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プロレス・格闘技クリッピング▲6▼

1さらばサイモン:2007/03/10(土) 14:00:32
クリッピングが大素敵。
プロレス・格闘技クリッピング
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52名無し部員:2007/03/14(水) 19:00:11
柴田を“ポストKID”に指名

一夜明け会見に出席した柴田勝頼(左)と船木誠勝トレーナー=名古屋市内のホテル  君こそスターだ!HERO’Sの谷川貞治プロデューサー(45)が13日、名古屋市内で、12日・名古屋大会で山本宜久(36)を9秒殺する鮮烈なデビューを飾った柴田勝頼(27)をポスト“KID”に指名。大々的に売り出す方針を明らかにした。

 7月には85キロ級トーナメント(T)が開幕予定だが、谷川氏は桜庭と並んで柴田に「出したい」と当確印。特に柴田には「プロレスラー=柴田ってくらいにプロモーションして一番、知名度があるプロレスラーにする。KIDや(須藤)元気のようになって欲しい」とゾッコンで、報道陣へのアピールも忘れなかった。

 新日本時代は棚橋、中邑との新闘魂三銃士として売り出され、プロレス界での知名度が高い柴田だが、HERO’Sはゴールデンタイム、プライムタイムで放送される。山本“KID”徳郁や須藤元気のようなジャンルを超越したスターになることも可能だ。

 柴田は「ぜひ出たい。試合が決まればケガ(右手薬指脱臼)も早く治る」と、85キロ級T出場を熱望した。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/14/0000269665.shtml

53名無し部員:2007/03/14(水) 19:00:35
邪道&外道が初防衛
 ドラゴンゲート(13日・後楽園大会)、IJタッグ選手権はIWGPジュニア・タッグ王座も保持する邪道、外道の2冠コンビがCIMA、横須賀組を退けて初防衛を飾った。CIMAをクロスフェース・オブ・JADOで仕留めた邪道は「腰抜けばっかりだ。ほかに挑戦者はいないのか」と挑発。新日本との対抗戦に敗れた横須賀は「何回やっても自分が取り戻す」と奪回を宣言した。25日の津大会では、ライガーがフジイのオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦する。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/14/0000269677.shtml

54名無し部員:2007/03/14(水) 19:00:54
「週刊ゴング」休刊…39年の歴史に幕
 39年の歴史に幕-。1968年に月刊誌として創刊され、84年から週刊となったプロレス専門誌「週刊ゴング」が14日発売号を最後に休刊することが13日、分かった。

 発行元の日本スポーツ出版社によると、バブル崩壊後の慢性的な経営環境の悪化に加え、2月19日にコンピューター関連機器会社「アドテックス」をめぐる民事再生法違反容疑で同出版社の前社長・前田大作容疑者(51)が逮捕されたことが致命的となり「最悪の事態に追い込まれた」という。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/14/0000269676.shtml

55名無し部員:2007/03/14(水) 19:01:11
アーニー・ラッドさんが死亡していた
 “毒蜘蛛(どくぐも)”“ビッグキャット”などのニックネームで親しまれていたアーニー・ラッド氏が全身がんのため10日に死去していたことが13日、分かった。米メディア「SLAM!sports」(電子版)などが報じた。68歳だった。

 1960年代にNFLのサンディエゴ・チャージャーズで活躍していたラッド氏はひざの故障が原因で引退。その後、プロレスラーに転身し、65年には“テキサスの帝王”フリッツ・フォン・エリックからテキサス州王座を獲得し、一躍黒人選手のスターの座に駆け上った。

 74年には新日本リングにも上り、猪木の持つNWF王座に挑戦。80年には全日本のリングで故ブルーザー・ブロディ組、故馬場、故鶴田組の持つインタータッグにも挑戦したが、86年に現役を引退していた。
http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/14/0000269675.shtml

56名無し部員:2007/03/14(水) 19:36:49
 長州力
 そうか、ゴングは39年か…。俺が(デビューして)33年だから、もっと長かったわけだよな。一言で言うと、いろんな面でゴングさんにはお世話になりましたね。いいこともあれば、ぶつかったこともあったよな、うん。
 週刊って割りを食っているよな。いまは知りたい情報を次のうちにネットで知ることもできるからな。俺からしたらネットとか携帯サイトは必要悪だもんな。
 毎日、毎日、それを見てさ、全部の人間がそれを求めているわけじゃないと思うんだけどな。今日のことは明日や一週間後でもいいと思うよ。今日中に知らなきゃいけないことじゃないと思うんだ、俺なんかマッチメイクしていてそう思うよ。
 でも反対にチャンスじゃないか。全くいまと違ったものを作れば。こんなの逆手に取ればいいんですよ。
 Tシャツの洗い方ですよ。いまのプロレス週刊誌のTシャツには飽きてる部分もあると思うから。別のものを着てみないと。このシャツ面白いなと思えばそれをきればいいんだし、反対に発想の問題だよ。
 みんなゴングでやってきたことが財産になっていてさ、他になにもないだろ? まあ、この業界は裏切りが多いけどさ、また集まってやればいいんだよ。今までよりももっと面白いものをやればいいんだよ。ゴングという名前には価値があるよね。でもその名前を持っている人間がその意味がわからなければ、全く意味のないことだからね。また何かの形で手助けに鳴るんだったら、言ってきて下さいよ。
 まあ、これで終わりじゃないんだからさ、また会おうよ。
(週刊ゴング 3/28 No.1168)

57名無し部員:2007/03/14(水) 20:55:33
 長州力現場監督
「昨日(9日)、俺が休んでる間にいっぱい電話が入ってたんだよ。その名前(アントニオ猪木)が出てくるのであれば、動いているんだなと。俺はそういうものを自分で経験してきているからな。ジャパンとかWJとかで。それはシンドイですよ。反対にこの業界全体に面白いことを起こしてくれれば、そういう風が吹くという期待は大きいよね。ただ『あそことウチは違う』とか、『違う発想を打ち出す』とか、『ウチには独自のカラーがある』とか言ったって、それはもうダメですよ。ウチだって固まってないでしょう。(選手たちの)契約の1年間は動かないけど、ただ、みんな必死になってやっているだろうし、契約もサイモンの名前だから、当然いろんなトラブルが起きるだろうけど。そこのところが分からないけどね。昨日から携帯にいろんな名前が入ってたけど、返事はしていないですよ。ここ(幕張の会場)に来たら『サイモンが辞めた』って。いや、遅かったと思うよ。かえってタイミングが悪すぎる。せっかく穏やかに(選手たちの)契約が終わったのに、何でそういうものが噴き出すのかなと。(2年前、サイモンに頼まれて新日本の現場監督に復帰したことが)それはもう、俺は今、こういうスタンスですから。俺は俺、スタンスはスタンスですから。(猪木が)1人で出来るわけじゃないから。そして揉めて出ていった人間も、またそこに集まるだけで、繰り返しですよ。女郎蜘蛛だよ」
(週刊ゴング 3/28 No.1168)

58名無し部員:2007/03/15(木) 07:44:01
白い野人に女性ファン1000人興奮

白いタイツで登場した中西に女性ファンも大歓声



 【ひなバトル】1000人の女性から熱い視線を浴びたのは第4試合に行われた新日本の6人タッグマッチだった。チョイ不良(ワル)ミドルチームは飯塚、永田、そしてなんと白いパンツにシューズを履いた中西だ。普段は真っ黒なパンツを愛用。ストロングスタイルを貫く野人がホワイトデーのこの日ばかりは白い野人に変身した。試合は時間切れ引き分けに終わったが中西は「ホワイトデーなんで。昔もはいていたので懐かしい気がして」と10年ぶりの白いパンツに満面の笑みだった。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/15/05.html

59名無し部員:2007/03/15(木) 07:46:28
スカイパーフェクTV! Presents「第2回スペシャルナイト☆ひなバトル!!」新日本プロレス提供試合結果
3月14日(水)恵比寿・ウェスティンホテル東京
スカイパーフェクTV! Presents「第2回スペシャルナイト☆ひなバトル!!」
第4試合(15分1本勝負)
△田口隆祐
 棚橋弘至
 井上 亘
(イケメンチーム) 15分00秒
時間切れ引き分け 永田裕志△
中西学
飯塚高史
(チョイ不良ミドルチーム)


※新日本プロレス提供試合

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■試合経過
 “イケチョイ「力」の戦い”として各団体の提供試合が行なわれ、新日本のレスラーは第4試合に登場。“ホワイトデー”にちなんで、中西は真っ白なショートタイツ、リングシューズを着用して入場。会場の女性たちからは、別の意味で大歓声が沸いた。
 コール時に多くの紙テープが飛んだ棚橋と永田の先発でゴング。会場の「棚橋」コールにジェラシーを燃やした永田は、リングを降りて帰ろうとするが、飯塚に連れ戻されてリングイン。
 棚橋の張り手でスイッチの入った永田は、エルボー合戦から強烈なニーリフトを棚橋の腹部にお見舞いした。
 “チョイ不良チーム”は田口に照準を絞り、永田がミドルキック3連発、中西はコーナー最上段からのチョップ。さらに永田は、ショルダーアームブリーカーから鬼の形相で腕固めを極める。
 苦しい田口だったが、中西にハンマースローされるとロープに飛び乗り、そのまま中西の方を向いてドロップキック。ようやく反撃に成功し、棚橋の元へ。 


 中西のボディスラムを切り返した棚橋は、ドラゴンスリーパー。中西も棚橋を強引に持ち上げて脱出しようとするが、体勢を戻した棚橋は、ファイナルカットを炸裂させる。
 試合時間残り2分。井上は勝負を決めるべく、飯塚にミサイルキック、ストマックブロック、キチンシンク、スピアーと一気にラッシュ。一方、飯塚もバックの攻防からロープへダッシュした井上の首をスリーパーホールドで絞め上げ、ギブアップを迫る。 
 飯塚のドロップキックが永田に誤爆したのをきっかけに、田口は永田にミサイルキックを発射。続いてのスリーアミーゴは、3発目で背後に着地されるが、すぐに永田のバックを取ってジャーマンスープレックスホールド。これは惜しくもカウントは2に終わる。
 試合時間残り10秒で必殺の“どどん”の構えに入った田口。だが、永田はこれを不発させ、ブレーンバスター。ここでゴングが鳴らされ、時間切れ引き分けとなった。この結果を受け、“イケチョイ「力」の戦い”は2勝1敗1分けでイケメンチームが勝利した。

※その他の提供試合の結果は以下の通りになります。


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第1試合(15分1本勝負)
○アンソニー・W・森
 B×Bハルク
(イケメンチーム) 1分27秒
フジイの誤爆→エレガントマジック 望月成晃×
ドン・フジイ
(チョイ不良ミドルチーム)


※DRAGON GATE提供試合
第2試合(15分1本勝負)
○日高郁人
 大森隆男
(チョイ不良ミドルチーム) 11分04秒
変型横入り式エビ固め 佐々木義人×
崔 領二
(イケメンチーム)


※ZERO1-MAX提供試合
第3試合(15分1本勝負)
○丸藤正道
 杉浦 貴
(イケメンチーム) 13分29秒
不知火→エビ固め 潮崎 豪×
力皇 猛
(チョイ不良ミドルチーム)


※プロレスリングNOAH提供試合
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6621

60名無し部員:2007/03/15(木) 07:48:28
中邑離脱 IWGP挑戦消えた 新日本の中邑真輔(27)が、けいつい損傷と左足関節じん帯損傷のため21日までのシリーズ全戦を欠場することが14日、発表された。「NEW JAPAN CUP(NJC)」2回戦(15日、福島・相馬大会)の天山広吉(35)戦は不戦敗となり、IWGPヘビー級王座挑戦が消えた。

 中邑は、3日のNJC開幕前から首に違和感があったという。13日の八王子大会での真壁刀義(34)の凶器攻撃で、首の悪化に加え、左足首を負傷。NJC優勝者は4月13日の大阪大会でIWGP王者・棚橋弘至(30)へ挑戦できるため「どうしても出たい」と訴えたが、新日本の関係者は「ドクターストップです。会社としても、負傷が選手生命にかかわる場所なのでストップした」と説明した。また、越中詩郎(48)も右足首負傷で相馬大会を欠場する。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070315-OHT1T00044.htm

61名無し部員:2007/03/15(木) 07:49:59
イケメンvsチョイ不良ミドルに女性1000人大興奮!=ひなバトル

 ホワイトデーに贈る女性プロレスファン限定のスペシャルワンナイトイベント、スカイパーフェクTV!Presents「第2回スペシャル☆ナイト ひなバトル!!」が14日、東京・ウェスティンホテル東京で開催された。
 各団体のイケメンレスラーだけを集めて開催された昨年から、今年は“イケメンvsチョイ不良(ワル)ミドル”の新テーマのもと、各団体のイケメンとチョイワルが世代を超えたバトルを披露。さらに、ひなバトルでしか見られない勝負服ファッションショー、美容家IKKOさんとの“場外バトル”、ホワイトデーにちなみに各レスラーからマシュマロのプレゼントなど、集まった1000人の女性ファンにはたまらない夢の一夜となった。

 第1部「力の戦い」では各団体提供試合が行われたが、ここで魅せたのはノア勢だ。チョイワルのはずの杉浦が、なぜかイケメンの丸藤と入場。リングアナにも「イケメン、杉浦貴」とコールさせ、無理やりイケメンチームになってしまったのだ。杉浦&丸藤の新イケメンコンビは入場からIKKOさんに花束を渡し、ほっぺにチューをするなどつかみからIKKOさんのハートをがっちりキャッチ。「頑張って〜」というIKKOさんの後押しを受けた新イケメンチームが終始ペースを握り、最後は丸藤が必殺の不知火で25歳なのにチョイ不良ミドルにされてしまった潮崎を沈め、IKKOさんに捧げる愛の勝利を挙げた。
 2月14日に行われたひなバトル結団式会見から「IKKOさん狙いで」と予告していた丸藤&杉浦だが、宣言どおりIKKOさんはこの“イケメン”コンビにメロメロ。特にIKKOさんが杉浦に「優しそう〜」と猫なで声を送ると、開幕式の時点で「IKKOさんに欲情している僕がいます」とカミングアウトしていた杉浦は「やさしいよ〜」と甘い語り口で返したのだった。
 さらに杉浦は、単にイケメンと呼ばれたいから丸藤と電撃合体したのではなく、本心は「ノアでも丸藤と組んでいきたいから今日は無理やりタッグを組んだ」とのこと。丸藤も「杉浦さんはイケメンだし、優しいし、心強いです」と全面信頼だ。ある意味このタッグ生みの親であるIKKOさんにちなみ、このタッグは『チーム・IKKO』と命名。ホワイトデーに生まれた新イケメンコンビが、ホームのノアリングで大暴れしそうだ。

 第2部「美の戦い」では各選手がデートに行くならこの服というコンセプトのもと、自前のファッションで勝負。ドン・フジイの“大阪ミナミを闊歩する金融業者”という破壊力抜群の黒尽くめのファッションに、中西学の純白のシャツに漆黒のスーツ、永田裕志の肌身離さず持ち歩くセカンドバックと、ここは貫禄を見せたチョイ不良ミドルが女性ファンの支持を受けて快勝した。
 また、エンディングではレスラーからマシュマロのプレゼントがされ会場の興奮もピークに。女性プロレスファンにとっては忘れられない一夜となったに違いない。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20070314-00000033-spnavi-fight.html

62名無し部員:2007/03/15(木) 11:53:02
プロレスの証言者 藤波辰爾(7)
 WWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王者になった藤波は、黄金のベルトを抱えて約2年9カ月ぶりに帰国した。1978年(昭和53年)3月1日、羽田空港には100人を超える報道陣とファンが待ち構えた。日本プロレス史に初めて到来した「ジュニア時代」の幕開けだった。

 日本にも小柄なレスラーはいたが、藤波の衝撃的な登場まで、100キロ未満の「ジュニアクラス」は認知されていなかった。長い歴史の中でタイトル戦はNWAジュニアヘビー級王者が、5度来日して防衛戦を行っただけ。それだけに藤波が米国のリングで見せたパフォーマンスは新鮮に映った。スピーディーで、華やかで、見たこともない必殺技…。プロレス界の構図がガラリと変わった。

 藤波「力道山時代から続く、大きな男たちが体をぶつけ合うプロレスに、ファンは飽きかけていたんだろうね。新日本も猪木さんの異種格闘技路線がマンネリ化していた。起爆剤が必要だったし、ファンも新しいものを求めていた。時期的にもよかった」。

 同3月3日から始まった凱旋(がいせん)シリーズは、どこの会場も藤波目当てのファンで満員になった。藤波も毎試合、期待に応える激闘を演じた。米国で初公開した飛龍原爆固めに続き、ドラゴンロケット、ドラゴンスクリューなど斬新な必殺技を、リングの上で惜しげもなく出して防衛を重ねた。その人気はアントニオ猪木をもしのぐほどだった。

 同10月20日、宿敵チャボ・ゲレロとの10度目の防衛戦(大阪大会)は、中継するテレビ朝日が藤波の試合だけを放送した。ジュニアがヘビー級を超えた事件だった。この試合は藤波のジュニア時代を代表する名勝負になった。ドラゴンロケットをかわされて、客席のパイプいすで額を深く切った。フラフラになったが、大流血の中で最後はコブラツイストで逆転勝ち。ファンを熱狂させた。

 藤波人気はプロレスのファン層も大きく変えた。会場や宿舎には「追っかけ」といわれる若い女性ファンが殺到した。バレンタインデーには段ボール箱6個分のチョコレートが届いた。ジュニアの藤波は「でかくて怖そう」という従来のプロレスラー像とはまるで違っていた。均整の取れた肉体に整った顔立ち。そして洗練されたファイトスタイルに、プロレスを知らないファンの目をリングに振り向かせた。

 藤波「オレは普通の体格だったし、アメリカから帰ってきたばかりのころは髪を七三に分けていたからね。サラリーマンの代表みたいに思われたんじゃない? 馬場さん、猪木さんはお父さん世代のファンをつかんだ。オレの時は女性ファンが増えた。また、大きくないオレを見てプロレスを志した若者も多かった」。

 日米をまたにかけて藤波はWWWFジュニアヘビー級王座を23連続防衛。79年10月に1度、剛竜馬に敗れたが、2日後にベルトを奪還すると再び20連続防衛を記録した。80年にはNWAジュニアと合わせ2冠王になった。2カ月に1、2度は米国での防衛戦をこなした。年間約230試合というハード日程だった。

 藤波「米国の試合に行くときは往復ファーストクラスで、1試合4000ドル(当時約80万円)ももらった。やりがいがあったし、気分も乗っていたから疲れは感じなかった。あのころにドーム大会があったらもっと多くのファンの前で試合ができただろうな、なんて最近思ったりするんだ」。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070315-169802.html

63名無し部員:2007/03/15(木) 11:54:00
杉浦“新イケメンチーム”で大暴れ

IKKO(中)にキスをする丸藤と杉浦(右)=都内のホテル  ひなバトル(14日・ウエスティンホテル東京)、女性限定のプロレス祭「ひなバトル」がホワイトデーの14日、ウエスティンホテル東京で行われ、新日本、ノア、ゼロワンMAX、ドラゴンゲートの4団体の選手がそれぞれイケメンチームとチョイ悪ミドルチームに分かれ、タッグ戦で集まった1000人の女性ファンを沸かせた。

 ノアには新コンビが誕生した。“キャバクラ王”こと杉浦は本来イケメンチームの潮崎を独断で外し、自らイケメンとして出場。丸藤とのコンビは連係もさえた。杉浦は「やっててテンポがよかった。これが何かのきっかけになればいい。たぶんすっげー強い」と手応え十分。入場時にキスであいさつしたゲスト解説のカリスマ美容家IKKO氏にちなみ、“チームIKKO”と命名した。丸藤も「タッグは本気です。ベルト?最後はそこにたどり着くことになるでしょ」と将来のタイトル戦を視野に入れた。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/15/0000270593.shtml

64名無し部員:2007/03/15(木) 11:54:42
PRIDE戦士高瀬がみのると対戦

高瀬(左)と握手を交わす上井氏=都内  「UWAI STATION 4」(21日・後楽園ホール)、みのる発、棚橋行きだ。21日の後楽園大会のカードが14日、都内で発表され、プロレス初参戦のPRIDE戦士・高瀬大樹(28)が3冠王者の鈴木みのると対戦することが決まった。

 PRIDEでは7戦4勝。03年には強豪アンデウソン・シウバにも勝利している。総合格闘技を始める前からプロレスが好きだったという高瀬は、いきなり3冠王者を相手に“デビュー”するが「今最も輝く人とできるということで興奮している」と目を光らせた。

 上井氏は「上井駅は今後の懸け橋でいいと思っている。目指すは両国、東京ドームだ」と、他団体への進出も視野に入れている。総合格闘技を続けながらのプロレス参戦という形になるが、高瀬は「(プロレスを)軽く見ているわけではない。棚橋選手ともやってみたい。タイトルにも興味があります」と堂々と宣言した。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/15/0000270591.shtml

65名無し部員:2007/03/15(木) 14:03:11
イケメンとチョイ不良のバトルに女性ファン1,000人が熱狂!/第2回「ひなバトル」(報告)
■3月14日、目黒区のウェスティンホテル東京で「スカイパーフェクTV! Presents第2回スペシャル☆ナイト ひなバトル」(以下ひなバトル)が開催された。
 
これは「スカイパーフェクTV!」のチャンネルセット「プロレス・格闘技セット!!」の発売2周年を記念して行なわれた女性限定のプロレスイベント。
 
好評だった第1回大会(2006年3月3日)に続いての今回は「イケメンVSチョイ不良(ワル)ミドル」という画期的なテーマで開催。「新日本プロレス」、「プロレスリングNOAH」、「ZERO1-MAX」、「DRAGON GATE」という4団体から選出されたメンバーが、“イケメン”と“チョイ不良”に分かれて様々な戦いを繰り広げた。
 司会進行役の平川健太郎(日本テレビアナウンサー)さんと、三田佐代子(FIGHTING TV サムライキャスター)さんの挨拶が終わると、場内が暗転。出場全選手による入場式が行なわれた。そして、特別ゲストである“美容界のカリスマ”IKKOさんがリングに登場。紫を基調にした花柄のドレス姿のIKKOさんは、「今日は“女性”代表として楽しませていただきます」と、選手たちに向かって意味ありげな笑顔を振りまいていた。
 
 そんな中、試合に向けての意気込みを聞かれた棚橋選手は「(女性ばかりの観客席は)絶景ですね。素晴らしいと思います。今日という日が、特別な夜になるように頑張ります」とコメントし、女性ファンの黄色い声援を浴びていた。
 その後、“イケチョイ「力」の戦い”と銘打たれた各団体の提供試合が行なわれ、新日本プロレスは、棚橋&井上&田口のイケメンチームと永田&中西&飯塚のチョイ不良チームが互いに相譲らず。15分時間切れ引き分けという激闘を、超満員1,000人の女性ファンに見せつけた。
 
※新日本プロレス提供試合の詳細と、他団体提供試合の試合結果はこちら
 
“「力」の戦い”は2勝1敗1引き分けでイケメンチームの勝利となり、続いて“イケチョイの戦い”は“「美」の戦い”に突入。なんと、「プライベートファッションショー」が行われ、“デートに着て行くならこの衣装”をテーマに、各選手が自らの普段着で「美」を競い合った。
 新日本の棚橋選手は、半袖のパーカーというレア(?)な衣装で登場。本人の弁によれば、このファッションは「初デートにいちご狩りに行ったイメージ」で、ポイントは初々しさだという。また、永田選手は白のズボンに茶色のジャケット、そして「いつ、何時、どこに行く時も持って行く」というトレードマークのセカンドバックを手に登場した。
 他の選手たちも、「石田純一のイメージ」(本人談)で素足でスニーカーを履きこなす崔選手や、茶色の革ジャンとジーンズ姿で決めた力皇選手など、4団体18名の選手が思い思いのファッションで登場し、ファンを大いに喜ばせていた。
 中でもインパクト絶大だったのは、「大阪ミナミの金融業者をイメージした」というフジイ選手。黒のスーツ、大きく胸元の開いた開襟シャツ、手には「2,000万円が入る」ジェラルミンケース、もう一方の手には東京スポーツという物凄い姿に、場内が大爆笑となったとことは言うまでもない。
 さらにIKKOさんもお色直しをし、深いスリットと大きく背中の開いたセクシーなドレス姿で登場。そんな「プライベートファッションショー」は、場内の女性ファンによる投票で勝敗を決定。より多くの票を集めたチョイ不良チームの勝利となったのだった。
 1勝1敗となった“イケチョイの戦い”は、最後に“「運」の戦い”となる。これは、各チームの代表1名ずつ計8人が同時にクジを引き、当たりを引けば勝ちという単純明快なもの。その結果、フジイ選手が見事に当たりを引き当て、チョイ不良チームが勝利。こうして“イケチョイの戦い”は、2-1でチョイ不良チームが制したのだった。
 「ひなバトル」の最後を飾るのは、豪華プレゼントコーナー。選手が参加する懇親会への参加権や、全選手のサインが入った色紙などが当たる抽選を、各団体の選手が交代で行なった。
 さらにホワイトデーにちなんで、マシュマロの入った小袋が客席に投げ入れられ、最高の盛り上がりの中、第2回の「ひなバトル」はその幕を閉じた。
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6622

66名無し部員:2007/03/15(木) 14:14:32
猪木さんの影響力?
テーマ:ブログ
コメントをいただいた中に、いまだに猪木さんに権限があるのか、影響力を持っているのか、という疑問を言われてる方もいてはりますねえ。
実際、もう株主ではないので、公的には、権限はないのとちゃいますか?ただ、影響力は、どうでしょう、まるっきりないとは言えないんじゃないですか?
新日本と猪木さんのそういった闘いは、猪木さん引退後、結構ありましたよ。
俺はもう新日本とかかわりたくないんだよ、プロレスから卒業したいんだっておっしゃってるのに、全然離れてくださらない…。みんな(新日本内部ですよ)そう願ってたのに。
せめて、静かに、上から見守っていていただければよかったのに。
新日本プロレスが何かしようとすると、成田会見とか、マスコミを通じて、そのことにたいして、おもしろくないだの、否定的なコメントをだされたり、イチャモンをつけたりが多かったすね。
あれ、正直、邪魔でした。いろいろ言って来て、変更させられた事もありましたよ。
そうゆう事が原因の一つでやめてった社員もいてましたわ。
それこそ、なんで見守ってあげれないんだろう。
お前達が思ったようにやってみろ、何かあったら助けてやる…といえてこそ、アントニオ猪木じゃないのかなって思ってましたわ。
ここからは自分の憶測ですよ。
自分、若い頃から猪木さんのそばにいさせていただいて、食事もよくご一緒させていただいて、話もよくさせていただきました。凄く勉強させていただいたんです。
実は、猪木さんの弱い部分も見てます。
猪木さんって、凄く淋しがり屋で、本当は弱い人じゃないかと思うんですわ。だから、回りの、猪木さんに対していいことしかいわない人達の意見しか聞かなくなったんじゃないかなって。
永久電池等の問題に関してもそういった所からでてきてんじゃないでしょうか?(永久電池等の問題に関してはまた違う機会に)
猪木さん、見栄やプライドもあり、自分は他の人
とは違うんだ、超越してるんだって見せたい方だと思うんですよ。
お前らのやってることは全ておみとおしだ!俺は上からみてるから、これやったらどうなるか、先がみえるんだよ…みたいな。
ただこれもね、新日本は俺が、猪木が全てコントロールしてるんだってイメージをつくりたかったんじゃないかな。逆の見方をすれば、新日本から猪木が、猪木のイメージが消えるのを1番怖がってたんじゃないかって思います。
我々、猪木さんが何もしないからって、新日本からイメージを消そうとなんか、絶対しなかったのに。あまりにも口だしすぎるし、言いすぎるから、猪木離れをしなきゃいけなくなってしまったんですね。
ユークスさんも株は買ったわ、それでもなんだかんだ言ってくるわ、マネージメント権は買ったわ、でも勝手な事されるはでは、やってられないでしょうね。
そんな猪木さんですが、いざ猪木さんの前にいくと、ピシッと背筋がのびてしまうのは、やはり、何か、それなりの物を持ってはおられるんだと思います。それを猪木さん自身が大事にしてほしかったなと。
俺ねえ、基本的にはアントニオ猪木って好きなんですよ。
自分が作った会社、団体なんですから、もっと信用し、掻き回さないようにされた方がいいと思うんですね。
なんか、言いたい事、いっぱい浮かんできちゃいまして、あまりよくわからなかったかもしれませんが、すいません。猪木さんに関しては、またね、自分が新日本をやめた理由を書く時に、じっくり、時間とスペースをとり、書きたいと思います。

http://ameblo.jp/kerog-2006/entry-10027886957.html

67名無し部員:2007/03/15(木) 14:16:07
ドラゴンゲート
テーマ:ブログ
今日、知り合いの人に「チケットあるんやけど、いかへん?」とお誘いがありまして、いつもご一緒させていただいてるH社長と、誘ってくれた知り合いと、知り合いの知り合いと四人で後楽園ホールへ、ドラゴンゲート、見に行ってきました。
当然、その前は、H社長とダーツをしてから。
自分、ドラゴンゲートさん観戦するの、多分、初めてっす。
後楽園ホール、いっぱいですよ。凄いですねえ、羨ましいですねえ。
本当に女性のお客さん多いっすね。客入りより、こっちの方がうらやましかったりして。
なんせ、うちの団体、選手、おじさんばっかりだから。もしかして、日本一、平均年齢の高い団体?
セミのタッグ選手権に、邪道、外道がでてきてびっくり。今日出るって全然知りませんでした。
久々だなあ、邪道、外道の試合見るの。
声援は、当然、ドラゴンゲート選手にあつまりますわな。
あたしゃ、邪道、外道の応援っすよ、当たり前じゃないですか。
女性ファンの声援、多いねえ。すると、その声援を逆手にとるのが、邪道、外道の上手いところよ。お客さんをヒートさせる攻め方をしていくんですよ。それにしても、相変わらず外道君の受けは凄いね。試合も見事にコントロールしていたし、ドラゲーファンの方には申し訳ないんですが、一枚も二枚も上手って感じでした。邪道、外道が勝ち、タイトル防衛でしたが、これまたドラゲーファンの方には悪いんですが、役者が違うなと。邪道、外道にとっては楽な試合に見えました。
いやあでも、元気な邪道、外道を久々に見れてうれしかったすねえ。
ドラゴンゲートさんて、お客さんと一体化してるというか、来たお客さんに喜んでいただくというか、いいと思います。常連さんが多そうで、流れや選手の動きとかよくわかっていらして、選手サイドとすれば非常にやりやすい環境だなと。こうゆう見せ方があるんだと勉強になった所もありまして、いいところはアレンジしてやらせていただこうなと。
あと感じたのは、リングがうちのより少し小さいかなと、リングの音が今一ちゃうかなと、ゴングの音が小さいぞと。
でも今日はマスコミの方も多くて、この点も、うらやましー。
ドラゲーさんにはドラゲーさんの闘いの、試合の独特のリズムがあります。他の団体が真似できないそのリズムをまもり、進化させていってもらいたいものです。


さてさて個人的予告です。あさって、15日、何かが起きるかも。
http://ameblo.jp/kerog-2006/entry-10027894921.html

68名無し部員:2007/03/15(木) 15:58:43
バッファロー吾郎「−偽自伝」発表で印税生活や!

独特のセンスが光る「バッファロー吾郎」初の単行本の表紙

◆ "虚飾の名作"誕生!29日出版 ◆

 マニアックな人気を誇るお笑いコンビ「バッファロー吾郎」の木村明浩(36)&竹若元博(36)が初の単行本「バッファロー吾郎の偽自伝」(東京ニュース通信社、1000円)を29日に出すことが13日、分かった。

 テレビ情報誌「テレビブロス」で04年10月から連載している人気コラムをまとめたもの。2人の妄想をつづった内容で、ハートウオームなウソと虚飾に彩られている。文中に出てくる有名人との思い出もすべて作り話という。

 特別企画で吉本興業の“虚言癖キング”ケンドーコバヤシとの対談も収録されているが、これももちろんウソ。連載中のコラムを芸人仲間がよく読んでいるというのはどうやら本当のようだ。

 出来上がった本をわが子のようにめでながら竹若は「出版ブームに乗っているようですが、実は地味にコツコツと積み重ねた結果の浪花節な本です。人情いっぱいで読んでいただければうれしく思います」とPR。

 プチブレーク中のプロレスラー・越中詩郎も「買わなきゃ、ヒップアタックだって!!」と推奨する会心作。印税生活を夢見る木村は「初めて私たちの本が出ます。初舞台の時のような緊張感があります。一筆入魂の精神で書いてますので、できたらたくさんの方に読んでいただきたいですね」とほくそ笑んでいる。
http://www.sponichi.co.jp/osaka/ente/200703/14/ente203569.html

69名無し部員:2007/03/15(木) 20:53:25
中邑選手・越中選手欠場のお知らせ
掲載日: 2007年03月14日





中邑真輔選手が、頚椎捻挫及び左足関節靭帯損傷の為シリーズ全戦(15日そうま・18日尼崎・21日後楽園大会)欠場となります。尚、NJCトーナメントは不戦敗となります。

また、越中詩郎選手が右足負傷の為、15日(木)そうま大会を欠場とさせて頂きます。尚、越中選手につきましては、3月18日(日)尼崎大会にて復帰予定です。

中邑選手、越中選手のファイトを楽しみにしていたファンの皆様にお詫び申し上げますとともに、ご理解の程よろしくお願い致します。

3月15日(木)そうま大会変更対戦カードは、下記リンクにてご確認下さい。

http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6619

70名無し部員:2007/03/16(金) 09:51:01
*中邑は根性無し〜18日尼崎では真壁と持てる力をぶつけ合う(天山)
本日予定されていたNJC2回戦〜天山広吉vs中邑真輔戦は、3月13日八王子大会において真壁から受けた暴行のため中邑が欠場となり、シードでエントリーされていた天山は不戦勝。戦わずして天山の準決勝進出が決定した。
 第4試合に本間とのタッグで出場した天山は、長州・宇和野組を相手に大暴れ。必殺のTTDで宇和野から3カウントを奪った。
 全試合終了後、天山は「中邑欠場?真壁の奴よくやった!それにしても怪我したら休むなんて、あいつ甘えてるんとちゃうか?怪我で休むなんて自分が海外から帰って来た頃には考えられないこと。テーピングして痛み止めの注射でもなんでもやって這ってでも出て来い!あんな根性無し叩き潰してやる!
 今日、勢いに乗ってる真壁が準決勝に上がって来ることは予想済み。真壁なら相手として不足はない。尼崎ではG・B・H同士、持てる力をぶつけ合う。」とコメントした。

http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0315_01.html

71名無し部員:2007/03/16(金) 09:52:43
猪木が新団体“闘魂営業” “燃える闘魂”アントニオ猪木(64)が15日、米ニューヨークから帰国した。新団体イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)で、営業の陣頭指揮を執ることを明らかにした。

 猪木が闘魂遺伝子をスタッフにもたたき込む。「原点に返ってやるしかないでしょう。いろんなことを一から教えないといけない。営業のあり方は、時代が変わっても一緒」と話した。35年前の新日本の旗揚げ当初と同様に、自ら先頭に立ちながら、優秀なスタッフを育てる構えだ。地方の町おこしから世界進出まで幅広く活動していく構想も披露。「国内戦略と海外戦略は分けないといけない。面白いことをいっぱいやっていきますよ」と宣言。進出候補地として、インドやパキスタン、中東を候補に挙げた。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070316-OHT1T00101.htm

72名無し部員:2007/03/16(金) 10:02:05
【IGF】猪木海外案も…会社登記もすませ社長就任が決定
 6月にプロレス新団体、「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」旗揚げ興行を計画するアントニオ猪木が15日帰国し、海外開催プランを示唆した。東京・銀座に会社登記もすませ、猪木の社長就任も決定した。
http://www.sanspo.com/fight/top/f200703/f2007031604.html

73名無し部員:2007/03/16(金) 12:20:14
猪木がIGF本格始動へ意欲
 猪木が15日、米国から帰国。14日に資本金1億円で会社登記を済ませた新団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」の本格始動に向けて意欲を語った。

 関係者によると、IGFは東京・銀座に事務所を構え、4月1日から営業をスタートさせるという。参加選手や、猪木VSアリ戦の記念日6月26日が有力と見られている旗揚げ戦の会場などは未定だが、中東のテレビ局や米国の団体など、猪木自身が持つパイプなどを活用する考えだ。

 猪木は「オレこそが天下を取ってやるっていう選手が現れればいい。巡業もやる。オレ自身が行かないとダメだね」と国内外問わず選手発掘に乗り出す構えで「でっかいことをやりますよ」とニヤリ。“燃える闘魂”が雑草魂で世界中を飛び回る。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/16/0000271605.shtml

74名無し部員:2007/03/16(金) 12:21:10
プロレスの証言者 藤波辰爾(8)
 藤波辰爾は日本プロレス界に「ジュニアヘビー級」を定着させた。ヘビー級をもしのぐ人気を獲得した。しかし、藤波本人は体重100キロ未満というリミットのある「ジュニア」に満足していなかった。81年10月の防衛戦を最後に、4年近くも保持してきたWWF(WWWFから名称変更=現WWE)王座を惜しげもなく返上した。体重96キロほどの肉体で「ヘビー級転向」を表明した。

 藤波「体はヘビー級じゃなかった。でも猪木さんと同じ土俵で戦いたいという思いが強かった。猪木さんとタッグを組む機会が多かったので『オレもいつかはヘビー級で』と考えていた。それから、どんなに人気があってもジュニアは『ワンランク下』と見られていたからね。自分の中では自然な流れだった」。

 幸いにも当時はタイトル戦以外では、ヘビーとジュニアヘビーの階級の色分けがなかった。藤波はジュニア王者時代からヘビー級最強外国人のスタン・ハンセンや、体重200キロを超える大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントと戦っていた。体格とパワーこそ劣るが、スピードと技術で十分対抗できるという手応えをつかんでいた。

 一方でヘビー級転向へ背中を押す後継者も、絶妙なタイミングで登場した。81年4月、藤波よりもさらに小柄なタイガーマスクがデビューした。170センチそこそこの小さな体を最大限に生かした空中殺法や打撃を駆使したファイトスタイルは、新しいジュニア時代到来を予感させた。

 藤波「タイガーマスクがブームを巻き起こしたのを見て『ジュニアはタイガーに任せれば大丈夫』と思った。オレの場合はジュニアらしい動きはドラゴンロケットとプランチャくらいで、あとはヘビー級と同じストロングスタイルだったけど、タイガーはジュニアにしかできない空中殺法が多かったね」。

 82年8月30日、藤波はヘビー級転向1年目にしてベルトを巻いた。米ニューヨークのマジソンスクエアガーデンで、WWFインターナショナル・ヘビー級王者ジノ・ブリットに挑戦。ドロップキック、猪木直伝の延髄斬りなどで攻め、最後は力技のブレーンバスターで王座奪取に成功した。体重は108キロまで増え、ヘビー級の肉体に進化していた。

 なぜ短期間で藤波はヘビー級の肉体を手にできたのか。本人の努力のほかに、実はもう1つの大きな要因があったという。それが結婚だった。WWFジュニアヘビー級王座を返上した直後の81年12月、かおり夫人(現在は伽織に改名)と結婚したことで、食生活が劇的に改善され、太りにくかった体質が変わった。

 結婚前は外食中心の生活だった。インスタントラーメンをすする日も多かったという。かおり夫人は藤波が巡業中に外食したレシートを見て、徹底した食事法を決意したという。巡業中は肉料理中心のメニューや、手軽な丼ものばかりだが、家にいるときは栄養バランスを意識した手料理が出てくるようになった。

 藤波「女房も料理が好きだったし、家にいるときは1日3食、手の込んだものが出てくるわけですよ。オレも時間が許す限り家で食べるようにした。考えてくれたのは食事だけじゃなかった。試合中に食いしばることで傷んでいた歯も『1度手入れしたら?』と女房にいわれて、欠けた歯など7〜8本を治した。それから太れるようになった」。

 藤波がジュニアヘビー級王座を獲得して、今年で30年目を迎える。藤波以降「ジュニア」にはタイガーマスクをはじめ、数々の名選手が誕生した。しかし、ジュニアとヘビー級の両クラスで世界王者として一時代を築いたプロレスラーは、いまだ藤波以外にいない。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070316-170265.html

75名無し部員:2007/03/18(日) 00:50:57
全日本がTNAと提携 武藤社長スティング招聘へ 全日本の武藤敬司社長(44)が16日、米国視察を終えてロサンゼルス発の便で成田空港に到着。米国第2の団体、TNAからの親書を受けての出張で、今後は選手交流、新人育成などで全面的に協力していくことで合意し、事実上の提携を結んだことを明かした。

 今後はTNAの有力選手が全日本に参戦することが確実だが、武藤社長は特にスター選手のスティング(48)の招へいに意欲。91年には新日本に参戦し、武藤の化身、グレート・ムタと一騎打ちやチーム結成で手を結んだこともある気心の知れた仲だ。武藤社長は「(興行)形態はウチに似ているが、スケールがでかい。いろんなイメージが浮かんできた。一緒にやれば新しいものができると思う」と収穫に満足げだった。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070317-OHT1T00024.htm

76名無し部員:2007/03/18(日) 00:52:16
「やってやるって!」Tシャツがバカ売れだって!/「越中詩郎選手サイン・撮影会」報告
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6630

77名無し部員:2007/03/18(日) 00:53:18
諏訪魔がTARUに反逆 内部崩壊も

 TARU(左)の愚行に不満を爆発させた諏訪魔=東金アリーナ  「2007全日本プロレスEX」(16日・千葉東金アリーナ)で、悪役集団ブードゥー・マーダーズ(VM)の首謀者TARUに諏訪魔が反逆し、内部崩壊の危機に陥った。

 TARUは、次期チャンピオンカーニバル(CC)(26〜30日・後楽園ホール)で諏訪魔の優勝をアシストするべく、13日の富山大会ではCC出場者の小島を奇襲攻撃。この日も試合前に「みのるを壊す」と宣言していたが、これを諏訪魔が潔しとはしなかった。

 TARUが予告通りに試合中、みのるを背後からポリタンクで襲撃すると、諏訪魔はもう黙っていられなかった。「CCはオレの大会だ。手を出すな」とTARUをにらみつけると、右手で突き飛ばした。さすがに面食らったTARUは「仲えぇからちょっとくらいケンカもあるんじゃ」と平静を装ったが、リーダーの愛情が逆効果となり、悪役集団に不穏な空気が漂った。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/17/0000272453.shtml

78名無し部員:2007/03/18(日) 00:53:47
武藤が帰国「TNAと交流進める」
 全日本の武藤敬司社長が16日、米国視察を終えて帰国。米第2団体のTNAとはデキシー・カーター社長、アンディ・バートン副社長、ジェフ・ジャレット常務とトップ会談を行い「交流を進めることで合意した」と、業務提携が成立したことを明らかにした。

 「TNAにはWCWの名残を感じた。ウチに合っているし、等身大の付き合いができる」とし、WWE大会の視察は取りやめた。まずスター選手の育成へTNAのカナダ道場との交換留学、中堅選手の派遣などからスタートさせたい意向だ。

 新興団体JCWのフィラデルフィア大会では、ムタも復活してムタ・コールが爆発。「戦略もあるからね」と意味深な言葉も残し、8月に予定されるビッグマッチにスティングら主力選手の招へいプランも浮上しそうだ。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/17/0000272460.shtml

79名無し部員:2007/03/18(日) 00:56:24
武藤が米国遠征から帰国、交換留学を計画
 全日本の武藤敬司(44)が16日、米国遠征から帰国した。今回の遠征では、米国第2団体TNAと業務提携を結び、独立団体JCWフィラデルフィア大会に出場。TNAとは今後、若手選手の交換留学を計画しているという。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070317-170798.html

80名無し部員:2007/03/18(日) 00:57:07
プロレスの証言者 藤波辰爾(9)
 それは日本プロレス史に残る下克上だった。事件は1988年(昭63)4月22日、沖縄大会での控室で起きた。藤波辰爾が師匠でIWGP王者のアントニオ猪木に、突然牙をむいた。当時、最強外国人といわれたベイダーと猪木の2連戦に、猛然と異を唱えた。

 「いったい何年続くんだ」。長年たまっていた猪木主導への不満を爆発させた。「だったら破ってみろよ」。猪木の言葉に、藤波は即答した。「やりますよ」。その瞬間「やれるのか?」の罵声(ばせい)とともに猪木の張り手が飛んできた。藤波は間髪入れずに張り返した。最後ははさみで自分の髪を切って決意を示した。

 藤波「新日本をオレが変えなければという強い気持ちがあったからね。以前の自分なら猪木さんに殴られたらしょぼくれていたけど、あの時は無意識に殴り返した。猪木さんがよろめくほどだった。髪を切ったことに大きな意味はなかったけど、何かアピールしなければと思っていた」。

 新日本を復興するために、考え抜いた末の行動だった。80年代から猪木の「神通力」にも陰りが見えるようになった。なのに猪木主導は変わらなかった。84年に藤波の宿敵だった長州力が、選手を率いて全日本に移籍。将来のエース候補だった前田日明も新団体UWFを旗揚げした。主力選手が次々と流出した。

 企画も失敗が続いた。87年3月の猪木−マサ斉藤戦に乱入した海賊男にファンが猛反発。暴動騒ぎが起きた。同12月に参戦表明した「たけしプロレス軍団」も大ブーイングを浴びた。テレビ中継も88年4月からゴールデンタイムを外された。藤波の突然の反逆はその直後に起きた。

 藤波「長州たちは現状に嫌気が差して出ていった。オレも全日本の馬場さんの側近から『移籍を前提に話をしないか』と声を掛けられた。でも条件を提示される前に断って、新日本を改革する道を選んだ。それが『飛龍革命』。藤波辰爾自身の改革でもあった」。

 「飛龍革命」の最終目標が猪木超えだった。70年に日本プロレスに入門して以来、常に猪木の背中を追ってきた。付け人を務め、新日本旗揚げに参加。格闘技経験のない自分を、トップレスラーに育ててくれた恩もある。その一方で心の片隅にある「猪木さんに付いていけば」という甘えが、「2番手」から抜け出せない最大の理由でもあった。

 藤波が反旗を翻した翌日、偶然にも猪木がランニング中に左足甲を骨折。IWGP王座を返上した。チャンスは藤波に巡ってきた。88年5月8日のベイダーとの王座決定戦で反則勝ちを収めてタイトル奪取に成功した。この結果、同8月8日の横浜大会で藤波に、猪木が挑戦するという形で師弟対決が実現した。

 藤波は終始優位に試合を進めた。師匠の必殺技、卍固め、岩石落としをはね返し、足4の字固め、パイルドライバー、そして卍固めを返した。結果は60分フルタイムドロー。藤波が防衛に成功した。78年5月20日のシングル初対決からの連敗を7で止めた。勝てなかった。しかし、世代交代をしっかりと印象付ける内容だった。

 藤波「猪木さんはあこがれの存在だったので、晴れ晴れした気分ではなかったね。試合後は寂しさがあった。あこがれの人のキャリアに事実上のピリオドを打ったわけだから。ファンも猪木さんのエンディングを見ているようなまなざしだった」。

 猪木にとってはこの試合が最後のIWGP挑戦だった。翌89年に参院選に当選。リングからは距離を置いた。後年になって「藤波戦は引退をかけてリングに立った」と明かした。新日本も89年に初の東京ドーム大会を成功させ、再び息を吹き返した。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070317-170886.html

81名無し部員:2007/03/18(日) 07:56:02
坂口Jr.プロデビュー戦決定 パンクラスは17日、世界の荒鷲、坂口征二氏(65)の長男・征夫(33)=TEAM坂口道場=のプロデビュー戦が、4月27日の後楽園大会、チェ・ヒュンソク(韓国)戦に決まったと発表。昨年9月にアマデビューした征夫は、同12月に予定されていたプロデビュー戦を右足のけがで回避していた。
http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/fight/news/20070318-OHT1T00095.htm

82名無し部員:2007/03/18(日) 10:52:28
新日本に…??
テーマ:ブログ
早いですねえ、もう気がつけば三月も半ばを過ぎてしまったんですねえ。
子供達、もう春休みだもの、びっくりですよ。
無我の次期シリーズまで、二週間ちょっとになってしまいましたですねえ。まだ、対戦カードがでてませんが、今日、明日にでも、でるんじゃないでしょうか?注目のチャボ・ゲレロ日本引退ツアー、チャボが誰とやるのか、楽しみでげすね。
実は自分は今、五月シリーズの準備に、早くも入ってまして、まあ、忙しい事。こちらの日程もまだ発表になってませんが、早めにしないとね。

さてさて、コメントでもいただきましが、新日本プロレスに戻ってほしいと。ほかからも聞いた事ありますし、そう思って下さってる方、おられるようですね。
結論からいいますと、今、新日本プロレスの組織の中に戻るとか、戻りたいって気持ちは、全然ありません。
ただ、リングアナとして、オファーがあれば、その時、状況、条件を考え、答えをだします。そういった意味では、新日本プロレスのリングで、またコールする可能性は、まるっきりないとは言えないと思います。
今、自分ですね、やりたい事、いっぱいあるんですね。やりかけてる事もありまして、それに凄く燃えてまして。
ですから、動きが制限されるのは、今はちょっと…って、感じですか。
ハッスルのコールも楽しいですし。
そうそう、新日本の社員の中には、新日本をやめて、猪木さんのところに行く人もいるようですが。
大丈夫です。自分が猪木さんのところに行く事はありませんし、話もきてませんから。

明日は18日、名古屋ですか…。
http://ameblo.jp/kerog-2006/entry-10028224380.html

83名無し部員:2007/03/18(日) 11:39:05
プロレスの証言者 藤波辰爾(10)
 藤波辰爾が「レスラー人生最大の転機」と振り返る出来事がある。長州力との抗争ではない。アントニオ猪木超えを果たした飛龍革命でもない。それは1989年(平成元年)6月に突然襲ってきた「腰痛」だった。

 同年6月22日、長野・佐久大会でアクシデントが起きた。当時の最強外国人ベイダーとの一戦。バックドロップで投げられた瞬間、腰に電気が走った。気力で試合を続けてフォール勝ちしたが、1人で控室に戻ることができなかった。その日のうちに車で帰京して、治療院に駆け込んだ。

 診断は「椎間板(ついかんばん)ヘルニア」。手術が必要なほどの重症だった。しかし、藤波は2日後、再びリングに復帰した。前年8月にアントニオ猪木と60分フルタイムドローの激闘を演じ、IWGPヘビー級王座の防衛に成功。「エース交代」を強く印象付けたばかり。休むわけにはいかなかった。

 藤波「自分は団体の看板選手。興行も藤波という看板でチケットを売っていた。『休みたい』なんて言える状況じゃなかった。猪木さんが参議院選に出馬することになって、ますます責任がのしかかった。腰にゴムチューブを巻いて、固めてリングに立ったんだ」。

 ジュニア時代から、アンドレやホーガンら200キロ前後の大男と戦ってきた。しかも得意技はスープレックスなどの投げ技。ずっと腰に鈍痛を感じていた。その蓄積がついに限界を超えた。気力でリングに上がり続けたが、復帰8戦目の同7月7日、ついに1歩も歩けなくなった。

 デビューから18年間走り続けた男が、突然リングから姿を消した。戦う標的が「腰痛」に変わった。どの病院でも手術を勧められたが、選手生命を断たれる危険のある手術を受けるつもりはなかった。妻伽織さんの肩を借りて、鍼・灸、指圧、気功などの名医を探し日本中を行脚した。

 当時を伽織夫人が振り返る。「小さかった娘を連れて関西まで車を運転して治療に行きました。娘は病院や治療院の骨の標本ばかり見ていたから、骨の絵を描くことができるようになったほどでした」。一方で藤波は激痛で満足な睡眠もとれず、精神的にも追い詰められていった。

 藤波「当時娘はまだ3歳。女房に迷惑を掛けていることは分かっているのに『子どもを静かにさせろ』とか怒鳴ったりしてね。精神的におかしくなっていた。女房が家を空けて1人になったときは、何度もマンションから飛び降りようと思ったよ」。

 そんな地獄の日々から救い出してくれたのは、プロレスファンの温かい激励だった。同11月、後楽園大会でファンに経過を報告した。その時の光景を伽織夫人は今も鮮明に覚えている。「『焦らずに、しっかり治してこい』という声援ばかりで…。その言葉を聞いて主人は『もう1度リングに戻ろう』と決意したし、私も『リングに戻すんだ』と誓ったんです」。

 発症から1年後、ある医師に出会い症状が好転した。「患部の周りの筋肉を鍛えれば、ある程度痛みを抑えられる」と進言された。布団の中で腰を左右にねじる運動から始めた。プールで歩いたりもした。自然治癒力もあったのか、激痛は和らいでいった。

 地道なリハビリの結果、90年9月30日の横浜大会で1年2カ月ぶりにリング復帰を果たした。3カ月後の12月26日の浜松大会で、王者長州力を破り、IWGP王座も奪回。再び頂点に立った。しかし、以前の「最強」だけを追い求めてきた藤波とは違っていた。

 藤波「休んでいる間に自分の目指すプロレスを見つけた。リングの中だけじゃなくて、レスラーはこんなに鍛えているというのを見せることを通して、子どもたちに運動を教えたりね。もっと広くプロレスを知ってもらいたいと思ったんだ」。

 復帰後、藤波は小中学校訪問をスタートさせ、今も無我で続けている。ちなみに腰痛は完治したわけではない。現在も試合前に痛み止めの座薬を使っているという。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070318-171301.html

84名無し部員:2007/03/19(月) 07:44:18
*ブードゥー・マーダーズが Black &C.T.U軍と激突
昨年末から新日マット、レッスルランドで旋風を吹かせているブードゥー・マーダーズが、 Black &C.T.Uの混合チームと対決。ゴング前の YASSHI がライガーに向かって、「カス野郎!そのクソ醜い顔をな、今日もさらしてやるわ!」といきなりのマスク剥ぎ宣言。怒りのライガーが YASSHI に飛びかかってゴングが鳴った。試合はTARU・近藤・ YASSHI の極悪なコンビネーション攻撃がミラノを封じ込め、まずはブードゥー・マーダーズが主導権を握った。替わる蝶野も得意技で押し返したものの、絶妙なカットに、なかなかペースを戻せない Black。しかし、ライガーの掌底を皮切りに、ミラノとの合体攻撃が火を噴くと流れが急転。最後は、待ってましたとばかりに蝶野が YASSHI にケンカキック、シャイニングケンカキックと一気に畳み込んで勝利。
 試合後、TARU が「ウチのブラザーから取ったくらいでいい気になるな。コイツは負けるのが仕事なんじゃ、ボケ! オイ、新日本プロレス、おもろいからもうちょっと遊んだるか。今日はこの辺で勘弁しといたるわ!」とマイク。だが蝶野も「やられるのが仕事なら、もう少しかっこいいやられ方を覚えてこい、コラ!」と同じくマイクで反撃した。

 
*サムライジム門下生第1号
3月11日愛知大会で、サムライジム門下生1号となった田口が、師であるサムライとの師弟タッグで裕次郎・テハノ組から勝利。
 試合後、裕次郎がサムライジム会長のエル・サムライに入門を直訴。サムライは「よし!お前もチャンピオンになれ!」と快諾。裕次郎のサムライジム門下生2号が確定。重鎮エル・サムライが、若手2人の育成に本格的に取り組むこととなった。

http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0318_01.html

85名無し部員:2007/03/19(月) 07:44:51
*IWGPタッグ王者バーナード&トムコがチャンピオン棚橋を撃破
全試合開始前、第5試合で争われるNWA世界Jr.ヘビー級選手権の調印式が行なわれ、両選手がタイトルマッチに向けての意気込みを語った。
カサス「タイガー選手は、とても尊敬に値するいい選手だと思っています。今日はお客さんの前でいい試合をして、ベルトを獲りたいと思います。 ビバ・メヒコ!」
タイガー「ネグロ(カサス)選手と初めて試合をしたのは、今から約11年前のメキシコでした。メキシコでネグロ選手は、長州さんに匹敵する雲の上の存在の選手だと思っています。そんな選手とこういう形でタイトルマッチができることを非常に光栄に思います。しかし、本当の気持ちは、必ずこのベルトを防衛し、ネグロ選手のメキシコのリングでも防衛して、タイガーマスク旋風を巻き起こすことです。」
両者は固い握手を交わしてリングを降りた。

 
試合は、メキシコのスーパースター・カサスが、序盤から多彩なメキシカンストレッチで高度な技術を披露。カサスの術中にはまったタイガーが苦戦を強いられる。
 中盤に入ると、両者の華麗な空中戦が展開され、一気に試合がヒートアップ。この中、カサスがスピードとパワーを駆使してスパート。タイガーの動きを押さえにかかるが、タイガーは得意の四次元殺法でここを切り抜ける。そして終盤、カサスが、ついに前哨戦で勝利を飾り続けた“元祖ラ・マヒストラル”で勝負。しかしタイガーは、これをカウント2でキックアウト。このカサスの必殺技を返すことに成功したタイガーが、“元祖”に対抗したラ・マヒストラルを決めれば最後、V6達成の3カウントが数えられた。
 試合後タイガーは「ずっと今シリーズを見てきて、弱点を狙っていたんですよ。僕は1回マヒストラルでやられている(3/9熊谷)から、何かないかなと思った時に、あの人の足に注目したんです。今日は上手いタイミングで出来た。いい形で防衛が出来た。」と勝利への秘策を披露。また、「5月4日からTNAへ行きます。10日ぐらいには帰って来るんじゃないかと思います。自分がJr.を代表して行くので、いい選手を見つけて、それを会社に報告する。新日本プロレスとTNAは今、いい関係を築いていると思う。敵でありながら、しっかりとTNAファンというものをガッチリ掴んで来たいと思います。」とTNA参戦もあかした。

http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0318_01.html

86名無し部員:2007/03/19(月) 07:46:11
永田決勝進出!IWGP王座挑戦王手
バーナード(右)にシャイニングウイザードを決める永田
 ◆新日本 ○永田(18分22秒 腕ひしぎ逆十時固め)バーナード●(18日・尼崎市記念公園総合体育館) 春のG1「NEW JAPAN CUP」準決勝が行われ、永田裕志(38)が昨年の覇者、ジャイアント・バーナード(32)を倒し、決勝進出。IWGPヘビー級王座挑戦に王手をかけた。

 執念で怪物を倒した。高角度パワーボムなどの危険な技をくらい続けたが、狙いを右腕1本に絞って逆襲。昨年の決勝戦、同じ会場で敗れた相手に雪辱し、冷静な男がガッツポーズを繰り返した。「右腕狙いしかなかった。一度も勝ったことがなかったから大きい」。IWGP王座陥落から3年10か月。その間、一度もなかった挑戦のチャンスが目の前に来た。「いろんなプランがある。これで優勝しないと先に進まない」2007年は名実ともにミスターIWGPに返り咲く。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070319-OHT1T00105.htm

87名無し部員:2007/03/19(月) 07:47:47
【パンクラス】元リングス・金原、次戦での引退を表明
 元リングスの金原弘光が18日、パンクラス・後楽園ホール大会で川村亮と対戦し、3R1分36秒、左フックを浴びてKO負け。試合後のリング上で「次の試合で引退します」と表明した。

http://www.sanspo.com/fight/top/f200703/f2007031900.html

88名無し部員:2007/03/19(月) 08:20:54
 試合後、田口は尼崎のファンに勝利のタグダンスを披露し、サムライとガッチリ握手。
 すると、裕次郎が「俺をサムライジムに入れてください。お願いします!」と会長(サムライ)に直訴。「田口と3人でやるからな。お前もチャンピオンになれ!」と裕次郎のサムライジム入りを認めた会長は、2人の門下生(田口、裕次郎)と並んで記念撮影を行なった。

■試合後コメント
 裕次郎「CTUの時代は終わりだよ。これからは俺とサムライ、田口のサムライジムが新日本Jr.を引っ張っていく。そうですよね!?」
 サムライ「もちろん。この2人がいる限り、何の心配もないでしょう」
 裕次郎「CTUは俺らサムライジムが潰してやるよ。(サムライ、田口と握手しながら)今日からよろしくお願いします!」
 田口「頑張ろう」
 サムライ「これからこの3人でやりますから。お願いします」
 裕次郎「お願いします!」
(新日本携帯公式)
http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0318_01.html

89名無し部員:2007/03/19(月) 08:32:29
 場内がブーイングと「真壁」コールに包まれる中、「オイ、真壁! そんなもんか? お前、優勝してみろ。優勝せんかったら、絶対にゆるさへんからな!」とマイクで絶叫した天山が、真壁に襲い掛かる。
 予想もしないGBH同士の乱闘を、他のメンバーが必死で止める。ようやくリングを降りた天山はなおもレフェリーに詰め寄っていた。
 リングに残った真壁は「オイ! テメェに言われる筋合いはねぇんだよ、バカ野郎! 必ず優勝してやるよ!」と、憮然とした表情で天山にやり返した。
(新日本携帯公式)
http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0318_01.html

90名無し部員:2007/03/19(月) 19:32:22
中西&天山選手がみちのくプロレス九州シリーズ(3/24〜3/28)に参戦
みちのくプロレスの九州シリーズ「2007年〜酒宴〜」に中西学選手、天山広吉選手の参戦が決定しました。対戦カードは以下のとおりです。

■3月24日(土) 18:00試合開始 
 福岡・朝倉市甘木青果市場
 新崎人生&野橋真実&気仙沼二郎
 vs
 天山広吉(新日本プロレス)&HAPPY−MAN&ラッセ

■3月25日(日)17:00試合開始 
 熊本・南阿蘇村白水体育館
 新崎人生&野橋真実&景虎
 vs
 天山広吉(新日本プロレス)&HAPPY−MAN&ラッセ

■3月26日(月)18:30試合開始 
 熊本・熊本興南会館
 新崎人生&野橋真実
 vs
 天山広吉(新日本プロレス)&HAPPY−MAN

■3月27日(火)18:30試合開始 
 長崎・島原市復興アリーナ
 新崎人生&野橋真実
 vs
 中西学(新日本プロレス)&気仙沼二郎

■3月28日(水)18:30試合開始 
 長崎・長崎市NCC&スタジオ
 新崎人生&HAPPY−MAN&野橋真実
 vs
 中西学(新日本プロレス)&景虎&ラッセ

■お問い合わせ
 エーエムウェブ TEL(096)329−2295
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6632

91名無し部員:2007/03/19(月) 19:36:34
内藤&田口選手がプロレスイベント「若武者」(3/22)に参戦
プロレス団体の枠を越えた“プロレスサミット”開催を目指すプロレスイベント「若武者」に、新日本プロレスから内藤哲也選手、田口隆祐選手の参戦致します。
対戦カードは下記のとおりです。

「若武者〜プロレスサミットへの道〜」
■日時:3月22日(木)開始19:00〜
■場所:東京・新宿FACE 

 <シングルマッチ>
 田口隆祐(新日本プロレス)
  VS
 石川修司(ユニオンプロレス)

 <第1試合 6人タッグマッチ>
 内藤哲也(新日本プロレス)&西山秀紘(IWAジャパン)&今井計(大日本プロレス)
   VS
 カツオ(DRAGON GATE)&ランディ拓也(K−DOJO)&ロベルト田中(大阪プロレス)

■主催:プロレスサミット実行委員会
■問い合わせ:プロレスリングJP(電話:045−313−4321)
■公式サイト: http://players.tv/summit/
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6633

92名無し部員:2007/03/20(火) 04:34:07
YASSHI、怨敵・越中のパワーボムに撃沈!=カス野郎プロレス

 昨年大好評のうちに幕を閉じた「新宿カス野郎プロレス」が、パワーアップして新宿に帰ってきた。“月に1回、カス野郎の日があったっていいじゃないか。なあ、カス野郎”のコンセプトのもと、神戸発のプロレスグッズショップ「リングソウル」主催、月刊カス野郎プロレス「カスイチ」が19日、東京・新宿FACEで開催された。
 メーンはもちろん、カス野郎と言えばこの人、“brother”YASSHI。当日に発表されたシングルマッチの相手は、高校生の頃に「お前にはプロレスラーは無理だ!」と冷たく突き放され、今もって恨みがあるという越中詩郎だった!

 試合前に場内のスクリーンに映し出された近藤修司との居酒屋飲み会(もちろん隠し撮り)では、仕掛け人・近藤の誘導尋問に乗って「リングに上がれば先輩も後輩もない。越中の野郎!」と、すっかり水割りで出来上がっていたYASSHIは言いたい放題。ところが、今宵新宿に降臨したプロレスの神様“カス男”からシングルマッチの相手が越中だと告げられると、態度が一変。「誰でもかかって来いや、カス野郎!」とオープニングでの威勢もすっかり吹き飛び、入場前からカタカタ震える始末だ。
 ゴングが鳴るとYASSHIは「こんなんでビビると思うなや、カス野郎!」と、チョップを乱れ打つが、越中にたいしたダメージはなし。逆にチョップ、場外でのパイルドライバー、イス攻撃、そしてお待ちかねのヒップアタック連発で逆襲を受け、YASSIはフラフラだ。「もう1回見たい?」とファンにリクエストを求めるくらいノリノリの越中からおまけのヒップアタックまで食らったが、意地を見せたYASSHIが掟破りのヒップアタックで反撃。さらに越中のムーブをマネたパワーボムを狙うが、結局持ち上がらず、本家パワーボムを食らって無念のフォール負けとなってしまった。
 無言でリングから去った越中を、マットに這いつくばりながら見送るしかなかったYASSHIはまず、「きょうはありがとうございました」とファンに挨拶。そして、涙交じりの声で“打倒・越中”を誓ったのだった。
 「越中さん、ありがとうございました。試合前のVTRであったことは事実です。高校生の時に本当にプロレスラーになりたかったけど、否定されて、プロレスラーになる前もなった後も、挫折しそうになった時はあのことを思い出して、絶対に見返したると思ってた。ここで辞めたら、あのオッサンと対決できひんと思って、ここまでやってきた。だから、きょうは勝てへんかったけど、あのオッサンが引退するまでチャンスあるから、またあのオッサンに挑戦したい。ギャラが少ないとかで、また挫折しそうになったら、あのオッサンの言葉を思い出して頑張ろうと思います」
 新たに生まれたYASSHIと越中の因縁。YASSHIが悲願の越中超えを果たすのはいつになるのか。

 セミファイナルは、TARU&大鷲透vs高山善廣&鈴木みのるのタッグマッチ。3.11SUWA引退興行で散々に叩きのめされたTARUが、パートナーを大鷲に変えて報復を誓った1戦だった。
 TARUはカスイチのリングがホームであることから、なんと反則なしのクリーンファイトを宣言。ベビーフェイスとしては先輩である大鷲とともにクリーンでストロングスタイルなプロレスを展開していくが、やはり高山&みのるにはまったく歯が立たない。場外でみのるからイスでメッタ打ちにされたTARUはついにブチ切れて、リング上でイス攻撃を連発。結局、TARU組の反則負けとなってしまった。
 ベビーに徹し切れなかったTARUのファイトに、神様“カス男”は落胆。TARUに「1カ月後の4月19日の第2回興行までにキャラチェンジして来い」と命じ、TARUも「考えてきたるわ」と、キャラチェンジを受けたのだった。

 また、第2試合では小島聡vsランジェリー武藤という異次元対決が実現した。ランジェリーが執拗にブラジャーを着けさせようとするが、小島がかたくなに拒絶。最後は右腕のサポーターを放り投げた小島が、なんとランジェリーのブラジャーを握ってのラリアットで撃沈。ランジェリーは「おい、コジ。給料下げるぞ」と言うのが精一杯だった。

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20070319-00000036-spnavi-fight.html

93名無し部員:2007/03/20(火) 04:43:00
プロレスの証言者 藤波辰爾(11)
 腰痛を克服して1990年(平2)秋に復帰した藤波は、リングの上の変化に戸惑った。当時37歳の自分より10歳前後も若い男たちが、幅を利かせていたからだ。武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の3人。藤波が戦線離脱していたわずか1年2カ月間で、トップレスラーに台頭していた。

 3人は84年入門の同期で、90年当時はまだデビュー5〜6年目の若手にすぎなかった。しかし、80年代半ばから長州力、前田日明ら主力選手たちの離脱が続いたことで、選手を補うために猪木が「闘魂三銃士」として売り出した。3人は体も大きく、三者三様のキャラクターで人気も実力も急上昇した。

 藤波「あれっ、こんなやつらがいたんだ、という感じでね。彼らがプロレスのプの字が分かり始めたころに新日本のゴタゴタがあったから、幸か不幸か普通のレスラーが15年かかる過程を、5、6年で駆け上がってきた。長州たちの離脱がなければ、三銃士は存在しなかったかも知れないね」。

 90年12月26日、浜松大会で藤波はライバルの長州力を破り、復帰後初めてIWGP王座に返り咲いた。91年1月の初防衛戦でベイダーに敗れたものの、同3月の再戦で王座を奪回。以後、「世代闘争」を掲げた闘魂三銃士たちの、標的にされるようになった。

 91年はIWGP王座防衛戦で蝶野の挑戦を2度退けた。「成長はしているけどまだまだという感じだったね」(藤波)。しかし、同年のG1クライマックスでは武藤にまさかの敗北を喫し、グレート・ムタにも反則負けした。三銃士たちは藤波の胸を借りながら、確実に成長していった。

 藤波「武藤は器用で技も切れる。橋本は猪木さんのストロングスタイルを受け継いでいた。蝶野は自分と同じように格闘技経験がなかったけど、吸収が早かった。でも自分だって当時は譲れないものがあった」。

 3人の中でも特に橋本には強烈な印象が残っている。94年4月4日、藤波は挑戦者としてIWGP王者橋本と戦った。試合前の調印式で橋本から「元気だったころの藤波さんと戦いたかった」と見下された。この言葉で藤波の闘志に火がついた。橋本の重い蹴りに耐え、相手の必殺技DDTをグラウンドコブラで切り返して王座を奪還した。

 しかし、約1カ月後の再戦は、雪辱を期した橋本の気迫に負けた。試合前に「10分以内に倒す」と宣告された。相手は先輩への敬意より、失いかけた自分の誇りを取り戻そうという気持ちが全身に満ちていた。キック攻撃で一方的に攻め込まれ、DDTで3カウント。わずか6分4秒でリングに沈んだ。

 藤波「橋本は上にあるものは何でも取りたいという感じだった。全身からその気持ちがあふれていたね。体制を壊してでも、自分がトップに座りたいとね。蝶野と武藤はそこまではなかった」。

 90年代に入って新日本は藤波、長州力に、闘魂三銃士、豪華な外国人トップレスラーが顔をそろえ、黄金時代を迎えた。92年から恒例となる1月4日の東京ドーム大会もスタートした。しかし、その後、橋本はゼロワンを旗揚げ、武藤は全日本に移籍した。蝶野だけが新日本に残った。くしくも98年8月8日、藤波の最後のIWGP王座防衛戦の相手が蝶野だった。挑戦者の蝶野のSTFに屈した。

 藤波「蝶野は団体を引っ張る資質があった。負けたけど『こいつになら』という安心感があった。状況をじっくりと見て全体を見渡せることができる。自分に似ているところがあった。僕のあとに蝶野が社長になっていれば、新日本はもっと違う流れになっていたかなとも思う」。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070319-172032.html

94名無し部員:2007/03/20(火) 04:43:26
永田が「凶獣超え」でNJ杯王手/新日本
<新日本:兵庫大会>◇18日◇尼崎市記念公園総合体育館◇5000人

 新日本の永田裕志(38)が自身初の「凶獣超え」でニュージャパン杯(NJ杯)初制覇に王手をかけた。NJ杯準決勝でバーナードと対戦。昨年4月に同じ尼崎で行われた同決勝で敗れるなど、シングル、タッグ戦通じて未勝利だった天敵にパワーボムで苦しめられたが、右腕をきめて逆転勝ちした。ガッツポーズを繰り返し「死ぬかと思った。この壁をクリアできたのは自信になる」。21日後楽園大会では、真壁との決勝に臨む。「あと1歩だ。優勝しないと進めないから」と瞳をぎらつかせていた。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070319-171836.html

95名無し部員:2007/03/20(火) 10:46:14
永田が「避雷針キック」で真壁蹴り倒す!
 新日本の永田裕志(38)がニュージャパン杯決勝(21日、後楽園ホール)で真壁刀義を「避雷針キック」で蹴り倒す。19日、都内の道場で明かした。相手のいす攻撃に合わせて、いすごとロケットキック(顔面への前蹴り)を出す。「あいつは真っ正面から凶器攻撃を仕掛けてくる。そこが狙い目。いすを持ち上げたら、それごと蹴り倒してやるよ」と笑った。普段から「角を付けたら『かみなり様』だ」と冷やかしている真壁の風ぼうから名付けた。得意の蹴りで優勝し、IWGPヘビー級王者棚橋弘至への挑戦権をつかむ。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070320-172362.html

96名無し部員:2007/03/20(火) 10:47:14
プロレスの証言者 藤波辰爾(12)
 新日本プロレスは90年代に第2次黄金時代を迎えた。藤波は98年8月まで通算6度IWGP王座を獲得した。これはいまだに破られていない大記録である。しかし、レスラーとして円熟期を迎えていた時期に、予想外の事態が起きた。

 99年1月4日の東京ドーム大会で事件は起きた。新日本の若手エース橋本真也と、アントニオ猪木率いるUFOの小川直也のシングル対決。ゴングと同時に小川がルール無視のケンカを仕掛けた。レフェリーの制止を振り切り、橋本の頭部を殴り、蹴りつけた。橋本は大流血して失神。わずか6分で無効試合となった。

 この一戦が新日本崩壊への序曲になった。技を応酬しあう攻防があってこそプロレスは成り立つ。その「業界のおきて」を小川はなぜ無視して暴走したのか。選手たちの不信感はマッチメークを手掛けた団体上層部へと向けられた。同年6月、坂口社長が責任を取る形で退任。後任に藤波が任命された。

 藤波「辞退することもできたけど、新日本を見殺しにできなかった。橋本対小川戦から、新日本内に疑心暗鬼のいやな流れができた。あれが新日本崩壊の始まりだった。でもオレでなければ誰が混乱を収拾できるのかとも思った」。

 藤波はリングの戦いを犠牲にして、人間関係の修復に奔走した。「もう新日本のリングには上がらない」と決意を固めた橋本を必死で説得した。横浜のレストランで2日間にわたり話し合った。「どこまでオレに恥をかかせれば気が済むんだ」と食ってかかる橋本に「もう1度行動を起こせ」とハッパをかけた。

 しかし、事態は好転しなかった。同10月の小川との再戦にも橋本は敗れた。「負けたら引退」を公言した翌00年4月の小川戦にも敗北を喫し、橋本の心は新日本から離れていった。藤波は道場まで借りて引き留めたが、そんな苦労も実らなかった。同11月、独立の動きを見せた橋本の解雇を自らの口で発表した。

 藤波「あのころ新日本はぬるま湯になっていた。だから橋本を頭にして対抗勢力をつくろうと思った。そうすることで、橋本ももう1度強い姿に戻れると信じていた。道場も借りておぜん立てしたけど、結果的にそれが彼の独立に拍車を掛けたのかもしれない」。

 崩壊の原因は外から横やりを入れる猪木にあったという。01年大みそかの猪木祭では、選手の派遣を押し付けられた。反対したが、はねつけられた。団体から離れていても創始者の発言力は絶大だった。出場した永田は、格闘技ルールに対応できず、ミルコ・クロコップにたった21秒でKOされた。新日本が掲げてきた「プロレスラー最強神話」が音を立てて崩れた。

 藤波「問題なのは猪木さんでしょうね。(総合格闘技への進出など)団体外のブレーンと考えたことを、新日本にぶつけてきたことから混乱が生まれた。何を柱にすればいいのかが分からなくなり、社員や選手の気持ちがばらばらになった」。

 猪木祭の翌02年2月には武藤敬司、小島聡らが全日本へ電撃移籍。さらに同5月には長州力まで退団した。6万人以上を集客してきた東京ドーム大会も、03年10月には4万7000人にまで減少。藤波はそれらの責任を取らされる形で04年6月に社長を解任された。

 藤波はその後も副会長という立場で、新日本を支えてきたが、衰退が止まることはなかった。05年11月にはついに株を売却し、ゲームソフト会社ユークスへ身売り。翌06年から選手のリストラが始まった。同6月、藤波も退団を決意した。

 藤波「最後まで残さなければならないところに最初に手を付けた。我々はものを作る会社じゃない。選手あっての会社なのに。もう我慢してまで残る団体ではなくなった。オレが知っている新日本とは別のところに行ってしまった」。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070320-172331.html

97名無し部員:2007/03/22(木) 00:23:48
 高瀬「みのるの次は棚橋、丸藤」
 今日21日の上井ステーションでプロレスデビューする総合格闘家の高瀬大樹が20日、東京・江東区の東京スポーツ新聞社を訪問。プロレス界完全制圧を宣言した。
 相手は世界一性格の悪い三冠王者・鈴木みのるだ。デビュー戦の相手としては破格となるが、PRIDEマットでは4勝3敗の戦績を残し「寝技日本一」との呼び声も高い高瀬は冷静そのもの。
「鈴木選手は尊敬してはいるけど、試合は試合。思い切りガツンといくだけ。もちろん寝技も使うし、新技も開発した。詳しくは言えないけど、一発で仕留められる威力がある」と不敵な予告を放った。
 今後はプロレスと格闘技の二刀流で暴れまわるという。「身体能力には自身がある。外国人にも負けないと思ってるし、いろんなプロレスに対応できるハズ。棚橋(弘至)選手とも戦いたいし、ノアの丸藤選手のようなスピーディーなファイターとも戦ってみたい」と、どデカい野望を明かした。
(3月22日東京スポーツ)

98名無し部員:2007/03/22(木) 08:35:30
*2007年 NEW JAPAN CUP トーナメント決勝戦
永田裕志vs真壁刀義〜永田が真壁のチェーン攻撃を制し血だらけV!〜4月13日(大阪)IWGPヘビー級選手権「棚橋弘至(王者)vs永田裕志」が決定〜
 NJC決勝戦は、復活を賭ける永田と、新日デスマッチ王・真壁の対決となった。ゴングが鳴ると、オーソドックスなレスリングの攻防で試合がスタート。だが、場外戦に持ち込んだ真壁は、イスで永田を殴打し得意の反則攻撃で流れを引き寄せる。永田は額から大流血。さらにセコンドに付いていたG・B・H矢野、本間も堂々と介入しすると、永田のセコンド・飯塚、井上も駆け付け、大乱闘に発展。会場からは永田への声援と真壁へのブーイングが響き渡る。リング内に主戦場を移しても真壁の勢いは止まらない。デスマッチモードに入った真壁は、永田の傷口めがけて鉄拳を突き刺し、噛みつき攻撃、チェーン攻撃で本領発揮。レフェリーの制止を振り切り、反則攻撃をたたみ掛ける真壁。だが、百戦錬磨の永田は、顔面を血に染めながらも反撃を開始。コーナートップに昇った真壁を雪崩式エクスプロイダーで撃墜すると、ヒザ蹴り、アームブリーカー連発から、執拗な腕固めで真壁を追い込むことに成功。ビジョンに映し出されるキラー永田の表情に会場がざわめく。ロープブレイクで危機を逃れた真壁が豪快なラリアット、タックルで反撃するが、永田はシャイニングウィザードで真壁の顔面を打ち抜き主導権を譲らない。セコンドがレフェリーの目を引きつけている間に、真壁はチェーンを手にすると永田の首に巻き付ける。勝負を賭けた真壁の攻撃だったが、永田は首にチェーンを巻き付けたまま真壁をバックドロップで投げ捨て、持ち前の鈍感力を発揮。さらに真壁の延髄ハイキックを浴びせると、美しいフォームのバックドロップ2連発で、ついに真壁をマットに沈めた。

 
 優勝トロフィーを手にした永田は、得意の敬礼で応援してくれた大勢のファンに挨拶。この一戦を本部席で見守っていた棚橋に「チャンピオン棚橋弘至。俺は宣言した通り、ここに勝ち上がって来たぞ!」と挑発。ベルトを持ってリングに上がった棚橋は、「マジですごい『永田』コールでした。ただ、復活はさせません。4月13日の大阪で、必ず俺が勝つ! 天下は獲らせない!」と、防衛を宣言。両者の握手で次回IWGP戦の火蓋が切られた。
 試合後永田は、NJC全4戦を「真壁は決勝に出てきてもいおかしくないだけの力のある選手でした。どの戦いも楽な戦いではなかっただけに優勝の喜びは格別です。」と振り返り、「ベルトに挑戦する気運は高まった。丸4年、一度も挑戦出来なかった分、ベルトにもう一度挑戦してくれというファンの声は一度も絶えなかったですから。今ならかつてベルトを持っていた時以上のチャンピオン像を作れるような気がします。棚橋は本当に素晴らしいチャンピオンだと思いますよ。だからこそ、挑戦しがいがあります。」と、4年ぶり王座奪取に向けての意気込みを語った。
 棚橋は、「次のシリーズからやっとチャンピオンが登場します。今度は俺が主役。永田裕志の風は感じますけど、その根拠はどこにあるんだ? 今、敢えて言います。チャンピオンは棚橋弘至がベスト!!」とコメント。現王者として、歴代最多王者永田を倒し、盤石の棚橋時代を築くことを誓った。

 
*バーナードと飯塚が遺恨戦
1月31日川越大会で、飯塚からギブアップを奪われたバーナードが、飯塚を襲撃。場外でのイス攻撃で飯塚を流血させ狂獣ぶりを発揮。飯塚のパートナー長州も、飯塚の流血を見ると完全にぶちキレ、最後はリング上でイス攻撃の応酬となる。勝敗を度外視し飯塚への復讐に燃えたバーナードが、レフェリーをもイスで殴打。バーナードに反則負けの裁定が下された。
 飯塚は、「チクショー! バーナード、もう1回絞め落としてやる! アイツがタッグチャンピオンになった以上、俺が挑戦する。この借りをタイトルマッチで返してやる!」と、流血のリベンジを誓った。

http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0321_01.html

99名無し部員:2007/03/22(木) 08:36:07
永田IWGPも取る! 真壁撃破でNJC初V…新日本・後楽園大会
NJC初優勝でIWGPヘビー級王座挑戦権をつかんだ永田は敬礼ポーズ
 ◆新日本 ○永田裕志(20分5秒 バックドロップ→体固め)真壁刀義●(21日・後楽園ホール) 春のG1「NEW JAPAN CUP」決勝は、永田裕志(38)=新日本=が真壁刀義(34)=GBH=を下して初優勝。賞金500万円とIWGPヘビー級王座挑戦権を獲得した。

 血染めの永田がバックドロップ2連発で優勝を決めた。両軍のセコンドが入り乱れる大乱戦となり、額を割られながらも大声援に支えられて逆転勝ち。「楽な戦いではなかったけど、優勝できて格別です。(決勝までの)どの試合も厳しかったし、壮絶でした」勝利を祝うビールを全身に浴び、喜びに浸った。

 4月13日の大阪大会でIWGP王者、棚橋弘至(30)への挑戦が決まった。永田は同王座史上最多の10回の防衛記録を持ち、ミスターIWGPと呼ばれた。だが、王座陥落後、挑戦の機会は一度もなく、不遇の4年間を過ごしてきた。

 来ないチャンスを自力で奪った。試合後のリングで棚橋と対面し、健闘を誓った。「この4年間、楽な経験じゃなかった。これで胸を張って挑戦できる。以前以上の力が出せる確信がある」ベルト奪取で真の復活を果たす。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070322-OHT1T00023.htm

100名無し部員:2007/03/22(木) 08:37:02
永田コールに燃えた!NJC初制覇

IWGP王者・棚橋(右)とガッチリ握手し、ベルト挑戦をアピールした永田


http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/22/03.html
 【新日本】後楽園大会で行われた春のG1ニュージャパン杯は永田が初優勝した。永田は真壁の凶器攻撃にG・B・Hの介入などで額から流血する苦しい展開となったが、永田コールに後押しされ、20分3秒、急降下の岩石落とし3発から体固めで真壁を下した。試合後、リングでIWGPヘビー級王者・棚橋とがっちり握手。あらためて挑戦を表明し「ファンの声援が励みになった。ベルトに挑戦する機運は高まった。勝たないといけない」と4・13大阪大会でのベルト奪取を誓った。

101名無し部員:2007/03/22(木) 11:24:36
永田が4年ぶりIWGP挑戦権/新日本
<新日本:東京大会>◇21日◇後楽園ホール◇1450人

 新日本の永田裕志(38)が約4年間のブランクを打ち破り、IWGPヘビー級王座挑戦権をつかみ取った。ニュージャパン杯決勝で真壁刀義と対戦。20分5秒、岩石落としからの体固めで下し、優勝を飾った。

 序盤は相手の凶器攻撃に防戦一方。いす攻撃で額を割られ、顔面は血で真っ赤に染まった。それでも、IWGP王者復帰を目指す気持ちは折れなかった。鬼の形相で白目をむきながらの腕固めで反撃。チェーンで首を絞められたまま相手を投げ、セコンドの介入もはね返した。「すべてを受け止めて勝つつもりだった」と胸を張った。

 IWGP最多記録の10連続防衛を達成後、03年5月2日に高山に敗れて陥落。通常は1年以内に再挑戦の機会が与えられるが、選手会長の立場にあったことや総合格闘技戦での敗戦など事情がからみ、「空白の4年間」になってしまった。だが、ファンは見ていた。今年に入り「今こそ! 永田裕志」の横断幕が掲げられるなど、挑戦への期待が高まった。永田も「ファンに力をもらった」と再奪取へ本気になった。

 4月13日の大阪大会で王者棚橋と対戦する。「今のオレなら、経験の分、前回よりすごい王者になれる」。4年分の苦労がいま、自信へと変わった。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070322-173243.html

102名無し部員:2007/03/22(木) 11:25:31
永田V!4・13大阪でIWGP挑戦

真壁にひざ蹴りを見舞う永田(右)=後楽園ホール  新日本「Circuit 2007 NEW JAPAN EVOLUTION〜NEW JAPAN CUP〜」(21日・後楽園ホール)、苦節4年、永田がニュージャパンカップ(NJC)に初優勝し、4・13大阪大会でのIWGP挑戦権を獲得した。

 03年5月の王座転落後、挑戦権すら与えられない不遇をかこった永田に風が吹き始めたのは、今年に入ってから。1・4東京ドーム大会で久々にシングル王座に挑戦、2・18両国大会でアングルとタッグ結成と、表舞台に返り咲いた。

 NJCでは石井、蝶野、バーナードを「どこに出しても恥ずかしくない」内容で連破。決勝の相手はこのところ飛躍的な成長をとげた真壁だ。

 凶器やGBHの介入に悩まされ、大流血させられたが「経験の差」は勝機を見逃さず。鎖を首に巻きつけられたままバックドロップでたたきつけ、右ハイを挟んでのバックドロップ2連発で息の根を止めた。

 永田は試合後、IWGP王者・棚橋を呼び込み「勝ち上がってきたぞ」と宣戦布告。「復活はさせません。天下は取らせない!」と応じた棚橋と握手を交わした。

 出戻った長州に「天下を取り損ねた男」とバ倒されてから2年半。永田がもう一度、天下分け目の戦いに臨む。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/22/0000277219.shtml

103名無し部員:2007/03/22(木) 11:26:07
元WWE・US王者ジョーダン参戦
 黒いカリスマ・蝶野正洋(43)が21日、元WWEのオーランド・ジョーダン(28)の新日本参戦を発表した。ジョーダンは、WWEのスーパースターだったザ・ロックの父親ロッキー・ジョンソンの下でトレーニングを積み、00年にデビュー。昨年までWWEで活躍し、US王座を獲得したこともある。蝶野自身、ジョーダンとの接触はまだだが「サラブレッド的で楽しみ」と、来日を待ち望んでいる。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/22/0000277230.shtml

104名無し部員:2007/03/22(木) 11:26:40
みのる上井氏に檄「ここは終点か」
 「UWAI STATION 4」(21日・後楽園ホール)、3冠王者みのるが、PRIDEで7戦4勝の高瀬のプロレスデビュー戦の相手として登場し、格の違いを見せつけた。開始直後こそ打撃と寝技で互角の攻防だったが、5分過ぎから一方的な展開。最後はゴッチ式パイルドライバーで沈めた。02年にライガー戦を組んだ上井氏への恩返し参戦となり「上井!お前のここ(のプロレス)はなんだ?プロレスの終点か?お前と別れた前田、船木、村上、柴田はみんな力強く生きてるぞ」と、檄(ゲキ)を飛ばした。上井氏も「灰になるまでやり続ける」とリング上で宣言した。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/22/0000277231.shtml

105名無し部員:2007/03/22(木) 18:56:41
NEW JAPAN CUP 2007 優勝者・永田裕志〜一夜明け会見
■3月3日より全14選手強豪で行われた“ NEW JAPAN CUP 2007 ”トーナメントで、見事優勝した永田裕志選手が一夜明けた心境と、4月13日大阪大会で行われる『IWGPヘビー級選手権』に対しての意気込みを語った。
 永田は“ NEW JAPAN CUP 2007 ”で、1回戦石井、2回戦蝶野、準決勝バーナード、そして昨日行われた決勝戦で、真壁刀義と対戦。全4戦を勝ち抜いた。
*充実感のある試合だった
永田:「今朝起きた時の体の痛みが、昨日の激闘を物語っていました。体はきつかったけど、自分自身も、そして会場も燃え、充実感のある試合だったと思います。じつを言うと、試合後のことはあまりよく覚えていません。インタビューで自分が喋ったことや、棚橋がリング上で言ったことなどは、今日になって携帯サイトなどを見て、改めて思い出したという感じです。」

*棚橋の弱点は会場の声援に左右されやすいところ
永田:「棚橋も打たれ強く、素晴らしいチャンピオンになった。タイトルマッチを重ねるごとに、選手として向上していくのがよくわかります。でも、僕の頃よりは今の方が楽ですね。僕がチャンピオンだったのは、ちょうど30周年に当たる年で、毎シリーズのように防衛戦が行われていましたし、防衛戦が終わった瞬間に次の挑戦者が名乗りを上げるような状態でしたから。しかも様々な分野で頂点を極めた強豪がどんどん挑戦してきていましたからね。本当に大変でしたよ。
 棚橋の弱点を強いてあげるなら、会場の声援に左右されやすいというところかな。僕としては棚橋の女性からの声援はうらやましいところですけど・・・。」

*棚橋にケンカマッチをふっかける
永田:「新日本復興を賭けた大阪府立大会で行われるタイトルマッチということなので、僕としてはケンカマッチを仕掛けていこうと思っています。それを棚橋がどう受けるのか?僕のケンカを受けて立つのなら、大阪人好みの試合になるでしょうね。でも、チャンピオンとして防衛することを考えるなら、スカした方が得策かも。

*4年ぶりのIWGP挑戦〜復活させてもらいます!
永田:「この4年間、ベルトへの挑戦はありませんでしたが、常にリング上で精一杯戦ってきたのをファンは見ていてくれていたのだと思います。そして今、いい形で挑戦が決まり、本当に嬉しい。機は熟した。4月13日、復活させてもらいます!」

http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6639

106名無し部員:2007/03/22(木) 18:57:39
オーランド・ジョーダン
生年月日/1971年7月10日
出身地/ニュージャージー州セーラム
デビュー/2000年
身長・体重/193cm・117kg

*経歴
 アマチュア・レスリングでナショナルレスリング王者、オールアメリカレスリング王 者に2度、バージニア州フリースタイルレスリング王者、 全米レスリング王者に輝く。
 ザ・ロックの父、ロッキー・ジョンソンからプロレスを師事。
 MCW(メリーランド・ チャンピオンシップ・レスリング)にてヘビー級王座、TNTタッグ王座を獲得。2003年にWWE参戦。同団体でWWEUS王座を獲得する。2006年5月にWWEを退団。
 必殺技はオーランド・マジック(スイング・ネックブリーカー)、ブラック・アイス(ダブル・ニー・バックブリーカー)、ブラック・アウト(コンプリート・ショット)。

http://www.njpw.co.jp/series/card.html

107名無し部員:2007/03/22(木) 23:18:13
期シリーズ概要発表記者会見
掲載日: 2007年03月22日





■4月7日久喜大会(埼玉)で開幕する、次期シリーズ<新日本プロレス創立35周年TOUR 〜 Circuit 2007 NEW JAPAN BRAVE>の主要カードが発表され、菅林副社長が注目カード、そしてみどころをコメントした。

“元WWEスーパースターのオーランド・ジョーダンの新日マット初参戦も決定し、4月13日大阪府立体育会館で開催される最終戦では、IWGPヘビー級、IWGPタッグ、IJタッグのタイトルマッチも行われる“

*オーランド・ジョーダン参戦
菅林:「次期シリーズでは、蝶野選手がその実力を見込んで連れてきた、オーランド・ジョーダン選手が来日します。まずは久喜大会で蝶野と組んで、Black軍として棚橋・中西組と4人タッグでぶつかりますが、翌日8日(日)の後楽園では永田選手とのシングルマッチが組まれています。また、同大会の中邑真輔vs真壁刀義は、先シリーズ八王子大会でヒザを壊されNJC欠場へ追い込まれた中邑の真壁への報復マッチになりそうです。
 4月12日(木)四日市大会で行われる、棚橋&タイガーvs永田&金本は、2月13日大阪で行われて決着がつかなかったカードであると共に、翌日にタイトルマッチを控えた棚橋(王者)vs永田の前哨戦ともなり注目の一戦です。」

*大阪大会は新日復興を賭けた大会
菅林:「4月13日大阪府立大会は、新日本復興を賭けた大事な大会に位置づけています。かつて新日本の大阪大会は、当日券もすべて売り切れというのが普通でした。その頃の栄華を蘇らせるために、現状で投入できる最高のカードを組んで臨みます。」

http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6640

108名無し部員:2007/03/22(木) 23:32:46
関本が真霜にシングルマッチでリベンジ=若武者

 デビュー2年以内のフレッシュな選手を中心とした「若武者 プロレスサミットへの道」が22日、新宿FACEで行われ、全26選手、17団体が参加しての闘いに集まった335人から熱い声援が送られた。

 メーンイベントではKAIENTAI−DOJOのSTRONGEST−K王者・真霜拳號(K−DOJO)とNWA認定UN王者・関本大介(大日本プロレス)が因縁の一騎打ち。タックル、エルボー、キックなどが飛び交う壮絶な肉弾戦の末、関本がパワーボムをはさんでのジャーマンスープレックス3連弾で激勝。粘る真霜をぶっこ抜きジャーマンでマットへ突き刺し、これまでの3連敗の借りを返した。
 試合後、「これからもオレたちの世代が引っ張っていく」と新世代エースの先頭に立った関本に対し、真霜は「前に3回勝ってるから、あと2回はできるはず。舞台はどこでもいい」と再戦をアピールした。

 未来のエース候補8選手が激突したセミファイナルでは各選手が個性を爆発。互いの得意技を繰り出して観客に猛アピール合戦を繰り広げたが、最後はKAZMA(K−DOJO)が南野たけし(闘龍門)にAXボンバーで快勝。宮本裕向(666)の負傷欠場により急きょ抜てきされた南野を粉砕した。
 試合後、KAZMAは試合中に激しくやり合った雷陣明、スーパードルフィンと乱闘を繰り広げ、「どこでもいい。やってやる」と2人への因縁決着戦を要求した。

 昨年のプロレス大賞話題賞を受賞したメカマミーはメカマミーLiteとともに菊タロー、松山勘十郎組と対戦。デビュー間もない”若武者”らしく、黒タイツ着用のストロングスタイルで試合に臨んだが、やりたい放題の菊タロー組にキレて、ものの5分でいつものメカスタイルに逆戻り。黒タイツを自ら脱ぎ捨てて、メカフィスト&メカドリルを手に松井レフェリーにドリルカンチョーを見舞うなど大暴れすると、Liteもムーンサルトプレスwithミニドリルで松山の腹をえぐった。
 メカマミーにスリーパーでつかまった松山は必死で抵抗してみせたものの、菊タローの「だっふんだ」の掛け声に息を止めてリアクションしてしまい、勝手に自爆。前日の「UWAI STATION」ではUWAI231号&32号とのメカ対決で涙をのんだメカマミー軍だが、この日の若武者対決では勝利をつかんだ。

 全試合終了後、大会プロデューサーのTAKAみちのくは、客席が満員とならなかったことに反省点を置きながらも、12月に開催予定の「プロレスサミット」に向けて確かな手ごたえをつかんだ様子で、本大会の前に「次は大阪や仙台など地方で開催したい」と、このムーブメントを地方へも広げていくプランを明かした。

<第6試合 メーンイベント シングルマッチ>
真霜拳號(K−DOJO)
(17分55秒 ぶっこ抜きジャーマンスープレックス)
関本大介○(大日本プロレス)

<第5試合 セミファイナル 8人タッグマッチ>
雷陣明(全日本プロレス)、スーパードルフィン(大阪プロレス)、澤宗紀(バトラーツ)、●南野たけし(闘龍門)
(12分27秒 AXボンバー→体固め)
ソルジャー(WMF)、KAGETORA(エルドラド)、柿本大地(DDT)、○KAZMA(K−DOJO)

<第4試合 タッグマッチ>
佐々木貴(アパッチプロレス軍)、●吉川祐太(バトラーツ)
(9分56秒 K.I.D.→ギブアップ)
○フジタ“Jr”ハヤト(みちのくプロレス)、原学(ビッグマウスラウド)

<第3試合 シングルマッチ>
○田口隆祐(新日本プロレス)
(9分56秒 回転十字固め)
●石川修司(ユニオン)

<第2試合 タッグマッチ>
○メカマミー(ユニオン)、メカマミーLite(ユニオン)
(10分25秒 スリーパー→TKO)
菊タロー(フリー)、●松山勘十郎(闘龍門)

<第1試合 6人タッグマッチ>
内藤哲也(新日本プロレス)、西山秀紘(IWAジャパン)、●今井 計(大日本プロレス)
(7分58秒 逆エビ固め→ギブアップ)
○カツオ(DRAGON GATE)、ランディ田口(K−DOJO)、ロベルト田中(大阪プロレス)

主催 プロレスサミット実行委員会
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20070322-00000020-spnavi-fight.html

109名無し部員:2007/03/23(金) 03:46:08
4月3日開業の薬師寺ジムを猪木ら激励
※画像クリックで拡大表示


薬師寺会長(左)は新設したジム内で後援会名誉会長のアントニオ猪木(中央)と恩師マック・クリハラ氏と笑顔でポーズ WBC世界バンタム級元王者の薬師寺保栄氏が会長を務め、4月3日に名古屋市内で開業する薬師寺ジムを22日、後援会名誉会長で元プロレスラーのアントニオ猪木らが訪れ、激励した。

 ジムは1階にボクサー用のリングやサンドバッグ、2階には主に女性を対象としたトレーニング機器を設置。1995年11月に現役を引退し、38歳になった薬師寺会長は、「目標の会員数は700人。僕以上の選手を育てたい」と意気盛んだった。

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070322-173522.html

110名無し部員:2007/03/23(金) 03:46:53
新日永田ケンカマッチでIWGP奪取へ
 新日本の永田裕志がニュージャパン杯優勝から一夜明けた22日、都内の事務所で会見した。「朝起きて、体の痛みで昨日の激闘を実感した」と振り返った。4月13日の大阪大会ではIWGPヘビー級王者棚橋弘至と対戦する。「大阪ではケンカマッチがうける。棚橋にはケンカを仕掛けようと思う。インサイドワークで避けることもできるが、チャンピオンは正面から受け止めてほしい」と挑発。約4年ぶりの王座挑戦へ意気込んだ。

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070322-173535.html

111名無し部員:2007/03/23(金) 03:47:34
プロレスの証言者 藤波辰爾(13)
 2007年3月。53歳になった藤波辰爾は、東京・青山の「無我ワールド」の事務所にいた。昨年6月に旗揚げから34年間所属した新日本プロレスを退社。自分の理想を実現させるため新団体を立ち上げた。肩書は「社長」。新日本時代にも同じ地位に就いたが、業界最大手と所属選手6人の小団体では、立場も仕事内容もまるで異なる。

 営業マンとして入場券を売り歩き、イベントにも出演して大会をPRする。試合会場では客席に席番を張り、リングを組み立て、解体まで手伝う。社長、レスラー、営業マン、裏方とあらゆる仕事をこなす。かつての栄光の時代からは想像もできないが、藤波本人はむしろ今の自分を楽しんでいるように見える。

 藤波「プロレス人生で一番の思い出はタイトルを取ったことでも、長州力との名勝負でもない。新日本旗揚げのため、必死になっていた18歳のころなんだ。選手数は少なかったけど『自分たちの理想のプロレスをやろう』という情熱で一致団結してね。道場まで自分たちで造った。もう1度、原点に戻りたかったんだ」。

 もっとも藤波が「無我ワールド」で目指す理想のプロレスは、興行の成功ではない。プロレスを通じての青少年教育と普及、そして自分のようなストロングスタイルを身につけた本格派レスラーの育成にある。今は興行の合間に福祉施設を訪問し、試合前には子供レスリング教室を開催。地方興行には地元のスポーツ少年団を招待し続けている。

 藤波「自分は本当にいい時代にレスラーをやった。たくさんのベルトも巻けた。この素晴らしいプロレスを未来に残すために、今度は自分が何か貢献できないか考えた。いろいろ考えた末に思いついたんだ」。

 その夢はもう10年以上前から温め続けていた。95年に藤波は新日本の団体内に「無我」という独立グループを立ち上げた。無我ワールドの前身である。同年10月に大阪で自主興行を開催した。わずか3試合だったが、試合前には普段の練習を見せる「公開スパーリング」と子どもレスリング教室を開催した。しかし、99年6月の新日本社長就任以降は活動を中断していた。

 無我ワールドは昨年8月2日のプレ旗揚げ戦から7カ月で23大会を開催した。いずれも収容1000人程度の小会場で、4度行ったシリーズは平均5大会。試合数も各大会平均5試合と、大手団体の半分ほどだ。しかし、無理して増やすつもりはない。収益を選手の報酬として分配するため、赤字を出すわけにはいかないからだ。あくまで身の丈にあった経営を心掛ける。

 藤波「気持ちは無我を立ち上げた95年当時と少しも変わっていない。あのころは無我のリングで勝ち上がった者を新日本のリングに上げるイメージで、若手を育てていた。無我ワールドは今は我慢の時。でも興行が軌道に乗れば、自分は若手を育てる『藤波道場』のようなものに戻りたい」。

 世間ではプロレス人気低迷が叫ばれて久しい。加えて無我ワールドには大手スポンサーも、テレビ放送もない。無謀な挑戦かもしれない。しかし、その逆境こそ藤波のプロレス人生の原点なのだ。格闘技経験もなく故郷大分を飛び出し、ひたすら夢だけを追って生きてきた。あの16歳の雑草魂は、今も藤波の心に生き続けている。

 藤波「苦しいのは当たり前だけど、どうしようもない苦しさはない。自分のやるべきことをやる。夢がある。だから何があっても続けられるんだと思う」。

 藤波の第2の挑戦は始まったばかりだ。【来田岳彦】(おわり)

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070322-173224.html

112名無し部員:2007/03/23(金) 04:04:28
07年3月10日付け 東京中日スポーツ「Penペン草紙」 (原文まま)

あのオランダの柔道王ウイレム・ルスカが、脳卒中で倒れ入院中と聞いてショックを
受けている。しかもガリガリにやせ、面会謝絶の状態らしい。病床でやせ衰えた姿を
他人に見られたくないという気持ちは、痛いほど分かる。
72年ミュンヘン五輪で史上初の2階級制覇を成し遂げたプライドが許さないのだろう。
ルスカがプロ転向を表明、打撃猪木で日本に乗り込んできたのは76年の年明けだった。
2月の東京・日本武道館決戦で猪木のパンチに怒って柔道着を脱ぎ捨てた“オランダの
赤鬼”。その上半身の盛り上がった筋肉は、まるでギリシャ彫刻に見るアポロだった。
あれほど整った肉体美の大型選手は、初めて見た。うならされた。理想的な金剛力士像
に見えた。
新日本プロレスの巡業中に何度か一緒にビールを飲んだ。今なお、私はルスカを最強と
信じて疑わない。同じ世代同士なら鉄人ルー・テーズと戦わせてみたかった。
脳障害には必ず後遺症が残る。まだ66歳じゃないか。リハビリにチャレンジし、どんな姿
であれ、社会復帰してほしい。そう願うだけだ。                (門馬忠雄)

113名無し部員:2007/03/23(金) 04:06:05
07年3月15日付け 東スポ「プロレス応援団長・柴田惣一の『ズバリ直撃』」
『越中 会場人気“右ケツ”上がり』
『 [お笑いのネタにされて怒ってるかと思いきや] 人生いろいろあるって!!』

深夜の人気バラエティー番組でケンドーコバヤシらの人気お笑い芸人が物マネした
ことで人気爆発、今や時の人となった越中詩郎(48)を直撃した。10日のNJC1回戦
(千葉・幕張)では中西学に惜敗したが、依然ダントツの会場人気を誇る。山あり谷あり
28年のレスラー人生を振り返った越中は「レスラーは裸の商売。背中で勝負でき
なきゃ、だめだって!」と持論を爆発させた。

『48歳でIWGP取ってやる』

――人気爆発だ
越中  歓声を感じる。背中を押してもらっている。でも不思議なこと。自分のスタイルを
貫いているだけ。それはフリーの今でもかわらない。

――キッカケとなったバラエティー番組は見たのか。事前取材は
越中  一切、連絡ない。自分は知らなかったし、知り合いから教えられて、ビデオで
見たんだ。

――どう思ったか
越中  人生、いろんなことがあるって! レスラー人生28年、やっとこの年になって
ようやく「プロレスってこういうもの」と、少しだけ分かりかけたところだよ。

――山あり谷ありのレスラー人生だった。
越中  だから楽しいんだ。人生もそうじゃない? レスラーは裸の商売。背中に映る
生きざまで勝負しなくちゃ。鏡で見えるところばかり、鍛えてもダメなんだって!

――全日プロから新日プロ、WJを経てフリー…さまざまな団体に上がってきた。
越中  開き直りじゃないけど、肩の力が抜けたというか、上がるリングがなくなっても、
どうってことないと思っている。ノアやゼロワンのリングで戦ううち「フリーってこういう
もんだ」と吹っ切れたのかな。

――「ケツ爆弾」の秘訣は
越中  ケツにはこだわっているよ。チャボ・ゲレロが得意にしてたんだけど、掟破りの
ヒップアタックを仕掛けたんだ。新日プロに入ったら、高田伸彦(当時)に「あんなん、
効くのか」とバカにされた。長州力にも「何だ、アレは」と言われた。「何だ、このヤロー」
と意地になってやってきたんだ。

――代名詞となる技を持つ選手があまりいない中、越中=ケツという方程式が出来
上がっている
越中  ケツしかないみたいだけどうれしい。オレなんて、レスラー人生の大半はボロ布
のようにやられっ放し。でも、スクワット1000回、縄跳びなど、とことん基礎トレーニング
をしてきたことを考えれば、怖いことなんかない。とことん追い込んだ練習の貯金があるんだ。
いけるところまでいってやる。やるからには、人のやれないことをやってやるって!
48歳でIWGP王者になりたい。一回ぐらい頂点に立ちたい。今の連中がモタモタしている
から、オレが突っ走るぞ!

(週刊東スポに関連記事)
(写真説明=越中は得意のケツ爆弾で連日会場を熱狂させている)

114名無し部員:2007/03/23(金) 04:06:33

こしなか しろう 1958年9月4日、東京都江東区出身。78年、全日本プロレスに入門。
79年3月5日、千葉・館山大会でデビュー。85年、メキシコ遠征から帰国後、新日本プロ
レスに移籍。86年にIWGPジュニア、87年に同タッグ王座を獲得。92年、反選手会同盟
(後の平成維震軍)を結成。03年、WJを経てフリーとなる。
【註:ここではメキシコ遠征後の新日本への転出を「新日本への『移籍』」という扱いに
しているが、当初は「アジアプロレス」という、「日本プロレス」OBが作ったプロモーション
預かりとなり、そこを経由して新日本に参戦する形を取っていた。もっとも、「アジアプロレス」
はその後、存在自体がウヤムヤになったので、結果的には「移籍」になってしまったのだが。】

07年3月15日付け 東スポ「週刊東スポ・虚々実々大追跡」(=>>113の「関連記事」)
「小林なら何をやっても許されるのか?」【コバちゃんの漫珍遊記】

今、越中詩郎が熱いって!! 先日、先輩の雨上がり決死隊がホストを務めるトーク
番組「アメトーーク」の「ガンダム芸人VS越中詩郎芸人」の回は見てくれたかって?
もちろん私ケンドーコバヤシは越中詩郎芸人サイドだって!!正直テレビ朝日に
嵐みてえな風が吹いたって。俺と越中の風が吹いたって!!
これにより、初めてプロレス会場に足を運んだ人も多数、私の周りだけでもいたから
本望だって!!
しかし…この企画、本人の越中詩郎選手に何の断りもなくしてしまったし、バラエティー
番組の性格上、オチ的な使い方をしてしまったので、もしかしたら越中さんに怒られる
んじゃないかと内心ビビっていました…。そしてある人経由で越中さん本人からメッセージ
が届けられた。恐る恐る聞いてみると、その内容は…
「モノマネはドンドンやってくれって。俺も上を目指すから、お前も上だけを見てろって!!」
という極上のメッセージ!!
越中さん!! ありがとうございます。あんたは本物の“漢”だ“侍”だ!!

115名無し部員:2007/03/23(金) 04:08:34
kamiprohandマッスル坂井コラムより

 相変わらず「忙しい、忙しい」と言ってる割に漫画とかDVDとか見まくってた僕ですが、
先週一番衝撃を受けたのが、昨日見たUWAISTATIONのメインイベントで行われた
鈴木みのるさんと高瀬大樹選手のシングルマッチでした。
 『マッスル坂井のザッツ・エンターテイメント』だなんて御大層なタイトルのこのコラムですが、
実は純粋にプロレスの試合を見た感想を書いたことはありませんでした。
このコラムの基本コンセプトが「リング以外のエンターテイメントを通して一人前のレスラーへと
成長していく様を書きつづる」ことなので、どっちかというと今読んでる本や、観たお芝居や
映画について書くのが筋なんですけど、とにかく僕はこの試合を観て無茶苦茶に
心を揺さぶられてしまったのです。

 セミファイナルまで終えて、正直言って決してボルテージが高まりきっていない会場の雰囲気が、
鈴木さんが入場してくるとともに一気にヒートアップしました。
興行の性質上、あまりプロレスを見慣れていないであろうお客さんが多いはずなのに、
この瞬間あっという間にいつものプロレスファンで満員の後楽園ホールに様変わりしたように見えました。
対戦相手の高瀬大樹選手は『PRIDE』などの総合格闘技の世界で活躍する選手(ちなみに僕と同年齢!)で、
この試合がプロレスのリングでのデビュー戦。
ていうかプロレスのデビュー戦が「鈴木みのるとのシングル」っていうのは、もう大変なことです。
“三冠王者”とか“2006年プロレス大賞MVP”とか、そういった肩書きを総合とかが好きな人が
どれくらい価値を感じているのかわかんないですが、僕は「三冠王者でプロレス大賞MVP」の人が
総合格闘技の選手との対戦を受けた事が凄いと思いました。
 鈴木さんは名実ともに怖い人ですが、この高瀬選手も試合前のリングや控室で異様なオーラを放っていました。
なんとなく感じるバッドボーイの匂い・・・僕が最も苦手とするタイプです。
腕っ節が強い札付きの不良が格闘技を学ぶことでサクセスしていった典型的なタイプの人です(多分)。
僕はそういった風潮を否定するためにプロレスラーになった部分が若干あるので、できるだけ
こういった体育会系の方とはあまり近づかないようにしてきました。
もしこの見るからに凶暴そうな格闘家が試合中になんらかの弾みで暴走してしまったら
僕なんかパンチと見せかけたデコピン一発で失神してしまうこと請け合いです。
 そんな相手にもかかわらず、いつものように自らの顔を差し出し「ほら張ってこいよグリーンボーイ」
みたいな感じで挑発を続ける鈴木さんが格好良く見えて仕方なかったのです。
もし張り手の打ち合いで、相手が故意に思い切りストレートをぶち込んできて、その当たり所が悪くて
失神KOみたいになってしまったら高瀬選手が三冠王者でMVPになってしまうんですよ!?
これがどういうことかっていうと、鈴木さんは格闘家が思いっきりぶん殴ってきてもそんなの
「避けれるよ」っていう前提で頬を差し出しているっていうことなんです。
「プロレスのルールなんだから鈴木みのるが勝つのは当たり前」なんてことは全然なく、むしろ逆で
「プロレスのルールでも勝てる」ことのほうが全然難しいことなんです。

 「相手の技を受ける」ことが前提のプロレスで、鈴木さんは「相手の技を避ける」ことで
自分だけのスタイルを確立してきました。でもこの試合での鈴木さんは序盤の目まぐるしい
関節の取り合いから、張り手合戦、跳び膝蹴りの連続攻撃と相手の出す攻撃をすべて
正面から受けきったのです。すべて受けきった上で鈴木さんの出した技は、張り手とバックドロップと
フィニッシュのゴッチ式パイルドライバーだけでした。
「世界一性格の悪い男vs寝技日本一の男〜高瀬大樹デビュー戦〜」と銘打たれたこの一戦でしたが、
僕の中では密かにかつての「新日本プロレスvsUインター」の東京ドームばりの緊張感をもった
試合に見えてしまったんです。
(続く)

116名無し部員:2007/03/23(金) 04:09:18
kamiprohandマッスル坂井コラムより(続き)

 こんなこと言ったら元も子もないんですが、正直プロレスラーになって初めて、「強い」っていうのは
格好いいものなんだなあと心の底から思いました。
さらに感動したのが試合後の鈴木さんのマイクでした。初めてプロレスのリングに上がった
高瀬選手へのメッセージからは、なんとなく鈴木さんが現在の高瀬選手に過去の自分の姿を
投影しているんだなあということが感じられたし、これこそが鈴木さんがこの試合を
やるにあたってのテーマだったんだという事がなんとなくわかったような気がしました。
さらにその後の上井駅長への鈴木さんの「勝手にやめるとか言ってじゃねーよ。お前だろ?
プロレスの世界に俺のこと引き戻したのは。お前がライガーと闘わせようとしたから、
俺はこの世界に戻ってきたんだよ!」っていうマイクの場面ではさっきの試合で
何度も高瀬選手の跳び膝蹴りを受け、リングの中央でよろめきながら咆哮し
必死で仁王立ちし続ける鈴木さんの姿がスローモーションでオーバーラップして見えたのです。

 後楽園ホールの最後列の客席で、隣には村田晴男アナウンサー、松井レフリー、
高木(三四郎)さんが居るにも関わらず僕はちょっと泣いてしまいました。
なんでこの人はこんなに格好いいことをリングでサラッと言えてしまうんだろう?
なんでこんなにリアルなんだろう?なんでこんなにお客さんを熱狂させられるんだろう?
いろんなことが頭の中をよぎりました。
僕は『マッスル』で、こういったプロレスで得られる特有のカタルシスを、スローモーションや
回想シーンをビジョンで流すなどといった演出で作為的に表現しようとしていますが、
やっぱり本物には敵わないんです。鈴木みのるさんみたいに強くもないし、
プロレス頭もないからこそ『マッスル』的な手法でプロレスと向かい合ってきたけれど、
それを続けていったら僕は絶対に鈴木みのるさんにはなれないのです。

 メカマミー戦をはじめ、鈴木さんの試合はテレビでも会場でも、今まで何度も見てきたけれど
今日ほど凄いと思ったことはありませんでした。
試合後のバックステージである記者に「来週から全日本のチャンピオンカーニバルが始まりますが」
と質問された鈴木さんが「全日本は全日本、UWAISTATIONはUWAISTATION。いま、その話をされるって事は、
やっぱりさっきの試合が全然ダメだったってことだろ?さっきの試合以外の質問をさせてしまった俺も悪いし、
お前もそんな質問はするな」とクールに言い放ち颯爽と控え室へと帰っていく姿まで、最後の最後まで
格好良すぎでした。同時にこっそりその様子を陰から眺め続けていた自分と高木さんは
最後の最後まで格好悪かったです。

以上、入ろう紙プロハンド!

117名無し部員:2007/03/23(金) 04:17:39
FUTURE MEDIA CREATORS YUKE'S会社情報 -「レッスルキングダム2 プロレスリング世界大戦」の記者発表会レポート
3月8日、銀座のADK松竹スクエアで「レッスルキングダム2 プロレスリング世界大戦」の発売記念発表会が行なわれ、特別ゲストとしてレジェンドレスラーのザ・デストロイヤー氏、アブドーラ・ザ・ブッチャー選手が登場!


さらにそのセコンド役として、ダチョウ倶楽部の肥後克広さんと上島竜兵さんも加わり、爆笑シーンの連発で「レッスルキングダム2」の魅力を、余すところなく発信してくれた。 (司会進行は「FIGHTING TV サムライ」の三田佐代子さん)

発表会はまず、株式会社ユークス代表取締役社長谷口行規の挨拶から開始。

谷口社長「『レッスルキングダム2』は、 前作に様々な新しい要素を加えた弊社の自信作でございます。
今回のコンセプトはズバリ、 “プロレス黄金時代の復活”。
往年のスーパースターが続々と登場し、
伝説の闘いが蘇ります。

また、今を代表するレスラーとレジェンドによるドリームマッチも実現いたします。
今、プロレスを愛するファンの皆様にも、
そして、プロレス黄金時代と共に青春を過ごした
すべてのプロレスファンの皆様に、
あの頃の熱い思いを蘇らせてもらえると思っております」

そして、いよいよ注目のスペシャルゲストコーナー。

まずはデストロイヤー氏が肥後さんを引き連れて入場し、続いてブッチャー選手が上島さんと共に入場。ところが、2人は顔を合わせるなり、激しい睨み合いを開始。
一瞬、会場内に緊張が走ったが、幸い大事には至らず。
しかし、その圧倒的な迫力は、さすがにレジェンドレスラーとしか言いようがない。

2人は肥後さんたちの説得に応じてようやく着席すると、
すぐに笑顔を見せトークショーが無事にスタート。

ところが、突然ブッチャー選手が隠し持っていたフォークで上島さんを襲撃!
悲鳴をあげて逃げ惑う上島さんの姿に
会場は大爆笑となった。

ここで肥後さんが「いつもフォークを持ち歩いているんですか?」と質問すると、
ブッチャー選手は「箸が使えないから、
日本に来る時はいつも持っているのさ」と、ジョークで答えていた。

その後、デストロイヤー氏が“伝家の宝刀”足4の字固めを披露することが急遽決定。
上島さんは相手を務めることを断固拒否したものの、肥後さん、司会の三田さん、
そして谷口社長までもが「じゃあ、私がやります!」と名乗りをあげる。
と、ここまでくれば、お約束で上島さんの登場……と思いきや、
なんとデストロイヤー氏が谷口社長を指名!

こうして、かつて力道山やジャイアント馬場を苦しめた伝説の必殺技を味わうこととなった谷口社長は、その激痛で即座にギブアップ。

しかも、その直後にブッチャー選手の襲撃まで受け、大変な状態となってしまうのであった。
それでも谷口社長は「夢がかないました」と満足気な表情でコメントしていた。
http://www.yukes.co.jp/html/njpw/070312_press.html

118名無し部員:2007/03/23(金) 11:57:13
永田がIWGP王者・棚橋を挑発

女性社員とモエ・エ・シャンドンを開けてご満悦の永田裕志(中央)=都内の新日本プロレス事務所  新日本ニュージャパンカップ優勝で4・13大阪大会でのIWGPヘビー級王者・棚橋への挑戦権を獲得した永田が22日、都内で会見し「大阪人の気質はケンカマッチ好き。思い切りケンカをしかける」と宣言した。

 前夜は真壁の凶器攻撃やGBHの介入をしのいだ。先シリーズから会場に永田応援団が増えており「声援に左右されやすく、反発の声を聞くと案外あわてるのが棚橋の弱点」と自身への追い風を指摘。「これを逃したら時期がズレちゃう」と、この機に乗じて第2次永田政権を樹立する。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/23/0000278292.shtml

119名無し部員:2007/03/23(金) 11:58:11
永田、棚橋とケンカマッチだ! 「NEW JAPAN CUP」で初優勝した永田裕志(38)=新日本=が22日、都内で会見。大阪大会(4月13日)で挑戦するIWGPヘビー級王者、棚橋弘至(30)にケンカマッチを仕掛けることを明かした。

 大阪大会は、永田のケンカ祭りだ。4年ぶりの王座奪回に向け、準備はすでに進行中。「大阪の人はケンカマッチが好きですから、思い切り仕掛けていく。棚橋は会場の声援に左右されやすい。それがウイークポイント」と分析。棚橋が苦手とする戦いに持ち込み、会場内すべてを味方に付けて、戴冠を果たす計画だ。問題は王者がケンカマッチを受けて立つかどうかだが、永田は「正面から受けてほしい。あとは王者の度量次第」。すでに心理戦は始まっている。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070323-OHT1T00036.htm

120名無し部員:2007/03/23(金) 12:00:50
永田がケンカマッチで奪取宣言

ニュージャパン杯で初優勝し、女性とシャンペンで乾杯する永田

 【新日本】永田が棚橋とケンカマッチでタイトル獲りだ。ニュージャパン杯を制した永田が22日、都内で一夜明け会見を行った。4・13大阪大会ではIWGPヘビー級王者・棚橋に挑戦する永田は「大阪といえばケンカ。チャンピオンに思い切りケンカを仕掛けていく。しっかりベルトを獲って復活させてもらいます」とケンカマッチでベルト奪取を宣言した。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/23/01.html

121名無し部員:2007/03/23(金) 12:05:56
永田が王者への異例のマニフェスト掲げる
※画像クリックで拡大表示


ニュージャパン杯優勝から一夜明けた永田は、新日本女性社員と祝杯をあげる 新日本のIWGP王座挑戦権を獲得した永田裕志(38)が、王座復帰の際には挑戦者の門戸を大幅に広げる考えを明かした。ニュージャパン杯優勝から一夜明けた22日、都内の事務所で会見。4月13日の大阪大会での棚橋戦で王座を奪取した際には、所属選手17人との防衛戦を行う異例の“マニフェスト”を掲げた。

 自分は約4年かけてつかみ取った挑戦権だが、王者になった際にはジュニア専任の選手や新人を除く、ほとんどの所属選手と戦うという。「今は団体内を活性化させなきゃいけないから。オレと戦うことでくすぶっているベテラン選手、伸び悩む若手の力を引き出すことができる」。本来は実績を積むか、ファンの支持を受けた選手が挑戦者に選ばれる。だが、王者の強権を発動して、戦う相手を指名していくつもりだ。

 前回の戴冠時はIWGP史上最多の10度の防衛を達成。だが03年5月に転落した後は、再挑戦の機会もなく、脇役に押しやられた。04年10月には長州から「天下を取り損ねた男」とののしられた。団体のためと思って縁の下の力持ちに徹していたが、真の天下人とは団体全体を盛り上げることができる存在だと気が付いた。17人全員と戦うため、1シリーズ2度のタイトル戦も辞さず、強行日程の防衛ロードを歩む。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070323-173678.html

122名無し部員:2007/03/23(金) 12:19:13
田口隆祐&内藤哲也が新宿FACEに登場!/3月22日「若武者〜プロレスサミットへの道〜」試合結果
若武者〜プロレスサミットへの道〜」
■3月22日(木)■東京・新宿FACE  
第1試合(時間無制限1本勝負)
6人タッグマッチ
○カツオ(DRAGON GATE)
 ランディ拓也(K-DOJO)
 ロベルト田中(大阪プロレス) 7分58秒 逆エビ固め
今井計(大日本プロレス)×
内藤哲也(新日本プロレス)
西山秀紘(IWAジャパン)
■試合経過
 他団体マット初参戦の内藤は、張り手、エルボー合戦からカツオにドロップキック。ロベルトとの場面では、キャメルクラッチからドロップキックを決めた。
アニマル浜口ジム時代の“後輩”ランディとの攻防になると、激しいエルボー合戦を展開するが、内藤はスリーパーホールドで捕獲されてしまう。
ランディのタッチを受けたカツオにジャンピングエルボーアタックを炸裂させ、会場を沸かせた内藤は、その後、ランディと場外乱闘を繰り広げる。
そんな中、カツオが逆エビ固めで今井をギブアップさせ、カツオ、ランディ、ロベルト組が勝利を収めた。
試合後も、内藤とランディは激しい場外乱闘を展開。最後まで互いの感情をバチバチとぶつけあった。
■試合後コメント
内藤「ランディ、久しぶりだな。浜口ジムで一緒に汗を流した仲間だけど、プロのリングに上がったら関係ない。新日本に来い! 俺がK-DOJOへ行ってやろうか? いつでも一騎打ちをやってやるよ。もっと力をつけてこい。俺も、もっと力をつけて、その上で叩き潰してやる。(『初の他団体参戦でしたが?』)興奮と緊張が半々でした。でも、普段と違うシチュエーションで出来たことが、凄く大きかったと思います。ランディに限らず、また、このメンバーでやりたいです。ランディとは『プロレスラーになりたい』って2人で言っていて、一緒に(浜口ジムで)練習していたんですけど、(プロのリングで)こんなに早く会えると思わなかった。嬉しい反面で負けられない気持ちがあります。怯むことなく来てくれたので、いい相手を見つけたと思います。もし、また再会する時があるとしたら、容赦なく叩き潰す」

http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6641

123名無し部員:2007/03/23(金) 12:19:32
第3試合(時間無制限1本勝負)
シングルマッチ
○田口隆祐(新日本プロレス) 9分56秒 回転十字固め 石川修司(ユニオンプロレス)×
■試合経過
 ショルダータックルで倒された田口だが、ドロップキックで石川を場外へ落とすと、三角飛びプランチャ。さらに客席のイスへ石川の顔面を叩きつけた。
スワンダイブミサイルキックからジャーマンスープレックスホールドを決めた田口だったが、石川にカウント2で返されてしまう。
 すると、石川は田口の“どどん”を阻止し、ビッグブーツ、バックドロップで反撃。さらに、張り手、ネックハンギングボムで田口を追い詰める。
 逆さ押さえ込み、スモールパッケージホールドを連続で繰り出した田口だったが、共にカウント2で返され、ビッグブーツ、ラリアットで石川に逆襲される。
 しかし、田口は隙をついて回転十字固めで石川を押さえ込み、そのまま3カウントを奪った。
 試合後、田口は「プロレスにメジャーもインディーも関係ないことが分かりました」とマイクアピール。そして、「皆さん、今日も踊っていいですか?(観衆大声援)。ミュージック、スタート!」と、いつものように“タグダンス”……と思いきや、石川に襲撃されて不発に終わる。
それでも諦めない田口は「まずは見て覚えろ!」と言い、客席に座った石川に見せつけるように、今度こそタグダンスを披露。満足げな表情でリングを降りた。
■試合後コメント
田口「体格差はありましたけど、ここまで追い詰められるとは思いませんでした。僕は、インディーと呼ばれるプロレスも観ますし、石川選手のことを知らないと言いましたけど、知っていました。よければ、マッスル(DDTプロレスリングの別ブランド興行)のスローモーションもやりたいので、マッスル坂井さん、新日本プロレスにご一報ください。僕は、インディーもメジャーも関係ないと思います。プロレスを愛する者は、全てプロレスラーだと思います。もちろん、新日本がトップだというプライドは持っています。(『今日は様々な団体の選手が集結した大会でしたが?』)新日本(所属)として外に出る機会が少ないので、非常に勉強になりました。最後の(タグ)ダンスもまあまあ認知されていたので、やり続けることに意味があると知りましたね。受け入れてもらえてよかったです。石川選手の底力も凄かったので、新日本の若手もウカウカしていると、他団体の選手に負かされる。練習ももっと厳しくやらないといけない。(『現在、サムライジムの会長(エル・サムライ)から教えを受けていますが?』)最後の回転十字固めは、ついこの間、会長に習った技で、早速それが生かせました。今日、会長には来ていただけなかったですけど、いい報告が出来るのでホッとしています。負けると(会長は激怒するから)怖いので(苦笑)。(『昨日の後楽園大会で会長のことを“とっつぁん”と言ったのは?』)“会長”だとちょっと距離が遠いかなと思ったので。“とっつぁん”って言ったら近くなるかなと思ったんですけど、後で(会長に)怒られました。身分をわきまえろと(苦笑)」
 また、メインイベント終了後、関本大介(大日本プロレス)の呼びかけで、出場選手たちがリングに集結。田口、内藤も姿を見せ、集合写真に収まり、「若武者」はその幕を閉じた。
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6641

124名無し部員:2007/03/24(土) 00:48:22
若武者
昨日は新宿フェイスで若武者だった。メインは大熱戦の末に関本選手が真霜選手を破り、大晦日の雪辱を果たした!この二人の試合は凄かったなあ。プロレス界の宝ですよ!

ユニオンからはラージ石川修司が出て新日本プロレスの田口選手とシングルマッチだった。試合は石川が負けてしまったが田口選手相手に一歩も引かずラージっぷりを存分にアピールできたと思う。試合後にもよほど悔しかったのか田口選手につっかかってた。その田口選手の試合後のコメントを見て軽くスイミングアイってしまった。
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6641
な、なんと田口選手はマッスルに出たいというではありませんか。なんて良い人なんだ!まあ確かにタグダンスなんてやってるからこっち寄り(爆)の選手だとは前々から思ってたけど「マッスル坂井」とか「スローモーション」とか次から次へとマグマ級のキーワードが出てくるからビックリしてしまった。案外メジャー対インディーなんてインディー関係者やファンの方々しか意識してないのかもね。そんな好感が持てる田口選手を試合後に襲うラージ石川修司はなんてヒドイ奴なんだと怒りがメラメラしてきました(笑)。田口選手にはぜひウチの726とダンス対決をしていただきたいものです!
http://blog.livedoor.jp/t346/archives/51487340.html

125名無し部員:2007/03/25(日) 06:46:03
「ベルトを東京に持ち帰る!」/越中詩郎選手「サイン&撮影会」報告
3月24日 14:00より、闘魂SHOP水道橋店にて、越中詩郎選手の「サイン&撮影会」が行われた。

 テレビのバラエティー番組で“ネタ”にされて以来、前にも増して人気が爆発した越中選手。今、いちばん熱い男のイベントとあって、約100人のファンが同店に押し寄せた。

 越中選手は終始笑顔で、ファンが購入した「やってやるって! Tシャツ」にサインを書き込み、記念撮影に収まる。中には、旧IWGPヘビー級ベルトのレプリカを持参したファンや、越中選手が愛用した白袴(スポーツ紙の懸賞品)を披露したファンの姿もあった。
 さらには「浅草で買った」という“必勝はちまき”を頭に巻いたファンも登場。それを見た越中選手は、「似合ってるね。そのまま帰ればいいんじゃない?(笑)」と冗談を言って周囲を笑わせていた。

 4月13日の大阪府立体育会館大会で、天山広吉選手と組み、ジャイアント・バーナード&トラヴィス・トムコが保持するIWGPタッグタイトルに挑戦する越中選手。
「たくさんの人が来てくれて、本当にうれしいです。みんなに声を掛けてもらって、ますます元気になりました。ぜひ、大阪で勝って、ベルトを巻いて東京に帰って来たいですね」と、タイトルマッチの必勝をファンに約束していた。

http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6643

126名無し部員:2007/03/25(日) 06:47:47
越中 IWGP奪取ファンに宣言 “サムライ”越中詩郎(48)=GBH=が24日、東京・水道橋の闘魂SHOPでサイン会を開催。新日本・大阪大会(4月13日、大阪府立体育会館)で挑戦するIWGPタッグ王者、ジャイアント・バーナード(32)、トラヴィス・トムコ(30)を格下扱いした。

 人気爆発中の男が王座奪取を高らかに宣言した。「今、新日本を支えているのはオレたち、GBHだって。一番ふさわしいヤツが挑戦するんだから、問題ないって」。新日本の会場では、越中が得意のヒップアタックを出すたびに、大歓声が起きる。この日も100人の熱狂的なファンが集結。越中も「本人が一番不思議な感じ。でも、オレが突っ走ったら、誰にも負けないって」と追い風を実感。反体制一筋だったベテランが、新日本の中心に立つ。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070325-OHT1T00031.htm

127名無し部員:2007/03/25(日) 06:48:26
ヒョードルさらわれた…UFCに買収されたPRIDE 米最大の総合格闘技団体「UFC」に買収された総合格闘技イベント「PRIDE」のヘビー級王者、エメリヤーエンコ・ヒョードル(30)=ロシア=が、別団体のボードッグと長期契約を結んだことが24日、明らかになった。

 ヒョードルは、すでにボードッグ・ロシア大会(4月14日)への出場が決定。関係者によると、ヒョードルは長期契約を結んだという。PRIDEを主催するDSEは、ヒョードルと契約更新の交渉を行っていたが、ボードッグにさらわれた。ボードッグは、米国の新興総合格闘技イベントで、オンライン・カジノで巨額の富を得たカルビン・エアー氏がオーナーを務める。

 PRIDEは、新たに設立される新会社がイベント名を残して運営する。選手との契約や、過去の映像の権利などが移り、ヴァンダレイ・シウバや、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラらは継続参戦する見込み。昨年6月にフジテレビに番組を打ち切られたPRIDEは、地上波放送復活を目指しているが、厳しい状況。また、DSEのプロレス部門のハッスルは、さらに別の会社が運営する。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/fight/news/20070325-OHT1T00106.htm

128名無し部員:2007/03/25(日) 07:15:37
越中選手が4/13大阪のIWGPタッグ選手権試合についてコメント
3月24日、G・B・Hの越中詩郎選手が、IWGPタッグ選手権試合(4月13日 大阪府立体育会館:パートナーは天山広吉)の意気込みをコメントした。

■越中選手のコメント
「今、新日本を支えているのは、棚橋弘至でも蝶野正洋でも長州力でもない。俺ら、GBHだって! この熱い風を持って、大阪に行く。天山と大阪でベルトを獲って、ベルトを巻いて東京に戻って来る。やっぱり、ふさわしいヤツ(自分たち)がチャンピオンにならなきゃしょうがないだろうって。俺の熱い風で(ジャイアント・)バーナードだろうが、(トラヴィス・)トムコだろうが、スッ飛ばしてやるって! GBHが1番。2番手、3番手 の“蝶野軍団”(Black)なんかに負けないよ。棚橋、永田(裕志)、待ってろって。両方とも“ペラペラ”だよ。俺は『新日本をひっくり返してやる』って言ったんだ。実行してやるって! 俺が突っ走ったら、たとえプロレス業界の誰が出てこようが、負けやしない!」
 
この日、闘魂SHOP水道橋店で行なわれた「サイン&撮影会」も、約100人のファンを動員するなど、越中選手はまさに絶好調。「まだまだ熱い風を吹かせてやりますよ」と語る表情から、IWGPタッグタイトル奪還の自信がみなぎっていた。

http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6644

129名無し部員:2007/03/25(日) 07:38:43
今日は、週刊プロレスの湯沢記者の結婚披露宴に招待して頂きました。チャンピオン・カーニバルが近いのでお酒は飲まず、二次会にも欠席させて頂き、たった今までジムで汗を流してました。チャンカーまでラストスパートだから、キチンと追い込まないと・・・。ただ、ちょっとハードに追い込んだので疲労が(;^_^A。そんな訳で、披露宴での模様や感想は、また明日書きます。短いですが、今日はこの辺で。画像は、自分が座ったテーブルに、新郎新婦が挨拶に来てくれた時の写真です。決して、自分のGBH入りではありません(・・;)。
http://leglock.cocolog-nifty.com/kojilog/2007/03/post_d3b4.html
小島、GBH入り?

130名無し部員:2007/03/25(日) 18:55:49
NEW JAPAN CUP 初優勝!永田裕志選手祝勝会(報告)
NEW JAPAN CUP 2007 で見事初優勝を遂げた永田裕志選手。本日(3月25日)、オフィシャルファンクラブ会員限定イベント・NEW JAPAN CUP 祝勝会が、六本木・イタリアンレストラン・Ciao Bellaにて行われ、小雨の散らつく中、たくさんの永田ファンが集まった。

NEW JAPAN CUP 2007 では、ファンからの声援も一番多かった永田選手が、最後まで応援してくれたファンに感謝の言葉を贈り、激闘を改めて振り返った。
会場には大学の後輩でもある裕次郎選手も駆け付け、30名のファンと歓談、オーガニックな美味しい食事、サイン会、撮影会と楽しいひとときを過ごした。
最後に行われたじゃんけんプレゼント大会では、NJC大会ボード(サイン入り)や、決勝戦で着用したTシャツ等、レアな賞品の争奪戦。最後は参加者全員が敬礼ポーズで記念撮影。

パーティー終了後は、会場に駆けつけたマスコミに、4月13日大阪大会・IWGPヘビー級選手権(王者・棚橋)に向け、新たな作戦を明かし、2週間後のタイトルマッチに向けての意気込みを語った。

http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6646

131名無し部員:2007/03/25(日) 18:57:27
NEW JAPAN CUP 2007 優勝を記念した祝勝会を終え、熱烈なファンと楽しいひとときを過ごし鋭気を養った永田が、次期シリーズ最終戦(4月13日大阪府立)で行われるIWGPヘビー級選手権(vs王者・棚橋)に向け、新たな意気込みを語った。

*棚橋の筋繊維を切り刻んでやる
永田:「前回のタイトルマッチ〜金本戦でヒントを得たんですが、棚橋は蹴りに弱いですね。先々シリーズでは金本さんの蹴りに備え体を作った棚橋ですが、先シリーズの終わりにはまたカッコイイ体に戻っていました。今回はそのきれいな体が仇になるでしょう。僕の蹴りは甘くない。4月13日は、棚橋の筋繊維を切り刻んでやりますよ。」

*優勝賞金でメガトンキック養成ギブスを作ろうかな
永田:「このオフは蹴りこみの練習をいつも以上にやるつもりです。僕は、伊原道場でもトレーニングをしているので、そこでの練習の成果も思う存分発揮しますよ。普段、見せていない秘策もあります。
 今回は棚橋の体中を蹴りまくります。ただ顔面を狙うと、新日本の女性ファンを失うかもしれないので、顔以外のありとあらゆる場所を蹴りまくりますよ。NJC優勝賞金でメガトンキック養成ギブスでも作ろうかな。」


*タイトルマッチが決まった瞬間から、戦いが始まっている
永田:「棚橋は蹴り足を捕らえてドラゴンスクリューで返すつもりでいるかもしれないけど、ありきたりのドラゴンスクリューじゃ僕に通用するのかどうか・・・?チャンピオンもその辺を考えなきゃね。
 精神的な揺さぶりに弱いのも棚橋の弱点。僕のこの挑発にどう対応していくのかな?今の絞り込んだ体に僕のキックを打ち込んだらどうなるか?かと言って、金本戦の時のように急に体重を増やそうとしたら、今からじゃ他の部分でひずみが出てくるだろうし・・・。
 タイトルマッチが決まった瞬間から、戦いが始まっている。今回前哨戦が1回しかないのが棚橋にとって不幸中の幸いでしょう。」

NJC優勝を足がかりに、復活を狙う永田の闘いはすでに始まっている。


http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6647

132名無し部員:2007/03/25(日) 18:59:24
藤波決意!ドラゴンロケットもう一丁

エジプトの砂漠で書いた「砂」の作品の前で笑顔の藤波=都内  もう一度、ドラゴンロケットだ。“ドラゴン”こと無我の藤波辰爾が24日、都内で行われた書の展覧会に出席し、4・11無我後楽園大会で一騎打ちするチャボ・ゲレロ(シニア)戦に向けて決意表明した。

 同大会が、かつて藤波とWWF(現WWE)Jr.王座を争ったチャボの日本での引退試合となる。「ジュニアの歴史の中でチャボ・ゲレロという選手は消せない」と昔を懐かしんだが、78年の対戦では自身の必殺技ドラゴンロケットを回避され大流血した苦い記憶もあり、手を抜くつもりはない。そのドラゴンロケットについて「ここ5年から10年は使ってない」と話すが、今回は「飛べるかなぁ」と言いながらも封印を解く構えだ。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/25/0000280445.shtml

133名無し部員:2007/03/25(日) 18:59:59
越中IWGPタッグ奪還宣言だって
 4・13新日本大阪大会で天山と組んでブラックのバーナード、トムコ組が保持するIWGPタッグ王座に挑戦するGBHの越中が24日、都内で「蝶野軍の2、3番手あたりがチャンピオンじゃふさわしくないだろって」と、戴冠宣言。「(当日IWGPヘビー級王座を争う)棚橋も永田もペラペラだって。待ってろって」と2冠までブチ上げる威勢のよさだったが、タレント、ケンドーコバヤシの物まねで人気上昇中の現状には「本人が一番、不思議な感じだって」と、戸惑っていた。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/25/0000280447.shtml

134名無し部員:2007/03/25(日) 19:32:07
飯塚組vs石狩組、凱旋試合を勝利で飾るのはどっちだ!?=新日本

 新日本プロレスは25日、4月14日〜4月24日に行われる「NEW JAPAN BRAVE EXTRA」の全対戦カードを発表した。
 4.22の札幌大会では「札幌大会オープニングスペシャル “チーム北海道”タッグマッチ」と題し、飯塚高史(室蘭)&平澤光秀(札幌)組と宇和野貴史(札幌)&石狩太一(石狩)組が対戦。“チーム北海道”の称号を手にするのは、どちらのタッグか!?
 詳細は以下の通り。
※カッコ内は出身地。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20070325-00000018-spnavi-fight.html

135名無し部員:2007/03/26(月) 07:02:14
永田“兄弟ゲンカ”トレでIWGP奪取へ 新日本の永田裕志(38)が、弟の総合格闘家、永田克彦(33)との“兄弟ゲンカ”トレで、IWGPヘビー級王者・棚橋弘至(30)とのタイトルマッチ(4月13日・大阪大会)へ挑む。「NEW JAPAN CUP」の優勝祝賀会が25日、都内で開かれ、30人のファンクラブ会員と交流。弟・克彦は右眼窩(か)底骨折などで12日のHERO’Sを欠場したが、ほぼ回復。棚橋とケンカマッチをイメージする兄のために、ケンカ相手を買って出る。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070326-OHT1T00055.htm

136名無し部員:2007/03/26(月) 07:13:38
読めばわかるさ!「猪木パワー」に命まで…春一番「元気です!!!」(幻冬舎)
東京・東池袋の「アントニオ猪木酒場」でサイン会を行った春さん
 燃える闘魂・アントニオ猪木氏の物まねの第一人者で、お笑い芸人の春一番さん(40)が、初の自伝的エッセー「元気です!!!」(幻冬舎、1365円)を出版した。言われてみれば最近、見かけなかった春さんだが、実は病魔に侵され、死の淵をさまよっていたという。少年時代の思い出、猪木氏の物まねでブレーク…さらに、悪夢の病床から猪木パワーで生還した奇跡の体験まで、春さんの波乱の半生が「読めばわかるさ」―!?

 「迷わず読めよ、読めばわかるさ、ありがとーっ!」サイン会で叫んだ春さんに、病気の影はもうない。今回の執筆理由は「(猪木氏への)感謝の思いと(病因は)世間はまた酒だというけど、酒じゃないんだよと言うためです」と言う。

 都知事候補の桜金造氏も活躍したことで知られる伝説のテレビ番組「お笑いウルトラクイズ」でカレー粉まみれになったことが遠因となり、05年の夏に入院。肺の病気で医師さえも「9割方死ぬと思った」と漏らすほどの窮地だった。このとき病院の集中治療室で、猪木氏から命を救われる感動シーンが、本のクライマックスに待っている。

 そんな春さんだが、最初から猪木氏のものまねを売りにしていたわけではなかった。85年にタレントの片岡鶴太郎氏に弟子入り。ドラマのちょい役や漫談をしていた。数年後、少年時代のプロレスごっこでは不評だったあこがれのあの人の物まねを友人からたまたま「似ている」と言われ、その気になった。

 今やその「猪木芸」の第一人者であり、権威となった春さん。「何ででしょう。声帯が似ていたんでしょうねえ」結婚披露宴でダー、CM撮影でヘリからダー…。叫んだ「1、2、3、ダー」は1000回以上に上るという。

 普段の練習は「風呂場で(猪木風に)しゃべる程度」で、むしろ「一番苦労するのは、新しいセリフを覚えること」という。あの独特の長ゼリフを、ひたすら繰り返して暗記してきた。

 今では、猪木氏と酒を酌み交わす仲。幼い日のヒーローと“飲み友達”になった不思議さに「幸せです。何回会ってもオーラを感じる。今も昔も変わらず大好きです」と話した。

 そんな春さんの仕事ぶりを、妻でマネジャーの綾さん(37)は「イタコっぽい」と表現する。芸歴23年目の春さんだが、本番前「炎のファイター」が聞こえてくると「緊張で今でも頭が真っ白」になる。しかし「気が付くと思った通りのセリフ言って、無事に終えてるんですよ…」。春さんには本当に、猪木氏という「神」が憑依(ひょうい)しているのかもしれない。

 ◆恐るべし猪木流

 ○…本の出版にあたり、猪木氏にあいさつに行った春さんは「どうやったら本、売れますかね?」と尋ねたという。すると「そんなの簡単だよ、お前が死ねばいいんだよ。話題になるじゃねえか」と笑って“猪木語録”を浴びせられた。「何言ってんですか、せっかく会長(猪木氏)に生き返らせてもらったのにって、言い返したんですよ」元気な姿で対面できる喜びを、笑顔でかみしめていた。

 ◆春一番(はるいちばん)1966年8月13日、川崎市生まれ。40歳。4歳で岡山に移住。タイガーマスクやアントニオ猪木、お笑い芸人にあこがれて育つ。ケンカが弱い“ファッションつっぱり”でならした後、高校中退。16歳で甘栗配達員に。18歳で片岡鶴太郎氏に弟子入り。22、23歳ごろからアントニオ猪木氏の物まねに着手する。お笑いウルトラクイズで活躍、猪木氏と共演のディナーショーも行う。家族は妻・綾さん(37)。174センチ、59キロ。血液型A。趣味は「飲酒とオナニー」。
http://hochi.yomiuri.co.jp/book/news/20070325-OHT1T00154.htm

137名無し部員:2007/03/26(月) 08:21:21
獣神サンダー・ライガー新王者に! フジイ撃破=3.25DRAGON GATE

 DRAGON GATE公式戦「MEMORIAL GATE 2007」が25日、三重県・津市体育館で開催された。
 今大会では3つのタイトルマッチが行われ、メーンではオープン・ザ・ドリームゲート選手権王者のドン・フジイに新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーが挑戦。30分を超す大激戦の末、最後はライガーが垂直落下式ブレーンバスターでフジイを下し、第7代王者に輝いた。
 セミファイナルで行われたオープン・ザ・トライアングルゲート選手権は、挑戦者組の斎藤了、横須賀享、CIMA組が勝利。第3試合で行われたオープン・ザ・ブレイブゲート選手権も挑戦者の堀口元気が戴冠と、3大タイトルマッチすべてで新王者が誕生するという結果となった。

 また、第4試合ではストーカー市川Z暴走十番勝負・第1戦が行われ、スト市Zが無謀にもプロレスリング・ノアの秋山準に挑戦。試合前に秋山は「時間無制限だから、30分でも60分でもいたぶってやる」と予告していたが、試合はわずか4分50秒、セコンドについたスト市Zの夫人である奈美子さんからタオルが投げ入れられ、秋山のTKO勝ちとなった。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/etc/20070326-00000000-spnavi-fight.html

138名無し部員:2007/03/26(月) 08:27:11
新王者ライガーに望月成晃が挑戦=DRAGON GATE

 3月25日にDRAGON GATE公式戦「MEMORIAL GATE 2007」が三重県・津市体育館で開催され、行われた3大タイトルマッチすべてで新王者が誕生するという結果となった。これを受けて、新たに3つの王座戦のカードが決定。新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーが新王者となったオープン・ザ・ドリームゲート選手権には、望月成晃が挑戦する。

■DRAGON GATE後楽園ホール大会
4月17日(火)東京・後楽園ホール大会

<オープン・ザ・ドリームゲート選手権試合>
[王者]獣神サンダー・ライガー
[挑戦者]望月成晃
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/etc/20070326-00000001-spnavi-fight.html

139名無し部員:2007/03/26(月) 11:06:56
永田 棚橋をサンドバッグにする!

 ファンとニュージャパンカップ優勝を祝う永田裕志=東京・六本木  ニュージャパンカップに優勝して4・13大阪大会でのIWGP王座挑戦権を獲得した永田が25日、都内でファンと祝勝会。王者・棚橋のサンドバッグ化を予告した。

 2・18両国大会での金本戦を見て「棚橋は意外に蹴りに弱い」と見てとった永田。長くキックのジムに通って蹴りは得意だが「使っていないのがいくつもある」と、禁じ手としてきた危険な蹴りも解禁。「顔を破壊すると新日本では貴重な女性ファンを失うから、顔以外の筋繊維を切り刻んでやる」と、マット界屈指の肉体美を誇る王者に揺さぶりをかけていた。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/26/0000281519.shtml

140名無し部員:2007/03/26(月) 11:07:21
藤波 5月に通算3500試合達成だ
 無我の5月シリーズで“ドラゴン”がまた一つ偉業を達成する。無我の藤波が25日、ファンとの交流会で、現在までに出場した国内試合数が3493試合であることを明かした。4試合の4月シリーズを経て、5月に3500試合出場を達成する見込み。藤波は「そんなに戦ったのかという感じ。自分では気づかなかったよ」と驚いていた。Tシャツなど記念グッズも販売する予定だ。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/26/0000281522.shtml

141名無し部員:2007/03/26(月) 12:27:02
永田がIWGP奪取へ兄弟げんかトレ導入
 新日本の永田裕志(38)が兄弟げんかトレで、IWGP王座を奪取する。ニュージャパン杯優勝の祝勝会が25日、都内で開かれた。同杯を制し、4年ぶりの同王座挑戦権を得た永田は4月13日の大阪大会で王者棚橋と戦う。壮絶なけんかマッチを予告しており、この日の祝勝会ではシドニー五輪レスリング銀メダリストの弟克彦(33)との実戦スパーリングで調整することを明言。「兄弟げんかのような本気のスパーで、けんかマッチを制しますよ」と意気込んでいた。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070326-175232.html

142名無し部員:2007/03/26(月) 12:27:45
大巨人カリーがハリウッドデビュー果たす
 WWEローの大巨人、2メートル30センチのジャイアント・カリーがハリウッドデビューを果たす。元WWEのスーパースターで、現在はハリウッドで活動するザ・ロックとともに、コメディー映画「ゲット・スマート」に出演する。カリーは、02年1月の新日本・東京ドーム大会に参戦するなど、日本でも活躍。昨年1月からWWEと契約し、大巨人として大暴れしていた。(デーブ・レイブル通信員)

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070326-175235.html

143名無し部員:2007/03/26(月) 18:24:56
ライガー選手が第7代オープン・ザ・ドリームゲート王者に輝く!/3月25日DRAGON GATE津大会試合結果
掲載日: 2007年03月26日





3月25日に開催されたDRAGON GATE津大会に、獣神サンダー・ライガー選手が参戦。第6代オープン・ザ・ドリームゲート王者のドン・フジイ選手を下し、第7代王者に輝いた。なお、初防衛戦の相手は、望月成晃選手に決定。4月17日DRAGON GATE後楽園大会で同タイトルマッチが行なわれる。
津大会の試合結果、初防衛戦の日程の詳細は以下をご覧下さい。

DRAGON GATE
「MEMORIAL GATE 2007」最終戦
3月25日(日)三重・津市体育館

第7試合(60分1本勝負)
オープン・ザ・ドリームゲート選手権試合
○獣神サンダー・ライガー
(挑戦者・新日本プロレス) 30分23秒
垂直落下式ブレーンバスターから
体固め ×ドン・フジイ
(王者)


※フジイが2度目の防衛に失敗。ライガーが第7代王者に輝き、ドリームゲートを獲得した。

*DRAGON GATE
4月17日(火)東京・後楽園ホール 18:30試合開始
 
オープン・ザ・ドリームゲート選手権試合
 獣神サンダー・ライガー(王者・新日本プロレス)
  VS
 望月成晃(挑戦者)
 ※ライガーは初防衛戦
 
お問い合わせ:DRAGON GATE  TEL:078-333-9797

http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6648

144名無し部員:2007/03/26(月) 18:25:41
新日本プロレスリング(株)社長代行就任のお知らせ
掲載日: 2007年03月26日





新日本プロレスリング株式会社取締役会は3月19日付けで提出されたサイモン・ケリー・猪木氏の取締役辞任を承認したことをご報告いたします。
なお、次回株主総会開催までの間、代表取締役副社長 菅林直樹が社長代行として就任することになりました。

新日本プロレスリング(株)
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6650

145名無し部員:2007/03/26(月) 18:26:14
LA道場についてのお知らせ
掲載日: 2007年03月26日





新日本プロレスLA道場は名称を新たに「INOKI DOJO」と改めアメリカ ロサンゼルスを拠点としてサイモン・ケリー・猪木氏のもとプロレス道場運営ビジネスを展開することになりました。
これからもかわらないご支援の程お願いいたします。

新日本プロレスリング(株)
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6651

146名無し部員:2007/03/26(月) 18:26:48
Tシャツデザイン募集
掲載日: 2007年03月26日





新日本プロレスでは、4月1日より毎月、選手のTシャツデザイン募集を開始いたします。
第1弾は「中西 学」選手で、募集期間は平成19年4月1日より平成19年4月30日までとなります。
また、ご応募いただいた中で最優秀デザインに選ばれた方には、ご応募いただいたデザインのTシャツに選手直筆サインを入れてプレゼントいたします。

■詳しい応募要項は下記アドレスからご参照下さい。
http://shop.njpw.co.jp/
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6649

147名無し部員:2007/03/26(月) 18:29:23
新日本プロレス 中西学選手を題材にしたデザイン募集:ドロップシッピング ストア UPSOLD : オリジナルTシャツ、オリジナル文具など貴方のデザインでオリジナルグッズSHOPが作れます。
■参加にはUPSOLDのデザイナー登録が必要です。

Tシャツにデザインを合成した画像を下の応募ページからアップロードしてください。
※ 印刷データ作成時の注意点は”こちら”でご確認ください。
※ 合成いただく際は、こちらの『プリント可能範囲』を参考に合成ください。

■合成用のTシャツ画像はこちらからダウンロードいただけます。

ご応募いただいた作品の著作権は新日本プロレスリング株式会社に帰属します。

※ このデザインの応募用途に限り、新日本プロレスオフィシャルサイト内に掲載されている写真・文章の使用が許可されています。
※ 応募するデザインには、雑誌やスポーツ関連媒体他、撮影したカメラマンに著作権のある写真などは無断で使用しないでください。

●新日本プロレス オフィシャルサイト

応募期間:平成19年4月1日〜平成19年4月30日23:59分迄

ご質問はこちらまでお気軽にお問い合わせ下さい。


http://www.upsold.com/njpw.html

148名無し部員:2007/03/26(月) 19:01:45
 NJC覇者永田 棚橋の金的破壊予告
 新日本プロレスの4・13大阪府立体育会館大会でIWGP王者・棚橋弘至に挑戦する永田裕志が「金的破壊」を宣言した。
 3週間後の棚橋戦に向けて「タイトル戦が決まった時点で戦いは始まっている。本番まで精神的に追い込んでやりますよ」という永田が、さっそく心理戦第1弾を発動した。棚橋を不能男に追い込むというのだ。
 もちろん「金的攻撃」、いわゆるローブローは反則になる。しかし、永田は「新日本を応援してくれる女性ファンが離れたら困るので、男前な顔面以外のありとあらゆるところを蹴りまくる。狙いは金的だよ。前蹴りやヒザ蹴りで潰してやりますよ。棚橋から女性ファンを守らないといけないからな」と、全くお構いなしだ。
 さすがの棚橋も、鍛えられない急所を蹴られれば立っていることは出来ない。また、金的に気を取られるあまり他の部分の防御が甘くなれば、容赦なく攻め立てられてしまう。ルールを無視した永田発言に、棚橋も困惑するだろう。
 25日はファンクラブ主催のNJC優勝祝勝会に出席した。「チャンピオンがどのように返してくるか楽しみだな」と言い残したミスターは、自信満々で六本木のネオン街に消えていった。(3月27日付け東京スポーツ)

149名無し部員:2007/03/26(月) 20:52:52
 ライガー 龍の至宝強奪 垂直落下で幕
 25日のドラゴンゲート(DG)三重・津大会、オープン・ザ・ドリームゲート選手権は新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーが王者ドン・フジイを破り、同王座史上初の外様王者となった。ライガーはさっそく“爆弾”を投下。獣神がDGマットを制圧するのは時間の問題となった。
 ショルダーアタック合戦で始まったタイトル戦は、まさに意地と意地のぶつかり合いとなった。
 ライガーは序盤から場外乱闘でイスを振り回し、リング上ではフジイの古傷である左ヒザを攻め続けた。一方のフジイは 得意のパワー殺法で対抗し、壮絶なせめぎ合いとなった。
 20分すぎ、勝負に出たのはライガーだ。スライディングキック、ドラゴンスクリュー、足4の字固めでフジイの左ヒザを徹底攻撃する。辛うじてロープに逃れたフジイはラリアートからナイスジャーマンの必殺パターンで3カウントを狙ったが、左ヒザの痛みで決めが甘い。ライガーはカウント2.5で返すと、垂直落下式ブレーンバスターから強烈な掌底を連発。最後は浴びせ蹴りから2発目の垂直落下式脳天砕きで、30分を越える熱戦に終止符を打った。
 黒い獣神が外敵としては初のドリーム王座を奪取した。さっそく食って掛かっきたのが37歳の望月成晃だ。ライガーは「勇気があるなら」と4・17後楽園ホール大会でのV1戦を受諾した。
 しかし、新王者・ライガーの本音は違った。「大体、俺がこの団体に上がってるのは“宝の山”だと思ったからだ。(望月の)次の挑戦者は若手が挑戦してこい。そうじゃなければ防衛戦はやらない。新日本にも裕次郎とか内藤哲也とか、イキのいい若手はいっぱいいるんだ。そいつらとやった方がマシだろう。ヤツらが奮起しない限り、ベルトが(DGに)戻ってくるチャンスすらない、ということだ」と試合後まくし立てた。
 DGの若武者たちがV2戦に名乗り出なかった場合、DGマットでの防衛戦拒否を通達。DG最強を証明するドリーム王座を、新日本マット限定にすることさえいとわにという。日本のジュニアを支えてきたベテランは、DGマットに新たな衝撃を走らせた。(3月27日付け東京スポーツ)

150名無し部員:2007/03/26(月) 23:02:10
WWEローの大巨人、2メートル30センチのジャイアント・カリーがハリウッドデビューを果たす。元WWEのスーパースターで、現在はハリウッドで活動するザ・ロックとともに、コメディー映画「ゲット・スマート」に出演する。カリーは、02年1月の新日本・東京ドーム大会に参戦するなど、日本でも活躍。昨年1月からWWEと契約し、大巨人として大暴れしていた。(デーブ・レイブル通信員)

ダウトーーーー!!(超嬉しそうに)

だいたいリングネームがジャイアント・カリーじゃなくてグレート・カリだし。


で、グレート・カリことジャイアント・シンさんは
アダム・サンドラーさんのロンゲストヤードに出演してますよーだ。
(パッケージの右上に注目)


えーと、やっちまったな、と。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/16514/2622656#2622656

151名無し部員:2007/03/27(火) 07:45:48
【新日本】菅林副社長が社長代行に就任
 新日本は26日、菅林直樹副社長(42)の社長代行就任を発表。同社の取締役会が、先に提出されたサイモン・ケリー猪木氏(33)の取締役辞任を承認。4月の株主総会で新社長が決まる。また、新日本LA道場(米ロサンゼルス)は新日本の管理下から離れ、サイモン氏の元、名称も「INOKI DOJO」と改称され、運営していく。

http://www.sanspo.com/fight/top/f200703/f2007032700.html




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