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鏡の世界の迷子の旅路 無断転載

1語り(管理人):2015/05/29(金) 21:47:48
私は小閑者さま本人ではございません。願わくばご本人からのご返事が来ること願います。



・本作は恭也の年齢を変えたDWの再構成に当たります。

 お蔭様で、長らく続いたA's編も無事(?)終了しました。
 これからは拙作、鏡の世界の迷子の旅路の後日談的な続編を書いていく積りですのでよろしければお付き合いください。

 ご意見・ご感想を書いて下さる方は別スレッドへと、お手数ですがそちらへお願いします。

29小閑者:2017/06/10(土) 15:41:42
 絶句するはやて。自身の年齢を越える歳月が想像出来ないのだろう。それでも何とか現実を見据えて意見を出す。

「でもそれやったら家に帰った方がええんとちがう?」
「しかし主はやて、それは」

 言葉を濁すシグナムにはやては頷いて返す。

「うん。そりゃ家の人は突然いなくなった息子が10年前の姿のまま戻って来たら驚くやろ。けど、それでも恭也さんがその気になれば一緒に暮らせる筈や。家族ってそういうもんやろ?」

 理想論だ。そう断じる者はいなかった。子を虐待する親も、親を刺す子も確かに存在するが、家族とはそういう存在で在りたいと誰もが思うだろう。そして例に漏れず、その姿がはやての憧れであることは明白だ。
 だが恭也は別の問題があったんだと言い、5日前から順に語ることにした。

「5日前になるのか?別れ際に言ったと思うが俺は家に帰ろうとした」
「道は分かったのか?出て来た公園は見覚えがなかったんだろ?」
「これだけ大きな町なら特に問題ない。本屋に地図があるからな」
「なんだ、近かったのかよ」
「ああ。二つほど隣の県だった」
「全然近くねぇじゃん!」
「お前、確か財布を持ってなかったろう?」
「…ええ、移動は徒歩でした」

 出来た間に心情を察したシグナムが親切に恭也の疑問に答えてやる。

「私は武装を解除しただけだ。着替えさせたのはシャマルだぞ」
「わざわざ言わなくても。でも下着までずぶ濡れだったんだから仕方が、え?」

 医療行為の一環と割り切っているシャマルが補足しようとしたとき、やや俯いた恭也の顔に朱がさしていることに気付き言葉が途切れる。

「シャマル、年頃の男の子にその話題は流石に可哀想やろ。唯でさえシャマルが普段使ってるパジャマから漂う女性の香りに落ち着けないのに、寝てる間に年上の美人のお姉さんに裸に剥かれて悪戯されてたなんて事実、そりゃぁ恥ずかしがるやろぅ?」
「え、あれ?でも、だってさっきは挟むとか何とかって」

 頬を赤らめた恭也を見た一堂は各自の判断で行動していた。一方的にからかう側に居た恭也が見せた隙に微塵の容赦もなく、捏造までして、嬉々として恭也に追い打ちをかけるはやてと、描いていた人物像との差異に戸惑い、捏造部分を否定することも忘れて疑問を口にするシャマル。純粋に意表を衝かれた様子のシグナムと参戦すれば自爆する内容だと理解して距離をとるヴィータは無言で推移を見守る形だ。
 ちなみにザフィーラは先程恭也の足に噛み付いて以降は部屋の隅で耳を立てたまま寝そべっている。決して台詞が無くて不貞腐れている訳ではないはずだ。

30小閑者:2017/06/10(土) 15:42:55
 反撃どころかかわす事も出来ずに被弾し続けた恭也は、これ以上は無理という程紅くなった顔のまま弱々しく悪態をつく。

「あ〜クソ、しくじった」

 顔を覆う様に片手を当てているので見えないが、恐らく今なら鉄面皮の様な無表情も崩れているだろう。
 大体の状況が分かってきたシャマルは、確認のために恭也が顔から手を離したところで質問を切り出した。

「恭也君、さっき私に言った冗談はひょっとして私の気を紛らわす為のもの?」

 これだけ動揺しているなら小細工をする必要は無いだろうと、内容は極めてストレートなものだ。

「まさか。からかっただけですよ。リスクを負わなくては不公平でしょう」

 そう答える恭也の表情の変化は微々たるものだったが、それでも無表情を貫いてきた先程迄と比較すれば劇的と言えるものだ。

「恭也さん、そりゃあ事情を知らへん私でも騙せへんよ?」
「ノーコメント」

 苦笑しながら告げるはやてに赤ら顔のままながらもポーカーフェイスを取り戻しつつ恭也が答える。

「やはり何かあったのか」
「ん〜、ちょっと暗い話になった時に気を紛らわしてくれたのよ」

 シグナムに答えるシャマルの声の柔らかさに眉を動かしたのを最後に、恭也が仏頂面を取り戻す。顔色に赤みが残っていなければ今見せた動揺すら幻の様だ。

「話が盛大に逸れたが、そろそろ元の話題に戻して良いか?」
「何の話だっけ?」

 ため息混じりの恭也の台詞に素で聞き返すヴィータを見て、シャマルがけっこうシリアスな内容なのにと同情する。元凶の一端を担っていることは気付いていない事にしたようだ。

「俺が家に帰った話だ」
「徒歩でな」
「手段は問題ではないでしょう?」
「限度があるんとちゃう?」
「せいぜい150km前後だ」
「十分だろ!往復だから300km近くを五日で往復したんだから!しかもそれ直線距離だろ?」
「いや、ほぼ直進したからだいたい合ってる。
 …どうしてこんなに話が逸れるんだろう?」

 話の腰を折られる事を揶揄している訳ではないだろうが、順を追って説明してる筈なんですが、と首を傾げられると口を挟んだ三人はやや気まずい。

「順は追ってるけど恭也君の行動自体が突飛過ぎて疑問が尽きないのよ。みんなも一先ず最後まで聞きましょ?」

 再開してから唯一口を閉ざしていたシャマルが助け船を出す。
 頼りがいのあるお姉さん風味のシャマルに恭也からの感謝とはやてからの感心の言葉が返る。だが、それが事前に知っているからに過ぎないと分かっているシグナムとヴィータはジト目だ。

「まあ、そう長い話ではないんですが。
 結局、明け方にたどり着いた目的の場所には家がなく、そこは空き地になっていたんです。
 念のために通っていた学校と最寄り駅に行って自分が住んでいる町なのは確認しました。空き地の様子を見る限り、空き地になってから経過した時間は1年や2年ではないでしょう。
 ウチはそれなりに続いている家系なので仮に火災で全焼したとしてもそのまま引き払うことは考え難い。少なくとも事態を収拾したら再建しようとするでしょうし、詳しくはありませんがそのくらいの資産もあったはずです。
 つまり、再建できなくなるような何かが起こり、かなりの年月が経過しています。
 これが家に帰れないことの根拠です。
 時間移動に気付いたのはニュース番組と新聞です。季節も変わっていたんですが、晩春から晩秋に移動していたので“随分冷え込む”程度にしか思いませんでした」

 淡々と話し終えた恭也は、表情を硬くして沈黙する一同の様子を確認した後、もう一度要約した頼み事を口にした。

「俺の状況はこんなところです。俺自身が理解できていないので、この事態について質問されても答えられることは少ないと思いますから、ここまでの内容で俺をここに置いても良いかどうか決めて下さい。
 念のために言っておきますが、断るのが一般的な反応だと思いますし、断られても逆恨みしたりはしません。
 それから、置いて貰う期間について、最初に年単位と言ってしまいましたが、そんなに長く迷惑をかけるつもりはありません。施設に入ることも含めて、身の振り方を決める迄ですから」

31小閑者:2017/06/10(土) 15:45:25
「これを捻るとお湯が出るわ。最初は冷たいけど、暫くするとお湯が出るようになるから。タオルはこれを使って。着替えは着ていた服がもう乾いているから」

 現状説明の後、入浴させて欲しい旨を申し出た恭也をシャマルが風呂に案内し、そのまま使い方を教えていた。

「…ありがとうございます」

 反応の鈍さに恭也の方を見ると視線に落ち着きが無いことに気付く。不思議に思うのも束の間、シャマルが至った結論を口に出す。

「珍しい?」
「ウチが純和風だったのもあるとは思いますが」
「フフ」

恭也の様子にシャマルは笑みを零すが、直ぐに表情が沈む。

「ごめんなさいね、一番辛いあなたに気を遣わせてしまって」
「構いません。俺が取り乱していないのは、現状に感情が追いついていないだけでしょう」
「…そう」

 否定の言葉を何とか抑えて同意しておく。シャマルにも、それを指摘しても恭也を傷付けるだけでしかないことが分かっている。

「急かすつもりはありませんが、15分くらいしか入っていられないので、結論は後日でも構いません。今更野宿に抵抗もありませんから」
「分かったわ」




 シャマルは脱衣所を後にし、未だ衝撃から立ち直っていない一同の居るダイニングに戻った。ドアを開けた音に過敏に反応するも顔を向けることが出来ないはやてに代わりシグナムがシャマルに問いを発する。

「あいつは何故平然としている?現状を理解して、いや実感できていないのか?」
「そんなことは無いと思うわ。実感できていないなら、朝みんなと出会ったときにあれほど憔悴していなかったでしょうしね」

 シャマルの言葉で今朝出会った時の恭也の異様さを思い出す。憔悴した顔つきと、思考が停止し前後不覚になるほど感情が飽和した、虚ろな表情。
 先程淡々と現状を説明していた恭也が別人ではないかと、あるいは何年もの時が経過しているのではないかと疑いたくなる。

「何でなん?何であんなふうに話せるん?自分がどうゆう状況にいるかわからんくて怖かったんやないの!?突然知らん場所に放り出されて、帰ってみたら家が無くなってて、家族の誰にも会えれへんで!
それなのに何で!!」
「はやてちゃん!」

 シャマルは取り乱し声量が大きくなっていくはやてを抱きしめ、優しく髪を梳かしながら、肩の震えが治まるのを待つ。
 人間は自分の理解が及ばない存在に恐怖を抱く。はやてが守護騎士の存在を認めることが出来たのは、闇の書から得た知識が助けになった部分が大きいだろう。
 はやては人と接する経験が少ない。足のこともあるが、この場合年齢に因るところが大きいだろう。同年代の子供と比較すれば逆に人の気持ちを察することが出来るだけでも評価されても良いくらいだ。
 だが、今回は相手が悪過ぎた。シャマルでさえ恭也の考え方は酷く異質だと思える。
 シグナムとヴィータ、人型に変身したザフィーラが顰めた顔のまま、説明を求めるようにシャマルを注目していた。
 シャマルははやてが落ち着いてきたことを確認すると、髪を梳かす手をそのままに自分の考えを話し出した。

「たぶん恭也君は私たちのことを気に掛けてくれたんだと思います」
「どうゆうこと?」
「今朝はやてちゃんたちが会ったとき、会話中に、その、正気を取り戻したときに直ぐにはやてちゃん達から遠ざかろうとしたんですよね?知っている人が周りに居なくて心細いはずなのに、5日前に言葉を交わしただけとはいえ、面識のあるはやてちゃんやシグナムから距離を取ろうとした。それは、きっと自分の置かれた訳の分からない現象にはやてちゃんたちを巻き込まないためだったんじゃないでしょうか?」
「あたし達のことを警戒して離れようとしただけかもしんねーじゃん」
「それなら言いくるめてから穏便に距離を取る、なんて余裕は無いと思う。明らかに異常事態ですもの。
 普段から体を鍛えている人なら、元凶だと思っている相手と言葉を交わす前に、逃げ出すか、逆に”元凶”を捕まえようと攻撃しようとするかしていてもおかしくない状況でしょ?」
「では先程まで淡々と説明をしていたのは、悲哀の情に巻き込まないように、か?」
「ええ」
「俺には、仮にそう考えていたとしても実行できるとは思えん。確かにあの男は尋常でないほどの修練を積んでいることは見て取れるが、とても精神が成熟しているとは言えない年齢だろう。個人差があるとしてもだ」
「そうね。生まれつき感情の起伏の少ない人だっているから、一概には言えないし、何か別の要因もあるのかもしれないけれど。何れにせよ”優しい”の一言で括れる様なものではないとは思うわ」

32小閑者:2017/06/10(土) 15:47:23
 シャマルは4人の疑問に順に答えた後、ゆっくりと抱きしめていたはやてを離し、不安を押し込めた真剣な顔をじっと見つめながら語りかける。

「はやてちゃんには”怖いから関わりたくない”とは言い難いかもしれない。でも人は万人と仲良くなれる訳ではないのも事実です。一緒に居ることで傷つけ合うくらいなら離れることも手段の一つですよ?
 恭也君もそれを理解しているからこそ、最後に拒否する選択肢を示してくれたんだと思います」
「あたしは…反対だ。あんなよくわかんねぇやつがはやての傍に居るのは、なんか嫌だ」
「私は特に反対はしません。接した時間は長くありませんが、恭也自身は信用しても問題ないと思います」
「だが、あの男自身はともかく、あの男の巻き込まれている状況は軽視できるものではないぞ」
「そうね。でも、それでも私は恭也君を助けてあげたいとは思う」

 意見が出終わると暫くの間誰も喋ることも無く身動きもせずにはやての結論を待った。
 決定するということは責任を持つことでもある。はやてにはそれが理解できていることを知っていて、なお4人はそれをはやてに求める。
 酷である事は承知しているが、書の主を差し置いて決められることではない。
 状況を整理し問題点を提起した上で自分達の意見を上げて選択肢を示す。その代わりに恭也がはやてにとって害をなす存在であれば自分達が排除することは、確認するまでも無く4人の一致した決意だ。
 4人が見守る中、はやてがしっかりとした口調で、自分の考えを再確認するように口に出す。

「私も恭也さんのこと、助けてあげたいと思う。
 1人はあかん。絶対にあかんのや。私はみんなのお陰でそれがよう分かってる。せやから、恭也さんはウチに住まわせたげたい」
「はい」
「まぁ、はやてがそう言うんならしょうがねぇ」

 同意する3人と、仕方なさそうに、しかし安堵が混じる声で答えるヴィータ。優しい家族に誇らしさと嬉しさがはやての胸を占める。
 不安はある。最初は守護騎士とて面識の無い他人だったが、魔道書の主に対して忠誠を誓う存在であったことを思えば、恭也は正真正銘の他人だ。倒れた恭也を連れてきた時には気にしていなかったその事実は、恭也の異質さと言う形で実感することになった。
 同居するということはそのまま接する時間が長いということだが、はやての認識においてはそれだけではなかった。はやては、同居とは他人の寄せ集めでは無く家族として接することと同意だと思っているため、なお不安が大きかった。あそこまで異質な面を垣間見た恭也と上手く接することが出来るだろうか、と。

 だが、結論を告げたときに見た恭也の表情に、不安を圧してでも迎え入れることを選択して本当によかったと安堵した。



続く

33小閑者:2017/06/10(土) 16:48:38
第6話 天秤




 家族として恭也を受け入れることを告げた後、気持ちを落ち着ける時間をとることも兼ねて食器の片づけを行った。その後場所をリビングに移すと、はやての提案で新しく家族に加わる恭也のための自己紹介が始まった。

「まずは言いだしっぺからやね。八神はやてです。歳はぴちぴちの9歳。家事は一通りこなせるけど、料理の腕にはちょっと自信あります」
「ああ、さっき堪能させてもらったからな、次からも期待させてもらおう。それと、別に丁寧な話し方でなくても構わないからな?」
「ありがとう。や〜、慣れん話方は辛かったわ。ボロが出る前に戻せてよかった〜」
「既にボロボロだったと思うぞ?」
「嘘!?」
「いやなに、言葉の端々に隠しきれない可愛らしさが滲み出ていたと言いたかっただけだから、シグナムさんとヴィータはそんなに睨まないように」
「フン!」

 ヴィータは恭也への視線を和らげることなく復元していたグラーフアイゼンをペンダント状態に戻す。シグナムはデバイスを復元していなかったが、だからと言ってヴィータより寛容だった訳ではないのは未だに殴りかかるために握り締めた拳に力が篭ったままであることからも明らかである。
 はやてのこととなると沸点がやたらと低い2人が常態に戻るまでの間を取るためにシャマルが口を開く。2人の姿から普段の自分の姿が容易に想像できてしまい、居たたまれなくなったのだ。

「じゃ、じゃあ、次は私ですね。ご存知の通り名前はシャマルで、先程お見せした通り癒しの魔法を使えるから怪我をしたときには私に言ってね。
 家事についてはお掃除とお洗濯は出来るようになったけれど、お料理は勉強中と言うところかしら。あとは・・・そうね。一緒に暮らすんだし特に敬語を使わなくても構わないわよ」
「それは有難い。はやてのことが言えるほど俺も敬語は得意ではないんだ」
「私にも敬語は不要だ」
「俺にもな」
「ありがとう」
「あたしにはちゃんと敬語を使えよ」
「畏まりました、ヴィータお嬢様」
「へ?」

 からかう気満々でニタニタしながらヴィータが切り出すと、予想とは裏腹に即座に謙(へりく)だった態度で対応されたため思考に空白が生じてしまった。そして、対峙した者が見せた隙を見逃すような甘さを持たない恭也はすぐさま追い討ちをかける。

34小閑者:2017/06/10(土) 16:49:28
「如何なさいましたか、ヴィータお嬢様?もしやご気分が優れないのでは?シャマル、悪いがヴィータお嬢様のお加減を見て差し上げてくれないか。寝室には俺が。
 ヴィータお嬢様、失礼致します。本来であれば私ごとき下賎の者がヴィータお嬢様に触れるなど恐れ多いことと承知しておりますが、今は危急の時。後ほど如何様な罰も受けますゆえ、この場はどうか平にご容赦下さい」

 などと、今まで見せたことも無いほど真剣な表情でヴィータに語りかけると、ヴィータの横から右手で肩を抱き寄せ左手を膝裏に回すと掬い上げるように持ち上げる。
 虚を衝かれたとは言えヴィータが抵抗する間も無くお姫様抱っこの形に収まってしまうほど、一連の動作は自然であり優雅であり洗練されていた。

「な、ななっな、何しやがる!?」
「ヴィータお嬢様、お願い致します。お怒りはごもっとも。ですが今は、今だけはご容赦を!
 わが身可愛さのためにヴィータお嬢様の治療が遅れ、万一のことがあっては、私の命をいくつ積み上げても取り返しがつきません」

 体勢の関係で至近から恭也の真摯な視線を受け続けた結果、本人の意思とは無関係にヴィータの顔に急速に血液が集まり続ける。

「わかった!あたしが悪かった!」
「何をおっしゃるのですか!?ヴィータお嬢様に落ち度などありません!傍に控えさせて頂いていたにも関わらず気付くのに遅れた私の責任です!!」

 恭也の言葉に熱が篭るのに比例して、徐々に2人の顔が近付いていく。既にヴィータには周囲の4人の食い入るような視線に気付く余裕すらない。
 これ以上ないほど赤面したヴィータは、恭也の瞳から視線を逸らすことが出来ない上に、恭也の肩に添えている手が、押し返すためのものなのか引き寄せるためたのか傍目から判断が出来ないほど弱弱しい。
 平常であれば冷ややかな視線を投げかけつつ殴り倒してお終い、という程度のことだが、初撃で虚を衝かれた上、澱みなく追撃を重ねられたため思考を整理することも出来ずに追い詰められてしまったのだ。
 ここまで詰められてしまっては全面降伏しか道は無かった。

「ごめんなさいごめんなさい、もうからかったりしないから赦して下さい〜」
「深く反省するように」

 僅かながらも瞳を潤ませているヴィータに対し、スイッチを切り替えたかのように熱の消えた声で返し、あっさりと開放する恭也。ヴィータは開放されると足を縺れさせながらもはやての影に隠れて威嚇する。
 とてもはっきりとした勝者と敗者の姿だった。

「おぉ〜、恭也さんは容赦ないなぁ」
「はやて、叩けるうちに叩くのが勝負の鉄則だぞ?」
「後が怖いんとちゃう?」
「今を生きるのに精一杯で先のことなど考える余裕は無いんだ」
「でも、心の中では羞恥心を押さえ込むのに一生懸命だったんでしょうね」
「そこ、見透かさないように」
「ヴィータが即座に反撃に出られないほど徹底的に攻撃するところが凄いな」
「今反撃に出れば返り討ちに会うことが判断できる冷静さがヴィータに残っていることの方が怖いのではないか?明日の朝日を拝めることを祈っておいてやろう」
「祈りより直接的な助力の方があり難いのだが?」
「藪を突付くつもりはない。そもそも自業自得だろう」

 恭也の反論がないことを確認した後、そのままザフィーラが名乗り出た。

「名はザフィーラ。普段はペットの立場を取っている」
「・・・ペッ・・・ト?そ、それは、跪いたり、その、く、首輪を付けられて引かれたり、床で餌を、与えられたり、とか、されているの、か・・・?」
「?まぁ、概ね合っているが」

 そう言い、恭也の様子を訝しみつつ周囲に視線を投げかけると、帰ってくるのは憐憫と苦笑の交じり合った視線。(ヴィータは恭也への威嚇に勤しんでいたが)

「ザフィーラ、お前その姿のままで鎖につながれていると思われているんじゃないか?」
「な!?」

35小閑者:2017/06/10(土) 16:52:02
 シグナムの言葉にザフィーラが驚愕の面持ちで振り向くと、恭也は平静を装いつつもザフィーラを直視しないように盛大に目を泳がせていた。バタフライもかくやと言う程の泳ぎっぷりからして、この手の人には会ったことがないんだろうなぁ、と言うことが良く分かる。
 先程までの異常なまでの落ち着き振りとの落差に全員が思わず微笑ましい気持ちにすらなる。無論、ザフィーラを除いて。

「貴様、妙な誤解をするな!俺は狼を素体とした守護獣だ!変身魔法でこの姿をとっているに過ぎんのだ!」
「え?・・・あ、じゃあさっき俺の足首を砕きそうな勢いで噛み付いていた犬がザフィーラなのか?」
「犬ではない、狼だ!」
「やかましい!動物のすることだから大目に見ようと思っていたが、人語を解するなら話は別だ!喰らえ!」
「喰らえと言われてくらがぁ!?」
「なに!?」

 ザフィーラの額にデコピンを炸裂させた恭也にシグナムが驚愕の言葉を漏らす。無論、ヴィータとシャマルも同じ思いだ。
 真っ向からザフィーラに攻撃を仕掛け、抵抗らしい抵抗すらさせずに攻撃を成立させて見せた。如何にここが団欒の場でザフィーラが気を緩めていたのだとしても、盾の守護獣の二つ名は伊達ではないのだ。容易にできる事ではない。
 指を弾いて痛みを与えるという“おちょくること”を目的とした行動だったが、今のが鋭利な刃物を使用した攻撃であれば命に届くことはなくとも行動力を大幅に削ぎ落とす事は出来た可能性もある。先程あっさりとヴィータをお姫様抱っこして見せたのも同じ技能だったのではないのか?
 ここまで思考を進めた結果、シグナムは知らず寄っていた眉間のしわをそのままに、剣呑な視線を胡乱なそれに変えて恭也へ問いかけた。

「お前、そんな高度な技能をこんなくだらない事にばかり使っていいのか?」
「何を言う!全力で挑まなければ返り討ちに遭うんだぞ!?
 仕掛けるならあらゆる技能を出し惜しむな。父から叩き込まれた教訓だ」
「すごいお父さんやね」
「未だに完全勝利は2割を切るからな。いや、単独で挑んだ場合は引き分けが関の山だった」
「そのお父さんに育てられちゃったのね」
「なんて傍迷惑な父親だ」
「全く持ってその通りだな」

 ヴィータの心からの評価に同意したのは他ならぬ恭也自身だった。現在の自身の在り方に何かしら思うところがあるのだろうか、ザフィーラが反撃を躊躇する程度には視線が虚ろだ。

「え〜と、次、ヴィータな」
「・・・ヴィータだ」

 恭也の気を紛らわすように振られたことに対して不満はあったが、はやてからの指名では突っぱねる訳にもいかず不機嫌さを隠すこともなく名乗る。そして、せめてもの抵抗として“それ以上お前には教えてやらねぇ”とばかりに全員の視線を集めても無言を貫く。

36小閑者:2017/06/10(土) 16:53:13
 ヴィータの態度にはやてが苦笑しつつフォローする前に、いつの間にか復活していた恭也が口を開く。

「ヴィータお嬢様は慎ましい方ですからね。差し出がましいとは思いますが、不肖私「しゅ、趣味は近所のじいちゃんばあちゃんと一緒にゲートボールすること、あと、あと、えーと、好きな食べ物ははやての作ったご飯とお菓子、嫌いな物は特になし!」
「必死だな」
「さっきのがよっぽど恥ずかしかったんでしょうね」
「それよりあの男、さっきのあれは演技だったのか?」
「どうやろな〜。単に打たれ強いと言うか打たれ慣れてるんとちゃう?雰囲気的には寡黙な印象があったのにここまではっちゃけた性格に成れたのはよっぽど打たれ続けてそうや」
「“成れた”のではなく“成ってしまった”んだ。環境に順応した結果、俺自身の理想像からは遠く離れてしまったよ」

 唐突に会話に加わったかと思ったらそのまま遠い目をしている恭也に慰めるようにはやてが声をかける。

「辛かったんやろね、理想の姿と本性が掛け離れてるゆうんわ」
「追い討ちか。容赦がないな、はやて。俺は周囲の悪影響を受けただけで、本来はもっと静かで落ち着いた性格だったんだぞ?」
「恭也さん、人生はやり直しがきかへんのやから現実から目を背けても何もいいことあらへんよ。今ここにあるもんが全てやねん」
「非情な真理だな。ご高説痛み入る」

 漫談に混ざる内容が子供の会話ではない。だが、一方は両親を事故で亡くし足の麻痺した者、他方は先日実質的に一族全てを失った上知人すら居ない異郷の地に放り出された者、そしてその過酷と言える境遇から目を逸らすことなく受け止めている両者だからこそ、背伸びをしているような印象がない。
 シグナム達は境遇についてはやてを不憫には思っていたが、精神面が歳不相応であるとは実感できていない。知識として、この年頃はもっと無分別で周囲が見えないものだとは知っていたが、新参の恭也が(漫談は別として)輪をかけて落ち着き払っているので彼女達の認識が修正されることはなかった。
 余談だが、これから彼女達が関わることになる同世代の少年少女は総じてマイノリティに分類される者たちばかりだったため結局修正される機会はないのだった。

「では私で最後だな。
 シグナムだ。最近は市内の剣術道場で非常勤の指南役をしている」
「指南?他流派だろう?仮にも剣術を名乗っている道場にしては革新的だな」
「何かおかしいん?」
「俺の知る限りでは、剣術は剣道と違って共通したルールがない。まあ得物が刀、勿論木刀だろうが、それである以上扱い方は似か寄るだろうが、自分の流派こそが最強だと言う自負はそれぞれが持っているものだろうから、他流派の者に技を知られることを嫌う。恐れると言い直してもいい。技を知られれば対抗策を練られるからな。
 剣術と言う名が形骸化している傾向はあったからこの10年で拍車がかかったのか、その道場だけなのか」

 どこか寂しそうに恭也が呟くが、シグナムが早とちりだと嗜める。

「剣術道場と言っても一般人に向けて剣道を教えているんだ。私が指南しているのはそちらだよ。私も剣術については何度か手合わせをした程度だ」
「なんだ、そういうことか」
「お前も嗜むのなら覗いてみるか?他流派との手合わせは勉強にも刺激にもなるぞ」
「ああ、知っている。だけど今は止めておくよ。自分の技能を煮詰める時期なんだ」
「無理強いはしないがな。では、私とするか?道場では無理だが、そこらの空き地でも構わんのだろう?」
「魅力的ではあるが、やはり辞退しておこう。なけなしの自信が跡形もなくなりそうだ」
「よく言う。その論法では最強になったことを確信するまで誰とも手を合わせしないことになるじゃないか。
 まあいい、気が向いたときと言う事にしておくか」
「ああ、気が向いたときに、な」

 不敵っぽく笑い合う2人に対して、別の2人が食って掛かった。

37小閑者:2017/06/10(土) 16:56:16
「てめ、アタシのときと全然違うじゃねぇか!」
「俺のときともな!」
「何を馬鹿な。礼には礼を、失礼には失礼を返しただけだろう」
「ぐっ」
「待て。俺が噛み付いていたときはシグナムだって剣を突きつけていただろう!?」
「・・・そうだったかな。だが、まあ男が細かいことに拘るな」
「あからさまに誤魔化しとるなあ」
「流派の理念上、勝てない場合には戦わないことにしている」
「ただのヘタレじゃねぇか!」
「そういう言い方も出来るな」
「でも負けると分かってる時でも戦わないかん時があるんやないの?」
「そうなのか?」
「いや、聞き返されても・・・」
「負けることが“分かっている”んだろう?そうであれば戦うことに意味はないと思うがな。他の人間は別の意見を持っているかもしれないが、戦ったと言う事実で自分を満足させているに過ぎない、と俺は思う」
「でも、自分より弱い相手としか勝負せえへんのやったら弱い者虐めみたいなものやん」
「?どうしてそうなるんだ?強い相手と戦う事くらいあるだろう?」
「勝てへん相手とは勝負せえへんのやろ?」

 恭也は話が噛み合っていないことに気付いて言葉を切る。はやてが、何か間違っていただろうかとシグナムの方に視線を向けたところで恭也が再び口を開いた。

「ああ、なるほど。目的と手段の違いか」
「何の話?」
「主、あの男にとって対戦者を打倒することは目的を達成するための手段でしかないのでしょう」
「練習中であれば“強くなる”って言う目的の糧になるから勝負自体には負けても構わねぇってことか」
「あれ、何でザフィーラもヴィータも急に恭也さんの味方やの?」
「べ、別にあんなやつの味方したわけじゃねーよ」
「あの男を少々侮っていたことについての自戒です」

 スポーツではなく術(すべ)としての剣技=剣術。半年に満たないとは言えこの町を見てきたからこそ、この国にそのような考え方が残っているとは思っていなかった、それがザフィーラの正直な感想だった。
 空気が引き締まったことを感じ取ったシグナムが改めて許可を取るためにはやてに話しかけた。自分達の秘密とも言える内容だから流石に漫談中に切り出したくはない。

「主はやて、恭也に我々の存在について教えようと思いますがよろしいでしょうか?」
「存在?・・・あ〜、あのことやね。ん〜ちょお待ってな、その前に一つ確認しとくことがある。
恭也さん、うちらに隠しておきたいことあるか?」
「・・・そうだな。いずれ話せる日が来るかもしれないが今はまだ話せないことがある」
「なっ」
「そか、じゃあ私とみんながどうやって出会ったかはそん時でええかな?」
「気を遣わせてばかりで申し訳ないな」
「いいのかよ、はやて!」
「話したないことくらい、誰にだってあるやろ?自分の秘密を話すことは信頼の証になるやろけど、相手にも強要してる様なもんや。
 私らのこと騙そうとしてる様な人には関係ないやろけど、恭也さんは優しそうやからな。無理強いはしたない」
「本当に良く出来た子だな。小学生にしておくのは勿体無い」
「どんな勿体無さかわからんて。けど、お褒めに預かり光栄や、惚れ直した?」
「滅相も無い、恐れ多くて惚れることも出来ん」

 苦笑しつつ受け流す恭也を見る限り、特に不快感は抱いていないようだと安心するはやて。

38小閑者:2017/06/10(土) 16:58:40
 俺の番か、と呟きつつ居住まいを正す恭也に一同が視線を集める。

「約束していたのに随分遅くなってしまったな」
「そういえばまだ苗字を教えてもろてへんでしたね」
「苗字は不破という。不破恭也。初対面の人にはまず間違われるので先に訂正しておくが、今年で10歳になる」
「…またまた。誤魔化さないかんような歳やあらへんやろ?」
「ああ、だから誤魔化してはいない。ついでに言うなら今のところ年齢を重ねることに抵抗はないし、外見上15,6歳に見えることも分かっているので間違えたことを非難するつもりもない。ただ、以前に面倒くさくなって放置しておいたら、ややこしいことになったことがあるので訂正だけはするようにしている」
「えっと、ランドセルとか背負っとるの?」
「…ああ」
「ぶわっははははははははははは」
「容赦ないな、はやて。ヴィータですら笑ってないって言うのに。いや、知らないだけか?」
「はははッゲホ、ガハガハ」
「はやて、大丈夫か!?テメー何てことしやがる!」
「俺が被害者のはずなんだが。いっそ清々しいほどの至上主義っぷりだな」

 はやてが落ち着くまで待ってから再開する。

「今度背負ってる姿見せてな」
「笑われるために背負うなど断固拒否する。そこの4人、拒否してるんだからな!」
「主はやての意向は絶対だ」
「…小太刀を見ているから分かると思うが剣術を習っている」
「強引に進めましたね」
「コダチ、とはあの短い剣か?」
「ああ。この国では剣のことを刀と呼ぶ。特徴は片刃であることと刀身に反りがあること。主に長さによって分類されていて、俺が持っているものは小太刀と呼ぶんだ」
「あの長さではあまり攻撃には向かないと思うが、細身の割には刺突に特化した形状という訳でもなかったな。守りが主体か?」
「それもあるが、技の中に室内戦を想定している傾向がある」
「なるほどな」
「どういうこと?」

 納得するシグナムにはやてが問い掛ける。

「武器は基本的に長い物ほど、重い物ほど、遠心力や慣性により一撃の威力が増します。また、長ければ敵よりさきに射程に捕らえることも出来ます。
 反面、長大な武器は手数が減りますし、モーションが大きくなるため敵の接近を許すと反撃が難しくなり、障害物があれば存分に振るうことも難しくなります。
 つまり狭い室内は、長い武器が短いそれより不利になるシチュエーションです。」
「なるほどなあ」

 はやてが納得したことを確認してから、今度はヴィータが問い掛ける。

「暗器の類いまで持ってたみてーだけど、この国でそんな実戦紛いなことやってるもんなのか?」
「少なくとも私が世話になっている草間一刀流は古流剣術をうたっているが、そこまでではないな。せいぜい上級者の一部が真剣を扱う程度、それも薪藁相手に振るう位だった。
 念のために言っておくが、馬鹿にしている訳ではないからな?剣士としては寂しく思うが、それだけこの国が平和だと言うことだろう」
「少し違うな。平和であることは事実だが、今の時代、仮に戦争が起きたとしても熟練に長期的な鍛練を要する剣術よりも、体格に関係なく引き金を引くだけで一定の成果を期待できる銃火器を選ぶだろう。
 剣道はもちろん剣術すら肉体の鍛練と精神修養以上の物ではなくなっているのは当然の流れなんだろう。今は刀を振るえばどう言い訳したところでそれは暴力として扱われる。俺の流派も多少実戦の側面が色濃く残っているが大差はないんだ」
「そうなんかぁ」

 受けた説明を鵜呑みにするはやての隣でシグナムが、今のは嘘だろうと推測していた。気絶状態から臨戦大勢をとるなど、相応の経験が必要だし、先程の“相手を打倒するのは手段に過ぎない”と言う言葉に反してもいる。

「なんと言う流派名なんだ?」
「俺の実力では名乗ることが許されていない」

 恭也の返答はシグナムの予想から外れるものではなかった。隠そうとする意図が正確に分かる訳ではないが、戦闘者として手の内を明かす積もりは無いのだろうと当たりをつけて黙認した。非難できる事ではないだろう。

「別に良いじゃねぇか、咎めるやつも」
「ヴィータちゃん!」
「あ!…悪い」
「いや。一応俺自身のけじめでもあるので勘弁してくれないか?」

 特に動揺する様子も見せずに受け流した恭也は、そのまま気遣わしげな視線を寄越すはやてに願い出る。

39小閑者:2017/06/10(土) 17:01:03
「はやて、厚かましい事は承知の上で一つお願いしたいことがある」
「何?」
「この家においてくれている間だけで良い、八神の性を名乗らせて貰えないか?」
「うん、ええよ。恭也さんも今日から八神家の一員やしな!」

 あっさり即答した上、満面に笑みを浮かべるはやてを不思議そうに見ている恭也に替わりシャマルが疑問を口にする。

「はやてちゃんなんだか嬉しそうですね?」
「私、優しくてカッコイイお兄ちゃんにも憧れとったんよ」

 誰もがザフィーラに向かいそうになる視線を必死に押し止め、きっと兄よりペットの方が優先順位が高かったのだろう、と胸の内で納得するだけに留めておく。

「では選択の余地がなかったとは言え、夢を壊すようなことになって悪かったな」
「?」
「憧れていたなら理想像位あったんだろう?」
「なんや、そんなん恭也さんなら全然オッケーや」
「俺が言うのもなんだが、志しは高く持つものだぞ」
「やっぱそうかな?じゃあ理想のお兄ちゃんが現れるまで、そのポジションに当たる人と暮らすのはやめとこか」
「いや、やはり高望みは良くない。地に足を付けて堅実に進むのが幸せへの道程と言うものだ」
「必死だな」
「そうね」
「軽はずみな事を言うからだ」
「ザフィーラ、そんなに気にしなくて良いと思うぞ。はやても他意はなかったろうし」
「八つ当たりで言った訳ではない!」

 何故、飛び火がこちらに来るのかと内心首を傾げながらも、ザフィーラは盾の守護獣として耐え忍ぶ事にした。無論、現実逃避でしか無いのだが。

「それじゃあ自己紹介はこれくらいにして夕飯の買い物に行こか」
「では、荷物持ち位努めよう」
「行き倒れていた人が何を言ってるんですか!」
「シャマルの言う通りお前は、今日は休んでいろ。主はやて私が供をします」
「ん、ありがとなシグナム。シャマルは恭也さんのこと見張っとってな」
「任せて下さい、はやてちゃん」
「失礼な。見張りなど無くても安静にくらいしている」
「そういう台詞は目を合わせて言わんと説得力ないで。ヴィータとザフィーラはどないする?」
「ん〜この時間ならまだやってるだろうから、じーちゃん達ん所行って来るよ」
「では俺もそちらに」

 言って変身したザフィーラを見て、恭也が驚嘆の声を上げる。

「おお、そんな風に変身するのか」
「変身シーンでも裸は見えへんよ?」

はやてがニヤニヤしながらからかう気満々で言うが、恭也は疑問符を浮かべるだけだった。

「むう、リアクション薄いなぁ。シャマル出番や、変身シーンを見せたって」
「シャマルも何かに変身するのか」
「えぇ?私は服が変わるだけよ?」
「見せなくて良いから」
「即答したな」
「もう少し突いたらさっきみたいに真っ赤になるんじゃねぇ?」

 ニヤニヤ笑うヴィータの頭に恭也が穏やかな表情でそっと手を置くと、

「人をからかうのは楽しいよな?」

 万力のように締め付ける。

「いでででで!手ぇ離せこのヤロ!」

 ヴィータの蹴り足をヒラリとかわすと、恭也はそのままリビングから退室した。

40小閑者:2017/06/10(土) 17:04:35
「鮮やかな転進だな」
「攻撃しておいて反撃が来たらあっさり逃げ出すとは男らしくないやり方だな」
「ザフィーラ…」
「シャマル、その目はやめろ。八つ当たりではないと言っただろう!」
「あ〜ザフィーラ、ゴメンな?デリカシーなかったな」
「主、本当に気にしておりませんから、お気使いなく。ペットとしての役割を全力で全うする所存です。それではこれにて。行くぞヴィータ」
「お、おう。何でそんなに張り切ってんだ?」

 覇気の漲る声でヴィータに声をかけ颯爽と部屋を後にするザフィーラを、今まで痛みに悶えていて聞いていなかったヴィータが不思議がりながら追って行った。

「そんなに力まんでも。…ひょっとしてペットとして振る舞うのって結構大変なんかな?」
「いえ、恐らく主はやてに気にかけて頂けて喜んでいるのでしょう」


* * * * * * * * * *


 シャマルが客間に入ると恭也が布団の上で目を閉じて正座していた。流石にフローリングの床に直接正座するのは避けたようだ。

「恭也君、寝てなくちゃ駄目よ」
「日常生活程度であれば問題ないくらいに回復していることはシャマルも分かっているだろう。大人しくしているから勘弁してくれ」

 シャマルがクスクス笑っていると漸く恭也が目を開いた。

「一つだけ確認しておきたいことがある。魔法についてだ」
「答えられることなら」
「まず第一に俺にとって魔法の存在は童話や物語の中のものでしかなかった。隠蔽されていたのか、あるいは…俺が良く似た別の世界に飛ばされたのか」

 恭也が感情を面に出さないために費やしている精神力がどれほどのものなのか想像するだけで胸が痛んだが、同情で半端な希望を与えるわけにはいかない。それに縋り付けば反動で後のショックが大きくなってしまうだろう。

「この次元世界には魔法が使える人間どころか魔力を保有する人間すらほとんどいないの。はやてちゃんも保有する魔力量こそ大きい、つまり魔法の素養は高いけれど、魔法技術を持っていないから扱えないわ。魔法の存在が知られていないのはそれらが理由だと思う。
 後者の可能性は有るとも無いとも言えないわ。ただし、恭也君は実家の周辺を確認した結果、目安になるような施設には大きな差異が無かったのよね?10年の歳月でどの程度の変化があったのかは分からないけれど、町並みから受ける印象に違いが感じられないなら、その可能性は極めて低いと見るべきでしょうね。
 私も全ての次元世界を把握している訳ではないけれど、経験上酷似した世界を見たことはないわ」

 シャマルは恭也が再び閉じた目を開くまで辛抱強く待った。如何に実年齢に見合わない精神の成熟を見せていても、何の前触れも覚悟も無く家族を失う事態に直面すれば、余程冷徹か逆に憎んででもいなければ家族を失ったという事実が簡単に受け入れられる訳はない。だからこそ僅かな希望に縋ろうとする姿は当然と言えるものだろう。
 再び目を開いて質問を始めた声に動揺の色を見せない恭也のことが不憫でならないが、その努力に報いるためにもシャマルは同情を面に出さないように努めながら会話に集中する。

41小閑者:2017/06/10(土) 17:06:13
「魔法にはどのような種類があるんだ?」
「大まかには戦闘用、医療用、移動用と言ったところかしら。
 さっきも言ったと思うけど魔法は誰にでも使えるものではないの。それはこの世界に限ったことではなくて、ランク差は勿論あるけれど、それ以前に全く使用できない人のほうが多いのよ。だから、日常生活用に開発された魔法はほとんど無いわ」
「戦闘用というのは?」
「大別すれば攻撃魔法と防御魔法と補助魔法ね。もっと詳しく知りたい?」
「いや、追々聞いていこう、詰め込みきれそうに無い。それより、はやてが魔法使いに襲われる可能性は?希望的観測は抜きで頼む」
「そう言われてしまっては魔法の存在しないこの世界で私達が出会ったんですもの、零ではない程度に低い、としか言えないわね。でも、管理局だって魔力保有量だけで書の主を見つけられる訳ではないでしょうし、まず有り得ないと思って良いわ」

 シャマルは意図して管理局の名前を出して、素知らぬ振りをしながら恭也の反応を窺ったが見て取れるような反応は得られなかった。
 気付かなかった、ということはないだろう。自分達に敵対する組織があること、それが攻めてくる可能性があることも気付いてもらえたと思う。名前からして治安機構であることは推測できただろうか?自分達の行動が犯罪に分類されること、あるいは書の主であると言う事実だけで取り締まられる可能性があることは?
 だが、恭也はシャマルの意図を全く無視する形で話題を変えてしまった。

「最後に何度か耳にした次元世界と言うのはどのような概念だ?平行世界と言うものとは違うようだが」
「あ、えーと、この世界の概念では別の銀河系、が一番近いと思うわ」
「ああ、なるほど。現在のこの星の技術力では一生涯ではたどり着けない距離に存在する他の生態・文明か。
 今の時点で知りたいことは大体分かったよ」
「そう。答えられることでよかったわ」
「っと、それとは別に俺は普段どんな生活をすれば良い?最初からはやてにベッタリでははやてが疲れてしまうだろうし、俺もこの町のことを知っておきたい。
 幸いこの外見なら補導される心配は無いだろうから、ある程度街中を歩き回ろうと思っているんだが」
「ええ、それで構わないと思うわ。夕食時にでもはやてちゃん達に話しておけば問題ないと思う」
「わかった。では夕飯までここでじっとしているので家事があるならやってきてくれ。
 そんな目で見られなくても今日は大人しくしている」

 それだけ言うと正座のまま目を閉じ、微動だにしなくなった。瞑想と言うやつだろうか?
 それにしても鎌をかけたつもりだったが完全にスルーされてしまった。精神が不安定なはずの今現在に、ここまで考えを隠されては打つ手がない。
 先程は感情を露呈する場面が何度かあったというのに隠すべきときには隠し切って見せたのだ。
 はやても9歳児とは思えない言動をするが、その1年後を想像しても恭也にはならないだろう。本来は恭也の感情、心理、思考を把握した上で行動することで、最悪の事態、自分達が管理局に捕まったとしても恭也が“巻き込まれただけ”という立場を取らせたかったのだが、思い直すしかないだろう。
 恭也は、自身のとった行動の責任は自身で請け負う、そう言っていると解釈するべきだろうか?
 シャマルはその結論が自分の都合のいい解釈でしかないのか、恭也の本心であるのかを、これからの彼の行動から読み取るという前途多難な課題に頭を悩ませるのだった。


* * * * * * * * * *


「ほな、そろそろ寝よか」
「うん」
「お休みなさい、はやてちゃん」
「お休みなさい、主はやて」
「お休み」
「良い夢を」

 ヴィータに車椅子を押されながら、家族全員から就寝の挨拶を受けたところではやてが疑問を口にした。

「恭也さんは寝えへんの?」
「ああ、俺はまだいい。寝る前に体を動かしておきたい」
「何言ってるの。病み上がりなんですから今日は大人しく寝なくちゃ駄目よ」

 恭也は即座にかけられたシャマルのダメ出しに、予想通りと言うように肩を竦める。

「もう大丈夫、と言っても納得してくれないだろうからな。分かってる、部屋で体操する程度にするさ」
「風呂はどうする?」
「先に入ってくれ、俺は寝る前でいい。今日は昼にも入ってるしな。では俺は部屋に戻る。物音はたてない積もりだが煩かったら言ってくれ、直ぐにやめるから」
「ここでやれば良いじゃない」
「軽くとは言ってもこれだけ物がある場所では無理だ。万が一と言うこともある。シグナム、風呂から上がったら教えて貰えないか?」
「分かった」

42小閑者:2017/06/10(土) 17:06:57
 はやて・ヴィータに続き恭也が部屋から出ると、リビングに静寂が満ちる。
 シグナム、シャマル、ザフィーラの三人は、はやてが寝るために部屋に行ったあと特に会話もなくそれぞれの思索に耽る。
 以前は一日を振り返り、はやてと供にあるという幸福を噛み締める時間だったが、最近考え込むことは自ずと最重要事項である蒐集に関する事ばかりだ。殺伐としている。それに気付けたのは恭也というイレギュラーな存在のせいだ。この場合″おかげ″と表現するべきか?
 皮肉なものだとザフィーラは思う。犯罪を犯している自分達にとって部外者である恭也は秘密が漏洩する可能性を高める不安要素だ。だが、その不安要素によって、秘密の厳守を意識するあまり、蒐集活動を始めてから外部との隔絶が大きくなっていたという事実を突き付けられた。
 むろん、秘密の厳守は絶対だ。だが、そのために孤立すれば思考の硬直に繋がる。それは気付いてしかるべきことに気付けず、大切な事柄を忘れてしまう事態に致りかねない。代表的な事例でいえば“目的と手段が入れ代わる”という事態は、他人事だと笑っている者ほど陥り易い罠なのだ。
 蒐集活動の成果が文字通り主の命を左右するため、自然に悲壮感が強くなっていたのではないだろうか。日常の主との会話中でさえ、頭の片隅から離れることのなかった問題を一時とはいえ忘れることが出来たのは良かったと言えることなのかもしれない。
 ぽつりぽつりと零れる他の二人の言葉はザフィーラの考えを肯定するものだった。
 激動、と言うのは大袈裟だが大きな変化のあった一日だった。余りにも能動的な行動の余地が少ない選択肢ばかり突き付けられたように思うが、久しぶりにはやてと行動を供にしたと実感出来たように思う。


* * * * * * * * * *


「首尾はどうだ?」
「私は5ページ」
「あたしとザフィーラは13ページだ」

 海鳴市のオフィスビルの屋上にて互いに今日の蒐集結果を報告しあう。
 自慢気に胸を張るだけあってヴィータ達の成果は一度の出撃では最高値だ。

「やるな。私の11ページが最多になると思っていたんだがな」

 内容とは裏腹にシグナムの声も明るい。
 恭也が転がり込んで来た今日は、はやての笑顔も多かった様に思うし、色々と気付けたこともあったし、蒐集の結果も良かった。偶然でしかない事は百も承知だが、恭也が幸運を運んできたのではないか、などという思考さえ過ぎる。
 あまりな思考に苦笑が漏れるが、芳しい成果が得られた時には喜ぶべきだ。悲壮感に陶酔しても得られるものはない。
 家に着くと、ささやかな満足感を胸に音を立てないように静かに廊下を歩いていると、前触れも無く蛍光灯が点灯する。
 先頭を歩いていたシグナムとヴィータは蛍光灯の明かりに照らされて現れた眼前の光景に息を呑む。別に凄惨な光景があったわけでも管理局員が待ち構えていた訳でもない。

「やっぱりシグナムたちか」

 目の前に居たのはシグナムがメルヘンなことを考えていた恭也だった。シグナムの剣が届く範囲の半歩外という距離で照明スイッチに手を掛けた姿のままこちらを見ている恭也の存在に対して、頬を汗が伝うのを感じる。

「すまんな、起こしてしまったか?」
「いや、トイレに行こうとした時に衣擦れの音を聞いただけだから」

 それだけ答えるとトイレに向かって歩いていった。
 その無音歩行は、先程足音を忍ばせていた自分達がまるで無造作に歩いていたのではないかと錯覚させられるような完璧なものだった。

「ヴィータ、気付けたか?」
「…いや」

 害悪にしかならないプライドを押し込めて、認めたくない事実を認めたヴィータに同意の言葉を返して、シグナムは緩みかけていた警戒心を引き締めなおした。



 恭也が来たことで良かったと思えることはいくつもあった。だが、それらを相殺するほど、その本人の行動は不審なもの、不可解なものがあった。
 あの男が加わることで、果たして事態は好転したのか悪化したのか?


続く

43小閑者:2017/06/13(火) 22:35:43
第7話 露呈




 八神はやての朝は早い。
 目覚まし時計を止めると一緒に寝ているヴィータの寝顔に頬を緩めてから起床。身支度を整えると台所でシャマルと合流して家人が寝静まっている中、朝食の準備を始める。

「そういや、恭也さんは朝食もたくさん食べるんやろか?」
「あ、どうなんでしょう。とりあえず、ご飯だけ多めに炊いておきましょうか?」
「そうやね、おかずも昨日の残りならちょおあるし、漬物も、…恭也さんて嫌いなものあるんやろか?」
「あ、それも聞いてなかったですね。何でも食べそうな気はしますけど」
「まぁ、今日は無難なところを揃えとるし大丈夫やと思うけど。それに好き嫌いは良うないしな。大きくなれへん」
「…十歳児としては育ち過ぎてるから、きっと好き嫌い無いんじゃないかしら」
「…それもそうやね」

 そんな雑談を交わしながら朝食の準備を進めているとシグナムがリビングに入ってくる。それに合わせてリビングで寝そべっていたザフィーラ(狼形態)が起き出す。
 狼形態だと準備の手伝いが出来ないどころか無駄にはやてに気を遣わせてしまうため、いつからかシグナムに合わせるようになったのだ。

「おはようございます、主はやて、シャマル」
「おはようございます」
「おはよう、シグナム、ザフィーラ」
「おはよう、2人とも」
「おふぁよ〜」

互いに挨拶を交わしていると、眠たそうに目を擦りながら、うさぎの縫いぐるみを片手にヴィータがダイニングに入ってくる。

「おはよう、ヴィータ。眠そうやね」
「ねむい〜」
「はい、牛乳や」
「あんがと〜」
「それを飲んだら顔を洗って来いよ」

 シグナムはヴィータに釘を刺した後リビングのカーテンを開けに行き、昨日加わった新たな住人がこの場に居ないことに気付いた。

「恭也はまだ起きていないのですか?」
「どうやろ?あんまり寝坊するようには見えへんけど、昨日は疲れとったはずやし、まだ寝とってもおかしないね。まぁ起きたけど部屋から出て来てないだけかもしれんけど。
 シグナム、悪いけど起こしてきてくれへんか?」
「…いえ、必要ないようです」
「え?」

44小閑者:2017/06/13(火) 22:36:15
 はやてが疑問の声を上げるが、シグナムはそれに答えることなく庭に続く窓を開けると呼びかけた。

「恭也、もう直ぐ朝食の準備が済む。上がって来い」
「フッ!…ああ、わかった」

 型稽古の区切りが付いたのだろう、残心を解くとシグナムに答えて出入り口を兼ねた窓から上がってきた。
 今朝は季節に見合う程度に気温が低いが、十分に体が温まっている事が分かる。汗を掻く程ではないようだが、室内に音が聞こえない様な静かな動作で体が温まる運動量となるとかなり長時間だっただろう。

「剣、刀だったか?使わないのか?」
「流石に早朝とは言え庭で真剣を振り回すのはまずいだろう」
「まあ、な。しかし、お前の流派は徒手の“型”まであるのか。剣術の流派だろう?」
「古流だからな。刀がないから戦えませんでは話にならなかったんだろう」
「…どうやって庭に回った?俺には庭での修練どころか、家を出た音も聞こえなかったのだがな」

 矜持を傷付けられたのだろう、ザフィーラの言葉には隠しようのない悔しさが滲んでいた。
 昨晩、蒐集から帰宅した折のことが脳裏に蘇り、シグナムの表情も硬い。

「庭の土は軟らかかったし、窓ガラスとカーテンを閉めていたからな。カーテンの吸音性はかなり高い。簡単には音は届かないだろう」
「それは音源側にカーテンがある場合だろう?」
「それでも有ると無いとでは随分違うさ。
 家を出るときも廊下とのドアが閉まっていたから気付けなかったんだろう。空気が遮断されているから匂いも伝わらないしな」

 勿論、フローリングの床も柔らかい地面も通常の歩き方では音が発生する。早朝の静まり返った空気では尚更響くだろう。
 恭也には特別に疑惑が掛かっている訳ではないが、八神家に運び込んでから丸一日と経っていないにも関わらず得体の知れない面を頻繁に見せ付けられれば警戒心も湧くと言う物だろう。
 この男はひょっとして態と疑われるような真似をしているのだろうか?シグナムでなくともそんな考えが湧いてくるだろう。

45小閑者:2017/06/13(火) 22:36:50
 恙無く朝食を済ませ寛いでいると、はやてが恭也の予定を聞いてきた。

「俺はジョギングがてら町を見て回ろうと思っている。昼食には戻ってくるつもりだ」
「それやったら私が案内しよか?」
「ふむ。有難い申し出ではあるが、まずは施設や店ではなく、道や町のつくりを把握したいんだ。後で町の地図を見せてもらいたい」
「ええよ。でも、まずは買い物を先にした方がええんとちゃう?服とか必要やろ?コーディネートは任せといて」
「服は、まあ確かに必要なんだが。楽しみにしているところ悪いんだが、動き易い事が前提だからな?後、黒系統を選べとまでは言わないが、目立つ物は避けてくれ」
「むう、ちょう不満はあるけどしゃあない、妥協しよか。直ぐ行く?」
「いや、午前中はやはり町を見ておきたい。落ち着かなくてな。午後から頼む」
「うし、任せといて。ジョギングにはジャージでも着てく?」
「…あの赤いのは遠慮しておきたい。動き易い物を選ばせてくれ」
「あの、はやてちゃん。今日は午後から定期健診の日ですよ?」
「あ」

 完全に忘れ去っていた様子のはやてを見て、シャマルとシグナムが顔を顰める。
 別に忘れっぽい訳でもないはやてが病院の検診を忘れるのは、症状が慢性化しているためだろう事は想像に難くない。症状が改善されていることが体感できていれば積極的に病院に通っているかも知れないが、通常の医療技術では回復しないことが分かっている2人には辛いところだ。
 はやてを病院に通わせているのは、医療行為で回復できれば、という有り得ない望みと、何よりはやての症状が通常の怪我だとはやて自身に思わせるためだ。
 聡明なはやてに元凶が魔道書からの侵食であることを知られれば、頻繁にはやての元を離れるようになった自分達の行動の目的も察してしまうだろう。そのことではやてに叱られるのは良い。いや良くは無いのだが、その程度の罰は承知の上で行動している。だが、リンカーコアの蒐集自体を禁じられれば闇の書が完成せず、はやてへの侵食を止めることができなくなる。そして、恐らくはやては自身の命に関わると知ったとしても蒐集行為を禁じるだろう。そのはやての優しさが誇らしくあり、もどかしくもあった。
 ヴォルケンズの内心の葛藤に気付くことなく、恭也が話を続けた。

「では買い物は明日にしておこう」
「う〜、しゃあないなあ」
「他の4人はどうするんだ?」

 話が逸れたことに対する安堵を隠しつつシグナム達が順に答える。

「私は午前中は道場へ行く。午後からは主はやてに同行する」
「私はお洗濯やお掃除と、同じく病院への付き添いね」
「アタシは遊びに行ってくる」
「おれはヴィータについていく」

 ヴィータとザフィーラがはやての通院と言う重要事に別行動をとるという不自然な返事にも恭也は特に反応を見せることも無く頷き返すと、準備のために部屋を出て行った。
 恭也の態度にシャマルは感心しきりだ。日常的に見え隠れする先程のような自分達の言動に興味が湧かないはずが無いのに、こちらが触れて欲しくない内容には悉く無反応である。昨日の恭也が担ぎ込まれた後の対談で彼の観察力・洞察力を見ていなければ、本当に気付いていない鈍感な人物だと誤解しかねない。

46小閑者:2017/06/13(火) 22:37:39
 恭也を見送ってからはやてがふと思いついた疑問を誰にともなく口にした。

「昼食までて、4時間近くも走り続ける訳やないよね?」
「ペースにも依るでしょうが流石に休憩を挟みながらでしょう」
「やっぱそうやよね。なんや、恭也さんならやりかねん雰囲気やから」

 ザフィーラが当然の予想を返すが、それはシャマルによって否定された。

「実際にどうするかは分からないけれど、恭也君、5時間以上走り続けられるみたい、よ?」
「5時間!?」
「も、勿論、ペースに依るんでしょうけど、恭也君にとって疲れないくらいの“ゆっくり”ってかなり速いみたい」
「正確には軽い運動中でも体を“休める”技法があるんだ。はやて、地図を見せてもらいたんだが」
「び、びっくりするじゃない!」
「何か後ろめたいことでも?」
「いきなり現れりゃ誰でも驚くっつうの!」
「…そうか。すまない、意図していた訳ではないんだ。周りにこんなことで驚く者が居なかったから、“いきなり”話しかけている意識がなかったんだ」

 皆当然のこととして対応していたからなあ、とやや視線が遠くになる恭也にザフィーラが確認の声を掛ける。

「では、ほとんど物音をたてない歩き方も?」
「?ああ。勿論鍛錬の一環として始めたことだが、最近は特に意識していなくてもあまり物音はたっていないかもしれない」

 その答えにザフィーラとシグナムが視線を交わす。朝食の前に抱いた恭也の不審者に見える行動は、この認識の違いにあったんだな、と。


* * * * * * * * * *


 恭也ははやてから借りた紺色のジャージと虎のマークが付いた野球帽に身を包むとと早速ジョギングを開始した。借りた男物のジャージのサイズが合っていることについては深く考えないことにしたようだ。

47小閑者:2017/06/13(火) 22:38:16
 家を出発すると臨海公園を経由し、海鳴市の外縁を巡るルートをかなりのハイペースで、しかし息を乱すことなく駆け抜ける。
 通勤・通学時間に重なる時間であるにも関わらずあまり人に出会わないのは、家を出る前に確認した地図で主要な道路や施設、オフィス街の位置関係を把握しているからだろう。
 町を半周し山間の神社に辿り着くころには汗が頬を伝うようになっていたがそれでも呼吸には大きな乱れはなく、境内へ続く階段を駆け上がる。境内に入ると漸く足を止めるが、それが休憩ではないことは敷地内の広場の地面やその周囲の木々を観察する様子から窺い知れた。やがて、何本かの木の幹についた傷を確認すると短く嘆息して、再びジョギングを再会した。ただし、町の方ではなく更に山の中へと。
 恭也は傍から見ると遭難しているようにしか見えないような道なき道を、街中を走るのと大差ない速度で彷徨った後、山の中腹にある自然公園らしき場所に現れた。意表を衝かれた表情と、周囲をきょろきょろと見回す仕草からすると意図した状況ではないようだが、その実年齢に見合う、外見年齢からは幼い仕草は直ぐに鳴りを潜め、神社の境内で行っていた様に周囲の様子を確認し始めた。
 そこは何脚かのベンチとゴミ箱があるだけのちょっとした広場で、地面は平らにこそなっているがコンクリートやアスファルトで舗装してある訳ではなく、広さとしてもテニスコート程度だ。位置的には山の8合目といったあたりだが登山道はこの公園が終着のようで町の方向を向いて右手側に下りの道があるが、登り道は無いようだ。
 恭也は一通り確認作業が終わると、今度は分かる者にしか分からない程度ながらも満足気な表情で頷くと、今度は山中ではなく登山道へとジョギングを再開した。


* * * * * * * * * *


 恭也が朝食の席で話していた通り、正午になる頃八神家に戻ってくると、はやてとシャマルが家の前に居た。シグナムが玄関に鍵を掛けて振り返ったところで近付いてきた恭也に気付き声をかける。

「帰って来たか」
「あ、恭也さん。間に合って良かったー」

 全身から湯気を立ち上らせる恭也が、やや速くなっている程度の呼吸をさっさと整えると、今朝の会話と照らし合わせて推測したであろう疑問を口にする。

「これから病院か?」
「うん。予定より早いけど検査装置の都合で今から来て欲しい言う電話があったんよ」
「ヴィータちゃん達には連絡してあるわ。恭也君への連絡手段が無くて困ってたところだったのよ」
「食卓に書置きを残したが、そもそもお前には家の鍵を持たせていなかったことに気づいてな。かと言ってこれ以上病院に行く時間を遅らせることも出来なかったから、最悪ヴィータ達が戻るまで待ってもらうことになるかと思っていたところだ」
「予定がずれる事くらいあるだろう。今回はたまたま間に合ったが、間に合わなくても仕方ないさ」
「割り切っているな。それで、鍛錬できそうな場所は見つかったか?」
「お見通しか。八束神社だったか?その傍にちょっとした広場があったからそこを使わせてもらおうと思っている」
「鍛錬の場所?」

48小閑者:2017/06/13(火) 22:38:51
 共通認識の下に交わされていた会話にはやてが当然浮かぶ疑問を口にした。割って入る形になってしまった声に気分を害した様子もなく恭也が答える。

「剣術の鍛錬だ。これでも修行中の身でな、日課として早朝と深夜に鍛錬している。時間帯の都合で音がしても周囲に迷惑の掛からない場所を探していたんだ」
「なるほど。けど結構遠くまで行くんやね」
「人気の無い場所がなかなか無くてな。神社なら大丈夫かと思ったんだが先客が居たようだ」
「先客?他にも練習場所を探している人が居たの?」
「いや、練習場所として使っている人が居たようだ。周囲の木々に木刀や蹴撃で最近ついた傷があった」

 話が一段落したところでシグナムがはやてを促した。

「主はやて、そろそろ出発しましょう。恭也、この鍵を渡しておく。昼食後に出かけるなら戸締りを頼む」
「承った」
「口調が時代劇みたいや」
「放っておけ」

 苦笑するはやてに恭也が投げやりに返す。

「そや、恭也さん、明日の買い物で携帯も買お」
「携帯?」
「…携帯電話、やけど、知らん?」
「知ってはいるが、…そうか、子供が1人1台持つほど普及しているのか」

 感慨深げ(?)な恭也にはやての苦笑が深まる。「さっきからおじいちゃんみたいな反応や」という感想は一応胸の内に留めて病院へ向けて出発した。



* * * * * * * * * *



 栗色の髪を頭の左右で纏めた少女、高町なのはは一緒に歩く同じ年頃の2人の少女の内、茶色味がかった金髪の少女に楽しげに話しかける。

「アリサちゃん、結局携帯は替えるの?」
「暫くは様子見よ。面白そうではあるけど、今一できることがハッキリしてないのが踊らされてるみたいで嫌だもの。すずかはどうするの?今日バッテリーを買いに行くんだから暫くは今のを使うつもりなんでしょうけど、替えるつもりあるの?」

 話を振られた紫がかった長髪の少女が朗らかな笑顔のまま意見を述べる。

「う〜ん、私は今のところ替える気はないかな。あんまり興味のあるソフトも出てないみたいだし」
「そういや、あんた似たような機能の持ってたもんね」
「あ、あれ凄いね。映画を見せてもらったとき画像も凄くきれいだったし」

 取りとめも無い話をしながら駅前のデパートに向かう3人は私立聖祥大附属小学校に通う親友だ。
 既にそれぞれ一度帰宅して私服に着替えてから集合し、今はすずかの携帯のバッテリーを買いに行くところだった。
 その後は特に予定を立てていないため、デパート内をウィンドーショッピングした後なのはの両親が経営している喫茶翠屋に行き、夕方にあるアリサとすずかの習い事の時間まで過ごすことになるだろう。
 特にどこかに遊びに行かなくても、アリサとすずかはいくつかの習い事をしているため、放課後に3人揃って遊びに出ることはそれほど多くはないので十分楽しいのだろう。
 デパート内の携帯コーナーに向かっていくと、アリサが目敏くショップ内に居るとある人物に気付いた。

「あ、恭也さん」
「え、お兄ちゃん?」

49小閑者:2017/06/13(火) 22:39:22
 なのはがアリサの視線を追うと確かに携帯を繁々と眺める兄・恭也が居た。
 なのはの知る限り恭也はあまり携帯の機能に興味を持っておらず、“通話とメールが出来るので十分”という理由で何年も前から同じ携帯をそのまま使い続けている。
 故障でもしない限りショップに来ることのなさそうな恭也が熱心に携帯を見ている姿はなのはにとって意外と言えるものだった。だが、この場合なのはの感想はある意味当然といえるだろう。携帯を眺めている恭也は“高町”ではなく“八神”だったのだから。
 恭也の事情など知り得ない3人は、恭也が普段通り全身黒一色だったこと、距離があったこと、恭也の周囲に体格を比較できる他の人間がいなかったことが災いし、なのはの兄とは別人であることに気付けなかった。

「あ、そうだ!」
「なのはちゃん?」
「何企んでるの、なのは」
「あんなに集中してるなら、今なら成功するかも」
「あ〜」
「無理、なんじゃないかなあ」

 気合を入れるなのはとは対照に、2人は“まだ諦めてなかったのか”と苦笑する。
 暫く前にクラスで、背後から目隠しをして「だ〜れだ?」とやるのが流行ったことがあり、なのはも家族にその悪戯(?)を行おうとしたのだが、成功したのは母・桃子のみだった。父・士郎と恭也、姉・美由希は背後から近付いても3m程の距離で気付かれてしまうのだ。2回目からはなのはの意図を察して気付かない振りをしてくれるようになったが、今度はなのはが納得できなかった。
 意地になったなのはが何度か試すうちに姉は読書中なら驚かせる事が出来るとわかった(そのことが判明した翌日の朝食の席では何故か姉が疲労困憊してぐったりしていた)が、父と兄には成功したことがない。それ以来、なのはが機会を見つけてはチャレンジするようになったのは周知の事となっている。
 アリサとすずかは、なのはに付き合って恭也の死角まで移動すると、単独で恭也の真後ろから慎重に近付いていくなのはを見守ることにした。

「なのはも良くやるわね〜」
「ふふ、なのはちゃん、お兄ちゃん子だから。
 でも私のお姉ちゃんも何度かチャレンジしてたけど一度も成功してないみたい」
「忍さんに出来ないなら、なのはには絶対無理でしょ。運動神経ほとんど無いんだし。って、すずか、どうかしたの?」
「え?え〜と、恭也さんに何か違和感が…」
「違和感?」

 そんな会話が交わされているとは知らずに恭也に忍び寄っていたなのはだが、すずか達の予想通りその努力が報われることは無かった。恭也があっさりと振り返ったのだ。
 周囲の雑音も多いこの状況でありながら、普段よりも更に離れた位置で気付かれたことで逆に驚かされたなのはは、誤魔化すように愛想笑いを浮かべながら話しかける。

「あ、あはは、見つかっちゃった。お兄ちゃん今日は大学じゃなかっ…あ、あれ?」

 そこまで話しかけたところで、なのはも漸く違和感に気付く。
 眼前の人物は、目を合わせるために上げた視線が普段よりかなり低く、体格もやや小柄だ(あくまでも比較基準を兄の恭也として)。鋭い眼差しと引き締められた口元は客観的に見て、また兄と比較しても、かなりキツイ表情に分類されるが、それに怯えずに済んだのは敵意・悪意といったものがそこに含まれていないことを敏感に感じ取れたからだろう。

50小閑者:2017/06/13(火) 22:39:58
「人、違い…?っあ、ご、ごめんなさ」
「ほう」 “ッガシ” 
「にゃ?」
「つまりお前には俺が二十歳前後に見えると、そう言いたいんだな?」
「イタッ!?イタタタタタタ!?」
「ちょっと何してんのよ!」
「あ、あの、スミマセン、なのはちゃん人違いしただけで悪気は無かったんです!」
「ああ、わかってる」

 なのはの窮地を見て取ったアリサとすずかは慌てて駆け寄る。“なのはを助ける”という同一の目的でありながら、掛けた台詞が非難と擁護の対極であるのは2人の性格を如実に表している。
 恭也は自らの言葉を証明するようにあっさりと手を離すが、気の強いアリサが友人に暴行を働いた者をその程度で許すはずも無い。

「いい歳してんだから、女の子に暴力振るうって事が恥ずかしい事だってことくらい覚えておきなさい!
 なのはの顔にかすり傷でもついてたら、あんたの下らない人生全部費やしても償えないわよ!」
「初見で人の人生内容を断定するか。それに顔ではなく頭だ。加減もしている。していなければ頭蓋が陥没しかねないからな」
「場所なんて関係ないわよ!それにそんな見栄張ってる時点であんたの人格なんて高が知れてるわ!」
「りんごを握り潰せるなら出来るんじゃないか?」
「…ほんとに潰せるの?」
「やったことは無い」
「結局ハッタリじゃない!」
「食べ物を粗末に出来るか。コインを握力で折り曲げられるなら出来るだろう」
「ハッ、漫画の読み過ぎよ。ハッタリ一つにも知性の欠片も無いわね」
「いや、こちらは実際にやったことがある」
「お金を粗末にするのも良くないですよ?」
「すずか、論点がずれてるわよ!口から出任せに決まってるじゃない!」
「その点は大丈夫だ。硬貨ではなく、パチスロだかゲームセンターだかのコインだったからな」
「わあ、すごーい」
「なのは、何和んでんのよ!あんたがやられたんでしょうが!」
「あ、うん、ごめんね、アリサちゃん。それと怒ってくれてありがとう。突然だったからビックリしたけど、ほんとにそんなに強くなかったから、もう大丈夫だよ」
「…まあ、あんたがそう言うなら…」
「そうだな、その辺で許してやれ」
「あんたが言うな!!」
「まあまあ」

51小閑者:2017/06/13(火) 22:40:33
 苦笑しつつアリサを宥めるすずかを横目に、なのはは改めて自分より年上に見える恭也へ言葉を選びながら非礼を詫びる。

「あの、ほんとにスミマセンでした。その、大学生っぽく見えたとかじゃなくて、お兄さんの顔が私の兄に良く似ていたもので」
「ああ、気にしていない。年上に見られるのはいつものことだ」

 本当に気にしていないのだろう。恭也は既に先程まで見ていた携帯のサンプルを再び眺め始めていた。
 なのははこれ以上の謝罪は無意味以上に邪魔になるだろうと友人の方に合流しようとして、しかし、恭也がサンプルを眺める様にふと振り返ろうとした体の動きを止めた。タッチパネル形式の携帯の継ぎ目をこじ開けようとしているのは、ひょっとしてダイヤルボタンを探しているのだろうか?
 今度はそれに気付いた恭也の方からなのはへ声をかけた。

「まだ何か用か?」
「あの、お詫びと言っては何ですが、私に分かることなら説明しましょうか?」
「…そんなに、奇怪なことをしているか?」
「キカイ?」
「物凄く怪しいわよ」
「あ、アリサちゃん」
「なのは、あんな恭也さんのバッタモンみたいな奴ほっといて行くわよ」
「アリサちゃん、いくらなんでも失礼だよっ」

 先程の会話で軽く往なされた事に腹を立てたのか、アリサは当初の目的も忘れてあからさまに挑発し始めた。いくら何でもやり過ぎだと、すずかが嗜めようとするがその程度では止まれない位にアリサは暴走していた。

「いいのよすずか、“大人な”こちらの男性は子供の態度に腹を立てるほど心が狭くは無いようだし?」
「なるほど、だから“子供な”お嬢さんは遠慮なく人をバッタモン呼ばわりするわけか」
「誰が子供よ!
 フ、フンッ!何よ、私から見たらあんたなんて恭也さんにちょっとだけ似てる偽者なんだから、バッタモンで不満ならパチモンよ!間違ってないでしょ?!」
「なるほど、確かにな」
「なっ」
「い、良いんですか?」
「何、ああいう“俺様”な性格は対等に張り合うより、自分は引いて相手を煽った方が反応が良いんだ。
 熟練してくると、上手く焚きつけて思い通りに躍らせることも出来るようになるぞ」
「なんですって!!」
「いやいや、餓鬼の戯言だ。心の広い淑女は馬鹿の世迷言になど耳を貸さないものだぞ?」
「ぐっ」

 挑発しようとしていた本人が軽い返しに激昂していては世話が無い。アリサが何とか踏み止まり反撃しようとするも暖簾に腕押し、あっさりとかわされる。明らかに役者が違う。
 もっとも、アリサが感情を高ぶらせていた状態であったのに対し、恭也が平常だったのだから、アリサにとっては不利に過ぎた。
 とは言え、アリサは気性が激しい面があっても知性と理性を兼ね備えた聡明な少女だ。当然礼節も弁えている。つまり、興奮している状態でなければ、攻撃をしかけるような真似をするわけも無いので、アリサから仕掛ける状況は既に彼女の負けが決まっていたことになる。

52小閑者:2017/06/13(火) 22:41:26
「すごい」
「勉強になります」
「あんたたち、何納得してんのよ!!いったいどっちの味方なの!?」
「流石に今回はアリサちゃんの方に非があると思うよ?」
「うぅ〜」

 すずかが漸く自分の声を聞けるようになったと判断して改めてアリサを嗜めると、アリサも不承不承引き下がった。現在の冷静さを欠いた自分では良いようにからかわれることを悟れる程度には落ち着いたようだ。
 そんな友人の遣り取りに苦笑しつつ、なのはは再度恭也に申し出た。

「それで、どうしますか?」
「そう、だな。恐らく店員に聞くほどの内容ではないだろうからな。お前も携帯電話を持っているのか?」
「はい」
「それなら問題ないだろう。だが、良いのか?お前の連れは明らかに不愉快そうだぞ?」

 声に釣られてアリサを見れば、頬を膨らませて明後日の方向に視線を向ける、という非情に分かりやすく古典的な主張を行っていた。

「え〜と、アリサちゃんすずかちゃん、そんなに掛からないと思うから先にお買い物を済ませて来てくれる?」
「アリサちゃん、どうする?」

 アリサは眼前の少年から距離を取る選択肢を示されたことで、まるで自分が我侭を言って2人を困らせているような状況に陥っていることを自覚する。これで恭也が2人から見えない位置から嘲笑う様な視線でも向けてくれば戦意を掻き立てられて対峙することも出来るが、先程の遣り取りが無かったかのように視線から感情を読み取ることが出来なかった。
 こうなっては、これ以上意固地になることこそアリサのプライドに反する。何よりなのはを初対面の男と2人きりにするのはとても危険な気がする。

「分かったわよ。別に急いでる訳じゃないんだし、つきあったげるわよ」
「アリサちゃん、ありがとう!」
「別になのはのためって訳じゃないわよ」
「ふふ」

 アリサはすずかの零した微笑にばつの悪そうな顔をするが、誤魔化す様に場を仕切りだした。

「それで、何が知りたいのよ?ええと、そういえば名前も聞いてなかったわね。私はアリサよ。アリサ・バニングス。こっちの2人は私の親友。学校のクラスメイトでもあるわ」
「高町なのはです」
「月村すずかです」
「八神だ」
「…こっちはフルネームなのに、あんたは苗字だけ?」
「どうせこの場限りだろうに。恭也だ。八神恭也」

 恭也の自己紹介に頬を引き攣らせるアリサと苦笑いするすずか、目を丸くするなのは。それらのリアクションが予想通りだったのだろう、恭也は溜め息を一つ吐き、爆発しようとするアリサの機先を制して弁明する。

「予想通りの反応をありがとう。だが、別に蒸し返そうとしている訳じゃない、本名だ。証明のしようもないがな。不満なら聞き流して苗字だけ覚えれば良いだろう?」
「あ、ちょっと驚いただけですよ?すごい偶然だなって。わたしのお兄ちゃんも恭也だから」
「何度か耳にしているから予想はしていた。ついでに言うなら歳はお前達とそれほど変わらないだろうから無理に敬語を使う必要は無いぞ」
「敬語はともかく、言うに事欠いて“歳が変わらない”はないでしょ?5歳も離れてれば十分変わるわよ。ドンだけ見え張るのよ」
「…だから、5歳も変わらないんだ。今年10歳になる」
「ええ!?」「嘘付け!!」「そうなんだぁ」

 驚愕、否定に続いた受容の言葉の主に3人の視線が寄せられる。

「あっさり信じてどうするのよ!?」
「流石はなのはちゃん」
「え?で、でも」

 不安に駆られてなのはが恭也を見るとしみじみとした口調で呟いていた。

「その反応は新鮮だな」
「嘘だったの!?」
「当たり前じゃない!」
「いや、本当なんだが初対面で信じる奴には初めて会った」
「…褒められてるの?」
「…どうなんだろう?まぁ、高町が生涯詐欺師に会わないことを祈っておいてやろう」

53小閑者:2017/06/13(火) 22:41:57
 そう告げると、恭也は持っていたサンプルを棚に返し、場所を変えると言いながらショップから出て行った。どこへ行く気だろうと視線だけで恭也の背中を追おうとして視界に入ってきたのは周囲からの好奇の視線だった。


* * * * * * * * * *



「それで結局休憩用のベンチまで移動することになっちゃって」
「アハハ。でも、その子の聞きたかった事はモノがなくてもわかったの?」

 今、なのはは山道、といっても中腹にある自然公園へ続く整備されたコンクリート製の階段だが、そこを一人で登っていた。一人なのに会話が成立しているのは肩に乗ったフェレット、に変身している同年の少年であるユーノが答えているからだ。

「うん。恭也君が聞きたかったのって決まった機種のことじゃなかったんだよ」
「どういうこと?」

 あの後、恭也を加えたなのは達四人は、携帯の説明をメインとした雑談の後に解散した。何度か発生した漫談に想定外の時間がかかってしまい他の二人の習い事の時間になってしまったのだ。

「恭也君が聞いてきたのは“携帯電話は通話の他に何が出来るんだ?″って」
「…結構普及してるみたいなのに。テレビのCMを見てるだけでもメールとカメラの機能位分かると思うけど」
「田舎から出て来たばかりだからって言ってたけど」
「そういうレベルかなあ」
「アリサちゃんも同じ事言ってた。
 でも、他にも色々からかったり文句言ったりしてたけど、1番丁寧に説明してたのもアリサちゃんだったよ」
「アリサらしいね」

 今、二人はなのはの魔法の練習のために桜台の登山道に来ている。
 高町なのはは自身が魔導師であることを、親友であるアリサ・バニングス、月村すずかはおろか家族にすら秘密にしている。それはこの世界で魔法の存在が認知されていない為だ。となれば、その練習は人目を避けて行う事になる。
 二人は目的地である自然公園にたどり着くと、ちょうど会話が一段落したこともあり、早速練習を開始することにした。

「それじゃ始めようか」

 なのはの肩から降りたユーノは瞬時に結界魔法を展開する。
 ユーノの性格上自慢することも勿体つける事もないが、結界魔法は誰にでも出来る訳ではない。特に予め魔法陣を描きもせず単体で山一つを覆う程の範囲をカバー出来る規模で展開させられるのは一握りの者だけだ。
 もちろん攻撃魔法とて魔力を圧縮して打ち出すような単純なものは初歩の初歩であり、高度なものは芸術品のごとき複雑にして精緻な組成になるため難易度について優劣がある訳ではない。ただし、扱える者が少ないという点で稀有な存在であることもまた事実だ。
 なのはは魔法を知るきっかけとなった、そして今現在、師として指導してくれる少年が高度な技術を持っている事は知っている。しかし、その希少性は理解できない。
 時空管理局の局員であるリンディやエイミィ、クロノから説明されても、地球という魔導士がいない(魔導の才が“可能性”のまま埋もれてしまう)環境で育てば当然のことである。
 ユーノは自身の技量が絶対評価として高位にあることと希少な技能であることは承知している。しかし、上には上がいる事も理解している。目の前にいる愛らしい少女に誤解の余地もないほど明確に突き付けられているのだから。

「今日はスターライトブレイカーの発射シークエンスを変えてみたから試射してみようと思うんだけどいいかな?」

 この才能の差に妬む気持ちを持たずに済んでいる理由について、ユーノ本人は相手が女の子であることとなのはの性格に助けられていると自己分析している。これがなのはへの恋愛感情なのかどうかは結論が出せていないが、事実上、高町家になし崩し的に居候している身としては、高町家を出てなのはと一緒にいられなくなる前に自分の気持ちを確かめておきたいとは考えていた。

「やっぱり発射までの時間を短縮するための高速化?」
「ううん、逆だよ。チャージタイムを長くして最大威力の強化を重視してみたの!」

 「え?これ以上!?」と、言う言葉を何とか堪えて浮かべた愛想笑いは引き攣っていることが自覚出来るものだった。

「じゃあ早速始めるね」
「待った!」

 なのははフェレットの表情の差異に気付くことなく朗らかに笑うと言葉通り即座に魔法を起動しようとしたため、ユーノが慌てて制止する。

「結界を強化しておかないと。前みたいなことになったら大変だ」
「あ、そっか。ごめんなさい」
「いいよ。…でも、まあ、気をつけて」

54小閑者:2017/06/13(火) 22:42:59
 気にしていないと言いつつ念押しをする辺り、ユーノの脳裏に以前の試射で結界を貫通されたこととそれに関連した諸々の騒動が蘇っていることは想像に難くない。無論、推測しているなのはとて2度と味わいたくはない。

「これで良し。なのは、いいよ」
「うん。じゃあ改めて。レイジングハート」
【オーライ、カウントスタート。10,9,8】

 スターライトブレーカー(SLB)は周辺の魔力を収束して放つ、なのはの最大級の攻撃魔法である。
 当初は、戦闘中に通常の攻撃を行う際に攻撃魔法とは別に自身の魔力をSLB用のストックとして周辺にばら撒き、SLB発射の際に回収することでチャージタイムを大幅に短縮する方法を取っていた。貯水タンクが大きくても水道の蛇口から出すと溜まるのに時間が掛かるため、戦闘の隙を見てはバケツに水を貯めていき、必要なときに回収するということだ。
 その改良版が、術の構成を自身の魔力で編み、術の威力を上げるためのブーストとして周辺の空間から収束させた魔力を使用する方式だ。他者の魔力の吸収など出来ないため、単純に寄せ集めただけ、とは本人の言だが、真似出来る者はいないだろうとユーノは思っている。
 以前結界を打ち抜かれたのが、この方式のSLBの試射だった訳だが、感覚で魔法を組み立てる人間は末恐ろしいと実感させられた出来事だった。だが、その認識がまだ甘いと、この試射で証明されることを、彼は知らない。

「むむ、これは結構凄いかも。ユーノ君、ガツンと来るから気をつけて!」
「わ、わかった」

 注意を喚起する言葉から前回の結末を想起させられるが、結界を維持している今のユーノにはもはや神に祈る以外に出来ることは何も無い。

【3,2,1】「スターライト」
【カウント0】「ブレーカー!」
【Starlight Breaker】




『なのは!ユーノ!生きてるか!?』
「ふえ〜
な、なんとか…」
【スミマセン、マスター】

 時空管理局艦船アースラからの無事を確認してくる通信に、砲撃の衝撃と魔力の枯渇から来る疲労で朦朧としながらも応答するなのは。ユーノは結界“機能”の破壊という効果が付加されたSLBに全力で抵抗した結果、目を回してなのはに抱えられている。

『よかった。
 人が集まる前に移動した方が良い。出来るか?無理ならこちらで転送するが』
「う、うん。大丈夫だと思う」
『無理はするなよ』

 空間の内外に相互干渉できなくする為の結界を破壊されれば当然の結果として、その隔離された空間内で発生した事象は通常空間に影響を与える。今回の状態をそのまま表現すれば、SLBの砲撃音と閃光が丸見えになったのだ。それらは多少の危機感があれば野次馬になることを躊躇させるレベルだったが安心しきる訳にも行かないし、危険だからこそ警察関連は来る可能性が高い。
 幸い砲撃自体は空に向けて放っていたためどこも破壊せずに済んでいる。
 アースラからの通信が途絶えたことを確認すると、なのはは山を降りるために準備を始める。普段は意識せずに行うその行為だが、今は朦朧としている自覚があるため確認の意味も込めて声に出して列挙する。

「え〜と、先ずはレイジングハートを待機状態に戻して、バリアジャケットを解除して、鞄を拾って」
【マスター誰かが来ます】
「ユーノ君を中にしまって…え?」
【距離500mを切りました。明らかにこの場所を目指して移動しています。残り400m、到着推定時間残り40秒】
「100mを10秒くらい。魔導師か。アースラの人じゃないよね?」
【不明です。ですが、恐らく違います。魔力を検知できません。対象は移動に魔法を使用することなく既に200m以上スピードを維持して移動しています】
「ええ!?そんなスピードで走り続けられる人なんて、…滅多にいませんよ?」

55小閑者:2017/06/13(火) 22:43:56
 陸上選手、それも世界レベルの人間が100mを10秒以内で走破できるのは、距離を限定されているからこそだ。その速度を維持できるなど人類の枠を逸脱していると言っても過言ではないのだが、脳裏を過ぎった身内3名がなのはの言葉を尻すぼみにさせた。実際にはその内1人は10年ほど前に負った負傷のために現役時代の動きは出来なくなっているとの事だが、人並みの運動能力にも届かないなのはにしてみれば”50歩逃げても100歩逃げても同じなんだよ”と言ってやりたい。
 横に逸れた思考を慌てて修正したなのはは別の可能性を思いついた。

「あ、そうか何か乗り物を使ってるのか、…乗り物で階段を?それに乗り物の割には遅いかな」
【エンジン音も検知は出来ませんが、いずれにせよ障害物の多い経路をこの速度は不自然です】
「障害物?」
【残り20秒。先ずは身を隠しましょう】
「あ、そうだね」

 なのははレイジングハートのアドバイスに従い、この公園に繋がる唯一の山道を見て右手側の森に向かって駆け出すが、直ぐに制止の声が掛かる。

【マスター違います。対象はそちらから来ます】
「え!?森の中から?」

 溢れ出す疑問を押さえ込み慌てて進路を変えて走り出すが、残念ながらなのはの純粋な身体能力は著しく低いため、とても間に合いそうにはない。そして、その短所を補って余りある才能は、たった今魔力が底をついたため使用不可能。
 なのはは現実を冷静に見据えた上で、現状取り得る手立てとして考え付いた手段をとることにした。

 公園のあちこちに視線を向け、何かを見つけるとそれに近付いていってじっと観察する。

 それらを繰り返すことで、なのはは“私も野次馬ですよ”と主張することにしたらしい。
 自身の演技力とこの場に現れる者との2つの不安から、レイジングハートが示した地点へちらちら視線を向けつつ演技を続けるが誰も現れる様子がない。

「レイジングハート、そろそろだよね?」
【既に辿り着いています。木の陰からこちらの様子を窺っています】

 不安のあまり屈み込んだ姿勢で小声で確認を取ると、帰ってきた答えに動悸が早くなる。緊張から更に動きがぎこちなくなって来たのを見かねたのだろう、レイジングハートが“何も見つけられずに諦めて帰る”事を提案。なのはが躊躇無く採用し、山道に体を向けたところで、

「高町」
「にゃあ!?」

 気が緩んだ瞬間を見透かしたかのようなタイミングで掛けられた声に素っ頓狂な声を上げてしまった。慌てて声の主に視線を向けると視界に映るのはつい先程脳裏を過ぎった全身黒尽くめの男性。

「お兄ちゃん!?」
「八神だ」
「え?」

56小閑者:2017/06/13(火) 22:44:34
 緊張と混乱の中にあるなのはには、恭也の言葉が何を意味しているのか理解できない。もっとも、数時間前に少々話し込んだ人物よりも長年兄妹として接してきた人物が頭に浮かぶのは無理の無いことでもある。
 恭也も承知しているのか別段怒った様子も無く、丁寧に訂正する。

「八神恭也だ。先程、携帯電話屋で会っているだろう。お前の兄とは別人だ」
「あ、ああ、きょ、うや君か」
「妙なところで区切るな。それより、おおっぴらに魔法を使って良いのか?流石にあれだけの音と光では町中に知れ渡りかねないぞ?」

 なのは、思考停止。
 身じろぎもしないまま全身のいたる所から冷や汗を流していたが、レイジングハートからの念話による呼びかけによりかろうじて再起動を果たすと、動揺覚めやらぬ思考ながらも何とか誤魔化そうと白を切る。

「ななな何のこと?わた、私も凄い音がしたから見に来たんだよ?」
「さっき、思いっきりぶっ放していたじゃないか」
「う、撃った時は結界の中だったから見えるわけ無いよ!そ、それに恭也君はずっと遠くから、さっきここに辿り着いたんだから絶対無理だよ!」
「ふむ、ばれては仕方ないな。まあ良い。それよりも早めにここから離れた方がいいぞ。野次馬に来た者に誤解されると面倒だからな」
「う、うん、そうだね、って何で森に入っていくの?」
「元来た場所に荷物を置いてきたから戻る。じゃあな、高町もさっさと行けよ」
「あ、うん。気をつけてね」

 そう言葉を交わした後、なのはは先程声に出して確認した通り、杖の状態で握り締めていたレイジングハートを待機状態に戻し、SLBのバックファイアで煤け保護機能をオーバーしてあちこち破損したバリアジャケットを解除し、野次馬として来たなら考え難い公園の一番奥にあるベンチに置いてある鞄を拾うと、“誤魔化せて良かった”と胸を撫で下ろしながら帰路に着いた。


 なのはがユーノと共にレイジングハートから録音した恭也との語るに落ちている会話を聞かされ羞恥に悶え、のた打ち回ることになるのは、後は寝るだけとリラックスしたPM8:30のことだった。



続く

57小閑者:2017/06/18(日) 19:39:57
第8話 発露




「そういえば、今日の夕方でっかい音がしたけど、なんやったんやろな?」

 何気なく食後の団欒にはやてが持ち出した話題が、なのはの放ったSLBだとヴォルケンズは知らない。だが、詳細は知らずとも概要、何者かによる魔法の行使であることは、離れた八神家からでも知覚出来た。
 能動的な走査魔法を使用すれば更に詳細な情報、つまり個人の特定ができた可能性は高いが、それは同時に自分達の存在、この魔法の発展していない世界に即座に魔法による調査を行える存在が潜んでいることを知らせる事でもある。間違いなく高位の魔導師であることは分かっていても今は迂闊に手を出す訳にはいかない。
 その時間に蒐集のために他の次元世界に渡っていたヴィータとザフィーラにも状況は説明してある。協議の結果、この次元世界だけ蒐集に現れない、という不自然さをなくすためにも、次に魔力を検知するか暫く期間を空けてから標的を捜索することにした。
 もともとこの世界の魔力素は低いため数カ月前にあったもの(このころは蒐集を行っていなかったため、警戒するに留めていた。管理局であろうとその他の勢力であろうと示威行動の意味が見出せなかったのだ)と今回のものの二回しかまともな魔力反応がないため、そのくらいでないと不自然でもある。
 だが、分かっている・いないに関わらずはやてに答える内容は決まっていた。

「何だったんでしょうね」
「臨時ニュースにもなっていないので大きな被害はなかったのでしょうが」
「ああ、痕跡すらなかったからな」
「オメェ見に行ったのかよ」
「ジョギングの最中だったからついでにな」

 呆れ声を出したのはヴィータだったが、もちろん全員の総意でもある。
 恭也は夕方になのはと遭遇し、本人の語るに落ちる誤魔化しによりなのはが魔法を行使した結果であることは分かっているはずだが、鉄面皮に変化は見られない。
 もっとも、恭也の持つ情報の中には、“ヴォルケンズがリンカーコア蒐集のために力を持つ魔導師を探していること”がなく、“なのはは魔法がこの星の人間の常識から外れる技能だから隠したがっていること”があるのだ。個人情報を秘匿するくらいの良識を持っていると見るべきだろう。

「意外に野次馬根性豊富やったんやね」
「それ以前に危機意識が欠如しています。恭也、他に野次馬などいなかっただろう?」
「もちろんだ。あれだけの音量だからな。仮に何かが爆発したのだとすれば二度目があるかもしれないし、警戒心が強い者ならガスの発生も考慮するだろう」
「そこまで分かっていて、なぜ近づいた?」

 不審を表すザフィーラに恭也は沈黙する。思わず頭ごなしに否定してしまったが、実年齢に見合わない外見をしたこの少年は、その外見年齢すら上回る異常と言える思慮深さを持っている。一同は遅まきながら、危険に近づいた理由がある、という可能性に気付いた。

「いや、先程のは後で思い」
「信じへんよ?」
「…言い終わる前に全否定か」
「黙ってる間の恭也さん、“適当にごまかしときゃよかった″ゆうときの態度しとったからなあ」
「どういう洞察力だ」
「どっちもどっちなんじゃあ…」

 シャマルの呟きはやはり四人の代弁だった。

58小閑者:2017/06/18(日) 19:40:28
 恭也の鉄面皮は相変わらず変化しているように見えないし、特別に不審な挙動を取っていたとは思えないのだが。鎌掛けの可能性もあるが、はやてを見る限り自信満々でハッタリとも思えない。
 恭也もごまかすのは無理と悟ったようで小さくため息をつくと理由を話し出した。

「火災が発生している様子はなかったし、風下から飛び立った鳥にも異常は見られなかった。念のため風上から近づいたからガスが発生していてもまず問題ないと踏んだんだ」
「近づいた理由は言いたない、言うこと?」
「…いや、ただの儚い抵抗だ。
 音の原因が物理的な物とは思え難かったから、短絡的に魔法関連かと思ったんだ。四人の予定は聞いていたから除外した結果、」

 恭也が言葉を切ったが急かすことは誰にも出来なかった。無表情な容貌が寂しそうに見えたから。

「誰か、来たんじゃないか、と」


* * * * * * * * * *


「寂しい、やろね」

 はやては浴槽に浸かり、背後から包む様に体を支えてくれるシグナムに語りかける。

「態度も外見も全然そうは見えへんから忘れがちやけど、恭也さん、私と歳変わらんのやから」

 あの後、恭也は夜間の鍛練に向かった。日課ではあるだろうが明らかに気を遣っての行動でもあるだろう。

「あるいは不安なのかもしれません。“移動”の直前の記憶はまだ回復していないようですから」

 たとえ眼前に並ぶ全ての状況が“死亡″を示していたとしても、決定的な証拠である死体を突き付けられなければ受け入れることは難しい。親しい者、大切な者、愛する者の死とはそういうものだ。
 “もしかしたら、自分と同じようにこの時代に飛ばされてきた者がいるのではないか?”その極度に低い可能性に縋る姿を笑う権利など、あっていいはずがない。

「そうやね、私も覚えがあるわ。
 あの時、涙が涸れるまで泣いたから歩き出せたんや、言うのが今なら分かる」

 はやての経験から来る重みのある台詞に、シグナムは返す言葉が思いつかなかった。慰めの言葉を欲しての発言ではないだろうことを、揺らぐことの無い口調から察して、先程の続き、自分なりの恭也の人物像を話し出した。

「非武装時を想定した体術すらあのレベルとなれば、メインである剣腕は非常識なものでしょう。あの歳でそれを身に付けるには才能と指導者はもとより、明確で強固な意思が必須です。
 本来、四六時中剣にのみ意識を合わせることは集中力の低い子供時代には不可能と言って良いでしょう。
 感情が他に向けられなくなるほどの出来事があったのか、あるいはそんな常識を無視できるからこそ天才と呼ばれるのか」
「天才、なんか?」
「本人に自覚があるかどうかは分かりませんが、間違いなく。
 いずれにせよ、自身の全てを賭しても護りたい何かが、誰かが、過去の世界にはあったのでしょう。あれだけ自身を律することに長けている恭也に、感情を優先して行動させたのですから」
「恋人、やろか?」
「どうでしょうか」

 好奇心に目を輝かせるはやてに思わず苦笑を漏らす。
 物心がつく前から剣を握っていたとしても意思を固めるのは自我が芽生えた後だ。だが、1年前や2年前とは思えない。その幼さで恋愛感情が芽生えるものなのかどうかシグナムには分からなかったが、間違いなく恭也のことを案じていたにも拘らず、瞬時に興味津々の態を見せられては苦笑せざるを得ない。
 だが、子供の感情とは、本来この位の柔軟性があるべきなのだ。内容が恋愛関連では興味を示すとは思えないが、恭也にも何か心を弾ませることの出来る対象があるのだろうか?


* * * * * * * * * *


 翌日の早朝、図書館への道すがら、はやてが思い出したように隣を歩く恭也に問い掛けた。

「そういえば、恭也さんの用事って何なん?」
「あ、私も聞こうと思ってたんですよ」

 この日は朝食後、はやてがシャマルを伴って図書館へ行こうと玄関に向かうと、部屋から出て来た恭也と廊下で鉢合わせしたのだが、行き先を告げるとそのまま同行を申し込まれた。断る理由は何処にもないので快く承諾したのだが、恭也と読書が結び付かなかったのだ。
 転移してくる前も含めてテレビではニュース番組しか見てなかったのでは?と思えるほど芸能界については無知の一言で済ませられる彼は、文学のジャンルも同じ傾向だ。決して馬鹿ではないと分かっているが、高い運動性能を保ち、更に延ばしていくために、まだ決して長くない人生の大半を費やしていることは想像に難くない。興味を抱くのは当然の帰結だろう。

59小閑者:2017/06/18(日) 19:41:00
 車椅子を押しているシャマルも聞いていなかったようだ。

「暇な時に眺める本でも見繕おうかと思ってな」
「ああ、絵本か」
「失礼な」
「眺めるんだから写真集じゃないですか?」
「図書館にはないやろう。恭也さんなら気配とか消せるらしいからシャマルやシグナムの入浴シーンとか、こっそり覗いとるんちゃう?」
「そっちか」

 もちろんシャマルが言ったのは風景や自然の写真だ。曲解してからかいに行くはやてだが、当然恭也が素直に赤面してからかわれるとは思っていない。何通りかの回避と反撃を想定しつつ身構えるが、

「確かに真っ平らなはやてを覗いても意味はないからな」
「まっ!?
 な、何をっ、っ見たことないのに断言すな!」

 予想を上回る口撃にあっさり飲み込まれる。

「そこまで動揺することか?そもそも一目で分かるじゃないか」
「そんなヤラシイ目で見んといて!」

 はやては胸元に注がれる視線を遮るように両腕を交差させるが、恭也と視線が交わると怯んでしまう。

「視力に不自由しているとは知らなかった。意地を張ると悪化するらしいから、素直に眼鏡をかけたらどうだ?」
「…疑問の眼差し?」
「否定が正しい。批難でも可としよう」
「うわ〜ん!恭也さんのアホー!もう、大きなっても揉ませたらんわー!」

 順当に育ったら揉ませてあげる予定だったのだろうか?

「はやてちゃん、大丈夫よ。これから大きくなるわ」
「つまり、シャマルも今の私が真っ平ら言うんは認める訳やな?」

 はやてはシャマルからのフォローという名の気休めすら揚げ足をとる。完全にやさぐれてしまった様だ。

「…人間の体はほとんど曲面で出来ているから、真っ平らな部分なんて滅多にありませんよ?」
「性別で分けることも出来ん事実聞かされても、何の慰めにもならへん」

 妙に冷静なツッコミである。

「そもそも現実が平面か曲面かは問題ではない。概念的にはやてがペッタンコだと言うことだ」
「ペッタンコ言うな!」
「はやて、聞く相手に無理があるだろう。これだけ起伏のある体を誇示しているんだ。どう考えても、シャマルはこの話題と無縁だ」
「誇示なんてしてません!」
「そうやね。私も毎晩この手で確かめとるのに、思わず縋ってもうた。シャマルもシグナムもオッパイに関しては私の敵や!」
「それを認められれぱ、後は反撃あるのみだ」
「今にシャマルに目にもの見せたる!」
「いつの間にか、はやてちゃんの敵味方が入れ代わってる!?」
「利害関係が常に変動するのは当たりまえだろう」
「たった数十秒で変わるとは思ってなかったわ…」

 空を見上げながら世の無常を儚なんでいるシャマルを残し、いつの間にやら車椅子を押している恭也がはやてと共に図書館へ入って行った。

60小閑者:2017/06/18(日) 19:41:47
 図書館を利用する間、シャマルは買い物に出掛け、はやてと恭也は館内で別行動をとった。開館とともに入館してから既に2時間が経過している。

「おっと、そろそろ帰る準備せんと」

 昼ご飯に合わせてお腹を空かせて帰ってくる家族を迎えるのが、ここ最近のはやての楽しみになっていた。

「少し前はいっつも一緒やったけど」

 それこそ、四六時中5人が揃って行動していた時期を思い出すとどうしても寂しいと思ってしまう。
 だが、それを皆に知られる訳にはいかない。知られれば優しい家族は自分のやりたい事を後回しにして付き添ってくれるだろうが、それは強制していることと変わらない。自分が望み手に入れたのは、“家族″であって“家来″ではない。家族という存在が限りなく親しい他人である以上、個人の意思を尊重しなければならない。
 だが、はやては歳相応の欲望である独占欲を不相応な理性で押さえ込む理由が“愛想を尽かされ嫌われるかもしれない″という恐怖心に根差している事には気付いていない。どちらの感情も孤独を畏れ、人との触れ合いを望む心理から発生するものだ。相反する感情に折り合いを付けることは、誰もが成長の過程で身に付けていくしかないのだ。

「はやて」
「えっ、恭也さん!?」

 孤独感に抗うことに手一杯になっていたはやては、恭也の接近に気付けなかった。ごまかすために突然現れた恭也を批難しようとしたが、

「正面から近付いたのに気付かれなければ、これ以上どうにも出来ないぞ」
「う」

 言葉になる前に機先を制された。だが、このまま黙り込む訳にはいかない。羞恥に熱を持ち始めた頬を隠すために俯きながら上目使いで問い掛ける。

「恭也さん、いつから、居たん?」

 はやては独占欲を“後ろ暗いもの″“隠すべきもの″と認識しているが、今はそれより自分の弱々しい面を見られたことの方が問題だ。勇んで聞き出そうとしたが、恭也の返事を聞いて漸く気が急いていたことを思い知らされた。

「今来たばかりだ」
(あかん、ぜんぜん信じられへん)

 もともと恭也の表情を読み取ることは難易度が非常に高い。
 それでも乙女のプライドに賭けて鉄面皮を睨み続けた結果、努力に相応の成果が得られた。その内容が欲した答えと何の関係もなかったことを悔やむのは欲張りすぎと言うものだ。

「恭也さん、何か、あったんか?」
「何かとは?」
「えーと、何やろ?」

 自分で言い出したにも関わらず明確な言葉に出来ないはやて。
 睨み付けた結果得られたのは漠然とした違和感だった。
 恐らく恭也は、その無表情の下に何らかの感情を隠そうてしている。無論、たった今恭也に気持ちを知られたかどうかを確認することに躍起になっていたのははやてである、感情を隠すことを批難する気はない。
 はやてが気にしているのは、恭也が感情を隠し切れていないことだ。昨晩、恭也の所作からその思考を読み取ることに成功したが、それは何時でもできる訳ではない。恭也は感情も思考も表情や言動に表すことが非常に少ない。つまり、今の恭也は強く感情を揺さ振られているということであり、そして経験上それは転移や不破の家に関する事柄である可能性が高い。しかし、それらが図書館と結び付かないし、それ以外の可能性も零ではないだろう。
 はやては直接的な表現をして“実は全く関係ないことを考えていたのにわざわざ刺激してしまう″ことを恐れて言葉を濁していると、察した恭也が白状した。

「別に心配されるほどのことではないんだ。
 適当に開いた本が怪談の特集でな、途中で放棄する方が後で気になると思って読み通したらドツボにハマったんだ」

 思い出したのか恭也の表情が僅かに歪むのを見て、意表を突かれたはやては我慢しきれず噴き出してしまった。



「まったく、笑い過ぎだ」
「ゴメンゴメン、勘忍や」

 何とか笑い声を押さえ込んではいたので注目を集めることは避けられたが、余程はやてのツボのど真ん中だったようで、延々と笑い続けたため流石の恭也も珍しくむくれてしまった。そのことにまた密かに笑みが浮かぶ。恭也の無邪気な面が見られる機会は滅多にないため嬉しくなったのだ。
 だが、その気持ちは司書の一人が話しかけてくることで潰えた。若くて綺麗な司書が玄関に向かい車椅子を押す恭也に気付いて挨拶程度に声をかけてきたのだ。

「あら、さっきの。どう?見つかった?」
「はい、お蔭様で。ありがとうございました」

 礼儀正しく謝辞を述べる恭也に眉間に皺がよるのが自覚出来た。猫被りおって。

61小閑者:2017/06/18(日) 19:43:03
「どういたしまして。
 簡単だったでしょ?データベース化されるまでは全部誌面のまま保存してたらしいから大変だったって聞くけど。
昔の新聞記事を見る場合はたいてい一つの記事に関連したものを追い掛けるから検索出来なかった頃は大変だったみたい」

 はやてはツラツラと雑談を始めた司書の口にした単語にひっかかりを覚える。同時に先程までの恭也との会話が蘇る。
“昔の新聞記事”“感情を隠し切れない動揺”“怪談=恐怖”

「あっと、引き止めてゴメンなさい。…え?あなた、顔色悪いけど大丈夫?」

 はやてには心配してくる司書に答える余裕などなかった。
 ただ車椅子の後ろに立つ少年を振り仰ぎ名前を呟く。

「恭也さん…」
「なんて顔をしている。
 まったく、聡いにも程があるぞ」

 恭也は優しくはやての頭を撫でると、状況が把握出来ずに困惑する司書に会釈してその場を後にした。


 恭也が図書館で不破家の記事を調べていたことは、帰宅直後に全員に知れ渡ることになる、はやてのこの予想は、自分の沈んだ顔を見て一同が恭也に尋問に行くことを意味する。そして、この予想が確定した未来だ、と断言できたのは図書館の外で合流したシャマルのお陰だ。
 はやてとしては何とかしてこの未来を変えるべく努力したが、帰宅までに持ち直すことも3人の目を欺くことも出来ずに徒労に終わることが帰宅と同時に証明された。
 恭也は当然の様に気にするなと言ってくれたが、どう考えても触れられて楽しい話題ではあるまい。一番辛い恭也に対して尋問することになったヴォルケンズにとっても同じだろう。それを察してはやてが落ち込み、更にヴォルケンズが沈むという悪循環は、恭也によって断ち切られた。

 恭也は気まずい雰囲気を気にした風もなく新聞から得られた情報を淡々と開示した。
 御神家で開かれた、その長女と不破家次男の結婚式当日のガス爆発とそれによる火災。家は全焼。
 式出席者92名中、死者86名、行方不明者6名、生存者0名。
 行方不明者は爆心地で原型を留めていない遺体だろう、と締め括る恭也に対して、誰も生存の可能性を説くことは出来なかった。その気休めこそが恭也を傷付けることに成り兼ねない。

 “恭也はリアリストである″との見立ては共通している。恭也が魔法と言う自身の知識や一般常識から掛け離れた現象を目の当たりにしても頭ごなしに否定することなく受け入れた実績からの評価だが、これは恭也が騙され易いことを意味する訳ではない。“タネや仕掛け”と表現するものであっても“魔法という原理”であっても、事実として眼前で発生している現象を否定することに意味がないと考えているのだろう。魔法という名称も共通認識のため便宜上受け入れているに過ぎないだろう。

 行方不明者の内、彼を除いた5名が誰なのかは不明だが、この事故から10年の歳月が流れ、現場である御神宗家が現在更地となれば、再会はまずありえないだろう。

 御神の一族がその存在の性質上“閉じていた”ため親類縁者は広がりがなく、この式が宗家長女と最大分家の不破当主との結婚であったため一族が総じて出席したので、生存者がいたとしても頼るべき血縁がいないことになる。個人的な知人を頼るならば“行方不明者”のままは不自然だ。
 恭也は未だに自分の流派の特殊性を語っていないため八神家の誰も知らないが、御神流の存在を知っていて受け入れる人物であれば、行方不明者のままである可能性もあるが、それは逆に隠蔽されてしまい生存者の存在を追えない事になるし、自力で隠れたならば尚更だ。結局、公表されていないということは、仮に生存者がいたとしても恭也には探し出す手段がない。
 勿論、恭也が目立つことで生存者側から見つけてもらう訳にも行かない。そもそも、生存者が存在しない可能性は決して低くない。存在していたとしても彼らは“隠れている”のだ。誰から?近年は表の仕事としてボディーガードをしていたこともあり恨みを買うことはあっただろう。個人となり、組織として弱体化した御神流を潰しに来る者も居るだろうが、そもそも御神家が滅んだ出来事が報道通りの事故ではない可能性が出てくる。
 御神流の宗家に襲撃を掛け、成功させることがどれほどの難度であるかを想像できる恭也には考え難いことではあるが、遠距離から爆弾を投下するという非現実的な方法が実現できるなら不可能ではないかもしれない。
 それに10年間歳を取っていない恭也は、事情を知らない事故前の知人にとって“10年前に死んだ恭也によく似た他人”である。

62小閑者:2017/06/18(日) 19:43:45
 しかし、今回の恭也の新聞記事の検索には大きな落とし穴があった。
 検索項目の絞込みに“年代”を加えなかったのだ。記事が多年に渡っている事を考慮したこともあるが、何より恭也がパソコンに初めて触れたため情報を読み落としたことに気付かなかったのだ。
 先入観もあった。恭也の記憶が途切れていたのが結婚式近辺であったため、“結婚式当日の事故”という記事を読んだ瞬間にイコールで結び付けてしまったのだ。だから、恭也の“一臣と琴絵の結婚式”がこの世界のそれとずれていることに、つまり、恭也が居た世界ではないことに気付くことが出来なかった。

 恭也は記憶と情報の食い違いに気付くことが出来なかった。



* * * * * * * * * *



 昼食を取り終わると、恭也は山間の公園で鍛錬に励んだ。はやては休息を取ることを勧めたが、体を動かした方が気が紛れると言われれば頷くより他、選択肢が無い。
 一心不乱に両手に持った鉄パイプを振り回している恭也は、盛大に息を乱していた。休憩を入れずに全力で動き続けていることもあるが、雑念が入って動作が雑になっているのだ。
 ちなみに鉄パイプは不燃物置き場から持ち出してきたものだ。誰と打ち合うわけでもないため手頃な太さのものを見つけ、重量と重心を整えるために重りを巻きつけただけの代物だ。
 飽きることも無く仮想敵と切り合い続けていた恭也だが、唐突に動きを止めて登山道へと視線を向けた。視線の先には飛び立つ鳥がいる訳でも、物音が聞こえる訳でもないが、持っていた鉄パイプを木陰に隠して登山道に向かって歩き出すと、あからさまに“足音を忍ばせてます”という歩き方をした少女と出くわした。
 恭也は、驚きに目を見開く少女・高町なのはを一瞥すると、声を掛けることも無く下山しようとした。

「あ、あの!こんにちは…」

 去り際に声をかけられたことで足を止めた恭也は、尻すぼみに小さくなるなのはの声に答えることもなく視線のみを向ける。その視線に含まれる怒気ではない何かが、なのはの体を震わせ混乱させた。
 なのはの挙動から察したのか、恭也は視線を体ごとなのはから背けると大きく深呼吸した後、改めてなのはに話しかけた。

「悪いが見ての通り余裕がないらしい。俺への用件なら後日に出来ないか?」
「ごめんなさい。出来れば、今すぐにお話したいんだけど」

 申し訳なさそうに、しかしはっきりと意思を示すなのはに恭也が今度こそ正面から向き直る。

「わかった。だが、さっき言った通り余裕が無いらしい。何に反応して暴れ出すかわからん。トチ狂って俺が襲い掛かったら遠慮なく魔法で吹き飛ばせ」
「そっ、そんなこと出来ないよ!?」

 本人からの突拍子もない提案に、思わず反発したのは当然の反応だろう。だが、酷く物騒な言葉ではあったが、なのはは僅かながらも安堵した。本人いわく“余裕のない″状態でありながら人を気遣えるのは、彼の性根が優しいからだと思ったのだ。
 だが、恭也は冗談の積もりはないようで、なのはと共に公園へ戻りながら更に言葉を重ねる。この辺りの言動からすると本当に余裕が無いのだろう。

「別に殺せと言ってる訳じゃない。自衛してくれれば十分だ。
 それから魔法でどんなことが出来るか知らないが、意思を介して行使するものなら虚を突かれたら対処できないんじゃないか?俺の行動に対応できるだけの距離を取れ。
 いや、それより壁のような、あーバリア?そんなものが張れるなら今から使っておいてくれ」
「僕が結界を張っておくよ」
「そうしてくれ」

 フェレットに変身したユーノの言葉に同意する恭也を見て疑問を持ったのはなのはだった。今の恭也に多少は慣れてきたのか、観察するくらいの余裕が出てきたのだ。

「どうしてユーノ君が喋ったことにびっくりしないの?」

 なのはが口にした疑問に恭也が返したのは答えではなかった。

「よく気付けたな。高町はこちらが堂々としていれば疑問を抱かないと思っていたが」
「ひどーい!私そんなにぼんやりしてないもん!ね、ユーノ君!」
「もちろんだよ」
「…ねぇユーノ君?どうして目を逸らすの?」
「魔法使いのペットなら言葉くらい話すだろう」
「僕はペットじゃない!」
「使い魔、だったか?」
「違う!人間だ!」
「ああ、人間に育てられたチンパンジーは自分を人間だと思い込むと言う奴か」
「それでもない!魔法で姿を変えてるんだ」
「ペットにしか見えんぞ。何か意味が…高町、これと一緒に風呂に入ったりしているか?」
「な!?」
「え?うん、一緒に入ってるよ」
「ほう」
「ち、違っ」
「少女、いや幼女の範囲か?何れにせよ、実行に移る前に処分しておくか。なに命までは取らん。ペットらしく去勢で済ましてやろう」
「ま、待って!僕は彼女と同じ歳なんだ!」
「訂正するのはそこか。目的が合っているなら十分だ」
「今のは言葉の綾なんですー!」

63小閑者:2017/06/18(日) 19:44:21

 なのははユーノを鷲掴みにしている恭也を眺めながら、蚊帳の外に出されていることに漸く気が付いて首を傾げる。私が怒ってたんじゃなかったっけ?
 だが結果的に、いつの間にか始まっていた漫談から、更にいつの間にか放り出されたことで、恭也が何か大変な状態にある(となのはは解釈した)ことを思い出すことができた。自分の都合で彼を何時までも引き止める訳にはいかない、と考え用件を切り出すことにした。
 客観的には、話しに混ぜて貰えないことを寂しがって割り込んだように見えることは気付かないことにして。

「あの、恭也君!」
「おお?どうした、寂しがりやの高町?」
「ちっ違うよ!?寂しがってた訳じゃなくて、って気が付いてたの!?」
「当たり前じゃないか。高町ほど愉快な奴を見捨てたりするものか」
「う、嬉しくないよ!」
「その表情でか?」
「う〜!」

 選択に迷ったかのように次々と変わっていくなのはの表情を眺めていた恭也に、なのはが恨みがましく呟いた。

「…楽しそうだね」
「非常に楽しいな」

 ユーノの目には不機嫌な恭也が腹いせに嫌味を言ってるようにしか見えないのだが。とは言え、なのはの性格が“陰湿″から程遠いことも、意外に感情の機微に敏感なことも、長いとは言えない付き合いながらもよく知っている。言葉通りなのはの目には恭也が(こちらも陰湿なものではなく)楽しんでいるように見えるのだろう。

「茶化し過ぎたか。スマンな、真面目な話なんだろう?」
「あ、うん」

 仕切り直しとばかりに口調を改めた恭也に合わせて、なのはの表情が改まり先程までのやり取りがなかったかのように緊張に強張る。少女にとってはそれほど重要なことなのだろう。踏ん切りがつかないのか暫く視線を彷徨わせ逡巡したが、口を開くと逆に単刀直入に願い出た。

「私が魔法を使えること、内緒にして欲しいの」
「わかった」

 間髪入れずに返された同意の言葉は、逆になのはがその意味を理解する方が時間を要した。浸透するに従い笑みが深まり、満開になると同時に嬉しさのあまりなのはは少年に抱き付いた。

「ありがとう!」
「ああー!?」

 フェレットが上げた叫び声に含まれた感情は目の前の2人には全く理解されることはなかったが、その目的だけは達成することが出来たようだ。なのはは慌てて体を離しながら謝罪した。

「あ、疲れてる時にゴメンなさい!」
「別に疲れている訳じゃない。少々気落ちしていたので体を動かしに来たんだしな。
 だが、まあ汗を掻いているからくっつかない方がいいだろう」
「あ、じゃあ、お邪魔しちゃった?」
「いや。あまり集中できなかった。意味が無いからそろそろ切り上げようかと」

 恭也は言葉を切るとまじまじとなのはを見つめると突拍子も無いことを提案した。

「高町、俺を魔法で攻撃してくれないか?」
「ええー!?」

 聞いた二人は驚愕の声を上げると、恭也を思い止まらせようと言葉を重ねる。

「駄目だよ!何があったか知らないけど考え直すんだ!」
「そうだよ、危ないよ!」
「自殺なんて考えちゃ駄目だ!まだまだ、これから良い事だってあるよ!」
「ユーノ君?」
「そんなに威力があるのか?」
「当たり前だよ!間近で見ていた僕は非殺傷設定のはずなのに直撃を受けたフェイトを見て即死したと思い込んじゃったんだよ!?」
「…」
「ほう」
「そんな魔法を更に改良して威力を上げちゃうなのはから攻撃を受けるなんて、自殺以外の何物でもないだろう!?」
「なるほどな。色々と言いたいことはあるが、とりあえず最初に言うことは決まった。
 今の台詞の内容だと、危険なのは“威力の高い魔法”ではなく、“魔法を使う高町”と言うことになるが相違ないな?」
「ハッ!?」

64小閑者:2017/06/18(日) 19:45:10
 ユーノは説得するために恭也に向けていた視線を、ゆっくりとなのはにずらしていく。逸らしたままで居たいと必死に訴える感情より、恐怖の対象を死角に置いたままにできないという本能(感情か?)が勝ったのだ。
 未だに恭也に鷲掴みにされているユーノがなのはの身長より高い位置にいるため、必然的になのはは上目遣いになっている。誰だ!?美少女の上目遣いが萌えるなんてほざいた奴は!
 「少し、頭冷やそうか?」という言葉とともに放たれる攻撃魔法を幻視した時点でユーノの意識は途絶えていた。

「高町、その辺りにしておいてやれ」
「別に何もして無いもん」
「それだけのプレッシャーを与えられれば十分だ。こいつも勢いが付いて、口が滑っただけだろう」

 隠していた本音が零れ落ちただけだ、と言われても機嫌を直す者など居ない。なのはもマイノリティではなかったようだが、恭也は気に掛けた様子も無く話を戻す。
 ちなみになのはにはプレッシャーをユーノ個人に絞り込むような器用な真似が出来る訳ではないので、分け隔てなく周囲に発散している。直視されてこそいないが恭也とて存分に浴びているのだが、小揺るぎもしている様子がない。

「俺はひたすら躱し続けるから、高町は魔法で攻撃してくれ。非殺傷設定とやらもあるんだろう?」
「それでも危ないよ?」
「構わん。俺も身体能力は非常識に分類される口だ。
 口実が欲しいなら、そうだな、お前が魔法を使えることを黙っていて欲しければ俺を攻撃しろ」
「滅茶苦茶だよぅ…」
「まあ、心底から嫌だと言うなら無理強いは出来んが、昨日の魔法だって使えることが嬉しくて身に着けた訳ではないだろう?地面か建造物にしか撃たないと主張するなら別だがな」
「う〜ん、わかった。でもそれならユーノ君に結界を張って貰わないと、周りに被害が出ちゃうよ」
「では起こすか。…フェレットの気付けってどうやるんだろうな?」


 こうして気紛れの様な流れで2人での鍛錬が始まった。
 初めこそ恭也を思いやってデバイス抜きで魔法を行使していたなのはだが、明らかに手を抜いている恭也に掠る事すら出来なかったため、レイジングハートを起動させるのに大した時間を要することは無かった。
 だが、速度と制御力が飛躍的に上がったディバインシューターですら、単発で恭也を捕らえることは出来なかった。
 意地になったなのはが2発目を追加するが、恭也の回避範囲が広くなっただけで結果は同じ。ここに至って、単発のときに恭也の動きが1mほどの円からはみ出ていなかった事に気付き、なのはとユーノの頬が引き攣る。
 恭也からは魔力を感じ取ることが出来ない。彼の回避能力は、魔法による移動速度の底上げも身体強化による筋力向上も施されていない、純然たる八神恭也の肉体と技能に因っているのだ。
 だが、2人が目の当たりにして呆れた回避能力は、まだ上げ底でしかなかった。限界だろうと思っていた回避速度が更に上がったこともあるが、何より恭也が誘導弾の動きに慣れてきたのだ。
 ディバインシュータは弾速の低い魔法に分類されるが、それでも目視して躱せるものではない。…ない筈なのだが、恭也はそれを行っていた。
 恭也が子供の頃から行ってきた鍛錬には、当然“誘導弾”と言う概念が無い。地球上の兵器には対人用の誘導弾など存在しないし、有線タイプのロケット弾を想定した場合は着弾後の飛礫を躱す練習の方が現実的だ。ロケット弾の弾速を、遅いから躱せて当然、としている辺りが御神である。
 最初から3発の誘導弾で攻撃されれば被弾していた筈の恭也は、しかし、短時間で学習し、回避行動を最適化した結果、なのはの全力である5発目が投入されるまで撃墜されることはなかった。

65小閑者:2017/06/18(日) 19:45:53

「世話になったな、高町、小動物」
「あはは…」
「誰が小動物だ!ユーノ!ユーノ・スクライアだ!」
「擬態したまま姿も見せん奴が何を偉そうに」
「うっ」

 ユーノは指摘されてから漸く礼を失していることに気付くと、なのはの肩から降りて変身魔法を解除した。

「ユーノ・スクライアだ。この世界とは別の、え〜と、別の星から来た。来た時にかなり消耗していたから、回復するために消耗の少ないフェレットの姿を取って行動していたんだ。
 周囲の人にはその姿で認識されてるから、まだなのはの傍に居るときにはフェレットの格好になってる。
 けっして邪な理由からじゃないから」

 恭也はユーノの言い分を聞き流しつつなのはの反応を確認し、改めてユーノに向き直る。

「高町から聞いているだろうが、八神恭也だ」
「…今、この姿が本物かどうか確認しただろう?」
「当たり前だ。初対面が擬態した姿だったんだ。今のその姿が本物だと証明するものなど無いだろう」
「あ、私も初めて会った時フェレットの格好だったから、ユーノ君が男の子の姿になった時にはビックリしたんだよ?」
「ほう」
「なのは、このタイミングでそんな事言わないで!
 ホントだから!この姿が本来の姿なんだって!」
「油断するなよ、高町。脂ぎった30代の中年太りしたおっさんの可能性は残っているぞ」
「言うに事欠いて、最悪な言いがかりつけるな!」
「え〜と、あ、大丈夫だよ。フェレットの姿が変身魔法だって一発で見抜いたクロノ君が、この姿になったユーノ君に何も言わなかったから」
「うう。クロノを通しての信用か」
「油断するなと言っただろう。
 その保障した人物が魔法関連に熟知しているということはお前の知り合いだった訳ではないだろう?グルかも知れんぞ」
「そう来るか!?」
「で、でも、え〜と警察関係の人だよ?」
「100歩譲ったとしても、むさいおっさんの見栄に憐憫の情を抱いたのかも知れん」
「どこまで疑えば気が済むの!?」

 恭也はユーノをいじり倒した挙句、気が向いたらまた相手をしてくれ、となのはに言い放ってあっさり身を翻した。後には唖然とするユーノと苦笑するなのはが残るのみ。

「なんて奴だ…」
「あはは…。でも、恭也君、少しは気が紛れたかな」
「何言ってるんだよ。絶好調だったじゃないか」

 拗ねた様に唇を尖らせているユーノに、なのはは苦味の割合を増した苦笑を向ける。

「え?あれでも、まだ?」
「どうなんだろう。気のせいかもしれないけど、ユーノ君をからかう振りをして私達に気付かれないようにしてた気がするんだ。お姉ちゃんに心配されてる時のお兄ちゃんの態度に良く似てるから」
「恭也さんの?」

 ユーノの知る高町恭也は、八神恭也の態度からはかけ離れている。だが、長年妹として接してきたなのはの言葉は信用に足るものだ。それでもその言葉は、ユーノにとって信じたくない内容だ。
 先程の回避練習が気落ちして集中力を欠いている人物の動きだったのだろうか?



* * * * * * * * * *

66小閑者:2017/06/18(日) 19:46:32


 その日の夜中、と呼ぶにはやや早い時間。はやてが普段就寝する時間をいくらか過ぎた頃、夜間の鍛練の準備をしている恭也の部屋をノックする者があった。

「開いている」

 聞こえているはずの返答に対してドアを開ける様子がないことに不審感を見せることなく、恭也は自らドアを開けると訪問者を確認する間もなく話しかけた。

「どうした、はやて」
「え?私やって分かってたん?」
「気配でわかる」
「…へー、そう」

 恭也はひどく平坦な口調の感嘆の台詞を聞き流し、もう一度尋ね直す。

「それでどうかしたのか?」

 当然と言えば当然の質問に、しかしパジャマにカーディガンを羽織った姿のはやては逡巡の間を空けてから、言いづらそうに口を開いた。

「あの、な?ちょお、怖い夢見てしもて、一緒に寝てくれへんかな、思て」

 沈黙。

 言葉を発することなく見詰めてくる恭也に対して、はやては気まずそうに視線をさ迷わせる。その態度をどう受け取ったのか、恭也はドアの前から身を引いた。

「体を冷やしたらマズイ。とにかく中へ入れ」
「あ、ありがとう。
 って、全然暖かないやん」

 呆れ顔のはやてに、やや気まずげな口調の恭也の弁明は“準備のために部屋に入っただけだから″と言う至極まっとうなものだ。押しかけた身で文句もなかろうと思い直し、はやてが一言謝り恭也が謝罪を受け入れると会話が途切れた。
 はやての窺う様な視線と恭也の落ち着いたそれが暫くの間、交わる。
 はやてにとって、恭也は同年代の男子と認識することがどうしても出来ない。知識こそ読書量の多い自分の方が上だと思うが、人生経験や精神の成熟と言った人間としての大きさや厚さが掛け離れている。
 元々早熟な方だという自己評価は、足の自由が利かなくなって、思索に耽る事が多くなったために揺るぎない物になっている。
 では、その自分を上回る恭也は?それとも、完璧だと思える彼の姿も一側面に過ぎず、脆い面・歪つな面があるのだろうか?

 あるに、決まっとるやん!

 はやては余りにも馬鹿げた自身の思考を罵倒した。
 自覚はある。恭也には完璧な人間で在って欲しいと、自分には届かない遥か高みにいて欲しいと言う願望を持っているという自覚は。目標とか憧れとは違うこの感情が何と呼ばれるものなのか分類出来ていないが、悲劇の渦中にあると言って良い恭也にとって間違いなく負担を増やす考えのはずだ。
 成長とは努力と時間(経験)に才能(素養)を係数とした乗算だ。同じ時間、同じ努力をしても成長の量は個人差が出る。だが、努力せずに成長することだけはない。もちろん先天的に保有している能力に大きな隔たりがある場合もあるが、精神の成熟は間違いなく後天的なものだ。
 恭也は他にも異常と言えるほど身体技能・運動能力が特出しているのだ。それに見合うだけの努力と時間を子供として過ごすはずの時間を割いて注ぎ込んでいることはこの数日だけで十分に理解できる。つまり割いた分だけ、平均値に満たない面があるだろう。

「はやて、ともかく布団に入れ」
「え?あ、ええの?」

 つらつらと恭也への評価を並べることに夢中になって、一瞬何を言われたのかわからなかったが、促されるに任せて床に直敷された布団に向かう。
 はやては恭也が膝裏に手を差し込むのを戸惑う事なく受け入れるが、抱え上げられてから顔の近さに気付き漸く緊張する。ベットとは違い車椅子から床に下りるのは容易ではないため、何の疑問も湧かなかったのだ。
 十歳児としては大柄だが、成人男性としては小柄な体は、危なげな様子を微塵も見せることなくはやてを布団に横たえた。

 はやては僅かに速まった鼓動が落ち着くにつれ疑問が頭を擡げる。
 恭也は古風な人間だと思う。口調は言うに及ばず、根本的な価値観にそれが見え隠れしている。例えば、男尊女卑ではないが、男は女を守るものだと疑いなく信じている面がある。それからすると、「男女七歳にして同衾せず」と言われて拒否されるかとも思ったのだが。あるいは、ヴィータはともかく、シャマルやシグナムを頼らないのは不自然だと思われないだろうか。
 はやては当然の疑問を抱くが、彼女の目的の都合上問い掛ける訳にはいかず、後者についてはシャマルたちの“隠し事″そのものをはやてから隠す約束をしている恭也から出ることはないだろう。

「ヴィータは良いのか?」
「うん、あの子は一度眠ると朝までグッスリやから」
「そうか」

 それだけ確認するとおもむろに袖口から取出した刀を枕元に、何本かの鉛筆程の細い棒と糸の束をどこからか取出して机に置いた。相変わらずはやてには気付けなかったが武器を帯びていたのだ。
 恭也は武装を解除するとはやてに向き直り、1テンポ動きを止めると、頭を掻きながら収納ボックスへ向かう。取出したパジャマの前後を確認しながら着替える様はいかにも不慣れだ。

67小閑者:2017/06/18(日) 19:48:28

「あんまりパジャマとか着いへんの?」
「まあ、な」

 歯切れの悪い恭也の様子を不思議に思うが、まさか寝込みを襲われても戦えるように服装どころか暗器を帯びたまま寝ているとは思わないはやては追及しなかった。
 恭也は着替えると躊躇なくはやての隣に潜り込んだ。

「ひょっとして、誰かと寝るの慣れとる?」
「ああ、たまに妹分が潜り込んで来ることがあった」

 照れた様子も無く同衾する恭也の行動に納得できたが、何やら面白くない。だが、ここで駄々を捏ねても目的が達成できないし、そもそも駄々を捏ねる明確な理由も自覚できていない。渋々ながらも自分を納得させるとはやては恭也に抱きついた。
 はやてが抱きついても恭也が抵抗することは無かった。初めに怖い夢を見たと告げているため不安になっていると解釈してくれたのだろう。
 人は不安を覚えると人に触れたくなる。触れて他者の体温を感じれば心が満たされる。安心できる。はやての目的はまさしくそこにあった。
 恭也は夕飯前に帰って来た時には、既に図書館で見せた不安定さを見せることは無かった。勿論、吹っ切れたわけではないだろう。だからこそ、はやては不安になったのだ。
 前触れも無く自分の家族を失った上、周囲の環境があらゆる意味で激変したというのに、取り乱すことなく隠し通してしまう強靭な精神力が、恭也の心の限界強度を超えて破綻してしまうのではないか?と。
 人に弱さを見せることの出来ない人間もいるだろう。それが恭也の性質と言うなら無理強いしても負担にしかならない。それでも、何とか恭也の心労を軽くする方法がないかと考えた末に思いついたのがこの添い寝だった。
 成果の程は分からない。元々恭也の表情から内心を推し量るのが容易ではない以上、とにかく思いついた手段を実行するしかない。
 だが、この企画には思わぬ落とし穴が二つ存在した。
 一つは恭也の体温がはやてにとってもとても気持ち良かった事。もう一つは、恐怖に怯えている(であろう)子供に対して、恭也が物凄く寛容だった事。具体的にははやてが眠りに付くまで髪を梳き続けてくれたのだ。普段の規則正しい生活と相俟ってはやての意識が眠りの園に旅立つことに抗えたのは10分ほどだった。



 だから、それは偶然だった。
 普段一緒に寝ているヴィータがベットから抜け出すことも戻ってくることも気付かずに、朝まで眠り続けているはやての意識が浮上したことも。
 1分にも満たないはやての覚醒がそのタイミングだった事も。
 はやての精神の覚醒を他所に肉体が休息し弛緩していたために、動揺に体が強張る事も無く、恭也に気付かれなかったことも。
 全てが、偶然の上に成り立っていた。



 嗚咽に震える声ではない。
 激情を押し殺すような、搾り出すような声でもない。

 ただ、空虚に。
 知らず吐息と共に零れ落ちたかの様な。
 はやての耳に届いたのは、そんな呟き。








「…寂しいよ
 …父さん」







続く

68小閑者:2017/07/02(日) 14:01:48
第9話 得手




 はやてが恭也の心情を意図せず知ってしまった頃、シャマルはベットの中で眠れずにいた。
 いつも通り、蒐集活動の後ベットに入ったのだが、出発前の出来事が気になっていたのだ。
 眠気が一向に訪れず悶々としていたが、結局朝食を作るための起床時間になってしまった。今から眠れば起きられなくなるだろうことは明白なので渋々ながらも起き出し、身支度を整えながら昨夜のことを思い返した。


* * * * * * * * * *


 はやてが自分のベッドを抜け出したことを、同じベッドで寝たふりをしていたヴィータは当然気付いていた。
 最初はトイレだろう、と気にもしていなかったが、30分も経つ頃には流石に不審を抱いた。いつ戻って来るかわからないため寝たふりは続けながら、他の3人に思念通話で呼びかける。

『はやてが戻って来ねぇんだけどそっちに居る?』
『主はやてが?』
『俺の方には来ていない』
『私の方にもいないわよ。トイレじゃないの?』
『わかんねーけど30分くらい経ってるから』

 全員が沈黙したのは会話に参加出来ないもう一人の同居人を脳裏に描いているからだろう。

『…まさかな』
『私、見てくるわね』

 ヴィータの疑念の声にシャマルが応える。
 念のためトイレの電気が消えていることを確認してから恭也の部屋へ向かい、小さくノックしてドアを開ける。豆電球の弱い光で照らされた部屋は、廊下の照明の明るさに慣れた目にはやや光量が足りなかったが、かろうじて恭也の顔は判別できた。
 突然の夜中の訪問であることを気にすることなく、恭也が当然の様に視線を向けて来ることには驚かない。視線に呆れが混じることまでは抑えられなかったが。
 シャマルが気を取り直して口を開こうとすると恭也が身振りでそれを制した。左手の人差し指を立て自分の唇に当てた後、そのまま右肩辺りを指し示す。そこにあるのは大きな毛糸球に見えなくは無い何か、恭也が音を立てないように促したということは聞き取るであろう第三者だ。
 回りくどく思考することで何とか自制してから、一目で至った結論を認め、恭也に呼びかける。

<どうしてはやてちゃんと一緒に寝てるのかしら?>

 語りかける声に棘があると自覚しながらも、シャマルはやはり自分が確認に来て良かったと思う。ヴィータやシグナムなら問答無用で先制攻撃に出て、恭也の回避なり迎撃なりの行動で眠っているはやてを起こしてしまうところだ。
 どこまでもはやて中心の思考である事を自覚しながらも、シャマルは恭也に思念通話を強制的に繋げて呼びかけるが、恭也からの応答が無い。部屋が暗いため、ただでさえ変化の少ない恭也の表情から思考を読み取ることは放棄するしかないので、応答が無くては話が進まない。
 だが、苛立ちつつ再度呼びかけようとしたところでシャマルは恭也から言い知れないプレッシャーが発散されていることに気付き、困惑する。
 思念通話を通じて感じ取れるのは、言語化されない怒気と拒絶。思考の表層的な部分しか読み取れないように設定している思念通話を介して流れ込んでくるほどの明確な感情。何であれ恭也から感情をぶつけられたのは初対面の時くらいだ。いや、あの時は記憶まで覗いたことを告げたのにその事に怒った訳ではなかったし、そもそも演技…記憶?
 シャマルは流れていく自身の思考の断片に引っかかった単語を拾い出し、恭也の心情を察すると、慌てて行為の補足説明をした。

<待って、この意識のリンクは表面的なもので、相手に伝えようとしたことしか伝わらないように設定しているの。だから、普通に考えていることや記憶は私には伝わらないわ>

 その言葉で恭也からのプレッシャーが霧散した。
 シャマルは、恭也が記憶を覗かれていないことが分かって安心した訳ではなく、感情が露呈していたことに気が付いて抑え込んだのだと悟った。
 彼は聖人君子などではなく、感情を持たないプログラムでもない。半日前に親族の、家族の死亡を突きつけられた子供が体面を整えているだけでも異常なのだ。はやてのことが絡んでいるとは言え、今の彼が一番痛みを感じるデリケートな部分に土足で踏み込んだと勘違いをさせるような真似をした自分にこそ非がある。

<すまない。反射的に身構えてしまった>
<謝るのこちらの方よ、ごめんなさい。はやてちゃんの姿が見つからなくて、ちょっと慌てていたの>

69小閑者:2017/07/02(日) 14:05:01
<やはり、あなた達には何も言わずに来たのか。
 暫く前に怖い夢を見たと言って尋ねてきてな。シャマルかシグナムの部屋に行くように勧めようかと思ったが、今晩も出かけるのだろう?活動に支障が出ても不味かろうと招き入れて現在に至る。
 今のところ魘される様子も無いので問題は無いと思う。あなた達が気付いていることにするかどうかの判断は任せるが口裏を合わせておく必要はあるだろうから、筋書きは教えてくれ>
<そう、ね。では気付かないことにしておきましょうか。ちょっと寂しいけど、私達が気付いていることをはやてちゃんが知れば、今後同じことがあった場合に先ず私かシグナムを尋ねるようになるでしょうから。
 今ははやてちゃんが辛い思いをしていないことを最低条件にして、少しでも外に出なくちゃいけないから。恭也君にとっても辛い時期だとは思うけどお願いね>
<ああ。養ってもらっている身だ。契約くらい果たすさ>

 この遣り取りをはやての行動についてのみ簡単に3人に伝えてから蒐集に出向き、なかなか進展しない活動に苛立ちそうになる心情を宥めて帰宅し、それぞれ就寝した。
 だが、実際に恭也と言葉を交わしたシャマルは結局一睡も出来ずに朝を迎えることになった。



 書の主であるはやては、現在小康状態といえるだろう。足の麻痺は徐々に進行しているが、明確な対処法があり、即座に解決こそしないが解決のために活動することができている。
 だが、同居することになった一般人である筈の少年の方は深刻な状況にある。

 恭也の現状は、大の大人であろうと茫然自失して無気力状態になるほどのものだ。
 失った者が親しいほどその傾向が顕著になるというのに、子供にとって世界の全て、価値観そのものと言える親や兄弟を本人の知らないうちに、そしてとうの昔に失くしていたのだ。如何に恭也が早熟とは言え、実家が消失していることを確認した後の4日程を前後不覚になって彷徨ってから、精神の再構築を成し得るほどの期間は経過していない筈だ。
 彼の心は、傷が塞がるどころか死に到る傷から血を流し続けている状態の筈なのだ。それでも正気を保ち続けていられるのは、本人の強靭な精神力だけではなく、親身に接する他者が存在するからだろう。気遣う言葉を掛ける者ではなく、身内として、家族として接する者だ。
 強い感情は本人の意思に関係なく周囲の者を引きずり込むため、親身に接するはやてにどれほどの影響が出るかは想像も出来ない。だが、はやてにとって決定的な不利益になることが証明でもされない限り、今更恭也を放り出すことは出来ない。感情的なヴィータでも、一歩引いて客観視するよう努めているザフィーラでもそれは同じだろう。
 恐らく恭也自身も今の自分を支えてくれている者が誰なのか気付いている。気付いていて尚、何の効力も持たない口約束に等しい“契約”を持ち出して距離を取る理由はなんだろうか?自分の感情に巻き込まないための拒絶か。家族を失う恐怖から来る拒否反応か。まさかとは思うが一人で生きていけると強がる子供じみた見栄か。…不利な状況であれば何時でも切り捨てられる駒だという主張か。
 何れにせよ、飛び込んできた異邦人の状況を嘆くべきか、それがあらゆる面で異常なスペックを誇る恭也であったことを喜ぶべきかは迷いどころであった。ただし、何の問題も無い状況にある“近所の子供”の恭也であれば、内側に入らせることは決してなかったのだ。
 寂しい思いを隠しきれなくなってきたはやてが曲がりなりにもそれを忘れられる現状は、守護騎士一同にとっても一概に悪いものだとは断言できない。


 回想に浸りながらも身支度を整えたシャマルがキッチンへ向かう途中、恭也の部屋の前を通りかかると、ドア越しにくぐもった声が聞こえた。はやてが寝ている時に恭也が独り言を言うとも思えないのではやてが目を覚ましたのだろう。
 予定通り気付かないことにして通り過ぎようとしたのだが、その声がはやての鳴咽であることを認識した瞬間、ドアを開けて踏み込んでいた。

「はやてちゃん!?」


* * * * * * * * * *


 恭也はまだ日も昇らない早朝から目を覚ましていた。
 恭也は昨夜からほとんど姿勢を変えた様子が無く、はやても恭也の右腕を抱え込むように抱きついたままだ。ただ、恭也はいくらかは持ち直したのか昨夜の、心情を吐露した時の虚ろな表情ではなく普段通りの鉄面皮を取り戻していた。
 時折小太刀とはやての頭に視線を向けるのは昨夜に続いて鍛練に行けなかったためだろう。

70小閑者:2017/07/02(日) 14:05:36
 恭也は部屋の時計が6時を回ったことを確認してから、はやてを起こすために肩を揺すりながら呼びかけた。

「はやて。そろそろ起きる時間ではないのか?」

 呼びかけに応える様に上がったはやての顔は明らかに寝ぼけていた。恭也ははやてが寒くないように配慮して掛け布団を捲くらずに這い出し、枕のあった位置で胡坐を掻いて座ると、はやてもぼんやりとした表情のまま体を起こし、不自由な足を手で誘導しながら対面するように座り込む。
 その様を見て珍しく恭也が見て分かるほどの苦笑を表すが長く続くことはなかった。
 寝ぼけ眼が焦点を合わせることなく恭也を眺めていたかと思うと、唐突に表情を崩す事なく涙を零し始めたのだ。“泣く″と表現することが躊躇われるような、生理現象として目から涙が溢れ出したとでも言うかのように、寝起きから変わらない表情のまま涙が頬を伝うのに任せるはやてに恭也の方が狼狽した。

「は、はやて?どうしたんだ?」
「きょうやさん……う…うあ、ぁあ」

 一度恭也の名前を口にすると思い出したかの様に鳴咽が出始め、同時に表情が崩れる。
 号泣とは程遠い、途方に暮れた迷子の子供が心細くて泣き出している様な、他者に訴えかけるためではなく、ひたすらに心情を発露させる様な、そんな泣き方。不安を、心細さを埋めようとしているのか恭也にしなだれかかるように縋り付き、温もりを求めるように力なく恭也の体を掻き抱く。
 言葉も無く、意味を成さない嗚咽を上げながら弱々しく涙するはやてを、恭也があやすように頭を優しくなで背中を軽く叩いているとシャマルが部屋に飛び込んできた。

「はやてちゃん!?」

 はやての嗚咽から昨夜と同じ疑念を抱いて飛び込んだシャマルは、恭也に縋りつくはやての姿を認めるとそのまま呆然と眺めていた。本当にそれ以外の可能性を想像していなかったようで、何のリアクションも無いシャマルに呆れながら恭也が声をかける。

「また怖い夢でも見たんだろう。目を覚ましたと思ったら突然この状態だ」
「怖い夢?」
「内容までは聞いていない。
 この状態では食事の準備は無理だろうから、よろしく頼む。
 そこの3人も聞こえたな?この体勢でははやても巻き込むから切り掛かってくるなら後にしてくれ」
「え?」

 シャマルが振り向くと恭也から死角になる場所で、デバイスを構えた2人と牙を剥いた1頭が何かと葛藤しながらも辛うじて自制を利かせて踏み止まっていた。


* * * * * * * * * *


「ご馳走様でした」
「礼儀正しいな」
「…一応は、な」

 恭也の食後の挨拶にシグナムの嫌味のような言葉が返る。だが、恭也は普段から食後に感謝を込めて手を合わせている。つまり、シグナムの意図しない嫌味(つまり本心から“よく礼が言えるな”と言ってる訳だが)の台詞は言われた恭也にはそのままの意味で、頬を引き攣らせた者には潜んだ意味で届いた。

「これはやはり“はやてを泣かせた報復”だったのか?」
「バーカ、シャマルの腕はこんなもんじゃねぇ。5品中1品なんて、たったの2割じゃねぇか」
「味についても調味料の種類と分量を間違えた程度だからな。創作料理こそシャマルの真価といえよう」
「出された食事にケチをつけるのはルール違反だとは思うが、そうか、種類を間違えるのが“程度”か…できればシャマルの真価は知らずに済ませたいものだな」

 会話が進むにつれてシャマルの体の震えが大きくなっていくが、黙して語らないザフィーラも決して弁護する気が無いのは見て取れる。
 寝起きの醜態を軽く流してくれる一同に感謝しながら、はやては「シャマルはまだ料理を始めて一年未満の勉強中なのだから」と一応のフォローを入れたところで、恭也が早速ジョギングして来ると席を立った。

 はやてはたまに見かける恭也のこの行動を、自分に聞かれたくないことは今のうちに話し合っておいてくれ、と言う意思表示として受け取っていた。勿論、鍛錬を行うという恭也の言葉に嘘は無いだろうが、こちらの事情を慮ってくれているのも事実だろう。
 だが、恭也の心情を知った今では運動することで気を紛らわせているのではないかと勘繰ってしまう。そもそも、元の時代では恭也は昼間小学校に通っていたのだから、これほど剣の練習に割ける時間は無かったはずなのだ。
 もっとも、はやては知る由もないが、恭也は不破家では休日には時間を作っては刀を振り続けていたので、現在は“毎日が日曜日状態”なだけなのだが。

 何れにせよ、真実がどこにあろうと状況は進むもので、はやては想像した恭也の気遣いに感謝しながら4人に向き直った。

71小閑者:2017/07/02(日) 14:06:07
「一応、朝のこと話しとくな。
 気付いてるとは思うけど、昨日は恭也さんの部屋に泊めてもらったんよ。予定としては朝一で起き出して誰にも知られんようにしようと思ったんやけど、これは失敗してもーた」

 恥ずかしそうに笑うはやてに4人は渋面になる。はやてはその渋面を、恭也と同衾したことを諌めるもの、4人の誰でもなく恭也を頼ったこと、今朝恭也に泣きついていたこと、などに対してだと察したが、はやての目論見通りに進んだとしても、はやてに隠している蒐集活動によって、知ることになってしまっていた、という後ろめたさが加わっていたことまでは気付けない。

「でも怖い夢を見たから、言うんは嘘やねん。恭也さんが悲しい気持ちを溜め込ませんように出来んかなと思ったんよ」

 シャマルは驚きに目を見開く。
 恭也が隠していた感情は自分の不用意な行動に対する彼のリアクションにより浮き彫りになったが、昨日の夕方に帰宅した後の恭也の態度は平静そのものに見えていたはずだ。
 だが、同時に納得もしていた。恭也の所作から心境を測った実績のあるはやてなら、状況からだけでなく恭也の心情を察して積極的に動いたとしても不思議は無い。
 だが、それが同衾することに繋がらない。まさか“女”として慰めに行った、などということはあるまい。
 疑問が顔に出ていたのか、はやてが行動の意図を口にした。

「人の体温を感じると気持ちが落ち着くから、せめて寝てる時だけでも、と思ったんよ」
「ああ、それで」
「逆に私の方が釣られて悲しくなってしもたけどな」

 やー恥ずかしい、と言いつつ頭を掻く。
 シグナムは、釣られるような何かがあったのかもしれないと想像しながらも言及することはしなかった。はやてが話したくないと、話すべきではないと判断した以上無理強いする気はない。

「流石に何度も使える手やないけど、少しでも恭也さんの心を軽く出来んか、思ってるんやけど」
「でも、あんまり気を遣うと逆に恭也君が嫌がるんじゃないですか?本人も隠そうとしてるのは私達への気遣いだけじゃなくて男の子としてのプライドもあるでしょうし」
「そうやろね。プライドうんぬんのレベルをとうに超えとる気もするけど。ザフィーラは同姓としてどう思う?」
「弱い面を隠そうとする気持ちはあると思います。あまり構い過ぎるのも得策ではないかと」
「やっぱりそうか。私も事故の後は塞ぎ込んで、話しかけてくれる人を煩わしいと思うことあったしな。何様やっちゅうねん。
 その点も恭也さんは凄いな。理由が何であれ周りを気遣えるんやから」
「でも、はやてはこれからも続ける気だろ?」
「うん。直接そのことを突付くと嫌がるのはわかっとるから、なんか理由見つけて一緒に居ようて思とる。独りになりたい時は剣の練習なんかで出かけたときになれるしな。…独りやと変に考え込んでしまうかもしれんから」
「けど、ホントにアイツまだ悲しんでんのか?そりゃ昨日の昼間は良く見りゃ様子がおかしかった気もするけど言われるまでわかんなかったし、夜には平然としてたじゃん。
 見た目だけ平気そうにしてるのかも知れないけどホントに平気なのかも知れないだろ?親を亡くしたら悲しむだろうけど立ち直る速さは人それぞれじゃん」

 ヴィータの意見にも一理はあった。少なくとも恭也の内面に触れる機会の無かったシグナムとザフィーラは否定する材料を持ち合わせていない。
 だが、

「…うん。そうやね。
 私も起きてから、夢やったんかな、って何度も思ったんよ。
 でも、もうやめた。
 たとえ夢やったとしてもあんな恭也さんほっとけへんよ」

 今朝の泣いている姿を想起させるはやての弱々しい笑顔を見せられては、それ以上の言葉を発することなど出来なかった。


* * * * * * * * * *


「試合、ですか?」

 昼食時に帰宅したシグナムを待ち構えていたようにはやてが持ち掛けたのは、自己紹介のときにシグナムが恭也を誘っていた剣の手合わせだった。

「そう。前に恭也さんを練習に誘っとったよね。最近素振りばっかり言うとったから私から提案したんよ」
「意外ですね、恭也がその提案に乗るとは」
「…心境が変化するだけの出来事はあったから、なぁ。
 午前中も、な。練習を見せてくれたんよ。庭で刀振るの見せてくれたわ。あ、いや、練習見せて欲しい言うたんは初めてやし、言うたら元々見せてくれたのかもしれんけど。
 隠そうとしてると思とったから頼んだことなかったから」

 はやては気まずそうに視線を泳がせながら言葉を濁す。やましいことはないはずだが、恭也の心が弱っていることに付け込んでいるかのような後ろめたさがあったのだ。

72小閑者:2017/07/02(日) 14:06:45
 察したシグナムははやての気を逸らすために話しかけ、了承することを伝えることにした。蒐集には出られなくなるがはやての希望を無碍にはできないし、元より恭也の剣腕には興味があったのだ。

「分かりました。では午後にでも草間の道場を借りましょう」
「へ?そんな簡単に借りられるもんなん?」

 シグナムはともかく恭也は現時点では部外者だ。剣道なら体験入学のような意味合いで飛び入り参加も出来るかもしれないが、目的はあくまでもシグナムと恭也の試合なのだ。はやての疑問は当然と言える。

「実は以前から恭也のことを話していたんです。先方も興味を持たれたようで是非連れて来るようにと。幸い夕方になるまで学生や社会人はいませんから恭也も人目を気にせずに済むでしょう」
「誰もおらんの?」
「いえ、少数ですが現役を引退した方々がいます。
 先達としての畏敬の念もありますが、体力や腕力こそ落ちていますが引き換えに洞察力や技巧に秀でているので油断の出来ない相手です」
「へー、凄いんやね」
「主はやても見学にいらっしゃいますか?」
「え、良いの?ってゆうか恭也さんはともかく見た目も小学生の私が昼真っから行くのは良い顔せんやろ」

 いくら車椅子に乗っているとは言え、本来は義務教育を免除される理由にはならないのだ。咎められても文句を言えないことを承知しているからこそ、普段は学校の授業時間帯には事情を知っている馴染みの場所にしか出かけることはしてない。

「いえ、皆おおらかな方ばかりですから。女である私を剣士と認める度量を持っていることがその証拠です」
「そういうもんなん?ん〜、そんじゃ折角や、見学させてもらおか」

 こうして、はやてはシャワーからあがってきた恭也にシグナムから了承を得た旨を伝えて、昼食の仕上げに取り掛かるためにキッチンに向かった。
 シグナムがはやての背中を見送っていると今度は恭也が声を潜めて話しかけてきた。

「すまないな、午後も出かける予定だったんだろう?」
「気にするな。お前の腕を見るにはいい機会だ。それよりお前の方こそよく誘いに乗ったな」

 シグナムとてはやての言を疑うつもりは無いが、自らを剣とすることを目指しているこの男が例え親族を失ったとはいえ、いつまでも動揺を露にしているとは思えなかったのだ。自分が描いている恭也の人物像と本物とに差異があるなら埋めておく必要がある。

「気付いていない訳でもないだろう?朝からはやての様子がおかしいからな。
 怖い夢を引きずっているからなのかは知らないが、情緒不安定な感がある。
 午前中は俺が傍に居たが、俺だけでは不足だろうからな。何かしらの理由を作ってあなた達4人の内の誰かと一緒に居られた方がはやての心も落ち着くだろう」
「…ああ、なるほどな」
「どうかしたのか?」
「何でもない。食後に一息ついたら出発するから準備をしておけ」
「わかった」

 はやてと恭也は互いが互いを思いやっているが、内容がデリケートであるため直接聞くことが出来ずにいる状態にあるようだ。だが、両者の考えを聞いたシグナムにはどちらにも語ることは出来ない。知れば恭也は今以上に心情を零さないために自らを縛るだろう。はやては自身を恭也を苦しめる元凶として批難するだろう。
 もどかしい、とシグナムは思う。これほど互いを大切に思っているのだ。誰一人として血の繋がりなど無くとも、直ぐにでも周囲に自慢できる程の“家族”になれるだろう。なのに後一歩のところでブレーキが掛かる。
 枷になっているのは、はやてを蝕む魔道書か、蒐集を禁止するはやての優しさか、家族を失った恭也の境遇か、そのことを悲しむ恭也の弱さか。
 恭也に背を向けてから奥歯をかみ締めることしか出来ない自身の不甲斐なさを、痛感する。


* * * * * * * * * *

73小閑者:2017/07/02(日) 14:08:04
* * * * * * * * * *


 道場へ向かう道すがら3人で会話を交わしていた。このメンバーではやはりはやてが会話のメインとなる。主従の問題ではなくシグナムと恭也が率先して発言するタイプではないからだ。

「恭也さんはいつもあんな練習してるん?」
「同じことばかりではないが、まあ似たようなことだな」
「どんなことをお見せしたんだ?」
「ただの型だ。特に珍しいことはしてない」
「でも右手でも左手でも同じことができるって凄いんやない?シャマルも言うとったよ、左右での誤差がほとんどないって」
「鍛えれば誰でもできるだろ」
「またまた。内臓の多くは左右対称にないから全身運動で左右をそろえるのは大変やろ」
「…そうなのか?内臓がどこにあろうと筋肉はほぼ対称にあるから出来るんじゃないのか?」
「え?えーと、シャマルはそう言うとったよ?」
「受け売りか。まあ仕方ないだろうが」
「あ、後、最初ゆっくりやった動きを後で早送りみたいにして動いてたんは面白かったなぁ」
「強引な話題転換だな。
 あのゆっくりな動きだけでは実際に使いようがないからな。正確な動きを体に覚え込ませるためのものなんだ」
「へー。…あ。こんな話シグナムに聞かせて良かったん?」

 今更ながら、手の内を見せるような話を振ったことに気付いたはやてが恐る恐る恭也に確認を取る。
 普段から共に鍛錬をしているなら不要な配慮だが、今回はどちらも相手の戦闘スタイルを知らないのだ。尤もシグナムの魔法を使った戦闘スタイルを知っていたとしても、それを今回の手合わせで生かせるかどうかは疑問ではあるのだが。

「ふむ。シグナム、何か役に立ちそうな情報は含まれていたか?」
「左右どちらでも剣を扱えることはわかったな」
「1つハンデが増えたか」
「あぁ〜ゴメンナサイー」

 恭也は苦笑しながら頭を抱えながら謝罪するはやての頭をポンポンと撫でる。

「気にするな。どうせ大差はない。今回は小太刀サイズの木刀も無いだろうから、どの道片手では振るえないだろうしな」
「サイズを合わせて切り落としたらどうだ?」
「借り物をそんな扱いする訳にはいかないだろう。どうしたところで重量も重心も違うんだ。長刀のままでも構わんさ。負けた時の言い訳にもなるしな」
「長さの違う得物を扱えるのか?」
「その辺りは節操の無い流派でな。流石に“どんな種類であろうと”などとは言えないが特に日本古来の武器は見られる程度にはしている。
 それにどの道、持っていたあの小太刀は俺が使い込んでいたものではないんだ。あれの所有者は父でな、何故俺が所持していたのかはわからないが、俺が使っていたのはあれより細身で軽いものだ。
 シグナムだってあの剣、レヴァンティンだったか?それを使う訳ではないだろう」
「流石に道場で振るう訳にもいかないだろう。…はっきり言ったらどうだ?“対等な条件など有り得ない。現有戦力が全てだ”と」
「言っただろう。負けた時の言い訳は取っておくと」

 はやては自分に理解できない何かを共感している2人を交互に眺める。
 共通している目の輝きはどこから来るものだろう。自分の実力を試したい、相手の技を見てみたい、そんな感情だろうか?自分に置き換えた場合、人に料理を振る舞って喜んで貰う様なものなのだろうか。
 普段大人びて見える二人の、子供の様な面が見られてなんだか嬉しくなる。いや、恭也は正真正銘子供な筈なんだが。


* * * * * * * * * *


 道場には初老の男性が2人いるだけだった。一方は柔和な表情を、他方は鋭い眼差しをしていたが、どちらも快く3人を迎えてくれた。
 道場は試合場が3面引かれているが、基準を持たないはやてにはこの道場が広いのか狭いのかは判断できない。代わりという訳ではないが手入れがよく行き届いていることは分かった。
 シグナムが電話で経緯を説明していたのだろう。挨拶もそこそこに、2人とも木刀を手に取り早速始めようとしていたので、はやては2人の方を注視した。

74小閑者:2017/07/02(日) 14:08:52
 二人は中央に移動すると無言のまま対峙する。両者共に木刀を正眼に構えたまま時間が流れていく。はやてには理解の出来ないフェイントを応酬していると分かったのは隣に正座している初老の男性の感嘆からくる呟きを聞いたからだ。
 二人の緊張感の煽りを受けてはやてが息苦しさに喘ぎ始めた頃、唐突に二人が激突した。

 恭也は一気に距離を詰めると刺突を放つ。
 極限まで無駄を排し最短距離を飛んで来る木刀がシグナムの眼前で更に加速した。淀みなく片手刺突に移行した恭也に間合いを外されたシグナムは、躱しざまに放とうとしていた横薙ぎを中断し左方向、恭也の背面に倒れ込むようにして移動する。恭也からの追撃の薙ぎ払いを木刀を立てて受けるが、シグナムが予想した以上の威力が込められた一撃は崩された態勢で受けきれる重さではなかった。シグナムの態勢を悪化させたその一撃は、しかしシグナムを弾き飛ばす程の威力はなく、間合いを広げる助けにはならない。恭也の体格からすれば順当と言える威力だが、シグナムには意図して調節した一撃だという確信があった。
 そのことを素直に認め、潔よく追撃を躱すことに専念したからこそ、その後の途切れる事なく繰り出された恭也の連撃が二桁に届く頃には間合いを取ることに成功していた。



 再び対峙する2人を見て、はやては漸く自分が息を止めていることに気付き、2人の邪魔をしない様に密かにゆっくり息を吐き出す。掌にかいた汗を服の裾で拭いながら、深呼吸を繰り返して早鐘を打つ心臓をなんとか落ち着かせる。
 木刀での打ち合いというものを軽く考えていたが、これではまるで殺し合いではないか。

 はやては格闘技にあまり興味がないが、それでも稀にテレビで観戦したことはある。だが、今眼前で展開している試合はそれらとは全く違っていた。
 テレビモニター越しに見る映像と、呼吸さえ聞き取れるほどの至近での試合では迫力が違う。物理面に作用していると錯覚するような気迫を放ち、離れたはやてにまで振動が届くほど強く踏み込み、目に映らないほどの斬撃が応酬しているのだから当然だろう。
 また、方や剣型アームドデバイスを振るう古代ベルカの騎士にして闇の書の守護騎士を纏める烈火の将。方や若輩ながらも銃弾飛び交う戦場において、多勢にさえ2振りの小太刀と少々の暗器だけで渡り合う御神流の英才教育を受けた御神の剣士。比較されるスポーツ選手が可哀想だろう。
 何より、ほとんど膠着することも無く攻撃を繰り出し続けているのにどちらも当たらないのだ。シグナムと恭也の試合は今のところ一方的に恭也がシグナムに斬りかかる展開だったが、防戦しているシグナムすら結局一太刀も浴びていない。
 ボクシングなどの競技とて急所に受ければ一撃で意識を奪われるため、高度なディフェンス技術があるのだが、目の肥えていないはやてには相手の攻撃をひたすら我慢しながら殴り合い、先に耐え切れなくなった方が負け、というイメージを持っている。実際に肉弾戦の競技は距離が近すぎて相手の攻撃を視認してからでは到底回避が間に合わないため、余程実力差がなければ我慢比べの展開になる。そしてテレビ中継される試合に出場する選手の実力差が大きく開くことはまず無いのだから、予備知識の無いはやてが誤解するのは無理の無いことではある。

 恭也とシグナムの回避・防御技能が高いのはどちらも本来真剣を武器にしており、その思想が体の何処かに一撃を受けることを敗北とイコールで結んでいるためだ。
 骨は論外としても筋肉ですら切断されれば戦力が大幅に落ちる。痛みの問題ではなく、ただ刀を振り下ろすという行為をとっても全身の筋肉や関節を連動させた一撃と腕だけで振るったそれでは威力が違ううえ、そもそも戦闘そのものが全身運動が前提なのだ。
 多対多の戦闘であれば負傷者とて何かしら(身を挺した足止めなど)の役割を持つことも出来るが、1対1では負傷による戦力低下は致命的な差になる。そして戦闘条件は本人が選べるとは限らないのだ。
 勿論実戦であれば負傷したとしても負けを認めたりはしないし、御神流では負傷を想定した上での鍛錬までしているが、それは決して攻撃を受けることを許容している訳ではない。

 ちなみに恭也は普段から物理的な防具を装備していない。防刃・防弾着や強化樹脂などの軽量で硬質な素材は存在したが、銃弾を防ぐには相応の厚さと重さが必要になるため御神流の最大の武器であるスピードを阻害されることを嫌っているのだ。

75小閑者:2017/07/02(日) 14:09:45
(強いな)

 実際に剣を交えて技術と技の連携、手の読み合いの錬度を見た感想がシグナムの脳裏に浮かぶ。勿論、八神家での生活の端々から剣腕を推測していたし、最初に実際に対峙したことで確信できたことだが、切り結ぶことで具体的なことが実感できた。それに、油断も慢心もなく切り結んだからこそ、今再び間合いを広げて仕切り直すことが出来ているのだ。
 恭也の体格からすればかなり高く見積もっていた身体能力を、スピードもパワーも更に上をいかれた。
 恭也は決してボディビルダーのような筋肉の固まりではない。強靭でありながら柔軟な筋肉を、動作を阻害しないように、削ぎ落とす事なく、爆発しそうなほど細く細く絞り込んだ肉体。その肉体をフルに活用することで初めて得られる高度な技能。何よりそれらを統括・制御し、最大限の効果を発揮させる頭脳。
 魔法の発達していないこの次元世界において間違いなくトップクラスの戦闘者と言えるだろう。
 派手な技を使った訳ではない。だが、移動の際に上下動しない肩、ブレることのない剣先、そこから繰り出される理想とされる“点″の刺突。四肢の振りどころか、筋肉一つ一つの動きを明確に操作しなければこうはいかない。
 シグナムは、長い年月をかけて熟成させるべき技を現段階でここまで操ってみせる恭也を素直に称賛しているし、また正直末恐ろしく思う。
だが、

「まだだ。この程度ではあるまい?」

 シグナムは呟きと共に正眼から上段に構えを変える。
 特に反応を示す様子もなく、正眼のまま静かに佇む恭也に対して猛烈な踏み込みで一気に間合いを詰めると躊躇なく振り下ろした。

ッガガン!

 木刀とは思えない音をたてて二本のそれらがぶつかり合う。折れる事なく拮抗することが出来たのは、激突の寸前に恭也からも間合いを詰めて、互いの鍔元で受けたからこそだ。
 見学しているはやてには細かい理屈はわからない。だが、対峙していた2人が休憩している訳ではないだろうとは思っていたが、前触れも無く突進したシグナムが放つ断頭台の様な一撃に、表情を微塵も揺るがす事なく自ら踏み込む恭也の正気を疑った。
 自殺志願者でも恐怖感を掻き立てられそうなあの斬撃に曝される心境など想像も出来ない。
 だが、実際に鍔競り合いをしているシグナムには、この期に及んで崩すことのない鉄面皮の奥で恭也が奥歯を噛み締め必死に耐えていることが読みとれていた。

 恭也が弾き返そうと力を込めるタイミングを正確に読みとり、シグナムが木刀を翻すと狙い通り恭也の体が僅かに流れた。
 あのタイミングで外されて、この程度の重心の崩れで済ませたことにシグナムは胸中で賛辞を贈る。だが、当の恭也の目には隠しきれなくなった感情が、悔恨の念が浮かんでいた。
 恭也が初めて見せた隙は、だが即座に決着が着く程のものではない。直後に始まったシグナムの猛攻を凌いでいることがその証拠と言えるだろう。
 隙の大きさとしては、この試合の開始後すぐにシグナムが見せたものと同程度だ。だが、シグナムに出来た事が恭也には出来ない。劣勢を押し返す事が、距離を開き仕切り直す事が出来ないのだ。
 欲をかいて反撃を狙っている訳ではなく、ひたすら耐え忍んでいるが、間合いをとる事も鍔競り合いにもっていく事も出来ず、それどころか徐々に追い詰められて行く。
 これが今の恭也とシグナムの実力の差だった。

 シグナムと恭也には魔法の有無という決定的な違いがある。シグナムが本気で戦闘を行う場合は当然騎士甲冑を纏う為、余程強力な攻撃でなければ無視出来てしまう。無論、騎士としての誇りから技能の研鑽を怠ることはなかったが、恭也は常に背水の状態にある。恭也にとって回避や防御の技能は切実なものだろう。
 そうでありながら、シグナムは恭也の攻撃を凌ぎきってみせ、恭也はシグナムの攻撃を捌ききれない現状こそが2人の総合力の差を如実に表していた。
 だが、刻々と悪化している戦況を把握して尚、恭也は投げ出す事なく、懸命さを無表情の奥に隠したまま、木刀を振るい続けた。

76小閑者:2017/07/02(日) 14:10:28
 シグナムはこの状態に至りながら、なお疑念を消す事が出来ない。この程度ではない筈だ、と。初めて対峙したあの時感じたものは確かに…、そこまで考えて苦笑を漏らしそうになる。
 なんのことはない。自分が考え違いをしていたのだ。


 胸元に放たれた刺突を木刀で右側へ逸らしながら左下方へ体を沈めた恭也に、シグナムが返す刀で唐竹割を放つ。この劣勢のきっかけとなったのと同じ剣筋に対して、しかし体勢を崩した恭也は柄だけで支える事を断念して、木刀の両端を持って防御に専念する。剣道では有り得ない形だが、誰からも批難の声は上がらなかった。上がる前に恭也が弾かれた様に水平に跳んだのだ。違う。“様に″でも“跳んだ″のでもない。シグナムに蹴り飛ばされたのだ。

 シグナムは恭也を蹴り飛ばすと直ぐさま弓を引き絞る様に木刀を握る右手を引いて半身となり、蹴られた勢いのまま壁際へと床を転がる恭也へ追撃に向かうべく駆け出した。
 5mの距離を瞬時に0にすると、停止しきる前の恭也に対してシグナムが構えのまま繰り出した刺突が空を切る。一瞬前まで転がるに任せていた恭也が床を蹴りつけ水平に跳躍してシグナムの間合いを外すと膝を曲げた状態で壁に着地。伸び上がる勢いを利用して、お返しとばかりにシグナムの顔面に刺突を放つ。
 シグナムは刺突を切り上げながら、木刀と共に体勢が伸び上がる恭也にぶちかましを仕掛けようと左肩から前傾姿勢をとろうとした段階で恭也の刺突が軽過ぎる事に気付いた。
 悔恨の念を押さえ付け、舌打ちする間も惜しんで踏み出そうとしていた身体に制動をかけ、後方へ跳躍しようとした時、視界の隅に恭也が映る。

 恭也が右掌をこちらの胸元に伸ばし肘と肩を固定。
                              速い、跳躍するような余裕は無い。

 彼我の距離が無くなり壁を蹴った勢いを前に出した右足が吸収。
                              まずい!僅かに撓んでいる膝と足首の力で上体を反らす。

 恭也の左足が床板を踏み抜くような勢いで蹴り、その反作用を膝から腰、腰から肩、肩から右掌へ無駄にすることなく伝達し、結果接触しているシグナムの胸部に衝撃として炸裂した。

「ゴフッ!」

 シグナムは強制的に肺の空気を搾り出されながら背後に投げ出された。
 恭也が放った技は、射程範囲はせいぜい10cm程度、決まれば相手を吹き飛ばすことなく踏み込んだ力を100%衝撃に転換することを目的にしたものだ。シグナムが後方へ飛んでいるのは本人の努力の結果だ。
 シグナムの視界に映る恭也は技後の硬直から抜け出せていない。徒手の技だけに錬度が低いのだろう。
 シグナムは衝撃に硬直していた体のコントロールを接地する寸前に取り戻し、受身を取りながら着地、勢いを利用してそのまま起き上がる。
 恭也もそのときには硬直から抜け出し、しかし、無手の為迂闊に仕掛けることも出来ず、2人は三度対峙した。

 シグナムは既にスポーツでは放ってはいけないものを発散している。濁流の様に恭也に叩きつけられるその殺気は、余波だけでもはやての呼吸が覚束なくなるほどのものだ。だが、真っ向から受けている筈の恭也は小揺るぎもしない。怯むことも強張ることも反発することすらなく、ただそこに在る。
“止めなくては”そう思うが、歯の根が合わないはやてには声を出すことも出来ない。
 殺気を放つシグナムも、それを受けて平然としている恭也も、はやてには理解できない。どうしてこの2人は殺し合いをしているんだろう?

「そこまで!!」

 試合前に温和な表情で挨拶を交わした老人の突然の大喝によってはやての危惧する惨事は未然に防がれたが、極限の緊張状態を強いられていたはやての意識はあまりの大声に危うく暗転しそうになるのだった。

77小閑者:2017/07/02(日) 14:12:11
 木刀での試合から殺し合いの様相を呈した模擬戦へと発展した恭也とシグナムであったが、内容の深刻さに反して立ち会った2人の老人からは何のお咎めも無かったことに、はやては驚けば良いのか怒れば良いのか真剣に悩むことになった。
 だが、当事者である筈の2人も今はのんびりと家路についているため、道場での本気で殺すつもりかと疑いたくなるような気迫を伴った睨み合いさえ演技だったのではないかと思えてくる。

 はやての険しい表情が一向に晴れる様子が無いため、シグナムが口を開いた。
 終盤の殺気に中てられて怯えていたはやてに、元凶である自分から話し掛けるのは逆効果だろうと、気持ちが落ち着くまで待っていたのだが、平静を飛ばして一気に不機嫌になってしまったため今まで声を掛けられなくなっていたのだ。

「主はやて。
 先程は驚かせてしまって申し訳ありません。
 恭也の手応えが予想以上に良かったので、つい熱が入ってしまいました」
「…いつもあんな風なん?」
「初めて見たなら驚くのも無理は無いだろうが、“剣術”の場合あんなものだ。元々殺し合いの技術だからな」

 はやては、恭也の言葉にシグナムが口を挟む様子を見せないことから、これが2人の共通認識なのだと分かったが納得するには抵抗があった。平和な時代に育ったはやてならば当然の反応だろう。10年前ってそんなに物騒だったんだろうか?

「そやシグナム、道場出るときにおじいさんになんや言われとらんかった?」
「良い気迫だったが一般人が居る時には止めておくようにと。あとは道場は一般生徒がほとんどだから、指南の時にはくれぐれも見せないようにと」
「…あれ自体は批難しとらん言うことは、やっぱり剣士としては普通なんか…?」

 真剣に悩んでいるはやてを余所に、恭也とシグナムが穏やかに語り合っていた。

78小閑者:2017/07/02(日) 14:12:43
「無茶をさせてすまなかったな。普段あの道場でああいった戦い方はしていなかったんだろう?下手をすれば出入り禁止になっていたろう」
「こちらこそ余計な気を遣わせてしまったな。
 何より、お前のことを剣士と呼んでおきながら“この世界の住人”という括りで見ていた。侮辱に等しい行為だ。すまない」
「それこそ気にするな。そもそも俺が隠していたんだ。逆にどうして俺があの不意打ちに対応できると思ったんだ?真剣を所持していた事だけでは理由として弱すぎる。あの蹴りはモロに入ればこめかみを砕いて脳細胞を破壊していたぞ」

 こっそり聞き耳を立てていたはやては、あまりの内容に絶句した。普通に死亡、良くて植物人間か軽くても身体機能に後遺症が残るのだから当然の反応だが。

「人聞きの悪いことを言うな。お前が反応していなければちゃんと止めていた。
 対応できると思ったのは、初めて公園で出会ったときのお前の反応を思い出したからだ」
「初めてと言うと…」
「お前が転移してきた直後だ。
 気絶していたにも拘らず警戒しながら近付いた私に反応して即座に構えて見せただろう」
「ああ。随分昔の話をしているみたいだ」
「お前にとっては怒涛の様に時間が流れているように感じるだろうからな。
 たまには雑念の入る余地が無いほど、戦いだけに集中するのも良いものだろう?」

 はやてはシグナムの言葉に意表を衝かれた。
 それは、今朝はやてが恭也の居ない席で皆に話した内容、恭也の寂しさを紛らわせることに通じるものだ。
 直接協力を仰ぐ言葉を使わなかったとはいえ、あんな話し方をすれば皆も協力してくれる、とは全く考えていなかった。そこまで頭が回るほど余裕が無かったのだ。
 だから、はやてはシグナムが言葉を汲んで行動を起こしてくれたことが嬉しかった。方法が物騒であることは咎めるべきかも知れないが、逆に言えば恭也もそういった側面を持っているのだから、シグナムにしか出来ない方法を取ったと考えるべきだろうか?

「どうだった?少しは練習相手を務められたと思うんだが?」
「フン、言ってろ。近いうちに、せめて魔法抜きでくらいは全力を出させてやる」
「勝ったる!くらいのことは言うたらどうや?」
「先程まで何やら悩んでたくせに、敗者を嬲る話題に嬉々として飛びつくな。子供の内からそんな性格では先が思いやられるぞ」
「グハッ!う、うっさいわ!だいたい人のこと言えるんか!恭也さんかて、1歳しか違わんのに性格悪いやないか!」
「何を馬鹿な。言うに事欠いて、大抵の人から“良い性格してる”と褒められている俺を捕まえて性格悪いなどと、ちゃんちゃらおかしいわ」
「“ちゃんちゃらおかしい”なんて普通に会話に使う人初めて見たわ」
「主はやて、もっと他に指摘するべきところがあるのでは?」
「シグナム、覚えとき。レベルの低い見え見えのボケは敢えて無視するんが本当の優しさ言うもんや。“恥ずかしい”とか“悔しい”とか思わんと人間成長せえへんからな」
「恭也、主はやての御厚意を無にせぬよう、いっそう精進しろよ!」
「超巨大なお世話だ!はやて、シグナムのこれは良いのか!?」
「わかっとるくせに。シグナムのはボケやのうて天然や。このままでええねん。いやこのままだからええんや!」
「左様で」

はやては恭也をやり込めた勝利の笑顔に、呆れ交じりの穏やかな声を聞けて安堵したことを恭也から隠した。



続く

79小閑者:2017/07/02(日) 14:15:28
第10話 始動




 高町なのはの朝は早い。まだ日も昇らない時間に起き出し、早朝練習のために山腹の公園へと向かう。もっとも、家族五人の内二人、兄と姉は既に剣術の鍛練に出向いているし、残った両親も経営している喫茶店の仕込みのために間もなく起き出すはずなので、高町家は全員朝早くから活動しているのだが。
 ちなみに、魔法の事は家族に秘密にしているため、苦手な運動を克服するためのトレーニングと説明している。全員が納得してくれたことは有り難いが、自分の運動神経が鈍い事が共通認識になっているのだと再確認するはめになり軽く凹まされたのは全くの余談だ。
 季節がら早朝の空気は身を切る様な冷たさだ。魔法の行使には高い集中力が必要とされるため、疲労した状態で使用することを想定して公園までジョギングする事にしていたが、最近では体を暖める事が主目的になりつつある。
 公園へ続く階段を上りきるころには完全に息が上がってしまう。だが、たどり着く前に体力が尽きて、ヨレヨレになりながら歩いて登っていた頃に比べれば、これでもかなり進歩しているのだ。
 10分程の休憩を挟み漸く呼吸が整うと、元気な声で挨拶するのが最近の習慣になりつつあった。

「おはよう、恭也君!」
「ああ、おはよう高町」

 かなり冷え込む様になってきたのに、厚さがある様には見えない黒い長袖のシャツを着て静かに佇む姿は、容姿だけではなく在り方そのものまで兄の恭也と重なって見える事がある。

「最近はスクライアの姿を見ないな。愛想を尽かされたか?」
「もぅ!意地悪な事言わないでよ!
 ユーノ君は用事が有って出掛けてるだけです」

 口を開けばたいていこちらをからかうか意地悪を言うかなので、あっさり別人であることが判明するのだが。


* * * * * * * * * *


「じゃあ、魔法の事を現地の人間に知られたのか?」

 呆れ気味のクロノの言葉にユーノは一瞬怯んだ。
 魔法の存在しない世界の住人に魔法を見せる事は原則として禁止されているし、状況にもよるが罰則が課せられることもある。もちろん原則と言う以上、例外も存在する訳で、原因はともかくその現地人が悪用しない限り口止め程度で済まされる事が多い。

「しかたないだろう?僕は気を失っていたし、なのはは疲れで頭が回ってなかったんだから」

 言い訳にしかならないと自覚しているのか、拗ねた様に小さな声で反論するユーノに、フェイトが執り成す様に話題を進めた。

「どんな人だったの?」
「う〜ん、どう表現したら良いのか。
 初対面で人の事をからかう様な奴だから、僕の目から見ると嫌な奴とか性格の悪い奴になるんだけど、なのはから見るとちょっと違うらしいんだ。
 まあ、魔法の事を知っても僕にもなのはにも普通に接してるから悪い奴ではないみたいなんだけどね。
 子供に知られたら、悪事を働く、とまでは思ってなかったけど、怖がるか逆に友達自慢で周囲に言い触らすかするくらいは覚悟してただけにちょっと意外だったかな?」
「まあ、あんたからかい易そうたがらね」
「もう、アルフ!」

 茶々を入れるアルフをフェイトが窘めるが、頭を使うのは苦手だと公言しているアルフに、“単純だ″と言われたユーノは頬が引き攣るのを自覚する。

80小閑者:2017/07/02(日) 14:17:03
 横でニヤニヤと笑うクロノをこれ以上喜ばせない為にも表情を取り繕いながら、一応は反論しておく。

「別に相手は選んでないみたいだよ。なのはのこともからかってたし、別の時にはなのはの友人も対象になってたから」
「それって、アリサやすずか?」
「ああ、ビデオメールに2人も映ってたんだったね。そう、その2人。
 それぞれの評価は、強くて優しい人、腹の立つ奴、面白い人」
「最初のがなのは?」
「そう。流石にからかわれて喜んでる訳じゃないだろうから、別の部分を評価してるんだろうけど、腹の立つ奴って言ってたアリサも別に嫌ってる訳じゃないみたいなんだ。
 確かに言動に悪意は混ざってない気もするけど…」

 回想しようとするユーノに、クロノが雑談を切り上げて再開することを告げる。
 ユーノがなのはの元を離れて、ここ時空管理局艦船アースラに居るのはフェイトの先の事件についての裁判において証人役を務めるためだ。
 もっとも裁判とは言っても、当時のフェイトの境遇や状況、また本人の性格、反省具合、管理局への協力姿勢などから、監視付きながらも無罪同然の判決が確定していると言っても良い物ではあるのだが。
 今はその裁判での質疑応答の練習に区切りが付いて小休止していた時に、フェイトになのはの近況を聞かれたユーノが先日の出来事を話していたのだ。
 クロノにより雑談が終了したため、以降恭也についての話題が持ち上がることは無かった。ユーノの話でも特に問題がなさそうだったので誰もがそれほど意識に留めなかったのだ。
 恭也の容姿や尋常ではない運動性能まで話題が進んでいればもう少し別の反応があっただろうが、ユーノにとって恭也への印象の内、一番強いものが彼の性格だったため後回しになったのだ。
 ユーノに他意はなかった。だから、フェイトやクロノが恭也と対面したときに様々な点で振り回されることになるのは誰のせいでもないだろう。


* * * * * * * * * *


 静かな公園にアラーム音が鳴り響く。
 それを聞いて集中を解いたなのはが大きく息を吐き出し、恭也は激しい運動により乱れた呼吸を整えながらなのはに歩み寄る。
 いつものことながら会話できる距離になる頃には平常になる恭也を見て、同じ人類に分類されることがなのはには納得できない。季節柄、全力運動だった証として全身から汗が湯気として立ち上っているのが唯一の救いと言えるだろうか?

「大分、様になってきたな」
「ありがとうございます。でも、とうとう恭也君には掠りもしなくなったね」

 練習を続けている内に教師と生徒の立場は逆転していた。いや、元々なのはが何かを教えていたという訳ではない。ただ、当初は恭也に乞われて鍛錬の手伝いをしているはずだったのだが、程なく恭也が被弾しなくなったためなのはの制御訓練の意味合いが強くなってしまったのだ。

「まあ、俺の方も魔力弾の動きが把握できるようになったからな。高町が俺の動きを目で追っている間は早々中てられることはないだろう」
「恭也君の動きの先読みなんて出来ないよう」
「泣き言など聞く気は無い。
 だが、俺からの反撃には対処できるようになったんだ。ちゃんと進歩はしてるだろう」

 そうなんだけどね、と言いつつなのはは不満気だ。魔法と言う本来であれば圧倒的なアドバンテージを持つなのはの方が劣勢なのだから、分からなくもないのだが。
 優越感に浸りたい訳ではない。だが、これで恭也に魔法の才能があれば自分など手も足も出ないことになる。大した取柄の無かった自分(本人談)が、胸を張れる技能を身に付けたというのにあっさり覆されれば意気消沈するのも仕方ないだろう。
 もっとも、空を飛ぶ術の有無は戦力評価の大きなポイントになるし、魔導師としての能力だけで評価してもなのはの多少の経験の差など補って余りある火力は、自覚こそしていないが現時点でトップクラスに入るのだが。

 一方的に鍛えて貰うのは気が引けるからという恭也からの提案で、恭也が回避行動を取りながら放つ飛礫をなのはが躱すなり防ぐなりするようになった。勿論、なのははバリアジャケット無しでの練習である。
 提案された時は、あれだけ激しい回避運動の最中に飛礫など飛ばせるのかと懐疑的だったが、実演として小石を指で弾いて5m先の空き缶に中てて見せられては、納得するしかない。“納得”で済ませるのはそれまでの実績から、今更何が出来ても驚くには値しないからだが。例え指で弾いた小石がなのはの全力で投げたそれのスピードを上回るどころか、横から見ていたらまともに目に映らなかったとしても。

81小閑者:2017/07/02(日) 14:19:42
 尤も的にした厚みのあるタイプのスチール製の空き缶が凹んでいることに気付いた時には、大慌てで辞退したが。
 結局、妥協案としてどんぐりを使用することになった。練習の有用性には納得できたからだ。だが、納得できたからといって、痛みが無くなる訳でも耐えられるようになる訳でもなく、額に中てられた時には痛みに蹲って呻く事になった。
 開始当初に恭也から注意されていた、飛礫を警戒して恭也の手元ばかり注意が向いてしまい誘導弾の制御が疎かになる事態にあっさり陥り、結局はレイジングハートにシールド展開を任せて気付いた時だけ躱すことにした。これはユーノからの進言で、なのはの想定する敵は魔法による反撃がメインだから気付けない様な攻撃はないから、とのこと。勿論言い訳である。言った本人も言われたなのはも聞いていた恭也も分かっていたが、最初から出来るなら練習など要らない、とは恭也の言。

「万能たれなどと言うつもりはない。誰にだって出来ないことはある。
 想定できる事態に自分に出来ることの中から対処法を確立しておけば問題ない。
 勿論、出来なかったことを出来るようになることも大事なことだがな」

 言葉通り恭也は出来ないことにも失敗することにも極めて寛容だった。
 なのはは諦めて投げ出すことが無いため知ることは無かったが、それをしていれば恭也は諭すことも叱ることも態度を変えることもなく、ただなのはと距離を置き、助言の類は一切しなくなっていただろう。ずっと後になって雑談中にそれを聞いたなのはは、諦めなくて良かったと安堵することになる。

 可愛らしく拗ねてみせるなのはに取り合うことなく着々と帰宅の準備を進める恭也に気付き、なのはも慌てて自分の鞄を拾う。

「お待たせ。じゃあ帰ろうか」
「ああ」

 階段を下りるきるまでは練習についての反省会・講習会となる。反省とは主に恭也がなのはの攻撃の仕方や気付いたことを指摘し、講習とは互いに疑問点を確認することだ。指摘は勿論、魔法に関する質問すら恭也から聞かれることで今までに無かった着眼点が得られるため、なのはにも有意義なものとなっている。

「じゃあ、また明日」
「気が向いたらな」
「またそういうこと言う」

 階段を下りると挨拶を交わし、それぞれの帰途につく。あれだけ走り回ったにも関わらず、走って帰る恭也の体力が羨ましくてならない。走らなければ体力がつかないのは分かってるが、家まで走って帰ると疲労から朝食が食べられなくなることは経験済みだ。
 焦らずじっくりやろう。そう呟いて自分を慰めるしかなかった。
 ユーノからも今の9歳のなのはの魔力が全次元世界を含めても上位に位置するとは聞いている。これから成長すれば魔力も更に伸びるはずだとも。なのはにもこの半年の訓練でPT事件の頃より魔力が増えたことも、制御技術と運用技術が大幅に高くなったことも自覚している。
 だが、それでも自分には無いものを持つ人を羨ましいと思ってしまう。“隣の芝は青い”とは言うが、あの恭也でも他の人を見て羨ましがることがあるのだろうか?


* * * * * * * * * *


 最近の夕食は、はやてと恭也で一緒に作ることが多い。
 他の4人が不在になることが多いため、恭也が手持ち無沙汰だからと夕飯の手伝いを申し出たのが切欠で、以降は特に断ることなく恭也も台所に立つようになった。もっとも、手伝いの域を出る積りが無いのか、材料を切ることと鍋等を運ぶ以外は眺めているだけだが。
 はやてとしては、手伝ってくれることよりも一緒に作業をすることが楽しいため異論はなかった。
 予想していた通り恭也は包丁の扱い方が抜群に上手かった。魚を三枚に下ろすのもテレビに出てくるプロの板前の様にほとんど骨に身を残すことなく捌いてみせた。ただし、知識がある訳ではないようで、からかって朝食用に買ってあったシシャモを下ろすように頼むと悪戦苦闘しながらも16匹全てを見事に三枚にして見せたことがあった。捌かれたシシャモを見て呆然としているタイミングで“食べられる骨を切り分ける必要性”を尋ねられたため、頭が回らずからかっていたことが発覚した時には「ほっぺたうにょーんの刑(はやて命名)」に処せられたが。

82小閑者:2017/07/02(日) 14:20:41
 この日もいつも通り切り分け作業が終わり、背中に感じる恭也の視線をこそばゆく思いながら、具材に火を通そうとしたところで電話が鳴った。

「はい、八神です」

 調理の手を止めて電話に出ようとしたはやてを制して恭也が電話に出た。ただそれだけのことが妙に嬉しい。まるで新婚夫婦の様な気分になり、体がムズムズしてじっとしてられない。
 浮かれているはやてを気にすることなく通話を終えた恭也が、その内容を伝えようとしてはやてに視線を向けていることに気付いたのは一通り身悶えた後のことだった。

「きょ、恭也さん!じっくり眺めとらんで声掛けてーな!」
「いや、あまりにも楽しそうだったので関わってはいけないような気がしてな。
 電話はシャマルからだ。シグナムと一緒にヴィータを迎えに行くから少々遅くなるとのことだ」
「あ、そうなん?
 しゃあないなぁ。中華は冷えたら美味しなくなるから、火ィ通すんは後にしよか」

 折角の家族の団欒だ。皆揃ってからにしたいし、少しでも美味しいものを振舞いたい。それは恭也も分かってくれているようだが、今度はどうやって暇を潰すかが問題になった。普段であれば間も無く皆が揃う時間だから、食事中にテレビをつけない八神家ではこの時間のテレビ番組が分からないのだ。
 だが、今日に限っては直ぐに解決した。はやてが借りてきたDVDがあることを思い出したのだ。

「恭也さん、すること無かったらDVD見いひん?」
「DVD?…ああ、あのディスク版のビデオか。構わないぞ」

 恭也と日常会話をすると、この10年で如何に生活様式が様変わりしているかが良く分かる。もっとも、当時から普及していても所々一般常識の抜けている恭也が知らないだけと言う可能性もあるため油断は出来ない。
 恭也ははやてを車椅子からリビングのソファーに移すと、レンタルショップの袋からDVDを取り出しはやてに選ばせてデッキにセットする。映画のタイトルを見ても分かるわけがないので、全てはやてに一任である。
 はやては恭也が隣に座ろうとしたところで待ったを掛ける。

「恭也さん、私の後ろに座って。こう抱きしめる言うか足の間に挟む感じで」
「…なぜだ?それは帰ってきたシグナムたちに見られたら俺がどうなるか知った上での要請か?」
「あー、それはまあ、恭也さんならドアの開く音を聞いてからでも離れられるやろ?
 実は借りてきたのホラー映画やねん。怖いもの見たさで借りてきたけど誰かにくっついとらんとよう見られへんのよ」
「そんなもの借りてくるな。
 じゃあこれはシャマルかシグナムが居る時にして、別の奴にすればいいだろう」
「全部ホラーなんよ」
「…一人で見られんようなものを5枚も借りてくるな」

 嘆息しながらも膝の間に座らせて背凭れにまでなってくれる恭也に謝辞を述べる。
 凭れた恭也の胸板は外見から想像していたより遥かに厚い。先日のシグナムとの試合を見ているので相応の筋力がついていることは承知していた積りだが、着痩せするタイプなのか服を着た状態の恭也からはあまりマッチョなイメージが無いのだ。しかも、その感触が筋肉としてイメージしていたものとは違い、ひどく軟らかい。勿論、シグナムやシャマルのものとは全く違うが、緊張させた硬い筋肉を思い浮かべていたので驚きも一入だ。
 シグナムとの試合で剣の強さは見せ付けられたが、感触として知るとやはり驚いてしまう。

「どうしてそんなに緊張しているんだ?怖いならやっぱり止めておくか?」
「あ、や、そんなこと無いよ?ちょお重ないかなぁ思て」
「軽過ぎるくらいだ」

 会話することで余裕を取り戻したはやてはリラックスして恭也に凭れかかる。
 実は、はやてはホラー映画が怖くない。実際、恭也が来る前に皆と何本か見ているが、その時は抱っこしてもらうことも無く普通に視聴していたのだ。
 そう、これは添い寝に引き続き、恭也にくっつく作戦の第2弾なのだ。

「恭也さんはホラー映画とか良く見るん?」
「いや、初めてだ。映画自体ほとんど見ないからな。
 昔妹分が漫画の映画を見たがったから引率代わりに連れて行った位か?」
「…私の記憶違いや無ければ、恭也さんは今現在も子供のはずやけど」
「…色々あったんだ」
「あ、あー始まるで!」

 黄昏る恭也を慌てて映画の方へ引き戻す。
 この話題は失敗だった。転移前のことを思い出させるような内容を振ってどうするか。

83小閑者:2017/07/02(日) 14:22:14
 はやては無理に話題を振るより今は映画を見せることにした。選んだ映画は色々な面で話題になったものなのだ。今は何が地雷になるか分からないフリートークより映画の方が良いだろう。

「ん?」
「どうしたん?」
「外から何か聞こえた気がしたんだ」
「あれ?もう帰ってきたん?」
「…いや、聞き間違いだろう。それよりこれは洋画なのか?」
「うん。洋画は嫌い?って見たこと無いんやったね」
「ああ。聞き取れるかどうかが心配なだけだ」
「…心配せんでもちゃんと字幕が出るよ」
「それはなにより」
「ほんまに見たこと無いんやね…」

 映画の内容は、旅先で嵐にあった主人公達グループが、避難させて貰った洋館内で殺人鬼に襲われ、一人ずつ殺されていくというベタなものだった。真新しいものといえば、CGによって切られた傷からリアルに血が噴出すところ位だろうか?斬新ではあるが良くこれで放映禁止にならなかったものだ。
 はやては少々後悔した。ホラー映画に慣れているはやてでさえ気分が悪くなる映像だ。初心者の恭也には辛かったんじゃないだろうか。時折恭也の「うわっ」とか「うおっ!」とか言う声が聞こえてくる度にはやては心中で恭也に詫びていたが、声と同時にいつからか体に回された恭也の腕に抱きしめられるためちょっと嬉しかったりした。
 中盤に差し掛かる頃には、はやての興味は次はいつ抱きしめてくれるのかに移っていた。惨殺シーンを心待ちにするのは人としてどうだろう?という思考が脳裏を過ぎるが、そもそもホラー映画とはそれを期待して見るものなんだから登場人物だって喜んでくれるやろ、と自己完結しておく。…抱きしめられる事を期待しているだけなんだから、惨殺される登場人物が浮かばれるとは思えないが。
 だが、何人かが殺されても恭也が一向に抱きしめてくれないまま、残った主人公達が安全そうな部屋に逃げ込んだ。慣れてしまったのだろうか?適応能力高すぎやろう、と思わないでもないが相手が恭也では納得するしかない。
 そんなことを考えていたからだろう。突然木製のドアを貫いた鋭い槍が生き残りの一人に到達する寸前に、はやては抱きついてきた恭也に何の抵抗も出来ないままソファーに押し倒された。3人掛けのソファーの中央に座っていた2人が横向きに倒れた形だが、ただ倒れた訳ではなく恭也がはやてに覆い被さる様な体勢になったのだ。

「……?…??」
「ッハ!?す、すまんはやて!」

 我に返った恭也が体を起こしてはやてを覗き込むが、はやての方は茫然自失状態だ。倒れ込んだとき恭也が腕で自分の体を支えていたので、はやてを押し潰すような事はなかったが、流石に恭也も慌てていた。急激に倒れたことではやてが脳震盪でも起こしたと思ったのだろう。玄関の開く音を聞き漏らしてしまった事からも、恭也がどれほど狼狽していたのかが分かるというものだ。



「…で?何か釈明することはあるのか?」
「特に無いな」
「てめぇ…!」
「あ、待った待った。アカンよ皆!」

 はやての仲裁の言葉も今回ばかりは効き目が薄い。何しろ帰宅してみればソファーではやてを組み伏せている恭也を目撃したのだ。更に流石のはやても身の危険を感じたのか、声に力が無いことが3人の怒りに拍車を掛けている。
 現在、恭也をリビングの中央に正座させ3人で周囲を包囲し、震えるはやてをシャマルが抱きしめている。

「恭也君?言い訳しないのは立派かもしれないけど、ちゃんと事情を説明してくれないと誤解が解けないわ。
 はやてちゃんを悲しませるのはあなたの本意ではないでしょう?」
「どういうことだ、シャマル?何か分かったのか?」
「状況から推測してるだけだから確認を取りたいの。今言えるのは、少なくとも恭也君がホラー映画を見ながら劣情を催すとはちょっと思い難いと言うことかしら」

 シャマルが説明したタイミングでテレビから悲鳴が響いた。見ると生存者の最後の1人が断末魔の叫びを上げ、ドクドクと出血しながら息絶えようとしていた。皆殺しとは救いの無い映画である。
 皆の視線が画面から恭也へ移行する。シャマルの言に一理あると思ったのか、視線からやや角が取れていた。

「…ホラー映画を見るのは初めてだから、驚いたんだ」
「怖くて抱きついたってのか?お前がそんな玉かよ」
「最初のうちはそうやったかもしれんけど、途中で慣れたんやないの?」
「他にも罪状は有ったと言う事だな?」

 しまった、と表情が雄弁に語るはやてを特に責めることなく、恭也が淡々と言葉を綴る。

84小閑者:2017/07/02(日) 14:24:47
「…切った張ったは平気だったんだ。動脈に届かん裂傷であんなに派手に出血する訳が無いから作り物にしか見えなかったしな。だが、突然の画面の外からの攻撃には、反射的に体が動いてしまったんだ」
「それはまあ…分からんでもない」
「ザフィーラ、いきなり歩み寄んな!」
「えと、どゆこと?」
「実際の戦闘であれば、視覚以外の情報があります。音、空気の流れ、匂いなどです。
 視界が限定され、音も製作者側に意図的に編集されているテレビは、それに長けている者ほど混乱するのです。
 恭也はその能力が我々より更に特出しているため混乱も一入でしょう」

 経験を積む事で、五感から得られる情報を総合して周囲の状況を把握できるようになる。所謂“気配”と言う奴である。この技能が高度になると目を瞑ったままでも周囲の状況が読み取れるようになる。そして、本人すらも五感からの情報がどう結びついたのか分からないままに結論だけ得られるところまで来ると、“第六感”と表現される。もっとも傍から見ている一般人からすれば、五感と六感の区別など付かないが。

「はぁ、恭也さんが扉越しに人が居るのがわかるんはそういう原理やったんか。…私の心が“その原理では納得しきれん!”と騒いどるけどまぁええわ。
 …最後のだけ倒れたんは意味があるん?」
「…はやてのこと、守ろうとしたんだろ」
「…あ」

 不承不承答えるヴィータの言葉に思わず声を漏らし、恭也の方を見る。そっぽを向かれたが照れ隠しなのが見え見えで、逆にはやての方が照れてしまった。
 思い返してみれば、それまでの抱きつき方も縋り付かれている訳ではなく、守られているような安心感があったような気がする。咄嗟の事態に身を挺して守るような行動はなかなか取れるものではない。それが分かるからこそはやては頬が緩むのを抑えられなかった。

 最終的にちょっと得した気分になれた映画鑑賞だったが、はやてはこれを封印することにした。食後に一緒に入浴したシャマルに、恭也の気持ちを落ち着かせると言う目的から大きく逸脱していることを指摘されたのだ。
 どこで目的が変わってしまったのだろう?





 はやてとシャマルとヴィータの3人が入浴中、残った3人はリビングに居た。元々無口なこの3人だとそのまま口を開かずに時間が流れることも少なくない。だが、今日に限っては珍しく恭也からシグナムに話しかけた。

「珍しいな。シグナムが風呂に入らないとは。腹の傷か?」
「やはり気付いていたか」

 シグナムは苦笑しながらも恭也の言葉をあっさりと肯定すると、服を捲り上げ、腹部に付いた打撲の様な痕を見ながら呟く。

「澄んだ、良い太刀筋だった」
「シャマルに治して貰わなかったのか…ん?」
「遅れていたからな。帰ることを優先したんだ。…どうした?」

 晒した腹を恭也に凝視されている事に気付いてシグナムが怪訝な声を出した。

「どんな攻撃を受けたらそんな傷痕になるんだ?まさか木刀と言う訳じゃ…、あ、刃物の攻撃を魔法で緩和したのか?」
「ああ、お前には馴染みのない傷痕だろうな。騎士服で防ぎきれない攻撃はこの様になる」
「騎士服?…ッスマン!」

 仔細を見ようと手が届く程の距離まで顔を近付けていた恭也がシグナムの顔を見上げようとして、慌てて顔を背ける。視界に何が収まったのかは、推して知るべし。
 恭也のらしくない失態に、シグナムが邪気の無い笑みを浮かべると、服の裾を戻しながら問い掛けた。

「気にするな。
 それより何か有ったのか?今日はお前にしては珍しくヘマが多いんじゃないか?」

 苦虫を噛み潰した様な顔を見せる恭也をザフィーラが訝る。ここまで表情が豊かな恭也(あくまで本人比)を見た事がない。ザフィーラは恭也の顔面神経の麻痺を真面目に疑ったことすらあったのだ。

85小閑者:2017/07/02(日) 14:27:05
<迂闊につつくなよ?>
<承知している>

 思念通話まで使って念を押すザフィーラに苦笑を浮かべそうになる。仲間を護る事を本分とするだけあって、ザフィーラは細やかに気を使う。

「さっきの映画位しか思いつかん」
「それほど繊細だったとは気付かなかったよ」
「良い機会たから覚えておいてくれ。硝子細工の様に繊細だと」
「強化硝子か」
「なるほど、脆くは無くとも繊細と言う条件は満たすな。つついた指の方が切れそうだが」
「ザフィーラ。突然口を開いたかと思えば、自分の発言に満足そうに頷いているんじゃない!」

 恨めしそうな恭也を見るのはザフィーラにとって悪い気分ではなかった。勿論、優越感じみた暗いものではなく、感情を表に出す様になってきたことが嬉しいのだ。
 先程恭也が感情を表したことを訝しく思いはしたが、この時代に転移してくる前の恭也はこの程度の感情表現は有ったのではないだろうか?それが親族の死から立ち直ってきたのか、自分達に気を許してくれるようになってきた結果なのかは分からないが、恐らく良いことなのだろう。

 恭也も自身の不調を自覚しているのか、深みに嵌る前に撤退することにしたようだ。やはり見て取れる程度に不機嫌そうな顔をして部屋に向かおうとする。だが、夜間鍛錬の準備だと察して、シグナムが制止の声を掛けた。

「何か用事か?」
「不躾で悪いが、暫く夜間の鍛錬を控えて貰えないか?」

 肩越しに会話していた恭也が、体ごと振り返りシグナムを正面から見据えた。
 剣士に対して鍛錬するなとは、無理難題と言えるものだ。どの分野であれ、一定レベルを超えた技能は鍛え続けなければ即座に低下する。高ければ高いほど低下する幅は大きくなる。生活する上で不要なほどに付いた筋肉を減らすのも、“適応”という面から見れば成長を意味する。“1日休めば取り戻すのに3日掛かる”というのは嘘でも誇張でもない厳然たる事実だ。
 魔道書のプログラムであるシグナム達には、これが適用されない。身体性能は、鍛えても怠けても上下しないのだ。勿論、新しい技能の習得と言う点でシグナムにも鍛錬の意味はあるが、体を鍛えるのとは意味合いが違う。
 だが、先の発言は、自分に関係ないことだからと軽々しく口にした訳ではない。恭也がどれほど直向きに体を鍛えているかは周知の事だし、4人はそうできる事は尊いことだとも思っている。

86小閑者:2017/07/02(日) 14:29:26
 これは先程の戦闘の後、4人で協議して出した方針だった。
 とうとう管理局員と正面から対立してしまった。今までは撃退に成功し、自分達の痕跡を消すことが出来ていたが、今回は間違いなく姿を見られているだろう。この日が遠からず来ることは分かっていたが、来てしまった以上は今までより更に蒐集を急ぐ必要があるし、はやての安全を確保しなくてはならない。例え魔法が使えなくとも、自分達4人が蒐集で不在の間、恭也をはやての傍から離すことは避けたいのだ。
 戦力としてだけではない。最悪、自分達が捕まった場合に恭也が居れば、はやてを独りにしなくて済む。はやてを励ます役など、自分達を除けば恭也以外に考えられないと言える位に近しいことは、全員が認めていることだ。
 鍛錬を控える理由を言及されるだろうか。今まで明らかに不審者然とした4人の行動に対して、恭也から問い詰めてくるようなことはなかったが、関係が近しくなるほど問わずには居られなくなるだろう。
 だが、

「夜間だけで良いのか?」
「!…ああ。無理を言ってすまない」
「このくらいのこと、気にしなくて良い」

 あっさり承諾する恭也に、シグナムの方が全てを話してしまいたい衝動に駆られる。
 何の解決にもならないその衝動を抑えながら恭也の背を見送る。
 恭也に隠し続けるにはこれ以上近寄るべきではないのかもしれない。


* * * * * * * * * *


 翌日の早朝。
 山腹の公園には恭也の姿があった。他に動く物が何もない公園で暗闇と表現して差し支えない時分から黙々と二本の鉄パイプを振るい続ける。
 いつもなのはが階段を上ってくる時間はとうに過ぎているが、階段の方を気にした風もなく、動きに乱れを見せる事もない。
 最後に力強く振り下ろした後、残心を解き大きく息を吐くと朝日に焼かれた空を見上げる。

「…来ない、か」

 呟き、目を瞑る。

「愚痴は零した、弱音も吐いた、泣き言も言った。
 何より、いつまでも醜態を晒し続けていられる状況ではなくなって来た。受けた恩を返さなくちゃな」

 感情と思考を切り離す。
 恐怖は体を縛り、憤怒は視野を狭め、悲嘆は思考を妨げる。
 御神流の鍛錬を始めるにあたり、最初に言われる、しかし、実行できない者も少なくない、戦闘者としての必須技能。

 目を開くと、意思の強さが現れたかのように、揺らぐことのない射抜くような眼差しとなっていた。

「先ずは状況整理か」

 恭也は木切れを拾うと地面に屈み込んだ。頭を使うのは苦手なんだが、と言う呟きが漏れるのは呟きの内容そのものより現状に愚痴を零したくなる様な要因があるからだろう。

「はやて」

 口に出しながらどんぐりを一つ地面に置く。

「シャマル、シグナム、ザフィーラ、ヴィータ」

 同じく隣に4つを纏まりとして置き、先の一つと一緒に四角く枠で囲んだ上で、はやてとヴォルケンリッターの間を隔てて線で仕切る。

「4人ははやてに内密にして何かをしている。
 内容は不明。恐らくは犯罪に該当すること。
 目的は、はやてに関連していて、尚且つはやての為になること。
 足の治療?…弱いな。初めて対面した時には車椅子に乗っていたと聞いているから半年ずれていることになる。
 はやてにまで罪が及ぶ事を承知して、尚、犯罪を手段として採用しなければならない理由」

 恭也の言葉が途切れる。
 思いつかない、訳ではない。
 認めたくないのだ。だが、認めなくては先に進めない。恭也はその事を、よく、知っている。

「生命、か。
 秘密裏に行動するだけの余裕があり、徐々に焦りの色が濃くなっていると言うことは、即座に命を落とす訳ではなく、それでいて状況の悪化が窺い知れること。
 有力なのは病気の類だが、となると、やはりあの足の麻痺か?症状が進行している?あるいはまったく別の病気?
 だが、シャマルが治せないのは不自然か?万能ではないと聞いていたが、それでも地球の医学は越えているはずだ」

 ウィルス性の病気には本人の免疫力を高めることで人体には本来生成できないような抗体を作らせたり、遺伝子情報の劣化による細胞の変質である癌にすら正常な遺伝子情報に書き換えることで根本から治療できる。勿論、どちらも間に合わないことはあるが、それでも圧倒的な優劣と言えるだろう。

87小閑者:2017/07/02(日) 14:34:17
「足の麻痺そのものが医学的な原因ではない?
 あるいは足とは関係なく病気ではない可能性。
 …無理か。そもそもこれ以上突き詰めても解決しそうにも…、いや逆か。戦力にならない俺にはシグナム達と同じ手段は取れないし、助力すら出来ないんだ。協力できるとすれば、ここ、全く別の手段の調査しか有り得ないのか」

 沈黙。
 今度は理由が表情に表れている。無理難題と呼んで差し支えないような途方もない条件に、挫けそうになる心を必死に支えているのだろう。
 先程の決意も虚しく既に疲労困憊の態ではあるが、辛うじて心の再構築を果たした恭也は思考を先に進めた。

「先ずは事実の確認だな。
 シャマルが参謀役だったな。現状と目的。
 手段はどうするか。知らない方が先入観を持たずに済むが…。聞いておくか。聞ける機会が何時でもあるとは限らないからな。
 医学面は医者に任せるとして、シグナム達が手を出しているであろう魔法関係に絞り込みたいところだが・・・」

 空を仰ぐ。
 魔法に関わりのない地球上には、当然関連書物などない。シグナム達とは別の手段を調査しようとしている以上、本人達から得た知識を基にしていては得られる筈がない。
 それ以前に俄仕込みの知識で解決するほど都合良くいく筈がないのだ。
 高層建築物は高等数学、物理学、破壊力学、流体力学、化学、建築学etc、何が欠けても完成しない。僅か数日で得た算数の知識程度では犬小屋すら出来ないだろう。

 英雄願望とは無縁な恭也は、子供らしい夢に溢れる妄想ではない解決の糸口が脳裏を過ぎるが、別の問題に思い至っていた。
 幸いにも恭也には魔法の使い手に伝がある。全くの偶然で出来た八神家とは無関係のその伝は、しかし、既に被害者になっている算段が高い。

「魔法使いそのものが標的なのか、近くに居たから巻き込まれたのか、魔法使いにとって看過出来ない行為なのか。
 太刀筋と言っていたからあの傷跡は高町には無理だろうが、偶然、と言うには条件が揃いすぎている。
 …戦闘に参加していたと仮定するしかないな」

 息を吐いて、次に少し離してどんぐりを二つ置く。

「高町とスクライヤ。
 警察関係者と知り合いとか言っていたか?確か変身魔法の時だから魔法関連の警察か」

 二つのどんぐりを枠で囲うと、「警察」と書き込む。

「高町が治安機構に属している?小学生でか?
 …流石に不自然か。小学生の警官が居るようでは世も末と言うものだ。
 魔法の警察関係者に知り合いが居る程度か?だが、昨日のシグナム達の戦闘と高町が無関係とするのは楽観し過ぎだろう。
 では巻き込まれただけ?可能性はあるが、昨日聞こえたのは恐らく高町が公園で煤けていた時と同じ物だ。…と思う。それなら少なくとも参戦していた筈だな」

 恭也は口を閉じると、地面に書いた「警察」の2文字を暫くの間睨み続けた。

「地球の価値観を基準にしない方が良いか。矛盾するよりは、常識から外れても筋を通した方が良いだろう。
 この際、年齢は無視しよう。
 魔法関連の組織なら当然地球人である高町が関わるのは、魔法を使えるようになってからだ。確か1年未満だと言っていたか?
 組織である以上、役職に就く事は“力”を行使する権利と責任を負うことになる。その為の評価は、当然時間が掛かる」

 知識はもとより、判断力や決断力、人脈や交渉力など、多岐にわたる評価項目が短期間で網羅出来るとは、いくら魔法の世界とは言え考え難い。

「となれば、高町は人員に指示を出す立場よりも実働部隊と考えるべきか。
 スクライアの話では、高町の魔法に関する資質は魔法のある世界でもトップクラスだったな。
 直接シグナムに手傷を負わせたのが高町ではなかったとしても、戦力の高い者を放置するとは思えないから結果は同じか」

 集団戦の鉄則として、弱い者から潰すと言うものがある。強者同士の戦いが拮抗すれば、放置した弱者によって天秤を傾かされる可能性が高くなるからだ。だが、弱者にかまけていて強者から意識を逸らしては本末転倒となるため、結局は状況次第でしかない。つまり、なのはの実力の高低は負傷の有無と直接関係しないことになる。

88小閑者:2017/07/02(日) 14:38:18
 ただし、ヴォルケンリッターからすれば敵方の主戦力は潰しておきたいと考えるだろう。恭也が4人の具体的な活動内容を知らないとは言え、その位は想像がつく。一朝一夕で目的が達成できるなら、そもそも活動は終了しているはずだ。

「逸れたな。
 高町は治安機構側に属していると仮定しよう。となれば、高町に尋ねるのは自首しに行くのと同義だな。
 可能性があるとすれば巻き込まれた形を取る位か…。とても現実的とは言えんな」

 余程のことをしなければ仲間だと思われるのがオチだ。そして、上手くただの被害者として見られたとしてもそんな相手に情報を公開してくれるはずが無い。下手な探りを入れれば、最悪そこからはやてにまで害が及ぶ。

 最後に、先のどんぐりとは三角形の位置になるように更に2つのどんぐりを置く。

「あとは、月村とバニングスだな。
 第一に魔法使いなのかどうか。
 高町との魔法の練習に参加している様子はない。
 地球でほいほいと魔法使いが現れても困るんだが、高町とはやての前例があるからな。そうか、スクライアと同じく別の惑星からの来訪者の可能性もあるのか。
 高町との繋がりに魔法が関連しているかどうかは推察のしようがないな。
 同じ所属の魔法使いだが存在がばれ難いように接触していない。所属が違うために互いに魔法使いであることを知らない。魔法が使えない完全な一般市民。
 いや、魔法が使えなくても情報提供者の可能性は十分あるのか」

 可能性を列挙した後黙考して出した結論は無難なものだった。

「魔法を使用している現場を目撃する以外に俺には見分けがつかないんだ。何れにせよ薮をつつく訳にはいかないな」

 地面の落書きを足で掻き消して立ち上がる。

「顔を合わせた事の無い他の人員はどうにもならないし、こんなところか。
 方針としては、現状は情報収集のみ。
 都合良く情報が集まったとしても介入するのは、4人の活動内容が致命的に破綻しているか、今からでも方針転換した方が良い結果が得られると確信できるだけの情報であった場合、くらいか。
 …どう考えても自己満足にしかなりそうにないが、門外漢ではこんなものだろうな。…いや、破綻している位なら徒労に終わるべきだろう。
 今のところはやての傍に居ること以外、具体的に出来る事はない、か…。」



 両手を見る。
 誰かを守れるようにと、守ることが出来ると信じて、幼いなりに鍛えてきた要所の皮が厚くなっている掌。
 暗器を扱うための器用さと、刀を振り続けることの出来る頑強さを兼ね備えた掌。
 “万能などない”と教えてくれた、掌。

「…高町に大事無ければ良いんだが」

 それはなのはの身を案じただけの言葉ではない。
 自身に訪れる死を回避するために他者に死を振りまくなど八神はやては絶対に許容できまい。必ず残りの人生を縛り付ける鎖となる。
 何より、罪科を問われ、はやてと4人が引き離されるなどはやてには耐えられないだろう。

「間違えるなよ。ただ命さえあれば良い訳ではないだろう?」

 誰に対して発したかわからない呟きは、誰にも聞かれる事なく空に解けていった。




続く

89小閑者:2017/07/02(日) 14:43:15
第11話 確認




 ほど良く晴れた暖かい昼下がりの臨海公園で、恭也は海を眺めていた。

「意外とあっさり話してくれたな」


* * * * * * * *


 シャマルは朝食の後、恭也に現状と自分達の行為についての説明を求められた。
 何時か聞かれることは覚悟していた。だから惚ける事なく、代わりに今になって説明を求めた理由を尋ねた。自分達の行為が犯罪に値することを恭也が承知していることが前提のその問いは、実質的には犯罪に加担する理由を尋ねたことと同義だ。
 恭也はシャマルの意図を違えることなく、明確に答えた。

「あなた達にもはやてにも返しきれないほどの恩が出来た。微力であることは承知しているが俺に出来ることだけでも返したい。
 何より、家族として接して貰っているんだ。気付かなかったならまだしも、知って尚、見ない振りをする訳にはいかないだろう?
 内容によってはあなた達を俺が止める。まぁ足元の小石程度の妨害にしかならないだろうがな。
 だが、まぁあなた達のすることが私利私欲とは思え難いし、俺が推測する限り、例え世界中を敵に回したとしても止まれない理由だろう。
 …どちらかと言うと外れていることを祈っているんだがな」

 シャマルはその答えに苦笑を返した。やはり、恭也は断片的な事実を繋ぎ合わせることで全貌を推測しているのだろう。この質問は推測でしかないそれの裏付けと、知り得ようのない詳細の確認だろう。

「じゃあ、説明する前に言っておくわね。
 ありがとう。心配してくれて。家族だと思ってくれて。
 ごめんなさい。巻き込んでしまって。隠し切れなくて。
 本当は、あなたが訊ねて来る前に全てを済ませたかった。解決してしまいたかった。
 あなたが来てくれてから、はやてちゃんは毎日楽しそうだった。単に新しい家族が増えたというだけではなく、あなたの人柄に惹かれているんだと思う。
 私達4人も、あなたのお陰でたくさんの事に気付けたし、はやてちゃんの歳に見合った様子も見ることが出来た。
 私達全員、本当に感謝しているの。だから、あなたを巻き込むことなく済ませたかった」

 シャマルの言葉を聞いている恭也は無言のままだった。糾弾の言葉は無論のこと、容赦の声もなく、じっとシャマルを見つめていた。それが恭也の声無き弾劾でない事が分かる程度には人柄を理解できている積りだ。
 ゆっくり息を吸い、吐き出す。気持ちを切り替えるとシャマルは恭也への説明を始めた。

 はやての現状とその原因。解決する手段として自分達が採った行動と現在の達成率、そして本格的に敵対することになった治安組織である時空管理局について。

 ただ、自分達とはやての関係は、主と従者という説明に留めた。留めている事まで話し、隠している訳ではないことも明かしてある。理由は、恭也が八神家に来て自己紹介をした際に、恭也の「隠しておきたいことがある」との発言に対して釣り合わせる為に伏せておくべきだとはやてが判断したことだからだ。つまらない対抗心や敵愾心ではない。秘密を許容した上で、恭也が気に病まずに済むようにと配慮したのだ。

「…小学生の考えることじゃないな」
「…何を他人事の様に言ってるんだか」

 恭也の自身の事を棚上げした発言に対して、シャマルは半眼でツッコミを入れつつ呆れていた。
 一通り説明を受けた恭也からは驚嘆に類する様子が見受けられない。ぶ厚い面の皮で隠し切っている可能性はあるが、この場合は恭也の予想の範囲から逸脱しなかったと解釈するべきだろう。だが、全貌を組み立てられるだけの断片があったとしても、全てが印象に残るほどの出来事ばかりではなかったはずだ。日常に埋もれる事象を拾い上げ、矛盾無く組み立てるのは言うほど易しいことではない。そもそも恭也は自分のことで手一杯になっていた筈の時期なのだ。
 断片から像を組み上げる知性を持ち、シグナムに追い縋る武芸を持ち、魔法も使わず周辺探査や無音行動を見せ付ける。年齢以前に本当に人類かどうか解剖検査でもしてみたくなる。
 そんな馬鹿げた事を考えていると、恭也が警戒心を剥き出しにしてこちらを注目していることに気付いた。とうとう読心術まで身に付けたのかと愕然としていると恭也が口を開いた。

「シャマル。頼むからそういう恐ろしい考えは口に出すな。実行するなど以ての外だからな!」


* * * * * * * *

90小閑者:2017/07/02(日) 14:45:56
* * * * * * * *


 海沿いのベンチに腰を下ろし視線を海に向けている恭也の表情には、心情を表す要素は何も浮かんでいなかった。
 はやての容態、その原因、そして解決策、そのための手段とその結果。その運命を悲嘆しているのか。
 その性質上、殺害に至らないとは言え、間違いなく他者に危害を加える蒐集と言う“手段”。その是非を悩んでいるのか。
 状況からすると、昨日蒐集の被害者となっているであろうなのは。彼女の安否を心配しているのか。
 或いは、思考することを放棄してぼんやりと海を眺めているだけなのか。



 暫くそうして海を眺めていた恭也が前触れもなく振り向くと、20m程離れた公園の入り口にいる少女を目に留めて安堵の滲む声で呟きを漏らす。

「やっぱり高町か」

 ゆっくりした足取りで公園に入って来たなのはは、恭也に気付く事なく歩き続けた。そのまま公園を横断して海沿いの歩道まで来る積もりだろう。

「高町」
「え?あ、恭也君」

 呼びかけながら近付いた恭也は、微笑みを返すなのはの顔をまじまじと見詰める。
 特別に顔を近付けられた訳ではないが、静かで落ち着きのある黒瞳に見詰められるとまるで吸い込まれる様な錯覚にかられて、なのはは視線を外すことが出来なかった。

「今日は一人なのか?」
「…え?」

 呆けるなのはに対しても恭也は苛立つ様子はもちろん、指摘する事もからかう事もない。日常における恭也が滅多に見せない真摯な態度だが、この場には呆けているなのはしか居ないため誰にも気付かれず過ぎてしまう。

「バニングスか月村は一緒じゃないのか?」
「うん、今日は一緒じゃないよ」
「そうか。では、俺の暇潰しに付き合ってくれ」
「あ、でもこの後予定が」
「公園内の事だろう?ベンチで適当に無駄口を叩くだけだから問題ないだろう」

 一方的にそう告げると返事を待つことなく、なのはを掴んで恭也が歩き出す。

「うん、それくらいなら、ってあの、こういう場合、普通は手を繋がない?」

 数歩進んでから漸くなのはの反応が返る。まるっきり寝呆けている様な反応だ。

「そんな恥ずかしい真似が出来るか」
「だからって頭を掴まなくても」

 そう言いながらもなのはに怒る様子はない。これは寝ぼけているための反応ではなく、恭也の性格を鑑みた結果、照れ隠しだと判断したのだ。
 ただの乱暴者ではないし、必要もなく体に触れて来るほど失礼でもない。それが分かる位には早朝の練習は続いている。最近はユーノがアースラに戻っていて2人きりでの練習になるため、尚更だろう。
 今までも恭也がベタベタと触れて来たことはないので不快感を抱いたことはないが、どうせなら手を繋いでくれた方が嬉しいのにとは思う。

「ちょうど掴み易い高さだからな。とはいえ、安易に手を出したのは失敗だったようだ」

 そう言いつつ頭を掴んでいた手をなのはの肩に廻して抱き寄せると、なのはの両足を払い飛ばす。

「にゃ?」

 思考が追い付かず、足が地面から離れた事を人事の様に認識した頃、間近から大好きな女の子の声が聞こえてきた。

「なのはを、離せー!」

 膝裏と背中を恭也に支えられ、お尻から地面に軟着陸すると同時に頭上を鋭い風切り音が過ぎ去った。

91小閑者:2017/07/02(日) 14:57:05

 フェイトは、なのはが直立していても当たらない、なのはの頭の更に上の位置、つまりなのはの頭を鷲掴みにしていた変質者(フェイト視点)の側頭部を狙った右回し蹴りが空を切った事に驚愕した。
 蹴りの直前に声を発したのは、怒りに任せて怒鳴り散らしたわけではない。先制のチャンスをわざわざ不意にする愚を冒したのは、怒り心頭のフェイトに残っていた最後の理性が、例え相手が犯罪者であっても無警告で攻撃を加えるのはいけない事だ、と訴えたからだ。もっとも、驚愕したと言う事は、声に反応しても回避が間に合う訳がないと分析していたと言う事でもある。また、フェイトは気付いていないが、男が声に反応して振り返ろうとしていれば、フェイトの蹴り足は振り返りかけた男の顔面か後頭部に入っていたはずなので、結構な惨状を披露していた可能性もあったのだが。
 一旦距離を離したフェイトは驚愕を振り払うと、立ち上がり振り返った男がこちらに何歩か近付いたことに、なのはから離れたことに安堵しつつ、改めて男を観察する。

 上背はそれ程ではない。ひ弱な印象こそないが、もっと大柄な武装局員とも手合わせをして勝利したこともあるのだ。魔法を使う訳にはいかないが、条件が同じなら負ける要素はない。
 先程の蹴りをかわした事は認めるが、その拍子にぶつけたのだろう鼻を左手で押さえたまま対峙するような間抜けに負けるものか。

「あの、フェイトちゃん、」
「その短いスカートで上段に回し蹴りとはな。俺の動態視力への挑戦か?青と白が10mm位の間隔で8層並んでいたとみるが、どうだ?」
「!」
「?」

 瞬時に赤面しスカートを両手で押さえるフェイト。なのはも疑問符を顔に貼付けていたが、フェイトの様子に事情を察して恭也に非難の視線を向けるが、恭也の背後に座りこんでいるため届く訳がない。だが、なのはが非難を視線から音声に切り替える前に、眦を吊り上げたフェイトが恭也に殴り掛かった。




 右正拳で顔を狙い男の意識を上に向けてからローキックを放つ。だが、鼻を押さえたまま首を傾げる様にして右拳をかわした上、足元に注意を払う素振りも見せずに蹴りを回避してみせる男に思わず舌打ちする。
 蹴りの勢いのまま旋回して左の裏拳を放とうとしたところで、男の攻撃を察知した。男の体勢と挙動から右手での頭部への攻撃と推定。自分の裏拳より先に届く上、この体勢から回避は間に合わない。フェイトは攻撃を断念すると、旋回運動をそのままに上体を反らしつつ裏拳から肘撃ちに移行、男の右拳を迎撃。拳の側面に肘を当て、軌道を逸らす。回避には成功するが、回転運動が止まり男のほぼ正面に停止することになった。この位置はまずい。

 僅か数手だが、フェイトは徒手空拳での技能が恭也に劣っていることを認めた。暴漢程度と高を括っていたが、恭也を相手に足を止めての殴り合いは不利に過ぎるだろう。
 フェイトは己の非力を自覚している。先程の肘撃ちも拳の側面に当てたのに押し返されている。結果として拳との相対距離が開いた事で回避出来ただけだ。恭也を小柄と評価したのはあくまでも成人男性としてであり、フェイトの方が頭一つ分小さいのだ。
 なにより、彼女の戦闘スタイルは元々一撃離脱を旨としている上、今は武器であり相棒であるデバイス・バルディッシュも手元にない。

 男にとっては手を伸ばせば届く距離。だが、リーチの差があるためこちらは踏み込まなくては届かない距離。何とかして距離を取りたいが、それは男も察しているだろう。特に構えるでもなく立ち尽くしている様に見えるのに、こちらが仕掛ける全てに対応されそうな雰囲気がある。この期に及んで鼻を押さえたままの左手が腹立たしい。
 感情が混じり始めた自身の思考を諌めていると、男の自然な立ち姿において左手だけが破綻していることに気付いた。
 顔から手を離す程度は1挙動と呼ぶほどではないが、まさか鼻を押さえる姿勢を“構え”にしている訳ではないだろう。実力差は既に男も察しているはずだから、今更誘いとも思い難いし、そもそも他に狙える場所も無い。
 先程のやり取りが脳裏を掠めるが選択の余地はない。追撃がいつ来てもおかしくない以上、覚悟を決めるべきだ。

92小閑者:2017/07/02(日) 14:57:39
 左手を僅かに動かし気休め程度のフェイントを掛けた後、右足を跳ね上げ男の腹部へ回し蹴りを放つ。即座に右腕で左側面をガードしつつ踏み込んで打点を外してきた男に、蹴りの軌道を変化させ目標を頭部へ移行。空手でいう二枚蹴り。蹴り足はあっさり身を伏せた男に躱されてしまうが、何を思ったか男の方から後退して間合いを空けた。
 意表をつくことが出来たのだろう。自分には慣性に逆らって蹴り足を止める程の筋力がないため、実は先程の二枚蹴りは威力などなかったのだ。後退せずに更に踏み込まれて密着されていたら、そのまま押さえ込まれていただろう。二度は使えない手だ。
 だが、これでこちらの非力さが印象に残ったはずだ。バルディッシュが無くとも簡単な魔法であれば使うことは出来るのだ。光を放つような魔法を使う訳にはいかないが、見た目では分からない身体強化でパワーやスピードを底上げすれば、この男を打倒できるだろう。




 急激な展開に、なのはは声も無く見続けることしか出来なかった。恭也の異常な身体能力は魔法の練習に付き合って貰っているため知っていた筈なのだが、格闘技としての動きは初めて見たのだ。

「高町、いつまでも呆けてないでこいつを止めてくれ」

 恭也がフェイトから視線を外す事なく自分から挑発したことを棚上げしてなのはに仲裁を頼みだしたため、フェイトも気を張ったまま様子を窺う。

「あ、うん。フェイトちゃん、誤解だよ。恭也君は私のお友達なの」
「え?」「え!?」

別の意味が含まれた同じ言葉が二人の口から同時に零れる。

「…え?」「…え?」

今度こそ同じ意味の同じ言葉がペアを変えて呟かれた。

「あの、どうして恭也君が不思議そうに聞き返すの?」
「待て、高町。いつの間に友達になっていたんだ!?」
「ええ!?お友達だと思ってくれてなかったの!?だっていつも朝一緒に練習してるじゃない!」
「…あれだけで、友達なのか?」
「うぅ…じゃ、じゃあ改めてお友達になって下さい!」
「めげないとは。強いな高町」

 それだけ言うと恭也は何歩か後ずさり距離を取った。拒絶されたのかと、なのはがショックに目を見開くが大きく離れることもなくフェイトの方をチラッと見てから思案するように視線を彷徨わせた。フェイトが構えを解いていることを確認したのだということに思い至り、警戒のための後退だったことに胸を撫で下ろす。
 とは言え、友達になりたいと伝えただけなのに考え込まれるとは思わなかった。フェイトの時といい、今回といい、このところ友達になるのにずいぶん苦労している。2人とも難しく考え過ぎではないだろうか?

 そんなに難しく考えなくてもいいんじゃないの?一緒に居たいと思える子と仲良くなるだけなんだし。アリサちゃんやすずかちゃんやユーノ君…あれ?

 なのはは自分の特に親しいと言える友人を思い浮かべるが、直前に考えていたほど気軽に交友を結べていない気がする。難易度が高い方が絆が深い傾向があるような…?
 逸れ始めたなのはの思考を引き戻したのはフェイトだった。

「なのは、この人お兄さんじゃないの?」




 急な展開に置いて行かれた形になったフェイトは、なのはの申し入れに戸惑っているらしい、しかし仏頂面のまま変化した様に見えない恭也の顔をぼんやり眺める。間柄はともかく、二人が顔見知りであることは遣り取りを見ていて察しがついた。
 胸が痛む。優しくて可愛いなのはが人に好かれる事は分かっていたし、ビデオメールに友達としてすずかやアリサが一緒に映っていた。だが、やはり目の前でなのはの友人を見ると、まるでなのはを取られた様な気持ちになる。勝手な考えだとは承知しているが、感情が膨らむことは抑えられない。せめてこの醜い感情はなのはに知られない様にしようとそっとしまい込む。
 気持ちを落ち着けるために視線を外そうとしたところで、ふと、フェイトはこの男の顔に見覚えがあることに気付いた。先程まで左手で鼻を押さえていたので見られなかったが、この顔は記憶にひっかかる。活動範囲の狭いフェイトは男女問わず知人どころか知っている顔自体が少ない。この星の住人となれば尚更だ。
 以前、この町で活動していた時には周囲を見る余裕は無かったが、その後はそもそもこの土地には来ていない。他人の空似だろうか?だが、なのはが口にする恭也と言う名にも聞き覚えがある気がする。
 そこまで思考し、ビデオメールを思い出す。なのはの家族紹介で映っていた兄の容姿を思い出し、納得しかけたところで再び首を傾げる。なのはの言動は身内に対して採るものではないのではないだろうか?
 フェイトは恭也が黙考を続けていることを確認してからなのはへ問いかけた。

「なのは、この人お兄さんじゃないの?」
「実は、軽いイタズラをしたら嫌われてしまってな。それ以来ずっと他人として扱われているんだ」
「へ?」

93小閑者:2017/07/02(日) 15:09:02
 なのはは高町恭也を知る誰もが大抵陥る誤解を解くために口を開こうとすると、滑らかに会話に参加した恭也の台詞に虚を衝かれ思考が停止してしまう。それは当然、致命的な隙となる。
 考え込んでいるとばかり思っていた恭也から返答を得たことに面食らいながらも、フェイトが更なる疑問を口にした。

「でも、今友達に、って」
「ああ。漸く怒りが治まってきたようで、先日“赤の他人”から“知人”に地位が向上してな。これから友人、親友、恋人、家族へステップアップしていくと最後に兄に戻れるんだ」
「こ、恋人になっちゃ不味いんじゃ…」
「な、何言ってるの恭也君!」

 なのは、再起動。が、ここまで加速している恭也を簡単に止められる訳はなく、いつものごとく巻き込まれた。

「しまった!これで赤の他人からやり直しか…」
「あ…。ね、ねぇなのは?怒るのは分かるけど、他人の振りは流石に可哀想なんじゃ…」
「違、ほ本当に恭也君はお兄ちゃんじゃないんだよ!?意地悪とかじゃなくて、よく似てるけどなのはのお兄ちゃんは別にいるの!」
「まぁ嘘なんだがな」
「な!?」
「うぅ、そんなあっさりと…」

 睨みつけるフェイトに対しても、何処吹く風と余裕の態度の恭也になのはの方が呆れてしまう。先程の動揺も既に見当たらない。
 せっかく申し出たのにうやむやになってしまうのは寂しいので、もう一度尋ねてみるべきか?そんな事を考えながら恭也の顔を見詰めていると、目があった。

「とりあえず、友達になる件は保留しておこう。
 お前が俺をどう位置付けても構わないが、俺がお前を何に分類するかも勝手にさせて貰う」
「なのはの友達になるのが嫌なの!?」
「お前が反応するか?…まぁするか。高町の事になると見境がなさそうだしな。
 別に嫌うつもりはないが、万人に好かれる者もそうそういないという事だ。
 あくまで保留だ。拒絶した訳ではないのだからしょげ返るな高町」
「うぅ、だって断られるとは思ってなかったから…」

 子犬の様に打ちひしがれるなのはを直視し続けるのは流石の恭也も後ろめたいのか視線が泳ぐ。

「あー、高町、会う予定の相手はこの子であってるのか?」
「…うん」

 あからさまな話題転換ではあったが、恭也を責めるのが筋違いであることは理解できているなのはは素直に返答した。返答の鈍さに納得できていないことが如実に表れているのは仕方が無いことだろう。
 恭也はなのはの様子に溜息を漏らしながらも、未だ地面に座り込んだままのなのはを抱き上げた。あまりに自然な動作だったため見ていたフェイトは勿論、当のなのはすらベンチに降ろされるまで、それが童話に出てくる女の子の憧れ“お姫様だっこ”であることに気付かなかった。

「きょ、恭也君!?」
「今日はあまりふらついてないで、早めに帰宅しろよ」
「え?あ、そっか。今日練習に行けなかったから…。
 ゴメンね、恭也君」
「今朝は俺も行っていない。別に約束していた訳じゃないしな。
 体調不良くらい見れば分かる」

 恭也の言動が至って平静だったため、なのはも上気した頬はそのままに、恭也の大幅に省略した言葉から自分の体調を慮ってくれていることを読み取り、何とか会話に応じる。恭也の嘘が見抜けるくらいには、嘘を指摘してその気遣いを無駄にしないくらいには冷静だったことに、内心で安堵する。
 フェイトが2人の会話にある“練習”という言葉から思いついた事を確認するように呟いた。

「あ、ユーノが言ってた練習を見られた相手って…」
「あのイタチが人語を解すことを知っているということは魔法関係者か。外観や仕草で見分けが付かないのは不便だな。
 以降、顔を合わせる機会があるかどうかは分からないが、一応名乗っておこう。八神恭也と言う」
「…え?あ、わっ私はフェイト、フェイト・テスタロッサ。時空管理局の嘱託魔導師です」
「あ、時空管理局って言うのは、魔法世界の警察みたいな所だよ」

 恭也の素っ気無い名乗りが自己紹介だと気付くのに遅れたフェイトが慌てて名乗り返す。その言葉に恭也が僅かに眉を顰めたことを見て取ったなのはが補足説明を入れた。

94小閑者:2017/07/02(日) 15:09:38

「ああ、スクライヤに同情して中年太りのムサイおっさんという事実を伏せている組織か」
「…おまえ、僕がここに居る事を知ってて言ってるだろう!」
「当たり前だ。居ない所で言ったら陰口になるだろう?」
「目の前で言ったら悪口だ!」
「何か問題が?」
「有りまくりだ!」
「ま、まあまあ、ユーノ君もそのくらいで…」

 何時からか近付いて来たユーノを巻き込み、混沌が広がる様を見てフェイトが不安に襲われていた。先程から話題の矛先と刺激される感情が目まぐるしく変わるため混乱してきたのだ。
 闇の書事件の本拠地としてこの土地で生活することが決まっているため、付近の住人が先程から引っ掻き回され続けている恭也の様な人ばかりだったらどうしようかと、同じ住人であるなのはの存在を忘れて本気で心配し始めた。
 恭也は不安に揺れるフェイトに気付きながらも、触れることなく疑問を持ち出した。この会話の流れで抱く不安など大したものではないと切り捨てたのだろう。

「高町の体調不良は魔法絡みか?昨晩、市街地の方で何時ぞやの砲撃音らしきものが聞こえてきたが、また暴発か?」
「ま、またってどういうこと!?私そんなに失敗してないよ!?」
「へー、そうなのか」
「信じてない!その目は絶対信じてないでしょ!?」
「気のせいだ。それで?ただのガス欠なのか?」
「あ…いや、その」
「歯切れが悪いな、スクライヤ。部外秘ならそう言え。治安機構なら機密保持は当然だろう」
「あー、機密と言うほどじゃないんだけど、地元の民間人が知ると余計な混乱を招くかもしれないから…」
「それを機密と言うんだ、戯け」
「ゴメン」
「謝るな。部外者だという自覚ぐらいある」

 フェイトは心底申し訳なさそうに謝るユーノとそれに答える恭也を見て驚いた。先程恭也にからかわれて食って掛かっていた事からユーノは恭也の事を嫌っているのだと思っていたし、恭也の口調にユーノへの労りが感じられたからだ。

「だが、まあそうだな。暫く朝の鍛錬は控えるか」
「え!?」
「…いや、何故そこまで驚く?高町もその…食卓魔導師なんだろう?」
「嘱託。正式に職員に任命されていないけど、ある業務に携わることを頼まれた人」
「…ユーノ君、どうしたの?」
「いやー困ってる人が居るみたいだったから」
「そのニヤニヤとした不細工なツラは非常に気に入らん」

デコピン!

「っうが!?」
「ヒッ!?」

 恭也の指に額を弾かれて、首だけで勢い良く空を仰ぐユーノにフェイトが恐怖に引き攣った声を上げる。
 あれ!?さっきの互いを思い遣っている空気は何処に行っちゃったの!?
 額と首を押さえてのた打ち回るユーノを見て恭也がポツリと呟いた。

「悪は滅びた」
「恭也君、やり過ぎだよー!」
「なに、峰打ちと言うやつだ」
「指に刃なんて付いてないでしょ!」
「ああ、切りつけずに打撃を与えることを言うんだから峰打ちだろう?」
「え?…え〜と?」

 即座になのはが批難の声を上げたが、瞬時に論点をずらされた上に思考を占領されてしまう。マルチタスクは何処へ行った?


 地面でのたうつユーノ。
 それを見て呆然としているフェイト。
 頭から湯気でも上がりそうなほど考え込んでいるなのは。

「本当にこれが戦力になるのか、時空管理局とやらは?」

 恭也の呟きは、非常に失礼でありながらも、クロノが居れば反論できずに頭を抱えそうなこの光景を端的に表すものであった。



続く

95小閑者:2017/07/16(日) 15:58:46
第12話 仮定




「どうして俺はここに居るんだろうな?」
「難しいこと考えてるんだね。哲学?」
「似合わないからやめといたら?」
「大げさな内容ではないんだ、月村。
 巻き込んだ元凶に言われると流石に腹が立つぞ、バニングス」

 公園での遣り取りの後、別れようとした恭也を引き止めたのは偶然合流したアリサだった。勿論、恭也も特に用事があったわけでは無いからこそ誘いに乗ったのだろうし、なのは、ユーノ、フェイトと交流を深めることが目的に沿うものであるという打算も働いたのだろう。だが、恭也が同意した上での現状とは言え、見目麗しい少女4人に囲まれた状態で人通りのある商店街に位置する翠屋のオープンテラスに座ることになるとは考えていなかったのだろう。周囲の視線がかなり気になるようだ。
 恭也が恨みがましい視線をユーノに向ける。この町の知人にはフェレットで通していると聞いていたので、気を利かせた恭也がユーノにアリサ達が公園に入ってきた事を伝えたのだ。結果、ユーノがさっさと変身してしまった為、女子4人に男1人の状態になってしまったのだ。
 見た目高校生の男子が小学生の美少女に囲まれている図は、変質者とまでは行かなくともロリコンのレッテルは貼られるだろう。
 ちなみに、5年後同じ状況に陥った時には、道行く男達の尋常ではない視線が突き刺さるのだが、現状はそこまでには至っていない。視線を集めていることに変わりは無いが。更に言うなら“高町”恭也が普段から無自覚に似たような状況を作り出しているため、翠屋においては日常風景として処理されている。

「気になるんなら店内に座れば良かったんじゃない。あんたが外の方が良いって言い出したんだから今更文句言うんじゃないわよ」
「店内の男女比率を見れば流石にな。甘い匂いも苦手なんだ。
 …それ以前に喫茶店に来るとは思っていなかったんだが。一般論に意味は無いのかもしれんが、小学生だけで喫茶店なんて来ないんじゃないのか?」
「そうだね。いくら翠屋さんのケーキがおいしくてもなのはちゃんの家じゃなかったら私達も子供だけじゃ来てないと思う」
「ここが高町の家なのか?」
「住んでる訳じゃないんだよ?お父さんが店長さんでお母さんがパティシエ、えっとお菓子を作るコックさんなの」
「なるほど。店員のこの視線は高町兄のバッタモンを物珍しがっているのか」
「べっ別にそんな言い方しなくてもいいと思うわよ?顔が似てるのはあんたの所為じゃないんだし」
「優しいじゃないかバニングス。その言葉を真っ向から言い放った人間とは思えない台詞だ」
「っう、根に持つんじゃないわよ!陰険な男ね!」
「まあまあ」
「あら、楽しそうなところゴメンね。お待たせしました」

 すずかが仲裁に入ったところで、にこやかな店員が4つのケーキと5つのカップを運んで来た。
 美人だ。
 背中まである髪の色と整った顔立ちから、なのはの血縁であることを察するのは難しくないだろう。心を暖めてくれるような笑顔は血筋以上に家族であることを想起させる。
 女性は運んで来たメニューをそれぞれに配りながら挨拶を交わしていく。

「いらっしゃい、すずかちゃん、アリサちゃん」
「こんにちは桃子さん」
「お邪魔してます、は変か。こんにちは」
「はい、こんにちは。ゆっくりしていってね。
 フェイトちゃんは初めまして、ね。ビデオレターはなのはと一緒に見させて貰ってたから何度か会ってた気分だけど」
「あ、はい、初めまして、フェイト・テスタロッサです。よろしくお願いします」
「ふふ、あまり畏まらなくて良いのよ?私の事は“桃子さん”て呼んでくれると嬉しいな」
「はい、桃子さん」
「うん、素直でよろしい。なのはと仲良くしてあげてね。
 で、あなたは恭也君でよかったかしら?なのはから噂は聞いてるわよ?」
「初めまして。噂通りご兄弟に似ているでしょう?」
「え?」
「ん?」
 キョトンとした表情が浮かぶ桃子の顔を見返す恭也。面識の無い高町恭也と実年齢を知らない桃子に対して、兄とも弟とも明言しなかったのは恭也なりの気遣いだったのだろうが、この反応は想定していなかったようだ。
 年齢の不祥さは恭也の専売特許ではないことは叔母の美沙斗や琴絵で知っていたが、それほど多く居る訳ではないのも事実だった。だからこの誤解は仕方ないと言えるだろう。

「あはは、ありがとう。改めて自己紹介。高町桃子、なのはの母です」
「母!?姉ではなく?」
「あ〜うん。おかあさん」

 確認するような視線を寄越す恭也に、なのはが表情の選択に困りながらも肯定する。

96小閑者:2017/07/16(日) 16:00:36
 商店街では有名人といえる翠屋の看板娘その1(主婦だが)なのでこの手の誤解は多くないのだが、他の町から来た客は当然の様に間違える。なぜ間違えている事が分かるかと言うと、ちょくちょくナンパされるのだ。そして、桃子自身がその時の事を家族に語って聞かせる。別に自慢している訳ではなく、ナンパされた時の士郎の焼餅を焼く様を語りたいだけなので、結局は惚気話でしかないのだが。

「…失礼しました。少々意表を衝かれたもので」
「ふふ、どういたしまして。若く見てもらう分には全然構わないわよ?
 それにしてもホントに大人びてるのね。なのはと歳が変わらないとは思えないんだけど」
「年寄りくさいとはよく言われます。高…、娘さんから他に何か聞いてますか?」
「そうね、意地悪されたとか、からかわれたとか、嘘つかれたとか?」
「ほうほう」
「お、お母さん!」

 桃子の語る暴露話になのはが抗議の声を上げる。恭也の対応が今以上に過激になっては身が持たない。

「不満そうな顔しながら楽しそうに話してくれるから、よっぽど恭也君と一緒に居るのが嬉しいのかしらね?
 あと、凄く運動が出来るんだって、自分のことのように自慢してくれるから、お父さんやお兄ちゃんの顔が引き攣ってたのよねぇ、なのは?」
「お、おおおお、お母さん!?」

 前触れも無く内容が180度方向転換した事に、先程以上に慌てるなのは。
 熱くなった顔を自覚して思考が空回りを加速させる一方、妙に冷静な部分が“疚しい事はないはずなのにどうしてこんなに恥かしいのだろう”と首を傾げている。
 なのはは自分の反応を楽しそうに眺める桃子を、立ち上がって一生懸命睨みつける。視線を下ろせば皆の顔が見えてしまうため、必死である。返る視線は“お見通し”と言わんばかりに余裕に満ち溢れているため、桃子を睨み続けるのもかなりの気力を要するのだが。

「なのは、家で男の子の話をする事があんまりなかったから、桃子さんちょっと感激しちゃったのよ。
 恭也君、これからも仲良くしてあげてね?」
「まぁ、俺で良ければ。ですが、人選ミスかもしれませんよ?」
「ふふ、そこはあまり心配してないわ。なんたって桃子さんの自慢の娘ですもの」
「お母さん…」

 桃子の声に含まれる信頼と慈愛の感情に思わず矛先を緩める人の良さが、なのはのからかわれる最大原因であることに本人が気付くのは何時になるのだろうか。

「でも、この分だと美由希よりなのはの方が早いのかしら?
 安心して、なのは!今日、士郎さん用事で隣町に行ってて帰ってくるの夕飯頃だから!」
「何を安心するのー!?」
 
 桃子は愛娘を弄り倒して満足したのか、最後に「ごゆっくり」と言い残し去って行った。
 感情が飽和しかけているなのはの事は完全に放置である。呆れの混じる苦笑を浮かべるアリサとすずかの様子からするとこれも日常風景なのだろう。
 目を丸くしているフェイトへのフォローは後に回すとして、先ずは立ち尽くすなのはを落ち着かせるべく2人で声を掛ける。

「なのは、落ち着きなさいよ。…桃子さんも相変わらずね」
「あはは…、ホント桃子さんらしいね」
「あんたも、今のはなのはをからかうために引き合いに出されただけなんだから、図に乗るんじゃないわよ?」
「もぅ、そんな言い方しなくても…?恭也君?どうかしたの?」
「……ん?…あぁ、スマン。高町母のインパクトが強くて呆然としていた。何の話だった?」
「あんたね…まぁ分からなくは無いけど。あ、さては桃子さんが美人だから見とれてたんじゃないの?」
「…確かに美人だったな。高町は容姿も整っているが、スタイルも保障されたようなものだな…」
「!?…っえ、え〜!?」
「ちょ、あ、あんた何言い出すの!?まさか、本気でなのはの事!?」

 先程以上に赤面するなのはと動揺するアリサ、声も無く驚くフェイトとすずか。発言者の恭也が至って平静であるため、第三者からは余計にその落差が強調される。

97小閑者:2017/07/16(日) 16:02:48
「驚くようなところか?月村だって姉を見る限り将来有望だろうに」
「えっ私!?」
「こーら、公衆の面前で何平然と人の妹口説いてんの?『ガタンッ!』 へ?」

 唐突に恭也の背後から声を掛けたのは、翠屋の制服である黒いエプロンを纏ったすずかの姉・月村忍だった。だが、本人には驚かせる気は無かったようで、椅子を蹴り倒して立ち上がり自分を凝視するという恭也の過剰な反応に逆に驚いている。忍が真後ろに立っていたら蹴り倒した椅子がぶつかっていたところだ。

「あ、あれ?ゴッゴメン。驚かせちゃった?えと、八神君、だよね?」

 正確に表現するなら、忍は背後に立ったことに恭也が気付いていないとは思っていなかったのだ。思わず人違いだったかと心配するほどに。

「お姉ちゃん、急に後ろから声を掛けたら誰でもビックリするよ!」

 すずかの姉を注意する言葉を聞きながらも、全員が胸中で首を傾げる。
 初対面の時に背後からこっそり近付くなのはに気付き、早朝練習で背後から迫る誘導弾に反応し、つい先刻背後からの奇襲を(声を掛けたとは言え)躱して見せた八神恭也が、無造作に近付いた忍に気付かないのはあまりにも不自然だ。いや、不自然と言うなら先程からの褒め言葉(?)も、思ったままを、もっと的確に表現するなら思考を挟まず脊椎反射的に口にしていたような…?

「いえ、俺の方こそすみません」
「…恭也君、大丈夫?何か、その、辛そうに見えるけど、気分悪いの?」

 なのはが、言葉少なく謝罪する恭也の様子を見て心配げに声を掛ける。
 アリサはすずかに視線を向けるが小さく首を振って返された。2人には恭也の動揺が椅子を蹴り倒した行動からしか窺う事が出来なかったのだ。ここは唯一恭也の表情の変化に気付けたなのはに任せるしかないだろう。

「高町に俺以外の男友達が居ないと聞いて驚いたんだ」
「そこは忘れてー!」

 駄目だった。
 だが、頼りにならないと言ってしまうのは、なのはが可愛そうだろう。恐らく恭也も自分の変化に気付いたのがなのはだけだと察して、口撃を仕掛けたのだ。心配されることを嫌っての口撃であるなら問い質そうとしても集中砲火を喰らうだけだ。

 すずかとアリサはこの場に居る年長者である忍に視線を向ける。
 特別な期待を抱いていた訳ではない。普段おちゃらけていてもいざと言う時に頼りになる女性ではあるが、流石に今来たばかりで全てを察する事など出来るはずが無いのだ。
 だから、忍を見たのはこのテーブルに来た理由を確認する程度の意味でしかなかったのだが、視界に映った意味不明な光景に2人の目が点になった。忍が普段見せないような真剣な表情で妙な踊りを踊っていたのだ。

 周囲から置いてきぼりにされたフェイトは、この場で唯一状況を俯瞰して見られる立場に居た。
 だから、すずか達から見たら妙な踊りにしか見えない忍の動作が、店内に居る人物、恐らくは店の責任者であるなのはの母・桃子と意志の疎通を図るためのジェスチャー(この場合はブロックサインか?)である事がわかった。尤も、その内容までは推し量ることは出来ず、困惑していたことに変わりは無かったが。

「さて、桃子さんの許可も下りたことだし、ちょっとだけお姉さんも話の輪に入れてもらうわよ?」
「えっと、お姉ちゃん?」
「どうしたんです、忍さん?」
「ホントは挨拶だけの積もりだったんだけどね?
 普段の八神君ならからかう隙もなさそうだけど、今は情緒不安定っぽいから、チャンスかなーって」
「不要です」
「ダメー。この短時間で復活して見せた精神力は買うけど、それとこれとは別問題。
 可愛い妹とその友達に害が及ぶ可能性があるんですもの。危険は少しでも排除しなくちゃ」

 2人の遣り取りを聞いている間にすずかとアリサの表情が引き締まる。
 会話が不自然だ。普通恭也の返答は「止めて下さい」か、恭也らしく「返り討ちにして差し上げましょう」などになる筈だ。忍自身も「恭也をからかう」と言いながら、最後に忠告を促す内容になっている。つまり、最初の「からかう」が嘘なのだ。

「では、俺が離れましょう」
「それも駄目。過保護にし過ぎて“温室育ちのお嬢様”にするつもりは無いの。何時までも私が傍に居られる訳じゃないもの、状況と危険度を理解した上で乗り越えて貰わなきゃ。
 全てを知った上で“今の自分には無理だから回避する”って言うのは有りだけどね?
 とは言っても、あなた達には聞かない権利があるわ。どうする?」

 言葉こそ冗談を装っているが、忍の目は4人の少女にも十分に理解できるほど真剣そのものだ。

98小閑者:2017/07/16(日) 16:03:32
 なのはが心配そうに恭也へ視線を送る。今の会話の流れと恭也の硬い表情からすれば、忍がこれから語ろうとしている内容を察しているのだろう。だが、恭也の硬い表情を見てもなのはは断ろうとはしなかった。
 忍の発言に含まれる“自分達への忠告”とは恭也に妨害させない為の大義名分なのだと察したのだ。
 これから語る内容は恐らく、忍の言葉を否定できない程度には周囲に被害が及ぶもの。しかし、忍の言葉通り自分たちに降りかかるものより、遥かに多くの実害を恭也が受けるのだろう。
 つまり忍はこう言っているのだ。「心の弱っている恭也には辛いことだから助けて上げて欲しい」と。

「聞かせて下さい、忍さん」
「うん、そう来なくっちゃ。すずかとアリサも良いわね?
 フェイトちゃん、あなたはどうする?あなたはこの町に来たばかりって聞いてるから、八神君とはそれほど親しい訳じゃないんでしょ?」
「…私も聞きます。特別に恭也を助ける義理はありませんが、なのはの力にはなりたいから」
「フェイトちゃん、ありがと」
「ふふ、それも有りだね。それにしても八神君、こんな良い子に嫌われるなんて何したの?」
「心当たりがありません」

 いけしゃあしゃあと言い切る恭也にフェイトは絶句する。どれだけ面の皮が厚ければこんな事が言えるのか?
 尤も、下着を見られたのは、勘違いさせる原因が恭也にあったとは言えフェイト自身の行動の結果だし、嘘を吐いてからかうことは恭也にとってコミュニケーションと同義になりつつあるため罪悪感すらなさそうである。

「う〜ん、正負を交えて女の子の注目を集めちゃう辺り、恭也よりも女の子泣かせになりそうでお姉さん心配よ?」
「そう言う不要な親切心を“老婆”心と言うんです。若い女性らしくさっさと本題に入って下さい」
「…っく。そう言う最初から反論を封じるような言い回しは敵が増えちゃうんだからね!」
「余計な心配をされるくらいなら、敵で結構」
「フンだ!いいもんね、八神君が嫌がる事、これからもいっぱいしてやるんだから!」

 子供っぽく頬を膨らませて周囲に微笑ましい気持ちを振りまく忍。桃子といい忍といい、類は友を呼ぶと言う格言は正しいようである。

「フェイトちゃんは恭也に、なのはちゃんのお兄さんの高町恭也には直接会ったことないのよね?」
「はい、ビデオメールで見ただけです」
「そっか、じゃあ恭也の説明を先にした方が良いわね。あ、これから恭也って言ったら高町恭也、八神君って言ったら八神恭也の事だと思ってね。
 恭也はね、カッコよくて、優しくて、格闘技も強くって、頭もそこそこ良くて、それでいて努力家という、何処の漫画の主人公だ?って問い詰めたくなるような人で、私の恋人なの!」
「…は、はぁ」
「お姉ちゃんお姉ちゃん」
「大丈夫よ、すずか。脱線してる訳じゃないから。
 そんな非の打ち所の無い恭也ではあるんだけど、だからこそ周囲から妬みややっかみを受ける事がある。自分の失敗を人のせいにしたがる奴は意外と多いのよ。
 残念ながら万人に愛される人は居ないんでしょうね。
 光が強いほど出来る陰は濃くなるものでね、分かり易い実例を挙げるなら、自分が好きになった女の子が振り向いてくれないのはアイツが居るからだ!って訳。
 しかも、恭也の恋人がこんな可愛い忍ちゃんとくれば、モテナイ男共のやっかみはもう避けようがないのよ!」
「大変ですね」
「……ごめんなさい、最後のは聞き流して下さい」
「相手を選ばずに言うからですよ」
「くぅ」

 フェイトに大真面目に同意されてしまい居た堪れなくなった忍は、恭也からの追撃にも黙って耐えるしかない。すずかとアリサの呆れ4割、同情6割の苦笑がとても辛い。

99小閑者:2017/07/16(日) 16:04:11

「ゴホンッ
 そんな訳で恭也はちょくちょく人気の少ない路地を歩くと八つ当たりの襲撃を受けてるみたいなの。相応の力で撃退してるらしいけど、後を絶たないらしいわ。今じゃ噂が噂を呼んで「恭也を倒せば最強の称号が得られる」みたいなノリになってきてるみたい」
「さ、最強?」
「まあ、恭也に実力で勝てるならそこら辺のチンピラくらい物の数じゃないから、あながち間違いじゃないんだけど。で、ここからが本題。
 そんな恭也とそっくりな八神君を見かけたらそいつらはどうするでしょう?」

 想像するまでも無いだろう。勘違いで襲われることになるのだ。
 だが、アリサとすずかが言葉を発する前になのはが否定した。

「えっと、でも、恭也君もその辺りの不良さんの3人や4人には負けないと思うんですけど…」
「え?なのはちゃん?」
「あ、なんだ、なのはちゃんは知ってたんだ。こないだ隣町から来た20人くらいの団体さんを撃退したらしいんだけど」
「20人!?なのは、知ってたの?」
「20人て言うのは初めて聞いたけど、1時間くらい連続で動き回っても平気そうだからできるかなって」
「1時間!?は、まあ凄いけどジョギングとは違うのよ!?」
「目で追うのがやっと位のスピードだよ?」
「もしかして、さっきの公園での動き位?」
「うん、あんな感じ」
「…こないだ、なんかの特集で同時に3人から攻撃されると、大人と子供ほどの実力差があってもまず勝てないってやってたんだけど」

 話題の渦中に居るはずの恭也の方を窺うと、話題に興味を示すこともなく、膝に乗せた野良猫の喉元をくすぐっていた。体を弛緩させて寝転がる猫は非常に気持ち良さそうである。

「…忍さんが話したかったのはそれ?だったらあんまり役に立てそうに無いって言うか、本人が言ってた通り手助け不要な感じなんですけど?」
「違うよ。この話だけなら八神君だって止めなかったと思うよ?」

 忍の声に反応するようにそれまで弛緩していた猫が顔を持ち上げ、恭也を下から見上げて一声鳴くと膝から降りて、名残惜しそうに何度も振り向きながら去っていった。

「…嫌われたか」
「気を遣ってくれたんでしょ?猫は感情の変化に敏感なのよ?」
「あ…」

 猫に囲まれて生活しているすずかには思い当たる節がある。悲しかったり心細くなった時に慰めるように猫達が体を擦り寄せてくれる事が何度もあった。では、あの猫が恭也から離れていったのは、偶然ではなく恭也が独りになることを望んだから?

「ここからが本題。八神君、心の準備はよろしいか?」
「勝手にして下さい。何を言ってもやめるつもりは無いんでしょう?」
「ご名答」

 冗談のような遣り取りをしながらも、忍が恭也を気遣っている事が見て取れた。恭也が本気で拒否すれば辞めるつもりではいるのだろう。

「今話したのは物理的な嫌がらせ。予想がつくと思うけどこれから話すのは精神的な攻撃。
 最悪なのがそいつらは自分に非があることを自覚してない、ん〜ん、自分が正しいと信じ込んでいる辺りかな」

 思い出すのも腹立たしいと言わんばかりの忍の態度にすずかが驚いた。
 今でこそ明るいお姉さん然としている忍だが、両親を事故で亡くしてからは、恭也と恋仲になるまですずかと2人のメイドの他にはごく少数の信頼する人物にしか感情を見せる事がなかった。両親の残した莫大な遺産に顔も知らないような親族が群がってきたのがその原因だ。
 その時期に偶然、最も信頼している叔母の綺堂さくらに親族の性根の汚さについて愚痴を零している姿を見かけた事があった。あれほど苦しそうに吐露していたのに、結局すずかの前で忍が笑顔を絶やすことは無かったのだ。
 状況が違うとは言え、感情を隠すことに長けた忍が、嫌悪を露にしているからには余程のことだろう。

100小閑者:2017/07/16(日) 16:04:49

「妬み嫉みの感情を持つのは男に限ったことじゃなくてね。
 直接暴力に訴えない分、女の方が陰湿になり易いのかな。勿論、全員がそうだとは言わないし、私だけ例外だなんて言う積もりも無いんだけどね。
 回りくどく言っても仕方ないから言っちゃうよ?
 恭也に恋人が居ることを知らない女の子が、告白しようとして良く似た八神君に告白しちゃうの。ここまでは男の場合と同じ。
 八神君が説明して誤解を解くと、ごく一部に彼を批難する人がいるの」
「批難?勝手に間違えたのに?」
「フェイトちゃんの言うことは尤もなんだけどね、恋する乙女は状況が分かるほど冷静じゃ無いらしいの。
 捨て台詞は―――ッ」
「“騙したのね”とか、“卑怯者”とか、かな。月村さんが聞いてたのは“偽者”だったかな?“紛い物”ってのと合わせて言った本人的には一番的を射てるんだろうな」

 口ごもった忍の台詞を恭也が何でもない事だとでも言うように代弁した。事実、アリサにもすずかにも、恭也が特に表情を歪めている様には見えなかった。そう、表情を崩しているのは本人よりも寧ろ。

「軽い調子で言ってもダメ。そもそも、その捨てゼリフの前に延々と思いつく限りの罵詈雑言を並べ立ててるじゃない」
「毎回、よくあれだけ思いつくものだと感心していますよ。普段から悪口を考えながら生活しているんですかね?
 …そんなに気を遣って貰わなくても、悪口位で泣いたりしませんよ」
「そんな顔して言われてもねぇ。君が図太いことは知ってるけど、悪口言われて喜ぶほど捻くれてはいないじゃない。
 私が偶然見かけた回数だけで2桁に届こうとしてたんだもの。何十人から言われ続ければいつか耐え切れなくなるよ?
 しかも、律儀に最後まで付き合ってるんでしょ?今度から殴り倒して黙らせるのもありかもしれないよ?」
「恭也君…?」
「恭也、あなたは…」

 寧ろ、冗談めかしながらも心配している忍であり、恭也の肩に手を掛けるなのはであり、言葉を失うフェイトの方だった。

「気のせいですよ。月…あ〜、あなたの妹君やバニングス嬢は特に違和感を持っていないようですよ?
 あの時にも言ったでしょう?見ず知らずの他人に口先だけで何か言われた位で傷つく様な繊細さは持ち合わせていないんですよ」
「…うん。私もあの時の君だったから、その台詞を信じることにしてあげた。納得は出来なかったけどね?
 でも、今の君の言葉は100歩譲っても信じてあげることはできないよ。
 この1週間で何かあったの?それとも、さっきの桃子さんとの会話?」
「さあ?仮にあったとしても秘密です」

 埒が明かない、と忍が周囲に目をやるが4人も返せる情報など持っていない。それほど頻繁に恭也と会っている訳ではないし、先程の桃子を交えた談笑とて被害者は寧ろなのはだった筈だ。

「…もう、どうしてそう強情かな。折角女の子が心配してくれてるんだから素直に甘えれば良いのに。ねえ?」
「えっと〜、お兄ちゃんもそうですし、男の人は強がっちゃうものなんじゃないでしょうか?」




 そう。分かるはずが無いのだ。恭也の境遇など。

「…もしも本当に、自分が偽者だったら、誰かに造られた存在だとしたら、どうする?」

 だから、フェイトの発した質問の内容が恭也にとって深く傷付いた心を抉るものであったとしても、恭也がフェイトを非難する事はなかった。



 
 フェイトが漏らした疑問の声に全員がギョッとしてフェイトに視線を集めた。

101小閑者:2017/07/16(日) 16:05:37
 この場ではなのは以外知る者の無いフェイトの秘密。大魔導師プレシア・テスタロッサが、事故で亡くした一人娘アリシアを蘇生しようと試み造り出した、しかし、アリシアではない何か。“失敗作”であり“紛い物”であり“偽者”である自分。
 PT事件の後、本格的な身体検査を行った結果、何の欠損も無い人間であると言う結論が出た。その時はそれを教えてくれたリンディ達に「おめでとう」と祝福された事に素直に喜ぶ事ができたが、時間が経つにつれて別の考えが頭を擡げてくる。
 そもそもアリシア・テスタロッサであることを望まれて生み出されたにも関わらず、それ以外でしかなかった自分は“人間”であろうと価値など無いのではないか?実情として親に愛されない子供が居ることは知っていたが、少なくともその子供も両親の愛の結晶であって自分とは生まれ方が違うのだ。(フェイトが具体的にどうやって子供が出来るのか知らないからこその誤解ではあるのだが)

 確固たる自我が確立されていない子供が、価値観の全てとも言える母親に面と向かって拒絶されてからたったの半年しか過ぎていないのだから、思考が後ろ向きになるのは当然の結果だ。そして、その事が頭の隅に常にあり続けたため、自らの根幹に関わる内容である先程の恭也の発言に反応したのだ。

 フェイトは決して自分本位でもなければ短慮な方でもない。たまに思い込みで突っ走り恥かしい思いをするようなうっかりやさんではあるが、人を思い遣る優しさはある。
 にも関わらず、“八神恭也”の存在を否定するような質問を発したのは、普通の生活を送っている者であれば馬鹿げた仮定だからだ。…人と関わる経験が圧倒的に少なかった上に、恭也と会って間もないフェイトからしても、恭也が“一般的”に分類して良い存在であるのか非常に疑わしいことは感じ取っていたが、流石に現在の境遇を推測することなど出来る訳が無い。
 だから、なのはを心配させるであろう事、初対面のアリサやすずかに良い印象を持たれないだろう事を頭の片隅に浮かべながらも問わずには居られなかった。
 多少なりとも近い境遇における、フェイトの事情を知らない他者の、慰めの言葉ではない本音を聞きたい。
 後で振り返ってみると、この時のフェイトは何故か、恭也から奇異の目を向けられたり馬鹿にされる可能性を疑っていなかった。“馬鹿げた想定”でありながら、恭也ならこの問いに真剣に応えてくれると何の根拠もなく確信していた。

 そんな事を考えていたため、忍やなのはの恭也を心配する言葉は頭に入る事がなく、自身の不安と打算と奇妙な信頼に任せて疑問を発したフェイトは、ただ一人恭也の顔に表れた表情を見て、血の気が引いた。

 フェイトには恭也の仏頂面から感情や思考を読み取ることは出来ない。
 恭也の表情を読み取るには対人関係の経験だけでは足りず、本人との長い付き合いが必須となる。
 なのはと忍は“高町恭也”との経験を“八神恭也”に適用しているからこそ読み取れているが、“高町恭也”との接点の少ないアリサとすずかにはそれが出来ない。
 どちらも不足しているフェイトには望むべくも無い技能だ。

 だから、フェイトが驚いたのは希少な恭也の表情から感情を読み取れたからではない。
 自身と近似した感情であったために共感できてしまったのだ、半年前に自分が母から受けた衝撃に劣る事が無い程の心境であることを。
 せいぜいが悪口を言われた程度の事だと思っていたからこそ、自分の言葉がどれほど恭也の傷を抉ったのかを悟り、フェイトは蒼褪めた。

「あ…、ごっごめんなさい…いま、今のは」
「辛いだろうな」

 動揺し、発言を取り消そうとしたフェイトを抑え込む様に呟いた恭也の弱音とも言える台詞に誰も口を挟む事が出来ない。

 この中で恭也の境遇を垣間見た事があるのはなのはだけだ。それも出会って間もない頃、魔法を秘密にして貰うように頼んだ時のみで、その時ですら愚痴を零すことすらなかったのだ。
 アリサやすずかなど恭也に悩みがあることすら今日まで知らなかった。
 だが、たった一言の呟きにより、今まで見てきた人をからかうことに人生の全てを費やしているかのような恭也の姿がほんの一面であると言う当然の、しかし、先程忍となのはに心配されていた様子からは実感できなかったその事実を突き付けられた気がした。

102小閑者:2017/07/16(日) 16:07:30

「それが事実だったら、な。
 状況に依って随分変わるだろう。
 誰から、どの様に、何を目的として知らされたか。
 そして、何を目的にして造られたのか。
 オリジナルが健在かどうか、そして自分が周囲の人をどう思っているか。

 気にしない振りをして、それまでの道を進み続ける。
 反発して、自分のことを誰も知らない土地へ行く。
 オリジナルが健在ならそいつを押し退けて、入れ替わる。
 自棄を起こして周囲に当り散らす…のは、選択肢に上げるには稚拙か。長続きもせんだろうしな。

 何れにせよ、どれを選択したとしても共通して言えることは、恐らく知らなかった頃には戻れないと言う事だ。気にしない振りをしたところで出来る訳が無い。
 他者が自分に対してとる態度の一つ一つを、“オリジナルへの代替としての行為”として疑うことになるだろう」

 フェイトは淡々と語る恭也から視線を外す事が出来ない。
 恭也の表情の変化を確認出来たのは問い掛けた直後の、その一瞬のみだったため恭也の心情が計り知れない。だからこそフェイトには恭也が自ら心を切り裂きながら語っている様に見えるのだ。
 フェイトが期待した通り真剣に、想像し得なかった傷付く行為であるにも関わらず、何の事情も説明していない自分の問いに応えてくれている。目を逸らすことなど出来る訳がない。

「俺なら、そうだな。
 家族以外から聞いたなら信じない。全ての状況がそれを示していても、それ以外の可能性を見つける事が出来なかったとしても、絶対に信じない。信じてなど、やらない。
 家族から聞かされたなら、…仕方ないな。何を求められているのかを確認して、その通りに演じるかな。演技力に自信はないんだが」
「―――それで、良いの…?」

 幾分かの自嘲が混ざった恭也の答えにフェイトが問い返す。
 長引く程恭也に苦痛を強いるであろう事は分かっているが、ここまで語らせておきながら真意を取り違える訳にはいかない。
 震えそうになる声を必死に抑え込みながら問い掛ける。「自分を生み出した家族を恨まないのか?」と。

「ああ。
 感謝こそすれ、恨む筋合いはない。家族として接してくれた記憶があり、記憶の中の家族には感謝の念しか湧かない以上、この記憶が彼らの都合を押し付けるために植付けられた偽りであろうと構わない。
 俺にとっての世界は俺が認識できる外側には存在しないからな。
 他の誰の目から見ても、道化にしか見えなくとも俺はそれで良い」
「その人達のしようとしている事が、―――悪い事だと、しても?」
「そうでないことを祈るんだが、な。
 …もしも、彼らが俺の知る、俺の記憶にある家族が許容しない事をするなら、妨害する」
「え?でも…」
「ああ、出来る限り家族の望みに応えてやりたい。
 だけど、家族だからこそ、協力できない事、黙認できない事はある。
 犯罪かどうかは問題じゃない。それが俺の家族なら許容しないであろう行為であったなら、俺に取り得る如何なる手段を持ってしても、敵対することになったとしても、彼らを押し留める。
 憎まれても、罵られても、絶対に引かない。
 俺は彼らの奴隷でも道具でもない。対等な家族であろうと想う以上、絵空事でしかない俺の記憶の中の家族に戻ってもらう。
 それが俺を生み出した彼らの責任と言う事にしておこう。
 まぁ、“失敗作”だったと諦めてもらうしかないな」

 そう自嘲的に言うと恭也は話を締めくくった。

103小閑者:2017/07/16(日) 16:08:05

 記憶に従う。

 フェイトはそんな考え方をしたことがなかった。
 自分の記憶が、過去が、他人の物であるなら、その人の物を無断で使っているようで、記憶や経験を基にして行動しては駄目なのではないかとすら考えていた。
 ましてや、自分を生み出した存在に、母に、逆らうことなど赦されない事だったのではないかと、今でも悩み続けている。

 あれだけスムーズに口に出せた事からすると、この世界では信じがたい事ではあるが、少なくとも恭也の主観においては“自分の記憶が他者から与えられた物である証拠”が揃っている、あるいは、否定できる証拠が揃えられない状況にあるのだろう。つまり、口先だけの理屈ではないのだ。
 恭也の方針は論理的に理性的に“自分の感情を納得させられるであろう行動″を突き詰めた結果、辿り着いた結論だろう。
 感情論を正当化するための言い訳とも取れるが、家族と敵対してでも“記憶の中の家族”を守ると言う一貫した芯もある。これらの仮定が現実となったとしたら、恭也はこの考えを実行するだろう。フェイトには嫌われることを恐れて、プレシアに反論することすら出来なかったのに。
 悩んでいない訳がない。人格は記憶や経験を土台として確立される物だ。それが捏造されていたとなれば自分を成り立たせる全てが瓦解する。
 それでも、絶望する事なく、状況に合わせて在り方を決める。言うに易いその行為はフェイトには出来なかった事だ。



 恭也は語り終えると一同を眺め、最後に視線を忍に固定する。語られた内容に戸惑いつつも忍が頷いて返したことを確認すると、千円札を机に置いて立ち上がった。

「あ、恭也君!」
「高町、白けさせて悪かったな。“もしも”の話にちと力が入り過ぎた。
 思ったよりも時間が過ぎたことだし、そろそろ退席させてもらう」

 一方的に告げてさっさと遠ざかる恭也を放心したように見送る少女達の中で、フェイトが慌てて立ち上がると「ゴメン!」の一言を残して恭也を追いかけて行った。
 フェイトの姿が見えなくなっても声を発することの無い一同に、恭也に後を託された忍が何でもない事の様に話しかけた。

「…凄い想像力だね。
 突然あんな、有り得なさそうな状況を提示されてスラスラと答えちゃうなんてさ」
「…あ、そうだね。前に恭也さんが“戦う時には色々な状況を想定するんだ”って言ってたけど、恭也君もそう言うのに慣れてるんだろうね」
「あ、ああ、そうなんだ。それにしても変に細かい所まで想定してるから、私でも信じそうになっちゃったじゃない」

 忍、すずか、アリサが口々にあの内容が“空想”であることを強調しながらなのはの様子を窺う。

「うん…そう、だね」

 だが、なのはの強張った表情を和らげることは出来なかった。

「無理、か。
 まったく、自分でも言ってたじゃない。“知ってしまったら元には戻れない”んでしょ?」

 忍の愚痴交じりの小さな呟きは誰にも聞き取られることはなかった。
 忍の知る八神恭也は、不用意に周囲の人間に不安を撒き散らせるような人物ではない。それはつまり、弱音を漏らす事が、助けを請う事が出来ないという事だ。だからこそ、今日友達として接しているなのは達に恭也を支えて貰おうとお節介を焼いたのだ。(今まで恭也とあった時には常に独りか“敵”しかいなかった)
 その恭也が、恐らくは自身が直面しているであろう問題を口にしたのは、フェイトにとって絶対に必要なことだと判断したのだろう。
 どれだけ日常からかけ離れた突飛な話であろうと、本心から語る言葉を聞き違えることの無いところまで高町恭也に似ているとは。
 忍は浮かびそうになる思考を必死に振り払う。

 間違えるな!彼は八神恭也だ!

 忍は軌道を修整し、思い詰めた表情のなのはへの対処に集中する。
 なのはは軽い冗談も本気にしてしまいかねない純真さを持っているが、決して愚鈍な訳ではない。ましてや、兄とは多少の差異があるため精度が落ちるとは言え、恭也の表情を読み取る事が出来るのだ。
 話を合わせてくれたすずかやアリサとて、騙せるとは思っていなかっただろう。
 と、なれば次善の策を考えるしかない。恐らく恭也もこちらを期待していたのだろう。

(まったく。八神君、この借りは高く付くからね!)

104小閑者:2017/07/16(日) 16:19:42
 元を正せば恭也が止めるのを黙殺して話を始めたのは忍なのだが、既にそんな事実は忘却の彼方に追いやっている。程度の差はあれ、この状況は忍が企んでいた通り、恭也が独りで抱え込まないように周囲の関心を集めること、そのものなのだが。

「なのはちゃん、早とちりしちゃ駄目だよ?」
「え?」
「流石に“誰かに造られた存在”って仮定そのものの状況じゃあないとは思うけど、今、何かしら八神君が信じているものが、信じたいものが揺らいでるんだと思う。
 でも、彼自身が言ってたでしょ?本人達から言われない限り、絶対に信じないって。信じてやらないって」
「…はい」
「なら、なのはちゃんも信じてあげて。
 見たこともない“彼が信じたい誰か”の事じゃなくて良い。八神君自身の事を、心配するんじゃなくて、信じてあげて。
 彼が信じたい存在が、信じてきた存在が間違っていないって。根拠なんて無くても良いから、彼が揺らぎそうになったら、励ましてあげて」
「はい!」

 不安に揺れていたなのはの目が力を取り戻したことを確認して、忍が気付かれないように安堵した。

105小閑者:2017/07/16(日) 16:36:20
 恐らくは恭也の嫌がる内容だろうが、知ったことか!丸投げした彼に文句を言う権利など無いのだ。何より既に宣言してあるし。「嫌がることいっぱいしてやる!」と。
 そんな事を考えながら溜飲を下げているとアリサとすずかの問いた気な表情に気付いた。
 予想していた事である為、なのはに気付かれない様に答えて返す。

「励まし過ぎると負担になったり、実際に裏切られた時に八つ当たりの対象にされる可能性はあるんだけどね?その時はなのはちゃんの周囲がフォローしてあげれば良いの。
 私も気に掛けとくし、恭也にも伝えておくけど、あなた達にも期待してるんだから、がんばってよ?」
「傷付く事が予想出来るなら、けしかけるような事言わなくても…」
「アリサ、子供の頃からあんまり頭でっかちになるのは感心しないわよ?頭でっかちに育った先輩からのささやかな忠告。
 さっきも言ったと思うけど、あなた達を温室育ちのお嬢様にする積もりはないの。傷付くこと全部から逃げ出すってことは誰とも関わらないってことだよ?そんな人生、つまらないでしょ?」

 相手が八神恭也であればそれほど心配要らないだろうと考えながら、妹達の納得8割、不満2割の視線に余裕の笑みを取り繕う。世の中に“絶対”など無いことを良く知っているからこそ、皆が幸せになれることを祈りながら。




「恭也!」
「まだ何か質問か?」

 ゆったりした足取りで立ち去る恭也に、全力で走って漸く追いつけたことに内心首を傾げながらも、数歩の距離を空けて恭也と対峙する。
 周囲に人影が無いのは都合が良い。
 まっすぐに恭也に視線を合わせ、伝えなくてはならない言葉を口にする。

「ごめんなさい」
「あの話は愚にも付かない空想だ。そうである以上、謝罪される様な事をされた記憶は無いんだが?」

 そう、あの話は空想なのだ。決して恭也が信じないと決めた、真実であってはいけない仮定。

「うん。
 でも、あなたの心を傷つけたと思う。だから、ごめんなさい」
「強情なことだ。高町もそう言うところがあるようだから、やはり傾向の似た者が集まるものなんだな。
 わかった。謝罪される謂れは無いが受け取っておいてやる」

 呆れたように溜息を吐きながら数歩の距離を詰めるとフェイトの頭を優しく撫でる。
 フェイトはその手を振り払う訳にもいかず、顔を見られない程度に俯けると奥歯をかみ締め必死に耐えた。

「本当に強情だな」
「あなたには…言われたくない……もう、放して…」

 茶化す様な内容とは裏腹に労わる様な口調の恭也の言葉に、フェイトが搾り出すように抗議の声を上げるが、頭上から手が退かされる気配はない。
 傷付いたのは私じゃない。何度も自分に言い聞かせる。

「気持ちは分からん訳でもないが、そう言うな。
 …出来れば代わりに泣いてくれると助かる。俺にはなく理由はないはずだからな」
「――――ッ!」





「…恭也は、卑怯だ」
「そうか?
 その評価は不本意ながら何度か聞いた事があるが、不思議でならん」

 結局恭也に縋って泣いたフェイトが落ち着くと、泣き腫らした顔で翠屋に戻ることも出来ず、2人して臨海公園に行くことにした。
 道中、フェイトは泣き腫らした顔に視線が集まることを覚悟していたが、隣を歩く恭也が僅かに前を歩いてブラインドになってくれたのでほとんど気付かれなかったようだ。

106小閑者:2017/07/16(日) 16:37:07

 濡れた胸元を気にする風もなくベンチに座る恭也を横目に睨みながら、顔を洗っている間に買って来てくれた温かい缶紅茶を飲みつつ思い返す。
 優しく慰めてくれた訳ではない。そもそも我慢しようとしたのを恭也が無理に泣かせたのだ。どの道、恭也は自分が泣く積もりなんて無かったくせに。
 我慢しようとしていた時にあんなことを言われたら加害者の私は従うしかないんだ。言ってみれば、恭也に泣かされたようなものだ。
 でも、酷い奴なんだと思おうとしても上手くいかない。
 本当にズルイ。

「そもそも、私が泣く理由なんて何処にも無かったのに」

 恭也の感情に共感して、恭也を深く傷付けた事を悟り自責の念に駆られた上に、母の事を思い出したのだ。
 感情が高ぶるには十分な理由だったような気もするが、敢えて気付かないことにして恭也の所為にしてみる。

「理由なんて、どうでも良い。状況が許す限り泣きたい時に泣いておけ」

 あっさりと返される言葉に、頬を膨らませながら背けた顔は朱に染まっていた。
 フェイトは自覚していない。子供染みた(歳相応の)我侭を口にしていることも、それを許容してくれた事を喜んでいることも。


「…泣きたくても泣けなくなってからでは遅いからな…」


 風の音に紛れるような小さな呟きを耳にしたような気がして振り返ったフェイトが見たのは、先程と変わる事の無い仏頂面の恭也だけだった。

「どうした?」

 突然振り返って凝視するフェイトに恭也が訝る様に問いかける。
 その声に我に返ったフェイトは誤魔化す様に慌てて顔を逸らすと、とって付けたように呟いた。

「そういえば、まだゴメンとしか言ってなかったね」

 窺う様に視線だけ向けるフェイトに恭也が無言で問い返すと、フェイトはしっかりと向き直り軽く頭を下げながら微笑みを浮かべた。

「答えてくれて、ありがとう」

 恭也は特に反応するでもなく、再びゆっくりと視線を逸らす。
 フェイトも何かを期待していた訳ではないので不満に思う事はなかった。それどころか根拠もなく脳裏に浮かんだ考えに、逆に笑みを深くした。

(照れたのかな?)

 同時に今更ながら不思議に思う。何故あんなに真摯に答えてくれたのだろう?
 会ったばかりだが、恭也が内心を、特に弱音に類する物を他人に見せるのを嫌う事は容易に想像出来る。自分が頼んだ事だし、あの時は答えてくれる事を疑いもしなかったのだが、考えてみればやはり不思議だ。
 信じきっていた自分自身には疑問を抱いていない事を自覚しないまま、問いかけようと恭也の横顔を見て、開きかけた口を閉ざす。

(慌てなくてもいいか)

 そう思えた。今日会ったばかりなのだ、少しずつ知っていけばいい。

 恭也の在り方は、フェイトには真似出来ないものだ。
 それでも、記憶の中に居る優しかった母・プレシアの事を大切に想っていても良いのだと肯定してくれている様で嬉しかった。

107小閑者:2017/07/16(日) 16:37:45


「…まあいい。今度こそ帰らせて貰うぞ」
「あっ」

 調子が狂うと言わんばかりに頭を掻きながら腰を上げる恭也に、フェイトが慌てて声を掛けるが咄嗟に何度も話題を思い付けるほど都合良くは行かなかった。
 続きを待って自分を見つめる恭也の視線に、鼓動が加速していくため思考が纏まらない。何事だろうか?
 待っても続きが出そうに無いフェイトに首を傾げながら恭也が妥協案を提示した。

「まあ、思い出したら高町にでも伝えておいてくれ。体調が回復したら朝会うだろうからな」
「あ、そっその訓練に私も参加しても良い?」
「?元々時間と目的が一致しただけだから参加制限はないだろう。場所は高町に聞いてくれ」
「うん、ありがとう。それじゃあ、また」

 背中越しに片手を上げて答えながら去っていく恭也を見て心臓が落ち着いてきたことに、フェイトは安堵と寂寥が混ざった奇妙な感覚を持て余しながら先程の恭也の様子を思い返す。


 風に紛れる呟きに振り返った時に見た恭也が、仏頂面の下に必死になって隠していた感情は何だったのだろうか、と。



続く

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109小閑者:2017/07/16(日) 18:04:17
第13話 思惑




「たっだいまー」
「お帰りなさい」
「お帰り、ヴィータ」
「腹減ったー」

 帰宅の挨拶の最後に独り言として自らの状況を漏らすヴィータにシャマルとはやてが笑顔を向ける。

「今日もいっぱい遊んできたんやな」
「うん。そうだ、はやて、今日は玄さんに勝ったんだぜ!」
「お、玄三郎さんにか?ヴィータ頑張ったやない!こりゃお祝いせんとなぁ」
「やったぁ…あれ?」
「フフ、恭也君ならまだ帰ってないわよ?」
「あ、あいつの事なんて聞いてないだろ!」
「そうか?恭也さんがツッコミ入れるタイミングで身構えとったやろ?」
「なっ、違うよはやて!」

 ヴィータが慌てて否定するが言葉が強い程、裏返しにしか聞こえない。焦りの成分には、はやての嬉しそうな笑みにこの後の展開を予想した事も含まれているのだが。
 皮肉なことにヴィータの窮地を救ったのは元凶(?)である恭也だった。

「ただいま」
「お帰りなさい、恭也さん。今なぁ、ってなんかやけに疲れてへん?」
「ん?そう大袈裟な話ではないんだが、少々匂いに中てられた」

言いつつシャマルが用意してくれた熱い焙じ茶を礼を言って受け取りながら食卓に着く。

「匂い?そう言えばなんや甘い香りがするような…」
「…はやて、そういう行為ははしたないから止めておけ」
「え?…べつにこのくらい、たいしたことありません。きょうやさんはきにしすぎです。」
「はやての方が余程気にしてそうだが」
「はやてちゃん、言葉遣いが変ですよ?」

 はやてが椅子に座る恭也に染みた匂いを嗅ごうと背後から恭也の首筋に顔を埋める様に近付けたのだ。
 恭也の指摘で顔を上げると、自分の唇が恭也の頬に触れようとしていれば、動揺もするだろう。
 背もたれがあったとはいえ、肩辺りにしておくべきだったと反省しつつ、体勢を整えるべく話題を転換することにした。形勢の不利をいつまでも放置する訳には行かない。

「その上品な香りはひょっとして翠屋?」
「よく分かるな、その通りだ」
「…甘い香りが苦手ってことは独りで行った訳はないよね?女の人?逆ナン?まさかとは思うけどナンパ?」
「女性と言える年齢ではないから女の子と表現するべきだろうな。あとは…難破ではないだろうが、なんだ?」
「恭也君、今、凄い文字に変換しなかった?」
「アタシもそう思う」
「そこの2人うるさい。はやてもニヤつくな」

 恭也の語彙はかなり多いが、流行言葉(?)の類には滅法弱い。
 一般的に子供は書物よりもテレビなどのメディアや友達からの伝聞で言葉を覚えるため、文字を知らずに音声だけで覚える傾向が強いが、恭也はまるっきり逆の傾向である。友達居なかった事が丸分かりだ。

「おっと、危うく誤魔化されるとこやった。恭也さんから声かけたんか、ゆうことや。あと、子供だけで喫茶店?」
「声?…元を正すならかけられた方だ。子供だけでという点については店の娘だったらしい。俺も知ったのは今日だが。
 尤も、引っ張って行ったのはその友人だがな」
「…へぇ、あの娘かわいい思うやろ?将来絶対別嬪さんになりそうや」
「知り合いか?店で働いていた母親にも会ったが、よく似ているし美人になるのは容易に想像出来るな」

 はやての鎌掛けの質問に恭也は疑う事無く返答する。

110小閑者:2017/07/16(日) 18:04:54


 リビングの隅で放心していたはやても夕飯の準備が済む頃には辛うじて復活して、もそもそと夕食を摂った。
 当然、夕飯を作ったのはシャマルだ。メニューは無難にカレー。流石に市販のカレー粉を使ったので味付けに失敗はなかった。

「それにしてもシャマルの選定基準が分からん。それ以前にナマコなど何処で手に入れたんだ?」
「…前に一人でお買い物した時に、蛸と間違えて…。に、似てると思わない?」
「思わねーよ!」
「最早、特異技能と評価しても差し障りないな」
「シグナム、コメントがキツ過ぎない?私だって失敗しちゃったなーって思ってるのよ?」
「だから1人で料理する日に俺を台所から追い出して証拠隠滅しようとしていた訳か。それでいて、調理方法を調べておかない辺りの杜撰さがシャマルらしいな」
「“らしい”は酷いわ。それに蛸に似てるから普通ぶつ切りにすれば食べられると思うでしょ?」
「そこは同意してもいいがな」

 尤も、その見立てで両断した結果、出てきた黄色い腸に驚いて叫び声を上げてしまい、明るみに出たのだが。

「それにしても、恭也はよく調理法を知っていたな」
「知らん。シャマルに毒が無いことは確認したから、適当に掻っ捌いて内臓と軟骨らしきものを取り除いただけだ」
「何?知らない食材を澱みなく捌くことなど出来るものなのか?普段のシャマルよりも余程様になっていたじゃないか」
「切り分けるだけだからな。味付けや火の通し加減を総合して調理と呼ぶだろう?俺のは一工程に過ぎない」
「それにしてもやたら硬かったよな」
「海産物の類は火を通しすぎると硬くなるから、ナマコも同じだったんじゃないか?切った時より矢鱈と縮んでいたしな」
「結局、シャマルは良い所無しか」
「そこまで言うこと無いじゃない!」
「ス、スマン、シャマル!謝るからフォークを構えるのは止せ!」

 最後の一言しかコメントしていないのに怒りの捌け口になる辺り、流石は盾の守護獣だ、と巻き込まれないように一歩離れて見守る一同。“黒ヒゲ”を引き当てる能力があるのか、境界の見切りが甘いのか。
 そんな騒ぎの外からクスクスと笑い声が上がる。

「もう、皆が揃っとるとゆっくり落ち込んどる事もできへんなぁ」
「漸く復活したか、はやて。放心していた理由がよく分からんが元気が出たなら何よりだ」
「その話題には触れんといて。皆もゴメンな、もう大丈夫や」
「いえ、こちらこそお役に立つことも出来ず、申し訳ありません」
「ええんよ。私も皆に心配かけんようにせなあかんな、わぁ!?」
「馬鹿たれ。落ち込みたい時には落ち込め。出来る事なら誰かに相談しろ。
 無理して平静に振舞うほど周囲に心配させるものだ」

 わしわしと髪を掻き混ぜるように頭を撫でる恭也の手に浮かびそうになる笑みを抑え付け不平そうな顔を取り繕いながら、それでも手を振り払うことも無く反論する。

「恭也さんには言われたないなぁ。辛い事があってもいっつも独りで黙って耐えとるやん」
「ちゃんと話しているじゃないか」
「状況説明やのーて、“悲しい”とか“辛い”とか、そう言う気持ちは全然言わへんやん!」
(あかん。これ以上は駄目や)

 深く考える事無く始めた話題だったが、軽い切り返しとして恭也が口にした言葉にはやては過敏に反応してしまった。自分で思っていた以上に心に溜め込んでいた不安が大きかったのだ。
 はやては恭也を見ることが出来ず俯いて歯を食い縛る。
 恭也が苦しんでいる事が分かっていて、手を差し伸べたいと思っていても、これ以上は恭也を傷つける事も分かっている。
 恭也を救うためにはそれを越えて更に近付かなくてはいけないとは思っているのだが、それが恭也に致命的な傷を負わせることになりはしないか?そう思うとはやてにはどうしても踏み込む勇気が持てない。

111小閑者:2017/07/16(日) 18:05:41
「そうか。それがはやてにとっての辛い事なら、言い出した本人としては解決してやるべきだろうな」
「…え?」

 恭也が何を言ったのか理解できない。顔全体でそう表現しているはやての頭を優しく撫でると、恭也は睨む様に鋭い視線を寄せる4人に怯むことなく、全員を促してリビングへ移動した。
 彼女らの視線が恫喝ではなく自分を心配している物であることが理解できる程度には恭也も近しい関係にあるのだ。



 恭也とはやてが3人用のソファーに並んで座る。対面のソファーにシャマル、シグナム、ザフィーラの3人が窮屈そうに、ヴィータが長方形に配置されたソファーのはやて側の短辺に位置する1人用の物に座った事を確認すると恭也が話し始めた。

「さて、何から話すべきか」
「…家族の事やないの?」

 恭也の隣に体が触れるほど距離を詰めて座ったはやてが問い掛ける。

「括ってしまえばそうなるんだがな。
 状況に変化があったんだ。もう少し正確に表現するなら“他の異変に気が付いた”になるか」
「改善か?それとも…、スマン」
「構わないよ、ザフィーラ。皆も気になる事、知りたい事は聞いてくれ。思い付きで話すから漏れる事もあるだろう。
 残念ながら改善ではない。そもそも実家が全焼していた事や未来に飛ばされて来たと言った状況について進展した訳ではないから改善や悪化とは違うだろう。あ、いや飛ばされて来たこととは関連しているのか?」

 恭也自身にも整理が付いていないのだろう。
 はやてには恭也が語ろうとしている事が予想できない。家族の事でありながら、転移に関連する事柄、それでいて他の異変。
 これ以上、恭也の状況が悪くなった訳では無いと願いたい。恭也の口から聞くということは、既に生じた事なのだが。

「話す前に改めて確認するが、シャマル達の使う魔法は時間軸の移動は出来ないんだったな?」
「え?ええ、あくまでも空間だけよ」
「そして、文化や町並みが酷似する世界は確認できていないと」
「ええ。映画なんかにあるパラレルワールドの様な相似した世界は空想上の物でしかないとされているわ」
「…わかった。それじゃあ順を追って話そう。以前に隠したことも含めて全部だ」
「あの、恭也さん、無理に話さんでもええんよ?」
「いや、そろそろ話そうとは考えていたんだ。寧ろ口実にさせて貰っているんだから、はやてが気に病む必要は無い」

 特に気負った様子も悲壮な風も無い恭也を見てもはやてには安心できなかった。恭也の辛い事を隠す技能が日に日に磨かれている気がするのだ。
 少しでも恭也の気持ちが軽くなる事を願い、恭也の大きくてゴツゴツした右手を両手で包むように握り、体を寄せて自分が居ることを、恭也が独りではない事を、伝えようとした。
 恭也もはやての意図を察したのか、普段の様に照れ隠しの憎まれ口を叩く事も無く話し始めた。

「先ずは、俺が隠した事からかな。
 隠していたのは俺が習っている剣術の流派名とその素性。それに関連して八神の姓を名乗らせて貰ったことだ」
「苗字が関係あるの?」
「まぁ、な。
 俺の学ぶ剣術は江戸時代に国から最強の称号である“永全不動”を与えられた八門の流派の内の一派、御神真刀流と言う。流派の設立はもっと前だったそうだがな。
 強さは本来個人の資質に依るところが大きい。永全不動を冠された流派はどれも、一般人からすれば異常とも取れる逸脱した強さを持つ者を育成する為の体系づけた鍛練方法を確立した流派と言える」
「お前みたいなのを量産してる訳か」
「俺などまだまだだ。父の代は化け物の様だったからな」
「信じ難いと言うか信じたくないんだが」

 シグナムの弱音とも聞き取れる発言にシャマルが苦笑する。普通に魔導師と渡りあえそうだ。

「まあ、そうは言っても得物は刀だからな。魔法使いにはそうそう勝てんさ。
 せいぜい銃弾の飛び交う戦場に立つ程度だ」
「それが、低いと?」
「シグナム達は縁がないから知らないだろうが、拳銃は形状を見れば弾の種類や威力が推測出来るし、基本的に弾丸は直進しかしないから射線から退けば当たらない。散弾は射程が短いから斬りに行けば済むし、手榴弾なんかは投擲されるだけだから飛礫を当てて弾けば被害を受けない」

 簡単だろう?とでも言いたげな口調だが、勿論普通は出来ない。腕の角度を変えるだけで修正出来る射線から身体を退かし続けるなんて手段、実行出来る者など人類の範疇に入れたくない。

112小閑者:2017/07/16(日) 18:06:21
 そもそも恭也は語らなかったが、近代の戦場は刀を振り回していた時代の名乗り上げなど無い、互いに姿を隠して行動する純粋な殺し合いだ。仮に恭也が言ったように射線を躱し続ける事が出来る技能を持っていたとしても、認識の外から撃たれればそれまでなのだ。
 索敵こそが最初の、そして最大の難関なのだ。気付かれる前に敵を発見できれば、奇襲をかける事で圧倒的にリスクが下がる。この索敵能力の高さこそ、御神の剣士が戦場に立てる最大要因といえる。

「恭也さん、ひょっとして鉄砲持った人と戦った事あるん?」
「いや、演習に参加させて貰っただけだ。ッと、スマン脱線したな」

 恭也が軌道修正を告げた為、演習だから簡単だとでも?と言う言葉は全員の胸の内で蟠る事になった。演習とは実戦で役立つレベルで行うからこそ価値があるのだ。

「“全て永久(とこしえ)に動く事なかれ”と言う称号の通り、八門の流派は組織だって動く事を禁じられていた。その気になれば嘘でも誇張でもなく国家転覆できるような流派だからな。
 もっとも、強制力に成り得るものが互いの流派しか無いと言っても過言ではなかったから、結局互いを監視させる制度を作るしかなかったんだろう。
 そして、逆に個人で動く分には干渉されない。だから、護衛を仕事にする者が多く、それなりに名前が売れていった。
 重武装の出来ない街中であれば御神流を名乗れる実力を持つ者と渡り合う事の出来る者など、皆無ではないが極僅かだ。
 だから、襲撃者側から恨みを買う事になる。
 そして、“不破”と言う姓は、御神宗家の最大分家であり相手によっては御神より余程大きな恨みを買っている。
 だから、実力の無い者が流派を名乗ることを禁じられていると言うのは方便ではない。
 これが、俺が流派を隠した理由であり、姓を名乗らない様に、八神の姓を借りた理由でもある」

 恭也は言葉を切ると悲しさを隠しきれていないはやてに頭を下げた。

「すまない、はやて。俺はお前の厚意を利用した」
「…ええねん。それは私らを守る為でもあったんやろ?
 恭也さんかて名乗らんければ済むのを、大切な苗字の事で、吐かんでもええ嘘吐く事になったんやから。
 …でも、今でも八神の苗字に抵抗ある?」
「…いや、その、なんだ。こういうことは言葉にすると空々しく聞こえるから好きじゃないんだ」
「そか。私も今ので十分分かったから、もうええよ。でも、偶には言葉にしてくれた方が私は嬉しいかな」
「…善処しよう」

 はやての嬉しそうな笑顔からばつが悪そうに視線を逸らしたところで、恭也はヴィータとシグナムの突き刺す様な視線に漸く気付き話を再開する。

「度々すまん。
 言い遅れたが、御神と不破の名は口外しないでくれ。一族が滅亡して10年が経つとは言え、誰が聞いているか分からないんだ。警戒するに越した事はない」
「まさか、お前の家が焼けたのって…」
「可能性はある。ただ、言っては何だが、あの人達を出し抜くのは並大抵の事ではないから少々信じ難いと言うのが正直な所なんだが…」

 恭也は一息付くと一同を静かに見渡す。
 その視線は家族の死についての話題に揺れる事も無く、はやてにも感情を読み取ることが出来ないものになっていた。
 一月前には家族と共に在る事を当然の日常としていたであろう少年とは思えない。
 一族が滅亡する事態が絵空事ではないと以前から考えていたのだろうか。それとも麻痺した感情が撥ね付けているのだろうか。
 どちらが良いのかはやてには分からない。ただ、少しでも恭也にとって痛みの少ない方であって欲しかった。

113小閑者:2017/07/16(日) 18:06:57



「ここまでが隠し事、次は新しく気付いた事だ。
 最近、街中を歩くと人違いで声を掛けられる事が多い。夕方に話題にした翠屋と言う喫茶店の息子によく似ているそうだ。
 身長は180を超えるらしいから、明らかに頭二つ分は体格が違うのにその人物の妹にまで間違われた。雰囲気が似ているそうだ」
「あ、声掛けられたって…」
「ああ、この事だ。
 先日まで、俺は自分がその人物と同一人物ではないかと疑っていた。正確に表現するなら俺がその人物の偽物である可能性だ」
「…え?」

 はやては、恭也が文章を読み上げたかの様に感情の篭らない声で語った内容が何を意味しているのか、咄嗟に理解出来なかった。

「まって…待って!
 何言うとるん!?恭也さんはここにおるやん!その人がどんな人か知らんけど、恭也さんはここにおる恭也さんだけや!」

 縋り付く様に恭也の腕を掴むはやての方が余程追い詰められている様に見える。その事がヴィータの気に障る。どうしてコイツは何時も何時も!

「恭也!はやてに『辛いことは辛いって言え』っつったのはテメーだろうが!何普段通りのボケ面晒してんだよ!」
「失礼な。誰がボケ面だ」

 落ち着かせる様にしがみ付くはやての頭を撫でながら、ヴィータに向かって見て分かる程の苦笑を表す。

「話を戻すが、それは精神的に疲弊していた時期に何の根拠も無く浮かんだ、普通に考えれば有り得ない様な単なる妄想だった。
 思い付いた時には一笑に付したんだ。
 頭から離れなかったのは事実だが、その頃に知っていた共通点は年齢と容姿だけだったしな」

 シャマルは言葉が途切れた恭也に制止の言葉を掛けるべきか迷った。
 人に話すことで心が軽くなる事がある一方で、口にする事で曖昧だった思考が明確な形を持ち、心を傷付けることもある。
 悩んだ結果、結局シャマルは止める事を止めた。ここまで感情も思考も隠されてしまっては悩みの相談に乗ることも出来ない。恭也が悩んでいない訳が無い、それを知っていて放置できる程、恭也との距離は離れていない。

「過去形なのは、想像の域を出るだけの証拠が揃った、と言う意味かしら?」

 シャマルの補足するための質問に恭也が頷き、話を続けた。

「未だに面識もないが、その人物についての情報は増えていった。
 名前は高町恭也。大学生、男性、一般人からは掛け離れた身体能力を持つ格闘技経験者。
 父・士郎、母・桃子、恐らく妹・美由希、そしてなのは。
 たったこれだけの情報だが、一致する符合が多過ぎた。
 名前や身体能力は勿論、正確な年齢は聞いていないが、大学生なら二十歳前後、俺がこの時代まで順当に歳を重ねたとすれば一致する。
 俺の父の名も士郎と言い、妹の様に一緒に育った親戚は美由希と言う。
 母は違うが、逆に高町桃子が二十歳前後の子供を産んだと言うのは無理がある程若く見えた。後妻と考える方が妥当だろう。
 つまり、本物の不破恭也は10年前の火事で生き残り、不破士郎、御神美由希と共に消息を消して家族として過ごし、後年、士郎が桃子と再婚し高町なのはが生まれ、現在に至る。それが本来の歴史ではないかと考えている。
 高町姓が消息を絶つ為の手段なのか、再婚した際に母・桃子の家に婿入りした為かはわからないがな」
「では、お前と言う存在はどう説明を付ける?」

 シグナムが感情を殺した声で問い掛けた。先ずは恭也の考えを全て吐き出させる積りなのだろう。

「さあな。
 自然発生した異常の塊でも構わないが、御神の戦闘力を欲した組織が作成したクローン体の方がまだ現実的か?
 何れにせよ、シャマルから酷似した世界は存在しないと、観測されたことは無いと聞いている。そして、この世界に高町恭也が存在している以上、俺は高町恭也の偽者と言う事になる。
 クローンなのか、生霊なのか、ドッペルゲンガーなのか、もっと他の何かなのか。何であるにせよ、“高町恭也以外の何か”だ」

 はやては、自身を偽者扱いする恭也に対して、不満げな顔ながらも今度は止めることはなかった。

114小閑者:2017/07/16(日) 18:07:29

「続き、あるんやろ?」

 続きを促すはやてを恭也が見返す。意外だったのだろう。

「恭也さん、自分の事は我慢出来てしまうやん。それはそれで不満やけど、恭也さんが気にしてるんは違う事やないの?」

 不機嫌そうな表情に不安と心配が隠しきれず透けて見えるはやてを恭也が見詰める。その視線を順に他の4人に移すと、浮かべる表情こそばらばらだが垣間見える感情が同じである事は直ぐに察した様だ。

 恭也がゆっくりと息を吐き出す。
 気持ちを落ち着ける様に、噛み締める様に。

 はやてはこれ程はっきりと感情を顔に浮かべる恭也を初めて見た。こんな話の最中だと言うのに顔が熱い。
 不機嫌な表情を維持できなくなり、恭也から顔を隠すために釘付けになる視線を恭也の顔から引き剥がすと、それが自分だけではない事が分かった。ヴィータからシャマルまで幅広い年齢層に有効とは恐ろしい限りだ。
 唯一の救いは、それが性別の壁を超える事がなかった事か。ザフィーラに人の姿をとる事を禁じずに済んで本当によかった。
 はやてが視線を戻すと恭也は既に平静を取り戻し、皆の様子に気付くことなく続きを語りだした。

「最初にこの可能性に気付いた時には悩まなかったとは言わないが、開き直るのにさほど苦労はしなかったんだ。
 何であれ俺はここに居て、“個”としての自分を自覚しているからな。直ぐに高町恭也の偽者であろうと構わないと思えるようになった。
 だから、俺が“高町恭也の記憶を持っている何か”であっても、それはそれで構わなかったんだ。
 思い付いた時に一笑に付した理由はそれだ。
 強がりではなく、そう思えるようにはなったのはこの家に住まわせて貰っているからだろう。…本当に感謝している」

 恭也が照れ隠しの為に付け足す様に、紛らわせる様に呟いた感謝の言葉については誰も触れなかった。本心からの言葉を茶化す者などここには居ない。
 恭也も何も無かった様に、しかし、改めて感情を消した声で続きを話し出した。

「自分自身の存在については一応の結論を出せたんだが、その後、記憶と現実の齟齬に気付いてしまった。俺にとってはこちらの方が余程大事だった。
 高町士郎の娘である高町なのはが今年9歳になるそうだ。これでは10年前に一族が滅亡してから1年と経たずに不破士郎が再婚したことになる。
 御神の流派に名を連ねる者が、ただの事故だと言う証拠を並べられた所で襲撃である可能性を無視するとは思えない。必ず周囲を巻き込む危険を考えて暫くは身を隠すはずだ。
 俺が知る限り、不破士郎は巫座戯た言動や子供の様な振る舞いをする事はあっても、周囲の人間を危険に晒すことは極力避けていた。結婚を考えるような相手であれば尚更だろう。
 あるいは高町なのはが高町桃子の連れ子で不破士郎とは血縁が無いのかもしれないが、流石にそれを本人には聞ける訳が無い。
 この矛盾に気付いてからの方が、高町恭也の偽者説を真剣に否定しようとしたよ」
「…何故だ?記憶と現実がずれているなら、お前が高町恭也とは別の人間であるということだろう?
 それはお前が観測されていない近似した世界の住人と言うことになるのではないのか?」
「可能性は勿論ある。だが、俺は悲観的な精神構造をしているようでな。
 誰も観測したことの無い世界の存在よりは、有力だと思える説を思い付いた。
 俺の記憶が間違っている可能性だ」
「…何?」

 シグナムには返された答えの意味が理解できなかった。自分の抱いていた父親の人物像でも間違えているというのか?
 シグナムの考えている事が分かったのか、恭也が苦笑交じりに補足する。

115小閑者:2017/07/16(日) 18:08:05

「間違いの程度にも依るんだがな。
 俺の父親がどうしようもない碌でなしだったと言う程度でなかった場合、俺の記憶が全て間違っている可能性が出てくる。
 高町恭也の記憶を元にして、俺自身が記憶を改竄している、或いは俺を製造した者の意図によって改竄した記憶を持たされている可能性だ。
 常識的に考えれば有り得ない内容ではあるが、俺の知る常識には魔法など無いし、その非常識な魔法でさえ近似世界を否定しているとなれば、“俺の存在していた世界”こそが有り得ないんだろう。俺が偽者であった場合、俺の家族が何処にも存在していなかったことになると思ったんだ。
 転移してきたのが俺しか居ない以上、答え合わせのしようが無いからな」
「それは、…悲観的に過ぎるだろう」
「そうか?ザフィーラだって知っているだろう。元々人の記憶は時と共に本人の都合の良い様に変質して行く物だ。
 人間は記憶の“忘却”や“変質”が出来なければ生きて行くのが難しいらしいからな。
 第三者に依るものだとしたら何の意味があるのかはわからないし、俺を放置したままにしている事は説明がつかないが、どちらも相手の都合であって俺の状態とは直接関わりが無いから無視した。
 だけど、まぁ、俺もこの記憶が、覚えている家族が存在しないなんて事はあって欲しくはなかった。だから、今日、高町恭也の父と妹の名前を聞くまで偽者説を否定し続けてきた」

 淡々と語る恭也がどの様な心境なのか、はやてには想像しきれている自信がない。

「だけど、今日、高町家が経営している喫茶店で聞いた士郎と美由希と言う名前は無視する事が出来なかった。
 “頭から信じていない”態度として、“疑う”態度もとらない様に意地を張っていたんだが、軟弱なことに名前を聞いてからは確かめずにはいられなくなった。
 喫茶店を出た後、止せば良いのに、以前高町なのはを送っていった時に知った高町の家へ家捜ししようとして行ってみたら、偶然、玄関の前で美由希に会った」

 美由希の母である美沙斗に良く似た女性。
 10代半ば辺りまで成長した美由希を想起させる、美由希の面影を持った女性。
 気配も仕草も驚いた時の癖も、恭也がよく知る御神美由希と同じ、女性。

「もう、どんな言い訳も思い浮かべる事は出来なくなっていた。
 それでも、記憶の齟齬が小さいものであると思いたくて史実と記憶を突き合わせることにした。
 図書館でもう一度過去の新聞記事を確認したんだ」

 誰にも声を掛ける事が出来ない。予想出来る話の結末に反して、未だに恭也は口調からも表情からも感情を隠しきっていることが、痛々しさを助長している。

「判明するのに時間は掛からなかった。火災事故の一番最初の記事に載っていた。前回閲覧した時に気付かなかったのが不思議なくらいだ。
 結婚式の日取りが、俺の記憶より3年早かったんだ」

 恭也が何度目かになる大きく息を吐き出す姿を見てもはやては口を開かなかった。
 もう、恭也が完璧な人間であるとは思わない。これほど不安を抱いて揺れている姿を見ればそんなことは思えない。
 それでも、期待してしまう。まだ、恭也の目が全てを諦めているようには見えないから。

「…記憶を共有してくれる人がいない今の俺には、物心ついてからの数年間が全て幻だった可能性を否定する事が出来なくなった。
 …今となっては想像も出来ないが、もしもあの時気付いていれば、近似した世界の存在に縋る事も出来たのかもしれない。
 …でも、今は無理だ。どれだけ思い込もうとしても出来そうにない。

 それでも、嫌だ。
 死ぬのは、仕方ないと思う。生きていて欲しいとは思うけれど、永遠の命なんて無いんだ。少しでも幸せだと思える事が多くあってくれる事を願うだけだ。
 でも、あの人達が存在しなかったなんて事は、絶対に嫌なんだ」

 起きてしまった事実の説明ではなく、感情を源とした拒絶の意思。
 淡々とした口調のままではあるが、自発的に恭也から明確に感情を示す言葉を聞いたのは誰もが初めてだった。

「だから、これから探そうと思っている。俺の居た世界が存在している証拠を。出来ることなら帰る方法を」
「…え?」

 この状況で尚、思考を放棄していない恭也の言葉に、しかし、はやては安堵する前に自分の耳を疑った。
 帰る?何処へ?そんなの決まっている。そうか、恭也の家は、ここではなかったんだ。

「…わっ!?なに!?」

 突然髪を掻き混ぜるように頭を撫でられた事に驚いて顔を上げると、苦笑を浮かべた恭也に見つめられた。

116小閑者:2017/07/16(日) 18:08:35

「探すと言っても何の当ても無いんだ。
 魔法の発展していないこの世界に、その手の資料など有る訳が無い。だから、頼るとすれば魔法の世界の警察機構だが、存在することはシャマルから聞いたが伝どころか連絡手段すら分からない。
 結局、現状維持と全く変わらない」
「そうなんか!…ごめんなさい」
「いいさ。そこまで慕われていると悪い気もしないしな」
「うぅ」
「フッ。
 だが、逆に言えば仮に帰る手段が見つかったなら、それは千載一遇の機会だ。連絡する余裕があるとは限らない。状況にも依るが飛び付く事になる。
 不義理となることは承知しているが、突然消息を絶ったらこの関係だと思ってくれ」
「なっ!てめぇ、散々世話になっておいて挨拶も無しにトンヅラするってのかよ!」
「ヴィータ、あかん、やめて!ええねん!恭也さんが帰れるならその方がええに決まってる!」
「良いことなんてあるか!そんなの納得できねぇよ!シャマル!シグナム!ザフィーラ!何で黙ってんだよ!」
「…我々が、闇の書があるからか?」
「ザフィーラ?」
「闇の書が何か関係あるの?」

 ザフィーラの発言にヴィータが怒気を抑え、はやてが問い掛ける。

「…想像でしかないが、治安機構であれば過去に犯罪に関わった物品を所持していることは処罰まで行かなくとも、取り締まりの対象になるんじゃないか?」
「そんな!うちらは何にも悪いことしてへんよ!?」

 恭也の疑問に反論したはやての言葉に4人の表情が硬くなるが、幸い恭也を注視しているはやての視界には入っていなかった。
 恭也も承知しているため、はやての視線を固定するために正面から見つめながら言葉を続けた。

「知っている。
 だが、はやてより前の持ち主全員が善人ではなかったとも、シャマルから聞いている。
 日本では登録する事無く拳銃を所持していれば取り締まられるだろう?
 事件が発生してからでは被害が防げない以上、ある程度の規制は有効な手段だ。
 実際にその組織がどういった行動を採るかは分からないが、内密にしておくに越したことはない」

 はやてにもその理屈が十分に理解できることを承知している恭也は、優しくはやての頭を撫でて間を取ると言葉を足した。

「あまり深刻に考えないでくれ。
 そもそも魔法関連の治安機構に連絡が取れるかどうか分からないし、取れたとしても元の世界に帰る手段があるかどうかは分からないんだ。
 存在の立証はして貰いたいが、それすらも難しいのかもしれないしな。
 帰る手段が見つかったら、せめて連絡を取れる時間くらい貰える様に話してみるさ」
「…うん。見つかるとええね」
「ああ。ありがとう」







「それで、何処まで本気なんだ?」

 恭也に問い掛けながら、はやての入浴中に行うこの密談めいた遣り取りも回を重ねたな、と妙な感慨に浸るシグナム。
 ヴィータはほぼ毎回一緒に入浴しているとして、シグナムかシャマルのどちらかがはやての補助として付くことになる。
 基本はシャマルが、はやてに指名された日にシグナムが当たるため、自然にはやてに聞かせられない情報の遣り取りを恭也とするのはシグナムである事が多くなる。

「普通、事実確認から始めないか?」
「あれが嘘だとは思えなかったがな。だがまあ、確かに手順としてはそちらからか」

 密談の割にはシグナムにも恭也にも人型のザフィーラにも固い雰囲気はない。気負っても状況が改善される事が無い以上、家では無用に硬くなるべきではないとの恭也の提案を受けての事だ。

117小閑者:2017/07/16(日) 18:09:10

 ちなみに、恭也の隠し事の対価としていたヴォルケンリッターの秘密、闇の書の作り出したプログラムである事は既に明かしてある。
 恭也の反応は「そうか」の一言。予想はしていたものの流石にヴィータが「他に反応は無いのか!」と言うと、悩んだ挙句「凄いな」だった。
 自身が人間どころか生物ですらない可能性さえ受け流して見せたのだから当然の反応と言えるが、驚きさえしないとは。
 唯一シャマルだけが、恭也の精神が飽和しかけている事を危惧していると解散した後に思念通話で全員に伝えてきた。
 転移して来た事を含めてこの一ヶ月に恭也が体験したことは通常なら有り得ない事ばかりなのだから危惧して当然の内容だが、転移した直後から恭也を見続けているシグナムは元々こうなのでは?と密かに疑ってもいた。

「良いけどな。
 先程話した内容については、9割方本当だ。違うのは管理局に伝があること位か」
「伝だと?知り合いが、いや、何処かで遭遇したのか?」
「…ここは少し位は疑うべき所じゃないのか?」
「疑う?お前をか?
 フッ、お前にしてはユーモアに欠けた冗談だな」
「…もう良い。くそっ」

 恭也が失笑するシグナムとザフィーラに照れ隠しに悪態を付く。随分態度に感情を表す様になったなと言葉にする事無く、ザフィーラが感慨に浸る。

「話題に出した高町恭也の妹、高町なのはが管理局に関わっている。立場は嘱託魔導師、民間協力者だな。恐らく、あなた達が昨日の夕方に交戦して蒐集した対象だ」
「知り合いだったのか。それは、」「謝るなよ?」
「…そうだな」

 自分達のしている事は友人知人でなかったとしても赦される事ではないのだ。ならば友人知人が相手であったとしても謝罪するのは筋が通らない。

「高町家では魔法使い、魔導師だったか?それは高町なのはだけの様だ。魔導師の才能が血筋に遺伝するものなのかどうかは知らないが、少なくとも魔法を使える者は1人の様だ。
 ただし、高町の友人の内、少なくとも2人は魔導師だ。
 ユーノ・スクライアとフェイト・テスタロッサ。2人とも高町と同年代。
 スクライアは男で結界を得意とする様だ。他の魔法を使っている所は見た事が無いから、隠しているだけなのか使えないのかは分からない。
 テスタロッサは女で、魔法を使用している所は見た事が無いから分からない。格闘技は多少齧っている程度だ」
「格闘技経験まで分かるのか?」
「シグナムだって、立ち居振る舞いで多少は分かるだろう?もっとも、テスタロッサに関しては挑発して交戦したんだから自慢する程のことではないがな。
 その時は無手だったが、武器を使用するタイプだろう。射程は1m程。武装は恐らく両手で扱うタイプで刺突には向かない物だから剣や槍ではなく、斧かそれに準じた形状。柄まで含めれば身長とほぼ同じ長さ1.3mといったところか。
 心当たりはあるか?」
「…ある。男の結界は薄い緑色、女の方は腰に届く位の金髪だろう?」

 頷いて返す恭也を眺めながらザフィーラは思う。“これ”を量産していたと言う事は、この国も実はあまり平和ではなかったのでは?

「提供できる情報はこんなところだろう。
 誘い出す様な類の手伝いは必要ないな?
 活動を続ければ嫌でも交戦することになるだろうし、俺の行動にも差し障る」
「ああ、テスタロッサとは遠からずぶつかることになるだろう。
 だが、お前の行動とは?」
「はやての治療について別の手段がないか探そうと思っている。
 差し当たっては管理局に情報が無いか探る積りでいる」
「…理由は?」
「あなた達の活動が破綻した時の保険だ。犯罪以外の方法が見つかるならそれに越した事は無いしな」

 確かに管理局と明確に敵対した以上、蒐集活動が破綻する危険は飛躍的に上がっている。1対1で負ける積りはないが、多数を相手にすれば不測の事態は必ずあるだろう。“質”が力である様に“量”も間違いなく力なのだ。恭也の考えを否定するほどシグナム達も管理局を低くは評価していない。

118小閑者:2017/07/16(日) 18:09:51

「薮蛇になる可能性もあるぞ?」
「それについては後でシャマルに相談するが、リスクを背負うだけの意味はあると思っている」

 ザフィーラの当然の懸念にも恭也が動じる様子は無い。
 ザフィーラもシグナムも、恭也が承知して尚行動すると言うなら止める積りは無かった。蒐集についても綱渡りである事に変わりは無いのだ。その方針を認める位には恭也のことも信頼している。

「突然音信普通になってもはやてに訝しがられない程度の言い訳はした積りだ。
 あなた達も外で、管理局に縁のある者がいる所で俺と出会ったら他人として接してくれ。ヴィータやシャマルにもその様に」
「わかった。
 …元の世界に戻る方法を探すと言うのも本当なのか?」
「ああ、本当だ」

 即答した恭也に問い掛けておきながらシグナムは言葉を返す事が出来なかった。それは恭也にとって、何より優先しなくてはならないだろう事だから。
 ザフィーラにもそれが分かっていたが、おざなりにする訳にはいかない内容である事もまた、分かっていた。

「…それが、主の利に反する事であった場合には、―――どうする、積りだ」
「さあ、な。
 まあ、あなた達が俺の行動をはやてに害成す物だと判断したなら、躊躇せずに切り捨ててくれ。精神的にも肉体的にもだ。
 …迷うなよ?」

 恭也の挑発的とも取れるその言葉は、内容に反して2人には懇願されている様にしか聞こえない声だった。




続く

119小閑者:2017/08/06(日) 23:48:00
第14話 接近




 フェイトは心此処に在らずと言った表情のまま、帰路に着いている。先程まで恭也と過ごした夢の様な時間が原因である事は明らかだ。

「フェ、フェイトちゃん、大丈夫?」
「余り気にしない方が良いよ?」
「…無理だろ、そりゃ」

 同道しているなのはとユーノの言葉を否定するのは子犬形態のアルフだ。犬の表情が読めないなのはとユーノには分からないが、アルフもフェイトと同じ心境なのだろうか?
 フェイトはゆっくりと首を巡らし、今、自分の心を独占している恭也の事を少しでも知ろうとなのはとユーノに問い掛けた。

「…どうして魔法も使わずにあんな動きが出来るの?」

 言葉にしたことで思考が動き出したフェイトは、先程の、夢であって欲しい早朝訓練での恭也の体捌きが脳裏に鮮明に甦る。



 魔法の有無が圧倒的な優劣に繋がるのは、魔法の存在を知る者にとっては常識だ。
 御伽噺として正義の魔導師達一行が、自分達より高位の悪い魔導師を倒すという物語があるが、仮にこれが史実であったとしてもランク差を覆している訳ではなく数の暴力に訴えているだけである事は年齢を重ねて行く事で気付く事だ。勿論、コンディションの好・不調はあるためランク差だけで勝敗を決め付ける事は出来ないが、魔導師ランクとは保有魔力量、魔力の収束率、魔法の展開速度と言った魔法に関する物だけでなく、敵との駆け引きや使用する魔法の読みあい等の状況判断力も含めて評価している以上、簡単に覆らない事も事実なのだ。2つ以上ランクに開きがあれば容易にひっくり返すことは出来ないと思って良い。
 フェイトはその常識に則って恭也の実力を測っていた。見下していた訳ではない。相手とどのような関係であったとしても公正かつ厳格に見定めなければ、過剰に評価した結果戦場で命を落とす可能性があるのだ。相手の事を思うのであれば尚更正当に評価しなくてはならない。
 …別に評価に影響する様な感情を恭也に対して持っている訳じゃないよ?あくまで一般論だよ?
 フェイトは公園での魔法抜きでの対戦で遅れを取ったことは認めているが、魔法を使用すれば立場は逆転すると考えていた。魔法を使えない恭也に対して魔法を使う事で優位に立ったとしても自慢できる事だとは考えていないが、先にも述べた通り、絶対的な評価なのだ。
 だから、如何にレイジングハートが修理中の為にデバイスを使用していないとは言っても、なのはの誘導弾を大した回避行動を取っている様に見えないのに躱し続ける恭也の姿に唖然とした。フェイトもアルフも近接戦闘をこなす事は出来るが、恭也の動きは明らかに自分たちの、バリアジャケットの防御力に頼った動きではない。
 本調子ではないとは言え、なのはの腕が低い訳ではない。むしろ、PT事件後になのはとフェイトで本気で行った1対1での試合より格段に誘導弾の扱いが向上している。だから、フェイトの目から見てもヒットした様にしか見えない弾が何発もあったのに、被弾していない恭也こそ異常なのだ。だが、なのはに落胆した様子も驚愕した様子も見受けられない。つまり、この結果は2人にとって当然の事なのだろう。
 それどころか、恭也が回避運動中に時折放つ木の実がなのはの体に当たっている。なのはも決してその場に留まり続ける事無く空中を飛び回っているし、稀ではあるが反撃に気付いて対応しようとする事もある。フェイトが認識している範囲では努力も虚しく全弾命中しているが。
 だが、フェイトの動きと比較すれば劣るとは言え、なのはとて鈍重な訳ではないし直線的な機動を取っている訳でもない。恭也の飛礫が誘導弾では無い以上、なのはの動きに合わせて投擲して中てられるとは思えないので、なのはの動きを先読みして仕掛けている筈なのだ。それがここまで命中するものだろうか?

120小閑者:2017/08/06(日) 23:49:26
 フェイトとアルフが参戦していないのは、どの様な練習をしているのか見てからの方が良いだろうと恭也が提案したからだ。フェイトとアルフとなのはは額面通りに受け取ったが、ユーノは恭也の意図を察していた。
 魔法を使えない恭也に対して、アルフはともかく、フェイトがなのはと組んで本気で攻撃する事が出来ないと予想したのだろう。三つ巴で始めるのも手ではあるが、恭也への遠慮が無くなる訳ではない。
 空中へ距離を取って範囲攻撃でもしない限り、フェイトにもなのはにも恭也に勝てる要素はないと言うのがユーノの評価だ。勿論、魔法を知る者にとっては驚愕するべき内容だが、表現を変えるなら、恭也は相手が手の届く範囲に居なければ勝つ方法が無いと言う事だ。
 もっとも、なのはは以前恭也に「どうしても」と乞われて、上空から誘導弾を交えた砲撃で狙い撃ちした事があるが、恭也は20分近く逃げ続けて見せた。結末としてはディバインバスターの爆風でバランスを崩した恭也を誘導弾で打ち抜いた事で決着となったが、なのはが落ち込みまくったのは言うまでも無いだろう。それ以来この訓練は行っていないが、次回があれば間違いなく被弾までの時間を大幅に延ばしてくることは経験上明らかだ。

 フェイトが恭也への認識を改めた事を察したユーノが、交戦中の2人を止める事も、宣言することも無く、フェイトとアルフに参戦を促した。流石にフェイトが戸惑ったが、「恭也はその程度の不意打ちに気付かない様な可愛げのある奴じゃないよ」と言うユーノの台詞に、正確には台詞の直後に飛来してユーノが事前に張っていたシールドにぶつかり粉砕された木の実と、離れた所から聞こえた舌打ちに心底から納得した。既に不意打ちではなくなっていたが。

 この後、フェイトは即席ながらもなのはと連携しながら恭也に挑むが、当然のように軽くあしらわれて終わった。納得行かない、とバルディッシュに見立てた棒を持つとアルフと共に自身の得意とする近接戦を挑むが、それこそ文字通り恭也のテリトリーに踏み込む行為だ。結局恭也を捉える事が出来ずに、一発ずつのデコピンを喰らったフェイトとアルフは戦意喪失し、盛大に凹む事になった。(なのはは恭也に負ける事に慣れている)




 余談になるが、魔導師はデバイスがなくても魔法を使う事が出来る。ただし、単純な演算処理は一般的に人間の脳よりデバイスの方が向いている為、デバイスを使用する事で術の発動までの時間が短縮出来るし、威力・照準精度が向上する。敢えて使わない者はまずいない。
 また、デバイスは大別すると魔法が詰め込まれているだけのストレージデバイスとプラスして人工知能を載せることで魔法の補助や簡単な状況判断を行って自動的に魔法を起動する事も出来るインテリジェントデバイスの2種類となる。
 共通して言えることはデバイスには魔法が詰め込んであり、使用者の意志で呼び出して魔法を行使すると言う事だ。魔法と言うアプリケーションを使用するために外付けHDDであるデバイスからソフトを呼び出し、CPUとメモリを担当する術者が起動する。この時演算処理の一部をデバイスに任せることで威力と照準が上がる。結局人間が行うのは威力・照準・誘導となる。
 デバイスはAIの有無で分類されるが、それとは別に使用者の好みによりカスタマイズされる。例を挙げるなら、術者の負担を大きくしたのがなのは、逆に最小限にしたのがクロノ、例外に属するのがユーノだ。
 なのはは威力設定や照準を感覚で行っている。勿論、いい加減なのではなくその逆の成果が得られるためだ。
 射撃において弾丸は直進しない。これは質量兵器だけでなく魔力弾にも言える事だ。物質に作用すると言う事は物理的な力である、大気の流れ、惑星の重力、自転・公転の遠心力が魔力弾に影響を与えると言う事。如何に砲径が大きいとは言え誘導の利かない砲撃で長距離射撃を成功させる照準の算出はデバイスでも難度が高いのだ。そしてその不可能を可能とするものこそ、保有魔力量に隠れがちななのはの天性の勘である。

121小閑者:2017/08/06(日) 23:50:46
 クロノは魔法を使用する上で自分自身の役割を魔力タンクと割り切り、一切の手順をデバイス任せにしている。
 一見効率的に見えるこの方式を採る者が少ないのは、第一に熟練者にしか許可が下りないこと。この方式は例えるなら銃身の強度が低いのにマグナム弾を装填出来てしまうと言う事だ。そんなことをすれば当然自爆する事になるため許可制とされている。自身で魔法を起動すれば、不相応な威力の魔法はそもそも発動しないのだ。
 また、感覚に頼るところの少なくない魔法を完全に道具として扱う事が難しい事もある。術の使用をデバイスに任せているのに、魔法を使用する度に設定してある威力や弾速等をマニュアルで再設定していては本末転倒どころかマイナスになる。解決方法は至って単純で、デバイスに多種の魔法と豊富なバリエーションを登録しておき、必要な場面で必要な術を選択すれば良い。
 この点が選択のポイントとなる。一部の演算を自身で行うことで微妙な匙加減を感覚で行うか、僅かながらでも威力や発動速度を稼ぐ為に運用面で苦労するか。
 人間の“感覚”で最適化された加減がどれほど優秀であるかは、「生卵と鉄塊を力加減だけで掴み分ける事」だけを機械に再現させるために莫大な演算処理を必要とする事からも分かるだろう。
 適正の問題である為、選択そのものに優劣は無いが、それまで慣れ親しんだ方式を捨ててまでクロノと同じ選択をする者が決して多くないのが実情でもある。
 一方、ユーノはデバイスを使用していない。
 地球に来た当初はレイジングハートを所持していたが、持っていただけで正式にマスター登録はしていなかったし、今はなのはに託している。管理局局員であれば、少なくとも代わりのデバイスは持たされただろうが、ユーノには当て嵌まらない。また、PT事件はまだしも、今回はなのはに協力しているだけで、積極的に魔法戦闘に参加している訳ではないと言う中途半端な状態にある事も一因と言えるだろう。
 ただし、これらはユーノを取り巻く“状況”に過ぎない。デバイスを持たない最大の理由は、ユーノ本人がデバイスを必要としていない為だ。これはユーノの得意分野である結界魔法を始めとする補助魔法が簡単だからではない。逆に、結界や防壁は“破れてはいけない物”と言う意味では、消耗品である攻撃魔法より緻密で堅牢な構成を必要とする。デバイス抜きでそれを成し得るのは、偏にユーノ個人の演算能力がずば抜けて高いためだ。攻撃魔法の適正が低く、保有魔力量が特出していない為に目立つ場面が少ないが、魔法技能だけを見れば後に陸海空で若くしてトップエースと呼ばれるようになる3人娘に決して引けを取る事はない。
 後に無限書庫の司書長を務める事が出来たのも、デバイスに負けない演算能力と、莫大な記憶領域を併せ持つからこそと言える。




 自身の価値観や評価基準をボロボロにされたフェイトの姿は、恭也を見慣れているなのはにとっても自分の感覚が一般的でないことを認識させられる為辛いものがあった。尤も、魔法に触れるようになって半年ほどのなのはがフェイトより柔軟だったのは当然なのだが。

「恭也君みたいな事が出来る人なんてきっと他にはいないよ」
「そうそう。あんなの使い魔にだって余程の処置を施さなきゃ出来ないんだから、生身の人間には出来ないよ」
「…そ、そうかな?」
「この世界の人間全員が出来る訳じゃ…なのはもこの世界の出身だっけ。じゃ、キョーヤが異常って事で良いのかい?」
「随分な言い草だな。少なくとも前例が目の前に居るなら他にも出来る者が居ると思うべきだろう?」
「ゴキブリ見たいな存ざっっっくぅー!」
「背後を取られていながら大胆不敵だなスクライア」
「い、今凄い音がしたんだけど!?」
「だ、大丈夫?ユーノ君」

 後頭部を押さえて蹲るユーノになのはが声を掛けるが、幸いな事に恭也のデコピンを受けた事のないなのはにはどれ程の痛みなのか想像も付かない。出来れば知る事無く済ませたいと思ってもいる、切実に。

122小閑者:2017/08/06(日) 23:51:24
「まあ、実際の所、テスタロッサもデバイスとやらを持っているんだろう?高町はデバイスを持ったら誘導弾の数が5つに増えた上に軌道が鋭くなったからな。テスタロッサも同等と考えても良いんだろう?戦い方の相性にも依るから一概には言えないが俺を打倒するのはそう先の話ではないだろう。まあ、早い内に1対1で俺を打倒できるようになるんだな。
 いつも高町とテスタロッサが行動を共にしている訳ではないだろうし、俺と同等以上の体術を持つ者が複数現れたら今のままでは対応できないことになる」
「…痛たた、ふう。だから、そんな可能性まず無いんだから心配しなくても」
「そうだね。一応恭也君に対応する方法もあるにはあるんだし」
「?……まさかとは思うが本当に俺程度が他に居ないと思っている訳じゃないだろうな?
 待て、不思議そうな顔をするな。あと、高町、距離を空けて砲撃する事を言っているなら屋内で奇襲をかけられたら如何する積もりだ」
「あ」
「そりゃ絶対に居ないとは言わないけど、心配する程じゃないだろう?」

 平然と楽観論を口にするユーノから視線を転じるが他の3人も似た表情が浮かんでいる。実際ユーノやフェイトは、他の世界の人型の種族の中にはこの世界の人類と比べて筋力や瞬発力といった基本能力が高い種族が存在することを知っているが、それとてあくまでも基本能力であって技術ではない。恭也の様な存在が確認されていれば噂話くらいにはなっていてもおかしくないのだ。

「危機意識がそこまで欠如しているのは信じ難いんだがな。
 聞き方を変えよう。俺の体術が独学だと思っているのか?思っているのか…」

 言葉にするまでも無く表情で訴える4人に恭也が盛大に溜息を吐く。
 恭也も「考えた事もありませんでした」と主張する驚愕の表情には他にリアクションの取り様が無いのだろう。
 なのはが高町家に居ながら御神の剣士の身体能力を知らないのは、彼らがなのはに鍛錬風景を見せていないからだ。知らなければ広める事は出来ない。戦闘技能を持たない家族の安全を図るのなら当然の処置だ。
 辛うじて再起動を果たしたユーノが呻く様に呟く。

「恭也って生まれた時からそのままって言うか、ある時突然その姿で発生した様な印象が…」

 聞かせる為ではなく、思考を挟む事無く思い付いた事が駄々漏れになっている感じだ。この上も無く不用意と言わざるを得ないが。

「…ほう。すまなかったなスクライア。お前の事を路傍の石程度にしか認識していなかった」
「ヒッ…、き、気にしないでよ。そそそそんなに気迫漲らせて謝って貰わなくても、だじょぶだから!」
「謙遜する事はない。今この瞬間から昇格して殲滅対象にしてやろう」
「ええええ遠慮させて頂きます!僕は石ころですからー!」
「きょ、恭也!」

 豹変、と表現できる程に劇的に雰囲気を変化させた恭也にフェイトが気力を振り絞って静止の声を掛ける。アルフは大型犬に姿を変えて、フェイトの盾になれる位置で歯を剥き出し全身の毛を逆立てて恭也を威嚇している。
 恭也が感情の赴くままに発散するプレッシャーはジュエルシードにより凶暴化して襲い掛かってきた怪物のそれとは一線を画していた。あの時も命の危険は確かにあったが、在り方が“現象”に近く明確な意志を感じ取る事がなかったのだ。
 声も無く身を竦ませるなのはが一般的な反応であり、言葉を発する事が出来ただけでもフェイトは胆力があると言えるだろう。逆に言えば真っ向からプレッシャーを受けて一番萎縮してもおかしくないユーノが、多少どもりながらも受け答えて見せた事こそ特異なのだ。これは遺跡調査におけるトラブルで獰猛な肉食獣に追い掛けられる経験を何度も積んできた成果だった。
 怯えながら後退りする3人に対して、恭也はその場に留まったまま全身の筋肉を緊張させていた。ユーノに襲い掛かるための予備動作、ではなく、正反対に怒りに任せて襲い掛かる誘惑に必死に抗っている結果だ。
 いくらユーノが昨日の喫茶店に居合わせたとは言え、あの遣り取りだけで自分の発言内容が恭也の逆鱗を逆撫で、どころか毟り取るのに等しい行為である事を察するのは無理だ。そもそも、喫茶店に居た時よりも解散後に恭也が調べて回った結果として至った結論なのだ。明確に説明したことも無く、知らない内に進展している状況を「全て察しろ」では傲慢にも程がある。恭也もそれを理解しているからこそ何とか感情を抑えようとしているのだろう。問題なのは、論理も理屈も道理も無視して“触れた”という一事のみで怒り出すからこそ“逆鱗に触れる”と表現するのだ。感情の爆発を理性で押さえ付けるのは容易なことではない。

123小閑者:2017/08/06(日) 23:51:55
 恭也が何度も大きく深呼吸した後、ゆっくりと3人の方を見据える。感情のコントロールを取り戻すことには成功したのか、少なくとも3人の恐怖心を喚起した何かは発散していない様だ。尤も、だからと言って即座に恐怖心が拭える訳ではない。顔を向けることも出来ないなのはが最も顕著ではあるが、ユーノとフェイトにも全く余裕が無いし、アルフは臨戦態勢を解除する素振りも無い。

「怖がらせて悪かったな。
 だが、まあ、良い機会でもあるんだろう。
 俺が身体を鍛えているのは逃げ回るためじゃない、戦うためだ。人を傷つけ、殺すためだ。
 それを踏まえて、まだ俺と関わるかどうか決めてくれ。暫くは早朝訓練に来ないことにする」

 恭也の言葉には落胆も諦観も悲哀も寂寥も感じられない。当然の事、そう思っているのだろう。
 察したフェイトは、思ってしまう。その考え方こそ寂しいのではないか、と。

「慌てて結論を出す必要はない。時間を掛けて考えてくれ」

 それだけ告げて普段通り走り去っていく恭也に対して、誰も声を掛ける事が出来なかった。



            * * * * * * * * * *



「恭也さん、何かあったん?」
「…はやて、俺の生活が波乱に満ちていることは認めるが、流石に瞬間の連続で出来ている訳じゃないんだ。何の前触れもなく日毎に事件が発生していたら身も心も持たないぞ?」

 はやてが問い掛けたのは、恭也が4人を威嚇してから数日経ってからの事だった。
 恭也は宣言通り、あの日から合同訓練には参加していない。とは言っても単独での早朝鍛錬は続けているため生活スタイルには変化がない。また、本当になのは達の反応を当然のものと考えている様で、落ち込んでいる姿を見せたこともなかった。だから、恭也の遠回しな否定の言葉は至って正当な内容なのだが、それを聞いても彼を知る誰からも同意は得られないだろう。今現在何かの事件が発生していなかったとしても、次の瞬間には事件の渦中に居てもおかしくない。それが多くの者が恭也に対して持つ認識だった。そして、多数派に属しているはやては、普段から恭也の行動に目を光らせている。
 ただし、外部から得られた情報と恭也の態度から読み取れる物を秤に掛けると、後者の重みがまるで無いため、あまり重きを置いていないのだが。

「今日、図書館で会ったすずかちゃんから聞いたんよ。なのはちゃんとフェイトちゃんが落ち込んでるて」

 はやての口からなのはとフェイトの名前が出たことで一緒に聞いていたシャマルの表情が強張った。その2人が管理局側に属していることは恭也から聞いているため、自分たちの事が露見しないかと気が気でないのだろう。ヴィータが居ればもっとあからさまに動揺していたかもしれない。
 実際には、はやてはすずかとしか面識が無い。先日図書館から帰って来て「友達が出来た」と嬉しそうにすずかの事を話していた。すずかには親友が居て、折を見て紹介してもらえるとも。
 彼女達と面識がある事は恭也から告げている。管理局にヴォルケンリッターの存在が知られる可能性が高まるが、すずかの名前に何の反応も示さないのは不自然だからだ。
 恭也が八神姓を名乗っている以上、すずかから恭也の名前が出て来る可能性は十分にある。なのはやフェイトと八神家の繋がりは少ないに越したことはないが、不自然さを残せば心理的に確かめたくなるものだ。
 薄氷を渡る様な気分だが、だからこそ無用な綻びを作る訳にはいかない。

「高町とテスタロッサが?」
「心当たりはあるんやろ?」
「まあ、な」

 恭也の歯切れの悪さにはやてが苦笑を浮かべる。
 恭也が女の子、に限定する必要は無いのだろうが、酷い事をするとははやても思っていない。だが、本人が意図しなくとも他人を傷付ける事はあるだろう。恭也が女の子と仲良くしている図は面白くないが、何かの行き違いで恭也が悪く思われるのは嫌だった。

「何があったか、私に話してみ?こう見えても女の子の気持ちは恭也さんより詳しいんやよ?」
「俺より疎かったら流石に問題があるだろう」

124小閑者:2017/08/06(日) 23:53:01
 恭也の苦笑交じりの軽口を聞く限り、恭也が2人に対して怒っている訳ではないのだろうと察して、はやては安堵する。すずかが良い子である事は分かっているが、その友達が必ずしも良い子だとは限らないし、良い子であっても相性が悪い事だってある。紹介して貰える事を楽しみにしている反面、不安はあるのだ。伝聞だけで面識の無い相手の評価を決め付けてしまうのはいけない事だが、恭也が嫌う様な人物であれば不安要素が増してしまう。

「今回は一方的に俺の方に非があるんだ。
 会話の中で冗談交じりに、“おまえは子供の頃の姿が想像できないから、ある時突然その姿で発生した様だ”と言われてしまってな」
「あ…」
「大丈夫だ」

 表情を歪めるはやての頭を恭也が優しく撫でる。ゴツゴツした掌の感触が不安に揺れるはやての心を不思議な程に落ち着けてくれる。

「不意打ちで言われた所為で感情の制御が出来なくてな。咄嗟に手を出す事だけは堪えたんだが、殺気を抑える事までは出来なかった。
 実際にそれを言ったのは高町でもテスタロッサでもないんだが、その場に居合わせたから怯えさせてしまったんだ。
 誰にも悪気が無い事は分かっていたから一言謝ってその場を離れてからは、あいつらとは顔を合わせないようにしている」
「で、でも、恭也さん、折角友達出来たのにそのままでええの?」
「…高町達が冷静に考える事が出来るように時間を置いてから、もう一度だけ顔を合わせる積もりではいる。
 俺は自分の事を危険“物”だと思っているから、周囲の人間に俺と関わる事を勧める気にはならないが、判断するのは相手に任せている。勝手に決める様な独り善がりな真似は流石に傲慢だと思うしな。
 関わりたくないと言われれば従う積もりでいる。
 幸い俺の検知範囲はそれなりの広さがあるから相手より先に気付けば隠れる事も出来る」

 当然の事の様に告げる恭也にはやては掛ける言葉がなかった。
 恭也は煌びやかな面にのみ憧れて剣士の道を選んでいる訳ではない。人から忌避されることを承知していて、それでも尚、力を求めているのだ。どの様な在り方が人として正しいのかなどはやてには分からないが、恭也の決意が上辺の言葉で揺らぐ物でないことはわかる。
 恭也が目指す剣士の道が現代の日本では異質であり、存在を知られれば畏怖の対象となる事が、はやてには悲しかった。

「でも、その2人は落ち込んでるんでしょう?なら、恭也君の事を怖がってる訳じゃないんじゃないかしら?」

 はやての心情を察したシャマルが、2人に対してフォローを入れた。シャマルとて恭也が人から嫌われて嬉しい訳ではないのだ。

「どうかな。月村と高町達の遣り取りの内容を知らないが、月村が誤解している可能性だってある」
「もう、恭也君はどうしてそうネガティブなのかしら」
「まぁ、楽観的な予想で舞い上がっといて突き落とされるのは辛そうやけどね。でも、悲観的になり過ぎんでもええとは思うよ?
 ところで、その事件からどのくらい経っとるの?」
「…四日程か?」
「え、そんなに?向こうからも連絡あらへんの?」
「連絡先を知らないだろうからな」
「あほかッ!それじゃあ謝りたくても謝れへんやんか!何で携帯番号くらい教えたらんのや!」
「ああ、携帯か」

 その一言ではやてにも分かったが、あまり批難する訳にもいかないだろう。恭也には八神家に招いて直ぐに携帯電話を持たせているが、本人が所持している事に馴染んでいないのだ。下手をすれば存在すら忘れている可能性がある。
 また、はやては失念しているが、恭也は一族の性質上、おいそれと人を招く訳にはいかなかったことも一因だった。

125小閑者:2017/08/06(日) 23:53:32

「もう、いくらなんでも待たせ過ぎよ。落ち込んでるって言うのも連絡が無いから、恭也君に嫌われたと思ってるんじゃないかしら?」
「それは大袈裟だろう」
「何言うとんの!乙女心は繊細やねんで!?」
「はやてちゃん、すずかちゃんに2人の番号を聞いてあげたらどうですか?」
「それでもええけど、恭也さん、会って確かめたいんと違う?」

 恭也は即答する事無く、はやてを見る。その表情は相変わらずの仏頂面だ。少なくとも同席しているシャマルにはその顔から感情が欠片ほども読み取れない。はやての方をこっそり窺うと、こちらは誰が見ても分かりそうな程の嬉しそうな笑顔が浮かんでいる。“楽しそうな”でも“面白そうな”でも、無論“嘲る様な”でもない。はやての目には別の光景でも映っているのだろうか?

「大丈夫、別に恭也さんの感情を読めるようになった訳やないから安心しいて」
「…恭也君、そんな事を心配していたの?」

 恭也は無言。これはシャマルにも分かる、図星だった様だ。
 結局、恭也ははやての笑顔の理由について言及する事無く、先程の質問に答えた。薮をつつく様な迂闊さ、ではなく勇気が無いのだろう。

「そうだな、直接確認してこよう」
「え、今から?」

 腰を上げた恭也に今度はシャマルが問い掛けた。時間的には夕方に分類しても良いが、季節柄既に日が暮れかけている。少女達の自宅を知っている訳ではないが、辿り着く頃には完全に日が沈むだろう。

「ええやん、行かせたれば。
 恭也さん、あんまり遅うならん様にな?」
「…善処しよう」

 全て承知していると言わんばかりのはやての態度にそこはかとなく悔しそうな口調でそれだけ言い残し、恭也が外へ出て行った。
 玄関のドアが閉まった音を聞いてから、シャマルが先程の遣り取りについての疑問をはやてに問い掛けた。

「どうして、電話じゃダメだったんですか?」
「電話では表情が分からへんからな。万が一、罪悪感で付き合いを続ける積もりやったら断ろう思うとるんやろ。要らん心配やと思うけどな」
「じゃあ、こんな時間に押し掛けたのは?」
「落ち込んでるって聞いて心配になったんと違うかな?」
「…はやてちゃん、よく分かりますね」
「ふふ。すこーしだけな?」

 前向きな行動力と、後ろ向きな行動理念。
 一月と言う期間が長いのかどうか分からないが、始終仏頂面の恭也の考え方が朧げながら分かるようになってきた事が、はやての誰にも言わないささやかな自慢だった。



            * * * * * * * * * *

126小閑者:2017/08/06(日) 23:54:07

 クロノ・ハラオウンは結界の外で続けていた捜索活動が実を結んだ事を確信し、珍しく笑みを浮かべた。成果を得られた事に対してではない。これで結界内で奮闘しているであろう2人の少女を危険から遠ざける事ができるのだ。本人達の意志で参戦したのだとしても、やはり可愛い女の子を危険に晒すのは気が引けるものだ。それが、例え近い将来魔導師として自分を超えていく才能を秘めていたとしても。
 クロノはビルの屋上で結界の中心を見据える人物の背後に静かに降り立った。
 まだ気付かれていないはずだ。そのために、飛行速度と引き換えに飛行魔法の行使により発散してしまう魔力波動を隠蔽した上で、探査魔法の使用を控えて肉眼で探したのだ。
 足音を忍ばせながら接近しつつ、その人物を観察する。黒いシャツに黒いズボン、更には黒い髪と全身黒尽くめ。後姿だけだが恐らくは男性。背丈はクロノよりやや高いがせいぜい150半ば、成人男性としてはかなり低い部類だ。体格は細身に見えるがひ弱な印象ではない。
 そう。面識の無いクロノは知り得ようの無いその不審者は、なのはとフェイトに会いに行ったはずの八神恭也だった。



            * * * * * * * * * *



 恭也は八神家を出ると、まず高町家に向かった。高町士郎や高町恭也と会う事は避けたかったろうが、フェイトの家を知らない恭也には選択の余地がなかった。
 高町家まであと僅かの地点で恭也が空を仰いだ。視界に映るのは町の明かりに負けじと瞬く無数の星と、その夜空を一直線に突っ切る小柄な人影。
 一瞥しただけで猛烈な勢いで移動する人影がなのはである事を識別した恭也は直ぐに視線を下げると誤魔化すように髪をかき上げて一言愚痴を零す。

「緊急なんだろうが、短いスカートで空を飛ぶのは何とかならんのか…」

 挑発したり、話題を逸らすためには躊躇無く持ち出すが、10歳男子としては珍しくそういった羞恥心も持ち合わせているようだ。だが、なのはとて気にしていない訳では無いので、見上げられても見分けが付かない位の高度を飛んでいたのだ、一般人に対しては。

 ちなみに、恭也は不破家において特別に性知識を与えられていない。元服となる12歳に達していなかったからだ。親族の中には身体が育っているのだから問題ないだろうと言う者もいたが、士郎が承知しなかったのだ。
 御神の剣士に“性的な面に弱点がある”などと知られれば、どの様にでも利用してくる世界だ(全裸の刺客くらいなら可愛いものである)。つまり実質的に御神の剣士として働けない事を意味する。ひたすら銃弾が飛び交うだけの戦場であれば別だが、流石に戦場は御神の剣士が本領を発揮できる場面とは言えない。
 士郎は「恭也に色事なんぞ10年早い!」と言い張っていたが、士郎の妹である美沙斗曰く「兄さんは意外に親馬鹿だから」との事。

 恭也にとって、なのはが飛び出して行った以上高町家に訪れる意味は無い。そして、戦力の逐次投入などの愚を犯さない限り、なのはが出撃するならフェイトも向かっているだろう。そうなれば、恭也には今外を出歩いている意味がなくなる筈だが、八神家に戻るために踵を返す事無く、なのはが向かったであろう都心に足を向け走り出した。
 恭也は道すがら見つけた公衆電話に向かい、軌道を修正して携帯電話を取り出す。
 持っている事を忘れていたのだ。
 折り畳み式の電話を開き、登録してある5つの番号を苦労して呼び出し、八神家の固定電話にかけた。

「はやてか?恭也だ。
 以前話していた俺の居た世界に繋がる情報が得られる可能性が見つかったかもしれない。
 …慌てないでくれ、不確定要素ばかりを積み上げた話だ。空振りの可能性の方が高い。だが、空振りに終わるにしても追いかければ2〜3日帰れない可能性はある。
 シグナム達は戻ったか?…シャマルまで?
 …月村に相談するか。一応、姉の忍さんにも面識があるから多少話は通り易いだろう。
 …は?ああ、美人だぞ。念のために言っておくがかなりグラマーな方だが手を出すのは自重してくれ。…違うのか?…ああ、高町恭也の恋人らしくてな、人違いで声を掛けられた。俺の立っている所だけ30cm程高くなっていたんだ。そんな事確認して如何するんだ?
 まあいい。じゃあ、月村の携帯番号を教えてくれ。…?そんな機能もあるのか。
 …分かった、任せるよ。
 …ああ、ありがとう。頑張ってみるさ。一段落したら連絡するようにする」

127小閑者:2017/08/06(日) 23:54:41

 恭也は通話を切ると更に携帯電話の電源を落とし、ゴミ箱に捨ててあったビニール袋を失敬してそれに包むと、手頃な民家の垣根に音も無く駆け上がり道路にはみ出している太い枝の道路側から見難い位置に括りつけた。
 その家の位置をもう一度確認すると、通話中には息を乱さない様に抑えていたペースから、闇夜に紛れれば視認出来ない様なペースに上げて都心に向けて走り出した。

 恭也が都心に辿り着いた時にはかなり人通りが激しかった。オフィス街の終業時間をいくらか過ぎた頃合ともなれば当然だが、逆に言えばこの人だかりの傍で音も光も派手に発する魔法の撃ち合いなど行えば注目どころかパニックを起こすだろう。
 となれば可能性は2つ。なのはの目的地が高町家と都心を結んだ直線の更に遠方にある場合、もう一つは、普段朝の訓練でユーノが展開している結界と類似の物が張られておりその内部で戦闘が行われている場合。
 恭也は空を見上げると、手近にあった高層ビルへと入って行く。帰宅しようとするサラリーマンの他に玄関口には警備員も立っているが、恭也を見咎める者、いや目に留める者すら居なかった。
 そのまま堂々とエレベータと階段を使い最上階へ上り、屋上の鍵をピッキングで開けて外に出ると空を見上げて立ち尽くした。現場だろうと予想した場所に辿り着いたもののこれ以上能動的に動ける要素がなくなってしまったのだろう。
 恭也の立つ屋上に音も無く小柄な人影が降り立ったのは、程無くしてからだった。




            * * * * * * * * * *




 町の明かりが強すぎて星の光も擦れているこの場所では、男の視線の先には結界以外は何も無いはずだ。この第97管理外世界の住人であれば、仮に魔法の才能があったとしても研鑽していないため、結界を認識する事無く何も無い虚空を見据えていることになる。背後から見る限り闇の書は確認できないが、この状況でこの場所に居てこの体勢に在りながら無関係な一般市民などと言うことはありえない。
 クロノは恭也から適度な距離、近過ぎて反撃を受けず、遠過ぎて逃走されない、全ての挙動が視線を動かさずに視界に入る位置に辿り着くと、ゆっくりと魔法杖を構えて警告を発した。

「うごおわ!?」

 失敗した。声を発した時には彼我の距離が無くなり、咄嗟に傾げた頭の横を髪を掠めて恭也の拳が通過したのだ。
 クロノは硬直しそうになる体を強引に動かし、距離を取るべく辛うじて床を蹴った。

 何が起きた!?
 気付かれた事は良い。いや、良くは無いが推測できる。隠蔽し切れなかった魔力を感知されたか、忍ばせた積もりの足音を聞かれたんだろう。
 だけど、距離を詰めた方法が分からない。僕が立ち位置を定めた時には確かに十分な距離があった。少なくとも挙動を感知してから対応できるだけの距離だった。それなのに声を、いや、多分魔法杖を構えた時にはその距離が0になっていた。だが、挙動は勿論、魔法を使った事にも気付けなかった。
 一体何がどうなっている!?

 未知の技能に対する驚愕を着地するまでの短時間に押し込め、思考を戦闘に切り替える辺り、若くして執務官に辿り着いたのは伊達ではない。だが、眼前の被疑者、八神恭也を相手取るにはそれでも遅過ぎた。
 クロノのバックステップに合わせて距離を詰めた恭也が放った前蹴りは、クロノの鳩尾を捉えた。一切加減されていないその蹴りは本来であれば呼吸困難に陥るどころが肋骨数本を粉砕する威力があったが、喰らったクロノは恭也の追撃の拳や蹴りに反応し、紙一重ながらも以降の攻撃を躱し続けた。バリアジャケットが恭也の蹴りの威力を相殺していたのだ。だが、ダメージを受けずに済んだクロノは、反撃に転じる事が出来ずにいた。
 クロノが反撃しないのは、恭也の攻撃の継ぎ目に隙が無い事だけが原因ではない。最初に喰らった蹴りにバリアジャケットが機能したことに動揺しているのだ。

 バリアジャケットはバリアやフィールドを複合した物なので、弾く事より相殺して柔らかく受け止める性質を持つ。この機能は攻撃を受けた時に発動する訳だが、自動的に行われるため“何に対して”と言う設定が必要になる。空気を遮断する訳にはいかないし、能動的に物に触れなくなったり、戦場での緊急回避措置として仲間から突き飛ばされた時に発動しても困るのだ。そのため、大抵は“魔力を含んだ攻撃”と“一定以上の速度を持った物体”で設定する訳だが、近接戦闘にも長けているクロノは魔力の消費を抑えるために物理攻撃に対する設定を一般職員よりかなり高くしている。だから、明らかに小柄な恭也が魔力による底上げをしていない純粋な体術でそれ程の威力を発揮した事が信じられなかったのだ。

128小閑者:2017/08/06(日) 23:55:46
 だが、何時までも動揺を引き摺るクロノではない。体術はほぼ同等の腕前であるため、この劣勢を押し返すことは出来ないが、クロノは魔導師、体術に拘る必要は無いのだ。
 恭也の蹴りをS2Uを立てて受け止めると同時にそのまま上空へ向けて魔法を発動。威嚇ではない。放ったのは操作性の高いスティンガースナイプ。クロノの意志を反映した魔力弾は鋭い弧を描いて恭也の頭上から襲撃した。
 だが、反射的に魔力弾を視界に納めようと恭也が頭上を仰いだところをS2Uで殴り制圧する積もりでいたクロノの予想に反して、恭也はクロノの挙動を注視したまま上空からの魔力弾をバックステップする事であっさりと躱してしまった。クロノにとって信じたくない事ではあるが、誘導弾の軌道修正が間に合わない程ぎりぎりまで回避行動に移らなかったのは決して偶然ではないのだろう。
 だが、クロノにとっての本当の悪夢はここから始まる。屋上に着弾する寸前に弧を描かせて再度恭也へ向かわせた誘導弾を恭也が躱し続けたのだ。

 何が起きている!?
 この男からは幻術系を含めて魔法を使っているような魔力を感知できない。これが本当に純粋な体術なのか!?
 だけど、さっきの攻撃は僕にも捌く事が出来たんだ。ここまで非常識では無かった。
 手を抜いていたのか?この状況ではそれも考え難い。最初に喰らった蹴りは十分に人を殺せる威力があったし、手を抜いているかどうか位は流石に分かる筈だ。…まさか、この男、本来は武器を扱うのか?

 魔導師にとって、近接戦闘は手段の一つに過ぎない。アームドデバイスの担い手が多ければ事情が変わっていたかもしれないが、そう言った者はごく少数だ。また、平均的なミッド式の魔導師は砲撃を主体としているため、近接戦闘に持ち込まれれば勝率が極端に下がる。言い換えれば武装毎の対応方法を練習するより、中・遠距離での戦闘に持っていく方法を練習する方が実践的と言える。近接戦闘能力について高い評価を得ているクロノと言えど、習得した武装の種類によって現れる所作の違いを見分ける事は出来ないのだ。
 一方、誘導弾を躱し続ける恭也も決して余裕がある訳ではない様だ。複数の誘導弾を扱うなのはの攻撃にさえ、隙を見て飛礫を放ってみせる恭也がクロノの単発の誘導弾を躱す事に専念しているのがその証左と言えよう。飛針ではバリアジャケットに阻まれて有効打にならないと予測できるからではない。“無駄な事はしない”のと“試す事無く諦める”のは違う事は恭也とて知っているのだ。
 クロノとなのはの違いは誘導弾の運用法だ。常に直撃を狙うなのはと、回避姿勢を誘導する事で身動きの取れない姿勢まで体勢を崩そうとするクロノ。眼前の光景は生まれ持った才能の差を努力で埋めた結果なのだが、残念ながら当のクロノは知る由も無い。
 クロノは成果の得られない攻撃に見切りを付けるのにいくらかの時間を要した。体力の低下に伴い回避運動が鈍る事が無いと言う結論に至るための時間、と言う事にしたが実際には、思考が停止しかけていたのだ。
 敵の回避手段が魔法を使った他の方法なら切り替えも早かったのだろうが、あまりにも想定外に過ぎた。それでも、魔導師としてのプライドを粉砕する様な恭也の技能を初めて目の当たりにしたにも拘らず、意地になって誘導弾に固執する事無く柔軟な思考を保っている辺りは流石と言って良いだろう。
 クロノは誘導弾を維持したまま、新たな魔法の詠唱を始める。選択したのは直線的に進む火炎魔法だ。誘導弾をもう一発打つのも手だが、あの動きが上限とは限らない。

「フレイム・ブレード!」

 名前の通りの炎の剣を右から左へ薙ぎ払う。と、炎を突き破るようにして飛び出す物体を確認。すかさず先程の誘導弾をぶつけるが、予想通りデコイ(上着だろうか?)だった。持続時間の限界を迎えて誘導弾もそのまま消滅するが、クロノは拘泥する事無く屋上を見渡す。
 誰も居ない。

「…に、逃げられた…?」
『クロノ君のバカー!!』
「うお!?」


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