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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

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1396よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/19(水) 00:09:21 ID:6grUy2q20
気軽に文楽 ファン開拓へ大阪市が「文楽デー」
2013年6月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130617/20130617025.html

 大阪の伝統芸能でユネスコの世界無形遺産でもある「人形浄瑠璃文楽」を気軽に楽しむ催し、「文楽デー」(大阪市主催)が16日、大阪市中央区の国立文楽劇場で開かれた。子どもから大人まで、詰め掛けたファンらは解説入りの舞台を鑑賞したり、技芸員から人形遣いを学ぶなど文楽の世界を満喫していた。

 能楽や歌舞伎とともに日本の三大国劇の一つでもある文楽の新たなファンを開拓しようと同市が企画。9回目の今回は親子連れから熱心なファンまで約850人が集まった。

 舞台上演後に「大夫」「三味線弾き」「人形遣い」を技芸員から教わる体験イベントは一番の目玉。特に人形遣いは人気も高く、技芸員から操作を学んだ参加者は、2〜5キロほどある人形を懸命に持ちながらポーズを決めると、しきりに記念写真を撮っていた。

 初めて人形に触れたという北区の小池実陽君(8)は「こんなに重いとは思わなかった。腕はすぐに動かせたけど、指は難しい」と息を弾ませていた。

 このほか舞台では、和歌山県の道成寺に伝わる話を表現した「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」や豊臣秀吉と明智光秀の対立を表現した「絵本太閤記」をそれぞれ上演した。

1397よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/19(水) 00:21:12 ID:6grUy2q20
古代史懸賞論文「いましろ賞」募集 大阪
2013.6.17 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130617/osk13061702020000-n1.htm

 高槻市は、真の継体天皇陵とされる今城塚古墳や中臣鎌足の墓とみられる阿武山古墳など、市内に多く残る古代の遺跡の魅力に迫ってもらおうと、古代史懸賞論文「いましろ賞」を創設し、論文を募集している。

 対象は調査・研究論文やエッセーなど。「いましろ賞」は今城塚古墳から名付けた。

 論文は4千〜1万2千字で、引用・参考文献を明記(文字数に含まない)。応募は、論文に題名、住所、氏名、電話番号、生年を記した表紙をつけて、〒569−1136、高槻市郡家新町48の8市立今城塚古代歴史館懸賞論文係へ郵送か持参する。8月31日必着。

 専門家らが審査し最優秀作(記念品と副賞10万円)1点、佳作(記念品と副賞3万円)2点を10月末に発表、12月に表彰する。問い合わせは同係((電)072・682・0820)。

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1399よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/19(水) 23:03:56 ID:WGREqq8s0
大阪に夏告げる 30日から愛染まつり
2013年6月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130619/20130619033.html

 大阪の夏祭りスタート−。“愛染さん”の愛称で親しまれる大阪市天王寺区夕陽丘町の四天王寺支院・愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)(山岡武明住職)で、30日から7月2日までの3日間、「愛染まつり」が開かれる。境内は地域住民から納められた献灯やちょうちんが並び、情緒漂う祭りムードで沸き返る。

 大阪三大夏祭りの一つで、大阪に夏を告げる風物詩。別名「浴衣祭り」。愛嬌(あいきょう)・人気・縁結びの神、愛染さんの夏祭り。秘仏・愛染明王と大日大勝金剛尊の特別ご開帳をはじめ、紅白の布と「愛染かつら」の花などの造花で飾った宝恵駕籠(ほえかご)パレード(初日)が見ものだ。

 宝恵駕籠には12人の浴衣姿の愛染娘たちが乗り、愛染女組、男組らの掛け声とともに、「愛染さんじゃ〜!ホ・エ・カッ・ゴ〜」と谷町筋を練り歩く。

 宝恵駕籠の名前の由来は、江戸時代の年号「宝永(ほうえい)」。この宝永年間(1704〜11)に芸妓(げいこ)(芸者さん)が駕籠に乗って愛染まつりに参列したのをパレードで再現している。

 十数年前までは愛染娘ではなく、実際に北新地や今里の芸者さんたちが宝恵駕籠に乗って愛染まつりのパレードをしていた。この掛け声は「21世紀に残したい大阪の音風景」(2001年)に選定されている。

 初日午後5時からは、四天王寺管長以下一山僧侶による厄よけ開運・良縁成就の大法要が行われる。連日同6時から芸能大会や祭り囃子(はやし)などが演じられる。

 【愛染まつり初日の主なスケジュール】

 同0時半ごろ〜同1時半ごろ、あべのキューズモール3階スカイコート=出発式、大阪夕陽丘学園による浴衣ファッションショー

 同3時ごろから=天王寺公園前(交番のある所)から宝恵駕籠が出発し、谷町筋西側車道を愛染堂へ。愛染堂境内奥の多宝塔の前で「駕籠あげ」

1400よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/21(金) 00:57:55 ID:xO9h7MBs0
「能勢三番叟」「絵本太閤記」 能勢の人形浄瑠璃鹿角座公演 22、23の両日
2013.6.20 13:45
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130620/wlf13062013460023-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130620/wlf13062013460023-n2.htm

  国の無形民俗文化財に選択されている「能勢の人形浄瑠璃」を発展、継承している鹿角座(ろっかくざ)の定期公演が22、23の両日、大阪府能勢町宿野の「浄(じょう)るりシアター」で開催される。今年は平成5年6月に開館したシアターの20周年を記念し、時代物の大作「絵本太功記」が上演される。

 能勢町は約200年前から語りと三味線だけの素(す)浄瑠璃が盛んで、世襲制ではなく、広く民衆から弟子を募って養成する「おやじ制」という伝承方法で庶民によって受け継がれてきた特徴をもつ。

 人形を使わない浄瑠璃だったが15年前の10年に人形浄瑠璃一座が誕生。18年にはオーディションで選ばれた地元メンバーによって「鹿角座」として新たに旗揚げされ、現在は町内外で年間30回以上の公演を行っている。

 今回の公演では、オリジナルの「能勢三番叟(さんばそう)」に続き、恋人のために放火して火あぶりの刑に処せられる八百屋のお七の物語「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)」を地元の子供が演じる。

 最後を飾る「絵本太功記」は豊臣秀吉の一代記「絵本太閤記」を浄瑠璃化した作品で、演じられるのは鹿角座の旗揚げ公演以来という。

 両日とも午後2時開演。チケットは一般2500円(当日3千円)、中学生以下1千円(当日も1千円)。当日は地元の朝採り農産物や特産物の出張販売もある。問い合わせは同シアター(電話 072・734・3241)。

1401名無しさん:2013/06/23(日) 19:40:43 ID:HT/jei8U0
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130622-OYT8T00104.htm
伝統的稲作とどめて評価 文化審答申

.◇「日根荘大木の農村景観」

 国の文化審議会の答申で、府内初の「重要文化的景観」に選ばれた「日根荘大木(ひねのしょうおおぎ)の農村景観」(泉佐野市大木)は、伝統的な稲作の様子を今にとどめることが評価された。

 重要文化的景観は、地域の風土や人々の生活で形成された文化的価値の高い風景が対象。日根荘は鎌倉時代から戦国時代にかけての荘園で、大木地区には当時のため池や水路などが多く残り、「農耕と居住が一帯となった土地利用の形態を示す景観」という。

 府内では、このほかに登録記念物(名勝)として、吹田市内にある住宅庭園「旧中西氏庭園」「旧西尾氏庭園」が選ばれた。

(2013年6月22日 読売新聞)

1402よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/23(日) 21:38:50 ID:zoK7M.KI0
AR技術使いCMとドラマ制作 住吉大社「吉祥殿」
2013年6月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130621/20130621026.html

 大阪市住吉区の住吉大社内婚礼式場吉祥殿は20日、現実の風景にデジタル情報を付け加える拡張現実(AR)技術を使ったテレビコマーシャル(CM)とドラマを制作したと発表した。また、境内の太鼓橋など3カ所でARカメラをかざすと花嫁行列の映像が流れる仕組みも構築。若者に神前結婚式をアピールしようと、最先端のAR技術と約1800年の歴史を誇る住吉大社との強力タッグが実現した。連動型映像広告は日本初の試み。

 スマートフォン(多機能携帯電話)やiPad(アイパッド)などのタブレット型端末に住吉大社専用のARカメラアプリケーション(無料)をダウンロードし、CM放送中の画面に映し出された住吉大社のロゴマークを写すと、端末に1分間のオリジナルドラマが自動的に流れ出す。ドラマは実話を元に「親子のきずな」をテーマに構成されている。

 また、同社のシンボルである太鼓橋や卯の日参道、第一本宮の3カ所では、ARアプリのカメラをかざすと、約15秒間の結婚式参列映像を見ることが可能で、結婚式の時のイメージを膨らませることができる。婚礼案内パンフレットでも同じく宴会場の様子を映像で確認できる。

 近年、チャペルや人前での結婚式が主流となり、同社の黒田昌弘マネジャーによると、神前結婚式は全体の12%だという。また、結婚式の会場探しにはインターネットや結婚情報誌が使われており、同社もホームページのリニューアルなどで対応していたが、「もう少し新しいことができないかと模索していた」と黒田マネジャー。「若い人に神前のビジュアルや内容の良さを広めていく。少しでも興味を持ってほしい」と出来栄えに自信を見せていた。

1403よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/25(火) 00:10:28 ID:FA6ulbkA0
石畳の街並みPR 大阪天満宮周辺でイベント
2013年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130624/20130624019.html

 石畳に整備された大阪市北区の大阪天満宮北側の街並みをPRするイベントが23日、同地域周辺で開かれた。子ども向けの企画などが繰り広げられ、親子連れらでにぎわった。

 同地域は、伝統的様式の建物や特徴的な道路の形状などが残り、昔ながらの雰囲気を伝える。また、落語専門の定席「天満天神繁昌亭」があり、多くの人が訪れている。

 地域関係者と大阪市は、大阪天満宮北側も含めた一帯の街並みを向上させるHOPEゾーン事業を2007年度から展開。11年度には新門周辺の道路舗装をアスファルトから石畳に整備した。

 この日のイベント「石畳がつなぐ、街と人の出会い」は天満地区HOPEゾーン協議会らが主催。大阪天満宮境内では、けん玉やこま回しといった昔ながらの遊びが体験できるコーナーを設けるなど、子どもらが楽しめる企画を中心に繰り広げた。

 同協議会の盛岡淑郎副会長は「多くの人に来てもらい、街の魅力を知ってもらうとともに、子どもたちが住んでよかったと思えるまちづくりに貢献していければ」と話した。

1404よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/30(日) 20:49:21 ID:rmhcg5Ps0
河内幻視行】
金剛山、後醍醐の皇子の夢の跡…尊氏と衝突、正成と悲劇的最期へ
2013.6.30 18:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130630/wlf13063018000015-n1.htm

 河内から大阪の街は、カスミのなかにあった。わずかにビル群のシルエットがぼんやりと浮かんでいるだけである。ときたま山裾をすべりあがってくる涼風が、汗にまみれたカラダを心地よくつつんでくれた。台地状の広場には、

 「金剛山頂 海抜1125米」

 と書かれていた。金剛山ロープウェイでやってきた。ロープウェイの金剛山駅には「海抜975米」の看板があった。てっきり駅のあたりが山頂だと思っていたが、駅員に聞くと、「左手の山道を30分ほど登ってください」と言われた。

 ガックリとなった。なにしろ先刻、千早城に登ってきたばかりである。腐葉土の匂いが鼻をうつ細い参道をフイゴのような息をつきながら、くねくねと登ってきた。

 右手には白っぽい樹皮のブナの林がせりあがり、左手は奥深い崖であった。ときたま、お年寄りたちが追い抜いていった。

 たどりついた山頂には、転法輪寺という古刹があった。赤字に白で、「役行者(えんのぎょうじゃ)神変大菩薩」の旗がいくつもはためいていた。葛城山系には、役行者が開基の寺がいくつもある。その大本山である。

 案内板によると、この山に登拝することは「こんごせ参り」と呼ぶらしい。「こんごせ」とは、「こんごうさん」が訛(なま)ったのであろう。

 役行者は修験道の祖である。南北朝の動乱のさい、葛城山系の修験者たちを南朝方につけたのは、後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良(おおとうのみやもりよし)親王であった。護良は「もりなが」とも読むが、近年は「もりよし」との読みが一般的である。

1405よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/30(日) 20:51:35 ID:rmhcg5Ps0
>>1404

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130630/wlf13063018000015-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130630/wlf13063018000015-n3.htm

 後醍醐天皇が元弘元(1331)年9月、幕府につかまり、隠岐島に遠流されて以降、孤軍奮闘をつづけたのは、護良と楠木正成であった。護良は葛城山だけでなく、吉野から十津川、熊野の山中を転々とし、各地の武士団や修験者たちのオルグに奔走した。

 正成は下赤坂城の陥落後、その行方は不明であった。金剛山の山奥深くに潜伏し、河内一帯の同志たちと連絡を取り合っていたのであろう。

 ふたりの共同謀議が、どこで行われたのかは分からない。ここ、転法輪寺だったと思いたい。

*  *  *

 作家、北方謙三は『楠木正成』のなかで、正成にたいし、護良に令旨(りょうじ)を発するよう促したうえ、こう言わせている。

 「とにかく、この金剛山頂の転法輪寺からは、全国に令旨を発していただきます。(略)大塔宮様がおられるかぎり、どこかで蜂起はあるだろうと、私は思っております」

 令旨とは、親王が発する命令書である。天皇が発する綸旨(りんじ)よりも「格下」だが、後醍醐は配流の身だったから、当時、護良の令旨は最高の権威を持っていた。

 南九州から越後までの武士団にたいし、約60通にのぼる令旨を発した。内容は軍勢の督促や、領地の安堵、拡大などである。

 ふもとにある千早城で元弘3年はじめ、楠木正成が幕府の大軍をまえに100日以上も持ちこたえたのは、修験者たちからの物資や武器の補給があったからであろう。それを指示したのが、護良であったはずである。

 護良も吉野に城郭を築き、3千余騎の兵とともに籠城した。正成の千早城と両面作戦で、幕府を打倒するのがネライであった。

 ふたりには共通点もある。その最期が、あまりにも悲劇的であったことだ。

 「大塔宮護良親王尊像」と題された肖像画がのこされている。長髪で、やや下膨れの頬にヒゲをたくわえている。眉はキッとつりあがっているが、二重瞼の目は、どこかやさしげである。

 後醍醐が隠岐からの脱出に成功すると、幕府側からは足利尊氏をはじめとする謀叛(むほん)者があいついだ。幕府はあっけなく滅ぼされ、護良は元弘3年6月、意気揚々と京に入った。『増鏡』には、こう書かれている。

 「大塔の法親王、都に入り給ふ。この月ごろに御髪(ぐし)おほして、えもいはず清らかなる男になり給へり」

 肖像画のとおりの姿であったのであろう。だが護良の運命は、ほかならぬ父親によって暗転する。後醍醐にとって、やっかいだったのは護良が各地に発した令旨であった。みずからが発した綸旨と矛盾する内容が多く、「勝手なことをしよって」という思いだったはずである。

 護良は武門の棟梁をめざし、征夷大将軍になった。当然、尊氏と悶着(もんちゃく)を起こすことになる。もちろん尊氏のほうが、武士としては一枚上であった。ヤケッパチになった護良は尊氏暗殺をこころみるが、あえなく失敗し、鎌倉に送られた。

 建武2(1335)年7月、どさくさにまぎれて斬首された。28歳であった。翌年5月、兵庫・湊川の戦いで壮絶な最期をむかえる正成は護良の死に、同志をうしなったような複雑な思いを抱いたはずである。

(福嶋敏雄)

=続く

1406よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/30(日) 20:52:38 ID:rmhcg5Ps0
大役拝命にキリリ 天神祭、神童ら6人に装束と辞令
2013年6月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130630/20130630025.html

 天神祭(7月24、25日)の諸行事のスタートとなる祭りに奉仕する神童ら4役6人に辞令を交付し、当日着用する装束を渡す儀式「装束賜(たばり)式」が29日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われた。6人は装束姿で本殿に参拝し、拝命を奉告した。

 今年の神童に選ばれたのは西天満小6年、井上達望(たつみ)君(11)。長年、猿田彦を務める波多野肇さん(72)のほか、随身の山下淳君(15)、北村亮裕君(15)、牛曳童児の能任晋作君(11)、牛曳童女の野村珠美さん(11)とともに、寺井種伯宮司から辞令を交付された。

 寺井宮司は「体に気を付けてしっかりと御奉仕してください」とあいさつ。寺井種治権宮司が祭りの当日まで葬儀や通夜などに参列しないことなど、奉仕者が守らなければならない決まり事を伝えた。その後、6人は装束姿で本殿に参拝し、拝命を報告する「社参之儀」が執り行われた。

 神童の井上君は祭りの本番を前に「楽しみと緊張の両方」と話していた。

1407よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/30(日) 20:54:53 ID:rmhcg5Ps0
夏呼ぶ「べっぴんさん」 大阪、愛染まつり始まる
2013/6/30 16:10
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK3000D_Q3A630C1000000/

 大阪に夏の訪れを告げる「愛染まつり」が30日、大阪市天王寺区の勝鬘院愛染堂で始まった。高さ日本一の超高層ビル「あべのハルカス」を背に、浴衣姿の愛染娘が乗ったかごが「べっぴんさんじゃ」「商売繁盛」と掛け声を上げて練り歩き、沿道に詰めかけた観衆は熱気に包まれた。

 愛染娘12人が乗り込んだ6台のかごは午後1時40分ごろ、天王寺公園前を出発。かねや太鼓を鳴り響かせながら約1.5キロ先の愛染堂までを1時間近くかけ進んだ。

 この日の午後2時の気温は28.7度。奈良県大和郡山市から写真撮影に訪れた白井芳博さん(63)は「いよいよ夏が始まるのだなという風情を感じる」と話した。

 愛染まつりは593年に聖徳太子が始めた日本最古の夏祭りとされ、商売繁盛などを願う。愛染娘は約300人の中から選ばれた。7月2日まで。〔共同〕


夏呼ぶ「べっぴんさん」 大阪・愛染まつり 「あべのハルカス」を背に浴衣娘が笑顔振りまく
2013.6.30 17:17
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130630/wlf13063017220014-n1.htm

 大阪に夏の訪れを告げる「愛染まつり」が30日、大阪市天王寺区の勝鬘院愛染堂で始まった。高さ日本一の超高層ビル「あべのハルカス」を背に、浴衣姿の愛染娘が乗ったかごが「べっぴんさんじゃ」「商売繁盛」と掛け声を上げて練り歩き、沿道に詰めかけた観衆は熱気に包まれた。

 愛染娘12人が乗り込んだ6台のかごは午後1時40分ごろ、天王寺公園前を出発。かねや太鼓を鳴り響かせながら約1・5キロ先の愛染堂までを1時間近くかけ進んだ。

 この日の午後2時の気温は28・7度。愛染まつりは593年に聖徳太子が始めた日本最古の夏祭りとされ、商売繁盛などを願う。愛染娘は約300人の中から選ばれた。7月2日まで。

1408よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/02(火) 22:17:23 ID:W8LJ./v.0
宝恵かごに笑顔乗せ 愛染まつり始まる
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130701-OYT8T00031.htm

 天神祭、住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭りの一つ「愛染(あいぜん)まつり」が30日、大阪市天王寺区の四天王寺支院・愛染堂で始まり、浴衣姿の愛染娘12人を乗せた「宝恵(ほえ)かご」行列が街に繰り出した。

 593年、無病息災を願い、聖徳太子が開いた日本最古の祭りとされる。メーンを飾る「宝恵かごパレード」は、芸妓(げいこ)がかごに乗って参拝した江戸時代の様子を再現。愛染娘らは、ちょうちんや造花で飾られたかごに乗り、太鼓の音に合わせて「愛染さんじゃ、ほーえーかーごー」と声を上げ、阿倍野区の商業施設から愛染堂までの約1・5キロで愛嬌(あいきょう)を振りまいた。

 愛染娘の一人、斎藤亜美さん(24)は、「みなさんに元気を与えられるよう、笑顔で手を振りました」とほほえんだ。祭りは2日まで。

(2013年7月1日 読売新聞)

1409よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/02(火) 22:18:28 ID:W8LJ./v.0
墓域さらに拡大か 茨木・千提寺キリシタン墓地
2013年7月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130702/20130702022.html

 キリシタン大名、高山右近の領地だった大阪府茨木市千提寺で発掘されたキリシタン墓地についての発掘報告会が1日、大阪市北区のサクラファミリア聖堂で行われ、発掘に携わった府文化財センターの亀井聡さんが講演した。

 千提寺では、新名神道路建設に伴った発掘事業が2011年から行われており、新たに16〜17世紀前半のキリシタンを葬ったとみられる墓地群が見つかった。キリシタン墓地の発掘は全国で6例目。

 同時期の一般的な埋葬が円・方形墓に遺体をかがめて納められているのに対し、キリシタン墓地は長方形型で横に寝かせた状態「伸展葬」になっているのが特徴。墓の長短はあるが、同じ方角を向いて設置されている。

 今回の発掘は、千提寺西、千提寺南、千提寺市阪、千提寺クルス山の4遺跡34調査区で行われ、発掘された中近世の墓地280基のうち、32基がキリシタン墓地と推測される。

 亀井さんによれば、今回の発掘事業範囲外だったクルス山の南側尾根にはやや広い平たん面があり、墓域の範囲が広がる可能性があると指摘していた。

 千提寺は北摂山地の佐保川と大岩川に挟まれた山間部に位置。1919(大正8)年に上野マリヤ墓碑が発見されたことにより、隠れキリシタンの存在が明らかになった。

1410よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/04(木) 23:05:54 ID:X3JpG1wQ0
文楽を通して社会問題考察 大阪市社協、参加募る
2013年7月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130704/20130704033.html

 大阪市社会福祉協議会は13日午後1時から同5時まで、大阪市中央区高津の高津宮で開く「閃きフューチャーセッションvol.3〜文楽を通して社会問題を考える〜」の参加者を募集している。

 大阪の文化である文楽の作品の中には、現代に通じる社会問題が数多く取り上げられていることから、文楽の世界に思いをはせながら、対話を通して現在の社会問題を考える。

 テーマに関心のある一般市民が対象で、定員は40人。受講料千円が必要。文楽のミニ鑑賞会もある。

 問い合わせは電話06(6765)4041、同協議会へ。

1411よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/04(木) 23:45:07 ID:X3JpG1wQ0
きらめく 太閤通宝…なにわの夢募金で
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130704-OYO1T00236.htm?from=newslist

 国の特別史跡・大阪城(大阪市中央区)の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を発掘、公開する資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」で、1万円以上の寄付者に贈られる記念メダル「太閤通宝」の製造が3日、大阪市北区の造幣局で始まった。

 メダルは、直径27ミリの丹銅製。表面の中央部には、見る角度によって図柄が変わる「潜像」の技術で、秀吉のシンボルである瓢箪(ひょうたん)と大阪市章の澪標(みおつくし)がデザインされている。裏面には、秀吉時代の城があしらわれている。

 募金は大阪市と読売新聞大阪本社の共同プロジェクトで、4月の募金開始から、すでに3000万円以上(6月末現在)が集まっている。メダルは8月以降、順次発送する。

 寄付は、ゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi‐ishigaki.com/)からクレジットカードによる申し込みで受け付け。振り込みの場合は、市役所や各区役所などで配布している専用用紙が必要。寄付額に応じ、所得税、住民税が控除される。問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2013年7月4日 読売新聞)

1412名無しさん:2013/07/06(土) 20:36:27 ID:kxrq/ohQ0
大阪日日新聞
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130706/20130706035.html

八軒家浜で「船渡御」見よう 25日イベント
2013年7月6日
 25日の天神祭の船渡御を京阪電鉄、大阪市営地下鉄谷町線「天満橋」駅すぐの八軒家浜(大阪市中央区)から楽しめるイベント「夏や!天神祭や!みんなで行こう!船渡御観覧in八軒家浜」が現地で行われる。落語家の桂壱之輔さんらが、目の前で繰り広げられる船渡御の解説役を務める。

 水都・大阪の魅力に触れる機会の創出をと、船渡御に合わせて八軒家浜に観覧スペースを設けた「天神祭・水都大阪プロジェクト2013」の一環として、今年で4年目を迎える。大阪府と日本旅行が主催。

 午後6時から。当日は桂壱之輔さんとともに、講談師の旭堂小二三さんが船渡御の解説を行い、祭り気分を盛り上げる。ラジオ大阪で放送中の旅番組「のりのりトラベラー」に出演中のトラベルアイドルの3人も参加し、花を添える。

 メーンシートは3千円、ゆったりシート4千円、ベンチシート3千円(いずれも大人料金で、メーンシートのみ子どもは無料)。このほか団体シートなどもある。各シートは飲み物(ビールまたはソフトドリンク)2杯とおつまみ付き。

 申し込みは専用受け付けホームページ(http://v3.apollon.nta.co.jp/tenjin/)で受け付けている。締め切りは17日。

 問い合わせは電話06(6342)0230、日本旅行西日本MICE(マイス)営業部へ(平日の午前9時45分〜午後5時45分)。

1413名無しさん:2013/07/06(土) 21:08:31 ID:kxrq/ohQ0
YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130706-OYT8T00060.htm
高槻市が懸賞論文「いましろ賞」創設

.◇古代史テーマに

 高槻市教委が、古代史の懸賞論文「いましろ賞」を創設した。「真の継体天皇陵」とみられている今城塚古墳など、市内の歴史遺産について論文やエッセーにつづる機会を設けることで、歴史のまちのPRにつなげる。

 市内には、今城塚古墳のほか、藤原鎌足の墓との説がある阿武山古墳、弥生時代の集落跡・安満(あま)遺跡など、古代の史跡が多い。こうした史跡や関連する人物をテーマに、発掘調査の結果や文献、史料に基づいて調査・研究した論文やエッセーを募集する。

 選考委員は白石太一郎・府立近(ちか)つ飛鳥博物館長(日本考古学)と、塚口義信・堺女子短大名誉学長(日本古代史)、浜田剛史市長が務める。4000〜1万2000字で、図表や写真も添付できる。最優秀作1編、佳作2編が選ばれ、それぞれ副賞10万円と3万円に加えて、記念品が贈られる。

 受付期間は8月31日必着で、〒569・1136高槻市郡家新町48の8、市立今城塚古代歴史館へ、郵送か持参。選考結果は10月下旬に発表され、入賞者に通知される。問い合わせは、同館(072・682・0820)へ。

(2013年7月6日 読売新聞)

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1415よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/07(日) 21:12:30 ID:k6dmgzn20
大阪ええとこいっぱいありまっせ〜。KANSAIウオークで幕末史跡をたどる
2013.7.7 10:06
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130707/wlf13070710090006-n1.htm

 関西地方各地の名所を歩く「KANSAIウオーク2013」(産経新聞社主催、ライオン特別協賛)の第1回「大阪市内エリア」が6日開かれた。千人以上が参加し、天王寺区の四天王寺から中央区の大阪城まで幕末の史跡を巡った。

 今回のテーマは「NHK大河ドラマ『八重の桜』ゆかりの大阪の幕末史跡を歩く」。約8キロのファミリーコースと約16キロのスペシャルコースがあり、参加者らは、鳥羽・伏見の戦いで亡くなり一心寺に眠る会津藩士の墓所、新撰組が京都とは別に構えた大坂屯所跡など、激動の舞台に触れた。

 ゴールした中学生以上の参加者にはライオン製品詰め合わせなどが贈られた。

 第2回「奈良・斑鳩エリア」は9月28日に、第3回「京都エリア」は11月30日に開かれる。

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1417よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/09(火) 22:21:34 ID:bpEvuQi.0
昔も一票に必死 戦前のチラシなど展示
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130709-OYT8T00112.htm

 参院選に合わせ、大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前)は明治後期の選挙人名簿や、昭和初期の候補者チラシなど、過去の選挙の印刷物9点を展示している。9月23日まで。

 1928年(昭和3年)の第1回普通選挙で配られた候補者チラシ5枚は、B5判の2色刷り。大阪1区から出馬した候補者の名前入りの投票用紙や富士山を描き、「貴下の一票に生きる」「孤立無援」など、同情票を得ようとする言葉が並んでいる。

 1902年(明治35年)の衆院選の有権者人名表には、大阪市東区(現在の中央区の一部)の1707人の名前が記されており、当時の高額納税者のリストともいえる。このほか、11年の府議候補者の推薦状や、29年の大阪市議選の立候補者あいさつ状もある。

 来館者で、吹田市出口町の会社員、岡本一也さん(33)は「チラシの図柄には今よりも斬新な部分がある。一票を巡る候補者の切実な思いを感じられる」と話していた。

 入館料は大人600円。問い合わせは同博物館(06・6946・5728)へ。

(2013年7月9日 読売新聞)

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1421よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/11(木) 21:16:09 ID:nZkDu6T20
“お仕事”頑張れ〜 アイガモを御神田に放鳥
2013年7月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130711/20130711039.html

 住吉大社(大阪市住吉区)で10日、アイガモ農法で使うアイガモを御神田に放鳥する行事が行われた。市立粉浜幼稚園(同市住之江区)の園児らがアイガモのひなを抱え御神田にそっと放つと、かわいらしい様子で泳ぎ回っていた。

 御神田は約2300平方メートル。神事に使用されるイネが栽培されており、約20年前から害虫駆除などを目的にアイガモを放っており、2年前から地元の幼稚園児らが放鳥に参加している。

 この日は約30人の園児らが2人一組となり、生後約2週間のアイガモのひな20羽を抱え、御神田に放った。園児らは田んぼの中を泳ぎ回るひなに「頑張れ」「いっぱい食べて大きくなってね」などと声を掛けていた。

 ひなを放鳥した前田梨姫(りこ)ちゃん(5)は「かわいかった」と話していた。

1422よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/11(木) 21:39:27 ID:nZkDu6T20
随分と前の記事ですが、今日、大阪日日新聞さんのニュースランキングで一番に来ていましたので、紹介します。
ちょっと話がそれますが、今、大河ドラマ「八重の桜」が会津戦争を取り上げ、前半のクライマックスを迎えていますね。
会津藩は藩士は戦士として、どこの藩にも負けないぐらい優秀だったが(それは会津戦争の六年後の西南戦争で証明されたと言えるでしょう)、残念ながら使っている武器の殆どが旧式であったが為に新政府軍に抗しきれなかった。
では、日本には優秀な武器を作る技術が無いのかと言えばそうではない。
それはこの記事にある火縄銃が非常に優れていた点からみて間違いない。

もし、日本が鎖国をせず、大々的に海外との交流を続けていれば、当然、外国との戦争を意識せざるを得ないので武器の技術は更に進んでいたのではないかと思います。

さて今の日本、国を守るに欠かせぬ武器の技術(おっと、自衛隊では装備と呼ぶんだった、面倒くさい意味の無い言いかえだね)はどうなんでしょうかね。
本当に世界の潮流から、世界の最先端から遅れていないのでしょうかね。

なにか事があって、事後の世界の人たちから「日本の自衛隊は隊員は優秀だったけど、使っている武器が旧式でね、それで負けたんだ」と言われる恐れはないのでしょうか。
かつての会津藩のようにならないと言い切れるのでしょうかね。
私は非常に不安に思っています。


真田幸村ゆかりの火縄銃 大阪に“里帰り”
2012年12月31日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121231/20121231018.html

 大坂夏の陣(1615年)で豊臣方として奮戦した信州上田の武将真田幸村が、茶臼山の徳川軍を襲った際、目前の家康を狙撃する寸前、馬上から落としたと伝わる8連発の最新火縄銃「馬上宿許筒(しゅくしゃづつ)」がこのほど大阪市内で公開された。敗軍の将ゆえに現存する幸村ゆかりの品は極めて少ないことから貴重な歴史的遺物に注目が集まっている。

 公開したのは「堺鉄砲研究会」を主宰し、テレビのお宝鑑定番組の鑑定人としても知られる研究家澤田平さん(同市東成区)。澤田さんは当該の銃が和歌山・紀州藩の記録書「南紀徳川史」に図解入りで「神祖(家康)を狙撃し奉りしもの」と記されていることから、長年にわたって銃の所在を調査。その中で紀州徳川家から家臣で砲術家の勝野家へ預けられていたが、戦後、日本に駐留したGHQ(連合国軍総司令部)による武装解除に紛れて米国に持ち帰られていたことが分かった。

 堺の鉄砲鍛冶(かじ)・芝辻が手掛けた作品で、発射ごとに火ぶたが開閉、1発分の火薬と弾丸を装填(そうてん)するなど一般の火縄銃と比べて5倍以上の連射速度を誇る半自動機構を持つ。澤田さんは2年前、米国の銃器研究家ロバート・キンブロー氏の著書を頼りに、元GHQだった所有者がオレゴン州在住であることを突きとめて渡米。「日本の文化財だけでなく世界の文化財」と熱を込めて説得を続けた後、ようやく譲り受け“里帰り”の運びとなった。

 帰国した銃は今年の7〜9月に幸村の故郷、長野県上田市にある真田氏歴史館の特別展で初公開。銃にとっての故郷大阪では、澤田さんが講師を務める大阪府高齢者大学校のカリキュラム「戦国武将から生き方を学ぶ」の中で披露された。受講生は「歴史に『もし』はないが、この銃が家康に向けて火を噴いていたら戦況が大きく変わっていたかもしれない」という解説に興味深く耳を傾け歴史ロマンに思いをはせていた。

 澤田さんは「『歴史的遺物から史実を知る』をテーマに掲げて幸村公の人物象に迫りたい」と意気込みを語り、さらに研究意欲を燃やしている。

1423よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/11(木) 22:16:02 ID:nZkDu6T20
いくたま夏祭始まる
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130711/5852081.html?t=1373547434421

大阪で生國魂神社の夏祭りがきょうから始まり、無病息災を願って太鼓の一行が大阪の街を練り歩きました。
きょうは大阪・天王寺区の生國魂神社でいくたま夏祭の始まりの儀式が行われ、巫女が舞を奉納した後、榊をお供えして祭りの成功を祈りました。
そして、無病息災を願う「願人」と呼ばれる人たちが直径1メートル余りの太鼓を体を後ろへ反らせて叩きながら、大阪の街を練り歩きました。
いくたま夏祭は大阪の神社で行われる三大夏祭りのひとつといわれ、大阪天満宮の天神祭や住吉大社の住吉祭とともに親しまれています。生國魂神社の神主の中村文隆さんは「お祭りが始まって夏が始まったなという印象です。このお祭りは人々の無病息災を祈って始まったものなので、お祭りに参加して暑い夏を乗り切って欲しいです」と話していました。
いくたま夏祭は12日まで行われます。

07月11日 15時36分

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1425名無しさん:2013/07/13(土) 21:29:09 ID:FKOD2etM0
水道橋博士に続く途中降板アリ!? テレビ大阪「天神祭生中継」
2013.7.13 16:38

 テレビ大阪の夏恒例「2013 天神祭生中継」(25日午後6時59分)の制作発表会見が13日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。

 開局以来、今年で32回目を迎える伝統の中継。「川に風、空に華、人に熱」をテーマに、16台の中継カメラが同局屋上の特設スタジオをはじめ、天満宮境内や参道、船渡御や奉納花火などの様子を網羅する。

 司会は10年連続となる西川きよしと2年ぶりのハイヒールリンゴ・モモコ。ほかに、萬田久子や三田村邦彦、海原やすよ・ともこ、眞鍋かをりら同局の人気番組の出演者が花を添える。

 きよしは「祭りに来られない、画面の向こうの方々に楽しんでもらえるよう頑張りたい」と決意。当日は華麗な浴衣姿を披露するハイヒールの2人は、統括プロデューサーが、水道橋博士の降板騒動で話題の「たかじんNOマネー」と兼務していることになぞらえ、「(出演者の)誰かが怒って番組途中で帰らないように。いや、当日一番怒るのは私らの(化粧を担当する)メークさんかも」と笑わせていた。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130713/wlf13071316520015-n1.htm

1426名無しさん:2013/07/14(日) 03:04:52 ID:9KsQJV7Y0
くいだおれ太郎と船上で大阪デビューしたタヌキ

大阪・道頓堀で語り継がれる芝居好きのタヌキ「柴(しば)右衛門(えもん)」の伝説にちなんだ阿波木偶(でこ)人形が13日、「くいだおれ太郎」とともに道頓堀川で行われた難波八阪神社の伝統行事「船渡御(ふなとぎょ)」に参加した。

 かつて道頓堀に立ち並んだ芝居小屋の一つ、中座にまつられ、「人気の神様」として信仰を集めた柴右衛門。人形は「道頓堀の歴史を伝える新たなシンボルに」と発案され、徳島県の人形師が制作、この日、大阪デビューを果たした。

 人形は見物客に船上から手を振り、太郎は吹き出しで「おめでたいことでおます」と歓迎。この後、仲良く並んで中座跡地のビルに飾られた。

(2013年7月13日21時20分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130713-OYT1T00838.htm?from=ylist

1427名無しさん:2013/07/14(日) 03:10:19 ID:9KsQJV7Y0
水都の夏にぎやかに 道頓堀川で船渡御巡幸
2013.7.13 23:31

 大阪・ミナミの道頓堀川で13日夜、難波八阪神社(大阪市浪速区)の船渡御巡幸が行われた。ちょうちんや紅白幕などで飾られた渡御船団が水面をゆっくりと行き交い、水都の夏の風情を盛り上げた。

 難波八阪神社の船渡御は無病息災を祈願する神事で、江戸時代にはすでに、盛大に行われていたという。江戸中期以降、一時途絶えてしまったが、氏子衆や地元の支援で平成13年、230年ぶりに復活した。

 復活13回目の今年は、篝火(かがりび)船など全部で22隻の船に法被姿の氏子ら計約600人が乗り込み、地元商店街が掲げたちょうちんの光が映る川を、太鼓やかねの音をにぎやかに響かせながら往復した。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130713/wlf13071323380023-n1.htm

1428名無しさん:2013/07/14(日) 03:23:14 ID:9KsQJV7Y0
猛暑上等!豪快お練り いくたま夏祭
2013年7月12日
 “いくたまさん”の呼び名で親しまれる生国魂神社(大阪市天王寺区生玉町、中山幸彦宮司)で11日、恒例の「いくたま夏祭」が宵宮で幕開けした。同市の日中の最高気温が34・7度と厳しい暑さの中、太鼓やみこしなどの列が氏地を巡行。大阪天満宮、住吉大社と並んで“大阪三大夏祭り”と称される一大祭りの到来を触れて回った。12日まで。



 祭りには豊臣秀吉が同神社に奉納したことが起源となり今日まで伝統が受け継がれている枕太鼓をはじめ、金みこし・銀みこし、子ども太鼓、獅子舞など合わせて約千人の老若男女が参加した。それぞれが同神社に伝わる独特の手締め「いくたま締め」を決めた後、順次境内を出発し、同区のほか中央区などの氏地をにぎやかに練り歩いた。宮入り後、夜の境内では枕太鼓などの豪快なお練りが繰り広げられ無数の参拝者を魅了した。

 本宮の12日には、かつての同神社鎮座の場で、大阪城公園内にある「大阪城駐輦(ちゅうれん)所」などへ向かう渡御などが執り行われる。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130712/20130712020.html

1429名無しさん:2013/07/14(日) 15:56:34 ID:fVy8sQm60
青葦30束を奉納 大阪天満宮
2013年7月14日
 目前に迫った天神祭(24、25日)を前に、同祭で表大門に設けられる大茅ノ輪(おおちのわ)や鉾流(ほこながし)神事などに用いられる茅ノ輪となる青葦(あおよし)を、滋賀県近江八幡市から運んで奉納する「青葦奉納式」が13日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われた。

 この日午後、近江八幡和船観光協同組合の関係者ら約10人が、12、13の両日に現地で刈り取った高さ約3〜4メートルの青葦30束を大阪天満宮に奉納。本殿でおはらいを受けた。

 葦には水を浄化する作用があり、罪や汚れもはらうという信仰から、茅ノ輪くぐりの神事が発生したとされる。琵琶湖の水が24時間で大川に到達することから、1998年より同組合から葦の提供を受けている。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130714/20130714024.html

1430名無しさん:2013/07/14(日) 15:58:18 ID:fVy8sQm60
渡御列川面照らす 難波八阪神社夏祭
2013年7月14日
 難波八阪神社(大阪市浪速区、藤枝春紀宮司)夏祭宵宮の船渡御巡行が13日夜、大阪・ミナミの道頓堀川で行われた。22隻による渡御列は、観光客や若者らでにぎわう日吉橋−日本橋間を往来。「川祓(はら)え」神事を行うとともに、東日本大震災からの早期復興を祈念した。

 同神社の船渡御は、大阪天満宮の船渡御と並び盛大に開催されてきたと伝えられている。江戸中期以降、一時期途絶えていたが、2001年に氏子や地元企業らによる支援で復活した。

 渡御列は夕方、浪速区の湊町リバープレイス船着場に向けて同神社をスタート。社旗を掲げた御旗船を先頭に氏神様の御霊(みたま)を乗せた鳳輦(ほうれん)船など渡御列のちょうちんの明かりが、週末の多くの人手でにぎわう道頓堀川の水面を優雅に照らしていた。

 14日の本宮では、陸渡御が行われ、みこしなどの渡御列が浪速や、西、中央区を巡行する。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130714/20130714022.html

1431よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/15(月) 19:22:56 ID:qgQ9NXQw0
先陣切る催太鼓準備 「台絡み」380人早朝から作業
2013年7月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130715/20130715036.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」(24、25日)を前に15日、大阪市北区の大阪天満宮で、25日の陸渡御の先陣を切る催(もよおし)太鼓の担ぎ棒などを組み付ける「台絡み」が執り行われた。太鼓を担ぐ「太鼓中」のメンバーら約380人が、早朝から作業に取り組んだ。

 催太鼓は、陸渡御の先頭を務める大役で、太鼓を打ち鳴らす願人(がんじ)や担ぎ手らが「チェーサジャー」の掛け声で勇壮に進む。23日夜の前夜祭と24日の宵宮にも登場する。

 この日、午前6時ごろから集まったメンバーらは、麻ひもを結んだり、担ぎ棒を押さえて木づちでたたいて締めつけたりと声を掛け合いながら、伝統の手法に従って作業を進めた。

 願人を務めてことしで10年目という前田光俊さん(25)は「願人ができるのはことしで最後。精いっぱい頑張りたい」と気を引き締めた。

 戦後第1回から催太鼓に携わってきた太鼓中の西川輝彦総代(74)は「けがのないよう、元気にやってもらうのが何よりも大切」と作業を見守った。


大川で奉納ドラゴンボート選手権 50チーム熱戦
2013年7月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130715/20130715037.html

 天神祭奉納「2013日本国際ドラゴンボート選手権大会」(天神祭渡御行事保存協賛会、日本ドラゴンボート協会など主催)が14日、大阪市の八軒家浜前の大川で開かれた。関西を中心に全国から、50チーム、1250人が参加し、熱戦が繰り広げられた。

 ドラゴンボートは中国を起源とする手こぎボートで、こぎ手、かじ取り、太鼓の3役が乗船してレースを行う。

 開会式では大阪天満宮の神職のおはらいで安全を祈願した後、大会会長の小野清子・アジアドラゴンボート連盟副会長が「試合は短い時間だが練習の成果をそこに集中してほしい」と開会を宣言。

 強い日差しが照りつけ、セミの鳴き声が響く中、ライフジャケットに身を包んだ選手たちが、太鼓のリズムで勢いよくパドルを動かすと、ドラゴンボートが水しぶきを上げながら突き進み、100分の1秒を競って248メートルの大川特設コースを疾走した。

 25回目となる同大会は、2014年に中国・マカオで開かれる「第11回アジア選手権大会」への代表最終選考を兼ねて実施された。


仮装姿でアピール みこしギャル80人決まる
2013年7月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130714/20130714021.html

 大阪の夏を彩る天神祭(24、25日)を女性パワーで盛り上げる「天神祭ギャルみこし」の担ぎ手、みこしギャルの選考会が13日、大阪市北区の市立住まい情報センターで開かれた。297人の応募の中から書類選考を通過した185人が、アイデアに富んだ仮装姿で参加。てんびん棒を担いで意気込みをアピールし、80人のみこしギャルを選出した。

 ギャルみこしは天神祭宵宮の前日に当たる23日に天神橋筋商店街などを巡行。今年で33回目を迎える。

 選考会は「仮装deワッショイ!」と題し、一般にも公開された。参加した女性らはレオタードやチャイナドレス、浴衣など好きな仮装でステージに立ち、両端に重さ約70キロの俵をつるしたてんびん棒を「ワッショイ」と威勢の良い掛け声とともに持ち上げた。

 「酔っぱらったおじさん」をテーマに、はげ頭のかつらをかぶりネクタイを頭に巻いた仮装で参加した東大阪市の会社員、神谷歩未さん(25)は、「緊張したけど笑ってもらえて楽しかった」と話していた。

1432名無しさん:2013/07/16(火) 21:41:22 ID:zJgQlu8Y0
目前の祭りPR 天神祭、ディアモールで花娘ら
2013年7月16日
 天神橋筋商店連合会のキャンペーンガール「天神天満花娘」が15日、大阪市北区の地下街、ディアモール大阪で、目前に迫った天神祭(24、25日)のPRイベントに参加した。地下街の利用者にパンフレットを配り、日本三大祭りの一つに数えられる天神祭の魅力をアピールした。

 花娘は2003年から同連合会が公募し、今年は98人の応募の中から10人が選ばれ、7日に大阪天満宮で行われた「星愛七夕まつり」でお披露目された。

 この日のキャンペーンには花娘5人が参加。紅白の梅をあしらった花飾りなどの衣装で登場。「そうらえ 聞きそうらえ われら 天神花娘」と口上を披露した。その後、地下街を訪れている人らにパンフレットを配り、祭りをPRした。

 同連合会の土居年樹会長は「華やかでにぎやかなのが天神祭の特徴。ぜひお越しを」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130716/20130716025.html

1433よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/18(木) 05:26:41 ID:VdgnbFRA0
スケジュール確認 天神祭控え打ち合わせ
2013年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130717/20130717025.html

 日本三大祭りの一つに数えられる天神祭(24、25日)を前に、同祭の関係機関の担当者による総合打ち合わせが16日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。目前に迫った祭りを前に、出席者が本番のスケジュールを確認するとともに、安全かつ盛大な斎行を誓った。

 大阪天満宮をはじめ天神祭渡御行事保存協賛会や警察、消防、警備会社などの関係機関から約70人が出席した。

 寺井種伯宮司は「盛大な斎行に一段の力添えを」と呼び掛けた。同祭実行委員会の京極俊明実行委員長は「天神祭も本宮まであと9日。忌憚(きたん)のない意見を」、同協賛会の栗原宏武副会長は「安全第一に伝統ある祭りが行われることを希望する」とあいさつした。

 この後、大阪天満宮の担当者から25日の陸渡御、船渡御のスケジュールなどが報告された。


天神祭盛り上げへ 純金扇面お目見え
2013年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130717/20130717028.html

 24、25日に斎行される大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭を前に、同祭を記念した純金製扇面の展示が16日、同市中央区心斎橋筋の貴金属ジュエリーの老舗ギンザタナカ心斎橋店で始まった。きらびやかな扇面に勇壮な地車などが彫り込まれ、日本三大祭りにふさわしい輝きとともに店頭を飾っている。参考価格は6千万円。展示は26日まで。

 作品(幅約75センチ、高さ約50センチ)には純金約7キロが使用されており、完成までに約3カ月を要した。中央に地車の細やかな正面図を配し、両脇に同宮の社紋である梅鉢紋のデザインと「祝 天神祭」の文字をあしらった。商店街に面した店頭ショーケース内にはこのほか、錦絵「浪速天満祭」をデザインした金箔扇子も並び、道行く人々が豪華なディスプレーに見入っていた。同店の小野勝由店長は「見て楽しめる作品で祭りムードを盛り上げる一助となれば」と話している。希望者には販売に応じる。

1434よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/18(木) 21:40:35 ID:AnffnVds0
都心に歴史絵巻再現 御霊神社夏祭り船渡御
2013年7月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130718/20130718019.html

 大阪市中央区淡路町の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)で17日、夏祭りの奉幣祭が盛大に執り行われた。おととし約140年ぶりに復活した船渡御のほか武者行列など、都心で歴史絵巻を思わせる光景を再現した。

 同神社の船渡御は1780(安永9)年に始まったと伝わり、明治初期に中断されるまで約500人が参加する一大祭事として親しまれた。2011年に発生した東日本大震災を受け、大阪から元気の発信を目指して復活に至った。

 過去2回が昼間だったのに対して、今年は本来の船渡御の姿に戻そうと夕刻に斎行。船場武者講をはじめ、江戸堀猿田彦講、西船場獅子講、靱太鼓講などから約150人が集まった。一行は武者姿などで御堂筋を練り歩いた後、淀屋橋から3隻の船に分乗。土佐堀川、堂島川を経て、木津川沿いにある同神社行宮(同市西区南堀江)を船上から遥拝した。

 園宮司は「多くの方の協力を得ながら、一歩ずつ資料に描かれている元の祭事の姿に戻していきたい」と話し、勇壮華麗な行列を見守った。

1435よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/18(木) 21:43:41 ID:AnffnVds0
「浪花鑑」の成功祈願 文楽の吉田玉女さん
2013年7月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130718/20130718021.html

 国立文楽劇場で20日から始まる「夏休み文楽公演」の第3部サマーレイトショー「夏祭浪花鑑」(午後6時半開演)で団七九郎兵衛の人形を遣う吉田玉女さんが17日午後、芝居の舞台になる大阪市中央区高津の高津宮(高津神社)を参拝し公演の成功祈願を行った。

 この日は同宮の夏祭り宵宮。お神輿(みこし)が近くの黒門市場から宮入りし、団七九郎兵衛の人形と玉女さんが合流し境内を練り歩いた。同演目はちょうど同宮の夏祭りを背景にしており、玉女さんは「身近に起こった出来事なのでとても気合が入る」と、お神輿を担ぐ黒門市場商店街の若者たちと一緒に「わっしょい!」。

 「団七九郎兵衛は平成13年に師匠(人間国宝だった故吉田玉男)から桐竹勘十郎さんと一緒に受け継いで今回で6回目。師匠が義平次で相手をしてくださって緊張して演じたのを思い出す」と玉女さんは感慨深げ。この後、本殿で玉串奉奠(ほうてん)に臨んで「大阪の夏を盛り上げ景気づけしたい」と意気込んでいた。

 夏休み文楽公演はほかに第1部親子劇場「金太郎の大ぐも退治」(午前11時開演)、第2部名作劇場「妹背山婦女庭訓」(午後2時開演)が8月5日まで上演される。

1436よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/21(日) 09:51:21 ID:tYQxg9lA0
天神祭の熱気伝える 帝国ホテルで写真コン作品展
2013年7月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130719/20130719024.html

 天神祭(24、25日)を前に、帝国ホテル大阪(北区天満橋1丁目)で「天神祭写真コンテスト作品展」が開かれている。目前に迫った天神祭の魅力を、写真を通して紹介している。入場無料。25日まで。

同ホテルの恒例行事として、今年で14回目を迎える。天神祭渡御行事保存協賛会、大阪天満宮講社連合会協賛。入賞・入選作をはじめ全応募作品222点を展示している。

 鳳神輿(おおとりみこし)を載せた船の様子を捉え、最優秀賞を受賞した「船渡御」をはじめ、どんどこ船の勇壮な姿を写した入選作、ギャルみこしの活気が見る人を魅了する1枚など、一足早く天神祭の魅力を伝えている。

 同ホテルでは25日まで、御迎え人形「羽柴秀吉」が展示されている。24日には天神講獅子と、鳳講子供みこしの練り歩きがある。

 ホテルの広報担当者は「地域とホテルが一緒になって天神祭を盛り上げていければ」と話している。

 同ホテルは来年、開催する「天神祭写真コンテスト」の作品を募集している。10月31日締め切り(当日必着)。

 問い合わせは電話06(6881)4601、帝国ホテル大阪総支配人室企画課「写真コンテスト」係(土、日祝日を除く午前9時〜午後5時)へ。

1437よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/21(日) 09:58:00 ID:tYQxg9lA0
文楽の魅力をアピールを 国立文楽劇場が高津宮に成功祈願
2013.7.19 12:08 [文楽]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130719/wlf13071912110014-n1.htm

 20日から行われる国立文楽劇場(大阪市中央区)の「夏休み文楽特別公演」を前に、文楽人形遣いの吉田玉女さんらが同区の高津宮で公演の成功を祈願した。

 高津宮が演目の一つ「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の舞台となっていることにちなんで実施。玉女さんらが操る団七の人形とともに、夏祭りが行われている高津宮を訪れた。

 玉女さんらは、祭りの宵宮で地域を回っていた「黒門みこし」とともに祭りの雰囲気を盛り上げたあと、本殿で祈願。劇場関係者やファンらが見守る中、公演の無事と成功を祈った。

 玉女さんは「団七人形は特別な人形。成功祈願もできたので、力強い大きな動きをお見せしたい」と話していた。

 公演は8月5日まで(1日3部制)。夏祭浪花鑑は第3部で上演される。問い合わせは同劇場((電)06・6212・2531)。

1438よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/21(日) 10:22:27 ID:tYQxg9lA0
大同生命前身の加島屋、鴻池家しのぐ豪商だった
2013.7.17 20:40
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130717/osk13071721380005-n1.htm

 大同生命保険(本社、大阪市西区)の前身で江戸時代の豪商・加島屋(かじまや)が、当時の大坂(現在の大阪)を代表する豪商だった鴻池(こうのいけ)家をしのぐ財政規模だったことを示す古文書が見つかり、同社が17日発表した。

 当時の長者番付ではいずれも「大関」として同等に位置づけられたが、具体的な数値で比較できたのは初めてという。加島屋が島根・津和野藩の財政運営に関与したことを示す文書も確認され、“メーンバンク”のシステムをいち早く確立するなどした豪商の実態を知る貴重な史料となる。

 加島屋関連の古文書は同社の所蔵で、神戸大経済経営研究所の高槻泰郎准教授(日本経済史)が調べた。

 天明2(1782)年の「勘定目録」には1年間の収支状況が記され、総資産から負債を差し引いた純資産が2万2818貫と判明。当時の銀相場から1貫を83万円として計算すると189億4千万円で、これまでに知られている鴻池家の同年の純資産1万9312貫(160億3000万円)を上回っていた。ただし、加島屋の記録は天明2年分しか確認できず、同年以外の順位は不明という。

 一方、加島屋が明和7(1770)年に津和野藩と交わした融資契約書には、藩財政(勝手向=かってむき)を全面委任することを示す「勝手向萬端打任セ(ばんたんうちまかせ)」と明記され、加島屋が顧問料を得るなどメーンバンクを務めていたことも分かった。

 鴻池家は、18世紀の鴻池新田開発や、明治時代の鴻池銀行を経て旧三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)の母体になったことで知られる。高槻氏は「大坂といえば鴻池というイメージがあるが、加島屋が経営規模で上回っていたとは驚きだ」と話す。

 古文書は大同生命本社で19日から9月30日まで特別展示される。

1439よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/21(日) 10:53:26 ID:tYQxg9lA0
文楽ミニ公演:阪急うめだホール、来月21日に /大阪
毎日新聞 2013年07月20日 地方版
http://mainichi.jp/feature/news/20130720ddlk27040313000c.html

 気軽に文楽の魅力に触れてもらおうと、文楽協会は8月21日、大阪市北区の阪急うめだホールで「文楽ミニ公演」を開催する。技芸員が大夫、三味線、人形の解説をし、「牛若丸・弁慶 五条橋」を上演する。

 京都・五条橋で牛若丸と弁慶が出会う有名な場面を、義太夫節の演奏に合わせて人形が演じる。大夫の竹本津駒大夫さん、三味線の鶴沢藤蔵さん、人形遣いの吉田幸助さんらが出演する予定。午後1時と午後4時の2回。各1時間半。入場無料。

 希望者は往復はがきに住所、名前、電話番号、希望時間、人数(4人まで)を書き、〒542−0073 大阪市中央区日本橋1の12の10、文楽協会「阪急うめだホール」係へ。7月31日必着。定員各400人。申し込み多数の場合は抽選。問い合わせは同協会(06・6211・1350)。【関雄輔】

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1440よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/21(日) 11:08:03 ID:tYQxg9lA0
勘十郎さんに「杉玉」 文楽公演、安全祈願に
2013年7月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130721/20130721019.html

 大阪市中央区の国立文楽劇場で夏休み文楽公演がスタートした20日、第2部「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」(午後2時開演)の上演合間の舞台上で、お三輪の人形を遣っている桐竹勘十郎さんに、三輪明神大神(おおみわ)神社(奈良県桜井市)の権禰宜(ごんねぎ)・山本眞人さんから「杉玉」が授与された。

 これは同神社の神木である三輪杉の葉を球状に束ねたもので昔から「酒造のお守り」とされている。舞台のお三輪は「杉酒屋」という店の娘で、「杉酒屋の段」の場が設けられている。山本さんから「安全祈願のしるしに」ということで杉玉を受け取ったお三輪の勘十郎さんは「これで暑い夏場を乗り切り、いいお芝居を」と笑顔で応えていた。

 文楽公演は第1部親子劇場「金太郎の大ぐも」(午前11時開演)、第3部サマーレイトショー「夏祭浪花鑑」(午後6時半開演)も上演。8月5日まで。

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1444よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/22(月) 23:53:23 ID:oOziyPkQ0
当屋開きで祭り高揚 天神祭目前に控え
2013年7月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130722/20130722047.html

 24、25日の天神祭を目前に控えた21日、大阪市北区の大阪天満宮では祭りの花形である催太鼓を打つ太鼓中の当屋(とや)開きが行われた。また、京都・伏見で造られた酒を奉納する伏見三十石船献酒式も執り行われ、境内は天神祭の熱がいよいよ高まってきた。

 催太鼓は、祭りの始まりを告げる24日の一番太鼓に始まり、25日の陸渡脚で先頭を務める。約千人で構成される講で、「願人(がんじ)」と呼ばれる若者たちが担ぎ棒で組み上げられた台の上の太鼓を「チェーサジャー」の掛け声とともに打ち鳴らす。

 当屋は講の本部のことを指し、約30ある講に先駆けて太鼓中が当屋開きを行う。

 神職からおはらいを受けたメンバーは大阪締めを行い、祭り本番への士気を高めた。西川輝彦総代(74)は「けが人を出すことなく、楽しい天神祭にしたい」と話していた。

 献酒式は、江戸時代に天神祭の時期になると京都・伏見から手こぎの三十石船で酒のたるが運ばれ、同宮に奉納されていたことが起源。現在は航行ができないため、伏見から車で天神橋北詰まで運ばれた酒だるを神輿(みこし)に担ぎ、天神橋筋商店街を通って同宮に参拝する。

 この日は、淀川三十石船唄保存会のメンバーをはじめとした約30人が舟歌を歌いながら練り歩いた。同会の市川廣会長(72)は「天神祭の前夜祭として続けているので、気が晴れた」と柔らかな表情を見せていた。

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1447よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/24(水) 21:13:17 ID:b9EomMlg0
天神祭幕明けの鉾流神事
07月24日 12時29分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130724/5769241.html

大阪の夏の風物詩天神祭が始まり、木の鉾を川に流す鉾流神事が行われました。
天神祭初日の鉾流神事では、神の使いを務める地元の小学生が、大阪天満宮の本殿でひのきの神鉾を授かったあと、およそ300人の行列とともに、近くの堂島川まで練り歩きました。
川岸に着いた小学生は、おはらいで身を清めたあと、神職とともに手こぎの舟で川の中央付近まで進み、神鉾を流して祭りの安全や人々の健康を祈願しました。
大阪天満宮の岸本政夫さんは「非常に見どころが多い祭りなので大阪の暑い夏を吹き飛ばして楽しんでいただきたい」と話していました。
天神祭は、25日が本宮で、およそ100そうの船が川を行き交う船渡御が行われるほか、夜にはおよそ4000発の花火が打ち上げられます。


笑顔満開、威勢よく ギャルみこし華やか
2013年7月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130724/20130724025.html

 日本三大祭りの一つに数えられる天神祭(24、25日)を前に女性だけで神輿(みこし)を担ぎ、同祭を盛り上げる「ギャルみこし」の巡行が23日、大阪市北区の天神橋筋商店街で行われた。みこしを担ぐみこしギャルが「ワッショイ、ワッショイ」とにぎやかな掛け声を響かせ、商店街はお祭りムード一色に包まれた。

 ギャルみこしは天神祭の前イベントして1981年から始まり、今年で33回目。297人の応募の中から選ばれた15〜30歳までの80人が参加した。

 この日正午すぎに、そろいの法被姿のみこしギャルらは、重さが1基約200キロの神輿を2基担ぎ、同商店街の夫婦橋付近をスタート。多くの見物客らが見守る中、威勢のいい掛け声を上げながら、大阪天満宮までの約3キロを練り歩いた。

 参加した大学生の中村美南子さん(20)は、「重たくて大変だけど楽しい。感無量」と笑顔を見せていた。

1448よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/24(水) 21:45:49 ID:b9EomMlg0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより
「天神祭十二時」   
2013年7月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/130724/20130724039.html

本宮の長い1日

 今ならさしずめ「密着天神祭二十四時間」とでもなろうか。祭りや神事、商売や人々のにぎやかな様子を雅文で活写する。原著者は狂歌師山含亭意雅栗三、享和年間(1801〜03年)に刊行されたものだが、今日紹介するのは、それに『渡御之賑(にぎわい)』という俳書の画譜を付して、昭和2(1927)年に翻刻し自費出版されたもの。

 出版者は藤里好古。風俗研究家として雑誌『上方』にも寄稿、同誌では「民俗、伝説、考古などに趣味深く、造詣深き」一人として紹介され、天満宮史編集のため同宮蔵の文献を探索中と自らも書くように、天満宮の教学部に在籍していた。大正10(21)年、米国の人類学者で千社札マニアでもあるF・スタールの『納札史』を翻訳出版し、その後も昭和15(40)年まで、天神信仰研究などの自らの研究を自費出版する。

 さて、「十二時」は本宮当日、旧暦6月25日卯(う)の刻・午前6時から始まる。朝の天満宮境内には、拝礼する宮司、昨夜から一晩中はやしたて宮入りしただんじりを押す男たちがいる。辰(たつ)の刻・午前8時には、宮近くの家々が祭りの飾り付け。この時刻ですでにして暑い。巳(み)の刻・午前10時、天満宮の外にさまざまな店屋が出始める。

 午(うま)の刻・正午は中之島辺りの夏の日の真昼の一瞬の静けさを、未(ひつじ)の刻・午後2時は客が来る前の曽根崎新地を描いて、ようやく申(さる)の刻・午後4時、「今ぞ御幸のときうつりぬ」と神事が始まる。御幸する天神様を迎える人々が大路にくまなく立ち混むなか、猿田彦を先頭に暑さに首の回りのおしろいのとれた稚児や、荒くれ男たちが太刀装束でのどかに進む。

 酉(とり)の刻・午後6時、船渡御。川の両岸はともしびで真昼のように明るく、夜店が出る。戌(いぬ)の刻・午後8時。商いの船で川岸が混み合う中、汗をかいた客たちのために湯おけを据えた船が登場。実際に和倉温泉のお湯を大阪まで持ってきた風呂屋があったというが、暑い夏に船上で風呂とは乙な商売である。風呂でうたた寝をしていた酔客が、花火の火の粉を避けるとかつらが外れるという珍事が起こる。また、亥(い)の刻・午後10時でも、見せ物小屋、酒、三味線、太鼓、唄や舞いなど、祭りにまつわるばか騒ぎが続く。

 子(ね)の刻・深夜12時、還御。かがり火に照らされた船上では、長い赤い烏帽子(えぼし)姿の男たちが大きな太鼓を打ち、川に飛び入りまた船にはい登る。祭りのクライマックスだ。丑(うし)の刻・午前2時、曽根崎辺りはまだ人でにぎわうが、寅(とら)の刻・午前4時にはあちこちのあんどんもまばらに消え残り、かねの音が聞こえる。それはおはやしではなく、暁を告げる鐘だ。川にはスイカの皮が漂い、酔いしれた廓(くるわ)の客たちもようやく夢心地で家路をたどる。

 さて、今日は宵宮、そろそろせからしいおはやしが聞こえてくる…。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

1449よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/24(水) 21:56:52 ID:b9EomMlg0
天神祭PRへポスター作製 天満宮とコラボ企画
2013年7月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130723/20130723019.html

 大阪日日新聞は、大阪天満宮とコラボレーション企画として、天神祭(24、25日)をPRするポスター(B1判)を作製した。夜空に打ち上がる奉納花火ととともに、大川の川面をきらびやかに彩る船渡御の光景を紹介している。大阪、京都、神戸市営地下鉄の全駅などに掲示している。

 「天神祭」「日本三大祭りのひとつ」のコピーとともに、鉾流(ほこながし)神事や勇壮な催太鼓の様子など、これまで大阪日日新聞に掲載した天神祭の写真も収めている。陸渡御、船渡御のコースマップや23日〜25日までの主な天神祭の神事などの予定も一目で分かる。

 担当者は「ポスターを見て、天神祭に足を運んでもらえれば。当日は混雑が予想され、会場へは地下鉄でお越しください」と呼び掛けている。

1450よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/24(水) 21:59:23 ID:b9EomMlg0
重さ4トン「だいがく」出現 「祭り」前に立て起こし
2013年7月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130723/20130723018.html

 大阪市西成区の生根神社(吉見友伸宮司)は24、25日に斎行される「だいがく祭り」を前に22日、大阪府指定文化財の「だいがく」を境内に設置した。

 「だいがく」は、高さ約20メートルの柱にやぐらを組み、79張りの提灯(ちょうちん)をつるしたもので、9世紀ごろから雨乞いに使われたとされている。

 江戸時代には玉出に14基あったが、電線の敷設など社会事情により担がれる機会が減り、第2次世界大戦前には3基まで激減。現在、戦災を免れた1基のみが現存し、1年に1度、祭りに合わせて公開されている。

 普段、だいがくは同社には解体された状態で保管されており、15日から組み立てが始まった。組み上がっただいがくは重さ約4トンもあり、この日は吉見宮司の太鼓の音に合わせて氏子約20人がモーターを使って立て起こした。

 吉見宮司は「ホッとすると同時に、こんな大きな物を引き継いできたことに驚きと尊敬の思いがある」と話していた。

 祭りではだいがく福笹やだいがく土鈴の授与が行われるほか、近くの玉出西公園で小型のだいがくを担ぐ「女性だいがく」「子どもだいがく」「中だいがく」が披露される。

1451よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/25(木) 21:29:10 ID:pJnytbIw0
天神祭「陸渡御」「船渡御」
07月25日 18時32分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130725/5769411.html

大阪の夏を彩る天神祭は色とりどりのみこしやだんじりが街を練り歩く「陸渡御」とおよそ100隻の船が川を行き交う「船渡御」が行われ祭りのクライマックスを迎えています。
大阪の「天神祭」は本宮のきょう大阪天満宮にまつられている神様が年に1度、地域を見回ったという言い伝えを再現した「陸渡御」が行われました。
午後3時半に催太鼓の力強い響きを先頭に色とりどりの衣装を身にまとったおよそ3000人の行列が天満宮を出発しおよそ3キロのコースを2時間半かけて練り歩きました。
きょうの大阪市は日中の最高気温が35度の猛暑日になり沿道では地元の人たちが冷たいお茶や塩あめなどを用意し行列の人たちに配っていました。
行列の参加者は「すでに30分以上歩いているのでこのタイミングでの冷たい飲み物はありがたい」と話していました。
天神祭は▼午後6時からおよそ100隻の船が大阪市の中心部を流れる「大川」を行き交う「船渡御」と▼午後7時半ごろからはおよそ4000発の花火が打ち上げられクライマックスを迎えます。

1452よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/25(木) 21:42:47 ID:pJnytbIw0
催太鼓にぎやかに 伝統の祭り、今年も開幕
2013年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130725/20130725027.html

 日本三大祭りの一つ、天神祭が24日、大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)などで始まった。宵宮祭、鉾流(ほこながし)神事などが厳かに執り行われ、千年を超える歴史を誇る祭りが今年も幕を開けた。25日の本宮に向け、大阪の街は天神祭のにぎわいに包まれた。

 この日午前、大阪天満宮本殿で宵宮祭が斎行された。その後、大阪天満宮表門から白木の神鉾を手にした神童ら約300人の渡御列が、鉾流神事の執り行われる鉾流橋たもとの斎場に向け出発。鉾流神事では多くの見物客らが見守る中、堂島川に浮かぶ小船から神童の手で、神鉾が川に流された。

 西区でも「千代崎行宮宵宮祭」が斎行された。このほか催(もよおし)太鼓の氏地巡行やどんどこ船の宮入りなどがにぎやかに行われた。

 25日は午後3時半に陸渡御が大阪天満宮を出発する。同6時から大川一帯で、船渡御が予定されている。第67回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)は午後7時20分から行われる。大川沿いの造幣局前など2カ所で約4千発の打ち上げ花火と24基の仕掛け花火が、船渡御のにぎわいに花を添える。


「大阪締め」で気勢 陸渡御クライマックス鳳神輿
2013年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130725/20130725031.html

 25日に斎行される天神祭の陸渡御で鳳神輿(おおとりみこし)を繰り出す鳳講の一行が24日、大阪市中央区の大阪日日新聞を訪れ、「大阪締め」で祭りムードを盛り上げた。

 鳳神輿は1840(天保11)年に寄進され、現在は菅原家の祖とされる野見宿禰(すくね)が祭られている。25日には重さ2・1トンの神輿を75人で担ぎ、威勢のよい掛け声で陸渡御のクライマックスを飾る。

 この日は鳳講のメンバーが手分けし、天神祭とかかわりの深い企業などを訪問。大阪日日新聞には浜上謙治さん(67)ら7人が訪れ、畑山博史代表とともに大阪締めを行い、本番への士気を高めた。

 浜上さんらは「天神祭が終わらないと安心して一年が過ごせない」と大阪商人の心意気を見せていた。

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1455よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/26(金) 22:59:25 ID:UYkXKJjY0
空に川面に大輪競演 水都祭「天神祭奉納花火」
2013年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130726/20130726019.html

 大阪の夏を彩る天神祭が25日、本宮を迎えた。約3千人の列が連なる陸渡御、約100艘(そう)の船団が大阪市内を流れる大川を行き交う船渡御などが執り行われた。大川一帯で催された第67回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)は、船渡御のにぎわいに花を添え、訪れた人らを魅了した。

 大阪天満宮(同市北区)の本殿では、災害疫病がないように市中の平安と繁栄を祈願する本宮祭に続き、菅原道真公の御神霊を御鳳輦(ごほうれん)に移す「神霊移御之儀」が厳かに斎行された。その後、催(もよおし)太鼓を先頭に、陸渡御の渡御列が、船渡御の乗船場となる天神橋までの約3キロを練り歩いた。約1万2千人が乗船した船渡御では、にぎやかに船団が大川を行き来した。

 天神祭のクライマックスを飾ったのは、奉納花火。船渡御の船団が航行する大川を舞台に、約4千発の打ち上げ花火と24基の仕掛け花火が大阪の夜空を色とりどりに染め上げた。

1456よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/26(金) 23:04:57 ID:UYkXKJjY0
原爆投下訓練爆弾の犠牲者追悼
07月26日 12時39分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130726/3277961.html

68年前の7月26日、大阪・東住吉区に、原爆投下の訓練用と見られる爆弾が落とされて7人が亡くなったことを伝え、平和を訴えようと犠牲者を追悼する式典が開かれました。
68年前の昭和20年7月26日に、大阪・東住吉区の田辺地区に、アメリカ軍が爆弾を投下し、7人が死亡、70人あまりがケガをしました。この爆弾は、長崎に落とされた原爆と重さも形も同じですが、中には通常の火薬が詰められ、原爆投下の訓練用の爆弾と見られています。
この地区では、この日にあわせて、亡くなった人たちを追悼する式典が開かれ、26日は、遺族ら約100人が出席し、爆弾が投下された午前9時26分に黙とうをささげました。
式では、当時、現場近くにいたという龍野繁子さん(88歳)が、「爆発で、姉の友人が遺体で見つかり、背中に多くのガラスの破片が突き刺さった状態だった。姉は泣きながら丁寧に取っていたが、これまで思い出すのがあまりに辛かった」と述べた上で、「平和についてしっかりと考えてほしい」と訴えていました。
出席した中学生は、「戦争を体験した人たちは年々、減っているが、戦争は二度と起こしてはいけないということをわたしたちが未来につなげていきたい」と話していました。


住職日誌 堺大空襲鮮烈に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130726-OYT8T00128.htm

 1860人が亡くなった1945年7月の堺大空襲の様子がつづられ、堺市堺区の念勝寺に保管されていた日誌が27、28の両日、同区のサンスクエア堺で開かれる「堺平和のための戦争展2013」(実行委主催)で写真展示される。炎に囲まれ、死を覚悟した住職の姿が生々しく描写され、同空襲を研究する市民団体は「体験者の空襲直後の詳細な記録で、珍しい」としている。(島崎隆太)

 「戦災備忘録」と題された日誌(縦10センチ、横25センチ、36ページ)で、堺が大空襲に見舞われた7月10日から、9月末までの出来事が順に記されている。同寺の藤井茂義住職(68)の祖父で、46年に亡くなった教證(きょうしょう)さんが残した。

 7月10日は「B29二百七十 分散来襲(B29爆撃機270機が来襲)」「爆弾焼夷弾(しょういだん)ヲ以テ全市九分通焼失(爆弾と焼夷弾で市街地の大部分が焼失)」と記録。教證さんが、茂義さんの母で96年に他界した俊子さんと「風団(ふとん)ヲカムリ」逃げたが、火の粉と焼夷弾に囲まれ、「到底助カラヌ」と、一時は避難を諦めた様子もうかがえる。幸いなことに、2人にけがはなかった。

 日誌は2年前、茂義さんの長男が遺品整理中に発見。今年3〜4月、大阪市内で展示されているのを堺市の市民団体「金岡公園ピースメモリークラブ」の会員が見て、解読を申し出た。戦争展では実物写真と、今の言葉遣いに直した空襲時の記述をパネル展示する。

 同クラブの小松清生さん(65)は「当時の様子を知る上で貴重な資料。きちんと読み解き、後世に伝えたい」としている。

 同戦争展は2005年にスタート。今回は48団体が参加、昭和戦争の被害を伝える展示や学童疎開の体験を聞く集いなどがある。問い合わせは実行委事務局を務める小松さん(080・2444・2098)へ。

(2013年7月26日 読売新聞)

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1458よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/28(日) 23:32:37 ID:ukNCoFr20
大阪の難波宮を紹介の催し
07月28日 19時08分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130728/3286271.html

7世紀と8世紀に宮殿が築かれた大阪の難波宮を紹介する催しが、大阪・中央区の大阪歴史博物館で開かれました。
この催しは、7世紀と8世紀に、現在の大阪の中心部に築かれた古代の都、「難波宮」について知ってもらおうと、大阪歴史博物館などが毎年、語呂合わせで「なにわの日」となる7月28日に行っています。
ことしは、難波宮を発見した考古学者の山根徳太郎氏の没後40年にあたり、多くの市民が集まった会場で学芸員が、「山根氏はわずか10年で、何もわかっていなかった難波宮の建物の配置などを明らかにするなど、驚くべき成果をあげました」と功績をたたえました。

1459よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/30(火) 21:53:43 ID:9DY9/Fcw0
地下遺構を特別公開 考古学者 山根氏業績しのぶ
2013年7月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130729/20130729014.html

 古代の都・難波宮の発見や保存に尽力した考古学者、山根徳太郎氏をしのび、学びや体験の場を用意するイベント「第7回難波宮フェスタ」が、命日の28日に合わせ、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれた。山根氏の生前について語る座談会や、難波宮に関する地下遺構の特別公開などが行われ、来場者らは大阪の歴史について理解を深めていた。

 NPO「OSAKAゆめネット」が大阪歴史博物館らと協力し、毎年開いている。

 本年は、山根氏の没後40年で、山根氏の難波宮調査のきっかけとなった出土品が発見されて60年という節目の年。座談会では、山根氏の指導を直接受けた関係者らが、調査への姿勢やプライベートな部分についても語り合って故人をしのんだ。

 また、NHK大阪放送局の地下にある遺構を特別公開。約1350年前の難波宮の時代に巨石を組んで水路にした設備を紹介した。

 イベントで難波宮に関する発掘調査の成果や課題を発表した同博物館の村元健一学芸員は「日本の都が大阪にあったという事実を多くの人に知ってもらいたい。それが大阪の人にとって誇りにつながるし、大阪の魅力に深みをもたらすことになる」と話していた。

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1461よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/31(水) 21:31:14 ID:XGcbjTP20
百舌鳥古墳群 「海側から築造」…堺市
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130731-OYO1T00368.htm?from=newslist

最古・4世紀後半の古墳確認

 堺市の百舌鳥(もず)古墳群(4世紀後半〜6世紀前半、現存44基)の西端にあたる市営住宅建設予定地で、江戸時代の絵図に描かれた前方後円墳「長山(ながやま)古墳」を確認したと、市が30日発表した。出土遺物から、築造年代は古墳群で最古の乳岡(ちのおか)古墳(前方後円墳、全長155メートル)と同じ4世紀後半と判明。両古墳とも大阪湾に最も近く、市は、古墳群が海側から内陸部に向けて拡大していったことを示す発見としている。

 現場は同市堺区協和町の宅地。市が1970〜80年代に市営住宅用地として購入、更地にしていたが、周辺を描いた江戸中期の絵図にある長山古墳(別名・長塚山古墳)と場所が一致していることがわかり、今年初めて発掘調査をした。

 墳丘は削られているが、前方部東側の裾とみられる場所で、古墳特有の葺石(ふきいし)が長さ16メートル、幅1メートルにわたって出土。そばでは4世紀後半の形象埴輪(はにわ)や副葬品の車輪石の破片が見つかり、市は長山古墳と断定した。市は8〜10月にも学術調査を行い、全容解明を目指す。

 絵図から推定すると、長山古墳は全長100メートル級の前方後円墳で、古墳群では9番目の規模に相当。東の内陸へ約1キロ進むと、5世紀に築造された仁徳陵(全長486メートル)や履中陵(同365メートル)がある。

 現地説明会は8月3日午後1〜4時。問い合わせは堺市文化財課分室(072・273・6101)。

 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)の話「古墳群の成立を考える上で重要な成果。まず海上交通を掌握した勢力が港の近くに古墳を築き、やがて台地や丘陵で大きな古墳が造られていったと考えると興味深い」

(2013年7月31日 読売新聞)

1462名無しさん:2013/08/03(土) 21:26:49 ID:sm5PO0tQ0
華やか装束 茅の輪に列 住吉大社「夏越祓神事」
2013年8月1日
 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で31日、夏越祓(なごしのはらえ)神事が執り行われた。華麗に着飾った夏越女(なごしめ)らが茅(ち)の輪をくぐった。


夏越女や稚児らが茅の輪をくぐった夏越祓神事=31日午後、大阪市住吉区

 30日から始まった大阪の三大夏祭りの最後を飾る住吉祭(1日まで)の神事の一つ。大阪府の無形文化財に指定されている。

 この日、午後5時すぎ、同大社の五月殿前で大祓式が執り行われ、神職からおはらいを受けた夏越女や稚児らの行列が茅の輪をくぐった。引き続き、第一本宮前で例祭があり、神楽「熊野舞」や住吉踊りが奉納された。

 1日は午後2時ごろから、同祭のクライマックスを飾る神輿(みこし)渡御がある。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130801/20130801031.html

1463名無しさん:2013/08/03(土) 21:29:18 ID:sm5PO0tQ0
伝統芸能と「ミク」融合 3日から第3弾イベント
2013年8月3日
 音声合成ソフトウエア発祥のバーチャルアイドル「初音ミク」のライブ「HATSUNE Appearance in Knowledge Capital」(3〜7日)が2日、会場の大阪市北区のナレッジシアターで関係者に公開された。


ナレッジシアターに登場し、歌を披露する初音ミク=2日午後、大阪市北区

 面白いと聞きつけて遊びにやってきた設定で開催中の「初音ミクinナレッジキャピタル」の第3弾イベント。21〜29日に東京・秋葉原で開催される同ライブに先駆け、公演の一部を上演する。

 「夏祭初音鑑(なつまつりはつねかがみ)」と題し、人形浄瑠璃の芝居小屋を思わせるステージでミクがステージ狭しと歌い踊る。大阪が世界に誇る日本の伝統芸能、文楽をほうふつさせる光と陰影の演出などが見どころだ。ミクだけでなく、鏡音リン・レンや巡音ルカも登場し、デュエット演目も披露する。

 開発したクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は「愛情を込めて命を吹き込むという日本独特の神がかり的な点で、日本の伝統芸能と現代テクノロジーの象徴は接点がある。融合していけるのが大阪の強み」と話していた。

 全27公演、料金2100円。問い合わせは、電話06(6372)6427、ナレッジキャピタルへ。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130803/20130803030.html

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1465よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/05(月) 05:20:58 ID:hUjINdLc0
親子で護国神社を清掃 大阪・住之江区
2013.8.4 20:23
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130804/wlf13080420300016-n1.htm

 終戦記念日の英霊感謝祭(15日)を前に、大阪市住之江区の大阪護国神社で4日、境内を祓い清める清掃奉仕が行われ、親子連れら約50人が清掃作業に汗を流した。

 平成17年夏から日本会議大阪(同市中央区)などが取り組んでいる清掃奉仕活動で、この日は参加者全員でラジオ体操をした後、2つの班に分かれて清掃作業を開始。

 参加者は竹ボウキなどを使って境内に捨てられた空き缶やペットボトル、紙くずなどを拾い、本殿裏に生い茂った雑草もきれいに刈り取り、約2時間半の作業でポリ袋約15個分のごみを集めた。

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1467よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/07(水) 21:53:18 ID:Z0M08wZI0
上方舞山村流流祖の名跡が120年ぶり復活…六世宗家・若さん、来秋襲名
2013.8.7 14:10
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130807/wlf13080714120012-n1.htm

 大阪を本拠に活動する日本舞踊の上方舞山村流六世宗家、山村若(わか)さん(49)が来年9月、山村流の流祖の名跡である山村友五郎(ともごろう)の三代目を襲名することが7日、分かった。友五郎の名跡が復活するのは二代目の死去以来、約120年ぶり。

 山村流は井上流、楳茂都(うめもと)流、吉村流とともに「上方舞四流」といわれる日本舞踊の流派。江戸時代後期の歌舞伎俳優、三代目中村歌右衛門の振付師として活躍した山村友五郎が文化3(1806)年、大阪で創始した。

 昭和39年に大阪で生まれた六世若さんは幼い頃から祖母の四世若さん、母の糸さん(死後、五世を追贈)に師事し、平成4年に六世若を襲名。新作歌舞伎や宝塚歌劇団の振り付けも行うなど、日本舞踊の発展に努めてきた。

 三代目友五郎の襲名と同時に、若の名前は長男の侑(ゆう)さん(22)が継ぐという。

1468よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/08(木) 21:56:55 ID:KUXUZ6d60
大坂図屏風 東インド会社関与で 欧州へ
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130807-OYO1T00791.htm?from=newslist

1600年代中頃作…関西大調査

 オーストリアの世界遺産・エッゲンベルク城で2006年に見つかった豊臣期大坂図の屏風(びょうぶ)を関西大・大阪都市遺産研究センターが調査したところ、1600年代中頃の作で、同時期に日本からオランダ船で欧州へ輸出された可能性が高いことがわかった。同センターは「徳川支配の時代になぜ、豊臣期の栄華が描かれ、欧州に渡ったのか。謎を解明したい」としている。

 屏風は豊臣秀吉が築いた初代大坂城や城下町を詳細に描写。大坂夏の陣(1615年)で焼失する前の大坂を知る上で、国内でも例のない資料とされる。

 もとは8曲1隻(高さ約1・7メートル、幅約4・7メートル)だが、現在はグラーツ市にある城内の部屋で、8枚に分割され、壁の装飾として埋め込まれている。

 06年に存在を確認した同センターによると、豊臣秀吉死没(1598年)前後のごく短期間の景観を描いた屏風で、制作時期は描法や顔料から1600年代半ばと判明。夏の陣の前に誰かが残した下絵をもとに、半世紀後、別の絵師が描いたと考えられるという。

 オランダに残る東インド会社の文書では、同社が1643〜45年に3回、長崎から多数の屏風を船で搬出したと記述。うち欧州に到着したのは、43年のバタビア(現ジャカルタ)経由の1便とわかっており、この中に大坂図屏風があった可能性が高いという。

(2013年8月7日 読売新聞)

1469名無しさん:2013/08/11(日) 21:40:03 ID:SVkUu9b20
最古の官道「竹内街道・横大路」1400年の歴史知って
 ◆実行委、秋フェス約80行事予定

 大阪・難波と奈良・飛鳥を東西に結んだ日本最古の官道「竹内(たけのうち)街道・横大路」が整備されて1400年を迎えることから、府や堺市、太子町など関係自治体でつくる「1400年活性化実行委員会」が今秋、イベントを集中的に開く。同委では「市民や企業と連携し、街道の魅力を再発掘する機会にしたい」としている。(岡田英也)

 同委は1400年のオープニングとして街道に近いルートを走る近鉄南大阪線を利用したツアーを3月に行い、企画をスタートさせた。9月14日〜11月17日には「秋フェス」と題し、約80の企画を開催する。

 メーンは11月17日午前10時〜午後9時、大阪市中央区の大阪歴史博物館周辺で開催される「竹内街道・横大路1400年祭」。和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)らを招いて街道の歴史的価値を考えるシンポジウムや、街道沿いの自治体が特産品を販売する「大道うまいもん市」があり、1500年に向けた首長らの共同宣言も発表される。

 街道の魅力をとらえたフォトコンテスト(10月4日まで募集)や、堺市から奈良県明日香村まで街道沿いを走るサイクリング(9月15日)、街道沿線自治体に住む児童が出場する小学生相撲大会(11月9日)も。

 旅行者の目印として中・近世に4キロ間隔に置かれた一里塚をまねて、街道沿いに設置する「緑の一里塚」プロジェクトも企画され、第1号は既に、クスノキをシンボルに道標やベンチが松原市内に整備された。今後、沿線で進めていく予定で、ウオーキングの目印にしてもらうという。

 イベントなどに関する問い合わせは府事業企画課(06・6944・9268、平日)へ。

 [竹内街道・横大路] 日本書紀の613年に「難波(大阪)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」との記述がある最古の官道。名前は府県境の竹内峠に由来し、今年で整備1400年を迎える。竹内街道は堺市から松原市、羽曳野市、太子町を経て奈良県葛城市に至る全長26キロの街道。横大路は同市から同県桜井市までの17キロ。

(2013年8月11日 読売新聞)


http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130811-OYT8T00008.htm

1470名無しさん:2013/08/11(日) 21:41:10 ID:SVkUu9b20
住吉大社  150分の1で再現
 ◆段ボールなど、2人で2年がかり

 段ボール箱やボール紙、つまようじなどを使い、大阪市住吉区の住吉大社を本物そっくりに再現した手作りのジオラマが完成し、10日、同大社で始まった鉄道フェアで披露された。フェアは15日まで。

 「住吉さんの全体像がわかり、親しんでもらえるように」と大社側から依頼を受け、鉄道模型愛好家の新聞配達員藤原寛士(ひろし)さん(65)(寝屋川市)とアルバイト山崎一男さん(73)(京都府舞鶴市)が2年がかりで制作。フェアに間に合うようにと作業を急ぎ、3日に完成させた。

 ジオラマは縦2.8メートル、横2.2メートルで、実際の大きさの150分の1。国宝の四つの本宮や反(そり)橋(太鼓橋)など建造物は写真を撮って採寸し、設計した。灯籠や鳥居から周囲の店舗まで精緻に再現するこだわりようで、参拝客や花嫁行列も配置し、にぎわいを醸し出している。

 フェアの会場入り口に置かれ、実際の景色をまねて路面電車や南海電車の模型を周囲に走らせている。大阪市立扇町小5年、山本大幹(ひろき)君(11)は「建物のガラスや木も細かく作ってあってすごい。僕も作りたい」と話していた。

 フェア終了後も、大社のイベントなどの際に展示される予定。フェアの問い合わせは同大社事業部(06・6675・3591)へ。

(2013年8月11日 読売新聞)



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130811-OYT8T00013.htm

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1474名無しさん:2013/08/16(金) 14:34:19 ID:kznCXel60
古代船のロマン触れて  府立弥生文化博物館で開幕

 船技術が進んだ弥生時代を中心に古代船の歩みを紹介する「弥生人の船―モンゴロイドの海洋世界―」(読売新聞社など主催)が13日、和泉市池上町の府立弥生文化博物館で開幕した。来館者は出土船や船の運んだ貝製品などに見入り、いにしえの海のロマンを感じていた。10月14日まで。

 八尾市の久宝寺遺跡から出土した船首と船尾の反り上がった古代船の複製や、船の形をした埴輪(はにわ)の複製など約230点を展示。南方の貝殻で作った腕輪など船のもたらした品々も並ぶ。同館の塚本浩司学芸員(40)は「大阪では船が多く出土しているが、意外に知られていない。出土品から大きさや構造を知り、どんな船が人や物、文化を運んだかを想像してほしい」と話す。

 開館は午前9時半〜午後5時。月曜休館(祝日は開館し、翌日休館)。入館料は一般600円、65歳以上と高大生400円、中学生以下無料。問い合わせは同館(0725・46・2162)へ。

(2013年8月14日 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130813-OYT8T01554.htm

1475よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/17(土) 06:01:20 ID:felsgnQY0
戦争の犠牲者悼み平和祈る集い
08月15日 17時13分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130815/3555111.html

終戦の日の15日、戦争の犠牲者を悼み平和を祈る集いが大阪市で開かれました。
大阪・中央区のピースおおさかで開かれた集いには約100人が参加し初めに黙とうが捧げられました。
この後、遺族を代表して戦争で母と弟を亡くした伊賀孝子さん(81)が「空襲の中、親はわが子の名を呼び子は親を求めて泣き叫ぶ様は地獄絵のようでした。どの地でも戦争の犠牲者を出さないことを願います」と思いを述べました。また戦争を体験した秋山美代子さんは集団疎開や防空壕への避難など当時の様子を紙芝居を使って語りました。
集いでは最後に参加者が1人ずつ白い菊の花を献花台にささげて静かに手を合わせ戦争でなくなった人たちを悼んでいました。
集いに参加し戦争のさなかに生まれたという女性は「父や祖父母から戦争は嫌だと聞いて育ちました。戦争を体験した人たちが次第に少なくなっている中でこうした集まりは大事だと感じました」と話していました。
また戦争が終わったときに小学6年生だった男性は「疎開していた時の生活を思い出しました。これからもずっと平和が続くように祈っています」と話していました。

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1478よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 19:52:23 ID:6znBBT0k0
伽藍照らす先祖の明かり 四天王寺で万灯供養法要
2013年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130814/20130814029.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)でお盆行事の「盂蘭盆会(うらぼんえ)万灯供養法要」が執り行われている。家族連れなど多くの参詣者が先祖供養に足を運び、1万本を超えるろうそくが織りなす幻想的な明かりにじっと手を合わせている。16日まで。

 五重塔を仰ぐ境内・中心伽藍(がらん)内では、戒名など先祖の霊名を記した「万灯ろうそく」が回廊沿いに整然と並び、薄暮を迎えて次々と点灯。日没とともに五重塔や金堂を赤く照らす中、先祖の思い出を語りながら、ろうそくが燃え尽きるのを見守る人々の姿が随所で見られた。

 会期中は同寺僧侶が夕刻から読経とともに伽藍内を練り歩く法要が厳かに執り行われる。法要は午後9時(15日は同10時)まで。


証言は貴重な遺産 新風書房が戦争体験手記集
2013年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130814/20130814028.html

 毎年夏にまとめられる戦争体験手記集「孫たちへの証言」の第26集がこのほど新風書房(大阪市天王寺区、福山琢磨代表)から発刊された。第1集発刊から四半世紀以上が過ぎ、近年では戦争を知らない世代が祖父母や親から聞いた話や、遺品から見つかった文章をもとに投稿するケースも増えている。一貫して自分一人で編集を手掛けている代表の福山さん(79)は「タイトルの通り、戦争体験が孫や若い世代に伝承されつつある」と手応えを感じつつ、一層熱意を抱いて制作に意欲を燃やす。

 文集発刊は福山さんが開講する自分史講座の課題が原点だった。1988年、当時の受講者がそれぞれ体験した終戦の日の記憶を書いてもらい一冊にまとめた。千差万別の体験を束ねて“輪切り”にした文集には「特別な1日」を体験した市民の記憶が浮き彫りとなった。第3集以降は一般公募に変更され、毎年国内外から証言が寄せられている。

 昨年の投稿数は東日本大震災の影響などを受け、過去最低の約259編まで落ち込んだ。しかし今年は873編まで持ち直し、福山さんは「やはり人々の記憶の源泉は枯れていなかった」と安堵(あんど)の表情を浮かべる。

 第26集は「これだけはなんとしても書き残したい」をテーマに募り、74編を採用。このうち米山紘一さん(71)=福島市=は1歳のとき台湾から母と日本郵船の戦時徴用船で内地へ向かう途中、敵潜水艦の雷撃を受けて漂流、母を失うも本人は奇跡的に救助された。資料を手掛かりに、まったく記憶がない自身の壮絶な体験と、母の面影を追った次第をつづっている。

 福山さんは「小さな波ながら動きがありうれしく思う。証言を貴重な遺産として、文字で具体的に残し継承してほしい」と、早くも次集への投稿(3月31日締め切り)を呼び掛けている。問い合わせは電話06(6768)4600、新風書房へ。

1479よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 20:03:08 ID:6znBBT0k0
「戦争なくす」誓い新た 京橋駅空襲被災者慰霊祭
2013年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130815/20130815035.html

 8度にわたる大阪への爆撃(大阪大空襲)のうち、終戦前日に国鉄京橋駅周辺で起きた最後の爆撃で犠牲になった人たちの冥福を祈る慰霊祭が14日、大阪市城東区のJR京橋駅南口の慰霊塔前で執り行われた。照りつける猛暑の中、参列者らは慰霊塔に手を合わせ、恒久平和への誓いを新たにしていた。

 慰霊祭は、爆撃があった8月14日に合わせ1955年から開始。ことしは遺族や地元住民ら約250人が参列した。

 法要では主催者の京橋駅慰霊祭世話人会の京極俊明会長が「親や祖父母らの犠牲の元に成り立っている平和な生活を安穏と享受するだけでなく、命の尊さを語り継いでいかないといけない」とあいさつ。折り鶴を奉納した市立聖賢小6年の古山ひとみさん(12)、大城日菜さん(11)、早川愛菜さん(12)も「いつか戦争がなくなる日がくることを誓います」と平和への思いを述べた。

 1945年8月14日に京橋駅周辺を襲った爆撃は、大阪城内の大阪陸軍造兵廠(しょう)を狙った米軍機の爆弾の一部が駅を含め周辺を直撃。判明している犠牲者は二百数十人とされているが、実際は500〜600人とも言われている。

 法要に参列した帝塚山学院高2年で、歴史研究部の市富綾香さん(17)は「戦争は関係のない人たちまで巻き込んで命を奪ってしまう。二度と起きないように、みんなでいろいろと考えていく必要がある」と話していた。

1480よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 20:08:16 ID:6znBBT0k0
4メートル大たいまつ完成 24日、がんがら火祭り
2013年8月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130816/20130816033.html

 大阪府池田市伝統の夏の火祭り「がんがら火祭り」(24日)で使う大たいまつがこのほど、完成した。23日までこのうち2本を同市役所1階ロビーで展示している。

 1644年から「家内安全」「火難厄除(よ)け」を願って行われている祭事。毎年8月24日の夜に催され、2010年には大阪府の無形民俗文化財として指定された。

 大たいまつの長さは約4メートル、重さは約100キロ。これを計8本(他に小たいまつを2本)、例年7月第1日曜日の「作業場開き」から、同市城山町の住民が中心となった「池田五月山大一文字がんがら火保存会」(谷澤貞義会長)の人たちによって作られている。

 今年も24日午後7時半〜同10時に行われ、五月山中腹で「大」、「大一」の文字火が浮かびあがり、大たいまつが市内に繰り出す。

 祭りと展示の問い合わせは電話072(754)6244、同市観光・ふれあい課へ。

1481よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 20:28:28 ID:6znBBT0k0
特攻隊志願…生き延びた命を野球に ホームランボールを子供たちにプレゼント 元高校教諭の朝見堅二さん  
2013.8.17 11:05
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130817/wlf13081711050004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130817/wlf13081711050004-n2.htm

 先の大戦で特攻隊員を志願しながら出撃することなく終戦を迎え、憧れだった野球に生き延びた命をささげてきた元高校教諭がいる。大阪府豊能町の朝見堅二さん(84)。「野球をできる喜びを感じてほしい」と、高校野球兵庫県大会で約30年間、ホームランボールに日付や対戦校を書き込み、子供たちに手渡してきた。白球には、国や家族を守るため尊い命を犠牲にした「英霊」への鎮魂も込められている。

 昭和16年、当時13歳の朝見さんは神戸市須磨区に住んでいたいとこ夫婦のもとに居候した。年が離れたいとこは学生時代、長身を武器に地元で名をはせた左腕投手だった。

 「直接話した記憶はあまりない。ただ、家に飾られていた大きいグラブをはめるたびに、『おれも…』と思っていた」

 しかし戦争が激しさを増し、進学した旧制中学校では米国発祥の野球が「敵性競技」とみなされ野球部は廃部になり、白球を追う夢は絶たれた。

 いとこは出征し、東南アジアで戦死。遺骨すら戻らなかった。米軍による空襲でいとこの自宅は炎に包まれ、グラブも焼失した。「生きていた証しがなくなってしまった」と悲しみと悔しさが込み上げた。

 「敵を討つ」。悲痛な思いを胸に特攻隊員になろうと決意。家族の反対を押し切って17歳で陸軍少年飛行兵の試験を受け、20年8月に合格通知を受けた。入隊予定日は8月中旬と決まった。

 だが直前の8月15日、終戦を迎え、特攻は「幻」に終わった。「同じ世代が何人も特攻隊で命を落としたのに、自分は何もできなかった」と悔やむ半面、「ほっとした気持ちもどこかにあった」。

 終戦から4年後の24年に教職に就き、兵庫県内の高校で教(きょう)鞭(べん)を執った。「戦場を知らない自分が語るのはおこがましい」と、生徒に戦争の体験を語ることはなかった。

 ただ、あこがれだった野球にかかわろうと野球部の部長に就任。県大会の運営スタッフを務める中、何気なく「野球をできる喜びを感じてもらいたい」と思い立ち、約30年前から県大会でホームランボールに日付や選手の名前、対戦校を記し、贈り始めた。

 今年の夏も、同県尼崎市の市記念公園野球場(ベイコム野球場)で行われた県大会で、朝見さんから記念のホームランボールを受け取り、屈託のない笑顔を浮かべる球児たちの姿があった。

 朝見さんは「戦争で野球ができなかった自分や特攻隊で命を落とした同年代の仲間を今の球児たちに重ね合わせてきたのかもしれない。これからも続けていきたい」と話している。

1482よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 22:56:45 ID:cXY9DWEA0
24日に「地蔵盆 千日供養」 宗派超え僧侶100人集結 大阪
2013.8.17 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130817/osk13081702020001-n1.htm

 ■弘昌寺住職「門前町だったミナミ知って」

 街の発展や商売繁盛などを祈願する「地蔵盆 千日供養」が24日、大阪市中央区の相合橋で営まれ、宗派を超えた100人の僧侶が集結する。事務局の鳥居弘昌(こうしょう)・弘昌寺住職(53)は「ミナミの街が好きな人はみんな信者。この機会にこの街が門前町だったことを知ってもらいたい」と話している。

 鳥居住職は千日前にある劇場「トリイホール」の経営者でもあり、上方芸能の振興に力を入れてきた。35歳の時、両親が愛した街を僧侶として守っていこうと得度し、昨年8月、法善寺近くのビルの1室に「千日山弘昌寺」を開山した。

 「かつて千日前は処刑場やたくさんのお寺があったところで、ここで処刑されたり、心中したりした人たちの話を書いたのが近松門左衛門。もともと寺町やったのに、昔のように土地を供養するお寺が移転してしまった」と鳥居住職。そこで、土地の鎮魂のために護摩を焚き始めたという。

 今回の地蔵盆も土地供養の一環。平成23年から六地蔵巡りと護摩法要を行っている。昨年は全国から僧侶と行者約90人が集まった。

 地蔵盆まで約1週間に迫り、準備に追われる鳥居住職。「これはミナミ活性化のための行事です。朝から晩までこの格好で歩いていたら安全な街やと思うでしょ。僕の夢は町中を坊さんだらけにすることです」と話している。

 当日は午後5時から六地蔵巡りを行い、護摩法要は7時〜8時半。5時から相合橋で護摩木を1本500円で販売する。問い合わせは弘昌寺((電)06・6211・7819)。

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1489よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/19(月) 20:26:18 ID:8DTH.8nA0
大阪城と並ぶ国の特別史跡

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2013年8月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/130816/20130816046.html

枚方市中宮西之町 百済寺跡

 「ここが東門、ここから回廊をめぐって、あそこが南門…」と、丁寧にご説明いただいたのは、百済(くだら)の会会長、花村桓(はなむらたけし)さん。ここは枚方市中宮西之町にある百済寺跡(くだらじあと)。奈良時代の寺院跡で、百済の王族の子孫、百済王(くだらのこにしき)である敬福(けいふく)が王家の氏寺(うじでら)として8世紀の終わり頃(ごろ)に創建した。

 聖武天皇が東大寺の大仏を造る際、鍍金(ときん)(メッキ)用の金が必要と聞いた敬福が、当時の任地である陸奥(むつ)(現宮城県涌谷町(わくやちょう))で産出した黄金900両を朝廷に献上した。天皇はたいそう喜んで敬福を昇進させ、これをきっかけに、百済王氏一族は、この中宮の地に移り住み、一族の氏寺として百済寺を建立したのである。

 その後、11〜12世紀頃に百済寺は焼失したが、今もかつての威容をしのばせる壇上積基壇(だんじょうづみきだん)と礎石などが残っている。大阪府内で国の特別史跡に指定されているのは、この百済寺跡と大阪城だけだ。それぐらい歴史的価値の高い場所なのである。

 過去に2度、発掘調査があったが、2005(平成17)年から始まった再発掘調査は8年たった今も続いている。07年に大型多尊※仏(おおがたたそんせんぶつ)の破片9点が見つかり、新聞の第一面を飾ったことで、記憶にある方も多いことだろう。

 ※仏とはレリーフ(浮き彫り)状の仏像のことで、特に大型多尊※仏は皇族ゆかりの寺など、格式の高い寺でしか見つかっていない。小型※仏の破片も60点以上ここで見つかっていて、大型※仏を中心に小型※仏がちりばめられた※仏壁のようなものがあったと考えられる。

 「これ、私が作りました」と見せていただいたのは、花村さんが複製した大型多尊※仏の写真。彼が実行委員長を務める「枚方・百済フェスティバル」に現物を出品し、好評を得た。「話すより、物を見せた方が早い」というその情熱には頭が下がる。フェスティバルは毎年5月に開催され、この百済寺跡の価値を知ってもらおうというのが出発点だ。

 今の技術で柱の礎石を計ると、当時どれくらいの大きさの柱だったのかが分かるそうだ。西の塔にある大きな柱の礎石を見ると、なにやら三角形や丸などの図形が書いてある。当時の大工がこれを作りながら打ち合わせをしたのか、落書きをしたのか…そんなことを考えるのも楽しい。

 花村さんの解説を聴いていると、そこに三重の塔が立ち、向こうには※仏壁のある金堂があり、一番向こうに食事をする食堂(じきどう)が見えて、古代の寺院が立ち現れる気になる。今は公園になっているが、回廊は回廊と分かるように整備されているので、古代の息吹を感じたい人は、ぜひ、枚方まで行ってみることをお勧めする。

 ※は土ヘンに専

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1492よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/19(月) 21:12:42 ID:8DTH.8nA0
有望な面打ち作家発掘 豊中不動尊で島熊山能面祭 大阪
2013.8.19 02:09
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130819/osk13081902100001-n1.htm

 後世に残る優れた新作の能面、狂言面と有望な「面打ち作家」を発掘する全国能面フェスティバル「第7回島熊山能面祭」が18日、豊中市緑丘の豊中不動尊で開かれた。

 今年は全国から240点の応募があり、観世流シテ方の梅若玄祥さんや大槻文蔵さん、山本博通さんらが「舞台で使える能面」を基準に審査した。その結果、川上尭由(たかよし)さん(愛知県)の「山姥(やまんば)」と伊庭(いば)貞一さん(滋賀県)の「深井(ふかい)」が大賞に選ばれた。

 能面祭では表彰式の後、梅若家、大槻家に古くから伝わる本面が公開された。

 会場には、入賞作品41点を含む全応募作品が展示され、入賞した面打ち作家のほか能面ファンも訪れ、梅若さんや大槻さんの解説で興味深そうに作品を鑑賞していた。

 入賞作品は30日から9月2日まで、大阪国際空港ターミナルビル3階のエアポートギャラリーで披露される。入場無料。

1493よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/21(水) 20:31:15 ID:2NHsl.Js0
3メートルの津波襲う 「近現代大阪の地震」特別展
2013年8月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130821/20130821024.html

 9月1日は防災の日。今年は関東大震災(1923年)から90年の節目の年にも当たる。大阪歴史博物館(大阪市中央区)は、大震災を記念して「近現代大阪の地震」と題して特別展示を行っている。地震の少ないとされる大阪だが、歴史をたどると過去に津波などで被害に遭っていることが分かる。想定される南海トラフ巨大地震では、甚大な被害も懸念されるだけに、同館は被災の事実を知ってほしいとしている。

 特別展示は、江戸時代から明治、大正、昭和にかけて起きた地震による被害状況や関東大震災時の被災者対応、昭和南海地震などの史料を集めた。江戸時代の1854年に起きた安政南海地震では、津波被害を記した史料が残っており、推定で高さ約3メートルの津波が大坂を襲い木津川と安治川をさかのぼり、小舟に避難していた人々を津波で運ばれた大船が押しつぶして犠牲者が出たことが分かる。

 このほか、地震を起こすと信じられていたナマズが題材の江戸時代の刷り物「鯰絵(なまずえ)」も陳列。地震鯰の取り調べを描いた作品は、安政江戸地震(1855年)の前に各地で地震を引き起こした鯰たちが、鹿島大明神の前で言い訳を述べている。

 中には「大坂のぢしん」と記された鯰もおり、飯田直樹学芸員は「前年の安政南海地震を引き起こした鯰と考えられる。当時の大坂は地震の代表的な被災地だと、全国的に知られていたと思われる」と話す。

 関東大震災の発生直後を知る史料も展示。被災地に入った当時の大阪市の助役だった有田邦敬が残した直筆の救護日誌には、戒厳令施行や暴動発生のうわさなど、限られた情報しか入手できなかった様子が記されている。「次は大阪で地震が起きるとうわさが流れた」(飯田学芸員)。2万人もの避難者の受け入れや救護活動に、現在の民生委員に当たる方面委員が中心的役割を果たしたという。

 展示を通じて飯田学芸員は「こういう地震があったのだという事実を知ってほしい。津波や内陸の地震などで、被害に遭ってもおかしくないと頭に入れておいてほしい」と強調する。

 大阪府は今月、南海トラフ巨大地震に伴う浸水被害想定を独自に見直して公表した。JR大阪駅周辺などでは約2時間後に最大で高さ2メートルの津波が押し寄せ、浸水面積は沿岸の防潮堤が機能するのを前提とした国の想定の約3・6倍の約1万1千ヘクタールに拡大するとしている。

 歴史を振り返ると、大阪はこれまでに津波による被害に遭っていることが分かり、特別展示はさまざまな教訓を伝えている。

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