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立ち話・雑談スレッド

1副管理人Z★:2010/11/25(木) 22:35:03
特にテーマを絞らないフリートークのスレッドです。

2備前 ◆TtzwqSGci2:2010/11/25(木) 23:14:23
  いェ〜い!二番だぞォ〜 v(^0^ ♪ カッ!カッ!カッ!

  ささ、堅皇さんもしげきょんさんも、コッチ来てお話の続きやりましょう! v(^^

3日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/11/25(木) 23:34:16
三番。

椅子があったほうが……。

4堅皇:2010/11/26(金) 03:41:17
んじゃま、しげきょんさん。

> 末法の時代に唯一南無妙法蓮華教を経文どおり流布した行者日蓮大聖人と顕します
> 独一本門という言葉は後の弟子がつけてるもので
> 日蓮至上主義の曲解だと思いますが 泣き 文証挙げられません
> 日蓮はドグマに陥らないところの法華経根本<是が唯一とか独一にやくされる
> わけですが 多様性を持っているのではと思います
> 法華経の多様性>おうばいとうり、自体顕正(個性尊重)

これエキストラオさんにも突っ込まれているように
しげきょんさんの話だと日蓮正宗教義上の独一本門からはズレるわけですよ。

「独一本門という言葉は後の弟子がつけてるもので」
って独一本門は日蓮の言葉ではないという事を認めると言う事ですか?

独一本門というのは釈迦の法華経が文上脱益で
日蓮の南無妙法蓮華経は文底下種であり二つの法門があるとして
日蓮の南無妙法蓮華経は文底下種を独一本門としているわけです。

つまりは釈迦の法華経と日蓮の南無妙法蓮華経は別物であると言う事。
故に釈迦の久遠実成を文底下種に当てはめると日蓮は久遠元初となる訳です。

対し法門が二つあるわけないだろと言う事で
これを日蓮に観心として当てはめた場合日蓮も同じく久遠実成であったのだろうとなると言う事。
独一本門の文底ではなく単なる文底で当てはめれば釈迦を日蓮と変わるだけで久遠実成は久遠実成ということね。

6副管理人Z:2010/11/30(火) 23:24:33
4 名前:怖くて名乗れません 投稿日: 2010/11/29(月) 16:34:20
【堅皇さんを中心にしたコチラでの似たような議論】が、沖浦さんの掲示板で展開されているようです。

該当する方は、沖浦さんの板へお越しください。
それぞれ忙しいとは思いますが、

対話をすると言った方は、最後まで責任を持って頂きたいと思います。

一言、感想まで。


5 名前:日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks 投稿日: 2010/11/29(月) 16:35:28
名前入れ忘れました。ゴメンなさい。

7副管理人Z:2010/11/30(火) 23:25:52
7 名前:名無し 投稿日: 2010/11/30(火) 20:39:32
>>4 >>5 日々氏。

備前氏の提案を、盟友の君が真っ先に破るとは…。

以下、お読みなさい。

//////////////////////////////////////////////////////

131 :備前 ◆TtzwqSGci2:2010/11/23(火) 11:51:36
  > ※難癖をつける横ヤリは絶対に禁止。

  ってェ〜いゥ〜かァ〜説教オヤジ氏と堅皇氏以外の書き込みは、即行削除としてしまえば良いのでは?
  他の人間混ぜるとスレのみが伸びて、訳が解からなくなるのと違うかい? (^^;
  それに、堅皇氏が糞真面目に一々レスを返すから、彼の負担にも成ると思うぞ。
  管理人さん、副管理人さんに於かれては一考の余地ありと思いますが、よろしく御考察下さい m(__)m

※管理人さん、
日々氏の反応が見えたら、この私の書き込みの削除は当然のこと、
日々氏の書き込みへの対応もご検討を。

8しげきょん:2010/12/13(月) 23:35:27
堅へ文上脱益の仏法から本門下種益の仏法に立ち返る故に二つの法門が二つ立ってるわけでなく
本門下種益の日蓮の妙法蓮華教が立ち上がればいつ成仏するかわからないような
文上脱益は廃されて唯一の日蓮の妙法蓮華教を信受し流布の下種益によって
(人人に妙法を体験し実益の功徳を対話的に語る)また一生の内に自身が妙法の当体であると実感したものが
また次の知人や友人に語る下種益を興して、末法万年への継承の仏法になるんだよ

9しげきょん:2010/12/13(月) 23:35:57
略して肝要は、自身が立派な日蓮門下として立っていれば
おのずと信頼され下種益に通じるのだ

10堅皇:2010/12/16(木) 01:02:01
>>しげきょんさんや

> 自身が立派な日蓮門下として立っていれば

諸経、法華経を文上脱益と廃するならば
何を持って日蓮門下と条件をつけるよ、何を持って血脈と証するよ。
南無妙法蓮華経が独一本門であれば、ただ単に曼荼羅本尊に題目を唱えれば
それで日蓮門下と言うことにはならないか?

つまり学会が日顕宗と揶揄する日蓮正宗も
しげきょんさんが批判する沖浦氏も皆血脈ありと言う事で問題がないはず。

何れにせよ法門が2つと言う考えそのものが組織の分裂原因とは思わんかな。

11怖くて名乗れません<m(__)m>:2010/12/17(金) 21:33:30
>何を持って日蓮門下と条件をつけるよ、何を持って血脈と証するよ

信心の心を持って血脈とします信心の心を持って日蓮の門下とします。はい

12しげきょん:2010/12/17(金) 21:50:04
11はしげきょんです すいませんネーム入れ忘れしてしまった

13堅皇:2010/12/18(土) 02:55:22
>>しげきょんさん

信心の心って何?
信仰心の事?
そんなものあらゆる宗教にありますよ。
諸経、法華経を廃されて一体全体何を規範にするかと言う事。

独一本門は曼荼羅に題目を唱えればいいわけですから
であれば日蓮正宗も沖浦さんも正信会も顕正会も全て条件を満たしています。

も死も万が一南無妙法蓮華経が独一本門であれば
これ等の方々を誹謗する創価学会員こそ大謗法であると言う事になりますね。

14しげきょん:2010/12/18(土) 15:48:19
独一本門て何?現代語で説明してよ
そんな概念こちらはもってませんから

15しげきょん:2010/12/18(土) 16:09:51
信心の心は大聖人を信ずる心です 一般の人の信仰心とは違います
貴方には無いでですか?

16しげきょん:2010/12/18(土) 17:13:35
元々池田先生の信仰のおかげで僕らは信心の目的や確信できたので
先生の功績を称えるものです堅皇氏はその池田先生を否定し 袂を分けたわけですから
僕らは池田先生と共に信仰を磨いて行く僕らと違うものに進んでいくのだろうと思いんますが
一つ僕は先生と歩む道を選びます

17堅皇:2010/12/18(土) 17:20:09
> 独一本門て何?

は?
こっちが聞きたい話よ。
創価学会の文底の捉え方は
文底独一本門と言うわけで南無妙法蓮華経という題目自体が文底なんでしょ。
題目を真言の様な捉え方なんかして。

> 信心の心は大聖人を信ずる心です 一般の人の信仰心とは違います

であれば日蓮正宗も沖浦さんも正信会も顕正会も全て条件を満たしています。
何度も同じ事を書かすなよ。

18堅皇:2010/12/18(土) 17:32:40
> 元々池田先生の信仰のおかげで僕らは信心の目的や確信できたので
> 先生の功績を称えるものです堅皇氏はその池田先生を否定し 袂を分けたわけですから

本尊の概念を用いたのは真言であり
南無の形を取ったのは念仏であり念仏の流布が題目の流布に貢献した事も否定ではない。
また題目を一番流布したのは創価学会や日蓮正宗ではなく日蓮宗である。
学会に出会う前から題目の存在は知っていたでしょ。

つまりこれ等を否定しても日本の仏法は語れない訳ですね。
当然感謝すべき事である。
そういった意味では日蓮の仏法まがいを広めた創価学会にも感謝はある。

感謝は感謝として間違いは正すべき事が大事だと思いますね。
また、それこそが感謝の意を示す行為であると言えますね。

19しげきょん:2010/12/18(土) 22:18:47
文証一つ無い自説だね

20堅皇:2010/12/18(土) 23:59:56
まてまて、まず、文証とはもともと諸経、法華経の事を指しますからね。
この文証である諸経、法華経を廃するために題目を唱えると言うのが日寛教学で
これがいわゆる文底独一本門と言う法門ですね。

ちなみに御書は文証である諸経、法華経に対する理証でありますから。
日蓮の真筆と言われる書は文証と悉く理証が一致しているが
偽書贋作の疑いの書は理証が異なったものとなっている。

創価学会、日蓮正宗の教義は日寛教学を中心に据えられているのだから
南無妙法蓮華経さえ唱えれば文証に対する理証を変えて読むべきとの事ですから
文証を提示しろと言う方が滑稽な話だといえる。

出したところで御書を文証と捉えているようじゃ話にもならない。
諸経、法華経に理証が違うものを文証と主張しているのはそれこそ自説であり単なる我見ですよ。

さて問題、日蓮在世に置いて御書の存在はありましたかね。
また日蓮は御書を経文として捉えろと言ってますかね。
当時から「行学の二道」と言ってましたが経典、教科書がない状態で日蓮は何を学べと言ったのでしょうね。

21堅皇:2010/12/19(日) 02:20:27
ついでだから文証に関してなのだが
何故に文証を用いるかと言う事はそれぞれの共通認識から整合性を取り法論するためにあるわけなのね。

つまり仏教徒以外との対話には効果が成さないと言う話。
当然日蓮の行った法論と言うものは全て仏教を語った人たちとの法論ですので効果があるという話ですね。
仏教徒以外との場合はお互いに理証で語っていくしか道はないと言う事なのよ。
三証を用いる目的は何なのかを考えたときにも完全に創価の方はその目的を見失ってしまってますね。

ちなみに今俺は真言宗の方とも話しをしているのだが
真言は真言で諸経を学んでいるので文証が共通なので会話が非常にしやすい。
後はその解釈の部分での理証に対してのやり取りになるわけですから。

しげきょんさんに創価の教学では真言の友人との仏法対話は無理だ
相手にならないといった理由もそこにあるわけですね。
だって自説を一生懸命唱えてそれが文証だと言い切るわけですから相手が聞き入れられなくて当然と言ったところ。

結局のところ創価のやっている行為は「文証を出せ」といってるだけの"ごっこ"って所ですね。
まー日蓮正宗相手に一生遊んでなさいという感じですか。
それに置いても学会の認識する文証とは歴代法主の作り上げたものだから創価にとっては不利だともいえますね。

どのみち矛盾だらけの理証なのでお互いに決着が付く日が来るとも思いませんけどね。

22御意見番:2010/12/19(日) 03:06:26
堅皇さんへ。

他板のことで失礼しますが、沖浦板II(非公認掲示板II)の方は
どうなさいましたか?

せめては、求道の人さんから出された宿題くらいは、片づけた方が
いいと思いますよ。


------ 沖板II より ------

645 :求道の人:2010/12/06(月) 20:54:11 ID:yrxG4b3w0

堅皇さん、人に正論を求める前に、あなた自身がまず正論を述べなさい。

持論の典拠を示し、正論を述べてください。

典拠不明の放言は全て邪論です。

さあ、まずは「煩悩即菩提」が真言密教から起ったとする文献を、
著者・文献名・頁数を挙げて証明して下さい。

23怖くて名乗れません<m(__)m>:2010/12/19(日) 04:36:46
>>御意見番さん

いや別に求道の人さんからの発言は宿題だとは思ってはいません。
話の平行線を感じたから引いただけですね。

事実「煩悩即菩提」はいわゆる法華経からの引用ではないですし
この一言をクリアしたとしても日蓮仏法における密教経典の影響化は否定せざる事ですし
それ自体は求道の人さんも認めてらっしゃるではないですか。
それでも構わないと思っている状態では先に進めないと判断したまでです。

特別自身の自説を通す事が目的ではありませんし
日寛教学の矛盾点をお話している段階で矛盾があっても構わない。
それよりも疑問を投げかける行為が板を汚す行為であるという考えであれば
それ以上話す事はないのではないでしょうか。

こちらの板にお邪魔したのは説教オヤジさんが話をしたいと言われたから訪れたわけで
また、しげきょんさんが会話を求めているからであります。
あちらでは会話を求めてないという判断を感じましたので引いただけの話です。

24しげきょん:2010/12/20(月) 01:14:07
堅皇殿 友人のN君は真言の大日を宇宙の真理としてる宗教があると
つまり日蓮の南無妙法蓮華教のみが宇宙の法則かどうかはわからない
としてる、彼もいろいろ論を述べてるが、何一つ題目を挙げたり
こちらの仏法を実践したことがないし、大日の教えもしたわけでもないし
はっきりとした宗教的な確信もない。宗教は信じてる人が信じていればいいんじゃない
というつまり何モノ教でもない教なんだよ
家の宗教は浄土真宗だけどね

25堅皇:2010/12/20(月) 01:56:47
真言の理論を聞くところによると文底独一本門とほぼ同じ理屈に思えましたね。
両者とも真理を説き明かしたワードであるという結論にありますから。

真言は権経の理論をチョイスし発展させていわゆる真言(真実)を見出そうとしているわけ。
もちろんその中に法華経の理論も取り入れてね。
で、真言密教自体は諸経の理論を自身で再構築しているから
文底独一本門みたいに諸経を全て廃するという考えは無いわけね。
故に諸経もちゃんと学んでいるわけですね。

その為に諸経も段階的に学び解った順番に次の段階へ進んでいく
これがいわゆる密教と言うシステムで段階を経てやればやるほど真実へ近づいていくという感じですね。
に対し独一本門はのっけから真実と言う話だね。
まー真実を後に知るか先に知るかの違いであり目的はほぼ同様と言ったところですか。

しかしながら俺は南無妙法蓮華経が真実であるとは思ってないんですね。
何故なら南無妙法蓮華経が真実であれば日蓮はこれを題目とは呼ばずに真言(マントラ)と名づけたと思いますし
日蓮の学びによって得た悟りと言うものはむしろ真言の流れに近いところにあり
それだけでは真言を否定する理由にはならないと思うからです。

つまり南無妙法蓮華経=真実では無いと考えるべきだと。
そう考えると日蓮が何故に真言を否定したかと言うことが見えてきて
同時に文底独一本門という考え方自体が誤りであるという方程式も見えてくると言うところなんですね。

26エキストラオ:2010/12/20(月) 10:35:56
★お邪魔します。賢皇さんは 何を求め何を目指して生きてるのですか。
素朴な疑問ですが、都合が悪くなければ お聞かせ下さい私は日蓮正宗ですが・

//////////////////////////////////////////////////////////////////

27堅皇:2010/12/20(月) 15:21:55
>>エキストラオさん

考えている事、目的は皆さんと同じだと言えますね。
真実とは何か?南無妙法蓮華経とは何かと言う点では。

ただ僕の中の結論では
南無妙法蓮華経は真言(真実を顕した言葉ではなく)真実を得るための題目(建前、名目)と言うことですね。
仏法は無始無終を説いた法門であるからして真実もまた無始無終であると言う事。
真実とは題目を通したそれぞれの観心の中にあると言ったところだと言う事ですね。

これが法華経が顕した理論であり題目を唱える意義だと思っています。
真言宗は経典の中に真言を見出したものだと思われ
日蓮正宗もまた題目こそが真言であると独一本門と言う形で結論付けられたのだと思いますね。

日蓮の理論が正しければ独一本門を掲げる正宗も創価も
行き着く先は亡国であると言う事になると考えています。

28エキストラオ:2010/12/20(月) 22:01:30
★なるほど。よく解りました。遅かれ早かれ人類は亡国になります。
国も人類もいつかは消滅しますからね。ですから亡国云々以外の課題が
ある訳でしょうね。高々100年未満の人生で我も得たり我も得たりとは、
云っても、なんの証明にもなりません。自分の頭のハエを追える内だけ
ですよね。人間が偉そうな事言えるのは。其処には真理も意義もへった
くれもない・・・と言うのが実状ではないでしょうか。ですから真実な
んて実体不明の夢幻を追いかけて虚しく一生を終わるのは如何なものか
と 私は思う訳です。     でわ。

///////////////////////////////////////////////////////////////////

29堅皇:2010/12/21(火) 10:38:50
>>エキストラオさん

仮に国や人類が消滅する時が訪れるかもしれませんが
その時は、また何かが誕生する時でしょうね、結局のところ終わりは無いのですから。
あると思うのはその時に楽しむか苦しむかの違いと言うところではないですかね。

実体不明の夢幻を追いかける事は僕は無いですね。
何故なら法門には「未顕真実」と明確に記されているわけですからね。
つまり、真実は顕す事が出来ないと言う事が真実なのではないですかね。

少なくとも題目を真言と捉えているようでは真実は見えてこないというだけの話ですから。

30備前 ◆TtzwqSGci2:2010/12/21(火) 12:45:19
  お久しぶりです、堅皇さん

  > 何故なら法門には「未顕真実」と明確に記されているわけですからね。

  「四十余年未顕真実」ならば無量義経で説かれておりますが、「未顕真実」と言う単独では何処で記されておりますか?

31堅皇:2010/12/21(火) 13:50:18
>>備前さん

言ってるのは「四十余年未顕真実」の事ですよ。
また、四十余年とは時と言う概念だけでなく爾前経の事ですよね。
つまり、爾前経では真実は未だ顕してはいないと。

では、法華経では真実は何かを顕したのでしょうかと言うことです。
つまるところ「文底秘沈」と言うことは
あくまでも寿量品の文の底に沈めたわけであり寿量品自身ではないですよね。

加えて日蓮は南無妙法蓮華経と言う言葉を「題目」と表現されています。
「題目」とは名目、建前と言った意味ですよ。
建前が真実と言う事は無いですよね。

つまり真実は題目という文の底に沈めてあると考える方が妥当ではないですかね。

南無妙法蓮華経自体が真実の言葉であればそのまま「真言」と名づけるはずです。
「真言」とはそもそもそういった意味なのですから。

32エキストラオ:2010/12/21(火) 14:34:23
★『題目』とは名目・建前ではありませんよ。

少なくとも『題目=建前』 これは思い込みと 捉えると解決しますね。

つまり『気のせい』という範疇ですね。これは自由ですね。言葉の意味は

個人まかせです。それに『真実』にこだわる理由なんてありませんからね。

///////////////////////////////////////////////でわ。またあした。

33堅皇:2010/12/21(火) 15:10:31
別に『題目=建前』と拘っているわけではありません。
表題、題名、名目、演目、これ等を意味する「題」と「目」と言うことでしょうから。

何れにせよ「未顕真実」を顕した真実そのものではないという事ですし
それに対する「真言」はこの「未顕真実」を顕したそのものと言う意味ですからね。

34怖くて名乗れません<m(__)m>:2010/12/22(水) 11:31:54
はらへったな
http://abcdefg.toypark.in/get.php?u=farm4.static.flickr.com/3232/2731073624_356a66e76f.jpg
http://farm4.static.flickr.com/3273/2709364919_a88cd9bf9b.jpg

35エキストラオ:2010/12/22(水) 12:02:36
★とにかく『真言』なんてものは ありませんね。我々はすべて
第三者ですから。言葉を発した本人以外はすべて第三者です。第三者
は、三人称の客観世界ですから『内証』たる一人称の世界へは誰人も
踏み込むことはできない。したがって三人称の会話は全て推測の域を
出ない。言葉の遊び場としてなら 無害でしょう。

////////////////////////////////////////////////////////でわ。

36堅皇:2010/12/22(水) 17:00:03
なるほど。
南無妙法蓮華経と言うのは創価学会解釈では「宇宙のリズム」とする真言であり
日蓮正宗解釈ではでは法主以外が触れてはいけない『内証』であると言うことですか。
一応違うんですね。

何れにせよ両者ともこれぞ密教と言う話ですね。
天台宗同様に日蓮正宗は日蓮亡き後密教化していったと言う事が良く理解できました。

37しげきょん:2010/12/22(水) 22:23:26
日蓮の奥義は問われると?それは誤ッ法主上人さまの秘密のアッ子tゃんです
別名内証とも
秘密化は聖職者クラスには供養貪りとるかっこうの宗教形態です
とわれれば 内証だから法主のみ真実を知るものがないもんでどんどん隠して
知りたいのは供養金が何割法主や元法主に入るのを密教にしてる

38エキストラオ:2010/12/22(水) 22:43:25
★仏法とは道理なり。此れで行きましょう。宇宙のリズム??これは如何なもん
でしょうか。創作熟語のなにものでもありません。

触れていけない内証??これもあり得ませんよね。供養? これは説得力あります
ね。密教? これがなにか問題でも?。ありませんね。 秘密化。これは、すば
らしい響きがあります。魅力的でさえあります。

///////////////////////////////////////////////////////////////////

39堅皇:2010/12/23(木) 14:19:58
>>しげきょんさん

「宇宙のリズム」には触れないんですね。
これはエキストラオさんも指摘されているように法門には無い言葉ですよね。

「宇宙のリズム」の理を考えると真言、真理、真実と言ったものになると思うのですが
その解釈でいいんですかね。
つまり創価学会では南無妙法蓮華経は「真言」の理と考えると言う事になるかと思います。

日蓮は南無妙法蓮華経を「題目」と名づけた。
何故にそれが「宇宙のリズム」となるのかさっぱり理解不能だと言う事ですね。
明らかに理証が違うと思いますからね。

>>エキストラオさん

> 秘密化。これは、すばらしい響きがあります。魅力的でさえあります。

と言うお考えで納得されているのであれば宜しいかと思います。
信仰は自由ですので
ただ僕は密教では無駄な差別が生まれると考えているだけですから。
また、法華経でも「雖近而不見」とありますので
あえて密教と言う形態を取って隠さなくても解ろうとする人にしか解らないと言うものが仏法なのですからね。
密教形態をとる理由が解らないといった感じでしょうかね。

40怖くて名乗れません<m(__)m>:2010/12/23(木) 17:01:34
もともと日蓮仏法は顕密二つあって顕れて解り易い証果が権益と顕れ
意識の奥の無意識宿業意識に秘された冥益の二つ共にあるわけで
密教の宗教形態を創価学会はとってるわけでない
ただ顕益冥益の二つをさして顕密としてるだけで言わば功徳の種類を分類したものである
摩訶不思議を妙と捉えてるのが日蓮仏法で陰徳の冥益の不思議さを大聖人の信仰で観ずるものである

41しげきょん:2010/12/23(木) 17:04:42
>40はしげきょんです

42エキストラオ:2010/12/23(木) 17:07:27
★宇宙のリズムね・・どうしたら宇宙とリズムを結びつけるのか・・・
イケダ先生の真骨頂です。おそらく、本人も理解できない・・しかし・
だからこそ 大勢の人々が、解ったような気分になってしまった。とい
うのが真相ですね。 彼は方程式と言う言葉がことのほか好きです。
しかし彼は その方程式の定義すら 解っていません。彼の言う方程式
とは、一般に言う方程式ではなくて、『いう事さえ聞いていれば自動的
に幸福になってしまう』という意味合いの都合のいい 意味での方程式
なのです。宇宙にリズムなんか あるはずがありません。しかし、ある
かも知れないと思う人々には 在る事になってしまうわけです。いや、
実に 滑稽ですが、これが現実でしょう。

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