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鬼和尚言語録

2:2013/10/08(火) 16:24:14 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚:2007/08/07(火) 21:27:31 ID:zE9FBmnD 

少し静かになったから、続きを書いておくかのう。

 観の行によって見る自我には、個人によって大きな違いがあるのじゃ。
 自我をどのように感得しているかは、人によってかなり違う。

 例えばデカルトなどは、推論を重ねて疑う自分は疑えないと、思考の中の疑うという部分に己を見出したのじゃ。

 もう一つの例は芥川龍之介が、エッセイの中で、「自分は家から離れると自分の境界があいまいになる」と言っておるところから、彼は環境への感覚、感情などによって自我を確立していたことが判るのじゃ。

 思想家は思想によって、芸術家は感性によって、それぞれ独自の自我を確立しておることが良く判る。
 同じように体を使うものは体が自分と認識し、感覚を大事にするものは、自分を感覚のもとであると、認識しておるやも知れぬ。

 自我と言うものが個人によって大きく異なり、本人にさえ定かではない為に、自我を観察するのは真に困難なのじゃ。
 師でさえ弟子の自我がどのようになっているか、指し示すことは出来ない。
 自らを虚心に観察し、自ら見出す他はないのじゃ。

 諸君も頑張って戴きたい。


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