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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

1612よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/27(水) 23:09:22 ID:lOIFSaK.0
百舌鳥・古市古墳群 29年度の世界文化遺産登録目指す 大阪府と地元3市
2013.11.26 19:28
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131126/wlf13112619290020-n1.htm

 日本最大規模の大山古墳(仁徳天皇陵)で知られる「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指している大阪府と堺、藤井寺、羽曳野の地元3市は26日、文化庁への来年度の推薦書原案の提出を見送り、平成29年度の登録を目指す方針を決めた。

 世界遺産に登録されるには、政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)への推薦を決め、原案を元に推薦書を提出する必要がある。

 府と3市は6月、文化庁に推薦書原案を提出したが、審査を担う文化審議会が「引き続き検討を深める必要がある」と見送った経緯がある。国内では遺産登録に向けた競争が激化しており、府と3市は来年度中に原案内容を充実させる方針だ。

 この日、大阪市内で開かれた登録推進本部会議で決定。原案作成に向け、審査する専門家らが理解しやすいよう説明内容を精査することや古墳群の管理体制の充実、周辺の環境保護に取り組むとした。27年度に国内推薦を得て、29年度の登録を目指すことを目標に掲げた。

 世界文化遺産への各国の推薦枠は年1件で、政府は今年度、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」を選んだ。

1616よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/01(日) 21:45:20 ID:F/FizfZM0
阿弖流為の雄姿 劇で伝える
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131128-OYT8T00106.htm

. ◇ゆかりの枚方で12月 小中高生が上演

 枚方市内の小中高生が12月1日午後6時30分から、同市市民会館で平安時代初期に朝廷軍と戦い、「河内国」で処刑されたと伝わる東北の民・蝦夷(えみし)のリーダー阿弖流為(あてるい)の生涯を描いた演劇「火怨(かえん)の蝦夷 阿弖流為」(ひらかた肝高倶楽部(きむたかくらぶ)など主催)を上演する。

 平安時代の歴史書「続日本紀」「日本紀略」には、阿弖流為は、蝦夷討伐で攻め込んできた朝廷軍に抵抗したが、802年、征夷大将軍の坂上田村麻呂に攻め込まれ、降伏。副将の母禮(もれ)とともに、河内国で処刑されたと記されている。

 当時の河内国内に位置する枚方市は、阿弖流為の処刑地として伝わり、市内の牧野公園には、首塚と伝わる石がある。地元の歴史を子供たちに伝えようと集まった市民グループ「ひらかた肝高倶楽部」のメンバーが、阿弖流為の生涯を描いた高橋克彦さんの小説「火怨」をもとに脚本を作り、昨年12月に初演を行っており、今年は2回目となる。

 劇には、公募で集まった市内の小学4〜高校3年の児童、生徒56人が出演。上演時間は約2時間で、沖縄舞踊のエイサーをアレンジした踊りを交えながら、野蛮な民族と迫害を受けても、蝦夷の誇りと暮らしを守るために戦った阿弖流為の物語を熱演する。

 チケットは、自由席は大人2500円(前売り2000円)、高校生以下1500円(同1000円)、指定席は3000円(同2500円)。同市民会館などで販売している。問い合わせは、同倶楽部事務局(072・857・6000)へ。

(2013年11月28日 読売新聞)

1617よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/01(日) 21:56:13 ID:F/FizfZM0
金剛寺多宝塔 修理現場をあすから公開
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131127-OYT8T00067.htm

 河内長野市天野町の天野山金剛寺で28〜30日、重要文化財・多宝塔の修理現場が公開される。多宝塔は昨年春から修理を始めたが、修理現場公開は初めて。

 同寺では2009年度から、「平成の大修理」として金堂や多宝塔、鐘楼の修理が順次、進められている。文化財への理解を深めてもらおうと現場を一般公開し、大工作業の実演や講演会も開く。

 多宝塔(高さ17メートル)は平安時代後期に建てられたとされ、日本最古級の多宝塔として知られる。現在は屋根の葺(ふ)き替え作業中で、雨をよける工事用の建物「素屋根」の内部から、塔1階部分の屋根や組み物を間近に見ることができる。

 公開は午前10時〜午後4時(28日は午後2時から)で、無料だが、入山料が必要。問い合わせは公開事業の委託を受けるNPO法人「文化遺産保存ネットワーク河内長野」(090・6903・6137)へ。

(2013年11月27日 読売新聞)

1618よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/01(日) 22:06:11 ID:F/FizfZM0
貝塚の櫛祭り 80年ぶり復活
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131130-OYT8T00089.htm

. ◇供養や稚児行列/「町の資産 後世に」

 国内最古のつげ櫛(ぐし)の産地・貝塚市の八品(やしな)神社(沢)で30日、古い櫛の供養などを行う「櫛祭り」が開かれる。全国の櫛職人や商店が参拝し、祭礼もあったとされる名物祭りだが、開催は80年ぶり。町会役員らは「町に伝わるつげ櫛を、多くの人が知る機会になれば」と期待している。(北口節子)

 同市の櫛生産は、1230年頃、8種類の櫛作りの器具を持った異国人が二色の浜に漂着し、住民に製法を伝えたのが始まりとされる。宝永7年(1710年)頃には市内に119人の職工がおり、宮中に納入していたとする記録も残る。

 昨春、町会役員らが町会館の倉庫の整理中に、つげ櫛姿の女性をあしらったはんこを発見。市郷土資料室の協力を得て調べたところ、明治初期から昭和初期にかけて神社でつげ櫛にちなんだ祭りが行われていたことがわかった。

 祭りは1933年を最後に長らく途絶えていたが、町会関係者の「子供らに地元の文化を伝えよう」などとの機運の高まりを受け、開催が決まった。

 祭りは、手作りのみこし(約50キロ)と稚児行列が宮入りする午前10時半からスタート。同11時に古いブラシや櫛などを受け付け、供養して櫛塚に納める「櫛供養」が始まり、フリーマーケットも開かれる。

 会場となる神社の落ち葉を拾う活動など準備を進めてきた町会長の田中和美さん(63)は「多くの子供たちに参加してもらい、町の貴重な資産を後世に伝えたい」と話していた。

(2013年11月30日 読売新聞)

1619よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/01(日) 22:23:09 ID:F/FizfZM0
澪標 ―みおつくし―

大阪最古いくたまさんの創祀

中村 文隆 生國魂神社権禰宜 
2013年11月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/131129/20131129031.html

 前稿では大阪の代表的な神社のご由緒に触れることにより、大阪の神社史の一端を確認しました。本稿では「神武東征の砌(みぎり)」と伝わる大阪最古のいくたまさんがどのように創祀(そうし)されたかを見ていきます。

 ご存じのとおり神武天皇は125代、2673年の永きに亘(わた)り、悠久の歴史を積み重ねてまいりました皇室の祖であられます。ご東征の旅の目的は、種々の豪族が入り乱れ、騒然としていた豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)と呼ばれた日本列島の統治機構を統一し、秩序と繁栄をもたらすことにありました。

 神武一行は九州日向の高千穂(現・宮崎県日向市)を出発、船団にて瀬戸内海を東方へ進み、突き当たりに広がる大阪湾から上陸されて陸路をとり、幾多の豪族を平定の末、橿原宮(現・奈良県橿原市)にて即位され初代の天皇となられました。即位前のご尊名は神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)と申し上げ、即位の3年前にあたる神武天皇即位前紀戊午(つりのえうま)年(紀元前663年)、大阪湾に入られた尊は日本統一に際し、生國魂大神と呼ばれる生島大神・足島大神からなる一対二柱の大八洲(日本列島)の御神霊を自ら「難波之碕(なにわのみさき)」にお祀(まつ)りされ、国土平安を祈念されたと伝わります。いくたまさんが神武親祭といれる由縁です。

 余談ですが、現代では新規に社殿が建立されて神社の歴史が始まることを「創建」といいますが、神武天皇がいくたまさんを祀られた当時、出雲大社など一部の例外を除き建築物に神様が鎮座されるという概念は成立していなかったようです。古(いにしえ)の人々は、神様は神奈備(かんなび)と呼ばれる清浄な森や山中におられ、その神聖な空間を象徴する磐座(いわくら)や御神木と呼ばれる巨岩や巨木に憑(よ)りつかれると考えていました。日本を代表する古社として名高い奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社には本殿が無く、三輪山そのものをご神体とする様式が今でも連綿と継承されているのはその好例です。一方、いくたまさんにも元来社殿は無かったと考えられていますが、後世、神域に南隣して難波宮が開都するなど早くより人の営みが確立し、時代をリードする要所であったため社会の変遷に合わせ社殿を構えるようになりました。それ故に太古の信仰のさなかにあったいくたまさんの始まりは「創建」ではなく「創祀」といいます。

 難波之碕は、生駒山の麓まで深く海が入り組んだ当時の大阪湾を東西に二分するように、現在の堺方面から北方に向かってせり出していました。日本三景のひとつとして名高い京都宮津の「天橋立」を大きく引き伸ばし、大阪湾に収めた様子を想像していただければイメージがつかみやすいかと思います。ちなみにこの岬の周囲の海に、大川(旧淀川)や大和川が大量の砂礫(されき)を内陸より運び、砂礫が堆積して砂州から島と成り、さらに島々が繋(つな)がり陸地へと成り、後に上町台地と名を変えた難波之碕を中心として西は西成、東は東成という地名が当時の名残として、現在も区名に引き継がれています。

 太古の大阪湾に突き出た岬から見る、島々が生まれ成長していく雄大な景色は、さぞかし素晴らしかったことでしょう。

 (なかむら・ふみたか 大阪市天王寺区)

1620よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/03(火) 05:06:55 ID:A7j2cOAw0
■今宮戎神社 福娘の発表会
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000003140.shtml

 商売繁盛の神様として知られる大阪の今宮戎神社で奉仕する福娘の発表会が行われ、代表の4人が決まりました。

 今宮戎神社の「福娘発表会」は今年で62回目となります。

 2,854人の応募者から選ばれた50人の福娘。

 このうち、さらに4人の代表が選ばれます。

 選考基準は「福を呼び込みそうな福の神のような人」ということで、50人が思い思いの自己PRを行いました。

「えびす様から皆様へ、笑顔をつなぐお手伝いをさせて頂きたいと思う」(福娘応募者)

 審査の結果、今年の代表はカナダ人留学生を含む4人に決まりました。

 福娘は来年1月、今宮戎神社の十日戎で参拝者にお守りのついた笹を授けるほか、挨拶回りなどを行います。 (12/02 08:05)

1621よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/03(火) 05:13:57 ID:A7j2cOAw0
「四條畷の古墳時代」伝える土器など500点 市立資料館で特別展 大阪
2013.12.3 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131203/osk13120302010001-n1.htm

 四條畷市塚脇町の市立歴史民俗資料館で特別展「四條畷の古墳時代」が開かれている。市内などで発見された古墳時代の土器や埴輪(はにわ)、祭具やガラス玉など約500点を展示している。15日まで。

 市には古墳時代前期(約1700年前)の前方後円墳で、府の史跡に指定されている「忍岡(しのぶがおか)古墳」(同市岡山)があり、碧玉(へきぎょく)腕輪や鉄製の刀剣類など副葬品の一部が見つかっている。

 特別展では同古墳から発見された埴輪に加え、古墳造りに携わった集落とされる「讃良郡条里(さらぐんじょうり)遺跡」(四條畷市、寝屋川市)から出土した壺などの土器や、韓式系土器、馬骨などが紹介されている。

 入館は無料。午前9時半〜午後5時。月曜日休館。問い合わせは同館((電)072・878・4558)。

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1622よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/03(火) 21:25:37 ID:CN6SIZrA0
高山右近を「聖人」に…法王庁で認定審査中
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131203-OYO1T00555.htm?from=newslist

 安土桃山時代のキリシタン大名、高山右近(1552〜1615)を、ジャンヌ・ダルクや初代ローマ法王・ペトロらと並ぶ「聖人」に――。没後400年にあたる2015年に向け、国内のカトリック関係者がローマ法王庁(バチカン)に申請書を提出し、審査が進められている。右近の足跡をたどる巡礼なども行われ、聖人の認定に必要とされる地元の熱意も高まっている。(上野将平)
バチカン申請

 右近は少年期に洗礼を受けた。織田信長や豊臣秀吉に仕え、高槻(大阪)や明石(兵庫)の領主として、領内に布教。来年のNHK大河ドラマの主人公・黒田官兵衛らにも洗礼を受けさせた。だが、1587年の「バテレン追放令」で領地を没収され、1614年にマニラに追放され、翌年、現地で亡くなった。

 「信仰を貫いた右近は聖人にふさわしい」。「日本カトリック司教協議会」(東京、約800教会)は2012年10月、60人の巡礼団をバチカンに派遣し、当時の法王・ベネディクト16世に右近の列聖を要請。功績をまとめた400ページの申請書をローマ法王庁に提出した。

 右近を聖人にする運動は、亡くなった直後の17世紀にマニラであったほか、没後350年の際に国内で広がったものの、いずれも実らなかった。同協議会によると、これまで聖人は主に刑死した信者だったが、最近になって流罪中の死亡者も認定されやすくなり、「今回は実現性が高い」とする。

まずは「福者」
 ハードルもある。聖人に認められるには「右近のおかげで病気が治った」などの「奇跡」が必要だが、見つかっていない。そのため、まず、奇跡の証明が求められず、国内で崇敬される「福者」に認定してもらう。法王の代理人を招いた列福式などで関心を高めて奇跡に関する調査をし、聖人を目指す。

 認定には地元の熱意も考慮されるため、大阪大司教区に2010年、推進委員会が設けられ、右近の生誕地の大阪府豊能町などの巡礼を実施。高槻市のカトリック高槻教会を訪れた兵庫県川西市の主婦森本節子さん(61)は「すがすがしい姿。我々の生きる指針になってほしい」と右近像に見入った。

 市民の活動も盛んだ。右近が1年間潜伏した香川県小豆島では、島内の有志約10人が昨年7月、「小豆島キリシタンの足跡をたどる会」を設立。「右近の純粋な信仰心が多くの人に支持されている」と日向光徳会長(62)。小豆島の後、右近が前田利家に迎えられ、26年間を過ごした金沢市で、今年6月、資料館をオープンした奈良献児さん(55)は、「信仰だけでなく、文化人として茶道や能の発展にも貢献した」。

 右近の魅力について、同協議会で列聖運動を担当する平林冬樹神父(60)は「右近は、地位が人間を幸せにしないことを分かっていた。価値観の多様化で選択を迫られることが増えた現代人にとって、判断の物差しになる」と話している。
聖人 ローマ法王が認定するカトリック最高の尊崇対象で、信者の模範となる故人に与える敬称。世界中の教会で同じ日に足跡と信仰を思い起こす。国内では1597年に処刑された26人と、1633〜37年に殉教した16人が認定されている。「福者」は江戸初期の殉教者188人と同205人。いずれも団体で登録され、右近が単独で認定されれば国内初。

(2013年12月3日 読売新聞)

1623よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/05(木) 21:53:39 ID:I.sbQ8g60
精いっぱい地域にご奉仕 「布施戎」ミス福娘ら、東大阪市長を表敬
2013.12.5 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131205/osk13120502020003-n1.htm

 東大阪市足代の布施戎神社で来年1月9〜11日に行われる「布施戎」で福笹などを授けるミス福娘の同志社女子大3年、山本麻奈さん(20)ら3人が、同市役所に野田義和市長を表敬訪問した。

 山本さんは、今月行われた「ミス福娘コンテスト」(布施商店街連絡会主催)で、約400人の応募者の中から選ばれた。準ミス福娘は大阪樟蔭女子大3年の大橋美穂さん(21)と会社員の堀真由美さん(23)。

 市役所を訪れた3人は、巫女(みこ)の装束に金色の烏帽子(えぼし)姿。野田市長は「明るく元気な布施地域の姿を全国にアピールしてください」と語りかけ、山本さんは「布施地域活性化のため精いっぱいご奉仕させていただきます」と応じていた。

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1624よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/09(月) 05:28:23 ID:vMsRr40k0
上方漫才の父しのぶ展示会
12月08日 19時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131208/3632481.html 

「上方漫才の父」とも呼ばれる漫才台本作家、秋田実さんの生前の業績を紹介する催しが、ゆかりのある大阪の神社で開かれました。秋田実さんは、横山エンタツ・花菱アチャコなど、昭和を代表する数々の漫才師の台本を手がけ、「上方漫才の父」とも呼ばれています。
きょうは、秋田さんが生まれ育った大阪・中央区玉造にある神社で業績を紹介する催しが開かれ、台本や漫才のレコードなど100点あまりが展示されました。
初めて公開される資料も多く、昭和35年ごろ、ミヤコ蝶々さんのために書かれたラジオ番組の直筆の台本や、戦時中に軍部が掲げたスローガンを国民に知らせるための紙芝居なども展示されました。また、秋田さんの長女の藤田富美恵さんらによる対談も行われ藤田さんは、自宅で原稿用紙に向かう姿はユーモアあふれる台本とは裏腹にまじめで真剣そのものだったと、知られざるエピソードを語っていました。
藤田さんは、「漫才を通じて笑いだけでなく様々なものを伝えようとした父の思いを感じてほしい」と話していました。

1625よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/09(月) 05:30:36 ID:vMsRr40k0
大阪ニュース
教会で文楽を 23日、川口基督教会で公演
2013年12月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131207/20131207049.html

 教会で文楽を−。大阪府の指定有形文化財「川口基督教会」(大阪市西区)で23日、「イエス・キリストの生涯」と題した創作文楽が上演される。阪神大震災で被害を受けた同教会の修復を支援するチャリティー公演だ。

 外国人が多く住んだ川口居留地に1920年に建てられ、1世紀近い歴史を持つ同教会。太平洋戦争の戦火を逃れたものの、阪神大震災で塔の上半分が倒壊し、建物が1・5メートル沈下するなどの大きな被害を受けた。

 その後、レンガの積み替えや土台の強化などで復旧したが、昨年春ごろから雨漏りなどの老朽化が顕著になっていた。

 「信徒の祈りの場として、大阪の大切な文化財として教会を残したい」。こうした声が上がり、立ち上がったのがクリスチャンの豊竹英大夫さんたちだ。

 豊竹さんは91年、クリスマスイベントでキリスト誕生の場面を義太夫節で語ったことがきっかけで、キリストをテーマにした文楽を上演するようになった。23日のチャリティー公演についても「伝統的な礼拝堂で創作文楽を上演し、収益を文化財保護のため寄付したい」との思いが込められている。

 上演するテーマは「イエス・キリストの生涯」。聖母マリアの受胎から十字架にかけられ、復活するキリストの生涯を描いたものだ。

 「義理や自己犠牲、絆といった文楽が描いてきたものは、世界で最も読まれている聖書に通じるものがある」と語る豊竹さんは、チャリティー公演を前に「古典と異なる面白さや文楽の魅力をあらためて知ってもらいたい」と呼び掛けている。

 同教会の岩城聡司祭は「日本の古典芸能で表現すれば、翻訳された聖書より心に響く。意外な組み合わせを楽しんでもらいたい」と話している。

 【メモ】「ゴスペル・イン・文楽」と題して23日に上演。昼の部(午後1時半開演)、夜の部(午後5時開演)の2回。指定席は完売。当日、補助席(3千円)、立見(2千円)を販売する。問い合わせは電話06(4304)2426、「ゴスペル・イン・文楽」実行委員会へ。

1626よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/11(水) 05:18:34 ID:geIzxTT.0
社会福祉法人で平穏願い馬の土鈴作り 大阪・藤井寺の葛井寺参拝が縁
2013.12.10 22:05
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131210/wlf13121022080024-n1.htm

 大阪府藤井寺市の葛井寺で初詣の縁起物として販売される馬の土鈴作りが市内の社会福祉法人「賀光会」で進んでいる。

 最古の千手観音菩薩像(国宝、奈良時代)で知られる名刹。施設利用者が参拝していたことが縁で、35年前に森快隆住職が土鈴作りを委託した。

 土鈴は施設利用者やボランティア、僧侶らが絵筆を取り、絵の具でかわいい馬に仕上げる。1個500円。施設職員の鈴木照さん(60)は「寺と相談しデザインを考えた。低温で焼いているので柔らかい音が特徴。来年が穏やかな良い年にと願って作っています」と話していた。

1627よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/11(水) 05:22:25 ID:geIzxTT.0
厄除け願い「取ったぞ」 御火焚祭神事
2013年12月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131210/20131210020.html

 大阪市中央区淡路町4丁目の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)で9日、師走恒例の行事「御火焚祭神事」が執り行われた。厄除(よ)けのミカンがまかれるなど境内は多くの参拝者であふれた。

 火に感謝し、今後1年間何事もなく過ごせるよう祈願する神事で江戸期からの伝統がある。神事に参列した氏子衆は、境内で焚(た)かれる斎火に「厄除開運」「家内安全」などと記した祈願木をくべて成就を祈願。続いて恒例のミカンまきに奉仕し、やぐらの上から境内を埋め尽くす参拝者へ約100箱分を豪快にまいた。参拝者の中には持参した段ボール箱や紙バッグを高く掲げる姿が見られ、方々から「こっちにも」「取った」などの歓声が上がった。

 同市天王寺区から訪れた女性(81)は「ことしは腰痛で大変な年だったが、参拝の御利益がありそう」と見事つかんだミカンを手にご満悦。園宮司は「都心の境内で伝統行事が受け継がれていることをうれしく思う」と話していた。

1628よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/13(金) 22:28:10 ID:yh3sMc0E0
防空壕わきに爆弾直撃…蘇る九死に一生の記憶 68年前の巨大な爆発穴発掘 豊中
2013.12.13 11:11
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131213/wlf13121311220004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131213/wlf13121311220004-n2.htm

 弥生時代の拠点集落があったとされる大阪府豊中市の新免遺跡で、直径15メートル、深さ2・5メートルの巨大なすり鉢状の穴が見つかったことが13日、分かった。調査した市教委は、昭和20年6月の豊中空襲で米爆撃機B29が投下した1トン爆弾の爆発跡と推定。当時、この穴の脇の防空壕(ごう)で九死に一生を得た元住友金属工業専務の杉田宏さん(78)=同府箕面市=は巨大穴の発見を知り、「爆撃で防空壕が土に埋まり、救出されると外の景色が一変していた」と10歳当時に見た惨状を生々しく振り返った。

 遺跡は豊中市玉井町の阪急豊中駅西側に広がっている。調査は弥生〜古墳時代の集落関連が中心だったが、1カ所で大量の瓦やレンガが出土。平成10年に調査地近くで不発弾が見つかっていたことから、空襲の爆発跡の可能性があるとみて掘り進めると、巨大な穴が出現した。

 瓦やレンガは戦中〜戦後のもので、戦時中に生産された「統制陶器」の破片も出土した。担当者は「空襲での不発弾はよく見つかるが、爆弾による穴がそのまま出土する事例は聞いたことがない」と話す。

 豊中空襲を長年研究している元豊中市立第六中学校長の能登宏之さん(72)によると、豊中空襲は20年6月7日から7月30日まで6回あった。大阪府内の空襲では大阪市、堺市に次いで被害が大きく、死者・行方不明者は計596人にのぼったという。

 巨大穴が見つかった場所には当時、26軒の一戸建てが並んだ日本生命豊中社宅があった。20年6月7日に3発の爆弾が落下し、16人が亡くなったという。

 今月12日に能登さんから巨大穴の発見を聞いた杉田さんは、「あの日の体験がよみがえってくる」と明かした。当時、国民学校4年生だった杉田さんは空襲のあった6月7日、午前11時に空襲警報が鳴ったため下校。鉄兜をかぶって、隣家の庭に掘られた3畳ほどの防空壕に近所の人たちと入っていたという。

 「両手の親指で耳を押さえてろ。眼をつぶって静かに」と言われ、じっとしていると、大きな衝撃とともに体が宙に浮き、頭が天井に当たって息をするのも忘れた。気がつくと壕の天井が低く押しつぶされていた。隣家に直撃した爆弾により、大量の土やがれきが壕の上にかぶさったのだ。

 何時間かして、「ここは生きてるぞ」という声が聞こえ壕の出口が開いた。警防団に救出されると、両隣もその先も家がなく、見えないはずの六甲山が目前に見えた。隣家のあった場所には巨大なすり鉢状の穴があき、周囲は土砂の山と化していた。

 空襲では社宅の同級生2人を失った。「(亡くなった同級生の)新田君に近寄り、顔の泥をふいて鼻の穴に詰まった土を小枝で掻き出した。感情を喪失して涙すら出なかった」

 戦後、社宅の一角に慰霊碑が建てられた。杉田さんは毎年6月7日に合掌に訪れていたが、平成17年に慰霊碑は取り払われ、現在は68年前の出来事を示すものは何も残っていない。

 14日には新免遺跡の発掘について現地説明会が行われる。杉田さんも足を運ぶ予定だといい、「亡くなった16人の同胞たちへの思いがこみあがると思います」と話していた。

1629よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/14(土) 05:35:24 ID:Q7tU0DIQ0
道頓堀伝説のタヌキ「かぶきち」 3Dで動き出す
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131213-OYT8T00095.htm

. ◇カード配布、スマホかざして

 「兵庫・淡路島から歌舞伎を見に通ったタヌキ」という伝説から、約1年前に誕生した道頓堀のイメージキャラクター「道頓かぶきち」が、インターネットメディアを中心に知名度を上げている。道頓堀商店会などはより多くの人に見てもらおうと、スマートフォンのアプリ(ソフト)を利用して動いて話す「3Dかぶきち」を制作。14、15の両日には道頓堀で行われるイベントで、3Dかぶきちが見られるカードを配布する。(南部さやか)

 淡路島の生まれで、かつて「道頓堀五座」と呼ばれた芝居小屋の一つ、中座に人の姿に化けて通い、芝居に見とれるうちに正体がばれて殺されたと伝わるタヌキ「柴右衛門」。その霊を鎮めて中座に祭り、藤山寛美さんら舞台に立った役者たちが人気向上を願って信仰したとされる。

 中座が閉じ、今では「中座くいだおれビル」の地下に祭られているが、人の目に触れることはない。

 こうした伝説を道頓堀の活性化に生かそうと、同商店会メンバーや府内の大学生らで昨年4月に設立した町おこし団体「道頓堀Web―TV研究所」が、かぶきちを「柴右衛門の子孫が再びやってきた」との設定で誕生させ、昨年11月にお披露目。フェイスブックやインターネットテレビなどに登場するほか、現在は1日5回、道頓堀川沿いなどに設置された巨大モニター2台で、かぶきちの映像を流している。

 3Dかぶきちはスマホのアプリ「プラスAR」を利用している。同川の遊歩道「とんぼりリバーウォーク」で14、15の両日に行われる「ミナミ学生祭」でカード(5000枚)を配布。カードに印刷されたかぶきちの絵にスマホをかざすと、立体的なかぶきちが動き出す。街中の「道頓堀」の文字やかぶきちの絵でも、3Dが見られるという。

 カードには別にQRコードも印刷され、スマホで読み取ると、かぶきちが「道頓堀へようこそ」「楽しいところがいっぱい」などとおしゃべりしたり、歌ったりする。英語や韓国語、中国語にも対応している。

 同商店会は「かぶきちから、多くの芝居小屋で栄えた道頓堀の歴史を思い起こしてもらえればうれしい。将来は、ミナミ全体を盛り上げるキャラクターとして活躍を」と期待している。

(2013年12月13日 読売新聞)

1630東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/14(土) 17:24:18 ID:YzY2WMug0
★藤原鎌足の墓説さらに強まる 阿武山古墳に最高級の冠帽
2013年12月14日06時33分

大阪府高槻、茨木両市の阿武山(あぶやま)古墳(国史跡)で戦前に発見された棺(ひつぎ)に副葬
されていた冠帽が、当時最高級の技法とされた綴(つづ)れ織りで金糸を織り込んだ可能性が高い
ことがわかった。被葬者として大化改新で活躍した藤原氏の祖、藤原鎌足(ふじわらのかまたり、
614〜669)が有力視されてきたが、それをさらに補強する発見だ。

古い織物に詳しい関西学院大の河上繁樹教授(日本染織史)が、男性の遺体の入った棺が発見された
1934年当時の写真やX線写真を分析。金糸の端がいずれも急角度に折れ曲がり、何度も往復して
いることから、綴れ織りで金糸を織り込んだ冠帽と判断した。河上教授は「中国で『織成(しょくせい)』
と呼ばれ、正倉院に伝わる奈良時代の織物にも類例がある技法では」という。

「日本書紀」によると、大化改新のきっかけとなったクーデター「乙巳(いっし)の変」(645年)の
立役者の鎌足は、死の直前に盟友の天智天皇から最上の冠位「大織冠(たいしょくかん)」と大臣の位を
贈られた。河上教授は、阿武山古墳の冠帽がこの大織冠の可能性が高いと結論づけた。

http://www.asahi.com/articles/OSK201312120174.html

1631よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/15(日) 15:01:54 ID:CN.85ztY0
ウマくいくこと願って 道明寺天満宮にジャンボ絵馬
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131214-OYT8T00048.htm

 学問の神様・菅原道真を祭る藤井寺市の道明寺天満宮で13日、来年の干支(えと)・午(うま)のジャンボ絵馬(高さ2メートル、幅2・4メートル)がお目見えし、境内には一足早く、迎春ムードが漂っている。

 上方浮世絵の伝統を受け継ぐ女性画家・長谷川貞信さん(寝屋川市)が、仲良く並走する親子の馬を描いた。飾り付けは毎年行っており、この日は午前9時から神職らが本殿前に設置した。

 南坊城光興(みなみぼうじょうみつおき)宮司(39)は「皆さんが景気の回復を実感できる年になってほしい」と願っていた。同天満宮では同じ絵柄の「開運干支絵馬」(初穂料1500円)を5000枚用意している。

(2013年12月14日 読売新聞)

1632ノースフェイス マウンテンパーカー:2013/12/15(日) 15:44:47 ID:uo8E9i/.0
1968年、米国のカリフォルニア州バークレーで創業。まもなく発売した、高品質の グースダウンを惜しげもなく使用したクオリティーの高いスリーピングバッグにより、高い 信頼を得ました。
ノースフェイス マウンテンパーカー http://www.losarrudos.com/ノースフェイス.html

1633よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/16(月) 21:25:17 ID:TVCEHKWA0
「大坂の陣」400年 市民の手で歴史検証
2013年12月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131216/20131216028.html

 大阪の歴史上で大きなターニングポイントとなった大坂冬の陣(1614年)、夏の陣(15年)から間もなく400年の節目を迎える。大阪市などではプロジェクトを立ち上げ2014〜15の両年を文化観光創造の“シンボルイヤー”と捉えてさまざまなイベントを実施する。一方で、戦いのあった各地の市民団体などが連携して、慰霊をはじめ歴史を考察する「大坂の陣400年祭」を計画しており、18日には関係者の顔合わせを兼ねたフォーラムを開催。市民の手によって歴史的な周年の検証に向けた動きが本格的に始動する。

■語り継ぐ

 同祭の実行委代表を務めるのは「大阪城甲冑(かっちゅう)隊」創設者の河井計実さん(51)=藤井寺市=。本番に向けて「無数の庶民も巻き込んだ日本史最大級の内乱の節目であり、まずは歴史の中で忘れられた犠牲者を慰霊したい」と心情を語る。

 同甲冑隊は河井代表が講師を務めた、紙製よろい・かぶと制作講座の修了者らとともに2003年に創設した。「大坂の陣」をはじめ大阪を守ろうと散った人々を慰霊し、語り継いでいくことを目的とし、大阪城を中心に他府県にも遠征し各種行事に積極的に参加。豊臣方につき奮戦し倒れた信州上田の武将、真田幸村公への感謝と追悼を込めて「真田の赤備え」として知られる赤い甲冑姿で活動している。

■副産物期待

 原点は河井代表が2000年に岐阜県大垣市で見学した「関ケ原合戦400年祭」だった。単なる歴史イベントにとどまらず、犠牲者への鎮魂の要素が取り入れられていた点に心を突き動かされ、「14年後に大阪でも同様のイベントができれば」と一念発起。来るべき年の草案を練った。

 昨秋はプレイベントとして、「夏の陣」の一大合戦にちなみ、藤井寺市の地元商店街などと連携した「道明寺合戦まつり」を大々的に開催した。また各地のイベント会場に出向き400年祭のPRを展開している。

 本番の両年には同合戦の激戦地、柏原市の小松山一帯に点在する後藤又兵衛らの供養碑前での慰霊や、大規模な合戦の再現なども企画。「400年前の人々が浮かばれるような取り組み」を念頭に調整に奔走中だ。「締めくくりは落城の日に関係者や市民が大阪城に集い、しめやかに手を合わせたい」といい、「関係地域は400年祭の盛り上がりをまちづくりや活性化につなげてもらうことになれば」と、取り組みの“副産物”にも大きな期待を寄せる。

 「大坂の陣400年へつながるフォーラム」はまちライブラリー@大阪府立大学(大阪市浪速区敷津2丁目)で午後6時から開かれる。一般の参加希望者も同甲冑隊ホームページのメールフォームで申し込みのうえで来場可。

1634よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/16(月) 22:28:52 ID:TVCEHKWA0
なにわの夢募金、個人寄付4800万円に
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131215-OYO1T00235.htm?from=newslist

 大阪城(大阪市中央区)の本丸地下に眠る豊臣秀吉時代の城の石垣を発掘、公開する資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」で、「ふるさと納税(ふるさと寄付金)」の対象となる大阪市への個人寄付が11月末までに約4800万円(1860件)に達した。年内に寄付すれば来年の確定申告で税の軽減を受けられるため、市は積極的な協力を呼びかけている。

 市によると、4月にスタートした同夢募金には11月末現在、企業・団体を含めて総額約6000万円の寄付があり、ふるさと納税制度が適用される個人寄付が8割を占めた。個人寄付のうち大阪市内在住者分は約2130万円(703件)、市外は約2660万円(1157件)だった。

 市が2012年度に緑化推進や天王寺動物園の充実などを目的に集めたふるさと納税は総額4678万円(359件)で、これを8か月で超えたことになる。

 ふるさと納税は、居住地に関係なく、応援したい自治体に寄付することで税の軽減を受けられる制度。市によると、配偶者と子ども2人を扶養する給与収入700万円以上の人が3万円寄付した場合、所得税と住民税が約2万8000円軽減され、実質負担は2000円ほどで済む。年内の寄付なら、来年3月17日までに確定申告手続きをして税控除を受ける。

 同夢募金は市と読売新聞大阪本社の共同プロジェクト。募集は来年度末までの予定で、目標額は5億円。現在、大坂夏の陣(1615年)で落城して地中に埋められた豊臣時代の城の石垣を発掘中で、集まった募金は2015年完成を目指す公開施設の整備に充てる。

 1万円以上の寄付をした人には造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」が贈呈されるほか、10万円以上で氏名板、100万円以上で記念芳名板がそれぞれ公開施設に掲示される。

 問い合わせは、大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2013年12月15日 読売新聞)

1636よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/20(金) 22:41:32 ID:mKlsQB2Q0
文楽補助金、満額厳しく…入場者の基準達成困難
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131218-OYO1T00709.htm?from=newslist

 国立文楽劇場(大阪市)の、今年度の11月公演までの文楽公演有料入場者数がまとまった。前年同期比9・2%減の7万5027人で、大阪市が文楽協会への補助金満額支給の条件としている年間10万5000人の集客は困難な情勢となった。

 文楽協会への補助金を巡っては、昨年6月、橋下徹・大阪市長が凍結の意向を表明、協会との話し合いを経て、今年度から、同劇場での本公演4回と鑑賞教室の入場者数と連動して運営補助金の額を増減させる新制度を導入した経緯がある。具体的には、〈1〉入場者が9万人以下なら補助金はゼロ〈2〉9万1人からは、人数に比例して支給額を増やす〈3〉10万5000人以上は満額の2900万円――という仕組みだ。

 昨年度はこうした論争で文楽への注目度が高まり、「曽根崎心中」「仮名手本忠臣蔵」など人気演目の上演が続いたこともあって集客は大幅に伸びたが、それでも満額基準に届かない10万3793人だった。

 今年度、満額支給されるためには、残された初春公演(1月3〜26日、計46ステージ)で計約3万人の集客が必要。1ステージ(満席731席)あたりの入場率が約89%の計算になる。実際には、ここ数年の1月公演の入場者は2万人前後。仮に2万5000人が入り、累計が10万人の場合、補助金は1000万円近く減らされる。初春公演は「傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)」などを上演。第2部(午後4時開演)の「近頃河原の達引(たてひき)」には人間国宝の太夫、竹本住大夫さん(89)も登場する。

(2013年12月18日 読売新聞)

1637東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/21(土) 22:25:58 ID:4YA0C76g0
消えゆく大阪弁知って
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131221-OYT8T00115.htm

◇旭堂南陵さん 30年で600語集める

 ほあてん(慌てん坊)、しわんぼ(ケチ)、どまくれる(自滅する)――。消えつつある大阪弁の言葉を紹介する講談師・旭堂南陵(きょくどうなんりょう)さん(64)の講座「辞典にない大阪弁」が21日午後1時半〜4時、府新別館南館(大阪市中央区大手前)で開かれる。約30年かけて〈絶滅危惧種〉になった言葉を集めたという南陵さん。「言葉は生き物。忘れられた大阪弁の魅力を伝え残したい」と、多くの来聴を楽しみにしている。(桑田睦子)

南陵さんは堺出身の父と大阪・船場出身の母の間に生まれ、物心がついた頃から大阪弁の中で育った。大学入学と同時に先代の旭堂南陵に師事し、2006年に四代目旭堂南陵を襲名。上方講談の第一人者として活躍している。

 耳にしなくなった大阪弁に興味を持ち、集め始めたのは30年ほど前。「言葉を生業(なりわい)にする者にとって、大阪弁が消えていくのは嫌なことだし、寂しい」と、聞き慣れない大阪弁を耳にする度、口にした人に意味を尋ねて手帳に書き留めてきた。

 「上方語源辞典」(前田勇編)や「大阪ことば事典」(牧村史陽編)に収録された言葉は、日常会話に使われるものが意外に少なかった。そこで、「ええ言葉やなあ」と感じるものは講談や会話にも取り入れるなど、辞典にはない約600語を集めた。「おまん(正座)」や「南京割る(破産する)」など多岐にわたる。

 やんわりと断る「あかしまへん」や「あきまへん」、ばかばかしくなった時の自嘲気味な「あほらしやのかねがなる」など、昔ながらの大阪弁には「温かみがある」。それなのに、大阪弁が「下品」と思われがちな風潮が広がりつつある。

 「上品で優しい言葉遣いが大阪弁の魅力。下品な大阪弁がはびこる今、古き良き大阪弁を残したい」。南陵さんはそう、訴える。

 “収集”の成果を披露するのは今回が初めて。南陵さんは「『うちのおじいちゃんやおばあちゃんが、こんな言葉を使(つこ)うてたな』と懐かしがってもらえたら、うれしい」と話している。受講料1000円(学生500円)。問い合わせは主催する市民団体「船場大阪を語る会」の事務局(06・6532・3094)へ。

1638よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/23(月) 23:58:00 ID:3upS7hAk0
ふかし南瓜食べて健康 生根神社にぎわう
2013年12月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131223/20131223032.html

 大阪市西成区の生根神社で22日、「こつま南瓜(なんきん)祭り」が開かれ、境内でふかした南瓜を食べ健康長寿を願う多くの参拝客でにぎわった。

 かつて「勝間(こつま)村」と呼ばれた南瓜の産地だった同地域一帯。野菜が今ほど豊富でなく、夏にとれた南瓜を冬至まで大事に保存したという逸話が伝わる。そのため地元の人々は南瓜に対し強い感謝を持っている。

 この日は約300個のかぼちゃを使い、2500食を用意。寒さは厳しいものの天候に恵まれた日曜とあって、南瓜のふかしが追いつかないほど境内は参拝者でにぎわった。

 「冬至は日が一年で一番短く、体を使いきる日。こういった日に南瓜を食べて英気を養い、新年を迎えてもらえたら」と吉見友伸宮司。子どものころから訪れているという泉大津市の国久悦子さん(66)は「毎年楽しみにしている」、同市の吉川君子さん(80)は「活力をつけて一年を乗り越えたい」と話していた。

1639東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/26(木) 18:44:09 ID:EDxJFzJA0
【ベテラン記者のデイリーコラム・江戸っ子記者のなにわ放浪記】
「軍都・大阪」の歴史 乱は西から…地政学的、なにわの安全保障考
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131226/wlf13122616300026-n1.htm

 天下の台所といわれ商都としてのイメージが強い大阪。しかし、先の大戦前までは名実ともに軍都でもあった。陸軍第4師団司令部庁舎、砲兵工廠(こうしょう)など、その史跡をたどっていくと、安全保障や防衛を考えるうえで、歴史的資産があふれる街であることが浮かび上がってくる。

■陸軍第4師団…戦後も大阪市警視庁、府警に

 大阪城内に陸軍の西日本最大拠点となる大阪鎮台が明治4年にでき、明治21(1888)年には第4師団となる。

 第4師団司令部庁舎は現在も大阪城天守閣の前に地下1階・地上3階の建物として残る。この秋、特別に公開された際に内部を見学する機会を得た。2階にあった天皇の御座所には、その後に大阪市立博物館として使われた時代の展示物だった「タイムカプセル」の一部がまだ残っていた。

 外観は中世のヨーロッパの古城をイメージに建てられ、ロンバルジアバンドという連続した半円形の装飾があちこちに見られる。

 正面の塔には焦げ茶の古びた壁面に、うすく丸い形の痕跡があるが、戦前は菊のご紋が輝いていたのを戦後に取り外したためだ。

 この司令部庁舎は、昭和初期の大阪城天守閣再興のために、旧財閥の寄付や大阪市民の浄財として集まった150万円の資金のうち、80万円が庁舎建設費として使われた。

 なぜ、庁舎建設費に充当されたのか。それまで、第四師団司令部があったために、大阪城内に市民は原則入れなかった。昭和天皇即位記念として始まった天守閣再興の際に、場内を公園として開放しようとの機運が高まった。

 しかし、城内には司令部がある。そこで、司令部の新築建設費を集まった資金から拠出し、その代わりという意味合いから、公園として開放された。

 庁舎は戦後、米軍に接収され、その後は、大阪市警視庁、大阪府警本部として使用された。昭和35(1960)年から平成13(2001)年までは、大阪市立博物館だった。
(続く)

1640東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/26(木) 18:44:41 ID:EDxJFzJA0
(続き)
■東洋一の兵器工場

 現在、大阪城北側からJR京橋駅の間に「大阪ビジネスパーク」がある。超高層のオフィスビルが立ち並ぶ広大なエリアだ。

 ここに、陸軍砲兵工廠があった。当時、35万6500坪の敷地に、弾丸、小銃、大砲、戦車などあらゆる陸軍兵器を造っていた。そこで稼働する人々は、終戦時に約7万人いたとされる。この砲兵工廠を中心に大阪の製造業は拡大していった。しかし、米軍による空襲で壊滅し、廃虚になった。ここでくず鉄を盗む集団「アパッチ」を描いた『日本三文オペラ』は開高健氏の傑作としてあまりに有名だ。

■大村益二郎

 東京の靖国神社に銅像があり、長編歴史小説「花神」で生涯を描かれた大村益次郎。明治維新に日本の近代軍の創設を主導した。

 大村は軍の中核都市を江戸から首都となった東京ではなく、大阪に据えようと企図し「大阪開兵」を主唱していた。

 明治新政府の太政官制で軍務を統括した兵部省大輔となった大村はなぜ、軍の要を大阪にしようとしたのか。江戸幕府を倒し新政府がスタートを切ったものの、各地には新政府に対する反抗勢力がまだまだ多かった。特に、西日本にはそうした勢力が根強く、事実その後、西南戦争、佐賀の乱、萩の乱などはいずれも西日本で起きている。

 大村も「今後注意すべきは西である」との発言を残しているいることからも分かり、地政学的な考慮があった。

 また、大阪は当時、海運などで物資の流通の中心地であり、経済活動も盛んだったため、軍の兵站(へいたん)確保にも格好な都市であった。

 大村は「大阪開兵」のため、5つの着想を持ち、それらは、大村が明治2年に京都で不平士族によって襲われ、大阪の病床で死去した後、結実していった。まず、兵部省の基礎を大阪に設けようとした。さらには、その後、東洋一の兵器工場である砲兵工廠の前身となる造兵廠の建設。後の陸軍士官学校につながっていく兵学寮の創設、将兵の訓練地となった。

 また、近代戦の多数の負傷将兵のために陸軍病院を建設。多数の戦死者の埋葬、慰霊のためには、陸軍墓地の造設となった。

■陸軍墓地

 大阪市天王寺区に陸軍墓地は残る。最古で最大の陸軍墓地である。

 明治初期の戦死者は、遺体引き取りまで2日以上経過する場合、遺体の損傷などを考慮して陸軍墓地に

埋葬された。当初の墓地の面積は、28040平方メートルあった。陸軍創設期の病死した兵士から、明治10年の西南戦争、日清、日露、先の大戦の戦死将兵らが埋葬され、墓碑総数は5299基以上。戦死者が急増した日露戦争以降は合葬墓や納骨堂が建立されている。

 清国やドイツの捕虜となった兵士らの墓もある。碑銘には「俘虜」の文字があったが、ドイツ兵の墓石からは削られている。昭和6年に第四師団長が参拝中に、墓参に来たドイツ領事と会い、「俘虜」の碑銘が削られたという。

■米軍捕虜銃殺も

墓地入り口脇の小さな空き地は、昭和20年8月15日の終戦の日に、大阪に留置されていた米軍捕虜5人が斬首、銃殺された埋められた場所だ。戦後、米軍が掘り返し、米国に遺骨を戻した。その時の様子を記録した写真は、米公文書館に保存されている。

1641よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/26(木) 21:28:47 ID:IouThzn20
ご加護に感謝 大阪天満宮「終天神」
2013年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131226/20131226019.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、年内最後の縁日「終(しまい)天神」が執り行われた。絵馬掛けに奉納された1年間の祈願絵馬のたき上げなどが行われる中、多くの参拝者が続々と境内に足を運び、この一年の天神さんのご加護に感謝し手を合わせた。

 毎月25日は祭神・菅原道真公の縁日で、1月25日の「初天神」に始まり12月の終天神で締めくくる。

 境内では諸願が記された5万枚を超える大量の絵馬が集められ、御神火(しんか)を用いて着火。参拝者は暖を取りながら高く燃え上がる光景を見届け、カメラに収めるなどした。

 一画では神職らが元日朝の「歳旦祭」に供える餅つきを行い、つきたての一部を参拝者に振る舞った。同市城東区から親子で訪れた渡辺アサ子さん(88)と堀山彩子さん(61)は「何事もなく1年を過ごせたことに感謝したい。来年も御利益があれば」と話し、授かった餅を手に笑顔を浮かべていた。

1642よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/26(木) 21:40:55 ID:IouThzn20
住吉大社で初詣準備と訓練
12月26日 12時34分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131226/3324871.html 

正月を前に大阪の住吉大社では、消防訓練を行うとともに、初詣客に渡す縁起物の準備に追われています。
消防訓練は大阪・住吉区の住吉大社が毎年、この時期に行っているもので神職や巫女などおよそ50人が参加しました。
第二本宮から出火したという想定で、ご神体にみたてた箱を持ち出した後、初期消火にあたり、最後に境内に備えられている放水銃で建物に向かって一斉放水を行いました。
また社務所では、縁起物作りが進められ、6人の巫女が住吉踊りをおどる女の子の人形がついた小さな編み笠に笹をとりつけていました。
作業をしていた巫女の1人は「お参りをしてくださった方に幸福がくるように祈りながら作業をしています」と話していました。
住吉大社では、来年の正月三が日におよそ235万人の初詣に訪れると見込んでいます。

1643よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/26(木) 22:19:15 ID:IouThzn20
舞台一気に迎春ムード 国立文楽劇場「にらみ鯛」
2013年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131226/20131226020.html

 伝統の正月舞台飾り「にらみ鯛(だい)」の取り付け作業が25日、大阪市中央区日本橋1丁目の国立文楽劇場であった。新年3日初日の新春公演の準備が着々と進む中、全長約3メートルの真っ赤なタイ2尾がお目見えし、劇場内を一気に迎春ムードに変えた。

 にらみ鯛は戦前まで上方の各劇場を飾る風物詩だった。戦後は途絶していたが、同劇場が開業して初めての正月となる1985年の新春公演で約40年ぶりに復活させた。

 重さ約15キロのタイはスタッフによってワイヤで引き上げられ、慎重に調整しながら向かい合うかたちで設置。中央には熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)の朝日芳英宮司が「豊穣」と揮ごうした大凧(だこ)も掲げられ、舞台をいっそう華やかに彩った。

 新春公演初日の開演前には地元の黒門市場から本物のにらみ鯛が届けられるほか、文楽人形による鏡開きも行われるなど初芝居を大いに盛り上げる。

1644よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/27(金) 23:01:33 ID:Lfs7B4ew0
すがすがしい新年を 住吉大社で縁起物準備
2013年12月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131227/20131227019.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、正月に授与される縁起物「住吉踊り」の準備が始まり、奉仕した6人の神楽女(かぐらめ)が「すがすがしい新年をお迎えしていただきたい」と心を込めて仕上げ作業をこなした。迎春の作業は年内いっぱい続く。

 同大社の縁起物は100種類を超え、このうち「住吉踊り」は御田植(おたうえ)神事などで奉納される住吉踊(おどり)(重要無形民俗文化財)の笠(かさ)と童子が踊る姿を麦わら細工で表現した伝統の郷土民芸品。

 この日は正月に祈祷(きとう)を予約した参拝者に授与される1500点が制作された。笠の大きさ別に直径約10センチから約60センチまで4種類があり、神楽女は青々としたササに笠を手際よく取り付けた。

 境内では恒例の「煤払(すすはらい)式」や自衛消防隊による歳末訓練もあり、間近に迫った初詣に備えた。同大社は正月三が日に約230万人の人出を見込んでいる。

1645よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/31(火) 11:36:17 ID:vtSNvsjc0
息災祈る茅の輪 錦織神社で完成
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131231-OYT8T00080.htm

 富田林市の錦織神社(宮甲田町)で、無病息災を祈る神事に使う、カヤで編まれた「茅(ち)の輪」(2.7メートル)が完成した。31日午後7時から行われる大祓(おおはらえ)式の後、参拝者にくぐってもらう。

 同神社で茅の輪を置くのは初めて。氏子の要望があり、9月に滋賀県からカヤを調達し、神職や神社の総代らが、今月に入ってから輪の形に編んでいった。

 本殿前に据え付ける作業を終えた吉年(よどし)英仁宮司(64)は「一年の出来事を思い出しながらくぐり、改まった気持ちで新年を迎えてほしい」と話していた。

(2013年12月31日 読売新聞)

1646よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/31(火) 14:48:56 ID:YJfyKjVs0
和を願う大門松 成田山不動尊にお目見え
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131231-OYT8T00076.htm

.寝屋川市の成田山不動尊(成田西町)の山門前に、新年の参拝者を迎える2本の大門松(高さ13メートル)がお目見えした。

 男性を表す黒松、女性を表す赤松で、13本の竹を束ねて立て、葉ボタン、梅、南天などを飾り付けた。一対の松は「夫婦の和合」、束ねた竹は「家庭円満」を意味しているという。

 大阪市淀川区の広告会社勤務浦野祐佳子さん(39)は「こんなに大きな門松は初めて見た。御利益がありそう」と驚いていた。

(2013年12月31日 読売新聞)

1647よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 12:38:05 ID:CPRLApf.0
住吉大社 初詣でにぎわう
01月01日 04時11分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140101/4111121.html 

新年を迎え、海の神様として知られる大阪の住吉大社は、初詣の参拝者でにぎわっています。
海の神様として知られ、「すみよっさん」の愛称で親しまれている大阪の住吉大社には、大みそかの夜から大勢の参拝者が訪れ、本殿の前には、長い列ができました。新年を迎え、宮司が、年が明けたことを伝えると、訪れた人たちは大きな歓声をあげ、新しい年への願いを込めてさい銭を投げ入れ、手を合わせていました。

参拝を済ませた人たちは、縁起物の破魔矢を買い求めたり、おみくじを引いてことしの運勢を占ったりしていました。

奈良県から訪れた男性は「去年は、年末に息子が結婚したので、ことしは、孫ができたらいいなと思って祈りました」と話していました。住吉大社では、正月三が日、去年とほぼ同じ230万人の人出を見込んでいます。

1648東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2014/01/01(水) 15:25:15 ID:tPAftF160
大阪は日本の中心、畿内全体で「大阪城」守る…秀吉の壮大な構想=新解釈が示す「奈良の城」の重要性
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140101/wlf14010115000014-n1.htm

 古代の古墳や神社仏閣などが関心を集める奈良県。これまで戦国時代の城郭はあまり注目されてこなかったが、最新の研究で県内の城郭の重要性がクローズアップされている。大坂城を拠点とした秀吉との関係も深い当時の大和の城の姿を探った。

 

■文献の新解釈

 織田信長の後を継いで天下統一を果たした豊臣秀吉が、大阪城の築城にあたり、畿内(摂津、河内、和泉、大和、山城)全体で中心の大阪城を守るという構想を抱いていたとする見解が近年、専門家から提唱されている。当時の日本の中心を畿内五カ国、畿内の中心を大阪城と広域的に捉える壮大な構想。構想が実際にあったとすれば、奈良県内の城も重要な一角を占めることになり、その位置づけが新たな脚光を浴びそうだ。

 「大阪城の築城を始めた時点で、秀吉自身の構想として大阪を畿内で守る構想を持っていたのは確実」。元大阪城天守閣館長の中村博司氏は提唱する。

 こうした構想について、これまでも指摘する研究はあったが、中村氏は「根拠としていた文献に不可解な部分があり、あまり議論されてこなかった」と指摘する。

 その根拠となる文献は、秀吉が柴田勝家との合戦前後の状況を記録させた「柴田合戦記」。中村氏は、より原本に近く成立の古い文献を調査するなどし、新たな解釈を導き出した。

 中村氏の調べた古い文献には、「河内の国において城郭(大阪城)を定め、<略>五畿内において外構えとし、かの地の城主を以て警固とするものなり」と書かれていた。ただ、この記述のままでは、実際には摂津に存在する大阪城と矛盾が生じる。

 これを、中村氏は「大阪城の東西南北に大和、摂津、和泉、山城をあてはめるため、便宜的に大阪城が河内にあったことにし、周辺を守る体制を表したのでは」と推測した。

 この構想の体制を中村氏は「大坂城−五畿内外構え」と名付け、「秀吉は大阪城を単なる軍事的拠点としてではなく、日本の中心としての畿内、畿内の中心としての大阪という重層的な支配構造を描いていた」と強調する。

 

■盤石の布陣構築

 根拠となる文献によると、五畿内外構えの体制では当初、大和に筒井順(じゅん)慶(けい)、和泉に中村一(かず)氏(うじ)、摂津に中川秀政ら武将を配置したとされる。しかし、秀吉によってすぐに別の場所に移されていく。

 山城、摂津、河内は秀吉の直轄となり、和泉、大和は、信頼していた弟の秀長に与えた。畿内全体を豊臣一門と、信頼できる家臣で押さえる盤石の布陣を構築したことになる。

 その余波で、県内では大和郡山市周辺を治めていた筒井が伊賀に移され、代わりに秀長が入ってきた。秀長は大和、和泉、紀伊に100万石の所領を保有。郡山城は、その中心的な役割を果たす。

 秀長は、さらに最終拠点となる「詰め城」として高取城(高取町)を重臣に与え、大規模な城郭に改修。宇陀松山城(宇陀市)にも豊臣の家臣らを入れ、東国から大和への街道を押さえた。

 その宇陀松山城では、昨年までの発掘調査で、大型の鬼瓦やしゃちほこが出土。絵図面にある天守閣の存在を裏付け、重要性が改めて注目されている。

 中村氏は「秀吉が日本の中心として重要視していた畿内の城は、当時どうなっていたのか。発掘成果や今後の研究に注目したい」と力をこめる。

1649よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 16:15:29 ID:CPRLApf.0
遷宮守った太閤 出世餅に名残す
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1365410718012_02/news/20131123-OYT8T00170.htm

 伊勢神宮(三重県伊勢市)は今年、20年に一度の式年遷宮を迎えた。天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる内宮(ないくう)の門前、旧参宮街道などは例年以上のにぎわいを見せる。

 門前の一角で香ばしい焼き餅のにおいが漂う。1565年創業の名物「太閤(たいこう)出世餅」を売る店だ。できたてをほおばる客が不思議そうに尋ねた。

 「なぜ、伊勢に太閤さん(豊臣秀吉)の名前があるの」

 即座に社長の河口妙(たえ)さん(86)が答える。「実は太閤さんが喜んで食べた餅なんですよ」

 秀吉は幼名・日吉丸の頃、蜂須賀小六とともに参宮して以来、たびたび伊勢を訪れている。街道で食して「美味也(なり)」とほめたのが、この餅だそうだ。

 神宮と秀吉。その関係を示すのは餅だけではない。

 「式年遷宮にも大変貢献した人なんです。特に今年は多くの人に知ってほしいですね」と、河口さんは力を込めた。

◆下支えに徹した◆ 

 伊勢神宮の式年遷宮は7世紀末、持統天皇の時に始まったとされる。内宮、外宮(げくう)(祭神=豊受大神(とようけのおおみかみ))で、20年ごとに萱葺(かやぶ)き屋根の高床式社殿や神宝類を一新し、ご神体をうつす。神が永遠に若くあること、「常若(とこわか)」の思想に基づく行事だ。

 国家的な事業として続いたが、15〜16世紀に100年以上途絶えた時期がある。戦乱で室町幕府が弱体化、労賃やヒノキ材などの財源「役夫工米(やくぶくまい)」を全国で徴収する制度が崩壊したのが要因という。

 「社殿の柱が朽ち、屋根が腐り、惨たんたる様子だったことが読み取れる」。当時の史料を調べる歴史学者の皇学館大教授岡野友彦さん(52)は話す。

 「神さまに申し訳ない」と自発的に動いたのは、伊勢の慶光院の尼僧らだ。国家丸抱えを脱却しようと、民衆や大名などに幅広く浄財を募り、1563年、外宮で129年ぶりに遷宮が復活。次は内宮も、という時、織田信長から巨額援助の約束を取り付けたが、本能寺の変(1582年)によって頓挫する。

 その後、手を差し伸べたのが秀吉である。尼僧への協力を約束した朱印状に〈遷宮の件は承知した……詳しくは口頭で〉とある。総額は不明だが、「天下人として信長以上の気前のよさを見せたのだろう」と岡野さんは推測する。秀吉が支配体制を確立するために始めた「太閤検地」も、神宮領は免除した。

 1585年、内宮の遷宮は123年ぶりに復活。内宮、外宮の遷宮は、この年から同時に営まれるようになった。

 ただ、秀吉が復活に貢献したことは広く知られているわけではない。岡野さんは「名も無き民衆も含め、みんなで神宮を復活させる運動が実を結んだ。その輪の中に秀吉もいたということでしょう。お金の多寡(たか)よりずっと大切です」と考える。

 国家に頼らず、みんなで復活させるという尼僧たちの思いを理解し、下支えに徹したとも言えるかもしれない。

 哲学者の梅原猛さん(88)は違った視点でこう語る。「日本列島ではずっと生命流転の思想、循環の思想があった。それが遷宮の常若だ。能やお茶に傾倒したように、秀吉は理屈ではなく、感覚的に伝統文化への理解があった人物だと思う」

1650よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 16:16:53 ID:CPRLApf.0
>>1649

◆スタイルは健在◆ 

 式年遷宮は戦後の占領期にずれ込むこともあったが、今年で62回目、秀吉時代から数えて22回目となる。きょう2日は内宮で神の引っ越し「遷御(せんぎょ)」の儀があり、5日は外宮で催される。遷宮は最高潮を迎えている。

 今回の総費用約550億円のうち6割は神宮の資金で、4割が全国から集まった奉賛金という。新社殿の敷地に市民らが石を敷き詰める「お白石持(しらいしもち)行事」ではこれまでにない延べ約23万人が奉仕し、秀吉時代に始まった〈みんな〉で参加するスタイルは、今なお健在だ。

 「どうして太閤さん?」。太閤出世餅の店では、相変わらずお客の質問が飛び交う。

 東京から嫁いできた河口さんは、遷宮の歴史を勉強しながら「お伊勢さん」に対する多くの人々の思いに触れてきた。「にぎわいを見ると、みんなで遷宮を守ろうという精神が続いているのを実感します。未来にずっと継承してほしいですね」。そう言って内宮へ向かう人たちを見つめた。(渡辺達治)

 伊勢神宮の遷宮に貢献した豊臣秀吉は大坂城でも神仏に祈りを捧(ささ)げたのだろうか。実は当時、城内に宗教施設があったかどうかは大きな謎という。

 一つの手がかりは「大坂冬の陣図屏風(びょうぶ)」(東京国立博物館所蔵)だ。城内の本丸や山里丸(やまざとまる)の辺りに「方形造(ほうぎょうづくり)」という四角すいの屋根のやぐらが立ち、てっぺんに宝珠(ほうじゅ)に似た物があるのが分かる。「仏堂かもしれない」との見方は出ているが、遺構は地中深くに埋もれ、残念ながら未確認のままだ。

 現大阪城の宗教施設では、豊国神社が知られる。明治期、大阪・中之島に造営され、戦後移った。玉造口から梅林に向かう途中にある「蓮如上人袈裟(れんにょしょうにんけさ)がけの松」は豊臣大坂城の敷地になる前、真宗の一大拠点があった名残だ。

(2013年10月2日 読売新聞)

1651よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 16:30:26 ID:CPRLApf.0
太閤なにわの夢募金お知らせ
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1365410718012_02/news/20130408-OYT8T01039.htm

 大阪市は、大坂夏の陣から400年となる2015年に向け、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業を進めています。その資金を募るため読売新聞大阪本社は、市と共同で「太閤なにわの夢募金」に取り組んでいます。1万円以上の寄付をいただいた方に造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」を贈呈するなどの特典もあります。

 寄付は、ゆうちょ銀行または郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードの申し込みとなります。

 振り込みは、寄付パンフレットの専用の用紙が必要。パンフレットの配布場所は市役所1階の市民情報プラザ、各区役所、サービスカウンター(梅田、難波、天王寺)など。寄付額に応じ、所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2013年4月3日 読売新聞)

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1653よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/03(金) 14:03:48 ID:zTbTF29M0
新春の祈り胸に 府内の神社、初詣にぎわう
2014年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140103/20140103016.html

 新年を迎えた1日、大阪府内各地の神社では初詣の人出でにぎわい、大阪市東住吉区の住吉大社でも親子連れやカップルら多くの参拝者が行列をつくり、それぞれの思いを祈願した。

 太鼓橋の名で親しまれている赤塗りの反橋では、本宮へと向かう参拝者が橋いっぱいに広がり、急な斜面に足元を気にしながら上り下りしていた。

 四つの本宮にはそれぞれ、手を合わせる人が延々と続き、おみくじを引く人やお守りを買う人などで広い境内が埋め尽くされた。滋賀県から訪れた女性は「みんなの身が清まりますようにと願った」と話していた。

 また、五穀豊穣(ほうじょう)、庶民繁栄などを祈り、長柄の傘を持つ一人の周りを複数で踊る住吉踊りの新春特別奉納が行われ、参拝者を楽しませていた。

 1日の参拝者は昨年より3万人増の150万人で、住吉大社では三が日で昨年より5万人多い240万人の人出を見込んでいる。

1654よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/03(金) 14:11:24 ID:zTbTF29M0
心静かに思い込め 大阪天満宮で書き初め
2014年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140103/20140103018.html

 学問の神様、菅原道真を祭る大阪天満宮(大阪市北区)の境内にある梅香学院で、新春恒例の「書き初め」が行われている。クラス別に設けられた課題をもとに、幼稚園児から小、中、高校生、一般まで広く書を楽しんでいる。3日まで。

 同宮では三が日で55万人の参拝者を見込んでおり、2日は朝から多くの家族連れやカップルらが会場を訪れた。学年などに応じて設けられた「こま」「走れ小馬」「梅咲く村」など、今年のえとや菅原道真にちなんだ言葉に真剣な表情で取り組んだ。

 祖父母らと訪れた筒井琉君(6)=大阪市鶴見区=は、習いたての書道で「あんまり上手に書けなかったけど、面白かった」と笑顔で話していた。

 受け付けは午前10時〜午後4時。清書用半紙は5枚で100円。作品は毎年6千点の応募があるという「大阪梅風会全国書き初め展覧会」への申し込みが可能で、入選作品は24日から境内に展示する。締め切りは10日(郵送可)。問い合わせは電話06(6353)0025、同宮へ。

1655東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2014/01/03(金) 23:08:24 ID:nDyj1B.w0
そりゃご無体な 補助金ほしけりゃ客を呼べ 初春公園開幕も満額は厳しく
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140103/wlf14010320470019-n1.htm

 補助金問題で揺れる文楽の初春公演が1月3日、大阪市中央区の国立文楽劇場で開幕した。平成25年度から観客動員数で大阪市の文楽協会への補助金の額が決まる「インセンティブ方式」が導入されたが、現在の動員数では満額助成は難しい状況で、1月はそのカギをにぎる公演として注目される。

平成財務出来高始末の段

 初日は開演前に文楽人形による鏡開きが行われ、人間国宝、竹本住大夫さんが「文楽はここしばらく重大危機が続きます。大阪府や大阪市は芸術文化にもうちょっと理解を持ってほしい。みなさまには一回でも多く劇場に足を運んでいただければうれしいです」とあいさつ。文楽人形が来場者に振る舞い酒を注ぐなど大勢のファンでにぎわった。

 インセンティブ方式は、国立文楽劇場の観客動員数によって補助金の額が増減するシステム。大阪市は平成25年度、文楽協会に3900万円の予算を計上しており、うち協会運営費などに充てられる2900万円分をこの方式で決める。

 対象公演は年間4回の本公演と鑑賞教室。年間動員数10万5000人以上で満額支給、9万人以下ならゼロ。その間の人数なら、人数割の計算になるという。

 文楽協会によると、平成25年4月からの観客動員数は現在までに計約7万5000人。満額にはあと3万人の動員が必要だが、平成25年1月公演は2万1000人、平成24年は2万人で、過去10年間で総動員数が10万5000人を超えたのは国立文楽劇場の開場20周年で記念公演が行われるなどした平成16年の1年だけ。「満額助成は大変厳しい状況」と三田進一事務局長は話す。

未来文楽窮地の巻

 2900万円は文楽協会の事務局の人件費など運営費。今夏発足した第三者機関「大阪アーツカウンシル部会」は、26年度もインセンティブ方式で支給することを決定したが、27年度以降は運営資金目的の補助金は打ち切られる方針だ。

 大阪市からの補助が打ち切られても、国などの補助金があるほか、大多数を占める本公演は国立文楽劇場と東京の国立劇場の主催で協会とは直接関係がないため、すぐさま公演ができなくなるというわけではない。

 しかし、三田事務局長は「協会の運営ができなくなると、技芸員の受け皿がなくなるなど大きな影響がある。文楽を未来につなぐため、劇場や技芸員と協議して抜本的な組織改革をしなければ」と話している。

 公演は1月26日まで。「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」などが上演される。

1656よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/04(土) 13:58:24 ID:BEzJUObw0
■文楽劇場 鏡開き
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000003443.shtml

 国立文楽劇場では公演初日の3日、恒例の鏡開きが行われました。

 大阪・日本橋の国立文楽劇場では近くの黒門市場から縁起物の「鯛」が届けられ、文楽人形が集まった人たちに樽酒をふるまいました。

「華やかで非常に楽しい行事で楽しみにしています」(観客)

 文楽をめぐっては大阪市から文楽協会への補助金が1年間の観客数によって増減することになっています。

 満額を支給されるには、今年3月末までに、あと3万人の動員が必要で、3日からの公演が正念場となっています。 (01/03 18:09)

1657よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/04(土) 14:13:20 ID:BEzJUObw0
掛け声勇ましく 水間寺で「千本餅つき」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140104-OYT8T00058.htm

 貝塚市の水間寺で3日、奈良時代から続く伝統行事「千本餅つき」が行われ、檀家(だんか)の若者ら16人が勇ましいかけ声に合わせ、長さ約1・5メートルの木の棒を使って厄よけの餅をついた。

 もち米約10キロが用意され、鉢巻きにたすき掛けの若者らが本堂に続く渡り廊下で、かけ声や歌に合わせて何度も餅をついた。つき上がった餅が棒で高々と掲げられると、初詣客から歓声が上がった。

(2014年1月4日 読売新聞)

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1659よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/05(日) 21:07:51 ID:Q7tU0DIQ0
世界遺産へ3月にも保全骨格案
01月05日 06時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140105/4119421.html 

大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録を目指し、大阪府と堺市など地元の3市は、ことし3月にも、古墳群周辺の景観や環境の保全計画の骨格をとりまとめる方針です。
大阪の百舌鳥・古市古墳群は平成27年度のユネスコ世界文化遺産の登録を目指していましたが、去年8月に、古墳群周辺の景観や環境の保全計画の整備が不十分なことなどから、推薦が見送られました。
これを受けて、大阪府と堺市など地元の3市は平成29年度の世界文化遺産登録を目指すため、ことし3月にも、保全計画の骨格をとりまとめる方針です。
骨格には、保全する範囲や、建築物を新築したり、建て直したりする場合の高さやデザインの規制などを盛り込みたい考えです。
ただ、内容によっては、地元の住民や事業者から反発が出ることも予想されることから、府や堺市などでは、事前の調整もきめ細かく進める方針です。

1660よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/05(日) 21:30:08 ID:Q7tU0DIQ0
知恵の輪くぐり合格祈願 四天王寺で元三大師法要
2014年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140104/20140104036.html

 元三(がんざん)大師合格祈願法要が3日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で営まれた。受験生やその家族らが知恵の輪をくぐり、燃え上がる護摩木の炎に合格への思いを込めた。

 同法要は、985(寛和元)年1月3日の命日にちなんで「元三大師」と尊称される第18代展台座主の良源に由来する。学業成就や合格祈願であつく信仰され、大師に祈れば知恵を授かると伝わる。

 大師を祭る境内・元三大師堂では、瀧藤尊淳執事長による護摩祈祷(きとう)がなされた。参詣者は、堂前に設置された知恵の輪にくぐって入堂し、僧侶から錫杖(しゃくじょう)の加持を授かりながら手を合わせた。

 高校受験を来月に控える同市大正区の田中佑樹君(15)は「追い込みの今の時期に力をつけ、志望校に挑みたい」と話していた。

 同法要は、各月の3日午前10時から行われる。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺へ。

1661よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/06(月) 22:00:15 ID:b20cjSvg0
国宝や重文 間近で拝観 四天王寺で「新春名宝展」
2014年1月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140106/20140106013.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)宝物館で年頭恒例の「新春名宝展」が開かれている。同寺所蔵品の中でも国宝や重要文化財、重要美術品など数多くの寺宝を展示中。初詣に訪れた家族連れなど多くの参詣者が貴重な品々を見学している。2月2日まで。

 館内には法華経信仰美術の代表作「扇面法華経冊子」(国宝、平安後期)のうち「歌枕梶の葉図」「千物図」を公開。15日以降は複製と入れ替えられることから、歴史愛好家らが下絵に経文を記す繊細な技法に見入っていた。

 このほか高さ約12センチの白檀材の箱仏「千手観音・二天箱仏」(重要文化財、平安後期)や、平安期の子どもや女性が身につけていたお守り「懸守(かけまもり)」のうち「桜折枝文(さくらおりえだもん)」「桜透丸文(さくらすかしまるもん)」(ともに国宝)なども並び注目を集めている。

 兵庫県伊丹市から訪れた女性(55)は「歴史的に貴重な品々を間近で拝観することができた。初めて四天王寺を訪れたが境内も見どころが多い」と興味深そうに話していた。

 拝観料500円(高校・大学生300円、中学生以下無料)。開館時間午前8時半〜午後4時。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺へ。

1662よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/08(水) 23:22:01 ID:b9vR9XzA0
邪気はらう神馬 住吉大社白馬神事
2014年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140108/20140108032.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で7日、年頭の伝統行事「白馬(あおうま)神事」が執り行われた。今年はうま年とあって例年よりも多くの人々が参拝する中、同大社の神馬(しんめ)「白雪」号が駆け巡る姿を一目見ようと境内は朝から多くの参拝者でにぎわった。

同神事は宮中行事「白馬の節会(せちえ)」に由来。新春に白馬を見ると邪気をはらい、無病息災で新年を過ごせるという縁起にちなんでいる。現在の神馬は2009年、北海道函館市生まれ。11年5月9日、先代白雪の引退に伴い、大阪の燃料卸商業関係者らでつくる「神馬講」によって奉納された。

 この日は正装姿の神馬が第一本宮をはじめ各本宮をゆっくりと巡拝したほか、さっそうと早駆けなどを行った。神事の後、参拝者は縁起にあやかって目の前をゆっくりと歩く神馬の体に手を伸ばし触っていた。

 家族でたてがみに触ることができたという小林節子さん(79)=滋賀県彦根市=は「新年早々縁起がいい。よい一年となるようお祈りした」と笑みを浮かべていた。

 境内の授与所ではえとにちなみ、子ども無事成長を祈願する馬形の「竹駒守(まもり)」も並び、買い求める人々の姿が見られた。

1663よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/09(木) 00:31:09 ID:b9vR9XzA0
「十日戎」前に福娘来社 大阪
2014.1.7 02:05
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140107/osk14010702060003-n1.htm

 商売繁盛を祈願する「十日戎」(9〜11日)を前に、大阪市浪速区の今宮戎神社の福娘14人が6日、PRのために同区の産経新聞大阪本社を訪れ、「打ちましょ」と声をそろえて手拍子を打つ「上方締(じ)め」を華やかに披露した。

 福娘たちは金色の烏帽子(えぼし)、白の千早(ちはや)姿で今年の干支(えと)の「午」が描かれた絵画を寄贈した。

 十日戎では、9日からの3日間、参拝者に福笹(ふくざさ)などの縁起物を授ける。

.

1665よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 21:54:51 ID:8ptyHEPg0
えびす様が出迎え 大阪天満宮の蛭子門で像除幕
2014年1月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140110/20140110032.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)の「天満天神えびす祭」が9日、宵えびすで初日を迎え、境内は「商売繁盛」の掛け声が飛び交うなど、正月三が日から続く華やいだムードに包まれた。

 この日は宵えびすに合わせ、境内南西にある「蛭子(えびす)門」横に石造りのえびす像がお目見えした。蛭子門はかつて門の付近にあった境内社「蛭子社」に由来。蛭子社は境内北西に移されたが現在も門の名称が残っている。

 早朝、本殿に祭られている蛭子命(ひるこのみこと)を蛭子社へ移す「遷幸の儀」が執り行われ、同祭の世話人を務める氏子衆が参列。お払いを受けた後、寺井宮司と共に像の除幕を行った。

 石像は守口市長の西端勝樹氏が寄贈した。台座を含む高さが約1・8メートル。タイとさかずきを抱えるにこやかな表情で多くの参拝者を迎えている。

 門前で「えびすや呉服店」を営む辻博志さん(62)は「いっそうにぎやかになって商売繁盛となれば」と笑顔でえびす像を見守っていた。

1666よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 22:22:01 ID:8ptyHEPg0
孝謙天皇「東南新宮」か 難波宮跡で「土壇」見つかる
2014年1月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140110/20140110034.html

 大阪市教育委員会と大阪市博物館協会大阪文化財研究所は9日、大阪市中央区の史跡難波宮跡から後期難波宮(726〜784年)のものとみられる土で盛った建物の土台「土壇」跡が見つかったと発表した。天皇の即位など重要な儀式を行う大極殿の東側に位置し、構造などから天皇の住まいや重要な役所の一部である可能性があるという。

 現地の発掘調査は1954年にも実施されたが、当時見つかった遺構の評価は定まっていなかった。その後、現地に建てられた市営住宅が老朽化で解体されたことを受け、2013年11月からあらためて発掘調査に当たっていた。

 見つかった土壇は盛土などによって、周囲より15センチほど高くなっており、長さは東西に約16メートルに及ぶ。宮殿などで使われる重圏文軒丸瓦(じゅうけんもんのきまるがわら)などが出土し、後期難波宮の遺構と考えられる。ひさしなどを備えた大規模な回廊構造をもっていたとされ、高い格式を示す要素になるとみられる。

 こうした点などから、この区画が天皇に関係するものとすれば、後期難波宮の中でも比較的新しい時期に造営され、続日本紀で756年に孝謙天皇が行幸したと記載されている宮室「東南新宮」と考えることもでき、重要な役所が置かれていた可能性もある。

 同研究所難波宮調査事務所の高橋工所長は「60年前の発掘では性格が分からなかったものがある程度推測でき、難波宮の東側の区画が、かなり格式の高いということが分かってきた」と話している。

 市教委と同研究所は11日午後1時〜同3時に現地説明会を開く。市営地下鉄谷町四丁目駅10号出口から東へ約300メートルの発掘現場で、調査結果の解説や出土遺物の展示が行われる。

 問い合わせは電話06(6943)6836、同研究所難波宮調査事務所へ。

1667よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 22:25:26 ID:8ptyHEPg0
難波宮跡で「土壇」出土 格式高い「東南新宮」の可能性も
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140110-OYT8T00082.htm
 
 大阪文化財研究所などは9日、難波宮(なにわのみや)跡(大阪市中央区)の発掘調査で、後期難波宮(726〜784年)にあった区画で瓦ぶきの回廊とみられる施設の土台となる「土壇(どだん)」が出土した、と発表した。周辺で瓦も見つかっており、同研究所では「区画内は、天皇の住まいや重要な役所だった可能性がある」と分析している。

 見つかった土壇は区画の南面にあり、南北の幅約2メートル、東西の長さ約16メートル、高さ最大約15センチ。同研究所は過去の調査から南北の幅は約7メートルで、区画の規模については東西約85メートル、南北約120メートルと推定する。昨年1月に調査結果が発表された「土壇」の続きとみられる。

 区画内からは過去に石敷きの土壇が出土しており、後期難波宮ではこれまで、国家の重要儀式が行われた大極殿や天皇の居住する内裏だけで見つかっていることから、同研究所は「格式が高い」と推測。続日本紀に孝謙天皇が756年に訪れたと記されている「東南新宮(とうなんしんきゅう)」の可能性もある、としている。

 土壇の南側では、溝(幅約80センチ、長さ約16メートル、深さ約80センチ)も見つかり、同研究所は雨水を流すための道路の側溝とみている。

 現地説明会は11日午後1〜3時。小雨決行。問い合わせは同研究所難波宮調査事務所(06・6943・6836)へ。

(2014年1月10日 読売新聞)

1668よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 22:28:45 ID:8ptyHEPg0
ペットと一緒に 少彦名神社健康合同祈祷
2014年1月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140112/20140112027.html

 “薬の神様”を祭る大阪市中央区道修町の少彦名神社(別所俊顕宮司)で11日、ペットと飼い主へ健康祈願の祈祷(きとう)が行われ、参拝者は愛犬とともに無病息災を祈った。

 今や家族の一員で、掛け替えのないパートナーであるペット。医薬・健康の神を祭る同神社では、ペット同伴での参拝を希望する問い合わせが以前から多く寄せられ、ことし初めて「ペットと一緒に初詣」として合同祈祷を行った。

 午前11時からの祈祷には、4組の参拝者が愛犬を伴い参加。別所宮司のおはらいをペットたちも神妙な面持ちで受けた後、飼い主が玉串を奉納した。

 阿倍野区の生地義明さん(65)と由紀子さん(62)夫妻は、雄のトイプードル、ビンちゃん(12歳)とともに参拝。トイプードルは平均寿命が14歳と言われ、「子どものような存在。1日でも長く生きてほしい」といとおしそうに話していた。

 同神社の祭神は、日本の医薬の神「少彦名命」と、中国古代の医療、農業の神「神農氏」。神社がある道修町は江戸時代から薬の仲買人が集まった「薬の町」として知られる。

1669よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 22:30:42 ID:8ptyHEPg0
福求めて活気 貝塚・脇浜戎大社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140111-OYT8T00113.htm

 「本えびす」の10日、貝塚市の脇浜戎大社で戎大祭が行われた。

 泉州最古の戎神社とされる同大社は「脇浜のえべっさん」として親しまれており、福ザサなどを買い求める参拝者でにぎわった。午後からは、積み上げた護摩木を燃やして無病息災などを願う「柴灯(さいとう)大護摩供」があり、山伏姿の修験者がお経を唱え、護摩札を炎の中に投じていた。残り火の上をはだしで歩いて無病息災を願う「火渡り行」では、参拝者が手を合わせて炭火の上を通り抜けていた。

(2014年1月11日 読売新聞)

1670よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 00:00:06 ID:Ujb1.1.A0
好景気期待 さい銭奮発 今宮戎、勘定始まる
2014年1月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140113/20140113028.html

 商売繁盛を願う新春の祭礼「十日戎(えびす)」(9〜11日)で集まったさい銭の勘定が12日、大阪市浪速区の今宮戎神社(津江明宏宮司)で始まった。紙幣や硬貨に交じって、「29451(福よ来い)」などの額面の小切手や外国紙幣が見られた。同神社によると、3日間の参拝者数は昨年より約4万9千人少ない約90万人だったが、景気回復への期待でさい銭を奮発する人が多く、総額は例年並みの4600万円となる見込み。

 拝殿でおはらいを受けた池田泉州銀行の行員たちが大量の紙幣や硬貨を机に広げ、手際よく仕分けた。さい銭の中には、豪ドル、ウォンなどの外国紙幣や伊藤博文の旧百円札があり、小切手では「1129(いい福)」などユニークな語呂合わせの額面が見られた。

 同神社によると、今年は福ササに付ける縁起物を多く購入する人や熱心に参拝する人の姿が目立ち、担当者は「景気上昇に対する期待の表れでは」と話していた。

 さい銭の集計作業は今月末まで行われる。

1671よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 00:05:31 ID:Ujb1.1.A0
厳か宮大工「手斧始め式」 四天王寺
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140112-OYT8T00050.htm

 聖徳太子ゆかりの四天王寺(大阪市天王寺区)で、宮大工の仕事始めの儀式「手斧(ちょんな)始め式」が11日、関係者ら約30人が参列して営まれた。

 儀式を担う同寺正大工(しょうだいく)(宮大工の棟梁(とうりょう))は代々、社寺専門の建設会社・金剛組(同市天王寺区)を創業した金剛家当主が務めてきた。昨秋、先代が死去し、当主不在となったため、同社相談役の植松襄一さん(71)が正大工の代務者となり、儀式を執り行った。

 ろうそくに照らされたほの暗い金堂内で、古式ゆかしい装束を身に着けた植松さんが大工道具の手斧で柱材を削り出す作業を模し、祝詞を奏上して、1年の工事の安全を願った。植松さんは「宮大工の一番大事な儀式。1400年続く伝統を担うことができ、安堵(あんど)した」と話していた。

(2014年1月12日 読売新聞)

1672よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 22:56:24 ID:7U7ycjoo0
和泉 太古の宝里帰り
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140115-OYT8T00121.htm

.◇弥生文化博物館 黄金塚古墳出土品を展示

 和泉市上代町の国史跡・和泉黄金塚(こがねづか)古墳から出土し、現在は東京国立博物館の所蔵となっている銅鏡や装身具約30点が、同市池上町の府立弥生文化博物館で展示されている。3月2日まで。

 同館が企画した「和泉黄金塚古墳と『卑弥呼の鏡』」。1950、51年の発掘調査で見つかった神像や龍、虎など神獣の模様を施した銅鏡5枚と、装飾品に使われ、断面が六角形の「水晶製大型切子(きりこ)玉」(長さ7センチ)、邪馬台国の女王・卑弥呼が中国の魏に使いを送ったとされる「景初三年(239年)」の銘が入った銅鏡のレプリカなどが並ぶ。市教委の2002年以降の調査で出土した円筒や傘をかたどった埴輪(はにわ)も紹介している。

 同古墳は古墳時代前期末(4世紀後半)に築造されたとみられる前方後円墳で墳丘の長さは94メートル。地方の豪族が葬られたとみられている。08年3月に国史跡に指定された。

 塚本浩司・同館総括学芸員は「この機会に地元で見つかった貴重な出土品を見てほしい」と話している。

 月曜休館。入館料は一般400円、65歳以上と高校・大学生は300円。問い合わせは同館(0725・46・2162)へ。

(2014年1月15日 読売新聞)

1673よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 23:02:37 ID:7U7ycjoo0
勇猛果敢に体ぶつけ合う 四天王寺で「どやどや」
2014年1月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140115/20140115021.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で14日、年頭恒例の「どやどや」が盛大に執り行われた。紅白の鉢巻きとふんどし姿の男子中高生をはじめ約1270人が参加。多くの参詣者が見守る中、境内・六時堂でまかれるお札をつかみ取ろうと勇猛果敢に体をぶつけ合った。

 元日からこの日まで2週間にわたり、六時堂で新年の天下泰平や五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する「修正会(しゅしょうえ)法要」の結願(けちがん)日に執り行われる伝統行事。

 好天に恵まれたこの日の境内では四天王寺羽曳丘中学・高校、清風中学・高校、清風南海高校の生徒が紅白軍に分かれて参加した。両軍の生徒は「わっしょい」の掛け声とともに六時堂に突入。全身に冷水を浴びせられながら、法要中に祈祷(きとう)された魔よけのお札「牛王宝印の護符」に高く手を伸ばしてもみ合った。運よくお札を手にした生徒は寒さも忘れ「取った」「やった」と歓声をとどろかせた。このほか行事の冒頭では元気な園児の列が入堂し境内をなごませた。

1674よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 23:04:46 ID:7U7ycjoo0
住吉大社で「とんど」
01月15日 14時39分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140115/4473951.html

正月のしめ縄や去年1年間、身につけていたお守りなどを焼き納めて、無病息災を願う「とんど」が大阪の住吉大社で行われました。「とんど」は、住吉大社が毎年この日に行っているもので、煙を浴びると、今年1年間、無病息災で過ごすことが出来ると言われています。
15日は近くに住む人たちが、朝から、しめ縄や、おふだ、それに去年1年間、身につけていたお守りなどを次々と持ち込みました。持ち込まれたものは、境内の一角に積み上げられ、「とんど」の場所を清めるお祓いなどが行われたあと、火がつけられました。
訪れた人たちは、燃え上がる火に静かに手を合わせて、家族の無事などを祈っていました。
阿倍野区に住む女性は、「しめ縄や正月に使ったお箸などを持ってきました。ことし1年間、家族みんなが健康で過ごせたらいいと思います」と話していました。

1677よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/19(日) 11:48:26 ID:v7LnV76k0
上る炎に安泰願う 府内各地で「左義長神事」
2014年1月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140116/20140116026.html

 しめ縄など正月の縁起物を火にくべ入れて1年の無病息災、家内安全を祈願する伝統行事「左義長(さぎちょう)神事(とんど)」が15日、大阪府内各地の神社で執り行われた。「正月の事じまい」とも言われ、訪れた参拝者は火に向かい手を合わせていた。

 大阪市天王寺区の生國魂神社(中山幸彦宮司)では、早朝の火入れ式で、神職によって本殿から御神火が運ばれ、境内の一角に積まれた縁起物に移されると高く燃え上がった。境内には、朝から破魔矢などを持った地域住民ら参拝者が多く訪れ、時折ポンポンと音を立てて燃える火を見守っていた。

 また、たき火の火種を使って作った小豆粥(かゆ)が振る舞われ、参拝者は冷えた体を温めていた。同市北区の女性(62)は「病気にならないように」と願っていた。

 「左義長」は、旧正月15日の前後に行われている神事で平安時代から行われているとされている。

1678よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/23(木) 22:38:51 ID:xFc7yW6c0
解体中本殿から墨書 大山咋神社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140119-OYT8T01051.htm

 ◆江戸前期建立記す、「地域の誇り」一転保存へ

 藤井寺市北東部・船橋町の地域の氏神「大山咋(おおやまぐい)神社」で、本殿の解体工事中、江戸時代前期にあたる「寛文八年(1668年)」の墨書が発見された。氏子ら住民は新築するとしていた当初予定を変更し、本殿を修理して保存することを決めた。市によると、墨書で年代が判明した江戸前期の神社建築は市内唯一で、文化財としての価値もあるという。(岡田英也)

 同神社は江戸時代初期、近江国(滋賀県)の日吉大社から分霊を受け、祭ったとの伝承があり、近くを流れる大和川や石川の水害に遭わず、豊作となるよう、地域住民が祈願してきた。

 本殿は高さ3・65メートル、間口1・2メートル、奥行き1・9メートルで、「一間社春日造(いっけんしゃかすがづくり)」と呼ばれる形式。長年の風雨で木材が腐食し、昨年7月から社寺建築を手がける「松原工務店」(堺市南区)が工事を開始した。

 本殿の解体中、上部の桁材から墨書が見つかった。年号は創建の伝承とほぼ一致し、建築様式も江戸前〜中期の特徴という。

 この新発見に、住民らは「地域の歴史を伝える文化財として保存するべきだ」と申し合わせ、工事を新築から修理に変更した。ヒノキの古材の35%を再利用し、彩色調査で朱色の塗料も確認されたことから、当時の外観を再現。本殿の修理費約1300万円を住民の寄付でまかない、昨年12月15日に落成式を営んだ。

 船橋町地区長の田中慶治さん(72)は「地元で誰も知らない古い年号が確認され、驚いた。地域の誇りとして大切に守っていきたい」と喜んでいる。

 大山咋神社は近鉄南大阪線・土師(はじ)ノ里駅の北東約1キロにあり、土、日曜は拝殿から参拝できる。

(2014年1月20日 読売新聞)

1679よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/23(木) 22:51:31 ID:xFc7yW6c0
難波の綱引「ヨーイヨイ」 難波八阪神社で「神事」 
2014年1月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140120/20140120017.html

 大阪市指定無形民俗文化財の「綱引(つなひき)神事」が19日、同市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で執り行われた。氏子衆が八岐大蛇(やまたのおろち)に見立てた大綱を引き合って開運祈願するとともに都心に根付いた伝統の継承に努めた。

 同神事は八岐大蛇退治で知られる同神社の祭神・スサノオノミコトの遺徳をたたえ、地域繁栄を祈願する年頭行事。江戸期に刊行された観光案内書「摂津名所図(ず)会(え)」にも紹介されており、2001年度に市指定として最初の無形民俗文化となった。

 文化財保持者である同神事保存会(竹立威三雄会長)の氏子らが早朝の境内に参集。約100人が奉仕し、1本の細縄をより合わせて全長約22メートル、太さ約30センチのオロチの大綱を完成させた。この後奉仕者が二手に分かれて大綱を抱え、豪快に綱引きを開始。図会に描かれている様子を今に伝えた。

 会長の竹立さん(83)は「例年よりも太い縄を使ったことでかつてない力強い綱が完成した。これからも地域の方々の協力を得ながら伝統を後世に伝えていきたい」と笑顔で語った。この日は神社周辺で大綱の巡行も繰り広げられた。

1681よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/27(月) 21:52:46 ID:vo9MF1UU0
文楽 観客下回り補助金減へ
01月27日 18時04分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140127/4591381.html 

伝統芸能、文楽への補助金について大阪市は今年度の観客数がおよそ10万1000人で、満額の 2900万円を支給する条件を下回ったことから730万円余り減額する方針です。
文楽への補助金について大阪市は今年度から三味線などの購入費に充てる1000万円とは別に人件費などの補助に充てる2900万円を観客数に応じて支給することにしていて満額の支給には年間 10万5000人以上の観客数を条件にしています。
こうした中、今年度最後の文楽の公演「初春公演」がきのうまで行われ国立文楽劇場によりますと期間中の観客数はこれまでで最も多いおよそ2万6000人でしたが今年度の観客数はあわせて10万1200人でした。
このため大阪市は満額を支給する条件を4000人近く下回ったことから今年度の補助金を減額する方針で、きょう大阪府と共同で設けている文化事業を検証するための有識者会議で報告しました。
この中で大阪市は10万5000人を下回った人数1人につき  1930円ずつ減額する仕組みになっているとして今年度は730万円余りを減額したおよそ   2100万円を支給する見込みだと報告しました。
そのうえで会議では「文楽は『大阪の宝』であり宝を磨き継承することは国、大阪府、大阪市共通の責任であり文楽協会も振興の拡大に努めている」として補助金の支給を続けることが適当だという認識で一致しました。
大阪市の橋下市長は記者団に対し「観客数が10万人を超えるの
はかなり高いハードルだったと思うが技芸員も文楽協会もよく頑張ってくれたしやればできることが実証された。ただ残念だが補助金は当初決めたとおり減額になる。技芸員や文楽協会には今回、成功を導いたプロセスをもう一度、検証して目標達成に何が必要なのかを検証してもらいたい」と述べました。そのうえで来年度も観客数に応じて補助金を支給する仕組みを続ける考えを示しました。
文楽を運営する「文楽協会」の三田進一「決まりなので仕方が無い。協会の退職者を補充しないなど支出をおさえてきたので今回はしのげると思う。しかし来年度も同じ仕組みを適用されるのは厳しい。大阪市には上方の伝統芸能・文楽を守るという意識を持ってほしい」と訴えました。
一方で三田事務局長は今年度の観客数が10万人を超えたことについて「文楽を守ろうと多くの人が訪れてくれた結果であり、感謝している」と話しました。
また大阪市の橋下市長が国立文楽劇場が公演の演目を決めていることなど今の仕組みが問題だとして技芸員と文楽協会は仕組みを変えるよう働きかけるべきだという考えを示したことについて「劇場のメニューはあくまで劇場が決めるべきで我々が口を出す話ではない」と話しました。
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1682よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/27(月) 22:25:50 ID:vo9MF1UU0
文楽人形遣い、初の4代目が誕生 岩田悠甫さん「芸を継承していきたい」
2014.1.27 00:15
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140127/wlf14012700190000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140127/wlf14012700190000-n2.htm

 長い歴史を誇る文楽に初めて人形遣いの4代目が誕生した。古典芸能では珍しく家柄や門閥に関係ない実力主義の世界だが、曽祖父から続く文楽人形遣いの家に生まれた高校3年、岩田悠甫(ゆうすけ)さん(17)が昨秋、父、吉田一輔(いちすけ)さん(44)の師匠である吉田簑助さん(80)に入門。補助金削減問題など厳しい話題の続く文楽界の未来を明るく照らしそうだ。

 岩田家は代々、文楽人形遣いを輩出してきた。曽祖父・桐竹亀松さん、祖父・桐竹一暢(いっちょう)さんは女方の人形遣いとして活躍。一輔さんも「咲くやこの花賞」(平成21年度)を受賞するなど次代を担う人形遣いとして期待されている。

 悠甫さんにとって、文楽人形は身近で、義太夫節は子守唄代わりだったが、7歳のときに一暢さんが亡くなり、祖父の生の舞台もほとんど覚えていない。「でも父の舞台はよく見ていました。その姿はすごく格好良く、僕も将来やってみたいと思っていました」

 野球少年だったが、ひじを故障。プロ野球選手の夢を断念したとき、人形遣いへの夢が再び浮上。だが、一輔さんは「やめとけ」。人形遣いの修業は「足(遣い)十年、左(遣い)十年」といわれるように長く厳しい。さらに文楽界を揺るがす補助金問題もあり、一輔さんは「文楽がどうなるかわからない。息子を入れていいものか悩んだ」。

 江戸期以来、350年続く文楽。入門するには師匠に直接願い出て研究生になる方法と、国立劇場が行っている研修生制度がある。二世や三世もいるが、“御曹司”が代々名跡を襲名する歌舞伎などとは違い、一般家庭から入ってきた技芸員と同じ待遇。特別待遇がなく、経済的な厳しさがあることも文楽を代々継承していく家が少ない一因である。

 の文楽界では三味線の鶴澤藤蔵さんが4代目だが、父で人間国宝の竹本源大夫さんは太夫、祖父は三味線、曽祖父は太夫と、太夫、三味線を交互に輩出したかたちだ。

 現在、悠甫さんは見習いの研究生。授業のある日は放課後、休日は朝9時半に楽屋入りし、師匠や兄弟子の鏡台を磨き、楽屋の掃除。着物を畳んだり小道具を運んだり、空いた時間は舞台袖から舞台を見る。

 芸名はまだないが、高校卒業後の3月から人形遣いの卵として本格的修業が始まる。「不安はありますが文楽の芸を継承していきたい」と目を輝かせている。

1683よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/29(水) 22:55:44 ID:hdbLGMLE0
石垣発掘、チョコでPR…「なにわの夢募金」応援
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20140129-OYO1T00251.htm?from=newslist

 大阪城(大阪市中央区)の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を発掘、公開する資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」で、大阪市は28日、「募金応援事業」の第1号として、吉本興業の関連会社「KO・KO・MOよしもと」の菓子「太閤石垣クランチ」を選んだと発表した。

 石垣の石をイメージしたホワイトチョコレート菓子で、14個入り560円(税別)。パッケージには、石垣公開プロジェクトの概要や募金ホームページのアドレス(http://www.toyotomi‐ishigaki.com/)も記している。31日から、なんばグランド花月(大阪市中央区)2階の「よしもと おみやげもん横丁」で販売する。

 太閤なにわの夢募金は、市と読売新聞大阪本社が共同で実施。現在、大坂夏の陣(1615年)で落城した豊臣時代の石垣の発掘を進めており、集まった募金は2015年完成を目指す公開施設の整備に充てる。

 応援事業は、募金協力への機運を高めようと、商店街や企業を対象に募集。募金の問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2014年1月29日 読売新聞)

1684よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/29(水) 23:13:03 ID:hdbLGMLE0
歌舞伎の人間国宝、坂田藤十郎さんが曽根崎心中「お初」から“引退” 通算1300回の当たり役、今年4月歌舞伎座で 
2014.1.28 13:11
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140128/wlf14012813140015-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140128/wlf14012813140015-n2.htm

 歌舞伎の人間国宝で第20回高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)受賞者の坂田藤十郎さん(82)が、代名詞ともいえる上方歌舞伎「曽根崎心中」のヒロインお初を、4月の東京・歌舞伎座の公演で“引退”する。昭和28年から60年余りにわたり、ほぼ一人で演じてきた当たり役は、演じ納めとなる4月26日の千秋楽で通算1351回。惜しまれながら歌舞伎座新築開場1周年の晴れ舞台で区切りを打つことになった。(亀岡典子)

 お初と徳兵衛の悲恋を描いた「曽根崎心中」は近松門左衛門の心中物の代表作だが、江戸時代以来、長く上演が途絶えてきた。だが、昭和28年8月、東京・新橋演舞場で宇野信夫さんの脚本、藤十郎さん(当時、二代目中村扇雀)のお初、藤十郎さんの父の二代目中村鴈治郎さんの徳兵衛で、歌舞伎で復活初演。社会的現象となるほど人気を集め、“扇雀ブーム”を巻き起こした。

 藤十郎さんは「お初に出会ったことで私の人生は変わった。運命ですね」と振り返る。以来、藤十郎さん以外にお初を演じたのは、次男の三代目中村扇雀さん(53)と孫の中村壱太郎(かずたろう)さん(23)だけ。平成17年11月の四代目坂田藤十郎襲名の際にもお初を勤めたほか、イギリス、ロシア、アメリカなどでも上演された。

 「演じるたびにお初の人生を生きてきた。4月は初演のときのような気持ちで、お初さんに感謝しながら演じたい」と話す藤十郎さん。初日を迎えるまでに、「お初天神」として知られる大阪・キタの露天(つゆのてん)神社にあるお初像に、報告に行く予定だという。

 日本文学研究者で米コロンビア大名誉教授、ドナルド・キーン氏の話「初めて藤十郎さんの『曽根崎心中』を見たのは、昭和28年12月の京都・南座。私が日本に留学した年でした。歌舞伎の女形の中でもこの世のものでないような美しさで、自分の目を信じられないほどでした。その後、『曽根崎心中』は文楽でも復活上演され、現在の日本の伝統芸能に大きな影響を与えたと思います」

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1688よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/02(日) 16:30:11 ID:PCWuEzFY0
「お多福のくぐり門」お目見え 市軸稲荷神社
2014年2月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140201/20140201052.html

 2月3日の節分を前に、お多福大神などを祭る市軸稲荷(いなり)神社(大阪府豊中市刀根山2丁目、寸田敦男宮司)に1月29日、その下をくぐると願い事がかなうとされる「お多福のくぐり門」がお目見えした。参拝者は福を授かるようにとお多福像を参拝した後、お多福のふくよかな笑顔をかたどった門をくぐっていた。くぐり門は3日まで。

 同神社では、ご神体であるお多福像にちなんで1955年ごろから毎年、節分の時期に鳥居の前にお多福の門を設置している。門は、高さ約3メートル、幅約2メートルの板に、お多福のふくよかな笑顔が描かれている。口の部分に約1・2メートル四方の観音開きの扉が設けられており、その左右に大根が15本ずつ束ねてつるされている。

 訪れた人は、この扉をくぐって境内に入り、短冊に名前や年齢などを書いてかんざしに結ぶ。そのかんざしを頭に挿して願いを思い浮かべ「頭いた」と3回唱えながら、お多福像を参拝。帰る時に門をくぐって外へ出て、大根にかんざしを挿して奉納する。

 子どもと一緒に訪れていた中村小弓さん(39)は「毎年恒例になっているので、ことしも節分の時期が来たと感じる。ことしは主人が前厄なので、あまり悪いことが起きないようにとお願いした」と話していた。

1689よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/03(月) 22:15:07 ID:HJeo./X60
杏さん財前さんが豆まき
02月03日 14時26分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140203/4715881.html 

節分のきょうNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」のヒロインを演じる杏さんらが寝屋川市の成田山不動尊で豆まきをしました。寝屋川市の成田山不動尊に設けられた舞台にはNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」でヒロインの西門め以子役を演じる杏さんや、母親役の財前直見さん、長女役の松浦雅さんらが登場しました。
杏さんたちは縦・横およそ1メートル50センチ、高さが80センチもある特大の升から両手で豆をすくい舞台の上からまいていました。
境内にまつられている不動明王の前では鬼も改心するということから「鬼は外」ではなく「福は内、福は内」と声をかけ境内を埋め尽くした人たちは福をつかみとろうと紙袋などを広げて懸命に豆を集めていました。
豆まきを終えた杏さんは「いろんな人に福を分けられるような自分でありたいです。ドラマの撮影も失速することなく駆け抜けて全力でがんばりたい」と話していました。
また財前直見さんは「3世代そろって豆まきができておめでたいことだと思いました」と話していました。
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1690よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/04(火) 05:27:28 ID:KQ3kBsB20
「お化け」キタを練り歩き お水汲み祭り
2014.2.3 21:07
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140203/waf14020321100040-n1.htm

 大阪・キタの歓楽街北新地や堂島薬師堂で、節分の3日、早春の風物詩「節分お水汲み祭り」があり、飲食店従業員らが「お化け」と呼ばれる仮装をして街を練り歩いた。

 堂島薬師堂では、商売繁盛や1年の厄払いを願って、奈良・薬師寺で祈願を受けた「お香水」をくむ参拝客が相次いだ。

 北新地には節分の夜に鬼をやり過ごすために女性たちが仮装する花街の風習が伝わる。活性化に向け、祭りが平成16年に現在の形になって11回目。

1691よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/04(火) 22:16:53 ID:NnhhKoe20
文楽人形遣いの吉田玉女さん、来春に二代吉田玉男を襲名
2014.2.4 17:13
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140204/wlf14020417160013-n1.htm

 人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田玉女(たまめ)さん(60)が来年4月、師匠で人間国宝だった吉田玉男さんの名跡を継ぎ、二代吉田玉男を襲名することが決まった。4日、文楽協会などが発表した。

 「吉田玉男」の名跡が復活するのは平成18年9月に玉男さんが亡くなって以来、9年ぶりとなる。襲名披露公演は来年4月に国立文楽劇場(大阪)で、同5月には国立劇場小劇場(東京)で行われる。演目は未定。

 初代玉男さんは知的で品格の高い芸で、戦後を代表する立役(男役)の人形遣いとして活躍。「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」の大星由良助(おおぼしゆらのすけ)、「曽根崎心中」の徳兵衛など、時代物から世話物まで幅広い役どころを勤めた。昭和52年に人間国宝に認定されたほか、平成12年には文化功労者に。その後も87歳で亡くなるまで舞台に立ち続け、多くのファンを魅了した。

 玉女さんは、昭和43年に入門した玉男さんの一番弟子。立役を中心に修業を積み、若いころから次代のホープとして注目されてきた。近年は由良助をはじめ、師匠の当たり役を次々と継承。特に骨太の時代物の主役の武将などを得意とし、存在感を見せている。平成24年、伝統文化ポーラ賞優秀賞を受賞。

 玉女さんは「偉大な師匠の名跡を継がせていただくことに、とまどいもありますが、師匠に少しでも近づけるよう頑張っていきたい。厳しい話題の多い文楽ですが、襲名を通して盛り上げていければと思っています」と抱負を語った。

1692よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/05(水) 23:14:19 ID:I6iCzs6o0
「ニサンザイ古墳」の後円部直径 10メートル超の“拡大”…全長300メートル超の可能性も
2014.2.5 22:52
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140205/wlf14020522540026-n1.htm

 宮内庁が陵墓参考地として管理する国内8番目の大きさの前方後円墳「ニサンザイ古墳」(5世紀後半、堺市北区)の後円部の直径が、これまでの測量値より10メートル以上大きい約170メートルになることが分かり5日、堺市文化財課が発表した。今後の調査によっては全長も測量値の290メートルを超え、300メートル以上の結果が得られる可能性もあるという。

 調査では、墳丘の中心線から90度の位置にある後円部北側の周濠を発掘。周濠内の墳丘の端が確認され、直径を推定した。ニサンザイ古墳の後円部直径は、大正15年の測量で156メートルとされていた。

 また、墳丘の斜面には、約20〜30センチ大の葺(ふ)き石がまばらな状態で見つかった。市文化財課は「畿内の大型古墳では葺き石は6世紀ごろの築造になるとまばらになっており、『簡素化』が5世紀後半まで遡(さかのぼ)ることが伺える」としている。

1693よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/10(月) 00:39:50 ID:UhtU84TQ0
ニサンザイ古墳 後円部直径170メートルと確認
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140206-OYT8T00034.htm

.◇堺市、「定説」より14メートル大きく

 堺市の前方後円墳・ニサンザイ古墳(5世紀後半)について市は5日、後円部が直径約170メートルだったと発表した。濠(ほり)の水を抜いて行った調査で、長らく信じられてきた規模より、約14メートル長いことがわかったという。

 世界文化遺産の登録を目指している「百舌鳥(もず)・古市古墳群」に含まれる古墳。皇族が埋葬されている可能性があるとされる。市が昨年12月から後円部北側で濠の水を抜き、ヘドロを取り除いたところ、従来の規模を上回る墳丘の裾部分が確認された。

 これまで後円部の直径は、当時の宮内省が1926年に行った測量で、約156メートルとされていた。

 同古墳については2012年11月、国内8番目の約290メートルとされてきた全長が、300メートル以上とみられることがわかっている。

 今回の調査では、墳丘の葺石(ふきいし)がまばらに敷かれていることも確認。市は「古墳築造のピークが過ぎ、葺石の敷き方が簡素化されたのではないか」とみている。

 後円部の正確な直径が判明したことについて、奈良県立橿原考古学研究所の宮川?(すすむ)・共同研究員は「古墳の正確な大きさがわかることで、当時の周辺王族との力関係をみる参考となる」と話す。

(2014年2月6日 読売新聞)

1694よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/11(火) 21:08:02 ID:I87QlkLc0
城東区の若宮八幡大神宮 75年ぶりに遷宮
2014年2月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140209/20140209025.html

 同宮は1939(昭和14)年に建てられ、周辺住民に親しまれながら地域を守り続けてきた。しかし老朽化に伴い雨漏りや白アリにむしばまれるなど、社殿の痛みがひどくなり、榊原宮司(50)が2008年4月から常駐して以降は修理の必要性に迫られていた。「いつかはやらなければいけない」と、時期をうかがいながら準備を進めていた。

 本格始動は昨年1月。準備委員会を発足させ、「少しずつ修理して10年後にまた修理というのではなく、やるからには思い切ってやりたい」という思いを氏子総代らと共有。約6千万円を投じて銅板の屋根をふき替えるなど「御社殿大修理」にこぎ着けた。

 遷座祭当日は榊原宮司がご神体を抱き、白い幕で囲って仮住まいとなる参集殿の床の間にしつらえた神座に遷す。2時間ほどの儀式となる予定で、榊原宮司も「宮司としても一生に一度あるかないかのご奉仕」と緊張を隠さない。同宮にとっても歴史の一ページとなる儀式で、「神様と息が合わないとできない」と一世一代の儀式に臨む。

 現在の屋根の銅板は青緑色のさびで覆われるなど歴史を誇り、貫禄を醸している。文献などが残っていないため、今の屋根の銅板に当時奉納した人の名前が刻まれているかは不明だが、今回、銅板は一口3千円から奉納可能で、名前を書いた銅板が御社殿の礎となり、歴史に名を刻むことができる。完成は9〜10月の秋口を見込む。

 「遷宮は地元の人たちにも関わってもらい、さらに地域に根差していきたい」と榊原宮司。地域のパワースポットとして「もっと親しんでもらえたら」と話していた。

 昨年は伊勢神宮(三重県)や出雲大社(島根県)でご神体を遷(うつ)す「式年遷宮」が執り行われ、パワースポットとして広い世代で脚光を浴びたが、大阪市城東区蒲生4丁目にある「若宮八幡大神宮」(榊原孝和宮司)でも、75年ぶりに遷宮が行われることになった。社殿の大修理に伴いご神体を移動させる儀式「仮殿遷座祭」が9日午後6時から執り行われる。

1697よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/16(日) 10:48:04 ID:o9q/qwS20
堺環濠都市遺跡で17世紀の羽子板など出土
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140214-OYT8T01637.htm

◇「豊かな暮らしうかがえる」

 堺市の堺環濠(かんごう)都市遺跡(堺区櫛屋町)で、安土桃山時代〜江戸初期(16世紀末〜17世紀初頭)とみられる羽子板(長さ39センチ)や下駄(げた)(同21・2センチ)などの遊具や生活用品が出土し、市が14日、発表した。発掘場所は当時の堺の東側に当たる町外れだが、瀬戸(愛知県)や唐津(佐賀県)で生産されたとみられる陶磁器片も見つかっており、市文化財課は「当時、堺で暮らした人々の豊かな生活ぶりがうかがえる」としている。

 市立殿馬場中学校の校舎改築工事に伴い、昨年12月から約800平方メートルを調査。溝(長さ10メートル、幅0・6〜1・2メートル、深さ0・3メートル)などから、羽子板のほか、水指や茶わん、箸、漆器片、陶磁器片などが見つかった。羽子板は同遺跡では2例目で、片面に朱色の顔料を塗ったような跡があった。いずれも、使用後に廃棄したと考えられる。

 堺環濠都市は、堺旧市街地に広がる中世後期の湾岸都市。貿易港として繁栄したが、大坂夏の陣(1615年)の戦火で壊滅、江戸時代に再建された。今回の出土品は壊滅前のものとみられる。市は発掘調査の工期に余裕がなく、現地説明会は行わないとしている。

(2014年2月15日 読売新聞)

1698よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/18(火) 22:22:29 ID:CzPdrf8A0
5世紀の甲冑ずらり…大阪大が「倭の五王」展
2014.2.18 16:52
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140218/wlf14021816520023-n1.htm

 5世紀の甲冑がずらり−。大阪府豊中市の大阪大総合学術博物館待兼山修学館で、保存修復処理が終わった野中古墳(大阪府藤井寺市)の鉄製甲冑などを展示する「野中古墳と『倭の五王』の時代」が開催されている。3月22日までの午前10時半〜午後5時。無料。日・祝日は休館。

 野中古墳は、世界遺産登録を目指す古市古墳群のほぼ中央にある5世紀の中型方墳で、1辺37メートル。昭和39年に大阪大が発掘、大量の鉄製品など出土し中国の歴史書に記された「倭の五王」が活躍した5世紀を代表する史料として評価されている。

 11セット見つかった甲冑のうち、三つは襟がつき、全国的にも珍しいタイプ。

 発掘後に甲冑は薬品が塗られて、光沢が出るなどの弊害があったが、今回の保存処理で出土当時の姿がよみがえった。

1699よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/23(日) 03:26:40 ID:bRoCc6rs0
金堂 南北11.84メートル、東西13.52メートル
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140218-OYT8T01514.htm

. ◇高宮廃寺跡 基壇を確認

 寝屋川市高宮の高宮廃寺跡(7世紀後半、国史跡)で金堂の「基壇」の一部と柱の礎石跡が出土し、市教委が18日、発表した。1979年に同廃寺の伽藍(がらん)の位置などを確認して以来、35年ぶりの発掘調査で、これまで不明だった金堂の正確な規模が確認された。

 今回の発掘調査は、同廃寺跡を整備、活用することを目的に、今年度から16年度までの予定で実施する。

 今回、新たに出土したのは金堂北東角の基壇と西側の柱の礎石跡。基壇はこれまで南西、南東角でも確認されており、今回の発見で大きさが南北11・84メートル、東西13・52メートルと確定した。礎石跡は建物西側の2か所で確認された。

 現地説明会は23日午後1時半から。問い合わせは市文化スポーツ振興課(072・824・1181)へ。

(2014年2月19日 読売新聞)

1700よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/23(日) 15:42:47 ID:dAQqKbvo0
地下ホールに豊臣期の石垣…大阪城16年公開へ
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20140222-OYO1T00255.htm?from=newslist

 豊臣秀吉時代の大坂城の石垣を公開する事業で、大阪市は21日、現大阪城(大阪市中央区)の本丸内に整備する公開施設の概要を発表した。大坂夏の陣から400年となる2015年に着工、16年の完成を目指す。事業費の一部には、市と読売新聞大阪本社が共同で進めている「太閤(たいこう)なにわの夢募金」を充てる

 豊臣期の石垣は本丸の地下に埋もれており、現在発掘調査が進んでいる。

 施設は地上、地下の2層。石垣を展示する地下階のホールでは豊臣期の地層(深さ7メートル)から高さ6メートルの石垣を間近で見上げ、触ることもできる。石垣に連なる形で豊臣期の天守閣のイメージ映像も投影し、壮大なスケールをよみがえらせる。

 一方、出入り口のある地上階のガイダンスルームでは、豊臣、徳川両時代の大坂城の模型やパネルのほか、太閤なにわの夢募金の100万円以上の寄付者の記念芳名板、10万円以上の氏名板などを展示する。

 豊臣期の初代大坂城は夏の陣(1615年)で落城。徳川幕府がその上に2代目大坂城を再建し、現在の石垣はこの時に築いた。

 一方、地中に埋もれた豊臣期の石垣は、自然石を加工せずに積み上げる「野面積(のづらづ)み」と呼ばれる工法で築かれており、これまで、公開施設の場所を含め、数か所で見つかっている。

 太閤なにわの夢募金の目標額は5億円で、1月末現在で約2300件、計約7600万円が寄せられている。個人の場合は「ふるさと納税」の対象となり、所得税、住民税の控除を受けられる。また1万円以上の寄付者には造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」の贈呈もある。

 大阪市の担当者は「多くの方の支援を得て、秀吉と大坂城の激動の歴史物語を肌で感じてもらえる施設にしたい」としている。問い合わせは、大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2014年2月22日 読売新聞)

1702よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/24(月) 23:15:19 ID:u7lBKGbE0
前期難波宮の造営は7世紀前半、「年輪セルロース酸素同位体比法」で確定 日本書記と一致 地球研・文化財センター公表
2014.2.24 21:26
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140224/wlf14022421280022-n1.htm


 前期難波宮跡(大阪市中央区)から出土した柱2本の伐採時期が7世紀前半だったことが、新たに開発された年輪セルロース酸素同位体比の年代測定法よって分かり24日、大阪府文化財センターが公表した。日本書紀に記された難波宮の造営時期とほぼ一致した。この測定法による世界初の実証例で、歴史資料の年代決定に大きな進展をもたらす可能性がある。

 前期難波宮は、大化改新につながる「乙巳(いっし)の変」(645年)を機に飛鳥から遷都し、652年に完成した。柱は平成16年、大阪府警本部の新築の際に出土した。直径約30センチのコウヤマキで、宮域の北限を東西に延びる塀を支えていた。

 年代を確定できる遺物が乏しく、同センターは当初、気候によって変動する年輪幅から木材の伐採年代を求める「年輪年代法」の適用を目指した。紫香楽宮(しがらきのみや)(滋賀県甲賀市)や池上曽根(いけがみそね)遺跡(大阪府和泉市)の造営年代を確定させた手法だが、測定可能な樹種がスギやヒノキなどに限られ、一定の樹齢以下のコウヤマキでは困難だった。

 ところが近年、総合地球環境学研究所(京都市北区)の中塚武教授が、木材の主要成分であるセルロースに含まれる3種類の酸素の「同位体比」値を年輪ごとに測定できる年輪判定法を開発。2本の柱で試みたところ、最も外側に残る年輪はそれぞれ583年、612年と確定した。

 伐採年が分かる樹皮部分は残っていなかったが、612年の方は年輪の形状から樹皮近くまで残っていると判断、2本とも612年から間もない時期に伐採されたとみられるという。

 同センターの江浦洋事務局次長は「前期難波宮の造営の時期を決める科学的データを得られた意義は大きい。応用範囲も広く、古代史の謎が解き明かされる夢がある」と話している。

難波宮

 大阪・上町台地上に造営された古代の都宮。「乙巳の変」(645年)後の難波長柄豊碕宮(なおがらとよさきのみや)を前期難波宮といい、のち天武天皇も副都とした。これに対し、聖武天皇が神亀3(726)年に造り始めたのが、後期難波宮。2つの宮跡は重なり、考古学者の山根徳太郎氏によって遺構が確認された。近くからは西暦648年をあらわず「戊申(ぼしん)年」銘の木簡も出土している。

年輪セルロース酸素同位体比法

 酸素原子には重量の異なる3種類の「安定同位体」がある。木材のセルロース(繊維)中の酸素同位体の比率は樹木が育った時期の気候が好天だと重い原子、雨が多いと軽い原子の比率が高まる。酸素同位体比は樹木の枯死後も変わらず、年輪ごとの比率を調べれば過去の気候変動パターンが分かる。これを、あらかじめ年代が判明している気温の変動パターンと照合し、伐採年代を1年単位で確定できる。

1703よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/24(月) 23:34:07 ID:u7lBKGbE0
扇子手に軽やか 大阪天満宮にすずめ踊り奉納
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140224-OYT8T00011.htm

 約400年前に堺の石工たちが始めたと伝わる「すずめ踊り」が23日、大阪市北区の大阪天満宮で奉納された。参拝客が集まる本殿前で、法被姿で扇子を手にした踊り手や太鼓、笛など「堺すずめ踊り連盟」(堺市堺区)の会員約40人が、扇子を広げて跳びはねる軽やかな踊りを披露した。

 1603年、青葉城(仙台市)の築城を祝う宴席で、石垣工事に従事した堺の石工たちが、藩主の伊達政宗に即興で披露したのが起源とされる。跳ね踊る姿がすずめに似ており、仙台の伝統芸能として引き継がれてきた。

 同連盟は約10年前に堺で踊りを復活させ、本場の「仙台・青葉まつり」で披露。天神祭の船渡御を迎える船に飾られる「お迎え人形」の中に「すずめ踊り」がある縁で、同天満宮でも2年前から奉納している。

 同連盟の松村進一会長(31)は「東日本大震災の復興を願い、様々な行事で踊っていきたい」と話した。

(2014年2月24日 読売新聞)

1707よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/07(金) 21:17:27 ID:hhmlCOPQ0
太閤の石垣、ファン熱視線…大阪城で公開始まる
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20140307-OYO1T00742.htm

 国の特別史跡・大阪城(大阪市中央区)の地下から発掘された豊臣期大坂城の石垣の一般公開が7日始まり、多くの歴史ファンでにぎわった。9日まで。

 石垣は1984年の水道管の取り換え工事に伴って発見。調査後いったん埋め戻されたが、2016年に公開施設をつくるため、30年ぶりに発掘された。

 この日は、午前10時の公開開始と同時に約60人が集まり、その後も大勢の人たちが訪れた。大阪文化財研究所の担当者から「野面積(のづらづ)み」という技法が用いられていることなどについて説明を受けた後、熱心に見入り、写真を撮っていた。

 大阪市住之江区の会社員鎌田英雄さん(57)は「大坂夏の陣の頃と同じ風景を目の当たりにして感動した。公開施設の完成が楽しみ」と話していた。

           ◇

 読売新聞大阪本社は公開施設の資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」を、市と共同で実施している。問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

(2014年3月7日 読売新聞)

1708よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/09(日) 13:29:05 ID:IrwYCgVQ0
金熊寺で梅林見ごろ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140309-OYT8T00074.htm

 白梅を中心に約2000本が植えられ「大阪みどりの百選」に選ばれている泉南市の金熊寺(きんゆうじ)梅林で、梅が見頃を迎えた。訪れた人は、山あいを埋め尽くす白や桃色の花が風に揺れている間を散策したり、写真撮影をしたりと楽しんでいる。

 約270年前から栽培される白梅を中心に、段々畑に連なるように植えられている梅林。周辺住民が組合を作り遊歩道を整備したり、交配をして種類を増やしたりして、管理している。

 今年は冬の冷え込みが厳しく平年より1週間程度開花が遅れたが、金熊寺梅林組合の福本寛組合長(79)によると9日頃に満開になるといい、「満開後も1週間は楽しめる。ぜひ、足を運んで」と話している。問い合わせなどは市産業観光課(072・483・8191)へ。

(2014年3月9日 読売新聞)

1709よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/09(日) 16:49:56 ID:6nt42Sw60
秘仏も開帳、地域と信仰再生へ 「十六羅漢祭」のにぎわい取り戻せ 大阪・貝塚
2014.3.8 15:25
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140308/wlf14030812480018-n1.htm
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 白鳳時代(645〜710年)の開基とされる吉祥園寺(きっしょうえんじ)(真言宗御室派)がある大阪府貝塚市王子地区の住民が、寺に伝わる秘仏「十六羅漢(らかん)画像」を開帳する春祭り「十六羅漢祭」のにぎわいを取り戻そうと、初めての“例大祭”を今月16日に開催することになった。住民の高齢化などで担い手が減少するのに伴って年々規模を縮小せざるを得なかったが、「このままでは廃れてしまう」と、地域と寺が協力して立ち上がった。

 矢野寛耕住職(56)によると、十六羅漢画像は吉祥園寺に伝わる掛け軸の秘仏で、室町中期の画僧・兆殿司(ちょう・でんす)の筆とされる。大和絵系と呼ばれる技法で描かれており、現存する羅漢図では国内で2番目に古いうえ、16幅がそろっているのは全国的にも珍しく、市の文化財にも指定されている。

 地元の口伝などでは、秘仏を開帳する羅漢祭の始まりは1500年代後半の安土桃山時代。その後、五穀豊穣(ほうじょう)を祈念する祭りになったが、江戸末期に中止したところその年泉州地域に疫病がはやり大飢饉(ききん)が起こったことから翌年復活。以降は無病息災なども祈願して実施されてきた。

 地元住民によると「戦前までは泉州一円から人が集まり、縁日の店もずらりと並ぶ盛大さで、『春の羅漢さん、秋のだんじり』と言われた」という。

 吉祥園寺は長らく無住寺だったため、地元住民が「十六羅漢講」という団体をつくって寺を支えてきたが、近年は若者の地元離れなどもあって担い手が減少。ここ十数年は、一部の住民が参加して法要を営む程度になっていた。

 今年は、もともと人気の高い恒例行事だった福引を復活。特別祈?(厄よけ、交通安全など)や願い事などを書いたのぼり奉納なども実施する。さらに地元のイベントともリンクし、貝塚市のゆるキャラ「つげさん」も参加し、グッズの販売をするなどお年寄りから子供までが楽しめる祭りにするという。

 矢野住職は「数百年も続いた行事を途絶えさせるわけにはいかないという地域の熱い思いが伝わってきました。これから手を取り合って、十六羅漢祭を盛り上げていきたい」と話している。問い合わせは吉祥園寺((電)072・423・1654)。

(藤浦淳)

      ◇

十六羅漢 仏教用語で聖者を意味する阿羅漢(あらかん、羅漢)のうち、仏法を守り、衆生(しゅじょう)を正しく導くことを誓った釈迦の16人の弟子(カナカバッサ、スピンダなど)をさす。仏像や石仏、絵画などとして全国各地に存在し、信仰を集めたり観光名所となったりしている。


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