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▲▲▲エジプト ギザ ピラミッド関連情報スレ▲▲▲
284
:
在カイロ スルタンホテル 塾長まる。
:2012/05/10(木) 20:37:20 ID:MceOo6IE
>>283
◆カーターと「王家の呪い」
ツタンカーメンの墓が見つかったというニュースが広まると、ハワード・カーターは一躍世界の有名人になった。
「カーターは名声にうまく対処したと思う」とシルバーマン氏は述べている。「彼にとって最も困難だったのは、その後に何をするかという問題だ。これには悩んだのではないだろうか」。
カーターはその後、他の墓の発掘も行っているが、1922年のツタンカーメン王の墓に匹敵する大発見はなかった。イェール大学のダーネル氏によると、カーターにとって残念だったことの1つは、やがて癌により体調が悪化し、ツタンカーメンの墓発見に関する記録をすべて発表できずに終わったことだという。
「カーターはまず3冊分のすばらしい資料を発表している。しかし、自身が残したすばらしいメモやスケッチ(のすべて)を出版することはできなかった」とダーネル氏は述べている。
カーターは1939年に癌で死去したが、自身の病がいわゆる「ミイラの呪い」や「王家の呪い」のせいだとはまったく考えていなかった。古代エジプトの王の眠りを妨げた者には必ず死が降りかかるという噂があり、それは王家の呪いと呼ばれた。「カーターは呪いが作り話だと知っていた」とシルバーマン氏は述べている。しかし、カーターの後援者だったイギリス人のカーナヴォン卿が、ツタンカーメンの墓が開かれた直後に亡くなったことで、噂はいっそう真実味を帯びることとなった。
「しかし、カーター氏自身が呪いを否定する何よりの証拠だった」とニューヨーク・タイムズ紙はカーターの死亡記事の中で指摘している。「彼は若いころから健康を害しながらも、50年近くをエジプトでファラオたちの墓を探し、発掘して過ごした。エジプトの呪いが事実なら、彼こそ呪いを受けた人物の代表例になっていたはずだ」。
Photograph by Harry Burton, Apic/Getty Images
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