したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

長距離走者の孤独

61よしりん# ◆AcVyotaJPw:2018/04/15(日) 23:08:01
「歌謡曲」

ノブ少年が小学3年生の頃は、歌謡曲が元気だった。

アイドルと呼ばれる人達も、基本的に単独で且つ生歌で勝負していた。
(歌が上手いか下手かは別にして)

1976年、昭和51年…今でも、覚えているのがなんといっても子門正人の『およげタイヤキくん』だった。

この頃は、まだ特別、好きな歌手もいなかったノブ少年である。

流行りの歌や歌手とか特に興味無かったが、翌日の友達との会話の為に、なんとなくテレビで歌番組を観ていた感じだ。
女の歌手では山口百恵、男の歌手では沢田研二が印象深かった。

だけど魂を揺さぶられるような曲じゃなく、あくまで娯楽のひとつとしてテレビを眺めていた。

そこにピンクレディーとか言う、色気を売りにした二人組の女コンビが登場してきた時は、
歌…と言うよりも違う感覚でペッパー警部の振り付けを眺めていたものだ。

顔を赤らめてテレビを観ていたノブの鼻から鼻血が少し、滴り落ちたのを両親が指摘して大笑いされたのは恥ずかしかった。
しかし、歌に魂を揺さぶられたのとは違うと言っておく。

そんな折り、子ども向け番組『ひらけポンキッキ』で流れたら曲にノブ少年は魂を揺さぶられた!
タイヤキ食べたいと言う思いにかられた。

“およげタイヤキくん"だった

♪ま〜いにち、ま〜いにち僕らは鉄板の〜…

今まで聴いたことのない独特の声と節回しで歌う子門正人の歌にノブ少年は感動したのだった。

また詩の内容が、最後に釣ったオジサンに食べられると言う少し切ない話にもノブ少年の心を揺さぶった。

季節が寒くなってきた頃だったので、路上には的屋のタイヤキ屋台が多数出現した。

当然、ノブ少年は母親にねだりタイヤキを買ってもらい美味そうに食べたのだった。

ちなみに当時のタイヤキは、皮は外側パリッと内側ふんわり、程よい甘さのあんこがビッシリつまっていて本当に美味かったもんだ。

今は美味しいタイヤキとか大判焼きとか無いなぁ〜
味が落ちたと言うか…(^_^;)

それとも子どもの頃だったからタイヤキを美味く感じたのかな?

ちなみに、1976年に後にノブが虜になる浜田省吾が、ソロデビューしたのだが、

まだ知る由もなく、“およげタイヤキくん"に感動してタイヤキを食べるノブ少年だった。(笑)

ちなみに“パタパタママ"は全然、興味無かった。


今日は、これにて失敬。
つづく………

 (・Θ・)
=(ο┳ο
.◎ー┻◎
爆笑またなーーコマネチ


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板