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フェイク『男』のチラシの裏
1
:
フェイク『男』
:2005/11/21(月) 00:33:20 ID:Xekm5jMQ
私の鑑定文の中にたまに出てくる前置きのジョジョ考察だとか一口メモなど、
自分自身でも何を書いたか把握してない文章の数々を保存するためのスレ。
その他、私への質問などがあれば受け付ける予定。
277
:
フェイク『男』
:2012/08/19(日) 00:12:51 ID:mh0GkFmo
787 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/08/18(土) 19:55:53.25 ID:8jsYB6ek
ジョジョ七部終了後、「聖なる遺体」はどうなってしまったのだろうか。作中ではこれといって確たる証拠は無いのだが、
例えばジョニィがネアポリス王国に持ち帰ったとか、Dioの死体と共にシェルターに封印されたとか、そういう展開ではなさそうだと言える。
何故ならば、彼らは「遺体」の所有者として選ばれていない(と、少なくともルーシーはそのように考えて行動している)からである。
ルーシーは「遺体」をジョニィから盗んだ者が、より「遺体」に選ばれた者であるという可能性を危惧し、
また盗人がDioであることを知ると、対策として基本世界のDioの生首を回収し、ジョニィの敗北に備えてシェルターに向かった。
そしてルーシーの予想通り、ジョニィはDioに敗北し、そのDioはルーシーに敗北した。つまり、「遺体」に選ばれた順位はルーシー>Dio>ジョニィとなるのだ。
795 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/08/18(土) 20:15:22.72 ID:8jsYB6ek
ジョジョ七部はレースの物語として始まりながら、結局のところレース要素はスタンド戦闘の味付け程度で終わってしまったようにも見える。
「スティール・ボール・ラン・レース」とは一体何だったのだろうか。私はそれを、ジョジョ世界における「表の歴史」の象徴だと考える。
このレース、発起人こそ純粋にレースを成功させたいと願っているが、その最重要後援者が黒幕となって「裏の世界」の策略を張り巡らせ、
一方で参加者もスタンドだの鉄球だのといったほとんど反則みたいな技能で上位に食い込んだり、遺体争奪戦にかまけてレースなど二の次に扱っていたりしていた。
そして遺体の入手という「裏の世界」での成功は、レースの優勝などという「表の歴史」での成功などよりよほど価値があるものだというのである。
しかし結局のところ、「表の歴史」に「裏の世界」の連中の出番は無い。レースの最終的な上位入賞者が全員、遺体の争奪には無関係な人々であることは特筆すべきだろう。
278
:
フェイク『男』
:2012/08/19(日) 00:13:06 ID:mh0GkFmo
802 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/08/19(日) 00:07:04.49 ID:Zvc3PJoi
「スティール・ボール・ラン・レース」の優勝者はポコロコだった。彼はスタンド使いでありながら遺体争奪には全く関わらないという、最も「幸運」な立ち位置だ。
しかし日程上、レースの終了時にはとっくに「幸運」な期間は終わっていたはずだ。彼は確かに「幸運」に味方されてはいたが、最後には自分の力で勝利したのかもしれない。
あるいはこの世の運命において、「ラブトレイン」のような幸運よりも、「ポコロコのスタンド」のような幸運の方が強いということだろうか。
803 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/08/19(日) 00:08:22.39 ID:Zvc3PJoi
ところで、作中の「スティール・ボール・ラン・レース」は何故あれほどまでに人気が高く、しかも大統領にも方々から賛辞が贈られたのだろうか。
それはスティール氏の発想と努力の賜物であり、「遺体」の力など無くとも世界中の尊敬を集めることは出来たという証明だと思いたい。
だが、ルーシーの所有する「遺体」がそのような幸福を引き寄せたという可能性も否定できない。「裏の世界」の出来事がどこまで「表の歴史」に絡んでいるのか、誰にも判らないのだ。
東方憲助が記した「レースの記録集」によると、このレースは一度しか開かれなかったそうだが……
279
:
フェイク『男』
:2012/08/19(日) 00:14:03 ID:mh0GkFmo
色々と目に付いたところを追記。
>>4
一段目
「ウェザーリポート」は元々「ヘビーウェザー」と一体のスタンドであり、強いだけでなく非常に傍迷惑なスタンドでもある。
作中の便利な「ウェザーリポート」は、プッチ神父が記憶を抜いて「ヘビーウェザー」を封印したために成立したものだ。
>>129
二段目
また、ジョナサンの波紋技に色が付いているのも同様の理由かもしれない。
>>152
上段
「ブラックサバス」を追加。
本体は刑務所から出ることすら出来ないが、他者をスタンド使いの部下にすることで、間接的に何でもすることが出来る。
>>154
上段
岸部→岸辺
280
:
フェイク『男』
:2012/08/19(日) 00:14:54 ID:mh0GkFmo
>>164
下段
「隠者の紫」はこの分類からは外れるが、これは本体ジョセフが昔から他者の心理を読むことに長けていたためと解釈できる。
つまり「隠者の紫」は「自分の短所を埋めるためのスタンド」(
>>137
上段)ではなく「自分の長所を伸ばすためのスタンド」(
>>106
二段目)なのだ。
>>215
二段目
台詞を言ったのはジョセフではなく承太郎
>>232
康一は最初から「やるときはやる」性格である。つまり、彼は精神力において最初から強かったのであり、スタンドの方がそれに合わせて徐々に進化していったのだろう。
>>240
下段
時を止める能力とは、スピードのインフレを超越した概念である。
すると次には、時を止める持続時間に対するインフレが発生するかのように思われるが、
実際には、時を止められる時間の短い承太郎がDIOを倒したことで、単純ながらも明快にインフレは否定されている。
>>273
一段目
常助→定助
281
:
名無しさん
:2012/10/12(金) 19:42:22 ID:Zq3p5Fg.
てすす
282
:
フェイク『男』
:2012/10/26(金) 00:04:23 ID:JvTHlk9o
742 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 20:47:50.93 ID:wV1lhk4I
【スタンドの次の話、4】
(参照:スタンドの次の話、1〜3…
>>220
,
>>260
)
「人間賛歌」という漫画のテーマに対して、及び漫画を面白く描くための手段として、スタンドという設定は非常に優れているため、
これまで部が進むごとに様々な新境地に挑戦してきた「ジョジョの奇妙な冒険」でも、今なおスタンドという設定が使われ続けている。
とはいえ、「スティール・ボール・ラン」「ジョジョリオン」「岸辺露伴は動かない」などの最近の作品では、補助的ではあるが、スタンド以外の要素も加えられつつあるようだ。
これらはいずれも、基本的に個人の精神の表現であるスタンドでは表せない物事のための設定と考えられる。以下にそれを分類する。
1:技術の継承…鉄球の回転の技術。また、後付けの説明ではあるが波紋の技術もここに含まれる。「スタンドの次の話3」を参照。
2:超常的な生態の生物…六壁坂の妖怪、ルーブル美術館の最も黒い絵の正体など。
以前の部においての、吸血鬼や柱の男、幽霊、ロッズなどもここに含めることが出来る。
3:人為を超えた超常現象…悪魔の手のひら、壁の目、富豪村の山の神々など。聖なる遺体もここに含められるかもしれない。
744 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 20:50:45.83 ID:wV1lhk4I
スタンドの中には、極限に達して「次元の壁」を破るかのような飛躍を見せるものが散見される。
現実的に考えれば有り得ないことのようにも思えるが、あくまで精神の表れであるスタンド特有のことなのか、あるいはこれらのことが実際に起きえるような構造の世界なのかもしれない。
自分自身を飲み込んでいって最後には全く消えてしまう「クリーム」、光速を超えると時が止まる「スタープラチナ・ザ・ワールド」、爆破したものは塵も残さず完全に消滅する「キラークィーン」、
本体に向かい続けるものを捕まえてどんどん縮小し最後にはゼロにしてしまう「緑色の赤ん坊のスタンド」、時を無限大に加速して宇宙を一巡させる「メイド・イン・ヘブン」など。
283
:
フェイク『男』
:2012/10/26(金) 00:04:43 ID:JvTHlk9o
755 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 23:21:11.67 ID:wV1lhk4I
ジョセフと戦っている辺りの「世界」は、スタンドパワーの強大さの演出のためか、遠近感を無視して非常に巨大に描かれている。
762 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 23:32:23.39 ID:wV1lhk4I
「リトルフィート」と「グーグードール」は、小さくするという能力こそほとんど同じだが、本体の行動理念において明確な違いがある。
(参照:二番煎じのスタンド?…
>>102
の下段)
そして、その精神性や能力の利用法の差異を、スタンド自体の格闘性能や射程距離、自身に能力が効くか否かなどといった、基本的なパラメータのみでほぼ成立させているのだ。
763 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 23:44:50.49 ID:wV1lhk4I
ジョジョは(元)少年漫画であり、やはり少年漫画的なお約束が多分に含まれているのだが、その中でもそれを常に疑う姿勢というか、
お約束に寄りかかったままではなく、そうした当たり前の描写に更なる前進を示すような設定も見られる。
例えば、少年漫画の主人公はいざというときに怒りと気合と精神力で不可能を可能にしてしまうものであり、これは作中でも「ジョースター家の爆発力」という言葉で言及されているが、
仗助の髪型をけなされると「ブチ切れる」性格は、この「爆発力」の負の描写であるとも言える。制御できないパワーには相応の不安定さが伴うべきだということだ。
284
:
フェイク『男』
:2013/07/06(土) 20:09:56 ID:xr9vdm7Q
669 名前: フェイク『男』 投稿日: 2013/07/06(土) 19:57:35.94 ID:v4+v9n2a
漫画などの創作物におけるキャラクターのタイプの一つに「気まぐれな超人」とでも言うべきものがあるように思う。
そのキャラクターは超人のごとき力があるから、基本的に何でも出来る。そして気分屋だから、どんな素晴らしい偉業でも、馬鹿馬鹿しい大失敗でもやってしまう可能性がある。
つまり、このキャラクターのせいだということにしておけば、話の中の御都合が全て説明できてしまうという、非常に「ズルい」何でもありのキャラクターだ。
しかしこれは非常に強烈な個性でもあり、表現次第ではとても魅力的なキャラクターとなるだろう。世界各地の神話にも、強くて気まぐれな英雄は多く存在する。
また、既存の概念で言うと、「デウス・エクス・マキナ」、「マッド・サイエンティスト」、「トリックスター」といったものの要素を含んでいると言える。
そして「ジョジョの奇妙な冒険」においては、まさにDIOがこれに当たる。
DIOは何故あんなに強いのか? あんなに強いのに、自分の力を試しながら戦って、油断して何度も敗北したのは何故か? 何人も子供を作ったのは何故か?
「天国に行く方法」なんて何故考え出すことが出来たのか? あんなに邪悪な性格なのに、プッチとの間に本当は真の友情があったのかもしれないと思える表現だったのは何故か?
全ての疑問が「気まぐれな超人だから」で一先ず解決する。(もちろん、より深く考えを進めることも出来るのだが、そこまでせずとも「気まぐれな超人」で話が収まるというわけだ)
285
:
名無しさん
:2013/09/12(木) 02:10:35 ID:???
最近IDスタンド変換スレを発見し、フェイク『男』さんの鑑定を見てファンになりました
そして大変ぶしつけな質問なのですが、フェイク『男』さんが今まで鑑定したスタンドを見てみたいのですが、
フェイク『男』さんの鑑定したスタンドをまとめている場所等はあるのでしょうか
286
:
フェイク『男』
:2014/01/15(水) 05:37:58 ID:lgf.h9jI
697 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/14(火) 20:23:08.35 ID:hOWxSbk5
以前どこかのインタビューか何かで作者が語っていたところによれば、ジョジョ八部では日常生活のちょっとしたものをスタンド化したいと思っているとのことだそうだが、
例えば、作者が冬に窓を開けたらやたら寒いわバイクの音がうるさいわと散々で、もう朝から不運だなあという経験が「ボーン・ディス・ウェイ」というスタンドになったのではないかと想像してみる。
698 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/14(火) 20:24:20.16 ID:hOWxSbk5
ちょっとした下らない疑問なのだが、ジョジョ四部の登場人物、「広瀬康一」の身長は157cmとされている。そして漫画内では、彼の身長はデフォルメによってやたらと小さく描かれている。
それはいいのだが、では「エコーズAct3」の身長は、本当はどの程度なのだろうか? 実はスタンドの方も本体と同じくらいあるのか、それともやっぱりスタンドだけは描かれているままの身長なのか。
四部序盤の康一はまだ設定通りの身長で描かれているが、「エコーズAct3」はあの身長の姿しか描写が無いことや、
「岸辺露伴」と「ヘブンズドアー」のように、本体とスタンドで身長が異なる例も多々あることが、この問題をややこしくしているのだ……!
287
:
フェイク『男』
:2014/01/15(水) 05:38:30 ID:lgf.h9jI
699 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/14(火) 20:26:37.44 ID:hOWxSbk5
ジョジョという漫画におけるスタンドという設定は、基本的に奇妙な戦いや冒険を描くための手段に過ぎず、スタンドそのものの設定を捏ね繰り回すことに重点は置いていないようだ。
例えば、スピードワゴン財団が非スタンド使いの視点からスタンド能力を研究するとか、スタンド使いと非スタンド使いとの意識差とか、スタンド能力の社会的な利用とか、
そういういかにも普通の超能力モノの作品ならば定番の展開にあまり踏み込まないことからも、そのような姿勢が窺える。
スタンドという存在そのものが奇妙だから戦いや冒険が起こるのではなく、人間や自然界の奇妙さがスタンドを通じて戦いや冒険となるのだ。
そんなジョジョという漫画で、スタンド能力そのものを研究・分析するような口振りを見せた「八木沼夜露」は結構な新機軸のキャラクターだと言える。
まだ詳細は判らないものの、このキャラクターの鍵は「観察」という行為かもしれない。例えば、目からラップフィルムを出して攻撃対象を拘束するのは「観察者効果」の表現だ。
700 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/14(火) 20:28:55.93 ID:hOWxSbk5
ジョジョ全体を見渡しても直球で強力なスタンドである「クリーム」だが、このスタンドには一つ疑問点がある。
それは、もしも本体が人間である場合、暗黒空間に隠れている間は息が出来ないのではないかということだ。
もちろん、あくまでスタンド能力なのだからあれやこれやの理由を付けて呼吸できると考えてもいいのだが、
むしろ、このスタンドは本来、本体が息を止めている間だけ暗黒空間の中に入りつつ攻撃できる、という能力だったのではないかとも想像できる。
そのような制限を込みで考えれば、このスタンドの驚異的な強さも少しは軽減されるし、その制限を見越した上でDIOはヴァニラ・アイスを吸血鬼にしたのかもしれない。
288
:
フェイク『男』
:2014/01/15(水) 05:38:46 ID:lgf.h9jI
707 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/15(水) 00:15:21.92 ID:ypDqfCXE
東方つるぎとそのスタンド「ペーパー・ムーン」が有する各種の特徴は、本体の「男子でありながら女子として育てられた」という「曖昧な境遇」に関連付けることが出来る。
例えば、スタンド能力の対象が「他人の顔を見分けられなく」なり、その中でも「本体であるつるぎだけは見分けが付く」のは、つるぎが自分自身に感じる不確かさの裏返しだ。
また、スタンドの形態である「折り紙」は、同じ色の紙で同じように折れば、ほとんど見分けが付かない同じような形になるものだし、
本体の癖である「駄洒落」は、聞き分けにくい同じような二つの言葉を重ねる遊びであり、これらも本体の自己投影と言える。
289
:
フェイク『男』
:2014/01/15(水) 05:43:10 ID:lgf.h9jI
>>285
2chの過去ログを保管しているサイトなどを当たるといい。
……酷い亀レスだ。
290
:
名無しさん
:2014/01/17(金) 21:24:55 ID:???
>>289
返レスありがとうございます、早速探してみます!
改めて、ありがとうございました!
291
:
フェイク『男』
:2014/07/08(火) 00:03:09 ID:5RimiDa.
669 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 21:23:14.39 ID:3oaVCoTN
「首吊り」の死因は、首の動脈や気管を潰されることでの意識喪失からの窒息、及び「絞首刑」ならば刑死者が絞首台より落下することでの頚椎損傷や頚椎骨折が加わるそうだが、
ジョジョ四部に登場する死刑囚アンジェロのスタンド「アクアネックレス」(和名:水の首飾り)は、そもそも「本体が絞首刑から身を守るため」に発現したものではないかと推測できる。
673 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 23:27:43.22 ID:3oaVCoTN
「波紋」や「鉄球」は、スタンドという才能に近づこうとする「技術」と言えるのだろう。
(スティールボールラン、コミックス10巻)
次元を突き抜けていくジャイロの鉄球のエネルギーを視覚化したもの。
鉄球の技術も、最終的にはスタンド能力化したってことですね。
そのことを説明するために登場させたんです。
(JOJOVELLER STANDS、「ボールブレイカー」の作者コメント)
この「ボールブレイカー」に関する作者のコメントは、あくまでこのスタンドに対してだけのものと考えるのが本来の見方なのだろうが、私としては、
「波紋や鉄球の技術を扱う者は後の部では出てこなくなるけど、全く途絶えたり表舞台から消え去ったわけではなく、スタンド使いに形を変えて現代にも繋がっているよ」という解釈を推したい。
つまり、三部以降に登場する生まれつきのスタンド使いとされる者たちの中には、もしかしたら祖先にスタンド使い化した波紋使いや鉄球使いがいたとか、
あるいは波紋や鉄球の才能そのものがスタンド能力として遺伝したとか、そういう者がいたのではないかというわけだ。
292
:
フェイク『男』
:2014/07/08(火) 00:04:22 ID:5RimiDa.
674 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 23:32:18.80 ID:3oaVCoTN
ジョジョの世界における一般人は、基本的に吸血鬼やスタンド使いなど超常の存在について何も知らず、理解も出来ない。
そして主人公たちも、有名どころでは「全員ブチのめす」「仗助の携帯電話盗み」「承太郎が妻子に何も説明せず離婚」など、一般人からの理解は得られないことを前提に、割り切って行動する。
特殊な能力の無い一般人の中には、例えばスピードワゴン、ポコ、エリナ、スモーキー、スージーQ、家出.少女、川尻早人、スティール氏など、
そうした超常現象を理解する者もいることはいるのだが、彼らはたとえば自分から危険に飛び込むとか、自身や家族が危険に晒されるなどして、
その体験の中で超常現象に関する物事を知っていったわけであり、全ての一般人に対してジョジョ側からそうした理解を求めることは出来ないのだ。
それどころか、上記のポコ、スモーキー、家出.少女のように、当初はジョジョ側を悪人や疫病神ではないかと思っていたというパターンすら見受けられる。
675 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 23:36:04.99 ID:3oaVCoTN
「ジョジョの奇妙な冒険」本編に登場したスタンドは、数え方にもよるが現在150体余り。その中で「特殊な探知能力」を有しているものは、これも数え方次第だが、およそ40〜50体。
実にスタンド使い全体の30%程が、音、匂い、遠隔視、予知、記憶、熱、振動、DNA、二酸化炭素、凄みなど、探知能力による様々な独自の視点を活かして戦いに挑んでいると言える。
ちなみにこの中で最も多いのが「猟犬並みの嗅覚」で、ハイウェイスター、黄金体験、スケアリーモンスターズ、チューブラーベルズ、キングナッシング、本体も含めればイギーなどの動物も該当する。
(更に推測を含めるならば、例えばペーパームーンキングで何か嗅覚の鋭い生物を作る、などの応用技もありそうなものだが、これが出来るとするとキングナッシングの立つ瀬が無いので微妙なところだ)
293
:
フェイク『男』
:2014/07/08(火) 00:05:01 ID:5RimiDa.
678 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 23:57:03.55 ID:3oaVCoTN
以下は全く蛇足となるが、私が今まで見たことのある、ジョジョに関する「ソースの無い情報」……つまりデマの類を羅列しておく。
・ジョセフはスージーQと共に老いるためあえて波紋の呼吸を辞めた
・「世界21」はタロットを暗示とする全てのスタンドを使えるという初期設定だった
・「世界」はジョースター家のスタンド全てを使えるという初期設定だった
・ケニーGは連載当時ダニーKという名前だった
・「世界」は本物の世界に「DIOの世界」を挟み込むことで時を止めている
・仗助の恩人の正体は仗助自身という初期設定だった
・仗助の恩人の正体について、荒木は「ああ、そんなのあったね(笑)」と答えた
・仗助は四部終了後バイク事故死した
・デッドマンズQに出てくる「吉良吉影」は実は吉良に殺された川尻浩作
・スタープラチナならGERを倒せる
・アナスイは元々女性の予定だったが、少年誌でレズは描けないので設定変更した
・メイドインヘブンは実はGERによって無効化された
・六部ラストでエンポリオ以外の全人類が消滅して別人になった
・ヴァレンタイン大統領が痩せたのは遺体の力の影響、あるいは隣の世界から痩せている自分を連れてきた
294
:
フェイク『男』
:2014/07/08(火) 00:07:19 ID:5RimiDa.
余談だが、この掲示板では何故か「家出.少女」がNGワードになっているようだ。
295
:
フェイク『男』
:2015/01/18(日) 20:18:06 ID:Hc.UYabU
669 名前: フェイク『男』 投稿日: 2015/01/18(日) 18:25:37.62 ID:hD2wh23O
スタンド攻撃で発生する現象は、大きく分けて「スタンドを解除すれば元に戻る」ものと「対象を決定的に変化させる」ものがあるが、
攻撃対象の体内の成分を失わせる攻撃に関しては、例外的に「スタンドが解除された後、失った成分を対象が経口摂取などすることで急速に治る」という描写がなされている。
「ハイウェイスター」の養分奪取、「メタリカ」の鉄分奪取、「ソフト&ウェット」の水分奪取がこれに当たる。
673 名前: フェイク『男』 投稿日: 2015/01/18(日) 18:51:14.42 ID:hD2wh23O
スタンドの中には、本体の意思が曖昧なのに発現しているタイプのものがあるかもしれない。
本来、スタンドの発現には「やるというハッキリとした意思」が必要なはずだが、本体が精神的に追い詰められていたりして、
何が何だか分からないがとにかくどうにか動かねばならない、という意思だけが存在しているという事例だ。
このようなスタンドは能力の内容も非常に曖昧で、強力だが強引な効果が目立ち、一見してそのスタンドにどこまでのことが出来るのかハッキリしない。
もしかしたら、本体自身にも判っていないかもしれない。スタンド能力は強力だが、本体自身が曖昧であるということを引き換えにしているという「等価交換」だ。
訳の分からない理由で恋人を失った本体の「ヘビーウェザー」、その本体が記憶喪失により自分自身が何者かすら判らなくなった後の「ウェザーリポート」、
同じく本体が記憶喪失で、それどころか元々存在しなかったはずの人間だった「ソフト&ウェット」、劣悪な家庭環境ゆえに悩みを抱える本体の「ペイズリー・パーク」などがこれに当たる。
696 名前: フェイク『男』 投稿日: 2015/01/18(日) 20:07:34.92 ID:hD2wh23O
時間を操るスタンドの中でも、「キングクリムゾン」と「マンダム」には、まるで本体の周囲にいる者だけが時間の異常に気付くことが出来るかのような描写が窺える。
これは例えば、本体であるディアボロやリンゴォが時間の操作により「運命」を逸脱した行動を取った結果、その周囲の者に「運命のズレ」が伝わり、時間の異常に気付けたのだと考えられる。
296
:
名無しさん
:2015/07/15(水) 23:25:57 ID:wkXo260I
653 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:03:54.36 ID:hVAOCT0T
スタンドにダメージがあると本体にも同様の影響が現れることは広く知られているが、では本体へのダメージがスタンドに現れるかというと、これは必ずしもそうとは言えない。
作中で明言されてはいないが、どうやら本体が余りに深刻な、医者にかかる程度では完全に治らず、後遺症や障害が残ってしまうほどの重傷を負った場合、やっとスタンドにも同様の影響が現れるようだ。
654 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:04:24.17 ID:hVAOCT0T
川尻早人、エンポリオ、東方つるぎなど、ジョジョには年齢の割にやたらと頭が良くていざという時の行動力も兼ね備える天才児が時々登場するが、
彼らはいずれも自分の出生に疑問を抱き、それに思い悩んでいたという共通点がある。そしてこの疑問が、彼らが戦いに参加することの動機としても機能している。
656 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:05:57.55 ID:hVAOCT0T
やたらと口から血を吐き、打撲と流血を繰り返し、しかし眼球損傷だとか四肢切断の重傷はほぼ回復役がいる状況でしか行われず、死ななければ怪我の大多数は戦闘終了後に軽傷だったことになる。
このようなジョジョの戦闘における負傷描写は恐らく、リアリティよりも戦闘の「徹底」を優先させたものだと考えられる。つまり、決定的なダメージ以外の全てをかすり傷と見なしているのだ。
他にも、ジョジョの戦闘はほとんどの場合、敵味方共に万全の状態で開始し、誰かが前回の負傷を引きずっているとか、条件発動のスタンドが条件を全く満たせないような状況はそうそう無い。
また、あまりに有利な暗殺攻撃の結果、なすすべもなく片方が全滅するということも無い。このようにして、果たして戦う二者のどちらが強いのか、完全な決着が付くまで戦闘が継続されるのだ。
(参照:スタンドは手段…
>>287
の上段)
297
:
フェイク『男』
:2015/07/15(水) 23:26:47 ID:wkXo260I
657 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:06:45.83 ID:hVAOCT0T
私はこの前置きで様々な考察というか妄想の類を捏ね回しているのだが、エンターテイメントを目的とする漫画作品の場合、読者の納得は理屈よりも感情に拠るところが大きい。
特に週刊少年漫画というものは、「荒木飛呂彦の漫画術」などにも記されている通り、少しでも面白くなかったら読み飛ばされてしまう恐れのある媒体であり、読者を考えさせている暇は無い。
例えば二部の「カーズを宇宙に追放する場面」では、ジョセフがカーズに対し精神的優位に立っていることを描写しつつも、やはりカーズの敗北は偶然の働きが大きかったはずだが、
まるで究極生物カーズが地球の意思に逆らい、地球そのものがカーズを宇宙へと追放したかのように表現することで(実際には地球の意思なんて設定は全く無いが)読者を納得させる力を生み出していた。
また、六部で「ジョニィが立ち上がれるようになる場面」では、そもそも車椅子の人間が歩けるようになるなんてどんな理屈を捏ねても御都合設定にしかならないものだが、
ジョニィは(立てるようになったことと直接は無関係でも)この直前にジャイロを喪っており、歩けるようになってもそれほど劇的に喜んでいないという点が重要なところだ。
661 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:22:17.32 ID:hVAOCT0T
ジョルノはDIOの息子なので、彼もまたプッチ神父を天国へと押し上げる宿命である。
しかし同時にジョースターの一族でもあり、康一に言わせればジョセフ、承太郎、仗助と同じ正義の心の持ち主なので、プッチ神父に出会えば「天国へ行く方法」を止めようとするだろう。
従って、ジョルノが最後までプッチ神父に出会わなかったこと自体も、DIOの息子であることとジョースターの一族であることのせめぎあいの結果だったのかもしれない。
(参照:ジョルノとプッチ…
>>120
の三段目)
662 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:25:29.83 ID:hVAOCT0T
これは原作とは関係の無い話なのだが、個人的に「近距離パワー型スタンド」の力量は、拳銃を持った一般人が真正面から襲い掛かってくるのを撃退できる程度が最低限の目安としている。
298
:
フェイク『男』
:2015/07/15(水) 23:27:08 ID:wkXo260I
666 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:42:56.37 ID:hVAOCT0T
【幸福と不幸、1】
かつてプッチ神父は「未来に起こる不幸を覚悟すれば幸せ」という思考法を提唱した。もしもプッチ神父の思い通りの「天国」が完成した場合、彼の言う通りになっていたかどうかは誰にも判らない。
ただ、彼の言う通りの幸せが世界に訪れたとしても、それと逆のこと、つまり「未来に起こる幸せをあらかじめ知ってしまうことは不幸」という視点も発生する。
作中の描写からは断言できないが、もしかしたらプッチ神父はこの世には幸福よりも不幸の方が多いと考えていたのかもしれない。それも無下には出来ない考え方だ。
何かとDIOの狂信者というようなイメージの強いプッチ神父だが、神父という職業を長年こなしてきたからには、それなりに多くの人々の幸不幸を見てきた経験もあるだろう。
669 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:56:28.53 ID:hVAOCT0T
【幸福と不幸、2】
ヴァレンタイン大統領の「ラブトレイン」は幸福と不幸を50対50と見なすことが前提の能力だったが、もしも人々が「黄金の精神」の伝わりによってそれぞれの正義に目覚めていき、
そして「正義や幸せという真実に向かう意思」を保ち続けるならば、「正義を成すことこそが運命」であるからして、最終的には人類全体が不幸よりも幸福を得られるのではないかと思われる。
とはいえもちろん、常にこの世の正義や幸福が邪悪や不幸に打ち勝つわけではなく、むしろ両者はややもすれば互角にも見えるほどであり、数字で表すなら51対49で正義が勝つといったところだろう。
それを体現するキャラクターが、七部のジョニィ・ジョースターだ。彼はしばしば欲望のために言い訳を交えつつ間違いを犯すが、最後には自分が正しいと納得できる道を選ぶことが出来る人物である。
299
:
フェイク『男』
:2015/07/15(水) 23:27:21 ID:wkXo260I
668 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:48:43.41 ID:hVAOCT0T
スタンド能力はスタンド使い本人の精神の発露だと言われている。すると自然に、基本的には平和な日常生活を営む四部や八部のスタンド使いたちは日常に使える能力に目覚めることとなる。
だが、四部や八部にも本当に戦闘や攻撃にしか使いようのないスタンド能力というものも存在する。それはきっと、本体の人生がそれだけ戦闘力を欲していて、追い詰められているということだろう。
その代表例は自分の趣味による犠牲者を始末しまくっていると思しき吉良吉影の「キラークイーン」だが、ここで注目するのは、それより少しは穏やかな使い道の「東方常敏のスタンド」だ。
まだ詳細は不明だが、対象に熱攻撃を加えるというどうにも破壊的で攻撃的な能力を、曲がりなりにも己の趣味に有効活用している姿からは、人生を前向きに楽しもうという本体の精神性が伝わってくる。
671 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 23:04:09.78 ID:hVAOCT0T
詩人・相田みつをの名言をこよなく愛する「東方常敏」だが、その一方で相田みつをを知らない弟・常秀に冷たい態度を取ったりするなど、どうもその愛にエゴが混じっている気配が感じられる。
もっと直球に言うと、常敏は相田みつをの名言が好きなのか、それとも名言を知っている者同士で盛り上がることが好きなのか、無意識的にどっちの方が割合として上なのかという話だ。
そして更に言えば、これはジョジョという漫画の中の話なので相田みつをを引用してはいるが、実のところジョジョのファンはジョジョが好きなのか、それともジョジョネタで盛り上がるのが好きなのか、
作者・荒木飛呂彦はそんなメッセージを込めている、とまでは言わないが、どうもジョジョが以前のマイナーな扱いから飛び出してメジャーな作品になっている昨今、私などはそんな感想を抱いてしまう。
ちなみに、ジョジョがメディアに取り上げられ始めた時期の本編展開が、金を稼ぎ過ぎて苦労する「シュガーマウンテンの泉の試練」の辺りだったことも、何だか邪推の気持ちを湧き起こらせるものだ。
300
:
フェイク『男』
:2015/07/16(木) 23:07:57 ID:UQUcpYcc
684 :フェイク『男』:2015/07/16(木) 22:37:19.77 ID:jfkRD7Wk
説明するのがムズかしいんだけれど、マンガを描いていると『重力』の存在というモノをすごく感じる(唐突ですけど)。
つまり作者はアイデアだとか、主人公の行動をコントロールしてストーリーを進行させていると世間一般で思われているようだけど、
そうじゃあない事が描いてる時にあって、主人公が作者の意に反して行動せざるを得ない時とか、絵にも描かざるを得ない絵というのが出てくる。
これをぼくは『重力』と感じ、『重力』とは『運命』だと感じるのだ。ストーン・オーシャン最終巻、これをちょっと思って読んでほしい。(六部最終巻・作者コメントより)
とある対談によれば、作者・荒木飛呂彦は「スタープラチナより強いスタンドは存在しない」と考えているそうだが、しかし作中の描写ではそこまで言い切るほどの絶対性はあまり感じられない。
対「ラット」「シアーハートアタック」「マンハッタントランスファー」辺りの苦戦は、いずれも敵にとって一方的に有利な状況だったので考慮しないとしても、
例えば「メイド・イン・ヘブン」は明らかに「スタープラチナ」を実力で圧倒している。仮に一対一の戦いなら、承太郎は原作の展開よりも早く敗北していたことだろう。
だが、上記の作者コメントと組み合わせれば矛盾は無い。荒木飛呂彦は「スタープラチナ」を最強だと考えていて、それでも作中では「重力」ゆえにその通りにならなかったというわけだ。
なお、作者的に「重力」とか「運命」という言葉にさほど否定的な意味合いは無いと思われる。むしろ六部以降は、作者自身がそれらの言葉を肯定的な意味で使う場面も散見される。
301
:
フェイク『男』
:2015/07/16(木) 23:08:21 ID:UQUcpYcc
686 :フェイク『男』:2015/07/16(木) 22:45:43.93 ID:jfkRD7Wk
ちょこっと考えてると、マンガの中に強い敵が出て来る。その次にそれよりも強い敵が出てくる。その次はそれよりも強い。
…となると最後はいったいどうなっちゃうわけですか? 宇宙のハテを考えているみたいになる。(コミックス46巻・作者コメントより一部抜粋)
ジョジョにおける戦闘の原則として「強い力はより強い力に敵わない」というものがある。単純な力を誇るだけの者はそれより強い者に敗北するのみであり、単純な力比べを超越しなければ勝利は無い。
例えば「力」や「アヌビス神」など、いかに強い力を誇ろうと冷静さや判断力の伴わない者はそれが切っ掛けとなって敗北してしまうし、
破壊力・スピード・精密性の全てにおいて最高位の「星の白金」は、早速それ以上のスピードを持つ「灰の塔」と出くわすことになってしまった。
「銀の戦車」や「ホワイトアルバム」の有する硬さだけの装甲は力押しで破壊されるし、より能力的な「黄の節制」や「20thセンチュリーボーイ」なども、本体自身が虚を突かれ対処されてしまった。
689 :フェイク『男』:2015/07/16(木) 23:02:56.11 ID:jfkRD7Wk
「てめーの敗因は… たったひとつだぜ… …DIO… たったひとつの単純な答えだ……… 『てめーはおれを怒らせた』」(空条承太郎)
承太郎は何故そこまで怒ったのだろうか? もちろん、仲間や関係の無い人たちが大勢犠牲になった挙句、祖父の身体を弄ばれたからだ。
それはつまり、承太郎はDIOを倒すという結果だけでなく、過程や方法も大切だと考える人間だったということでもある。
もしも承太郎が「過程や方法などどうでもよい」性格だったなら、きっと「星の白金」が「世界」を一方的に上回るほどの怒りのパワーは無かっただろう。
「世界」と「星の白金」との最後のぶつかり合いは、そのまま「結果だけを重視する精神」と「過程をも重視する精神」が、単純な格闘のパワーで激突した光景だったのかもしれない。
302
:
フェイク『男』
:2015/07/16(木) 23:08:35 ID:UQUcpYcc
690 :フェイク『男』:2015/07/16(木) 23:05:17.38 ID:jfkRD7Wk
自分の妻に、そして息子に降りかかる病魔との決着をつけるべく、敢えて自分自身が犠牲となることで家族を守ったジョニィ・ジョースターだが、具体的に彼は最期の瞬間に何をどうしたのだろうか。
作中の描写だけでは正確なところは判らないが、理屈としては例えば、「タスクAct4」は本体の定めた相手を追跡する攻撃能力であり、そのためなら次元の壁や時間をも超えることが出来る一方で、
自分が通過しただけの対象は一時的に穴が開いても最終的には傷一つ残らないという特徴もあるので、あの時ジョニィは息子ジョージを撃ち抜きながらもその弾丸の最終目標を自分に設定することで、
弾丸の銃創が遺体の「等価交換」効果で他の誰かに移りそうになるのを強制的に自分自身へと引っ張り込み、それに乗じて「病気」をも自分にまで移してきた、というような考え方も出来る。
つまり「タスクAct4」と「遺体」を組み合わせれば、ジョニィは自分や周りの不都合を自分の選んだ特定の相手へと押し付けることが出来るということになる。「D4Cラブトレイン」と同じような能力だ。
303
:
フェイク『男』
:2015/07/18(土) 23:28:00 ID:.A0SWok6
700 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:25:31.34 ID:/VosH7VS
超能力での戦闘を扱う創作物において、一撃で相手を無力化してしまう能力(そこまで破壊的な能力でなくとも、例えば相手を眠らせたりする能力など)をどう取り扱うかは難しいところだ。
ゲーム作品などでは、例えば眠りの攻撃を受けると一定確率で眠ってしまうとか、キャラクターごとに眠る確率が異なるとか、眠り状態を防ぐ装備品があるとかだが、どれも漫画ではやり辛い設定だ。
(参照:創作物における偶然の取り扱いについて…
>>139
)
例えばかの名作ドラゴンボールでは、超能力が戦闘の主題ではないこともあり、格上の相手には超能力が全く効かない、もしくは効いても無駄という展開で一貫していた。
そしてジョジョでは、超能力を視覚化したスタンドという設定がそのままこの問題の解決となっている。敵に超能力を発動させるということは、スタンドで(主に殴って)攻撃するということであり、
敵の超能力を防ぐ行動は、例えば他の作品では「眠りの波動を気合で掻き消す」みたいな動きの無い描写になりがちなところを、敵の攻撃を自身のスタンドで防御するという活動的な格闘描写で表現される。
あるいは、殴り以外での発動条件があれば、それを通じて更に工夫した知恵比べの展開が描けるのだ。
304
:
フェイク『男』
:2015/07/18(土) 23:28:20 ID:.A0SWok6
702 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:27:34.54 ID:/VosH7VS
ジョジョのスタンド戦闘では、途中まで工夫と小細工を尽くした知恵比べの戦いを繰り返しつつ、主人公側のキャラクターが優勢になって敵を追い詰めたところで、
最後にガンマンの早撃ち勝負のごとき一騎打ちでもって決着をつける、という展開が散見される。これは、主人公側が理屈のみならず力においても敵を上回っていることの明示が狙いであると思われる。
前述の通り、ジョジョの戦いは「徹底」を追求しているため、敵スタンド使いはおよそ自分の能力で出来るあらゆる手段を講じて攻撃してくる。その多様性がジョジョの大きな魅力であることは間違いない。
とはいえその狙いのために、時には状況の都合によってキャラクターが不自然な判断ミスをしたり、あるいはそのスタンド能力の応用で何でそんなこと出来るの?みたいな疑問が涌くことも少なくない。
そこで、小難しい知恵比べだけでなく単純明快な力による勝利が描かれることにより、読者を理屈のみならず感情から納得させているのであろう。
承太郎vsンドゥール・DIO、仗助vs噴上裕也・吉良吉影、ナランチャvsホルマジオ・スクアーロ、ジョルノvsチョコラータ、ジョニィvsサウンドマン・ヴァレンタイン大統領、定助vs八木山夜露など。
305
:
フェイク『男』
:2015/07/18(土) 23:28:39 ID:.A0SWok6
705 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:31:49.56 ID:/VosH7VS
主にジョジョ五部から六部にかけて多発していた、無差別に広範囲を攻撃するスタンド能力は、その影響によって多数の人々に生じる混乱や被害が作中で執拗に描写されるという特徴がある。
それはもちろん、漫画的面白さや脅威の演出のためでもあるし、また、そのスタンド能力の規模の大きさを示すためでもあるだろう。これらの能力は、人間全体の社会や意識にまでも被害を与えうる。
「グレイトフルデッド」「グリーンデイ」「チャリオッツレクイエム」「ボヘミアンラプソディ」「ヘビーウェザー」「C-MOON」「メイドインヘブン」「D4Cラブトレイン」などがこれに当て嵌まる。
逆に「星の白金」「世界」「バイツァダスト」辺りは、いくら時を止めたり戻したりしようと、本体と無関係な人々や世界全体はほとんど変わらない。
余談だが、「キングクリムゾン」と「マンダム」は一応、世界中の時を操っているのであろう設定の割りには、その被害描写はやけに狭い。
これらのスタンドによって引き起こされる周囲の人々の違和感は、もしかしたらそれほど広い範囲には影響しないのではないかと考察される理由である。
306
:
フェイク『男』
:2015/07/18(土) 23:28:58 ID:.A0SWok6
706 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:33:27.51 ID:/VosH7VS
超能力での戦闘を扱う創作物において、離れた場所にある物体を自由に動かす念動力は鉄板の設定であり、例えばそこら辺にある小物とか岩とかを敵にぶつける戦法などが多用されるものだが、
では何故、その力で敵の内臓を直に握り潰してしまわないのか、という疑問も発生する。もちろん、そんなことが本当に出来たら強すぎて作品の方向性がまるで変わってしまうのだが、
だからといって超能力は生物には効きづらいとか下手に設定を加えると、他の超能力との統一性にも問題が出たりする。この能力だけは例外、のような設定を増やして読者を無駄に考えさせるのも良くない。
さて、ジョジョにおける念動力とは即ちスタンドのことであり、一応スタンドにも物体をすり抜けて内部だけを攻撃する能力はあるが、もちろん敵の内臓を握るより早く敵のスタンドがそれを防御するし、
名言はされないものの、物体を透過して内部だけに干渉するのはそれなりにスタンドパワーの集中力が必要というようなフシもあるので、基本的にそこまで強すぎる戦法は扱われないことになっている。
だが時折、透過と攻撃を併用できるスタンドが登場し、そのような攻撃は作中でも取り分け脅威的なものとして描写される。「アヌビス神」「ビーチボーイ」「ダイバーダウン」などが代表例だ。
また磁力や重力など、現実世界に存在する、物体を貫いて働くエネルギーを扱うスタンド能力は、特にこのような抵抗不能の体内攻撃を行うことが多い。
「メタリカ」「C-MOON」「トゥーム・オブ・ザ・ブーム」「ボールブレイカー」「タスクAct4」などがこれに当たる。
708 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:39:24.60 ID:/VosH7VS
スタンド使いにとって能力の発動条件を知られることは非常に危険なので、スタンド発動時にちょっとしたパフォーマンスや手品をするよう心掛けることで、
目撃者にそのスタンド能力の発動条件を誤認させるテクニックがあり、指を食べたり目からラップを出したりするのはそれを狙った陽動だった説。
307
:
フェイク『男』
:2015/12/30(水) 22:03:41 ID:Yhd1RBjU
674 : フェイク『男』2015/12/30(水) 21:34:16.46 ID:EtC3ZBNN
「吐き気を催すような邪悪」だとか「自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪」だとか、ジョジョの世界観では「邪悪とは何か」を割とハッキリ言い切る形で明言されている。
その一方で「正義とは何か」に深く言及することはあまり無かった。特に六部までは主人公自身が正義を語りはせず、周りの者が歴代ジョジョに正義を感じるという描写に留まっている。
(参照:正義とは客観的なもの…
>>215
の二段目)
しかし、七部以降はそうした正義観にも手を出し始めているように思われる。やはり少年漫画雑誌から青年誌に移ったこともあるのだろう。
また、この正義に対する考え方の移り変わりは、六部までの世界観と七部以降の世界観に当て嵌めて考えることも出来る。
六部までのジョジョの世界は「一つ」しかなかった。世界が一つしかないということは、世界の中の運命も一つだけであり、「正義をなすことこそが運命」である以上、正義も一つだ。
だが、七部以降は無数の「平行世界」が存在する。少しずつ異なる形の世界が無数にあるのならば、それぞれの世界の中の運命も全て異なり、ゆえに異なる形の正義も無数に存在するのだ。
308
:
フェイク『男』
:2015/12/30(水) 22:04:04 ID:Yhd1RBjU
676 : フェイク『男』2015/12/30(水) 21:35:08.19 ID:EtC3ZBNN
八部「ジョジョリオン」に登場したスタンド「ショットキーNo.2」は、本体をも害してしまうため取り扱いに注意が必要な、毒ガスを発生させる能力だ。
この説明だけだと、まるで五部のスタンド「パープルヘイズ」の焼き直しにも見えてしまうかもしれないが、このスタンドにはそこから更に発展した独自性がある。
と言うのも、「ショットキーNo.2」の本体「エイフェックス兄弟・弟」は、このスタンドをサッカーボール型のバッグの中に入れ、それをサッカーの技術で操り、制御しているからだ。
スタンド能力とは本体の精神の反映であり、自分自身で望みの能力を得られるとは限らない。スタンドとは、言わば本体の「宿命」のようなものとも言い表せる。
(参照:スタンド能力は選べない…
>>223
の上段)
だが、扱いづらいスタンドが発現してしまったからといって、自分自身の精神を否定するのではなく、創意工夫と技術でそれを上手く操れるのならば、それは己の「宿命」の克服とも言える。
(参照:克服すべきスタンド…
>>194
の二段目)
また、「エイフェックス兄弟・兄」の方も、そこまでの創意工夫は無いものの、自身の右手の一部が常に岩となっていることで、日常生活が困難になるという不便さを伴う能力だった。
作中では割と呆気なく主人公に敗北した「エイフェックス兄弟」だが、彼らもまた己の宿命に「立ち向かうもの」であり、岩人間といえど「人間賛歌」の一部だったと言えるだろう。
677 : フェイク『男』2015/12/30(水) 21:35:36.81 ID:EtC3ZBNN
ジョジョは「人間と人間以外の戦いを通じて人間賛歌を謳う」物語として始まったが、まさに人間を超えた怪物である「吸血鬼」や「柱の男」に比べ、「岩人間」はそこまで超越的ではない。
彼らは人間社会に寄生する、人間に対しては無益で有害なだけの存在ではあるようだが、それでも彼らには彼らなりの生き方があり、言い分があり、悩みや苦しみを抱えているらしい。
これも「正義と悪」の戦いではなく、「それぞれの正義同士の戦い」を描く、七部以降の作風の一環なのだと思われる。
309
:
フェイク『男』
:2015/12/30(水) 22:04:25 ID:Yhd1RBjU
679 : フェイク『男』2015/12/30(水) 21:36:23.02 ID:EtC3ZBNN
ジョジョに登場する「スタンド能力を持たない殺し屋など」はほとんど全員が雑魚である。七部では、戦闘を始めて数ヶ月程度のジョニィが、大統領の送り込んだ殺し屋を余裕で撃退していたほどだ。
これは漫画的には、単にただ銃などで攻撃するだけのキャラクターを描いても面白くないからであり、例えば非スタンド使いのウェカピポが大統領相手に善戦していたのは、
彼の鉄球技術がそこらのスタンドを超えるほどの戦闘力・応用力・意外性などの面白さを有していたからなのだが、少し別の視点からこの現象を考えてみることも出来る。
それは、拳銃など普通の携行武器でスタンド使いとも渡り合えるほどの実力者は、その「技術」が既にスタンド能力にまで昇華されているはずだという考え方だ。
(参照:技術のスタンド…
>>106
の二段目)
そして、波紋使いや鉄球使いなどの技使いは、それらの技術そのものが進化すればスタンドになるものだと設定されており、これらは技術のままでもそれなりに強いものと考えられる。
560 :フェイク『男』:2015/12/30(水) 21:43:50 ID:Yhd1RBjU
ジョジョの作者、荒木飛呂彦氏によれば、四部の舞台「杜王町」はまるで「こち亀」のように、いつまでも永遠に同じ生活が続いていく世界として表現したかったそうだ。
だが、ジョジョが前へと進んでいく物語である以上、その希望を叶えるにも限界がある。六部開始の時点で既に西暦2011年、四部のキャラクターは12歳分の年を取っていることになるからだ。
しかし、七部以降には「平行世界」という概念があり、(作者自身が狙った効果ではないかもしれないが)これでいつまでも同じままの杜王町を描写することが可能となった。
実際「岸部露伴は動かない」シリーズでは、露伴が年代通りに年齢を重ねている一方、相変わらず高校生のままの仗助たちが描かれており、これらは「平行世界」の物事だとも言われている。
310
:
フェイク『男』
:2016/10/09(日) 02:11:04 ID:2KykemkE
740:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:43:06.64 ID:xUsiZ3VM
ジョジョの作者である荒木飛呂彦氏は昔から女性のキャラクターを描くのが苦手だったと言われているが、ジョジョの各部に出てくる女性キャラを順番に見てみると、作者の努力や苦労を垣間見ることが出来るかもしれない。
ジョジョ各部の女性キャラの歴史は大まかに分けて三つの時代がある。まず一つ、一部のエリナ・ペンドルトン、二部のリサリサ、三部の空条ホリィ、彼女たちはいずれも「理想のヒロイン」だ。
エリナは理想の淑女であり、リサリサは理想の女戦士であり、ホリィは理想の母親だった。女性キャラクターとして過不足なく完璧であり、例えば理想の紳士であるジョナサンやジョースター卿よりも更に「理想度」は高かったとすら言える。
一方、三部の名も無き家出娘辺りから、四部の山岸由花子、五部のトリッシュ、六部の空条徐倫は「欠点を伴うヒロイン」である。彼女たちはしばしば言動が汚く、ワガママで身勝手で、もちろん長所もあるにはあるが見えにくい。
家出娘は実験的な存在だったのかすぐに退場してしまったが、しかし四部以降の各ヒロインは欠点があるからこそ成長を描くことも出来る、より生きたキャラクターたちだった。彼女たちには自分の人生を迷うことなく真っ直ぐ進む力強さがあった。
そして七部以降であるが、ここからは現在連載中であるため少々推測も混じる。七部のルーシー・スティールとホット・パンツはかなり「理想的な性格」でありながら、ルーシーは何度も殺人を行い、ホット・パンツは無残に死亡する。
八部の広瀬康穂は多少の欠点を伴うものの健気に生きる女性だが、どこかまだ自分の人生に自身が無く、どこへ向かえばいいか判らない迷える存在でもある。このような「穢れ」や「迷い」の中で生きるヒロインの姿があるように思える。
311
:
フェイク『男』
:2016/10/09(日) 02:11:42 ID:2KykemkE
742:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:45:05.64 ID:xUsiZ3VM
以前、私は「シュガーマウンテンの泉の試練」について、ジョジョがメジャーな作品になってしまって不安な作者自身の心が反映されているのではないか、と考察したことがある。
(参照:マイナー作品好きの心理…
>>299
の下段)
そして八部の「ミラグロマン」は、これまた金を稼ぎ過ぎて逆に金に縛られるというスタンド現象だったもので、作者に何が起こったのか密かに不安だったのだが、なるほど実写化。
743:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:46:53.58 ID:xUsiZ3VM
四部でいきなり登場した「スタンド使いは引かれ合う」という法則は「引力」という形で六部に受け継がれたが、四部だけを見てみるとどうもその場限りのご都合設定という感も否めない。
だが、この設定はその場限りとは言えない便利さがある。四部では「弓と矢」が登場し、スタンド使いが人為的に増やされる存在だと明らかになったが、ならばスタンド使いが増えすぎてしまう可能性もあるということだ。
「黄金の精神」を共有してスタンド使いの犯罪を戒める者などそう多くは無いだろうし、事実、四部で作られたスタンド使いの多くは一般人を食い物にする小悪党に成り果てていた。
しかし、「スタンド使いは引かれ合う」ということは、彼らのような小悪党同士もいずれ引かれ合うということだ。もちろん「黄金の精神」のような協調性の無い彼らは、必然的に戦いとなるだろう。
少し考えてみると、仮に承太郎が杜王町を訪れるのが遅れ、仗助がアンジェロに殺された場合、杜王町はアンジェロ、虹村刑兆を殺した音石明、そして吉良吉影の三者が跳梁跋扈することになる。
アンジェロは「いい気になっている奴は気にくわない」性格で、吉良は「自分の正体を知ったものは抹殺する」方針で、アンジェロと音石は他人の犯罪を目撃しやすいスタンド能力である。この三者がいずれ殺し合いになるのは想像に難くない。
そしてこれは全くの想像だが、そのような犯罪者スタンド使い同士の戦いを制して頂点に立ったのが、現実に照らし合わせると異常な速度で大組織となったパッショーネのボス、ディアボロだったのかもしれない。
312
:
フェイク『男』
:2016/10/09(日) 02:12:26 ID:2KykemkE
744:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:48:39.68 ID:xUsiZ3VM
スタンドの強さの描写には結構なムラがある。これはスタンドに限った話ではなく一部や二部にも当て嵌まる話なので、以下は全くのこじつけなのだが、本体の認識がスタンドの出力に関わるということもあるのかもしれない。
例えば「魔術師の赤」が一瞬で鉄をも溶かす超高温の炎を操るのに対し、「ストーンフリー」は鉄格子を破壊するのに数分かかると判断している。鉄格子の質やスタンドのパワーに差があるとしても、同じパワー型のスタンド使いでこの差は大き過ぎる。
この場合、徐倫は長く刑務所で囚人として過ごしているため、鉄格子を「越えられないもの」「破壊しづらいもの」として無意識で認識しており、それが知らず知らずのうちにスタンドパワーの制限になってしまっているという考え方だ。
「出来て当然と思うことが大切」というエンヤ婆の言葉もある。もちろん、出来ると思えば何でも出来るわけではないが、出来ないと思っていては出来ることも出来ないというわけだ。
313
:
フェイク『男』
:2016/10/09(日) 02:12:48 ID:2KykemkE
746:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:52:27.12 ID:xUsiZ3VM
スタンド戦闘の三竦みを考える際に「近距離カウンター型」という分類を考慮してみる。これは簡単に言うと、近距離に位置する相手を一方的に無力化できるが、射撃などで遠距離攻撃してくる相手には全く弱いというものだ。
(参照:近距離カウンター型…
>>117
の上段)
八部では、指紋の結界により射程内の場を絶大なパワーで制圧できる一方、その外から攻撃されると脆い「ビタミンC」などは、なかなかの近距離カウンター型だったと言える。
なお、八部での「ビタミンC」は東方家での戦闘と過去回想の戦闘共にかなりの強敵として描写されていたが、このスタンドが指紋の結界という「罠の仕込み」を必要とする能力であることには注意を要する。
東方家には東方鳩のボーイフレンドとして侵入し、過去回想では(何の説明も無く)いつの間にか吉良と仗世文の乗るボートに乗り込むことで、指紋の結界を展開する充分な余裕があったことも「ビタミンC」の強さの一つである。
罠を張る時間が充分にあるなら、例えば「ソフトマシーン」だってブチャラティチームを全滅寸前まで追い込んだことはあるのだ。
もちろん、自分のスタンド能力を用いて罠を張ることが出来るということ、また罠を張りやすい能力であることも強みの一部であり、「ビタミンC」はその点では強かったことも事実であるが。
314
:
フェイク『男』
:2016/10/09(日) 02:13:11 ID:2KykemkE
748:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:55:14.14 ID:xUsiZ3VM
ジョジョ八部に登場する「吉良吉影」は、四部の同名人物と全く同じ名前でかなり同じようなスタンド能力を持つが、その性格や来歴は大きく異なっている。何故、八部のあの人物が「吉良吉影」なのだろうか?
まだ八部連載中であるため結論は出せないが、現在までの感想としては、八部の吉良吉影という名前が意味するところの一つは、「漆黒の殺意」の継承者を示す象徴ではないかと考えられる。
八部の吉良吉影の祖先、七部のジョニィ・ジョースターが有していた「漆黒の殺意」とは、社会秩序の外にある無法の荒野を開拓するため、時には人間社会の倫理や法律をも超えて、自分の信じる道を行く「男の世界」の精神だった。
(参照:「男の世界」の価値…
>>178
)
これは、他者に「無償の愛」を与え、その他者をもまた他の誰かに「無償の愛」を与えうる存在として、仲間から仲間へと広がっていく精神、ジョジョ一部から連綿とジョースター家に受け継がれてきた「黄金の精神」とは全く異なる概念だ。
(参照:無償の愛…
>>241
)
これら「黄金の精神」と「漆黒の殺意」は、どちらも結果だけではなくそこへ向かうための過程をも重視する、同じ「真実に向かう意志」でありながら、その社会的性格は真逆であるとすら言える。
そしてジョナサンではなくジョニィの子孫であるジョースター家を見てみると、八部の吉良吉影の母親「ホリィ・吉良・ジョースター」の時点で、既に以前の同名人物とはかなり違っていることが判る。
息子のスタンドが凶悪な爆破能力であることを知った上で、それを医療のために活用させ、責任は自分が負うと豪語するその姿は、これもまた「漆黒の殺意」と言えるものだった。
この吉良ホリィに育てられた八部の吉良吉影は、決して社会的に正義の存在とは言いがたいが、しかし自分が信じる道に誠実であることも事実だ。
彼の性根は万人の愛する「黄金の精神」とは言えないが、しかし四部の頃のような「どす黒い邪悪」でもない、まさに「漆黒の殺意」だったと言えるだろう。
315
:
フェイク『男』
:2016/10/09(日) 02:13:35 ID:2KykemkE
751:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:59:58.02 ID:xUsiZ3VM
ジョジョの歴代主人公は皆その名前を省略してジョジョと読むことが出来るようになってはいるが、物語が進むごとにジョジョと言われなくなっていくことでも広く知られている。
三部「空条承太郎」は話の途中からジョジョと呼ばれなくなり、四部「東方仗助」は最初に一回ジョジョと呼ばれただけで、五部「ジョルノ・ジョバァーナ」は遂に作中で一回もジョジョと呼ばれることはなかった。
だがそこから更に進むと、また別の側面が感じられる。六部「空条徐倫」は「あたしをジョジョって呼ぶな」と、(母親や彼氏などにはその呼称を許しているものの)自らがジョジョであることを否定する台詞が出てくるし、
七部「ジョニィ・ジョースター」の過去回想では、まるでジョジョという呼称を失われた過去の栄光のように扱っているようでもあった。ここに至ってジョジョという呼称は、単に使われなくなっただけでなく、明確に失われた称号なのである。
また、七部以降ではジョースター家の関係者でありながらジョジョという略称にならない人物も目立つようになる。七部ではジョニィの兄「ニコラス・ジョースター」、そして八部ではジョニィの子孫「吉良吉影」に加え、
八部の東方家の男性には代々「常」の字が入っているにもかかわらず、当代の東方憲助の本名「常助」以外はジョジョと読める名前が無いという点も挙げられる。
(ちなみに「東方つるぎ」には「常」の字が入っていないが、これは彼が女子として扱われているからであり、実は彼の本名は「東方常剣」とかである……と予想してみる)
これを踏まえると、八部「東方定助」もジョジョと読める名前でありながらジョジョと呼ばれていないが(ついでにいうと、同じくジョジョと略せる「空条仗世文」の愛称はジョジョではなく「セッちゃん」である)
八部のラストでは、これからどうやって生きていくか目途がついた(呪いの解けた)定助のことを、康穂辺りがジョジョと呼んで終幕、
ジョジョという称号と栄光を取り戻すことが「ジョジョへの祝福/ジョジョリオン」である……とか、これまた勝手な想像である。
316
:
フェイク『男』
:2016/10/09(日) 02:19:07 ID:2KykemkE
745:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:50:01.87 ID:xUsiZ3VM
スタンド戦闘において「強い」能力とはどのようなものが挙げられるだろうか? 一つの目安として、スタンド戦闘には「三竦み」の関係があると考えることが出来る。
スタンドを大雑把に「単純格闘型」「格闘&能力型」「能力重視型」に分類した場合、「単純格闘」>「格闘&能力」>「能力重視」>「単純格闘」>……という強弱関係を見い出すことが出来る。
分かりやすく四部のスタンドで例を挙げると、単純格闘「星の白金」は格闘&能力「クレイジーD」に強く、格闘&能力「クレイジーD」は能力重視「アクアネックレス」に強く、能力重視「アクアネックレス」は単純格闘「星の白金」に強いわけだ。
もちろん実際には戦闘開始の状況にもよるし、同じ「格闘&能力型」の中でもより「単純格闘型」に近いものもあれば「能力重視型」に近いものもあるし、この三分類だけが分類法ではないのだが、まあこういう傾向はあると思われる。
317
:
フェイク『男』
:2017/02/01(水) 22:48:47 ID:mZmSwf.g
708:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 21:41:12.47 ID:u2upE8kC
ジョジョという漫画に対する感想として、たまに「ラスボスがどいつもこいつも油断しすぎ」とか「ラスボスは主人公より遥かに強いのに油断が原因で負けてしまう」というものがある。
これは間違ってはいないが、しかしあまり正確な言及でもない。何故なら、ジョジョでは敵だけでなく主人公を始めとした味方キャラたちも、往々にして間違いや失敗を犯すものだからである。
では、ラスボスと主人公は何が勝敗を分けるのか。その一つには「仲間の有無」が挙げられる。ラスボスは邪悪ゆえに、単独では強い能力を身につけているが、仲間が存在しない。
使い捨てに出来る手下は多数存在しても、いざという時に背中を任せられる相手がほとんどいない。そうなるともちろん、油断を戒めてくれる者もいないわけである。
それに対し主人公たちは、ラスボスに比べれば弱い能力しかなかったとしても、「黄金の精神」や「真実に向かう意思」などで一致団結して自分たちの失敗を補い合うことが出来るのだ。
失敗しない生物は存在しない。かつてディオ・ブランドーは「策を弄すれば弄するほど予期せぬ事態で策がくずれる」ことを学び「人間を超える」選択をしたが、
その実、人間を超えた吸血鬼どころか、それより更に遥か上の究極生物ですら、下らない判断ミスや偶然の災難から逃れることは出来なかった。
どこまでいっても能力の強い弱いは一面的・局所的なものであり、その人物の生き方をも含めれば、そこにはまた別の大局的な強さが存在するのである。
318
:
フェイク『男』
:2017/02/01(水) 22:49:15 ID:mZmSwf.g
712:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 21:45:26.33 ID:u2upE8kC
スタンドとは本体の精神力によって時に成長・進化するものだが、例えば戦いでピンチに陥った際、都合良く新たな力に覚醒して敵を瞬殺するような話はあまり面白いとは言えない。
そういう展開を許してしまってはどんな敵でもそれで倒してしまえるし、そんなことが易々と出来るならば敵の方だってそういう覚醒をしないのが不自然になってくる。
そこで、ジョジョでは「突然」新たな力に目覚めて敵を「瞬殺」するような展開はあまり存在しない。少なくともそのどちらかには話の重点を持ってくるようになっているのである。
まずは、「突然」新たな力に目覚めるが、それだけでは敵を倒せない事例。これは「星の白金の時止め習得」「エコーズ(全て)」「タスク(Act2以降全て)」など数多い。
そしてもう一つは、それまでに努力や犠牲を払って得た力で敵を「瞬殺」する事例。代表例は「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム」だろう。
また、例えば「タスクAct1」もベンジャミン・ブンブーンを瞬殺しているが、ジョニィはそれまでにコルク栓を用いて「回転の技術」をそれなりに習得していたので、一応の過程はある。
319
:
フェイク『男』
:2017/02/01(水) 22:49:55 ID:mZmSwf.g
732:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 22:10:08.57 ID:u2upE8kC
ジョジョにおけるスタンドの強さというものはしょせん局所的なものに過ぎず、大局的な強さはまた別に存在する。
たとえ時間を支配する「世界」や「キングクリムゾン」であろうとも、操る時間は精々数秒から十数秒といったところで、
確かに単純な殴り合いには飛びっきり強いものの、本体が豪語する「世界の支配」だとか「帝王」などといった言葉には程遠いものだ。
これらのスタンドはあくまでも本体の邪悪さや強大さの象徴であると考えるべきであろう。
例えば、DIOが部下を支配する力は「世界」よりも当人のカリスマ、財力、吸血鬼としての技術である肉の芽などが主であり、
部下の支配に「世界」を活用しようとするならば、蜘蛛の巣を破らずに誰かの背後に回るとか、誰かを階段から降ろすとか、そういう感じになる。
ディアボロの「キングクリムゾン」も、未来に開いた落とし穴を予見して避けることが出来るのは十数秒程度の話で、
彼が実際に危険を避ける手段は、正体を隠して「謎のボス」を演じるとか、二重人格の片割れであるドッピオを隠れ蓑にするとかだ。
しかしこの世界には、個人が局所的な戦いを経ることで大局的な力を直に得るような手段も無くはない。
「レクイエム」とか「天国へ行く方法」とか、そういうものを邪悪な存在が勝ち取れば、恐ろしい事態になるだろう。
320
:
フェイク『男』
:2017/02/01(水) 22:50:19 ID:mZmSwf.g
745:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 22:23:40.68 ID:u2upE8kC
特に時間を操るスタンド能力には、大抵は近距離であるスタンド像の射程、大抵は世界丸ごとである時間操作の射程、それ以外に「実際の影響力の射程」とでもいうべきものが考えられる。
最も分かりやすい例は、四部終盤の「二秒ほど時を止められる」承太郎が、吉良を攻撃するためには「5m」まで近づかなくてはならないという場面だ。
この時点での「星の白金」の影響力の射程は5mである。承太郎が時を止めれば全世界で時が止まるものの、地球の裏側では何も変わらない、だから実際の影響は無いという考え方だ。
この場合は5mという距離だけで説明できるが、では「バイツァダスト」はどうだろうか。これの影響射程は「川尻早人が影響を与えられる範囲」であり、実際の距離だけでは判別できない。
バイツァダストが時を戻すだけでは世界は何も変わらない。放送事故や間違い電話をする人間は何度でも同じ時間に同じことを繰り返す。ただ、早人が動けば、例えばずっと寝坊していた仗助が早起きできたりする。
早人が影響を及ぼせる範囲だけが、時の繰り返しにより別の出来事を生じさせうるのだ。(また、その中でも「破壊の運命」は固定されているが、これも早人の影響射程の中でなければ意味が無いので同じことである)
さて、それでは「キングクリムゾン」や「マンダム」はどうだろうか。これらのスタンドは時間を操ることで人間の記憶に混乱を生じさせる。だが全世界の人間に混乱が生じているとは考えにくい。
これらのスタンドで人々の記憶に異変が生じるのにも、恐らく固有の射程距離があるものと思われるが、これもひょっとしたら「影響射程」の概念で説明が付くかもしれない。
ディアボロやリンゴォの時間操作能力は、それぞれいわば「運命を改変する」能力と言える。それらの改変に関わっている者だけが、記憶や認識に混乱を来たしてしまうのだという見方だ。
321
:
フェイク『男』
:2017/02/01(水) 22:50:29 ID:mZmSwf.g
594:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 22:43:22 ID:mZmSwf.g
スタンドの持続力というものは長くなるほど曖昧になるようだ。例えば時間停止は二秒、五秒、九秒、「マンダム」で時間を戻すのは六秒、と一桁秒ならば厳密に時間が決まっている。
これが十秒を超えると、キングクリムゾンの時飛ばしは十数秒、パープルヘイズのウィルスが人間を殺害するのは三十秒以内、同じくウィルスが光で死滅するのは数十秒と、途端にアヤフヤとなる。
これはメタ視点で説明するなら、一秒二秒を争うスタンド戦で何分、何時間という時間を厳密に区切ることに意味は無く、また漫画という媒体で厳密に区切った時間をいつもいつも演出することは難しいということではないかと思われる。
作中理論で説明するなら、そもそもスタンド能力とは心身の調子で出力が上下するものであり、数秒程度の能力ならまだしも、十数秒となるとその時々で持続時間は一定しない、といったところだろうか。
ただ、持続力の設定もそれなりにの目安にはなる。例えば「マン・イン・ザ・ミラー」の持続力Dは、鏡の中に閉じ篭ったまま何日も籠城戦は出来ない、程度の意味なのだろう。
322
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:36:37 ID:32ZaGZsg
622 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 21:56:14.87 ID:F8keNgw2
タロットの0番目である(あるいは番号を持たないともされる)「愚者」は、自由、純粋、発想力、天才、自分勝手、原始以前の何もかもが未分化な混沌、生まれる前の状態、無限の可能性などを暗示するとされる。
また解釈によっては、タロットの番号の順序には、無限の可能性を示す「愚者」が始まりを象徴する「魔術師」と出会い旅を始めることで、やがて完成を意味する「世界」に目覚めていくという物語があるそうだ。
いずれにせよ、タロット全体を通じて独特の立ち位置にあるカードと言えるだろう。ジョジョ三部の「ザ・フール」も変幻自在の砂のスタンドであり、その本体は強制的に旅へ参加させられたという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、ジャンケンに勝ち続ければどこまでもスタンド能力を得られるというまさに無限の可能性を持ち、その本体は大人を乗り越えたいという純粋だが自分勝手な感情で動く「ボーイⅡマン」が、
六部では、原始的な生物に知性とスタンド能力を与えることで誕生した新生物であり、他の者たちに連れられて刑務所内での生活を送る中で知性の在り方に目覚めていった「フーファイターズ」が、
七部では、スタンド自身はほとんど何もせず、本体を励ましたりちょっとした発想を与えるだけで、50億人に一人の幸運という無限の可能性を秘めた本体の資質を活かす「ヘイ・ヤー」が、「愚者」の暗示と言えるだろう。
323
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:37:00 ID:32ZaGZsg
624 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 21:59:20.23 ID:F8keNgw2
タロットの1番目である「魔術師」は、起源、機会、感覚、創造、無気力、裏切り、空回りなどを暗示するとされる。また伝統的な解釈では、この魔術師とは奇術師のことであり、限定された舞台の上でのみ万能に振る舞う存在という意味合いもあるそうだ。
ジョジョ三部の「マジシャンズレッド」も、炎を操る能力を活かして様々な攻撃手段や感知能力を作り出すなど万能に振る舞い、その本体は占い師として他者に物事の気付きや切っ掛け、行動の機会を示唆するという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、本体の創造物である漫画を元に発現し、他者の記憶を自由自在に閲覧・改竄するという精神面において万能な能力を有し、その本体は一つの世界を独自に作り上げる漫画家である「ヘブンズドアー」が、
六部では、物体を内部から自由自在に分解して組み立て直すという物質面において万能な能力を有し、その本体は恋人の裏切りを切っ掛けとして罪人となり、希望を見出してからもしばらくは空回りの状態が続いた「ダイバーダウン」が、
七部では、六部以前と七部以降の世界観の大きな違いである平行世界の存在を暗示する能力であり、その本体は聖なる遺体を砂漠から見つけ出したことで物語の始まりとなった「D4C」が、「魔術師」の暗示と言えるだろう。
324
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:37:16 ID:32ZaGZsg
626 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:03:23.50 ID:F8keNgw2
タロットの2番目である「女教皇」は、直感、知性、聡明、秘密、神秘、少女性、悲観、無神経、現実逃避、疑心暗鬼、ヒステリーなどを暗示するとされる。また、下記「教皇」との対比として、下から上へと積み上げる人間世界の知恵を意味する。
ジョジョ三部の「ハイプリエステス」も、金属に化ける能力を活かしてカミソリや水中銃など人間の知恵の産物に化ける高い聡明さを有し、その一方で攻撃は正確でありつつもヒステリー的なほどに荒々しいという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、本能的な直感によってスタンドを発現し、自分の身を守るために自分自身を透明にすることで、逆に自分が誰からも守られなくなってしまうという自己矛盾を抱えた「アクトンベイビー」が、
六部では、対象を小さくする能力で他者からその存在を隠すことにより、脱獄のために知恵を尽くして調査を行い、その本体は友人との人付き合いにおいて屈折した感情を抱く「グーグードールズ」が、
七部では、肉を操る能力を活かして攻撃、傷の治療、変装などを巧みにこなし、その本体は聡明ながらも、過去の経験から聖なる遺体にすがるしかないという悲観的な状況にある「クリームスターター」が、「女教皇」の暗示と言えるだろう。
325
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:37:31 ID:32ZaGZsg
598 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:14:40 ID:32ZaGZsg
タロットの3番目である「女帝」は、繁栄、豊穣、母権、愛情、情熱、豊満、女性的魅力、生殖の力、虚栄心、嫉妬、感情的、浪費、怠惰などを暗示するとされる。成熟した女性的な力の象徴である。
ジョジョ三部の「エンプレス」も、人面疽として相手に憑りつき食物をむさぼることで成長したり、その本体は美しい女性の姿を被って上っ面だけ美人を装ったりと、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、女性的魅力の象徴である髪の毛を更に長く豊かに伸ばして自由に操作し、その本体は美人で愛情深く自分をハッキリ持っているが、非情に感情的で嫉妬深い「ラブデラックス」が、
六部では、物体を増やすという繁栄の効果と増やした物体は一つに戻れば破壊されるという浪費の二面性を持ち、その本体は家族愛ゆえに復讐の道を歩んだ「キッス」が、
七部では、いくらでも金銭を稼ぐことが出来るもののそれらを全て時間内に消費しなければならず、その本体は聖なる遺体を守るために存在していた「シュガーマウンテンの泉」が、「女帝」の暗示と言えるだろう。
326
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:37:42 ID:32ZaGZsg
599 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:15:24 ID:32ZaGZsg
タロットの4番目である「皇帝」は、支配、安定、男性的、権威、行動力、意思や責任感の強さ、父権、統治、同盟、横暴、傲慢、独断的、意志薄弱、無責任などを暗示するとされる。成熟した男性的な力の象徴である。
また解釈によっては、神による世界の支配を助けるために、神に代わって人々を治める者が「皇帝」であるともいう。
ジョジョ三部の「エンペラー」も、弾丸の軌道を操ることで飛道具を安定して命中させる能力であり、その本体は仲間を重視して安定した戦いをするが、状況によっては簡単に態度を変える無責任な姿勢という、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、戦術的な作戦展開により安定して戦場を支配するミニチュア軍隊の能力であり、その本体は実の父に代わって父親的存在として責任を負い、目的のためとはいえ他者を踏みつけにする横暴で独断的な性格だった「バッドカンパニー」が、
六部では、作中で初めて地球を超えて宇宙空間にまで能力の支配を広げ、本体自身を照準とすることで安定した攻撃を可能とし、その本体は刑務所の支配者である看守の一員にして、囚人たちを見下し切っている傲慢な性格だった「プラネットウェイブス」が、
七部では、磁力によって射程範囲内での攻撃、防御、敵の束縛全てにおいて支配的な威力を発揮し、その本体は横暴な父親を頂点とするいびつな家族愛によって統治されている「トゥーム・オブ・ザ・ブーム」たちが、「皇帝」の暗示と言えるだろう。
(参照:ブンブーン一家について…
>>163
の最上段)
327
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:37:55 ID:32ZaGZsg
601 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:16:00 ID:32ZaGZsg
タロットの5番目である「教皇」は、心の広さ、援助、慈悲、連帯、協調性、信頼、規律の遵守、束縛、独善、お節介などを暗示するとされる。また、上記「女教皇」との対比として、天から地へと下される神の法を意味する。
ジョジョ三部の「ハイエロファントグリーン」も、触脚による長い射程距離と感知能力、攻撃用の飛道具と一通りのことがそこそこ出来る援護向きの性能で、一方で他者を縛り付けたり操ったりも可能という、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、料理を食べた相手を健康にするという援助専門の能力であり、その本体は基本的に心優しく、料理人として信頼できる確かな腕前を持つが、料理のこととなるととても決まりに厳しくなる「パールジャム」が、
六部では、記憶とスタンドをDISCにすることで他者に力や知識を与え、あるいは意思を奪って命令通りに動かし、その本体は弟妹への慈悲を持ちながらも非常に独善的で、最終的には全人類に運命という規律を強制するに至った「ホワイトスネイク」が、
七部では、自身のみならず自然界が有する様々な音の力を借りて戦い、その本体は故郷の部族から独りよがりとして排除されながらも、法律に則って部族を助けようとした「イン・ア・サイレント・ウェイ」が、「教皇」の暗示と言えるだろう。
(参照:イン・ア・サイレントウェイについて…
>>176
)
328
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:38:06 ID:32ZaGZsg
602 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:16:17 ID:32ZaGZsg
タロットの6番目である「恋人」は、恋愛の発生、肉体の発育、誘惑との戦い、深い結びつき、絆、魅力、結婚、不道徳、失恋、空虚などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「ラバーズ」も、対象の脳内に潜り込むことで一方的に本体から対象への肉体的な結びつきを作り出し、その本体は他者の仲間意識や絆に付け込んだ戦い方を得意とする、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、対象そっくりに変身して一方的に本体から対象への絆を作り出して操り、その本体は他者の仲間意識に付け込んで不意討ちを仕掛けたり、単なる憂さ晴らしや不道徳な目的のために能力を使っていた「サーフィス」が、
六部では、本体から対象への好意によって一方的に肉体的な結びつきを作り出して強制的な心中自殺を起こし、その本体はどれだけ他者の善意を受けても考え方を変えなかった「ハイウェイ・トゥ・ヘル」が、
七部では、自身や他者の肉体をバラバラにしつつもロープによって一つに結び付け、その本体は人生の旅の中で帰る場所や愛する人を探し求めていた「オー! ロンサム・ミー」が、「恋人」の暗示と言えるだろう。
329
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:38:17 ID:32ZaGZsg
604 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:17:08 ID:32ZaGZsg
タロットの7番目である「戦車」は、侵略と勝利、突進力、開拓精神、負けず嫌い、暴走、不注意、独断専行、焦り、好戦的、復讐などを暗示するとされる。感情と勢いのままに突っ走る若者の象徴である。
ジョジョ三部の「シルバーチャリオッツ」も、破壊されても本体のダメージとはならず時間が経てば再生する剣や鎧を活かして、真っ先に敵へと斬り込むことを得意とする、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、空間を削るという圧倒的な破壊力を有し、更に瞬間移動という場を制圧する付随効果まで備える能力だが、下手に使えば本体の自滅を招き、その本体は性格上ミスをしやすいという「ザ・ハンド」が、
六部では、唾のような些細な飛道具から対象自身を、そして周囲の全てを無重力と真空の影響下にしていき、その本体は理知的に能力を活用する一方で、感情のままに力を振るう「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」が、
七部では、空間を越えて対象の監視や攻撃、吊るし上げを行い、その本体は少年ながらも開拓精神に燃える「ワイアード」が、「戦車」の暗示と言えるだろう。
(参照:ポークパイハット小僧について…
>>72
の二段目)
330
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:38:37 ID:32ZaGZsg
605 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:17:27 ID:32ZaGZsg
タロットの8番目である「力」は、挑戦、強い意思、秘められた本能、決断力、勇気、持久戦、潜在能力の引き出し、甘え、人任せなどを暗示するとされる。力の使い方と限界を知っている成人の象徴である。
ジョジョ三部の「ストレングス」も、動物である本体の野性的なパワーと強固な意思を解放したかのような巨大さである一方で、その本体は能力の強大さに守られ慣れているためか追い詰められるとヘタレるという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、電力という外部の力を利用することで絶大なパワーを発揮する一方で、その本体は戦闘の最中ですらどこか真剣さに欠ける立ち振る舞いだった「レッドホットチリペッパー」が、
六部では、他者の肉体の力や闘争心、戦闘への賛美をどこまでも強力に引き出す一方で、その本体は戦いに加わらず遠巻きに隠れているだけの「サバイバー」が、
七部では、他者を恐竜という原始の生物に立ち帰らせてその力を振るわせる一方で、その本体は恐竜になることなく高みの見物に徹する「スケアリーモンスターズ」が、「力」の暗示と言えるだろう。
331
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:38:50 ID:32ZaGZsg
606 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:17:39 ID:32ZaGZsg
タロットの9番目である「隠者」は、経験則、忠告、深慮、単独行動、神出鬼没、秘密の知識を隠す者、閉鎖性、陰湿、消極的、悲観的、邪推などを暗示するとされる。人生の旅を終えた老人の象徴である。
ジョジョ三部の「ハーミットパープル」も、念写を通じて隠された秘密を暴き、三部の旅そのものを成立させるのに不可欠な情報をもたらしたスタンドであり、その本体は心理戦やトリックなどの豊かな経験を裏打ちとする、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、写真の中という閉鎖的な空間で陰湿に他者を攻撃し、その本体は幽霊となった後も何かと息子を援け、神出鬼没に町中を飛び回っていた「アトムハートファーザー」が、
六部では、暗殺風水という神秘の知識により敵味方問わず忠告を与え、その本体は長年の経験によりこの援けを上手く活用するも、結局は脱獄など出来ない刑務所の中で頂点を目指すという閉鎖的な展望を抱いていた「ドラゴンズドリーム」が、
七部では、記憶をそのままに時を戻すことで敵味方平等に物事への気付きや切っ掛けを与え、その本体もまた公正な振る舞いを心掛けるが、その目的は他者との強制的な決闘という陰湿で閉鎖的なものだった「マンダム」が、「隠者」の暗示と言えるだろう。
332
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:39:01 ID:32ZaGZsg
607 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:17:50 ID:32ZaGZsg
タロットの10番目である「運命の車輪」は、定められた運命、運命の変転、転換点、幸運の到来、出会いと別れ、情勢の急激な悪化、すれ違い、アクシデントの到来などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「ホウィール・オブ・フォーチュン」も、山中に敷かれた道路という状況での戦いにおいて、その環境を乗り越えて周辺の岩場すらも走破する自動車を駆使し、事故に見せかけて攻撃を仕掛けるという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、交通事故で重体となり入院という危機的状態を引っ繰り返すべく、遥か遠隔地の敵から養分を奪って本体にまで転送し、その本体もまた他者との戦いや出会いによって成長を果たした「ハイウェイスター」が、
六部では、気流を読むことで運命を見通すかのように弾丸の命中先を予測し、スタンド自身によってその弾道を大きく変化させる一方で、その本体は過去の出会いと別れに心を縛られ、復讐の悪感情を燃やし続ける「マンハッタントランスファー」が、
七部では、縦横の座標によって位置を厳密に定めることで、本体の攻撃を対象へと正確に転送し、その本体は逆にほとんど何も話さず、戦闘相手に一切の利益を与えないように努めた「チョコレートディスコ」が、「運命の車輪」の暗示と言えるだろう。
333
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:39:11 ID:32ZaGZsg
608 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:18:05 ID:32ZaGZsg
タロットの11番目である「正義」は、公平・不公平、公正・不正、均衡・不均衡、善意、誠意、偏向、一方通行などを暗示するとされる。また、これらは人間世界の常識や道徳ではなく神の視点からの秩序を象徴するとされる。
ジョジョ三部の「ジャスティス」も、現実に左右されない一律の幻覚の中で、生者も死者も等しく操り人形と化し、その本体も己の善意や誠意に従って戦いや復讐に身を投じたという、ある意味で暗示通りの能力だった。
そして四部では、純粋な善意により他者に常識を超えた運勢を与えるが、その活用と維持はあくまで当人の努力次第という公正さを必要とし、その本体も人間の身でありながら童話の魔法使いのような超越的な視点を志していた「シンデレラ」が、
六部では、賭け事に際して公平・公正に取り立てを行い、スタンドそのものは一方的に対象を攻撃できる無敵状態ながらも、その本体は賭け事の取り決めの裏を掻くという不公平・不正な手段を用いていた「マリリンマンソン」が、
七部では、無力な少女がその涙を引きちぎることで、人間の感情や常識を超えた干渉により他者を一方的に操るという絶大な力を発現し、その本体は聖なる遺体に関して人知を超える大役を果たした「チケットゥライド」が、「正義」の暗示と言えるだろう。
(参照:チケットゥライドについて…
>>226
の上段)
334
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:39:21 ID:32ZaGZsg
609 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:18:23 ID:32ZaGZsg
タロットの12番目である「吊られた男」は、修行、忍耐、奉仕、努力、試練、着実、抑制、妥協、徒労、痩せ我慢、自暴自棄などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「ハングドマン」も、作中では反射物の表面から一方的に敵を攻撃する自由自在な能力として描写されてはいたが、そもそもどうあがいても反射物に映ったものにしか干渉できず、
また反射物から別の反射物へと飛び移るのも出来るかどうかはそれらの反射物の挙動次第であり、飛び移る最中は一瞬だが完全に無防備で、もしも飛び移るのに失敗して映るべき反射物が全く無くなってしまった時はどうするのか、
もしかしたらその時点で本体もろとも死んでしまうかもしれないということまで考えていけば、意外と暗示通りの能力だったのかもしれない。……まあ、鏡は壁に吊るされているものだから吊られた男、程度の発想だったのかもしれないが。
さて四部では、鉄塔の内部に最低一人の住人を捕らえ、生きていくだけでも一苦労という生活を強制するが、慣れれば鉄塔の仕組みを活かして意外と楽しい毎日を過ごすことが出来るかもしれない「スーパーフライ」が、
六部では、刑務所の壁という巨大な抑制の象徴に同化して発現し、攻撃対象の記憶能力を大きく制限することで、対象を抑えつけはするが囚人としての生活は継続させる上、スタンド使いの脱走をも防ぐという重要任務を担う「ジェイルハウスロック」が、
七部では、自身では全く動けず外部の状況を把握することも難しくなるが、あらゆる攻撃を無効化して反撃の機会を忍耐強く待つことが出来る「20thセンチュリーボーイ」が、「吊られた男」の暗示と言えるだろう。
335
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:39:34 ID:32ZaGZsg
611 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:19:01 ID:32ZaGZsg
タロットの13番目である「死神」は、停止、終末、破滅、清算、死の予兆、消滅、死屍累々、風前の灯火、死と再生、再出発、新展開、起死回生などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「デスサーティーン」も、眠りという一日の終わりと翌日の始まりの狭間を狙い、夢の世界の中では破壊も再生も自由自在だが、その本体は現実世界では全く無力な赤子という、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、憑依対象にただ破滅と死しかもたらさず、スタンド自身は別の肉体へと転移して再始動し、その本体はスタンドを産み出すだけで何も成せず終わってしまった「チープトリック」が、
六部では、まるで悪霊とでも表現すべき透明なゾンビを死体から作り出し、天国へ行く方法などという法外な儀式を再始動させた能力でもあり、その本体も社会に破滅をもたらすだけの犯罪者だった「リンプビズキット」が、
七部では、雨を空中に停止させることで攻撃を行い、あるいは自分自身の肉体をもバラバラにして再生させ、その本体は自分の死が決定してもなお最後まで戦い続けた「キャッチ・ザ・レインボー」が、「死神」の暗示と言えるだろう。
336
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:39:44 ID:32ZaGZsg
613 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:19:23 ID:32ZaGZsg
タロットの14番目である「節制」は、調和、自制、節度、献身、調整、中庸、倹約、浪費、消耗、生活の乱れなどを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「イエローテンパランス」も、生物を食らって強化していく暴食と浪費の権化ではあるが、養分を無駄なく活用する能力という見方も出来なくはないし、一方で本体はひたすら乱れた言動の下品な男という、まあ暗示通りの能力だった。
そして四部では、無数の群体が相互に協力して様々なものを運び、時にはゴミのように捨てられていたものを拾って再利用し、その本体は基本的に優しく素直ではあるが、金銭欲が絡むと困った一面を見せる「ハーヴェスト」が、
六部では、敢えて攻撃対象の召使いのように振る舞うことで相手の隙を付け狙い、周囲の生物や道具を上手く利用することで敵を溶かすという消耗戦を行い、その本体は元警官ながらも予言を信じて犯罪者となったというロクでもない「ヨーヨーマッ」が、
七部では、11人の男たちが節度を守り調和を保ち互いに互いを助けて戦いに臨むも、その本体の一人一人はただの殺し屋程度の力でしかなく、次々と仲間を消耗していくこととなった「タトゥーユー!」が、「節制」の暗示と言えるだろう。
337
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:39:58 ID:32ZaGZsg
614 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:19:37 ID:32ZaGZsg
タロットの15番目である「悪魔」は、暴力、錯乱、裏切り、堕落、束縛、誘惑、悪循環、嗜虐的、憎悪、嫉妬心、恨み、憤怒、覚醒などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「エボニーデビル」も、本体の恨みのエネルギーによって活動し、人形に宿って敵を不意討ちしたり、小型で非力なスタンドではあるが激しく嗜虐的な暴力を振るうという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、本体が罠を仕掛けたり言葉巧みに対象の心理を誘導したりして、相手の罪悪感を責め立てることで、その精神をスタンドで束縛しどんどん悪循環に陥らせる「ザ・ロック」が、
六部では、本体の深い憤怒や憎悪の心から覚醒し、あらゆる生物を原始的な姿へと堕落させる悪魔の虹を辺りに巡らせ、あるいは本体の悲しみを風雨に変えて荒れ狂わせる「ウェザーリポート」が、
七部では、バルーンアートという可愛らしい姿に反して激しく嗜虐的な暴力を振るうが、自動操縦のため敵に騙されて本体の望まぬ相手を攻撃してしまったこともある「チューブラーベルズ」が、「悪魔」の暗示と言えるだろう。
(参照:ウェザーリポートについて…
>>4
の最上段など)
338
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:40:10 ID:32ZaGZsg
615 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:19:58 ID:32ZaGZsg
タロットの16番目である「塔」は、事故、旅の中止、危険や失敗、崩壊、災害、悲劇、惨事、転落、緊迫、突然のアクシデント、天変地異などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「タワーオブグレー」も、人間の舌という急所を専門に狙うことで小型のスタンドでも的確に対象を殺害し、その本体はDIOの復活以前から何度も大事故を起こして火事場泥棒などを繰り返していたという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、小さな毒針により生物をドロドロに崩壊させるという凄惨な攻撃を行い、その本体たちは放置しておけばネズミ算式に殖えて大災害に繋がる恐れもあった、考えようによっては吉良よりも遥かに危険な「ラット」が、
六部では、全人類の宝であるはずの創作物たちを転用して無差別に世界中で事故や災難を巻き起こし、その本体は一応プッチ神父を守るという目的を掲げつつも、ほとんど社会への復讐のために暴走していた「ボヘミアンラプソディ」が、
七部では、小さな部品を抜くことで物体を凄惨に破壊し、その本体はネアポリス王国の国王暗殺を企むという、ヴァレンタイン大統領とは無関係だがこれはこれで大きな災難である「僕のリズムを聴いてくれ」が、「塔」の暗示と言えるだろう。
339
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:40:21 ID:32ZaGZsg
617 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:20:50 ID:32ZaGZsg
タロットの17番目である「星」は、希望、明るい前途、鋭い洞察力、ひらめき、霊感、願いの成就、失望、絶望、高望み、自信過剰、見損ない、現実逃避などを暗示するとされる。
ジョジョの作者である荒木氏は主人公の姓である「ジョースター」について、「スター」の部分は希望の星のような発想による命名であると語っており、
まさしく漫画の主人公というものは希望に満ちた存在だし、前途は明るく願いは叶うべきで、特に単純な力による解決を良しとしないジョジョの主人公ともなれば、ひらめきや洞察力は何より重要に違いない。
その一方で、あまりに過剰な表現をし過ぎれば、しょせん漫画の主人公などというものは空想の産物、高望みの現実逃避であると、読者を失望させることになりかねないという一面もある。
そしてそんな主人公たちのスタンドもまた、強く逞しい不屈の力で皆の希望となり、鋭い洞察力を活かせるような応用力を備え、時には新たな能力に成長して願いを叶えるような能力ばかりなのである。
そういうわけで、ジョジョ三部の「スタープラチナ」を始めとして、四部の「クレイジーダイヤモンド」、六部の「ストーンフリー」、七部の「タスク」と、三部以降の歴代主人公は全て「星」の暗示だとしておく。
(参照:主人公のスタンド能力の傾向…
>>46
の最上段)
340
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:40:32 ID:32ZaGZsg
618 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:21:02 ID:32ZaGZsg
タロットの18番目である「月」は、嘘や裏切り、水のトラブル、未知の世界への恐怖、不安定、幻惑、潜在的な危険、欺瞞、隠れた敵、失敗、過去からの脱却、徐々に好転、優れた直感、漠然とした希望などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「ダークブルームーン」も、水中という特殊環境での戦いを得意とし、その本体は恐らく元々鍛えられた水夫であり、巧みな変装で攻撃対象を騙そうとするも、自分自身も騙されて正体を暴かれるという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、不定形の液状スタンドを酒に化けさせて不意討ちしたり、様々な日常の水分に混ざり込んで攻撃を仕掛け、その本体は刑務所からの脱走後に町中へと隠れ潜みつつ、主人公の敵として忍び寄る「アクアネックレス」が、
六部では、天国という未知の世界へ辿りつくための途中の能力であり、その本体は己のスタンドが何を引き起こすか予測も付かない不安と危険の中で、それでも漠然とした希望を信じて過去からの脱却を目指す「C-MOON」が、
七部では、隠れた敵や潜む危険を鋭く見つけ出す能力を有するが、その本体は事情により敢えてこのスタンドを手放すという危険を冒すことで、その後に更なる技術へと成長することになる「ジャイロのスキャン能力」が、「月」の暗示と言えるだろう。
(参照:C-MOONについて…
>>41
の最上段)
341
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:40:43 ID:32ZaGZsg
619 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:21:14 ID:32ZaGZsg
タロットの19番目である「太陽」は、成功、誕生、祝福、満足、物質的な幸福、力の結合、恒常的、不調、衰退、流産、堕胎などを暗示するとされる。そしてこれらは現実の太陽そのもののことでもある。
太陽は地上に存在するあらゆる生命のエネルギー源であり、また同時に太陽の熱や渇きは地上に衰退をもたらす脅威にもなる。従って、本物の太陽と同然の姿と迫力であるジョジョ三部の「サン」もまた、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、奇妙な経緯により植物として誕生し、太陽の力を利用した光合成を用いて、地上に遍在する空気という物質を自在に操る能力を有し、最終的には気の合う飼い主を得て幸せにやっているらしい「ストレイキャット」が、
六部では、未知だが確かに存在する未確認生物と心を通わせることで、敵の体温を奪って不調をもたらし、その本体は精神の成長と祝福を求め、己の心を太陽神の名を冠する宇宙計画に譬えて戦い、最後には満足して斃れていった「スカイハイ」が、
七部では、ツェペリ家の鉄球技術とジョースター家の乗馬技術の結合の末に、世界に遍在する重力を支配し、攻撃対象に老化のように衰えさせるものの、結局は一度も完全な発動には至らなかった「ボールブレイカー」が、「太陽」の暗示と言えるだろう。
342
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:40:53 ID:32ZaGZsg
620 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:21:33 ID:32ZaGZsg
タロットの20番目である「審判」は、再生、復活、結果、改善、敗者復活、良い報せ・悪い報せ、悔恨、未練、停滞、執着、恐れ、行き詰まり、再起不能などを暗示するとされる。特に、聖書における最後の審判に例えられることも多い。
ジョジョ三部の「ジャッジメント」も、既に起こってしまった結果を認められない人間の悔恨や未練に付け込んで、死者の復活を装いつつ攻撃を行い、物理的な攻防よりも先に相手の心を戦闘不能にしてしまうという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、対象を紙の中に封印することで全く停滞した状態へと追いやるが、紙を開ければ誰でもそれを復活させることが可能であり、その本体は他者の恐れの心を審判することに執着していた「エニグマ」が、
六部では、既に起こった物事の結果を土の中から掘り返して再生させ、攻撃対象を行き詰まりへと追いやったり自身の情報収集に使ったりすることができ、その本体は自分自身の人生を復活させることに執着していた「アンダーワールド」が、
七部では、死者たちをゴミの中から再生したり、既に起こってしまった結果を認められない人間の悔恨や未練に付け込んで攻撃を行うことで、最終的には恐らく対象を全く停滞した再起不能の状態にしてしまうらしい能力であり、
更に効果範囲の中ならば本体は死の淵からも復活することが出来るものの、実は条件を満たせば誰でも同じく復活することが可能で、その本体は自分自身の人生を復活させることに執着していた「シビルウォー」が、「審判」の暗示と言えるだろう。
343
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:41:05 ID:32ZaGZsg
622 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:22:03 ID:32ZaGZsg
タロットの21番目である「世界」は、物事の完成、宇宙全体、成就、完全、総合、完遂、完璧、優勝、制覇、永遠不滅、堕落、未完成、臨界点、調和の崩壊などを暗示するとされる。
また最後のタロットでもあることから、これらの暗示は概ね漫画作品における最後の敵、いわゆるラスボスを指し示していると考えていいだろう。
漫画のラスボスというものは作中で最も強い野望を抱き、目的の成就のためなら既存の調和を崩壊させることも厭わず、邪悪であるとか強者であるとかどのような属性にしろ、どこかの面で完全な存在であるものだ。
その一方で、最後には主人公に敗北してそれらの野望は未完成に終わるのがお約束でもあるが、その場合そこでその物語は終わりとなるのが通例である。即ちラスボスとはその漫画作品を能動的に動かす、作品を総合した存在なのである。
またジョジョ三部以降の歴代ラスボスは、いずれも時間に関わる能力を有することで知られるが、これらの能力は全て、少なくとも時間を計る分には宇宙全体に関わる効果であり、一手に世界を支配する能力であると言える。
ジョジョには他に運勢を操作するとか予知を行うといった、運命そのものに関わる能力もあるが、時間を操る能力はそれらに比べて持続時間が短かったり発動条件が困難だったりする代わりに、能力の即効性や強制力は絶対的だという特徴がある。
そういうわけで、三部の「ザ・ワールド」を始めとして、四部の「キラークイーン」、六部の「メイド・イン・ヘブン」、七部の方の「ザ・ワールド」と、三部以降の歴代ラスボスは全て「世界」の暗示だとしておく。
なお、七部のラスボスは大統領かディエゴかという疑問をたまに聞くこともあるが、これは単に以前のラスボスが担っていた要素を七部では大統領とディエゴで分担しているというだけの話で、取り敢えずスタンドの暗示に関しては上記の通りとする。
344
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:41:27 ID:32ZaGZsg
624 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:23:11 ID:32ZaGZsg
ジョジョ三部に登場するスタンド能力の大部分は、タロット及び作中でタロットの起源とされるエジプト九栄神の暗示で説明されるが、数体ほど何の暗示も行われていないものが存在する。
これは作品的には、単にタロットや九栄神だけでは足りなかったという作者都合に過ぎないのだが、それでも敢えて暗示が無いことの暗示を無理矢理に解説してみることとする。
暗示が無いということの暗示は大きく分けて二つある。一つは、そのスタンドが作中で真っ当なスタンド能力として成立していないということだ。
つまり、能力の断片しか描かれていなかったり、暴走していて十全に機能している場面が無かったり、まともに名前も付けられていなかったりするもので、三部では「ホリィのスタンド」と「ジョナサンのスタンド」がこれに当たる。
そしてもう一つは、既存の世界の枠組みの外側を暗示するスタンドだ。三部の「ティナ―サックス」と「クリーム」は、暗示が無い割りに一つのスタンドとしてかなりハッキリとした描写があり、明らかに上記の二つとは異なる雰囲気がある。
これらのスタンドはタロットや九栄神とは無関係な名前や真っ当な能力が与えられた物語上初めてのスタンドたちであり、四部以降もタロットや九栄神という世界観とは無関係なスタンドが次々と現れることの前兆となっているのである。
また、それらのスタンド能力も、幻覚の光景を周囲に映し出すとか、本体以外の全ての存在を拒絶して粉微塵に破砕する暗黒空間であるとか、どことなく異世界感を抱かせるものだと言えなくもない。
345
:
フェイク『男』
:2017/06/14(水) 22:41:48 ID:32ZaGZsg
625 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:23:34 ID:32ZaGZsg
さて、私が説明したタロット解説の中にも(事情的に言えば数合わせのために)除外されたスタンドがいくつかあるので、それらも上述の暗示の無い暗示に当て嵌めておく。
四部では、次々と新しい能力を身につけ、Act1とAct2が音繋がりの発展形かと思いきやAct3で殴ったものを重くすると、もはや一つの能力とは言えなくなってしまった「エコーズ」、
本当にスタンド能力なのかも不明な、自称宇宙人の「アース・ウィンド・アンド・ファイヤー」、存在だけは言及されたがそれ以上の描写は一切無い「虹村一家の父親のスタンド」の三体。
六部では、スタンドのステータスはいずれも「なし」で、幽霊の世界という実在する異空間に関わる能力であり、スタンドというよりはそういう霊感能力の一種なのではないかとも思われる「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」、
同じく幽霊を扱う能力を持っていたとされる「エンポリオの母親のスタンド」、プッチ神父がFF対策として準備していたらしいということ以外は詳細不明の(実は意外と強そうな)「水を熱湯にするスタンド」、
全てのステータスが「?」で、連載当時は名前も付けられておらず、能力も正体不明の代物で、本体も天国という更なる世界に関わりがあるということ以外はほとんど何も判らない「グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム」の四体である。
346
:
フェイク『男』
:2017/11/17(金) 22:44:09 ID:8CECwU1.
303 フェイク『男』2017/11/17(金) 22:38:55.56ID:WF/9nCFI
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その9…アトゥム神】
この「ジョジョの奇妙な冒険」という漫画作品には非常に多くの「元ネタ」がある。だが、その「元ネタ」となる作品群とて、無から突然に出現したわけではなく、更に「元ネタ」があるものだ。
そうして「元ネタ」をどんどん辿っていけば、いずれは「現実世界」に行き着く。即ち「現実世界」こそが唯一の「オリジナル」であり、人間の創作活動とは言わば全てが「二次創作」だ。
そして一般に「二次創作」には、原作に対する「愛」や「敬意」が重要だと考えられている。ならば、創作物にはまず「現実世界」への愛や敬意があって然るべきだろう。(無暗に現実を肯定しろというわけではないが)
(参照:「タスク」に見る創作の段階…ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/4971/1132500800/211)
さて、エジプト九栄神の一つ「アトゥム神」は似たような能力を持つ「オシリス神」より後に登場したスタンドであり、その本体も兄弟関係ながら、明らかに「アトゥム神」の方が「オシリス神」より便利な能力に見える。
これも言ってみれば「アトゥム神」は「オシリス神」の二次創作のようなものだ。「オシリス神」という「元ネタ」に更なる能力を上乗せしているのだから、機能的には「アトゥム神」の方が上で当然である。
だが作中の扱いはと言えば、「アトゥム神」の本体ダービー弟は明らかに兄よりも情けなく愚かな末路を迎えている。優れた技術や能力を持ちながら、その力に慢心し、単純なイカサマを見破ることが出来なかった。
それは「アトゥム神」が強すぎたからだ。「オシリス神」は純粋に本体の技術を頼りとする能力だったが、「アトゥム神」は追加で読心能力という、およそゲーム関係では無敵の能力を得てしまった。
だからその読心が通用しなくなった時に、己の地金が露呈してしまったのだ。それこそ、己の能力頼りではなく常に自身の技術を必要とする「オシリス神」のダービー兄ならば、こんなことにはならなかった。
347
:
フェイク『男』
:2017/11/17(金) 22:44:36 ID:8CECwU1.
304フェイク『男』2017/11/17(金) 22:40:31.02ID:WF/9nCFI
ダービー弟には兄の能力や技術に対する「敬意」が無かった。だから、己を律し戒める「敬虔さ」に欠け、DIOが言うところの「死んでもいいという覚悟」が出来ておらず、最終的な敗北に繋がったのだ。
(参照:技術を能力に進化させたスタンド…ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/4971/1132500800/106の二段目)
(参照:技術を補うためのスタンド…ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/4971/1132500800/137の上段)
ただし、ここで一つ注意しておくべきことがある。「アトゥム神」のダービー弟は確かに無様な敗北を迎えたが、我々は彼のような敗北者を見下すべきではないということだ。
作中、空条承太郎はダービー弟に対し「お前の兄貴ならこんなイカサマ難なく見破っていただろうな……」と兄と比べる発言をしてはいるものの、決してダービー弟を馬鹿にしてはいない。
もっとも、ダービー兄も最終的には承太郎に負けたのだから、兄を褒めすぎても自画自賛になるだけで格好悪いとも言えるのだが、それよりも、弱者を見下し軽んじる精神は「敬虔さ」に反する。
ダービー弟のような者を見下げる考え方そのものが、ダービー弟の敗因である兄への侮蔑と同類なのだ。たとえ出来の悪い「二次創作」でも、それもまた「現実世界」の生み出した文化の一部なのである。
348
:
フェイク『男』
:2017/11/18(土) 21:00:12 ID:Tl8qwHQc
310フェイク『男』2017/11/18(土) 20:58:41.63ID:WcUVgbYN
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その8…アヌビス神】
俗に「漫画の作者は自分より頭の良いキャラを描けない」と言われるが、バトル漫画においては「自分の描写力を超えた戦闘も描けない」と言い表すことも出来る。
これは特に「インフレバトル」と呼ばれる類の漫画作品に顕著であり、ジョジョの作者である荒木氏も折に触れて「インフレ」を避けるような発言を行っている。
さて、エジプト九栄神の一つ「アヌビス神」は、敵の攻撃を覚えてどんどん強くなっていくという、まさに「インフレバトル」そのままの能力を有していた。
しかし、最初のうちは活用していた「物体を透過する斬撃」は途中から使われなくなり、最終的にはマヌケなミスを繰り返して自滅することとなる。
しかも「物体を透過する」とか「他者を操る」とかこれまた色々とインフレ気味にくっついている能力の数々も、最後には上手く扱えずに失敗続きだった。
これはまさに「漫画家は自分の描写力を超えた戦闘を描けない」という制約そのものの姿だ。自分の描写力を超えた物事を無理に描き続けようとすれば、
そこには自然と見落としや間違いが生まれ続け、岡目八目の読者にはそんな漫画家の悪戦苦闘が「マヌケなミスの繰り返し」に見えてしまうのである。
ちなみに、この現象を作中の理屈に落とし込むならば、アヌビス神は「星の白金」の渾身のラッシュを覚え切ったところで「容量オーバー」となり、
スペック不足のパソコンが処理落ちするように、ミスを重ね続けてしまったというところだろうか。これもまたバトル漫画ではお約束の展開だ。
349
:
フェイク『男』
:2017/11/19(日) 22:50:04 ID:WNMTiR.U
319フェイク『男』2017/11/19(日) 22:48:10.39ID:YXmW551u
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その7…トト神】
「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、逆に小説(などの創作物)では事実ほど突拍子も無い出来事を次々と起こすことは出来ないとも言える。
現実に起こす出来事は全てが基本的に偶然の産物であり、もしも運命だとか神の采配だとかが存在するとしても我々にはとてもそれを実感できないのに対し、
創作物の中の出来事は全てが基本的に作者の産物であり、何らかの「意味」や「必然性」をもって世に送り出されることを期待されているからである。
(参照:創作物の中の偶然…
>>139
)
さて、ジョジョという漫画には非常に魅力的な戦いがいくつも描かれているが、その多くは戦う双方が究極にまで力を出し尽くしているものだ。
力を出し切れないうちに不運にも負けてしまうとか、極端に言えば滑って転んだ隙に殺されたとか、隕石が落ちてきたり地割れに呑まれて死んだり、
そんなことも確率的には現実にありえる物事ではあるが、そういうのは漫画の作中ではまず起きない。あるとしても、その偶然にも何らかの作品的「意味付け」がされているものだ。
物語にはそれを語るだけの「意味」がある。だから漫画の登場人物、特にメインキャラクターともなれば、理不尽な偶然からは自然と守られることになるのである。
エジプト九栄神の一つ「トト神」は予知能力によって未来に起こる「偶然」をも味方につけ、毒や爆弾や狙撃といった割と「現実的」な手段を用いて主人公一行を攻撃したが、
その試みがことごとく失敗に終わったのも、上述の理由によるものである。そして作中でトト神の本体ボインゴは、主人公やラスボスたちは強運に守られていると考えている。
この強運に作中の理屈で理由を与えたものが、六部における「引力」という概念であろう。強い精神力の持ち主はその精神的な質量により、霊的な重力を生み出す。
そして重力によって引き寄せられた善いものを自身に取り込み、悪しきものをその強さで退けることで、強者は創作物の中の世界で合理的に強運を発揮するのである。
350
:
フェイク『男』
:2017/11/21(火) 23:55:41 ID:lm.hZfBc
329フェイク『男』2017/11/21(火) 23:51:03.90ID:ZeegSnTF
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その6…クヌム神】
まるで現実に則しない物語など無意味でつまらないものだが、どんな創作物でも現実性の追求には技術的・時間的に限度があり、どこかで線を引いて妥協せざるを得ない。
そして特にジョジョという漫画は、作中における複雑な出来事の簡略化や、単純な主題の誇張を強く押し出し、その外連味をむしろ一種の持ち味としている作風だと言える。
例えば、モブキャラが物語の中で重要な立ち位置になった途端に美形のメインキャラ風の顔になったり、逆に重要人物のように思われていた者がモブキャラだと判った途端に顔が適当な感じになったり、
金髪のキャラの髪の毛を緑色に塗ったり、広瀬康一の身長だとか、川尻洪作に化けた吉良吉影のドクロネクタイだとか、女から男になったアナスイだとか、大統領のダイエットだとか……この手の表現は枚挙に暇が無い。
ただ、これらは何の意味も無く受けを狙っているだけというわけではなく、どれも一応きちんとした表現意図があってのことであろう。目的が絞れているからこそ、表面上の見せかけではない創作が出来るものだ。
逆に言えば、作者が己の創作に迷いを抱いていると作品にもそれが表れるものである。個人的には、近年に荒木氏が手がけることの多い「今の絵柄で昔のキャラを描いた絵」の何とも言えない違和感について、
それは単に今と昔の画風の差だけでなく、その背後にある作風の変化が昔のキャラに対応しておらず、昔のキャラを描くことが表面上のことになってしまっているのではないかと思わなくもないのだが……。
351
:
フェイク『男』
:2017/11/21(火) 23:56:04 ID:lm.hZfBc
330フェイク『男』2017/11/21(火) 23:52:11.69ID:ZeegSnTF
さて、エジプト九栄神の一つ「クヌム神」のオインゴは作中で承太郎に化け、ジョセフとポルナレフを騙そうとするが、この時のオインゴは焦りや混乱で随分とマヌケな顔を晒している。
それこそ、承太郎と言えばジョジョの作中では崩れた顔やギャグ顔をほとんど見せることのないキャラクターだ。「トト神」の極めてシュールな画風の中ですら、承太郎は心持ち美形に描かれているようにすら見える。
そしてオインゴに応対するジョセフとポルナレフも、相手の不審な言動を少し怪しみつつも結局その正体を見破ることは無く、かなり不注意なように描かれている。これらもまた、漫画的な誇張表現であろう。
漫画の主人公たちは常に冷静で格好良いとは限らない。承太郎も見えないところでは口の中に煙草を入れる一発芸を披露したりするし、あれだけ顔の崩れたオインゴでも正体を見破られたりしない顔なのである。
(とはいえ、承太郎に化けたオインゴの方もギャグ描写のために「誇張」して過度なマヌケ面になっているのだろうから、果たして本当の承太郎がどの程度の顔立ちなのかは、ハッキリした言及が無い以上は断定できない)
352
:
フェイク『男』
:2017/11/23(木) 00:47:56 ID:eX5hMC8.
334フェイク『男』2017/11/23(木) 00:46:00.51ID:4cdpPyCu
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その5…セト神】
俗に「子供向けと子供騙しは違う」と言われるが、登場人物が現実的に殴り合うような作品ならまだしも、そもそも現実に存在しない超能力を用いた「能力バトル」というものは、どうすれば「子供騙し」ではなくなるだろうか。
荒木氏の作品はそれこそデビュー作「武装ポーカー」の頃から単純な力比べによる決着を良しとせず、力の上に更なる工夫を凝らす作風だったが、ジョジョ三部から登場した「スタンド」はその流れにおける一つの到達点である。
一部の例外を除き、スタンド使いは肉体的にはただの人間である。単なる銃や刃物の攻撃でも充分に致命的だし、荒木氏の好むホラーやサスペンスの文脈から、時にはハサミやカミソリといった凶器が猛威を振るうこともある。
そこに一つの発想が生まれる。もしも読者の自分がスタンドを使えるなら、果たして自分は作中のスタンド使いたちのように戦えるだろうか? 肉体的にはほとんど同じ人間なのに、まるで戦える気がしないのではないだろうか。
ジョジョの登場人物は敵も味方も皆が「知恵」を振り絞って戦っている。そして、単に言葉の上で理屈を捏ねているだけでなく、自分の命を懸けてその理屈を実証する精神力と迫力、即ち「凄味」がある。
スタンドという超能力は現実には存在しないが、スタンド使いが戦いの中で振るう「力押しだけではない知恵」や「理論を実践する凄味」は現実にも通用する強さであり、老若問わず楽しめる要素なのだ。
そして、エジプト九栄神の一つ「セト神」の本体アレッシーが、ほとんど無力なまでに若返らせたはずの相手に何度も敗北を喫したのも、彼の戦った相手が力押しだけでない強さを備えていたからだと言える。
二歳児相当にまで若返ったポルナレフは「知恵」を振るい、スタンドが使えない幼少期の承太郎は「凄味」を見せた。大人と子供の単純な力関係に頼るしかないアレッシーが敗北したのは必然だったというものだ。
353
:
フェイク『男』
:2017/11/23(木) 22:10:45 ID:eX5hMC8.
339フェイク『男』2017/11/23(木) 22:07:07.20ID:4cdpPyCu
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その4…バステト女神】
創作物において現実性は大事な要素の一つではあるが、諸々の事情で表現が「規制」されている現実も存在する。その中には、例えば政治、宗教、差別問題など、確かに娯楽目的の漫画で扱うには少々荷が重い部類も多い。
だがそこまで大仰な題材でなくとも、身近な存在の中にも描写の制限がありそうな分野がある。その一つが「女性」だ。いくら男女平等の世の中とはいえ、一方で男女の肉体的・性格的な差異は依然として認めざるを得ない。
少年漫画の男性主人公が、いくら敵であろうと「女性を殴る絵面」はそうそう描けないし、そもそも作者自身も男性ならば女性の行動や心情を描写するにも難しい。
ジョジョという漫画では「スタンド」という設定により、女性を敵として戦う場合も相手が女性だからと変に手加減することなく、直の殴り合いを避けることが出来ているが、
エジプト九栄神の一つ「バステト女神」の本体マライアの表現はその中でも特異である。作中、マライアは自身が勝利を確信した攻撃を戦闘相手に凌ぎ切られ、顔を歪めて激怒する場面があるが、
普通、美人の女性キャラともなれば、たとえ怒り狂ったり暴言を吐くような「変顔」とか「顔芸」の際も、相応の「絵になる」描写になるものだが、この時のマライアはどうしようもなく「醜い」としか言えない。
これもまた、色々と制限のある中でも女性を男性と対等に扱おうという描写の一環であると言えなくもない。とはいえ少々「醜すぎる」ようにも思うが、限られた範囲内での精一杯の表現と考えれば、それも仕方ない。
なお、ジョジョの作者である荒木氏は昔から女性を描くのが苦手だったそうだが、六部連載前にアメリカの刑務所を取材した際「女性と男性に違いは無い」という話を聞いたという。
「女性の中にも殺人犯もいれば強姦犯もいる」とのことで、それが六部の、あの何と言うか生き生きとした女性たちの描写に繋がっているのだが、マライアの変顔は言わばその出発点だったのかもしれない。
354
:
フェイク『男』
:2017/11/25(土) 00:07:20 ID:rVvn.Lqw
344フェイク『男』2017/11/25(土) 00:05:00.98ID:Oyc4BwjS
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その3…ゲブ神】
ジョジョの主題は「人間賛歌」であり、もう少し砕けて言えば「人間は素晴らしい」ということになるが、同時にジョジョの作中にはどうしようもない小悪党とか吐き気を催す悪人とかが山ほど登場する。
もちろん、悪人のいない世界で善人が善行をするだけでは「人間賛歌」としてあまりに弱いのだが、更によくよく見てみれば、そうした小悪党とか大悪人とかも妙に人間的で、ある種の魅力を感じさせるものだ。
それは恐らく単純な受け狙いというだけではなく、邪悪を打倒する「人間賛歌」だからこそ、否定すべき邪悪にも人格があり、人生があり、それなりの言い分があるということまで描かなくてはならないのであろう。
邪悪な人物だからといって何一つ良いところの無い、都合の良い悪党ばかりというのも、やはり薄っぺらい描写になってしまう。そういう、否定すべきものに対しても中立の視点を保つことが、創作には必要なのだ。
エジプト九栄神の一つ「ゲブ神」の本体ンドゥールが言う「悪には悪の救世主が必要」という台詞も、まさにそういった公平な観点を表すものである。
また、このンドゥールの描写辺りから、ジョジョの戦闘では敵側の主観視点で主人公たちとの戦いを描くという表現も増えてくる。これも公正さの一環だ。
ちなみにジョジョの作者である荒木氏によれば、この「人間賛歌」という主題はジョジョの最初の単行本の作者コメント欄に何か書かなければならないという必要に応じてとっさに思いついた言葉であり、
その後も、主に作者が作品の方向性について迷子にならないように、という目的で設定されているとのことだ。これくらいの冷静さの方が中立の視点は保ちやすいのかもしれない。
355
:
フェイク『男』
:2017/11/26(日) 01:19:45 ID:G5xBNn6o
351フェイク『男』2017/11/26(日) 01:17:42.36ID:iLbqTn4g
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その2…ホルス神】
「公正世界仮説」という概念がある。この大宇宙には善と悪のバランスを保とうとする力が存在し、善悪全ての行いは最終的に然るべき扱いを受けるという考え方だ。
これは例えば、正義は勝つ、悪行には罰が当たる、成功した者はみんな努力している、情けは人の為ならず、など人間の倫理道徳において有益な理念へと繋がることもあれば、
一方で、犯罪の被害者にも落ち度はある、いじめはいじめられる方も悪い、誰々が苦しんでいるのは前世の罪によるものだ、など偶然のはずの出来事に対し被害者を非難する発想にもなりがちである。
こうやって冷静に見てみれば、どうにも都合の良い世界観であるというか、現実の世界はあくまで偶然の産物であり、そこまで人間の目線で辻褄が合っているものではなさそうだとも思えるのだが、
とはいえ上述の言葉の、何というか甘美さを考慮すると、少なくとも人間の心理としては、こうした願望もあることは否定できない。誰だって、自分の運命が全て偶然だと思うよりは、自分の心や努力が報われたいものだ。
そして現実のような偶然ではなく、作者の意思が全てを決定する(と思われている)創作物の中の世界に対しては、この「公正世界」は仮説ではなく事実であることを求められやすい。
漫画の中では本当に正義が勝つものである。あるいはダークヒーローが主役の悪行物語だとしても、例えば弱肉強食であるとか、善行だけでは世の中やっていけないというような概念が、その作品内の正義となっているものだ。
356
:
フェイク『男』
:2017/11/26(日) 01:20:06 ID:G5xBNn6o
352フェイク『男』2017/11/26(日) 01:18:11.45ID:iLbqTn4g
さて、エジプト九栄神の一つ「ホルス神」の本体ペットショップは、善悪という概念とは無関係な動物である。動物の世界は弱肉強食であり、彼(?)が主人に従って殺戮を繰り返していたことも邪悪とは言えない。
そしてこのペットショップと死闘を繰り広げた「ザ・フール」のイギーもまた、別段に善の存在ではない。「犬好きの子供は見捨てておけない」という彼の思考は善行らしくも見えるが、人間の善に従っているとは言えない。
片や命令に従うだけのペットであり、片や善も悪も気の向くままに生きる野良犬に過ぎないのだ。また心なしか、氷の能力に砂の能力と、双方のスタンド能力も何だか空虚さや無味乾燥さを暗示していると思わなくもない。
この動物同士の戦いは一応ながらイギーが勝利を収めたが、彼とて戦闘後は川底で溺死を待つばかりであり、実質的には引き分けも同然だった。それを助けたのは、イギーが善行らしい振る舞いで救った「犬好きの子供」である。
即ちジョジョという作品の世界観もまた、「情けは人の為ならず」という言葉が真に実行される「公正世界」であるがために、イギーは生き延びペットショップは死んだままなのだ。
357
:
フェイク『男』
:2017/11/26(日) 22:50:56 ID:G5xBNn6o
356フェイク『男』2017/11/26(日) 22:48:59.48ID:iLbqTn4g
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その1…オシリス神】
私はこの前置きで様々な考察というか妄想の類を捏ね回しているのだが、エンターテイメントを目的とする漫画作品の場合、読者の納得は理屈よりも感情に拠るところが大きい。
特に週刊少年漫画というものは、「荒木飛呂彦の漫画術」などにも記されている通り、少しでも面白くなかったら読み飛ばされてしまう恐れのある媒体であり、読者を考えさせている暇は無い。
ジョジョという漫画では多くの理屈っぽい説明が成され、これがまた私のような理屈のために理屈を捏ねるのが好きな部類の読者を呼び寄せたりもするのだが、
漫画作中の理屈はそもそも全て読者をまず感情面から納得させるためのものであるのが基本だし、商業作品としての娯楽漫画なのだから出来るだけそうあるべきだ。
中にはごく一部、作者のこだわりを優先して読者への説明が不足している設定もあるにはあるが(「光速を超えたら時が止まる」など)ジョジョの理屈の大部分は、あれで最小限の説明なのである。
さて、エジプト九栄神の一つ「オシリス神」は、その本体の弟のスタンド「アトゥム神」と並び、「賭けというのは人間の魂を肉体から出やすくする」「敗北を認めた瞬間、魂のエネルギーは限りなく0に近くなる」と、
スタンドの個々の能力について込み入った原理が説明されているが、これもまた「何故彼らをゲームで負かせば奪われた魂が戻ってくるのか」とか「何故兄弟というだけでこれほど似た能力なのか」とか、
「そもそも何でバトルじゃなくてゲームなんてしてるのか」といった疑問や違和感に対し、充分な納得感を与えるため必要な説明だったと言える。
思い返せば荒木氏のデビュー作である「武装ポーカー」も賭け事の話だったし、以降もこのようなゲーム系のスタンド能力は時折に登場することから、ジョジョにとってゲーム系の能力は相性が良かったのだろう。
358
:
フェイク『男』
:2017/11/26(日) 22:51:23 ID:G5xBNn6o
357フェイク『男』2017/11/26(日) 22:49:45.02ID:iLbqTn4g
余談だが「オシリス神」の能力の疑問として、承太郎が書いた「花京院の魂を賭けるという証文」は本当に有効なのか、というものがあるが、これはどうとでも解釈できる。
例えば「アトゥム神」が承太郎の攻撃を先読みして手首にスタンドの一部を憑りつかせたのと同じくらいには花京院の精神の隙を付けるのではないかとか、
あるいは「アトゥム神」とは違い「オシリス神」なら本当にあれだけで花京院の魂を奪うことができ、これこそが「オシリス神」独自の強みであるとか、
もちろんあれは完全にただのハッタリであり、そんな方法で重圧をかけてくるのも「オシリス神」本体ダービー兄の技術の巧みさだという考え方もありだろう。
どう考えたってそれなりに納得がいくことだし、むしろ種明かししないことも雰囲気作りの一環であることから、わざわざ作中で説明の時間を取ってまで解説することはなかったのだろう。
359
:
名無しさん
:2018/10/09(火) 22:58:10 ID:bwHCI11c
524 フェイク『男』投稿日:2018/09/16(日) 22:35:30.75 ID:omrikIsc
ジョジョ六部の登場人物エルメェス・コステロのいわゆる「名言」として、「復讐とは自分の運命への決着をつけるためにある」という台詞が広く知られているそうだが、この台詞を成立させるためにはいくつかの前提条件がある。
これはジョジョ三部の方の復讐者であるポルナレフなどにも共通するのだが、まず復讐対象は冤罪や更生の可能性が一切なく、誰がどう見ても死んで償うべき人間の屑であることが望ましい。また復讐に他者を巻き込むような方法を取ることも避けるべきだ。
そして何より重要なのは、復讐を果たしたとしても本当に「自分の運命への決着」を付けられるかどうかだ。ジョジョの登場人物は誰も彼も強靭な(悪く言えば「漫画的」な)精神力を誇り、だからこそ憎むべき敵を倒してそれで終わりにすることができる。
だがジョジョという漫画以外の状況では、人間は得てしてそれほど強くなく(良く言えば「現実的」であり)復讐を果たしても心が納得しないとか、直接の復讐対象以外にも憎しみを広げたりとか、エルメェスの台詞では解決できない状況になることもある。
そうなると、エルメェスが否定した「復讐なんかをして失った者が戻るわけではない」とか「許す事が大切」という言葉にも一定の意味が生じる。そういう言葉で心が揺らぐ人間は元より復讐などすべきではないということだ。
ちなみに、復讐の場面ではないがジョジョ七部には「心が迷ったなら、撃つのはやめなさい」という台詞も存在する。このような言葉も併せて考えたいところだ。
360
:
フェイク『男』
:2018/10/09(火) 22:58:48 ID:bwHCI11c
534 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/17(月) 23:57:29.03 ID:C5i68sXW
「勇者と泥棒の話、1」
ジョジョとは全く無関係な話になるのだが、「ドラゴンクエスト」を始めとするコンピューターRPGの主人公である勇者には、しばしば民家のタンスや壺からアイテムを無断借用する、つまり盗みを働いているかのような行動を取らせることができる。
果たして、あの勇者の行いは本当に泥棒なのだろうか。例えば、本当は町の人たちとの色々な会話の結果アイテムを譲り受けているところを、要領の都合でそういった諸々を省略しているだけだという解釈を行う者も古くから存在している。
だが、その作品の中で本当にその行為が盗みとして扱われる場合もある。そうすると、それ以外の場所で行った「盗み」は、本当に泥棒行為なのか、それともそれ以外の場所では穏便にアイテムを譲ってもらっているだけなのか、判別が難しくなる。
それに、パロディ的なギャグとして勇者が泥棒であることを殊更に強調した表現もかつては多々見られたものだ。ここまで来ると、例えば解釈はプレイヤー次第という穏当な思考法では片付かないようにすら思える。
私見としては、あれは単に町中の探検や宝探しの楽しみを味わうためのギミックであり、そもそもそういった現実的な視点から見るべきものではない、と考えているのだが、ここで一つ、別の考え方をしてみたい。
361
:
フェイク『男』
:2018/10/09(火) 22:59:02 ID:bwHCI11c
535 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/18(火) 00:02:25.50 ID:EealCGv+
「勇者と泥棒の話、2」
ドラゴンクエストの一作目は、プレイヤーの操る勇者が王城から旅立つ場面より始まる。その王城には鍵の掛かった扉の向こうに宝物庫らしき部屋があり、いくつもの宝箱が置かれている。宝の番人のような兵士もいる。
だが、その扉を開けることができるのはゲーム開始からずっと後の話だ。その王城はゲームの開始時と終了時に必ず立ち寄らなければならないので、プレイヤーはいつもその宝箱を横目にゲームを進めることになる。
果たしてあの宝箱の中には何が入っているのか。泥棒したいかどうかはともかくとして、プレイヤーは気になるはずだ。
ところで、このゲームではラスボスを倒して世界に平和を取り戻すために必要なアイテムの一つとして「太陽の石」というものがある。そして「太陽の石」は王城のどこかにあるというヒントが手に入る。
するとプレイヤーとしては、あの宝物庫の宝箱を確認せざるを得ない。本当はその宝物庫に「太陽の石」は無いのだが、初見のプレイヤーにそれは分からないからだ。(なお「太陽の石」は王城内の別の場所で、盗むのではなく譲ってもらえる)
また、宝物庫の宝の番人に話しかけると「真の勇者なら盗みなどせぬはずだ」と、まさにこれから盗みを働く、あるいは既に盗みを働いた後の勇者を咎めるような台詞を言う。とはいえ、咎める以上のことはしてこない。
このゲームは昔の作品なのでとにかく容量が少ないのだが、それでも勇者が呪われた装備を付けていると王城から追い出される、などという細かいイベントまで実装されている。そんな中、勇者が盗みを働いたことに対する罰は無い。
それはもちろん、この一連の流れは言わばゲームの開発者がプレイヤーを騙しているようなものだからということもある。ヒントに従って素直にゲームを進めていたら泥棒扱いされて、しかも罰まで受けるなんて酷すぎる話だろう。
だが、私の解釈としてはそれだけではない。あの宝の番人は間違ったことを言っている。真の勇者なら、盗みを働いたという誤解を招いてでも、やらなければならないこともあるのだ。
362
:
フェイク『男』
:2018/10/09(火) 22:59:27 ID:bwHCI11c
551 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/18(火) 23:34:51.95 ID:EealCGv+
ジョジョ二部に登場する柱の男カーズは、シュトロハイムの放った重機関砲の弾丸を「輝彩滑刀の流法」にて切り裂いてみせたが、それを目撃したシュトロハイムもジョセフも、また漫画のナレーションすらも、ただその刃の切れ味を強調するばかりだった。
これはおかしな話であり、そもそも自身に向けて一分間に六百発発射される弾丸を切断して防御するという圧倒的な運動の速度が全く無視されてしまっている。ジョセフに至っては、カーズの突きや蹴りなど普通の攻撃なら波紋で防御できるとすら言っている。
ジョジョ一部ではスピードワゴンが吸血鬼ディオの動きを「動きの速さは動物の豹程度」「ツェペリさんの波紋法を身につけたジョースターさんなら見切ることは可能」と言及していた頃からすると、非現実的なほどのインフレ具合だ。
現実的な話をすれば、この辺りのカーズの異常な描写は「今の人間の科学では奴には勝てん」というシュトロハイムの台詞通り、柱の男は科学力では倒せない、やはり波紋法しかない、という作中設定を改めて提示するためのものでしかないのだろう。
(そもそも死んだはずのシュトロハイムが機械化して生き返ったのも、そんな非現実的な科学力ですら柱の男には敵わない、という設定を強調するためのものと言えなくもない)
ただまあ、無理矢理にでも作中内の理屈で説明を付けるなら、カーズの「輝彩滑刀の流法」は単に刃を高速回転させて切断力を高めるだけでなく、実はカーズ自身の肉体の運動速度を一時的に向上させるという働きもあり、
そんなとてつもない運動速度でもジョセフならお得意の先読みで攻撃を予測しつつ波紋防御すれば、普通の攻撃なら何とかなると考えた……といったところか。
(一応三部以降でも、「灰の塔」戦、「吊られた男」戦、「メイド・イン・ヘブン」戦など、圧倒的なスピードを持つ相手に先読みで攻撃を当てる描写は散見される)
363
:
フェイク『男』
:2018/10/09(火) 22:59:37 ID:bwHCI11c
574 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/20(木) 23:26:42.32 ID:JZNOPwsS
ジョジョ八部ジョジョリオンに登場する東方鳩の「ウォーキングハート」は、最大4mほど踵を伸ばすという……何と言うか、あまりにもシンプルな能力だ。シンプルすぎて何だか心配になるくらいだ。
だが壁に踵を突き刺し、本体ごと壁を歩いて登るという発想は結構面白い。この手の近距離パワー型スタンドは、例えば本体を担いで走るといった移動はなかなか行わないもので、
スタンド能力を用いて本体ごと移動する場合は、スタンドのパワーだけで力尽くに行うよりも、やはり能力を絡めて行うのがやりやすいのだろうと思われる。
この「ウォーキングハート」も、他にも踵を急激に伸ばし、ジャンピングシューズの要領で本体ごと大きく跳躍するとか、そういう本体ごとアクロバットな戦いを行うのが意外と有用な能力なのかもしれない。
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