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避難用作品投下スレ3

1管理人★:2007/10/27(土) 02:43:37 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

209Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う?:2008/01/17(木) 22:29:33 ID:2/q5zlEg0
親指をビッと立てる風子のそれに、すぐ様つっこみを入れる由真。
平和だった。
その平和に、一瞬でもここが戦場である事実を朋也に忘れさせる。
だからこそ、ショックは大きかったのかもしれない。
民家に響き渡るノイズ、聞き覚えのある男の声が紡ぐ放送。
死者の発表、そして信じがたい謎の公約。

朋也の心に亀裂が走る。
朋也だけではない。
由真も。みちるも。
そして、風子も。
皆の心を捉えられるそれは、たかだか数分のものである。
しかしそれによって、食卓の空気は一変した。
言葉の消えたダイニング、食べかけのパンに再び手を伸ばす者はいない。

「岡崎朋也……」

蒼白となる朋也の顔を、正面に座っていたみちるは心配そうに見上げてくる。
言葉を返す余裕はないのだろう、朋也は無言でそれを流した。
藤林杏、彼女の死が朋也にもたらした影響は大きい。
また続け様に呼ばれた古河夫妻の名にも、朋也はショックを隠せなかった。
呆然となる朋也、それを見つめるみちるも、由真も。無言で固まってしまっている。
そんな中最初に動いた風子は、押し黙る三人を他所に一人食事を再開した。
パンを口の中に押し込み水でそれを流す様は、まるで学校に遅刻しそうになって急いで支度を終えようとしている朝の風景を連想させる。
食事が終わると風子はそのまま手にしていた三角帽子を頭に載せ直し、部屋の隅に集められていたデイバッグの方へと掛けて行った。
中身を確認してデイバッグをしょいなおした所で、風子は相変わらずの三人に向かってお辞儀をした。

「今までお世話になりました」

210Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う?:2008/01/17(木) 22:30:00 ID:2/q5zlEg0
ぼーっとした三本の視線が風子に集まる。
誰もが彼女の言葉の意味を、理解していなかっただろう。
彼女の次の言葉を、聞くまでは。

「風子、もう皆さんと一緒にはいられません。風子は優勝を狙います」
「……はあ?」

気の抜けた朋也の声。
風子はぎゅっと両手で握りこぶしを作り、それを胸の前で構えていた。
幼いその立ち振る舞いと口から出る真逆の残虐さは、それこそ彼女が自分の言っていることを理解していないようにしか他者には思えないだろう。

「風子、お姉ちゃんに会いたいです。そのためには何でもできます」
「馬鹿、できる訳ないだろ……死んだ人間が甦るものか、考え直せ」
「考え直しません!」

だが、風子の決意は本物だった。
意固地になっている彼女が、どうすれば「優勝」できるのかということまで考えているかは甚だ疑問ではある。
溜息を吐く朋也、しかしこれ以上話すことはないと風子はさっさと翻り彼らに背を向けた。

「おい風子! 風子!!」

朋也の声にも振り返らず風子は駆けていく。
しばらくしてから玄関のものと思われるドアが開閉する音がダイニングまで届き、風子がこの民家を出てしまったという事実だけがここに残った。

「たっく、世話かけんなよ……」

もう一つ溜息をつくと、朋也は面倒くさそうに椅子から立ち上がった。
とにかく風子を追いかけなくてはいけないという朋也、しかしそれを止める者がいた。

211Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う?:2008/01/17(木) 22:30:40 ID:2/q5zlEg0
「待って、岡崎さん」

朋也が振り返ると、そこにはまだ椅子に座ったままの由真がいた。
由真の表情は真剣だったが風子のことが気になるのだろう、朋也は由真を適当にあしらおうとする。

「何だ、話なら後に……」
「あの放送、望みなら何でもって言ったわよね」

ぴたっと。朋也の足が止まる。
改めて由真をしげしげと見る朋也の視線には、彼女発した言葉に対する疑念の意が込められていただろう。
怯んだように由真も一瞬肩を竦めるが、彼女はしゃべりを止めなかった。

「言ったわよね。優勝して、皆を生き返らせればいいって」
「お前、そんな馬鹿げたこと信じてんのか?」
「で、でもそう言ったじゃない! あの子じゃないけど、い、生き返らせることができるなら……そ、それなら、手っ取り早く優勝を目指した方が……」
「十波!」

朋也の怒号が響き渡る。
ひっ、という由真の小さい悲鳴が隣から上がり、隣に座っていたみちるも思わず身を震わせた。
……怯える二人の姿に朋也は、溜息をまた一つ吐く。

「その話は後にしろ。今は風子を探すのが一番だ」
「……」

訪れた無言は、朝の楽しい風景の微塵など微塵もない。
朋也は内心の苛立ちを隠そうと無言をつらぬき、由真とみちるが支度を終えるのを待った。
タイムロス。
二人を待っている間に風子を先に探しに行った方が良かったのではないかという考えも、朋也にはあった。
最初は朋也も、そうしようとしていた。
しかし由真の挙動に不信を感じ、朋也は三人でいることを選んだ。
それは間違った選択ではないだろう、風子と合流することができても他の二人と再会できなければ意味はない。
それならば、あのくだらないやり取りで足止めを食らうことができたということは、朋也にとってはプラスになるはずだった。

212Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う?:2008/01/17(木) 22:31:04 ID:2/q5zlEg0
(そう考えるしか、ねーだろ……)

民家を後にした三人の視界に、風子が辿ったと思われる道しるべは何もない。
これで焦るなと言われた方がおかしいだろうと、朋也は内心毒づいた。





一方由真の心の揺れは、他の誰にも伝わっていなかった。
河野貴明、長瀬源蔵 。放送で上げられたあまりにも身近な名前に、由真の平常心は一瞬で崩された。
引いていく血の気が軽い貧血を予感させる、しかし倒れる訳にはいかないと由真は一人踏ん張った。
またもう一人、親友でもある少女の名前を聞いた気が由真はしていた。
実際は彼女ではなくその妹に値する人物なのだが、貴明の名前が先に呼ばれたことでホワイトアウトしてしまった由真の思考回路では、それを正確に捉えることができなかった。
小牧という少女が死んだ、それは今由真の中ではイコール小牧愛佳を指してしまっている。

みんな死んだ。由真が大切に思っていた人物は、全員死んでしまっていた。
道中由真が共に時間を過ごすことになった笹森花梨の名はなかったが、それでもこの現実は由真にとってあまりにも大きい悲劇としか言いようがなかった。
そんな由真に、まるで天からの恵みとも思えるような囁きが訪れる。

『発表とは他でもない、ゲームの優勝者へのご褒美の事さ。相応の報酬が無いと君達もやる気が上がらないだろうからね。
 見事優勝した暁には好きな願いを一つ、例えどんな願いであろうと叶えてあげよう』

正常な判断ができなくなりかけている由真の心に、その言葉はすっぽりと落ちていった。
そして空虚だった彼女の隙間を埋めようと、存在感をアピールしてくる。

『だから心配せず、ゲームに励んでくれ。君らの大事な人が死んだって優勝して生き返らせればいいだけだからね』

可能性はゼロじゃない。
嘘か本当か判断することはできない、だが言葉の魔力に確かに由真は取り付かれかけていた。

213Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う?:2008/01/17(木) 22:31:51 ID:2/q5zlEg0
―― 由真の心の揺れは、他の誰にも伝わっていない。

朋也にも。
みちるにも。
勿論、風子にも。
皆、自分のことで精一杯だった。他者のことを気にかける、余力もなかったのだろう。
皆、子供だった。それは仕方のないことだ。

誰もが内面に悲しみを抑えようとした結果が、これだ。
深夜風子の心を癒した朋也の行動がまるで嘘だったと思えるくらい、四人の心はばらばらになっていた。




【時間:2日目 6時半過ぎ】
【場所:f-2】 

岡崎朋也
【持ち物:クラッカー複数、支給品一式(食料無し)】
【状況:風子を追いかける,当面の目的は渚や友人達の捜索】

十波由真 
【持ち物:ただの双眼鏡(ランダムアイテム)】
【状況:風子を追いかける、混乱気味】

みちる 
【持ち物:武器は不明、支給品一式(食料少し消費)】
【状況:風子を追いかける、当面の目的は美凪の捜索】

伊吹風子
【所持品:スペツナズナイフの柄、三角帽子、支給品一式(食料少し消費)】
【状態:公子を生き返らせるために、優勝を狙う】

(関連:365)(B−4ルート)

214冷たい方程式:2008/01/19(土) 02:45:41 ID:Ba6WrXYs0
 俺様は堤防の上に座り込み、おむすびの包みを広げていた。
「やってらんね……」
 少しでも空腹になるとやる気がなくなる。しかもこの暑さだ。
 堤防の上は海から吹き込んでくる風が強く、涼しい場所だった。
 汗が乾いていくのが分かる。
 見晴らしも良かったから、昼飯を食べるには絶好の場所だった。
 俺様はおむすびを包みから取り出す。
 重いと思っていたら、ボーリングの玉のように馬鹿でかいおむすびだった。量的には申し分ない。
 もぐもぐ……
 海を前にあぐらをかいて、馬鹿でかいおむすびを頬張る。
 まるで観光客だった。
「うーん……」
 すぐ隣に立ち、一身に風を受ける犬がいた。
 ……犬?
「ぴこ」
 その犬は何を血迷ったか俺様のおむすびへ――
「ぴこ〜〜〜♪」
 ――ではなく、俺様の唇へ……って! オイ! 何だこの超展開は!
「ちょ、おま、待て、俺様は心の準備が……じゃなくてこんな展開知らねぇぞ! こっち来んなぁああぁぁぁあぁ!!!」

     *     *    *

215冷たい方程式:2008/01/19(土) 02:46:04 ID:Ba6WrXYs0
 そこで俺様は目を覚ました。何だ夢か……まったく最悪の夢だったぜ。
 やれやれ、この高槻様ともあろうものが柄にもなく取り乱しちまったな。でもどうせなら夢オチだろうと絶世の美女(ボインボインの)とやらせてくれたっていいじゃねぇか。お前らだってそう思うだろ?

 ところで、俺様に近づいてくるこの白い毛むくじゃらみたいなのはなんだ? 何かゴマ粒みたいなのが二つと逆三角形のおむすびみたいなのと舌みたいなのがついてるんだが。しかもこっちに近づいてくるし。何か知らんが異常に興奮してるみたいだし。おちけつ、お前の目指すべき相手はここから遠く離れたスペインの闘牛場にある赤いマントのはずだ。だからこっち来んな。

「……ぴこ……」
 はてどこかで聞いたことのある鳴き声だな。はっはっは、幼児の玩具みたいな鳴き声だな。こいつなら投稿! 特ホウ王国に持っていけそうだ。あの番組は大好きだったなあ……ヤラセだと分かった時には萎えたけどな。
 おや、ゴマ粒が小さくなったぞ。まるで目を閉じているみたいだな。うん、耳に響いてくるこの息遣いといい、動物的なワイルドな涎の香りといい、本当の犬みたいな……犬……ぴこ……待て。まさかこいつは――

 その瞬間、俺様の脳裏には『ズギュウゥゥゥゥン!!!』という効果音と共に熱い接吻を交わすあの漫画の一コマが描き出された。同時に、何かを祝福するように二人組の天使様が盛大にラッパをぷっぷーと鳴らしている。待て待て待て! 勝手に未来を確定させんじゃねぇええぇえぇぇ!
「何すんじゃこのアホ犬がぁあぁあぁぁぁぁああwせdrftgyふじこlp;@!」
 絶叫しすぎて後半人間の言葉になっていなかったが、とにもかくにも俺様は唇を奪おうとした超駄犬、ポッテートを引っつかんで海へと向かって思い切り放り投げた。

「ぴこ〜〜〜〜〜〜〜……」
 気の抜けるような声を残して海中へとフェードアウトするポテトを、肩で息をしながら見送る俺様。パシャーンと水しぶきをあげた光景が、妙に美しかった。
 そこでようやく、俺様はここが海岸だということに気付く。はて、どうして俺様はこんなところにいるんだっけ?

「相変わらず元気ね……」
 呆れたような、冷めたような声が俺様の耳に届く。振り返るとそこには片手でゆめみに背負われた郁乃の姿があった。ぐったりとしていてどうも元気がなさそうだ。
 ……そうだ、思い出した。俺様は崖から転落した郁乃を追ってゆめみと一緒に海へ飛び込んだんだっけな。でも意外と波が激しくて右往左往しているうちにだんだんと意識がブラックアウトしていって……

216冷たい方程式:2008/01/19(土) 02:46:29 ID:Ba6WrXYs0
「郁乃。俺様はどんくらい寝てた?」
「さぁ? 私も気絶してたからなんとも言えないけど、いの一番に溺れてたのはアンタ」
 ビシッ、と人差し指が俺様に向く。ちげーよ! 泳げないんじゃないんだよ! 着衣水泳がどんだけ難しいかお前らだって分かってんだろ!?
 ……と言い訳しようと口を開こうとした瞬間、さらに郁乃がお得意の毒舌を振るう。

「カッコ悪い。最低」
 ぐはっ、と砂浜に崩れ落ちる俺様に、更にゆめみが言った。
「た、高槻さんお気になさることはありません! ポテトさんがしっかりフォローしてくれましたから」
 ゆめみさん、そいつは当てつけですか? つーかまた犬に助けられる俺様って……どうよ? ヒーローとして。
「そうそう、ポテトさんはすごいですよ。わたし以上に早く泳いでいましたし、人工呼吸も出来るんです。わたしは呼吸という行動をしないので高槻さんが溺れて息をしてなかったときはどうしようかと……」
「全くよ。私も気絶してたけど、流石にアンタほどじゃなかったわ。さっき投げ飛ばしてたけど、後でお礼言っときなさいよ? ほんっと手間のかかる奴なんだから……」

 なんだこの扱いは。俺様の株が急落、ポテトがうなぎ上りって感じじゃねーか。つーか人工呼吸する犬ってどうなのよ? ……待て。人口呼吸?
「おい人口呼吸って……まさか」
 俺様は半ば顔を青ざめさせながらようやく舞い戻ってきたポテトを見やる。ずぶ濡れになったポテトは暢気にぷるぷると体を振って水分を払っていた。
 冗談だよな? 俺様が犬に人工呼吸されて死の淵から復活したなんて。きっと郁乃あたりが「べ、別にこれはキスなんかじゃないんだからね!」と典型的ツンデレのように恥じらいながらやってくれたってオチなんだろ? HAHAHA、二人して随分ウィットに富んだジョークを言ってくれる。な、そうだよなポテト?
 俺様が懇願するように視線を投げかけても当の畜生は「ぴこ?」と首を傾げるばかり。そして現実は非常だった。

「はいっ、ポテトさんが必死に高槻さんの口に息を吹き込んでくれたんです。それも27回も」
「……」
 これ以上ない笑顔でポテトの活躍を嬉々として伝えるゆめみさん。
 したのか。27回……27……か……い……

「……ねぇ、大丈夫?」
 見るに見かねたような表情で郁乃が気遣ってくれる。あまりに酷い顔だったのだろう。俺様は必死に笑顔を繕いながら親指を立てて返事する。
「へ、へへ、大丈夫に決まってるだろうが……27回……」
「……」
 ご愁傷様、と小声で言うのが聞こえた。郁乃にとっても犬が人工呼吸をしている光景というものはさぞシュールだったに違いない。

217冷たい方程式:2008/01/19(土) 02:46:55 ID:Ba6WrXYs0
「ぴこ、ぴーこっ」
 いつの間にか俺様の足元まで来ていたポテトが「気にするな」とでも言うようにぽんぽんと前足で脛を叩いていた。このまま奴を地平線の彼方まで蹴り飛ばしてやりたかったが今の俺様にはそんな気力もなかった。
「それでは、高槻さんも目を覚まされたようですしここから移動しましょう。幸い、みなさんのお荷物は無事だったようですし」
 ゆめみが方向転換し、何やら黒いものが山積みになっている地点に視線を向ける。あれが荷物だったのか。多分ゆめみが集めておいてくれたのだろう。
「車椅子は海中に沈んじゃったけどね」
 荷物を見ながら、自嘲するように郁乃が呟く。何かが足りないと思っていたが、郁乃がゆめみに負ぶわれていたのはそのためだったらしい。となると郁乃が自力で移動する手段もなくなったことになる。この島に車椅子みたいなものがあれば、また話は別だが。

「ふん、死ぬよりはマシだと思えよ。それよりも、俺様は疲れた。どっかで休憩するぞ」
「ちょっと、何よその言い方……いや、それはもう何も言わないけど、折原や七海……それに杏さんを探さなくていいの!?」
 俺様の言い草にカチンと来たのか、郁乃がゆめみの背中から身を乗り出すようにして怒鳴る。言いたいことは分かるが、分析ってものが出来ていない。それにあいつらとは元々成り行きでくっついていた連中だ。俺様が探す義理もない。だがそこまで言えば口論が発展するだけだろう。ファンを減らす愚は犯さないのがハードボイルドのハードボイルドたる所以なんだなこれが。

「アホか、真面目に考えてみろ。あそこにいた女……あの変な恐竜みたいなのに乗ってた女がいただろ? あの様子じゃ一戦はあったはずだ。結果はともかく、今もあの場所にいるとは、とてもじゃないが思えねぇ。いや精々バラバラになって逃げるのが関の山だっただろうよ。そんなあいつらをどうやって探す? ヒントもなしに。それにお前もそんなぐったりした様子で、体力が持つのか? それだけならまだいいが、お前は歩けない」
 ぐっ、と郁乃が息を呑むのが分かった。その点に関しては何も言えない事は本人も分かっているはずだ。それを利用するようだが……ここでビシッと言っておいてやるか。

「事実だけ言ってやる。今のお前は足手まとい以外の何者でもないんだよ。本来ならこの時点で見捨てられてもおかしくない。まぁ俺様はそんなことはしないが……とにかく、お前がいるせいで移動にも手間がかかってる状態だ。そんな状態でうろちょろしてみろ、いい的に」
「分かってるわよ!」
 郁乃の叫び声が俺様の声を掻き消す。悔しそうに歯噛みをしているのが見て取れる。郁乃のことだ、傷を抉られるようで聞ける言葉ではなかったのだろう。
 『セイギノミカタ』ならこんな状況でも快く郁乃の頼みを引き受けたかもしれない。だが俺様はそんな存在じゃないし、そんなものは反吐が出る。安請け合いはできなかった。

218冷たい方程式:2008/01/19(土) 02:47:22 ID:Ba6WrXYs0
「分かってるわよ……私が、足手まといなんて……このゲームが始まった時から……」
「小牧さん……」
 ゆめみは心配そうに郁乃を見るが、それ以上の言葉は口に出さない。単にこんな状況でかける言葉がプログラムされていないだけなのか、それとも俺様の言葉が正しいと分かっているからなのか……どちらにせよ、ゆめみは口出しする気はないようだった。
「でも悔しいじゃない……私を助けてくれた人に何も出来ないなんて……私だって、私だって役に立ちたいのに……じっとしてることが一番役に立つだなんて、そんなバカな話ってないじゃない……」

「口だけなら何とでも言えるな」
「……!」
 追い討ちをかけるような俺様の言葉に対して、郁乃がキッとこちらを睨む。でも睨むだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
「後悔してる暇があったら何とかしてみろ。だからバカなんだよお前は。俺様が言ったのは『俺様が疲れたから休みたい』これだけだ。休んでる時間お前らが何をしようと俺様にゃ関係ない。精々歩く練習をしようが銃を撃つ訓練みたいなことしようがな。後悔や反省ってのは、明日に生かすためにあるんだよ」

 くぅっ、良い事言ってるよ俺様! これがハードボイルドの真髄って奴だよな! などと悦に入っている俺様に、郁乃が小憎たらしい口調ながらも言った。
「あんたなんかに言われる筋合い無いわよ……犬に27回も人工呼吸されたことをまだ引き摺ってるくせに」
「ああそうだ、俺様は悪党だからな。くっくっく……反省なんてしないんだよ」
 自分で言うのもなんだが下卑た声で笑う俺様に郁乃が眉を潜めながら捨て台詞を吐いた。
「……見てなさいよ、あんたが昼寝から起きた時には歩けるようになってみせる」
「お? だったら俺様の意見に従うってことでいいんだな? ん?」
「ムカツクわねその言い方……そうよ、そうだって言ってるのよ!」
「こ、小牧さん少し落ち着いて……高槻さんもあまり煽らないで下さい」

 おろおろするゆめみだが、まぁこれくらいはいつものやりとりだ。後は精々郁乃の成長に期待するとしますかね。
「はいはい、分かった分かった。んじゃ取り合えずあそこに見える家で休憩するぞ。俺様はしばらく寝るから後は勝手にしろ。行くぞポテト」
 海岸のすぐ近くにあったバラ家を指して、ぴこ、とポテトを引き連れながら俺様は疲れきった体を休ませるべく歩き出した。おっと、荷物も忘れずにと。ついでだから二人の分も持っていってやるか。俺様は紳士だからな。

219冷たい方程式:2008/01/19(土) 02:48:05 ID:Ba6WrXYs0
 俺様はまず山積みになっているデイパックまで歩いて行き荷物を回収する。その背中から、ゆめみと郁乃の話す声が聞こえてきた。
「小牧さん、本当によろしいのですか?」
「いいの。あいつの言ってることは正しい……ムカツクけど、ゆめみに背負われてるのが、今の私なんだから……」
「……分かりました。では、まずはあの家までお連れいたします」
「あいつ、あれで私を気遣ってくれてたのかな……」
「と申しますと?」
「あいつね、案外あれで鋭いところがあるから……私が歩けないことを気にしてるの、とっくの昔に気付いてて、だからあんなことを言ったんじゃないかって……ううん、やっぱ考えすぎよね。あいつロリコンだし、変態だし、天パだし」

 うるせえ。天パは関係ねぇだろ、というかロリコンじゃねぇと言いたかったが、あえて聞こえないふりをしながら俺様は先を歩いていった。
 別にそんなつもりで言ったわけでもねぇしな。まあ、多分……
「ぴこぴこっ」
 ポテトだけは、何故か知らんが楽しそうだった。

     *     *     *

 侵入した家屋には、運がいいのかどうかは分からないが、今のところは誰もいないようであった。明かりのついていない室内には、雑然と日用品などが転がっている。小牧郁乃とほしのゆめみの前を歩く高槻は、それを気にすることもなく蹴散らしながら自分が寝るためのスペースを確保しているようであった。
「あの、お布団は……?」
 普通寝ようと思うならベッドや布団などをまず探そうとするはずだ。ゆめみが尋ねるが、高槻は面倒くさそうに「床で寝る」とだけ言うと三人分のデイパックを無造作に放り投げ、どかっ、と壁にもたれかかるようにしながら目を閉じて睡眠に入り始めた。実に素早い行動力である。

「高槻さん、毛布くらい敷かれた方が」
 ゆめみが毛布を持ってこようかと提案しようとしたが、既に高槻はぐーぐーと小さないびきをかきながら夢の世界へと旅立っていた。目を閉じてから実に一分足らず。ギネスブックに載りそうなくらい早かった。

220冷たい方程式:2008/01/19(土) 02:48:30 ID:Ba6WrXYs0
「放っとけばいいわよ。バカは風邪引かないって言うし」
 ゆめみに背負われている郁乃はそっけなく言うと、ゆめみに床に下ろすように頼んだ。
「ちょっと自分で立ってみる。時間が惜しいわ、早く歩けるようにならないと」
「ですが、小牧さんも疲れていらっしゃるのでは……」
「あんなこと言った手前、今更引き下がれないでしょ。あいつに比べればそこまで疲れてない。それに、ここに来る前もお姉ちゃんとある程度リハビリはやってた。死ぬ気でやれば……絶対歩けるようになるはずだから」
「……分かりました。ですが、わたしが危険だと判断したときはすぐにお止めいたします。それがわたしの役割ですから」
 大げさな言い方ね、と郁乃は思ったがこれがゆめみなりに譲歩した言い方なのだろう。「分かったわ」と頷くと、ゆめみがゆっくりと腰を下ろし郁乃の体を地面へと解き放つ。それからゆめみは郁乃から数歩ほど離れたところまで歩き、郁乃を見守るようにしてその場で止まる。

 まず郁乃が目指すべきゴールはそこだった。
 動かせないわけではないのだ。力が入らないだけで、曲げたりすること自体はやや努力を要するが、出来る。軽くストレッチして体を解し、筋肉を使う準備をした後、いよい直立に移る。

 とりあえず自力だけで直立してみようとするが、下半身に上手く力が入らず、上半身だけが小刻みに揺れる。感覚はあるのだが、命令が伝わっていない感じだ。やむを得ず、郁乃は近くにあったテーブルの足を掴んでそこを頼りに立ち上がろうとする。
「……っ、くっ……!」
 力のない足で直立するというのは考える以上に大変な努力を要する。ぐらぐらして不安定な竹馬に乗っている感覚。ついこの間までリハビリをしていたと言うのにまるで体が忘れてしまったようだ。しかしここで簡単に諦めるほど郁乃は軟弱ではない。

 歯を食いしばり、汗を流しながら徐々に体を持ち上げていく。一度立ちさえすれば次も成功する。体というのは一度経験したことをよく覚えているものだ。忘れてしまったなら、また思い出させてやればいい。ゆめみはと言うと特に何を言うでもなく、黙々と郁乃が奮闘する様子を眺めていた。
 それでよかった。下手に言葉をかけられるより黙って見てくれている方が、郁乃にとっては励みになった。
 お姉ちゃんも、こっちが心配したくなるくらいハラハラしたような目で見てたけど……でも、安易に手を貸すこともなかったし、私を信じてくれていた。「おめでとう」は本当に体の底から全快したときだけでいい。だから……ここで踏ん張るっ!

221冷たい方程式:2008/01/19(土) 02:48:51 ID:Ba6WrXYs0
 郁乃はキッと目つきを変えて一気に立ち上がった。
 まだそれは一人立ちというにはあまりにも拙い、テーブルという支えがなければすぐにでも倒れてしまいそうなほど不安定なものだったがそれでも、郁乃は一人で立ち上がったのだ。
 よし……次に、バランスを保ちながら……
 恐る恐るといった調子で、テーブルの上に乗っけていた手を放し、自分の足だけを頼りに郁乃は立った。これもやや不安定ではあったが、倒れることはない。

 以前のリハビリでここまでは楽に出来るようになっていたからだ。それをようやく、身体が思い出したというだけだ。問題は、ここからだ。
「ゆめみ」
 一声かけるとゆめみがはい、返事をする。つい数十分前にも声を聞いたのに、それは実に久しぶりに聞いたように感じられた。
「今からゆめみのところまで歩いていくから、そこで待ってて」
「分かりました」
 頷くと、またさっきまでのように黙って、郁乃の行動を見つめる。郁乃は大きく深呼吸すると、右足を前に出すように命令を送る。
 しかし、脳裏に思い描いたように上手くはいかず、まるでロボットのようにぎこちなく、それでも一歩、前に踏み出した。聞こえる足音が、やけに鮮明に耳に届く。他の誰でもない、自分だけの足音が。
 バランスは崩れない。それはこれまでのリハビリでしてきたことは失われてはいないということを証明していた。

 平地歩行の段階まではいっていたという経験。だから次の一歩は、より自信を持って踏み出せた。
 半ば引きずるような、重々しい、映画のゾンビのような足取り。歩行と言うにはほど遠い代物ではあったが、それでも僅かずつ進んでいく。
 郁乃の視線の先には、母親のようにしっかりと見つめているゆめみの光学樹脂の瞳があった。そのカメラの向こう側にいる自分はどう移っているのだろう、と思いながら郁乃はまた一歩、足を進める。

「……今のペースですと、後八歩で辿り着けますよ」
「八歩か……」
 台詞だけ聞けば残りの距離を告げているだけに過ぎない。だがメートル換算ではなく、歩数で距離を表現していたことに郁乃はゆめみなりの優しさというものを感じていた。こういう気遣いが、本当にプログラムされたものなのかと思うくらいに。

「ゆめみ、訊いていい?」
「はい、小牧さんがよろしければ」

222冷たい方程式:2008/01/19(土) 02:49:15 ID:Ba6WrXYs0
 一歩。前へ。

「ゆめみには……学習能力とか、経験を蓄えるっていうか、そういう機能はあるの?」
「それは……半分は備わっています」
「半分?」

 一歩。前へ。

「わたしは、わたし自身で状況によっての言葉の過ちを認識できません。例えば……不謹慎だと理解している上で申し上げますが『お亡くなりになった』を『死んだ』と表現したりだとか……元々プログラムされているもの以外は誰かに『間違っている』と指摘されない限りは正しく表現できないときがあります」
「行動とかも同じ?」

 一歩。前へ。

「はい。不適切な行動があったときにも指摘してもらった上で正しい行動を示していただかないと、また同じ失敗を繰り返します」
「でもゆめみって道徳とか倫理感とか、そういうのはきちんとしてるよね。運動にしても一通り出来るみたいだし」
「そのような人間として最低限必要な道徳や倫理感などはあらかじめプログラムされていますし、複雑な運動に関しましては先程のインストーラで取得できましたから。わたしが持っていたのはプラネタリウム解説員としての行動規範、及びお客様が危険、災害に晒されたときの基本的防護マニュアルくらいで……」

 一歩。前へ。

「まだまだ知識として足りない部分もたくさんあります。それだけではなく、小牧さんたち人間の方が持っていらっしゃる『感情』の理解……喜び、怒り、悲しみ。まだわたしはその一割も理解できていません」
「へぇ……なんか、意外。ロボットって何でもできて知ってるってイメージがあったけど……そうでもないんだ。私たちと同じで、不完全……」

223冷たい方程式:2008/01/19(土) 02:49:37 ID:Ba6WrXYs0
 一歩。前へ。

「知識や機能性という面ではHMX-17型が遥かに優れています。わたしはプラネタリウムの解説員という職業に特化した仕様になっていますので……」
「でも、教えられて正しく学んでいけば知識とか、積み重ねていけるんでしょ?」
「はい」

 一歩。前へ。

「だったら、いつか追いつくことだって出来るかもしれないじゃない? 人間みたいに。努力して、間違って……少しずつ」
「HMXシリーズも知識の蓄積や学習機能は備わっていますし、論理的な思考能力もそちらの方が上ですからその可能性は低いと言わざるを得ませんが」
「でも可能性はゼロじゃない、そうでしょ?」

 一歩。前へ。

「計算上は、の話ですが」
「十分よ。私は天才より努力家の方が好感が持てるの。それにゆめみは努力家だと思ってるし」
「そうでしょうか?」
「そうよ……よし、ゴール」

 一歩。ゆめみの肩を両手で掴み、さらに一歩近づく。
「私が保証したげる。ゆめみはやれば出来る子。私もやれば出来る子」
 吐息がかかるほどに、二人の顔が近づく。お互いに不完全な、人間とロボットの邂逅。
 郁乃はゆめみから吐息を感じることは出来ない。ゆめみもまた郁乃の吐息を感じることは出来ない。
 けれども、不思議と何かが繋がっているような感触が郁乃にはあった。手を離すと、郁乃は自分が立ち上がった場所まで行って欲しいと伝える。
「続きよ。とにかく反復」
 分かりました、とゆめみは頷くと足早に指示された地点まで行く。細かい感覚で刻まれる足音が止まるのを確認してから、郁乃は振り返った。
 未来へと続く道を辿るために。

224冷たい方程式:2008/01/19(土) 02:50:03 ID:Ba6WrXYs0
【時間:2日目・13:30】
【場所:B-5西、民家】

居眠り王者高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光一個)、コルトガバメント(装弾数:7/7)予備弾(6)、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:おやすみなさい。岸田と主催者を直々にブッ潰す】

小牧郁乃
【所持品:写真集×2、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ほか支給品一式】
【状態:歩行訓練中。今のところ平地歩行だけしかできない】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者セット(忍者刀・手裏剣・他)、おたま、ほか支給品一式】
【状態:郁乃の訓練に付き合う。左腕が動かない。運動能力向上】

→B-10

225十一時八分/苦界穢溜:2008/01/26(土) 17:21:32 ID:3VFa.BkE0


畢竟、人体を構成するのは血と肉である。


***


ねちゃり、と靴底に張り付くものがあった。
それが何であるのか、久瀬少年が確認することはなかった。
少年を支配していたのは、喉を焼き口腔を満たした、苦く辛い刺激である。
堪えきれず、吐いた。
咀嚼された朝食の欠片、崩れた野菜や原形を留めぬパンが胃液と共に神塚山山頂の大地を汚す。

思わず地面についた膝が、じわりと染みた。
その冷たく粘り気のある感触が己の吐瀉物でないと気付き、少年の胃が再度収縮する。
赤黒い染みを覆い隠すように、黄色い胃液がぶち撒けられた。
胃液の水溜りに、髪の毛が浮いていた。
長い、女の髪だった。
目を逸らす。
逸らした先に、割れた眼鏡の破片と、幾つもの硝子が突き刺さった眼球があった。
吹く風が胃酸の鼻を突くような刺激臭をかき消し、代わりの匂いを運んでくる。
鉄臭く、生臭いそれは、吸い込めば肺の内側を真っ赤に染めそうな濃さの、血の匂いだった。

死が遍在していた。
砧夕霧と呼ばれる少女たちの、物言わぬ躯。
狭い尾根一帯に広がるそれは、死体を敷き詰めた絨毯だった。
一万にも及ばんとする数の少女が、あるものは潰れたトマトのような大輪の花を咲かせ、
またあるものは肩口から三つの頭を生やしたような姿のまま虚ろな瞳を天へと向けて息絶え、
その悉くが無惨な屍を野に晒していた。

久瀬少年が立ち上がりかけて、その足を血に滑らせてよろけ、倒れた。
雨上がりに泥濘が飛沫くように、脳漿とリンパ液とどろりとした血と、小さな肉の欠片が跳ねた。
頬を拭った手に、かつて人の体内を流れていたものがこびりついているのを見て、少年が小さな悲鳴を上げた。
微笑むように融け崩れた少女の、片方しかない目と視線を交わした少年の食道が、三度蠕動する。
どろどろに消化された茶色の何かが、少女の残った目にかかり、ずるりと流れた。

今度は、悲鳴も上げられなかった。
ひくりと、口元が痙攣した。
息苦しさと嘔吐感に流れる涙が、頬を流れる内に跳ねた血と混ざって濁り、赤黒く染まって垂れ落ちた。
救いを求めるように視線を移せば、傍らに立っていたはずの男は遠く、連れた少女と何事かを話している。
少年は独り、ただそこだけは穢れなく在り続ける天を見上げる。

蒼穹の下、死の一色に塗り篭められた場所を、地獄という。


***

226十一時八分/苦界穢溜:2008/01/26(土) 17:21:57 ID:3VFa.BkE0

「これが……戦争だって、いうんですか」

少年の声が響く。
対する男は、ねっとりと喉に絡みつくような濃密な血臭の中、眉筋一つ動かさずに答える。

「いいや」

眼前に広がる死の大地を見つめるその瞳に浮かぶのは、朝霧に咽ぶ湖の如き静謐。

「いいや、これは……闘争だ」
「闘、争……?」
「そうだ。久瀬、君は言った。我等は敗者であると。世界に打ち捨てられたものであると。
 ならばそれを肯ぜず抗う我等が目指すは、勝利ではない。奪還だ。
 我等の尊厳を、存在を取り戻すため。我等は此処にいると。確かに此処に在ると。
 高らかに謳い上げ、我等を顧みぬ者達の心胆へ楔を打ち込まんと、こうして立っている。
 故にこれは……戦争ではなく、闘争だ」

淡々と告げる男の、眼差しの奥に灯る陰火の昏さに、少年は視線を逸らす。
少年の中にとて、決意はあった。
男の言葉も、理解できるつもりでいた。
だがこのとき少年の脳裏をよぎったのは、底知れぬ不安であった。
男は自分と同じ方向を向いている。同じ方角へ歩いている。
しかしその見据えるものは、目に映る世界はまるで違う色をしているのではないかという、不安。
男の背負う薄暗い何か、男の奥底に根を張るおぞましい何かは、自らの知るそれとはまるで別の次元で存在しているのではないか。
余人には聞え得ぬ、深い闇の底から響く声に突き動かされて、坂神蝉丸という男は生きているのではないか。
そんな、言い知れぬ恐怖。

「そう……ですか」

それだけを返すのが、精一杯だった。
耐えきれず視線を逸らした少年の目に、奇妙な光景が映った。

「あれは……?」

227十一時八分/苦界穢溜:2008/01/26(土) 17:22:22 ID:3VFa.BkE0
少年と共に歩んできた、八千余の少女。
山頂一帯に展開した無数の少女たちが、黙々と動き出していた。
屈み、何かを拾い上げ、受け渡し、置く。
一言も発することなく行われるそれはどこか儀式めいた印象を与える。
少年がそれを土木、あるいは治水作業のように思ったのは、次々に受け渡され、積み上げられていく何かが
まるで土嚢のように見えたからだった。

「何を―――」

言いかけた少年の言葉が、途切れる。
神塚山山頂は、建築現場でも堤防でもない。
土嚢の代わりに積み上げられる資材など、泥と石くれの他には、一つしかないことに気付いたのだった。

「何を、しているんですか」

問う声は震えていた。
少女たちの築く土嚢のような何かの山は、次第に大きくなっていく。
男はそれを静かに見つめている。

「彼女たちは何を、しているんですか……!」

張り詰めた声に、男が目線だけを動かして少年を見やる。
巌の如く引き結ばれた口元がゆっくりと開き、言葉を紡ぎだした。

「……見ての通りだ」
「何を……っ! 何をさせているんですか!」

少年の声が、激昂へと変わる。
血脂で汚れた眼鏡のレンズの向こうにあるのは、少年の想像の範疇を超えた光景だった。

「あんな……あんな風に、し、死体を……!」

228十一時八分/苦界穢溜:2008/01/26(土) 17:22:48 ID:3VFa.BkE0
震える指でさし示した先で、少女たちが黙々と作業を続けていた。
山頂一帯に転がる、一万弱の遺骸。
同胞たるその遺体、あるいはその破片、断片を拾い上げ、手を、腕を、顔を、胸をべっとりと血で汚しながら、
無言のままそれを隣の少女へと受け渡していく。
火葬した骨を箸から箸へと渡すように、少女たちは淡々と同胞の無惨な躯を運んでいく。
無造作というでもなく、さりとて丁寧にでもなく、ただ無感情な幾つもの手を経た先に待つのは、
今や人の腰辺りまでを覆い隠せる高さにまで積み上げられた、屍の山だった。
山の近くに立つ少女の手に渡った躯が、新たな頂を作る。
大きな遺骸が積み上げられ、その隙間を埋めるように肉片が、骨片が、塗り篭められていく。
この世ならざる凄惨な光景と、少年は見た。

「あなたの……あなたの指示ですか、坂神さん……!」

先ほど、砧夕霧群体の核となる少女と何事かを言い交わしていた男の背中が浮かぶ。
睨みつけるような視線を受けても、男は表情を動かさない。

「最適の戦術を問われ、現状で最も効果が高いと思われる答えを出した。それだけだ」
「それ、だけ……!?」

少年が凍りついたように固まるのを気に留めた様子もなく、淡々と男の言葉は続く。

「我等の戦術は陣を組んでの遠距離砲撃戦。特火点とまでは言わんが、遮蔽物は必要だ。
 そして我等に資材はなく、時間は更に限られている。……割り切れ」

割り切れ、という男の言葉が少年を打つ。
揺らぎなく放たれるその厳然たる口調が、少年の反論を許さない。
男の言葉は的確だった。
防衛線の構築は、一刻も早く行われなければならなかった。
指示を出すべき状況で、自分は地獄絵図を前に反吐を吐いていた。
返す言葉の、あろう筈もなかった。
しかし。

229十一時八分/苦界穢溜:2008/01/26(土) 17:23:13 ID:3VFa.BkE0
「それでも……っ、」

心のどこかで張り上げられる声が、少年には聞えていた。
それは少年の生きてきた時間、世界のありようとでもいうべきものたちの声だった。
声は叫んでいた。
目の前の光景は、その根源から間違っていると。
突きつけられた正しさを認めてはならないと、叫んでいた。

「それでも、これは……っ! あまりに人の道を、外れている……!」

張り裂けるような少年の言葉を、

「―――思い違いをするな」

男の冷厳な声が、叩き潰していた。
愕然と見上げる少年の瞳を覗き込むように、男は語る。

「あれらは、」

あれ、と男は少女たちを呼ぶ。
ひどく突き放した物言い。

「あれらは母より生まれ、育まれたものではない」

異形を埋め込まれた男の瞳に宿る一筋の激情を、少年が知り得たか否か。
ただ圧倒されたように立ち尽くす少年の臓腑を抉るような、それは声音だった。

「もとより人の道を知るように生かされてなど、いなかった」

言葉を切ると、男は静かに首を振る。
四方に築かれていく小さな防衛陣地と、そこに陣取る少女たちを見やった。

「我等は何処に立っている?」

吹く風が運ぶのは血の臭い。
青空のこちら側に広がるのは、赤と黒と、泥の色。

「此処は屍の山の上。苦界のどん底、最果てだ」

男の言葉が、結審の槌の音のように響いた。


******

230十一時八分/苦界穢溜:2008/01/26(土) 17:23:41 ID:3VFa.BkE0

「北麓、山道に火線を集中! 消耗戦に引きずり込め!」

怒号にも似た男の声が、少年の耳朶を打つ。

「西の敵は一人だが動きが早い、前線は融合せず数で当たれ!
 弾幕の密度を維持して五合目まで押し戻せ!」

矢継ぎ早に飛ぶ指示を受け、八千の少女たちが確固たる意志の下に動く。
有機的に連動するそれはまるで一つの生き物のようだと、少年はどこか他人事のように考えていた。

「敵影は四、ただの四つだ! 何としても食い止めろ、山頂に足を踏み入れさせるな!」

北側から天沢郁未、鹿沼葉子。
西から迫る影は正体不明の獣。
そして南には、来栖川綾香。
これまでも無数の夕霧を葬ってきた面々だった。
足止めはできても、斃すには至らない。
それでよかった。勝利条件は山頂の死守と、二千の砧夕霧の生存。

「北東から南へ横断する影だと……? こちらに向かってこないのなら放っておけ!
 南側は左翼に警戒強化! 戦線を維持することに専念しろ!」

座学とて、役に立つ場面であろうとは思う。
坂神蝉丸の目は二つで、喉は一つだ。
手が回らぬこともあろう、見落としとてあるやも知れぬ。
だが今、少年はただ砧夕霧の作る十重二十重の垣根の中、薄ぼんやりと座っている。
駒たることに抗わんと立ち上がった筈が、駒として敵を討ち果たそうとしている。
それはどこか歪み、ねじくれ曲がった構図だと、少年は内心で苦笑する。
幾つもの光線が奔る。
少女たちは死んでいく。

231十一時八分/苦界穢溜:2008/01/26(土) 17:24:33 ID:3VFa.BkE0

 【時間:2日目 AM11:11】

【場所:F−5】
久瀬
 【状態:健康】
坂神蝉丸
 【状態:健康】
砧夕霧コア
 【状態:健康】
砧夕霧
 【残り7652(到達・7652)】
 【状態:迎撃】

川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、重傷(急速治癒中)】

【場所:E−5】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰】

【場所:F−6】
来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、こんなこともあろうかとバッグ】
 【状態:ラーニング(エルクゥ、(;゚皿゚)、魔弾の射手)、短髪、ドーピング】

→906 915 ルートD-5

232クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:34:57 ID:8AMPA8vg0
「もぐもぐ……」
 少年との壮絶な決闘の後、国崎往人と笹森花梨は何故かまだ消防分署の中にいた。忘れ物があったわけではない。実に単純な人間の生理的本能が目を覚ましただけだ。

「くぅっ……」
 目頭を押さえるようにして、往人は感涙に咽ぶ。往人の目の前にあるどんぶりからはもうもうと香ばしい湯気が昇っている。
「国崎さん、たかがインスタントラーメンくらいでそこまで感動しなくても……」
「たかが、だと?」
 聞き捨てならんとでも言うように往人の細い目がさらに細められる。花梨はしまった、と思ったが時既に遅く、ビシィッ! と往人の持っている割り箸が花梨に向けられるや否や猛烈な勢いで説教を始めた。

「ラーメンは人類の生み出した世界最高の食料品だ。特にインスタントラーメンは日持ちし、品質も良く、何よりウマい! どんぶり一杯にお湯を注ぎ込んで卵を乗せ、熱々のご飯と一緒に食べた時の美味さと言ったらもう……!
 残った汁も辛すぎず、甘すぎず、思わず最後まで飲み干してしまいたくなるような、絶品! そう、まさに絶品! イッツパーフェクト! ラーメンセットを生み出した日本人を、俺は心から尊敬する! それをお前という奴は『たかが』だと!? カップヌードルは一つ税込みで150円、チキンラーメンに至っては86円で食べられ、尚且つお腹一杯で幸せ一杯になれるというのに『たかが』とな!?
 侮辱! これはラーメンに対する冒涜だ! いいか笹森、コレは俺の個人的な話になるが俺の支給品はラーメンセットだった……しかしお湯がなくて食べられなかった上にあのクソガキのせいで中身が大破してその美味を永遠に味わうことが出来なくなったんだぞ! クドクドクド……」

 唾を撒き散らしながら自身のラーメン話を続ける往人。あのクールな態度からは考えられないほどの熱弁だったが、何もそんなことで熱くならなくても……と花梨は思っているのだが、それを口に出すと更に話が長引く気がしたので黙って聞いておくことにした。
 そもそも往人の腹が減ったという理由で消防署内を探し回り、運良く棚の中からインスタントラーメンを見つけた時点で彼の喜びように気付いておくべきだったのだ。何せ「いやっほーぅ、ラーメン最高ー!」なんて声高に叫んでいたのにどうして自分はおかしいと思わなかったのか。「ああ、お腹が空いてたんだなあ」と思うだけだった自分が恨めしい。というか汚いから唾飛ばさんといてください。

 ずるずるとラーメンをすすりながら往人の説教を右から左へ受け流す花梨。この時彼女は初めて『先生に何回も説教されておいて良かった』と思うのであった。
「……とにかく、次にラーメンをバカにしたら天罰が下ると思え。ラーメンをバカにする奴はラーメンに泣く。分かったか」
「はーい」
 話の九割は聞き流していたが、取り合えず反省したふりはしておく。こういうことに関しては花梨の得意分野だった。
「腹に沁みるぜ……」
 往人はまた感動しながら、ラーメンをすすっていた。

233クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:35:22 ID:8AMPA8vg0
     *     *     *

 食事を終えた国崎往人一行は、まだ消防署に留まっていた。
「国崎さーん、いい加減行きましょーよ」
「まだだっ、まだ終わってない!」
 やれやれ、と思いながら棚の中を漁る往人の背中を見つめる。食事を終えるやいなや、往人はラーメンのストックがあるかもしれない、と片っ端から棚を開けてラーメンを探し続けていた。どうしてここまでラーメンに執着するのだろう、と思いながら花梨はソファに腰掛ける。

「笹森、お前も手伝え」
 棚の中身を全て床にぶちまけ、ようやく何もないことを確認した往人が次の棚に向かう途中で花梨に怒ったように言うが「無理無理」と諦めるように手を振る。
「だって最初にさんざん探し回ってようやく見つけたのがあの二つでしょ? もうあるわけないじゃん。第一、そこは私がもうとっくに探したし」
「ちっ、根性のない奴め……」
 往人はそう吐き捨てると次の棚の中を漁り始める。もうかれこれ一時間が経過しようとしていた。はぁ、とため息をつきながら花梨は「この人に宝石の謎は解けないな」と思いつつ膝の上に乗っているぴろを撫でた。

「ところで」
 気持ちよさそうにしっぽを揺らしているぴろを眺めていると、往人が棚を漁りつつ話を変える。
「人を探すとして、笹森だったらどういうところから探す」
「うーん、性格にもよるね。活発な人だったらそこら辺の目立つところから探すし、内気な人だったら島の端っことか、目立たない建物とか」
「なるほどな……」

 往人はラーメンを探しながらも、神尾観鈴や晴子、その他の知り合いのことも考えていた。特に神尾家には一宿一飯(本当はそれどころではないが)の恩義があるので出来れば見つけて合流したい。どこから探すか、が問題になるが……芳野祐介との会話では相沢祐一なる男と一緒にいたそうだが、それがどんな人物なのかは分からない。だが芳野を援護していたというから割かしお人よしな人物なのかもしれない。きっと往人と同じように友人、あるいは知り合いを探しているだろう。
 そしてこの島において参加者の大半を占めているのは女性だ。なら相沢祐一も知り合いは女性である確率は高い。これは憶測でしかないが、神岸あかりや長森瑞佳のように大人しめである人物の可能性も、また高い。なら、割と目立つ場所を探し回っているのではなかろうか?

234クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:35:45 ID:8AMPA8vg0
「もう一つ。もし銃声だとか爆発音が聞こえたら?」
「そりゃ逃げるでしょ、普通はね。よほど正義感のつよ〜い人なら別だと思うけど?」
 これも往人の考えと同じだった。誰だってまずは自分の身の安全を優先する。他人のために死地に飛び込むなど愚の骨頂だからだ。
(……俺じゃん)
 ついさっき自分がやっていたことに辟易するが、少しげんなりするがあれは少年を倒すためだった、と言い訳して次の思考を展開する。

 もし観鈴たちがここ鎌石村に来ているのならとっくにさっきのバカ騒ぎで逃げ出しているはずだ。それに気のせいだと思いたいが……どこかから銃声や爆発音が断続的に聞こえてきている気がする。それが真実かどうかは抜きにして、観鈴がここにいる確率は低いと言わざるを得ない。
「仕方ない、行くか……」
「やっと諦めた?」
 往人が結論を出したのと、棚の中に何もないことが分かったのはほぼ同時だった。他にも棚はあったがそろそろ油を売っているわけにはいかなくなってきた。
「まあ、な。まずは西に行って、それから南に下る。たしかホテルみたいなところがあったな」

「……違うよ、ホテル跡」
 訂正する花梨の声のトーンが低くなったのを、往人は聞き逃さなかった。何かあったのだろうか。そう言えば、花梨とはそういう話をしていない。
「そうだったな」
 自分の荷物を拾い上げて、往人は今度こそ本当に外に歩き出した。
 その辺の事情は、話しながらにでも聞くとしよう。
 デリカシーに欠けるかもしれなかったが、情報が圧倒的に不足しているのだから同情心に流されていてはいけない。

「そう言えば、まだ俺達は情報交換をしていなかったな。どうだ、互いにこれまでの経緯を話してかないか」
「それは、別にいいけど……」
 消防署の扉を開ける。するとたちまち外界の眩しい光が往人たちの体を照らし出す。既に時刻は昼を回り、一日の本番が始まろうとしていた。
 陽光に目を細めながら、「なら俺から話すぞ」と少年を倒すまでの経緯を話し始めた。

「……ここまでだ。何か心当たりとかは」
「朝霧麻亜子、って人なら噂だけは。たしかうちの学校で前生徒会長だったよ。それだけなんだけど」
 往人は会話しながらも、周囲におかしなことはないかと目を配らせていた。今のところ特におかしなことはない。村から外れの方を歩いているからかなのかどうかは分からないけれども。
「深い付き合いとかではなかったんだな? ならいい。次はお前の番だ」
「うん、国崎さんより長くなるけど――」

235クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:36:06 ID:8AMPA8vg0
     *     *     *

「十波さん、いいかげん脱力してないで早くどこかにいきましょう。密室で閉じこもっててもいいことないです。元気ないなら風子のヒトデダンス見せましょうか?」
「いや、それは別に結構」
 かれこれ床に数十分くらいへたり込んでいた十波さんに、風子が元気のでるヒトデダンスを見せてあげようとしたのですが拒否されてしまいました。残念です。

「そうね……いい加減行動を開始しないと……伊吹さん、地図見せて」
 十波さんは情けないことにデイパックを持っていなかったので風子のを見せてあげることにします。世は道連れ旅は情け。いい言葉です。
 床に小さな島の地図が広げられ、十波さんと肩を寄せ合いながら地図をにらめっこします。とにかく、まず何をするかを決めなくちゃいけません。

「今あたし達がいるのがこのホテル跡。まずはここから北に行くか南に行くか……どうする?」
 風子的には来た道を戻るのは好きではありません。が、さっきの男の人が襲ってきたことを考えると迂闊に判断はできません。風子はみんなのために泣かずにがんばるって決めたんです。民主的にいきましょう。

「風子としてはさっきの襲ってきた人とかち合わせするのは避けたいです。多分風子たちをやっつけるのは諦めたと思いますからこのまま北に行ったと仮定して、南に戻るのをオススメしますが、どうですかっ」
「……どうしてさっきのマシンガン男があたし達を殺すのを諦めたって思うの?」
 おっと、大事な部分を説明し損ねていました。風子うっかりです。

「強い武器があるに越したことはありませんよね。鬼に金棒、風子にヒトデのように」
「『風子にヒトデ』は知らんけど……まあ確かに」
「そして風子たちはまったく武器らしい武器を持っていません。この三角帽子の可愛さは地球破壊爆弾級ですが」
「帽子はどうでもいいけど……まあ確かに」
「時間を割いて弾の無駄遣いをしてまで、風子たちをやっつける価値がないと判断した。それだけのことです」
「……武器がないことにかえって助けられたわけ?」

236クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:36:31 ID:8AMPA8vg0
 風子が頷くと、十波さんは悔しそうに地図に拳を叩きつけました。きっと腹を立てているのでしょう。
「情けないわ……見逃してもらったようなものじゃない! あいつっ、これで勝ったと思うなよ……」
「以上が風子の意見なのですが、十波さんはどう思います?」
 メラメラと燃え上がっている十波さんを現実に引き戻すように、努めて冷静に言いましたが十波さんは鼻息荒くふんがーと吐き出すと、怒ったように言いました。

「あいつを追っかけて、ボッコボッコにしてやる! 岡崎さんとみちるちゃんの敵討ちよ!」
「それは風子も同意見です。けど、風子たちには何もありません……」
「それは……でも……」
 岡崎さんはヘンな人でしたし、いつも風子を子供扱いしていましたが、悪い人じゃなかったです。ぷち最悪だとは今でも思っていますが……嫌いではありませんでした。だからあの男の人を許せないのは風子だって同じです。あれこそ本当に最悪な人ですが、まずは生きることを考えなくてはいけません。

「まずは身を守るものを探しましょう。それに、十波さんの知り合いも探さないといけません」
 十波さんは納得いかなかったのかしばらく爪を噛んだりしていましたが、やがて「そうね」と頷いて風子の言葉に同意してくれました。
「……伊吹さんは? もう伊吹さんに知り合いはいないの?」
「居ることには居ますが……」
 少し困った顔をすると、十波さんもそれ以上何もいうことはありませんでした。別に特別な事情があるわけではありません。
 渚さん、春原さん、祐介さん……会いたい人はいますが、私情を挟むわけにはいきません。お姉さんですから。

「それじゃあ、何か使えるものを探してここから南へ下る……でいいのよね?」
「風子はそれで構いません」
「よしっ」
 十波さんは立ち上がるとまずは身近な所から、と考えたのか引き出しを開けたりベッドの下を覗き見たりして役に立ちそうなものを探し始めました。風子も地図をしまうとそれに倣って洗面所とかを調べます。

 さすがダメダメなホテルです。カーテンが破れ、バスタブには罅が入っていて、歯ブラシとかコップとかもありません。鏡は割れていません。珍しいことです。きっと鏡だけは大切にしていたのでしょう。そういえば風子、お風呂入ってないです。髪の毛も少しぼさぼさですし……これでは風子の美貌が台無しです。整えたいところですが櫛もありません。つくづくダメなホテルです。
 いつもの風子ならヒトデともいい勝負なのに……

237クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:36:54 ID:8AMPA8vg0
「伊吹さん? 何かあった?」
 はっ。つい風子、過去に酔いしれていました。いけません、しっかりしないと。
「いえ、特に何も……」
 十波さんのところへ戻ろうと振り返ろうとしたときです。偶然か必然かヒトデのお導きか、風子の肘が洗面台に当たってしまいました。

 ゴトッ……

 そんな音がしたかと思うと、鏡が壁から外れて前に倒れました。運のいいことに割れることはなかったので怪我をすることはありませんでしたが、全くぷち最悪です。鏡くらいしっかり立て付けておいて欲しいものです。元に戻そうと鏡を持って壁にはめようとしたときです。
「あっ……」
「伊吹さん?」
 すぐ後ろから十波さんの声がしました。風子は慌てて報告します。
「大発見ですっ、鏡の向こうに何かが!」
「何いって……あっ」

 十波さんも目を丸くします。鏡がはめられていたところは少し空洞があって、そこに何かが置かれていました。十波さんがそれを手にとって確認します。
「これは……ナイフね」
 鞘から引き抜かれたナイフは刃の銀色の輝きではなく、黒い刀身に赤く塗り染められた血のナイフでした。つまり、それは、『使用済み』だったということです。

「誰かがここにナイフを隠したのね……でも、何のために?」
「そんなこと、風子には分からないです」
「ん、まあそりゃそうだけど」
 いぶかしむようにナイフをじーっと見ていた十波さんですが、「まっいいか」と考えを打ち切ってナイフを風子に渡しました。
「これは伊吹さんが持ってて」
「いいんですか?」
「だって伊吹さんが見つけたんでしょ?」
 それもそうです。持っておくことにしましょう。ヒトデを彫るまで風子の武器です。
「十波さんはどうでしたか」
「あたしはさっぱり……」

238クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:37:15 ID:8AMPA8vg0
 落胆するように肩を落としましたが「けど一つは見つかったんだからいいよね」とすぐに気を取り直してくれました。前向きなのはいいことです。
「ここから離れるのも少し怖いけど……行きましょうか。じっとしてても仕方ないし」
「はい。まずは元いた平瀬村まで戻りましょう」
 意気揚々と……まではいきませんが気を引き締めてこの部屋から出ようとしたときでした。

『『ぐぅ〜〜〜』』

「……」
「……」

 沈黙。お互いに顔を見合わせます。風子たちは頷きあいました。
「まずは食べ物ね」
「まずはご飯です」

     *     *     *

「――以上なんよ」
 花梨の話を聞き終えた往人は、しばらくの間何も言わず考え事をしていた。

 岸田洋一というイレギュラー。
 ホテルに遠野美凪がいて、今は首輪を解除するために奔走していること。
 そのホテルで、花梨が例の宝石を見つけたこと。
 宝石に興味はないが、美凪の行方は気になる。北川潤、広瀬真希なる人物と行動を共にしているらしいのだが、もちろんそれがどんな人物か往人には分からない。観鈴といい、美凪といい、俺の知ってるような奴といてくれよと思ったのだが現に往人もここで出会ったばかりの花梨と行動を共にしているので文句は言えなかった。

「何か気になることがあった?」
 反応の無い往人を心配してか花梨がつんつんと脇腹をつつく。「やめろ」とそれを払いのけると「別に。だが敵の情報を得られたのは良かった」と返事をしてまた無言になった。別にこれ以上話す事もなかったからでもあるが。
「んーまあこっちも前生徒会長が敵になってるってことを知れたしね。お互い様なんよ」
 花梨はそう言うと、木々のそびえる神塚山を仰ぎ見る。いや、恐らくはその先のホテル跡を見ていた。

239クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:37:37 ID:8AMPA8vg0
 ここを離れてから花梨は数々の仲間を失ってきた。それに花梨は与り知らぬところであるが、北川潤と広瀬真希も既に死亡しており、かつてのホテル組の生き残りは最早美凪と花梨だけになっている。この殺し合いに抗おうとする人間の数は、着実に減っていた。
「ねぇ、国崎さん」
 しかし、花梨は絶望しない。
「何だ」
「もし探してる人が見つかったら、宝石の謎を解き明かすの手伝ってくれる? ほら、あの時はちゃんと返事もらってなかったから」
 往人は少し渋るような顔になったが「見つかったらな」と承諾する。このゲームから脱出するための策を持たない往人にとってみれば例えオカルトみたいな力であろうが脱出できる可能性があるのであればそれに乗った方がいいと分かっていたし、何よりオカルトには慣れている。
「やった、ありがとね」
 このように、また手を貸してくれるひとが現れるからだ。

「気にするな、利害の一致ってやつだ」
「だとしても普通はこんな胡散臭い話信じないんよ。人の思いを集める宝石が鍵になるなんて」
「……まぁ、そういう話も慣れてる」
「え、どゆこと?」
 花梨の目がにわかに輝きを増してきたのに、往人は気付けなかった。構わず話を続ける。
「俺は『法術』という一種の魔法みたいなことが出来る。とは言っても精々人形を動かすとかそのくらいしか……」
「見せてっ!」
 そこでようやく、往人は花梨が始めて動物園に行った子供のように目をキラキラと輝かせているのを見た。瞳には『ミステリ』と書かれている……気がする。
「あー、その、残念だが人形みたいなのがないととてもじゃないが」
「人形があればいいんだねっ!?」

 最後まで喋らせる間もなく花梨が詰め寄る。あまりの剣幕ににべもなく頷いてしまう往人。それを確認するやいなや、花梨は往人の手を掴んで猛然と走り出した。
「それじゃーホテルまでGOGO! あそこなら人形の一つや二つあるはずなんよっ! いざ行かん、無限の彼方へー!」
「おい、笹森話を聞け……」
 何度も声をかけるものの余程興奮しているのか聞いちゃいない。なんとなく往人は霧島佳乃にあちこち引きずり回されていた時のことを思い出していた。
 ああ、俺の人生は常に誰かに左右されっ放しなんだな……
 何かを悟った往人は、そのまま流れに身を任せることにした。

240クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:38:01 ID:8AMPA8vg0
     *     *     *

「ご馳走様」
「ごちそうさまでした」
 ホテルの中にあったすごく豪華なレストラン……跡にて、風子と十波さんは真っ白なテーブルクロスの敷かれた大きなテーブルで、豪華フレンチフルコース……ではなくカップラーメンを食べ終えました。無駄に装飾が豪華だっただけ空しい気分です。でも保存食があっただけ良かったです。

 賞味期限がどうしてか2009年になっていましたが、特に気にしないことにします。きっとすごく長持ちするカップラーメンだったのでしょう。味はまあまあでした。どうせならシーフード味がよかったですが。
 シーフードといえばクラゲを食べ物として有効利用する計画があるらしいのにどうしてヒトデはそんな話が持ち上がらないのでしょう。いえ、別にどうでもいい話ですが。いえよくもありませんが、今は考えないようにしましょう。

「それにしても水道と火が通ってて良かったわねー。もし使えなかったら宝の持ち腐れだったけど」
 しーしーとどこかにあった爪楊枝で歯と歯の間をお掃除しながら満足そうにしゃべる十波さん。じじくさいです。
「いくつかストックも手に入ったし、出だしは上々ってところかしらね」
 荷物がない十波さんにとって風子のごはんだけで食いつないでいくのには不安があったのでしょう。食糧問題は深刻です。
「そろそろ行きましょう。ぼやぼやしてるとまたあの男の人みたいなのがやってくるかもしれません」
 風子が椅子から立つと、それに合わせるように十波さんも頷いて席を立ちました。今度こそ、本当に出発です。

 荷物を持ってロビーに出たところで、外の方から何だか騒がしい声が聞こえてきました。風子の聞き間違いでなければ人の声でしょう。ってこれはいきなり未知との遭遇ですかっ!? まだ装備もろくに整えてないのに大ピンチです! 例えるならこんぼうとぬののふくでカンタダに挑むくらい激ヤバです!
 い、いけません。これくらいで慌ててお姉さんの風格が台無しです。まずは冷静に相手の出方を窺って……あれ? 十波さんは?
 風子が必死でこの場を乗り切るための作戦を考えている最中に、いつの間にか忽然と風子の隣から十波さんの姿が消えていました。おどろきです。びっくりサプライズです。って感心してる場合じゃありません! 逃げるのと十波さんの捜索とやらなきゃいけないことが二つもできてしまいましたっ! もうてんてこ舞いです。ヒトデの手も借りたい……ってよく見れば風子の前を十波さんが走っているじゃないですか!
 いつの間に! あなたはマギー司郎ですか!? いえいえそうじゃなくて十波さんをお止めしなければ!

241クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:38:24 ID:8AMPA8vg0
「その声! 花梨!?」
「えっ、そこにいるの……由真っ!?」

 なんと。これまたびっくりサプライズです。まさかご友人の方だとは。全速力で追っていた風子の先には驚きのあまり荷物を落とした十波さんと岡崎さんに負けないくらいのヘンな髪飾りをつけた女の人……とやたら目つきの怖い男の人がやれやれというように頭を掻いていました。あの男の人は風子的にヤバい雰囲気がします。警戒は解かないでおきましょう。

「良かった〜、まさかまた会えるなんて思ってなかったよ。無事だった?」
「うん、まあ、ね……そこそこに」

 ヘンな髪飾りの女の人は少し翳りのある表情になりましたが、すぐに笑顔を取り戻すと隣にいる男の人の紹介を始めました。
「こっちが国崎往人さん。色々あって助けてもらったんだけど……まあ今は私が勝手についていってる感じなんよ」
「国崎往人だ。暢気に話してる時間も惜しいから単刀直入に聞くが……ここに人はいなかったか? 人探しをしているんだが」
「そうね、今はいなさそう……かな。少し前まで男に追っかけられてたんだけど」
 男と聞いた瞬間、国崎さんから興味の表情が失せていきました。どうやら探してる人は女の人のようです。そこはかとなくストーカーの匂いがしますね。やっぱり要注意です。

「そうか……男だったか? そいつの名前や特徴は」
「名前は分からない……でもマシンガンを持ってていきなりあたし達を襲ってきたの。そのせいで岡崎さんやみちるちゃんは……」
「……みち、る?」
 国崎さんの表情が変わったのを、風子は見逃しませんでした。もしかして探していた人というのはみちるさんのことでしょうか。
「……殺されたのか」
 十波さんが苦々しく頷くと、国崎さんは何ともいえないようにため息をつくとくるりと進路を変えて外に出て行こうとしました。それを見た髪飾りの女の人が慌てて国崎さんの服の裾を掴んで止めようとします。

「ちょ、ちょっと国崎さん!」
「悪いが、人形劇は後回しだ。俺はまた殺さなくてはいけない相手が増えた」
「こ、殺すって……」
 思わず手を離す女の人に、国崎さんがぽん、と頭の上に手を置きます。その表情に、風子はなんとなく祐介さんに近いものがあるなあと思いました。どうしてでしょう?

242クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:38:47 ID:8AMPA8vg0
「笹森、仲間は見つかったんだろ? あの謎はお前らで解いてくれればいい。俺は学のない馬鹿だが、お前らの敵を倒してやることはできる」
「で、でも……」
「笹森には笹森の、俺には俺の役割がある。互いにやるべきことをやるだけだ。分かるよな」
 髪飾りの女の人は、それ以上何も言いませんでした。風子にも国崎さんの言いたいことはよく分かりました。なんとなく共感です。ですから、国崎さんの近くまで行って風子はプレゼントをしてあげました。
「伊吹風子と言います。後のことは風子に任せてくださいっ。それと、これをお守り代わりに、どうぞっ」
 本当はヒトデをプレゼントしてあげたかったのですが仕方ありません。今までヒトデを彫っていたナイフのカケラをあげます。

 国崎さんは差し出されたプレゼントをしばらく怪訝な目で見ていましたが、やがて「ああ、貰っておく」と快く貰ってくれました。
「それと、伊吹風子だったな。お前に伝言だ」
 伝言? 誰からでしょう。はっ、まさか天国のお姉ちゃんや岡崎さんからではないでしょうか。この人意外といいひとかもしれません。
「芳野祐介からだ。お前を探している、とな。芳野たちは恐らく北の方にいるはずだ。早いうちに行ってやれ」
 違いました。祐介さんからですか。でもやっぱりいいひとです。言われたときに頭を撫でられたのが気に入りませんが。風子、子供じゃないです。

 そんな風子の憤慨など気にする素振りもなく、国崎さんは風子のナイフのカケラをポケットに仕舞うと「じゃあな」と軽く手を上げてクールに去っていきました。そういえば祐介さんと声が似てますね。だから似てると思ったのでしょうか。

「はぁ……人形劇、楽しみだったのに……でも仕方ないか。やるべきことをやらないと」
 近くにいた髪飾りの女の人は一つため息をつきましたが十波さんと風子を手で招きよせるようにして、ポケットから何かを取り出しました。
「え、何、これ?」
 それを見た十波さんが驚きの表情になります。風子も少しびっくりでした。
 そこにあったのは、青い宝石です。

     *     *     *

 死んだ。みちるが。

243クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:39:05 ID:8AMPA8vg0
 その事実は往人に行動を起こさせるには十分な動機であった。
 往人自身も既に人を、殺人鬼とはいえ人を殺している。だから文句を言える立場でないのは分かっている。だが……
「だからと言って、ガキを……クソ生意気だったがまだ小さいガキを平気で殺すような奴を放っておくわけにはいかないからな。それに、あいつは」
 言いかけて、その先の言葉は飲み込んでおくことにした。旅芸人というのは往々にして侮蔑の目で見られることもある。汚いものを見るような目で見られることも一度や二度ではない。もうそれにも慣れてしまったが……だが、みちるはそんな自分にも友達のように接してくれた。もちろんこれは往人から見た主観的なものであり、実際はどうだったかは分からない。けれども往人は自分の見方が間違っていないと確信している。
 みちるだけじゃない、観鈴も、佳乃も、美凪も……往人をそんな目で見ることはなかった。だからこそ、倒さなくてはならないのだ。危害を加えようとする殺人鬼を。どんな理由があったとしてもだ。

 それで、自分が憎まれるような殺人鬼になったとしても。

「……ま、元々俺は一人だしな」
 別に殺されたところで誰もそんなに悲しみはしないだろう。したとしてもそれは一時の感傷だ。いやむしろ、ここには死があり過ぎるほど渦巻いている。特に気にされることもないかもしれない。その方が、往人としては楽なのであるが。
「……待てよ?」
 ホテルから随分下ったところで、往人は何か重要なことを聞き逃していたことに気付きかけていた。

「あ」
 しまった、とでも言うように口をぽかんと開いたまま呆然とする。あのマシンガン男がどっちから来てどこへ行ったのか聞いてない。もしかしたら間逆の方向に走っているのではないか?
「……」
 一瞬、戻ろうかという考えが往人の頭を過ぎる。しかしそれはあまりにも格好悪いことであったし、そんなことをしていてはタイムロスになる。

 散々考え、十数度ホテル方面と平瀬村方面に方向を変えた挙句、往人は自分の勘が間違っていないと信じて今まで進んでいた方向に進むことにした。
 なに、見つからないなら見つからないで他に何かやりようもあるさ。まずはこの先の平瀬村で情報を仕入れることにしよう……
 無理矢理自分を納得させながら、往人は足を進めていった。

244クールと湯気と変人と/サイカイ:2008/01/26(土) 22:39:30 ID:8AMPA8vg0
【場所:F-4】
【時間:二日目午後15:00】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(残弾10/10) 予備弾薬57発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:まずはこの先の平瀬村に向かう、観鈴ほか知り合いを探す、マシンガンの男(七瀬彰)を探し出して殺害する】
【その他:岸田洋一に関する情報を入手】


【時間:二日目午後15:00】
【場所:E-4 ホテル内】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、支給品一式】
【状態:泣かないと決意する、仲間を守る】

十波由真 
【持ち物:ただの双眼鏡(ランダムアイテム)、カップめんいくつか】
【状況:仲間を守る】

笹森花梨
【持ち物:特殊警棒、海岸で拾ったピンクの貝殻(綺麗)、青い宝石(光二個)、手帳、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、S&W、M10(4インチモデル)5/6、ステアーAUG(7/30)、グロック19(2/15)、エディの支給品一式】
【状態:光を集める。仲間とともに宝石の謎を明かす】
ぴろ
【状態:花梨の傍に】

→B-10

245もうヘタレなんて言わせな……あれ?:2008/01/31(木) 23:50:04 ID:P4xkCFsI0
―― まるで、一年くらい眠っていた気がする。

目を覚ました藤井冬弥が思ったことが、まずそれだった。
窓から差し込む日差しの眩しさ、カーテンから漏れるそれで冬弥は貪っていた惰眠を奪われる。
しぱしぱと微妙に痛む瞳、夢の類を冬弥は見ていない。
それぐらい、彼の眠りは深かったのだろう。

布団を跳ね除け、ゆっくりとした動作で冬弥は休んでいた宿直室を後にした。
そのまま給湯室へ向かう冬弥、そこには夜中に途中で見張りを交替することになった七瀬留美がいるはずだからだ。
年下の女の子にそのような仕事を負わせることを、当初冬弥は拒んだ。
しかし体力は有限であるが故、休息を取らないということは冬弥自身に大きな影響を与える可能性があることを留美は必死な形相で説いてくる。
最もである留美の言い分、それを否定してまで冬弥も無理をする気はなかった。

見張りの時間、冬弥はひたすら支給品である銃器の手入れを行った。
素人故の不慣れさ、知識の浅さがありそこまで細かいことはできないものの、周りを丁寧にふき取ることぐらいは冬弥にもできることだった。
黙々と作業を続ける冬弥は、自身の武器が終わったら次は留美の物へと手を伸ばす。
再開される手入れの時間、冬弥はひたすら行為に没頭していた。
それは、現実逃避の成れの果てだったのかもしれない。

緒方理奈が死んだ。
河島はるかが死んだ。
そして、森川由綺が死んだ。

信じられない、信じたくない事柄が並ぶ第一回目の放送に冬弥の思考回路は麻痺しかける。
嘘だ、と取り乱し叫びたかっただろう。
涙し、悲観にくれたかっただろう。
しかし冬弥はその悲しみを、あくまで表には出さなかった。

246もうヘタレなんて言わせな……あれ?:2008/01/31(木) 23:50:35 ID:P4xkCFsI0
「……ま、ゆ?」

目の前の少女、向き合う形で椅子についていた留美の呟きに冬弥がはっとなる。
自分より幾分か年下の少女は、呆け、唇を戦慄かせながら必死に何かに耐えていた。
震える肩の小ささ、それに合わせるよう小刻みに揺れるツインテールが彼女の感情を物語っている。
年下の少女は、必死に慟哭を押し殺していた。
だから、冬弥も表に出す訳には行かなかった。
……つらいのは、同じだ。そんな状況で自分の直情を優先させようとは、さすがに冬弥も思わなかったのだろう。

(俺もいい加減しっかりしなくちゃな)

改めて言葉を腹の底に押し込め、冬弥は一人決意を定めた。
握り締める拳の痛みは、友人、そして恋人を失った心のそれに比べれば軽いものだろう。
冬弥は耐えた、留美に気づかれないよう激情を押し込めた。
流したい思いでいっぱいだった涙を、冬弥は目を強く瞑ることで最後の一線だけはと守ろうとする。
……力及ばず目の端から一筋だけ零れてしまったそれに、どうか気づかないで欲しい。
冬弥の願いが留美に通じたか分からないが、彼女が言及することはなかった。

そしてやってきた、朝。
結局、夜間冬弥達には何のトラブルも起こらなかった。
誰かがこの建物にやってきた気配はない、それでも冬弥が警戒を怠ることはなかった。
ゆっくりと給湯室の扉を開け、そこで見慣れたツインテールを発見し冬弥はやっと一息つく。

「おはようございます、藤井さん」

給湯室の中へ入ってきた冬弥に、留美は元気よく挨拶をした。
冬弥もそれにおはようと返し、日常の温度を実感させてくる心地よさを味わった。
給湯室の時計を確認する、時刻は午前六時前と少し早いものである。
……さて、ではここからどうするかが彼等にとっては当面の課題であった。
留美も冬弥も、知人を探すという意味で行動を共にしている面が大きい。

247もうヘタレなんて言わせな……あれ?:2008/01/31(木) 23:50:56 ID:P4xkCFsI0
「七瀬さん、これからどうするかだけど……」

冬弥の声に留美が首を傾げる、しかしそれを邪魔視するノイズが突如彼らの聴覚を支配した。
第二回目の、放送である。
一夜を休息に宛てた彼らは、何も成し遂げぬままにそれを迎えることになった。





今、冬弥は朝露に濡れる地面をじっと眺めていた。
消防署の扉に持たれ込むよう背中を押し付け、思ったよりも寒い外気に冬弥は一人肩を震わせる。

澤倉美咲が死んだ。
篠塚弥生が死んだ。

ぐしゃっと寝癖のついたままの自身の髪を握り締め、冬弥は大きな深呼吸を繰り返す。
冬弥の知らない間に、これで五人もの知人が亡くなったことになる。
その間冬弥は何をしていたのか。

(安全な場所で、ゆっくり眠って……っ)

優遇されたとしか思えない自分の立ち位置に、冬弥の胃がキリキリと痛み出す。
込み上げてくる嘔吐感、自然と流れ落ちていく涙をもう冬弥は抑えることが出来なかった。
大の男がしゃくりあげる姿なんて留美に見せる訳にはいかないと、冬弥は彼女を置き一人消防署の外に出ている。

「ふ、藤井さん!」

248もうヘタレなんて言わせな……あれ?:2008/01/31(木) 23:51:22 ID:P4xkCFsI0
走る背中にかけられた留美の声、しかし冬弥はそれに振り返ることなどしなかった。
否、できなかった。
歪んだ自身の表情を彼女にだけは見られたくなかった、その思いが冬弥の走る速度をさらに上げる。
留美は第一回目の放送の時と同様、必死に何かに耐えているというのに比べて自分はどうなんだと。
冬弥はそれさえもがみじめで仕方なく、また泣いた。

しっかりしなくちゃいけないと、昨晩誓ったはずの冬弥のそれには既にヒビが入っている。
それには文字通り、友人が消えていくスピードというものの速さに愕然としたのもあっただろう。
また自分が何もできていないにもかかわらず、失うものだけがどんどん増えていくという現状が冬弥には辛くて仕方なかった。

(美咲さん、弥生さん……っ)

彼女等に何があったのか、分かるはずもない。
それは第一回目の放送で呼ばれた三人も同様である。

(なら俺は、何をすべきだったんだよ……っ)

給湯室に残してきた、留美の面影が甦る。
明るい少女だった。冬弥の知人である観月マナを彷彿させる髪型から、彼女を連想しなかったとは言い切れないだろう。
年下の女の子という時点で、冬弥からすれば留美は庇護の対象に値する少女となる。
頑張らねばと、思った。年下の女の子が頑張っているのだから、自身もやらねばという思いが冬弥の中には強かった。
一種の支えだったかもしれない。
留美と言う少女がいることで、冬弥は挫けなかった。

第一回目の放送で、放心しかけた冬弥はその際手にしていたペットボトルを地面に落としてしまった。
蓋が外れたままのそれが、轢かれたカーペットに染み込んでいく様を冬弥は無言で見つめていた。
空になっていくペットボトルが、重さを感じさせない緩やかさで弧を描いていく様が冬弥の心に空虚さを煽ってくる。
もしあの時目の前に留美という少女がいなかったら、冬弥は直情に流され武器を手にしていたかもしれなかった。
友人や恋人を失った悲しみを、それで埋めようとするかもしれなかった。
敵討ちを考え、人を殺すかもしれなかった。
冬弥が思いとどまることができたのは、少女の存在があったからだ。

249もうヘタレなんて言わせな……あれ?:2008/01/31(木) 23:51:49 ID:P4xkCFsI0
朝、給湯室にて冬弥を出迎えた留美の表情は晴れていた。
心配をかけないようにという、そのような意図があったかもしれない。
留美は昨夜と同じように給湯室に備え付けられている椅子に座っていた。
テーブルには、満杯になっているペットボトルが二本あった。
留美と冬弥、二人に支給されたペットボトルの中身は、再び留美の手によって満たされていた。

何気ないことだ。
ただ中身が減っていたから、先のことも考え補充したのだろうと考えるのが一般的だろう。
しかしそこには、言葉に表されていない彼女の優しさが詰まっているように冬弥は思えたのだ。
地面のカーペットはまだ乾ききっていないのか、変色した部分がいまだ深い色になっていた。
だが肝心の本体には、既に新しい物が詰められている。
それはまるで、気持ちを切り替え新たに踏み出すのがベストであることを物語っているようだった。

分かってはいる。分かってはいるのだ、冬弥も。
ただそこに気持ちが追いついていないだけで、理解ができていない訳ではないのだ。
そこが、冬弥の弱さだった。

冬弥の嗚咽は止まらない、朝の爽やかな大気に溶け込むことなく彼の周りには湿った空気が漂っていた。
いい加減留美も心配しているだろう、中に戻った方がいいのかもしれないが冬弥はそんな気になれなかった。
沈んだ気持ちが浮上する気配はない、泣きつかれたことで頭も朦朧とする冬弥が半ば自暴自棄になっていた時だった。

「とにかく、私は一端学校へ向かうわ! 悪いけど、あなた達みたいにのんびりなんてしていられないのよ」
「ま、待ってくださいっ」

せわしない会話が、乱暴に開けられたせいかかなりの大きさで響いたドアの開閉音と共に漏れ出した。
何事かと視線をやる冬弥の視界に、隣接して建てられている建築物から人が出て行く様が入り込む。
まさか隣人がいるなどと想像もしていなかった冬弥は、泣くのも忘れその光景をただただ見やるしかなかった。
長い髪を揺らす少女が肩を怒らせながらその場を後にする、その後ろには何やら小さな生物がついて行っているようだった。

「そんな、ボタンまで……」

250もうヘタレなんて言わせな……あれ?:2008/01/31(木) 23:52:23 ID:P4xkCFsI0
視線を建物の入り口へと逸らす、少女よりもずっと幼く見える女の子が少女の背中を見つめていた。
女の子は、冬弥が今まで見た他の参加者と比べても郡を抜いた幼さを持っている。
こんな小さな子までが巻き込まれているのかと、そんな考えができるくらい余裕が出てきた冬弥の耳に懐かしい声が入り込んだ。

「……仕方ないなんて言葉で括るのは嫌だけど、あの書き込みがある以上僕達がここを離れる訳には行かない。
 向坂君ともまた再会することができればいいのだが」

低めのテノールの心地よさ、一人ライバル心を燃やしていた頃には癪で仕方なかったそれに冬弥の胸が高鳴った。
女の子を支えるよう、現れた男がその小さな肩を抱く。
見覚えのある横顔、それが誰であるか理解とたと同時に冬弥は言葉を口に出していた。

「緒方、英二?」

冬弥の声に、えっ、と男が振り返る。つられる形で少女も同じような動作をとった。
冬弥からすれば思ってもみない再会に、男も同じよう驚きを表情で表している。
緒方英二。
冬弥がこの島で初めて出会うことになる知人が、彼だった。







藤井冬弥
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C−05・鎌石村消防署前】
【持ち物:H&K PSG−1(残り4発。6倍スコープ付き)、他基本セット一式(食料少し消費)】
【状況:呆然】

251もうヘタレなんて言わせな……あれ?:2008/01/31(木) 23:52:46 ID:P4xkCFsI0
七瀬留美
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C−05・鎌石村消防署】
【所持品:P−90(残弾50)、支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石村消防署内待機】

緒方英二
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C-05鎌石消防分署前】
【持ち物:デイパック、水と食料が残り半分】
【状態:冬弥と目が合った・ロワちゃんねるの書き込みに対し警戒】

春原芽衣
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C-05鎌石消防分署前】
【持ち物:デイパック、水と食料が残り半分】
【状態:冬弥と目が合った・ロワちゃんねるの書き込みを朋也と信じている】

向坂環
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C-05】
【所持品:コルトガバメント(残弾数:20)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石村小中学校へ向かう】

ぼたん
【状態:環について行く】

(関連・232・477・588)(B−4ルート)

252名無しさん:2008/02/01(金) 15:00:07 ID:nHUW/EJY0
>まとめさん
B-10の作品を投下しますがかなり長くなったので2つに分けて掲載をお願いします

253思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:01:34 ID:nHUW/EJY0
 戦いの火蓋というものは、往々にして何の前触れもなく切られるものである。

 神尾晴子はズキズキと痛む左肩と右手の悲鳴を眉間に皺を寄せながらもそれを無視し、H&K、VP70を両手で持ちながら足早に柏木耕一、柏木梓の元へと忍び寄っていた。
 既にその後姿は確認し、十分に射程圏内まで接近している。後はいつ討って出るか、だが相変わらず右手に力が入らない。肩が震えている。時々意識も霞む。痛い。耐えられないくらい痛い。

 できるならこのまま逃げたいと晴子は考えていた。どうしてわざわざこんな痛い思いを、ともすれば死ぬかもしれない行為をしなくてはならないのか。
 大体、いつだって自分は逃げてきたのではないのか。
 いつか来る別れの時を恐れて娘の――観鈴とも仲良くしてこなかった。相談に乗ってやることも、誕生日を祝ってやることさえしなかった。
 今回もまた逃げればいいのではないのか? 逃げて、観鈴を探して、これまでしてきたことを謝って、残りの時間を二人で過ごせばいい。そうすればいいじゃないか。

 だが――晴子の頭の中にはとびきりの、花が咲くように笑う観鈴の顔があった。

 あの笑顔を失ってはならない。
 あの笑顔を守らなくてはならない。
 あの子は幸せにならなくてはならない。

 これまで晴子の我が侭で不幸せにしかしてこれなかったことへの償い。それだけは晴子の譲れない一線であった。

 ああ、そうだ。何を血迷っていたのだ。
 これまでの連戦で忘れていた。これが、答えなのだ。
 痛い? それがどうした。
 意識が飛ぶ? なら無理矢理叩き起こしてやる。
 死ぬ? いや死ななければいいだけだ。
 晴子には安息の時など許されはしない。地獄から何度でも引き摺り出して過酷な罪を贖わせてやろう。臓物が千切れ飛べば拾い集めて中に戻してやる。目玉が潰れれば悪魔の囁きを分け与えてやる。
 さあ戦え。勝利はない。あるのは闘争だけだ。醜い喰い合いの果てに望むのはただ一つの笑顔と平凡な暮らしだ。
 そのために神尾晴子よ。貴様は死ね。

254思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:02:03 ID:nHUW/EJY0
「自分の名前にでも祈ろうかいな」
 元より晴子は何も信じてはいない。神の存在も、奇跡の存在も。信ずるのは己が血肉。己が名前。ならば自分の名前を神に見立てよう。このために自分の名字は存在してきたのだ。
「アーメン」
 娘の通う学校の、胸の十字架の形に指を切って、晴子は大きく息を吐き出した。まだ肌寒い朝方の森に水蒸気の粒が柔らかく溶けていく。

 背負っていたデイパックを手に持ち、それを円を描くように頭上で振り回した。
 回数を重ねる度、空気を切り裂く音が徐々にだが増していく。数度振り回したところで、晴子はカウントを開始した。
「いち、にぃーの、さんッ! うらあぁぁぁっ!!!」
 唸るような怒声と共に、晴子のデイパックが柏木耕一の背中へと向けて飛来した。

「!? 耕一、危ないっ!」

 真っ先に気付いたのは梓だった。素早く懐から警棒を取り出すと、バットでボールを打つように横薙ぎにデイパックにぶつける。
 女とは言えども鬼の一族の血を宿す人間の一撃である。あっさりとデイパックは白旗を上げて地面へと落ちていった。しかしそんなことはどうでもいい。これは陽動。何かしらの行動を取らせることが晴子の狙いであった。
 H&K、VP70を携えると晴子は一直線に二人へと突進していった。

「お前……!? いきなり何を!?」
「答えるとでも思ったか、アホンダラっ!」

 VP70のトリガーに指がかけられた瞬間、二人が同極の磁石を合わせたかのようにそれぞれ逆の方向へ飛び退く。次いでその間を銃声と共に9mmパラベラム弾が通過していく。またも襲う激痛に唇を歪ませる晴子だったが、すぐにそれを笑みの形に直した。なぜなら、それが晴子のまだ生きている証だから。

 一方の梓と耕一は、いきなりの襲撃に戸惑いながらも話し合いが出来る相手ではないとすぐに認識し、それぞれの武器を構えて晴子の前に立ち塞がる。
「無駄だと思うが……俺達は殺し合いには乗ってない! 無駄な争いはやめてくれ!」
「ほーか、ならさっさと死んでくれると嬉しいんやけど」
 照準を耕一の方へ向けた瞬間、梓が警棒を振りかざして飛び掛かる。
「無駄だよ耕一! 問答無用で襲ってくるやつに……説得の余地はないよっ!」
 梓の持つ特殊警棒は金属製であり、しかも鬼の力によって威力は増強されている。晴子は既にそれを知っていた。デイパックを投げたのはただ単に陽動のためではない。敵の力量を確かめるための言わばテスト。そして先程の銃に対する反射神経。いつか戦った天沢郁未と来栖川綾香に匹敵する実力であると晴子は感じていた。

255思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:02:26 ID:nHUW/EJY0
 故に受け止められるなどとは微塵も思っていない。木を盾にするようにして回り込む。二撃目が来たのはその瞬間だった。
 めきっ、という幹の一部分が潰れる音が聞こえ、破片が飛び散る。もはやそれは殴打ではない、一撃で相手を葬る必殺の攻撃だ。
 ちっ、と舌打ちする梓が耕一の元までバックステップして戻る。晴子はVP70を構えてはいたが、発砲することはなかった。
 当てられるかどうか分からないし、何より残弾数が少なすぎる。既に一発撃ち、残り六発で敵二人を仕留めねばならない。加えて、その実力は晴子を遥かに凌駕する。何か奇策を講じねば晴子に勝機はなかった。
 視線を移して周囲の地形を確認する。木々がところどころに点在し、落ち葉の積もった柔らかい地面に緩やかな傾斜。多少隠れるに適した場所はあるものの射撃戦に持ち込むには先述の通り弾薬が少なすぎる。晴子に有利に働きそうなオブジェクトもない。どうする、どうする、さぁどうする?

「耕一、あいつ動かないね……」
「ああ、それに怪我もしてるみたいだ。拳銃も支えるので手一杯って感じだな」
「どうする? 今の調子だと二人でかかれば簡単に倒せると思うけど」
「いや俺達は殺人が目的じゃない。銃だけ奪って無力化すれば……」

 甘いよ耕一、と梓は思った。こういう完全に乗ってしまった人間はどう無力化しても再度武器を調達し何度でも殺そうとしてくる。だが自分達も殺人鬼ではない。それは同意できることではある。何にせよ、まずは目の前の敵を打ち倒すのが先決だ。
「分かった。あたしから先に行くよ。隙を作るから耕一が何とかして」
「ああ、任せてくれ」
 耕一が頷くのを確認して、梓は警棒を再度強く握り締め猛然と晴子に向かっていった。

「ちょっと痛いけど、お灸を据えさせてもらうよ!」
「はんっ、小娘が偉そうにしよって! ジャリはジャリらしく大人の言う事を聞いとればええねん!」
「悪い大人の言う事を聞く必要は……ないんだよっ!」

 梓の役目はあくまで耕一が止めを刺す為の隙を作ることであり、無理して倒すことではない。反撃を受けない程度に距離を詰めて体力を消耗させればいいのだ。
 相手が避けられる程度のギリギリのラインから警棒を振り回し、ギリギリのラインで避けさせていく。
 晴子もなんとか反撃を試みようとVP70を用いて殴ろうとするが振り下ろす前に梓の次の攻撃が来るため反撃に踏み切れない。縦から横から振り回される警棒を掠るか掠らないかの程度で回避していくのが手一杯であった。
 それどころか激しく動いているせいで傷が疼き、飛び跳ねて着地するだけでもVP70を取り落としそうになるほどの激痛が晴子を襲う。これでは引き金を引くことさえままならない。事態は悪化していく一方だった。

256思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:02:53 ID:nHUW/EJY0
「やぁっ!」
 梓が大きく腰を落とし、晴子の脛へと向かって警棒を振る。傷の痛みに意識を向けていたせいで一瞬だが、晴子の反応が遅れた。
 回避する直前、警棒の先が腿を掠り、電流を流されたような痛みが晴子の身体を駆け巡った。「くぁ……」と思わず呻きよろよろとバランスを崩してしまう。

「耕一! 今だっ!」
「おうっ!」

 気付かぬ間に側面から迫ってきていた耕一が拳をぐっと握り締め晴子の顔を狙っていた。逞しい筋肉から繰り出されるその一撃を貰えば、いかな覚悟を決めた晴子と言えど気絶は免れないだろう。勝敗は決したかに思えた。

「!?」
 晴子に殴りかかろうとしていた耕一が、急に目の色を変えて梓の方へと向かう。
「梓っ!」
 え、と呆気に取られる梓を押し倒すようにして耕一が覆いかぶさる。その真上を――
「な……」
 ――飛んでいったボウガンの矢が木の幹に突き刺さっていた。

「新手かっ!」
(新手やと……?)

 耕一も梓も、晴子もしばし目の前の敵を忘れて乱入してきた第三者の居場所を掴もうとする。敵か、味方か。事と次第によってはそれはこれからの状況を大きく変えさせるものだったからだ。
 数秒の後、ガサッ、という不自然な音を梓の耳が掴む。弾かれるようにして振り向くと、そこにはボウガンを持って走り去ろうとする一人の少女――朝霧麻亜子――の姿があった。

257思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:03:23 ID:nHUW/EJY0
「耕一、あいつだ!」
 すぐに方向転換し、麻亜子の姿を追おうとする梓。
「待て梓、迂闊に……」
 静止に入ろうとした耕一の後ろから悪意のある気配が身体を貫く。とっさに転がるようにして、耕一は緊急回避に入った。ぱん、という軽い音と共に再び敵意を向けた晴子のVP70が火を噴いたのだった。
 幸いにしてそれが命中することはなかったが、既に梓は新たに現れた人間を追って森の奥へと消えていた。鬼の持つ力は脚力にも影響を及ぼす。全力の梓が視界から消えるのには数秒の時間さえあればよかったのだ。く、と歯噛みする耕一の前に、不敵に笑う晴子の姿があった。

「うちを差し置いて逃げようやなんてええ度胸しとるやないか。これで一対一や。ゆっくり楽しもうや、なあ?」
 それは妖艶な、油断した冒険者を海中へと引きずり込むローレライの魔女であった。脂汗をかき、肩を上下させる姿さえも耕一を幻惑させる魔法のように思える。
「……悪いが、すぐに終わらせてもらう。歌のアンコールは所望じゃないんだ!」
 今度はハンマーを持って、耕一は晴子を見据える。一撃。足に叩き込んで骨を砕いて御仕舞いだ。
 耕一の目の色が、赤き狩猟者のそれへと変わった。

     *     *     *

 襲撃をかけるかかけまいか迷っていた朝霧麻亜子の視界に神尾晴子が飛び込んできたのは、彼女にとって幸運だった。
 それがゲームに乗っていない人物ならば話し合いの最中に奇襲をかけられるし、乗っているなら乗っているで存分に利用し、双方戦って疲れたところに止めを刺しにいけばいい。麻亜子は漁夫の利をとれば良かった。
 しばらく様子を見たところ拳銃のようなものを持って攻撃の機を窺っているようにも見えたから八割方乗っていることには間違いなさそうだった。なら、いつでも止めを刺しにいけるようにもっと耕一と梓の近くに接近するべきだった。

 麻亜子は誰にも気取られぬよう、静かに移動を始めようとした、その時だった。
「動かないで下さい」
 後頭部に固いものが押し当てられる感触と、骨の髄まで凍るようなトーンの低い声。麻亜子の心臓が、一瞬だが跳ね上がった。
 麻亜子の後ろを取った女、篠塚弥生は麻亜子の手に握られているボウガンを一瞥すると、地面にうつ伏せになるよう指示する。

258思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:03:56 ID:nHUW/EJY0
「え〜、あちきも一応女の子なんだしさ、汚れるのは嫌なんだけどなー」
「なら言い方を変えましょう。血で汚れるのと、土で汚れるのと、どちらがいいですか」
「……はいはい、分かりましたよ。ジョーダンの通じないひとだなぁもう」
 やれやれという感じで大人しくうつ伏せになる麻亜子。相変わらず弥生は銃口を押し付けていて、まるで隙がない。やりにくいタイプだ、と麻亜子は思った。

「で? 狙いは何かな?」
「……」
 答えない弥生に対して麻亜子が「理由、説明してあげよっか」と不敵に笑いながら続ける。
「単純に殺したいだけなら後ろを取った瞬間パーンと一発ハイそれまでよ、だーよね? でもチミはそれをしない。ならあたしに利用価値を見出したワケだ。違うかな?」
「……聡いですね」
「まーね。ベルリン陥落させたのがジューコフだってことくらい知ってるまーりゃん様にかかればチョチョイのチョチョイなのさ」

 ふざけた口調だが、バカなわけではない。弥生は銃口を放すと茂みの向こう側を指して言う。

「話は単純です。あの向こう側にいる三人を何とかしてきて下さい」
「単純すぎるなぁ。交渉とはもっと礼儀と作法をもって行うものだぞっ」
「交渉ではありません。要求です」
「その要求、果たして通るかなぁ?」

 何を、と再び手持ちのP-90の銃口を向けようとしたとき、怒声と共に銃声が響き渡る。とうとう向こう側で戦いが始まったのだ。
 三人の男女の声が混ざり合い、蠢き合い、絡み合って死の匂いを帯び始める。麻亜子はそれを悠然と聞き流しながら弥生に告げる。
「まーたぶんアンタも優勝を狙ってるクチなんだろーけどさ、なら分かると思うんだけどここで勝手に戦って死んでってくれる……『乗って』る人が殺されるのはあたしにもチミにもまずいんじゃないかな? 様子を見てたんなら分かると思うけどあたし達と同種はあの大阪のおばさん。反対はあの二人組。ゲームの進行を考えるとどっちが生き残った方が効率がいいか分かるでしょ? でしょ?」

259思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:04:20 ID:nHUW/EJY0
 答えない弥生の様子を肯定と取ったか、麻亜子はふふん、と得意げに鼻を鳴らしながら続ける。
「あたし達がするべきことはさ、お互いに助け合うことだと思うんだなコレが。助け合いの輪、不戦の誓い桃園の誓い。ああ美しきかな友情よ。どう? ここは連携してさ、あの二人組、やっつけてみない?」
 弥生の表情は変わらぬままだったが、麻亜子は確かな手ごたえを感じていた。当初の予定と違って独り占めは出来なくなったがこのように状況に応じて敵味方を変えるような人間は手懐けておいた方がいいと考えていたし、遠目からでも分かる好戦的な神尾晴子も恩を売っておけば後で役立つとも考えていた。

「内容に拠ります。危険な行動は出来ません」

 来た。乗ってきた。
 麻亜子はほくそ笑みながらいやいや、と手を振る。
「どっちかったら危険なのはあちきの方だからさ。まあ聞きなよ奥さぁ〜ん」
 ヒソヒソと内緒話でもするように弥生に耳打ちする。弥生はその内容を聞いていたが、確かに危険はこちらの方が少ない。いざとなれば見捨てて逃げればいいし、麻亜子からしてみても裏切れる余地はない。上手く行けば全員が利益を得られる。
「……分かりました。あなたの作戦に力を貸しましょう。やって下さい」
 弥生は麻亜子から離れると、少し先にある茂みの向こうへと姿を消した。麻亜子はその姿を少し見つめながらふぅ、と安堵のため息を漏らす。

「やー、良かった良かったぁ。流石は口先の魔術師と言われるあたしだね。んっふっふ、将来外交官にでもなっちゃおーかなー」
「やぁっ!」
「おっと、決着がつきそうかな?」

 素早く姿勢を整えると、僅かに茂みから身を乗り出しながらボウガンを構え、今にも止めを刺そうとしている柏木耕一……ではなく、柏木梓の方へと照準を向ける。
 別に攻撃するのはどちらでも良かった。それに当たっても外れてもそれほど作戦に問題はない。どうせ撃つなら当てやすい止まっている標的に撃ちたかったからだ。
「まーりゃんバスター……シュートっ!」
 ボウガンから発射された矢が、一直線に飛んでいく。ラッキーなことに、それは柏木梓の頭部目掛けて飛んでいた。命中すれば脳を貫き即死させること間違いなかった。が……

260思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:04:49 ID:nHUW/EJY0
「梓っ!」
 神尾晴子に攻撃を仕掛けていた柏木耕一が間一髪、梓の体を押し倒して矢の命中を避けたのだ。標的を見失った矢は空しく明後日の方向へ飛んでいく。
「あーっ! 盛り下がることしてからにーっ! ええい、モードBに移行だぁ!」
 ぷんぷんと怒りながら、麻亜子はわざと敵に居場所を知らせるようにがさがさと音を立てながら逃げるように移動を始める。その後ろに、篠塚弥生の気配を感じながら。
「耕一っ、あいつだ!」

 案の定こちらに気付いた梓が茂みから飛び出した麻亜子を追って走り出す。その形相たるや、般若を思わせる鬼のものである。
「うわっこわっ! 鬼こわっ! てか足速いよあの娘さん!」
 こればかりは麻亜子にとっても計算外だった。麻亜子自身も足の速さには自信はあったが梓の脚力はそれを大きく上回っていた。だがおびき寄せることには成功し、麻亜子の狙い通り耕一は晴子と戦いを続けていてすぐに救援に向かうことはできない。分断には成功した。ここまでが、麻亜子の計画の第一段階。

「待てっそこのチビ娘! アンタ一体何様の……つもりだっ!」
「うは!?」

 まだある程度距離は離していたつもりだったのに、気がつけばすぐ後ろで、梓が警棒を頭上に振り上げていた。
「ちょ、タンマ!」
 振り向きざまにバタフライナイフを抜き、特殊警棒を受け止めようとするが巨大な圧力を有する一撃を抑えきることなど出来るわけがなく、無様にナイフを取り落として尻餅をつく麻亜子。
 地面に落ちたナイフを慎重に拾い上げて懐に仕舞うと、梓はそのまま警棒を向けて言葉を発する。

「悪いけど、あたしは耕一と違ってそんなに心が広くないんだ。おとなしく武器を全部捨てて投降しな。そうすれば悪いようにはしない」
「やーだもんね」
 一歩詰め寄る梓に、麻亜子は慌てながら手を振る。
「って言ったらどうするの、って言おうとしただけじゃんかー! 早まらない!」
「そん時は骨の二、三本折らせてもらうよ。で、答えはどうなんだい」
 おっかないねぇーどいつもこいつもスイスもオランダもー、とぶつぶつ言いながら手元のボウガンを梓に向かって投げ捨てる。
「ほいよ。あたしだって命は惜しいからね。ごめんなさいあれは一時の迷いだったのです許してくれろ」
 梓はボウガンに矢がセットされてないのを見ると「矢は?」と尋ねる。
「ああ、矢ね。ごめんごめん、今出すからさ――」

261思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:05:11 ID:nHUW/EJY0
 麻亜子が持っていたデイパックの中に手を突っ込む。その仕草に、梓は一種の予感めいたものを感じた。

「プレゼント受け取ってぇ〜、ちょーだいっ!」
 梓がバックステップからのサイドステップで離れたのと同時に、麻亜子の手に握られていたボウガンの矢が梓の脇腹すれすれを通過していった。当たったとしても致命傷にはならなかっただろうが、それは明らかに殺意のこもった行為であった。間髪入れず、梓は腰を低く落として麻亜子へと肉薄する。
「やっぱ警戒しといて良かったよ。嘘つきには相応の罰が必要だね、チビ助!」
「ぬぬ……でもまだまだ……」

 最大の切り札であるデザート・イーグル50AEを取り出す麻亜子だが、それよりも早く梓の左腕から繰り出される正拳が麻亜子の腹部の真正面を衝いた。
「ぐへ……っ!」
 攻撃の中心点から電撃のように蔓延する鈍い衝撃に呼吸が一瞬止まり、思わずデザート・イーグルを取り落としてしまう。目がチカチカして視線が定まらない。

「や、やば……一旦離脱……」
 足元をふらつかせながらも、しかし麻亜子は倒れることなく梓との戦闘を中断し、逃走を試みようとする。だがそんな行為を梓が許すはずもない。
「逃がすか! ……ぶっ!?」
 走り出そうとした梓の顔面に大きな布のようなものが覆いかぶさる。それは麻亜子がスクール水着の上に着ていた自身の制服だった。さらにおまけのように、デイパックが梓に投げつけられる。
「こ……のっ! 悪あがきを!」

 だが所詮は時間稼ぎにもならないほどの微かな抵抗に過ぎなかった。すぐにそれを取り払うと、梓は再び麻亜子の背中を追う。不意の抵抗で僅かに距離はあいたもののそれはたったの二、三メートルほどだ。梓ならば一秒も経たずに詰めることが出来る。
 その思惑通り、梓が走り出してから一秒と経たない間に麻亜子は警棒の射程内に入っていた。これでとどめと言わんばかりに梓は警棒を今一度振り上げる。

「残念だけど……ここまでだよっ!」
「その通りです」

262思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:05:40 ID:nHUW/EJY0
 梓の耳に届いた声は麻亜子の幼さを残す声ではなく、大人が持つひどく抑揚のない声だった。
 けたたましい音が聞こえたかと思うと、梓の真横から大量の銃弾が槍のように身体を貫いた。何が起こったのか分からず、目の前を飛び散る自分の血飛沫を呆然と見つめる梓。
「え、あ……?」
 振り下ろされるはずだった警棒は梓の手を離れて地面に。捉えるはずだった足は止まり、今にも崩れ落ちそうにがたがたと震えている。
 動かない――いや動けなかった。

「人というものは」

 また聞こえてくる抑揚のない無機質な声。コンビニとの店員との間で交わされるような味気ない声だ。かろうじて首を動かした梓の視線の先には、P-90を持って悠然と向かってくる篠塚弥生の姿があった。

「後一歩で獲物に手が届きそうになると周りのことなど見えなくなるものです。私の移動にも気付けなかった」

「あ……あん、た、は」
 構えようとした梓の体が、ぐらりと傾く。均衡を失った肉体は無様に崩れ落ちる。
「正直ね、チミらの反射神経は大したもんだよ。あちきのボウガンは避けるし、銃を構えられても余裕で射線を外してくる。勘も鋭いときたもんだ。集中されてーちゃーこっちに勝ち目はないっての。だから小細工したんだなコレが」
 次に梓の視界に現れたのは勝ち誇ったように笑う朝霧麻亜子。

「仕組んで、いたのか……最初から、全部」
「いいえ、全ては偶然です。私とこの人が出くわしたのも、手を組んだのも。今貴女の連れと戦っている人も同じです」
 また、弥生が顔を見せる。麻亜子とは対照的に見下したような表情。
「後一歩。こいつが油断だったのさね。目の前のあたしに心奪われたが最後、嫉妬に狂った元恋人が復讐の包丁を突き刺す。中々いい舞台だったでしょ、ん?」
「ち、ちくしょう……ごめん……耕一、千鶴姉、はつ」

263思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:06:27 ID:nHUW/EJY0
 梓の遺言がそれ以上紡がれることはなかった。弥生が懐にあったバタフライナイフで梓の喉をかっ裂いたのだ。破裂した水道管のように、梓の喉から血のシャワーが注ぐ。
「終幕です」
「ぱちぱちぱちっと。でもまだもう一つ舞台があるんだなー。人気俳優は忙しいよ」
 制服を着込みながら麻亜子はボウガンやデザート・イーグル、デイパックを回収していく。
「貴女のナイフです。返しておきましょう」
 弥生は梓の所持していた警棒を回収すると、バタフライナイフを折り畳んで麻亜子に投げ返す。それを空中で器用に受け取りながら感心したように麻亜子が呟く。

「おりょ、てっきりネコババするかと思ったのに。律儀だねぇ」
「重要な事です。仕事でも、人間関係でも」
 ふむぅ、と麻亜子は笑いながらバタフライナイフをポケットに仕舞い、デイパックを背負い直す。
「さてもう一舞台参りますかね。二人の役者さん、まだ生きてるといいけどねー」
「どちらにしろ決着はつけます。行きましょう」
 弥生が走り出すのに続いて、麻亜子もその後を追う。
 血の華に彩られた舞台の最終公演が、始まろうとしていた。

264名無しさん:2008/02/01(金) 15:07:00 ID:nHUW/EJY0
ここまでで一旦区切って下さい

265思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:07:52 ID:nHUW/EJY0
「おおおっ!!」
 耕一の繰り出すハンマーの一撃を、晴子は紙一重で避けながらVP70を鈍器にして殴り返す。
 だが晴子の攻撃もまた避けられそればかりかカウンターに鋭い右フックを叩き込まれ、ゴホゴホッと咳き込む。
 最初のころはそれも避けられたのに、次第に命中する回数が増えてきていた。いやそれだけじゃない、こちらの反撃もまるで見透かされているかのようにかわされる。今は辛うじて最大の一撃であるハンマーを回避しているだけで、その行動もだんだん体が追いつかなくなってきている。それも、殺さず戦闘不能にするためなのか足ばかりを狙ってきているにもかかわらず、だ。

「ぐ……」

 幾重にも拳が打ち込まれた体はボディブローのようにじわじわと晴子にダメージを与えていた。鉛のように体が重く、長い間オイルを注していない機械のように手足が動かない。さらに先程の一撃でいよいよ体が限界に達したのか自力で立っていられず、たまらず木に体を預けてようやく支えている状態だ。
 疲労困憊、満身創痍という言葉が今の晴子を表す全てだった。
「……もう終わりだ。諦めて罪を償ってくれ」
 ハンマーを両手に持った耕一が、ここまで力強い抵抗を見せた晴子を悲しげな目で見つめながら前に立っていた。息も荒く全身痛みに覆われている晴子とは違い、汗一つかかず息さえ切らしていない。

 絶対的な力の差だった。
 蟻が象に挑むような無謀な行為。しかもたった一人で、だ。勝てるわけがない。

「は」

 晴子は一笑に付した。だから何だと言うのだ。好機ではないか。完全に勝ったつもりの相手と、満身創痍ながらもまだ決定打を受けていない自分。
 それに何より、己には覚悟がある。大好きなひとを守りたいという想い。こんな殺しも出来ないような優男に、負けてなるものか。
 乾いた唇を舌で舐める。一瞬だけ水分を取り戻した口が啖呵を切った。

266思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:08:16 ID:nHUW/EJY0
「まだ終わりやない。まだ負けてへん。偉そうな大事ほざくんはウチを倒してからにしてもらおうか」
「なら……そうさせて――」
 そう言いかけた時、辺り一帯に激しい音が鳴り響いた。それはどんなのか確かめるまでもなく、銃声。

「あず……?」
 耕一が思わず後ろを向いた。それを、晴子は見逃さない。
「いて……まえっ!」
 晴子が決死の思いでVP70を持ち上げる。それに気付いた耕一は若干反応を遅らせながらも思い切り真横に飛び退く……が。
「く……あ……」
 VP70から銃弾が発射されることはなかった。力尽きたように晴子が前のめりになりながら倒れ、そのまま動かなくなった。

 恐らく、意識を失ったのだろう。見る限り晴子は包帯を巻いており、息も荒く顔色も悪かった。あれだけ強気であっても肉体が限界を超えていたのでは当然の成り行きでもある。そう耕一は考えた。
 ホッと息をつきかけた耕一だがそんなことをしている場合ではないとすぐに気付き、晴子から背を向けて銃声のした方向へと走り出した。
「梓! どうしたんだ! 返事をしてくれ!」
 力の限り腹から吐き出すように耕一は叫ぶ。しかし梓が走り去っていったであろう方向からは何も声は聞こえてこない。それがさらに、耕一の心から余裕を無くし、焦りを生み出していく。

 梓が、あの頼もしい従姉妹の梓が負けるわけがない。そんな事態があってたまるか。
「梓! あずさぁーーーーッ!」
 咆哮ともとれるような耕一の叫び。しかし依然として返事はないばかりかそこにあってはならない、かつて感じた匂いが漂っていた。
 それは血の、匂いだった。

 まさか。いやそんなはずはない。

 交錯する二つの思考。落ち着けと願う心と、跳ね上がらんばかりに脈打っている心臓。
 耕一の視界は、いつのまにか半分以下にまで縮まっていた。故に。

 ドスッ。

267思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:08:46 ID:nHUW/EJY0
 ビクン、と少しだけ耕一の体が跳ねたかと思うと、強烈な異物感と痛みが肺から急速にせり上がってきていた。
「あ……?」
 梓同様、最初耕一には何が起こったのか理解できなかった。自分の体に何かが起こった、その程度の認識しか感じられなかった。
 ゆっくりと、耕一は自分の胸元に目を下ろす。
「何だよ、これ……」
 耕一の胸からは、棒のようなものが生えていた。先端には尖った、まるで鏃のようなものがついており自身の血を浴びて凶暴な赤黒いカラーに染まっている。

 いや違う、これは矢……弓矢の矢じゃないか。そう認識出来たかと思うやいなや、耕一の視界は暗転し意識が、感覚が遠のいて体が崩れ落ちる。
 これもまた、梓と同様に。
 地面と抱擁を交わした耕一に、もはや草木の匂いが届くことはなかった。
「いやーやれやれ。実に分かりやすいお人でしたなー。映画みたいに何回も名前呼んじゃって。おねーさん恥ずかしいぞっ」
 倒れた耕一に声をかけたのは、朝霧麻亜子と篠塚弥生だった。

「あっけないものですね。周りが見えなくなるのも、同じ」
「ああ、才気溢れる逞しい若者がまた一人散ってしまうのは悲しいことだけれども残念無念、これって戦争なのよね。まああたし達がやっちゃったあずりゃんと一緒にいさせてあげるからおとなしく成仏してくれりゃんせ、なむなむ〜」

 ダレダ、コイツラハ――

「もう一人の方はどうなったのでしょうか」
「さぁ、死んじゃったかもしれないね。ま、あたしとしてはライバルが減ってくれるならいいんだけど」

 ヤッタ? アズサヲ? ナゼダ。
 アズサハ、コロサレテイイヨウナヤツジャナカッタ。カエデチャンモ。コンナ、コンナヤツラガイルカラ――

「それは同感ですね。ですが今はそれよりも武器の回収を急ぎましょう。それにあなたとの共同戦線もここでお終いです」
「ありゃ、これは意外なお言葉。あたしはそんなに使えない女なのかい?」

268思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:09:17 ID:nHUW/EJY0
 ユルサナイ、ユルサナイ、ユルサナイ
 ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ――

「逆でしょう? あなたにとって、私は使えない女のはずですから」
「……さぁ、それはどうかな?」

           コロシテヤル

「……?」
 悪寒のようなものが弥生を包み込む。それは、倒れたはずの耕一の体から感じられた。
「ん、どしたの?」
 耕一の方をじっと見る弥生に麻亜子もまた何かを感じ取ったかのように耕一を見た。
「声が、聞こえたような気がしたのですが」
 そんなはずはない。確かに麻亜子の放ったボウガンの矢は耕一の胸を貫いていたのだから。生きているはずはない。
 しかし何だろう、この威圧感のような、拭い去れない恐怖のような予感は。それは麻亜子も同じようだった。

「気のせいだと思うけど……とどめ、刺しとこっか」
 完全に死を確認したわけではない。ひょっとしたら息くらいは残っているかもしれない。そう無理矢理に考えて、麻亜子は再びボウガンを向ける。

「グオオオォォォォォォッ!!!」

 その時、まるで獣のような、怪獣映画に出てくるような野太い絶叫が耕一だったものから聞こえた。
 それだけではない。死んだはずの耕一が。生きているはずがない耕一の体が、ムクリと起き上がり二本の足で立ち上がったのだ。
「う、うそっ……!?」
 麻亜子だけでなく、普段冷静なはずの弥生も目の前の事態を理解できず呆然と、立ち上がった生物を見ていた。

「グアアアァァアァァァアァッ!!!」

269思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:09:39 ID:nHUW/EJY0
 口を大きく開けて、天に向かって咆哮を上げる耕一。いやそれはもはや人間ですらなかった。
 元々筋肉質だった二の腕はさらに大きく盛り上がり、色も肌色から黒色の人ならざるものへと変貌している。
 爪は赤く長く伸び、さながら恐竜を思わせる凶暴なフォルムに変形し、獲物を刈り取ろうとするようにせわしく蠢いていた。
 つまるところ、それは人の領域を超えてしまった……怪物であった。

「ガァア……ッ」

 息を吐き出し終えた怪物が、ゆっくりと麻亜子と弥生に真っ赤な眼球を向ける。それは狩猟者たる『鬼』が狙いを定めた瞬間であった。
「なんかさぁ……ヤバいって感じだなあ。乙女の大ピンチ?」
「悠長にそんなことを言っている場合ではなさそうですよ。あなたとの共同戦線……もう少しだけ続きそうですね」
 二人が、すくみそうになる足を必死に押さえ込みながらじりじりと後退していく。

「グゥウゥ……ァッ!」

 怪物はグッ、と腰をかがめたかと思うとその場から思い切り跳躍し、大木のような腕を棍棒のようにして振り下ろしてきた。
「うわっと!」「……!」
 麻亜子が怪物から向かって左へ、弥生が右にステップしてその場から離れる。それから僅か一秒と経たない間に怪物の巨体がそこへ落下し、腕を叩きつける。ドスンという鈍い音と共に地面が陥没し、土煙が舞う。人間では考えられない威力の、肉体のハンマーであった。
「このっ……隠し芸なら温泉でやってよ……ね!」
 距離を取った麻亜子がボウガンを向け、怪物の頭部へと向けて発射する。いくら怪物じみた外見でも頭部に損傷を与えれば無事では済まないはず、そう考えた結果だった。

 だが怪物は切磋に頭部を守るように右手を出し、直撃を避ける。しかし当たらなかったとはいえ右手に突き刺さったはずなのに、怪物はものともしないかのように矢を引き抜き、地面へと投げ捨てた。代わりに、ライオンのような鋭く尖った犬歯を覗かせ、嗤った。嗤ったのだ。
 やばい。そう判断した麻亜子はこれ以上の反撃を諦め再び距離を取ることに専念する。
 逃げられるとは思っていなかった。あの怪物は復讐のためだけに復活した追跡者なのだ。一時的に身を隠せようとも、いつかは追いつき体を引き裂いて頭を潰し蹂躙する。ならこの場で倒してしまうほかに生き残る術はなかった。
 幸いなことに、怪物の動き自体は鈍く麻亜子とは比べ物にならない。ボウガンをデイパックに手早く仕舞うと最大の武器であるデザート・イーグル50AEを取り出して構えようとする。

「グガァッ!」

270思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:10:03 ID:nHUW/EJY0
 しかし怪物もさるもの、動きの鈍さを巨体から出るリーチで補い槍のような爪を真っ直ぐに繰り出す。あれに貫かれたら、命はない。
 仕方なく発砲は諦め木を盾にするように回り込む。
 ずん、と地響きのような音がして麻亜子の前の木が軋みを上げる。どうやら爪が突き刺さったようである。
 この隙に反撃を、と思った麻亜子だが怪物は爪を引き抜くどころか逆に爪を深々と抉るように押し込み左右に動かす。
 ミシ、ミシっと音を立てたかと思えば爪の刺さった部分から木が折れ、周辺の草木を巻き込みながら倒れていた。
「う……わぁ……」
 これには麻亜子も唖然とするしかない。普段どんなことがあってもマイペースな彼女から血の気が引き、さっきまで反撃しようという考えも忘れてそそくさと弥生のところまで後退する。

「何アレ、それなんてファンタジー? というか援護してくれってのー!」
「申し訳ありません、ちょっと手持ちの武器を確認していたもので」
「そんなの戦う前からやっとけってーの! わわっ、来たきたっ!」
 再び前進してくる怪物に、弥生がP-90を向ける。
「残弾は少ないですが……やむを得ません」
 小刻みにトリガーが引かれたP-90から、数発の弾丸が怪物目掛けて飛来する。麻亜子のボウガンの時と同じく今度は左腕で受け止めようとする怪物だが、P-90の貫通力はボウガンの比ではない。

「グガッ!?」

 分厚い筋肉の鎧に覆われたはずの腕を貫通したP-90の弾が怪物の肩や胸に突き刺さり、抉り、破壊しダメージを与えた。しかしそれは決定的な致命傷には程遠く、怪物は呻き声を上げながらも更に突進してきた。今度の標的は、弥生。
「く、中々硬い……」
 大振りに繰り出される爪撃をバックステップで回避しながら弥生は単発で発砲を続ける。だが銃身がブレて思い通りに狙いが定まらず、腕や脇腹などには命中するものの心臓や頭部には一発として当たらない。しかしそれでもダメージは蓄積され、徐々にではあるが怪物の動きは鈍くなっていた。
「これで、どうだっ! くらえーい!」
 怪物から十分な距離を取った麻亜子が、お返しとばかりにデザート・イーグルから轟音と共に強力無比な50AE弾を背中に向けて撃ち出す。しっかりと構えていただけあって弾は背中の中心へとクリーンヒットする。

「ガァ! ググ……」

 象さえ仕留めるほどの威力を誇る銃弾に貫かれてはさしもの怪物もひとたまりもない……はずだった。

271思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:10:27 ID:nHUW/EJY0
「ググ……オオオオオォォォォォ!!!」

 呻き声から絶叫にも近い怒声を発したかと思うと、怪物は手を高々と掲げ弥生へと叩き下ろす。
「随分とタフな……っ!?」
 鈍い攻撃のはずだった。躱したはずの腕が、いつの間にか横から迫っていていたのだ。叩き付けられる右腕を避けられず、弥生は直撃を受けてその場に昏倒する。続いて怪物が、麻亜子の方向を向いた。

「やば……っ!」
 距離は十分にあったはずだった。しかし怪物はクラウチングスタートのように腰を屈めたかと思うと猛烈な勢いで突進し、ものの数秒で麻亜子の体へと肩をぶつけていた。地面を跳ねるようにして、麻亜子の体が転がる。
「かぁっ、痛った〜……」
 ダメージ自体はそれほどでもなかったが衝撃が半端ではなく頭が朦朧とする。よろよろと立ち上がる麻亜子に怪物の膝がさらに叩き付けられた。
 突き抜けるような圧力と共に麻亜子の体が宙に浮き、そのまま吹き飛ばされた。そしてその先は、幸か不幸か、急な坂であった。痛みにのたうつ麻亜子がそのままごろごろと坂を転がり落ちていく。

「グルルルル……」

 怪物は麻亜子に止めを刺すのは不可能だと判断したのかゆっくりと方向を変えると体を引きずるようにして倒れている弥生の元へと歩み寄っていく。
 背中からは麻亜子のデザート・イーグルによる銃傷で大量に出血しており、他にも弥生に負わされた無数の手傷からも血が噴出している。
 それでも歩みは止まることはなかった。柏木梓を殺した奴を殺す。その思いのみを行動原理に怪物は足を進めていく。
「く……化け物のくせに……こんなところで」
 弥生もまた、意識を失わずただ生き残ることを思って体を起こそうとしていた。
 だが思うように体は動かず立ち上がることさえままならぬ状況だった。それでも石のような体を引きずって、弥生は攻撃を受けた際に手放したP-90を取りに行こうとする。

「グオォッ!」

272思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:10:52 ID:nHUW/EJY0
 しかしその行動は怪物によって中断される。匍匐前進で這い、あと少しで手の届くところまで来たけれども、弥生の体が怪物の足によって蹴り飛ばされ、近くの木に激しく叩き付けられる。
 骨が折れてしまうほどの衝撃を受けながらも弥生は意識を失うことはなかった。いやむしろ痛みこそが弥生を気絶させなかったと言うべきかもしれない。
 だが、肝心のP-90は遥か遠く――実際の距離よりも手の届かない遠くに行ってしまったのだ。
「く……」
 一応警棒はあるがそんなもので怪物の進撃を止められはしない。何か、もっと、刃物のような尖ったものがあれば。せめて一矢報いることが出来るのに。
 必死に首を動かして何かないかと見回す。すると、思いがけないものがそこに転がっていた。

 ボウガンの矢。恐らく朝霧麻亜子の放った、そしてあの怪物が引き抜いた矢だ。
 咄嗟にそれを掴むと、いつでも全力でかかれるように弥生は力をボウガンの矢を握った手に集中させる。
 怪物の足音が、重低音を響かせながら弥生に近づいてくる。足音が止まった時が、最大の攻撃チャンスだ。

 ズシン、ズシン、ズシン、ズシン。

 四歩目。そこで音が、途切れた。

「グガアァァアァァッ!」

 狂恋の叫びを上げながら、憎き仇に制裁を加えるべく怪物が爪を振り上げて弥生の首目掛けて叩き切ろうとした。
「こんなところで、私は死ぬわけにはいかない! 由綺さんのために! 由綺さんの夢のためにっ!!」
 爪が天高く差したと同時に、弥生が力を振り絞ってボウガンの矢を怪物の足へと突き刺した。

「ギャアアァァァゥッ!?」

 肉を破り地面にまで到達したボウガンの矢は、引き抜こうと足を上げようとした怪物の力にもビクともしなかった。それどころか暴れるたびにより深く食い込み、怪物の叫びが増していく。
 だが、しかし。
 弥生の反撃はそこまでだ。P-90が遠くにある以上、立ち上がってそこまで行けるか。そう問われると怪物が矢を引き抜く方が先だと言えた。それでも諦めず、弥生は必死に立ち上がろうとする。

「グゴォォォォォ!」

273思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:11:15 ID:nHUW/EJY0
 そんな弥生の努力をあざ笑うかのように、怪物が器用に手を使って矢を引き抜いた。ぎょろりと立ち上がった弥生の方を向き、凶暴に息を吐き出す。
「……!」
 走って逃げ切るだけの余力はない。ここまでか。そう弥生が思った瞬間だった。

「はっ、いつまでも帰ってきぃへんし、なんやヘンな唸り声するか思うたら……こういうことか、バケモンが。せっかく知恵振り絞ったいうのになぁ」

「グゥ!?」

 弥生も、そして怪物さえも驚いたように声のした方向を見る。そこには……
「気絶したフリまでしたっちゅーのに……ホンマムカつく奴やで。もうええわ、死ねやボケ」
 怒りの形相でVP70を構えた神尾晴子の姿が、日光を背にあった。
 迷わずに引かれたVP70から、9mmパラベラム弾が怪物を蹂躙せんと真っ直ぐに迫る。

 それは麻亜子の50AE弾や、弥生の5.7mm弾に比べれば遥かに弱い威力だった。しかし多数の怪我を負った怪物に、それを避けるだけの余力も、もう残っていなかった。
 それでも防御しようと腕を上げるが、上げきる前に晴子の放った弾丸は怪物の眉間を貫き、脳を破壊し致命傷を与えていた。
 プツンと命令の途絶えた肉体が棒立ちとなり、ぐらりと傾いてドスンと重苦しい音を立てながら地面へと倒れ臥す。今度こそ、完全に、柏木耕一だったものの肉体は死を迎えていた。

「はぁ、はぁ……っ、ホンマ、手こずらせてからに……なぁ、アンタもそう思うやろ?」
「……ええ、まったくです」

 怪物が倒れたと同時にドッと疲れたようにへたり込む晴子の言葉に、同じく決着がついてP-90を拾いに行く必要がなくなった弥生が頷く。
 二人とも殺し合いに乗っているにもかかわらず、今の二人には互いに殺し合いをする気などなかった。満身創痍でそれどころではなかったのだ。

「ふぅ……っ。あーなんかもう、どうでもええわ」
 座っていることさえ億劫になったのか晴子は身を投げ出して地面に寝転がる。そんな晴子に、弥生が疑問を持ちかける。

274思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:11:56 ID:nHUW/EJY0
「私を撃とうという気はなかったのですか」
「あのアホウは殺し合いをする気はなかったみたいやった。ならその敵のアンタはうちと同じ。それだけのことや」
「敵の敵は味方……ということですか」
「ま、そういうことやな」

 単純だが、筋は通っている。弥生は頷くとある提案を持ちかけた。

「これから先……手を組んでみる気はありませんか」
「なんや、藪から棒に」
「私も貴女ももうギリギリの……極限状態のはずです。これから先一人で殺していくにはいささか無謀と言わざるを得ません。なら少しでも戦力が欲しいのは当然の理かと」
「うちでええんか? うちはひねくれ者やで」
「ですが、貴女は大人です」
「……」
「私は先程まである少女と手を組んでいたのですが……あの少女は自分が何でも出来ると思い込んでいる若いだけの人間です。ああいう人間は、殺せると思えば状況を考えず殺しにいく。ですが少なくとも貴女は違う。今この場で私を殺そうとはしなかった」
「どうかな? ただの気まぐれかもしれへんで?」
「その時は私の見る目がなかっただけのことです。その程度の人間が生き残れる訳がありません。どうですか、私と組んでみる気は」
「あーはいはい分かった分かった。アンタの言う通りや。どうでもええから今は横になりたいねん」

 面倒くさそうに言うと、晴子はそれっきり黙りこんで何も答えようとはしなかった。それを肯定と受け取ったのか弥生も横になってしばしの休息をとるようであった。
「なーんか、平和やな……」
 気の抜けたような晴子の声は、静かにその場の空気に溶けていった。

     *     *     *

「いてててて……あーもう! この稀代の美少女アイドルの顔に傷をつけおってー! ただじゃすまさんぞぉー……って、二度とお近づきになりたくないけどねぇ」

275思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:12:14 ID:nHUW/EJY0
 坂から転げ落ちた麻亜子はまだぐらぐらする頭をさすりながら山の上へと向かって吠えていた。幸いなことに骨折などはしていなく、全身のあちこちが痛むだけである。しかし肩のあたりに若干違和感があり、ひょっとしたらひびが入っているかもしれない。
「ま、いっか」
 あの怪物の動向は気になるが耳を澄ませても叫び声などは聞こえてこない。力尽きた……と麻亜子は信じることにした。

 それよりもあの戦闘で武器弾薬を色々と消費してしまったのが痛い。それに若干二名殺し損ねた。まあ内一名は生存の確認をしてないが。
「しゃーないか。いてて」
 全て思い通りにいくとは思っていなかった。今はとにかく傷の治療などをすべきである。
「ぬーん」
 出来れば診療所の方へ行きたいが、人が居る可能性も否めない。今は出来るだけ戦闘は避けたかった。

「まっ、このまーりゃんに不可能はないっ! ただいまよりどっかの村に潜入任務を開始するっ! いざ、行進……あいたた」
 まだ頭をさすりながら、とりあえず傷の治療を目的に麻亜子は歩き出した。

276思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:12:43 ID:nHUW/EJY0
【場所:F-06上部】
【時間:二日目午後:12:00】

柏木耕一
【所持品:なし】
【状態:死亡】
柏木梓
【持ち物:支給品一式】
【状態:死亡】
神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済みだが悪化)、全身に痛み、疲労困憊。弥生と手を組んだ】
篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、全身(特に腹部と背中)に痛み、疲労困憊。晴子と手を組んだ】

【場所:F-05】
【時間:二日目午後:12:00】

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:マーダー。全身に怪我、鎖骨にひびが入っている可能性あり。現在の目的は貴明、ささら、生徒会メンバー以外の排除。最終的な目標は自身か生徒会メンバーを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと。スク水の上に制服を着ている。どこかで傷の治療を行う】

【その他:耕一の大きなハンマーと支給品は死体のそばに落ちています】
→B-10

277十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:34:18 ID:4gSArroY0

爆風と閃光、焦熱の嵐の中、少女は笑う。
膝を、頸を、脊椎を踏み砕かれて倒れ伏す幾多の少女を睥睨し、来栖川綾香は呵う。
迫り来る死と踊るように歩を進めてきた少女の笑みはしかし今、ただ一点へと向けられていた。

「―――久しぶり」

少女の眼前に、一つの影があった。
皮が裂け、滲んだ血の固まった両手にそれぞれぶら下げたのは、黒焦げになった砧夕霧の躯。
三つ編みを無造作に掴んだまま引きずってきたものか、遺骸に僅かに残された白い肌の腕といわず足といわず、
無数の擦過傷が走っている。
と、影が夕霧の躯を、まるで空き缶でも投げ捨てるように放り出した。
音を立てて地に落ちたその物言わぬ体にはちらりとも目を向けず、影は静かに綾香と向かい合っている。
佇む二人の至近に光弾が着弾し、草木を焼いた。
閃光に照らされた影の瞳が、綾香をじっと見つめていた。

「どうした? 先輩に挨拶もできなくなったか」

血と煤に塗れ、どろりとした眼で自分を見る影に向けて、綾香は楽しそうに口の端を歪める。
短く切られたその髪がさわ、と揺れた。
微かに反らした上体を掠めるように、光弾が駆け抜けていく。

「―――押忍」

それは小さな声だった。
綾香の背後で石くれが爆ぜ、木々が燃え上がるのに掻き消されそうな、声。
だがそれを聞いた綾香は口元に浮かべた笑みを深くする。
くつくつと、くつくつと。

「おいおい、いつもの無駄な元気はどうしたよ―――葵?」

名を呼ばれた影の表情が、僅かに歪む。
呼んだ綾香は、笑んだまま握った拳を胸元に引く。

「構えろよ。それがうちらの流儀、なんだからさ」

だが影、葵と呼ばれた少女は血に濡れた拳を握ることもせず、曇天を切り取ったような眼を綾香に向けると、
ぼそりと呟いた。

「……どうして」

薄暗い呟き。

「どうしてあの人は、飛ばなきゃならなかったんですか……?」
「……」

す、と綾香の表情が消える。
ちりちりと草の焦げる音だけが、二人の間にあった。

「……知らねえよ」

僅かな間を置いて、綾香の表情に再び笑みが浮かぶ。
しかしその顔に刻まれていたのは、先ほどまでの楽しげなそれではない。

「知らねえよ、そんなの。あいつに直接聞いてこいよ」

そこにあったのは、明確な嘲笑だった。


******

278十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:35:06 ID:4gSArroY0


一つの記事がある。
新聞の地方欄の、小さな囲み記事だ。

―――
×月×日未明、首都圏の某高層ビルから、少女が屋上の柵を乗り越えて飛び降りた。
少女は約40m下の道路に叩きつけられ死亡した。自殺を図ったとみられている。

警視庁によると、事件が起きたのは午前四時ごろ。
付近を巡回していた警官が倒れている少女を発見した。
近くの病院に収容されたが、間もなく死亡が確認された。
警察では少女が自殺を図ったものとみて身元の特定を急いでいる。
―――

その後、この事件に関連した記事が一般紙の紙面を飾ることはなかった。
だが奇妙なことに、一部週刊誌やタブロイド紙を中心にして、続報は後を絶たなかった。
様々な見出しが躍り、興味本位の活字が闊歩し、憶測と邪推が少女の死を侵した。

悪意に満ち溢れた報道が無数に生まれ続ける「真実」を面白おかしく書きたてる中で、
それでも幾つかの共通した文言だけは辛うじて事実と呼べるだけの信憑性を持っていた。

曰く。
死の前日、少女は一つの催しに参加していた。
会場収容人数にして数万人、様々な媒体による中継を介してその数十倍。
百万の瞳が映したのは、少女が己の総てを賭けて挑み―――そして敗れる、その姿だった。

エクストリーム、特別ルールスペシャルエキジビションマッチ。
3R8分45秒、KO。

勝者、来栖川綾香。
そして敗者の名を、坂下好恵という。


******

279十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:35:53 ID:4gSArroY0

「前十字靭帯断裂、右膝側副靭帯断裂、肘靭帯断裂、腓骨粉砕骨折、踵骨骨折、
 鎖骨、肋骨、上腕骨橈骨中手骨鼻骨眼窩底膵臓脾臓腰椎」

訥々と、葵が人体の損傷を口にする。

「お経かよ」
「もう立てなくなっていた人に、ここまでする必要があったんですか」

茶化すような言葉を無視し、葵が濁った眼で綾香を見据える。
悪意を隠そうともせず嗤いながら、綾香が答えた。

「両者合意による特別ルール。TKOなし、セコンドタオル投入なし。……違ったか?」

噛んで含めるような口調にも、葵の表情は動かない。

「確かに、そういうルールでした。主催もドクターも、遺恨を煽ったプレスも来栖川寄りの試合。
 けれど、だからこそ止めることはできたはずです。あそこまでやる必要は、なかった。
 結局、綾香さんだってリングを離れることになって―――」

ぼそぼそと告げる葵が、ふと言葉を切った。
足元に転がる砧夕霧の死骸をおもむろに蹴り上げる。
跳ね上がったその無惨な躯を片手で掴むや、半身だけ振り向く。
直後、閃光が葵の掲げた夕霧の、黒焦げの腹に直撃した。
光が収まるのとほぼ同時、人体構造の限界に達したか、夕霧の躯が閃光を浴びた部分を境にぼろりと焼け崩れ、
脂の焼ける匂いを辺りに漂わせた。
盾代わりに使った遺骸を一瞥もせず再び放り捨てた葵が、何事もなかったように言葉を続ける。

「……して……まで、……んですか」
「……、え?」

風が、強く吹いた。
聞き返した綾香を濁った瞳で見据え、葵が今度ははっきりと口にする。

「どうして、最後までやったんですか」

280十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:36:40 ID:4gSArroY0
どろどろと渦巻くものが形を成したような、問い。
その視線を受けながら、しかし対する綾香の顔に浮かんでいたのは、困惑とも戸惑いともつかぬ表情だった。
何かを言いあぐねるように、綾香が何度か口を開きかけ、閉じて、また何かを言い出そうとして黙る。
奇妙な沈黙が下り、しばらくしてようやく綾香が捻り出したのは、ひどく簡素な言葉だった。

「―――何を、言ってんだ?」

嘲笑も悪意もない、純粋な疑問符。
それはまるで、歩き方を聞かれたとでも、呼吸の仕方を尋ねられたとでもいうような。

「なんで、止めきゃなんないんだよ」

うろたえたような声音に、徐々に別の色が混ざっていく。

「悪い冗談はやめろよ、なあ」

切迫した、どこか縋るような口調。

「なあ、なあ、葵。あたしの世界、あたしの手が届く場所、あたしの指で触れるもの」

困惑と失望と、

「世界って、そんだけだよ。そん中に、お前も入ってる。
 ……入ってるんだよ、葵」

そして―――懇願の、入り混じった声。

「だからそんな、そんなわけのわかんないこと、言うなよ。
 な、……頼むよ、言わないでくれよ」

一歩を踏み出したその足の下で、砧夕霧の黒く炭化した腕が、ばきりと折れた。
崩れた骨片が風に乗って舞い上がる。
恐々と伸ばされた綾香の白く長い指が、小さく震えているように見えた。
尚も何かを言い募ろうと綾香が口を開こうとした瞬間、葵が言葉を接いだ。

「私には分かりません……もう、あなたの勝ちは、決まっていたというのに」

281十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:37:11 ID:4gSArroY0
風が、止まった。
梢のざわめきだけが消えるよりも前、ほんの刹那の沈黙を破ったのは、綾香だった。

「ああ、」

と。
その小さな呟きを境に、綾香の表情が変わっていた。

「ああ、そういうことか」

まず困惑が、懇願が、綾香の顔から消えた。
能面のような無表情。

「……お前、だめだよ」

それから、モノトーンの世界に色彩が零れるように、落胆という表情が綾香に加わる。

「全然だめ。話になんない」

小さく首を振って、嘆息。
一瞬だけ眼を伏せた後、正面に立つ葵を貫いていたのは、冷厳とすらいえる瞳。

「お前、それは外側の言葉だよ、葵」

声音は氷の如く。

「勝つとか負けるとか、そういうのは、そんなところには、ない」

逡巡なく、

「殴って、蹴って、投げて絞めて極めて殴られて蹴られて投げられて絞められて極められて。
 そんで、なんだ? 勝ちと負けを決めるのはなんだ? あたしらを分けるのはなんだ?
 テンカウントか? レフェリーのジェスチャーか? それともジャッジの採点か?
 ……違うだろ、葵。そういうんじゃない。そういうんじゃないだろ。」

小さな火種が、燎原に燃え広がるように。

「そんなこともわかんなくなっちまったんなら、そんな簡単なことも忘れちまったんなら、
 葵、あたしがお前に言ってやれることは一つだけだ。たった一つだけだ、松原葵」

来栖川綾香が拳を握り、告げる。

「―――弱くすら在れないまま、死ね」

282十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:37:45 ID:4gSArroY0


【時間:2日目 AM11:14】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】

松原葵
 【所持品:なし】

→895 943 ルートD-5

283tactics:2008/02/10(日) 22:23:25 ID:ASdHemW20
「っ、はぁ、はぁ……っ! まったく、やってくれるわね」
 那須宗一と古河渚の追撃からどうにか抜けることができた天沢郁未であったが、失ったものは大きかった。

 まず第一に、味方の損失。
 信頼もクソもない関係だったが、味方には変わりない。戦闘能力も申し分なかった。それを失ってしまったのはかなり厳しい。

 そして第二に、古河渚が牙を剥いたこと。
 ただの足手まといは共に行動する人間のポテンシャルを大きく下げる。付け入る隙だってあった。
 それが今、死をも厭わず立ち向かうだけの闘志を剥き出しにしている。今度戦う時は真っ向勝負ではまず勝てないだろう。

「とにかく、今はあいつらから出来るだけ離れるようにしないと……」
 郁未が目指すのは限界まで血を流して戦うことではない。最終的に勝って生き残ることだ。綾香とは違う。今は逃げてでも戦力を整えるべきだ。
 できるなら、味方も欲しい。
「……難しいでしょうけどね」

 とかく知り合いもいなければ敵に回してしまった連中も多いのだ。一応少年という知り合いはいるがとてもじゃないが信用はできない。そもそも本名さえ知らないのに。
 はぁ、とため息をつきながら郁未は道をとぼとぼと歩く。どこかで休憩したいが道のど真ん中で寝転がるわけにはいかない。どこかに家でもあればいいのだが……

 そう考えながら顔を動かしてどこかに施設はないかと見回していると、木々に隠れるようにして石畳の道が置かれていた。ところどころ泥を被っていて磨り減った部分もあるそれは、遥かな年月を経ているかのように思える。
 少し中に入ってみれば、雨か何かで薄汚れた鳥居がそれでも森の中で赤の異彩を放ちながら訪問する者を待ち構えている。その奥には石の階段が天にまで届かんというように続いていた。

「神社か」

284tactics:2008/02/10(日) 22:23:50 ID:ASdHemW20
 色合いからして古臭いものだろうが一休みするには丁度いいかもしれない。郁未はそのまま進み、鳥居をくぐると木々に囲まれている神社への石段をひとつずつ上っていった。
 手すりがついていないうえ急な石段であったから郁未がそれを上りきるころには怪我をしている左腕と左足、腹部がズキズキと休ませてくれと我が侭を言ってきていた。半分行ってみようとしたことを後悔しつつ、郁未は本殿の全景を仁王立ちしながら見据える。
 菅原神社。なりは小さく、申し訳程度に置かれている小さな賽銭箱と取れてしまったのか鈴のついていない綱だけが寂しげに置かれていた。
 郁未は縁側に荷物を下ろして腰掛けると、まずは弾薬の再装填を行い、その傍らノートパソコンを起動させる。
 あれからどれだけ人が死んでいるのか。最悪郁未が殺した佳乃(と殺された綾香)だけという可能性もあったが、銃声などは頻繁に耳に届くのでそれだけはない、と思いたかった。
 慣れた手つきでタッチパッドを操作してロワちゃんねるを開く。

「やっぱりね」

 死者の情報に関するスレッドが更新されているのを見て、少し安堵する郁未。だがスレッドを覗くと、その内容は郁未の想像を遥かに超えるものであった。

「嘘でしょ、29人……!?」

 前回の放送の半分どころかそれを遥かに上回る人数。しかも、まだ昼を回った時刻でこの人数だというのだ。自然と心臓がありえないくらいのビートを叩き出し、喉がヒリつくような渇きを覚える。さらに信じがたいことに――その中には、あの『少年』も名を連ねていた。
 郁未の知る限り、あの『少年』の実力は半端ではない。不可視の力について相当な見識を持っており、力を使いこなしている。
 制限がかかっていようとも、単純な実力では郁未を遥かに上回っているはずだった。いやそれどころか全参加者中でもトップクラスの実力であるはず。
 それを超えるだけの怪物が存在するというのか?

(……落ち着け、落ち着くのよ郁未)

 思考の迷路に陥りかけている自分を無理矢理クールダウンさせ、ここから推測できる現在の状況を考える。パニックに陥って虚をつかれ殺されるわけにはいかない。何が何でも生き残らねばならないのだ。

285tactics:2008/02/10(日) 22:24:13 ID:ASdHemW20
 まず、このゲームに乗っている人間は少ないか?
 答えはNO、だ。不可視の力に制限がかかっている以上他の人間にかかっていないことはありえない。単独で殺戮を行うのは不可能に近いだろう。
 つまり、島のいたるところで小競り合いが生じ、結果死亡者が増えてこの人数になったのだろう。思っている以上にゲームに乗った人物は多い。

 次に、このまま単独で勝ち残ることは可能か?
 これもNO、だろう。ここまで生き残っている連中は大なり小なり修羅場を潜り抜けているはず。武装も殺害した人物から奪い取るなどして強化しているに違いない。もう小手先の戦法は通用しないだろう。

 最後に、どうやって味方を増やす?
 最後の知り合いである少年が死亡してしまった以上もう自分に知り合いはいない。つまりノーリスクで手を組めるような連中はいないのだ。
 それに、自分が乗った人物として情報が流布している可能性も高い。むしろ味方を作ろうとするのは危険が伴う。
 戦うにしろ味方を作るにしろ、結局は袋小路に突き当たってしまうのだ。頭をガリガリと掻きながら郁未は頭を捻っていい戦術はないかと思考を巡らせる。
 おびただしい死者の名前を見ながら数分思考錯誤した後、一つの案が浮かぶ。

「……なら逆に、逃げて隠れる、というのはどうかしら」

 別に何人殺さなければ首が飛ぶというわけでもない。最終的に最後の一人を殺せばゲームは終わる。どんなに参加者連中が手を組んでいようといつかは殺しあわねばならない。それで熾烈な争いに勝ったとしよう。だがその時は身も心もボロボロで満身創痍なのではないだろうか? どんなに強力な武器を持ち合わせていたとしても、それを扱えるだけの体力が残っていなければ?
 そこに止めを刺すなど、容易い。

 消極的ではあるが、中々有効な戦法ではあるかもしれない。郁未らしくもないが、生き残るためだ。

「なら、行動は急いだ方がいいわね」

 ノートパソコンの電源を切って仕舞うと、今度は地図を取り出して現在位置を確認する。

「確か平瀬村にいたはずだから……」

286tactics:2008/02/10(日) 22:24:34 ID:ASdHemW20
 指で道筋を辿りながら、やがてある一点に突き当たる。菅原神社。今郁未がいるのはここだ。
 ここから隠れるに適した場所は……
「ホテル跡、なんていいかも」
 指先を少し乾いた、しかし艶かしい色合いの唇にちょんと口付けし、その場所を指す。
 ホテルなら最低でも4階、5階まではあるだろうし、部屋の数も豊富だ。やや目立つ場所ではあるが身を隠すにはもってこいだ。あわよくばノートパソコンの充電を行いながら休憩もできるかもしれない。

「決めた。善は急げ、ね」
 地図を折り畳むと郁未はそれを手早く仕舞い、肩にデイパックを抱えて縁側から飛び降りる。裏手を回っていけば少々険しい道のりかもしれないが早くホテルまでたどり着ける。
 長い髪をひらめかせながら足早に郁未は神社の裏から森の奥へと消えていった。その先に待ち受けるものを未だ知らぬままに。

287tactics:2008/02/10(日) 22:25:01 ID:ASdHemW20
【時間:2日目14時00分頃】
【場所:E-2、菅原神社】

天沢郁未
【持ち物:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸20発・トカレフ(TT30)銃弾数(5/8)・ノートパソコン、鉈、薙刀、支給品一式×3(うちひとつは水半分)、腕時計】
【状態:右腕軽症(処置済み)、左腕と左足に軽い打撲、腹部打撲、中度の疲労、マーダー】
【目的:ホテル跡まで逃亡、人数が減るまで隠れて待つ。最終的な目標は、優勝して生き延びる事】

→B-10

288もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:45:44 ID:zrjuhbqc0
「目が覚めたみたいだね」
「ん……けい、すけ?」

まだ朦朧としたままである意識、薄く目を開けた神尾晴子の視野に一人の男の背中が映る。
橘敬介はパンとコップが乗せられているお盆を持ち、今晴子が眠っていた寝室と思われる部屋に入ってきたところだった。
もそもそと上半身を起こしながら欠伸混じりに伸びをする晴子の傍、備え付けられた椅子に敬介はお盆を持ったまま腰を落ち着けた。

「気分はどうだい」
「別に、何ともあらへんよ……ふわぁ。寝すぎたみたいやな、肩凝ってしんどいわ」
「夜中に様子を見に来たけど、起きる気配はなかったみたいだし。
 晴子も気を張り詰めすぎていたんだよ、こんな状況なら仕方ないかもしれないけどね」

こんな、状況。
そこで晴子は、はたとなる。
自分が置かれている立場のこと、娘を探し回って島の中を駆けずり回っていたこと。
今晴子が横になっていたのは柔らかいベッドだ、かけられた毛布と布団に見覚えなどあるはずない。
そもそも、ここはどこなのか。晴子は全く分からなかった。

「……晴子?」

怪訝な表情で伏せられた晴子を覗き込んでくる敬介には、彼女に対する警戒心が見当たらない。
晴子からすれば、それも疑問に値した。

「何で」
「うん?」
「うち、あんたに銃を向けたんやで。何であんたは、そんな風にしてられるん?」

289もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:46:15 ID:zrjuhbqc0
きょとんと真顔になる敬介の顔面に毒気が抜けられたかは分からないが、今の晴子には二人が出会った頃の攻撃性はなかった。
一晩ぐっすり寝て、精神的にも落ち着いたことも原因かもしれない。
それでも現状の把握が間に合っていないのか、晴子は額に手をあてながら必死に頭の整理を行った。
そんな晴子を無言で見守る敬介は、何はともあれ荒れていた彼女の面影が拭われていることに内心安堵の溜息を漏らしていた。
ここでまた晴子が暴れだした時、きちんと彼女の気性を抑えることが出来る自信というものが、敬介にはなかった。
昨晩も結局敬介自身の手では何も成すことが出来ず、晴子にしても通りがかりの見知らぬ男性に止めてもらったようなものである。
敬介の中にあったはずの尊厳、自信など自己を表す強固なものは、今彼の中には存在しないに等しかった。
少しやつれた敬介の頬に怪訝そうな視線を送る晴子、それから逃げるよう敬介はお盆を彼女に手渡し寝室を後にしようとする。

「……何か口にした方がいいと思ってね。食べたら、下に来てくれるかな」
「恩を被る気はないで」
「大丈夫、それは君の支給品である食料だ。水もこの家に通っていた物を使っている。
 毒が入ってると思うなら食べなくてもいいけど、それ以上の気遣いの必要はないよ」

晴子の返事を待つことなく、敬介は部屋から出て行った。
残された晴子は暫くの間彼が出て行ったドアを眺め、そして。
徐に、パンと水に口をつけたのだった。





「あの、おはようございます!」

不必要とも思える明るい声、晴子がダイニングと思える部屋の扉を開けた途端それが響く。
椅子に座っている赤のセーラー服に身をつつんだ少女は、ノートパソコンと思われるものを弄っていた。
その隣には画面を覗きこむように、敬介も席についている。
少女、雛山理緒と晴子はまともな会話をしたことはなかった。
だからだろう、晴子も彼女が何なのかすぐには思い出せなかった。

290もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:46:33 ID:zrjuhbqc0
昨晩のことを思い出そうする晴子は、静かに目を閉じその光景を瞼の裏に描こうとする。
そして敬介との一悶着の原因にもなった少女と、目の前の彼女が同一人物であると認識したと同時に晴子は敬介に吼えてかかった。

「……うちの話、全然聞いてなかったんやな!」
「晴子?」
「あんた、いつまでその子囲ってるん?! きしょいわ、ええ加減にしい!」
「晴子、君はまだそんなことを言ってるのか」
「じゃかあしいわ!」

叫ぶ晴子にどうしたら良いのか分からないのだろう、理緒はオドオドと晴子と敬介に挟まれた形で視線を揺らしていた。
一つ大きな溜息を吐いた所で敬介は立ち上がり、理緒を背に隠すよういまだ部屋の入り口にて仁王立っている晴子と対峙する。

「何呑気にしてるんや、そんな余裕こいてる暇あるならさっさと観鈴のために何かしい!」
「……観鈴のために、何をするんだい?」
「当たり前のこと聞くんやないボケが、それくらい自分で考え!」

敬介の淡白な応答に、晴子が沸点に到達するのは容易かった。
視線で人を殺せるくらいの強さを持った晴子の瞳、しかし敬介がそれに怯むことはない。
ここで嗜めるように、上から目線で話してくるのが敬介の気質だった。
晴子はそれを真っ向から叩こうと、敬介が次に継ぐ言葉を待ち続ける。
しかし敬介はまた溜息をつき、そのテンションの低さを晴子にまざまざと見せ付けた。

「……あんた、人を馬鹿にしとるんか! 最悪やな、そんな男とまでは思ってなかったで!」

吐かれる暴言に対しても、敬介は大きなアクションを取ろうとしない。
あまりにも張り合いが無さ過ぎる敬介に対し晴子も疑わしく思えてきたのだろう、晴子は一端口を閉じ敬介の出方を窺った。
怪訝な晴子の表情、それに気づいた敬介はそっと右手を挙上げある場所を指差す。

「晴子、悪いけど今の時間を確認してもらっていいかな」

291もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:46:57 ID:zrjuhbqc0
何やねん、と晴子が不満を口に出そうとした時だった。
敬介の指差す場所には、少し埃が積もっているものの今もまだ稼働している壁掛けタイプの時計が飾ってある。
何気ないインテリアに、晴子も今その存在に気がついたのだろう。
時計には愛らしい装飾が施してあり、それこそ観鈴などの女の子が好きそうなキャラクターがあしらってあった。
しかし今、見るべき所はそのような外観ではない。あくまで、機能としての時計の役割が重要だった。

「……十時? 十時って、何や」
「今の時間だよ」
「は? だって、十時て……嘘やん、そんな……」

間抜けにも思える晴子の独り言に、敬介は的確な言葉を続ける。

「二回目の放送があったんだ、君が眠っているうちに終わったよ」
「んな、何……」
「話したいことがある。悪いけど、大人しくしていて欲しい」

混乱がとけないのだろう、上手く言葉が紡げずにいる晴子の二の腕を掴み、敬介はそっと椅子の方へと誘導した。
ふらふらと流されるままに敬介についていく晴子、理緒は不安気にその姿をそっと目で追う。
すとん、と理緒の正面に座った晴子の目は空ろだった。

「君には……伏せておいた方がいいかもしれないと、最初は考えていたんだ。
 だけど、そんなの傷つくことを後回しにするだけのようにも思えてね」

そんな状態の晴子に何て残酷なことを告げなければいけないのだろうと、理緒は一人涙ぐむ。
伏せた視線には自分の握りこぶししか映らない、耳を塞ぎたい気持ちもあったが理緒はそれをぐっと我慢した。
敬介だって、同じはずだからである。
むしろ告げる役は彼なのであるから、痛みは彼の方が増すに違いない。

「……敬介?」

292もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:47:29 ID:zrjuhbqc0
訝しげな晴子の声に続けられることになる敬介の宣告、瞬間喉が空気を掠める音を理緒の耳が捕らえた。

「観鈴が死んだよ」

それは、敬介の言葉が吐かれるとほぼ同時に鳴ったものだった。





初めまして、神尾観鈴といいます。
私は無事です、友達もたくさんできました。
今、藤林杏さんのパソコンを借りて書き込みをさせていただいてます。
えっと、上で書いてある橘敬介というのは私の父です。
お父さん、もしこれを見てくれているなら、もう人を傷つけて欲しくはないです。
また、父に会う人がいらっしゃるようでしたら、この書き込みのことを伝えてください。
お母さんの神尾晴子という人に会った人も、伝えてもらえると嬉しいです。
よろしくお願いします。

書き込み時刻は午後十一時過ぎ、折りしも晴子が敬介等と言い争いをしていた頃のものだった。
画面に存在するウインドウは正方形で、そのタイトルには「ロワちゃんねる」という文字が添えられている。
理緒の前にあったノートパソコン、その画面を晴子の方に向けながら少女はこわばった表情で口を開く。

「ここにある、藤林杏さんという方のお名前も……呼ばれました」

何で呼ばれたか。この流れでは一つしかない、放送だ。
いまだ現実が認識できていない晴子に向かって、畳み掛けるように色々な情報が襲い掛かる。
晴子は呆けたままの頭を抑えながら、ノートパソコンの画面を見つめた。
読むという行為までは発展しないそれ、しかし「神尾観鈴」という愛する娘の呼称だけは晴子もすんなりと理解できたのだろう。
晴子は食い入るように、それに見入っていた。
時折瞳が乾いてしまうせいか瞬きをする、その仕草さえも機械的と言えるような動作で後は何のアクションも起こさなかった。

293もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:47:49 ID:zrjuhbqc0
「僕達には観鈴に何があったのかは分からない。分からないんだ」

零された敬介のそれに、晴子の瞳が揺れる。
敬介の声には、何の表情も含まれていなかった。

「あの子がもうここにはいない……それだけ、なんだよ」

晴子の視線が動く、そこには無表情の男が棒立ちしているだけだった。
無念だとか、悔しさだとか、そのような類の色すらも含まれているようには全く見えない敬介の姿が、晴子の感情を掻き毟る。

「……そんな訳、あるかい」

晴子には、それくらいしか口にできることがなかった。
信じられない、信じたくない事柄に対し晴子が唯一できる抵抗というものがそれだった。

「あの子が死んだなんて、嘘に決まっとるやん。なぁ、うちが放送聞いてへんから騙そうとしとるんやろ? なあ?」

早口で捲くし立てる晴子、敬介と理緒を交互に見やり晴子は必死に同意を求める。
俯き視線を逸らす理緒に対し、敬介はやはり表情を崩すことなく晴子のそれを見返していた。
……本来ならば、敬介も動揺し感情を外に喚き出したい衝動に駆られたかっただろう。
しかし敬介は疲れていた。疲れきっていた。
昨晩受けたショックに続く愛娘の死は、敬介の存在意義とも呼べる渇望を根こそぎ奪い取ったようなものである。
意固地な晴子の姿勢、敬介はそれが羨ましいくらいだった。
観鈴のためにそれくらい取り乱せる晴子のこと、見苦しいかもしれないが観鈴のことを思っての上での醜態に無表情だった敬介の目元が歪む。
一歩足を踏み出し晴子との距離を詰め寄ろうとする敬介、それだけで彼女はビクリと大きく肩を揺らした。
後退する晴子が目の前の敬介かそれともせまってくる現実か、そのどちらに身を震わせているのかは敬介自身にも分からない。
逃げ腰になる晴子の腕を掴むと今一度パソコンの前へと引っ張り戻す敬介は、今はそれが最優先だと判断した上で容赦なく彼女に現実を突きつけようとする。

294もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:48:26 ID:zrjuhbqc0
「晴子、この書き込みをよく見てくれ」
「嫌や!」
「見ろ、見るんだ晴子。観鈴は争いなんか望んじゃいない、せめてその気持ちを酌んであげなくちゃいけないんじゃないのか」

暴れる晴子の背面に周りその両肩を掴み、敬介はぐずる幼子をあやすように言葉を刷り込ませようとする。
だが聞く耳を持とうとしない晴子は裏拳を敬介の頬に叩き込み、すぐさまその拘束を掃った。

「晴子……」
「うちは認めん、絶対に認めん!」
「落ち着いてくれ、晴子」
「認めたらそれまでやろ?! 観鈴は死んでなんか……」

頬を張る音、空気を振るわせるそれが鳴り響き晴子の言葉は止められる。
自分がはたかれたという認識が遅れているのか、晴子は視線を彷徨わせながら強制的に動かされた視野をゆっくりと元に戻した。
晴子の目の前、今の晴子と同じように頬を腫らした敬介の眉間には、深い皺が寄っている。
晴子は、呆然とそれを見つめた。

「……それは観鈴のためじゃないだろ、君のためだ。
 君のエゴであの子の心を傷つけるんじゃない。僕はあの子の父親だ、あの子の心を守る義務が僕にはある」

相変わらずの弱々しい佇まいだったがその声だけは凛としていて、結果周囲にいた者の注目を浴びることになる。
せめてもの誓いだと宣言する敬介の言葉には、思いの深さが満ちていた。
不甲斐ない自分に恥じ気落ちする彼が生きる意味という言葉を捜した結果が、それだったのかもしれない。
自分には何も出来なかったということ、失った自信を取り戻すためにと気力で持ち直そうとする程彼は若くない。
目の前にある義務を最優先にした敬介は、同時に一児の父としての自分を優先させたことになる。

「……アホらし」

嘆息混じりに晴子が呟く。
晴子は噛み殺してきそうな勢いを持った瞳を潜め、そうして肩の力を抜いた。

295もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:49:11 ID:zrjuhbqc0
「うちのバッグはどこや」
「うん?」
「せやから、うちのバッグはどこや。あんた等が管理してるんとちゃうの?」
「あ、それでしたら隅にまとめて……」

成り行きを見守っていた理緒が口を挟む、そんな彼女を一瞥した後晴子は狭いダイニングを見渡した。
合わせて三個のデイバッグがまとめられる様を発見し、徐に近づいていく晴子を止める者はいない。
そこから一つバッグを担ぎ上げると、晴子は戸口の方へと向かった。

「僕達と一緒にいるつもりはないのか?」
「空気読まんかい、今は一人にさせて欲しいんや」
「……そうか」

それ以上二人の応答は続かず、部屋を出て行く晴子の背中を理緒と敬介は無言で見送った。





時間にすれば、それから数十分程経った頃だろうか。

「引き止めた方が、良かったんだろうね」
「橘さん……」
「でも僕は、晴子の足を止められる言葉を持ってはいないんだ」

先程晴子が座っていた席についた敬介が、向かい合う理緒に愚痴を漏らす。
理緒は何も言えなかった。
晴子と敬介、二人の間に理緒が入り込む余地がなかったというのもあるが、その隙間を埋めようとも理緒はしなかったからである。
敬介と理緒は、言わば似たもの同士であった。

296もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:50:00 ID:zrjuhbqc0
(藤田くん……)

二人が失ったものの存在感は、あまりにも大きかった。
俯く二人はそうやって、限りある時間を食い潰していく。
ダイニングの戸口には一枚の紙切れが落ちていたのだが、二人がそれに気づく気配はまだない。
それは晴子が中身を確認せず持っていったデイバッグから落ちたものだった。

『アヒル隊長型時限装置式プラスティック爆弾 取り扱い説明書』

紙切れは本ロワイアルが開始されてから、いまだ誰も目を通していないアヒル隊長の説明書だった。

(藤田くん……私、これからどうすればいいかな……)
(僕は一体、これからどうすればいいのか……天野美汐、彼女の意図は分からないけどあの変な書き込みで、うかうかと名乗ることもできなくなったし……)

故意にウインドウのサイズを正方形にしていたことは、晴子に美汐が行ったと思われる書き込みを見せないためだった。
敬介の弁明でそれが誤解であることは、理緒も既に承知していることだった。しかし晴子はどうか。
観鈴の死というだけで情緒に問題が出るであろう彼女に、出任せであるその事柄を伝える必要はないだろう。それが二人の出した結論だった。

またそれ以外にも、椎名繭に支給されたノートパソコンにより得られた情報が二人にはまだある。
しかしそれが次の行動に移らない時点で、そんな物は豚に真珠が与えられたようなものだ。
刻々と過ぎていく時間、積もるは意味のない溜息ばかり。
二人が無駄にした時間に後悔するのは、まだ少し先のことだった。




神尾晴子
【時間:2日目午前10時半過ぎ】
【場所:G−2】
【所持品:鋏、アヒル隊長(2時間後に爆発)、支給品一式(食料少々消費)】
【状態:放送を聞いていないのでご褒美システムは知らない】

雛山理緒
【時間:2日目午前10時半過ぎ】
【場所:G−2・民家】
【持ち物:ノートパソコン】
【状態:自失気味(アヒル隊長の爆弾については知らない)】

橘敬介
【時間:2日目午前10時半過ぎ】
【場所:G−2・民家】
【持ち物:無し】
【状況:自失気味(自分の支給品一式(花火セットはこの中)は美汐のところへ放置)、美汐を警戒】

支給品一式(食料少々消費)トンカチ・支給品一式×2(食料少々消費)は部屋の隅に放置

(関連・429)(B−4ルート)


他ロワに疎いので、某所は見ているだけで精一杯です……

297十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:46:47 ID:8oOggqkE0
 
ちりちりと、音がする。
頭の中に響く音。
微細で、鋭利で、不快な音。

ちりちり。
それはきっと、私の記憶の中にある音だ。
耳を澄ましていると、次第にちりちりという音が大きくなってくる。
脳の表面の柔らかい皮を針先で擦られるような痛痒に、眉を顰める。
ちりちり。
私という劇場の、記憶という暗いスクリーンに浮かび上がってくる映像。
ちりちりという音は、映写機の回る音か、それともスピーカーから漏れ出るノイズか。
がりがりと乱暴に頭を掻きながら目を凝らせば、ぼんやりとしていた映像のピントが徐々に合ってくる。

ちりちり。ちりちり。ちりちり。
スクリーンいっぱいに映し出されていたのは、白と黒の細かい縞模様が乱雑に、ランダムに交じり合う奇妙な絵。
ああ、と思う。これは、砂嵐だ。
砂嵐。テレビを、電波を受信しないチャンネルに回したときに流れるノイズ。
してみると、ちりちりという音もこの映像から流れているBGMか。
と、スクリーンの中の砂嵐に変化が生じる。
まず現れたのは、砂嵐を囲むようなかたちの枠。
銀幕という枠の中に、更に一回り小さな枠ができた。
いや、これは……テレビか。
なるほど、徐々にカメラが引いているのだ。
最初に映っていたのはテレビ画面の砂嵐。そしてテレビの枠。
カメラはなおも引いていく。次第にテレビが小さくなる。
いまやスクリーンには不可解なノイズではなく、一つの意味のある像が結ばれていた。

それは、暗い部屋だった。
小さなテレビと、生活感に溢れた幾つかの小物。
消灯された部屋の中、砂嵐だけを映すテレビの光が、その手前に座る小さな影を照らしていた。
背中を丸め、膝を抱えた、小さな女の子。
少年のように短く切り揃えられた髪。膝小僧には絆創膏。
ぼんやりと砂嵐を見つめる、瞳。

ああ、ああ。
これは、私だ。
十年以上も前の、松原葵だ。
これは確かに私の記憶。
忘れ得ぬ、私が私自身の歩く道を定めた日の、遠い記憶だ。


***

298十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:47:13 ID:8oOggqkE0
 
それは子供の頃に見た、特撮番組だった。
遠い宇宙の彼方からやって来た正義の巨人が、悪の怪獣と戦うお話。
誰もが知っている、陳腐で普遍的な物語。
男の子と間違えられるような毎日を送っていた幼い頃の私も、毎週欠かさず見ていた。
その日も、正義の巨人は苦戦の末に勝利を収める、筈だった。
ブラウン管の中で、巨人が倒れていた。

私はじっと、動けずにいた。
もう違う番組の映っているテレビ画面を凝視しながら、私は膝を抱えたままでいた。
母親に叱られても、夕飯の時間になっても、そうしていた。
怒鳴り、宥め、すかし、やがて両親が匙を投げて眠りについても、私は灰色の砂嵐だけを
映すようになった画面を見つめていた。
巨人が負けたのが悲しかったのではない。
怪獣が勝ったのが悔しかったのではない。
私はただ、許せなかったのだ。
咎人に堕した巨人と、それを責めない世界のすべてが。

―――巨人は罪を犯している。
言葉にすれば明快な、それが幼い私の認識だった。
正義の巨人は、その正義の名の下に罪を犯している。
怪獣を倒すために街を破壊し、それを悪びれもせずにどこかへ帰っていく。
街は人の住む場所だ。そこには家があり、店があり、人の過ごす空間がある。
それはつまり街自体が記憶の結晶であり、そこに暮らす人間の生きてきた時間そのものということだ。
巨人はそれを、踏み躙る。大切な思い出を、かけがえのない居場所を、躊躇も容赦もなく破壊する。
怪獣を倒すという、そのために。

それでも人が巨人を石もて追わないのは、彼が正義だからだという、ただその一点に尽きるのだと、
私は考えていた。
そう、巨人は正義だった。いかに街を蹂躙しようと、それ以上の被害をもたらす怪獣を倒す巨人は、
紛れもない正義の味方だった。
正義の名の下に、巨人は庇護され許容され赦免される。
幼い私にもそれは理解できたし、容認もしていた。
確かにそれは正義だと、悪を倒す剣であり続ける以上、その罪は赦されるべきだと、
言葉にすればそんな風に、幼い私も考えていた。
その日、巨人が敗れるまでは。

299十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:47:56 ID:8oOggqkE0
凶悪な怪獣の猛攻の前に追い詰められ、ついには倒れ伏した巨人の姿を見たとき、私は思ったのだ。
ああ、これが巨人の最期か、と。
その時はまだ、巨人は生きていた。
力尽き、この星で過ごす仮の姿となって横たわる彼の元に仲間が駆け寄っていた。
しかしそれでも、巨人はもう終わりなのだという確信めいたものが、私の中にはあった。

悪を倒せぬ剣に、価値はない。
これまで巨人が赦されてきたのは、その存在価値が罪を上回るからに他ならない。
ならば、と私は半ば期待に胸を膨らませながら思ったものだ。
これから始まるのは、巨人の罪を指弾する弾劾であり、業を糾弾する徹底的な攻撃であり、
咎に報いを与える断罪であるはずだ。
それは胸のすくような因果応報の光景であり、私の認識に一本の筋を通す制裁となる筈だった。

―――物語世界は、それをしなかった。
情と理の双方によって巨人を裁くべき物語の住人たちは断罪も、弾劾も攻撃も制裁も行わず、
逆に一致団結して怪獣に立ち向かっていった。
最後には人間の英知によって怪獣が倒され、平和が戻り。
そして私は、目の前にある物語世界の平穏を、許せなかった。

怪獣が倒れても、街は元には戻らない。
同じような家が建ち、同じようなビルが建ち、同じような街並みが出来上がったとしても、
それは、違う。
決して同じ街などでは、あり得ない。
そこにあるのは、同じような形をした、違う街だ。
そこに住んでいた人間が、そこを訪れた人間が残した記憶や思いが、その街には存在しない。
だからそれは真新しい、墓標の群れだ。

喪われた街は弾劾を希求する。
霞みゆく記憶は報復を切望する。

磔刑に処されるべきは―――悪以下の存在と堕した巨人。
そうでなければ、ならなかった。
世界は、それを選ばなかった。

ならば、と幼い私は思う。
ならば街角の風景に宿っていた思い出は、何処へ行く。
錆びた看板の落とす影に刻まれた記憶は、何処へ行く。
光の巨人が、正義の旗の下に犯した罪は、何処へ行く。

悪を倒すために悪を為すことを許された存在が敗れたのならば。
それは、裁かれねば、ならなかったのだ。




 ―――故に、私は断罪する。悪に屈した正義を。




******

300十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:48:32 ID:8oOggqkE0
 
「私、負けたんですよ」

風を裂く音に、視認よりも早くガードを上げながら、葵が呟く。

「そう」

距離を測るためのジャブをアウトサイドへいなされながら、綾香が短く応える。

「あたしもKO食らったよ、さっき」

左半身から打ち出すはずだった右の拳を止め、同時に脇を締めながら綾香が跳ね上げるのは、右の腿。
ミドルの軌道を描く蹴り足に、左のガードを下げる葵。

「なら、どうして」

固めた前腕に受け止められるかと見えるや、その蹴り足が一段ホップする。
ガードを越え、変化する軌道は右ハイ。
葵の側頭部よりも上、目線の高さを頂点として弧を描く。

「どうして生きてるんですか」

膝先から変化する打ち下ろしの蹴りに、葵は半歩を踏み出しつつのダッキング。
ご、と硬い感触があるが、打点をずらされた蹴りに然程の威力はない。
綾香の右脚を抱えるような姿勢のまま、至近のボディへ一撃。

「どうして、生きてられるんですか」

体重を乗せての右肘が空を切る。
綾香の軸足が宙を舞っていた。
葵に預けた格好の右脚に重心を移しながらの、強引な回転。
右の肘打ちと回転軸を合わせられた葵がたたらを踏んだところへ、綾香の突き放すような前蹴り。

「ぶちのめすためさ」

距離を取った綾香が、爛々と目を輝かせながら言い放つ。
両のガードを上げながら踏み込んでくる、それはストライカーたる葵の間合い。

「ぶちのめすためだよ、葵」

葵の放つ、迎撃の左正拳はフェイク。
僅かなウィービングで回避されたそれを囮に狙う、真のカウンターは跳ね上げた右の膝。
回避の間に合わぬ打撃が綾香に突き刺さり、しかし。

「あいつはトドメを刺さなかった」

肉に食い込む感触が、軽すぎた。
ハッとして目線を上げたそこに、笑み。

「それは、あたしをナメてるってことだ!」

来る、と思ったときには遅かった。
葵の鼻面に、綾香の額が深々と食い込んでいた。

「あたしが自分を殺しに戻るなんて、思ってやしないってことだ」

痛みよりも先に、熱さが来る。
ぷ、と鼻の血管が破れるのを感じた。
鼻骨までは達しない打撃、しかし視神経の麻痺する一瞬は、あまりにも長い。
無意識に近いレベルで上げたガードの、その真下。

「なら、あたしはどうしたって戻らなきゃならない」

右の脇腹に叩き込まれる一撃。
肋骨の下から抉り込むような、教科書通りのレバーブロー。
息が、抜ける。

「そこで尻尾を巻いたらあたしの負けだ。その時にこそ、あたしは死ぬ」

崩れ落ちようとする膝を無理に支えたのがいけなかった。
空いた左胴に、今度は振り回すような脾臓打ち。
直接胃に響く衝撃に、葵の食道が上向きに蠕動する。

「人はそこで本当に死ぬんだよ、葵」

今度こそ崩れようとする葵を、髪を掴んで止めながら、綾香が空いた右の拳を振るう。
正確に鳩尾に叩き込まれた打撃に、葵の胃液が逆流した。

「だから戻る。戻ってあいつをぶちのめす」

けく、と小さな音と共に、苦い刺激が葵の舌を覆う。
それが口元から垂れ落ちようとする刹那、髪を掴んでいた手が離された。
重力のまま自由落下を始める葵の身体が、直後、まるで拳銃にでも撃たれたかのように跳ねていた。

「それが答えだ、葵。あたしの、来栖川綾香の答えだ」

松原葵の顔面を、来栖川綾香の正拳が、打ち抜いていた。


******

301十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:49:20 ID:8oOggqkE0

黒に染まった視界の中、灯る一点の朱がある。
それは街の灯り。焼け崩れる街を包む炎の朱。

ちりちりと、音がする。
瓦礫の中から、飛び交う火の粉から、逃げ惑う人々から、ちりちりと音がする。

視界を覆う黒は、巨大な影。
炎を吐き散らし、街を蹂躙する異形の怪物。
それは子供の頃、夢に見た怪獣だった。ちりちり。

「―――痛そうだなあ、葵」

紅い眼を輝かせた怪獣が、にやにやと笑いながら言う。
大きなお世話だと言い返そうとして、声が出ないことに気付く。
そう、私は一敗地に塗れ、倒れ伏しているのだ。声など出よう筈もなかった。
厭らしく笑う怪獣の視線が、私を見下ろしていた。
ちりちり。ちりちり。

断罪の時間なのだと思った。
醜い姿を晒す負け犬が、その価値に相応しい死を迎える瞬間がやってきたのだと。
悪に挑んで、何も為せずに死んでいく。
愚かな私。愚かな巨人。
にやにやと、怪獣の笑みが広がる。
ちりちり。ちりちり。ちりちり。

これでいい。
この瞬間を、待ち望んでいた。
世界はこの極刑をもって、正しいかたちを取り戻す。
首を刎ねろ。手足をもいで肥溜めに放り込め。臍に灯心を立てて火を灯せ。
断罪だ。弾劾だ。世界を救えぬ咎人の、これが末路だ。
ほうら、こんなにも無駄に、何一つ打倒することすらできず。
死んでいけ、私。

302十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:49:50 ID:8oOggqkE0
「……るなら、……てもいい……よ?」

ちりちり。ちりちり。ちりちり。
怪獣が、怪獣の言葉が、ちりちりという雑音交じりで聞こえない。
私の耳には届かない。ちりちりと、耳障りなノイズに阻まれて届かない。
だと、いうのに。

「……プするなら、やめてや……だよ?」

鼓動が跳ね上がる。
それは、不思議な感覚だった。
届かないはずの言葉が、私を刺し貫いていた。
あらゆる恥辱を越え、あらゆる汚濁を凌駕して、私の中の、最後に残ったものに、唾を吐きかけていた。

ぎり、と噛み締められた奥歯が鳴る。
どくり、と心臓の送り出す血液が全身に火をつける。
関節という関節、筋肉という筋肉、腱という腱。
私という人間を構成するパーツが、がりがりと音を立ててアイドリングを始める。
そのがりがりという音に押されて、ちりちりという音が、消えていく。

がりがり。ちりちり。がりがり。ちりちり。がりがり。ちりちり。がりがり。がりがり。
ちりちり。がりがり。がりがり。がりがり。ちりちり。がりがり。がりがり。がりがり。
がりがり。がりがり。がりがり。ちりちり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。
がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。
がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。

松原葵と呼ばれる私が組み上がり、起動すると同時。
霧が晴れるように、怪獣の言葉が鮮明に聞えてくる。

「ギブアップするなら、やめてやってもいいんだよ、葵……?」
「―――ふざけるな」

声は、掠れもせず、喘鳴に淀むこともなく。
ただ一直線に、見下ろす怪獣を断ち割るように。

「……」

そうだ、ふざけるな。冗談じゃない。
痛くて、苦しくて、辛くて、だけどこれは断罪で、

「私はまだ、終わってない」

言葉は、思考よりも加速して。
私に根を張る妄念を、追迫し、駆逐し、放逐し。

「まだ、やれますよ、私は」

そうして、身体の奥底の、私の一番深いところから、本当の心を引きずり出していた。

なあんだ、と笑う。
たった、これだけのこと。
これだけのことだったのだ。

私は、私の心の中の、テレビの前で膝を抱える幼い少女の首根っこを掴むと、そのまま勢いよくブラウン管に叩きつける。
鈍い音がして、砂嵐が消えた。痙攣していた少女も消えた。
手を伸ばし、光の巨人の顔を鷲掴みにすると、力を込めて握り潰す。
ぽん、と炭酸飲料の蓋を開けるような気の抜けた音と共に、巨人もまた四散した。

砂嵐も、光の巨人も、焼け落ちる街も消えた、真っ暗な世界を、丸めて捨てる。
目を開ければ、そこには蒼穹と、吹きそよぐ風。
そうしてそれから、長かった黒髪を短く切り揃え、端正な顔を血と爆炎に汚した、怪獣が立っていた。
大地に身を預けたまま、視線だけを動かして、怪獣を見据える。

「目、覚めたんなら―――立てよ」

来栖川綾香が、松原葵の夢にみた怪獣が、呵う。
爛々と輝く瞳は、きっと私と同じ色。
今ならば、違いなくそれが判る。何となれば、

「ええ。それが私たちの流儀、ですから」

私の身体は、こんなにも―――戦いたがっている。

303十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:50:26 ID:8oOggqkE0

【時間:2日目 AM11:15】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】

松原葵
 【所持品:なし】

→947 ルートD-5

304希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:32:57 ID:15bKxc7I0
「よし、いいぞ来い」
 芳野祐介が手で合図したのに合わせて、ファミレス制服姿の女の子が三人、木の陰から飛び出してくる。明らかにこの緊迫した状況には相応しくないと思う芳野ではあったが命が懸かっている状況でそんなことを言っている余裕はないし、そもそも着るように指示したのは芳野だ。
 ともかく、なりふり構ってられない。国崎往人も今頃は命を懸けて戦っているに違いない。こちらもやれるだけやらねば。

「もうすぐ学校ですね」
 ぴょこぴょこと髪飾りを揺らしながら神岸あかりが話しかける。女性陣の中では一番慎重で、常に周りの様子に注意しながら動いてくれる。
 恐らく、国崎往人と行動している間にいくらか戦いの場をくぐりぬけてきた結果なのだろう。そういう意味では往人に感謝できなくもない、芳野はそう思っていた。

「それで、芳野さんどうするの?」
「学校でまずひとを探して、それから何か脱出に使えそうなものを探す。そうですよね」

 芳野の代わりに答えるようにして添えられた長森瑞佳の言葉に、「ああ、そうだ」と同意する芳野。瑞佳は言葉の少ない芳野をフォローするように口添えしてくれる。割と口下手な(愛を語ることに関してはその限りではないけれども)芳野にとっては彼女もまた在り難い存在である。
 柚木詩子は……まあ、能天気だが暗くなりがちなこのメンバーの清涼剤にはなっているだろう。

「芳野さん?」
「……何でもない」

 ほんの少し、詩子を見ていただけなのに敏感にその気配を察知できる、ということも追加しておこうと芳野は思った。

「ここからは二手に別れよう。俺と神岸で学校の中を、長森と柚木で学校の外を探してくれ」
 さらに森を抜け、鎌石村小中学校の校舎が全景を見せたところで芳野は二人に指示する。四人でちまちま捜索していくよりも、別れて捜索した方が効率がいいと考えたからである。

「はいはいはーい、質問」
「何だ柚木」
「その人選の理由は?」

305希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:33:21 ID:15bKxc7I0
 気にするようなことか? とも思ったが理由もないではない。芳野は丁寧に返答する。

「まずお前が銃を持っているからだ。室内では発砲したときにどこかで兆弾する可能性があるからな。それに戦力のバランスを取ろうとすると俺はこういう人選にしたほうがいいと思った。異論は」
「……別に、特定の子と一緒にいたいとかそういうわけじゃないんだ」

 そんなことを言っている場合じゃないだろう、と言いたくなった芳野だが年頃の女が考えるのはそんなことなのかもしれない。
 どう言ったものかと思案していると、流石に不謹慎だと思ったのか窘めるようにして瑞佳が詩子の頭をこつんと叩く。

「柚木さん、今は非常時なんだからそんなことを考えてる暇はないと思うよ」
「ま、そうなんだけど……そういうのちょっとくらいあるんじゃないかなって思って」
「……芳野さん、私からも一ついいですか」

 ああ、長森がしっかり者で良かったと芳野がホッとしていると、今度はあかりが手を上げて質問する。

「人を探すほかにも役に立ちそうな物を探すんですよね。例えばどんなものを?」
「ドライバーとかの工具だな。後は車のバッテリーとか、エンジンオイルなんかも欲しいところだ。他には適当に武器になるものや、あるいは防具になりそうなものでもいい」
「要するに車関係の物を集めればいいのね? 任せて、こう見えても私機械いじりは少しだけどやったことがあるんだ」

 詩子がえへんとない胸を反らす。バッテリーの取り外し方などを説明しようと思っていた矢先のことだっただけに意外な言葉だった。

「そうか、なら外は任せたぞ。他に質問とかはないか」
 あかりも瑞佳も、もう訊きたいことは無いようであった。それを確認すると「行動開始だ」と静かに告げて四人は二組に別れる。
 芳野たちは裏口から校舎の中に。
 詩子たちはそのまま学校の周りを迂回するように移動を始めた。

     *     *     *

306希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:33:51 ID:15bKxc7I0
「ここなの」
 一ノ瀬ことみは一人、鎌石村小中学校内部にある『理科室』のプレートを指差して言った。
 保健室で酔い止めの薬を服用して少しは気分が楽になったことみは聖に理科室まで行って硝酸アンモニウムを取ってくることを申し出た(もちろん筆談で)。
 当然聖は「危険だ」と止めたのだが、保健室は医療品が多く置いてあるので殺し合いに乗っているいないに関わらず多くの人間がやってくる可能性が高く、特に殺し合いに乗った人間にそういったものを渡してはいけないので守りを固めて欲しいこと、そしてもし傷ついた『乗って』いない人のためにも医者として残っていて欲しいことを伝えると、渋々だが了承を得ることができた。

 そして今に至るというわけだ。
「比率から考えると、大体5〜6kgくらいの量が妥当なの。そして私の腕力から考えてもそのくらいの重さは楽勝なの」
 綿密な計算の元はじき出された答えに自分でうっとりしながら理科室に入ろうとした、その時だった。
 廊下の遥か向こう、曲がり角から人影が二つほど現れたのが分かった。
「!」
 危機を感じて隠れようとしたことみだが廊下に物陰はない。理科室に入っても扉の開閉音で逃げたと分かるだろう。学校の校舎が古いことを、ことみは呪った。殺されるのを覚悟で逃げ出そうとしたが、その前にことみの存在に気付いたらしい二人組が声をかけてきた。

「そこに誰かいるのか」
 びくっ、と体を震わせながらもことみは気丈に十徳ナイフを取り出しながら言葉を告げる。
「だ、誰!?」
 相手はことみの怯えた気配に気付いたのか、今度は女性と思われる人物が穏やかな声でことみに言う。
「ごめんなさい、びっくりさせてしまって。私たち、殺し合いには乗っていません。人を探してるんです」
 少しずつ相手が歩み寄ってくる。暗い校舎の中で声だけしか分からなかったのが、徐々に顔も分かるようになってきた。

 先程ことみに話しかけた一人は短い髪にリボンで彩り、そして何故かファミレスの制服を着ている、神岸あかり。
 もう一人は背丈の高い、しかしあまり目つきの良くないむすっとした表情の男、芳野祐介。
 あかりはともかくとして、芳野に対してあまりいい印象を持たなかったことみは、警戒を解かずにナイフを向けながら威嚇する。
「……しょ、証拠はあるの?」

 疑いの念を解かないことみにあかりが困ったような目線を芳野に向ける。
「……俺のせいか?」
「芳野さん、『誰かいるのか』なんて思い切り怖い声で言ったじゃないですか」
 心外だ、とでも言わんばかりに芳野は肩をすくめると自分のデイパックとサバイバルナイフをことみの足元へと投げ捨てる。あかりもそれに倣って包丁とデイパックを投げ入れる。それでようやくことみも納得し、十徳ナイフをデイパックに仕舞うとこちらも殺し合いの意思はないというようにデイパックを芳野側に向かって投げた。

307希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:34:26 ID:15bKxc7I0
「ごめんなさい、いきなり出てきたから怖くって……」
 あたまを下げることみ。ホッとしたあかりはことみのデイパックを拾うとそれをことみまで持っていってやる。
「いいよ、いきなり現れた私たちも悪いんだし。ね、芳野さん」
「だから、そんな恨みを買われるようなことをした覚えはないんだが……俺は愛に生きる男なのに」
 複雑な表情でことみの近くにあった自分達の武器とデイパックを拾い上げる芳野。サバイバルナイフを腰のベルトに差すと、包丁と彼女の分のデイパックをあかりに返す。

「それより、どうしてこんなところに一人でいたの? ええと……」
「あ、はじめまして。私は一ノ瀬ことみです。趣味は読書です。もし良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
「あ、神岸あかりです。好きなものは熊さんです。もし良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
「……芳野祐介。電気工だ」

 芳野さんノリが悪いですよ、という非難の目線があかりから向けられたような気がした芳野だが、さらりとスルーして話を進める。

「それでどうしてここに?」
「あ、それは……」

 ことみは喋りかけて、口をつぐむ。ここで話してしまえば秘密裏に進めている首輪解除の情報が主催に伝わり、全てが水泡に帰す。とりあえず「人探しをしているの」と言ってデイパックから地図と筆記用具を取り出し、裏側にことみと聖の進めている計画を簡単に書き綴る。
 最初何をしているのかと不思議に思っていた二人だったが、ことみが書いた計画のあらましを知ると、了解したように頷く。

「そうか……俺達に何か手伝えることはあるか」
「うん。私達は灯台の方へ探しに行くんだけど、そっちは学校から西を探して欲しいの」

 言外に、そちらの方面から材料を探してほしいのだと、芳野もあかりも理解する。
「あ、そうだ。ことみちゃん、この人たちを知らない?」
 一応体裁を取り繕うのと、情報を得る意味であかりは名簿にあかり、瑞佳らの探している人物を丸でかこったものを見せる。
 ことみは黙って首を振るとまた紙に何かを書いていく。黙っていると不審に思われると考えた芳野が、ことみの計画の信憑性を確かめる意味も兼ねて質問する。

308希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:34:51 ID:15bKxc7I0
「一ノ瀬、お前たちの探しているの、本当に見つかるのか? ロクに情報もないんだろう?」
「それはそうだけど、でも、やってみなくちゃ分からないの。一応だけど、アテはあるから」

 タイミングよく書き終えたことみが、書いた内容を見せる。
 まずはこの理科室で硝酸アンモニウムをできるだけ取ってきて欲しいこと、そしてそれを外にある体育倉庫に保管して厳重に戸締りしておくこと、それから軽油やロケット花火を手に入れてきて欲しいことを伝える。
 手に入れた材料を保管しておくのは爆弾の材料を誰かに悪用されたら大変だ、と考えた結果だった。

「取り合えず私と一緒に行動している聖先生にこのことは報告しておくから、先に行ってて欲しいの」
「分かった。一応信用しよう。俺達の探している奴らのことも、よろしく頼む。それと外に残してきてる奴らもいるからな。そっちの連れには会えないがまた目的を達成するときに会おうと言っておいてくれ」

 あいあいさー、と芳野の言葉に敬礼で答えることみ。と、人探しをしているという名目だったのに肝心の探し人の情報を訊いていないことに気付き、慌てて「待って」と呼び止める。
「どうした」
 さらさらと紙に「一応私にも探してる人はいるの。訊きそびれちゃったから」と書いて名簿の『岡崎朋也』『藤林杏』『藤林椋』『古河渚』『霧島佳乃』の名前を丸でかこっていく。

「どうして口頭で言わ……」
 口を開きかけたあかりの口を塞ぐと、芳野が首を振る。岡崎朋也は芳野の知り合いでもあったが居場所を知っているわけでもないし、会話の流れ上下手に喋るのはまずい。むーむーと苦しそうにするあかりをそのままに、芳野の反応を確認したことみが「ううん、やっぱりなんでもないの」と言って会話を終了する。
「それでは、なの」
 ぺこりとお辞儀をすると、ことみは今度こそその場から背中を向けて去っていった。

「むぐー!」
「ああ、悪かった」


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