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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

489Republica de Venexia:2015/02/15(日) 01:01:06 ID:???
2月15日はフベルトゥスブルク条約が締結された日です

>>323の神聖ローマ皇帝位継承問題をきっかけに勃発したオーストリア継承は、>>319で見たようにオーストリアが帝位を確保したものの、大工業地帯であるシュレジエンをプロイセンに奪われることとなりました
この後オーストリアは改革を進め、常備軍の設置、議会権限の縮小、中央政府の支配域拡大などが図られます
とりわけ大きな改革となったのは外交面で、なんとフランスと同盟を結びます
>>298>>280で見たように、フランソワ1世やルイ14世らがオスマン帝国と同盟を結ぶほどハプスブルク家に対抗心を燃やしていたフランスが、オーストリアと同盟を結んだのです
1756年のこの同盟は外交革命と呼ばれます

すでに1750年にロシアとも同盟を結んでいたオーストリアはプロイセン包囲を進めていきます
これに対しプロイセンのフリードリヒ2世が先制攻撃を仕掛けて七年戦争が始まり、プロイセンは>>341のロスバッハの戦い、>>374のロイテンの戦いに勝利し緒戦は優勢に進めました
しかしプロイセンはオーストリア・フランス・ロシアの大同盟にスウェーデン、ドイツ帝国諸侯も敵に回して劣勢となり、1759年にはクーネルスドルフの戦いに敗れ、1760年には首都ベルリンが占領されます

しかしこの好機に同盟軍の足並みは揃わず、この間にプロイセンは態勢を挽回するというブランデンブルクの奇蹟が起こります
さらに1762年にはフリードリヒを崇拝するピョートル3世がロシア皇帝となり、同盟を離脱してしまいます
またフランスも激化していたイギリスとの植民地戦争、北米でのフレンチ=インディアン戦争やインドでのプラッシーの戦いの方に注力し、プロイセンへの圧力が弱まりました
プロイセンがプルカースドルフの戦いでオーストリアを破るとドイツ帝国諸侯も手を引き、スウェーデンもプロイセンと講和します
こうして単独で戦うこととなったオーストリアも戦費が嵩んで戦争続行が不可能となり、同じく限界に達していたプロイセンと和平交渉が進められました
そして1763年2月15日、フベルトゥスブルク条約が締結されて戦争は終結、プロイセンのシュレジエン領有が確定されたのでした


本日は七年戦争の終結日です、おめでとうございます


参考文献
・江村洋『ハプスブルク家』講談社、1990年
・木村靖二編『世界各国史13ドイツ史』山川出版社、2001年
・長谷川輝夫・土肥恒之・大久保桂子『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』中央公論新社、2009年


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