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尚六SS「永遠の行方」

1名無しさん:2007/09/22(土) 09:45:00
シリアス尚六ものです。オムニバス形式。

301永遠の行方「呪(205)」★オリキャラ中心★:2010/03/14(日) 12:43:49
 王の視線を独占している延麒の姿をぼんやりと眺める。少年の様子はかつて
崆峒山で乱の生き残りを引見したときを彷彿とさせた。王の前で我が物顔に振
る舞っていた、あのさまを。人は麒麟を慈悲の権化だと言う。しかし暁紅には
少年が王の寵愛を一身に受け、すべての言動を許されて、ただ自分の思うがま
まに振る舞っているだけと思えてならなかった。
 雑踏の向こうの屋台では延麒が食べものを王にねだっていた。ぶつ切りにし
た羊肉やら乱切りの野菜やらを、ただ串にさしてあぶっただけの簡単な食べも
の。たれさえつけることなく、さっと岩塩をふっただけの粗末なものだったが、
根菜だけの串を延麒はうれしそうにほおばった。暁紅たちがなけなしの銭をは
たいて干し苹果を買ったのは、荒民を装ってほとんど金を持ってこなかったが
ためで、でなければ薄汚い屋台などには絶対に近づかなかった。しかし延麒は
何も感じていないらしい。庶民的と言えば聞こえはいいが、驚くほど卑しい麒
麟だと暁紅は思った。
 だがその少年に、傍らの王は笑顔を向けているのだ。彼女には決して向けな
かった、愛情に満ちた顔を。
 王の鋭いまなざしから刃のきらめきを失わせ、闇の向こうをひたと見据えて
いた暗い視線を光の側に向けたのは延麒に違いない。寵童なのだからそれも当
然と言えば当然だが、暁紅は失意の中にも苦々しく思った。昼も夜も常に傍ら
に侍り、こうして市井におしのびで出るときさえ王のそばを離れない。王は延
麒のものなのだ。後宮にどれほどの女が囲われていたにせよ、たったふたりで
親しく出歩いているこのありさまを見れば、延麒がその頂点に立っているのは
明らかだった。
 梁興の時代から、いや、おそらくはその前から、少年はその座を占めていた
のだろう。そんなことも知らず、一時とはいえ栄光を夢見て浮かれていたのだ
と思うと、今さらながらに貶められた気がした。それと同時に、野性味あふれ
た王の牙を抜き、羊のように飼い慣らした不遜な麒麟をいまいましく思った。
自分に目もくれなかった王のことは確かに恨めしかったが、それ以上に延麒が
憎かった。
 ――そう、暁紅は延麒を憎んだ。激情がほとばしるほど強い感情ではなかっ
たし、むしろ心の中は冷え冷えと凍るようだったが、それでもちろちろとくす
ぶる燠のような小さくて静かな炎は、確かに彼女の胸の内で青白く燃えあがっ
たのだった。

302名無しさん:2010/03/14(日) 23:15:39
ああ色々滾ってきた…ここ数日毎日更新とは夢のようナリ
でも作者様くれぐれも無理しないで下さいね!

303永遠の行方「呪(206)」★オリキャラ中心★:2010/03/15(月) 22:41:20

 ふたりの女は城壁の前でよりそって一夜を明かした。夜明けの開門と同時に、
疲労と冷えとでこわばった体をかかえ、萎えた足を引きずるようにして関弓の
街を出る。どちらも無言のまま、仮住まいの街に向かってとぼとぼと歩いてい
った。
「……光州城を出てからどれくらい経ったのかしら? 長かったわねえ」
 四半刻も歩いた頃、暁紅は自分と並んで歩く浣蓮に聞こえるようにつぶやい
た。今彼女の頭にあるのは自分でも正体のわからない悔しさと、延麒を王から
引き離したいという欲求だけだった。王への復讐など既にどうでも良かったが、
とにかく延麒だけはこのまま王のそばに侍らせておきたくはなかった。
 しかし浣蓮の恨みは王にのみ向けられている。ひとりでは何もできない以上、
自分の手足であるこの下僕を何としても言いくるめなければならなかった。
「わたしたちが位を落とされ、長い間、生ける屍のような生活を強いられてい
たというのに、苦しみを伴わない唐突な死を慈悲のごとく王に与えることはな
いわ。そもそも呪を使ってさえ、不老不死である神仙を殺めるのは容易ではな
いのだから、もっと別の――そう、たとえば醒めない眠りに落とすというのは
どう? それなら生命を奪うわけではないから神仙相手でも何とかなりそうだ
し、王が昏々と眠り続けたら大騒ぎだわ。民に隠し通せるはずもないし、執務
を取れない状態が長く続けば修復できないほど国政が滅茶苦茶になって麒麟も
失道するでしょう」
「王を苦しめるのも弑するのも諦めるとおっしゃるのですか?」
 思ったとおり浣蓮が固い声音を返したので、暁紅はわざと朗らかに言った。
「おばかさん。直接手を下さずとも、王がむごい末路に至れば良いのでしょう
に。そしてそれをわたしたちが見ることができれば。生殺与奪の権を握ってい
るのはこちらなのだから、神経をきりきりさせるのはやめなさい。わたしたち
は捕らえた鼠を猫がもてあそぶように王を翻弄して、こちらの手の内で彼が滑
稽に踊るさまを楽しめばいいの」

304永遠の行方「呪(207)」★オリキャラ中心★:2010/03/15(月) 22:44:13
 その言葉は浣蓮のみならず、彼女自身に向けたものでもあった。運命を握る
自分たちがいたずらに焦燥に駆られる必要はない。いや、焦りなど見せてたま
るものかと、なけなしの誇りをかきあつめて考える。女神たる自分は軽やかに
しなやかに、運命の織りなす縦糸と横糸を操って、ただ王と延麒を翻弄すれば
良いのだ。
「でも……」
「もちろん枯瘠環は敷くのよ、光州の滅亡ではなく王をおびき出すために。呪
環によって起きる事件は一見して謀とわからないよう、それでいて国政の場で
は勘の良い者なら不穏な事態が起きていると推測できるものにする。それを長
く引っ張ることで国府の、引いては王の注意を引くの。これまで何度も話し合
ったとおりにね。事件の真相を見極めようと王がしゃしゃりでてきたら、何と
かして近づいて昏睡に陥れる呪をかける。もちろん難しいことだけれど、無理
に死を与えようとするよりは成功しやすいでしょうし、何より目の前で王が呪
に倒れたらおまえも満足できるのではなくて?」
 女主人の意図をはかりかねた浣蓮は黙りこんだ。しばらく考えこんだ彼女は、
やがて疑わしそうにこう言った。
「……確かに睡獄に捕らえるという呪はあります。でもあれを使うには、同時
に術の解除条件も定めておく必要があります。でなければまったく効果がない
か、予期せぬ時期に簡単に目覚められてしまうと書いてありました」
「そうだったわね。確かどんな状況においても破れない術というものは存在し
得ないから、あえて弱点をひとつ設けておくことで逆に強固な術にすることが
可能だとか。ならばこうしてはどうかしら。王にかける呪の解除条件は、延麒
が昏睡の呪にかかることにする。そして王と同じように何とかして延麒もおび
きだし、この際だから身代わりになるか王を見捨てるかを当人に選んでもらい
ましょう。いくら何でも相当悩むでしょうねえ。麒麟が苦悩するさまなんて、
滅多に見られるものではないわ。むろんそこで延麒が王の身代わりになること
を受け入れると決まったわけではないけれど、卑しくともまがりなりにも麒麟
なのだから、まず主を見捨てることはないでしょう。当然ながら延麒の昏睡に
も覚醒条件を定めなければならないけれど、王が崩御するとか何とか――とに
かく誰もが望まないだろう、悲惨な事態が起きたときとでもしておけばいいわ。

305永遠の行方「呪(208)」★オリキャラ中心★:2010/03/15(月) 22:46:15
そうすれば延麒の身代わりによって呪から解放された王が知るのは、実質的に
麒麟が永遠に失われたという冷たい事実だけ。おまけに枯瘠環のことがある。
麒麟を失い、ひとつの州を丸ごと失ったも同然の王は、時期が多少遅くなるだ
けで苦悩の中で死ぬことになるでしょう」
 だが浣蓮は黙り込んだままだった。暁紅は自分が必死に説得しようとしてい
るとは悟られないよう、おっとりと、それでいて確信に満ちた声で語った。
「わたしはね、万が一にもこの企てを失敗したくはないの。だからそのために
もっとも成功しやすい方法を選び、さらに二重三重の罠を張っておこうという
だけの話なのよ。これだけの手段を講じておけば、わたしたちは必ず目的を達
することができる。最悪、王をおびきだせずとも、枯瘠環で光州を不毛にして
民が困窮すれば、麒麟は失道するに違いないのだもの。ただしこの場合は王が
実際に苦しむかどうかを知ることはできないだけに、おまえが鬱憤を晴らせる
かはわからないけれど、そもそもこれは最初におまえが言ったこと。王が苦し
んでいるはずと自分に言い聞かせて我慢するしかないわね。
 幸いにして目論見どおり王をおびき出すことができたら、とにかく危険は犯
さず、何とか近づいて昏睡の呪だけをかける。機会は一度きりなのだから、万
が一にも失敗するような危険で面倒な呪はかけられないわ。比較的容易な術で
間に合わせなければ。
 成功したら、今度は延麒を罠にかけるために彼もおびきだす必要があるけれ
ど、ああやって市井を歩いているさまを見れば、いくらでも機会はありそうね。
そして延麒にはわたしたちの目の前で王の命と自分の命のどちらを取るか選ば
せてあげる。あの少年がどんなふうに苦悩するか、今から楽しみだわ。何しろ
自分の命を惜しめば王は目覚めないままだし、その場合は国を傾けないために、
遅かれ早かれ官は王を弑するに決まっているもの。
 延麒が王の命のほうを惜しんで身代わりになったら、それこそがわたしたち
の望むところ。王が目覚めたときには実質的に麒麟は失われている。おまけに
光州では作物が育たなくなり、人々は飢えて怨嗟の声が街々に満ちる。ここま
で来ればどんな王でも打つ手はないでしょう」

306永遠の行方「呪(209)」★オリキャラ中心★:2010/03/15(月) 22:49:17
 浣蓮は黙ったまま、暁紅の言葉をじっと考えているようだった。
 仮住まいに戻った彼女らは、湯浴みをして身仕舞いを整え、滋養のあるもの
をどっさりと食べてやっと人心地ついた。
 榻にゆったり横になってくつろぐ暁紅の傍ら、ようやく浣蓮が重い口を開い
た。
「枯瘠環は行なうのですね?」
 暁紅はちらりと視線を投げてほほえんだ。
「最後の安全弁ですもの。たとえすべてのくわだてが失敗しても、枯瘠環さえ
敷いておけば王の破滅は保証される」
「そうですね……」浣蓮は視線を彼方に向けて考えこみながらうなずいた。
「でもそれで終わりにしてはおもしろくない。もっともっと、わたしたちと同
じように長い間苦しめなくては。真綿でじわじわと首を絞めるようにして、生
命をすり減らすような苦しみを与えなくては」
 王よりも、むしろ本当は麒麟にね、という言葉を、暁紅は内心で自分に向け
た。
「そのために王から麒麟を奪うのよ。枯瘠環で王を下界におびきだし、延麒が
身代わりになることを覚醒の条件に定めた睡獄に捕らえる。その際、かつてわ
たしたちに辱めを与えた報いだということがわかるようにしておきましょう。
そうすればあとですべてが自業自得であることを知ったとき、後悔にさいなま
れるでしょうから。そして次は延麒をおびきだし、彼に王の運命を選ばせる。
なぜならわたしたちこそがすべての命運を握っているのだから、そうやって高
みからささやかな慈悲をたれ、麒麟がどんな選択をするか鑑賞してあげるの。
でもまがりなりにも慈悲の塊と言われる麒麟なのだから、延麒は王を救うこと
を選ぶでしょう。そうして今度は延麒に呪をかける。解呪の条件を満たして目
覚めた王が知るのは、愛人である麒麟が失われたことと、光州が未曾有の災厄
に見舞われたこと。それがわたしたちに屈辱を加えたがための報い」
 じっと聞いていた浣蓮は、暁紅の策には確かに考慮の余地があると思ったの
だろう、迷うように幾度も目を泳がせながらも、やがて納得したようにこう言
った。

307永遠の行方「呪(210)」★オリキャラ中心★:2010/03/15(月) 22:52:16
「愛人を失ったら、いくらあのふてぶてしい王でも嘆くでしょうし、そもそも
王の正当性は麒麟に選ばれること。その麒麟が呪に倒れたら、そしてひとつの
州が滅亡したら。王が道を失ったがゆえに天意を失い、災厄に見舞われたのだ
と考えるのが普通だと思います」
「そして官の、民の支持を失い、王朝は崩壊する……」
「はい」
「いったん傾き始めたら、きっと止めることはできないわ。傾国の奔流はどれ
ほど王があらがおうと、すべてを飲みこむ」
 今度こそ浣蓮は女主人にうなずいて、「はい」としっかりした声を返した。
実際のところ、彼女とて内心では王の呪殺が難しいことはわかっていたろう。
「それからね、考えたのだけれど、文珠を埋めて光州を死の呪で覆うときは、
今までとは比べものにならないほど大量の気が必要になるはずだわ。でもその
ためにおまえが自分を犠牲にすることはない。一度にひとりとかふたりを殺め
るならともかく、何十人となったら、事前に必要なだけの気をためられるかど
うかわからないのだから、呪は他の者にかけさせましょう」
 それを聞いた浣蓮はさすがに目を丸くした。
「どうやって……」
「この靖州でも、荒民や浮民を大勢見かけたわね。彼らの中には不遇を嘆いて、
雁の民どころか王に不満を持っている者もいると思うの。それをうまくたきつ
ければ、命を投げだして呪詛を行なうくらい躊躇しないんじゃないかしら。そ
れも大人ではなく分別の未熟な幼い子供なら――そう、見所のありそうな子供
を必要なだけ引き取り、わたしたちに恩義を感じるように仕向けましょう。そ
してわたしたちが王にひどいことをされたと納得させる。子供は恩に報いるた
め、さらには自分自身の復讐を成し遂げるために、いくらでもわたしたちの望
むことを自分から行ないたいと考えるようになるわ」
「でも」驚いた浣蓮は口ごもった。「難しくありませんか? そんなに都合良
くいくでしょうか」
 暁紅は少し考えてから答えた。

308永遠の行方「呪(211)」★オリキャラ中心★:2010/03/15(月) 22:55:07
「愛人を失ったら、いくらあのふてぶてしい王でも嘆くでしょうし、そもそも
王の正当性は麒麟に選ばれること。その麒麟が呪に倒れたら、そしてひとつの
州が滅亡したら。王が道を失ったがゆえに天意を失い、災厄に見舞われたのだ
と考えるのが普通だと思います」
「そして官の、民の支持を失い、王朝は崩壊する……」
「はい」
「いったん傾き始めたら、きっと止めることはできないわ。傾国の奔流はどれ
ほど王があらがおうと、すべてを飲みこむ」
 今度こそ浣蓮は女主人にうなずいて、「はい」としっかりした声を返した。
実際のところ、彼女とて内心では王の呪殺が難しいことはわかっていたろう。
「それからね、考えたのだけれど、文珠を埋めて光州を死の呪で覆うときは、
今までとは比べものにならないほど大量の気が必要になるはずだわ。でもその
ためにおまえが自分を犠牲にすることはない。一度にひとりとかふたりを殺め
るならともかく、何十人となったら、事前に必要なだけの気をためられるかど
うかわからないのだから、呪は他の者にかけさせましょう」
 それを聞いた浣蓮はさすがに目を丸くした。
「どうやって……」
「この靖州でも、荒民や浮民を大勢見かけたわね。彼らの中には不遇を嘆いて、
雁の民どころか王に不満を持っている者もいると思うの。それをうまくたきつ
ければ、命を投げだして呪詛を行なうくらい躊躇しないんじゃないかしら。そ
れも大人ではなく分別の未熟な幼い子供なら――そう、見所のありそうな子供
を必要なだけ引き取り、わたしたちに恩義を感じるように仕向けましょう。そ
してわたしたちが王にひどいことをされたと納得させる。子供は恩に報いるた
め、さらには自分自身の復讐を成し遂げるために、いくらでもわたしたちの望
むことを自分から行ないたいと考えるようになるわ」
「でも」驚いた浣蓮は口ごもった。「難しくありませんか? そんなに都合良
くいくでしょうか」
 暁紅は少し考えてから答えた。

309永遠の行方「呪(211)」★オリキャラ中心★:2010/03/15(月) 22:57:53
「男の子はやめておきましょう。幼くとも異性の考えることは何かとわたした
ちと違うはずだから。自分の不幸を絶望とともに嘆き、雁を憎いと明確に自覚
する程度には自我のある女児を――そうね、十歳前後の女の子、それも親のい
ない子がいいわ。何ならならず者に金をやって目の前で親をむごい目に遭わせ
てもいい。それをすべて王のせいにする。衝撃で茫然としているうちに引き取
って恩を着せ、わたしたちも王にむごい目に遭わされたと、そのために復讐の
機会を窺っているのだと教えこめば、きっと進んで生命を投げ出すでしょう。
だって剣や毒を使うのではなく、呪言を唱えたり文珠を置くだけなのだもの、
自分にも簡単にできると考えるだろうし、それで復讐を果たせるとわかればや
る気になるんじゃないかしら」
 浣蓮は相変わらず目を丸くしていたが、あれこれ考えを巡らせるうちに得心
したらしく、「おっしゃるとおりかもしれません」と同意した。
「子供は考えも足りないし、そこにわたしたちに都合の良い考えをたくさん吹
き込めば。そもそも大人より死を怖いと思う気持ちも小さいでしょうから、親
を失った悲しみと憎しみをすべて王に向けることさえできれば、ある意味、大
人よりずっと純粋にはかりごとをなしとげられそうです」
「良い考えでしょう?」
 荒民にしろ浮民にしろ、彼らを待つのは異国の地でのたれ死ぬだけの惨めな
末路だ。ならばそんな者たちの命を使い捨てにしてもさほどのことはない――
暁紅は淡泊にそう考えた。むしろその程度の犠牲で目的を達せられるなら願っ
てもない。
 すっかり納得した様子の下僕を前に、これでいい、と彼女は満足した。よほ
ど運命が意地悪をしなければ、そして自分たちがへまをしなければ、延麒を王
から引き離すことができるだろう。天意を受けた僕(しもべ)を失った王はふ
たたび闇に魅了され、きっとあの暗い目を、鋭利な刃のように危険で魅惑的な
笑みを取り戻すに違いない……。

310ここまでオリキャラ中心です:2010/03/15(月) 23:02:29
すみません、>>308は無視してください。

随分かかりましたが、これでオリキャラ中心のエピソードは終わりです。
というか、さすがに自分でうざくなってきたので終わらせましたw
(これでもかなりはしょってるんですが)

次回からもしばらくはオリキャラ視点が続くものの
時間軸は現在に戻ってくるので、ようやく>>252の続きになります。

3111:2010/03/15(月) 23:11:04
>>302
お気遣いありがとうございます。
今のところ、既に書いてしまった部分を
未練がましく推敲して小出しにしているだけなので大丈夫ですv

312永遠の行方「呪(212)」:2010/03/16(火) 23:36:07

 暁紅が目を開けると、そこは暗い臥室だった。窓を閉めきった中、小さな灯
火だけが静かにゆらめく。阿紫がひそやかに「お目覚めですか……?」と声を
かけてきた。
 昔の夢を見たのは久しぶりだった。暁紅は榻の上で物憂げに上体を起こすと、
応える代わりにほほえんだ。
「いつのまにか眠っていたのね。どれくらい経ったのかしら?」
「さほどの時間は。ほんの少しの間、うとうとなさっていただけです」
 ではあれは一瞬の間に見た夢だったのか。いや人の一生など、しょせんその
程度のものなのだ……。
 長いようで短かった。短いようで長い人生だった。でもこうしてすべての企
てが成功した今、彼女は満足だった。こんなにうまくいくなんて、運命は本当
に雁が滅びることを望んでいるに違いない。
 引き取った浮民の孤児のうち、一番従順で扱いやすい阿紫を彼女は残してお
いた。呪詛の報いは、いくら他人の気を使っても暁紅や浣蓮に襲いかかり、じ
わじわと体を腐らせていった。そのためどうしてもひとりは介添えとして手元
に置く必要があったのだ。
 だがこの娘の役目ももう終わる。あとはのたれ死ぬなり、ひとりで生きてい
くなり勝手にすればいい。
 引き取った大勢の娘たちの誰ひとりとして、暁紅は情を移すことはなかった。
無実の罪で夫を王に殺されて嘆く、慈悲深く悲劇的な女主人の役を演じただけ
だ。幼く純粋な娘たちは暁紅に同情し、恩に感謝し、親兄弟をむごい目に遭わ
された孤児として、暁紅のもくろみ通りに王への復讐心を抱いた。
 むろん暁紅にも浣蓮にも子育ての経験はなかったとあって、孤児を集め始め
たときは試行錯誤だった。それでも暁紅は自分に尊崇を寄せる浣蓮のごとき下
僕の扱いに慣れていたおかげで、飴と鞭とをうまく使いわけ、思ったよりも容
易に女児らを味方に取り込んだ。
 思春期を迎える頃になると自我が出てきて扱いの難しくなった者もいたが、
そういった娘は早々に呪の実験に使って処分し、事なきを得た。そもそも孤児
らは枯瘠環が発動した際の負荷を受け止める贄であり、まだ文珠を敷設しても
いない段階では、彼女らの養育とて計画の本番に備えた予行に過ぎなかった。

313永遠の行方「呪(213)」:2010/03/16(火) 23:39:07
 ようやく娘たちを育てる見通しがついたとき、いくつかあった失敗を考慮し
た上で、あらためて幼い孤児を三人引き取った。それを手が掛からなくなるま
で数年育てたのち、一緒に光州中を旅した。もちろん今度こそ枯瘠環を構築す
る文珠を所定の場所に埋めるためである。その際、簡単な呪の威力を見せたこ
とと、民が娘たちに冷たく当たるよう仕向けたことで復讐心を煽られ、孤児ら
はいっそう操りやすくなった。人数が増えても、むしろ操縦はたやすかった。
一緒に旅をした娘らが自発的に新入りに呪の威力と民の冷たさを吹きこんだ上、
目的を同じくする一定の集団ができあがると、それ自体が意志を持ったかのよ
うに、取りこまれた娘は煽り煽られていったからだ。
 女ばかりの所帯というのも怪しまれる危険を最小限にした。富裕な者が大勢
の使用人を抱えるのは当然だし、おまけに主人が若く美しい女とあれば、使用
人を女で固めても疑いをいだかれにくかったからだ。もとより一般に女は暴力
と縁遠いと思われているというのもある。
 考えを翻して去ろうとした孤児もいないではなかったため危険の生じたこと
はあったが、それでも結局は大した問題にはならずにここまで来たのだった。
 すべての鍵は、靖州に、関弓に来たこと。その気になれば、数年に一度、運
が良ければ年に一、二度ほど王の、延麒の姿を見かけることになったからだ。
暁紅の目的は王より延麒だったため、どうやって近づこうと考えあぐねたが、
幸い向こうから近づいてきた。そのために卑しい半獣にも我慢して親しげに振
る舞ったが、甲斐はあったというものだ。
 占文を装った封書を延麒が受け取ったとき、暁紅は運命に勝ったと思った。
既に枯瘠環の準備を終え、王をおびき出せさえすれば、呪をかけた上で暁紅の
名を記した紙片を示す段取りになっていた。目覚めない王に国府は焦り、必ず
や唯一の手がかりである暁紅を探そうとするだろう。そして同じ名が延麒の持
つ占文に浮かび上がれば、不思議に思った少年は意味を知ろうとするはずだっ
た。
 そこで延麒自身が単身やってくるか、官を差し向けるかは想像のかぎりでは
なかったものの、顔見知りの優しい美女を演じていた暁紅は、おそらく単身や
ってくるだろう、そして何も知らずに助言を求めるだろうと予想した。実際に
は鳴賢という青年とともにやってきたわけだが、官ですらない一介の大学生な
ど役立たずの添えものと同じ。結局少年は苦悩のままに王を救うことを選んだ
のだった。

314永遠の行方「呪(214/219)」:2010/03/17(水) 19:07:05
 邸の入口近くで家畜を酷く屠殺しておいたのは、血や怨嗟に弱いという麒麟
を弱らせ、ひいては危険を察知するかもしれない使令をも惑わせて警告を発さ
せないため。警告を発されては引き返されるおそれがあったし、暁紅はどうし
ても延麒に無情な選択肢を与えて苦しめたかったのだ。かつて王にいだいた復
讐心は、今やそっくり延麒に向けられていた。自分が望んで果たせなかった地
位にある延麒に。
 暁紅は麒麟の苦悩のさまを見られて満足だった。この少年は二度と王に会う
ことはない。王を飼い慣らした罰だ。
 とはいえ潜魂術を駆使した結果は意外だった。彼女の思いこみと異なり、実
際には延麒は王の愛人ではなかったからだ。しかしその事実を知った彼女はみ
ずからの誤解を悔いることなく、むしろ歓喜した。延麒の心の奥底を覗いて誰
にも知られぬひそかな本心を知り、何もかもを思い通りにしていると思ったこ
の麒麟にも、切実にどうにもならないことがあるのを知ったからだ。
 延麒がどのような振る舞いを許されていようと、彼の本当の望みがかなえら
れることは絶対にない。それを知って暁紅は胸がすく思いだった。
「鳴賢が待っています。延台輔の準備ができたそうです」
 女主人に肩掛けをかけながら阿紫が言った。暁紅は「そう」とだけ答え、彼
女に支えられながらゆっくり立ちあがった。
 あの莫迦な大学生も十分役に立ってくれた。何といっても延麒と知りあうこ
とができた上に、ここに案内してくれたのだから。もちろん怪しまれずに延麒
をおびきよせるため、あらかじめ新居の所在を大学生らに伝えておいたわけだ
が。
 房室の扉を開けると、厳しい表情で口を真一文字に引き結んだ青年が立って
いた。
「台輔がお呼びだ」
 固い声で暁紅に告げる。ふたたび微笑した暁紅は彼には目もくれなかった。
自分は延麒に呼ばれて行くのではない。下僕のように従順に待つ無力な少年の
元に、運命の女神として降臨するのだ。
 衣擦れの音をさせながら、彼女は暗い廊下をゆっくりと歩いていった。待ち
望んだ未来がこの先にあった。
 客房では延麒が待っていた。無言のまま、現われた暁紅を硬い表情で見やる。
 榻に座った暁紅は、暗号のように織りこんだ解除条件とともにいくつかの呪
言を唱え、延麒にすべて「諾」と答えさせた。

315永遠の行方「呪(215/219)」:2010/03/17(水) 19:10:54
 通常の呪なら、ある種のものは術者が死ねば自然に解ける。しかし王を捕ら
えた呪はもっと強固なもので、解くにはあらかじめ定められた条件を満たさね
ばならなかった。延麒に施そうとしている術も基本はそれと同じとはいえ、解
除条件を外部の事象ではなく内部、すなわち「望みがかなうこと」という当人
の心理状態に求めたため、王を陥れたときとは異なる手順が必要だった。すな
わち被術者自身が呪を受け入れるという手順が。
 解除条件を示すと同時に、それ以外の要素による覚醒をすべてはねつける強
固な呪言を唱え終え、ついで睡獄を構築する心象を思い浮かべて最後の呪言を
口にする。
 そのとたん暁紅の心にどしりとした衝撃が走り、彼女は思わずうめいた。素
手で心の臓をつかまれたかのような、鈍く重々しい衝撃。だが胸を押さえた彼
女は、視界の端で延麒がくずおれるのをはっきりと捉えた。
 これでようやくすべてが終わる。彼女も浣蓮も今まで口に出さなかっただけ
で、この企てを終えたのちも生き延びようなどとは考えていなかった。無為に
日々を追うだけの長い人生の果てに、そんな人間らしい欲求などとうに消え去
っていた。王を陥れるどころか、雁の滅亡を計らうような企てを試みられたの
も、すべては事後を考える必要がなかったがため。
 ――そう。ふたりの女は、実際は光州城が陥ちたときに死んでいたのだ。そ
の後の長い時間は、梁興に与えられた幻のようなもの。
 いったい自分の一生は何だったのだろう。何も愛さず、生み出すものもなく、
ただ流されるだけのくだらない人生だった。浣蓮にさえ真に愛情をいだいたこ
とはない。こうして王と麒麟を陥れたとはいえ彼女自身の手腕とは言えず、と
うに死んだ男の遺産を使っただけ。
 暁紅はようやく、自分がずっと死に場所を探していたことを自覚した。本当
は呪などどうでも良かった。浣蓮と違い、彼女が身につけた呪はわずかなもの
だった。潜魂術を覚えた理由は――本当は自分の心を知りたかったのだ。自分
の本当の望みを。
 だがもうそれももうどうでもいい。こうして延麒を陥れ、王から引き離した。
愛人ではなくとも、天意を受けて傍らに侍る神獣を失った王は、きっとみずか
らの心の奥にある闇を引きずり出すだろう――あのときのように。危険な光を
宿した魅惑的な目を二度と見られないことだけが心残りだったが、それでも彼
女は満足だった。

316永遠の行方「呪(216/219)」:2010/03/17(水) 19:16:12
 暁紅は微笑を浮かべたまま目を閉じた。これでやっと梁興の首を落としたと
きの、肉と骨を断つ忌まわしい記憶からも解放される。次に生まれてくるとき
は美しい蝶になろう。何も知らず何も悩まず、ただひらひらと風に乗り、花か
ら花へと飛んで蜜を吸い、季節の終わりにひっそりと命を終える蝶に。
 そうして彼女の意識は、永遠の暗黒の中にゆっくりと沈んでいった。

 成り行きを見守ることしかできなかった鳴賢は、六太が声もなくくずおれる
のをただ見ていた。同時に暁紅が胸を押さえて苦しそうにうめいたが、彼の視
線は床にうずくまるようにして倒れた六太に釘づけになったままだった。
 六太はうめきもせず、ぐったりと床に伏している。榻の上で同じように伏し
た暁紅の体に、蒼白になった阿紫が手をかけた。
「……倩霞さま」
 少女は震える声でそっと呼びかけたが、女主人はぴくりともしなかった。
「倩霞さま。倩霞さま――」
 応えのないまま幾度も呼び続けた少女は、ついにすすり泣きの声を上げた。
 鳴賢は激しく動揺しながらも、この女は今度こそ死んだのだろう、と考えた。
素人考えでは眠りに捕らえるという呪が、直接的に死をもたらす呪詛に比べて
それほどの負担を生じるとは思えなかった。しかし既に十分すぎるほど弱って
いたがために、ちょっとした負荷でも耐えられなかったのかもしれない。そも
そも仙は不老不死であり、怪我を負いにくく病気にもかからないと言われてい
る。なのにこうして全身が腐り果てるほどなのだ、おそらく只人ならとうに死
んでいたろうし、ここまで長らえたのも仙であればこそなのだろう。
 ――六太は間に合ったんだな。
 萎えそうな足を叱咤して踏みとどまりながら、彼は泣きそうな心で考えた。
暁紅が六太にかけたふたつの呪が決定的な打撃を与えたのだとしても、この女
は見るからに余命いくばくもないという感じだった。あと何日かでも遅かった
ら六太が身代わりになることもできず、王の眠りを覚ますことは望めなかった
のかもしれない……。
 そこまで考えて冷水を浴びせられたようにぞっとする。本当に暁紅は真実を
語っていたのだろうか。やはりこれは罠で、まんまと六太が術にかけられただ
けでなく、王も眠りから覚めずに昏々と眠り続けているのではないだろうか…
…。

317永遠の行方「呪(217/219)」:2010/03/17(水) 23:13:48
 彼はようやくふらふらと六太の元に歩み寄り、倒れ伏したままの少年の傍ら
に力なく膝をついた。そっと肩に手を置いてみる。温かなぬくもりと静かな呼
吸、だが瞼は固く閉ざされている。遠慮がちに肩を揺すってみたものの、まっ
たく反応はなかった。
 本当に呪の眠りに捕らわれてしまったのか。今さらながらに恐怖を覚え、閉
ざされたまなこをひたすら凝視する。
 房室の一方では阿紫が泣きながら立ちあがり、暁紅の亡骸を必死にかかえあ
げようとしていた。女主人がまとっていた美麗な装束の乱れを直して身仕舞い
を整えてから、か弱い少女の細腕で奮闘し、ほどなく彼女は暁紅の骸とともに
扉の向こうに消えた。ふたたび閉ざされた扉の内部に静寂が戻る。
「六太……」
 鳴賢のささやくような呼びかけに、六太はまったく反応しない。ただ静かに
伏しているだけ。
「そんな。こんなことが本当に……」
 彼のひそやかな声を聞く者は既に誰もいないのだった。鳴賢はぶるぶると身
を震わせながらも、混乱する頭で必死に考えた。
「そ――うだ、国府に連れていかなきゃ。とにかくここを出なきゃ」
 ぐったりとした六太をかかえあげようとして、床の上で扇のように広がる豪
奢な金髪に目をとめる。このまま町中を歩いたら大騒ぎになってしまう。
 鳴賢はあたふたと周囲を見回し、六太が頭巾として使っていた布が、無造作
に大卓に置かれているのを見て手に取った。それで六太の頭を覆い、目立つ長
髪を必死に隠そうとする。手が震えてなかなか布を巻けなかったが、見た目が
無様にはなったものの何とか髪を頭巾に押しこんで隠した。その際、目と鼻の
先で少年の幼い顔をまじまじと見、ほの暗い房室の中でも眉に薄茶色の眉墨ら
しきものがなすりつけられているのを認めた。
 これまで彼は何となく、六太の髪が淡い茶色だと思っていた。それはこの眉
のせいだったのだ。
 だが産毛さえも見分けられるほど間近でよくよく見れば、伏せられた長いま
つげは金色だった。おそらく本来の眉も同じ色なのだろう。それではすぐ正体
を知られてしまうから、髪を布で覆って隠すと同様に、眉墨をつけて変装して
いたのだ……。

318永遠の行方「呪(218/219)」:2010/03/17(水) 23:35:46
 彼は以前、延台輔が視察のため大学を訪れたときのことを思いだした。
 大学寮の飯堂で鳴賢とともに卓に座っていた楽俊に、「自分もいわば半獣だ
から」と宰輔は気安く声をかけてきた。手を伸ばせば届く距離に神人に立たれ
た鳴賢らは焦り、座ったまま畏れ多くてずっと目を伏せていた。だから顔は見
ていない。むろん緊張のせいで正体に気づかなかったというのもあるが、今に
して思えばあのときの六太は多少声も作っていたのだろう。
 六太を背負いあげた鳴賢は、少年のあまりの軽さにふたたびぞっとなった。
見た目よりはるかに幼い――まるで四、五歳の幼児を背負っているかのようだ
ったのだ。確かに六太は小柄だし華奢でもあったが、その軽さは常識を超えて
いた。
 麒麟という神獣の特性なのだろうか。あるいはこれも呪による恐ろしい作用
なのか。鳴賢にはどちらとも判断がつくはずもない。
 泣くまいと思いながら彼は房室を出、ひっそりと静まり返った廊屋をたどっ
て院子に出た。締め切った邸の中はあれほど暗かったのに、実際にはまだ冬の
日は落ちておらず、にじんだ夕陽があたりを赤々と染めていた。
 中門を出、大門をくぐって広途に出ると、そこは紛うことなき日常だった。
人々は忙しく行き交い、あるいは道端で和やかに談笑し、先ほどまでの恐ろし
い出来事が嘘のようだ。誰も鳴賢を気にとめず、その背に負われた少年の正体
と囚われた運命に気づかない。静かに眠っている六太を見て、疲れて眠りこん
だ弟を兄が負っているだけと誰もが思うだろう。だが実際は少年は王と国のた
めに自分を犠牲にし、邪悪な術に囚われてしまったのだ。
 ――何も感じず、何も考えず、ただ呼吸をしているだけの木偶になる。
 嘲弄を帯びた暁紅の声が脳裏に蘇った。夢も見ない、死と同様の眠り。六太
が口にした「もう、いいんだ」という優しい諦めの言葉。
 ――麒麟にはもともと何もない。生命すら自分のものではなく、本当は自分
の意志だってない――。
(そんなはず、ないじゃないか)
 耐えきれず、鳴賢は心中で六太に呼びかけた。ここに来るまでの道中で交わ
した和やかな雑談を思い起こす。あのときの六太は本当に楽しそうだった。

319永遠の行方「呪(219/E)」:2010/03/17(水) 23:39:18
(今、やりたいと思ってるのは講談なんだ)
(大勢で歌うのってけっこう楽しいもんだぜ)
 本当に自分というものが、自我がないというのなら、あんなふうにはしゃげ
るはずがない。そもそも蓬莱で親に捨てられたことを苦しく思うわけがない。
 だがそれでも六太は言ったのだ、麒麟は所詮、天の傀儡でしかないと。麒麟
の生命さえ続いていれば王朝には何の障りもないと。
(じゃあ、おまえはどうなるんだ、おまえの気持ちはどうなるんだ)
 心中で悲痛に叫んだ彼は、ついに涙をこらえられなくなった。黄昏の中、滂
沱と涙を流しながら背の六太に語りかける。
(麒麟だから? じゃあ麒麟でない六太のことは誰も心配しないのか。主上さ
え健在なら、誰も六太を救おうとは思わないのか。そんなはずないだろう。そ
れとも本当にそうだって言うのか。宮城にはそんな無慈悲なやつしかいないの
か)
 むろん答えはない。
 国官を目指していた鳴賢も、実際の宮城のことは何も知らないに等しかった。
もしかしたら六太のことは、崇められているとしても本当に麒麟としか見られ
ていないのかもしれないが、だとしても誰を責めるわけにもいかない。なぜな
ら彼自身もこれまで麒麟が人と同じように悩んだりするとは思っておらず、尊
崇という言葉を隠れ蓑に、ある意味で無関心だったのだから。
 自分は無力だ。どうしようもないほどに。
 だがたとえ本当に宮城の人間が情け知らずだったとしても、六太はそこへ連
れていくしかない。自分には何もできないから。六太を救えるとしたら宮城の
人間だろうから。
 鳴賢は袖でぐいと涙をぬぐうと顔を上げ、唇を固く引き結んだ。そうして黄
昏に彩られた雑踏の中を、国府に向かってとぼとぼと歩いていった。

- 「呪」章・終わり -

320永遠の行方「呪(後書き)」:2010/03/17(水) 23:44:13
なんでこんなに長くなったんだろうなあ……。

とまれ、これで「呪」章は終わりです。
尚六的にはようやく「起」が終わったという感じ。

「承」である次章「王と麒麟(仮)」は、一言で言うと膠着状態。
謀反の首魁であるオリキャラ関係はもう出ないので事件はなく、
何とか六太を目覚めさせようとして果たせずに月日だけが過ぎていきます。
陽子や景麒も登場するし、今度こそ原作キャラが主体になるはず。
(実質的にオリキャラの鳴賢は出ますが、風漢の正体等々を知らない狂言回しは必要なので)

描きたいのは次章ラスト以降とあって、早くその辺りに辿り着きたいものですが、
羅列しただけのエピソードを整理して構成を確定したり、
複数ある演出を取捨選択するため、次章開始までまた何ヶ月か間が開きます。

321名無しさん:2010/03/18(木) 00:36:22
乙です。
久しぶりにきたら更新されてて嬉しいです。
これからゆっくり読みます。

322永遠の行方「王と麒麟(前書き)」:2010/05/14(金) 20:58:31
  呪者の死亡で謀反自体は解決したものの、
  昏々と眠り続ける六太については手の打ちようがなかった。
  手がかりは、呪を強固なものにするため
  あえて唯一設定された解除条件。
  六太の一番の願いとは何なのか……。

というわけで、もったいぶって↑なんか書いてみましたが
前に書いたように膠着状態の章のため
「事件」というほどはっきりした動きはありません(その予定)。
それだけに逆に書くのが難しくて苦戦中……。
で、このままだとあと三ヶ月は投下できなくなりそうなので
「きりの良いところまで」「見通しが立ったら」とか思わず
ちまちま置いていくことにしました。
ただしもしかしたら途中でかなり間が開くことがあるかもしれません。

またこれだけ無駄に長くなると自分でも細かい設定を忘れてたりするので
変なところがあったら突っ込んでください。
辻褄を合わせるか、「それは忘れてください」宣言しますw

尚隆、朱衡等の雁国側キャラが中心なのは当然として、陽子と景麒も出る予定。
六太については章が終わる直前まで、ずーっと眠り姫状態です。

323永遠の行方「王と麒麟(1)」:2010/05/14(金) 22:18:16
 意識のない宰輔が閉庁間際の国府に運び込まれたことは、即座に宮城に伝え
られた。麒麟が昏睡状態に陥ったとは天下の一大事だが、国府の一般の官はむ
ろん、雲海上で王が伏せっていること、そもそも光州に赴いたはずの王が関弓
に戻っていることは知らされていない。それゆえ彼らの反応は、騒然としなが
らも恐慌に陥るほどではなかった。
 連絡を受けた大宰は仁重殿に迎えた宰輔を黄医に診察させ、大司寇は冢宰や
大司馬とともに、宰輔を背負ってきたという男の尋問に関する報告に目を通し
た。
 謀反人の一味と思しきその人物の姓名と氏字に目を留めた大司寇は、しかし
はたと考えこんだ。それから自分の府吏を差し向けて、件の男を大司寇府まで
連れてくるよう命じた。

 三十歳前後と思われる男は、罪人のように後ろ手に縛られ、引きずられるよ
うにして連行されてきた。そのさまを見た朱衡は端正な顔をしかめた。
「こんな扱いをせよと命じたつもりはないが。縄を解くように」
「しかし……」
「いいから解きなさい。どうやら事件に巻き込まれたようだ」
 朱衡は自分の侍史(書記)だけを残して官を下がらせ、鳴賢という字のその
男に傍らの椅子を示した。
「では詳しい話を聞こう。そこへ座りなさい」
 男は伏せていた顔をのろのろと上げ、朱衡を見た。そのまま崩れ落ちるよう
に膝をついて叩頭する。
「お願いです、六太を助けてください。お願いです、お願いです」
 彼は何度も何度も頭を床にこすりつけ、泣きながら震える声で繰り返した。
朱衡は少し表情をやわらげてこう言った。
「もちろん台輔はお助けします。そのために何が起きたのか、最初から順を追
って説明してもらいたいのです。既に国府から報告は受けているとはいえ、本
人に直接聞いたほうが早いですからね」
 鳴賢は手を床についたまま、泣きぬれた顔を上げた。

324永遠の行方「王と麒麟(2)」:2010/05/15(土) 19:45:24
「主上は――主上はお目覚めになりましたか? 六太は主上の身代わりになっ
たんです。それが謀反人との取引だった。でもあの女は六太をだましたのかも
しれない。もし主上が――」
「主上は先ほどお目覚めになりました。心身ともにお健やかであらせられます」
 それは事実だった。宰輔昏睡の報を受けて六官が愕然としたまさにそのとき、
正寝に詰めていた女官が「主上がお目覚めになりました!」と駆け込んできた
のだから。その時点で既に典医は簡単な診察を終えており、女官を通じて何の
問題もないと伝えてきた。
 鳴賢は茫然とした顔で座りこむと、涙を滂沱と流した。
 朱衡は女官を呼んで茶を出させ、再度説明を促した。熱い茶を口にした鳴賢
はようやく少し落ち着いたらしく、震えは残るものの、しっかりとした口調で
説明を始めた。
 まずは宰輔六太と自分の関係、小間物屋を営んでいた倩霞のこと、彼女の元
へ案内してくれと六太に頼まれたこと……。
 事件の直後だけに彼の記憶は明確で、内容にも矛盾はなかった。もとより大
学生とあって、論旨をまとめたり弁論を行なったりということになじみがあっ
たせいもあるだろう。
 ――そう、国府の報告を見るまでもなく、朱衡は彼の身分や人となりを知っ
ていた。尚隆と六太が目をかけている楽俊と幾度か言葉を交わしたことがあっ
たし、その際、鳴賢というおもしろい字の学生についても聞いたことがあった
からだ。
 話すうちにだんだん落ち着いてきたのだろう、鳴賢は目を伏せ、淡々と事実
のみを語った。房室の片隅では侍史がさらさらと筆を走らせて内容を記録して
いる。
 呪をかけられた六太を背負い、国府にやってきたところまで話し終えた彼は、
そこで言葉を切って深々と頭を下げた。
「あとはご承知のとおりです」
 朱衡はうなずいた。
 先刻、六太が「出かけてくる」と言ったときの情景が蘇る。鳴賢の話はその
朱衡の記憶と見事につながっていた。あのときにわかっていれば、何としても
引き留めたものを――。

325永遠の行方「王と麒麟(3)」:2010/05/17(月) 00:17:39
「委細はわかりました。ご苦労でしたね」
「いえ……」
 青ざめたままの鳴賢に、朱衡は微笑してみせた。
「先ほども言ったように、主上は心身ともにお健やかであらせられる。もとも
と神籍にあられるかたなのだから、そう簡単に呪だの何だのに冒されるはずも
ないのです。台輔にしても神籍にあられるのは主上と同じゆえ、この不遜な企
ては必ずや近日中に解決するでしょう。安堵するように」
「……はい……」
「今のところは、ひとまず大学寮に戻ってよろしい。またあとで何か尋ねるこ
とがあるかもしれないが、それまで普通に過ごしていなさい。むろんこの件に
関しては、くれぐれも他の者に知られないように」
 鳴賢は、ただ無言で頭を下げた。
 朱衡は筆記を終えた侍史に、鳴賢を大学寮まで送るよう命じた。房室の扉が
閉じられて人気がなくなると、彼はついと体を引き、傍らの衝立に向き直った。
「やはり巻き込まれただけでしょう」
 椅子のきしみと衣擦れの音。衝立の陰から現われた尚隆は「もちろんだ」と
うなずいた。
「そもそもあれは謀反に荷担するような男ではない。年齢相応の功名心を持つ、
普通に善良でまっとうな気性の持ち主だ」
 王の様子には、半月以上に及ぶ昏睡を窺わせるものは何もなかった。朱衡は
侍史が記した書類の束を手に取って主君に示した。
「彼の記憶は明快ですね。台輔と謀反人とのやりとりも逐一覚えているようで
す。彼が見聞きした内容は、ほぼ正確に再現されたことでしょう。何にしても
台輔がおひとりで謀反人の元に乗り込まずに良かった。既に起きてしまったこ
とをとやかく言っても仕方ありませんが、少なくとも経緯はわかりましたから、
ここから何か手がかりを得られるかもしれません」
 尚隆は「そうだな」と応じ、懐から一枚の書き付けを取り出した。それは六
太が鳴賢に託した官への伝言だった。鳴賢はそれを六太の懐に納めた上で彼を
背負ってきたため、鳴賢の証言を待つまでもなく、黄医の診察に当たって六太
の体を改めた女官が見つけたのだった。

326永遠の行方「王と麒麟(4)」:2010/05/17(月) 00:19:39
「しかし、こんなことになっていたとはな」
 ややあって尚隆は溜息を漏らした。さすがの王もこの事態は想像の埒外だっ
たろう。
「俺の記憶は幇周で途切れている。病に冒された女が何か口の中でつぶやいた
と思ったら、次には宮城の牀榻で寝ていた。狐につままれたような気分だ」
 そう言って六太が託した言伝をひらひらとそよがせる。既に書面の内容は朱
衡も見ており、六太がどれほど厳しい決意を持って謀反人と取引したのかもわ
かっていた。そして実際に六太は昏睡に陥り、先刻まで尚隆がそうだったよう
にまったく目覚める気配はなかった。
「先ほどの大司馬の報告では、件の邸に差し向けた兵は首魁の女と従者の亡骸
を見つけたそうです。晏暁紅の名が仙籍から消えたことも確認しましたので、
倩霞と名乗っていた女が暁紅本人であることに間違いはないでしょう。従って
残党がいるかどうかはわかりませんが、今のところ探索の糸は切れた形です」
 女主人の亡骸を臥牀に安置し周囲を花で飾ったあと、ただひとり残った側仕
えの娘も傍らで毒をあおって自害していた。鳴賢がいたときにこの話をしなか
ったのは、いくら関わりを持ったとはいえ、今の段階でそこまで詳細を知らせ
ることはないと判断したからだ。
 兵に邸内を調べさせているものの、今のところ謀反の動機や呪に関係すると
思われる書類や道具は見つかっておらず、六太を目覚めさせるための方法はわ
からなかった。尚隆が昏睡に陥っていた間もなすすべがなかったのだから当た
り前ではあるが。
 尚隆は、ふむ、と考え込んだ。
「いずれにしろこの件に関しては、呪者は真実を語った上に約束を守ったこと
になる。六太が昏睡に陥ると同時に俺が目覚めたのだからな。自分と大勢の従
者の命を犠牲にしてまで、結局何が目的だったのか、解せん話だ」
 彼はそう言うと、六太の言伝をふたたび懐にしまった。そして「どれ、顔を
見に行ってやるか」とつぶやいてから、朱衡の表情に気づいて笑った。

327永遠の行方「王と麒麟(5)」:2010/05/19(水) 20:06:59
「そう案ずるな。目覚めるものならそのうち目覚める。謀反人との取引の結果
とはいえ俺が目覚めたということは、同様に六太の呪も解く方法があることを
示しているのだからな」
「もちろんです」
 朱衡は硬い表情ながらも、しっかりとうなずいた。このまま六太が永遠に目
覚めないなど、絶対にあってはならないのだから。

 仁重殿に赴いた尚隆は、まっすぐ主殿の臥室に向かった。出迎えた女官らは
複雑な表情だ。王が目覚めてほっとした代わりに、直接の主である六太が昏睡
に陥ってしまったのだから無理もない。
 厚い帳で閉ざされた牀榻の扉の奥を見た尚隆は、控えていた黄医に「どのよ
うな状態なのだ?」と尋ねた。
「昏々と眠り続けておいでです。主上の侍医とも話を致しましたが、症状とし
ては主上が昏睡に陥っておられたときと非常に似通っているようです。ただ主
上は何の反応もお見せではなかったそうですが、台輔は普通にお寝みであるか
のように、多少は表情などを動かされることがあります」
「ほう?」
 わずかに考え込んだ尚隆は彼らに「少しはずしてくれ」と言って人払いをし
た。帳を開け、その奥に横たわるおのれの半身を目にする。
 軽く吐息をついてから、尚隆は臥牀の端に腰掛けた。手を伸ばして六太の金
の髪に指を通し、頭をそっとなでる。何の反応もないが、傍目にはぐっすりと
眠り込んでいるだけとしか見えなかった。
「まったく……」彼は口の端に困ったような笑みを浮かべた。「おまえは心底
から麒麟なのだな。民のためとあらば、嫌いな王の身代わりになるのも躊躇せ
ぬか」
 鳴賢の証言を衝立の裏で聞いていたとき、尚隆は初めて六太の身の上を知っ
た。おそらく朱衡もそうだろう。これだけ長い時間をともに過ごしながら、尚
隆は六太が蓬莱で両親に捨てられたことなどまったく知らなかったのだ。それ
が蓬莱で為政者が起こした戦乱のせいであることも、ゆえに六太が為政者と名
の付く存在をすべて厭い、かつて王を選ぶことさえ拒んだことも。
 だが知らずとも無理はなかった。麒麟は本来、蓬山で生まれ育つ。蝕によっ
て蓬莱なり崑崙なりに流されたとしても、民らが願うのは幼い麒麟の帰還のみ。

328永遠の行方「王と麒麟(6)」:2010/05/21(金) 00:48:45
尊き神獣がよもや異世界で親に捨てられるとは思ってもみないし、流されたの
は不運としても、日々の糧にも困り、貧困と飢えに苦しむとは想像すらできな
いだろう。そして幸運にも探し当てられて無事に帰還したあとは、本来いるべ
き場所に戻った以上、王を選び王に仕えることを求めるのみ。あるとすればせ
いぜい、神獣ゆえ異世界でも尊ばれたに違いないとのおぼろな思いこみぐらい
で、麒麟に異世界での境遇を尋ねるという発想さえ持たないだろう。そして生
い立ちに関わる記憶がつらいものだった場合、誰にも尋ねられなければ、麒麟
自身もその記憶を掘り起こしてまで身の上を語ろうとはしないに違いない。い
きずりの旅人や似たような境遇の孤児など、二度と会わないだろう相手に、正
体を明かさぬまま心中を吐露することならあるだろうが。
 実際、尚隆もこれまで六太に生い立ちを尋ねようとはしなかった。むろん向
こうで出会ったことではあるし、こちらに来てから彼も胎果であることは知っ
たので、雑談の際に出自について水を向けたことはある。だが記憶しているか
ぎり、六太は気のない返事をしただけだ。そして帰還が四歳かそこらだったの
なら、あまり覚えていなくとも無理もないと軽く受けとめた覚えがあった。
 蓬莱での出会いも、後から何となく「王の探索のためだったのだろうな」と
考えていた。既におぼろになっている登極当時の記憶を振り返ってみても、雁
の官のみならず、蓬山の女仙もそのように捉えていたようだった。よもやそれ
が、王の選定を嫌がって蓬山から出奔した果ての邂逅だったとは思いもよらぬ
ことだった。
 親に捨てられ、負わされた運命を拒み、生まれ故郷の蓬莱に逃げ帰った。思
えば出会ったときの六太は、妙に大人びて暗い目をした子供だった。麒麟は王
の選定から逃れることはできないと、のちに自嘲気味に言っていたのを聞いた
こともあった。
 おそらく六太は、蓬莱で家族とともに平穏に過ごしていたかったことだろう。
神獣としてではなく、無名の只人として。だが結局は運命から逃れることはで
きず、尚隆を選んで連れ帰った。その後、六太は長らく尚隆と距離を置いてい
たが、すべてがわかってみればなるほどと思えるのだった。何より五百年もの
歳月が経ってさえ生い立ちについて口にしないということは、六太にとっては
未だに思い出すのがつらい記憶なのだろう。
 麒麟という生き物は哀しいものだなと、尚隆はひとりごちた。いくら当人が
名もなき生涯を望んでも、あいにく運命のほうは手放してくれない。自分の欲
求に反して王を選び、今また国のために迷うことなく自分の生を放棄し――。

329永遠の行方「王と麒麟(7)」:2010/05/21(金) 19:16:35
 麒麟の卵果が生る木は捨身木という。それは私心を持たず、ひたすら国のた
め民のために尽くす存在であることを示しているがゆえだろう。
「まあ、待っておれ。呪などすぐに解いてやる」
 困ったような笑みを浮かべたまま、尚隆はそっとつぶやいた。

 一方、こちらは鳴賢。
 閑散とした大学寮の自室に戻った彼は、しばらく茫然と座り込んでいた。ま
だ夕餉を済ませていないことに気づいたのは、かなり時間が経ってから。しか
しいっこうに空腹は感じなかった。
 既に夜も更けている。六太がやってきたのは、まだ日も高いうちだった。気
分転換を兼ねて外で夕餉を食べようと思い、そのついでに六太を案内しただけ
なのに――。
 もはやずいぶんと昔のことのようだ。
 彼は顔を上げ、簡素な室内をゆっくり見回した。ようやく日常に戻ったはず
なのに、岩をくりぬいて作られた房間のたたずまいはそっけなく、見知らぬ場
所のようだった。
 六太を連れていった国府で、彼は罪人同然の扱いを受けた。「まず事情を聞
かなくては」と慎重な姿勢を見せた官も上長の命に押され、民に知られぬよう
に奥に通されたあとで縛りあげられた。拷問こそされなかったものの言葉と態
度で謀反人と見なされたのは明白で、あまりの仕打ちに憤激した。だがその気
持ちもすぐに萎えてしまった。何と言っても意識が戻らない六太に誰よりも衝
撃を受けていたのは鳴賢自身であり、その事実の前に打ちひしがれていた彼は、
抗弁する気力さえも失せてしまったからだ。むしろ聞く耳を持たない多くの官
の反応に、無慈悲な人間ばかりかもしれないとの想像が裏付けられた気がして、
余計に打ちのめされた。
 だがそうやって厳しく尋問されていたところへ、慌ただしく別の官吏がやっ
てきて何かを耳打ちし、途端に彼らは明らかな狼狽を見せてひそひそと話を始
めた。ついで「大司寇がじきじきに尋問なさるそうだ。覚悟しておけ」と冷や
やかに言われ、鳴賢は目の前が真っ暗になった。
 普段の彼なら千載一遇の機会と捉え、身の潔白を証立てるとともに顔をつな
ぐことができると意気盛んに思ったかもしれない。しかし打ちひしがれて抗弁
する気力さえ萎えた状態では、このまま謀反人の一味と見なされて投獄され、
大学も除名されると思い、自分の人生は終わったと観念した。

330永遠の行方「王と麒麟(8)」:2010/05/21(金) 20:15:13
 罪人のように縛られたまま雉門を通り、さらにいくつかの門を過ぎ、まさか
こんな形で雲海上に赴く羽目になるとは思っていなかった彼は、威容に満ちた
宮城のたたずまいの中で萎縮するしかなかった。何をどう抗弁しても、聞き入
れられることはないだろう。自分がいかにちっぽけな存在であるかを真に思い
知った気がした。
 だが彼を引見した大司寇は、想像していたような人物ではなかった。即座に
「事件に巻き込まれたようだ」と言い、縄を解くように命じてくれた。むろん
最高位の国官のひとりなのだから威厳に満ちていたし、何より宰輔昏睡という
前代未聞の事件の前に厳しい声音だったが、少なくとも国府の官よりはるかに
丁重に扱ってくれた。それで鳴賢はようやく、末端の官の中には徳に欠ける者
がいるとしても、やはり高官となるとそれなりの人徳を兼ね備えているのだと、
衝撃から脱せないまでもどこか安堵の気持ちを覚えた。
 きっと大丈夫だ、そんなふうに自分に言い聞かせる。あの大司寇ならきっと
六太を助けてくれる。それに――そう、主上はちゃんと目覚めたとも教えてく
れたじゃないか。麒麟は王の半身なのだから、きっと主上も手を尽くしてくれ
る……。
 王の人となりについての六太の言葉を思い出す。形容だけでは俗物としか思
えなかったが、大学で学んだ数々の勅令を思い起こせば、深い見識と決断力を
備え、慈悲にあふれた人柄であるのは確かだ。立派な人物でも私生活はだらし
ない者もいるが、おそらく延王はそういう種類の人間なのだろう。ならばきっ
と六太を助けるべく奔走してくれるに違いない。
 鳴賢はそう自分に言い聞かせると、書籍を取り出して書卓に向かった。
 今回、自分はたまたま事件の一端に関わっただけだ。六太と暁紅のやりとり
も、託された伝言も、すべて大司寇に伝えた――六太の「死ぬ前に好きな相手
が誰かを教える」という約束、最後に「町中で王に会うことがあったら伝えて
くれ」と前置きして言われた言葉など、六太が他言を望んでいないだろう事柄
以外は。おそらくもう何も教えてはもらえないだろうし、現実問題として役に
立てることもないだろう。
 ならば自分にできることは勉強しかない。必死に学んで、やがて国官となり、
国のために尽くすこと。
 それが自分に残された唯一の道だと鳴賢は思った。

331永遠の行方「王と麒麟(9)」:2010/06/05(土) 09:47:08

 王の覚醒を受け、夜明けを待たずに緊急に朝議が召集された。入れ替わる形
で昏睡に陥った宰輔六太についてもその場で報告がなされたため、「今度は台
輔か」と一同に緊張が走った。しかし王が目覚めた以上、王自身が言うように
六太についても手立てはあると考えられ、昨日までと違って臣下らの表情には
余裕があった。
 この頃には六太が残した伝言における言及のほか、もろもろの状況から鳴賢
による証言はほぼ真実と判断されており、暁紅が潜伏していた邸に差し向けた
兵による捜査状況と併せ、大司馬と大司寇から詳細な顛末が報告された。
 もはや倩霞と名乗っていた女が、梁興の寵姫だった晏暁紅であることに間違
いはなかった。信じがたいことに彼女自身が謀反の首謀者であることも。
 具体的な動機はいまだ不明とはいえ、鳴賢の証言に信を置くなら王と麒麟に
深い恨みを抱いていたらしい。とすれば他に原因を考えられない以上、かつて
の光州城の陥落が動機と解釈するしかなかった。彼女自身が梁興を討って籠城
を終わらせたのは事実としても、そういう状況に追いやったとして国府を、王
を逆恨みし、さらに貞州城で蟄居同然の生活を送ったことで鬱憤がたまり、長
い間に謀反へと気持ちが固まっていったのだろう。
「だが暁紅は冬官でも何でもない。仙であるというだけの素人だ。今回の光州
の事件も、梁興が作らせていた文珠を落城のどさくさに紛れて持ち出して隠し、
それを使っただけと思われる。最初から含むところがあったのだな。だが知識
がないためにどのように使うものなのかがわからず時間だけが過ぎていき、最
近になってやっと準備が整ったということだろう」
 そう述べた大司馬に、別の官も同意した。
「梁興のそばにいたのだから、不穏な呪が開発されていたことも当然知ってい
たでしょうな」
「それに貞州城での生活ぶりからも、暁紅が不満をためる種類の人間であるこ
とは窺えましたし、それでいて技術的な知識や能力がなかったこともわかって
います。それを鑑みるに、能力もないのに『正当に評価されず虐げられている』
と不満を募らせる輩に通じるものがあったのでは」

332永遠の行方「王と麒麟(10)」:2010/06/08(火) 22:01:03
「なるほど。落城間際という状況でおそらく処罰から逃れるために梁興を討ち、
その際、万が一自分に害が及ぶなり何なりしたときに主上に意趣返しするため
に、文珠をかすめ取って隠しておいた――その辺が妥当でしょうね」
 口々に推測を述べた官らに大司馬は「確かに」と大きくうなずいた。
「暁紅が梁興を討ったのは落城間近の閨、いわば追いつめられてのことだ。計
画性があったとは思えないし、その後の態度から推して、謀反の連座による処
罰を恐れ、単に国府におもねるためだった可能性は高い。だが処罰されないま
でも貞州でただの女官として過ごす羽目になり、奢侈に慣れた寵姫としては憤
懣やるかたなかっただったろう。実際、貞州側の証言から暁紅が処遇に不満を
抱いていたことはわかっている。それで結局は叛意を固めて貞州城を辞し、隠
しておいた文珠を使って復讐を企てたと思われる。むろん逆恨みでしかないわ
けだが、一般的に言って女というものは男より感情に走りがちだ。特に恨みを
抱いた女ほどしつこいものはない。それを思えば今回の事件における不可解な
部分もおそらく、他人には理解できない暁紅なりの論理に則ってはいたのだろ
う」
 大司馬はそう言って報告を締めた。他の面々も「当人なりの言いぶんはあっ
たろうが、大筋はそんなところでしょうな」と同意した。
 というより既に動機はどうでも良いとさえ言えた。問題は暁紅に残党がいる
かどうか、つまり謀反の企てが終わったか否かなのだから。
 目下のところ彼女に下僕以外の協力者がいた様子はない。倩霞名義で経営し
ていた小間物屋、これは市井での王や麒麟の動向を探るための場所だったと思
われるが、とりあえず謀反のことは伏せ、流行病が出たためという理由をつけ
て建物を調べたものの、手がかりと言えるものは見つからなかった。
 なお数ヶ月前に暁紅は転居していたが、実は転居先の邸もずいぶん前に彼女
が買ったものであることがわかった。店に出ていた数人の娘以外の下僕、特に
幼い者は、そこでずっと人目を避けるようにして静かに暮らしていたらしい。

333名無しさん:2010/06/19(土) 15:34:17
鳴賢乙。いい奴だ。
やっぱり尚六はいいですね。

334永遠の行方「王と麒麟(11)」:2010/06/25(金) 19:12:50
繁華街の小間物屋に子供や妙齢の娘ばかり大勢置けば妙な興味を持たれるに違
いなく、それを避けるためだったのだろう。何十人もいれば中には謀反の意志
を翻す者も出るだろうし、秘密を守るには、そんな彼女らと接触する人間は極
力少ないほうがいいのだから。
 夜を徹して邸内を捜索しているところだが、庭のあちこちに掘り返した跡が
あり、そこから娘たちの変わり果てた姿が見つかった。暁紅の語った内容が真
実なら、主人に命じられるまま光州の里廬を害する呪詛を行ない、その報いを
受けて生命を落としたに違いない。
 しかし現在のところ、光州の奇妙な病や六太の昏睡をもたらした呪そのもの
に関する手がかりは得られていなかった。存命の協力者がいて持ち出したので
なければ、暁紅もしくは下僕が最期に当たって慎重にすべてを破棄したと思わ
れた。資料があれば宰輔を目覚めさせる手がかりを与えることになりかねない
のだから、謀反人の行動としては順当なところだろう。
 埋められていた娘たちについては、天官府から派遣された医師のひとりが代
表して報告を奏上した。
「まだ掘り起こしたのは十歳から十八歳ほどの数体に過ぎませんが、遺体の状
態から推して死亡時期は異なっているものの、いずれも今から数ヶ月ないし一
年ほどの間に死んだと考えてよろしいしょう。光州で奇妙な病が起き始めた時
期と一致するのと、数ヶ月内に死んだらしい娘の遺体は季節柄保存状態が良く、
そこに明らかに暁紅と同じ体が腐る症状が認められたため、呪詛の行使の結果
と見るのが妥当と思われます」
 娘らの旌券がなかったため身元がわかった者はひとりもいなかった。鳴賢の
証言もあり、おそらくすべて浮民だったのだろう。

335永遠の行方「王と麒麟(12)」:2010/06/26(土) 00:08:48
 むろん幼い彼女たちが真に自由意志で呪を行なったかどうかの確証はない。
しかし酷い殺されかたをした家畜の怨嗟を察知した六太が気づかなかったらし
いこと、何より自分の不遇を嘆いて雁を逆恨みし、暁紅に心酔していた者ばか
りだったというなら、復讐のために進んで生命をなげうったとしても不思議は
ない。一般に若者は他人の言動に影響されやすいものだし、活気にあふれてい
るだけに煽られれば無謀なことも平気でやりかねない。しかもそれが自分たち
を幼い頃に引き取って恩を施してくれた主人の命とあらば、みずからの復讐心
も満たせるとあって喜んで実行するだろう。いわば純真さゆえの暴走とも言え
るが、暁紅はそういった年代の娘たちをうまく操ったのかもしれない。
 最後に残った阿紫という娘、これは毒をあおって主人の後を追ったが、彼女
だけは病に冒された様子はなかった。しかし遺書めいたものもどこにもない。
「結局わからないことばかりか」
 一同は溜息をついた。
「しかし逆恨みとはいえ、いったい麒麟たる台輔に何の恨みがあったのでしょ
う。常軌を逸していると思うほかはなく、そんな輩の論理を推し量るのは無駄
でしょうね」
「それでも全員死んだのであれば、ある意味で事件は解決したことになるが…
…」
「暁紅は偽名で戸籍を作っていた。その辺を含めて足取りを追っているところ
だが、今のところ新たな手がかりはない。しかしながらこのまま光州での事件
が収まれば、確かに事態は収束したと見て良いだろう。したがって問題は台輔
だ」
 大司馬はそう言って壇上の玉座に座している王に向きなおり、頭を下げた。
「残念ながら現在のところ解呪に関する有用な情報はございません。しかし何
としても手がかりを得る所存でございます」
 うなずいた尚隆は、「それで光州のほうはどうなっている?」と尋ねた。
「俺の影武者を立てたと聞いたが」
「光侯の独断ではありますが。しかしながらとりあえずは誤魔化せているよう
です」

336永遠の行方「王と麒麟(13)」:2010/06/27(日) 19:22:12
 苦虫をかみつぶしたような顔で答えた大司馬に、尚隆は軽く笑った。
「仕方あるまい。帷湍も相当苦慮しただろう。いずれにしてもそういうことな
らいったん光州に戻らねばなるまいな。そこで影武者と入れ替わるとするか。
ともかく謀反人どもが本当に死に絶えたのなら、元凶である文珠を取り除いた
以上、次なる事件はもう起きないはずだ。ならば国府と州府の連携により謀反
人を一網打尽にし、抵抗したためその場で討ち取ったことにしてそれを公表す
れば、光州での事件は収拾できる。その間に暁紅に関する調査を終えておけ。
報告は光州から戻ってから聞く」
「御意」
「それから蓬山に問い合わせの勅使も出しておけ。半月眠っていても俺はぴん
ぴんしているし、六太にしても同じだろうが、この際はっきりさせておいたほ
うがいい」
「と、おっしゃいますと?」
「つまり眠ったまま、飲食せずに麒麟がどのくらい保つかを、だ」
 居並ぶ高官らは一瞬言葉に窮した。
「それは、むろん神仙ですし、さらに神獣麒麟ともなれば、おそらくはいくら
でも――」
 戸惑いとともに口ごもりつつ答えた大宰に、尚隆は淡々と続けた。
「俺もおまえたちもそれを知っている。そもそも六太は俺に害が及ばぬことを
納得したからこそ呪を受け入れたのだからな。とはいえ下吏や奄奚にまで俺た
ちと同じ確信を求めることはできぬし、それは一般の民も同じだ。だが蓬山の
お墨付きを得ておけば、万が一解決が長引いて事態が漏れたり公表せざるを得
なくなったとしても恐慌を防ぐことができる。麒麟について一番よく知ってい
るのは蓬山であり、女神碧霞玄君の治める聖なる仙境なのだから。それにこの
事態を蓬山にまで秘密にする必要はない」
「御意のままに」
 応えた冢宰に、尚隆はさらに光州城への往路に同道させる禁軍兵数名の選抜
を指示して朝議を終えた。

337永遠の行方「王と麒麟(14)」:2010/07/03(土) 10:28:09
 うやうやしく頭を垂れて主君の退出を見送った臣下らだったが、彼らの表情
に曇りはあれど、声にも所作にもどこか張りが感じられた。王の覚醒と同時に、
滞っていた宮城の血流がふたたび流れ出したかのようだった。昏睡に陥った宰
輔のことは心配だったが、もはや采配をどうするかで悩むことはない。国政の
歯車として、王の指図通りに動けば良いのだ。
 自分の生命を握っている麒麟の昏睡を報されても泰然としている主君の様子
に高官らは何となく安堵し、それぞれ同席の部下にてきぱきと指示を下した。
命令する者がおり命令の内容が妥当であり、そしてやることがあれば、官吏は
何も考えずにすむ。これまでの長い治世においてたびたび昏君呼ばわりしてき
た王とはいえ、辣腕ぶりは誰もが認めている。その主君を一時的にとはいえ失
って混乱したあとだけに、ふたたび主命を拝することができるのは臣下らにと
って望外の喜びだった。

 六太のことは伏せ、王の覚醒と謀反人の正体のみに触れた内密の青鳥を光州
侯宛に飛ばしたあと、尚隆は禁軍兵数名とともに早々に光州城に向かった。
 迎えた光州城側は打ち合わせどおり、謀反人の正体と居所を突きとめた旨の
伝言を携えた使者として即座に内宮に導き、尚隆はそこで無事に影武者と入れ
替わった。表向きにいる官でそのことに気づいた者は誰もいなかったろう。
 人払いをした房室で、尚隆は光州侯帷湍と令尹に向き直った。
「よくぞご無事で……」
 令尹は涙ぐみながら、その場で叩頭した。
「影武者を立てるよう強く進言したのは拙官にございます。光侯はむしろ反対
しておられました。咎はすべて拙官に――」
「そう焦るな、士銓」尚隆は苦笑した。「結果的にそれでうまく運んだのだ、
何も言うまい」
「まことにもったいなきお言葉――」

338永遠の行方「王と麒麟(15)」:2010/07/03(土) 10:31:07
「何より帷湍の進言のおかげで、謀反人の首魁が晏暁紅であることを突きとめ
られたのだからな。そしてその女が関弓に潜伏していることがわかった以上、
数日内には捕らえるか討ち取るかした旨の使者が来るはず。とはいえ事件が解
決したと断じるには、次なる病の発生がないことを確かめねばならん。今度こ
そ目標と思われる里で何事も起きないことを民らに示せ」
「は」
 士銓はふたたび叩頭すると、帷湍からも細かく指示を受けた上であわただし
く房室を退出した。残った帷湍の表情は、しかし硬かった。
「何があったのだ……?」
 静かな表情で黙って臣下を見ている尚隆に彼は続けた。
「俺は、いや光州城は台輔の使令により監視されていた。だが十体もの使令は
前触れもなく忽然と姿を消した。青鳥を飛ばすべきかと思ったが、そうするま
でもなく国府から連絡が来て、詳細を知らせぬまますべて解決したという……」
「まだ解決したわけではない。晏暁紅が関弓に潜伏していることがわかっただ
けで捕らえたわけではないからな。少なくとも公式にはそのようになっている。
いきなり謀反人を討ち取ったことにすると呆気なさすぎて、おまえたちも狐に
つままれた気分になろう。まずは先触れとして予告をし、今か今かと待ちかま
えているところで討ち取った旨の青鳥が来たほうが納得もしやすかろうと思っ
てな。事件の顛末に関する筋書きはこうだ」
 いわく、一地方州にとどまらぬ陰謀を察知した光州侯が王のお出ましを乞い、
王は首都州で謀反人が次なるくわだてをなすことを見越して、油断させるため
にあえて大勢の兵を連れて宮城を空けた。その後の光州側の調査で、先々代の
光州侯・梁興の仇を打つため、遺された寵姫が長い時間をかけて謀をめぐらせ
た疑いが濃厚となり、彼女の足取りを追うことになった。そして念のために国
府にも報せたところ、連絡を受けた国府は謀反人らが関弓に潜伏していること
を突きとめ、総力を挙げて一党を討ち取った――。
 これならば表向きの発表とも齟齬がないし、国府との連携により事件が解決
したということで光州の面子も立つ。現在は討伐直前の、国府から「問題の寵
姫の居所を突きとめた」と光州に連絡が来た段階というわけだ。

339永遠の行方「王と麒麟(16)」:2010/07/03(土) 10:34:18
「では本当は……」
 尚隆は肩をすくめて「晏暁紅は死んだ」と答えた。
「おまえが関弓に伝えた推理どおり、確かにその女が謀反の首謀者だった。協
力者は暁紅の下僕らのみで、これも死に絶えた。おそらく残党はいないだろう」
「では……何が問題なのだ?」
「六太が俺の身代わりになった」
 言葉を失った帷湍に、尚隆は即座に「安心しろ」と続けた。
「死んではいない。俺がそうだったように眠り続けているだけだ」
「そんな、なぜ台輔が」
「俺にかけられた呪には解除条件が設定してあってな、それが六太が代わりに
呪にかかることだったそうだ。暁紅におびきだされた六太は、身代わりになれ
ば俺が目覚めるという暁紅が提示した条件を飲んだ。そして俺がここにいる」
「そんな……」
「まあ、座れ。最初から説明しよう」
 鳴賢という同行者がいたおかげで、六太と暁紅のやりとりはすべてわかって
いる。尚隆は卓で向かい合って座った帷湍に、その内容を詳しく説明した。聞
き終えた帷湍は「ちょ、ちょっと待ってくれ」と言うと、戸惑いの表情で考え
こんだ。
「謀反人の、その、晏暁紅の意図がさっぱりわからんのだが……。そもそもの
最初から台輔が狙いだったわけでもあるまいに。何より呪の解除条件にされた
という、台輔の一番の願いとは何なのだ? 話を聞いたかぎりではごく個人的
な望みのように思えるが」
「さてな。それがわかれば苦労はせぬ」
「台輔は麒麟だから、少なくとも物騒な望みでないことは確かだな。それなら
近習、いや台輔と親しく言葉を交わしたことのある者すべてを聴取すればわか
るんじゃないか?」
 だが尚隆は困ったように笑った。
「おまえ、六太が真に私的な望みを言うのを聞いたことがあるか?」

340永遠の行方「王と麒麟(17)」:2010/07/13(火) 00:01:06
「いや、ないな……。せいぜいあれを食いたいとかこれを食いたいとか……政
務を怠けて息抜きしたいとか――」
 尚隆は静かに「六太には欲がない」と断じた。
「当人はいろいろ私欲を持っているつもりかも知れぬが、実際にはさほどこだ
わっておらぬし、どれも非常時にはあっさり忘れる程度のものでしかない。あ
れの口から出るのはすべて民のため、他人のための言葉ばかりだ。麒麟だから
な」
 いったんはうなずいた帷湍だったが、はたと膝を叩く。
「台輔はいつも、宮城にずっといると息が詰まると言っていた。それ、おまえ
もそうだが、いつでも自由に出歩きたいとか――」
「出歩いておろうが」尚隆は苦笑した。
「う、うむ、そうか。そうだな」
 帷湍はあわてたように言って、また考えこんだ。
「しかし台輔いわく『あさましい願い事』だそうだが、どうも想像がつかん。
思うのだが、台輔の言う『あさましい』は俺たちとは基準が違うんじゃないか?
他人が聞けば『そんなこと』と笑い飛ばす程度の内容なのに、品性の高い――
と言うのもしっくり来ないが――麒麟ゆえに恥じ入っているだけとか」
「かもしれん」
「そうだな、他に思い当たることがあるとすれば――麒麟ではなく人になりた
い、とか。冗談にせよ、たまに『麒麟は損だ』と愚痴っていたことはあるぞ」
「それは冬官に確認した。物理的に不可能なこと、基準が不明確なことを解呪
の条件にすることはできぬそうだ。少なくとも客観的に見て実現の可能性のあ
る事象でなければならんらしい」
「そ、そうか。なるほど。ならば違うか……」
 再三考えこんだ帷湍は、やがて諦めたように「やはり周囲に聴取して回るし
かなかろうな」と溜息をついた。

341永遠の行方「王と麒麟(18)」:2010/07/13(火) 20:24:09
「うまくすれば仁重殿の女官あたりが知っているかもしれん。官でだめなら奄
奚にも聞き取り範囲を拡大して、それでもだめなら城下の、台輔が親しくして
いたろう只人とか――いや」
 言葉を切った帷湍は、見る見るうちに蒼白になった。
「台輔の正体を知らせず、どうやって怪しまれずに只人に聴取する? へたな
やりかたをしたら台輔が昏睡に陥っていることが民にも知られてしまうぞ。そ
もそも台輔自身が『あさましい願い事』と恥じ入っていたのなら、滅多な相手
には話さんだろう。むしろたまたま行き合っただけの旅人とか、二度と会うは
ずのない相手に話しただけかもしれん。深刻な内容であればあるほど、告白の
相手に知り合いでも何でもない赤の他人を選んで気持ちを収めるというのはあ
りがちな話だしな。それに謀反人が設定した条件以外に呪を解く方法が本当に
ないとしたら、台輔の一番の願いがそれというのは注意を要する情報だ。台輔
がこれまで誰かに話したり匂わせたりしたとして、その相手の性根が曲がって
いないともかぎらん。少なくとも価値のある情報と知って、国府に莫大な見返
りを要求することは考えられる――いや、実際に台輔の願いを知らずとも、俺
たちがそれを必死に求めていることを知ったら、千載一遇の好機とばかりに私
利私欲を満たす手段にする可能性はある。おまえを幇周で呪にかけた呪者も、
要は俺たちが求めている情報を餌におびきだしたわけだからな」
 自分が口にした言葉に茫然としながら、帷湍はこわばった顔で尚隆を凝視し
た。
「……おい」
「この情報の扱いには相当な注意を要する」尚隆は淡々と答えた。「それゆえ
六太にかけた呪に、呪者があえて解除条件を設定したことを知るのは限られた
者だけだ。現在のところ鳴賢と彼の証言を書き記した朱衡の侍史、冢宰、三公
六官、黄医、そしておまえだ。蓬山に勅使を出すよう指示したゆえ、いずれ碧
霞玄君にも知れようが」
「うむ……」

342訂正:2010/07/13(火) 20:28:27
>>340の冒頭一行が抜けてました。↓が入ります。

 言葉に詰まった帷湍はそわそわとした素振りで考えこみ、やがてがっくりと
うなだれた。

343永遠の行方「王と麒麟(19)」:2010/07/17(土) 18:06:03
「そもそも呪者である暁紅は、その願いがかなうことはありえないと思い、六
太自身も肯定したほどの内容だ。そして俺にかけられた呪が、六太が身代わり
になるまで誰も手も足も出なかったことを考えると、長丁場になるやも知れん」
「うむ……」
「俺は俺自身に関してならいくらでも博打を打つが、六太はだめだ。既にあれ
は国のため俺のために自身を犠牲にした。不用意に情報を漏らして不心得者に
利用されることで真の手がかりを逃し、それによってあれのとどめを刺すこと
は俺にはできぬ」
「も、もちろんだ」
 卓の上で拳を握りしめた帷湍は、冷や汗を流しながら幾度もうなずいた。普
段は飄々としている尚隆が、今のように厳しい顔を見せることは滅多にない。
これは本当に由々しい事態なのだと、帷湍はいっそう身を引き締めた。
「とにかく光州の呪環には綺麗にけりをつけねばならんな。そうすれば時も稼
げるし、他の経路から何か情報が出てくるかもしれん」
「そうだ。任せたぞ」
 同じころ、宮城では冢宰と六官で内議を行なっていた。いくら謀反人を討伐
したことにしても、王が宮城に戻ってくるには今しばらくかかる。もともとが
人心の慰撫と士気の鼓舞のための行幸でいろいろと催しもあるし、事件の解決
を知って安堵した民としても、王への尊崇を深めるとともに「いろいろお疲れ
もあるだろう。せっかくいらしてくださったのだし、この際ゆっくりなされば
いい」と気楽に考えるだろうからだ。国府としてはその間に、王に命じられた
すべての調査を終えなければならなかった。
「実は少々まずい事態が」報告の区切りがついたところで、太宰が困惑顔で言
った。「というのも先ほど景王より台輔宛の親書が届いた」
「親書――景王から、ですか」
「台輔がときどき慶国と文をやりとりしておられるのは存じておりますが」
 他の官も当惑して顔を見合わせた。太宰は続けた。

344永遠の行方「王と麒麟(20)」:2010/07/20(火) 00:35:13
「正式の親書というわけではない。鸞ではなく、青鳥につけられていた普通の
紙片だし、何より封蝋の小さな印影は景王の玉璽ではなかったからな。だがい
つも書簡を処理している女官によると、景王がごく私的に――というか私人と
して台輔に文を送る際に使っている印に間違いないそうだ。それ自体は登極の
際の縁や数年前の戴国の件もあり、台輔は気安く景王とやりとりしておられる
から不思議はないし、主上もご存じだろうが、何しろこの時機だ。台輔は昏睡
しておられるわけだし、主上はおられぬし」
「確かに困りましたね。本人しか内容を聞けない鸞でなかったことは幸いです
が、われわれが封蝋を破って書面を確認するわけにもいきません」
「しかしもし返信が必要だったとしても、台輔とてそれなりに忙しいお体だ。
いつもすぐ返事を送っていたわけでもなかろう」
 朱衡と大司馬がそう返すと、太宰は「うむ」とうなずいた。
「それゆえ書簡のみ受け取り、青鳥はすぐに返した。ただ現在のところ主上は
しばらく光州城においでのわけで、とりあえず主上に報告の青鳥だけは飛ばそ
うと思っている」
「それが良いですね。そもそも鸞でなく、封蝋の押印が玉璽でもなかったとい
うことは、少なくとも緊急の用件ではないはず。ならば主上の還御をお待ちし
た上で対応しても問題にはならないでしょう」
「あるいは景王は今回の謀反の騒ぎをお知りになり、単に主上を心配なさって
文を寄越されたのかもしれませんな。台輔宛にしたのは、ご多忙であろう主上
のお手をわずらわせまいということで」
「それならばお気持ちはありがたいが、何もこの時期にとは思いますなあ」

345永遠の行方「王と麒麟(21)」:2010/07/25(日) 00:02:54
 その後すぐに散会となり、抑えたざわめきの中で房室を退出しながら、彼ら
はこんな言葉を交わした。
「しかしこうなると最後の最後に暁紅が気持ちを変え、台輔の呪の解除条件を
『最大の願いがかなうこと』としたのは不幸中の幸いでした。もし『もっとも
起きてほしくないことが起こったとき』とでもされていたとしたら、どれほど
の惨状が想定されたのやら」
「確かに、考えるだにぞっとする」
「それに台輔の第二、第三の願いが解呪の条件でなくて良かった。なぜなら第
三の願いである『王朝が安寧のままに続くこと』ではいつ達成されたと見なさ
れるのかが不明確だし、『王が死ぬときはともに逝くこと』という第二の願い
に至っては、主上が崩御されるというとんでもない事態ですから」
「まあ、だからこそ逆に条件にできなかったとも言えるでしょう。主上が冬官
に確認なさっていたように、ああいうものはそれなりに明確な基準でなければ
ならないはずですから。その意味で第三の願いとやらは適当ではないし、第二
の願いにしても、眠りから覚めるための条件として『死ぬこと』を挙げるのは
矛盾しています」
「なるほど。それもそうだ」
「しかし『王が死ぬときはともに逝くこと』が第二の願いとは。失礼ながら日
頃は主上と激しく言い争うこともある台輔がそんな望みをお持ちとは夢にも思
わなかったが、やはり麒麟は王を慕うものなのですなあ」
 不意に落ちた沈黙の中、やがて朱衡はためらいがちに「そうですね……」と
だけ答えたのだった。

346永遠の行方「王と麒麟(22)」:2010/07/31(土) 10:43:23

 玄度が寮の鳴賢の房間を訪れたのは、事件から四日後のことだった。
 最近はほとんど口を利いていなかった友人が、真っ青な顔で戸口にたたずん
でいるのを見て、鳴賢は「ああ、こいつも知ったんだな」と悟った。さすがに
国府も謀反があったこと、主犯が倩霞であることまでは隠そうとしておらず、
既に町では謀反人が城下に潜んでいたことが知られつつあった。倩霞が先々代
の光州侯・梁興の寵姫晏暁紅であり、主人の仇を取るために謀反を企てたらし
いことも。大学が長期休暇中でさえなかったら、寮内ではもっと早くに知れて
いたろう。
「梁興って、二百年前に謀反を起こしたって州侯でしょ? そんな輩は罰され
て当然なのに、遺された愛妾が復讐しようだなんて、逆恨みもはなはだしい」
「光州で妙な病が流行ったのも、その女が呪を使ったからだそうだ。腐っても
仙人だからな。でもさすがは主上だ、すべてお見通しで謀反人が靖州に潜んで
いると睨み、油断させるためにあえて光州に行幸なさったらしい」
「その女は、今度は靖州で妙な病を起こすつもりだったのかもな。どっちにし
ても主上の思惑通り見事に油断して、まんまとしっぽを現わして討伐されたん
だと」
「何にしても大事にならなくて良かった」
 食事に立ち寄った店で、鳴賢は客同士のそんな会話を耳にした。彼は大司寇
が密かに差し向けた下吏から、自分がどのように関わったことにするかについ
てのみ言い含められていた。しかし噂から判断するかぎり、倩霞は関弓に潜伏
していたところを国府の役人に踏み込まれ、呪を使って激しく抵抗したために、
阿紫ともどもやむなくその場で斬って捨てられたことになっているようだった。
小間物屋も邸も夏官が徹底的に調査していることは知っていたので、謀反が起
きたことが早々に明らかにされたのは、人々がそういった行動に不審をいだか
ないようにするためもあるだろう。
 ただ阿紫に懸想していた敬之が寮に戻ってきたら、何と告げるべきだろうと
鳴賢は悩んだ。それより問題なのは倩霞にのぼせていた玄度だ。
「倩霞が謀反を企てて成敗されたって……」
「知ってる。本当だ」鳴賢は目を伏せて答えた。

347永遠の行方「王と麒麟(23)」:2010/08/01(日) 10:22:41
「まさか、そんな」
「実を言うと俺、倩霞のことで夏官に尋問されたんだ」
 彼は房間の中に玄度を手招いて扉を閉めた。向かい合って座り、内々に指示
されていたとおり、頭の中で何度も反芻した筋書きを口にする。
「事が事だから、やたらと口外するなと言われてたから、ずっと黙ってた。で
もそのうち、おまえや敬之にも呼び出しがあるかもしれない。何しろ謀反だ、
少しでも倩霞に関わったと知れた人間は厳しく尋問されるだろう」
 玄度は目を大きく見開いた。わなわなと震えた彼は口を開いたが、なかなか
言葉が出ないようだった。
「――じゃ、あ――本当なのか……」
「少し前に倩霞を訪ねていったら、会えたことは会えたんだけど妙だったんだ。
肌が――なんて言うか、崩れるんじゃないかってぐらい酷いただれかたで、ど
う見ても悪病に冒されたとしか思えなかった。なのに倩霞は何も気にするふう
もなく『近々おもしろいことが起こる』と楽しそうに言ったんだ。気が動転し
てたんでよく覚えてないが、『雁の終焉を見せてあげる』とか何とか言ってた
と思う。すぐ帰ったんだが、しばらくして国府に呼び出された。近所の人が俺
を見かけていたそうで、夏官府は俺が倩霞を訪ねていったことは知っていて、
彼女が仙で梁興の愛妾だった女で、国を傾けるために呪を使って光州に病をば
らまいたと言っていた。倩霞の病も呪のせいだと。他人を害する呪を使うと、
術者も報いを受けるらしい」
 玄度は茫然とした様子で、床几に座りこんでいた。鳴賢は六太とのやりとり
を思いだし、また涙が出そうになって声が震えた。
「小間物屋は、関弓で町の様子を探るために開いていたらしい。引っ越し先の
邸も以前から倩霞の物で、そこが根城だったって聞いた。それ以上の詳しいこ
とは、俺も教えてもらえなかったんでわからない」
 そう言うと玄度は、彼も涙ぐみながらようやく答えた。
「お、俺、倩霞の邸に行ったら――夏官があふれてて通してくれなくてさ。何
が起きたのか聞いたら謀反だって。謀反を起こした仙の女を成敗したから、邸
を調べているところだって」

348名無しさん:2010/08/01(日) 21:15:31
姐さん、素敵な話をありがとう(*´∀`*)
続きをwktkで待っております。

349永遠の行方「王と麒麟(24)」:2010/08/09(月) 22:49:31
「今、主上が光州に行幸なさっているだろ。あれは謀反人が光州に病をばらま
いたせいで、その首謀者が倩霞だったんだそうだ。確かに彼女が言った妙な言
葉も、謀反を企てていたなら辻褄が合う」
「俺にはとても信じられない……」
「俺だってそうさ。でも倩霞は本当は二百歳以上だったことになる。二百年前
に死んだ梁興の愛妾だったんだから。だとすれば俺たちみたいな青二才の扱い
なんか、赤子の手をひねるようなものだったろう」
 謀反は大罪だ。数々の証拠があるらしいとわかってさすがに玄度も盲目的に
倩霞を弁護する様子はなく、ひたすら茫然とした様子で自分の房間に帰ってい
った。もともと彼らは倩霞と顔見知り程度の間柄で、彼女の個人的な事柄につ
いては何も知らないのだ。
 彼を見送った鳴賢は、ふう、と吐息を漏らし、扉を閉めて椅子に座りこんだ。
倩霞にのぼせていた玄度が騒ぎたてなかったのはありがたかったが、敬之が大
学に戻ってきたら同じように嘘をつかねばならないと思うと気が重かった。
 ――王は人柱、か。
 敬之とともに聞いた、六太の言葉。雁が安泰でいられるのは、王が人柱であ
ることに甘んじている間だけだと六太は言った。いったいあのときの彼はどん
な思いを胸に秘めていたのだろう。
(王も人間だ)
(人間としての悩みや苦しみと無縁でいられるわけじゃない)
 宰輔として王の傍らに控える六太がそう言ったということは、実際に王がそ
れに類する姿を見せたり窺わせたりしたことがあるのかもしれない。なかなか
貧困から脱せられない諸国を見るまでもなく、国を統治するのは大変なことだ。
延王は五百年もの長きに渡って君臨し、雁を繁栄させているが、民に知られて
いないだけで、その裏には非常な苦難があったのかもしれない。
 鳴賢は大きく息を吐いた。五百年と言えば、単純に計算しても只人としての
人生八回ぶんに相当する長さだ。それほどの歳月を、統治の重責に耐えつづけ
る精神力は相当なものだろう。いつかはその力が尽きると考えて恐れるのは、
あらためて考えれば不思議でも何でもない。

3501:2010/08/09(月) 22:52:19
えー、暑くて何も手に付かないので、
既に書いた部分を推敲しつつ小出しにして誤魔化してますw
投下の間隔が開いたら、
「クーラーもつけずに無駄に頑張ってバテてるんだな」と笑ってやってください。
今夏の酷暑、どうにかならんですかね……。

351永遠の行方「王と麒麟(25)」:2010/08/10(火) 23:06:32
 だがそれを理解しても、鳴賢にはあのとき自分がどう返せば良かったのかは
わからなかった。ただ何となく、単に六太の言葉に迎合しても意味はなかった
ろうとは思った。慰めではなく批判でもなく、建設的なことを言えていたら…
…。
(もしいつか――町中で王に会うことがあったら伝えてくれ)
 どこか思い詰めたような六太の顔。
(俺、ほんとはあいつと一緒にいられて楽しかったんだ……)
 どうやら王も頻繁に町中を出歩いているようだが、鳴賢は王の顔を知らない。
だからそもそも関弓で見かけたことがあるかどうかすらわからない。王への文
を書かず、そんな彼にあの伝言を頼んだということは、実際には六太は王に伝
えるつもりはなかったのだろう。言伝を遺すことで、目覚めない六太に王が心
を砕きすぎ、万が一にも治世を誤らせてはならないから。
 それでもこれが最後と思えばこそ、誰かに心情を吐露してしておきたかった
に違いない。ならばあの言葉は紛れもなく六太の本心。それもこれまで王には
言っていない類の言葉だろう。鳴賢にはそれは不思議に思えたものの、王と麒
麟の間柄というものは普通はそれほど素っ気ないものなのかもしれない。
 重いな、と鳴賢は口の中でつぶやいた。六太が目覚めるまで、彼はそれをず
っと負っていかねばならない。これが――そう、六太はもともと楽俊の知り合
いだった。もし言伝を預かったのが楽俊だったら、彼はいったいどうしただろ
う。
 鳴賢は弱々しい笑みを浮かべた。楽俊はおしゃべりだし余計なことを口にす
ることもあるが、逆に口をつぐむことも知っている。何年も六太の身分を伏せ
ていたことだし――彼が六太の正体を知らなかったとは思えない――ずっと自
分の胸に納めておくだろう。
 楽俊も寮にこもって勉強しているが、翌日の夜には倩霞の事件を知っていた
ようだった。彼の母が話を仕入れてきたのだろうが、六太の身に起こったこと
までは知らないはずだ。

352名無しさん:2010/08/12(木) 00:27:55
無理せずマイペースでやってください。
汗と期待でてっかてかになりながら続き楽しみにしてます。

353名無しさん:2010/08/12(木) 13:44:55
別スレでも書いたのですが、今更ながらここに迷い込んだ(のではなくお宝を探しにやってきた)者です。

来てまだほどない人間が、この大作を読んでよいものか、
読み続けると今度はにこの数年がかりの作品がまだ完成してないことを
自分も今から他の方と同じように最後を見守る幸せな人間になっていいのか、と申し訳ない気持ちがしながら読みふけりました。

夢中になって読んで、時折遡って投下の間隔を確かめながら、少しでもその空白の期間(萌え待ち期間)を想像して
『あーこんなステキな作品読んで、こんな短い期間で大量投下されてるー!』とか、
『あーこんなところで一月の待ち期間があったら毎日通って犬のように待ち続けちゃうよ〜!』
『今こんな一気に読んでいいんか自分!モッタイネー!でも一気に読みたい気持ちを抑えられん!』

などと、ほんとはもっと語りたいぐらい今おなか一杯にこの作品に対して叫びたいことがあるのですが
なにしろ美しい作品が途中で自分の駄文長文が割り込むのが申し訳ないので1/100ぐらいで止めておきます。

あと、呪に関する部分・・・原作を読めていなかったのもホラーが苦手ということがあり
この部分を読んだときは怖くて怖くておトイレも髪を洗うのも背筋が怖い思いでしたorz

でも読まずにいられないという・・・こんな凄い作品に出会って、ほんとにいいんだろうかという作品の凄さに圧倒されっぱなしです。


今年の暑さはクーラー無しじゃやっていけんので、熱中症にはくれぐれもお気をつけくださいませ(`・ω・´)
この作品の全てが素晴らしいと思っているので(憂慮なさっていたオリキャラの部分も素晴らしいものです)
もし長いから省こうかな、という程度のことであれば、気にせずにいくらでもどんだけでも続けていって下さい…!

3541:2010/08/13(金) 10:00:20
>>352
お気遣いありがとうございます。
あと二ヶ月くらいは、ストックを小出しにしてちんたら進めていこうかと。
一応室温35度でも昼寝できたし(パソコン様はさすがに室温30度あたりで休んでいただく)
体調的には大丈夫なんですが、いかんせん頭が働かないw

>>353
あー、呪の部分がやばかったですか。ホラーとかそういう意識はなかったので失礼しました。
以後の話でその手の内容はないはずなのでご安心ください。

それでも楽しんでいただけているようで良かったです。
むしろ、今のところ801でも何でもないのに
こんなに褒めてもらっちゃっていいの?って感じでおろおろしてますw

原作は、『魔性の子』は別として、残酷な場面はあまりなかったように思うんですけど
ああいう世界観だから、どうしてもところどころ悲惨な描写はありますもんねー。
でもアニメと違ったおもしろさなので、ぜひ堪能してください。

355名無しさん:2010/08/13(金) 12:18:17
いえ、けして嫌だったというわけではないのです、恐ろしかったのです。
あまりに素晴らしい描写で、それでいて最初の淡々とした・・・というかひたひたと迫ってくる描写から
畳み掛ける怒涛の展開で、ほんとうに引き込まれてしまい、だからこそ怖くて・・・けして嫌だったんじゃなくて・・・
あーこういうのなんて表現したらいいんでしょうか。素晴らしかったからより怖かったのです(先ほどから表現が一緒orz)

とっても楽しかったのです!多分スピリチュアルホラー的なものが特に昔から怖くなるタチだったので。
そして原作を読むならまず最初にかかれた作品だよね・・・と魔性の子を当時手に取り、あまりに怖くて(とても面白いとはもちろん思ったのですが)
もう少し精神年齢が高くなったら読もう・・・などという感じで読む機会を逸したのでしたorz といってもうアラサーに(ノ∀`)

あんまり何度もレスをつけてもSSのお邪魔になりはしないかと思ったのですが
否定的な言葉に聞こえてしまったのなら大変だ!と思いまたコメさせてもらいました。

別スレの新婚夫婦熟年夫婦にもハゲ萌えさせていただきました!


こちらの板はチラ裏がないようなので、そこそこのSSスレにしか感想が書けないとちょっとだけ不便ですね。
きっとステキなSSのお邪魔をしたらいけないとレスを控えてる方もいらっしゃるんじゃないかなと思いました。
今チラ裏があったら100レスぐらいの勢いで全てのSSに対する感想を投下しそうですw

356永遠の行方「王と麒麟(26)」:2010/08/16(月) 00:36:54
「さほど大事に至らず、早々に解決して良かったってとこか」
 倩霞が主犯であることにはさすがに驚いていたが、結局はそんなふうに軽く
締めた彼に、鳴賢はふと「おまえ、もともと六太と知り合いだったんだよな。
どこで知り合ったんだ?」と尋ねてみた。一瞬沈黙した相手に、たたみかける
ように「六太が頭巾をはずしたところを見たことはあるか?」と尋ねた。楽俊
は溜息をついた。
「鳴賢。すまねえが――」
「ああ、いいって。それ以上言うな。わかってる」
 何か問いたげな相手に、鳴賢は重ねて「わかってる。すまん、忘れてくれ。
俺も忘れる」と言った。それ以来、楽俊と顔を合わせても、六太のことも謀反
のことも話題にはしていない。
 自分には力も知識も伝手もない。できるのは勉強に励んで国官を目指すこと
だけ。それは重々承知していたが、誰の役にも立てず、ただ口を閉ざして待つ
ことしかできないのはつらかった。

357永遠の行方「王と麒麟(27)」:2010/08/21(土) 19:28:55

「里廬から発見した文珠、呪に関する資料、すべて粉砕または焼却の上で破棄
しました。復元は不可能です」
 州司馬および州司空からの最終報告を受け、光州侯帷湍は令尹に渡された報
告書に目を通した。晏暁紅が使った文珠も、梁興の冬官助手が遺した覚え書き
も、これですべて消滅したことになる。
 あのように危険な物を残しておいたら、ふたたび不逞な輩に利用されないと
もかぎらない。梁興の冬官助手のように技術的な興味を覚えられるのはもちろ
ん、宝玉を使った文珠自体の価値に目がくらんだ不心得者にかすめ取られても
困る。また何百年も経ったあとで事件を起こされるかもしれないのだ。
 そのため国府から謀反人を討伐した旨の連絡が来たあと、帷湍は今回の呪に
関わるすべての資料を厳重な監視の元で破棄させた。
 既に二月も初旬を過ぎている。関弓に潜伏していた暁紅一党を討ち取った旨
の触れは出してあり、民らはとうに安堵して、害を被った里の民も「主上のお
かげ」と喜んでいる。今月中にふたたび病が発生しなければ、州府としても枕
を高くすることができる。
 文珠が発見された里や廬のうち、次の標的だったと目された嘉源(かげん)
の里からは一時的に民を避難させていた。代わりに懲役を科されている模範囚
から、特赦を条件に志願した数名を住まわせている。彼らに何事も起きなけれ
ば、文珠を取り除いたこと、そして何より呪者が死んだことで事件が解決した
ことの目安となる。
「それから先ほど関弓から主上宛に青鳥が届いたため、内宮の主上にお運びい
たしました」
「わかった。他に特に問題は起きていないな?」
「避難させた嘉源の民の中には多少不満を訴えている者もおりますが、もとも
と農閑期の上、今月中に生まれる予定の赤子もおりませんし、問題はないでし
ょう。生命を守るためだということは彼らも納得しています。国府から謀反人
一党を討ち取った旨の急使がやってきて以来、これに関連すると思われる不穏
な事件も起きておりません。あとはこのまま何も起きないことを待つだけです」

358永遠の行方「王と麒麟(28)」:2010/08/27(金) 22:33:52
 帷湍はうなずき、報告で中断した通常の政務に戻った。その後、内宮の主君
の元に顔を出し、予定通り呪に関する資料をすべて破棄したことを告げ、現在
に至るまで問題が起きていないことをみずから報告した。
「他にも呪具らしきものが隠されていないかどうか調査させたが、何か見つか
ったという報告は受けていない。もっともこれだけ大がかりな呪を用いた謀反
だ、念には念を入れてさらに慎重に調査するよう重ねて命じたが――」
「何も出てこんだろうな。謀反人が真に目的を果たしたのなら」複雑な表情に
なった帷湍に尚隆は続けた。「なぜ晏暁紅が六太を狙ったのかはわからん。一
党がことごとく死んだ以上、これは永遠の謎だろう。いずれにせよ鳴賢に語ら
れた暁紅の言葉から推測するかぎり、彼女は六太を陥れられて満足だったよう
だ」
「ああ……そのようだな。ならば光州の呪環が成功しようがしまいが、既にど
うでも良かっただろう。よしんば失敗に備えたさらなる企みの計画があったと
しても、それには手をつけずに満足して逝ったに違いない」
「おそらくはな」
 溜息をもらした帷湍は、大半の官は事件をほとんど終わったものと見なして
いると告げた。光州城で六太の昏睡を知らされたのは令尹の士銓のみ。彼は帷
湍以上に衝撃を受けているが、他の高官はまさかそんな事態になっているとは
夢にも思っていない。見通しがついたため王も近々宮城に戻ることになってい
るし、むろん月が変わるまで油断できないとはいえ、州城内でも既にほっとし
た空気が漂っていた。
「実際、六太のことを除けばけりはついたのだ。士銓には気の毒だが、光州城
の官はしばらく緊張続きだったのだから大目に見てやれ。大勢で雁首を揃えて
額を寄せ合っていても仕方がない。光州は光州として、しっかり行政を切り回
していれば良いのだ」
 軽く笑った尚隆に、帷湍は「そうは言うがな」と言いかけ、途中で考え直し
て話題を変えた。

359永遠の行方「王と麒麟(29)」:2010/09/02(木) 00:02:59
「それで、そのう……台輔のことはどうする?」
「どう、とは?」
「台輔の一番の願いが何かを知るには、いつまでもその問い自体を伏せておく
わけにはいかんと思うのだが。呪の解除条件がそれというのは別として」
 すると尚隆はふっと笑い、卓にあった紙片を手に取った。先刻、令尹が言っ
ていた青鳥で送られてきたものらしい。
「宮城に戻ってから様子を見て指示を出すつもりでいたが、朱衡が先回りして
これを送ってきた」
「朱衡が? 何を?」
「六太が望んでいたことを仁重殿の女官から聞きだすため、適当な理由をでっ
ちあげて話をすることの許しを求めてきた。さっき許可を出す旨の返信を送っ
たところだ」
「ああ、そうか。なるほど」
 帷湍は少し安堵し、渡された紙片の内容に目を走らせるなり「うん」と大き
くうなずいた。
「口実としては悪くない。むしろ自然だ。あいつならうまくやるだろう」紙片
を尚隆に返し、少し考えてから言う。「俺もあれから台輔の望みそうなことを
いろいろ考えてみたが、残念ながらさっぱりわからんのだ。確かに今までいろ
いろな話はしたが、あの台輔が恥じるような内容があったとは到底思えんし」
「まあ、俺も似たようなものだからな」
「だがおまえはよく台輔と逐電していたろう。旅の間に、台輔がいつもと違う
反応を見せた話題に心当たりはないのか? やたら欲しがっていた物があった
とか、どこかに行きたがっていたとか――」
「ふうむ。ないわけではないが、すべて理由が明らかなことばかりだな。今回
の件にはまったく関係ないようだ」
「そうか……」
 溜息を漏らした帷湍に、尚隆は「おそらく六太は、俺にもおまえにも言った
ことはないだろう」と言った。

360永遠の行方「王と麒麟(30)」:2010/09/06(月) 21:51:21
「朱衡は女官から聞きだすと言ってきたが、官どころか誰か知り人(びと)に
言ったことがあるかどうかすら怪しいものだ。いかに麒麟が綺麗事を好むとは
いえ、あれとて五百年も生きておるのだ、大抵のことでは『あさましい』だの
『恥ずかしい』だの思うはずがない。ましてや長い間、貝のように口を閉ざし
ているはずがない。ということは滅多な相手に話したとも思えぬ」
「とすると、やはりたとえば行きずりの赤の他人に……」
「その可能性もなくはないが、現実問題として検証は不可能だ。だから俺たち
はこれまで見聞きした六太自身の言動から推測して、あれの第一の望みとやら
を探りだすしかない。そのものを聞いた者がおらずとも、複数の情報、それも
日常的に六太と親しくしていた者の話を集めれば、おのずと見えてくるものが
あるはずだ」
 尚隆の言葉に帷湍は考えこみ、やがて合点がいったように「そうか」と言っ
た。
「その意味で、朱衡が女官に作り話をして聴取するのも意味はあるということ
か」
「女官だけではない、これまで六太が話をした者、接した者、すべてが重要な
情報源だ。しかしおそらく断片と断片をつなぎ合わせるような地道な作業にな
るだろう。以前、長丁場になるかもしれんと言ったのはそういうことだ」
 それへうなずいた帷湍は、ふと思いついてこんなことを口にした。
「考えてみれば出自が人に過ぎない俺たちでは、麒麟が何を望むかについて想
像するにも限界がある。台輔と話したことのある他国の麒麟にそれとなく聞け
れば、手がかりのひとつになるんじゃないか? それに麒麟同士なら、台輔も
突っ込んだ話をしていそうだ」
「ふむ」尚隆は意外そうな顔であごをなでると、少し考えてから答えた。「そ
うだな、目の付けどころは悪くない」
「あまり期待は持てないと考えているのか?」

361永遠の行方「王と麒麟(31)」:2010/09/11(土) 01:03:45
「そうは言っておらん。だがもともと麒麟同士は滅多に会うものでもないし、
六太が自分の私事と考えていることについて、そこまで突っ込んだ話をするほ
ど親密になったことがあるかどうか。ただ、おまえが言うように手がかりの一
端になる可能性はある。いずれ機会を見つけて他国の麒麟にも当たってみるべ
きだろう。同じ麒麟だからと当てにするのではなく、要は六太が接した只人ら
に話を聞くのと同じことだ」
「まあ、暁紅の言葉や台輔の反応から推すと、むしろ台輔は大抵の麒麟が思い
もよらない望みをいだいている可能性のほうが高いわけだしな……」
 いずれにしても、先ほど尚隆が言ったように一区切りがついたのは確かだっ
た。これからは六太の昏睡が市井に漏れないよう配慮しつつ彼の最大の願いを
探りだし、それが成就されるよう働きかけるしかない。
「ところで光州の例の呪環だが。念のために被害に遭った里廬の共通点がない
か調べてみたが、やはり単に位置の問題だったようだ」
 帷湍は六太のことでそれた話を戻し、暁紅が謀った呪に関する報告の続きを
した。謀反人の死でけりがついたとはいえ、一通りの地道な調査は必要だった。
「たまたま大規模な都市はなかったものの、小規模な集落から周囲に町ができ
ている中規模の里までいろいろあったし、産業にも住民にもこれといって共通
項はない。第三の環が敷かれていないことを確認するため、葉莱を基点に南下
する形で第二の環の内側の里廬をふたつ調べたが、何も出てこなかった。いち
おう葉莱と州城を結ぶ線上にある他の里廬の民にも、不審な物があれば即座に
州府に届け出るよう伝えてある」
「そうだな。何も出んだろうが、もともとの文珠の総数が判明していない以上、
念には念を入れる必要はあろう」
「それから暁紅が台輔に斗母占文を装って渡したという封書の写しを見たが、
幇周で呪者がおまえに渡した紙片と同じ『暁紅』という文字が書かれていたも
のの、明らかに筆跡が違う。あの写しは原文の筆跡も再現されていたのだろう?」
 尚隆は「そのはずだ」とうなずいた。

362永遠の行方「王と麒麟(32)」:2010/09/15(水) 21:46:56
「おそらく占文は暁紅が、俺が見たほうは暁紅の従者だった幇周の呪者自身が
書いたのだろうな。暁紅は身寄りのない娘を集めて下僕としていたが、娘らは
単なる使い捨ての道具だったようだし、この件には関係ないだろう。しかし幇
周に現われた浣蓮という女は仙であり、ずっと暁紅の従者だった上に当人も呪
の使い手だった。またあの程度の紙片を早くから用意していたとも思えぬ以上、
その場で女自身が普通に墨で書いたのだろう。要は呪をかけるために俺の気を
一瞬だけそらせば良かったのだから、六太が見せられた占文とは性質が違う」
「では筆跡の違いに第三者が関わっていたのでなければ、やはり事件は解決し
たということになるか」
「と、思っている。占文については、白紙に字が浮かび上がる仕掛けで驚かせ
て六太をおびきよせるためだったろうから、暁紅があらかじめ用意していたの
だろう。草の汁で書いたということだが、確かに他の地方にはないものだ。知
らぬとなればだまされるかも知れない。それも相手は、暁紅が小間物屋の女主
人として知り合ったがゆえに警戒していない六太だ」
 主君の言葉に、帷湍はしばし考えてからこう言った。
「俺は占文の現物を見ていないから断言はできないが、聞いたかぎりでは煬草
(ようそう)の汁で書いたのだと思う」
「ほう?」
「主に南西の山間部で見られる雑草だが、苦味が強くて食用にはならんから子
供の遊びぐらいにしか使えん。染料が取れる大青(たいせい)に酷似している
が、かと言って誤って一緒に発酵させると色は濁るし、質も悪くなってうまく
染まらなくなる。煮出した汁で字を書けば、漂白していない紙なら乾くと白紙
に見える程度に字が消えるが、すぐに暗所で保存しなければ、二度と鮮明な字
としては浮かびあがらんそうだ。例の占文は内側を黒く塗った状袋に入れてあ
ったという話だが、おそらく状袋自体も煬草を漉いて作ったのだと思う。だが
それでも効果は半年もてば良いほうだろう。かと言って明るいところに出して
字が浮かび上がってもすぐに褪せてしまうから墨の代わりにもならん。まさか
こんなことに使われるとは……」

363永遠の行方「王と麒麟(33)」:2010/09/18(土) 16:07:36
「明礬(みょうばん)と同じだな」
「明礬?」
「あれも溶液を墨の代わりに使ってから紙を乾かすと書いた字は消えるが、水
に浸すと現われるからな。だが知らぬ者にとっては仙術のたぐいに見えよう」
「ああ……そういえばそうだな」
 帷湍は意外性に驚いてそう答えた。明礬水は果汁を使った場合と同じく火で
あぶっても書いたものが現われるが、いずれにしろ日常的に使われるものであ
っても、その特性を知って利用すれば他人を驚かせることはじゅうぶん可能な
のだ。
 尚隆は続けた。
「しかし書いて半年ももたぬということは、暁紅は六太に渡したとき、早々に
俺を陥れて六太に選択を迫るつもりでいたことになる。むろん呪環のための文
珠をすべて埋設し終え、実際に呪を順次発動していたからに違いない。俺がど
の時点で出てくるかはわからなかったとしても、住人をことごとく死に至らし
めた葉莱がひとつの目安だったはずだ」
「たとえそれまで気づく者がいなくても、ひとつの里が病で全滅したと知った
州府が、過去に遡って同種の病が発生していないか調査するだろうと考えるの
は当然の推理だしな……」
「そして人為的な匂いを嗅ぎとった俺たちが次の目標と思しき里に目星をつけ、
その時点で俺が出てくることも予想できただろう。何しろ暁紅は俺と会ったこ
とがあり、大事件とあらば自分で首を突っ込む性分であることは知っていたの
だから。むろん今にして思えば、だが」
 要はまんまと暁紅に謀られ、敵の狙い通りにおびき寄せられたということだ。
帷湍はふと考えこんだ。
「さっきの煬草の話で思い出したが、そういえば台輔は食用になる野草には詳
しかったな。以前、女房と娘が染料にする草木と薬草を採集に行ったとき、俺
も無理やり駆り出されたことがあるんだが、ちょうど台輔が来ていて一緒に連
れていかれてな。俺も知らなかったいろいろな野草を娘に教えていた」

364永遠の行方「王と麒麟(34)」:2010/09/18(土) 16:10:14
「麒麟は草食動物だからな。しかもあいつは食い意地も張っている」
 尚隆は苦笑したが、帷湍は神妙な顔になった。
「それなんだが……」彼は口ごもった。「今にして思えば、台輔は蓬莱にはこ
ういう野草もあるとのうんちくも口にしていたんだ。あとで俺にこう言った、
蓬莱にいた頃は草の根をかじって飢えをしのいだこともあると。貧乏な家だっ
たからと台輔は笑っていたし、意外には思ったが一度きりの話だったからすっ
かり忘れていた。しかし鳴賢という青年の証言では台輔は親に捨てられたとい
うし、もしや捨てられたあとの話だったのではと思ってな。確か台輔が蓬山に
帰還したのは三つか四つくらいだったはずだろう?」
「四歳だったと言っていたな」
「うむ。その後で王の探索のために蓬莱を再訪したわけだが、そのときは使令
もいたろうし、そこまで苦労はしなかったと思う。とするとやはり、親に捨て
られてから蓬山に連れ帰られるまでの間の話だったのではと」
「かも知れぬ」
「今さらだが、何百年も一緒に過ごしていて、俺は意外と台輔のことを知らな
かったのだなと思ってな……」
 おまえのことも知らないが、と帷湍は胸のうちで付け加えた。


---
しばらくちまちま投下してきましたが、
ストックが尽きてしまったので、次の投下まで間が開きます。

365永遠の行方「王と麒麟(35)」:2010/10/11(月) 09:43:22

 仁重殿の主殿に詰める侍官女官、特に六太の近習は、長く仕えている者が多
い。彼らが謀反、それも呪者の陰謀による王の昏睡という前代未聞の事態に衝
撃を受けたのはもちろんだが、その後、直接の主である六太が身代わりになっ
たことで、誰もが激しい動揺の中にあった。六太は麒麟であり、神獣にして玉
座の象徴。それゆえその身に起きた事態を懸念するのは当然だが、そもそも気
安く親しみやすい性格もあって、彼らは六太を慕っていたからだ。
 むろんそれぞれ自制して日々の勤めを果たしてはいる。しかし内心の動揺と
混乱を隠し切るところまでは行っておらず、仁重殿全体に沈痛な空気が漂って
いた。
 とはいえ尚隆が昏睡状態だったとき、侍医によれば、ただ呼吸をするのみで
身じろぎすらしなかったとのこと。翻って六太の場合、意識がないのは確かな
のだが、たまにぼんやりと目を開くことがある。これは要は呪が不完全だった
のではないか、時間さえ置けば、やがて自然に目覚めるのではないかと、近習
らは一縷の望みを託して日々を過ごしていた。
「まあ、大司寇。よくいらしてくださいました」
 六太の見舞いに訪れた朱衡を、女官らは一様にほっとした顔で出迎えた。
 彼女らの多くは天官であり、太宰から直接事の次第を説明されてはいた。し
かしながら先行きが不透明な中で、六官のひとりである朱衡がこうして頻繁に
見舞ってくれるのはありがたいことだった。
 麒麟は長期間昏睡状態でも生命に別状はない、それが雲海上から蓬山に派遣
した勅使の持ち帰った碧霞玄君の返答だった。そのことで王の健在が保障され
たからと言って、まさか六太が見捨てられるはずもないが、捨て置かれるとま
では言わずとも、このままなすすべもなく放置されるのではないかと、誰もが
内心で不安を覚えていた。

366永遠の行方「王と麒麟(36)」:2010/10/11(月) 21:17:09
 まだ王は行幸から戻らず、事態も動かない。六太の症状は少なくとも悪化す
ることなく、従って急を要する状態でもない。主たる六太さえ健在なら日頃は
にぎやかな仁重殿も、今は息を潜めてじっとしているといった風情だ。そんな
淀んだ空気であるだけに、どうしても悪い方向へと考えをめぐらせてしまうの
だろう。
 しかし六官のひとりであり、王の登極当初からの側近である朱衡がこうして
頻繁に訪れてくれることは心強かった。少なくとも見捨てられてはいないと思
えるからだ。冢宰や他の六官も見舞ってはいたのだが、謀反の後始末を兼ねた
調査に追われていることもあり、どうしても間遠になりがちだった。
 朱衡を奥へと案内しながら、年かさの女官が先回りして「台輔は相変わらず
ですわ」と告げた。
「でもいつもは遅くまで寝ていたいと駄々をこねることもあるのですもの、
堂々とご政務を怠けることができて、実際のところは大喜びかもしれません」
 笑みを浮かべながら、自分と周囲の気を引き立てるように明るく言ってみせ
る。朱衡も微笑してうなずき、「まったく」と同意した。
 六太の臥室に通されると、そこでは黄医ならびに女官たちが控えていた。昨
日までと同じ光景のはずだったが、室内に入るなり朱衡は目を見張った。
「これは……何とも華やかな」
 まだ冬だというのに、房室のあちこちに花が飾られていた。紅や薄紅、黄色
や白。春から初夏を思わせる花々が、大卓や窓辺、壁にしつえられた供案で鮮
やかに咲き誇っていた。
「見事でございましょう?」先ほどの女官が微笑んだ。「園丁が屋内で育てて
いた花だそうです。こうしておけば、春の訪れに木々が芽吹くように台輔もお
目覚めになるだろうと」
「きっとじきに、『いつのまに春になったんだ』と驚いてお起きになりますわ」
 別の女官も言葉を添える。
 六太の眠る牀榻の折り戸は開かれていたが、奥の帳はおりている。朱衡が首
をめぐらせると、その帳の左右にも花が生けられているのが見えた。

367永遠の行方「王と麒麟(37)」:2010/10/17(日) 09:09:57
「なるほど。これならばいかに寝坊助の台輔でも気持ちよく目覚められそうだ」
 そんなことを言いながら黄医の傍に座り、いつものように六太の様子を聞く。
とはいえ太宰には毎日報告が行っているし、冢宰には太宰から報告が上がるか
ら、これは雑談の延長のようなものだった。
 昨日と変わりばえのない報告を聞き、朱衡のほうからは王がそろそろ宮城に
戻ってくるという話をした。あれから光州では何の事件も起きていなかったし、
謀反の残党はいないだろうということでほぼ結論は出ていた。
「そうですか、主上が……。早くお戻りいただければ、わたくしどもも心強い
ですわ」
 女官たちは顔を見合わせながら幾度もうなずき、朱衡は「大丈夫ですよ」と
続けた。
「主上はご自分を救い、ひいては雁を救った台輔にたいそう感謝しておいでで
す。必ずや台輔をお救いになるでしょう」
「ええ。ええ、もちろんです」
「主上を信じております」
 彼女らは泣き笑いのような表情を浮かべ、口々に言った。
「――そう、台輔が無事お目覚めになったら主上に褒美をいただきましょう。
なんと言っても台輔のおかげで主上の呪が解けたのですから」
 わざとおどけたように言った朱衡に女官たちも大きくうなずき、気力を奮い
立たせるように「ええ、本当に」と明るく応じた
「きっと相当な無理でも聞いてくださいますわ」
「王を救った功績は偉大ですもの」
「そういうことなら台輔には一刻も早くお目覚めいただいて、何をいただくか
入れ知恵させていただかなければ」
 そんな彼女らの様子を朱衡は微笑したまま眺めた。そして出された茶を飲ん
で臥室の様子をゆったり眺め渡してから、ふと思いついたようにこんなことを
言った。

368永遠の行方「王と麒麟(38)」:2010/10/17(日) 19:47:38
「そうですね、こんな機会は二度とないでしょうから、この際、台輔が一番望
んでおられることをかなえてさしあげるというのもいいかもしれません」
「一番望んでおられること、ですか?」
「ええ。台輔が何かほしがっておられたとか、これをしたいと言っていたこと
はありませんか? お目覚めになる前に先回りして主上にお願いしておくと、
あとでお喜びになるでしょう。あるいは比較的容易に入手できそうな物品なら、
さっそく買い求めて枕元に置いておけばいいですし、物ではなく――そう、誰
か昔なじみに会いたいとおっしゃっていたなら、その人物の所在を調べておく
こともできます」
 女官たちは目を輝かせ、「それは良い考えですわ」とはしゃいだ。
「皆さん、台輔がほしがっておられた物や望んでおられたことに心当たりのあ
るかたは?」
「さあ……。お好きなお菓子はいくつか存じておりますけど」
「以前、恭の有名な大道芸を見たいとおっしゃっていたことはあります」
「でも一番のお望みとなると……」
「何もひとつにしぼることはないんじゃありません? 大司寇がおっしゃった
ように、この際ですもの、全部かなえていただけばいいんです。まずは心当た
りの品をいくつか早々にいただいて、台輔の枕元に置いておきましょう。そし
て実際にお目覚めになってから、台輔ご自身で一番欲しいものを主上におねだ
りなさればいいんです」
「あら、それもそうですわね」
 彼女らは楽しそうに笑いさざめき、朱衡にも尋ねた。
「大司寇は台輔のお望みをご存じなんでしょう? 昔からおられるし、もとも
と台輔と親しくしておられたんですもの」
「ぜひ、わたくしどもにも教えてくださいませ。他のお望みと併せて台輔に入
れ知恵させていただきますわ」
 朱衡は苦笑して首を振った。

369永遠の行方「王と麒麟(39)」:2010/10/20(水) 20:54:54
「台輔はなかなか個人的なお望みは口にされませんからね。あそこの地域に浮
民が流入して困窮しているから援助してやれとか、橋が少なくて老人が難儀し
ているから作れとか、その手の話はよくなさいますが。でも――そうですね、
他の者が何か聞いているかもしれないし、心当たりを尋ねておきましょう。台
輔がお目覚めになったら、主上にご褒美のおねだりをするときはぜひ入れ知恵
してさしあげてください」
「おまかせくださいませ」
 仁重殿の者たちが鬱々としていたのは、先行きが見えない上に、毎日を同じ
ように過ごすだけで気散じになる事柄もないためだった。しかしここに至って
ようやく気が紛れることを見つけた彼女らは、「台輔のお望みをかなえる」べ
く張り切ったのだった。

 仁重殿の主殿を辞した朱衡は、待たせていた下吏を伴って外殿に向かった。
これから簡単な内議の予定があった。
「大司寇、台輔にお変わりは?」
 下吏に尋ねられ、朱衡は「残念ながら、変化はないそうだ」と答えた。この
下吏は朱衡に重用されてはいるが、鳴賢の証言を書き記した侍史と違い、六太
にかけられた呪にあえて解除条件が設定されたことまでは知らない。
「そうですか……。でも毎日のように大司寇がお見舞いに行かれるから、仁重
殿の者たちも心強いでしょう」
「それならば良いのだがね。そうそう、女官たちに気散じになることを提案し
てきたよ」
「へえ? 何を言ってきたんです?」
「台輔のおかげで主上が救われたのだから、お目覚めになったらご褒美をいた
だくといいと焚きつけてきた。女官たちもおもしろがってね、どうせだからこ
の際、台輔がお持ちだろういろいろな望みを全部かなえていただこうと言い出
した」

370永遠の行方「王と麒麟(40)」:2010/10/24(日) 08:56:49
 下吏も笑顔になり、「そりゃあいい」と明るく応じた。六太と親しくしてい
る朱衡に仕えているだけあって、彼も日頃から六太とは頻繁に言葉を交わして
いた。それでも仁重殿の女官侍官ほど落ち込んでいるわけではないが、やはり
どこか沈んでいるふうではあったから、少しでも明るい話題があるとほっとす
るのだろう。
「台輔が欲しがっていたものや望んでいたことをわたしも聞かれたが、正直、
台輔が個人的な望みをおっしゃるのはあまり聞いたことがないので、他の者に
聞いておくと言っておいた。おまえも心当たりがあるなら仁重殿の者たちに教
えてやりなさい。台輔が欲しがっていた品が比較的容易に入手できそうならす
ぐ買い求めて枕元に置けばいいし、そうやってあれこれ計らっていれば気も紛
れるだろう。――そう、台輔の臥室は今、花でいっぱいでね。一足早く春が来
たようだった。一日も早いお目覚めを願ってしたことらしいが、ああやって気
が紛れることをしているのはいいことだ」
「何しろこんな事件は前代未聞ですからねえ。でもまあ、きっとすぐ台輔はお
目覚めになりますよ。それに主上がお帰りになったら、今度は台輔の呪を解く
ための問い合わせの勅使を蓬山に送るんでしょう?」
「ああ、そのように奏上しようということになった。まあ、主上が光州で何か
情報を得て来られるか、多少遅くなっても帷湍が有益な情報をつかんでくれれ
ばいいのだが」
「大丈夫ですよ、大司寇」
 そんな話をしながら外殿への道をたどる。途中で執務にからむ指示をして下
吏を大司寇府へ向かわせたあと、朱衡はひとりで外殿に向かった。内議を行な
う房室に入り、既に参集していた冢宰と他の六官に会釈する。次官以下は入れ
ていないから、ここにいるのはすべての事情を知る者だけだった。
「申し訳ありません。少々遅れましたか」
「いやいや、拙官どもが早く来すぎたようです」
 ひとしきり雑談を交わしてから、本題に入る。
「して、大司寇。仁重殿の女官たちの反応は」

371永遠の行方「王と麒麟(41)」:2010/10/24(日) 21:22:31
 冢宰白沢の問いに朱衡は答えた。
「うまく話を作って焚きつけることはできました。主上を救ったご褒美に、台
輔がもっとも望んでおられたことを奏上してかなえていただいてはどうかと。
気散じにもなることだからでしょう、女官たちも飛びつきましてね、この際だ
から台輔のお望みをすべてかなえていただこうと言い出しました。とはいえ残
念ながら、今のところ心当たりはないようですが、これまで台輔がどんな望み
をお持ちだったか、細かいことまで思い出そうと努めてはくれるはずです」
「大司寇のご提案を不審がられはしませんでしたか?」
「大丈夫です。上司である太宰や大宗伯ではなく拙官から雑談として話したこ
ともありますし、むしろ女官たちを気遣ったがためと受けとめられていると思
います。拙官も、他の者にも台輔のお望みの心当たりがないか聞いてみると約
しましたが、女官たちも他の者に聞いて回ることでしょう。我々ではなく彼女
らが主のために働きかけるぶんには怪しまれることはないかと。また仮に台輔
のお望みがわかっても女官の手に負えない内容なら、太宰なり拙官なりに相談
してくるでしょう。いずれにしろ彼女たちは話を聞いてもらいたがっているの
で、折に触れて台輔の見舞いに参上し、気軽な雑談として水を向ければいくら
でも話してくれるはずです」
「なるほど。ご苦労でした、大司寇」
 白沢はうなずき、他の者も難しい表情ながら視線を交わしてうなずきあった。
ついで大司空から、六太にかけられた呪の解除に関する調査状況が報告された
ものの、内容ははかばかしくなかった。
「もちろん台輔の第一のお望みを解呪の条件にしたという暁紅の言葉が真実で
ある保障はないため、冬官たちにはとにかく、予断を捨ててあの呪を解くため
の方法を調べるようにと命じてあります。ただ、何かの条件を設定したことは
まず間違いないでしょうな。呪言を刻まずに行使するこの種の呪は通常、一定
の条件を課して、それが達成されたときに解けるとするのが普通です。なぜな
ら術者だけが解くことができるようにした場合は肝心の術者に何事かあれば同
時に術も解けかねない上、どの方面にも堅固な守りの壁を巡らすというのは難
しく、絶対に解けない鉄壁の術をかけることはまず不可能だからです。むしろ
意図しない時点で解けるような不安定な状態になりやすい。しかしあえて弱点
を一ヶ所設け、それ以外は堅固、弱点のみもろい、というのは術者にとって設
定しやすく、弱点以外を突かれた場合の防御もしやすいのです」

372永遠の行方「王と麒麟(42)」:2010/10/25(月) 19:05:21
「ふむ。まあ、理屈はわかるような気もするな」考え込んだ大司馬が、あごを
なでながら言った。「ならば暁紅は確かに何らかの条件を設定したことだろう。
だが弱点なのだから、内容の選定にはかなり神経を遣ったはずだ」
「おそらくは。そして暁紅はなぜか、台輔のお望みが絶対に成就不可能だと
思っていた。これは台輔ご自身もそうだったようですが、したがってそのお望
みを解呪条件にしたというのはかなり信憑性が高いと考えられます。
 しかしながらこの手のものは、以前主上にもうちの冬官がご説明したとおり、
実現可能かつ具体的な未来の事象でなければなりません。つまり暁紅の意図や
台輔ご自身のお考えがどうであれ、客観的に見れば可能性がまったくない事柄
ではないはずなのです。さらに具体的ということは、仮に台輔のお望みが『今
年は豊作になること』だったとして、条件としては、雁全体の特定の作物の特
定の期間における収穫量が特定の量を超えたら、とでもすることになるでしょ
うか。したがって台輔のお望みが多少あやふやだったとしても、解呪条件には
具体的な何かの状態を指定したはずだとなります」
 一同は、うーん、と唸った。
「それはそれで厄介ですね。台輔のお望みの内容次第とはいえ、暁紅が実際に
どんな条件を設定したかとなると……」
 朱衡が眉間にしわを寄せてつぶやいたが、大司空は穏やかに笑った。
「暁紅の言葉が真実であるなら、台輔の最大のお望みとやらがわかれば推測は
可能でしょう。見当さえつけば、ありえそうな事柄を片っ端から試せばいいの
です」
「確かに手がかりがないよりは随分とましだな。暁紅としては『主上の鼻に墨
がついたら』のように、まったく推測不可能な条件を設定することもできたの
だから」
「それもそうだ」
 彼らは厳しい表情ながらも大きくうなずいた。見通しは決して明るくないが、
今はとにかく調査に手を尽くし、王の帰城と新たな下命を待つしかない。

373永遠の行方「王と麒麟(43)」:2010/10/25(月) 19:08:08
「いずれにせよ、仮にその条件をなかなか突き止められなかったとしても、他
に解く方法がないとは限りませんね。もともと暁紅は素人だったのですから、
彼女の意図に反して、実は術が不完全で不安定である可能性もあるのではない
でしょうか。主上のときとは違って、台輔は身じろぎなさったり、たまにぼん
やりと目を開けたりもなさいます。仁重殿の者たちは、それが術が不完全であ
るがゆえではと望みを託しているようです」
 朱衡がそう言うと、他の者も「なるほど」と同意した。
「いかがですか、大司空」
 問われた大司空はしばらく考えてからこう答えた。
「ふむ。そう――不完全かどうかはともかく、解決の糸口にはなるかもしれま
せんな。台輔のお望みがかなうことを解呪の条件にしたのであれば、単純な事
象の発生というだけでなく、台輔のお心がそれと認識することも必要と思われ
ますから」
「えっ、台輔ご自身が、ですか?」
「そうです。例の大学生の証言によれば、暁紅は呪言らしき意味不明の文言を
唱えたあと、何度か台輔に『諾』と答えさせたとのこと。おそらく台輔に呪を
受け入れさせて精神を縛るためでしょう。それにより形式としては強制ではな
く被術者の側が受け入れたことになるのが重要で、『特定の条件が満たされな
ければ起きたくない』という心理状態を人為的に作り出したとも言えます。逆
に言えば、特定の条件が満たされたかどうか知るための部分は起きていなけれ
ばならない。つまり確かに現在、台輔の意識はないのだが、無意識の一部とも
言うべき心の一部分は起きていて、そこが条件が満たされたと認めれば、台輔
の目が覚めるということではないかと思われます」
 他の者はざわめき、顔を見合わせた。
「では……台輔は完全には眠ってはおられないと?」
「いやいや、そういうことではありません」大司空は苦笑して、思わず身を乗
り出した面々を制した。「台輔の意識は確かに深い眠りに閉ざされています。
角のあるはずの額に触れても何の反応もなく、目の近くに火をかざしたり指で
突こうとしてもいっさい反応をお見せではない。起きているのは――そう、い
わば池に垂れた釣り糸のようなもので、釣竿を持つ台輔ご自身は眠っておられ
る。もしくは眠りの草原で伏しておられる台輔の長い御髪(おぐし)の先が、
現実の世界との窓口である池に浸されていると考えてもいいかもしれませんな。

374永遠の行方「王と麒麟(44)」:2010/10/25(月) 19:10:42
御髪には感覚も意識もないが、台輔のお体の一部ではある。そして興味を引か
れた魚が御髪の先に食いつく、すなわち解呪条件が成立すれば、引っ張られた
感触で台輔は『望みどおり魚がかかった』と認識して眠りから覚めることにな
るでしょう」
 面々は困惑し、「わかったような、わからないような……」とつぶやいた。
「しかし……そうすると、むしろ暁紅が設定した条件を解除するだけでは不十
分で、状況としてはより厳しいということでは?」
 白沢の問いに、だが大司空は首を振った。
「魚が食いつかずとも、御髪が池に垂れて何事かを待ち受けていることにはな
るわけですからな。意識そのものはないとはいえ、かすかに身じろいだり目を
開けたりなさるのがその証拠です。ということは暁紅が設定した条件の成立を
待たずとも、もしかしたら台輔は何かをお感じになってお目覚めになるかもし
れない。魚が食いつくという厳密な条件ではなくとも、たとえば池にさざなみ
が立つとか、流れてきた小枝がからまるなどして御髪が揺れればお気づきにな
るかもしれない。成立した解呪条件が完全に外部の事象の場合、それは言うな
れば直接台輔のお体に手をかけ、揺り動かして強制的にお目覚めいただくよう
なもの。主上の場合がこれに当たります。しかし望みがかなうという、ご本人
の心持ちが鍵となる場合、もともと台輔はそれを待ち受けておられる状態なの
ですから、当初想定していたよりは明るい希望が持てると言えます。ただし先
ほど例に挙げた豊作の場合、実際に豊作になることはもちろん、それを台輔が
お知りになることも必要にはなるでしょうな。近習が台輔のお世話をしながら
『今年は豊作だって』と世間話をする程度でいいのですが」
「なるほど……」
 ようやく納得した官らはうなずいた。いずれにしても難しい状況であること
は変わらなかった。
 ふと大司馬がこんなことを尋ねた。
「この種の呪については冬官もあまり詳しくはないと聞いたが、実験はできな
いのかな?」

375永遠の行方「王と麒麟(45)」:2010/10/25(月) 19:13:24
「実験? と言いますと?」
「冬官同士で、念のため安全で確実に解ける条件を設定した昏睡の呪をかける
のだ。その上で他のやり方でも目覚めさせることができないかどうか――」
「それはできません、そもそも人に有害な呪の行使は禁じられています」
「しかし非常時だぞ」
「拙官はそのような無謀な命を出すつもりはありません」大司空はきっぱりと
答えた。
「無謀? 単に眠らせるだけの術が?」
 大司馬はぽかんとしたが、大司空は重々しくうなずいた。
「相手の心身に直接働きかけて害をなす術というのは、どれも要は呪詛です。
呪詛を行なえば当人もただではすみません。光州に施した術で弱っていたとは
いえ、台輔に呪をかけて絶命した暁紅を見ればわかるでしょう。神獣麒麟に仕
掛けた術ということで、彼女の場合は通常よりはるかに大きな負荷がかかった
可能性はあります。また神である王や麒麟、あるいは蓬山に仕えておられる女
仙がたが術を行使した場合は事情は異なるかもしれません。が、どちらにして
も地仙でしかない一介の技官には荷が重過ぎます。もちろん勅命とあらば冬官
府は謹んで拝し奉りますが、主上は逆にお許しにならないでしょう。あれで主
上は、雁の民ひとりひとりをご自分の血肉と思っておられるかたですから」
「うむ……そうか」
 大司馬は唸ったが、ただの思いつきだったのだろう、それ以上強行に主張し
ようとはしなかった。
 ひととおりの報告が終わったあと、彼らは王の帰城に関する日程の確認をし
た。近日中に光州城を出て帰途に着く予定ではあったが、往路と違って通常の
行幸のように下界をゆっくり戻ってくることになっていたため、それなりに日
数のかかるのが気を揉むところだった。
 王が光州で手がかりを得ていれば良いのだが、今のところ見通しがついたと
いうような報せは来ていない。それでも彼らは、主君さえ戻ってくれば何とか
なるような気がした。

---
次の投下まで、しばらく間が開きます。

376六太の悩み(1/5):2010/12/25(土) 11:38:33
まだ次の投下までしばらくかかりそう。
というわけで少々早いですが、年末のご挨拶がてら、
つなぎで手持ちの尚六ラブラブネタを落としていきます。

もっとも尚隆は登場せず、朱衡と六太が話してるだけの内容。
雰囲気としてはコメディ寄りのほのぼのという感じ。
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 その日、大司寇府から自分の官邸に戻った朱衡は、思いがけず六太の訪問を
受けた。退庁後にわざわざやってくること自体滅多にないというのに、何やら
人目をはばかるふうで妙にそわそわしている。
「よう。元気?」
 へらへらと挨拶をしてきたが、その何気なさが逆に怪しかった。朱衡は平静
を装いながら、もしや何かいたずらでもたくらんでいるのだろうかと気を引き
締めた。
 この麒麟が、主である王と恋仲になって数ヶ月。しばらくは官が砂を吐くほ
ど甘い新婚ごっこを楽しんでいたようだが、そろそろ飽きて他の遊びを見つけ
ようとしているのかもしれない。むろん六太のたくらみなど可愛いものだが、
裏で尚隆が糸を引いている場合はそれなりに用心が必要だ。
 しかしどうもそういうことではないらしい。はっきりとは言わないまでも、
六太にはめずらしく相談があるようだった。
 朱衡はとりあえず茶と菓子でもてなし、気を利かせて下吏と奄を下がらせた。
ふたりきりになっても六太は迷うふうでなかなか用件を切り出さなかった。
 それでも他愛のない雑談で場の空気をほぐしながら待っていると。
「あの、さ」
「はい」
「その。ちょっと聞いてもいいかな」
 声こそ明るいものの表情はどこか硬い。何より妙に目が真剣だ。滅多にない
様子だけに、さすがに朱衡は少し心配になった。
「拙官にわかることでしたら、いくらでもどうぞ」
「う、うん」
 六太は茶杯を両手で持ったまま、数瞬だけ迷うように目を泳がせて沈黙した。
朱衡は安心させるように微笑を浮かべ、彼が話し出すのを待った。

377六太の悩み(2/5):2010/12/25(土) 11:42:35
「正直に言ってくれ。尚隆って『変態』だと思うか?」
「はい?」
 予想外の下問に朱衡は固まった。しかし六太は真剣な表情で、とてもからか
うふうではない。
 いったん言葉に出してしまったことで決心がついただろう、朱衡が固まって
いる間に、六太は堰を切ったように話し始めた。
「だ、だってさ。初めのうちはそうでもなかったのに、最近はあいつ、閨で変
なことたくさんするんだ。いっつも俺の全身をくまなくなでてしつこくなめま
わすんだ。俺のをしゃぶったり、足の指までしゃぶるようになめるときもある
んだ。これって変じゃないか? 普通はそんなことしないんじゃ? やっぱり
尚隆って変態?」
 羞恥で耳まで真っ赤になりながらも、座っていた椅子から腰を浮かせて大卓
に身を乗り出し、思い詰めた表情で訴える。めまいを覚えた朱衡は、いったい
何と答えたらいいのか頭を抱えた。それを尻目に六太は「俺、俺、あいつにな
められてないとこ、ない……」と言ってうなだれた。
 六太としては確かに真剣なのだろう。しかし主君の秘め事をここまで赤裸々
に聞く羽目になると思っていなかった朱衡のほうは大混乱である。
 実年齢は自分と大差ないとはいえ、六太の見た目は年端もいかぬ少年だし、
やんちゃで出奔好きでいろいろ困らせられてきたことはさておき、仮にも聖な
る神獣だ。唯一無二の主と相愛になるまで、接吻だってしたことがあるかどう
か怪しいもの。そんなうぶな彼にしてみたら、経験豊富な尚隆の愛撫は確かに
常軌を逸していると思えるかもしれない。
 すがるように自分を見つめる、らしくない六太に、朱衡は覚悟を決めた。深
く考えるから恥ずかしくなるのだ。学問の話をしているときのように、冷静か
つ客観的に淡々と話せばいい。
「台輔。最初に申し上げておきますが、閨房で何をするかというのは好みの問
題でしかないのです。したがって非常に個人差が大きいことはご承知おきくだ
さいませ。さらに他人に大っぴらに話すことではないため、何が一般的で何が
そうでないのかは誰にもわかりません。大事なのは合意の上であること、お互
いが満足すること、それによって愛情を確認できること。それさえ満たしてい
れば、何をしようとまったく問題にはならないのですよ」

378六太の悩み(3/5):2010/12/25(土) 11:49:55
 だが六太は納得できないような顔をしている。
「でも、朱衡も尚隆みたいなことしてるわけじゃないよな?」
 う、と詰まった朱衡だが、さりげなく深呼吸をして何とか平静を保った。
「拙官はその方面には淡泊ですので、主上とは少々違うかもしれません。しか
しそれでも主上がそうなさりたいお気持ちは理解できます。おそらく男なら誰
でも、多かれ少なかれ愛人に対してそうしたい欲求があるのではないでしょう
か」
「俺、男だけどわかんねー」
「それは」内心で必死に自分を励ます朱衡。「お立場と言いますか――その、
閨での役割の違いのせいかと」
「でも」
「主上は『変態』ではありません。それははっきり申し上げられます。ご安堵
なさいませ」
 力強く断言してみせると、六太は自信なげに「そう――なのかな……」とつ
ぶやいた。
「主上はたいそう情熱的に台輔を可愛がっておられるだけですよ」
「でも、あいつ……」
「はい?」
「俺のことを好きだって言ってくれるけど、閨ではいつも変なことを言わせた
がるんだ。その――俺のをこすってくれて、でももうちょっとってとこでわざ
とやめてじらして、にやにやしながらどうしてほしいか聞いてきたり。恥ずか
しいことを口にするまで続きをしてくれないんだ。仰向けになったり四つんば
いになったり、頻繁に体勢も変えさせられるし、おまけに入れてる最中に、ど
んな気持ちか聞いてくるんだ。俺、どうしたらいい?」
 なぜ自分が麒麟の恋愛指南をしなければならないのだろう。ふたたび頭を抱
える朱衡だった。どうして身近な女官などに相談しないのだろう。六太の近習
なら、普段から王とのあれこれを詳細に把握しているだろうに。
 それでも六太が本気で悩んでいるのはわかったので、朱衡は何とか実のある
助言をしようとした。
「おそらく主上は、台輔が恥ずかしがるご様子をたいそう愛しくおぼしめしな
のでしょう。だからわざとそういった言動をなさるのです」

379六太の悩み(4/5):2010/12/25(土) 11:54:26
「そ、そうなのか?」六太はびっくりした顔になった。
「おそらく他の誰も知らない台輔の艶めいたご様子を、ご自分だけが目になさ
るという事実に喜んでおられるのでしょうね。台輔が乱れるのは主上のお相手
をなさるときだけ。それを確認したくて、わざと意地悪にも思えることをなさ
るのですよ」
 六太は考えこんだ。
「そう言われると、確かにそんな気もする……」
「一般的にも、これは妻のことではありますが、昼は淑女、夜は娼婦というの
が男の理想とも言われます。男というものは愛人が自分だけに痴態を見せるこ
とにたいそう悦びを覚えるのです。それは男心をそそると同時に、自分の技巧
が愛人に喜ばれていることの証左でもありますから、その両方の理由で満足を
覚えるのです」
「……へえー……」
 六太は目を丸くしたまま、感心したようにつぶやいた。まだ思い詰めた表情
は残っているものの、滅多に見せない尊敬のまなざしさえ朱衡に向けている。
「そっかぁ。朱衡ってやっぱ、いろんなことを知ってるんだな」
「お褒めいただきまして光栄です」
「えーと。じゃあ俺、どうしたらいいと思う?」
 ここに至ってもそれを聞くのかとめげつつ、朱衡は誠実に応対した。
「確認なのですが、主上がなさることで台輔が本当に嫌だと思っておられるこ
とはございませんね? あくまで恥ずかしいからどうしたらいいのかわからな
い、そういうことでございますね?」
 六太はふたたび顔を赤くしてうつむいたが、それでもかすかにうなずいた。
「それでしたら、主上が台輔をじらそうとなさったら思い切り甘えてさしあげ
なさいませ。そして恥じらいながらも大胆に続きをせがんでごらんなさいま
せ」
「う、うん。あとは?」

380六太の悩み(5/E):2010/12/25(土) 11:57:34
「主上はご自分の愛撫で台輔が乱れるさまをごらんになりたいのですから、気
持ちよいと感じたら素直に快楽に身をお任せなさいませ。普段なら恥ずかしく
て口にできないこと、やれないことも、それを知るのは主上おひとりですから、
いくらでも言ったりやったりなさいませ。それらもすべて愛の行為なのです。
そしてもしお嫌でなかったら、たまに主上にも同じようなことをして差し上げ
ると主上はお喜びになると存じます」
「俺が、あいつのすることと同じことを――」
 閨でのあれこれを具体的に思い出しているのだろう、いっそう顔を赤くした
六太だったが、それでも何とかうなずいた。そして朱衡が「頼むからこれ以上
聞かないでくれ」と内心で願いつつ返答を待っていると、六太はようやく納得
した顔になった。
「ありがと、助かった」照れた笑みを向けて礼を言う。「変なこと聞いてごめ
んな。俺、こんなこと初めてで何かと判断がつかなくて……。でも内容が内容
だから滅多な相手には相談できなかったんだ。尚隆にも悪いし。でも朱衡なら
昔から俺らのこと知ってるし、忌憚のないところを言ってくれると思って」
 どうやら彼なりに考えてのことだったらしい。自国の麒麟に頼りにされるこ
と自体は純粋に喜ばしいことではあるし、朱衡は素直に六太の感謝を受け取っ
ておいた。それでも彼がほっとした様子で帰っていくと、不意に疲労を覚えて
椅子に座り込んだのだった。

 翌日、六太が大司寇府の執務室に顔を出した。室内を見回して余人がいない
ことを確かめた彼は、昨日のような照れた笑みを見せて朱衡に駆け寄った。
「昨日はありがとな。朱衡の言うとおりにしたら尚隆はすごく喜んでくれた
よ」
 嬉しそうに報告してくる。こんなときばかり律儀にならずとも――と再々度
頭を抱えた朱衡は、何も言わず曖昧にうなずくだけにとどめておいた。
「不思議なんだけど、そうしたら俺もいつもよりずっと良かったんだ。尚隆も
何回もしてくれて、途中で俺があいつのをこすってやったらめちゃくちゃ喜ん
でさ。もう激しくって、今朝方まで寝かせてもらえなかった」
 もはや既にのろけでしかない。
 ひとしきり報告すると六太は「俺、あいつが変態でも別にいいや」と開き
直ったように言い、意気揚々と引きあげていった。残された朱衡は言葉もなく、
ふたたび疲労を覚えて溜息とともに座り込むしかなかった。

381名無しさん:2011/04/20(水) 21:19:22
姐さんの安否が心配…震災からかれこれ一ヶ月以上経ったけど、何事も無ければ良いが

3821:2011/04/23(土) 10:14:39
こちらは大丈夫ですので、ご安心ください。
長らく中断してしまっているのは、書くのが難しい章であるのが大きな理由です。

まだ次の投下の見通しが立たないのですが、
せっかくなので書き逃げスレに尚六の掌編を置いていきますね。

383永遠の行方「王と麒麟(46)」:2011/05/14(土) 23:06:24

 延王尚隆が宮城に戻ってきたとき、既に三月も半ばを過ぎていた。首都関弓
はまだ雪に埋もれていたが、慶国と接する南部の地域なら穏やかな春の息吹を
感じられる頃だ。往路と異なり、経路となった街々にたっぷりと壮麗な行列を
見せて華やぎを与え、人々をお祭気分にさせて彼らに一時の享楽をもたらした
末の還御だった。
 玄英宮ではさっそく朝議が招集され、まずは行幸につきしたがった官から光
州での出来事が報告された。
 二月は例の病は発生せず、謀反に連なると思われる不穏な動きも認められな
かった。そのため残党もおらず一連の事件は終わりを告げたというのが大方の
見方だった。これ自体は明るい報せではあるものの、六太にかけられた呪に関
する手がかりはなかった。いや、術そのものについては既知の呪であったため
詳細までわかっているが、だからと言って簡単に解けるかと言えばそうでない
ことは周知のとおり。
 ついで宮城で留守を預かっていた高官らが、これまでにわかった事柄を相次
いで奏上した。暁紅の邸を捜索した結果や、蓬山に遣わした勅使の持ち帰った
返答、王が不在の間の朝議や内議で検討されたり報告された内容、等々である。
 もちろん六太にかけられた術に解除条件が設定されたことは伏せられていた
ため、それに関係する表現は注意深く取り除かれていた。いずれにしても膨大
な量ではあり、それでいて報告の中にこれといった決め手はなく、現状のとこ
ろ打つ手がないのは認めざるを得ない。何しろ六太は、弱点である角のある額
に触れられてさえまったく反応しないのだ。
 黄医からはさらに詳細な報告がなされたが、やはり現段階で打つ手がないこ
とを再確認しただけに終わった。ただし幸いなことに、昏々と眠り続けている
とはいえ健康上の問題はないし、しかも碧霞玄君から数十年程度飲まず食わず
でいたくらいではなんら差し障りはないとの返答も得ている。それが長年この
王と麒麟に仕えてきた官らの胸中を晴らすことにはならないまでも、何らかの
期限に迫られているわけではないことは大きな救いだった。

384永遠の行方「王と麒麟(47)」:2011/05/18(水) 19:53:22
 そもそも王が失道したわけでもなく、いやしくも天意を享けた王朝なのだ、
このまま謀反人の思惑どおりに終わっていいはずがない。
 長い朝議を終えた尚隆は滞っていた通常の政務をこなし、夕刻近くになって
から内議に冢宰と六官を招集した。高官らは仁重殿の女官を中心に行なってい
るさりげない聴取の成果を始め、これまでの試行錯誤の詳細を事細かに告げた。
尚隆は黙ってそれらに耳を傾けていたが、いったん報告の区切りがついたとこ
ろで冢宰が尋ねた。
「ところで主上。景王からの親書の内容はいかがでしたか」
「六太宛に来たというあれか。非常時ゆえ、開封してはみたが」
「して、内容は」
 すると尚隆は困ったような笑みを浮かべた。
「よくわからん」
「……は?」
「蓬莱の文字で書かれていたからな。それも俺が向こうにいた頃と、かなり変
わったようだ。あるいは陽子が使っているくらいだから女文字のたぐいかも知
れぬ。それでも『陽子』という文末の署名は読めたし、おぼろに意味をつかめ
ぬでもないが、果たして解釈が合っているかどうか。最近の蓬莱文字に詳しい
者に読み解いてもらう必要がある」
「詳しい者とおおせられましても……」
 これまで蓬莱関係については六太に任せておけば良かったので、向こうの文
字を尚隆より読みこなせる者などそうはいない。
「禁軍にいたろう。軍吏に取り立ててやった海客の男が」
「なるほど。確かにおりますな」引き取ったのは大司馬である。「その者は国
府におりますから、宮城に配置換えした上で、親書を渡して翻訳させましょう。
流されてきて数十年経っておりますが、それくらいなら蓬莱文字もそう変化は
しておらぬでしょう」
「しかし宮城内でさえ、不用意に話が漏れないよういろいろ気をつけていると
いうのに、海客などに関わらせるのはいかがなものかと思われますが」

385永遠の行方「王と麒麟(48)」:2011/05/18(水) 21:00:47
 大宗伯が眉をひそめて言う。大司馬とて、これまで海客に良い印象を抱いて
いるとは思えない男だったので、彼が王の提案にすんなり同調したのも他の官
には意外だった。だが、
「海客は軟弱な上に上位の者に対する当たり前の礼儀や敬意を持ち合わせぬ不
遜な輩が多い。そんな者に任せられぬのは道理だが、海客にもきちんとした者
はいる。特に件の軍吏は蓬莱でも軍にいたことから、雁と王朝に対する敬意を
きちんとわきまえており、真面目で口も堅いことがわかっている。拙官も何度
か実際に話をしており、信頼にたる男だと思う」
 大司馬にそう説明され、大宗伯は他の官とうなずきあいながら「そういうこ
となら」と同意した。
「今回の事件を景王にお知らせしたほうが良いのでしょうか?」
 朱衡が尚隆の意を尋ね、他の者も主君の顔を見た。むろん普通ならば他国に
知られることは避けたい。しかしもし返信を要する書簡だった場合、放置すれ
ば逆に疑念を抱かれかねない。卑しくも王である以上、大っぴらに騒ぐことは
なかろうし、むしろ何らかのもめごとを察して気遣いを示してくれるとしても、
事情を知らぬ者によって他国の宮城で話が広まる事態は避けたかった。
 尚隆は事も無げに肩をすくめた。
「まあ、陽子と――景麒には経緯を知らせてやったほうが良かろうな」
「しかし、主上。このような事態を安易に漏らすわけには」
「六太とはひんぱんにやりとりをしていたようだから、音沙汰がなければ陽子
も心配するだろう。それに慶もまだ安定には程遠いが、もう少し歳を取ってこ
なれればともかく、陽子のことだから不審に思えば早々に鸞でも送ってこよう。
書簡の封蝋が玉璽ではなく陽子の私印であったこと、署名が『陽子』のみだっ
たことを考えると、あくまで私的で気楽なやりとりとしか思えぬから、むしろ
話が漏れぬうちに言い含めたほうが安全だ」
「それはそうですが」
「六太と親しかった者を順次聴取して、あれの望みが何であるかをつきとめる
という作業もある。帷湍は他の麒麟にも尋ねたほうがよいと言っていたが、雁
が後援している陽子や景麒なら行き来しても不思議には思われぬ」

386名無しさん:2011/05/19(木) 11:51:28
更新キテタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)人(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━!!!!

387永遠の行方「王と麒麟(49)」:2011/05/21(土) 00:16:37
「そういうことでしたら、台輔と日常的に書簡をやりとりしておられた景王な
ら、確かに一番適当ではありますな……」
「解決の糸口が見えぬ以上、早め早めに手を打つに越したことはない。むろん
海客に親書を読み解かせてからになるが――陽子には開封を詫びねばならぬ―
―小さな紙片に記された短い文面だ、すぐに翻訳できるだろう」
 一同は考えこんだ。蓬山には勅使が「この呪の解法に心当たりがあればご連
絡を」とも伝えてあり、本日の朝議でもいずれ時期を見て再度勅使を立てるこ
とになった。それとは別に、他国の麒麟に尋ねてみるというのも確かに良い手
であると思われた。
「手段を尽くすという意味では、別の手立てもありますな」
 ふと大司馬が言った。他の者が注視すると、彼はしれっとこう続けた。
「冬官府で実験は可能ですからな。安全で確実に解ける条件を設定した上で昏
睡の呪をかけ、他のやり方でも目覚めさせることができないか試せばよい」
「それは……」
 大司空は口ごもった。それは王が不在時の内議で出た素人の思いつきに過ぎ
ず、しかもあの場で大司馬がすぐ引っ込めた案のため奏上には含まれてはいな
かった。そのため主君の前で持ち出されるとは思わず、不意打ちを食らった形
だった。
「いかがでしょう、主上」
「ふむ。危険がないなら、やっても損はあるまい」
 あっさりと応じた主君に、大司空はうろたえた。だが他の官からも異を唱え
る声は出ず、大司空が何を言うよりも早く、大司馬は「ところで朝議にて仁重
殿の女官から出された奏上ですが」と話を変えて彼の言葉を封じた。

 その日の夜になってから大司空は長楽殿に伺候した。大司馬の提案が危険な
ものであることは王に説明しなければならなかったが、このまま六太の昏睡が
続けば、いずれは実験せねばならぬかもしれないと覚悟は決めていた。
 夕餉を摂っていた主君の元に招き入れられた大司空が、懸念もあらわに食事
の邪魔を詫びると、尚隆は彼が何も言わずとも人払いをして女官たちを下がら
せた。

388永遠の行方「王と麒麟(50)」:2011/05/21(土) 00:18:39
「主上。内議でおおせられた実験についてですが、お伝えしておかねばならな
いことがあります」
「言ってみろ」
 大司空は主君の不在時における内々のやりとりを繰り返し、危険な術である
こと、それでいておそらく得るものは何もないだろうことを説明した。
 尚隆は静かに聞いていたが、やがて「それでも呪を解く可能性を見つけられ
ぬわけではないということだな」と念を押した。
「御意」
「そして素人ゆえの安易な思いつきということは、別の誰かが考えついても不
思議のない案ということでもある。実際、既に同じことを思いついた者もいる
だろう」
「はあ」
「ということは、呪を解けるかもしれない可能性があるのに試さないなら、冬
官府に有形無形の非難が集まりかねないということだ。何より使命感に燃えた
冬官自身がこっそり試しかねない。梁興に仕えていた冬官助手のように、動機
さえあれば危険を冒す者はいくらでもいよう。それが雁のためとなればなおさ
らだ」
 大司空はしばらく考えたのち、ためらいながらも「そうかもしれません」と
応えた。尚隆は彼をじっと見つめてから溜息をついた。
「この際はっきり言っておくが、いまだ呪の有効な解法がない以上、長丁場に
なることは覚悟せねばならんぞ」
「主上」
「その間、官府の間で責任のなすりあいが起きるのを極力防がねばならん。こ
れは不信が噴出してからでは遅い。いったん生じた不満は容易には収まらぬも
のだし、しぶしぶ試したあげく有用な結果を得られなかったとなると、その失
望感も上乗せされてしまう。逆に早めに手立てを講じて『こういう方法を試し
たがだめだった』と明らかにしておけば、できるかぎりのことをしていると他
の者は納得するし、無駄な作業に心を残さず、別の有用かもしれない手段に意
識を移しやすくなる。むろん実験で思いがけず解法がわかればもうけものだ
が」

389永遠の行方「王と麒麟(51)」:2011/05/21(土) 00:20:41
 不意に大司空は悟った。先の内議において主君は、既にそのことを考えて許
可を下したに相違ないのだ。さらにはこうして大司空がやってくることも予想
していたろう。
「では……」
「術者に極力危険のないように、そして冬官自身を含めた諸官が、冬官府が手
を尽くしていると納得できるように計らっておくことだ。大司馬はある種単純
な男で、今回のことも悪意があるわけではない。そして彼の提案が多少の危険
を伴うとしても、しこりを残してまで強硬に抵抗する性質のものでもなかろう。
ただでさえ光州の心証が悪くなっているところへ、内朝六官の中でさえ感情の
行き違いが起きるのは避けたい。平時ならささいなことであっても、非常時に
はゆがみが大きくなる」
 大司空はいったん考えこみ、しばらくしてから口を開いた。
「そうしますと……むしろ冬官の中から自発的に出た案という形にしたほうが
いいですな。実際に考えつくかぎりの案を部下に出させ、すべて試してみるこ
とにしましょう。それなら外部からの圧力に因ったことにはならないため外聞
もいいし、内部の者の不満もたまりません。大司馬が提案した以上のことを行
うことで、彼への牽制にもなります」
「任せる」
 尚隆はそう言ってから、ふと何かを探すように一瞬視線を傍らにさまよわせ
た。そうしてからにやりとする。
「くれぐれも気をつけることだ。実験で術者にもしものことがあれば、六太が
目覚めたあと、あれに罵倒されるのは俺なのだからな」
 大司空は緊張の残る表情に何とか微笑を浮かべて応え、主君のもとを退出し
た。

 翌日、尚隆は昼餉を済ませてから仁重殿を訪れた。彼は前日の朝議で、女官
らが文書による奏上で求めた六太への褒美を認め、目録を提出するように指示
していた。そして仁重殿を訪れてから、直接女官らをねぎらった。それから六
太が眠っている臥室に赴き、ずっと詰めている黄医に容態を確認したが、依然
変化なしとの答えだった。

390永遠の行方「王と麒麟(52)」:2011/05/21(土) 00:23:04
「下界においても、頭を打つなどして長期の昏睡に陥る者はおります。むろん
只人の場合は数日のうちに意識が戻らねば生命に関わるわけですが、症状の程
度はさまざまで、石のように動かない者がいる反面、外部からの刺激に反応こ
そしないものの、目を開けるなどの自立的な動きを見せる者もおります」
 黄医はそう言って、さまざまな症例の中に六太を目覚めさせる手がかりがな
いか調べさせていると告げた。
「ところで六太は、身じろいだりぼんやりと目を開けたりすることもあるわけ
だが、たとえば粥のようなものを食べさせることはできぬのか?」
 尚隆の問いに黄医は驚いた顔で首を振った。
「それは……試してはおりません。市井の者が昏睡に陥ったときは、何とか水
分を取らせるために唇を湿らせたりもするようですが、ご承知のようにもとも
と神仙は飲食をせずとも簡単には死なない存在です。特に麒麟は角を通じて天
地の気脈から力を得られます。碧霞玄君のお墨付きもありますし……」
「だが飢えや乾きはつらいものだ。既にふた月近く経っていることだし、死な
ないからといっても肉体は悲鳴を上げているだろう」
 尚隆は牀榻の奥に足を踏み入れた。帳は巻き上げられて、臥牀の様子がよく
見えるようになっている。女官らは今では朝は帳を開けて光を入れ、夜は帳を
おろすようにしていた。そうやってささやかながらも生活にめりはりをつけれ
ば、六太に良い作用があるように思えたからだ。
 尚隆は枕元に腰をおろすと、しばらく半身の様子を窺った。
「今はうっすらと目を開けているな」
「はい。一日のうち何度かこのように目をお開けになりますし、たまに身じろ
いだりもなさいます。しかしながら意識のないことは確かです」
「ふむ」
 尚隆は少し考えてから、六太の背に左腕を差しこんで上体を起こした。そう
してさらに考えたのち、水で湿らせた綿を女官に持ってこさせた。主君の意図
を察した黄医は「下手なことをすれば台輔を窒息させてしまいます」とあわて
たが、尚隆は六太の顎を支えて慎重に角度をつけた上で唇に綿を押しつけ、ほ
んのわずか喉に水滴をたらしてみた。

391永遠の行方「王と麒麟(53)」:2011/05/21(土) 00:25:27
 すると唇の端から水をしたたらせながらも、六太は反射のようにごくりと喉
を動かした。手元を覗きこんでいた黄医は感極まったように「おお」と声を上
げた。
「よし。飲めるようだな」
 尚隆は今度は果汁を満たした杯を持ってこさせた。先ほどよりしっかり六太
の上体を支えてから果汁を口に含み、右手で六太の顎をつかむと、口移しの要
領で少しずつ喉に果汁を流しこむ。すると顎を伝ってかなり臥牀にこぼれはし
たものの、六太はささやかな一杯を飲むことができた。
 尚隆は顔を輝かせている黄医にうなずきながら内心で、意識のあるときにこ
んな口づけまがいの真似をされたら、尚隆を殴りはしないまでも全身で抵抗す
るだろうなと、ほんの少しおもしろく思った。
「いくら神仙でも、断食が続けば意識が戻ったとき食物を摂ること自体が難し
くなる。目覚めたあとの回復を早めるためにも、少しでも摂取させておくに越
したことはない」
「確かに水や果汁を少しずつお飲ませすることはできましょうが……」
 黄医が安堵の中にも困ったような顔をしたので、尚隆は「なんだ」と尋ねた。
「畏れながら、拙官どもが尊き台輔に口移しをするわけにはまいりません」
「そうか」尚隆は苦笑した。「ならば俺が暇を見て見舞い、その都度飲ませる
ことにしよう。それ以外は先ほどのように湿らせた綿などで試せばよかろう。
むろん無理は禁物だが」
「かしこまりまして」
 綿や果汁を持ってきた女官たちは牀榻の外で成り行きを見守っていたが、今
は安堵のあまり泣きそうな顔をしていた。尚隆がそれへうなずくと、彼女らは
深々と拝礼した。

392永遠の行方「王と麒麟(54)」:2011/05/21(土) 00:27:34

 王が還御して数日も経つと、宮城は表面上は普段の装いを完全に取り戻した
ように見えた。今打てる手はすべて打ってしまったので、あとは良い結果の訪
れを待つしかなかったし、王が宮城にいる以上、政務の滞りもなかったからだ。
靖州侯の政務については令尹が代行している。首都州侯という麒麟の地位は名
目上のものに過ぎず、実務の大半はもともと令尹と州宰によって執り行われて
いただけに、これまた特に問題は起きていなかった。
 新たに深刻な事態が持ちあがることもなく、六太のことさえ意識から追い
払ってしまえば以前と同じように日々を送れてしまうことに、朱衡は複雑な思
いに駆られた。朝議の際も、ふと壇上の玉座の傍らに宰輔の姿を探してしまう。
日頃は何かと困らせられてきたとはいえ、六太の元気の良い声を聞けないのも、
威儀などどうでもよいとばかりにばたばたと宮城を走るさまを見られないのも、
正直なところ淋しかった。
 内殿の王の執務室に赴いた際も、つい主君の傍らに目を泳がせると、目ざと
く見つけた尚隆が「なんだ?」と問うた。
「いえ……」何となく気後れしながらも、朱衡は答えた。「何だか奇妙な感じ
がしまして」わずかに眉をひそめた尚隆に説明する。「主上も台輔も宮城にお
られる場合、台輔はよく主上とご一緒でしたから。しかしながら今は朝議の際
もお姿はなく、違和感と申しますか、どことなくおさまりが悪い気がします」
「そうか?」尚隆は意外そうに言った。「俺などは、いちいちうるさく口を出
されなくて静かでいいがな」
「はあ」
「まあ、そのうち気にならなくなるだろう。何にでも慣れるものだ」
 平然とした顔で書類をめくる主君に、朱衡は一抹の淋しさを覚えた。もちろ
ん王にあわてふためかれても困るのだが。
「……確かにそうだな」
 やがていくつかの書面を吟味し、朱衡に遠慮なく一部の書類を突き返した尚
隆がつぶやいた。朱衡が黙って首をかしげると、尚隆は困ったように「視界の
端でうろちょろする六太がいないと、静かすぎて調子が狂う」と答えた。

393書き手:2011/05/21(土) 00:30:39
次の投下まで、またしばらく間が開きますが、前回よりは短くて済むかと。
以下、予定や書き手の事情を知りたくないかたはスルーでお願いします。







前回かなり長く中断してしまったこともあって、見通しについて触れておきます。
全体の章立てはこうなっています。

 ・序
 ・予兆
 ・呪
 ・王と麒麟(尚六的「起」)← ★今ここ★
 ・絆(仮題。尚六的「承転」。基本はメロドラマ)
 ・終(エピローグ&尚六的「結」。たぶん短い)

そのため現在は、章立て的には折り返し点を過ぎたあたりとなります。

ただ、もともと「予兆」章と「呪」章はひとつの章だったのを
長すぎるため公開に当たって分けただけで、構想的にはふたつで一章。
(それでも予想以上に「呪」章が長くなってしまいましたが)
したがって実際の折り返し点は今の「王と麒麟」章の半ばとなり、
これまたそれなりに長くなる予定の章とあってまだ先の話です。
つまり完結まで、少なくとも今まで費やしたのと同じくらいのレス数を消費するかもしれず、
まあ、その……気長にお付き合いいただけると嬉しいです、という話だったりw

なお前回の長期中断は、実は入院&通院してた影響が大きく、
別に十二国記の二次創作への熱が醒めたということではないのでご安心を。
中断中も、ここに出していないだけで小品は書いていたし、
そうやって気分転換しつつ、要はマイペースでやってます。

ところで原作で進展があったとしても、残念ながら取り入れられないと思うので
その場合は完全にパラレルということになります。
実際、当作品の投下開始後に出たyomyomの短編の設定も入れていません。
無意識のうちに影響は受けているかもしれませんが。

もっとも現時点でこれだけ捏造過多だと、その手のものが苦手なかたは
既にご覧になっていないとは思いますが、いちおうご注意まで。

394aya:2011/05/21(土) 23:09:46
割と頻繁にこっそり覗きに来ています。
最近更新されてて嬉しいです^^
また楽しみにしてますv

395永遠の行方「王と麒麟(55)」:2011/06/04(土) 07:13:08

 空が暗くなったと思うと、にらんだとおりやがて雨が降りだした。鳴賢は筆
を置いて立ち上がった。玻璃の窓の傍らに立って流れ落ちる雨粒を眺めると、
途端に思考がさまよいだし、災難が六太を襲ってからどれくらい経ったのだろ
うかと考えた。まだ二ヶ月――いや、もう二ヶ月だと陰鬱な思いで認める。
 いまだに何の音沙汰もない。国府から何か言ってくることはないにしても、
意識さえ戻ったなら、六太のことだから顔を出してくれるに違いないのに。
 しばらくの間ぼんやりと外を眺めていた彼は、やがて書卓の上を照らすべく
燭台の灯りをつけ、ふたたび腰をおろして勉強を続けた。そうして固くなった
饅頭をちょっと口にしただけで夕餉も摂らずに熱心に書卓に向かっていると、
夜も遅くなってから扉をたたく音がした。
「文張か? 開いてるから勝手に入れよ」
 机にかじりついたまま声を張りあげる。だが室内にすべりこんだ気配が発し
た「俺だ」という声は別人のものだった。驚いた鳴賢は振り向くなり、「風
漢」と立ち上がっていた。風漢は片手で酒壷を掲げて見せながら、親しげな笑
顔で「元気か」と言った。
「どうして、ここへ」
 六太は「閹人(もんばん)と知り合いになってさ」「俺、楽俊の身内みたい
なもんだし」と言い訳してほいほいやってきていたが、大学寮は凌雲山の中に
ある。出入りの際は普通、閹人の誰何(すいか)を受けるはずだし、外部の者
は夜間、基本的に雉門を通れないはずだ。
 だが――そう、意外にも風漢は官吏だったのだと思い直す。六太は「小間使
い」などと表現していたが、同じ場所で働いているとも言っていた気がする。
ということは実際は宮城に仕える高官ではなかろうか。ならば下界からではな
く、雲海上からやってきたということか。鳴賢の房間の場所も、もともと知り
合いだったらしい楽俊に尋ねればすぐわかることだろう。
 相手は、一瞬の間にそんなことを考えた彼をよそに眉根を寄せた。
「少しやせたのではないか? ちゃんと食っているか?」

396永遠の行方「王と麒麟(56)」:2011/06/04(土) 12:35:55
「大丈夫だ」
 口ごもりながら言葉を返した鳴賢は、どんな態度を取るべきか迷った。相手
自身が身分を明かしたわけではないにしろ、官吏だとわかった以上、丁寧に応
対したほうがいいのだろうか。それに風漢の外見こそ鳴賢より年下だが、仙籍
に入っているなら、はるかに年長ということもありうる。
「あの。風漢、さん――」
 すると風漢は驚いた顔になり、ついで苦笑した。
「おまえに『さん』付けされるとは思わなかったぞ」
「だって、その。ええと、官吏なんだろう……?」
「俺が? 誰に聞いた?」
 反射的に「台輔に」と言おうとしてかろうじて思いとどまり、「六太に」と
答える。もしかしたら、実は六太の正体を知らないかもしれない。何よりいく
ら宮城に勤めていても今回の事件の詳細を知らされているとは限らず、不用意
なことは言えないと遅まきながら気がついた。
「いつだったか、六太があんたと一緒に府第みたいなところで働いているって
言ってたんだ」
「そうか」
 風漢はうなずくと、しまいこまれていた床机を引き出して座り、卓子の上に
酒壷と懐から出した包みを載せた。包みの中は手づかみで食べられる軽食のた
ぐいだった。
「差し入れだ。最近、顔を見なかったから、どうしているかと思ってな」
 鳴賢は物入れから杯をふたつ取り出すと卓子に置き、向かいに座った。とり
あえず相手の出方を見るしかない。風漢は杯に酒をそそぎ、軽食とともに勧め
た。
「勉強も大事だが、身体を壊しては何にもならんぞ。たまには息を抜いたほう
がいい」
 鳴賢はあいまいにうなずきながら杯を受け取った。そうしてしばらく勧めら
れるままに飲んで食べていると。

397永遠の行方「王と麒麟(57)」:2011/06/07(火) 20:03:23
「心配をかけてすまんな」
「え?」
「六太のことだ」
 彼を凝視した鳴賢は、それでも慎重に口をつぐんでいた。
「相変わらず意識はない。だが幸いなことに体は健康と言える」
「風漢さんは――」
「風漢、でいい。今までと同じでかまわん」
 鳴賢はいったん言葉を飲み込んでから言うべきことを探し、ふたたび口を開
いた。
「その、風漢は……最初から六太の正体を知っていたのか?」
「いや。最初はただの餓鬼だと思った。麒麟だと知ったのは少し後だな」
 あっさり答えた相手に、ごくりと唾を飲みこむ。彼は明らかに六太の身分も
今回の事件も知っている。ということはどこかの殿閣の下働きなどではなく、
下吏でさえなく、やはりそれなりの官位に違いない。
「つまりあんたは、玄英宮に出仕している官吏だってことだよな……?」
「そんなところだ」
「まさかあんたが国府の高官とは思わなかった。台輔から」と言いかけて「六
太から役人だと聞いたときも驚いたけど」と言いなおす。だが風漢は咎めるで
もなく、おかしそうに眉を上げた。
「それほどたいそうなものではないぞ。雑用ばかりやらされている小間使いだ
からな」
「もしかして六太のいる仁重殿にでも仕えているのか?」
「いや、あちこちで用をこなしている。要は何でも屋だ。だが、だいたい内殿
や正寝にいることが多いかな」
「正寝……」鳴賢は絶句した。内殿が王が政務を執る場所であり、正寝が王の
私室だということは知っていた。「じゃあ――まさか、主上にお目にかかった
こともあるのか?」

398永遠の行方「王と麒麟(58)」:2011/06/07(火) 22:11:51
「おう。あるぞ」
「その、どんなかたなんだろう? やっぱり名君だと思っていいのか?」
「ふむ」風漢はおもしろそうに顎をさすった。「どうだろうな。普段はあまり
良い話は聞かんが。側近に小言をくらったり、たまに罵倒されてもいるよう
だ」
「罵倒?」
「昔、朝議にすら、混ぜっ返すくらいなら出てこなくていいとまで官に言われ
たこともあるほどだからな」
 そう言って気楽に笑う。だが相手の受けた衝撃と混乱に気づいたのだろう、
すぐこう続けた。
「王のひととなりなど、俺が言うことではない。それに人間の評価などという
ものは、見る者によって変わるものだ。そんなものはいずれ実際に王に会った
とき、おまえが自分の目で判断すればいい」
 言葉面こそそっけないが、まなざしは穏やかで声音も温かかった。これまで
抱いていた彼の印象にはそぐわない。こんなふうに話すこともできるのかと、
鳴賢は意外に思った。
「だが、いずれにしろ六太のことは王なりに大事に思っているのは確かだ。幸
いにも呪者の残党はおらず、謀反のくわだては終わったと考えられる。六太が
目覚める完全な解決はまだ先になりそうだが、王が六太を見捨てることだけは
ありえない。それは信じてくれていい」
「そのう……ありがとう、それを聞いて安心した」
 鳴賢は気づいた。六太と同じように、風漢が「主上」ではなく「王」と表現
していることに。その意味するところまではわからず一抹の不安を覚えたもの
の、気遣ってくれているのは明らかで、その思いやりは素直に嬉しく思った。
「ところでこうして訪ねてきてくれたのはありがたいけど、ちょっとまずいん
じゃないか」
「うん? なぜだ?」

399名無しさん:2011/06/09(木) 22:24:41
うおお来てたマジお疲れ様です
ドキドキしつつまったり待ってます!

400永遠の行方「王と麒麟(59)」:2011/06/11(土) 09:48:56
「六太の身に起きたことは、少なくとも下界じゃ秘密にしとかないといけない
だろう? なのにこうして俺のところに来ると、いらぬ詮索をされかねない。
それに俺にもあまり詳しいことは教えないほうが安全だと思う」
「俺のような風来坊がこんなところに来たとて、悪い遊び仲間におまえが誘わ
れていると思われる程度のことだ。まあ、おまえの損にはなるか」
「俺は気にしない」
「それにおまえは信頼できる」
 思いがけない言葉だった。
「おまえ、最初に国府で尋問されたとき、王が昏睡状態に陥っていることを伏
せていたろう? あくまで六太が、王に危害を加えられなければ言うことを聞
けと脅されたことにしたな? そして大司寇の前に引き出されてから、やっと
すべてを語った」
「……なぜ、それを」
 茫然となりながらも、鳴賢はようやくそれだけ言った。王の意識がないこと
を知っているのは雲海の下では謀反人だけという六太の言葉を思い出し、低い
位の官もいる国府では迷いながらもとっさにぼかしたのだ。
「国府では酷い扱いを受けたようだが、その原因のひとつが、おまえが事件の
内容を一部伏せたため、供述の印象に不自然さを与えたことにあるのだ。だが
おまえは王の身に降りかかった災難、六太が身代わりになったことで本当に解
消したかどうかわからない深刻な事態について、しかるべき官が相手でなけれ
ば明かしても意味がないどころか混乱を招くだけと判断したようだな。我が身
の安全を図るより国を守ることを優先したおまえ自身も、おまえの判断も信頼
できる」
「あ、ありが、とう……」つっかえながらも礼を口にする。それからじわじわ
と、思いがけず自分の誠心を認めてもらったことの嬉しさが湧いてきた。




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