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提督たちの憂鬱 設定スレ 艦艇編 その5

784銑鉄:2011/11/05(土) 00:42:41
 紆余曲折を経てトルコ海軍に属する事となった艦であり、元々は1917年から1918年にかけて完成した日本海軍の装甲巡洋艦である。
金剛級以下、超弩級艦が完成しつつある中で弩級艦が建造されたのは日露戦争中のウラジオストク艦隊による通商破壊戦の影響によるものである。


 ウラジオストク艦隊の様に敵対国が水上戦闘艦による通商破壊戦を実施した際にその対応にただでさえ少ない戦艦や巡洋戦艦がとられる事を恐れて輸送船団の貼り付けの護衛に
戦艦以下、巡洋艦以上の艦を充て、主力となる戦艦や巡洋戦艦の自由度の確保を図るという構想から、かつての六六艦隊の戦艦をそれに充てる筈だったのだが、英独建艦競争の影響を
受けた技術の進歩を見るにかつての戦艦では対応が困難になるのではないかという懸念と新技術導入の実験艦も兼ねようという考えから新規に建造されたのである。


 この艦で試された主な新技術はイギリス式の換装室付き固定装填方法の主砲塔の被弾時の安全性向上があった。考えられうる限りの安全対策とった砲塔を新造し、その運用実績から
過剰であったり、不足していたりする点を見極めようのである。それ以外にもギヤードタービン導入があり、国内の製造が間に合わなかった為、万難を排して外国からの調達が行われた。
他にはダメージコントロールや射撃管制の為に必須と見られていた副砲の連装砲塔化も行われている。


 元々の構想の輸送船団の貼り付けの護衛には明らかに不釣り合いなコストがかけられた艦である為、一部ではその構想自体がダミーで無かったかと疑われている。それはこの艦で試された
新技術が日本海軍に八八計画の一番艦でワシントン条約の結果、日本最強すなわち世界最強の戦艦として君臨した長門級に導入された為である。あの長門を建造する為ならばこの位の事をし
てもおしくないと思われたのである。


 第一次大戦中は当初の構想通り、船団護衛艦隊の旗艦として行動した。ワシントン会議ではこの二隻の処遇がかなりの問題になった。米海軍にしてみれば弩級艦とはいえ巡洋艦以下では
対応不能で戦艦を持ち出す必要があり、速度性能等から考えると状況によっては金剛級よりも厄介になりかねないという事で保有比率を盾に日本が自発的に保有を諦める様に工作した。
会議は紛糾したが、この二隻の処遇は日本代表が持ち出した
・富士級二隻及びその砲弾など消耗品一式をトルコに譲渡する。
・上記と引き換えに旧独巡洋戦艦ゲーベンとその消耗品一式をトルコより譲渡される。
という案で決着した。会議参加国は日本案を不審に思ったが、日本側は自沈した独大艦隊の代替としての技術資料としての価値を主張し、ゲーベンは軍艦としては使用しない事という条件を
付け、承認した。

 これらの交渉にはトルコ側は全く関与しておらず、トルコ共和国の承認の際にその話をいきなり持ち出されたトルコ側は困惑すると同時に全くの頭ごなしに行われた事に怒りを抱いたと言わ
れているが、一隻を引き渡すことで二隻が手に入る事、無料ではないが、内容からするとかなりの低額で技術支援が得られる事、さらにこの事を漏れ聞いた国民が日本製の軍艦を熱望した事
から問題無く纏まった。日本側は艦名としてエルトゥールルを提案したが、トルコ側からジャポニヤ(トルコ語で日本の意)を提案され、他国の軍艦にその名はと難色をしてした所、この艦名
に決着した。

 その後はトルコ海軍の主力として活躍し1930年代のメジディイェ級巡洋艦の完成に前後して近代化改装も受け、1950年代までトルコ海軍の一翼を担った。1950年代以降は記念艦
として一番艦オーシマはトルコで二番艦は艦名の由来である紀伊大島で健在である。




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