですが、あなたはどんなクリスマスを過ごしますか?
先に決めちゃうと良いですよ。
「私はこういうクリスマスを過ごす」
こんな風に、今決めてみてください。
これは単なる抱負ではなく、ハッキリとした意図です。
でも、必ずしも「そうならなきゃならない」わけでもない。
ぜひこの微妙なニュアンスをつかんでみてください。
>>2047
(u4DX3UEgOさん)
あなたの一連のレスは、非常に興味深いものがありました。
ここではこの問いに対してお答えします。
> 本心が望むパラレルワールドに刻々と変化しているとして、自分の理想と現実にギャップがあるのはなぜなんでしょうか?
「刻々と」変化しているわけではないんです。
パラレルワールドへの移動は、常に瞬時に行われています。
例えばあなたの経験の中で「時が止まる」という経験はできないですよね?
「まるで時が止まったような経験」をすることはあるかもしれませんが、
そのときでも実際には刻々と時は進んでいます。
ありゃ?時間なんて幻想なんじゃなかったの?
やっぱり現として時間は存在するのか?
違うんです。
あなたがどんな状態にいても刻々と時間が進んでいるように感じるということは、
あなたは常に刻々と新しくなっているということです。
これはこのあいだ書いた「創造の最先端に乗っかっている」ということです。
あなたの状態は常に変化しているように見える。
これはあなたが決して静止して固定されたものではなく、まさに運動そのものだということを示唆している。
時間が進んでいるのではなく、あなたが進んでいる。
ところがこれをあなたの立場から見ると、あたかも時間が進んでいるように見える。
周りに注意を向けてみましょう。
時計は一秒一秒針を進め、流れてくる音楽は次の小節へとメロディが進み、
花はしおれていき、タイヤは摩耗し、また新しい朝が来て太陽が東の空に昇ってくる。
こうやって現象を中心に考えていくと、あなたとは無関係な「時」というものに沿って、全てが否応なく一方向に状態を変化させているように見える。
ここでは「あなた」という存在は固定化され、その固定された視点から外界の現象を眺めるという構図になっている。
つまり、この立場では「あなた」という運動については考慮されていないわけなのだ。
だから自分は「時間」という抗えないものに一方的に押し流されているように感じる。
ところが実際には動いているのはあなたなのだ。
あなただけなのだ。
あなたという運動によって、それら新規の経験ができることになっている。
(つづく)
3363
:
108★
:2010/12/09(木) 02:52:02 ID:???0
(つづき)
分かりやすくいきましょう。
あなたが「刻々と」と感じているのは、あなたが時間というものを「自分とは別の抗えない強力なシステム」として概念化しているからです。
ところが実際にはそんなものはなく、あるのは常に「あなたという運動」という状態の変化だけです。
ところがあなたは「自分という存在」が「運動そのものである」ということが分かってないから、
あたかも自分とは別に勝手に時間が進んでいっているように見える。
自分を運動ではなく「何か静止して固定されたもの」と考えているから、
相対的に周りの方が「あたかも」動いて進んで変化しているように見える。
時間を感じるのはそのせいです。
本当は進んでいるのは時間ではなくあなたの方なのです。
ここに気付くと「今という瞬間」の意味も理解できてくる。
常に最先端なんです。あなたはそこに乗っかってる。
それで自分自身が経験を創り出していることもピンと来る。
ここであなたの質問に戻ると、
> 本心が望むパラレルワールドに刻々と変化しているとして、自分の理想と現実にギャップがあるのはなぜなんでしょうか?
あなたは常にパラレルワールドに移動し続けている。
何故ならあなたは運動そのものだから。
固定化された世界がどこかにあって、あなたはそこに置き去りにされて「外に出たい」と藻掻いている無力な存在などではないんです。
ここが理解できると内と外の逆転が起きる。
視点の転倒が解消される。
あなたにとって世界は外部ではなく、あなた自身となる。
それが理解できたら「理想」という概念は意味をなさなくなる。
「いつか到達したいけど、現状とは大きくかけ離れた最高の状態」などという概念は消滅する。
それは視点が転倒した、時間という圧倒的な錯覚を元にした発想です。
そうなったら「こうありたい」は消滅して「こう在る」しかなくなる。
創造の最先端、すなわち「今という瞬間」にいると気付けば、あなたはそうすることが全てだと気付く。
これが直結です。
あなたは「こう在る」と常にパラレルワールド選択しているんですよ。
自分のがその最先端にいて選択していることに気付いてないから、周りの状況と思えるものを充分に考慮した上で、それに差し障りがないように惰性で選び続けているんです。
これが分かると「理想と現実とのギャップ」という考えには意味が無くなる。
理想を選べば良いんです。たった今。
3364
:
108★
:2010/12/09(木) 02:54:04 ID:???0
>>2048
> こんな場面でさえ、充足を感じれば、願いはかなうのか?
願いを叶えるために充足を見ても何の意味もありません。
それは、
・願いを叶えるために「願掛けをし」
・願いを叶えるために「メソッドをし」
・願いを叶えるために「アファメーションをし」
…などと何ら変わりはないからです。
言ってみればバイトの内容が変わったようなことに過ぎないからです。
そうではなく、充足を見るために充足を見てください。
>>2051
さんの仰っているようなことです。
充足を何らかの手段にしてしまわないで。
も一つ言うと、「願掛け」「メソッド」「アファメーション」
これらも「願望を叶えるための何らかの手段」ではなく、
目的そのものとして行ってみたらいい。
そしたら初めてそれらが意味を持って来ます。
>>2044
これも充足と願望とを関連付けています。
充足はあくまで充足です。
あなたがミカンを欲しいとします。
しかし目の前のテーブルにはリンゴがある。
ここで、
「私の欲しいミカンがないじゃないか!私が欲しいのはミカンなのに!」
とリンゴに文句を言っているようなものです。
リンゴはただあるだけなのに、あなたによってそこに「ミカンがない不足」という属性が与えられてしまった。
目の前にリンゴがあるなら、それを受け容れて美味しく頂けばいいじゃないですかw
で、ミカンが欲しけりゃそのあと買いに行けばいい。
リンゴを見つめながらいくらミカンをイメージしたところで、
目の前でみるみるリンゴがミカンになったりはあんまりしませんよw
リンゴを見てミカンの不足を感じているということは、
リンゴという今の経験を歪めて遠ざけているということです。
だから「リンゴがある」が「ミカンがない」と認識されてしまう。
それは実際の有様ではなく、あなたが頭の中で敢えて創り出した幻想、つまり錯覚です。
それで、充足を見るということは「リンゴを経験する」ということです。
そこでありもしない「ミカンがない」という想定上の虚偽の経験をするのではなくて。
>>2053
さんのレスも大変示唆に富んだレスです。
3365
:
108★
:2010/12/09(木) 02:56:14 ID:???0
>>2060
たくさんの方から素晴らしいレスがついていますね。
> 僕は引きこもりな性格を直そうと、自己啓発セミナーに参加したり、
> 接客業のバイトを始めたり、ナンパを始めたりして、
> 人見知りや対人恐怖症を克服しようとしてきました
あなたはそうやって、自分の中にせっせと「克服すべき問題」をこしらえてしまった。
対立しており、駆逐すべき問題をです。
私にも引きこもりのようなときがありましたよ。
でも、それを「克服すべき問題」として取り組んでいたなら、
おそらく私は今でも引きこもりのままだったでしょう。
それで、あなたは「かつて引きこもりだった自分」を問題視しており、
眼鏡だったり、不細工(だと思い込んでいる)だったり、丸鼻だったり…
自分が嫌いな自分の部分に、強力に焦点を合わせ続けている。
結果、バリアはますます強固に補強され続けている。
あなたが行っている思考は、バリアを無効化するものでも突き破るものでもない。
それ自体がバリアなんです。
ここに気付いてください。
で、バリアというのはそこに焦点を合わせなくなったら自ずと消えるんです。
だって元々あなたの頭の中にしか存在していない虚像だったのだから。
「じゃあ、バリアを見ないようにすればそれは消えるんだな」
これも違います。
それもバリアを補強する行為です。
「見ないようにする」だと、バリアはまだ強力に存在したままじゃないですか。
いいですか。バリアなんて無いんです。
それはあなたが想定しただけの「自分に対する虚偽の定義付け」です。
あなたがそういった「頭の中のでっち上げ」から離れたら、そんなものは即座に消えます。
それはあなたが敢えて思考で支えているものに過ぎないからです。
(つづく)
3366
:
108★
:2010/12/09(木) 02:57:13 ID:???0
(つづき)
じゃあ、その思考を支えないためにはどうしたらいいのか。
あなたが興味があることに自分の意識を丸ごと持っていく。
そして、そこでの経験を充分にするようにする。
それであなたは今という瞬間、つまり創造の鉾先に立つことができる。
そうしたら、そこで自分に対する虚偽の定義付けを持ち出すかどうかなど、全く意味をなさなくなる。
例えばあなたがボウリングをやりたいとするじゃないですか。
ボウリング場に行ったあなたは
「こんな引きこもりな自分がボウリング場に来て浮いてんじゃないか」とか、
「メガネをかけているからカッコ悪く見えていないだろうか」とか、
「こんな丸い鼻で周りから笑われていないだろうか」とか、色々考えるでしょう。
これでは、あなたは家にいて引きこもっているのとなんの変わりもない。
ボウリング場にいながら、行っている思考は家で引きこもっているときと同じものです。
むしろボウリング場という環境を利用して、より強調された形でその思考を行うことになっている。
そこに感情が乗っかってくる。
良いコトなんて一つもありゃしない。
いいですか。あなたはボウリングがやりたくてボウリング場に来たんでしょ?
じゃあ思う存分ボウリングを楽しんだらいいじゃないですか。
引きこもりだろうが、暗かろうが、メガネだろうが丸鼻だろうが知ったことか。
あなたは
「周りがどのように自分を評価するか」
あるいは、
「私がどれだけ自分の従来の定義付けから離脱できるか」
を調べるためにボウリングに来たんじゃないでしょ?
あなたに必要なことは、今この瞬間に興味があることを全力で経験することです。
意識的にです。
それがささいな、くだらないと思われることであっても全然構わない。
そうしたら、あなたは今という創造の最先端に自分を乗せたことになり、
バリアに没頭するという無意味な偽りの経験から脱出することができる。
敢えてバリアと取り組まなくてもです。
3367
:
108★
:2010/12/09(木) 02:57:36 ID:???0
それでわ〜。
ノシ
3368
:
108★
:2011/01/28(金) 04:50:21 ID:???0
こんばんわ〜。
回答専用スレを立てました。
108回答専用スレ【一】
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/10211/1296157533/
以後、当面のあいだ回答はこちらで行います。
でわ〜。
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