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Fate/clockwork atheism 針音仮想都市〈東京〉Part3

1 ◆0pIloi6gg.:2025/02/16(日) 00:00:41 ID:v3D9semE0



 恥の多い生涯を送って来ました。
 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。

                         ――太宰治〈人間失格〉



 wiki:ttps://w.atwiki.jp/clockgrail/

2 ◆0pIloi6gg.:2025/02/16(日) 00:01:04 ID:v3D9semE0
【基本ルール】
マスター資格のある人間が『古びた懐中時計』を手にすることで仮想世界の東京二十三区に転移します。区外の世界は存在しません。
この懐中時計には、"エネルギーを必要とせずに動く"こと以外に異常性はありません。

マスター達には聖杯によって仮想都市の社会ロールが与えられます。
サーヴァントを失ったマスターは三〜六時間後に消滅します。
制限時間は本人の容態や持った能力値によって左右されますが、マスター単独での六時間以上の生存は不可能です。
本編開始時の時間軸は「2024年5月3日」とします。


 『神寂祓葉』およびそのサーヴァント・『オルフィレウス』は最終章まで必ず生存します。


【予約について】
予約はトリップを付けてこのスレッドで行ってください。
期限は延長なしの二週間とします。

過度な性的描写については、当企画では原則禁止とさせていただきます。

執筆が間に合わなかった、または別な何らかの理由で予約を破棄した場合、その予約に含まれていたキャラクターを再度予約出来るまでには「5日間」のインターバルを設けるものとします。
投下されたお話に登場したキャラクターは投下完了後「24時間」でふたたび予約が可能になります。

※予約期限、および書き手参加の条件などについては今後本編の進行度合いに応じて変更される場合がございます。
 その際には都度本スレでアナウンスいたしますので、ご確認ください。

【本編でのキャラ設定の追加などについて】
基本的に本編では設定追加を制限しませんが、やりすぎない程度に。かつ、前の話と矛盾することがないようにご注意くださいませ。
〈はじまりの六人〉に関しては、OP末尾にありますように、『本編では前回の聖杯戦争の記憶を取り戻しています』。
こちらも掘り下げる際にはくれぐれも矛盾や前提の破綻などにご注意ください。

【時間表記】
未明(0〜4時)/早朝(4〜8時)/午前(8〜12時)/午後(12〜16時)/夕方(16〜18時)/日没(18時〜20時)/夜間(20〜24時)
とします。本編開始時の時間帯は「午後12時」となります。

【状態表】
以下のものを使用してください。

【エリア名・施設名/○日目・時間帯】

【名前】
[状態]:
[令呪]:残り◯画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:
1:
2:
[備考]

【クラス(真名)】
[状態]:
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:
1:
2:
[備考]

3 ◆0pIloi6gg.:2025/02/16(日) 00:01:26 ID:v3D9semE0
新スレになります。
今後とも当企画をよろしくお願いします。

4 ◆0pIloi6gg.:2025/02/18(火) 01:16:38 ID:lD.vbfhM0
覚明ゲンジ&バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス) 予約します。

5 ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 16:59:30 ID:AFJddyR20
投下します

6ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:00:29 ID:AFJddyR20
/猿夢



 おじいちゃんは、ぼくにとってのヒーローだった。

 昔気質の人で、いつも多くを語らない。
 流行りのアニメやドラマの話は分からない。
 だけど野球の話になると、ちょっとだけ口数が多くなる。
 戦争が終わる前からあるっていう古い家に住んでいて、どこか壊れてもすぐに自分で直してしまう。

 髪の毛なんかとっくに全部真っ白で、顔も身体も皺だらけ。
 なのに腕相撲じゃ一回も勝てたことがない。
 おじいちゃんの落とすゲンコツはこの世でいちばん痛い。
 それでも、ぼくはそんなおじいちゃんのことが好きだった。
 無愛想で、頑固で。そして誰より優しいその静かな背中に憧れていた。

 昔――ぼくのお父さんとお母さんは仲が悪かった。
 お父さんがリストラされて、仕事もしないでお酒ばかり飲むようになって。
 優しい人だったのに、ぼくやお母さんを叩いたり蹴ったりするようになって。
 お母さんは毎日泣いていた。泣きながら、いつもお父さんを呪う言葉ばかりこぼしていた。ぼくにはそれが辛かった。

 大好きだった人たちの顔が、日を増すごとに変わっていく。
 怒って、泣いて、ちょびっとだって笑っちゃくれない。
 お家の中はいつもお酒の匂いでいっぱいで、お母さんはごはんを作ってくれなくなった。
 ふたりの怒鳴り声や、思い出の家具やお皿の壊れる音を聞きながら、縮こまってのびたカップラーメンを啜る日々。

 ――誰か助けて。毎日そう思ってた。
 
 でも、小学生にもなったら流石にわかる。
 弱きを助けて悪を挫く正義のヒーロー。
 そんなもの、テレビの中にしかいないってこと。
 ぼくの生きてる此処は辛く寂しい現実の世界で。
 他人事みたいに眺めてたニュースの"悲劇"が、じきにこの身に訪れることも分かってた。

 助けてくれる誰かがいない現実で、毎年掃いて捨てるほど起きては忘れられていく悲劇。
 壊れた家庭の最期というものが、此処にもやってくるんだろう。
 最期は炎だろうか。暴力だろうか。それともみんなで、天井からぶら下がるんだろうか。
 そう思いながら、何もかもを諦めて、暗い部屋の中で過ごしていた。

7ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:01:02 ID:AFJddyR20

 そんなぼくの前に――あの日、現実(ほんとう)のヒーローが現れた。

 おじいちゃんだった。
 おじいちゃんは何も言わなかった。
 何も言わずに、散らかった部屋と、暗い顔で蹲ってるぼくを見た。
 次に、喧嘩してる格好のまま驚いた顔をしている、お父さんたちを見た。

 ――ゲンコツが落ちた。
 ――カミナリが落ちた。
 ――ぼくたちの地獄は、それだけで終わった。

 おじいちゃんは正座させたふたりに何かを話していたけれど、何を言ってたかは覚えてない。
 ぼくはただただ、安心していた。おじいちゃんが来てくれて嬉しかった。これでもう大丈夫なんだという確信があった。
 いつもみたいに多くを語らず、二発のゲンコツと一発のカミナリでぼくを助けてくれたおじいちゃん。

 次の日から、うちは少しずつ元通りになっていった。
 最初はまだぎこちなかったけど、少しずつ笑顔が戻ってきた。
 今じゃ家族三人、前より仲がいいくらいだ。
 あの頃のことも、ただの笑い話として喋れるようになった。

 全部、おじいちゃんのおかげだ。
 おじいちゃんはぼくのヒーローだった。
 だからぼくは、今日もおじいちゃんのところに通うのだ。

 おじいちゃんは最近足が不自由になってしまった。
 歩けるけどもう走れない。お年寄りだから、転んだりしたら大変なことになる。
 お母さんは、危ないから寄り道しないで帰ってきなさいっていつも言ってるけど。
 それでもぼくは、毎日おじいちゃんの家に寄って帰るようにしている。
 
 あの日、ぼくのヒーローだったおじいちゃん。
 次はぼくが、おじいちゃんのヒーローになりたい。
 困っていたら助けたいし、寂しいときは傍にいてあげたい。

 そう思って地面を蹴る。
 バッタなんて怖くない、バッタなんて怖くない。
 自分に言い聞かせながら、日に日に物騒になってく見知った街並みを駆け抜ける。

 すると程なく見えてくる。
 何度も通ったおじいちゃんの家。
 直したところだらけのボロボロな門構えが目印だ。
 飛び込むようにそれをくぐって、扉を開ける。
 靴なんか入ると同時に放り出して、ぼくは、ただいま、と声をあげた。

8ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:01:40 ID:AFJddyR20

 返事がないのはいつものこと。
 おじいちゃんは無口な人だから。
 言葉じゃなくて、態度で語る。そういう人なんだ、ぼくのおじいちゃんは。
 だからかっこいいんだ。だから、憧れてるんだ。
 今日は学校で面白い話を聞いてきた。
 おじいちゃんにも聞かせてあげよう。笑ってくれたら嬉しいけど、そうじゃなくてもおじいちゃんと一緒なだけで楽しい。
 
 わくわくしながら襖を開けた。
 おじいちゃん! と、元気に声をかける。
 おじいちゃんは布団の上で寝ていた。
 今日は具合が悪いのかもしれない。
 おじいちゃんの寝相が悪かった。
 手と足をあちこちに投げ出して、おまけにヘンな方向に曲がってる。
 おじいちゃんの寝顔が怖かった。
 目も鼻も口も、まるで福笑いみたいになっていた。

 そんなおじいちゃんの周りに、花が咲いていた。
 布団で眠る、たぶん眠ってるおじいちゃんを囲むように花びらが並んでる。
 おばあちゃんのお葬式を思い出した。
 あの時もこうして、眠ったおばあちゃんが花に囲まれてたっけ。
 それに、ほら。
 こうやって、花に囲まれたおじいちゃんの周りで、たくさんの人たちが手を合わせてる。

 いいや、違う。
 人じゃない。
 猿が、おじいちゃんを弔っていた。

 ――ごぼごぼ。ごぼごぼ。
 
 おじいちゃんが、泡になっていく。
 人魚姫の最期を思い出した。
 泡になって消えた、かわいそうな人魚姫。
 おじいちゃんは今、人魚姫だった。
 真っ赤な泡に変わっていくおじいちゃん。
 その周りで跪いて、手を合わせて目を閉じるたくさんの猿。
 その祈りが天に通じたみたいに、おじいちゃんがおじいちゃんでなくなってく。

 ――ごぼごぼ。ごぼごぼ。
 ――ごぼ。

9ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:03:05 ID:AFJddyR20

 音がやんだ。
 泡が割れた。
 布団の上に、赤ん坊がいる。
 おじいちゃんじゃない。
 そいつは、猿の顔をしていた。
 猿の身体をしていた。
 アタマの中の、あの日のヒーローが、猿の顔に変わっていく。
 そこが、ぼくの、限界だった。子どものフリをしてこみ上げるものを誤魔化していられる、限界。
 
 ――あああああああああああああああああああああああああああ。

 叫んでいた。
 走っていた。
 ぼくはヒーローじゃなかった。
 おじいちゃん"だった"モノに迷いもせずに背を向けた。
 弾かれたみたいに飛び出して、足を縺れさせながらそれでも走った。
 
 ――あああああああああああああああああああああああああああ。

 "振り返る"なんて選択肢は最初からなかった。
 
 ――あああああああああああああああああああああああああああ。

 今まで誤魔化していたぶんの恐怖が、一気に押し寄せてくる。
 あの頃に抱いたこの世の答えが時を越えてぼくのところまでやってきた。
  
 弱きを助けて悪を挫く正義のヒーロー。
 そんなもの、テレビの中にしかいないってこと。
 ぼくの生きてる此処は辛くて寂しい現実の世界で。
 だから当然、あの日に誓った使命に背を向けて逃げ出したぼくのところにも、そんな存在なんて来てくれるわけがなくて。

「――――――――あ」

 どんっ。
 と。
 なにかに、ぶつかった。

 顔を上げた。
 猿がいた。


 人間の格好をした、もう一匹の猿がいた。


 ぼくの意識は、そこで途切れた。
 ぐらりと世界ごと頭の中が揺れて。
 その時ぼくの視界に、和室越しに見える庭が飛び込んだ。
 おじいちゃんとキャッチボールをした庭だった。

『……やっと、まっすぐ投げられるようになったな』

 なんだか無性に泣きたくなって、それがぼくの最期の思考だった。



◇◇

10ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:03:55 ID:AFJddyR20

/ヒサルキ


「――それ、城島さんにやられたの?」

 私の顔に貼られたガーゼを見て、水田さんは渋い顔でそう言った。
 私はそれに力なく頷く。浮かべる表情は苦笑だ。困ったように笑う私に、水田さんは肩を竦めた。

「今は何かとうるさい時代だからねえ……。
 昔はああいう暴れる人って、ベッドに縛り付けておしまいだったんだけど」

 水田さんはもう御年六十を超える、うちの施設でいちばんの古株だ。
 彼女の口から語られる昔の常識には、時々思わず眉を顰めたくなるものがある。
 価値観のアップデートという単語が囁かれるようになって久しい現代、倫理観もそれは同じ。
 ましてや人の命を取り扱う介護現場だ。時代の流れと無関係でいられるわけがない。
 入居者を拘束して自由を奪い、黙って天命を待つだけの身にするなど今の時代じゃ基本的にご法度だ。
 私自身、そうあるべきだと、今の在り方こそが正しいと思っている。
 そう思いながらも、右頬に今もひりひりと残る痛みが、現場は綺麗事だけで務まるほど甘い世界じゃないぞと嘲笑うように告げていた。

「……xx団地だったっけ、あの人が此処に来る前住んでたところ」

 介護現場で、入居者から暴力を振るわれるのはそう珍しいことじゃない。
 人間は加齢で壊れる。どんないい人も寄る年波には勝てないから。
 だけど今朝私の顔を殴った"あの人"のは、少しだけ違う気がした。

「独居老人の集団失踪事件があった場所、ですよね」

 現在、東京は〈蝗害〉のニュースで席巻されている。
 異常に凶暴化し、人を襲うようになったナントカってバッタの群れ。
 地図から街を削るように版図を広げるそれの影に隠れて、その事件は存在していた。

 東京都独居老人連続失踪事件。
 都心から離れた団地を中心にして、百人を超える数の老人が姿を消している。
 私を殴った城島さんという入居者は、その被害が多く出たとある団地の出身者だった。
 だから、なのだろうか。彼はいつも怯えている。目に見えない何かが自分を追ってくると、昼夜を問わずに叫び散らしているのだ。

 ――『猿が来る! 猿が来る! カーテンを閉めろ、換気扇を塞いでくれ!!』
 ――『聞こえないのか、この足音が! 私を追ってきたんだ、逃がさないぞとあの猿顔で笑っているんだ!!』
 ――『は、花びらを、両手に、抱いて……猿が来る、猿が来る……! 私を弔いにやって来る……!!』

 猿が来る、猿が来る。
 城島さんは必ずそう言う。

11ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:04:34 ID:AFJddyR20
 認知症を患った高齢者が幻覚や幻聴を聞くのはありふれた事例だ。
 だから私は、怯える彼を諭そうとした。そしたら殴られた。
 なんで分からないんだと顔を林檎みたいに赤くして唾を飛ばすその顔は、それこそ動物園の猿みたいだった。

 ズキン、と腫れの引かない頬が痛む。
 咄嗟に傷を押さえた私を、水田さんは憐れむように見つめていた。
 はあ。ため息を溢しながら、彼女はコーヒーを一口啜って。

「何か見たのかしらね、あの人」
「……不謹慎ですよ。ただの幻覚ですって、きっと」

 溢れた台詞を、私はすぐに諌めた。
 不謹慎と窘めた形だけれど、普段は同僚の冗談にいちいち目くじらを立てるほど真面目じゃない。
 なのにそうした理由はひとつ。私もちょうど同じことを思っていたから、咄嗟に否定してしまったのだ。
 私までそれに同調してしまったら、まるでこの想像が本当になってしまうような気がして、怖かったのだ。
 
 猿が来る。
 独居老人ばかりが消えていく謎の事件。
 猿が追いかけてくる。
 本当に、人間が起こした事件なのだろうか。
 猿の足音が聞こえる。
 老人とはいえ大量の人間を、人目に付かずに消してしまうなんて。
 猿が、来る。
 それは、人間の手で出来ることなのだろうか。
 猿が。
 もし、そうでなかったら、城島さんは"その日"、何を。
 猿。
 何を、見たのだろう。
 猿。

「……あれ」

 自動ドアが開いて、ホームから誰かが出ていった。
 音を聞いて後ろ姿を見やる。少年らしき背格好が遠ざかっていくのが見えた。

「どうかした?」
「いや、面会希望の方って、今来てましたっけ」
「え? 来てないと思うわよ、今は。
 ほら、最近物騒だから。面会なんて一日に何人も来ないじゃない」
「ですよね……じゃあ、今出ていった子って」

 そこまで言って、私達は顔を見合わせた。

12ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:05:11 ID:AFJddyR20
 見落としはない、筈だ。なら不法侵入者の可能性もある。
 今はとにかく物騒な情勢だから、そういう事案には最大限注意しろと所長からも言われている。
 ややあって、ぽつり、と水田さんが言った。

「……ひと通り見回ってみましょうか、一応」
「そうですね。私も行きます」
「まあ、大丈夫だと思うけどね……。ほら、今日は城島さんの件でいろいろごたついてたし。
 私達がたまたま見てないだけで、誰か面会に入ってただけでしょ。きっとそんなとこよ」

 お互い、自分の心に言い聞かせるように。
 芽吹きかけの不安の種に、靴で土をかけるみたいに。
 なにもない、大丈夫、そう言い合いながら廊下へ続くドアを開けた。
 むわり。匂いがした。薬のにおい。包帯のにおい。排泄物のにおい。どれとも違う。

 噎せるような、けだもののにおいがした。

「――きゃあッ」

 水田さんが叫んだ。
 わたしも叫んでいた。
 廊下に点々と、足跡のように小さな欠片が落ちている。
 ヘンゼルとグレーテルは、どうやって魔女の住む森から帰ったんだっけ。
 そうだ。確かこうやって、目印を残しておいたんだ。

「こ、これ、って」

 指差して言う同僚に、私は何も言えなかった。
 錆びついた機械人形みたいに頷くしかできなかった。


 ――――花びらが、落ちていた。


『猿が来るんだ』
『猿が、花を抱いてやって来るんだ』
『私は、逃げてしまった。生き延びてしまった、から』
『私の弔いをやりに来るんだ。礼儀正しい猿が、葬列を作って此処に来るんだ』
『頼む。頼むよ。カーテンを閉めてくれ。隙間を塞いでくれ』
『じゃないと』
『奴らが』
『猿が』


 この日、私達は職を失った。
 もう誰も介護しなくてよくなった。
 だってみんな、逝ってしまったから。
 死にゆく彼らを弔う葬列が来たんだから。
 
 腫れたままの右頬が、寂しそうにズキリと疼いた気がした。



◇◇

13ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:05:41 ID:AFJddyR20

/猿の手



 ちりんちりんちりん。
 ちりんちりんちりん。

 ああ、鈴の音がする。
 お父さんが呼んでる。
 行かなくちゃ――眠い目を擦って、私はソファから立ち上がった。

 私の父は五年前に死んだ。
 だから今、この家にいるのは父の皮を被ったなにかだ。
 大好きだった優しい父は、風呂場で倒れたあの日に天国へ逝ってしまったのだ。
 私はそう信じている。そうでないと、思い出まで汚れてしまうから。
 口からも股からも糞を垂れ流す"あいつ"が、楽しかった家族の時間まで臭い立たせてしまいそうだから。

 家の中が臭い。あいつの糞のせいだ。
 身体が重い。何時だろうとあいつに叩き起こされるからだ。
 具合が悪い。あいつのせいで金がかかって、ろくなものを食べられてないからだ。
 割れた家族写真が埃にまみれて廊下の隅に転がっていた。腹が立って、ゴミ袋にぶち込んでやった。

 ちりんちりんちりん。
 ちりんちりんちりん。
 
 うるさい。死ね。
 呼ぶな。死ね。
 分かってるよ。死ね。
 今行くから。死ね。

 なんであの日に死ななかったんだ。
 そんな身体になってまで生きててどうするんだ。
 いつまで生きる気なんだ。
 いつまで、私の邪魔をするつもりなんだよ。
 ねえ。本当にさ。教えてよ、お父さん。
 私はいつまで、この臭いに耐えればいいの?

 ちりん、ちりん、ちりん。

 ――ああ、死にたい。
 もう、私が先に死んでしまいたい。
 でもそれはできない。あいつがいる限り私は死ねない。

14ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:06:28 ID:AFJddyR20

 生きていたって苦しいだけなのに。仕事も、恋も、遊びのひとつだって出来やしないのに。
 私は今日も生きて、この鈴の音を聞かなきゃいけないんだ。
 『これを鳴らせばお父さん、困った時いつでも私達を呼べるでしょ』。
 そう言って笑った母親は半年も保たずに家を出ていった。新しい男を作ったらしい。本当に死ねばいいと思う。
 今やこの家には私だけだ。しあわせの残骸。好きだったものが嫌いになるだけの日々。延命処置みたいな毎日。
 家族の絆そのものだった鈴の音が、私を縛る鎖になって、今日も私を二階に引きずり上げる。

 ちりん、ちり、ち。

 掃除してないからべとべとする階段を上がっていく。
 所々にこぼれた汚物の染みがある。拭くのも面倒臭くてそのままだ。
 いっそこれで滑って転びでもしたら、私も楽になれるのにな。

 ちり、ち

 うるさい。
 足音も聞こえないのか。
 頭だけじゃなくて耳まで悪くなったのか。

 ち

 黙れよ。
 死んでよ。
 死んでくれよ。
 お願いだから死んでてくれ。

 音がやんだ。

 ――――扉を開けた。


「あ」

 
 花びらに囲まれた、お父さんがそこにいた。
 ベッドの周りに、猿が礼儀正しく跪いていた。
 腰が抜けた。でもきっとそれは恐怖じゃない。
 終わったんだ。やっと終わった。やっと。

 お父さんは安らかな顔をしていた。
 嘘だ。
 口の周りに泡をべっとり貼り付けていたし、首からどくどく血を流してシーツを汚してる。
 ああ、助けてほしかったんだな、って思った。
 助けてほしくてあんなに必死に鈴を鳴らしてたんだと今になって理解した。
 ふへ、と、だらしない声が口から出た。
 笑い声だった。私は、笑っていた。

15ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:07:20 ID:AFJddyR20

「ざまあ、みろ」

 ざまあみろ。
 この疫病神め。
 私から全部奪い去った悪魔め、やっとくたばったのかよ。
 
 ざまあみろ。
 お前が苦しんで死んでよかった。
 最期の一瞬まで怯えながら死んでよかった。
 
 ざまあみろ。
 お前のせいで全部台無しになったんだ。
 お前が病気になんてなったから。
 冬に長風呂なんてするから。熱い風呂が好きだって、いつも馬鹿みたいな温度でお湯を張るから。
 私はずっとやめろって言ってた。結衣は女の子だから分かんないだろうなぁって笑って誤魔化してたのはどこの誰だよ。

「ざまあみろ、クソ親父」

 全部お前の自業自得だ。
 お前が悪い。お父さんが悪いんだよ。
 私はなんにも悪くない。私は被害者だ。辛かった。苦しかった、助けてほしかった。
 今も写真立ての中で笑ってるお前に、ずっと助けてほしかったのに。

 枕元に置かれた鈴はひしゃげてた。
 窓際の家族写真が血で汚れてた。
 血しぶきが、私とお母さんの顔を塗り潰してる。
 お父さんだけは、あの頃のままの顔で笑ってる。

「お父さん――」

 ふへ、へへっ、て、私も笑った。
 あんまり可笑しくて笑いが止まらない。
 脱力してへたり込んだまま腹を抱えた。

「――ごめんねぇ……」

 ああ、猿が見ている。
 弔いが終わったんだろう。
 お父さんは天国と地獄、どっちに逝ったのだろうか。
 分からないけど、私の行き先はきっと決まってると思う。

 葬儀を終えた猿達がゆらりと立ち上がった。
 足に力が入らないが、そもそも入れる気もない。
 私はいつまでも、お父さんの匂いがするこの部屋で笑っていた。
 なぜだか今は、此処から離れたくなかったのだ。



◇◇

16ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:07:46 ID:AFJddyR20

/ノーフィクション


 この世界は、きっと病んでいる。
 誰かがやらなきゃいけないことを、誰もできずに放置してる。
 おれは、改めて、そう思った。
 身体中から血の匂いがする。念のため替えの服を準備しておいてよかった。
 ライブハウスにシャワーはあるだろうか。こんな見た目だけど、おれにも身だしなみを気にするくらいの人間性はある。
 そこまでなくしてしまった人間がどうなるのかを、おれは腐るほど見てきた。
 人間は誰しも病んでいる。きっとおれも、そのひとりだ。

 前にコツコツやっていた時は、せめてもの一線として人を分別していた。
 でも今はそれさえやめた。おれはもう、おやじを殺したじいさんのことを笑えない。
 おれは一線を踏み越えたのだ。他の誰でもない自分自身の意思で、区別することさえやめてしまった。
 倫理を解さず、野生のままに生きる原人のように。今のおれは、ただ機械的に命を奪っては捧げ続けている。

 狩魔さんに譲ってもらった腕時計を見る。
 まだ時間はたくさん、残っていた。
 これならもう数箇所は"狩場"を巡れそうだ。
 老人ホームを襲ったことでだいぶストックは増やせたけれど、兵隊の数なんて多ければ多いほどいい。
 まして空を目指そうとするのなら――天の星に手を伸ばそうとするのなら、尚更のことだ。

 ざく、ざく。
 おれは日の落ちた道を進む。
 どこかで誰かが戦っているのか、大きな地響きを何度か感じた。
 それをまるで日常の一風景のように流しながら、おれはひとつの確信を抱いていた。


 きっとおれは、自分のためにどこまでも醜悪になれる人間だ。


 生きるため、なんかじゃない。
 少なくとも今のおれはそんなことのために戦っていない。
 おれの中にあるのは、きっとこの世界の誰よりもおぞましい欲望だ。
 だってその証拠にほら、目を閉じるだけでもスキップで進むあの娘の姿が浮かんでくる。
 あの子に、逢いたい。あの子に、見てほしい。あの子に、笑ってほしい。

 あの子を、穢したい。
 おれのこの手で。
 おれの力で。
 この世でいちばんきれいな白色を、ドス黒く染め上げてみたいと、おれは今そう思っている。

17ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:08:24 ID:AFJddyR20

 嗤われるばかりだった、ずっと。
 でも今は、誰もおれのことを嗤わない。
 狩魔さんも、悠灯さんも、山越さんも。
 みんながおれを見ている。おれと一緒に戦ってくれる。
 おれの存在が、あの人達の未来を支えている。

 ――口が歪むのを、おれは感じていた。

 なんて、気持ちいいんだろうか。
 ああ、おれはそう思っている。
 "気持ちいい"と、そう感じてしまってる。

 人に頼られるのは気持ちいい。
 期待してもらえるのは、気持ちいい。
 誰にとっても無価値でない人生っていうのは、こんなにも清々しい気持ちにさせてくれるのか。
 胸が躍る。わくわくする。あの少女も、祓葉も、こういう気持ちでスキップしていたんだろうと思う。
 あの子が、おれの人生を始めさせてくれた。
 あっちがおれのことを知らなくても、それだけは絶対に間違いなんかじゃない。
 あの子の光が、どん底の、奈落のおれを照らし出したんだ。
 潜むことをやめた奈落の虫は今、こうして地上に這い出して獲物を貪りいつか来る躍進の時を待っている。


 やるよ。
 狩魔さん。
 おれ、やってみせるよ。
 あんたのために。そして何より、おれ自身のために。



 おれが――――"みんな"の神さまを、犯(ころ)してやる。



 ……足を止めた。
 看板の字を読む。
 "児童養護施設・冬ごもりの家"。此処だ。地図の通りだ。

 柵は閉まったままだったけど、関係ない。
 別に、おれが入らなきゃいけない理由はないんだから。
 おれがやるべきことはひとつだけ。
 すう、と息を吸う。そして命じるのだ、"こいつら"の長として。
 仮初めでもいい。利害の一致でも構わない。
 それでもこの手に刻印がある限り、今はおれが、おまえたちの王さまだ。

「弔いの時間だ、バーサーカー」

 ――殺し、弔え、存分に。おまえたちの途絶えた血脈を此処に紡げ。
 これは猿の葬列だ。救われぬものに救いの手を差し伸べる、古代の慈悲だ。
 おれがおまえたちを助けてやるよ。どこにもいけない、無価値な、おまえたちを。

 水溜まりに、おれの顔が写っていた。
 黄ばんだ歯を剥いて笑う、猿の顔がそこにはあった。
 バーサーカー達はこんな顔はしない。そんな気がした。
 とすると、やっぱりおれは原人なのだろう。
 この世でたったひとりの、どこにもいけない、覚明ゲンジという醜い猿。
 それはおれがどれほど汚い生き物なのかを突き付けるみたいな"真実"だったけど。
 自分が醜くて汚いなんてこと、誰よりおれ自身がいちばんよく知っていたので、やっぱりなんとも思わなかった。

18ノーフィクション ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:08:53 ID:AFJddyR20



【文京区・児童養護施設/一日目・日没】
【覚明ゲンジ】
[状態]:疲労(小)、血の臭い、高揚と興奮
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:3千円程度。
[思考・状況]
基本方針:できる限り、誰かのたくさんの期待に応えたい。
0:祓葉を殺す。あいつに、褒めてほしい。
1:ネアンデルタール人の複製を急ぐ。もう、なりふり構うつもりはない。
2:ただし死なないようにする。こんなところで、おれはもう死ねない。
3:華村悠灯とは、できれば、仲良くやりたい。
4:この世界は病んでいる。おれもそのひとりだ。
[備考]
※アルマナ・ラフィーを目視、マスターとして認識。

【バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)】
[状態]:健康(残り101体)、一部(10体前後)はライブハウスの周囲に配備中
[装備]:石器武器
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:今のところは、ゲンジに従い聖杯を求める。
0:弔いを。
[備考]
※老人ホームと数軒の住宅を襲撃しました。老人を中心に数を増やしています。

19 ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 17:09:20 ID:AFJddyR20
投下終了です。

20 ◆0pIloi6gg.:2025/02/20(木) 20:47:28 ID:AFJddyR20
すみません、ネアンデルタール人の宝具の仕様を忘れてました。
計算式上人数が増えすぎなので、wiki収録の際に修正しておきます。

21 ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:38:46 ID:yt3bXvYw0
投下します

22Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:40:59 ID:yt3bXvYw0










 ――――私は、木星にはならない。












23Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:42:01 ID:yt3bXvYw0




「せ〜のっ! 祝!! ロキくん大っしょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜りっ!!!」



 ぱかん、ぱかん、ぱかん。
 天枷仁杜の号令を合図に、明るい室内にクラッカーの軽快な破裂音が連鎖する。
 容器から飛び出した七色の紙テープと紙吹雪が宙を舞い、豪奢なリビングに華々しい色を加えた。

 伊原薊美は無表情のまま、隣に立つ高天小都音から一拍遅れて、手元の紐を引っ張った。
 ぱかん。軽い振動と少し大きめの音。
 ほんのりと鼻につく、火薬の匂い。

「やっぱりロキくん超最強! 流石はわたしのサーヴァント〜〜!!」  

 相変わらず緩い調子の仁杜が無邪気な歓声を上げている。
 とろんとした声音の向かう先、彼女の隣には常通りの従者、スーツ姿の金髪美青年。
 ウートガルザ・ロキが、『MVP』と書かれたタスキを肩に掛けつつ、それでも優雅な立ち姿でマスターの称賛に応えていた。

「だろ〜? でもさぁ、にーとちゃん、ちょっと違うぜ。俺の勝利じゃあない」

「ふえ?」

「"俺達の勝利"、だろ?
 俺の勝ちは、にーとちゃんの勝ち。
 いつだって俺達は最高の運命共同体(パートナー)、なんだからさ」

「……え、えへ、えへへへへ〜〜〜〜、ふぇへへへ……。
 そ、そうかなぁ〜〜〜でも、そうだよねぇ〜〜〜。
 わたしも今日はすっっっごく頑張ったもんねぇ〜〜〜」

 スイートルームの中央、ゆったりとしたソファの上で、バカップルがじゃれている。
 『MVP』と(ニートの手書きで)書かれたタスキを今度は二人一緒にかけながら自撮りしている。
 平和を通り越して間抜けに近い、壮絶な戦闘の直後とは到底思えない、緊張感の欠片もない光景だった。
 薊美は呆れながらも、それを表情に現すことはない。
 床に散らばった紙テープを拾い纏め、ゴミ箱に放り込みながら、ここに至る経緯を思い返す。
 
 この東京で目下最大の脅威とされていた蝗害と、奇術王の直接対決を終え。
 始まりの六人が一人、楪依里朱との交渉に成功した彼女らは一旦、落ち着ける場所で休息を取ることとなった。
 正確には、『疲れたから帰りたい』とか、『祝勝会したいなー』とか言い始めた仁杜を小都音が上手く諌めながら誘導するような流れで。

 戦闘の余波で壊滅的な被害を受けた代々木公園近郊から離れ。
 渋谷に残された無事な都市区画の中で、最も高級なホテルにチェックインしたのが30分程前のこと。
 その時にはもうすっかりと日は沈みきっていた。
 現在、ここはホテル15階、最上階のスイートルームにて、仁杜曰く"ささやかなパーティー"が行われている。

「ね〜、ことちゃん」

「なに?」

「お酒飲んでいい?」

「駄目」

「いいよね〜? わたし、今日はいっぱいがんばったもんね〜?」

「駄目、帰るまで我慢しなさい」

「ねぇ〜〜〜〜ロキくぅ〜〜〜ん、ことちゃんが意地悪するよぉ〜〜〜〜」

「おお可哀想に……ほぉら、たんとお飲み……」

「やったあロキくんすき〜!」

「ああっ! ちょっと、コラ勝手に酒を与えるな……!」

 ロキが一つ指を鳴らせば景色が変わる。
 だだっ広いスイートルームの中央、ソファの傍らのテーブルに、大量の酒缶とお菓子が置かれていた。
 一体いつの間に調達していたのだろうか。

24Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:42:42 ID:yt3bXvYw0

「んぐ、んぐ、んぐぐ……ぷはぁ〜〜〜〜〜! 美味し〜〜〜!
 えへへ、ゴメンね〜ことちゃん。もう飲んじゃった」

「……一缶までだからね。
 そんなに強くないクセに、いっつも調子に乗って気分悪くなるんだから」

「わかってるよお〜。ほらほら、ことちゃんもこっちきて。
 一緒に飲もうよ、お祝いなんだから!」

 薊美は辟易していた。緩い。あまりにも、緩みきっている。
 目の前の人間が、渋谷の街を地獄に変えたマスターの片割れとは到底信じ難い。
 最初に会った時から一貫して、天枷仁杜は俗な人間だった。
 自分に甘く、環境に甘えている。成人を過ぎても社会の規律に適応できない、酷く幼稚な人間性。
 そんな彼女が、今、こちらを見ている。

「薊美ちゃんも、今日はホントにありがとねっ!」

 とろんとした視線が、薊美に親愛の念を送ってくる。
 どうしようもない駄目人間。そういった評価は揺るぎないのに。
 なのに薊美は今、彼女から目を離せないでいる。
 最初に会った時から、取るに足らないと、ただの情けないニート女だと、切って捨てることが出来ずにいる。

 初対面の時よりも、彼女の存在に視線を引き寄せられている気がする。
 彼女の言葉に、意味を見出そうとしてしまっている。
 そんな兆候にこそ、不快感を覚えている。

「ありがとね。みんなが協力してくれたから、今日は戦いに勝って―――」

 散々踏み潰してきた者達のように、潰すまでもなく置き去りにしてきた有象無象のように。
 無視することができなくなっていく。
 その違和感。その予感。危機感。錯覚ではなかった。
 薊美の感覚に、今はもう、明確な裏付けが存在しているのだから。
 
「新しい仲間が増えたんだよ」

「―――はあ?」

 先程のクラッカーとは対象的な、低く重たい音が響いた。
 発生源は部屋の隅に置かれたベッドの上。

「仲間ってそれ、誰のこと言ってるわけ?」

 そこに横たわる異様な風体の少女。
 白と黒のツートンカラーで統一された服装の。
 その袖の先、握られた拳が上質な壁紙を殴って凹ませている。

「い、いーちゃん、起きてたんだ」

「敵地で寝れるわけないだろ、バカニート」

 蝗害の魔女。
 壁に背を付けた状態でベッドから半身を起こした楪依里朱が、険しい表情で仁杜を睨み据えていた。
 彼女がここに居る事実こそ。
 天枷仁杜の成した奇跡であり、薊美が以前から抱えていた違和感に対する答えでもあったのだ。

「私、言ったよね? あんた達とは直接組むわけじゃない。
 あくまで祓葉(あのバカ女)を殺すまで、優先順位を下げてやるだけだって。
 それを言うに事欠いて仲間? なに勝手に既成事実作ろうとしてんの?」

「……で、でも、いーちゃん暫くは一緒に行動してくれるって言ったし。
 その間はほら、仲間って言っても間違いじゃないと言いますか……言葉のあやといいますか……」

「この際だからもう一回、はっきり言っとくけど。
 あんた達全員、私の邪魔になるようなら、やっぱりすぐにでも殺すし、そうじゃなくても最終的には結局殺す。
 だから今も、敵同士ってことに変わりはないから」

「うぅ……でもぉ……」

「なに? まだ文句あんの?」

「ないです……」

 7つも年下の不良少女にドスの利いた声を投げつけられ。
 ついさっきまで上機嫌だったはずの仁杜は、みるみる小さく情けなくなっていく。

「――そりゃあ、確かにな」

 そんな仁杜をフォローするように、ロキがさり気なく前に出た。

「君を仲間だなんて思ってるのは、優しい優しいにーとちゃんくらいなもんだろう。
 だから君の認識の方が正しいだろうけど。俺の前で嘘はやめとけ。
 出来ないことは言わないほうがいいぜ」

「はあ?」

「邪魔になるならすぐ殺す? そいつは無理だろう。
 君のサーヴァントじゃあ、俺には勝てなかったんだから。
 万全な状態ですら手も足も出ず負けたのに、今の有り様で勝負になると思ってる?」

 魔女の殺意が増大する。それでも今は、怒りが解き放たれることはない。
 ロキの言ったことは的を得ている。賭けに勝利したのは仁杜、それは事実。
 イリスは治療中の腹部に手を当てたまま、悔しげに歯噛みする。
 高乃河二に負わされた怪我が治るまでは、どれほど気に食わくとも彼女はここに留まるしかない。

25Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:44:00 ID:yt3bXvYw0

 薊美も当然、蝗害の魔女と対等な仲間になったとは、これっぽっちも思っていない。
 そんなお花畑な考えを持っているのは、ロキの言う通りこの場で仁杜だけなのだろう。
 イリスとはあくまで一時休戦の協定を結んだだけ。
 神寂祓葉という圧倒的脅威の存在を前提にした、一過性の不戦条約にすぎない。

 それでも始まりの六人が一人、蝗害の魔女との交渉を成功させたこと。
 一過性の協定を結んだこと自体が、信じ難い快挙である。
 それを正しく認識していないのも、この場では仁杜だけだ。
 彼女の他の誰も、数時間前まで、このような状況を想像もしていなかった。

「てめえこそフカしてんじゃねえよ、イキリ野郎ォ」

 ざらついた男の声が響く。
 ぶヴ、と。スイートルームには似つかわしくない、野性的な蟲の羽音が鳴る。
 イリスの肩に、いつの間にか一匹の飛蝗が乗っていた。
 それは腹の大きな、日本に生息するはずのない種。
 
「言った通り、今回は負けを認めてやる。
 が、話盛ってんじゃねェよ。何が"手も足も出ず"、だ。
 じゃあ、てめえの手の具合はどうだ? 見せてみろよ色男」

 イリスのサーヴァント。
 蝗害、シストセルカ・グレガリアが如何なる嫌がらせを行ったのか。
 ロキを除いて、その場の全員が視認できていなかった。
 ヴヴ、ジジ、と。不快な羽音に紛れ、一瞬だけロキの右腕が歪み、そこに貼られた幻術(テクスチャ)が剥がれ落ちる。

「ロキくん、その火傷……!」

「どうってことない。傷の内にも入らないさ」

 息を飲む仁杜に、奇術王は朗らかに笑いかけながら幻術を貼り直す。
 笑顔のまま、イリスの肩に乗った虫へと殺意を放つ。

「今すぐ絶滅したいならもっと素直に言うといい。望み通りにしてやるよ」
 
「カリカリすんなよ。メスにいいトコ見せてえのは分かるがよ。素直な方が可愛げあるぜ」

「……ライダー、うるさい」

 そこで、ひりつきかけた空気を断ち切ったのは、意外にもイリスだった。

「こっちは腹痛いのに、耳元でキモい羽音聞かせないで」

「はいはい、仰せのままに。俺は省エネモードを継続しますよっと」
 
 飛蝗は少女の肩の上で丸まり、そのまま黙する。
 事実として、流石に無傷でとはいかなかったものの、奇術王は蝗害に勝利した。
 高乃河二や琴峯ナシロのような様々な変数は存在していたし、最後までサーヴァント戦を続ければ、どうなっていたかは分からない。
 しかし、此度の戦いの結果についてのみ言えば、ウートガルザ・ロキは勝ったのだ。

 ロキは強い。
 そう語った天枷仁杜の言葉に、なんら偽りも誇張も無かった。

 薊美とて、その戦場跡を自分の目で見た以上、認めるしかない。
 蝗害と正面から激突して勝ち得る。
 ウートガルザ・ロキは、紛れもない特記戦力だったのだ。
 そして此度の戦闘結果は、単にサーヴァントが優れたるのみを示すのではない。
 彼のマスターである天枷仁杜の異様さをも浮き彫りにする。

26Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:44:33 ID:yt3bXvYw0

 万全なる蝗害に加え、複数のサーヴァントを相手取って勝利した。
 あまつさえ、蝗害の魔女に令呪すら切らせた。
 そこまでの戦果を上げて尚、天枷仁杜(マスター)にはまるで消耗した様子が見られない。
 
 もしロキのマスターが薊美であったなら、何度干上がってしまうか想像もつかない規模の膨大な魔力が、一度に吸い上げられていたはずだ。
 それを仁杜は今も、汗一つかいた様子がなく。『ちょっとお腹すいちゃったなあ』と呑気に言う程度。
 もはや才能などという枠には収まらない。常識を遥かに超越した、底なしの魔力保有量。
 そして狂気に灼かれた者との対話を実現してみせた精神性をもって、彼女は不可能を可能にしたのだ。

 既に、違和感は確信に変わっている。
 天枷仁杜は、異様だ。
 神寂祓葉とは似て非なる、特異点。

 視線を、引かれる。
 無視できない。
 気に食わない。

「とにかく、私は動けるようになったら、すぐにここを出てく。そういうことだから」 

 しゅんとする仁杜に向かって、イリスは苛立った様子で言い放った。
 一方的に会話を打ち切って、誰からも視線を外し、ベッドに身体を横たえながら壁を睨みつけている。
 あからさまな拒絶の姿勢。

 しかし薊美には分かる。
 先ほど、彼女との短い交流を経て、理解を深めた今であれば。

 イリスの意識は今、2つの場所に向いている。
 彼女を苛立たせる存在へと。

 一つは彼女が引きずり続ける未練。
 そしてもう一つは今、眼の前に鎮座する異様な社会不適合者。
 どちらに比重が寄っているのか、薊美にとっては、それ自体は別にどうでもいい。

 不貞腐れた様子の少女を見る。
 勘の良いイリスはすぐに薊美の視線に気づき、しかしもう視線が返されることはない。
 楪依里朱は、伊原薊美を見ていない。
 先程の問答を通して、既に興味が失せたと言わんばかりに。
 
 薊美は新鮮な怒りとともに思い出す。
 ほんの30分程前、魔女と交わした、短くも不愉快なひと時を。








27Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:46:10 ID:yt3bXvYw0

 ほんの僅かな時間に交わされた、二人のやり取り。 
 当事者を除き、それを聞いていた者はいない。


「あなたの"お友達"について聞きたいんです」


 その話題が楪依里朱にとって、剥き出しの地雷であることは理解していた。
 だからこそ、薊美は戦いの直後に投げかけたのだ。
 腹部を押さえ、公園のベンチにもたれた少女に、逃げられない問いを突きつける。


「神寂祓葉って、いったい"何"なんですか?」


 それはある意味、この聖杯戦争における根源的な問いかけなのかも知れなかった。
 生き残るためには、勝利するためには、決して避け得ない問い。
 この物語の誰にとっても、いずれ向き合わざるを得ない命題。

 最強の主人公。
 主役の椅子に座る者。
 戴冠を済ませたラストボス。
 
 物語の筋を書き換えるために、超えねばならぬ極点の考察。
 伊原薊美が到達したのは、ある意味必然の流れであった。
 なぜなら薊美は、主役で在ることを望んでいる。
 ずっと主役であった少女は、そう在り続けることを希求している。

「―――へえ、あんた、あいつを知りたいんだ?」

 だから薊美には分からない。
 眼の前の少女が、なぜそんな嘲笑を浮かべたのか。

「私を通じて、あいつを知って、理解した気になって、それで?
 あんたは、どうしたいわけ?」 

「超えなければならない。そう思っています」

「……超える? あんたが? あいつを?」

 楪依里朱のリアクションは、薊美にとっては少し意外なものだった。
 怒りを剥き出しにするか、相手にされないか、そんなところだろうかと。
 しかし一瞬、急速に膨らんだ殺意が徐々に抑えられ。
 次に現れた表情は冷たくも、どこか憂いを含んだ、それは、まるで―――

「ええ、私は、太陽に勝たなければならない。ある人にそう言われました。
 そして今日、実際に私自身の目で見て、確信しました」

 脱出王に齎された啓示。
 それが事実であることを。
 伊原薊美は、太陽を殺さなければならない。
 投げ返された問いに、薊美は逃げずに立ち向かう。

 ずっと主役であるために。
 少女が、茨の君として咲き続けるために。
 薊美の人生が、薊美のモノであるために。
 我が物顔でその椅子を独占する存在を、生かしておけるわけがない。

 太陽を、堕とさなければならない。
 誰もが避け得ぬ命題に、少女はおそらく、新しく招かれた星の中では、最も早くたどり着いた。
 非凡なる才覚の証明。何も間違ってはいない。まっすぐに、彼女は目的のために進み続けている。
 なのに、なぜ、

「なるほどね。あんた、そのタイプか」

 目の前の存在は憐憫を湛えているのか。

「じゃあ教えてあげる。あいつは――――」

 薊美は困惑した。イリスは憂いている。
 何を、誰を、意味のない問いかけだ。
 この場には二人しかいないのに。

「世界で一番、クソみたいな女」

 イリスは苦く、苦く、それを言葉にする。
 苛烈な怒りを秘めた瞳のずっと奥に、僅か、過ぎ去った春の残穢を映し。
 複雑にねじ曲がった狂気の発露。薊美はそれに寄り添うつもりも、理解する気もない。

「クソみたいな太陽。クソみたいな光。クソみたいな……星」

28Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:46:39 ID:yt3bXvYw0

 だけど、理由が分からなかった。
 なぜこの女は、今、哀れむような目で薊美を見ているのか。

「で、あんたはそういう星に灼かれ始めたわけだ」

「なに、を……!」

「……はっ……違うって? でもその様子じゃあ、遅かれ早かれでしょ」

 ふざけるなよ、と。あまりの侮辱に、総身が震える。
 この女はなんと言った?
 灼かれている? 誰が、誰に?
 思わず会話を打ち切りたくなるほどの不快感に、吐き気すら込み上げる。

「似たようなケースは前にも見たよ。あんたみたいな、自分は特別だって自惚れてるようなタイプが、一番分かりやすく嵌まるんだ。
 あいつは別に、見たやつを片っ端からおかしくするような、分かりやすい災害じゃない。
 もっとタチの悪いクソ女。上等な奴ほどあいつを軽んじて、賢い奴ほど深入りして、強い奴ほど致命的に壊れてく。
 どいつもこいつも自分だけはあいつの特別になれるって、対等で在れるって、馬鹿みたいに錯覚するんだ。
 そうやって、おかしくなってるコトに気づけもしない」
 
 それはいつか本人にも語った理論。
 気まぐれな太陽の熱波にはムラがある。
 予後は受け手の気づかぬうちに侵食を続け、気づいたときには既に。

「それにつけて、あんたはなに? あいつをもっと知りたいって?
 太陽を超えたいって? 自分だったら、あの星に並び立つ存在になれるって?
 典型的な初期症状だよ。対処法なんて、なるべく関わらないようにする他ないってのに」

 まるで罠のような二律背反。
 聖杯戦争を勝ち残るために、世界の中心、神寂祓葉を知ることは避け得ない。
 しかし、誰も気づくことが出来ないのだ。
 神寂祓葉を知ろうとする行為こそが、破滅の始まりなのだと。

「まあ、もっとも―――あいつの関心がそっちに向いたら、何したって全部意味ないんだけど」

 そして、そもそもの話、この現象は受け手の心構えでどうこう出来るものではない。
 気まぐれな太陽の目に捉えられてしまっては、その注目の対象になってしまっては、抵抗など無意味だ。
 太陽を見てしまったら、失明してしまう。太陽に見初められてしまったら、燃えてしまう。
 辿る末路は一つだけ、かつて壊された六人のように。

「その点、未だに興味すら持たれてないあんたは、まだ運が残ってる。よかったね。
 あいつに関係ない場所で、自分を保ったまま死ねるなら、その方がよっぽど幸福だから」

 気づけばまた、血が滲むほど拳を握っていた。
 世界の中心に立つ少女は、伊原薊美を見過ごしている。
 それは耐え難い屈辱だった。
 
「ていうかさ、あんたあいつに勝ってどうすんの?
 あれでしょ、どうせ、『あいつになりたい』とか、『あいつの椅子に座りたい』とか?」

「―――違う」

 だけど、それだけは、それだけは絶対に、否定せねばならない。
 この女にも、己自身にも。
 絶対に違う。そんな事は、ありえない。
 主役に成り代わりたいわけではない。徹頭徹尾、今だって伊原薊美は主役なのだ。
 それを、証明するために殺すのだ。

「あっそ。だけど分かってる?
 あいつを基準にしてる時点で、あんたの軸はあいつになってる。
 自覚も無いなら、今度こそつける薬もないよ。
 ご愁傷さま。今日、あの喫茶店で、あんたは捕まったんだ」
 
 だけど、その言葉を無視できない。
 流すことができない。一つだけ、認めざるをえなかった。
 あり得ないことが起こっていた。

 それは今日まで一度も無かったこと。
 お父さんが望んでくれた"絶対なる己"以外の何かを、基準に思考していた。

 "神寂祓葉という尺度"を知ってしまった。
 それこそが、伊原薊美に発生していた異常の原因だったとすれば。

「ま、別に驚かないよ。私はそういうの、もう六回も見てきたから」

 ああ、又聞きの話をカウントすれば七回かとハナを鳴らして。

「あんたはここじゃ、八人目になるだろうってだけ。
 だからさ、あんまり気に病まなくてもいいんじゃない?
 あいつに頭をやられるとか、なんにも特別なハナシじゃないし」

 それが一番、薊美の心に刺さると知ってか。
 白黒の少女はやけに意地悪く、せせら笑って言い切った。

「そんなの別に、"普通のこと"なんだから」





29Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:49:49 ID:yt3bXvYw0

 スイートルームには広めのベランダが備えられていた。
 ホテル最上階、約42メートルの高度からは渋谷の街が一望でき、花火シーズンには予約が殺到するという。

 ベランダに出た薊美はゆっくりと引き戸を閉めた。
 喉を開いて深呼吸。新鮮な外気を吸い込むと、今までいたリビングルームの空気がどれほど淀んでいたのかよく分かる。
 涼しい春の夜風が首筋を撫でるように通り過ぎていくのを感じながら、落下防止柵の近くに佇む先客に声をかけた。

「ここにいたんですね、高天さん」

 ベランダから街を見下ろしていた小都音が振り返る。
 月明かりが逆光になっていて、その表情は伺えない。

「っと、薊美ちゃんか。
 ……ごめんね。にーとちゃんの相手任せちゃって」

「別にいいですけど、できれば早く部屋に戻ってくださいね。
 あの人、高天さんが見てない隙に、こっそりお酒を追加しようとしてますよ」

 背後のリビングルームでは、どうやら酔っ払った仁杜が懲りずにイリスにちょっかいをかけ、案の定一悶着始まってしまったようである。
 巻き込まれたくもないので薊美も暫く絡むつもりはない。

「やっぱりそうか、まったく……お酒隠そうかな」

 と、小都音も部屋の方を一瞥するも、動く気配はない。
 その様子を見るに、彼女は薊美の意図を察しているようだった。

「……セイバー」

 証明するように、彼女は一度、己が従者を呼ぶ。

『心配しなくても、ここにゃバッタの耳はねえよ。
 もし虫が近くに這い出てきたら、教えてやっから心配すんな』

 薊美にも聞こえるように、トバルカインの声が一瞬だけ交信されて。
 ようやく、本当の意味で二人の会話は始まった。

「それでどうしたの? 薊美ちゃん」

「いえ、一番話したかったことは、単なる報告です。
 ライダーが念話の圏内に入りました。
 無事に戻るようなので、あと少ししたら私は一度、フロントまで出迎えに行こうと思います」

「分かった。それじゃ、その時は私も部屋に戻るよ。
 にーとちゃんのお目付け役がいなくなっちゃうし」

 先ほど、薊美のサーヴァント、ジョージ・アームストロング・カスターからの念話が届いた。
 追撃を終え、もうすぐ帰還するとのことだった。
 まずは、単なる連絡を終え、そして本題に移る。

「……それで、楪依里朱のことなんですが」
 
「あー……まあ、その話だよね」

 この件については、同盟関係の三者ではなく。
 二人だけで話し合うべきだと考えていた。

「このままにして良いんですか?」

 薊美はちらりと部屋の方を見た。
 経緯は一切不明だが、イリスが仁杜の頭に握りこぶしを当て、グリグリと捻っている。
 仲良くじゃれている……ようには残念ながら全く見えない。
 少なくとも仁杜は本気で半泣きにされていた。

「暫くは大丈夫じゃないかな。にーとちゃんも今かなり調子乗ってるし。
 少し凹まされるくらいが丁度いいかも。本気で危害を加えようとしたらキャスターが止めるだろうし」

「いや……そういう話ではなく」

「…………」

 はぐらかそうとする小都音の目を真っ直ぐに見つめ、薊美は抱えた疑問をぶつけている。
 楪依里朱のスタンス、仁杜との関係、そういった問題よりも根本的なことだ。
 それはつまり、

「どうして殺さないのかって話?」

「ええ」

「はっきりさせたいんだね。薊美ちゃんは」

「誤魔化しても、しょうがないですから」

30Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:50:51 ID:yt3bXvYw0

 始まりの六人。その一人。
 東京を現在進行系で恐怖のどん底に叩き落としている蝗害の魔女。
 聖杯戦争における最大戦力と目されていた怪物、そのマスター。
 彼女との交渉に成功し、当初の目的であった協力関係こそ拒否されたものの、休戦協定を結んだこと。
 
 それは彼女たちが掴んだ成果である。
 しかし、その実、彼女たちは当初の目標よりも、遥かに大きな成果を得ていたのだ。
 
「確かにね。しょうがないか」

 その事実に、やはり仁杜だけが気づいていない。
 彼女が成した成功、彼女がいなければ在り得なかった奇跡でありながら。
 彼女だけが、現状を正しく認識していない。

「今なら、私たちがその気になれば、蝗害を殺せる」

 戦闘の結果、楪依里朱は魔力の枯渇と強烈な痛手を負った。
 やがて、自身の治癒魔術で傷は癒え、サーヴァントの出力も、時間の経過によって取り戻すことだろう。
 しかし今だけは、あと少しの時間だけは、著しい弱体化を余儀なくされている。

 休戦と言ってもやがては殺し合う仲。それはイリス自身が語った通りだ。
 多少協力できたとしても、癇癪激しい蝗害の魔女とまともな連携を取る事など至難を極める。
 やはりどう考えても、生かすにはメリットよりも将来的な危険が上回る。
 そのうえで今、殺せるならば、やらない理由が無い。冷静に、冷徹な判断を下せば、そうなる。

「と言っても、仁杜さんには……聞くまでもないですね」

「だね、にーとちゃんには、そんな選択肢すら浮かんでないと思う」

「でもあなたは違うでしょう。高天さん」

 過去の経緯が証明している。
 なぜなら、あの喫茶店で彼女ら二人は一度、同じ結論に至っている。
 太陽の如き少女と白黒の少女の相克を見、『こいつらは、ここで殺すべきだ』と。
 その判断が一致したからこそ、彼女らは手を結ぶに至ったのだから。

「薊美ちゃんと同じこと、確かに私も考えたよ。
 付け加えるとセイバーにも同じこと言われた。
 『首を刎ねられる内に、とっとと刎ねとけ』って」

「それなら……」

「でも、今は、そういう気にならないかな」

 だからこそ、小都音の答えは薊美の予想とは違っていた。

「……意外です。あなたは"こっち側"だと思っていましたが」

 高天小都音は、どこかの誰かのように、夢見がちな女ではない。
 しっかりと現実を見て、情に流されず冷静な判断を思考できる人間。
 そのうえで、彼女の望みがもし、薊美の想定通りなら。
 自身と仁杜に危険を及ぼす存在に対し、冷静に対処するだろうと読んでいたのだが。

「買いかぶり過ぎだよ。私は凡人、普通の人間。
 薊美ちゃんみたいに、合理的に動けてない」

「理由を聞いてもいいですか?」

「……あの子がここに居るのは、にーとちゃんが努力した成果だから。
 さっきはああ言ったけど、普段を知ってる身からすれば、今日のにーとちゃんは本当に頑張ったと思うんだ。
 自分から電話して、自分から外に出て、自分から誰かの手を引っ張るなんて。
 ちょっと驚いちゃった。あんまり褒めるとまた調子乗るから本人には言わないけど」

 だからその結果を、踏みにじるような事はしたくない、と。
 
「そうですか」

 腑に落ちない点も幾つかあったが、一応の納得は得ることが出来た。
 確かに、合理的に考えられることと、合理的に行動できる事は違う。

 常識外の理論で生きているわけではない。
 さりとて、合理の思考のままに行動出来るわけでもない。
 合理と非合理の狭間で揺れる、そう考えれば、確かに普通の人間、中庸の存在の典型に思える。

「分かりました。私も、これ以上は言いません」

「薊美ちゃんも、納得してくれたってこと?」

「2対1ですからね。集団行動をしている以上、私も決定に従います」

「そっか、ありがと」

 ほっとした様子で肩の力を抜く小都音を観察する。
 やはり、この女性からは何も感じない。
 人間としても、マスターとしても、何もかも平均的なステータス。 

 思えば、ベランダに出た直後に見えた、彼女の姿勢。
 見間違えでなければ、瞳を閉じ、手を合わせていた。
 
「話は済みました。そろそろ私はエントランスに降りますね。
 ライダーが戻ってきますので」

「うん、私も部屋に戻るよ」

 ベランダから見下ろせる渋谷の夜景。
 一区画が、ポッカリと巨大な穴の空いたように闇に包まれている。
 その周囲一帯が停電しているのだ。
 言うまでもなく、先の戦闘でロキと蝗害が暴れまわった地域である。

31Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:55:04 ID:yt3bXvYw0

 防音設備の整った室内は静かで快適な空間だったが、一歩外に出ると、夜の街はけたたましい混乱の声とサイレンの音に包まれている。
 幸せな夢の外側で、今も関係のない誰かが、何処にも届かぬ悲鳴を上げている。
 失われた大量の罪なき命を、天枷仁杜は顧みず、今も自らの世界の範疇で微睡んでいる。
 薊美もまた、舞台装置のモブの死に心を痛める感性は持っていない。

 しかし小都音だけは違っていたようだ。
 特異点の感性に付き合いながら、彼女は失われた人命に憐れみと罪悪感を覚えている。
 合理と非合理の狭間で生きている。
 そういう意味では、彼女の感性は自身が語るように、実に凡庸なのだろう。

 焼き尽くす太陽や静かに照らす月のような、非凡なる何かを見出すことは出来ない。
 目の前に居るのは主役たり得ぬ、主役を目指す自我すらない、普通の人間。
 それを確認して、踵を返そうとしたときだった。 

「―――そういえば、情報収集は上手くいきそう?」

 背中に刺さった声に、足が縫い止められた。

「……なぜ?」

 何をもって気付いた。
 小都音と仁杜には、『ライダーを高乃河二と琴峯ナシロの"追撃"に向かわせた』とだけ話した。
 何ら嘘ではない。殺害も視野に入れた深追い、しかしより優先して命じた内容を伏せている。
 ライダーには敵対した二人のマスターの殺害よりも、"今後の為の情報収集"、ある種の交渉を命じていたのだ。
 その今後とは、小都音達との決別の可能性をも視野に入れたもの。
 別に今すぐの裏切りを決めたわけではない、将来の様々な状況を想定して打った一手。ボロは一つも出していなかった筈なのに。

「だって、私があなたならそうする」

 推理の手法は実にシンプルだった。

「状況が変われば、敵も味方も変化する。
 今の私たちはあのシスターの女の子より、楪依里朱を選んだけど、あの子達の力を借りなきゃいけないタイミングも来るかも知れない。
 だから白状するけど、私もあの時、セイバーにはなるべく殺さないように頼んでた」

「さっきの話はなんだったんですか。
 充分……合理的に、強かに行動してるじゃないですか」

「まあ、凡人なりに、ね。
 合理的じゃなくても、できる限りにーとちゃんの意思は尊重してあげたいと思う。
 でも、そうじゃない分野については、にーとちゃんが考えない分、私が現実を見てあげないと」

 薊美はもう一度、高天小都音と向き合い。
 その姿をまじまじと見た。

「だから別に、薊美ちゃんを責めようとか、追求しようとかそういうわけじゃなくて」

 夜の街を背に立つ姿。
 その表情はやはり、逆光になっていて見えないけれど。

「今のうちに、一つだけ伝えたいことがあったんだ」

 何度見ても結果は変わらない。
 高天小都音は普通の人間だ。本人はそう語り、薊美もそう見る。

「もしも、この先、薊美ちゃんがにーとちゃんを信じても良いって思える時が来たなら。
 その時は、一時の同盟じゃなくて、本当の意味で、私たちの仲間になってほしい」

 けれど、彼女の背後には月が昇っていた。

「まだ、にーとちゃんにもきちんと話せてないんだけどね。
 私は……もし出来るなら、にーとちゃんと一緒に帰りたいって思ってる」

 東京を見下ろす、巨大な月。
 青白く透明な光が、柔らかな輝きを振り撒いて。

「私一人じゃ到底辿り着けない奇跡かもしれないけど。
 にーとちゃんが本気でそれを望んでくれるなら。
 不可能は可能になるかも知れない、今日みたいに」

 月の重力に生きる女は、既に太陽の重力圏から逃れ出ている。

32Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:55:51 ID:yt3bXvYw0


「だから楪依里朱も……あなたも……今はまだ、殺そうとは思わない。
 あの子に友達が増えるなら、それはきっと良いことだから」

 唯一の"月の眷属"は太陽を目視して尚、未だに影響を受けていない。
 背後から差す月光が、他の光を跳ね飛ばす。
 そうして彼女は今も、変わり者の友人が幸福であることを願っている。

 月光。それは何もかもを問答無用で灼き尽くすような、太陽の如き激しい熱ではない。
 引きこもりで身内贔屓な、気に入った友だけを愛する光。
 幸福で穏やかな繋がりを是とする、とろんと甘く朧気な夢。

「薊美ちゃん、さっき言ってくれたよね」 

 ―――意外です。あなたは"こっち側"だと思っていましたが。

「そっか、私を、自分と同じ側だと思ってくれてたんだ」

「―――――ッ」

 何ら悪意なく、寧ろ親近感が込められた言葉に、足元が崩れていくような気分を味わう。
 唖然とする。私は、いったい何を言っていたんだ、と。
 自分に対して呆れ返る。

 危険だから、楪依里朱を排除する、という。現実に則した冷静な判断。
 それは言い換えれば凡庸とも言える、普通の行動なのだ。
 少なくとも、高天小都音にとってすれば。

 伊原薊美はようやく分かった。分かってしまった。
 囚われていたのは、自らを変容させていくのは、太陽への殺意だけではなかった。
 その逆、友愛によって成り立つ繋がり。もう一つの特異点。
 月光は既に、薊美にも浴びせられている。

「私も意外だったな。
 だって私は、あなたは"あっち側"だと思ってたから。
 でもそうじゃないなら、私たちは本当の意味で手を結べる」

 その言葉は、薊美には全く別の音で再生されていた。
 まるで―――「あなたって、案外"普通"だったんだね」、とでも言われたような。

 燃えたぎる灼熱が身を焦がす。
 朧気な冷気が胸の真中を凍てつかせる。
 いっそ笑い出したくなるような、怒りと屈辱の只中で。

「答えはいつでも良いから。また、聞かせてほしいな」
 
「ええ、分かりました。考えておきます」

 朗らかな表情のまま、平坦な言葉を並べ。
 太陽と月、2つの重力圏の狭間にある少女は、いつも通りを演じきった。






33Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:58:08 ID:yt3bXvYw0

/Contact








 ―――ばかみたい。

 楪依里朱は何度目かもつかない悪態を零しながら、目の前に鎮座する有害生物を睨みつけていた。

「どいて」

「……やだ」

 天枷仁杜がイリスの座るベッドに乗っかり、シーツを掴んで自分の身体を固定している。
 丈の合わない服をだらしなく着た女が、イリスの領域を侵犯していた。
 不愉快だった。

「どけ」

「うぅ……や、やだ」

 軽く凄んでみせると、女はその赤らんだ童顔をくしゃっと引き攣らせ。
 あからさまにビビりながらも、ポジションを譲ることはなかった。
 握りしめた缶チューハイをぐいっとあおり、酒の力で踏みとどまる。

 嫌になってくる。
 どう考えても被害にあっているのはこちらなのに、まるで虐めているみたいな構図になっている。
 こいつは年上のはずなのに。
 中学生くらいにしか見えないが本人や周囲の言葉を信じるなら、余裕で成人している筈なのに。
 定職に就いていなければおかしい年齢の大人が、小動物のように怯えながら我儘を主張している。

「いーちゃんはまだ、ここにいなきゃ駄目!」

 一体なんなんだコイツは、と。
 これも何度繰り返したか分からないため息を一つ。
 仕方なく、イリスは作戦を変えてみることにした。

「喉乾いたから、コンビニに飲み物買ってくるだけって言ってるでしょ。すぐ戻って来るっての」

「駄目! 飲み物ならここにいっぱいあるでしょ」

「酒ばっかで飲めるもんが無いっていってんの!」

「じゃあ、ことちゃん達が戻ってきたら買ってきてもらうもん」

「そいつらが全然帰ってこないから言ってる。ていうか、あんたが買いに行く選択肢はないのか」

「私が行ったら結局その隙にいーちゃん出ていっちゃうじゃん。
 もういいよ、じゃあロキくんに行ってもらうから」

「あのプライド高そうなホストもどきが、そんなパシリみたいなことするかっての!」

「わたしが頼んだらやってくれるもん!」

 仁杜は頑として譲らない。
 子どもの駄々のように、ああ言えばこう言う。

「ていうかせっかくのスイートなんだからルームサービス使えばいいじゃん!
 何だかんだ言って、ことちゃん達がいない内に逃げようとしてるんでしょ?
 にーとちゃんにはお、お見通し、なんだぞぅ!」

 さっきからずっと、イライラする。
 腹の傷がじくじくと傷んで。
 頭の隅のほうがピリピリする。

「……いーちゃんはまだ寝てなくちゃ駄目だよ……おなか、治りきってないんだから……」

 見当違いな心配と、馴れ馴れしい口調に辟易する。
 しかし実際、仁杜の予見は当たっていたのだから本当に嫌になる。
 何も考えてなさそうなマヌケ顔して、なんでこんな所ばかり勘が良いのか。

 そう、イリスは出ていこうとしていたのだ。
 魔力の補充、傷の治癒、共に半端であることも当てられている。

「はあ? もう余裕で動けるけど。じゃあ逆に聞くけど、なんの権利があって指図してくんの?
 私のこと監禁でもしたいわけ? どこ行こうが勝手でしょ」

「あ〜! 開き直った! ほらやっぱり出ていくつもりだったんじゃん!
 もうぜ〜〜〜〜〜〜ったい、ここを退かないからねっ!」

「こんの……酔っ払いクソニートが……!」

34Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 01:59:17 ID:yt3bXvYw0

 イライラする。
 苛ついて声を荒らげると、腹に響いて余計にムカつく。
 別に、イリスはやけになって逃げ出そうとしたわけじゃない。
 根本的に、こいつは分かっていないのだ。

「だいたい、あんたのお仲間だって、多分それを望んでるんだけど」

「へ……? ことちゃんと薊美ちゃんが? なんで?」

「はあ。ほんとに分かってないの? なんでそういうところだけ鈍いの? 馬鹿なの?」

「ひどい……」

 イリスとて充分に理解している。
 楪依里朱が味方になった、などと能天気に信じているものは、この集団で天枷仁杜ただ一人だ。
 他2名のマスターは冷静に、というか普通の感性として、イリスを警戒し続けている。
 そのうえ、イリスの方から積極的な協力と連携を拒否しているのだ。

 休戦協定は既に結ばれている。
 ある程度身体が動くように慣れば、どうぞお早めに退席して構わない。
 高天小都音と伊原薊美が長く席を外しているこの時間を、イリスは彼女らのメッセージと受け取った。

「私がここにいる限り、お互いに気が休まらないのが分からない?
 あんたって本当に空気読めないよね」

 ――――こいつの、そういうところが、最高に不快だ。

 そもそも、彼女たちの目線で考えれば、今からでも弱った蝗害の魔女を殺しにかかる方がよっぽど利口なのだ。
 敵地で寝れるものか。それは偽らざる本心だ。
 シストセルカの姿をチラつかせるなど、イリスもここに来てからそれなりの牽制を行っていた。
 当たり前の話、誰が買ってきた水も、飲む気にはならない。何が入ってるか知れたものじゃない。

「今、あんた達の気が変わったら、今度こそ私を殺せるかもね。
 そしてそれは逆も然り、私が万全に戻るほど、あんた達は怖くなるんだ。
 私の気が変わったら、今度こそあんた達は死ぬかも知れないから」

 それが、この休戦協定の真実だ。
 仁杜だけはバカ正直に、イリスが全快するまで一緒に行動できると思っていたようだけど。
 イリスが万全でもない、最低限動けるようになったこのタイミングで離脱する。
 それが双方にとって、一番安心できる落とし所なのは明らかなのに。

「いやいや〜そんなことないよぉ〜。
 いーちゃん、ちょっと考えすぎ」

 なのに、馬鹿みたいに呑気な声で答える女に、イリスは心底、苛ついて堪らない。 

「ことちゃんも、薊美ちゃんも、そんなことしないよ」

 チャットだけのやり取りだった時から、細かいことに頓着しない性格だとは思っていた。
 そこが居心地良くもあったのだけど、まさかここまで察しの悪い女だなんて。

「それに、いーちゃんもさ、そんなことしないでしょ」

「なんで……」

 ふと、嫌な流れだ、と思った。
 警鐘が聞こえる。
 心の奥底に沈めた何かが疼いている。
 きっともう二度と治らない傷が痛んでいる。

「なんで、そんなこと、言い切れんの」

 やめろ、と。
 胸の奥が悲鳴を上げる。

「だってわたしたち、もう、」

 焦げ付いた既視感に吐き気がして。

「言っとくけど、次に仲間だなんて言ったら殴―――」

「友達だから」

「――――」

 ガスの充満した部屋に、火を投げ込んだかのようだった。
 一瞬で脳天まで駆け巡った熱に、身体をコントロールが出来なくなる。
 ほわほわと笑む女の肩を掴み、思い切り引き倒す。
 イリスの全身が、暴発する殺意に支配されたのが分かった。 

『―――私たち、友達でしょ?』

 ――――ほんと、こいつの、そういうところが、最高に不快だ。

 ――――なんか、似てる気がしたから。

「ばかみたい」

35Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 02:02:49 ID:yt3bXvYw0

 体躯の小さな女を押し倒すのは、ムカつくほどに簡単だった。
 気づけば馬乗りになって、両手で女の華奢な両肩を押さえつけている。
 上になった格好のイリスの髪の毛が、はらりと重力に従って広がる。

 モザイクのような、白と黒のツートンカラー。
 少女を中心にして、じわりと、ベッドの上に色彩が広がっていく。
 仁杜はただ、その様子を呆然と仰ぎ見ていた。

 いかにも引きこもり然とした、白い首筋。
 そこに指が掛かりそうになった、その時。

「きれい」

「…………」 

「きれいだね、いーちゃん」

 あどけない両の瞳に、イリスの色彩が映り込んでいる。
 いつか聞いたようなバカみたいな感想に、腕の力が抜けていく。

「は……なにそれ、なんで、こんなやつに……私は……」

「……?」

「ちっ……ああもう!」

 肩から手を離し、小柄な身体から飛び退く。
 ベッドの隅で、頭を掻きむしるようにして蹲る。
 ムカついて、苛ついて。
 挙げ句、その苛立ちの本当の理由に、気づいてしまったから。

 あまりに惨めで堪らなかった。
 過去の未練を殺し尽くすと意気込んで、思うがままに暴れまわって。
 誰が死のうと構わない、失うものなんてない、二度と誰にも負けないと決めていたのに。
 あの星を落とす。そのためだけに、立ち続けると誓ったのに。

 結局、太陽を殺すどころか、その手前で、イリスは負けた。
 太陽がイリスを捨てて呼び出した新たな星に、絶対に負けたくないと思っていた、寄せ集め共に。
 挙げ句、そんな寄せ集めの一つにまで、過日の残影を見ていたなんて。

「ばかみたい」

 なんて、未練がましい。なんて、無様なんだろうと思う。
 燃え尽きた身体で、何か新しいモノを掴めると思ったのか。
『少しは成長してみせろ』と、悪辣なヤブ医者は言ったらしい。
 それはこの事を予見していたのだろうか。
 未だ、己が記憶の中で、溺れ続ける滑稽な有り様を指して。

 全ては、在りし日の未練を殺すため。
 そうしなければ、イリスは何処にもいけない。
 あの夢のような日々の中で、美しいと思った全部を。
 イリスを新しい場所へと導き、そのくせ捨てた。輝ける痛みの思い出の全部を、殺さなければ進めない。
 殺さずにおくことを、己が狂気は決して許さない。 

 だけど本当は分かっていた。
 心から自由になりたいなら、極星の遊びになど付き合わなければいい。
 不貞腐れて、もう飽きた、もう付き合ってられないと言い捨てて、退場してしまえばいい。
 だけど今も、そんな簡単なことも言い出せずにいる。

『―――ねえ、その髪、きれいだね』

 いつか、隣に立っていた少女の、なんてことない言の葉を、忘れることが出来ない。

『イリスはいつも、きれいだね』

 くだらない。
 今となっては本気にするのも馬鹿らしい。
 あいつの言葉なんて、二度と信じてやるものか。

『イリスは、きれいで、かっこいいよ』

 だけど負けたくなかったのだ、誰にも。
 あいつを殺すまで、誰にも。

『イリスは負けないよ。私の、一番の友達なんだから』 

 それが燃え尽きながらも、戦い続ける理由なのだとしたら。

「ほんと、ばかみたい……」

 こんなに救われない話もない。

36Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 02:06:20 ID:yt3bXvYw0

「いーちゃん」

「うっさい、あっちいけ無職が」

「いーちゃん大丈夫?」

 懲りずに寄ってくるニートを片手で払う。
 なのにふてぶてしい勘違い女は、イリスの隣に座り込んできた。

「大丈夫だよ、いーちゃん。
 ことちゃんはすっごく優しいし。薊美ちゃんともきっと仲良くなれるから」

 乱高下するイリスの心中など露知らず。
 仁杜の言葉は相変わらず的外れ。
 何も分かっていない上に、夢のような絵空事。
 都合の良い未来、自分のみたいものしか見ず、しかも本気で信じてしまえる。

『一緒に行こうよ、イリス』

 そういう、脳天気なエソラ。
 バカみたいな純真さ。
 再び何かと重なって、不快感がこみ上げる。

「だから、いーちゃんが居たいだけ、ここに居てもいいんだよ」

「…………?」

 しかしそのときになり、イリスの脳裏に、一抹の違和感が紛れ込んだ。
 先程のフレーズはあまりにも、記憶の中の残影と対照的だったから、だろうか。

「……あの時、さ。なんで飛び出してきたの?」
 
「え?」

「琴峯が凄んできたとき、急に前に出たでしょ、あんた」

「あー、そりゃだって、いーちゃんピンチだったし」

 ふと気なっていたことがあった。
 先程の戦闘において、突如切らざるを得なくなった令呪により、一時的に魔力が枯渇した場面があった。
 そこにタイミング悪く現れた琴峯ナシロと高乃河二。
 彼らに対し、真っ向から敵対的な姿勢をとった仁杜の判断こそ、戦いの分水嶺だったのかもしれない。

「やっぱ魔力切れに気づいてたんだ」

「そうだよー。にーとちゃんにはお見と」

「じゃあなんで、さっさと言わなかったわけ?」

「へ?」

 仁杜が妙なところで鋭いことは、もうよく分かっている。
 だからイリスにとって解せなかったのは、彼女が行動に移る過程だった。

「さっさと指摘すれば状況はもっと単純だったし。
 割って入るにしたって、もっと早ければ琴峯とあそこまで拗れることもなかった」

「い、いやー? そうかなー。私もちょっと気づくのに時間かかってたしなあー」

「嘘つけ」

「なんで分かるの!?」

「わかり易すぎるわ」

「いやー、その、だってあの時はホラ、いーちゃんナマイキで我儘ばっか言ってたし。
 多少シスターさんにお灸据えてもらってもいいのかなーとか」

「ああ"?」

「ひええ! でも最終的には助けたじゃん!」

「じゃなんで助けたの」

「そりゃー友」

「次、言ったら今度こそシメるから」

「恩を売ったら仲間になってくれたりしないかなーとか思ってました……」

「…………」

「…………」

「…………」

 ピシ、と。
 頭の奥に罅が入るような音がした。
 何か、自分は途方もない勘違いをしていたのではないか。

37Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 02:12:47 ID:yt3bXvYw0

「え、てか、あんたさ、なんで戦ってんの?
 そもそも聖杯取ってなにがしたいわけ?」

「んーっと、何がしたいっていうか。
 ずっとこのままが良いから、このまま居られたらな―っていうのが、願いになるのかなあ」

「はあ?」

「だって今はロキ君がいて人生イージーモードだし。
 ことちゃんも居てくれて、新しいお友達も出来て、あとはこのまま毎日ゲームして毎日美味しいもの食べて。
 不労所得で一生遊んで暮らせたらハッピーかなあー……って」

「…………はあ?」

 ちゃんと聞いても意味が分からなかった。
 仲の良い友人と一緒に元の世界に帰りたい、程度のお花畑を予想していたのに。
 ニートの口から放たれた妄言はイリスの想像を遥かに超えて、いや逆方向へ遥かに下回って。
 ひょっとして、いや、ひょっとしなくても、こいつは、純真なわけじゃなくて、ただ単に、あり得ないほどに。


「………………底抜けのクズじゃん」


 呆れ果てて力が抜ける。
 無論、自分にだ。
 一瞬でもこんなモノを、あいつと重ねたマヌケ加減に。

「ひっどい! だってそうでしょ!
 こんな生活知っちゃったら、もう現実社会になんて戻れないって!」

「なにそれ……マジで……クズ過ぎるでしょ……」

 怒りが、胸のつかえが、すっと消えていく。
 終わってる。勘違いも甚だしい。
 ドン引きするくらいダメ人間。
 想像を遥かに超えた社会不適合者。

「…………っ………なんなの……それ……馬鹿すぎ……。
 ……こんなのに負けたのかよ……私……ははっ……」

「なんで笑うの!? ファイヤーでパラダイスは全人類共通の夢でしょ!
 って、え、いーちゃん、いま笑った!? 笑ったらそんな顔なんだね〜!」

「笑ってない。おい、調子に乗るな、殺すぞ」


 ―――ほんと、こいつの、そういうところが、最高に不快、だけど。

 ―――なんだ、全然、あいつとは似ても似つかない。


 こみ上げる自嘲の中で、どうして安堵を覚えたのか。
 痛みは、今も止まない。
 傷が癒える日は、きっと永遠にこない。

 だけどなぜかいま、ほんの少しだけ、溶けた胸のわだかまり。
 その意味も分からないまま。

 心に決めていたよりも、ほんの少しだけ長い時間。
 蝗害の魔女は、月の隣に留まっていた。







38Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 02:15:27 ID:yt3bXvYw0

 ホテルの洗面所。
 備え付けられた大型の鏡面に、伊原薊美の顔が映っている。
 いつもと変わらない。
 ボーイッシュなショートカット、艶のある綺麗な肌に、整った目鼻立ち。

 写し身の輪郭をなぞるように薊美の指が鏡面を滑ると、目元に赤く道化のような軌跡が残った。
 それは、きつく握りすぎた拳の内で、爪が皮膚を突き破って滲んだ、血の絵の具。

『薊美。望むなら、君は何にだってなれる』

 お姫様にも、王子様にも、女王様にも、如何なる物語の主役にも。

『いつかトップスターになる日が来る。どんな星になるのかも、思いのままに決められる』

 誰より輝く舞台の華。凛と咲き誇る茨の冠。

『その輝きを目にするときを、僕は心待ちにしているよ』

 星(スター)。
 主役を表現する言葉。

 伊原薊美はそう在り続けた。
 小さな劇団の子役から、演劇系名門学園の首席に至るまで。
 転がる果実(モブ)の全てを踏み潰し、唯一人しか座れぬ椅子を足がかりに、次の頂点へと邁進する。

 ――薊美ちゃんもいつか、私みたいになれるよ。

 いつか、そう言って笑った先輩は自信に満ちていた。
 僅か数ヶ月で薊美に主役を奪われるなど、想像だしなかったであろう当時のスター。
 彼女が得意げに披露した演技は確かにその一瞬だけ、薊美より優れていたかもしれない。

 なので少し真似てみたら、案外簡単に出来てしまった。
 そしてもうちょっと練習してアレンジしてみたら、もっとうまく出来ることに気づいてしまった。
 たったそれだけの工程で、薊美は彼女を超えてしまった。

 薊美の披露した演技に歓声を上げ、新たなスターの誕生を祝福する衆目。
 唖然とした後、嫉妬を隠せずに俯いた彼女。
 数カ月後、周囲と同じように感激した目で薊美に拍手を送っていた彼女。

 ああ、やっぱり、お父さんは正しかったんだ。
 そう思った。私は、何にだって、なれる。

 そのとき、少女は自らの才能を確認するとともに、不思議な感触を得た。
 いとも簡単に、輝きを増す薊美の才覚。そして呆気なく堕ちた、誰かの価値。
 これほど美しい暴力はない。

 彼女にとって魅了とは略奪だった。
 魅せるとは、奪うことだ。
 如何なる守りも貫通する侵犯攻撃。
 
 心を、自信を、歯向かう意思を、奪ってへし折る。
 二度と歯向かう意思が保てないように、靴底で磨り潰す。

 昨日までの世界に、薊美の敵になる者はいなかった。
 今日、この日、伊原薊美は、意味を持って潰すべき、初めての敵に出会った。
 それも一つだけではなく。

 太陽。神寂祓葉。世界で一番の星。
 楪依里朱は、そう呼んだ。

 月。天枷仁杜。道理を覆す存在。
 高天小都音は、そう呼んだ。

39Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 02:17:35 ID:yt3bXvYw0

 二人の特異点と、二人の眷属。
 伊原薊美を前にしても、彼女らの主役(スター)は揺るがない。
 そして今、圧倒的な2つの重力が、薊美をも引き込もうとしている。

 ――――で、あんたはそういう星に灼かれ始めたわけだ。

 ふざけるな。

 ――――もしも、この先、薊美ちゃんがにーとちゃんを信じても良いって思える時が来たなら。

 ふざけるな。

「私は、誰のものにもならない」 

 太陽の重力にも、月の重力にも、捕まってやらない。  
 だから、私は。

「私は――――木星にはならない」

 それは太陽の成り損ない。
 恒星の素質をもって生まれながら質量が満つることなく。
 核を得られず、自らの発光に至れなかったモノ。
 可能性の先を見られず、衛星の一つに甘んじた天体。

「開幕(The Curtain Rises)」

 それは将の助言によって投じられた一石か。
 あるいは、陽光と月光に挟まれた天体に起こった変容なのか。

 伊原薊美に装填された魔術回路が鳴動する。
『魅了』、彼女が掴んだ固有魔術の、その真髄が示される。
 その対象は、ここにただ一人、伊原薊美。鏡面に映った、己自身。
 
 彼女にとって魅了とは略奪だった。
 魅せるとは、奪うことだ。
 如何なる守りも貫通する侵犯攻撃。
 
 心を、自信を、歯向かう意思を、奪ってへし折る。
 二度と歯向かう意思が保てないように、靴底で磨り潰す。

 そして、薊美にとって魅せる手段とは常に、演じることだった。
 "何かに成る"、ことだった。
 成れないものなんて、今までの彼女には一つもなかった。

 誰にも負けないくらい、得意だったから。
 お父さんも、たくさん褒めてくれたから。
 今もずっと、望んでくれているから。

 ――――君は、素晴らしい才能に恵まれているんだ。

 望まれている、今も。私には、それが在る。
 私は、"普通の女の子"じゃない。
 私は、なんにだって成れる。
 私は、王子様にだって、お姫様にだって、女王様にだって――――望まれたなら、カミサマにだって。

 行く先にはいつだって星の輝き。

 太陽も月も、私の道を阻むなら。

 踏み潰してあげる、邪魔だから。








40Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 02:20:12 ID:yt3bXvYw0


 追撃を終えた騎兵は壊滅地帯を抜け、渋谷の繁華街に帰還した。
 大打撃を受けた街の混乱は未だ冷めやらぬ。
 至るところで鳴り止まぬサイレンの音。旋回する救急車や消防車の赤い警光灯。
 無事な状態で残された地区においても、大通りは怪我人の搬送や逃げ出してきた人々によってごった返している。

 現実を遥かに超えた悪夢。
 それでも街が営みを継続し続けるのは人という種に備わった社会的防衛本能なのか。
 あるいは『聖杯戦争を続けたい』と願う少女の意思に、産み出された人々は無意識化で応えているのか。

 ジョージ・アームストロング・カスターは阿鼻叫喚に咽ぶ人々を横目に進んでいく。
 混雑する大通りから小道に折れ、細い路地に足を踏み入れた。
 メインストリートから外れてしまえば、涼しい空気と静かな夜が戻って来る。

 分岐を幾つか曲がり、ようやくその建物が見えてくる。
 15階建ての高層ホテル。ビルの周囲に人気はない。
 しかしたった今、エントランスの扉が開き、一人の少女が現れた。

「おお、我がマスター! わざわざ出迎えとは、このカ…………」

 霊体化を解き、いつもの調子で前に出ようとしていたカスターの言葉が詰まる。
 彼の主人(マスター)、伊原薊美、少女に何を言われたわけでもない。
 少女の見た目に何か大きな変化があったわけでもない。

 強いて言うなら少女の横髪の先に、薄っすらと乾いた赤色が滲んでいる、ただそれだけ。
 無意識に、血の付いた指で触ってしまったのだろうか。

「どうかしましたか? ライダー」

 己が今、何に気圧されているのか。
 正体を掴めず。カスター将軍は少しだけ表情を強張らせながら。

「……いいや! ことは万事順調に運んだとも!
 報告するべき情報、収穫は多々ある、順を追って伝えよう」

「隠さなくてもいいですよ」

 始めようとした戦勝報告を、美しいマスターは遮った。

「魔力消費の度合いから、貴方は情報収集ではなく、最初から敵の首を穫るつもりで追撃した。そうでしょう?」

「いや済まない! 穏当な方法で話すことは難しいと判断した故」

「もちろん、殺してもいいと言ったのは私です。戦場での判断に、文句なんて在るはずがない」

 だけど、と区切って。 

「貴方が奪うと決めたのに。戦場でそれが出来ると判断したのに。
 手土産に一つも首が無いのは不可解だ」

 だから隠さなくていいんですよ、と。
 顔を上げた女王は微笑んだ。 

「驕るならともかく、焦るなんて貴方らしくない。
 よっぽど不測の自体でもあったんですか?
 それとも、なにか―――怖いものでも見たんですか?」

 見透かされている。
 少女の目がカスターの目を捉え、深く、深く入り込んでくるように。
 それは防御不可能の侵犯行為だった。

41Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 02:22:45 ID:yt3bXvYw0

 隠したいたものが暴かれる。
 あのとき聞いた、悪魔の羽音。

 奪い尽くして終えるはずだった追撃を、変えてしまった異質な気配。
 ベルゼブブへの恐怖に、蹂躙の意思が僅かに退いたこと。
 マスターに知られまいとした、カスターの胸に未だ燻る、恐怖心。

「それなら少し、気付けてあげます」

 少女の足が動く。
 一歩、カスターに向かって踏み込む。

 たん、と。
 甲高い靴の音鳴りが夜の空に響いた。

「貴方の助言を参考にして、色々と考えてみました」

 彼女の背後、ホテルのロビーから路上にもれる光。
 光と影の堺と、歩道を区切る白線と黒いアスファルト。
 それらの文様が、僅かにうねり、歪んでいる。

「結局、私にはこのやり方が、一番合ってるみたいで」

 ごく小規模の改変行為。
 魔術の世界において、なんら特別な変化ではない。
 2つの色の境界が動き、路上に印を刻んだだけだ。

「私、昔から、他人の演技の真似をしてみたら。
 案外簡単に出来てしまえて。
 だから多分、魔術っていうものも―――」

 薊美の足元には凸型を反対にした、バミリのような小さく白いマーク。
 カスターの足元には長く引かれた黒い境界線。
 その微細に過ぎない成果を、少女は不満げな表情で見下ろした。

「でも、やっぱり、いきなり上手くは出来ないか」

 カスターは息を飲む。
 色の配置を弄るだけの、非常に小規模で、弱々しい魔術行使。
 それでも確かに、今起こった現象には見覚えがある。

「魔力効率も悪すぎる。刻印っていうんだっけ。
 ああいう外付けエンジン前提の技法だとしたら。
 今の私じゃ、楪依里朱の……その半分まで再現するのも難しいかな」

 空間を二色に定義して干渉する。
 色間魔術。
 その基礎中の基礎とはいえ、彼女はそれを実現したのだ。

「まあいいか。こんな回りくどい表現技法、そもそも私の身体に合ってない」
 
 伊原薊美。演劇界の天才は、魔術の世界においても天才だった。
 演じる。模倣する。優れたる演技を見取って自らの武器に変える。
 少女は自分自身を魅了し、役柄に深く陶酔することで。
 たった2回見ただけの、楪の魔術(えんぎ)の一端を身体に降ろしている。
 
「それに、こっちの方が、多分。
 私には合ってる。そうでしょう、ライダー?」

 そして次に発生した現象こそ、真にライダーを驚嘆させた。
 極小規模な色間魔術を継続させたまま、少女は更に一歩を踏み出す。
 バミリを踏みしめ、腕を振りかぶり、一瞬にして、その役柄が変質する。

「―――総員、傾注」

 魔女から、女将軍へと。

「7th Cavalry Regiment, Fall in!(第7騎兵連隊、整列せよ!)」

 少女の号令に応じるように、カスターの背後に無数の騎兵が出現した。
 彼が無意識に呼び出した壮烈なる騎兵隊は、一つの生命のように駆動する。
 薊美の引いた黒線に沿い、寸分の狂いなき統制の元に配列され、主に向かって頭を垂れる。

「うん、貴方を参考にしてみましたが、こっちの役のほうが入りやすい」

42Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 02:37:45 ID:yt3bXvYw0

 将の指令によって、命なき兵達の士気が昂っている。
 波及する熱が部隊全体の能力を著しく向上させている。

 カスターのスキル、〈誉れ高き勇士〉。
 カリスマの変異スキルであるそれに近い、意思煽動と心技練磨を齎す波が、伊原薊美から放たれている。
 今度は役に潜るための内に向けた魅了ではなく。他を支配する為に、外に放たれた波動。
 魅了魔術という武器の、最も直線的な使い方。

 だが、その出力は今までの比ではない。
 味方に放てば士気と能力に凄まじい向上が齎される。
 敵に放てば、恐慌、拘束等の不利益を押し付ける。
 まさにカリスマ、盤面を動かす統率者の魅力。

「これで恐怖は忘れられた? ライダー」

 全身に滾る力が、カスターの胸に巣食っていた悪魔の羽音を押し流していく。
 恐れは消え、興奮と感動が心を満たしてく。

「…………ああ、見事だ。マスター」 

 ここに躍進は遂げられた。
 将軍の進言と、2種の極光に晒されたことによって。
 少女の輝きは力を増した。

 戦いの中で、宝石は磨かれる。
 伊原薊美は舞台女優。
 最前線という舞台に上がってこそ、その真価は発揮される。

 広い舞台の上では、今も誰かが戦い続けている。
 それを証明するように、たった今、遠くの空で夜を劈くような衝撃が轟いた。
 巨大な爆炎が港区の方角から立ち昇り、そして間髪入れずに白き極光が迸る。
 異常なる白、人を灼く太陽の光が世界を照らし、過ぎ去っていく。


「―――誰も、目を逸らすな」


 だけど今だけは、カスターはその方角を見ることができなかった。


「私以外を見るなんて許さない」


 女将軍から、冷酷な王子へと変質した演技。
 目の前の少女の立ち振舞いから、目線を外すことが出来ない。

「私は戦争に勝ち残る。
 そして私の従者に、敗北は許されない」

 この聖杯戦争にて邂逅した主人(マスター)。
 伊原薊美は最後にもう一役、演目を変えて微笑んだ。

「輝ける勝利を我が手に。
 二度と、退かないでね。私の騎兵(ライダー)」

 それは栄華に満ちた蹂躙劇。
 孤高の主演。茨の冠を戴く、美しき女王様。
 騎士はその無慈悲なる輝きに、自らの胸に掌を当て、礼賛の意をもって跪いた。


「――――仰せのままに、My Fair Lady(いと気高き淑女よ)」







【渋谷区 高層ホテル・エントランス/一日目・日没】

43Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 02:40:24 ID:yt3bXvYw0

【伊原薊美】
[状態]:魔力消費(中)、静かな激情と殺意、魅了(自己核星)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:騎兵隊の六連装拳銃
[所持金]:学生としてはかなりの余裕がある
[思考・状況]
基本方針:全てを踏み潰してでも、生き残る。
0:私は何にだって成れる、成ってやる、たとえカミサマにだって。
1:殺す。絶対に。どんな手を使ってでも。
2:高天小都音たちと共闘。
3:仁杜さんについては認識を修正する。太陽に迫る、敵視に相応しい月。
4:太陽は孤高が嫌いなんだろうか。だとしたら、よくわからない。
5:同盟からの離脱は当分考えていない。でも、備えだけはしておく。
[備考]
※マンションで一人暮らしをしています。裕福な実家からの仕送りもあり、金銭的には相応の余裕があります。
※〈太陽〉と〈月〉を知りました。
※自らの異能を活かすヒントをカスターから授かりました。

→上記ヒントに加え、神寂祓葉と天枷仁杜、二種の光の影響によって、魅了魔術が進化しました。

・『魅了魔術:他者彩明・碧の行軍』
 周囲に強烈な攻勢魅了を施し、敵対者には拘束等のデバフ、同盟者には士気高揚等のバフを振りまく。

・『魅了魔術:自己核星・茨の戴冠』
 己自身に深い魅了を施し、記憶した魔術や身体技術の模倣を実行する。
 降ろした魔術、身体技術の再現度は薊美の魔術回路との相性や身体的限界によって大きく異なる。
 ただし、この自己魅了の本質は単なる模倣・劣化コピーではなく。
 取得した無数の『演技』が、薊美の独自解釈や組み合わせによって、彼女だけの武器に変質する点にある。



【ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)】
[状態]:疲労(小)、複数の裂傷、魅了
[装備]:華美な六連装拳銃、業物のサーベル(トバルカインからもらった。とっても気に入っている)
[道具]:派手なサーベル、ライフル、軍馬(呼べばすぐに来る)
[所持金]:マスターから幾らか貰っている(淑女に金銭面で依存するのは恥ずべきことだが、文化的生活のためには仕方のないことだと開き直っている)
[思考・状況]
基本方針:勝利の栄光を我が手に。
0:―――おお、共に征こう。My Fair Lady(いと気高き淑女よ)。
1:神へ挑まねば、我々の道は拓かれない。
2:やはり、“奴ら”も居るなあ。
3:“先住民”か。この国にもいたとはな。
4:やるなあ! 堕落者(ニート)のお嬢さん!!
[備考]
※魔力さえあれば予備の武器や軍馬は呼び出せるようです。
※シッティング・ブルの存在を確信しました。

※エパメイノンダスから以下の情報を得ました。
 ①『赤坂亜切』『蛇杖堂寂句』『ホムンクルス36号』『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報。
 ②神寂祓葉のサーヴァントの真名『オルフィレウス』。
 ③キャスター(ウートガルザ・ロキ)の宝具が幻術であること、及びその対処法。
※神寂祓葉、オルフィレウスが聖杯戦争の果てに“何らかの進化/変革”を起こす可能性に思い至りました。
※“この世界の神”が未完成である可能性を推測しました。

44Jupiter ◆l8lgec7vPQ:2025/02/25(火) 02:41:09 ID:yt3bXvYw0

【渋谷区 高層ホテル・スイートルーム/一日目・日没】


【天枷 仁杜】
[状態]:健康、魔力消費(おやつ食べたらさっぱり全回復)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数万円。口座の中にはまだそれなりにある。
[思考・状況]
基本方針:優勝して一生涯不労所得! ……のつもりだったんだけど……。
0:ロキくんは最強だし、仲間(ともだち)も増えたし、最近は楽しいな〜。こういう時間がずっと続けばいいな〜。
1:ことちゃんには死んでほしくないなあ……。
2:薊美ちゃん、イケ女か?
3:ロキくんやっぱり最強無敵! これからも心配なんてなーんにもないよね〜。
4:この世界の人達のことは、うーん……そんなに重く考えるようなことかなぁ……?
[備考]
※楪依里朱(〈Iris〉)とネットゲームを介して繋がっています。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来ます。

【キャスター(ウートガルザ・ロキ)】
[状態]:右半身にダメージ(大/回復中。幻術で見てくれは元通りに修復済み)
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし(幻術を使えば、実質無限だから)
[思考・状況]
基本方針:享楽。にーとちゃんと好き勝手やろう
1:にーとちゃん最高! 運命の出会いにマジ感謝
2:小都音に対しては認識厳しめ。にーとちゃんのパートナーはオレみたいな超人じゃなきゃ釣り合わなくねー?
3:薊美に対しては憐憫寄りの感情。普通の女の子に戻ればいいのに。
4:ランサー(エパメイノンダス)と陰陽師のキャスター(吉備真備)については覚えた。次は殺す。
[備考]
※“特異点”である神寂祓葉との接触によって、天枷仁杜に何らかの進化が齎される可能性を視野に入れています。


【楪依里朱】
[状態]:魔力消費(大/色間魔術により回復中)、腹部にダメージ(中)、未練
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数十万円
[思考・状況]
基本方針:優勝する。そして……?
0:〈NEETY GIRL〉改め天枷仁杜の一団とは渋々協定。魔力がある程度戻るまでは同行する。
1:祓葉を殺す。
2:誰がいーちゃんさんだ殺すぞ(薊美に対して)
3:あのクソ虫本当にいい加減にしろせめて相談してからやれって何で令呪よこせしか言わないんだよ馬鹿ふざけんなクソクソクソ
[備考]
※天枷仁杜(〈NEETY GIRL〉)とネットゲームを介して繋がっています。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来るでしょう。
※蛇杖堂記念病院での一連の戦闘についてライダー(シストセルカ)から聞きました。
※今の〈脱出王〉が女性であることを把握しました。

【ライダー(シストセルカ・グレガリア)】
[状態]:規模復元、省エネ肩乗りバッタくんモード
[装備]:バット(バッタ製)
[道具]:
[所持金]:百万円くらい。遊び人なので、結構持ってる。
[思考・状況]
基本方針:好き放題。金に食事に女に暴力!
1:相変わらずヘラってんな、イリス。
2:祓葉にはいずれ借りを返したいが、まあ今は無理だわな。
[備考]
※イリスに令呪で命令させ、寒さに耐性を持った個体を大量生産することに成功しました。
 今後誕生するサバクトビバッタは、高確率で同様の耐性を有して生まれてきます。
※イリスに過度な負荷を掛けない程度のスピードでロキとの戦闘で負った損害を回復中です。

【高天 小都音】
[状態]:健康、とっても気疲れ
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:トバルカイン謹製のナイフ
[所持金]:数万円。口座の中身は年齢不相応に潤沢。がんばって働いたからね。
[思考・状況]
基本方針:生き残る。……にーとちゃんと二人で。
1:伊原薊美たちと共闘。とりあえず穏便に収まってよかった。
2:ロキに対してはとても複雑。いつか悪い男に引っかかるかもとは思ってたけどさあ……
3:アレ(祓葉)はマジでヤバかった……けど、神様には見えなかった。
4:脱出手段が見つかった時のことを考えて、穏健派の主従は不用意に殺さず残しておきたい。なるべく、ね。
5:楪依里朱については自分たちの脅威になら排除も検討するけど、にーとちゃんの友達である間は……。
[備考]
※“特異点の卵”である天枷仁杜に長年触れ続けてきたことで、他の“特異点”に対する極めて強い耐性を持っています。

【セイバー(トバルカイン)】
[状態]:健康
[装備]:トバルカイン謹製の刃物(総数不明)
[道具]:
[所持金]:数千円(おこづかい)
[思考・状況]
基本方針:まあ、適当に。
1:めんどくせェけど、やるしかねえんだろ。
2:ヤバそうな奴、気に入らん奴は雑に殺す。ロキ野郎はかなり警戒。
3:あの祓葉は、私が得られなかったものを持っていた。
[備考]

45名無しさん:2025/02/25(火) 02:42:08 ID:yt3bXvYw0
投下終了です

46 ◆0pIloi6gg.:2025/02/26(水) 02:46:18 ID:noQPzzZ20
ライダー(シストセルカ・グレガリア)
伊原薊美&ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)
キャスター(ウートガルザ・ロキ)
バーサーカー(ロミオ)
煌星満天&プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス) 予約します。

47 ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:40:27 ID:pH7EOQgU0
投下します。

48LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:42:07 ID:pH7EOQgU0



 ――――ただ光を、追いかけている。


 歩いても歩いても、近付けている気はしない。
 一寸先も分からない闇の中を、ただ光に向けて歩いていく。
 それは狂気だ。今踏み出した一歩の先に、道があるかすら分からないのだから。
 滑落して死ぬか、力尽きて死ぬか。もしくは諦めて踵を返すか。
 末路は三つ。結末も三つ。四つ目があると信じているのは、彼女自身だけ。

 辿り着きたい。
 追いつきたい。
 辿り着かなければならない。
 追いつかなければならない。

 どうして。
 ――そうしなければ死んでしまうから。

 どうして。
 ――そうしなければ終わってしまうから。

 だから逃げるように、光に向かって走るのだ。
 さながらそれは誘蛾灯。であれば彼女は走光性に呪われた羽虫。
 太陽へ羽ばたいた蝋翼の神話をなぞるように、少女は光へ向かっていく。

 そう、少女は呪われている。
 幼き日に、決して解けることのない呪いを受けた。
 歩き続けねば死ぬ呪い。輝くことをやめた時、己のすべてを失う呪い。
 哀れにも呪われ、稚いままに育った夢の虜囚は救われない。
 いつか光に追いつくまで。そしてその輝きを、超えて行くまで終われない。
 最下層の地獄に死はないという。終わりなき責め苦が永久に続く、生きながらの無間地獄がここにある。

 ――死ぬことは怖くない。
 怖いのはひとつ――暗がりに呑まれることだけが怖い。
 
 この闇に自分を自分たらしめる輝きを奪われることが、怖くて怖くて堪らない。
 闇とは無。何もなく、何者にも成れない敗残の象徴。
 対して、行く先にはいつだって星の輝き。それは目印であり、彼女だけの終わり。
 或いは、呪いが解けるいつかの未来。最も輝く何かに成れたなら、もう何に怯えることもないから。

 
 ――――ただ光を、追いかけている。


 あの輝きに追いついて、あの輝きに成るのだと誓って。
 今も自分を呪いながら、少女は闇の中を歩いていく。
 滅びを囁く無明の闇がもたらす震えを振り払い、無垢な彼女は夢を追い続けるのだ。

49LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:43:09 ID:pH7EOQgU0
◇◇



 / Daydreamer



◇◇

50LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:43:45 ID:pH7EOQgU0



〈渋谷区・路上〉


「お……お茶の間の皆さん、こんにちは。
 スターリープロダクション所属、アイドルの煌星満天です。
 今日はこの渋谷で、昨今各地で甚大な被害を出している〈蝗害〉の現地リポートをさせて、いただき、ます……っ」

 緊張でガチガチの表情筋をぎこちなく動かして、暗記した始めのセリフを口にする。
 センシティブな話題に対しておふざけや妙なエンタメ性は不要。ウケるどころか普通に引かれる、最悪逆に反感を買う、
 ファウストに口酸っぱく言い含められた内容を反芻しながら、満天は荒れ果てた街並みを背に舞い込んだ仕事へと臨んでいた。

「つい数時間前、この街は大規模な〈蝗害〉に襲われました。
 見ての通り爪痕は非常に大きいようです。住民の人たちはみんな避難しているみたいですけど……、……どれだけの方が犠牲になったのか想像もつきません」

 煌星満天は、未だ清々しいまでにぽんこつアイドルである。
 まずもってコミュニケーション能力が壊滅している上、人前で喋るのも例に漏れず大の苦手。
 テレビどころかオーディションでさえガチガチになるし、天性のマイナス思考が緊張と悪夢の共演を果たしていつも空回りが止まらなくなる。
 の、だが。皮肉にも今その周りに広がる街並みの惨状が、満天のそんな熱しがちな思考を氷点下まで冷ましてくれていた。

「いったいここで、何があったのでしょうか……」

 頭に叩き込んだ台詞が、今の満天の感想と完全にシンクロしていた。
 酷いなんてものではない。いったい何をどうしたら、街がものの数分でこうなってしまうのかまったく分からない。
 人っ子ひとりいない、という表現でさえ不足だ。生きた文明らしいものが、満天の見る渋谷の街並みには欠片も残っていなかった。
 焼け落ちるを通り越して粉砕された建造物。形が残っているものも見える範囲では一軒たりとて在りし日の姿を保っていない。
 巨大隕石でも落ちたみたいなクレーターは冗談じみていて、今は春だというのに辺り一面凍りついて霜が這っている。
 なのでこうしている今も、五月とは思えない寒さだ。世界が壊れてしまったみたいだと、満天はそう思った。

 プロデューサーとしてカメラマンやADの後ろに立つファウストの方をちらりと見る。
 ファウストは頷きすらせず、腹をくくりましょう、とばかりに見つめ返してくるだけだ。
 もうカメラは回っている。それ以外の選択肢はない。満天は唇を噛みしめて、再び覚えた台詞を口にしていく。

 そんな満天の姿を見守りながら、ゲオルク・ファウスト――悪魔メフィストフェレスもまた歯噛みしていた。彼の場合は、心のなかでだが。

(頭の痛くなる光景だが、運がよかったな。
 輪堂天梨との会談が拗れ、長引いてくれたのが功を奏した。
 もし予定通りの時間に現着していたら、正真正銘の地獄絵図に巻き込まれるところだった)

 満天も気付いているだろう。当然、メフィストフェレスは気付いている。
 これは決して、〈蝗害〉だけによって生み出された惨状ではない。
 自分達が輪堂天梨達との会談に臨んでいる間、ここで〈蝗害〉を含むサーヴァント達による交戦があった。
 しかも痕跡を見るにただの交戦とは言い難い。都市を喰らう最悪の厄災である〈蝗害〉に並ぶ力を持った何者かが、街を特撮の撮影セットのように破壊しながらこれと殺し合ったのだ。
 そうでなければこうはならない。如何に飛蝗どもが悪食とはいえ、これはあまりに壮絶すぎる。

51LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:44:34 ID:pH7EOQgU0

 ――ノクト・サムスタンプは手を叩いて喜ぶだろうな。

 ファウストはこめかみを指で打ちながら、嘆息した。
 この現地調査にはカメラマンを始めとした数人のスタッフが同行している。
 全員、ノクト・サムスタンプが派遣してきた人間だ。言うなれば、あの小狡い傭兵の人形である。
 いかなる光景を見ても動じず怯えず、粛々と役目だけをこなし続けるロボットのようなものだ。
 一般人のメンタルケアまで考えなくていいのは楽だが、たかが人間にまんまと利用されている事実に苛立たないと言えば嘘になる。

 が、今はそんな益体のない感情に目を向けている余裕はない。
 それより問題は満天だ。彼女との付き合いもそれなりに長くなった。だから顔を見れば分かる。
 アレは単に緊張している顔ではない。――もっと大きなことに心を揺さぶられている顔だ。

(煌星さん。大丈夫ですか)
(う、ん。正直、ちょっとキツいけど……頑張るよ。やるしかないもん、ここまできたら)

 弱音が返ってこない。
 なぜか。余裕がないからだ。
 彼女自身、分かっているのだ。
 今泣き言を言ってしまえば、それを始点としてすべての繕いが崩壊すると。


 ――お前、バケモンだろ。
 ――お前みたいなバケモンがいるから、おかしくなっちまったんじゃねぇのか?


 名前も知らない男の言葉が満天の脳裏に再生される。
 彼は、〈蝗害〉だけを憎み、恐れているわけではなかった。
 その感情の意味が、今なら分かる。否応なく理解できてしまう。
 〈蝗害〉はいちばんわかりやすい破滅のカタチに過ぎない。
 この街の平穏を犯しているのは、自分も含めた、聖杯戦争の演者達全員だ。

 人知を超えた存在同士が戦えば、当然舞台にされた街は壊れていく。
 家屋が崩れて、人が死ぬ。誰かの涙が、戦ったぶんだけ流される。
 そういうことを、満天は今ひしひしと感じていた。
 誰にも言い逃れを許さないだけの惨劇が、この無人の街には満ちている。

 
 『きらきらひかる
 「Twinkle, twinkle」 

  おそらのほしよ
 「little star」』

 『まばたきしては
 「How I wonder」 

  みんなをみてる
 「what you are」』


 ああ――歌が聞こえる。
 "わたし"の声と、"なにか"の音の二重奏。
 脳裏をゆりかごのように、急かすように揺さぶる歌声はブラウン管の砂嵐。
 壊れたイヤホンが立てる雑音のように余裕のない思考の奥底でレイヤー一枚を隔てて星屑の歌が紡がれている。
 どこかで聞いたことのある音。でもその得体を思い出してはいけないという漠然とした確信があって。

52LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:45:30 ID:pH7EOQgU0
 悪寒を振り払うようにマイクを握った。今の自分にはやらなきゃいけないことがある。自分で求めた仕事ではなくても、ここで背を向けたならそれは煌星満天にとって過去に潜むモノへ首級を捧げる行為と同義だ。

「まだまだ未熟者です、けど。それでも」

 声を絞り出す。打ち合わせにはなかったアドリブだ。
 大根役者を地で行く満天にしてみれば断崖の先に踏み出すような行為。
 高鳴って不快な圧迫感を訴えてくる心臓に鞭を打って、カメラを見つめる。

「不安を抱えて暮らす皆さんのために、少しでも情報をお伝えできるように……がんばります」

 目指すのは"世界"の魅了。
 誰も彼も、人間もそれ以外も。
 すべてを照らして癒やす、そんな偶像になりたいとそう願った。

 かつては漫然と抱くだけだった願い。
 夢見るしか能のない幼い頃そのままの脳髄で描いてきた落書きみたいな未来。
 しかし今、そのビジョンは幾許鮮明なものになってそこにある。
 最大の憧れ、最大の敵。救いたい友人で、乗り越えたい最強の偶像。
 ステージの上で微笑みかける天使の姿を、迫る暗がりから逃げる道筋の先に見出す。
 そう――あの子のように。同じにはなれなくても、せめて同じくらい輝ける強い子にならなければ叶うものも叶えられない。

 だから煌星満天は、後で気合の反動で潰れることを分かった上で必死に取り組む。
 数時間前の彼女ならば、もっと打たれ弱く脆かったかもしれない。
 その起伏に乏しい水面に波紋を打ったのはやはり、つい先ほど臨んだステージ上のちいさな決戦だった。


「……末恐ろしいな」

 満天の奮闘を見守りながら、ファウストは知らず呟いた。
 自身の担当アイドルに言っているのではない。確かに評価に値する奮闘ぶりだが、ファウストに言わせればようやく二足歩行ができるようになった程度の話だ。目指す到達点の高度を思えば、スタートラインに立ったくらいで褒めそやすのはむしろ逆効果だろう。
 ファウストが言っているのは、自分達が見据えている敵のこと。
 すなわち輪堂天梨。天の翼を戴く日向の天使。彼女との接触が満天に好影響をもたらす可能性は承知していたし、むしろそれに期待して会談をセットした側面もあったが、結論から言うと悪魔の想像を超える結果をもたらすに至っていた。

 満天の輝きが格段に向上している。
 魂にまで染み付いた鬱屈(ネガティブ)が解消まではされていなくとも、確実にその足は前へ進み出している。
 この世の何も灼くことのない天使の輝きは、競い合う他の星さえ優しく照らし出すのか。
 聖杯戦争で殺し合う敵としては決して恐ろしくない。彼女個人だけに限って言うのなら、むしろ容易い。だがその舞台がステージの上であるなら、これほど恐ろしい敵は存在すまい。

 改めて確信する。
 "天使"輪堂天梨は――トップアイドルを目指すならば最強の敵だ。

 〈この世界の神〉がいかに眩しい太陽であろうと、満天にとって、そして己にとって最も恐るべきはあの少女。
 どうやってあの境地まで育て上げるか。その上で如何にして、アレと違う形で天上の美を体現するのか。
 以前ならばまだそれを考えるのは時期尚早と断じていたところだが、今はもう理想論にしか思えない。
 運命は加速し続けている。今目の前に広がっている街の惨状が根拠だ。まるで急にブレーキが壊れたみたく、今日一日の間だけであらゆるモノが劇的に進展を遂げてきた。
 自分達の主従もその例外ではない。であれば準備しておくに越したことがないのは明白。
 前倒しに次ぐ前倒しでプロデュース計画を書き連ね、かつ万華鏡(カレイドスコープ)のように逐一変転する目の前の情勢にも対処していかなければならない。
 
(流石に頭が痛いな。だがやってやるよ)

 俺を――誰だと思っていやがる。
 眼鏡、かつては悪魔の道具とも呼ばれたレンズの奥でファウストは眼光を尖らせる。

 ノクト・サムスタンプもホムンクルス36号も、狂気の衛星どもの中心で笑う白き神も。
 そしてゆくゆくは、あの〈天使〉さえも。誰も彼もを出し抜いて、必ずや目的を遂げてみせる。
 静かに決意を新たにしたファウストの肌が、チリ、と微かに張り詰めた。
 その意味を彼が理解した時には既に、"それ"はそこにいた。

53LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:46:14 ID:pH7EOQgU0



「――よっ。何だよこれ、テレビ中継か?」
「へっ?」



 廃都と化した渋谷の一画。
 物理的にも閑散と広がる奥行きの中に、ひとりの男が立っている。

 フレンドリーな笑みを浮かべた、ツナギ姿の男だった。
 目元はフードで隠れて窺えないが、見えている範囲だけでも女受けする顔立ちなことが分かる。
 美青年というタイプではないものの、どこか猛獣めいたワイルドな魅力のある容貌だ。
 左手には金属バット。武器と呼ぶには前時代的だが、だからこそその存在の異様さに拍車がかかっていた。

「ん〜? アレ、お前なんか知ってる顔だな。
 えぇっとどこで見たんだっけ……ああそうだ、ユーチューブだ。アイドルだったよな、確か?」
「ぁ……え……?」
「すげ〜、有名人じゃん。黙ってお守りすんのが退屈すぎて散歩に出てきたけどよ、やっぱ外出るとイイことあるもんだな」

 思い出す素振りをしながらこめかみに指を突っ込んで。
 グリグリとかき回せば、血の代わりに砂のような茶色い何かがぼとぼと溢れる。
 溢れたそれが、地面に落ちるなり独りでに蠢き始めた。
 いや、その表現は適当ではないだろう。動くのは当たり前だ。だってこれは、生き物なのだから。

 蠢いた茶色い生物が、ぶぅん、と音を立てて空に舞い上がる。
 透明な四枚の翅とぼってりとした長い腹。
 頭の先で不規則に触れる二本の触覚、二対の複眼。
 キチキチという鳴き声にも似た音色は、翅を震わせて奏でる自然の楽器。

 それは、飛蝗だった。

「え、ちょ……っ、待って、嘘……」

 まるで通りすがりの一般人みたいに話しかけてきたツナギ男と重なって、満天の眼には"それ"が見える。
 全六項から成る戦力表記(ステータス)。聖杯戦争のマスターにのみ視認可能なその情報は、ある人知を超えた存在のみが持つデータだ。
 即ちサーヴァント。そして飛蝗を従える英霊と聞けば、その素性を特定できない人間はこの東京にもはやいない。

「蝗、害――――!」
「――――下がってください、煌星さんッ!!」

 響くファウストの声が満天を反射的に一歩後退させる。
 それと入れ替わりに、恋人(ジュリエット)を庇護する恋の狂戦士が美麗のままに前進した。

「――遂に現れたな、地上を脅かす虫螻の王よ。
 その穢れたカラダで淑女の視界に入るなど百年、いいや千年早い。
 虫螻らしく速やかにご退場願おう。君の存在はジュリエットには毒すぎる!」

 剛剣、いいや狂剣の一閃が迸る。
 恋は盲目、愛する者を背に戦うならばこのバーサーカーは最強無敵。
 〈蝗害〉という最大級の危機的状況を前にして、ロミオは初速から全開だった。
 満天の眼では疾風が吹き抜けたようにしか見えないほどの超速度で接敵し、細剣(レイピア)を突き穿つ。
 やったことは単にそれだけ。わずか一瞬にしてツナギ男の首は胴から離れ、無数の飛蝗に変わって霧散する。

 が……

「んだよ、剥がし役付きかい。まだタッチもしてねえってのに酷え塩対応だなオイ」

 忘れるなかれ。
 これは個でなく群れである。
 単一ではなく、ひとつの"種"である。
 故に固有の名は持たない。彼らは大勢であるがゆえに。

「ま、いいや。邪魔者はサクッと殺して、握手のひとつでも頼むとするわ」

 地平の暴風。
 死の原型。
 虫螻の王、飢餓の使徒(レギオン)。


 〈蝗害〉――――シストセルカ・グレガリア。
 最悪の絶望が、都市を脅かす元凶の最たるものが、煌星満天の眼前で牙を剥いた。



◇◇

54LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:47:15 ID:pH7EOQgU0



〈渋谷区・高層ホテル〉


 エントランスから戻る道すがらに、嫌な奴と出くわした。
 ホスト風の出で立ちに軽薄そのものの顔貌、態度、雰囲気。
 常に薄笑いを絶やさないが、ただひとりを除いてその笑顔は嘲りのためにだけ使われる。
 薊美が彼を、ウートガルザ・ロキを視認したのと、ロキが彼女を見含めたのはまったくの同時だった。

「お?」

 はっきり言うが、薊美はこの男のことが嫌いである。
 月をすら超える対象と据えた薊美であるが、今回ばかりは彼が誰の使徒であるかは関係ない。
 そういう話以前の問題として、薊美はロキに対し嫌悪感を……見栄を排せばある種の苦手意識を持っていた。

 カスターは彼を悪魔と称した。
 実に言い得て妙だと薊美も思う。
 この男は慢心の塊のようで、その実誰よりも深く他者を視ている。

 ――見透かしているのだ。だから薊美も一度はまんまと嗤われた。
 その記憶が、覚悟を決めて鬱屈の殻を破った今でも脳裏にヘドロの如く張り付いている。
 だから軽く会釈でもしてさっさと離れようと思ったのだったが、彼の薊美に対する反応は意外なものだった。

「へぇ……。ほーん、なるほど?
 面白いな。こういう風に感化されることもあるのか」
「……何ですか、人の顔じろじろ見て」
「ん、ごめんごめん。ちょっと興味深いコトになってたからさ、つい吃驚しちゃって」

 珍しいものでも見たような顔で覗き込んで、何やら独りごちている。
 茨の王子らしく棘を含ませて言った薊美に、ロキはへらりと笑って両手を挙げた。
 その態度は薊美の記憶にある、初対面時のそれとはまったく似つかない。
 自分をまるで路傍の石でも見るような眼でつまらなそうに一瞥した男が、何を今更愛想など振り撒いているのか。

「火傷が痛くて腐ってるんだと思ってたけど、君はわざわざ傷をほじくり返すんだなぁ」
「……、……」
「そんな顔しないでよ、別にバカにしてるわけじゃない。
 膿むだけ膿ませて痛くないフリしてる連中よりかはよっぽどマシさ。
 ほら、例えばあのイリスって子とか。彼女に比べれば君の方が幾分面白いよ。少なくとも、俺にとってはね」
「それはどうも。ありがとうございます……にしても、えらい態度の変わりようですね」

 笑顔で並べられる美辞麗句も、この男に言われたのでは具合が悪くなるだけだ。
 嫌気をあえて隠そうともせず、薊美は返す刀で皮肉を述べる。
 幻術使いのトリックスターなぞにその手の諧謔を用いることに意味がないのは分かっている。
 それでも言わずにいられなかったのは、彼女が王子の外殻の内側に残した稚さなのだろう。
 そしてそんな彼女を今も変わらず見透かしたような微笑みで、ロキは事も無げに言ってのけるのだ。

55LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:48:12 ID:pH7EOQgU0

「いやあ、だって前の君、クソつまんなかったもん」

 歯に衣着せないにも程がある辛辣な評価に、思わず眉根が寄った。
 感情を隠す意味はない。この男が相手では、それは滑稽な道化芝居にしかならないと理解している。

「見どころなし、可愛げなし、なまじお化粧上手だから弄り甲斐すらありゃしない。
 何か知らんけど天才ごっこしてる、どこにでもいるような普通の女の子。そんなの珍しくもなんともない。
 あの腰巾着女も非凡さなら大概だけど、ことちゃんは見る目があるからな。そういう意味でも、あの場じゃ君が一番つまらなかった」
「そうですか。流石は英霊ですね。立派な眼をお持ちみたいで羨ましいです」
「実際図星だろ? あの時あの場で、一番価値がなかった人間は自分だってコト」

 睥睨する。が、否定はしなかった。
 伊原薊美は茨の王子。舞台上のブルーブラッド。
 どう魅せれば自分が引き立ち、どう振る舞えば自分を落とすことになるかは熟知している。
 此処で否を唱えるほど無様なことはない。ロキの言う"以前の自分"ならまだしも――今の自分にはそれが分かる。

 薊美のそんな姿勢もまた、ロキの眼鏡に適うものだったらしい。
 彼はニコニコとさぞ女受けの良いだろう甘いマスクを彼女へ向けながら、上機嫌そうに続けた。

「憧れるのは勝手だし、実際目指すのも自由だけどさ。
 現実問題として、空の星に向けてどんなに手ェ伸ばしたって徒労だろ?
 そういうのは酔っ払いが酒場で巻いてる管と変わんないんだよ。そういう意味でも、さっきまでの君は論外だった」

 しかしそれは、裏を返せば"今の薊美"はそうではない、という意味にもなる。
 事実、ウートガルザ・ロキの態度の変化には伊原薊美がこのわずかな時間のあいだに遂げた成長が大きく寄与していた。
 自己核星。茨の戴冠。空に非ざる身で宙への階段を昇る、人造の星辰。
 資格なくして星に昇ろうとすること、それは紙の月に肉付けをして本物を創ろうとするのと同義だ。
 正気では歩めぬ茨道。されど薊美は、元より己を茨と定義した王子である。

 ――茨の王子がどうして、荊道を歩むことを臆そうか。

「認めてあげよう、大したもんだよ。
 そういうアプローチで"こっち"に踏み出してくるとは、正直まったく予想外だった」

 ぱちぱち、とロキの乾いた拍手が響く。
 込められた賛辞は間違いなく本物だ。
 なのにこうも空寒く見え/聞こえるのは、そこにあるものが欠落しているから。
 それは善意。成長を祝福する一方で、この道化師は依然として欠片も"伊原薊美"という人間にその手の感情を抱いていない。
 中身のない祝福ほど虚ろなものもない。そしてロキは、そのことを隠そうともしていないのだ。

「……それで?」

 薊美は言う。
 一歩も退かない、気圧されない。
 そういうのはもうやめることにしたから。他でもない、己自身の意思で。

「此処で潰すんですか、私を」

56LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:49:35 ID:pH7EOQgU0

 ウートガルザ・ロキの眼を見て、薊美は言う。
 その問いは淀みないものだったが、実質、今の彼女は生死の分水嶺に立っていた。
 蝗害の魔女はまだ当分本調子に戻らない。トバルカインは刺激しなければ問題ない。
 が――ロキだけは違う。彼の気分次第で、仁杜以外誰の首が飛んでも不思議ではないのだ。

 霊体化して今も臨戦態勢を保っているカスターも、この男が相手ではものの敵にもなれないだろう。
 騎兵隊の得意技は物量に飽かした、戦場を点でなく面で制圧する蹂躙走破。
 逆に言えばそれは、圧倒的な"個"に対しては極めて無力であることを示す。
 神寂祓葉の時がそうだったように。薊美の眉が、少し揺れた。

「やめときな。無駄だよ、俺に色気は通じない」

 であればとせめてもの光明を探っていたことすら、このように見抜かれる。
 魅了魔術。他者を彩明に照らし上げ、王子たる己の行軍に付き従わせる彼女の星光。
 それを無駄だと、ロキは言った。

「どうも、星に触れるっていうのは想像以上に知的存在の価値観を破壊するらしい。
 眷属と呼べるほど深く灼かれた人間は、他者からもたらされる新たな光を受け付けないようだ。
 火傷の上から新しい火傷を上塗りすることはできないと思った方がいい。
 ことちゃんが神寂祓葉にあまり惹かれてないことがその証明だよ。彼女は俺の同類だからね」
「……ご教授、感謝します」

 その可能性には、実のところ薊美も行き当たっていた。
 根拠は今ロキが語った通り、高天小都音があまりにも神寂祓葉に対し惹かれていない様子なこと。
 孤高無二であるべき自分を嘲笑った男に教鞭を執られた事実は屈辱だったが、この段階で確信を持てたことは大きい。
 同時に舌を巻く。恒星の資格を有する者と、持たざる者。両者の差を嫌味なほど教え込まれている気分だった。

 問題ない。どの道いずれ、この宙に輝く星は己ひとつになる。
 木星と笑いたければ笑えばいい。踏み潰される覚悟があるのなら。
 すべての星が踏み潰された死骸の宇宙を見上げ、その時真に見るべきが誰だったのかを全員が思い知ればいい。
 力とは偉大なものだ。覚悟とは有意なものだ。あらゆる怒りも煩悶も、こうして未来に変えられる。

「心配しなくていい。俺は"まだ"、君の敵じゃあないよ。
 にーとちゃんは君を結構気に入ってるみたいだからね。
 あの子、あれで意外と友達思いだからさぁ。下手に手出したら俺が嫌われちゃう」
「そうですか、安心しました。私も"まだ"、あなたと揉めたくはなかったから」

 ロキの恐ろしいところは、微笑みの裏で何を考えているか分からないところだ。
 演技を極め、人心を振る舞いひとつで計算通り魅了する薊美でさえ、彼の本心はまるで読めない。
 確かなことは彼が月に魅了されていること。この自分を差し置いて、他の光を至高と崇めていること。

 ――度し難い。だが今はまだ、動くべき時ではない。

 〈月〉天枷仁杜を中核に組み上げられたこの同盟には利用価値がある。
 ロキの出力。トバルカインの技。そしてカスターの物量。おまけに時間制限付きではあるが、〈蝗害〉さえ友軍に置いた。
 これ以上に安全で、かつ勝ち馬なことが明らかな集団は現状この都市に存在すまい。
 一時の不快感で当座の安泰を放り捨てるのは誇りではない。ただの愚者というのだ。

「肝据わってんね。俺がにーとちゃんにべた惚れなの分かった上で、いずれ裏切りますよって宣言しちゃうんだ」
「少し考えましたけど、聖杯戦争ってそもそもそういうものでしょう。分かってないのはにーとのお姉さんだけです」
「違いない。そこがかわいい」
「その見た目と性格で甲斐性有るのすごいですよね、ロキさんって」

 そも、それを言うなら最初からそうだ。
 伊原薊美は一度だって、私欲以外でここの面々と関わったことはない。
 小都音は理解していた。同盟の一員と呼ぶのは語弊があるがイリスもそうだろう。例外は仁杜だけである。

57LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:50:37 ID:pH7EOQgU0

「私が仁杜さんを傷つけたら、ロキさんの怒ったところも見れそうですね」

 ふ、と小さく口元を緩めて言う。
 ロキの嘲笑は常に、美麗な笑みでもって紡がれる。
 薊美もそうだ。元の造形が良すぎるから、そしてそれを最大限活かす術を呼吸のように用い続けているから。
 彼女が口にすれば、こんな挑発でさえどこか気高さを帯びて聞こえる。
 笑顔巧者がふたり並んで静かに、美しき火花を散らす光景はそれこそ歌劇の一幕を切り出したようだ。
 が、無論、薊美とて理解している。

「んー? ああ、そうだね」

 考えるように口元に指を当てて上を向き。
 客を誘惑するホストのように、指を下ろさぬまま薊美を見て。
 絶世の美貌にいつも通り、いやそれに輪をかけて爽やかな笑みを浮かべ。

「"怒るよ"」

 誰かの真似のように芝居がかった調子で一言返す、北欧の奇術王。
 その一言だけで、肉体の熱が一気に消え失せる。
 
「…………っ」

 身体が、その中枢が、本能と呼ばれる部分が警鐘を鳴らす。
 死がすぐそこにあることを改めて実感するには充分な、それにしたって過剰なほどの戦慄。
 わざと挑んでみた甲斐があるというものだ。この感覚は、必ずや自分にとって益になる。
 いつか月を落とす時。それ以前に、まだ見ぬ英霊や魔術師、そしてあの〈太陽〉に挑むに当たって。

「これでいいかい? 期待には応える質でね。君も結構可愛げのあるおねだりができるじゃないか」

 茨の王子に、怯懦は似合わない。
 他の誰が仕方ないと慰めようが、そんなもの、舞台の主役たる彼女にとってはむしろ嘲りだ。

 引き金は引いた。志は一貫している。ならば次は知るステージだ。
 台本に目を通し、造る輝きのカタチを吟味するように。
 これもその一環。伊原薊美は怯えを知らないが、それは無謀を意味しない。
 幸いにも身近にいてくれた"規格外"のモデルケース。これを用いて恐怖を知る。
 知った上で踏み越える。越えられなければ己は己でいられない――それが薊美の自己定義。
 そう思える限り、茨の王子は舞台が地獄であろうと絶対不変だ。誰にも歩みを止められないと、他でもない薊美自身が一番知っている。

「そうだ。ついでにもうひとつ、君にご褒美をあげようか」

 ロキが、虚空に手を翳す。
 幻術。彼の異能の得体を聞かされていた薊美は、思わず咄嗟に身構えたが。
 当のロキは構うこともなく、空の波紋から一振りの剣を引き抜いた。

「――頑張り屋の木星ちゃんにプレゼントだ。俺はね、面白い女に弱いんだよ」



◇◇

58LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:51:42 ID:pH7EOQgU0



〈渋谷区・路上〉



 吹き荒れる嵐。
 砂塵のように見えるそれは、すべてが昆虫で構成されている。
 自然界が人類に対してもたらす悪夢のひとつ、サバクトビバッタの蝗害。
 聖杯戦争に英霊として召喚された"かれら"の捕食対象は草木や花に限らない。
 人も、神も、獣も、無機物でさえ貪欲に食らって生殖を繰り返す無尽蔵の悪夢。
 どの星とも無関係に存在し、誰より街を食い荒らしている理不尽の象徴。
 そんな無尽の軍勢が織りなす嵐に、しかし単身突撃する美男子の影がある。

 ――男の名前はロミオ。人類史上最も有名な、"恋する男"。

 剣を片手に猛進する彼の姿はされど、甘い恋物語に焦がれる乙女が夢想する美青年像とはかけ離れていた。
 
「はははははは! おお、どうか見ていてくれジュリエット!
 君への恋慕が僕を強くする。こんなにも僕を熱くしてくれる!
 嗚呼、今の僕は君のために――嵐でさえねじ伏せて魅せようッ!」

 狂ったように、それでもこの世のものとは思えないほど美しく笑いながら。
 旋風となって迫った飛蝗どもを、手始めに剣の一振りで潰滅。
 レイピアという武器の本来の用途をガン無視して、膂力任せに、彼風に言うならば思いの儘に鏖殺する。

 だが当然、無茶の代償は大きい。
 剣を振るい終えた隙を見逃すほど、野生の本能は甘くないのだ。
 同族の仇を討つだなんて殊勝な気持ちは微塵もなく。
 ただ純粋に、そこにいる獲物を喰らうために無数の飛蝗が彼の五体へ飛び付く。
 神も葉も同じルールで食い尽くす自然の暴食者達には英霊の神秘など関係ない。
 ロミオの腕やら、足やら、胴体に飛蝗の牙が食い込んで、血を飛沫かせながら頭を突っ込んで潜り込む光景は悪夢そのものだ。
 世界中に愛された恋物語を凌辱する、粗野なる本能。
 物理的損傷と、飛蝗どもが体内へ残す毒素――そのふたつが瞬く間に命知らずの美男子を食い潰す。

 ……それが道理。
 されど、ロミオは〈狂戦士〉である。
 ついでに言うなら、とても惚れっぽい。
 惚れっぽい癖に愛情深い彼は、当然のように――今この瞬間も、恋をしている。

59LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:52:43 ID:pH7EOQgU0

「ぬるいぞッ!!」

 ――恋は盲目。
 ――恋する男はいつだって無敵。

 吠えたと同時に、ロミオの全身の筋肉が急激に膨張した。
 理屈抜きの自己強化で突如膨れ上がった筋肉は、内部へ食い込んでいた飛蝗達を一瞬にして圧殺。
 毒を含んだその死骸を、まるで噛み終えたガムでも吐き出すように外へ絞り出す。
 筋肉が傷口を強引に閉じて止血し、傷があった事実すら何かと都合のいい彼の脳味噌のようにあっさり忘却してしまう。
 哀れサバクトビバッタ。散っていった彼らも、よもやこんなやり方で殺されるだなんて思っていなかったことだろう。

 とてもではないが正気とは思えない対処法で体内の飛蝗を退けたロミオ。
 筋肉の膨張という手を打ったにも関わらず、その絶世と言っていいプロポーションは一切損なわれていない。
 外に広がるのではなく輪郭をそのままに内側だけで膨張を留め、単純に全身の筋肉密度を底上げしたからだ。
 ロミオ以外、この世の誰も真似できないだろう芸当。
 やり方を聞かれたなら、彼は笑顔でこう答えたに違いない。


 ――――僕は、ジュリエットを愛しているからね、と。


「すべてが猪口才だ。たかだか虫螻の跳梁で、僕らのロマンスは阻めない」

 
 そう、恋する彼は盲目なのだ。
 ブラインド・アローレイン。
 盲目の彼には数多の運命が降り注ぎ続ける。
 そして愛深きロミオは、降る矢のすべてに全力で応える。応えてしまう。
 たとえそれが、己という英霊の限界を越えた形であっても。

「おおおおおおおッ!」

 故にロミオは、当然のように蝗害の嵐を踏破する。
 その奥で嗤う総体意思へと辿り着き、覇を吐くのだ。
 振るわれるレイピア、受けて立つ飛蝗仕立ての金属バット。
 美と醜、相容れぬ概念の相克がここに成り立つ。

「強ぇなお前。匂いはただの雑魚なのに、燃えさせてくれるじゃねえの」
「当然だ。この身はそう大したものではないが――男にはやらねばならない時がある。君も雄ならば分かるだろう?」
「当たり前だろうがよぉッ! クソ、スカした面のイケメンの癖に……」

 俗に染まりきった虫螻の王が、ロミオの言葉に改めて破顔する。
 一歩ぶんの距離を後退して、バットを天高く振り上げ、そして。

「――良いこと言うじゃねえか! 気に入ったぜェェッ!!」

 振り下ろすと同時に巻き起こす飛蝗の大爆発。

60LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:53:39 ID:pH7EOQgU0
 彼を中心として噴射状に溢れ出す、無数の同族達。
 だがロミオは退かない、一歩だって下がらない。
 その選択肢を知らないが如く踏み止まり、自殺行為を冒しながらまるで死なない。
 死なぬまま、倒れぬまま、下がらぬまま。
 虫螻の王が放つ一撃を、恋するままに受け止めてみせるのだ!

 腕が軋む、骨が悲鳴をあげる。
 だからどうした、おまえの背中にいるのは誰だ。
 決まっている――ジュリエットだ。
 
「メスに貪欲なのは俺も一緒さ。恋バナと洒落込もうか、なァ――!」
「上等だとも。君が僕の想いに付いて来れるならば、だがな!」

 であればロミオはいつだとて最強無敵。
 限界突破、道理超絶、是非もなし。
 彼が持つただひとつの宝具、それは即ち想いの力。
 恋の障害が大きければ大きいだけ強くなる、〈この世界の神〉にもよく似た無法の権化。
 地団駄ひとつで数百匹の飛蝗を粉砕し、吹き荒ぶ嵐の中心点にてロンドを舞う。

 天を恐れず地を恐怖で満たす〈蝗害〉を相手に、こうまで力技で粘れるサーヴァントは彼くらいのものだろう。
 その上で、飛蝗どもの総体意思が振るう暴力にまるで引けを取っていないのだから凄まじい。
 神秘の桁で言えば間違いなく凡愚の部類だろうが、想いの力は時に道理など超越する。
 おお、人に恋することのなんと素晴らしきことか。喝采するように、ロミオは笑顔のまま絶望の中で咲く希望の一輪花と化していた。

 なればこそ――


「お初にお目にかかります。〈蝗害〉の主、あるいはそのものよ」


 付け入る隙があるなら此処しかないと、ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレスは賭けに出た。
 足を一歩前へ踏み出し、ロミオと打ち合うツナギ姿の総体意思へ語りかける。
 一撃一撃が大地を抉り、人間はおろか英霊さえ血煙に変える威力で殺し合う怪物にそれができる胆力は流石と言う他ない。
 故にシストセルカも、眼球だけとはいえ彼の方へ注意を払うのを余儀なくされる。

「こちらに交戦の意思はありません。
 今は貴方がたが先に仕掛けてきたためにやむなく応戦していますが、我々には対話の用意があります」

 『ちょっ、キャスター……!?』と念話で声をあげる満天に応じている暇は今はない。
 ファウストほどの男でさえ、わずかでも気を抜けば辺りを行き交う飛蝗に食い殺されかねなかった。
 魔術である程度の防御は展開しているものの、こんなもの、あの〈蝗害〉にしてみれば紙切れも同然だというのは分かっている。
 だからこそ時間は惜しむ。思考に余力は残せない。今ここでできるすべてを全力でこなす、それが彼の取った選択だった。

61LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:54:33 ID:pH7EOQgU0

「ついてはまず、問いたい。貴方がたをこの地に召喚したマスターはこの近辺においでですか?」
「あ〜? ああ、イリスのこと言ってんのか。居ねえよ。まあちょっといろいろあってな」
「そうですか。であれば、その"イリス"氏に念話でコンタクトを取っていただくことは可能でしょうか」

 ロミオの奮戦は想像以上だった。
 もし彼の存在がなければ、今頃自分達は絶望的な撤退戦を強いられていただろう。
 が――聡明なるメフィストフェレスには分かる。彼はどこまでも狂戦士であり、故にそこには兵法がない。

「話をさせていただきたい。そちらの出方によっては、有益な情報を提供できるかもしれません」

 ロミオは強い。だが、あくまでも彼のは"個"の強さだ。
 対する敵は無限の軍勢。それを正攻法で削り切ろうという発想自体、歯に衣着せず言うならズレている。
 海の水をすべて手酌で掻き出そうとするようなものだ。
 どう考えても現実的ではなく、よしんば可能だとしても、そこに要する時間は間違いなく相手の側に味方する。
 そしてそんな狂おしい戦いに挑むロミオの勝算を増やす手立てが、今の自分達には存在しない……!

「言うなれば命乞いです。ただしこの命乞いには、汲むだけの価値がある。英霊としての誇りに懸けて、そう断言致しましょう」

 ノクト・サムスタンプの英霊を合法的に無駄死にさせられるかも、なんて発想を捏ねる余裕もない。
 メフィストフェレスは可能な限り端的に、かつ汲む価値を含ませて、〈蝗害〉の総体意思に語りかけた。
 うまく行けば命を拾える。その上で、目下最大の脅威であった〈蝗害〉の内情に踏み込む余地を生み出せる。
 悪くない策だ。そう、間違いなく悪くはなかった。メフィストフェレスはこの場で打てる最善手を打った。
 それでもひとつ、たったひとつ、貶すべきところがあるとすれば、それは。


「ごちゃごちゃうるせえ」


 運が悪かったこと――相手が、会話など端から不可能な昆虫(イキモノ)であったこと。

 二度目の爆発。
 それは、一度目とは比にならない衝撃で廃墟の渋谷に轟いた。
 巻き起こった飛蝗の荒波は、今度はメフィストフェレスの側にまで襲いかかる。
 此処で、彼がこんな事もあろうかと用立てていた備えが活きた。
 事前に念入りに構築されていた自動防御術式が作動し、自分を襲う第一波を受け止め殺す。
 その上で嘆息。やはりこうなるか、という諦観を秘めた仕草であった。

「悪いな、俺って見ての通り馬鹿だからよ。
 そういう小難しい話されてもよく分かんねえんだわ」
「……十分に噛み砕いたつもりだったのですがね。あなた方、"虫螻"のレベルに合わせて」
「けどよ。ひとつだけ分かってることはあるぜ。この時代じゃ常識なんだろ? ウチのお姫様にも口酸っぱく言われたよ」
 
 ニィ、と、前髪の隠れた虫螻の王は笑って。

「何か分からんが美味そうな話してくる奴ぁすべて詐欺師、ってなァ――!!」

 次の瞬間、視界に存在する飛蝗の数が軽く五倍以上に膨れ上がった。
 廃墟の展覧会と化した渋谷の街が、傷口を抉られて再び悲鳴をあげる。
 アスファルト、廃ビル、霜の下、あらゆる場所から顔を出しては噴き上がる虫螻の洪水。
 この仮想の東京における、もっとも普遍的な"死の象徴"が再びの嵐となって悪魔たちを見舞う。

62LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:55:30 ID:pH7EOQgU0

「楽しい恋バナ中に醒めさせんなよ。混ざりたきゃてめえも好きなメスの名前くらい言ってみせろや」

 不滅と常軌を逸した手数、攻撃規模。
 圧倒的な攻撃性能。
 四本の柱から成る〈蝗害〉を叩くにはそもそも全開の彼と戦える次元の力がなければ話にならず、よって楽観的になれる要素は何ひとつなかった。
 
「ぬうッ……! 卑劣な男め。君の相手は僕だと言った筈だぞッ!」
「悪いね色男。虫螻の世界じゃ誠実な男より食欲旺盛なオスがモテんだよ」

 頼みの綱はロミオだが、どれほど常識外れの狂戦士であろうとも、如何せん彼には面攻撃への対処手段がない。
 だからこそこうしてシストセルカが一対一の構図に固執しなくなった瞬間、それまでの戦線は容易く崩壊してしまう。
 とはいえメフィストフェレスも黙って殺されるつもりはない。幾つかの策を巡らせながら、スーツの裾口からアンプル状の物体を五つ、迫る飛蝗の嵐へ投擲した。

「――使うぞ」

 奪い取った魂の残滓で偽装した肉体。
 その持ち主へ、もう口を利くこともない"彼"へ律儀に一言告げて。
 錬金術師ゲオルク・ファウストの皮を被った悪魔メフィストフェレスは彼の威を借る。

 ――エレメンタル。
 属性元素を凝縮させた結晶を用い製造された人工霊である。
 もっとも戦闘向きの霊基ではない都合、秘術などと呼べる領域の代物では決してない。
 事実メフィストフェレスは普段これを執務や諸々の雑用に用いており、戦いの場で取り出したのは今回が初めてであった。

 が、勝算がないわけではない。
 何故ならこれは、そもそもこの事態を想定して造っておいた品物なのだから。

「あぁ? テメェ……」

 シストセルカの顔に不快の色が過ぎる。
 出現したのは土の元素を用いて編んだエレメンタル。
 一流の錬金術師が手掛ければダイヤモンドを凌駕する硬度にもなるというが、生憎ファウストの腕はそこまで卓越していない。
 よって一瞬で元素塊は食い尽くされ、虫どもによってスポンジ同然の無残な姿に成り果てる。

 が――朽ちる土塊は崩壊しながら、断末魔のようにスプリンクラーめいた白煙を噴き上げた。
 その煙に触れた飛蝗達が次から次へと地面に落ち、苦しげにのたくっては死んでいく。
 それはまさしく、蛇杖堂の宿老が彼らを意識して取った備えと同じものだった。

 "殺虫剤"。現代の対〈蝗害〉最前線でも活躍し日進月歩で革新を遂げている、現霊長の叡智である。

 簡 易 契 約     強 制 隷 属
「Einfach Vertrag――――Zwang Knechtschaft!」

 その上で高速詠唱。
 巨大な魔法陣を地に描き上げ、即席の対風結界を形成する。
 自身と満天を守護するための陣を構築し、メフィストフェレスは静かに眼鏡を直した。

63LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:56:33 ID:pH7EOQgU0

 見事な手際。
 されど、悪魔の表情は渋いままだ。
 そう、術者である彼が一番よく分かっている。
 こんなもの、単に即死を凌ぐのが精々の出来が悪い延命措置に過ぎないと。

「おいおい」

 高速詠唱のスキルを持つメフィストフェレスであれば、この程度の芸当なら造作もない。
 が、絶対的に出力が足りていない。
 現代の魔術師を評価基準とするのならこれでも十二分に驚愕を勝ち得たろうが、此処は英霊という理不尽が闊歩する蠱毒の壺である。
 
「興醒めだぜ。馬鹿かよ、テメェは」

 故に、そう――予想通りに。
 殺虫剤の即席煙幕は、純粋な物量で突破される。
 結界は蝗の到達を阻むが、すぐに表面に亀裂が走り始めた。
 蛇杖堂寂句が見事〈蝗害〉を撃退できたのは、あれが室内での攻防であったから。
 殺虫剤が風に流されることなく空気中に滞留する状況と、過剰なほどの薬品量があって初めて成し得た快挙なのだ。
 状況も量も不十分なこの状況では、如何に"天敵"を用立てたとして同じ成果を得るのは無理筋と言わざるを得ない。

「やっぱり魔術師ってのはどうも好かねえな。
 蛇杖堂のクソジジイといいロキ野郎といいテメェといい、ウチの姫さんが可愛く思えてくるぜ」
「ほう。想定はしていましたが、やはり寂句翁の病院を荒らしたのは貴方がたでしたか。
 是非とも詳しく話をお聞かせ願いたい。何分、現在我々は〈蝗害〉の調査という名目で此処にいる身でしてね」

 誰でも分かることだ。
 故に、悪魔メフィストフェレスがそれを想像できなかった筈もない。

 結界が砕ける。
 その寸前に、悪魔は命じていた。
 彼の従者は〈蝗害〉が相手では足止めすらままならない。
 しかし彼には、彼らにはもうひとり――とびきり優秀で、手の付けられない従者(ボディーガード)がいる。

「仕事だ。ジュリエットが泣いていますよ、バーサーカー」
「――承った。麗しの煌星に涙は似合わない」

 千里を駆ける健脚で割って入る美青年。
 煌星に焦がれ、声高らかに恋を謳う狂戦士。
 メフィストフェレス達の地点とつい一瞬前までロミオが戦っていた地点との間には十メートル以上の距離があったが、"恋する男"にとってそんなことは大した問題ではない。思い切り地面を蹴って文字通りの一足跳びで推参し、着地の余波だけで飛蝗の体液を無数に飛び散らせた。
 
「ま〜〜たテメェかよ。その辺で待ってろって、そこの根暗食ったら相手してやるから」
「残念ながらそれはできないな、どこまでも獰猛で卑劣な虫螻の王よ。
 オスではあっても男ではない君には分からないだろうが――男子というのはね、愛する者の前では格好付けたくなるものなのさ!」

 追って乱入する総体意思の一撃を、相変わらず事も無く受け止める。
 その上で切り結ぶ姿は、もはや恋物語を通り越して英雄譚の主役のようだ。
 物語のジャンルがどう変わっても揺るがずその立ち位置を死守できる華と強さが彼にはあった。

64LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:57:25 ID:pH7EOQgU0

 剛撃と剛撃、同系統の獰猛同士が壮絶に殺し合う。
 無論、肉体ひとつで戦っているロミオの方が明らかに損耗は大きいが、だというのに彼は一歩も後ろに退かない。
 己という存在を恋の対象、すなわち満天/ジュリエットを守るための最終防衛ラインと見立てて存分に真価を発揮する。
 既にその身体能力は、彼の基準値(デフォルト)を優に数倍は超絶していた。
 
「あ゛〜〜、面倒臭ぇなぁ!! どいつもこいつもろくでもねえ奴ばっかりリスペクトしやがってよ〜〜!!」

 戦えば戦うほど、相手が強ければ強いほど、それに合わせて強くなる。
 過去に一度敗走し、そしてついさっきも"まがい物"を食い殺した。
 別に恐れちゃいないが、こうも同じような獲物ばかり続くと食傷というものだ。
 苛立ち露わに、シストセルカが跳躍する。

「逃がさんッ!」

 その一瞬を、ロミオは当然見逃さない。
 目にも留まらぬ速さで乱れ突きし、瞬時にツナギ男の全身を槍衾に変える。
 集合体恐怖症の人間が見たなら卒倒ものの、もはや人の形をした穴のような姿に変わったシストセルカが、またも飛蝗の群れに変わって霧散。
 ロミオの数メートル手前まで下がった位置で再形成し、やれやれと気取った態度でため息をついた。

「いいよいいよ。
 そっちがそういうつもりなら、こっちも考えがあるわ」

 ポケットに手を突っ込んで、靴底で地面を叩く。
 それと同時に、再び飛蝗の竜巻が噴き上がった。

 ――ただし今回は、攻撃のための嵐ではない。

「……チ」

 そう来るか、とメフィストフェレスが舌打ちをする。
 ロミオに防戦を任せつつ逃げる隙を探っていたのだが、事態は好転するどころか更に悪化した。
 その証拠に冷静沈着にして慇懃無礼な"プロデューサー"の皮が剥げ始めている。
 彼の舌打ちなど満天は初めて聞いただろう。しかしそんな姿を晒しても仕方がないと思えるほどの最悪が、彼女達一行を取り囲んでいた。


「驚いたよ。大した知恵だな、シストセルカ・グレガリア」
「あんまりスマートなやり方じゃないからよ、正直好きじゃねえんだけどな」


 人を喰い、神を喰い、都市を喰む飛蝗の嵐。
 それがドーム状の結界を構築し、ファウスト達全員を内に収めた状態で閉じられた。
 言うなれば彼らの、彼らによる、彼らのための"狩猟領域(テリトリー)"だ。
 逃げ場を塞げば一方的に削り殺せると悟った。悟らせてしまったからこそお出しされた死の球体。

 眼前の二騎を食い殺すのに、過ぎた出力は必要ない。
 ロミオのタフネスはいささか厄介だが、それも得意の物量で少しずつ削っていけば無問題。
 メフィストフェレスに関しては適当に飛蝗を飛ばし続けるだけで制圧できる。
 そうやって敵陣の戦力を削り取り、最後に満天だけ残して"握手会"と洒落込めばいい。
 イリスに余計な負担を強いることもなく、格下どもを確実に食い殺す虫螻の一計だった。
 安直と言えばそれまでな付け焼き刃の計略ではあるものの、しかし現に――腹立たしいほど理に適っている。

「うし。じゃあ気ィ取り直して、始めっか」

 バットを両手で持ち、後頭部に当てて顎を突き出し。
 嘲りの笑みを浮かべて、シストセルカは絶望の蝗害戦線、その第二局の開幕を宣言した。

「――――"蹂躙"」



◇◇

65LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:58:21 ID:pH7EOQgU0



 そこからの戦闘は、実に無体なものであった。
 いや、そもそも本質的に"戦闘"と呼んでいいかも怪しい。

 そも、シストセルカ・グレガリアは別に戦闘狂ではない。
 フランクな言い回しで喋り、時にはノリの良さも見せる。
 現代の世俗に染まり、英霊とは思えない趣味を多数有してもいる。
 だが、それでも。どこまで行っても、彼は〈虫螻の王〉なのだ。

 昆虫の世界に流儀はない。
 卑怯卑劣の誹りはもちろん、誇りも矜持もありはしない。
 彼ら虫螻にとっての存在意義はふたつ、食うことと増えること。
 英霊シストセルカ・グレガリアも、その例外では決してない。
 だから民間人だろうと食う。老若男女好き嫌いせず食う。
 所構わず個体数を増やし、その上で一個体の生き死にに頓着せず総体のために使い捨て。
 そして――このように。手のひらを返すみたいに、非道な戦い方だって働けてしまう。

 前線のロミオと彼らの総体意思が終わりなき殺し合いを続け。
 その一方で、絶え間ない手慰みが悪魔のプロデューサーに行動を許さない。
 前線からあぶれた蝗を雑に突撃させているだけだが、それだけでも非力なキャスターにとってはすべての余力を奪い去る鬼手と化していた。

 眉間に皺を寄せ、その場しのぎの魔術を駆使して防戦に徹するしかないメフィストフェレス。
 頼みの綱はロミオのみと言える状況であるが――彼も彼で苦境にいることには変わりなかった。

「惰弱だなッ、そんなものか虫螻の王ッ! 君達飛蝗の眼には、僕の想いがこの程度で破れるほど薄氷に見えているのか!!」

 すべては先に述べた通りである。
 ロミオがどれほど強くなっても、対軍・対城規模の攻撃手段を持たない彼では無限に湧いて出る飛蝗の軍勢を決して滅ぼせない。
 言うなれば絶望的に相性が悪いのだ。彼はそれを翳らぬ心と驚異のバイタリティで覆い隠しているが、問題の解決策にはなり得ない。
 それでも未だにレイピア一本で〈蝗害〉の最前線に立ち、一歩も退かない戦いぶりを継続しているのは異常と言う他なかった。
 期せずして知らしめられた英霊ロミオのポテンシャル。彼をボディーガードに擁立したメフィストフェレス達にとっては有益な情報であったろうが、この狩猟領域を切り抜けなければどんな情報だろうと紙屑ほどの価値もない。

「見えてねえって。つーかテメェ、男気あるんじゃなくて単に色狂いのキチガイなだけじゃねえかよ。
 俺ってこれでも割と理性を大事にするタイプでな、会話を楽しめねえキの字には興味ねえんだわ」

 ロミオの剣閃がフード越しにシストセルカの右眼窩を抉る。
 頭部に風穴が穿たれるが、気に留めもせずバットが横薙ぎに振るわれる。
 ついでに殺到した飛蝗が弾丸の如く喰らいついて、すぐに筋骨で圧殺されるが傷だけは的確に刻んでいく。
 彼らのやり取りは常に此処に帰結していた。要するに、ロミオ側には何の得もない消耗だけが積み重なっている。

 そして――

「…………ッ、ぐ」

 悪魔メフィストフェレス、遂に片膝を突く。

66LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 12:59:18 ID:pH7EOQgU0
 彼の右肩には、それこそ銃弾で撃たれたような傷が覗いている。
 防御を突破した飛蝗にやられたものだ。毒の解毒は片手間に済ませたが、その荒く乱れた呼吸が疲弊の度合いを物語っていた。

(俺の霊基じゃ、たとえ満天に令呪を使わせたところで転移まがいの離脱は出来やしねえ。
 討ち死に覚悟で博打でも打てばあのガキだけ逃がすことは出来るかもしれんが…………クソ、それじゃ何の意味もねえんだよ)

 〈蝗害〉は災害である。
 だが、彼らは自ら考えて行動する。
 純粋な狂える厄災であったならどれほど楽だったか。
 メフィストフェレスに言わせれば飛蝗どもの思考は稚拙なものだが、馬鹿の浅知恵でもそこに規格外の物量が付随すればどんな軍師の策でもねじ伏せられてしまう。

 認識が甘かったとは思わない。
 備えも、見通しも、決して手抜かりはなかった。
 だがそんなもの――この災厄の前では何の価値もない。

 "怪物"だ。
 星にのさばる、本物の"呪い"だ。
 人倫に縛られず、策を牙で食いちぎり、暴力で理屈を蹂躙する、"風の厄災"。
 恐らく戦線の維持はもう数分と保たない。ファウストを騙るメフィストフェレスは、苛立ちの中でされど冷静に思考する。
 優先すべきは満天の命でも、自分の命でもない。両方の命だ。契約者と悪魔、どちらか片方でも落ちてしまえばその時点で自分の戦いはすべての意味を失ってしまう。
 ではどうやってそれを押し通す。どうやって、そんなウルトラC級の無茶を罷り通らせる。
 ……答えが出ない。だとしても悪魔は諦めない。残されたわずかな時間を最大限に活用して、そのニューロンから少しでも有意なドリップを絞り出さんと魔域の頭脳をフル回転させる。



『やはりロミオを活用する以外に方法はねえ』『残りの元素塊どもも少しは役に立つか』『いや無理だ』『あの規模の戦闘に放り込んで耐えられるほど上等なモンじゃねえ』『魔術で介入』『論外だって言ってんだろ馬鹿が』『俺が死ぬのは満天が死ぬのと同じくらい最悪だ』『だが共倒れになっちゃ元も子もない』『趣味じゃないが賭けに出るしかない』『俺が生き残る1%に賭けてあのガキを逃がす』『それが一番利口だし選択肢は他にないだろ』『いや待てあのバッタ野郎は思いの外狡猾だ』『野郎、よっぽど俺が気に食わないのか常に眼ぇ光らせてやがる』『やるにしても機を伺ってじゃなきゃ初動潰されてゲームセットだ』『第一てめえどうやって博打を打つつもりだ』『カミカゼ特攻が通じるような相手か?』『今の俺のカスみたいな出力でどこまでやれる?』『出し惜しみしなければ』『待て』『此処でチップを全消費したら先はねえぞ』『詐欺師は他人の懐事情に敏感だ』『ロミオはノクトの眼で耳だ』『なりふり構わず生き延びた結果ノクト・サムスタンプの傀儡堕ちなんざ死ぬより酷え』『だが贅沢言ってられる状況でもないだろう』『一寸先の死より三寸先の絶望なのは明白だろうが馬鹿か?』『その時はノクトを切れば』『クソ、論点がズレ出した。落ち着け』『整理しろ今必要なのは"俺達"の生存策だ』『この"狩場"さえ崩せれば目はある』『ロミオを誘導して領域の破壊に注力させるか』『そりゃ良い案だな。俺の許に来る飛蝗どもを押し止める防波堤が消えるってことに眼を瞑ればだが』『〈蝗害〉はまだ本気じゃねえ』『奴らが俺達を舐めてる内しか勝機はない』『舐め腐らせたまま最高の一手で押し崩す』『具体案を考えろ』『もう一度交渉の真似事でもするか?』『まだ殺虫剤仕込みの土塊は三機残ってる』『初動狩りさえされなきゃ目はある』『ロミオ次第だ』『いや』『虫螻どもは満天に興味を示してる』『いっそ満天にコミュニケーションでも取らせた方が望みがあるな』『その隙にロミオを動かして』『馬鹿か。ガキを狙われたら終わりだぞ』『残りの対〈蝗害〉エレメンタルで壁破壊の暇を生み出す』『飛蝗どもの気まぐれが終わったらどうする』『それをこれから考えるんだよ』『時間は有限だ』『あとどれだけ保つ』『良いところで一分弱』『無理だ』『泣き言ほざいてんじゃねえ』『現実的じゃない』『時間が足りねえ』『時間が』『クソ』『せめてもう一分あれば』『この倍だけ思考に注ぎ込める時間があれば――』



 ―――おお、瞬間よ止まれ、汝はかくも美しい。

67LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:00:13 ID:pH7EOQgU0



 ……人間のそれとは比較にならないほどの思考速度とリソースを持つ英霊(悪魔)の脳でさえ破裂寸前の超高速思考が、不意に再生された過去の残響によって中断される。
 断じて忘我の境地に彷徨することが許されるような局面ではないが、それでもメフィストフェレスはこの刹那、確かに時間を忘れていた。
 かつて、時よ止まれと願った男がいた。それは決して口にしてはいけない敗北宣言だった。
 が、その言葉を吐いた男の顔は奇蹟にでも巡り合ったような希望と充足に満ちていて――その不可解を今も悪魔は追いかけている。闇より生まれ闇路より這い寄る狡猾な悪魔が、闇の先に微かに見える光を求めて疾走しているのは何の皮肉か。

「…………ク」

 気付けばメフィストフェレスは、嗤っていた。
 他の誰でもない、自分自身へと向けられた嘲笑だった。
 年嵩の老人がひょんなことから自分の耄碌を自覚して溢すような。
 そんならしからぬ微笑を、愛すべからざる光たる彼が浮かべていたのだ。

「瞬間よ止まれ、か。よりにもよってこの俺が、そう祈る立場になるとはな……」

 窮地に沸騰していた思考が一気に零度までクールダウンしていくのを感じる。
 悪魔は呪いにかからない。時よ止まれとそう願っても、彼の魂を奪い去る者はいない。
 
「――笑えよ、ファウスト」

 なんたる無様。
 ヒトの真似事とは、悪魔をこうまで鈍らせるのか。
 そう思わずにはいられなかった。
 何せ、こうまで醜態を晒さなければ……最初から存在していたその選択肢の存在にすら気付けなかったのだから。


 ――状況整理。現状は極めて悪い。残り時間は一分を下回っている。あとたったそれだけの時間で戦線は崩壊し、間違いなく己は殺される。

 霊基こそキャスターだが素体が素体だ。
 ゲオルク・ファウストを詐称して現界した以上、まともな戦闘は百パーセント望めない。
 ましてや相手は〈蝗害〉、理屈と備えで戦うお行儀のいい魔術師にとっては天敵と呼べる存在である。
 殺虫剤を含有させたエレメンタルはまだ残っているが、流石に現状を打破する解決策になるとは言い難い。

 狂戦士ロミオは飛蝗どもの猛威に耐え得る稀有な戦力である。
 しかし、彼には軍勢を突破するすべがない。
 今こそ驚異的なしのぎを見せているが、それは状況の停滞と同義だ。

 自分がロミオを指揮して戦うのが最も現実的に見えるが、最悪なことに、〈蝗害〉は自分の存在を常に視野に含めながら戦っている。
 もしも少しでも彼らにとっての目の上の瘤と看做されたなら、すぐにでも押し寄せる飛蝗の数が増幅して自分は死ぬ。
 軍師の忠言すらこの狭く閉ざされた狩猟領域の中では誰もまともに活かせない。
 "策士殺し"とでも呼ぶべき絶望的なまでの布陣が完成してしまっている。

 整理完了――改めて現状がどれだけ終わっているかを再確認出来たところで、メフィストフェレスは浮かび上がった最後の選択肢を取り立てた。

68LIVE A LIVE(前編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:00:58 ID:pH7EOQgU0


(……俺は、いつの間にかずいぶん過保護になってたらしい)

 思えば最初から、こうするべきだったのだろう。
 自分がやるべきは聖杯戦争であって聖杯戦争に非ず。
 これはあくまでも、悪魔とその契約者の物語なのだ。
 その大前提をいつの間にか、他でもない自分自身が死蔵してしまっていた。
 
 リスクはある。あまりにも大きなリスクだ。
 失敗すればすべてを失う。これまでの積み重ねも描いた未来図も、全部がパーになる。
 逃げ場なき飛蝗の檻の中では、その際の尻拭いさえままならないのは明白であるが。

 ――だからどうした。破滅を恐れて縮こまる悪魔がいるか?


 ・・・・
(煌星さん)


 現在、煌星満天の思考を把握できる状況にはない。
 壮絶なる闘争を雑食昆虫達の檻に囚われながら見つめる少女の心境が、メフィストフェレスには分からない。
 思考を垣間見ながら言葉を弄し、彼女の背中を押すことはできない。
 だからこれは、さしずめ暗中で手を伸ばすようなもの。
 無明の闇に包まれてそこにある少女の心へ、されど悪魔は、当然のように問いかけるのだ。


(――――やれますね?)


 これは戦争で、殺し合いだ。
 今この瞬間までは、間違いなくそう。
 思えばその時点で誤っていた。
 馬鹿正直に相手の得意分野で対峙して、戦力で劣る自分達に勝算などあるわけもない。

 だからこそ、己の愚かしい失策を反省として胸に刻みながら――
 メフィストフェレスは今、状況の前提さえもを書き換える。

 もはや戦争には非ず。
 殺し合いなど戦争屋気取りの屑星どもにでもさせておけばいい。
 黴の生えた惨禍に別れを告げよう。これより始まるのは、煌星満天のための戦場。

 彼女と自分の繰り広げる"勝負"――さあ、利用させて貰うぞ、虫螻ども。

 〈プロデュース〉の時間だ。



◇◇

69LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:01:58 ID:pH7EOQgU0



 これはなに? と、思っていた。

 目の前の現実が、まるで薄窓を隔てた絵空事のよう。
 だってついさっきまで、自分は憧れのライバルとアイドルらしく勝負なんてしていて。
 怖い気持ちはあったけれど、それでも腹を括って任された"仕事"に不器用ながらも向き合っていた筈。
 それがわずか数分にして、嘘としか思えないような野蛮で凄惨な殺し合いの只中に変わってしまった。
 勇猛果敢に戦うロミオと、災害の如く荒れ狂うシストセルカ・グレガリア。
 そして、膝を突いて血を流す、ムカつくほどノンデリだけれど燻っていた自分をここまで育て上げてくれた"プロデューサー"の姿。

 素人目にも絶望的と分かる戦いに挑みながら、少しずつ傷ついていく見知った顔を前にして。
 煌星満天が何かできていたかというと、その答えはひとつだった。
 何もできていない。満天は、何もしていない。
 ただ見ているだけ。魔術師でも悪魔でもないただの女の子として、へたり込みながら打ちのめされていただけだ。

 ――甘く見ていた。心のどこかで、自分が投じられた運命の怖さを見誤っていた。

 輪堂天梨のサーヴァントである復讐者に剣を突き付けられた時のことを思い出す。
 あの時感じた骨の髄まで凍り付くような、根源的な感情。死の恐怖。
 思い出した上で、しかしその体験は何の免疫も彼女にもたらしてくれなかった。
 単純な話だ。今目の前で末法めいた光景を具現化させ、自分の命を握っている〈蝗害〉が、それよりずっと恐ろしかったから。

(…………違う、でしょ。もう、これ――――)

 これはもう、違う。
 根本的に、自分達とは違うモノだ。

 あの恐ろしい〈復讐者〉は、確かに怖い存在ではあったけれど、そこには確かに彼自身の感情があった。
 怒り。殺意。人間として生きてきて、これらの感情に親しんだことのない者はいないだろう。
 言うなればヒトの隣人。そういう満天にも理解のできる、見知った道理で動いていた。

 だが、この〈蝗害〉は違う。
 これは、そういう感情で動いていない。
 あるがままに食らう。あるがままに殺す。ただあるがままに生きている。
 どこまでも自然体で、そこには感情という名の血が通っていないのだ。
 恐ろしい暴力を振るって自分達を殺そうとしているのに物言いはどこかフランクで、親しみさえ感じさせる気さくなもの。
 そのアンバランスさはまさしく、ヒトとは違う生き物がこちらの在り方を模倣し振る舞っているかのようで――その不気味さが、満天にはとてつもなく冒涜的なモノに思えてならなかった。

 ――トップアイドルになる。
 ――世界を魅了してみせる。

 そう吐いた言葉が、目指すべき道が、遮二無二進むだけしか能のない足が音を立てて崩れていく。
 それが己にとって何を意味することなのか理解した上で、それでも得意の爆発は起きてくれなかった。

70LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:02:49 ID:pH7EOQgU0

 改めて理解する。
 すべてを魅了する〈愛されるべき光〉になるには、こういう魑魅魍魎を超えて羽ばたかねばならないのだと。
 再三に渡り噛みしめてきたその重さが、間違いなく過去最大の重圧となって満天を襲っていた。
 世界の均衡が、常識が、歩むべき道までもが崩れて在り方を見失うような絶望と恐怖。
 過去に吐き出した言葉のすべてが反転し、先の尖った暗黒の矢となって満天の心に突き刺さる。

「は――ぁ、う――」

 歯の根が合わず、がちがちと情けない音を立てる。
 汗が滲んだ端から冷えて、未だ街に残る冷気と手を組んで身体を冷やしていく。
 寒さが鈍麻させるのは身体だけでなく、心もだ。
 目を逸らせばその先にはキチキチと鳴きながら犇めき合う虫螻の壁。

「――ひ、ぃ」

 漏れてしまった怯えの声を責められる者はいない。
 仕方のないことという意味でも、誰もそこに目を向ける余裕がないという意味でも。
 恐怖は諦念を呼び。諦念は焦燥を招く。廃都の暗がりから何かが喜悦満面ににじり寄ってくるのが分かる。
 蝗の壁など"それ"の前では問題にもならない。だってそれは、煌星満天のためだけに囁き嗤う絶望だから。

 『背後から迫るあの闇に、追いつかれたなら君の負け』

 折れるな。挫けるな。
 それだけは、それだけはあっちゃいけない。
 
 ――終わり? 終わった? 受け入れた?

 ケタケタと嗤う"ナニカ"の声に耳を塞ぐ。
 意味はない。これには進むこと以外、希望へ進むこと以外何も意味を成さない。煌星満天は誰よりそれを知っている。

「違う……諦めてない、私は、まだ……!」

 目を塞いではいけない。
 だってそこには、一面の闇があるから。
 だって暗い場所は怖いから。
 だから光の御許に辿り着きたくて、汗と涙に塗れながら頑張ってきた。

 前を向く。するとそこでは、人外の恐怖が嗤っている。
 満天の心を砕いて丁寧にすり潰し、平らげてやるぞと羽ばたく蝗の王がいる。
 前には恐怖。後ろにも恐怖。身の安全を守ってくれる人はいる。けれど、心の熱を保つのだけは彼女以外の誰にも出来ない。

 ――一寸先も分からない闇の中を、ただ光に向けて歩いていく。
 それは狂気だ。今踏み出した一歩の先に、道があるかすら分からないのだから。
 滑落して死ぬか、力尽きて死ぬか。もしくは諦めて踵を返すか。
 末路は三つ。結末も三つ。四つ目があると信じているのは彼女自身と――


(煌星さん)
(――――やれますね?)


 その星と呼ぶにはあまりに微弱な輝きを、最初に見初めた悪魔のみ。

71LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:03:52 ID:pH7EOQgU0

 脳裏に響いた声に愕然とする。
 身体が跳ねる。心臓が早鐘を打って息が苦しくなる。
 オーディションの前みたいだな、と思った。
 胸が痛くて、呼吸がうまくできなくて、そのくせやたらと酸素がほしくなるあの感覚。

 この状況でも何も変わらない敏腕プロデューサーの声に、満天が言葉を返すよりも早く。
 最前線で恋の狂戦士と踊っていた虫螻の王の眼光が、狙い澄ましたようなタイミングで満天の方に注がれた。
 ……いや、正確には彼が視たのは彼女ではない。その隣で今も世界を記録し続ける、撮影スタッフ達の方である。

「――――おい。そこのモブ共、いつまでカメラ回しちゃってンの?」

 それこそ、煩わしくまとわり付いてくる羽虫に苛ついたように。
 シストセルカは言い、煩わしげに右手を突き出した。
 瞬間、そこに無数の飛蝗達が凝集する。数のちょうど倍の数の複眼が、無粋な端役達を見据える。

「未来のロック・スターともあろう俺様になんて無礼だ。罪状、肖像権侵害。無粋な野郎には踊り食いの刑を執行しちゃうよ!?」

 飛翔――ファウストの障壁構築ももはや間に合わない。
 いや間に合ったところで意味がない。そんなもの、この数のサバクトビバッタは薄紙のように食い破る。
 向かう先にいるのは無辜の一般人達。しかし彼らは死が確定したこの状況でも尚、表情ひとつ変えずにカメラを向け続けていた。
 彼らはノクト・サムスタンプの傀儡だ。自身の常識の閾値を超えた事態に遭遇した瞬間に思考能力がシャットダウンされ、ただノクトに打ち込まれた命令を遂行し続ける木偶人形と化す。

 哀れな人形。それ以前に、魂すら搭載されていないがらんどうの舞台装置(ノンプレイヤーキャラクター)。
 彼らが死んでも。生きていたとしても、何を生み出すこともない。
 頭ではそう分かっていて、だけど、けれど……

「あああああああああああっ………もうっ…………!!!」

 綺麗にセットされた髪の毛を、ぐしゃり、と自分の手で握り乱す。
 ――――やれますね?
 そう問うたファウストの声が、悪魔の囁きの代わりに脳内で反響し続けていた。

 抱いた恐怖と、迫っていた諦め(おわり)が。
 こっちの心情なんてお構いなしでいつも通りに突き付けられたその声によってかき消される。
 代わりに泣きべそかいてた心の奥から染み出してくるのは別の感情。
 満天にとってはこれまたいつも通りの、十八番と呼んでもいいような激情だった。

「どいつもこいつも、人の気も知らないで……!!」

 煌星満天。
 本名を暮昏満点というこの少女は――弱い。

 要領の悪さが致命的で、取り柄らしい取り柄もなく、おまけにコミュ障。
 臆病な性格はちょっとしたことですぐ負のスパイラルに陥ってうじうじうじうじ情けない。
 じゃあめちゃくちゃ顔がいいのかと言うと、可愛いには可愛いけれど、"本物"の前では埋もれてしまう程度の顔立ち。
 トップアイドルなんて夢のまた夢。誰もが鼻で笑ってきたし、実際この都市に来るまでは鳴かず飛ばずの悲惨な燻りを繰り返すばかりであった。

「ただのキモい虫けらのくせに……!」

 けれど。
 そんな少女にもひとつだけ、取り柄がある。
 ネガティブ思考の裏側に秘めた、ひどく幼稚でだからこそ侮れない弾ける激情。
 爆発力。かつて怒りに任せてオーディション会場を吹き飛ばした悪魔少女のポテンシャルが、過去最大の窮地の中で炸裂する。

72LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:04:52 ID:pH7EOQgU0


「いい加減に――――しろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッッ!!!!!!!!」


 叫びあげた瞬間、文字通りに、満天が爆ぜた。
 食い殺されるだけの運命だったスタッフ達と、迫る飛蝗どもの間へ割って入って起こした悪魔的イクスプロージョン。
 それは暴食の虫螻達を勢い任せに焼き払い。背後で棒立ちしていたスタッフ達をも、その衝撃で尻餅付かせた上に吹き飛ばした。
 拍子に彼らの持っていた機材は軒並みオシャカになってしまったが、命があっただけでも儲け物というものだろう。
 煌星満天の再起。もはやお決まりの大爆発。限界まで追い詰められるとブレーキが壊れる最凶アイドルの輝きが、この時確かにいくつかの命を救ったのだ。

「ッッッッ……! はぁああぁぁああ……やっちゃったぁ……!!」

 咄嗟に我に返って頭を抱える満天の姿は、もうどこにでもいる少女のそれではない。
 頭からにょきりと飛び出たツノ。先っぽの尖った、いかにもそういう感じの尻尾。
 バズりにバズった例のオーディションの時と同じ、"悪魔"としての姿かたちがそこにはあった。

 ……満天は気付かない。正確には、気付く余裕がなかった。
 以前はせいぜいオーディションのセットを半壊させる程度の威力しかなかった爆発の威力が、目に見えて向上していること。
 人間相手とはいえ虫螻の王がけしかけてきた飛蝗どもを跡形も残らず消し飛ばし、見事に目的を頓挫させるほどの火力を今自分が出したこと。
 その意味に気付かぬまま顔を青ざめさせてオロオロ慌てる彼女の姿を、今度こそシストセルカが見含めた。

「――おお、そうだそうだ。そんな感じの衣装だったよな、あの動画」

 からからと笑う声が響く。
 愉快そうに、暴食の死が笑っている。

「お前、いろいろ混ざってるみたいだけど元はただの人間だろ?
 すげえじゃんか、俺殺す気で撃ったんだぜ今の。
 流石は今をときめく最凶アイドルだなぁオイ。良いモン見れて感激って感じだわー。あ、ところでよ」

 叫んだことで、まだ切れっぱなしの息。
 それを整えながら、満天は憎っくき敵の方を見る。
 もう口火は切ってしまった。喧嘩を売ってしまった。
 こうなったら後はやけっぱち。どうにでもなれの精神で転がり回るしかないとやけくそ気味に覚悟を決めて。
 

「なんか必死こいちゃってるけど――――テメェが敵う相手に見えんのか?」


 煽るように言うツナギ男の姿を視界に収めた瞬間、激情任せに無理やり復活させた精神(メンタル)が一瞬で消し飛んだ。

73LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:05:47 ID:pH7EOQgU0

「…………、…………ぁ」

 満天(ジュリエット)の勇姿に心躍らせるロミオへ、噴出する蝗の群れだけで応戦し。
 彼女の敵たる暴食の厄災は、白い乱杭歯を覗かせながら立っていた。
 その背中には翼が生えている。毒蛾のそれを思わせる、巨大な目玉模様を湛えた四枚の翅だった。
 全長十数メートルにも及ぶ毒々しい翼は、よく見ると絶え間なく犇めき合っては蠢いている。
 数を想像するだけで正気が蒸発しそうになる、おぞましい虫螻達の集合住宅。
 暴力と死と、破滅の暗闇を象徴する〈蝗害〉が、悪魔の情熱を刹那にして再び氷点下の海底へと叩き落とす。

「そういうロックなのは俺も嫌いじゃねえけどよ……ちょっとは頭使って考えろよ。本能で生きてる俺らに言われちゃお終いだぜ? "人間のお嬢ちゃん"」

 何事においてもそうだ。
 無理と思われたハードルを必死になって超えると、その時だけは自分が無敵のように感じられる。
 けれどすぐに気付き、思い知らされるのだ。ひとつ超えた先には、また次の艱難辛苦が待っているのだと。

 満天も例に漏れず、幾度となく経験してきたこの世の現実。
 氷よりも冷たく、どんな寓話よりも無情に立ちはだかるリアリティ。
 聖杯戦争という非日常の中ですら、世界の法理自体は変わらない。
 恐怖を超え、絶望を吹き飛ばし、再起した煌星満天を待っていたのは次の破滅。
 蠢く飛蝗が織りなす模様。その巨大な目玉が、ギョロリと動いて満天を見据える。
 ただそれだけのことで、悪魔の勇気は元いた場所まで吹き飛ばされた。
 此処がお前の居場所だと、この暗闇がお前のあるべき地獄だと、指差して嘲笑うように。

(――――やっぱり、だめじゃん)

 これは、駄目だ。
 これには、勝てない。
 これは、人が挑んでいいモノじゃない。

 夢の大敵。その名は現実(リアル)。
 がむしゃらに足掻いて、できることをやって。
 それでも光を追い求め続けた先に待っていた数多の挫折。
 過去に嫌になるほど見てきた敗北という名の絶望、そういうモノが今満天を無数の瞳で見つめている。

(こんなの、どうやって)

 考えてみれば最初から馬鹿げていたのだ。
 ロミオで勝てない。
 ファウストの知恵が活きない。
 そんな化け物に、自分みたいな木っ端が必死こいて何になるというのか。

 ――自分の弱さなんて、この世の誰より知ってるくせに。


「ほら、来いよ」


 前門の虎、後門の狼。
 進んだ先には蟲がいる。逃げればそこには闇がある。
 煌星満天を受け入れてくれる善き処はこの世のどこにもない。

74LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:06:44 ID:pH7EOQgU0


「来ないならこっちから行っちまうぞ。えぇ?」


 キチキチキチキチ。
 ぶぶぶぶぶぶぶぶ。
 鳴き声と羽音が折り重なって破滅の調べを弾き語る。
 もはや虫螻の王は、ロミオもファウストも見ていない。
 何故? 決まっている。煌星満天は、己の価値を示してしまったから。
 走光性。虫螻は光に集まる。"彼ら"の前で光を魅せることはすなわち、その視線を惹き付けることに繋がる。

(――キャスター……っ)

 咄嗟に念話を飛ばしてしまう、満天。
 だが、それに対する答えはなかった。
 ぎょっとして"プロデューサー"の方を見れば、無視された事実とは裏腹に彼と視線が交錯する。
 そしてその時、改めて、満天は自分の相棒の姿を見た。

 肩口から血を流し、膝を突き。
 怜悧な顔貌に疲弊を滲ませ、喘鳴のような息遣いを溢し。
 脳の過剰駆動で血走った眼球で、自分を見つめている――ゲオルク・ファウストの姿を見た。

 それを見てしまえば、もう何も言えなくなってしまう。
 無言のままに自分を見つめる彼の視線が、無言にて無言の意図を物語っていた。

(なんで)

 私はそんな大した人間じゃない。
 だめだめで、ぽんこつで、へっぽこで。
 言われたこともろくにできなくて。
 なのに夢見ることだけは一丁前で。
 いつも何かに怯えてて、一生懸命頑張ったところで大抵は空回り。
 
(なんでまだ、そんな眼で――)

 ほら見ろ。
 今の私を見ろ。
 この有様を見ろ。
 大見得切ったくせに、ちょっと脅かされたらこの有様。
 情けない。見苦しい。これのどこがトップアイドルを目指す人間の姿なんだと自分自身でさえそう思う。
 なのにそんな自分を見つめる彼の瞳は、言葉ではない何かでその意思を伝えてくる。

 ――――やれますね、煌星さん。

 と。


 いつからこうなってしまったんだろう。
 どこで、何を間違えたのだろう。

 小さい頃のことは、いつも靄がかかったみたいによく思い出せない。
 たぶん自分はそれに救われている。
 思い出せないからこそ、私を今も苛むこの恐怖ともなんとか付き合えているのだ。
 もしすべてを覚えていてしまったなら、私はきっととっくの昔に闇に呑まれている。

 ……だからきっと、すべてはあの時から始まったのだと思う。
 いつかの日、ひとりだけの部屋の中で響く歌を聞いた時。
 あるいは、泣いている背中にそっと囁かれた時。

75LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:07:22 ID:pH7EOQgU0




 『きらきらひかる
 「Twinkle, twinkle」 
  煌 々 瞬 く

  おそらのほしよ
 「little star」
  小 さ き 星 よ 』

 『まばたきしては
 「How I wonder
  汝 の 正 體 を」 

  みんなをみてる
 「what you are」
  此 処 に 顕 せ 』




 ああ――――うたが、きこえる。

 いつかの歌だ。
 見知った歌。
 なのに、知らない歌。
 既知と未知が重なり合って綴られるノスタルジー。
 
 煌々光るお空の星よ。
 そう歌いながら、取り返しのつかない何かを求める歌。
 はじめて夜空の星を見上げた時に覚えた、感動と隣接する根源的不安。
 途方もなく美しいなにかを見つけたと同時に、途方もなく恐ろしいなにかに見つかってしまったようなあの感覚。
 それが骨身を揺らす。
 気合と根性、前時代的な熱血論だけで動かしていた身体が恐慌に震える。

 こわい。

 いてもたってもいられなくなるほど。
 悪魔の皮を被っても、拭い去れないほどの恐怖が湧いて出る。
 煌星満天の奥で座り込んだ暮昏満点をなにかが揺らしている。
 
 怖い。

 時間が止まって感じられたのは初めてのことだった。
 おお、瞬間よ止まれ、汝はかくも美しい。
 どこかでそんなフレーズを聞いた気がする。
 あれはどこでだったろうか。何の本でだったろうか。
 兎も角止まった時間、正しくは引き伸ばされた"瞬間"の中で満天は誰にも共有できない慟哭をあげる。

76LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:08:06 ID:pH7EOQgU0

 奇蹟のように守られてきた骨組みがもうすぐ崩れてしまうと分かる。
 満天が必死に守ってきたそれを、満点が泣きながら細い腕で押し止めようとしている。
 これが崩れた時、自分という人間は終わるのだ。
 死ぬ? 違う。あの日見た暗闇に引きずり込まれて、それでおしまい。

 思えばずっと、それだけが怖かった。
 死ぬことも怖い。でも、それよりも暗いところが怖い。
 だから歩き続けた。どんなに傷ついても、足を止めることだけはしなかったのだ。
 だってそうすることを止めてしまったら、闇に追いつかれてしまうから。

 ――――ただ光を、追いかけている。

 今も。
 こうしている今でさえも、ちぎれかけた足でひた向きに。
 視界の遥か最果てに見える輝きに縋るように足を進める。
 止まった時間がいつ動き出すか分からない。
 動き出してしまえば終わると分かるから、願いながら歩いていく。
 時間よ止まれ。瞬間よ止まれ。
 いつかの誰かの願いをなぞって。煌星満天は、泣きじゃくるように歩みを進める。

 怖いよ。
 
 でもこの足だけは止められない。
 誰より、自分自身がそれを知っている。
 そうして顔を上げ、目指す光を見据えるのだ。
 いつだって暗闇に囲まれている己の世界。
 その中でただ一点だけ見える、遥かの光。
 朧気に幽けく灯る光点に、無間闇路の切れ端に――



『ね、ちょっと勝負しよっか?』



 そう言って佇む、天使(ヒカリ)が見えた。

77LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:08:56 ID:pH7EOQgU0



 その微笑みは朗らかだった。
 その佇まいは美しかった。
 その声音は天上の囀りの如しであった。
 その振る舞いは魅了の究極にいた。
 その少女は、哀しくなるほどに完璧だった。

 ステージの上で、くるり、くるりと。
 舞う姿に比喩でなく羽毛が伴って見えた。
 客席で見るのと同じ土俵で見るのとじゃ比べ物にならない。
 そういう天使を、悪魔(ヤミ)は見たのだ。

 ――――ただ光を、追いかけている。
 ――――今も。

 縮こまっていた足が前へと踏み出す。
 目指すべき光が、そこにいるから。
 ああ、なんで忘れていたのだろう。
 怯えも恐怖も不安も希死念慮も、あらゆる雑音が輝きと歌声の中に溶けていく。

「……………………は。そうだよね」

 気付けば、いつの間にか笑っていた。
 時は既に動き出している。
 もう、満天を守ってくれる平穏の鳥籠はない。
 未熟な偶像の泣き言を聞いてくれる気休めは存在しない。
 なのに何故だか、満天は笑っていた。笑っていたのだ。
 恐るべき蝗害の王は、今もまだ見据える先にのさばっているというのに。

 不可解。
 だけどその問いに対する答えは、もう示されている。
 だって煌星満天(わたし)は、ああ、最初から。

「そうだよなぁ……」

 ――死ぬのは実は、意外とそれほど怖くない。

「……言っちゃったもんなあ、私……ッ」

 だから泥臭く、泣きべそかきながら前を向く。
 そうして右手を伸ばした。悪辣な〈蝗害〉の詰問、それに言葉ではなく行動で応える。

 吐いた言葉は呪いになる。
 踵を返して、矢になって胸を貫く。
 現実に直面するたびに。
 世界の過酷を知るたびに、過去は現在を嘲笑ってくる。
 そんな中で、ただひとつ。
 たったひとつだけ、手のひらの中に収まってくれる言葉があった。

 それは、宿敵との誓い。
 それは、友人への誓い。
 悪魔が天使に投げかけた、撤回できない宣戦布告。

78LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:09:27 ID:pH7EOQgU0


 ―――勝負だ、天梨。


 ……ああ。
 そうだ。
 私は、あの子へ挑むんだ。
 悪魔として。ひとりのアイドルとして。
 みんなの〈天使〉で私の"憧れ"。
 泥のような闇の中にあってさえこの世の誰より美しく輝き続けるあの星。
 知れば知るほど自分との差を実感させる絶望の白翼たる彼女を、救いたいと願ってしまった。

 夢は諦めない。
 天使は超える。
 そして友達は救う。

 欲張りは上等、だって私は悪魔だから。
 煌星満天、令和の東京で産声をあげた最凶アイドル。
 欲しいものは全部手に入れる。
 叶えたいものは全部叶えてやる。
 そのためには……そう、そのためには。

(こんなところで、立ち止まってなんかいられない)

 うたが、きこえる。
 今もどこかで、知らないなにかが歌っている。

   
 ――煌々瞬く小さき星よ。
 ――汝の正體を此処に顕せ。


 ヒトの声とすら聞き取れなかったその歌声が。
 今この瞬間になって初めて、意味ある言葉に聞き取れた気がした。
 知ってる歌、知らない歌詞。光と相反する闇の言霊。
 闇路へ誘う囁きは含み笑いと共にありて、今も"それ"はあらゆる暗闇から己を引き込もうと手を伸ばしている。

「いいよ。……魅せて、あげる」

 暗闇(あなた)のことは心底恐ろしいしこの世で一番大嫌い。
 けれど、魅せろと言われたなら応えるしかない。
 だって煌星満天は、アイドルだから。
 誰かの期待に応えてなんぼのそういう世界で、天下を取ると誓ったのだから――!

79LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:10:12 ID:pH7EOQgU0

 伸ばした右手に魔力が満ちる。
 戦うために使うのはこれが初めて。
 なのに不思議と、どうすればいいのかが分かる。
 悪魔に履かされた契約の靴。
 それを起点に全身へ巡った魔術回路が手取り足取り答えを教えてくれる。
 だからこそ迷いは毛ほどもなく。
 あたかも最初から知っているみたいに、遂げた進化のカタチを具象化させていく。

 その姿を――彼女のプロデューサーたる悪魔は黙って見ていた。
 疲労と激痛に苦々しく歪んだ口元が、緩やかなカーブを描く。
 彼はもはや蝗など見ていない。視界にあるのは、数百年越しに見初めた獲物の姿だけ。

(そうだ。それでいい)

 正直に言って、やはりこれは賭けだ。
 勝算は遥かに小さく、負ければ全損すら見える大博打。
 いつも通り最短距離で。そしていつも通りのノンデリ上等スパルタ指導。
 獅子の幼獣を千尋の谷に突き落とすが如く、輝いてみせろと煌星を焚き付けるのだ。

(驕り高ぶる虫螻に、そしてお前の敵たるこの俺に。
 お前が星たるその所以を、此処で顕して魅せるがいい――!)

 満天の右手に横溢する魔力の輝き。
 それがメフィストフェレスの眼鏡を、キラリと不敵に煌めかせた。
 その輝きは不敵に笑う悪魔の姿を彩るアクセサリーとしてあまりにお似合いで。
 既に暴食の災害さえ、ステージ上からコールを受け取る観客に堕してしまったことを如実に示していた。

「いいね」

 尚も笑うは、シストセルカ・グレガリア。
 毒蛾の翼を広げて、笑みと共に放たれる輝きを受け入れる。
 そう、彼は避けない。そこには驕りがある。満天を少々変わり種な餌の一匹と見ていることを隠そうともしていない。
 
「握手の代わりだ。撃ってみろよ、アイドル」

 言われずとも、そうしてやる。
 満天が、すぅ、と息を吸い込む。
 それは唱うという行為の予備動作。
 奇しくもそのスタイルは、彼女の友人/宿敵がしたのと同じ。

 描くのは、ステージに立つ自分の姿。
 ライトに照らされた光の下で。
 暗闇に包まれた客席へと相対する。
 少女から偶像へ。満天から悪魔へ。蟀谷に押し当てた夢想の撃鉄を叩いて、一世一代の瞬間は訪れる。

80LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:10:47 ID:pH7EOQgU0



  キラキラひかる、満天の星よ
「"Twinkle, twinkle, little star――――"」



 イメージするのは、星空に咲く花。
 夜空の黒を打ち払う光の極彩。
 キラキラ、キラキラ、輝いて。
 恐怖も不安も吹き飛ばし、空も大地も魅了する自分だけの煌明。

 無明の空に光あれ。
 宇宙の闇だって満天に。
 彩ってやるという夢の名は、そう――



「――――『微笑む爆弾(キラキラ・ボシ)』!!」



 見据え放つアイドルの顔に、もはや恐怖はなく。
 笑みさえ浮かべて、悪魔は爆弾を投下した。
 下手くそなウインクと共に放たれた"それ"を、やはり虫螻の王は避けることをせず。
 冒涜の翅を広げた彼らの総体意思に、微笑みの爆弾は着弾し。


 次の瞬間――廃墟の街に、星の花(スターマイン)が咲き誇る。



◇◇

81LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:11:35 ID:pH7EOQgU0



「ぐ、ォ……!? な、ッンだ、こりゃあ……!?」

 ――『微笑む爆弾』とは。
 契約が交わされた折に、メフィストフェレスから譲渡された仮初めの宝具である。
 自分の周りに爆弾を仕込み、真名解放によって起爆させる。
 こう書けば大層なものに聞こえるが、しかしこの爆弾は所詮ただの幻覚。虚仮威しだ。
 五感を弄り脅かすだけの爆熱。目眩ましくらいにしかならない爆光。鼓膜も破れない程度の爆音。
 花火以下の手品であり、とてもじゃないが英霊相手に活かすことなど夢のまた夢の"宝具もどき"。
 そういうモノであった――天使と踊ったあの瞬間までは。

 そも、この宝具は満天の成長、主に知名度を参照して強化されていく仕組みである。
 契約の対価。アイドルとして輝きを増せば増すほど、煌星満天は強くなる。
 担い手が強化されたならその宝具も威力を増していくのは道理。
 故に彼女の"プロデューサー"も、いずれ満天の爆弾が物理的破壊力を帯びた本物の武器になっていくことは想定していた。

 だが……

(素晴らしい。此処まで伸びるか、偶像(アイドル)よ)

 これほどの急成長は、メフィストフェレスをして完全に予想外だった。
 本物の爆弾を扱えるようになったとか、そういうレベルは優に飛び越している。
 その事実を、〈蝗害〉の悲鳴と彼ら群体が晒す惨憺たる光景が証明していた。

「どうなって、やがる……! 止まらねえ、だとォッ……!?」

 満天の放った爆弾は、〈蝗害〉を相手に極彩色の光を撒き散らしながら炸裂した。
 それでまず一撃。普通なら此処で終わる筈。が、今回撒き散らされたのは光だけではなかった。
 
 ――爆弾が起爆した瞬間、その内側から、無数の星が拡散したのだ。
 
 光景だけを見れば、夜空をきらびやかに彩る"きらきら星"のよう。
 しかしその実態は、決してそんな可愛らしいものではない。
 弾け舞い散った小さな星々は、一度目の爆発をなんとか逃れた蝗に当たってまた爆発。
 爆ぜた屑星はまた次の星を撒く。撒かれた星がまた次を。それがまた次を。次を、次を、次を次を次を。

 クラスター爆弾という兵器の存在を、満天は知らなかった。
 故にこれは既存のイメージに依存せず、彼女がゼロから発現させた悪魔的破壊兵器といえる。
 紛れもない非才の身で、トップアイドルという過ぎた輝きを希求する貪欲な欲望。
 天使との対峙に触発され、その飛翔を追いかけるように熱を増した悪魔の夢がこの上なく凶悪な形で現出した。
 それが『微笑む爆弾・星の花(キラキラ・ボシ・スターマイン)』。拡散と誘爆を繰り返し、地上に満天の星空を咲かせる対軍宝具である。

82LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:12:31 ID:pH7EOQgU0

 咲き誇る花に触れるモノがある限り終わらないアンコール。
 喝采するように悪魔の敵は爆散し、彼女の星空を構成するデブリと果てていく。
 一撃が当たりさえすれば延々と引き伸ばされ、ひたすらに版図を広げていくその性質は、他の誰よりもこの蝗の群れにこそ特効だった。

 攻撃のために用いる筈だった毒蛾の翼をはためかせ、羽撃きで以って逃れんとする――無駄だ。
 既に翅を構成する飛蝗にも星の花は着弾している。
 ひとひらの花弁が種を兼ね、すぐに爆ぜてはまた花を咲かせるから全行動に無数の飛蝗を使用するシストセルカではどうやっても逃げられない。
 何か行動を起こすことすら許さない。寄せ集められた飛蝗は、集まった端から満天の爆弾の苗床になっていく。
 星の花は恐ろしく極悪だった。群れを成して物量を誇る手合いに対してこの爆弾は、文字通り抵抗の余地すら残さない。
 蹂躙だ。虐殺だ。都市における暴力のトップランカーが、ひとりの夢見る少女に制圧されていく様はどこか戯画的ですらあった。

「ぐ、おおおおおおおおおッ、オオオオオオオオオオ――――!!??」

 サバクトビバッタの恐ろしさのひとつは生命力。
 あらゆる環境に適合し、種の滅びを寄せ付けず進化を重ねる悪食の虫。
 しかしそんな彼らも、適合の暇なく鏖殺されては凌ぎようがない。
 虫螻の王の絶叫が響く。逃げ惑う飛蝗の羽音が、彼らが今"天敵"に遭っている事実を雄弁に物語っている。

 群れを散開させて誘爆の範囲から逃げる。
 不可能。群体を解く瞬間にも爆ぜる花弁は降り頻る。
 解放されるのを諦め、先に術者を殺す。
 不可能。攻撃に移るにも飛蝗が必要。数を集めれば星の花が片っ端から平らげる。
 業腹だが狩猟領域を構成する飛蝗を攻撃に回して対処。
 不可能。既に初動の時点で、領域を囲う飛蝗のドームにも花は浸潤している。
 衝撃も誘爆もすべて無視して前進する。
 不可能――シストセルカは群体である。彼らが行う全挙動には相応の個体数が必要になる。花の微笑(かんばせ)は見逃さない。

 逃げ場も出口もありはしない。
 虫螻の王、黒き死のアーキタイプに初めての戦慄が走る。
 奇術王のニブルヘイムを前にしてさえ恐れを抱かなかったこの群体が。
 適合不能の絶対的な"天敵"の出現を前にして、初めて無量大数個の本能を震わせた。

「魅せてやるって、言ったでしょ」

 全身の回路を流れる魔力が、炭酸飲料のようにパチパチと弾けているのが分かる。
 それは明確に痛みであったが、何故だか悪くはなかった。
 鬱屈の解けるような、されど悪徳とは無縁の爽快感が、十余年の雌伏を続けた身体に喝采として沁み渡っていく。
 
「ぽんこつだからってあんまり舐めんな。私は――煌星満天!」

 絶叫をあげる〈蝗害〉。
 都市を脅かし、恐怖という暗闇で一四〇〇万の都民を脅かす厄災。
 彼らに食われた街を見た。彼らのせいで深く傷ついた人の叫びを聞いた。
 だからこそ、叫ばずにはいられなかった。
 蝗どもとくと見よ。厄災よとくと聞け。
 私の名前は、煌星満天。
 我こそは――


「――――いずれ世界のすべてを魅了する、史上最凶のアイドルだ!!!」


 喝破の声は、爆音轟く戦場へ高らかに響き。
 同時に花に食われる飛蝗達が、逃げ惑うように悶絶する総体意思の許へと結集していった。
 誘蛾灯に飛び込む羽虫そのものの絵面で一点に集っていく虫螻の渦。
 満天にとっての絶望だった悪なる虫どものすべてが咲き乱れる星の花に吸い寄せられていき、世界は光に包まれた。



◇◇

83LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:13:27 ID:pH7EOQgU0



「はあ、はあ、は、あ……ッ」

 伸ばした腕はそのままに、ぺしゃりと地面へ座り込む。
 魔術回路の"パチパチ"が消えた瞬間、急に無茶の反動が押し寄せてきた。
 疲労はそこまでじゃない。が、体力とは違う身体の中のエネルギーが結構な割合で抜け落ちた感覚があった。
 これが魔力を多く消費するという感覚なのだろう。冷静になってようやく自分がなんだかとんでもないことをやってのけたっぽいことに気付いたが、あげた戦果に自惚れる余裕は生憎なかった。
 身体中汗だくだ。地下アイドルをやってた頃の、ライブ後の気分が近いかもしれない。
 またへたり込んで、ぜぇぜぇ肩で息して、へにょんと髪のテールを萎れさせている姿はとてもじゃないが華とは無縁だったが。

「――なんと、素晴らしい……」

 そんな彼女を見て、ロミオは感涙せんばかりの勢いで感嘆していた。
 それもその筈。彼にしてみれば、満天は現在の恋の相手。
 命を賭しても守りたいと願い行動してきた愛しの人が、空前絶後の大戦果をあげてみせたのだから高揚もさるものだ。
 ……だが、だとしても、ロミオの感動はこの地に来てから未だかつて最大のものだった。

 本当に美しいものを見たと、宝玉のように澄んだ彼の瞳がそう告げている。
 星。まさしく星だ。己は今、地上で煌めく至上の星を見た。
 神秘と呼ぶ他ない劇的な体験が、狂気の軛をさえ超えてロミオの心を揺らす。
 仮に満天が彼にとって愛するものでなかったとしても、ロミオは手を叩いて彼女へ喝采を贈っていただろう。
 恒星たる少女たちは道理を超える。煌星満天もまた先の一瞬、確かに"超越"をして魅せた。

「これほど心震えた経験は未だかつて他にない。
 おお、嘘偽りない最大級の賛辞で労わせておくれ、愛しい君よ……!」
「あ、あの、ちょっと待って……ほんとに今は、ちょっっっとだけ待って……しんどい……心身共に立ち直る時間をちょうだい……」
「まぁそう言わず。君は歌い手で舞踏家なのだろう?
 ならば惜しみない喝采こそがその損耗を癒やす筈さ! さぁ遠慮なく、そうだな二〜三時間ほどこの感動を感想として伝えさせておくれ……!」

 ふるふるふるふる。
 首を振って拒絶(ノー)を示す満天と、わなわな震えながら不審者めいた足取りで近寄っていくロミオ。
 契約が生きているから勢い余って惨殺死体にされる心配こそないが、それでもあの狂気的な奮戦を見た後での近接感想お伝え会は御免被りたかった。
 思わず助け舟を求めようとメフィストフェレスに向けて視線を動かす、満天。
 悪魔(ジョーカー)として見事予定調和の絶望を覆した少女を中心に、穏やかな安堵のムードが広がっていく。


「――――ッ! ジュリエットッッ!!」
「え?」


 そう、血相を変えたロミオが、満天の前に勢いよく立ち塞がるまでは。
 レイピアを構えたその肉体に、螺旋を描きながら蠢動する黒い疾風が着弾し。
 襤褸切れのように吹き飛ばして、地を転がらせ美丈夫の顔と身体を血と土埃で染め上げるまでは。

84LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:14:26 ID:pH7EOQgU0

「は……?」

 何が起きたのかわからない。
 いや違う、脳が理解を拒んでいる。
 それを理解してしまったら駄目だと叫んでいるのだ。
 しかし現実は無情に、今度は満天の前でその像を結ぶ。
 

「――お前すげえな、マジに死ぬかと思ったぜ」


 肉食の獣を思わせる、精悍ながらもそれ以上に獰猛な貌。
 フードで隠されて窺えないのに、臓腑の底まで貫いてくる剣呑な眼光。
 現代風のツナギに身を包み、金属バットを携えて、白い乱杭歯を覗かせて笑う男。

 ――シストセルカ・グレガリアが、そこにいた。

「油断大敵ってやつだな。ロキ野郎の件に懲りて、もっと個体(なかま)を俺ン所に寄せとくべきだった」
「な、んで……?」
「確かにいい線は行ってたよ。俺らは数こそ多いけど、一匹一匹は吹けば飛ぶような虫螻だからな。
 殺虫剤だの寒気だのならまだ慣れてどうにかできなくもねえが、物理的に潰されちゃ流石にお手上げだ」

 へたり込んだ満天を見下ろして、虫螻の王は愉快そうに破顔している。
 怒りは見えない。あるのはむしろ喜色だ。
 彼もロミオと同じで、満天の成し遂げた、今となっては未遂に終わったジャイアントキリングを心から称賛していた。
 直接それを伝えに来たところまで含めて同じである。但し、これから取る行動だけは違っているが。

「しょうがねえから大勢死ぬのを覚悟で一点に仲間集めて、皆で強引に全部の火種を押し潰したよ。
 いろいろ考えてみたけどどうにもそれしかなかったからな。冷や汗かいたぜ。ま、虫だから汗腺ねぇんだけどさ」

 煌星満天の『微笑む爆弾・星の花』は、彼ら〈蝗害〉のような群体に対して極悪そのものの殲滅能力を有する。
 逃げ場はなく、花弁の散る先に命が消えるまで止まらない花火大会。
 傲慢と不遜を地で行くシストセルカをして"打つ手がなかった"と認めるほどの絶大な相性の悪さ。
 しかし唯一攻略法があるとすれば、それはすべての火種を物理的に除去されることだ。

 シストセルカ・グレガリアは無尽蔵の飛蝗で構成された軍勢英霊である。
 彼らの総数はこの渋谷に残っているだけでも途方もない頭数に達している。
 星の花は時間さえあればその全個体を鏖殺し得た。
 何の誇張も抜きに、渋谷区からサバクトビバッタを根絶することが可能だったのだ。
 ではどうやって彼らはそれを凌いだのか。その答えが、前述した"攻略法"。
 一点に渋谷の全個体を集結させ、ニホンミツバチの蜂球宜しく固まって、物量に物を言わせた超絶の密度と重量を実現させた。
 これによって誘爆し続ける星の花、殺虫爆弾の火種をすべてその爆発ごと揉み消し、消滅させたのであった。
 如何に星の花が悪辣でも結局はエネルギーを伴って生じる現象のひとつ。
 遥か上を行く別のエネルギーで圧殺してしまえば、次の誘爆が発生する前に悪魔の花弁を消すことができる。

85LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:15:39 ID:pH7EOQgU0


「つーわけで始めようぜ、"第二ラウンド"。死んでいった仲間のお返しをさせてくれや」


 …………こいつらは、本当の化け物だ。

 絶望を超えて立ち上がり、乗り越えたと思った時にはもうその先で嗤っている。
 さながらそれは、いつもぴったりと自分に寄り添って、視界の闇から語りかけてくるあいつのように。
 咲き誇る満天の光さえその羽ばたきで翳らせて、再び空を覆い尽くす絶望の象徴。
 ロミオに庇われ、ファウストが念話を飛ばす中、少女はただ固まっていた。

(煌星さん)
(令呪を使ってください。もはや背に腹は代えられません)
(あなたは賭けに勝った。この状況に陥ったことを私は責めない)
(此処で死ねばすべてが水の泡です。あなたが私に顕したその輝きさえ無為に終わる)
(――それは私にとっても、そして無論あなたにとっても本懐ではないでしょう?)

 その念話(こえ)に仕損じた責任を追及する色はない。
 むしろ普段の彼の声より、一回りは棘の少ない声音だった。
 煌星満天はベストを尽くして、一縷の活路を開きかけた。
 責任があるとすれば彼女ではなく、この賭けをせねば巻き返せない状況を作った己の方。
 己の不徳に心を煮え滾らせながら、悪魔は少女へ損切りを提案する。

 先にも述べたが、ゲオルク・ファウストを騙るこの詐称者の霊基は惰弱の部類だ。
 令呪行使による刹那の離脱、それさえ一線級のサーヴァントほど上手くはできない。
 だがそれでもやらなければ全滅するのは見えており、であれば他に選択肢はなかった。

(早く。もう時間はありません)

 心の均衡を崩された人間に熱をあげて呼びかけるのは愚策だ。
 努めて冷静に、乱れた心を冷ますように語りかけるのがベター。
 メフィストフェレスは当然そうしていたが、しかし満天からの応答はない。
 令呪の刻印は感光することなく、少女の眼差しは間近で見下ろす虫螻の王にのみ注がれていた。

(――煌星さん)
「が、ぐ……ッ、――ジュリエットォォッ!!」

 メフィストフェレスの声と、復帰したロミオの咆哮が重なる。
 恐るべし恋の狂戦士。満天を守り蝗の殺意に直撃したというのに、彼は未だ五体を保って愛する者のために奔走している。
 が――如何にロミオと言えどもこの距離ではもう間に合わない。
 既に満天の前に立っているシストセルカの金属バットが振り下ろされる方が、どう考えても早いのは明白だった。

86LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:16:15 ID:pH7EOQgU0


「撃たねえのか」


 脳裏に響く声は理解している。
 なのに応じないのは、応じられないからだ。
 "彼"との付き合いももうそれなりの時間になる。
 単に令呪を使えと求めてくるプロデューサーの指示には、珍しくその先がなかった。
 満天とメフィストフェレスは仲良しこよしの関係ではない。
 ふたりを繋ぐのは"契約"。魂を賭して結ばれた、ファウスト博士の逸話の再演。
 契約が不履行となれば自分の魂は彼に押収され、自分が駆け抜けたなら彼は魂を得られない。

 言うなれば勝負をしている。
 満天の敵(ライバル)は、天使だけではないのだ。
 だが、いいやだからこそ、満天は彼にその命令を飛ばしたくなかった。

 令呪を使って「逃がせ」と命じれば、彼はそれを全力で遂行するだろう。
 しかし相手は虫螻の王。天地神明、世界のすべてを暴食する無尽の軍勢。
 命令を果たし終えたその時、ゲオルク・ファウストという男がどうなっているか。
 本当にこれまで通り、自分のプロデューサーとして隣にいてくれるのか――分からなかったから。

     ・・・・・・
「ンだよ。つまんねーの」

 駄目だ。駄目なのだ。
 死ぬほど怖いし今にも泣きじゃくりながら助けてと叫びたい気持ちだけれど、それをしてはいけないと自我のすべてが否を唱えている。
 此処で彼が死んでしまうのは、もう絶対に駄目なのだ。
 我が身可愛さにそれを許してしまったら、命を拾ったその先に残るのはただの『暮昏満点』。
 へっぽこでもどん臭くても必死に頑張って夢に向かってもがいてきた、アイドルの『煌星満天』は消えてなくなる。命を拾い、代わりにすべてを失う。
 持っているもの、積み上げたもの、叶えたいもの、救いたいもの、何もかも。
 何もかもがあの日の暗がりに吸い込まれてしまうと分かっているから、満天にはどうしたってその決断は下せない。

 ああ、死が来る。
 死ぬのはそれほど怖くない、とは言ったけど。
 こうして間近に迫ってくるのを見てると、やっぱりちゃんと怖かった。
 時間はもうない。爆弾を撃つ暇もない。じきに煌星満天(わたし)は、目の前の暴力によって壊される。

87LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:17:36 ID:pH7EOQgU0


 ――諦めるの?

 声がする。
 笑いを噛み殺した闇の声が。

 ――諦めるのか?

 声がする。
 燻るばかりの自分へ、靴を授けた悪魔の声が。

 ――諦めちゃうの?

 声がする。
 いつか超えたい、翼持つ天使の声が。

 ――諦める?

 声がする。
 何かになろうとするたびに、心の中から語りかけてくる自分の声が。


 "つまんない"なんて言われて――――諦めるんだ?


 声、が。
 して。
 手の中には、マイクがあった。



「あ…………、あの…………っ!」

 
 最後。心が少しだけ、ほんの少しだけ暖かくなった。
 凍てつきかけた歯車が、熱を取り戻してかすかに動く。
 幼いあの頃。誰にも構ってもらえなくて、窓辺でぼんやり外を眺めてた時に感じたようなぬくもり。
 寂しくてつまらなくて眠ってしまいそうなのに、なぜだか自分が何にでもなれるみたいに錯覚してしまう夢見心地。
 麻薬のように広がった根拠なき全能感が、満天にその行動を選択させていた。

「あなた――――〈蝗害〉さん、って」

 怪訝な顔で見下ろす死神。
 それに向けて、恐怖を押し殺した真剣顔で。
 煌星満天は、自分でも正気とは思えないことを、言った。

「音楽……好きなんですよね?」

 ……その言葉を聞いて。
 虫螻の王は当然の感想を漏らす。

「……はあ?」

 重ねて、当然のリアクションである。
 一秒後には自分の頭蓋が弾け飛ぶという状況で、このガキは何を言っているのかと。
 誰だってそう思う。それは、泣く子も食らうシストセルカ・グレガリアでさえ例外ではなかった。

「いや、まあ……うん。確かに好きだけどよ。今この状況でする話か? それ」
「――だったらっ!」

 好きだけど、と言った辺りのタイミングで、満天はずいっと前のめりになった。
 怖いとかコミュ力がどうとか言っている場合ではもちろんない。
 何しろ自分達全員の命が懸かっているのだ、必死になりもする。

 ――『未来のロック・スターともあろう俺様になんて無礼だ。罪状、肖像権侵害。無粋な野郎には踊り食いの刑を執行しちゃうよ!?』

 あの時、シストセルカ・グレガリアは自分のことを"ロック・スター"と呼んだ。
 今になってそれを咄嗟に思い出せる辺り、こんなぽんこつ脳みそも捨てたもんじゃないと思う。
 希望というにはか細すぎる糸口。それでも、目指すしかないのなら。賭け/駆けるしかないのなら。
 ただその光を、追いかける。無様でも、不格好でも、情けなくてもみっともなくても。
 夢を叶えるそのためならば――恥なんていくらでもかき捨ててやる。

「バッタさんも知ってくれてたように、私、アイドルやってるんです。
 ……まだまだ味噌っかすで、反則みたいなバズで知名度稼いでるようなへっぽこですけど。
 でも、一応……! ほんとに一応だけど、歌って踊れるアイドルだから!」

 魔術回路、再起動。
 "パチパチ"が全身を駆け抜けていく。
 弾ける泡とも冬場の静電気ともつかない微かな痛みが、今だけは喝采みたいに聞こえた。


「私を殺す前に、私の歌―――― 一曲っ! 聞いていってもらえませんか!!?」


 叫ぶと同時に、大爆発。
 間近の飛蝗まで消し飛ばしてしまってゾッとしたが、そこはもう目を瞑って貰うより他にない。
 だって自称した通りまだまだへっぽこの味噌っかすの、ぽんこつアイドルなのだ。
 言われたこともうまくできないのに、アドリブなんてそうそううまくできるわけもなし。

 でも、だけど。
 すべてを魅了したい欲望だけなら、私は天使にだって負けやしない。
 だからそこまで含めて煌星満天、一世一代の命乞い。
 命題――その持てる力すべてを用いて今、"微笑む爆弾(キラキラボシ)"を体現せよ。



◇◇

88LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:18:27 ID:pH7EOQgU0


〈渋谷区・高層ホテル〉



 伊原薊美は魔術師ではない。
 彼女はあくまでも、懐中時計によって後天的に魔術回路を発現させられた"成りたて"だ。
 しかしそんな彼女でさえも、その剣をひと目見た途端に理解した。

 ――尋常じゃない。これは、この世にあってはならない代物だ。

 差し出されたのは、鈍く輝く、黄金の紋様が伝う無骨な剣だった。
 思わず息を呑んでしまうほど荘厳なのに、見ているだけで逃げ出したくなるほど禍々しい。
 その証拠に自然と眼球が目を逸らそうとする。この剣を視界から外そうとしていく。
 矜持に物を言わせて抗う姿は流石だったが、噴き出す脂汗までは意志で制御できるものではなかった。

「何のつもりだね。北欧の奇術王よ」

 言葉を失って立ち尽くす薊美の隣に、蛮勇の騎兵隊長が姿を現す。
 顔に浮かぶのはもはや見慣れた不敵な笑みであったが、その裏に滲む警戒の色は残念ながら隠せていない。
 事と次第によっては只では済まさないと、言外に彼――カスター将軍はロキへ警告していた。
 
「おいおい、そう怖い顔すんなよ。
 話聞いてたか? こいつは俺から薊美ちゃんへの真心籠もったプレゼントさ」
「そうか、とても信じられないな!
 何しろ君の悪辣は既に割れている。悪魔が持ちかける"親切"に耳を貸してはならないなんて、我が国では子どもでも知っていることだ」
「まあ間違っちゃいないな。悪魔呼ばわりも否定はしないよ。
 けど知ってるかい少年将官くん。悪魔に騙されて破滅する寓話もあれば、逆に上手く扱って巨万の富を築いたハナシもあるんだぜ?
 要するに大事なのはそいつが有能か無能かってコトさ。その点君はどうだろうな、伊原薊美ちゃん。嫉妬に狂う木星の王子様よ」

 薊美は――自分を揶揄する物言いに苛立つのも忘れ、ロキの差し出した剣を見つめる。
 視線を外したい衝動(よわさ)を己が強さで踏み潰し、剣の威容を睨んでいた。
 やがて唇が開けば、パリ、と冬場の乾燥したそれを思わす音が鳴る。
 季節を問わずリップクリームを用い、口元の保湿を惜しまない薊美にとってはあり得ないことだった。

「……何ですか、これは」

 問う薊美に、ロキは即答する。
 彼女とは対照的に艷やかな色気を放つ唇を、三日月の形に歪めて。

「『災禍なる太陽が如き剣(レーヴァテイン)』」
「……レーヴァ、テイン……?」
「ゲームにアニメ、漫画なんかで引っ張りだこだろ?
 今日び中学生でも知ってる、人類史上最も有名な神殺しの業物。
 アースガルズの神々すら滅ぼす、"太陽を超えて耀く剣"さ」

 その名が意味するのは"破滅の枝"。
 九つの封印を施し厳重に封じられた破局の招来そのもの。
 薊美の認識は正しい。これは、この世にあってはならない代物である。
 一度でも握られれば世界のすべてを焼き滅ぼす、誇張でなくそう至らせる可能性を秘めている。
 それが今、伊原薊美という少女の前に、贈り物と称し差し出されている。
 目眩のするような状況だったが、これを真作のレーヴァテインと信じるほど薊美は無垢ではなかったし。
 何より既に彼女は傍らの騎兵隊長から――この"ロキ"が扱う宝具の正体を聞いていた。

89LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:19:22 ID:pH7EOQgU0

「馬鹿にしてるんですか」
「お。鋭いね。流石にそうまで成っておいて、コロッと贋作に騙されるなんてことはないか」
「空振りに終わる皮肉ほどやるせないものはないですよね。同情します」
「空振り? 皮肉? とんでもない。
 話は最後まで聞くもんだぜ、木星の君。早合点をしちまうから、人は悪魔に騙されるのさ」

 チッチッ、とロキが人差し指を左右に振る。
 ムカつく態度だったが、今はそんなことに目くじらを立てていられる状況ではない。
 贋作と、薊美は目の前の剣をそう呼んだ。
 ロキの駆使する異能は幻術。たかが幻、されど夢幻であるが故に彼は強い。
 都市を脅かす最悪の厄災、〈蝗害〉をさえ痛み分けとはいえ抑え込む力がそこにはある。
 では、今わが身を凍らすこの戦慄もまた彼の幻が産んだ幻肢痛に過ぎないのか。
 正解でもあり、不正解でもある。何となく、そんな気がした。

「いいかい、薊美ちゃん。俺はいつだって夢見る者の味方なんだ」

 何のコンテンツにおいてもそうであるが。
 虚構(フィクション)を虚構と知って楽しむには受け手の姿勢が肝要となる。
 たかが嘘と斜に構えて笑い飛ばしていたのでは楽しめるものも楽しめない。
 逆に、嘘と分かった上でその荒唐無稽に没頭し、最大限楽しもうと思えばたとえ虚構なれど記憶に残る有意な体験になってくれる。

「にーとちゃんを見な。現実なんてちらりとも見やしない。見たとしても、すぐに自分好みの堕落で加工しちゃうだろ。
 要するにそういうことさ。確かにこいつは贋作で、俺が創り世界に見せている夢幻に過ぎないが――担い手の君に夢見る気持ちがあるのなら、君の中でだけはまごうことなき本物になる。
 そこに夢がある限り。君がそれを信じる限り。俺の見せる夢が醒めることはない」

 奇術王の名において断言する。
 ロキの太鼓判は、たとえ彼が月光の眷属と化した今でも揺らぐことはない。
 何故ならそれが、悪辣上等、善悪あらゆる主義主張を笑い飛ばすウートガルズの王が抱く唯一の矜持だからだ。

「君が夢追人(デイドリーマー)である限り、この剣は君の頼もしい味方になるだろう」

 デイドリーマー。
 それは荒唐無稽な白昼夢を、正気に照らされたまま追いかける者。
 
「太陽を超えて耀き、地上のすべてを灼き尽くしたあの巨人のように。
 君の夢が真に不変であるならば、君は憎くて堪らない白い神を滅ぼす――スルトにだってなれる筈だよ」

 災禍なる太陽が如き剣。
 太陽を超えて耀く――炎の剣。
 まるで、今の薊美のために誂えられたような銘(なまえ)であった。
 呼気を吐く。古い酸素を、そうして新しい酸素と入れ替える。
 そうしてようやく、剣から視線を外して、薊美はロキを見据えた。

90LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:20:34 ID:pH7EOQgU0

「……で、あなたや仁杜さんに向けたら爆発でもするんでしょうね」
「そりゃそうだろ。敵に利用される前提で兵器を贈る間抜けがいるか?」
「あなたのことは嫌いですけど、その一貫性はちょっと清々しいです。一周回って信用できる」
「北欧のエリートたるオレが念入りにルーンを重ねがけしてるからな、普通に死ぬより二十倍くらい酷いことになるよ。
 俺らに牙剥く日が来たら、そん時は自分で頑張りな。君が本当に太陽を落とせるお星さまだって言うんなら、そのくらい出来るだろ?」

 あっけらかんと告げられる"例外"の存在、たちの悪すぎる二枚舌に嘆息しか出ない。
 というか今此処で聞いていなかったら、この男は確実にそれを自分へ伝えなかったろう。
 どこまで行ってもロキはロキ、奇術王は焦がれる月以外の全員を笑い者にする気しかない。
 なればこそ不気味だった。差し出された剣を横目に、薊美は問わずにはいられなかった。

「何のつもりですか?」
「何、って言うと?」
「あなたに面白いと言わせられたのはまあ、確かに進歩なのかもしれません。認めたくはないですけど。
 でもこれは明らかに度が過ぎている。他の星に魅了された眷属さんにこうも親切にされるのは、率直に言って気味が悪いです」
「毒舌だねぇ、可愛い可愛い。そっちが素なのかな? だから俺は言ったんだよ、君らしく生きた方が魅力的だって。
 ――で、なんだっけ。なんで此処まで親切にするのか、だっけ? んー、そうだな」

 ロキの眼が、糸のように細められる。
 その糸の隙間から、巨人の瞳がこちらを覗いている。
 心の奥底まで見透かすような、嘲笑う者の瞳。
 彼は確かに薊美へ大盤振る舞いの施しをしていたが、瞳に宿る光の種類だけは徹頭徹尾変わっていない。
 手のひら返して薊美を褒めそやしながら、あいも変わらず嘲笑だけをそこに湛えている。
 不誠実の極みのような在り方をブレることなく貫き通す巨人王の答えは、敢えてなのか嘘をまぶすことなく薊美へ届けられた。

「だってどう転んでも面白いだろ。君の進む先は文字通りの茨道だ」
「……、……」
「山ほどの挫折と、山ほどの後悔と、そして山ほどの苦しみが待っている。
 おまけにそれを歩み抜いたとして、その先に望んだ結末があるとは限らない。
 "閉ざす者(ロキ)"の名前において断言しよう、伊原薊美――君の行く先は、進もうが戻ろうがもはや地獄しかない」

 伊原薊美は、進むことを選んだ。
 太陽を知りながら。月を知りながら。
 星と呼ばれる者達の存在を知りながら。
 光に背を向けるでも、現実を受け入れて肩を落とすでもなく。
 己もまた宙へ昇り、唯一の星となることを決断した。
 
 勇ましく、さりとて無謀。
 いつの世においても、無謀を押し通すには対価が伴う。
 さながら悪魔の囁く甘言のように。
 その道を往くと決めた時点で、進むも戻るも地獄でしかない。
 ヒトとしての穏当な結末に別れを告げること。
 それが、持たざる者(ペーパー・ムーン)が道理をねじ伏せる上で必要になる絶対条件。

 薊美はもう、駆け抜ける以外では救われない。
 遥か彼方の光、己が夢見る唯一無二の結末に辿り着くこと。
 それ以外では何をどうやっても、生存圏の外へ踏み出た茨の王子を救えない。

91LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:21:34 ID:pH7EOQgU0

「そして夢を掴み、無事に意中のカミサマを殺せたとしても……」

 ロキはそのことを知っているから、こうも愉快に笑うのだ。
 ついつい大盤振る舞いだってしてしまう。
 悪魔はいつだとて、愚行に走る人間が大好きだから。
 彼らの汗と涙を啜りながら、悪魔は愉悦に酔い痴れるのだから。

「その先には――――俺の愛するお月様が待っている」

 最大の絶望として太陽ではなく月を挙げ。
 ウートガルザ・ロキは呵呵と嗤う。
 
「謂わば絶望で終わることが約束された物語。実らない英雄譚、仇花のレーヴァテイン。
 せいぜい驚かせて、笑わせて、楽しませてくれよ?
 その剣は代金の前払いみたいなもんさ。さっそく部屋に戻って魔女っ子でも殺してみるかい?」

 薊美は紡がれる宣告を、ただ黙って聞いていた。
 地獄行きは明言された。星を躙ると決めた時点で、茨の道は確定した。

 が――揺るがない。茨の王子は、地上の星は恐怖なんて陳腐な感情ではもはや揺るがせない。
 ロキの長ったらしい台詞を聞き終えて、薊美は動じず口を開いた。
 覚悟など既にある。今更言われるまでもないのだ、こっちは。
 示す毅然がそれを物語る。悪魔たるロキに、上等だ、と吐き捨てるように。

「……あなたは、仁杜さんが祓葉を超えることに興味はないんですか?」
「あるよ。でも直接殺し合って勝つとか、そういう意味なら微妙だね」

 戯言や雑言に付き合うつもりはなかった。
 だから馬耳東風と受け流して、聞きたいことだけを聞く。
 傍若無人、この悪魔と話すならそのくらいで十分だと此処まで来ると薊美も分かっている。
 故に問いかけたのは月の行方。眷属として格上の星を踏み躙りたくはないのかと問うた。
 これにロキは、即答。薊美とは違う未来で太陽・神寂祓葉を見据えているのだと語る。

「最強とか無敵とか、そんなチープな概念じゃ俺のにーとちゃんは語り尽くせない。
 あくまで神に触れたあの子が、変わらないまま輝きだけ増してくれたらそれでいい。
 今の時点で既に俺にとっての唯一絶対な月の光。それが太陽に触発されてもっとキマってくれたら、これ以上のことはない……ってだけさ」

 ムキムキマッチョになって誰彼構わず殴り倒すにーとちゃんとか見たくねえし。
 ロキは肩を竦めて、何がおかしいのかひとりでくつくつ笑っている。
 自分を前にして、他の星に酔い痴れられるのは屈辱だった。
 子どもじみていると分かってはいる。けれど、この幼気を捨てればそれはもう自分ではないのだ。

「その点、君はどうだろうね。"鋼の木星"ちゃん」

 そんな薊美に、ロキは言う。
 値踏みするような声音、言葉。
 木星と呼ぶのも悪意故のことなのは明々白々。
 
 できるの?
 やれるの?
 本当に?
 君ごときが、星々の位階に届くとでも? ――巨人の王はそう云っている。

92LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:22:27 ID:pH7EOQgU0


「もし君が本当に、都市の神に届く炎の剣(レーヴァテイン)たるのなら――その時はオレも、月の近衛として君を敵と認めてやるよ。
 そしたら改めて始めようじゃないか。本物の月と紙の月の、情け容赦なんかカケラもない、殺すか殺されるかの星間戦争を」


 巨人の王は云っている。
 汝、太陽を滅ぼせ。
 "できるものなら"、と。

 本当に汝がそれほどの器ならば、その時は認めよう。
 汝の輝きを、星たるモノと受け容れよう。
 そしてその上で、敬意を表して討ち殺そう。
 正真の星が誰であるかを定めるために。
 地獄の炎の中で尚咲き誇る尊い茨の花を、月光を以って摘み取ってやろう。
 告げるロキの言葉は、薊美の中に残る逡巡を振り切らせた。

(令嬢よ)
(うん)
(……良いのだな?)
(いいよ)

 手を伸ばす。
 掴み取るのは、炎の剣。
 災禍なる太陽が如き剣(レーヴァテイン)。
 そして太陽を超えて耀く炎の剣(ロプトル・レーギャルン)。
 北欧の神話を終末へ導いた禍津の炎を己が武器としてその手に担う。
 たとえ、その先に待つすべてが地獄だとしても。
 ならば――地獄の炎さえ踏み躙り、己を彩る茨に変えてみせると誓って。

(もう私は祈った。"輝ける勝利を我が手に")

 伊原薊美は、剣を抜いた。
 彼女だけの剣。太陽を憎む小さな巨人の炎。
 決して捨て去れぬ運命という呪いを抱いて、少女は閉ざす者へと応えるのだ。
 常の"薊美"ではなく、舞台の上に君臨し見る者共に演ずる者そのすべてを圧する"茨の王子"として。


「応えましょう、月の眷属。蒼白の星にて女神へ寄り添ういと高き者よ。
 その神話は終わる。私が滅ぼす。太陽は超えられ、月は焔の中へと沈む。――神々の黄昏(ラグナロク)の始まりです」


 ――――ただ光を、追いかけている。 


 あの輝きに追いついて、あの輝きに成るのだと誓って、そうして黄昏は宣ざれた。
 炎は静かに、されど高らかに燃え盛る。
 太陽よ死すべし。あまねく神話よ終るべし。
 我こそ星なき宙にただひとつ瞬く鋼の星なり。

 最近、王子様は怒りっぽい。
 その怒りを慰められるのは、星のない無明の宇宙の暗闇だけ。



◇◇

93LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:23:17 ID:pH7EOQgU0



〈渋谷区・路上〉



 マイクを握り、爆発の煙の中で立ち上がった。
 視界の先では、像を結び直す〈蝗害〉。
 廃墟の街でただひとり、満天が挑むべき大衆(セカイ)がそこにいる。
 値踏みするような視線を感じて背筋が震えたが、幸いこれはいつものこと。
 アイドルはいつだって値踏みされている。
 偶像なんて言えば聞こえはいいけれど、現実はそんな甘いことばかりじゃない。
 ルックス、パフォーマンス、ファンサービスにキャラクター。
 年を重ねるごとに賞味期限なんてグロテスクな言葉まで付きまとう茨の道、それが誰かの偶像になることの意味。

 ああ、怖いな。
 舞台に立つのって、こんなに怖いことだったっけ。
 ライブなんて久しぶりだから、うっかり忘れてたみたい。

 今までの、雀の涙ばかしの経験が脳裏をよぎる。
 引きつりまくりの表情で、操り人形みたいなダンスをしたこと。
 練習の成果なんて微塵も見えない、音程外しまくりの歌を歌ったこと。
 その後すぐにユニットは解散してしまい、今に至るまでそれっきりだ。

 失敗したらどうしよう。
 うまくできなかったらどうしよう。
 怖い、恥ずかしい、逃げたい、無理。
 そんな弱音も、今回ばっかりは通用しない。
 だってこれは死神とのディール。
 商談が破談すれば、この身この命は取り立てられる。
 夢の果てを見ることなく。契約の成就を果たすこともなく。
 すべてが終わり、煌星満天は失われ、暗闇の中に堕ちていく。


 ――すぅっ、と、息を吸い込んだ。
 肺の奥、胞のひとつひとつにまで新鮮な酸素を行き渡らせる。
 不器用な猿真似で思考を切り替える。ステージライトも気の利いたMCもないけれど、此処は満天だけのライトステージだ。


 さあ、勝負をしよう。
 勝つか負けるか、生きるか死ぬか。
 そんな賭けにもそろそろ慣れてきた頃だろう、なあ。

94LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:24:09 ID:pH7EOQgU0


「"――ファナティック・コード、さあ開闢(はじ)めよう"」


 曲名は『ファナティック・コード』。
 狂信の法典。悪魔らしく、煌星満天が歌い上げるのは破滅の一曲(ナンバー)。
 脳裏に叩き込んだステップを踏んで、くるりとターン。
 からの、ファンサービス。観客を指差して、覚えたてのウインクを打つ。

「"燻るように歩いてた 「どうせ無駄さ」と愚痴を吐いて"」
「"フツウの方には背を向けて 夢見るように逃げ出したんだ"」

 曲はファウストが用意した。
 こいつ本当になんでもできるな……、と若干引いてしまったのを覚えている。
 でも作詞をやったのは彼ではない。
 満天だ。曲は作ったから歌詞はあなたが作ってください、という無茶ぶりの賜物。
 悪戦苦闘の末に生み出した、あんまり自分じゃ読み返したくない処女作。
 そんな歌が今、自分達の命運を占う手札最後のワイルドカードと化しているのはなにかの冗談みたいだった。

 怖いのは。
 その冗談を、なぜだか今はそんなに悪く思えないこと。

「"喝采の声が聞こえてる 拍手、喝采、万雷、才媛――"」
「"私にじゃないのは分かってる 非才、凡庸、陳腐、石槫"」
「"今に見てろと眉寄せて 私は走る、醒めない夢へ……!"」

 ステップ、ターン、フルアウト。
 粗削りの躍動も今だけは強みになる。
 だってこの歌は、綺麗にこなして歌うものじゃない。

 万雷の拍手とも、喝采に愛された才媛とも違う。
 光の影で、闇の傍らで、みっともなくもがいて歩く女の歌だ。
 非才で凡庸、何から何まで陳腐な石槫。
 劣等感に溢れた自虐を怨嗟のように吐き散らして、泥濘から迎えるサビ。
 
 妄想だけはこなれてる。
 空想しなくちゃ夢なんて追いかけられない。
 無理難題に唸りながら、それでも必死に考えた。
 本当にこんな風に歌えたなら、さぞかし気持ちいいだろうなと思える歌を。 


 ――さあ。
 ――今だ、おまえの闇夜を脱ぎ捨てろ!

95LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:24:54 ID:pH7EOQgU0


「――"ファナティック・コード、私を見ろよ"!」
「"革命前夜の誘蛾灯 最凶の歌を魅せてあげる"」


 雌伏、屈従、鬱屈、自傷、泥濘。
 悪態みたいな歌詞が、闇を消し飛ばす爆薬になる。

 意図して刻んだ退廃と暗い感情。
 アイドルの仕事とは嘘をつくこと。
 撒き散らした闇(マイナス)を、炸裂と共に光(プラス)へ変える。


「"ファナティック・コード、私を見てよ"!!
「"目移りなんて許さない、オマエは私に見つかったんだ"!!!」


 笑顔は下手くそ、ダンスも下手くそ。
 如何ともし難いから不得手はガッツでねじ伏せる。
 全力で足を動かして、叩き込んだ振り付けを引き出して、失敗なんてもうこの際無視だ。
 その上で、必死に口角吊り上げる。ファナティック・コードは悪魔の歌、堕落から光に上がる逆襲の詩。
 ふてぶてしくて傲慢な悪魔("私")には、一瞬だってしかめっ面なんか似合わない。

 ――躯体(からだ)を動かすのはいちばん最初の成功体験。
 煌星満天はにっちもさっちも行かなくなった時、普段じゃできないことまでやれる。
 焦燥が生む激情をガソリンに。熾した炎で熱狂を煽り立てろ。


「"こちら悪魔の独壇場、行きはよいよい帰りは怖い"」


 口元の八重歯を覗かせて、満天は目を閉じる。
 足も腕も止めて、休息時間(クールダウン)。
 欠乏した酸素を吸い直し――聞く側の耳と脳をも冷ます。
 その一瞬を以って準備完了。最後の一撃、悪魔の魅了(チャーム)。



「"観念しようぜ、さあ人間ども――アナタは私に魅入られた"!!」



 ライブを締めくくる最大のシャウト。
 残響と反響。木霊を聞きながら、満天は数秒停止。
 エコーの消失を待って、マイクを下ろす。

 ……やれることは、すべてやった。

 終わってみて、自分は何をやっているのだろうと怖くなる。
 命乞いをするならいっそ駄目元で土下座でもした方がまだよかったんじゃないか、とか。
 歌もダンスも下手くそなのに、初っ端からオリ曲ソロライブとか馬鹿じゃないの、とか。
 思うことは無数にあったが、曲が終わった以上もうアイドルにやれることは何もない。

 曲が終わったなら、響くべきものがある。
 拍手。喝采。それはある意味最大のコールアンドレスポンス。
 客は意外と正直だ。楽しめたなら惜しみなく手を叩くし、逆に期待外れだったら疎らに叩く。
 
 判決の時が迫っている。
 放免か死刑か、それ以外か。
 木霊が終わり、耳が痛いほどの静寂が戻ってきて――

「……お前」

 〈蝗害〉は、難しい顔で口を開いた。

96LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:25:18 ID:pH7EOQgU0
















「…………いい曲歌うなァ〜〜〜〜!!! 沁みたァァ〜〜〜〜〜〜!!!!」

 ――――前のめりになってぱちぱちと手を叩きながら、都市の厄災は大いに感動していた。



◇◇

97LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:25:56 ID:pH7EOQgU0



「いやあ、まあ歌は下手だしダンスも素人目で分かるくらいガタガタだったんだけどよ。
 やっぱパッションだよな、音楽って!! 俺もしょっちゅう下手だのうるせえだの言われるけどよ、その度なにくそ!ってシャウトしてるもん!!」
「え、あ、えと、あの」
「"ごちゃごちゃうるせえ、いいから黙って私の歌を聞きやがれゴミどもが! ブチ殺すぞ!!"って感じっていうか……。
 鼓膜通り越して魂まで揺らしに来るパワフルなスタイル! くぅ〜〜! こりゃとんだ金の卵を見つけちまったみてえだな!!」
「へっ、あ、いや、そこまで物騒なことは考えてな――あっちょっ近い近いお触り禁止です待って待って」

 わなわな震えながら上機嫌そうに感想をまくし立てる飛蝗の擬人化。
 握手でも求めるように寄ってきたので、満天はにじり……にじり……と後退する。
 もちろん飛蝗の王さまはそんなことお構いなしであるが、幸い満天はひとりではなかった。

「……当事務所では所属アイドルへの過度の接近は禁止しています。というわけでバーサーカー、どうぞ遠慮なく」
「うおおおおおッ、ジュリエットぉぉ――ッ!! 素晴らしいパフォーマンスだった、僕もそこの彼らと同じで感激が止まらないよ!!」

 ロミオが満天の前にシュバッ!と回り込み、ついでにシストセルカの首を落とす。
 先ほどは満天を庇って〈蝗害〉の一撃を受けたロミオ。
 衣服には血が滲んでいるしそれなりに手傷を負っている様子だったが、彼の振る舞いや言動はまったくそれを感じさせない。
 現在進行形で恋に燃える狂気の貴公子は、どうやら満天が思っているよりずっとタフなようだった。

 そんな彼の背後でシストセルカが再生し、変わらぬ満足げな笑顔のままバットを振り下ろす。
 ロミオも当然防ぐ。ふたりして殺し合いながら歌の感想を長尺で並べ立てているので、満天は「聖徳太子って大変だったんだろうなあ」と一周回ってそんなことを考えた。

「ま、とにかくそういうわけだ。お前の音楽、俺らのハートに響いたぜ」

 めった刺しにされた身体を修復しつつ、シストセルカは親指でその胸を指す。
 そう、虫螻の王は召喚されてから現在に至るまでずっと現代文化、特に音楽にご執心である。
 彼の演奏は力まかせで独りよがり、決して上手いと呼べるものではない。
 彼も薄々それは自覚しているのか、最近ではもう開き直って技術無振り、熱意(ハート)全振りの演奏スタイルに邁進している。

 そんな彼だからこそ、まだまだ下手でぎこちないが、とにかく全力でひたむきに歌う満天の姿に感銘を受けた。
 逆に小手先の技術やノウハウに頼って利口に歌ったのでは、満天は彼の賛辞を得ることはできなかっただろう。
 これは『煌星満天』だからこそ勝ち取れた勝利、喝采。終わってみればどこまで行ってもこの戦場(ステージ)の主役は彼女だった。

「けどお前、まだあんま売れてねえんだろ? なら丁度いいや。俺をファン一号ってことにしてくれよ」
「……、……っ!」

 息を呑む。ただし、今度ばかりは違った理由で。

98LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:26:52 ID:pH7EOQgU0
 
 『あなたはこの仮想の東京で、最も高名な偶像を目指す』
 『ここで夢を叶えてください。それが我々にとって唯一の、生きる道です』

 ――世界のすべてを魅了する。
 そう求められて、やってやるよとがむしゃらに転がってきた。
 さながらそれは転がる岩。斜面に身を削られながら、消えてやるもんかと歯を食いしばる。
 一寸先も見えないシンデレラストーリー。その中で初めて、胸を張って成果と呼べる結果を掴むことができた。
 それが今、目の前で高揚した様子で鼻先を掻いているシストセルカ・グレガリアの存在だ。
 ファウストが聞いたならこんなことで満足していては先が思いやられますよとか言われるのだろうし、実際自分でもそう思うけれど、それでもこみ上げるものがないと言ったら嘘になる。

「……あ。ありがとうございます、でも、えっと……」

 目の前にいるのは恐ろしい、本当に恐ろしい破壊の化身だ。
 満天も、その同行者達も、みんな彼らによって殺されかけた。
 そうでなくても、この東京に暮らすたくさんの人々が彼らのせいで平穏な暮らしを失っている。
 分かってはいる。それでも――面と向かって、アイドルとしての自分を"好き"と言ってもらえるのは、相手が誰であろうと嬉しかった。
 照れくさくて思わずもじもじと身を捩りながら、姿勢を正して、満天は営業じゃない笑顔をへにゃりとひり出す。

「――――ファン一号は、もういるから。二号じゃ、駄目ですか」
「あ〜〜ん? なんだよ、どこぞの誰かがもう手ぇ付けてやがったのか……。
 まあいいぜ、二号でも十分古参名乗れるだろ。ライブやる時は教えてくれよな、絶ッ対ェ見に行くからよ」
「……あ。ちなみにファンになってくれたってことは、今後は見かけても見逃してくれたり……」
「そいつは無理だけど、まあ、なるべく後にしてやってもいいぜ。
 だからあんまり俺と一対一とかになんなよ? 手が……前脚が滑っちまうかもしれねえからな! どう? 今の。バッタギャグ」
「で、ですよね〜……そんな美味しい話なんてないよね……アハハ……ワァ……」

 「君のそういう奥ゆかしいところ、僕は好きだよ。一号っていうのは僕のことだろう?」と白い歯を見せながらウインク(※満天より自然で、上手いようだ。かなしいね)してくるロミオをよそに、がっくりと肩を落とす満天。

 とはいえ無論――戦果としては破格のそれである。
 本来覆し得ない戦力差を、誰ひとり予想のできない手段で覆して未来を繋いだ。
 闇夜を脱ぎ捨てて輝いた熱狂の星は、貪り食らう蝗達を照らし寄せたのだ。
 そんな己の契約者の姿を暫し無言で見つめながら、メフィストフェレスはひび割れた眼鏡をわずかに持ち上げた。割れていたレンズ、歪んでいたフレームが修復され、元の怜悧な容貌を取り戻す。

「……では、約束通りということでいいのですね? シストセルカ・グレガリア」
「ま、良いよ。そもそも今の俺は勝手にぶらついてただけだ。ウチの姫さんもそこまで怒らねえだろ」
「それは何よりです。我々もあなたの言動や戦闘から得難い情報を幾つも取得できましたのでね」
「言質取ってから言うコトかよ、イイ性格してんなテメェ。決めた、次は絶対テメェだけでも食ってやる」

 流石に契約書にサインまでしてくれる手合いには見えない。
 ので、今回は欲をかかず、一度見逃して貰うだけで満足しておく。

99LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:27:44 ID:pH7EOQgU0

 その上でメフィストフェレスは、改めて満天の方を見た。
 満天も視線に気付き、沈ませていた顔をあげる。
 言葉はない。視線の交錯があるのみだ。されど彼らは主従、会話をするのに声など必要ない。

(そういうわけです。お手柄でした、煌星さん。
 私も一手二手は逃げの方策を講じていましたが、それはどちらも非常に高いリスクを伴うものだった)
(うん……だよね、知ってた。キャスターならそういうことするだろうなって思ってさ)
(とはいえ、あの場における最適解は間違いなくあなたが令呪を使い、自己の生存を優先することでした。
 結果だけ見れば大金星ですが、歌が空振りしていたら共倒れだったことは想像に難くない。
 次にこういう状況があった際はなるべく私の指示に従ってください)
(ア……ハイ……ゴ、ゴメンナサイ……ソウシマス……デスギタマネヲ、シマシタ……)

 反論の余地ない正論をぴしゃりと叩き込まれ、一瞬で元の俯きモードに戻る満天。
 そう、彼女が取ったのは決して最善手ではなかった。
 少なくともメフィストフェレスに言わせればそうだ。
 契約者のために死ぬ悪魔など愚かだが、契約者を失った結果、びた一文得られずオロオロ彷徨う方がよほど間抜けというもの。
 『微笑む爆弾』で切り抜けられなかった時点で、多少の損は承知の上で逃げの一手に走るのが正解だったと合理的な彼はそう信じている。

(あの、さ……キャスター。勝手に出しゃばったのは本当にごめんなさいなんだけど)
(……何ですか?)
(その――――私の歌、どうだった?)

 だが、それはさておき。
 こう問われたならば、返すべき言葉はひとつしかなかった。

(素晴らしかった)

 こうだ。
 あの歌は――――本当に素晴らしかった。
 煌星満天というアイドルを見てきた一月余の時間の中における最大瞬間風速が、あの一曲には宿っていた。
 
 輪堂天梨との対面に立ち会うことは叶わなかったが、彼処でふたりが繰り広げたちいさな対決がどれほどの意味を持っていたのかは計り知れない。
 すなわち星の共鳴。単一でさえ十分に他者を圧する資質を有する恒星の卵達は、あろうことか競い合うことで更に伸びるらしい。そう確信した。
 ひとりで走ることしか知らなかった満天の前に現れた、明確な超えるべき指標。そしていつか救うべき友人。
 シンデレラストーリーの最後の敵たる日向の天使の存在に触発されて、煌星満天は飛躍的な伸びを見せている。
 冗談抜きで、あの対決の前と後では比べ物にならない。だからメフィストフェレスも、言葉を挟むことなく黙ってしまったのだ。
 改めて実感したからである。自分が契約を交わし、靴を履かせたこの娘もまた――宙の星として輝く資格を持つ、資格者であることを。

100LIVE A LIVE(後編) ◆0pIloi6gg.:2025/03/06(木) 13:28:33 ID:pH7EOQgU0

(……へへ。そっか)
(もっとも技術面で言えば依然として変わらず落第点です。
 シャウトのしすぎで曲の良さが損なわれていましたし、ダンスに至ってはミスを力技で誤魔化したシーンが一分半の曲で計四回。
 昆虫に見抜かれるような未熟が人間の観客にバレないわけがありません。落ち着いたらレッスンの予定を増やします。決定事項です)
(ウッ。……も、もうちょっと喜びに浸らせてくれてもよくない……!??)

 メフィストフェレスは、ゲオルク・ファウストという"人間"を知っている。
 彼は優秀だったが、愚かな男だった。どこか哀れな人間だった。
 それでもその死に際に、悪魔に一矢を報いるような奇妙な輝きを持っていた。
 煌星満天――暮昏満点は率直に言って、ファウストは似ていない。

 アレは此処まで愚鈍ではなかったし、愉快な人間性もしてはいなかった。
 純粋な能力値だけで言えば前回の契約者に比べ、数段以上は劣っているだろう。
 愚かな女だ。哀れな女だ。いつか破滅することが見えている、蝋翼の娘だ。
 しかし神話と違うのは、彼女が行う不器用な羽ばたきには、不思議な力があること。
 たとえ太陽に翼そのものを溶かされてしまっても、"もしかすると"空の彼方まで跳べるのではないかと、そんな不可解を抱かせてくること。
 
(――悪魔と手を繋いだのは、俺の方だってか?)
(え?)
(失礼。何でもありません)

 光に灼かれるつもりはない。
 それでは意味がないのだ。
 少なくとも、契約が成就するその時までは。

 故にメフィストフェレスは、一切の狂気を拒絶する。
 光には灼かれぬまま、星を育てるという難業に臨む。
 悪魔が人間に染められるなど最大の屈辱。
 これを良しとできるほど、メフィストフェレスは恥知らずにはなれない。
 故に不変を誓い、一瞬だけ露出した地の口調をすぐに霊基の裏側へ隠すのだ。
 彼は詐称者(プリテンダー)。本当の顔を見せるその時は、それこそ魂を頂く時でいい。

「録画機材は……、この様子だと大半は壊れていそうですね。
 あの魔術師のことだ。映像を撮った端からバックアップするくらいの備えはしているでしょうが」
「うー、ごめんなさい。私が考えなしにぶっ飛ばしたから……。
 ていうかこれ、どうするの……? 流石に取材継続とかできる状況じゃなくない?」
「考えます。煌星さんはその間に少しでも休んでおいてください」

 それにしても――まったく面倒なことをしてくれた。
 が、ノクト・サムスタンプへの義理立てならこれでも十分だろう。
 〈蝗害〉の戦闘能力に、彼が頼んでもないのに漏らしてくれた幾つかの情報。
 これを手土産にすれば、あの狡猾な傭兵も文句はあるまい。
 ……"次"の要求が来るかどうかには細心の注意を払う必要があるが。


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