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▲▲▲エジプト ギザ ピラミッド関連情報スレ▲▲▲
292
:
在カイロ スルタンホテル 塾長まる。
:2012/06/06(水) 21:38:16 ID:pOhrK9/M
>>291
■ファラオの呪いはあったのか
ファラオの呪いも眉つばだ。カーナボン卿の死因は、原因不明の高熱ではなく、蚊が刺した跡をカミソリで傷つけたことが原因の敗血症だった。死亡時には停電が起きたというが、当時のカイロでは珍しくなかった。
墓にあったとされる有名な呪いの言葉「偉大なるファラオの墓に触れた者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるだろう」も、元エジプト考古省大臣のザヒ・ハワス博士によれば、れんがに「われ、秘密の部屋を砂が入らぬよう防ぐ者」などと書かれていただけだという。
何より1930年までに、発掘の関係者22人がなくなったという話自体がウソのようだ。
発掘の中心人物だったカーターは60代まで生きた。関係者の死亡年齢は平均70歳以上で、開封以後、平均二十数年は生存したとの調査結果もある。
なぜ「呪い」が生まれたのか。原因の一つは作家マリー・コレリ(1855〜1924)が、れんが碑文を「墓に入る者すべてを殺す」と誤訳したことらしい。「カーナボン卿は不吉なものによってなくなった」とも語り、それが世界へ広がった。カーナボン卿が結んでいた報道の独占契約にあぶれた新聞が書き立てたせいともいう。
発見を報じ世界の耳目を集めたのもメディア、呪いをでっち上げたのもメディア……。情報社会と一体という意味で、まさに20世紀的な発掘・発見と言えるかもしれない。(宮代栄一)
〈読む〉
H・カーター『ツタンカーメン発掘記』(上・下、ちくま学芸文庫)は発見者自身による回想録。ミイラのX線CT調査などについては、ザヒ・ハワス『黄金王ツタンカーメンの素顔』(汐文社)が詳しい。
〈見る〉
DVD「徹底解明 ツタンカーメン死の真相」(日経ナショナルジオグラフィック社)は、X線CTスキャンをもとに若きファラオの死因に迫る。生物学的にファラオの呪いがありうるかどうかも検証。顔の復元は見ものだ。
〈訪ねる〉
「ツタンカーメン展―黄金の秘宝と少年王の真実」(〜7月16日、大阪・天保山特設ギャラリー。8月4日〜12月9日、東京・上野の森美術館)は、国内では半世紀ぶりの本格的ツタンカーメン展。黄金の短剣など約120点。
■そのころ日本は
ツタンカーメンがエジプトの王だった紀元前14世紀、日本列島では、1万年以上続いた縄文時代が終わりにさしかかっていた。研究者によって年代観は異なるが、縄文後期〜晩期の時代に該当する。
▽気候はやや寒冷化が進み、西日本では人口が減少に転じたと考えられている。一方で、マメなどの植物の栽培が始まっていた。
▽他方、中国では商(殷)がすでにおこっており、文字が使われ、国家の形が整っていた。商は紀元前11世紀まで続き、周に滅ぼされることになる。
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