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避難用作品投下スレ4

1管理人★:2008/08/01(金) 02:07:08 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

268こんにちは、その道のプロです。:2008/12/02(火) 23:52:26 ID:O6UEvEkI0
『公開レベルC・要周知 各特殊支給品と所持者についての補足』

1 要塞開錠用IDカード

地下通路に繋がる扉の制御キー。地下通路の損傷は復旧作業済み。
入り口は下図を参照すること。(計四箇所有)

※配布先は「116 柚原春夏」である。
 彼女の行動は随時監視すること。また所持者が変わり次第、至急連絡入れること。
 周知の徹底を心がけるように。

2 死神のノート

死神・エビルのノート。
本物であることは立証済。

※配布先は「40 向坂雄二」である。
 彼の行動は随時監視すること。また所持者が変わり次第、至急連絡入れること。
 周知の徹底を心がけるように。
 また死神・エビルについては別途ファイル「公開レベルC・要周知 参加者についての補足」を参照のこと

3 スイッチ

ほしのゆめみ専用アイテム。
彼女の核となっている岸田洋一の人格を呼び出すスイッチ。

※配布先は「34 久寿川ささら」である。
 彼女の行動については随時の監視外とする。
 またほしのゆめみ・岸田洋一については別途ファイル「公開レベルC・要周知 参加者についての補足」を参照のこと


4 フラッシュメモリ

中身に関する資料は別途ファイル「公開レベルC・要周知 参加者に与えている情報の範囲」を参照のこと

※配布先は「25神尾観鈴」「65立田七海」である。
 彼女達の行動については随時の監視外とする。

269こんにちは、その道のプロです。:2008/12/02(火) 23:53:06 ID:O6UEvEkI0
資料の下方には、エディにも支給されているこの島の物と思われる地図が縮小された形で載せられていた。
しかし全くの同一ではない。
フルカラーで印刷された地図には、青の×印が施されていた。
×印は全部で四つ。C06-C07の境目あたりの海岸線、G06-H07の交差地点、G02-H02の境界線と海岸線、G09-H09交差点に付けられている。
上記の説明から、それはこの島に存在している地下通路への入り口を指しているということになるだろう。

「さて、ト」

これが真実で本当に一切の偽装もないのかというのは、エディにも分かりかねないところであった。
しかし情報として整理するならば、これらの真相を確かめる必要性はある。
今、エディには恐らく彼一人の力で為すには時間がかかり過ぎるであろう情報が一気に集まった。
資料に載っているいくつもの見覚えのない固有名詞や、怪しい地下通路があるという地図のこと。確認したいことは山ほどあるだろう。
やらなければいけないことは多い。七海の保護も必然だ。

「ウーン、こういう時アイツがいてくれたらナァ……」

相棒は今何をやっているのか。
エディは溜息をつき、徐に一人荷物を片付け始めた。
心強い仲間を自然と渇望するエディの心境は複雑である。
人手は欲しいが、深夜に遭遇したあの女の件もあるからだ。

「せめてナスティガールが残ッテくれてたらナァ……」

エディの溜息は止まらない。
彼に今必要なのは、信用のおける仲間に他ならないだろう。
とりあえずの移動を開始したエディの背には、どこか哀愁が漂っているのだった。




エディ
【時間:2日目午前10時過ぎ】
【場所:I-6・民家】
【持ち物:主催側のデータから得た資料(謎の図式・数式、地図付の補足書)、H&K VP70(残弾、残り16)、瓶詰めの毒瓶詰めの毒1リットル、デイパック】
【状態:七海を探す・マーダーに対する怒りが強い】

(関連・429)(B−4ルート)

270青(2) しあわせに、なりたかった:2008/12/06(土) 02:35:04 ID:Vii76lBc0
 
青。
青の中にいるのは、たくさんの私。

生きて、死んで、今は眠っている、三万人の私がそこにいる。
いくつもの夢を口にして、いくつもの願いを抱いて、そうしてその果てにたったひとつの祈りを捧げた、
たくさんの、本当にたくさんの、私。

私は小さな夢をみる。
私は願いを胸に抱く。

小さな三万の夢とささやかな三万の願いが集まり、縒り合わさって歌になる。
歌がほつれて言葉になって、夢と願いが散っていく。
世界を満たす花の吹雪の、花弁の全部が私の夢で、色の全部が私の願い。
夢と願いに包まれて、三万の私は眠っている。

私の夢。
大きな船に乗ってみたい。
私の願い。
いつか秋の公園で絵を描いてみたい。
私の夢。
初めての携帯電話に友達の番号を登録したい。
私の願い。
波打ち際で大きな砂の城を作りたい。
私の夢。
数え切れないほどの本に囲まれて過ごしたい。
私の願い。
温かい布団の中で微睡みたい。
私の夢。
綺麗な虹が見てみたい。
私の願い。
今は知らない誰かと出会いたい。

私の夢。
それは小さな夢。
私の願い。
それは儚い願い。
私の夢。
それは三万の他愛もない夢。
私の願い。
それは三万のありふれた願い。
私の夢。
たくさんの夢。
私の願い。
たくさんの願い。

たくさんの私はたくさんの夢とたくさんの願いを抱いて、そうして今は、眠っている。
たくさんの夢もたくさんの願いも、その全部が叶うはずのないものだと、判っている。

私は知っている。空を。海を。木々を、街を、人を、温もりを、夢を、願いを、世界を。
私は、知らない。空も。海も。木々も、街も、人も、温もりも、夢も、願いも、世界も。

何も、知らない。

271青(2) しあわせに、なりたかった:2008/12/06(土) 02:35:56 ID:Vii76lBc0
私がただ知っているのは、白という色だった。
白い壁と、白い床と、白い天井と、白い服を着た、硝子の向こうの人たち。
それ以外の何も、私は知らない。

それを知っていたはずの、最初の私は、もういない。
ずっと昔に死んでしまったのだと、そう聞かされていた。
死んだ私は、だけどまだ生き終えていなかったから、たくさんの私になって生きている。

私が口にするのは最初の私の夢で、私が抱くのは最初の私の願いで、
だから本当は私の夢はまがい物で、私の願いは何もかもまがい物だ。

全部が嘘で、全部が借り物。
だからたくさんの私は、最初の私の偽者だ。

だけど最初の私はもういない。
本物のいない偽者はもう偽者でなく、だけど本物では決してなく、私はもう、誰でもない。
それが嫌で、それが怖くて、たくさんの私はだから、最初の私でないたくさんの私だけが持つ、
たったひとつの本当がほしくて、ずっとずっと考えて、ずっとずっと探して、ようやく、みつけたのだ。

それは、祈りだ。
最初の私が知らない、たったひとつの本当。
何もかもを知り、何もかもを持ち、幾つもの夢と願いとを抱いていた最初の私には分からない、たったひとつ。

 ―――しあわせになりたい。

しあわせになりたい。
それが、それだけが私の、たくさんの私の祈り。
全部を知っていた最初の私はきっとずっと幸福の中にいて、だからそんな祈りだけは、知らない。

祈りはひとつ。
幸福の希求。
それだけが、たくさんの私の、たったひとつの本当だった。

しあわせになりたいと祈る私が死んでいく。
しあわせになりたいと祈る私は生きている。

272青(2) しあわせに、なりたかった:2008/12/06(土) 02:36:40 ID:Vii76lBc0
死んでいく。
たくさんの私が死んでいく。
死んでいく私は夢をみる。
まがい物の夢をみて、しあわせになりたいと祈りながら死んでいく。
まがい物の願いを抱いて、しあわせになりたいと祈りながら死んでいく。
たくさんの私は、叶えたかった偽物の夢を、抱いていた偽物の願いを思い描いて、死んでいく。
声を出すこともなく、ただはらはらと涙を流して、死んでいくのだ。

そうして私は生きている。
私はひとり、生きている。
死んでいくたくさんの私の夢を偽物と、私の願いを偽物と、嘲り笑って生きている。
しあわせになりたいと、祈りながら。
祈りながら、願う。
生き終わりたいと。
祈りながら、夢をみる。
死んでいく私になれたらと。
偽物の夢と偽物の願いを抱いて死んでいけたなら、しあわせになれるのだろうかと。
思いながら、声も出せず、生きている。

生きて、生きながら、死んでいく私の夢をみる。
生きて、生きながら、死んでいく私の願いを抱く。

たくさんの私が、祈りを捧げて消えていく。
たくさんだった私が、ひとつづつ、欠けていく。
ひとつ欠けて、ふたつ欠け、百と千とが欠け落ちて、そうして私はもういない。

私はひとり生き、生きていながら生き終わることもできず、
だから死んでいく私のように夢をみられず、
だから死んでいく私のように願いを抱けず、
生き終わりたい私は、だけどたくさんの私の夢を抱えて動けずに、
生き終わりたい私は、だからたくさんの私の願いに押し潰されて、
だから私は、祈るのだ。
しあわせになりたいと。

しあわせになりたい。
生きたくて、夢をみたくて、願いを叶えたくてしあわせになりたい私が死んでいく。
はらはらと死んでいくたくさんの私と同じにしあわせになりたい私は生き終われない。

生きたくて、生き終りたい私は、だから祈るのだ。
しあわせになりたいと。

三万の歌と、三万の夢と、三万の願いと、その全部が花弁となって満ちる青の中で、
しあわせになりたいと祈る私は、生き終わりたいと生きる私は、だから、そう。


たくさんの私で、ありたかったのだ。

273青(2) しあわせに、なりたかった:2008/12/06(土) 02:38:37 ID:Vii76lBc0
 
【時間:???】
【場所:???】

砧夕霧中枢体
 【状態:不明】

→879 1013 1019 ルートD-5

274青(3) 志士、意気に通ず:2008/12/07(日) 01:15:37 ID:ijalZPQo0

「……神、坂神!」

耳朶を震わせる声に、我に返る。
ゆっくりと辺りを見回した坂神蝉丸の目に映るのは、青の一色に包まれた空間である。

「聞いているのか、坂神」
「……あ、ああ」

こめかみの辺りを押さえながらぼんやりと答える蝉丸に、光岡悟の鋭い視線が飛ぶ。

「貴様……何を呆けている?」
「済まん。……しかし、今の声は……」
「声? 何の話だ」

怪訝そうな顔をする光岡に、蝉丸は眉を顰める。
あれほどに響き渡った声が、聞こえていないという。
自身にのみ聞こえた声、それは切々たる渇望。
幾千、幾万に分かたれた身体と魂の狭間で震える、それは悲鳴だった。

「……」
「その娘の聲でも聞いたか、坂神」

腕に抱いた小さな肢体に目を落とした蝉丸に、光岡が嘆息する。

「夢想も大概にしろ、坂神。貴様は現状を理解しているのか」
「……」
「……変わらんな、貴様は。そうして己が仁と國の大計を秤に掛ける」

吐き棄てるように呟いた光岡が、瞳を細めて蝉丸を見据える。

「これだけは言っておく。貴様の仁は誰を救った例もない。
 貴様の手前勝手な情は、それを向けられた者を追い立てる。
 追い立てられた者は己が分を弁えず駆け……いずれ身を滅ぼす」

訥々と、独り語りの如くに紡がれる言葉は、どこまでも昏い。

「これまでもそうだった。幾人もが貴様に、貴様の在り様に惑わされて死んでいった。
 まだ立てると。まだ戦えると。まだ希望はあるのだと思い違えて命を散らした。
 貴様は強く在りすぎるのだ、坂神。だがそれは危うい煌きだ。刃を持たぬ者の目を眩まし、殺す光だ。
 貴様は為せると言う。何事も為せると。だが貴様は考えぬ。強く在れぬ者たちを。その弱さを。
 為せぬのだ、弱者には。貴様の放つ煌きの何一つとして為せぬ。貴様の見せる夢の一つとて手に取れぬ。
 貴様は己が仁のままに駆ける。後に続いて駆け出した者たちを振り向かぬままにだ。
 力を弁えず後に引けぬ場へと踏み出した弱き者たちを、その身の破滅を貴様は目に映さぬ。
 己が後ろで人の死ぬとき、貴様は既に眼前の新たな誰かに情を向け、振り向こうとせぬのだ。
 ああ、貴様の仁は人を救わぬ。人を殺す仁だ、坂神」

口の端を上げて笑む光岡の瞳には小さな炎が宿っている。
ちろちろと揺らめくそれは、燃え移る何かを探すように舌を伸ばしていた。

275青(3) 志士、意気に通ず:2008/12/07(日) 01:16:28 ID:ijalZPQo0
「―――戦争は」

青の世界に、光岡の言葉が染み渡る。

「戦争は続いているのだ、坂神」
「そんなことは……」
「分かっている、か? 本当に分かっているのか。分かっていて軍を抜けたのか坂神。
 ならば俺は俺の言葉を訂正しよう、貴様の仁は人を殺すだけではない。貴様は國を殺す。
 その覚悟があって口にするのか。分かっていると、戦争は続いていると口にするのか坂神」

常になく饒舌な光岡に気圧され、蝉丸はただ口を噤む。

「五年以上も続いた今の休戦期も、最早限界に達しているのは知っているな。
 大陸では協定線を挟んだ睨み合いへ増派に次ぐ増派が繰り返され、協定破棄に備えた布陣が互いに完成しつつある。
 我が國の新型艦の就航を控えた今、何らかの口実で越境が開始されるのは時間の問題だ。
 ならば、何故この時期に改正バトル・ロワイアルなどという厚労省主導の酔狂が罷り通ったと思っている?」
「……それは」
「内務省肝いりの、固有種因子陽性保持者の選別とその殲滅?
 皇居に巣食う奸賊共のご機嫌取りに、海軍が情勢を度外視して十五隻もの艦隊を寄越すと?」

忠孝を旨とする光岡らしからぬ物言い。
眉根を寄せた蝉丸に、光岡が白い歯を見せる。

「ん? ……ああ、驚くには値せん。奸賊を奸賊と評した、それだけのことだ。
 坂神、この國という大樹には巣食う蟲が多すぎると思わんか。
 必要なのだ、腐った枝葉を切り落とす鋏が。蟲共を焼く炎が。歪んだ幹を支える添え木が」
「光岡、貴様……いったい、何を」
「―――固有種の殲滅など、目晦ましに過ぎん」

疑念を断ち切るかのように、唐突に話題を戻す。
渋面を作る蝉丸を無視して、光岡の言葉は続いていく。

「このバトル・ロワイアル―――真の目論見は、固有種因子覚醒者……その骸の回収だ」
「……!?」
「我が國の覆製身培養技術は世界に先駆け、既に完成を見ている」

飛躍する話の展開についていけぬまま、蝉丸が少女を抱く腕にほんの僅か、力を込める。
覆製身という存在の意味は、思い知っていた。

「母胎より産み落とされぬ異形……覆製身はそれでも本来、赤子として誕生し、人と同じように育つものだ。
 しかし我が國の覆製身培養は、その時間を必要としないまでに革新を遂げた。
 今や、ものの半年を待たずに成人と遜色ないところまで成熟させることが可能だ」
「だが、それは……」
「ああ、長くは保たん。急速な成長は急速な老化を伴う」

精々が一年、長くても数年。
それが培養覆製身の寿命というのが、蝉丸の知る常識である。

「それでは戦線の維持も難しい、その点が覆製身兵の限界だった。
 だが、ここに来てようやく先進研究の成果が出た。新たな技術が確立されつつあるのだ。
 それが、固有種因子覚醒者の覆製身生成。そして―――」

光岡が、蝉丸の腕に眠る少女を、そして蝉丸自身を、じっと見据える。
ほんの僅かの間を置いて、

「覆製身固有種の、強化兵生成だ」

276青(3) 志士、意気に通ず:2008/12/07(日) 01:17:07 ID:ijalZPQo0
言葉が、紡がれた。
向かい合う蝉丸の渋面に変化はない。
刻まれた皺だけが、微かに深くなる。

「貴様や俺……仙命樹を移植した各種の試挑躰。その実験結果を集積し、技研の白衣共は一つの結論を得た。
 培養覆製身の極端に短い寿命は、仙命樹による再生効能で補完が可能だと。
 そしてそれは、固有種覚醒者の覆製身に対しても有効だ、と。
 革命的な成果だと、連中は躍り上がっただろうな。
 固有種の覆製身による強化兵団……完成すれば、大陸諸国との力関係は一変する。
 膨大な予算を投入して実験は続けられ、遂に研究は強化固有種兵団の試験運用へと至った。
 それが―――」

光岡の視線が、蝉丸の腕の中に眠る少女を射抜く。

「……砧夕霧、というわけか」
「そうだ。光学戰完成躰、培養覆製身兵団。三万の末端兵を、中枢体を経由した意識共有で有機的に運用する人形の軍隊。
 我ら試挑躰に代わる、次世代の兵器だ」
「だが、それとて……」
「ああ。甚大な損害を被っているな、たかが十数の敵を相手に」

疑念を呈する蝉丸に、当然といった体で光岡が頷いた。

「だからこそ、だ。だからこそ必要としたのだ、より強力な素体を。
 より強く、より早く、より大きな力を持つ固有種覚醒体を選別し、その因子を回収する。
 それこそが、この改正バトル・ロワイアルの真の目論見。
 長瀬源五郎……そして、その背後にいる犬飼俊伐の推し進める軍制改革の第一歩なのだ、坂神」
「犬飼……だと?」
「長瀬の如き一介の研究屋風情が、後ろ盾も無く軍を顎で使えるか。
 内閣総理大臣、三軍統帥・犬飼俊伐こそがこの大仰な茶番劇の黒幕よ」

事も無げに言い放った、それは蝉丸の認識を大きく逸脱した事実であった。
幾多の修羅場を越えようと、坂神蝉丸は叩き上げの下士官に過ぎぬ。
叙勲の場を除けば、連隊長とすら言葉を交わしたことがない。
尻に殻の着いた新米尉官の出世していく背中は見ても、その階段の上など思考の埒外であった。
己が義の揺らぐに任せて軍務に背いたのも、いくさ場を知らぬ上層部との乖離を感じたが故である。
空転する蝉丸の思考を無視するように光岡の言葉は続く。

「……だが、中心となって研究を主導していた長瀬源五郎が叛逆の徒として化け物と成り果てた今、
 最早その目論見も潰えた。強化兵団計画は近日中に凍結されることになる。
 判るか、坂神。この茶番劇は既にその役割を終えているのだ。貴様も―――」
「待て、光岡」

尚も続けようとする光岡を、蝉丸の声が遮った。

「仮に貴様の言うことが真実だとして……それでは長瀬は尖兵に過ぎんのだろう。
 奴が斃れたところで、犬飼が政治を動かす限りその計画とやらは進められるのではないか」
「……其処よ、坂神」

277青(3) 志士、意気に通ず:2008/12/07(日) 01:17:52 ID:ijalZPQo0
蝉丸の指摘に、しかし光岡は我が意を得たりとばかりに笑みを深める。

「正に其処が肝要なのだ。貴様の言う通り、犬飼こそが計画の黒幕。戦を捻じ曲げ、この國を傾ける元凶よ。
 なればこそ、我等は―――決起する」
「……!?」

決起。
軍に身を置く者がその一語を発する、そこに篭められた意味を汲み取って、蝉丸は戦慄する。

「待て光岡、貴様一体……!」
「九品仏少将閣下の下に集う憂國の士、三軍将校に二百余名。麾下兵力は全軍を掌握するに足る。
 決起は本日午前十時。帝都の制圧目標は市ヶ谷、立川、霞ヶ関、愛宕山―――そして、永田町」

挙げられた地名は軍の中枢が置かれた場所。
そして同時に、国家の要と呼べる施設を示していた。

「政変……だと……!?」
「言葉が悪いな、坂神。これは維新だ」

さしもの蝉丸も、告げられた状況の重大さに言葉を詰まらせる。
対して意に介した風もなく返してみせる光岡。
その態度は相当の以前から事に臨む覚悟と準備を固めていることを窺わせた。

「肥大した戦線を放置し国力の疲弊を招きながら無策のまま五年の休戦を経て尚その責を負わず、
 あまつさえ覆製身強化兵団などと先達の英霊を愚弄する目論見を進める奸賊犬飼に天誅を下す。
 陛下の聖旨を捻じ曲げる腐った枝葉を切り落とし、國という大樹を蘇らせる。
 それこそが九品仏閣下の御意志であり―――我等将兵の採るべき道なのだ、坂神」

切々と語る光岡の視線は、どこか熱に浮かされたように危うい。

「正気か、光岡……そのような計画、成功するとでも……!」
「―――俺が、この島へと向かう直前のことだ」

覆い被せるように、光岡の声が蝉丸を遮る。

「一報、奸賊誅殺セシム。そう……犬飼俊伐は既に黄泉路へと旅立った。
 陛下の玉體も同志が警衛し奉っている。我等の決起は成功したのだ、坂神」
「……!」

首相の暗殺。
五期十六年もの間、国家の中枢に座り続けた男が凶弾に斃れたという。
それは取りも直さず、未曾有の大混乱を意味する。
最早計画の成否と関わりなく、周辺諸国を巻き込んだ騒乱の火蓋が切って落とされたということだった。

「政府の転覆など……貴様等、国を二つに割る気か……?
 開戦を前にしたこの大事に、そうまでして逆賊の汚名を被りたいか……!」
「……言った筈だ、坂神」

搾り出すような蝉丸の言葉にも、光岡は表情を変えない。
悲壮はなく、混沌はなく、ただ静かな覚悟と余裕だけがある。

「陛下は我等の同志が警衛し奉っている、と」
「……ッ!?」
「間も無く詔勅が下されるだろう。……國賊犬飼に与する者は将校から下士官、一兵卒に至るまでが
 陛下の御名に於いて討伐されるべし、とな。そしてその軍令は、九品仏少将閣下に宛てられる」

文字通りの、錦の御旗。
神聖にして不可侵なる、この国の義の象徴。
陸海空を問わぬ、全軍の絶対的な行動原理。
その掌握が、完了しているということ。

278青(3) 志士、意気に通ず:2008/12/07(日) 01:18:24 ID:ijalZPQo0
「陛下を……陛下の御意を何と心得ている……!」
「先帝崩御の折、女帝の古今に例ありと横車を押したのは犬飼とその腰巾着の内大臣よ。
 まだ幼くあられる陛下に摂政を僭称し、聖旨を曲げて政を恣にした奸賊より御護り奉る。
 それが閣下の御意志であり、我等が決起の血盟でもある」
「……虚言を弄するな、貴様等のしていることは犬飼と変わらん!」

皇という象徴。
その詔を得た者が官軍であり、得ぬ者は逆賊となる。
百年も昔に国を分けた維新と何一つ変わらぬ、それは構図であった。
そこに在るのは玉體という神宝であり、皇という人では決してない。
幼くして即位した今上の皇の、まだあどけない面立ちを蝉丸は思う。
年賀の儀に際して玉音を賜る、たどたどしい童女の声を蝉丸は思う。
色々なものが、ぐるぐると巡っている。
死んでいった幾多の戦友。若い士官。故郷に妻子を残した兵卒。
屍を晒した数千の砧夕霧。久瀬少年。腕の中に眠る最後の少女。
ぐるぐると、廻る。
銃後の要職にありながら我を貫いた来栖川綾香。長瀬源五郎。
得度を重ねた僧の如き貌で切々と身勝手な理を説く光岡悟。
泥と、埃と、蚤と虱と灰と血と膿とだけが溢れたいくさ場。
ぐるぐると、ぐるぐると廻った末に、

「貴様等の義は……全体、何処に在る……!」

それだけを、坂神蝉丸は呟いた。

「……國を殺す仁が、義を問うか。坂神」

返す言葉は、抜き身の刃。
人の命を削るが如き鋭利を持った、声音であった。

「ならば……ならば貴様好みの義を示そう、坂神蝉丸。
 理を説いて解さぬ、貴様の頑迷に」
「……」
「これは一人の男の物語だ。かつて何もかもを喪った、少年の物語だ。
 何不自由なく傲岸不遜に生きていた少年が、すべてを奪われる物語だ」

そうして光岡悟が、語りだす。

279青(3) 志士、意気に通ず:2008/12/07(日) 01:18:42 ID:ijalZPQo0

【時間:???】
【場所:???】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:背部貫通創(軽傷・仙命樹により急速治癒中)】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:軽傷】
砧夕霧中枢
 【状態:意識不明】

→926 1013 1024 ルートD-5

280名無しさん:2008/12/07(日) 01:21:11 ID:ijalZPQo0
>>261-265において誤字がありました。
「犬養」を「犬飼」に訂正させていただきます。
申し訳ありません。

281青(4) この泥濘を這うような戦いを:2008/12/10(水) 14:30:42 ID:witdPNHU0
 
―――十六年も前のことだ、と声は告げた。

十六年前。
一人の男が、国政の頂点に立った。
男の名を犬飼俊伐。
世界に先駆けて覆製身技術を完成させた科学者にして、気鋭の論客であった。
当時、十数年にわたって打ち続いていた戦役に厭戦感情の沸騰しかけていた国民は、文民出身の首相を歓迎の声をもって迎えた。
軍部による傀儡政権との見方も、彼の政治手腕によって瞬く間に休戦条約が纏め上げられるに至って沈黙した。
疲弊しきった国家は、ここに一時の休息を得たのである。

内政に、また外交に高い手腕を発揮した犬飼は国民の圧倒的な支持を背景に幾つもの改革を断行。
短い休戦期の間を縫うように、内閣主導による行政機関の再編が行われた。
腐敗した官僚の一新と行政の効率化という合言葉の下で再編された省庁の一つに、厚生労働省がある。
企業との癒着で多くの汚職官僚が摘発され、清廉の故に苦汁を舐めていた職員だけが諸手を挙げて再編を受け入れる中、
誰の注目も浴びないままに一つの部署が誕生している。

―――『特別人口調査室』。
組織図上は人口調査調整局の下部に位置するものの、事実上の大臣直轄とされ局長クラスですら関与できぬ、
その部署の業務内容は、ただ一つ。
犬飼首相の肝いりで行われる極めて特殊な、そして極めて異常な企画の、運営である。
バトル・ロワイアル―――民間人による、殺戮遊戯。
何を目的として始められたのか誰一人として知る者のない、悪夢の企画。
内部的には『プログラム』と呼ばれたその第一回が開催されたのは、犬飼の首相就任から三年が過ぎた夏である。

山陰地方のとある廃村を封鎖して行われた第一回プログラムの参加者は、実に百二十人。
老若男女を問わぬその人選に如何なる意図が働いていたのか、それは既に知る由もない。
判明している事実は、その選出が完全な乱数によるものなどではなかったという一点である。
友人、知人といった関係者が揃ってプログラムに参加させられた集団の存在が、それを裏付けている。

訳もわからぬ内に拉致され、殺戮を強要されたその百二十人の中の、幾つかの集団。
その一つに、とある青年を中心とした友人集団で構成されたものがあった。
青年は平凡な学生だった。
中流の家庭で学徒動員されることもなく育ち、休戦期の中で青春を謳歌していた青年は、強要された殺戮を好まなかった。
友人たちを集め、和をもってプログラムへの対抗を呼びかけた。
青年と友人たちは他の集団へと積極的に融和を求め、その勢力は徐々に大きくなっていった。
そして、それが為に―――悲劇が起こった。
いつの間にか青年たちの勢力は、プログラムの趨勢を完全に握っていた。
その保持する火力と人数は、彼らの思惑次第で残る人間……彼らに与しない人間の命運を決められるまでになっていた。
彼らは大きくなりすぎたのだ。
最大勢力となった彼らは、その主導権を巡って争いを始め―――混乱の中で、一発の凶弾が青年を撃ち抜いた。
青年の方針に小さな反目を持った別集団の、リーダーを盲目的に崇拝していた者の発砲と記録されている。

282青(4) この泥濘を這うような戦いを:2008/12/10(水) 14:31:59 ID:witdPNHU0
要であった青年を喪って、勢力は即座に瓦解した。
プログラムへの対抗という一つの目的に向かっていたはずの彼らは、青年たちに合流する以前の集団単位で分裂。
保持する武装をもって、互いに殲滅戦を開始したのだ。
そして、多数に分裂した集団の殆どから狙われたのが、死んだ青年を中心としたグループだった。
青年を喪ったとはいえその火器は勢力中で最大を誇っていたのが脅威であったのかも知れないし、或いは
かつての結束の象徴であった彼らが、多くの者にとって精神的な枷であったのかも知れない。
いずれにせよ窮地に立たされた彼らを救ったのは、一人の男だった。
男は青年の親友だった。
智謀をもって青年を支え、雄弁をもって彼らを最大勢力に導いた男は、青年を喪った悲しみに浸ったまま
抗戦の意思を見せない友人たちを叱咤し、銃を手に取らせた。

―――諸君、反撃だ。

青年の遺骸を抱いた返り血で顔を赤く染めながら、男は笑ったという。
笑って走り出した、男のその後の記録は凄惨に満ちている。
奇襲、夜襲、伏兵、罠。
あらゆる手段を駆使して敵集団を分断し、かつて手を結んだ人間たちを皆殺しにしている。
時に再びの融和を呼びかけておきながら、最悪の状況で裏切りをかけて死に追いやり、
そうして敵と味方の全てを巻き込んだ鬼謀の果てに、男は勝利した。
生き残ったのは、最初から青年の友人であった者たちだけだった。
その他の全員を男は殺し、そして運営に携わっていた当時の特別人口調査室の人間と接触している。
どのような取引があったものかは知れない。
長い協議の果てに出た結論だけが、現在の事実として残っている。
即ち―――その時点での生存者全員が、第一回プログラムの優勝者であった。

文字通り完膚なきまでの勝利を収めた男は、ただ一つの喪失について何の言葉も残していない。
あらゆる公式の場で青年の死に触れることは、一切なかった。

プログラム終了後、男は国家への所属を決める。
約束された厚遇に甘んじる青年の友人たちと袂を分けて選んだ道は、陸軍士官学校への編入である。
プログラムで見せた神算鬼謀を証明するように男は入学当初から頭角を現した。
幹部候補生として陸軍士官となった後も結果を出し続けた男は、やがて陸軍大学校へ進学。
類稀な成績を残して卒業し、俊才として上層部の目に留まることとなった。
有力な人脈を得た男が幾つかのポストを経て就任したのが、憲兵隊司令部付副官の役職である。
この間の男の職掌に関しては一切の記録が残されていない。
しかし犬飼首相との距離を急速に縮めたのがこの時期であったことを考え合わせれば、議会及び官庁へ派遣される
特務憲兵を統率する役職にあった男が、政府首脳や軍部に批判的な人物の発言内容やそれに起因する攻撃材料を入手し、
それを政治的に活用したことは想像に難くない。
著しく灰色の手法で犬飼首相の政治基盤を堅固なものとし、その影響を背景に発言力を強めていった男は、
同時にこの時期、積極的な論述を各方面に展開している。
機関紙への投稿を始めとして、著書、講演など枚挙に暇がない。
本来、秘密裏の任務に従事すべき憲兵の責任者が大々的に思想信条を公言するのは極めて異例である。
だがその破天荒が血気盛んな多くの若手将兵の尊崇を集め、より発言力を強める結果となった。
犬飼首相を積極的に支持し、公然とその恩恵を受けながら思想面で軍部の旗振り役となった男は、
崇拝者を三軍に増やしていく。
その先鋭な主張や放言をよしとしない人物も櫛の歯が抜けるように失脚し、彼が遂に将官にまで登り詰めたのは、
実に二年前のことである。


***

283青(4) この泥濘を這うような戦いを:2008/12/10(水) 14:32:49 ID:witdPNHU0
 
「―――だが、だがな、坂神」

光岡が、笑む。

「誰も知らなかったのだ。男の心根の底に何が棲むのか。男が何を思い、何を支えに登り詰めたのか。
 首相の懐刀と呼ばれ、軍における絶大な発言力を持つに至った男が、一体、何者であるのか」

牙を剥くように。
炎に巻かれ天を仰ぐように。
光岡悟が、世界を満たす青の中で、哄っている。

「そうだ、そうだ、男はな、坂神。忘れてはいなかったのだ、友の死を。
 友を死に追いやった者たちのことを。友を死に追いやった國のことを。
 泥を啜り、石を噛んで雌伏したのだ。友の仇に尻尾を振って、犬と呼ばれるまでに」

その瞳には、信仰と呼ばれる光が、宿っていた。

「男は待ち続けた。國を変えるその日を。友の無念を晴らし、仇を討つその時を。
 力を蓄え、同志を募り、ひたすらに待ち続けたのだ。分かるか坂神?
 その執念が、その怨念が、その想念が、終に実る日が来たのだ。それが今日、この時だ!」

熱に浮かされたように、大仰な身振りで。

「そうだ、坂神。これは維新だ。腐り果てた大樹を立て直す、憂國の決起だ。
 そして同時に、これは物語でもある。これはかつて何もかもを奪われた男の物語だ。
 己が総てであった友を奪われた男の、仇討ちの物語だ」

聞け、坂神蝉丸―――と、声が響き。

「この國で行われた最初のプログラムを半ばまで制しながら凶弾に斃れた青年の名を、千堂和樹。
 その友であり、第一回バトル・ロワイアル優勝者である男の名を―――九品仏大志という」

284青(4) この泥濘を這うような戦いを:2008/12/10(水) 14:33:05 ID:witdPNHU0
光岡悟の告げる、それは過去という真実であった。

「これが我等の義だ。そして閣下の仁だ。貴様の求めるものだ、坂神。
 武勇に非ず、智謀に非ず、我等が信ずるは閣下の在り様、魂の高潔よ。
 己が信を全うし友の無念を晴らすのみならず、國を憂いて変えようと起つ男の器に、我等は意気を感じたのだ。
 その背を見て歩もうと、その道を切り開こうと共に起ち上がったのだ。
 閣下は既に先を見据え、諸国との講和を模索して動いておられる。
 これまでのような仮初めの休戦期ではない。真の終戦が来るのだ、この國に。
 半世紀以上を経て終に至るのだ、我等が待ち望んだ、争いのない時代に!」

狂信の瞳と、熱っぽい口調と、大仰な身振りと。
その全部を込めて、光岡悟が語りを終える。
最後に、そっと。真っ直ぐに蝉丸の目を見据えて、告げた。

「かつて人であった男はその怨を以て鬼と成り、そして今、國を憂いて刃と成った。
 勇と謀と、仁と義とが我等には在る。今こそその身を焔と成して、我等が愛する國を変える時だ。
 ―――共に往こう、坂神蝉丸」


***

285青(4) この泥濘を這うような戦いを:2008/12/10(水) 14:33:34 ID:witdPNHU0
 
差し出された手を、じっと見つめる。
見つめて、思う。
この手は友の手だ。
気心の知れた手だ。
共に汗を流し、木剣を握って肉刺を潰した手だ。

そして同時に、思う。
この手は時代の手だ。
新たな時代の差し伸べる手だ。
見知らぬ街並みと穏やかな食卓と、平和という言葉の意味へと続く手だ。

その街並みには青い空と白い家と子供の声があり、灰色の煙の燻る焼け跡はない。
その食卓には笑顔があり、笑顔だけがあり、悲憤に暮れる顔は、どこにもない。
平和という言葉の中に、戦はない。あっては、いけない。

じくり、と。
傷が疼いた。
身体の傷ではない。
それは、坂神蝉丸という男の奥底、暗く澱んだ淵の向こう側にできた、小さな傷である。
じくりと傷が疼くたび、その小さな、しかし深い傷から膿が染み出してくる。
嫌な臭いのする毒々しい色をした膿は、じくじくと染み出して蝉丸の中に小さな棘を撒き散らす。
撒き散らされた棘につけられた傷から新たな膿が染み出して、拭っても拭っても染み出して、疼くのだ。

焼け跡から立ち昇る煙のない、広く青い空を思うとき、傷は疼く。
崩れた壁も割れた窓もない、塗りたての白い家を思うとき、傷は疼く。
笑顔の囲む食卓に乗った秋刀魚の塩焼きと筑前煮の匂いを思うとき、傷は疼く。
悲嘆が落胆が焦燥が諦念が絶望が、昨日まで誰もが抱いていた筈の諸々がどこにもない国を思うとき、
平和という言葉を、平穏という言葉を思うとき、坂神蝉丸は己が奥底で膿み果てた傷が度し難く疼くのを、感じていた。

そういうものを守りたいと、思っていた。
そういうものを掴みたいと、戦ってきた。
そういうものを築くための、力を求めた。

だが、ならば何故、手を取らぬ。
差し出された手を見つめながら、蝉丸は逡巡する。

286青(4) この泥濘を這うような戦いを:2008/12/10(水) 14:33:59 ID:witdPNHU0
傷の疼くに任せて目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは、笑顔に満ちた街並みではない。
それは、砂塵の吹き荒ぶ平野であり、土嚢の裏に深く掘られた暗く湿った塹壕であり、熱病を運ぶ蚊の跋扈する密林である。
何日も前に声の嗄れ果てたひりつく喉と、鼻の曲がるような垢と汚物の臭いと、蚤に食われて掻き溢した脚の痒みと、
ばさばさと乾いた塩の味しかしない糧食と、時折響く銃声と、ぎょろぎょろとそれだけが光る同輩たちの充血した目と、
死にかけた兵のぞんざいに巻かれた包帯の隙間から漏れるけくけくという咳と、そういうものたちである。
守るべき何物でもなく、掴むべき何物でもなく、築くべき何物でもない、それはただ、そういうものたちであった。
そういうものに囲まれて、いつまでも収まらぬ荒い呼吸がごうごうと耳の中に谺するのを思い描いて、
蝉丸はひどく安らかな気持ちに包まれるのを感じる。いつしか、傷の疼きも消えていた。

思う。
その中には、己がいると。
荒野に立つ坂神蝉丸がいる。塹壕に伏せる坂神蝉丸がいる。密林を切り開く坂神蝉丸が、そこにいる。
それは心安らぐ地獄、心地よい悪夢、穏やかな泥濘だった。

思う。
傷の疼く光景の中には、坂神蝉丸がいないと。
平穏の中に、笑顔の満ちる街並みの中に、暖かい食卓を囲む中に、坂神蝉丸は存在していないのだと。
故に傷が疼くのだと。故に膿が染み出すのだと。
真新しい街並みの、明るく色鮮やかな家々のどこにも、坂神蝉丸はいない。いられない。
そこに地獄はなく、そこに悪夢はなく、そこに泥濘はなく、故に坂神蝉丸の居場所は、そこにはない。

帰る街はなく。
いるべき場所はなく。
故に、その穏やかな日差しの下へと続く手を、差し出された時代からの手を取れず―――、
そうして、そのすべてが欺瞞だと、分かっていた。

欺瞞だった。
それは、傷から染み出したじくじくと嫌な臭いのする膿が見せた、舌触りのいい嘘だと、理解していた。
帰るべき場所など、いくらでもあった。
存在が赦されないことなど、ありはしなかった。
新しい時代が、平和という言葉が蝉丸を受け容れぬのではない。
受け容れぬのは、蝉丸の方だった。
ぬるま湯が嫌だった。穏やかな食卓が嫌だった。笑顔に満ちる街並みなど、反吐が出そうだった。
ただ、坂神蝉丸という一人の病んだ男が、平穏という凪を忌避している、それだけのことだった。

287青(4) この泥濘を這うような戦いを:2008/12/10(水) 14:34:23 ID:witdPNHU0
何かを守るための力。
何かを掴むための力。
何かを築くための力。

そういうものだったはずの力は、いつしかその性質を変えている。
地獄を往く内、悪夢を彷徨う内、泥濘を這いずる内に、力はいつしか、坂神蝉丸という存在と同義となっていた。
坂神蝉丸の生は、力を振るい戦を切り開く生であり、それ以外の何物でもない。
蝉丸自身の抱く、それは実感であった。

同時にそれは恐怖である。
そこに義はない。
そこに仁はない。
それは単に、度し難い破壊衝動でしかない。
そんなものに衝き動かされる己が未熟を、そんなものの見せる嘘に縋りたくなる己が惰弱を、蝉丸は恐れていた。
恐怖が脆弱を産み、脆弱が欺瞞を求め、欺瞞が恐怖を作り、坂神蝉丸は、嘘の螺旋の中に居る。

麻薬のような抗い難さをもって、いくさ場が蝉丸を呼ぶ声が聞こえる。
甘露の如き芳香を放って、泥濘が蝉丸を手招きしている。
同胞のぎらつく飢えた瞳が、蝉丸の助けを求めてこちらを見ている。

そこにはない、今は遠い、乾いた埃交じりの空気を吸い込む。
そこにはない、今は遠い、湿った泥の臭いのする空気を、胸一杯に吸い込む。
その全部をいとおしむように一瞬だけ息を止め、ゆっくりと吐き出して。

静かに目を開けた坂神蝉丸が―――差し出された手を、取った。

瞬間、砕けていく。
砂塵の荒野が、泥濘の密林が、薄暗い塹壕が砕けて散って、舞い飛んでいく。
惰弱の見せた白昼夢が、握った手の温もりに融けて、消えていく。

「―――ああ。往こう、友よ」

言葉に恐怖はなく。
握る手に震えはない。
坂神蝉丸の選んだ、それは己が惰弱との訣別の、第一歩であった。

新たな時代を迎える恐怖に、傷が疼く。
疼く痛みに引き裂かれそうで、しかし蝉丸は膝を屈しない。
それこそが己との、己を侵す力との戦いであると、心得ていた。

「―――」

血を吐くように息をついた、その見上げる青の彼方に、光があった。

288青(4) この泥濘を這うような戦いを:2008/12/10(水) 14:34:47 ID:witdPNHU0
【時間:???】
【場所:???】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:背部貫通創(軽傷・仙命樹により急速治癒中)】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:軽傷】
砧夕霧中枢
 【状態:意識不明】

→1025 ルートD-5

289Act of violence:2008/12/11(木) 02:32:14 ID:SPIb/JNo0
 雨でぬかるむ山道は、想像以上に走り辛いことこの上なかった。
 まだそれほど足を取られるということもなかったのだが、気を抜くと滑って転んでしまいそうになる。
 木の合間から雨粒が零れ落ち、服も肌も濡れていく。

 前髪をべったりと額に貼り付け、汗なのか雨粒なのか、既に分からなくなっている水滴を拭いながら、伊吹風子は走り続けていた。
 山の中腹まで来たのだろうか、それともまだまだ先は長いのか……同じ風景が延々と続くお陰でどこが麓なのか分からなかった。
 ただ、目印となるであろう地点にはひとつ覚えがある。
 岡崎朋也と、みちる……風子の行く先には、必ずこの二人の死体が転がっているということ。

 そして風子は、まだそれに遭遇していなかった。
 土と泥に塗れ、赤い水溜りを広げて穴だらけになっている二人の体。想像するだけで胸が痛むが、更にそれを乗り越え、いや放置して進まなければならない。死者への冒涜……そんな言葉が風子の脳裏を掠めた。
 見返られることもなく、路傍の小石のように無視され、哀しいほどに報われない二人の魂。

 そればかりではない。由真と花梨とぴろ、実の姉の死に顔だって立ち会えていない。
 一人寂しく死んでゆく。それを課させてしまった自分の罪の深さを改めて実感する。
 無性に泣き叫びたい気持ちに駆られた。彼らの遺体に縋り付いて、どうかお願いです、寂しい思いをさせないでくださいと言いたかった。

 けれどもそれは許されない。恐らくは、この殺し合いが終わるまでは、永遠に。
 その時は、きっと自分はいないのだとも思うと風子はこんなのってない、とやり場のない怒りと、己の無力さ加減に罵倒したくなった。
 だがそれをぶつける術も知らず、またそんな機会もありはしないのだとも理解している。
 自分に残されているのは、ただただ贖罪を為す時間、それだけなのだから……

 内省の時間を終わりにして、風子は自分を忘れ、もう何度目か分からないくねった坂道を曲がろうとした。
 その瞬間、ガシャンという金属音が風子の耳朶を打った。
 直感的に危険を察知した風子は、振り向く間もなく地面に伏せた。
 雨で濁った土が顔にへばりつき、泥臭い匂いが鼻腔を満たしたが、咳き込んでいる暇も無かった。
 伏せた直後、ぱらららららというタイプライターの音が通り過ぎ、続いて高速で迫ってきた何かが風子の横をグラグラと危なっかしく通過した。

290Act of violence:2008/12/11(木) 02:32:33 ID:SPIb/JNo0
 体がまだ動くことを確認した風子は何を思う間もなく飛び跳ね、その場から離れる。
 さらにぱらららという音が聞こえたかと思うと、それまで風子のいた地面に無数の小さな穴が穿たれていた。
 この『タイプライター』の正体を風子は知っている。
 己の頭に憎悪を呼び起こす、この忌まわしい音を、風子はうんざりするほど聞いてきた。
 起き上がりざまに、ちらりと前方を確認した時見えた人物――朋也とみちるを殺害し、なおもしつこく追い縋る殺人鬼の青年が、イングラムM10のマガジンを交換していたのだった。

 あちこちのフレームがへこんだ自転車に乗り込み、吐息も荒い男の姿を確認した瞬間、風子は全身の血がカッと熱くなるのを感じた。
 頭でどれほど憎んでいようとも、いざ目の前にすると改めて体全体が怒り狂う。
 張り倒したい。頭を何度も踏みつけて殺してきた仲間に詫びを入れさせたい。

 だが今は足りない。あの男を倒すのに、必要な力が足りない。
 時間稼ぎのために用意した、バルサンを取り出してボタンを押す。
 途端、雨が降っているにもかかわらず物凄い勢いで煙が噴き出し、イングラムにマガジンを装填し終えた男の体を煙に巻いた。

「っ! この……!」

 ゴホゴホと男が咳き込むのを尻目に、前を塞いだはずの男をあっさりとすり抜け、風子は再び前へ前へと走る。
 無論その際、全力で自転車を蹴り飛ばして派手に転ばせる。煙が目に入ってまともに風子の姿も確認出来なかったので、反撃出来るわけもなかったのだ。蹴り飛ばした瞬間、自分でも驚くほど乱暴な行為を働いたという実感があったが、感慨に囚われる時間も惜しく、風子は後ろを振り向くこともなかった。
 更にもう一個バルサンを取り出し、ボタンを押しながら後ろへと放り投げる。

 一個目同様の凄まじい煙が男の周りを覆い、悪態をつくのが聞こえた。
 これでもうしばらくは……十秒は時間が稼げる。まだ、未来に繋がる十秒は残されている。
 先程よりも早く、より早く。
 服も髪も靴もドロドロに汚れて気持ち悪い感触だったが、関係なかった。少しでも前に。少しでも可能性を繋げるために。

 ふと、風子は以前どこかでやった、草野球のことを思い出していた。
 野球のことはよく分からなかったが、とにかく打って走れと言われたのでそうすることに努めた。
 コツン、とボールにバットが当たる。ふわりと球が宙に浮き、走れ走れと皆が怒声を飛ばす。

291Act of violence:2008/12/11(木) 02:32:52 ID:SPIb/JNo0
 とにかく全速力で走った。塁を目指して、真っ直ぐに走った。
 誰かに何かを期待されるのは、家族以外では初めてのことだったから……
 セーフ、という塁審の声が聞こえ、風子はそこで立ち止まる。
 ベンチの方を向く。そこではよくやったと声援を飛ばす者、意外な足の早さに感心する者、色々いたが一様に労ってくれていた。

 全速で走って、息も上がった体の動悸がやけに大きく感じられた。
 これが一生懸命ということなのか。全力で何かを成し遂げるというのは、こういうことなのか。
 ほんの小さなことに過ぎなかったが、忘れることの出来ない達成感があった。
 頑張るという言葉の中身を改めて理解した風子の中には、走って走って、どこまでも前に進むのも悪くないという思いがあった。
 そして、やり遂げたときには全力で喜んでいいのだとも。
 やりました、と風子は全身を声にして、快哉を叫んでいた。

 今はまだ違う。
 今は一塁にもたどり着いていない。
 ホームはまだ先、まだ自分は、何もやり遂げてはいない。

 打って、走れ。誰かが言ったその声が風子を奮い立たせる。絶対に諦めるなと叱咤してくれている。
 その瞬間には贖罪の思いも、罪の意識も関係なかった。
 どうすれば罪を償えるかではなく、どうすれば前に進めるかを考えて。
 何かが分かりかけていた。今までの自分とは違う、本当に大切なものが何かということを。

 けれどもその思いは直感的に生じた、言わば動物的勘とも言えるものにかき消される。
 後ろを向くと、そこには再び自転車に跨って、怒りの形相も露にした男の姿があった。
 坂道なのと地面のコンディションの悪さゆえとてもバランスが取れているとは言い難い。だがこの状況では銃を撃たずとも、自転車そのものが凶器となり得る。自転車を躱しきったとしても、前に回りこまれれば蜂の巣にされる。

 もうバルサンはない。不意打ちもどこまで通ずるか分からない。
 賭ける要素があるとするなら、今もポケットの中にある拳銃だけだが、果たして賭けて、勝てるだけの可能性はあるのか。
 まだだ。まだ五秒は考える時間が残されている。
 知恵を振り絞って掴み取ったこの時間を絶対に無駄にしたくない。
 仲間が命を落としてまで与えてくれた、この時間をも。

292Act of violence:2008/12/11(木) 02:33:08 ID:SPIb/JNo0
 一秒。

 サバイバルナイフはある。一気に反転して、すれ違いざまにナイフで切りつけるか?
 いや足りない。ナイフを取って構えるまでに、自転車が激突してくる。
 そもそも自分は小柄で、玉砕覚悟でナイフを正面から突いたとしても届かない。
 刃の切っ先が当たる前に吹き飛ばされる。

 二秒。

 拳銃を盾にして、相手が反射的に回避する行動をさせて隙を作るか。
 これも一連の動作を行う余裕がない。火力という点でも自分は見劣りしている。

 三秒。

 ナイフも、拳銃も用を為さない。この先にあるのは袋小路、デッドエンドだけだという思いが風子を過ぎる。
 こなくそと弱気を一蹴するも、しかし勝機のある作戦を思いつかない。

 四秒。

 諦めるわけにはいかない。せめて、相打ちだとしても死んでいった仲間に恥じない死に方をしたい。
 全力だと言い切れるような、悔いのない最期を……
 けれどもそれは何かが違うと風子の内奥が叫んでいた。
 掴みかけていたもの。野球の思い出を反芻する中で分かりかけていたもの。
 こんなのじゃない、これは一塁にはたどり着けても、ホームにはたどり着けない悪手。
 でも、それは何だ? 違うとは分かっていてもこうなのだと言い切れる何かがまだ分かっていない。
 後少しで分かりそうなのに。足りなかったのか、自分が作り出したこの時間は――

 五秒。

293Act of violence:2008/12/11(木) 02:33:23 ID:SPIb/JNo0
 タイムリミットと理性が告げ、こうなった以上は一か八かで拳銃で対抗するしかないとポケットに手を入れたとき、見えたものがあった。
 赤く広がる波紋。棒切れのように伸びた体。
 ほんの何時間か前まで一緒に話していた仲間。自分を励ましてくれた、ちょっと怖くて、ヘンな人だと思っていた人。
 同じく一緒にいた、元気が取り柄だと言えた少女。

 岡崎朋也、みちる。
 二人の無残な遺体が悲痛さを伴って風子の目に飛び込んできたのだった。
 岡崎さん、と我知らず風子は口にしていた。こんな形で再会するなんて。
 情けない、恥ずかしい姿を見せてしまったことに自虐的な笑みが零れ、足が止まってしまいそうになる。
 岡崎さん、風子は、こんな……

『止まるなっ!』

 風子の弱気の虫を感じ取ったかのように、いつかどこかで聞いた声で、激励の声が発されていた。

『止まるな! 走れ、全力だ! ホームに飛び込めっ!』

 野球のときの声だ。そう叫んだ人が空高く打ち上げたボールと共に、グラウンド中に響かせた声。
 何かを確信した、希望を追い続ける声だった。
 風子はそのときベンチにいたのだが、その人が発する声を、目をしばたかせて聞いていた。
 勝とう。勝ってみせる。そんな思いが伝わってくるようだった。

 ボールを目で追ってみる。どこまでも高く、天まで届くように距離が伸びていく。
 そのときの空の色はなんだっただろうか。夕暮れも近い空は茜色で、けれどもどこまでも透き通るような色だった。
 目を戻したときには、全力で戻ってくるその人の姿があった。
 ホームラン間違いなしの打球で、そんなに全力で駆ける必要もないのに、一生懸命に走っていた。
 ヒットを打ったときの自分のように。

294Act of violence:2008/12/11(木) 02:33:40 ID:SPIb/JNo0
 そうして掴み取ったものこそが本当に大切なものなのだと訴える笑いを、こちらに寄越していた。
 飛び越えろ。あのボールのように。突っ切れ。フェンスを越えて……!
 風子は地を蹴り、あの人が打った打球のように、空高く飛んで、二人の体を飛び越えていた。
 浮く感覚。けれども走っている。どこまでも、どこまでも……
 地に足が着いた直後、風子はわき道の茂みに飛び込み、転がるようにして坂を駆け下りる。自転車がブレーキを踏む音が聞こえたが、何かに躓いて派手に転がる気配がした。仕返しとでもいうように。

 ありがとうございます、岡崎さん……
 感想はその一言に留まった。背後にはなおもしつこく、坂を下りてくる追跡者の気配があったからだ。
 だが、十分時間はある。勝てる、その勝機が巡ってきた――
 泥だらけの風子の口もとがにやりと笑みの形を浮かべた。

     *     *     *

 目に入った煙の痛みが、まだ尾を引いている。
 何故だ。何故、後少しのところで邪魔をされる。
 苛立ちを隠しもせず顔中に滲ませ、七瀬彰は眼下に広がる森林と藪を見渡していた。

 自分が死体に躓いて転んでいる間に、標的の少女は段差を駆け上り、道と森林を隔てていた境界を突き破り、隠れる場所の多い茂みへと身を隠した。
 雨のせいで視界も悪い。おまけにこうも草木が多くては折角奪った自転車も意味を為さない。
 ホテル跡で放置されていた自転車を拾い、連中の中では最も弱そうな奴を選んで追跡してきたはいい。
 危険な奴らとは距離も離せたし、自分の勘に間違いはなく、追いついてもロクに反撃すら返ってこなかった。

 だが何だ? 後一歩のところで逃げられる、この詰めの悪さは何だ?
 殺虫剤の煙らしきもので不意打ちを喰らい、更には蹴飛ばされ、追いついたかと思えば今度は以前殺した連中の死体に引っかかって転んだ。
 偶然とは思えない、何か特別なものが彼女を守っている……

 馬鹿馬鹿しいと吐き捨て、彰はこけて泥だらけになった顔を袖で拭う。
 運がいいだけだ。実力でもなんでもない、こちらが少し油断していた結果に過ぎない。
 認めざるを得ないだろう。時間稼ぎとはいえ不意打ちを浴びたのは確かだし、以前殺した連中の死体が障害物になり得るだろうということも失念していた。だが標的は見誤っていない。確実に倒せるだけの実力差、武器の差はある。

295Act of violence:2008/12/11(木) 02:34:09 ID:SPIb/JNo0
 確実に追い詰められれば勝つのはこちらだ。これからは一対一、拠るべきものもなく頼れるものも期待できない、孤独な者同士の争い。
 そうなれば場数を踏んでいるこちらの方が適切に判断を取れる。
 他人の助力に甘んじ、自身の実力も上げることを考えもしない奴に負けるはずはない。
 僕は誰にも頼らない。周りを全て敵だと見なしていれば対応する術を考えなければならない。そうして戦ってきた。そうしていたら生き延びられた。
 ひとりでいられる覚悟もない甘ったれに、負ける道理はないんだよ……!

 侮蔑的な思念を逃げた少女だけではなく、誰かに寄りかかって戦うことを考えもしない無責任、無関心な人間たちに憎悪を向け、彰はそれを思い知らせてやるべく茂みの中へと踏み出した。
 雨で濡れた草木は思いのほか滑りやすく、集中していなければまた転んでしまいそうだった。

 イングラムM10は残りのマガジンが一本しかない。弾数的にあっという間になくなりそうだが、まだM79グレネードランチャーがある。
 この雨では火炎弾の威力は期待するべくもないので、炸裂弾をセットする。
 どうする、試しに何発か撃ってみて燻りだしてみるか?
 だが森林は広大で、一発撃っても大海の中に小石を放り込むようなものだ。

 だからといえど、何もせずに敵地に踏み込むにはいささか油断が過ぎる。不意を打たれた先ほどの痛みが蘇り、彰は目を細める。
 ホテルから何を持ち出していたかは知らぬが、下手をすれば今度は殺虫剤の煙だけでは済まない。
 相手もいつまでもここに留まっているわけにもいかないだろう、出てくるまで慎重を期すか。
 だがそれも問題がある。出てくるということは、それなりに作戦があってのことかもしれないからだ。
 追い詰められた狐は、逆に襲い掛かってくるということもある。それを上手くいなし、仕留めてこそ一人前の戦士。

 やはりこちらから燻り出す。予定を狂わせ、こちらのペースに持ち込む。
 しかし無駄弾を使うわけにはいかない、どこに炸裂弾を撃ち込む……
 そう考えたとき、デイパックの中に入れていた、あるものの存在を思い出す。

 あれならばどうだ? 電撃的に浮かんだアイデア。だが騙せる保障はあるのか。
 いや、自分も素人にほど近い存在だが、相手はさらに素人。ダメで元々と考えるべきで、ここで使わずにいつ使う。
 出し惜しみするは宝の持ち腐れと判断をつけ、彰はデイパックからクラッカーをあるだけ取り出す。
 イングラムを代わりに仕舞いこみ、M79を脇に挟みこんで、ヒモ部分に手をかける。
 さあ、どうだ。当てずっぽうとはいえ、当たるかもしれないという恐怖に晒される感覚に、お前が耐えられるか。

296Act of violence:2008/12/11(木) 02:34:26 ID:SPIb/JNo0
 彰は茂みの方へと向け、クラッカーのヒモを思い切り引っ張った。
 パーン、と銃声にしてはやけに軽い音だったが山中ということもあってかエコーもかかり、それらしく聞こえることには聞こえた。
 一つ目。出てはこない、がまだ次はある。一つ目を投げ捨て、二つ目のヒモに手をかける。

 反応なし。ここまではまだ我慢できるだろう。だがまだ次があると知ったら? それほどの弾薬の余裕があると知れば、どうだ?
 三つ目。回数を重ねてやけに大きく聞こえるようになったクラッカーの音が木霊する。木々の葉が驚いたようにざざと揺れる。
 次で打ち止めだが、動きはない。見破られているのか、それともやせ我慢か。どちらにせよ、四発分の銃声を受けて精神に余裕があるか?
 ないはずだ。同じだったから。銃の感触など知らず、死の恐怖に、同じく追い立てられていた自分だから、銃声に晒され続けるのは恐怖だと知っている。

 次だ。彰は使用済みのクラッカーを投げ捨て、最後の一つのヒモを取る。
 最後に残したのは、特大のクラッカーだった。一際大きいそれは、今までのものより重く、バンという大音響を山中に響かせた。
 ガサリ、と葉が揺れてひとつの影が飛び出してきた。我慢しきれないというように。

「見つけたっ……」

 追い立てられた獣、いや小動物が背中を見せ、坂道を下っていくのを彰は見逃さなかった。
 だがその足取りは草木に足を取られて遅く、また足場が悪いせいもあり決して早いものではない。
 M79の射程には入っていたが、まだ近づかないと当てられる自信はない。
 五メートルが確実に命中させられる射程だと当たりをつけた彰は、真っ直ぐに少女の背中を追った。

 だが数歩踏み出した時点で彰は足を止める。彰の足元には、一直線に横切るようにして張られていた線らしきものがあったからだ。
 引っ掛けか? いつの間にこんなものを……
 幸いにして色が緑に紛れるような色ではなく、白色だったということ、注意深く罠がないか足元を観察していたお陰でどうにか難を免れることが出来た。
 真っ直ぐ進めば、同様の罠があるやもしれない。彰は少し右寄りに迂回して少女の後を追う。

 くるり、と少女が後ろを振り向く。罠にかかることを期待していたのだろうその表情は一瞬の驚愕に見開かれ、続いて落胆と焦りの様相を呈する。
 そう何度も手の内にかかってたまるか。M79のグリップを強く握り締め、若干前側へと傾ける。
 射程距離に入るまで、残りおよそ10メートル前後……いや、この瞬間7メートル程になった。

297Act of violence:2008/12/11(木) 02:34:43 ID:SPIb/JNo0
 少女の足は相当に重い。自転車に乗っていた彰と違い、その身ひとつでここまで走り抜けてきたのだ。
 称賛に値すべきだと思うが、ここまでだ。体力を使い果たして息切れするがいい。
 体力の低下は、そのまま各種回避行動、攻撃、防御、集中力の低下を意味する。
 無論自分も体力が減っていないわけもないが、度合いに関しては相手の方が減少率は高いはずなのだ。
 特に罠も見えない。やはり集中的に仕掛けられていたのは少女の進む直線上だったということか。

 そうこうするうちにあっという間に差は詰まり、十分に当てられる射程まで残り……4メートルか。
 距離は約10メートル。当てられるか。その疑問が胸に当たり、無駄弾を消費する余裕があるかと計算する。
 いや、直接体に当てる必要はない。炸裂弾なら爆発時の破片だけでダメージ自体は与えられる。先のホテルでの一戦でそれは証明されている。
 足を止められれば、後は一分足らずで決着がつく……そう判断した彰はM79を持ち上げ、トリガーを引き絞った。

 自身の体に少しの反動がかかり、引き換えに吐き出された炸裂弾が相手目掛けて直進する。
 動きながら撃ったお陰で狙いは正確ではなかった、けれども効果は十分だった。
 少女の脇を外れてやや近くの地面に叩きつけられた破片弾が地面と草木を抉って爆発し、土や小石を伴いながら破片を周囲2メートル程を巻き込んで飛び散らした。当然、その範囲内には少女もいる。

 爆発時の爆風にまずあてられ、体のバランスが崩れたのと同じタイミングに破片や土くれ、小石の群れが襲い掛かる。
 咄嗟に顔を庇う動作は見せたものの破片の一部や石が体に次々とぶつかり、さらには爆風の影響もあって軽く体も宙に浮き、そのまま倒れる。
 恐らくは転がっていっただろう。ダメージ自体は致命傷にはほど遠く、些細なものに過ぎないだろうが転ばせられたというだけで十分だ。
 M79に再び破片弾を詰めなおし、さらに接近を開始する。

 射程圏内。入った――そう認識した時、思いも寄らぬ反撃が彰を迎えた。
 黒い布に包まれた、つぶてのようなもの……それが少女の手から放たれ、想像以上の速さを伴って彰へと向かった。
 何だと認識する間もなかった。運悪く額にぶつかった『つぶて』がガツンという鈍い音を立て、彰の脳を揺らした。
 ぐっ、と呻いてぼやけそうになる意識を何とか繋ぎ止め、続け様に『つぶて』をぐるぐると頭上で回す少女の姿を見る。
 西部劇か何かに出てくる、捕縛用の縄を回す保安官のようだった。あれは、さっき投げたものと同種のものか?

 まだあんな武器を残していたとは……諦めの悪い女め……!

298Act of violence:2008/12/11(木) 02:34:58 ID:SPIb/JNo0
 どろりとした水滴が頬を流れ落ちる。『つぶて』がぶつかったときに額から出た血なのだと気付いた瞬間には、既に第二撃が飛んできていた。
 M79で『つぶて』を叩き落とす。女の力だ、銃身がへこむということは考えられない。
 だが『諦めの悪い女』は三つ目も隠し持っていて、先ほどまでのような勢いはないまでもそれなりの速さを以って『つぶて』を投げてきた。
 これも叩き落とす。ごんという低い音を共に『つぶて』はあらぬ方向へ飛ぶ。

 無駄だ、そんなものでどうにかなるものか――
 が、それすらも『諦めの悪い女』の本命ではなかった。
 二つ『つぶて』を叩き落とし、それに対応する隙が生じ、彰はM79の銃口が向ける事が出来ずにいた。
 それこそを狙っていたかのように……『諦めの悪い女』は、両手に拳銃を、しっかりと構えていた。
 拳銃から銃弾が放たれ、一直線に彰へと向かっていく。狼狽した彰だったが、こんなことでやられてたまるかという意地が体を動かした。

「舐めるなっ!」

 『つぶて』を叩き落すときにM79を振った方向に合わせて体を捻り、重心を移動させる。
 それでも銃弾を躱しきることが出来ず、脇腹を銃弾が掠め、僅かに肉を抉り取っていったが、痛み以上の妄執が彰を突き動かした。
 戦いを逃げてきた人間に。信念の意味を知りもしない人間に、負けてたまるものか。
 伏せるようにして地面に倒れ、それと同時にM79のトリガーを引く。

 地面スレスレから発射された炸裂弾が、彰の射程外ギリギリの地面を吹き飛ばす。
 土と塵の余波が彰にも襲い掛かる中、『諦めの悪い女』が悲鳴を上げるのを彰は聞き逃さなかった。
 草木と泥の匂いが混じった自然の味が鼻腔に広がるのを感じながら、彰は立ち上がり、イングラムM10をデイパックから取り出した。

     *     *     *

 体中が痛い。
 一度目は爆風に吹き飛ばされたくらいで済んだが、今度はそうもいかなかったようだ。
 ほぼ数メートル近くで爆発した破片弾は風子の体中にダメージを与え、手足はもぎ取られたかのように動かなくなっていた。
 破片がいくつか服を通して刺さっており、恐らくはその痛みによるショックなのだろうと風子は考えた。

299Act of violence:2008/12/11(木) 02:35:26 ID:SPIb/JNo0
 坂道に転がっている自分の体は、それでも諦めるまいと熱を発していたが、最早万策尽きたに等しい。
 茂みに入ってから必死に糸を木と木の間に繋ぎ、ゴム糸には接着剤まで垂らして工夫を凝らしたというのに、あっけなく見破られた。
 やはりそう簡単にはいかなかったということか。所詮は即興で考え出した素人の浅知恵……

 本来ならこの各種引っ掛けトラップで足を取られている間にお手製の『ストッキングに石を詰めた砲弾』で集中打を浴びせて拳銃で止めを刺す、これであの殺人鬼を打倒するつもりだった。
 拳銃に弾が入っていなければそれまでの作戦だが、風子はまだ弾が入っている可能性に賭けた。いや信じた。
 朋也が、みちるが背中を支えてくれている。なら由真や、花梨だって……そう思ったから。

 その信頼に応えてくれたかのように、拳銃には一発だけ弾が入っていた。花梨が与えてくれたチャンス。
 無駄にはしなかったつもりだ。ちゃんと前を見据えて、敵の真正面目掛けて撃ったつもりだった。
 しかし、結果は失敗。
 トラップは見破られ、お手製砲弾は一発当たったものの後はことごとく潰され、最後の切り札も躱されて……

 勝機はあったはずだった。あのとき、確信した可能性は無謀なものではなかったはずだった。
 一体、何が足りなかったのか。
 銃弾らしきものに驚いたふりをして逃げ出した演技がばれたのか、引っ掛けトラップが分かりやすすぎる位置にあったのか。
 それとも拳銃の構えが甘かったのか、もしくは焦りすぎたのか……

 つまるところ、自分の至らなさが決定的な敗因になったということか。
 どんなに千載一遇の好機が巡ってきたとしても、それを活かせるだけの技量がなければただの、無力の悪あがき。
 蔑むような、含んだ笑いが風子の口から漏れ、悔しさで顔が歪んだ。
 でも、泣かない。
 それだけは絶対にしない。お姉さんとして、一人の人間として、踏み越えてはならないものだと決めたからだ。

 後、もうひとつある。……諦めない。最後の、最後まで、どこまでも足掻いてやる。
 例えそれが自らの不実、罪の意識に起因するものだとしても、風子自身が強く願ったことだった。
 どんなに格好悪くても、背中を支えてくれる人がいると分かったから……
 応えられるような力を、恥ずかしくない生き方を求めて。

300Act of violence:2008/12/11(木) 02:35:48 ID:SPIb/JNo0
 キッ、と風子は悔しさを力そのものの意思に変えて、目の前に立つ男の顔を睨んだ。
 額から血を流し、無表情の中にも強い憎悪を含んだ瞳が、同じく風子を睨み返す。
 やはり自分の作戦はそんなに間違っていなかったらしいと、風子は鈍い実感を確かめた。
 足りなかったのは、風子の力ですか……最悪、です。
 自分に言ってみると、あまり気分のいいものではない。朋也にこんなことを言い続けていたのは間違いだったかなと思いつつ、低く声を搾り出した。

「どうして、こんなことをするんです」

 あまりに遅い質問だと考えながらも、それだけは確かめておきたかった。
 朋也を殺し、みちるを殺し、二人の命に匹敵するものをこの男は内包しているのかと確認したかった。
 もちろん、そうであろうがなかろうが、風子がこの男を許さない気持ちに変わりはなかったが。
 男は無表情を崩さず、虫けらを見下すような目で答える。

「好きな人の……美咲さんのため。そして、僕自身のためにだ」

 ミサキ……かすかに覚えている。今と同じ、冷酷を無表情の中に押し込んだ双眸で見下し、銃口を向けたときに発した言葉。
 だが、しかし……

「……死んでるじゃないですか。その、ミサキさんは」

 正確な漢字までは分からないが、ミサキという読みを持つ人は既に死んでいると知っている。
 復讐を誓ったのか。自分のように? だが以前言ったときの言葉は『ミサキさんのために死んでもらう』というものだった。
 まるで、まだ生きているかのような。
 言葉を突きつけられた男は僅かに眉根を寄せ、不快感を滲ませていた。死という言葉をこんな奴の口から聞きたくない。そういうように。

「知っているさ。だからどうした」

 生き返らせるなんて馬鹿なことを言うな――その返しを拒絶し、また口にすることさえ許さない重圧が銃口を通して滲み出ていた。
 どうやら、この男は自分とは間逆のようだと風子は内心に嘆息した。
 誰かの死を知って自棄になり、受け止めずに逃げ出した挙句、都合のいいことだけを考えて他を拒絶する、頭でっかちの偏屈者……
 こんな男に許せない、心が張り裂けるくらいの復讐心を抱いていたのかと思うと急速に腹の底が冷え、萎えていくのが感じ取れた。

301Act of violence:2008/12/11(木) 02:36:03 ID:SPIb/JNo0
 自分とて人のことを言えたものではないと思うが、それでも逃げ出していないということは胸を張って言える。
 現実逃避に甘んじることなく、死んでいった者たちに報いるために、考えて考えて考え抜く。
 愚順で無知だとなじられても、絶対に逃げ出さない。逃げ出したくない。
 逃げ出してしまっては、本当に掴みたいものがつかめなくなってしまうから。

 だから、こんなところで……殺されるわけにはいかないんです!

 全身をバネにして、風子は力を振り絞り、銃を向けていた彰の腕を力任せに引っ張った。
 いきなり伸ばされた風子の手に反応できず、男がバランスを崩し倒れ掛かってくる。
 風子も引っ張った際の反動を利用して、男がダラダラと血の川を流す源の、額へ全身全霊をかけた頭突きをブチ当てる。
 頭突きした風子の脳にも火花のようなものが見えたような気がしたが、痛みに構っている暇はない。
 よろよろと立ち上がり、再び逃走を試みる。

 だがぐいと引き寄せられる力にそれを為すことはあっけなく拒否された。
 髪の毛を引っ張られたと思った瞬間、ガツンという堅い衝撃が風子の背中を突き抜け、痛みを全身に伝播させた。
 銃把で殴られたのだと理解したときには、風子はごろごろと坂道を転がり草いきれの匂いを再び味わうことになった。
 土に指を掻き立てるようにして転がるのを抑えたものの、止まった瞬間には男の足が風子の体を強く踏みつけ、ぐりぐりと足裏で擦り付ける。

「……諦めが悪いんだよ、戦いから逃げ出した臆病者の癖に。そんなに死にたくないか」

 暗澹とした、陰惨な憎悪を増して見下す男の声が降りかかる。
 風子がここまで抵抗してもそれだけの価値を認めようともしない、優越感のみで己の意義を見出そうとする声。
 負けたくないという強い思いは相変わらず風子の中に堅く存在していたが、力が伴っていなかった結果が、今の有様という冷めた感想も持っていた。
 この島に厳然として我が物顔で居座り、何をしても許されるという力の倫理。
 どんなに覚悟を持って、傷つき、傷つけるのも厭わない勇気があってもそんなものをあっという間に押し潰す、やられる前にやるという暴力の嵐。

 それに対抗するだけの本当の力が、自分にはないのか。
 悔しくてならなかった。もっと力があれば、自分が無力でさえなければ。
 やりきれなくなった思いを、風子は全身で声にしていた。

302Act of violence:2008/12/11(木) 02:36:19 ID:SPIb/JNo0
「あなたのような人に負ける風子が……最悪です……! でも、風子は負けたつもりなんてありません。風子にここまでしてやられるくらいのあなたが、この先勝っていけるわけないんです。ふんって笑ってあげます。自分より弱い人を見下すだけのいじめっ子だって言ってあげます……!」

 最終的に得た、この男に対する風子の総括だった。
 今は自分を見下すこの男も、結局は更に大きな力の倫理に呑み込まれ、為す術もなく消えていく。
 それに抗するだけの本当の力を、身につけていかなければならないのに。
 でも、風子も負けました。同じ敗北者です。所詮は同じ……

「言いたかったのはそれだけか? ……なら、死ね」

 どこか遠くから響くような冷たい銃声が、山中に響いた。

     *     *     *

「……おい、あれ」

 山の方角を指差した国崎往人に合わせて、川澄舞もそちらを向く。
 雨で燻る視界の中、山中からもうもうと煙が立ち昇っているのが遠目にも確認できた。
 まるで何かを目指すように高く、高く。
 しかもその元が花梨や由真、風子を残してきたホテル跡に近いのでは、という予測を走らせた瞬間、往人の胸にざわとした不安が粟立った。
 まさか、三人に何かあったのでは……

 一度考えてしまえば脳裏から消し去ることはできなかった。
 ひょっとしたら、今にも彼女達の命が危うくなっている……行動を起こして、彼女らの元に舞い戻りたい。
 だが同行者のこともある。今ここにいる舞と背中に背負っている朝霧麻亜子を放っておくわけにはいかない。
 今の俺がやるべきことは二人の安全の確保で、独断で勝手な行動を起こすわけには……

「往人」

303Act of violence:2008/12/11(木) 02:36:48 ID:SPIb/JNo0
 凛として強い意志の篭もった声が、往人の耳朶を打った。それが舞のものだと分かって振り向くまでに、舞は手に怪我をしているとは思えないほどの力で朝霧麻亜子の体を引き摺り下ろしていた。
 唖然とする往人をよそに、舞はしっかりとした調子で朝霧麻亜子の体を抱え直し、背中に負ってから「行って」と続ける。

「まだ間に合う。……そんな気がする」

 完全に勘に任せて言ったと思われる言葉だったが、不思議な説得力があった。
 だが、ここに守ると決めた者を残しておくわけにはいかないと理性が語り、しかしと反論の口を開こうとした瞬間、ふっと舞の表情に翳りが差した。
 出掛かっていた言葉が、そこで完全に遮断される。そうだ、舞は何も出来ずにただ傍観して見ているだけしかできなかった。

 ひとつ行動を起こせていれば、今とは違う未来になっていたかもしれなかった舞。
 最悪の結果になることもなく、重荷に過ぎる重荷を背負わなくても良かったのかもしれない。
 行動しなかったばかりのツケ。それを舞は、自分に教えようとしてくれているのではないか?
 ポケットに入れたままの風子のプレゼントが、不意に重さを帯びたような気がした。

 これでいいのか? 希望的観測に縋って何もせずに、また見捨てるのか?
 それが原因で不幸な結果を迎えたとして、守るべき人がいたから仕方がなかったんだと理由をつけてしまうのか?
 俺はまだあいつらに、人形劇も見せていないのに。

「……済まない。任せても、いいか」

 搾り出した声は、それでも苦渋に満ちたものがあった。
 我侭だ。抱えきれる範囲のひとしか守れないということは先刻承知のはずではなかったのではないか。
 自分がこんな行動を起こしたばかりに、舞を失ってしまうことがあるかもしれない。
 それで、誰も彼も失うようなことになってしまったら……

 声に出したものの、足は一歩も先に進もうとしなかった。恐れている。失ってしまうことを。
 自分の力に限界が見えてしまったがための諦めが、いつの間にか往人の底にへばりついて縛り付けていた。
 一度守ると決めてしまえば、失うのが怖くて自分を狭めてしまう。分かったような気分になって、それ以外のものが見えなくなる。

304Act of violence:2008/12/11(木) 02:37:29 ID:SPIb/JNo0
 どうする……? 二人とも連れて行くか? いや、それは自分が楽になりたいだけの安全策だ。
 どうして、俺はこんな考え方を……怯える自分がどうしようもなく許せなくなった。

 やりきれない気持ちが昂ぶったとき、往人の手のひらを包むものがあった。

「私は……問題ない。生きていくって決めたから、どんなものにも負けない」

 決然とした意思が見える舞の台詞は、手のひらから伝わってくる温かさと合わせて、往人の抱えるつまらない打算を溶かしていった。
 生きていく。己の命を信じ、また人の命のありようも信じる、本当の信頼を携えた響きは往人にもその意味を思い出させていた。
 自分ひとりだけじゃない、誰かが己を支えてくれているという実感。それを力として、正しく使っていける自信があるからこそ、舞は自分に行ってくれと頼んだのだろう。それを自分は、まだ何もかも一人で背負った気になっている。

 結局のところ、ひとりでいた頃の自分自身しか信じられなかった癖が抜け切らないのだろうと感じた往人は、つくづく進歩がないと苦笑した。
 そしてそれが分かった今は、そこから一歩でも進歩しようとする自分の決意をも沸かせていた。
 いつまでもこのままじゃ、皆に笑われるから。

「……正直、不安ではあるけど、信じてる。だから、待ってる」

 分かってるさ。……たった今、お前が分からせてくれた。
 口には出さず、往人はコクリと頷いて、もうもうと煙を昇らせている山の方へと視線を移した。
 今はやるべきことをやる。どんなに不安でも、それに抗えるだけの力があると分かった。
 自分ひとりで全てを見なくてもいい。背中を任せていられるだけの存在がそこにあるのだから……

「ああ。すぐに戻る。その間、こいつを頼むな」

 その言葉だけを残して、往人は猛然と山に向けて走り出した。
 もう迷いはない。今度こそ、間違えずに……求めることが出来るから。
 村を抜け、外れから山中へと伸びる坂道に向かう。以前はここを通って平瀬村へとやってきた。
 そういえばここを通ってきたとき、死体を発見したのだったということを往人は思い出す。

305Act of violence:2008/12/11(木) 02:37:47 ID:SPIb/JNo0
 あの二人の遺体は、今はどうなっているのだろうか。雨に晒されて酷いことになっているのではという想像が頭を過ぎったが、すぐに打ち消した。
 それを考えている時間も、どうこうする時間も今の自分にはない。
 人の死を悼む気持ちはないではなかったが、それで何が救われるわけでもないし、またそうなるとも思わない。
 だが自分の命も、この使命感も他人の死の上に成り立っていることは実感している。

 だから目を逸らさない。逸らすまい。一度弱気の虫に負け、何もかもを蔑ろにしようとした己を忘れない。
 痛みも哀しみも乗り越えて、その先の沃野にたどり着くための鳥。血を吐き続けながらもどこまでも飛び続ける鳥。
 あの時自分が発した言葉の意味が、ようやく理解できたような気がした。

 忘れてはならない。この島には、まだまだ笑わせるべき、笑顔を失ってしまったひとがたくさんいる。
 飛ぶことを止め、座して死を待つだけの鳥を、もう一度羽ばたかせたい。共にその先の未来を迎えるために。
 そのためになら、たとえどんな苦しみが待ち構えていようとも逃げ出さない。

 生きるというのは、そういうことなのだろうと、今一度結論を噛み締めた往人は、山の中腹でまた煙が出ているのに気付いた。
 誰かがいる。まだ戦いを続けている人があそこにいる。
 もう一度往人は自分に対して問う。

 お前はその手で、どれだけの人間を抱えきれる? 出来もしないことをして、挙句大切な人を失ったらどうする?
 ……そうならないために、互いが互いを支えあう。
 協力して、手を取り合って立ち向かえば少なくとも自分ひとりよりは、大きな力を持つことができる。
 信頼という言葉の中身。自分が学ぶべきものを求めて、俺は人形劇を続ける。
 だから……助けに行くんだ。

 なんだ、つまりは自分のためじゃないかという結論が出て、そうかもなと往人は嘆息した。
 だがそれでいい。今はそれでいい。まだ自分は何も知らないのだ。分かったような気になるのがおかしい。

 ポケットからコルト・ガバメントカスタムを取り出し、スライドを退いてチェンバーに初弾を装填する。
 フェイファー・ツェリスカとは勝手が違うだろう。あの銃は反動が大きすぎて連射など問題外だったが、こちらはどうか……?
 フェイファーより小さいものの、それでも両手に余る大きさのガバメントカスタムの重さを気にしている間に、軽いような、重いような破裂音が立て続けに響き、戦闘が熾烈になってきていると予感を抱かせる。

306Act of violence:2008/12/11(木) 02:38:02 ID:SPIb/JNo0
 問題は、この先どちらに味方するか、だ。標的を見誤れば最悪の事態にもなりかねない。
 いや、複数人で戦っている可能性もある。気をつけなければ狙撃されることもあるかもしれない。
 素早く辺りを見回してみる。複数の人間が潜んでいる気配は……ない。
 寧ろ殺気……戦闘の気配は一方向からしか感じられない。複数人による戦闘なら、この場一帯を取り囲むように音を響かせていてもおかしくはないはずなのに。やはり、一対一の戦いなのだろうか?

 考えながら目を凝らした先、これまた立て続けに閃光が奔り、派手に土埃を巻き上げた。
 爆発したと理解したときには、往人の体は体勢を低くして山を駆けていた。
 いくつか修羅場を乗り越えて慣れてきたらしい。人の適応能力は存外高いものだと不謹慎な感慨を抱く間に、人の呻き声が聞こえてくるようになった。
 さらに近づくと、細身で、長身の男と思しき人物が何やらものを投げられ、それでも再び反撃して相手を追い詰めているようだった。
 爆発の正体は奴か。射撃を試みようと思ったが、距離がまだ遠く射程にも入っていない。
 くそっ、間に合うのか……?

 いや間に合わせてみせると啖呵を切った往人は更に速度を上げて雨の降りしきる坂を登る。
 心臓が悲鳴を上げ、酸素を寄越せと催促を始める。普段の生活が運動のようなものだとはいっても坂を登るのはつらい。
 走り回るといえば、ポテトに人形を取られたときのことを思い出す。

 あの畜生は今も元気だろうか。あわよくば、人形を口に加えて戻ってきたりしないだろうか。
 人形が手元にないと、どうもすっきりしない。人形劇を続けるなら、あの人形は必須だ。旅の道連れであり、母が託した願いの元が。
 ……なおさら、死に急ぐわけにはいかない、か。

 つい先程までは自殺しようとさえ考えていたのに。ちょっとしたことで世界や価値観なんて変わってしまう。
 生きてさえいれば、まだ変われる可能性はある。
 だからそれを奪おうとする奴を、俺は許さない。

 これも矛盾していることは分かっている。だがそれでも何も己のありようを変えようともしない奴を許す気にはなれないし、分かり合おうという気にもなれない。何が理由であれ、目的のために同胞を躊躇無く殺せるということを受け入れられないというだけだ。
 そのために犠牲になってしまった、ひとりの少女の姿を思い浮かべて。
 視界に入った、二人の人間の姿を確認し、倒すべき敵を見定めた。

307Act of violence:2008/12/11(木) 02:38:17 ID:SPIb/JNo0
 みちる――口中に呟いて、往人は手にマシンガンを構え、抵抗を試みていた伊吹風子を殴り倒した男……風子、由真をして、みちるを殺害したと言わしめた男を双眸に見据え、勢い良くガバメントカスタムを持ち上げて照準をつける。
 激しく上下に揺れ動く体で、果たして狙い通りに弾が飛ぶのか。この体力で果たして勝負になるのか。
 打算的に考えた脳がそう言ったが、関係ないとかき消す。
 助けることが第一義だ。まずは注意を逸らすだけでいい。やるべきことをやるだけだ。

 意識の全てを戦闘に傾けた往人の体が、ガバメントカスタムのトリガーを引き絞った。
 男の死角から放たれた38口径の銃弾が山中に木霊し、真っ直ぐに相手へと向かう。
 往人の狙いは体の中心部。単に体の表面積で一番大きいところを狙っただけなのだが、その行為は間違いではない。
 少々目算がずれても体のどこかにでも当たれば激痛に身をのたうち、即時反撃という選択肢を相手から奪う事が出来るからだ。
 『殺す』ことより『動きを止める』ことを優先した結果ではあったが、それは如実な効果として表れた。

「ぐっ!?」

 体の中心部から大きくずれ、腕に少し掠っただけとなったが、男に苦悶の表情が生まれ、意識が往人へと向いた。
 ちっ、と舌打ちして木の陰に隠れた瞬間、ぱららららというタイプライターのような音が弾け、泥が激しく飛び散った。
 だがその狙いは明らかに精彩を欠いている。恐らく突っ立っていても当たらなかっただろうし、何より気付いて撃つまでに数秒もの時間があった。
 格闘戦には持ち込み辛いが、射撃なら互角の条件で戦える。

 攻略の糸口を見つけ出した往人は木の陰から半身を出すとそのまま連射する。
 正確に狙いをつけたわけではなかったが、急な坂に立っており、尚且つ滑りやすい地点であったが為に急速な回避は男には不可能だっただろう。
 その証拠に近くの木の陰に隠れるまでに十秒近くの時間をかけ、しかも一発が膝を掠った。
 いける、とは思わなかった。地形的に有利なまでで、仕留めるにはもう一つ足りない。逃げられてしまうのだけは避けたかった。

 ここで逃がしてしまえばまたこの男の犠牲者が出るかもしれない。それ以前に、みちるの敵討ちという情念もあった。
 確証はない。目の前の男がみちるを殺害したとは言い切れない。だがマシンガンという特徴と、風子を狙っていたという事実から往人は間違いではないという確信を抱いていた。
 殴られたまま、風子は姿を見せない。一歩遅かったのか、それとも……

308Act of violence:2008/12/11(木) 02:38:33 ID:SPIb/JNo0
 とにかく、早急に対処するまでだ。気を引き締めなおして往人は雨で滑らぬよう、ガバメントカスタムのグリップを握りなおした。
 さてどうする。敵も隠れてしまった以上迂闊に弾を浪費するわけにはいかない。
 かと言って持久戦に持ち込めばじわじわと相手の体力も回復し、逃げられるかもしれない。
 ……止むを得ない事態と割り切って、弾幕を張りつつ攻撃あるのみ、か?

 猶予は少ない、ならば早急に決断をするべきだ。
 飛び出ようとした往人の足元に、ばさりと何かが落ちて音を立てた。
 思わず注意を逸らされ、足元を凝視した瞬間、そこに黒いものが転がっているのを見た。

 手榴弾か――!?
 考えるよりも先に体を動かした……それが見当違いだと分かったのは、体が動いてしまった後だった。
 草木に紛れ落ちた黒いそれは、四角形で僅かに曲がった形状をしており、およそ手榴弾とはほど遠いものだった。
 箱型の手榴弾など見た事が無い。つまり、それは……

 嵌められた……! だが一度動かしてしまっている体はどうすることも出来ず、無防備な姿を敵に晒してしまっていた。
 視界の隅に入った男の姿に、やられたという敗北感が浮かぶ。
 だが致命傷さえ喰らわなければいい、持ちこたえてくれと目を瞑った往人の耳に、吼える声が聞こえた。

「わああぁぁああぁぁああぁっ!」

 力を振り絞り、大気をも振るわせるその色は男のものではなかった。まさかという思いで往人は目を見開く。
 男の背後から、逆落としの勢いを以って、風子が銃を手に持って突進してきていた。
 死んでいなかった……そればかりか、自分が戦っている隙に隠れながらも移動し、好機を待ち構えていたのか。

 抜け目ないと思いながらも、再逆転の隙が生まれたと往人は口を歪め、よしと口中に呟く。
 相手にとっても風子の奇襲は誤算だったようだ。狼狽した様子で後ろを向き、銃を乱射したものの一発として当たらず、しかもすぐに弾切れとなりカツンという空しい音を最後に弾を吐き出さなくなった。

 さらに慌てたようにして平静も保てなくなっている様子の男に、絶好とばかりに風子が銃口を向ける。
 自分の体はまだ動かない。だが足が地面に着けば再び蹴って、挟み撃ちにすることができる。
 これで詰み。ジ・エンドだ。

309Act of violence:2008/12/11(木) 02:38:50 ID:SPIb/JNo0
「ふざ、けるなっ!」

 往人の考えを読み取ったかのように、予想外の出来事に翻弄される己を叱責するように、何よりも目の前の邪魔者に対して男が絶叫した。
 まずい、と往人のどこかがそう叫んでいた。終わりではない。まだこの男には風子をどこまでも追い詰める『執念』が残っていた。

 そこから先は一瞬だった。
 まるで戦闘慣れした歴戦の傭兵の如く、男はマシンガンを捨て素早く風子の手首を捻り、銃を奪い取るや後ろに回りこんでその頭に銃を突きつけたのだ。
 往人が体勢を立て直したときには、さらにもう一方の手で風子の首を締め上げていた。

 人質に取られた……! またもや事態は逆転し、不利な状況に一変したことを往人は認識せざるを得ない。
 ガバメントカスタムを構え直したものの、風子の影に隠れるようにした男は不敵な、しかしどこまでも見下すような嗤笑を浮かべていた。

「馬鹿な女だよ……逃げていただけの癖に、僕を倒せると思い込んで……思い上がりも甚だしい」
「伊吹っ!」

 風子に当てず、敵だけを仕留められる箇所はないか。必死に目を動かして探す往人だが、自分の射撃力でどうにかなるレベルではない。
 側面にでも回り込まない限りはまず風子に当たってしまう位置だった。
 折角、ここまで来たのに。今度こそ本物の、どうしようもない敗北感が往人のうちに塗りこめられ、悔しさが往人の胸を締め上げる。

「く……国崎さん……」

 締められた喉から搾り出すようにして、風子が往人を見る。
 しかしその表情は、苦しいながらも助けを求めるものではなかった。寧ろどこかふてぶてしい、してやったというような顔だった。

「撃って……下さい。風子なんかに、かまわ、ず」
「……黙れ」

 臭い芝居だというように、嫌悪感を隠しもせずに男が風子の側頭部に銃口を押し付ける。「よせ!」と往人は叫んだが、風子は黙るどころかじっと往人を見つめ、臆している風もなく喋り続けた。

310Act of violence:2008/12/11(木) 02:39:24 ID:SPIb/JNo0
「これで、いいんです……岡崎さんも、みちるさんも、笹森さんも……十波さんも殺されて、それでも風子が出来る、たったひとつのこと……」
「聞こえないのか、黙れ」

 男の締める力が強まり、けほっと咳き込み苦しさを増した風子の表情が歪む。
 それでも風子の瞳に宿る意思は消えない。ただひたすらに何かを伝えようとしてくる。その強固な視線は、ただ愚直に往人を見つめていた。諦めさえ見える言葉とは裏腹の、真っ直ぐな双眸……

 台詞と明らかに異なる風子の様相。ならば、そこには隠された何かがあるのではないか?
 ふとそんなことを考えた往人の頭には、まさかという思いがあった。
 憶測が往人の中を飛び交い、どれが真実だと問いかける。

 いやそれ以前に撃てるのかという迷いも残っていた。
 例え風子が何かを考えていたとして、そのために自分は人を撃つことが出来るのか。
 『少年』のときとは違う、仲間だと認識した人間を撃つことが出来るか?
 もしものことだってあるかもしれない……恐れる自分に、だがしかしと反論する自分がいた。

 失敗を恐れる気持ちは誰しもある。けれども逃げ出してしまったら、俺は何もかもを裏切ってしまう。
 送り出してくれた舞も、何かの意思を伝えようとする風子も、ここまで背中を押してくれた皆にも。
 信頼を寄せて、自分に運命を託したのなら、その先の結末を見届ける義務がある。
 それが自分が目指す、沃野への標となるのなら。
 決意を込めて、往人はガバメントの銃口を風子の先にある、倒すべき敵へと向けた。

「お前……!」

 男の気配が、憎しみから怯えへと変わる。仲間を見捨てようとする冷酷な行為と受け取った男の頭は保身を選んだようだった。
 風子から奪い取った拳銃をこちらへと向け、にべもなく引き金を引く。その目に、来るなという言葉を含ませて。
 だが、男の向けた銃口から弾丸が放たれることはなかった。
 カチンというスライド音だけを残し、拳銃の中身は空っぽだったという事実を告げた。

311Act of violence:2008/12/11(木) 02:39:48 ID:SPIb/JNo0
「な、に……?」

 怯えから呆然一色の表情に切り替わる。刹那、往人は風子がニヤと笑ったのを見逃さなかった。
 抜け目ない奴だよ、と往人も笑い返して引き金に手をかける。

「っ、くそ……!」

 立て続けの予想外に見舞われた男は気が動転したか、風子を盾にしておけばいいものを、向けられた往人の銃口から逃げるように風子を放り出し、背中を見せ逃走しようとする。そんなものを、往人が逃すはずはなかった。
 弾倉が空になるまで連射されたガバメントカスタムの銃弾が、男の体にいくつもの穴を穿っていく。

 おびただしい血を噴出させた男は、恐らくはもう起き上がらないのだろうという感想を、往人に抱かせた。
 戦場の匂いが急速に薄れていくのを、往人は感じていた。

     *     *     *

 銃弾に倒れた彰の頭に浮かんだものは、負けたのかというぼんやりした感覚と、痛みもなにもなく、ただ命だけが溶け出していく感触だった。
 ひとりで戦って戦って戦い抜いたが、結局は仲間という存在に負けた。
 もう起き上がって反撃する気力もない。ただ自分が捨てたものに強烈なしっぺ返しを喰らったようで、情けない気持ちだった。

「大丈夫か」
「……平気です。けほ、上手くいったようで、良かったです」

 まだ自分には声を聞き取るだけの意識があるというのに、まるで何もかもが終わったかのように喋っているのが気に入らなかった。
 だが、やられた。絶対の優位を確信していた相手に出し抜かれ、致命傷を負う羽目になった。
 仲間、という言葉を彰はもう一度思い浮かべる。

312Act of violence:2008/12/11(木) 02:40:01 ID:SPIb/JNo0
 もし自分も仲間を作っていればこんな負け方をせずに済んだだろうか。
 こんな風に最後に顧みられることもなく、ひとり寂しく死なずに済んだだろうか。
 誰かが自分のことを覚え続けてくれていただろうか。

 全ては後の祭り。そう思うと、急に死ぬのが怖くなってきた。
 死にたくない。こんな風に、ただ敗北者として名前を知られることもなく……
 しかし助けを求める資格も、手を差し伸べてもらえるだけの優しさも、全て自分で振り払った。拒絶して、一人なら何も失わずに済む。
 一人なら望むことが出来ると豪語したザマがこれだ。残ったものは、寂しさと空しさだけだというのに。

 戦いをやめておけば良かったとは言わない。澤倉美咲のことを忘れ、新しい道を踏み出しておけばよかったとも言わない。
 己の選択は今も間違っているとは思わない。戦わずして、自分が自分でいられるものか。
 戦わなかった瞬間、人は暗闇の底に落ちて何を求めていたのかも忘れてしまうから。

 たったひとり……そう、ひとりでいいから、仲間を作っておけば良かった。
 それが自分を慰めるものであろうと、偽りの関係であっても構わない。
 冬弥。由綺。他の顔も知らない誰か。
 耳の奥には先程まで喋っていた二人組の声が残り、言いようのない哀しさを彰に覚えさせた。

 少しだけ後悔して、少しだけ涙を流しながら……七瀬彰は息絶えたのだった。

313Act of violence:2008/12/11(木) 02:40:35 ID:SPIb/JNo0
【時間:2日目午後21時00分頃】
【場所:F−3北部(山中)】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾0/10) 予備弾薬57発ホローポイント弾11発、投げナイフ2本、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。まず風子を保護。次にまーりゃんの介抱、然る後に椋の捜索】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

川澄舞
【所持品:日本刀・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。まーりゃんを連れて移動中。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)
(武器・道具類一覧)Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン、投げナイフ(残:2本)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン(34/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。往人・舞に同行。スク水の上に制服を着ている。気を失っている】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(0/15)、支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全身に細かい傷、及び鈍痛。疲労困憊でしばらく行動不能】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(0/30)、イングラムの予備マガジン×1、M79グレネードランチャー、炸裂弾×2、火炎弾×9、支給品一式】
【状態:死亡】

【その他:折り畳み自転車はE−4南部に放置】
→B-10

314青(5) いつか甘やかに優しい声で、おやすみと笑って:2008/12/14(日) 00:24:35 ID:6VzDB8HU0
 
青。
青の中にいる。
激しさを増す戦場を唐突に塗り替えた青一色の世界に、私はいた。

母が仕損じたのかと、思う。
水瀬秋子の目指す、世界の改変―――神と呼ばれる者の軛からの、解放。
青と赤、肯定と否定という概念の合一。
その均衡が崩れれば、どちらか一方の概念だけが溢れることもあるのかもしれない。

一瞬だけ過ぎったそんな考えを、だが、と思い直す。
だが、違う。この青は性質が違う。
この世界を満たす青はひどく、そう、澄んでいた。
私と同様に、或いはそれ以上に老いさらばえ、妄執に凝り固まったあの人が生じるのとは違う、
混じりけのない純粋な青。
それは、この世ならざるほどに迷いのない、肯定の意思だった。
生きる穢れ―――生まれ、衰えていく過程で生じる命の澱の一切を感じさせない、
こんなものを生み出せるような存在を、私は知らない。
だからこの世界、それを満たす青の根源が何であるのかを、私は考えないことにした。
重要なのは考えることではない、記憶すること―――見て、聞いて、感じて、それを引き継ぐこと。
私はもう、考えることに疲れ果てていた。
この、これまでに見たこともないような青の世界をどう利するかを考えるのは、母の役割だった。
あの人の計画が成功し、この歴史の向こう側へと道が開くのなら、それでいい。
それは同時に私の役割の終わりも意味しているのだから。
失敗し、次の世界が来るのなら、その時に伝えればいい。
どの道、今生ではもう会うこともないだろう。

そう考えて青の中、目を閉じる。
耳を澄ましても、何も聞こえない。
誰いもいない街を思い出す。
もう終わった世界の、誰かが造り、造った誰かはもういない街の静けさを、思い出す。

315青(5) いつか甘やかに優しい声で、おやすみと笑って:2008/12/14(日) 00:25:15 ID:6VzDB8HU0
世界の終わりを、私は知っている。
それは概念ではなく、哲学でもなく、文字通りの意味での、終焉だ。
世界は終わり、終わり続けている。
終わり、また始まって、終わっていく。
それは何度でも繰り返される、無限の輪環だった。

この戦い、沖木島で行われるこの殺戮はその端緒にして、閉幕の序曲だった。
何度も繰り返されてきた、この世界の終わりの始まり。
この殺戮の宴がそういうものであることを知っている人間は、もう殆ど残っていない。
そしてそれは同時に、この戦いの勝者が背負う二つの奇妙な呪いに関して知っている人間が、
もう私を含めて僅かに三人しか残っていないということを意味していた。

そう、この戦いの勝者は、とある役割を与えられる。
誰がそれを与えているのかは知れない。
与える誰かがいるとも、思えない。
水瀬秋子はそれを神と規定した。
私はそれを、システムと考えた。
いずれにせよ、それは選ばれるのだ。
何のことはない―――世界の終わりを見届ける、最後の一人に。

その時期自体に、数年単位の前後はあった。
そこに至る過程にも、様々な差異はあった。
だが、結末だけは変わらなかった。
この島で、この戦いが行われた直後―――世界は、例外なく滅亡する。
そして優勝者は、終わっていく世界の、最後の一人となるのだ。
誰もが死んでいく中で、何もかもが崩れ落ちていく中で、瞬く間に全てが滅びる中で、
たった一人生き延びてしまう、それは呪いだ。

呪い。
そうとでも呼ぶより他はない。
誰も彼もが死んでいく中で、誰も、何も、勝者を殺せない。
自分自身ですら、その命を絶つことが叶わない。
幸運という名の暴力が、その命と因果を、支配するのだ。
そうして選ばれた滅亡の見届け人は、世界に取り残される。
それは、絶望だ。
世界の最後の一人に選ばれる、それはつまり、永劫の苦悶だ。
誰もいない世界で、ただひとり生き続けることの恐怖。
希望を信じて、誰かを捜して、数十年を費やして自分を磨り減らしていく記憶だった。

灰色の静かな街に満ちる絶望を思い出す。
彼方の空に架かる虹の、誰とも分かち合えぬ美しさと哀しさを思い出す。
どこまでも広い空の色の中、秋の花の瑞々しい赤を思い出す。
そんな記憶を、思い出す。

316青(5) いつか甘やかに優しい声で、おやすみと笑って:2008/12/14(日) 00:25:50 ID:6VzDB8HU0
そうだ、私には思い出すことができる。
終わった世界の、終わった命の記憶を、私は持っているのだ。
それが勝者に与えられる、第二の呪いだった。
即ち、終わった世界の記憶を、次の世界に引き継ぐ力。

終わる世界は、滅びる世界は、何度でも始まり直す。
何度でも始まって、何度でも終わっていく。
そんな世界の中で、人もまた生まれ直し、生き直し、死に直っていく。
それはつまり、私もまた、幾度も生まれ直させられているということだった。
生まれ直した私は、前の世界の私の記憶を持っている。
苦悶も、絶望も、恐怖も、恐慌も、諦念も疑念も妄念も、何もかもを引き継いでいる。
永劫という檻の中で、私は、この戦いの勝者たちは、生きていた。

かつていた多くの勝者たち、終わる世界の記憶をもった彼らは、繰り返す歴史の中で
結束し、或いは反目しあいながら、磨耗していった。
何度でも生まれ直す彼らにとって死に意味はなく、それは生に終わりがないのと同義だった。
長すぎる生を倦み、厭い、磨り減っていく彼らは、この歴史の袋小路を超えようと足掻いた。
それぞれの方法で歴史の修正に挑んだ彼らの試みは、膨大な時間の中で繰り返された悪足掻きは、
端的に言って、その悉くが失敗に終わった。

幾度も失敗を繰り返し、幾度も死に、幾度も生まれ直す内、彼らは生きることが無駄と悟った。
そうして彼らは、生まれることを、やめていった。
無限の輪環の中、繰り返される死に意味はなく、しかし生は死を内包する。
生まれてしまえば死なざるを得ず、死ねばまた生まれ直してしまう。
故に彼らは、生まれてくること自体を、拒んだ。
その道筋も仕組みも、誰も知らない。
だが死と生の狭間にある、それが唯一の逃げ道だと、いつしか誰もが理解していた。
一人が減り、二人が欠けて、そうして気づけばいつの間にか残ったのは私と母と、もう一人だけになっていた。
あの自覚もなかった広瀬という少女のように誰も知らない勝者が存在している可能性はあったが、
少なくとも私たちの記憶の中に存在している者は、もう他にいない。
ここ何十度かの歴史では、私と母とで交互に優勝を繰り返していた。
これ以上の勝者を、呪いを増やさないための、それはひどく不毛な工作だった。

317青(5) いつか甘やかに優しい声で、おやすみと笑って:2008/12/14(日) 00:26:11 ID:6VzDB8HU0
目を開ける。
青は変わらず世界を包んでいて、こんな風に終わる世界なら、それもいいと、思った。
風のない、晴れた日の湖面のような穏やかな青に包まれて眠れるのなら、長い長い次の生も、
きっとそれほどには、疎ましく思わずに済むだろう。

そして何よりも、こんなに綺麗に世界が終わるなら。
あの人は、私の大切なあの人は、いま以上には壊れずに、今生を終えることができるのだから。
危機によってでなく、絶望によってでなく、眠るように終われる世界に救いなど、必要ない。
だからそんな世界の終わりには、救世主は現れない。
現れない救世主は、これ以上は、壊れない。

かつて救世主という概念であったもの。
無感情に世界を救うシステム。
世界の危機に、誰もが救いを求めるときに現れ、誰かを救い、救おうとして壊れていく、
些細な矛盾で破綻する、糸の切れた操り人形。
救いを求める者の前に現れて、壊れ。また現れて、壊れ。
壊れたまま何かを救おうと現れる、歯車の欠けたデウス・エクス・マキナ。
私の大切な人。

相沢祐一という名の少年は壊れずに、終われるのだ。
それは、幸福という言葉で言い表されるべき、空虚だ。

この青の終わりが世界の終わりであるのなら、どんなにか素晴らしいだろう。
これまで繰り返してきた中でも、極上の終焉だ。
そうであったなら。

―――どんなにか、素晴らしいだろう。

と、もう一度口の中で呟いて、私は深い溜息を吐いた。
見下ろす彼方に、光があった。
光の周りには、幾つかの影が動いている。
光の下に集まりつつある影は人の形をしていて、それはつまり、命が続いているということだった。
世界はまだ、終わりそうにない。
そんな諦念にすら、慣れきっていた。

318青(5) いつか甘やかに優しい声で、おやすみと笑って:2008/12/14(日) 00:26:45 ID:6VzDB8HU0

【時間:???】
【場所:???】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】

→676 1019 ルートD-5

319青(6) なくしたくない/なくしたくない:2008/12/20(土) 17:15:44 ID:yYeAMwnw0
 
ただ、そこにいてほしかった。
いつまでも、いつまでも。


******

320青(6) なくしたくない/なくしたくない:2008/12/20(土) 17:16:22 ID:yYeAMwnw0
 
みさきに初めて出会ったのは、いつの頃だっただろう。
初めてあの子と目を見交わしたとき、私はどんな風に思ったんだろう。
初めて言葉を交わしたときは、どんな話をしたんだっけ。
初めて握手したときは、どのくらい温かかったんだろう。
それはもう全部、思い出せないくらい、昔の話。

覚えているのは、楽しかった記憶だけだ。
日が暮れるまで辺りを駆け回って、日が暮れて暗くなってもまだまだ遊び足りなかった、あの頃。
道に迷って帰るのが遅れて、二人してすごく怒られて、わんわん泣いたこともあったっけ。
次の日にどっちが悪かったかで喧嘩して、もう口も聞かない、絶交だって言い合って。
その次の日には、もう何もなかったみたいに、一緒に遊んでた。
雨が降った日には家の中で絵を描いて、飽きて始めた何気ない落書きが楽しくなって、
部屋いっぱいに広がってまた怒られて。
ふたりで数え切れないくらい沢山の悪戯をして、毎日生まれてくる沢山の小さな秘密を共有して。
ただ、楽しかった。
ただ、幸せだった。

夏を思えば、夏が広がる。
蝉の声のうるさいくらいに響く中で、一本のアイスを両側から食べたのを思い出す。
帽子の形の日焼けが恥ずかしかったことを、振り回して怒られた花火の色を、思い出す。

冬を思えば、冬が広がった。
冷たくて赤くなった手を人の襟首に入れる悪戯が流行って、隙を狙う内に二人で風邪を引いたことを、
遊びで始めた雪合戦に本気になって、お互いに泣くまで雪玉をぶつけ合ったことを思い出す。

選挙のポスターに並ぶおじさんたちの顔に変なあだ名をつけて笑い合った通学路も、
鯉を釣ろうとして服を汚した緑色のドブ川も、全部がきらきら輝いてた。

あの事故があって、みさきの眼があんなことになって、それでも私たちは何も変わらなかった。
大人たちの態度が変わって、他の友達が離れていって、それでも何も、変わらなかった。
遊ぶ場所は少なくなって、遊びの内容は限られて、それでも、私たちはずっと一緒にいたんだ。
それで楽しかった。それで幸せだった。何も、何も、変わらなかった。

321青(6) なくしたくない/なくしたくない:2008/12/20(土) 17:17:13 ID:yYeAMwnw0
それはただほんの少しだけ、みさきにはできないことが増えたっていうだけのこと。
みさきにできないほんの少しのことが、私はできたんだから、なら、何も変わる必要なんて、なかった。
ずっと一緒にいる私たちは、ほんの少しだけ助け合うことが増えたけれど。
ずっと一緒にいるのだから、それは変わることでも、何でもなかった。
みさきにできないほんの少しのことは、私が代わりにすればいいだけで。
だから戦うことや、ぶつかることや、誰かを嫌うことは、私が代わりに、引き受けた。
そうすれば変わらずにいられたのだから、それは当たり前のことだった。
それが、私たちの、深山雪見と川名みさきの、二人のかたちだった。

戦うことや、ぶつかることや、誰かを嫌うことは、深山雪見が引き受けた。
それはずっとずっと続く、二人の時間のかたち。
無理やりに連れて来られたこの島でも、それは変わらない。
私たちは、変わらない。

それは、些細なことだ。
私たちというかたちの、当たり前のことだ。
誰かと戦うのは深山雪見の役割だ。
誰かとぶつかるのは深山雪見の役割だ。
誰かを嫌って、誰かに拳を向けるのは、深山雪見が引き受けた。
それ以外の全部、楽しい時間の全部が、私たちの共有するたった一つのこと。

それで、幸福だった。
それが、幸福だった。
私の護る、それが全部だ。

だから。
それが失われることなんて、ありはしないんだ。
みさきが眠ってるんなら、起こしてあげなきゃいけなかった。
眼を覚まさないんなら、覚ましてあげる方法を見つけるのが、私の役割だった。
それは深山雪見にとっての当たり前で、だからそのために必要なら、私は何だってする。
何だって。
バカみたいだって言われても、奇跡を起こすパンを作ってもらうんだ。
その材料を集めるんだ。
誰とぶつかっても、誰を泣かせても。
そうしてみさきの目を覚ますんだ。

みさきは眠ってる。
山中の洞窟で私の帰りを待ってひとり、眠ってるんだから。
その眼を開けて、また楽しい時間が廻ってくるのを待ってるんだから。
ずっと、ずっと待ってるんだから。
私は、帰らなくちゃあ、いけないんだ。
そうだ、私はみさきのところに帰るんだ。

帰って、取り戻すんだ。
帰って、護るんだ。
帰って、手をつなぐんだ。
帰って、笑うんだ。
帰って、私たちは、私たちに、もう一度。

もう一度、

もう一度、

もう一度、



******

322青(6) なくしたくない/なくしたくない:2008/12/20(土) 17:17:35 ID:yYeAMwnw0





******

323青(6) なくしたくない/なくしたくない:2008/12/20(土) 17:17:56 ID:yYeAMwnw0
 
消えていく。
壊れたレコードのように繰り返される言の葉が、雑音に混じって消えていく。

それは人の在りようをかたちにしたような声。
それは自らを規定する意思。
それは、心。

消えていく心がその最後まで顕そうとしたかたちを、私は忘れない。
決して、忘れない。

あれは私だ。
この世界はまだ大切なものに満ちていると、何もなくなってなどいないと泣く、もうひとりの私の声だ。
足掻き、縋り、あり得べからざる真実の何もかもを切り伏せようと抗う、それは願いだ。
その願いを忘れるのなら、その想いのかたちを忘れてしまえるのなら、川澄舞は存在するに値しない。

私は私の前に示される想いの何もかもを、喪われゆくものの全部を背負おう。
背負い、踏みしめ、抗おう。
それが私だ。川澄舞だ。

ああ、ああ。
どうしてこんなにも大切なことを、今の今まで忘れていたのだろう。
立ち上がり、剣を取ろう。
黄金の野原を守り抜こう。
襲い来る魔物の名は喪失だ。
その爪に宿る毒の名は死だ。
その翼が孕む風の名は時間だ。

それが、何だというのだ。
私の名は川澄舞。
抗うものという、それが意味だ。

死が喪失を齎すのなら、私の剣は死を断とう。
時が喪失を運んでくるなら、私は時を切り伏せよう。

私が剣を取る限り、この黄金の野原から喪われるものの存在を、赦さない。
久遠に満たされ続ける、それが私の、川澄舞の守護する、黄金の世界だ。

立ち上がれと、私は私に命じる。
立ち上がり、取り戻せと。
取り戻し、守り抜けと。
守り抜き、久遠を約定せよと。
私は、川澄舞と呼ばれていた意志に、命じる。

目覚めよと。
たゆたう微睡みを貫いて、意志と意思とを以て目を開けよと。
命じる声に雑音はなく。


***

324青(6) なくしたくない/なくしたくない:2008/12/20(土) 17:18:15 ID:yYeAMwnw0
 
目を開ければ、そこに幼い顔があった。

325青(6) なくしたくない/なくしたくない:2008/12/20(土) 17:18:33 ID:yYeAMwnw0
 
【時間:???】
【場所:???】

川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:???】

深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣、魔犬の尾】
 【状態:???】

少女
 【状態:???】

→822 1013 1019 ルートD-5

326青(1224) 麗人:2008/12/24(水) 21:51:08 ID:yoOBrf2E0
 
「これは……」

眼前に広がる光景に驚愕の色を隠せない蝉丸が、傍らに立つ光岡が、共に言葉を失う。

「麦……畑……?」

青一色の世界の中、黄金の光とも見まがう色の、それが正体であった。
さわ、と吹き抜ける風に、頭を垂れた麦の穂が揺れる。
それはまるで黄金の海に波濤の寄せては返すが如き、幻想の具現。
見上げた空は青く、だが先程まで世界を覆い尽くしていたような平坦な色ではない。
天頂の濃紺から地平の彼方の群青へと続く、それは正しく蒼穹の青である。

空があり、風が吹き、そして麦穂の揺れる黄金の海。
この上なく長閑な、平穏という言葉の顕現したような光景。
しかし唐突に戦場を覆い、何もかもを埋め尽くした青一色の世界の中にあっては、
彼岸の中にある此岸とでもいうべき、その長閑さこそが異様であった。

「何が起きるか見当がつかん、油断するな坂神」
「ああ、判っている……」

身構えながら慎重に辺りを見回す二人が、背を寄せ合うように動く。
死角を補い、状況の変化に迅速に対応するための陣容である。
と、

「む……?」
「どうした、坂神」

蝉丸の低い呟きに振り返った光岡が、思わず瞠目する。
その瞳に映っていたのは、あり得べからざる長閑さという異様を更に塗り替える、奇異であった。
想像の埒外とでもいうべきそれは、この青の世界で何度目かの絶句を、二人に齎していた。



 †  †  †  †  †

327青(1224) 麗人:2008/12/24(水) 21:51:35 ID:yoOBrf2E0
 
そこにあったのは、澄んだ瞳である。
遥かな海の底を思わせる、深い色の眼差し。
郷愁と共にこみ上げる感情の名を、光岡悟は知らぬ。
知らぬが、それは確かに光岡の胸に宿っていたものである。
何年も、否、それよりもずっと以前から抱き続けた、それは臓腑の底の焼け付く痛みのような、
或いは声の嗄れるまで叫びたくなる衝動のような、しかし同時にひどく神聖な光を放つ何かを
その内に抱くような、そんな感情である。

その瞳を覗き込むとき、光岡の胸に奔るのは衝動であった。
遮二無二掴み取り、引き裂いてその中にある脆く美しい何かを掻き抱いて眠りたくなるような衝動。
それを抑え続け、目を逸らすように生きてきたのが光岡悟の人生である。
だが今、その瞳はあまりにも近く、そしてあまりにも無防備にそこにあった。
手を伸ばせば届いてしまうほどに近く。
掻き抱けば容易く引き裂けてしまうほどに無防備に。
目を逸らせぬほどの、深さで。
知らず、その名を口にする。

「坂神……」

328青(1224) 麗人:2008/12/24(水) 21:52:11 ID:yoOBrf2E0
触れれば、熱い。
熱さは身を焦がし、心を焼き、光岡悟の自制を融かし尽くすだろう。
それが、怖い。
それは、怖い。
堪えてきたのだ。抑えてきたのだ。
そうしてここまで、築き上げたのだ。
離れることなく、歩み続けてきたのだ。
それを、壊すのか。
そんな声が、聞こえる。
それは、光岡悟という男の怯懦が発する声である。
惨めに震え、哀れを誘うように涙を流す、それは光岡の最も嫌う、しかし最も強く彼自身を縛る声であった。
声はいつも、光岡の衝動を冷ましていく。
求めようと伸ばされる手を、その涙の冷たさで抑え込んでしまう。
それを繰り返してきたのが光岡悟の人生で、いつだってそうしてきて、

「光岡……?」

しかし、今日の瞳は、近すぎた。
伸ばした手が、届いてしまうほどに。

329青(1224) 麗人:2008/12/24(水) 21:52:23 ID:yoOBrf2E0
「……騒ぐのだ、この胸が」

開いた口から漏れた声は冷静を装って。
しかし、隠し切れない想いの色が、顔を覗かせている。

「鎮まらんのだ、この鼓動が……坂神、貴様を見ているとな」
「光岡……」

何かを言おうとしたその乾いた唇に、指を添える。
触れた指の先に感じる熱が、鼓動を早めていく。
早まった鼓動が、指を伝ってその唇に何かを言付けてくれればいいと、思う。
言葉が、出てこない。

「―――」

言葉を発さぬ唇は役立たずで、そんな役に立たない唇は、きっともう一つの役割を望んでいる。
言葉の代わりに想いを伝える、そんな役割を。
深い色の瞳が、近づいてくる。
否―――近づいているのは、自分だ。
空と海との間に生まれたような、静かな瞳に吸い込まれるように、そっと唇を重ね―――

330麗人:2008/12/24(水) 21:56:06 ID:yoOBrf2E0
 
 †  †  †  †  † 






******


「―――という展開になったら、皆さぞかし驚くだろうね」

くるり、と椅子を回して後ろを振り返り、男が笑う。
視線の先には一人の少年が立っている。

「いえ、驚くとかの前に意味がわからないです」
「おや」
「だいたい二人きりって、砧夕霧はどこ行ったんですか」
「そりゃあ演出の都合ってもんだよ、細かいなあ滝沢君」
「先生が大雑把すぎるんです」

ぬけぬけと言い放った男の名を、竹林明秀。
一言の下に切って捨てた少年を、滝沢諒助という。

「はあ……そんなことだから超先生、なんて呼ばれるんですよ」

331麗人:2008/12/24(水) 21:56:37 ID:yoOBrf2E0
狭い部屋に嘆息が響く。
暗い室内には簡素な事務用の机と椅子が一脚。
机の上ではキーボードを照らすように小さなモニタが光を放っている。
沖木島の地下、遥かな深みに存在する一室の、それが全てであった。
元来はプログラム開催の為、各種施設を建造する際に築かれた物置の類である。
基礎部が完成し、上層に設備が整っていく内に忘れられたその空き部屋に目をつけた竹林が
密かに管制系統を引き込み、自身の私室として改造したそれを名付けて曰く、超先生神社という。

「いいじゃないか、超先生。なにせ超だぞ? スーパーだぞ? 君も尊崇を込めて呼びたまえ」
「はぁ……」
「しかし実際、すこぶる暇でね。こんな妄想くらいしかすることがないのだよ」
「死亡報告まで偽装して司令職から逃げてきたのは自分じゃないですか……。
 というか、ここ」

滝沢が覗き込んでいるのは、モニタに映る映像である。

「これ、どうなってるんです? 合成前のCGみたいなブルーバックですけど。
 カメラの故障……っていうには妙な感じですよね」
「私にも、たまには分からんことくらいある」
「……」
「……」
「聞いた俺がバカでした」
「うむ」

重々しい顔で深く頷く竹林に、滝沢がもう何度目かも分からない溜息をついて話題を変える。

「……そういえば真のRRの完成でしたっけ? 先生の目指してたあれはどうしたんですか」
「ああ、それなのだがね。聞いてくれたまえよ、まったく非道い話だ」

水を向けられた竹林が、これ幸いとばかりに語り始める。
適当に相槌を打つ滝沢の冷ややかな視線は特に気にした様子もない。

332麗人:2008/12/24(水) 21:57:02 ID:yoOBrf2E0
「命の炎を燃やした殺し合いの末に現れるという最後の玉を待つために仕方なくこんなところで
 油を売っているというのに、もう誰も当初の殺し合いなどには見向きもしていないじゃないか。
 首輪の爆破機能もいつの間にやら切られていて作動しないし、もう管制システムで動いているのは
 監視カメラくらいのものだよ。もうプログラムは滅茶苦茶だ。
 おまけに後任の司令はどいつもこいつも勝手なことばかりやって、挙句になんだね、あの巨大な怪物は。
 バトルロワイアルは怪獣退治じゃないんだぞ。かといって今更帰る場所のあるでもなし、
 戦いが落ち着くまではおちおち地上に出ることもできないときた。実際、私の計画では―――」

立て板に水の如く愚痴をこぼし続ける竹林の、いつ果てるともない憤りを止めたのは、

「―――あらあら、大変そうですわね」

ころころと鈴を転がすような、笑みを含んだ声である。

「うわあっ!?」

飛び上がったのは滝沢だった。
狭い室内のことである。
扉は一つ、その向こうには長い階段が伸びているだけ。
誰かが入ってくれば、気づかないはずはなかった。
それが、

「あらごめんなさい、驚かせてしまったかしら」

微笑んで言ってのけた声音の主の、弓のように細められた瞳が、至近にあった。
まるで、モニタの光を受けて背後に伸びた己の影が、人の肉を得たように。
その女は、いつの間にか狭い部屋の中に、存在していた。

「……、……っ!」
「おや、安宅君じゃないか」

言葉もなく口を開け閉めする滝沢をよそに、振り向いた竹林が小さく片手を上げる。
その表情に驚愕の色はない。

333麗人:2008/12/24(水) 21:57:19 ID:yoOBrf2E0
「久々だね。いつこっちに戻ってきたんだい」
「あら、先生ったら」

呼ばれた女性が、口元に手を当ててころころと笑う。

「安宅だなんて、随分と懐かしい名前で呼んでくださるんですね。
 若い頃を思い出してしまいますわ」

言って笑んだ、その切れ長の瞳からは薫り立つ蜜のような艶が滲んでいる。

「ん? ああ、これは失敬。今は何というんだい?」
「―――石原、と」

名乗った女に、竹林が何度も頷く。

「石原、石原君か。……そうか、しかしあの安宅君がね……時が経つのは早いものだなあ」
「長らくご無沙汰しておりました、竹林先生」

深々と、頭を下げる。

「……先生はこそばゆいな。今は私も軍属だよ」
「存じておりますわ、竹林司令」
「恥ずかしながら、そこには元、と付くがね」
「それも、存じております」

薄く笑んだまま居住まいを正した女が、

「本日ここへ足を運んだのは、他でもありません、先生。
 因と果の狭間を歪め、縁を捻じ曲げる呪い―――リアル・リアリティ。
 その当代随一の遣い手たる竹林明秀……いいえ、青紫先生のお力を、是非お借りしたく存じます」

忘れられた部屋で、忘れられた名を、口にした。

334麗人:2008/12/24(水) 21:57:36 ID:yoOBrf2E0

 【時間:2日目 AM11:40???】
 【場所:沖木島地下の超先生神社】

超先生
 【持ち物:12個の光の玉】
 【状態:よせやい】

滝沢諒助
 【状態:どうしたらいいんだ】

石原麗子
 【状態:???】

→408 533 1026 ルートD-5

335Good-by And Farewell:2008/12/26(金) 22:01:00 ID:KVbDHXhE0
 芳野祐介の前では啖呵を切ったものの、こうして時間が経ってみると妹の死はあまりに大きいと霧島聖は思い知らされていた。
 もう妹の顔を見ることは出来ない。どんな表情も思い出の中にしか残っていない。
 もう、流しそうめんも出来ない……

 結局一目として会えず、その事実だけを確認した聖は胸の奥がぐっと縮んでいくのを知覚する。
 生きて帰ることが出来たとしても、家には一人。診療所で一人きりなのだ。
 そんな生活に耐えられるわけがない。何に生き甲斐を見出せばいいのか分かるはずもない。

 さりとてここで死ぬわけにもいかない。医者としての使命が生きろと急き立てる。
 まだ助けられる命があるのなら、そのために働けと叱咤の声を放っている。
 藤林杏の治療を終えたときの一ノ瀬ことみの顔を思い出す。
 また一緒にいられる、悲しみを抱え込まずに済んだと安心したことみの顔は本当に嬉しそうだった。

 ならば、このままでいい。霧島聖という人間の命は、そのためだけに使えばいい。
 家族も守れず、死に目にも会えなかった自分にはそれで十分に過ぎる。
 己の感情に背を向け、為すべきことを為すだけの人形となっていくのを認識しながら、聖は言葉を発する。

「ことみ君は何をしているんだ?」

 杏と芳野を見送った後、すぐに出発するかと思った聖だったが、ことみはデイパックの中のものと、地図を交互に見ながら唸っていた。
 今ことみが手に持っているのは何かのIDカード……『Gate 10』と書かれているものだ。
 呼ばれたことみは努めて冷静な顔で、地図上のとある地点を指差す。

「疑問があるんだけど……私達が最初に出てきた場所、つまりこの殺し合いについてのルールを説明された場所って、全部爆破されてるはずなんだけど……どうしてだと思う、先生?」
「何故、と言われてもな……都合が悪いからじゃないか? 例えば、奴らの基地に通じる道を塞ぐためとか」

 少なくとも、聖にはそう思えた。この島の表側にそれらしい施設がない以上、殺し合いを管理している連中がいるのは地下。
 ならばそこに通じる道を塞ぐのは常套手段と言える。
 しかしことみは「私はそうじゃないと思う」と首を振った。

336Good-by And Farewell:2008/12/26(金) 22:01:20 ID:KVbDHXhE0
「私は、逆。寧ろ都合よくするために爆破したんじゃないかって思うの」
「……? よく、分からないが」
「もしそうなら、こんな杜撰な爆破の仕方で完全に道が塞がるわけはないと思うの。
 聖先生、ビルの爆破解体もそんなに大量の爆薬を仕掛けているわけじゃないってことは知ってるよね?
 あれも要所に適量の爆薬を仕掛けて、綺麗に崩れるようにセットしてあるだけだから……
 でも、ここの爆破の仕方は力任せに建物を吹き飛ばしただけ……
 多分、本当に道があるのだとしたら、隠したつもりでもどこからか見える可能性があるの。
 そもそも、ただ隠したいだけならここのエリアに入ったときに私達の首輪を爆破すればいいだけだし。
 わざわざこんな爆破はしないと思うの」

 なるほど、と聖は思う。よく考えれば聖が出発した直後の爆発は崩して隠すというより吹き飛ばして何もないように見せかける、というようにも見えた。ことみの言うとおり、何かを隠すためではなく、見つけさせるための爆破なのだとしたら……

「それと君の持っているカードが、関係してくるというわけか」
「さすが。いい勘してるの。私の推測が正しいなら、このカードは多分、どこかのスタート地点から地下に続く鍵なのかも」
「ふむ……って、待て」

 納得しかけて、聖は突っ込みを入れる。
 ことみは「???」とでも表現できそうなほどきょとんとした表情をしている。

「地下に続くって……そこには奴らの基地があるのかもしれんのだろう。どうしてそんなことを」
「うーん……これもほとんど思い込みかもしれないんだけど」

 ことみは一つ区切りを入れて、今までよりは自信なさげに続ける。

「これって、支給されたものの中では一番の大当たりの可能性があるの。
 デイパックに詰められないくらいの巨大な兵器とか、大量の銃火器とか。
 だからそれを渡すための場所として、この鍵を支給した。鍵にして渡したのには保険があると思うの。
 島の表層に武器を保管する場所があったら参加者の人たちに襲撃される恐れがあるし。
 もう一つ、大量に渡しすぎたら殺し合いが一方的になり過ぎる事があるかもしれないから、
 量を制限させるためにカードキー型にしたとか……」

337Good-by And Farewell:2008/12/26(金) 22:01:42 ID:KVbDHXhE0
 そういうことかと聖は頷く。つまりこのカードキーは小切手のようなもので、指定された場所に行けば強力な武器を(選択して)得られるということか。デイパックを受け取ったときのようにカードキーを差したときにランダムで武器を仕舞っている棚が開くというシステムにすればバランスが崩壊することもない。考えたものだと思いながらも、それは殺し合いを開催した者が場慣れしていることも想像させた。
 もしかすると、以前にもこういうことがあったのではないかと思った聖の眉根に皺が寄る。
 生きることを見出せなくなっても、人の命を奪うことを許せない気持ちは依然としてある。それも、ただの享楽なのだとしたら尚更許せなかった。
 今まで脱出を一番に考えていた聖の頭が、主催者への怒りをも帯び始める。こんなことのために、妹は死んだのだとしたら……
 壊してやりたい、と聖は思った。主催者そのものではなく、殺し合いをゲームとして作り出し、今も世界のどこかに巣食っている反吐が出そうな、この悪しきシステムを。そのための力を、今蓄えつつあるのだから。

「……もしことみ君の推測が正しければ、私達も地下に潜れるかもしれない、ということだな?」
「うん。このカードキーがまだ使えるなら……って話になっちゃうけど、でも、使えるなら」

 そこで地図をひっくり返し、爆弾の文字をゆっくりとなぞることみ。その意味を、聖は既に理解していた。
 地下のどこかで爆弾を爆発させれば、主催者が殺し合いを管理している、コントロールルームまでの道が開けるかもしれない。
 そうでないにしても、ここから望みを繋いでいくことだって出来る。

 希望は潰えたわけじゃない。このシステムを壊せるかもしれないという可能性が、聖の意思に一つの火を灯した。
 もう自分に生きていけるだけの何かがあるかも分からない。見つけられず、ただ朽ちていくだけの人生かもしれない。

 しかしそれでも、ここには未来を望む何人もの人間がいる。人の死を見ながらも生きようとする魂がある。
 それを守り通したい。こんな馬鹿げた殺し合いを終わらせるために。忘れてはならない真実を伝えるために。
 たとえ人でなしの屑だとしても、それくらいの価値はあるだろう――聖はそれで締めくくって、内奥の熱を仕舞いこんだ。

「しかし、よくそんなことに気付けたな。地下に続く通路だなんて、例え憶測でも私には考えられなかった」

 カードキー一枚からそこまで考える事が出来ることみの頭脳の違いを思い知らされたような感じだった。
 ことみは照れたように頬を掻いて「それほどでもないの」と笑う。

338Good-by And Farewell:2008/12/26(金) 22:02:04 ID:KVbDHXhE0
「だって、この島にカードキーを使うような施設なんてなさそうだったから。だから、地図に書かれてある施設じゃない。もっと高度な設備を擁するどこか……それを考えたら、自ずとこの結論にたどり着いたの。それに、ご丁寧にカードキーにヒントみたいなのが書かれてあるし」
「ゲートの10……か。ということは、1から9までもあるのかもしれないな」

 地下へ続く道があるのだとしたら、出入り口は一つだとは考えにくい。
 万が一事故……火災のようなことが起こった場合に備えて出口は複数作っておくのが常識だ。
 出入り口の全てがこの島に用意されているとは考えられないが、スタート地点が東西南北バラバラになっている……つまり、このカードキーを渡された人間が長距離を移動しなくてもいいよう、それぞれのスタート地点に最寄のゲートがある可能性は十分にある。
 だとするならば、同じスタート地点付近であるこの学校にもゲートがあるのかもしれない。

 けれどもこれは推測に過ぎない。よしんば当たっていたとしてもこちらの切り札である爆弾は完成さえしていない。
 現在芳野祐介と藤林杏の二人でロケット花火を捜索してもらっているが、こちらとしても軽油を見つけ出さなければならない。
 まだまだやるべきことは残っているということか。人手が足りない以上、自分達で動くしかない。
 忙しくなりそうだと思いながら、聖は苦笑交じりの息を漏らした。

「さて、どうする? このまま灯台に向かうのか」
「うん。私達の足だと結構時間がかかっちゃうけど……」
「足が欲しいところだな。車でもあればいいんだが」

 医者という仕事柄、いざというときのために車の免許は持っている。もっとも運転することは少なかったのでほぼペーパードライバー状態なのであるが、事故を起こすほど機械オンチではないという自負はある。なにせトラクターの修理をしたこともあるのだ。
 ともかく、車がなければどうにもならないことなので考えても仕方ないと思い、「まあ、歩いていくしかないだろう」と言う。

「うーん……」

 渋ることみ。どうやら現代っ子は運動をしたくないらしい。

「シャキッとしろ。肉がつくぞ、肉が」
「う……」

339Good-by And Farewell:2008/12/26(金) 22:02:25 ID:KVbDHXhE0
 すごく嫌そうな顔で、「私は頭脳労働派なの……」とぶつぶつ言いながらも席を立つ。
 それには違いないとは聖も思うのだが、健康的な体を維持するのには運動が必須だという信条がある聖としては現代の運動不足症候群に対して激の一つでも飛ばしてやりたいという気持ちがあった。

 まあことみも十分に健康的かつ豊満な体ではあるのだが、と制服の下に隠れていても分かる、ふっくらとした胸の膨らみとくびれた腰つきを見て、聖は感嘆のため息を出す。同時に、そんなことを分析している自分がひどく親父臭いと思ってしまった。
 デイパックを抱えて、ことみが先に保健室を後にする。それに続いて聖も席を立ち、ぐるりと保健室を見渡した。

 まだ微かに残る懐かしいアルコールの匂い。白を基調とした清潔で落ち着いた(杏によってひどい有様ではあったが)室内。
 回転椅子。革張りのソファ。コチコチと神経質な音を立てている時計。棚にある様々な薬品。

 これまでの自分達を守ってくれた保健室という日常。自分はそこから乖離しながらも、これを望む人達のために戦う。
 覚えておこう、そう聖は思う。もうそこに自分の居場所はなくとも、覚えておきさえすればきっと目的を見失わずに済むだろうから。

 さよならだな。聖は呟きもせず、保健室に背を向ける。

 ガラガラと、白い室内は雨音を反響させるだけのオルゴールとなった。

     *     *     *

 雨粒が肌を打ち、水滴は雫となって流れ、やがて服に染み込む。
 早くも染みを服裾に作り始めて湿り気を帯び始めている。
 まだ気にはならないものの、気持ちが悪いことには変わりない。
 このごわごわとした感触の悪さは直りかけのかさぶたに似ている、と思った。

 自分が岡崎朋也という人を『男の子』として好きになったのはいつからだっただろうか。
 昔、自分と遊んでいたときから?
 図書館で再会して、一緒に行動するようになってから?

340Good-by And Farewell:2008/12/26(金) 22:02:44 ID:KVbDHXhE0
 よく分かっていない。人が恋するのに理由がない、という理由がこういうことなのだろうかとも思う。
 ただ一つ明確なのは、もう朋也には二度と会えない。
 もう半分こすることも、もう綺麗なバイオリンの音を聞かせることも出来なくなってしまった、その事実だけだった。

 また、戻ってこない人ができてしまった。父や母と同じく、昨日までそこにあって、手の届く場所にいたのに。
 いつだってそうだ。己の臆病さとちょっとした我侭で、するりと手をすり抜けていってしまう。
 結局、人はいつでも後悔を続ける生き物だということか。朋也の死がじわじわと侵食していくのを感じながら、ことみは雨から顔を俯ける。

 けれどもまだ自分には失いたくない友達がいる。
 学校では変人と見られ、日常から乖離していた一ノ瀬ことみという子供の手を取って、引っ張ってくれたあの友人達を。
 古河渚、藤林杏、藤林椋。まだその人達がいる。

 杏とは既に再会し、お互いに健闘を誓って別れた。一時は元気を失いながらも、別れる前に言葉を交わしたとき常日頃の不敵さを取り戻していた。生き延びることを思って。また笑い合える日々が来ることを信じて。
 それが以前と同じでなかったとしても、まだ自分達は笑えるのだと確信している目を寄越していた。
 自分にそれが出来るかどうかは正直なところ、分からない。ただ一つ確かなことは渚や椋にも会いたい。故にこうして脱出のために動いているのだということだった。本当に、本当に皆が大切な友人なのだから……

「ことみ君、来てみろ」

 ことみの感傷を打ち切ったのは聖の明朗でさばさばとした声だった。
 雨に燻る景色の向こう、トタン屋根の下の駐輪場らしきところで手招きをしている。背後には何やら車輪らしきものも見えた。

 そうか、とことみは思った。自転車か。車よりは調達は簡単で移動距離もそこそこは早い。
 足は欲しいと言っていたから、きっと他に何かないか考えていたのだろう。
 そういう気の配り方は自分にはない。聖は先程感心していたが、ことみからすれば聖にこそ感心したいところだった。
 互いにないところを補い合う……こういうことが出来るのが仲間かと思いながら、ことみは聖に駆け寄る。

「見ろ。自転車だぞ。……二人乗り、だが」
「……え?」

341Good-by And Farewell:2008/12/26(金) 22:03:09 ID:KVbDHXhE0
 聖がくいっと後ろの自転車を差す。
 そこにあったのは観光地か何かで見かけるような、サドルが二つついた妙に全長の長い自転車だった。
 知識としては知っていたのだが、実物を見るのはことみも初めてだった。

「本当なの。どうしてこんなのがあるのかな」
「さぁな……幸いにして、鍵はかかっていないようだが。ま、かかっていたとしてもブチ壊すがな」

 ニヤリと笑っている聖の手には、ベアークローが嵌められていた。
 医者の頭の良さそうなイメージは微塵も感じられない。世の中には体育会系の医者もいるんだなあと改めて納得することみ。
 きっとこの人の朝はラジオ体操とジョギングから始まるのだろうと思っていると、不意に聖が鋭い目を向けてきた。

「おい、なんだその筋肉を見るような目は。言っておくが私の朝は華麗だ。牛乳を飲むことから始まるんだからな」

 華麗……? と口を開きそうになったことみだったが、過去の経験が口を開いてはならないと警告を発していた。
 きっと聖の中では華麗のうちに入るのだろうと納得して、ことみはコクコクと頷いておくのだった。

「全く……さて、急ぐぞ。雨も降り始めていることだしな。道が悪くならないうちに一気に南まで行くか」

 ベアークローを仕舞い、ハンドルを引いて自転車を引っ張り出す聖。
 その背中を見ながら、ふとことみには疑問に思うことがあった。
 ここまで行動を共にしてくれている聖。常に側にいてくれているが、どうしてここまで一緒にいてくれたのだろうと思う。

 脱出の計画を練っているとはいえ、それは不完全なもので、自分に見切りをつけて妹を探しに行っても良かったのに。
 家族の大切さ、失ってしまってもう手が届かないところに行ってしまった喪失感を知っていることみにはそんな感想があった。
 今更言ってどうにかなるものではない。いや寧ろ言えば聖を傷つけてしまうだろう。
 しかしそれでも、家族を後回しに近い形にしてでも、自分といてくれた聖の心中はどんなものなのだろうか。
 尋ねてはいけないと思いながらも、気にならずにはいられなかった。

342Good-by And Farewell:2008/12/26(金) 22:03:25 ID:KVbDHXhE0
 だが口を開いて訊くだけの資格なんてあるわけがないし、度胸のない自分には、まだ尋ねられない。
 人の気分を害することが怖くて、今の関係が崩れてしまうのが怖くて、踏み止まってしまう。
 何も変わっていない。父母を失い、朋也を失い、後悔してさえ自分は何も変わろうとしない。
 それでも、怖かった。恐怖は人を踏み止まらせる力がある。
 恐怖を乗り越えるには、自分の勇気などあまりにも小さすぎた。

「どうした、乗れ。もう用意はできたぞ」
「……う、うん」

 聖に促され、ことみは後部のサドルに座る。二人乗りの自転車は初めてだったが、とりあえず漕ぐタイミングを合わせなければならないとか、そういう面倒なものではなさそうだった。聖がペダルを漕ぎ始めるのに合わせて、ことみもペダルを漕ぎ出す。

 ゆっくりと、しかし徐々に自転車はスピードを上げていく。
 雨粒が流れ、景色の流れる速度が速くなっていく。
 予想外に早くなっていくスピードに戸惑いつつも、ことみは湿った肌に吹き付ける風を心地よいと感じていた。

 心にはまだ、溶け切らないしこりを残しながら……

343Good-by And Farewell:2008/12/26(金) 22:03:44 ID:KVbDHXhE0
【時間:2日目午後19時10分ごろ】
【場所:D-06・鎌石村小中学校・校門前】

霧島聖
【持ち物:H&K PSG−1(残り3発。6倍スコープ付き)、日本酒(残り3分の2)、ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【状態:爆弾の材料を探す。医者として最後まで人を助けることを決意】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【状態:爆弾の材料を探す。少々不安がある】

【その他:二人は二人乗り用の自転車に乗っています】
→B-10

344名無しさん:2009/01/08(木) 00:49:31 ID:XEWQBKNo0

エディ「ジングルベール、ジングルベール♪」
浩之 「あー、だりぃ。クソだりぃ」
エディ「オォ? どうした、兄チャン。景気悪い顔してんナ、サンタサンからのオトシダマで機嫌を直セ!」
浩之 「あぁ。サンキュ」
郁未 「え、何。何ここっていうか、何これ」
エディ「ハッピーニュイヤー、イクミン!」
浩之 「よ、イクミン」
郁未 「イクミン言わないでよ、馴れ馴れしいわね。……で、何なのよ。これ」
エディ「だから、ハッピーニューイヤーなんダゼ!」
浩之 「今年は俺等が狩り出されたって訳だ」
郁未 「はぁ?」
エディ「ヘローゥ、エーブリワン! この度新年の挨拶ヲ任された、B-4代表のエディダゼ!」
浩之 「B-10代表、藤田浩之」
郁未 「ちょっと待って。ということは……D-5代表は、私ってこと?」
エディ「そういうことダゼ! よろしくイクミンッ!」
浩之 「だりぃから捲いて行くぞ、イクミン」
郁未 「ちょっと待って、ちょっと待って! お願いせめて打ち合わせぐらいしてくれてもいいんじゃないの?! ぶっちゃけ私、今回B-10代表かと思って……って、聞きなさいあんた達ー!!!」

345名無しさん:2009/01/08(木) 00:50:17 ID:XEWQBKNo0
エディ「イェイイェイ! という訳で、始まりました座談会!」
浩之 「昨年は色々あったな」
郁未 「そうね、色々あったわね……ごめんなさい色々言いたいことはあるんだけど、混乱していて意見がまとまらないわ」
エディ「色々あったト言えば、浩之はドウヨ!」
浩之 「俺? ……そうだな、俺の担当するB-10は、何と昨年まとめサイトができたんだ」
エディ「オーウ! それは素晴らしいゼ!」
浩之 「だな。いつもお世話になってる。こういう時じゃないと言えないから、改めて言っとく」
郁未 「そうね。見ているだけでも、凄く楽しいものね」
エディ「また、B-10は現在残り26人、外部のほしのゆめみチャンを入れて27名と大行進!」
浩之 「昨年の外部含め51名からは着実に数を減らしてきたな」
郁未 「順調としか言えないわね。話も定期的に落としてもらえるからありがたいわ」
エディ「またB-10と言えバ、B-18のユキネェを彷彿させる凄腕のヒロインも生まれ大変なことになってるナ!」
浩之 「……あいつは、俺が止める」
エディ「キャー! 浩之カックイィ!」
郁未 「せいぜい足を掬われないようにしなさい」
浩之 「お前もな」
郁未 「……」
エディ「死んでるオレッチには関係ない話ダゼ! ちょっと寂しいゼ!」

346名無しさん:2009/01/08(木) 00:50:57 ID:XEWQBKNo0
エディ「寂しいからオレッチの担当するB-4の話題でも振るゼ!」
浩之 「残り64人、外部6人で計70人」
郁未 「昨年は、残り72人だったらしいわ」
エディ「……1年で、2人シカ減ってナイってカ」
浩之 「終わってるな」
郁未 「終わってるわね」
エディ「面目ナイ。中の人に代わってオレッチが謝っとくゼ」
浩之 「主催描写無し、っていうか対主催も実質いないとかマジ無いよな」
郁未 「1年以上出番ないのもザラでしょ? 私とか。マジ無いわね」
エディ「ヤメテ! それ以上はオレッチの中の人の胃ガもたないんダゼ!!」
浩之 「何か語るにしても話題自体ができてないんだから、次行こうぜ次」
郁未 「来年はもっと進んでいることを期待するわ」
エディ「アウアウアウ……デモ今年はもうちょっとペース早めるって言ってたゼ。少しでも追いつけるよう頑張るゼッ」

347名無しさん:2009/01/08(木) 00:51:21 ID:XEWQBKNo0
郁未 「次は私? えー、D-5は……」
エディ「規模が違いすぎるゼ」
浩之 「未知の世界もここまで行くと、新ジャンルだよな」
郁未 「あーもう、分かってるわよ! 私だって目の前のことで精一杯なんだからっ!」
エディ「D-5は現在残り29人、内4人は異次元で外部もモッサリダゼ」
浩之 「ん、昨年が31人だったから、こうやって見るとあんまり減ってないのか?」
郁未 「昨年は凸が忙しくて、他のに構ってる余裕なんかなかったのよ!」
エディ「モウ正規の参加者のカウント自体ガ無意味な気がするんダゼ!」
浩之 「あはははは」
郁未 「くそっ、あんた等他人事だと思って……」
エディ「他人事ダゼ」
浩之 「他人事だな」
郁未 「くきぃぃ! オッサンはともかくエピローグ行きが決まってるあんたは許せないぃぃ!」
エディ「……」
浩之 「これが勝ち組の余裕ってやつだな」

348名無しさん:2009/01/08(木) 00:51:52 ID:XEWQBKNo0
エディ「という訳デ、振り返ってみていかがでしたデショウカ!」
浩之 「クソだるかった」
郁未 「帰っていいかしら」
エディ「アレ? 結構仲良くヤレていた気がしたのハ、オレッチだけだったんデショウカ」
浩之 「今更だよな。正月終わっちまったし」
郁未 「そうね。打ってる時点で0時を軽く回っちゃってて、間に合わないの分かってるのに。馬鹿みたい」
エディ「アウアウアウ、ソレは言っちゃ駄目なんダゼ……」
浩之 「こんな所より雑談所のクリスマス支援の方が格段に面白かったしな。めちゃくちゃ凝ってて驚いたぞ」
郁未 「そうそう。私なんか、気づいたの今年に入ってからなんだから! もう、motto☆派手に宣伝してくれればいいのに……っ」
エディ「ソウダナ。アレは凄かった。面白かった。オレッチ、感動した!」
浩之 「という訳で、このウインドウはさっさと閉じ至急クリスマス支援に行くこと」
郁未 「そして、その感想を書くこと!」
エディ「ヨオーシ、それじゃオレッチ達も「 3: 死亡したキャラでネタを作るスレ 」ニ行こうゼッ!!」
浩之 「あ? 俺は俺で行くからいいよ」
郁未 「私も。行きたい時に自分で行くからいいわ」
エディ「……」
浩之 「じゃあ、帰るわ。B-10代表、藤田浩之でしたっと」
郁未 「D-5代表、天沢郁未よ。それじゃあまた、本編で会いましょう」
エディ「……B-4代表、エディ。今欲しいのは、つるんでくれる相棒ダゼ……ソウイチィィィ!!!!」




藤田浩之
 【所持品:無し】
 【状態:ほら。俺ってば勝ち組だし?】

天沢郁未
 【所持品:ピクミン】
 【状態:今年はmotto☆派手に活躍してやるんだからっ】

エディ
 【所持品:無し】
 【状態:マイミク募集中】-


クリスマス支援、とにかくそのボリュームに驚きました。
キャラもめちゃくちゃ多くて、楽しかったです。
ハカロワ3好きにはたまらないネタもたくさんで、何でもっと早く気づかなかったのかと……そればかりです。
乙でした!

349萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 01:57:47 ID:OSmySDaI0
 空は灰色から、暗色の夜空へと入れ替わっていく段階だった。
 二度目の夜。何もかもを隠し通す漆黒の闇。
 吹き付けてくる風も肌寒く感じられる。

 いや、そう思うのは自分がまた冷えている心を自覚しているからなのかもしれない、とリサ=ヴィクセンは思った。
 命の価値。誠実に生きようとする栞の怒声の中身を、口中で繰り返す。
 自分はそれを分かろうとしていたことはあっただろうか。
 理解しようと努めたことはあっただろうか。

 ……ない、わね。

 命は道具で、自分は行使する器に過ぎず、何かを愉しむ感情でさえも目を逸らすための逃避の手段に過ぎなかった。
 両親を殺した篁への復讐という目的はあった。
 そのためにはどんな努力も惜しまず、どんな任務だろうと達成する鋼のような心もある。

 けれどもそれは、生きるためのなにかではない。そこに意義を見出せるなにかを、リサは持っていない。
 全てを達成し、野に放たれればどうすればいいのか分からないという確信はあった。
 何をすればいいのかも分からず、迷子になった子供のように呆然と突っ立っているだけの自分。
 しかしそれをどうするとも考えず、目の前の事態に対処することを優先して今まで行動してきた。
 逃げ続けている。今も昔も、子供のときから変わらず……
 考えるべきなのだろうか、と思う。生きる価値のある命。自分の命の意味。

 わたしは、どうしたいのか。

 簡単な問い。あまりにも単純すぎる問題だ。それ故に……胸を張って答えることは難しい。
 もう知っている。知ってはいるけれども、言葉に出来ないものがあった。
 鍵をかけてしまった己の扉は開く気配を見せず、しかし自分は鍵を取りに行くほどの度胸もない。
 要は怖いのだとリサは知覚する。想いを打ち明けて、最後には失われてしまうことが。

350萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 01:58:20 ID:OSmySDaI0
 距離を保つ術を覚えてしまったから、寄り掛かる術を忘れてしまったから、何も出来ない。
 ただ悲しみだけが恐怖として残り、トラウマとなって絡めとっている。
 そうして遠ざけ、復讐で己を縛り上げなければ生きてこられなかった自分。悲しいほどに弱々しい自分。

 或いは、こうしなければ自分は崩れて堕ちていたのかもしれない。
 両親を失い、誰に頼るところもなく己の力のみで生き抜くことを課した環境と、
 打ちのめされ、目に焼き付けられた力の倫理の前ではこうするしかなかったのかもしれない。

 それでももう今は違う。己を縛り上げずとも生きてゆける可能性は目の前にある。
 どんなにささやかで小さな可能性だとしても、掴める機会は巡ってきている。
 後はそれに手を伸ばせる勇気と、一歩を踏み出す度胸だけなのに。

「……まだ、無理なのかもね」

 心の中でさえ、望みを並べることは出来なかった。
 頭に思い浮かべる寸前、スイッチのようにぷつりと切れて途絶える。
 ただ怖いだけなのだ。未来を思い浮かべてしまうことでさえ。
 胸が締め上げられ、どうしようもない思いがリサの中身を滞らせる。こうして一人でいるから靄は晴れないのだろうか。
 自然と爪を唇が噛み、カリカリという細かな音をリズム良く奏でる。一種の暗示のようなものだった。
 この音を聞いていると、感情にノイズをかけて誤魔化すことが出来るから――

「済まない、待たせたね」

 ひとつの声が雑音の掛かり始めたリサの感情を霧散させる。緒方英二の声だった。
 いくらか荷物の増えたデイパックを背負いながら、振り向いたリサに微笑を見せる。
 栞の姿はない。どうしたのだろうかと尋ねる前に英二が先手を打って「顔を洗っている」と言った。

「気合を入れ直すらしい。僕に荷物整理を任せてすぐに出て行ったけど……まだ来てないようだね」
「迷子になっているのかもしれないわね?」
「そりゃ大変だ。じきにアナウンスが来るかもしれないな、灯台から」

351萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 01:58:38 ID:OSmySDaI0
 流石に冗談と分かっている英二は飄々とした様子でリサに返す。既に気持ちを切り替え、以前の彼に戻ったかのようだ。
 その表情からは、眼鏡の奥に秘めた鋭さを残す瞳からは、何も窺い知ることは出来ない。
 男は自らの意義を、存在を何かに仮託しようとする生き物だ。そう聞いたことがある。
 英二もそうなのだろうか。別の何かに自分の希望を重ね、そのためにただ尽くすと決めているのだろうか。
 いつまでも躊躇っている自分同様、宙ぶらりんに己をつるし上げたまま。

「訊いてもいいかな」

 微笑を含んだ顔のまま英二が言う。じっと見ている自分の何かに気付き、応えようとしたのかもしれない。
 ええ、と返したリサに「それじゃあ、少し長話といくか」と英二は煙草とマッチを取り出す。
 宿直室からくすねてきたのだろうか。「君は?」と煙草の一本を差し出す英二にリサは首を振る。

「煙草は吸わないの。健康に良くないしね」

 微笑を苦笑の形に変えた英二は、「道理でいい匂いがするわけだ」とさりげなく気障な台詞を言うと煙草に火をつける。
 紫煙をくゆらせ、実に美味そうに煙草を吸う姿は新鮮だった。「久しぶりでね」と満足そうな表情を浮かべる英二。
 つられるようにして、リサも初めて微笑を返した。
 もしこれが彼の狙いだったのだとしたら、相当なやり手だ、とリサは思う。会話する術を心得ている。
 だがそうではないのかもしれない。自分と同じく、そうすることしか出来ないのかもしれない。
 距離を測り、それに応じた会話を為すことは染み付いて離れないのかもしれない。

 それでも、とリサは思う。今自分が感じている心地よさの欠片は確かなものであり、嫌悪感はない。
 だから笑みを返すことが出来たのだろう。慣れてしまった大人同士、こういうのも悪くない……そう思った。

「栞君とは、いつから?」
「ここに来た当初からよ。今まで、ずっと一緒に」
「家族や友人……というわけでもなさそうだね?」
「……ええ。初対面よ、この島では」

 そうか、と英二は再び煙草に口をつける。紫煙の一部が風に乗ってこちらへと流れてくる。
 意外と悪い匂いではなかった。そういう種類もあるのね、と納得を得ているリサを正面に、英二が大きく息を吐いた。

352萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 01:58:55 ID:OSmySDaI0
「どうして一緒に行こうと?」
「お姉さんを探すためにね。……それに、あの笑顔を見たら、何だか置き去りに出来なくなって」

 前者の言葉だけで済ませておけばいいものを、何故かそんなことまで話していた。
 見ていてこちらが悲しくなってしまうほどの笑顔。悲壮な思いを秘めた笑顔がリサの脳裏に描き出される。
 何もかもを諦めたように、怯えを押し殺した笑みは昔の自分の姿と重なって……

「僕と似たようなものか」
「え?」
「僕が最初に行動していたひとも、そんな感じでね」

 思い出すように英二は呟く。その視線はどこか遠く、自分の過去でさえ他人のように見ている風だった。
 或いは、そうしなければ感情が溢れ出してしまうのかもしれない。そうすることでしか保てない後ろ暗さが感じられた。

「もっと話しておけば良かったな……分かってもいないことが、たくさんあったのに」
「……」

 英二がどんな経験をしてきたのかは、その言葉からは分かり得ない。ただ痛烈な後悔だけが滲み出ていた。
 人は、やはり言葉に出してでしか心の内を知る術はない。思っているだけでは、どんな想いも伝わらない。
 分かっている。だが……口にして出せない。自分は臆病に過ぎる。

「率直に聞くよ。リサ君は……栞君を失いたくはないんだろう?」

 無言でリサは答える。肯定しきることが怖く、否定しきることもしない。
 だが栞が他人なのかと言われれば、そうではない。少なくとも、そうではないと思ってはいる。

「それもまた答え、か。僕は男だからね……やり通すことしか知らない。たくさん仲間を失った。
 けど変えられない。大切な人を失ってでさえ、人は根幹から変わることなど出来はしない。……狂いでもしなければ。
 そして狂うことさえ僕には出来なかった。大人だからな。そんな選択肢なんて、とうに無かった。
 だから、今もただやり通す。それだけだ。そうすることでしか、僕は何かを伝える術を知らない」

353萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 01:59:11 ID:OSmySDaI0
 それが栞との対話で得た、英二の最終的な結論のようだった。
 踏み出すことを捨て、代わりに迷うこともなくなった男の姿だ。
 自分はどうなのだろうか。未だ肯定も否定も出来ない立場のまま、結論を先延ばしにしている。
 子供だということだろうか。あの日から途方に暮れたままの、リサ=ヴィクセンでなかったころのまま……

「少しでも何か思うところがあったのなら、考えていることの反対に立ってみてもいいんじゃないかな。
 そういう選択肢もまた、君には残されている。僕は捨てた。何も理解してなかったばかりに、ね」

 選択肢という言葉がリサの頭を揺らし、またひとつの波紋を生み出す。
 この人になら……そんな考えが浮かぶ。
 この人になら、救いを求めてもいいのではないだろうか。手を伸ばすための助言を与えてくれるのではないだろうか。
 まだ何も知らない自分の手を取って、支えてくれる。そうだと思える実感があった。

「……考えておくわ」

 思えただけで十分だった。だから今は、その返答だけでいい。英二もまた大きく頷いた。

「それがいい。考えられるだけで十分だ」

 言い終えると、すっかり短くなった煙草を地面に落として靴で踏み消す。
 すかさず二本目を取り出そうとした英二を、リサは苦笑交じりに「やめておいた方がいいんじゃない?」と止める。

「どうして」
「栞、来たわよ」

 指を差すリサに導かれるようにして後ろを振り向く英二。その先にはまさに灯台から出てくる美坂栞の姿があった。
 遠くからでも分かるような、張り詰めた栞の様子はまた彼女にも何かしらの化学変化を起こさせたようでもあった。
 それについて考えるのは後回しにして、とりあえずは英二を嗜めることに集中しようとリサは思った。

354萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 01:59:28 ID:OSmySDaI0
「歩き煙草はあまり良くないんじゃない?」
「……そのようだな」

 いくらか名残惜しそうに煙草のケースを見やると、マッチ箱と共にポケットの中へ押し込む。
 タイミングを同じくして、栞がこちらへと合流する。

「すみません、遅刻してしまって」
「そんなに待ったわけでもないわよ。それに……ね?」

 ウインクを寄越してみたが、英二は大袈裟な言い方をするなとでも言いたげに肩をすくめる。
 リサの含んだ物言いを怪しいと思ったのか、栞は「何かあったんですか?」と英二の方を問い詰める。

「いや、ただの世間話だよ」
「あら、私を口説いてきたくせに」
「口説いた……?」

 驚きを呆れを交えた栞は何やってるんですかと目を鋭くして凝視する。

「語弊のある言い方をするんじゃない。栞君も簡単に信じるな」
「私は眼中にない、と?」
「年下が好みなんですか、へー」
「いや、あのな」
「年下どころじゃないかもしれないわね……」
「ああ、そういうことなんですか、ふーん」
「話を飛躍させないでくれ……」

 反論にも疲れたという風に、ガックリと英二が肩を落とす。

355萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 02:00:02 ID:OSmySDaI0
「あはは、冗談ですってば。ね、リサさん」

 分かっていたという風に目配せしてきた栞に「ええ」とリサも同意する。
 本当はこんなつもりではなかったが、つい栞のノリが良かったので悪ふざけをしてしまった。
 このような一面があったのかと思いながら、これが栞本来の性格なのかもしれないとも考える。

 からかわれていたと分かった途端、英二は何とも言えないような表情になって「行こう」とため息を行進の合図にする。
 それが何故だか可笑しくなって、リサは声を噛み殺して笑う。
 同時に、やはりこの男とならやっていけそうだという思いが突き上げ、脳裏の靄を払うのを感じていた。

     *     *     *

「暇や」

 だらりとシートに身を預けている神尾晴子が唐突に言った。
 足をどかっと投げ出し、ぷらぷらと足先を揺らす姿は態度の悪い不良のようだった。
 もう晴子の身勝手さにも慣れている篠塚弥生は無視を決め込んでフロントガラスから見える景色に集中する。

「なぁ、ラジオとか音楽プレーヤーとかないんか」
「見れば分かるでしょう」
「……つまらん」

 車に対してではなく、からかい甲斐のない弥生の様子を見て晴子は言ったのだろう。
 はぁ、と落胆したため息が聞こえる。というより、わざとらしく大袈裟に息を漏らしていた。
 ここまで行動を共にして、弥生には一つ分かったことがあった。

 戦うパートナーとしては最適だが、人間として付き合うには最悪の相性だ。
 元々人間性の違いはあるとはいえ、改めて認識させられた感じだった。
 普段から冷静沈着に努めてはいる弥生だが、ここまで違うと笑えてくる。実際には笑えないが。
 対する晴子はイライラを募らせているようで、早く状況に進展はないかとギラついた目を動かしている。
 無闇に八つ当たりしてこないのはこんな晴子でも大人であるからか、それとも無駄だと分かりきっているからか。
 どちらにせよ相手をしないで済むだけありがたいことには違いない。

356萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 02:00:20 ID:OSmySDaI0
 大きな曲がり角を過ぎると、再び長い直線が景色となった。
 緩やかな下り坂になっているようで、遠目には目指す氷川村が小さな点となって見える。
 見晴らしのいい場所だ。よく見えるということは、相手からもよく見えるということでもある。
 狙撃されないように注意しなければと思いながら、弥生は少しスピードを上げる。

「ちょい待ち」

 が、そこで晴子がアクセルを握る弥生の腕を掴む。
 何事だと講義の視線を投げかけた弥生だが、「見てみ」と顎で斜め前方を示す。
 小高い丘の上、灯台の方から下るようにして何人かの人間が固まるように進んでいる。
 まだ遠いので正体は判別出来なかったが、どうやら灯台からどこかに向かっているようだ。
 相手側はこちらに気付いてはいないようで、見る素振りも見せなかった。

「どないすんや」

 VP70を手に持ち、攻撃的な雰囲気を漂わせ始めた晴子が意見を求めてくる。
 逃げ出すという選択肢は端からないのだろう。無論それは自分とて同じだが、手段を誤れば仕損じる。
 分かっているからこそ、晴子は意見を求めてきたのだろう。

「後を尾けましょう。ここで突っ込むには車は小回りが利きにく過ぎます」
「ちっ、バイクやと気にせえへんでええのにな……」

 意外とあっさり晴子が納得してくれたので、弥生は半ば拍子抜けする気分を味わった。
 文句の一つでも寄越してくるかと思い反論を用意していたのだが……
 そんな弥生の呆けた様子に気付いたか、晴子はふん、と鼻息も荒く言い放つ。

357萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 02:00:38 ID:OSmySDaI0
「勘違いせんでや。アンタがええ手を思いつかんなら、勝算はないて納得しただけや。
 アンタだって尻尾巻いて逃げる気なんてさらさらないんやろ? 目がそう言うとる」
「そう見えますか」
「見える。……癪やけどアンタの言う通り、『本質的には同じ』みたいやからな、ウチらは」

 以前に弥生が晴子に向けた言葉だった。
 疑問の返答をそれで締めくくると、晴子は黙って車の外へと視線を集中させ始めた。
 特に返す言葉もなかったので弥生も無言で晴子に続く。

 本質的には同じ……大切な人のためならどんな絵空事だって信じられる、どこまでも愚直な部分。
 最初からこのように人殺しに身を堕としていたわけでもない。人殺しがしたかったわけでもない。
 ただ愚直に過ぎた。そのひとのことを想って突き進んでいこうと欲した結果だ。
 退く事を知らず、省みる事を知らず、己の筋を通そうとしただけの自分達。
 肯定も否定もするまい、と弥生は思う。その方法さえ知らないのだから……

 気付くと、連中の姿は分岐点に差し掛かり、氷川村の方角へと足を向けているようだった。
 そろそろか、と弥生はハンドルを切り、アクセルを踏み出す。
 徐々に車の加速度が上がり、それなりのスピードを以って追走を始める。
 氷川村に入り始める頃が勝負か。弥生はそう目算をつける。
 建物を遮蔽物として使えるような場所であれば、小回りの利きにくい車でも有利に立ち回れる。
 彼らが入ったと同時、この車が出しうる最大速度で突っ込む。あわよくば轢き殺せる。
 次々と戦術を構築していく弥生に、横から晴子がひとつ声をかけてきた。

「任せるで」

 不敵な笑みを浮かべた晴子の表情は信頼さえ感じさせるものがあった。
 頷き返した弥生の頭にも、確かな自信が生まれてくる。
 本質を同じくする人間が二人。一方が大丈夫だと言えば、もう片方だってそう思えてくる。
 やはりこの女とならやっていけそうだ。ニヤリと笑った弥生のアクセルを踏み込む足の強さが大きくなった。

358萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 02:00:56 ID:OSmySDaI0
     *     *     *

 体の芯に熱が通る感覚。それまで搦め取られていたものを一切洗い流し、栞は久しぶりに清々とした気分を感じていた。
 もちろん、背負う重みがなくなったわけではない。誰かが死んでいくという事実の重さを忘れたわけではない。
 だがそれを分かってくれる人達がいる。自分だけが感じているのではない、全く同じ感覚を持ってくれる人がいる。
 例えその方法が自分と別物だったとしても、不器用に過ぎるようなものであっても、共に悩み、見出そうとしてくれている。

 だから自分は、力を用いようとすることが出来る。こうして銃を手にとって戦うことが出来る。
 共に歩み、正しい方向へと進んでいけると信じてゆけると思ったから……
 精一杯やり通す。もし非があれば仲間が頬を叩いてくれる。その権利は自分にもある。
 最終的な結論をその言葉にして、栞はこの世界へ戻ってきた。
 昔のように諦念に縛られた自分ではなく、新しいものを探し出そうとする自分を自覚し、今はこうして歩き続けている。

 氷川村はすぐそこに見える。なだらかな坂の下にいくつかの民家の屋根や畑が見える。
 診療所はどこだろうか。もっと奥にあるのか、それとももう見えているのだろうか。

 ふと栞は、これから先、薬を探す意味はあるのだろうかという考えにたどり着く。
 今の自分がただ元気だからという思いからではない。身体的にも、精神的にも今の自分には必要ないと思えたからだった。
 もちろん体の弱さまで克服されたとは思わない。それでも以前のように倒れることはないような気がしていた。
 絶望だけが今の自分ではない。希望や未来もまた自分の中にあると確信を得ることが出来たから。
 病は気から……そんな言葉が指し示すように。

 自分はなかなか死に切れない性質のようだ。カッターの傷跡を残す腕を見ながら、栞は苦笑する。
 とはいえ、まだどんなことになるかは分からない。
 万が一には備えておいた方がいいと判断した栞はあえて何も言わないことにした。

「それにしても、この雨は厄介だな」

 先頭を歩く英二が雨に濡れた髪をかき上げながら空を見上げる。
 鈍色の空からは絶えず雨粒が降り注いでおり、しばらくは降り続きそうな気配があった。

359萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 02:01:14 ID:OSmySDaI0
「どうしてですか?」
「眼鏡に雨粒がつく。見えにくくて仕方ない」
「……拭けばいいじゃないですか」

 この男、緒方英二と一緒に行動してきて、分かってきたことがある。
 普段の緩み具合が凄まじい。力を温存しているというと聞こえはいいが、実際は不精な人物だ。

 ……ひげ、剃っていませんし。

 そして今も「まあ別にいいか」と頭を掻きながら結局そのまま。
 天才プロデューサーというのは本当なのだろうかと思っていると、今度はリサが声をかけてきた。

「栞の方こそ大丈夫なの? 寒くない?」
「平気です。ストールを羽織っているので」

 ふぁさ、と愛用のストールの一部を広げてリサに見せる。体温が凝縮された温かさが僅かに漏れ、リサに伝わる。
 ふむ、と納得した様子のリサは「ならいいわ。でも寒かったら言ってね」と言葉を返した。

「リサさんはどうなんですか? その服、見ててあんまり温かそうに見えないですけど」

 逆に指摘してみたが、リサはニヤリと不敵に口もとを歪めると、

「現代の技術を甘く見ないことね。こんなのだけど保温性能は悪くないわ。まあ職場から支給の服なんだけど」

 と言って服をアピールしていた。どうやらお気に入りであるらしい。
 胸元は派手に開いているが、そこは寒くないのだろうか。
 質問しようと口を開きかけた栞だったが、何だか空しくなりそうだったのでやめることにした。

「ついでに解説すると、これには防水機能も――」

 更に続けようとしていたリサの口が不自然に途切れる。どうしたのだろうと声をかけてみようとしたが、憚られた。
 何故なら……

360萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 02:01:30 ID:OSmySDaI0
「英二。ちょっと止まって」
「どうした?」
「……何も言わずに、栞と先に行ってくれないかしら」

 リサの表情には、狼狽とも緊張ともつかぬ色が滲み出ていたからだった。常に余裕を崩さぬリサが見せる初めての表情。
 それだけで、この場にはとんでもない脅威が待ち構えているのではないかと栞に思わせるものがあった。
 けれども何も言わずに自分達を先に行かすなんて受け入れられない。
 せめてその理由を訊こうとリサに訊き返そうとしたときだった。

 どん、と何かが壊れるような音が響き、続けてぱん、と弾けるような音が聞こえた。

 同時、背中に巨大な圧力がかかりそれが栞の体を突き抜けていく。

 煽りを喰ったかのように、遠心力で栞の体が半回転し――自分が撃たれたのだと悟った。

「栞君っ!」

 べちゃりと水溜りに沈んだ栞へと英二が駆け寄って抱き起こす。遅れてくるようにして脇腹にじんとした痛みが巻き起こる。
 ぐっ、と悲鳴を堪え、意識を保つ。大丈夫だ、痛すぎるが致命傷ではない……そう判断した栞は首を縦に振った。
 一体誰が撃ったのか。まるで気付けなかった……敵を探ろうと視線を動かそうとしたが激痛で体が動かない。
 そうこうしているうちに体が持ち上げられ、宙に浮く感覚があった。
 英二が持ち上げているのだろう。待ってください、と栞は言おうとした。

 せめて援護をしなければ。まだ何の役にも立っていない。このときのための力を得たというのに。
 デイパックに手を伸ばそうにも痛さのあまりか、硬直したように固まって動かない。
 嫌だ、こんな形で、離れたくない――
 どこか遠くの方で怒声が聞こえたような気がしたが、その内容まで聞き取ることは、もう栞には出来なかった。

361萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 02:01:44 ID:OSmySDaI0
     *     *     *

 雨が降っている。
 悲しみを伝える雨だ。

 あの時は気付けようもなかった一つの事実。
 それが今、一つの結果として目の前に立ち塞がっている。
 その事すら分かりきったかのように、目の前の人物は冷然として無表情な瞳を向けていた。

「久しぶりだな」
「久しぶりね」

 喜びを分かち合うのでもなければ、懐かしむ声でもない。
 ただそれぞれに現実を認識し、引き返せないところまで来てしまったことを認識するものだった。
 どのような事があったのか、リサ=ヴィクセンには知りようもないし、答えてはくれまい。
 ただ思うのは、ここが正念場……ここで退いてしまえば、取り返しのつかない後悔をするだろうという予感と、
 倒すべき敵を眼前に見据えて、闘争心が猛り狂うのを感じていた。

「柳川祐也……」
「リサ=ヴィクセン……」

 お互いがその名を呼ぶ。恐らくは、別れの合図なのだろうとリサは思った。
 かつての仲間に対して。
 今の敵に対して。
 分かり合えぬ現実を目の前に。

 狐と、鬼が地面を蹴った。

362萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 02:02:05 ID:OSmySDaI0
時間:2日目午後20時00分頃】
【場所:I-7 氷川村入り口】

リサ=ヴィクセン
【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動。栞に対して仲間以上の感情を抱いている。柳川に強い敵対意識】

美坂栞
【所持品:M4カービン(残弾30、予備マガジン×4)、支給品一式】
【状態:脇腹に銃傷(命に別状は無い)。リサから射撃を教わった(まだ素人同然だが、狙撃の才能があるかもしれない)。リサに対して仲間以上の感情を抱いている】

緒方英二
【持ち物:ベレッタM92(15/15)・予備弾倉(15発)・支給品一式】
【状態:健康。首輪の解除、もしくは主催者の情報を集める。リサたちに同行。『大人』として最後まで行動する。栞を連れて逃走】

柳川祐也
【所持品:ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式×2】
【状態:左肩と脇腹の治療は完了、ほぼ回復。椋を見つけ出して殺害する。また、有紀寧、初音、柳川の三人になるまで他全員を殺害し続ける】
【備考:柳川の首輪爆弾のカウントは残り22:00】


【場所:H-8】
【時間:二日目午後:20:00】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済み。痛みはあるものの動けないほどではない)、弥生と共に勝ち残り、観鈴を生き返らせてもらう。氷川村に行く。英二、栞、リサを追跡中】
【備考:蘇生の情報には半信半疑】

篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、晴子と共に勝ち残り、由綺を生き返らせてもらう。氷川村に行く。英二、栞、リサを追跡中】
【備考:蘇生の情報は一応理解を示している】

【その他:弥生と晴子は乗用車に乗っています。ガソリンはほぼ満タン】
→B-10

363萃まる夢、想い:2009/01/10(土) 13:16:16 ID:OSmySDaI0
申し訳ない、状態表に訂正を加えます

時間:2日目午後20時00分頃】
【場所:I-7 氷川村入り口】

リサ=ヴィクセン
【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動。栞に対して仲間以上の感情を抱いている。柳川に強い敵対意識】

美坂栞
【所持品:M4カービン(残弾30、予備マガジン×4)、何種類かの薬、支給品一式】
【状態:脇腹に銃傷(命に別状は無い)。リサから射撃を教わった(まだ素人同然だが、狙撃の才能があるかもしれない)。リサに対して仲間以上の感情を抱いている】

緒方英二
【持ち物:ベレッタM92(15/15)・予備弾倉(15発)・煙草・支給品一式】
【状態:健康。首輪の解除、もしくは主催者の情報を集める。リサたちに同行。『大人』として最後まで行動する。栞を連れて逃走】

柳川祐也
【所持品:ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式×2】
【状態:左肩と脇腹の治療は完了、ほぼ回復。椋を見つけ出して殺害する。また、有紀寧、初音、柳川の三人になるまで他全員を殺害し続ける】
【備考:柳川の首輪爆弾のカウントは残り22:00】


【場所:H-8】
【時間:二日目午後:20:00】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済み。痛みはあるものの動けないほどではない)、弥生と共に勝ち残り、観鈴を生き返らせてもらう。氷川村に行く。英二、栞、リサを追跡中】
【備考:蘇生の情報には半信半疑】

篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、晴子と共に勝ち残り、由綺を生き返らせてもらう。氷川村に行く。英二、栞、リサを追跡中】
【備考:蘇生の情報は一応理解を示している】

【その他:弥生と晴子は乗用車に乗っています。ガソリンはほぼ満タン】

364青(7):2009/01/18(日) 22:46:19 ID:Khtiw9Rg0
『青(7) もし夢の終わりに、勇気を持って現実へと踏み出す者がいるとしたら、それは』

 
そこにあったのは、可憐な瞳である。
さやさやと風にそよぐ黄金の麦穂の海の中、じっと蝉丸と光岡を見つめているその瞳の色は、
遥か離れた場所からもそれと分かるほどに深く、重い。

麦穂の中から顔だけを出していたのは、幼い少女であった。
ふくよかな輪郭は紛れもない幼女のそれであったが、しかし超然と蝉丸たちを見つめる表情は
どこか遠い国の哲学者を思わせるように大人びた色を浮かべていて、黄金の海に浮かぶ夜闇の如き瞳と
その身体と表情とのアンバランスとが、何とも言えず奇妙な違和感を醸し出している。
或いは奇異な世界に現れた静穏の海という奇怪の中にあって、その奇妙な少女の在り様は
逆に自然とでも呼べるものであっただろうか。

「……―――」

遠く、黄金の波の向こうで少女が何事かを呟く。
爽々と麦穂をざわめかせる風にかき消されて、その声は蝉丸たちには届かない。

365青(7):2009/01/18(日) 22:47:01 ID:Khtiw9Rg0
「お前は―――」

問いかけようと蝉丸が口を開くと、一際強い風が吹き抜けた。
紡がれかけた問いが風に散らされていく。
尋ねるべきこと、問い質さねばならぬことは幾つもあった。
お前は誰だ。ここは何処だ。全体、何がどうなっている。
そんな問いの全てを遮るように風は吹き抜け、黄金の野原を揺らしていた。

『―――ここは、ぜんぶが終わった場所』

声が、聞こえた。
それは答えだった。
蝉丸の問いに応える、声。
声に出して問うてはいない。
疑念は言葉にならず、風に散らされて消えていった。
それでも、答えは返ってきた。

『何も始まらない時間。もう何も終わらない、何処にも続かない、そんなところ。
 あなたたちがいてはいけない世界』

幼いその声は、音ではない。
蝉丸の耳朶を震わせることのない、それはしかし言葉であり、声だった。
頭蓋に直接響くような、そんな声の持ち主はそれだけを言うと、ふい、と余所を向く。

「待て! ……いや、待ってくれ」

そのまま少女がどこかへ消えてしまいそうな、そんな根拠のない予感に衝き動かされるように、
蝉丸が慌ててその幼い横顔を呼び止める。

「俺たちは望んで此処に足を踏み入れたわけではない。
 元の場所に帰る方法を知っているのなら、教えてはくれないか」

風にかき消されぬように、一語づつに力を込めて言葉を発する。
その様子の何が可笑しかったのか、少女がくすりと笑った。
視線を蝉丸たちの方へと向ける。

『すぐに戻れるよ。この場所とあなたたちは、繋がっていなかったんだから。
 何かの間違いで開いた穴は、すぐに塞がってしまう。そういう風にできているんだよ。
 ……だからあなたも、後ろの人たちも心配しなくても、大丈夫』

366青(7):2009/01/18(日) 22:47:49 ID:Khtiw9Rg0
後ろ、と言われて初めて気づいたように、蝉丸が振り返る。
どこまでも広がるような黄金の麦畑の中、いつからそこにいたのだろうか。
怒っているような、不貞腐れているような、或いは長いこと会わなかった旧い恋人を見つめるような、
ひどく色々な感情の交じり合った顔で、女が二人、立っている。
その遥か向こうにも一つ、人影があった。

「天沢郁未と鹿沼葉子、あれは……水瀬名雪だろう。俺たちのすぐ後からここへ入ってきたようだ」

今更気づいたのか、と言わんばかりに光岡が口を添える。
近くに立つ郁未と葉子、不可視の力と呼ばれる異能を振るう二人の魔女は、同じ色の
深い感情に煙った瞳をこちらへと向けていた。
否、と蝉丸はしかし、すぐに己が認識を改める。
注がれる視線が向けられているのは、前方に立つ蝉丸たちへではなかった。
蝉丸と光岡を通り越した向こう、黄金の野原に顔だけを出していた、幼い少女。
その少女をこそ、二対の瞳は見つめているようだった。

「―――?」

向き直れば、しかしそこにはもう、誰もいない。
麦穂の間から顔だけを出していた少女は、目を離した隙に黄金の海へと潜ってしまったのだろうか、
ただ風にそよぐ波の如き金色の野原だけがそこにあった。

「……」

不可解だ、と蝉丸は思う。少女の存在や言動ではない。
あの幼い少女自身は確かにこの青一色の中に忽然と現れた黄金の麦畑という奇妙な場所に
在るべきものなのだと、そんな確信を抱かせるような雰囲気を纏っていた。
名画と呼ばれる絵のように、在るべき処に在るべきものがある、この場所と一体であるような、
そういう存在であるのだと思わせる何かを、少女はその一瞬の邂逅の中で垣間見せていた。
だが、そうであるならば。
天沢郁未は、鹿沼葉子は少女に何を見たのであったか。
少女の存在がこの場所と一体であるならば、二人は此処を知っていたのか。
この異変を、この奇妙を理解していたものであったか。
そうでないのならば、幼い少女にずっと以前からひどくよく知っていた誰かを見るような、
そんな視線を向けているのが、不可解であった。
初対面の誰かに向けられるものでは決してない、重く、薄暗く、どこか郷愁と悔恨とが
ない交ぜになったような色の瞳の不可解を蝉丸が思った、刹那。

『聞かせて、一つだけ―――あなたの、名前を』

367青(7):2009/01/18(日) 22:48:09 ID:Khtiw9Rg0
さわ、と吹く風に消えぬ、音ならぬ声。
天沢郁未の放つ、それは問いだった。
沈黙が、降りた。
風が金色の野の上を吹き過ぎていく。
長い、長い間を置いて。

『―――この島の』

声が、響いた。
少女は顔を出さない。
ただ風にそよぐ麦穂の向こうから、声だけが返ってきていた。

『この島の一番高いところ。ぜんぶが終わった後で―――待ってる』

それだけが、答えだった。
それきり少女の声は途絶え、再びの沈黙が降りた。

『……郁未さん、あの子供は』

暫くの後、声を発したのは鹿沼葉子である。
何かを気遣うような声音に、天沢郁未が首を振る。

『わかってる。あいつじゃない。わかってる。……だけど、同じ。あいつと、同じ匂いがした』
『そう……感じましたか』

言葉の意味は、蝉丸には判らない。
ただ消えた少女の纏っていた空気、異様の中にある自然とでもいうべき在り様が、
二人の知る誰かと似通っていたのだと、そう理解した。
と、

『―――風が、変わる』

呟かれるような声は、天沢郁未のものでも、鹿沼葉子のものでもない。
遠く、黄金の麦穂の海の向こうで、ぼんやりとあらぬ方を見つめていた女の声。
水瀬名雪。表情を隠すように長い髪を靡かせた女の、それが名であった。
ちらりと横目でこちらを見た名雪の瞳の、どんよりと澱の如き疲労と磨耗とを溜めたそれに
どこかで見覚えがあると蝉丸は思い、思い返し、思い出そうとして、

 ―――ああ、成程。

それが鏡に映る己が顔であると気づいた瞬間、ぐらりと世界が揺らいだ。



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