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物語スレッド

1言理の妖精語りて曰く、:2006/07/13(木) 00:22:13
物語のためのスレッドです。

・このスレッドでは断片的な情報ではなく、ある程度まとまった「物語」を扱います。
・小説風、戦記風、脚本風など形式は問いません。
・何日かかってもかまいませんが、とりあえず「完結させる」ことを目指してください。
・自分が主な書き手となるつもりか、複数人のリレー形式か、メール欄にでも明記しておくと親切です。
・名前欄か一行目に物語のタイトルや話数を入れておくと、後でまとめやすいです。

27パンゲオンの腹(23):2006/07/19(水) 20:13:11

今でもときどき、紀神たちが人間の前に姿を現すという噂はあります。
アルセス神は恋仲だったキュトス神を甦らせるため、
人の姿を借りてあてどもなく世の中を放浪しているといいます。
飽きもせずに筋トレしているセラティス神や、
何を考えているのか分からないマロンゾロンド神もときどき目撃されています。
なんとなく気に食わないという理由で人間嫌いなペレンケテンヌルも、
人々に嫌がらせするため下界に降りることがあるそうです。
そしてそういったチャンスを狙って、
呪詛レストロオセがいまだ紀神への復讐の機会を窺い続けていることも忘れてはいけません。
今や神々の名前はすっかり昔のものとなってしまいましたが、
彼らの脅威は常に私たちと紙一重の世界にあるのです。
レストロオセや紀神たちの脅威を完璧に防ぎきる方法はただひとつ。
……この壷をお買いなさい。

28東亜年代記(3):2006/07/21(金) 17:32:04
東亜大陸と言っても、本大陸の南の亜大陸、その東部地方のことでは無論ない。
【東亜】なる大陸名、それはかの極東の民族が独自に付けた大地の名前、後に大陸が統一され、侵攻の手が亜大陸の東の海に浮かぶ円環諸島まで伸び、【泡良】と呼ばれるまでの名前に過ぎない。
【泡良の国】とは、東の大陸から西の諸島までを支配する広大な国なのである。

29パンゲオンの腹(まとめ):2006/07/23(日) 04:24:10
>>3>>4>>6>>7>>8>>9>>10>>11>>12>>14>>15
>>16>>17>>18>>19>>20>>21>>22>>23>>24
>>25>>26>>27

30パンゲオンの腹(転載&微修正):2006/07/23(日) 14:16:55
http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20060720/1153324196

31タマラの冒険(仮)(1):2006/07/28(金) 23:31:14
キュトスの姉妹の34番目、本名がクリアケンポロイドで通称がエミリニェロギッポロネーシャであるタマラ語りて曰く、

ワタクシが北の海を単身旅していた時のことです。
エクリエッテに頼んだ睡蓮のボートとウツボカズラの寝袋のお陰で、
船旅は大層楽しい物でしたわ。
ところが、ある四月の凪の夜、まるでダム穴が空いたかのような轟音が響き渡りました。
ぐっすりと寝ていた私はウッキー(ウツボカズラの名前ですわ)から這い出し、
外の様子を伺いました。
見回した周囲には、明り一つありません。
当たり前とは思いますまい、星々も四つの月も見えないのですから。
どこからともなく生暖か臭い風が吹いてくるばかりです。
慌てふためいたワタクシは、とりあえずウッキーに篭って遺書を書き始めました。
姉妹一人一人への恨み言を綴っていき、リアトニスまで書いたその時です。
目の隅に小さな小さな猫又がいるではありませんか。
手の平サイズの猫又を見るのは初めてでしたから、書く手も休めて呆然と見つめてしまいました。
猫又はマイペースに毛づくろいをしておりましたが、しばらくしてワタクシの顔を見ると

32タマラの冒険(仮)(2):2006/07/29(土) 19:00:01
夜空に燦然と輝くあの金塊の星のように煌く一粒の弾を吐き出しましたの。下の口から偽犬の吐息のように噴き出したその唾液まみれの弾丸はなんと猫又の排泄物――と失礼、言葉が汚のうございました――猫又の畜生野郎の糞味噌だったのです。ちなみに糞味噌というのはジッキ地方に伝わる大豆と肥料と麦などを混ぜたとても芳ばしい香料ですの。林檎につけると美味しいので皆さん今度試してみては?
さて、ゲロったそのクソはフィルティエルトの平手打ちもかくや、という勢いでワタクシの背後にいたカツマの頭蓋に命中しました。

ええ、そうです。カツマはかねてよりワタクシのモノクル趣向が気に入らず、普通の眼鏡をかけろとネクリュセリテの如く執拗に迫ってきていたのです。今回の彼はワタクシの寝込みを襲おうとウッキーの中に隠れていたのですが、この小さな猫又には気付かれてしまったと言うわけです。兎の慟哭ですわ。
憐れカツマは四回転半錐揉み発射五秒後、オービル実験の失敗例の如く大断層の奥底へ旅立っていったのでございます。
さて、話を猫又に戻しますと、猫又はくるくると尻尾をワタクシに巻きつけながら、執拗にある方向を示しました。
そしてワタクシは気付きました。ここが何処であるのか。ワタクシは誰なのか。姉妹の存在意義とは何か。キュトスシステムの全理と、紀元槍のフラクタル図形の現状に於ける展開速度及び長年に渡り数学者を悩ませてきたフェイレアーの三角問題のバッチリな解法を。

そう、其処はフェルンゼーアーの体内だったのです。

33カーズガンの死(1):2006/07/29(土) 19:05:48
【カーズガンについての伝承 カーズガンの死】(1/4)
 占い師の言った通り、その晩は闇夜だった。
 小高い丘の上で、一人、カーズガンは馬上から眼下の集落を見下ろしながら呟く。
「こんな日が来るなんて考えてもいなかった」
 彼らは仲の良い親友だった。
 まるで血を分けた兄弟のようだ、と誰もが言った。
 どこへ行くのも一緒だった。
 どこまでも青く澄み渡った空の下で、草原を統一する、という誰もが成し得なかった夢を共に語り合った同志でもあった。
 あの別れの日ですら、それが永遠の別れではなく、すぐに再会し、共に轡を並べて草原を駆ける日が来ると信じて疑わなかった。
 それが、どうして……
「こんな日が来るなんて考えてもいなかった」
 手の震えを感じ、彼は、手にした剣の柄をさらに強く握り締める。
 全ては過去の出来事なのだ、と現実をかみ締めるために……感傷を捨て去るために……そして、逃げたいという、己が内からの声と欲求から目を逸らすために。
 それでも手の震えは止まらない。
 これが己が弱さだ、と彼は実感する。
 ……この弱さがあるから俺は勝てなかった……しかし、今日はこの弱さを捨てなければならない。
 彼は深呼吸をして歯を食いしばり、己が手の震えが未だ止まらぬのを感じながら、ゆっくりと背後を振り返る。
 そこには、闇夜に紛れて、彼が草原中から掻き集めた騎兵2千の姿があった。
 いずれも歴戦を潜り抜けてきた勇者達だ。
 だが、彼は知っている、この中の殆ど、いや誰一人として明日の朝日を迎えることが無く死を迎えるだろう事を……。
 ……そして、彼らをその死へと誘うのは俺だ……冷酷な殺人者にして処刑人は自分だ……だが、そうまでしなければ勝つことはできない相手なのだ。
 彼らの押し殺したような息遣いを感じながら、ふとカーズガンは思う、自分はいかなる死を迎えるのか?と。
 願い半ばに、あっけなく雑兵の手にかかるのやも知れない。
 歴史に名を残すような斬り死にを迎えるのやもしれない。
 それとも、敵の手に捕まり、カーズガンというその名に相応しく大鍋で煮られて死ぬのかもしれない。
 そうなると、死後、いかなるモフティが自分に与えられるのか……
 ……カーズガンだ
 彼は思う。
 ……俺の今の名はカーズガン、そして死して尚、人は俺をカーズガンと呼ぶ……過去も未来も、その名前以外に自分の名前はありえない
 根拠は無かったが、彼はそう確信していた。
 震えは止まった。
 もはや、彼は死を恐れてはいない。
 弱さも、躊躇いも、そして臆病さも今の彼には無い。
「勇者達、我らの願いは今かなう」
 彼は、兵を前にして言う。
「我らが策略は上手くいき、今や周辺諸国や草の民の多くがこの作戦に賛同し、各地で行動を起こしている
 偉大なる大地の母は、我らに味方しているのだ
 母は必ずや我らを守護し、我らの大義を叶えてくれるだろう
 勝利は、もはや疑う余地は無い」
 それは嘘だった。
 作戦に参加を約束した西方諸国は自らの国境を固めるばかりで、草原へと兵を進めなかった……つまり約束を違えたのだ。
 トゥルサは最初から動かなかった。
 北方帝国の生き残った諸侯達は、兵を出すふりこそしたが、草の民の兵と刃を交えることなくすぐに兵を引き返した。
 草の民の有力部族達は静観を決め込んだ。
 東の交易国家は兵を出さないばかりか、この計画を密告した可能性すらある。
 ただ、ボルサの戦いに参加した幾つかの部族と、トゥルサ国境の部族、そしてボルボス地方の農民達だけが兵を挙げていた。
 義理堅い連中だと、彼は心からの感謝の念を禁じえない。
 実際、それらの鎮圧の為に多くの兵員が割かれたのだから。
「今や、我らの義挙は大陸全ての人の見るところである。
 失敗は許されない」
 彼は、そこで言葉を切り、左手を挙げながら愛馬の馬首を翻す。
 その手が下ろされる時、彼らは突き進む……死に向かって……滅亡に向かって……そして、己が信じた正義に向かって
「行こう、諸君!
 刻は来た!
 我らの狙うはただ一つ!、殺戮鬼ハルバンデフの首である!」
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)

34カーズガンの死(2):2006/07/29(土) 19:06:26
【カーズガンについての伝承 カーズガンの死】(2/4)
 「運のいい奴め」
 カーズガンは舌打ちを禁じえない。
 月を覆っていた雲が晴れ、銀色の月光が丘を駆け下りる彼らを照らし出していた。
 もはや彼らの姿が敵兵に発見されるのは時間の問題だろう。
「用意周到な奴め」
 彼は歯軋りしたい気持ちだった。
 集落でハルバンデフの護衛についている兵の数は、彼の予想を遥かに上回っていた。
 軽く見積もっても自らの率いる兵の倍はいる。
 しかも、それらは寄せ集めの弱兵の群れなどではなく、遠目から見ても分かる、戦いの場数を踏んだ熟練兵による軍団だった。
「ここまで用心深い奴だったか、あれは?」
 彼は記憶を掻き集めて、現在の疑問を過去から解き明かそうとしたが、そうであったような気もしたし、そうでなかったような気もして頼りにならなかった。
 だから彼は考えるのを止めた。
 今はただ、一つの目的に向かって突き進めばよい。
 過去など、もはや必要ではない。
 必要なのは未来だ。
 だが、その未来に自分はいないだろうことを彼は覚悟していた。
 愛馬の腹を鐙で蹴り、今までゆっくりと音を立てさせないように歩ませていた馬を駆けさせると、彼は雄叫びをあげる。
 敵に発見されるのが時間の問題ならば、敵を動揺させ、一瞬でもその懐に飛び込む時間を稼がねばならない。
 勇者達の声が彼に続く。
 草原は、今や彩られていた
 死すら恐れぬ猛者達の声によって
 これから殺し合いを演じる者達の狂気によって
 そして、今から死へと向かう覚悟と前倒しの断末魔によって
 彼らは今や疾風と化し、また光の矢と化して草原を駆けていた。
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)

35カーズガンの死(3):2006/07/29(土) 19:07:20
【カーズガンについての伝承 カーズガンの死】(3/4)
「流石だ」
 彼は認めざるを得ない。
 突然現れた敵にハルバンデフの軍団が動揺と隙を見せたのは一瞬のことにしか過ぎなかった。
 すぐに彼らは戦の準備を整え、カーズガンの兵達の前に槍衾を展開していた。
「これが草原を制した力と言うものか?」
 カーズガンは悟る、彼が率いる兵も勇者達ならば、ハルバンデフの率いる兵も紛れも無く勇者達なのだと。
 しかしながら、今更彼には引く術など無い。
 彼は鐙で愛馬のわき腹を蹴り、兵達の先にいる筈のハルバンデフ目掛けてその足を駆けさせた。
 その彼の前に槍を構えた兵達が立ち塞がる。
「どけ!」
 右手の剣を振り、彼は死を産み出す。
 今や戦神が、死の乙女が彼に乗り移り、もはや地上の如何なるをもってしても彼の目の前を塞ぐことは叶わない。
 やがて槍衾が崩れ、ハルバンデフへと続く一筋の道がその門を開こうとしていた。
 彼は、その僅かな隙間を縫うようにして陣の奥へと突き進む。
 幾人かの兵達がその背後を狙ったが、幾本かの矢が飛来し、彼らを打ち倒した。
 またさらに幾多の兵士を打ち倒して槍衾を超えた時、カーズガンの背後で人馬のぶつかり合う音が聞こえた。
 剣戟の金属音
 矢が空気を切り裂く音
 怒声と罵声
 馬達の嘶く声
 そして断末魔の悲鳴
 カーズガンの兵達は勇敢に戦ったが、多勢に無勢、カーズガンの後に続いて槍衾を超えることは適わず次々に打ち倒されていく。
 だが、彼が勇者達を集めたのは、まさにこのためだった。
 自らを追う兵士を一人でも減らすための、時間稼ぎのための捨て駒。
 目的の為に数多の戦神と死の乙女へと捧げた供物。
 今更ながら彼は、すまないという気持ちで一杯になる。
 だが、背後は振り返らなかった。
 彼は知っていた、この非情な敵に勝つためには自分もまた非情にならなければならないことを……
 それが人の世で非道と呼ばれる行為であることを……
「ハルバンデフ!」
 死者に、そして死に行く者達への手向けとばかりに、彼は声をあげてその名を口にする。
「ハルバンデフ!」
 途中、何度か彼の行く手を阻むべく槍や異国の武器を手にした兵達が立ち塞がったが、彼はその全てを斬り捨てた。
 もはや、彼を止めることは誰にも叶わない。
 やがて彼の目の前に、漆黒の馬に跨り、黒衣に身を包んだ男の姿が現れる。
 まるで血で塗ったように赤い、長槍を手にしたその男は……
「ハルバンデフ!」
 まごうことなく、今や諸国を蹂躙する、現世の魔王と化したハルバンデフの姿そのものであった。
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)

36カーズガンの死(4):2006/07/29(土) 19:08:35
【カーズガンについての伝承 カーズガンの死】(4/4)
「ハルバンデフ!」
 全ての感情を込め、彼はその名を口にする。
 しかし、ハルバンデフは何も答えない。
 代わりに返してきたのは、手にした槍での心臓を狙った一撃だった。
 あわやの所でその一撃をかわし、彼は戦慄する。
 ハルバンデフの一撃には躊躇いが無かった。
 間違いなく、こちらを殺す気なのだ。
 ……あぁ、私は
 未だにまだ躊躇いがあるのだ、ということを彼は改めて思い知った。
 躊躇いがあってはこの魔王は倒せない。
 敵は、あの仲の良かった旧友ではなく、草原を制し、諸国を蹂躙した魔王なのだ。
「ハルバンデフ!」
 もう一度その名を叫んだ時、ようやくカーズガンから全ての躊躇いが消えた。
 二人は互いに、その首、その心臓、その急所を狙って激しく攻防を繰り広げた。
 防御をし損ね、攻撃を受けたほうが死ぬ……それはそういう戦いだった。
 最早、そこに兄弟のように仲が良かった親友同士の姿は無い。
 そこにいたのは生き延びるために互いを殺そうとする二匹の雄だった。
 何度目かに繰り出された槍先をはじいた時、その槍先はカーズガンの太腿に突き刺さった。
「がっ!」
 思わず苦痛の声を漏らし馬上で体勢を崩すカーズガン。
 そしてその首を取ろうと手を伸ばすハルバンデフ。
 しかし、カーズガンはそれを待っていた。
 彼は自分に伸ばしたハルバンデフの手を掴み、そして足に刺さった槍を掴むとそのまま力任せにハルバンデフを馬上から地面に押し倒した。
 その間にも槍は彼の腿に深く突き刺さったが、もはや彼の口から苦痛の悲鳴は漏れなかった。
 地面に落ちた拍子に、彼の肉を深く抉りながら槍が彼の腿から外れたが、それでも彼の口から悲鳴は漏れない。
 最早痛覚など、彼にとって無駄な感覚でしかない。
 最早彼は人ではない。
 最早彼は手段にして道具だ。
 人の身で『魔王』と畏れられた、ハルバンデフという存在を破壊し、殺し、消滅させるための道具だ。
 自分に振り下ろされるのだろう剣に備えて、掴んだその槍を、カーズガンはハルバンデフの右手ごと踏みつけた。
 力んだ拍子に、太腿から血が噴き出す。
 残った片足をハルバンデフの胸において押さえつける。
 魔王ハルバンデフは今や地に伏せられた飛べない鳥だ。
 腰に下げたもう一つの剣を抜き、カーズガンがその首を取れば全てがい終わる……はずだった。
 だが、カーズガンが振り下ろす剣の速度が一瞬だけ鈍った。
 昂ぶった殺意の奔流によって押し殺していた過去の郷愁……それが彼の腕を鈍らせたのだ。
 それが彼の命取りになった。
 そして昂ぶりすぎた感情も命取りになった。
 もし彼が何時ものように冷静ならば、彼がハルバンデフの右手ごと踏みつけている槍の先が無かったことに気付いたはずだ。
 それは僅か一瞬の出来事だったが、勝敗を決するには十分な時間だった。
 結局、カーズガンの振り下ろした剣は地面まで届かなかった。
 何時の間にか姿を消していた槍の先は、ハルバンデフの左手にあり、そして彼はそれを投擲してカーズガンの喉を貫いていた。
 それはカーズガンに致命傷を与えるには十分な一撃だった。
 カースガンは口から血の泡を吐き、そして剣を落として仰向けに倒れた。
 渾身の力を振り絞って立ち上がろうとはしたが、彼に出来たのはようやっと一度閉じた瞼を開くことだけだった。
 見開た瞼の奥のその瞳には空に輝く銀の月が映っていたが、もうそれが何であるかカーズガンには分かるはずもない。
 なぜなら、もうカーズガンには何も見えていなかったからだ。
 カーズガンには、もう見えない。
 ハルバンデフが立ち上がり、自分が落とした剣を手に近づいてくることも
 自分が討ち取られたそのことを、ハルバンデフの部下達が触れ回っていることも
 自分に従った部下達が次々に討ち取られ、最早草原に屍をさらしていることも
 屍と化した自分の身体から、曝すために首を切り離そうと敵の兵達が近づいてくることも
 全ての終わった草原を、月の銀色の光が照らし出していることも
 だからカーズガンには分かるはずはなかった。
 胴から切り離されたその首を掴んだハルバンデフのその両手が震えていたことも
 そして、その月光の中で、誰にも知られずに密かに、ハルバンデフの流した一筋の涙も……
 
 この日、草原の勇者であるカーズガンは死んだ。
 だが、同時に、ある意味において、ハルバンデフもまた死んだことを誰も知らない。
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)

37タマラの冒険(超)(3):2006/07/29(土) 19:48:14
歌声は千里、気合は光年と申しますが、魚の焼き加減は灰になるくらいがよいというのはビークレット姉様の格言でございましたか。何れにせよ焼き魚ではないものに良い味を求めては仕方ないと諦めつつも、ワタクシはフェルンゼーアーを体内からムシャムシャモリモリギョレィピッピとばかりに生のまま食べ続けていました。お恥ずかしい事ですが、その有様は傍目からはバッカスが椰子の実の踊り食いをしているかのごとく映ったでしょう。
襲いくる魚人の群を砂糖菓子にしては丸めて整え、砂糖漬けにしては冷やして固め、帰りへのお土産を作りながらワタクシはフェルンゼーアーの突貫工事を一晩で終わらせましたの。
その途中、ツルがお亡くなりにあそばされたり小人が山田と融合したりと波乱万丈な展開が目白押しでございましたが、ワタクシは三日三晩をかけてフェルンゼーアーを完食いたしました。
腐っても食王(ショッキング)の座を魚住から奪い取った身でありますから、一度手をつけた魚を食べかけにしたままなぞという冒涜的フィランソロピーに溢れた行為はワタクシの中の三重騎士が許さなかったのでございます。
外に出ればそこは既に朝。青空ではウィータスティカの三兄弟が飛び回り、辺り一面にはオルガンローデと青竜騎士団との決戦の余波で巻き添えを食らった罪も無きシュルシュルの亡骸が。
1.5ナノセカンド程の黙祷の後、ワタクシは全速力で猫又に乗ってその場を去ったのでございます。
嗚呼、なんて愁悦なことでしょう。
なんとその後にワタクシを待ち受けていたのは、かの大賢人、エーラマーンの知り合いの知り合いの友達の叔父の親友の息子の恋人の曽祖父の名付け親のペットの仇その人だったのです。

かく言うワタクシも、エーラマーンとは知人の前妻の子供の親友の従兄の姑の出身地の村長の大賢者プリエリプトラスの知り合いを名乗る行商人キチオスの妹と姉妹の契りを交わした仲なのでございます。
さて、開口一番、大賢者中略仇様はこう仰いました。

「キュトスは、セルラ・テリスの子供を身篭っていたのだ」

38タマラの冒険(馨)(4):2006/07/29(土) 21:11:20
そしてマロゾロンドはハイダルの休日、塊竜の真髄はラメンの真理にありと申しますように、一般的な妊娠期間は十月十日、天才は十年十月です。
かの威力神、色々な場所をトレーニングしている内に肉体が蛤の逢引さながらに鍛え上げられて女神を孕ませるまでになったというのです。
しかしそれならば、かの神はお腹に御子を宿したままワタクシ達に分裂したということになります。
ならばワタクシもまた妊娠しているということになるのでしょうか。
そういえばワタクシ、生まれてからこの方月のものとやらが来た事がございません。これはひょっとして、ワタクシが妊娠しているというこのなのでしょうか。
なんということでしょう。
それは禮月の謙遜、長虫の飲酒よりも衝撃的な出来事でした。
飛来神群よりも唐突に、堅強な砲声が乗り移ったワタクシは、出家するべく旅に出かけたのでした。

39アルセスと猛禽の三兄弟:2006/07/29(土) 22:39:39
アルセスがウィータスティカの三兄弟にしつこく迫られているのにもかかわらず、反撃せずに逃げるだけなのには理由がある。

元々、あの三兄弟は三姉妹だった。
蚊、蠍、蝿という醜い姉妹は、あるとき納豆の軍団に襲われて死にかけた。
その時現れたのが、納豆の残党を追って来たアルセスとその従者だ。
巨大な槍を縦横無尽と振るい納豆を薙ぎ払う少年神と、金の鎖を巧みに操りながら主を補佐する従者。
やがて納豆の残党が全滅すると、アルセスは姉妹を一目見て、何の害もない脆弱な精霊だと知ると、「早く行くといい。ここは危険だから」と言って立ち去った。
その姿を見て、姉妹は一目でアルセスに恋心を抱いた。
しかし姉妹は自分達が醜いことを自覚していた。叶わぬ夢に焦がれながら、静に暮らしていたある日のこと、三姉妹の所に魔女がやってきた。
魔女は三姉妹を美しい精霊にしてやろうといった。
喜んだ三人はその申し出を受けた。魔女は不思議な霊薬を飲ませた。するとその次の日の朝、彼女達は美しく力強い空の王者、猛禽の精霊になっていたのだ。
だが、三人はあることに気付いて愕然とした。なんと姉妹の性別は反転し、三兄弟になっていたのだ。
既に魔女は何処とも知れぬ場所に去ってしまった後。最早元に戻る術など知る由も無い。
あまりのショックで三人は狂ってしまい、その純真な恋心を抱えたまま、アルセスを求めつづけている。

アルセスはその事を知っているが故に、三兄弟を憐れに思って好きにさせてやっているのだ。

40【宇宙戦艦セラテリス】チャットより転載&微修正:2006/07/30(日) 04:24:04

アレ艦長はじめ秩序連盟議員ドルネスタンルフ、将校ピュクティエト、参謀ラヴァエヤナ等々が乗員。

密入した民間人の少年アルセスがひょんなことから汎用人型兵器キュラギを動かしてしまってなし崩し的に戦闘員化。

でもピュクティエトに怒鳴られるかなんかしてアルセスあっさり逃亡。しかも狙ったかのようにタイミング悪く敵の急襲。

館内に残っていたアルセスの連れのキュトス(民間人)がキュラギを動かす。

でも当然のように死ぬ。

それを見て凹んだアルセス帰ってくる。またピュクティエトに殴られる。

ドルネスタンルフとラヴァエヤナとシャルマキヒュになんか言われて立ち直る。

突撃隊長シャルマキヒュが突撃して死ぬ。

死んだと思ったら片目失って帰ってくる。

アルセスまたピュクティエトに殴られる。

このあたりで作画が崩壊する。

ハルバンデフ大王がラスボスっぽく登場。

ラストバトルっぽい雰囲気。

宇宙海賊カーズガンが駆けつける。

カーズガンとハルバンデフの一騎打ち。アルセス役立たず。

ハルバンデフ死ぬ。カーズガンがなんか決め台詞言う。

なんか裏ボスで大破壊兵器レストロオセとかいうのが出てくる。

カーズガンとかシャルマキヒュ致命傷で退場。

「もうお前しかいない!」ピュクティエトがアルセスにツンデレ。

アルセス突撃。レストロオセをなんとか抑える。

レストロオセのパンゲオン機関が暴走。宇宙開闢&更新の危機。

アルセスもう無理。

人工知能セルラ・テリスいきなり喋り出す。

宇宙戦艦セラテリスのエンジン部が単身パンゲオン機関に突撃。自爆。パンゲオン機関破壊。

めでたしめでたし。


パンゲオン破壊の衝撃で並行宇宙開闢。

人工知能セルラ・テリスの意識が並行宇宙に飛ぶ。

紀神セラティス誕生。

セルラ・テリスのメモリを元にアルセスその他の乗員を並行宇宙に復元。

ラナさん が、入室されました。

紀元神群誕生。

→「ゆらぎの神話」に続く

41タマラの冒険(劫)(5):2006/07/30(日) 10:50:58
鴨の脚は金貨では買えません。
百足の脚は縄では燃やせません。
けれども猿の胸は油で洗えるのです。
笑い給う夢易く。其処に於いては金糸の咎も逃げますまい。

さてさて、ワタクシがピピョ厳寺院に出家して内部派閥の抗争を調停し、全農27尖鬼を全て打ち倒した後、アルビダ尼僧と決闘し、地上最高の栄誉ポルポルフィーナ二世の称号を得たところまでお話しましたか。
さて、めでたくポルポル二世となったワタクシはかねてよりの約束に従い、盲目の少年ボロロに鯨の丸焼きを送って差し上げましたの。大変喜んでいらっしゃって、泣きながら鯨さんに取りすがって泣いていたのが印象的でしたわ。
ポル二世の称号をボロローニャ少年に授けたあと、ワタクシはいつものようにまた旅から旅への風来坊托鉢修行編地獄車百景の遍歴に参りました。
そんなある日、ワタクシの目の前にあるものが立ち塞がりましたの。
それはなんとあの伝説上の幻獣、HF(フッ化水素)でした。

42紀動戦記アルセス(1):2006/07/30(日) 15:28:45
時は新史暦2885年。
人類は宇宙に進出し、その版図を大きく広げていた。
宇宙を貫く紀元槍の周囲に無数のコロニーを展開した【人類統一連邦】。
精陽系を中心とした星系に進出したアヴロノ達の【アヴロニア帝国】。
大宇宙の遥か彼方、最も進んだ技術を持ち、最も自在に宇宙を飛び回る【宇宙の民】、【兎共同体】。
多種族が混在する巨大王国【ガロアンディアン】。

宇宙竜や銀河猫、星々に遍く納豆が跋扈し、【南十字精】と呼ばれる精霊種族・脅威の眷属と呼ばれた宇宙海賊が横行する。
至る所に出没する飛来神群の被害はうなぎ昇りである上に、アヴロニアと人類統一連邦間の争いは未だ収まる様子を見せない。

これはそんな時代、平凡な少年アルセスと謎の少女キュトス、そして彼らを引き裂く運命と・・・。

ある一人の男、グレンテルヒという名の科学者の、壮絶な戦いの記録である。

続く。誰か書いて下さい。リレーっぽく

43紀動戦記アルセス(2):2006/07/30(日) 16:09:35
人類統一連邦領土内、辺境星系である幽陽系付近の宙域。
アステロイド・ベルトが蛇の如く長く連なり、低災害級の飛来神が飛び回る、天然ガスとリパーズ、炭素資源の豊かな宙域ではあるが、殖民時代に資源を大量に消費したのと、アヴロニアとの国境付近であることも手伝ってか、あまり人口は多くない。

そのほど近くに、一隻の船が航行していた。
それは、戦艦だった。
今時の戦艦としては珍しい流線形の機体は、大気圏内での活動を考慮したものだろう。流麗なフォルムと、後ろに流れる一筋の演算素子。後ろに束ねた長髪のようなそれは、付近の空間情報を予測演算する外部端末だ。
堂々とした純白の機体は、しかしあちらこちらの砲門や装甲が焼け焦げ、激戦の後を想像させる。満身創痍の機体。その名をセラテリスと呼ぶ。

正式名称、テリス級汎次元遡及型遊撃強襲艦【威力艦セラテリス】。
【秩序連盟】と呼ばれる、人類統一連邦の加盟国の幾つかが結束した新興の勢力が存在する。
セラテリスは、その秩序連盟の所属艦だった。
弱々しく、そして種動力が死んでいるのか遅々とした航行しかできないセラテリスの艦尾で、唐突に爆発が起こった。

44タマラの冒険(餡)(6):2006/07/30(日) 18:12:45
そうして、物質化された魂は十六次元の彼方へと飛び立っていったのでした。
その様はまるでかの六十二の頭を持つ多頭獣クトスの様に、新旧の蜜蜂は昼夜を問うて飛び回ります。
ワタクシは気付いてしまいました。そう、私は既に十二賢者山脈に到着していたのです。
頭上の猫又のコマタ(そう名付けましたの。名前の由来はアヴロノと納豆神にまつわる激烈なジャンケン闘争が関わってくるのですが、それはまたいずれお話しますわ)はナアナアと喜んでいます。
おお、その威容はまるで鴉の嘴、坂本じみたその荘厳さはワタクシを驚嘆させるに足るものでした。
さて、その時、ワタクシの背後から誰かが近付いて参りました。
「パオ! そこにいるのはタマラじゃないか」
なんとその方はワタクシの旧知であった、リーデ・ヘルサルその人でした。

彼の本当の名前はリー・デ・ヘリケ・ルサルト・ムルペルスルグ・ミョルンナガイリケ・スゥト・アロン・アムルス・ロンディアス・アルティ・ロモロモ・エミリニョリーア・焔宮というのですが、長すぎるのでリーデ・ヘルサルと縮めているのです。どうかワタクシ同様、呼びやすい名前で読んであげてくださいまし。
ワタクシはヘルサル様に向かい合い、パオ!と挨拶をしました。
しかし彼は顔を顰め、パオは久しぶりに会う相手への挨拶には不適当だと言いました。なんと言う偏見でしょうか。
彼とはパオ解釈に関して酷い見解の相違があるのです。前に会った時もパオーン理論の虚数空間における応用について論戦を繰り広げたのですが、結論は結局保留のままでした。
どうも今日という今日は彼にパオゲオ定数の何たるかを叩き込んでやる必要があるようです。
しかし。その時、まさにワタクシとヘルサル様のチョメパンゲオンが華麗に滑空したが如き大論戦が展開されようとしたその矢先―――。
ワタクシ達の頭上を、竜の大部隊が飛んでいきました。

45紀動戦記アルセス 登場人物:2006/07/30(日) 19:44:23
アルセス 主人公。ヘタレ。弱い。雑魚。しかし長い戦いの中で微妙に成長する。
キュトス ヒロイン。運命的っぽくアルセスと出会っていちゃついて引き離される。
マロゾロンド アルセスの幼馴染。無口。

【セラテリス】乗組員
アレ セラテリスの艦長
ドルネスタンルフ 秩序連盟議員にしてクルグ・ドルネスタンルフの搭乗者
シャルマキヒュ 将校。とても強い。クルグ・シャルマキヒュの搭乗者
ピュクティエト セラテリスの火器管制兼クルグ・ピュクティエトの搭乗者。実はアルセスの生き別れの兄。アルセスはそのことに気付いていない。 
ラヴァエヤナ 参謀。昔アルセスの町の図書館で司書をやっていた。アルセスとは数年ぶりに再会する。尚、ピュクティエトが出撃している間は彼女が火器管制を担当する。
バッカンドラ 紀戒整備主任。ラヴァエヤナに扱き使われている。
ガリヨンテ 艦内食堂のおばちゃん。銀河随一の名コック。
グレンテルヒ 紀戒神の開発者。アルセスの隠された素質を一目で見抜いた。
ペレケテンヌル 意思を持った紀戒神。グレンテルヒの搭乗する紀体。非常に性格が悪く、アルセスとは折り合いが悪い。
ハザーリャ 通信士。索敵系は彼の担当。

【自律紀動要塞アエルガ=ミクニー】
エーラマーン 作戦情報部所属。ただしデマが多い。
【二番遊撃艦ゲヘナ】
デーデェイア 戦死。

宇宙海賊ウィータスティカ
三兄弟。アルセスを付け狙っている。
あと納豆。他色々。

46紀動戦記アルセス(3):2006/07/31(月) 00:45:27
「艦体後方で熱源感知!? 馬鹿な、感知できなかった!?」
通信士の絶叫の直後、瞬間的にアレは艦を左舷に旋回させた。
瞬間、衝撃が艦全体を包む。
「被害状況はッ!?」
「後部第二、第三ブースター中破、航行に支障はありません」
「何だ今のは、敵の新型爆雷かっ!」
「ハザーリャ、索敵急げっ!!」
怒号の飛び交う艦橋で、アレは一人瞑目した。
度重なる追撃の手は、遂にこんな辺境の惑星にまで及んだらしい。
「敵、姿を現しましたっ!! これは、光学迷彩?!・・・いや違う。まさか、異相空間から直接【扉】を!?」
驚愕の声と共に、後方に出現したのは五隻の小艦隊。
アルミオルド級自律型突撃艦【貪蝗相】である。
鋭角のフォルムと、前方に突き出た一対の高重力発生機関。
あらゆる戦場にて怖れられた死神、【蝗の軍団】。
・・・ここまでか。
物資は尽き掛け、こちらの戦力はたった一隻の艦と疲弊した乗組員。
いずれも歴戦の勇士達だったが、激戦に次ぐ激戦はその戦意を確実に削いでいる。
「艦長! 私が出ます!」
格納庫からの入電。網膜に投影された映像内で喋るのはシャルマキヒュだ。
「バッカンドラ、私の紀械神を出す! ハッチを開けろっ!」
「ちょ、姐さん、無茶ですよ?!」
「その無茶が通らねば全員犬死だっ! 艦長、発信許可を」
「許可する」
平静に。あくまでも泰然として、アレは答えた。
この身は艦の柱。いかに絶望的な状況であろうとも、彼だけは揺らぐ事を許されない。
例え、その心が既に折れていたとしても。その痩躯だけは、決して曲がらぬように。
瞼を開く。老人は、いつものように、厳かに告げた。
「これより本艦は第三種戦闘態勢に移行する。ラヴァエヤナ、記録は」
「本艦は0887星系M−47地点においてアヴロニア軍所属と思われる戦艦五隻に奇襲を受ける。自国領域以外での異相空間への【扉】使用を確認しました。なお、この行動はラルビット条約に於ける第三条第一項に違反しており、そこに正当性は認められません」
「よろしい。本艦はラルビット条約第三条第二項に従い反撃権を行使する。宜しいかな、ドルネスタンルフ爵」
艦長席の真横に鎮座する巨漢――否、肥満体を超越した球体というべきか――に問う。
秩序同盟常任議員、ドルネスタンルフ。敵の狙いの一人が、この人物であった。
「承認しよう。・・・・・・済まないな、アレ。このような非常時に戦闘の理由作りなど」
「必要な事です。シャルマキヒュ、ピュクティエト両名は紀械神で出撃。火器管制はラヴァエヤナが引き継ぐものとする」
「「「了解!!!」」」
唱和する声とともに、艦内に満ちた混乱が収まっていく。
「全ブースター点火。紀械神射出と同時に、全速で敵射程から逃れる!」
アレの指令と共に、最初の火線が真空を駆け抜けた。

47紀動戦記アルセス(4):2006/07/31(月) 21:39:25
紀械神の操縦席は実は結構広い。シャルマキヒュは女性としては相当な長身だが、彼女が両手を広げても尚有り余るスペースがある。
豊かな髪を掻き揚げて、接続端子を首の後ろに取り付ける。軽い電流が走ったような痺れが背筋を伝わり、その長躯を震わせる。
何度やっても、この感覚はなれるものではない。そう思いながらも、その意識は逸り、戦場へと向かう。習性、いや、本能と言い換えてもいい。彼女が戦うという事は、生きるということと同義である。
シャルマキヒュにはこの年で人生を語るつもりなどまるでなかったが、しかし一つだけ、譲れない価値観がある。それは、論戦だろうと斬り合いだろうと、闘争とは生物全ての本義であり、それを否定する事は誰にも出来ないということだ。昂ぶる精神を押さえ込みながら、彼女はコンソールに手を伸ばす。
紀体の起動を開始する。モナド・エンジンが猛獣の唸りを上げ、紀体全体を、コックピットの内部を輝きで満たし――――。
シャルマキヒュは、次の瞬間、その場から消滅していた。

誤解の無いように予め断っておく。戦闘用紀械が人型である必然性など近代までは微塵も無かった。
新史暦2300代に至るまで、人類は宇宙航行手段に人型の紀械など全く使ってこなかったし、その必要性も無かった。
さて、人間が他の生物と比較して、身体的に優れている部分は何処か。
言うまでも無い、それは手だ。
二足歩行などその付属物に過ぎない。人類はその器用な手で道具を作り、使い、文明を切り開いた。ならば、再現するのなら腕だけでかまわない。他の部位が多脚だろうとキャタピラだろうと、そちらの方が宇宙空間に適応できるのならばそちらを採用するべきだ。
そう、あくまで宇宙開発、惑星植民というレベルでの話ならばそれでよかった。飛来神群や宇宙海賊との小競り合いでさえ人型機械など必要なく、円筒型、あるいは球形の戦艦があれば十分だったのだ。
しかし、新史暦2372年。奇しくも、ティリビナ機構との抗争が開始されたのと同年である。
汎遡及合一理論。通称を、存在意思説。極端に概要をまとめてしまえば、こうなる。
全ての分子・原子・それ以前のクォーク、量子的濃度に至るまで―――、
全存在は、意思を持っている。
その理論は、意思の定義を刷新した。
人間を始めとする知的生体の意思は脳内の電気信号、及びそのネットワークの連続性を基とするものではなく、肉体を構成する全【存在子】の意識総体であるというのである。
意識とは連続性に非ず、存在子が一定の割合で収束する相対的領域における存在子の同一組成、それによって意識の存在は確定される―――。

先ず始めに、時空間跳躍の基礎技術が崩壊した。
従来の地脈移植であるラビット航法、心理学を応用した【扉】開閉、位相紀子化による座標軸操作、そして最後の跳躍技術といわれた空間歪曲。それらを遥か眼下に捨て置いて、人類は時空を渡ったのである。方法は単純だ。対象を分解し、指定した地点で再構成する。
実を言えば、その技術は既に実用化されていた。
物質を量子にまで細密に分解し、既に濃淡でしか表現されない情報を【扉】で転送する。転送地点から目的地点までの相対的空間情報を操作して物質を再構成すると、瞬間移動が為されているというわけだ。
しかし、そこに自意識の連続性は無い。端的に言えばその行為は自らを一度殺し、それを材料として全く同じ存在であるクローンを生成するのと同じだ。
人間が行う事は決してない、猫の国の御伽噺の類の技術だった。
しかし、ここに常識は塗り替えられた。現在解析されている存在子は七億二千八十四個。そのうち生物を構成する存在子はたったの八十万足らず。
存在子の操作法が示され、量子段階以前のレベルで完全に再生された物質は、連続性の有無に関わらず全く同じ存在であるから、その技術の行使に躊躇はいらなかった。そこに意識の連続性はないが、意識は継続されるのだ。
時空跳躍を契機として、新たなる技術が次々と生まれていった。
その代表的なものが、存在合一である。
物質と物質を融合させるという「道具」使いたる人類の技術の頂点ともいえる技術。道具そのものと一体となり、自在に操作する。
そうして生まれたのが、人型紀械神である。人間の意識を同化させて自分の身として動かす為に、人型でなければ満足な高速機動ができないという理由であったが、結果としてその技術は成功を収めた。
紀械そのものとなった人類は、如何なる人工知能よりも高速で反応し、ナノセカンド単位で思考していた演算回路など及びもつかない超高速思考を行えるようになった。巨大な紀械である紀械神や小型のサイボーグ、紀械人。そういった技術が生み出されていたこの時代は、言わば技術が科学という概念を超越し始めた時代。
時は新史暦2885年。先鋭錘の時代、その末期である。

48紀動戦記アルセス(5):2006/07/31(月) 23:10:33
空間に投影された三次元映像を見ながら、少女は静かに嘆息した。
少女を不安にさせないための配慮のつもりなのだろう、見せられている艦外映像は何の変哲も無い隕石群だ。
この艦の命運が尽き果てた事など、先程の衝撃で既に悟っているというのに。
ふと、客室の扉が横にスライドして開く。目を向ければ、そこにいたのは白衣を纏った巨躯の中年だった。
「ん、ん――? よろしいかね? キュトスくん」
「どうぞ」
淡白に告げると、厳しい顔にかけた似合わない黒縁の眼鏡を片手で直し、こちらへ歩いて来る。
「ん、いやいや、全くもって遺憾ではあるが、君に一つ提案があるいいかね?」
「わかってます。脱出しろと言うのでしょう?」
「んん。話が早くて助かる。 実に、実に・・・助かる!」
少女―――キュトスは立ち上がると、手ぶらのままで外に出ていく。放置された巨漢が慌ててついて来る。
「いやいやいや。全く困ったものだねアヴロノの連中にも。このキュトスくんの重要性も理解せずただ我等の最重要機密だからと言う理由だけで奪いに来るのだからねまったく弱い馬鹿はこれだから困る」
「グレンテルヒさん」
唐突に、キュトスが足を止めた。
「んんん? 何だねキュトスくん。言っておくが私が眷属やアヴロノに技術協力したのは純粋に研究環境の為だけだよ?」
「いえ。それより今、誰かいませんでした?」
周囲を見回す。白と青でカラーリングされた通路にはダストボックスと、その隣に黒いゴミ袋が設置されている他は何も無い。何処にも人影などなかった。
「んー? 気のせいじゃないのかね。それより脱出だ。敵の狙いは君、そして私なのだからね。ドルネタンスフ君はおまけのようなものだよ」
「グレンテルヒさん、【ドルネスタンルフ】です」
「ん、ああ。ドネルスタンフ、だね?」
二人は益体もないやり取りを交しながらその場を立ち去っていく。
しばらく後。
「ば、ばれなかった・・・・・・。凄く危なかった・・・」
比較的大きめのゴミ箱の脇、真っ黒なゴミ袋が声を発した。否、そうではなかった。ゴミ袋だと二人が勘違いしたものは立ち上がって、その中から一人の少年が現れる。
「ふう、助かったぁ。マロゾロンドがいなかったら今ごろ見つかってたな」
ありがとう、と少年は真っ黒な布の塊に礼を言った。マロゾロンドと呼ばれたその黒布は、僅かに身体を動かして反応した。どうやら頷いたらしい。
「しまったな。冗句のつもりで密航してラヴァエヤナを驚かせてやろうと思ったんだけど。正直洒落にならなくなってきたみたいだ」
マロゾロンドが先程よりも少し大きく動いた。同意しているようだ。
「このままじゃ死んでしまうし、とりあえず脱出するのが最善。だけどこの艦にはラヴァエヤナが乗ってるし見捨てるわけにもいかないし」
唸りながら考え込む少年の服の袖を、マロゾロンドがそっと引いた。
「え? とりあえず格納庫に行ってみよう? ・・・・・・うん。そうだな。脱出するにしてもしないにしても、すぐに行動出来る場所に行ったほうがいいし。よし決まり。行こうか、マロゾロンド」
そうして、二人もまた通路を移動し始めた。
それが、少年の運命を変える選択とも知らずに。

49紀動戦記アルセス(6):2006/08/01(火) 00:19:13
加圧され、収束された空間内で電離した中性子が荒れ狂う。重水素が破壊を司り、嵐の如く衝突した原子核同士が膨大な熱量を発生。紅の紀械神が、雄叫びを上げた。突き出された二本の角、髭を模した光学センサ、竜鱗装甲に包まれたその威容は、正しく紀神と呼ぶに相応しい。胸部の空間位相指向装置とピュクティエトの存在子操作による核融合爆発が巻き起こり、紀械神【クルグ・ピュクティエト】の前方に超高熱の爆炎が放出された。前方にいた【蝗】三機が跡形もなく蒸発。余波に煽られて弾き飛ばされた一機を【クルグ・シャルマキヒュ】の銀鎗が刺し貫いた。
「まずは三機!! いいスタートだ!」
「何処が良いスタートだこの阿呆! 少し後先を考えろ!」
シャルマキヒュは頭を抱えたい気分だった。今の一撃はピュクティエトにとって最大の一撃であるが、そう乱発できるものではない。まして、彼は今までの戦いで疲弊しきっている。今ので相当紀体に負荷をかけた筈だ。
「突撃隊長! x47,y89,z189より敵影来ます!」
ハザーリャの通信で我にかえる。今は悠長な思考をしている場合ではない。眼前、セラテリスを追撃する貪蝗相を三隻まで分断させることに成功し、現在誘き寄せた三隻から次々と出撃してくる自律型兵器【蝗】を撃破している最中だった。
「シャルマキヒュよ。取り敢えずはあの戦艦を落とした方が話が早いと思うのだが」
「それが出来たら苦労はしない。近づけないからこそ、こうやってドッグファイトを繰り返しているのだろうがっ!」
襲いくる高速戦闘機を回避し、擦れ違いざまに荷電粒子を口腔から放つ。
「ふん、お前は犬というよりむしろ猫だろうが?」「減らず口を叩くなっ!」
確かにクルグ・シャルマキヒュの頭部は猫を模したものだが、それと中身は関係がない。全く、この男とはつくづく馬が合わない。そう思いながら、シャルマキヒュは銀鎗の組成を変化させる。シャルマキヒュの銀鎗はある種の液状金属であり、その形態を自在に変化できる。彼女が望めばそれは剣となり盾となり、あらゆる武装に可変する。指定する形状は鞭。猫の髭にも見えるその空間走査端子でシャルマキヒュは周囲の状況を把握する。三機連隊で移動するのはこれまで見てきた敵AIの通常の思考ルーチンそのままである。小隊単位で移動する無人兵器は、前方に一個、上方に一個、左下後方に二個。三隻の戦艦はこちらを完全に包囲し、嬲り殺すつもりだろう。
上等だった。敵がそのつもりなら、こちらもその敵意に全力を以って応えるまでだ。
左から来た敵を鞭で撃墜、しかしそれは囮で、背後に隠れた蝗が荷電粒子を放出。瞬時に空間を歪曲させ回避。シャルマキヒュの腕が閃き銀色の閃光が宇宙の虫を叩き潰す。脚部ブースターを点火、態勢を180度変化させ、下方から向かってきた一機を荷電粒子砲で撃ち落す。
前方に熱源を感知、収束発射された光学砲の一撃を難なくかわし、重力加圧された突進を鞭でいなす。残りニ機が左右から同時に接近、発射された核ミサイルを荷電粒子砲で撃墜し、もう一体の機動時空爆雷を存在干渉で空間転送する。銀鎗形態に戻した武器の周囲の空間を存在干渉、電磁加速による槍の一撃が蝗を断ち切り、振り上げた脚が後ろから迫る最初にいなした蝗を粉砕した。
残る一機を口からの荷電粒子で破壊する。

50紀動戦記アルセス(7):2006/08/01(火) 00:21:24

見れば、ピュクティエトも大熱量を全身に纏わせながら出力を抑えつつ戦っていた。知らず、シャルマキヒュは笑っていた。これならば行ける。このまま行けば、こちらが確実に勝利する。あとはセラテリスが持ってくれるか、それだけが勝負だが―――。
「不味いぞシャルマキヒュ! セラテリスが!」
ピュクティエトの声に、彼女は愕然とした。
自分達を置いて離脱した筈のセラテリスが、ここまで来ていたのだ。数百キロ向こう、感知できるほどの位置で、残る二隻と激戦を繰り広げていた。
―――くそ、振り切れなかったのか。
アステロイドベルトに突入して障害物を利用する事で逃げようとしたのだが、破壊されたブースターのせいか、逃げ切る事ができなかったらしい。
一目で解るほどの劣勢だった。このままでは、数分と持たずにセラテリスは撃沈する。
シャルマキヒュの決断は、一瞬の時すら要さなかった。
「まずいな、このままでは」
「わかっている。・・・ピュクティエト、よく聞け。今からお前はセラテリスの援護に向かえ」
「馬鹿を言うな貴様っ! こやつらはどうする?!」
ピュクティエトは蝗の群れを回避しつつ、牽制用の中性子弾を射出する。
心なしか、その駆動に乱れが生じたようだった。
「決まっている。私が全て引き受ける」
「正気かっ!?」
その問いに、シャルマキヒュは答えなかった。代わりに、周囲に群がる敵を一拍子で断ち切り、ピュクティエトに接近する。
紅の紀体に迫る脅威を切り伏せ、その道を切り開いた。
「行け。行って、我等の艦を守ってきてくれ」
一瞬の沈黙。ピュクティエトは何かを躊躇った後に、
「貴様が死ぬと骨を拾うのが面倒だ。・・・・・・精々、私の手を煩わせるな」
それだけ言って、紅の鬼神はセラテリスへ向け、全力で機動した。
追撃しようとした蝗達を、銀色の閃光が尽く撃墜する。
「少し待て虫ども。 貴様等の相手はこの私だ」
槍を可変させ、二振りの剣と為す。その鋼の頭部に凄絶な笑みの気配を張り付かせて、白き軍神は宙空を駆け抜けた。
     トップダウン
「来い、でくのぼう・・・・・・!!
 この私が、ドッグファイトの遣り方を教えてやるっ!!」

51リーデ・ヘルサルの書簡:2006/08/01(火) 22:57:29
 
アレット州ギールズ群フィリーフィリー街01147-558

バールズ=ウ・ハーン様

前略
お久しぶりです。前回の講演はお見事でした。回帰的神学についての解釈は
大分物議を醸したものですが、最近では学会は貴方の提唱した論文に賛同する方向に動いているようです。
さて―――、例の古文書についてのお話ですが。
あの時、レイサーム祭儀の時にお見せしたあの秘術は、実の所正式な意味での魔術ではありません。
いいえ。確かに世界の理から外れているという観点に立てばあれは確かに魔術・魔法の類ではありましょう。
ですが、そう。私も燃素体系は多少齧っておりますが、それによる発火現象とは、どうも根本的に異なるものなのです。
あの時私が使った道具は、猫の国の言葉で【ライター】と言うものです。
ええ、私が十二賢者山脈を探索し、その奥の洞窟で発見した無数のラーカス鉄鋼の碑文と、そこに安置されていた無限に連なるかと思われた書架。
その中から私が狼達の猛威から死に物狂いで逃れ、たった一冊だけ持ち出した書物【ノミト・デルフォス】に記されていたのが、その【ライター】に関する記述だったのです。
堆積岩の一種(バルジ海岸から採取してきました。猫の国ではこの石を【チャート】と呼ぶそうです)をハンマーで弾き、フレウテリス(猫の国では【アルティミシア】といいます)というこちらでは有り触れた多年草を燃料にして燃やすというものですが、これには全く魔術的要素を用いてはいません。
お疑いになるのも解ります。私も半信半疑でしたから。
ですが、ここは一つそういうものだとして話を進めさせていただきたい。
各地で証言される、石と石をかち合わせて炎を出す、だの、木の枝を擦りつけて炎を出すなどというオカルト話を信じたことは私は今まで一度もありませんでした。
当然、人類の原初からして炎とは魔法で出すものですし、燃素によって炎は作り出されるのです。それは子供でも知っている常識です。
そうでなければ、兄弟神である雷神の稲妻によって炎が上がるというだけのことです。
ですが、私は最近、その固定観念を覆そうかという気になってまいりました。
今回使った堆積岩はどうも通常の石とは趣が違うらしく(石に違いなどあるわけがない、という常識的な指摘はここではしないで下さい。そういう仮定なのです。馬鹿馬鹿しいことですが)どうも発火しやすい性質のものであるらしく、フレウテリスにもそういった【成分】が含まれているのだとか。
いえ、正直自分でもこの書物は手に余っているのです。どだいこういった魔学に関する事柄は自分のような若輩者には到底理解できるものではなく、言語研究に費やす時間も惜しいやらで全く原理が理解できない。そこでハーン様に一つご相談をと思い、筆を執った次第です。
手紙と一緒に、私が【ノミト・デルフォス】を訳した写本を同封します。お時間の余った時で良いですので、どうか一読し、ご意見をいただけない物かと―――――、


「ふん、下らん」
「先生? どうかしたんですかぁ?」
「ん、ああ。例の気狂いからの手紙だよ。馬鹿馬鹿しくて読む気にもなれん。猫だの猫語だの、挙句の果てには猫語には種類があるだのという論文を発表してきちんとした単語表と文法まで創作してきた架空言語学の権威だよ」
「それって、凄い人では?」
「才能の無駄遣いだ。お遊びだ。在りもしない獣やら言語やらを研究する意欲と能力があるのなら、もっとちゃんとした学門をだな、全くあの男は」
「先生、この書類の束は?」
「ああ、猫の国とやらの書物の訳だそうだ。いらんから捨てなさい」
「これ貰ってもいいですか? 友達にこういうの好きな娘がいるんですよ」
「ん? 構わないがリーゼ君。いい加減仕事に戻りたまえ」
「あ、はーい。  ふっふーん。ニースフリルちゃん喜ぶかなぁ」

52球神の御子(1):2006/08/04(金) 21:37:58
【始原の民 第四章 球神の御子】
レイシェルは肌を通り過ぎる冷たさに身じろぎをした。
眼を開けると、ぼんやりと視界が開けていく。光源は後方にあるのか、眩しさはあまり感じる事は無い。感覚がやや鈍い。眠りから覚めた直後に特有の気だるさが全身を舐めている。明順応に伴って分解されていく色素と共に、思考も散逸しているようだった。
ゆっくりと身を起こすと、鈍色の床、壁と順に見て、向かって左側にある鉄格子の存在を見つけられた。レイシェルは鉄格子の脇の方で眠っていたようだった。
そう。レイシェル。レイシェル=ドルネスタンルフ・ドーレスタ。
その家名に神の御名を翳す、始原より伝わる人類発祥以前の一族。
神の御子。
それは、幾柱かの神々が戯れに作り出した十人ばかりの【神の似姿】。
当時まだ人類は誕生しておらず、それらは単に神々に似ただけのちっぽけな存在だった。そして、その十人はやがて神々に見捨てられ、大地で細々と子孫を育み今日の日まで生き残ってきた。
やがてそれぞれの子孫は五つの家に分かれた。神々を祀る上げ、各々一柱の神を掲げて仕える、原初にして最も忠実なる神子。
一つは大家リグデェイア―――戦鬼神デーデェイアを祀る家。かつて紀人を輩出し、新しき神デーデェイアをこの世に送り出した大蛸の加護を抱く家。
二つはエリーワァ―――叡智の神ラヴァエヤナを祀る家。知識の番人、永遠の中立を担う家。
三つはアイリヴィ―――金錐神ペレケテンヌルを祀る家。因果の掌握者。魔法の大家。
四つはプルエルヤ―――環淵神ハザーリャを祀る家。生と死を司る闇に生きる家系。
そして最後がドーレスタ。球神ドルネスタンルフを祀る、今はもう途絶えた家。―――そう。たった一人を除いては。
正直、頭が痛かった。昨日一日でエリーワァの姫君に叩き込まれた知識は、これだけでもまだ不充分なくらい雑然とし、それでいて膨大だ。
よくもまあこれだけ混沌とした知識を伝え続けられるものだと思ったものだが、いずれにせよ今はそんなことは問題にならない。
四肢に束縛はついていない。身体は自由に動くし、不調は無い。むしろ体中に熱が行き渡っているようだ。連想するのは蛙かバッタだ。ばねに力を溜めて、一気に解き放つ。
問題は無い。今するべき事は、この危機的状況下からの脱出。いずれ来るであろう死の結末の回避。
ここは敵対勢力の枢軸、プルエルヤの孤城。その地下で、レイシェルは脱走を決意した。

53東亜年代記(4):2006/08/06(日) 00:04:03
やや小型の船が海を進む。船首の先には港がある。
と、港のあちこちの建物から大きく目立つ赤い旗が立っているのが見える。
赤い旗は『急時』を意味する。本来は海賊などの襲撃や津波が近いときなどに立てられる
ものだが、このときはやや事情が違った。
「やっぱり始まっちゃってるんだなぁ〜、戦争。」船長は言った。
「ずいぶん気楽な口ぶりだね。君も陽下(ヨウカ)人だろう?」
「まぁ一応はそうなんだけど、『祖国』って感じはしないなぁ〜
港と海だけがわたしの祖国ですよ。で、このまま進んでいいんですね?
ヘリステラさん。」
「当然だ。」ヘリステラと呼ばれた女はよどみなく答えた。

54Qlairenose fim te Ers(1):2006/08/06(日) 20:50:21
『鼻晒のクレア』
遠く、天を見上げた。 青に埋め尽くされた空間を綿のような雲が流れも速く通り過ぎて行く。風が強い。ともすれば硬く踏みしめている筈の大地から引き剥がされ、舞い上がる塵と共に飛ばされてしまいそうな程に。陽は中天に昇り地上を燦然と照らし、彼女は眩さに僅かに目を細め、顔を顰めた。
白い肌の片側に落ちるのは、高く連なる山脈の様に鋭い鼻梁から生る陰影であり、紫色に濁った瞳孔が僅かに収縮する。歪めた表情が表象するのは、反射的な動作だけではない。
彼女は―――クレアノーズは、焦っていた。
一寸一刻一節の猶予も無い。燦然と輝く陽光の真下、定められた時、整えた場にて彼女はその時を、それが来るのを待っていた。
何を―――?  決まっている。
神だ。

既にして準備は万端だった。結界の中心点を調整するべく姉妹の位置を指定・配置させ、長姉達には金鎖の新神を抑えてもらっている。そして、この結界の中心点でクレアノーズが迎え撃つ。
上方の守護者、結界の天位を守る七つの風の主がいなくなってから既に二つの月が巡っていた。結界の守りは欠け、彼女を始めとする姉妹達に付け入る致命的な穴が出来ている。そう、『彼』が動き出すのには充分なくらいの時間が経っている。
・・・・・・アルセス。
槍を担う神。最悪の少年神が、その目的を果たすには、充分な程に。

55Qlairenose fim te Ers(2):2006/08/06(日) 21:26:34

唐突ではあるが、彼女、クレアノーズは少年神アルセスが死ぬほど嫌いである。

憎い、殺したいと言っていい程に嫌悪を抱いている。何故か、と問われれば答えに窮するのは自分でも解っているが、しかしそれは彼女の自意識がこの世に現れた瞬間に確定した事項であり、彼女自身がどうこうできる問題ではない。
彼女は、キュトスの『憎悪』と『悪意』、そして『嫌悪』をその身に孕む。

例え話をしよう。
ある女が、愛しい恋人と恋をし愛し合い結婚し子供をつくった。穏やかな家庭を築き、幸せな毎日を送っていた。
ある日の事である。泣き喚く赤子を何とか寝かし付けた女は、夫にこう提案した。二人で少し出かけないか、と。まだ結ばれていないあの頃のように、二人きりで何処かへ行きたいと思ったのだ。彼女は初めての育児に戸惑い、疲れていた。自分は頑張っている。そんな自分に、少しくらいの報いがあってもよいだろう、そう思ったのだ。
しかし夫は反対した。行くのなら子供も連れて行くべきだ。子供を放り出していくなど、家族として、親としてあるまじき事だ、と。
その瞬間である。赤子が唐突に泣き出し始め、女はあやす為に必死になる。

そんな時、思うのだ。確かに夫の言い分は正しいかもしれない。しかし、少しくらい自分の事を労わってくれてもいいではないか。
確かに夫は自分が家事と子育てをし、美味しい料理を作ってくれていることに感謝の意を示し、優しく扱ってくれる。しかし、それは時間が経つにつれて形だけのものになっているように思える。
子供は煩く、世話ばかりに追われ家事をするのもままならない。自分の自由になる時間など無いに等しい。どうしてそんなことも分かってくれないのか。子供を大事にするのはいい。けれど、妻は大事ではないのか。
ああ、そもそも最近では気も利かなくなってきたし簡単な家事も手伝ってくれなくなった、仕事で遅くなると言いつつ酒に酔って帰り食事は既に済ませてきたと言う、自分は食事を作って深夜まで待っていたと言うのに全くでもおかしいなそういえばどうして私は彼を好きになったんだろう。
そもそも、あの程度の顔の男を、どうして、どこを愛せたというのだろうか。

・・・これが、キュトスとアルセスに当て嵌まるのかは分からない。しかしこうした事象はほぼ不可避の確度で恋人同士が迎えるものだ。
その時の不満・苛立ち、ふとした悪意が、どうして絶対的に芽吹かないと言えるだろう。
クレアノーズには、キュトスとアルセスの『破綻の芽』が植え付けられている。
つまり。彼女は二人の別離を象徴する、【喪失】性を受け継いだ姉妹である。

56Qlairenose fim te Ers(3):2006/08/06(日) 22:37:40

「クレア姉様88」
投げ掛けられた呼び声で、クレアノーズは思索を遮断した。特徴的な口調の多い姉妹ではあるが、この喋り方をするのは基本的に一人だけだ。
「準備は出来たのかしら、ワレリィ」
「ほぼ完璧です19。皆さんボクの指示どおりの場所で待機していますです55」
やや低めの声で喋る彼女、ワレリィは、クレアノーズの妹の一人にして、彼女たち姉妹の連絡役である。
短い髪に、細い手足。凹凸の少ない身体に、丸みの少ない面差し。少年然としている。そう形容される事が多い彼女は、実際服装を変えれば少年として充分通用しそうであった。
「違うでしょうワレリィ。貴方の指示ではなくて私のよ。私の指示」
「ボクが伝えてるんですから大して違わないじゃないですかぁ75」
頬を膨らませる少女に内心で微笑する。子供じみたその気性は、クレアノーズの嗜虐心をくすぐって、中々気に入る所だった。
「ほら、そんな風に剥れていると頬を針で通してしまうわよ。因みに私の針にはラティの毒が塗ってあるのだけど、あれが体内に入ると心臓の周りの冠状動脈を極度に収縮させて―――そう、あかぁい心臓が血液をきゅうううううっと波打たせながら不規則に鼓動を上げて、その頻度が徐々に、徐々に不安定に、不規則になっていくのよそうして呼吸困難と不整脈、最悪腎不全を引き起こし全身の脱力と胴体の激痛を感じつつ絶望すら許されないまま」
「おねがいクレア姉様ボクが悪かったからもう喋らないで1」
「冗談よ」
本気で懇願する妹が可笑しくて、クレアノーズは本音を掻き消して嘘を言う。彼女にとって嘘とは優しさだ。何故なら彼女の本心とは悪意と害意に満ちているからだ。
「そうだわ。帰ったら貴方に私の本でも書いてもらいましょうか」
「どうしてそうなりますかっ7!」
他愛ない遣り取りを交しつつ、しかしクレアノーズには分かっている。これが妹の、最高の、そして最後になるかもしれない労わりと親愛の情の表れであることを。
最後まで彼女の傍にいて、さりげない―――本人はそのつもりの―――激励を送る。自分に別れを告げに来る。
そんな優しい妹を疎ましく思いながら、自分がまだそんな柔らかい感情を抱ける事に軽い驚きを覚えた。
なにしろこのクレアノーズが『疎ましい』だ。これほど最大級の親愛の気持ちが自分に存在し得るのだろうか?
ああ、けれど。そろそろ、やっと、ようやく時間が来た。
「ワレリィ」
「・・・・・・はい48」
「行くわ。邪魔だから下がっていなさい」
「どうか姉様に・・・・・・、戦鬼神のご武運がありますよう6」
そう言って、クレアノーズにとって最も多く言葉を交した妹はその場から姿を消した。
さて、と彼女は上を見た。これから見えるのは一柱の神。自分では到底敵うべくも無い、絶大なる槍の神。
そう、敵うわけが無い。彼女一人、たったひとりきりで神に勝てる筈が無い。これは負け戦。被害を最小限に、されど敵にも一矢を確実に報いる為の一手。
力ある姉達が外れた紀人を倒しに行っているのは、確実を期す為だ。
敵を分断し、確実に戦力を削ぐ。あちらは各個撃破の好機と見て、結界の中核たるクレアノーズを狙いに来る。彼女さえ瓦解すれば、正式な中核継承の行われていない姉妹間で結界が断絶し、姉妹の中に眠るキュトス本体が目覚め出す。その後で一人ずつ槍で連結していけば、71の断片は不死の神となり復活を遂げるだろう。
そうならない為に。彼女が担う中核を、『未知なる末妹』に継承する。
その為の手段を全員で作り上げた。アルセスの紀性と槍の連結顕現を一時的に奪い、最後の妹へと連結する。アルセスには不可能でも、アーズノエルが最後の妹の存在を感知できている以上、彼女を通して連結する事は理論上可能である。
連結した妹に、クレアノーズが保有する結界中核の顕現を委譲し、自らは連結されないように自害する。出来るなら、アルセスの槍も道連れにして。
『貫き通すもの』たる連結槍ファラクランティアは存在を『連結』する。かの槍があるからこそ、彼は姉妹を無力化し捕獲して、一つに戻す事ができるのだ。仮にその槍を破壊できなかったとしても、結界の中核が誰にも見つけられない最後の姉妹になってしまっては流石のアルセスでもそう簡単に手出しはできない。
つまり、この戦いで彼女は捨石だ。厄介な伴神を倒し、結界の中核を安全な場所に移す為に必要な犠牲。援護は余計だった。この作戦で彼女以外の存在は余計なだけだ。
犠牲は一人で済む。そうして姉妹は維持され、あの忌々しく疎ましく、自分を退屈させない姉妹達は守られる。
クレアノーズには、それで充分だった。
不気味なほどに澄んだ心持ちだった。だが、それでいいとも思う。
空を、見上げる。
そして見た。   空中に、少年が立っていた。

57【アルセス・ストーリー】(1):2006/08/07(月) 09:18:50

「アルセス。こちらにいらっしゃい」

呼んだのはラヴァエヤナだった。知の神、書の守、ラヴァエヤナ。
槍の神のアルセスはゆっくりと振り返る。

「なんだい、ラヴァエヤナ。今日もまたおつかいかい?」
「いいえ、今は別の用事よ。あなたの槍を私にお見せ」

アルセスは槍を掲げた。紀元槍、世界の中心。
ラヴァエヤナは静かにじっと槍を見つめる。

「やはりそうだわ。この槍は死んでいる」
「死んでいる? 槍が?」
「その証拠に刃の輝きが褪せているわ。
 あなたは槍の所持者として、輝きを取り戻さないといけない」
「それは、一体どうやって?」

「紀元槍へ向かいなさい」

58【アルセス・ストーリー】(2):2006/08/07(月) 09:35:03

アルセスは旅の仲間を求めて同胞を訪ね歩いた。
まずは猫の戦士シャルマキヒュに助けを請うた。

「ねえ、シャルマキヒュ。僕と一緒に紀元槍まで旅をしないかい?」

シャルマキヒュは猫の耳をぴくぴくと動かした。

「お子様のお守りかい? そんなことなら願い下げだよ」
「そういうつもりはないけどさ。僕は喧嘩が弱いから、守ってもらうことはあるかもね」
「坊や、あんたはもう少し逞しくなった方がいい。私抜きで行っといで。
それに私は、可愛いジャスマリシュたちにここで稽古をつけてやらないといけない」

そう言われては仕方がなかった。
アルセスはシャルマキヒュの練兵所を去った。

59【アルセス・ストーリー】(3):2006/08/07(月) 22:05:25
次に向かったのはピュクティエトだった。だがアルセスが口を開くや否や、
ピュクティエトはその豪腕でアルセスの頬を思い切り引っ叩いた。
「この、軟弱者がっ! 安易に人を頼ろうとするな、そんなことだから貴様はいつも最弱と指を差されるのだ」
「いたた・・・、そんな事を言われても、実際僕は弱いし」
「最初から諦めてどうする! まったく、貴様が嘲られる度に、私が一体どんな思いをしていると・・・・・・」
最後のほうの声は掠れてよく聞き取れなかった。怪訝に思ってアルセスは訊ねた。
「え? 今なんて言ったの? 聞こえなかっ」
「ええいさっさと一人で行かんか馬鹿者め! 一人旅でもすれば貴様とて多少は見れる男になろう!」
ピュクティエトはアルセスの背中を思い切り蹴飛ばした。

60Qlairenose fim te Ers(4):2006/08/07(月) 22:47:55
これは、昔の話。  遠い遠い、過去の話。

「ねぇクレア。 世界って、なんだか広いと思わない?」
「は?」
それは確か秋空の下、夕焼けを眺めながら城のバルコニーで語り合っていた時の事。彼女の選ぶ話題は大概どれも突飛だった。それは彼女自身が特異な性格を備えているからであり、自分は彼女にとって『変な話を聞いてくれる存在』であるからだ。
「いきなり何を言い出すのよ、クー」
「え、うん。えっとね、なんだか世界が広いと自分が矮小な存在になったみたいで相対的にムカっとくるよね、っていうはなし」
訳の分からない理屈を持ち出し始めた一つ上の姉―――ルスクォミーズを呆れた目で見ながら、クレアは嘆息した。
「そう思うなら、少しでも大人物になれるように頑張ってみたら?」
「えー。でもさー、頑張ってるけどあんまり世界が狭くなった感じはしないよう」
子供っぽい口調と眦を下げて憐れを誘う仕草は九割が演技なので無視した。
クレアは姉の長い髪を指に絡ませた。
「それなら世界を壊して狭くしてみたら? 確か、セルラ・テリスだっけ?
その人に頼めば何とかなるんじゃない」
「クレア適当過ぎよ。 だいたい、そんなことしたら私たちも死んじゃうじゃない」
肩に重さを感じて横を見ると、ルスクォミーズが寄りかかってきていた。髪を弄んでやると、くすぐったそうに身を捩じらす。
「あのね、クー。それじゃあ訊くけど。 貴方は一体どうしたいの」
「んーと」
細い顎に指先を当てて、しばし考えると、ぱっとその顔が華やいだ。
クレアはげんなりした。彼女がこういう顔をする時は、大抵ろくでも無いことを言い出すのだ。
「世界最強になりたいっ」
そら見たことか。
はぁ、と。彼女と暮らすようになってから、何度目になるかわからない大きなため息をつくと、やれやれと首を振って、
「じゃあ、私はクーが手のつけられない怪力女にならないようにしっかりと手綱を握っておかなければならないわね」
「なによそれ」
「何って、いつも通りの話。クーがヘマしたら私がフォローして責任とってあげるのよ」
そういいつつ、クレアはそっと姉の頭を撫でて微笑む。あたかも慈母のように、姉のように。そして、
「まあ、そういった向上心があるのなら、私は全力で応援するだけね」
恋人のように。
ルスクォミーズはいつものように、その繊細なかんばせに花のような笑みを描いて、心底から嬉しそうに言った。
「んー。だからクレア好きー」
「シャーフリートは?」
「う」
わざと冷たい声で言い放つ。言葉に詰まるルスクォミーズに、畳み掛けるようにして次々と名前を並べていく。
「シェロン・ストラス」
「うう」
「ゲヘナ」
「あれはほら、不可抗力と言うかなんというか・・・」
「ワレリィもね」
「あー、あー、聞こえないー」
「―私は?」
「だっ、大好き」


それから。
少し出かけてくると言ったきり帰ってこなかったルスクォミーズが、
シャーネスを喰らったということをクレアが知ったのは、それから五日後のことだった。

それは、かつての話。
彼女が、ただのクレアと呼ばれていた頃の、他愛のない話。

61Qlairenose fim te Ers(5):2006/08/08(火) 22:19:45
「やあ、久しぶりだね、クレアノーズ」
「あら、いたのアルセス。存在感が卑小すぎて気付かなかったわ」
浮かべた笑みは、双方共に嘲笑だった。威圧感は無い。それでも、クレアノーズは決して眼を合わせなかった。いや、合わせられなかったというべきか。
旅人としては標準的な麻の衣服に、少し長い髪と優男ふうの細面。その手に持つのは身長を倍して超える長大な銀槍。
絶えずうねり曲がり形状を変えるその槍を、ファラクランティアと彼は呼ぶ。
風にたなびく双方の衣服は、形状が違えば翻る面積も違う。
クレアノーズのローブは大きく膨らみ、対するアルセスの衣服は僅かになびくのみ。
風の音のみの静寂が、刹那の間その場に満ちた。湖畔に水滴を垂らすが如く、その均衡を崩したのはアルセスが先だった。
「・・・まさか、君ひとりってわけじゃあないんだろう? 僕は弱いけれど、君一人に負けるほどじゃあない。どこかに増援か伏兵がいるのが見え見えだけど」
一体どこにいるのかしらん、と見回す少年を、彼女は一笑の下に切って捨てた。
「ハッ! 鼻で笑うのも労力の無駄遣いね能無しの坊や! いいかしら、確かに貴方は私よりも強いでしょう。けれど貴方の目的はなぁに? 私たちを殺す事? 違うでしょう私を捕らえる事でしょう。 ならば貴方の行動には自ずと制限がかかる筈。そこにつけ入る事が出来ない私じゃないし、その役目には私以外の誰かは邪魔よ」
右翼を折り、前にもってくる。クレアノーズは無造作に銀色の羽の一枚を掴むと、軽い調子で引き抜いた。
「el te tEet」
厳粛なセラー韻律で紡がれた粒詞構文は羽の一枚一枚に刻み込まれた精緻な封印に干渉し、その中に封じられたものを解放する。
それはあたかも、孵化しようとする雛のように。
淡色の光を放ち、表れたのは一振りの刀。
鍔はなく、柄尻から垂れ下がる銀糸の先には、半透明の『三角錘』。
刀区からふくらまで刀身に隙間無く刻まれているのは、眼前の神を称える詩歌である。
「対槍神用に調整した貴方を殺す為だけの武器。いかに貴方といえど、この刃の前には屈するほかは無い」
少年の笑みが、僅かに深くなる。微かな嘲笑から、好奇心によるものへと。
「そうか。振り子を大気と共振させて、間接的に僕に干渉するつもりなのかな? 成る程、それなら確かに僕をも傷付けられる。 それに、その武器は他の誰かが存在すれば存在するほど使えなくなっていく。干渉する対象が増えれば威力も拡散するからね。うん。君の判断は賢明だよ」
幾度も首を振りつつ、その表情は余裕に満ちたものだった。刀を構えながら、彼女は震えそうになる身体を必死に押しとどめた。
一見で刀の性質を看破された事もあるが、少年のなんら焦った所の無い様子がどこか底知れなさを感じさせていた。
けれど、ここで折れるわけにはいかなかった。当然だが、こんなものが当たる筈が無い。それでも、彼女は戦わなければいけない、否、戦わずにはいられないのだ。
体が揺らぐ。目を合わせることだけは出来ない。恐怖を押し込め、切っ先はただ正眼に構えるのみ。
「戯言はもういいわアルセス。何か言いたい事は?」
「そうだね。正直なところ、不毛な殺し合いなんてしたくないんだ。君たちはキュトスでもあるし、キュトスは不死なんだから、殺し合いなんて最初から無意味だよ」
その、瞬間。
「キャッハハハ!! 滑稽滑稽、滑稽極まりなく無様で醜悪、見るに耐えないおぞましさね! 最高、そして最悪だわククククククッ!!」
哄笑、いや、狂笑が誰もいない荒野に響き渡った。

62Qlairenose fim te Ers(6):2006/08/08(火) 22:21:36
その濁った紫紺の瞳をぎょろりと上向かせて、クレアノーズはまるで狂女の如く喚いて叫ぶ。
「ハ―――、キュトスが不死、ですって? 愚かね、愚かとしか言いようが無いわ。
誰が一体そんな事を信じているのかしら。だって私たちはキュトスではないのだから。キュトスの一部でありキュトスとしての過去がありいずれキュトスになりうる存在。ああ素敵、それじゃあ私たちの自意識はいずれ統合されて不死のキュトスになってしまうのかしら?
いいえ、いいえ! その答えは否でしかなく諾の答えは私たちの欺瞞であり詐称であり矛盾でしかない。私たちは分かたれた。そして己となり我を得、あろうことか長女ヘリステラはナンバリングをして私たちを姉妹にしてしまった!!」
そこで言葉を一旦区切り、彼女は翼を大きく広げて背筋を反らせた。恍惚と、快楽の絶頂に到ったように。手の平を額に当てて、大仰な身振りで言い放つ。
「嗚呼、ああ、なんてこと!
ただのキュトスの断片が、ただのキュトスの分身が、クローニングされた七十一分の一キュトス達が、なんと姉妹になってしまいました!
功罪、と呼びたければ呼ぶといいし、功績と称えたければ称えればいい。
兎にも角にも、ヘリステラの所行は私たちの存在を昇華し/貶めた。
もうわたしたちは戻れない。いいことアルセス、【戻れない】のよ。
少なくとも私たちの意思では、私たちの力ではキュトスにはなれない。
私たちが姉妹である限り、その概念を突破し、アーズノエルの紀念を崩壊させて統合しないと、貴方が彼女を取り戻す事など出来はしない」
その、おぞましさに。アルセスは確実に一歩たじろいだ。鬼気迫る狂女の絶叫は、彼をして動揺させる忌まわしさに満ちていた。
「そしてね。アルセス。
私たちは、私たちの半数以上は、キュトスになりたいなどとは思っていない。
ええ、貴方のことが大好きなセレブレッタ―――キュトスの【愛】性を受け継いだ彼女でもそれは望まないでしょう。
だって私たちは既に姉妹なのだから。この私はクレアノーズなのだから。
それを失いたいだなんて、思うはず無いでしょう?
いいかしらアルセス。そしてね、私はそれを許さない。【キュトス】を【禁ずる結界】は、私たち結界の六十二妹がいる限り崩れない。守護の九姉が結界の八方位と天上を護り、私たち六十二妹が結界そのものとなる。そうして私たちは充足する」
切っ先を向ける。瞳には敵意と、そして悪意がある。
裂けるように広がる笑みは、その秀麗な美貌を掻き消して醜悪ですらある。
その様を、人はなんと呼ぶだろう。
「拒絶。そう、拒絶するわアルセス。私は、貴方を、拒絶する。結界の六十二妹筆頭、ルスクォミーズに代わる代替中核。結界守護者クレアノーズ。
その名にかけて、【キュトスの姉妹】は終わらせない―――!!」
「こ、の・・・・・・っ!!」
魔女、と。
キュトスの魔女と、そう呼ばれた化け物が、その大地に立っていた。
浮上する。大地を蹴り虚空を踏みしめて、彼女の足の『ヘリスの革靴』が飛翔する。
「望むなら殺しなさい、私たち全ての意思を、ルスクォミーズとの戦いで確かめられた、私たちの絆全てに対する敵意と憎悪を以ってね!!!
その意思が在るならば、私たちを皆殺してから纏めてその槍で串刺しにするがいいでしょう。そうすれば話が早い。貴方の妄執は果たされる。ああ、ひょっとしたら、それも無様で面白いかもしれないわね? 」
飛びかかる。直線的に突き進むクレアノーズの剣閃に対するアルセスは、憎々しげに呟いた。
「口の減らない小娘風情が・・・!」
槍と刀が、中空で絡み合った。

63Qlairenose fim te Ers(7):2006/08/08(火) 23:23:47
荒野に響く金属音が、その速度を増していく。断続的だった音の間隔は徐々に狭まり、風を斬る刃の音は更に鋭さを増していく。
空を舞う二つの人影は、一見クレアノーズが圧しているかに見えた。
片翼とはいえ、まるでフェーリムさながらに天を舞い四方八方から斬撃を繰り出す彼女の刃は、アルセスの長い槍では守りに徹するのが精一杯であるようだった。元来、槍と剣、刀では十中八九槍が勝つ。二者に相当な実力差があったとしてもそれは覆らない。
だが、それはあくまでも地上という二次元の場での論法である。
空中に戦場を移した時、上下左右と敵が目まぐるしく動き回る以上、その対応の為に振り回す得物の速度は長ければ長いほど遅くなる。
これは地上でも言える事だが、槍は小回りが利かない。そして、その欠点がこと空中戦においては浮き彫りになる。
ならば舞台を地上に移せばよいのだが、しかし。
(空いているのは『天上』だけだ・・・・・・)
クレアノーズは内心で嗤う。『禁ずる結界』という概念を利用して自分の中核権限を破壊するつもりならば、その概念自体が規定する規則に乗っ取って戦わなければ意味が無い。
結界には、領域の遮断・隔絶と同時に、内界の変質という目的を持った物が存在する。この『禁ずる結界』は正にその類であり、結界を破壊したいならば予め定めておいた結界の弱点を正確につかなければならない。
逆を言えば、その弱点さえ守れば結界が壊れる事など決して無い。
そして、今回消失した結界の『穴』はシャーネスが守っていた天上。地上及び八方位は未だ他の姉達が守っている。
故に、彼が地上に降り立った瞬間、クレアノーズを倒す事で結界を破壊するという目的は達成できなくなるのである。
『守護の九姉』『結界中核』『ウィッチオーダー』。
『禁ずる結界』維持の為の三つの柱は、いかに神格といえども容易く破る事はできない。
刀を振るい、神を追い詰める。剣筋は見事なほどに立ち、体捌きも何時になく上々だ。これならばいける。このまま続ければ勝てる。
そう、思い込ませるほどに。アルセスは手を抜いていた。
「え?」
感じたのは浮遊感。既に浮いているというのに、しかしクレアノーズは一瞬のうちにして槍の柄で弾き飛ばされていた。
「な、」
「残念だけど、遅いよ。君じゃ僕には届かない」
冷淡に言葉を紡ぐその表情は、氷像の如く硬く無機質だ。
く、と呻く。元々、彼女は戦闘に向いた体質ではない。九姉に匹敵するか、或いはそれ以上であったルスクォミーズ。彼女の補佐の為だけにと鍛え上げてきたその能力は、付け焼刃如きで神に敵うまでは到らなかったというわけか。
ここに彼女がいれば―――。
一瞬、思ってはならないことを思ってしまった。
遠い地の彼女。かつて、ずっと共に在りたいと願った彼女。
眷属の勢力圏に居る彼女には、紀元神群――否、ゼオート神群の神であるアルセスは不用意に近づけない。彼の非公式な領土侵犯は即開戦へと繋がる。
他の神々はアルセスのキュトス探求を黙認しているが、それが神群同士の全面戦争に繋がるとなれば話は別だ。
救いがあるとすれば、その一点。かつて自分が無理矢理に中核を奪い、能力を『暫定的に』封じ込めて重要性を低くしたお陰で、今アルセスは自分に狙いを定めている。
くつ、と咽喉を鳴らした。おかしかったのだ。この期に及んでルスクォミーズの幻影しか頭に無い自分が。そんな事を考える資格は、彼女を裏切り、その居場所を密告した瞬間に無くなっていたと言うのに。
体勢を立て直す。クレアノーズは、眼前の少年神に語りかけた。

64Qlairenose fim te Ers(8):2006/08/08(火) 23:38:12
「ねえアルセス。貴方は、どうしてそこまでしてキュトスを求めるの?」
アルセスの足下を見ながら、クレアノーズは問うた。
予想外の問いだったのか。少年はしばし逡巡し、重く息を吐き出した。
「彼女が、僕の存在する理由だからだ。それ以上でもそれ以下でもないよ」
淡白に告げたその声音は、しかしそれだけではない事を言外に匂わせていた。そういうことはわかったけれど、しかしクレアノーズはアルセスの言葉自体はどうでも良かったのだろう。不敵に笑った彼女は、少年の胸を見据えて告げる。
「私も同じよアルセス。 私もね、たった一つだけ、生きる理由? そういうモノが在るのよ」
瞑目する。脳裏に浮かぶのは自分よりも高い背の、けれど華奢な女性の姿。
今の自分が、決して会うことを許されない、愛しい恋人。
「私は贖罪しなければならない。彼女を裏切った咎、彼女を失った罪、彼女に背負わせた重荷、それら全てと釣り合うだけの贖いで以って、何時の日か私は必ず彼女を出迎える」
おかえりなさい、と。当たり前のように言って、そしてずっと言えなかった言葉を。見失った彼女を、もう一度捕まえる為に。
「だからね、アルセス。私は、こんな所で、終わるわけにはいかないのよ!」
吼えると同時、クレアノーズはその胸目掛けて突進した。

65Qlairenose fim te Ers(9):2006/08/09(水) 00:29:18
鮮血が飛散する。アルセスの槍はクレアノーズが突き出した右腕の掌から骨を粉砕して肘先までを貫いていた。クレアノーズが左手で持った刀を翳し、振り子を眼前に持ってくる。
「無駄だよ。連結槍の権限を奪うつもりだろうけど、そのくらいは僕も読んでる。奇襲ならともかく、意識していれば権限を奪われるような事は無い」
「ハ・・・、それは、どうかしらね」
「何?」
訝しげに眉を寄せたその瞬間、アルセスは唐突に自分の後方から急速に接近してくる気配を感じ取った。
「何だ、今更誰が・・・」
そこでようやく思い当たったのは、彼が最初に考慮した可能性だ。
もし、クレアノーズの刀がただのブラフであり、彼女自身が囮でしかないとしたら?そうであるなら、後方から接近してくるその気配こそが本命である可能性が高い。
「糞っ」
毒づいて、突き刺さったままの槍を一気に引き抜く。クレアノーズを弾き飛ばし後方を振り向こうとして、
「な、に?」
その腕が。槍を持った彼の腕が、斬り飛ばされていた。
唐突に現れた少女がクレアノーズが投げた刀を掴み取り、振るった。言葉にすればそれだけのことが、アルセスには信じられない。何故なら、彼女には一切の気配が感じられず、扉が開く予兆すらも感知できなかった。
ワレリィではない、とアルセスは思った。少女は漆黒に染め上げられた服装と髪を持っていた。肌の色さえ黒檀のそれだ。この外見で、こんなことが可能なのはただ一人。
「ノシュトリかっ!」
失念していた。姉妹の一人、ウィッチオーダーの斥候たる、気配を分離させる能力の持ち主。分離した気配は遠隔操作可能であり、本体を察知する事は不可能に近い。
槍が離れていく。断たれた腕が落下していく。考え得る限り最悪の事態に、彼は。
気付いてしまった。より劣悪で、考えたくも無い事実に。今の今まで、ずっと自分が間違っていたという事に。
灰色に。塵や埃が舞うように、世界の残滓が虚空に浮かんでいる。さながらそれは、悪夢の顕現。
「残念無念、ひっかかったねアルセス神?」
ここにきて。先刻まで彼と相対し続けた女は、ようやく彼自身と目を合わせた。クレアノーズとは似ても似つかない、けれど完璧に彼女を再現した力は。
「カルル・アルル・アの灰園―――その姿は幻影かっ! アコロアト!!」
「その通りだよ。少し読みが浅かったね? 『自分』で言うのもなんだけどさ」
眼前の少女、アコロアトは長い髪を靡かせて、アルセスと全く同じ声色と口調で言い放った。
「浮遊するのに道具使って、刀はクレアねえに借りた本物だけど。姿までカルルとビレリアに遠隔幻術で誤魔化してもらったからね。いつばれるかと冷や冷やものだったよ」
「馬鹿な、それなら、クレアノーズは一体何処に・・・・・・」
言いかけて、ようやく気付いた。自分の後方に迫る、高速の気配。
それが、すぐ傍まで来ていることに。
振り向くが、誰も居ない。ただその先にノシュトリの気配という不可視のものが存在するだけだ。
そう思った、次の瞬間。
何も無い空間から、銀色の光が溢れ出て、まるで虚空という卵を破って孵化する雛鳥の様に。
気配の中に封印されていたクレアノーズが、解放されると共に哄笑を上げてアルセスの胴を袈裟懸けに切り裂いた。

「キャッハハハハハハハッ!! 貴方の負けよアルセェェス!!」
槍を掴み、彼の右腕を切り刻む。彼女が携えているのは、もう一振りの振り子の刀。
「誰も一振りしか無い、なんて言ってないのよ間抜け!! クク、アハハハハハッ、素敵素敵なんて素晴らしい血飛沫でしょうアルセスゥゥッ!!」
大地に膝をつき、最早息も絶え絶えの少年を見下ろしながら恍惚と叫ぶクレアノーズ。その顔を狂気に歪ませ、刀を振り上げる。
「さあお終いよアルセス。貴方はここで死に絶え、そして私たちは永劫に貴方如きに運命を左右されずに済む。レーラァとセレブレッタが悲しむでしょうけど、二人には我慢してもらうとしましょうか」
アコロアト、ノシュトリに左右を固められ、アルセスに逃げ場は無い。
いや、そもそも逃げる余力が残っていなかった。彼に刻まれた傷痕は、いつもなら一瞬で治る筈の体そのものを恒常的に破壊する呪いの傷だ。
アルセスはクレアノーズを睨みつけた。ここで終わるわけにはいかなかった。
彼の目的、それを達成するまでは―――。
しかし、無常にも刃は振り下ろされる。クレアノーズの哄笑を耳に、アルセスは歯を食いしばって目を閉じた。

66Qlairenose fim te Ers(10):2006/08/09(水) 00:44:48
振り下ろされた銀色の閃光は、しかし割って入った金色の光によって停止させられた。
誰もが――アルセスでさえもが――目を瞠った。
そこにいるのはここに居る筈の無い者。金糸の髪と全身に纏わせた鎖で刀を受け止める、かつての同朋、外なる姉妹。
フラベウファが、其処にいた。
「無事ですか、主様」
「どうして・・・ここに・・・?」
フラベウファは、有り体に言って満身創痍だった。
見える肌は焼け焦げ、全身に裂傷が刻まれ、その裂傷が呪いで腐り始めている。
だが、それでも。彼女は主を抱え、後方に跳び退るだけの余力を残していた。
「逃げ足だけは、誰にも劣ることが無いと自負しております」
言いながら、彼女は鎖を解き放った。波打つ鎖の鞭は三人を打ちのめし、近寄る事を許さない。
「う・・・済まない、フラベウファ」
「喋らないで下さい。お体に障ります」
フラベウファは背後に鎖を移動させ、円を描くようにして振り回す。
「何をする気っ」
気色ばんだクレアノーズが駆けるが、無数に踊り狂う鎖によって進路を阻まれる。
やがて、鎖で描いた円の中に光が満ち溢れる。
クレアノーズは気付いた。これは『扉』だ。
「稚拙なものでは在りますが、この場から脱するには充分と言えましょう。
それではクレア姉様、失礼をば・・・」
そう言って、かつての妹と、その主たる少年は、その場から姿を消した。

67Qlairenose fim te Ers(11):2006/08/09(水) 01:04:02
「終わりましたか58」
声は、いつも通りに後ろから来た。
振り向くと、そこにいたのは少年のような妹だった。
「ええ。一先ずは、ね」
クレアノーズは右腕の治療の為に運ばれていったアコロアトを思い、続々と集結しつつある姉妹の主戦力を見た。
ウィッチオーダーを始めとして、テンスナンバーなどの強力な姉妹が一堂に会し、今後の方策を練るのだと言う。
「貴方も大変ね。連絡役として飛び回らないといけないのでしょう」
「全然平気ですっ76」
元気良く答える彼女は、ふと声を縮めて言う。
「姉様、元気ありませんね・・・7?」
「そう? ・・・・・・そうかしら」
クレアノーズは、何故だかアルセスを取り逃がした時、特に悔しさや無念を感じなかった。どうしてだろう、と思う。自分は彼が嫌いで、自分を脅かす外敵である筈なのに、どうして。
答えは出ない。何が彼女を揺るがせたのか。何が彼女を苛つかせるのか。そういったものが分からないまま、クレアノーズは歯軋りを続けた。

ケルネー・ハーディリー著 『鼻晒のクレア』第三の紀 終

68【ウィータスティカと魔女アルセス】(1/7):2006/08/10(木) 08:17:06

キュトスの姉妹の二十五番、槍の紀神と同じ名を持つ魔女アルセスは
あるとき行き倒れているところをウィータスティカの三精霊に拾われた。
その出遭いは偶然に過ぎなかったが、幼い魔女と三人の精霊は徐々に絆を深め合った。
紀神と眷属の闘争に倦んでいた三精霊は、
やがてか弱い魔女アルセスを守ることに生きる価値を感じるようになる。

69【ウィータスティカと魔女アルセス】(2/7):2006/08/10(木) 08:20:51

三精霊と魔女のこの上なく穏やかな日々は、突然に終わりを迎える。
突然現れた紀神アルセスが、魔女アルセスに襲いかかった。
自分と同じ名を持つ少女の存在が、言語戦争で不利に働くことを恐れたためだ。
三精霊の長男アリアローは紀神アルセスの前に猛然と立ちはだかる。
彼は妹ダワティワに魔女アルセスの身を託し、紀神との死戦に赴いた。

70【ウィータスティカと魔女アルセス】(3/7):2006/08/10(木) 08:22:38

アリアローに促され、ダワティワは魔女アルセスを連れて駆け出した。
しかしアリアローの命を賭けた足止めは、そう長くは続かなかった。
その槍で兄を屠った紀神アルセスは、やがて逃れるダワティワに追いつく。
身を挺して少女をかばい、致命傷を受ける長女ダワティワ。
彼女は残る全ての命を魔力に換えて、少女アルセスを末弟の元に送り届けた。

71【ウィータスティカと魔女アルセス】(4/7):2006/08/10(木) 08:23:25

命を狙われる幼い少女を残酷な紀神の目から隠すため、
三精霊の末弟テンボトアンは偉大な父ラニミーフの遺体を掘り返す。
大魔女トルソニーミカの協力と父の遺した魔力によって、
テンボトアンはウィータスティカに厳重な結界を拵えた。
結界によって少女アルセスを隠した直後、紀神アルセスがテンボトアンの前に現れた。

72【ウィータスティカと魔女アルセス】(5/7):2006/08/10(木) 08:24:12
紀神アルセスはテンボトアンを打ち負かし、魔女アルセスの所在を問うた。
しかしテンボトアンは決して口を開こうとしない。
テンボトアンの不断の意志を見て取った紀神アルセスは、
彼の目の前でその兄アリアローと姉ダワティワの死体を辱めはじめる。
テンボトアンは血の涙を溢れさせたが、それでも屈しはしなかった。

73【ウィータスティカと魔女アルセス】(6/7):2006/08/10(木) 08:26:46

紀神アルセスはこの勇気ある末弟に期待することをやめ、彼に槍を突きつけた。
魔女アルセスよ、姿を現せ。さもなくばテンボトアンの首が飛ぶ。
三度そう声高に叫んだとき、魔女アルセスが結界から飛び出した。
テンボトアンを殺さないでと、涙を流しながら紀神アルセスに駆け寄った。
紀神はこの上ない笑みを湛え、その槍で幼い少女の心臓を貫いた。

74【ウィータスティカと魔女アルセス】(7/7):2006/08/10(木) 08:27:24

ウィータスティカには、末弟テンボトアンだけが生き残った。
兄も姉も、守らねばならなかった少女も死んでしまった。
テンボトアンは心を喪った。
後年彼は、世界を呑み込む大紀竜オルガンローデの製造に携わる。
その動機が紀神アルセスへの無限の復讐心からだったことは、想像に難くない。

75ある婦人の手記:2006/08/10(木) 13:33:15
思うに、私のような平凡な主婦がこのような怪事に関わる事になったのは教会で神父様が言うように自分の不徳のせいではなく、恐らくは人の理の届かぬ所で進む怪奇なる現象によってであろう。人知の及ばぬような、決して触れてはならないという、そうしたおぞましい事々に対して我々人類が出来る事など少ないが故に、私はここにせめてもの抵抗を残したいと思う。願わくば、この手記が私と同じ境遇に陥った誰かの助けになりますよう。

私の夫が戦地から帰還してきたのは夏も過ぎ去りやや涼しくなってきた秋のことである。海軍の機関士であった夫は特別な怪我も無く、私の願いどおりに無事に帰ってきてくれた。夫を出迎えた瞬間は日頃大して信じていなかったデーデェイア神に心から感謝したくらいだ。
ただ、一つだけ奇妙な点があった。夫の体が、以前に比べてふくよかになっていた気がするのである。元来夫は痩せぎすの男で、背丈こそ高いが横幅はそれほど無いのだ。しかし今の夫は腹や腕の肉付きが私よりも良いくらいであり、戦場で戦っていたというのにこれは一体どうしたことかと疑問に思ったのだ。
しかし、戦いで疲れているだろう彼にこんな事を尋ねるのは憚られた。私は奮発して外に風呂を用意し、お湯を沸かそうとした。しかし、夫の反応は激烈だった。熱湯は止めろ、張るなら水にしろと言うのである。
この言い種に私はまたしても違和感を覚えた。夫は熱い風呂が好きである。
大衆浴場の温度では足りないといって、贅沢をして私に鉄の缶を高熱で沸かさせたものであった。
奇妙なことは、それ以降にも続いた。
まず、夫は肉類を食べなくなった。豚の腸詰や羊肉、山羊のミルクを一切口にしなくなった。その代わり、海藻や魚などの食品を好んで口にする様になった。
まだある。夫は、家の中を模様替えし始めた。手始めに部屋の壁を青く塗り潰した。そして、何処から持ってきたか分からない、粘土細工や陶器の置物を置き始めた。その形状が、何と言うか、言い表せないおぞましさに満ちていたので、私は大層不気味に思ったのだ。
また、夫は祖父母から信仰していたデーデェイア教を止めた。夫の言い分では戦場で神を信じることが出来なくなったという事だったが、その時の夫の口調は奇妙な抑揚で、なにか粘つくような薄暗い響きを持っていた。
しばらく経ってみると、変化は顕著になった。夫は見る見るうちに肥満化していったのである。髭は伸び、腹と胸は膨らみ、目は落ち窪み、首は脂肪に埋没する。そして、身長がはっきりと分かるほどに縮んで行ったのである。
ここにきてようやく私は異常な事態が進行していることに気がついた。部屋に飾られた畸形のインテリアは蛸や長虫、その他なにかおぞましいものを表しているように感じられ、夫は毎日それを眺めては陶然としているのである。
ある日、私は夢を見た。遥か海底の奥にある、広大な都の夢を。
そこでは七本足の人間が一つの目玉を動かしながら岩石を運んでおり、ぬめぬめした細長い種族が魚を捕獲していた。その都市で最も権力の強い種族は蛸のような触手を持つぶよぶよに太った背の低い化け物であり、なんとなくその姿は、夫を連想させるものであった。時折感じる地響きは、なにか、とてつもなく巨大な生物がいることを示していた。
夢は毎晩続いた。そうしているうちに、私はようやく気付いたのだ。
自分の身体もまた、ぶよぶよと太ってきていることに。
気のせいか髪の毛が薄くなり、反対に髭が薄らと伸び始めた気がする。
そして、不思議と私は外界と接触して助けを呼ぼうと言う気にはならなかった。
ある日私は目撃した。夫が奇妙な文言をその指をしゃぶりながら唱えているのを。その言葉は、例の粘着質な響きのせいでよく聞き取れなかったが、私にはこう聞こえた。
「リク・リク・リク・ェテリケ・テロッテ・リク!」
その言葉は、一度聞いただけで私の耳に焼き付いて離れなかった。
そうしてしばらく経って、私はいつしか夫の奇行を影で覗きながら、自分もその奇妙な文言を繰り返し呟いている事に気がついた。そう、自分の指をしゃぶりながら。
口から手を出した時、私はとても恍惚とした気分になった。とうとう私の指も吸盤が生まれ、長く伸び始めていたのだ!!
夫は疾うの昔に長い十本の触手を伸ばし、眼球から光を発する術を獲得していた。羨ましい。私もすぐに夫に追いついて、夢に海底都市テロテに旅立つのだ。その為に夫はずっと待っていてくれるのだから、私も頑張らねば。
リク・リク・リク・ェテリケ・テロッテ・リク!!!!

76タマラの冒険(鍼)(7):2006/08/11(金) 10:23:26
蒼き竜フールクワイラッハと共にブリシュールとの決戦に赴いたワタクシですが、なんと言うことでしょうか、ブリシュールの正体は妖精に化身した悪魔。
それが後の世に言う十八魔王が一人、魔王アグラー=ストスムスとワタクシとの、最初の対峙でした。
かの魔王は貴族から魔王に成り上がった稀有な方であり、公の場に私服で登場するようなフランクフランキーな殿方でもあります。
今回の彼も、目の前に竜の大部隊とワタクシとコマタとヘルサルさまを前にしてパジャマ一枚という無防備な服装でした。
いいえ。いいえ。
決してわたくし達は寝込みを襲うなどという卑劣な真似はしていませんわ。エーラマーン様に誓って。
ですが睡眠中とはいえ流石は魔王。鼾で竜の大群を怯ませ、寝返りでヘルサル様の指を切り落とし、歯軋りでフールクワイラッハの戦意を喪失せしめました。
こうなればこちらの戦力はワタクシたちしかおりません。これでもワタクシ、通信勇者講座で二級まで登りつめた身ですから、そこらへんの魔王くらいならチョチョイのチョメチョメで倒せる実力はありましてよ。
えいやぁっ、という掛け声と共に砂糖の塊をぶつけてやると、魔王アグラーは一瞬にして砂糖菓子になりました。
しかし次の瞬間悲劇は起こりました。砂糖菓子になった魔王は、魔王菓子アグラーとして復活したのです。
彼は、いえ。今では菓子はと呼んだほうが適切ですわね。
菓子は竜の大部隊に自分を食べさせ満腹にして墜落させたり、虫歯にしてみたりと恐るべき攻撃によって完全勝利を収めたのです。
菓子は言います。タマラーよ。また何時の日か会おう、と。
ワタクシと菓子は再会の時を予感しながら、今一度の別れを告げたのでした。

77 球神の御子(2):2006/08/11(金) 17:53:11
鉄格子の向こう、見張りは居ない。
仄かに地下を照らす明かりを目の端に捉えながら、レイシェルは強く違和感を感じる。
見張りはいた筈だ。少なくとも、自分がこの地下牢に押し込められる前までは。その直後に気を失った自分を放置してもいいと判断したのか、それとも偶々ここから見えないだけなのか。
鉄格子は縦に下がった金属柱のみであり、横の柵は無い。腕が隙間から伸ばせる時点で碌な作りではないが、今はそれがありがたい。
限界まで顔を鉄格子に近寄せて通路を窺うが、人影は見当たらない。
すう、と息を吸う。素早く済ませるのがベスト。確実に済ませるのがベター。腕を通して、外側の鍵穴をその手に握る。
軽く力を込める。レイシェルは静かに息を整え、体内の空気を一度全て吐き出した。
イメージは、全身からあらゆる気体を放出するというもの。
エリーワァの姫君が言っていた。放たれた瞬間、その先に在るものが「無いもの」だと思え、と。
世界にあるのは呼気一つ。貴方が解き放ったキなるモノが及ぼす現象こそがキュラギなのです。
自分の憶えの悪さに始終舌打ちしていた彼女だったが、唯一この儀式的行為の出来だけは誉めてくれたものだ。
レイシェルは、指先の爪から毛先に到るまで、透明な何かが流れ出していくのを感じた。穏やかな清流のように滑り込んでいくエネルギーが鋼鉄の錠に触れた瞬間、レイシェルはその鋼鉄のイメージを全精力でもって消しにかかった。
そんなものは存在しない。自分の手の中にあるのは、先刻川から掬った水だけである。冷たい感触、鉄ではなく水、錠ではなく空。
空、空、空虚、虚脱、無、空白、白、白、黒、黒でなく、無色、透明、透徹。
四角でなく、円。円にして、球。
それを。球をイメージしろと。彼女は、彼女は、エリーワァの、姫君、姫君って呼ぶのやめなさい、姫、殿下、じゃあなんて、昨日一日で、初対面、でも、自分は平凡な農民、農民、球神? 御子 神子 巫子 ソレハナニ。


・・・・・・・・・・・・見えた。
瞬間だった。レイシェルの骨格の中心点、全ての関節部から音を立てて軋んだ潤滑油のようなそれは掌から滲み出し、錠前を包んだあとゆっくりと球状に包み込んでいく。
魔法だ、とレイシェルは思った。成功したのは四回目だ。一度は憶えてもいない子供の時。二度目は好きな娘に自慢したくて使ったとき。三度目はエリーワァの姫君に見せた時。
それがあなたの天性よ、という声が、何処からか聞こえた。
球状の液体に包まれた錠前は、レイシェルが握り締めるとそのまま霞と消えた。

78東亜年代記(5):2006/08/22(火) 18:52:16
草原の朝は早い。
背の低い津次山脈から昇る日が一日の始まりを告げる。三日の強行軍だったが、兵の士気は高い。
此度の戦に於いて投入された兵は二万。
錘下草原に展開した部隊は五隊に分かれ、左右が突出する緋蝶の陣で進軍している。
彼方に見えるは陽下の軍勢、天下に名を轟かせる二刀歩兵である。
『林江(リンコウ)』の将、新田時雅は口許に嘲笑を浮かべた。
陽下の軍勢は、斥候と事前の調査が示す数としては、総数一万二千。おそらく
実質的に戦えるのは一万に満たないだろう。
菱妓篤盛の代に入ってから、あの国は軍事力を衰えさせた。貿易にかまけた菱妓は、遂に自国の状況すら推し量れなくなったというのは最近では良く聞く話である。
朝廷の動きも不穏な中、少しでも隙を見せれば食われるのが世の常である。
新田は両翼を展開させた。狙うのは、多数を利用した包囲攻撃である。
両軍が、激突を開始した。

79【キュトスのタマゴ】:2006/08/30(水) 14:10:08

 まったくの偶然で、妙な卵を孵す羽目になってしまった。
切っ掛けは馴染みのスーパーで食用玉子を一ダース買ったときだ。

「おいおっさん、この玉子だけなんか種類が違わないか?」
「ん? あーあ、何だこりゃ? 誰か悪戯で混ぜやがったんかな。
 悪いね、後でバラ売りんとこから勝手に一個持ってってくれや」
「こっちの変なのはどうすりゃいい?」
「ああ、うちに置いといてもしゃーないからな。取っといてくれりゃあいいよ」

 取っとけと言われても、俺だってこんな食えるかどうかも分からん玉子に用はない。
扱いに困っていると、近所のアルセスってガキが教えてくれた。

「それはキュトスの卵だよ。最近ちょっとしたブームでね。
 一週間も温めると可愛い魔女が生まれるよ」

 なんと、タマゴと言えば中は黄身と白身だけだとばかり思っていたが、
たしかにそれ以外のものが出てくる可能性だってあるわけだ。

 生まれるものがあると知ってしまうと、処分するわけにもいかなくなった。
正直気乗りはしないのだが、このまま放置というのも薄情だろう。
妙に嬉しそうなアルセスから手順を教わって、ひとまず卵を温めることにした。

80【キュトスのタマゴ】(2):2006/08/30(水) 14:47:31

 お湯やらタオルやらを用意で頻繁に卵の温度調節を繰り返す。
何日か世話していると、遂にタマゴにヒビが入った。
ヒビは瞬く間に大きく広がり、殻がぱらぱら零れ落ちると中から幼い顔が覗いた。

81【キュトスのタマゴ】(3):2006/08/30(水) 18:11:56
「ぴぃ」
中から生まれたのは、小さな少女だった。
俺はソイツにてきとーに「ニースフリル」と名付けた。なんとなく犬っぽいソイツは、頭に犬の耳を生やしていたからだ。

82世界が砂ばかりだったころの話*01:2006/09/03(日) 14:37:53
今は昔、世界が砂ばかりだった頃の話。
砂の大地の果てに1つの部族がありました。この部族の長は世襲制で、今の酋長
には5人の息子と10人の娘がいて、一番上の息子と二番目の息子が後継候補で
した。
この二番目の息子は酋長になりたくてたまりませんでした。なぜなら一番上の兄
が酋長になってしまうと、伝統に則って、酋長の息子たちは部族の人々に食べら
れてしまうからです。
死にたくなかったので二番目の息子は上の兄よりも優秀なことを証明しようとし
ました。
このころ日々の糧を得る手段は狩猟でした。二番目の息子は槍を持って狩りにで
かけました。日の暮れた頃、二番目の息子は人の背丈ほどもあるトカゲを背負っ
て集落に戻りました。人々は感嘆し、次の酋長は二番目の息子に違いないと囁き
合いました。そこに一番目の息子が戻りました。一番目の息子も狩りの帰りで、
男が四人がかりでないと運べないほどのトカゲを持ち帰りました。人々はどよめ
き、遠巻きで酋長が深々とうなずきました。二番目の息子は苦い顔をしました。
その瞬間、二番目の息子の背負うトカゲが暴れ始めました。まだ生きていたので
す。二番目の息子のびっくりしている間にトカゲは逃げてしまいました。それを
人々は大口を開けて笑いました。あれは獲物に止めもさせないのか、情けの無い
! そして遠巻きで酋長が唾を吐きました。
二番目の息子は思わぬ辱めを受けましたが、落胆する暇はありませんでした。な
ぜなら一番目の息子が勝負を挑んできたからです。一番目の息子とて死にたくな
いのです。生きるためならば、弟とて追い落とします。

83世界が砂ばかりだったころの話*02:2006/09/03(日) 14:38:57
一番目の息子の勝負とは、井戸作りでした。この砂の大地の下には縦横に水脈が
走っています。砂を取り除いて岩盤に穴を開ければ、清々しい水が吹き上がりま
す。先に水脈を探し出し、井戸を掘り抜いたほうが勝ちでした。
太陽が姿を現すと、2人は同時に集落を出発しました。一番目の息子は東に、二
番目の息子は西に向かいました。一番目の息子が水脈を探していると、人々が集
ってきて手伝い始めました。二番目の息子が水脈を探していると、人々はすれ違
うたびに無言で唇を歪めました。二番目の息子は恥ずかしくて走るような勢いで
西の彼方へ歩きました。
集落からだいぶ離れたところで二番目の息子は良い場所を見つけ出しました。そ
こは砂丘の底で岩盤が露出していました。最近起きた嵐で砂が巻き上げられたの
でした。
二番目の息子は元気を取り戻して穴を開け始めました。岩盤はとても硬かったの
で、穴の開いたのは日が暮れた頃でした。
ふと砂丘を見上げるとラクダに跨った一人の人物が駆け下りてきます。その人物
は夕日を背にしていたので、二番目の息子は誰だろうかと目を凝らしました。
だから二番目の息子は気づくのが遅れました。その人物が棍棒を右手に握ってい
ることを。

84世界が砂ばかりだったころの話*03:2006/09/03(日) 14:39:48
ラクダは駆け下りてきます。二番目の息子とすれ違った瞬間、騎乗の人物は棍棒
を振るいました。
二番目の息子は音も無く倒れ、その頭から水ではないものが流れ出し、砂に染み
込みました。
騎乗の人はラクダから降りると、二番目の息子をさらに何度も殴りつけました。
それから染みの付いた棍棒を空に突きつけ、
空よ割れて雨風を降らせよ
風は地を潰すほど吹きつけ、雨は槍のように太く鋭くあれ!
続いて砂丘に棍棒を突きつけて、
砂が空を舞い、水に混じり、地に積もるものならば、即刻立ち去れよ
でなければ、永遠に自由を失って奉るものなき墓石となれ!
それだけ呪いの言葉を吐くとその人物は棍棒を井戸に投げ込みました。そしてラ
クダに跨ると東に向かいました。東に向かうとそこには二番目の息子の集落があ
りました。人物はラクダの歩みをゆっくりにして中に入って行きます。
住人が騎乗の人に話しかけました。
「お帰りなさい。弟殿は見つかりましたかな」
「どこまで行ったのか、十の砂丘を越えても見つからない。獣に襲われたのでな
ければいいのだが」
「…………襲われたのならば、あなたが次の酋長です。みなが歓迎するでしょう

 二番目の息子を殺したのは、一番目の息子でした。

85世界が砂ばかりだったころの話*04:2006/09/03(日) 14:41:08
 その夜は月夜でしたが、夜中になるとすすり泣くような風が吹き始め、地の果
てでは雲がもうもうと立ち始めました。そして酷い嵐が来ました。
 砂漠に降る雨はとても激しいもので砂の海を水の海に代えました。
 その雨が止むと水は地下水脈へと浸透していきます。
 地下水脈でぷかりぷかりと浮いていた二番目の息子の身体は流されていきまし
た。そしてあるところで岩盤にひっかかりました。
 その辺りの岩盤は長細い裂目が入っていて夜になると月明かりが差し込みまし
た。
 青白い光に照らされた二番目の息子の顔に僅かな生気が薫ります。二番目の息
子は瞬きをしました。そして一瞬だけ目を刺した光にまだ自分が生きていること
に気づきました。けれども五感の何もかもが漠然としていたのでそのうちに死ぬ
のだと思いました。とてもとても寂しいと感じました。兄に対する怒りや無念よ
りも悲しさが溢れてきて、涙が零れました。まるで槍で胸に大穴を開けられたよ
うな喪失感でした。
 そんな二番目の息子の様子を見ているものたちがいました。そのものたちは遥
かな高みにいました。二番目の息子を照らす月にいました。
 「あの青年を助けようではないか」
 「君は物好きだな」
 「あれは面白い人間だ。本当は強いくせに甘くて死んだ。同情を誘うよ」
 「同情だけかね?」
 「いや。もちろん面白そうだからだ。あれが機会を与えられたらどうするのか
。兄を殺しに行くのか、それとも新たな人生を選ぶのか」
 「―――――新たな人生として何を望むのか」
 「そうだ」
 「では、あの青年に槍を落とそう」
 月のものたちは槍を手にすると、青年に向かって投げました。槍は銀の糸のよ
うに宙を滑り、岩盤の細い隙間を抜けて、青年の胸に刺さりました。

86世界が砂ばかりだったころの話*05:2006/09/03(日) 14:41:42
 翌朝、二番目の息子は波の音で目を覚ましました。そして辺りを見回しました
。二番目の息子は海に浮いていました。どうやら地下水脈から海へと流されたよ
うでした。
 二番目の息子の目は海岸を捉えました。それで二番目の息子は身体の自由が聞
くことに気づく間もなく泳ぎ始めました。身体の傷が癒えているのに気づいたの
は砂浜に辿り着いた時でした。
 砂浜にうつ伏せに倒れたまま二番目の息子は荒い息を吐きました。そして顔に
手をやりました。そして驚きました。顔中毛だらけでした。触ってみるとどうや
ら首から上にだけ異常があるようでした。
 恐る恐る海に顔を映して見ました。そこには見たことも無い首が映っています

 それは猫という存在の首でしたが、砂漠から出たことの二番目の息子には判り
ませんでした。
 二番目の息子は困ってしまいましたが、どうすることもできず、とりあえず、
砂の上に倒れました。
波打ち際に近かったので足を波が洗います。
やがて二番目の息子は笑い始めました。最初はくすくす笑いでしたが、やがて大
口を開け始め、最後には息もできないほどの爆笑を始めました。そして叫びまし
た。
私は自由だ!
顔こそ獣になったが、私はどこにでも行ける、何でもできる!
なにより!
誰かを追い落とすために生きなくてすむ!
そして猫頭の青年は飛び起き、どこかへ走り去りました。

<終わり>

87【キュトスのタマゴ】(4):2006/09/03(日) 17:28:42

「そうそう、それはニースフリルだよ」

 アルセスにはそう説明された。
俺が名づけるまでもなく、こいつはニースフリルそのものだったようだ。
姉妹の38番目、得意な科目は考古学で趣味は遺跡漁りということらしい。
考古学はともかく遺跡漁りに連れて行くのはなかなか難しそうだ。

 一晩寝て起きると、ニースフリルはもう喋るようになっていた。
アルセスが言うには言葉の覚えが異常に早いというわけではなく、
卵に還る以前の記憶を少しずつ取り戻しているということだ。

「あんまり変な奴でもないみたいだね。まあひと安心。
 これからしばらく、世話になるからよろしくね」

 このニースフリルというのは、魔女の中ではなかなか扱いやすい部類に入るらしい。
我侭は言わないし、こちらから無茶をしない限り暴れることもない。
魔女達の騒ぐ声がアルセスの家からいつも絶えないことを思えば、なかなかに幸運だった。

88冥府からの脱出*01:2006/09/10(日) 10:16:57
 今は昔、葬式のやり方といえば水葬だった。人々は死者を棺に納めて川に流していた。棺は川を下って海に辿り着き、波に乗って世界の果てに流れ着いた。この時の世界は平らだったので、棺は海水とともに落下して冥府に着くものだった。
 冥府に着いた棺を死神たちが仕分けをした。蓋を開けて、死んだ身体から魂を抜き出し、秤にかけた。そして重い魂は砕いてから月に打ち上げ、軽い魂はぺしゃんこにして風に任せた。薄片になった魂は風に吹かれてどこかへ飛んでいった。
 ある時「これは一体、なぜなのだろう」と1体の死神が呟き、仕分け作業の手を止め、水平線を見た。波のない暗い水面の上、遥か彼方まで棺が並んでいる。どれもこれも小さかった。小さいのは子供用の棺だからだ。

89冥府からの脱出*02:2006/09/10(日) 10:18:08
 「なぜ子どもばから流れてくるのか」とその死神は隣にいた死神に尋ねた。
隣の死神は言われて初めて子どもの棺ばかり流れてくるのに気づいたようだった。そして「子どもがたくさん死んだから子どもの棺が流れ来るのだ」と答えた。
「それは判っている。その理由を知りたいんだ」
「知らない。そんなことには興味がない」
尋ねた死神はお話にならないと思ってその場を離れた。そして「地上のことは地上のものが詳しいだろう」と冥府の奥に下った。
冥府は命を失ったもののいくところだったが、その深部にはたくさんの命あるものがいた。というのは冥府に挑戦するものが後を絶たないからだった。あるものは不死を手に入れるために、またあるものは死者を蘇らすために冥府へと下った。そしてそのことごとくが冥府の主から罰を与えられた。
罪人たちは捕らえられると、その魂を抜かれて不死の身体に移し変えられてしまう。そして冥府に生息する空飛び鮫の餌にされてしまう。空飛び鮫は海の鮫と同じく凶暴であっという間に獲物の内臓を根こそぎ喰らってしまう。けれども罪人たちは不死の身体なので喰われる倍の速さで元に戻る。再生するまでの間、空飛び鮫は空腹に苛立ちながら罪人を中心に周回する。冥府の主はそうやって絶え間ない苦しみを罪人たちに与えていた。

90冥府からの脱出*03:2006/09/10(日) 10:19:26
 死神は疑問を抱いて阿鼻叫喚の中を下っていく。そして1人の男の前で立ち止まった。その罪人は腹から腸を引きずり出されていたが、眉をひそめるだけで声1つ上げていなかった。苦痛に飽きたような表情だと死神は思った。
 この男こそ命あるものの中でもっとも深く冥府に下ることのできたものだった。
 死神は空飛び鮫を追い払うと尋ねた。「最近子どもの棺ばかりが流れてくる。地上では何が起こっているんだろうか」
 男は生えてきた腹の肉を触りながら「戦争か、流行り病だろうよ。でなければ、火山の爆発か地震さ。」
 「それにしては数が多い」と死神は言い、空を指差した。空には月が出ていた。その月に向かって銀の小片が昇っていく。数があまりにも多い。まるで空を埋め尽くすかのようだった。
 「これは」と男。「絶滅戦争をしているのかもしれない」
 「絶滅戦争?」
 「種を滅ぼすために行われる戦争だ。敵対種族をことごとく何の例外も無く皆殺しにしてしまう」
 「そんなことが――――――いや、待て。棺に入っていたのは人間だけだ。絶滅戦争ではないだろう」
 「いや。人間は人間相手に絶滅戦争を仕掛けるよ。肌や使う言葉が違えば、人間にとっては別の種族も同然だ。おれは何度もそういうものを見てきたよ」
 「野蛮だな」
 「まったくだ。あんな馬鹿をしないで済むようにしてやりたかったんだがな」と男は傷だらけの自分の身体を見た。男は冥府に挑戦するもの中では変り種で、知識を求めて下っていた。
 「それで死神よ」と男。「お前はどうするんだ。絶滅戦争を知ってどうするんだ」
 「…………何かする必要があるのか」
 「あるね。知った以上は何かをすべきだ」
 「お前なら何をする」
 決まっているだろうと男は唇を歪めた。
 死神は不意に恥ずかしさを感じた。そして死神はその場を立ち去った。すると空飛び鮫が男に寄って行き、喰らい始めた。

91冥府からの脱出*04:2006/09/10(日) 10:20:46
 それ以来、死神は仕分け作業を怠るようになった。そして時折、空を眺めては地上を思い、罪人の男の問いかけを反復した。そんなある日、冥府は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。というのはあの罪人の男が脱走を企てたからだった。けれどもすぐに捕まってしまった。
 死神は思った。私もまた地上に行こうと。思い立つと行動は早いもので死神は冥府の主に許可を求めた。しかし冥府の主は仕分け作業を命じるだけで許可しなかった。
 それで死神は仕方なく黙って地上にいくことにした。地上への道を登っていくと他の死神に声をかけられた。
 「どこへいくのだ」
 「あなたには関係のないことだ」
 「地上にいくのではないか」
 「まさか」
 「地上にいくのだな」
 「そんなわけない。私に難癖をつけるのか」
 「やはり貴様は…………!」
 そんな押し問答をしていると他の死神がわらわらと集ってきた。そして地上へ行こうとした死神はみなから叩きのめされ、冥府の深部に捨てられた。
 身体のどこもかしこも痛くて仕方がなかった。けれども死神は歯を食いしばって立ち上がり、深部の奥を目指した。そこにはあの罪人の男がいた。
 「酷い有様だな」と男。「俺のせいと文句を言いに来たのか」
 「文句がないわけではないが、言いたいのは別のことだ。お前は地上を目指しているな?」
 「もちろん。おれにとって冥府は一時の宿だ、まあ千年以上も滞在するはめになってしまったが」
 「では、私に協力しろ。1人では地上にいけない。私と一緒に行こう」
 「ふむん。でも、いいのか。おれは地上に行ったら何をするかわからんぞ」
 「その時はその時だ。私は私の心に従いたい」
 男は微笑を浮かべた。人間にだけできる美しい表情だった。冥府に来る時にもきっと同じ顔をしたのだろうと死神は思った。そして死神もまた同じように笑おうとした。
 死神と罪人は地上に向かって歩き始めた。
 <終わり>

92【キュトスのタマゴ】(5):2006/09/12(火) 17:03:28
 生まれたのが静かな奴でよかった……という俺の安心は、
しかし数日後にはすっかり打ち砕かれていた。

「ニース! ニース! 遊ぼ! 遊ぼ! 遊ぼ!」

 家の表からけたたましい叫び声が響いてくる。
アルセスの家で暮らしているキュトスの魔女フラベウファが、
連日のようにうちに押しかけてくるようになったのだ。

「まったく、小姉さんは仕方ないなあ」

 フラベウファの声に反応して、ニースフリルは読んでいた本を閉じる。

「じゃ、ちょっと相手してくるね。
 あーあ子供のお守りは大変大変」

 仕方ないと言いつつ、ニースフリルもまんざらな顔ではない。
 玄関に出ると、フラベウファが喜色を顕わにして立っている。

「ニース、ニース、今日は何して遊ぶの?」
「そだね、じゃあこの家の中を探検して回ろっか。
 小姉さんは探検隊長、私は考古学者」
「わぁい! 御同行宜しくお願いします教授殿!」
「お前ら、頼むからもの壊さんでくれな……」

 貴重な休日も、この連中の相手だけであっさり潰れる。
普段は大人しいニースフリルも、興が乗ればフラベウファ並みに手に負えなくなる。
この前などは、埋蔵金を発掘するため本気で床を掘り返そうとしていやがった。
今さらながら、この卵を俺に押し付けた市場のおっさんが恨めしく思えてきた。

93魔女達の呟き:2006/09/25(月) 02:06:10
自らの殺めてしまった男の死体の前でアンリエッタは呟く
「あなたのこと、もしもっとよく分かっていれば、きっと嫌いじゃなかったんです。愛してあげることもできたかもしれないんです。でも、私にはそれが出来なかった。きっと貴方が悪いんじゃない、でも私が悪いんでもないと思います。誰が悪いなんて、きっと分かりませんよね、永遠に」
ふと、その頬を伝った涙に、あぁ、これが哀しいと言うことなんだ、と彼女は気付いた。
こんな感情は知りたくなかった、と彼女は思う。
けれど、もう遅かった。
「だから、人は地獄と言う贖罪の場を考え付いたのですね」
次第に体温を失い、あとは朽ちていく肉と血の塊になった彼の頭を抱え、その髪を優しく撫でながら彼女は、もう聞こえていないと言うのに彼に囁きかける。
「それでも、私はその地獄にすら行くことができないんです。きっとこれが罰なんですね」
返答は無く、塔の暗闇と静寂だけが彼女を包んでいた。
「もし、許されるのなら、それが出来るのなら、せめて私はこの名前を、貴方が付けてくれたこの名前を残したいと思います。貴方の愛の証として、そして私が犯した罪の証として」

「ふん、せっかく感情をあげたのに湿ってるねぇ」
塔の外、その魔法を使って塔の中の出来事を見守っていたムランカは言った。
「せっかく力を得て、しかも自由になったんだから喜んでもいいじゃないか。復讐だって遂げたのにさ」
彼女は塔から踵を返し、その場を後にしようとする。
この後のことは自分の知ったことではないし、どうすることだってできないからだ。
「でもさ、ほんの少しだけ、あんたのこと羨ましいよ」
彼女の呟いた、その言葉は誰の耳にも伝わらない。
さぁ、とふいた一陣の風に乗って、その言葉はどこかへ運ばれてしまったからだ。
そして、その風の行方は、彼女にはもちろん、誰にも分からないことだった。

94夜のハルバンデフ:2006/09/25(月) 02:44:19
「ふん、また今晩も現れたか」
幕舎の中、一人ハルバンデフは呟く。
それは、毎晩、ハルバンデフが独りになると現れる。
「毎晩、毎晩よく飽きないものだ。お前には感心すらする」
彼はそれに対して言った。
「余が怯えるのを待っているのか、だとしたら見当違いも甚だしいな。もう余には怖いものなど無い。いや、怖がることなど許されないのだよ」
彼の言葉に、それは無言だった。
「それとも自分の恨みを余に伝えようとでも言うのか?理解はしてやろう。だが、だからと言って余は公開などせぬぞ」
ふん、と鼻で嘲笑うようにして彼は言う。
いつも部下達の前で無口な彼には考えられないほど、その時のハルバンデフは多弁だった。
「それが証拠に、今日も戦で多くの敵を殺してやった。命乞いをするものもいたが、聞き届けてはやらなかった。思いつく限りの非道をもって殺してやったわい」
無言と静寂
しかし、それでもハルバンデフは己が非道を誇るようにしてそれに語った。
それでも無口なそれに対し、とうとうハルバンデフは感情を爆発させる。
「言いたいことがあるのだろう!だったら言え!恨みでも、呪詛でも、何でも言えば良いではないか!。なぜ無言のままなんだ、カーズガン!」
その時になって、やっとそれ、カーズガンの幽霊はハルバンデフに語りかける。
「お前を恨んじゃいないよ、ハルバンデフ。お前に殺されたことも、部族を皆殺しにされたことも、何も恨んじゃない」
「俺はお前の妻を殺したんだぞ!、俺自身がかつて愛していた女をこの手にかけたのだぞ!。それを恨まないとでも言うのか!?。だったら余程の馬鹿かお人よしだよ、お前は!」
「殺したのはお前じゃない。彼女は自害だった。他の男に辱められることを、そしてきっとこれ以上俺に抱かれることすら拒んで自らの死を選んだんだろうな。死んでからやっと分かったよ」
「だったら、なぜ俺の前に現れる!」
ハルバンデフは床に敷かれた高価な絨毯を乱暴に、そして踏みにじるようにして蹴りながら叫ぶ。
「俺の前に現れるんだったら俺を責めろ!、苛め!、恨め!、呪え!、今の俺は諸国から恐れられる、そして恨まれて呪われる「魔王」だ!。きっとこれからも、未来永劫そうだ!」
「だからだよ、ハルバンデフ。だからお前が哀れでこうして現れるんだよ」
激高したハルバンデフは、やにわに腰の剣を抜き、そして渾身の力でそれに対して投げつける。
しかし、剣は実体を持たないカーズガンの幽霊を通り抜け、幕舎の壁を切り裂いただけだった。
「お前は本当はそんなことができる人間じゃない。だが、今やお前にはその生き方しかできない。周りが、そして世界がその生き方しか許さない。だから、それがあまりに哀れでこうして現れるんだ。せめて俺だけがお前を分かって、許してやろうと思ってね」
「五月蝿い!、許しなどいらない!、必要ない!。去れ、消えろ!」
彼が叫ぶと、それは消え、幕舎にはまた彼一人だけが残された。
「今更……もう、遅いんだよ」
彼は両拳を握り締め、わなわなと身体を震わせながら呟いた。
「陛下?」
幕舎の外を警護していた兵士が恐る恐る幕舎の中を覗き込みながら言う。
「何か?」
「いえ、今幕者の中で何事かが起きたのかと……」
「何も起きてはおらん」
「しかし……」
「何も起きてはおらん。余がそういうのだからそうに決まっておろうが」
兵士は「はぁ」と答えて、警護に戻ろうとした。
下手にこの「魔王」の逆鱗にふれては、たとえ自分が何者であれ、自分の命、いや下手をすれば関係者全員の命が危ういことを知っていたからだ。
「待て」
しかし、自らの職務に戻ろうとしたこの兵士をハルバンデフは呼び止めた。
「今日落とした城の姫君を捕虜にしていたな」
「はい、王族の娘と言うことですが……」
「連れて来い」
「は、しかし……」
「余に意見するのか?」
 ハルバンデフに睨まれ、兵士は慌てて、王族の娘を連れてくるためにその場から離れた。
 ……無茶苦茶にしてやる、犯してやる、種を植え付けてやる、その身体に、心に敗北を刻み込んでやる
 ハルバンデフは思った。
 だが、彼は知っていた、きっとそれらを行っても自分の気が晴れないだろう事を、そしてまた翌日になればカーズガンの幽霊が現れ、彼のその行為を哀れむだろう事を。
「……世界が、俺をそう生きるようにしか許さない、か……」
 彼はカーズガンの言葉を思い出して呟いた。
 切り裂かれた幕舎の壁からは、わずかに月の光が差し込んでいた。
 その月の光は、彼が戦いの末にカーズガンを殺めてしまったあの晩の月と同じ月の光だった。

95ムランカの戦い(1):2006/10/09(月) 16:12:28
「……結局、塔から出なかったんだね、あんた」
 薄暗い塔の中、闇の先に向かって眉を顰め、その美しい顔をしかめてムランカは言った。
「折角自由になれたのに、どうしてそれを謳歌しなかったわけ」
「分かりません……何度もこの塔の外に出ようとはしたんです。でも、駄目でした」
「……わからないねぇ。もしかして罪悪感とか感じている?。あんな奴、死んで当然だったんだよ。あんたが罪悪感を感じる必要なんてこれっぽっちもないね」
 闇の先から返答は無かった。
 その闇に一歩踏み出そうとしたムランカに、「あぁ、ごめんなさい」と声がかけられる。
「今の姿、見られたくないんです」
 その言葉に、ムランカは彼女に何が起きているのかを察知した。
「……朽ちかけ始めているんだね」
「はい、もう左腕は一週間前に崩れ落ちちゃって……」
 不憫だ、とムランカは思う。
 「いつか朽ちる肉体」を持っているのはムランカも同じだ。だが、彼女の肉体は朽ちるときは一瞬だし、その朽ちる瞬間までは歳をとることはない。そして彼女の記憶はもちろん、意識も次の肉体に引き継がれる。だから「いつか朽ちる肉体」の寿命が来て朽ちることなど、彼女にとっては永遠の時を生きることの、退屈しのぎのイベントでしかない。
 人間の『死』とは本質的に違うのだ。
 だが、目の前の闇の中にいるアンリエッタにとっては違う。
 イレギュラーなキュトスの姉妹である彼女の肉体は歳をとるし、記憶は引き継がれても意識は、「奔流たる意識」に飲み込まれて存在するとは言え引き継がれない。そしてその肉体が朽ちるのも一瞬ではなく、ゆっくりと少しづつだ。
 それは人間の『死』に等しい。
 いや、それよりも拷問だろうと思う。
 病気や怪我によってではなく、崩壊の果てにもたらされる確実な『死』。
 それが始まれば、決して奇跡など起き得ず、ただ明確な結末だけが用意されている。
「それで、次の肉体は……決めてないよね」
「はい」
 ムランカの眼前の闇の先、アンリエッタは静かな口調で素直に答える。
「この10年、塔から出ることはありませんでしたから。それに、もう、足も萎えちゃって動かないんです」
 それに、こんな姿の『魔女』の後を継ごうなんて人、いませんよ、とアンリエッタは言った。
 健気なぐらいに素直だ、とムランカは思う。
 「いつか朽ちる肉体」が朽ちるとき、ムランカは相手の同意など得ない。
 その予兆を感じたら、そうなる前に用意していた候補の中から適当な相手の前に現れ、無理矢理言いくるめてその身体を文字通り『奪う』のだ。
 その肉体の意識は自分の「奔流たる意識」の中に飲み込まれ、本体たる自分に微々たる影響を与えることはあっても主体である自分に大きな影響を与えることはない。それが彼女にとっては当たり前な行為だし、それを疑ったことはもちろん罪悪感も感じたことは無い。それは息をするような、食事をするような当然な行為なのだ。
 ……なのに、彼女は
「それで、どうするつもりなのさ、あんた?」
「このまま消えちゃうのは駄目でしょうね」彼女は言う。「私の前にもこの意識を引き継いできた人達がいるんですよね。私が消えたらその人達が生きてきた証が消えてしまう……そんな勝手、許されませんよね」

96ムランカの戦い(2):2006/10/09(月) 16:13:03
 衝動的に彼女はそれをやってみたいと思うことがある。
 ……消えてしまう……存在しなくなる……居なかったことになる
 永遠の刻を生きる、言い換えれば死を許されない彼女には、その『死』に等しい行為は時に甘美に思える時がある。
 そして実際にそれを実行しようとした時もあった。
 ……それを止めたのは誰だったっけ?……コキューネーだったか、宵だったか、それともシャーネスかハルシャニアだったか……他の人間だった気もする……思い出せない……あまりに古い出来事だから……でも、何故かそいつ泣いていたな、あの時
 その事件の後も彼女には『死』の持つ意味など分からなかった。けれど、今、少しだけ『死』の持つ意味が分かった気がした。
 『死』は一つの世界の崩壊なのだ。
 ……そして、この娘はその事を知っているんだ……まいったな、あんた並みのキュトスの姉妹より遙かに賢いよ
「それじゃ、こうしない」
 ムランカは闇へと一歩踏み出す。
 闇の中でアンリエッタは息を呑み、ムランカを制止しようとするが、ムランカの歩みを止めることは出来なかった。
 闇の中で、ムランカはアンリエッタの姿を見た。彼女が言った通り、その身体はあちこちが朽ち始めていた。けれど、不思議とその姿が醜いとはムランカには思えなかった。
 そして、アンリエッタは見た、ムランカが胸元に抱えていたそれを。
 ムランカは、それをアンリエッタの残った片方の腕に優しく抱かせた。
 それは静かな寝息をたてて眠っていた。
「あんた知らないだろうけどさ、この先で馬鹿な人間達が戦争をやらかしたのさ」
「じゃ、この子は……」
 腕の中で赤子は目を覚まし、そして無邪気な笑みを浮かべながらアンリエッタに手を伸ばす。
 アンリエッタはなれない手付きで、赤子を揺すってあやした。
「この先の集落でね、死んだ母親が必死に抱いていた。彼女は最後までこの子を守ろうとしたんだね」
「……この子に後を継がせろと。でも……」
「大丈夫だよ。あたしがこの子、いや、あんたか、あんたが独り立ちできるまで面倒は見てやるよ」
 自分の腕の中の赤子の笑顔。
 それは彼女に一つの希望と一つの不安を抱かせた。
「アンリエッタと言う名前はね」その不安に応えるようにムランカは言う。「不幸になるための名前じゃない。幸せになるための名前さ。だからこの子、あんたはきっと幸せになれる。次はきっとね……」
 その言葉に、アンリエッタはようやく意思を固めた。

97【キュトスのタマゴ】(6):2006/10/12(木) 17:56:37
ちび共の相手をするのも疲れるので外に出た。
ついでに記帳でも済ませておこう。
最近は入るのも増えたが出費も増えた。合わせればトントンだ。

「やあ、ナプラス。フラベウファがいつも悪いね」

玄関で鉢合わせしたアルセスには、まったくだと答える。
アルセスの両手にはハルシャニアが抱きかかえられていた。
彼女が全身水びたしなのを見る限り、海に行った帰りなのだろう。

「機嫌が良さそうだな」
「まあ、そうね」

すました顔で頷くハルシャニアの様子は、やけに大人びて見える。
海で遊んだ直後のこいつは、いつもこんな調子らしい。
昨日フラベウファと一緒になってどたどた騒ぐハルシャニアを見ていた俺は、
彼女の見違えそうな態度に少し驚いた。

98氷の玉座(1):2006/10/16(月) 02:43:01
「この玉座は冷たい」
象牙と白磁、そして白豹の革で作られた純白の玉座を見て男は呟く。
「まるで座ると凍てつくようだ。『北方諸侯による連合帝国』、いや『北方帝国』というその名に相応しいぐらいに座った人間を凍てつかせる」
男は玉座の皮の手触りを確かめるように撫で、そして腰を下ろした。
かつて男はこの玉座に憧れていた。
いつかこの玉座に腰をおろし、広大な国家の全てをその手に統べることを夢見ていた。
そして、夢は叶った。
誰かの力によるものではなく、自らの力によって。
北方帝国を構成する諸侯全ての代表者にして北方帝国の皇帝。
それが彼だ。
けれど、手にしてみればその玉座は彼の思い描いていたものとは違った。
玉座は『皇帝』と言う人間を超えた存在のために作られたものでは無かった。
『皇帝』と言う人間のために作られたものでもなかった。
「人形のための椅子だったのさ」
皮肉な台詞を口にして彼は口元を歪める。
確かにその通りだった。
「北方帝国」という国家に、意思を持って政を行う『皇帝』という個人は必要ではなかった。
この国にとって必要なのは、諸侯達の代表者である央機卿の決めた政に対して「よきに計らえ」と一言答えるだけの人形だった。
「だったら、最初から精巧な人形でも作って座らせておけば良かったのさ」
無論、そのシステムのメリットというものを彼は知らないわけではない。
皇帝は君臨し、央機卿の政に対して許可と言う名の看過を行う。そうすれば、その政が失政であっても責任を負う事は無い。
そして、その事は何があっても国家と言う名の体制は維持されることを意味する。
「つまらん」
だが、彼は思う。そのような体制の下に『皇帝』と呼ばれ、玉座に座らせられるのは、生きて氷漬けにされるようなものではないかと。
だから彼は皇帝になった時に、少しづつ央機卿の権限を奪い、自らの権限を増やしていった。
「俺は氷漬けの人形にはならない。生きた、暖かい血の通う、人間としてこの玉座に座る」
しかし、その対価は、央機卿達による寵妃を使った暗殺未遂というものだった。
彼はじっと自らの両の掌を眺める。
寵妃を抱きしめ、愛し、その体温を確かめた掌だ。
だが、その寵妃は、もういない。この世のどこを探してもいない。
「央機卿制度の廃止の代償の対価と考えるべきなのだろうな……いや、俺が『皇帝』という名の人間になるための対価と考えるべきか」
だが、その対価は高すぎたのではないかと思う。

99氷の玉座(2):2006/10/16(月) 02:44:06
玉座に深く腰掛け、彼は皇宮内を通り過ぎていった風を感じた。そこには微かながら春の香りがした。
「あの娘はこの風を感じることは無かったな」
不憫と感じるべきなのだろうか、と彼は迷った。
だが、彼女だって央機卿の陰謀は知っていたし、加担していた張本人なのだ。
「ふん……」
彼は呟き、玉座に頬付けをつく。
国政権は手に入れ、北方帝国史上初の皇帝による親政は始まった。だが、国の経済を発展させようと、いかなる政策をとろうと貴族達や領主達、軍閥達はおろか国民の誰もがそれを快くは感じていないようだった。
「どんな善政を施こうと、また悪性を施こうと結果は同じだろうよ。結局奴らが欲しいのは『皇帝』という名の人形なのだからな」
気付くのが遅すぎた、と彼は思わないことも無い。
国盗り物語に憧れて、傭兵生活を捨てて皇帝へと上り詰めた彼だったが、これなら傭兵稼業の方がましだったか、と思わぬこともない。
「どうしたものかね」
「陛下」その時だった、皇帝の間に一人の官僚が入ってきたのは。「バキスタ卿より使者が参っております」
「バキスタ卿だと?」
彼は眉を顰める。直接の国交の無い西方諸国との外交は、名目上はどの国からも独立している機関であるバキスタ卿を通して行われる。
回りくどいことだ、と彼は思うが、西方諸国より無理矢理独立を勝ち取ったこの国の代償のようなものだ。
「要件は聞いてあるな。簡潔に申せ」
「『草の民』ハルバンデフの征伐を我が帝国に依頼したいとのことです。代償として戦費の負担と、成功の暁には褒章を出すと……」
褒章とはね、安く見られたものだ……
バキスタで西方諸国が、『草の民』の王ハルバンデフに大敗したことは彼も知っていた。その損害からおそらく、同じ規模での戦など、あと何年も叶わぬ話であろうことも彼は知っている。
断ってみるのも面白い話だな、と彼は思った。その場合、西方諸国は大混乱に陥るだろう。その大混乱の後で、兵を出して西方諸国を併呑してしまうのも面白いかもしれない。
かつての植民地が今度は宗主国になるのだ。
だが、まてよ、と彼は思う。受けてみるのも面白いかもしれない。揃えられるだけの兵を揃え、そして開国以来未曾有の戦争を起こすのだ。
「そうすれば、この国の体制も国民の感情も全てを狂わせ、壊すことができるかもしれない。その時こそ、人形ではない、人間の『皇帝』がこの国を治めるようになるのだ」
「陛下?」
「良い、使者と謁見しよう。すぐに参るので、謁見の間に待たせておけ」
彼は玉座より立ち上がり、そして振り返った。
「お前は、何人もの『皇帝』を人形にして凍りつかせてきた。だが、それも終わりだ。終わらせてやる」
彼、パトゥーサは大きく一歩を踏み出した。
それは、気を抜けば自らを凍りついた人形にしてしまう玉座の魔力からの脱出のための一歩であるはずだったが、彼にはまだ未来は見えなかった。

100氷の玉座(3):2006/10/18(水) 02:32:58
「それで兵は集まっているか?」
「今のところ、予定の8割というところです」
短期間でこの数は上々だ、と彼は玉座に腰掛けながら思う。
戦は嫌いだ、などと人は言うが、金さえチラつかせれば現実はこんなものだった。
もともと北方帝国における失業率は決して低いものではない。
未だに北方帝国を新天地と考えて、西方諸国から移住してくる人間が少なくないからだ。
だが、近年の航海技術の発展によって発見された新大陸と違い、北方帝国が未開の新天地だったのは遙か昔の話だ。
今では有望な鉱山や開拓地など、既に国有化されているか誰かに所有化されているかのどちらかだ。
文化や商業のレベルとて、西方諸国と肩を並べるまでに発展している。
よって今更この国に来たところで、安い賃金で小作農か鉱夫、その他の日雇い労働者になるか、さもなければ失業者として帝都の周辺のスラムにでも居を構えて餓死か、万に一つも無い幸運でも待ち受けるより他に無い。
そんな彼らに平均以上の報酬をチラつかせてみれば、兵は面白いほどに集まった。
また、兵として集まってきたのは失業者や低所得者だけでは無かった。
地方の中小貴族や軍閥達も競って兵を差し出してきたのだ。
理由など難しいことではない。開拓時代は終わったと言うことだ。
最早はっきりと各諸侯の領土の境界線が引かれて区切られた北方帝国において、自らの領土というものは戦争によって功績でも立てない限り増えることなどありえないのだ。
「今の状態で既に、かのバキスタにおける戦の軍勢にも負けるとも劣らぬ兵力でしょう。しかし……」
「分かっている」
彼は答える。
彼が集めるように命じた兵力は、西方諸国が支払った戦費を既に上回っている。
バキスタにおいて、決して無傷ではなかった蛮族一つ滅ぼすのにこの軍勢は大げさではないか、という意見もあった。
これだけの兵を維持するのには多額の金が必要だ。帝国の脅威になりかねないとはいえ、蛮族一つ滅ぼすのにこれだけの兵力は必要なのか?、という意見には実は彼も同意するところはあった。
だが、あえて彼はこの兵数に拘った。
「壊すのさ、この国の全てを。そして再生させるのさ、新しい帝国を。そして新しい『皇帝』を」
「陛下?」
「集めた兵たちは閲兵広場か?」彼は聞いた。「よし、集まってくれた兵達に閲兵を行おうぞ」
「御意に。既に準備は整っております」
彼は立ち上がる。
もう玉座は振り向かない。
もう一度そこに腰を下ろす時、彼は、もはや玉座の魔力をもっても自分が氷漬けの人形にはならない存在になっている自信があったからだ。
廊下に出た時に、窓から差し込んだ夕焼けがいつもより暗いことに一抹の不安を感じなくも無かったが、彼にはよもや自分が負けるであろうなどとは考えられなかった。

101氷の玉座(4):2006/10/21(土) 02:49:56
「陛下、お気づきになられましたか」
従事官の声に瞼を開いてみれば、そこには既に見慣れた天幕の天井があった。
彼は自分が寝台に横たわっていることに気づき、「どのぐらい私は眠っていたのだ?」と側の従事官に聞いた。
「3日ほどです、陛下」
「そうか……」
そう呟き立ち起き上がろうとした彼だったが、肩に激痛を感じて、思わず呻き声を上げていた。傷は思っていたより深いようだった。
「陛下!!」
「大丈夫だ……」彼は激痛に耐えるべく歯を食いしばりながら答える。「それより我が軍はどうなっている」
その問いに、従事官は回答を躊躇った。だが、彼にとってその躊躇いこそが、如何なる言葉よりも現状を物語っていた。
彼は再び床に伏し、瞼を閉じて今までの戦いの経過を振り返る。
緒戦において彼の軍隊は草の民の軍隊を文字通り蹴散らし、予定より遙かに早いペースで草原の深くまで侵攻した。
幾つかの戦闘はあったが、その全てに彼は鮮やかなまでの戦争の手腕を見せて圧勝し、やがて組織的な抵抗はなくなった。
彼の軍の進む先々で、草の民達は全てを捨てて部族から逃げ出すようになった。そう、文字通り徹底的に全てを捨てて……
井戸は潰すか毒が投げ込まれ、家畜は全て連れて行き、連れて行けない家畜や穀物は消し炭になるまで焼いて、彼らは逃げた。
食料は敵地で調達するのが兵法の王道だったが、こうまで徹底されてはそれは不可能だとしか言いようが無かった。
そして、更に進軍を続け、草原の中央にまで進んだ頃、事件は起きた。
後方で本国から補給物資を届けるための部隊が襲われたのだ。
戦いが有利に進んでいる、と言っても戦争の要たる補給部隊を決して無防備な状態で運用していたわけではない。むしろ、どの国の軍隊より厳重な警備を付けていたぐらいだ。
それが圧倒的な兵力の元に蹴散らされたと言うのだ。
……そうか、草の民の主力は既に我が後方に回っていたか。本拠地を捨て、兵站の破壊に全てを費やすとは流石だ。
意味の無い進軍をさせられたということに苛立ちながらも、戦術面の負けても着実に戦略面での勝利への布石を打っている敵を流石だと、彼は素直に驚嘆し、賞賛した。
……この戦いはこれが潮時だ。これで我々も本来の計画に戻れる
補給戦を絶たれる危機にあるというのに彼に焦りはない。むしろ、これで草の民と講和を結び兵を本国に戻す機会が出来た、と彼は内心ほくそ笑んだ。元々彼にとって草の民に勝つことがこの戦争の目的ではないのだ。
草の民には適当な勝利を得ておき、最終的な止めを刺さずに本国へ軍を戻す、そしていけしゃあしゃあと西方諸国に報酬を要求する。無論、西方諸国はこの要求を突っぱねるだろう。だが、これこそが本来のこの戦争の目的だ。
報酬の不払いを理由に、草の民との戦争で鍛えられた軍を西方に進軍させる。バキスタの戦いに敗れた西方諸国には最早、この軍に抵抗するだけの兵力は無いだろうし、あの戦いで、幾つかの国が戦わずして兵を引いたことで彼らは北方帝国に対抗するべく連合軍を組織することなどできないぐらいに互いに疑心暗疑にかられているはずだ。
そうなれば中小国の一国か二国、いや、下手をすればあのリクシャマー帝国を落とす事だって夢ではない。
戦争が終わった後で帝都を、『白の都』と言えば聞こえがいいが、結局は冬は極寒に閉ざされるソフォフから暖かいどこかの都市に移してやるのだ。
そして、領土の拡大を理由に統治体制を徹底的に変え、貴族や領主、そして軍閥達を徹底的に整理してやるつもりだった。
そうすれば帝国は変わる。もはや人形の『皇帝』を氷の玉座に縛り付けることで成立する国家ではなくなる。
それが、彼にとってのこの戦争の目的だった。
……ここまでは上手くいっていたのだがな
今にして思えば自分はハルバンデフと言う男を、いやこの戦いを舐めていたのかもしれない、と彼は思った。

102メト・ハレクが語るフルフミブァルムの神話伝説・種族の起源(1):2006/11/07(火) 23:06:23
兄弟種族ジャドナゲンの友アーム・ラルドメクセトへ。
今回は我々の祖先の起源について書き伝えようと思います。

その昔、我々の祖は緑の雲から地上に振り落とされたといいます。
その数は百を超えていましたが、その半分は地面に叩き付けられた衝撃で
死んでしまいました。残ったのは五十三人。かれらが私達フルフミブァルムの祖となりました。
我々にそれ以前の歴史があったかどうかはわかりません。雲から落ちた祖先は
姿はすでに大人であったにも関わらず、何も知らなかったからです。
そんな小児のごとき祖先を拾い上げ、育て上げた偉人がいます。
厚衣のアルフレイムと呼ばれる人です。この人は常に分厚い衣で全身を覆い、
顔面にはさらに雄獅子を模した大きな仮面をかぶっていました。しかも
誰の前でもそれを脱ぐことがなかったので、彼の種族が何だったのかは解らずじまいです。
彼は我々の種族に『フルフミブァルム(緑の雲から来たもの、の意)』と名づけ、
我が子のように可愛がって、生きていくために必要な知識や技能を教えました。
アルフレイムの知恵は相当なもので、成長していく祖先の質問にも正確無比かつ懇切丁寧
に回答しました。しかし彼がそれほどの知識をどこで学んだのか等、彼の過去に
関する質問にだけは答えませんでした。

103星の楽園の物語(1/5):2006/11/12(日) 03:52:00
昔々ある山の村に、星を眺めるのが大好きな女の子がいました。
女の子は昼は寝てばかり、夜になると一晩中、星をながめていました。
「朝なんて来なければいいのに」
と朝が来るたびにつぶやきました。
女の子にはお父さんもお母さんもいませんでした。
だからひねくれた性格になってしまったのだと、女の子の住んでいた村の人々は思いました。
だけど、その村の人々は優しかったので、その女の子を可哀想にも思って
みんなで面倒を見てあげていました。

ある日、男の子が星を眺めている女の子に尋ねました。星の特に綺麗な夜でした。
「きみはいつも星ばかり見ているけど、何がおもしろいんだい?」
女の子は答えました。
「私が星を見ていると、その星のことがみんなよりもよくわかるの。それがおもしろいのよ。
 その星がどこにあるのかとか、どんな人がそこにいるのかとか」
男の子は驚いて言いました。
「星に人がいる?そんなバカな。星っていうのは、空に描かれている絵なんだよ。
 アルセスがキュトスのために描いてあげたんだ。アルセス・ストーリーに書いてあったよ」
女の子は何も言いませんでした。男の子はさらに言いました。
「ねえ、たまには星を見る以外のこともした方がいいよ。明日、僕と一緒に泉に行こう。
 水は綺麗だし、動物や鳥がいることもあるし、花も咲いてるよ」
女の子は返事をしませんでした。男の子は、溜息をついて自分の家に帰りました。

104星の楽園の物語(2/5):2006/11/12(日) 03:53:02
その日から、ほとんど毎日のように男の子は女の子を誘いました。
女の子は、決して男の子と一緒に行こうとはしませんでした。
しばらく経ったある日、その男の子はいつものように星を眺めている女の子を誘いました。
「そうだ、ちょっと遠いけど町まで降りるのはどう?町にはいろんなものがあるんだよ。
 大きな教会とか、珍しいおもちゃとか、変わった食べ物とか…」
「ありがとう。でもいいわ」
その日、男の子は諦めませんでした。
座って星を眺めている女の子の正面に立って、初めてその目を見つめました。
男の子は、そうして何か言おうとしたのですが、その言葉を忘れてしまいました。
女の子の大きな瞳は夜空のように暗く、そして星が輝いていました。美しい瞳でした。
「どいて。星が見えない」
「君の目の中に星がある!こんなの、見たこと無い」
男の子は、すっかりその目に見入ってしまいました。
「―――どいて」
女の子は、とても怒っていました。
男の子はようやくそのことに気付きましたが、すでに遅かったのです。
女の子の瞳の星が、ひときわ強く輝くと、そこから光の矢が飛び出しました。
光の矢が男の子の頭を貫くと、男の子はその場に倒れ伏せました。冷たい夜風が吹きました。
女の子は何が起こったのかわかりませんでした。すぐに人を呼びましたが、手遅れでした。
男の子のことについて、村の人々は大いに悲しみました。女の子もまた悲しみました。
いつもあんな態度でしたが、女の子は男の子のことが気に入っていました。
なぜなら、男の子はどこか、女の子が見る遠い遠い星に似た雰囲気を持っていたからです。

朝になると、みんなは集まって女の子のことを改めて考えました。
よく考えてみると、その女の子がいつ村に来たのか思い出せる者はいませんでした。
しかも、女の子が来てから少なくとも10年は経つのに、その姿は昔と全く変わっていませんでした。
村の人々はそのことを怖がりました。何故かそのことに気付かなかったことも怖がりました。
そして、村の人々は、その女の子を村から追い出すことに決めたのです。
村の人々はやさしい人たちでしたが、臆病な人たちでもありました。

105星の楽園の物語(3/5):2006/11/12(日) 03:53:55
村から追い出された女の子は、とりあえず夜まで一眠りして、それからこれからのことを考えました。
今まで何も考えてこなかった女の子には、何も思い浮かびませんでした。
いつものように、とりあえず星を眺めることにしたのです。
女の子は、すぐにひときわ明るい、女の子の近くにある星を見つけました。
今までそんな星を見たことは無かったので、女の子は不思議に思いました。
なんとなく、女の子はその星の方向に行ってみようと考えました。
そして、女の子の旅が始まりました。
見たことの無い星は、どういうわけか左へ右へ、何回も動いているように見えました。
だから女の子は、夜の間だけ、蛇のように曲がりくねりながら進んでいきました。
険しい山道でしたから、女の子は大変でした。昼間はぐっすりと眠りました。
日が落ちるとその星が真後ろ、つまり今まで通ってきた道の方向にあることさえありましたが
それでも女の子は、星に少しづつ近づいて来ていることがわかっていました。

12回目の夜でした。雲ひとつ無く、星は空に無数に輝いていました。
その時はもう、村の人々に貰った食べ物は無くなっていました。女の子も疲れていました。
女の子がいつものように星を追いかけていると、開けた高台に出ました。
星はものすごく近くに見えました。そこに、小ぢんまりとした館が立っているのが見えました。
その星は、その館の上で輝いていたのです。その時、後ろから声がしました。
「やっと見つけたね、イングロール!」

106星の楽園の物語(4/5):2006/11/12(日) 03:54:57
女の子は振り向いて、驚きました。そこには、死んでしまったはずの男の子がいました。
「君を外に出すには、これが一番手っ取り早いと思ってね」
「あなたは死んだんじゃなかったの?見つけたって、この館を?
 それと、私の名前はイングロールじゃないわよ。知ってるでしょ?」
「そんなに興味を持ってもらえるなんて嬉しいね。質問はひとつずつだよ」
男の子は右手を前に出して、人差し指を立てました。
「まず、僕はそもそも死んでない。死んだフリをしていたんだ。君をここに導くためにね。
 まあ、瞳を見るまで星夜光で撃たれるとは思ってなかったけど」
「星夜光?あれは星夜光って言うの?」
男の子は中指を立てました。
「2つ目の質問だね。そう。少なくとも故郷ではそうだった。君も僕の故郷を見たんだろう?」
「見たかもしれない。あなたが星から来たことはなんとなくわかってたわ」
「うん。そうだろう。じゃあ3つ目の質問に答えるよ」
男の子は薬指を立てました。
「そう。僕は君にこの館を見つけてもらいたかった。僕一人じゃここまで辿り着けないからね。
 君のように、星を読む力が無ければ、とてもこの場所を見つけることはできないんだ」
「それで、ここは何なの?」
男の子は小指を立てました。
「4つ目。この館は、星見の塔。かつてキュトスとアルセスが星を眺めた場所に立てられた館。
 この館は、灯台でもあるし、見張り塔でもある。観測台でもあるし、素敵な館でもある。
 館もすばらしいけど、この場所もすばらしい。少なくとも君にとってはね。
 そう、この場所には――朝が来ないんだよ」
「本当?本当なの?信じられない!」
女の子はとても興奮しました。夢にまで見た楽園が、ここにあったのです。
そして、にっこりと微笑むと、男の子にお礼を言いました。
「どうもありがとう」
「いやいや、君は自分の力でここに来たんだよ。それにしても、君の笑顔なんて始めて見るな」
男の子は空いている左手で頭を掻きながら、最後の指、親指を立てました。
「そう、喜んでくれて結構だけど、5つ目の質問を忘れてはならない。
 君の本当の名前はイングロール。キュトスの姉妹のイングロールだ」
「イングロール。変ね。そう思うと、私はすでにその名前を知っていたみたい」
「事実そうなんだけどね。忘れてただけなんじゃないかな」

107星の楽園の物語(5/5):2006/11/12(日) 03:56:12
「……さあ、もう質問は全部片付けた。あの光は、君の姉さんであるダーシェンカのものだ。
 君はこれから彼女に会って、話をしなくてはならない。キュトスの姉妹として。
 姉妹の詳しい話とかは、彼女から聞くことができるはずだよ」
「あなたは来てくれないの?」
「うん、残念ながらね。他に片付けることがたくさんあるんだ。もうここには来れないと思う」
イングロールは表情を曇らせました。ここでずっと星を眺めて、彼の誘いを断る。それが理想でした。
「ごめんよ」
イングロールは少し考えると、男の子に尋ねました。
「ねえ―――名前を教えてくれない?嘘のじゃない、本物の名前。
 私の本当の名前はイングロールだった。あなたにも本当の名前があるんでしょ?」
「鋭いね。教えてあげてもいいけど、約束して欲しいんだ。
 僕の名前と、僕が教えたことは誰にも言わないで欲しい。無論、これから出会う君の姉さんにも」
ダーシェンカの光で、男の子の顔ははっきりと見えていました。
イングロールはその星の輝く瞳で、しっかりと男の子を見据えて答えました。
「約束する」
男の子は、ゆっくりと、1つ1つの言葉の発音を確かめるように言いました。
「よろしい。僕の本当の名前は―――ハグレス。ハグレスだ」
「ハグレス。いい名前。青く輝く星のような響き」
ハグレスは笑いました。何でも星に結びつける、イングロールがおかしかったのです。
「君はやっぱり変わっているなあ」
「そうかしら?」

辺りに、冷たい夜風が吹きました。
風が収まると、イングロールは改まった態度で言いました。
「ハグレス。私は星空が一番目に好きだけど、あなたは二番目に好きよ」
「それは嬉しいね」
「だから、また会えるよね…?」
「それは君次第だね。約束を守ってくれるなら…」
女の子はすぐに力強く答えました。
「守るわ!」

イングロールに詰め寄りながら、ハグレスは言いました。
「―――それなら、きっと」
ハグレスは、イングロールの額にキスをして、はにかむように笑いました。
「―――また会おう!」
そして、ハグレスは、崖からさっそうと飛び降りました。
イングロールがその崖の下を見ても、星々も姉の光もそこを照らしてはくれませんでした。

108ムランカの戦い(3):2006/11/12(日) 23:23:47
「ねぇ、アンリエッタ聞こえるかい」
 闇の先、ムランカは尋ねる。
 闇の先に彼女は踏み出す気はなかった。いや、踏み出せなかった。
 だから彼女はずっと蹲っていた、アンリエッタが赤子を抱きながら闇に消えた後、入り口の所でずっと……
 そして無言のままだった……彼女には闇の先に語りかけることができなかった。
 けれど、その日になって、彼女はやっと闇に語りかけた。その事を黙っていることはそれ以上できなかったのだ。
「あたしの今の身体の持ち主はね、母親だったんだ」
 闇を包む静寂。
「彼女は多分幸せに成長して、幸せに結婚して、幸せに子供を産んだんだ。ところが酷い飢饉が起きてね。大分酷い飢饉だったようだよ。村の半分が餓死した、と聞いている。旦那がその時に死んだともね……」
 静寂の中で小さな息の音が聞こえた。それがアンリエッタのものなのか、彼女の横に置いた揺り篭の中の赤子のものなのかは分からない。
「食料も尽き、死を待つだけの集落に、ある日一人の魔術師の男が訪れたんだ。村人達だって魔術師一人にどうこうできるという問題じゃないことを知っていた。けれど、村人達は彼にすがった。そしてその男は、『幸運』にも王宮に縁のある人間だった。程なくして村には食料が運び込まれ、村は九死に一生を得た。けれど、事が終わり男が村に要求したのは『少女を一人』だった」
 小さな風が吹き、彼女の頬を撫でた。
 それは冬の訪れを予期させる冷たい風だった。
「村人達は当然ながら、それを拒んだ。けれど、男は要求が果たされないのなら食料を引き上げて、村を焼き払うと脅した。村人達は逆らえなかった。だから少女を一人選んで差し出した。嫌がる母親から無理矢理引き剥がすようにしてね。分かるよね、その母親っていうのが私の身体で……」
 ふと何かを感じてムランカは立ち上がり、闇へと踏み出す。
 闇の先では全てが終わっていた。
 寝台に散らばった灰と、やがて灰化するだろう髪……そして、その横で静かな寝息を立てる赤子。
「……眠ったんだね、アンリエッタ」
 自分でも気付かないうちに流した一筋の涙が彼女の頬を伝って地面に落ちた。
 そして、彼女は語りだす、堰を切ったようにその事実を……。
「その子の母親はね、ずっと己の所業を後悔し続けた。そして、程なくしてあたしが彼女の目の前に現れた。彼女はたいそう美しかったからね、あたしは彼女を騙して身体を奪うつもりだった。だからおいしい話を色々と持ちかけた。なのに……彼女はその話に反応を示さなかった。そして……」
 『奪って!』
 ムランカは彼女の言葉を思い出す。半狂乱になりながらすがる様にして、懇願するように彼女が言った言葉。
 『奪って!……私から何もかも奪って!。意識も!、理性も!、思考も何もかも……。いらない!、もう何もいらないの!。私に何も欲しがる権利なんて無い!。私に資格なんてない!。私はそういうことをしてしまった!。でも、救って……あの子が不幸になっているのなら救ってあげて』
「ごめんね、約束は守れなかったね」
 彼女は自分の中に取り込まれた御霊の一人に語りかける。
 しかし反応は無かった。
 彼女に取り込まれて、「奔流たる意識」に取り込まれた意識は、その精神力や資質が余程高くない限り、全体の中ではその存在は限りなく無に近くなってしまうのだ。
「あたしが見つけた時、既にあんたの娘は……」
 静寂の闇の中で、突然に赤子が目を覚まし、やがて泣き始めた。
 彼女は優しく赤子を抱き上げ、その腕の中で優しくあやした。
「アンリエッタはね、幸せになるための名前だ。そうでなきゃ嘘だ。だから……」
 彼女は服の胸元を緩め、その父を赤子の口に含ませた。
 安らかに、無心にそれを吸う赤子に、彼女は今まで見せたことが無いに違いない笑顔を向けて言う。
 彼女は気付いているのだろうか?、その笑顔が『母親』の笑顔であるということに。
「だから、その名前をあんたにあげる。幸せにおなり、あたしがあんたが幸せになれるように手助けしてやるから。それがあんたの義務だよ」
 乳から口を離した赤子は、彼女に笑いかけた。

109ハザーリャの罰(1):2006/11/25(土) 23:29:45
ある日、キュトスはふと思いました。自分には何かが足りない、と。
強さではありません。彼女はセルラ・テリスのようになりたいとは思っていませんでした。
賢さでもありません。ラヴァエヤナのようになりたいとも思っていませんでした。
美しさでした。いえ、女らしさといった方がいいかもしれません。
誰か他の神から、女らしさをわけて貰おうと思いました。彼女は誰にしようかと考えました。

ハザーリャという神がいました。
それ(ハザーリャは男でも女でもありませんから、こう呼ぶが普通なのです)は女らしさを持っていました。
そしてあまり偉い神ではありませんでした。そこで、キュトスはそれから女らしさを貰うことにしたのです。
しかし、ハザーリャは、私の女らしさは海と始まりを管理するためのものであり、それをあげるとすると
世界で色々と困ったことがおこるので、あげることはできない、と彼女の頼みを断りました。

しかしキュトスは諦めませんでした。
それが寝ている間(怠けているわけではなく、これもそれの仕事のひとつなのです)に寝床に忍び込んだ彼女は
その女らしさ、海と始まりを管理するためのものの一部を盗み取りました。
そして、キュトスはより美しく、女らしくなりました。アルセスはそれを見て驚き、喜びました。

夜月が沈み、朝が来ると、ハザーリャは自分の体の異変に気がつきました。
女性としてのそれの姿の背の高さは頭1つ分ほど縮み、目と鼻と胸が抉られていたのです。
力もうまく使えませんでした。静かだった海はそれの心臓に合わせて揺れ動いていました。
それはすぐにキュトスがやったと気付きました。
彼女の元へ行き、返して欲しいと頼みましたが、この女らしさが気に入っていたキュトスは断りました。
それとしては奪い返してもらっても良かったのですが、立場上、それは難しいことでした。
そこで、それは彼女に罰を受けてもらうことにしました。
それは、彼女から一切の「死」を奪うことを許して欲しい、と言いました。
彼女はすぐに許しました。それは、何があっても死ねなくなるが本当にいいのか、と重ねて問いました。
しかし彼女は深く考えず、それで気が済むのならと、むしろ喜んで、自分の「死」をそれに奪われました。
こうして、キュトスは不死の神となりました。

110ハザーリャの罰(2):2006/11/25(土) 23:30:44
キュトスは女らしさを望んではいましたが、海だとか原初だとかの力には興味がありませんでした。
そこで、その力を自分の持っていた武器のひとつに付加してみました。
そのハルシャニアという棒は、いくらでも海水を噴き出すことができるようになりました。
彼女はその新しい武器を大いに気に入りました。
ヘレゼクシュ地方にあるネイバース湖を創ったのは、このハルシャニアだという話があります。

それからずいぶんと経って、キュトスは殺されました。その原因は定かではありません。
彼女の身体と心は71個に切り裂かれ、世界に飛び散りました。
しかし、身体でも心でも無い、キュトスの魂とでも言えばいいのでしょうか。
それはまだ死なずに残っていました。そして痛みに苦しんでいました。
悲しんでいたアルセスは、彼女が未だに死の苦しみにのたうっていることを知って、さらに悲しみました。
そして怒って、ハザーリャの元へ向かいました。

アルセスはハザーリャを責めました。
しかし、それは自分が死を奪うことによって、どのようなことが起こるかは彼女に十分に説明した
よく考えずに了承した彼女に非がある、と反論しました。
アルセスは、それならばいっそ彼女に死を返して、殺してやってくれと頼みました。
ハザーリャは彼の必死な様子を見て承諾しましたが、しかし身体と心がバラバラになった今の状態では
死を返すことはできませんでした。キュトスを再び1つに戻す必要がありました。
死んでいないからといって生きているわけでもないので、彼女が蘇るわけではない。
しかし、1つになっているのなら死を与えることはできる、とそれはそう言いました。
こうして、アルセスはキュトスを苦しみから救うために、殺すために、旅に出たのです。
世界に散らばった71の彼女の破片を繋げ直す旅に。


(「終わりが続くことから始まる物語」第3章より)

111勇猛なるユンダリャー:2006/12/23(土) 20:30:17
勇士ユンダリャーはガリヨンテに仕える巫女から金剛石の聖剣を受け取り、ロワスカーグを四つに切り裂き、東西南北に封印した。
ユンダリャーは偉大なる英雄として称えられ、国中の尊敬と感謝を一身に集めた。
彼はそれ以降に現れるであろう全ての「ユンダリャー」の名前を懐く者はガリヨンテの加護を受けし偉大なる英雄になるだろうと言い残し、雷光と共に消え去った。
それから、後世においてユンダリャーの名を持つものは、歴史に名を連ねる偉人ばかりになったという。

112断章 1:2007/02/05(月) 15:27:42
というわけだから、シャルルは最後まで彼女に別れを告げることが出来なかった。
クレールの長い爪はシャルルに躍りかかった野犬の喉笛を鋭く貫き、彼女はその自慢の牙で犬の頭部に喰らいつく。勢い任せに崖下に転がり落ちていく一人と一匹を見送った後、シャルルはその場にへたり込んでいることしか出来なかった。数時間後、路上のど真ん中で呆けているのを新聞配達の少年に見つかるまで、ずっと。
それから、シャルルは死ぬまでクレールと、その奇妙な連れを目にすることは無かった。
野犬と縺れ合いながら転がり落ちていった少女がどうなったかも知らないし、【悪魔】と相対したもう一人がどうなったのかも知らない。
シャルルは全てが終わった後、一度だけあの打ち捨てられた館に行って見たことがあったが、恐る恐る覗き込んだ館の中は、相変わらず閑散として、そして相変わらず幽霊や悪魔の出そうな雰囲気のままだった。
ただ、あれだけ沢山いたはずの蜘蛛が一匹残らずいなくなっていたのだけが奇妙でならなかった。
結局の所、あの事件がシャルルにとってなんだったのか、いまだに自分の中でも消化しきれていない。けれど多分、あれは自分には本来関わり無い所で進行するはずだった事件で、自分は生来の悪運の強さでその断片を少しだけ覗き見てしまったのだろう、と思う。
何故って、でなければこんなにも平凡な自分が、吸血鬼と人狼を名乗る二人組と、悪魔の縄張り争いなんかに巻き込まれるはずが無いのだ。
それ以来、シャルルの周りでは奇怪な出来事や、頭を抱えたくなるような不運事は起きていない。
多分、一生分の悪運を、あそこで使い果たしたからだと、そう思う。

113メクセトと魔女 1章(1):2007/02/20(火) 01:21:56
「嘘……こんなことありえない」
 少女の形をした彼女は大きく目を見開いて呟いた。
 それはあり得ない出来事のはずだった。そんなことはあってはならないはずだった。
 だが、彼女の目の前の出来事は紛れもなく真実だった。
「何で……どうして?」
「ふん、お前、『魔女』か」
 彼女の目の前で、舞い上がった土煙の中、軽く左手を挙げた男は不適にも口元を歪めて言う。
 その姿が彼女には限りなく邪悪なものに見えた。
 恐怖、という彼女にはあってはならない感情が彼女の中で鎌首をあげる。
「面白い手品だ、もう一度やって見せろ」
 彼女は絶叫し、もう一度同じことを……彼女の知る限りの最強の攻撃魔法による力の塊を男にぶつけた。
 だが、結果は同じだった。
 まるで同じ刻が繰り返されたかのように、男は再び軽く左手を挙げ、力の塊は脆い何かが砕かれたように四散して、大気の中へと消えていく。あとには砂埃だけが派手に舞うのみ。
「嘘……嘘……こんなわけ、ない」
 それは彼女の渾身の力のはずだった。
 これに直撃されて地上に存在する物質があるはずはないのである。
 だというのに、目の前の男は傷一つなく彼女の前に立ちはだかっていた。
「やれやれ興醒めだな。栄華を誇りし、『ハイダル・マリクの切り札』がこの程度とはな」
 男は肩を竦め、彼女はその場に思わず座り込みそうになる。
「何者なのよ……何なのよ、貴方?」
「余の名前なら既に知っておろう」座り込んだ彼女を見下すように笑みを浮かべながら男は言う。「余の名はメクセト。これより全てを統べる者だ」
 彼女は恐怖に再び絶叫し、そして知る限りの、ありったけの魔法を男に叩き込んだ。

114メクセトと魔女 1章(2):2007/02/20(火) 01:23:46
 全ての栄華に終わりがあるように、その都市国家にも終わりの刻が迫っていた。
 それは従属民族の走狗にしか過ぎなかったはずの一人の男によってもたらされようとしていた。
 その男の統べる叛徒は、従属民族によって構成された傭兵部隊の大軍を打ち倒し、虎の子の正規軍をも易々と打ち倒した。
 あらゆる力も、魔法も、知略も全てはその男の前では無力だった。
 男は正に『魔人』だった。
 故に、毒には毒を、魔には魔をと都市国家は最期の手段を講じたのだが……
 
 
 「おぉ、何ということだ」
 白亜と宝玉に彩られた宮廷の中、軍政官はその少女を前にして言った。
「人類を裏切る行為だと知りながら、かかる行為に及んだというのに……」
「遂に栄華を誇りしハイダル・マリクも終焉ということか……」
 絶望にざわめく群臣を前にして、ふん、と小馬鹿にするように少女は鼻を鳴らした。
「人類の至宝なんて言われているぐらいだから、どんな所かと思って来たら、とんだ張子の虎も良い所ね」
「何を言うか、小娘!」
「そうだ、畏れおおくも陛下の御前なるぞ!」
 彼らは口々に少女の無礼を責め立てたが、少女は怯むことなく「下が下なら上も上ね」と小馬鹿にした口調で言う。
「貴方達が同盟を求めるからわざわざ姉妹の代表として来たというのに、こんな無礼な態度をとる臣下を責めもしないなんてね」
「この娘の言う通りである」
 金色の玉座に腰を下ろした獅子の仮面の王は言った。
「娘よ、臣下に代わり、非礼を詫びよう」
「陛下……」
「良いのだ」
 そう言って、男は玉座から立ち上がり、少女の前まで歩み寄るとその足元に跪いた。
「陛下、なりませぬぞ、この小娘は……」
「良いのだ!」
 男は、文政官を一喝して制すると、「ハイダル・マリクが王である。援軍に感謝する」と跪いたまま言った。
「ま、及第点という所ね」
 くっ、と屈辱に身を震わせて耐える群臣を、悪戯っぽい流し目で見回しながら少女は言った。
「それじゃ本題、まず私達姉妹は貴方達人間とは同盟を結びません」
 「ふざけるな!」と軍政官の一人が身を乗り出して抗議する。
「かかる屈辱に耐え、『人類の裏切り者』の汚名を後世まで被る覚悟で同盟を結ぼうという我々の申し出を無下に断るというのか?」

115メクセトと魔女 1章(3):2007/02/20(火) 01:24:24
「まっ、当然よね。貴方達が私達姉妹にした迫害の数々を考えれば、そんな申し出受けるわけないじゃないの」
 軍政官の抗議をさらり流すようにして言う少女の言葉に、絶望と憤怒に彩られる宮廷。
 しかし、少女はその場の雰囲気に呑まれることなく平然とした様子で「人の話は最期まで聞きなさいよね」と言った。
「ただし、今回だけは貴方達に助力します。条件は一つ、以後私達姉妹に干渉しないこと。同盟を結ぼうとまで言った貴方達なんだから、このぐらいの条件は呑むでしょ」
 沈黙が宮廷を支配する。
 彼女達に干渉しないということは、ある意味同盟を結ぶよりも取り返しのつかない結末になるかもしれないことだった。
 だが、もし今、彼女達の助力がなければ、この都市国家に待ち受ける運命は確実な滅亡である。
「……願ってもいない条件。この王、しかと受け止めよう」
 沈黙を破り、少女に跪いたままの王が口を開いた。
 既にして、彼女達に同盟を申し入れたこと自体が『人類を裏切る』行為なのだ。これ以上、何の汚名を恐れる必要があろうか?。汚れるというのならば、どこまでも汚れてでも生き延びてやろうではないか。未来永劫、子々孫々に至るまで罵られてみせようではないか。その覚悟がこの王にはあった。
 その王の心を知ってか知らぬでか、「感心、感心」と少女は相も代わらず小馬鹿にした態度で言う。
「それでこそ、援軍に来た甲斐もあるってものね」
「一つ質問して良いかね?」年老いた軍政官が、恐る恐る口を開いた。「援軍というのは君一人なのかね?」
「えぇ、そうよ」
 当たり前のことのように少女は答えた。
「……それで勝てるのかね、あの男、メクセトに」
 わずかな沈黙の間をおいて軍政官は少女に尋ねる。
「愚問ね」
 少女は鼻を鳴らして言う。
「信頼していいのだな?」
「それも愚問だわ」
 自信ありげに少女は答えた。
 群臣たちは互いに顔を合わせ、ひそひそと何かを囁きあい、やがて一人の男が彼女の目の前に現れ、王と同じように少女に跪いて言った。
「私からも頼む、この国を、ハイダル・マリクを是非貴方の力で救っていただきたい」
「私からもお願いします」
「私からも……」
 どうやら、この男はかなりの有力者だったらしく、群臣達は次々に少女に跪いた。
「頼まれるまでもないわ、私を誰だと思っているわけ?。『キュトスの姉妹』の一人なんだから」
 少女はそう言って胸を反らした。
 「そう言えば……」と王は頭を上げて、少女に聞く。
「余はお前に名を尋ねていなかったな?。名はなんと申す」
「あぁ、それは答えられないわ。私が名前を教えるのは、私が心を許す相手だけなんだからね」
 そう言って、少女は身を翻して王宮を後にしようとする。
 目指すは、彼女の今回の敵にして、ハイダル・マリクの敵、メクセト。
「まぁ、大船に乗った気持ちで待ってなさい。そのメクセトとやらを見事退治してくるから」
 それが数時間前の出来事……

116メクセトと魔女 1章(3):2007/02/20(火) 01:24:57
 もはや、それは魔法にすらなっていなかった。
 出鱈目な呪文の詠唱と、出鱈目な力の解放。
 しかし、それでも尚、その力は地を抉り、土埃をあげ、確実に地上のあらゆる物質を破壊するに足りるはずの力だ。
 だというのに、土煙の晴れた後、男はそこで何事もなかったかのように悠然と腕を組んだまま立っていた。
 その体には、傷一つない。
「それで終わりか、手品師」
 言われて彼女は恐怖にその顔を引きつらせながらも何かをぶつぶつと呟いた。
「聞こえぬぞ。言いたいことがあれば余に聞こえるように言え」
「私は……私は……末妹とは言え『キュトスの姉妹』。神より分かれた者。神に等しき力を持つもの」彼女は震える手で魔法の用意をしながら言った。「貴方達人間とは違うの!。貴方達人間に負けるはずはないの!。こんなことあっちゃいけないの!!」
「お前の目の前にある余が真実だ。認めるがいい」
 男は一言の元に少女の世界に取り返しのつかない皹を入れる。
「認めない。こんなの認めない!」
 しかし、少女は砕けかけた世界にすがろうとして再び力を解放しようとした。
 残った全ての力を、その命すらも、出鱈目な呪文の詠唱に載せて少女は己が世界を繋ぎ止めようとする。しかし……
「もう、その手品は飽きたぞ」
 男は少女の目の前へ歩み寄り、そして彼女の手を掴んで呪文の詠唱を止める。
 「ひっ」と少女は息を呑み、そして座り込んだ。
「どうした、もう終わりか?」
 男の言葉に少女は声にならない嗚咽をあげて泣き叫んだ。
 少女の世界は、今、音を立てて崩壊したのだ。
 その少女の腕を掴んだまま男は彼女を見下ろしていたが、やがて開いている方の手を使って少女の顎を掴み、自分の方にその顔を向かせた。涙で顔をくしゃくしゃにした美しい顔がそこにはあった。
「ふぅむ……」
 その顔を値踏みするように眺めていた男は、「従事官!」と自分の背後に下がらせていた軍勢の中から一人の男を大声で呼んだ。
 やがて、「ただ今!」と軍勢の中から、一人の若い男が馬を走らせて姿を現せる。
「従事官、余は今宵のうちにハイダル・マリクを焼く」
 さも大したことではないかのように、静かな口調で男はそう宣言した。
 従事官も男の性格を分かっているのだろうか、「御意に」と当たり前の指令を受けたかのように頭を下げる。
「西門のみを残し他の門に兵を遍く配置せよ。未だハイダル・マリクに残る民や生き延びたい生存者は西門から逃がす。だが、西門以外からは蟻一匹逃すな」
「しかし、それでは……」
 王は西門より逃げてしまうのではないか?ということを従事官は心配した。
「安心しろ。あの王は都と運命を共にするであろう。そういう人物だ、あれは」
「しかし、臣下の中には王を無理矢理連れ出すものがいるかもしれません」
 「ならば西門に弓兵を伏せておけ」と男は指示を出す。
「いくら身をやつせども、その姿は遠目からでも分かろう。王の姿を見たと思うたのならば迷わず弓を射て、それを殺せ。それより……」
 男は、その時になって、ようやく掴んでいた少女の腕を離した。
 恐怖に怯え、少女は座り込んだまま男から後ずさった。
 しかし、その足を、その腕を、目に見えない鎖のような何かが縛り付けて少女の動きを拘束した。
「ハイダル・マリクを焼き払った後、余はそこに余の宮殿を造るぞ。余の後宮に部屋を一つ用意しておけ」
「……!!」
 少女は声にならない絶望の悲鳴をあげた。
 それは、男が彼女を蹂躙することを高らかに宣言したということを意味した。
「喜べ、魔女。お前を女として扱ってやる」
「こ、殺しなさい!」
 恐怖に怯えながらも、少女はそう言って男に最期の抵抗を試みる。
「人間に好きにされるぐらいなら、私は死を選ぶわ」
「余は勝者なるぞ。敗者に自らの運命を選ぶ権利などない」
 そう言って、男は、少女を舐めるように見回し、「楽しみだ」といやらしい笑顔を浮かべて言った。
「散らされた経験の無い乙女を、いかなる女に開花させるか……それが魔女ともなれば、考えるだけでも楽しみだ」
「く……ぅっ」
 少女は顔を背け、自らの不運を呪う。
 人間ならば、己が誇りを守るために舌を噛んで死を選ぶことも可能だろう。だが、彼女は『キュトスの魔女』である。そのようなことでは死ねぬし、傷口もすぐに癒える。癒えない傷は心の痕だけだ。
「それまで、この魔女は余の幕舎に置いておけ。兵には指一本触れさせるな」
「御意に、メクセト閣下」

117メクセトと魔女 2章(1):2007/02/20(火) 01:34:33
 終わらぬ栄華などなく、また散らぬ花などない。
 滅びぬ世界もまたあり得ない。
 ハイダル・マリクと呼ばれたその都市は一夜にして焼き落とされ、王は自ら命を絶った。
 後には何も残らなかった。
 ハイダル・マリクは文字通り地上から姿を消したのだ。
 そして、メクセトは宣言通りその都市の跡に自らの宮殿を建てた。
 まるで何かを馬鹿にするかのように壮麗な宮殿。
 そして、その宮殿の後宮に少女の姿はあった。
 
 
 僅かに蒼を含んだ白銀の月の光が宮殿内を照らしていた。
 その白銀の光の中、少女はその裸体を褥にうつ伏せに横たえていた。
「……」
 少女のすすり泣く小さな声が、風に混じって宮殿内のどこかへと消えていく。
 それは幾度繰り返された夜の光景だろうか?
「悔しい……私は……」
 その後の言葉を彼女は続けることができない。
 彼女を彼女たらしめていたその世界は既に砕け散ったからだ。
 いや、既に踏みにじられ陰すら残っていないのだ。
 あの男、メクセトは宣言の通りハイダル・マリクを焼くと、その跡に自らの宮殿を建て、宮殿の中に自らの後宮を作った。彼女にはそのうちの、決して粗末ではない、むしろ豪奢ですらある部屋が一室与えられ、そして宣言通りメクセトは彼女を『女』として扱った。
 圧倒的な力の前に蹂躙される夜が幾晩続いたのだろう?
 蕾は散らされ、いつしか、自ら望まぬことだというのに女としての悦びに咲こうとしている自分がいる。
 砕け散った世界の後に訪れようとしている、それが現実だった。
 最近では、もう全てが遠い過去のことなのではないか?とまで彼女は錯覚するようになっていた。
「私は……私は……」
 そう呟いてみても、やはり言葉を続けることができず、己が現実をさらに理解するだけだ。
 ふと、自分を呼ぶ声に気づいて、彼女は顔を上げる。
 涙に濡れた、焦点の定まらぬ視線のその先には彼女にとって懐かしい女性の姿があった。
「お姉さま?」
 幻覚なのだろうか?とふと彼女は自分の目の前の世界を疑った。
 しかし、黒衣に身を包んだ、少女の形のそれは、おぼろげな輪郭をしながらも、決して彼女の生み出した幻覚でも妄想でも無かった。確かにそれは……
「ヘリステラお姉さま!」
 彼女は寝台より身を起こし、その足元に擦り寄る。
「可愛い妹よ、可愛そうに……」それは彼女にそう優しく声をかけた。「君を今すぐにでもここから助け出したい。もうこれ以上辛い目に遭わせたくない。この胸に抱いてやりたい。だが、私がこの通り自らの影を送ってしか君の目の前に姿を現すことができない事からも分かるだろう?。あの男の魔術は強力だ。こと、この後宮にかけられた魔術に関しては、私も実体はもちろん物質すら送り込むことができないぐらいだ。すまない」
 それの言う通り後宮には強力な魔法による結界がかけられていた。その中では外部からの魔法はもちろん、内部からの魔法も、ただ一人メクセトの魔法を除いて全てが無力化される。魔法の使えない今の彼女は、外見の通りただの無力な少女にしか過ぎないのだ。
「いいえ、お姉さまの謝ることではありません」彼女は俯いて答えた。「全ては私の失態のせいです」
「それは違う」それは彼女の言葉をあわてたように否定して言った。「君は私が命令した通りに行動した。一撃で、知る限り最強の魔法を使って渾身の力で倒せ、という命令を忠実に実行した。だが、我々姉妹の誰しもがあの男の実力を見誤った。失態があったとすれば私のほうだ」
「お姉さま……」

118メクセトと魔女 2章(2):2007/02/20(火) 01:36:15
 少女はそれの足元に泣き崩れる。
 それは、このような時にやさしく彼女を抱きとめることも、その肩に手を置いてやることもできない不甲斐なさに唇を噛んだ。
「あの男は予想外の存在だ。おそらく人間という種が幾億の世代を経て一人産まれるか産まれないかの存在だろう。しかし、その実力が『キュトスの姉妹』を凌駕するなどとは考えてもいなかった。改めて人間という種が恐ろしくなった」
 それは言った言葉は、決して冗談から口にした言葉ではなかった。
 今まで取るに足らなかった、その気になればいつでも滅ぼせると考えていた人間という種族は、今や確実に彼女達の脅威へと変化したのだ。
「あの男をこのまま生かしておくことは、我々『キュトスの姉妹』にとって、いや世界にとって脅威になりかねない。いかなる手段をもってもあれを殲滅しなければならない」
「はい」
 少女は答えたが、それは決して姉の心や考えを理解しての言葉ではなく、姉への絶対の忠誠心と信頼から出た言葉だった。
 それほどまでに少女は姉に対して絶対の忠誠心と信頼をもっていた。
「もし直接的な力で滅ぼせない場合には暗殺という方法も考える」
「……」
 だというのに、なぜか少女には姉が「暗殺」という言葉を口にしたときにそれに対して肯定の言葉を返すことが出来なかった。
 メクセトの死……それは彼女の望むところのはずだ。
 なのに、「暗殺」という方法を用いてのメクセトの死を彼女は何故か受け入れることが出来なかった。何故なのかは分からない。だが、その方法は間違えている気が彼女にはした。
「どうした?」
「いえ……」
 彼女は軽く頭を振り、自分の中に湧き上がったその考えを消そうとした。
 どのような方法を用いようと、メクセトの死は自分の望むことのはずなのだ。それに姉の思慮は絶対のはずではないか……
「今後の行動は追って伝える。必ず君を救い出してみせる。だから、それまで可愛そうだが耐えておくれ、愛しい妹よ」
 そういうと、それの姿は夜の闇へと消えていった。
「メクセトの死……暗殺による死……」
 少女は、呆然とそれの消えた後を眺めていた。

119メクセトと魔女 2章(3):2007/02/20(火) 01:37:10
 「お前は化粧もせぬのだな」
 幾人もの美女を侍らせ、従事官……いや、今や大臣となった男にさせている報告を聞きながら、メクセトは少女に唐突にそう言った。
「必要ないですからから」
 女達の隅の方で、体を小さくしながら座っていた少女はメクセトの問いにそう顔を背けて答えた。
 「ふぅん」とメクセトは呟き、暫く少女の顔を眺めていたが、やがて立ち上がると、クイと親指で少女の顎を上げさせ自分の方を向けさせた。
「確かにお前は美しい。これからももっと美しくなっていくだろう。だが、化粧をすればもっと美しくなれるかもしれぬぞ」
「よ、余計なお世話よ」
 そう言って、少女は顔を背けようとしたが、メクセトはそれを許さず、「女達よ」と他の女達の方を向いて言った。
「この娘に化粧を施してやれ」
「だから余計なお世話って……」
 そう抗議しようとする少女を女達は押さえ込み、口に紅を塗り始める。
 その様子を見ながら、「余は大臣よりの報告を聞きに暫くこの場を離れる」とメクセトは言う。
「戻って来た時、お前がいかように美しくなっているか楽しみだな」
「だから余計なお世話だって!。ちょっと、離してよ!離しなさいよ!」
 少女は暴れたが、魔力の無い今の彼女はただの少女にしか過ぎない。あっという間に女達に押さえ込まれ、化粧を施される。
 その様子を、いつものように高笑いをしながらメクセトは部屋を後にした。

120メクセトと魔女 2章(4):2007/02/20(火) 01:37:57
 「これが私?」
 少女は鏡の中の自分に一瞬魅入った。
 その少女の姿を見て微笑ましいと感じたのか、
「ほら、やっぱり化粧をするとさらに美人じゃない」
「元が良いから、化粧が映えるのよね」
「もう、嫉妬しちゃうわ」
 と女達は口々に少女の美しさを褒め称えた。
 確かに、元の美しさも手伝って、少女の美しさは一層引き立つものになっていた。
「きっと、メクセト陛下も貴方の美しさに釘付けね」
 女達の一人の言った言葉に我に返った彼女は、「誰があんな奴……」と鏡から顔を背ける。
 彼女のその態度に一瞬女達は目を丸くしたが、やがて何を勘違いしたのかケラケラと笑い始めた。
「もう、笑わないでよ!。私は本当にあんな奴……」
「ほう、何やら賑やかだな」
 女達が声の方向を向くと、そこには大臣を従えたメクセトの姿があった。
 メクセトは美しく化粧された少女の姿に「ほぅ」と嘆息すると、少女の前に歩み寄る。
「これは美しい。予想以上だ」
 そう言って彼は、また親指を少女の顎の下において無理矢理少女の顔を自分に向けた。
「今、余がお前の代償に手に入れた富を全て手放せと言われても、喜んでそうするだろう」
 メクセトのその言葉に、少女はせめてもの抵抗にと視線を彼から外したが、その頬には女達の化粧による頬紅によるものとは違う赤みがさしていた。
「何を、何を言うのよ……そんな言葉なんて、私は……嬉しくなんか……」
 不意に彼女の言葉を遮るように、メクセトは彼女の唇を奪った。
 それは今までも幾度となく彼女に対して行われた行為だったが、今日の彼女はメクセトのその行為に怯えて目を閉じるのではなく、驚いたように目を見開いていた。
 彼女から唇を離すと、「だというのにお前とくれば」とメクセトは言う。
「こういう時は自分から歯を開くものだという事を何時まで経っても覚えてくれぬ」
「当たり前でしょ。私は貴方に心まで許したわけじゃないわ」
 彼女はメクセトから目を背け続けながら言う。
 彼女の中で何かが揺らぎ始めていた。
 今、メクセトに目を合わせてしまったのならば、自分の中で何かが変わってしまいそうだった。
「ほぅ、お前は余の手元にありながらも手折られていない花と申すか」
 そんな彼女の姿を見ながら、メクセトはいつものいやらしい笑みを浮かべながら言う。
「ならば何時の日か手折ってやろう。そして、その時に余の物になったお前が余の手元でいかなるように輝くか、今から楽しみでならぬわ」
 高笑いのメクセトを見て、「いつか殺す」と彼女は誓いを新たにした。
 ただ……

121メクセトと魔女 2章(5):2007/02/20(火) 01:38:41
 「メクセトの暗殺を待ってほしいと?」
 少女の部屋に現れたヘリステラの影は、彼女の言葉に眉を顰めた。
 「はい」と少女は姉であるそれに対して言う。
「あの男は私の手で必ず殺します。ただ、暗殺のような手段ではなく、正々堂々と勝負を挑んでそれを成したいのです」
「……だが」
 「私をここまで辱めたあの男をこの手にかけずにはキュトスの姉妹には戻れません」と彼女は強い口調で言う。
「それに勝ち目はあります。あの男は私に自分の魔法を教え始めてくれたのです」
 彼女の言う通り、メクセトは『折角魔女だというのに、使えるのが手品だけではつまらなかろう』と言って自分の魔術を少しづつ彼女に教え始めていた。勝者の驕りなのかもしれないが、彼女はその驕りを利用して彼から最大限にその魔法を引き出して習得することにしたのだった。
「私はあの男から全てを引き出し、あの男を倒します。もしあの男を暗殺するというのでしたら、あの男に私が破れ殺されたときにしてください」
「……あの男の魔法を引き出してくれるというのならば、長い目で見れば我々キュトスの姉妹の利益になる。だからそれは構わないが、その分君が辛い目に遭うぞ」
 「耐えます」と少女は言った。
「耐えて、耐えて、必ずあの男を倒します。そして、あの男から引き出した魔法と、あの男の首を手土産に星見の塔に戻ります」
「……分かった」
 少女の目を見て何かに気づいたのか、遂にそれは折れた。
「メクセトの暗殺計画は中止しよう。あの男が我々に直接仇なす行為をしない限りその討伐は君に一任する。だが、君を心配する姉から一ついらぬ忠告をしておこう」
 「『女』になるなよ」とそれは呟き、また少女の前から姿を消す。
 姉の言葉の意味が分からず、首をかしげたまま少女はその場に立ち竦んだ。

122言理の妖精語りて曰く、:2007/02/20(火) 13:53:34
ムランカ姉さんの若りし頃、まだ勝気なツンデレ娘だった時の秘話がついにw
・・・そういえばメクセトの最後って無銘たる軍神に討ち取られたのか、神々に破れ処刑されたのか、
死体をバラバラに切り刻まれて世界の各地に隠蔽されたのか、【扉】を通って異次元へと逃れてどこかの次元で生きているとか諸説が様々だけど結局どうなったのだろうか・・・。

123言理の妖精語りて曰く、:2007/02/20(火) 23:34:34
末の妹だから、ムランカじゃないんじゃない?

124メクセトと魔女 3章(1):2007/02/21(水) 01:44:44
 栄華も権力も、それが例え絶対に見えても崩れ去るのは一瞬のことだ。
 全ては砂上の楼閣にしかすぎぬ。
 例外などない。
 千年続いた帝国とて、滅ぶ時は一瞬なのだ。
 そして終わりという観念がある以上、遍くそれ瞬間は訪れる。
 天を自由に羽ばたく鳥とて、何時の日か力尽きて地に落ちるのだ。
 全ては移ろい、変わり、そして終わりを告げる。
 地上の民族全てを統べ、空前の人類国家を作り上げたメクセトにとってもそれは例外ではなかった。
 
 
 「随分と外が騒がしいわね」
 少女は、後宮女官にその唇に紅を差させ、髪を梳かせながら言った。
「はい、メクセト陛下が諸国から兵を集めてらっしゃるのです、寵妃様」
 「寵妃様」というのは、彼女が名前を何時まで経っても名乗らないので、何時しか誰かが彼女に対して呼び始めた名前だ。
 最初はその名前で呼ばれることに抵抗を感じていた彼女だったが、何時の間にかその抵抗は消え失せていた。
「そう……でも、もう陛下に戦争を挑む民などないでしょうに」
「『神』に戦争を挑むのだそうです」
 「『神』に……」と少女は窓の外へちらりと視線を走らせる。
 窓の外のはるか地平に、地から天へと消える「天の階段」の白い軌跡が見えた。
 メクセトが作り上げた、神の世界への侵攻のための天へと繋がる階段だ。
「『被創造物が、創造主から独立する時が来たのだ』とメクセト陛下はおっしゃっておりまして、それに賛同する英雄の皆様が世界の各地より集まっているようですよ。メクセト陛下はその中から1032人の英雄を選抜していると、街ではもっぱらの話題ですわ」
 興奮したような口調で女官は言う。
 彼女がこのようなのだから、後宮の外の民衆はどれだけこの「『神』を倒す」という行為に熱狂していることだろう。
「何時でも強い敵を求めて、無茶ばかり。あの人は、幾つになっても代わらないのね」
 ふ、と彼女は自ら意識しないうちに笑みをこぼしていた。
 あれから3年、世の中は変わった。
 彼女に「全てを統べる者」と宣言した通り、彼は地上の全てを短期間で掌握した。その支配の下に、多少の諍いこそあるものの、民族同士の大規模な争いは消え、今ではハイダル・マリクのような都市が世界の各地に作られているという。
 後宮のある王宮のまわりにも大きな街が広がり、聞きなれない様々な異国の言葉による喧騒が彼女の耳元にも聞こえてくる。その喧騒に眠りから覚まされる朝も珍しいことではない。
 そして自分もすっかり変わってしまった、と彼女は思う。
 永遠に歳をとらないというキュトスの姉妹だったというのに、魔法の効かないこの後宮の中ではその理すら無効化されたらしく、彼女はその過ごした時間にふさわしく歳をとっていた。もう、少女と呼ばれる時代もせいぜいあと1年ぐらいだろう。
 その間に後宮は、彼女が知っているものより遥かに大きいものになり、そこに住む女達も増えた。それに比例して、メクセトが彼女の元を訪れる機会も減った。
 ……そして、あの人の気を引くためにあれだけ嫌がっていた化粧をする私がいる。目的のための手段とはいえ、全ては時間とともに変わっていく
 今更、永遠などありえない、という何処かで誰かが言った言葉を彼女は思い出す。
 全ては季節と共に移ろい変わるのだ。
「それじゃ、またあの人は後宮には寄り付かないわね」
「そうですね。寂しい事ですね」
 「そうね」と自らがふとこぼした溜息に彼女は気づいた。
 ……私は、いつの間にかこんな溜息をこぼすようになってしまった
 今更ながら彼女は愕然とした。

125メクセトと魔女 3章(2):2007/02/21(水) 01:46:18
 「遂に、あの男は『神』に宣戦を布告したよ」
 それ、ヘリステラの影は、夜陰の中で溜息混じりに言った。
「これで晴れて人は神の脅威へと、そして敵対者になることを選んだわけだ」
「そうなりますね」
 少女は、それの言葉にそう頷いたが、それは首を傾げながら「君、他人事のようだな」と聞いた。
「いえ、そんなことはありませんわ、お姉さま」少女は慌てて首を振る。「私は一日だって自分がキュトスの魔女だということを忘れたことはありませんし、あの男を倒すことを忘れたことはありません」
 その言葉に少なくとも嘘はなかった。
 確かに、彼女はこの3年、メクセトからあらゆる魔術を引き出した。その為にはかつての自分の嫌がった行為を行うことも厭わなかった。熱心だったとも言える。
「その割にはこの3年、何の行動もおこさなかったようだが?」
 だが、それの言葉に、思わず視線を背けてしまうのも本当だ。
 だというのに、彼女は彼を倒そうという行動も策謀を施すことも何もしてはいないからだった。
「今の君だったら、この後宮を覆う結界だって破れるのではないかと私は思うのだがね?」
「それは……」
 確かにそれの言う通りだった。
 『檻より解き放った鳥が大空に羽ばたいて逃げるのみと考えるのは愚者の考えだ。余にはお前が逃げない自信がある』と言って、この後宮に仕掛けられた結界について教えてくれたのは既に2年前の話だ。3年前の彼女ならまだしも、魔力も、覚えた魔法の数も段違いの今の彼女にはこの後宮を抜けることなど決して難しいことではない。
 なのに、自分でも理由は分からないが、この後宮を抜けることが彼女には何故か出来なかった。
 何故、ここから逃げ出さないのだろう?、この男の腕に抱かれて眠ることに、ぬくもりに安心を感じる時があるのだろう?、と彼女は偶に自問するが、何かが彼女の中で揺らいでしまったのだろうか?、どうしてもその答えが分からない。
「いえ、まだその方法は分かっておりません」
 そして、いつしか彼女は姉に対して嘘を言うようになっていた。
 妹の嘘を見抜いているのかいないのか、「まぁ、良い」とヘリステラは腕を組んだまま言った。
「結論だけ言う。我々『キュトスの姉妹』はこの戦いにおいて神々にも人間にも組しない。結末まで看過する」
「看過ですか……」
 そうだ、と影は頷き、「何故だか分かるか?」と聞いた。
「いいえ……」
「怖いからだよ、あの男がね」
 それは彼女にとって姉から聞くとは思ってもいなかった言葉だった。
「人間など、取るに足らぬ存在。かつての我々はそう思っていた。だが、あの男が、メクセトがその認識を変えてしまった。今では、主神アルセスに勝つことすら絵空事ではないのではないかと思うときがある」
「そんな……」
 大袈裟なとは言えないのも事実だ。
 今の飛ぶ鳥を落とす勢いのメクセトならば、それすら可能なのかもしれない。
「ともかく、元は一の神たる我々は、自らに不利益にならない限り不干渉を貫く。最悪の場合、最後の神になるためだ」
「……」
 無言のままの妹を見て、「結局君は私のいらぬ忠告は聞いてくれなかったようだな」とそれは言った。
「そんな、私は……」
「違うというのならば、それは君が気づいていないだけだ」
 それの言葉を完全に否定することが出来ず、彼女は俯く。そんな彼女の姿を見て、「随分と可愛くなったものだ、君は……」と皮肉混じりにそれは言った。
「あの男を暗殺する方法を、実際幾つも考えたのだよ。だが、今の君を見ているとそれすら実行しなくて正解だったと思う時がある。可愛い妹の涙はみたくないからね」
「お姉さま、私は……」
「だが、一つだけ覚えておきたまえ。どんなに強い力と魔力を持とうとも、あれは結局の所は人だ。いずれ終わりは来る」

126メクセトと魔女 3章(3):2007/02/22(木) 01:54:24
「喜べ、魔女、お前が解放される日が来るぞ」
 ある晩、前触れもなく彼女の部屋を訪れたメクセトが開口一番に言った言葉がそれだった。
 その言葉の意味する所が判らず、唖然とする彼女を横目に、メクセトは彼女の部屋の寝台に体を投げ出すように横たえた。
「どういうことなの?」
 そう聞く彼女に、天井を見つめたまま「次の戦で余は出陣するからだ」メクセトは答えた。
「そして二度とここには戻って来るまい」
「……?。言っていることが分からないわ」
 メクセトはフンと自嘲気味に鼻を鳴らすと、「余が負けるからだ」と半ば投げやりな口調で彼女に言った。
「全く……余もとんでもない過ちを犯したものだ。神の数を誤るとはな」
「そんな……」
 そう呟く彼女の脳裏に「いずれ終わりは来る」という姉の言葉が思い出される。
 その言葉の意味は分かっていたし、それは望んでいたことのはずだった。
 なのに、いざ、その日を前にしてみると、彼女に出来ることは困惑することだけだ。
「だったら……そんな戦い、止めちゃえば良いじゃない」
 半ば答えは分かっているというのに、彼女はメクセトに言うと、「無理だ」と案の定、にべもなくメクセトは答えた。
「どうして?宣戦布告をしちゃったから?『神』が今更戦いの終わりを認めないから?」
「どれも違う」不機嫌そうにメクセトは答えた。「余は王だからだ。余が宣言し、民がそれを渇望し、それを余が行う以上、余は王としての責務を果たさねばならぬ。今更取り消しはできぬ」
「そんなの……そんなのおかしいじゃない!」
 彼女は叫ぶようにして言った。
 何故、そんなことをしたのか彼女にも分からない。あれだけ憎んでいた相手が自滅しようというのに……終わりを迎えようというのに……なのに彼女には叫ばずにはいれらなかった。
「貴方、王なんでしょ!。地上の全てを統べているんでしょ!。好きに出来ないものはないんでしょ!。だったら……」
 彼女が言わんとしていることを察したのか、「それをやったら、余は王ではなくなる」とメクセトは彼女の言葉を遮るようにして言う。
「全てを統べるということは、全ての責務を受け止めるということだ。それが出来て、初めて、全てを恣にできるのだ。それが余の選んだ生き方だ」
「そんなの嫌!」
 気付けば、両の瞳から涙がとめどなく溢れていた。
 ……この人がいなくなる……私の目の前からいなくなる……私は、それを望んでいた……でも、嫌だ!……それは嫌だ!
 そして彼女は上半身を起こしたメクセトの胸に飛び込み、その胸を力一杯叩く。
「勝手すぎるわ。そんなの勝手すぎる!」
「お前は魔女だ」メクセトは、そんな彼女の体を優しく抱きとめながら言った。「いかなる傷とて癒すことが可能であろう?。ならば乙女に戻ることも可能なはずだ。余がいなくなり、無事にその身が解放されたのならば、余がお前に刻んだ全ての傷を癒して乙女に戻り、余のことは忘れることだ」
「勝手なこと言わないでよ」
 精一杯大声で言ったはずの彼女のその声は、涙で掠れていて、自分でも聞き取れないほどの小声になっていた。
 その体を震わせながら、彼女は今まで真っ直ぐに見ることの出来なかったメクセトの目を見て叫ぶ。
「私、乙女になんて戻らない!。貴方に会う前の自分になんて戻らない!絶対、貴方のことを忘れない!」


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