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避難用作品投下スレ3

1管理人★:2007/10/27(土) 02:43:37 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

484幸せな固執:2008/04/08(火) 23:26:02 ID:yrmGipuE0
シュンの言葉に頷く香奈子の表情には、僅かな陰りがあった。
月島瑠璃子。
聞き覚えのあるその名前は、当初香奈子が自らの手で消すことも厭わないと考えていた人物のものである。
月島拓也を振り切った今、特別彼女に手を出そうという考えは香奈子の中にもなかった。
しかしいざ瑠璃子の死を知るとなると、香奈子も心中複雑になってりまうのは仕方のないことかもしれない。
気持ちを入れ替えるよう小さく首を振り、香奈子は一人気合を入れる。
今自分が固執すべき事柄を考えた上での行動、ちょっとした香奈子の変化がそこにはよく表れていた。






氷上シュン
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:ドラグノフ(残弾10/10)、救急箱、ロープ、他支給品一式】
【状態:由依をつれ、香奈子と共に鎌石村小中学校へ向かう、祐一、秋子、貴明の探し人を探す】

太田香奈子
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:H&K SMG Ⅱ(残弾30/30)、予備カートリッジ(30発入り)×5、懐中電灯、他支給品一式】
【状態:シュンと同行】

名倉由依
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:カメラ付き携帯電話(バッテリー十分)、破けた由依の制服、他支給品一式】
【状態:気絶、ボロボロになった鎌石中学校制服(リトルバスターズの西園美魚風)着用、全身切り傷と陵辱のあとがある】
【備考:携帯には島の各施設の電話番号が登録されている】

(関連:395・869)(B−4ルート)

485十一時二十分(1)/Sense Off:2008/04/09(水) 14:40:04 ID:m9uMag2.0

死は穢れだ。骸は穢れの塊だ。
ならば僕の生きるこの場所は、既にして祝福から見放されている。

屍の折り重なる山の上、久瀬少年はそんなことを考えて、一瞬だけ目を閉じる。
吸い込んだ空気は生臭く、鉄の味がした。

瞼を開ければ、そこにあるのは骸と命の斑模様。
重く、冷たく、ぬるりとした一人が、一万、積み重なった山の上。
盤上に並ぶのは七千の駒。
着手するのは混乱した戦局の建て直し。

細く、長く息を吐く。
第一に考えるべきは指揮系統の再統一。
第二には防御陣の再構築。
そして第三に、死なせるべき五千の兵と、守り抜く二千の兵の選別だ。
残り四十分、二千四百秒。
一秒に二人、少女は死ぬ。
三人めの命だけを守るのが、将としての役割だった。
すべての命を、平等に活かす。
活かした上で、生と死に振り分ける。
それが久瀬の道。
抗いぬくと決意した、少年の歩む道だった。

拳を握る。震えはなかった。
跳ね上がる心臓の鼓動を、感覚から切り離す。
将としての久瀬が最初に殺したのは己の脈動であった。
軍配はない。
だから少年は、握った拳を打ち振るう。
その手の先に、覚悟を乗せて。

無作為に蠢いていた七千の砧夕霧が、動きを止める。
僅かな間を置いて動き出した少女達の挙動には、明らかな統制が見てとれた。
一つの意思の下、七千の少女達が寄せては返す波の如く、あるいは堅固な壁となる如く動き出す。
有機的に連動したその動きは、まるでそれ自体が山を包む巨大な一つの生き物であるようだった。

将の下、兵たちの反撃が始まった。


******

486十一時二十分(1)/Sense Off:2008/04/09(水) 14:40:29 ID:m9uMag2.0

「……チッ」

舌打ちして吐いた唾は赤く、苦い。
返り血が唇を伝って口に入ったものか、それともどこかが切れているのか。
かき上げようとした髪は乾いた血がこびりついて指を通さない。
苛々とした気分を隠そうともせず、手にした薙刀を振り下ろす。
横たわった遺体の力の入っていない肉を両断する、鈍い感触が返った。
風を切るように振れば、不可視の力に包まれた刃は血脂を綺麗に弾く。
刃こぼれ一つない凶器に己の顔を映して、その返り血で赤黒く斑に染まった醜い肌に眉を顰め、
天沢郁未はその苛立ちをぶつける相手を探すように左右を見回す。
だが、刃の届く範囲に立つ影は一つだけだった。

「面倒なことになってきましたね」

突き立てた喉元から分厚い刃を引き抜きながら、影が口を開く。
鹿沼葉子だった。
動脈から噴き出す鮮血が顔に飛ぶのを避けようともしない。
長い金髪から茶色の革靴に至るまで、その全身が既に見る影もなく返り血に染め上げられていた。
新たなペイントがその身を汚していくのにも構わず、葉子は静かに山道を見上げる。

「ハナっから面倒だらけよ、私らの人生」
「中でもとびっきりです」
「そりゃひどいわ。……で?」

茶化すように問いかけた郁未だが、その瞳は一切の笑みを浮かべていない。
生まれ落ちた瞬間からそうであったような仏頂面のまま、葉子が答える。

「気付いているでしょう。……また、動きが変わった」
「戻った、の間違いじゃない?」
「かもしれません」

辺りを見渡す葉子の視界に、郁未の他には動く影が見当たらない。
殺し尽くした、という意味ではなかった。
確かに死体は無数に転がっていた。
中に詰まっていた血と臓物を存分に拡げて、世界と女たちを赤く染め上げていた。
転がる死体。
だが葉子の視線の先には、もう一種類の死体があった。
見開いた目を四方八方に向け、折れた手足を老木から伸びた枯れ枝のように突き出したそれは即ち、
山と積まれた、誰かの手によって積み上げられた、死体の壁だった。
そんな死体の壁が、十、二十、否。百を越える数で、山道のいたるところに存在していた。

487十一時二十分(1)/Sense Off:2008/04/09(水) 14:41:06 ID:m9uMag2.0
「完ッ全にイカレてるわね」
「単なる狂気の沙汰であればよかったのですけれど」

壁の向こうに蠢く無数の気配を、葉子は感じている。
こびりついた血が乾き、固まった髪をばりばりと掻き毟る郁未も、それは理解していた。

「放棄したように見えた防禦拠点を、数分の間を空けてまた利用しだした。
 ……そこに何か意図があるのでしょうか」
「死体で作ったトーチカに篭るような連中が何考えてるかなんて、私にはわかんないけど」
「私にも分かりませんよ。有益な推測ができればと考えただけです」
「で、我らが頭脳労働専門家さんの回答は?」
「進めよ、されば与えられん」
「何よそれ」
「断片的な情報は往々にして安易な、自分に都合のいいストーリーを作り出すものです。
 推論の皮を被った妄想を根拠に動く愚挙を避けたまでのことですが」

さらりと告げられる相方の言葉に、郁未は深く嘆息する。

「……ま、いつも通りだけどね」
「さし当たっては一つづつ潰していくしかないでしょう」
「間に合うの?」
「間に合わせてください」
「他人事みたいに……」
「全員が当事者ですよ。蒸発したくなければ頑張ってください」
「はいはい……」

小さく首を振った郁未が、前方を見もせずに跳躍した。
葉子は既に飛び退っている。
それより一瞬だけ遅れて、二人の立っていた場所に熱線が着弾していた。
跳んだ先にある死体の壁を、郁未は思い切り蹴り崩す。
雪崩を起こした山の一番上にあった少女の骸を無造作に掴むと、

「せえ……のッ!」

勢いをつけて、投擲した。
手足を広げた格好のまま、少女の遺体が回転しながら飛んでいく。
その軌道の先にある、生きた少女の篭る死んだ少女でできた壁に、人としての尊厳を奪われた骸が激突した。

「ストラーイクッ!」

篭った少女が崩れた山の下敷きになって、光芒が途切れる。
その一瞬を逃すことなく相方が駆け出すのを目にして、郁未は牙を剥くように笑う。
笑いながら、転がる骸の一体を盾代わりに掲げ、自らもまた走り出していた。


******

488十一時二十分(1)/Sense Off:2008/04/09(水) 14:41:27 ID:m9uMag2.0
 
朗、と巨獣が猛っていた。
その堂々とした体躯のあちこちから薄く煙が上がっている。
よく見れば白く煌めく剛毛の先が、小さく焦げているのだった。
新たに奔った光線がその身体を焼くのに巨獣は鬱陶しげに身を振って、光線の出所を睨む。

轟、と一つ啼いて、巨獣の体躯が跳ねた。
鋼の如き後ろ肢に力を込めて大地を蹴れば、それは既に巨獣の間合いだった。
がぱり、と開いたその口腔が音を立てて閉じる。鈍く濡れた音がした。
少女、砧夕霧の首を事も無げに噛み千切った巨獣が、次なる獲物を仕留めるべく丸太のような首を回す。
しかし、そこには既に動く影とてなかった。
無数に蠢いていたはずの夕霧はまるで波が引くように逃げ去り、既に巨獣の爪が届く場所にはいない。
代わりとばかりに四方から光線が迸り、巨獣を焼いた。
刃を通さぬその剛毛が、ほんの僅かづつではあるが黒く焦げ、ちりちりと縮れていく。
苛立たしげに唸り声を上げた巨獣が疾駆し、爪を振り上げる。
風を巻いて振り下ろされた爪の一撃に、夕霧たちの隠れていた死体の壁があっさりと突き崩される。
衝撃で四肢をばらばらにされながら四方に散る骸には目もくれず、巨獣が壁の裏に隠れていたはずの夕霧を叩き潰すべく、
その鼻面を瓦礫のように積み上げられた死体の山に突っ込む。
が、一瞬の後にその生臭い牙が探り当ててきたのはただの一人だった。
乱暴に引きずり出された際に肩を脱臼したか、腕を噛まれたままだらりと垂れ下がるようにしている砧夕霧を見て、巨獣が猛る。
ばつん、と音がして、夕霧の腕が胴体と泣き別れた。
噴水のように鮮血を噴き出す胴を踏みつけるようにして爪を下ろせば、そこにはかつて人であった肉塊だけが残っていた。

轟、と巨獣が再び吠えた。
思い通りにならぬ苛立ちが、その爛々と光る眼に隠しようもなく浮かんでいる。
ほんの数刻前から、一事が万事この調子であった。
巨獣の行く先に蠢く無数の影が、ある一点を境にして急速に厄介な存在へと変わっていた。
噛み裂き、叩き潰し、薙ぎ払えば済むだけの存在であったものが、今やひどく鬱陶しい。
駆け抜けようとすれば寄って集って足元を狙われ、食い千切ろうと駆け寄れば蜘蛛の子を散らすように逃げ去る。
一体、二体を仕留めてもどこから涌くものか、まるでその数を減らしたように見えぬ。
猛るままに大地を掻き毟れば、先刻踏み殺した一体の躯が泥と混じって磨り潰され、ぬるぬると滑って余計に苛立ちが増す。
言語にならぬ怒りに突き動かされ、獣の咆哮が辺りを揺らす。
焦燥と憤怒の入り混じった咆哮に、応えるものがあった。

ひう、ひう、と。
それは、病に伏した者の喘鳴のようだった。
一息ごとに生きる力とでもいうような何かが抜けていくような、そんな音。
呼吸というにはあまりにか細く薄暗い、生命活動の残滓。

死臭に満ちた山の上でなお濃密な、どろりと濁った血の臭いに巨獣が振り向く。
そこに、妄執が立っていた。

 ―――返せ、わたしの、宝珠。

言葉にはならぬ。
どの道、言葉を発したところで巨獣には解せぬ。
だが、ぼこりと紫色に腫れ上がった皮膚で片目を覆われ、だらだらと血膿を垂らしながら
なお巨獣を貫き通すように向けられたその醜くも鋭い眼光は、どんな言語よりも明確に、
そう語っていた。

三度、獣が吠えた。
逃げ去らぬ獲物が現れたのを悦ぶような響きが、その咆哮に満ちていた。


******

489十一時二十分(1)/Sense Off:2008/04/09(水) 14:42:02 ID:m9uMag2.0
 
いける、と思う。
知らず頬が笑みを浮かべようとするのを、久瀬少年は必死に抑える。
それほどに確かな手応えが、久瀬にはあった。

北麓、及び西山道における遅滞戦術は極めて有効に機能していた。
射線を集中し侵攻ラインを限定した上で、潰されるべく配置した兵と陣だけを潰させる。
大切なのは一気に浸透させないこと。
たとえ一対多であろうと近接戦に持ち込まないこと。
持ち込まれた兵を、犠牲として活用すること。

一瞬だけ胸の中に生じた棘を、久瀬は奥歯を噛み締めて無視する。
誘導に成功した敵侵攻ラインからは一気に山頂を目指せない。
ひとたび山道から外れれば、険しい山中は天然の要害だった。
無数の遮蔽物は敵の浸透を阻止し、こちらの遠距離砲撃を有利に機能させる。
反撃開始から三分、百八十秒。
予想を下回る犠牲者数で戦局は推移していた。
残り三十七分を耐え抜き、勝利を得るだけの計算が、久瀬にはあった。
初陣であり、学生に過ぎぬ自分の指揮で勝利を得る。
思い通りに兵を動かすことの喜びが、久瀬の心中を駆け巡っていた。

高揚を抑えながら、久瀬は傍らに控える砧夕霧群の中心体を見やる。
共有意識による情報伝達は作戦の要だった。
目視では掴みきれぬ情報も、彼女がいる限り久瀬の掌中に集約されるといってよかった。
得られた情報を地図上に反映させ、そこから陣を展開していく。
一手、一手。無数の教本や戦訓を頭に浮かべながら、的確に対応する。
久瀬にとって、それは正しく盤上の勝負に等しかった。
詰めば喪われるのが生命であると、本当の意味で理解していたかどうかは定かではない。
久瀬は将であり、学生であり、そしてまた少年だった。
決意によって立ち上がり、覚悟によって将となった、彼は少年であった。

夕霧群の中心体から齎された情報を咀嚼し、久瀬が新たな指示を出すべく腕を振り上げた。
大きな身ぶりとともに声を張り上げようと、口を開き―――刹那、闇が落ちた。
視覚が、触覚が、聴覚が、嗅覚が、ありとあらゆる感覚が、途絶した。
意識も、思考も、何もかもが消えた。
後には何も、残らなかった。


久瀬少年の人生は、そこで終わっている。

490十一時二十分(1)/Sense Off:2008/04/09(水) 14:42:57 ID:m9uMag2.0
 
 
【時間:2日目 AM11:23】
【場所:F−5】

久瀬
 【状態:死亡】
砧夕霧コア
 【状態:健康】
砧夕霧
 【残り6708(到達・6708)】
 【状態:迎撃】

【場所:E−5】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

【場所:F−5】
川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、軽傷(急速治癒中)】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣】
 【状態:出血毒(左目喪失、右目失明寸前)、激痛、意識混濁、頭部強打、
       肋骨数本及び両手粉砕骨折、ムティカパLv1】

→915 943 962 ルートD-5

491十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:32:27 ID:2LxlvcbQ0

「北麓の二人は鎖場で止める! 融合体を中心に当たれ、砲撃を集中して敵を分散させるな!
 西側、敵を直接狙うな、山道を崩せ! 相手は四つ足だ、崖下に誘い込んで動きを封じろ!」


******


風が、少年の張り上げる声を微かに運んでくる。
その声を背中で受けながら、銀髪を靡かせた男が静かに口を開いた。

「教科書通りだが、的確だ。あれはきっとよい将になる。
 ……貴様はどう思う、来栖川綾香」

男の正面に立った影、しなやかな身体をぴったりとしたボディスーツに包んだ女は、
口の端を上げて答える。端正な顔立ちの中、鼻筋は青黒い痣に覆われて痛々しい。

「今は気分がいい。呼び捨ては見逃してやるよ、白髪頭」

笑みの形に歪められたその瞳の色は、魔の跋扈する夜に浮かぶ月の如き真紅。
白を基調にしたボディスーツの両腕はその肘あたりで内側から裂けたように破れている。
肘から先、前腕から手首、指先に至るまでのシルエットは、常人のそれではない。
丸太のように肥大した腕を包むその皮膚は黒くごつごつと罅割れた、大型の爬虫類を思わせるそれに変質しており、
節くれ立った指先からは瞳の色と同じ真紅の爪が、刃の如き鋭さをもって長く伸びていた。
異形、と呼ぶに相応しいその姿を目にしても、対峙する銀髪の男、坂神蝉丸は眉筋一つ動かさない。
ただ一言、告げたのみである。

「手負いで俺に勝てるつもりか、来栖川」

言われた綾香が、笑みを深める。
獰猛とすら見える、歓喜と殺意に満ちた笑顔だった。
蝉丸の言葉は綾香の顔に刻まれた痣や傷に向けて放たれたものではない。
綾香の歩む姿、その体捌きや重心移動の中に深刻な異常を見て取ったものであった。
事実、綾香の身体は通常であれば歩くことすらままならないほどの打撃を受けている。
苦痛にのたうち、そのまま死に至っても決しておかしくはなかった。
それを鍛錬と、そして何より薬物の力によって無視し、綾香は歩を進めていた。

「言うなよ、可愛い後輩の餞別にくれてやった傷だ。もっとも―――すぐに気にならなくなる」

492十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:32:50 ID:2LxlvcbQ0
何かを見せ付けるように、綾香が片手を差し出してみせる。
どこから取り出したものか、長い爪の先に細長い筒状の物が挟まれていた。
注射器であった。中には薄い黄色の液体が満たされている。
一瞥して、蝉丸が鼻を鳴らす。

「それは……上級士官に支給される、自決用の薬物か」
「よく知っているじゃないか、下士官風情が」
「今にして思えば愚の骨頂だ。誇りを捨てぬための自刎を薬で汚そうというのだからな」
「自分が見捨てられたらイデオロギーの全否定か? 救えないな転向者」

嘲笑うような綾香の言葉にも、蝉丸が表情を動かすことはない。
そんな蝉丸に哀れむような視線を向けながら、綾香は手にした注射器を軽く振ってみせる。

「勘違いするなよ。こいつは確かに最後の一手だが……別に自決用ってわけじゃない。
 軍人は戦って死ね、一兵でも多く道連れにすれば軍神の列に加われる……。
 そんな、カビの生えた教本の一節をイカレた国粋主義者どもが寄って集って形にしたもんさ」

来栖川という、国家の中枢に食い込む家名を背負った女が微笑すら浮かべながら言う。
或いは、その微笑は己が欺瞞に向けられたものであったのかもしれない。

「で、だ」

軽口を叩くように、綾香が口を開く。

「こいつを、こうする」

それはまるで、女学生が菓子を口に運ぶような気軽さだった。
注射器の針が切り揃えられた短髪の下、来栖川綾香の白い首筋に突き立てられていた。
無造作に押し込まれるピストンに、薬液が体内に流れ込む。
ほんの一瞬、綾香の全身がびくりと震えた。

493十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:33:18 ID:2LxlvcbQ0
「……」

暴挙を目にしても微塵も揺らがぬ蝉丸の冷厳な眼差しが綾香を貫く。
その眼前、奇妙に甲高い音が響いていた。
俯く綾香の、呼吸音であるようだった。
熱病にうなされる末期の病人の漏らすような、或いは内圧に軋みを上げる蒸気機関のような、それは音だった。
やがてゆっくりと、甲高い音が収まっていく。
最後に一つ、長い息を漏らして、音がやんだ。

「―――ほぅら、もう、痛くない」

言って顔を上げた、その綾香の容貌に、さしもの蝉丸が小さく眉根を寄せた。
その整った、美しいといっていい細面の、左半分。
鼻筋を境にしたその全面に、異様な紋様が描かれていた。
張り巡らされた蜘蛛の巣のような、緻密な刺繍のような、赤一色の複雑な紋様が、
綾香の額から目元、頬から口元、顎までを覆っていた。
否、よく見れば内側から暗く光を放つようなその赤は、浮き出した血管であった。
麗しかった来栖川綾香のかんばせは今やその半分が、醜い血管の迷宮に覆われていた。
元が整っていただけに、それは醜悪を通り越した、異相であった。
赤の支配する貌の真ん中で、ぎょろり、と真紅の瞳が動く。

「さあ……始めようか、白髪頭」

牙を剥いて笑むそれは、人妖の境を踏み越えた、異形であった。


***

494十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:33:55 ID:2LxlvcbQ0
 
大地を這う蛇の如く身を低くした姿勢から綾香が疾走を開始する。
対する蝉丸は腰に佩いた一刀の鯉口を切り、刃を外に捻じり向けた居合の構え。
人外の速さで迫る綾香を迎え撃つ。
疾風とすら見紛わん勢いの綾香が間合いに踏み込んだ刹那、銀弧が閃いた。

「チィ……!」

舌打ちは神速の抜刀を見せた蝉丸である。視線は上。
横薙ぎの一閃が奔った刹那、綾香が跳躍していた。
瞠目すべきは見切りの疾さ、そして何よりその高さである。
人の背を越える高さを、足の力だけで跳び上がっている。
ましらか猩々か、いずれ妖の類としか思えぬ反応であった。
見上げた蝉丸の眼が反射的に細められる。
中空、跳び上がった綾香に背負われるようにして、日輪が輝いていた。
抜き放った一刀の切っ先を強引に捻じろうとするが、到底間に合わぬ。
咄嗟に抜刀の勢いのまま身を投げ出すようにして前転、頭上から迫る真紅の爪を辛うじて躱した。
膝立ちになるや、蝉丸は刀を水平にして頭上に掲げる。
直後、硬い音が響いた。刃と爪の交錯する音だった。
綾香の姿は蝉丸からは見えぬ。
背を向けたままの受けは踏んだ場数の賜物である。

「オォ……ッ!」

裂帛の気合と共に、刃で受けた五本の爪を、下から体重をかけて弾き飛ばす。
刹那、立てた膝を支点として半身を捻じる。
視界の端に映った影を薙ぐように斬撃を走らせた。
腰を落とした姿勢とはいえ、柄頭に左手を添えた重みのある一撃である。
それを、

「遅いな、白髪頭!」

綾香は余裕を持ったバックステップで避ける。
距離の開いた機を逃さず立ち上がった蝉丸の顔には、僅かに驚愕の色が浮かんでいた。
それを見て取り、綾香が嘲るような声を上げる。

495十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:34:29 ID:2LxlvcbQ0
「どうした強化兵、ノリが悪いな」
「……一つだけ問おう」

白刃を陽光に煌めかせながら、蝉丸が綾香を見据えて口を開く。
砂埃の混じった風を受けるその顔は既に巌の如き無表情に戻っている。

「聞いてやるよ白髪頭、言ったろ? 今は気分がいい」
「……國の礎となるべき者が、何故、人を捨てる」

重々しく放たれた問いに、軽口を叩いていた綾香の表情から笑みが消えた。
その半面に朱い蜘蛛の巣模様を浮き上がらせ、真紅の瞳を見開いた異相が、真っ直ぐに蝉丸を見返す。

「つまらないことを聞くな」

白昼、その身の周りにだけ夜が訪れたような、それは昏い声音だった。
ざわり、と切り揃えた髪が揺れる。
擦り合せた異形の爪が、しゃりしゃりと耳障りな音を立てた。

「お前に―――お前に勝つ為だろう、坂神蝉丸」

その名を呼ぶ。
砂塵に塗れた旅人の、冷たい水を渇望するような。
一人祈る乙女の、恋しい男の名を呼ぶような。
暗い死の淵に、永劫の怨嗟を込めて呟かれる呪のような。
それが来栖川綾香の、真実、唯一つの言葉だった。

「……そうか」

国家と天秤にかけられた男はただ一言、そう漏らすと、手にした一刀の刃を返す。
ぎらりと、白刃が煌めいた。

「ならば、是非も無い」

496十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:35:03 ID:2LxlvcbQ0
踏み込む。
瞬時に詰めた間合いから閃くのは、下段から伸びる切り上げ。
綾香の左胴を切り裂くかに見えたそれは僅かに届かない。
身を引いた綾香に躱されている。
が、そこまでは蝉丸とて予想の範疇だった。
体を止めず、奥足を踏み込んでの二の太刀は逆袈裟の切り下ろしである。
一太刀めは囮であった。
体勢の流れた綾香には、二の太刀を更に下がって躱すことができぬと踏んでの斬撃である。

「ナメるな……っ!」

硬質な音と共に、綾香がその爪をもって刃を受ける。
しかし蝉丸は刃を引かず、更に体重をかけていく。
鬼の手を持つ綾香は今や、腕力においては己よりも遥かに上であると蝉丸は判断していた。
だが同時に、命のやり取りは腕力のみにおいて決するわけではないということも蝉丸は理解している。
体勢の差、重心の差、そして体重の差を利用した鍔迫り合いに持ち込んだのも、そうした意識と
無数の経験との上に成り立つ戦術であった。
じりじりと近づく刃に、綾香がたまらずもう一方の手を添える。
両の爪を十字に交差させる、堅い受けである。
押しやられる一方だった刃が、ぴたりと止まった。
力と力の鬩ぎ合いの中、蝉丸が言葉を漏らす。

「大義を忘れ妄執に拘る……、貴様のような輩が國を惑わすのだ……!」

ぎりぎりと、音を立てそうな鍔迫り合いの最中である。
冷厳を以ってなるその声にも、常ならぬ激情が篭っていた。

「ガキを担いで……! 人形遊びが、お前の大義か……!」

受ける綾香の瞳は杯に鮮血を満たしたように紅い。
その瞳には紛れもない嘲りと、そして憤激が浮かんでいた。

497十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:35:53 ID:2LxlvcbQ0
「義を見失うのが國ならば、俺は俺の義を貫くまでだ……!」
「他人を、巻き込むなって話……だろう、がっ!」

言い放つと同時、綾香が全身の撥条を使って体を捻じる。
鬩ぎ合う力を横に流そうとする試みは成功した。
流れた白刃が綾香の左肩、その皮膚を浅く削いだが、それだけである。
体勢を崩され、無防備な脇を見せた蝉丸に向けて綾香の横蹴りが放たれる。
上体捻じった勢いを加算した重い横蹴りが、蝉丸の脇腹に食い込んだ。

「ぬぅ……っ!」

息を漏らした蝉丸だったが、しかしすぐさま流れた刃を返し、強引な切り上げに入る。
下から迫る刃に追撃を断念し、綾香が飛び退る。
再び距離が開いた。蝉丸の白刃は既に油断なく綾香へと向けられている。
刃を横に寝かせた平青眼、必殺の突きを狙う構えに再度の接近を試みようとした綾香の足が止まった。

「人形遊び、か……貴様から見ればそうなるのだろうな、来栖川」

告げた蝉丸の顔からは、一瞬だけ浮かんだ苦痛の色は消えている。
暗夜に浮かぶ月の如き静謐をもって、その瞳が真っ直ぐに綾香を見据えていた。

「あれらを、生み出したのではなく……作り出した、と貴様等は言う。
 驕慢でなく、傲然でなく、ただそれを当然と、疑念すらを抱かず貴様等は言うのだ」

凛と冷え切った声音が言葉を紡ぐ。

「何故、その聲を聞かず、その道を見定めず、無用の長物と放り棄てる。
 あれらを人でなく、傀儡と育んだは貴様等の罪業だろうに、何故それを肯んずる。
 生の意味を与えず、思考の時を与えず、命を求める声をすら与えず」

白刃は揺らがぬ。
声音は荒れぬ。
しかしそれは一片の違いなく、

「そこに―――如何な義の在るものか」

坂神蝉丸が見せた、激情の吐露であった。

498十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:36:30 ID:2LxlvcbQ0
風が、一際強く吹き抜けた。
砂塵を含んだそれが沈黙を運ぶ。
否、沈黙は小さな音によって破られていた。

「……っ、……」

耳を澄まさねば聞こえぬほどのそれは、しかしすぐにその音量を増していく。
初めはさざ波のように、そして瞬く間に瘧の如く爆ぜたそれは、笑い声であった。
面持ちを険しくした蝉丸の眼前、来栖川綾香が、呵々として笑っていた。
その顔の半分を覆う朱の紋様がまるで羽虫を絡め取った蜘蛛の巣の如く、醜く蠢いている。
可笑しくて堪らぬといった様子で笑う綾香が、その笑みを収めぬまま口を開いた。

「―――知るかよ、そんなこと」

蒼穹の下、弓形に歪んだ真紅の瞳が、ぬらぬらと凶々しい光を湛えて揺れていた。
そこには快の一文字も、愉も悦すらも存在しない。
ただ、嘲弄と軽侮だけが、浮かんでいた。

「私の仕事は算盤勘定だ。ついでに教えてやる。科学者連中の仕事は自分の妄想を形にすることで、
 技術屋の仕事は製品のコストを下げることだ。連中の生まれた意味なんて誰も考えちゃいない。
 知りたきゃ坊主にでも聞いてくるといい」

ぎり、と鳴ったのは蝉丸の奥歯を噛み締めた音か、それとも握り直した柄の軋みか。

「それが、貴様の道か」

言うが早いか、蝉丸の身体が駆けた。
踏み出した足の大地を噛む音が後から聞こえてくるほどの、猛烈な踏み込み。
広い間合いを、ただの二歩で詰めていた。
驚いたように見開かれる綾香の真紅の瞳、その中心を狙った突きが閃いた。
手応えは、ない。
文字通りの紙一重で、躱されていた。
未だ白く残る方の頬に一文字の傷を開け、鮮血の雫を飛ばしながら、綾香が身を撓める。

499十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:37:17 ID:2LxlvcbQ0
「じゃあ……訊いてやる、白髪頭ッ!」

突き込まれる刃に微塵の恐怖も見せず、綾香が叫んだ。
カウンターで突き込まれる爪を、蝉丸は辛うじて柄頭で弾く。
下に流した真紅の軌跡はしかし、五本。

「お前には……ッ、聞こえてるのか、……あいつらの、声がッ!」

残る片手の爪が、上から迫る。
それを、軸足で地面を強引に蹴り離すことで上体を反らし、回避する。
軍装の釦が一つ、弾けて飛んだ。

「あたしたちを! 助けてください、って!」

両の爪を躱されてなお、蝉丸の頭上から落ちる影がある。
鉞の如き威力を備えて落とされる踵であった。
返す刃は間に合わぬ。たたらを踏むように、更に一歩を退いた。

「どうか生きる意味を! 教えてくださいって!」

着地と同時、綾香が加速する。
薬物の効能で人体の常識を超えた出力を誇る筋力に加えて、胴廻し蹴りの前転による勢いを利用した加速である。
その速度は蝉丸の眼をもってしても容易には捉えきれぬ領域に達していた。
躱しきれぬ、とみた刹那。
蝉丸は手の一刀を逆落としに地面へと突き立てていた。
伝わるのは刃の先が僅かに岩を食む硬い感触。
もとより、綾香を狙ったものではない。

「ぬ……ッ!」

掛け声と共に、蝉丸の身体が跳んでいた。
突き立てた刀の柄頭を土台とした、高飛びである。
迅雷の如く迫ってきた綾香が真紅の爪を振るうのと、ほぼ同時であった。
宙を舞う蝉丸の影が、身を低くした綾香の背に、落ちた。
交錯した両者がその位置を入れ替え、そして離れる。
必中の一撃を避けられたと悟った綾香が砂塵を巻き上げながら身を翻せば、
蝉丸もまた束の間の空から大地へとその身を戻していた。

500十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:38:04 ID:2LxlvcbQ0
「泣いて頼まれたか。夢枕にでも、立たれたか。違う、違うな、強化兵」

一転、綾香が静かに語る。
その視線は対峙する蝉丸の纏う枯草色の軍装、その足元へと向けられていた。
編み上げ式の軍靴が踏みしめる地面に、じわりと拡がる染みがあった。
乾いた岩場を濡らす赤黒い染みは、紛れもない鮮血である。
蝉丸の軍装、右のふくらはぎの辺りが、ざっくりと裂けていた。

「お前には何も聞こえていないだろうよ。あいつらの声も、願いも、何も」

綾香が、爪を振るう。
何滴かの血が、球になって散った。

「お前は手前勝手な願望を、あいつらに押し付けているだけだ。連中が本当は何を願っているのか、
 生きたいか、死にたいか……それさえ、お前には分からない」

ゆっくりと、綾香が歩を踏み出す。
陽だまりの中、散策でも楽しむかのような足取りとは裏腹に、顔には酷薄な笑みを浮かべている。
冷笑に侮蔑をたっぷりと乗せて、ほんの僅かな憐憫を込めて、綾香が首を傾げ、言う。

「手前ぇの恨みつらみを語るのに、誰かの名前を使うなよ。なあ、出来損ないの強化兵」

蝉丸の表情が、初めて歪んだ。
挑発への怒りではない。まして、傷の痛みでもなかった。
ただ、歪んだのである。
正鵠を射られたとは思わぬ。
義憤とは安い侮辱に消える程度の炎ではないと、蝉丸は信じていた。
ただ許せぬと、肯んじ得ぬと貫き通すべきものはあると、蝉丸は確信している。
しかし、否、故に、蝉丸の表情はただ、歪んでいた。
綾香の放った嘲弄の矢が射抜いたのは、蝉丸の心に燃え盛る義ではなかった。
坂神蝉丸という男の、中心。
何もない、草木の一本すら生えぬ、ただ広がる荒地の、その真ん中に、突き立っていた。
そこを潤すものはない。そこに実るものはない。そこに生きるものはない。
舞い上がる砂塵も、吹き荒ぶ風すらもない。
ただ時の止まったような、荒涼とした大地。
そこに一本の矢が突き立ち、静謐が乱れた。
決して感情の範疇でなく、さりとて理性の領域でもなく、思考でも思想でも思索でもなく、
ただ感覚として、蝉丸は己が中心に広がる寂寞を見た。
故に表情を歪めたのである。

「そうか」

だからそれだけを、蝉丸は口にした。
肯定でも否定でもない、それはひどく簡素な相槌であった。

「分かんないなら、そう言えよ」

無造作に間合いを詰めながら、綾香もまた、それだけを応えて口を閉ざした。
その手の爪が、足取りにあわせてゆらゆらと揺れている。

501十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:38:44 ID:2LxlvcbQ0
間合いに入るまで五歩と、蝉丸は見て取った。
白刃を下段に構え、その一瞬を待ち受ける。
刀の間合いは、爪の間合いよりも遥かに広い。

残り、四歩。
仙命樹の治癒とて万能ではない。
深く抉られた肉を繋ぐまでには幾許かの時を必要とする。

残り、三歩。
右を軸足に使えぬ今、受けるも攻めるも難い。
ならば勝算は、間合いの差。

残り、二歩。
踏み込んだその足を、その爪を、その頸を。
斬の一念を込めて、断ち割る。

残り、一歩。
踏み出されたその足が―――消えた。

と見るや、綾香の姿は既に蝉丸から見て右に占位している。
爆発的な加速によるサイドステップ。
が、蝉丸の刃は微動だにせぬ。
横に流れた綾香の踏み込みは、未だ僅かに間合いの外。
陽動であると、見抜いていた。
右に動いた綾香が更に加速する。
脇を走りぬけ、後ろをとると見せた刹那。
右構えの下段が最も対処しづらい、右斜め後方から、綾香が、間合いに踏み込んでいた。
同時、蝉丸の白刃が閃いた。
構えによる誘いは無論、綾香とて気付いていると、蝉丸は理解している。
狙い通りの剣筋の、なおその上を行く疾さを備えていると確信しているからこその踏み込み。
慢心であり、虚栄であり、しかし高雅であった。
それは来栖川綾香の唯我たる矜持、魂に刻まれた自負。
ならばそれを斬り伏せよと、坂神蝉丸は己に命じる。
慢心を斬り、虚栄を断ち、来栖川綾香を滅せよ、と。
一刀を、振るう。

502十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:39:06 ID:2LxlvcbQ0
「―――!」

風が、裂けた。
真紅の刃が、まとめて切り裂かれ、折れ飛んだ。
蝉丸の振るった白刃が斬ったその数は、九。

ただの一本が、残った。
残った一本は、刃であった。

細く、鋭く、風が、流れた。
一直線に伸びたその軌跡は、狙い違わず蝉丸の喉笛へと迫り、そして―――失速した。

「……あ、」

漏れた声は、濡れていた。
ごぼりと、血の泡が溢れた。
口中いっぱいに鉄錆の味を感じながら、来栖川綾香が、ゆっくりと倒れた。

503十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:40:16 ID:2LxlvcbQ0
「……」

蝉丸の視線が、大地に横たわる綾香を見据える。
険しいその表情は勝者のものとも思えぬ。
そもそも、蝉丸の刃は綾香の爪だけを斬ったものである。
倒れた綾香の身体に斬撃による大きな刀傷はない。
だが鮮血は実際に噴き出している。
蝉丸は頬に飛んだ返り血を拭い、見下ろした綾香の、震える五体に眉を顰めた。
溢れる血は、綾香の内側から、流れ出していた。

「あ……あああ……っ!」

びくり、と投げ出された鬼の手が震える。
野太いそれがぶるぶると痙攣したと見えた、次の瞬間。
内側から爆ぜるように、黒く罅割れたその肌が裂けた。
大量の血液が飛び散り、辺りを染め上げる。

肌に張り付くようなボディスーツの内側から、嫌な音がした。
太腿から、上腕から、背筋から、ぶちぶちと断続的な音が響く。
主要な筋肉の断裂する、音だった。
スーツの隙間から覗く白い肌が、青黒く染まっていく。
内出血が拡がっているようだった。

「が……あ、あぁ……ッ!」

絶叫と共に気管に流れ込んだ血と唾液を垂れ流しながら、綾香がのたうち回る。
その端正な顔の半分を覆う赤い紋様、浮き出した血管で形作られた蜘蛛の巣が、
まるでそれ自体が別の命をもつ生き物であるかのように波打ち、蠢いていた。
その幾つかが弾け、真っ赤な液体が溢れ出す。
さながら綾香が血の涙を流しているように、それは見えた。

「……限界だな、来栖川」

504十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:40:49 ID:2LxlvcbQ0
内側から自壊していくような綾香を見下ろして、蝉丸が静かに息をつく。
その白刃は自らが作り出した血の海で泳ぐ綾香に、油断なく向けられていた。

「人を超えた力など……所詮、人の身で扱いきれるものではない」

しゃら、と澄んだ音を立てて、蝉丸が刃を返す。
陽光が反射し、流れ出る血と流れ出た血の両方で全身を染め上げた綾香を照らした。
未だ癒えぬ傷の痛みを無視して、蝉丸がゆっくりと歩を進める。
踏み出したその足が粘つくのは、血だまりを行くせいか、或いは軍靴の中に溜まった己が血のせいか。

「そこで時をかけて命を終えるか、それとも楽にしてほしいか」

返答など期待せぬ何気ない呟き。
既にその声が耳に届いているかも怪しい。
蝉丸が足を止めたのは、故に微かな驚きによるものである。

「……誰、に……」

声とも呼べぬような、掠れた響き。
だがそれは確かに来栖川綾香の紡ぐ、言葉であった。

「……誰に、口を……聞いてる、……三下……!」

それは一つの、奇跡であったやも知れぬ。
綾香の瞳、真っ赤に充血したその瞳は、蝉丸を確かに射抜いていた。
そればかりではない。
腕、足、胸、腹、首、いたるところに爆ぜたような傷が開き、肉どころか何箇所かは骨すら覗いている、
到底動けるはずもない身体で、綾香は微かに、しかし確実に、蝉丸の方へと這い寄ろうとしていた。
蛞蝓の這いずるような、遅々とした動き。
しかしそれを、蝉丸は瞠目をもって迎えていた。
沈黙が、何よりも雄弁に驚愕を語っていた。

「……あたし、は……、」

ぶるぶると震えながら、最早流れ出す血液すら残らぬような身体で這いずりながら、綾香が言葉を紡ぐ。
殺意もなく、邪気もなく、ただ澄みきった何かだけが残ったような、言葉。

「……あた、しは……、……ずっと、世界の……真ん中、に……。
 こんな、こと……で、終わ、ら……、ない……」

そよぐ風よりも微かな呟きが、段々と小さくなっていく。
伸ばした手が、蝉丸の軍靴に触れた。
掴み引き倒す力とてあろう筈のない、その赤黒く染まった手を、蝉丸はじっと見ていた。
深く、深くつかれた息は、果たしてどちらの漏らしたものであっただろうか。

「……」

蝉丸が、手にした白刃を天高く掲げる。
抗う術は、綾香に残されてはいなかった。
突き下ろせば、それが最期となる筈だった。

それが為されなかったのは、蝉丸の背後、凄まじい音が響いたからである。


******

505十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:41:27 ID:2LxlvcbQ0
 
知らず振り向いた蝉丸の、その表情が固まる。
見上げた視線の先に、異物があった。

僅か数十メートル先、神塚山山頂。
そこに、何かが突き立っていた。

天空から下ろされた一本の蜘蛛の糸のような。
或いは天へと伸びる果てしない塔のような。
限りなく細い何か、紅色と桃色と鈍色が考えなしに混ざり合ったような、醜悪な何か。
それが、神塚山の山頂、その中心へと突き立てられていたのである。

「……、」

そこにいた筈の、青年へと移り変わる途上のような顔をした、少年の名を、蝉丸が口にするより早く。
ひどく耳障りな雑音交じりの、しかし不気味によく通る声が、天空から響いていた。

「待っていましたよ―――この瞬間を」

それは遥か蒼穹の高み、突き立った細い糸のような何かの上から、降りてきた。
最初は芥子粒のような、しかし瞬く間にその大きさを増していくそれは、異様な姿をしていた。
人のような、しかし決して人にはあり得ないシルエット。
三対六本の腕、瘡蓋の下に張った薄皮のような桃色の、巨大な翼。
人と蟲と蝙蝠を、止め処ない悪意によって混ぜ合わせたようなフォルム。

かつて長瀬源五郎と呼ばれた人間の成れの果てが、そこにあった。

506十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:42:00 ID:2LxlvcbQ0
 
 
 
【時間:2日目 AM11:23】
【場所:F−5】

坂神蝉丸
 【状態:右足裂傷(重傷・仙命樹により治癒中)】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:全身裂傷、筋断裂多数、出血多量、小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、
      顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング限界】

長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ融合体】

→916 962 967 ルートD-5

507十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:52:48 ID:CaxMWfFA0

それは、雨であった。
鋭い鋼鉄の穂先を大地へと向け、穿ち貫かんと落ち来るそれを、雨と呼ぶならば。

それは、槍であった。
天空より間断なく流れ落ち、地上へと等しく降るそれを、槍と呼ぶならば。

雨の如く降り注ぐ、桃色と鈍色の入り混じった無数の槍。
遥か高みより降る凶刃が終わらせたのは、たった一つの命である。

その、命であったものの名を、久瀬という。
最初の一筋が脳天を貫いた瞬間に、久瀬少年の命は終わっている。
何かを掴もうと伸ばされた指がびくりと震え、そして、それが最後だった。
直後、幾筋も幾筋も降り注いだ槍が貫き通したのは、少年の骸である。

人の形をしていた少年が、赤い液体と無数の欠片へと解体されたその場所へ、降り立つ者があった。
返り血と思しき赤黒い斑模様で纏った白衣を最早そうと呼べぬまでに汚し、背には肉色の翼。
肩の辺りから生えた四本の鋼鉄の腕をやはり血で染め上げ、はだけた胸からは断末魔の如き表情をした
女の顔が二つ、埋め込まれているのが見えた。
人、と呼ぶにはあまりにもヒトとかけ離れたその姿を目にして、声を漏らした者がいる。
急ぎ駆け戻った男、坂神蝉丸であった。

「長瀬……源五郎……!」

名を呼ばれ、悪夢を具現化したかの如き姿の男が、にたりと笑った。
歯茎を剥いた、怖気が立つほど醜悪な笑い。

「司令、と呼び給えよ、坂神君。いや……坂神脱走兵、というべきかね?
 副社長におかれても、ご機嫌麗しく」
「……何故、久瀬を殺した」

触れれば斬れるような声音。
口臭の漂ってきそうな笑みにも、血の海に倒れ伏す来栖川綾香を見下した視線にも委細構わず、
蝉丸はそれだけを口にする。

「……何故? 何故と問うのかね、君は?」

そんな蝉丸へと視線を戻すと、長瀬はくつくつと笑う。
肺病やみが咳き込むような、痰の絡んだ笑い方だった。

508十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:53:21 ID:CaxMWfFA0
「特段の理由などないよ。ただ私の道具を取りに来た、そこにたまたま彼がいただけさ」
「道具……だと」

言われて初めて、蝉丸が気付く。
長瀬の足元、のたうつ肉色の槍に隠れるようにして、小さな影があった。
広がる血の海の中で暴れることもなく、じっと蹲っている影を、長瀬の鋼鉄の腕が掴んで引きずり起こす。
久瀬少年の血に塗れながら表情一つ変えず、眼鏡の奥で焦点の合わぬ瞳を光らせる少女を見て、
蝉丸が呻くような声を漏らした。

「貴様、それは夕霧の……」
「演算中枢だよ、坂神君。私はこれを取りに来ただけだ。ずっと君の目が光っていたから、少しばかり難儀したがね」

見せ付けるように、片腕で夕霧を吊り上げる長瀬。
その身体から伸びた、ケーブルとも槍ともつかぬ金属製の管が、まるで触手のように夕霧の身体を這い回る。

「迂闊だったねえ、坂神君。君が目を離したりしなければ、私もこれに近づけなかった。
 ……久瀬大臣の愚かな御子息も、死なずに済んだかもしれないなあ」
「―――黙れ」

激昂も見せず、あくまでも静かに、蝉丸が口を開いた。
転瞬。

「―――!」

銀弧が閃いた。
音もなく駆けた蝉丸が、一気に間合いを詰めると手の一刀を振るったのである。
それを、

「おっと」

おどけるような仕草と共に、長瀬が飛び退って避ける。
強い風が、蝉丸の頬を叩いた。
長瀬は文字通り、肉色の翼を羽ばたかせて飛んでいたのであった。

509十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:53:46 ID:CaxMWfFA0
「貴様……!」
「おお、怖い怖い。君といい光岡君といい、強化兵の近接戦闘能力は驚愕に値するからね。
 正面からやりあう気などないよ」

刀の届かぬ高度でゆっくりと羽ばたきながら、長瀬が肩をすくめる。
鋼鉄の腕には砧夕霧を抱えている。
その血に濡れた身体の上には、やはり触手のような管が何本も這い回っていた。

「……うん、これではよくわからないな」

一人呟いて首肯する。
と、夕霧の身体を這っていた管の束が、唐突にその動きを変えた。
夕霧の纏った質素な服の上を這っていたものが、一斉に襟を、裾を、袖を目指して蠢く。
瞬く間に衣服の下へと潜り込んだ管の群れが、ぞろぞろと布地を持ち上げる。
宙吊りにされた少女が無数の蛇に肢体をまさぐられているような、それは淫靡な光景であった。

「どうだい、ミルファ、シルファ。私の可愛い娘たち。解析は終わりそうかい」

鳥肌の立つような猫撫で声で長瀬が語りかけたのは、その胸に浮かぶ人面瘡の如き二つの顔である。
よく見れば、ケーブルの束は断末魔を写し取ったようなその顔の、口腔の奥から伸びているのだった。
時折、びくりと夕霧が震える。
薄い布地の向こう、襟から潜った管が小さく盛り上がった双丘を舐る。
袖から腕、脇を通って背筋をまさぐる管もあった。
スカートの裾から入り込んだ管は下腹部から尻の辺りを取り巻いていた。
濡れた音がするのは、如何なる行為によるものか。

「下種が……!」

押し殺したような怒声と共に飛んだ針のようなものを、長瀬が翼の一振りで悠々と躱す。
虚しく弧を描いて落ちるのは、真紅の細刃。
先刻の交戦で斬り飛ばされた、来栖川綾香の鬼の爪であった。

「そう急かないでくれ給えよ、坂神君。焦らなくとも、もうすぐ……おや、終わったのかい、娘たち」

蝉丸への嘲るような声音とはうって変わった、気色の悪い甘い声。
見れば、びくりびくりと震えていた夕霧の肢体がだらりと弛緩している。
それを目にして満足げに頷く長瀬。

510十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:54:33 ID:CaxMWfFA0
「うん、それじゃあ……始めようか」

言葉と共に、びり、と音がした。
布の裂ける音。夕霧の纏っていた、質素な服が引き裂かれていく音である。
陽光の下、白い肌が惜しげもなく晒されていく。
瞬く間に、その肢体を覆っていた布地がすべて取り払われた。
乳房の先に覗く桃色も、下腹部を薄く覆う翳りもすべて、その上をのたくる管の群れと共に曝け出されていた。
長瀬の鋼鉄の腕によって両腕を拘束され、吊り下げられるような姿勢のまま裸体を隠すこともできず、
しかし夕霧はぼんやりとした瞳だけを眼鏡の奥に光らせたまま、表情を変えない。
そんな夕霧を後ろからかき抱くようにして身体を寄せると、長瀬がその感情のない顔に手を伸ばした。
肩から生えた鋼鉄の腕ではない。長瀬源五郎の、生身の手である。
ゆっくりと撫でるようにして、長瀬の手指が夕霧の頬を這う。
痩せこけた血色の悪い唇を、ごつごつと骨ばった長い指がなぞる。
白い首筋からこびり付いた血の乾き始めた耳の辺りまでを嘗め回すようにしていた長瀬が、その耳元に囁いた。

「私と一つになりなさい、失敗作」

同時。
ぞぶり、と嫌な音と共に、ケーブルの先端、槍の穂先のように尖ったそれが、夕霧の裸体に突き刺さっていた。
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。
首筋に、背に、脇腹に、太腿に、二の腕に、薄くあばらの浮いた肢体に、何本も刺さっていく管の群れ。
その度にびくりと震える夕霧の身体からは、しかし奇妙なことに血が流れ出さない。
それどころか、まるで刺さったケーブルを取り込むかのように、破れた皮膚が再生し、薄皮が張っていく。

「成る程、成る程、成る程。余計な感情を溜め込んだものだ。余分なノイズを取っておいたものだ。
 こんなものは―――消してしまえばいい」

目を細め、長瀬が独り言じみた呟きを漏らした途端、夕霧の身体が一際大きく跳ねた。
激しい痙攣が二度、三度と続き、そしてすぐに静かになった。

「さあ、これで綺麗になった」
「……ッ!」

歯噛みしながら見上げていた蝉丸が、思わず絶句する。
頷いた長瀬がひと撫でした夕霧の顔は、先刻までとはまるで異なっていた。
何の感情も浮かべていなかったその顔に、一つの明確な表情が刻まれていた。
即ち―――、絶望。

「貴様……!」

そこにあったのは、苦痛でも、悲嘆ですらなかった。
この世に存在する希望という希望を絶たれ、怨嗟に塗れ、生を呪う、それは亡者の表情。
それはまるで、長瀬の胸に埋め込まれた二つの顔をそっくり写し取ったような、顔であった。

511十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:55:00 ID:CaxMWfFA0
「何を……一体、何をしたッ……!」
「ん?」

地上で叫ぶ蝉丸の存在を、まるで今思い出したとでもいうように長瀬が見やる。
にやにやと見下ろすその視線には、何らの特別な感情は浮かんでいない。

「何、と言われても……道具をフォーマットしただけさ。雑念が煩かったからね」
「外道が……!」

曇った眼鏡を拭いただけ、とでもいうようなその口調に、蝉丸が手の一刀を握り直すとほぼ同時。

「ぬ……!?」

蝉丸が跳んでいた。
僅かに遅れて、立っていたその場所に突き立つものがある。
上空を飛ぶ長瀬の身体から伸びた、肉と鉄の入り混じった槍であった。
その足元に広がっていた、乾きかけた血の海がべしゃりと撥ねた。
ざっくりと裂けた右足から真新しい紅の珠が飛ぶのにも、蝉丸は眉筋一つ動かさない。
天空の高みから次々と迫り来る槍を的確に躱していく。
しかし、

(……?)

おかしい、と蝉丸は己の直感が告げるのを感じていた。
次々に降り注ぐ槍は確かに鋭く、速い。
しかしその位置、照準、タイミングがあまりにも粗雑に過ぎた。
長瀬が戦闘に関して素人であると言ってしまえばそれまでなのかも知れない。
しかし、それだけでは片付けられない何かを、蝉丸の研ぎ澄まされた勘は嗅ぎ取っていた。
降り注ぐ槍には何か別の狙いがある、と。
蝉丸がそこまでを思考したのを読み取ったかのように、天空からの攻撃が、止まった。
大地に張り巡らされた蜘蛛の巣のように無数の槍を突き立てておきながら、蝉丸には未だ傷一つつけていない。
それが唐突に止まっていたのである。
思わず見上げた蝉丸の耳朶を、

「さあ、食事の時間だ」

長瀬の声が打ったのと、時を同じくして。
ぞぶり、と音がした。
音は、一つではない。
それは蝉丸の周囲、四方八方のあらゆる方向から、無数に響いていた。

512十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:55:21 ID:CaxMWfFA0
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。

まるで挽き肉を捏ね回すような、或いは鍋に満たした湯の沸き立つような。
ひどく耳障りなその音は、蝉丸のすぐ側、或いは手の届かぬ遠く。
地面に突き立った無数の槍の、その中から、響いているようだった。

ごぼり、と泡立つような音がして、見れば突き立てられた槍の穂先が、濡れていた。
赤く濡れたそれの周りにはしかし、鮮血など存在しない。
否、砂を染めた血痕が、そこに血の流れていたことを示している。
そこかしこに積み上げられた夕霧たちの躯から流れ出たはずの、それは血だまりの痕だった。
それが、なくなっている。

「……飲んだ……のか……!」

険しい表情のまま見回せば、山頂のいたるところを染め上げていたはずの、乾きかけた血の海が、
まるで潮が引いたように小さくなっている。
ぞぶり、と音がした。
ぞぶり、と音がした。
ぞぶり、と音がした。
ぞぶり、と音がするたびに、血だまりは小さくなっていく。

「……ッ!」

衝動のままに一刀を振るえば、硬い感触と共に槍の一本に亀裂が入る。
ごぼり、と噴き出した粘性の高い血液が、蝉丸の手を汚した。

「長瀬……! 貴様、どこまで……!」
「おいおい、人の食器を傷つけないでくれよ」

天空を睨んだ蝉丸の視線にも、長瀬はただにやにやと笑いを返すのみ。

「君だってあまり人のことは言えた義理ではないと思うがね。
 土嚢代わりに使うのは死体の血を吸うより高尚な行いなのかい?」
「……!」
「こんなものは、単なる資材でしかない。君と同じさ。
 もっとも、私が本当に使うのは―――生きた方、だがね」

生きた方、という言葉の意味が、染み渡っていく。
と、何かに気がついたように、蝉丸が辺りを見回した。
ぞぶり、という音は、止まっていた。
咀嚼音が止まり、静寂が落ち、しかし―――静かすぎる。
北側と西側では戦闘が続いていたはずだった。
久瀬の死によって命令系統は混乱しているだろう。
僅かな間に戦線は崩壊したかもしれない。
しかし、閃光も、騒音も、何もかもが止んでいるのは、異常だった。
生きた方、という言葉がもう一度、蝉丸の脳裏に甦る。

513十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:55:42 ID:CaxMWfFA0
「まさか……!」

蝉丸が弾かれたように長瀬を見上げた、その刹那。
長瀬の身体が、爆ぜた。
否、爆ぜるような勢いで、膨れ上がったのである。
白衣が、スーツが、その布地の限界まで張り詰め、裂けた。
その下から無数に飛び出したのは、肉色の槍である。
それが生えていたのは、長瀬の胸に埋め込まれた二つの顔からではない。
腕といわず腹といわず、隙間を埋め尽くすようにして、その醜く蠢く管は
長瀬の肉体のいたるところから奇怪な腫瘍の如く飛び出していた。
その数は先刻に倍し、太さに至っては一本一本が人の腕ほどもある。
そんなものに埋め尽くされた長瀬は、まるで空に浮かぶ磯巾着か何かのようにすら見えた。
が、そう見えたのも一瞬。
無数の管が、凄まじい勢いで伸びていた。
目指すのは大地。

「……!」

瞬間、蝉丸は己の危惧が的中したことを知る。
長瀬の身体から伸びた無数の管はそのすべてが、山頂ではなく、そのすぐ周辺。
北側と西側の山道へと、向かっていたのである。
天頂を境とした空の半分を覆い尽くすように、肉色の管が巨大な天蓋を形作る。
測定を拒むが如き数の管が伸びるその先には、きっかり同数の影が、佇んでいた。
影、砧夕霧と呼ばれる少女達の群隊は抗う様子も見せず、迫り来る管をぼんやりと眺めている。
矢のように伸びた管の群れが、その速度の一切を殺すことなく、夕霧たちへと突き刺さった。
否、刺された少女たちからは、一滴の血も流れない。傷すらも、できてはいなかった。
故にそれらは、突き刺さったというべきではなかったかもしれない。
それらは単に、少女達へと貼り付き―――呑んでいたのである。

514十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:55:59 ID:CaxMWfFA0
ぞる、と先刻の血液を咀嚼する音にも倍して奇怪な音が響くたび、少女達が歪んでいく。
誇張でも比喩でもない。
管の貼り付いた部位を中心に、骨格を無視し人体構造を無視して、少女の身体のその全体が、
奇妙に捻じ曲がっていくのである。
同時に、音が響くのと歩調を合わせて、その肉体そのものが小さくなっていく。
ぞる。少女の腹が、べこりと落ち窪んだ。
ぞる。少女の胸が、片方の乳房を残して、捩じくれた。
ぞる。少女の腕が、肘まで肩に埋まった。
ぞる。少女の腰が、臓腑ごと競り上がった。
ぞる。少女の脚が、胸の下から、覗いていた。
ぞる。少女の首が、管へと吸い込まれていた。
ぞる。少女の、全部が消えた。

少女を呑み尽くした管は、まるでフィルムを逆回しにするように天空へと巻き取られていく。
巻き上げられた管の根元が、ぼこりと膨らんでいる。
それは紛れもない、少女の体積。
ぞる。ぞる。ぞる。
音と共に、少女が管に呑まれ、管が巻き上げられ、その根元が、ぼこりと膨らんでいく。
ぞる、ぞる、ぞる。
ぼこり、ぼこり、ぼこり。
それは、ヒトのカタチをしていたモノが、ヒトならざるモノの中に、吸い上げられていく音であった。
およそこの世のものとは思えぬ悪夢の光景の中心に、笑う顔がある。
長瀬源五郎であった。
肉腫の如く膨らみ続ける体の中心に、長瀬源五郎の顔が浮かんでいた。
すぐ下には三つの断末魔。
イルファ、シルファ、そして砧夕霧の中枢体が、悪夢の象徴のように並んでいる。
巨大な肉腫は重なり合い、互いを覆い隠すように拡がっていく。
七千にも及ぶ生体が、融け合って膨れ、崩れて肉腫となり、やがて何かを形作っていく。
それは、受精卵の細胞分裂を繰り返す様を、偏執的な悪意で塗り潰していくような。
そんな印象を見る者に与える光景だった。

515十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:56:20 ID:CaxMWfFA0
どこまでも長く感じられる、しかし実時間にしてほんの数十秒の内に、
それは、この世に姿を現していた。
身長、およそ三十メートル。体重にして二百七十トン。
神塚山、北西側の山肌から、山頂の台地へと手をかけるようにしてへばりついたそれは、
途方もなく巨大な少女―――砧夕霧であった。
天頂へと迫りつつある陽光を受けてぎらぎらと額を輝かせながら、

「―――」

るぅ、と啼いたそれは、長瀬源五郎と同じ顔で、嗤っていた。


.

516十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:56:56 ID:CaxMWfFA0

【時間:2日目 AM11:26】
【場所:F−5】

坂神蝉丸
 【状態:右足裂傷(重傷・仙命樹により治癒中)】

究極融合体・長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ・砧夕霧中枢(6314体相当)】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:全身裂傷、筋断裂多数、出血多量、小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、
      顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング限界】

→968 ルートD-5

517(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:58:27 ID:WLKNz3/g0
 海のほとりにある、ごく小さな一軒屋。
 明るく輝く太陽の光とは対照的に、カーテンで閉ざされた室内はほの暗く、物の輪郭を僅かながらに、色彩を僅かながらにしか映し出しているのみ。
 けれども、そこの動く一つの影――小牧郁乃――の瞳は今にも燃え出しそうなくらいに爛々と輝いて、殺戮と絶望が飛び交うこの島においてもなお、不屈の意思を秘めたものを持っていることを示していた。

「……ふぅ、大分……動けるようになった」
 額につく、僅かな汗を袖で拭いながら郁乃は一息つく。

 ここ数時間で郁乃が歩行した距離は僅かに数キロにも満たない。遅すぎるほどの速度。
 だがそれでも郁乃は、自分が確実に歩けるようになっていることを確信していた。
 走ることはまだ叶わないが、少なくとも人の手を煩わせずに移動することができる。もう少し時間があれば様々な行動を取れるようになるだろう。
 もう、足手まといにはなりたくない。

 負けず嫌いとも自責ともいえるその一念が、郁乃を衝き動かしている。元来そのような性分だとは理解してはいたが、ここまでしていることに自身でも感心するくらいだ。
 姉……いや、病院の中だけだった狭い世界だったのが、七海を始めとして様々な人間に触れ、いかに郁乃自身が小さいものだったのかを思い知った結果かもしれない。事実、今まで郁乃はそこまで劣った存在ではないと思っていた節があったのだから。

 情けない話だ。
 経験して、叱責されて、ようやくそれに気付けたのだから。それもそうだが、それ以前に。
(……あいつに言われて、ってのがどうしても気に入らない)
 高槻と名乗ったその男。

 美形とは言い難いし、性格は最悪。すぐ調子に乗るし、スケベだし、ロリコンだし、ホラ吹きだし、天パだし。
 その上私の唇を奪おうとした。なんか告白まがいのことまでしてきたし。
 なんというか、ムカツク。そんな奴に指摘されて気がつくなんて。
 でも……いつの間にか、あいつのことを考えていたり。どこかで頼りにしていたり……違う違う! あいつの顔があまりに印象的すぎるだけ!
 というかなんで私はドキドキしてるわけ!? ありえない! だから最悪なのよあいつは!

「あの、小牧さん?」
 高槻の事を考えるあまり(本人はそう思ってはいないだろうが)頭を抱えたり腕を振り回したりしていた郁乃に不安を感じたのか、ほしのゆめみが手に水の入ったペットボトルを持って差し出していた。

518(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:58:54 ID:WLKNz3/g0
「少し、休憩なされた方がよろしいかと思います。小牧さん、顔が赤いですし……体温の上昇が見受けられます」
「て、照れてなんかないわよ!」
「はい?」

 要領を得ないゆめみの表情に、そういう意味で言ったのではないとようやく悟った郁乃はげんなりして、「……ごめん、勘違い」と水を受け取り、ボトルのキャップを開く。
 久々に感じる水分の潤いが郁乃には心地よかった。色々考えていたのがアホらしく思えてくる。

「はぁ……ねぇ、ゆめみ」
「はい、なんでしょう」

 いつもと変わらぬ調子で応えるゆめみ。こういうとき変な勘繰りをしてこないことが、郁乃には都合がよかった。
「あいつ……高槻のことは、どう思ってるの?」
 別に深い意味などなかったが、何となく聞いてみたくなったのだ。高槻の事を考えていたから、他の人間は(ゆめみはロボットだけれども)どのような評価を下しているのか純粋に気になった。

「そうですね……行動力のある方だと思います」
 へえ、と郁乃は目を丸くする。郁乃の印象ではお調子者で間抜けな人間像だっただけに。
 気になったので、さらに追及する。

「どういうところが?」
「例えば……申し上げにくいことだとは理解していますが、宮内さんが殺害されたときに、真っ先に現場に直行して、確かな推理をなさっていましたし、わたしたちが襲撃されたときもわたしたちを守るために積極的に戦って下さいました。小牧さんを助けるために、海へ飛び込んだことも。模範となるべき人間像だとも考えます」

「……」
 過大評価でしょ、と郁乃は言いたくなった。
 確かにそういう場面もあったけど、模範と言えるかどうかと問われれば……絶対違う。
 というか、あいつは絶対自分のためだけに行動してるでしょ。うん、私には分かる。

519(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:59:19 ID:WLKNz3/g0
「そ、そうなんだ……うん、まぁ、そういう見方もあるわよね」
 藤林杏や折原浩平、立田七海に再会できたときにはそっちに意見を聞いてみよう、と郁乃は思うのであった。

「ふぅ……」
 何はともあれ、少しは休憩した方がいいだろうと考えた郁乃は椅子を引いてそこに腰掛ける。ごく自然な動作だったが、それは郁乃の努力の賜物、というべきものであった。
 無論、郁乃本人はまだそれに気がついていないのであるが。
 頬杖をつき、どのくらい時間が経っているのだろうとふと気になったので時計を探してみる。
 が、置いていないのかそれとも死角に隠れているのか、どこを見渡しても時計らしきものは見当たらない。散らかっているくせに、なんと物のない家なんだ、と郁乃は息をつく。

「どうされました?」
「ああ、うん、時間が気になって」
「それでしたら、現在は日本時間の16:30を回ったころになります」

 再び郁乃は周りを見回す。どこにも時計のようなものはない。どうして分かるの? と尋ねるとゆめみは明朗に、
「わたしには体内時計機能も内蔵されておりますので。壊れていなければ、いいのですが……ここが世界のどこに位置するのか分かりませんので、調整しようにも出来なくなっているんです。申し訳ありません……」
 ああ、なるほどと納得する。確かに元がメイドロボであるHMXシリーズのOSを使っているのならそれくらいはあってもおかしくはない。

 しかし、もう夕方のだったのかと郁乃は時の流れの速さに驚かずにはいられない。病院にいたころには一日はあまりにも長く感じられたのに。
 そしてこの間にも人はどんどん死に絶えている。一体何人が命を落としたのだろうか。姉は無事なのだろうか。離れ離れになったみんなはどこにいるのだろうか。様々な不安が郁乃の中に蓄積されていく。それで何が変わるでもないと分かっていながらも、考えずにはいられないのだ。

 いや。今こそ行動を起こすべきなのではないだろうか。ゆめみも高槻もどちらかと言えば積極的に動くのは反対意見だ。当てのないまま動いても人を見つけられないという意見は、確かに郁乃も理解はできる。

520(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:59:44 ID:WLKNz3/g0
 だがそれは大人の見方ではないのか。黙っていてどこそこに誰々がいる、という情報が入ってくるとでも言うのか。
 結局、自分の足で動かなければ情報は得られない。例え、それが徒労になるものだとしても。
 何より――今の自分には足があるじゃないか。

 しかしそれを提案したところでゆめみはともかく、高槻は首を縦には振らないだろう。
 高槻の目的はあくまでも脱出。悪く言ってしまえば自分が生き残れればそれでいいという自分本位の考え方だ。恐らく優先順位としては杏、浩平、七海を探すことよりも岸田洋一の残している可能性のある船を探すことの方が上のはずだ。
 分かっているのだ。高槻の言葉の裏に、郁乃を始めとして他の仲間たちをそれほど重要視していないというのが見え隠れしているということを。
 郁乃には、分かっていた。人の顔色を見ることは、得意だったから。
 しかし一方で、度々郁乃を守り、かばってくれた高槻の姿もまた真実である。それが、高槻の自己満足的な行動だったとしても、だ。
 だからこそ、郁乃は高槻に対する思いを決められずにいたのだ。彼の『善意』を信じるか『悪意』を信じるか。

 とかく、初めての経験が多すぎた。誰かに相談しようにも、ゆめみはそこまで人の心に通じてはいない(ゆえに郁乃は話しやすいと考えていたのであるが)。まだ、それを決められるほどには、郁乃は大人ではなかったのだ。
 そして、大人ではなかったがために――彼女は、迂闊な決断をしてしまったのだ。

「ゆめみ、ちょっとお願いがあるんだけど」

     *     *     *

521(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:00:11 ID:WLKNz3/g0
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」

 何故かその台詞が連呼される夢を見ていた俺様が目覚めたのは、日の傾きかけたころだった。
 ああ、よく寝た。思えばこの島にやってきてからというもの、ついぞ寝た覚えがなかったな。さっき寝てたって? バカ、あれは気絶って言うのさ。大体犬の王子様のキッスで起こされるなんて最悪だ。お前らもそう思うだろ?

 ……つーか、やけに静かじゃねえか。よくよく見れば郁乃もゆめみもいやしないじゃないか。なんだ? これはビックリドッキリ企画か?
 ハハア。どうせポテトあたりでも使って何か良からぬ企みでもしているんだな? バカめ、そうそう俺様が引っかかるか。
 俺様はすっと立ち上がると実に久々の、初めてポテトと出会ったときのように拳法の構えをとってポテトの奇襲に備える。

 ……と、そこまでしたところで、今は殺し合いの真っ最中だということに気付いた。よく考えてみりゃいかに毒舌女王様の郁乃とボケの大魔神ゆめみ様と言えどもそんなことをするわけがない。
 ならどうして誰もいないんだ? 一言も言わずにここから出て行った、とでもいうのか?
 郁乃も、ゆめみも、ポテトもか?

 見捨てられた。
 そんな言葉が俺様の頭を過ぎる。
 ……まさか。郁乃もゆめみも、そんなことをする奴らじゃない。そんなわけがないだろ、常識的に考えて……

 待て。
 どうして俺様は動揺してるんだ?
 いつものことじゃないか。どこでだって俺様は嫌われ、罵られ、怨嗟をぶつけられてきた。その自覚もあったし、人の道を外れた行為なんていくらでもしてきたじゃないか。
 いつものこと。せいせいして、また一人になれて気楽気ままになったと喜ぶ。それが俺様じゃあないのか?
 なんだよ、まるで、自分が自分でないみたいじゃないか。ムカツクな……もやもやとしやがる。

522(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:00:38 ID:WLKNz3/g0
「クソッ」
 悪態をつき、床に唾を吐く。それでも収まりがつかなかった。
 もういい。もうどうでもいい。適当にしてりゃいずれ分かる。またいつも通りにやればいいんだ。
 再び床に座り込み、二度寝に入ろうと俺様が目を閉じたときだった。

「ぴこぴこ、ぴこーーーーっ!!!」

 懐かしい、とさえ思ってしまうくらいに、実に久々に聞いたような、そんな声(というか鳴き声な)が耳に飛び込んできて、俺様は反射的に身を起こす。
 暗い家屋を照らす、一条の光。
 僅かに開けられた扉から、俺様を導くように……いや、叱咤するように、そいつは出てきた。
「ポテト……? てめえ、今まで何を」
 その時は、僅かに嬉しかったのだ。何故うれしかったのかなんて分かるわけがなかったから、またムカついたのだ。再会に感動する、なんて俺様のキャラでは考えられないからな。
 だからとりあえずいつものようにお仕置きでもしてやろう。そんな風に考え、俺様はポテトに駆け寄った。

 だが。何故か、どうしてか、ポテトの体は土に汚れ、弱弱しく俺様を見上げていたのだ。
「おい、なんだよ、それ」
 またもや訳がわからない。ポテトが何か悪戯でもして、郁乃あたりにでも投げ飛ばされたか?
 はは、ざまねえな。俺様ならこんなヘマはしないってのによ。

「ぴこ……っ!」

 何をやっているんだとでも言うように、ポテトは力を振り絞って吠えやがる。なんだよ、この必死さは。
 まさか……
「ぴこ!!!」

 いや、分かっていたはずなのだ。ただ、その可能性を認めたくはなかったのだ。
 在り得る可能性としての、郁乃とゆめみがいない理由。
 それは――

「クソッタレめ!」

523名無しさん:2008/04/27(日) 17:00:58 ID:xYL3nTsE0
.

524(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:01:06 ID:WLKNz3/g0
 俺様は認めたくなかったのだ。目の当たりにしたくなかったのだ。
 弾かれるように走る。外へ、砂浜へと向かって。
 否定するために、ポテトの必死な目線が悪戯なんだと証明するために。
 しかし――嘘つきな俺様は、とうの昔に神様に見捨てられていたらしい。
 そこに、そこにあったのは――

     *     *     *

 その場所には、民家が立ち並んでいた。
 多少の違いはあれど、基本的には似たような作りの日本建築の家。
 普段であれば掃除機の五月蝿いモーター音、子供達が騒ぐ声、あるいはギターをかき鳴らす音色があるかもしれない。
 だが、そこには一つとして音はなかった。ただ一つ、気だるそうに、徒労に引き摺られるようにした足音があった。

「クソッ、骨が何本か逝ってやがる」
 防弾アーマー越しながらもごわごわと感じる自身の異常に、岸田洋一はイライラしていた。
 たかが、女二人にここまでの手傷を負わされたのだから。
 戦利品は申し分ない。狙撃銃のドラグノフ、89式小銃、二本目の釘打ち機(ただし釘だけ抜き取ってしまったが)。攻撃力は二度目の高槻の敗北の時と比べると月とスッポンである。

 だが、それでもなお残留する鈍痛という事実が彼の心を満たしはしなかった。とかく、また誰かを殺害――それも坂上智代と里村茜などとは比べ物にならないくらいの凄惨な殺し方でなければ気がすまない。
 いや、それでさえも彼の心は満足しないだろう。最終的な目標は、あくまでも岸田をコケにするように見下してきた高槻という男への復讐。
 奴の取り巻きどもを目の前で無残に殺し尽くし、憎悪をむき出しにして殺し合いを挑んでくる高槻を下し、絶望的な敗北感を味わわせる。
 これこそが極上の美食であり、最上の贄。岸田は早くそれに舌鼓を打ちたくて仕方がなかった。
 お腹が空いたと食べ物をせがむ、無邪気な子供のように。

「しかし、止むを得なくなったとは言え高槻から遠のいてしまったかもな」
 七瀬彰、七瀬留美、小牧愛佳が駆けていった方向とは逆に、岸田は移動していた。いくら岸田が強靭で逞しく、戦闘経験が豊富とはいえ傷ついた体で全力の戦いを何度も続けられるかと問われれば、岸田本人でさえ首を横に振るだろう。
 ある程度の休息が必要だった。それでもまだ十分に戦える状態ではあったのであるが。

525(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:01:33 ID:WLKNz3/g0
 民家の森を抜けた岸田に、思わず目を細める光景が映る。
 海と砂浜。寄せては返す波の群れが彼を出迎えていた。場所こそ違えど、海は岸田の出発点でもある。
「そうだ、あのクソ忌々しい女もいずれブッ殺す必要があるな……」
 この島において初めて出会った人間にして、隙をつかれ苦汁を舐めさせられた女。笹森花梨の存在を、岸田は改めて思い返していた。
 高槻ほどではないが、花梨の存在も岸田には腹立たしかった。彼の辞書に敗北の文字は許されるはずがなく、汚点を残した花梨は全力で殺すべきだと認識を新たにする。

「まあいい。しばらくは海沿いに歩いてみるとするか。考えてみれば島の内陸部ばかり歩いていたからな」
 正式な参加者でない岸田に地図は支給されていない。道沿いに行動しては出会ってきた人間を襲うばかりだった。
 探索を楽しむのも一興と、砂浜へと向けて歩みだそうとした、その足がピタリと止まる。

 ある種の喜悦というものを、岸田は感じた。宝物を見つけた少年の瞳の如き輝きを、同じくその目に宿している。
 これまでの徒労が、憤怒が、花火のように弾け飛んで笑いという形で飛び出しそうにさえなった。

 誰かが言っていた。
 一度目は偶然。
 二度目は必然。
 三度目は運命。

 まさしくそうである、と岸田はそれを言った人物を褒め称えたくなった。
「そうか、そういうことなのだなぁ?」
 まるで無邪気な声ながらも、その内に潜む残忍さと冷徹さが、声のトーンとボリュームを下げる。
 柄にもなく、岸田洋一はワクワクしていた。

 そう、これはパーティの開演。
 全てが岸田洋一という一人のためだけに作り上げられた会場。
 この状況を、彼ならば何と言い表すだろう?
 決まっている。一声に、狼煙は上げられた。
「サプライズ・パーティー……開幕だっ!」

     *     *     *

526(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:01:56 ID:WLKNz3/g0
「はい、何でしょう」

 お願いがある、という小牧郁乃の言葉に、ほしのゆめみはこれまでのように応える。わたしに可能な事柄でしたら、と付け加えるが。
「少し、外に出たいんだけど。ほら、こんな狭いところばかり歩き回ってても仕方ないじゃない? 少しは凹凸のあるところで訓練したいんだけど」

 郁乃の本音は、少し違う。単に訓練だけではない。拠点である民家の周りを歩き回って僅かでも仲間の探索を行いたかったのである。
 高槻の真意は、今でも推し量れない。馬鹿でお調子者だが大人であるがゆえの冷徹さを持ってもいる。
 いや、それも演技であるかもしれない。考えてみれば郁乃を助けてきた理由も、共に行動している理由も曖昧に誤魔化されたままだ。
 分からない。結局、分からない。
 信じるにも信じないにも、不確定要素が多すぎるのだ。

「それは……わたしは反対です。危険だと考えます」
「あいつが……そう言ったから?」
「それもあります、が状況から判断しましてバラバラに行動するのは好ましくありません。特に小牧さんは、まだ本調子ではないようですし」
「大丈夫よ。それに、一人で行くなんて言ってないでしょ。ゆめみにサポート役としてついててもらいたいんだけど……それでもダメ?」
「……高槻さんは、どうなされるのですか?」

 未だに高槻はすやすやと静かな寝息を立てて(郁乃には意外だったが)眠っている。寝ている人間を放置して出かけるのはそれも危険だと、ゆめみは判断したのだが郁乃はあまり心配していないような口調で答える。

「少しの間だけだから。それにこの家の周りをちょこっと歩くだけだから起きても探しに来るでしょ? ……そうだ、ポテト」
「ぴこ」

 高槻の隣でじっと待機していたポテトが、郁乃の呼びかけに応じてぴこぴこと寄ってくる。

「もしあいつが起きたら、私たちに知らせに来て。すぐに戻るから」
「ぴこ……ぴこ?」

527(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:02:20 ID:WLKNz3/g0
 頷きかけて、ゆめみの方を見上げる。意見を伺っているかのようだった。
 ゆめみはそれならば、とようやく納得したように頷き、
「分かりました。ではわたしがお供します。ポテトさん、高槻さんをよろしくお願いしますね」
 恭しく頭を下げるゆめみに、任せろとでも言うようにしっぽを動かすポテト。

 実に奇妙な光景である。普段の郁乃なら思わず突っ込みを入れる場面だろうが、このときの彼女はとにかく外に出られるのならという気持ちで一杯になっており、そちらに意識が傾いていたのでそれをすることはなかった。

「決まりね。なら早速行きましょ」
「あ、少しお待ちください」

 玄関の方へ移動しようとする郁乃の後ろでゆめみがデイパックを抱える。万が一を想定して、武器類を持っていくことにしたのである。
 その準備の時間すら、郁乃には長く思えて仕方がなかった。
「……先に出るわ。ま、遅いからすぐに追いつけるはずだけど」

 結局、郁乃は先に出ることにする。とにかく、早く外に出たかった。
 恐らく、この場に第三者がいれば、明らかに郁乃が焦っているということは手に取るように分かったことだろう。
 歩行訓練のときはまったく意識していなかった時間という言葉が、重く圧し掛かっていたのである。
 これまでの仲間だけでなく、姉の愛佳や、他の知り合いも……
 ひょっとしたら危機に立たされているのではないか。そう考え始めると、それを考えないようにするのは不可能だった。
 幾分かの慢心にも近い、油断のようなものも無意識の内にあった。
 数時間前までとは違う。今はそれなりに行動でき、多少は戦える。そんな思いが。
 訓練に集中していたときに考えなかったことが、今一気に噴き出してきた、その結果だった。
 加えて、高槻へのほんの些細な疑心と反発。
 少しずつ、少しずつ。
 要因は、積み重なっていた。

 それが――
「では、わたしも行ってきますね。ポテトさん、高槻さん」
 寝ている高槻からは返事はない。ポテトだけが「ぴこ!」と元気に返事しようとした、その瞬間だった。
 たん、と何かが弾けたような、そんな感じの形容しがたい音が響いてきた。
 ――最悪の、状況を導き出すことになった。

528(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:02:53 ID:WLKNz3/g0
「え……?」

 何の音か理解できなかったゆめみが呆然とそれを聞いていたのと対照的に、ポテトが玄関へと向けて走り出す。
 その白い姿で、ようやく我を取り戻したゆめみがそれに続くように駆け出す。
 いや、正確にはあの音が特別に危険な代物であると、コンピュータが推測したからだった。
 そう、その音は、銃声に、酷似していたのだ。
 ゆめみとポテトが乱暴とさえ言える勢いで外に出る。
 玄関の扉を開けた、すぐ前の砂浜で……

「小牧さんっ!」
「ぴこっ!」

 小牧郁乃は、うずくまるようにして、白い砂浜を赤く染めていた。
 そして、その真横に悠然と、されど傲慢に立つ男。
「……なんだ、奴はいないのか? まぁいい、前座にはぴったりだ。そうだろう、ロボットに糞犬」

 岸田洋一、その男が笑っていた。

「ぴこーーーーーーーっ!」

 その言葉を聞き終えるが早いか、ポテトは真っ直ぐに岸田へと猛進していた。
 小牧郁乃から離れろ。彼女を汚すな。ポテトの目はそう語っていた。
 地面を蹴り、砂を巻き上げるその脚力はポテトの小柄な姿からは想像もできないくらいに力強い。あんな小さな犬と侮っていた人間ならまずその速度に驚愕し、牙による一撃を腕か足か、どちらかに受けていただろう。

529(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:03:16 ID:WLKNz3/g0
 だが今の岸田にはそれはお遊戯程度でしかなかった。
 軽く身を捩って躱し、そればかりか飛び掛かって空中にいたポテトの頭を掴むと、そのまま近くの木の幹へと投げ、叩きつける。
 したたか打ち付けられたポテトが力なく落ち、痙攣を繰り返す。
「犬如きが、何をできると思った!? 図に乗るなッ!」
 恫喝するその声は、もはや無学寺での面影はない。殺人鬼の名称ですら相応しくない、まさに狂戦士の姿である。

 ふん、と侮蔑にも満ちた視線で一瞥すると、次はそれをゆめみへと向け――鉈を取り出した。
「小牧さんから……離れてください!」
 まるで予測していたかのように、ゆめみが忍者刀を振り下ろしてくるのを、岸田はあっさりと受け止めていた。

「ほぅ、以前よりはマシになっているじゃないか……だが、そんなもので俺が満たせるかッ!」

 力任せに押し戻すと、岸田はバランスを崩したゆめみに向かって思い切り前蹴りを見舞う。
 モロにそれが直撃したゆめみは砂浜を転がりながらも、すぐに起き上がる。そこに岸田が間髪入れず、鉈を振り下ろす。
 プログラムによって運動能力が向上していたゆめみは、それを間一髪ながらも避ける。もしも以前のままであれば頭部のコンピュータごと唐竹のように割られていただろう。代わりに散ったのは、長く、美しい浅黄色の髪の一部。

「せあっ!」

 再び、刀で岸田目掛けて切りつける。やや単調な攻撃ではあるが、早さだけ見るならそれは並大抵の男よりは十分に早い攻撃だ。
 しかし事もなげにそれを防御し、そればかりか受け止めつつ左フックを顔面目掛けて放つ。
 首を捻ってそれを回避したかに思えたゆめみだが、またもや体勢の崩れたところを今度は膝蹴りで吹き飛ばされる。
 人口皮膚を通してパーツの一部がギシッ、と悲鳴を上げたのがゆめみには分かった。

 背中から砂浜に打ち付けられ、砂が服の中に入り込むが、それをどうこう感じるようなゆめみではない。もとよりそのような機能は備わっていない。
 ただ、かつて郁乃を傷つけたばかりか沢渡真琴を殺害したこの男を放置しておくのはあまりにも危険だと、そう考えるが故に。
 ゆめみは、立ち上がり続ける。

「まだまだ……わたしは動けます!」
「ポンコツの癖に、粋がるなッ!」

530(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:03:44 ID:WLKNz3/g0
 三度、ゆめみの刀と岸田の鉈がぶつかる。
 力では勝てないと経験則で判断したゆめみは手数で攻める。
 あらゆる方向から薙ぎ、どこか一箇所でも傷をつけようと攻めを繰り返すも、躱され、受けられ、流される。
 それでも繰り返せば当たると、そう判断するゆめみは斬撃を続ける。それでもなお攻撃は当たるどころか、掠りさえしなかった。

「ふん、貴様、それで俺を殺すつもりなのか」
 その最中、岸田が口を開く。
「さっきから腕や足ばかり狙いやがって……俺を殺すつもりがないのか! 殺すなら、突いてみろ! 俺の胸を! 切り裂いてみろ! 俺の喉をッ!」
 胸を指し、顎を持ち上げて無防備にも喉を見せる岸田だが、ゆめみは手を変えようとはしない。あくまでも腕や足を狙うのみ。

 何故か?
 それは、彼女が……ゆめみがロボットだからだ。
 ロボット三原則。
 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 今ゆめみがしている行動は、矛盾している。
 人間に危害を及ぼさないために、別の人間に危害を及ぼそうとしている。本来ならエラーを起こすくらいの重大な問題ですらある。
 だが、今回は特別であった。岸田洋一という男を放置しておけば、よりたくさんの人間に被害を与える。そう判断できたからだ。
 しかし、それでも、人間を殺害するというその行為だけは、ゆめみにはできなかったのだ。
 岸田洋一もまた、人間であるために。

「殺しません……殺さずに、小牧さんを助けてみせます!」
「殺さない!? 殺さないと言ったか! そんな中途半端なことで……俺が負けるわけがあるかッ! だから貴様はクズなんだよッ!」

 一瞬、岸田の姿が大きくなったように、『ロボットであるのに』ゆめみは錯覚した。
 錯覚という事象を判断できず、ゆめみの動きが数瞬、停止する。岸田がそれを逃すはずはなかった。
「今ここで貴様をぶっ壊すのはやめだッ!」
 岸田の放った鉈の一撃が、ゆめみの手から刀を奪う。続けてゆめみを蹴り倒すと、起き上がらせる間もなく岸田はゆめみを足蹴にし続ける。
「貴様も! 小牧郁乃も! 高槻の目の前で殺してやるッ! バラバラに砕いて、絶望に慄く姿を見ながら、楽しみながらな! 貴様のような、貴様のような! 口だけの甘ったれが! 戦いの場に出てくるんじゃないッ!!! 大人しく死んでいれば……いいんだよッ!!!」

531(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:04:04 ID:WLKNz3/g0
 一際強く、ゆめみの頭部を蹴り飛ばす。あまりの勢いで体ごとその体が吹き飛ぶ。
 そして、それ以降、ゆめみの体は動かなくなった。
「……こんなのにも耐えられないとはな。所詮、ゴミクズはゴミクズか」
 吐き捨てる岸田。その背中に、かかる言葉があった。

「ひどい……なんて、ひどいことを……!」
 足をドラグノフで狙撃され、そのまま倒れこんでいた、小牧郁乃の声だった。
 撃たれた足からはじくじくと血が流れ出し、赤で砂浜を染め上げている。
 岸田は不敵に笑いながら、憎々しげに見上げる郁乃の頭を、砂浜にめり込ませるかのように踏みつける。ぐっ、と短い呻きが漏れる。

「どの口がそんなことをほざく? 貴様さえここにいなければあの犬もあのガラクタもああならずには済んだのかもしれないじゃないか? ん、どう思う小娘」
「何よ、他人事みたいに……!」

 強気な口調ながらも、心の底では岸田の言葉を、郁乃は否定しきることができなかった。
 『また』。また、自分のせいで誰かが傷つき、倒れる。
 沢渡真琴が骸と化したあの光景が、郁乃の頭に描き出される。
 しかし、今回も、『また』、そうなのか?

「違う……! 私が、私がみんなを……助けるんだ!」
 周囲の音全てをかき消す怒声に気圧され、岸田のかけていた圧力が弱まる。郁乃はその機を逃さず岸田の踏み付けから逃れ、ごろごろと転がりながらあるものを掴み取る。
 岸田は身軽に戦うため、自分のデイパックを砂浜に放り出していた。また、その時にふと零れてしまったのか、拳銃(ニューナンブM60)が転がっていたのだ。

 郁乃が取ったのは、まさにそれだった。
「形勢逆転よ! あんたが走ってもこの距離なら外さない!」
 ニューナンブの銃口が、岸田の真正面に立つ。予想外の反抗に、岸田は苦虫を噛み潰したような表情になった。
 装備は手持ちの鉈だけ。伏せているこの体勢ならばそうそう外すことはない。
 勝った、と郁乃は思った。

532(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:04:26 ID:WLKNz3/g0
「……威勢はいいようだが、撃てるのかな? 人を殺したことはないんだろう? だいたい、本当に撃てるならとっくに撃ってるはずだからな。どうした、そら、撃ってみろよ」
 岸田は必死に虚勢を張るが、明らかに動揺しているのが見て取れる。哀れみにも似た感情を、郁乃は抱いた。
「それじゃあ、お望みどおりにしてあげる……あんたの罪を、ここで償えっ!」

 躊躇うことなく、郁乃はトリガーを引いた。
 ぱん、という軽い音と共にそれが岸田の真正面に命中する。
「……ほ、本当に……撃ちやがった……」
 がくりと膝を落とす岸田。このまま体の上半身も倒れ、そのまま骸となるのだろう。
 これがあの殺人鬼の最後なのだろうか。あっけないものだ――

「なぁんてな」

 腹を抱え首を垂れていた岸田が顔を上げたのは、郁乃がそう思った瞬間だった。
「え……っ!?」
 気が緩みかけていた郁乃に、再びニューナンブを構えるだけの時間はなかった。
 いや、構えようとしたときには、岸田は既に郁乃に向けて全力の蹴りを放っていた。
 どん、という鈍い感触と共に、郁乃の体は宙に浮いていた。まるで、サッカーボールのように。

「か……はっ」
 ニューナンブを奪いに行ったときよりも数倍の勢いで転がる。その勢いに圧され、ニューナンブは郁乃の手から離れてしまっていた。
「く……な、なんで……?」
 止まったときには仰向けであった。目に映るのは一面の空だけ。ひどく綺麗だった。
 体中に痛みを感じながら、郁乃はそんな疑問を漏らす。

「なんだ、もう忘れたのか」
 影が差すように、空を遮って岸田の顔が現れる。その表情は喜悦に満ちていた。
「まったく、学習能力がないなお前は。忘れたか? 俺が着ているものを」
「あ……っ!」

533(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:04:48 ID:WLKNz3/g0
 そうだ。どうして忘れていたのだろう。
 岸田は、防弾アーマーを着ていたということを。
 愕然とした郁乃の顔を見た岸田が、さらに嗤う。

「仲間を助けるんだとか言って、自分に酔いしれていたんじゃないのか? 笑わせるな、小娘」
 郁乃は息を詰まらせる。そんな、そんなはずはない。
 しかし失念していたのは確かだ。愚かなのには違いなかった。
 歯噛みする郁乃を見てひとしきり顔を歪めると、一転して表情が不機嫌なものへと変わる。

「……しかし、今のは痛かったぞ。ごわごわするんだ……ああ、肋骨の一本でもイカれたかもしれない。そこだけは、やってくれたな」
 身も凍りつくような、とはまさにこれだと郁乃は思った。
 視線の先から滲み出る悪意。それに射られただけで体がすくんで動けない。
 カチカチ、と音が鳴っている。それが理解できたのは、岸田が振り上げた鉈の刃に移る自分の姿を見たときだった。
 震えているのだ。そう思ったときには鉈が郁乃の足に振り下ろされていた。
 めきっ、と何かがひび割れるような感触があった。それに続いて、今まで感じたことのないような熱さと痛みが、足から這い上がりたちまち郁乃の全身へと広がった。

「ぅあああああっ!」
 悲鳴を上げ、砂浜でのたうつ郁乃。
 奇妙なダンスだった。何かを求めるように、手が空をさ迷う。苦痛を和らげるものがないか、探すかのように。
「くくく、はははははっ! どうだ、大切な足をザックリやられた感想は!? せっかく歩けるようになったのに、これでまた車椅子生活だなぁ? まったく、無駄な努力になってしまったなぁ!」

 郁乃の努力を、生き方を嘲笑うように岸田は嗤い続ける。
 郁乃は苦痛に喘ぎながらも、悔しくてたまらなかった。怒りを感じていた。
 自分のミスにも、岸田の冒涜するような行いにも。

「はっはっは……さて」
 まだまだこれからだ、とでも言わんばかりに岸田はまた鉈を振り上げ、今度は反対の方の足へと鉈を振り下ろす。
 また嫌な音がしたかと思うと、苦痛が倍になって襲い掛かってくる。いや、倍などという生易しいものではなかった。累乗と言っても差し支えない程の痛みが、郁乃を苦しめる。自分の悲鳴すら、今の郁乃には届いていなかった。

534(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:05:19 ID:WLKNz3/g0
「いい鳴き声じゃないか。そら、もっと鳴いてみろ。そら」
 傷口を直接、岸田は足でぐりぐりと擦りつける。100万ボルトの電流を流されたような痛みが追加され、郁乃は気を失いそうになる。
「あ……がっ……この……外道……!」

 ほぅ、と岸田は感嘆にも似た声を漏らす。絶対に屈しないという意思を集約したかのような目で、郁乃は抗い続けていた。
 ますます愉快そうに、岸田は嗤った。簡単に堕ちるようでは贄の役割は務まらない。無駄な抵抗を踏み躙る事こそ器を満たす液体。
「光栄だな。では、ご褒美だ」

 三度目の鉈。今度は手のひらの中心へと刃が落ちた。
 続けて四度目。さらに反対の手のひらにも振り下ろされる。
 既に、悲鳴はなかった。朦朧として霞む意識で、郁乃は耐え続けるしか抵抗する術はなかった。

「くく、これで物も満足に握れなくなったってワケだ。さしずめ達磨さんといったところかな……そうだ、どうせなら切り落としてやろうか? どうだ、ん?」
「……か……」

 勝手にしろ、という言葉すら痛みにかき消されて出てこない。意識を繋ぎとめるだけで精一杯なのだ。
「潮時か。まあ、お前はよく頑張ったよ。まだ見えているなら、俺があのポンコツを壊す様をじっくりと見てるんだな」
 岸田の興味は、既に倒れているゆめみに向けられている。蹴られたときの衝撃でシステムがダウンしているのか、ぴくりとも動かない。

 いけない。まだだ、まだ注意をこちらに向けさせないと――
 激痛を必死に堪えて、口を開く。
「……!」

 岸田の体の向きが、変わる。
 やった、また、注意を向けさせることができたのだ。大量の失血により薄れゆく意識の中で、郁乃はそう思っていた。
 しかし、違った。郁乃は結局、声を出せなかった。岸田が引き付けられたのは、郁乃の声にではない。

535(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:05:44 ID:WLKNz3/g0
「……来たか。待った、この時を待ちかねたぞ……!」

 そこに、一人に男が駆けて来たからに他ならない。

「高槻ッ!」
「岸田ァ!」

 そして、二人は同時に叫んだ。

「「ブッ殺してやるッ!」」

     *     *     *

 ゆめみが転がっていた。
 郁乃が倒れていた。
 何故二人が外に出ようとしたのかなんて、俺様には分からない。だが、今の状況を作った原因が、奴のせいだということはすぐに分かったさ。

 三度目だ。奴とこの島で会うのは三度目。
 三度目の正直とはよく言ったもんだ。二度逃がした結果が、これか。
 くそっ、畜生!
 何で俺様はこんなに頭にきてるんだ?
 郁乃もゆめみも、赤の他人じゃねぇか。別にどうなろうと知ったこっちゃない。そう思ってたってのによ。ああもう、分からん。

 俺様が、俺様を分からない。
 だが、これだけは言える。
 奴だけは……岸田洋一、奴だけは絶対に許さん!

「高槻ッ!」
「岸田ァ!」

536(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:06:06 ID:WLKNz3/g0
 俺様は懐にあったコルト・ガバメントを抜きながら叫んだ。

「「ブッ殺してやるッ!」」

 ちっ、ハモるとはますます気分が悪くなるぜ。
 俺様はまず一発、発砲する。奴の武器は鉈だ。なら距離を取って戦えばいい。
 だが岸田はそれを予測していたようで、身軽な動きでサイドステップしてこちらに迫る。

「飛び道具はつまらんぞ! せっかくの決闘に、そんなものを持ち込むなッ!」
「うるせぇッ! お前も今までさんざ使ってきたじゃねえか!」

 円を描くように振り回される斬撃の応酬を、俺様も飛び跳ねながら避ける。クソッ、あいつ、今までより動きが良くなってやがる!
 銃を構えようとしても照準を向ける前に鉈が迫ってくる。赤い鉈が。
 だが奴だっていつまでも振り回し続けられるはずがない。疲れて動きが鈍ってきたところに、一発叩き込んでやる! 今度はヘマはしねえ、ドタマをブチ抜く!

「どうした、避けてばかりいないで反撃してみたらどうだ!」
 言われずともそうしてやるさ。奴の攻撃もだんだん大振りになってきた。次を躱したときが……チャンスだ!
「っ、さっさと当たれ!」
 岸田が大きく鉈を振りかぶる動作をする。よし、今だ――!?

「フェイントだッ!」
 ニヤリ、と岸田は笑ったかと思うと、目にも留まらぬ勢いで鉈を振ってきやがった! 疲れていたように見せていたというのか!
 俺様はギリギリで反応し、体に当たることだけは防いだ、が、運悪くガバメントに鉈の刃が当たり俺様の手から弾け飛んで遠くへと放物線を描いていってしまった。
 ぐっ、と手を押さえる俺様に、岸田はトントンとてめえの頭を指しやがる。

「俺を、今までの俺だと思うな、高槻」

 何か言い返したくなるところだが、確かに奴は今までとは違う。何かが洗練され、研ぎ澄まされたような感じだ。……そういえば。野郎、俺様のことを名前で呼ぶようになってやがる。今までクズだのカスだの言ってたくせによ。は、ここにきてようやく人間に格上げですか。そりゃまあクソありがたい事ですね。

537(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:06:37 ID:WLKNz3/g0
「さぁ、お遊戯は終わりだ。そこの刀を取れ、高槻。極限の状況、互いが互いの殺意を向け合う決闘では、肉体と死の感触を得られる格闘戦こそ相応しい」

 岸田が、まるで用意されたかのようにあった、俺様のすぐ横にある忍者刀(だったかな)を鉈で指す。どうも奴はこだわりがあるようだ。
 冗談じゃない、奴のこだわりとやらに付き合う暇も、余裕もない。……しかし、アレ以外に、近くに武器がないのも、確かなことだ。
 だったら、奴の決闘ごっこに付き合いつつ、銃を拾い、こっちのペースに持っていくしかない。
 俺様が刀を握るのを見届けた岸田が、ようやく満足そうな笑みを浮かべる。クソッ、気に入らない。

「そうだ、それでこそ、あの贄どもの意味も出てくるというものだ」
「贄……?」

 オウム返しのように、その言葉の意味を尋ねると、岸田はさも愉快そうに説明を始める。

「あぁ。愉しかったぜ、必死で抵抗するあの小娘の四肢を切り刻んでやったのはな……見せてやりたかったぞ高槻。あいつは、せっかく歩けるようになったというのに、この俺の手で二度と立てないようにしてやったんだからな! いや、ひょっとしたらあのまま死んじまったかもな、はっはっは!」
「な……に?」

 あいつは、歩けるようになるまで、必死に頑張っていたというのか? 俺様が寝ている間の、何時間という間を。
 それを、こいつは、その何十分の一という時間で、全部台無しにしやがったってのか?
 小賢しい知恵が、俺様の頭から吹き飛んでいく。代わりに流れ込むのは憤怒。どうしようもない思いだった。

「ついでに手も切ってやったしな。これであの小娘は一人じゃ何にも出来なくなったってワケだ。悔しそうだったぜ、あの時の顔は」

 郁乃の、ほんのささやかなプライドすら……野郎は、踏み躙ったってのかよ?
 ……許せねえ。
 何が許せないか? 岸田もそうだが、それ以前に……

「まぁ、あえて文句を言うならあそこでみっともなく助けでも求めてくれれば――」
「――黙れ」

538(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:06:57 ID:WLKNz3/g0
 それ以前に。『俺』の、俺自身のあまりの小ささが、矮小さが、許せなかった。

「ん? 何か言ったか? 聞こえんぞ?」
「黙れェェェェェェェッ!!!」

 刀を持ち、俺は真正面から突撃していった。今までにない感情に、押し出されるようにして。
 岸田は一瞬驚いたような表情になって、俺の斬撃を受け止める。金属同士がぶつかり合う甲高い音と一緒に、互いの力と力が激突する。

「貴様……貴様だけはッ!」
「ぐっ……! だが、いい顔になったぞッ! それでこそ俺が殺すに相応しい男だ!」

 全くの同じタイミングで弾いて距離を取ると、今度は岸田が先手を撃って横薙ぎに鉈を振るう。
 俺はしゃがんでそれを躱すと、岸田の足に向かって斬りつける。
 だが岸田もそれを飛んで回避すると、落ちるときの、落下の勢いを加えた振り下ろしで攻撃してくる。
 鉈の重たい斬撃は、俺の刀では到底受け止められない。転がってそれを避け、立ち上がる。同時に、岸田も体勢を立て直していた。

「いい動きだ高槻! そうだ、これこそ決闘! これこそ殺し合いだッ!」
「ほざけッ!」

 俺が斬撃を繰り出せば、奴がそれを受け止める。
 奴が鉈を振りかぶれば、俺は避けてその隙を突こうとする。
 そんなことの繰り返しだった。ただ悪戯に時間を消費していくだけだが、どういうことか俺様も、岸田も体力が減ったような気がしない。
 まるでそこだけ時間が止まったように。

539(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:07:23 ID:WLKNz3/g0
 岸田の十数度目の一撃。今度は小さく飛び跳ねるように、僅かな放物線を描くように飛び掛かってきた。
 小さくバックステップしてギリギリ、射程の外に移動する。――が、更に追撃をかけるように奴はその長身を生かした蹴りを俺に放つ。
 切磋に腕でガードして直撃だけは免れたものの、ジンジンとした痛みが腕に残った。
 さっきから、幾度となく攻防を繰り返しているのにまるでパターンというものが見受けられない。
 どれもこれも予測もつかないような攻撃ばかりだ。本気を出した岸田洋一という男の、実力がこれだと言うのか。クソッ、悔しいが、強い。

「どうした高槻! それが貴様の殺意か!? そんな憎しみでは、憎悪では、俺は殺せんぞ! 否定してみろ! 俺の全てを!」
「憎悪だと――!?」
「そうだッ!」

 岸田が、まるで舞踏会のように、華麗に、あらゆる方向から鉈を振り回してくる。
 俺はそれを受けつつ、時に避けつつ、反撃の機会を待った。

「俺は貴様が憎いッ! 惨めにも貴様の前から敗走を繰り返し、背中を見せ、しっぽを巻く羽目になった! 俺のプライドを! 貴様はズタズタに切り裂いたんだッ! しかも、貴様のような、貴様のような、悪党の癖にヒーローを気取ってやがる気障な野郎にだッ!!!」

 斬撃の直後、俺が避けた後の僅かな隙を突くように。岸田は肩からタックルをかまし、俺の体勢を無理矢理崩した。
 よろめく俺に、岸田の放った拳が俺の顔を衝く。強烈すぎる圧力に、鼻が曲がりそうになった。

「だから、貴様は完膚なきまでに叩き潰す! 俺の全力を以って、正々堂々と、真正面からな! 何をしても、絶対に俺には敵わないんだということを思い知らせてやる! 俺の鬱憤はそうしないと晴らせないんだよ!」

 再び顔を潰そうと、奴の拳が迫る。だが二度目はねえ!
 空いた方の手で岸田の拳を受け止める。押し切る事が出来ず、ならばと振り上げた鉈は下ろす直前、俺の刀に阻まれる。

「高槻も同じはずだ! 仲間とやらを一度ならず二度までも襲われて、貴様もプライドに傷がついたはずだ。我慢する必要はない。本能のままに、いがみ合い、奪い合い、憎しみ合えばいいんだ。それが人の本性なのだからな。そして、それが美しくもある……だから見せてみろ! 貴様の憎悪という『芸術』を! 俺がそいつを粉々に打ち砕いてやるッ!」
「――違う。岸田よぉ、お前こそ、少しも分かってない」

 憎悪。それが全くのゼロかと問われると、そうではないとは言い切れない。だが、奴の言っていることは明らかに見当違いだ。
 俺が本当に憎んでいるのは、岸田じゃない。いや正確には、岸田以上に憎んでいるのは。

540(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:07:47 ID:WLKNz3/g0
「分かってない、だと」
「けっ、教えて欲しそうだが、教えるかよ。俺はお前が大嫌いなんだ」

 ここにきて、ようやく自分の心と向き合えたこと。
 つまり……沢渡や郁乃を犠牲にするまで、向き合おうともしなかった自分の情けない心が、憎いのだ。

「まだ……まだ、ヒーロー気取りか! だから貴様には苛々するんだ!」
「奇遇だな! 岸田の存在にはこっちが苛々するんだよ! そろそろ、決着と行こうぜ!」

 互いの拳と、得物を弾き、もう一度距離を取る。
 その間は……大体5メートルってところか。次の一閃。そいつで決める。
 俺は刀を両手で握り、ありったけの力を篭められるように神経を集中させる。
 岸田もこれが最後と、俺を待ち受けるようにドシンと構えてやがる。

 寄せては返す、波の音が聞こえる。そのお陰だからか、体はこんなにも煮え滾っているのに頭ん中はとても静かだ。
 今なら、なんだって出来そうな気がする。
 俺は、静かに笑った。

 ――勝つ。絶対にだ。

「行くぜッ! うらぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
 駆ける。俺の人生の中で、最速の疾走。そこに、剣先にありったけの力を――!?
「馬鹿だな、やはり、貴様は」

 岸田が地面を、いや、砂浜を蹴り上げる。
 そこに舞うのは砂塵。大量の粒が俺の目に侵入してきやがった! 野郎! 目潰しとは!
 まともに喰らった俺は、その場で動きを止めてしまう。

「クソッ! 正々堂々じゃなかったのかよ!」
「ふん、『正々堂々と』策を用いたまでだ! もう何も見えまいッ!」
 見えずとも、分かった。岸田の野郎は、嬉々として鉈を振り上げているのだろう。

541(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:08:11 ID:WLKNz3/g0
「猿(モンキー)が人間に追いつけるかッ! 貴様は! この岸田洋一にとっての猿(モンキー)なんだよ、高槻ィッ!」
 畜生……! ここで、ここで俺は終わりなのか!?
「終わりだッ! 死……」

 そんなとき。ぱん、と何か軽い、ひどく乾いた音がした。
「あ……ガッ? こ、これ、は……ぐっ……!」
 僅かに、視界が開けてくる。そこには、足を押さえてうずくまる岸田と――

「……バーカ……」

 血まみれで、しかし必死に拳銃を構えて、呟いていた、郁乃の姿があった。

「こ、小娘ェッ!!! 貴様ァ、殺してや」
「死ぬのはそっちだ、岸田洋一」
「!? しまっ……」
 視界はあやふやなままだったが、関係ない。てめぇのその馬鹿でかい声で丸分かりだ。それが……命取りだッ!

「がは……ッ!!!」
 岸田の背中に、防弾アーマーの少し上を行くように、刀が突き立てられる。恐らくは、綺麗に、墓標のように。
 血反吐を撒き散らしながら、岸田は断末魔の声を上げる。

「クソ野郎……! 貴様、貴様だけは、俺が……」

 まるで縋るように、岸田は俺へと向き、手を伸ばす。しかしそれは俺に届くことなく、途中で落ちた。

「そのまま地獄に落ちやがれ、ゲス野郎」

 俺がそう吐き捨てると同時に。岸田洋一という悪党の生は、そこで途絶えた。

     *     *     *

542(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:08:30 ID:WLKNz3/g0
 ゆめみが、目を覚ました(正確には、プログラムの復帰だが)ときには、既に決着がついていた。
 忍者刀を突き立てられた岸田洋一と、それを見下ろす高槻。そして、その先に血まみれで倒れている、小牧郁乃。
 ああ、また間に合わなかったのだ、とゆめみは思った。

「ぴこ」
 その隣に、疲れたように鳴く、ポテトの姿があった。
 返答など得られないと知りながらも、ゆめみはポテトに話しかける。

「わたしは……また、お役に立てなかったのでしょうか」
「ぴこ……」

 分かっているのか、いないのか、しかし首を横に、ポテトは振った。
 痛みは全くなく、強いてあげるとすれば僅かにパーツが軋むくらいだったが、概ね行動に支障はない。
 なのに、ゆめみは起き上がることすらできなかった。

「申し訳ありません……申し訳、ありません」
 罪悪感のような意識が、ゆめみを苛んでいた。ポテトがいくら、その肩を叩いてもゆめみはそう呟くばかりだった。
「おい、郁乃……」
 その先で、高槻は郁乃に話しかけていた。まるでいつものように。

「……遅いのよ、いつも、いつも」
「……悪い」

 歯切れの悪い会話。原因はいくつもあった。それを吐き出すように、郁乃がか細い声で呟く。もう、彼女の中に残る命は殆どなかった。

「何よ、らしくないじゃない……怒ってよ、今回は、私が……悪かった、のに」
「……チャラにしてやるよ。さっき、助けてもらったしな」
「そりゃ、どうも……は、ざまみろって感じ、よね」

543(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:08:50 ID:WLKNz3/g0
 郁乃の手には拳銃を繋ぐように、赤い布が巻かれている。握れないのなら、無理矢理にでも握らせてやる、とでも言うように。
 それは、文字通り郁乃の命を削って生み出された、最後の一撃であることを示していた。

「ね、ゆめみは、無事なの?」
 話題に出されたゆめみの思考が、一瞬停止する。倒れたまま、どうすればいいのか分からなかったゆめみだが、ポテトが叱咤するように顔を舐める。
「はい、わたしは、大丈夫です」
 言葉以上に弱い足取りで、ゆめみは立ち上がった。高槻も少し驚いたように、「良かったな、ピンピンしてやがるぜ」と言った。

「そう……なら、良かった……私……何も守れなかったわけじゃなかったんだ……ゆめみ、どこ?」
「何言ってんだ、すぐ近くに」

 そう言い掛けて、高槻は郁乃の異変に気付く。既に、彼女の瞳は虚ろだった。
「はい、わたしは、ここに……」
 見ているほうが泣きそうなくらいの表情で、ゆめみは郁乃の手を掴む。その温度は、暖かさは、薄れてしまっている。
「ゆめ、み。自分を……責めないで……すごく、立派だったから……ここの、誰よりも」
 誰もが誰かを殺そうとしていた中、最後の最後まで不殺を貫いていたのはゆめみだけだった。例え、それがプログラムによるものだとしても、その意思は、何より気高いものには違いなかった。

544(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:09:09 ID:WLKNz3/g0
「……光栄です」
 それを否定するのは、郁乃の思いも否定することになる。そう判断したゆめみは、震える声で、応えた。
「……高槻。ごめんなさい、少しだけ、疑ってたの。最終的には、私たちを見捨てるんじゃないか、って。でも、やっぱり私が間違ってた。……ヒーローだった。誰がなんと言おうと、あんたは私のヒーローだった……は、気付くのが、遅いのよね、馬鹿みたい、私」

 高槻は応えない。黙って、郁乃の言葉に耳を傾けていた。あるいは、何か思うところがあるのかもしれないと、ゆめみは思った。
「だから、さ、さいご、まで、あんたは、あんたのしんじる、み、み……ち、を……すすん、で……」
 やっとの思いで、言葉を吐き出した郁乃の目は、そこで、閉じられた。

「小牧、さん……」
「……畜生」

 高槻が、空を見上げる。その空はどんよりと曇っていて、今にも泣き出しそうな空だった。
 どうして、晴れにしてくれないんだよ。
 そんな呟きが、空しく吸い込まれていった。

545(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:09:38 ID:WLKNz3/g0
【時間:2日目・15:30】
【場所:B-5西、海岸】

覚醒した男・高槻
【所持品:忍者刀、日本刀、分厚い小説、ポテト(光一個)、コルトガバメント(装弾数:6/7)予備弾(6)、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:激しい疲労、左腕に鈍痛。主催者を直々にブッ潰す】
【備考:忍者刀以外の所持品は民家の中。ガバメントは海岸に落ちている】

小牧郁乃
【所持品:ニューナンブM60(3/5)、写真集×2、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ほか支給品一式】
【状態:死亡】
【備考:ニューナンブ以外の所持品は民家の中】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者セット(手裏剣・他)、おたま、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動かない。運動能力向上】

岸田洋一
【持ち物:ニューナンブの予備弾薬4発、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、ドラグノフ(0/10)89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2】
【状態:死亡】


【その他:鎌石村役場二階の大広間に電動釘打ち機(0/15)、ペンチ数本、ヘルメットが放置】
→B-10

546(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:16:23 ID:WLKNz3/g0
うあ、時間ミスってる

【時間:2日目・15:30】
【場所:B-5西、海岸】



【時間:2日目・17:30】
【場所:B-5西、海岸】

ということで…

547今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:35:24 ID:6dCcGcdg0
 全ての人に墓を掘る、
 俺達七人で墓を掘る、
 男も女も老人も子供も、
 全ての人に墓を掘る。

 佳乃の墓を掘っていたらふとそんなフレーズが頭に浮かんだ。
 俺達二人で墓を掘る。
 道具もなくひたすらに。
 中々にこの世界も地獄じゃないか。
 近しい者を集めての殺し合い。
 騙し騙され殺されて。
 全ての人は墓の下。
 佳乃と同じく墓の下。
 佳乃が死んだ。殺された。
 その最後は当然眼に焼き付いている。
 が、頭の一部ではもう冷静に状況を判断している。
 目の前で泣きながら墓を掘っている少女のように純粋には泣けていない。
 素直に泣くには俺は死に触れ過ぎている。
 佳乃の最後の誓いを忘れたわけじゃない。当然守るつもりでいる。
 だけどやはり頭のどこかで醒めたまま考えている。
 守ること以上に主催者を皆殺しにすることを。
 恐ろしい魔法使いを倒す為に、少年もまた恐ろしい魔法使いになったのでした。
 全く因果な職業だ。
 糞主催者共よ。
 貴様等は一体何がしたい?
 俺やリサ、エディに醍醐、挙句篁まで連れ出して。
 命? ないな。んなら最初にやられてるだろうしな。
 金? 馬鹿げてる。篁一人無傷で拿捕できる実力ありゃいくらでも稼げる。
 酔狂? 在り得ねえ。それでこの面子集められる奴がいたらとうに世界は崩壊してる。
 トップエージェントの抹殺? 無関係な人間巻き込みすぎだがやる奴には関係ないだろうな。だけど結局命と同じ。最初に捉えられた時点で終わり。大体そんなことが出来る奴がいたらエージェント抹殺する必要すらない。それだけで世界最強だろ。
 しかしそれ以外に俺が狙われる必然も思いつかない。
 狙われたのが俺じゃなかった? 他の119人に目的があった。同じだ。回りくどすぎる。大体無関係な人間を捕まえる必要もない。俺やリサが目的じゃないんなら捕まえる必要なんてないはずだ。捕まってから一日。篁が消えて俺が消えてリサが消えたこの状況。アメリカも篁財閥もエージェントも。時間が経てば必ず動く。無用なリスクが多すぎる。
 糞。想像もつかねえ。
 エディがいてくれれば……な。
 エディ……何で死んじまったんだよ……
 如何しようもねえ馬鹿餓鬼一人ほっぽりだしてあの世で楽しくやってる場合かよ。
 無茶苦茶小僧が馬鹿みてえにつっこまねえように後ろで手綱握っててくれよ。
 糞……糞……畜生……
 ……――
「誰だ」
「へっ?」
 千客万来。
 運命の女神様は酷だねぇ。リサに乗り換えたのを根に持ってるのかね。
「今俺はムカついてる。敵ならさっさとかかって来い。そうじゃねえなら両手上げて出て来い」
 沈黙。
 風のそよぐ音と古河の身動ぎだけが伝わってくる。
「宗一さん……勘違いじゃ……」
 それはない。確実にいる。
 幸いにして既にある程度墓穴は掘れている。最悪撃たれたら古河をここに押し込めば当たる事もそうないはずだ。
 むずがる古河を手で制し、気迫を眼光に乗せて睨み付ける。どう出る。
「出て来い」
「それは出来んな。うー」
 数瞬の間を置いて、抑揚のない女の声が返ってきた。

548今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:36:04 ID:6dCcGcdg0
 耳を劈く炸裂音。轟く大きな爆発音に分校跡に向かっていた二人は反射的に木陰に隠れる。
「なぎー。今の」
「はい。爆弾か何かだと思います」
 破裂音の発生源に眼を向ける。
 その先からは薄く煙がたなびいていた。
「るーさん。どうしますか?」
 問われた少女は、溜息を以って答えた。
「仕方あるまい。ハンバーグは後回しだ」


 木陰や茂みに身を隠しながら慎重に進む二人の少女。
 赤い制服を着た薄桃色の髪の少女が黒光りする無骨な銃を抱え先行する。
 割烹着を着た漆黒の髪の少女が自動拳銃を持ち背後を警戒する。
 そうしていつしか二人は爆源地まで辿り着いた。
 木の陰に隠れてそこに眼を向けると。
 二人の少女の視界に、爆発の中心らしき跡地と。
「あれは……」
「穴掘り?」
 二人の男女が穴を掘っている姿が入る。
 素手を地面に突き刺して、掻き上げ土を放り出す。
 黙々とそれを繰り返す。
 片方は泣きながら、片方は表情を凍て付かせ。
 延々とそれを繰り返す。
「落とし穴……」
「を彫ってるようには見えませんね」
 口付けるほどに顔を寄せ、互いが聞き取れるかの僅かな声量で遣り取りをする。
 していた。はずなのに。
「誰だ」
「!!」
 男の誰何が飛んでくる。
 瞬間二人は身体を強張らせ、直後一切の動きを止める。
 薄桃の髪の少女は呼吸を鎮め体の力を抜き、眼を閉じて気配を探ることに集中する。どの道木の陰にいる以上互いに互いを見る事は出来ない。
 割烹着の少女はただ動きを止めたまま手元の銃に意識を集める。発砲せずに済む事を祈りながら。
「今俺はムカついてる。敵ならさっさとかかって来い。そうじゃねえなら両手上げて出て来い」
 男の挑発が通り過ぎる。
 少女達は動かない。相手が動いた時即座に対応する為に。
 沈黙。
 風のそよぐ音と押し殺した目の前の少女の息遣いだけが伝わってくる。
「出て来い」
 殺気が言葉に乗って飛んでくる。
「限界……か」
 薄桃の髪の少女が自分にすら聞こえない声で呟き、割烹着の少女に掌を向け無言で押し留める。
 ――ここにいろ、と。
「それは出来んな。うー」
 故意に一人気配を振りまき、茂みを蹴り木の陰から相手を視認して返答した。

549今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:36:31 ID:6dCcGcdg0
 漸く会話に乗ってきた。女性か。木の陰に隠れてこちらを見ているのが見える。
「ほう……何故だ?」
「うーの正体も分からぬまま投降しろと? ふざけるな」
 まぁ当然か。さてこいつは。敵か、味方か。
「じゃあどうする? このままいるわけにもいかないんじゃないか?」
「……聞かせろ。何をしていた」
「見ての通りだ。穴を掘っていた」
 天下のナスティボーイが化かし合いとは。似合わないこと山の如し。
「何の為にだ」
「次はこっちだ。何故ここに来た?」
「……爆音だ」
 当然か。あれはここ一帯に響いただろうし。故はどうあれ見過ごす事は出来ないだろう。
「るーの番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「いや。まだ浅い。何故ここに来たかきっちり答えろ。爆音が響いただけで理由になるか」
「……爆音が響いたから、戦闘があったんだろうと思って来た」
 ち。逃げられたか。
「るーの番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「死んだ仲間の墓にするため」
「! 宗一さん!」
 隣で古河が叫ぶ。今ので名前が知れた。一つ質問失ったか。
「次。何故戦闘がある場所に来る?」
「戦闘区域には人がいるからだ」
 やりにくい。
「何故墓を掘っている。この島で全てのうーの墓を掘るつもりか?」
「二つだな。仲間を埋葬する為だ。うーってのが分からんが……少なくともそっちの奴のを掘る気はない。この糞ゲームの主催者達のもな」
「うー達は」
「三つ目か?」
「……」
「次。何故人を求めている?」
「……探しているうーがいる」
「じゃあもう一つ。そいつに逢ってどうするつもりだ?」
「頼み事がある。それを頼むつもりだ」
 こいつは……嘘はなさそうだが……
「うー達は」
 どうするか……俺だけならともかく失敗したら古河も巻き込む。
 疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、あいつらに騙されたのが未だに尾を引いている。
 エディー。助けてくれー。
「主催者を、どうするつもりだ?」
「ぶっ倒す」
 ぶっ殺す。古河には言わないが。
「お前はその知り合いに何を頼むつもりだ?」
「……」
 答えない。出ていた顔を引っ込める。そこに鍵があるのか。さっきからの質問を鑑みるに、こいつは対主催者……味方と考えていいんだろうか。
 郁未達と違って具体的な行動をしている。多分頭もいい。情けないな俺。トップエージェントの名が泣く。じゃねえ。んなもんどうでもいい。
 ブラフ? だったら大した役者だ。
「答えないのか?」
「……その前にもう二つ、答えてくれ」
 言いながら、薄桃色の髪をした女の子が木の陰から出てくる。両手は上に伸びていた。
「……何だ?」
「お前は、非戦闘民をどうする気だ?」
「守る」
 あいつとの約束だ。可能な限り守る。
「……ならもう一つ。るー。るーの名前はルーシーマリアミソラ。仲間が一人、ここにいる。今は主催者に対抗するための戦力を集めている。るーの……仲間にならないか?」
 そう言って女の子は上げた両手で大きく伸びをする。
 どうするか。古河を見る。頷き返される。
 仕方ない。万一こいつが優勝狙いだとしても俺がずっと古河に張り付いていればいい。
「お受けしよう。お嬢様」

550今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:36:55 ID:6dCcGcdg0
 などと思っていた自分を恥じた。
「るー」
 ルーシーと遠野の話を聞いてそして読んで海より深く反省。俺やっぱ冷静にはなれないよエディ。感情に支配されるようじゃエージェント失格だっていつも言ってたのにな。
 二人ともに相当な修羅場を潜っている。その上で尚も折れていない。
 分かっている。この上また騙される可能性だってゼロじゃない。それは十分に分かってる。
 それでもこの二人を疑う事は俺にはもう出来なかった。
 それに、偶然だがエディと皐月の事も知れた。
 全てが最悪に等しいタイミングで訪れ、皐月はエディを撃ち抜いた。
 その時のあいつの絶望は如何ばかりのものか。想像するもおこがましい。
 エディを失ってからこのCDを手に入れたのもまた皮肉。
 きっちゃない顔してたが腕は一流の上に超が二つも三つも付く最上のナビ。
 あいつがいればハッキングなんざ痔の時の糞より簡単にやってくれただろうに。
 俺もできないこたないけどやっぱ不安は残る。つーか機械任せだし。良くないなー。帰ったらちゃんと自力で出来るようになっとかないと。
 りさっぺならいけるだろうか。あの腕なら……多分、大丈夫だよな?
 ああでもそう言えばこの二人誰かを探してるっつってたか。
 ハッカーの当てでもあるのかね。
「そういや二人は尋ね人がいたんだよな。誰を探してたんだ?」
 CDが知れているならまぁこの位なら大丈夫だろう。それにあまりに情報隠し続けると気付いてる事に気付かれる。
「るーのたこ焼き友だちだ」
「は?」
 ルーシーが頭をこつこつと叩く。
「姫百合、珊瑚だ。確か、このうーのそういう事に関しては得意だと言っていたはずだ」
「得意って……んな素人の自称程度……待て」
 姫百合? それってあれか。来栖川エレクトロニクスの秘蔵っ子。世界最先端のメイドロボの第一人者。年齢に見合わない異常な天才振りから表に出すと危険だからって存在自体が秘匿されてるあの姫百合か?
 とんだ鬼札じゃねえかよ!? 俺やリサなんかじゃ問題にもなんねえ。エディをして規格外と言わしめる化け物がなんでこんなとこに。
『ルーシー、それってメイドロボのあの姫百合か?』
『そうだ。うーるりの為にうーイルを作り上げたと言っていた』
 確定だ。個人の為にメイドロボ作り上げる奴が二人もいるか。
「却下だ。やっぱどう考えても素人の自称よかエージェントのがマシだ」
『その娘、探すぞ。戯れに衛星から大統領のノーパソまでハック出来る奴以上のプロなんざ他にいるとも思えねえ。その娘以上の適任はない』
「エディがいてくれたら任せたかったんだが……俺の知る限り、リサが一番いいと思う。性根も戦闘力も申し分ない。あいつを探そう」
 周囲を見渡す。現状これ以上の策はない。と思う。まぁリサにせよ姫百合と言う娘にせよ歩かなきゃ見つけられないんだけど。
「わたしは宗一さんに従います。宗一さんがそう決めたのなら、そうします」
「私も構いません。いい案で賞。進呈」
 ぱちぱちぱち、とか言いながら何か渡される。紙? お米券? なんでこんなもの持ってんだ。
「るーもそれでいい。が、その前に……」
 む。何か見落としてたか? 俺の気付かない穴があったのか。
「るーはハンバーグが食べたい。食材調達にいかないか」
「却下」
「るぅ……」

551今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:37:30 ID:6dCcGcdg0
【時間:二日目15:00頃】
【場所:G-2】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 0/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:腹部打撲、中度の疲労、ちょっと手が痛い、食事を摂った】
【目的:佳乃の死体を埋葬。[死んだら弔われるべし]と言う渚の希望により綾香の死体も埋葬。最優先目標は宗一を手伝う事】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数11/20)、包丁、SPAS12ショットガン0/8発、ほか水・食料以外の支給品一式】
【状態:腹部に軽度の打撲、疲労大、食事を摂った】
【目的:佳乃の死体を埋葬。渚の希望により綾香の死体も嫌々埋葬。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る。可能ならリサと皐月も合流したい】

遠野美凪
【持ち物:予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン、予備弾薬8発(SPAS12)+スラッグ弾8発+3インチマグナム弾4発】
【状態:強く生きることを決意、疲労小、食事を摂った。お米最高】
【目的:るーさん達と行動を共にし、珊瑚を探す。ハッキングを絶対に成功させる】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意、疲労小、食事を摂った。渚におにぎりもらってちょっと嬉しい】
【目的:なぎー達と行動を共にし、たこ焼き友だちを探す。なぎーを手伝う】

B-10

552今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 23:38:47 ID:6dCcGcdg0
 漸く会話に乗ってきた。女性か。木の陰に隠れてこちらを見ているのが見える。
「ほう……何故だ?」
「うーの正体も分からぬまま投降しろと? ふざけるな」
 まぁ当然か。さてこいつは。敵か、味方か。
「じゃあどうする? このままいるわけにもいかないんじゃないか?」
「……聞かせろ。何をしていた」
「見ての通りだ。穴を掘っていた」
 天下のナスティボーイが化かし合いとは。似合わないこと山の如し。
「何の為にだ」
「次はこっちだ。何故ここに来た?」
「……爆音だ」
 当然か。あれはここ一帯に響いただろうし。故はどうあれ見過ごす事は出来ないだろう。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「いや。まだ浅い。何故ここに来たかきっちり答えろ。爆音が響いただけで理由になるか」
「……爆音が響いたから、戦闘があったんだろうと思って来た」
 ち。逃げられたか。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「死んだ仲間の墓にするため」
「! 宗一さん!」
 隣で古河が叫ぶ。今ので名前が知れた。一つ質問失ったか。
「次。何故戦闘がある場所に来る?」
「戦闘区域には人がいるからだ」
 やりにくい。
「何故墓を掘っている。この島で全てのうーの墓を掘るつもりか?」
「二つだな。仲間を埋葬する為だ。うーってのが分からんが……少なくともそっちの奴のを掘る気はない。この糞ゲームの主催者達のもな」
「うー達は」
「三つ目か?」
「……」
「次。何故人を求めている?」
「……探しているうーがいる」
「じゃあもう一つ。そいつに逢ってどうするつもりだ?」
「頼み事がある。それを頼むつもりだ」
 こいつは……嘘はなさそうだが……
「うー達は」
 どうするか……俺だけならともかく失敗したら古河も巻き込む。
 疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、あいつらに騙されたのが未だに尾を引いている。
 エディー。助けてくれー。
「主催者を、どうするつもりだ?」
「ぶっ倒す」
 ぶっ殺す。古河には言わないが。
「お前はその知り合いに何を頼むつもりだ?」
「……」
 答えない。出ていた顔を引っ込める。そこに鍵があるのか。さっきからの質問を鑑みるに、こいつは対主催者……味方と考えていいんだろうか。
 郁未達と違って具体的な行動をしている。多分頭もいい。情けないな俺。トップエージェントの名が泣く。じゃねえ。んなもんどうでもいい。
 ブラフ? だったら大した役者だ。
「答えないのか?」
「……その前にもう二つ、答えてくれ」
 言いながら、薄桃色の髪をした女の子が木の陰から出てくる。両手は上に伸びていた。
「……何だ?」
「お前は、非戦闘民をどうする気だ?」
「守る」
 あいつとの約束だ。可能な限り守る。
「……ならもう一つ。私の名前はルーシー・マリア・ミソラ。仲間が一人、ここにいる。今は主催者に対抗するための戦力を集めている。私の……仲間にならないか?」
 そう言って女の子は上げた両手で大きく伸びをする。
 どうするか。古河を見る。頷き返される。
 仕方ない。万一こいつが優勝狙いだとしても俺がずっと古河に張り付いていればいい。
「お受けしよう。お嬢様」

553今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 23:39:22 ID:6dCcGcdg0
 などと思っていた自分を恥じた。
 ルーシーと遠野の話を聞いてそして読んで海より深く反省。俺やっぱ冷静にはなれないよエディ。感情に支配されるようじゃエージェント失格だっていつも言ってたのにな。
 二人ともに相当な修羅場を潜っている。その上で尚も折れていない。
 分かっている。この上また騙される可能性だってゼロじゃない。それは十分に分かってる。
 それでもこの二人を疑う事は俺にはもう出来なかった。
 それに、偶然だがエディと皐月の事も知れた。
 全てが最悪に等しいタイミングで訪れ、皐月はエディを撃ち抜いた。
 その時のあいつの絶望は如何ばかりのものか。想像するもおこがましい。
 エディを失ってからこのCDを手に入れたのもまた皮肉。
 きっちゃない顔してたが腕は一流の上に超が二つも三つも付く最上のナビ。
 あいつがいればハッキングなんざ痔の時の糞より簡単にやってくれただろうに。
 俺もできないこたないけどやっぱ不安は残る。つーか機械任せだし。良くないなー。帰ったらちゃんと自力で出来るようになっとかないと。
 りさっぺならいけるだろうか。あの腕なら……多分、大丈夫だよな?
 ああでもそう言えばこの二人誰かを探してるっつってたか。
 ハッカーの当てでもあるのかね。
「そういや二人は尋ね人がいたんだよな。誰を探してたんだ?」
 CDが知れているならまぁこの位なら大丈夫だろう。それにあまりに情報隠し続けると気付いてる事に気付かれる。
「私のたこ焼き友だちだ」
「は?」
 ルーシーが頭をこつこつと叩く。
「姫百合、珊瑚だ。確か、このうーのそういう事に関しては得意だと言っていたはずだ」
「得意って……んな素人の自称程度……待て」
 姫百合? それってあれか。来栖川エレクトロニクスの秘蔵っ子。世界最先端のメイドロボの第一人者。年齢に見合わない異常な天才振りから表に出すと危険だからって存在自体が秘匿されてるあの姫百合か?
 とんだ鬼札じゃねえかよ!? 俺やリサなんかじゃ問題にもなんねえ。エディをして規格外と言わしめる化け物がなんでこんなとこに。
『ルーシー、それってメイドロボのあの姫百合か?』
『そうだ。うーるりの為にうーイルを作り上げたと言っていた』
 確定だ。個人の為にメイドロボ作り上げる奴が二人もいるか。
「却下だ。やっぱどう考えても素人の自称よかエージェントのがマシだ」
『その娘、探すぞ。戯れに衛星から大統領のノーパソまでハック出来る奴以上のプロなんざ他にいるとも思えねえ。その娘以上の適任はない』
「エディがいてくれたら任せたかったんだが……俺の知る限り、リサが一番いいと思う。性根も戦闘力も申し分ない。あいつを探そう」
 周囲を見渡す。現状これ以上の策はない。と思う。まぁリサにせよ姫百合と言う娘にせよ歩かなきゃ見つけられないんだけど。
「わたしは宗一さんに従います。宗一さんがそう決めたのなら、そうします」
「私も構いません。いい案で賞。進呈」
 ぱちぱちぱち、とか言いながら何か渡される。紙? お米券? なんでこんなもの持ってんだ。
「私もそれでいい。が、その前に……」
 む。何か見落としてたか? 俺の気付かない穴があったのか。
「私はハンバーグが食べたい。食材調達にいかないか」
「却下」
「むぅ……」


以上。訂正終わり。

554今日は金曜日/Deathrarrle:2008/05/01(木) 00:25:50 ID:0rBBkFcg0
「それは出来んな。少年」
 数瞬の間を置いて、抑揚のない女の声が返ってきた。


 耳を劈く炸裂音。轟く大きな爆発音に分校跡に向かっていた二人は反射的に木陰に隠れる。
「なぎー。今の」
「はい。爆弾か何かだと思います」
 破裂音の発生源に眼を向ける。
 その先からは薄く煙がたなびいていた。
「るーさん。どうしますか?」
 問われた少女は、溜息を以って答えた。
「仕方あるまい。ハンバーグは後回しだ」


 木陰や茂みに身を隠しながら慎重に進む二人の少女。
 赤い制服を着た薄桃色の髪の少女が黒光りする無骨な銃を抱え先行する。
 割烹着を着た漆黒の髪の少女が自動拳銃を持ち背後を警戒する。
 そうしていつしか二人は爆源地まで辿り着いた。
 木の陰に隠れてそこに眼を向けると。
 二人の少女の視界に、爆発の中心らしき跡地と。
「あれは……」
「穴掘り?」
 二人の男女が穴を掘っている姿が入る。
 素手を地面に突き刺して、掻き上げ土を放り出す。
 黙々とそれを繰り返す。
 片方は泣きながら、片方は表情を凍て付かせ。
 延々とそれを繰り返す。
「落とし穴……」
「を彫ってるようには見えませんね」
 口付けるほどに顔を寄せ、互いが聞き取れるかの僅かな声量で遣り取りをする。
 していた。はずなのに。
「誰だ」
「!!」
 男の誰何が飛んでくる。
 瞬間二人は身体を強張らせ、直後一切の動きを止める。
 薄桃の髪の少女は呼吸を鎮め体の力を抜き、眼を閉じて気配を探ることに集中する。どの道木の陰にいる以上互いに互いを見る事は出来ない。
 割烹着の少女はただ動きを止めたまま手元の銃に意識を集める。発砲せずに済む事を祈りながら。
「今俺はムカついてる。敵ならさっさとかかって来い。そうじゃねえなら両手上げて出て来い」
 男の挑発が通り過ぎる。
 少女達は動かない。相手が動いた時即座に対応する為に。
 沈黙。
 風のそよぐ音と押し殺した目の前の少女の息遣いだけが伝わってくる。
「出て来い」
 殺気が言葉に乗って飛んでくる。
「限界……か」
 薄桃の髪の少女が自分にすら聞こえない声で呟き、割烹着の少女に掌を向け無言で押し留める。
 ――ここにいろ、と。
「それは出来んな。少年」
 故意に一人気配を振りまき、茂みを蹴り木の陰から相手を視認して返答した。

555今日は金曜日/Deathrarrle:2008/05/01(木) 00:26:10 ID:0rBBkFcg0
 漸く会話に乗ってきた。女性か。木の陰に隠れてこちらを見ているのが見える。
「ほう……何故だ?」
「お前の正体も分からぬまま投降しろと? ふざけるな」
 まぁ当然か。さてこいつは。敵か、味方か。
「じゃあどうする? このままいるわけにもいかないんじゃないか?」
「……聞かせろ。何をしていた」
「見ての通りだ。穴を掘っていた」
 天下のナスティボーイが化かし合いとは。似合わないこと山の如し。
「何の為にだ」
「次はこっちだ。何故ここに来た?」
「……爆音だ」
 当然か。あれはここ一帯に響いただろうし。故はどうあれ見過ごす事は出来ないだろう。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「いや。まだ浅い。何故ここに来たかきっちり答えろ。爆音が響いただけで理由になるか」
「……爆音が響いたから、戦闘があったんだろうと思って来た」
 ち。逃げられたか。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「死んだ仲間の墓にするため」
「! 宗一さん!」
 隣で古河が叫ぶ。今ので名前が知れた。一つ質問失ったか。
「次。何故戦闘がある場所に来る?」
「戦闘区域には人がいるからだ」
 やりにくい。
「何故墓を掘っている。この島で全ての人間の墓を掘るつもりか?」
「二つだな。仲間を埋葬する為だ。少なくともそっちの奴のを掘る気はない。この糞ゲームの主催者達のもな」
「お前達は」
「三つ目か?」
「……」
「次。何故人を求めている?」
「……探している友がいる」
「じゃあもう一つ。そいつに逢ってどうするつもりだ?」
「頼み事がある。それを頼むつもりだ」
 こいつは……嘘はなさそうだが……
「お前達は」
 どうするか……俺だけならともかく失敗したら古河も巻き込む。
 疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、あいつらに騙されたのが未だに尾を引いている。
 エディー。助けてくれー。
「主催者を、どうするつもりだ?」
「ぶっ倒す」
 ぶっ殺す。古河には言わないが。
「お前はその知り合いに何を頼むつもりだ?」
「……」
 答えない。出ていた顔を引っ込める。そこに鍵があるのか。さっきからの質問を鑑みるに、こいつは対主催者……味方と考えていいんだろうか。
 郁未達と違って具体的な行動をしている。多分頭もいい。情けないな俺。トップエージェントの名が泣く。じゃねえ。んなもんどうでもいい。
 ブラフ? だったら大した役者だ。
「答えないのか?」
「……その前にもう二つ、答えてくれ」
 言いながら、薄桃色の髪をした女の子が木の陰から出てくる。両手は上に伸びていた。
「……何だ?」
「お前は、非戦闘民をどうする気だ?」
「守る」
 あいつとの約束だ。可能な限り守る。
「……ならもう一つ。私の名前はルーシー・マリア・ミソラ。仲間が一人、ここにいる。今は主催者に対抗するための戦力を集めている。私の……仲間にならないか?」
 そう言って女の子は上げた両手で大きく伸びをする。
 どうするか。古河を見る。頷き返される。
 仕方ない。万一こいつが優勝狙いだとしても俺がずっと古河に張り付いていればいい。
「お受けしよう。お嬢様」

556今日は金曜日/Deathrarrle:2008/05/01(木) 00:27:03 ID:0rBBkFcg0
 などと思っていた自分を恥じた。
 ルーシーと遠野の話を聞いてそして読んで海より深く反省。俺やっぱ冷静にはなれないよエディ。感情に支配されるようじゃエージェント失格だっていつも言ってたのにな。
 二人ともに相当な修羅場を潜っている。その上で尚も折れていない。
 分かっている。この上また騙される可能性だってゼロじゃない。それは十分に分かってる。
 それでもこの二人を疑う事は俺にはもう出来なかった。
 それに、偶然だがエディと皐月の事も知れた。
 全てが最悪に等しいタイミングで訪れ、皐月はエディを撃ち抜いた。
 その時のあいつの絶望は如何ばかりのものか。想像するもおこがましい。
 エディを失ってからこのCDを手に入れたのもまた皮肉。
 きっちゃない顔してたが腕は一流の上に超が二つも三つも付く最上のナビ。
 あいつがいればハッキングなんざ痔の時の糞より簡単にやってくれただろうに。
 俺もできないこたないけどやっぱ不安は残る。つーか機械任せだし。良くないなー。帰ったらちゃんと自力で出来るようになっとかないと。
 りさっぺならいけるだろうか。あの腕なら……多分、大丈夫だよな?
 ああでもそう言えばこの二人誰かを探してるっつってたか。
 ハッカーの当てでもあるのかね。
「そういや二人は尋ね人がいたんだよな。誰を探してたんだ?」
 CDが知れているならまぁこの位なら大丈夫だろう。それにあまりに情報隠し続けると気付いてる事に気付かれる。
「私のたこ焼き友だちだ」
「は?」
 ルーシーが頭をこつこつと叩く。
「姫百合、珊瑚だ。確か、この星のそういう事に関しては得意だと言っていたはずだ」
「得意って……んな素人の自称程度……待て」
 姫百合? それってあれか。来栖川エレクトロニクスの秘蔵っ子。世界最先端のメイドロボの第一人者。年齢に見合わない異常な天才振りから表に出すと危険だからって存在自体が秘匿されてるあの姫百合か?
 とんだ鬼札じゃねえかよ!? 俺やリサなんかじゃ問題にもなんねえ。エディをして規格外と言わしめる化け物がなんでこんなとこに。
『ルーシー、それってメイドロボのあの姫百合か?』
『そうだ。瑠璃の為にイルファを作り上げたと言っていた』
 確定だ。個人の為にメイドロボ作り上げる奴が二人もいるか。
「却下だ。やっぱどう考えても素人の自称よかエージェントのがマシだ」
『その娘、探すぞ。戯れに衛星から大統領のノーパソまでハック出来る奴以上のプロなんざ他にいるとも思えねえ。その娘以上の適任はない』
「エディがいてくれたら任せたかったんだが……俺の知る限り、リサが一番いいと思う。性根も戦闘力も申し分ない。あいつを探そう」
 周囲を見渡す。現状これ以上の策はない。と思う。まぁリサにせよ姫百合と言う娘にせよ歩かなきゃ見つけられないんだけど。
「わたしは宗一さんに従います。宗一さんがそう決めたのなら、そうします」
「私も構いません。いい案で賞。進呈」
 ぱちぱちぱち、とか言いながら何か渡される。紙? お米券? なんでこんなもの持ってんだ。
「私もそれでいい。が、その前に……」
 む。何か見落としてたか? 俺の気付かない穴があったのか。
「私はハンバーグが食べたい。食材調達にいかないか」
「却下」
「むぅ……」


次こそは。

557少女世界:2008/05/01(木) 18:49:14 ID:997LS.yM0


ぜぇ、と響く音は喘鳴に等しく、鉄の臭いに満ちていた。
それが己の肺腑から立ち昇るものか、それとも周囲に転がる肉塊の撒き散らすものなのか、
既にその区別もなく、湯浅皐月は立っている。

ひ、と引き攣るような音は呼吸音と呼ぶにはあまりにか細い。
折れ砕けた頚椎の中で神経信号が散逸している。
びくびくと痙攣しようとする身体を精神力で統御しながら、柏木楓は立っている。

他に動くものとて残っていない閑静な住宅街、その一角を赤と褐色とに染め上げた少女二人、
ただ相手を斃すという、その意志だけが、死を超えて肉体を支えていた。
周りを取り囲んでいた砧夕霧の群れの姿は既にない。
大多数は東へと行軍し、残りは死に尽くした。

「―――ぁぁ……ッ!」

闘える、という事象が唯一の生の定義となった空間で、先に動いたのは楓である。
ふうわりと飛んだ、その軽やかとすら見える跳躍はしかし、傍らのブロック塀へと足をつくや一転。
引き絞られた剛弓から解き放たれた矢もかくやという突撃と化した。
鏃は真紅の爪。幾本もが折れ、或いは欠け、当初の美しさの見る影もなくなったそれは、
だが鋭さという一点においては今だ健在であった。

「―――ォォ……!」

正確に正中線を狙うその紅矢を、皐月は躱そうとしない。
既に余すところなき濃赤色となった血染めの特攻服をはためかせた仁王立ちのまま、
代わりとばかりに突き出されたのは左手である。掌には見るも無惨な貫通創。
同時に右の拳は腰溜めに引かれていた。堅く握られたそちらとて、乾いた血の中に垣間見えるのは
剥き出しとなった中手骨である。

「―――!」

558少女世界:2008/05/01(木) 18:49:39 ID:997LS.yM0
交錯に声はない。
幾つかの硬い音だけが残った。
アスファルトに転がったのは楓である。
すぐにゆらりと立ち上がるが、その青黒く腫れ上がった顔には新たな痣が増えていた。
吐き出す歯は、果たして何本めであったか。

「……いいかげ、ひぅ……ひぅ、死に、ませんか」
「あんた、こそ……がぁ……っ、何度、殺せ、ばぁ……っ、く、たばる、のさ」

短いやり取りすら、既に言葉にならない。
互いに咥内はずたずたに裂け、折れた歯の欠片が食い込み、舌は深く切れている。
楓の持つ治癒ですら傷の多さ、深さにまるで追いついていなかった。

「どぉ、して……くれんだぁ……、これ……ぇ。け、っこん……しきとかぁ、が、はぁっ……!」

咳き込んだ拍子に真っ赤な飛沫を散らしながら、皐月が左手を掲げてみせる。
その手首から先は、既に人の手と呼べる状態ではなかった。
骨の代わりに挽き肉を詰め込んだような掌はまるで巨大な螺子回しで捻られたように渦巻状に折れ曲がり、
その先にあったはずの五指は既に、それらしきものの残滓が覗くのみであった。
先刻の突撃を受けきった、それが代償である。

「だいじょう、ぶ……です、心配……はぁ、するのは……お葬式の、は、手配……だけ……」

返した楓とて、腫れ上がった顔の中、片目は白く濁ってあらぬ方を向いている。
折れた眼窩骨の突き刺さったものであった。
皮膚を裂き、肉を分けて骨を抜き去らねば、いかな鬼の力とて眼球を回復することは叶わない。
痛みはない。ただ脳を焼き鏝で掻き回されるが如き感覚の雑音が、楓を麻痺させていた。
延髄の損傷と合わせ、楓の脳機能に深刻な障害が生じていることは間違いなかった。
その場に倒れこみ、泣き叫びながら反吐の海でのた打ち回っても何ら不思議はない肉体を
今だ支えているのは、ただ矜持である。
鬼としてのそれではない。人鬼の境など、この闘いはとうに超越していた。

559少女世界:2008/05/01(木) 18:50:00 ID:997LS.yM0
楓を支えていたのは、眼前の相手のすべてよりも自身が優越しているべきだという、
少女としての矜持である。
それは肥大した自我の産物であり、愚かな片意地であり、視界の狭小なエゴイズムに他ならない。
だがそれは同時に、思春期に至った少女すべてが紛れもなく己のうちに飼っている、
この世で最も美しく猛々しい獣であった。
その獣の噛み合いこそが、少女という世界のすべてである。
柏木楓はその存在のすべてをもって、湯浅皐月を打ち倒す、そのためだけに立っていた。
そうしてそれはまた眼前の少女とて同じだと、楓は確信している。
少女の矜持は常に死を超越し、世界に君臨する。
矜持の故に少女は死なず、ならばその優越を粉砕し、蹂躙し、淘汰してようやく、楓は勝利できる。
血を流し、拳を砕き、その遥か先で心の折れ果てるまで、闘争は続くのだ。

だから、楓に散る赤は少女、湯浅皐月の流した血と、楓自身からの返り血の更に撥ねたものと、
その二つの交じり合ったものであるべきだった。
そうでなければ、ならなかった。
決して、決して、脳漿と、頭蓋の欠片と脳細胞と、血液と髄液と眼球と頬と舌と唇と、
そんなものの入り混じった何かであっては、ならなかった。

560少女世界:2008/05/01(木) 18:50:33 ID:997LS.yM0
半ば呆然と、その頬に飛んだ何かを拭おうとして、己の爪で小作りな顔に新たな一文字の傷をつけ、
流れ出すどろりとした血がその何かを洗い流してくれるような気がして、楓は、膝から崩れ落ちた。
ゆるゆると視線を上げた先に、湯浅皐月が、否、湯浅皐月であったものが、立ち尽くしていた。
それは既に、ひとのかたちをしていない。
両の肩が平らな線で結ばれ、その上は存在しない。そんな人間など、ありはしなかった。
湯浅皐月と呼ばれていたものは既に、此岸の存在ではなくなっていた。
それでもなお倒れず仁王立ちのままでいたのは、それが少女のあり方であったからだろうか。

「……、あ……」

震える手を伸ばし、物言わず立ち尽くすその姿に触れようとした、刹那。
湯浅皐月であったものが、薙ぎ払われた。
誇り高い骸がくの字に曲がり、抗う術もなく大地に叩きつけられ、汚れた地面を転がる様を、
楓はその眼で見ていた。

「どう……、して……」

掠れた声は、決して深手の故でなく。
浮かぶ涙は、決して苦痛の故でなく。

「どうして、」

軋んだ叫びは、

「……千鶴、姉さん……!」

決して愛慕の故でなく。

561少女世界:2008/05/01(木) 18:50:53 ID:997LS.yM0
 
 【時間:2日目 AM11:23】
 【場所:平瀬村住宅街(G-02上部)】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:満身創痍・鬼全開】

湯浅皐月
 【所持品:『雌威主統武(メイ=ストーム)』特攻服、支給品一式】
 【状態:死亡】

柏木千鶴
 【所持品:なし】
 【状態:復讐鬼】

→736 769 ルートD-5

562終焉幻想:2008/05/01(木) 18:51:42 ID:997LS.yM0
 

ぽたり、と垂れたのは血の雫だった。
拡がる血だまりに落ちて、小さな真紅の王冠を形作った。

のろのろと手を伸ばし、指を浸した。
冷たくて、粘ついていて、気持ち悪い。
血はいつだって、こんな風に気持ちの悪いものだった。

私の中を流れる血。
私から出ていく血。
おりものと一緒に染み付いたそれを見るとき、私は無性に体を掻き毟りたくなる。

呪われた血。
穢れた血。
鬼の血。
鮮血。
血。

私の体を流れるものは呪われていて、だから私は呪われていて。
この体を裂いてみても、傷はすぐに塞がってしまう。
呪いを閉じ込めるように、穢れを溜め込むように、私の体はできている。
それが疎ましくて、それが悔しくて、私は何度も私の体を傷つけた。
今ではもう、痕すら、残っていない。

563終焉幻想:2008/05/01(木) 18:52:01 ID:997LS.yM0
「どうしたの? 楓」

声が聞こえる。
優しげな声。優しげで、冷たい声。
懐かしくて、耳障りで、親しげで、何故だかひどく気持ちのざわつく、声。
だから私は返事をしない。
ただ粘つく指先を弄ぶように、ずっと俯いたままでいた。
喪われたものを、いとおしむように。

「……そう、ならそのままでいいわ。聞きなさい」

ああ、この人はいつだってそうだ。
家長として、鶴来屋の代表として、いつだってこういう風に物を言う。
正しくて、息が詰まりそうなくらい正しくて。
なのにいつも女の匂いをさせて、それが嫌いだった。
この人が男と交わる姿を想像して吐いたのは、もう何年も昔のことだったけれど、
その頃から何一つ、変わっていない。
化粧の臭いと、糊のきいたスーツ。
それが血化粧と、真っ赤に染まった服に変わっても、この人は変われないのだ。
この人の中の女は、もう凝り固まっている。

564終焉幻想:2008/05/01(木) 18:52:19 ID:997LS.yM0
「私と一緒に来なさい、楓。こんなところにいる必要は、もうないの」

何かを言っている。
聞こえない。聞かない。
聞きたくない声は、聞こえない。

「もうすぐ世界は終わってしまうの。だからこんな、下らない争いに意味なんてないのよ。
 だけど安心して。私は力をもらったの。世界の終わりから、あなたを守ってあげられる」

よく動く唇には口紅がさされている。
血みどろの世界でも、この人はそういう、女の準備を忘れないのだ。
ぼってりとしたそれは、もぞもぞと蠢く紅い芋虫みたいだった。
あの芋虫を噛み潰せばきっと、甘い匂いのする汁が出てくるのだろう。
たくさんの男がそれを嘗めとろうと、この人の唇に吸い付くのだ。
背筋の真中、心臓の裏辺りに冷たい針を差し込まれたような感覚に、私は想像を打ち切った。

「ね、私がずっと守ってあげるから。だから、一緒に行きましょう」

話が、終わったらしい。
目の前に差し出された手は白く、指は細くて、気味が悪いほどに艶かしかった。
整えられた爪は塗られていない。
鬼の手のことがなければ、きっとくらくらするような色で彩られるのだろう。
ひらひらと舞う南国の蝶のように。
紅い芋虫が脱皮して、きっとこの人の指になるのだ。
宝石で飾られた芋虫の成れの果て。
そんなものが目の前にあった。
だから私は、それを振り払う。
それが潰れて、怖気の立つような匂いを振りまいてしまわないように気をつけながら。

565終焉幻想:2008/05/01(木) 18:53:04 ID:997LS.yM0
「……っ! 楓……!?」

我慢の限界だった。
同じ部屋の中で、涙が出るくらいに立ち込めた化粧の臭いの中でご飯を食べてきた。
ごちそうさまをした後で、トイレに駆け込んで吐いていた。
同じ家の中で、媚びたような視線が男たちに向けられるのを見てきた。
叔父さんが、耕一さんが、何か汚い汁をかけられて、嫌な臭いのする色に染まっていくような気がして、
あの人たちの服を擦り切れるくらいに洗った。
もう嫌だった。

「楓、あなた……」

いつの間にか、爪が出ていた。
黒く罅割れた手は、私の中の暗くてどろどろした水が染み出しているようで、心地よかった。
この人を見ていると、そういうものが湧き出してくる。
これは嫌なものだ。これは私をざわつかせる。
だからそういうものが私から出て行くように見えるのは、気持ちのいいことだった。
振れば黒い水が飛び散るような錯覚。

「楓……!」

一歩を下がるそのうろたえたような声が、私を加速させる。
いつも偉そうなことばかり言う口が、こんなときだけ許しを請うような響きを帯びる。
それが、小気味いい。
それが、苛立たしい。
相反する二つは私の中で矛盾なく暴れ回る。
突き動かされるように爪を振った。

「……っ!」

たまらず飛び退ったその目が、私を睨んでいた。
薄く朱に染まった瞳。
私を殺したくてたまらないのを抑えているのだろう。
必死に自制しているのが、ひどく滑稽だった。
この人はずっとそうだった。
薄皮一枚の向こう側に怒りと憎悪を押し込めて、私達に笑顔を向けていた。
だから私もずっと、軽蔑と嫌悪を押し込めて笑顔を返していた。
家の中では、ずっと。
もう、無理して笑う必要なんてない。

566終焉幻想:2008/05/01(木) 18:53:32 ID:997LS.yM0
「……そう」

手を押さえながら呟いたその瞳は酷薄で、笑顔はやっぱり、消えていた。
私の向けた嫌な気持ちが感染したみたいな、嫌な顔だった。
家の中ではごくたまに、それもほんの一瞬しか見せなかった顔が、私をじっと見つめていた。

「なら、いいわ。無理にとは言わない。……少し落ち着くまで、時間も必要でしょう」

言って踵を返した背中を、私はもう見ていなかった。
どこか目に付かないところに行ってくれるというのだから、辟易したような声も気にならない。
嫌な臭いが遠ざかっていく。
大きく深呼吸すると、私の中の嫌な気持ちも小さくなっていった。

「だけど……これだけは聞いて、楓」

立ち止まったような気配に、嫌な気持ちが黒雲のように湧き上がってくるのを感じて、
私はしゃがみ込む。抱えた膝は温かい。
乾いた血がぱりぱりと落ちていくのを眺めていた。
もう、あの人の声は聞きたくなかった。

「私はずっと、待っているから。家族はもう……この世でただ一人、あなただけなのよ」

だから、その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

567終焉幻想:2008/05/01(木) 18:53:51 ID:997LS.yM0
家族はもう、たったひとり。
たったひとり。
梓姉さんは死んだ。知っている。
初音も死んだ。知っている。
だけど、それはおかしい。
たったひとりに、なるはずがないのだ。
私の家族は、柏木の家には、あの息苦しい、化粧の臭いのする家には、もうひとり。
もうひとりの家族が、いるのだから。
たったひとりに、なるはずがない。
なるはずがない。
だから、それは、おかしいのだ。
柏木耕一は、柏木耕一という人は、私の家族なのだから。
たったひとりなんかに、なるはずがない。

「待っ……、」

待って、と言おうとして顔を上げたときには、もう誰もいなかった。
嫌な臭いも、嫌な声も、何もなかった。
鳥の声もしない、静かな紅い住宅街の真中で、私は今、独りだった。

568終焉幻想:2008/05/01(木) 18:54:07 ID:997LS.yM0
のろのろと、周りを見渡す。
何かを考えれば、何かの結論が出てしまいそうで、だから何も考えたくなかった。
立っているのが億劫で、ぺたりと座り込んだ。
ほんの、すぐ傍に転がるものがあった。
顔のない、躯だった。

手を伸ばした。
届かない。
手を伸ばした。
届かない。
手を伸ばした。
届かない。

手を伸ばして、届かずに、ようやく私は、座り込んだその場から一歩も動いていないことに気がついた。
立ち上がろうとした。
手を伸ばそうとした。
目の前が、光に埋め尽くされていた。
指先の、ほんの少し向こう側の全部が、白く染まっていた。

熱い、とは思わなかった。
光はほんの一瞬で、何かを思う前に消えてしまっていた。
手を伸ばしたその先の、何もかもを巻き込んで。

そこには、もう何もなかった。
ぐずぐずに融けたアスファルトと、黒く煤のついたブロック塀と、立ち昇る陽炎だけがあって、
他にはもう、何もなかった。

はらはらと、舞い落ちるものが見えた。
燃え落ちた布きれの、焼け焦げた切れ端だった。
金糸の刺繍がただ一文字、燃え残って眼に映った。

 ―――風、と。

伸ばした手はもう、届かない。

569終焉幻想:2008/05/01(木) 18:57:53 ID:997LS.yM0
 

 【時間:2日目 AM11:29】
 【場所:平瀬村住宅街(G-02上部)】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:喪失】

柏木千鶴
 【所持品:なし】
 【状態:復讐鬼】

→972 ルートD-5

570東方行進劇:2008/05/01(木) 23:10:12 ID:dNXD8tIY0
 日が傾きつつあった。
 しかし一日目は燃えるように真っ赤な夕日だったそれは、二日目の今は雲に覆われ、暗さを増して夜を早めているようであった。

 ああ、今晩くらいから雨が降るのかもしれない、と篠塚弥生は空を見上げながら思った。
「なんや、ぼーっと空を見上げたりたりして、なんかあるんか」
 話しかけるのも苦しそうに、けれども本来は誰かと会話したりするのが好きなのだろう、神尾晴子が横から口を出していた。

 今一時的にとはいえ同盟を結んでいるこの二人。
 あの決戦の後、寝転がりながらいくらか情報交換や自己紹介を通して、少しばかり体力は回復したもののまだまだ好調というわけでもなく、効率的に傷を癒せる場所を探そうという弥生の提案に晴子も従い、荷物をまとめた後、現在は山を下って無学寺方面へと歩みを進めている。
 弥生は、ゆっくりと首を振って返事する。

「いえ、特に理由は」
「……はぁ。頼むでホンマ。お互いにボロボロやから手を組もう言い出したのはアンタやで。ウチだけに仕事させんで欲しいんやけど」

 咎めるように晴子は口を尖らせる。仕事、というのは周囲の警戒のことだろう。別にそこまで気を逸らしていたわけではないのだが、確かにそうであったので、弥生は律儀に「申し訳ありません」と謝罪しておくことにする。

「……ま、ええけどな。万事そんな調子で堅っ苦しくされても疲れるだけや、そういうヘンなところで人間くさいの、ウチは嫌いやないけどな」
「まるで私が人間ではないように言いますね」
「第一印象がそんな感じやったからな。喋り方も考え方も理詰めの計算ずくだけか思てたけど、ちょっとしたところで綻びが見えて、今ではそうでもなくなってきた」

 かったるそうな口調ではあるが、晴子の観察力には目を見張るものがある、と弥生は感心していた。
 直情怪行のきらいは随所に散見されるものの、基本的には冷静で目的を見失ったりしない。裏を返せばそれだけ娘という、神尾観鈴のことが大切なのだろう。
 その部分では森川由綺のために戦い続ける弥生とも意見は一致している。
 もう少し早くに出会っていれば、もっと多くの参加者を殺害できたのかもしれない、と思った。それほどまでに相性はいいと弥生は考えていた。

571東方行進劇:2008/05/01(木) 23:10:42 ID:dNXD8tIY0
「貴女こそ、意外と計算高いところがありますわ。先程の戦いでも、機を見計らったような登場でした」
「まぁな。足りへん知恵絞って色々苦労してるねん。頭脳労働は嫌いなんやけどなぁ……なーんにも考えずに、暴れて殺しまくったろ思てたんやけど……上手くいかへんさかい、しょーがなくこうせざるを得なくなった、ちゅう感じやな」

 苦笑い、といった様子で晴子は笑う。要するに、難しく考えるのが性に合わないのだろう。
 しかし目的の為なら考えを改め、様々に考えながら行動する。臨機応変を本人も意識しないうちにやっている。
 これが母親というものなのだろうか、そう、弥生は思う。
 弥生の人生はそこまで深くはなく、森川由綺との出会いでようやく転機を迎えるかもしれない、そんな段階であった。
 いや、そんな段階だったからこそ、それを奪ったこの殺し合いが憎くあり、それ以上に由綺を渇望している弥生自身にも気付けた。
 それはある意味では、幸福とも言えたのかもしれない。

「けど、一番信じられへんのが、アンタがこのゲームの主催とやらが言う、『優勝者には願いを叶える。死者を蘇らせることでさえ可能だ』なんて言葉を信じてることやな。そんな絵空事、どうして信じるんや?
 言いたかないんやけど、アンタの大切な人……森川由綺っちゅうアイドルはもう死んでしもとるんやろ?
 死者は蘇らへん。当たり前のことやんか。そんな魔法みたいなことができると、アンタは本当に考えとるんか?」
「確証に近いものはあります」

 即答にも近い弥生の返答に、晴子は目を丸くする。加えて、弥生の言い方がひどく真面目だったから、尚更であった。
 晴子が呆気に取られているのにも構わず、弥生はその根拠を告げる。

「勿論、魔法だとか呪術だとかの類は私も信じてはいません。『生き返らせる』も、それは本来と別の意味だと考えています」
「どういうこっちゃ?」
「クローン、という技術は神尾晴子、貴女にも分かりますよね」
「ああ、あのテレビなんかでよくやっとる……って、アンタ、まさか」
「その通りです。恐らくは、クローンによる『複製』こそが『蘇生』の正体だと、私は考えます。そして、私の願いはそれで由綺さんを生き返らせることです」
「そりゃ、まあ、それやったら信じられへんこともない……確かに、技術的には可能だと、散々言われとるしな……」

 盲点をつく発想だったのか、晴子は唸りながらうんうんと頷いている。
 弥生は更に続ける。

572東方行進劇:2008/05/01(木) 23:11:13 ID:dNXD8tIY0
「加えて、これだけの殺し合いを開催できるくらいの資金力、人材、技術。どれをとっても世界でトップレベルであることは間違いありません。あの篁財閥の総帥たる人物でさえ、この殺し合いの参加者なのですから。……もっとも、既にこの世の人ではなくなっていますが」
「篁財閥……詳しいことはウチも知らんけど、確か世界でもトップの企業、やったか? そいつも参戦してるのなら、間違いないんやろうけど……」
「唯一分からないのはこの殺し合い自体の開催理由です。わざわざこんな面倒にする意図が掴めません。金持ちの酔狂だと言えばそれまでですが」

 弥生からしてみれば、ただ殺し合いをさせたいのなら、闘技場(コロシアム)のように逃げも隠れもできないような場所で各々好きにさせればいい。
 武器だってハズレのようなものを割り当てるより全員に銃器などを行き渡らせた方が効率がいいに決まっている。
 不可解なことばかりだ。
 それとも、恐怖に怯え、逃げ惑う人間の姿を見て楽しもうとでもいうのだろうか。いや、それなら島のあちこちに監視カメラを仕掛けている。
 しかし注意深く見渡してみても小型カメラがある様子さえ見受けられない。それとも、衛星カメラか? だとすると、このような森の中での戦闘はどのように中継する? 殺し合いを楽しむような狂人どもが見たくないと思うわけがない。
 いくつか推論を立ててみても、結局は決め手に欠ける。こればかりは弥生にも判断しようがなかった。

「は、金持ちなんてみんな頭おかしいもんやろ? 大方あの映画の再現でもしてみよう考えたに違いあらへん。まあそれはええわ。それよりもアンタ、それでええんか?」
「……それでいい、とは?」

 晴子の問いがよく分からず、聞き返してしまう弥生。晴子は、「うーん、まぁ、感性の違いなのかもしれへんけど」と前置きしてから言った。
「いくら姿かたちが一緒やからって、クローンはクローン。オリジナルやない。ここに来る以前のアンタと一緒やった『森川由綺』とはちゃうねん。それでもアンタはええんか」
「……」

 晴子の言わんとしていることは分かる。そう、どんなに精巧なクローンだとして、それはまがい物。決して本物ではないのだ。
 可能ならばあの由綺と、アイドルを目指して頑張っていたあの由綺と過ごしたい。
 だが、それが叶わぬ願いだというのは十分に理解している。現実を受け入れまいと子供のように足掻くには、大人である弥生には無理な話だった。

「構いません。たとえ本質的に偽者であっても、この世に一つしかなければそれが本物です。そう、私は考えます」
「……なるほど、な」
「神尾晴子。貴女こそ、もし……もしも次の放送で神尾観鈴の名が呼ばれたとき、きっとそう考えるはずです」
「観鈴は死なへん」

573東方行進劇:2008/05/01(木) 23:11:52 ID:dNXD8tIY0
 きっぱりとした拒絶の意思。僅かな敵意が晴子から滲み出ていた。弥生はなるべく興奮させないように、慎重に言葉を選びながら、
「可能性として提示しただけです。ただ、もしもその時になったら……貴女も、きっと私と同じ考えになります。何故なら……本質的に、貴女と私は同じなのですから」
「……忠告だけ、受け取っとくわ。やけど、ウチは観鈴を絶対に生かして帰す。それだけはアンタもよう覚えとき」

 それきり、二人の間に会話が生まれることはなかった。
 ただ黙って、歩き続ける。
 ますます日は傾き、夜のとばりが姿を現そうと準備を始めたころに、その目的地は見えた。








【場所:F-09 無学寺前】
【時間:二日目午後:17:30】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済みだが悪化)、全身に痛み、弥生と手を組んだ】
【備考:蘇生の情報には半信半疑】
篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、全身(特に腹部と背中)に痛み、晴子と手を組んだ】
【備考:蘇生の情報は一応理解を示している】

→B-10

574名無しさん:2008/05/05(月) 17:10:19 ID:rjytJX2E0
今回、かなり長くなったので2分割させていただきます。まとめの人、度々ですみませんが、よろしくお願いします
では、投下いきます

575Trust:2008/05/05(月) 17:10:52 ID:rjytJX2E0
「……ここまで来れば」
 平瀬村で自らが起こした惨劇の後、逃げるように村から南下し十分に距離を取れたと判断した藤林椋は弾む呼吸を抑えるようにゆっくりと道なりに歩き出し、これからの方針について計画を立てることにした。

 基本は姉の藤林杏を守り、二人だけで生き残ること。まずは杏を探す事が大前提になるが中々見つからない。運が悪い、というとそれまでになるがとにかく探し出さねばならない。この島には恐ろしい殺人鬼どもがうようよしているのだから。
 そして、そんな奴らと杏を遭遇させないためにも片っ端から殺していく必要がある。とにかく信用などならない。仲間仲間などとほざいてはいるが実のところ皆利害関係でくっついているだけだ。役立たずになれば、窮地に立てば平気で見捨てる。殺す。裏切る。危うく椋自身も殺されそうになった。
 だから、もう信じない。裏切られる前に裏切る。殺される前に殺す。見捨てられる前に見捨てる。

 やらなきゃ、やられる。

 お守りを握り締めるようにぶつぶつと繰り返しながら思考を移す。
 真っ直ぐ南側に逃げているが、このまま進んでしまってよいものだろうか。
 道なりに進むと次は氷川村に辿り着く。以前椋と、殺害した長瀬祐介が滞在していた場所であり、椋の出発点とも言うべき地点である。
 それが問題だった。

 あの長瀬祐介には一応共に行動していた人間がいるようだったし(柏木初音と、こっちは知っているが宮沢有紀寧)、今頃は祐介が死んだと感づいているはず。あるいは椋が知らぬだけで既に現場を目撃されている可能性だってある。
 さらに上手く騙して殺害した倉田佐祐理と行動していた柳川裕也は今頃椋を探して奔走しているに違いない。常識的に考えて各地の村を探し回っているはず。あの神社と氷川村は比較的近い場所であるからして、今まさにここに柳川が潜んでいることは十分に考えられた。

 つまり、ここに逆戻りするのは非常に危険を伴う。さりとてここで平瀬村に戻ったところであの惨劇の生き残り達と鉢合わせし、一対多数の戦いを強いられることすら考えられる。つまり、椋は逃げ道を間違ったせいで進退窮まってしまったのだ。
 残された道はこの中間地点である平瀬村−氷川村にある民家、あるいは山中に隠れ耐え忍ぶかしか思いつかない。
 ただこの辺りに民家があるとしてそれはかえって目立つ施設となりかねないし、村を捜索し終えた連中が道すがらそういうところを尋ねてくるかもしれない。極力、隠れようとするならそういう場所にいてはいけないのだ。
 となれば、もう山中、すなわち地図で言うならH-4の地点に隠れるしかないのだが……

576Trust:2008/05/05(月) 17:11:15 ID:rjytJX2E0
「私に、登れるんでしょうか……」

 山の方は切り立った崖のようになっていて行こうとするならよじ登る、即ちロック・クライミングの要領で登らなきゃならないし、それだけならいいがデイパックのこともある。これを抱えて登れるか、と問われると残念ながらノーと言わざるを得ない。運動は苦手なのだ。
 崖の高さは精々5メートルほどなのだが……この時ばかりは杏の運動能力が心から羨ましくなった。
 結局のところ、あの山に入れる場所を探してこのまま歩くしか当面の解決策はなかった。しかもそれで道が見つからないものなら……
 慎重派の椋にとってはとかく安全策がないと不安で仕方ないのだ。

(お姉ちゃんなら、きっとこんな時でもどーんと構えているんだろうなあ……)

 何とか姉のことを考えることで不安を晴らそうとするが、やはり気分は曇り空のように晴れない。一人、というのもあった。
 そう思い始めるとどっ、と疲れが押し寄せてきて椋の体が重石を載せたようになる。それはある意味当然である。
 祐介殺害以降慣れない行動、運動の連続で肉体的には既に限界を超えている。それに眠ってもいないし、食事すらしていない。

「……ちょっと、疲れました」

 ここまで緊張感で抑え込まれてきたものが一度に噴き出してきたのだ。休憩したいとの誘惑に負けてしまうのも無理からぬことだった。ふらふらと目立ちにくいと思われる岩陰に隠れ、腰を下ろす。途端、何とも言えぬ脱力感が椋の足先から全身に駆け上がり、はぁ……とため息をつかせる。
 これが柔らかい布団であるならどんなに良かったことだろうと椋は思ったが文句よりも先に食欲の方が催促を告げる。誘われるようにして椋の手がデイパックに伸び、いくらかくすねていた携帯食を取り出し、元気のなくなった小さな口で咀嚼する。

「美味しい……何でこんなに美味しいんだろ」

 普段なら何とも思わない味であるのに、抑えられた僅かな甘味が絶妙に身体に浸透し、疲れた体を癒していくようだ。
 支給品である水もまるでアルプス山中から直に取ってきたもののように喉から沁み込んで体全体を潤していく。
 はぁ、と先程の脱力感から来るものとは違うため息が椋の口から漏れた。
 そのまま今度は、強い眠気が襲ってくる。こんなところで寝てしまえば襲われて死ぬかもしれないというのに――既にその欲求に、体は降参しかけていた。

(ちょっとだけ……ちょっとだけなら)

 誰にともなく言い訳するように、椋の瞼が、少しずつ閉じられていった。

     *     *     *

577Trust:2008/05/05(月) 17:11:39 ID:rjytJX2E0
「で、腹の調子はどうよ、相棒」
「まあまあだな。つかお前、なんか俺が腹を下してるみたいに言ってねぇか?」
「なに、違うのか?」
「おい」
「はっはっは、冗談だって。だから殺虫剤を向けない。俺は害虫じゃないぞ」
「……楽しそうだね」
「にはは、仲良しが一番」

 氷川村の南から迂回するようにして、相沢祐一、藤田浩之、神尾観鈴、川名みさきはD-6にある学校へと続く街道をゆっくりと歩いていた。傷が塞がっていない観鈴と、怪我をしている浩之に配慮してのことだ。
 浩之が怪我をしている都合上、祐一がずっと観鈴を背負って歩いている(もっとも、浩之がみさきと手を繋いでいることもあったが)。道は診療所に行くときと違って平板な道だったので祐一には割りと余裕もあったし、そもそも観鈴が軽いのでしばらくは問題ない。むしろ問題なのは浩之だ。

「で、本当大丈夫なのか。無理すんなよ? 血ぃ吐いたんだからな」
「ああ、まあ、見た目ほど怪我は酷くない。気分が少しばかり悪いだけだ……あの戦闘で」

 腕を曲げたり首を左右に動かしたりしながら、浩之は体の調子を確かめているようであった。表情などに変化はなく、概ね好調のようである。
 急ぎたいのはやまやまな祐一ではあるが強行軍はリスクが伴う。ただでさえボロボロだというのに、これ以上の危険は避けたい。
 それは皆も同じだろう。だからこそゆっくり進もうという意見に賛同してくれたのだと、祐一は思っていた。
 もうこれ以上、誰も危険な目に遭わせる訳にはいかない。

(五体満足に近いのは、俺だけだからな……俺が神尾や川名を守らないと)
 頼れる『大人』である緒方英二のいない今、男として皆を守っていかなければならない――そんな責任感のようなものが、祐一の肩に深く、強迫観念のように圧し掛かっていた。今はデイパックにあるワルサーP5を、常に持っていないと不安に感じるくらい。

「ところでさ、神尾はどうなんだよ」
 そんな風に考える祐一の後ろで、浩之が声を掛ける。そうだ、忘れてはならないが、依然として神尾観鈴も重傷である。いや、それは既に十分理解していることであるが、怪我の度合いはどうなっているのだろうか。少しはマシになっているのだろうか。
 まあ、同じ怪我人の浩之に心配されるのはどうなんだろうな、とも思わないでもなかった祐一だが、そこには触れないようにすることにしておく。

578Trust:2008/05/05(月) 17:12:01 ID:rjytJX2E0
「にはは、イタイけど、たぶん大丈夫」
「「……」」
 顔を見合わせる二人。恐らくはまだ完治どころかズキズキと痛むのだろう。しかし耐えられないほどの苦痛でもなさそうだ、ということでまだ背負って歩いた方がいいだろう、と意見を(無言だけれども)一致させる。

「しかし、まぁ、俺もお前も、不運と言えば不運だな。一体何度襲われたよ?」
「確か……えーと、四回くらいは戦闘に巻き込まれてるかもな。よく覚えてない」

 考えてみれば、気の休まるときがなかった気がする。行く先々で戦闘に巻き込まれてきたのだ。それはもう、疫病神がついているのではと疑いたくなるくらいに。

「四回……お、多いね……」

 みさきが心配そうな視線……らしきものを二人に向ける。先の戦闘を除けば、みさきと浩之は以前のチームをバラバラにされた巳間良祐との戦いだけしか遭遇していない。だからこそ雄二とマルチのコンビに苦戦したと言えばしているのだが。

「全くだ。しかも、仲間を何度も殺されて……何度も逃げる羽目になって……俺の力のなさを痛感させられたよ」
「ごめんなさい、わたしのせいで……」
「神尾のせいじゃないさ。原因は全てあいつなんだからな……」
「……」

 観鈴を撃った人物であるまーりゃんこと朝霧麻亜子に憎悪に近い感情を抱いているであろう祐一を前にして、観鈴は複雑な気持ちになる。
 環はまだ麻亜子は同じ時を過ごした仲間であり、説得できる余地も残っていると考えていた。なるべくだって人が死ぬのを避けたい観鈴も、説得できるならそれに賛同したい。
 しかし祐一があのように考えることも当然だろうと理解していたし、たとえ説得に成功してもわだかまりは残るだろう。
 それでも、時間さえかければある程度は緩和されるだろうし、何よりもここから脱出するためにはいがみあっている場合ではない。
 しかし、そんな先のことを考えたって仕方がないのは観鈴にも分かる。今はとにかく霧島聖を探し出すことが先決だ。

579Trust:2008/05/05(月) 17:12:25 ID:rjytJX2E0
「ところで、あの時は色々ドタバタしてて深く聞けなかったが、この三人について何か少しでも知っていることはないか?」
 観鈴がそんな風に考えていると、祐一がポケットから診療所にあった例の置き手紙を改めて三人に見せる。

「あぁ、確かナスティボーイってのが世界一のエージェントなんだっけ? 俺もよくは知らないけど……」
「うーん、後は確か『ポテトの親友一号』と『演劇部部長』……だったかな? 私の知り合いに演劇部の部長さんはいたけど……もう、雪ちゃんは」
「……みさき」

 既に鬼籍に入ってしまった深山雪見のことを思い出しているのか、みさきが肩を落とす。場が少しばかり重い空気になりかけたところで、ほぐそうとするように観鈴がわざと明るく言った。

「あ、あの、わたしにも見せて欲しいな。ほら、観鈴ちん、こっからじゃちょっと遠くてよく見えないから」
「あ、ああ。そうだな。ほら」

 それを察して、浩之が手紙を回す。改めて観鈴はしばらくそれを食い入るように、署名された三人の名前を見つめていたが、時折首を捻ったりするばかりで知っていると思われる人物はいなさそうであった。

「心当たりはないか?」
 少しでも会話を挟むべきだと思った浩之が尋ねると、「うーん」と靄の晴れない表情で言った。

「ポテト、って名前は往人さんが何回か口にしてたんだけど……わたしには分からないかな。往人さんなら知ってるかも」
「そうか……」
「ごめんなさい……」
「ああ、いいんだ。おまけみたいなものだしな。どうせ、先に行くのは学校だ。それに、もうそいつらだって移動してるかもしれないしな」

 素性が少しでも分かればより味方かどうかの判断がつく。安全性を高める上で限りなく重要な情報ではあるのだが、そこまで心配するほどでもないだろうと考えた結果である。

580Trust:2008/05/05(月) 17:12:52 ID:rjytJX2E0
「やっぱこんなところか……」
 若干の失望を残す祐一の声に、悪いな、力になれなくて、と浩之が告げる。みさきがそれに口添えするように、仕方ないよ、私こそ雰囲気悪くしてごめんね、と謝る。しかし浩之はいやいやと首を振って、
「そんなことはないって。あの反応は当然だ。俺がみさきでもそうするさ」
「……うん、ありがとう」

 言ったかと思うと、今度は何やらいい雰囲気になっている。ぴったりと手を繋いでくっついているその姿は、誰だって言わずとも分かる。

「バカップルだな……」
「うん、バカップルさん」
 うんうんと、二人は納得していた。

「あ、そうだ……えっと、祐一さん、ちょっといいかな」
「ん? どうした?」
 少し遠慮した物言いだったが、なるべく気さくに祐一は返事する。観鈴はその雰囲気に少し安心したように続ける。

「えっと、その……わたしのことは、観鈴、って呼んで欲しいな……にはは、ダメ、かな」
「……ああ、そんなことか。別に構わないぞ。もっと早く言ってくれても良かったのに、『観鈴』」
「……ありがとう」

 嬉しそうにはにかむ観鈴。今まで癇癪持ちで、同世代の人間から名前で呼ばれることがあまりなかったから……本当に嬉しかったのだ。

「もういいのか? 何だったら俺のことは『祐一お兄ちゃん』って呼んでくれてもいいぞ」
「もういいよ。早くいこっ、祐一くん」
「……スルーっすか」

 見事なスルーの観鈴と、肩を落とす祐一。その後ろではいい雰囲気の浩之とみさき。
 今は幸せな四人。
 そのもう少し先からは、一人の人物が忍び寄ってきていた。

     *     *     *

581Trust:2008/05/05(月) 17:13:32 ID:rjytJX2E0
 藤林椋が目を覚ましたのは、既に夕方近い時刻になっているときだった。
「!?」

 その時になってから、ようやく椋は自分が浅くはない眠りに落ちていたことに気がついた。
 果たして眠っていたのは数十分か、数時間か?
 いや、いずれにしろこんなところに居ては危険が大きい。

(とにかく、はやくどこかに逃げないと)
 どこか? どこに? 果たして逃げるところはあるのだろうか。
 そんな疑問を持ちながらも、とりあえずこれまでのように、南へと移動していく。

 その道中で、ゆっくりと移動している四人組を発見する。遠目なのでよく分からないが、何やら怪我をしているようにも見受けられる。
 さて、どうする。
 まだ相手がこちらに気付いていないことを生かして奇襲か、それともこれまで通り内部から切り崩していくか。
 このままぼーっと突っ立っていても良いことは何もない。それこそ、今にでも後ろから迫っているかもしれないあの生き残りどもが拳銃を向けて――

(し、仕方ないです……!)
 下手に討って出てそれが柳川裕也のような戦闘力のある人物でも困るし、万が一仕留め損なって逃げられると後々厄介なことになる。何せ敵は大人数だ。
 やはり安全策に出た椋ではあったが、結果的にそれは椋も、そして遭遇する祐一、浩之、観鈴、みさきの四人にとっても取り敢えずは命を繋ぐことになった。

「あ、あの……」
 こそこそと様子を窺うようにして出てきた椋に、浩之と祐一が思わず身構えた。
「わ、わ……ご、ごめんなさい」

 萎縮するように身を縮こませる椋に対して、警戒心を高めていた二人、そして背中にいた観鈴も、戸惑いの雰囲気を感じ取ったみさきも顔を見合わせる。
 見れば目の前の少女はいかにも大人しそうでそればかりか怪我をしているようにも見受けられるではないか。どうしてこんなところに、一人で?
 四人にそんな疑問が浮かんでくるのは当然だった。目の前の椋は「あの、あの……」とおどおどするばかりで話そうとはしない。仕方なく、という風に浩之が質問を投げかける。

582Trust:2008/05/05(月) 17:13:52 ID:rjytJX2E0
「……あの、そんなに警戒しなくてもいいぜ。俺達は殺し合いに乗っているわけじゃない。それより、どうしてこんなところにいるんだ?」
 構えを解いてなるべく、といった風だが優しく話しかける浩之に、椋は未だびくびくしたように、しかし心中では「しめた」と思いながら事情を説明し始める。

「実は……私はさっきまで、ここから少し先にある村にいたんです。けど……」
「けど?」
「そこで……この殺し合いに乗ってる人たちに襲われて、無我夢中でここまで逃げてきたんです。この傷もその時に負って……」

 ぐっ、と血の滲んだ左腕の包帯を押さえる。もちろん言っていることの大半は嘘だ。本当のことなど言えるわけがないし、この連中が平瀬村に向かっているとしたならばこのまま向かわせるわけにはいかない。あそこの生き残りと鉢合わせしたら椋自身の立場が危うくなるからだ。
 嘘に嘘を重ねて……引き返させる必要があった。

「何とか逃げ切ることができて、包帯を巻いたまでは良かったんですけど……その時に人を見つけて……」
「それが俺達、ってわけか」
「はい……」

 四人が顔を見合わせる。この先の平瀬村に、乗った人物『たち』がいるという事実。椋の喋り口からして嘘とは考えにくかったし、あのような目立つ場所ではそのような人物がうようよしている可能性も高い。
 幸いにして、四人の目的地は平瀬村ではない。事前に情報を手に入れられたのは、幸運だった。
 祐一たちは半ば安心したように、椋に言った。

「……そうだったのか。それは助かった。そっちには気の毒だと思うが……」
「いえ……」

 一方の椋は、平瀬村に行っていないというばかりか、こちらの言葉を鵜呑みにしてくれたことはチャンスだ、と考えていた。
 上手くいけば平瀬村の連中を敵視させ、共倒れにすることだって可能かもしれない。
 それに、椋は殺し合いに巻き込まれた哀れな被害者であり、無力な人間ということを証明する材料になる。
 つまり、それはこの集団における油断を誘う結果となり、内側から切り崩すのを容易くしてくれるということだ。
 他の連中と争そわせ、疲れたところを椋で止めを刺す。そうすれば一気に四人、あるいはそれ以上も倒す事が出来る。
 彼らと行動した先で柳川が潜んでいる可能性もあるが、その時も椋ではなく彼らに戦わせれば被害は最小限で済む。危なくなれば逃げればいいのだ。

583Trust:2008/05/05(月) 17:14:17 ID:rjytJX2E0
「……そうだ、この三人について心当たりはないか? あだ名、みたいなんだが」

 祐一は観鈴を背負ったまま器用にポケットから例の手紙を取り出して椋に渡す。
 書かれていた内容は全然信じる気のない椋だったが、署名していた三人のうち、一人は見当がついた。
 演劇部部長――つまり古河渚。何度か演劇部には出入りしていたので彼女については知っている。とは言えど信用などできるわけがない。普段の渚と、ここにいる渚が同じなわけがないのだ。生き残るために平気で他人を裏切るに決まっている。

「……知ってます。この人は。ですが……」
 またもや口を濁す椋に不安を感じる四人。若干の間をおいて、椋が『演劇部部長』の文字を指でなぞりながら続ける。
「この人たちに、襲われたんです。古河渚、っていうんですけど……」
「な、なんだって……!?」

 信じられないとった驚き方に椋は内心ほくそ笑む。そうだろう。書かれた内容とは裏腹に、裏切って襲ってきたというのだから。
「この、渚って人とは知り合いだったんですけど、私が平瀬村についたときに話しかけてきて……あ、私は吉岡チエさんと観月マナさんって人と行動してたんですが、その時に近づいてきたと思ったらいきなり包丁で刺そうとして……その時の傷が、これです」

 左手の傷を見せられ、次々と明かされる椋の『真実』に不安の色を強めていく四人。
 ……だが、観月マナの名前を聞いた祐一が椋に質問する。

「ちょっと尋ねたいんだが……観月マナ、って奴は結構前に、ちょっと話をしたくらいなんだけど、会ってたことがある。で、そいつと……河野貴明って奴が一緒にいたんだが、それは知らないか?」
「……いえ、それは知らないです」

 マナと貴明は一緒に行動していたが、ここは嘘をついておく。どうせ分かりっこないとはいえ、保険はかけておく。チエとマナと行動していた、と言ったのは椋の目で死亡を確認できたのがその二人だからだった。死者は何も語らず。
 無論、連中の誰かが生きていて、椋の嘘をばらしてしまうことも考えられたが普通に考えればあのスープの一件で椋を除く七人が殺しあっていたとすれば一人しか生き残らないのが定石である。
 さらに戦闘で傷ついていたのだとすればそこを更に誰かに襲われ死亡することも考えうる。現に渚を含む三人が平瀬村に向かった、というのだから。
 故にチエとマナと行動していた、というこの嘘はバレにくい。


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