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長距離走者の孤独
1
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 19:46:59
何故だかガラケーからスレ立て出来んばぁい><
てか、久しぶりにパソコンから来たばぁい(^0^)/
(・Θ・)
=(ο┳ο
.◎ー┻◎
爆笑またなーーコマネチ
2
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 19:49:23
かわいいミーちゃんがパソコンの上に載ってハードディスクが調子悪くなって
パソコンがやりづらくなったんだよね〜;^^
(・Θ・)
=(ο┳ο
.◎ー┻◎
爆笑またなーーコマネチ
3
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 19:55:50
フランスの有名な作家、アラン・シリトーの作品のタイトルである。
かなり昔に読んで感銘を受けたが、詳細な内容は忘れた。
ただ…なんだか長距離走者の真相心理みたいな孤独な心理が表現されていたのは印象的だった。
アラン・シリトーは、他に『土曜の夜と日曜の朝』など、なんとなく若者の孤独な真相心理に迫った作品で好きだ。
しかし今から自分が書く物は、アラン・シリトーの作品とは関係なく、
また書物と呼ぶには、あまりにも恥ずかしくもあり稚拙な表現しか出来ないゴミクズ同然なフィクションである。
これは、たぶん自分の人生において最初で最後の盛大な落書きになるであろう。
コメントは、その都度してもしなくても自由です。
更新は、気が向いた時にするので間に関係ない挨拶レスが多くなるが、
良かったら読んで下さい。
〜続く
4
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 19:59:47
少年は、岐阜県の何処かの小さな二階建てのアパートの一階に住んでいた。
雪が30センチほど積もっていた。
冬だったんだろう…両親と雪だるまを作っていた。
頭にバケツを目は、みかん、鼻は人参、口は…何だったっけ?忘れた(笑)
少年は、両親と雪合戦ごっこみたいなことをアパートの前の空き地で遊んだことを、
鮮明に覚えている。
自我の目覚めだったのか?
(ちょっと第3者的な書き方も、めんどくさいので主人公を“ノブ"という仮名にします。)
〜続く
5
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:02:41
「兄弟がいた」
ノブが物心ついた時には、兄弟が居た。
年子の弟と三歳離れた妹だった。
妹は、まだ赤ちゃんだったし異性ということもあり可愛く思った。
しかし、1つ下の弟には少し疎ましく感じていた。
些細なことで喧嘩をしたり争い事が起きると決まってすると母親は「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」が口癖だった。
“なんで僕が…"ノブが、ひねくれて協調性に欠ける大人へと成長する過程への欠陥となる。
また、よく比較されたのもノブの心を傷つけていったのだった。
6
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:05:03
「見知らぬ土地」
ノブは幼少の頃、岐阜県大垣市から名古屋市の熱田区という土地へ引っ越した。
記憶にあるのは、借家の隣にブランコと滑り台と何故か狛犬の石像がある粗末な公園だった。
その公園で幼稚園の制服を着せられschoolバスを待つノブは、生まれて初めて幼稚園デビューである。
これから何が始まるのかわからないノブの小さな心臓は不安でドキドキしていた。
やがて幼稚園のバスが到着した。
訳もわからず母親から生まれて引き離されバスに乗せられたノブは、大声をあげて泣きじゃくった。
幼稚園に着いて、教室?に入れられても泣いていた。
初幼稚園は、ずっと泣いていたのだった……
7
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:08:06
「恥を知る」
ノブは幼少の頃、岐阜県大垣市から名古屋市の熱田区という土地へ引っ越した。
記憶にあるのは、借家の隣にブランコと滑り台と何故か狛犬の石像がある粗末な公園だった。
その公園で幼稚園の制服を着せられschoolバスを待つノブは、生まれて初めて幼稚園デビューである。
これから何が始まるのかわからないノブの小さな心臓は不安でドキドキしていた。
やがて幼稚園のバスが到着した。
訳もわからず母親から生まれて引き離されバスに乗せられたノブは、大声をあげて泣きじゃくった。
幼稚園に着いて、教室?に入れられても泣いていた。
初幼稚園は、ずっと泣いていたのだった……
8
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:10:50
7番は、無かったことにしてちょんまげ;^^
9
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:12:04
「恥を知る」
やがて幼稚園にも馴れてきたノブは、数人の友達も出来て毎日、幼稚園に行くのを楽しみになってきた。
幼稚園バスを待つノブは、早くバスが来ないものかと心待ちにしていた。
幼稚園に着くと、元気に友達と毎日遊ぶのだった。
ある日のこと幼稚園が終わって帰りのバスを待っていると、雨が降ってきたので、
先生に小さな別棟の小屋みたいな部屋に10人程集められ、時間潰しに“なぞなぞ遊び"をさせられた。
ノブにとって生まれて初めてのなぞなぞだった。
先生が、なぞなぞを言う。
「わかった人は手を挙げてね」皆が考えているとノブは、悦んで真っ先に手を挙げた。
そして先生が言ったことを自慢げに復唱した。
なぞなぞは、教えてもらったことがなく先生が“なぞなぞ"を説明しても全く理解できなかった。
先生が「そうじゃなくて、答えを言うのよ」…皆が大笑いした。
ノブは、恥ずかしさでいたたまれなくなり口をつむんだ。
もう半泣きで、早くこの時間が過ぎることだけを願い、ずっと下を向いていた。
それからしばらくは元気に、はしゃいで遊んでいたノブも塞いでしまった。
またひとつ小さな心に染みがつくノブであった。
10
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:14:51
「泥棒」
事件は、突然起きた!
ある日、家族で寝ていた夜のことである。
何やら周りが騒がしいことに気づいたノブは、眠い目をこすり上体を起こす。
ノブは驚いた!お巡りさんが2〜3人、家族が寝ていた部屋に上がり込んでいる。
何やら父親と母親は、お巡りさんに説明していた。
状況が、わからないままに不安に怯えるノブと兄弟達。
しばらくして、裏手に住んでいた大家のオバサンが大声を挙げてお巡りさんに訴えてきた。
「お巡りさん、ありましたよ!お騒がせしてすみません」
「あぁ〜良かった、良かった」大家は、お巡りさんに何か事情を説明して上機嫌で戻っていく。
憤慨している両親。
…それから、しばらくして我が家は、再び引っ越した。
後から聞いた話は、次のとおりだ。
大家のオバサンの宝石が数点、紛失したのでウチが怪しいと警察に連絡したとのこと。
しかし、実は大家の勘違いで宝石は、自分ちにあったのだった。
お巡りさんには謝ったが、ウチには一切の謝罪も無かったのだ。
たぶん、その時の引っ越しの理由は、この事件だったのだろう。
卒園式を終え、もうすぐ7歳を迎えるノブの心に、人を疑う悲しさを知った。
……明日へ続く
11
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:16:42
「サンタクロース」
幼稚園時代は、嫌なことしか無かったかの様な文章が続いたが、決してそんなことはない。
まっ、それなりにいろいろ楽しいこともあった。
何歳の頃どのように知識を得たのか忘れたが、クリスマスとサンタクロースの存在を知った。
5歳の頃、ノブはクリスマスに家にサンタクロースは来てくれるのかワクワクしていた。
ノブは、しつこいくらいサンタクロースは、何時に何処からどうやって来るのか母親に訊いていた。
母親はニコニコしながら「お利口さんにしていたら来てくれるからね」と答えた。
ノブはクリスマスが近づくと、普段しない掃除もどきな事をしたり、
家の手伝いを率先してやった。
わかりやすいガキだ…
そしてクリスマスイブ、ノブは期待と不安が入り交じりワクワクしながら、いつもどおり夜8時には就寝した。
クリスマスの朝、ノブが起きると枕元には、サンタクロースブーツに、沢山のお菓子が入っている例のやつが置いてあった。
ノブは大喜びした。
母親と言えば「良かったね〜きっとサンタさんが来てくれたんだよ〜」と微笑んでいた。
ノブは本気で「サンタさん、ありがとう」と感謝するアホな子どもだったのである(笑)
12
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:19:04
「激動の時代背景」
幼少年期から少年期に話を移行する前に、少し時代背景を言っておこう。
ノブが生まれ落ちた'60年代後半から70年代は、高度成長期真っ只中で激動の時代だった…らしい。
“らしい"と、敢えて書いたのは本人は、詳しく覚えていないからだ。
ただ、印象深くオッサンになった今でも覚えているのは、
テレビから流れる学生運動のNEWSだ。
夕方、ノブの家では母親がテレビチャンネルの実権を握り必ずチャンネルはNEWSだった。
幼少のノブには全然面白くないが何故か各地の大学で発生していた学生運動には興味を示したのだった。
「ねえ、お母さん!大学生って怖い人達なの?大学って危ないところなの?」
母は「これは、ごく一部の人達がやっている間違った行いなのよ」
「だから、大学は決して悪くないのよ」
何故だか学生運動の背景もわからない幼心に、ノブは強烈な印象を受けたのだった。
そんな中で事件は起こった。
あさま山荘事件だ。
1972年2月19日から2 月28日にかけて、長野県の浅間山荘で連合赤軍が立て籠り警察との攻防。
幼いノブも、この時ばかりは好きなアニメよりもテレビNEWSに釘付けになったのだった。
革命の名のもとに狂った季節の終焉をまざまざとテレビに映し出されたことは、今でも覚えている。
クレーン車によるドデカイ鉄球のぶちかましには、土肝を抜かれたのだった……
13
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:21:15
「名古屋市港区の下町」
普通、ある程度歳を重ねた人が人生を振り返る時は、
中学生時代…或いは高校生時代、たまに大学時代が一番良かった等と口にする人が多いと思う。
しかしノブにとっては幼稚園を卒園して引っ越し先となった名古屋市港区の下町が今でも一番、居心地が良かった時代なのだった。
銭湯、駄菓子屋、近所の肉屋、魚屋、豆腐屋、食品スーパー、映画館、床屋さん…そして土曜の夜9時前後に決まって来る屋台の夜鳴きラーメン。
大人になった今、考えてみれば効率的もないし衛生面も悪いが…ノブにとっては何もかもが輝いていた少年期だったのだ。
もちろん携帯電話もないし、インターネットなんて無い。
今から思えば不便な面は多い 。
それでも、人と人との関わり合いは深く人情味に溢れていたのだった。
……続く〜
ちょっと疲れたから、またばぁい(^_^;)
(・Θ・)
=(ο┳ο
.◎ー┻◎
爆笑またなーーコマネチ
14
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:23:43
「駄菓子屋のケンちゃん」
ノブが港区に移り住んだ地域は、工業地帯すぐそばの住宅地である。
空気は悪いが人情味溢れる下町だ。
近所の悪ガキが、迷惑行為をしていると知らないオジサンは平気で叱った。
今だと、すぐに親が反発するけど昔は違った。
まず我を省みてきちんと悪いことは悪いと子どもに言い聞かせたのだ。
話を戻そう。
まず、ノブが住んだ家は親父の会社の社宅の一軒家だ。
左右に同じ間取りの二階建て。
右側に独身男性が三人住んでいた。
そしてノブ一家は左側の二階建てだった。
母親は、独身男性社員の食事を管理して賄いをしていたようだ。
そして左隣は空き地。右隣は小さなアパートがあった。
空き地の隣は個人宅。T字路のどんつきに昔ながらの『たなか屋』と言う名の駄菓子屋があった。
現代でも、駄菓子屋があるが昔と違ってなんだか小綺麗である。
くじ引きみたいな糸雨。チクロに染まったフガシ、
仕切られた箱の一角を破るくじ引き、きな粉のげんこつ飴、塩っ辛くて大きなサラダフレーク。
様々な駄菓子が1個、5円〜数十円でバラ売りだ。
何もかもが昭和だった。
そして、その駄菓子屋は奥で、鉄板のお好み焼きと焼きそばを作って売っていた。
子どもの小遣いでは、頻繁に買うことは出来ず、たまに母親におねだりして買ってもらったもんだ。
もちろんイートインも出来たが、
ガキが集まって落ち着いて食べられないので大抵は、持ち帰りだった。
駄菓子屋の主人は、おばあちゃん。
普段は大人しいが、ガキがあまりにもやかましいと叱ったもんだ。
そして、その駄菓子屋は住居も兼ねていて店の奥が住居だった。
駄菓子屋の孫にケンちゃんと言う同級生が居た。
今から思えば少し知恵遅れが入っていたようだ。
いつも青っ鼻を垂らしてヘラヘラしていた。
「ちょっと変わった子だな」と感じたが子どもには関係ない。
駄菓子屋の前でメンコや駒回しをしたりして遊んでいた。
とにかく青っ鼻を年中垂らしているケンちゃんであった。
15
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:25:52
「小学校入学」
ノブは桜が咲き誇る4月、小学校入学と言う一大イベントを迎えた。
父方のお爺ちゃんに買ってもらったピカピカのランドセル、
一張羅の子ども用のスーツ、新品の運動靴、新品のハンカチ、何もかもがピカピカだった。
入学式では借家の前で母親と一緒に記念撮影。
小学校正門前で記念撮影。
緊張と不安が小さなノブを包む。
小学校は歩いて3分のところにあった。
駄菓子屋から50メートルほどのところにあった。
駄菓子屋、小学校、図書館、銭湯、映画館などが家の半径500メートル以内にあり、とても住みやすい平地の町並みだった。
小学校の正面には狭い住宅道路を挟んで耳鼻科があった。
夏のプールの授業で結膜炎になった時には便利だった。
歩いてすぐ近くにある小学校だったが一応、集団登校だった。
文団とか言って、一応6年生が班長を任されていた。
6年生は、1年生からみたら凄く大人に見えたものだった。
入学式ではクラスの皆が緊張していてなかなか会話も出来ずにいたが、
すぐに打ち解けて毎日、クラスメイトと校庭で遊んだものだ。
担任は、大学出たての新任の可愛らしい女の先生だったのだ。
「パラダイスだな!」ノブは、小さな下町で過ごす日々を楽しんでいたのである。
16
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:31:54
「銭湯」
ノブの家から歩いて15分くらいの隣町に銭湯があった。
ノブの借家は一応、小さな湯船がある風呂もあったが、
週に2回ほど親父に銭湯に連れていってもらったのだった。
洗面器に石鹸やタオルを入れて、そのまま直に洗面器を持ってノブは喜んで銭湯に通ったものだ。
昔ながらの銭湯。
銭湯は男女左右に分かれていて真ん中が番台だ。
大きなノレンを潜ると番台に鎮座するおじさんに代金を先に支払い着替えロッカーに向かう。
大きな木箱に仕切られた鍵つきのロッカーだ。
この鍵が、またデカイ。
大きな輪ゴム付きの鍵を足首につけて湯船に向かう。
下のスノコがノブには心地よかった。
天井にはドデカイ扇風が吊るされていた。
銭湯独特の匂いが好きだった。
銭湯にはケロヨンの小さな洗面器が沢山あったが、洗面器は家から持ってきた物を使った。
洗い場には、沢山の腰掛け椅子が並び、正面はデカイ鏡がある。
床のタイルは滑りやすく、気をつけて歩いたもんだ。
湯船の背には、大きな富士山の壁画が湯煙と混じり、なんとも言えない幻想的な世界だったのだ。
一通り、風呂が終わると待ちかねていたジュースタイムだ。
体を拭いて着替えを済ませて帰り間際に父親から「何か飲むか?」と言う言葉をかけられるのが楽しみだった。
透明なガラスケースの縦長の冷蔵庫の中には、牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳、りんごジュース、ビールなどが並んでいた。
親父は牛乳かビール。ノブは大抵フルーツ牛乳を飲むのだった。
腰に左手をあてがい右手で一気に飲み干すジュースは、至福の時間であった。
湯船で火照った体を冷やす帰り道の夜の外気も、なんだか気持ち良かった。
17
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:33:49
「テレビ」
今でこそ娯楽は多様化して、楽しみ方は人それぞれだが、
ノブが過ごした幼少期の身近な娯楽は、テレビだった。
ブラウン管のでっかいテレビ。
外で夕暮れまで遊んで家に帰り就寝するまでノブは、テレビを楽しんだ。
夕方は、アニメ漫画の番組が充実していた。
スポ根アニメ、ギャグ漫画、ストーリー物、ヒーロー戦隊物。
今は、大人の諸事情で子ども向け番組も減ったが当時は子ども向け番組は充実していた。
そしてなにより今よりもずっと面白かった。
いろいろ見たけど、やっぱり男の子であるノブと弟は、ウルトラマンと仮面ライダーに夢中だった。
妹は、ムーミンやアルプスの少女ハイジ、ひみつのアッコちゃんが好きだったようだ。
うまい具合に時間は重ならなかったので兄弟みんなで見ていた。
たまに多きな事件や国会があると母親がチャンネル権を握りニュースを観るから、その時はツマランかった。
また当時は、プロレスやキックボクシング等の格闘技が流行っていて夜に格闘技番組やるときは親父がチャンネル権を握るのでツマランかった。
相撲も興味なかったノブである。
いつもは9時前に寝かされていたのだが土曜の夜だけは、10時までテレビを観させてくれた。
『8時だよ!全員集合』を観てから『キーハンター』を観た。
土曜の夜、9時頃に決まって屋台のラーメン屋がチャルメラを鳴らしながらやって来た。
毎週…と言う訳にはいかないが、たまにラーメンを買ってくれて食べるラーメンは最高に美味かった。
家の前に通りかかった時に、声をかけてラーメンを注文する。
ラーメンどんぶりを家から4つ(母と妹は、1つを分けた)持っていき作ってもらう。
屋台から漂う鶏ガラの出汁の匂いがノブは好きだった。
たまり醤油と鶏油をどんぶりに少し垂らして、鶏ガラスープを網でこしながら入れる。
茹であがった麺を入れたら引き出しが付いた木箱からチャーシュー、ナルト、メンマ、ネギを手際よく入れる。
屋台のおっさんの所作を見るのもノブは好きだったのである。
昔ながらの醤油ラーメンは本当に美味かったな〜
テレビの話からラーメンの話になってしまったな(笑)
18
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:35:02
様々な学校行事の中で、一番のメインは、夏休みだった。
宿題は後回しで、とにかく遊び回った。
だけど、午前中は『夏休み漫画シリーズ』三昧だった。
天才バカボン、サザエさん、ハイジ、ムーミン、海のトリトン、ゲゲゲの鬼太郎、マジンガーZ、デビルマン、あしたのジョー、タイガーマスク、キックの鬼…数え上げたらキリがないほどだ。
民放各局、子ども向け番組が充実していて選ぶのも一苦労だった(笑)
そして午後から友達が訪ねて来たり、こちらから出向いたり遊びに行った。
幼少の頃の遊びは、多種多様だ。
駄菓子屋で遊んだり、公園で遊具で遊んだり、空き地に行ってかくれんぼしたり……
たまに金持ちの友達の家に行ってインドアで人生ゲームやレールのカーレースや立体駐車場のおもちゃで遊んだりした。
市民プールや図書館にも行ったりした。
プールも図書館も近所にあったのだ。
図書館の空調の効いた館内は、とても涼しかった。
そしてウォータークーラーの水が美味かった。
お盆の時期は、父方の実家へ行って祖父母から小遣いを貰うのは楽しみのひとつだった。
親戚の3つ上のお兄さんとも、よく遊んだ。
父方の田舎までの国鉄の旅は、幼いノブには、ちょっとした旅行でもあり楽しみだった。
向い合わせの座席にノブ一家は据わり、窓側の席をめぐって兄弟で喧嘩しては叱られた。
だいたいノブがお兄ちゃんと言う理由だけで譲らされ、半日はひねくれるノブであった(笑)
…今日は、ここまで。
またね('ー')/~~
19
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:37:01
「学校の傘」
今日は、雨です。
雨で、子どもの頃に思い出すのは、小学校に常備していた貸し出し専用の黄色い傘です。
まっ黄色の下地に“名古屋市立港楽小学校"と縦に書いてあった。
もちろん登校時の朝から雨が降っている時は、家から傘をさして登校したが、
雨が降るか降らないかわからない微妙な曇り空の日には、傘を持っていかない時があった。
学校に居るときに雨が降りだした時には、傘を持ってきていない生徒に学校の傘を貸し出してくれた。
学校の傘をさして下校する時は、少々照れ臭くなったりもした。
返却が遅れて、そのままにしてしまい家には学校の傘が2〜3本あったのはノブん家だけでは、なかったのだった。
学校側も、あんまりチェックしないので傘が減っては新品を補充したりしていた。
そんなことをして税金の無駄遣いをしたから今は、学校の傘を見なくなったのだろうか?(^_^;)
なんかスマン(^_^;)
20
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:38:37
「三輪自動車」
小学校の傘の話をして、今は見なくなったが昔あった物を思い出してみた。
車のことは、詳しくないけど明らかに形の違う自動車があった。
前輪が1つ、後輪が2つという形態の三輪自動車だ。
ミゼットとかいう名前だったっけな?
よく覚えていない(^_^;)
大抵、工事現場の資材などを積んで運んでいたのを思い出す。
また、昔は現在よりも圧倒的に車が少なくてドライバーの運転も優しい感じがする。
昨今、社会問題となっている煽り運転とか無謀運転なんてなかった。
ノブが住んでいた下町は名古屋市の中では、
まあまあの街中で道路は、ほとんど舗装されていたが、路地に入ると所々砂利道は残っていた。
そんな事情も影響してか車の運転は、今よりも優しい運転だった気がする。
…っていうか、車の数自体が少なかったけどね(笑)
21
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:40:30
「見なくなった映画館」
“何を言っているんだ!映画館なら今でもあるだろが!"…なんて声が聞こえてきそうだが、そうじゃない。
今みたいな複合施設の箱物のビルやモールに入っている小綺麗な映画館じゃない。
下町の町中の中の独立した映画館だ。
もちろん、キャパシティも少なくて100〜200人程の、小学校の体育館よりも、やや小さな小屋だ。
そしてなにより昔の独立した映画館は、今よりも圧倒的に不衛生で汚い。
何しろ館内でもオッサン達は、タバコを吸っていた。
足元には空き缶、空き瓶が転がり、空き菓子袋などが当たり前のように散乱している。
それが普通だった。
タバコに関しては、映画館だけじゃなくあらゆる公共施設、公共の乗り物の中でもオッサン達は吸っていた。
だいたい学校の職員室でもタバコを吸っていた先生は、多かった。
今から考えると有り得ない状況だ。
もちろんレストラン、定食屋、中華屋さんなど外食店は全部喫煙可能だった。
子ども達にとっては、極めて身体に悪い環境だったが、それが当たり前の文化だったのだ。
話を映画に戻そう。
子どものノブにとって映画館で映画を観るのは夏休みの“東映まんが祭り"だった。
マジンガーZとデビルマンの共演やゴジラとモスラの共演、ゴジラ対キングギドラ、ギャグアニメなど…
だいたい3本立てだったかな。
もちろん大人が観るような娯楽映画も上映していたが、子どものノブには興味なかった。
ちなみに映画館も歩いて5分くらいの下町の中にあった。
夏休みは、子ども向けのアニメ映画、正月は『男は、つらいよ』、定期的にポルノ映画などが上映されていた。
下町のあちこちに映画の看板が立てられていた。
ポルノ映画の看板には、幼いノブには刺激が強くてドキドキして顔を赤らめるウブなノブだった(笑)
22
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:44:54
「見なくなった仕事」
昭和の頃にあって現在見なくなった仕事は、たくさんある。
ちり紙交換、竿竹屋、ワラビ餅の屋台、自転車による豆腐売り、たまに空き地に訪れたポン菓子売り、焼き芋屋台…などが幼少のノブには印象深い。
自転車の豆腐売りの豆腐屋さんは、毎日夕方になると“とーふー(そう聞こえた)"ってラッパを吹きながら路地をゆっくり走っていた。
お母さんは、食品ボールを抱えて「豆腐屋さ〜ん」って声をかけて止めて買っていた。
重そうな自転車のデカイ荷台には、豆腐や揚げ豆腐などが入った箱を積んでいた。
豆腐屋さんの豆腐は美味かった。
夏休みになると屋台のワラビ餅屋さんが下町を練り歩いていた。
ワラビ餅と言っても本物のワラビ餅じゃないけど、船の形をした食べられるパフみたいな物に入れられたワラビ餅に、砂糖きな粉をまぶして食べると美味かったな。
寒い秋から冬にかけては、なんと言っても石焼き芋屋さんの屋台だ。
今でもキッチンカーみたいな石焼き芋屋台は、あるがノブの幼少時代は、リヤカーの屋台だった。
値段は、昔もぼったくり気味で高くて滅多に買ってくれなかったが、たまに買ってくれて食べる石焼き芋は実に美味かった。
そして定期的に空き地に来ていたポン菓子売りは、子ども達に大人気だった。
米と砂糖を持っていき専用の機械で作ってもらうという形式。
あの“ポン!"って言う破裂音に近所の子ども達は、喜んだのだった(笑)
尚、もう一昔前のアイスキャンディー売りとか紙芝居屋さんは、ノブは見なかった。
田舎には、まだ残ってたかもしれないが…
23
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:47:24
「見なくなった食品店」
八百屋さん、肉屋さん、魚屋さん、豆腐屋さん、小さな食品スーパー…
これらがノブの住む下町には存在していた。
みんな小さな店だが、そこには売り手と客の間には会話があり笑い声があり活気に満ちていた。
食品スーパーも生鮮品は独立した個人店だった。
スーパーのレジは、古くさいデカイボタンのレジスターだ。
あくまで一般食品メーカーの品物だけをスーパーのレジが扱い、生鮮品は各店舗で清算していた。
また食品スーパーの一画には、うどんや蕎麦やラーメンのイートインの店があった。
もちろん専門店じゃないから味は、たいしたことないがオヤツ感覚で、たまに食べたが何故か美味く感じた。
でも、やっぱりうどん屋、蕎麦屋、中華屋さんの味には程遠い味である。
安くて早いのが売りのイートインコーナーだった。
まぁ〜作っている人も職人じゃないし全部、チルドインスタントだから仕方ない部分だけどね(^_^;)
それにしても肉屋さんのコロッケは安くて美味かった。
あんなに美味いコロッケは、今じゃお目にかからない(^_^;)
でも、今でも全国の何処かの商店街の一角には、肉屋さんの美味しいコロッケは、存在しているのかな?
近所の人達は、実に羨ましい限りだ(^_^;)
それから野菜や魚や豆腐なんかは、今よりも風味があって美味しく感じたけどな(^_^;)
24
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:50:30
「一輪挿しの花瓶」
下町の人間味溢れた町の人達に見守られながらスクスクと育ったノブは2年生に進級した。
小学生の頃は、2年間同じクラスだったので2年生になっても1年生の時と同じクラスメートだ。
友達も出来て、毎日学校に行くのが楽しくて仕方ないノブである。
そんなノブが、人生初の体験をしたのは2年生の新学期に入り間もない4月の終わり頃だった。
いつものように元気に登校して、大きな声で「おはようございます」と言いながら教室に入って行くと、なんだか様子がおかしい。
いつもならワイワイガヤガヤと賑やかな教室が静まりかえっている。
そして真っ先に目に入った異変にノブは困惑した。
担任の若い女先生が黒板の前の教壇に顔をうつ伏しながら椅子に座っている。
女子生徒達数人が先生を囲み、心配しながらも困惑している。
一人の女子生徒が先生の背中に手をあてがい、うつ伏した先生の顔を覗きこむように声をかける。
「ねえ、先生、どうしたの?何かあったの?」
…問いかけるや否や、先生の行動にノブだけじゃなく教室に居た生徒全員が静まり返った。
「うるさい!」顔をうつ伏しながら問いかけた女子生徒を払いのけたのだ。
あんなに優しい先生が…
信じられない光景だった。
数人の女子生徒達は泣き出し、みんなオタオタとうろたえていた。
そんな光景を教室の外の廊下から見ていた上級生が職員室へ走り教頭先生を呼んできた。
教頭先生が担任に諭すように何やら小声でささやいていた。
ぐったりして泣き崩れる担任を教室から連れ出して、職員室へ連れて行った。
衝撃だった。
いつもハツラツで、明るくて可愛らしかった先生が…
今は、目を腫らし肩を落とし、よろよろと歩いて行く。
みんなポカーンとしている中、再び教頭先生だけが教室に現れた。
「はい、皆さん席につきなさい」…教頭先生が言うと、クラスメート達は着席した。
その時、初めて教壇前の一番前の列の真ん中の席の机の上に一輪挿しの花瓶が、置いてあることに気づいた。
「なんで、あの机の上だけ花があるんだろう?いいな〜僕も欲しいな〜」
…何もわかっていないアホなノブであった。
教頭先生が、優しく語りかけるように生徒に説明を始めた。
一人の女子生徒が病気で亡くなったと言う内容だった。
亡くなった女の子は、休みがちで存在感も薄く無口な生徒だったけど、
いつもニコニコしていたのを覚えている。
教頭先生から説明を受けても、いまいち受け入れられないで頭の中が真っ白な8歳の春を迎えるノブが居た。……
今日は、ここまでです。
読んでくれた皆さんに感謝します。
またね('ー')/~~
25
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:53:28
「見なくなった文房具店」
これも今でも、スーパーやホームセンターやデパートの一角には、ありそうだが、
そうじゃなくて個人店の文房具店のことです。
やっぱり小学生の近くにあり鉛筆、ノート、蛍光ペン、絵の具、習字道具、下敷き、定規、折り紙、コンパス、分度器…等々いろんな商品を扱っていた。
しかし小学生低学年の頃のノブに必要な商品は、限られていた。
また文房具店では学校指定の帽子や上履き体操服、名札なども扱っていた。
今から思えば、あれは独占禁止法にひっかからないんだろうか?
話を文房具に戻すと低学年のノブが買う文房具品と言えばノート、下敷き、鉛筆…くらいだった。
お気に入りは、ジャポニカ学習帳だった。
国語、算数、理科、社会、音楽など科目ごとにノートが独立している画期的な発明商品であった。
詳細な内容は忘れたが、各科目でノートの工夫が施されていた。
値段は、少し割高感があったがジャポニカ学習帳を持っているだけで勉強が出来る気分になった(笑)
それから筆箱が凄かった。
マグネット式の開封、二重式、電池で上段部分が起き上がったり、
いろんな遊び要素がふんだんに施され勉強を、ないがしろにする楽しい商品だった。
あと母親はビニールの本やノートのカバーを、やたらつけたがったが、
ノブはカバーが嫌いだったので、カバーを付けられても、すぐに外しては母親から叱られていた(笑)
26
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:55:42
「誕生日会」
小学生低学年の頃は、お誕生日会なるものが友達の間で、頻繁に行われていた。
誕生日会は、学年が上がる毎に規模は小さくなったり無くなっていくのだが、
1・2年生の頃は、年に5〜6回は、行われていたような記憶がある。
主役の家は、大変だ。
お母さんは、友達をもてなす為にケーキやジュースや手料理を用意しなければならない。
幼い低学年の子ども達は、親の苦労をかえりみず平気で誕生日会を主催していたのだ。
そして誕生日会に欠かせないのがプレゼント。
みんな、親から貰った小遣いでプレゼントを考えて買ったもんだ。
プレゼント品として主流だったのは、おもちゃ或いは文房具であった。
女子のことは知らないが男子の誕生日会で多いプレゼントは、おもちゃ屋で買ったプラモデルだ。
たまには、ノートや鉛筆など新品の文房具をプレゼントする奴もいたが、
ノブは、見栄をはって500円くらいしたプラモデルをプレゼントしたもんだ。
もちろん、お店に頼んで包装紙で綺麗にラッピングしてもらい、貼るタイプのリボンも付けて貰う。
そこで店主のおじさんと会話が生まれる。
「お誕生日会あるの?」店主が言う。
「はい!」と、ノブが答える。
「楽しんで来てね〜」おもちゃ屋の店主が、ニコニコしながらラッピングしたプラモデルを手渡してくれる。
些細なことが嬉しかった。
ノブ自身の誕生日会の時の友達のプレゼントの中には、
新品の品物じゃなくて、明らかに自分が使っている物を自分でラッピングした物もあったが、
やっぱり各家庭の事情もあって幼いノブでも、そこは察した。
でも幼い低学年の子ども達にはプレゼントの品物に貴賤は無くて、ただプレゼントをくれる気持ちが嬉しかった。
みんなで、お母さんの手作り料理やケーキを食べたり炭酸ジュースを飲みながら会話する時間は短く、
早々に切り上げて、外に遊びにいってしまうのは母親にとっては、残念であったに違いない。
母親まで気遣うことが、わからないノブ達であった(笑)
27
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 20:58:06
「給食」
ある日、先生が生徒達に問いかけた。
「みなさん、好きな授業を教えてください。」
続けて「国語、算数、理科、社会、体育、音楽、図工」…その都度、生徒達は「はーい!」と手を挙げて応える。
中には「道徳で〜す」と応えて笑いをとる男子も居たがノブは、さらにその上をいった。
「給食で〜す」ノブが言うとクラスは爆笑だった。
先生は、わかっていたが一応「ノブくん、給食は授業じゃないのよ」…と、諭すと、さらにクラスは爆笑。
そんな卑しいノブ少年だったが…本当に給食が大好きで大好きでたまらないノブだった。
〜続く……
ちょっと疲れたので寝る(+.+)(-.-)(__)..zzZZ
(・Θ・)
=(ο┳ο
.◎ー┻◎
爆笑またなーーコマネチ
28
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 21:00:22
「学校給食」
今は、知らないがノブが通っていた学校当時の給食は校内に給食室があって、
給食のおばさん達が、ドデカイ釜や鍋で大量に作っていた。
そして給食時間の頃には、各クラスの給食係りが給食室に取りにいく。
既に、デカイ寸胴鍋にオカズが入って用意されていた。
給食係りは、学校から用意された白い割烹着みたいな服を着て、
三角巾にした白い布を頭に被りマスクをするというスタイルで給食をクラスに運び、皆に給仕する。
生徒は、順序よく並びながら給食係から一式を受け取って席に帰る。
食器は銀色でアルミ製だった。
古い食器は、ところどころ凹んだりしていて新品の食器は、綺麗だった。
まぁ〜ノブは食べられれば良いので食器については気にならなかった。
メニューは、牛乳、食パン、小袋に入ったマーガリンやジャム、メインのオカズ、副菜の小鉢、フルーツ(みかんが多かった気がする)…こんな感じです。
ご飯は無かった。
生徒が一番テンションが上がったのは、ソフト麺とカレーだった。
おかわりは早い者勝ち方式だったからソフト麺&カレーの時は、みんな早食いだ。
ノブは、大抵1番を争う卑しい子どもだった。
ノブは、全員揃っての「いただきます」という名のスタート合図でフライングをして、
みんなからブーイングされたうえに先生から叱られていた。(笑)
開始は、みんな揃って一緒だが「ごちそうさまでした」は無くて食べ終わった者から各自で食器を戻して、
給食の次に好きな昼の放課の遊びに向かった。
もちろんノブは、早飯で長い昼の放課を遊びまくった。
食べ残すことは、基本的に許されず好き嫌いの多い生徒は、
昼の放課が終わる頃まで先生に監視されて、にらめっこだ。
“ちょっとかわいそうだな"とノブは、感じていた。
病欠した生徒には、食パンとマーガリンを近所の生徒が届けた。
食パンをハンカチに包みランドセルに入れるという、
今から考えると、実に不衛生な管理方法で持って行ったものだ。
ノブも、たまに風邪をひいて休んだりしたが
ソフト麺&カレーの日は、不思議と風邪をひかなかったのである(笑)
29
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 21:03:08
「連絡帳&ベルマーク&雑巾」
小学生低学年の頃は、連絡帳なるものがあった。
帰りのホームルームで、先生が書いた連絡帳をもらい、
家に帰って親に見せて親がはんこを押して翌日、朝のホームルームで提出していた。
そしてベルマークなる物があった。
いろんな食品、文房具などにベルマークがプリントされていて点線に沿ってハサミで切り取る。
たくさん集めて、不定期で各自が先生にベルマークをあげていた。
当時は、意味がわからなかったが後から意味を知った(笑)
それから新学期になると先生から雑巾を2枚家から持ってくるように言われた。
ノブの母親は、丁寧に雑巾を縫ってくれた。
雑巾だけじゃなく、外れたボタンや、破れた服やズボンのほころびを上手に縫ってくれた。
子ども心に感謝していたノブである。
30
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 21:04:59
「遠足」
遠足は楽しみな年中行事のひとつだった。
低学年は、近場の公園などに学校から歩いて行って、弁当を食べたて遊んだ。
中学年や高学年になると観光バスで名古屋城、テレビ塔などに行っていた。
ノブのお母さんが作る弁当は、美味しくてありがたかった。
水筒はアニメがプリントされた外側がビニール製だったかな?
弁当の中身は、お握り(梅干し、鮭、アサリの佃煮)3個、マルシンハンバーグ、赤ウインナー、卵焼きが定番だった。
もちろんリンゴやみかんなど果物も入れてくれた。
遠足の一番の楽しみは、やっぱり仲良しの友達数人でビニールシートを敷いて賑やかに弁当を食べることだったかな。
ノブが1・2年の時は…何処に行ったかな〜?
港区だから緑地公園なんて無かったよな〜
水族館かな〜?
………忘れた(笑)
とにかく友達と食べる弁当がメインイベントだった遠足である(笑)
31
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 21:06:55
「近所の同級生の女子」
ノブの近所に同級生で石川さんという可愛らしい女の子が居た。
ノブに妹がいたこともあり、1年生の頃は、よく一緒に遊んだものだ。
何も気にならず仲良く遊んだのだった。
だけど2年生の夏ごろ、その子がホットパンツをよく履いていたんだが…
子どもだけど、やっぱり男の子とは少し違う、お尻や太ももを見る度にノブは戸惑い気恥ずかしくなった。
性の目覚めだったのかもしれない(笑)
徐々に意味もなく女の子を邪険にして本心とは裏腹に距離を置いてしまうノブであった(笑)
32
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 21:47:54
「運動会」
春と秋に運動会が2回あった…と思う。
ノブの当時は、平日に授業の一環として運動会が行われた。
今みたいに日曜に運動会をやって月曜が振り替え休日なんて無かった。
って言うか、振り替え休日というのが無かった。
祝日が日曜なら、そのまま。
土曜日は午前中まで授業。
ふざけんなよ!ゆとり教育!(笑)
平日だから来賓の親も少なく…まぁ〜低学年の母親は多く来ていたように思う。
校庭の先生方がが石灰ひいて作った運動場を円で囲むように各学年、各クラスで分かれて椅子を並べて応援した。
ノブの運動神経は、ごくごく普通の中レベルだから徒競走で一番になったことは一度も無かった。
6人で走ると良くて二着、だいたい3位だった。
まぁ〜そんなに運動会の順位に興味なかったが、
昼休みに、友達やお母さん達と食べる弁当が美味かった。
何故か遠足の時よりも運動会の弁当の方がグレードアップしていた(笑)
食べることばっか(笑)
33
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 21:52:36
「外食」
貧乏な家のノブも、たまには一家で外食した。
外食と言っても近所の小さな中華料理店なんだが、それでも外食と言うだけで緊張したノブだった。
ラーメンを食べたいんだが、お母さんは「ご飯物にしなさい!」と言って大抵、中華飯か定食にされて兄弟達は不満だった(笑)
親父は、ラーメンと餃子と唐揚げとキリンビールが定番。
子ども達も食後には瓶入りのコカ・コーラを注文してくれて、これは嬉しかった。
年に1〜2回、繁華街の中区栄のデパートに行った時は、そりゃもう緊張したものだ。
「都会の人は、お洒落だな〜」…と感動するノブだった。
丸栄だったか松坂屋だったか忘れたがデパートの最上階のレストランに入った時は緊張しまくりだった。
親はランチ。子どもは、もちろんお子さまランチだった。
初めてデパートのレストランで、お子さまランチを見て感動した。
「うわぁ〜美味しそう」ノブは感動した。
半円形に型どられたチキンライス。
チキンライスの真ん中には、つまようじで作った小さな日章旗
ミックスフライとサラダに添えられたフレンチドレッシングにコーンスープ。
デザートはメロンとプリン。
普段の家の食卓ではお目にかからない夢の国が、そこにはあったのだった!(笑)
今日は、ここまで(笑)
またね('ー')/~~
34
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 21:55:45
「みなと祭り」
今は知らないが、ノブの小学低学年の頃、
夏休みに入る初日の7月20頃に“みなと祭り"なる一大イベントがあった。
みなと祭りが来て「あぁ〜夏休み」を実感した(笑)
名古屋港から打ち上げられる大花火大会だ。
港区の小さな繁華街、築地口交差点から名古屋港までの南へ向かう。
道幅が広いメインストリートの両脇には、たくさんの屋台が軒を連ね、港区民のみならず
名古屋市民、或いは近郊から大勢の人達が集まりメインストリートを練り歩きながら花火観覧を楽しむ…という地元じゃ有名なイベントである。
様々な屋台の中からノブは、ウルトラマンのお面
と水風船と、たこ焼きとジュース等を買ってもらい嬉しかった。
りんご飴が欲しかったが、散々買ってもらったので我慢した。物事には優先順位があるんだと勉強するノブだった(笑)
ノブが住んでいた後楽町からも築地口交差点までは、近くてウキウキウォッチンな気分で歩いて行った。
1・2年生の時は一家で、3年生の時は弟と仲の良い友達の3人で行った。
まだ小さかったから母に着せられる子ども用の浴衣がノブは、嬉しかった。
眼前に広がる夏の夜の打ち上げ花火は、物凄い爆音と供に雄大かつ色鮮やかな大輪を咲かせたのだった。
「おぉ〜〜っ!」…目を輝かせながら、おそらく人生初の感嘆の声をあげるちっぽけなノブ。
花火がうち上がる度に、周囲の大勢の人達が夜空を見上げながら、ノブと同じように歓声をあげていた。
夏の訪れを告げる名古屋港の花火大会に、見知らぬ老若男女が一体となっていたのである。
35
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 21:59:28
「はっきりしていた四季」
昭和50年頃の四季は、春夏秋冬があった。
それぞれ、適度な時期があって四季を感じ取られたものだ。
今は、ほとんど“夏"。春と秋の時期がわかりにくい。
多少、春を感じても4月下旬には気温が一気に上がり5月は、もう“初夏の頃"。
夏といえば年々気温が上がり真夏など連日の猛暑日と熱帯夜が続く。
また気温だけじゃなく湿度も高くマジで命に関わる灼熱地獄だ。
地球温暖化に、ようやく気付きだした世界は温暖化対策として二酸化炭素の排出量を抑える努力を始めたのだが、
中国、アメリカは意に介せず益々の工業拡大を止めない。
破壊への道を突き進む未来の末路を考えない自分勝手な主義主張を繰り返すばかり。
話が逸れたので元に戻そう。
ようやく熱さが和らぐのが11月頃。
ちょっと涼しくなって秋なのかな?…と、思ったら一気に冬がやって来る。
温暖化なら冬は暖冬なのかと思いきや、これがまた厳しい寒さだ。
これじゃ、人間の心も荒んでいく一方だよ(^_^;)
わかりやすく過ごしやすい四季を通りすぎ、やがてノブは、新たな春を迎え3年生へと成長するのであった。
そして一気に割愛。
(・Θ・)
=(ο┳ο
.◎ー┻◎
爆笑またなーーコマネチ
36
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:01:08
「フミトくん」
小学3年生の春を迎えたノブ。
3年生からクラス替えだ。
クラス替えにドキドキしていたノブ。
担任の先生も替わった。1・2年生の時の可愛らしい若い女の先生から一気にハゲ親父先生になった。
ちょっとこわもてで、初めは緊張していたが数日後は、面白い先生だとわかり打ち解けていった。
クラスでも新しい友達が出来ていくノブだった。
当時の子ども達に大人気だったテレビ番組は、なんといっても『8時だよ!全員集合!』だった。
みんな、カトちゃんの物まねをしたりして笑いをとっていた。
そんな中で、少し変わった男の子がいた。
「俺は、高木ブーが好きなんだよね」
みんなは、「なんだよ、変なの」とか言ってあまり相手にしなかったが、ノブは「なんて渋いんだ」と興味を持った。
子どもだけど、イケメンで体育も勉強も出来て女子からは人気があったが、
逆に男子からは嫉妬され、孤立していた。
だけどノブは、高木ブー好きのその男子に興味を持ち徐々に打ち解けて話がはずんだ。
長谷川フミトくんと言う子どもだった。
築地口近くの幼稚園と寺を経営している家の子で金持ちだったが、
子どものノブに打算的な気持ちは無くて毎日、
一緒に遊んだりたまに勉強を教えてもらったのだった。
2年生で登場した算数の、かけ算にはつまずかなったノブだが、
3年生からの割り算で戸惑うノブにフミトくんが放課後フミトくん家で教えてくれた。
初めてフミトくんの家に招待された時は、広い部屋にも驚いたがシンプルな勉強机に拍子抜けした。
当時の学習机は、アニメ漫画が描かれた本立てやスライド式の蛍光灯やら、
いろんな装飾が施され子どもが喜びそうな勉強どころじゃない
遊び心をくすぐる仕組みが人気で、ノブも他の子どもの家の机も豪華な机だった。
しかしフミトくんの机は、大人が使うような何の飾りもない机だった。
ノブが「なんで豪華な机を買ってもらわないの?」と尋ねると、
フミトくんは「遊んじゃうから意味が無いんだよ」と即答した。
「なんて渋いんだ」ノブはカルチャーショックを受けた。
こんな子どもが居るのか?
ノブは、この大人びた同級生に益々の興味を持ち、仲良しになった。
ノブは、お返しにドリフのギャグを連発してフミトくんを喜ばせた。
実にアホなノブだった(笑)
37
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:02:59
「天才クイズ」
当時、中部地方では「天才クイズ」と言う子ども向け番組があって、なかなかの人気があるテレビ番組があった。
中部地方の小学生が友達単位で多数出演して、
着ぐるみの博士の出題に対して正解だと思うなら白い○の帽子を「イエス」と言いながら被り、
不正解だと思うなら赤い×の帽子を「ノー」と言いながら被ると言う方式だ。
初めは立って答え、正解したら立ち続け出題に答えられ、不正解だと座ってクイズの参加権利を失うサバイバルゲーム(笑)
帽子を被る前には司会者が「被りましょう」と出演者の子どもに促し、
皆が帽子を被ったところで司会者が「博士!お答えは?」と聞いてから博士が「答えは……イエース」とか「答えは……ノー」ってな感じだった(笑)
また出題は10問で半分の5問目までは友達同士で相談して答えを出すのだが、
6問目からは相談無しで一人で答えなければならない。
そして8問まで正解出来ると努力賞、9問まで正解出来たら秀才賞、10問全問正解で天才賞と、それぞれに豪華な賞品を貰えた。
途中で不正解して権利を無くした子どもにも参加賞と言う名のパンやらカステラを与えギャラを浮かす今から考えると子ども騙しの番組だ。(笑)
また男女でチーム分けされて、全てに於いて今の時代じゃクレームが殺到するようなシステムだったが、
当時は、ノープレブレムだった。
ノブも、天才クイズをテレビで観ていてテレビを見ながら
「イエス」とか「ノー」とか言いながら参加した気分で博士の正解をドキドキしたもんだ。
正解した時は、「当たり前だろ!間違えた奴はアホだな」とか言って自慢気だったが、
不正解の時は、「やっぱりそっちだと思ったわ!」…などと言いながら悔しがった。
それを見ながら兄弟や親は笑っていた。
家族の団らんがあった。
そんな中、事件は起こった!
ある日、学校に行くとフミトくんを数人が取り囲んで盛り上がっている。
「何?何?どうしたの?」ノブが、みんなの輪に入り込んだ。
フミトくんの口から信じられない言葉が飛び出した!
「天才クイズに出ないか?」
「マジで!?」ノブは目を丸くして驚きながら詰め寄った。
「本当だよ、ほらこれ見て!」フミトくんがハガキを見せた。
そこには勝手にノブと数少ない比較的仲の良い3人、フミトくんを入れて合計5人の名前が書かれ“当選"と書かれたハガキと案内書があった。
天才クイズが港区にやって来たのだ!
詳しい場所は忘れたけど築地口近くの商業施設ホールだった。
一人は、断ったがノブは含めた3人は喜んで参加することにした。
フミトくんを含めて4人で出演することになった『天才クイズ』
ノブのテレビデビューの運命は如何に!?
後半へつづく……
(・Θ・)
=(ο┳ο
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爆笑またなーーコマネチ
38
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:05:48
「天才クイズpart2」
家に帰ったノブは早速、母親に「お母さん!天才クイズに出ることになったよ」と報告した。
母親は驚いて、初めは反対したが最終的には熱心なノブの説得に了承してくれた。
よそ行きの、ちょっとコジャレた服と靴を買いに行ってしまう母親だった(笑)
「別に普段着で良いんだよ」と言いながらも、うれしかったノブだった。
そして…いよいよテレビ収録日が来た(もちろん録画で生放送じゃない)
みんなが、フミトくん家に集合してフミトくんのお母さんが引率してくれた。
ノブの両親も含め他の友達の親達も「お前が緊張するといけないから」とか言いながら子どものせいにして、
たぶん実は、親達自身が緊張するからだろうなと内心、ノブは思った。
さらにつづく………
(撮影前の控え室からステージに上がるまでの記憶が無いからステージ撮影の話からにします。)
(・Θ・)
=(ο┳ο
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爆笑またなーーコマネチ
39
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:07:58
「天才クイズpart3」
ステージは横長の5段くらいの段上になっていて、子ども達はスタッフに適当に配置された。
ノブ達は、3段目くらいで隣はフミトくんだった。
まばゆいライトと大勢の観客を目の当たりにして、自分の置かれている立場を自覚したノブは、
緊張でガチガチと歯を鳴らしながら震えて泣きそうだった。
フミトくんは、お母さんを見つけて「お母さーん」と言いながら手を振っている。
「なんだ!こいつは!ただもんじゃねーな!」
ノブは、ビックリしてフミトくんを二度見した(笑)
配置が終わったくらいと同時に当時、司会者だった“高松しげお"と言う芸能人が登場した。
テレビでは別にパッとしない、くだらないお笑い芸人だと思っていたが、
初めて生で見る芸能人にノブは緊張しまくった。
フミトくんを除く他の友達も緊張でカチコチになって口をつぐんだ。
高松しげおが、にこやかに「こんにちはー」と言いながら、先ずは客席を背に子ども達に挨拶してくれた。
ほとんどの子ども達が緊張して挨拶を返していなかったがフミトくんは、大きな声で「こんにちはー」と返して高松しげおから「おっ、キミ元気があって良いね〜」と笑顔で言われた。
「おいおい、なんなんだこいつは!スゲーな」と再び感心するノブだった。
司会者の高松しげおは、次に客席に向かい「みなさん、こんにちはー!今日は楽しんでいってくださいね」とか言っていた。
そして再び客席を背に、子ども達に「今日は、本当は○月○日ですがテレビで放送するのは、△月△日なので今日は△月△日のつもりでやってくださいね」
次に客席にも説明して、再び子ども達に向かい問いかけた。
「みんな、知っていると思うけどクイズの練習してみよう」って言いながら立て続けに「今日は△月△日である。さあーみんなイエスかノーか帽子を被りましょう!」と、いきなり出題してきた。
ノブは「アホか、こいつ今日は○月○日だろうが」と思いながら元気よく「ノー」と答えながら赤い帽子を被ろうとしたが、とっさにフミトくんが「イエス」と言いながら強引にノブが被ろうとする赤い帽子を制止して白い帽子を被せた。
もちろんフミトくんも白いイエスの帽子を被った。
「何をするんや!このやろう!不正解だろうが!」ノブは、ムカついた。
ほとんどの子ども達が赤い“ノー"の帽子を被っていた。
「ほら見ろ、“ノー"じゃねーか」とふて腐れていたら
高松しげおが博士の真似しながら「答えは…イエーース」と言った。
「なんで?」ノブは理解できなかった。
そして高松しげおは、再び「さっき説明したでしょ?本当は○月○日だけど△月△日のつもりでやってくださいねってね」
「あーっ!そうか!」思わずノブが声をあげると、客席がどっと笑い、高松しげおも笑いながら「良いね〜キミの反応」などと言いながら指を指してきた。
ノブは恥ずかしくて顔を下に向けて隠れたい気持ちになった。
次にフミトくんに小声で「さっきは、ありがとう」と言ったら「楽しんでやろうよ」と笑いながら返してくれた。
「なんちゅう腹の座ったガキなんだ!」ノブは、ちょっとフミトくんを怖くなった。
……さらに続く
(・Θ・)
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40
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:09:50
「天才クイズpart4」
客席に3台のテレビカメラがある。
左側、中央、右側と1階、中段くらいに配置されていた。
やがて着ぐるみの博士がステージに現れると客席は、「おーーっ」…なんて言いながら一気にヒートアップして拍手が起きた。
高松しげおが小声で「やるよ」って子ども達に合図した直後にテレビカメラのある客席に向かい挨拶した。
本番が始まった!
もう舞い上がっていたノブはその後、問題が始まるまでの経緯を覚えていない。
気がついたら問題が始まっていた。
博士が問いかけた「第1問!おやゆび姫は花から生まれた!」
みんなで相談した「イエスだよな、ウンウンイエスだよな」直ぐにまとまった。
高松しげおが「さあーみんな帽子を被りましょう」
全員、元気よく「イエース!」と白い帽子を被る。ノブは、一安心だ。
立て続けに高松しげおが「博士、お答えは?」
すると博士は「答えは……イエーース。その通り」ほっと胸を撫で下ろすノブだった。
トントン拍子で問題は進んだが、相談出来る5問目が終わっ頃に半分くらいが不正解して座っていた。
ノブ達は(詳しい問題の内容は忘れたが)途中、意見が分かれたりしたけど結局フミトくんの意見に従い5問目まで正解していたのである。
そして、いよいよ相談出来ない、一人で考える6問目が始まった。
ノブの運命や如何に…
さらに続く………
(・Θ・)
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41
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:12:56
「天才クイズpart5」
6問目が始まった。
緊張するノブと二人の友達と、ニヤニヤしているフミトくんが6問目を待ち構えた。
「ひばりって名前の鳥をみんなは、聞いたことあるかな?」博士が問いかけた。
ノブは内心「以前、お母さんから美空ひばりのひばりって名前は、鳥から名前をとったと聞いたことあるぞ!
そうか!美空ひばりの問題か?これはラッキーだ」と内心、ほくそ笑んだ。
しかしノブの予想は見事に外れた。
続けて博士が問いかけた。
「そこで問題!ひばりと言う鳥の巣は木の枝の上にある!」
「ありゃ?予想と違ったけど、問題は簡単だな。鳥だから巣は木に決まっているじゃないか」ノブは内心、もらった!と余裕だった。
高松しげおが「さあーみんな帽子を被りましょう!」
ノブは当然だと言わんばかりに元気よく「イエーース」って言いながら白い帽子を被った。
しかし、左横のフミトくんは「ノー」と言いながら赤い帽子を被ったのである。
ノブを含め、生き残っていたほとんどの子ども達は白いイエスの帽子を被っていた。
ノブは「あぁ〜フミトくん、やっちまったな〜サラバだ!キミの分まで俺が最後まで頑張るからな!泣くなよ相棒」
…なんて憐れみの表情をフミトくんに向けるとフミトくんは、クスクス笑っていた。
高松しげおが「博士お答えを………」
博士が答える
「答えは……………
ノブの運命や如何に!
さらにつづく……
(・Θ・)
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爆笑またなーーコマネチ
42
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:17:37
「天才クイズpart6」
いよいよ運命の瞬間に固唾を飲むノブ。
博士が少し間を置いて答えた。
「答えは………………
ノーー!!」
「なんやて!」ノブは、一瞬驚いたが、うなだれて肩を落としながら着席した。
博士が「そうじゃないんだよん〜ひばりは木じゃなくて原っぱに巣を作るんだよん」
「あららら〜ほとんど座っちゃったね〜」
「残念だったね〜ぼく〜」等と言いながら司会者の高松しげおがノブのもとに慰めにやって来た。
しかしノブは、ショックで何も反応できずに下を向いたままであった。
ノブは、もうそこからは頭が真っ白になり続いた問題も覚えていない。
しかし、最終問題になった時にフミトくん一人だけが立っていることに気づいた!
「えっ!?まだ居たの?マジかよ!おいおい、天才賞取るのかよ!」ノブは羨望のまなざしでフミトくんを見上げた。
さすがのフミトくんも緊張していた。
問題の詳しい内容は忘れたが、天体に関わる問題だったと思う。
もちろんまだ、3年生では習っていない超難問だった。
結局、フミトくんは間違えて秀才賞を貰った。
学年関係なく6年生も出ていたのにフミトくんだけが最後まで残り秀才賞を貰うってのは自慢出来ることなのにフミトくんは、落ち込んだ。
帰り道も落ち込んでいたからノブは「ドンマイ」と笑いながらフミトくんを慰める優しいやつだった。
ノブと他の友達は、参加賞とフミトくんのおかげで貰えた勝ち組賞をもらったので、すっかり機嫌が良くなっていたのだった(笑)
今日は、ここまで。
最後まで読んでくれてありがとうばぁい(^o^)/
(・Θ・)
=(ο┳ο
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爆笑またなーーコマネチ
43
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:20:13
「小学生向け学習雑誌」
ノブが小学生の頃の昭和40〜50年代は、
小学生向けの二大雑誌があった。
1つは、小学舘から出ていた『小学○年生』と言う学習雑誌のような漫画雑誌のような…
一応、学習雑誌だったらしい。
ノブは、1年生の頃から買ってもらっていた。
学習雑誌というより、ほとんど漫画と付録。
特に遊び感覚の付録がノブは好きだった。
3年生の時に、フミトくんに出合いフミトくんの家に遊びに行った時にノブは、
初めて、学研の『科学と学習』なる小学生向けの雑誌を知った。
しかし、小学舘の『小学○年生』とは明らかに違う内容に驚いたと同時に、つまらないと思った。
何故なら『科学と学習』なるものは、あくまでも実験を中心とした内容だったからだ。
小学舘と全然違うもん(^_^;)
だから、ノブはフミトくんに「こんな付録や内容なんて面白くないじゃんか!漫画もつまらんしさ」
するとフミトくんは、少し考えたような感じで間を置き…「そうかな?実験って、なんだか面白いと思うんだけどさ…」
その当時は、ノブは「意味わからん、スゴロクとかないじゃんか!」…って苦笑いしたのだった。
そんな、ちょっと変わっていたフミトくんは、現在は、とある病院で脳外科医になっているのだ。
44
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:22:03
「野球との出会い」
ノブは親父が、あまり野球好きじゃなかったせいもあり、当時の子どもにしては野球に接する機会が少なかった。
ただ、たまにテレビから流れてくるニュースで野球が出てきていたから野球の存在自体は、理解していた。
なかでも巨人、読売ジャイアンツのニュースは多かった。
プロ野球は巨人しかないのかと思うくらい、
当時のプロ野球は巨人を中心に回っていた感じだ。
小学1年生の頃に巨人の長嶋茂雄選手が引退した時の騒ぎも記憶があった。
しかし、子どものノブには巨人よりも漫画やヒーロー戦隊の方が興味があったから、それほど野球には関心が無かったのだ。
そんなノブであったが、3年生になった時に、フミトくんと言う仲の良い友達の影響もあり、
徐々に遊びのなかに野球が入ってきた。
フミトくんは、大の巨人ファンってこともありノブも巨人ファンになったのだった。
ノブ達のする野球と言うのは、軟式テニスのテニスボールの空気を少し抜いたようなゴムボールで遊ぶものだ。
バットやグローブなど無くても素手で遊べるので子どもには、うってつけだった。
またノブの住んでいた下町に広いグラウンドや広い公園などなかったので、狭い空き地で遊ぶ野球遊びだった。
野球のルールなど何も知らなかったが、
遊びながらフミトくんや他の友達に教えてもらい少しずつ興味を持ち始めた。
ナイターも、たまに見せてもらいますますの巨人ファンになっていくのだった。
当時の巨人は長嶋選手が引退した翌年は、最下位に終わったが、次の年は優勝争いに加わり優勝したのだった。
ノブは野球の…巨人の虜になり始めた。
ちなみに当時の巨人で好きな選手は、これもフミトくんの影響だがレフトからサードにコンバートした高田繁選手だった。
渋い…渋すぎる(笑)
世界の王さんじゃなくて、なんで高田さん?(笑)
今日は、ここまで(笑)
(・Θ・)
=(ο┳ο
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爆笑またなーーコマネチ
45
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:23:37
「父親」
あんまり書きたく無かったけど、ノブの人生に於いて避けて通れないのが父親の存在だ。
ノブの父親は、気が小さく元来、優しい心の持ち主だった。
普段は無口で、口下手なのだが反面、酒を飲むと人が変わった。
仏が鬼に変わるがごとく豹変したのだ。
週に半分は、酒を飲んで帰宅しては母親と子ども達に暴力をふるった。
帰宅が遅い時、子ども達は、びくびくして怯えていた。
また酔っぱらって親父が帰ってきた。
ノブと兄弟は、布団を被り既に泣きそうだ。
大声を張り上げて理不尽な理屈を母親に投げ掛けては暴力をふるった。
ノブや兄弟が“やめて!"と泣きながら親父の足下にすがると、次はノブ達に暴力をふるった。
ノブは酒を憎んだ。
この世から酒が無くなれば良いのに…本気でノブは願ったのだ。
今日は、ここまで
もうちょい親父の話はつづく…
(・Θ・)
=(ο┳ο
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爆笑またなーーコマネチ
46
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:25:13
「父親part2」
ノブの父親はノブが、まだ幼稚園入園前の大垣市に住んでいた頃は、
看板屋さんで字を書いたりする看板職人をしていた…らしい。
敢えて“らしい"と書いたのは記憶が無いからだ。
後に小学高学年になった頃に母親から聞いて知った。
元来、無口でコツコツ仕事をするのが好きで職人向きであった。
しかし、酒でトラブルを起こしてクビになったらしい。
(だが、この頃は、まだ家族に暴力をふるうことは無かった。)
次の職は名古屋市港区で製油会社を営む親戚の叔父さんにすがって入れてもらったとのこと。
それで、熱田区に引っ越したのだが以前書いた大家さんの盗難事件の一件で港区に引っ越したのである。
親戚のよしみと言うことで、数年で親父は工場長に抜擢されたのだと言う。
面白くないのは長年勤めてきた先輩社員達だ。
周囲からの嫌がらせとかあったらしい。
それで酒に逃げたのだと言う。
それから酔って帰宅しては、家族に対する暴力が始まったのだった。
しかし何故か連日は無かった。
たぶん、自分なりに反省したのかもしれない。
だから酔って暴れた次の日は、ノブ達も「今日は大丈夫だな」と安堵していた。
父親は謝罪は、しなかったが酔った次の日は、とにかく優しかった。
“こんな日が続けば良いのに"…そんなノブ少年の願いは長くは続かない。
そんな日々を過ごした小学3・4年生であった。
(何故、小学3・4年生と限定した理由は…またあとで話します。)
今日は、ここまで。
(・Θ・)
=(ο┳ο
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47
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:27:17
「女性の権利」
今でこそ、男女平等が当然の権利に近づいて来たが(あらゆる方面で、まだまだ完全とは言えないが…)、そりゃもう昔は、酷かった。
パワハラ、セクハラなんて当たり前。
給料なんかは最初から基本給から差がついていた。
今からすると考えられない時代が、高度成長期でも、まかり通っていた。
男が仕事をして女は専業主婦が当たり前。
飯炊き、風呂焚きは女の仕事だと言う社会風潮だったのだ。
高度成長期でも、こんな風だから、それよりも昔の戦前、或いは明治・大正。
さらに遡れば江戸時代なんて…想像に難くない。
“女のくせに"とか“女が偉そうに"…なんてことが平然と当然のような社会風潮だった。
だから、旦那が女房に手を上げても当たり前…まで行かなくても“仕方ない"…女は男がに忠誠を誓うものだとでも勘違いしていたのだろう。
全ての家庭でドメスティックバイオレンスがあったとは思えないが、
少なくとも、ノブの子どもの頃は、ノブだけじゃなく他の家庭でも、そういった話を耳にした。
だけど、ノブは何か違う!そうじゃないだろうと違和感を感じていた。
今じゃ、完全に男女不平等が解消されたとは言えないが…あの頃に比べたら、だいぶ解消されたのではないか。
しかし、女性が輝いてきた一方で男は自信を無くしレディーファーストに気を使いすぎたのか、出生率も低下した?
女性の社会進出と出生率の低下は比例していると思うけど…考えすぎだろうか?
48
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:29:35
「祖父母」
ノブの両親からみたら帰省。
ノブ兄弟達からしたら、お祖父さんとお祖母さんん家に行く…と言うのか、
その辺の詳しい日本語は、わからんが(^_^;)
ノブが子どもの頃、何回か、お祖父さんとお祖母さんん家に行った。
まずは父親の祖父母の田舎の話からから。
父親は愛知県安城市の出身で3人兄弟の長男である。
上から男、男、女って順番はノブ達3兄弟と同じだ。
だが、ノブは父親の妹には一度もお目にかからなかった。
何故なら叔母さんは、子どもの頃に用水路に落ちて亡くなったからだ。
そして何故、田舎の長男である父親が家を継がずに家を出たのかと言うと…
父親の弟、ノブから見たら叔父さんだが…
叔父さんの方が父親よりも先に結婚して、家を出ずに敷地内に別棟の小屋みたいな家を建てて居座った。
そして兄である父親が後に結婚して母親が転がりこんだ。
すると叔父さんの嫁さんは、執拗に母親に嫌がらせをした。
また周囲に母親の嘘の評判を垂れ流したと言う。
我慢ならなかった母親は堪えられずに家を出されたも同然だったらしい。
ちょっと祖父母ん家の話から脱線したけど…(笑)
とりあえず、こんな経緯があったって話です。
明日から祖父母の田舎に行った話をします(笑)
今日は、ここまで。
(・Θ・)
=(ο┳ο
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49
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:32:58
「祖父母part2」
毎年、盆休みと正月休みの時は三泊四日くらいで親父の田舎に行った。
親父の田舎は、安城市だった。
名古屋市から安城市までは距離にして約40キロ。
安城市から名古屋市まで通勤する人もたくさんいる言わば名古屋市のベッドタウンの西三河である。
さほど遠くじゃない距離だが、当時の子どものノブにとっては親父の田舎に行くことは、はちょっとした小旅行だった。
親父は、あらゆる運転免許証を持っていたが車は持っていなかった。
後にノブが大きくなって母親から聞いた話によれば、過去に飲酒運転で人を傷つけてしまったからとのことだった。
だが子ども時分のノブは、一家でバスや電車に乗って行く小旅行がお気に入りだった。
バスにしても電車にしても兄弟は…特に弟とは窓側の席を争い母親からいつも叱られていた。
バスに揺られ電車に揺られ安城駅に到着する。
そして安城駅のバス待ち合い所でバスを待つ。
安城駅から、さらに僻地の榎前という地名が祖父母ん家だ。
古びた田舎のポスター(何のポスターかなんて忘れたが)や、時刻表を眺めながらバスの発車を待つ時間。
今からしたらどうってないことがノブ少年には新鮮だった。
たまにバスを待つ間(田舎だから1時間に1〜2本しかない)待ち合い所裏手の、これまた古い木造建ての平屋の小さな居酒屋でワンカップを三角チーズをつまみに立ち飲みする親父が嫌いだった。
気の小さな親父である。
さすがに人前で暴力はふるわなかったが昼間から酒臭いのが恥ずかしかった。
約20分かけて榎前に到着する。
歩道もない片側一車線の県道沿いにバス停…と言ってもバス標示看板と時刻表だけのバス停に到着。
バス停から歩いて5分程のところに祖父母ん家があった。
テニスコート二面分程のテニス場くらいの敷地の奥が親父の実家だ。
右横に親父の弟(おじさん一家)のプレハブ小屋の家があった。
今日は、ここまで。
ちょっと話が長いけどノブの人格形成に影響を与えた年代なので許してちょんまげ(^o^)/
(・Θ・)
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50
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:35:24
「祖父母part3」
毎年、盆休みと正月休みの時は三泊四日くらいで親父の田舎に行った。
親父の田舎は、安城市だった。
名古屋市から安城市までは距離にして約40キロ。
安城市から名古屋市まで通勤する人もたくさんいる言わば名古屋市のベッドタウンの西三河である。
さほど遠くじゃない距離だが、当時の子どものノブにとっては親父の田舎に行くことは、はちょっとした小旅行だった。
親父は、あらゆる運転免許証を持っていたが車は持っていなかった。
後にノブが大きくなって母親から聞いた話によれば、過去に飲酒運転で人を傷つけてしまったからとのことだった。
だが子ども時分のノブは、一家でバスや電車に乗って行く小旅行がお気に入りだった。
バスにしても電車にしても兄弟は…特に弟とは窓側の席を争い母親からいつも叱られていた。
バスに揺られ電車に揺られ安城駅に到着する。
そして安城駅のバス待ち合い所でバスを待つ。
安城駅から、さらに僻地の榎前という地名が祖父母ん家だ。
古びた田舎のポスター(何のポスターかなんて忘れたが)や、時刻表を眺めながらバスの発車を待つ時間。
今からしたらどうってないことがノブ少年には新鮮だった。
たまにバスを待つ間(田舎だから1時間に1〜2本しかない)待ち合い所裏手の、これまた古い木造建ての平屋の小さな居酒屋でワンカップを三角チーズをつまみに立ち飲みする親父が嫌いだった。
気の小さな親父である。
さすがに人前で暴力はふるわなかったが昼間から酒臭いのが恥ずかしかった。
約20分かけて榎前に到着する。
歩道もない片側一車線の県道沿いにバス停…と言ってもバス標示看板と時刻表だけのバス停に到着。
バス停から歩いて5分程のところに祖父母ん家があった。
テニスコート二面分程のテニス場くらいの敷地の奥が親父の実家だ。
右横に親父の弟(おじさん一家)のプレハブ小屋の家があった。
今日は、ここまで。
ちょっと話が長いけどノブの人格形成に影響を与えた年代なので許してちょんまげ(^o^)/
(・Θ・)
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51
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:37:40
「祖父母part4」
お盆休みで父親の実家に行く頃は、だいたい町(町と言ってもほとんど村)の盆踊りと重なって、
親戚のタカオ兄ちゃんに盆踊りに連れていってもらった。
確か近くの小さな神社の境内で盆踊りが行われていた。
屋台は3〜4つくらいで小さなやぐらを中心に薄暗い電灯や提灯のもとで50人くらいが輪になって盆踊りをしていた。
周囲は暗くカエルの鳴き声が田んぼから聞こえてくる。
盆踊りの音楽も心なしか控えめだ。
よく言えば風情があるが…ちょっと怖かったのを記憶している。
実に地味な盆踊りが終わるとジジババは酒盛りを楽しんでいたが、ほとんどの人達は真っ直ぐ帰路に着く。
帰り道が、また実に怖かった。
とにかく暗い!
灯りが、乏しい!
「だからタカオ兄ちゃんは大きな懐中電灯を持参してきたのか」…と理解出来たノブ少年だった。
弟と妹は、疲れて祖父母ん家で直ぐに寝たがノブは、
タカオ兄ちゃんん家でタカオ兄ちゃんの部屋のベッドに潜り込み、怪談話を聞いた。
夜の田舎の静寂の中で聞く怪談話は、実に怖かった。
怖がりの小心者のノブは、怖がりながらも怪談話を聞くのが好きだった。
当然、夜中には一人では、外にあるトイレには行けないノブ少年だった。
昼間でも静かな田舎が夜の暗闇を迎えると本当に怖い((((;゜Д゜)))
まぁ、今でも全国には夜が怖い田舎とかたくさんあるんだろうな。
「山奥や山村とか、よく住めるな」…大人になった今でもノブは常々感じている。
サバイバルは無理なノブであった。
今日は、ここまで。
つづく………
(・Θ・)
=(ο┳ο
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52
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:40:52
「祖父母part5」
長いようで短い田舎の暮らしも帰る日がくる。
帰りの前日は、「もう少しだけ…あと1日居たい」なんて言って駄々をこねた。
たまに「じゃあ、あと1日だけお世話になろうか?」なんて許可してくれた時は、嬉しかった。
それでもやっぱり帰る日は来た。
おばあちゃんから太巻きや卵な自家製味噌(豆味噌なんだが、これがまた美味かった)を土産にもらった。
夕方に帰ることが多かったせいか、祖父母ん家から遠ざかる度に日が暮れていく様が切なかった。
すっかり暗くなる頃は港区の自宅が近くなる。
あんなに帰りのが寂しかったけど住み慣れた地元が近づくと、
なんだか落ち着く不思議な気分にかられるノブ少年だった。
今日はここまで。
つづく……
(・Θ・)
=(ο┳ο
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爆笑またなーーコマネチ
53
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:42:27
「祖父母part6」
次は母方の祖父母ん家に行った話をします。
母親は鹿児島県の出水市出身です。
だから母方の実家へは夏休みに2回しか行ったことがない。
確か、ノブが小学1年生の頃と小学5年生の頃に母方の実家に行った。
当時ブルートレインと言う寝台列車があり、ノブ一家はブルートレインで九州は鹿児島県へ行ったのだ。
父方の実家とは、訳が違い九州だからこれは、もう小旅行じゃなくて完全なる旅行だ。
生まれて初めての寝台列車。
そりゃもうノブはワクワクしていた。
夜に(何時か忘れた)名古屋駅を出発して、明くる日の昼頃に鹿児島県に到着する寝台列車の旅だ。
ノブは興奮していた。
列車に乗り込むと明らかに普通電車と違う作り。
通路が狭く、片側に二段ベッドが二機向かい合う4つのベッド。
父親とノブと弟が、1つずつ。母親と妹が1つのベッドといった具合に振り分けた。
その前に、列車に乗り込むなりノブは「うわぁースゲー!何これ!」と、叫ぶ。
母親が「こらっ!静かにしなさい!寝ている人も居るのよ」と、たしなめる。
「はい…」少しテンションが下がったがカーテンを開けて二段ベッドを見るなり、再び「わーい!」
父親から無言で尻を叩かれ睨まれて反省するノブ。
また静かになったノブだった。
二段ベッドの上段は、それぞれノブと弟に与えられてこれは喧嘩しなかった。
荷物を片付けてパジャマに着替えて早々に床に着かされたが、なかなか寝付けないノブ少年。
ベッドの上段から車窓の外を眺める景色は、初めてのことで出発が待ち遠しかった。
ブルートレインが動き出した。
「うわぁ〜〜ベッドに居るのに電車が動いているよ〜」…ノブは無言で目を輝かせながら遠ざかる名古屋の夜を眺めていたのだった。
今日は、ここまで。
つづく…………
(・Θ・)
=(ο┳ο
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54
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:44:24
「祖父母part7」
しばらく夜の景色を堪能していたノブだが、興奮疲れも手伝っていつの間にか寝落ちしていた。
何時でどの辺りを通過していたなんて覚えていないが、一度夜中におしっこで起きた。
トイレが何処にあるか事前に母親から教えてもらっていたのでノブは、寝ぼけ眼でトイレに向かい用をたして再びベッドに帰ろうとした。
狭い通路を列車に揺られながらベッドに戻ると誰かいる!?
「うわっ!」驚いたノブは、思わず声をあげた。
すると寝ていた若い女の人もびっくりして「キャ!」と悲鳴のような声。
ノブは「お姉さん誰?」…って言うと女の人も「ぼく〜間違えているよ」……
ハッとしたノブ(゜ロ゜)
そう、ノブは間違えて隣の席(ベッド)に行ってしまったのだった。
ノブが「ごめんなさい」と謝ると「いいのよ」…と優しく微笑んでくれたお姉さんだった。
ノブは恥ずかしそうに自分のベッドに戻ると、違った意味で興奮してきた。
大きな胸に触った柔らかな感触が、小さな手に残った。
ちなみに、どうやら隣は女子大生4人組の旅行客だったようだ。
あくる日、目が醒めると広島駅に停車していた。
広島には行ったことが無かったが母親から、よく広島の原爆の話を聞かされていたので、なんだか感慨深い気持ちにかられたノブだった。
そして広島駅で父親が窓口から駅弁を買っていた。
どんな弁当だったか忘れたが、凄く美味かった。
お茶がビニール製の容器に入っていてた。
初めて見たので新鮮な気持ちだった。
広島ってこともあり母親が、また原爆の話をしだしたが弁当に気をとられていたノブの耳には入っていなかった。
「一度は、原爆史料館に行かなければならんな」…と思いつつも一度も広島を訪れていないノブは、駅弁を美味そうにたいらげて「おかわり!」…などと言っていた。
父親から「ばかたれ!」とたしなめられて広島をあとにしたのであった。
今日は、ここまで。
つづく…………
(・Θ・)
=(ο┳ο
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55
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:46:07
「祖父母part8」
広島を後にしたの最大のイベントは関門トンネル通過だった。
その前に太平洋海岸沿いを走る列車の車窓から広がる海にノブ少年は、とても感動していた。
「うわぁ〜海がキラキラ光っている」水面に反射した太陽の光は、とても眩しく今でも忘れない。
いよいよ関門トンネルに入る。
車内アナウンスも何か言っていたが覚えていない。
当時の日本一長いトンネル、関門トンネルに入った。
真っ暗…真っ暗…暗闇が続いた。
しかし長いトンネルだった(^_^;)
別段、特にどうってことなかったが、これを人間が、
「海底を掘ったのか?信じられん。スゲーな(*゜Q゜*)」ノブは暗闇を眺めながらそんなことを考えるのだった。
トンネルを抜けると、そこは九州であった。
鹿児島県出水市まで、特に印象深い景色とかなかったが、
また、どこかの駅で買った駅弁が、やたら美味くて感動したのは覚えている。
駅のホームで首から紐でかけて大きなお盆みたいな器に入った、たくさんの駅弁。
駅弁売りが「弁当〜弁当〜弁当いかがっすか〜」
それを車内の窓越しから買うと言うシステムを見るのがノブ少年は、好きだった。
そして、お茶が入ったビニール製の容器をとても気に入り、大切に持ち帰り普段も使用していた、ちょっと変わったノブ少年だった(笑)
ちなみに弁当の包装紙とか容器には一切興味を示さなかった。
今日は、ここまで。
線路はつづくよ………
(・Θ・)
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56
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:49:48
「祖父母part9」
鹿児島駅で乗り換えたのか何処で乗り換えたのか忘れたが、
楽しかったブルートレインの旅も終わり在来線に乗り換え出水駅までは普通に各駅停車だった。
それほど時間もかからずに出水駅に到着した。
今は、たぶん発達して賑わっているであろう出水駅も当時は、本当に小さな駅舎で駅前や周辺もなんもなかった。
確か駅を出ると目の前に小さなロータリーがあってタクシーが数台停まっていた。
小さな県道を渡ると田畑が広がる一角に、民宿兼定食屋があり母親の誘導で一家は、その店に入って行った。
昼時を過ぎた午後3時頃の到着だったので店内に客は誰もいなかった。
「おーい!○○さ〜ん」ガラーンとした広い店内に母親の大声が響く。
「えっ?誰?知り合いなの?」ノブが訊ねると、
「そう、お爺さんの妹…叔母さんの店なのよ」と母は説明してくれた。
店の奥から「は〜い」と返事が聞こえて間もなく、人の良さそうな笑顔のオバサンが現れた。
「よう来たね〜疲れたでしょう?座敷に上がりなさい。」
オバサンに言われて店のほとんどを占める座敷にあがって大きなテーブルを囲んで一家は荷物を置き、座布団に座った。
「みんな大きくなったね〜赤ちゃんの時以来だね〜」
オバサンは、冷えた麦茶が入ったグラスを差し出しながらノブ兄弟に声をかけてきたが、
ノブ兄弟にとっては、初対面なのでモジモジしていた。
「冷やし中華食べるかね?」再びオバサンが声をかけてきた。
「えっ?なんでわかるんだ?」…ちょうどノブは店内に貼っていた冷やし中華のポスターをみて「食べたいなぁ〜」と思っていたのだ。
たぶんオバサンはノブが卑しそうに冷やし中華のポスターを眺めていたのを見越したのであろう。
「うん!食べたい!大盛りで」ノブが答えると
「これ!みっともない」と母親にたしなめられて店内に笑い声が起きた。
「いいよ、いいよ!正直で」オバサンは笑いながらカウンターに入って調理を始めた。
両親は何か会話をしていたが、よく覚えていない。
子ども達は、物珍しげに店内を見回していた。
10分ほどすると「はい、出来たよ〜」オバサンが言いながら少し大きなお盆に、先ずは子ども達の冷やし中華を3つ運んでくれた。
1つだけ特大の皿があってノブの冷やし中華だと直ぐにわかった。
2人前くらいの量だった。
「うわぁ〜美味しそう」ノブは言うなりいきなり割り箸を割り食べようとしたから
「こらっ!手を合わせていただきますを言いなさい」父親にたしなめられた。
カウンター越しで「ええよ、ええよ、たくさん食べてね」オバサンは優しく言ってくれた。
とりあえずいただきますを言って子ども達は、両親の冷やし中華が来るのを待たずにかぶりつく。
麺も具もスープも名古屋で食べなれた、いたって普通の冷やし中華だったが何か足りない。
マヨネーズが添えてないのだ!
「オバサン!マヨネーズないの?」ノブが言う。
「これ、みっともない」母親が再びたしなめたが、ここはノブは、ひかなかった。
「えっ?冷やし中華にマヨネーズ付けるの?」オバサンは、一瞬驚いたが、
「はいよ」って言いながらドデカイ業務用のマヨネーズを容器のまま、持ってきてくれた。
ノブは、マヨネーズを冷やし中華全体に回しかけた。
弟と妹もノブに続いた。
両親も少しだけ皿の隅にマヨネーズを盛っていた。
「なんだよ!マヨネーズ付けるんかよ」ノブは冷やし中華を啜りながら母親を冷めた目で見た。
「へぇ〜冷やし中華にマヨネーズ付けるんかね?美味いんか?」オバサンが不思議そうに訊ねると
「えぇ〜名古屋じゃこれが普通なのよ」と母親。
「ふ〜ん」…まだ怪訝そうなオバサンに「オバサン、ちょっと食べてみや〜」
ノブが言うと、「じゃあちょっと御馳走になるね」と言いながらノブが、まだ箸を付けていない部分のマヨネーズがかかったら冷やし中華を少し食べた。
オバサンの反応を一家が少し緊張した様子で見つめた。
「美味い!何これ!合うね!」オバサンは目を丸くして驚いた。
「でしょう?」ノブが言うと、安心にも似たノブ一家の笑い声に包まれた。
「明日から、ウチも冷やし中華にマヨネーズ添えるわ」オバサンは真顔で答えた。
食文化の違いに驚いたノブだが、冷やし中華&マヨネーズを出水市と言う片田舎に広められて誇らしかったのであった。
今日は、ここまで。
つづく……
(・Θ・)
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57
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:56:43
「祖父母part10」
駅前のオバサンの店で冷やし中華を御馳走になり、
ノブ一家はタクシーで母親の実家を目指した。
30分くらいかかっただろうか。
景色は、どんどん田舎になっていき未舗装の砂利道に入って、木々が生い茂る路地裏に着いた。
母親の実家の真ん前に到着。
父方の実家と同じく広い敷地に平屋の木造の一軒家だった。
屋根は瓦屋根だが、なんとも歴史を感じさせる田舎の一軒家だ。
玄関から10メートルほど離れた入り口を入ると縁側に、初めて見る母親の母親…つまりお婆ちゃんがニコニコしながら座っていた。
お婆ちゃんは、足を悪くして寝たきりと聞いていたが、這って縁側まで出迎えてくれていたのだ。
ノブにとっては、初めて見るお婆ちゃんにノブは、何故か涙あふれてきた。
「おーい、じいさんや!来たぞ〜」
家の中に向かって婆ちゃんが叫ぶと玄関の引き戸から、これまたノブにとっては初対面のじいちゃんが出てきた。
じじいの割りには身長が175センチくらいあり背筋が伸びていて、しゃんとしていてノブは少し驚いた。
だが頭は、もちろんハゲていた。
今日は、ここまで。
つづく……
(・Θ・)
=(ο┳ο
.◎ー┻◎
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58
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 22:58:38
「祖父母part11」
駅前のオバサンの店で冷やし中華を御馳走になり、
ノブ一家はタクシーで母親の実家を目指した。
30分くらいかかっただろうか。
景色は、どんどん田舎になっていき未舗装の砂利道に入って、木々が生い茂る路地裏に着いた。
母親の実家の真ん前に到着。
父方の実家と同じく広い敷地に平屋の木造の一軒家だった。
屋根は瓦屋根だが、なんとも歴史を感じさせる田舎の一軒家だ。
玄関から10メートルほど離れた入り口を入ると縁側に、初めて見る母親の母親…つまりお婆ちゃんがニコニコしながら座っていた。
お婆ちゃんは、足を悪くして寝たきりと聞いていたが、這って縁側まで出迎えてくれていたのだ。
ノブにとっては、初めて見るお婆ちゃんにノブは、何故か涙あふれてきた。
「おーい、じいさんや!来たぞ〜」
家の中に向かって婆ちゃんが叫ぶと玄関の引き戸から、これまたノブにとっては初対面のじいちゃんが出てきた。
じじいの割りには身長が175センチくらいあり背筋が伸びていて、しゃんとしていてノブは少し驚いた。
だが頭は、もちろんハゲていた。
今日は、ここまで。
つづく……
(・Θ・)
=(ο┳ο
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59
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 23:01:24
「祖父母part12」
母親の実家の隣、隣と言っても歩いて20メートルほど離れたところに、
お祖父さんの姉さん、母からしたら叔母さんで周囲から“オバン"と呼ばれている婆さんが住んでいた。
家と呼ぶには程遠く、小屋…下手したら少し大きな納屋、或いは廃墟みたいな
屋根も壁もボロボロなお化け屋敷みたいな家だった。
ある日、早朝6時くらいに近所の子ども達と一緒に夏休みのラジオ体操をし終わったノブは、
オバンのお化け屋敷が気になって、祖父母ん家には戻らずにオバンのお化け屋敷みたいな家に、
まるで肝試しでもするような気持ちで様子を見に行った。
おそるおそるガタガタの引き戸をひいてみた。
誰もいないような静けさ。
「おはようございます」… 蚊がなきそうな小さな声を出したが反応が無い。
玄関を上がってすぐ右横にあるふすまを、ゆっくり開けてみた。
「うわっ!」ノブは思わず後ろにのけ反りながら尻餅をついた。
ノブの目に入ったのは、ヤマンバが一升瓶に入ったえたいの知れない泥水みたいなものを欠けた湯飲みに注ぎながら呑んでいたオバンだった。
「うぃ〜っ、おう!名古屋から来たボウズか!
よう来たの〜こっちきんしゃい」
酒くさい匂いが鼻をついたが、風貌とは違い天使の様な微笑みにノブは一瞬面食らった。
「あれっ?優しい人じゃんか」
ノブは気を許してオバンの隣へ行った。
「とりあえず呑め」とオバンが、えたいの知れない液体を欠けた湯飲みに注ぎノブに薦めた。
「くっさ〜何これ?」ノブが訊ねる。
するとオバンは、「どぶろくばぁい」と言いながら幼いノブ少年に、どぶろくを呑ませた。
「オエーッ」ノブが吐くと、オバンは手を叩きながら笑っていた。
異文化と交流する厳しさを知ったノブだった。
数十年後、母から聞いた話によるとオバンは沖縄に住んでいて沖縄の地上戦で家族を亡くしてからは、出水に戻ったのだが、
戦争のトラウマから酒にすがったということだった。
ノブ一家が帰宅して1ヶ月後にオバンは、肝臓ガンで亡くなった。
肝臓は、ボロボロにやられていてノブが行った時には、手の施しようがない状態だったらしい。
今日は、ここまで。
つづく……
(・Θ・)
=(ο┳ο
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60
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 23:03:26
「祖父母part13」
長かった初めての九州は鹿児島県出水市での暮らしも、ついに終わりを迎える日が来た。
2週間弱の暮らしであったが、ノブ少年には1年くらい過ごした感覚があった。
いろんな思いでが出来た。
親戚の叔母さんとスイカ畑でスイカを収穫したこと。
井戸水で冷したスイカを縁側で大勢で食べたのは実に美味かった。
朝飯のたくさんの魚介類が入った鍋のような味噌汁には驚いた。
電気は通っていたが、上下水道、ガスなどのインフラが整備されていなくて、
まるで何処か違う国に来たような感覚もあった。
薪で火をおこしたりゴエモン風呂にも入った。
いろんな面で都会とは違って不便な面が多かったが、
田舎独特の人情味というか人の優しさやぬくもりをひしひしと感じたのは、ノブには居心地が良かった。
もう名古屋には帰りたくない気持ちが湧いてきて、本当に帰る日は寂しかった。
昼御飯を食べて荷物の整理をして、いよいよ別れの時が訪れた。
おじいさんや親戚の人達が門のところまで見送ってくれた。
一家で挨拶をして、手を振り名残惜しそうに振り向くノブ。
すると、縁側に足の悪いおばあちゃんが這いずってきて涙を流しながら手を振ってくれていた。
思わず後戻りしかけたノブの肩を母親が掴んで首を横に振りながら言った。
「帰れなくなるし、おばあちゃんも余計にツラくなるから行っちゃダメだよ」…そう言いながら母親も涙ぐんでいた。
以上。
祖父母の田舎シリーズは、これで終わります(^.^)
また明日からは、徒然なるままに…つづく。
(・Θ・)
=(ο┳ο
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61
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 23:08:01
「歌謡曲」
ノブ少年が小学3年生の頃は、歌謡曲が元気だった。
アイドルと呼ばれる人達も、基本的に単独で且つ生歌で勝負していた。
(歌が上手いか下手かは別にして)
1976年、昭和51年…今でも、覚えているのがなんといっても子門正人の『およげタイヤキくん』だった。
この頃は、まだ特別、好きな歌手もいなかったノブ少年である。
流行りの歌や歌手とか特に興味無かったが、翌日の友達との会話の為に、なんとなくテレビで歌番組を観ていた感じだ。
女の歌手では山口百恵、男の歌手では沢田研二が印象深かった。
だけど魂を揺さぶられるような曲じゃなく、あくまで娯楽のひとつとしてテレビを眺めていた。
そこにピンクレディーとか言う、色気を売りにした二人組の女コンビが登場してきた時は、
歌…と言うよりも違う感覚でペッパー警部の振り付けを眺めていたものだ。
顔を赤らめてテレビを観ていたノブの鼻から鼻血が少し、滴り落ちたのを両親が指摘して大笑いされたのは恥ずかしかった。
しかし、歌に魂を揺さぶられたのとは違うと言っておく。
そんな折り、子ども向け番組『ひらけポンキッキ』で流れたら曲にノブ少年は魂を揺さぶられた!
タイヤキ食べたいと言う思いにかられた。
“およげタイヤキくん"だった
♪ま〜いにち、ま〜いにち僕らは鉄板の〜…
今まで聴いたことのない独特の声と節回しで歌う子門正人の歌にノブ少年は感動したのだった。
また詩の内容が、最後に釣ったオジサンに食べられると言う少し切ない話にもノブ少年の心を揺さぶった。
季節が寒くなってきた頃だったので、路上には的屋のタイヤキ屋台が多数出現した。
当然、ノブ少年は母親にねだりタイヤキを買ってもらい美味そうに食べたのだった。
ちなみに当時のタイヤキは、皮は外側パリッと内側ふんわり、程よい甘さのあんこがビッシリつまっていて本当に美味かったもんだ。
今は美味しいタイヤキとか大判焼きとか無いなぁ〜
味が落ちたと言うか…(^_^;)
それとも子どもの頃だったからタイヤキを美味く感じたのかな?
ちなみに、1976年に後にノブが虜になる浜田省吾が、ソロデビューしたのだが、
まだ知る由もなく、“およげタイヤキくん"に感動してタイヤキを食べるノブ少年だった。(笑)
ちなみに“パタパタママ"は全然、興味無かった。
今日は、これにて失敬。
つづく………
(・Θ・)
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62
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 23:09:55
「いきなり大阪」
ノブが4年生に進級して1ヶ月が過ぎた初夏の、ある日の夜の出来事だった。
いつものように、夜9時に就寝して間もなくすると親父が酒を呑んで帰宅するやいなや「おい!みんな起きろ!今から大阪に行くぞ」
みんなビックリした「どうしたの急に?」母が問いかけると、
「いいから、とにかく今から急いで準備しろ」と親父。
この頃は、以前のように家族に暴力をふるわなくなっていたが、
それでもやっぱり、いつ豹変するかわからないので、
母も、あまり問い詰めずに、いきなりの提案に従った。
弟と妹は、眠たかったのかグズっていたがノブは、ワクワクしていた。
まだ週の始めで明日も学校があったのだが休まざる得ないからだ。
なんだか知らんが学校を休めるのがノブは、嬉しかった。
(4年生くらいになると授業についていけなくなっていたので、つまらなく感じていた)
簡単な身支度を済ませタクシーを呼んで名古屋駅まで行き新幹線で、あっという間に新大阪に着いた。
ちなみに大阪には母親の兄弟が3人住んでいた。
だけど、いきなり兄弟の家にお世話になることは出来ないので、小さな町旅館の2階に泊まった。
改めて母が問いかけると…
「理由なんてないよ。
急に大阪に行きたくなったんだよ」と笑いながら答える親父に、母親とノブ兄弟は、呆気にとられた。
母は1階にあったピンク電話で、末っ子の弟に電話して次の日、オジサン家族と大阪観光をしたのであった。
とりあえず、通天閣に行った…記憶がある。
今日は、ここまで。
つづく……
(・Θ・)
=(ο┳ο
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63
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 23:11:19
「いきなり大阪part2」
あくる日、末っ子の伯父さんが旅館まで車で迎えに来てくれた。
当時の伯父さん家族は、奥さんと3歳の長女と1歳の長男の四人家族で、
子どもが小さかったから奥さんと子ども達は来なかった(当たり前だわな)
伯父さんは、人がよくて急な誘いにも快く迎えてくれた。
伯父さんは、僕たちの為に郊外の小さな遊園地に連れて行ってくれた。
2時間くらい遊んで、夕方近くなってきた頃に通天閣界隈へ連れて行ってくれた。
ノブは通天閣を、「なんだかチンドン屋みたいなタワーだな」…と思いながらも一応登ったけど、
名古屋のテレビ塔の方がマシだと感じた。
ビリケンさんには、びびった!妹は泣き出す始末だ。
「大阪のセンスは、よくわからん」…つくづくノブは思いながらも足の裏だけは撫でておいた。
そして、親父と伯父さんのメインイベントの食事(飲み歩き)に付き合った。
そこで、ノブは初めて知る大阪の食文化に感動したのだった。
今日は、ここまで。
つづく……
(・Θ・)
=(ο┳ο
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64
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 23:12:54
「いきなり大阪part3」
まず、串カツ屋なる店に入った。
カウンター席のみだが、なかなか広い店内だった。
豚カツが串状になった物は初めてのノブである。
親父と伯父さんは、もちろん瓶ビールも注文して串カツ片手に美味そうにビールを呑んでいた。
「く〜っ…うんめ〜な」親父が、本当に嬉しそうに言うのでノブは、
「ビールってそんなにも美味いの?」と、問いかける。
「おうよ、呑んでみろ」そう言うと親父は、子どものノブにビールを少しだけコップに注いだ。
母は「やめなさいよ」と言うが、「ちょっとくらいええわ」と言って取り合わない。
そんなやり取りの最中にノブ少年は、コップに注がれた約50mlほどのビールをグビッと一気に呑んだ。
「ぶはっ!何これ?苦い!」むせながら言うと親父と伯父さんは爆笑していた。
串カツが運ばれて来て早速食べてみた。
「美味い!」ロースカツのミニサイズみたいで食べやすくて、衣もサクサクで感動した。
ふとカウンターに目を向けると、
手でちぎった様なキャベツとバケットに入った大量のソースがあった。
「伯父さん、このキャベツどうするの?」ノブが問いかける。
「ソースに浸けて食べていいんだよ」と伯父さん。
「へぇ〜」ノブは、あっけない返事で大ざっぱにちぎったキャベツをソースに浸けて食べてみる。
串カツに合った。
「いけるなぁ〜」串カツとキャベツを2回ソースに浸けようとしたら急に伯父さんが「ダメだよ!2度づけは、ダメ」とノブに注意。
理由を訪ねるとソースが汚れて他の人に迷惑だからだよと言われ、
至極当然だが、「これが大阪ルールか」と妙に感心したノブ少年だった。
串カツ屋は、そんなにガッツリ食べずに1時間も居なかった。
続いて『ぼてぢゅう』と言うお好み焼き屋に行った。
そしてまた、初めての大阪のお好み焼きに驚くのである………。
今日は、ここまで。
明日は、お好み焼きの続きから……
【予告編】:
「なんだと!衣と具を最初にかき混ぜるだと!マジかよ!」
「えっ?お好み焼きにマヨネーズ?初耳やぞ(@ ̄□ ̄@;)!!」
(・Θ・)
=(ο┳ο
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65
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 23:15:27
「いきなり大阪part4」
ぼてぢゅうの店内に入ったノブが、まず最初に驚いたのが、
通されたテーブルのほとんどを鉄板が占めている鉄板テーブルだった。
ノブ少年の地元の行動範囲には、まずお好み焼き専門店なんて無かった。
お好み焼きと言えば近所のケンちゃん家の駄菓子屋のばあちゃんが焼くお好み焼きだ。
鉄板で焼くんだが、駄菓子屋の奥で焼いて持ち帰りスタイルだった。
だから、お好み焼き専門店があること自体に驚いた。
しかも店内は、綺麗だ。
お好み焼きなんて駄菓子屋のオマケみたいなもんだと思っていたから、
ちゃんとした一見、高級料理店のような店内にカルチャーショックだ。
66
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 23:15:55
鉄板テーブルに感動しながら席に着くとテーブル脇に、いろんな調味料があるのにも興味津々だ。
そしてメニュー本がある!「えっ?メニューなんて壁に書いてある短冊みたいなやつだけじゃないのかよ!」
少なくとも駄菓子屋は、そうだった。
一応メニューに目を通したノブが一番気に入ったネーミングが“豚玉"だった。
「なんやこれ?豚玉?」
名古屋のお好み焼き屋にもあるけど「肉入り玉子入り」と言っていた。
伯父さんは「スペシャルにしておけ」と言ったが、豚玉と言うネーミングが気に入ったノブは、豚玉と言いたくて、
店員に「豚玉ください」と注文した。
皆は、スペシャルだった。
「さてはて目の前の鉄板で、どうするんだろう?店員が焼いてくれるのか?まさか自分で焼くのか?」などと考えていたら、小さなボール容器を店員が運んできた。
「ん?」不思議そうにボール容器の中身を見ると豚肉、キャベツ、玉子、その他の具と底の方に衣と思われる水で溶かれた小麦粉があった。
「どういうこと?」ノブが伯父さんに聞いた。
「軽く混ぜて鉄板で焼くんだよ」と、伯父さん。
「えっ!出来上がったお好み焼きが運ばれてくるんじゃないのかよ!」強烈なカルチャーショックに“ガーン"(゜ロ゜;
そして何よりも衣と具を混ぜて焼くというスタイルに驚いた!
「なんやて!衣と具を混ぜるやと」
ノブが驚くのも無理ないのだ。
名古屋では、まず生地をお玉の底で丸く伸ばして、
生地の上に具を乗せて、しばらく焼いて、さらに生地を上から回しかけてひっくり返すのが名古屋式だからだ。
だから最初から混ぜる大阪式は初めて知った。
伯父さんがノブ一家に、お好み焼きの作り方をレクチャーしてくれた。
「なんだか楽しそうだな」ノブは、自分で焼くのが楽しみだった。
弟と妹は、伯父さんに焼いてもらっていたが、
ノブは「自分でやりたい」と言って焼きだした。
問題は小さな2つのコテを使って、返すところだ。
「えいっ!」ノブが自分の内側から外側に返してみた…グチャ!崩れた(>o<")
テーブルに笑いが起きた。
すかさず伯父さんが「外側から内側だよ、さっき教えたろ」
全然聞いていないノブだった。
なんとか伯父さんが修整してくれて形になった。
仕上げに伯父さんがハケでソースを塗り、粉末の鰹節と青のりをふりかけた。
美味しそうなソースの甘い匂いが鉄板テーブルに広がった。
次の伯父さんの行動には、ノブのみならず一家も驚いた。
なんと出口が細いマヨネーズ容器でマヨネーズを手際よくチューッっと編み目状にかけたんだ。
「なんやて!お好み焼きにマヨネーズかけるんかよ( ̄□ ̄;)!!」
今までお好み焼きにマヨネーズをかけるなんてしたことのないノブ一家には、驚きだった。
さて、いよいよ食べるんだが皿が無いよ(^_^;)
割り箸を割り箸立てから取ろうとしたノブに、また伯父さんが、とんでもないことを言い出した。
「箸、いらんで〜コテで、お好み焼きを切ってコテで食べるんやで〜」
「はっ?何を言っているんだ、このオッサンは」…そんな行儀悪いこと出来んぞ…と思っていたら周囲の客たちもコテで食べていた。
さすがに母親は、「無理」と言って取り皿と割り箸で食べた。
弟と妹も、箸で食べた。
ノブは、面白そうなのでコテで食べてみた。
「アッチッチッ!」いきなり一口で食べたら熱かったので思わず口から出す始末。
また笑いが起きた。
しかし、甘いソースとマヨネーズが凄くマッチングして美味かった。
「なんだ、これ!ソースにマヨネーズってめっちゃ合うな」
しかも、またこのソースが普通のウスターソースとは違い濃厚で甘くて美味かった。
「伯父さん、これ普通のウスターじゃないでしょ?こんなのあるの?」ノブが訊ねる。
すると伯父さんは「いいとこに気がついたな!お好み焼き用のソースや。スーパーにも売っとるで」
「えっ?名古屋には無いよ」
ノブは、お好み焼き用ソースなるものが存在することにさらに驚いたのだった。
(ちなみに現在では、名古屋でもスーパーには、お好み焼き用ソース、焼そば用ソースはあるが当時は無かったのだ。)
たかが、お好み焼きが、こんなにも奥が深い大阪にカルチャーショックを受けっぱなしで店を出たノブだった。
明日は、人生初のふぐ料理、つぼらやの話ばぁい(^o^)/
つづく………
(・Θ・)
=(ο┳ο
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67
:
よしりん#
◆AcVyotaJPw
:2018/04/15(日) 23:18:19
「いきなり大阪part5」
大阪の料理は基本的に薄味だ。
薄味と言っても味が薄いわけじゃない。
味噌や醤油を使う量が少ないと言う意味です。
お好み焼き屋を出たノブ一家は、伯父さんの計らいで伯父さんん家に招待された。
夜もふけていたと言うのに申し訳ない気持ちになった。
奥さんは、優しい人で快く迎えてくれたのは救いだった。
伯父さんの小さな子ども達は既に夢のなかだ。
小さな布団で寝ている寝顔が可愛かった。
両親と伯父さん夫婦は、居間でお茶を飲みながらしばらく会話していたようだが、
ノブ達、子ども達はジュースを飲んでから早々に床に着いた。
あくる日、目が覚めると既に朝ごはんが用意されていた。
伯父さんの奥さんの手料理である。
並べられた料理は、ごく普通で、ご飯、味噌汁、漬け物、うるめ…だったような記憶がある。
まず驚いたのは味噌汁の味噌が薄い!
白味噌だからってわけじゃなく味噌の量が少ない(^_^;)
「なんだよ、味がするのかよ」…と内心、心配しながら飲んでみたら、しっかりと出汁が取れていて美味しかった。
見た目は薄いが味は、しっかりとしていて少し不思議な感覚にとらわれた。
その日は、全員で六甲山まで遠出した。
あんまり記憶が無いけどロープウェーに乗ったり温泉に入った記憶がある。
そして再び大阪の繁華街に連れて行ってもらい、つぼらやとか言うふぐ料理店に行った。
軒先に飾られたドデカイふぐの模型にノブは興味津々だ。
その時、ノブはふぐなる魚を知らなくて「なんだか、変な魚だなぁ」くらいに思っていた。
二階の座敷に通された。座敷になっていたがノブにとっては初の座敷体験だった。
刺身と鍋料理の材料がが次々と運ばれた。
身の薄いふぐの刺身を初めて見たノブ。
数枚箸でとってタレにつけて食べることを教わり、食べてみた。
美味いとも不味いともなんだかよくわからないが、食感の良さとタレの旨味は印象にある。
鍋は…これまた、あんまり覚えていない(^_^;)
やっぱり、お好み焼きの印象が強すぎて、
いくら高級なふぐ料理でも子どもには、わからなかった(笑)
あと印象深かったのは、うどん屋だ。
名古屋に比べて、色が(醤油)薄い!…って言うか、ほとんど色が無い!
きつねうどんを注文して食べてみた。
「なんじゃこりゃー!めちゃめちゃ美味いがな!」
揚げも出汁も、しっかり鰹や昆布の旨味がしていた。
麺も、ツルツルモチモチで美味かった。
帰りに雷おこしを買ってもらい、新幹線の車内で雷おこしをボロボロこぼしながら食べて、
母親から、きつく叱られたノブだった。
それと、昔は変な缶ジュースがあった。
少しこぶりで、プルタブが無くて両端を小さな穴あけ道具で穴をあけて飲むタイプのやつ。
オレンジジュースが多かったけど、とにかくあとくちが悪くなる甘ったるいジュースだった。
雷おこしと、その変なオレンジジュースを飲んだものだから、あまりのあとくちの悪さに、
新幹線のウォータークーラーの水を、専用の小さな紙袋で口の中を洗い流すノブだった。
もちろん弟たちもあとに続いた(笑)
“いきなり大阪"シリーズは、これで終わります。
明日からは、また違う話です。………
つづく……………
(・Θ・)
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