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英国(第二次世界大戦勃発直前)がファンタジー世界召喚されますた。

1名無し:2008/03/08(土) 09:25:39 ID:DguCBHyc0
もし第二次世界大戦勃発直前の英国がファンタジー世界に召喚されたらどうなるでしょう。なお、当時の英国の植民地も一緒に召喚されたという設定です。

161HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:24:18 ID:3pTbBygo0
投下終了
次回投下は来月下旬の予定です

次回、再びの戦闘回
上手く書けるかなあ…

162HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/30(日) 19:06:59 ID:SOvPWnV60
予定通り明日午後8時から投下を開始します

163名無し三等陸士@F世界:2017/07/30(日) 23:24:00 ID:xkLnz4nk0
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

164HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:00:28 ID:SOvPWnV60
それでは投下開始します

165HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:02:42 ID:SOvPWnV60
13、決戦

どこまでも続く不毛な大地と晴れ渡った空、太陽は今や東の空を離れ、南東の空高くにあった。
その金色に輝く太陽から降り注ぐ激しい陽光、今もじりじりと大地を熱している。そして熱せられた大地は大気を暖め、風を起こす。今もまた一陣の風が吹き、乾ききった大地から土を巻き上げた。
やがて風は弱まり、巻き上げられた土は大地へと還る。だが幾分かは異なる場所へと落ちた。乾いた台地の上にぽつんと停車しているトラックの上だ。
降りかかる細かな土埃、汚れ放題の車体がまた汚れる。さらに土埃はトラックの周囲にいる四人の男女にも降りかかり、彼らの衣服を汚し服の下にまで入り込んだ。
だが誰一人身じろぎせず、声すらも発さない。
左前輪側のブラウン、右前輪側のブッシュ、左後輪側のウールトン、そして右後輪側のファウナ。ある者は乾いた地面に座り込み、またある者はしゃがみ込んだまま、それぞれの『持ち場』で目の前に置かれた急拵えの金属容器の中をじっと覗き込んでいた。
金属の地肌があらわになったギザギザの縁が目立つ容器。その表面には横半分に切られた帆立貝のエンブレムや逆さになった『SHELL』の文字、車両用ガソリンであることを示す『MT BENZINE』の文字とその下に記された上向き矢印――官給品であることを示す『ブロードアロー』印――が描かれている。ブッシュたちにとっては見慣れた容器、ガソリン用の『フリムジー』を半分に切断したものだ。
ただし入っているのはガソリンではなくただの水、オアシスにある池から汲み上げられた何の変哲もない真水だ。だが今は『フリムジー』に残っていたガソリンが混じってしまっているためもう飲むことは出来ない。
そのガソリンの油膜のせいで虹色にぎらつく水面が小さく波立つ。
起こった波、それは砂粒の類が落ちた時に出来る同心円状の波ではなく風が起こす風蓮状のものでもない、『フリムジー』自体の振動が作り出す、周囲から中央へ向けて広がる波だ。
それが時間の経過とともに徐々に大きくなる。

「来ました!」

『フリムジー』から顔を上げ、叫んだのはウールトン、残る三人が弾かれたように立ち上がる。声を発したウールトンもまた同様に動いた。
ブラウンとブッシュがほぼ同時に運転台へと駆け上り、ウールトンは後輪に足をかけ、荷台へとよじ登る。そしてファウナは魔法の力を発動させ、文字通り荷台へと飛び乗った。そのまま荷台を走り、荷台の前端右側へと陣取る。
一息遅れてウールトンがその反対側に腰を下ろすと揃って足を踏ん張り、荷台の囲いを掴んで急発進に備える。一方運転台ではブラウンがエンジンを始動させようと躍起になっていた。スターターが唸るがエンジンはまだ掛からない。暫くの間停車していたせいでエンジンが冷えてしまっているのだ。

166HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:05:18 ID:SOvPWnV60
「よし掛かった!」

三度目でようやく息を吹き返すエンジン。聞きなれた、しかしどことなく不安定な唸りが響く。だが暖機運転をする余裕などない。
そのままクラッチを繋ぎ、アクセルを踏み込んで一気に発進。ハンドルを切って方向転換しつつギアを手早く入れ替えて加速、エンジンが時折妙な音を立てた時はいつもよりアクセルを多めに踏み込むことで誤魔化す。

シャーシとサスペンションを軋ませつつ土埃を蹴立てて加速するトラック。そのすぐ後ろで昨日と同様に大地が丸く窪み始める。
加速するトラックを追いかけるかのように瞬く間に広がる窪み、その拡大が止まると今度は中央が深く落ち込んだ。そしてそこから土砂が盛大に吹き上がる。
白茶けた土煙が瞬く間に窪みを覆い尽くす。だがその土煙も風のせいで少しずつ薄れ、拡散してゆく。ただし次から次へと土砂が舞い上がるせいでその薄れる速度はさほど早くはない。
そんな恐ろしげな光景から逃げ出すかのようにトラックはひたすら加速を続ける。だが車上の一行の視線は一人を除いて薄れつつある砂煙に釘付けになっていた。
その頭上に細かな小石が降りかかる。耳に聞こえるカン、カンという断続的な音。小石がトラックの車体に当たる時に出す音だ。
ちなみに小石は車体のみならず一行の被っているシュマグやヘルメット、衣類にも当たっているのだが、この状況でそれを気にかける者は一人もいない。
何としても倒さなければならぬ敵がすぐそこにいる。その事に比べれば降りかかる小石など瑣末なことなのだ。
もっとも、小石といってもトラックの所まで飛んで来るものはごく小さな軽いものばかり。もし手や顔のような露出した部分に当たったとしても怪我どころか痛みを感じることすら無いだろう。

激しい揺れに弄ばれ、埃塗れになりながらも土煙を凝視し続ける3人の男女。その目の前で土煙がようやく薄れ始める。
窪地の縁がはっきりと見えるようになり、そして薄れつつある薄茶色のカーテンの向こうに巨大な、見覚えのあるシルエットが浮かぶ。そしてひときわ強く吹いた風が大気中の土埃を払った時、そこには彼らが倒さなければならない敵の姿があった。
昨日見た時と変わらぬ巨体を蠢かせ、穴からゆっくりと這い出してゆく怪物。凸凹した砂色の表面には見て取れるような傷はなく、動きにも負傷したもの特有のぎこちなさはない。
やがて怪物は穴から完全に抜け出ると、トラックの方角目指してゆっくりと進みだす。その動きには昨日攻撃を受けた時の戸惑い、迷うような様子はなかった。

167HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:07:44 ID:SOvPWnV60
「おいでなすったな、化物め!」

フル回転するエンジンの轟音と吹き付ける風を貫いて響く怒声。荷台のウールトンが叫んだのだ。彼の叫びは嫌悪感の現れか、それとも己と仲間を鼓舞するためのものか。
怒りをたたえた彼の横顔、その伸び放題の赤茶けた髭の中に覗く歯はどことなく肉食獣の牙を連想させる。その隣のファウナは無言のまま、思いの外速い速度でトラックを追いかけてくる怪物を鋭い視線でただひたすら見据えていた。だが強く引き結ばれた唇が彼女の内心にある強い決意と闘志を明確に示している。
そして、ブッシュ。
助手席の上に後ろ向きに膝立ちになり、荷台の囲みを両手でしっかりと掴んでいる彼の表情には怒りや闘志といった感情に由来する成分は見て取れない。ただその青い両目は大きく見開かれ、土煙を蹴立てて進む怪物をじっと観察していた。そして頭脳はただひたすら理知的に相手を値踏みし、その行動から相手の状態を推し量ろうとしている。
しばらく前まで彼の内心にわだかまっていた不安感も今だけは影を潜め、訓練により培われた軍人として、兵士としての部分が彼を突き動かしていた。

そんなブッシュの目の前でファウナが振り向く。
思いの外近い距離にある顔。彼女の形の良い眉毛の毛一本一本ですら見分けられる距離。吹き付ける風が彼女の長い髪をなびかせている。
だが彼女は何を言うわけでもなく、ただ黙ってブッシュを見つめていた。

「大丈夫ですよ、朝話し合い、その後で練習した時の手順通りにやれば大丈夫です」

心の奥底に押し込めた感情が蠢くが、それを押し殺して彼女に笑みを作り、吹きすさぶ風に負けないよう大声で話しかける。ファウナもまた黙って頷いた。
それに頷き返すと、起床から出撃前までに行ったあれこれを脳内でもう一度反芻し、為すべきことを再確認する。

決戦の日の朝、起床した一行は昨夜見聞きしたことをひとまず腹の奥底に収め、まずは目前の作業へと意識を集中した。
もちろん、各々が見聞きしたことを『なかったこと』として心の奥底に封印してしまったわけではない。それよりも大事なことが目の前にあるからこその行動だ。
使った毛布とテントを畳み、冷たい水で顔を洗って眠気を吹き飛ばし、手持ちの食料を用いて朝食を作る。主食は昨日の朝と同じ熱いオートミールの粥。ただし今日のそれは塩多め、そして量自体も少々多め。付け合せにはベーコンと缶詰野菜の炒め物。仕上げはミルクをたっぷり入れた紅茶。これから行う戦いが長引いた時のことを考え、しっかりと栄養を補給するためだ。
勿論内蔵に負担がかかるような量ではない。栄養補給は大事だが、腹がもたれるほど食べることは兵士としては論外の行為なのだ。
車座になって座り、出来たての朝食を口に運びつつ一同は今日行われる決戦についての計画を検討する。

168HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:10:02 ID:SOvPWnV60
「機動力こそが我々の身を守る盾だ」

湯気を上げるオートミール粥を前にそう言い放ったのはブッシュ、その言葉にブラウンとウールトンがすかさず頷く。自分たちの乗るトラックが元々軍用車ではなく、エジプトで民間向けに販売されていたものを軍が購入、然るべき改造を加えたものであることを知っているからこそ出た言葉だ。
お世辞にも堅牢とは呼べないシャーシとむき出しの運転台、そして装甲が一切施されていない車体を持つ自分たちのシヴォレーがあの巨体による体当たり、もしくは巨体の内部に隠し持っているという太長い鞭のような器官(ファウナは舌ではないかと話していた)の強烈な一撃を受けた日にはひとたまりもないだろう。
ならば機動力、つまり足の速さを頼りに距離を取ることで自分たちの身の安全を確保するしかない。

「だからまず可能な限り開けた場所を探し、そこを戦場とする。あいつをおびき出すんだ」

そう言ってファウナの方を見るブッシュ。二人の部下もまた彼に倣う。

「……分かっています。それが私の役目なのですね」
「やってもらうことはまだまだありますよ」

ブッシュの言葉と仕草から込められた意味――自分の役目は怪物をおびき出すための餌――を読み取るファウナ。
覚悟はしています、そう言い添えると表情を引き締める。
そんなファウナに声をかけるブッシュ。彼女の緊張を和らげようとしているのか、その口調はやや軽めだ。
続いてブラウンが口を開く。ただし内容はファウナに関するものではない。

「ですがあいつは地下を動き回るんですよ。近づいてきたことをどうやって知るんです? 海軍の連中を真似て地中の音でも聞くんですか?」
「それについては手は打ってある。例の半分に切った『フリムジー』だ」
「昨日ファウナさんに作ってもらったあれですか、あれで音を増幅するとか?」
「いいや、だがまあ近くはある」

そう言って説明を始めるブッシュ。
あの怪物が地中を掘って動き回るのなら、必ず振動が起こるはず。それを捉えるため、あの『フリムジー』に水を張って地面に置く。
あいつが近づいてくれば振動で波が立つだろう。

「なにしろあの巨体で地下を掘り進むんだ、振動が相当遠くまで伝わるのは確実だよ。ただこっちもエンジンを止めて待たなきゃならんがな」

思案顔の一同を前にそう説明を締めくくると、今度はウールトンが口を開いた。

「近づいてきたら攻撃準備、そして現れた所にありったけの攻撃を叩き込むと?」
「いや、まずは乗車して距離を取る。トラックの真下に大穴を開けられた日にはそれこそおしまいだからな」

169HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:12:17 ID:SOvPWnV60
その後離れた所で停車、射撃準備を整え、接近してきた怪物に対して対戦車ライフルと擲弾による一斉射撃を行う。そのままギリギリまで攻撃を続け、その後乗車してまた距離を取る。
これを数度繰り返し、怪物を弱らせた所で梱包爆薬を使用、それでも仕留め切れなければ『ジャム缶手榴弾』と焼夷弾も使用する。
これがブッシュの立てた作戦だった。

「正直大雑把だし穴もある。だが我々の手にある武器は少なく、時間はもっと少ない」
「なあに、こういうのは大雑把な方がいいんですよ」
「ええ、お偉方の考える『緻密な作戦』の正反対をやればまず大丈夫、そうじゃありませんかね」

昨夜の当直の間に立てた作戦を披露し終えると言い訳がましい言葉で最後を締めくくるブッシュ。そんな上官が披露した作戦を二人の部下は概ね好意的に受け入れた。
戦場という何もかもが流動的、かつ不透明な場所においては緻密さや正確さよりも速さと果断さが大事であることを経験として知っているからこそ出た言葉である。
そんな一座の中で手を上げ、質問を発した者がいた。

「あの、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」

ファウナのその声に頷き、先を促すブッシュ。彼も、そして後の二人もその整った顔を凝視する。図らずして一座の注目を一心に集める事になった彼女。だが気後れした様子もなく話し出す。

「移動中に怪物が現れた場合はどうするのでしょうか」
「その場合は開けた所まで移動して下車、そのまま怪物を迎え撃つことになりますね」

「接近してきた怪物がなかなか地上に出てこない場合は?」
「その場合は同じ場所を周回したり、敢えて低速で走行するなどして誘い出します」

「地上に出た怪物がこちらを警戒して近付いてこなかった場合は?」
「あなたを目の当たりにしてなお躊躇う可能性は極めて低いでしょうが、その場合はこちらから接近することになりますね」
「となると、荷台で擲弾を撃つということになりますな。こりゃ少々厄介だ」
「ああ、正直やりたくはないが、他に手がないのならやむを得ない」

ファウナの矢継ぎ早の質問に落ち着いた様子で答えてゆくブッシュ。そのやりとりに所々で口を挟み、細部について確認するウールトンとブラウン。
彼らが手にしている皿に盛られた熱い料理がゆっくりと冷めてゆくが、誰もそれを気にすることはない。それほどまでに彼らは会話にのめり込んでいた。
だがその流れが奇妙な形で断ち切られる。

170HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:14:09 ID:SOvPWnV60
「あとは……いえ、もう結構です。ありがとうございました」
「?」

恐らく十数度目になるであろう質問を口にするも、自らそれを取り消すファウナ。怪訝そうな男たちの視線を避けるかのように顔を下げ、冷めかけの料理に視線を落とす。
なんとも言えぬ奇妙な空気が流れかけるが、ブラウンの一言がそれを吹き飛ばす。

「朝飯、冷めちまってますね」「ん? ああ、こりゃいかんな」
「すみません、私が質問したせいで折角の料理が……」

そう言って自分たちも朝食を平らげにかかるブラウン、ウールトンもまた彼に倣った。ブッシュもまた部下に倣い、手にした皿に盛られたものを口へと運ぶ。
そんな男たちに謝罪の言葉を述べると、ファウナもまた料理を口に運び始める。
そして皿の上のものが全て一行の腹の中に収まる頃には、男たちは彼女が何かを言い掛け、それを引っ込めたということをすっかり忘れていた。
ただ彼女の胸中には発することのできなかった問いがわだかまる。

もしこの戦いに勝てなかったのなら、皆さんどうするおつもりなのですか

(大丈夫、戦いの準備は万全で、手元にある武器は強力。これなら勝てるわ)

ふとしたことから抱いた迷いと不安を周囲に気取られぬよう注意しつつ、彼女は自分自身に心のなかでそう言い聞かせた。

かくして食事を終え、必要な装備を身に着けると様々な武器、弾薬を携えてトラックに乗り込む一行。そのトラックは昨日ブラウンの手により可能な限りの整備を受け、さらに軽量化のために不必要な車載装備を撤去されている。
サンドチャネル(もっともらしい名が付けられているが、要は道板だ)やスコップといった砂漠でスタックした時に使用する機材、荷台側面に後付けされた幾つもの物入れ、運転席そばの架台にはめ込まれている予備のタイヤと助手席前のルイス軽機関銃、そういったものを撤去されたトラックは以前の軍用車両らしいごたついた姿とは全く違う、本来のすっきりとしたシルエットを幾ばくなりとも取り戻していた。
もっとも、その姿はどちらかというと頼もしさより頼りなげな雰囲気を漂わせていたのだが、それを口にする者は誰一人としていない。
そして乗車した状態から降車し、射撃準備を整えるまでの手順を確認。最後に簡単な訓練を数回行って仕上げとする。
ちなみに最後の訓練は実質的にファウナのためだけに行ったものであるが、この時彼女は魔法の助けを得て軽々とトラックを乗り降りして見せ、彼女のことを心配していた一同を驚かせている。

171HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:16:02 ID:SOvPWnV60
「魔法というのは凄いものですなあ」「荷台までひとっ飛びとは、いやはや」
「今となってはこの程度のものしか出来ないのですけど」

彼女の魔法の技を目の当たりにして驚きの言葉を並べる一同、一方ファウナ自身はこの思いがけぬ賛辞をいささか気恥かしげに受け入れた。
そしていざ出撃、だが一行の歩みは初手から躓くことになる。
砂漠という過酷な場所での使用により徐々に限界を迎えつつあったトラック、その心臓部であるエンジンが昨日の戦闘で酷使されたせいで不調を訴え始めたのだ。
もちろんこのことはブラウンも承知しており、事実昨日の整備ではかなりの時間をエンジンの調整と整備に割いている。だが現状では本格的な整備はまず不可能。結局エンジンがその調子を取り戻すことはなかった。結果野営地を出発する時にはエンジンを始動させるために何度もスターターを掛ける羽目になってしまい、これに加えて走行中に数度に渡ってエンジンが不調を訴えるという事態まで起きている。
そんな状況を不安がる一同の前でことさら陽気な調子で「これくらい大丈夫ですよ、これよりひどい状態のやつで偵察をやった時もあるんです」と話したブラウン。だが、そんな彼の言葉を聞いても一行の顔色は晴れなかった。
その後一行はオアシスから十分離れた開けた場所まで数十分かけて移動。幸い移動中に怪物が現れることはなく、また停車直後を奇襲されるというある意味最悪の事態にも陥ることはなかった。
そして到着後トラックのエンジンを切り、地面に置いた『フリムジー』に水を満たした後これを覗きつつ怪物の接近を待ち続けた一行。
彼らは今、待ちに待った怪物との決戦に突入していた。

場面は再び車上に戻る。
激しく揺れながら風を切って疾走するトラックと怪物との距離は急速に離れつつあった。
助手席の上に膝立ちになり、背後にある荷台の囲いにしがみつきながら前と後ろを交互に見るブッシュ。その隣ではブラウンがただ真っ直ぐ前のみを見てトラックを走らせている。
一方ウールトンとファウナは荷台の床に座ったまま。ただしその姿勢は自分たちの指揮官の命令に応えてすぐ動けるようなものだ。

「ブラウン、停車だ! 手はず通りに行くぞ!」

下される命令。だが誰一人として答えるものはいない。ブラウンが即座にブレーキを踏み込んだからだ。急激な減速、車上の誰もが手近なものにしがみつき、振り落とされまいと必死になる。
派手な土煙を立てて止まるトラック。車上の四人は即座に動き出す。

172HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:19:35 ID:SOvPWnV60
最初に動いたのはブッシュ。トラックが止まり切る直前に必要なものを携えて助手席から飛び出すと着地と同時に受け身を取り、衝撃を殺す。ぶつけたところが痛み、体中が埃まみれになるが気にも留めない。
続いて動いたのはファウナ、トラックの荷台に立ち上がり、勢いをつけて飛び降りる。普通なら無謀極まりない行為なのだがそこは妖精、身につけている魔法の力でふわりと着地し、小走りに走り出す。風になびく彼女の着衣。ただその身なりはいつものものとは少々異なる。
見慣れた茶色の長袖とズボンの上に着用した草色の袖なしワンピースのような上衣。さらにその上からブラウンから借りたパターン37装備を着用し、両手で37装備用の背嚢を抱えていた。その姿は頭に被った皿型ヘルメットと相まって、どこかチグハグな印象を見るものに与える。
手にしていた土嚢を地面に置くとその上に腹ばいになり、射撃準備を整えるブッシュに駆け寄る彼女。その目の前でブッシュはEYライフルの銃床を土嚢に押し当てて構え、取り出した空砲カートリッジを薬室に装填した後銃口を持ち上げて短く命じる。

「装填!」

その一言に弾かれたように動くファウナ。背嚢から取り出した対戦車擲弾を手に駆け寄り、安全ピンを引き抜いてから銃口に取り付けられたカップへと押し込む。その動きは出発前に何度か練習を行ったためまごつくことはなかったが、滑らかさとは程遠い。
降車した二人がこうして射撃準備を整えている間、トラックに残った二人もまた射撃準備を整えていた。

急ブレーキでトラックを停車させたブラウンはエンジンを止めぬまま、サイドブレーキを引くと運転席背後の囲いをよじ登り、荷台へと降り立つ。そこではウールトンが対戦車ライフルに取り付き、遊底を操作して薬室に初弾を装填していた。
だがブラウンが駆け寄ったのは彼の側ではない。荷台の囲いにロープで括り付けられている予備弾倉運搬用ケースだ。
蓋を開け、重くかさばる弾倉を二個取り出すと元通りに蓋をして留め金を掛け、その場で怪物の方を見る。怪物の巨体が思いのほか近くに見えた。距離はおおよそ90ヤード(約82.2メートル)というところ。その移動速度は昨日見た時よりも幾分か速いようだ。
彼の眉間に深い皺が寄る、焦っているのだ。だがそれを口に出すことはない。すぐ側で狙いをつけているウールトンの妨げになるからだ。
その目の前で細かく身じろぎをしていたウールトンの動きが止まり、対戦車ライフルの長大な銃身が安定する。一方地上のブッシュが手にするライフルはまだ細かく振れ動き、照準が未だ定まっていないことを窺わせた。
ここで何も知らぬ者ならブッシュの手際の悪さをこき下ろすのだろうが、ブラウンの見解は違った。

173HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:21:23 ID:SOvPWnV60
トラックの荷台という見晴らしの良い場所で照準を定めるのならともかく、地べたに腹ばいになって狙いをつける。しかも手にしているのは普通のライフルではなく擲弾発射用のEYライフル。狙いが定まらぬのも無理はない。
とはいえ、さっさと狙いを付けてくれませんかね、軍曹殿。

そんな思考を一瞬のうちに巡らせたブラウンが視線を転じると、土煙を蹴立てて迫る怪物の姿が思いの外近くに見えた。
反射的に上官の方に視線を向けつつ、心の中で毒づく。

(さっさとやってくれ、あんたが撃たなきゃこっちも撃てないんだぞ!)

そんな彼の心の声を聞き付けたのだろうか、細かく動いていたライフル先端の金属カップがピタリと静止する。そしてスパンという軽い、気の抜けたような音。対戦車擲弾が発射されたのだ。
僅かに遅れて轟く轟音、ウールトンが対戦車ライフルを発射したのだ。怪物の左手前に小さな土煙が立つ。

「近い! もう少し右!」

ブラウンの叫び声。その直後に今度は怪物のかなり左で爆発が起こる。擲弾も外れたのだ
その爆発に目もくれず無言で遊底を前後させ、薬室へ次弾を送り込むウールトン。一方ブッシュは構えを崩さぬように心がけつつ、再び薬室へカートリッジを装填する。その前ではファウナがピンを抜いた対戦車擲弾を不器用な手つきでカップへと押し込んでいた。
その細い体が一瞬強張る。ウールトンが再び発砲したのだ。

「命中!」

ブラウンの弾んだ声。その語尾に擲弾の発射音がかぶさる、そして爆発音。今度は怪物のすぐ手前で派手に土煙が上がる。だが怪物の足は止まらない。むしろ足を早めたようにすら見える。
その巨体に再度対戦車ライフルの徹甲弾が叩き込まれた。

「命中!」
「……くそっ」

叫ぶブラウン、ほぼ同時にウールトンが小声で悪態をつく。その顔には敵意や怒りに加えて焦りの色が浮かび始めていた。

昨日有効打を与えられた距離で命中弾を与えたというのに、あいつは一向に怯まない。
同じ手は二度と通じないとでもいうのか。それとも昨日の振る舞いは未知の攻撃にただ驚いただけだったとでもいうのか。

そんな焦りを抑えつつ装填作業を終え、再び狙いをつけるウールトン。今度は少々時間を掛けしっかりと狙いを定めるがその間に彼の視界は迫る怪物の巨体により占領されつつあった。その体表で起こる爆発。ついに擲弾が命中したのだ。
今度は何かに打たれたように一瞬足を止める怪物。有効打だ。すかさずウールトンも発砲する。こちらも命中。だがややあって怪物はまた動き出し、真っ直ぐこちらへと進路を取る。
現在の彼我の距離およそ60ヤード(約54.8メートル)。その差はじりじりと詰まりつつあった。

174HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:23:14 ID:SOvPWnV60
こいつより威力があるはずの擲弾が命中したというのに、苦しむ素振りすら見せないとは。
やはりこいつは只者じゃない。恐らく、いや間違いなく戦車連隊の連中が乗り回している歩兵戦車よりもしぶといな。
楽に勝てるとは思ってなかったが、予想以上に手強いぞ。さて、どうする?

一行、より正確には三人の男の内心にさらなる焦りが湧き上がる。だが体は相変わらず動き続け、怪物に照準を合わせては射撃を繰り返す。
そんな男たちの思考がある一点に収束する。

ファウナ、やはり彼女の存在が怪物をあのような行動に駆り立てているのか。いや、あいつにとって彼女は最高の獲物、ならばああいった振る舞いに出るのも頷ける。

そんな男たちの思考を他所にひたすらトラックを目指して突進を続ける怪物。距離が詰まってくるのに比例してその凸凹した体表の細部が見て取れるようになるが、今の一行にはその姿をじっくり観察する心の余裕はない。それほどまでに今日の怪物の足は速かった。

「今日は本気というわけか」

そうつぶやいたのはブッシュ、相変わらず腹ばいの姿勢のままライフルを斜めに構え、照準越しに迫る怪物に視線を向けている。
内心の焦りを反映するかのように唇は強く引き結ばれ、眉間には深い皺が寄っている。

「私がここにいるからでしょう」

早口でそう答えたのはファウナ。ライフルの側に屈み込んでいる彼女の表情もまた厳しいが、作業を疎かにすることはない。
銃口に取り付けられたカップを片手で抑えつつ、安全ピンを引き抜いた擲弾を装填。それがカップの奥までしっかりと収まっていることを確認すると射撃の邪魔にならぬよう素早く後ろに下がる。
一方荷台の二人の反応は違った。

「まるでスペインの雄牛だな」
「いや、人参を目の前にした種馬ってところでしょう」

迫る怪物に狙いを付けつつつぶやくウールトン、その声音にはかすかに呆れの色が混ざっていた。それに応えたブラウンの声には明らかな嘲りの色が滲んでいる。
ただどちらの言葉にも共通して表れているのは、こんな奴に俺たちは負けぬという強い意志。それは同時に彼らが目の前の怪物に対して何ら恐れを抱いてないということでもある。
そんな二人の耳に気の抜けた発射音と上官の命令が響く。ただその声は内心の焦りを反映しているのか、それとも戦闘の興奮によるものなのか分からないが、普段と比べてかなり上擦っていた。

175HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:24:51 ID:SOvPWnV60
「射撃止め、乗車!」

自分が放った擲弾が命中したのを確認してからそう叫び、立ち上がると土嚢を拾い上げ駆け出すブッシュ。ファウナもまた背嚢を抱え上げ、トラックへと駆け寄ると先程と同様魔法の力を用いて荷台へと飛び乗った。
一方車上ではウールトンが装填済みのライフルに安全装置を掛け、ブラウンは荷台の囲いを乗り越えて運転席へと飛び降りる。その勢いでトラックが大きく揺れるが誰もそれを気にかけることはない。
先程同様急発進に備えて荷台の床にに腰を下ろすファウナとウールトン。助手席のブッシュは無言でライフルの遊底を引き、薬室に入ったままだった発砲済みのカートリッジを排莢する。ボンネットにぶつかった空薬莢が澄んだ金属音をたてた。
そんな彼の隣に尻を落ち着けるブラウン。飛び降りた時にぶつけた足や腰の痛みを無視し、止まってしまっていたエンジンを再始動しようと試みる。くぐもったスターター音が響いた。
だが発車した時とは違いある程度温まっていたはずのエンジンはなかなか掛からない。砂漠という過酷な環境で酷使されてきたツケが回ってきたのだ。

「早く、もうすぐそこです!」「30ヤードを切ったぞ!」

ブラウンの背後から上がる二色の声。ファウナの高い声とウールトンの低い声が期せずして重なった。だが言っていることはほぼ同じ、このトラックに怪物が迫りつつあるということ。その叫びに被さるように響くエンジン音。だがその回転は相変わらず不安定だ。
しかしブラウンはそれを無視し、一気にアクセルを踏み込みクラッチを繋ぐ。大量の混合気を無理やり流し込まれたエンジンが怒ったように咆哮し、傷だらけのドライブシャフトが床下で回転した。
後輪で派手に土を巻き上げ、トラックは勢い良く前へと飛び出す。揺れる車上でブラウンは一心不乱にギアを切り替え、加速を続けた。切り替えの度に荒っぽくクラッチを繋ぐせいで車上の誰もが前後に激しく揺さぶられる。
そして運転席の床下から途切れ途切れに響く異音。エンジンに負けず劣らず重要な部品であるトランスミッションまでもが不調を訴え始めたのだ。

(幸せは一人で、不幸は連れだってやってくるってことかい、クソ!)

髭だらけの顔を歪め、心中でそう吐き捨てるブラウン。だが口には出さない。

(皆の目の前で「何とかしてみせる」と大見得を切ったんだ。いまさら弱音など吐けるものかよ!)

176HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:26:33 ID:SOvPWnV60
次から次へともたらされる凶報。だがそんな状況でもそれぞれが為すべきことを行っていた。
着用している装備の弾薬入れから.55口径徹甲弾を取り出し、抱えている弾倉に装填するウールトン。囲いに括り付けられた金属ケースの中には装填済みの弾倉がまだあるが、予備が多いに越したことはない。
その隣で中腰になり、後を追ってくる怪物の様子を観察するファウナ。運転席のブッシュも装備の弾薬入れを開け、ブリキ製のケースを取り出して空砲カートリッジの残りを確かめている。
そんな一同を乗せ、土煙を立てながら疾走するトラック。運転席のブラウンがハンドルを左右に切る度にその丸っこい鼻面が左へ右へと向きを変え、四つの車輪が残す轍は蛇のようにのたくる。だが怪物が戸惑うことはない。敵機の背後を取った戦闘機のように疾走するトラックに追いすがろうとする。

「だいぶ気に入られていますね」
「嬉しくもなんともありませんけど」

その光景をチラチラと見ながら下手な冗談を飛ばすウールトン。硬い表情を崩さぬまま、一心に怪物を注視し続けるファウナの緊張をほぐそうというのだ。だが砕けた口調とは裏腹にその両手は相変わらず動き、手にした弾倉に徹甲弾を装填し続けている。
いささか品の無い冗談に彼の方を振り向き、呆れたような表情を浮かべるファウナ。だが彼の視線に込められたものに気づき、表情を緩めた。そんな彼女を見てウールトンもまた髭だらけの顔を緩め、頷く。
緊張を解し、次なる戦いに備える荷台の二人。一方運転席の二人の浮かべる表情は相変わらず厳しい。

「ブラウン、もっと出せないか?」
「この状況ではこれで精一杯です」

ブッシュの大声での問いかけに同じく大声で応えるブラウン。二人の目の前にあるボンネットの中ではエンジンが凄まじい音を立てて回転し薄っぺらい鋼板で出来たボンネットを震わせている。
その回転がまた不安定になるがブラウンはすかさずアクセルを踏み込み、エンジンをふかすことで不調をごまかす。

「伍長、怪物の様子は?」
「現在後方約70ヤード(64.0メートル)。追ってきていますが少しずつ引き離しています」

今度は後ろを振り向き、荷台のウールトンに声をかけるブッシュ。すぐさま落ち着いた声で報告が返ってきた。
部下の短いが的確な報告を聞くと動かしていた手を止め、しばし考え込む。

(絶対にここでケリを付けなければならんが、さて、どうしたものか)

その耳に入る異音、エンジンがまた不調を訴えたのだ。

177HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:28:02 ID:SOvPWnV60
(このままだとあいつを十分痛めつける前にエンジンが止まりかねん。だがこの状況で爆薬を使っても仕留めきれるかどうか……やはりもう数回は攻撃を行うべきか)

ひとまずそう結論を出すと今度は思考を切り替え、手持ちの弾薬について思考を巡らす。

(対戦車ライフルについては心配ない、擲弾はこの調子だとちと厳しいが、2ダース全てを使い切る覚悟で撃ちまくれば何とかなりそうだ。よし、これなら……)

結論を出しかけたその瞬間、またしてもエンジンが異音を発する。続けて足元からも異音。今度はかなり大きい。負荷を掛けられ続けたエンジンとトランスミッションがほぼ同時に不調を訴えたのだ。

「クソ、この大事な時に!」

ブラウンの罵声、クラッチを踏み込んでシフトレバーを操作し、ギアをシフトダウン。床下からの異音がおさまるが、速度が目に見えて落ちた。それをアクセルを深く踏み、エンジンの回転を上げることで埋め合わせようとする。
だが、完全に埋め合わせるには至らない。

「…………やむを得ん」

いきなり突きつけられた容赦ない現実、ついにブッシュは決断を下す。

「次で勝負だ! ブラウン、奴を引き離せるか?」
「何とかやってみます! ええい、こいつめっ……」

栗色の髭に覆われた顔をひきつらせ、不平を漏らすエンジンをなだめすかしつつトラックを走らせるブラウン。
そんな彼の罵声を片耳で聞きつつ声をかけると、続いて荷台のウールトンへ命じる。

「頼んだぞ! 伍長は梱包爆薬の用意を」
「! 了解しました」

今度はウールトンが動き出す。荷台の囲いにぶら下げられた背嚢――対戦車擲弾が入っているものとは別のものだ――に手を伸ばし、中の梱包爆薬を手に取ると異常がないかをチェックする。
揺れる車上で的確に作業をこなす彼だが、その内心は違った。

(このタイミングで? 早過ぎる。だが肝心のトラックがこれじゃやむを得ないか)

そんな彼の邪魔にならぬよう無言で作業を眺めるファウナ。昨日の作業で爆薬を扱うことの危険さを教えられた彼女なりの判断だ。だがその整った顔には緊張感が漲っている。
いよいよ憎むべき怪物に止めを刺せる時が来たのだ。
そんな中再加速するトラック、エンジン音もまた大きくなる。グズるエンジンをなだめすかし、何とか調子を取り戻させたブラウンがアクセルを思い切り踏み込んだのだ。
少しづつ詰まってきていたトラックと怪物との距離が再び開き始める。その距離およそ60ヤード(約54.8メートル)。一方怪物には加速するような素振りはない。

178HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:29:47 ID:SOvPWnV60
(どうやら向こうにもそれほど余力はないようだ、それとも俺たちを仕留めるために力を温存しているのか)

荷台から追いすがる怪物を眺めつつそう思考を巡らすウールトン。その手にはチェックを終えた梱包爆薬が3つ。
彼はそのうち2つをファウナへと手渡す。

「こいつをどうぞ、セフティ・ヒューズを痛めないように気をつけて」
「…………はい」

硬い声で短く応えるファウナ。慎重な手つきで爆薬を受け取り、傍にある背嚢に納めようとするが思い直して手に持つ。
その時運転席の方から異音が聞こえてきた、続いて罵声。

「ええい、くそっ!」

その声を切っ掛けとしたように減速するトラック。ブラウンがブレーキを踏み込んだのではない。昨日今日と鞭打たれ続けてきたエンジンがついに音を上げたのだ。
だが流石ブラウン、最悪の結果を避けるべく咄嗟にクラッチを踏み込み、エンジンの異常を局限しようとする。ただでさえ調子の悪いトランスミッションまでもがこのトラブルの巻き添えを食わないようにという彼なりの判断だ。

「やむを得ん。ここで迎え撃つぞ! ブラウン、再始動出来るか?」
「何とかやってみます」

再び停車するトラック、同時にスターターが唸りだす。
予想に反してあっさり息を吹き返すエンジン、だが相変わらず回転は不安定だ。そのうち停止するのは確実だろう。
そんなエンジンには目もくれず先程同様運転席から荷台へと素早く移動するブラウン。ただ荷台へと降り立つ時に一瞬後ろを振り向き、不安定なアイドリングを続けるエンジンを心配そうに見やった。
その彼の前にはウールトンの大きな背中。先程同様対戦車ライフルに取り付き、迫る怪物に狙いを定めている。彼の右肩も対戦車ライフルの強烈な反動でエンジンに負けず劣らず痛めつけられている筈なのだが、今の彼はそんなことなどおくびにも出さない。それとも戦闘による興奮で感覚が一時的に麻痺しているのか。
一方ファウナはその細い両腕で対戦車擲弾の詰まった背嚢と二個の梱包爆薬を抱え、魔法の力を借りてふわりと地面に降り立った。そこには射撃準備を整えるブッシュの姿。先程同様伏せ撃ちの姿勢を取り、ライフルの銃口を斜め上に向けて構えている。ただその高さは怪物が近づいているせいでさほど高くはない。

「伍長、好きに撃っていいぞ!」

駆け寄ったファウナが抱えていた荷物を一旦下ろし、装填作業を行うのを眺めつつ命令を発するブッシュ。それに応えてウールトンは引き金を引いた。
轟音、そしてブラウンが叫ぶ。

179HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:31:59 ID:SOvPWnV60
「命中!」

強烈な反動のせいで痛む右肩と発砲音のせいで痛む耳、その2つの痛みを堪えつつ歯を食いしばり、遊底を前後させて次弾を装填し、再び狙いをつけるウールトン。
一方トラックの側では装填作業を終えたファウナが荷物を抱えて後ろへと下がり、ブッシュの側に位置を占める。

「爆薬を二個渡されました」
「……わかった」

彼女の報告に短く応えるブッシュ。視線は迫る怪物に向けられている。意外な速さで距離を詰めつつあるその巨体には未だに傷らしい傷は見て取れない。

(せめて血でも流してくれればな)

照準を付けつつ心の中でそうひとりごちるブッシュ、そんな彼の鼓膜を再び轟音が震わせた。ほぼ同時に怪物の体表で小さく土煙が立つ。だが昨日と違って怪物は苦しむような素振りは見せない。一瞬動きを止めただけだ。
その瞬間を捉えて擲弾を放つブッシュ。命中。今度は暫くの間怪物の足が止まる。その間に前に出たファウナが擲弾の装填を始め、ウールトンが再度発砲する。こちらも命中。
しかし再び動き出した怪物は今度は怯むことなく前進を続ける。

(まだか……早く……)

射撃姿勢を崩さぬまま迫る怪物を照準越しに睨みつけつつ、ファウナが作業を終わらせるのを待つブッシュ。その焦りを感じ取ったのだろうか、作業を終えたファウナが大急ぎで離れる。すかさず発砲、ほぼ同時に轟く対戦車ライフルの発砲音。
砂色の巨体の上で小さな土煙と爆発が相前後して起こり、怪物の足がまた止まる。

「よし……爆薬を!」

ライフルを置いて膝立ちになり、胸ポケットを弄ってマッチを取り出す。背後に人の気配と呼吸音。薄汚れた布包みが肩越しに差し出された。
ひったくるように受け取ると巻きつけられていたセフティ・ヒューズを注意深く解き、先端を確かめる。よし。

「ブラウン、いつでも出せるようにしておけ!」

荷台を振り向いてそう叫ぶと返答を聞かずに視線を正面へと戻す。怪物の巨体との距離は予想以上に詰まっていた。
内心の焦りを抑えて視線を落としマッチを擦ると、軽い音と共にオレンジ色の炎がぱっと灯った。風で吹き消されぬよう両手をかざし風よけにする。
手のひらの間でチラチラと揺れる小さな炎に内心の焦りが掻き立てられるがそれを押し殺し、揺れるオレンジ色の炎を一纏めにした2本のヒューズの切り口へそっと近づけた。
シュッという軽い音、そして2つのヒューズから同時に吹き出す炎と煙。ほぼ同時に黒色火薬特有の匂いが立ち昇る。
無事に点火できたのだ。

180HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:34:13 ID:SOvPWnV60
小さく息を吐き、マッチを投げ捨てるとまず一つ目を手に取り、立ち上がると腕の力に頼らず体全体を使って投擲する。狙うのは怪物の巨体ではなくその前の地面、ヒューズが燃え尽きるまでの時間を考慮してやや離れた場所に落ちるように力を加減する。
ブッシュの手を離れ、くるくると回転しながら宙を飛ぶ爆薬。だがその行方を彼が確かめることはない。視線を落として二個目の爆薬を拾い上げ、再び投擲、円筒形の包みが回転しながら放物線を描く。
煙をたなびかせるセフティ・ヒューズを尻尾のごとくたなびかせて飛ぶ爆薬。しかしブッシュはそれが地に落ちるのを見届けることもせず、土嚢とライフルを掴んで走り出した。行き先は勿論トラックの助手席だ。
勢い良く助手席に転がり込み、足元に土嚢を放り出すと引き結んでいた口を開いて空気を大きく吸い込む。酸素不足になりかけてた脳が働きを取り戻した。隣のブラウンに命令を下そうと試みるが、その前にトラックは動き出した。
先程とは違うゆっくりとした加速、最早虫の息といった体のエンジンとトランスミッションに無理をさせないようにというブラウンの判断だ。

「ブラウン、もっとだ、もっと急げ!」
「…………」

助手席に身体を投げ出し、切れ切れの声で急かすブッシュに対して無言でアクセルを踏み込むことで応えるブラウン。荷台ではファウナとウールトンが腹這いの姿勢でその時を待っていた。
誰も後方を、そして迫る怪物を見ず、ただ爆薬の爆発から逃れ、そして衝撃から身を守ろうとしていた。

その時が来る。
短いが強烈な爆発音が鼓膜を震わせ、大気と地面を伝わってきた衝撃波がトラックを大きく揺さぶり、軋ませる。
だがそれは予想していたものよりも小さい。
そして幾分の間を置いてまた爆発、同時に爆発するように作られていたはずの爆薬が一同の期待を裏切り、大きくタイミングをずらして爆発したのだ。
慌てて立ち上がり荷台越しに後方を見るブッシュ。その視線の先には一足先に起き上がっていたウールトンとファウナの姿。どちらも背中を向け、後方を凝視している。
その視線の先には横倒しになった怪物の姿、右側面を上に向け、これまで見ることが出来なかった下腹部を晒していた。体の他の部位同様白茶けた色をしたそこには規則正しくびっしりと配置された楕円形の模様が存在し、今もまた不気味にうごめいている。
だが下腹部の前半分はそうではない。
梱包爆薬の爆発をまともに喰らったであろうそこは規則的な模様が惨たらしく潰れ、所々にこげ茶色の斑が出来ている。どうやら傷口から滲み出した体液によるもののようだ。

181HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:35:39 ID:SOvPWnV60
「やったか……だがこれでは」「クソ、セフティ・ヒューズが不良品だったか!」

期せずしてブッシュとウールトンの声が重なる。
切り札を用いた攻撃、その一応の成功にひとまず満足するも与えた傷が致命傷には程遠いことに顔をしかめるブッシュ。一方ウールトンは使用したタイムヒューズの燃焼時間のばらつきがこの事態の原因であることに気付き、製作時にヒューズの具合をしっかり確かめなかった己の迂闊さに腹を立てていた。
計画通りなら今頃怪物は体の下で同時に爆発した2個の爆薬の爆風と衝撃波をまともに喰らい、その巨体には大きな穴が空くか、あるいは2つに千切れていたはず。
だが最初の爆発で怪物が横転してしまったせいで2度めの爆発で生じたエネルギーのほとんどは空中へと逃げてしまい、結果怪物には重傷を負わせたものの、息の根を止めることには失敗していた。

「止めを刺すぞ。伍長、最後の爆薬と『ジャム缶手榴弾』の準備を! ブラウン、反転だ。決着をつけるぞ!」
「了解!」「了解っ、と。…………保ってくれよ」

目の前に突きつけられた不本意な結果、だがブッシュはめげることなく命令を下す。それに応えて行動を起こすウールトンとブラウン。
トラックがぐるりと旋回し、怪物の方へと向き直った。だがその速度は先程とは比べ物にならぬほど遅い。ハンドルを握るブラウンがエンジンとトランスミッションにこれ以上負荷をかけぬよう運転しているためだ。
傷を負った怪物が逃げ出す前に追い撃ちをかけ、息の根を止めようと目論んでいるブッシュにとっては到底歓迎できる状況ではない。だが無言でこらえる。いくらブラウンを急かした所でトラックの故障が直るわけではないのだから。
一方荷台ではウールトンが必要なものを背嚢から順番に取り出しては点検するという行為を繰り返していた。
薄汚れた布包みにしか見えない梱包爆薬、傷だらけの缶にしか見えない『ジャム缶手榴弾もどき』、どちらもだらりと垂れ下がったセフティ・ヒューズを特に念入りに点検する。
もう二度と先程のような、いや、先程以上の失態、つまりセフティ・ヒューズの不具合で爆薬が爆発しないという最悪の事態を未然に防ぐためだ。
だが、その最悪の事態が到来することはなかった。

「クソ、あの野郎!……クソッ!」

叫んだのはブッシュ、その大声に荷台の二人は何事かと視線を巡らす。そこにあったのは昨日と同じようにして逃げようとする怪物の姿だった。
手傷を負った巨体を苦しげに身動ぎさせ、傷を負っていない尾の方を地面に突き立てとしばし蠢かせる。ややおいてその巨体がゆっくりと地中へと潜り込み始めた。
ただその速度は昨日のそれとは比べ物にならぬほど遅い。爆薬により負った傷はかなり深いようだ。

182HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:37:01 ID:SOvPWnV60
「ブラウン、もっと出せないのか?」「申し訳ありませんがこれ以上は無理です!」

息も絶え絶えなエンジンを労りつつ焦る上官の質問に返答するブラウン。その時疲れ果てた新兵が泣き言を漏らすかのようにエンジンが異音を立てた。そのままひとしきり唸ったあと、唐突に停止する。
力尽きた兵士が倒れるようにがっくりと停止するトラック。すぐさまブラウンがエンジンを再始動させようとするが、最早手遅れだった。
怪物の巨体は完全に地中へと消え去り、後に残るは乾いた大地に空いた3つの穴。爆薬の爆発で生じた2つのクレーターと怪物が掘った地下へと続く穴だ。

「………………」

その光景を前に沈黙する一同。先程まで轟いていたエンジン音、発砲音、爆発音、そして叫び声、罵り声といった騒音はパッタリと止み、辺り一帯は静寂を取り戻していた。

「またしても……クソッ!」
「…………」

静寂を破る怒声、ブラウンが毒づいたのだ。荷台ではウールトンが無言で手にした爆薬を背嚢へと戻し、その傍らではファウナが唇を噛み、怪物が消えた穴を睨みつけている。そして助手席のブッシュは放心しきった表情で怪物が消えた穴を眺めていた。
戦闘による疲労と作戦失敗がもたらした衝撃で麻痺した彼の脳がかろうじて思考を紡ぐ。
満を持して挑んだ決戦、だがそれは甚だ不本意な結果に終わった。いや、見方によっては悪い展開とも言える。
対戦車擲弾はかなりの数を消費し、貴重な梱包爆薬は残り1つ。おまけにトラックは心臓部であるエンジンとトランスミッションに故障を抱え込んでいる。
怪物に深傷を負わせたとはいえ自軍の戦力は大幅にダウン。特に移動手段であるトラックの故障を修理できる見込みがほぼゼロという現状では、逃げた怪物を探し出す前にトラックが動かなくなるだろう。
仮に怪物を見つけ出せたとしても、旗色が悪くなればいつでも地中へと逃げられる怪物相手に手持ちの戦力でどうすればいいのだ?

どうすればいい?
どうすればいいんだ?

183HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:40:39 ID:SOvPWnV60
投下終了
次回投下は9月上旬の予定です

勢いに任せて書いてたらとんでもない字数になってた…二万文字が目の前とは
でも最初の頃からこれくらい書けてたらなあ、としみじみと思う

184HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/08(金) 19:38:47 ID:djAoqg920
予定通り明日午後8時から投下を開始します

185HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:00:38 ID:djAoqg920
それでは投下開始します

186HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:04:03 ID:djAoqg920
14、再び、立ち上がる

静まり返っていたオアシスを風が吹き抜けた。
草木がそよぎ、池の水面がかすかに波立つがそれも束の間のこと。風がおさまると先ほどまでの静寂が戻ってくる。だが遠くから響いてきた騒音がその静寂を破る。自然が起こす音とは違う人工音、車両用ガソリンエンジンの駆動音だ。
その騒音が徐々に大きくなり、ついにはあたり一面に響き渡るようになった所でさらに新たな音が加わる。鋼鉄製のフェンダーが灌木を押しのけ、ゴムタイヤがそれを踏み潰す音。比較的大型の車両がその車体で生い茂った草木を押しのけつつ前進しているのだ。
怪物に戦いを挑み、勝てぬまでも深手を負わせることに成功した一行がついにオアシスに帰還したのだ。だがその実情は凱旋という言葉とは程遠い。
戦いで疲れきった4人を乗せ草地をゆっくりと進むトラック。その車体には傷ひとつ無いように見える。だがボンネットの中で動くエンジンの回転は相変わらず不安定であり、何度も苦しげに息をつく。さらに運転席のブラウンがシフトレバーを操作するたびに出る異音。不具合を抱えたトランスミッションが悲鳴を上げているのだ。
そんな壊れかけの車両を運転するブラウン、今四人の中で一番緊張しているのは彼と言ってよいだろう。
青息吐息のエンジンを騙し騙し動かすため、アクセルペダルに乗せた右足とクラッチペダルに掛けた左足に意識の過半を集中し、ほんのわずかな不調も見逃すまいとエンジンの唸りに耳を傾けている。
一方助手席のブッシュは彼とは対照的に表情も体も弛緩しきっていた。隣の有能な部下を信じてリラックスしているわけではない。作戦失敗の衝撃から未だに立ち直れていないのだ。事実彼の視線は前へと向けられてはいるが、その青い両目は何も映してはいない。
そして荷台の床に座り込み、背中を荷台の囲いに預けてだらしない姿勢をとっているウールトンとファウナ。両者の距離は少し手を伸ばせば触れ合えるほどに近いが、その間には未だに沈黙が降りたままだった。
そんな一行を乗せてゆっくり進むトラック。今もまたエンジンが苦しそうに息をつくがブラウンはブレーキをまだ踏まない。
そのまま青草の上を這うような速度で進むと巨木の下で停止、ほぼ同時にエンジンがカットされるとあたりには静寂が戻る。

「ふぅ…………」

大きなため息、ブラウンの口から漏れたものだ。その額を流れる大粒の汗、野戦服の背中や尻の辺りも滲んだ汗で色が変わっている。だがその顔に浮かぶのは疲労の色だけではない。
自分が直面している問題、すなわち故障を抱え込んでいるエンジンとトランスミッションを何とか修理し、元通りとは行かぬまでも何とか走れるようにしようという意気込みがはっきりと表れている。

187HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:05:36 ID:djAoqg920
それは荷台のウールトンも似たようなものだ。
立ち上がり、腰を伸ばすと愛用の武器である対戦車ライフルへと視線を向ける。無言で歩み寄り、重厚な外見の機関部から大きな箱型弾倉を取り外すと装填ハンドルを力を込めて動かし、装填されたままだった徹甲弾を排出、手にした弾倉へ再装填するとそれを運搬ケースへと突っ込み、今度は銃架からライフル自体を取り外しにかかる。
いつも通り、使用した対戦車ライフルの整備に取り掛かるつもりなのだ。
そんなウールトンの仕事ぶりを座り込んだまま眺めるファウナ。ただその顔には疲れ切った者特有のぼんやりとした表情は無く、声を掛けるのを躊躇わせるような真剣さがにじみ出ている。
どうやら彼の作業を邪魔しないよう心がけつつ、何か大きな考えを巡らしているようだ。ただ何を考えているにせよ彼女の表情に陰りが見て取れない所から考えて、それは悲観的なものでないことは確かだろう。
そして、ブッシュ。
相変わらず助手席の背もたれにぐったりと体を預け、床に両足を投げ出して座っている。伸び放題の髭に覆われた顔には疲労、それも精神的な疲労の色が明らかに滲んでおり、その青い目はぼんやりと宙を見たままだ。
時折洩らす大きなため息は、後悔によるものか、それとも前途を悲観してのものか。

「軍曹殿?」

助手席の傍に立つのは一足先に荷台から降りていたウールトン。その後ろにはファウナの姿。どちらも身なりは戦闘時と同様装備を着用したままであり、ファウナにいたっては重いヘルメットを被ったまま擲弾を詰めた背嚢を後生大事に抱え込んでいた。
そんな二人の方をゆっくりと向くブッシュ、ただしその目は二人を見ておらず、相変わらず気の抜けたような表情をしている。
再度声を掛けるウールトン。内心では眼前の上官の有り様に心穏やかではないが、それを顔に出すことは無い。自らも心身ともに疲労した状態でこれをきっちりと成功させているのは見事といえよう。

「軍曹殿、ご命令を」
「……ん? ああ、では伍長は武器の点検と整備を頼む、ブラウンはトラックの整備と故障の修理を」

彼が何度も口にし、二人が耳にした定型的な命令。その声は妙に平板であり、表情もぼんやりとしたままだ。意志も感情もどこかに置き忘れてきた抜け殻と言っていいだろう。
そんな彼の姿を目の当たりにし、程度の差はあれ困惑した表情を浮かべる三人。一方当の本人はその前でゆっくりと立ち上がり、下車すると無言で歩み去る。その足取りは頼りなく、両手には何も持たぬまま。
その見るからに弱々しい後ろ姿が巨木の陰へと消えてもなお、一同は沈黙したままだった。だが口はつぐんでいても思考は違う。それぞれが先ほどの戦いの結末と目の前の現実を受け止め、思考を巡らしている。

188HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:06:55 ID:djAoqg920
無言で伸び放題の髭を撫でつつ、視線を伏せて考えに耽るウールトン。その思考の大半は彼がこれまで支えてきた上官のことに向けられている。

とうとう折れてしまったか。今すぐ後を追って話をすべきか、それとも間をおいて差し向かいでするべきか。
残された時間が少ない以上、彼が立ち直るのをただ待っているわけにはいけないが、さてどうしたものか。

運転席のブラウンもまたあれこれと考えている。ただこちらの思考は自分の上官の行動よりも任されたトラックの修理の方に向いている。

まさかああなってしまうとは、だがこれについてはヘンリーが何とかするだろう。
それよりも問題はこいつの修理だ。限られた予備の部品にありあわせの工具。これでどこまでやれるのか、正直見当がつかない。
まずはエンジンから取り掛かるか。トランスミッションは……いやよそう、とにかく今はエンジンだ。

そしてファウナ。彼女もまたウールトンの背後で黙り込んだままなにやら考え事をしている。
俯いたその顔は被っている皿型ヘルメットのつばに半ば近くまで隠れ、どんな表情を浮かべているのかははっきりとしない。

垂れ込める重い沈黙、ゆっくりと冷えてゆくトラックのエンジンが時折かすかな金属音を立てるが誰一人口を開かず、ただ考え事を続けている。
そんな沈黙を破ったのはやはり彼だった。

「よし!」

重苦しい雰囲気を振り払おうとことさらに大きな声を出し、勢い良く両手で膝を叩くブラウン。パシン、という乾いた音に残る二人が弾かれた様に顔を上げ、視線を転じた。
そんな二人を前に口を開く彼。その口調は沈滞した精神を奮い立たせるためなのか不必要なまでに明るい。

「まあ色々とあるでしょうが、やることをやりましょうや。こうして黙って考えていたって仕事は片付きませんからね」

その声に思案顔だったウールトンの顔がわずかにほころんだ。続いて大きく頷くと言葉を発しかける。
だが先んじて言葉を発した者がいた。

「武器はまだあるのですよね。徹甲弾、擲弾、それから爆薬も」
「?……ええ、仰るとおりまだありますよ。あの怪物相手にもう一戦くらいは可能ですな」

口を開いたのはファウナだった。しかもその内容は残る二人の意表を突くもの。
この思いがけぬ方向からの質問に驚きながらも返答するウールトン。その反応に彼女は満足げな表情を浮かべ、何度も頷くと今度はブラウンに対して質問を投げかける。

「トラックについてはどうでしょうか。かなり酷い状態なのは分かりますが、まだ戦う力はあるのでしょうか?」
「うーん…………中を開けて見ないことには何とも、ただ本調子はもう出せないのは確実ですね」

189HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:08:37 ID:djAoqg920
彼女の問いに太い眉を寄せ、しばらく考えてから答えを返すブラウン。景気の良くない答えに彼女の眉が曇った。
そのまま視線を落とし、黙ったままじっと立ち尽くす。どうやら考え事をしているようだ。やがて彼女の両足が動き出し、草地の上を行きつ戻りつし始める。
そんな彼女を横目で眺めつつ二人の男は顔を寄せ、小声で会話を始める。

「まさか彼女、これから軍曹殿の代わりに指揮を執るつもりじゃないでしょうね」
「それは無いだろう。おおかた軍曹殿のあの有り様を見てここはひとまず私が、と思い立ったという所だろうな」
「なるほど……しかしこの状況でそんな振る舞いに出るあたりは、王女だか女王だかの位にあっただけはある、ということですかね」

彼女の別人のような振る舞いに驚く二人。これは彼女のもって生まれた素質なのか、それとも受けた教育によるものなのだろうか。
首をひねり、あれこれと考えるウールトン。一方ブラウンは唐突に浮かんだ思いつきをそのまま言葉にする。

「もういっそ彼女に指揮を執ってもらいますか?」「おい」
「じょ、冗談ですよ」
「たとえ冗談でもそういったことは口にするもんじゃない」
「……すみません」

向けられた恐ろしい目つきと掛けられたどすの利いた低い声。思わず首をすくめ、次いで慌てて発言を取り繕うブラウン。気まずい雰囲気が二人の間に広がる。
そんな二人の目の前で相変わらず彼女は草の上を行っては戻るということを繰り返している。考えを巡らすことに没頭しているのか二人のやり取りに気付いたような様子は無い。

「とりあえずお前はトラックの修理に掛かってくれ。彼女の相手は俺がする」
「わかりました」

軽く息をついて湧き上がった感情を散らし、短く命じるウールトン。
彼の命令にブラウンは小さく頷き、小走りで走り去る。目指すは複数ある木箱の山の一つ、そこに修理工具と予備の部品があるのだ。
その後ろ姿を一瞥すると未だに草地の上を行きつ戻りつしているファウナの傍に歩み寄り、遠慮がちに声を掛ける。

「考え中のところ、ちょっと失礼します」
「? ええ、どうぞ」

考え事を邪魔される格好になった彼女、一瞬虚を突かれたような表情を浮かべるが、嫌な顔一つせず目の前の男との会話に応じる。

「その、お願いがあるのですが」
「出来ることでしたら、何なりと」

相手が民間人(厳密に言えば『人』ではないが)であることから、あくまで要請という体裁をとる彼。彼女もまた穏やかに応じる。

190HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:10:43 ID:djAoqg920
「ここは私たちがやりますから、軍曹殿のことをお願いできませんか?」
「…………彼のことを、ですか」

しばしの沈黙の後に返された返答、それは疑問型ではなかった。だが承諾を意味するような声音でもない。事実彼女の緑色の両眼は目の前の男が何を考えているのか探るような色を湛えている。

「……その件についてはあなたの方が適任なのでは?」
「正直に言って、私と軍曹殿の間には『壁』があります」
「『壁』なら彼と私の間にもあります。重ねて言うなら、私と彼の間にあるそれはまず間違いなくあなたたちの間のそれよりも厚く、高い」
「あなたはそう仰るが、私はそうは思えんのです。そう、昨夜のあの一件を聞いてしまった後では」

ウールトンの発言、それは己が為してしまった悪事についての実質的な告白だった。
彼女の澄んだ眼に怒りの色が微かにちらつき、眉間に一瞬縦皺が寄った。同時に形の良い唇が強く引き結ばれる。良からぬ行為に他するごく当たり前の反応、次に来るのは非難の言葉か、それとも平手打ちか。

「なるほど、わかりました。あなたほどの方がそう考えておられるのなら引き受けましょう」

あっさりと怒りの感情を引っ込め、承諾の意を告げるとそのまま歩み去る。その足取りはやや早い。うわべは平静を装っているがやはり内心穏やかならざるものがあるのだろうか。
だが、罵声の一つも浴びせられるだろうと内心身構えていたウールトンからすればこの反応はいささか拍子抜けするものだった。
遠ざかる彼女の背中、相変わらず借り物の装備を身に着け、頭にはヘルメットを被ったままだ。そんな彼女を見送るウールトンの脳裏に、結構長い時間あんな格好を続けているのにつらくはないのだろうか、という場違いな思いがぼんやり浮かんだ。
そんな取り留めの無い思考を聞きなれた声が吹き飛ばす。

「いいんですか?」
「ああ、少なくとも時間の経過に頼ったり、俺やお前がやるよりはな」
「男には女が必要、ということで?」

重ねて投げかけられた品の無い質問にまあそれもあるな、と答えて振り向くと、大きな木箱を抱えたブラウンが意外な程近くに立っていた。

「それに二人はある意味『似たもの同士』でもあるからな。さて、始めるか」

物問いたげなブラウンの表情を敢えて無視。話題を打ち切り、歩き出す。目指すは彼女が置いていった背嚢だ。

「擲弾の残りはひいふうみい……っと、九発か、意外と使ったんだな。あとは梱包爆薬と例の『ジャム缶』が一つづつ、ああ焼夷弾もあったな」

カーキ色のくたびれた背嚢の前にしゃがみ込み、中を引っ掻き回しつつ独語するウールトン。その手がしばし止まり、ややあってまた動き出す。

191HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:12:06 ID:djAoqg920
「残りの手榴弾もバラしてもう一つ『ジャム缶』を拵えるか。あとは焼夷弾も……ああ、エンジンオイルが必要だな。うーむ…………」

今度は背嚢を抱えて立ち上がり、ぶつぶつ言いながら歩き出す。行き先は幾つかある木箱の山の一つ、武器弾薬の箱を纏めたものだ。
途中で荷台から対戦車ライフルを降ろすと肩に担ぎ、目的地まで行き着くと山の中から複数の箱を引っ張り出して空け、取り出した中身をあれこれといじくり始める。
一方ブラウンは開けたボンネットに上半身を突っ込み、全部で六つある点火プラグを専用のレンチで一つ一つ外しては状態を確かめ始めた。
彼の背後には予備の部品と工具が詰め込まれた木箱。手の届く所にはワイヤーブラシやボロ布といった細々とした物が並べられており、薄汚れ、汗が滲んだ上着のポケットは細々とした物で膨らんでいる。

「これはまあ良し、こいつは……交換かな。ああ、こいつは駄目だ。こいつは…………」

煤で黒く汚れた電極をワイヤーブラシで掃除し、明らかに使い物にならないものは予備のプラグと交換。プラグの数自体が少ないこともあり作業自体はさほど時間を費やすことなく終わる。
だがこれは手間のかかる整備作業のほんの始まりに過ぎない。

「ああくそ、埃だらけだ。昨日きっちり掃除したってのに……こりゃキャブレターもどうなってることやら」

今度はエアクリーナーから埃だらけのエアフィルターを外しつつ愚痴るブラウン。次はこの埃だらけの物体をガソリンに漬けて汚れを落とすのだ。
バケツ代わりの『フリムジー』にガソリンが注がれ、フィルターが放り込まれる。その中に手を突っ込み、使い古されたフィルターを傷めないように注意しながら揉み洗いをするブラウン。気化したガソリンの悪臭が立ち昇り、透明だったガソリンが汚れで色付きはじめる中、彼はふとつぶやく。

「ああ、ディストリビューターとオイルの具合も見なきゃな……エンジンオイルも取り替えるかな」

時々揉み洗いをやめて汚れの落ち具合を目視で確認、大方落ちたところでフィルターを軽く絞って離れたところに干す。あたりに火の気は無いが、万が一の可能性を考慮しての行動だ。
ついでにトラックの周囲をぐるりと一周し、足回りの状態を確かめる。

「タイヤ交換は……いや、大丈夫か。サスペンションも心配なさそうだな。さて……」

何もかも忘れて目の前の仕事に没頭するブラウン。その目の前には山ほど仕事があり、終わりはまだ見えない。武器弾薬を前に休むことなく手を動かすウールトンも似たようなもの。だが彼の行動はブラウンとは僅かに違った。
作業の合間合間に手を止めてぽつりとつぶやく。

「頼みましたよ、ファウナさん……」

192HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:13:29 ID:djAoqg920
静まり返っていた池の水面に水音とともに同心円状のさざ波が立ち、水面に映っていた像を崩す。
池のほとりに座り込んだブッシュが小石を投げ込んだのだ。
英国陸軍の軍曹であり、特殊部隊であるLRDGの一員である彼。だが今は髪も髭も伸び放題の、敗北に打ちひしがれた一人の孤独な男でしかない。
伸ばしていた腕を下ろし、再び水面を見つめる彼。その耳が聞きなれた音を捉えた。シヴォレー・トラックのエンジン音、ブラウンがエンジンの試運転をしているのだろう。その近くではウールトンがいつも通りに武器の手入れをし、そしてファウナは二人の求めに応じてあれこれと動き回っているはずだ。
だが、自分はここに黙って座り込み、いまだに吹っ切れていない家族の死や未知の土地で自分が指揮を執らねばならないと言う重圧、そして敗北の衝撃で乱れに乱れていた心を落ち着けるべくただ時を過ごしている。
幸い彼の心は今は幾らか落ち着きを取り戻している。が、彼の心の底にわだかまっていた自己嫌悪という汚泥はその落ち着きかけの心を乱し続け、後悔という名の毒がそれに拍車を掛けていた。

(何がいけなかったのか……情報不足、作戦の欠点、装備の不足、それとも単なる不運なのか)

大きくため息をつき、続けて深呼吸。オーバーヒート気味の頭に酸素を送り込む。

(爆薬を投擲するなんて不確かな手段よりも、一纏めにして地雷のように扱うべきだったか。それとも……)

戦闘の一部始終を思い起こしつつあれこれと思考を巡らせる。だが満足の行く答えは出ない。
またしてもため息をつき、宙を仰ぐ。大きく広がった巨木の枝葉とその向こうの青い空が視界一杯に広がった。

(いや、過ぎたことをあれこれと考えるよりこれからだ、これからの事を考えねば。だがどうする? この状況でどうすればいい?)

一人で苦悩を抱え込み、鬱々とするブッシュ。人知の及ばぬ不可思議な出来事により指揮官という孤独な立場に望まずして就いてしまった彼の精神状態は不健康を通り越し、病気と呼ぶべき状態へと進行しつつある。
だがその感情を共有するものがいた。
ファウナ、ウールトンの助言に従いブッシュの元へと向かった彼女は真っ直ぐ彼の傍らに向かわず、昨日の尋問の際に用いた魔法で彼の様子を窺っていた。
彼女が読み取ったブッシュの心、その中では彼女が過去に幾度となく抱いた感情が吹き荒れていた。
後悔、自己嫌悪、逃避、その他ありとあらゆる負の感情。
だが彼はそんな己の心を何とか落ち着かせ、何故あの怪物を仕留められなかったのか、より良い手段は無かったかを考え、さらにこれからどうすべきかを考えようと努めている。
意を決し、そんなブッシュに背後から歩み寄る。だが己の思考に深く沈みこんでいる彼は何の反応もしない。
その状態はれは彼女がブッシュのすぐ背後に立ち、ためらいがちに声を掛けるまで続いた。

193HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:14:53 ID:djAoqg920
「あのう……」「!」

遠慮がちに掛けられた小さな声。だが反応は彼女が予想していたより激しいものだった。
座り込んでいた彼の体が驚くほどの速さで向きを変え、そのままタックルを仕掛けてくる。両腕が腰に回され、下腹に肩がぶつかった。そのまま押し倒される。

「くぅっ!」

魔法を発動させて身を守る暇はない。とっさに背中を丸め、両腕を動かして受身を取ろうとするが不十分。幸い身に着けていた装備と青草がクッション代わりとなり、また脱げ落ちたヘルメットのライナーが運よく後頭部を守ってくれたため体にさしたるダメージは無い。
だが背中を襲った衝撃のせいで息が詰まり、涙が出てくる。その涙で滲んだ視界に映る人影、ブッシュだ。口と目を大きく見開き、己の押し倒した相手の正体、そして自分がしでかした事に驚愕している。

「申し訳ありませんでした、つい……」

慌てて彼女から身を引き剥がし、詫びの言葉を述べるブッシュ。その言動からは彼女の振る舞いに問題があったとはいえ、女性に対してこのような行為に及んでしまったことを後悔しているという態度がはっきりと見て取れた。
そんな彼の目の前でファウナは咳き込みつつもなんとか深呼吸を行い息を整えると、いえ私こそ失礼な真似を、とだけ応え、また咳き込む。

「ところで、何故ここへ?」

彼女の具合が落ち着いたところで気を取り直し、質問を行う彼。ただしその声と表情には疑問よりも何かを確認するような色合いが濃い。

「ウールトン殿に頼まれたからです」

短く、はっきりとした返答。だがそれを耳にした彼の表情に驚きの色は全く無い。
部下の二人がブッシュのことをある程度知っていたように、ブッシュもまた彼の部下のことを知っている。特にあの年上の伍長が自分に対して信頼と期待(自分には過分なものだ)を寄せていることに彼は気付いていた。
だが続く言葉に彼の表情が微妙に変わる。

「そして、私自身もこうすることを望んだからです」
「何としても私に立ち直ってもらわないと困る、ということですかな」

まあ、こんな情けない男でも一応指揮官ですからね、と自嘲するブッシュ。彼の頭には己を取り繕い、体面を保つという発想はもう無い。
大きなヘマをしでかした情けない男が幾ら体面を取り繕ったって、誰が相手にするものか。そんな捨て鉢な感情が彼を突き動かす。
だがファウナはそんな彼を真っ向から見据え、はっきりと言い切った。

「ええ、あの方たちにとってあなたはかけがえの無い人ですから。重ねて言うなら私にとってもそうです」

あまりにもはっきりとした肯定の言葉に一瞬言葉を忘れる彼の前で彼女は再度口を開き、滔々と語り始める。

194HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:16:23 ID:djAoqg920
「そもそも、あなたはあなた自身が思っているほど無能でもなければひ弱でもありません。そもそもあなたが所属する部隊はそんな人間を受け入れるような所ではないのでしょう?」

この状況で一体何を言い出すのか、とでも言わんばかり表情を浮かべる彼の前でそう指摘する彼女。その表情は真剣そのものであったが、それ故何処となく滑稽な雰囲気も醸し出していた。
だがそれを見て笑うような心の余裕は今のブッシュには無い。

「昨夜あなたから聞いた言葉、あれはあなたの父上が仰ったものですね」

今度は話題をいきなり転じ、昨夜彼が彼女に語ったことについて指摘する。
事実は彼女の言う通りなのだが、そのあまりにも決め付けじみた発言に思わず反論しそうになる彼。だか彼女はその暇を与えず喋り続けた。

「嘘即ち悪、と考える者もいるのでしょうが、弱さを隠し、強者であるように振舞うことを私は立派なことだと考えます。人の上に立つ立場であるならば、特に」
「隠し事は立派なことじゃありませんよ。それはあなたも理解していることでしょう」

やっと反論の切っ掛けを見出し、過去の彼女の行いを遠まわしに批判するブッシュ。それに対して彼女は自嘲交じりの笑みで応えた。

「ええ、あの時の私は実にみっともない姿だったでしょうね。でもそれでわかったんです」

言葉を切って息を継ぎ、己の言わんとすることを口にする。

「本当に『弱い』者は、己の弱さを隠して見た目を取り繕うことすら満足に出来ない、と」

そう言い終えると無言で彼の様子を窺うファウナ、ブッシュもまた言葉を発さない。ただその顔にはいったい何が言いたいのか、と言わんばかりの表情が浮かんでいる。

「あなたは父上の言葉に従って弱さを隠し、強さを装ってきた、そう仰いましたね」

短い沈黙を破り、再び話し出す彼女。ただし今度は彼の顔を直接見るようなことをせず、視線を伏せ気味にして何かを考えるような表情をしながら言葉を紡ぐ。

「ですが見せ掛けだけの人物が本物の強者たちと肩を並べて戦えるものでしょうか」

投げかけられた疑問、だが答える前に再び彼女は口を開く。

「あなたは弱いのではなく、自分の強さにまだ気付いていない、私はそう考えます」
「自分のことが分かっていない、というわけですか」

彼女の発言に同意し、まあ確かに人が一番分かっていないのは己自身である、などという言葉もありますね。と言い添えるブッシュ。ただその口調にはどことなく揶揄するような響きがあり、青い両目には突き放すような色が滲んでいる。
出会ってから一日程度しか行動を共にしていない彼女、その指摘をそのまま受け入れるほど彼は能天気ではないし、そもそもそんな彼女が自分の何を知っているのだ、という思いもある。

195HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:18:08 ID:djAoqg920
「あなたの父上がなぜあのような事を仰ったのかは私には分かりません。ですが私が思うに、強いものを真似させることで、あなたに強さを身に着けさせようとしてたのではないでしょうか」
「…………つまりこの私は『強いふり』を続けているうちに、本当に『強く』なれた。だが私自身はそれに気が付いていない。貴方はこう仰りたいわけですね」

目の前の彼女の一連の発言をそう纏めると、最後に呆れたように鼻を鳴らすブッシュ。
彼の髭だらけの顔には正直信じられない、とでも言わんばかりの表情が浮かび、両腕は落ち着かない内心を反映してかぶらぶらと振れ回っている。

「強いふりをしていれば強くなれるなんて、何の冗談です?」
「ですが『真似る』ことは『学ぶ』ことでもあると私は教えられました」

その一言にブッシュのまなざしが疑いを込めたものからが真面目なものへと変わる。
父の言葉に従い、『強さ』を装い始めた時、彼は自分の知る歴史上の偉人や英雄の発言や行動を手本にして自分のイメージする『強者』を演じてきた。
さらに軍隊では古参兵や優秀な連中が様々なことを『上手に』やっていることを横目で盗み見て真似る。武器や装備の手入れ、兵営での、そして戦地での生活。教本や訓練では教えられない様々なことを彼はそうやって自分のものにしてきた。
そしてそれはLRDGに志願してからも変わらない。
砂漠という苛酷な環境で命をつなぎ、戦い続けるために古参隊員たちが行うことを積極的に真似て身に着け、己の血肉としてきたのだ。

「……なるほど。つまり強さを装うということは強者を真似ることであり、それは結果として真似た者を強くする。あなたはそう仰りたいわけだ」
「ええ、その通りです」

ブッシュが出した結論を短い言葉で肯定するファウナ。その眼差しは彼の両目をしっかりと捉えている。
ぶつかり合う青と緑の視線、結局根負けしたのは青の方だった。

「屁理屈で言いくるめられたような気がするのは気のせいですかな?」
「確かに、私の言っていることは筋道が通っているかどうかも怪しいですし、賢い者から見れば穴だらけの論理でしょう」

ため息とともに今の心境を洩らすブッシュ、その表情は呆れと諦観、そして苦笑がない混ぜになった奇妙なものだった。そんな彼を見つめるファウナもまた、苦笑と呆れを混ぜ合わせた妙な笑い顔で応じた。
二人の間に流れる重苦しい空気に陽光が差し込み、わだかまっていた闇がゆっくりと散ってゆく。

196HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:19:32 ID:djAoqg920
「確かに冷静になって考えれば屁理屈の類でしかありませんな。ですが……」

気を取り直して彼女に視線を注ぐブッシュ、その表情には諦めや後悔といった暗いものはもう無い。

「言っていることの是非や整合性はさておき、そうやって私を力づけようとしてくれたあなたの情熱と努力には敬意を表します」

そう言うと腰を折り、目の前の女性へ向けて深々と礼をする。

「誠に、有り難う」

短い、しかし心からの感謝の言葉。
彼女はそれをしっかりと受け止め、心へと刻んだ。だがそんな彼に一言言うことも忘れない

「その言葉を必要としているのは私だけではありませんよ」
「……分かりました」

苦い薬を飲んだ時のような表情、だがそれをすばやく収めるブッシュ。正常な働きを取り戻した彼の思考は怪物との再戦に向けて回転を始めている。
手持ちの戦力と残された時間を確認し、さらなる情報を求めて彼は口を開く。

「ところで、あの怪物について何か情報はありませんか。特に居そうな場所が知りたいのです」
「…………以前も話しましたがどこに居るのかについては分かっていません。どこかに巣があるはずだと考えて探そうとした者も過去にはいたのですが、果たせませんでした」

しばらく考えた後質問に回答するファウナ、その表情は思わしくない。
そんな彼女の前でブッシュは再び思考を巡らせる。

「地下、地下を移動するって事はロンドンの地下鉄みたいにトンネルをあちこちに掘ってるってことだ。そいつがどうなってるか分かればいいんだが……ん?」

ぶつぶつと独り言を洩らしながら視線をさまよわせる彼、その視線がある一点で止まった。澄み切った水をたたえた池の底、そこではゆっくりと湧き出す地下水が積もった砂を巻き上げている。

「涸れた地下水脈もトンネルになるな……狭くて通れなかったとしても一から掘るよりは手間はかからん。ひょっとすると広い空間だって……」
「聞いたことがあります。河は地上にあるだけではなく地下にもある。このような巨木が乾季になっても枯れないのは、地下深く張った根でそこから水を吸い上げているからだ、と」
「巨木がある場所には地下水脈が、それもかなり太いやつが通じているということか……」

二人の顔が真剣さを増す。反撃の糸口になる手がかりが掴めたのだ。
地中へと姿を消した怪物の居場所をこの手がかりを元に特定し、彼女を囮に再びおびき出す。いや、もしかすると接近した時点で向こうから姿を現すかもしれない。
二度の戦闘の結果深傷を負い、間違いなく弱っているであろう怪物にとってファウナの存在は衰弱した人間にとっての栄養剤のようなもの。飛びついてくる公算は非常に高い。その瞬間を捉えて強烈な攻撃を加えれば必ずや止めを刺せるだろう。

197HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:20:43 ID:djAoqg920
「そういえば一昨日の偵察の時に枯れた巨木を見たな。もしかしたら……」
「それはあちらの方角ですか? でしたらその木はここから一番近い巨木です」

利き腕を上げある方向を指差す彼女。それを見たブッシュの表情が劇的に変化する。

「ええ、その通りですよ。こいつは……大当たりかな?」
「あれほどの深い傷を負っているのです、そう遠くには逃げられないはずです。間違いありません」

ブッシュの推測をはっきりと支持するファウナ、その声は大きく、表情には興奮の色がはっきりと現れていた。その度合いはこのままだと一人で怪物相手に突撃を仕掛けるのでは、とブッシュに思わせるほど濃厚である。そんな彼女を落ち着かせるべく、敢えて水を掛けるような意見を提示する。

「ですがこれはあくまで推測でしかありません。そうではない可能性も十分にある」
「…………そういえば、そうでしたね」

今度は冷静さを通り越し、目に見えて落ち込む彼女。それを見て苦笑しつつブッシュはまた声を掛ける。

「いずれにせよこの件は私たち二人だけで議論しても不十分です。二人の意見も聞かなければ」
「仰るとおりですね、それでは早速」

それだけ言うと早足で歩き出す。途中落としたヘルメットの近くを通るが目もくれない。明らかに怪物との再戦で頭が一杯になっているのだ。そんな彼女の後を苦笑しつつブッシュは追う。
そんな今の彼が纏う空気には先ほどまで濃厚に含まれていた暗い、後悔と自己嫌悪の成分はもう無かった。




「……もう少し右の方をお願いします」
「これでいいか?」「はい」

巨木の投げかける影の下、肩を並べてエンジンルームを覗き込んでいるウールトンとブラウン。ブラウンが工具を掴んだ手を複雑に入り組んだ部品の陰に突っ込み、慎重に動かす。一方ウールトンはそれを別方向から懐中電灯で照らしている。
そんな二人の耳がある音を同時に捉えた。
複数の人間が草を踏んで近づくときに出る特有の足音、それが何を意味するのかを二人は知っていた。作業の手を止め、ほぼ同時に振り返る。
そこに居たのは自分たちの上官とほんの少し前に出会い、反発し、協力し、そして今は戦友となった女性。どちらの顔にも決意と精気、そして闘志が漲っている。
そんな二人の男女の発する何かに当てられ、二人の男は意識することなく姿勢を整えた。曲げられていた膝と背筋が伸び、伸ばされた両腕が体側にぴたりと当てられる。

198HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:23:04 ID:djAoqg920
「二人とも心配を掛けてすまない。だがもう大丈夫だ」

先に口を開いたのは自分たちの上官、その一言に二人はちらりと視線を交わし、意味深な表情を浮かべた。上官自身はその行為の意味するものに内心で気付くが、そのまま話し続ける。

「ファウナさんとの話で怪物の居場所についての手がかりが掴めた。これについては後で皆と詳しく話し合いたい」

一呼吸置き、力をこめて言葉を放つ。

「もう一度、あいつと戦う。今度はこちらからあいつの居場所に殴り込みを掛けるんだ」

その一言に喜色を浮かべる二人。攻撃という言葉、それはどんな時でも戦う男達の血を熱くするのだ。
そんな彼らにブッシュは質問する。

「状況はどうだ? 作業はどこまで進んだ?」
「エンジンについては手は尽くしました、幸い何とかなりそうです。トランスミッションについてはトップギアを使わず走行すればまあ大丈夫でしょう。他の部位については異常ありません」
「対戦車ライフルの整備は終わりました。現在手榴弾を幾つかばらして『ジャム缶』を製作中です。これが完成後焼夷弾の作成も行う予定です」

二人の簡潔な報告を聞き、大きく頷くブッシュ。
表情を引き締め、はっきりと宣言する。

「どのような結果が出るにせよ、次が最後の戦いになる」

そこで大きく息を吸い、言葉を発すると被っていたシュマグを取り、深々と頭を下げる。

「皆の力を私に貸してくれ、頼む」

再び頭を上げた彼が目にしたのは差し伸べられた三本の手。二つは油に汚れた節くれだった男のもの、一つはほっそりとした女性のもの。
彼は両手を差し出し、それを無言で握り締めた。

199HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/09/09(土) 20:25:42 ID:djAoqg920
投下終了
次回投下は10月中旬の予定です

200名無し三等陸士@F世界:2017/09/11(月) 19:02:07 ID:9PAHAzu60
投下乙でした

201HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/19(木) 20:39:21 ID:PWWuALII0
諸事情により投下時期を今月中旬から下旬に変更します
皆さん、もうしばらくお待ちを…

202名無し三等陸士@F世界:2017/10/24(火) 00:48:15 ID:Z7mT7VDw0
投下乙!

203HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/26(木) 20:59:44 ID:PWWuALII0
お待たせしました
明日午後8時より投下を開始します

204HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:00:50 ID:PWWuALII0
それでは投下開始します

205HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:02:33 ID:PWWuALII0
15、最後の戦い

荒れ果てた大地に落ちる影がゆっくりと伸び始める、だが夕方と呼ぶにはいささか早い今。赤みを増し始めた太陽が西の空のやや低い位置から光を投げかけてきていた。
その光を浴びながら目的地へとひた走るトラック。四つの砂漠用タイヤが乾いた土を巻き上げ、後方に轍を残す。エンジンは今のところ快調に回転しており、トランスミッションにも明らかな異常は出ていない。
そして車上には四つの人影、それぞれが定められた場所に腰を落ち着け、目的地までの短い時間を自分なりのやり方で過ごしている。
運転席のブラウン、いつも通り前を見て運転に集中してはいるが、時折視線を転じて周囲の光景を観察している。ただしその挙動には周辺警戒というより観察の色合いが濃い。
その背後、荷台の前端に後ろ向きに並んで座っているウールトンとファウナ、顔を寄せ、様々なことを話し合っている。
話題は銃の取り扱いの際の注意点や射撃のコツに始まり、歴史や戦争、果ては個人的な物事にまで及んでいる。ただ話すのはもっぱらウールトンであり、時折その合間にファウナがあれこれと話す、といった体裁だ。
その二人の前でいつものように助手席に腰を下ろすブッシュ。今は背もたれに背中を預け、目を閉じて何か物思いに耽っている。最後の戦いに臨む前にこれまでやったことを反芻し、手抜かりがなかったかどうかを確認しているのだ。


彼がファウナの励ましにより自分を取り戻した後、一行はまず作業中であったトラックの修理と整備を完了させ、試運転を行った。
この時作業を実質的に取り仕切ったブラウンが手持ちの予備部品やエンジンオイルなどを惜しげもなく使ったため、しばらく前までは息を引き取る寸前の老人のようであったエンジンはかつての好調さを取り戻す。
以前のような勢いの良いエンジン音を轟かせるトラックの前で修理の成功を喜びあう一行、だが当のブラウンはそんな明るい雰囲気を「そう見えるだけですよ」という一言であっさりと否定する。
さらに「エンジンは今は好調でも結局は応急処置ですからね。それにトランスミッションは相変わらずあの調子ですし」と、言いにくい、しかし避けて通れない重大な問題を指摘する。
もっとも目の前の仲間達の反応に自分が少々言い過ぎたと気付いたらしく「まああいつと白黒付けるまでは大丈夫ですよ。何かあったらその時は私が何とかします」と言い添えると髭だらけの顔を緩め、オイルで黒く汚れた拳で胸を叩いた。

206HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:04:22 ID:PWWuALII0
そんな一行が続いて取り掛かったのは武器と弾薬の用意だった。
だがこちらはウールトンの手際の良さもあってやることは少ない。せいぜい解体済みの残りの手榴弾の炸薬から新たな『ジャム缶』を拵える程度。なおウールトンが考えていた二個目の焼夷弾の製作は必要な材料の一つであるエンジンオイルが残り少ないため結局断念されていた。
これは先ほど行われたトラックの整備でブラウンがストックしてあった部品や消耗品を惜しげもなく使用したためである。

「私のせいです。整備の際にもっと考えて物資を使うべきでした」
「いやそれなら私が前もって一言言っておくべきでした」
「だが結果としてトラックはいい具合に仕上がった。代わりにこいつでもう一つ梱包爆薬を作るとしよう」

異口同音に謝罪と後悔の言葉を並べ、申し訳そうな顔をする二人の部下の前で事も無げにそう言うブッシュ。その手にあったのは残り九発となった対戦車擲弾の一つ。その円筒形の弾頭には5.5オンス(およそ156グラム)の高性能爆薬が充填されている。これをすべてかき集めればざっと3ポンド(約1.4キログラム)になる計算だ。
勿論かき集めるといっても取り扱うのは高性能爆薬、パン生地や粘土をこね回すようなわけには行かないが今の彼らにとってその危険は瑣末なことであった。
だがその決断に二人は相次いで顔色を変える。

「貴重な擲弾を……」「それは流石にまずいのではないでしょうか?」

だが部下の懸念をブッシュは一笑に付した。

さっきの戦闘での擲弾の命中率を覚えてるかい。まああれは私の腕のせいもあるんだが、酷いものだろう?
それにあいつはどてっぱらに大穴を空けられて命からがら逃げ出している。次の戦いはそんな状態のあいつが相手だ。
その時必要なのは当たるかどうか怪しい擲弾じゃなく、戦車でも一撃で仕留められる梱包爆薬だよ。

一息にそう言うと最後に力強い笑みを浮かべ、こう言い放つ。

「俺達の置かれた状況は控えめに見ても褒められたものじゃないが、奴はそれ以上に追い詰められている。今必要なのはあのしぶといろくでなしの息の根を止められる強力な一撃だ」

その一言で流れは決まり、一同は再び危険な作業に没頭することになる。
幸い解体された擲弾の弾頭から充填された高性能爆薬を慎重に取り出し、一纏めにして手頃な空き缶へと詰め込む作業はそう長くはかからなかった。

207HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:06:57 ID:PWWuALII0
手榴弾を解体した時の経験が活きた事、擲弾自体が戦時急造兵器であるせいか極めて単純な構造をしていたこと、そして充填されていた爆薬が比較的安定性の高いペントライト爆薬だったことなどが理由である。
もしこの条件が一つでも欠けていれば(例えば充填されていた爆薬が不安定なことで知られるピクリン酸ベースのリッダイト爆薬だった、とか)、ここまで迅速に作業を進めることは出来なかっただろう。
そして仕上げはトラックへの武装の再設置であった。
「梱包爆薬による肉薄攻撃を行う隙を作るためにはトラックから絶え間なく攻撃を加え、奴の注意を引き付け続ける必要がある」というブッシュの指摘に従い、一旦取り外されていたルイス軽機関銃が再設置される。ただし設置場所は以前と同じ助手席前ではなく、荷台の左側面やや前寄り、ちょうど対戦車ライフルと横並びになる位置だ。
これは対戦車ライフルの操作をなるべく妨げず、かつ右利きの射手が後ろを向いて射撃する際の事を考えた結果である。この位置ならば射手同士の意思疎通に障害はないし、発砲時にばら撒かれる熱い空薬莢は荷台の外へと飛び出していくからだ。
そしてその射手には唯一手が空いているファウナが選ばれ、簡単な訓練を受けることとなる。

「――銃床をしっかりと肩付けする、撃つ時まで引き金には指を掛けない、射撃の際は間をおいて短く連射する、機関部は熱を持つので弾倉交換の際は注意して行う。これでよろしいでしょうか?」
「初めてでそれだけ覚えられれば上出来ですよ。それじゃちょっと撃ってみましょう」

かくして教官役のウールトンの指導の下、銃を扱う際の注意点やこつを教えられ、仕上げに空っぽの『フリムジー』を的に機関銃を撃つファウナ。静かなオアシスに続けざまの破裂音と連続した機械音を響かせ、弾倉一つを空にしたところでそれは終わる。
その初めての射撃は可もなく不可もなし、といった具合の出来栄えであった。

「時間が無いので訓練はここまでです。あと先ほど私が言ったことをくれぐれも忘れないように。持ち場は私のすぐ傍とはいえ、いざ戦闘になれば皆自分のことで手一杯ですからね」

彼女が撃った銃弾で穴だらけになった『フリムジー』を前にそう言って訓練を締めくくるウールトン。その言葉にファウナは初めての射撃という行為のせいでやや興奮気味だった表情を引き締め、はい、とだけ応える。
そんな二人を見て頃合い良しとブッシュは命令を下した。

「では諸君、出撃準備に取り掛かるとしよう」

208HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:08:52 ID:PWWuALII0
その一言に再び慌しく動き出す四人の男女。機関銃と対戦車ライフルの弾薬を詰め込んだ木箱が荷台へと載せられる一方でトラックに再度の給油が行われる。重たく扱いづらい『フリムジー』が一つ、また一つと空になり、荷台では空っぽの弾倉に弾薬が装填され、金属ケースや携行ポーチへと収められた。さらにブラウンからの要望を容れ、修理工具と予備の部品が箱詰めにされ、積み込まれる。
だがそういった準備作業も程なくして終わり。一行は再び車上の人となった。
運転席に納まったブラウンがいつものようにスターターを操作するとエンジンが息を吹き返す。元気良く回転するエンジンが出す騒音がオアシスに響き渡った。

「いけねえ」「どうした?」「何か忘れたことがあるのか、ブラウン?」

その騒音を貫いて唐突にあがるブラウンの叫び声、反射的に彼のほうを向く三人。真剣な表情の彼らに向け、当のブラウンはいささか恥じ入るような表情を浮かべつつ応える。

「いやその、飯を食うのを忘れましたよ」

事実彼の言う通り、一行は朝食を食べてから固形物は口にしていない。怪物との戦闘を終えてオアシスへと戻る途中に水筒からぬるい水を飲み、喉の渇きを癒した程度だ。
戦闘による興奮と再戦に向けての精神の高揚がもたらした副産物と言えよう。

「じゃあ帰ってからたらふく食おう、それでどうだ?」
「今夜はご馳走というわけですか、いいですね」

ブッシュの提案に真っ先に応えたのはウールトン。ぼさぼさの眉の下の目が細められ、伸び放題の髭の間から黄ばんだ歯が覗く。残る二人も釣り込まれるように笑みを浮かべた。
かくしてオアシスを後にし、傷ついた怪物が恐らく身を隠しているであろう枯れた巨木目指して一行は出発する。
その後南の空を離れた太陽の光を浴びつつ荒れた大地をトラックでひた走った彼らの目の前に、目的地である枯れた巨木がその無残な姿を現しつつあった。

「昨日の偵察の時に遠くから見ましたが、改めて見ると無残なものですね」

ブラウンの言葉通り、それは無残な光景だった。
かつては自分たちが拠点とするオアシスの巨木同様生命力に満ち溢れた姿をしていたであろう巨木。だが今は枯れ果て、四方に張り出した枝には枯れ葉一枚すらなく、赤みを帯びつつある陽光を浴びたその姿はどことなく禍々しさすら感じさせる。周囲の地面は乾ききった土がむき出しになっており、生命の痕跡を感じさせるものは何一つ見当たらない。
その根元から程近いところには大きな窪地がある、恐らく干上がった池の成れの果てだろう。

209HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:10:23 ID:PWWuALII0
その窪地の中からいきなり吹き上がる白茶けた土煙、怪物が地上へと出てこようとしているのだ。
昨日も今日も目にした、ある意味見慣れたといっていい光景、それを目の当たりにした車上の一行の口からさまざまな叫びがあがる。

「出やがった!」「……やった、勝ったぞ」
「いた……!」「よし!」

真っ先に叫んだのはブラウン、その声には驚き――怪物自体ではなく、怪物がここにいたということについて――の成分が多分に含まれている。
その隣のブッシュが洩らした安堵のつぶやきは自分たちが分の悪い賭けに勝利し、真の勝利を掴むための第一段階をものにしたことの表れだ。
そんな彼の背後から声がかけられる。

「大当たりでしたね」

そう言葉を発したのは荷台から身を乗り出しているウールトン。両目には闘志が漲っており、伸び放題の髭の中からはちらりと汚れた歯が覗く。笑っているのだ。
その隣にはヘルメットを被ったファウナ。こちらは形の良い唇をきつく引き結び、力の籠もった視線で立ち昇る砂煙を見据えている。

「ああ、だがこれからが本番だ。話した作戦通りにやるぞ」
『了解、皆掴まっててください!」

背後を振り返って部下の言葉に応えると直後に声を張り上げ、命令を下すブッシュ。打てば響くようにブラウンが応える。直後にブレーキペダルが踏み込まれ、同時にギアがサードからセカンドへとシフトダウンされた。
タイヤとサスペンションを軋ませ、トラックは急激に速度を落とす。その助手席から飛び降りる人影。装備を身に着け、膨らんだ背嚢を両手で抱えたブッシュだ。
本来は装備と連結して背負えるようにデザインされているカーキ色の背嚢、その中には二種類の梱包爆薬と『ジャム缶』、そしてファウナ手製の焼夷弾がぎっちりと詰め込まれている。
その重さは爆薬だけで11ポンド(約5キログラム)以上、さらにファウナ手製の焼夷弾の重量を加えれば軽く20ポンド(約9キログラム)を超えるだろう。
そんな危険極まりない重量物を後生大事に抱きかかえ、素早い、だが慎重な足取りで乾いた地面を踏みしめる彼。当然だろう、これに何かあった日にはこの作戦の失敗は確定、そして場合によっては彼の人生もこの場で終わるのだ。
続いてその場にしゃがみ込み、背嚢の蓋を開けて中身の状態を確認する。
凹みだらけのオイル缶と空き缶、そして布包みの間を這い回る黒い紐が視界に入った。その本数は詰め込まれた爆発物の数に比べて多い。全ての爆発物をほぼ同時、かつ確実に起爆させるため、それぞれの爆薬に導爆線を二本づつ繋ぐという手間のかかる方式がとられたためだ。
ちなみに導爆線とは爆破に用いられる器材の一つであり、複数の爆発物を同時に爆発させる際には不可欠なものである。構造的にはセフティ・ヒューズと似通っているが、芯に用いられているのは一般的な火薬ではなく爆薬だ。

210HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:12:09 ID:PWWuALII0
「今回で絶対決めなきゃなりませんからね、なら手間はかかっても確実なやり方をするしかない。さっきみたいな事はもう御免ですよ」

この梱包爆薬を製作する際、自ら志願して作業を担当したウールトンは不安げな表情の一行に向けてそう話すとブッシュに人払いを頼み、その後遠巻きに見つめる三人の前で一人危険極まりない作業へと没頭した。
そんな彼の姿を眺めつつ言葉を交わす二人の男。だが視線は危険な作業を行っている戦友から離れない。

「大丈夫ですかねえ」
「ここは伍長の腕を信じるとしよう」

その声を聞き流しつつ仲間達に背を向けて作業に没頭するウールトン。個々の爆発物に二本づつ導爆線を繋ぎ、さらにそれぞれを別に用意した長い導爆線に繋ぐと最後に起爆用のセフティ・ヒューズ付き雷管を端に取り付け、外れないようにテープでぐるぐる巻きにする。
使用の際はセフティ・ヒューズに点火して退避、その後雷管が作動すると同時に導爆線内部の爆薬が爆発、繋がれている爆薬もまた爆発するという寸法だ。
幸い緊張と不安に満ちた短い、しかし永遠に感じられる時間は何事も無く過ぎ、ウールトンは一連の作業を無事に完了させ、己の手による『作品』を己の指揮官へと手渡す。
その後で、取り扱いには十分気をつけてくださいよ、と念を押し、ブッシュはその忠告を大きな頷きと共に肝に銘じたのであった。

そんな彼の仕事の成果を確認すると邪魔にならぬよう束ねられたセフティ・ヒューズを引っ張り出し、断面の具合を確認した後背嚢の蓋を閉じる。続いて装備の物入れに突っ込んでいる点火用のボロ布とポケットの中のマッチを確認し、視線を上げた。普通なら行うであろう携行火器の点検は行わない、そもそも持っていないのだ。
無論蛮勇や自暴自棄故の行為ではない。それは部下達が彼のその判断に対して異論を唱えた時の「対戦車ライフルでやっと手傷を負わせられる相手にトンプソンを持ち出しても意味がないだろう?」という返答に集約されている。
役に立たぬ武器を携行しても意味がない、むしろ可能な限り身軽なほうがいい。そういうことなのだ。もっとも頭部を守るためにヘルメットはきちんと被っているあたり、備えはおろそかにしていない。
そんな身なりでただ一人大地に立つブッシュ。一方仲間達の乗るトラックは彼を残して遠ざかりつつある。
もしこの状況で怪物がトラックを無視し、彼目掛けてあらん限りの速度で突進してきたら逃げ切れないのはほぼ確実。彼に出来るのは手持ちの梱包爆薬に全てを賭けて勝負に出ることだけだ。
果敢の領域を踏み越え無謀に片足を突っ込んだ、とでも評すべき危険極まりない行動、だが彼には自信があった。

211HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:13:46 ID:PWWuALII0
(最初の交戦の時、あいつは初め俺たちが見えないかのような振る舞いをしていた。俺たち目がけて突進し始めたのは何発も攻撃を食らってから。二度目の交戦の際はこっちを追いかけてきたが、それは彼女が一緒にいたからだ。ならば……)

オアシス近くでの遭遇戦、そして勝ち切れなかった二度目の交戦の記憶をたどり、得られた情報からブッシュが導き出した結論。それは怪物は自分たち三人を『見つけられない』、あるいははっきりとは認識できない、というものだった。
彼はその結論を元に組み立てた作戦を出撃前に披露する。

あいつは俺たちを見つけられない、あるいは道端の石ころのような存在にしか見えていない。
そこに付け込み、まずはトラックを囮にあいつを引き摺りまわす。その間前もって降車した私が奴の足の速さと動きをじっくり観察し、爆薬を仕掛ける際の間合いを計算する。
そして奴が十分にへばった所で合図をし、あいつを爆薬を仕掛けた場所まで誘導し、止めを刺す。

彼の出した結論と作戦を聞かされた一同の反応は様々だった。
二度の交戦から導き出した結論に概ね同意しつつも指揮官自身が爆薬を仕掛けることには難色を示すウールトン。
作戦自体には同意しつつも怪物の認識力については情報不足を理由に懐疑的な態度を示すブラウン。
だがそんな二人を前にブッシュを援護する者がいた。

「かつて怪物と戦った戦士達の中には目潰しとして煙を用いたものがいましたが、怪物はその煙の中でも戦士達の居場所を正確に掴むことが出来たそうです」
「奴は敵を『見て』いるわけじゃないのか……煙で鼻も利かないだろうし、とすると聴覚か、それとも俺達の知らない特殊な感覚を持ってるのか」
「エンジン音や発砲音に反応してない以上聴覚の線はないでしょうね。では妖精を見つけることに特化した感覚を備えている、ということなのでしょうか」
「妖精の使う魔法が関係しているのかもな。まあ俺達の知識じゃ詳しいことは分からんし、調べている余裕もない」

記憶をたどりつつ行われたファウナの発言はその場の流れを一変させた。
自分たちの敵は視力に頼らず敵を見つけ、攻撃することが可能だ。その一方でわれわれの存在をはっきりと認識できていないような振る舞いをしている。
では上手く立ち回れば、あいつを欺き、罠に掛けられるのではないか?
具体的には彼女を囮にして怪物の注意を引き付け、そちらに気を取られている隙に足元に爆薬を仕掛け、爆発させるのだ。
もちろんリスクはある。何しろあの巨体が結構な速度で走り回るのだ。奴の進路上にうっかり入り込み、そして逃げ遅れた日には酷いことになるだろう。
だが、ブッシュは覚悟を決めていた。

212HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:15:21 ID:PWWuALII0
「確かに危険な行為だが、ジェリー(ドイツ兵)どもの戦車相手に身一つで戦いを挑むよりはましさ、そうだろう?」

そう言った後に力強い笑みを浮かべ、強い意志の籠もったまなざしで三人の瞳を順番に見つめた彼を敢えて止めようとする者はいなかった。

そんな彼の目の前でトラックと怪物との交戦が始まる。
窪地から這い出し、接近するトラックめがけて突進する怪物、だが移動速度は先ほどの戦闘時より明らかに遅い。どうやら二個の梱包爆薬の爆発で負った手傷はまだ癒えていないようだ。
その怪物の目の前でトラックは方向転換し、ブッシュに右側面を、怪物には左側面を向けて逃げるようなコースを取る。同時に荷台の上で人影が動き、対戦車ライフルの長大な銃身が旋回し、後方を指向するのが見て取れた。
だがためらうことなく追撃に移る怪物、ブッシュの方を向いていた巨体が徐々に向きを変え、トラックを追うコースを取る。この時点で両者の距離はざっと50ヤード(約45メートル)といったところ、その距離は今のところ広がりも縮まりもしない。

(追いつかれる心配がないとは願ってもない状況だな。だがこれもいつまで持つことやら……頼んだぞ、ブラウン)

心の中で部下の健闘を祈りつつ両者の行動を注視し続けるブッシュ。その耳が発砲音を捉える。対戦車ライフルの力強い轟きではなく、軽い、カタカタと聞こえる連続的な射撃音。機関銃を任せられたファウナが早速射撃を始めたのだ。

(始めたか、だが少々長めに射撃し過ぎだな。ファウナさん、射撃は今より短めにして、間はもっと空けないと)

耳にした射撃音から荷台の光景を想像するブッシュ。
おそらく彼女は実戦で初めて銃を撃つということに興奮し、出撃前に何度も言われたことの幾つかを忘れてしまっているのだろう。もっとも、弾倉を一気に丸ごと撃ちつくすような連続射撃はしていないところをみると必要最低限のことを行うだけの冷静さはあるようだ。
その射撃音がぷつりと途切れる、直後に轟音、今度は対戦車ライフルが火蓋を切ったのだ。だが有効打を与えられる間合いにもかかわらず、怪物がひるんだ様子は見て取れない。

(外したか、まあ走行中だから無理も無い。停車すれば当てられるんだろうが状況的に無理だしな)

姿勢を低くし、部下の戦う様子と怪物の動きを観察しながらあれこれと考えるブッシュ。その目の前でトラックは再び方向を転じ、今度は彼に車体後部を向ける。
怪物をなるべく長い間引きずりまわし、疲れさせてから梱包爆薬で肉薄攻撃を仕掛けるというブッシュの立てた作戦に従った行動だ。
だが、当のブッシュにとってこれは少々いただけない。

213HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:16:55 ID:PWWuALII0
(おっと、こいつは危ないな)

流れ弾を食らわないように慌てて伏せる。
疾走するトラックからの射撃、とりわけファウナの機関銃射撃の巻き添えを食らった日には作戦自体がご破算になりかねないのだ。
もっとも、伏せた彼の頭上を銃弾が飛び過ぎることはなかった。


「撃ちかた待て!」「!……っ、はい!」

.激しく揺れる荷台の上、エンジンの出す轟音と吹き付ける風を貫いてウールトンの大声が響いた。一瞬遅れて返答するファウナ、同時に引き金に掛けていた指を離す。ただし彼女の行動は反射的なものであり、命令そのものを理解したわけではない。
その証拠に彼の方を振り向いたファウナの表情には射撃を止めさせられたことに対する不満感が表れていた。

「今撃てば軍曹殿を巻き込みます、次の方向転換まで射撃は中止! それとあまり撃ちすぎないでください、弾薬には限りがあります」

眉を寄せ、眉間に縦皺を刻んだ彼女の顔目掛けておっかぶせる様に声を掛けるウールトン。ファウナの表情に得心と反省の文字が浮かび、戦闘による興奮で血の上った頭が冷えてゆく。その足元には空っぽになったルイス軽機関銃の円盤型弾倉があった。
早々と一つ目の弾倉を撃ちつくし、その後もたつきながらも弾倉交換を行った彼女は新兵が良くかかる病気――戦闘による興奮で冷静な判断力を失う――に罹ってしまっていた。
だがこれを予期していたウールトンの一言で頭は冷え、彼女は本来の落ち着きを取り戻す。
それを確かめたウールトンは振り向くと、今度は運転席のブラウン目掛けて叫んだ。

「ブラウン、俺が合図したら速度を落としながら真っ直ぐ走れ! あいつに一発かますぞ!」


一方そんな車上のやり取りを知らぬブッシュは荷台の二人のことを考えつつ、自分に背を向けて遠ざかる怪物を観察していた。

(流石にこの状況では撃たないか。伍長はともかくファウナさんが撃たないとは、彼女は思いの他冷静だな。しかしあいつの後ろ姿、正面と見分けが付かんな)

一見巨大な芋虫のように見える怪物であったが、こうしてよくよく見ると体の前後に明確な違いが存在しない。この点は芋虫よりもむしろミミズに似ていると言えよう。
その前後対称な巨体の向こう側でトラックがまたも方向を転じる。今度は右側面をこちら側に向け加速、その後緩やかな弧を描いてこちらへと近づいてくるコースを取った。
次第に大きくなるトラックの影。むき出しの運転席にはシュマグを被り、防塵ゴーグルをかけたブラウンの姿がある。一方荷台の様子はブッシュ自身が低い姿勢をとっているため良く分からない。さらにその後方には怪物の巨体。ざっと見たところトラックとの距離は詰まっても開いてもいないようだ。

214HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:18:45 ID:PWWuALII0
(方向転換の時に多少間合いを詰められているかと思ったがこの状態とは、もしかして相当参っているのか?)

そんなブッシュの思考をよそに戦闘は展開する。
今度は彼の居場所を目指すのではなく、右手側を通過するようなコース取りをするトラック。進路変更後に直進走行に移るが、なぜか加速することはない。いや、それどころかゆっくりと減速を始める。一方怪物はだいぶ遅れて進行方向を修正し、逃げ回る獲物をひたすら追いかけようとしていた。
その時二種類の銃声が重なって響く。怪物の巨体が一瞬打ちのめされたように止まり、体表で曵光弾が続けざまに撥ねた。

「よし!」

期せずしてブッシュの口から言葉が漏れ、髭に覆われた口元が緩む。
方向転換時に速度が落ちたところを捉えて集中攻撃を加えるという教本通りの攻撃。恐らく車上の三人はこれを事前に示し合わせていたのだろう。それほどまでに見事な連携が取れた攻撃だった。
だが怪物は怯まない。再び動き出し、一気に加速するトラックの後をひたすら追い続ける。気のせいかその速度は先ほどより幾分増したようだ。


「こいつは……ちとまずいかな?」
「怒らせてしまったようですね」

荷台の上で顔を見合わせるウールトンとファウナ。先ほどまで浮かべていた笑みはもう引っ込んでおり、自分たちの行動が望ましからぬ状況を招いてしまったことへの焦りが滲んでいる。
ウールトンが考え、三人が示し合わせて実行した作戦は図に当たり、怪物に手傷を負わせることに成功した。だが当の怪物は手傷を負わせられたことに興奮したらしく、先ほどより足を速めてトラックを追っている。
幸い今すぐ追いつかれるような速度ではないが、エンジンとトランスミッションに不安要素を抱えるトラックがいつまた故障するかも知れない以上、この状況はどう見ても喜べない。
だが、そう考えない者もいた。

(手傷を負わされて興奮してるな。だが深手を負ってる所にさらに手傷を負わされたその状態でいつまで持つかな?)

離れていくトラックを追いかけひたすら突進する怪物をつぶさに観察しつつ、眼前の敵の状況を分析するブッシュ。その態度には余裕すら見て取れる。しかし彼が置かれた状況はある意味危険水域に突入しつつあった。
現在両者の距離はざっと25ヤード(約22メートル)少々、しかも怪物がトラックを追って前進するにつれゆっくりと縮まりつつあるのだ。今怪物がブッシュの存在に気付いたならば、その時点で彼の命運は尽きるだろう。

215HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:20:17 ID:PWWuALII0
だが手傷を負わされ興奮した怪物は眼前の獲物をひたすら追いかけた。すぐ近くで地面に伏せ、己の様子を窺っているちっぽけな存在に気付いた様子は全くない。そのまま近づいてきた時と同じ勢いで遠ざかる。
その醜い巨体を見送りつつブッシュは笑みを浮かべた。
自分の考えの正しさが証明されたことに対する満足感、恐るべき怪物を上手くやり過ごせたことへの安堵、そして自分の立てた作戦が順調に進んでいることへの喜び。そういった感情が彼の心中を行き来している。ただしそんな状況でも怪物とトラックの動向に注意を払うことは忘れない。
彼の視界の中で何度目かの方向転換を行い、またも右側面を見せて加速するトラック。怪物もまた進行方向を修正し、逃げる獲物をひたすら追いかけた。ただし移動速度は先ほどのそれよりも明らかに遅い。

(やはり長続きしなかったか。だがへばるのがこれほど早いとはな……仕掛けるタイミングを早めるべきかな?)

予想が当たったことに満足感を覚えるブッシュ。だがその一方で怪物の予想以上の弱りぶりに気付き、作戦を変更すべきかどうかを検討し始める。
それは車上の一行も同様だった。


「弱ってますね」

そう言ったのはファウナ。射撃こそ行ってはいないが出撃前に教えられたとおり、右手でグリップ、左手で銃床の根元を握り、右肩をしっかり床尾に当てるという射撃姿勢をとっている。
ただ彼女が最初見せた興奮は影を潜め、その肩には力んだ様子はない。今はその緑色の瞳で自分を追いかけてくる醜悪な存在を冷静に観察している。
その隣のウールトンも同様の姿勢をとり、チャンスがあればいつでも射撃できるように神経を張り詰めていたがその一言に緊張を緩め、ひたすら自分たちを追ってくる怪物の巨体を眺めつつ思案する。

(確かに思いのほか弱ってはいる。やるべきか? それとももう少し引きずり回してみるか?)

そんな彼の鼓膜を震わせる轟音、吹き付ける風の音と相変わらずフル回転を続けるトラックのエンジン音だ。
そこであることに思い至り、振り向くと今度はブラウンへと声をかける。

「ブラウン、エンジンとギアは大丈夫か?」
「今のところ大丈夫です。無茶さえしなければ後しばらくは持つでしょう」

大きな声で告げられた簡潔な回答。事実ブラウンの言うとおり、今のところエンジンからもトランスミッションからも異音や異常な振動は出ていない。だがそれで安心するほどウールトンは楽天家ではなかった。
手持ちの物資を惜しげもなく使用したとはいえ所詮は応急修理、今この瞬間にエンジンが止まってもおかしくはないのだ。であるならば、勝負に出るのは出来るだけ早いほうがいい。

216HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:21:39 ID:PWWuALII0
(やるべきだな、やるべきなんだが……)

だが彼の心中には躊躇いがあった。
セフティ・ヒューズの不良が原因で怪物を仕留め損なった前回の戦闘が脳裏にちらつく。
あのようなことを二度と繰り返さないように、ここは確実を期すべきではないのか? という自問が心に浮かんだ。

(勝負に出るか、それとも攻撃を続行するか。悩ましいな)

知らず知らずのうちに眉間に皺を寄せ、唇を噛む彼。
だがその間も時間は刻一刻と過ぎてゆく。そんな彼の足元が動き、床に散乱していた空薬莢が同じ方向へと転がりだす。同時に回転を始める視界。トラックが方向転換を始めたのだ。その変化がウールトンの決断を促す。
短く息を吐き、大声で指示を出す。

「さっきのをもう一度やるぞ!」

その一声に返ってくる了解の言葉、一つは男の声、もう一つは女の声だ。どちらも張りがあり、力強い。
車上の三人は再び攻撃準備を開始する。それを見てブッシュもまた思考を巡らした。


(またあれをやる気か。だが同じ手はあまり使わんほうがいいのだがな)

方向転換を終えたトラックがゆっくりと減速する様子を眺めつつ心中でそう一人ごちる彼。
戦争では同じ手を繰り返し使うと相手にそれを読まれ、手痛い反撃を食らう。だから毎回やり方を変え、敵にこちらの行動をなるべく読ませないようにするのが基本だ。
もっとも、そんな彼の心配は取り越し苦労に終わる。
怪物が方向転換する所に降り注ぐ弾丸の雨、そして続けざまに響く二種類の発砲音。怪物の薄汚い巨体はまたしても打ちのめされたように震え、行き足を止める。一息遅れてかすかな歓声がエンジン音に混じって聞こえてきた。

「喜ぶのはまだ早いぞ、伍長。…………まったく、気が早いことだ」

ため息とともに吐き出された言葉。口元こそ幾分緩んでいるが、目は笑ってない。当然だろう、続けざまに攻撃を成功させ、手傷を負った怪物をさらに痛めつけているとはいえ現状は楽観できるようなものではないのだ。
今ここで応急修理とブラウンの腕でなんとかもたせているトラックが動かなくなったら、その時点で自分たちの優位は一瞬で崩壊、狙われているであろうファウナとともに部下達は怪物の餌食となるだろう。

そんな彼の思いをよそに戦闘は続く。
またも加速し、怪物を引き離しにかかるトラック。ブッシュの居る場所を中心に円運動を続けるそれは、現時点で彼の周囲をおおよそ一周半近くしている。一方怪物は前回の戦闘で深傷を負い、今また二度にわたって痛めつけられたにもかかわらず未だに獲物を追うことを止めていない。

217HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:23:01 ID:PWWuALII0
(あんな状態で続けざまに攻撃を食らってもまだ食い下がるとはな。まさかああ見えてまだ余裕があるということなのか? いや、そもそもなぜ逃げない?)

前回、そして前々回の戦闘とは違う怪物のしぶとさとしつこさを目の当たりにし、そんな考えを浮かべる彼。その思考には焦燥と危惧という負の感情がまつわりついている。
自分たちの貴重な戦力であるトラックはいつ故障するか分からない。そして眼前の敵は弱ってきてはいるが未だに眼前の獲物を諦めず、しぶとく食い下がってきている。限られた持ち時間(ただし具体的な数値ははっきりしていない上に、減ることはあっても増えることはない)の間に決着を付けなければならない自分たちにとってこの流れは歓迎できるものではないのだ。
それは車上で指揮を執るウールトンも同様だった。

「弱っているはずなのにこうも食い下がるとは、予想以上にしぶといな」
「あれにとって私は何としても仕留めなければならぬ程価値ある存在なのでしょう」

ポツリと洩らした内心、それを耳聡く聞きつけたファウナが反応する。その表情は幾ばくかの嫌悪感が滲んでいた。
そのあと一息置いて、狙われる私にとってはいい迷惑ですが、と漏らす。
二人がそうして言葉を交わす間も進み続けるトラックと怪物。現在両者の距離は車上の三人の奮闘もあって当初よりさらに開いている。その距離はおよそ90ヤード(約82メートル)。もうしばらく引きずり回せば100ヤード(約91メートル)の大台に乗るだろう。
だが、それを断念させる出来事が起こる。

「ちっ、とうとう来やがったか!」

そう毒づいたのは運転席のブラウン、運転に集中していた彼が口を開いたのには理由がある。彼の足元、運転席の床下にあるトランスミッションが異常な振動を起こし始めたのを彼の足裏と尻が感じ取ったのだ。

「限界か?」
「ええ、早いとこケリを付けてください、さもないとまずいことになりますよ!」
「わかった、あれが見えるか? 真横よりやや前だ」

ブラウンの言葉に持ち場を離れ、運転席の後ろでブラウンに指示を出すウールトン。彼の指が示す先にはこちらを見るブッシュの姿があった。
相変わらず見つけにくい、低い姿勢をとってはいるが、一層低くなった太陽のせいで長くなった影が彼の居場所をはっきりと示している。

「了解。あ、手を振ってますね」
「合図を忘れるなよ」

218HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:24:21 ID:PWWuALII0
そう言い残し、再び持ち場に戻るウールトン。それから一呼吸置いてブラウンはハンドルを切る。トラックはサスペンションとタイヤを軋ませながら旋回し、丸みを帯びた三角形をしたボンネットの先端がブッシュの居場所を向いた。直後にアクセルを注意して踏み込み、ゆっくりと加速する。
一度下がった速度計の針がじりじりと上がり始めた。幸い、床下からの振動が酷くなるような様子は今のところない。
今度は幾分前かがみになると片手をハンドルから離し、ダッシュボードへと手を伸ばす彼。その先にはヘッドライトの点灯スイッチ。
そのまま暴れるハンドルを片手だけで押さえ込みつつ何度もスイッチを操作。前輪泥除けの前に設置されたヘッドライトがその度に点滅を繰り返した。
人工の光が大気を貫き、夜がゆっくりと近づきつつある風景を照らす。

(! よし)

トラックをこちらに向け、ヘッドライトを点滅させる。それは前もって決めていた合図だ。

敵をそちらに誘導する、梱包爆薬の準備をされたし

すぐさま背嚢を引き寄せ、使用準備を開始するブッシュ。
ボロ布とマッチ、そしてナイフを取り出すとまずはマッチを擦り、ボロ布に点火。続いて先ほどまでのトラックと怪物との距離、そして移動速度から最適なタイミングを計算。それに合わせてセフティ・ヒューズの長さを手早く測った後、ナイフで切断する。
最後にヒューズの端を燃えるボロ布に近づけて点火、そのまま回れ右して走り出す。後は速度を落としつつ併走したトラックに引っ張り上げてもらうだけだ。
その様子を見たブラウンが叫ぶ。

「軍曹殿が走り出しました、ピックアップの用意を!」
「了解! ここをお願いします」

後半をファウナに向けて言うと返事を待たずに行動を開始するウールトン。対戦車ライフルに安全装置を掛けると揺れる荷台の上で可能な限り素早く動き、荷台前端の囲いを乗り越えた。
すぐ傍で運転に専念するブラウンの邪魔をせぬよう、そして揺れるトラックから転げ落ちぬように慎重に助手席に降り立つと足元を確かめ、上半身を乗り出してブッシュを車上に引き上げる用意をする。
地面に放り出された爆薬の傍をトラックは通り過ぎ、二人の男の視界に映る人影が大きくなる。ブラウンは既にアクセルを緩め、減速を始めていた。一方荷台では一人残されたファウナがこれが最後とばかりに機関銃を撃ちまくっている。
だが、最悪のタイミングでそれは起こった。

219HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:25:43 ID:PWWuALII0
「なにっ!」「うおっ!」

期せずして重なる二人の男の声。足元で生じた衝撃と異音、続いて起こった急減速にブラウンは顔を引きつらせ、大急ぎでクラッチペダルを踏みこむ。隣の助手席から身を乗り出していたウールトンはバランスを崩して転げ落ちかけ、以前は機関銃が取り付けられていたフロントピラーの跡へと必死にしがみついた。荷台では弾倉交換中にバランスを崩したファウナが転び、そのまま荷台前端まで転がる所を対戦車ライフルの架台にしがみつく事で何とか逃れる。
騙し騙し動かしてきたトランスミッション、そのサードギアがとうとうイカレたのだ。しかもこのトラブルはエンジンをも巻き込み、結果今まで何とか快調を保ってきたエンジンは停止、トラックは急減速を余儀なくされる。
乾いた地面をタイヤでえぐりながらつんのめるようにトラックが止まる。一瞬遅れて振り返ったブッシュは目の前の光景に衝撃を受けた。

「! なんてこった」

一秒、いや十分の一秒すら貴重な戦闘中、それも仕掛けた爆薬から一刻も早く遠ざからなければならないという危険な状況で動けなくなったトラック。それは自分たちが爆薬の爆発に巻き込まれるということを意味している。
怪物に止めを刺すべく作り上げた梱包爆薬が結果的に自分たちの命を奪うことになってしまったのだ。

あまりの衝撃に逃げることを止めトラックへと駆け寄るブッシュ。生存を最優先するのならあまりにも非常識な行為ではあるが、今の彼には何故かそうしなければならないように思えた。
一方車上ではウールトンとファウナが何とかその身を起こす。運転席のブラウンは必死になってエンジンを再始動しようとしているが、当のエンジンはくぐもった音を立てるばかりで息を吹き返す様子はまったくない。そしてトラックの背後には程なく爆発する爆薬があり、さらにその向こうには怪物の巨体があった。
目の前でいきなり足を止めた獲物目掛けて真っ直ぐに突っ込んでくる怪物、己を待ち受ける梱包爆薬に気付いた様子は無い。このまま進めば爆発の瞬間には確実に爆薬のすぐ傍、もしくは真上にいることになり、その巨体は衝撃波と爆風で粉々になるだろう。そしてその爆発はトラックと二人の部下、そしてファウナを確実に巻き込み、殺すだろう。
それでもなお、ブッシュは走り続けた。
そんな指揮官に気付いたウールトン、思わず立ち上がると髭だらけの顔に驚愕の感情をはっきりと浮かべ、声を限りに叫ぶ。

「駄目です! 戻って!」

220HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:27:57 ID:PWWuALII0
だが時すでに遅く、彼の姿はトラックから目と鼻の先にある。この瞬間爆薬が爆発したならば、発生した爆風と衝撃波により四人はトラック諸共吹き飛ばされ、確実に致命傷を負う。

「降車! 降車! 伏せろ!」

せめて少しでも生き残る確率を高めようと決断するウールトン。叫びながら助手席から転げるように飛び出し、足を後方に向けるようにして地面に伏せる。一息遅れてブラウンもまた同じ行動を取った。だがブッシュだけは伏せず、トラックへと駆け寄ろうと試みる。
そんな彼らに一陣の強風が吹き付けた。
反射的に視線を上げる三人、その先には魔法を発動させ、宙に浮いたファウナの後姿。一瞬後、彼女は怪物目掛けて鳥のように飛翔する。
両腕を翼のように広げて飛び、一直線に怪物目掛けて迫る彼女。途中で地面すれすれにまで降りると何かを拾い上げる。カーキ色の四角い物体、爆発一歩手前の爆薬が詰まった背嚢だ。
そのまま超低空で突進、それに気付いた怪物が体の前端部を持ち上げるとそこが大きく開き、中から太い綱のような器官が現れた。このアリクイの舌を思わせる器官で彼女を捕らえ、一口に呑み込むのだろう。
爆薬を胸に抱え、怪物に正面から迫るファウナ。相手の間合いまで一気に接近し、手にした爆薬を放り投げると高速で傍をすり抜ける。彼女を捕らえようと振るわれた太長い舌は空しく空を切り、放物線を描いて飛んだ爆薬が怪物の大きく開いた口へと吸い込まれた。
獲物を捕らえ損ねた怪物が口を閉じ、方向転換を開始する。一方ファウナは相変わらず地面すれすれを高速で飛行しつつ、急速に怪物から離れつつあった。
だが彼はそれを最後まで見ることはなかった。
腰にタックルを受け、地面へ押し倒されると同時に傍らに誰かが伏せ、叫ぶ。

「爆発が来ます! 構えて!」

若々しい声、ブラウンだ。同時に彼の脳が正常な働きを取り戻した。訓練で、実戦で何度もやったように腹這いになると手で両耳を覆い、口を心持ち空ける。
だがその行程を全て終える前に衝撃波と爆風が彼らを襲った。
地面からの突き上げるような衝撃に一瞬体が浮いたような感覚を覚える。続いて衝撃波がむき出しの肌と鼓膜を叩き、神経と脳を痛めつける。最後に吹き飛ばされてきた細かな石や砂が頭上からばらばらと降り注ぎ、着衣と体を白茶けた色に染めた。
永遠に感じられた一瞬が終わり、混乱していた三半器官と聴覚がゆっくりと旧に復してゆく中、状況を確認すべく閉じていた目を開け、よろよろと立ち上がる三人。

221HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:29:37 ID:PWWuALII0
彼らの目にまず入ったのは見慣れたトラックの巨体、後方から食らった衝撃波と爆風のせいで後部のあちこちが損傷しているが。どうやら致命的な損傷は受けていないようだ。事実エンジンがある車体前部には目だった被害は見て取れない。
その後方には燃える怪物の巨体、芋虫を思わせる巨大な胴体は中ほどからちぎれかけた状態で、その断面とファウナと相対したときに開けた口からは炎と黒煙が上がっている。体内でファウナが作った焼夷弾が爆発したせいだ。
あれほどしぶとく、一時は不死身のように見えたにもかかわらず、今はピクリとも動かない。炎を上げて燃える様は生物の死骸というより破壊された戦車を思わせる。

あの怪物は死んだのだ、明らかに。
そう、彼女の手によって。

だがそれは今の一同にとって最も重要なことではない。ファウナ、あの勇敢な彼女はどうなったのかという思い、それがこの瞬間の彼らの思考を支配していた。
痛みや眩暈といった体の不調を意志の力で抑え込み、あるいは無視しつつ、乾いた大地のあちこちに視線を向ける。六つの色あいの違う瞳がどこまでも続く不毛の大地のあちこちを探り、彼女の存在、あるいは痕跡を捜し求めた。
その視界に動くもの、地面の上に横たわっていた何かがゆっくりと起き上がり、小柄な人の姿を取るとふらふらと揺れ動きながら歩き出す。
ややあって、その影が片手を挙げ、ゆっくりと振った。

222HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/10/27(金) 20:31:00 ID:PWWuALII0
投下終了
次回投下は12月上旬の予定です

223卍帝国:2017/10/30(月) 00:26:10 ID:IPzDCQVI0
tp://slow-hand.jp/url/?id=1419

224ハーデス:2017/11/06(月) 13:11:55 ID:IPzDCQVI0
tp://bit.ly/2jciIqY

225After:2017/11/07(火) 18:51:35 ID:IPzDCQVI0
goo.gl/8QQvHd

226名無し三等陸士@F世界:2017/11/11(土) 19:27:41 ID:IPzDCQVI0
htp://ux.nu/8bWfU

227名無し三等陸士@F世界:2017/12/02(土) 19:41:30 ID:ZqrZSx6Q0
もしも検索 ⇒ bit.ly/2kJFRlx

228HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/09(土) 20:42:02 ID:xcVmLF4g0
予定通り明日午後8時から投下を開始します

229HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:00:18 ID:xcVmLF4g0
それでは投下開始します

230HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:01:56 ID:xcVmLF4g0
16、別離、そして帰還

天高く昇った太陽が乾いた大地の隅々にまで光と熱を遍く分け与えていた。
相変わらず生命ある動くものは何一つ見えず、時折吹く風が土埃を巻き上げ、澄んだ大気を汚すという無味乾燥な眺め。それは三人の男たちがこの世界にやって来てから何度も見た光景だった。
だが今はそんな光景もだいぶ違って見える。

(心一つで世界がこんなにも違って見えるとはな)

内心で一人ごちつつ遮るもののない広々とした平野をぐるりと見回すブッシュ。あの砂嵐が止んだ後見た眺め、この世界で最初に目にした様々なものが目に飛び込んでくる。
初めこの光景を見た時は自分の知る自然の摂理から離れた風景に奇妙さと異常さを感じ取り、警戒心を強めたものだが、今はこの数日間の間に経験した様々なことを思い起こし、同時にそれが自分の心身へ大きな変化をもたらしたことを改めて自覚していた。
そんな思考を巡らす彼の周囲には荷物を満載したトラックと二人の部下、そしてファウナの姿がある。

「どうかしたのですか?」
「いや、この風景もこれで見納めかと思いましてね」

作業の手を止めると無言で周囲を見回し、何やら考え込んでいるブッシュに不審を覚えたのか声をかけるファウナ。一方二人の部下は苦労しながらここまで走らせてきたトラックの再点検に余念がない。
帰還に先立って昨日一日を丸ごと修理と整備に費やし、何とか走れるようにしたとはいえ今のトラックはまともとは程遠い状態であるからだ。

あの涸れたオアシス近くの戦い、四人があらん限りの戦力をかき集めて行った決戦でついに怪物を倒せたとはいえ、直後の一行の置かれた状況は手放しで喜べるようなものではなかった。
戦力であり唯一の移動手段でもあるトラックはトランスミッションのトップとサードギアが使い物にならなくなり、サードギア破損時にとばっちりを食ったエンジンもこれまでにない異音(少なくとも一つのピストン周りに何らかの異常がある、というのがブラウンの見立てだった)を立てるようになっていた。
さらに梱包爆薬爆発時の爆風を後方から食らったせいで左後輪がパンク、間の悪いことに普段は運転席傍の架台に納まっている予備タイヤは二度目の交戦の前に降ろされ、オアシスに置かれたまま。そんな満身創痍、あるいは瀕死とでも呼ぶべき状態のトラックを手持ちの工具と物資だけで何とか走行可能な(それも路上ではなく不整地の上を)状態にしなければならない。
しかも折り悪く時間帯は日暮れ間近、複雑な作業を長時間続けるには明らかにまずい時間帯である。
だが、男たちにとってそんな重大事も二の次のものでしかなかった。

231HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:04:00 ID:xcVmLF4g0
ファウナ、最後の最後で己の身の危険を顧みず行動し、怪物に止めを刺した勇敢な彼女。その彼女が放り投げた梱包爆薬は確かに怪物の命を奪ったが、寸での所で自身の命をも奪うところだったのだ。
彼女が命拾いしたのは爆薬の爆発した場所が地面の上ではなく怪物の堅牢極まりない体の内部であったこと、爆発までに怪物から十分離れていたこと、そしていくばくかの運があったからに過ぎない。事実彼女自身は爆薬の爆発時に魔法で低空飛行をしていたため爆風で地面に叩きつけられ、とっさに魔法で身を守って致命傷を避けたとはいえ、その華奢な体は酷い打ち身と切り傷だらけになっていた。
そんな状態の彼女を手持ちの医薬品を惜しまず用いて手当てをし、命に関わる怪我がないことを確かめてからトラックの修理に漸く取りかかる。
この戦いに勝利をもたらしたのは彼女の無謀な、だが献身的で勇敢な行動だ。ならば優先されるべきはトラックの修理より彼女の手当て。それが三人の共通した考えだった。そんな彼らも体のあちこちに細かな傷を負い、さらに長時間の移動とその後の戦闘により心身ともに疲労していたのだが、今の彼らにとってそれは無視すべき事柄でしかない。

気力で傷つき疲れた体を動かし、壊れかけのトラックを何とか動けるようにすべく大汗をかく三人。時間の経過とともに抱いていた高揚感は薄れ、疲労と痛みがじりじりと心身を苛む。
それでも働き続ける三人を荷台に設えられた仮の寝床から眺めるファウナ。彼女もまた疲労と傷の痛みのため辛い思いをしているのだが、男たちの影響を受けたのか気丈に振舞っている。その様子は男たちを奮起させた。
衝撃で変形し、うまく開かないボンネットをこじ開けるとエンジンルームの暗がりを懐中電灯(ブラウンが修理工具の中に入れていた)の弱い光で照らしつつ手持ちの工具と物資で出来うる限りの手当てを行い、壊れかけのエンジンが何とか動くようになると大急ぎで出発、夕焼けの残照を浴びつつオアシス目指してひた走る。

無論、道中は平穏無事ではない。
大きな起伏がないとはいえ走るのは路上ではなく細かな凹凸や小さな岩がそこここにある荒地なのだ。しかも道半ばで日はとっぷりと暮れ、夜空には星が瞬いているだけで月明かりなどない。まずい事にヘッドライトは梱包爆薬の爆風をまともに食らった時に右の電球が破損、残った左も取り付け基部が衝撃で変形しているためまっすぐ前を照らすことが出来なくなっていた。
その一つだけのヘッドライトを無理やり前に向けさせ、針金で縛って固定して走り続ける。
絶えず異音を立てる壊れかけのエンジン、いつまたおかしくなるかも知れないトランスミッション、片側がパンクした後輪と一つだけのヘッドライト、異常な振動を絶えず起こしているドライブシャフト。他にもおかしい所はあれこれとある。
一同はそのどれかが役目を一時放棄するたびに停車し、間に合わせの修理を行ってから再度出発することを幾度となく繰り返した。

232HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:05:37 ID:xcVmLF4g0
この時彼らを助けたのはファウナが無理を押して使った魔法だった。
明かりの魔法を使って彼らの手元や足元を照らし、作業の手助けをするかと思えば見よう見まねで拵えたベンガジ・ストーブ(といっても浅く掘った穴に予備の燃料缶からガソリンを注いだだけのものだが)に炎の魔法で火を付け、疲れ、冷え切った男たちの体を温める。
彼女自身も相当傷つき、疲れ果ててはいたが、長年にわたって彼女を物心両面で苦しめてきた怪物を己の手で倒したことによりその精神は男たちのそれ以上に高揚していた。
そんな彼女の手助けもあってようやく一行は野営地のあるオアシスへと帰り着くと一旦片付けていた天幕と毛布を引っ張り出し、覚束ない手つきで設営作業を行うと食事もとらずにそのまま毛布に包まり、深い眠りにつく。
むろん出発の際に約束したご馳走の話など誰一人として口に出すことはなかった。それほどまでに彼らは疲労困憊していたのだ。
それは本来なら立てるべき不寝番を立てる余裕すらなかったことからも窺える。

そして次の日、高く昇った太陽の光に目をこすりつつ彼らは寝床から這い出す。
普通ならありえないほど遅い時間での起床という非常識な行為。もっとも、昨日彼らが行ったことの内容を考えると止むを得ないことではある。
最初に昨日の諸々の疲れのせいで痛む体を労わりつつ軽く体操を行い、強張っていた筋肉を解すと早速行動を起こす。
まずは火を起こして湯を沸かす一方で洗面、続いて遅い朝食。内容は相変わらずの水と塩で煮たオートミール粥に缶詰の豆とコンビーフで拵えた炒め物、そして熱い紅茶。それを四人で車座になりゆっくりと、良く噛んで食べる。疲労した体、とりわけ胃腸に負担をかけないためだ。
大仕事を成し遂げた達成感と空腹のせいか、いつもはさして旨くないはずのオートミールの粥が今日はなぜか美味に感じる、とか、朝食にはやはり炒めたベーコンの方が合う、などと会話しつつ行われた食事。だがそれも締めに熱い紅茶を飲み干した所で終わる。
そしてごく短い食後の休憩の後早速トラックの本格的な修理と整備に取り掛かる男たち。もっとも、補修のための部品やオイルなどの消耗品は昨日午後の整備作業の際に大方使ってしまっていたため作業は困難を極めた。

この無い無い尽くしの現状をありあわせの物、あるいはやっつけじみた修理で何とか誤魔化す。ついに底を尽いたグリスの代わりにラードとバターが掻き集められ、エンフィールドやトンプソンに備え付けられている手入れ用のガンオイルが残り少ない潤滑油のかさを増すために混ぜ込まれる。パイプの破口には木片が詰め込まれ、ホースの亀裂は防水布でぐるぐる巻きにされた。
そんな非常識極まりないが止むを得ない作業を続ける部下たちとブッシュは肩を並べて働きつつ、同じ言葉を繰り返して励ました。

233HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:07:19 ID:xcVmLF4g0
「要はここに最初に来た場所まで戻れればいいんだ。そうすればファウナさんが仲間たちのいる所まで魔法で送り返してくれる」
「それはそうですが、本当に大丈夫なんですかね?」

そう言いつつ天幕の中で体を休めている彼女の様子を窺うブラウン。
彼女は朝食後三人に明日の儀式について一通り説明を行うと『明日に備えて体の調子を整えなければなりませんので……』と申し訳なさそうな表情で告げると再度天幕の中に引っ込み、その後はずっと寝たままである。
もっとも三人の様子が気になるようで、時折天幕の陰から顔を出し、作業の様子を窺っているのを一同は何度も目にしていた。

「心配なのは分かるよ。何せあの怪我だったからな。だが」

そこで一息入れ、止まっていた手元を動かしてやりかけの作業を終えると再度口を開く。

「吹っ飛ばされた時に魔法で身を守ったおかげで打ち身程度で済んだと言ってたし、実際帰り道でもあれこれと俺たちを手伝ってくれている。大丈夫さ」

そんなやり取りを時折挟みながら作業を続けるうちに日は一層高く昇り、ついには天頂近くにまで達する。このことに最初に気付き、頃合い良しと昼食の話題を持ち出したのはやはりブラウンだった。

「昨日は夕食を食いそびれましたし、今朝はいつもの軽いやつ。そろそろご馳走にしてもいい頃合いだと思うんですよ」

無論他の二人に否やはない。早速長時間の作業で汚れた両の手を洗い、料理の準備に取り掛かろうとする。だがそこに天幕から這い出てきたファウナが待ったをかけた。
藪から棒の一言に何事かと驚く一同。その前でせめてもの礼に料理を作らせてください、と彼女は申し出る。

「……その、体の具合は、もうよろしいので?」
「無理に体を動かすと明日の儀式に差し支えるのでは?」

内心の懸念を口々に述べ、彼女を案じる三人。もっともその影には『もし彼女の儀式が失敗したら……』という利己的な感情もある。
そんな男たちの前で再び口を開く彼女、その声音には断固、と呼べるほど強いものではないが明確な意志が籠もっていた。

「料理くらいなら大丈夫です。それに昨日、ブラウンさんのあの言葉を聞いた時にこうすると決めていたのです」

こうまで言われては引き下がる他はない。
結局彼女の意見を容れ料理を任せる男三人。車座になって腰を下ろし、用意した食器を傍らに置いて雑談をしつつちらちらと彼女の様子を窺う。ただ視線には期待よりも不安の色が濃い。その行動の根底には彼女がその出自故に家事、特に料理について疎いのではないかという懸念があった。
高貴な身分の女性というものは家事全般(それこそ育児まで)を使用人に任せるもの、それが彼らにとっての常識なのだ。

234HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:08:59 ID:xcVmLF4g0
そんな彼らを尻目にファウナは料理に取り掛かる。
男たちの手を借りて選んだ――彼女はまだ英語をまともに読めない――缶詰を借り物のクラスプ・ナイフ(いわゆる多機能ポケットナイフだ)で開け、目分量で計ってはベンガジ・ストーブに載せた鍋に中身を入れてはかき混ぜる。
湯気が立ち、旨そうな匂いが漂いだすと今度は砕いた堅パンを放り込み、さらにかき混ぜる。むろん、塩や胡椒といった調味料を加えることも忘れない。
結果出来上がったのは人参や豆、ベーコンなどが入ったシチューのような煮物。そんなごった煮料理に恐る恐る口をつける男たち。幸い彼らの予想は良い方で裏切られた。

「へえ、こりゃあなかなか……」
「なんと言いますか、材料は同じなのにこの違いは何なのでしょうな」
「男手と女手の違い、かな?」

そう喋りながらスプーンを上下させ、皿の中身を口へと運ぶ男たち。そんな三人を見て笑みを浮かべるファウナ。そんなのどかな食事時間も瞬く間に終わり、しばしの休憩を挟んでまた修理作業に取り掛かる三人。ファウナもまた天幕の中へと引っ込み、明日の儀式に向けて体を休め、英気を養う。
黄金色の太陽が投げかける日差しを巨木の枝葉が遮り、時折吹くそよ風が草木を揺らす中断続的に金属音が響き、男たちは油に塗れつつ汗を流す。やがて太陽は南の空から西の空へと居場所を移し、高かった気温がゆっくりと下がりだした頃、ひとまず修理が終わったトラックの試運転が行われた。
スターターが数度唸った後息を吹き返すエンジン。最初は明らかに本調子でない、不安定な回転音をしばらくさせていたがブラウンがアクセルを軽く踏み込み、空ぶかしを数度させると一転安定した回転音をさせるようになる。
ただしその音はかつてのそれとは明らかに違った。

「何とか形にはなりましたが……結局シリンダーは駄目でしたな」
「おまけにトランスミッションには手の着けようがない。まあ出発地点まで戻れればいいんだ、これで良しとするしかないだろうさ」

何度もエンジンを空ぶかしさせ、黒い排気ガスで大気を汚しながらゆっくりと草地の上を走るトラックを眺めつつぼやく二人。
エンジンの修理やタイヤ交換といった作業にほぼ丸一日を費やした結果、トラックの具合はある程度の距離を走ることが可能なレベルまで回復した。
ただしエンジンは六つあるシリンダーの一つが使用不能となり、床下のドライブシャフトが出す振動は弱くなったものの相変わらず、時折異音を立てるトランスミッションや亀裂があちこちに入ったシャーシに至っては放置状態だ。
とはいえ、一応走行可能であることは見ての通りである。
その壊れかけのトラックはオアシスを一周し終えると二人の前で停車、しばらくアイドリングを行った後完全にエンジンを停止させる。

235HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:10:38 ID:xcVmLF4g0
「どうだった?」
「今のところはまあ大丈夫です。ただ明日の道中でもう一つシリンダーが死ぬかもしれませんけどね」

停車したトラックの上から思案顔の二人へ向けて放たれた一言に思わず顔を見合わせ、大きなため息をつくブッシュとウールトン。色よい返事は期待してなかったとはいえ、厳しい現実をこうも続けざまに突きつけられればため息の一つも出ようというものである。

「まいりましたな……」「わかった、その時はまた頼むぞ」
「…………分かりました。ええ、やりますよ、あと一息なんですからね」

苦味が濃い笑みを微かに浮かべつつまたもため息を漏らしたのはウールトン、一方ブッシュは厄介事は任せたぞ、と言わんばかりの表情で下車した部下の肩を叩く。
そんな指揮官の態度に半ば自分に言い聞かせるように言葉を吐き出すブラウン。少々自棄を起こしたような口調とは裏腹に、髭に覆われた顔に浮かぶ表情はどことなく嬉しそうだ。
これにて丸一日を費やした修理作業は終わり、男たちは後片付けに取り掛かる。
汚れを拭き取られた工具が工具箱に納められ、中身を使い切った潤滑油やグリスの缶もひとまず箱に戻される。交換された細々とした部品は一まとめにされ、手頃な空き箱へと詰め込まれた。
そして仕上げは水浴び。池からくみ上げた水をふんだんに用い、たった一個の小さな石鹸を交互に使いながら一日の労働で汚れきった体から汗と油、土埃といった汚れををきれいさっぱり洗い落とす。
こうして頭の天辺からつま先まで綺麗になった男たちが元通り服を着た時には、赤く大きな太陽が今まさに地平線に沈もうとしていた。

そして訪れる夜、この地での最後の野営は静かなものとなった。
ストーブの中で燃える炎を囲み、この地での最後の夕食を取る一行。内容は疲れた体、特に胃腸に負担をかけぬようまたも軽めのものだ。
豆と缶詰野菜のスープにおなじみの堅パンと水割りラム酒。いつも通り堅パンを砕いてスープに混ぜ、ふやけさせたものをゆっくり、良く噛んで味わいつつ腹へと収める。ほのかなライム味の配給酒がそれにアクセントを付けた。
そんな食事の席でふとしたことから話題に上ったのはあの怪物のことだった。

「結局あいつの正体やどこから来たか、どうやって来たかについては分からずじまいですな」
「ええ、でもまさか死ぬとあのようになるとは予想できませんでした」

ウールトンの何気ない一言に反応し、死んだ怪物に起こった変化について言及するファウナ。
彼女が投げつけた爆薬により止めを刺された怪物の体は死後しばらくして崩れ始め、最後にはまるで一山の砂のようになってしまった。
彼女を手当てしている男たちの目の前で起こったこの出来事、まるで土や砂を固めて作られた像が雨により瞬く間に崩れる様を思わせる現象は結果として怪物に関する一切の情報を永遠の謎としてしまっていた。

236HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:12:18 ID:xcVmLF4g0
「あいつを殺さず上手いこと生け捕りにしてあれこれと調べれば何か分かったんだろうが、ああなった以上もうそれも無理だろうな」
「そんな悠長なことやってる余裕もありませんでしたしね、仕方ないですよ」
「ですがあいつの仲間だか一族だかがまたやって来る可能性がゼロではない以上、何らかの情報は欲しかったですな」

自分たちの勝利がある意味不本意な結末であることに後悔の念を滲ませるブッシュとそんな彼を遠まわしに励ますブラウン。一方ウールトンは勝利したとはいえ怪物が現れるのがこれっきりだという保障はないという、口に出しづらい事実に敢えて言及する。
その一言を切っ掛けに降りる重い沈黙、だがファウナの声がそれを打ち払う。

「ですがあの怪物が無敵でも不死身でもないことがわかりました。この度の勝利を知れば皆も勇気づけられることでしょうし、皆様が教えてくれた知識を活かせば私たちだけで怪物を倒すことも夢ではないでしょう」

強い、しっかりとした声。表情もまた決意と自信にあふれている。

「勝利を皆に知らせるということは、もしかして旅に出るのですか?」
「ええ、まずはこのことをあちこちに隠れ住んでいる同胞へと知らせに向かいます。楽な旅ではないでしょうけど、必ず成し遂げます」
「女性の身で一人旅、しかもこんな土地を徒歩であちこちへと……大仕事ですな」
「水と食料が山ほど必要になりますね」
「彼女の体は我々とは違うし、魔法という未知の力の助けもある。だがそれでも相当な難事業だ」

彼女の決意表明に驚き、その難しさについてあれこれと口にする男たち三人。だが当人の表情には陰りもためらいも、そして怯みもない。

「皆様の仰るとおり難事業ですが、これは妖精たち皆の上に立つこの私が為さねばならぬことです。まあブッシュさんの仰ったとおり、私たち妖精の体は人間のそれとは違いますし、魔法の助けもあります。それに……」

そこで言葉を切り、右手を宙に伸ばすと魔法を使うファウナ。一瞬後、一同の頭上に柔らかな白い光を発する握り拳ほどの球体が現れる。昨日の夕方、男たちが壊れかけのトラックを修理する際に彼女が用いた光の魔法だ。
燃える炎のオレンジに魔法の光の白が加わり、周囲を照らす光の量が一気に増す。いきなり強まった光に誰もが目をしばたたく中、ブラウンがあることに気付く。

「昨日の時より光が増していませんか?」
「もしかして、あの怪物を倒したことで魔法の力が強まった、ということですかな?」
「正確には元通りになった、あるいはなりつつあるというのが正しいだろう。そうですね?」

237HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:13:56 ID:xcVmLF4g0
ブラウンの発言を受けて推測を披露するウールトンとさらにその言葉を訂正するブッシュ。そんな三人に彼女は頷き、再び口を開く。

「皆様の仰るとおり、あの怪物を倒してから私の魔法はかつての力を徐々に取り戻しつつあります。恐らくあの怪物はこの国に満ちる魔法の力に悪しき影響をもたらしていたのでしょう」
「なるほど、それは朗報だ。しかし魔法が効かぬ上、魔法そのものの使用にも悪影響を及ぼすとは、つくづく厄介な敵でしたな」
「怪物相手に低空飛行してたのが、今度は空高く遠くまで飛べるようになる、ってわけですか」
「いいニュースですな、これなら同胞探しだってはかどるし、隠れ住んでいる同胞たちと合流できればもっと大きなことが出来る」

彼女の話を聞き、それを我がことのように喜ぶ男たち。彼女もつられて顔をほころばせ、内心で密かに思う。

来るべき明るい未来、それはまだ遠いけれど確かに存在するのだ。その未来への道を切り開けたのは、他でもないこの人たちの助けがあったから。
かつてのように一人きりではあの怪物を倒し、こうして笑い会う一時を得ることなど到底不可能だったろう。

そんな一時も程なくして終わり、男たちと彼女は明日に備えて体を休めるべく早めに床に就く。もちろんいざという時のために交代で見張りに立つが、最大の脅威である怪物が消えた今となってはその役目も形だけのものだ。
静まり返った暗闇の中何事もなく時間が過ぎ、やがて東の空が白み始める。

そしてやってきた最後の朝、日の出前に起き出した一同は暗い中で身支度を整え、出発の準備を開始する。
太陽が昇り、周囲が徐々に明るくなっていく中で積み上げられていた木箱の山(ただし数は減り、箱そのものも随分と軽くなっていた)が崩され、並べられていた『フリムジー』と共に荷台へと次々に積み込まれ、荷崩れせぬようにしっかりと固定される。
まだ肌寒い時間帯にもかかわらず男たちの着衣に滲む汗、一方ファウナはそうして働く男たちを横目で見つつ、自発的に食事の支度を始める。
昨日の昼食の際に教えてもらった知識を頼りにオートミールの袋を開け、傷だらけの鍋で粥を煮る。付け合せは昨日の朝の会話を意識したのだろう、数ある缶詰の中からベーコンの缶詰を選ぶ。
昨日使ったクラスプ・ナイフで苦労しながら缶を空けつつ傷だらけのポットで湯を沸かし、茶葉の缶と砂糖の瓶を荷物の中から探し出した頃には作業を終え、腹を空かせた男たちが食器とマグカップを持って彼女を待っていた。
その皿に湯気を立てるオートミール粥とベーコンをよそい、カップに砂糖を入れて熱い茶を注ぐと自らの分も用意し、男たちと車座になって草の上に腰を下ろす。

238HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:15:33 ID:xcVmLF4g0
そして始まる最後の食事、これから待ち受けている別れのことを意識してか、皆言葉少なにただフォークを上げ下げし、皿の上のものを口へと運ぶ。結果意外なほど早く終わる朝食、その片づけを手早く済ませると今度は野営地の撤収作業が始まる。
防水布の天幕が手早く畳まれる側でストーブの中身――燃えさしと灰、そしてガソリン臭い土――が掘られた穴へとあけられ、水をかけられた後しっかりと埋められる。普段は土に埋められる空き缶、空き瓶の類は一纏めにされ、空っぽになった『フリムジー』へと詰め込まれた。
これはこの世界に出来る限り余計なものを残したくない、というブッシュの意向によるものである。

そして最後の荷物を荷台に積み込み、全てのものがしっかりと固定されていることを確認すると再び車上の人となる一同。運転席にブラウン、助手席にブッシュ、荷台にはウールトンとファウナ。四人がこの形で車に乗ることはこれが最後となる。次にトラックを走らせる時は、荷台に彼女の姿はない。
おもむろにブラウンがエンジンを始動させ、暖機運転が始まった。
相変わらず異様な、そして不安定な音を出しつつ回転するエンジンをブラウンがひとしきりあやし、十分エンジンを温めるとアクセルを心持ち踏みつつクラッチをそっと繋いだ。
ゆっくりと動き出すトラック、徐々に加速しながら草の上に轍を残し、オアシス外縁の灌木帯を乗り越えると一気に加速、短い間だが慣れ親しんだ野営地に別れを告げる。だが振り返る者は誰もいない。重要なこと、男たちにとっては元いたところへ帰ること、そしてファウナにとっては彼らを元いたところに帰すことで頭が一杯なのだ。
そんな一同の行き先は四日前、男たちがこの地に始めて降り立った場所だ。
まだまだ低い位置にある太陽の光を受け、周囲の風景と残された轍を頼りにその場所を目指す一行。誰もが言葉少なであり、最低限必要な事意外は口をきかない。それは壊れかけのトラックが時折不調を訴えた時、応急修理(という名のやっつけ仕事)を行うときも変わらなかった。
そして今――――


ふとしたことから始まった会話、そこに新たな参入者が加わる。

「軍曹殿、作業終了です」
「この眺めを見るのは久しぶりですね、まあこれが最後でもありますが」

作業を終えたウールトンとブラウン、前者は律儀に報告を行い、後者は上官に同調するように景色のことを話題にする。
そこにはここまでの道中で漂っていた重たい空気はなく、一同の口も自然と軽くなる。
高く昇った太陽の光がもたらした心境の変化か、それともこれが最後の会話となると分かっての行動か。

239HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:17:08 ID:xcVmLF4g0
「ところで、私たちを元居た所に帰したら旅立つのですな」
「ええ、昨夜も話した通り、まずは同胞を探しに旅に出ます」

その後無論準備というものがありますから、ここからすぐに旅立つわけではありませんけど、と付け加え微笑む彼女。
明るい、心からの笑み、目にした男たちもまた釣り込まれるように微笑み、髭だらけの顔を緩める。

「同胞たちを見つけ、呼び集めてそこから妖精の国を復興させる、ですか。ですがそれは楽なことじゃありませんね」
「承知しております。長い、とても長い時が必要になるでしょう。ですが必ずやり遂げる覚悟です」
「大したものじゃありませんか。怪物相手の戦いの時の活躍にこの決意、ヴィクトリア・クロスでもおっ着かない」

今度はブッシュの指摘に対して断固たる表情で決意を表明する彼女、その言葉に反応し賞賛の言葉を発するのはブラウンだ。
かつては彼女に対し不信感と怒りを示していた彼だが、今の彼からはそのような否定的なものは一切消え去り、替わって戦場で勇敢な行為を示したことに対する賞賛と敬意があふれ出している。

「この国中を巡って生き残りを探し、彼らをあそこに呼び集める。それから家を建てたり井戸を掘ったりしてまともに暮らせるようにする」
「まだまだやることはありますが、必ずやり遂げて見せます。そして一区切りついたなら、街の真ん中に記念碑を建てようと思うんです」
「記念碑? ……もしかして我々の、ですか?」
「ええ、もちろんです」

彼女の口から出し抜けに飛び出した言葉に反応したのはブッシュ。そして半信半疑といった体の質問に返ってきた言葉に驚き、一瞬言葉を失う三人。だが発言した当の本人は至極真面目な表情だ。

「…………こいつはたまげましたな」「いや、まったくですよ」
「……俺たちの、記念碑、か」

しばしの沈黙を破り、口々に内心を吐露する三人。
言葉では驚きを示しつつ笑みを浮かべるウールトン、相槌を打つのがやっとのブラウン。そしてブッシュは万感を込め、記念碑という言葉を口にする。
だが男たちが胸の内にあるものを言葉として発せたのはそこまで、再び沈黙が降りる。
これまで意識して抑えてはいたがそれでもゆっくりと高まってきていた感情、別れを目の前にした人間が抱く様々な想いが胸中を行き来し、男たちから言葉を奪っていたのだ。
それはファウナもまた同じ、あふれ出ようとする感情を隠そうとでもするように軽く頭を振り、横を向いてうつむくと手で顔を覆う。乾いた大気がそこだけ湿り気と重みを増した。
そんな暗い空気を吹き飛ばそうとでもするようにウールトンが大声を発する。

240HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:18:44 ID:xcVmLF4g0
「ああもう、湿っぽいのは無しにしましょうや、そうでしょう?」
「……ああ、そうだな」

部下の一声に大きな深呼吸を一つしてから応じるブッシュ。傍らのブラウンも軽く息を吐き、敢えて笑みを浮かべた。ややあってファウナも手をどけ、向き直る。
その緑色の両目は心持ち潤んでいたが、敢えてそれを指摘するような無粋な者はいない。

「皆さん、本当にありがとうございます。それでは――――」
「ああ、ちょっと待ってください。渡すものがあるんです」

喋りかけた彼女を唐突に押し止め、トラックの方へ取って返すブラウン。残りの三人が不審げな表情を受かべる中、定位置である運転席によじ登り、座席後方の空きスペースに手を突っ込む。
ひとしきり手を動かすと目当てのものを取り出し、再び彼女の前へと小走りで戻り、差し出す。

「これは、あなたの?」
「ええ、そうですよ」

ブラウンが彼女に差し出したもの、それは彼がしばしば被っているニュージーランド軍のスローチ・ハットだった。
カーキ色のフェルト地で作られたつば広の帽子、『レモン絞り』という別名通りにすぼまった天辺、正面にはLRDGの徽章である『車輪の中の蠍』が縫い付けられている。
おずおずと手を伸ばし、差し出された帽子を受け取ると恐る恐る頭へと載せるファウナ。だが少々大き過ぎたようで、両目のすぐ上までがすっぽりと隠れてしまう。まるで子供が大人の帽子を被ったかのようだ。
それをあみだに被ることで何とか取り繕う彼女。微笑みながら見守る男たちに照れたような笑みを返すと差し出した相手に問いかける。

「良いのですか、その……」「いいんですよ。ええ、いいんです」

打てば響くように返ってきた言葉、当の本人も、そして他の二人も満面の笑みを浮かべ、無言で頷く。
その視線に込められたのは賞賛と親愛、そして敬意だ。
彼女は黙ってその全てを受け入れ、続いて中断されていた感謝の言葉を再び述べる。

「皆様、本当にありがとうございます。この国が救われたのは皆様方のお陰、私も、そして同胞たちもあなた方のことを永遠に語り継ぐことでしょう」

笑みと共に述べられた感謝の言葉、だがその声には隠し切れない涙の湿り気がある。
それに応えたブッシュの言葉もまた、同様だ。

「それは我々もです。皆あなたとこの国で体験した出来事を死ぬまで忘れませんよ」

短いが万感をこめた言葉、傍らの二人は無言で頷く。
一息後、三人の男は見事な敬礼を行い、ファウナもまた、慣れない手つきでそれに応えた。
短い沈黙、言葉にならない想いが一人の女性と三人の男の間を行き交う。

241HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:20:17 ID:xcVmLF4g0
「それでは皆様トラックへ、これより魔法を用いて皆さんを元居た場所へと帰します」

上げていた手を下ろし、絡みついたものを断ち切るかのようなきっぱりとした口調で指示を出す彼女。男たちは無言でトラックへとよじ登り、持ち場に着くと防塵ゴーグルを掛け、口元をスカーフでしっかりと覆う。一方彼女は小走りでトラックから離れると踊るようなしぐさをしながらトラックの周囲を回り始めた。かすかに聞こえてくる彼女の声、呪文か何かを唱えているのだろうか。
一周、二周、そして三周、いつしか風が巻き起こり、時間の経過とともに強くなる。だが奇妙なことに歩き続ける彼女の衣服は乱れず、あみだに被ったスローチ・ハットも吹き飛ばされるようなことはない。
そして舞い上がる砂塵、薄茶色をしたベールが視界を遮り始め、三人の目から彼女の姿をゆっくりと隠してゆく。やがて視界を巻き上がった砂塵と土埃が完全に覆い、空も大地も覆い隠した。
吹きすさぶ風のせいで呪文を唱える彼女の声はもう聞こえないが、この風が途切れていないところを見ると儀式は未だに続いているようだ。
それぞれの場所で姿勢を低くし、無言で『その時』を待つ三人。だが感じ取れるような異変は全く起こらず、やがて砂嵐は弱まり始め、視界が回復し始める。
そして――――



「見えたぞ! 味方のトラックだ! 帰ってきたんだ!」






イタリア領リビア東部キレナイカ地方、クーフラ。
キレナイカの南部にあり、西のエジプト、南のフランス領チャド、そしてリビア各地へと繋がる街道の結節点であるこのオアシス都市は1941年5月現在、その所有者をイタリア人からイギリス人へと変えていた。
それを証明するかのように焼け付くような陽光に照らされた町のあちこちには英国兵の姿があり、主要な建物にはユニオンジャックが掲げられている。また郊外ではナイル川のほとりからはるばる砂漠を超えてやってきた輸送部隊のトラックが荷を下ろし、開設された野戦飛行場には主翼と胴体にラウンデルを描いた連絡機が翼を休めていた。

そんなクーフラ市街地の一角にある建物の一室では現在、LRDGの主要メンバーによる会議が開かれていた。
砂漠の強い日差しを遮るために全ての窓にブラインドが下ろされているため、室内は昼だというのに薄暗い。また室温は戸外より低いとはいえかなりの高さ。ただし湿度が極めて低いため、蒸し暑さで不快極まりない思いをすることだけはない。
そんな乾いた熱い空気を天井に設置されたファンがかき回し、室内にささやかな空気の流れを作り出している。その下で使い込まれた四角いテーブルを囲み、椅子に深く腰掛けて手にした書類の束に無言で目を通す五人の男たち。誰もが熱帯用の軍服をラフに着こなし、日焼けした顔には髭を蓄えている。

242HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:21:55 ID:xcVmLF4g0
一同の上座に座るのはLRDG創設者であり指揮官でもあるバグノルド中佐。元々は有名な探検家であり、過去には自動車を用いてサハラ砂漠を何度も探検したことのある人物だ。またLRDGの車両に必ず備え付けられている航法装置、バグノルド式サンコンパスの発明者でもある。
その右側に座るのはプレンダーガスト少佐、隊長の片腕にして彼とともにサハラ砂漠探検を行った人物。日頃は石橋を叩いて渡るような性格であるが、その一方で無能者には容赦ない罵声を浴びせるような『熱い』部分も持ち合わせている。
そのプレンダーガストのさらに右にはケネディ=ショウ大尉、見た目は生え際がだいぶ後退した(加齢のせいではない、砂漠の苛酷な環境に毛根が痛めつけられたのだ)しょぼくれた見かけの男といったところだが、実はバグノルドやプレンダーガスト同様砂漠の専門家であり、そして腕利きの情報将校でもある。
一方中佐の左側にはR偵察隊隊長であるスティール大尉とG偵察隊隊長であるクライトン=スチュアート大尉がプレンダーガスト、ケネディ=ショウの両名と対面する形で座っている。二人とも偵察任務の時は伸ばし放題であった髭をさっぱりと剃り落とし、ぼさぼさであった髪もきっちりと整えていた。

容姿も生まれも育ちも違う五人の男たち。だが今、一同の顔にはほぼ同じ感情が浮かんでいた。
隠し切れぬ困惑、あからさまな疑い、非常識さに対する呆れ、そして精神的な疲労。彼らはそんな感情を代わる代わる顔に浮かべつつ、おおよそ一時間前から無言で手にした書類――ウールトン、ブラウン、そしてブッシュが手ずから記した供述書と彼らの尋問を行ったLRDG幹部たちの報告書――の束を繰り、内容に目を通し続けてきた。
だがそんな時間も終わり、一同が書類に目を通し始めてから今まで降りていた沈黙がついに破られる。

「正直、何度読んでも信じられんな」

ため息交じりの発言、プレンダーガストのものだ。
普段は冷静かつ慎重な言動の彼だが、そんな彼をしてこのような言葉を吐かせるほどその内容は突拍子もないものであった。それに対し残りの四人はある者は賛同の唸りを洩らし、またある者は無言で眉をひそめる。

「ですが私とスティール、スチュアート両大尉の三人で何度も尋問を繰り返したのです。そして言動にも内容にもなんら矛盾は見られなかった」

そう発言したのは隣に座るケネディ=ショウ。彼のその発言に合わせて対面に座る二人の大尉もまた、肯定の頷きを行った。

243HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:23:36 ID:xcVmLF4g0
「もちろん、身体や精神に異常がないか検査も行いましたよ、でも結果は異常なし」

まあ疲労やら些細な怪我やらはありますがね、と付け加え、発言を締めくくるケネディ=ショウ。
腕利きの情報将校の発言に現在のLRDGナンバー2はまたもやため息を漏らし、相手同様禿げ上がってしまった前頭部の中で未だに生え残っている前髪の辺りを掻く。

「まったく、ただでさえあれこれと面倒事が山積みなのに……どうしたものでしょうね、ラルフ?」

ラルフと呼ばれた上座の男、即ちバグノルド中佐はそんな友人にして部下をちらりと見ると、その場の全員に向けて己の意見を述べる。

「どうするか、だって。そりゃ決まってるよ」

咳払いを一つ、ついでに卓上のマグカップから水を一口飲んで喉を湿らせると言葉を継ぐ。

「偵察任務中にトラック一両が部隊からはぐれるも無事に再合流に成功。なおはぐれた連中はイタリア軍と思しき部隊と交戦し損害を受けるも全員無事。これが全てだよ」

そこまで言うと卓上のコップに再度手を伸ばし、乾いた口をまた湿らせて口を開く。

「報告書とかにはそう書き記した上で関係者全てに『あの一件はそういうことになった、他言は無用』と一筆書かせた後念押しでもしておけばいい。それでこの件は終わりさ」

その発言に一同の顔色がはっきりと変わる。無論、肯定的なものではない。
この奇妙な事件をしかるべき所へ報告もせず『無かったもの』として取り扱い、終わらせる。それは明らかな隠蔽工作、組織の一員として明らかな問題行動だった。
不穏さを増す一座の空気、普段は生みの親であり指揮官でもあるバグノルドの元家族の如く団結しているLRDGでは珍しいことだった。
そんな雰囲気をいち早く読み取った中佐が機先を制して口を開く。

「この状況で詳細な調査なんてする余裕もないし、そもそもそれはLRDGの役目じゃない。今の我々は探検家じゃなく軍人だぞ、少佐」
「ですが報告すらしないとは……」

長い付き合いの友人を敢えて階級で呼び、現在の自分たちが何者であるのかを遠回しに示すバグノルド。一方プレンダーガストは納得できぬという表情で食い下がる。
だが当のバグノルドはにべもない。

「だいたいこの報告書をそのままカイロの司令部に送ってみろ、我々は確実に狂人扱いされる。場合によってはここにいる皆がLRDGから外される、いや」

咳払い一つして再び口を開く、その声は重々しい。

244HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:25:24 ID:xcVmLF4g0
「LRDGそのものが縮小、最悪解体される可能性だってある。君もカイロのお偉方の石頭ぶりは知ってるだろう?」
「……ええ」

自分たちLRDGの上位組織である中東方面軍司令部の高官たちについて言及するバグノルド。
LRDGの前身であるLRPが誕生したおよそ一年前、その頃から彼とプレンダーガスト、ケネディ=ショウといったLRDG主要メンバーは、古い考えに凝り固まった老人や官僚主義丸出しの連中と会議のたびに何度も顔を突き合わせ、時には激しいやり取りをしてきた。
特にプレンダーガストなどはその性格ゆえ、軍歴も階級も数段上の相手に対して容赦ない言葉を吐いたことが一度ならずある。結果LRDGという新興の部隊の存在を煙たがる人物の数は現在、結構なものとなっていた。

「彼らのような職業軍人から見れば我々LRDGは司令官に取り入った探検家上がりが植民地の連中を率いて探検隊ごっこと戦争ごっこを同時にやってる、そんな存在さ。正直目障りで仕方ないだろう」
「ですがウェーベル閣下のような人もおられます。無論、誰もがそうでないことは承知しておりますが」

それでも彼らがこうして戦い続けていられるのはこれまでに挙げた戦果とLRDGの前身、LRPの設立を承認したアーチボルト・ウェーベル中東方面軍司令官を初めとする理解者、後援者たちの存在あってのことだ。
無論、この部屋にいる男たちはそういった事情を部分的、もしくは全体的に把握しており、それゆえ現在の部屋の空気は先ほどの不穏なものから一転、不承不承、あるいは納得出来ずとも受け入れるしかないといった具合のものになりつつある。
事実ため息や鼻を鳴らす音が続けざまに室内に響き、男たちの表情に浮かぶ不満げな表情は先ほどのそれとはやや色あいが違ったものになりつつあった。
そんな流れを把握しつつ再び口を開くバグノルド、ただし今度の話題はLRDGのものではない。

「そのカイロのお偉方たちが反攻作戦の準備を進めている。今月中にも国境地帯で小規模な攻勢作戦が行われるし、来月にはそれ以上の規模の作戦が決行される」

その一言に表情を引き締める一同。
昨年秋に始まったイタリア軍の規模こそ大きいが鈍重な侵攻を撃退し、余勢を駆ってリビアへと逆侵攻。撤退するイタリア軍の大部隊の退路を断って包囲殲滅し、さらにトブルクやベンガジといった主要な都市を次々と陥落させるという多大なる戦果を挙げた中東方面軍。だが年が変わり、暦の上では冬と春が入れ替わる頃に彼らの前に新たに現れたのはヒトラー直々の命を受け、送り込まれたドイツ軍だった。

245HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:27:02 ID:xcVmLF4g0
エルウィン・ロンメルという名の将軍に率いられたこのドイツ軍部隊は小規模かつ戦備も不十分であるにもかかわらず積極果敢な攻勢に打って出て、リビアの大半を手中に収めつつあった英軍各部隊をわずか一月の間に蹴散らしリビア・エジプト国境まで進出、今や首都カイロやアレクサンドリア軍港、そしてスエズ運河といった大英帝国にとってかけがえのないを要衝を窺うまでになっている。
その新たな敵、イタリア軍とは比べ物にならぬ強敵に対し本格的な反攻作戦がついに行われるのだ。

「つまり我々にはこのような些細なことよりも大事なことがある、というわけですか」
「ああ、情報収集に後方撹乱、やることは幾らでもある。そんな時にこんな与太話を報告してみろ。頭がおかしくなったと思われるのが落ちだよ」

彼らの指揮官の発言に賛同のうなり声を上げる一同。
極めて重要な作戦が開始される前の多忙極まりない時期に新参者の部隊が意味不明な報告を上げる、確かに良い印象も好意的な評価もされないであろう。
否定的な考えを持つ者はここぞとばかりに非難の声を上げ、好意的な者も弁護をためらい、口をつぐむ。結果部隊の信用と評価は低落し、場合によっては部隊そのものの浮沈がこれで決まるだろう。
室内の男たちの頭脳にそういった想像が浮かび、染み渡っていった。

かくして会議の流れは決し、程なくして採られた決によりこの奇妙な事件は封印されることが決定する。
そして散会、まず二人の小隊長が相次いで辞去の挨拶をすると、今回の問題の渦中にある己の部下にしかるべき命令を下すべく去って行く。行き先は市街地にある別の建物、そこに件の三人が適当な名分の下隔離されているのだ。
薄暗く暑い部屋にはバグノルド以下三人が残り、それぞれが手元の書類を読み返したり、無言でタバコをふかしたりしていた。
紫煙とともに室内に立ち込める重たい沈黙、そんな時残った三人の中で口を開いた者がいた。ケネディ=ショウ、手にした書類をテーブルに置き、思いつめた表情でバグノルドの方に向き直ると話しかける。

「ラルフ、この『妖精の国』のことなんですが……」
「君の言いたいことは大体予想がついている、ゼルズラ、だろう?」

それはサハラ砂漠東部、現在のリビアかエジプトのどこかに存在すると言い伝えられてきた伝説の都市のことだった。
砂漠の中に存在する緑豊かなオアシスとそこにある石造りの建物で作られた、美しく豊かな都市。だがその所在を明らかにした者は20世紀の現在に至るまで誰一人としていない。

246HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:28:25 ID:xcVmLF4g0
この部屋にいる三人もかつで探検家だった頃に何度も聞いた耳慣れた名前ではあるが、実在するとは思っていなかった存在だ。
ところが今、奇妙な偶然からその幻の存在との関わりがありそうな情報が転がり込んできている。

「ええ、ひょっとしたら、あの伝説と何か関わりがあるんじゃないかと思うんですよ」

そう言って卓上の書類に目を落とす彼、その一言に隣でタバコをふかしていたプレンダーガストが反応する。

「もしそうだとしても、誰がこの話を信じる? まあ、あのハンガリーの『伯爵』あたりなら喜んで飛びつきそうだが」
「アルマシーか、彼はゼルズラにことのほか御執心だったからな」

バグノルドが口にした人物の名前に反応する二人。浮かべた表情にはどこかしら昔を懐かしむような雰囲気がある。
『伯爵』ことラズロ・アルマシー、ハンガリー貴族の生まれであり、彼ら同様サハラ砂漠の探検家として名を成した人物だ。数多の探険家たちの中で彼ほどゼルズラに固執し、伝説の都市を見つけ出すために情熱を傾けた人物は他にいないだろう。
事実彼はゼルズラ探索のための探検隊を何度も組織し、ついにはゼルズラの伝説に出てくるものと思しき谷や先史時代に描かれたであろう壁画まで発見している。

「だが彼は今現在、敵国の人間です。まあこの戦争が終わったら――――」
「話すのかね?」

軽い口調で何気ない発言をする自分の部下に固い口調でバグノルドは問いかける。その表情は厳しく、視線は鋭い。
その反応にケネディ=ショウは思わず口をつぐみ、隣のプレンダーガストも姿勢を正す。

「この件はなかったものとする、先ほど決めたはずだよ」
「……申し訳ありません」

部下の謝罪の言葉に無言で頷き、立ち上がるバグノルド。そのままドアへと歩み寄り、部屋を出る前に振り向くと告げる。

「さあ諸君、会議は終わりだ、そしてこの件も終わりだ。仕事が待っているぞ」

その言葉に立ち上がり、卓上の書類を纏めると上官の後を追う二人。
かくして三人のLRDG隊員が体験した奇妙な事件は封印され、公式文書へと載ることはなかった。そして関わった者たちの記憶もまた年月とともに磨耗、そんなことがあったということすら忘れ去られてゆく。
ただ一部の者が漏らした断片が不確かな噂話となり、物好きな連中の口に時折上ることはあったが、それもまたあぶくのように儚く消え去り、滔々たる歴史の流れの中に深く沈んでいった。



ただ真相を知る三人の男を除いては

247HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:29:42 ID:xcVmLF4g0
投下終了
次回投下は来月中旬の予定です

248HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/06(土) 20:50:19 ID:xcVmLF4g0
予定を繰り上げて明日午後8時より投下を開始します
なお今回は本編よりいったん離れ、短めの番外編3作をまとめて投下します

249HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:00:30 ID:xcVmLF4g0
それでは予定通り投下を開始します

250HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:02:16 ID:xcVmLF4g0
番外編その1『ポプスキの与太話』


む、ここらじゃ見ない顔だな

うん? ――の記者なのか、ということは君も特ダネ目当てか。
断っておくが、君たちの喜びそうな話はもう無いぞ。

なに? まだあるだろうって? いい加減にしてくれ。
若造の君は知らんだろうが、私は北アフリカやイタリアで戦ってた頃から君のような連中の取材を数えきれないほど受けてきたんだ。
少年時代、学生時代のことに始まり最初の世界大戦、戦間期、そして今回の戦争……違う奴相手に同じことを何度喋ったことか。

申し訳ない? だったらせめてペンと手帳を引っ込めてくれないかな。
そうしてくれたなら君のその勤労意欲に敬意を表して一杯おごろうじゃないか。

ああ、聞き分けがいいな。これまで会った連中とは大違いだ。
ウェイター君、彼にギネスを一杯。

ところで君、その喋り方はもしかしてスコットランド生まれ、それも都会育ちじゃないか。
やっぱりな、生まれも育ちもグラスゴーか、うんうん。
そういえばスコットランド人絡みでちょっとした噂を聞いたことがあるな。
ただこの噂、本当のところ喋っちゃいかん事なんだろうが…………。

お、食いついてきたな。でもこの噂は君の上司が欲しがってるようなものじゃない。
むしろこんな話を持っていった日には、働きすぎて頭がおかしくなったと思われるぞ。

おやおや、それでも聞きたいって? 好奇心旺盛だな。いいだろう。
でも聞いた後であれこれ言わんでくれよ。これはあくまで私が聞いた噂話であって、実際に体験したことじゃないからな。
では、話すとするか。


 ―――――――――――――――――


――と、まあこんなところだ。
……流石に信じられないか、無理もない。

からかわないで下さい? いやいや、私は至極大真面目だよ。
ただ話す前にも言ったがこれはあくまで噂話だ、この話自体誰かがでっち上げた与太話なのかもしれない。
君も学生の頃に先輩からその手の話を聞かされたことがあるだろう?

なぜそんな話をしたかって? そうだな、本当かどうかはさておき、面白くはあったろう?
まあ突拍子もない話だという君に意見には同意するがね。

さあどうする
この話を兵隊たちのジョークとして記事にするかい? それとも戦場の噂話、真偽不明な逸話として記事にするのかな?
まあ何にせよ、それを決めるのは君だ、私じゃない。

251HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:03:53 ID:xcVmLF4g0
……やれやれ、行ってしまった。せっかちな若者だな。
彼はもう少し落ち着いた行動を心がける、いや『立ち止まって考える』ことを大事にした方がいいな。
まあ記者なんて速さが求められる商売にはあれで良いのかも知れんが、見ていて少々危なっかしい。

ん、こいつは何だい、ウェイター君。ほう、君からのおごりだって?
はは、仕事しながら私の与太話を聞いてたのか、しかも興味を持ってくれるとは嬉しいね。
なに、もう一度話して欲しいと? ああ、今度はちゃんと聞きたいのか、いいとも。
おーい店主、ちょっと彼を借りるよ。店も空いてるようだし構わんだろう?
そら、お許しが出たぞ、それじゃそこに……ああ、その前にギネスをもう二杯頼むよ。もちろん払いは私だ。

やあ、ご苦労さん。じゃあそっちの方を貰おうか、もう一つは君の分だ。
いやいや、そこまで恐縮せんでもいい。この頑固な老いぼれの与太話に興味を持ってくれた君への礼だよ。
うん、それじゃもう一度話すとするか。
知っての通り少々長い話だ、楽にして聞いてくれたまえ。


 ―――――――――――――――――


…………ふう、流石に同じ話を二度続けざまに話すというのは疲れるな。
しかし君、凄い顔をしてるな、話に完全にのめりこんでいる。
まあそこまでかぶりついてくれるのは話し手としては嬉しい限りだがね。

うん? この話をどこで誰に聞いたかって? もちろん北アフリカの砂漠でLRDGの連中からだよ。
まあイタリア人から分捕ったワインを空けながらの内輪話、しかも聞いての通り与太話だったから相手の名は明かせないがね。

ところで君、名前はなんと言うんだ?
ふむ その姓からすると君もスコットランド生まれか、なるほど。
まあ偶然なんだろうが、なんというか運命じみたものを感じてしまうな。
おっと、年甲斐もない事を言ってしまった、今のは忘れてくれよ。

お、もう仕事に戻るのか。働き者だな。
だが若い頃は働いてばかりじゃ駄目だぞ、もっとこう、冒険をしないといかん。
例えば、この話の出どころを調べてみるとか、手がかりを探しにエジプトへ旅に出る、とかな。
そうやって知識と経験を身に着け、己の見識を広げるんだ。そうすれば後々役に立つ。
まあそのためには先立つものがいるんだが、働き者の君ならそれくらいすぐ用意できるだろう。

それじゃ、頑張りたまえよ。
お、いい返事だな、結構結構。だが私の階級は大佐じゃなく中佐だし、もう退役してるんだがな。
店主、彼を返すよ。出来る奴だから良くしてやってくれ。

…………さて、そろそろ暗くなってきたしお暇するとするか。
この世界に、そしてあるかどうかも分からぬ妖精の国に平和あれ、そして未来ある若人達に幸いあれ、だ。

252HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:05:47 ID:xcVmLF4g0
ウラジミール・ペニアコフ(Vladimir Peniakoff)

英国陸軍軍人、1897年生、1951年没、男性。愛称は『ポプスキ』。
第1爆破戦隊(No.1 Demolition Squadron)、別名『ポプスキの私設軍』(Popski's Private Army,PPA)創設者にして指揮官。
英国で教育を受けたベルギー生まれのロシア系ユダヤ人。
第二次大戦では英陸軍に志願。語学に堪能であることから通訳として1942年に新設のアラブ人部隊、リビア・アラブ軍に配属されるが、自身はこの待遇に満足せず独断で特殊部隊『リビア・アラブ軍コマンド』(LAFC)を立ち上げ、イタリア領リビアのキレナイカ地方において枢軸軍に対しゲリラ戦を行う。
1942年半ばにLAFCが解体されるとLRDGに協力、その後1942年10月に新設の特殊部隊である第1爆破戦隊の指揮官となり、その後は同部隊の指揮官として北アフリカ及びイタリアで戦った。
戦後に中佐で退役後、回想録『Private Army』(後にPopski's Private Armyと改題される)を著している。
愛称の『ポプスキ』の由来は当時英国の新聞『デイリー・ミラー』で連載されていた人気漫画『Pip,Squeak and Wilfred』の登場キャラクターの名前からである。


第1爆破戦隊(No.1 Demolition Squadron)

第二次世界大戦中に創設された英軍の特殊部隊の一つ。別名『ポプスキの私設軍』(Popski's Private Army,PPA)。
1942年10月にエジプトにおいてウラジミール・ペニアコフ(Vladimir Peniakoff)英陸軍少佐によって創設された。
当初の構成員は英陸軍軍人であったが、これ以外にも様々な人種、国籍の民間人や対独レジスタンスなどが途中から参加している。
主な任務は敵戦線後方における情報収集と破壊活動、友軍の支援など。
なお、隊の別名である『ポプスキの私設軍』の由来は当時の新聞漫画の登場人物の名前からであり、隊を率いたペニアコフ少佐のあだ名でもあった。

253HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:07:56 ID:xcVmLF4g0
番外編その2『L分遣隊隊長のメモ』


メモ

妖精事件(仮称)について

時期:
1941年春(クーフラ陥落以降)から初夏(バトルアクス作戦)の間
複数の噂話を総合するに事件が起こったのはこの頃のはず

場所:
おそらくリビア北東、キレナイカ地方北部
この時期LRDGが主に活動していた地域から推定。ただし隣接するトリポリタニア地方北東部、もしくはフェザーン地方東部である可能性もある

関係者:
LRDG-R偵察隊、もしくはその一部
NZ偵察隊の関与は確実
この時期NZ偵察隊中動けたのはRとWのみ、Wは無関係と確認、よってR

関与した者の人数:
最低三名(LRDG車両の標準的な乗員数より)
ただしこれ以上の可能性は十分ある

妖精:
未知の原住民部族か? 未確認
女性が族長? ありえない
彼女以外に人はいたのか? 規模は? 全て不明

怪物:
意味不明
落伍したイタリア軍部隊の車両? 不明
戦車ではない、装甲車?
地下から現れた、地下壕?
乗員についての言及なし 何故?

生存者:
NZA、不明、おそらく複数。ドデカニサ戦で戦死? 原隊に復帰?
BA、少なくとも一名。近衛もしくはヨーマンリー出身者?
何故R偵察隊に? 不明

公的文書:
一切記録なし、隠蔽されたと見て間違いないだろう
どの段階で? R偵察隊? LRDG? 中東方面軍?

R偵察隊:可能、ただしこうして情報が漏れている以上、公算は低いと思われる
LRDG:可能、最も公算高し
中東方面軍:不可能、関与する者が多すぎる

LRDG首脳陣:
RB、GP、BKSの反応はシロ、ただし状況的に知っていたのはほぼ確実
彼らが隠蔽した?
JEは戦死、近しい者に話を聞くべきか?
DLOの反応はシロ、こちらは知らされてない公算のほうが高い

その他の人物:
VP――何か知っている?

要調査-必要?

22.Jul.1950


1990年代後半、某所にて開かれたオークションに出品された古い手帳のあるページの内容より。
手帳はSAS初代指揮官である故デヴィッド・スターリング英陸軍大佐のものと言われているが、真偽は不明である。

254HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:09:36 ID:xcVmLF4g0
アーチボルド・デヴィッド・スターリング(Archibald David Stirling)

英国陸軍軍人、1915年生、1990没、男性。
特殊空挺部隊(Special Air Service)創設者にして初代指揮官。
第二次世界大戦では将校訓練過程を経て近衛旅団スコッツ・ガーズ大隊に任官し、さらにそこから第8コマンド大隊に志願する。その後1941年7月にSASを組織、初代指揮官として北アフリカで様々な作戦に参加した。
1943年1月、チュニジアでの作戦行動中にドイツ軍の捕虜となるも数度に渡って脱走を試みる。しかしいずれも失敗に終わり、最終的にはヨーロッパへ送られ、ドイツ東部にあるコルティッツ城(当時捕虜収容所として使用されていた)で1945年4月まで捕虜生活を続けた。
大戦終結後も1960年代半ばまで軍に留まり続け、最終的には大佐で退役している。


特殊空挺部隊(Special Air Survice)

第二次世界大戦中に創設され、現在も存在する英軍の特殊部隊。
1941年7月、エジプトにおいて英陸軍のデヴィッド・スターリング少佐により創設された。
当初の任務は敵飛行場への襲撃作戦が中心だったが、後に敵軍戦線後方への潜入作戦や情報収集、飛行場以外の重要拠点への襲撃なども行うようになる。
創設当初の部隊名称は『特殊空挺旅団L分遣隊』、これは部隊規模を実際より(発足当初の人員は65名)大きく見せかけることで敵を撹乱するための偽装名称である。
第二次世界大戦では北アフリカ、イタリア、バルカン半島、フランスなどで戦う一方でSAS自体も部隊規模を拡張、終戦時には英軍二個部隊に加え自由フランス軍二個部隊およびベルギー軍一個部隊が存在していた。
大戦終結と共に一旦解体されるが、1947年に再結成。その後も様々な戦争、紛争、対テロ作戦で活躍しつつ現在に至る。

255HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:11:21 ID:xcVmLF4g0
番外編その3『「伯爵」の独白』


――――今ややむを得ぬ事情で故郷を離れ、愛しているとはいえ異郷の地であるこのエジプトで人生を送っている私にとって、先日転がり込んできたこの奇妙な情報はある意味信じがたいものだった。
にわかには信じがたい噂話、その切れ端を集め纏めたもの。出所こそある程度特定されてはいるものの、情報自体は断片的かつ整合性を欠いたものだ。
だが同時にこれが長年追い求めてきたものと何らかの関わりがあることは、恐らく間違いないであろう。

ただ私自身はこのことを周囲の者に話すことは考えてはいないし、記録に残しておくつもりもない。
出所がかつて敵として戦った英軍、それも知己のいたLRDGである公算が極めて高い以上、彼らの名誉のためにもこのことは秘されるべき。それが私の考えだ。
バグノルド、プレンダーガスト、ケネディ=ショウ、そしてパット・クレイトン、意見の違いから対立することもあったが皆いい男たちだった。
そんな彼らがいた部隊がこの不正確かつ信じがたい噂話の出所だ、などとこの私が書き残し、死後にそれが人目に触れた場合、彼らはあらぬ疑いと無遠慮な視線により迷惑をこうむり、不快な思いをするであろう。そんなことは到底出来ない。

もっとも、私自身はこの噂話に大いに惹かれている。
何度確かめても怪しげな話ではあるが、幾度となく探し求め、追い求めたゼルズラ。あの伝説のオアシス都市へと至る道しるべとなるかも知れないのだ。
大抵の者ならこんな噂話を信じて行動を起こすなんて正気の沙汰ではない、と言うだろう。だがわからず屋には言わせておけばいい。
トロイアを発掘したシュリーマンだって最初は狂人扱いされたのだから。
だからこそ、今の自分の状態、若さも健康も地位すらも失い、かつての知己の温情にすがって異郷の地で生きていかざるを得ないという落魄したありさまが残念でならない。
失ってしまった三つのうち二つ、いや一つでもあれば…………いや、詮無いことだ。

ああいけない、思考が逸れてしまった。これも老いたということの表れなのか。
何とも情けないことだ、だが自己憐憫に浸るつもりはない。
この不確かな手がかりを元にして目指すものへとたどり着くには相当な時間が掛かるのは間違いなく、そして私に残された時間はもう多くはない。
無駄に出来る時間はないのだ。

256HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:12:50 ID:xcVmLF4g0
まずは今回得られた情報を整理し、私がこれまでに知りえた事とつき合わせなければならない。
断片的かつ不確かな情報ではあるが、既知の情報と比較対照を行うことで浮かび上がってくるものがあるはずだ。
相当な時間が掛かる面倒な作業だがやるしかない。

いや、ここはいっそのことバグノルドたちに直に聞いてみるべきか。
現状この一件について私が持っている知識は断片的、かつ不確かなものだ。だがLRDGを組織し指揮していた彼らなら、より詳しい情報(とはいっても所詮は噂話だろう)に接していたはずなのだから。
ただ戦争は終わり、私も彼らも軍から身を引いたとはいえかつてはお互い敵同士であり、数多くの機密情報に触れた身だ。
すんなりと話してもらえる可能性は限りなく低い、場合によっては何のことかととぼけられ、誤魔化されるかも知れない。
最悪門前払いされる可能性もある、やはり止めておくべきか。

何はさておき、まずはこの噂と手持ちの情報の照合だ。その次は新たなる探検旅行の計画立案。その後もやるべきことはまだまだある。
後援者の獲得に資金の調達、人員の募集も忘れてはいけない。
もちろん、この噂については一切を伏せたままで行わなければならない以上、関係者への説得や交渉はかなり面倒なことになるだろう。
だがかまうものか。
これから行う探検旅行はほぼ間違いなく私の人生最後のものとなるだろう、ならばなんとしてもやり遂げてみせる。

願わくば妖精の国に住まうという妖精たちよ、私を失われたオアシスへと導いてくれ。

257HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:14:50 ID:xcVmLF4g0
アルマーシ・ラースロー(Almasy Laszlo、ハンガリー語の場合、英語ではラズロ・アルマシー Laszlo Almasy)

ハンガリー人、1895年生、1951年没、男性。
ハンガリーの貴族、探検家、軍人。1920年代より北アフリカの砂漠の探検を行い、30年代からはサハラ砂漠東部にあるという幻のオアシス都市『ゼルズラ』探索のための探検隊を何度も組織し、最終的には先史時代の洞窟壁画を発見するなどの成果を挙げている。
第二次世界大戦では祖国ハンガリーが枢軸国の一員となると探検家時代に得た知識と経験を活かしてドイツ軍に協力。探検家時代共に探検旅行を行ったことがあるクレイトンが捕虜となりヨーロッパへと送られた時は捕虜収容所の彼を訪問、さらに1942年には砂漠を越えてエジプトのカイロにスパイを潜入させる『サラーム作戦』に参加。これを成功させたことによりドイツ軍から勲章を授与されている。
戦後は共産化された祖国を離れてエジプトで暮らし、1950年には新たに設立された砂漠研究所の所長に任命されたが、その翌年オーストリア滞在中に病気により体調を崩し、同地で生涯を終えた。
マイケル・オンダーチェの小説『イギリス人の患者』およびこれを映画化した『イングリッシュ・ペイシェント』の主人公、ラズロ・アルマシーのモデルでもある。


ゼルズラ(Zerzura)

サハラ砂漠東部(リビア砂漠)に存在するとされてきた伝説のオアシス都市。様々な古文書にその存在が記されているが、多くの探険家たちの努力にもかかわらず都市およびその明確な痕跡は現在に至るも発見されていない。
アルマーシはゼルズラが実在すると考えて何度も探検を行ったが、バグノルドはゼルズラはあくまで伝説上の存在であり、発見することは不可能であると考えていた。

258HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:17:04 ID:xcVmLF4g0
番外編投下終了、次回より本編に戻ります
投下時期は来月中旬を予定しております

259HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/17(土) 19:44:11 ID:xcVmLF4g0
予定通り明日午後8時より投下を開始します

260HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:00:41 ID:xcVmLF4g0
それでは投下開始します


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