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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

319Republica de Venexia:2014/10/18(土) 00:39:10 ID:???
10月18日はアーヘンの和約が結ばれた日です

>>154で見たように、プロイセン王フリードリヒ2世はマリア=テレジアのハプスブルク家継承、その夫フランツ1世の神聖ローマ皇帝位継承に対し、その支持の見返りとしてシュレジエン割譲を要求しました
しかしこれは拒否されたため、オーストリアの不意を突いてシュレジエンに攻め込み、その大部分を占領します
オーストリアはシュレジエン奪回のためプロイセン軍に決戦を挑むも撃退され、1741年7月、シュレジエンの割譲を認めさせられました
このオーストリアの弱体を見た列強はこの戦争に干渉するようになります

神聖ローマ帝国の領邦間の争いとしてはプロイセンの他にザクセン、バイエルンとの戦端が開かれましたが、ザクセンとは1741年のうちに和平を結びます
バイエルンに対しては、バイエルン選帝侯カール=アルブレヒトが神聖ローマ皇帝カール7世に即位するほどの劣勢だったものの、マリア=テレジア自らがハンガリーに乗り込み、その支援を得ることで挽回します
このハンガリーとの連携は、後に>>163で見たアウスグライヒの成立に繋がるのです
バイエルンは1745年に降伏します

オーストリアはこの後、イギリスの支援もあってプロイセンを一時追い詰めるも、1745年6月のホーエンフリートベルクの戦いに敗れ、12月のドレスデンの和約でプロイセンのシュレジエン領有を認めさせられました
この和約によりプロイセンはオーストリア継承戦争から離脱し、オーストリアはフランス・スペインとの戦争を継続します
フランスは1745年5月のフォントノワの戦いに勝利し、1748年までにオーストリア領ネーデルラントに進出します
スペインは北イタリアへと侵攻するものの、オーストリアを支援するサルデーニャ王国の反撃に遭い撤退しました

こうして各方面での戦闘が一段落した1748年10月18日、アーヘンにおいて講和条約が結ばれます
オーストリアは一部の領土を奪われたものの神聖ローマ皇帝位を確保し、イギリスは国王も兼ねるハノーファー選帝侯の領土を承認されました
フランスは占領したオーストリア領ネーデルラントを返還したことで利益を得られず、国王ルイ15世への不満が高まる結果となります
プロイセンは当初の目的を達成し、シュレジエンの領有を認められるのでした


本日はオーストリア継承戦争の終了日です、おめでとうございます


参考文献
・江村洋『ハプスブルク家』講談社、1990年
・成瀬治・山田欣吾・木村靖二『世界歴史大系ドイツ史2 1648年〜1890年』山川出版社、1997年
・長谷川輝夫・大久保桂子・土肥恒之『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』中央公論社、1997年


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