したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚言語録

10避難民のマジレスさん:2017/02/13(月) 04:30:40 ID:jfWCoXjM0
   例えば人が山に登ったりする時、遠くの頂上ばかりを見て、未だあんなに遠くにあるとか想っていると、心も体も疲れてしまうものじゃ。
 目標は遠く、先は長いと想うからじゃ。

 むしろ目の前の道の景色を見たり、今まで登って来た道を振り返れば、こんなに遠くに来たと分かり、励みになるものじゃ。
 そして気がつけば頂上も近くにあるとわかったりするのじゃ。
 遠くの頂上ばかり想うより、目の前の楽しみを味わう方が、旅も楽に行く事が出来るのじゃ。

 修行の道も同じようなものじゃ。
 未だ悟道が来ないとか、いつになったら悟れるのかとか考えてばかりいると、疲れて辞めたくなってしまうじゃろう。
 それよりもむしろ今の境地を楽しみ、滅してきた苦の成果を見るのじゃ。

 修行が進んでいればかつては乱れていた心も静まり、多くの苦も滅しているじゃろう。
 苦を滅した安楽の境地を楽しみ、瞑想による喜びを味わうのじゃ。

 そのように楽しみながら行なえば、いつの間にか悟道も寄ってくるものじゃ。
 1日1日の瞑想を楽しみ、一つ一つの苦を滅して行けば、安楽が訪れ、自分の道が間違いではないと、知ることも出来るのじゃ。
 そのように修行が喜びであり、楽しみであれば、気がつかないうちに悟りへの準備も整うのじゃ。

 そのように遠くの目標を想うより、今出来る事を楽しみながらやる事が最も早く進歩する道なのじゃ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板