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阿含宗という宗教法人を主とした意見交換板

1大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 10:25:12
* ここはagama@chsのサブ的存在です。ザビビ継承スレではありません *

このスレッドは阿含宗考察と検証や意見交換が目的ですが、それ以外に仏教の談義などもOKとします。
批判・擁護 ともにOKですが、良識有る投稿でお願いします。
なるべく規制はかけないつもりですが、悪質な悪戯や荒らし行為、卑猥AA、無駄AA、連続コピペ、
その他閲覧にふさわしくない迷惑行為はご遠慮ください。(記事削除の対象となります)
また、その他微妙な判断は管理人である”大日如来”が行うこととします。

「A宗考察意見交換スレ」他
http://www2.atchs.jp/agama/
初めての方のためのダイジェスト
http://religion.bbs.thebbs.jp/1130673101/ の[463]-[864]
http://religion.bbs.thebbs.jp/1137513788/ の[7]-[79]
過去ログ倉庫
http://etcsouko.hp.infoseek.co.jp/
http://i.ringoya.nu/?u0=http%3A%2F%2Fetcsouko.hp.infoseek.co.jp%2F
「阿含宗と桐山氏について話題インデックス」
http://www1.atchs.jp/agamaindex/
「agamaザBBS」〜この板と同じしたらば〜
http://jbbs.livedoor.jp/internet/3419/

2大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 10:36:16
@chsが落ちたので、立てて見た。
まあ、なんだかんだと項目で書いてますが、@chsのようにやってゆければ良いというだけ。
批判だけの利用で無いので、擁護の方も書いてくれれば嬉しいし、またA宗からの話題だけに
留まらず、私見なども交えても良いです。ただし、自分の信仰している宗派を推奨する・勧誘する
自慢するというのは遠慮していただきたい。

まあ、細かいことはやりながらでも行こうかと。
掲示板に投稿する上で不明な点は、どうぞ遠慮なく聞いてください。

3大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 11:00:04
あら、たった今復旧したね、@chs。

まあ、いいか。こっちはこっちでやるか。
いざとなれば無くせばいいしw

新規OPEN記念として、したらばでも@chsでも書かなかった、霊障のことでも書いてゆきますか。
(ここは私見意見出せる板として立ち上げたからね)

批判する側となった自分には、もう書くことが無いだろうと思ってたこの「霊障」のことですが、
たしかに、したらばのザビビ復刻板ではラシンさんの提言もあって発言はしなかったのですが、それは
やはり、この理由によるからですね。

① 仏教考察、しかも釈尊の言葉を学んだのであれば、論ずる意味が無い。
② 過去の批判意見にもあるように霊障云々に対しては有る程度論議も成されている。
  まして、そういうものを蒸し返してもしょうがないし、完全な証明・検証というのも
  出せない論議をやって意味があるかどうか。

これらがわかるから、確かに止めましたが、でも、これをもし仏教云々とは別に自分の見解を話す分には
いいのではないか?と思うのです。
というか、もし私が批判の思考に回らなかったら、書こうと思っていた項目なのです。
つまり、早くも批判の方へ回ったため、今まで出さなかったし、止めていたのです。

だから、本来ならラシンさんの言われたとおり出さないほうが懸命なのですが、とりあえず
仏教云々というのから離れて意見だけを出す、ということをやってみようかと思ったわけです。

4大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 11:38:26
ですので、私のこれから書く意見は「私個人の見解」というだけで、それを仏教の何とかだ、とか
これが正論だ、というつもりは全く無いということと、私個人が「こう思う」ということだ、
ということをご理解のうえでお読みください。

まず、ゲイカの言われた「霊障」のことは、本当であり正しければ問題は無かったと思います。
元信者であった時期や信じていた時期ならともかく、今では「本当だろうか」と思うこと多し、です。

アゴンでは因縁と霊障の事の関連性が言われているが、それは私が占いを実際にやっていた時期にも
ぶつかった問題点をクリアするためには、なるほどなあというものを出すには適したものと感じて
居ました。

まず、したらばなどで私が出した占いの意見を見た方はもうお分かりでしょうが、占いには限界がある。
占いは簡易に言うならば、人生・運命の軌道というものを見る・把握・予測するものなのです。
例えば、自分が物凄く運が悪いとします。どうしてこうなのか、いつまでそれは続くのか、とか
知りたくなります。それを占いでおおよその事をはじき出せるのです。

しかし、はじきだしたとしてもそれに対する答えや示唆はありません。
それこそ「貴方は運の悪い人間ですねえ」で終わりです。

それで、そうか、と納得できて何も講じない人なら問題ないが、普通ならどうにかして
その運の悪さや改善方法を欲しいと思うものです。また、その運の悪さの原因とやらをみつけて
それを無くす・改善したいと思うでしょう。

で、その運の悪さの原因とやらを「運命の星」とやらを”何々の因縁”と成し、その因縁の元凶、および
関連性の有る原因要因としたのが先祖の霊障・運命の反復ということなのです。

勿論、霊障が無く悪因縁単体だけのものだったら、アゴンのいう「因縁解脱」を果たすだけで
その悪い運命の影響は受けないわけです。しかし、霊障も有る場合は、霊障も解かねばならず、
尚且つ悪因縁も解脱しないと悪い運・運命からは逃れられない、という理論なのです。

こういうことから悪因縁と霊障の関係はほぼペアといわざるを得ない、ということになります。

5大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 11:50:45
まあ、根本的に言えば仏教の開祖釈尊が「因縁解脱」とか「何々の因縁があるぞ」などということは
一切言って居らず、釈尊滅後に後の人が勝手に作りあげた言葉・概念であります。
ゆえに、因縁解脱も何々の因縁というのもでっちあげなんですけどね。

でも、その占いとやらや実際に人生で運が悪く苦労している人に
「貴方は悪い因縁を持っているから運が悪いのよ」とか
「ご先祖で不幸な亡くなり方や苦しんでいる方が居るから成仏できなくてそのゆえに貴方の
運や人生までも悪くなっているのですよ」と問いかけるわけです。

そうして、それを改善するためには「先祖供養だ」とか「悪因縁を解脱するしかない」と言って
アゴンの(管長の)理論・理屈の方へいざなうわけです。

キリスト教などは仏教のように先祖供養とかはしません。いや、キリスト教だけでなく仏教以外の
宗派は先祖供養というのは見当たらないですね。なので、先祖供養といえば仏教。しかも日本は
仏教に慣れ親しんでいる国民性というのが有る。なので、この系の話をするには有利なわけです。
で、先祖供養を行い、悪因縁を切るための勤行というのがもっとも進めやすいわけです。
大まかですが、アゴンのやりかたや進め方はおおよそこういうものです。

で、その霊障とやらを見ますと、何しろ因縁もそうですが見えない世界の事ですから如何様にも
出来るし、いえるわけです。
そこで、管長の桐山氏が色々出したものが霊障についての事柄があるわけですが、それが
最初言ったように正しければ問題が無いが、どうやら信憑性に欠けるというのが実情です。

6Boo:2009/11/12(木) 15:59:45
大日さん、こんにちは。

私は解脱供養は、ゲイカの念力による浄化法ではないかと思っています。プラスいくらかの霊感(霊視)により解脱供養を行っていたのではないでしょうか?

若い頃の念力の盛んな頃はこちらに対しても念力が届いたような部分があり、それで人生が一時的に好転したのではないかと思う。勿論こちら側の心構えも、謙虚に反省しそれも人生の好転するきっかけになっていると思う。

実際に亡くなった方の霊がこちらに直接影響するということは滅多にないと今は思います。

最近の解脱供養はゲイカの念力もよわくなり、人生が好転するきっかけまでは影響を及ぼさなくなってきたのではないでしょうか?また、解脱供養する人の心構えも変わってきているように思う。私が初めて解脱供養したときは、それこそなけなしの10万円を賭けた訳ですから必死に祈り降りてきた祖父を供養しました。


霊に関しては、釈尊が考えてはいけないとうように言われたようですが、そこをはっきりさせなかったから、仏教(みたいな宗教や除霊も含めて)の名の元に霊感商法が跋扈し後を絶たないのではないかと思う部分もあります。

7大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 20:38:54
Booさん、書き込みありがとうございます。早速本題に。

>私は解脱供養は、ゲイカの念力による浄化法ではないかと思っています。

ふうむ、私はそこまでは思わなかったですが、浄化という面では気に成るのがあります。
それは何かといいますと、後でちゃんとPを調べますが、「チャンネルをまわせ」の中に
面接指導に来た信者に対して指導の後、実際に「浄霊法」をかける表現が出てきます。
あれが私は凄く気になり、また引っかかる。

推測の域を出ないが、おそらくその当事者にかかっている霊を調べ、浄化(取り去る)もの
ではないかと思ったりします。そういう観点では”ありえる”のかと思います。
ただ、実際にそのあたりを調べたり知っている人から情報を得たわけではないので、なんとも
いえないのが自分ですね。

結局、面接指導などせずに全国から解脱供養の資料箋が出されてそれを見てやる場合には、
指導原簿を見ながらなのか、それとも資料箋だけでやるのかわかりませんが、Booさんの
言われた
『プラスいくらかの霊感(霊視)により解脱供養を行っていたのではないでしょうか?』というのに
つながるかと思ったりします。

ただ、如何せんそこのところは推測の域を出ず、おそらくそうではないか、と言えますが、
私もBooさんの考えに近いものを持っていますね。

8大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 20:47:06
>若い頃の念力の盛んな頃はこちらに対しても念力が届いたような部分があり、それで人生が一時的に好転したのではないかと思う。
勿論こちら側の心構えも、謙虚に反省しそれも人生の好転するきっかけになっていると思う。

そうですね。これがいわゆる「効果の出た・現れた人への現象」かなあ、と思っています。

Booさんの場合のことをよろしかったら後で教えていただけたら幸いですが、もし披露がまずいようでしたら
無くても構いません。ちなみにあまり参考にならないかもしれませんが私と私の周りのことを申したく思います。

まず、私ですが、私はさほど劇的に変わったというのはありませんが、好転が少々あります。
まず、中学校と高校時代に一年に一回、悲しくも無いのに泣き出すことがありました。
幸い家とか学校でも放課後などでしたので、教室で泣く、ということが無いので他人に発見されることがなかった
ので良かったのですが、学校のトイレの中で泣きまくったのを覚えています。

そして泣きながら冷静に自分を見る自分が居るのを覚えています。
つまり、自分が泣きたくないのに泣いているという不可思議な現象ですね。
次に高校二年生になっていきなり運が悪くなり、手相にも悪い相が出てきました。
それらがかなりネックでしたが、解脱供養をしてからはそれが消えましたね。
また手相も変わりました。悪い相が消えたのです。

9大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 21:00:45
次に私の妻ですが、私の妻とは結婚する前からA宗に入行しており、二人揃って解脱を同時期に申し込みました。
それが私も妻も最初の解脱供養でしたね。

私も自分の霊感で妻の先祖を感じてましたが、やはり予想通り横変死の先祖が降りてきましたね。
(私は母方の曾お爺さんでしたが)
妻の場合はメソメソしやすく、後悪いことを好む性格があり懸念してましたが、それが解脱した後は
無くなりましたね。解脱しなかったらどういう性格のまま行ったか、と思うと恐ろしいですね。

あと、ゲイカは否定してましたが、解脱供養をすると洗い出しが起きましたね。
私は胃が痛くなり、物を食えない日が数日続きましたので、そのとき初めて胃カメラをやりました。
妻は血便が出たので大腸の内視鏡を行いました。ですが、二人とも異常なしで今でも不思議に思っています。

このことにより私の地方の道場では「洗い出しが出る」という人と「出ない人」に意見が分かれましたが
結果が出ないうちに終わったので未だに不思議なままですね。

10大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 21:07:49
一番劇的なのは私の弟ですね。
弟は当時B型肝炎にかかり、死ぬといわれました。
ですが、何とか危機は脱しましたが、ヘロヘロ状態でいました。
やがて普通の生活まで回復しましたが、やはり肝臓の値が悪くいつもだるそうにしていて、
通院しても「もういっかい入院する?」といわれるほど芳しくなかったのでした。

しばらくして「そうだ。解脱かけてなかったな。やってみたらどうだ」ということで
弟の初の解脱を申し込みました。
数ヵ月後、成仏したあと次の月に毎月の通院日に行って検査したところ、肝臓の異常値が
全く正常に。
もう来月から来なくていいですよ、とDrに言われました。
Drも先月まで数ヶ月値が悪く、薬も効かなかっただけに首をひねってたそうです。

あの報告は今でも忘れませんね。弟の喜びはかなり大きかったですから。

11大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 21:11:20
最後は私の子供ですね。2人いるのですが、あるとき急に目つきが悪くなり、恨み言を言うような状態になりました。
いつもニコニコしているのですが、それが消えてぶつぶつ文句を言うような豹変をしたのです。
二人同時になったので「これは霊障だ」ということで早速解脱を。

成仏してからも少々そういう癖は残りましたが、徐々に消えました。
今もニコニコのいい状態です。

ちなみに子供は洗い出しはありません。

12大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/12(木) 21:19:13
あ、あと因縁解脱修行宝鑑を拝受したら、運命に係わる霊障の仏が出されるのですが、その仏さまを
解脱供養しましたが、洗い出しは無かったです。

また、冥徳解脱も2体しましたが、最初の仏さんは妻の家系の方でその方は挨拶に来ましたね。
次に自分の家系の先祖を行いましたが、何も無かったです。
洗い出しも当然無いです。

最後は自分の叔父さんと水子(私と弟の間に数体居るというので頼んだ)も供養しましたが、
何も無かったですね。

なので、Booさんの言われる
『最近の解脱供養はゲイカの念力もよわくなり、人生が好転するきっかけまでは影響を及ぼさなく
なってきたのではないでしょうか?』というのは私も案じたりしてたりします。

長くなるのではしょって書きましたが、実際の私と私の周りの親族の行ったものはこのような内容ですね。

13大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/13(金) 22:53:19
一晩置いたので、さて続きを書きましょうか。

>実際に亡くなった方の霊がこちらに直接影響するということは滅多にないと今は思います。

これも微妙。影響する場合もあるし、無い場合もあると私は見ます。
今までの自分の考察ではほとんど無い例が多いですね。ですので、Booさんの見方に成るとは
思いますが、極稀に影響する場合もあると思うのです。

他人様の例を挙げると問題が出るので自分の場合で見ましょう。
自分は最初の解脱で母方の曾お爺さんが降りてきまして、母にどういう人か尋ねたのですが、
残念なことに母もその方には逢って無いそうで、母が生まれる大分前に亡くなっており、
性格も様子も亡くなり方も全くわかりません。

解脱をかけてしばらくして塔婆が来ました。昔は成仏前でも塔婆が降りて自宅で信者も成仏を祈念
するようにと、現在の成仏してから渡す方式でなくて、大きめな塔婆だったのですが、それが
来てからまもなく胃が痛くなりました。

また、吐き気も催し食事が取れない日もありました。
別段風邪もひいてなかったし、当時はまだ21歳でしたから、体も健康でした。
そういう胃の不調があったので、内科に行って胃カメラを初めてしたのですが、異常は無し。
間もなく数日経って胃の不調や不快感は消えましたが、ああいうのは最初で最後でしたね。

弟の場合ですと、私達の母親の母が降りてきました。黄疸で亡くなった方でした。
弟が肝臓が悪かったのでおそらくその方が来るだろうと予想していたらビンゴでした。
でも、まさか成仏したら弟の不調も治ったのには驚きました。
あれほど治療も薬も医学のベストを尽くしても治らなかったのは本当に悪い影響を受けていた、
と思います。

14大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/13(金) 23:02:36
>>13の続き

ただ、現在言えることは、では必ずそういった霊的な影響を誰でも受けているのか。
また、どのように、などとは霊眼の無い人にはわかりません。勿論私もです。
なので、憶測でしか物がいえない状態です。

そして、現実的に解脱供養をかけて該当の先祖が成仏しても、何ら変わりが無い、というのも
見聞きしています。そうなると、さて霊障や解脱の信憑性や如何に?となります。

また、他人様ですが数体の解脱をかけてその結果良い改善が見られた、と言うのもありますが、
全く何も変わらない、という方も居ます。

私の妻のように劇的に性格が変わると効果の程は信じたくなりますが、数体かけても変わらない
人は逆に疑いたくなります。

なので、私はBooさんの言われていることに同意ですが、極稀に影響を受ける人もいるかと思う、
というのはあるのではないか、と思う次第です。

15大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/13(金) 23:09:50
>最近の解脱供養はゲイカの念力もよわくなり、人生が好転するきっかけまでは影響を及ぼさなくなってきたのではないでしょうか?

うーん、念力という観点で見ればそうなのかもしれませんが、私は念力も必須ですがそれが解脱の力、と見るのはしないですね。
ですが、Booさんの申されるとおり、ここ近年の解脱は昔と比べて確かに違う気がしますね。
なんか、何も感じないというか、本当に成仏させてる?って感じというか・・・。

>また、解脱供養する人の心構えも変わってきているように思う。
私が初めて解脱供養したときは、それこそなけなしの10万円を賭けた訳ですから必死に祈り降りてきた祖父を供養しました。

これには同意。昔から解脱供養を軽く見る人がいましたが、現在は昔より多いような気がします。
お金さえ払えばOKだろう、という考えの人がいるのを見て情けなく思ったものです。
また、私もされど10万でしたから、力をこめて供養しましたよ。
ただ、お礼も何も言わないし、夢枕にも立たないんだなあ、と少々残念でしたが。

16大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/13(金) 23:25:47
>霊に関しては、釈尊が考えてはいけないとうように言われたようですが、そこをはっきりさせなかったから、
仏教(みたいな宗教や除霊も含めて)の名の元に霊感商法が跋扈し後を絶たないのではないかと思う部分もあります。

成るほどです。私も昔そのように考えていたことがありました。
しかし、釈尊がおやりになられることには何か理由があるからだと思い、あまり考えないようにしてました。

確かにはっきりさせないから、というお気持ちはわかりますが、はっきりさせられないからしなかったのではないか、
と思うし、また他の方が答えを知っているかもしれません。なぜ、釈尊がはっきりさせなかったかを。

霊魂やら魂やらとかよりも、煩悩解脱の方が大事であり優先・重要なゆえ論じなかったと個人的に思います。

また、仏陀にならないとわからないことがある。仏陀という境地にならないと見えない・わからないものがある。
アラハンにならなければ口で説明できるものではない、というようなものかもしれません。

全ては「空」なのであり、因果の摂理によって何らかの生じが起きる。
ここまではわかるが、それからがわからない。特に目に見えない、触ることもできない空気のような霊魂は
やはりわかりかねる。それを感じるためにはやはり霊能力や霊感というものが必要かと思うが、それが全ての
人に備わっていて見聞き把握できるわけではない。

空気中に酸素や窒素、水素などがあるのを見ることが出来ないように、やはり霊魂や霊障というのを
見ることも把握も出来ない。本当に困ります。

また、後の項目で書きますが、霊障は仏教との事で行けば説明が付かないし、それをも釈尊は重んじてない。
別な方向で見ないと説明が付かないと思いますね。

17大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/13(金) 23:40:51
これは私の考えですが、霊障というのはゲイカの言うとおり、死後の死者の不安定な状態、
つまり、成仏できないで様々な苦しみやマイナスな念の出す影響というのが、生きている人に
良くない働きかけをしている。それは怨念の場合もあるだろうし、死者がただ苦しんでいる状態
の不安定な波動をかもすのもあり、様々だと思う。人括りに言えば「死者の不安定な状態の霊波」
と言ってもいいかもしれません。

私はこれをマイナスの波動と捉えています。勿論これは生きている人も恨みや執着などの生きている
状態での念も含まれると思います。つまり、霊障は死者のマイナス霊波動と生者のマイナス波動が
”霊障”と見ています。

ただ、アゴンで言われているのは”死者の方”ですが。

しかしながら、いくらこういった解釈や講釈を申しても仏教に含まれないのが現実です。
つまり、釈尊は霊障など言われて無いし、対象にすらされていない。
もはや霊障はオカルト的なものか、心霊研究の世界での話のようなものです。

つまるところ、ゲイカはご自身の霊感か何かで霊障というものを把握・認知された。
個人的な見解ならそこまでは許されるが、これが仏教を絡めてしまっているから問題です。
釈尊は霊障も死者成仏も説いていない。もうこの時点で霊障も解脱供養も仏教ではない。
しかし、アゴンではそれを強く薦めている。また、供養法として行っている。
なので、もう仏教とは別個な見解でなければいけないのが、そこなのです。

18大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/13(金) 23:48:00
だから最初私が申しましたように、ゲイカの霊感か何かはしらないが霊障も正しく、死者成仏も正しいのなら
何ら問題は無かった。例え仏教でなく外道だとしても、本当に成仏できない死者を解脱させられるのなら私は
OKだと思う。

ところが、効果が無いとか仏教に絡めたらやはり問題がおきてくる。

そして、Booさんが申されている通り、こういった霊感商法とかの問題はいつになっても後を絶たない。
いくらでもどのようにでも出せるからです。

本当に霊障というものがあるのか、また死者成仏はあるのか、などなど意見を出してもきりが無くなりますが、
きりが無い故にお互いがお互いの意見を出して、自分の納得がいく状態で終わらせるのがいいのかもしれません。

19ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/13(金) 23:51:47
桐山霊障はインチキだとしても世間には桐山さんともお釈迦様とも関係なく
霊が障る現象もあるかもしれないとは私も想像で述べました。
ではなぜお釈迦様はこれを問題視しないのかについては明朝ここに書き込む予定。
オヤスミ

20ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/14(土) 08:41:36
霊障・・・死んだ人の霊が浮かばれないで周囲に害を与えるようなこともある
かも知れませんという前提の下に立ちます。
例えば交通事故死者の出た地点で次々と事故に引き込まれるがごとき魔のカーブとか。
この場合必ずしも霊の仕業にするのではなく、現実的に事故の起こりやすい環境、
要因を現実的に分析するのが第一なんですが、ここではあくまでも霊の仕業と
前提にして話を進めます。
霊の悪影響にも呪いと祟りに分類せねばなりませんね。
呪いというのはこちらが意識するにせよしないにせよ、霊の側から相手を特定して
悪さをしてくるもの。
祟りとはこちらからある特定の場所に近づくと悪い影響を受けてしまうというもの。
触らぬ神に祟りなしというやつです。
このような霊障が我々の身の周りにあると厭なものです。
霊について語らない釈尊はこのような霊障をどうして問題に上げないのだ?
それは交通事故のようなものだからです。
今日我々が車社会で生活していていつなんどき交通事故に遭わないという保証はない。
これに対して釈尊は「お守り」なんて用意しません。
事故から回避する安全祈願なんか提示しません。
病気予防に衛生面に気をつけるとか手をあげて横断歩道を渡りましょうなどの
現実的身体保護は実践しても途方もない運命好転なんて説かない。
むしろ病気だの交通事故なんてのは当たり前に起こる、受難することであり、
人間はいつなんどき死ぬかわからない。いつ死んでもよいように今この時を大事にして
行いを正して心を清めておくように精進しとけと説くのみです。
悪い霊に祟られたらそりゃ災難だが、相手が霊であろうが鉄の塊の車だろうが
同じことではないか?
外部に属することであり、これは自分の内面に関することではない。
外面の変化なんかを空しく求めることよりも内面の改善だけを求めるのが仏教です。
交通安全などは法規の整備とか道路、システムの整備など別の道の求めることだ。
霊の障りだって外面のことなんだから、我々はこれに囚われることなく今この人生を
清らかに懸命に生きていくことだけを考えなさいというのが釈尊の教えです。
そうでしょう?霊障スポットに足を踏み入れ不運にも害を受ける確率と
街や郊外で交通事故にあったり新型インフルエンザに感染したりする確率と
どちらが高いと思うか?
ところが桐山霊障というのは外面に属するものではなく、自己の内面だと言う。
これが嘘なんです。
つづく

21ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/14(土) 09:24:44
桐山さんはこう説きます。
霊障が幽霊みたいなものだったらそれは薄気味悪くはあっても怖くはない。
本当に怖いのは自分の意志が霊障によって支配されてしまうことなんだと。
しかしこんなことを釈尊は説かぬ。
あくまでも自分は自分であり、自分を制御するものは自分しかいないと説くのです。
自分の中の赤の他人なんて説かない。
仏教では在家にですら最低限守らねばならない五戒がありますね。
五戒の中には不殺生戒などがある。殺してはならない。
しかし桐山因縁である刑獄の因縁のある人はどうなるのか?
彼は霊障を受けており、天命殺の時来たればその深層意識まで霊障に支配されて
しまった自分はこれに抗えず殺してしまうしかない!
これが桐山霊障なんです。
しかしこんな言い訳を釈尊は認めない。
あくまでも自分は自分なんです。
霊の支配を受けていて仕方ないんですなんて馬鹿げた言い訳をするな、このアホウ
と叱るのです。
五戒破ったら破門で外道です。
まだ因縁切れぬからなんて言い訳は通用しない。
殺すなと戒めの前提しかないのです。
どこにも甘ったれた救いの道など説いていない。
戒律守るのも特殊な高度の瞑想をチャクラ開発と共に進めて深層意識を開発制御
できてからだねなんて説かない。
自分の行いは自分で責任を持て。
目に見えないながら霊が幽霊のごとく周囲に出てきて、自分の周囲の環境を
暗くしたとしますよね。
これは自分としても面白くない。気分が暗くめげてくる。
しかし、それだからどうした?
だから悪いことをしていいのか?甘ったれるな。
気分なんかに左右されて悪いことをする自分を恥ずかしく思え。
おまえは自分と言うものがあるのか?
霊なんかいなくたって世の中悪い誘惑だらけだ。人間の方が怖い。
「ね☆え〜ん☆お兄さん寄っていかない?」
「う、うん」
「旦那、うまい話がありまっせ」
「う、うん」
ああ、抗えない抗えない。深層意識が・・・。アホか?
大日さんが出している事例など解脱供養申し込みによって解消したり解消しなかった
問題って、結局病気とか外面的な災い的なものばかりですよね。
内面から支配されるなんて霊障とは違う。
ここにまんまと騙されている。
釈尊は霊を否定しなくても災い的霊障を否定しなくても桐山霊障だけはないと
言っているような証拠ではありませんか?

22大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/14(土) 10:31:26
ユビさん、まだ投稿の途中かもしれませんが、書かせていただきます。
まずは、こちらの板にも投稿ありがとうございます。
やはりユビさんは読みやすくわかりやすい説明で、ありがたいです。

拝読して、本当にその通りだと思います。
深層意識云々というのを持ち出せば、それらしい説明というか理屈に成るまさにゲイカの手法は
そこにあります。

まあ、ゲイカが意図的かそれともゲイカの研究でそういう方向に向かっただけなのかはわかりませんが、
衝動的だったり、悪い癖のような取れない行動は霊障なのだよ。霊障が深層意識に働きかけて我々を
突き動かすのだよ、というのはもっともらしい説明ですが、根拠がありません。

実際問題として、解脱供養を沢山かければ霊障は少なくなり、性格も改善され深層意識への影響は無くなる。
そのはずが、たくさん解脱をかけても何も変化が無い人というのも実在します。
また、霊障は悪因縁の元凶にも係わる場合がある、というがそれさえも関係ない場合がある。
つまり、悪因縁解脱がたくさん解脱をかけたにしても、効果が無いということがある。
2chで言われていた250体の解脱をかけた信者さんの事です。
あれを見ても、解脱は意味が無いのか?と思う。

だが、深層意識かどうかはわからんが、私の妻は解脱前と解脱後では劇的に変わった。
手相さえ変わったのです。
解脱前は手相の「ますかけ」という手相だったのが、解脱後は普通の手相に変わった。
また、手相云々よりも明らかに性格が変わった。

解脱前はすぐにメソメソし、泣きやすく、不満がいつも多く不機嫌なことが多かった。
色々あった末、結婚したのだがその結婚する前にお互い解脱をかけなければいけない、という思いで
お互い一体だけだがかけたのが始まりです。

そして、数ヵ月後成仏してしばらくあのメソメソしていたのが少なくなり、また不機嫌な性格が治った。
以前とは全然違う性格に私は当時は効果を感じましたね。
だからと言って、妻は深層意識に抑圧を受けて異常だった、とまでは言いませんが、当時はそう思ってはいた。
いつもどこか不満で、それこそ男遊びをしてやろうか、というような姿勢が漂っていたし、実際私が制御
してなかったら男遊びをしてたかもしれない。

降りてきた先祖は妻の母方の叔父さんに当たる方で戦争で戦死した方です。
私の霊感で見えたのは、はらわたが破けた苦しみ方をしてた方でした。
まだ若く20代の方でしたので、強烈な生の執着や苦しみがあったと思われます。
おそらく想像ですが、その影響があったのでは、と思うのです。しかし、根拠は無い。

確かに弟の場合などは病気なので外的、といわれても仕方が無いが、妻の場合は内的とはいえないでしょうか?

ですが、だからと言ってゲイカの言い分を肯定するつもりは無いです。
妻の場合だって如何様にも霊障抜きの考察などいくらでも出来ますから。

解脱供養の体験談はアゴンには沢山ありますが、それらが全て整合性を示せるか、というのはありえない。
一番言えるのは、あの2chでも有名になった「解脱で治らずロシアのヒーリング者によって治った」という
体験談ですね。あれは本当に話にならないですね。

あと、市橋容疑者の事で見てもありえると思います。深層意識に悪い作用があったから犯罪を起こした、とは
思えないし、逆に何でもかんでも深層意識を言うならでは解脱供養をかければ治るというのか?
絶対にありえない話です。ですからユビさんの言われたとおり、本人の意識や考えというものを直さない限り
ダメだと思うし、それを深層意識がというのは逃げ口上だと思います。

ただ、私もわからないことですが、霊的に悪い場所へ行って悪い作用を受けるというのはあるかもしれないです。

23ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/15(日) 00:09:23
それでは>>22も踏まえた上での話の続きです。
私が生まれて初めての解脱供養によってその後変わったことと言えば
体重が増えたことくらいでしょうか。
ちなみに私は今身長169センチ、体重は70キロあります。
しかし今から30年前、大学生の頃は同じ身長で50キロもないせいぜい48キロの
ガリガリのやせっぽちでした。
子どもの頃からそうなので、そのことに劣等感がありました。
大学の最後の年に初めて50キロを超えたものです。
社会人になってアゴン宗に再入行するに先駆けて初めて解脱供養を申し込みました。
そしたらなんと椎間板ヘルニアの再発で入院することになったのですが。
退院し解脱供養も終わり職場にも復活したのですが、休職をしている間入院中も
悪いのは腰だけで内臓はなんともないので食欲だけはあり差し入れ含めて何でも
ガツガツ食ってました。運動しないから太るばかりです。
ついに体重60キロを超え、復帰した職場の仲間からも太ったねと言われました。
少年の頃は少食で多く入らなかった。それが今ではいくらでも入ってしまう。
これを解脱供養により心の抑圧がとれた現証などとみなすこともあるいは可能かも
知らない。しかし決してそうでもなく単に中年体型、体質になっただけかも知れない。
最近は痩せているうちが花だった部分もあるかもしれないと贅沢なことを考えている。
人間の体質なんてものも特別訓練修行などせずとも成長によって変わることも
あるわけです。
性格にしてもそうですね。
ちなみに釈尊が提唱する煩悩解脱、心を清らかに保つ修行とは性格改善とも
全く視点が異なるわけだが。
しかし性格なんてものもいつのまにか変わっているものです。
子どもの頃馬鹿にしていた奴でも大人になると結構一人前の立派な人格、パーソナリティ
になっていて内心蔑みの心を持っていたこちらこそ己が恥ずかしくなることもある。
人前で話せない奴が立派に話せるようになっていたり。
人間というものは成長するものだ。いくら成人しているからと言ってもう成長などないと
馬鹿にできたものではない。
・・・と述べてきたが、これは別に大日さんの奥さんの性格が変わったことが
解脱供養とは関係ないなどと無理に否定するつもりではない。
むしろ私はやはり解脱供養、先祖供養をきっかけになんらか吹っ切れた面があり
あるいはご先祖様のご褒美かも知れないし、暗く悲しんでいた先祖が癒された
影響かも知れない。
つづく

24ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/15(日) 01:10:43
私は今回の前提は霊障、霊が障る、悪い影響を与えるような現象も絶無ではなく
たまにはあるのかも知れない、という前提に立って話をしています。
その前提に立つならば、桐山アゴン宗のところにいろいろな問題を抱えて入信したり、
解脱供養を申し込んだりする人の中にこの稀なケースを全く含まないこともあるまい、
解脱供養の手掛けたケースで全くこういう事例を拾わない、絶無だとする方が
かえって不自然であり公平でないと思う。
それはどこの教団でも難病が治ったとか御利益体験があるのに、アゴン宗にだけは
それは絶無であると言った方が不自然でかり公平でないのと同じ理屈です。
霊障的ケースを認めるならばたまたまそれに遭遇することも低い確率ででもあるはずだ。
確率0の方がおかしい。
しかし本来は確率100%でなければならないはずですよね。
だって桐山さんは霊視能力がおありなんだから(笑)
霊視能力が無いからこそほとんどのケースで何の効果も成果もなかったと空振りする
わけであり、そして単に確率の問題で偶然に霊障的ケースにも遭遇してそれが
気まぐれにもテキメンな効果を見せることもあるということではないか?
もちろん効果のあったケースが全て霊障的ケースだったというわけではなく
別な現実的な解釈で説明できるケースが多く占める中、たまーに霊障的ケースも
あるということです。
しかしテキメンに効果があったとしたら、いつでもキャッチできないゲイカの
霊視能力はお粗末なインチキだとしても 成仏法、成仏力だけは本物だったということに
ならないだろうか?と思う人がいるかも知れません。
これに対して私は何も桐山さんだけにしかなし得ない特別な能力なんて想定する
必要はないと考える。
つづく

25ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/15(日) 01:46:49
霊障を拾うことに成功して、働きかけたらプラスの成果が出たので霊障は解消したのだ、
やはりこの成仏法はすごいなあと感心する必要はない。
桐山成仏法でなければならなかったなんて限定する必要はあるのか?
実は何でもよかったのかも知れない。
先祖を供養するかに見える儀式であれば。
それだけで霊は喜んでくれたのかも知れない。
桐山さんはこの解脱供養を弘める元となった原点の本が「守守護霊を持て」です。
最初はチラシ、パンフレット程度のものを書いたつもりが著書になってしまったと
桐山さん自身述べている。
その守護霊を持ての冒頭に何と書いてあるか?
苦しくなったら先祖に呼び掛けなさい。無数の先祖は答えてくれるというものです。
その導入例としてお墓参りを挙げている。
お墓参りをしたら運が開けてきたという昔から世間にも伝わるところのお話です。
つまりお墓参りだけで真心が通じることもあると桐山さんすら認めたわけだ。
ところが後に矛盾するようなことを説く。
墓場に先祖などいないよ。いるのは低級な浮遊霊か動物霊だから取り憑かれるよとw
つまり桐山成仏法でないと効果はないのでそこんとこ宜しくと差別化をはかった
わけだが、一番最初は墓参りでもある程度先祖は喜んでくれ、その延長というか
もっと高度に直接的にシステマティックに開発されていたのが桐山成仏法であり
解脱供養なんだと宣伝したわけです。
もちろんそれは誇大宣伝であり単に先祖を想定して戒名をつけて供養の儀式を
するだけなんだが。
だから誇大宣伝の部分だけを除くとなんとなく見えてくる。
お墓参りなどをして先祖に呼び掛けるだけで先祖と交流もできる、応えてもくれる
というスピリチュアリズム的な考えです。
やはり霊感商法に過ぎないが、細木数子さんがテレビなどで説いていた「お墓参りを
しなさい」色の誰にでもできる汎用の道です。
霊障的現象があった場合、何も桐山差別化成仏法解脱供養の力なんかでなくても
こんな程度の呼び掛け儀式で霊にも届くかもしれない。
だから霊は喜んでもくれる。すると暗い雰囲気は明るく変わる。
明るくなると病気も治る。決して先祖霊が病気にしていたわけではなくても
間接的な影響があったのかも知れないのが、今度はプラスの影響で病気も治る。
性格も改善される。
こんなところではないか?
だからお墓参りでも効果があったかも知れない御利益効果です。

26大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/15(日) 09:56:01
ユビさん、わかりやすいご意見参考になります。読んで共感する部分もあり、なるほどと思います。
ですが、そういう反面「あれ?」と思うのがありますので、書かせていただきます。

総合すればユビさんの考えに到るのでしょう。見えないしわからないで世界ですから。
そう思いながらも、私の意見を。

>>25より
>桐山成仏法でなければならなかったなんて限定する必要はあるのか?
実は何でもよかったのかも知れない。

厳密に言えばそうだと思います。例えば、A宗でなくても何々宗や何々教でもいい。確実に効果があるので
あれば、私は構わないと思っています。先祖供養を望む大方の方は「成仏できない先祖を成仏させたい」のが
目的ですから、別段仏教でなくても霊能力とやらで死者の煩悶を取って楽に出来ればOKなのです。
少なくとも私個人はそう思っているし、望んでいる。
しかし、それを完全に果たす教団や人が居るか否か?になると、さて・・・となります。
ゆえに、私はA宗でなくても構わなかったですね。

27大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/15(日) 10:02:33
>先祖を供養するかに見える儀式であれば。それだけで霊は喜んでくれたのかも知れない。

これはおそらくユビさんの推測意見だと思うから真剣に問わないですが、これは先祖に対し
侮辱に成るのでは、と思います。儀式で満足や喜びを得る程度の事であれば霊障など起きないでしょう。
また、それこそ例えですが、葬式のようなもので満足できないから、それ以上の儀式で喜ぶか?
または、事情によって葬式が行われなかった人がいたとしてそれで不満のようなものがあり、儀式を
したことで先祖が喜ばれているとしたら、これでは説得力の無いどこかの在来仏教の僧侶の説教と
同じ解説・解釈になります。(というか、ある僧侶が葬式の意味を説明するのにこういう話をされたのを
聞いたことがあるのです。勿論当時も”そんなのは嘘だ”と思ってましたがw)

ですので、「何でも良かった」というのは半分同意で、その後の文章の
>先祖を供養するかに見える儀式であれば。それだけで霊は喜んでくれたのかも知れない。
というのには、首を傾げる次第ですね。

28大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/15(日) 10:18:53
>苦しくなったら先祖に呼び掛けなさい。無数の先祖は答えてくれるというものです。
その導入例としてお墓参りを挙げている。

本当にそうですね。しかも、補足するなら冥徳供養のときにも同様の意味の入ったことをゲイカは
言われている。しかし、ユビさんの言われるとおり、そういいながらも反対の意味を成す言葉も
ゲイカは平気で発言する。ここがもしかしたら脳障害の傾向がある、と感じるときがあります。
非常に一貫性がないというか、刹那と言うか、適当というか・・・ですねえ。

そして、古い本で持っている人が少ないと思うが、偶然手に入れた「密教ー超能力のカリキュラム」という本があるが、
この本にもたくさんそういう箇所が出てくるし、実際先祖と通ずるための?と思われる方法見たいのが書かれていて
「はて、何じゃこりゃ」と思ったものです。そういう風に示唆したかと思うと、これは有名なゲイカの語りだが、
苦しくて煩悶している先祖は子孫を救うという暇さえないのである。自分自身が苦しんでいるのに子孫を助けるどころ
など余裕など無いのが多いのである、というような説明がある。これも正論なのかもしれないが、墓参りも通ずる法も
クソも無いのが見えて取れる。

だが、仮に成仏法で供養して成仏を得た先祖なら、話は違ってくる。
成仏した先祖は、子孫を守り支援をしてくれる頼もしい存在になっているはずである。
実は私もそれを”期待していた”輩なのです。また、交信も”期待していた”のです。

ところが、全然交信どころか夢枕にさえ立たない。

まあ、夢枕や交信など無くてもいい。何らかの吉兆というか現象があればまだ理解できるが、解脱供養をかけても
改善が見られないとか、全然普通の状態のままであるのはどういうことか?と非常に思った。
解脱供養を進めてゆけば、自分の環境や性格が改善されて、向上が見られるはずなのです。
ところが一向にそれが無い。

弟はあの肝臓の異常値をぴったり正常に戻した奇跡があるので、解脱供養を強く信じた。
ゆえに、将来の不測の事態に備えて、数対解脱を申し込んでいるのです。
だが、奇跡が有ったのは初回だけで、二回目から4体かけているが何も無い。
まあ、たった5体だから効き目が無い、といわれればそれまでだが、そういう問題とは別な気がする。
ゆえに、こういう霊障の話〜解脱供養〜の会話をしたいというのが自分にはあったのです。

29大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/15(日) 10:33:36
で、弟は不測の事態に備えて解脱をかけたが、今年7月末にガンで亡くなった。
解脱供養が効いてたら、もうちょっと何かあるはずである。
病気になる前の2年前からかけているのです。それが何の抑止力も無かった。
抑止力は行き過ぎとしても、前触れの何とかがあるとか、また先祖の助けさえも無かった。
いや、先祖よりも仏様の助けさえも無かった。こうなると最初の奇跡は「偶然」となってしまう。
なんとも情けないものです。

話は戻って。
>お墓参りなどをして先祖に呼び掛けるだけで先祖と交流もできる、応えてもくれる
というスピリチュアリズム的な考えです。

スピリではないと思いますよ。説明のために合ったニュアンスで申されたのかもしれませんが、
スピリ系の人が反感を覚えるかもしれないです。お墓参りをして先祖と交流がスピリは違うと思います。

>霊障的現象があった場合、何も桐山差別化成仏法解脱供養の力なんかでなくても
こんな程度の呼び掛け儀式で霊にも届くかもしれない。

これはあるかもしれないと思います。ですからアゴンの解脱供養の信憑性は高くない、といえます。

>だから霊は喜んでもくれる。すると暗い雰囲気は明るく変わる。
明るくなると病気も治る。決して先祖霊が病気にしていたわけではなくても
間接的な影響があったのかも知れないのが、今度はプラスの影響で病気も治る。
性格も改善される。こんなところではないか?
だからお墓参りでも効果があったかも知れない御利益効果です。

確かに解脱供養をせずにお墓参りで治った、というのを試してないからお墓参り程度で、といえるかどうかは
定かではないが、そう考えられるのは否めない。だが、断言も出来ないと私は見ます。

30大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/15(日) 10:40:43
Booさんの書き込みが無いのでなんともいえないですが、こうやって持論や情報などで
意見交換するしかないのです。まあ、それも意味がある程度ある、と思うのでやってますが、
Booさんのお考えも聞きたいですね。

例え間違っててもいいし、憶測でもいい。喧嘩や論反しないで意見を交わして考察できれば
意味は有るかと思います。
ただ、仏教との関連や関係をしてくれば、これはラシンさんが私に忠告してくださったように
結果は出てきます。逆に私の考える意見交換式であれば、おおよそ永遠に答えは出ないかもしれません。
ですが、それはそれで会話してゆきたいと思っています。

それこそ@chsで仏舎利のことを散々意見を出してユビさんに「こいつはもう・・・」
と思わせた過去がある自分だから言えるのかもしれませんが・・・。

31ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/15(日) 11:30:03
ちょうど昨夜のわかりにくい説明の補足も込めて整理をしようと思ってました。
この場合、大日さんなどのように一部反論をつけてもらうとどこに力点を置くべきか
よくわかり助かります。
まず今回自分の想像してみた霊障的現象の解消とは「いつでもそのようになる」
ものでもないし、「解消するにはこうすればよい」なんて固定されたものがあるのでは
ないと思う。一方桐山さんは法とはシステムだとして、いつでも必ずこうなる、
こうなるにはこうするのだという固定されたものを提示している。
しかし私はこういう霊に関することは、言葉が悪いが多分に気まぐれ的で固定
していないと思う。
だから霊障的現象に遭遇したら墓参りをすれば必ず解消するとか、とにかく先祖供養を
するぞーと儀式めいたことをするときっと効果があるはずさなんて安易なことは言わない。
それは大日さんの言う通り先祖霊に対する侮辱であり失礼にあたります。
しかし実はちょっとしたことで寂しかった先祖霊が気にかけてくれてありがとう
と喜んでもらえるケースもあり、それは一人一人の人間が違うのと同じで
どうなるかわからないということです。
墓参りをしようが儀式をしようが関係ないケースもありましょうということです。
儀式をしなくてもなんか気持ちが伝わったケースもあるだろうということです。
桐山さんに霊障は恐ろしいなんて吹き込まれているからどうしても特別な方法を
するしかないなどと考え過ぎている。

32大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/15(日) 19:31:42
>>31 帰宅して今拝見しました。これは納得。同意です。
まさにその通りで、解決する方法としてある程度成立したものが無ければ、適当にやっているとか
思われることも懸念されるし、システムがあることを言うことで適当ではない、としているのかも。

思い返せば、亡くなった方の念は様々であり、苦しみだけではない。ユビさんの言われるとおり
寂しかったというのもあると推察します。そういう方には寂しさを無くす方法や、苦しみなら
苦しみを無くす方法があるようだが、その詳細は示されていない。
大まかに言っている言葉が「死者は自分で成仏すると言うことが出来ないから、生きている人、
特に修行をして成仏法を体得した人が死者に悟りのテレパシーを送って悟らせる〜成仏させる、と
ある。また、戒名もその死者の亡くなり方?解脱のさせ方?でしたっけ、それによって戒名も違うし
修法の仕方も違う、とゲイカは言う。

しかし、戒名は私もはっきり把握してないが、一定のルールがあるようでそれに則せばいいだけで、
ゲイカのいう特殊なもののようではないと判断。
なぜなら、自分の先祖を解脱供養した際に浄土真宗で付けた戒名とほとんど変わらない戒名なので、
「これで解脱供養のルールあり?なの」と思った。

おお、戒名の話題ではなかったね。失礼、話を戻します。

言いたかったことは
>しかし実はちょっとしたことで寂しかった先祖霊が気にかけてくれてありがとう
と喜んでもらえるケースもあり、それは一人一人の人間が違うのと同じで
どうなるかわからないということです。
墓参りをしようが儀式をしようが関係ないケースもありましょうということです。
儀式をしなくてもなんか気持ちが伝わったケースもあるだろうということです。
桐山さんに霊障は恐ろしいなんて吹き込まれているからどうしても特別な方法を
するしかないなどと考え過ぎている。

に尽きます。だが、特別な方法というのを示したくて書いた次第。
しかしながら、特別と思わせて実は本当に特別なのか?というのが懸念されるわけです。
この特別が本当でなければ、詐欺師であり霊感商法に成るわけです。

33大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/15(日) 19:46:09
個人的には「霊障は恐ろしい」とは思っています。そういうと「洗脳がまだ解けてないな、大日は」と思われるので
今まで言うのを止めていましたが、本音はそう思っています。ですが、続きがある。

過去は「霊障は恐ろしい。だから霊障解脱(解脱供養)しなければいけないんだ」と思ってました。
しかし、現在は「霊障というものは有るかもしれない。だが、ゲイカの言うような全ての人や全部の先祖が
霊障を発して悪い影響を与えているというのは間違いだ」という理論に変わっています。

ユビさんのいう例えの通りで気分が暗くなるとか酷い場合には体調まで崩す、ということも懸念される場合もある。
(体調まで崩す、というのは私の付け加えです)
霊障スポットという場所や歴史上や過去に居た人物で霊障を与えることがあるのではないか、というのが私の推察する
霊障はあると思う、ということです。
しかしながら、では亡くなった方の全ての方が霊障を起こし、また霊障の仏と成るかというのは行きすぎです。
ゲイカに言わせればほとんどの人が霊障の仏になってしまうような示唆ぶりです。
はっきり言ってこれは暴論です。
なので、霊障というのはそう多くは無いと考えるのが自分の今の考えです。

34ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/15(日) 19:47:53
ではなるべく簡潔にまとめましょう。
桐山さんには霊を見る目もなければ霊を昇天させたり問題を解決する能力もありません。
ただ焚き火してるだけです。
だから解脱供養を申し込んで何の効果もないという事例がほとんどなんです。
しかし何らか効果を感じた人もある。
ほとんどのケースは現実的な問題解決として話がつくものであり、申込み者が
勝手に関連付けているだけである。
それから適当に霊視結果を出したとは言え、その戒名の人なのかどうかわからんが
霊障的(桐山霊障とは異なる)な現象を抱えている人がいる。
ただしこれはあくまでも想定だから実際には検証のしようがないが。
これに対してやはり何の効果も出せない事例。
それから何らか良いことがあった事例。
に分けられるわけだが、この好転した事例というのもやはり現実的な問題解決で
説明のつくものがある。
そして最後に霊障的事例で、解脱供養が何らかの起因となって物事が好転した事例。
この場合、桐山成仏法が正しく成仏力があるから好転したのではなく、寧ろ子孫の
気持ちがなんらか届いたものと思われ、それは墓参り(あくまでも対比例)などでも
通じたものかもしれない。

だからBooさんのように初期は力があって最近は堕落したのではなく
最初からこの構造なのではないか?

35大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/15(日) 19:59:02
私がゲイカの発言や力に違和感を感じるのはここにもあります。

例えば、大分前に広島でゲイカが導師になり、初めて阿含経を読誦したあのときですね。
原爆で亡くなられた方々の護摩法要で解脱供養をされたときです。
あのときにゲイカはなんと言われたか?
「原爆で亡くなった方は全員(全部)成仏した」といったのです。
それを聞いて私は感動した。さすがはゲイカだ。成仏法は最高だ!とさえ思った。

しかし、毎年?のように開催される法要は一体何なのか?
成仏宣言をしていながら、何故に大々的に未だに法要をやるのか?
これは、逆を返せば成仏してない方が居るから、と思われても仕方が無いのではないか。
ただの追悼供養にしては行事内容がおかしすぎる。私はいつも変に思っている。

そして、東京CXの敷地内でやった「東京空襲犠牲者成仏供養」にしても、広島のような
宣言は無く、ただ言われたのは「これで東京は安全だ」というようなこと。
何故に成仏法を誇る導師様が完全宣言しないのか?
アウシュビッツにしてもそうだ。シベリアにしてもそうだ。何故に宣言できないのだ?
ほとんどが一回の修法で成仏させられる力をお持ちの導師様が、何故出来ない?
数が多いからか? 一回の修法で成仏させられないのなら、何故に中途半端なことでやめる?
毎年アウシュビッツに行って法要を何故しないのか?

いい加減差にも程があるというものだ。

36大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/15(日) 20:02:00
おっと、ユビさん失礼。>>34 そのとおりですね。
さすがまとまりのある文章で、素晴らしい。
私も同意ですね。そう見るのが今のところ正しいように思えます。
ただ、そう思いながら私はこっち方面の考察論を展開してしまい、恐縮です。
続きもよろしくお願いいたします。

37ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/15(日) 21:05:23
>>36
ま、>>34まででほぼ書き綴ってみたいことは書きました。
書き綴ってみたいというように根拠などのまるでない想像だからこうに違いない
という主張ですらない。
この通り霊の問題を考察しだすと結局は「わからない」に終止する。
だから桐山霊障、桐山霊だってわからないのだから、絶対性などこれっぽっちもなく
いくらでもその原則すら否定できる自由があるのです。

38ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/15(日) 23:11:14
>>4
今度はお互いに根拠を求める話にしましょう。
もちろんBooさんも根拠などのない話と知りつつ想像を書いたものと思われるが。
桐山さんが若い頃念力がお盛んな頃その念力で解脱供養を始めたとありますが
そのお盛んな念力ってなんか盛んとわかる目撃とかあるのでしょうか?
それとも念力ってのは滝などに入って大声で相手を恫喝すれば霊も引っ込んで
しまうとかそんな話でしょうか?
昔、解脱供養は効いたけど今はめっきり効かなくなったと言うならば統計サンプル
が必要です。数量の比較を指標にするのが科学的考察です。
研究対象が非科学的なことであっても方法論は変わらないのですよ。
そのような団体全体における統計の話ではなく、一個人における効果の比較の話
(初回は何らかの効果を感じたがその後最近は全然だ)と言うならば、創価学会でも
これを「初心の功徳」と呼んでいる。
入信してまもなく初期の頃が御利益体験が
聞かれるというものでアゴン宗と同じです。
それとも創価も大作さんの念力がどうこうなのか?なんて話になってしまう。

39ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/15(日) 23:27:07
あっ!ごめんなさい。また間違えました。
>>4の大日さんに対するレスではなく>>6のBooさんに対するレスでした。

40大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/16(月) 09:08:12
>>37
>書き綴ってみたいというように根拠などのまるでない想像だからこうに違いない
という主張ですらない。
この通り霊の問題を考察しだすと結局は「わからない」に終止する。

そうです。その通りなのです。でも、私としてはユビさんも御存知と思いますが、私の
アゴンで信じられる?というか、残るものは説明が出来かねる奇跡の様な現象とか、
土地・屋敷浄霊法と解脱供養ぐらいしか残らない、と以前ほざいてました。
そのことをやってから批判に回ろうか、と思ってましたが、いや、逆にこれしか無いと
いうのも変だし、またそれらの信憑性が崩れたら、もうアゴンでは何も信じられるものが無い、
となるだろう。それをどうこう言う前に見切りで批判をしながら徐々に調べてゆけばいい、と
思い、早くも思考を転換し、自分は批判するほうに変わったのです。
ですが、先の通りまだ意見を出してないのと、比較考察をしてなかったため、今回Booさんが
私の残っている”火種”を再点火させていただくきっかけとなったので行わせていただきました。

@chsの仏舎利のときのように成るだろう、と思いながらもやはり自分の意見を出さないと
納得がいかないと思うんですね。勿論ROMっている方の中にも、何らかの疑問や意見がある人も
居られるかもしれない。ここでは私とユビさんが意見を交わしているが、@chsもほとんどそのような
感じだった。でも、私は有意義であったと思う。例え反論意見であっても良識を持った姿勢で意見を
だすのは、掲示板のルールであり、社会のルールでもある。そういう姿勢で行っていれば、普通の
精神を持っている人間なら、何らかの気付きや得るものは有るからです。
だから、アゴンではユビさんは「とんでもない人間だ」といわれていますが、私はそうは思わない。
それこそ格闘技やスポーツではないが、実際にやり取りしたものでしかわからない、というような
心境さえ生じている。これがもしアゴンで言われているトンデモない人だったら私も相手にしないし、
アク禁にすれば済むことです。でも、それは正しくない。
それこそ、本当にトンデモない、という人は教団のTOPにいる人の事を言うのではないのですかね?
私は非常にそのことを強く思うわけです。(続く)

41大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/16(月) 09:20:32
私も「agamaザBBS」にて今やっている議論をやろう!と思ったのですが、ザビビ継承スレでは今HOTな
話題が出ていて濁す可能性があるのと、流れを止めたくない、ごちゃごちゃになるのを恐れるのもあったし、
仏教に照らし合わせると自分の意見というものが止められる可能性がある。また、ユビさんが言われたことが
有るのもわかってたし、尚且つラシンさんが忠告してくださったことを考えればやらないほうがいいのが出て
来る。それで寸止めしてたんです。

ところが、じゃあ@chsでやるか、と思ったらあそこはユビさんが書き込み出来ない、とある。
自分は何の制御もしてないのだが、困った次第。躊躇していたら鯖堕ちするしwww
なので、「ええい。じゃあしたらばでやるか!」と立てたんです。
で、立てて5分もしないうちに@chs復活するし・・・。(なんでやねん)

おお、これは仏様が「やれ」といったのだな。まさしくお手配ではないか。
・・・・冗談ですよ。マジで冗談。偶然ですよ。
ですが、そういう経緯だったのです。

でもね、本来は雑多のは@chsで、と思ってたんです。
したらばのザビビ継承スレは服部社長様の気持ちや姿勢を大事にしたいんです。
ごっちゃにしたら頭が上がらなくなってしまう。
まあ、私は新参者ですから熟知しているユビさんに細かいことやわからないことは指導していただきたい、
と思ってますが、できるだけ自由に有意義にあのスレは運営してゆきたいとは思っていますね。(続く)

42大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/16(月) 09:38:32
だから本当は@chsでやるか、と思ってたんです。ですが、携帯からの書き込みがどうも芳しくないようで、
なので、恐れ多くも「したらば」でまた借りてここを運営したというのです。
なので、「大日も同じようなものを何個作れば気がすむのだ?」と思われた方もいるかと思います。
実はこれにも理由があるのです。

私は沢山の疑問というか議論をしたいのがあります。@chsでは最初沢山のスレが存在してました。
開設当初に来てた方はお分かりですが、最初4種類のスレがあったんですよね。
そして、当時こんなにスレが多いのはどうも・・・という意見があって、悩んだものです。

だって、2chには凄い数のスレがあるじゃないですか。それから比べたら項目別に多数のスレがあっても
全然おかしくないではないか?と私は考えていた。だが、実際問題では読む人があまり好印象が無ければそれは
芳しくない、ということですから、そのうち徐々に過去ログへやり、減らして行ったんです。
そして、いつのスレで色々意見が混ざっても1つのスレでやるか、という姿勢になったのですね。

で、話は戻って、今回の霊障などの話を進めたいのだが、先に述べた理由があって中々「さっ」と出来なかったのです。
しかし、@chsの不具合と自分の想いがあって今回出来たのです。
実際、ではこの「終わりの無い議論」をして何かあるのだろうか?と考えても見た。
しかし、仏教に照らし合わせるという事や仏教を軸にして考えるのであれば確かにこれは無駄な論議であって
意味を成さないといわれても(思われても)致し方ないでしょう。
だから、別個にやる必要があったのです。

また、ただダラダラとやっても意味が無い。ユビさんの言われたように
「今度はお互いに根拠を求める話にしましょう」というのは必要なことだと思います。
私の言うように「自分はこう思う」というのは消したら意見など言えるものではない。
しかし、それだけで終わったらただの研究発表か意見を披露しただけの物で終わりです。
やはり、そこから進んで考察をし、考え方を固めるとか、認識を深めるというのはユビさんの言うとおりの
行動は必要かなあと思いますね。

私も自分の意見を出しながらユビさんの出された指針を則してゆきたいと思います。

43大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/16(月) 09:41:12
>>42 誤字訂正

そして、いつのスレで色々意見が混ざっても=X

そして、1つのスレで色々意見が混ざっても=○

44Boo:2009/11/16(月) 13:57:18
ああ、知らないうちにずいぶん意見が交わされていたのですね。

週ポス議論が面白くてこちら見忘れていました。すみません。

私の意見は大方ユビキタスさんに近いものだと思う。かつてのゲイカの念力に関しては、超能力の秘密や変身の原理などよんで、漠然とそのように思った事ですから、根拠などありません。敢えていうなら、まるっきりのインチキをあそこまで活字にはしないだろ、という『性善説』に基づくものですが、今回のトチ狂った老人の内部告発記事を読むと、無きにしもあらずかも、とは思っている。

解脱供養のヒミツもユビキタスさんの考えに近いと思う。そもそも、人間は誰でも人生を『良く生きる』とか『うまく生きる』という脳を生理学的に持っていますから、人生好転しやすいものだと今は思っています。それらの脳が働くきっかけを作ったのが、この信仰であったのではないでしょうか?どこまでも人生を好転させたのは自分であろうと。

解脱供養などはそんな感想です。

45ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/16(月) 23:02:55
>>44
Booさんの考えわかりました。
性善説を適用してよい人と悪い人がいます(笑)
しかしそれに気づくのにポスト記事はよい仕事をしましたね。
考えてみれば我々批判側は何もしていない。
せいぜい預流向の議論をしてお互いに仏教の勉強をしていたくらいです(笑)
しかし今度のポストネタは全部桐山さんが関係者に自分に蒔いた種なんです。
蒔いた種が実っただけで、批判側が働きかけなくても自己崩壊です。

46Boo:2009/11/16(月) 23:22:37
解脱供養はそんな感じですが、聖者のはなしです。

解脱供養は死後の先祖(とは限りませんが、便宜的に先祖とします)との関わり
を人生上でリンクするものでしょう。では、自分の死後子孫との関わりはどうか?
地獄に落ちたら沈む木の葉と浮かぶ石ころの喩えで、誰からも救われる手は
差し伸べられない。

餓鬼界ならば救われる、との経典はいくらかあるようだが事実(仏説)は定かではない。

しかし、仏説として確実なのは、ニルバーナに達しなければ輪廻するということと、
聖者はそれなりの輪廻となること。

つまり、聖者となったら、すでに輪廻の輪から脱しているので、来世のことは
考える必要はない。だから、釈尊は考えるな、と言われているような気がするのです。

凡夫のわれわれは、やはり、輪廻する。輪廻の輪から脱出するまでは輪廻があるのだから
気になるし、考えることも必要ではないか?考えて、輪廻から脱出する「道」を
見つけることが必要ではないか、と思うしだいです。

かなり苦しい屁理屈かもしれないが・・・w

47大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/16(月) 23:53:40
私が書き込みをしすぎると、ただでさえ長文太郎なので今日は少々おさえてましたが、私もBooさんの言われていること
に同意です。

釈尊が何故輪廻するか、また存在することに対して、それはタンハーであるといわれています。
これを俗っぽく解釈すると、”心や魂に引っかかる想い”というのがかなりウエイトを占めるのではないか、と
個人的に推察しております。

死後、人間はどこへ行くのか、どのような状態に成るのか、というのを精神世界の類でみますと、自分の願望や想い、
というのがかなり行き先を占めるように思われます。

例えば、やり残したことや願望などがあれば、それを果たしたいために転生する場合があると考えられています。
それらが必ず叶うかどうかは疑問ですが、そういう方向性があるように感じるときがあります。
後はその人が持つ徳や不徳などのことや、転生して行う項目、つまりアゴンで言う因縁というか、占いなら運命のコ−ス
のようなしがらみのある中に生まれてくるまでは、あの世の何らかの状態に居ると思います。
そして、その最中に転生先がめぐってくれば転生される、ということかと推察します。

ですから、なるべく不徳を積まず、煩悩解脱していれば転生の原因というか元は無くなる。
そういう状態が輪廻からの脱出かと思ったりします。
だから、輪廻から脱出するためには、やはり煩悩を多く持たない、執着から離れる、また転生の原因に
成るような行為は避けなければいけない、ということから釈尊の指導はまさに重要、といえるかと思います。

48大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/17(火) 22:42:46
解脱供養というか霊障の意見は、もうおしまい?

そうなると、あっけない気がするなあ・・・。

49ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/17(火) 23:11:09
>>48
ノー。もう少し続ける。ネタはある。
乞うご期待。

50ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/18(水) 00:25:58
今回私が根拠のない想像話まで書いたのには以下の話が念頭にありました。
ザのスレの時にある信者さんが書いた体験談です。
その信者さんはもうずっと書き込みをしないようになりましたので名前は伏せて
おきます。まあザの過去スレを見れば出てきます。
その人が職場のお盆休みかなんかで上司と一緒に田舎に帰省することになりました。
上司とその人が同郷ではないのですが車を走らす方角が共通だったので
上司にある所まで乗っていかないかと誘われたのだそうです。
で途中で降ろされたところそこから交通機関を利用してその日のうちに実家に帰る
のは無理とわかり、そこから夜遅く到着できるのは久しく行っていない叔父さん宅
とわかったのでそちらに向かい駅前から電話して迎えに来てもらったそうです。
全く予定外の訪問だったそうですが、叔父さん宅でわけを話して仏壇前で
千座行の勤行をさせてもらうことにした。
するとなぜかわからぬが胸にこみあげてくるものがあり涙が止まらなかった。
悲しいのではなく喜びに近い涙で、こんなことは今までなかった。
勤行終わって叔父さんに話を聞くと、この家の2階で誰にも看取られることなく
亡くなった女性がいたとのことです。
もっとも誰にも看取られないなんてシカトしていたわけではなく、ちゃんと前夜も
食事を食べさせ世話していたけど臨終の際は2階の部屋でひとりきりで
さぞ寂しい思いをしたのではないかという叔父さんの罪の意識です。
その人は解脱供養をしている最中で下りてきたホトケがこの女性だったようです。
つまり解脱供養に喜び涙がこみあげたのか?
その人はそれまではどちらかというと物事を冷めてしか見れない屈折した部分が
あったそうなのですが、それ以降感受性が豊かになり素直に感激したりすることが
できるようになったそうです。
性格が明るくなった。
この体験を以て桐山さんの解脱供養は力があると信じ、今でも信じている。
しかしその後は解脱供養をしても何の変わったこともなく効果もなく、その時
1回きりだったようです。
ゆえに桐山さんは昔は霊能力もあったが、今はどう堕落したものか霊能力が
失われているというのがその人の見方でした。


今晩はここまでにします。
さあ、皆さんはこの体験談からどう考えるか?

51ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/18(水) 08:42:22
>>50の続きです。
この話は必ずしも霊の問題、霊障とその解消を想定する必要はありません。
普通のカタルシス効果で説明できます。
この人は当時職場の寮生活をしていたようです。
寮と言っても一人一部屋なら問題ありませんが、どうもそうではなかったらしく
夜中に食堂で密かに千座行をすることもあったようです。
職場では宗教活動禁止の為、職場関係者に見つからないようにボン行などをするのは
大変だったようです。
そして休暇時における上司からの誘いも相手の好意ゆえに断れず、決して寛ぎ楽しめる
旅でもなかったと想像できる。
叔父宅を訪ねるほど中途半端な同乗をさせられたことでもそれはわかる。
だからある意味ストレスの極みにあった。
そんな中でようやくたどり着いた叔父宅。
肉体的疲労と緊張の糸から解放され、さらに快諾をもらえた仏壇での千座行勤行。
普段から隠れるようにしかできない勤行を堂々朗々とあげられるのは感無量だ。
だからそのようなストレスから一気に解放されるような連続に感情の放出もあって
涙が込み上げてきた。それは悲しみの涙よりも喜びのそれに近いでしょう。
カタルシス(浄化)です。
そしてこのようなストレス解消のカタルシスを得られたことがきっかけになって
それまで問題になっていた屈折した気分なんてものは追い払われ望ましい人格に
昇華もする。何事も原体験的体験とは重要だ。
たとえは共通ではないが、私も山小屋で食べた予想外の食材メニューに驚き
それまで下界でも大して好きでもなかったそのメニューが好きになったりもする。
ってかそういう些細なきっかけをもとに人間を成長させるのが自分の意志というものだ。
だからその叔父宅の2階で独り寂しく(叔父観)息を引き取った女性などとは
関係なく、このカタルシスは語れます。
たまたま先祖にそんな人もいたという話が重なっただけです。
しかしそれだけではどうしても納得できない人もいるでしょう。
解脱供養で丸がついてきた先祖とその女性が一致したとなれば。
もともとが予定外に訪ねた叔父宅であり、叔父宅にそんな先祖の因縁話があるなんて
知らなかったし、偶然にしては出来すぎている。
やはりこれは何か見えないお手配みたいなものに導かれたのではないか?
女性は霊障だったのか?

52大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/18(水) 11:27:11
む?素晴らしい話に感動していたら、ハテナが。

確認ですが、その勤行をしていて感応?したのが寂しい亡くなり方をした2Fの女性
ではなくて、解脱供養の塔婆で下がった方なのですか?どちらなのでしょうか?
おそらく、はしょっての説明なので切れたのかと思いますが、そこがちょっとわからないです。
説明をお願いいたします。

でも、霊障云々の会話が終わったらガックリ来てました。ユビさんへ感謝申し上げます。

53Boo:2009/11/18(水) 12:09:22
人間の脳の活動はいまだに知られていないブラックボックスがあるようで、
私がミクシイで以前接触があった「朗人」さんという方。この方が「シンクロ」
という現象を詳しく日記に書いていますが、(解脱)供養の不思議、ゴマキの効能
など、すべて説明できるものです。それに、ゲイカの奇蹟(でもなんでもない
インチキ)という先入観があれば、すべてはアゴン宗による救済につながる。

ユビキタスさんのレスに補足的な意見ですが、私の現在の見解です。

54ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/18(水) 13:23:22
>>52
はい、その人が解脱供養を申し込んでお塔婆が下りてきた。
その戒名の先祖さんの資料箋リストに丸が付されていたのが、その叔父宅の2階で
独り寂しく息を引き取った女性だったようです。
だからこれはもうズバリ一致していたのですから、ますます感激しちゃってください。
これはスゴイ!偶然にしてもすご過ぎる!やはりこの女性が何らかの暗い影響を
与えていたのが、供養をしたことにより解消し、喜ばれ、施主の心の抑圧もとれたと。
しかし私はそれでもこれって霊障だったの?と疑問に思います。
資料箋として戒名帳を提出した。その戒名帳に丸が付された。
その該当の先祖が田舎に帰ったらたしかに実在していたことが確認できたという
当たり前のこととしか思えない。
その先祖の女性のエピソードを聞いたら臨終の際は枕元で看取ってやれず残念だった、
気の毒だったというのは叔父さん(伯父さんかもしれんが)サイドの優しい思いやりでしょ?
これがこの女性は晩年独り暮らしで、世話する人もおらず、病床に臥しても誰からの
介護も得られず、亡くなっても暫く発見すらされなかったとでもいうのならば
気の毒です。
しかし実はそんなことはなく叔父らと同居しており寝食を共にしていた。
ただ臨終の瞬間は夜中だったのでしょう。周囲に誰もいなかった。
それでも叔父さんは寂しかったろうにと罪の意識を持つ。優しさ以外の何物でもない。
こんなことでこの女性は霊障を起こし、後に生まれるこの施主の性格を厭世的、
暗い影響を与えていたと言うのか?
それはこの女性に対して失礼というものです。
私はそんな怨念だか哀しみのバイブレーションなど発していないと思う。
施主が屈折して暗かったのは施主自身の責任であると思う。
それが今回のきっかけで解消しただけだ。
単なるカタルシスだけでなく、涙を流した後、叔父から聞いたエピソードも
ますます効果を高めた。やはり霊障だったか?それが成仏して解消したのか?
これって自己暗示の一種ですよ。
その女性は仏壇にもまつられていた、ただそれだけです。
霊視の先祖は実在してた、それだけです。
仏壇で勤行して「遠い所からよく来てくれたねえ」とご先祖様も喜んでくれたかも
しれない。ご褒美でもないが鬱を払ってくれたかもしれない。
しかしそのご先祖が件の女性だったかどうかもわからない。

55ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/18(水) 13:43:56
そうそう、資料箋の先祖リストにその女性(過去帳からでも拾ったのでしょう)
の死因欄には不明としたようです。あるいは無記入かな。いずれにしても不明です。
で今回叔父からのヒアリングにてなるほど不幸な亡くなり方をしていると
改めて認識されたようなのだが、よく考えると別段不幸などでないのです。

56大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/18(水) 14:35:34
帰宅しました。拝見して、なるほどと感じました。
ユビさんの見解に私もほぼ同意。おそらく夜中とか家族がすぐに確認できる状況でないときに亡くなったと
いうのが私も思ったりします。
で、その女性が霊障を起こしていたか?といえば、そうだとは言いがたい。
だが、ゲイカの言い分を持てば「誰もが霊障の仏になる可能性」は多すぎるほど多い。
寂しくても霊障、悲しくても霊障です。軽い霊障から重い霊障まで様々になる。
また、それらを一般の人間が判断できることはまず、無い。
ゆえに、如何様にもいえるし如何様にも料理が出来る。
解脱供養資料箋に丸を付けて、戒名を下付すれば、霊障の仏になるからです。
成仏させてやったんだからね、なのです。

厳密に考えれば、横変死とかガンとか苦しい死に方をした方が通常霊障の仏に成るというのがあるが、
実際にはゲイカが霊視して、”霊障を起こしているな”と感知されれば霊障の仏です。
おそらく悶絶するような苦しい死に方や壮絶死でなければ”霊障”を起こさないはずが、霊視で見えたら
霊障認定される恐れは十分にあるし、またその根拠は?というと出せるものではない。
ゆえに、不可解であるし信憑性も低いままだ。
そして、ユビさんの出された話でも、「果たしてその女性霊障起こしている?」と感じてしまうのも
当然ではないかと思う。また解脱供養で降りたのであれば、さてさて・・・と思わざるを得ないですね。

57大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/18(水) 14:39:35
Booさんの説明が短すぎかすぎて、よく理解できませんので解説していただけたら、と願います。
シンクロ説がアゴンでの行いの説明に成るのでしょうか?(そういう風に解釈してしまいました)
ぜひ、時間のあるときで構いませんので、詳しい説明をお願いいたします。

58大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/18(水) 14:47:59
確かにほんまものの霊障であって受けていたのだから、その男性の抑圧が解放された、というのは
判らなくもない。だが、ユビさんの言うとおりどこまで整合性があるか、ですね。

我が弟の肝臓の事にしたって同様の事は確かに言えます。
なぜなら、肝臓が悪く亡くなったのは母の母しか居ないからです。
申し込み時に「肝臓が悪いから〜」と書いているし、そうなれば黄疸で亡くなったおばあさんを
供養すれば、という風に成るのは当然で、しかも他の数人の先祖にはそういう人がいないのであれば、
霊能力が無い私でも先に解脱しておくか、となりますね。

まあ、その男性は私の弟のようなものではないから、無作為に選んだか、もしくは本当?に霊視した
のかわからないが、偶然の一致にしては出来てますね。
でも、その影響で性格が変わったのは、その事実だけは喜びたい。
しかし、解脱万歳!というのはさて・・・となる。まして、その後の解脱にはさほど奇跡や効果が
見られないというのだから、私の弟と同じ現象です。
最初の解脱は効いたが、後は全然、というやつです。
こういうのが無ければ、解脱も信憑性が出てくるんだがなあ・・・。

59ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/18(水) 20:36:07
>>55からの続きです。
この事例はアゴン宗で見ると霊障解脱の証明となってしまうのです。
奇遇だ!あり得ない!
いろいろ疑いをかけることはできる。
桐山さんの解脱供養とは護摩によって行う。尊い護摩の炎の中で昇天していくのです。
ところがこの信者さんの場合は叔父宅だか伯父宅だかの仏壇で勤行した時に起きた
奇跡(?)です。
つまりこれは私が先に書いたお墓参りの功徳にも比定することもできます。
どうして奇跡は護摩焚きの時に起こらず仏壇勤行の時に起きたのか?
導師の成仏護摩より施主の勤行の方で昇天するのか?
もちろんこれはアゴン宗の方で簡単に説明してしまうことでしょう。
いや、ゲイカのお護摩の時に炎の中で合掌しながら昇天して行ったんだよ。
しかしそれを施主にも喜びと感謝を伝えたい。
施主の抑圧を取り除いてやりたい。
そこで仏さまが仕組んだものか先祖さんが仕組んだものか1本のレールが敷かれる。
既に台本はできている。全てはこの台本に沿って各自が役割を演じている。
そう、乗ってけよと誘い拒否を許さぬ威圧をかける上司も。
かくして舞台は女性の亡くなった家へと施主を導きそこで奇跡が起こる!
これで霊障解脱の完成だったのですね?管長猊下。
いや、わしは知らん。わしは成仏法を修して成仏させただけだ。心憎い演出をするのう。
(余裕の笑み)
だってそうだろう?
こんなことってある?御霊諭下がったご先祖さんの亡くなった地に導かれ、
この事実を知ったんだぜ!その背後に流れる力を考えよう!
お答えします。
この話少っっっしも不思議でありません。
実家(父親宅)だろうが叔父宅だろうが帰省すればご先祖たちが生活していた
場所にたどり着くのは当たり前のこってす。
そして問題の2階で寂しく亡くなった女性ですが・・・
これってこの信者さんが涙の勤行終えて、あるいは一晩経った翌朝にでも
叔父さんに聞いたんじゃないですか?
「この女性のことご存知ですか?」
「ああ、そうそう、もちろん知ってるよ」
ってか
「この女性について教えてください。どのように亡くなったのですか?」
「ああ、このおばさんはね・・」
ね?何の不思議もない話でしょ?
既に御霊諭の先祖が下りたからこの人はどんな方だろうと思い質問した。
他の兄弟姉妹と同じくここで亡くなったんだよ。亡くなった時、枕元で看取って
あげられなかったことが心残りだったね。
これだけの話です。
何か不思議ですか?

60ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/18(水) 21:03:27
なお、たしか叔父(父親の弟)ではなく伯父(父親の兄)でなかったかな。
つまりは父親の住む実家が分家で伯父さんちが本家になる。
するといろんな先祖がまつられて当たり前でしょう。
しかし実家の父親宅に帰省の予定が変な上司の押し付け親切により本家の伯父宅に
急遽変更になった点だけ「先祖に呼ばれた」説がまだ生きてくる。
この場合にようやくBooさんのシンクロ説が出てくるんでないの?
この施主は該当の先祖を潜在願望的にも追い求めている。
それにシンクロするように周囲の環境が整理される。
求めていたものが得られる。
俺も昔、池袋のオキニの姫が店をやめちまった後、残念に思っていたら
別の店に勤めていて再会したことがある。
例がくだらんか?・・・

61大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/18(水) 21:09:40
確かにシンクロですが、さてさて・・・。

62ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/19(木) 00:35:13
池袋のことは青柿さんもシンクロして来ないしwどうでもいいですが、
今度は私の解脱供養体験。
解脱供養はなにか差し迫った問題があった時に申し込め、問題なければ
冥徳解脱供養を進めておけというのが桐山指導です。
だから私などは滅多に助けを求めるような問題などないからもっぱら冥徳解脱供養
ばかりが膨らんだ形だ。
それはさておき私でも問題解決の為に解脱供養を申し込んだことがある。
不眠症になりこのコントロールに苦しんだ。
ファミリーのリーダーの勧めもあり、解脱供養を申し込んだ。
下りてきた先祖が父方の祖母の実兄です。
実は父方は祖母がユビキタス家本家です。
祖父はユビキタス家に婿養子で入った。
この祖母の実兄こそが本来ユビキタス家を継ぐべき長男だった。
しかし31才の若さで死んだ。
死因の病名は忘れたがドイツに洋行までした彼も酒で身体を壊したと聞く。
病気で若くして死んだ。ユビキタス家は跡継ぎがいなくなった。
そこで妹であるわが祖母が婿養子をとることにしてユビキタス家を継承した。
この婿養子は小学校の校長で酒も飲まぬ真面目なところが評価されたという。
祖母の兄たる長男が酒で身を滅ぼしただけにそういう選択をしたらしい。
ともあれこの祖母の兄が霊障として下りてきた。
不眠症である旨を資料箋に気にかかる問題点として添えておき、その結果丸を
つけられてきたのが、この先祖だった。
その時点で私は上記の知識を親から昔聞いた記憶で知っていた。
で幾分納得がいく気もした。
酒で身を潰した彼の運命の反復かどうか私も心身がおかしくなってきた。
しかし合点が行かぬ点もあった。私は酒を好まぬ。
付き合いでは飲むが、弱いし、飲みたいとも思わない。
それに酒で内臓などの身体をやられたことは不眠症とつながらない。
酒→酩酊状態と不眠症のボンヤリ状態がなんとなく共通性があるように見えるだけだ。
しかし少し考えればわかるように全然別の話だ。
話が逸れるが運命の反復と言えば、生まれて初めての解脱供養を申し込んだ
先述の2階で寂しく亡くなった女性が解脱供養で下りたという施主は彼女の何を
反復すると言うのだ?
臨終の際、枕元に誰もいなかったというだけで他の不幸的状況が見えてこない。
さて私の問題に話を戻すが、結局解脱供養を申し込み供養を進め、解脱成仏しましたぞ
との通知が届いても不眠症の問題は解消しなかった。
解消するのはそのずっと後です。

63ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/19(木) 00:55:05
そこで解脱供養問題を終了させる気もないが、ここで一つ結論を出しておきたい。
寂しく独りで息を引き取った女性が下りてきた信者さんの件、それから不眠症にも
共通性があるのかなと一瞬考えてみたりもした私の解脱供養の件からも考える。
これって、ただ単に下りてきた資料箋に丸を付された先祖の本当の実情と
照らし合わせた結果、自分で勝手に想像たくましくしただけに過ぎない。
つまり桐山さんの説明が皆無なんです。
著書にあるような細かい説明と指導がない。
「この先祖を調べてみなさい。」
「こういう死に方をした先祖がいるはずだ調べてごらん」
「いました!どうしてそんなことまでわかるのですか?」
「ははは、それが私の仕事だからね」
しかし実際にはこんな体験談を聞かない。
あくまでも桐山さんが書いた著書の中だけの話だ。
つまり作り話です。
あれが実話ならばそのゲイカの霊視能力のすごさに目を丸くした、舌をまいた
信者の報告があってもよいはずだ。
ところが現実には面接指導の機会すらない。
面接指導をせずに単に資料箋の先祖リストに赤丸が付されるだけだから
霊障の内容、怨念や苦しみの内容などは全く示されもしない。
だから下付された信者が必死に自分でその霊障内容を想像するだけです。
それで孤独で死んだ寂しさだの酒でやられた脳の悪影響だの勝手に理由付けをする。
桐山さんが示せばよいものを絶対に示さないからこのような自己洗脳信者が
育つのです。かつての自分も含めて。

64Boo:2009/11/19(木) 01:28:43
朗人さんの「シンクロ」の話はだいぶん前の上この方はほとんど毎日日記を
書いている方でしたので、なかなか見つけられませんでしたので、わたくしの記憶
を元にかいつまんで見解を述べます。

シンクロとは正式には「シンクロニティ」でシンクロナイズドスイミングの語源にも
なっているそうです。「同調」とか「同期」とかそんな意味です。

まず、私が読んだエピソードを簡単に紹介します。

ユダヤ教徒の親子がおりまして、ユダヤ教徒の親子と言っても、親が熱心なだけで
息子のほうはどちらかと言うと信仰にはさめていたようです。
その親子が些細なことで喧嘩して、父親は息子に出てゆけ、二度と家の敷居はまたぐな、
息子は、ああ上等だこんなうちにいてやるか、二度とオヤジと会うこともない、と言って
出てしまった。

息子はその後色々苦労した末、結婚し子供が出来て父親の気持ちが段々わかるようになっ
てきて、いつかは和解して孫の顔を父親に見せてやりたいと思うようになった。
しかし、父親から許してやるから、いつでも帰って来いとの連絡はついに父親が死ぬまで
なかった。

父親が死んで、息子は生きているうちに会って、父親に許しを請いたかったが、
ついにその機会は永久に失われた。
息子は、せめてもの罪滅ぼしに父親の信仰していたユダヤ教の聖地である
「嘆きの壁」に行き、熱心なユダヤ教徒の父親を偲んだ。

嘆きの壁には石と石の間に隙間が出来ていて、ユダヤ教徒はそこに
神へのメッセージを紙に書いて押し込むようになっているとのこと。
息子は神へのメッセージというよりもその信仰者であり天に召された父親に
謝罪のメッセージをしたためた。

石壁の隙間はいたるところ過去数百年の神への無数のメッセージで埋まっていて、
息子はどこに父親へのメッセージを差し込もうか物色していた所、なんとか
一枚のメモ程度は差し込めそうな隙間を見つけた。しかし、その隙間には
勿論既にいくつものメモが差し込まれていて自分の紙切れをやっと挟めるかどうか、
しかし、熱心な信者であった父親へのメッセージはこの壁のどこかに残したいと
考えて無理やり隙間に押し込んだ。

やれやれ、何とか押し込めた、しかし、自分のメッセージを無理やり押し込んだせいで
前に誰かが押し込んだメモが満塁のファーボールで一点入るがごときに壁の隙間から
落ちてしまった。神へのメッセージであり、自分も必死に押し込んだ気持ちを
考えると、そのまま立ち去る気にもならず、そのメッセージもどこかの隙間に押し込もうと
拾って、見るともなくその古いメモに目をやると、懐かしい文字が書いてあった。

その字が気になってメッセージを見ると、そこには若い頃些細なことで喧嘩して
ひどいことを言ってしまった息子に対する懺悔が書いてあり、喧嘩したときから
ずーっと自分は後悔していたこと。今でも息子を愛していること。出来るならば、
息子と再会して謝罪したいことを神へのメッセージとして託すメモである
ことを知った。そうして、最後に父親の名前が書かれていた。

ざっとこんな話を朗人さんはドキュメントとして伝えていました。

65Boo:2009/11/19(木) 01:51:20
これを読んで、わたくしは考え込んでしまった。

キリスト教では成仏できない。ユダヤ教も勿論そうですね。なのになぜこんな
奇跡のような体験談が起きるのか?

アゴン宗的に考えると、チャクラもクンダリニーも念力の護摩も釈尊の成仏法
もないのにこんな奇跡がなぜ起きる?

これって、もしかして人間の能力の範囲内(神仏がお手配しなくても可能)なのか?
と思ったわけです。神仏の力が働くのはアゴン宗しかありえないと当時の自分は
考えていた。なぜなら、神仏が手を差し伸べることが可能なのは、仏舎利尊であるお
釈迦様が実際に霊体で存在しなくてはありえない。そもそもアゴン宗以外で念力の護摩
焚いてグモンジとクンダリニーを開発した導師は(空海以外)いないのだから、神仏も
ここにしかいないはずであるのだ。ところがユダヤ教でも奇跡が起きているのは
どういうわけだ?突き詰めて分析すると、そもそも人間にはポジティブな精神活動や
神仏に対する信仰心から来る懺悔、畏敬の念などの精神活動に対してはシンクロニティ
がおきやすい仕組みになっているのではないのか?という結論に達したわけです。

そう考えると、阿含宗の解脱・冥徳供養、護摩木祈願の成就など、ユダヤ教徒から
見ると、シンクロニティが起きているね。この人はポジティブな心の持ち主ね、でも
ほんとの信仰、神が救ってくれるのはユダヤ教徒だけね、と解釈するし、解釈できる。

退会する一年位前はそんなことをかんがえていました。

66大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/19(木) 08:02:51
ユビさん、自らの体験談をありがとうございます。拝読致しました。

なるほど・・・これでは言いようが無いですね。
私の弟のようなものでもあれば喜びようもありますが、これでは逆に懐疑心が出るのは
当然です。
私の場合も弟ほど劇的では無かったですから、もし弟の事項がなかったらまだ醒めてたかも
しれませんね。

成仏法というものを世に問いかけ宣伝したまでは良かったが、肝心の中身が無いのであれば
なんら意味が無いわけで、そこのところを見抜けなかったのを自分でも残念に思います。

67大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/19(木) 08:15:02
Booさん、詳しい説明ありがとうございます。非常に理解しやすかったです。

私の場合はシンクロ論は知りませんでしたが、アゴン以外でも奇跡が起こるのには理由は
わかりませんが、ありえるというのは認識していました。
なぜに、成仏法を持たない教団であっても奇跡が起こるか、というのは現在も考察中ですが、
結論は出てません。ですが、ユダヤ教徒だけとは自分は思わず、たくさんの教団でも奇跡が
起こりうるのはなぜか?というのは本当にありますよね。

有名な例では日蓮さんの斬首の際の落雷とかもあったりしますが、人は大きな奇跡の前には
驚きを隠せない。また神秘的でもある。
だが、ことアゴンについて考えてみると、そのシンクロを用いたのはやはりゲイカであろうかと
思ったりします。

非常にいいタイミングでシンクロが起きたのを「お手配」とか「神仏の加護を受けている」とし、
周りや世間を認識させるには、またとないものですからね。
例え偽物の宗教であっても偶然に起きる「シンクロ」を活用し、信頼を得るという流れ。
これにはなんともいえないものがあります。

ユビさんの申されるとおりの「当事者の思い込み」というのを活用したのもあると思います。
偽シンクロ、というやつでしょう。
解脱供養や日々の生活の中で偶然起きうる「奇跡」 それに対して管長に報告があれば、別段
管長が信者の家一軒一軒に修法したわけでもないのに何かいいことが起きると、それを使って
「アゴンは奇跡を起こす宗教なのだよ」というだけで信者は「ははー」とひれ伏す。
管長からすれば、棚からぼたもちですよ。何もしないでも信者が好意に受け取るのだから。

いやいや、本当に考えさせられる事ばかりです。

68ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/19(木) 08:53:48
>>64-65
Booさん。シンクロニティについての詳しい解説ありがとうございました。
とても面白かったです。
しかしあなたが信者時代に戸惑った>>65の疑問にお答えしましょう。
ご安心ください。(信者としての立場に対して)
奇跡はアゴン宗にしか起こらずユダヤ教やキリスト教などに起こるはずがないのです。
その逸話は「嘆きの壁」に秘密、ひみちゅがあります。
その嘆きの壁に21世紀の未来(その親子から見て)に日本から宗教家と名乗る
オールバックの男が訪ね、ラビらに促されるままに額を嘆きの壁につける男がいます。
彼は何を嘆いたか?
「千景と尚子は仲が悪くて俺は困ったものだ。どちらも失いたくないのに・・・
ブツブツ・・・このパフォーマンスであいつらのご機嫌がよくなって焚き火に
協力してくれるように、そしたら俺の名声もあがって国内でも商売繁盛・・ブツブツ」
そうです。このお方こそがユダヤとキリスト教、イスラム教との対立も乗り越え
空爆攻撃も阻止できなかったものの、シャカとイエスの握手などの歴史的偉業を
成し遂げた大聖者の象徴すべき壁の額つけだったのです。
この大聖者の奇跡の思念は時空を超えます。
過去に遡ってでも奇跡を起こしてみせます。
ちょうどその大聖者さまが額をつけた壁の隙間にその親子の絵馬みたいのが
挟んであったのですね。
ってか親子は未来に現れるこの大聖者によって同じ場所に絵馬を挟むことを
約束されて、ここにシンクロの奇跡が起きたのです。
だから奇跡はアゴン宗にしかなーい!
実はシンクロの産みの親が桐山はんだったんでっせー

69ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/19(木) 09:05:10
池袋の件に関して青柿さんをシンクロでなく無理矢理呼ばなくてもヨロシ(笑)

70Boo:2009/11/19(木) 14:08:30
ユビキタスさん!その話には無理があるっしょ?(とマジレスしてみるテスト)


歎きの壁の桐山師(桐山詐欺師の略)の胸中はマジで尚古と血陰の顔がよぎっていたかもしれんが・・・・

71大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/19(木) 17:37:30
ユビさん、失礼しました。凄く気になったもので。
思わず、シンクロ召喚してしまうところでした。(遊戯王か!)

青柿さんを特殊召喚に成功すれば、池袋の話を聞けると思ったもので。

向こうの記事、削除しました。すみませんでした。

72ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/19(木) 18:40:17
>>71
いや、私の再会もあったオキニの姫と青柿さんの姫とはシンクロしないと思いますよ(笑)
彼は彼でこういう話が好きで、シンクロして来るかなと期待しとったんです。
彼は私を昔から私を兄貴分と慕ってくれていましたが、そちらの方面の義兄弟には
なっていないと思います。私もレイアちゃん知らないしw

73名無しさん:2009/11/19(木) 20:56:48
あらら、お姉ちゃんの話なのね。それなら、特に希望しません。

だけど、ゲイカが嘆きの壁に行って何か祈願するとしたら、まさかユビさん仰せのことを
祈ってたとしたら、もうアゴンの神仏要らないジャン、とか思ったりします。

マジに祈っちゃあいないよね?

74Boo:2009/11/19(木) 23:54:44
ちょっと晩酌しながらPCいじっていますが・・・シンクロの話には続きがあります。
朗人さんはこれをもってユダヤ教やほかの宗教のお勧めをしているわけではなく、
シンクロがおきやすい状況を皆さんにおしえているようです。

ポジティブな精神状態、感謝の気持ちなどですね。

結論として「ありがとう」という言葉を発する、というものです。

これによって、シンクロがおきる。だからみんなで「ありがとう」といいいましょう
、というないようです。

アゴン宗とはちょっと方向違いますが、それによって人生が好転した人もいるようです。

75ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/20(金) 00:03:08
姫!ありがとう!

76大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/20(金) 09:11:03
あらら、>>73 1FのPCで投稿したからHNが出てないや。気が付かなかった。
73は私ですので。

Booさん、続きを希望します。時間があるときで構いませんのでよろしくです。
>>74の説明を見て、あれれ?と思った。なぜなら、私がアゴンで建て直しする際に
起こそうとしていた方向性が実はそれなのです。
精神世界や自己啓発系の引用というかそういうのを活用して、高めてゆくしかないな、
と推測していたものです。思わずびっくりw

「ありがとう」が筆頭ですが、それ以外にも良い言葉を発する、というのを提唱し、実践する。
これは楽しみであります。

77大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/20(金) 23:19:46
ふと思ったんですが、昔TBSで大柴燈護摩を放映したことがありましたね。
「三時に逢いましょう」でしたか。
私は当時リアルで放送されたのを見てないので残念なのですが、妻に聞いたら
妻はたまたま学校から帰宅してみてたんですってw
なんか、結構凄かったよね、といってました。

で、まあ妻の感想は良いとして、実際に世間での状態はどうだったかというと
かなりセンセーショナルだったようですね。
ゲイカ自体も本で「VTRでも奇跡が起こった、ということでかなり話題になった」
ということを書かれているし、相当なものだったと思います。

で、それをふと思い出してこれも偶発的に起きる奇跡を活用したものの最たるものかな、
と思ったのです。
もちろん、TVの護摩に向かって拝んでも何の奇跡も起こらなかった人も居たでしょうが、
当時の状況を考えると今ほどネットも無いし、仏教云々の解釈を知ることも皆無に近い。
まして、在来仏教のように信者にならなくても拝むだけで現世利益が得られるのなら、
それはヒットするに違いない。

「このようにお護摩にたくさんの神仏が現形しています。皆さんもどうぞ御祈願ください」
とやったら、そりゃあフラシーボよろしく何かの現象が起きるかもしれない。

だが、現在はそういうのが無いし、また拝んでも効かないのであれば急速に醒めるでしょう。
なので、昔は効いたのに今は効かない、という現象も本当にあるよね、と思う。
連続していつまでも効果が現れたら、アゴンは世界を牛耳れるって本当に思いますね。

78ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/22(日) 23:12:48
「3時にあいましょう」は私も高校の時、学校から帰った時だったのか途中から
たまたま見たのですね。
大きな柴燈護摩の風景だったのですが、途中からだけにまさか観音慈恵会のそれ
と思わなかった。
この直後にアゴン宗を立宗するわけです。
だから最初はよその教団の風景と思い、冷ややかに見てたんですね。
私は中学の時に観音慈恵会に入信したのですが、千座行に挫折したのですが、
途中名古屋に引っ越して東海本部で再入行は果たせませんでしたが、桐山密教
だけを信じていた。高野山など他の密教団体のテレビのオカルト的特集番組もあったし、火渡りなどが
テレビで取材するのもあったからその類いかなと思った。
ただ断片的に見る風景の中に観音慈恵会の紫の輪袈裟に似た
それがチラと見えたり、般若心経を唱える懐かしいリズムから「あれ?もしや?」
と思ったところでその特集が終わったんですね。
それから後になってこれが桐山護摩だと知ったのです。
まさにシンクロと言いたいところだが、新聞のテレビ欄で「密教の護摩の火」とか
そんな見出しを見てチャンネルを回したのであれば不思議でもない。
たしかに再放送までされるほど当時すごい反響だったようですね。
さすがにヤラセとは思いませんが。
しかし最初から王麗花さんがいたり、番組を組むにあたり教団とは当然交渉
していたのですね。
病気が治っただの受験に合格しただの止まっていた時計が動き出しただの(笑)。
不思議を求めたい人が龍神みたいな炎を見てビックリしたのも事実だが
かなりテレビ側にのせられてしまったのではないでしょうか?
人間てのはそんなに軽薄なんだろうか?
それが霊感だとするならば、私は霊感のないことを誇りにしたい。

79大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/23(月) 13:24:56
いや、霊感ではないですよ。ですが、霊感が無くても十分わかることをゲイカの主張だけを鵜呑みにして
信仰の道へ入った私はやはり愚かだったと思います。

それでも、アゴン宗を知ってもすぐに入行しなかったんです。一年掛けて様子を見たし、警戒した。
でも、例えば図書館とかにいって原始仏教などを見れたわけではないから、アゴンの虚偽に騙された、
という結末なのですが・・・。
その時代にネットや掲示板があったら、おそらく入行することは無かったかもしれません。

しかし、止まっていた時計は「ユリ・ゲラーさん」でしょう。大笑いですw

アゴンと霊感とは別なことですが、霊感がなくてもそれはよろしいし、誇ってもいいでしょう。
ただ、多くの人を騙した宗教詐欺だけは許せない行為です。

80ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/23(月) 18:03:46
>>69
そうですね。テレビを見て感化され影響を受けてしまう何て話は霊感とは全く
異なるでしょうね。
映画館でヤクザ映画を見たらすっかり感化されて気分が高揚して、出てきてからも
歩き方からして変わってしまい「気ぃつけんかい!ボケ!」とか言うのに近い。
当時、それより以前からユリ・ゲラーがスプーン曲げだけではない新ネタをもって
マスコミの前に現れて、故障した時計を用意しなさい、「ウゴケ!」と念力を送り
見事動いたなんてやってた。
だからそれに便乗して護摩を見て時計が動いたなんて便りを伝える人がいたとか
いないとかの話には皆苦笑してました。
今年の星まつりの様子がようつべの動画サイトにうpされています。
今度、古い腕時計握りながら「ウゴケ!」とやってみましょうかw

81大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/23(月) 18:28:34
動いたら「奇跡の顕現か!」と大騒ぎに成る・・・・・かな?
まずは、そんなので直ったら世の時計屋さんや修理屋さんは商売上がったりですね。
確か今月初旬かな?TVの何かの番組のCMでユリ氏映ってましたが、それも
「ウゴケ!」といってました。まだやっているのか、いや死ぬまでやっているんでしょう、きっと。

ちなみに当時私は壊れた時計直らなかったので、ユリ氏のことは信じてませんw

82Boo:2009/11/25(水) 18:06:41
大日如来さん

ミクシイのアカウント持っていたら「シシカバブー」を検索して、そのマイミク
の「朗人」さんの日記を見てみることをお勧めします。

「占いのコミュニティ」興味がありましたらシシカバブーにメッセいただいたら、
占星術コミュにも誘導できますよ。

「シシカバブー」は裏ミクでプロフはでたらめです。念のため。

83大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/25(水) 19:59:22
Booさん、情報ありがとうございます。ちょうどアカウント持ってますw
後でチェックして見ます。

84大日如来 ◆rAuM1WGShc:2009/11/26(木) 12:32:09
うーん、検索の仕方が悪いのかな? Booさん、81歳の男性の方でよろしいのでしょうか。
シシカバブーで朗人さんヒットしなかったんです。なので名前でやったのですが。
そうするとどうもその方?のような感じがします。自己啓発や科学的なものを書いている方ですか?
お手数ですが、教えてくださいませ。

85Boo:2009/11/27(金) 08:34:30
大日さん

プロフは↓です。

名前 タイガー マスク
性別 男性
現住所 海外インド
年齢 46歳
血液型 A型
出身地 海外サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島
趣味 映画鑑賞, スポーツ観戦, グルメ, 旅行, インターネット

86天照 ◆rAuM1WGShc:2009/11/27(金) 13:28:00
Booさん、ようやく見つけました。ありがとうございます。

87天照 ◆rAuM1WGShc:2009/11/27(金) 13:51:46
シシカバブーさんの日記を読んで思わずびっくり。今したらばで自分が出している論に添っている・・・。
思わず「シンクロ?」と思っちゃったw でも、日付を見れば06年・・・。

過去に遡ってみていったらTMの話が。
私はTMを訝しく思っていたのですが、どうやらそう持ってたのは自分の誤解だった気が。

なかなか興味のある内容でした。今度は朗人さんの方を見てみます。まずは報告にて。

88Boo:2009/11/27(金) 21:06:33
ああ、たどり着けましたか。

朗人さんの日記を読むのはかなりの骨ですけど・・・

89天照 ◆rAuM1WGShc:2009/11/27(金) 21:46:21
あ、いやシシカバブーさんの方が先で、朗人さんは以前確定してなかったため
読んでなかったのでこれから、です。

骨が折れる・・・やばそう・・・。

90天照 ◆rAuM1WGShc:2009/11/28(土) 20:39:27
さて、Booさんのお教えいただいたことも落ち着いたので、本題に戻りますか。

私が思うには、アゴン宗には解脱供養と屋敷浄霊ぐらいしか「これは」と思われるのが無いと判断。
ですが、その後の考察を深めたら、まだ確定はしてないがおおよそ「信憑性に欠ける」という判断
に到ったので退会し、批判メインに移行したのが私の経緯です。

ですが、もっと深く検証はしたい、というのがあって「いつかそれをやろう」と思っていた矢先に
Booさんが自分が思い残していた方向への意見を出されたので、「今だ!」ということで
この@chs−1を作成したのです。

で、その解脱供養ですが、これがゲイカの申されるとおり本当なら申し分なかった。
ところがやはりアゴン宗の教義でさえ多くの矛盾(虚偽)があるので、それらは嘘ではあるが、
では解脱供養などは正しく行っており、それは本当だ、といえるかどうか甚だ疑問なのです。

まあ、おおよその結論が出ているわけですが、もし個人的に何か意見や考えがありましたら
出して議論して考察してゆければ、と思います。

91天照 ◆rAuM1WGShc:2009/11/28(土) 20:57:48
まず、したらばで出てきた「チベット」のことを考えて見ますか。

私はあれはゲイカ特有の「本を読んで流行りそうなものをチョイスする」というのが
見られると思います。特に「チベット死者の書」が流行ったのは覚えておられるかと
思いますが、ゲイカもあれに沿った発言が結構多かったですね。

流行や主張を通すためにはどんなものも使うのがゲイカといえばゲイカですね。

確かにチベットのリンポチェ師から法を授かった(伝授された)というの聞いて
当時は「はあ?」と思ったものですが、説明だけを聞けば結構なものです。
霊を把握し、霊に対して結構な力がある法なわけですから、それは凄いと思ってしまう。

だが、ユビさんが申されたとおり、どこにどう会得したか、また使われていてその信憑性
がどこまであるのかどうか、本当にわからない。
ゲイカ得意の「自己申告」「言ったもの勝ち」でしかない。

人といえば確かに疑えばキリが無いのはあるのだが、ゲイカは結構表立ってみせる
事が無い人ゆえ、油断がならないのです。
まして、教団に於いて信者の疑問や疑念を晴らす、ということをしていないので、
尚更疑念は強くなる。また、意見も申されないし、申しても返答が無い。
これでは話にならない所以である。

「俺はこれだけのものを持って実際にやっているんだ」と言っても示せなければ
何ら証拠はなく正当性を主張できないのです。
逆にそういうものを示してやれば、批判や疑念は解消できると思われるのです。

92天照 ◆rAuM1WGShc:2009/11/28(土) 21:06:56
ゲイカは20〜30年前には当時の人間が興味を示すような内容や話題を展開したのでかなりアゴン宗は流行った。
それで、教団を大きくすることも出来たのです。

しかし、時代の移り変わりや、後はゲイカが中身の無いことをずっと続けたために発展することが出来なくなった。
特に信者の心を掴むことが出来かねていたように思える。
ゆえに、深山さんがいつも申される「自分の事しか考えてない人間だ」というのがゲイカには垣間見える。
結局は宗教、つまり仏教を使って人々を騙して自己のエゴ達成をした、といえるのです。
そのためには使えるものや効果のあるものなら何でも活用する。

チベットやらタイやらスリランカ・・・等、僧位や称号・法号など権威も集めた。
まあ、この名誉関係は創価の池田大作さんに対抗心を燃やしたのと、ゲイカが資格など無いのを
埋めるために集めた、というのもあるが、例えばここのスレにては霊的なものやその系統の法を
集めた、という風にも見て行きたいと思っている。

93天照 ◆rAuM1WGShc:2009/11/28(土) 21:18:24
日本ではゲイカは僧侶としての経緯が無いため、僧侶としては認められていない。
また、いちいち順序を経て資格を取ってたら、相当時間を要するし、また必ず資格が取れる、
とも限らない。そういうリスクを背負うよりも手軽な方法がある。
それは自分で宗派を持ち、自分が教祖に成ればそれは解決できるということです。

で、そうなったが実際にバッシングは続く。ならば、日本では資格云々は先の通りで非常に
手間と時間がかかり、確証が無い。
だが、こと外国のものであれば日本人は外国の権威に弱い、というのと、どうせ中身までは
わかりにくいし、ある程度の説明とその渡す側の歴史などがある程度あれば、後はどうにでもなる。
だから、外国からの「法を受けた」とか「僧侶としての資格を得た」となれば、僧侶しての
箔はある程度付く。一石二鳥も三鳥にもなるのです。

で、表にまとう「権威や体裁」は整えたにしても、問題は「中身」です。
それをどうするのか?ですが、そこは「方便」で済ませる。

実際にどう行われ使われるか、など誰もわからないゆえに如何様にもいえる。
これが宗教の恐ろしいところです。
中身がなくても「ある」といえば「ある」のだし、出せなくとも「ある」といえばそれっきりだ。

ところがその中身を揺るがすことがあった。
生きている人間を霊視し、解脱供養したという2chの情報である。
もし、これが本当だとしたら、ゲイカの言い分は「嘘」との認定になる。
宗教のプロとしての由々しき事態である。
間違った、では済まない事実に成るからなのです。

94天照 ◆rAuM1WGShc:2009/11/28(土) 21:27:25
実は弟もこの話をしたら、
「今、俺がガンだから、至急の解脱を申し込んでその資料箋に生きている人をガンで死んだ、
と出して実験してみようか?」とまで話は進んだが、結局はやめた。
弟も私の考察の話を信じていたので、10万円を掛けるのがもったいなかったからだ。
例え嘘が露見しても、弟は何ら嬉しいとかメリットが無い。だからである。

私がもし当時金銭的に余裕があったら、マジに行ったかもしれないが・・・。

後、もう一つは「奇跡的な現象もお陰も無い」ということです。

ゲイカの言う霊障も本当なら、その影響を受けている人の悪いものを除去するのですから、
効果や現象があってしかるべきです。そのための霊視なのですから、時には「当たり」
時には「外れる」ではこれではおかしいのです。
何のための霊に対する秘法を受けていたのか、ということになり、信憑性に欠けるわけです。
ということは突き詰めれば「本当に秘法を伝授されたのか?」になるのです。
もっと突き詰めれば「霊能力があるというのは嘘ではないか」とまでになってしまうのです。

95天照 ◆rAuM1WGShc:2009/11/28(土) 21:38:59
なので、解脱供養に私は「もしかしたらこれだけが唯一アゴンで信じられるものではないか」と
推測していたのですが、それも泡と消えそうな状態です。

ゲイカの作り上げた「運命に対する考察」というかアゴン宗での展開されている因縁と霊障の関係
ですが、これは当初画期的な理論だ、と私も思っていて固く信じていた。

ところが実際長年信仰をしてみて、どうも不整合ばかりが目立つ。
つまり、ゲイカの言ったような理論と実際の現実とが「かみ合わない」のです。

まず、因縁解脱。これはしたらばや@chsで申しているのでここでは書きませんが、それも
どうも変でおかしい。そして、次は「霊障」です。これも理論だけ見れば「凄いな」というように
見えるが、突き詰めてゆくとおかしな点が出てくる。
それはゲイカがどんどん経年とともに出された発言などに見られる矛盾です。
それらを見ても、如何に繕っているかのような、といいますか、それとも思いつきで言っているかのような
曖昧で整合性が無い発言らがその疑念を増やす原因になっています。

すると、最後の砦ではないが、アゴンに残る信じられるものはほとんど無い、という結果に成る。
非常に恐ろしい結果が出てくるのです。

特に信者さんはこの現実から目を逸らしてはいけない。しっかりと比較検証して貴方の今行っている
アゴン宗の信仰と我々が申している意見とを調べる必要がある。
そうでないと貴方の今後の人生を損ずることに成るからです。ぜひ、そうされて欲しい。

96ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/29(日) 17:56:06
>>91で再びチベットの話が出てますね。
ニンマ派からのお土産の中に召霊法もあったとのことですが、桐山さんが年月を
かけてこれを体得して冥徳供養の霊視に採り入れただのってななんとでも言える
話は別として、そもそもがこのチベット召霊法ってのがどれほどの力があるのか?
という興味がありますよね。
桐山さんによると青森のイタコよりすごいそうですが。
しかし桐山さんを抜きにして、本当にイタコみたいに霊が出てきて会話を取り交わした
とかいう逸話があるのか?目撃者がいるのか?客観性はあるのか?
そこでちょっと仮定の話をしてみよう。
桐山「この度わがアゴン宗にあの青森・下北の恐山よりイタコの法が入りました。
地元のイタコから授かった。これでいろいろな霊を口寄せできるから楽しみにしなさい」
はたして本当にワクワクするだろうか?
あるいはこんなのはどうか?
桐山「この度アゴン宗はあのチベットから有名な悪魔祓いの法を伝授された。
あの独特な衣装と仮面で楽器演奏の中踊るものです。さあ、皆さんも一緒に
踊りましょう。踊って悪魔も霊障も払いのけましょう」
これで本当にすごいと思うか?
別にチベットを馬鹿にしているのではない。
ただ先祖のお霊を送ったり呼んだりする伝統の「芸能文化」は日本にもある。
桐山「この度アゴン宗に長崎よりあのさだまさしも唄った精霊流しが・・・」

97天照 ◆rAuM1WGShc:2009/11/29(日) 21:51:54
>>96でのユビさんの例えわかりやすいですね。
まあ、人によって青森のイタコとチベットと一緒にするな、という人も居るかもしれないが、
私もさほど変わらない気がします。

確かにチベットの方がまだ内容的には凄いようですが、でもそれの駆使を見たことも無いし、
また本当にチベット語も知らないゲイカが理解・操作できるか否かも、さてわからん。
しかも、深田さんは今ゲイカの代わりに護摩を焚いているが、それだって現在修行中いわく
もし、ゲイカが今後加齢によって動けなくなったら、深田さんがやるんでしょう?

それだってゲイカが「私が伝授した」といえばお仕舞いで、さて、それも本当かどうかは
わからない。深田さんも「私がゲイカより伝授されました」といえば、それもそれで終わり。
中身はわからないから、検証をするしか方法は無い。
どこまで本当かなんて、信憑性などかなり薄いのです。

98ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/29(日) 23:06:50
>>97
つまりこういうことです。
今日チベットの悪魔祓いの儀式としての舞はよく知られています。
日本武道館におけるオーラの祭典においてもその舞を披露したのだから
知名度普及に一役買ったのもアゴン宗であり、信者なら尚更よく知っています。
だからこれは民俗学の研究対象にもなる芸能文化の類いだと認識しているはずです。
ところがチベットには素晴らしい悪魔祓いの法がある、この悪魔とは我々が説いている
霊障のことなんだ。すなわち霊障を打ち破る法がチベットにあり、先年私は伝授され
長年かけて自分の体系に採り入れたのである、と桐山さんが説明したと想定して
ご覧なさい。
悪魔祓いの実際を知っていたら「あの踊りがですか?」と疑問に思われる。
しかし知らなければそれで通用してしまうのです。
召霊法の方がまさにその「知らなければ」の例です。
悪魔祓いとも比較して片方は芸能文化的宗教民俗行事、片方は本物の霊能秘法
となるのか?
召霊法だって多分に民俗宗教芸能文化的特性を持ったものかも知れないではないか?
チベット人にとってはどちらも同じ信仰心を捧げるものであり。
知らないことをよいことに、アゴン宗がオカルト的に味付けして示した、
いや、示さないで看板だけ掲げた。

99ユビキタス ◆oGqIQwSRtg:2009/11/30(月) 00:33:18
冥徳祭で検索してみてください。
Wikipedia事典が出てきます。
もちろんアゴン宗の冥徳祭の説明です。
ニンマ派から受けた秘経から「召霊法」と「調伏法」の2つの法を受けて
作り出した先祖供養法が冥徳祭行事だという。
調伏法に注目してください。
たしかに密教には必ずある四種の法の一つに調伏法があるから、チベットから
調伏の経典をもらっていてもおかしくない。
しかしそれだけでは先祖供養にならない。
霊を集めて霊を調伏退治するのだったらこれは先祖供養ではなく先祖霊を悪霊にして
やっつけることになる。
だからさすがに先祖調伏なんて言わない。
先祖は救わねばならないのだから、救う成仏法の方はアゴンキョーから桐山さんが
めっけたという成仏法を使う。
では調伏法はどこで使うのかというと、先祖霊とは別に邪霊、悪霊が邪魔している
からこれを打ち破るのだそうだ。
ネーンの秘法ですね。
するとなんとなく見えてくる。
一つの経典に召霊と調伏の法が綴られている。
これはイタコのように先祖霊を集めて苦しみや怨念の内容を調べるというよりは
最初から悪霊を集めて悪霊を祓う法ではないか?
つまり悪魔祓いと変わらない。
先祖供養の法にはならないものだと思いますね。
先祖が悪霊でなければ。

100天照 ◆rAuM1WGShc:2009/11/30(月) 09:00:16
そうか!改めて納得。さすがはユビさん。
これを見れば、チベット秘法への疑問もわかりうる、というものです。

私も把握が間違ってましたね。
私の把握は悪霊的存在が居て、その悪霊が色々悪さをしている。
また先祖霊とかに悪い影響を与え、その延長上として生きている人間に働きかける、
という風に捉えていたのでした。

重ね重ね恐れ入ります。


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