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鬼和尚に聞いてみるスレ part24
637
:
避難民のマジレスさん
:2024/12/03(火) 20:25:25 ID:0SXgnlWg0
鬼和尚
少し余計なおしゃべりだと思いますが、こんなことがありました。
>>619
のクリシュナムルティの観点から観察を行って見たのですが、
こんなにも多くの想念が心にあったのかと驚きました。
部屋にあったものに意識を向けると、
ごくわずかな時間で記憶と結びついた観念として認識され、
その対象に対してこの心が、「これはあの人からもらったものだな」「これはもう飽きたな」
などと想念が生じました。
それはクリシュナムルティの言う通り、「観察者と観察されるもの」という二分化した認識が生じていました。
自分が思っている以上に、対象に対しての認識は自我を中心にして
起こっているのですね。
物を見るとき、
無認識(見えてはいる)→記憶に基づいた認識
→自我が投射され、観察者と観察されるものという観念が生じる
→自我からの思考や感情などが生じる
このように感じたのですが合ってるでしょうか?
そしてこのプロセスを観察していると、自分の意思とは無関係に無数の想念が生じることから、
それらは自分ではないと理解できました。
今まではクリシュナムルティの言葉はただ読むだけで終わっていましたが、
実際に観の瞑想で何を観察するか?どう観察するか?
という指南書として非常に参考になりますね。
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