したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

341Republica de Venexia:2014/11/05(水) 00:45:14 ID:???
11月5日はロスバッハの戦いが行われた日です

>>319などで見たように、プロイセンはオーストリア継承戦争によってシュレジエンを獲得しましたが、オーストリアがこれを甘受するわけはありませんでした
オーストリアのマリア=テレジアは、長年ハプスブルク家の宿敵であったブルボン家のフランスと同盟します
これは「外交革命」と呼ばれるほどの出来事であり、オーストリアのシュレジエン奪回に対する執念が伺えます
一方のフランスもイギリスへの対抗からこの同盟を受け入れました
イギリス王はハノーファー選帝侯も兼ねており、ハノーファーをプロイセンに攻撃されることを恐れプロイセン支援を行うようになったことで、フランスにとってもプロイセンは脅威となったからでした
オーストリアはロシアとも同盟を結び、プロイセン包囲を固めました

味方がイギリスのみとなったプロイセンは、機先を制すため1756年8月、ザクセンに先制攻撃をかけ、ここに七年戦争が始まりました
不意を突かれたオーストリアが準備を整える前にプロイセンはザクセンを占領、ベーメンへ侵攻しますが、態勢を立て直したオーストリアは1757年6月にプロイセン軍に勝利、さらに7月にはフランス軍もプロイセン軍に勝利し、プロイセンは劣勢となっていきます

そして1757年11月5日、オーストリア・フランス連合軍はロスバッハにてプロイセン軍と会戦しますが、ここでプロイセン王フリードリヒ2世は斜行戦術を敢行します
これは少数の部隊で敵陣の片方を攻撃し、敵がそちらに気を取られているうちに主力が斜めに移動しもう片方を一方的に集中攻撃、側面に回り込み押し込んでいくというものでした
この戦術が功を奏し、プロイセン軍は2倍以上の連合軍を撃破、この一ヶ月後に行われ、より理想的な形で成功させたロイテンの戦いとともに、フリードリヒの斜行戦術は軍事史上の一大画期となったのでした


本日はプロイセン斜行戦術の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・成瀬治他編『世界歴史大系ドイツ史2 1648年〜1890年』山川出版社、1997年
・セバスチャン・ハフナー、魚住昌良・川口由紀子訳『図説プロイセンの歴史 伝説からの解放』東洋書林、2000年
・マイケル・ハワード、奥村房夫・奥村大作訳『ヨーロッパ史における戦争』中央公論新社、2010年


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板