したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

避難用作品投下スレ4

1管理人★:2008/08/01(金) 02:07:08 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

370青(7):2009/01/18(日) 22:49:30 ID:Khtiw9Rg0
 
 
時が再び―――動き出す。



******

371青(7):2009/01/18(日) 22:49:56 ID:Khtiw9Rg0
  
【時間:2日目 AM11:40】
【場所:F−5 神塚山山頂】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:健康】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:健康】
砧夕霧中枢
 【状態:意識不明】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:健康・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】
水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】
川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:???】
来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:???】


【時間:すでに終わっている】
【場所:約束の麦畑】

少女
 【状態:???】

→1019 1022 1026 1028 1029 ルートD-5

372Silent noise:2009/01/20(火) 19:42:15 ID:3tXxynAs0
 燃え盛る炎は雨の中においても弱まることなく、天に届けとばかりに火の粉が吹き上がる。
 暗い山中においても尚赤い威容を示すホテル跡は、沖木島のキャンプファイアーであった。

 一方、雨に濡れながら見上げる影が一つ。
 泥の底を這いずり回った瞳と、不自然なほどに真っ直ぐな直線を描く唇。
 全身を赤黒い色に染める影の名前は、水瀬名雪だった。

 あれでは崩れ落ちるのも時間の問題か。名雪はそう判断してホテル跡に戻るという選択肢を捨てる。
 名雪が潜んでいるのはホテル跡から走って数分ほどの場所にある雑木林の一角だ。
 裏手側にある場所なので目立ちにくく、ブッシュなども多く隠れる場所としては絶好だった。

 当初名雪はここに潜み、勝利者が出てくるのを見計らってその人物を殺害するという計画を立てた。
 漁夫の利。言ってしまえばそういう作戦だ。名雪にとっては手段など関係はなく、結果こそが全て。
 人が死にさえすればどんな方法だろうが、どんなに時間がかかろうが同じことだった。
 故に崩落を始め、火があちこちに回っているホテル跡の惨状を見れば生存者などいないことは明白であり、
 拘る理由は既になくなっている。次の獲物を探してただ殺戮を続けるに徹する。それだけだった。

 立ち上がって歩き出そうとした名雪だったが、膝が揺れ、バランスを崩す。
 咄嗟に手をついて無様に転ぶという失態は犯さなかったものの、自身の異変を名雪は知覚する。
 力が入らない。試しに握り拳を作ってみるが、中途半端にしか握れず、握力を出し切れない。
 血が足りないのだ、と推測する。度重なる戦闘での出血は着実に名雪にダメージを蓄積させていた。

 改めて己の現状を観察する。破片弾によって負わされたかすり傷は無数。
 肩には銃傷がひとつ。ただし刀傷と合わさって傷口は広がり、酷い有様になっている。
 治療を施さなければ大事に至りそうな傷である。けれども名雪は心配することもなかった。
 全てが終われば、祐一が何とかしてくれる。祐一が労ってくれる。祐一が助けてくれる。
 盲目的な慕情を頼りに、何の根拠もなく名雪はそう結論付けた。

373Silent noise:2009/01/20(火) 19:42:39 ID:3tXxynAs0
 名雪にとって、世界は『自分』と『祐一』の二つだけである。
 自分にないものは祐一が持っていて、祐一のないものは自分が持っている。
 まるで兄妹のように。まるでアダムとイヴのように。
 それ以外はそれ以外でしかなく、自分の何になることもない。ただのモノでしかない。

 理屈も論理もない、あまりに夢想に過ぎる思考。狂気というには程遠く、無心というにも当てはまらない。
 唯一近しいというなら、それは『純化』という言葉だろうか。
 正と負。白と黒。まじりけのないモノと染まりきってしまったモノ。
 二極化することで名雪はこれ以上にない純粋を手に入れたのだ。
 恐怖と安楽の狭間で、現実と過去の間で、導き出した結論がこれだった。

 話を戻そう。
 くい、と服の袖を捲くり、他の傷の具合も確認する。裂傷は既にかさぶたを作ることで怪我に対応している。
 深く切り裂かれたわけでもなく、放置してもこちらは支障なさそうだと考え、目下の問題は肩だけだと判断。
 医療器具はない。探す必要性を頭の隅に置き、デイパックから水を取り出すと一気に傷口へとかける。
 僅かに目の端が歪み、痛みを表す表情を示したが作業は止めない。止める理由がないからだ。

 ペットボトルの中身がなくなるまで水をかけ続け、気休め程度の消毒を完了する。
 依然として刺さるような痛みは継続していたが、それだけだ。決定的な行動不能の要因にはならない。
 軽く腕を動かし、どの程度まで動くか実験。痛みの限界まで腕を動かし、
 関節技でも極められなければ問題はないレベルだとして頭に留めておく。

 続いてデイパックから食料として残っていたパンを出し口に放り込む。
 雨に濡れ、ところどころふやけていたパンの味は語るまでもない。けれども名雪は黙々と食べ続ける。
 少しでも血として、肉として吸収し後のために生かす。食べ物に関して、名雪の思考はその程度しかなかった。

「……イチゴサンデー」

 いや、例外はあった。大好物だった洋菓子の名をぽつりと漏らし、再びパンを口に含む。
 暗示のつもりだったが、効果があるわけもなく味は変わらず仕舞い。
 どんなに感情をなくそうと、味覚は変わらない。変わるわけがない。
 けれども暗示に失敗したことすら名雪は何も感じない。ただ失敗に終わったその事実だけを認識して、
 もう二度と洋菓子の名前を呼ぶこともしなくなった。

374Silent noise:2009/01/20(火) 19:43:03 ID:3tXxynAs0
     *     *     *

 デイパックの中のパンがなくなるまで食べた名雪は、再度握り拳を作る。
 今度は指の先まで力が伝わり、一応の元気を取り戻したことを伝える。
 戦闘は可能になったことを頭に入れ、次に装備品の二丁の拳銃を取り出す。

 ジェリコ941と、ワルサーP38アンクルモデル。だが両方共に弾倉は0本であり、
 ジェリコに至っては弾薬がフルロードされてすらいない。ここから戦い抜くには少々戦力不足の面があった。
 だからこそ、武器を増やしに掛かるべく漁夫の利を狙ってホテル跡の裏側に潜んでいたのだが。
 崩落してしまっては奪うどころか、回収することも難しく。まずは他の連中から武器を奪取することを考える。

 殺傷能力の高い武器が欲しい。拳銃の弾倉が手っ取り早く、重量的にも楽ではある。
 だが取らぬ狸の皮算用だとして、一時武器に関しての思考を中断する。今考えるべきは戦術だ。
 拳銃の残弾から言えば相手に出来るのは精々が二人、それも自身の具合からみれば短期決戦が望ましい。
 それも敵の不意をつけるような、奇襲作戦を用いるのがよい。正面からの攻撃策は捨てる。

 ならば、家屋の中にいる連中を狙うのがいい。
 遮蔽物も多く、身を隠しながら狙い撃ちできる利点がある。
 問題は一気に仕留められるかという点だ。遮蔽物が利するのは自分だけではない。
 下手を打てば逃げ延びられる可能性があり、武器の奪取が出来なくなるかもしれない。
 確実に殺人は遂行しなければならない。全ては祐一のため。祐一と自分の世界のため。

 名雪は考える。他に作戦はないか。この作戦に、もっと何かを加えられないか。
 己の知識を総動員し、不意をつく方法を思案する。
 何分かの逡巡の後、いくつかアイデアは浮かんだ。ただ、いずれも確実性には欠ける。

375Silent noise:2009/01/20(火) 19:43:21 ID:3tXxynAs0
 まず、建物から出てきたところを狙い撃ちにするという作戦。先の作戦の延長上にあるもので、
 建物から出てきて、さあ行こうという連中の心の隙をついた作戦だ。
 複数でいる場合も固まって行動しているはずなので上手くいけば数秒で決着がつく。
 難点は外してしまったときで、屋内での奇襲に失敗したときにより逃げられやすくなるということ。
 ハイリスクハイリターン。起死回生の一手ともいうべき策であり、安易に実行するには難がある。

 もうひとつの作戦は他者との出会い頭を叩くというもの。
 戦闘を行うにしろ会話するにしろ、何らかのアクションはあり周囲への警戒は薄れる。
 その間隙を狙って奇襲を仕掛けるというものだ。
 こちらはさほど難点はない。奇襲を仕掛けることにより場の混乱が狙える上、
 接触したもの同士の共食いを誘発できるかもしれない。
 そこで上手く立ち回り、武器を奪取しつつ殲滅すればいい。

 こちらの問題点は上手く尾行できるかという点。レーダーのなくなった今、完璧に尾行出来るか分からない。
 やるからには必ず殺さなければならない。気付かれて逃げられるのだけは阻止せねばならない。
 幸いにして、今は雨だ。尾けるには最適の条件下とは言える。実行するには今がその時だ。
 空を見上げ、雨粒の量を調べてみる。強い雨足ではないものの、長く続きそうな天候だ。

 やや考え、取り敢えずは優先順位を決めることにする。
 尾行、建物内での奇襲、建物外の奇襲、という順番で策を実行することにしよう。
 想像を働かせ、己の中で成功率が高いと決めた順である。
 頭の中でのシミュレートではあるが、間違いはないはずだ。
 そして決めたからには、ただ実行するのみ。

 名雪はそれで思考を打ち切ると、標的を探す機械となって山を下り始める。
 一歩ごとにべちゃべちゃと靴が泥で汚れる。
 枝に軽く引っかかり、服に軽い傷ができる。
 けれどもまるで意に介することもなく、さながら戦車のようにずんずんと進む名雪。
 その先にはただひとつの純然とした、どんな我侭よりも傲慢な願いがあった。

376Silent noise:2009/01/20(火) 19:43:36 ID:3tXxynAs0
 全て殺して。
 全て奪って。

 何にも邪魔させない。
 何にも止められはしない。

 わたしは祐一とだけいられればいい。
 祐一もわたしを強く望んでいるはずだから。

 そう。

 そうだよね?

 待っててくれてるよね?
 わたし、すぐに行くから。
 今度はわざとじゃないよ。
 もうおかえしはしたもんね。

 昔はわたしが。

 今は祐一が。

 ずっと雪の中で待たせるゲームはもうおしまい。
 終わったから、もう何もないよ。
 迎えにいくだけだから。
 だから、一緒に、ふたりでかえろう?

 ね、祐一?

377Silent noise:2009/01/20(火) 19:44:04 ID:3tXxynAs0
【時間:二日目午後20:30】
【場所:F-4 山中】


水瀬名雪
【持ち物:薙刀、ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾10/14)、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:肩に刺し傷(銃弾により悪化)、全身に細かい傷、マーダー、祐一以外の全てを抹殺。放送は戦闘の影響で聞き逃した】

→B-10

378ひだりてみぎて:2009/01/20(火) 19:46:49 ID:3tXxynAs0
 また……間に合わなかった。

 藤林椋によって投げつけられた火炎瓶の、未だにある炎の残滓を支給品の水で消しつつ、
 藤田浩之は己の胸がずきりと痛むのを感じていた。

 敵はあまりに狡猾だった。だがそれが全てではない。
 おれは遅すぎたんだ。気付くのが……人の中に潜むものに、あまりにも気付かなさ過ぎた。
 悪意だけではなく、善意も。

 椋の狂気に気付けなかったのも自分なら、みさきの不安げな声を気のせいだと目を逸らしたのも自分。
 人の心の中を探ることに、あまりにも臆病であり過ぎた。
 疑うこと自体は決して悪いことじゃない。人の心を知ろうとする行為にしか過ぎない。
 知って、それからどうするかというのはあくまで自分次第。善悪は疑うことで決まるものではない。

 自分はそこにさえたどり着いていなかった。人を疑って、疑心暗鬼になりたくないあまりに、
 信じるという言葉に逃げてしまっていたのだ。それは高尚な行為でもなんでもない、ただの無関心だというのに。
 かったりぃ、昔からこう言って無関心でありすぎた、そのツケが回ってきたということか。

 だが、と浩之は思う。
 今はこうして、ひとりのひとを救えた。
 部屋の隅で体育座りになっている姫百合瑠璃を見る。
 膝に顔を埋め、何も言葉を発しようとせず彼女はうずくまっている。
 当然だ。最愛にしてかけがえのない家族を目の前で失ったのだから。
 彼女の心中に宿る空虚、絶望はどれほどのものか分かりもしないし、完全に理解は出来ないだろう。

 けれどもこうして命を保っている。どんな形であれ、おれにはまだ守れるものがある。
 このままでいいとは微塵も思わない。彼女の心の傷を、少しでも癒してあげたいと浩之は強く思う。
 元の瑠璃に戻れるかは分からない。自分同様、死に慣れてしまい人形になってしまうかもしれない。
 それでもおれは僅かな希望だって持っている。願いの欠片に従って、まだ人間の形を残している。
 こんなに残酷な現実を見てさえ、人はまだ新しい希望を持てるんだ。それを伝えたかった。

379ひだりてみぎて:2009/01/20(火) 19:47:12 ID:3tXxynAs0
 最後の火を消すと、家の中はほの暗さに包まれる。
 すっかり日は落ちて、代わりにさあさあとした音を響かせている。
 雨が降り始めたのかと思いながら、浩之は残されたデイパックを漁り、缶詰を取り出す。
 ついで適当に台所を調べ缶切りを発見すると器用に、手際よく、缶詰を開けてゆく。ちなみに中身は桃缶だ。

 半分ほど開けたところで桃缶の中身が顔を出し、白く艶々とした実が甘い芳香をふわりと漂わせる。
 美味しそうだと思った瞬間、ぐうと低い唸り声が聞こえてきた。
 どうやらこんな状況でも腹は空くらしいと苦笑した浩之は誘惑を振り切り一気に桃缶を開けた。
 それと戸棚からフォークの一本を拝借し、桃のひとつに突き刺す。
 桃に深々と刺さったフォークを見て、やはり美味しそうだと思いながら、浩之は瑠璃の元まで寄った。

「瑠璃」
「……」

 呼びかけに反応してか、瑠璃が顔を上げる。意外なことに、その目は虚ろではなかった。
 ただ困っていた。どうしようもなく、途方に暮れた顔だった。
 うずくまっている間に何を考え、どういう結論を得たのか。予想はしても、分かりっこない。
 浩之は訊こうとして、だがおれに出来るのかと逡巡する。

 どういう訊き方をすればいい? 訊いて、どういう言葉を返せばいい?
 自分は情けないくらいに鈍感で不器用だ。希望を見出させるような……あかりや、みさきになれるのだろうか。
 立ち止まりかけて、それでも一歩踏み出そうと浩之は思った。

 ここで止まってしまえば、真っ暗闇の虚無が二人を隔て、二度と近づけぬようになってしまうかもしれない。
 終わりにはしたくない。夕焼けだって見ていないじゃないか。
 まだおれたちは本当の夜明けさえ知らないんだ。見ないままに、分かたれてしまうなんて寂し過ぎる。
 震える心を懸命に堪え、とにかく唇を動かすことにした。

380ひだりてみぎて:2009/01/20(火) 19:47:35 ID:3tXxynAs0
「……桃、食べないか?」

 フォークに刺さったままの桃を瑠璃に差し出す。瑠璃は表情を変えないまま、「うん」と言って受け取る。
 そっ、と桃を受け取る手はひどく小さいように感じられた。

「さんちゃん……きっと嫌な予感がしてたんや……だから、これを渡してくれた」

 缶を受け取ったのとは反対の手で、瑠璃が長方形の箱を取り出す。
 金属製のそれは、恐らくはハードディスクなのだろう。殺し合いを、壊す可能性を含んだ箱。
 桃と交換するように瑠璃は差し出す。浩之は優しく、壊れ物を扱う手で受け取る。

 珊瑚は死ぬ直前まで作業していたのだろうか、それとも瑠璃の体温が残っているのか、
 ハードディスクはほの温かかった。いや、きっと両方なのだろうと浩之は思う。
 命を懸けてまで、残した命の形。
 だが無言でしか応えてくれない機械のそれに、浩之は言いようのない悲しさを覚える。

 お前は、こんな形でしか自分の価値を見出せなかったのか?
 そんなことはない、そんなことはないんだ。
 けれどもその言葉は伝えられない、永遠に……

 胸の内に言葉が込み上げる寸前、「美味しいなぁ、これ……」という瑠璃の言葉が耳朶を打ち、
 浩之の言いようの無い思いをかき消した。見ると、瑠璃は相変わらずの困ったような表情だった。

「こんなに悲しいのに、苦しいのに、つらいのに……美味しいものを美味しいって思える……」
「瑠璃……」

 悲しい、苦しい、つらい――言葉を紡ぐ度に瑠璃の顔は壊れそうになり、
 だが何とか押さえ込んでいるようだった。押し隠すようにして。
 疑え、と心の中の己が言っている。疑って、疑って、人の心を知れ。

381ひだりてみぎて:2009/01/20(火) 19:48:03 ID:3tXxynAs0
「生きてる、からだろ」

 波紋を呼ぶように、波を立てるように言葉の石を投じる。
 伝わるように、伝えられるように。

「まだ瑠璃は死んじゃいないし、おれも死んで欲しくない。これ以上誰かがいなくなるのは……つらい」

 死に慣れきってしまいながらも、仕方ないんだという一言で済ませたくない気持ちは確かにあった。
 分かったようなふりをして無関心であることの恐ろしさをも知ってしまったからだ。
 それだけではなく、奥底に眠る己の残滓が人間であることを強要させる。
 あかりの声が、みさきの声が、友人達の声が残酷なまでに人間でいさせようとする。
 逃げることを許させない、厳しくも優しすぎる過去が自分を搦めとり、縛り上げていた。

「分かってんねや……浩之も、さんちゃんも、ウチを死なせとうなくて、こうして、助けて……」

 搾り出した声は苦痛に満ちていて、一言一言が瑠璃自身を締め付けているようだった。
 もしかして、と浩之は思う。とっくの昔に気付いていたのではないだろうか。

 珊瑚が意思して瑠璃を苦しめるはずなどない。瑠璃もこうなろうとしたわけではない。
 二人が互いに己の筋を通そうとし、結果として珊瑚が先に筋を通した。
 そして瑠璃は、筋を通せる相手を失ってしまった。

 命を懸けて、大切な家族を守り通すという筋を。悪意などひとつもない、家族を愛するが故の行動だ。
 それが分かっているからこそ、瑠璃は自分に嫌悪しきることも出来ず絶望しきることも出来ない。
 宙ぶらりんに己の約束をつるし上げたまま、先を越された空白感だけが満たされている。
 人形だ。今の瑠璃は、同じ人形だ。尽くすべき主人を失い、だらりと腕を下げた抜け殻でしかない。
 僅かに残る人の思い出を頼りに動いているに過ぎない、哀れな残骸……

 なら、おれが、おれがするべきことは――

382ひだりてみぎて:2009/01/20(火) 19:48:33 ID:3tXxynAs0
「でも、一人ぼっちなんや。誰もいなくなってもうて、もうウチ、どないしてええか分からへん」
「……あるさ」

 熱に浮かされたように、浩之はゆっくりと動き瑠璃と同じ視線に移動する。
 座り込んだままの瑠璃の真正面に体を落とし、互いの息がかかりそうなところまで顔を近づける。

 そうだ。お互いに人形であるなら、こうすればいい。
 じっと見据えた先にある瑠璃の瞳は急接近した浩之に動揺し、困惑の色を浮かべていた。

 口を小さくぱくぱくと動かし、けれども何の言葉も持てないまま幼子のようにじっとしている。
 ずっと膝に顔をうずめていたからか、どことなく頬は上気したように赤い。
 永遠とも須臾とも言えぬ間浩之はじっと見つめ――ひとつ行動を起こした。

「ん……っ!?」

 瑠璃に身体を重ねるようにし唇を塞ぐ。
 桃缶がカシャンと音を立てて落ち、汁が足に付着する感触があったが、関係なかった。
 柔らかな瑠璃の唇をついばむようにして貪る。

 最初こそ身を硬くしていた瑠璃だったが、次第に力を抜き浩之に委ねてくるようにしてくる。
 肯定の意思と受け取った浩之は一度唇を離すと、両の手で瑠璃の頬を、髪を慈しむように撫でる。
 温かい。熱を帯びて頬を赤くしている瑠璃を可愛らしい、と思いつつ顔への愛撫を続ける。

「浩之……ええの?」
「……何がだよ」

 行為を受け入れながらも、まだ困惑を残している瑠璃に浩之は出来るだけ、内心の緊張を抑えつつ返す。
 実のところ頭が沸騰しきっていて、キスをしていたという実感がない。
 身体は今にも震えそうで、心臓は今にも破裂しそうな程鼓動を強めている。
 それに、潤んだ瑠璃の瞳を見れば……緊張しない方がおかしい。
 戸惑いを残したままの瑠璃が、視線を揺らしながら口を開く。

383ひだりてみぎて:2009/01/20(火) 19:48:54 ID:3tXxynAs0
「だって、浩之はみさきさんが」
「違う」

 それは、違う。もう一度そう言って、浩之は額を瑠璃の額に押し付けた。
 吐息から、体温から互いの心を探るように。全てを知る事ができるように。二人は可能な限り近づく。

「みさきは、みさきには……振られたんだ」

 一片の嘘もなく、浩之は残った心の全てを打ち明ける。
 伝えなければ、気付かなければ同じだ。今のみさきは恋人などではなく、
 心の断片を形成している思い出にしか過ぎない。
 想っていなかったとは言わない。だがもうどうしようもない以上、
 恋情も愛情も確かめることなど出来はしないのも、また事実だ。

 だから、おれは……今目の前にある、辛苦も困難も共にしてきた彼女を大切にしたいと思える。
 お互いに筋を通しあえる、心を通わせられる存在にしたいと思える。
 それが千切れてしまった糸を繋ぎ合わせただけの、みっともない行為で、傷を舐め合う行為だとしても。

「おれは……瑠璃が好きだ」
「……ウチ、ダメな子やよ? 何も出来へんかったのに、こんな、狡い……」
「おれだって狡いさ。いきなり、その……キスしちまった……」
「おあいこ……か」

 くす、と瑠璃が初めて微笑を浮かべる。一片の曇りもない、とまではいかないが、
 共に生きていける者を見出した、安心感のようなものが見受けられた。
 微笑を返した浩之に、今度は瑠璃が腕を首に回してくる。

 二人の身体が更に密着し、突き合わせた胸と胸から鼓動が伝わりあう。
 が、そのペースは異様なほど速い。どうやら緊張しているのはお互い様のようだ。
 僅かに苦笑しながら、再び唇を重ねる。今度はより深く、やさしく。

384ひだりてみぎて:2009/01/20(火) 19:49:14 ID:3tXxynAs0
「んっ……ひろゆき……」

 瑠璃が舌を差し入れ、浩之も一瞬驚きつつそれに応える。
 ぴちゃ、にちゃという生々しい、それでいて淫靡な音が荒れ果てた家屋に響く。
 唾液を絡ませ合い、零れないように舌で掬い、口内を撫でる。
 それだけでは足らぬというように、指と指を、脚と脚を絡める。
 高まっていく二人の間に漏れる声音は、初々しく、甘やかで、官能的だった。

「っ……ぁ、んん……ぅ」
「ぁぅ……ふ……は……」

 舌で刺激を与え合い、漏れる吐息で温め合い、汗を手のひらで吸い取っていく。
 何ともいえない息苦しさと霞んでいく意識の中で、ただ心地よさを感じていた。
 こんなにも気持ちいい。互いを繋ぐ行為が、どうしようもなく求めたくなる。

 絡めていた指を離し、腕を瑠璃の背に、抱くようにして回す。
 制服越しに伝わる柔らかな身体の感触が、いやらしいほどに艶かしい。
 五つの指と五つの指を全て使うようにして、瑠璃の背をなぞる。
 滑らかな、丸みを帯びた身体のラインを指がすべるたび、もっと感じたいという衝動が込み上げる。

「ん……やぁ……っ」

 くすぐったいというように、瑠璃が唇を離し身じろぎする。
 片目をつぶり、口もとから糸のような唾液を垂らす。
 ひどく卑猥なように思える一方、ひとりの女の子として腕の中に納まる瑠璃が愛おしくてたまらない。

385ひだりてみぎて:2009/01/20(火) 19:49:29 ID:3tXxynAs0
 更に弄ろうとした浩之に、今度は瑠璃の腕が回された。
 お返し、と意趣返しの如く、細い指の群れが浩之の背中を這い回る。
 筆でなぞられる感覚に似ていた。ゾクリとした快楽が駆け回り、
 同時に押し付けられた二つのふくらみが浩之の胸板を刺激する。

「ひろゆき……きもちいい?」

 甘く囁く瑠璃の、快感を含んだ声。動く唇からは透明な液体が張り付いており、
 彼女の蟲惑的な一面を助長しているようであった。ああ、と浩之は応える。

「もっと、していいか?」

 正直に差し出された言葉に「ん」と瑠璃が頷いて応じる。
 その挙動がまた、可愛らしくてたまらなかった。

 もっと知りたい。心の中を、じっと……

 二人の唇がまた重なるのに、それほど時間はかからなかった。

 穏やかで、癒しあう時間だけが、ただ過ぎていく――

386ひだりてみぎて:2009/01/20(火) 19:49:48 ID:3tXxynAs0
     *     *     *

 まだ体は驚くほどに熱く、火照っている。
 唇に残る湿った感触を指でなぞりながら、瑠璃は浩之への思いと、家族への思いを考えていた。

 この選択を珊瑚は、イルファは果たしてどう思っているだろうか。
 考えても分かるわけはなかったが、それでも想像してしまう。
 亡くなってしまったひとと対話することなど、黄泉の国にでも行かねば出来ないというのに。

 無論、そんなものが存在するわけがないというのは理解しきっている。
 あったとしても逃げ込むことさえ自分には許されてはいない。
 命を張った珊瑚やイルファ、浩之を侮辱してしまう事に他ならないし、自分の節をも曲げてしまう。
 そうなってしまえば、もう何も残らない。虚無の闇に喰われ意義も意味も失った残骸が残るだけだ。

 最悪の選択だけはするまいと瑠璃は思う。
 珊瑚が犠牲になったのも、イルファを置き去りにしたままここまで来てしまったのも必然だったのかもしれない。
 ただそこに至るまでに様々な選択肢があったのは確かだ。
 環の手を払いのけてしまったこともしかり。珊瑚の代わりに死ねなかったこともしかり……

 始めから明るい未来など望むべくもなかった。けれどもそこに続くレールの先を僅かにでも修正はできたはずだ。
 今までそれをしてこなかった結果がイルファの死であり、珊瑚の死であり、たくさんの仲間の死だ。
 そして現在もまだレールは続いていて、自分はその上を歩き続けている。
 先は闇に閉ざされていてどうなっているのかはわからない。ここから僅かにでも修正を重ねていって、
 落とし穴を避けられるかどうかは自分次第というわけだ。その道標は目の前にある。

 視線を上げた先では、浩之が珊瑚と環の遺体に毛布をかけてやり、いくつかの缶詰を傍らに添えている。
 浩之の後姿はどこか寂しげで、空白で、自分と似ていた。

387ひだりてみぎて:2009/01/20(火) 19:50:09 ID:3tXxynAs0
 そう、だから手を取り合って進むことを決めた。
 ひとりではレールの先を微修正することすら出来ず、どうしようもなく無力なのが人間なら、
 互いに補い合い、支えあいながら力を合わせて変えていこうとするのも人間。
 自分達の場合は辿り着くまでに多大な時間と労力を要し、その代償となったのが様々な人の犠牲というわけだ。
 そのことだけは忘れない。大切なひとを見つけ、心を触れ合わせるまでに大きすぎる犠牲があったということを……

 ふと、瑠璃はみさきのことを想った。
 恐らくは浩之が淡い気持ちを抱いていた相手であり、彼女もまた想っていたはずのひと。

 みさきは狡い、と思うだろうか。
 誰かと繋がってでしか希望を見出せない自分を汚いと思うだろうか。
 この問いもやはり分かるわけがない。
 ただ絶対に浩之を底無しの闇に堕としはしない。
 繋がってでしか希望を持てないなら、死に物狂いで手を離さない。
 そうすることでしか自分は自分の節を通せないのだから……

 何と言われようとやり通す。それだけを思った瞬間、風に乗って声が聞こえた。

 『わたしと同じだね……うん、なら、大丈夫だよ』

 虚を突かれた思いで瑠璃は周りを見渡した。
 風など吹いているはずがない。ここは部屋の中で、閉め切っているのに。
 それに、あの声は一体?

 耳を澄ましてみても聞こえてくるのは雨音ばかりで声など聞こえるはずもない。
 空耳か、それとも幻聴か。
 どんな声だったかさえ既に思い出せなかった。ただひとつ、代わりに思い出したことがあった。

「……みさきさんも、ずっと手を繋いでた。誰かと、繋がってた……」

 手のひらを見返し、瑠璃はまだじっとりと汗ばんでいるそれを凝視する。
 繋ぎ合わせてくれたのは、ひょっとすると……

388ひだりてみぎて:2009/01/20(火) 19:50:23 ID:3tXxynAs0
 ぼんやりとした確信が生まれ始めたとき、今度は空耳でも幻聴でもない、現実を揺らす音が聞こえた。
 ぱん、と弾けたような音が雨音に乗って反響するように届く。
 何であるかを、瑠璃は直感的に察して言葉にしていた。

「今の……」
「銃声かっ!?」

 共鳴するかのように浩之が立ち上がり、窓から外の世界を見ていた。
 瑠璃も窓から覗いてみたが、まだ広がるのは雨と森ばかりで戦闘の気配は見えない。
 だがじわじわと広がっていく恐怖と恐怖、人と人とが共食いを始める狂気の靄が立ち込めていくのが分かる。
 こんなことをする人間は、知る限りでは一人しかいない。

「行くぞ瑠璃っ! これ以上好き勝手させてたまるかっ!」
「うん! もう誰も殺させへん!」

 投げられたデイパックを受け取り、携帯型レーザー式誘導装置を引っ張り出す。
 これを使うことに迷いはない。恐れもない。絶対に手を離さないと決意した意思が全身の血液を沸騰させ、
 前へ前へと押し出す力へと変えていた。

 自分には支えてくれる人達がいる。力を合わせて進むと決めた人がいる。
 この先の未来がどんなに暗く、翳りのあるものだとしても、絶対に一緒だ。
 死んでさえ、手は握ったままでいられるように。

 どこまでも。
 どこまでも。


 二人の糸は、絡み合っていた。

389ひだりてみぎて:2009/01/20(火) 19:50:41 ID:3tXxynAs0
【時間:二日目20:00頃】
【場所:I-5】


姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、殺虫剤、レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(12/15)、火炎瓶、HDD、工具箱】
【状態:絶望、でも進む。守腹部に数度に渡る重大な打撲(手当て済み)】

【その他:珊瑚の水、食料等は均等に分けている。銃声のした方向(I-7)まで急行】

→B-10

390十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 02:57:57 ID:/qw7egEw0
 
それは、幼い顔である。
ゆっくりと目を開けた川澄舞の視界を満たした光が、瞳孔の引き絞られるに従って薄れていく。
代わりに映ったのは、まだ幼さを残した年頃の少女の、能面の如き無表情であった。
襤褸切れのような服を纏い、血と泥とに汚れた姿には見る影もないが、かつてはその美しさを
可憐と称えられもしただろうと思わせる、儚げな面立ちである。
だがその整った顔立ちには、致命的なまでに均衡を崩す大きな瑕疵があった。
左の眼である。
ざっくりと裂けた瞼の下、一見して視力など存在しないとわかる白く濁った眼球が、
少女の容貌の中で異彩を放っていた。

「―――」

己を覗き込むその隻眼を見返した舞の脳裏に去来したのは、寂莫たる荒野である。
花は咲かず、草木の緑に潤うこともない、荒涼たる原野。
間断なく吹き荒ぶ風と凍てつく夜の寒さが彷徨う者の命を削り取っていく、道なき道。
そう感じるほどに、少女の瞳は乾いていた。

「貴女は……私の敵ですか」

寂莫たる少女の、そこだけが艶かしい桃色をした薄い唇が動き、言葉を生じる。
それが問いであると、舞が認識するまでに僅かな時を要した。

「……わからない」

回らぬ舌と、ぼんやりとした脳とが素直な答えを返す。
それは実に数時間を経て放たれた、川澄舞の声であった。
言語が意識を構築し、意識が記憶を展開する。
脳が現状の認識に務め始めたのを感じる舞を一瞥し、少女が頷く。

391十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 02:58:59 ID:/qw7egEw0
「そう……ですか」

素っ気無く呟くと、興味を失ったように視線を離す。
目を逸らしたまま、言葉を続けた。

「柏木の他で……女性の鬼を見たのは、初めてだったから」
「……鬼?」
「その、腕」

短い答えに、ゆっくりと身を起こした舞が、己が腕に視線を落とす。
そうして初めて、自らの身体に生じた異変とも呼ぶべき変化に気がついた。

「これ……」

左腕、その肘から先が手首を越えて指先まで、黒く変色している。
まるで酷く焼け焦げた痕のようであったが、しかし思わず握った手の動きにおかしなところはない。
触覚も生きていた。ざらざらと罅割れた鱗状の皮膚を通して、微かな風の冷たさを感じることもできる。

「鬼の、手……」
「……はい。爪も……」
「爪……?」

呟いて、意識した途端に変化が現れた。
変色した左手の指先から、撥条仕掛けでもあるかのように何か鋭いものが飛び出したのである。
どくり、と脈打つ血の流れをそのまま固めたような、深い紅。
刃の如き鋭利を誇る、それは獣とも人とも違う、五本の爪。
指の動きに合わせてゆらりと揺れる深紅の刃を見ている内に、ぞくりと怖気が走る。
惹き込まれるような、妖艶の美。
畏れに近い感情は、本能であっただろうか。
刹那、刃の如き爪はするりと縮まり、指先に収まった。
が、怖気は続いている。

392十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 02:59:15 ID:/qw7egEw0
「……寒い」

気付けば、一糸纏わぬ姿であった。
着込んでいたはずの制服はどこに置いてきたものか。
慌てて剥き出しの乳房や下の翳りを隠すような、乙女じみた恥じらいなど持ち合わせてはいなかったが、
しかしそれなりの気恥ずかしさと、何より肌寒さが厄介だった。
天頂に近い陽光をもってしても、吹き抜ける風の強さには敵わない。
ぶるり、と震えたその拍子に、新たな変化が訪れた。

「毛皮……?」

訝しげに呟いたのは傍らに立つ少女である。
言葉の通り、瞬く間に舞の身体を包んでいたのは、白い毛並みであった。
胸と腹、背から膝上までを、白く長い体毛が覆い尽くしている。
指先でそっと撫でれば絡まることもなくふさふさとしているが、一本づつを摘めば驚くほどに太く、
そして針金のように強い感触を返してくる。

「髪と……同じ色」

言われて、気付く。
胸元に垂れ落ちる横髪の先は、生え揃った体毛に溶け込むように、白い。
さら、と首を打ち振るうと、纏めていたリボンもなくなっているようで、背中まで伸びた長い髪が流れる。
指で掬えば、真新しい絹糸の束のように、白く細く、陽光を反射して煌いた。

「……」

まとまらぬ頭で考える。
服はなく、髪の色は失われ、身体には奇妙な変化が現れている。
記憶はない。
憶えているのは、夜明けの森に降りしきる雨の冷たさ。
鬼と呼ぶに相応しい漆黒の巨躯と、二体の魔獣。
打ち込んだ刀の堅い手応えと、燃え上がる焔の色と、小さな哀願。
そういえば、と舞は思う。
黒く染まったこの左手は、あの鬼との闘いの最中に自ら切り落としたのではなかったか。
幾つも負っていた筈の深い傷も、痛みと共に消え去っている。
してみれば、はて意識を喪っている間に、この身体に全体、何があったのだろうか。

393十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 02:59:32 ID:/qw7egEw0
目を閉じる。
一時的に訪れた闇の中、記憶を遡ろうと己が内側に向けて目を凝らした。
何も、見えぬ。
無明の闇はしかし、静謐を意味しない。
闇を泳ぐ舞の意識を押し潰さんばかりの音が、四方八方から響いている。
音は、連なりである。
雫ともいうべき小さな音の断片が、幾つも連なって細い糸の如く列を成す。
糸は縒り合わさってせせらぎとなり、せせらぎが集まって流れを作る。
幾つもの流れはやがて溶け合って川となり、瀑布となり、大河となって渦を巻く。
音の渦が壁となって、無限の連なりの中で闇を圧迫する。
川澄舞の内側を支配する音は、元を辿れば小さな断片であった。
音の奔流に流され、押し潰されながら、舞は砕けた波濤の飛沫をその手に掴む。
掴んで引き寄せ、耳元に当てた。
流れ出す音に、意味は感じられぬ。
感じられぬ音を捨て、新たな飛沫を掴み取って、幾つも幾つも、耳に押し当てた。
そうする内、言葉が、響いた。


 ―――ずっと、ずっと待ってるから。だから、さよなら。

 ―――ありがとうよ。

 ―――君は、生きたいか?


目を、開けた。
言葉の断片は、掴んだ傍から崩れていって、記憶の手掛かりとなり得ない。
断片を嵌める額縁は広すぎて、幾つの欠片を集めても、全体像は掴めない。
掴めぬまま繋ぎ合わせた不恰好な絵柄は、到底記憶と呼べる過去には届かない。
しかし思い返す内、気付いたこともある。
それは、川澄舞が如何にして鬼と相食むが如き闘いに臨んだかという、その理由であった。
死という喪失を否定し、命を取り戻す為の道程。
それを齎す四つの宝重を手にすべく歩み出したのが、そもそもの始まりであった。
そして今、記憶は辿れぬが宝の半分は文字通り、舞の手の中にあった。
即ち鬼の手と、白虎の毛皮である。

394十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 02:59:51 ID:/qw7egEw0
依然、何も判らぬ。
判らぬは目を逸らすが川澄舞という人間の性分であったが、しかしぼんやりとした意識の中、
漠然とした理解はあった。
生きたいかと問われ、応じた。問い手は知れぬ。
応じた声の、誰に届いたものかは知れぬ。
しかしその結果として命と力と、即ち今という時間を生きる川澄舞が存在する。
志半ばにして倒れながらも今こうして生きている、それこそが自身であるならば、
この鬼の手も白い毛並みも、道は知れずとも川澄舞という存在の一であろう。
言葉にすれば、そういう認識である。
ならば、立たねばならぬ。
立って残りの宝を探し出し、その手に掴んで帰らねばならぬ。
そうして立ち上がろうとした刹那、不意に声が響いた。


 ―――帰って、取り戻すんだ。帰って、笑うんだ。帰って、私たちは、


それは、耳朶を震わせる声ではない。
それは舞の内側、闇と音とに包まれて探り得ぬ薄暗いどこかから響く、そんな声であった。
くらりと、目が眩む。
眩んだ拍子に手をついた、その眼前に何かがあった。
風に吹かれて僅かに転がり、小さく硬い音を立てる、陽光を反射して輝く何か。
それはまるで子供の遊ぶ硝子玉のような、透き通った、丸い珠である。

「―――」

視線が、吸い込まれる。
掌に収まるほどの大きさをした、珠。
得体は知れない。
しかし、不思議と目を離すことは許されぬような、そんな感覚が舞を支配していた。
手に取って見ようと差し出した指の先、吹いた風に押されて珠が転がった。
追うように、手を伸ばす。

395十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 03:00:14 ID:/qw7egEw0
「……?」

伸ばした手の先、珠の転がった先に、光があった。
黄金色の光。
そんな光に包まれて、何かが珠に向けて伸びている。
目を凝らして、ほんの僅かに考えて、それが指であると気付く。
己のものではない、誰かの指。
よく見れば、指が光に包まれているのではない。
陽光に照らされて眩しく光る黄金色の手甲を、その手は纏っていたのだった。
珠に向かって伸ばされた黄金の手甲をした指は、ぴくりとも動かない。
指の先には、腕がなかった。
否、腕と呼べるものは、そこになかった。
代わりにあったのは、かつて腕であっただろう、何かである。
黄金の鎧と交じり合って赤黒く、ところどころに桃色を覗かせるそれは、骸であった。

骸の指は、珠に伸ばされたまま、動かない。
動かぬ骸を見つめ、舞が口を開く。
何かを、言わねばならぬ気がした。
だが言葉は出てこない。
記憶の薄暗がりの中、存在していたはずのかけるべき言葉は、どこにも見当たらない。

代わりに、手を伸ばした。
伸ばして珠を取らず、それを通り越して骸に手をかける。
まだ温かい、粘性の感触を無視してそのまま、ごろりと骸を転がした。
べちゃりべちゃりと嫌な音がして、肉の袋の中にまだ残っていた血だまりが転がった拍子に溢れ、
舞の白い膝を汚した。
どうしてそんなことをしたのか、舞自身にも判らない。
判らないまま、舞は転がった骸の、鎧であったものと肉であったものの合挽きの中に
黒く染まった左の手を差し入れて、無造作に何かを掴み出した。
ずるり、と臓物のように肉の中から引きずり出されたのは、人の腕ほどもある太さの、
縄のような長細いものである。

396十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 03:00:29 ID:/qw7egEw0
「……」

自ら引きずり出しておきながら、舞は己が手の中にあるそれを、目を眇めて見ている。
だらりと垂れ下がるそれが、半ばから千切られた蛇の体であることを、舞は知っていた。
何故そんなことを知っていたのか、何故それが骸の中にあると知っていたのか、それは判らぬ。
判らぬが、知っていた。或いは憶えていた。そう言うより他にない。
失われた記憶、或いは断絶した時の中に答えがあるのだと、理解する。
それほど自然に、手は伸びていた。

「―――」

転がった珠を拾い、蛇と共に手に収めた。
すると不思議なことに、蛇と珠とが、すう、とその輪郭を薄れさせていく。
己が黒い左手に吸い込まるように消えていく、その珠と蛇とを、舞は慌てることもなく見ている。
蛇が魔犬の尾であり、珠が尻子玉であるというのなら、それは奇跡へと至る神秘であり、
収まるべき場所に収まるのだろうと、そんな風に考えていた。
そうして宝重が音もなくその姿を消すまでの僅かな間、舞はそれを見つめていた。

「……」

最後に一目、黄金に包まれた骸と、伸ばされた指を見た。
それが、最後だった。
川澄舞が黄金の骸に小さく頭を下げた、その瞬間。
四つの至宝を巡る争いが、終わった。


***

397十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 03:01:02 ID:/qw7egEw0
 
それは、長い道程の終わりの、ほんの一時の感慨であった。

「―――貴女が、敵でないのなら」

声が、思索の薄布を切り裂いた。
気付けば、骸の血に塗れた手を見つめる姿をどう思ったか、少女は既に舞に顔を向けてはいない。
その隻眼が見据えていたのは、遥か上方である。
何処から取り出したものか、その手には一振りの日本刀を提げていた。

「あ……」

舞が、声を上げかける。
その精緻な造りと冷たい光を放つ刃は、今しがた掘り起こした記憶の中にあったように、思えた。
しかしその思考が言語の体を成す前に、少女が己の言葉を継いだ。

「―――やはり私の敵は……あれでしょうか」

あれ、とは何であったか。
口を閉ざして見上げた、舞の視界に落ちる影があった。
影は、巨大である。

「……っ!」

瞬く間に視界の殆どを覆い尽くしたそれが、風を巻いて、落ちてきた。
ざわ、と全身の毛が逆立つのを感じた瞬間、舞の両足に力が込められる。
大地を噛むように、跳ぶ。
轟、と風が唸る。
次の刹那、背後で音が爆ぜた。
否、爆ぜたのは音ばかりではない。
大地が、破砕されていた。
抉られた岩盤が一瞬にして砂礫と化し、爆風と共に周囲に飛散する。
跳んだ舞が受身と共に振り返れば、大地を爆砕した巨大な影の正体が、その目に映った。

398十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 03:01:19 ID:/qw7egEw0
「剣……」

それは、一見すれば巨大な柱のようであり、或いは金属製の壁のようでもあった。
遥か遠くから俯瞰すれば剣とも見えなくはない、それほどに、大きい。
人など容易く磨り潰してしまえるような、殆ど反りのない片刃の直刀。
大地にめり込んだ常識はずれの大きさを誇示するそれが、落ちた影の姿であった。
剣の先には、それを持つ石造りのやはり巨大な手が存在した。
更に見上げれば腕があり、肩があり、胸が、首が、それらを繋ぎ合わせた巨大な石像の上半身が、そこにあった。
石像は幾つも立ち並んでいるようであったが、舞の眼前に聳えるそれには一つ、他と違う点がある。
その像は舞に向けて振り下ろした刃を、片手で保持していた。
それはつまり、もう片方の手が自由であることを意味しており。
自由な手には、もう一振りの刃が握られていた。

「まだ……!」

気付いた瞬間には跳び退っている。
二刀の一が、大地を浚うように薙がれていた。
刃はその一遍に視界に入れることも難しい全長と質量にもかかわらず、恐るべき速さで迫り来る。
二度、三度と跳び下がり、しかしその間合いから逃れることの叶わぬを知った舞が選んだ道は、空であった。
地を蹴った、次の瞬間には蒼穹に向けて高々と舞い上がっている。
空を翔るような軌道。
遥か下方を巨大な刃が薙いでいくのが見えた。

「……!?」

常軌を逸したその脚力にしかし、最も驚愕していたのは他ならぬ舞自身である。
迫る刃を上に跳んで躱す、それだけのつもりであった。
しかし今、舞の目が映すのは蒼穹と大地と、巨大な石像を正面から見るような構図。
爆発的とすら言える力が、いつの間にか舞の中にあった。
身につけた覚えのない力。人の身に余るそれを制御する術を、舞は知らない。
焦燥に噴き出した汗が、空に散っていく。
と、肌に感じる風が変わった。
跳躍の描く放物線の頂点を越え、重力に引かれて落下軌道に入る感覚。
臓腑が浮き上がるような悪寒に眉を顰めたのも一瞬である。
新たな戦慄が、走った。

399十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 03:01:42 ID:/qw7egEw0
「……っ!」

二刀とは、自在の軌道を以って間断なき斬撃を繰り出す構えである。
一の太刀は振り下ろされ、二の太刀は地を薙ぎ、しかし薙いだ刃の往き戻るより早く、
即ち二の太刀を躱した舞の、体勢を立て直すよりも尚、早く。
振り下ろされた一の太刀は、次なる一撃を繰り出すことが、可能であった。

躱せぬ。
中空にある舞は、四方の如何なる場にも身を躱す術がない。
ただ放物線を描き、落ちゆくのみである。
巨大な刃がそれを捉え、文字通りの意味で粉砕せしめるのは、実に容易であった。
少なくとも舞の脳裏には、その未来図がありありと描き出されていた。
絶望はない。同時にまた、希望もなかった。
揺るがぬ必然から身を守るように腕を翳した、その眼前。

「―――失礼します」

飛び出した影が、ひどく場違いな言葉を舞に投げかけると同時。
影の脚が、舞を蹴った。
否、と強引に軌道を変えられた衝撃の中で、舞は気付く。
影―――あの隻眼の少女は、己を踏み台にしたのだ、と。
己を刃から逃すのと共に、少女自身は能動的な回避、或いは反撃へと移る為に。
轟と唸る風の中、着地というよりは落下に近い勢いで、舞は地面へと降り立つ。
見上げれば、果たして空を裂く刃と切り結ぼうとする、豆粒の如き少女の姿があった。

舞は瞠目する。
その大きさにおいても重量においても文字通り比較にならぬ、その影が交錯した瞬間、
正面から刃を交えたと見えた少女が、くるりと身を捻ったのである。
翳した刀を支点として、猛烈な勢いで大気を裂きながら迫る巨大な刃をいなすように宙を舞ってみせた、
それは神業と称されるに相応しい体術であった。
にもかかわらず、舞は不思議な感慨を抱く。
即ち―――まるで、猫のようだ、と。
木の枝から、垣根の上から身を躍らせる、しなやかな黒猫。
焦燥も、戦慄も、緊張も緊迫も切迫もなく、何気なく伸びをした次の瞬間であるとでもいうような、
それはひどく優雅で、恐ろしく気負いのない、身のこなしであった。

必殺の一撃をやり過ごされた石像が、大きく姿勢を崩した。
下肢を巨大な台座に埋めながら身を捩る石像をちらりと見て、少女が落下の軌道に入る。
ふわり、と。
破壊の剣閃をいなしながら、白い羽毛が風に吹かれるようにただ舞い上がった少女は、
その勢いを殺さぬまま大地へと降りてきた。
くるり、くるりとトンボを切って、舞の近くに音もなく着地した、その身に傷らしい傷はない。

400十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 03:02:12 ID:/qw7egEw0
「あ……」

思わず声を漏らした舞に、少女が振り向く。
少女の瞑れて濁った眼に白髪黒腕の変わり果てた己の姿が映るのを見ながら、舞が小さく頭を下げる。
言葉を返すこともなく微かに首を振った少女が、思い出したように口を開いた。

「……そういえば、先程」
「……?」
「何か……言いかけて」

互いに口数は少ない。
情報の伝達には、些かの難があった。
何のことかと一瞬だけ考えて、思い至る。

「……それ」

呟くように告げて視線を向けたのは、少女の手に握られた刀である。
一つ、二つと瞬きをした、少女が僅かに首を傾げ、

「あなたの……」

答えを待たずにこくりと頷いて、

「……拾った、から」

呟くや、抜き身のまま投げて寄越した。
慌てたのは受け止めた舞である。

「でも……そっちは」
「私は……柏木の、鬼だから」

言いざま、少女の細腕が黒く染まっていく。
べきり、と音を立てたその手が一回り膨張し、見る間に節くれ立った指の先から生えてきたのは、
血の色をした刃の爪である。

401十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 03:02:29 ID:/qw7egEw0
「名前を訊いても……いいですか」
「……名前」
「あなたも、鬼……なのでしょう」
「……」
「私は柏木。柏木楓……隆山の、鬼」
「……舞。川澄……舞」

つられるように、名を告げていた。
少女の言うそれが何であるのか、舞には判らない。
だが、化物と呼ばれたことはあった。
人の生きる街の中で、異能は、異形であった。
であれば己もまた、鬼と渾名されるに相応しい異形に違いはなかった。

「舞……さん」

名を呼ばれた、その刹那。

「―――ッ!?」

きぃん、と。
硝子でできた無数の鈴がかき鳴らされるような、細く甲高い音が、響いた。
耳朶を劈くような音に眉を顰めると同時。
思考を無視し、感情を寸断し、まるで映画の途中で唐突に挿入される宣伝のように。
舞の脳裏を、一枚の映像が支配する。

―――海に囲まれた島と、その中央に位置する山。
―――山頂に顕れた銀色の湖と、それを取り囲むように立つ、八体の石像。

それは、遥か上空から一望した、沖木島山頂。
即ち、舞自身の立つこの場所と、正面に聳え立つ巨大な石像群に、他ならなかった。
あらゆる論理を押し退けて割り込んできたようなその映像の意味を考える前に、

『―――國軍、坂神蝉丸。青の世界を知るすべての者に傾聴願う―――』

音ならぬ声が、聞こえた。

402十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って:2009/01/22(木) 03:02:40 ID:/qw7egEw0
【時間:2日目 AM11:43】
【場所:F−5 神塚山山頂】

川澄舞
 【所持品:村雨、鬼の手、白虎の毛皮、魔犬の尾、ヘタレの尻子玉】
 【状態:白髪、ムティカパ、エルクゥ】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:エルクゥ、軽傷、左目失明(治癒中)】

深山雪見
 【状態:死亡】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体18000体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→973 1029 1034 ルートD-5

403十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が:2009/01/24(土) 16:58:59 ID:wnpWE7620
 
大剣が裂くのは、空と大地と、その狭間に存在する何もかもである。
風を断ち割り音をすら切り伏せて唸る、それは破壊という現象の具現であった。
触れれば砕ける、そんな一刀の肉薄に坂神蝉丸が選んだのは、更なる加速である。
振り返らぬ背後、大剣の切っ先の落ちた地面が割れ砕け、砂礫を舞い上げるのを感じる。
岩盤を噛んでなお止まらぬ巨大な刃が、鎬を大地に食い込ませながら迫る。
頭上より落ちる断頭の刃との、それは命懸けの駆け比べである。
駆ける先、無骨な鍔が見えてくる。
人が両手を広げるのにも数倍する大きさの、それ自体が鋼鉄の延べ板とでもいうべき四角い鍔の向こうには、
やはり大の大人を容易く握り潰せるほどの巨大な手指があった。
石造りのそれを確認するや否や、蝉丸は疾走の勢いのまま跳躍する。
狙うは頭上、巨石像の大剣を持つ指。
仙命樹によって強化された筋肉が躍動し、白髪の強化兵を大空の彼方へと押し上げる。
その背に翼のあるが如く跳んだ蝉丸の目に映る巨神像の拳が、瞬く間に大きくなっていく。
放物線を描く跳躍の頂点、速度を高度へと変換しきった、その瞬間。
片手一本で構えた愛刀を、振るう。
が。

「―――チィ……ッ!」

届かぬ。
閃いた銀弧は、僅かに巨神の指を掠めるのみ。
舌打ちをしながら落ちる蝉丸は、その左の腕に何か大きなものを抱いている。
それを抱え直すようにしながら着地した、蝉丸の背に響く怒声があった。

「坂神、貴様……!」

見ずとも判る。
光岡悟の、それは心底から憤っているような声である。

「それを庇ったままで戦える相手か!」

404十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が:2009/01/24(土) 16:59:24 ID:wnpWE7620
光岡が相手にしているのは蝉丸が対峙する大剣の女神像の隣に立つ、髪の長い有翼の女神像である。
白い光球を銃弾の如く放つそれを牽制しつつ隙を窺っているはずだった。
互いに背中を預けた格好の光岡の不安と憤りは理解もできる。

「分かっている、しかし……!」

言い返しながら、蝉丸は抱きかかえたそれをちらりと見る。
ぐったりとした、生きているのか死んでいるのかも判然としない、白い肢体。
蝉丸によって軍服の上衣を着せ掛けられただけのあられもない姿をした、それは少女である。
名を、砧夕霧という。
沖木島全土に展開し死と破壊を撒き散らした少女たちの、最後の生き残りであった。

「捨て置けというのに!」
「聞けぬだろう、それは!」

体勢を立て直した大剣の女神像が、再び手にした破壊の鉄槌を振り上げようとする。
長い間合いの外に退くのは間に合わぬ。
一瞬の内に判断して、詰めた間合いを更に踏み込む。
神像群を支える空中楼閣の如き巨竜の胴に程近い。
見上げても、天まで届くようなそれに阻まれて空は遠かった。
影が、落ちる。
縦に突き込まれる大剣が、断頭台の刃の如く蝉丸に向けて迫っていた。
巨人を両断するような刃が、比して芥子粒の如き蝉丸を磨り潰そうと叩き込まれるのは質の悪い悪夢か、
或いはそれを通り越して風刺の効いた喜劇のようですらある。
駆け出した蝉丸が、影と己と刃そのものを見比べながら正確な位置取りで逃げる。
頭上に落ちれば一巻の終わりではあるが、剣の腹で巨大な範囲を薙がれるよりはよほど対処しやすい。
どの道、相手は常に一撃必殺であった。
疾走の中、蝉丸は腕に抱いた少女のことを思う。
青の一色に染め上げられた、あの奇妙な世界の中で聞いた声がこの少女のものであると、
蝉丸は今や確信している。
あの世界では声なき声が直に、人の心に響いていた。
であれば、目を覚まさぬ夕霧の心根が蝉丸に届いたところで些かの不思議もないだろう。
少女の声。
幸福を希いながら、それを欺瞞と断じる、希求の呪歌。
それは最後に、覆製身である砧夕霧の、本当の願いを謳い上げていた。

蝉丸は理解している。
少女の願いを叶えようと決意する、己が醜さを十二分に理解している。
それは平穏の先送りだ。
困難に立ち向かう内、弱きを助ける内は己が心を戦場に漂わすことのできると、
怖気の立つような平和に戻ることなく戦い続けられると、そんな醜悪、心の膿が
少女を捨て置かせぬのだと理解している。
しかしまた、蝉丸は己を断ずる。
眼前、少女がいるのだと。
幸福を希求し、泥濘で喘ぐ少女は確かにいるのだと。
ならば坂神蝉丸の魂は、砧夕霧を見捨てることを肯んじない。
如何に新たな時代への怯懦に震える己が弱さを捻じ伏せようと、魂は曲げられぬ。
平和を恐れ、安穏を忌避し、しかし平穏と安寧を求める声をその全力を以て護るのが、坂神蝉丸だった。
戦のない時代へと震えながら歩むことと、少女を護り、その儚い願いを叶えることとは並び立つ。
それは、じくじくと膿を染み出す心の隙間にできた傷を、惰弱との訣別という刃で敢然と抉り取る蝉丸の、
これより先に歩もうとする道の在り様だった。

405十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が:2009/01/24(土) 16:59:37 ID:wnpWE7620
背後、刃が落ちる。
大地が、揺れた。
轟音と、嵐のように降り注ぐ石礫と、その地響きとに揺り起こされたわけではあるまい。
しかし、

「……夕霧……!?」

蝉丸が、瞠目する。
腕の中でびくりと震えたその肢体を見やれば、果たして少女が、その長く閉ざされていた目を、開けていた。
驚愕の中、尚も呼びかけようとした蝉丸の言葉が、止まる。
少女の瞳から、零れるものがあった。
ぽろぽろと、大粒の真珠のように転がるそれは、涙である。

同時、蝉丸が渋面を作っていた。
耳朶が、震える。
甲高い音。塹壕の中で聞く電波の悪いラジオから響くような、ノイズ。
高く波打つような音が聞こえたのは一瞬である。
僅かな間に、ノイズは嘘のように収まり、風の中に消えていく。
だが次の瞬間、蝉丸は更なる驚愕を覚えることとなった。


***

406十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が:2009/01/24(土) 17:00:04 ID:wnpWE7620
 
『―――しあわせになりたい』

それは、声だった。

『いきたくて』

青の世界で聞いた、音なき声。

『いきおわりたくて』

望まず生まれた少女の、

『たくさんのわたしに、もどりたい』

小さな、願いだった。


***

407十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が:2009/01/24(土) 17:00:28 ID:wnpWE7620
 
ほんの瞬く間の、それは声である。
陽光に融けて消える幻のような、輪郭の薄い声。

「ぐ……!」

こめかみを押さえた蝉丸が、呻きを漏らす。
少女の声が収まるか収まらぬかの刹那、立て続けに蝉丸の脳裏を走るものがあった。

―――海に囲まれた島と、その中央に位置する山。
―――山頂に顕れた銀色の湖と、それを取り囲むように立つ、八体の石像。

目に見たものではない、影のない幻。
それは音のない声のような、ひどく掴みどころのない、映像だった。
そんなものが、唐突に脳裏を支配する。

「これ、は……」

思わず呟きを漏らした蝉丸が、

『何だ、今の……!?』
『郁未さん、気をつけてください……!』
『……!』
『誰だ、誰が喋っている!? どこにいる、坂神!』

同時に響いた、幾つもの声に言葉を失う。
どの声も、混乱していた。
聞き覚えのある声と、そうでない声と、そのすべてが同時に響いている。
まるでその全員が、すぐ近くにいるかのように。

「まさか……!?」

刹那、蝉丸の心中を過ぎったのは黄金の海である。
どこまでも続く麦穂の中、顔だけを出していた少女。
あの場所で少女の声は、音なき声は、こんな風に響いていた。
今、あの世界と同じように声が伝わっているのなら。
その声を伝えるものが、あるとするなら。
思いを伝えたのは、誰だ。
応えるべきは、誰だ。

「―――」

思考と決断とは、ほぼ同時。
混在する複数の声は光岡悟と、おそらくは鹿沼葉子と天沢郁未、そしてもう一人。
一刻も早く混乱を収束し伝えなければならぬことが、あった。

『―――國軍、坂神蝉丸』

声に出さず、思う。
伝えよ、と。
伝われ、と願う。

『青の世界を知る、すべての者に傾聴願う……!』

世界よ、声を伝えよと。
願い、思う蝉丸の意識に。
息を呑む幾つもの気配が、返ってきた。

408十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が:2009/01/24(土) 17:00:51 ID:wnpWE7620
 
【時間:2日目 AM11:43】
【場所:F−5 神塚山山頂】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:健康】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:健康】
砧夕霧中枢
 【状態:覚醒】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体18000体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1034 1037 ルートD-5

409十一時四十三分(1)/私らしく:2009/01/27(火) 14:12:21 ID:VohrnP.g0
 
世界が割れるその一瞬に、前触れはなかった。

然程のことではない。
それは単に、目に映る世界が八つだか九つだか、その程度に増えたに過ぎない。
同じように耳に聞こえる音が幾つも幾つも重なって、息の吹きかかるのを感じるような耳元で
沢山の唇がぞろりぞろりと喋り出したとして、大した違いはない。

然程のことではない。
それは単に、自身の正気を疑うに足る程度の問題に過ぎなかった。

410十一時四十三分(1)/私らしく:2009/01/27(火) 14:12:58 ID:VohrnP.g0
 ―――海に囲まれた島と、その中央に位置する山。
 ―――山頂に顕れた銀色の湖と、それを取り囲むように立つ、八体の石像。
 ―――そして重なる、無数の視界。

正視すれば視界は揺れる。
ぐるりぐらりと揺れて歪んで、右に揺れれば左に震え、前と後ろと上と下とがてんで勝手に入り混じって
頭が引き裂かれそうになって、もうどちらが上なのか、わからない。
きっと足の着いている方が下だろうと、そう思ってもゆらりゆらりと入れ替わる視界は不安定で、
右の腕のある方に落ちていけばそちらが下のようにも思えるし、そう感じてしまえば戻れない。
くらりと揺れて。
身体は右に、落ちようとする。
右は下でなく、下は右でなく、落ちようとして落ちられなくて、ぐわりぐわりと頭が揺れる。
見えるものと感じることと、違いが過ぎて頭が痛い。
ぐずぐずと煮えたぎるような頭痛が伝染するように、胃から辛くて苦いものがこみ上げてくる。
吐こうとして、どちらが下かがわからずに、口を開ける。
開けて流れるほうが下だろうとそんなことを考えて、だらだらと胃液の毀れるに任せた。

 ―――何だ、今の……!?
 ―――郁未さん、気をつけてください……!
 ―――……!
 ―――誰だ、誰が喋っている!?

ぞろりぞろりと声がする。
毀れた胃液が制服を汚して、嫌な臭いを撒き散らす。
谺するような吐息と喘鳴と舌打ちとが、臭いに混じって耳朶を打つ。
幾つもの鼓動と幾つもの息遣いとが不規則に重なって、どれが自分の鼓動だかも分からない。
分からないから正しいリズムが掴めない。
息を吸うタイミングと吐くタイミングが滅茶苦茶で、いま自分が息を吸ったのだか、
それとも吐いていたのだかすらも、次第に判然としなくなってくる。
吸って、誰かの息を吐いた音に騙されて、もう一度息を吸おうとして胸が苦しくて、
吐き出そうとしたら誰かが先に吐いてしまって、吸って、吐いて、吸って、
そんな当たり前のことができなくなってくる。
息が苦しくて、頭が痛くて、ぐるぐると巡る音と視界とが、ぐねぐねと歪んで偏在する。

否。
否、否、否。
それらは巡っているのではない。まして、歪んでいるのでもない。
それらはただ、通り過ぎていこうとしているのだ。
誰かの視界が、誰かの声が、何故だか自分の中を通過していくだけの、それは単純な現象。
単純に通り過ぎようとして、だけど沢山のそれらが通るには狭すぎて、だから押し合い、だから圧し合い、
ぎゅうぎゅうとつかえて、周りを削り取っていく。

削り取られていくのは辛くて、頭は痛くて、息は苦しくて。
ひびが入って割れそうで、壊れてしまえば楽そうで。

だけど、それは、できない。
それをさせない、願いがあった。
それをさせない、祈りがあった。

それは小さな、透き通った願いだ。
それは脆くて、儚く消える祈りだ。

それは、届いて、と。
そういう、気持ちだ。


***

411十一時四十三分(1)/私らしく:2009/01/27(火) 14:13:20 ID:VohrnP.g0
 
「なに、これ……」

呟いて上体をぐらりと揺らした長岡志保が、その場に崩れ落ちる。
泡を食ったのは国崎往人である。
振り返れば、志保が青い顔で頭を抱えていた。

「……どうした!?」

気を失って倒れた春原陽平を介抱していた国崎がひとまずそちらを置いて駆け寄っても、
志保は顔を上げすらしない。
ひ、ひ、と。
しゃくり上げるような呼吸を繰り返している。

「ったく、次から次へと……! おい、気分でも悪いのか……?」

自らの頭を押さえるように座り込む志保の肩を掴んだ、国崎の表情が変わる。
小刻みに震えるその細い肩は、ぞっとするほど冷たい汗に濡れていた。

「な……! どうした、大丈夫か!?」

慌てたような国崎の声が、届いたか。
突然、志保が顔を上げる。
それを覗き込んだ国崎は、しかし思わず一歩を退いていた。
射竦めるような眼が、そこにあった。

「流れて……流れてくる……。あたしを通じて……拡がってく……」

呟く声はどこか病的で、差し出しかけた手が、躊躇を感じて止まる。
止まったその手が、掴まれた。
国崎が小さく表情を歪める。
べったりと汗に塗れ強張った志保の指が、国崎の掌に爪を立てていた。
少女とは思えぬ強い力が皮膚を裂き、血を滲ませる。

「しっかりしろ、長お……」

長岡、と言いかけた国崎の言葉が止まる。
ふるふると震える志保が、掴んだ国崎の手を支えに、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。

「おい、無理するな……」
「―――るっさい……! へばって、らんないのよ……!」

労わりを弾くような、強い口調。
玉のような汗が、頬を伝って顎から垂れ落ちる。
脂汗と吐瀉物とで濡れたシャツをべっとりと肌に張り付かせたまま、志保が首を振る。

「届けろってんなら……! 届けて、やるわよ……!
 志保ちゃん情報……、なめんじゃないっての……!」

少女を支えているのは矜持と反骨。
跪けと命じる声に屈するを良しとせぬ、その志だった。

「届けてあげる……! この、志保ちゃんが……ッ!
 言葉も……心も、全部! まとめてッ!」

その瞳は既に眼前の光景を映さず、その耳は吹き抜ける風の音をすら聞き取れず。
それでも、少女は立っていた。
ぐらりぐらりと歪み揺れる世界の中で、誰とも知れぬ小さな祈りを叶えようと、立っていた。

それが、長岡志保だった。

412十一時四十三分(1)/私らしく:2009/01/27(火) 14:13:50 ID:VohrnP.g0
 
【時間:2日目 AM11:43】
【場所:G−6 鷹野神社】

長岡志保
 【所持品:なし】
 【状態:異能・詳細不明】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)、化粧品ポーチ】
 【状態:健康・法力喪失】

春原陽平
 【所持品:なし】
 【状態:妊娠・意識不明】

→1019 1038 ルートD-5

413変心:2009/01/29(木) 01:58:27 ID:QkREX4Vk0
「この学校は、好きですか」

「わたしは、とってもとっても好きです。
 でも、何もかも、変わらずにはいられないです。
 楽しいこととか、嬉しいこととか、ぜんぶ。
 ……ぜんぶ、変わらずにはいられないです」

「それでも、この場所が好きでいられますか」

 いま、この質問に自分は答えられるだろうか。
 胸を張って答えを言えるだろうか。

 何もかも、変わらずにはいられない。

 手を伸ばしても、引っ込めても変わるものは変わってしまい対応せざるを得なくなる。
 どんなに望んでも、どんなに我侭になってもどうしようもない。
 それがこの世界の在り方だ。
 変わることを摂理とするこの世界の有りようだ。

 自分はそこに生きている以上従わなければならない。
 変わっていってしまうものを受け止めなければならない。

 ……なのに。
 なのに、どうして、こんなに胸が苦しいのだろう。
 こうなることを薄々予感していたのではないのか。
 とっくに失われたものが再び失われただけと分かりきっていたはずではないのか。

 どうして。
 どうして、変わっていて欲しくないと願ったのだろう、わたしは……
 既に自分が変質してしまったと知り抜いているのに。
 既に戻らなくなってしまったと理解しきっているのに。
 こんなにも、変わらないことを望んでいた……?

414変心:2009/01/29(木) 01:58:48 ID:QkREX4Vk0
 そうじゃない。
 わたしが、変わる世界に当て嵌まらないのではなく……
 わたしは、終わり続ける世界にしか当て嵌まらなかった。

 終わりしかない場所は終焉。
 進むことが出来ず引き返すことも出来ない、ただ結末だけが存在する場所。
 そこでは永遠だけが『終わり続き』、『繰り返しながら止まる』。
 何も変わらない。画用紙に描いた風景画のような、それ自体だけの世界。
 幸福はない。けれど、哀しみも苦しみもない。
 今ある『わたし』だけで全てが帰結するところ。

 自分はそこにしか住めない者でしかなく、他の世界にはどうあっても混じり得ない。
 分かっていたはずなのに、未練たらしく生き、また共に歩もうという思いさえ抱いていた。
 盾となると決めた覚悟とやらも嘘なら、ひとりで進むという言葉も嘘。
 嘘を嘘でしか塗り潰せず、どこにも行けないわたしは――

「見つければいいだけだろ」

 岡崎さん? 虚を突かれた思いで振り返ってみたが、誰の姿もない。
 気のせい……その思いが去来しかけたとき、ふわりと、風もないのに髪が揺れた。
 何かが通り過ぎたかのような、不自然な風。いやそもそも風などありはしないのに。
 俄かに全身がそそけ立つ。そうしなければいけないという思いに駆られて、
 後ろに向いていた顔をもう一度前へと戻す。
 果たしてそこには、先を行く後姿があった。ほんの数歩先、立ち止まらず『彼』は喋り続ける。

「次の楽しいこととか、うれしいこととかを見つければいいだけだろ。
 あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか?」

415変心:2009/01/29(木) 01:59:08 ID:QkREX4Vk0
 この場所が好きでいられますか?
 誰ともなく尋ねた質問に対して、誰にでもなく答えた言葉。
 孤独の中で、孤独に対して向けられただけの、それは会話とも呼べぬものだったのかもしれない。

「違うだろ」

 振り向かず、『彼』はきっぱりと言い放った。
 それは噛み合わぬ世界に対して幸福の形を探すのでもなければ不幸から逃げるものでもない、
 自らが幸福を生み出せると信じて疑わない男の声だった。

 ただただ、一生懸命に苦しみ、もがき、ひとの中に自分が生きられる世界を探そうとしている。
 終わり続ける世界の住人であっても、生きていくことは出来るのだというように。
 待ってください――喉元まで出かけていたはずの言葉は出てこなかった。
 後は追えない。追えるはずがなかった。
 彼は無言のまま歩き続けているから。

 ほら、いこうぜ。

 それで締めくくられるはずの言葉が出てきていない。
 なら行けるはずがないのだ。
 古河渚は、まだ坂を上りきることが出来ないのだから。
 自分は、坂を上がり続けなければならない。
 これから先、ずっとずっと、本当の幸福、豊かさを手に入れられるまで……

 ただ、自分にその資格があるのかと思ってしまう。
 約束を反故にし、様々なものを打ち捨ててきた己に、求め得る価値はあるのだろうか。
 それだけではない。自分は様々な人の夢を奪って生きている。
 父母の夢に始まり、仲間の命をも奪って……

416変心:2009/01/29(木) 01:59:24 ID:QkREX4Vk0
「そうじゃねえ」

 また、横を通り過ぎて行く人影があった。
 煙草をくわえ、遥かな先を見渡す男……古河秋生がそこにいた。
 秋生は口から煙を吐き出すと、朋也と同じく先を進んで行く。

「俺達は夢を捨てても、奪われてもねぇ。俺達で望んで託したんだ。……分かるだろ?」

 苦笑交じりの口調はやんわりと窘めるようなものだった。
 無理しなくていい。無理に責任を取ろうとしなくたっていいんだ。
 そろそろ自分のことを考えてもいいんじゃねえか?
 自分のこと……?

 耳からではなく、心の芯に直接響く声に返そうとしたが、秋生の姿は既に遠くにあった。
 喧騒が聞こえてくる。愉しそうに笑いあい、軽口を飛ばしあいながらもしっかりと歩き続けている。
 朋也と秋生のものだけではない。そこには春原も、様々なひとがいて、肩を組みながら笑っている。
 自分はそこに行けない。行こうと思えば行けるだろう。そこは全てが終わり続ける世界だ。

 けれどもその世界にいる人は違う。朋也同様、希望を人の中に見出し、
 苦しいながらも肩を組んで新しい場所を目指そうと『新しい終わり』に向けてよろよろと歩いている。

 だから、まだ行けない。そこへ行くにはもう少し頑張らないといけない。
 それまでがどうだったにしても、わたしはまだ夢を捨ててはいない。
 みんなから預けられた夢を忘れていない。
 もう少し……頑張ってもいいですよね? わたしは……頑張れますから。

「ファイトッ、ですよ」

 また声がかけられた。
 いつからいたのだろう、ずっといたかのように古河早苗が柔らかな微笑を浮かべて、側に立っていた。
 ニコリと、もう一度渚に笑いかけた早苗は小走りに坂を上り、喧騒の中に紛れていく。

417変心:2009/01/29(木) 01:59:41 ID:QkREX4Vk0
 もう二度と会うことはないだろう。永久の別れはあまりに簡潔で、けれど悲しくはなかった。
 寧ろ笑っていられる。こんなにもしあわせな別離を、今までに感じたことがあっただろうか。
 渚は坂の下で幾度となくそらんじた言葉を反芻する。

「それでも、この場所が好きでいられますか」

「わたしは……」
「わたしは、まだ好きにはなれないです。でも――」

「――好きになっていきたい。そう思います」

「なら、それでいいじゃないか」

 ふっ、と。
 背後から重ねられるように、抱きすくめる腕があった。
 初めて渚に触れた腕。温もりがあまりに温かかった。
 誰だか分かる。この手のひらの大きさを、わたしは知っている。

「ほら、いこうぜ」

 そう。
 何も知らない、知ろうともしなかった自分。
 こんなわたしでも、まだ……

「はい」

 手をとっていける。

     *     *     *

418変心:2009/01/29(木) 02:00:01 ID:QkREX4Vk0
 拒絶されるのは半ば覚悟の上だった。
 元々が赤の他人で、自分はその上人殺しだ。
 彼女が最も嫌うべき種類の人間であり、本来なら近づく権利さえないのかもしれない。
 だからといってこのまま何も知ろうとせず上辺だけ取り繕っていくなんて空しすぎる。
 嫌いなら嫌いで構わないし、拒絶されたらされたで踏ん切りがつく。

 ただ確かめたかった。
 俺は、那須宗一は古河渚にとってどんな人間であるのか、を。
 俯いたままの渚の身体を包み込むようにして抱きすくめる。
 震えもせず、ただ硬直したままの渚はそこにいて、しかしいないようでもあった。
 自分が想像も出来ない、別の世界へひとり行ってしまったような、そんな感覚だった。

 なら連れ戻そう。孤独の海に漂っているのなら俺は拾い上げればいい。
 その後相容れられずどこかで別れることになってしまったのだとしても、
 取り残され、誰からも省みられることなくいなくなってしまうことはないはずだ。
 そうやって守ってきてくれたのが……夕菜姉さんだ。

 今なら分かる。どうしてハック・フィンであろうとしたのか、分かる。
 ひとりで生きていくことは、確かに不可能じゃない。
 力を持ち、対処するだけの能力を身につけていれば誰の力も借りずにいられることはできるだろう。
 だがそれでは寂しすぎるし、長くは生きられない。
 そうして気が付けば失われてしまったものに深すぎる後悔を覚え、悲しさだけを残してしまう。
 だから人は寄り添い、少しでも痛みを紛らわせようとするのだろう。

419変心:2009/01/29(木) 02:00:38 ID:QkREX4Vk0

 ‘All right, then, I'll go to hell’
 わかった、それなら俺は地獄へ行こう。


 ひとりではなく、ふたりで。
 一緒に堕ちても構わない。
 だから、渚……ひとりでいようとしないでくれ。

「はい」

 どきりとするほどはっきりと、あらゆる静寂を突き破る深さを以って渚が応えた。
 手のひらにそっと手が乗せられる感覚。
 雪をすくい取った直後のように冷たかったが、不思議と寒くはならない。
 寧ろ心地の良い冷たさが、己の熱しすぎた感情を冷まし、程よいものに仕上げてくれている。

「大丈夫……じゃ、ないかもしれません、少しだけ」

 ほんのちょっとの苦痛を訴える声だった。
 だが確かにこちらを頼って助言を求め、どうすればいいのかと尋ねてきてくれている。
 まだ遠慮している節はある。でも、確かに渚は拒絶はしなかった。
 ならそれでいい。積み重ねていけばいい。何もかも、最初から全てを委ねてくれるとは思っていない。
 それが仕事の定石だ、そうだろエディ?

 小さく苦笑し、これ以上抱きすくめているのは流石にどうかと考えた宗一は渚から腕を離そうとした。
 が、手首を掴む小さな手のひらが意外と頑丈で、強引にでもしなければほどけそうになかった。
 どうしたものか、と戸惑っていると「……すみません、もう少しだけいいですか」と渚が言った。

「わたし、その、今……みっともない顔なので……」

 言った後、ぐす、と鼻をすする音が聞こえた。ああ、そういうことかと宗一は得心する。
 これが渚なりの弱みの見せ方なのかもしれない。歩み寄った上での見せた弱さなのかもしれない。
 どちらにせよ、古河渚というひとのやさしさが見えたような気がする。
 極力負担をかけずに迷惑をかけようとする。滑稽な我侭さだという思いが胸の内に広がり、
 自然と気が楽になる実感があった。重さが苦にならない、この気分は一体何なんだろう。

420変心:2009/01/29(木) 02:01:02 ID:QkREX4Vk0
 皐月やゆかりと馬鹿をやっていたときに似ている。
 言いたいことを言い合って挙句喧嘩にすらなるというのに不思議と後腐れが残らない。
 ムカつきもわだかまりもなく、清々として晴れやかな気分で笑っていられる。
 何も考えることなく、心の内を読むことも必要とせず、終わりは「お疲れ様」で締めくくられる。

 だから俺は学校に行っていたのか。
 学生生活をカモフラージュする手段ではなく、楽にしていられる場所として……
 鍵をかけて仕舞っておいたはずの皐月の顔、ゆかりの顔が浮かんでは消え、澱みのない希望を宗一に伝えた。
 そういうことか。那須宗一と地獄に堕ちてくれるハック・フィンは夕菜姉さんだけではないということか。

 たくさんの記憶が、思い出が今の自分達を支えてくれている。
 今更のような事実に気付き、宗一の箍が外れてひとつの感情を溢れ出させた。

「は、はは……奇遇だな……俺も、みっともない顔なんだ……」

 今まで堰き止め、男という義務感で縛り上げてきたものが一気に瓦解し、濁流となって押し寄せていた。
 この流れは止めようとしても止められず、また止める気にもならなかった。
 停滞し、澱みきっていたものが洗い流されてゆく感覚。
 情けない姿で、こっ恥ずかしいものには違いないが不思議な心地よさがあった。
 渚もきっと同じ感覚を味わっているのだろう。だから分かる。

 人はこうして、弱さを乗り越えて強くなれるのだろう。
 過去の澱みを洗い流し、心機一転して進む根源になり、より善いものを目指そうとする。
 もう、何も迷うことはない――そう思いながら、宗一は川の流れを見下ろしていた。

     *     *     *

421変心:2009/01/29(木) 02:01:23 ID:QkREX4Vk0
「……これで、いいんだな?」
「はい」

 那須宗一と古河渚が互いに身を寄せ合っているとき、ルーシー・マリア・ミソラと遠野美凪は、
 宗一と渚がいる職員室の外、廊下に居座って話をしていた。
 美凪は生硬い瞳のまま、ルーシーの問いに頷く。

 職員室の壁側を背に身をもたれさせていたルーシーは、美凪の内側で何かしらの決着がついたことを予想し、
 そしてそれは結局自分と同じ現状維持のままなのだろうと感じていた。
 わだかまりを、完全に洗い流すことは出来なかった。

 渚が悪いわけではないし、筋違いだということも頭では理解しきっている。
 ただ抜けきらないのだ。奥底で、腹の中で、引っかかっている小骨が抜けきらない。
 無視してもいいほどの痛みだが癇に障る痛み。
 だからといって、駄々をこねて喚くほど自分は子供ではないし、それでどうなるものでもない。
 心の在り様を冷静に捉え、応じて付き合ってゆけばいいだけのことだ。そうしていれば嫌なものを見ずに済む。
 総括すればそういうことだ。ルーシーはところどころ歪みを見せている窓越しに外の様子を窺う。

「雨だな……」

 透明度を下げた向こう側の風景は僅かの音量を伴って大地に雫を降らせている。
 静かな雨だった。まるでこの島を静寂で包み込もうとするように、雨音以外は何も聞こえない。
 いくつもの魂に対する厳かな鎮魂歌か、嵐の前の前奏曲か。

 折角服を着替えたのにまた濡れるのかと内心に嘆息しながら視線を戻そうとして……
 ピントが、窓に映る自分の顔へと当てられた。
 能面のように白く、鉄面皮を気取っている顔がそこにある。
 この仮面を剥ぎ取る術を知らないまま、先へと進んでいこうとする自分。
 果たしてそれは本当の『私』なのだろうか?

422変心:2009/01/29(木) 02:01:44 ID:QkREX4Vk0
「……私達は」

 ぽつりと呟かれた美凪の言葉が、窓に映るルーシーの顔をぼやけさせた。
 ぼんやりとして、しかしどこかもの悲しそうな美凪の表情が代わりに入った。

「善人にはなりきれないのだと思います。いえ、私達だけじゃなく生きているひとは、みんな」
「ただ私達は目を逸らし続けている。……そうしなければ、憎しみに変わってしまうかもしれないから」
「失ってしまったものが大きすぎたのかもしれません」

 言い訳のように美凪はまくしたてた。この感情を自分でも整理しきれないまま、
 悪いものだと分かりながらもどうすればいいか分からず、欠けてしまった部分に放置している。

「そうして空いてしまった部分に何かで埋め合わせをしようとする」

 もとあった団結心は他者への警戒心へと変わり、やがては腐り、奪ったものへの憎悪へと変わる。
 そうならないためにまた人は集まり、団結して、新たな警戒心を作り出していくのかもしれない。
 繰り返していくうちにだんだんと他者と相容れられなくなり、互いに食い合う……
 結局のところ、復讐や報復などといったものはそういうものなのだろう。
 元は互いに分かり合い、共生していくために寄り集まったはずなのに。

 ふっとルーシーの心に影が差したとき、「でも」と美凪が声を発した。

「私は今、痛いです。どうしても受け入れられない部分があると分かって、遠ざけて解決しようとしている。
 それは寂しすぎるんじゃないか、って言ってくるんです。……恐らくは、私の、良心が」
「良心、か……」
「るーさん、さっきの質問ですが」
「ん?」
「……やっぱり、言い切れません。どうしても、私には出来ないようなんです」
「そうか……私もだ」

 胸のうちにまたズキズキとした痛みが走るのを感じながらもルーシーは言い切った。
 これは中途半端で悪い選択なのかもしれない。
 先ほどの質問……このチームを離脱し、二人だけで姫百合珊瑚を探しに行くかという提案。
 一度は頷いた美凪だったが、ここで再び首を振り、ルーシーもまたその気は失せていた。

423変心:2009/01/29(木) 02:02:01 ID:QkREX4Vk0
 渚に感じているものはほんの些細な反発感だ。
 埋葬の話から始まる、死者の扱いに対しての微細な不満。
 それに彼女はどこか孤独を望み、意固地であろうとして、なのに自分達とは全く反対の生き方をしている。
 ルーシーは気にもしなかったが、けれども小さなしこりとなっていることも認識していた。
 美凪も同様のようで、だからこそ離脱話を、提案として持ちかけたのだった。

「古河さんが嫌いじゃないんです。……寧ろ、自分自身が嫌いになりそうで……」
「私も古河は嫌いじゃない。あいつはまあ、大人し過ぎるが面白い奴だ」
「そうですね。何だか危なっかしくて」
「一生懸命で、手伝ってやりたくなる」

 思わず苦笑が漏れた。釣られるようにして美凪からも苦笑が出る。
 そんな渚と一緒にいると、どうしても自分の側面が浮き彫りになってしまう。
 そこが浮き出るたび、自分で自分に嫌悪感を持ち、このままいていいのかという気持ちに駆られる。
 決して善人でいられず、醜い部分を残したまま渚といていいのか。そんな感慨に囚われる。

 だがそのまま別れてしまい、次に会った時溝が大きくなってしまうのでは寂しすぎる。
 それだけが引っかかりとなって、一度決意したはずの離脱を急遽取り止めにした。
 これで良いんだという思いもある反面、僅かな苦痛と向き合い続けることが出来るかと不安にもなる。
 けれども唯一確信を持って言えることがある。この選択をしたのは自分だけでなく、美凪もだ。
 多数の正しさとは言わない。が、二人の気持ちは共に同じだということは間違いない。

 今はその事実だけ受け止めればいい。正しいかどうかはまだ決めなくていい。
 互いに頷きあったのを終わりの合図にして、ルーシーは再び窓の外へと視線を移した。
 相変わらずの雨だ。強くもなく、さりとて当分は止みそうにもない。

「……ん?」

424変心:2009/01/29(木) 02:02:20 ID:QkREX4Vk0
 燻る雨の向こう、山の中腹あたりから何やら煙のようなものが見える。
 よく目を凝らしてみるが、あれはまさしく煙だ。
 闇夜に紛れかかっていたのと空のどんよりとした色のせいで全然気付けなかった。
 火事だろうか。それにいつ頃から起こっていた?

「なぎー、見てくれ」
「はい?」

 窓を開け、煙の出ている方向を指差す。
 最初は何があるのか分かっていない様子で目を細めていた美凪だが、次第に何があるのか見えてきたらしく、
 火事でしょうか、と呟く。そして同時に、こうも付け加えた。

「山の中……だとしたら、ホテル跡かもしれません。まだ煙があるということは」
「この雨だ、山火事の可能性はなさそうだ。……間違い、ないかもな」

 人はいないと断定したはずのホテル跡で、不自然な火災が起こっている。
 そこから考えられる事実はひとつしかない。戦闘だ。誰かが殺しあっている。
 それも小競り合いなんかじゃない、大規模な乱闘だ。
 ここから見えるほどの火災が起こっているのはそういうことだ。
 まずい事態になったな、と内心に舌打ちして職員室に割って入ろうとしたとき、扉が派手に開けられた。

「おいルー公、遠野! 火事があるみたいだぞ! こっち来てみろ」
「何?」

 あっちでも? とルーシーと美凪が顔を見合わせる。
 同時多発火災。ピーポーピーポー。消防車は引っ張りダコ。

「実はこちらも火事を発見したところだ。向こうの窓から見てみろ」
「マジか」

425変心:2009/01/29(木) 02:02:38 ID:QkREX4Vk0
 今度は職員室から出てきた渚と宗一が顔を見合わせる。
 そこはかとない不安を感じ取ったのか、「早く見てみましょう」とせっつく渚に引っ張られるようにして、
 宗一が廊下側の窓に張り付く。ルーシーと美凪も入れ替わるようにして職員室に入っていく。

 宗一達が発見した火事は割と分かりやすく、雨にも関わらず空の一部が紅に染まっていたことから、
 すぐに分かった。もう一箇所の火事は平瀬村で起こっているようだった。
 同時に発見したということは、犯人は別々……つまり、最低でも二人の殺人鬼が近くにいることになる。

「……水瀬名雪……」

 隣で火事の起こった方向を見ていた美凪が、低い声で呟く。
 色の無いその声は、美凪が目にした悲劇の程を言い表すのに十分過ぎるものがあった。
 水瀬名雪。美凪の仲間二人と、ルーシーの相棒を葬り去った仇。
 この事件の下手人として彼女が絡んでいる可能性は確実にある。
 だとするなら……

 ぐっ、とデイパックを持つ手に力が入る。感情が復讐心で塗り固められ、どろりとした澱みが内を満たす。
 忘れられない記憶が恨みを呼び覚まし、己を獣へと変えていく。
 渚のようになりきれない理由だ。
 理屈では分かっていても許せないという言葉ひとつで変貌してしまう自分がここにいる。
 我慢出来ず、殺されたということを殺し返すことでしか満たせない、食い合うだけの存在だ。
 だから、私は――

「……行きましょう。二人で、あの人を『殺す』んです」
「――ああ」

 頷いたときには、既に走り出していた。
 結局はもう一度手のひらを返し、宗一たちから離脱することにしてしまった。
 中途半端に方針を変えた挙句、最後には復讐心に従ってでしか動けない。
 だが自分にはこうすることしか出来ない。こうすることでしか感情を抑える術を持たない。
 自分も、美凪も……凡人でしかないのだから。

426変心:2009/01/29(木) 02:02:52 ID:QkREX4Vk0
「那須、私達はあっちの、村の方の火事を当たってみる。お前達は向こうに行ってくれ。
 ひょっとしたら探してる人が襲われてるかもしれん」

 職員室から出た直後、宗一の姿を確認するやいなや、ルーシーは早口に言い放った。
 半分は嘘だ。単なる理由付けにしか過ぎず、その実名雪を殺しに行くことにしか意識を傾けていない。
 それでもなるべく冷静を装って言ったつもりだった。ただ反論の機会は与えない。

「何もなかったらそちらに合流する。それでも行き違ったら最後にはここに戻ってくればいい。文句はないだろう?」
「ルー公……? お前」
「任せたぞ。行こう、なぎー」

 言うだけ言うに任せると、ルーシーは美凪を引き連れて足早に昇降口まで行く。
 頭の中は、これからほぼ確実に出会うであろう名雪との戦闘だけを意識していた。
 デイパックからウージーを取り出し、美凪もまた包丁を取り出している。

 ここから先は使命を果たすだけの機械。復讐心に染め上げられただけの存在に過ぎない。
 脱出するという目的も、生きて帰るという決意も、憎む感情の前には霞んでしまう。
 何故ならそれほどに、それほどまでに……あのひとは、美凪にとってはあのひとたちは。
 半身、だったのだから。

     *     *     *

 有無を言わせずルーシー、美凪の二人が立ち去った後、宗一はどうするかと頭を回転させていた。
 二人では危険だと後を追うか。それとも言葉に従ってもうひとつの火災現場に向かうか。

 早口にまくし立て、言葉も待たずに駆け出した二人の様子は尋常じゃない。
 口調こそ冷静だったが、心中では何かがあったはずだ。
 想像を働かせようとするが、彼女達とは知り合ったばかりで、詳しいことはなにひとつ知らない。
 この地獄をどのように生き延び、その過程で何を見てきたのか……
 そしてそれに応えられる言葉は何であるのか。……そんなものを、持てるはずがなかった。

427変心:2009/01/29(木) 02:03:09 ID:QkREX4Vk0
「宗一さん」

 考えあぐねている宗一の耳に飛び込んできたのは、驚くほど冷静ではっきりとした渚の声だった。
 水をかけられたような声に弾かれたようにして、渚の顔を見る。
 決意を秘め、為すべきことを見つけ出した人間の顔がそこにあった。

「わたしがお二人の後を追います。宗一さんは指示通り、あの山へ向かってください」
「渚……? 待て、それなら」
「わたしが行かなきゃダメなんです」

 ぴしゃりと撥ね付けられた声に、宗一は言葉を失うしかなかった。
 栗色の瞳の中には強靭な、男でさえ見ることのないような意思がある。

 不意に宗一は遺体の姿で見た古河秋生のことを思い出した。
 目を閉じていながら尚意思を持ち生きているような気配さえ見せていた父親の顔。
 それと同種の気配が今の渚にはある。
 みっともないあの時とは一変した渚。

 これが澱みを洗い流し、強くなった彼女の姿なのか。
 呆然としたままの宗一に、渚は言葉を重ねる。

「わたしは……今まで自分のことしか考えてなくて、誰のことも知ろうとしませんでした。
 正確にはわたしを知らせたくなかったのかもしれません。どうしてかというと……
 わたしは、ひとりのまま、これまで生き長らえてきた責任をとって死のうとしていましたから」
「……ああ、薄々でしかなかったが……気付いてた、それは」
「ですよね。宗一さんは、世界一のエージェントさんですし」

 それにわたしは嘘が苦手ですから。苦笑した渚には後ろめたさのようなものが感じられたが、
 すぐに打ち消した。今は過去に囚われていない渚の強さが垣間見えたようだった。

428変心:2009/01/29(木) 02:03:25 ID:QkREX4Vk0
「ですから、わたしが行かないといけないんです。まだわたしにはたくさん知りたいことがあるんです。
 このまま別れたままだと……きっと、合流できても何も分かることが出来ないと思います。
 ええと、分かりやすく言うと――死なせたくないし、仲良くなりたいです。お二人とは、もっと」

 目を細め、微笑んだ渚にはあらゆる弱さを吹き散らす光があった。
 単純なことだった。仲間だから、もっと分かり合いたい。
 そんな願いに対して、宗一が応えられる言葉は一つしかなかった。

「……ああ、分かったよ。任せるぜ、セイギピンク」
「ええっ」

 まだピンクなんですか、と困ったような表情を見せた渚に、今度は宗一が吹き出した。
 俺が守りたかったものはこれなんだ。俺が馬鹿でいられるひとや、場所を守りたいのが俺の願いなんだ。

「こっちのことはこのセイギブラックに任せろ。どんな問題だってたちどころに解決してやるさ」
「あぅ、うー、はい……が、頑張ってくださいっ。わたしもですが」

 慣れない様子で握り拳を作った渚に、宗一も拳を作り、軽く突き合わせた。
 こん、とぶつかる感触を確かめ、宗一は何の含みのない笑顔を向ける。渚も同様に笑った。
 間に合わせろよ、渚――

「よし、行くぞ。立ち止まっていられないからな」
「は、はいっ!」

 二人は走り出す。

 長い、長い道を――

429変心:2009/01/29(木) 02:04:19 ID:QkREX4Vk0
【時間:二日目20:00前】
【場所:F-3 分校跡】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 4/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:ルーシー、美凪を追って平瀬村方面に。人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数11/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、スラッグ弾8発(SPAS12)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【状態:心機一転。健康】
【目的:渚を何が何でも守る。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る。ホテル跡方面に移動】

遠野美凪
【持ち物:包丁、予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン】
【状態:強く生きることを決意。だが名雪への復習は果たす。お米最高】
【目的:名雪を探して平瀬村方面に。るーさん達と行動を共にし、珊瑚を探す。ハッキングを絶対に成功させる】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。だが名雪への復讐は果たす】
【目的:なぎー達と行動を共にし、たこ焼き友だちを探す。なぎーに同行】 

【その他:22:00頃にはここで再合流する約束をしています】
→B-10

430コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:26:53 ID:fhU/1vc20
広い作りのパソコンルームは、閑散としていた。
元々言葉数が少ない、一ノ瀬ことみ。
そんな彼女に対しにこにこと笑みは湛えているものの、自分からは口を開こうとしない少年。
睨み合うというより見つめ合う二人の間に、交流といったものは乏しい。

少年はことみの性質を知らないからか、彼女が警戒した上で自分の品定めでもしているのだろうと考えていた。
だから急かすようなことは一切せず、ことみの出方を一方的に待つという姿勢を取っている。
一方ことみはと言うと、勿論そんな深いことを考えているということもなく。
ぽーっとした視線を少年に送りながら、ことみは今更彼が最初に投げかけてきた言葉を胸の中で反芻する。

『やあ、何をしているのかな』

何をしていたか。
手の中にある地図を見据え、ことみは再度頭を捻る。
ほんの少し間を持たせた後ことみは視線を少年の方へ移し、挑発するように手にしていた紙切れをピラピラと振りながら口を開いた。

「気になる?」
「うん、気になる。教えて欲しいな」

少年の即答にも、ことみの能面が崩れることはない。
ただ少年は、やっと頑なであったことみの心が開かれてきたのだろうと理解したらしく、現実に存在していた二人の距離を詰めてきた。
少年が立ちぼうけを受けていたのは、パソコンルームに存在する南方の入り口である。
そこから北方のプリンターが並べられていることみの元へ、まっすぐ進む少年の見た目は軽装であった。
見ると、彼の持ち物の中でも最も目立つだろう強化プラスチックの大盾は、入り口にのドアへと立てかけられ放置されている。
少年はことみの警戒を最小限にすべく、目の前で身を守る道具を一つ手放したのだ。
これも彼の作戦である。
様子を探った上でことみという少女に対し、少年は攻撃性等を見出さなかった。
いたって大人しい、見た目と全く同じ印象を受ける少女。
殺すにしても、容易くこなせる対象である。

431コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:27:28 ID:fhU/1vc20
そんな少年が、さっさと手を下すことなくここまで遠回りなことをしているのは、現在彼の行っている問い詰めもまた真意の一つだからである。
彼女がこのような場所に引きこもり何をしていたのか、何を得たのか。
少年は、それが気になって仕方なかった。
一ノ瀬ことみという少女の情報を、少年は自身の記憶からではなく外部から得たものとしてそれとなく持っている。
しかし、とある『世界』にて神がかり的な能力を発揮していたと言うことみに、今やその姿は見る影はない。
ことみが聖と二人でいた頃からずっと機会を窺っていた少年に、ことみが気づく様子は一切なかったのだ。

「教えて欲しい?」
「うん。教えて欲しいな」

歩を進めるているとことみからもう一度問いを受けたので、少年はこれにもまた笑みを浮かべにこやかに答えた。
ことみは片手で尚紙をぴらぴらとさせたまま、少年がやって来るのを大人しく待っている。
少年は利き手をポケットにつっこみ、いつでも引き抜けるようにと隠し持っていた拳銃の感触をこっそり確かめている。
緊張感のないことみのぽんやりとした声と、カツカツと響く少年の靴音にはどこか反対の印象を受けるが、彼らの立ち姿こそが正に正反対のものであろう。
そうして二人の距離が二メートル弱と縮まった所で、少年は足を止めた。
笑顔の少年は、そこでことみの出方を待つ。

「あのね、秘密のことなの」
「ふーん?」
「だからね、特別」
「分かった。他の人には言わないよ」

人差し指をそっと口元に運びながら、ことみが口を開く。
可愛らしい少女のないしょ話に、少年は二つ返事で付き合うことを了承した。
と、ここでことみにちょいちょいと手招きをされ、少年は少しだけ首を傾げる。
もう二人の距離は大分近づいているので、これ以上その距離を詰める必要性が少年には分からなかった。
ちょんちょんとことみが自分の耳を指で指したところで、ああ、耳を貸して欲しいのかと少年も理解する。
こんな状況に放り込まれた上で大胆な要求をしてくることみの滑稽さに、最早少年は苦笑いも出さなかった。

432コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:27:57 ID:fhU/1vc20
「これでいい?」
「オッケーなの」

少しだけ前に出た後片耳を傾ける姿勢を取り、背の低いことみに合わせる形で少年は少しだけ腰を落とす。
ことみもちょこちょこと前に出てきて、少年の耳元に愛らしいぷっくりとした唇を寄せた。
吐息。少女の吐息。
甘い香りを想像させることみのそれが、紡ぐ言葉。少年は静かにそれを待つ。
震える空気、ことみの発する言葉に少年は全神経を傾けた。

「こんな状況で、甘すぎるの」

一瞬何を言われたのか理解できなかったであろう少年の瞳が、見開かれる。
驚愕と同時に少年の体を襲ったのは、焼けるように走りめぐる高圧の電流だった。

「ぐあぁっ?!」

低い呻き声を上げそのまま膝をつく少年から、ことみはぽてぽと距離を取る。
彼女の片手に握られている暗殺用十徳ナイフが仕掛けた攻撃をまともに受けた少年が、立ち上がる気配はない。
しばらくは体の痺れも抜けないだろう。
距離を近づければ近づけるほど、相手の全景も捉えにくくなる。
ことみが起こした大胆な奇襲を、予想できなかった少年の完敗だった。

怯えた様子が皆無であったこと。
あまりにも態度が堂々としていたということ。
確かに『こんな状況』では、あり得ない少女像だった。
それもことみのぽんやりとした外観が成せた虚構であると少年が気づいた時には、全てが遅い。
少年がことみを舐めきった結果がこれだ。
どこにでもいる可愛らしい女学生の皮を被った狸は、そうしてさっさと少年の前から姿を消した。

433コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:28:25 ID:fhU/1vc20
……残された少年の表情には、微かな笑みが浮かんでいる。
傷つけられたプライドに誇りという概念を持たない彼にとって、この遊戯のレベルが想像以上に高かったという思いだけがそこにはあった。
彼の、この掃除という名目がつきそうな作業に対するやる気自体はそこまで大きくない。
やるべきことはやろうとするが、本来ののらりくらりとした性格故行動も迅速ではないということもあるだろう。
与えられた指名を全うしなくてはいけない義務を抱えているようには到底見えないが、これが少年の性分だ。
その中で、彼の胸の内に一つの炎が生み出される。

(こういうのは、楽しいかな)

レクリエーションに参加する勢いである少年の目は、爛々としていた。
ただの虐殺などに面白みは感じない、必要があるからこなしているだけの状態では飽きが来る。
参加者はまだ多い。引っ掻き回し甲斐は、充分だ。
いまだ自身の四肢はぴくりとも動かないけれど、少年はわくわくする気持ちが抑えられなかった。

そう。
今回は少年の負けだったが、本質的な意味での決着自体はついていない。
この島で行われている殺し合いの勝利条件は、相手の命を奪うことである。

―― ことみの敗因は、この場で少年の命を奪わなかったことだ。

彼女はまだ知らない。
理解していない。
殺さなければ、殺されるというこんな状況を。

434コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:29:05 ID:fhU/1vc20

          ※ ※ ※


「痛っ!」

襲ってきたのは脇腹に響く激しい痛み、相沢祐一が覚醒したのはそれが原因だった。
続く体を弄られる感触に、祐一は慌てて辺りを見渡そうとする。

「こら、じっとしたまえ」

そんな祐一に向かって注がれたのは、落ち着いた様子の女性の声だ。
声の主、霧島聖は手を休めることなく黙々と作業を続けている。
聖のスムーズな手さばきに思わず目を見張りながらも、祐一はしゃべることを止められない。

「あんた一体……っ!」

寝ていた半身を起こそうとしたことで走る痛み、祐一は思わず小さな呻き声を零す。
見ると上半身が裸の状態である祐一の腹部には、包帯が巻かれていた。
何故このようなことになっているのか、あやふやで靄がかかったような自分の思考回路に祐一は表情を曇らせる。

「安心しろ、出血は多いが傷は深くない。……かなり時間が経ってるな、痕は残るだろうがそれだけだ」
「あ、あぁ」
「何だ。浮かない顔だな」

意識がはっきりしたばかりで状況が読み取れていない祐一には、自身の置かれた立ち位置だって分かるはずもない。
俯き思案顔の祐一を覗き込むよう、体勢を低くしながら聖は気さくに話しかける。
それにより強調されたボリュームのある胸部に一瞬視線をやった後、祐一はあらためて聖と目を合わせた。

435コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:29:31 ID:fhU/1vc20
「えっと、あんたは……」
「私は霧島聖。医者だ」
「これは、あんたが?」

施された手当てを指差しながら祐一が問うと、聖はそうだと頷き返す。
よくよく考えれば、それはすぐに理解できることであろう。
祐一の体を入念にチェックしていた聖はきっと、彼の傷がこの場所以外のどこかにないか探していたに違いない。
素人とは思えない手さばきに祐一が驚いたのは、ついさっきのことだ。
羽織っている白衣から覗くTシャツは少々胡散臭いものの、彼女が医者だといのは恐らく嘘ではないだろう。

「出血がひどかったから、勝手だとは思うが君の服は処分させてもらった。今連れが代わりの衣服を探しに出ている」
「先生!」
「お、もう戻ってきたみたいだぞ」

それは祐一が寝ていたベッドからもよく見える、廊下に続いているであろう扉の外からかけられた声だった。
ガラッと勢いよく開けられた扉から現れた、祐一と同じ年頃くらいであろう二人の少女の表情は明るい。
活発そうな短髪の少女と、おとなしそうなロングヘアの少女。
敵意を感じさせない雰囲気に、祐一は緊張を覚えることなく彼女等の動向を眺めていた。
一足先にと駆けて来たのは活発そうな少女の方であった。
活発そうな少女は小走りで聖に近づと、自信に満ちた表情で戦利品であろう手に持っていた物を広げる。

「先生、これでどう?」
「うむ、理想的だな。よく見つけてくれた」
「見つけたのは美凪。見本で飾ってあったのよ。何か女子の方はなかったんだけど、男子のはあったからちょうどいいかなって思って」

えっへんと胸を張る少女が手にしているのは、黒をベースに赤のラインが入っている一着のジャケットだった。
デザインからして、制服の類のような独特の印象を受けさせる。
実際それはここ、鎌石村小中学校に飾られていた制服であった。
少女の腕にはジャケットに付属すシャツやネクタイもかけられていたため、どうやらマネキンを裸にして持ち運んできたのだろう。

436コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:29:58 ID:fhU/1vc20
「ズボンはいらないと思ったんですけど、一応」
「そうか。美凪君もありがとう」
「いえ」

活発そうな少女の後ろからゆっくりと歩いてきた大人しそうな少女が、聖の言葉に対しその細い首を緩く振る。
彼女腕に衣服はかかっているそれが、恐らくそれがズボンなのだろう。
祐一はじっと、そうして活発そうな少女と共に聖の横に並ぶ大人しそうな少女の仕草を眺めていた。
さらさらと揺れる黒髪は、色は違うけれどどこか祐一の幼馴染のヘアスタイルに通じるものがある。
彼の幼なじみも、どちらかというばのんびりとしたタイプだった。
この少女のような上品さは見えないものの、それでも祐一は幼なじみの懐かしい感覚にひたりながら彼女のことを見つめていた。
しばらくしてその視線に気づいたのか、大人しそうな少女が祐一の方へと面を向ける。

「あ、ごめん。何でもない」
「……はい」

少女のか細い声から受ける印象は儚さそのもので、祐一は少し高鳴る胸の鼓動に一人俯き耐えるのだった。

「さて、じゃあ早速着替えたまえ」
「は?」
「いつまでもその格好でいては、風邪を引いてしまうかもしれないだろ」

唐突な聖の言葉に呆気に取られる祐一だが、その間に活発そうな少女が祐一のベッドに向けてジャケット等を放ってくる。
乱暴な仕草にむっとするものの、少女に悪意はないらしく祐一も余計な口出しはしない。
祐一は衣服をかき集め、その中からシャツを引っ張り出し軽く羽織った。

「ズボンです。どうぞ」

ずずっと、大人しそうな少女が手にしたズボンを祐一に差し出す。
きちんと手渡ししてくる少女の礼儀良さは、活発そうな少女に比べることで尚更際立つだろう。
しかし、祐一は足を怪我した訳ではない。
実際ズボンは身に着けているままだったので、祐一は大人しそうな少女に丁重な断りを入れる。

437コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:30:25 ID:fhU/1vc20
「下はいいよ。別にケガもしてないみたいだからさ。ありがとう」
「……」
「いや、だから」
「ズボンです。どうぞ」

ずずずっと、大人しそうな少女が手にしたズボンを祐一に差し出す。
大人しそうな少女は、見た目に寄らず意外と強引だった。

「一応制服なんだし、上下合わせた方がおしゃれなんじゃない?」
「こんな所でおしゃれなんて追求してもなぁ」
「いいからいいから。っていうか、あたし達いたら着替えにくいわよね。ちょっと出るから、着替え終わったら呼んでよ。ほら先生、美凪も」

活発そうな少女は一通り捲くし立てると、ベッドを隠すための白いカーテンを勢いよく引き祐一の姿を隠す。
活発そうな少女は、見た目通り強引だった。
女性陣に押されっぱなしの祐一は、小さく溜息をつきながら渡された衣服に着替え始めるのだった。





「……会話をしてみた感じでは、危険な印象は受けないな」

祐一が着替えをしているベッドを遮っているカーテンの向こうにて、聖は声を絞りながら話し出す。

「と言っても、君達が戻ってきたのが予想より早くてな。そこまで込み入った事情等はまだ一切聞いていない」
「でも、生き返ってよかった」
「こらこら、別に彼は死んでいた訳じゃないんだぞ」

先ほどまで活発そうだった少女、広瀬真希のとんちんかんに思える呟きに、聖は笑い混じり言葉を返した。
しかし真希の表情は重い。
見た目だけなら出血もひどく、危険に見えた祐一の姿に受けたショックを真希はまだ拭えていないのだろう。

438コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:30:53 ID:fhU/1vc20
「大事じゃなくて、よかったです」
「そうね。本当に」

与えられたトラウマに気を落とす真希の隣、遠野美凪に変わった様子は見えない。
内心は分からないが、それでも連れである美凪が飄々としているのだ。
これ以上自分も弱気でいてはいられないと、真希は頭を振って気を取り戻そうとする。
彼女も、転んではただで起きない強情者である。
格好悪い姿を美凪に見られてしまったという恥を胸の奥に押し込み、真希は改めて自分に叱咤するのだった。

「あと先生、あたし達はあたし達であいつに聞きたいことがあるの」
「ほう?」
「ほら、北川って奴がいるって話したでしょ。多分ね、あいつ北川と同じ学校通ってるわ」
「制服、同じなんです」

二人の証言に聖は目を丸くする。
そのような可能性が頭になかった聖からすれば、まさかの繋がりだった。

「もしかしたら、あいつ北川の知り合いかもしれない。そのことでちょっと話してみたいかなって」
「そうか。ぜひそれは話してみて欲しいな」
「……北川が探していたのがあいつだったら、別れなくてもよかったのに」

ぽそっと漏れた真希の言葉に、聖が気づいた様子はない。
彼女の不安は、同じように美凪の中にもあるだろう。
彼女等の仲間であった北川潤は、親友が殺し合いに乗るかもしれずそれを止めたいと語り二人から離れていった。
実際それは潤がジョーカーとして行動を開始するための虚言だったのだが、真希も美凪も気づくはずなどない。
せめて潤から彼が探している相手の名前だけでも聞いておけばよかったと後悔する真希だが、それも今更の事である。

439コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:31:16 ID:fhU/1vc20
「彼の傷は、かなり時間が経っているものだ。恐らく彼を攻撃した人物もとっくに離脱をしている可能性はあるが……やはり、ことみ君を一人にしてきたのは気になるな」
「なら先生、あたし達が行ってくるけど」
「いや、何だかことみ君も思いつめていた様子でな。危険であることは違いないが、少し一人にしてやりたいという思いもある」
「あのふてぶてしいのが?!」

また好き嫌いの問題ではなく、真希とことみは何かと剃りの合わない場面が多い。
つっこみに定評のある真希だが、美凪の上を行く独自の世界観をもつことみには多少なりとも苦手意識があるのかもしれなかった。
そんなマイペースな面の強いことみが思いつめていると聞き、真希も思わず声を上げる。
想像できないのだろう、眉を寄せる真希に苦笑いを溢しながら聖は話を続けた。

「それで君達が嫌じゃなければなんだが、彼が安全そうである場合ぜひ灯台まで行くのに同行して貰いたいと思っている。彼が他に何か目的を持っていない場合、だが」
「別にあたし達はどうでもいいわよ」
「えぇ、先生にお任せします」

聖は今回の祐一との遭遇で、危険な争いが起きているという事実を改めて自覚していた。
これから血生臭い事に巻き込まれた場合、女だけでのコミュニティでは圧倒的に不利だという思いが強いようである。

「まあ彼は怪我人だから、前線で争わせたりすることはしない。だが精神面で男がいるかどうかは、大分変わるだろうからな。それにいるだけでも、はったりくらいにはなるだろう」

女だけのグループでは、舐められる対象として格好の的になってしまう。
そういう意味で、聖は男手を欲しがっているのだ。
実際真希も美凪も、聖の言い分に反対する考えなど一切浮かんでいなかった。

「いざという時、君達はまず自分の安全を考えてくれて構わない。万が一の場合は、私が動く」

続けられた聖の言葉は、重い。
鋭い聖の強面に含まれた覚悟に、真希が小さく息を飲んだ。
それぐらいの迫力が今の聖にはある。
逃げも隠れもしないといったその雰囲気は頼もしいが、それでも危険なことに巻き込まれないのが一番であろう。

440コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:31:39 ID:fhU/1vc20
「……このまま、何事もなければいいんだけどね」

ぽつりと漏れた真希の言葉に、答える者はいない。
誰もが思う、当たり前の願いである。
しかしそれが実現するかは、行われた死者発表の放送にて呼ばれた人数の量から計る確立だ。
叶うことが難しい願望に縋っていては、前に進むことはできない。
聖の心はもう決まっていた。
生き残ること。
そしてこの島から脱出するということ。
亡くなった妹のことが気にならない訳ではないが、それでも今聖の傍にはか弱い少女達が集まってしまっている。
皆、聖の妹とは同年代であろう。
せめてこの子達は欠かさず救ってあげたいという思いが、今聖を突き動かしている原動力だった。

「着替え終わったぞ」
「ああ、今行こう」

会話が止まり気まずいとも呼べる空気が流れていたので、祐一からかけられた声は聖達にとって本当に良いタイミングだった。
暗い雰囲気を掻き消し、三人は再びカーテンの向こう側へと戻る。
カーテンを開け隠されていたベッドスペースを曝け出すと、そこには少し気恥ずかしそうに襟元のネクタイを弄っている祐一の姿があった。

「よく似合ってるぞ、少年。サイズはちょうどいいみたいだな」
「男前度が上がったんじゃない?」
「ぽっ」

上下きちんと制服を着込んだことから、祐一の印象も大分変わったかもしれない。
鏡がないため今自分がどのような格好になっているのか祐一自身は分からが、それでも似合っていると言われれば気分はよくなるものである。
頬を掻く祐一の満更でもない表情に頃合所かと、聖は改めてベッドに腰掛けるよう祐一に勧めた。
自分は脇に添えられた椅子に座り、聖は本題を口に出す。

441コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:32:09 ID:fhU/1vc20
「じゃあ、君の事情でも聞かせてもらいたいと思う。その怪我を負った時のこと、覚えているか?」
「あ、あぁ……」

走る緊張感に、聖の後ろで待機する二人の少女も口を噤む。
訪れた静寂は、祐一に早く口を開けと催促しているようにも見えた。
ごくっと一つ息を吐き、祐一はあの場面を思い出そうとする。
オロボロの少女のこと。共にここ、鎌石村小中学校に訪れた仲間達のこと。

(そう言えば、神尾達は……)

そうして甦った状況は、今祐一がこんな所で呑気に休んでいる場合ではないと告げていた。
さーっと血の気が引いていくのを感じながら、祐一は困惑を振り払おうと頭の整理を尚しだす。
焦ってはいけないと自身に言い聞かせながら、震える唇を祐一が動かそうとした。
その時である。

「……誰だっ!」

突然の聖の怒声に肩を竦める一同、祐一も思わず口を噤んだ。
聖の変容は一瞬で、何が起きたか理解できていないメンバーは戸惑うしかない。
聖の目線は、先ほども真希と美凪が入ってきた廊下に繋がる扉に伸びている。
誰かそこにいるという確信は聖以外持っていないようで、真希も美凪もお互いの顔を見合わせながら不安そうに聖の出方を待つしかない。
少しの間の後開け放たれた扉を見つめながら、聖は素早く自身へ支給品されたたベアークローを装着した。

「ことみちゃん」

緊張の糸が、切れる。
扉に手をかけながら保健室の中に足を踏み入れてきた少女の声で、聖の殺気は掻き消された。
真希も美凪もほっと息を吐いていることから、祐一は少女が彼女等の知り合いであると予測付ける。

442コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:32:29 ID:fhU/1vc20
「ことみ君、もういいのか?」

少女は頷き、ぽてぽてとそのまま聖の元へと近づいていった。
少女を笑顔で迎える彼女等の中、祐一は一人ポツンと残される。

「紹介しよう、一ノ瀬ことみ君だ。彼女で私達のグループは全員になる」
「あ、あぁ」
「ひらがなみっつで、ことみちゃん」
「よろしく……」

ことみのマイペースに拍車をかけたしゃべり方に押されながら、祐一も小さく頭を下げる。

「ねえ。何か分かったこととかあるの?」
「はい、これ」
「地図?」

真希に話しかけられ先ほどのプリントアウトされた地図を手渡すと、ことみは聖に向き合う。
落ち着いた様子に外傷も見当たらないことみに、聖は心底ほっとしていた。
別れ際のことがあったのが原因だろう。
とにかく無事でいてくれたということで、聖は気さくにことみの頭に手を伸ばしながら話しかける。

「良かった。何もなかったようだな」
「そんなことないの、ピンチだったの」

声のトーンが変わらないせいか、真剣に聞こえないことみのことばに聖が眉を寄せる。
しかしその疑いは、聖の過ちだった。
それからかくかくしかじかと語れたことみの出来事に、緩んでいた聖の頬は一瞬で引き締められた。

443コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:33:00 ID:fhU/1vc20
「……おい、ことみ君」
「?」
「君が撃退したというその少年のことだが……具体的に、彼は君に何もしていないということでいいんだな」

こくりと頷くことみに、聖は大きな溜息を吐く。
聖達が出てから、一人の少年に出会ったということ。
それを撃退したということ。
怪しいと思える人間、しかも男が相手では仕方のない反応かもしれないが、これではことみが容赦なく相手に襲い掛かったようなものであった。
その少年を放っておく訳にも行かないだろうと頭を抱えそうになる聖だが、次のことみの言葉でまた顔色が変わる。

「臭いがしたの」
「何だって?」
「血の臭い。絶対消せないくらい、濃かったの」

困ったように、ことみは少し眉を寄せていた。
あれだけ少年と近づいたから気づくことが出来たのかもしれない、自身の嗅覚が確かに捕らえた生々しいものの正体にことみはそっと目を伏せる。
ぽかんと。
ぽかんとしている聖は、ことみの言葉をすぐには理解できなかったのだろう。
しかしそれも、一瞬のことである。
徐々に強張っていく聖の形相、俯くことみはそれに気づかない。
印の入った地図を見ながら話している真希と美凪も、気づかない。
祐一だけが。
遠目から聖とことみの様子を覗いていた祐一だけが、聖の変化に気づいていた。
体を震わせながら拳まで固めだした聖が、いきなり力の限りといった様子で真横にあった壁を殴りつける。

「そういうことは、先に言ってくれたまえ!!」

444コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:33:27 ID:fhU/1vc20
決して大きくはない聖の声に混じっている苦さは、そのまま保健室の中に染み渡った。
騒ぎだすことはないが明らかに変貌した聖の様子に、地図に見入っていた真希と美凪も驚き振り返る。
祐一も、奥で一人体を硬くしてた。
聖の感じる激情の意味が思いつかないのか、ことみだけがきょとんと首を傾げている。
はぁ、と大きく溜息をつく聖に、何も分かっていないことみは裏のない労いの言葉をかけた。

「せんせ。おつかれさま?」
「そうだな、ここに来て今が一番疲れた瞬間かもしれないぞ……」

聖が整理しなければいけない情報は、山ほどある。
ことみが撃退した少年のこと。
放置している、保健室のベッドに腰掛けさせたままの祐一のこと。
そういえば、聖はことみがパソコンルームで上げた戦果についても一切の情報を得ていなかった。

(何から片付けろと言うんだ……)

時間に余裕があれば、聖もそうして悩み続けることができただろう。
しかし、彼女にそんな猶予が与えられることはない。

―― 廊下が、鳴る。

距離は遠いだろうが、確かな一定のリズムに気づき聖は思わずはっとなった。
それが人間の奏でる足音だと理解できた時、聖の背中に嫌な予感が走り抜ける。
装着したままである聖のベアークローが小刻みに震える様、その様子が視界に入ったらしいことみは不思議そうに首を傾げるだけだった。

445コスプレロワイアル:2009/02/05(木) 00:33:48 ID:fhU/1vc20
一ノ瀬ことみ
【時間:2日目午前7時30分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階・保健室】
【持ち物:主催側のデータから得た印付の地図、毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:聖に注目】

霧島聖
【時間:2日目午前午前7時30分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階・保健室】
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】
【状態:困惑】

広瀬真希
【時間:2日目午前午前7時30分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階・保健室】
【持ち物:消防斧、防弾性割烹着&頭巾、スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【状況:聖に注目】

遠野美凪
【時間:2日目午前7時30分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階・保健室】
【持ち物:消防署の包丁、防弾性割烹着&頭巾 水・食料、支給品一式(様々な書き込みのある地図入り)、特性バターロール×3 お米券数十枚 玉ねぎハンバーグ】
【状況:聖に注目】

相沢祐一
【時間:2日目午前7時30分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階・保健室】
【所持品:S&W M19(銃弾数4/6)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石中学校制服着用(リトルバスターズの男子制服風)、腹部刺し傷あり(治療済み)】
【備考:聖に注目・勝平から繰り返された世界の話を聞いている】

少年
【時間:2日目午前7時15分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・二階、パソコンルーム】
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、MG3(残り17発)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、グロック19(15/15)・予備弾丸12発。】
【状況:麻痺・効率良く参加者を皆殺しにする】


(関連・994・1012)(B−4ルート)

446十一時四十三分(2)/今日が終わっても:2009/02/05(木) 06:02:27 ID:oO7s4YPQ0
 
『―――俺の声は届いているか』

返答の代わりに伝わってきたのは、息を呑む気配である。
雄弁な沈黙に、坂神蝉丸は言葉を続ける。

『青の世界を知り……そして今、長瀬源五郎と戦うすべての者に―――』

僅かに間を置いた、その瞳には炎が揺らめいている。
朱く燃え盛る焔ではない。
静かに、密やかに、しかし何かを成し遂げる者の目に必ず宿っている、それは青い炎だった。

『お前たちに―――共闘を申し入れる。その力、俺に貸してほしい』

告げた言葉が届くまで。
その瞬きをするよりも短い空隙が、重い。

「な……! 坂神、貴様……!?」

最初に反応を返したのは、音を伴った声。
蝉丸の間近に立つ男、光岡悟であった。

「何を考えている!? 奸賊を討ち果たすのに、連中の手など……!」
『……声に出すな、光岡。どうやらここはまだ青の世界の地続きだ、思えば伝わる』

これから先の話を長瀬に聞かれることもない、と付け加えて、蝉丸がちらりと辺りを見回す。
時は動き続けている。
声を聞かれることはなくとも、巨神像の苛烈を極める攻撃は続いていた。
聞こえる地響きと奔る閃光が狙うのは、蝉丸が考えを伝えようと語りかける面々である。
言葉を返そうにも、その余裕すらない者もいるだろう。
故に蝉丸は返答を待つことなく、また自身も正面に立つ大剣の巨神像の動向に気を配りつつ言葉を続ける。

『俺たちに残された時間は、あまりに短い。長瀬の告げた刻限―――正午零時まで、あと千秒を切っている。
 このままでは埒が明かんと、お前たちも感じているだろう。故に……』
『一つ、よろしいですか』

光岡に、また他の面々に言い聞かせるように説く蝉丸の言葉を遮ったのは、冷え冷えとした印象を与える声だった。

『……鹿沼葉子、か』
『はい。私の声もそちらに伝わっているようですね』
『何か、あるか』
『ええ。あなたの言う正午零時、というタイムリミットですが―――、……ッ、一旦下がります。
 カバーをお願いします、郁未さん』
『ちょ……って、勝手なんだから……ッ!』

焦るような声音。
葉子たちが対峙しているのは、蝉丸とは長瀬の本体を挟んでほぼ反対側。
南西、槍使いの巨像である。

447十一時四十三分(2)/今日が終わっても:2009/02/05(木) 06:03:00 ID:oO7s4YPQ0
『……失礼、続けますが』
『ああ』
『正午零時とは、太陽の南中時間を意味していたはずです。あなた方はこの神塚山頂に光学戰完成躰の陣を展開させ、
 陽光が最大となるその時に、この島を一気に殲滅しようとした』
『その通りだ』
『……』

悪びれもせずに応じた蝉丸の返答に、葉子が絶句する。
同時に聞こえた舌打ちは天沢郁未のものであっただろうか。

『……それは、置きましょう。ともあれ、光学戰完成躰はどうやらそこの怪物に呑まれて全滅の憂き目に遭った。
 ならば既に、南中の時間に意味などないのではありませんか』
『いや……そうとも、言い切れん』

葉子の疑念に答えた声は、蝉丸のものではない。

『光岡……?』

予想の外から発せられた言葉に眉根を寄せた蝉丸が、表情を険しくする。
眼前、大剣の巨神像が体勢を立て直し、その恐るべき破壊の鉄槌を天高く振り上げるのが目に入っていた。
立ち尽くす夕霧を抱えて駆け出した、蝉丸の心に響くのは光岡の言葉である。

『長瀬はこう言っていたはずだ。―――天よりの祝福が降りるまで、と。
 ならば、思い当たる節がある』

ちらりと見やれば、光岡もまた疾駆している。
その姿も振り下ろされる大剣に隠されてすぐに見えなくなった。
岩盤が抉られて飛び来る石礫を手の一刀で叩き落しながら、地響きに脚を取られぬよう、走る。

『我が國にはな、あるのだ。天空の彼方より夷狄を滅ぼさんとする、最後の徒花が』
『何……?』
『俺とて詳しくは知らされておらん。だが閣下は事に当たり、その確保を焦眉の急とされておられたはずだ。
 名を―――天照』
『アマテラス……』

駆ける蝉丸が、その名を聞く。
呟くような声は、誰のものであったか。

『天よりの祝福……か。畏れ多くも光明神の名を戴くとは……些か、寓意が過ぎる』

苦笑するように口の端を歪めた蝉丸が、それきり黙って眼前の大剣に集中する。
巨像の注意を引き、話に乗ってきた光岡の負担を減らそうという位置取りであった。
俄かに訪れた短くも重い沈黙を破ったのは、鹿沼葉子である。

448十一時四十三分(2)/今日が終わっても:2009/02/05(木) 06:03:25 ID:oO7s4YPQ0
『それは……先年、打ち上げに成功した衛星のことですか。しかし、あれは……』
『情報衛星、と発表されている。だが実態は、地上への攻撃を目的とした施設だという話だ』
『そのような夢物語を、本気で?』
『未だ完成には至らぬまま、試作段階で打ち上げたとも言われている。
 しかし長瀬の、あの自信……虚勢と片付けるのは難しかろう』
『……仮にそんなものが、実在したとして。あの怪物がそれを掌握していると?』
『天照には神機の技術が使われていると聞いている。……そして長瀬は、神機を取り込んだ。
 可能性は、十分にあるだろう』
『……神機?』

苦々しげな光岡の言葉に、葉子が疑問を差し挟む。

『貴様等も見ただろう。この島を蹂躙した、人型の兵器だ』
『……昨夜出た、白と黒のヤツか』

荒い呼吸の中で吐き捨てたのは天沢郁未である。

『そうだ。あれは我が國で造られたものではない。古い遺跡から発掘された、得体の知れぬ代物だ。
 だがその技術は我々の水準を遥かに凌駕していた。それを研究していたのが、犬飼俊伐と……』
『目の前の、あれというわけですか』

長瀬源五郎。
人の形を捨て、神を名乗る怪物と成り果てた男。

『……よく知っているな』
『あの世界では、私たちも色々と見せていただきましたから』
『え、そうだっけ?』
『……あなたも体験したでしょう、郁未さん』

呆れたような声は一瞬。

『で、それがあの怪物の切り札であったとしましょう。
 正午零時にそれが放たれるまでに、あれを討たねばならない。
 だからといって……それが、どうしたというんです?』

峻厳とすら感じられる、厳しい声。

『私たちはここまでも、あれと戦っている。共闘といったところで、結局はあれを倒すという
 その目的が変わらないのなら……このような無駄話をするだけ、時間の無駄でしょう』
『それは……』
『―――その先は、俺が話そう』

光岡の言葉を引き取ったのは蝉丸である。
入れ替わるように退いた、その夕霧を抱えた身を狙うように、有翼の女神像から白い光球が放たれる。
横合いから飛ぶその光球が、次の瞬間、光岡の一刀によって斬り飛ばされていた。
絶妙の呼吸である。

449十一時四十三分(2)/今日が終わっても:2009/02/05(木) 06:03:58 ID:oO7s4YPQ0
『……どれほど傷つけようと、奴にはあの奇術じみた修復機能がある。
 個々にあれと対したところで、時を無駄に費やすだけだ』
『なら……』
『お前たちも見ただろう。あの銀色の記憶を』

反論の声に被せるように、蝉丸が続ける。

『そして俺は聞いた。夕霧の……長瀬に囚われた同胞を求める、砧夕霧の声を』
『……』
『声は願いと、手段とを俺に伝えたのだ。長瀬から同胞を救い出す、唯一の道があると。
 それこそが、あの銀の湖―――否、八体の巨神像に護られた、長瀬源五郎本体の中心部。
 あれを築き上げているのは夕霧の同胞であった者達だ。辿りつければ……心を、通せる。
 長瀬を―――崩せる』

反応を待つように、一度言葉を切る。
返答は、ない。

『俺の……俺と夕霧の道を、切り開いてほしい。それが俺の求める、共闘だ』

請い願うような、声。
虚飾や欺瞞の一切を振り払う請願であると、確かに伝えるような震えを伴った、それは声だった。
しかし、

『……は!』

最初の反応は、嘲笑だった。
吹けば飛ぶような誠実を嘲り笑う、天沢郁未の声。

『黙って聞いてれば勝手なことをベラベラと……下らないんだよ、軍人。
 信用しろって? あたしらをこんなところに放り込んだ連中の手先を?
 背中から撃たれるのが目に見えてるってのに、共闘が聞いて呆れる!』
『……郁未さんの仰る通りですね。私達には貴方を信じる理由がない。
 そもそも私達に届いたのはイメージだけ、貴方の言う声など聞こえませんでした。
 鵜呑みにする方がどうかしているでしょう』

畳み掛けるような葉子に、蝉丸が何かを言い返そうとした瞬間である。

450十一時四十三分(2)/今日が終わっても:2009/02/05(木) 06:04:35 ID:oO7s4YPQ0
『……私にも、聞こえた』
「―――!?」

思いもよらぬ声であった。
低い、しかし若さの滲み出る少女らしき声。
知らず、蝉丸が絶句する。

『……もどりたい、と。そう言っていた』

口をついて飛び出しそうになった誰何をどうにか押し留める。
おかしい、と思考が急速に転回していく。
声が、蝉丸の心の声が届くのは、あの青一色の世界を知る者だけのはずだった。
少なくとも、蝉丸はそう願い、伝えた。
光岡悟がいる。天沢郁未と鹿沼葉子がいる。
そして水瀬名雪がいるはずで、今の声は、その誰とも違う。
おかしい。数が合わぬ。
ならば、今の声は、一体誰のものだ。
意識に、一瞬の空隙が生まれた。

「……ッ! 気を抜くな坂神! 上だ!」

光岡の声に弾かれるように見上げたときには、遅かった。
遅いと、分かった。
駆けるも退くも間に合わぬ。
豪断の刃は、それほどに近かった。
せめて夕霧だけはと、たとえそれが直撃して肉塊と化すのと至近に爆ぜる風圧で引き裂かれるのと、
それほどの違いでしかないと分かっていながら肩に乗せたそれを突き飛ばそうとした、その寸前。

『―――どうした、見せてくれるんだろう? この戦いの終わりを』

声と共に、雷鳴が轟いた。
同時、天を裂いたのは稲光ではない。
それは、空に墨を流したが如き黒の軌跡。
蒼穹を染めた一文字が撃つのは、蝉丸へと迫っていた大剣である。
耳を劈くような音が、爆ぜる。
黒の稲妻が、大剣に直撃していた。

『……ッ!!』

振り下ろされる巨大な城壁の如き刃を真横から撃った稲妻が、互いの軌道を捻じ曲げる。
大剣と稲妻と、その両方が文字通りの火花を散らして鬩ぎ合い、そして離れた。
即ち、天に昇る稲妻と、大地に落ちる白刃と。
落ちた刃が地を抉る。抉られたのはしかし、立ち尽くす蝉丸からは離れた岩盤である。
開いた距離を爆風と石礫とが駆け抜ける間に、蝉丸は抱えた夕霧ごと、その場から飛び退いていた。

「ちぃッ……貴様、新兵でもあるまいに! このまま下がるぞ!」

叫ぶように言い捨てて脇についた光岡と共に、山道を駆け下る。


***

451十一時四十三分(2)/今日が終わっても:2009/02/05(木) 06:05:23 ID:oO7s4YPQ0

山頂全体を抱きかかえるように居座る巨躯の間合いから逃れ、じっとりと汗の浮かんだ掌を拭う蝉丸に、
乾いた笑いを含んだ声がかけられる。

『あまりつまらないことで狼狽えてくれるなよ、坂神蝉丸』
『水瀬……名雪か』

それは、黒雷の主である。
文字通りの間一髪で蝉丸を危地から救った女が、訥々と告げる。

『あの声は……私のよく知っている人さ。川澄舞……別段、敵じゃない』

川澄舞。
その名が確かに参加者名簿の中に存在し、死者として読み上げられてもいないことを、蝉丸は思い出す。しかし。
しかし、とそこで蝉丸の思考は再び止まる。
しかし青の世界に、あの黄金の麦畑にその姿は見えなかった。
ならば何故、声が届いた。
何故、夕霧の想いが、願いが届いた。

『ずっといたじゃないか。あの麦畑に、最初から。誰も気付かなかったようだけれど。
 ……ねえ、川澄、先輩?』

そんな蝉丸の心を読み取ったかのように、名雪の声が響く。
ねっとりとした言葉尻に底知れぬ悪意を滲ませたその問いかけに、返事はない。

『冷たいな、恋敵には。……まあ、川澄先輩が言うなら、夕霧の声とやらも本当なのだろうさ。
 その人には昔からおかしな力がある。この世ならぬ何かが聞こえたって不思議じゃない』
 
どこか蔑みを含んだような、薄暗い声音。
だが続いたのは、意外な一言であった。

『……で? お前たちの道を切り開くために、私は何をすればいい?
 指示を出せよ、坂神蝉丸。それがお前の本職だろう』
『……! 水瀬、貴様……』

共闘を呑むという、それは意思表示である。
気付いて何かを言うより早く、

『終わらせたいのさ。まだ……終わらないのなら、終わらせたいんだ』

どろりと呟いた名雪の、その声音のへばりつくような重さが、蝉丸の口を再び噤ませる。

『お前たちもそうじゃないのか、天沢郁未、鹿沼葉子』
『……!?』

話の推移を見守っていたらしき二人が、唐突に名を呼ばれて息を呑む。
やがて諦めたように溜息を吐いたのは、鹿沼葉子であった。

452十一時四十三分(2)/今日が終わっても:2009/02/05(木) 06:06:40 ID:oO7s4YPQ0
『……確かに、このまま正午まで手をこまねいている、というのも面白い話ではありません』
『葉子さん!?』
『しかし、あの怪物を倒した後にも戦いが続くというのであれば、共闘するといったところで
 私達が無駄に消耗するだけかもしれません。ならば、高みの見物を決め込むというのも……』
『そうして死ぬか。好きにするさ』
『……ッ!』

郁未が激昂しかけたところへ、

『だが……終わるぞ、この戦いは。あれを始末しさえすれば』

あっさりと、名雪が告げた。
終わる、と。
この戦いが終わると、そう告げられた言葉の意味を、それを聞いた者が咀嚼し、理解し、
そして驚愕するまでに、僅かな間が空いた。

『……っ!?』
『終わ、る……!?』

さしもの葉子も、半ば呆然とした声音で呟いている。

『そうだろう? 光岡……で間違いなかったかな。九品仏の腰巾着』
『な……貴様、どこまで……!?』

名を呼ばれた光岡が二の句を継げずにいるのを、名雪が追い立てる。

『どの道、これ以上隠すようなことでもないだろう。あれの始末を確認次第、
 九品仏が終幕を告げる……式次第はそんなところか』
『水瀬、貴様……、何故……!』
『分かるのさ。こう何度も繰り返していればな。これはもう、終局の形だ』
『何を……!?』
『こちらの話さ。……さて、どうする? お前たちは』

お前たち、と言葉を振られたのは、言わずと知れた郁未と葉子である。

453十一時四十三分(2)/今日が終わっても:2009/02/05(木) 06:07:15 ID:oO7s4YPQ0
『本当……なのですか』

押し殺したように尋ねる葉子に、

『……試しに貴様らの首についたそれを外してみるといい。
 そんなものは、とうに鉄屑になっている』

それだけを、光岡が告げた。
それが、答えだった。
首輪。
この殺し合いの参加者を縛っていた、死の頚木。
反抗すれば爆発する、強制服従の証。
それが、機能を失っているという。

『それって、つまり……』
『もう、終わっている……のですか。この……下らない、戯事は』

肯定の返事は、ない。
しかしこの狂気の宴を運営する側の立場にいる光岡が、この状況で作り話をする必然性もまた、
存在しなかった。

『じゃあ……!』
『……』

葉子が、言葉の代わりに深々と息を吐く。
そこへ、

『―――どうする?』

ただ一つの問いが、投げかけられた。
答えは各々、

『あれを片付ければ終わる、って言うんなら……話だけは、聞いてやる』
『……郁未さんが、そういうのなら』

意味は、一つ。

『だ、そうだ。坂神蝉丸』
『……感謝する』

鼻を鳴らしたのは、天沢郁未であったか、それとも光岡悟であったか。
ともあれ、ここに―――ひとつの、結束が成った。


***

454十一時四十三分(2)/今日が終わっても:2009/02/05(木) 06:07:43 ID:oO7s4YPQ0
 
「怖気づいたのかね? 君たちがそうして手を拱いている間にも、時は流れていくのだよ。
 ああ、精々有意義に最後の時間を使い給え―――」

巨体を震わせるように、長瀬の声が響く。
その声は来るべき勝利を確信しているかのように、余裕に満ち溢れていた。


***

455十一時四十三分(2)/今日が終わっても:2009/02/05(木) 06:08:00 ID:oO7s4YPQ0
 
『―――現況と、展開を伝える』

告げた蝉丸が、山頂の戦況を整理する。

『敵は八体。北から獣使い、北東に黒翼、東の大剣、南東の白翼、南に刀、南西に槍、西に二刀……そして北西の女。
 これより我等は戦力を集中しつつ撹乱戦に入る。その隙を突いて―――』
『貴様が砧夕霧を連れ、神像の防衛線を突破する、か。だが……』
『……北西に回せる手が、足りません』
『ああ。本来であれば最優先の打倒目標は北西、女の像だろう。見る限り、あれが全体の損傷を
 回復させる鍵となっている。まずはあれを黙らせ、しかる後に戦線を構築するのが定石だが』

葉子の懸念、光岡の指摘は的確である。
南西の葉子、郁未。北東側の水瀬名雪。どちらも遠い。
蝉丸の提示した作戦は、火力の集中運用による一点突破―――即ち、狙いを間合いの長い
有翼の二体と槍使いに絞り、他の像の刃が届かぬ隙を駆け抜けるというものである。
北東の黒翼を水瀬名雪、南西の槍使いを郁未と葉子に任せ、光岡が抑える南東の白翼側を抜ける策。
敵に無限とも思える回復がある以上、いかにも苦しい消耗戦となることは予想できた。
が、もはや体勢を立て直すだけの猶予はない。
近海に展開する部隊からの援軍とて、既に間に合わぬ。

『……川澄、頼めないか』

蝉丸のそれは懇願に近い。
川澄舞とは未だ共闘への承諾どころか、まともに意思の疎通すら果たせていない。
頭数として計算できない以上、策はその存在を勘定に入れずに立てられている。
しかし万が一にも舞の力を見込めるならば、北西側の女神像への直接攻撃が可能となるやも知れぬ。
無限の回復さえ断たれれば、攻勢にも意味が生じてくる。
泥沼の消耗戦の末ではない、敵の戦線を崩しての突破すら夢ではない。
そう考えての、懇願である。
だが、しかし。
返ってきた声はそうした蝉丸の想定と期待とを、あらゆる意味で大きく裏切るものであった。

『―――何だ、白髪頭。こんなものに、手こずってるのか?』

声が、した。
川澄舞のそれではない。
悪意と笑みとを含んで湿った、どろりと濁った声。

『この島の、最後の戦いなんだろう? もっと派手に楽しめよ、なぁ……白髪頭』

声が伝えるのは、血の色の貌。
闇夜の奉ずる深紅の月の如き瞳と、牙を剥く獣の如く歪められた口元。
来栖川綾香と呼ばれた女の、それは哂う声だった。

456十一時四十三分(2)/今日が終わっても:2009/02/05(木) 06:08:21 ID:oO7s4YPQ0
 
【時間:2日目 AM11:46】
【場所:F−5 神塚山山頂】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:健康】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:健康】
砧夕霧中枢
 【所持品:なし】
 【状態:覚醒】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:健康・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】
水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】
川澄舞
 【所持品:村雨、鬼の手、白虎の毛皮、魔犬の尾、ヘタレの尻子玉】
 【状態:白髪、ムティカパ、エルクゥ】

来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:―――】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体18000体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1014 1034 1037 1038 ルートD-5

457名無しさん:2009/02/05(木) 06:09:58 ID:oO7s4YPQ0
申し訳ありません。
>>450>>451の間に、以下の文が挿入されます。

***

 
「―――どうしたね、諸君。もう息切れとは、些か早すぎやしないかね?
 理解し給え。神の光を前にして、諸君に逃げ場などありはしないのだよ」

巨体が蠢き、醜悪な声を撒き散らす。
長瀬源五郎の哄笑が、山頂一帯を不気味に揺さぶっていた。


***

458十一時四十六分/明日が過ぎても:2009/02/05(木) 15:55:55 ID:oO7s4YPQ0
 
ご、と。
重く、低く、音が響いた。

それが、神塚山頂を巡る最後の攻防、その再開の嚆矢となった。


***

459十一時四十六分/明日が過ぎても:2009/02/05(木) 15:56:22 ID:oO7s4YPQ0
 
『来栖川……綾香……? 貴様、何故……!』

その名を噛み潰すように呟いた、蝉丸の位置から姿は見えぬ。
だが、哂う声と、重い音と、そうしてぐらりと揺らぐ一体の巨神像が、その存在を誇示していた。
揺らいだのは北西、祈るように目を閉じた女の像。
音は、打撃音である。
しかし巨竜の体躯を挟んで対角に位置する蝉丸の耳に届くその重低音は、およそ人の身によるものとは思えぬ。
重機が廃棄されたビルを打ち崩すような、或いは砲弾が要塞を直撃するような、破砕の轟音。
そも、揺らいだ神像は人の数十倍を誇る身の丈である。
重量にすれば鉄塊と羽毛ほどにかけ離れている。
それを打撃して、更に揺るがせ、なお哂っている。
既にしてそれは、人ならざる異形の仕業である。

『何故……? それを聞くかよ、私に。二度、同じ答えが必要か?』

ささめくように、異形が哂う。
死を超えて、生を踏み躙り、そこに理由は要らぬと、人の道を外れた女は哂っている。
それは女の、来栖川綾香という女の命のかたちである。
愚昧妄執と、是非も無しと坂神蝉丸の断じた、それは在り様を誇っていた。
誇らしげに咲いた拳が、振るわれる。
ご、と。
重く、低く、二度目の鐘が、鳴らされる。

460十一時四十六分/明日が過ぎても:2009/02/05(木) 15:56:57 ID:oO7s4YPQ0
『ああ―――血が、巡る』

びぎり、と嫌な音を立てて傾いだ女の像の、おそらくはその袂の辺りに立つのであろう綾香が、
艶の混じった吐息を漏らした。
いくさ場に散る無念と妄念とを吸って恍惚に浸るが如きその声音に表情を険しくした蝉丸が、
しかし綾香の口にした言葉に、何某かの引っ掛かりを覚える。
血。
血が、巡る。
巡る血と、死んだ筈の女。
鬼を取り込み、薬を取り込み、異形と化した女に流れる、否、女から流れ出る、血。

『―――そうか』

ほぼ同時に結論に至ったらしい光岡が、声を上げる。

『坂神、奴は……』
『ああ。来栖川、貴様……仙命樹をも、その身に取り込んだか』

あの時。
長瀬源五郎の使徒として現れたHMX-13・セリオが、来栖川綾香を盾とした、あの時。
その襤褸雑巾の如き、命の灯の消えゆこうとする躯が、どこに転がったか。
誰のものとも知れぬ血だまりに入って飛沫を上げた、その躯。
誰のものとも知れぬ血だまりとは、果たして誰のものであったか。
それは、先の一戦の最中。

『貴様に斬られた……俺の、血を。呑んだな』

ざっくりと裂かれた、右の脹脛の傷。
既に癒えつつあるそれが、唐突に疼きだしたように感じる。
それは実体のない、後悔の疼痛である。

『知らないな。どうだっていい。私はここにいる。世界の真ん中に生きている。
 大事なのはそれだけだ』

鬼の力と不死の仙薬とを得た女が、それをすら、哂った。
途方もない高慢と底知れぬ驕慢とを以て、それを当然と、笑んでいる。

461十一時四十六分/明日が過ぎても:2009/02/05(木) 15:57:17 ID:oO7s4YPQ0
『不覚だな、坂神。妖を黄泉返らせたか』
『……いずれ、始末は付ける』

ごぐ、と。
三つ目の鐘が、鳴った。

『―――私はまだ人間か? それとも、もう戻れない化物か? どうだっていい。
 ああ、ああ。そんなことはどうだっていいんだ。私はただ、私であるためだけにここにいる。
 ひとまずは―――幾つかの貸しを、返してもらおうか』

みぢり、びぢり、と。
奇妙な音が、聞こえた。
それは、束ねた縄を力任せに引き千切るような。
何かが裂け、撓んでいく、不可逆の破壊音。

『馬鹿、な……』

ただの、三度である。
打撃音が聞こえたのは、三度。
それが、如何なる凄絶さを以て行われたものかは知れぬ。
だが、ただの三撃で。
祈るような女の像が、傾ぎ、戻らず、折れ砕け―――そして、崩れた。

『―――お前は後回しだ、白髪頭』

崩れていく女神像の、巨大な岩塊の降り注ぐ中で、来栖川綾香が宣言する。

「長瀬、長瀬源五郎。返せよ―――私の、人形をさ」

告げたその影に、踊りかかるものがある。
女神像の両脇、北に座する獣使いの像と、そして西、二刀を使う戦士の像。
今や七体となった神像の、その内の二体が動くのと同時。

『……坂神!』
『ああ、今だ―――総員、戦闘を開始する!』

坂神蝉丸の声が、響き渡った。

462十一時四十六分/明日が過ぎても:2009/02/05(木) 15:57:39 ID:oO7s4YPQ0
 
【時間:2日目 AM11:47】
【場所:F−5 神塚山山頂】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:健康】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:健康】
砧夕霧中枢
 【所持品:なし】
 【状態:覚醒】
来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体16800体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:大破】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1048 ルートD-5

463儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:00:01 ID:nKYEabcw0
 残り人数は三十人弱……か。
 つまり百人近い人の死体がこの島のどこかに転がっているということになる。
 手始めに首輪爆弾のスイッチを試した姫川琴音も、甘すぎた長瀬祐介も、知り合いだった岡崎朋也、春原陽平も。

 熾烈な争いの中、何とかここまで生き延びてきたことを幸運に思いながら診療所内部で、
 宮沢有紀寧は玩具を弄るようにマシンガンを見回している柏木初音をぼんやりと眺めていた。
 有紀寧よりも小柄な初音が無骨で、暴力的な形状の銃(MP5K)を取り回している様を見ると、
 異常さよりも滑稽さの方が先立って見えた。或いは自分の感覚こそが麻痺しているのかもしれない。

 自分を待ってくれているたくさんの人達のため、という義務感で殺し合いに乗っていた当初とは違い、
 今は半ば自然、自衛をするためならばという気持ちだけで人に凶器を向けられる。

 ……慣れとは怖いものだ。嘲るように唇の形を歪めた有紀寧は、だがこれが人の業なのかもしれないと考える。
 惰性という言葉で感覚を麻痺させ、正義の名の下に目を曇らせなければ闘争の歴史を積み上げてこれない一方、
 動物としての本能が争いを望み、支配し、搾取し、屈服させようとする。
 この殺し合いはそれを体現させたものなのだろう。ここまで生き延びてきた人間も、
 所詮は更に大きな人間の手のひらの上というわけだ。もっとも、生きて帰れるのなら自分にはどうでもいいが。

 わたしにはわたしの世界がある。
 自分はあるべき場所に戻り、元の鞘に納まるだけだ。それ以上は望まない。
 そのために出来る最善の手段を為す――それで余計な思考を打ち消した有紀寧はここから先の予定を考える。

 まず基本の方針だが、やはり隠れて試合終了のギリギリまで待つのが上策だろう。
 全くの偶然とはいえクルツ(MP5Kのこと)を手に入れられたのは奇跡ともいえる幸運だが、
 それ単体で三十人近くを相手にするには火力不足……いや実力不足というのは否めない。
 まだ測りかねている部分はあるものの初音は大体自分と同レベルの身体能力と思っていい。
 さして格闘経験があるわけでもなく、柳川のような屈強な男が数人がかりならこちらは簡単にねじ伏せられる。
 よくて二、三人を道連れにするだけだろうし、そんなものは望んでいない。

464儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:00:24 ID:nKYEabcw0
 別に積極的に殺す必要はないのだ。最終的に生き残っていればそれでいいのだし、最低限以上の武装がこちらにはある。
 攻撃されたときのみ已む無く反撃すればいい。機会が与えられるかどうかは別の話になってしまうが、
 少なくとも問答無用で隠れていた女性二人を襲うくらいの人間なら既にやり合って死んでいるだろう。
 幸いにして、初音はこちらの意向に従順だ。提案は受け入れてくれるはず。

「初音さん。そろそろここを離れましょう。
 柳川さんがわたし達の代わりに戦っている以上、巻き込まれる危険性がありますから」
「うん。分かったよ」

 実に素直な風に初音は頷いた。にこにことした表情は完全に有紀寧に懐いていることを示しており、
 また純粋であったが故の現在の狂気を表したかのようであった。
 こういう人間は使えると思う一方、痛ましいという心情も有紀寧は感じていた。
 何故こんな感情を抱いているのか、自分自身も分からない。殺戮劇という非日常の延長の中にあって、
 もう忘れ去ってしまったものなのかもしれない。

 ただ唯一分かることは、今の初音は家族をあまりに愛しすぎたがためにこうなってしまったということだ。
 どんな生活をしてきたのかは未だ分からないが、これだけは確信できることだった。
 同じ妹という立場として、共に家族を失った人間として、家族を失う喪失感は知り抜いている。
 どんなに後悔したとして、どんなに罪滅ぼしをしたとして、もう戻ってくるはずはない。
 分かり合うことも、喧嘩することも出来ない。
 失った時点で永久に答えは出せなくなり、果てのない堂々巡りの中に自分という存在が置かれる。

 だとするなら、自分は既に狂っていたのかもしれないと有紀寧は思った。
 兄がいなくなり、分かるはずもない兄の幻影を追い求めてかつての兄の仲間の元に身を投じた。
 その中で宮沢有紀寧という存在は薄れ、亡霊を追い続ける宮沢和人の妹という立場の人間に成り下がった……
 だから誰に対しても丁寧にしか話せなくなったし、
 誰に対しても同じような態度を取ることしか出来なくなったのか。

 なるほど、確かに狂っていると有紀寧は納得する。
 『狂気』の定義を、自分の感情をなくした人間、とするとしたらの話だが。
 だがそれを自覚したところで、この病は永久に治せないのだろう。
 亡霊を追い続けるしか生きる術を持たず、またそれ以外の生き方を忘れてしまった自分には……

465儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:00:45 ID:nKYEabcw0
 思い出す必要はないと断じて、有紀寧は思考を打ち切った。
 今は初音と二人、生き残ることだけを考えればいい。
 戦地となりつつあるここからひとまず離脱し、平瀬村方面へと向かおう。
 当初は灯台に向かうつもりだったが、予定変更だ。

 柳川に灯台という行き先を言ってしまったのでもうあそこは安全圏とは言いがたい。既に手駒の柳川だが、
 情報を漏らさないとは言い切れないのだ。
 何かの弾みで、いやそうでなくとも言葉の端から推理されてこちらの居場所を突き止められたのではたまったものではない。
 隠れるだけではなく、何かの情報操作でも行って撹乱できればなおよいのだが難しい。

 ノートパソコンを起動してロワちゃんねるを確認してみたのだが、死亡者に関するスレッド以外はまるで更新がなく、
 見ている人間は極端に少ないのだろう。ここに書き込んでも効果はなさそうだと考えた有紀寧は見るだけに留めておいた。
 ひょっとするとここの管理者にでも頼めば色々と有益な情報教えてくれるかもしれない。
 しかし一応はここもあらゆる人間が見られるシステムにはなっている。

 例えばいつ、どこで誰が死んだかというのを画像で表示してくれと書き込み、仮にそれが実現されたとしよう。
 その情報を得られるのは自分だけではない。書き込んでいないだけで随時チェックしている人物だっているはずだ。
 匿名で書き込めるため自分が頼んだものだとは分からないはずだが、万が一ハッカーのようなスキルを持つ人間がいた場合、
 書き込んだこちらに警戒される恐れがある。そればかりか書き込みを元に情報をリークされ、
 不利な状況になることさえあり得る。メリットは小さく、デメリット、リスクばかりが大きいのでは使う気にもならない。

 結局は残り人数をリアルタイムで確認できるものだと思うしかない、と有紀寧は結論付ける。
 あってもなくてもいいが、あっても困るものでもない。情報の重要さは有紀寧自身がよく知っているところだ。
 まあ、そこまで深く考えなくてもいいのかもしれないが。所詮は誰とも分からぬ人間からの情報なのだから。

「ところで、どこに行くの? 灯台?」
「いえ、逆です。平瀬村の方に行きましょう」

466儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:01:09 ID:nKYEabcw0
 ふーん、とさしたる疑問を持つこともなく初音は素直に頷いた。
 あまりにも素直すぎて、かえって何かを疑いたくなるくらいに。そう思った有紀寧は「あの」と尋ねていた。

「いいんですか、それで? 何か心配するようなことはありませんか」

 すると初音はけらけらと笑って「あるわけないよ」と有紀寧に極上の信頼を湛えた視線を向けた。
 その中身はあまりに真っ直ぐ過ぎて、却ってなにか、空恐ろしいものを有紀寧に感じさせた。

「有紀寧お姉ちゃんは私とずっと一緒にいてくれるんだもん。私のお姉ちゃんなんだもん。
 だから何も間違ってることなんてない。有紀寧お姉ちゃんの言うとおりにしてれば――殺せるから、皆」

 相変わらず真っ直ぐな瞳のまま、声だけを低く唸らせて初音は憎悪を振り撒いた。
 それに初音の言葉はどこか間違っているように聞こえて……だが、有紀寧にはその言葉が正しいと分かっていた。

 このひとなら地獄の底まで付き合ってくれる。お姉ちゃんだから。
 このひとといればみんなのカタキのところまで連れて行ってくれる。お姉ちゃんだから。
 このひとならきっと助けてくれる。お姉ちゃんだから。

 家族の一語で何もかもを信じきることができる、初音の無垢と狂気がそこにあった。
 それも錯覚や逃避などではない。有紀寧を本当に家族と思い、心の底から慕ってくれているのが分かる。
 そうでなければ……この綺麗すぎる、あまりにも綺麗過ぎて馴染む者以外を排除してしまうくらいの瞳を向けてくるはずがない。

 ある種の畏怖を感じる一方、共感のようなものもあった。
 感情を排し、負の要素を甘んじて受け止め狂気に染まったのが自分なら、
 負の要素を排し、信頼の名の下に倫理を作り変え、狂気としたのが初音。
 言うならば黒い狂気と、白い狂気だ。
 全く違うものでありながら、性質は全く同じ。
 自分が手を下したわけでもないのに……実に奇特な縁だ。こういうものを、運命というのだろうか?

467儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:01:30 ID:nKYEabcw0
 不思議な感慨を受け止めながら、有紀寧は「そうですか」と相槌を打つ。
 同時に、初音をだんだんと駒と見なせなくなってきている自分が生まれつつあることも自覚する。
 生き残るためには不要なものだと見なしておきながら受け入れようとしている己がいる。悪くはないと考えている。
 ただの情ではないと思っているのだろうか。同情や憐憫を超えた、
 いや言葉では量りきれない何かが初音との間にあるとでも言いたいのか。
 言い訳にしか過ぎないはずなのに、だが決定的に捨て切れていない自分は何なのだ……?

 そこでまた、有紀寧は自分について考えていることに気付く。
 先程打ち切ったはずなのに性懲りもなく悩んだりしている。どうかしている。
 胸中に吐き捨て、有紀寧はもう初音についてどうこう考えるのはやめにしようと思った。
 問題がなければいい。本当に考えすぎた。落ち度さえなければそれ以上深入りはしなくていいんだ。

「分かりました。ならわたしについてきて下さい」
「うん。あ、さっき皆殺すって言ったけど……有紀寧お姉ちゃんは私が守るからね、絶対」
「……ありがとうございます」

 笑顔のままクルツをかざす初音に、有紀寧は平坦な口調で応える。
 元からそんなつもりなどない。誰も信用せず、自分一人で生き抜くつもりだったのに……どうして、こんなに尽くす?
 一瞬、有紀寧の脳裏にはここに来る以前の、資料室のお茶会の風景が浮かんだ。
 毎日のように会いに来る兄の友達。初音はあまりにも彼らに似すぎている。
 誰でもできるような丁寧な物腰でしか対応していないのに、何故こんなに懐くのだろうか。

 家族。またその一語が出てくる。
 家族の亡霊を追いかけているはずのわたしが、家族と思われている。
 皮肉なものだと笑いながら、必要としている彼らの存在を再認識し、戻ろうと有紀寧は思った。

 あの資料室に。

 あの変わらない世界に。

 そうして玄関で靴を履こうとしたときだった。

468儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:01:53 ID:nKYEabcw0
「待って」

 肩を叩き、小声で呟きながら初音はじっと、どこかに意識を傾けていた。
 既に笑みは消えている。ただならぬ様子に有紀寧も眉根を寄せ、異変が起きているのかと考える。
 妥当な線としては誰かがこちらに近づいているといったところか。
 柳川が仕留め損なったか、或いは兎が迷い込んできたか。どちらにしてもここはチャンスだ。
 有紀寧はリモコンを取り出すと初音の耳元に口を寄せる。

「近くに誰かいるのでしょうか」
「多分……足音が聞こえるから。でも、かなり近くみたい。こっちに来る」

 有紀寧には耳を澄ましても聞こえない。余程初音の聴覚がいいのだろうか。
 クルツを構えかけた初音を、有紀寧が制する。

「待ってください。ここはわたしに。……タイミングのようなものは計れますか」
「なんとなくは……でも、大丈夫?」
「わたしを誰だと思ってるんですか」

 きょとんとした表情になったのも一瞬、すぐに「そうだね」と微笑を浮かべた初音の顔には誇らしさが滲み出ていた。

「うん、じゃあ任せたよお姉ちゃん。大丈夫だと思ったら肩を叩くから、後はお姉ちゃんが」
「ええ」

 頷くのを確認すると、初音は再び外界へと集中を向ける。恐らく、初音が肩を叩くのはすぐだろう。そういう予感があった。
 本日三度目の使用となるであろうリモコンに目を落としながら、有紀寧は初音の合図を待った。
 どくん。どくん。どくん。
 心臓の音を音楽にして時が刻まれる。
 いつだ、いつ来る――?

「……!」

469儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:02:14 ID:nKYEabcw0
 そうして永遠にも近い一瞬が過ぎ去ったとき、とん、と。
 肩が叩かれたのをスイッチにして、有紀寧は玄関の扉を押し開けていた。
 目と鼻の先。初音の読み通り、そこには。

「えっ……?」

 今、まさにこちらがいた民家に侵入しようとしていた女の顔がそこにあった。
 女の不運と、初音の聴力と、僅かな幸運に感謝しながらも容赦なく有紀寧はリモコンのスイッチを押した。
 十分に接近していたことも相まって、ろくすっぽ狙いを付けずとも首輪は点灯を始めていた。
 いきなり何をされたか分からず、呆然としたままの女に、有紀寧はいつもの笑みを浮かべる。

「はじめまして。驚かせてしまってすみません。でもしょうがないですよね、殺し合いなんですから」
「え、え? あの、あなた、どうして……?」

 よく見れば、女は自分と同じ学校の制服だ。ひょっとするとこちらのことを知っているのかもしれない。
 これでも以前はちょっとした有名人だった。資料室を住み処とするおまじない少女と。
 だがそんなことはどうでもいい。取り敢えずは概要を告げてやろう。有紀寧はこれ見よがしにリモコンを掲げてみせる。

「まずは自己紹介をしましょうか。わたしは宮沢有紀寧と申します。あなたのお名前は?」
「ふ、藤林……りょ、椋、です、あの、い、いきなり、私になに、したんですか」

 困惑と恐怖をない交ぜにしたように視線を泳がせ、歯をカチカチと鳴らす椋。
 自分の取った行動だけでここまで怯えられる要素はない。だとすると、ここに来るまでに何かがあったと見るべきだった。
 まったく存在を忘れているようだが、その手にはショットガンらしきものも握られている。警戒はするべきだ。
 頭の隅にショットガンの存在を置いておきながら有紀寧は「藤林さん、ですか」と話を続ける。

「端的に言えばあなたの首輪の爆弾を作動させたんです。鏡を見れば分かると思いますよ?
 藤林さんの首輪は、赤く点滅しているんですから。24時間後には……ぼんっ、と爆発するでしょうね」
「え、え、え……え?」


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板