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尚六SS「永遠の行方」

1名無しさん:2007/09/22(土) 09:45:00
シリアス尚六ものです。オムニバス形式。

324永遠の行方「王と麒麟(2)」:2010/05/15(土) 19:45:24
「主上は――主上はお目覚めになりましたか? 六太は主上の身代わりになっ
たんです。それが謀反人との取引だった。でもあの女は六太をだましたのかも
しれない。もし主上が――」
「主上は先ほどお目覚めになりました。心身ともにお健やかであらせられます」
 それは事実だった。宰輔昏睡の報を受けて六官が愕然としたまさにそのとき、
正寝に詰めていた女官が「主上がお目覚めになりました!」と駆け込んできた
のだから。その時点で既に典医は簡単な診察を終えており、女官を通じて何の
問題もないと伝えてきた。
 鳴賢は茫然とした顔で座りこむと、涙を滂沱と流した。
 朱衡は女官を呼んで茶を出させ、再度説明を促した。熱い茶を口にした鳴賢
はようやく少し落ち着いたらしく、震えは残るものの、しっかりとした口調で
説明を始めた。
 まずは宰輔六太と自分の関係、小間物屋を営んでいた倩霞のこと、彼女の元
へ案内してくれと六太に頼まれたこと……。
 事件の直後だけに彼の記憶は明確で、内容にも矛盾はなかった。もとより大
学生とあって、論旨をまとめたり弁論を行なったりということになじみがあっ
たせいもあるだろう。
 ――そう、国府の報告を見るまでもなく、朱衡は彼の身分や人となりを知っ
ていた。尚隆と六太が目をかけている楽俊と幾度か言葉を交わしたことがあっ
たし、その際、鳴賢というおもしろい字の学生についても聞いたことがあった
からだ。
 話すうちにだんだん落ち着いてきたのだろう、鳴賢は目を伏せ、淡々と事実
のみを語った。房室の片隅では侍史がさらさらと筆を走らせて内容を記録して
いる。
 呪をかけられた六太を背負い、国府にやってきたところまで話し終えた彼は、
そこで言葉を切って深々と頭を下げた。
「あとはご承知のとおりです」
 朱衡はうなずいた。
 先刻、六太が「出かけてくる」と言ったときの情景が蘇る。鳴賢の話はその
朱衡の記憶と見事につながっていた。あのときにわかっていれば、何としても
引き留めたものを――。

325永遠の行方「王と麒麟(3)」:2010/05/17(月) 00:17:39
「委細はわかりました。ご苦労でしたね」
「いえ……」
 青ざめたままの鳴賢に、朱衡は微笑してみせた。
「先ほども言ったように、主上は心身ともにお健やかであらせられる。もとも
と神籍にあられるかたなのだから、そう簡単に呪だの何だのに冒されるはずも
ないのです。台輔にしても神籍にあられるのは主上と同じゆえ、この不遜な企
ては必ずや近日中に解決するでしょう。安堵するように」
「……はい……」
「今のところは、ひとまず大学寮に戻ってよろしい。またあとで何か尋ねるこ
とがあるかもしれないが、それまで普通に過ごしていなさい。むろんこの件に
関しては、くれぐれも他の者に知られないように」
 鳴賢は、ただ無言で頭を下げた。
 朱衡は筆記を終えた侍史に、鳴賢を大学寮まで送るよう命じた。房室の扉が
閉じられて人気がなくなると、彼はついと体を引き、傍らの衝立に向き直った。
「やはり巻き込まれただけでしょう」
 椅子のきしみと衣擦れの音。衝立の陰から現われた尚隆は「もちろんだ」と
うなずいた。
「そもそもあれは謀反に荷担するような男ではない。年齢相応の功名心を持つ、
普通に善良でまっとうな気性の持ち主だ」
 王の様子には、半月以上に及ぶ昏睡を窺わせるものは何もなかった。朱衡は
侍史が記した書類の束を手に取って主君に示した。
「彼の記憶は明快ですね。台輔と謀反人とのやりとりも逐一覚えているようで
す。彼が見聞きした内容は、ほぼ正確に再現されたことでしょう。何にしても
台輔がおひとりで謀反人の元に乗り込まずに良かった。既に起きてしまったこ
とをとやかく言っても仕方ありませんが、少なくとも経緯はわかりましたから、
ここから何か手がかりを得られるかもしれません」
 尚隆は「そうだな」と応じ、懐から一枚の書き付けを取り出した。それは六
太が鳴賢に託した官への伝言だった。鳴賢はそれを六太の懐に納めた上で彼を
背負ってきたため、鳴賢の証言を待つまでもなく、黄医の診察に当たって六太
の体を改めた女官が見つけたのだった。

326永遠の行方「王と麒麟(4)」:2010/05/17(月) 00:19:39
「しかし、こんなことになっていたとはな」
 ややあって尚隆は溜息を漏らした。さすがの王もこの事態は想像の埒外だっ
たろう。
「俺の記憶は幇周で途切れている。病に冒された女が何か口の中でつぶやいた
と思ったら、次には宮城の牀榻で寝ていた。狐につままれたような気分だ」
 そう言って六太が託した言伝をひらひらとそよがせる。既に書面の内容は朱
衡も見ており、六太がどれほど厳しい決意を持って謀反人と取引したのかもわ
かっていた。そして実際に六太は昏睡に陥り、先刻まで尚隆がそうだったよう
にまったく目覚める気配はなかった。
「先ほどの大司馬の報告では、件の邸に差し向けた兵は首魁の女と従者の亡骸
を見つけたそうです。晏暁紅の名が仙籍から消えたことも確認しましたので、
倩霞と名乗っていた女が暁紅本人であることに間違いはないでしょう。従って
残党がいるかどうかはわかりませんが、今のところ探索の糸は切れた形です」
 女主人の亡骸を臥牀に安置し周囲を花で飾ったあと、ただひとり残った側仕
えの娘も傍らで毒をあおって自害していた。鳴賢がいたときにこの話をしなか
ったのは、いくら関わりを持ったとはいえ、今の段階でそこまで詳細を知らせ
ることはないと判断したからだ。
 兵に邸内を調べさせているものの、今のところ謀反の動機や呪に関係すると
思われる書類や道具は見つかっておらず、六太を目覚めさせるための方法はわ
からなかった。尚隆が昏睡に陥っていた間もなすすべがなかったのだから当た
り前ではあるが。
 尚隆は、ふむ、と考え込んだ。
「いずれにしろこの件に関しては、呪者は真実を語った上に約束を守ったこと
になる。六太が昏睡に陥ると同時に俺が目覚めたのだからな。自分と大勢の従
者の命を犠牲にしてまで、結局何が目的だったのか、解せん話だ」
 彼はそう言うと、六太の言伝をふたたび懐にしまった。そして「どれ、顔を
見に行ってやるか」とつぶやいてから、朱衡の表情に気づいて笑った。

327永遠の行方「王と麒麟(5)」:2010/05/19(水) 20:06:59
「そう案ずるな。目覚めるものならそのうち目覚める。謀反人との取引の結果
とはいえ俺が目覚めたということは、同様に六太の呪も解く方法があることを
示しているのだからな」
「もちろんです」
 朱衡は硬い表情ながらも、しっかりとうなずいた。このまま六太が永遠に目
覚めないなど、絶対にあってはならないのだから。

 仁重殿に赴いた尚隆は、まっすぐ主殿の臥室に向かった。出迎えた女官らは
複雑な表情だ。王が目覚めてほっとした代わりに、直接の主である六太が昏睡
に陥ってしまったのだから無理もない。
 厚い帳で閉ざされた牀榻の扉の奥を見た尚隆は、控えていた黄医に「どのよ
うな状態なのだ?」と尋ねた。
「昏々と眠り続けておいでです。主上の侍医とも話を致しましたが、症状とし
ては主上が昏睡に陥っておられたときと非常に似通っているようです。ただ主
上は何の反応もお見せではなかったそうですが、台輔は普通にお寝みであるか
のように、多少は表情などを動かされることがあります」
「ほう?」
 わずかに考え込んだ尚隆は彼らに「少しはずしてくれ」と言って人払いをし
た。帳を開け、その奥に横たわるおのれの半身を目にする。
 軽く吐息をついてから、尚隆は臥牀の端に腰掛けた。手を伸ばして六太の金
の髪に指を通し、頭をそっとなでる。何の反応もないが、傍目にはぐっすりと
眠り込んでいるだけとしか見えなかった。
「まったく……」彼は口の端に困ったような笑みを浮かべた。「おまえは心底
から麒麟なのだな。民のためとあらば、嫌いな王の身代わりになるのも躊躇せ
ぬか」
 鳴賢の証言を衝立の裏で聞いていたとき、尚隆は初めて六太の身の上を知っ
た。おそらく朱衡もそうだろう。これだけ長い時間をともに過ごしながら、尚
隆は六太が蓬莱で両親に捨てられたことなどまったく知らなかったのだ。それ
が蓬莱で為政者が起こした戦乱のせいであることも、ゆえに六太が為政者と名
の付く存在をすべて厭い、かつて王を選ぶことさえ拒んだことも。
 だが知らずとも無理はなかった。麒麟は本来、蓬山で生まれ育つ。蝕によっ
て蓬莱なり崑崙なりに流されたとしても、民らが願うのは幼い麒麟の帰還のみ。

328永遠の行方「王と麒麟(6)」:2010/05/21(金) 00:48:45
尊き神獣がよもや異世界で親に捨てられるとは思ってもみないし、流されたの
は不運としても、日々の糧にも困り、貧困と飢えに苦しむとは想像すらできな
いだろう。そして幸運にも探し当てられて無事に帰還したあとは、本来いるべ
き場所に戻った以上、王を選び王に仕えることを求めるのみ。あるとすればせ
いぜい、神獣ゆえ異世界でも尊ばれたに違いないとのおぼろな思いこみぐらい
で、麒麟に異世界での境遇を尋ねるという発想さえ持たないだろう。そして生
い立ちに関わる記憶がつらいものだった場合、誰にも尋ねられなければ、麒麟
自身もその記憶を掘り起こしてまで身の上を語ろうとはしないに違いない。い
きずりの旅人や似たような境遇の孤児など、二度と会わないだろう相手に、正
体を明かさぬまま心中を吐露することならあるだろうが。
 実際、尚隆もこれまで六太に生い立ちを尋ねようとはしなかった。むろん向
こうで出会ったことではあるし、こちらに来てから彼も胎果であることは知っ
たので、雑談の際に出自について水を向けたことはある。だが記憶しているか
ぎり、六太は気のない返事をしただけだ。そして帰還が四歳かそこらだったの
なら、あまり覚えていなくとも無理もないと軽く受けとめた覚えがあった。
 蓬莱での出会いも、後から何となく「王の探索のためだったのだろうな」と
考えていた。既におぼろになっている登極当時の記憶を振り返ってみても、雁
の官のみならず、蓬山の女仙もそのように捉えていたようだった。よもやそれ
が、王の選定を嫌がって蓬山から出奔した果ての邂逅だったとは思いもよらぬ
ことだった。
 親に捨てられ、負わされた運命を拒み、生まれ故郷の蓬莱に逃げ帰った。思
えば出会ったときの六太は、妙に大人びて暗い目をした子供だった。麒麟は王
の選定から逃れることはできないと、のちに自嘲気味に言っていたのを聞いた
こともあった。
 おそらく六太は、蓬莱で家族とともに平穏に過ごしていたかったことだろう。
神獣としてではなく、無名の只人として。だが結局は運命から逃れることはで
きず、尚隆を選んで連れ帰った。その後、六太は長らく尚隆と距離を置いてい
たが、すべてがわかってみればなるほどと思えるのだった。何より五百年もの
歳月が経ってさえ生い立ちについて口にしないということは、六太にとっては
未だに思い出すのがつらい記憶なのだろう。
 麒麟という生き物は哀しいものだなと、尚隆はひとりごちた。いくら当人が
名もなき生涯を望んでも、あいにく運命のほうは手放してくれない。自分の欲
求に反して王を選び、今また国のために迷うことなく自分の生を放棄し――。

329永遠の行方「王と麒麟(7)」:2010/05/21(金) 19:16:35
 麒麟の卵果が生る木は捨身木という。それは私心を持たず、ひたすら国のた
め民のために尽くす存在であることを示しているがゆえだろう。
「まあ、待っておれ。呪などすぐに解いてやる」
 困ったような笑みを浮かべたまま、尚隆はそっとつぶやいた。

 一方、こちらは鳴賢。
 閑散とした大学寮の自室に戻った彼は、しばらく茫然と座り込んでいた。ま
だ夕餉を済ませていないことに気づいたのは、かなり時間が経ってから。しか
しいっこうに空腹は感じなかった。
 既に夜も更けている。六太がやってきたのは、まだ日も高いうちだった。気
分転換を兼ねて外で夕餉を食べようと思い、そのついでに六太を案内しただけ
なのに――。
 もはやずいぶんと昔のことのようだ。
 彼は顔を上げ、簡素な室内をゆっくり見回した。ようやく日常に戻ったはず
なのに、岩をくりぬいて作られた房間のたたずまいはそっけなく、見知らぬ場
所のようだった。
 六太を連れていった国府で、彼は罪人同然の扱いを受けた。「まず事情を聞
かなくては」と慎重な姿勢を見せた官も上長の命に押され、民に知られぬよう
に奥に通されたあとで縛りあげられた。拷問こそされなかったものの言葉と態
度で謀反人と見なされたのは明白で、あまりの仕打ちに憤激した。だがその気
持ちもすぐに萎えてしまった。何と言っても意識が戻らない六太に誰よりも衝
撃を受けていたのは鳴賢自身であり、その事実の前に打ちひしがれていた彼は、
抗弁する気力さえも失せてしまったからだ。むしろ聞く耳を持たない多くの官
の反応に、無慈悲な人間ばかりかもしれないとの想像が裏付けられた気がして、
余計に打ちのめされた。
 だがそうやって厳しく尋問されていたところへ、慌ただしく別の官吏がやっ
てきて何かを耳打ちし、途端に彼らは明らかな狼狽を見せてひそひそと話を始
めた。ついで「大司寇がじきじきに尋問なさるそうだ。覚悟しておけ」と冷や
やかに言われ、鳴賢は目の前が真っ暗になった。
 普段の彼なら千載一遇の機会と捉え、身の潔白を証立てるとともに顔をつな
ぐことができると意気盛んに思ったかもしれない。しかし打ちひしがれて抗弁
する気力さえ萎えた状態では、このまま謀反人の一味と見なされて投獄され、
大学も除名されると思い、自分の人生は終わったと観念した。

330永遠の行方「王と麒麟(8)」:2010/05/21(金) 20:15:13
 罪人のように縛られたまま雉門を通り、さらにいくつかの門を過ぎ、まさか
こんな形で雲海上に赴く羽目になるとは思っていなかった彼は、威容に満ちた
宮城のたたずまいの中で萎縮するしかなかった。何をどう抗弁しても、聞き入
れられることはないだろう。自分がいかにちっぽけな存在であるかを真に思い
知った気がした。
 だが彼を引見した大司寇は、想像していたような人物ではなかった。即座に
「事件に巻き込まれたようだ」と言い、縄を解くように命じてくれた。むろん
最高位の国官のひとりなのだから威厳に満ちていたし、何より宰輔昏睡という
前代未聞の事件の前に厳しい声音だったが、少なくとも国府の官よりはるかに
丁重に扱ってくれた。それで鳴賢はようやく、末端の官の中には徳に欠ける者
がいるとしても、やはり高官となるとそれなりの人徳を兼ね備えているのだと、
衝撃から脱せないまでもどこか安堵の気持ちを覚えた。
 きっと大丈夫だ、そんなふうに自分に言い聞かせる。あの大司寇ならきっと
六太を助けてくれる。それに――そう、主上はちゃんと目覚めたとも教えてく
れたじゃないか。麒麟は王の半身なのだから、きっと主上も手を尽くしてくれ
る……。
 王の人となりについての六太の言葉を思い出す。形容だけでは俗物としか思
えなかったが、大学で学んだ数々の勅令を思い起こせば、深い見識と決断力を
備え、慈悲にあふれた人柄であるのは確かだ。立派な人物でも私生活はだらし
ない者もいるが、おそらく延王はそういう種類の人間なのだろう。ならばきっ
と六太を助けるべく奔走してくれるに違いない。
 鳴賢はそう自分に言い聞かせると、書籍を取り出して書卓に向かった。
 今回、自分はたまたま事件の一端に関わっただけだ。六太と暁紅のやりとり
も、託された伝言も、すべて大司寇に伝えた――六太の「死ぬ前に好きな相手
が誰かを教える」という約束、最後に「町中で王に会うことがあったら伝えて
くれ」と前置きして言われた言葉など、六太が他言を望んでいないだろう事柄
以外は。おそらくもう何も教えてはもらえないだろうし、現実問題として役に
立てることもないだろう。
 ならば自分にできることは勉強しかない。必死に学んで、やがて国官となり、
国のために尽くすこと。
 それが自分に残された唯一の道だと鳴賢は思った。

331永遠の行方「王と麒麟(9)」:2010/06/05(土) 09:47:08

 王の覚醒を受け、夜明けを待たずに緊急に朝議が召集された。入れ替わる形
で昏睡に陥った宰輔六太についてもその場で報告がなされたため、「今度は台
輔か」と一同に緊張が走った。しかし王が目覚めた以上、王自身が言うように
六太についても手立てはあると考えられ、昨日までと違って臣下らの表情には
余裕があった。
 この頃には六太が残した伝言における言及のほか、もろもろの状況から鳴賢
による証言はほぼ真実と判断されており、暁紅が潜伏していた邸に差し向けた
兵による捜査状況と併せ、大司馬と大司寇から詳細な顛末が報告された。
 もはや倩霞と名乗っていた女が、梁興の寵姫だった晏暁紅であることに間違
いはなかった。信じがたいことに彼女自身が謀反の首謀者であることも。
 具体的な動機はいまだ不明とはいえ、鳴賢の証言に信を置くなら王と麒麟に
深い恨みを抱いていたらしい。とすれば他に原因を考えられない以上、かつて
の光州城の陥落が動機と解釈するしかなかった。彼女自身が梁興を討って籠城
を終わらせたのは事実としても、そういう状況に追いやったとして国府を、王
を逆恨みし、さらに貞州城で蟄居同然の生活を送ったことで鬱憤がたまり、長
い間に謀反へと気持ちが固まっていったのだろう。
「だが暁紅は冬官でも何でもない。仙であるというだけの素人だ。今回の光州
の事件も、梁興が作らせていた文珠を落城のどさくさに紛れて持ち出して隠し、
それを使っただけと思われる。最初から含むところがあったのだな。だが知識
がないためにどのように使うものなのかがわからず時間だけが過ぎていき、最
近になってやっと準備が整ったということだろう」
 そう述べた大司馬に、別の官も同意した。
「梁興のそばにいたのだから、不穏な呪が開発されていたことも当然知ってい
たでしょうな」
「それに貞州城での生活ぶりからも、暁紅が不満をためる種類の人間であるこ
とは窺えましたし、それでいて技術的な知識や能力がなかったこともわかって
います。それを鑑みるに、能力もないのに『正当に評価されず虐げられている』
と不満を募らせる輩に通じるものがあったのでは」

332永遠の行方「王と麒麟(10)」:2010/06/08(火) 22:01:03
「なるほど。落城間際という状況でおそらく処罰から逃れるために梁興を討ち、
その際、万が一自分に害が及ぶなり何なりしたときに主上に意趣返しするため
に、文珠をかすめ取って隠しておいた――その辺が妥当でしょうね」
 口々に推測を述べた官らに大司馬は「確かに」と大きくうなずいた。
「暁紅が梁興を討ったのは落城間近の閨、いわば追いつめられてのことだ。計
画性があったとは思えないし、その後の態度から推して、謀反の連座による処
罰を恐れ、単に国府におもねるためだった可能性は高い。だが処罰されないま
でも貞州でただの女官として過ごす羽目になり、奢侈に慣れた寵姫としては憤
懣やるかたなかっただったろう。実際、貞州側の証言から暁紅が処遇に不満を
抱いていたことはわかっている。それで結局は叛意を固めて貞州城を辞し、隠
しておいた文珠を使って復讐を企てたと思われる。むろん逆恨みでしかないわ
けだが、一般的に言って女というものは男より感情に走りがちだ。特に恨みを
抱いた女ほどしつこいものはない。それを思えば今回の事件における不可解な
部分もおそらく、他人には理解できない暁紅なりの論理に則ってはいたのだろ
う」
 大司馬はそう言って報告を締めた。他の面々も「当人なりの言いぶんはあっ
たろうが、大筋はそんなところでしょうな」と同意した。
 というより既に動機はどうでも良いとさえ言えた。問題は暁紅に残党がいる
かどうか、つまり謀反の企てが終わったか否かなのだから。
 目下のところ彼女に下僕以外の協力者がいた様子はない。倩霞名義で経営し
ていた小間物屋、これは市井での王や麒麟の動向を探るための場所だったと思
われるが、とりあえず謀反のことは伏せ、流行病が出たためという理由をつけ
て建物を調べたものの、手がかりと言えるものは見つからなかった。
 なお数ヶ月前に暁紅は転居していたが、実は転居先の邸もずいぶん前に彼女
が買ったものであることがわかった。店に出ていた数人の娘以外の下僕、特に
幼い者は、そこでずっと人目を避けるようにして静かに暮らしていたらしい。

333名無しさん:2010/06/19(土) 15:34:17
鳴賢乙。いい奴だ。
やっぱり尚六はいいですね。

334永遠の行方「王と麒麟(11)」:2010/06/25(金) 19:12:50
繁華街の小間物屋に子供や妙齢の娘ばかり大勢置けば妙な興味を持たれるに違
いなく、それを避けるためだったのだろう。何十人もいれば中には謀反の意志
を翻す者も出るだろうし、秘密を守るには、そんな彼女らと接触する人間は極
力少ないほうがいいのだから。
 夜を徹して邸内を捜索しているところだが、庭のあちこちに掘り返した跡が
あり、そこから娘たちの変わり果てた姿が見つかった。暁紅の語った内容が真
実なら、主人に命じられるまま光州の里廬を害する呪詛を行ない、その報いを
受けて生命を落としたに違いない。
 しかし現在のところ、光州の奇妙な病や六太の昏睡をもたらした呪そのもの
に関する手がかりは得られていなかった。存命の協力者がいて持ち出したので
なければ、暁紅もしくは下僕が最期に当たって慎重にすべてを破棄したと思わ
れた。資料があれば宰輔を目覚めさせる手がかりを与えることになりかねない
のだから、謀反人の行動としては順当なところだろう。
 埋められていた娘たちについては、天官府から派遣された医師のひとりが代
表して報告を奏上した。
「まだ掘り起こしたのは十歳から十八歳ほどの数体に過ぎませんが、遺体の状
態から推して死亡時期は異なっているものの、いずれも今から数ヶ月ないし一
年ほどの間に死んだと考えてよろしいしょう。光州で奇妙な病が起き始めた時
期と一致するのと、数ヶ月内に死んだらしい娘の遺体は季節柄保存状態が良く、
そこに明らかに暁紅と同じ体が腐る症状が認められたため、呪詛の行使の結果
と見るのが妥当と思われます」
 娘らの旌券がなかったため身元がわかった者はひとりもいなかった。鳴賢の
証言もあり、おそらくすべて浮民だったのだろう。

335永遠の行方「王と麒麟(12)」:2010/06/26(土) 00:08:48
 むろん幼い彼女たちが真に自由意志で呪を行なったかどうかの確証はない。
しかし酷い殺されかたをした家畜の怨嗟を察知した六太が気づかなかったらし
いこと、何より自分の不遇を嘆いて雁を逆恨みし、暁紅に心酔していた者ばか
りだったというなら、復讐のために進んで生命をなげうったとしても不思議は
ない。一般に若者は他人の言動に影響されやすいものだし、活気にあふれてい
るだけに煽られれば無謀なことも平気でやりかねない。しかもそれが自分たち
を幼い頃に引き取って恩を施してくれた主人の命とあらば、みずからの復讐心
も満たせるとあって喜んで実行するだろう。いわば純真さゆえの暴走とも言え
るが、暁紅はそういった年代の娘たちをうまく操ったのかもしれない。
 最後に残った阿紫という娘、これは毒をあおって主人の後を追ったが、彼女
だけは病に冒された様子はなかった。しかし遺書めいたものもどこにもない。
「結局わからないことばかりか」
 一同は溜息をついた。
「しかし逆恨みとはいえ、いったい麒麟たる台輔に何の恨みがあったのでしょ
う。常軌を逸していると思うほかはなく、そんな輩の論理を推し量るのは無駄
でしょうね」
「それでも全員死んだのであれば、ある意味で事件は解決したことになるが…
…」
「暁紅は偽名で戸籍を作っていた。その辺を含めて足取りを追っているところ
だが、今のところ新たな手がかりはない。しかしながらこのまま光州での事件
が収まれば、確かに事態は収束したと見て良いだろう。したがって問題は台輔
だ」
 大司馬はそう言って壇上の玉座に座している王に向きなおり、頭を下げた。
「残念ながら現在のところ解呪に関する有用な情報はございません。しかし何
としても手がかりを得る所存でございます」
 うなずいた尚隆は、「それで光州のほうはどうなっている?」と尋ねた。
「俺の影武者を立てたと聞いたが」
「光侯の独断ではありますが。しかしながらとりあえずは誤魔化せているよう
です」

336永遠の行方「王と麒麟(13)」:2010/06/27(日) 19:22:12
 苦虫をかみつぶしたような顔で答えた大司馬に、尚隆は軽く笑った。
「仕方あるまい。帷湍も相当苦慮しただろう。いずれにしてもそういうことな
らいったん光州に戻らねばなるまいな。そこで影武者と入れ替わるとするか。
ともかく謀反人どもが本当に死に絶えたのなら、元凶である文珠を取り除いた
以上、次なる事件はもう起きないはずだ。ならば国府と州府の連携により謀反
人を一網打尽にし、抵抗したためその場で討ち取ったことにしてそれを公表す
れば、光州での事件は収拾できる。その間に暁紅に関する調査を終えておけ。
報告は光州から戻ってから聞く」
「御意」
「それから蓬山に問い合わせの勅使も出しておけ。半月眠っていても俺はぴん
ぴんしているし、六太にしても同じだろうが、この際はっきりさせておいたほ
うがいい」
「と、おっしゃいますと?」
「つまり眠ったまま、飲食せずに麒麟がどのくらい保つかを、だ」
 居並ぶ高官らは一瞬言葉に窮した。
「それは、むろん神仙ですし、さらに神獣麒麟ともなれば、おそらくはいくら
でも――」
 戸惑いとともに口ごもりつつ答えた大宰に、尚隆は淡々と続けた。
「俺もおまえたちもそれを知っている。そもそも六太は俺に害が及ばぬことを
納得したからこそ呪を受け入れたのだからな。とはいえ下吏や奄奚にまで俺た
ちと同じ確信を求めることはできぬし、それは一般の民も同じだ。だが蓬山の
お墨付きを得ておけば、万が一解決が長引いて事態が漏れたり公表せざるを得
なくなったとしても恐慌を防ぐことができる。麒麟について一番よく知ってい
るのは蓬山であり、女神碧霞玄君の治める聖なる仙境なのだから。それにこの
事態を蓬山にまで秘密にする必要はない」
「御意のままに」
 応えた冢宰に、尚隆はさらに光州城への往路に同道させる禁軍兵数名の選抜
を指示して朝議を終えた。

337永遠の行方「王と麒麟(14)」:2010/07/03(土) 10:28:09
 うやうやしく頭を垂れて主君の退出を見送った臣下らだったが、彼らの表情
に曇りはあれど、声にも所作にもどこか張りが感じられた。王の覚醒と同時に、
滞っていた宮城の血流がふたたび流れ出したかのようだった。昏睡に陥った宰
輔のことは心配だったが、もはや采配をどうするかで悩むことはない。国政の
歯車として、王の指図通りに動けば良いのだ。
 自分の生命を握っている麒麟の昏睡を報されても泰然としている主君の様子
に高官らは何となく安堵し、それぞれ同席の部下にてきぱきと指示を下した。
命令する者がおり命令の内容が妥当であり、そしてやることがあれば、官吏は
何も考えずにすむ。これまでの長い治世においてたびたび昏君呼ばわりしてき
た王とはいえ、辣腕ぶりは誰もが認めている。その主君を一時的にとはいえ失
って混乱したあとだけに、ふたたび主命を拝することができるのは臣下らにと
って望外の喜びだった。

 六太のことは伏せ、王の覚醒と謀反人の正体のみに触れた内密の青鳥を光州
侯宛に飛ばしたあと、尚隆は禁軍兵数名とともに早々に光州城に向かった。
 迎えた光州城側は打ち合わせどおり、謀反人の正体と居所を突きとめた旨の
伝言を携えた使者として即座に内宮に導き、尚隆はそこで無事に影武者と入れ
替わった。表向きにいる官でそのことに気づいた者は誰もいなかったろう。
 人払いをした房室で、尚隆は光州侯帷湍と令尹に向き直った。
「よくぞご無事で……」
 令尹は涙ぐみながら、その場で叩頭した。
「影武者を立てるよう強く進言したのは拙官にございます。光侯はむしろ反対
しておられました。咎はすべて拙官に――」
「そう焦るな、士銓」尚隆は苦笑した。「結果的にそれでうまく運んだのだ、
何も言うまい」
「まことにもったいなきお言葉――」

338永遠の行方「王と麒麟(15)」:2010/07/03(土) 10:31:07
「何より帷湍の進言のおかげで、謀反人の首魁が晏暁紅であることを突きとめ
られたのだからな。そしてその女が関弓に潜伏していることがわかった以上、
数日内には捕らえるか討ち取るかした旨の使者が来るはず。とはいえ事件が解
決したと断じるには、次なる病の発生がないことを確かめねばならん。今度こ
そ目標と思われる里で何事も起きないことを民らに示せ」
「は」
 士銓はふたたび叩頭すると、帷湍からも細かく指示を受けた上であわただし
く房室を退出した。残った帷湍の表情は、しかし硬かった。
「何があったのだ……?」
 静かな表情で黙って臣下を見ている尚隆に彼は続けた。
「俺は、いや光州城は台輔の使令により監視されていた。だが十体もの使令は
前触れもなく忽然と姿を消した。青鳥を飛ばすべきかと思ったが、そうするま
でもなく国府から連絡が来て、詳細を知らせぬまますべて解決したという……」
「まだ解決したわけではない。晏暁紅が関弓に潜伏していることがわかっただ
けで捕らえたわけではないからな。少なくとも公式にはそのようになっている。
いきなり謀反人を討ち取ったことにすると呆気なさすぎて、おまえたちも狐に
つままれた気分になろう。まずは先触れとして予告をし、今か今かと待ちかま
えているところで討ち取った旨の青鳥が来たほうが納得もしやすかろうと思っ
てな。事件の顛末に関する筋書きはこうだ」
 いわく、一地方州にとどまらぬ陰謀を察知した光州侯が王のお出ましを乞い、
王は首都州で謀反人が次なるくわだてをなすことを見越して、油断させるため
にあえて大勢の兵を連れて宮城を空けた。その後の光州側の調査で、先々代の
光州侯・梁興の仇を打つため、遺された寵姫が長い時間をかけて謀をめぐらせ
た疑いが濃厚となり、彼女の足取りを追うことになった。そして念のために国
府にも報せたところ、連絡を受けた国府は謀反人らが関弓に潜伏していること
を突きとめ、総力を挙げて一党を討ち取った――。
 これならば表向きの発表とも齟齬がないし、国府との連携により事件が解決
したということで光州の面子も立つ。現在は討伐直前の、国府から「問題の寵
姫の居所を突きとめた」と光州に連絡が来た段階というわけだ。

339永遠の行方「王と麒麟(16)」:2010/07/03(土) 10:34:18
「では本当は……」
 尚隆は肩をすくめて「晏暁紅は死んだ」と答えた。
「おまえが関弓に伝えた推理どおり、確かにその女が謀反の首謀者だった。協
力者は暁紅の下僕らのみで、これも死に絶えた。おそらく残党はいないだろう」
「では……何が問題なのだ?」
「六太が俺の身代わりになった」
 言葉を失った帷湍に、尚隆は即座に「安心しろ」と続けた。
「死んではいない。俺がそうだったように眠り続けているだけだ」
「そんな、なぜ台輔が」
「俺にかけられた呪には解除条件が設定してあってな、それが六太が代わりに
呪にかかることだったそうだ。暁紅におびきだされた六太は、身代わりになれ
ば俺が目覚めるという暁紅が提示した条件を飲んだ。そして俺がここにいる」
「そんな……」
「まあ、座れ。最初から説明しよう」
 鳴賢という同行者がいたおかげで、六太と暁紅のやりとりはすべてわかって
いる。尚隆は卓で向かい合って座った帷湍に、その内容を詳しく説明した。聞
き終えた帷湍は「ちょ、ちょっと待ってくれ」と言うと、戸惑いの表情で考え
こんだ。
「謀反人の、その、晏暁紅の意図がさっぱりわからんのだが……。そもそもの
最初から台輔が狙いだったわけでもあるまいに。何より呪の解除条件にされた
という、台輔の一番の願いとは何なのだ? 話を聞いたかぎりではごく個人的
な望みのように思えるが」
「さてな。それがわかれば苦労はせぬ」
「台輔は麒麟だから、少なくとも物騒な望みでないことは確かだな。それなら
近習、いや台輔と親しく言葉を交わしたことのある者すべてを聴取すればわか
るんじゃないか?」
 だが尚隆は困ったように笑った。
「おまえ、六太が真に私的な望みを言うのを聞いたことがあるか?」

340永遠の行方「王と麒麟(17)」:2010/07/13(火) 00:01:06
「いや、ないな……。せいぜいあれを食いたいとかこれを食いたいとか……政
務を怠けて息抜きしたいとか――」
 尚隆は静かに「六太には欲がない」と断じた。
「当人はいろいろ私欲を持っているつもりかも知れぬが、実際にはさほどこだ
わっておらぬし、どれも非常時にはあっさり忘れる程度のものでしかない。あ
れの口から出るのはすべて民のため、他人のための言葉ばかりだ。麒麟だから
な」
 いったんはうなずいた帷湍だったが、はたと膝を叩く。
「台輔はいつも、宮城にずっといると息が詰まると言っていた。それ、おまえ
もそうだが、いつでも自由に出歩きたいとか――」
「出歩いておろうが」尚隆は苦笑した。
「う、うむ、そうか。そうだな」
 帷湍はあわてたように言って、また考えこんだ。
「しかし台輔いわく『あさましい願い事』だそうだが、どうも想像がつかん。
思うのだが、台輔の言う『あさましい』は俺たちとは基準が違うんじゃないか?
他人が聞けば『そんなこと』と笑い飛ばす程度の内容なのに、品性の高い――
と言うのもしっくり来ないが――麒麟ゆえに恥じ入っているだけとか」
「かもしれん」
「そうだな、他に思い当たることがあるとすれば――麒麟ではなく人になりた
い、とか。冗談にせよ、たまに『麒麟は損だ』と愚痴っていたことはあるぞ」
「それは冬官に確認した。物理的に不可能なこと、基準が不明確なことを解呪
の条件にすることはできぬそうだ。少なくとも客観的に見て実現の可能性のあ
る事象でなければならんらしい」
「そ、そうか。なるほど。ならば違うか……」
 再三考えこんだ帷湍は、やがて諦めたように「やはり周囲に聴取して回るし
かなかろうな」と溜息をついた。

341永遠の行方「王と麒麟(18)」:2010/07/13(火) 20:24:09
「うまくすれば仁重殿の女官あたりが知っているかもしれん。官でだめなら奄
奚にも聞き取り範囲を拡大して、それでもだめなら城下の、台輔が親しくして
いたろう只人とか――いや」
 言葉を切った帷湍は、見る見るうちに蒼白になった。
「台輔の正体を知らせず、どうやって怪しまれずに只人に聴取する? へたな
やりかたをしたら台輔が昏睡に陥っていることが民にも知られてしまうぞ。そ
もそも台輔自身が『あさましい願い事』と恥じ入っていたのなら、滅多な相手
には話さんだろう。むしろたまたま行き合っただけの旅人とか、二度と会うは
ずのない相手に話しただけかもしれん。深刻な内容であればあるほど、告白の
相手に知り合いでも何でもない赤の他人を選んで気持ちを収めるというのはあ
りがちな話だしな。それに謀反人が設定した条件以外に呪を解く方法が本当に
ないとしたら、台輔の一番の願いがそれというのは注意を要する情報だ。台輔
がこれまで誰かに話したり匂わせたりしたとして、その相手の性根が曲がって
いないともかぎらん。少なくとも価値のある情報と知って、国府に莫大な見返
りを要求することは考えられる――いや、実際に台輔の願いを知らずとも、俺
たちがそれを必死に求めていることを知ったら、千載一遇の好機とばかりに私
利私欲を満たす手段にする可能性はある。おまえを幇周で呪にかけた呪者も、
要は俺たちが求めている情報を餌におびきだしたわけだからな」
 自分が口にした言葉に茫然としながら、帷湍はこわばった顔で尚隆を凝視し
た。
「……おい」
「この情報の扱いには相当な注意を要する」尚隆は淡々と答えた。「それゆえ
六太にかけた呪に、呪者があえて解除条件を設定したことを知るのは限られた
者だけだ。現在のところ鳴賢と彼の証言を書き記した朱衡の侍史、冢宰、三公
六官、黄医、そしておまえだ。蓬山に勅使を出すよう指示したゆえ、いずれ碧
霞玄君にも知れようが」
「うむ……」

342訂正:2010/07/13(火) 20:28:27
>>340の冒頭一行が抜けてました。↓が入ります。

 言葉に詰まった帷湍はそわそわとした素振りで考えこみ、やがてがっくりと
うなだれた。

343永遠の行方「王と麒麟(19)」:2010/07/17(土) 18:06:03
「そもそも呪者である暁紅は、その願いがかなうことはありえないと思い、六
太自身も肯定したほどの内容だ。そして俺にかけられた呪が、六太が身代わり
になるまで誰も手も足も出なかったことを考えると、長丁場になるやも知れん」
「うむ……」
「俺は俺自身に関してならいくらでも博打を打つが、六太はだめだ。既にあれ
は国のため俺のために自身を犠牲にした。不用意に情報を漏らして不心得者に
利用されることで真の手がかりを逃し、それによってあれのとどめを刺すこと
は俺にはできぬ」
「も、もちろんだ」
 卓の上で拳を握りしめた帷湍は、冷や汗を流しながら幾度もうなずいた。普
段は飄々としている尚隆が、今のように厳しい顔を見せることは滅多にない。
これは本当に由々しい事態なのだと、帷湍はいっそう身を引き締めた。
「とにかく光州の呪環には綺麗にけりをつけねばならんな。そうすれば時も稼
げるし、他の経路から何か情報が出てくるかもしれん」
「そうだ。任せたぞ」
 同じころ、宮城では冢宰と六官で内議を行なっていた。いくら謀反人を討伐
したことにしても、王が宮城に戻ってくるには今しばらくかかる。もともとが
人心の慰撫と士気の鼓舞のための行幸でいろいろと催しもあるし、事件の解決
を知って安堵した民としても、王への尊崇を深めるとともに「いろいろお疲れ
もあるだろう。せっかくいらしてくださったのだし、この際ゆっくりなされば
いい」と気楽に考えるだろうからだ。国府としてはその間に、王に命じられた
すべての調査を終えなければならなかった。
「実は少々まずい事態が」報告の区切りがついたところで、太宰が困惑顔で言
った。「というのも先ほど景王より台輔宛の親書が届いた」
「親書――景王から、ですか」
「台輔がときどき慶国と文をやりとりしておられるのは存じておりますが」
 他の官も当惑して顔を見合わせた。太宰は続けた。

344永遠の行方「王と麒麟(20)」:2010/07/20(火) 00:35:13
「正式の親書というわけではない。鸞ではなく、青鳥につけられていた普通の
紙片だし、何より封蝋の小さな印影は景王の玉璽ではなかったからな。だがい
つも書簡を処理している女官によると、景王がごく私的に――というか私人と
して台輔に文を送る際に使っている印に間違いないそうだ。それ自体は登極の
際の縁や数年前の戴国の件もあり、台輔は気安く景王とやりとりしておられる
から不思議はないし、主上もご存じだろうが、何しろこの時機だ。台輔は昏睡
しておられるわけだし、主上はおられぬし」
「確かに困りましたね。本人しか内容を聞けない鸞でなかったことは幸いです
が、われわれが封蝋を破って書面を確認するわけにもいきません」
「しかしもし返信が必要だったとしても、台輔とてそれなりに忙しいお体だ。
いつもすぐ返事を送っていたわけでもなかろう」
 朱衡と大司馬がそう返すと、太宰は「うむ」とうなずいた。
「それゆえ書簡のみ受け取り、青鳥はすぐに返した。ただ現在のところ主上は
しばらく光州城においでのわけで、とりあえず主上に報告の青鳥だけは飛ばそ
うと思っている」
「それが良いですね。そもそも鸞でなく、封蝋の押印が玉璽でもなかったとい
うことは、少なくとも緊急の用件ではないはず。ならば主上の還御をお待ちし
た上で対応しても問題にはならないでしょう」
「あるいは景王は今回の謀反の騒ぎをお知りになり、単に主上を心配なさって
文を寄越されたのかもしれませんな。台輔宛にしたのは、ご多忙であろう主上
のお手をわずらわせまいということで」
「それならばお気持ちはありがたいが、何もこの時期にとは思いますなあ」

345永遠の行方「王と麒麟(21)」:2010/07/25(日) 00:02:54
 その後すぐに散会となり、抑えたざわめきの中で房室を退出しながら、彼ら
はこんな言葉を交わした。
「しかしこうなると最後の最後に暁紅が気持ちを変え、台輔の呪の解除条件を
『最大の願いがかなうこと』としたのは不幸中の幸いでした。もし『もっとも
起きてほしくないことが起こったとき』とでもされていたとしたら、どれほど
の惨状が想定されたのやら」
「確かに、考えるだにぞっとする」
「それに台輔の第二、第三の願いが解呪の条件でなくて良かった。なぜなら第
三の願いである『王朝が安寧のままに続くこと』ではいつ達成されたと見なさ
れるのかが不明確だし、『王が死ぬときはともに逝くこと』という第二の願い
に至っては、主上が崩御されるというとんでもない事態ですから」
「まあ、だからこそ逆に条件にできなかったとも言えるでしょう。主上が冬官
に確認なさっていたように、ああいうものはそれなりに明確な基準でなければ
ならないはずですから。その意味で第三の願いとやらは適当ではないし、第二
の願いにしても、眠りから覚めるための条件として『死ぬこと』を挙げるのは
矛盾しています」
「なるほど。それもそうだ」
「しかし『王が死ぬときはともに逝くこと』が第二の願いとは。失礼ながら日
頃は主上と激しく言い争うこともある台輔がそんな望みをお持ちとは夢にも思
わなかったが、やはり麒麟は王を慕うものなのですなあ」
 不意に落ちた沈黙の中、やがて朱衡はためらいがちに「そうですね……」と
だけ答えたのだった。

346永遠の行方「王と麒麟(22)」:2010/07/31(土) 10:43:23

 玄度が寮の鳴賢の房間を訪れたのは、事件から四日後のことだった。
 最近はほとんど口を利いていなかった友人が、真っ青な顔で戸口にたたずん
でいるのを見て、鳴賢は「ああ、こいつも知ったんだな」と悟った。さすがに
国府も謀反があったこと、主犯が倩霞であることまでは隠そうとしておらず、
既に町では謀反人が城下に潜んでいたことが知られつつあった。倩霞が先々代
の光州侯・梁興の寵姫晏暁紅であり、主人の仇を取るために謀反を企てたらし
いことも。大学が長期休暇中でさえなかったら、寮内ではもっと早くに知れて
いたろう。
「梁興って、二百年前に謀反を起こしたって州侯でしょ? そんな輩は罰され
て当然なのに、遺された愛妾が復讐しようだなんて、逆恨みもはなはだしい」
「光州で妙な病が流行ったのも、その女が呪を使ったからだそうだ。腐っても
仙人だからな。でもさすがは主上だ、すべてお見通しで謀反人が靖州に潜んで
いると睨み、油断させるためにあえて光州に行幸なさったらしい」
「その女は、今度は靖州で妙な病を起こすつもりだったのかもな。どっちにし
ても主上の思惑通り見事に油断して、まんまとしっぽを現わして討伐されたん
だと」
「何にしても大事にならなくて良かった」
 食事に立ち寄った店で、鳴賢は客同士のそんな会話を耳にした。彼は大司寇
が密かに差し向けた下吏から、自分がどのように関わったことにするかについ
てのみ言い含められていた。しかし噂から判断するかぎり、倩霞は関弓に潜伏
していたところを国府の役人に踏み込まれ、呪を使って激しく抵抗したために、
阿紫ともどもやむなくその場で斬って捨てられたことになっているようだった。
小間物屋も邸も夏官が徹底的に調査していることは知っていたので、謀反が起
きたことが早々に明らかにされたのは、人々がそういった行動に不審をいだか
ないようにするためもあるだろう。
 ただ阿紫に懸想していた敬之が寮に戻ってきたら、何と告げるべきだろうと
鳴賢は悩んだ。それより問題なのは倩霞にのぼせていた玄度だ。
「倩霞が謀反を企てて成敗されたって……」
「知ってる。本当だ」鳴賢は目を伏せて答えた。

347永遠の行方「王と麒麟(23)」:2010/08/01(日) 10:22:41
「まさか、そんな」
「実を言うと俺、倩霞のことで夏官に尋問されたんだ」
 彼は房間の中に玄度を手招いて扉を閉めた。向かい合って座り、内々に指示
されていたとおり、頭の中で何度も反芻した筋書きを口にする。
「事が事だから、やたらと口外するなと言われてたから、ずっと黙ってた。で
もそのうち、おまえや敬之にも呼び出しがあるかもしれない。何しろ謀反だ、
少しでも倩霞に関わったと知れた人間は厳しく尋問されるだろう」
 玄度は目を大きく見開いた。わなわなと震えた彼は口を開いたが、なかなか
言葉が出ないようだった。
「――じゃ、あ――本当なのか……」
「少し前に倩霞を訪ねていったら、会えたことは会えたんだけど妙だったんだ。
肌が――なんて言うか、崩れるんじゃないかってぐらい酷いただれかたで、ど
う見ても悪病に冒されたとしか思えなかった。なのに倩霞は何も気にするふう
もなく『近々おもしろいことが起こる』と楽しそうに言ったんだ。気が動転し
てたんでよく覚えてないが、『雁の終焉を見せてあげる』とか何とか言ってた
と思う。すぐ帰ったんだが、しばらくして国府に呼び出された。近所の人が俺
を見かけていたそうで、夏官府は俺が倩霞を訪ねていったことは知っていて、
彼女が仙で梁興の愛妾だった女で、国を傾けるために呪を使って光州に病をば
らまいたと言っていた。倩霞の病も呪のせいだと。他人を害する呪を使うと、
術者も報いを受けるらしい」
 玄度は茫然とした様子で、床几に座りこんでいた。鳴賢は六太とのやりとり
を思いだし、また涙が出そうになって声が震えた。
「小間物屋は、関弓で町の様子を探るために開いていたらしい。引っ越し先の
邸も以前から倩霞の物で、そこが根城だったって聞いた。それ以上の詳しいこ
とは、俺も教えてもらえなかったんでわからない」
 そう言うと玄度は、彼も涙ぐみながらようやく答えた。
「お、俺、倩霞の邸に行ったら――夏官があふれてて通してくれなくてさ。何
が起きたのか聞いたら謀反だって。謀反を起こした仙の女を成敗したから、邸
を調べているところだって」

348名無しさん:2010/08/01(日) 21:15:31
姐さん、素敵な話をありがとう(*´∀`*)
続きをwktkで待っております。

349永遠の行方「王と麒麟(24)」:2010/08/09(月) 22:49:31
「今、主上が光州に行幸なさっているだろ。あれは謀反人が光州に病をばらま
いたせいで、その首謀者が倩霞だったんだそうだ。確かに彼女が言った妙な言
葉も、謀反を企てていたなら辻褄が合う」
「俺にはとても信じられない……」
「俺だってそうさ。でも倩霞は本当は二百歳以上だったことになる。二百年前
に死んだ梁興の愛妾だったんだから。だとすれば俺たちみたいな青二才の扱い
なんか、赤子の手をひねるようなものだったろう」
 謀反は大罪だ。数々の証拠があるらしいとわかってさすがに玄度も盲目的に
倩霞を弁護する様子はなく、ひたすら茫然とした様子で自分の房間に帰ってい
った。もともと彼らは倩霞と顔見知り程度の間柄で、彼女の個人的な事柄につ
いては何も知らないのだ。
 彼を見送った鳴賢は、ふう、と吐息を漏らし、扉を閉めて椅子に座りこんだ。
倩霞にのぼせていた玄度が騒ぎたてなかったのはありがたかったが、敬之が大
学に戻ってきたら同じように嘘をつかねばならないと思うと気が重かった。
 ――王は人柱、か。
 敬之とともに聞いた、六太の言葉。雁が安泰でいられるのは、王が人柱であ
ることに甘んじている間だけだと六太は言った。いったいあのときの彼はどん
な思いを胸に秘めていたのだろう。
(王も人間だ)
(人間としての悩みや苦しみと無縁でいられるわけじゃない)
 宰輔として王の傍らに控える六太がそう言ったということは、実際に王がそ
れに類する姿を見せたり窺わせたりしたことがあるのかもしれない。なかなか
貧困から脱せられない諸国を見るまでもなく、国を統治するのは大変なことだ。
延王は五百年もの長きに渡って君臨し、雁を繁栄させているが、民に知られて
いないだけで、その裏には非常な苦難があったのかもしれない。
 鳴賢は大きく息を吐いた。五百年と言えば、単純に計算しても只人としての
人生八回ぶんに相当する長さだ。それほどの歳月を、統治の重責に耐えつづけ
る精神力は相当なものだろう。いつかはその力が尽きると考えて恐れるのは、
あらためて考えれば不思議でも何でもない。

3501:2010/08/09(月) 22:52:19
えー、暑くて何も手に付かないので、
既に書いた部分を推敲しつつ小出しにして誤魔化してますw
投下の間隔が開いたら、
「クーラーもつけずに無駄に頑張ってバテてるんだな」と笑ってやってください。
今夏の酷暑、どうにかならんですかね……。

351永遠の行方「王と麒麟(25)」:2010/08/10(火) 23:06:32
 だがそれを理解しても、鳴賢にはあのとき自分がどう返せば良かったのかは
わからなかった。ただ何となく、単に六太の言葉に迎合しても意味はなかった
ろうとは思った。慰めではなく批判でもなく、建設的なことを言えていたら…
…。
(もしいつか――町中で王に会うことがあったら伝えてくれ)
 どこか思い詰めたような六太の顔。
(俺、ほんとはあいつと一緒にいられて楽しかったんだ……)
 どうやら王も頻繁に町中を出歩いているようだが、鳴賢は王の顔を知らない。
だからそもそも関弓で見かけたことがあるかどうかすらわからない。王への文
を書かず、そんな彼にあの伝言を頼んだということは、実際には六太は王に伝
えるつもりはなかったのだろう。言伝を遺すことで、目覚めない六太に王が心
を砕きすぎ、万が一にも治世を誤らせてはならないから。
 それでもこれが最後と思えばこそ、誰かに心情を吐露してしておきたかった
に違いない。ならばあの言葉は紛れもなく六太の本心。それもこれまで王には
言っていない類の言葉だろう。鳴賢にはそれは不思議に思えたものの、王と麒
麟の間柄というものは普通はそれほど素っ気ないものなのかもしれない。
 重いな、と鳴賢は口の中でつぶやいた。六太が目覚めるまで、彼はそれをず
っと負っていかねばならない。これが――そう、六太はもともと楽俊の知り合
いだった。もし言伝を預かったのが楽俊だったら、彼はいったいどうしただろ
う。
 鳴賢は弱々しい笑みを浮かべた。楽俊はおしゃべりだし余計なことを口にす
ることもあるが、逆に口をつぐむことも知っている。何年も六太の身分を伏せ
ていたことだし――彼が六太の正体を知らなかったとは思えない――ずっと自
分の胸に納めておくだろう。
 楽俊も寮にこもって勉強しているが、翌日の夜には倩霞の事件を知っていた
ようだった。彼の母が話を仕入れてきたのだろうが、六太の身に起こったこと
までは知らないはずだ。

352名無しさん:2010/08/12(木) 00:27:55
無理せずマイペースでやってください。
汗と期待でてっかてかになりながら続き楽しみにしてます。

353名無しさん:2010/08/12(木) 13:44:55
別スレでも書いたのですが、今更ながらここに迷い込んだ(のではなくお宝を探しにやってきた)者です。

来てまだほどない人間が、この大作を読んでよいものか、
読み続けると今度はにこの数年がかりの作品がまだ完成してないことを
自分も今から他の方と同じように最後を見守る幸せな人間になっていいのか、と申し訳ない気持ちがしながら読みふけりました。

夢中になって読んで、時折遡って投下の間隔を確かめながら、少しでもその空白の期間(萌え待ち期間)を想像して
『あーこんなステキな作品読んで、こんな短い期間で大量投下されてるー!』とか、
『あーこんなところで一月の待ち期間があったら毎日通って犬のように待ち続けちゃうよ〜!』
『今こんな一気に読んでいいんか自分!モッタイネー!でも一気に読みたい気持ちを抑えられん!』

などと、ほんとはもっと語りたいぐらい今おなか一杯にこの作品に対して叫びたいことがあるのですが
なにしろ美しい作品が途中で自分の駄文長文が割り込むのが申し訳ないので1/100ぐらいで止めておきます。

あと、呪に関する部分・・・原作を読めていなかったのもホラーが苦手ということがあり
この部分を読んだときは怖くて怖くておトイレも髪を洗うのも背筋が怖い思いでしたorz

でも読まずにいられないという・・・こんな凄い作品に出会って、ほんとにいいんだろうかという作品の凄さに圧倒されっぱなしです。


今年の暑さはクーラー無しじゃやっていけんので、熱中症にはくれぐれもお気をつけくださいませ(`・ω・´)
この作品の全てが素晴らしいと思っているので(憂慮なさっていたオリキャラの部分も素晴らしいものです)
もし長いから省こうかな、という程度のことであれば、気にせずにいくらでもどんだけでも続けていって下さい…!

3541:2010/08/13(金) 10:00:20
>>352
お気遣いありがとうございます。
あと二ヶ月くらいは、ストックを小出しにしてちんたら進めていこうかと。
一応室温35度でも昼寝できたし(パソコン様はさすがに室温30度あたりで休んでいただく)
体調的には大丈夫なんですが、いかんせん頭が働かないw

>>353
あー、呪の部分がやばかったですか。ホラーとかそういう意識はなかったので失礼しました。
以後の話でその手の内容はないはずなのでご安心ください。

それでも楽しんでいただけているようで良かったです。
むしろ、今のところ801でも何でもないのに
こんなに褒めてもらっちゃっていいの?って感じでおろおろしてますw

原作は、『魔性の子』は別として、残酷な場面はあまりなかったように思うんですけど
ああいう世界観だから、どうしてもところどころ悲惨な描写はありますもんねー。
でもアニメと違ったおもしろさなので、ぜひ堪能してください。

355名無しさん:2010/08/13(金) 12:18:17
いえ、けして嫌だったというわけではないのです、恐ろしかったのです。
あまりに素晴らしい描写で、それでいて最初の淡々とした・・・というかひたひたと迫ってくる描写から
畳み掛ける怒涛の展開で、ほんとうに引き込まれてしまい、だからこそ怖くて・・・けして嫌だったんじゃなくて・・・
あーこういうのなんて表現したらいいんでしょうか。素晴らしかったからより怖かったのです(先ほどから表現が一緒orz)

とっても楽しかったのです!多分スピリチュアルホラー的なものが特に昔から怖くなるタチだったので。
そして原作を読むならまず最初にかかれた作品だよね・・・と魔性の子を当時手に取り、あまりに怖くて(とても面白いとはもちろん思ったのですが)
もう少し精神年齢が高くなったら読もう・・・などという感じで読む機会を逸したのでしたorz といってもうアラサーに(ノ∀`)

あんまり何度もレスをつけてもSSのお邪魔になりはしないかと思ったのですが
否定的な言葉に聞こえてしまったのなら大変だ!と思いまたコメさせてもらいました。

別スレの新婚夫婦熟年夫婦にもハゲ萌えさせていただきました!


こちらの板はチラ裏がないようなので、そこそこのSSスレにしか感想が書けないとちょっとだけ不便ですね。
きっとステキなSSのお邪魔をしたらいけないとレスを控えてる方もいらっしゃるんじゃないかなと思いました。
今チラ裏があったら100レスぐらいの勢いで全てのSSに対する感想を投下しそうですw

356永遠の行方「王と麒麟(26)」:2010/08/16(月) 00:36:54
「さほど大事に至らず、早々に解決して良かったってとこか」
 倩霞が主犯であることにはさすがに驚いていたが、結局はそんなふうに軽く
締めた彼に、鳴賢はふと「おまえ、もともと六太と知り合いだったんだよな。
どこで知り合ったんだ?」と尋ねてみた。一瞬沈黙した相手に、たたみかける
ように「六太が頭巾をはずしたところを見たことはあるか?」と尋ねた。楽俊
は溜息をついた。
「鳴賢。すまねえが――」
「ああ、いいって。それ以上言うな。わかってる」
 何か問いたげな相手に、鳴賢は重ねて「わかってる。すまん、忘れてくれ。
俺も忘れる」と言った。それ以来、楽俊と顔を合わせても、六太のことも謀反
のことも話題にはしていない。
 自分には力も知識も伝手もない。できるのは勉強に励んで国官を目指すこと
だけ。それは重々承知していたが、誰の役にも立てず、ただ口を閉ざして待つ
ことしかできないのはつらかった。

357永遠の行方「王と麒麟(27)」:2010/08/21(土) 19:28:55

「里廬から発見した文珠、呪に関する資料、すべて粉砕または焼却の上で破棄
しました。復元は不可能です」
 州司馬および州司空からの最終報告を受け、光州侯帷湍は令尹に渡された報
告書に目を通した。晏暁紅が使った文珠も、梁興の冬官助手が遺した覚え書き
も、これですべて消滅したことになる。
 あのように危険な物を残しておいたら、ふたたび不逞な輩に利用されないと
もかぎらない。梁興の冬官助手のように技術的な興味を覚えられるのはもちろ
ん、宝玉を使った文珠自体の価値に目がくらんだ不心得者にかすめ取られても
困る。また何百年も経ったあとで事件を起こされるかもしれないのだ。
 そのため国府から謀反人を討伐した旨の連絡が来たあと、帷湍は今回の呪に
関わるすべての資料を厳重な監視の元で破棄させた。
 既に二月も初旬を過ぎている。関弓に潜伏していた暁紅一党を討ち取った旨
の触れは出してあり、民らはとうに安堵して、害を被った里の民も「主上のお
かげ」と喜んでいる。今月中にふたたび病が発生しなければ、州府としても枕
を高くすることができる。
 文珠が発見された里や廬のうち、次の標的だったと目された嘉源(かげん)
の里からは一時的に民を避難させていた。代わりに懲役を科されている模範囚
から、特赦を条件に志願した数名を住まわせている。彼らに何事も起きなけれ
ば、文珠を取り除いたこと、そして何より呪者が死んだことで事件が解決した
ことの目安となる。
「それから先ほど関弓から主上宛に青鳥が届いたため、内宮の主上にお運びい
たしました」
「わかった。他に特に問題は起きていないな?」
「避難させた嘉源の民の中には多少不満を訴えている者もおりますが、もとも
と農閑期の上、今月中に生まれる予定の赤子もおりませんし、問題はないでし
ょう。生命を守るためだということは彼らも納得しています。国府から謀反人
一党を討ち取った旨の急使がやってきて以来、これに関連すると思われる不穏
な事件も起きておりません。あとはこのまま何も起きないことを待つだけです」

358永遠の行方「王と麒麟(28)」:2010/08/27(金) 22:33:52
 帷湍はうなずき、報告で中断した通常の政務に戻った。その後、内宮の主君
の元に顔を出し、予定通り呪に関する資料をすべて破棄したことを告げ、現在
に至るまで問題が起きていないことをみずから報告した。
「他にも呪具らしきものが隠されていないかどうか調査させたが、何か見つか
ったという報告は受けていない。もっともこれだけ大がかりな呪を用いた謀反
だ、念には念を入れてさらに慎重に調査するよう重ねて命じたが――」
「何も出てこんだろうな。謀反人が真に目的を果たしたのなら」複雑な表情に
なった帷湍に尚隆は続けた。「なぜ晏暁紅が六太を狙ったのかはわからん。一
党がことごとく死んだ以上、これは永遠の謎だろう。いずれにせよ鳴賢に語ら
れた暁紅の言葉から推測するかぎり、彼女は六太を陥れられて満足だったよう
だ」
「ああ……そのようだな。ならば光州の呪環が成功しようがしまいが、既にど
うでも良かっただろう。よしんば失敗に備えたさらなる企みの計画があったと
しても、それには手をつけずに満足して逝ったに違いない」
「おそらくはな」
 溜息をもらした帷湍は、大半の官は事件をほとんど終わったものと見なして
いると告げた。光州城で六太の昏睡を知らされたのは令尹の士銓のみ。彼は帷
湍以上に衝撃を受けているが、他の高官はまさかそんな事態になっているとは
夢にも思っていない。見通しがついたため王も近々宮城に戻ることになってい
るし、むろん月が変わるまで油断できないとはいえ、州城内でも既にほっとし
た空気が漂っていた。
「実際、六太のことを除けばけりはついたのだ。士銓には気の毒だが、光州城
の官はしばらく緊張続きだったのだから大目に見てやれ。大勢で雁首を揃えて
額を寄せ合っていても仕方がない。光州は光州として、しっかり行政を切り回
していれば良いのだ」
 軽く笑った尚隆に、帷湍は「そうは言うがな」と言いかけ、途中で考え直し
て話題を変えた。

359永遠の行方「王と麒麟(29)」:2010/09/02(木) 00:02:59
「それで、そのう……台輔のことはどうする?」
「どう、とは?」
「台輔の一番の願いが何かを知るには、いつまでもその問い自体を伏せておく
わけにはいかんと思うのだが。呪の解除条件がそれというのは別として」
 すると尚隆はふっと笑い、卓にあった紙片を手に取った。先刻、令尹が言っ
ていた青鳥で送られてきたものらしい。
「宮城に戻ってから様子を見て指示を出すつもりでいたが、朱衡が先回りして
これを送ってきた」
「朱衡が? 何を?」
「六太が望んでいたことを仁重殿の女官から聞きだすため、適当な理由をでっ
ちあげて話をすることの許しを求めてきた。さっき許可を出す旨の返信を送っ
たところだ」
「ああ、そうか。なるほど」
 帷湍は少し安堵し、渡された紙片の内容に目を走らせるなり「うん」と大き
くうなずいた。
「口実としては悪くない。むしろ自然だ。あいつならうまくやるだろう」紙片
を尚隆に返し、少し考えてから言う。「俺もあれから台輔の望みそうなことを
いろいろ考えてみたが、残念ながらさっぱりわからんのだ。確かに今までいろ
いろな話はしたが、あの台輔が恥じるような内容があったとは到底思えんし」
「まあ、俺も似たようなものだからな」
「だがおまえはよく台輔と逐電していたろう。旅の間に、台輔がいつもと違う
反応を見せた話題に心当たりはないのか? やたら欲しがっていた物があった
とか、どこかに行きたがっていたとか――」
「ふうむ。ないわけではないが、すべて理由が明らかなことばかりだな。今回
の件にはまったく関係ないようだ」
「そうか……」
 溜息を漏らした帷湍に、尚隆は「おそらく六太は、俺にもおまえにも言った
ことはないだろう」と言った。

360永遠の行方「王と麒麟(30)」:2010/09/06(月) 21:51:21
「朱衡は女官から聞きだすと言ってきたが、官どころか誰か知り人(びと)に
言ったことがあるかどうかすら怪しいものだ。いかに麒麟が綺麗事を好むとは
いえ、あれとて五百年も生きておるのだ、大抵のことでは『あさましい』だの
『恥ずかしい』だの思うはずがない。ましてや長い間、貝のように口を閉ざし
ているはずがない。ということは滅多な相手に話したとも思えぬ」
「とすると、やはりたとえば行きずりの赤の他人に……」
「その可能性もなくはないが、現実問題として検証は不可能だ。だから俺たち
はこれまで見聞きした六太自身の言動から推測して、あれの第一の望みとやら
を探りだすしかない。そのものを聞いた者がおらずとも、複数の情報、それも
日常的に六太と親しくしていた者の話を集めれば、おのずと見えてくるものが
あるはずだ」
 尚隆の言葉に帷湍は考えこみ、やがて合点がいったように「そうか」と言っ
た。
「その意味で、朱衡が女官に作り話をして聴取するのも意味はあるということ
か」
「女官だけではない、これまで六太が話をした者、接した者、すべてが重要な
情報源だ。しかしおそらく断片と断片をつなぎ合わせるような地道な作業にな
るだろう。以前、長丁場になるかもしれんと言ったのはそういうことだ」
 それへうなずいた帷湍は、ふと思いついてこんなことを口にした。
「考えてみれば出自が人に過ぎない俺たちでは、麒麟が何を望むかについて想
像するにも限界がある。台輔と話したことのある他国の麒麟にそれとなく聞け
れば、手がかりのひとつになるんじゃないか? それに麒麟同士なら、台輔も
突っ込んだ話をしていそうだ」
「ふむ」尚隆は意外そうな顔であごをなでると、少し考えてから答えた。「そ
うだな、目の付けどころは悪くない」
「あまり期待は持てないと考えているのか?」

361永遠の行方「王と麒麟(31)」:2010/09/11(土) 01:03:45
「そうは言っておらん。だがもともと麒麟同士は滅多に会うものでもないし、
六太が自分の私事と考えていることについて、そこまで突っ込んだ話をするほ
ど親密になったことがあるかどうか。ただ、おまえが言うように手がかりの一
端になる可能性はある。いずれ機会を見つけて他国の麒麟にも当たってみるべ
きだろう。同じ麒麟だからと当てにするのではなく、要は六太が接した只人ら
に話を聞くのと同じことだ」
「まあ、暁紅の言葉や台輔の反応から推すと、むしろ台輔は大抵の麒麟が思い
もよらない望みをいだいている可能性のほうが高いわけだしな……」
 いずれにしても、先ほど尚隆が言ったように一区切りがついたのは確かだっ
た。これからは六太の昏睡が市井に漏れないよう配慮しつつ彼の最大の願いを
探りだし、それが成就されるよう働きかけるしかない。
「ところで光州の例の呪環だが。念のために被害に遭った里廬の共通点がない
か調べてみたが、やはり単に位置の問題だったようだ」
 帷湍は六太のことでそれた話を戻し、暁紅が謀った呪に関する報告の続きを
した。謀反人の死でけりがついたとはいえ、一通りの地道な調査は必要だった。
「たまたま大規模な都市はなかったものの、小規模な集落から周囲に町ができ
ている中規模の里までいろいろあったし、産業にも住民にもこれといって共通
項はない。第三の環が敷かれていないことを確認するため、葉莱を基点に南下
する形で第二の環の内側の里廬をふたつ調べたが、何も出てこなかった。いち
おう葉莱と州城を結ぶ線上にある他の里廬の民にも、不審な物があれば即座に
州府に届け出るよう伝えてある」
「そうだな。何も出んだろうが、もともとの文珠の総数が判明していない以上、
念には念を入れる必要はあろう」
「それから暁紅が台輔に斗母占文を装って渡したという封書の写しを見たが、
幇周で呪者がおまえに渡した紙片と同じ『暁紅』という文字が書かれていたも
のの、明らかに筆跡が違う。あの写しは原文の筆跡も再現されていたのだろう?」
 尚隆は「そのはずだ」とうなずいた。

362永遠の行方「王と麒麟(32)」:2010/09/15(水) 21:46:56
「おそらく占文は暁紅が、俺が見たほうは暁紅の従者だった幇周の呪者自身が
書いたのだろうな。暁紅は身寄りのない娘を集めて下僕としていたが、娘らは
単なる使い捨ての道具だったようだし、この件には関係ないだろう。しかし幇
周に現われた浣蓮という女は仙であり、ずっと暁紅の従者だった上に当人も呪
の使い手だった。またあの程度の紙片を早くから用意していたとも思えぬ以上、
その場で女自身が普通に墨で書いたのだろう。要は呪をかけるために俺の気を
一瞬だけそらせば良かったのだから、六太が見せられた占文とは性質が違う」
「では筆跡の違いに第三者が関わっていたのでなければ、やはり事件は解決し
たということになるか」
「と、思っている。占文については、白紙に字が浮かび上がる仕掛けで驚かせ
て六太をおびきよせるためだったろうから、暁紅があらかじめ用意していたの
だろう。草の汁で書いたということだが、確かに他の地方にはないものだ。知
らぬとなればだまされるかも知れない。それも相手は、暁紅が小間物屋の女主
人として知り合ったがゆえに警戒していない六太だ」
 主君の言葉に、帷湍はしばし考えてからこう言った。
「俺は占文の現物を見ていないから断言はできないが、聞いたかぎりでは煬草
(ようそう)の汁で書いたのだと思う」
「ほう?」
「主に南西の山間部で見られる雑草だが、苦味が強くて食用にはならんから子
供の遊びぐらいにしか使えん。染料が取れる大青(たいせい)に酷似している
が、かと言って誤って一緒に発酵させると色は濁るし、質も悪くなってうまく
染まらなくなる。煮出した汁で字を書けば、漂白していない紙なら乾くと白紙
に見える程度に字が消えるが、すぐに暗所で保存しなければ、二度と鮮明な字
としては浮かびあがらんそうだ。例の占文は内側を黒く塗った状袋に入れてあ
ったという話だが、おそらく状袋自体も煬草を漉いて作ったのだと思う。だが
それでも効果は半年もてば良いほうだろう。かと言って明るいところに出して
字が浮かび上がってもすぐに褪せてしまうから墨の代わりにもならん。まさか
こんなことに使われるとは……」

363永遠の行方「王と麒麟(33)」:2010/09/18(土) 16:07:36
「明礬(みょうばん)と同じだな」
「明礬?」
「あれも溶液を墨の代わりに使ってから紙を乾かすと書いた字は消えるが、水
に浸すと現われるからな。だが知らぬ者にとっては仙術のたぐいに見えよう」
「ああ……そういえばそうだな」
 帷湍は意外性に驚いてそう答えた。明礬水は果汁を使った場合と同じく火で
あぶっても書いたものが現われるが、いずれにしろ日常的に使われるものであ
っても、その特性を知って利用すれば他人を驚かせることはじゅうぶん可能な
のだ。
 尚隆は続けた。
「しかし書いて半年ももたぬということは、暁紅は六太に渡したとき、早々に
俺を陥れて六太に選択を迫るつもりでいたことになる。むろん呪環のための文
珠をすべて埋設し終え、実際に呪を順次発動していたからに違いない。俺がど
の時点で出てくるかはわからなかったとしても、住人をことごとく死に至らし
めた葉莱がひとつの目安だったはずだ」
「たとえそれまで気づく者がいなくても、ひとつの里が病で全滅したと知った
州府が、過去に遡って同種の病が発生していないか調査するだろうと考えるの
は当然の推理だしな……」
「そして人為的な匂いを嗅ぎとった俺たちが次の目標と思しき里に目星をつけ、
その時点で俺が出てくることも予想できただろう。何しろ暁紅は俺と会ったこ
とがあり、大事件とあらば自分で首を突っ込む性分であることは知っていたの
だから。むろん今にして思えば、だが」
 要はまんまと暁紅に謀られ、敵の狙い通りにおびき寄せられたということだ。
帷湍はふと考えこんだ。
「さっきの煬草の話で思い出したが、そういえば台輔は食用になる野草には詳
しかったな。以前、女房と娘が染料にする草木と薬草を採集に行ったとき、俺
も無理やり駆り出されたことがあるんだが、ちょうど台輔が来ていて一緒に連
れていかれてな。俺も知らなかったいろいろな野草を娘に教えていた」

364永遠の行方「王と麒麟(34)」:2010/09/18(土) 16:10:14
「麒麟は草食動物だからな。しかもあいつは食い意地も張っている」
 尚隆は苦笑したが、帷湍は神妙な顔になった。
「それなんだが……」彼は口ごもった。「今にして思えば、台輔は蓬莱にはこ
ういう野草もあるとのうんちくも口にしていたんだ。あとで俺にこう言った、
蓬莱にいた頃は草の根をかじって飢えをしのいだこともあると。貧乏な家だっ
たからと台輔は笑っていたし、意外には思ったが一度きりの話だったからすっ
かり忘れていた。しかし鳴賢という青年の証言では台輔は親に捨てられたとい
うし、もしや捨てられたあとの話だったのではと思ってな。確か台輔が蓬山に
帰還したのは三つか四つくらいだったはずだろう?」
「四歳だったと言っていたな」
「うむ。その後で王の探索のために蓬莱を再訪したわけだが、そのときは使令
もいたろうし、そこまで苦労はしなかったと思う。とするとやはり、親に捨て
られてから蓬山に連れ帰られるまでの間の話だったのではと」
「かも知れぬ」
「今さらだが、何百年も一緒に過ごしていて、俺は意外と台輔のことを知らな
かったのだなと思ってな……」
 おまえのことも知らないが、と帷湍は胸のうちで付け加えた。


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しばらくちまちま投下してきましたが、
ストックが尽きてしまったので、次の投下まで間が開きます。

365永遠の行方「王と麒麟(35)」:2010/10/11(月) 09:43:22

 仁重殿の主殿に詰める侍官女官、特に六太の近習は、長く仕えている者が多
い。彼らが謀反、それも呪者の陰謀による王の昏睡という前代未聞の事態に衝
撃を受けたのはもちろんだが、その後、直接の主である六太が身代わりになっ
たことで、誰もが激しい動揺の中にあった。六太は麒麟であり、神獣にして玉
座の象徴。それゆえその身に起きた事態を懸念するのは当然だが、そもそも気
安く親しみやすい性格もあって、彼らは六太を慕っていたからだ。
 むろんそれぞれ自制して日々の勤めを果たしてはいる。しかし内心の動揺と
混乱を隠し切るところまでは行っておらず、仁重殿全体に沈痛な空気が漂って
いた。
 とはいえ尚隆が昏睡状態だったとき、侍医によれば、ただ呼吸をするのみで
身じろぎすらしなかったとのこと。翻って六太の場合、意識がないのは確かな
のだが、たまにぼんやりと目を開くことがある。これは要は呪が不完全だった
のではないか、時間さえ置けば、やがて自然に目覚めるのではないかと、近習
らは一縷の望みを託して日々を過ごしていた。
「まあ、大司寇。よくいらしてくださいました」
 六太の見舞いに訪れた朱衡を、女官らは一様にほっとした顔で出迎えた。
 彼女らの多くは天官であり、太宰から直接事の次第を説明されてはいた。し
かしながら先行きが不透明な中で、六官のひとりである朱衡がこうして頻繁に
見舞ってくれるのはありがたいことだった。
 麒麟は長期間昏睡状態でも生命に別状はない、それが雲海上から蓬山に派遣
した勅使の持ち帰った碧霞玄君の返答だった。そのことで王の健在が保障され
たからと言って、まさか六太が見捨てられるはずもないが、捨て置かれるとま
では言わずとも、このままなすすべもなく放置されるのではないかと、誰もが
内心で不安を覚えていた。

366永遠の行方「王と麒麟(36)」:2010/10/11(月) 21:17:09
 まだ王は行幸から戻らず、事態も動かない。六太の症状は少なくとも悪化す
ることなく、従って急を要する状態でもない。主たる六太さえ健在なら日頃は
にぎやかな仁重殿も、今は息を潜めてじっとしているといった風情だ。そんな
淀んだ空気であるだけに、どうしても悪い方向へと考えをめぐらせてしまうの
だろう。
 しかし六官のひとりであり、王の登極当初からの側近である朱衡がこうして
頻繁に訪れてくれることは心強かった。少なくとも見捨てられてはいないと思
えるからだ。冢宰や他の六官も見舞ってはいたのだが、謀反の後始末を兼ねた
調査に追われていることもあり、どうしても間遠になりがちだった。
 朱衡を奥へと案内しながら、年かさの女官が先回りして「台輔は相変わらず
ですわ」と告げた。
「でもいつもは遅くまで寝ていたいと駄々をこねることもあるのですもの、
堂々とご政務を怠けることができて、実際のところは大喜びかもしれません」
 笑みを浮かべながら、自分と周囲の気を引き立てるように明るく言ってみせ
る。朱衡も微笑してうなずき、「まったく」と同意した。
 六太の臥室に通されると、そこでは黄医ならびに女官たちが控えていた。昨
日までと同じ光景のはずだったが、室内に入るなり朱衡は目を見張った。
「これは……何とも華やかな」
 まだ冬だというのに、房室のあちこちに花が飾られていた。紅や薄紅、黄色
や白。春から初夏を思わせる花々が、大卓や窓辺、壁にしつえられた供案で鮮
やかに咲き誇っていた。
「見事でございましょう?」先ほどの女官が微笑んだ。「園丁が屋内で育てて
いた花だそうです。こうしておけば、春の訪れに木々が芽吹くように台輔もお
目覚めになるだろうと」
「きっとじきに、『いつのまに春になったんだ』と驚いてお起きになりますわ」
 別の女官も言葉を添える。
 六太の眠る牀榻の折り戸は開かれていたが、奥の帳はおりている。朱衡が首
をめぐらせると、その帳の左右にも花が生けられているのが見えた。

367永遠の行方「王と麒麟(37)」:2010/10/17(日) 09:09:57
「なるほど。これならばいかに寝坊助の台輔でも気持ちよく目覚められそうだ」
 そんなことを言いながら黄医の傍に座り、いつものように六太の様子を聞く。
とはいえ太宰には毎日報告が行っているし、冢宰には太宰から報告が上がるか
ら、これは雑談の延長のようなものだった。
 昨日と変わりばえのない報告を聞き、朱衡のほうからは王がそろそろ宮城に
戻ってくるという話をした。あれから光州では何の事件も起きていなかったし、
謀反の残党はいないだろうということでほぼ結論は出ていた。
「そうですか、主上が……。早くお戻りいただければ、わたくしどもも心強い
ですわ」
 女官たちは顔を見合わせながら幾度もうなずき、朱衡は「大丈夫ですよ」と
続けた。
「主上はご自分を救い、ひいては雁を救った台輔にたいそう感謝しておいでで
す。必ずや台輔をお救いになるでしょう」
「ええ。ええ、もちろんです」
「主上を信じております」
 彼女らは泣き笑いのような表情を浮かべ、口々に言った。
「――そう、台輔が無事お目覚めになったら主上に褒美をいただきましょう。
なんと言っても台輔のおかげで主上の呪が解けたのですから」
 わざとおどけたように言った朱衡に女官たちも大きくうなずき、気力を奮い
立たせるように「ええ、本当に」と明るく応じた
「きっと相当な無理でも聞いてくださいますわ」
「王を救った功績は偉大ですもの」
「そういうことなら台輔には一刻も早くお目覚めいただいて、何をいただくか
入れ知恵させていただかなければ」
 そんな彼女らの様子を朱衡は微笑したまま眺めた。そして出された茶を飲ん
で臥室の様子をゆったり眺め渡してから、ふと思いついたようにこんなことを
言った。

368永遠の行方「王と麒麟(38)」:2010/10/17(日) 19:47:38
「そうですね、こんな機会は二度とないでしょうから、この際、台輔が一番望
んでおられることをかなえてさしあげるというのもいいかもしれません」
「一番望んでおられること、ですか?」
「ええ。台輔が何かほしがっておられたとか、これをしたいと言っていたこと
はありませんか? お目覚めになる前に先回りして主上にお願いしておくと、
あとでお喜びになるでしょう。あるいは比較的容易に入手できそうな物品なら、
さっそく買い求めて枕元に置いておけばいいですし、物ではなく――そう、誰
か昔なじみに会いたいとおっしゃっていたなら、その人物の所在を調べておく
こともできます」
 女官たちは目を輝かせ、「それは良い考えですわ」とはしゃいだ。
「皆さん、台輔がほしがっておられた物や望んでおられたことに心当たりのあ
るかたは?」
「さあ……。お好きなお菓子はいくつか存じておりますけど」
「以前、恭の有名な大道芸を見たいとおっしゃっていたことはあります」
「でも一番のお望みとなると……」
「何もひとつにしぼることはないんじゃありません? 大司寇がおっしゃった
ように、この際ですもの、全部かなえていただけばいいんです。まずは心当た
りの品をいくつか早々にいただいて、台輔の枕元に置いておきましょう。そし
て実際にお目覚めになってから、台輔ご自身で一番欲しいものを主上におねだ
りなさればいいんです」
「あら、それもそうですわね」
 彼女らは楽しそうに笑いさざめき、朱衡にも尋ねた。
「大司寇は台輔のお望みをご存じなんでしょう? 昔からおられるし、もとも
と台輔と親しくしておられたんですもの」
「ぜひ、わたくしどもにも教えてくださいませ。他のお望みと併せて台輔に入
れ知恵させていただきますわ」
 朱衡は苦笑して首を振った。

369永遠の行方「王と麒麟(39)」:2010/10/20(水) 20:54:54
「台輔はなかなか個人的なお望みは口にされませんからね。あそこの地域に浮
民が流入して困窮しているから援助してやれとか、橋が少なくて老人が難儀し
ているから作れとか、その手の話はよくなさいますが。でも――そうですね、
他の者が何か聞いているかもしれないし、心当たりを尋ねておきましょう。台
輔がお目覚めになったら、主上にご褒美のおねだりをするときはぜひ入れ知恵
してさしあげてください」
「おまかせくださいませ」
 仁重殿の者たちが鬱々としていたのは、先行きが見えない上に、毎日を同じ
ように過ごすだけで気散じになる事柄もないためだった。しかしここに至って
ようやく気が紛れることを見つけた彼女らは、「台輔のお望みをかなえる」べ
く張り切ったのだった。

 仁重殿の主殿を辞した朱衡は、待たせていた下吏を伴って外殿に向かった。
これから簡単な内議の予定があった。
「大司寇、台輔にお変わりは?」
 下吏に尋ねられ、朱衡は「残念ながら、変化はないそうだ」と答えた。この
下吏は朱衡に重用されてはいるが、鳴賢の証言を書き記した侍史と違い、六太
にかけられた呪にあえて解除条件が設定されたことまでは知らない。
「そうですか……。でも毎日のように大司寇がお見舞いに行かれるから、仁重
殿の者たちも心強いでしょう」
「それならば良いのだがね。そうそう、女官たちに気散じになることを提案し
てきたよ」
「へえ? 何を言ってきたんです?」
「台輔のおかげで主上が救われたのだから、お目覚めになったらご褒美をいた
だくといいと焚きつけてきた。女官たちもおもしろがってね、どうせだからこ
の際、台輔がお持ちだろういろいろな望みを全部かなえていただこうと言い出
した」

370永遠の行方「王と麒麟(40)」:2010/10/24(日) 08:56:49
 下吏も笑顔になり、「そりゃあいい」と明るく応じた。六太と親しくしてい
る朱衡に仕えているだけあって、彼も日頃から六太とは頻繁に言葉を交わして
いた。それでも仁重殿の女官侍官ほど落ち込んでいるわけではないが、やはり
どこか沈んでいるふうではあったから、少しでも明るい話題があるとほっとす
るのだろう。
「台輔が欲しがっていたものや望んでいたことをわたしも聞かれたが、正直、
台輔が個人的な望みをおっしゃるのはあまり聞いたことがないので、他の者に
聞いておくと言っておいた。おまえも心当たりがあるなら仁重殿の者たちに教
えてやりなさい。台輔が欲しがっていた品が比較的容易に入手できそうならす
ぐ買い求めて枕元に置けばいいし、そうやってあれこれ計らっていれば気も紛
れるだろう。――そう、台輔の臥室は今、花でいっぱいでね。一足早く春が来
たようだった。一日も早いお目覚めを願ってしたことらしいが、ああやって気
が紛れることをしているのはいいことだ」
「何しろこんな事件は前代未聞ですからねえ。でもまあ、きっとすぐ台輔はお
目覚めになりますよ。それに主上がお帰りになったら、今度は台輔の呪を解く
ための問い合わせの勅使を蓬山に送るんでしょう?」
「ああ、そのように奏上しようということになった。まあ、主上が光州で何か
情報を得て来られるか、多少遅くなっても帷湍が有益な情報をつかんでくれれ
ばいいのだが」
「大丈夫ですよ、大司寇」
 そんな話をしながら外殿への道をたどる。途中で執務にからむ指示をして下
吏を大司寇府へ向かわせたあと、朱衡はひとりで外殿に向かった。内議を行な
う房室に入り、既に参集していた冢宰と他の六官に会釈する。次官以下は入れ
ていないから、ここにいるのはすべての事情を知る者だけだった。
「申し訳ありません。少々遅れましたか」
「いやいや、拙官どもが早く来すぎたようです」
 ひとしきり雑談を交わしてから、本題に入る。
「して、大司寇。仁重殿の女官たちの反応は」

371永遠の行方「王と麒麟(41)」:2010/10/24(日) 21:22:31
 冢宰白沢の問いに朱衡は答えた。
「うまく話を作って焚きつけることはできました。主上を救ったご褒美に、台
輔がもっとも望んでおられたことを奏上してかなえていただいてはどうかと。
気散じにもなることだからでしょう、女官たちも飛びつきましてね、この際だ
から台輔のお望みをすべてかなえていただこうと言い出しました。とはいえ残
念ながら、今のところ心当たりはないようですが、これまで台輔がどんな望み
をお持ちだったか、細かいことまで思い出そうと努めてはくれるはずです」
「大司寇のご提案を不審がられはしませんでしたか?」
「大丈夫です。上司である太宰や大宗伯ではなく拙官から雑談として話したこ
ともありますし、むしろ女官たちを気遣ったがためと受けとめられていると思
います。拙官も、他の者にも台輔のお望みの心当たりがないか聞いてみると約
しましたが、女官たちも他の者に聞いて回ることでしょう。我々ではなく彼女
らが主のために働きかけるぶんには怪しまれることはないかと。また仮に台輔
のお望みがわかっても女官の手に負えない内容なら、太宰なり拙官なりに相談
してくるでしょう。いずれにしろ彼女たちは話を聞いてもらいたがっているの
で、折に触れて台輔の見舞いに参上し、気軽な雑談として水を向ければいくら
でも話してくれるはずです」
「なるほど。ご苦労でした、大司寇」
 白沢はうなずき、他の者も難しい表情ながら視線を交わしてうなずきあった。
ついで大司空から、六太にかけられた呪の解除に関する調査状況が報告された
ものの、内容ははかばかしくなかった。
「もちろん台輔の第一のお望みを解呪の条件にしたという暁紅の言葉が真実で
ある保障はないため、冬官たちにはとにかく、予断を捨ててあの呪を解くため
の方法を調べるようにと命じてあります。ただ、何かの条件を設定したことは
まず間違いないでしょうな。呪言を刻まずに行使するこの種の呪は通常、一定
の条件を課して、それが達成されたときに解けるとするのが普通です。なぜな
ら術者だけが解くことができるようにした場合は肝心の術者に何事かあれば同
時に術も解けかねない上、どの方面にも堅固な守りの壁を巡らすというのは難
しく、絶対に解けない鉄壁の術をかけることはまず不可能だからです。むしろ
意図しない時点で解けるような不安定な状態になりやすい。しかしあえて弱点
を一ヶ所設け、それ以外は堅固、弱点のみもろい、というのは術者にとって設
定しやすく、弱点以外を突かれた場合の防御もしやすいのです」

372永遠の行方「王と麒麟(42)」:2010/10/25(月) 19:05:21
「ふむ。まあ、理屈はわかるような気もするな」考え込んだ大司馬が、あごを
なでながら言った。「ならば暁紅は確かに何らかの条件を設定したことだろう。
だが弱点なのだから、内容の選定にはかなり神経を遣ったはずだ」
「おそらくは。そして暁紅はなぜか、台輔のお望みが絶対に成就不可能だと
思っていた。これは台輔ご自身もそうだったようですが、したがってそのお望
みを解呪条件にしたというのはかなり信憑性が高いと考えられます。
 しかしながらこの手のものは、以前主上にもうちの冬官がご説明したとおり、
実現可能かつ具体的な未来の事象でなければなりません。つまり暁紅の意図や
台輔ご自身のお考えがどうであれ、客観的に見れば可能性がまったくない事柄
ではないはずなのです。さらに具体的ということは、仮に台輔のお望みが『今
年は豊作になること』だったとして、条件としては、雁全体の特定の作物の特
定の期間における収穫量が特定の量を超えたら、とでもすることになるでしょ
うか。したがって台輔のお望みが多少あやふやだったとしても、解呪条件には
具体的な何かの状態を指定したはずだとなります」
 一同は、うーん、と唸った。
「それはそれで厄介ですね。台輔のお望みの内容次第とはいえ、暁紅が実際に
どんな条件を設定したかとなると……」
 朱衡が眉間にしわを寄せてつぶやいたが、大司空は穏やかに笑った。
「暁紅の言葉が真実であるなら、台輔の最大のお望みとやらがわかれば推測は
可能でしょう。見当さえつけば、ありえそうな事柄を片っ端から試せばいいの
です」
「確かに手がかりがないよりは随分とましだな。暁紅としては『主上の鼻に墨
がついたら』のように、まったく推測不可能な条件を設定することもできたの
だから」
「それもそうだ」
 彼らは厳しい表情ながらも大きくうなずいた。見通しは決して明るくないが、
今はとにかく調査に手を尽くし、王の帰城と新たな下命を待つしかない。

373永遠の行方「王と麒麟(43)」:2010/10/25(月) 19:08:08
「いずれにせよ、仮にその条件をなかなか突き止められなかったとしても、他
に解く方法がないとは限りませんね。もともと暁紅は素人だったのですから、
彼女の意図に反して、実は術が不完全で不安定である可能性もあるのではない
でしょうか。主上のときとは違って、台輔は身じろぎなさったり、たまにぼん
やりと目を開けたりもなさいます。仁重殿の者たちは、それが術が不完全であ
るがゆえではと望みを託しているようです」
 朱衡がそう言うと、他の者も「なるほど」と同意した。
「いかがですか、大司空」
 問われた大司空はしばらく考えてからこう答えた。
「ふむ。そう――不完全かどうかはともかく、解決の糸口にはなるかもしれま
せんな。台輔のお望みがかなうことを解呪の条件にしたのであれば、単純な事
象の発生というだけでなく、台輔のお心がそれと認識することも必要と思われ
ますから」
「えっ、台輔ご自身が、ですか?」
「そうです。例の大学生の証言によれば、暁紅は呪言らしき意味不明の文言を
唱えたあと、何度か台輔に『諾』と答えさせたとのこと。おそらく台輔に呪を
受け入れさせて精神を縛るためでしょう。それにより形式としては強制ではな
く被術者の側が受け入れたことになるのが重要で、『特定の条件が満たされな
ければ起きたくない』という心理状態を人為的に作り出したとも言えます。逆
に言えば、特定の条件が満たされたかどうか知るための部分は起きていなけれ
ばならない。つまり確かに現在、台輔の意識はないのだが、無意識の一部とも
言うべき心の一部分は起きていて、そこが条件が満たされたと認めれば、台輔
の目が覚めるということではないかと思われます」
 他の者はざわめき、顔を見合わせた。
「では……台輔は完全には眠ってはおられないと?」
「いやいや、そういうことではありません」大司空は苦笑して、思わず身を乗
り出した面々を制した。「台輔の意識は確かに深い眠りに閉ざされています。
角のあるはずの額に触れても何の反応もなく、目の近くに火をかざしたり指で
突こうとしてもいっさい反応をお見せではない。起きているのは――そう、い
わば池に垂れた釣り糸のようなもので、釣竿を持つ台輔ご自身は眠っておられ
る。もしくは眠りの草原で伏しておられる台輔の長い御髪(おぐし)の先が、
現実の世界との窓口である池に浸されていると考えてもいいかもしれませんな。

374永遠の行方「王と麒麟(44)」:2010/10/25(月) 19:10:42
御髪には感覚も意識もないが、台輔のお体の一部ではある。そして興味を引か
れた魚が御髪の先に食いつく、すなわち解呪条件が成立すれば、引っ張られた
感触で台輔は『望みどおり魚がかかった』と認識して眠りから覚めることにな
るでしょう」
 面々は困惑し、「わかったような、わからないような……」とつぶやいた。
「しかし……そうすると、むしろ暁紅が設定した条件を解除するだけでは不十
分で、状況としてはより厳しいということでは?」
 白沢の問いに、だが大司空は首を振った。
「魚が食いつかずとも、御髪が池に垂れて何事かを待ち受けていることにはな
るわけですからな。意識そのものはないとはいえ、かすかに身じろいだり目を
開けたりなさるのがその証拠です。ということは暁紅が設定した条件の成立を
待たずとも、もしかしたら台輔は何かをお感じになってお目覚めになるかもし
れない。魚が食いつくという厳密な条件ではなくとも、たとえば池にさざなみ
が立つとか、流れてきた小枝がからまるなどして御髪が揺れればお気づきにな
るかもしれない。成立した解呪条件が完全に外部の事象の場合、それは言うな
れば直接台輔のお体に手をかけ、揺り動かして強制的にお目覚めいただくよう
なもの。主上の場合がこれに当たります。しかし望みがかなうという、ご本人
の心持ちが鍵となる場合、もともと台輔はそれを待ち受けておられる状態なの
ですから、当初想定していたよりは明るい希望が持てると言えます。ただし先
ほど例に挙げた豊作の場合、実際に豊作になることはもちろん、それを台輔が
お知りになることも必要にはなるでしょうな。近習が台輔のお世話をしながら
『今年は豊作だって』と世間話をする程度でいいのですが」
「なるほど……」
 ようやく納得した官らはうなずいた。いずれにしても難しい状況であること
は変わらなかった。
 ふと大司馬がこんなことを尋ねた。
「この種の呪については冬官もあまり詳しくはないと聞いたが、実験はできな
いのかな?」

375永遠の行方「王と麒麟(45)」:2010/10/25(月) 19:13:24
「実験? と言いますと?」
「冬官同士で、念のため安全で確実に解ける条件を設定した昏睡の呪をかける
のだ。その上で他のやり方でも目覚めさせることができないかどうか――」
「それはできません、そもそも人に有害な呪の行使は禁じられています」
「しかし非常時だぞ」
「拙官はそのような無謀な命を出すつもりはありません」大司空はきっぱりと
答えた。
「無謀? 単に眠らせるだけの術が?」
 大司馬はぽかんとしたが、大司空は重々しくうなずいた。
「相手の心身に直接働きかけて害をなす術というのは、どれも要は呪詛です。
呪詛を行なえば当人もただではすみません。光州に施した術で弱っていたとは
いえ、台輔に呪をかけて絶命した暁紅を見ればわかるでしょう。神獣麒麟に仕
掛けた術ということで、彼女の場合は通常よりはるかに大きな負荷がかかった
可能性はあります。また神である王や麒麟、あるいは蓬山に仕えておられる女
仙がたが術を行使した場合は事情は異なるかもしれません。が、どちらにして
も地仙でしかない一介の技官には荷が重過ぎます。もちろん勅命とあらば冬官
府は謹んで拝し奉りますが、主上は逆にお許しにならないでしょう。あれで主
上は、雁の民ひとりひとりをご自分の血肉と思っておられるかたですから」
「うむ……そうか」
 大司馬は唸ったが、ただの思いつきだったのだろう、それ以上強行に主張し
ようとはしなかった。
 ひととおりの報告が終わったあと、彼らは王の帰城に関する日程の確認をし
た。近日中に光州城を出て帰途に着く予定ではあったが、往路と違って通常の
行幸のように下界をゆっくり戻ってくることになっていたため、それなりに日
数のかかるのが気を揉むところだった。
 王が光州で手がかりを得ていれば良いのだが、今のところ見通しがついたと
いうような報せは来ていない。それでも彼らは、主君さえ戻ってくれば何とか
なるような気がした。

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次の投下まで、しばらく間が開きます。

376六太の悩み(1/5):2010/12/25(土) 11:38:33
まだ次の投下までしばらくかかりそう。
というわけで少々早いですが、年末のご挨拶がてら、
つなぎで手持ちの尚六ラブラブネタを落としていきます。

もっとも尚隆は登場せず、朱衡と六太が話してるだけの内容。
雰囲気としてはコメディ寄りのほのぼのという感じ。
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 その日、大司寇府から自分の官邸に戻った朱衡は、思いがけず六太の訪問を
受けた。退庁後にわざわざやってくること自体滅多にないというのに、何やら
人目をはばかるふうで妙にそわそわしている。
「よう。元気?」
 へらへらと挨拶をしてきたが、その何気なさが逆に怪しかった。朱衡は平静
を装いながら、もしや何かいたずらでもたくらんでいるのだろうかと気を引き
締めた。
 この麒麟が、主である王と恋仲になって数ヶ月。しばらくは官が砂を吐くほ
ど甘い新婚ごっこを楽しんでいたようだが、そろそろ飽きて他の遊びを見つけ
ようとしているのかもしれない。むろん六太のたくらみなど可愛いものだが、
裏で尚隆が糸を引いている場合はそれなりに用心が必要だ。
 しかしどうもそういうことではないらしい。はっきりとは言わないまでも、
六太にはめずらしく相談があるようだった。
 朱衡はとりあえず茶と菓子でもてなし、気を利かせて下吏と奄を下がらせた。
ふたりきりになっても六太は迷うふうでなかなか用件を切り出さなかった。
 それでも他愛のない雑談で場の空気をほぐしながら待っていると。
「あの、さ」
「はい」
「その。ちょっと聞いてもいいかな」
 声こそ明るいものの表情はどこか硬い。何より妙に目が真剣だ。滅多にない
様子だけに、さすがに朱衡は少し心配になった。
「拙官にわかることでしたら、いくらでもどうぞ」
「う、うん」
 六太は茶杯を両手で持ったまま、数瞬だけ迷うように目を泳がせて沈黙した。
朱衡は安心させるように微笑を浮かべ、彼が話し出すのを待った。

377六太の悩み(2/5):2010/12/25(土) 11:42:35
「正直に言ってくれ。尚隆って『変態』だと思うか?」
「はい?」
 予想外の下問に朱衡は固まった。しかし六太は真剣な表情で、とてもからか
うふうではない。
 いったん言葉に出してしまったことで決心がついただろう、朱衡が固まって
いる間に、六太は堰を切ったように話し始めた。
「だ、だってさ。初めのうちはそうでもなかったのに、最近はあいつ、閨で変
なことたくさんするんだ。いっつも俺の全身をくまなくなでてしつこくなめま
わすんだ。俺のをしゃぶったり、足の指までしゃぶるようになめるときもある
んだ。これって変じゃないか? 普通はそんなことしないんじゃ? やっぱり
尚隆って変態?」
 羞恥で耳まで真っ赤になりながらも、座っていた椅子から腰を浮かせて大卓
に身を乗り出し、思い詰めた表情で訴える。めまいを覚えた朱衡は、いったい
何と答えたらいいのか頭を抱えた。それを尻目に六太は「俺、俺、あいつにな
められてないとこ、ない……」と言ってうなだれた。
 六太としては確かに真剣なのだろう。しかし主君の秘め事をここまで赤裸々
に聞く羽目になると思っていなかった朱衡のほうは大混乱である。
 実年齢は自分と大差ないとはいえ、六太の見た目は年端もいかぬ少年だし、
やんちゃで出奔好きでいろいろ困らせられてきたことはさておき、仮にも聖な
る神獣だ。唯一無二の主と相愛になるまで、接吻だってしたことがあるかどう
か怪しいもの。そんなうぶな彼にしてみたら、経験豊富な尚隆の愛撫は確かに
常軌を逸していると思えるかもしれない。
 すがるように自分を見つめる、らしくない六太に、朱衡は覚悟を決めた。深
く考えるから恥ずかしくなるのだ。学問の話をしているときのように、冷静か
つ客観的に淡々と話せばいい。
「台輔。最初に申し上げておきますが、閨房で何をするかというのは好みの問
題でしかないのです。したがって非常に個人差が大きいことはご承知おきくだ
さいませ。さらに他人に大っぴらに話すことではないため、何が一般的で何が
そうでないのかは誰にもわかりません。大事なのは合意の上であること、お互
いが満足すること、それによって愛情を確認できること。それさえ満たしてい
れば、何をしようとまったく問題にはならないのですよ」

378六太の悩み(3/5):2010/12/25(土) 11:49:55
 だが六太は納得できないような顔をしている。
「でも、朱衡も尚隆みたいなことしてるわけじゃないよな?」
 う、と詰まった朱衡だが、さりげなく深呼吸をして何とか平静を保った。
「拙官はその方面には淡泊ですので、主上とは少々違うかもしれません。しか
しそれでも主上がそうなさりたいお気持ちは理解できます。おそらく男なら誰
でも、多かれ少なかれ愛人に対してそうしたい欲求があるのではないでしょう
か」
「俺、男だけどわかんねー」
「それは」内心で必死に自分を励ます朱衡。「お立場と言いますか――その、
閨での役割の違いのせいかと」
「でも」
「主上は『変態』ではありません。それははっきり申し上げられます。ご安堵
なさいませ」
 力強く断言してみせると、六太は自信なげに「そう――なのかな……」とつ
ぶやいた。
「主上はたいそう情熱的に台輔を可愛がっておられるだけですよ」
「でも、あいつ……」
「はい?」
「俺のことを好きだって言ってくれるけど、閨ではいつも変なことを言わせた
がるんだ。その――俺のをこすってくれて、でももうちょっとってとこでわざ
とやめてじらして、にやにやしながらどうしてほしいか聞いてきたり。恥ずか
しいことを口にするまで続きをしてくれないんだ。仰向けになったり四つんば
いになったり、頻繁に体勢も変えさせられるし、おまけに入れてる最中に、ど
んな気持ちか聞いてくるんだ。俺、どうしたらいい?」
 なぜ自分が麒麟の恋愛指南をしなければならないのだろう。ふたたび頭を抱
える朱衡だった。どうして身近な女官などに相談しないのだろう。六太の近習
なら、普段から王とのあれこれを詳細に把握しているだろうに。
 それでも六太が本気で悩んでいるのはわかったので、朱衡は何とか実のある
助言をしようとした。
「おそらく主上は、台輔が恥ずかしがるご様子をたいそう愛しくおぼしめしな
のでしょう。だからわざとそういった言動をなさるのです」

379六太の悩み(4/5):2010/12/25(土) 11:54:26
「そ、そうなのか?」六太はびっくりした顔になった。
「おそらく他の誰も知らない台輔の艶めいたご様子を、ご自分だけが目になさ
るという事実に喜んでおられるのでしょうね。台輔が乱れるのは主上のお相手
をなさるときだけ。それを確認したくて、わざと意地悪にも思えることをなさ
るのですよ」
 六太は考えこんだ。
「そう言われると、確かにそんな気もする……」
「一般的にも、これは妻のことではありますが、昼は淑女、夜は娼婦というの
が男の理想とも言われます。男というものは愛人が自分だけに痴態を見せるこ
とにたいそう悦びを覚えるのです。それは男心をそそると同時に、自分の技巧
が愛人に喜ばれていることの証左でもありますから、その両方の理由で満足を
覚えるのです」
「……へえー……」
 六太は目を丸くしたまま、感心したようにつぶやいた。まだ思い詰めた表情
は残っているものの、滅多に見せない尊敬のまなざしさえ朱衡に向けている。
「そっかぁ。朱衡ってやっぱ、いろんなことを知ってるんだな」
「お褒めいただきまして光栄です」
「えーと。じゃあ俺、どうしたらいいと思う?」
 ここに至ってもそれを聞くのかとめげつつ、朱衡は誠実に応対した。
「確認なのですが、主上がなさることで台輔が本当に嫌だと思っておられるこ
とはございませんね? あくまで恥ずかしいからどうしたらいいのかわからな
い、そういうことでございますね?」
 六太はふたたび顔を赤くしてうつむいたが、それでもかすかにうなずいた。
「それでしたら、主上が台輔をじらそうとなさったら思い切り甘えてさしあげ
なさいませ。そして恥じらいながらも大胆に続きをせがんでごらんなさいま
せ」
「う、うん。あとは?」

380六太の悩み(5/E):2010/12/25(土) 11:57:34
「主上はご自分の愛撫で台輔が乱れるさまをごらんになりたいのですから、気
持ちよいと感じたら素直に快楽に身をお任せなさいませ。普段なら恥ずかしく
て口にできないこと、やれないことも、それを知るのは主上おひとりですから、
いくらでも言ったりやったりなさいませ。それらもすべて愛の行為なのです。
そしてもしお嫌でなかったら、たまに主上にも同じようなことをして差し上げ
ると主上はお喜びになると存じます」
「俺が、あいつのすることと同じことを――」
 閨でのあれこれを具体的に思い出しているのだろう、いっそう顔を赤くした
六太だったが、それでも何とかうなずいた。そして朱衡が「頼むからこれ以上
聞かないでくれ」と内心で願いつつ返答を待っていると、六太はようやく納得
した顔になった。
「ありがと、助かった」照れた笑みを向けて礼を言う。「変なこと聞いてごめ
んな。俺、こんなこと初めてで何かと判断がつかなくて……。でも内容が内容
だから滅多な相手には相談できなかったんだ。尚隆にも悪いし。でも朱衡なら
昔から俺らのこと知ってるし、忌憚のないところを言ってくれると思って」
 どうやら彼なりに考えてのことだったらしい。自国の麒麟に頼りにされるこ
と自体は純粋に喜ばしいことではあるし、朱衡は素直に六太の感謝を受け取っ
ておいた。それでも彼がほっとした様子で帰っていくと、不意に疲労を覚えて
椅子に座り込んだのだった。

 翌日、六太が大司寇府の執務室に顔を出した。室内を見回して余人がいない
ことを確かめた彼は、昨日のような照れた笑みを見せて朱衡に駆け寄った。
「昨日はありがとな。朱衡の言うとおりにしたら尚隆はすごく喜んでくれた
よ」
 嬉しそうに報告してくる。こんなときばかり律儀にならずとも――と再々度
頭を抱えた朱衡は、何も言わず曖昧にうなずくだけにとどめておいた。
「不思議なんだけど、そうしたら俺もいつもよりずっと良かったんだ。尚隆も
何回もしてくれて、途中で俺があいつのをこすってやったらめちゃくちゃ喜ん
でさ。もう激しくって、今朝方まで寝かせてもらえなかった」
 もはや既にのろけでしかない。
 ひとしきり報告すると六太は「俺、あいつが変態でも別にいいや」と開き
直ったように言い、意気揚々と引きあげていった。残された朱衡は言葉もなく、
ふたたび疲労を覚えて溜息とともに座り込むしかなかった。

381名無しさん:2011/04/20(水) 21:19:22
姐さんの安否が心配…震災からかれこれ一ヶ月以上経ったけど、何事も無ければ良いが

3821:2011/04/23(土) 10:14:39
こちらは大丈夫ですので、ご安心ください。
長らく中断してしまっているのは、書くのが難しい章であるのが大きな理由です。

まだ次の投下の見通しが立たないのですが、
せっかくなので書き逃げスレに尚六の掌編を置いていきますね。

383永遠の行方「王と麒麟(46)」:2011/05/14(土) 23:06:24

 延王尚隆が宮城に戻ってきたとき、既に三月も半ばを過ぎていた。首都関弓
はまだ雪に埋もれていたが、慶国と接する南部の地域なら穏やかな春の息吹を
感じられる頃だ。往路と異なり、経路となった街々にたっぷりと壮麗な行列を
見せて華やぎを与え、人々をお祭気分にさせて彼らに一時の享楽をもたらした
末の還御だった。
 玄英宮ではさっそく朝議が招集され、まずは行幸につきしたがった官から光
州での出来事が報告された。
 二月は例の病は発生せず、謀反に連なると思われる不穏な動きも認められな
かった。そのため残党もおらず一連の事件は終わりを告げたというのが大方の
見方だった。これ自体は明るい報せではあるものの、六太にかけられた呪に関
する手がかりはなかった。いや、術そのものについては既知の呪であったため
詳細までわかっているが、だからと言って簡単に解けるかと言えばそうでない
ことは周知のとおり。
 ついで宮城で留守を預かっていた高官らが、これまでにわかった事柄を相次
いで奏上した。暁紅の邸を捜索した結果や、蓬山に遣わした勅使の持ち帰った
返答、王が不在の間の朝議や内議で検討されたり報告された内容、等々である。
 もちろん六太にかけられた術に解除条件が設定されたことは伏せられていた
ため、それに関係する表現は注意深く取り除かれていた。いずれにしても膨大
な量ではあり、それでいて報告の中にこれといった決め手はなく、現状のとこ
ろ打つ手がないのは認めざるを得ない。何しろ六太は、弱点である角のある額
に触れられてさえまったく反応しないのだ。
 黄医からはさらに詳細な報告がなされたが、やはり現段階で打つ手がないこ
とを再確認しただけに終わった。ただし幸いなことに、昏々と眠り続けている
とはいえ健康上の問題はないし、しかも碧霞玄君から数十年程度飲まず食わず
でいたくらいではなんら差し障りはないとの返答も得ている。それが長年この
王と麒麟に仕えてきた官らの胸中を晴らすことにはならないまでも、何らかの
期限に迫られているわけではないことは大きな救いだった。

384永遠の行方「王と麒麟(47)」:2011/05/18(水) 19:53:22
 そもそも王が失道したわけでもなく、いやしくも天意を享けた王朝なのだ、
このまま謀反人の思惑どおりに終わっていいはずがない。
 長い朝議を終えた尚隆は滞っていた通常の政務をこなし、夕刻近くになって
から内議に冢宰と六官を招集した。高官らは仁重殿の女官を中心に行なってい
るさりげない聴取の成果を始め、これまでの試行錯誤の詳細を事細かに告げた。
尚隆は黙ってそれらに耳を傾けていたが、いったん報告の区切りがついたとこ
ろで冢宰が尋ねた。
「ところで主上。景王からの親書の内容はいかがでしたか」
「六太宛に来たというあれか。非常時ゆえ、開封してはみたが」
「して、内容は」
 すると尚隆は困ったような笑みを浮かべた。
「よくわからん」
「……は?」
「蓬莱の文字で書かれていたからな。それも俺が向こうにいた頃と、かなり変
わったようだ。あるいは陽子が使っているくらいだから女文字のたぐいかも知
れぬ。それでも『陽子』という文末の署名は読めたし、おぼろに意味をつかめ
ぬでもないが、果たして解釈が合っているかどうか。最近の蓬莱文字に詳しい
者に読み解いてもらう必要がある」
「詳しい者とおおせられましても……」
 これまで蓬莱関係については六太に任せておけば良かったので、向こうの文
字を尚隆より読みこなせる者などそうはいない。
「禁軍にいたろう。軍吏に取り立ててやった海客の男が」
「なるほど。確かにおりますな」引き取ったのは大司馬である。「その者は国
府におりますから、宮城に配置換えした上で、親書を渡して翻訳させましょう。
流されてきて数十年経っておりますが、それくらいなら蓬莱文字もそう変化は
しておらぬでしょう」
「しかし宮城内でさえ、不用意に話が漏れないよういろいろ気をつけていると
いうのに、海客などに関わらせるのはいかがなものかと思われますが」

385永遠の行方「王と麒麟(48)」:2011/05/18(水) 21:00:47
 大宗伯が眉をひそめて言う。大司馬とて、これまで海客に良い印象を抱いて
いるとは思えない男だったので、彼が王の提案にすんなり同調したのも他の官
には意外だった。だが、
「海客は軟弱な上に上位の者に対する当たり前の礼儀や敬意を持ち合わせぬ不
遜な輩が多い。そんな者に任せられぬのは道理だが、海客にもきちんとした者
はいる。特に件の軍吏は蓬莱でも軍にいたことから、雁と王朝に対する敬意を
きちんとわきまえており、真面目で口も堅いことがわかっている。拙官も何度
か実際に話をしており、信頼にたる男だと思う」
 大司馬にそう説明され、大宗伯は他の官とうなずきあいながら「そういうこ
となら」と同意した。
「今回の事件を景王にお知らせしたほうが良いのでしょうか?」
 朱衡が尚隆の意を尋ね、他の者も主君の顔を見た。むろん普通ならば他国に
知られることは避けたい。しかしもし返信を要する書簡だった場合、放置すれ
ば逆に疑念を抱かれかねない。卑しくも王である以上、大っぴらに騒ぐことは
なかろうし、むしろ何らかのもめごとを察して気遣いを示してくれるとしても、
事情を知らぬ者によって他国の宮城で話が広まる事態は避けたかった。
 尚隆は事も無げに肩をすくめた。
「まあ、陽子と――景麒には経緯を知らせてやったほうが良かろうな」
「しかし、主上。このような事態を安易に漏らすわけには」
「六太とはひんぱんにやりとりをしていたようだから、音沙汰がなければ陽子
も心配するだろう。それに慶もまだ安定には程遠いが、もう少し歳を取ってこ
なれればともかく、陽子のことだから不審に思えば早々に鸞でも送ってこよう。
書簡の封蝋が玉璽ではなく陽子の私印であったこと、署名が『陽子』のみだっ
たことを考えると、あくまで私的で気楽なやりとりとしか思えぬから、むしろ
話が漏れぬうちに言い含めたほうが安全だ」
「それはそうですが」
「六太と親しかった者を順次聴取して、あれの望みが何であるかをつきとめる
という作業もある。帷湍は他の麒麟にも尋ねたほうがよいと言っていたが、雁
が後援している陽子や景麒なら行き来しても不思議には思われぬ」

386名無しさん:2011/05/19(木) 11:51:28
更新キテタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)人(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━!!!!

387永遠の行方「王と麒麟(49)」:2011/05/21(土) 00:16:37
「そういうことでしたら、台輔と日常的に書簡をやりとりしておられた景王な
ら、確かに一番適当ではありますな……」
「解決の糸口が見えぬ以上、早め早めに手を打つに越したことはない。むろん
海客に親書を読み解かせてからになるが――陽子には開封を詫びねばならぬ―
―小さな紙片に記された短い文面だ、すぐに翻訳できるだろう」
 一同は考えこんだ。蓬山には勅使が「この呪の解法に心当たりがあればご連
絡を」とも伝えてあり、本日の朝議でもいずれ時期を見て再度勅使を立てるこ
とになった。それとは別に、他国の麒麟に尋ねてみるというのも確かに良い手
であると思われた。
「手段を尽くすという意味では、別の手立てもありますな」
 ふと大司馬が言った。他の者が注視すると、彼はしれっとこう続けた。
「冬官府で実験は可能ですからな。安全で確実に解ける条件を設定した上で昏
睡の呪をかけ、他のやり方でも目覚めさせることができないか試せばよい」
「それは……」
 大司空は口ごもった。それは王が不在時の内議で出た素人の思いつきに過ぎ
ず、しかもあの場で大司馬がすぐ引っ込めた案のため奏上には含まれてはいな
かった。そのため主君の前で持ち出されるとは思わず、不意打ちを食らった形
だった。
「いかがでしょう、主上」
「ふむ。危険がないなら、やっても損はあるまい」
 あっさりと応じた主君に、大司空はうろたえた。だが他の官からも異を唱え
る声は出ず、大司空が何を言うよりも早く、大司馬は「ところで朝議にて仁重
殿の女官から出された奏上ですが」と話を変えて彼の言葉を封じた。

 その日の夜になってから大司空は長楽殿に伺候した。大司馬の提案が危険な
ものであることは王に説明しなければならなかったが、このまま六太の昏睡が
続けば、いずれは実験せねばならぬかもしれないと覚悟は決めていた。
 夕餉を摂っていた主君の元に招き入れられた大司空が、懸念もあらわに食事
の邪魔を詫びると、尚隆は彼が何も言わずとも人払いをして女官たちを下がら
せた。

388永遠の行方「王と麒麟(50)」:2011/05/21(土) 00:18:39
「主上。内議でおおせられた実験についてですが、お伝えしておかねばならな
いことがあります」
「言ってみろ」
 大司空は主君の不在時における内々のやりとりを繰り返し、危険な術である
こと、それでいておそらく得るものは何もないだろうことを説明した。
 尚隆は静かに聞いていたが、やがて「それでも呪を解く可能性を見つけられ
ぬわけではないということだな」と念を押した。
「御意」
「そして素人ゆえの安易な思いつきということは、別の誰かが考えついても不
思議のない案ということでもある。実際、既に同じことを思いついた者もいる
だろう」
「はあ」
「ということは、呪を解けるかもしれない可能性があるのに試さないなら、冬
官府に有形無形の非難が集まりかねないということだ。何より使命感に燃えた
冬官自身がこっそり試しかねない。梁興に仕えていた冬官助手のように、動機
さえあれば危険を冒す者はいくらでもいよう。それが雁のためとなればなおさ
らだ」
 大司空はしばらく考えたのち、ためらいながらも「そうかもしれません」と
応えた。尚隆は彼をじっと見つめてから溜息をついた。
「この際はっきり言っておくが、いまだ呪の有効な解法がない以上、長丁場に
なることは覚悟せねばならんぞ」
「主上」
「その間、官府の間で責任のなすりあいが起きるのを極力防がねばならん。こ
れは不信が噴出してからでは遅い。いったん生じた不満は容易には収まらぬも
のだし、しぶしぶ試したあげく有用な結果を得られなかったとなると、その失
望感も上乗せされてしまう。逆に早めに手立てを講じて『こういう方法を試し
たがだめだった』と明らかにしておけば、できるかぎりのことをしていると他
の者は納得するし、無駄な作業に心を残さず、別の有用かもしれない手段に意
識を移しやすくなる。むろん実験で思いがけず解法がわかればもうけものだ
が」

389永遠の行方「王と麒麟(51)」:2011/05/21(土) 00:20:41
 不意に大司空は悟った。先の内議において主君は、既にそのことを考えて許
可を下したに相違ないのだ。さらにはこうして大司空がやってくることも予想
していたろう。
「では……」
「術者に極力危険のないように、そして冬官自身を含めた諸官が、冬官府が手
を尽くしていると納得できるように計らっておくことだ。大司馬はある種単純
な男で、今回のことも悪意があるわけではない。そして彼の提案が多少の危険
を伴うとしても、しこりを残してまで強硬に抵抗する性質のものでもなかろう。
ただでさえ光州の心証が悪くなっているところへ、内朝六官の中でさえ感情の
行き違いが起きるのは避けたい。平時ならささいなことであっても、非常時に
はゆがみが大きくなる」
 大司空はいったん考えこみ、しばらくしてから口を開いた。
「そうしますと……むしろ冬官の中から自発的に出た案という形にしたほうが
いいですな。実際に考えつくかぎりの案を部下に出させ、すべて試してみるこ
とにしましょう。それなら外部からの圧力に因ったことにはならないため外聞
もいいし、内部の者の不満もたまりません。大司馬が提案した以上のことを行
うことで、彼への牽制にもなります」
「任せる」
 尚隆はそう言ってから、ふと何かを探すように一瞬視線を傍らにさまよわせ
た。そうしてからにやりとする。
「くれぐれも気をつけることだ。実験で術者にもしものことがあれば、六太が
目覚めたあと、あれに罵倒されるのは俺なのだからな」
 大司空は緊張の残る表情に何とか微笑を浮かべて応え、主君のもとを退出し
た。

 翌日、尚隆は昼餉を済ませてから仁重殿を訪れた。彼は前日の朝議で、女官
らが文書による奏上で求めた六太への褒美を認め、目録を提出するように指示
していた。そして仁重殿を訪れてから、直接女官らをねぎらった。それから六
太が眠っている臥室に赴き、ずっと詰めている黄医に容態を確認したが、依然
変化なしとの答えだった。

390永遠の行方「王と麒麟(52)」:2011/05/21(土) 00:23:04
「下界においても、頭を打つなどして長期の昏睡に陥る者はおります。むろん
只人の場合は数日のうちに意識が戻らねば生命に関わるわけですが、症状の程
度はさまざまで、石のように動かない者がいる反面、外部からの刺激に反応こ
そしないものの、目を開けるなどの自立的な動きを見せる者もおります」
 黄医はそう言って、さまざまな症例の中に六太を目覚めさせる手がかりがな
いか調べさせていると告げた。
「ところで六太は、身じろいだりぼんやりと目を開けたりすることもあるわけ
だが、たとえば粥のようなものを食べさせることはできぬのか?」
 尚隆の問いに黄医は驚いた顔で首を振った。
「それは……試してはおりません。市井の者が昏睡に陥ったときは、何とか水
分を取らせるために唇を湿らせたりもするようですが、ご承知のようにもとも
と神仙は飲食をせずとも簡単には死なない存在です。特に麒麟は角を通じて天
地の気脈から力を得られます。碧霞玄君のお墨付きもありますし……」
「だが飢えや乾きはつらいものだ。既にふた月近く経っていることだし、死な
ないからといっても肉体は悲鳴を上げているだろう」
 尚隆は牀榻の奥に足を踏み入れた。帳は巻き上げられて、臥牀の様子がよく
見えるようになっている。女官らは今では朝は帳を開けて光を入れ、夜は帳を
おろすようにしていた。そうやってささやかながらも生活にめりはりをつけれ
ば、六太に良い作用があるように思えたからだ。
 尚隆は枕元に腰をおろすと、しばらく半身の様子を窺った。
「今はうっすらと目を開けているな」
「はい。一日のうち何度かこのように目をお開けになりますし、たまに身じろ
いだりもなさいます。しかしながら意識のないことは確かです」
「ふむ」
 尚隆は少し考えてから、六太の背に左腕を差しこんで上体を起こした。そう
してさらに考えたのち、水で湿らせた綿を女官に持ってこさせた。主君の意図
を察した黄医は「下手なことをすれば台輔を窒息させてしまいます」とあわて
たが、尚隆は六太の顎を支えて慎重に角度をつけた上で唇に綿を押しつけ、ほ
んのわずか喉に水滴をたらしてみた。

391永遠の行方「王と麒麟(53)」:2011/05/21(土) 00:25:27
 すると唇の端から水をしたたらせながらも、六太は反射のようにごくりと喉
を動かした。手元を覗きこんでいた黄医は感極まったように「おお」と声を上
げた。
「よし。飲めるようだな」
 尚隆は今度は果汁を満たした杯を持ってこさせた。先ほどよりしっかり六太
の上体を支えてから果汁を口に含み、右手で六太の顎をつかむと、口移しの要
領で少しずつ喉に果汁を流しこむ。すると顎を伝ってかなり臥牀にこぼれはし
たものの、六太はささやかな一杯を飲むことができた。
 尚隆は顔を輝かせている黄医にうなずきながら内心で、意識のあるときにこ
んな口づけまがいの真似をされたら、尚隆を殴りはしないまでも全身で抵抗す
るだろうなと、ほんの少しおもしろく思った。
「いくら神仙でも、断食が続けば意識が戻ったとき食物を摂ること自体が難し
くなる。目覚めたあとの回復を早めるためにも、少しでも摂取させておくに越
したことはない」
「確かに水や果汁を少しずつお飲ませすることはできましょうが……」
 黄医が安堵の中にも困ったような顔をしたので、尚隆は「なんだ」と尋ねた。
「畏れながら、拙官どもが尊き台輔に口移しをするわけにはまいりません」
「そうか」尚隆は苦笑した。「ならば俺が暇を見て見舞い、その都度飲ませる
ことにしよう。それ以外は先ほどのように湿らせた綿などで試せばよかろう。
むろん無理は禁物だが」
「かしこまりまして」
 綿や果汁を持ってきた女官たちは牀榻の外で成り行きを見守っていたが、今
は安堵のあまり泣きそうな顔をしていた。尚隆がそれへうなずくと、彼女らは
深々と拝礼した。

392永遠の行方「王と麒麟(54)」:2011/05/21(土) 00:27:34

 王が還御して数日も経つと、宮城は表面上は普段の装いを完全に取り戻した
ように見えた。今打てる手はすべて打ってしまったので、あとは良い結果の訪
れを待つしかなかったし、王が宮城にいる以上、政務の滞りもなかったからだ。
靖州侯の政務については令尹が代行している。首都州侯という麒麟の地位は名
目上のものに過ぎず、実務の大半はもともと令尹と州宰によって執り行われて
いただけに、これまた特に問題は起きていなかった。
 新たに深刻な事態が持ちあがることもなく、六太のことさえ意識から追い
払ってしまえば以前と同じように日々を送れてしまうことに、朱衡は複雑な思
いに駆られた。朝議の際も、ふと壇上の玉座の傍らに宰輔の姿を探してしまう。
日頃は何かと困らせられてきたとはいえ、六太の元気の良い声を聞けないのも、
威儀などどうでもよいとばかりにばたばたと宮城を走るさまを見られないのも、
正直なところ淋しかった。
 内殿の王の執務室に赴いた際も、つい主君の傍らに目を泳がせると、目ざと
く見つけた尚隆が「なんだ?」と問うた。
「いえ……」何となく気後れしながらも、朱衡は答えた。「何だか奇妙な感じ
がしまして」わずかに眉をひそめた尚隆に説明する。「主上も台輔も宮城にお
られる場合、台輔はよく主上とご一緒でしたから。しかしながら今は朝議の際
もお姿はなく、違和感と申しますか、どことなくおさまりが悪い気がします」
「そうか?」尚隆は意外そうに言った。「俺などは、いちいちうるさく口を出
されなくて静かでいいがな」
「はあ」
「まあ、そのうち気にならなくなるだろう。何にでも慣れるものだ」
 平然とした顔で書類をめくる主君に、朱衡は一抹の淋しさを覚えた。もちろ
ん王にあわてふためかれても困るのだが。
「……確かにそうだな」
 やがていくつかの書面を吟味し、朱衡に遠慮なく一部の書類を突き返した尚
隆がつぶやいた。朱衡が黙って首をかしげると、尚隆は困ったように「視界の
端でうろちょろする六太がいないと、静かすぎて調子が狂う」と答えた。

393書き手:2011/05/21(土) 00:30:39
次の投下まで、またしばらく間が開きますが、前回よりは短くて済むかと。
以下、予定や書き手の事情を知りたくないかたはスルーでお願いします。







前回かなり長く中断してしまったこともあって、見通しについて触れておきます。
全体の章立てはこうなっています。

 ・序
 ・予兆
 ・呪
 ・王と麒麟(尚六的「起」)← ★今ここ★
 ・絆(仮題。尚六的「承転」。基本はメロドラマ)
 ・終(エピローグ&尚六的「結」。たぶん短い)

そのため現在は、章立て的には折り返し点を過ぎたあたりとなります。

ただ、もともと「予兆」章と「呪」章はひとつの章だったのを
長すぎるため公開に当たって分けただけで、構想的にはふたつで一章。
(それでも予想以上に「呪」章が長くなってしまいましたが)
したがって実際の折り返し点は今の「王と麒麟」章の半ばとなり、
これまたそれなりに長くなる予定の章とあってまだ先の話です。
つまり完結まで、少なくとも今まで費やしたのと同じくらいのレス数を消費するかもしれず、
まあ、その……気長にお付き合いいただけると嬉しいです、という話だったりw

なお前回の長期中断は、実は入院&通院してた影響が大きく、
別に十二国記の二次創作への熱が醒めたということではないのでご安心を。
中断中も、ここに出していないだけで小品は書いていたし、
そうやって気分転換しつつ、要はマイペースでやってます。

ところで原作で進展があったとしても、残念ながら取り入れられないと思うので
その場合は完全にパラレルということになります。
実際、当作品の投下開始後に出たyomyomの短編の設定も入れていません。
無意識のうちに影響は受けているかもしれませんが。

もっとも現時点でこれだけ捏造過多だと、その手のものが苦手なかたは
既にご覧になっていないとは思いますが、いちおうご注意まで。

394aya:2011/05/21(土) 23:09:46
割と頻繁にこっそり覗きに来ています。
最近更新されてて嬉しいです^^
また楽しみにしてますv

395永遠の行方「王と麒麟(55)」:2011/06/04(土) 07:13:08

 空が暗くなったと思うと、にらんだとおりやがて雨が降りだした。鳴賢は筆
を置いて立ち上がった。玻璃の窓の傍らに立って流れ落ちる雨粒を眺めると、
途端に思考がさまよいだし、災難が六太を襲ってからどれくらい経ったのだろ
うかと考えた。まだ二ヶ月――いや、もう二ヶ月だと陰鬱な思いで認める。
 いまだに何の音沙汰もない。国府から何か言ってくることはないにしても、
意識さえ戻ったなら、六太のことだから顔を出してくれるに違いないのに。
 しばらくの間ぼんやりと外を眺めていた彼は、やがて書卓の上を照らすべく
燭台の灯りをつけ、ふたたび腰をおろして勉強を続けた。そうして固くなった
饅頭をちょっと口にしただけで夕餉も摂らずに熱心に書卓に向かっていると、
夜も遅くなってから扉をたたく音がした。
「文張か? 開いてるから勝手に入れよ」
 机にかじりついたまま声を張りあげる。だが室内にすべりこんだ気配が発し
た「俺だ」という声は別人のものだった。驚いた鳴賢は振り向くなり、「風
漢」と立ち上がっていた。風漢は片手で酒壷を掲げて見せながら、親しげな笑
顔で「元気か」と言った。
「どうして、ここへ」
 六太は「閹人(もんばん)と知り合いになってさ」「俺、楽俊の身内みたい
なもんだし」と言い訳してほいほいやってきていたが、大学寮は凌雲山の中に
ある。出入りの際は普通、閹人の誰何(すいか)を受けるはずだし、外部の者
は夜間、基本的に雉門を通れないはずだ。
 だが――そう、意外にも風漢は官吏だったのだと思い直す。六太は「小間使
い」などと表現していたが、同じ場所で働いているとも言っていた気がする。
ということは実際は宮城に仕える高官ではなかろうか。ならば下界からではな
く、雲海上からやってきたということか。鳴賢の房間の場所も、もともと知り
合いだったらしい楽俊に尋ねればすぐわかることだろう。
 相手は、一瞬の間にそんなことを考えた彼をよそに眉根を寄せた。
「少しやせたのではないか? ちゃんと食っているか?」

396永遠の行方「王と麒麟(56)」:2011/06/04(土) 12:35:55
「大丈夫だ」
 口ごもりながら言葉を返した鳴賢は、どんな態度を取るべきか迷った。相手
自身が身分を明かしたわけではないにしろ、官吏だとわかった以上、丁寧に応
対したほうがいいのだろうか。それに風漢の外見こそ鳴賢より年下だが、仙籍
に入っているなら、はるかに年長ということもありうる。
「あの。風漢、さん――」
 すると風漢は驚いた顔になり、ついで苦笑した。
「おまえに『さん』付けされるとは思わなかったぞ」
「だって、その。ええと、官吏なんだろう……?」
「俺が? 誰に聞いた?」
 反射的に「台輔に」と言おうとしてかろうじて思いとどまり、「六太に」と
答える。もしかしたら、実は六太の正体を知らないかもしれない。何よりいく
ら宮城に勤めていても今回の事件の詳細を知らされているとは限らず、不用意
なことは言えないと遅まきながら気がついた。
「いつだったか、六太があんたと一緒に府第みたいなところで働いているって
言ってたんだ」
「そうか」
 風漢はうなずくと、しまいこまれていた床机を引き出して座り、卓子の上に
酒壷と懐から出した包みを載せた。包みの中は手づかみで食べられる軽食のた
ぐいだった。
「差し入れだ。最近、顔を見なかったから、どうしているかと思ってな」
 鳴賢は物入れから杯をふたつ取り出すと卓子に置き、向かいに座った。とり
あえず相手の出方を見るしかない。風漢は杯に酒をそそぎ、軽食とともに勧め
た。
「勉強も大事だが、身体を壊しては何にもならんぞ。たまには息を抜いたほう
がいい」
 鳴賢はあいまいにうなずきながら杯を受け取った。そうしてしばらく勧めら
れるままに飲んで食べていると。

397永遠の行方「王と麒麟(57)」:2011/06/07(火) 20:03:23
「心配をかけてすまんな」
「え?」
「六太のことだ」
 彼を凝視した鳴賢は、それでも慎重に口をつぐんでいた。
「相変わらず意識はない。だが幸いなことに体は健康と言える」
「風漢さんは――」
「風漢、でいい。今までと同じでかまわん」
 鳴賢はいったん言葉を飲み込んでから言うべきことを探し、ふたたび口を開
いた。
「その、風漢は……最初から六太の正体を知っていたのか?」
「いや。最初はただの餓鬼だと思った。麒麟だと知ったのは少し後だな」
 あっさり答えた相手に、ごくりと唾を飲みこむ。彼は明らかに六太の身分も
今回の事件も知っている。ということはどこかの殿閣の下働きなどではなく、
下吏でさえなく、やはりそれなりの官位に違いない。
「つまりあんたは、玄英宮に出仕している官吏だってことだよな……?」
「そんなところだ」
「まさかあんたが国府の高官とは思わなかった。台輔から」と言いかけて「六
太から役人だと聞いたときも驚いたけど」と言いなおす。だが風漢は咎めるで
もなく、おかしそうに眉を上げた。
「それほどたいそうなものではないぞ。雑用ばかりやらされている小間使いだ
からな」
「もしかして六太のいる仁重殿にでも仕えているのか?」
「いや、あちこちで用をこなしている。要は何でも屋だ。だが、だいたい内殿
や正寝にいることが多いかな」
「正寝……」鳴賢は絶句した。内殿が王が政務を執る場所であり、正寝が王の
私室だということは知っていた。「じゃあ――まさか、主上にお目にかかった
こともあるのか?」

398永遠の行方「王と麒麟(58)」:2011/06/07(火) 22:11:51
「おう。あるぞ」
「その、どんなかたなんだろう? やっぱり名君だと思っていいのか?」
「ふむ」風漢はおもしろそうに顎をさすった。「どうだろうな。普段はあまり
良い話は聞かんが。側近に小言をくらったり、たまに罵倒されてもいるよう
だ」
「罵倒?」
「昔、朝議にすら、混ぜっ返すくらいなら出てこなくていいとまで官に言われ
たこともあるほどだからな」
 そう言って気楽に笑う。だが相手の受けた衝撃と混乱に気づいたのだろう、
すぐこう続けた。
「王のひととなりなど、俺が言うことではない。それに人間の評価などという
ものは、見る者によって変わるものだ。そんなものはいずれ実際に王に会った
とき、おまえが自分の目で判断すればいい」
 言葉面こそそっけないが、まなざしは穏やかで声音も温かかった。これまで
抱いていた彼の印象にはそぐわない。こんなふうに話すこともできるのかと、
鳴賢は意外に思った。
「だが、いずれにしろ六太のことは王なりに大事に思っているのは確かだ。幸
いにも呪者の残党はおらず、謀反のくわだては終わったと考えられる。六太が
目覚める完全な解決はまだ先になりそうだが、王が六太を見捨てることだけは
ありえない。それは信じてくれていい」
「そのう……ありがとう、それを聞いて安心した」
 鳴賢は気づいた。六太と同じように、風漢が「主上」ではなく「王」と表現
していることに。その意味するところまではわからず一抹の不安を覚えたもの
の、気遣ってくれているのは明らかで、その思いやりは素直に嬉しく思った。
「ところでこうして訪ねてきてくれたのはありがたいけど、ちょっとまずいん
じゃないか」
「うん? なぜだ?」

399名無しさん:2011/06/09(木) 22:24:41
うおお来てたマジお疲れ様です
ドキドキしつつまったり待ってます!

400永遠の行方「王と麒麟(59)」:2011/06/11(土) 09:48:56
「六太の身に起きたことは、少なくとも下界じゃ秘密にしとかないといけない
だろう? なのにこうして俺のところに来ると、いらぬ詮索をされかねない。
それに俺にもあまり詳しいことは教えないほうが安全だと思う」
「俺のような風来坊がこんなところに来たとて、悪い遊び仲間におまえが誘わ
れていると思われる程度のことだ。まあ、おまえの損にはなるか」
「俺は気にしない」
「それにおまえは信頼できる」
 思いがけない言葉だった。
「おまえ、最初に国府で尋問されたとき、王が昏睡状態に陥っていることを伏
せていたろう? あくまで六太が、王に危害を加えられなければ言うことを聞
けと脅されたことにしたな? そして大司寇の前に引き出されてから、やっと
すべてを語った」
「……なぜ、それを」
 茫然となりながらも、鳴賢はようやくそれだけ言った。王の意識がないこと
を知っているのは雲海の下では謀反人だけという六太の言葉を思い出し、低い
位の官もいる国府では迷いながらもとっさにぼかしたのだ。
「国府では酷い扱いを受けたようだが、その原因のひとつが、おまえが事件の
内容を一部伏せたため、供述の印象に不自然さを与えたことにあるのだ。だが
おまえは王の身に降りかかった災難、六太が身代わりになったことで本当に解
消したかどうかわからない深刻な事態について、しかるべき官が相手でなけれ
ば明かしても意味がないどころか混乱を招くだけと判断したようだな。我が身
の安全を図るより国を守ることを優先したおまえ自身も、おまえの判断も信頼
できる」
「あ、ありが、とう……」つっかえながらも礼を口にする。それからじわじわ
と、思いがけず自分の誠心を認めてもらったことの嬉しさが湧いてきた。

401永遠の行方「王と麒麟(60)」:2011/06/11(土) 12:34:37
「で、六太のことだが、今回のことでは皆一様に衝撃を受け、何とか六太を救
おうと奔走している。王は蓬山に使いを出して、呪の解法を相談しているそう
だ。また先日は景王から、自分にできることがあれば何でも遠慮なく言ってく
れとの申し出があったと聞く。六太は景王とも親交が深く、何度も私的に金波
宮を訪問しているくらいだから、景王も本気で心配している。今回の事件に関
してはむろん箝口令が敷かれているものの、景王には既に事件のあらましが伝
えられたくらいでな」
 蓬山。景王。箝口令。風漢の口から当たり前のように飛び出す言葉は、恐ろ
しいほど日常からかけ離れていた。
「それに知っての通り、六太はああいう気さくな性格で面倒見も良い。だから
友達が多いし、政務を怠けて頻繁に王宮を抜け出す割には官の受けも悪くない。
皆、苦笑いをしながら結局は見逃しているからな。六太を直接見知る官で、好
意を持っておらぬ者などまずいないだろう。
 というより皆、六太には甘いのだ。何しろ見た目は年端もいかぬ少年だし、
本人もしばしばそれを利用して、無邪気なふりで官に菓子をねだったり、あど
けない様子を見せて叱責を免れたりする。あれでけっこう策士だぞ」
 にやりとした相手に、鳴賢も調子を合わせて何とか笑みを浮かべた。
「ただ、あの呪というやつは厄介だ。それでも六太は麒麟だから今のところ健
康上の問題はないし、したがって何かの期限に督促されているわけではない。
解決まで多少時間はかかろうが、玄英宮は六太を救うべく手を尽くしている。
おまえも心配だろうが、しばらく見守っていてくれ」
「ああ……わかった」
 鳴賢はうなずいた。そのことを伝えるために、自分を安心させるためにいろ
いろ教えてくれたのか。一介の大学生にこんなことまで明かしたら、それなり
の地位にいても、ばれたら風漢はまずい立場に追い込まれるのではと心配に
なったが、それでも気遣いはありがたかった。
「あの。六太のことで気になってたことがあるんだけど」
「言ってみろ」

402書き手:2011/06/11(土) 12:36:50
こんな感じで、今月いっぱいくらいは
ちまちま投下していくと思います。

403永遠の行方「王と麒麟(61)」:2011/06/14(火) 23:08:37
「俺、六太をおぶって国府に連れて行ったんだけど、六太の身体がすごく軽く
て恐かったんだ。もしかしてあれも呪のせいなんだろうか」
「いや。麒麟はもともと体重が軽いそうだ。騎獣でも空を飛ぶものは体が軽い
傾向があるから、同じことかもしれん。人型では無理だが、六太も麒麟の姿に
なれば飛行できるからな」
「そうか。良かった」
「他に何か聞きたいことは?」
「じゃあ――そうだな、この際だから。もしかして風漢は大司寇府か秋官府で
俺のことを聞いたのか?」
「そんなところだが、実を言えば俺もあの場にいたのだ。おまえが大司寇の前
に引き出されたとき、衝立の後ろで控えていた」
「えっ……」
 驚愕のあまり、思わず腰を浮かせる。
 だが考えてみれば、あのとき大司寇は鳴賢を連れてきた国府の下官らを退出
させただけだ。六官ほどの高官なら、もともと見えない場所で邪魔にならない
よう部下が侍っていても不思議はないし、彼らまで下がらせたわけではない。
「それって、あんたが大司寇の側近ってことだよな? 要するにかなりの高
官ってことで……」
 まさか大司寇の次官である小司寇ではあるまいな。そう考えて顔をこわばら
せた彼を、風漢は「阿呆」と笑い飛ばした。
「小間使いだと言ったろう。俺はあの嫌味な大司寇にいつもこき使われている
のだぞ」
「嫌味って……」
「おまえは知らんだろうが、あの大司寇はな、今の王の登極時に『雁を興す興
王か、滅ぼす滅王か、どちらの諡がいいか選べ』と迫った剛の者だ。穏やかそ
うに見えて気が短いから、俺もいろいろ苦労している」
 風漢はそう言うと、何と返していいかわからず途方にくれた鳴賢を前に心底
おかしそうに笑った。

404永遠の行方「王と麒麟(62)」:2011/06/15(水) 22:20:40

 その後に交わされた会話は謀反と関係なく、他愛もない内容ばかりだった。
風漢は宮城で流れている害のない噂、下働きの間で交わされたちょっとした笑
い話といったあれこれをおもしろおかしく語った。六太の近況がわかったこと、
何より酔いが回りはじめていたこともあって、鳴賢は徐々に気分がほぐれ、雲
海上での出来事とあって興味深く聞いた。
 やがて鳴賢の元に本を借りに来た楽俊や敬之が加わり、彼らがさらに酒と食
べものを持ち込んで、男同士の気楽な小宴会となった。だが最後は結局酔いつ
ぶれてしまったようで、鳴賢が気づいたときは既に朝。楽俊と敬之は狭い臥牀
の上で同じようにつぶれていたが、風漢の姿はなかった。
 そのときになって遅まきながら新たな疑問が湧いてきた鳴賢は、せっかくだ
からもっといろいろ尋ねれば良かったと後悔した。
 しかし思いのほか早く次の機会がやってきた。数日後、午後も遅くなってか
ら、ふたたび風漢が寮に姿を見せたのだ。学生の大半はまだ授業を受けている
時間帯だが、必要な允許の残りが少ない鳴賢は、受けねばならない授業自体も
限られる。したがって自室での勉強が主体になっていることを知っているのだ
ろう。
 今日の風漢は手ぶらだった。彼は「屋内にこもっているばかりでは気が滅入
るぞ。つきあえ」と言い、鳴賢を強引に街に連れ出した。凌雲山を出たのは久
しぶりで、関弓の街を歩いて気持ちの良い風にさらされると確かに気晴らしに
なった。
 伴われた先は、学生らがよく行く安酒場のたぐいではなかった。途を歩きな
がら、門構えからして至極立派な高級な菜館のひとつを見上げた風漢は、「こ
こにするか」とさっさと大門をくぐった。出てきた主人と一言二言話をした彼
は、一階にある広い飯堂ではなく、三階の奥まったところにある立派な房室に
通された。おっかなびっくり後に続いた鳴賢は、案内してきた店の者が下がっ
てから「ここの常連なのか?」と尋ねた。
「いや、初めてだ」無造作な答え。

405永遠の行方「王と麒麟(63)」:2011/06/18(土) 10:19:22
 室内の豪華な調度類を見回した鳴賢は、少々居心地の悪い思いをした。しか
し安酒場で語らうのと違い、誰かに聞かれることもあるまいと気が楽になる。
街に連れ出されたとき、人目のある場所で六太のことなど話題にできないと思
い、どうやっていろいろ尋ねようと考えたが、ここなら心配はなさそうだ。
 店の者はまず酒と簡単な肴を運び、ふたりがそれに手をつけている間に豪華
な料理の皿をいくつも運びこんだ。彼らは風漢が人払いをすると、丁寧に礼を
してから退出した。
 ふと鳴賢は手元の料理の皿を見下ろした。
「……六太の体は健康だって言ってたけど、意識がないってことは、水も食べ
ものも摂れないってことだよな?」
「基本的にはそうだ。だが幸いなことに、水や果汁なら何とか飲ませることが
できるようになった」
 風漢は、湿らせた綿で少しずつ喉に水を流しこむと六太が反射のように飲み
こむこと、ごく薄い粥のようなさらさらとしたものなら、さじですくって口の
奥に入れてやれば、これまた反射のように飲みこませることができるとわかっ
たと告げた。
 宮城ではちゃんと世話をされているだろうと想像していたものの、具体的に
説明されて鳴賢は安堵した。
「良かった……。六太自身は飲まず食わずでも大丈夫って言ってたけど、蓬莱
では貧しくて飢えたとも言ってたんだ。そのせいで親に捨てられたって。なの
に、いくら意識がなくても、また飢えと乾きにさらされるのは、って思ってさ」
「大丈夫だ」風漢は安心させるようにうなずいてから「ところで」と話を変え
た。
「おまえ、これまで六太とどんな話をした?」
「……なぜ?」
「呪を解くためには、六太の一番の願いとやらを突き止めねばならんことはわ
かっているだろう?」

406永遠の行方「王と麒麟(64)」:2011/06/18(土) 23:03:04
「うん」
「その手がかりを得るためには、六太の心情を理解せねばならん。心情を理解
するためには、六太が語った言葉をいろいろと知らねばならんのでな」
 鳴賢は首をかしげた。
「でもあのとき起きたことは全部大司寇に申しあげたし、今さら俺に聞くこと
なんか。第一、宮城に勤めているあんたのほうがずっと詳しいはずだろう?」
「そうでもないぞ。確かに俺はこれでけっこう長く宮城にいるゆえ、六太のこ
とをよく知っているつもりでいた。政務を怠けてひんぱんに抜けだす六太は、
これまた怠け癖のある俺と利害が一致したこともあって、一緒に見張りを出し
抜いて逐電することも多かったしな。しかし大司寇とともにおまえの話を聞い
ていて、実際は何も知らなかったことを思い知った。そもそも六太が蓬莱で親
に捨てられただの飢えただのという話は、俺は初耳だったのだ」
「へえ。意外だな」
 日頃から親しく言葉を交わしていたようだから、たまに会ってちょっとやり
とりする程度の鳴賢らよりずっと六太のことを知っていると思っていたのに。
実際、ふたりの遠慮ないやりとりを聞いたかぎりでは、身分の差があるとはい
え相当に親しそうに見えた。
「俺に比べれば、むしろほとんど行動をともにしなかった他の官のほうが詳し
いかもしれん。たとえば光州に六太と親交のある官がいて、昔、その細君が薬
狩りに六太を伴ったそうだ。そのとき、薬草を見分ける際に蓬莱にいた頃の話
をし、草の根をかじって飢えをしのいだことがあると言ったらしい。だが俺は
それほど悲惨な生活を送っていたとは思わなかった。最近になって別の官も
言っていたが、六太は『王という存在は民を苦しめるだけ』と言ったこともあ
るそうだ。もっとも似たようなことは俺も耳にしたことがあるが、適当に聞き
流したので理由までは聞かなかった。だがその官によると六太は、蓬莱で庶民
として生まれ、戦乱に明け暮れるその土地の為政者に相当苦しめられたらしい。
要は呪にかけられる前におまえが聞いた内容と似たようなものだが――蓬莱が
長く戦乱の時代であることは俺も知っていたが、六太の言動は自身の経験に由
来するのではなく、市井の民人の貧苦に心を痛めたがゆえだと思っていた」

407永遠の行方「王と麒麟(65)」:2011/06/22(水) 00:10:14
 淡々と語る風漢を見ながら、ふと鳴賢はどこか淋しげだと感じた。相手の表
情は平静だったし、語調も穏やかだったから、そう考えるのは不思議なこと
だったが。
「むろん、そういったことを六太から聞いていた官はごく一部だ。おそらく片
手で足りようし、今挙げた者たちも、少なくとも六太の過去についてはそれ以
上のことは知らないようだ。あれで六太は擬態がうまいからな、容易に本心を
悟らせん。些細なこと、他愛もないことならむしろ開けっぴろげにうるさいく
らい語るというのに、こうと決めたことはとことん口をつぐんで気取らせない。
誰に似たのか、けっこう頑固だ」
「ああ――言われてみればそうかも知れない」
「だから六太の心情を理解しようにも、おそらく玄英宮では、いや、どこであ
ろうと王や官に対しては、あまり突っこんだ話はしなかったと思われるのだ。
だが知ってのとおり六太は下界にも知己が多い。ということは彼らを聴取すれ
ば手がかりを得られる可能性があるのだが、理由を伏せたまま、誰にどうやっ
て聴取すればいいのかという問題がある。それでまずは今回の事件のことを
知っているおまえに、これまで六太と交わした話を細部まで思い出してもらい
たいのだ」
「そういうことか」
「もちろん上にいる連中も、俺がおまえの聴取に当たっていることは承知して
いるし、何を言っても咎められることはない。すべては六太のため、雁のため
だと思って、細大漏らさず教えてくれ」
「わかった」
 納得した鳴賢は記憶の糸をたどった。宮城の高官たちも承知だと聞かされれ
ばまったく緊張しないはずもないが、酒もある飲食の場で、見知った男が相手
というのは非常に話しやすかった。それに友人にさえ相談できず、ひとりで抱
えこむ日々は精神的に多大な負担を強いていたから、すべてを承知している相
手と遠慮なく話せるのはありがたかった。

408永遠の行方「王と麒麟(66)」:2011/06/22(水) 00:28:20
「そう言われてみると――うん、思ったよりいろいろなことを聞いた気がする。
確かに官には話せないと言ってたこともあった。というより、俺らが官吏に
なったらもうそういう話題は出せないって言いかただったように思う。そのと
きの話題は王は人柱だなんて内容だったから、当然と言えば当然だけど」
「人柱?」
「うん……」
 得々と語るような内容ではないため、自然と声を落として説明することに
なった。
(雁も永遠じゃない)
(王は――人柱、みたいなものじゃないかって。だから雁が安泰でいられるの
は、王が人柱であることに甘んじている間だけだって)
(王だって人間なんだ。時には弱音を吐きたいときもあるだろうし、泣きたい
ときもあるだろう。そういうのを全部ひっくるめて王を認めてほしい)
 風漢は黙って耳を傾けていた。
「俺にとって主上は文字通り神だ。だからそのときは正直むっとした。でも六
太は日頃から主上のおそばにいたわけだから、今にして思えば主上が悩んでお
られるのを見たとか何とか――とにかく根拠はあったんだろうな。でもいくら
六太でも、主上に成り代われるわけじゃないから、それで思い詰めていたのか
もしれない」
「思い詰めていた、か」
「でなかったら、人柱だの何だのって発想はできないだろ」
 力なく笑ってみせると、風漢は「なるほどな」とうなずいた。
「あんたはこの手の話を六太から聞いたことはなかったのか?」
「ああ」
「そうか。そうだよなあ。ただでさえ相手を選ぶ話題だし、おまけに六太は宰
輔だ。そんな立場にある臣下が堂々と官に話したら、それだけで不穏な空気が
流れるだろう。当然、主上にも申しあげていないだろうな。不敬な内容なのは
確かなんだから、いくら主上が寛大なおかたでも不快になられるはずだ」

409永遠の行方「王と麒麟(67)」:2011/06/25(土) 07:39:42
 そこまで話すと鳴賢は黙りこんだ。風漢もあえて先をうながさずに杯を重ね、
気詰まりではないが真摯な沈黙の中で、鳴賢はもう一度あのときの会話を思い
返していた。
「……六太は言っていたっけ。人間としての悩みや苦しみと無縁でいられるわ
けじゃないのに、王には王としての振る舞いしか許されないって。崇めたてま
つることが逆に王を孤独にすることもあるって。俺、今になってようやくその
ことを想像できるようになった。なんて哀しいんだろうって思うようになった。
だって冷静になって考えれば六太の言ったとおりなんだ。大半の民にとって、
王なんてものは失政をせずに暮らしの安寧を保ってくれさえすればそれでいい
んだよ。王が何を思い、何を悩み、何を喜ぼうと、どうでもいい。つまり誰も
王個人の感情なんて気にしないし、そういう存在だとも思わないんだ」
「ではおまえ自身は、延王にどういうふうでいてほしいのだ?」
 不意に尋ねられ、鳴賢は言葉に窮した。「う、ん――そうだな……」あれこ
れ考えた末に、ようやくおぼろな答えを引っ張り出す。
「そう――俺たち民が幸せになるだけではなく、主上にも幸せでいてほしいな。
だって人柱だなんて悲しいじゃないか。いったん王になったら王として以外に
生きられないなら、せめて王であることで幸せだと思っていただけることがあ
ればと思う。だからと言って、どうすれば主上がそう感じてくださるかはわか
らないけど」
 風漢はしばらく黙っていた。何となく鳴賢が答えを待っていると、やがてこ
う言った。「王には自分で自分を救えるだけの強さが必要なのだ」と。
「あまり思い詰めることはない。民や自身の苦悩をすべて引き受けて救う者が
王なのだから」
「……ずいぶん突き放した考えだな」
「そうか」
「――いや。それほど主上を信頼しているってことか」
 すると風漢は低く笑ったが、どこか困ったような響きを帯びていた。

410永遠の行方「王と麒麟(68)」:2011/06/25(土) 10:45:10
「おまえももうわかったろうが、麒麟は――というより六太は心配性だ。まだ
起きていないこと、起きるかどうかもわからないことをあれこれ考えては悩む。
確かにいずれ王は失道するのかもしれない。いや、禅譲にしろ事故にしろ、遅
かれ早かれ王朝は終わるのだろう。だがな、五百年以上の命脈を保っている今
の王朝が、人の寿命の何歳に当たるのかはわからんが、百年後もまだ健在かも
しれんのだぞ。なのにその百年をくよくよ考えて過ごす気か?」
「いや、まさか。でも……」
「おまえは折山の荒廃を知っているな。妖魔さえ飢えたと言われるあの荒廃だ。
見渡すかぎり一片の緑とてなく、国としての終わりを待つばかりと思われた。
だが雁はそこから蘇ったのだ。この世界の国々はそうやって興亡を繰り返しな
がら、長い歴史を歩んできた。これまでもそうだったし、これからもそうだろ
う。人が生まれては死ぬように、王朝も立っては斃れるものだ。ならば、いず
れ訪れるだろう終焉を恐れるな。永遠に続く王朝がないということは、きっと
終焉にも意味があるのだ。苦悩にさいなまれたことのない者が真の歓喜を味わ
えぬように、病に伏さねば健康のありがたみもわからぬように、陽に対する陰、
明に対する暗は必要なのかもしれん。だが終焉は真の終焉ではない。人が老い
て消えていく一方で、新しく生まれてくる命がある。同じように必ずや国も再
生する。たとえ王朝の末期において、どれほど荒廃し辛酸をなめようとな。お
まえがなすべきことは王を哀れむことではなく、ましてやいたずらに終焉を恐
れることでもない。重要なのはただ、きたるべき『そのとき』を見誤らぬよう
にすることだ。そうしておのれの信念に従ってなすべきことをなせば、結果な
ど後からついてくる」
 思いがけない話に、鳴賢はまじまじと相手を見つめた。
「むろん六太の懸念はわからんでもないし、そうやって心配する者も必要なの
かもしれん。だが恐れてばかりいると、却って災いを引き寄せるものだぞ」
「う、ん……」

411永遠の行方「王と麒麟(69)」:2011/06/26(日) 08:55:39
 手の中の杯を見つめながら、彼は言われたことの意味を考えた。端的に言え
ば六太の悩みなど捨て置けと言われたも同然だったが、穏やかな確信を持って
語られる言葉と声音には力強さがあり、その旋律に浸るのは不思議と不快では
なかった。
 杯を干すと、風漢はその都度、酒をついでくれた。そうして六太が語ったこ
とを記憶から掘り起こしつつ、鳴賢がそれにまつわる自分の思いを訴えている
うちに夜が更けていった。話題はしばしば六太のことから離れたというのに、
風漢は話を元に戻すでもなく自由に喋らせてくれたので、自然その流れはさま
ざまな事柄に及んだ。それは友人たちとたまに夜を徹して熱中する哲学論議に
似ていて、彼は風漢とそんな話ができることを驚きながらも楽しんだ。
 そうして心にかかっていたことの多くを吐き出せたおかげで、鳴賢は最後に
は予想外に良い気分で店を後にすることができた。六太のことは心配だったが、
宮城で手が尽くされていることを納得し、自分も心を強く持とうと思った。
 風漢は、またそのうち寮を訪ねると約束し、何か用があれば大司寇宛に文を
出せばいいと告げて去っていった。

 深夜の小途で指笛を吹くと、すぐに騶虞が飛来した。たまは尚隆を乗せると
ふわりと舞いあがった。禁門に向かう途中で、尚隆はふと手綱を引いて向きを
変え、しばし中空にたたずんだ。はるか足下に広がる関弓の街を見おろす。
 ――そう。自分で自分を救えるだけの強さが王には必要なのだ。その強さを
失ったとき、おそらく道も失う。
 六太は王が人柱だと言ったという。要は国に捧げられた贄だと。そうして彼
は王を憐れんでいる。ただ善政を享受し、失道の罪を王ひとりに負わせて失政
を責めるのは違うと、麒麟らしい憐れみのもとに訴えている。
「そうではない」ほのかな笑みを浮かべ、慈愛とも嘲りともつかない口調でつ
ぶやく。「そのときは誰もが王をなじっていい。結果をすべて引き受けるのも
王の役目なのだから」
 やがて彼は騶虞の向きを変えると、夜に溶けるように飛び去っていった。

4121:2011/06/26(日) 08:57:44
次の投下まで、しばらく間が開きます。

413名無しさん:2011/06/27(月) 03:34:26
素晴らしいです、姐さん。
初めて来て、寝ずにノンストップでここまで来ました。
途中、泣 き な が ら。
いつまでも待ってるので無理しないで下せぇ。

4141:2011/06/28(火) 00:01:08
お気遣いありがとうございます。

というか、この長さをノンストップですか。
それはすごい。

415永遠の行方「王と麒麟(70)」:2011/07/16(土) 09:05:00

 六太を昏睡に陥れるのに用いたと思われる術を用い、さまざまな実験が冬官
府で行なわれた。その後の内議で大司空によって結果が報告されたが、彼はま
ずきっかけを作った大司馬への謝意を謙虚に口にした。
「専門家というものはともすると、自分の都合でものを見てしまいます。そし
て詳しく知っているがためにわかりきったことを見落とすこともあります。そ
の意味で、このような試みを提案してくださった大司馬に感謝いたします」
 彼が実験に否定的だったことを知っている大司馬は、怪訝な顔をしながらも
うなずいた。大司空は続けて、大司馬の提案とは別の、考えうるかぎりの組み
合わせの実験について述べた。それは現場の冬官たちに諮って出させた案を元
にしたもので、術が不完全だった場合を含め、ささいな違いも併せると六十以
上の組み合わせがあった。万全を期したとの大司空の言葉を、一同は認めざる
をえなかった。
 大司空は手元の書面に目を落としたまま、淡々と実験の結果を読みあげた。
「これらを逐一検証したため日数はかかりましたが、昨日、すべての試みを終
えました。詳細は数日のうちに書類を整えてご報告するとして、ひとまず結果
だけ簡単に申します。正しく術をかけた場合は定められた条件以外に破ること
はできませんでした。翻って術が不完全だった場合は、特に条件を満たさずと
も破ることができましたが、むろんこれは呪の一般的な性質でありますので、
結果を待つまでもなく、初期の段階で台輔に試みております」
「つまり――結局のところ成果はなかった、と」
 白沢の問いに、大司空は沈んだ顔で「申しわけありません」と詫びた。
「考えうるかぎりの可能性を網羅したつもりですが、先ほども申したように、
専門家ゆえの見落としがあるかもしれません。いかがでしょう、大司馬」
 彼は神妙な面持ちで書類の束を大司馬に渡した。大司馬は考え込みながら慎
重に書面を繰ったが、やがて書類を差し戻すと言った。
「いや……。これ以上は拙官にも考えつかぬ。冬官府はよくやっていると思う。
しかし――そうか……」

416永遠の行方「王と麒麟(71)」:2011/07/16(土) 09:33:42
 内心ではかなり期待していたのだろう、彼は他の六官に比べてかなり落胆し
た様子だった。大司空も沈痛な面持ちではあったが、決然とした口調でこう続
けた。
「せっかくご助言をいただきながら力及ばず、まことに遺憾です。しかしなが
ら見方を変えれば、素人の暁紅でも『正しく』術をかけられたことを検証でき
たとも言えます。となれば台輔の第一の願いなるものを探し当てられれば、必
ずや術は解けるでしょう」
「しかし暁紅が口にした解呪条件が出まかせという可能性も……」
「もちろんそうです。しかし暁紅は、台輔が術にかかれば主上がお目覚めにな
るという約束を守りました。それに台輔を陥れられて満足だったらしいことを
考えあわせると、やはり真実を語ったと考えて良いと思います。何しろ今回の
事件でわかった彼女の人となりから判断するかぎり、感情的な満足を優先させ
たろうと推測できますし、条件を達成できないと思っていたのであれば、まや
かしの手がかりを与えて惑わすより、真の手がかりを与えておいて右往左往す
るさまを想像するほうがずっと快感を覚えたはずですから。
 したがって拙官は、台輔のお望みを知るべく、もはや本格的に聞き取りを開
始すべきと進言いたします。そしてそれにはぜひとも夏官府のお力添えをお願
いしたいところです。関係者の足取りを追ったり聴取を行なったりという作業
に慣れているのは夏官ですから。口の固い者を選抜して情報収集に当たらせ、
これはという内容があれば、ぜひ解呪に当たっている冬官にお知らせください。
いくら台輔のご健康に悪影響がないとはいえ、一刻も早くお救いしたいのです
が、しかしながらもはや冬官だけでは如何ともしがたいのです」
「まあ――そうだな……」大司馬はつぶやいた。「とりあえずは宮城内の者が
対象か。いずれにしろ何か表向きの理由を付けたほうがよかろうな。――そう、
大司寇が仁重殿の女官を焚きつけたわけだが、さらに一歩押しすすめて、彼女
らが『台輔のお望みがかなえばお目覚めになるかも知れない』と考えたことに
するというのはどうだろう」

417永遠の行方「王と麒麟(72)」:2011/07/17(日) 08:50:34
 朱衡はうなずいた。「少々の後押しで、そういう方向に考えを向けさせるこ
とはできるでしょう。伝説でもありがちな展開ですし、そもそも何か良い予兆
があれば問題が解決すると期待するのは自然な心情です」
「ただ大司寇は既に一度似たような話をしているわけですから、今回は別の者
に水を向けさせたほうが安全ではありませんか?」
 気遣わしげな大司徒の言葉に、朱衡はこれまで黙って耳を傾けていた主君を
見やった。「現在のところ、仁重殿に頻繁に出入りしているのは拙官のほかは
主上ですが……」
「ふむ。ならば適当に水を向けてみよう。女官たちの様子を見ると、確かに
ちょっとした後押しで良さそうだ」
「おそれいります」
「とはいえ実際に彼女らが言い出さずとも、仁重殿から話が出たことにしてお
けば良かろう。話の変遷としては不自然ではない以上、出所を仁重殿としてお
きさえすれば、女官らも自分たちの誰かが言い出したと納得するはずだ。今日
のうちに種は蒔いておくから、折を見て刈り取れ」
「御意」
「では」と白沢が話を引き取った。「仁重殿の女官たちが『台輔のお望みがか
なえばお目覚めになるかも知れない』と考えて訴えたため、他に手がかりがな
い以上、万策を尽くすという意味で、まずは宮城において聴取を行なうことに
した、と。出所はあくまで仁重殿の女官であり、根拠はないとして。他の官は
彼女らを哀れに思うでしょうが」
「それは仕方あるまい」と大司馬。
「夏官府による聴取の試みはそれとして、われわれも身近な次官以下にさりげ
なく尋ねたほうがいいしょうね」朱衡が言った。「台輔は奄奚にも気安く声を
かけておられましたが、仁重殿の者を除けば、やはり親しいのは日頃から一緒
にいることの多い、ある程度以上の官位の者が大半のはず。それに違った者が
尋ねれば、異なる答えが得られるかもしれません」
 それで益がなければ市井の者にも聴取範囲を拡大しなければならないが、こ
ちらはどこに六太の知己がいるかを調べるところから始めねばならない。した
がって彼らとしては、宮城内での調査で成果が上がるよう祈るしかなかった。

418永遠の行方「王と麒麟(73)」:2011/07/17(日) 10:17:39
 とはいえ尚隆が鳴賢から聞き出した内容は、今のところ六太の願いごとに直
結する話ではないものの目新しく興味深いものだった。そのため彼らは、六太
の望みがごく個人的な事柄であるなら、宮城とは無関係の場所で語られた可能
性のほうが高いかもしれないと、厄介に思いながらもおぼろに感じてはいた。
 やがて内議を終えて退出する主君を見送った六官は、そのあとで自身も房室
を出ながら溜息まじりにざわめいた。その中でふと朱衡と目が合った大司徒が
微笑した。
「何か?」
 朱衡も微笑しながら尋ねると、相手は少し考えるように小首をかしげた。
「いえ、何と申しますか……相変わらず主上がどっしりと構えておいでなので、
わたくしどもも安心して事に当たれるな、と」
「そうですね」
「どうも大司空は焦っておられるようですが、ここは間違いのないようにじっ
くりやることが重要ではないでしょうか。時間はあるのですから、むしろ拙速
にならないように注意しないと」
 そう言って大司徒はふたたび微笑むと、会釈をしてから自分の官府に戻って
いった。

 尚隆は政務の合間に仁重殿を訪れた。六太の臥室では相変わらず花が咲き乱
れており、常春の桃源郷さながらだった。卓には六太の好きな菓子類が甘い香
りを放っていたほか、女官たちが主君に頼んで得たさまざまな褒美が所狭しと
並んでいた。中でもわざわざ範国から急ぎ取り寄せた、太鼓を叩く童子を始め
とする一連のからくり人形は見事だった。尚隆は裳裾や披巾を翻して優雅に踊
る舞姫人形を手に取ると「ほう」と声を上げた。
「範の品だな。意匠といい細やかな動きといい、さすがに見事だ」
「こちらの童女は、ねじを巻くと料紙に字をしたためますのよ。筆を取りあげ
て墨を付けて」女官のひとりが別の人形を示してほほえんだ。「台輔はよく、
祭りの屋台で粗末なからくり細工をお求めになっては遊んでいらっしゃいまし
たから、こういったものをごらんになればお喜びになるでしょう」

419永遠の行方「王と麒麟(74)」:2011/07/17(日) 20:56:43
「なるほど」
 尚隆はうなずいたが、内心では違うだろうなと感じていた。六太はからくり
細工そのものが好きなのではない、市井の祭りが好きなのだ。祭りでさまざま
な人とふれあい、彼らをからくり細工で驚かしたり一緒に遊ぶのが好きなのだ。
いつも粗末な細工を仁重殿に持ち帰っていたのも、女官に見せてささやかな驚
きを与えたり、話の種にするためだったに違いない。
 尚隆は舞姫を元の場所に戻すと、牀榻の開いている扉に一瞥を与えた。
「ぐっすりとお寝みですわ」
 悲しそうに応じた女官に、尚隆は大仰に溜息をついた。
「まったく。これだけ褒美を与えてもまだ足りぬのか。実は既に目覚めていて、
もっと良い遊び道具をせしめようと目論んでいるのではあるまいな」そう言っ
て他の贈りものを手にとってはしげしげと眺める。「今ごろ、夢の中で楽しい
思いをしているのやも知れぬが、六太の鼻先にうまそうな菓子でもぶらさげて
食欲をあおってやれ。夢の中より現実のほうが魅力的とわかれば、さっさと目
覚めるだろう」
「まあ」
 女官は困ったように微笑した。やがて尚隆は果汁の杯を用意させると、いつ
ものように口移しで慎重に六太に飲ませた。それから別室にいた黄医を呼んで
容態を確認したのち、人払いをして六太とふたりきりになった。
 近習が丁寧に世話をしているので、六太の外見に乱れたところはまったくな
かった。黄金の髪は艶やかだし、日に一度、広々とした露台で椅子に座らせて
日向ぼっこをさせているせいか肌も健康そうだ。
「すまぬな。もう少しかかりそうだ」
 臥牀の片隅に腰をおろして半身を見おろした尚隆はそっとつぶやいた。
 やがて立ち上がった彼は衣擦れの音をさせながら牀榻を出、臥室の扉に向か
おうとして振り返った。室内は人けもなく静まり返っており、牀榻の奥に六太
が横たわっているとはとても思えなかった。何しろ今まで六太の周囲に必ず
あった使令の気配すら感じられないのだ。

420永遠の行方「王と麒麟(75)」:2011/07/18(月) 09:21:56
 奇妙なものだな、と彼はひとりごちた。王にとって麒麟がそばにいるのは至
極当たり前のことだ。息抜きに市井に紛れるときを別にすれば、諌言にしろ単
なる雑談にしろ、今までうるさいくらいに尚隆にまとわりついていた六太が、
もう二ヶ月以上も無言で横たわったままというのはひどく奇異な感じだった。
――そう、いつか朱衡が言ったように、ふとした拍子に姿を探してしまうのは
仕方がない。
 だがそんなことを考えるとは、自分は淋しいのだろうか。それもおかしなこ
とだ。権力の頂点に立つ以上、王とはもともと孤独なもの。登極の当初からそ
れを割り切ってきたはずではなかったか。孤独であってしかるべき王が、その
ことを苦痛に思うようでは……。
 いや、と口の端に苦々しい笑みを浮かべてわずかに頭を振る。ここには誰も
いない。宮城でいつも無意識に装うように言動を取り繕う必要はない。
 相手が麒麟であろうとなかろうと、五百年もともにいた者の姿が見えなくな
れば淋しく思って当然だ。実際、これまでの治世で長年の臣下が仙籍を辞すた
びに、快く許可を与えながらも寂寥感を覚えてきたものだ。しかも今回の件は
六太自身の意志ではなく強いられたもの。国と民を思う彼の心根を哀れと思う
のはもちろん、王位の象徴であり臣下の筆頭でもある麒麟が側にいないとなれ
ば、どこか落ち着かない気分になるのは仕方がない。麒麟は王の半身。他の臣
と異なり、どれほど長い治世であっても必ず王の傍らに侍っていると保証され
ているはずの存在なのだから。
 要は俺は自分の弱さと向き合いたくないのだろうな、と彼は考えた。だから
淋しさも認めたくないのだ。
 とはいえすべて解決したのちに足跡を振り返って自分を見つめ直すならとも
かく、まだ渦中にあるうちにおのれの弱さを認めては命取りになりかねないの
は確か。第一、時に非情な決断を下さねばならない王はいわば現実主義の権化
であって、綺麗ごとに終始する麒麟は、半身とはいえ真にわかりあえることな
ど永遠にないだろう相手だ。尚隆自身、六太とは常に一定の距離を置いてきた。

421永遠の行方「王と麒麟(76)」:2011/07/18(月) 09:33:31
それは六太のほうも同じだ。王を求める麒麟の本能として以上に尚隆を想うこ
とはないだろうし、今回の事件で主君に言伝の一言も残さなかったという事実
がそれを裏付けている。六太の最大の関心事はあくまで雁が――できれば他の
国々も――平和に治まっているか否かなのだ。
 ――そのはずなのに。
 尚隆はその場にたたずんだまま考えこんだ。
 いったい六太の一番の願いとは何だろう? 呪者にあさましいと嘲られても
否定せず、恥じ入って口にしなかった。しかも絶対に実現しないであろう事柄
だと言う。帷湍が言ったように個人的な願いごととしか思えないが、尚隆には
さっぱり見当がつかなかった。これだけ長いこと一緒にいれば、他の者はさて
おき、彼なら多少なりとも推測できても不思議はないのに。
 ならば――そう、ひとまず自分自身に置き換えて考えてみよう。俺自身の一
番の願いとはなんだろう? 延王尚隆としてではなく小松尚隆としての願いと
は?
 だが、結局彼は自嘲気味に低く笑うしかなかった。彼は雁の王だ。雁の繁栄
と民の安寧以外に望むことなどない。六太は変に気を回していたようだが、王
にとって国は体であり、民は体をめぐる血流だ。五百年以上もこの国に君臨し
ている尚隆にとって、もはや意識の上でも公私を分かつことなどできはしない。
六太は王を憐れみ、鳴賢も感傷的になっていたが、人柱などという発想は王と
国が別物と考えるから出てくるのであって、尚隆にとっては既に雁こそが自分
の血肉なのだ。
(だが……おまえもそうではないのか?)
 牀榻に向かって心の中で問いかける。そうしてしばらく考えをめぐらせたの
ち、踵を返して臥室を出て行った。宮城での聴取は夏官や冬官に任せるとして、
やはり市井でも引き続き話を集めたほうが良さそうだ。中でも事情を話したり
作り話をする必要がない鳴賢には、間をおかずにさらにいろいろ尋ねるべきだ
ろう。あの様子ではうまく記憶を呼び覚まさせればまだまだ興味深い話題が出
てきそうだし、本人も協力的だ。それを取っ掛かりに、たとえば他の大学生に
聞き取り範囲を広げることも容易だろう。

4221:2011/07/18(月) 09:36:14
また来月あたりに続きを投下します。
次は(少しだけ時間を遡った)陽子サイドの話になります。

423名無しさん:2011/07/18(月) 20:47:39
初めまして、最近こちらに流れ着きました。
燃えに萌える大作に巡りあえて幸せです。王様な尚隆かっこよす。
陽子も好きなので続きを楽しみにしていますね。




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