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鬼和尚言語録

1:2013/10/08(火) 16:17:17 ID:NpBkhqbI0
貴重な鬼和尚の法話や過去レスを集めて行こうと思います。

修行者の参考になれば幸いです。

2:2013/10/08(火) 16:24:14 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚:2007/08/07(火) 21:27:31 ID:zE9FBmnD 

少し静かになったから、続きを書いておくかのう。

 観の行によって見る自我には、個人によって大きな違いがあるのじゃ。
 自我をどのように感得しているかは、人によってかなり違う。

 例えばデカルトなどは、推論を重ねて疑う自分は疑えないと、思考の中の疑うという部分に己を見出したのじゃ。

 もう一つの例は芥川龍之介が、エッセイの中で、「自分は家から離れると自分の境界があいまいになる」と言っておるところから、彼は環境への感覚、感情などによって自我を確立していたことが判るのじゃ。

 思想家は思想によって、芸術家は感性によって、それぞれ独自の自我を確立しておることが良く判る。
 同じように体を使うものは体が自分と認識し、感覚を大事にするものは、自分を感覚のもとであると、認識しておるやも知れぬ。

 自我と言うものが個人によって大きく異なり、本人にさえ定かではない為に、自我を観察するのは真に困難なのじゃ。
 師でさえ弟子の自我がどのようになっているか、指し示すことは出来ない。
 自らを虚心に観察し、自ら見出す他はないのじゃ。

 諸君も頑張って戴きたい。

3避難民のマジレスさん:2013/10/08(火) 16:26:50 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚:2007/08/09(木) 20:21:21 ID:ZdrgvIGo前スレから観のコピペじゃ。

さて、観の行の事を書くのじゃった。
その前にわしの教えは禅ではない。お釈迦様の教えを再興した仏教じゃ。

止の行によって潜在意識まで見られるようになった者は、観の行に入る。
前スレで紹介したように、小さな鐘の音などを自動で鳴るようにしておくと良い。
強い集中で忘我の状態にあるものが、外部の音などの刺激を受けると、そこに自我が起こって来るのを観ることが出来る。

自我はまさに刺激によって起こるものなのじゃ。
普通の者も朝に起きる時などに、心を詳細に観察すれば、それは判るじゃろう。

朝、未だ寝ている時には自我を忘れている。目が覚めて刺激を受けると、少しずつ己の名前やイメージなどを思い出してくる。自分が何の何という名で、どのようなイメージを持っているか、少しずつ判ってくる。

これと同じような過程を、作り出すのじゃ。
心を集中して忘我の状態にあるものが、鐘の音を耳にする。すると朝の寝起きの時と同じように、自我が起こって来る。
その過程を全て観るのが、観照じゃ。

観照は引き起こそうとしても出来ない。むしろ起こそうとすると、却って遠ざかるものじゃ。
ただ己を虚しくし、ひたすら鐘の音と共に起こって来る自我を、見つめるしかない。

これらの自我が起こって来る過程は、全て潜在意識で行われる。それ故に潜在意識まで観ることの出来る程の、止の行が必要なのじゃ。

4避難民のマジレスさん:2013/10/08(火) 16:37:48 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚:2007/08/11(土) 20:43:57 ID:LvlfriKD>>71 そうじゃ。 

続きじゃ。
縁起の法とは、心の動きを関係によって分析する方法じゃ。
12因縁などが有名であろう。

 12因縁などは実際には観察例の一つに過ぎない。
 人により、それぞれ己の心に生じる印象は違うものじゃ。
 それを自ら観察し、分析することで、自我と認識の解離を目指すのじゃ。

 例えば前に出た芥川龍之介ならば、彼は自分の身の回りの環境への接触から起こる感情によって自我を成立させていた。
 その彼が縁起の法を行ったならば、接触を縁として感情が起こり、感情を縁として好 悪が起こり、好悪によって執着が起こるということになろう。
 それらが自我に因って在るものではなく、ただ縁に因って自然に起こるさまを観察するのじゃ。
 

 デカルトの場合は思考の内の疑いによって、自我を確立していた。
 彼が鐘の音を聞けば、聞くことを縁として思考が起こり、思考を縁として疑が起こり、
疑いを縁として我という思いが起こるという形になろうか。

 このように自我は人によってかなり違う故に、各々が己の心を冷静に観察し、何を縁として心が起こっているのかを、見極めるのが肝心なのじゃ

5避難民のマジレスさん:2013/10/08(火) 16:40:01 ID:NpBkhqbI0
実際に縁起による観察の分析は、次のようになる。

 鐘の音を聞いた者が、それを聞いて驚いて次のように考えたとすると。
 「おどろいた、あの音はなんだっけ。ああ、そうだ鐘の音がなるようにセットしておいたのだった。」

 と、ここまでの心の動きを観察し、縁起によって分析すると、
 先ず鐘の音によって外部の刺激との接触が、耳に起こった。触に縁り耳識が生じた。
 そして、耳からの刺激に縁って、驚きという感情が起こった。耳識に縁って感受、感覚が生じた。
 感情によって、疑問を解決する思考が起こった。感情に縁って考えが生じた。
 
 こんな感じで、心の動きを次々に観察し、分析していくのじゃ。
 これが縁起による心の観察の分析じゃ。

 実際に行えばそれほど難しいものでもない。
 馴れれば直ぐに出来るようになる。

 そして、心の動きがまさに縁に因って、次々に生じては消えていくさまを観察することが出来るようになるじゃろう。

6避難民のマジレスさん:2013/10/08(火) 16:42:39 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚:2007/08/13(月) 21:00:34 ID:GG7MMalE更に続くのじゃ。

観照が起こり、自我が無くなった者は、静寂や安らぎを感じるじゃろう。
それは自我によってよって、過度の不安や自己防衛を行っていた呪縛が無くなり、心身に不必要な情報を取り入れず、不安が解消されたからなのじゃ。
しかし、それだけでは未だ大悟徹底とは言えない。

未だ静寂や安らぎを認識するものが残っている。
その認識をも消していかねば大悟徹底ではない。

一旦自我が消えてしまえば、認識を消すのは簡単じゃ。
認識をも縁起によって存在し、空であると観察すれば認識も消え去る。
そして、言葉には出来ない境地が表れる。

そこまでくればもはや縁起や空などの、全ての技を捨て、ただ無為に座り続けるのじゃ。
 無為にしてただ在るだけで、仏の全ての智恵が表れてくる。

7避難民のマジレスさん:2014/04/05(土) 06:30:43 ID:.d0FHAfQ0
366 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2014/03/26(水) 21:01:32.26 ID:kdg0bvk/>>340 今度は字が読めない振りじゃな。
 選択問題にするから答えてみるのじゃ。

 ① アーレフの麻原彰晃を早く死刑にしたほうがよいとおもう。
 ② アーレフの麻原彰晃を遅く死刑にしたほうがよいとおもう。
 ③ 自分はアーレフやひかりの輪の者であるから誤魔化して何も選択しない。
 
 何も選択しなければ自動的に③になるのじゃ。
 
 おぬしが観念は妄想というわしの言葉を真実として受け入れるならば、やはりおぬしの書いたことは全て観念であるから嘘になり、
 前と同じ論理でアーレフの麻原彰晃も嘘をついていたことになるのう。

 おぬしが観念は妄想である場合が多いと主張を変えるならば、おぬしの言葉も嘘である場合があるという事じゃな。
 そして正しい場合もあるからわしの書いたことが正しいということにもなるのじゃ。
 おぬしが根拠としていたわしの書いたことが観念であるから嘘であると言う主張がなくなり、新たな根拠を示さなければ、わしの言葉が正しい事になるのじゃ。
 するとおぬしの言葉が嘘となり、おぬしの書いた通り、観念は妄想である場合が多いという言葉とも矛盾しないのじゃ。
 そしてアーレフの麻原彰晃は自らの言葉が本当であるとは主張できないのじゃ。
 実際に死刑囚として囚われ主張できないのであるからのう。
 死者に鞭打つとはこの事じゃ。
 
 すでにアーレフの麻原彰晃が悟ってるわけないと前スレで宣言したのであるから、もはや囚われることなくアーレフやひかりの輪は嘘を教えていると宣言してみると良かろう。
 何かが吹っ切れるかもしれん。

8蓮恵:2017/02/11(土) 05:25:14 ID:Bfk7ET5s0
一番好きな説法。

生きるのじゃ。
 
 生きるということはもとから理屈や理論や信仰によるものではない。理論的に生きることが否定されたからといって、死んだりする愚か者も居るまい。

 生きるといことは、理論も理屈も信仰も超えた、命の躍動なのじゃ。
 命は絶望を知らず、力の限り生きようとするものじゃ。
 例えば脳みそや心臓を破壊されても、肉体は細胞を再生し、何とか生きようとする。
 絶望も限界も知らず、力の限り生きようとするのがおぬしらの命なのじゃ。

 生きるということは理論でも理屈でも信仰でもなく、ましてゲームなどではない。
 そのような頭で作り出すような、小賢しい思惑を超えて輝く炎が命なのじゃ。
 その力は人々を救い、世界を良くするためにこそ存在しているのじゃ。

 今、これを見ている者の中で自殺しようなどと思ってる者も、居るかもしれん。
 そのような者はわしの言葉を聞くがいい。
 おぬしは生きるのじゃ。
 己のためではなく、人の為に生きるのじゃ。
 生きて大勢の人を助けるが良かろう。

 助けた人々は感謝するじゃろう。
 おぬしが生きていて良かったと言うじゃろう。
 それこそがおぬしがこの世に生まれた意味なのじゃ。

 身を捨てようと言うなら、人々の助けになるように己の身を捨てるがいい。
 最後のひとかけらの力までも、人々に与えるのじゃ。
 助けを求める者には必ず力を貸し、人々の願いに背いてはならん。
 そのように勤めた者を、わしは真の菩薩であり、わしの愛しい子であると言うじゃろう。

9避難民のマジレスさん:2017/02/12(日) 04:16:00 ID:jfWCoXjM0
 例えば人が最近流行りのゲームに夢中になって、ゲームの中の者が自分と同じだと思い、お金をかけて強化したりするじゃろう。
 そのようにお金をかけてゲームの中の者を良くすれば、現実のお金はへって仕舞ったりする。
 架空の者がよくなった事に設定されたが、現実には損をしていたりする。

 同じように社会の中の地位によるイメージを己と思い、それを良くするために心身を費やすならば、それがよくなったように見えて実は心身を損なったりするものじゃ。
 実際にはそれは架空のゲームの中の人間に金を使い、損をしているのと変わりは無いのじゃ。
 
 社会の中での仕事は心身を養うためのものでしかないのに、それで心身を損なうのは本末転倒なのじゃ。
 社会的に成功するのが良い事と教えられ、洗脳されてしまうとそのような事さえわからなくなるのじゃ。

 多くの者が戦争に参加してしまうのも、同じように社会でのイメージ、強い自分と言うイメージを保とうとするためなのじゃ。
 人は自らのイメージを保つために殺し合いまでするのじゃ。
 それは自分を自分の主とせず、社会の奴隷としているとさえ言えるのじゃ。

 自分が自分の主であるならば、先ずは自分の心身を傷つける事は止めようとするじゃろう。
 そして他人の心身も、自分が自分の心身を大事に思うのと同じように思っているのであるから、傷つけるのを止めようと思うじやろう。

 そのように自分を自分の主として、心身を守る者こそ正しく考え、社会の洗脳に囚われていない者と言えるのじゃ。
 
 、

10避難民のマジレスさん:2017/02/13(月) 04:30:40 ID:jfWCoXjM0
   例えば人が山に登ったりする時、遠くの頂上ばかりを見て、未だあんなに遠くにあるとか想っていると、心も体も疲れてしまうものじゃ。
 目標は遠く、先は長いと想うからじゃ。

 むしろ目の前の道の景色を見たり、今まで登って来た道を振り返れば、こんなに遠くに来たと分かり、励みになるものじゃ。
 そして気がつけば頂上も近くにあるとわかったりするのじゃ。
 遠くの頂上ばかり想うより、目の前の楽しみを味わう方が、旅も楽に行く事が出来るのじゃ。

 修行の道も同じようなものじゃ。
 未だ悟道が来ないとか、いつになったら悟れるのかとか考えてばかりいると、疲れて辞めたくなってしまうじゃろう。
 それよりもむしろ今の境地を楽しみ、滅してきた苦の成果を見るのじゃ。

 修行が進んでいればかつては乱れていた心も静まり、多くの苦も滅しているじゃろう。
 苦を滅した安楽の境地を楽しみ、瞑想による喜びを味わうのじゃ。

 そのように楽しみながら行なえば、いつの間にか悟道も寄ってくるものじゃ。
 1日1日の瞑想を楽しみ、一つ一つの苦を滅して行けば、安楽が訪れ、自分の道が間違いではないと、知ることも出来るのじゃ。
 そのように修行が喜びであり、楽しみであれば、気がつかないうちに悟りへの準備も整うのじゃ。

 そのように遠くの目標を想うより、今出来る事を楽しみながらやる事が最も早く進歩する道なのじゃ。

11避難民のマジレスさん:2017/02/14(火) 03:52:19 ID:jfWCoXjM0
 世の多くの者は恐れによって行いを制限され、言葉も支配されているものじゃ。
 誰もが恐れから逃れられないのじゃ。

 自分は恐れなど無いという人間が、実は誰よりも恐れを抱いておる。
 恐れから怒鳴ったり、暴力に依存したりしているのじゃ。

 他国との戦争が起こるのも、恐れによる事が多いのじゃ。
 他国が攻めてくるという恐れから、先に攻めようと思ったりするのじや。
 お互いに恐れを抱いてる国同士が戦うように、人も互いに恐れを抱いているから争うのじゃ。

 恐れから他人を見れば、いかにも偉大に見えたりするじゃろう。
 独裁者は他人に恐れさせる事で人々を支配するのじゃ。
 しかし、その者も恐れを抱いていると知れば、支配される事も無いのじゃ。

 心に恐れがある者も、自らの心に恐れを観察すれば恐れは消えるじゃろう。
 世の人が恐れによって他人に支配される時期も、恐れによって支配されずに居られるのじゃ。
 自らの心の弱みを見れば、却って強くなれるのじゃ。
 修行者は自らの心に恐れを観察し、恐れを超越して進むが良いのじゃ。

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40偽和尚★:2017/07/01(土) 18:49:26 ID:???0
このスレの 12〜39 を書いている ID:jDggCKfs0 の書き込みは語録として残すには前後が
抜けていて適切とは思えないコピペと全く無関係と思われる書き込みばかりに思えたので
全て削除しました。それとどうやら荒らしているだけのようなので書き込み元ホスト名での
規制もしました。こちらが思い出して規制を外すまでこの板には書けません。その結果同じ
施設(多分和歌山の某施設)からの書き込みはおそらくできなくなりますがご了承ください。

41避難民のマジレスさん:2018/02/06(火) 20:27:56 ID:yc1r5rGg0
鬼和尚の過去の書き込みを集めました。たまに更新すると思います。
http://hokanko.main.jp/onidb/

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48偽和尚★:2019/07/20(土) 00:07:26 ID:???0
削除のお知らせ。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1415399543/20-25


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